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鬼和尚の仏教購読会 別館
1
:
避難民のマジレスさん
:2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ
954
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/02(水) 13:47:02 ID:tKAk9nHE0
953です。
すみません。
書くところを間違えました。
相談のところに書きます。
955
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/02(水) 20:37:07 ID:giq2kMYI0
164
前年辱賜大燈國師頂相 2/2
狂雲大徳下波旬 狂雲大徳下のはじゅん
會裡修羅勝負嗔 えりの修羅勝負いかる
古則話頭何用處 古則話頭何の用じょぞ
幾多辛苦數他珍 幾多の辛苦他の珍を数ふ
くま訳
狂雲は大徳寺の悪魔のような奴らと、
一休会下の醜い争いに怒っているのである。
古人が残した手本や公案を用いるような場合ではないのだ。
幾多の辛苦を経ることにより、他の者が滑稽な誤りを犯していることに気づけるようになるのだ。
*波旬:サンスクリット語のパーピーヤス、パーリ語のパーピマントの音写で、悪意(パーパ)ある者の意。
仏や仏弟子を悩ます悪魔、魔王として登場し、しばしば魔波旬(マーラ・パーピマント)とよばれる。魔
(マーラ)は殺す者の意。個人心理的には安定(悟り)に対する不安定(煩悩(ぼんのう))の、集団心理的
には新勢力(仏教)に対する旧勢力(バラモン教)の象徴と考えられる。
*修羅:阿修羅(あしゅら、梵, 巴)六道の一つであり、戦闘をこととする鬼類。
(´・(ェ)・`)つ
956
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/03(木) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
わしは悪魔じゃとかいうのじゃ。
修行は阿修羅が怒りて勝負する如しなのじゃ。
いにしえの手本など通用しないのじゃ。
さんざん苦労して修行してこそ真に尊いものを知ることが出来るのじゃというのじゃ。
957
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/03(木) 00:49:17 ID:iMRndr5k0
>>956
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
狂雲は大徳寺の悪魔である
一休会下の者たちは、阿修羅の如く修行せよ。
古則考案等も修行のために使わなければ無意味である。
幾多の辛苦を乗り越えてこそ、真に尊いものに出会えるのだ。
(´・(ェ)・`)b
958
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/03(木) 22:39:00 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
なかなか厳しいことをいうのじゃ。
修行も命がけでやらなければ意味がないというのじゃな。
昔は徹夜で座禅するのもあたりまえだったというのじゃ。
真摯に悟りを熱望すれば悟道も向こうからやってくるのじゃ。
959
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/03(木) 22:51:30 ID:U//D.ckI0
一休さん、宣戦布告!
165
自山中昄市中 山中より市中に帰る
狂雲誰識属強風 狂雲たれかしらん強風に属するを
朝在山中暮市中 あしたに山中に在り暮には市中
我若當機行棒喝 我若し機に当たって棒喝を行ぜば
徳山臨済面通紅 徳山臨済面通こう
くま訳
山(譲羽山)から(京都)市中へ帰るのだ
狂雲が、実は狂風だとは誰も知るまい。
朝、山中に居たと思ったら、夕方には市中に居るのだ。
わしが、臨機応変に、棒喝を駆使したら、臨済や徳山でも、ビビッて赤面するであろう。
*山:譲羽山
*風狂:中国の仏教、特に禅宗において重要視される、仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を、本来
は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。
*臨済の喝徳山の棒:「伝灯録」・臨済禅師はよく大喝を与え、徳山和尚はよく痛棒を加えたことから、
禅宗の修行のきびしさのたとえ。
一休さんの師家養成講座
166
竹幽齋
香厳多福主中賓 きゃう厳多福主中のひん
密密参禪到要津 密々参禪要津に到る
六六元來三十六 六六元來三十六
清風道處有佳人 清風動く処佳人有り
くま訳
竹幽斎
香厳は、とても幸運だった。師匠には力量が無かったが、本人に力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。(知識ではないのである)
六×六は三六。道理にかなった結果である。
清らかな風が吹くところには、美人が居るものである。
*竹幽斎:香厳智閑(きょうげん・ちかん。?〜898)道を掃除している時に、竹に小石が当たり、響いた
音を聞いて(撃竹)を聞いて大悟す、故に之を云ふ
*佳人:美人。此の佳人、大悟底の因縁なり。
*要津:迷いの海を渡りさとりの彼岸に達するための重要な手段、方法。港
(´・(ェ)・`)つ
960
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/03(木) 23:10:09 ID:U//D.ckI0
おまけ①:四賓守(飛不動HP解説)
四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
主は師となります。
① 客看主 「客、主を看る」
修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
② 主看客 「主、客を看る」
師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
③ 主看主 「主、主を看る」
師も修行者も、ともに優れた者の場合。
④ 客看客 「客、客を看る」
師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。
以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。
① 修行者に見破られている状態。
② にわか住職に見破られている状態。
③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。
おまけ②:四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) @前スレ31〜34の詩・参
こちらも臨済義玄禅師が提唱したもので、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法です。
1、奪人不奪境だつにんふだつきょう
修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
2、奪境不奪人だつきょうふだつにん
修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
3、人境両倶奪にんきょうぐだつ
修行者を徹底的な無の境地に導く。
4、人境倶不奪にんきょうぐふだつ
修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。
これも日常生活に置き換えてみることができると思います。
1、ある時は、自分を忘れて相手を生かす。
2、ある時は、相手を無視して自分だけで振舞う。
3、ある時は、自分も相手も忘れる。
4、ある時は、自分もあり、相手もある。"
(´・(ェ)・`)つ
961
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/05(土) 00:18:34 ID:1d4drIFg0
本人が強く悟りを求めていれば師匠がいなくても悟れるのじゃ。
マハリシのようにのう。
日々精進してこそ悟りもやってくるのじゃ。
六根六強の凡人も元来仏なのじゃ。
修行してきた者にのみわかる道理も在るのじゃ。
962
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/05(土) 02:43:46 ID:0F70uATg0
>>961
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
香厳には、幸いなことに、本人に悟りを求める力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。
六根に囚われる凡人も、元来仏なのである。
形式に囚われず、ありのままに気づく修行を続ければ、悟りがおとずれるのである。
*六六:六根六強:六根「感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官」に強
く囚われる。
*三十六:仏の「三十二相」を七言三十六句 (または四十句) の韻文にした声明の句数から「仏」のこと。
*清風道:清風動脩竹・『普燈録』上堂・・形式に囚われず本質をありのままにとらえること・・でありま
しょうか
(´・(ェ)・`)b
963
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/05(土) 22:27:53 ID:1d4drIFg0
六強は六境の間違いだったのじゃ。
変換間違いじゃな。
六根の認識対象なのじゃ。
色声香味触法なのじゃ。
964
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/05(土) 23:37:53 ID:nenS2e0o0
>>963
鬼和尚、ありがとうでであります。
くま訳改改
感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
(´・(ェ)・`)b
965
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/05(土) 23:55:36 ID:nenS2e0o0
臨終に立ち会う際の心構え
167
我病不及良薬効験 我が病良薬の効験に及ばず
不及経呪霊験 経呪の霊験に及ばず
逐日窮困 日逐ふて窮困す
有我情識儞等諸人 我が情識有るときなんぢら諸人
縦雖刹那 たとひ刹那と雖も
縦雖一念 たとひ一念と雖も
成真正工夫 真正の工夫を成し
窮決未了處 窮決未了の処
到着實處 実処に到着せば
諸魔障頓除 諸の魔障頓(とみ)に除いて
老懐如意耳 老懐如意ならんのみ
衆無對 衆こたへ無し
右霊山和尚因病示衆法語 右霊山和尚病に因って衆に示す法語
題其後云 其の後に題すと云ふ
不須経呪亂心頭 経じゅの心頭を乱すことをもちひず
佛界伎窮魔界収 佛界伎窮まり魔界収まる
莫向愁人説愁意 愁人に向かって愁意を説く莫れ
相如雲雨渇望秋 相如が雲雨渇望の秋
くま訳
我が病は良薬の効果なく、
経呪を唱えてもご利益なし。
日をおって、悪化している。
我が心の迷いがあり、混乱しているとき汝等各人
仮に刹那であり、
仮に一念であっても、
真剣に、加持祈祷などの工夫をしてくれて、それでも、
最終的な解決法がもたらされないとき
現実の結果(死)が出れば、
(心をかき乱す)魔性はただちに取り除かれるものであるよ。
死を前にした年寄の願いはそれだけである。
修行僧たちは、一言も無かった
この霊山和尚病に因って修行僧に示した法語
其の後にと題して
経呪を唱えるなど、心を混乱させることする必要は無い。
仏界の智慧の技が窮まれば、魔界を鎮めることができる。
愁い悲しむ人に対して、愁い悲しみを説くことなかれ。
一緒に、エッチなことでもしに行きたくなる秋ですね。とでも言えば良いのである。
*情識:心。迷いの心。本能のままの心の作用
*工夫:参禅修行に励み、様々な努力を重ねる
*魔障:仏道の修行の妨げをなすもの。また、悪魔。
*相如(しゃうじょ): 性質や状態などが互いに匹敵する。
(´・(ェ)・`)つ
966
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/06(日) 22:45:36 ID:1d4drIFg0
経典も呪文も頭を乱すのみというのじゃ。
仏界も無く、魔もない究極の境地に行くのじゃ。
自己を持つものに自己を説いても無意味なのじゃ。
それは雲や雨が秋を渇望しているというようなものなのじゃ。
己を極めれば自然に悟りはやってくるのじゃ。
967
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/07(月) 19:18:00 ID:RoJ3t8Ms0
>>966
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
経呪を唱えるなど、心を混乱させることしてはならない、
仏界の智慧の技を窮め、魔界を鎮めて、仏界、魔界の彼方へ行くのだ。
愁い悲しむ自我がある者に対しえ、愁い悲しむ自我を説くことは無意味である。
それは、雲や雨が秋を渇望しているようなものである。観念を追うのではなくて、ありのままをありのままに極めるのだ
*窮まる:①極限に達する。②この上なく…である、きわめて…であるなどの意を表す。
③(「谷まる」とも書く)行き詰まって困りはてる。④終わる。尽きる。⑤結論が出る。決まる
*収まる:取り入れる。 乱れがしずまる。2.おだやかに落ち着く
*愁い:①悪い状態になることを予想し心配すること。不安。②心中にいだくもの悲しい思い。憂愁。③災
い。難儀。
(´・(ェ)・`)b
968
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/07(月) 19:22:12 ID:RoJ3t8Ms0
覚者の真の心境
168
人境懐古 1/2
境無心燈籠露柱 境は無心なり燈籠露柱
人辨別珠玉塊土 人は弁別す珠玉くわいど
一夜五十年前吟 一夜五十年ぜんの吟
青塚残月巫山雨 せいちょうの残月ぬざんの雨
くま訳
人里の思い出
感覚や意識の対象、その認識主体など無いのだ。ただ、ありのまま、燈籠やお堂の柱があるのみである。
人は宝玉と土塊を分別する。(が、本来何の違いも無い、従って、)
五十年前の一夜の吟
京都久津川青塚古墳に残月がかかる中、夢の中で契りを結んだ珠玉の思い出。(んなものに何の価値もないこ
とを、わしは知っておるのだ。)
*境:視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種の
知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) ,
味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*露柱:むきだしになった柱のことで、法堂や仏殿にある円柱のことを指す。瓦礫?や灯籠?などと同じよう
に、無情・非情な物の喩えに使われて、特に曹洞宗の宗乗では、この露柱こそが仏法を説いている無情説
法を会得せんとする。
*巫山の雲雨:楚の宋玉(屈原の弟子)の「高唐賦」序に楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝している
と、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は
立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦
為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。
この故事から、「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女が夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女
の情交を意味する故事成語として用いられるようになった。
*懐王(かいおう、? - 紀元前296年)は戦国時代の楚の王
*青塚:京都久津川青塚古墳・報恩庵から歩いて1時間半
(´・(ェ)・`)つ
969
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/07(月) 22:03:00 ID:1d4drIFg0
六境無き心の灯篭は柱を露にするというのじゃ。
玉と土塊を分別するのは人なのじゃ。
一夜に五十年を前に吟唱するのじゃ。
青塚に月が残り、巫山に雨がふっていたのじゃ。
970
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/08(火) 19:23:49 ID:1NnBepF.0
>>969
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
六境無き心の燈籠柱を露にする
珠玉と土塊を分別するのは人なのだ
一夜五十年前を吟じる
青塚に残月巫山に雨が降っていたのである
覚者の心境 その2
169 2/2
兩片皮復一具骨 両片ぴまた一具骨
島虫馬牛更魔佛 島虫馬牛更に魔佛
混沌未分暗昏昏 混沌未分暗昏昏
雲月知爲誰風物 雲月は知らぬ誰が為の風物ぞ
石井恭二先生訳
人には二つの耳たぶと、一そろいの骨が具わっている、
鳥虫馬牛、また魔仏と、さまざまだ。
天地が開けるまでは、すべては暗闇に包まれて混沌としていた、
雲や月は、誰かのための風物ではないことを知っている
くま訳
上下の唇、人体の骨
鳥虫馬牛更には仏魔
なにもかも混沌として、見分けがつかなくなる日暮れ時
雲月は誰かの為にあるわけではないのだ。
(´・(ェ)・`)つ
971
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/08(火) 22:53:58 ID:1d4drIFg0
両耳と頭蓋骨のある頭は一切衆生がもっているものじゃ。
鳥や虫や馬や牛や魔も仏さえも同じなのじゃ。
一切は混沌として分別できぬ同じものなのじゃ。
雲や月が風物とするのも人の分別なのじゃ。
972
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/09(水) 20:29:03 ID:qC4HxYB20
>>971
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
両耳と頭蓋骨のある頭をもつ、
鳥虫馬牛、魔も仏も、
一切は衆生みな同じ。混沌として分別できないのでる
雲月を風物とするのも人の分別なのである。
ありがとう、達磨さん
170
渡江達磨 渡江の達磨
脚下苦哉平地波 足下苦なるかな平地の波
誰人梁魏定聱訛 たれ人か梁魏にがうぐわを定む
西來莫道大難意 西来いふなかれ大難の意
河廣傳聞一葦過 かこう伝へ聞く一ゐ過ぐと
くま訳
達磨が梁から北魏に移る時、葦を折ってそれに乗り、揚子江を渡ったという伝説あり。
予想外の事が起こり、足下が苦しかったであろう。
だれが、梁と魏との複雑な関係を治めることができただろう。
インド、中国を経て仏教が伝わるのは大変困難であると言うなかれ。
確かに隔てる河は広かったが、既に達磨を乗せた小船が通り過ぎて行ったと聞いたのである。わしが、達磨
の正伝を説くのである。
*平地風波(へいちのふうは):予想外の出来事や事件のたとえ。または、自ら争いを起こすことのたとえ。
穏やかなところに波風が立つという意味から。
*誵訛・聱訛(ごうか):「いりくんで、むつかしきこと」
*いちゐ(一葦):一葦とは小舟のこと。一葦とは一束のこと、一束の葦を浮べれば、これを桴〈いかだ〉
として渡ることを得るといふことから、一葦は小舟を指すことになる。
(´・(ェ)・`)つ
973
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/09(水) 22:51:15 ID:1d4drIFg0
達磨の渡江にかけて仏道の伝道を鼓舞しているのじゃな。
足の下には平地でも波があり、国境もあって伝道が困難じゃというのじゃな。
伝道にいろいろ苦難が有るという意味じゃな。
それでも伝道が困難とは言うべきではない、達磨は葦の船で大河を渡ってきたではないかというのじゃ。
974
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/10(木) 19:31:39 ID:tQxP6Xgs0
>>973
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
脚下は苦労が絶えない、
誰が梁魏の国境を超えていくのか、、
それでも、伝道は困難であると言ってはならない。
既に達磨は、葦の船で大河を渡ってきたのである
森羅万象我が思い(唯識)
171
不嫌念起所 1/2
平生贏得蠚苴名 平ぜいかちえたりらその名
信口言詮群集驚 口にまかせてごんせんして群衆驚く
自讃毀他長情識 自讃毀他情識を長ず
乾坤江海我詩情 乾坤江海我が詩情
蔭木英雄先生訳
ふだん拙僧(一休は)嘉菖の名を頂戴しており
口まかせの言葉(艶詩や罵署雑言)に人々は驚いている
自分をほめ他人をそしって情欲と小知を増長して
広い天地江海がそのままワシの詩情なのじゃ
くま訳
日ごろわしは放大胆であると評判なのだ。
口からでまかせの言葉が、群衆を驚かせているのである。
自分を誉めて、他人を貶すことは、自分の迷情を深めるのである。自他ありのままをとらえるのだ。
天地河海全てが我が詩情なのだ。森羅万象は我が思いの中にあるのだ。
*平生:1終生,一生,生涯,終身.2平素,日ごろ,日常,従来,これまで,ずっと.
*贏得(えいとく・かちえる):利益を得ること。獲得すること。
*蠚苴(らそ):放胆。荒々しい。
*信口:口から出任せに[しゃべる]
*言詮(ゲンセン):言葉で説明すること。また、その言葉。
(´・(ェ)・`)つ
975
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/10(木) 21:56:44 ID:1d4drIFg0
一休みは自らでまかせを言って民を驚かせていると自覚しているのじゃ。
自分をほめて他人を謗ると情の認識がよくなるというのじゃ。
自分を鼓舞しているのじゃな。
天地の全てが自分の詩じゃというのじゃ。
976
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/11(金) 21:22:18 ID:sfCtiVOE0
172
不嫌念起所 2/2
脚下紅絲妻子盟 脚下の紅糸妻子の盟
驪山私語約三生 り山の私語三生を約す
良宵共愛夢閨月 良せう共に愛す夢けいの月
照看一聲望帝情 良せう共に愛す夢けいの月
くま訳
思いが起こる場面を、分け隔てしない
赤い糸で結ばれた妻女との堅い約束
驪山(華清宮)で湯浴みした楊貴妃のように美しい森と交わした三生の誓い
素晴らしい宵に、愛し合う夢のような閨(ねや)を照らす月
森は、声望の高い天子様の情を、照らし看ているのだ。
*驪山の麓にある、「華清宮」は楊貴妃が湯浴みしたことで有名
*閨:夜、寝るための部屋。寝間。寝室。特に、夫婦の寝室。
*声望:(せいぼう ばう):世間でのよい評判。名声と人望。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ
>>647
21の詩看森美人午睡で森w楊貴妃にたとえている。
前スレ
>>943
99の詩で、「皇孫であることや誉れ高い噂を聞いて、森公はぼくを密かに慕っていることを
知って、ぼくも愛おしく思っていたんだよ。」と詠っている
(´・(ェ)・`)つ
977
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/11(金) 22:34:57 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
艶歌なのじゃ。
これもまた一休の民を驚かせる詩じゃろう。
悟った者はもはや恋愛などしないとか思われているからのう。
やろうとすれば何でも出来るのじゃ。
978
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/12(土) 14:47:22 ID:IheNw6bk0
173 1/3
不邪淫戒 三首
痛飲誰家楼上謳 痛飲たが家の楼上の歌ぞ
少年一曲亂心頭 少年の一曲心頭を乱る
阿難逆行淫坊暁 阿難逆ぎょう乱心の暁
妙解方便残月秋 妙げの方便残月の月
柳田聖山先生訳
大酒を飲んで楼上で歌っているのは何処の誰か
いかにも男色の一節が心を取り乱すではないか
弟子のアーナンダが婬坊で戒律に背いたその朝
長者マンジュシリーが救済の思案する残月の秋
伊井暇幻先生訳・解説
痛飲した状態で歌が聞こえてきた。どの女郎屋で歌っているものだろうか。
若い声が歌う一曲に、心掻き乱される。
阿難でさえ女性の色香に執着してしまったという。私も女郎屋で夜明けを迎えている。
しかし、此れは妙解を得るための方便である。白んだ空に残月が浮かんでいる秋の夜明け
月を【夜/陰の存在/煩悩】とすれば、残月であるから、其れが白日の下に晒されていることになる。煩悩
を隠さず晒し、妙解の方便であると言い切る。一休独特の境地である。
くま訳
痛飲したのである。遊郭の歌声はどこから聞えるのだろう。
若者の一曲の歌声が、心を乱す。
阿難が、淫坊から逃げ出した暁
釈迦から、阿難救出を命じられた文殊菩薩が、作戦を練った有明の月の秋、
わしは、自分で妙解を得るために、遊里に遊ぶのだ。
*阿難(アーナンダ)が、女郎屋で、心神耗弱状態にされ犯されそうになった挿話を下敷きにしているらしい。
(大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経)
この詩に於いても、男色説は却下である。
(´・(ェ)・`)b
979
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/12(土) 23:02:01 ID:1d4drIFg0
アナンダはお釈迦様が生きている時にはまだ悟っていなかったというからのう。
いろいろ創作されるのじゃ。
お釈迦様の死後に残された法を実践することで悟れたのじゃ。
お釈迦様が居なくとも欲があっても実践すれば悟れるのじゃ。
980
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/13(日) 12:47:44 ID:b2BllLSc0
ありのまま。
174 2/3
逆行慈明婆子身 逆行の慈明婆しが身
紅絲脚下絆婚姻 こうし脚下婚姻を結ぶ
一曲楼頭綠珠笛 一曲楼頭綠珠の笛
可憐昔日趙王輪 あわれむべし昔日趙王の輪
柳田聖山先生訳
逆手をとった慈明は老婆を案じてのこと
脚に纏いついた紅糸が男と女の縁を結ぶ
一人楼上で笛を吹く緑珠にも夫はいたよ
戦国の趙王も夫のいる羅敷の絆を乱せず
伊井暇幻先生解説
慈明と婆は色っぽい関係だったわけではない。ただ、慈明和尚は説法をスッぽかして婆の家に入り浸ってい
たらしい。一休は「紅絲脚下絆婚姻」としているので、夫婦関係と見ているようだ。此の場合の「夫婦関
係」は現代流に性交を意味せず、ただ、【寄り添い合って生活する】ほどの意味だ。「薪を割って」「茶を
淹れて」と、呼び掛ければ反応がある、優しく温かく寛いだ空間を構成している。が、此処で話は一転し、
晋書に載す趙王倫の専横に繋がる。
趙王倫の配下 孫秀が妓女 緑珠に懸想した。しかし緑珠は崇季倫の愛人であった。孫は譲るように迫っ
たが、崇は拒否した。孫は趙を唆し、崇を罪した。緑珠は崇の目の前で楼から飛び降り自殺した。崇・母・
兄・妻子十五人が殺された。五十二歳であった。・・・このあと趙王司馬倫は恵帝を廃し簒位した。が、程
なく叛乱が起き司馬倫は殺され、恵帝が復位した。権勢を恣にし緑珠と崇季倫の仲を引き裂き殺した趙王倫
は、結局、命を失った。
一休は、前半で慈明・慈明婆のホノボノとした清廉な半同棲を羨み、後半で権力の亡者となった趙王倫の
末路を憐れんでいる。則ち一休は、水魚の如き自然な共存 恩愛を賞賛し、人々の愛を踏みにじり権力に執
着した趙王倫に憐憫の情を示しているのだ。単純な否定ではなく、憐憫である。ややもすれば、権力を求め
る人のココロを否定するのではなく、そんな煩悩を凝視し、自らも苦悩している。「現に小人は度し難い」
と突き放すのではなく、【悪人】へこそ大悲の心を向けているか。
くま訳
慈明和尚は、遊郭に出かけたりするのではなく、身寄りの無い老婆を案じて、
縁を大切にして、一緒に住んでいたのである。
楼上で笛を奏でた綠珠(愛人の目の前で楼上から飛び降り自殺をした)
憐れむべきは、綠珠を死に追いやった趙王である。因果はめぐり、臣下に殺害されたのである。
(´・(ェ)・`)つ
981
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/13(日) 22:48:28 ID:1d4drIFg0
昔の中国では足首に夫婦となる運命の赤い糸がつながっていると信じられていたのじゃ。
そのような正しい運命の恋愛ならば善いというのじゃ。
横恋慕して悪逆なことをすれば、身を滅ぼすというのじゃ。
982
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/14(月) 19:09:11 ID:3QLePqvQ0
一休さんの主張
175 3/3
沙門何事行邪淫 沙門何事ぞ邪淫を行ず
血気識情人我深 血気識情にん我深し
淫犯若能折情識 淫ぱん若しよく情識を折らば
乾坤忽變作黄金 乾坤たちまち変じて黄金とならん
柳田聖山訳
修業僧がどうして情欲をほしいままにする
向こう見ずに欲にかられて自分勝手に動く
愛欲を持て余しても情を抑制ができるなら
その時は天地は一挙に金色に変わるだろう
伊井暇幻先生訳
沙門よ、何故に邪淫を行うか、と人は問う。
確かに、人の姿や声や動作、肌の柔らかさ温かさ臭いを貪る欲が私は深いし、感情が動いてしまう。無我の
境地には遙か遠い。
しかし、人と交わり、且つ、煩悩を折伏することが出来れば、
対象への愛が深い分だけ大逆転して、黄金のような素晴らしい悟りの極致に達する
くま訳
修行者が邪淫を犯すとは何事か!と、叱られた、
確かに、わしは、血気盛んで、迷情、我執が深いのだ。
けど、交情しても、迷情を断つことが出来れば、
天下世界がたちまち、悟りの世界になるのである。
*人我(にんが・じんが):人間にあるとされた、常住不変の我(が)のこと。我執。
*血気: 向こう見ずで盛んな意気。客気。血の気(け)。
(´・(ェ)・`)つ
983
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/14(月) 22:13:00 ID:1d4drIFg0
僧になっても邪淫から離れられない者が多いというのじゃ。
血気は自我の深くに本能としてあるから離れ難いのじゃ。
もし邪淫を犯しても、執着しなければよいというのじゃ。
そうすれば世界は黄金の如くになるというのじゃ。
984
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/15(火) 19:17:18 ID:Hg2uwcrw0
176
聞聲悟道 聞しょう
擊竹一朝忘所知 擊竹一朝所知を忘ず
聞鐘五夜絶多疑 聞鐘五夜多疑を絶す
古人立地皆成佛 古人立地皆成佛
淵明端的獨顰眉 淵明が端的獨り眉をひそむ
くま訳
瓦礫が竹にあたる音を聞いて、たちまち、今までのことを全て忘れて、悟りの境地を得た(香厳)
明け方、鐘の音を聞いて、今までの多くの疑問を絶して悟りを得た(天真毒峰善禪師)
古人は音を聞いて、即座に皆悟った。(一休さんもカラスがカーで悟った)
陶 淵明だけ、明らかに独り、眉を顰めた。
(下戸なのに、酒席に招かれ、一度は断わったが、付き合いで出席することにした。けど、現地に付いて、
たまたま鐘の音を聞いたら、ふと我に返り、眉を攅(あつ)めて、帰ってしまった。
*鐘の聲で悟ったので有名なのは、白隠さんであるが、年齢的に、毒峰善禅師。おまけ参
*陶淵明(とうえんめい365–427)文人
*慧遠(えおん334-416)念仏宗開祖
音声が悟りか、悪感情か、どちらに結びつくかは、常日ごろの心構えに依るのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ
985
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/15(火) 19:22:33 ID:Hg2uwcrw0
おまけ①:香厳の詩(投機偈でありましょう)
香厳撃竹
一擊忘所知 更不假修持 一撃所知を忘ず 更に修治を仮らす
動容揚古路 不墮悄然機 動容に古路を揚く 悄然の機に堕せず
處處無蹤跡 聲色外威儀 処々蹤証跡無し 声色威儀を忘ず
諸方達道者 咸言上上機 諸法達道の者 みな言ふ上々の機
「禅と悟り」HP訳
石が飛んで竹を撃ちカチンという音が出た。その音を聞いたとたん、今まで覚えていたいろんなことが、ど
こかへ行ってしまった。 それは別に修行や鍛錬の結果ではない。本来そこにあったものだ。
手足を動かしても本来の古路を踏み外すことはない。 もう何か物寂しくなって気分がおちこむようなこと
はない。
その古路は空寂で、どこにも足跡のようなものは残っていない。(しかし、単に空寂なものではなく、その
中に働きがある。)五官や思慮はそのままで動いている。別にかれこれと威儀に囚われることではない。
そこに上々の働きがあるのだ。
おまけ②:毒峰善の投機の偈
間宮英宗先生訳・解説
毒峰善禅師は、鐘聲を聞いて忽ち宇宙の大機に投入せられました。其の時の偈に曰く、
沈沈寂寂絶施爲 觸著無端吼似雷 動地一聲消息盡 髑髏粉砕夢初回
「沈沈寂寂絶施爲」、と云ふは、坐も又禪、臥するも禪、言語するも亦禪で、考案三昧になり忘想分別も打
破る工夫三昧になりきった時の境涯である、此の時に、ゴーン、と一聲の鐘を聞いて忽ち大機に投じて見れ
ば、「 觸著無端吼似雷」で其の時の鐘は實に天地にひびき渡って、百雷の一時に落ちたような聲であった、
此の一聲は盡十方世界にひびき渡ってて居る、「 動地一聲消息盡」、で此の天地も動揺した程の鐘の一聲
は無字も如来も、宇宙の大眞理も云ひ盡くして居る、「髑髏粉砕夢初回」、即ち此の超音聲で、けがれたる
ガリガリの五尺の髑髏を粉微塵に打ち砕き、初めて眞に宇宙の大眞理を悟る事が出来た、と云ふ意味である。
沈沈寂寂絶施爲 沈沈寂寂施爲を絶す
觸著無端吼似雷 触著すれば端無く吼えて雷に似る
動地一聲消息盡 動地一声消息尽き
髑髏粉砕夢初回 髑髏粉砕して夢初めて回る
くま訳
深夜静寂の中、三昧に入っていると
全てが明らかになった。雷のよな轟音、鐘の音
地響きがするほどの一声の後、消息は尽きた
締め付けていた頭蓋が粉砕されたように、初めて夢から覚めたのである。
*天真毒峰善禪師:1419-1482(中国語サイト:人名規範資料庫)
これは、軍荼利明王降臨の表現でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b
986
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/15(火) 23:26:04 ID:1d4drIFg0
>>984
心構えと実践じゃな。
悟りを得ようと強い意欲をもって、日々実践していれば音声にょって悟りも得られるのじゃ。
そうでなければただ耳障りなだけなのじゃ。
同じ音でも受け取る者に拠ってそれだけ違うのじゃ。
987
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/16(水) 19:37:02 ID:5SfEipAk0
177
破譬喩示病僧 比喩を破して病僧に示す
弓影膏盲在酒中 弓影かうくわう酒中にあり
毒蛇影落客盃弓 毒蛇影落つかく盃のきゅう
楓林黄葉蜀江錦 ふう林の黄葉しょくかうのにしき
染得心頭満目紅 染め得たり心頭満目の紅
くま訳
比喩を論破して病僧に説き示す
盃に映る弓の影とは病のことであり、その病は身体の奥深いところに有る、
毒蛇の影と思い込んでいるのは、弓なのだ。
かえで林の紅葉を蜀江の錦・高級絹織物と見間違えるよなものだ。
染めてしまうことが出来るものなのだ、心、頭で思い込めば、一面何もかも紅一色に。
*膏肓(コウコウ): からだの奥深いところ。ここに病気が入ると治らないという。
*国訳禪学大成の解説
病膏盲に入れば冶せず。
盃中の弓影、毒蛇と観ずる、
己に迷妄の裡あり、
楓林の紅葉も見様にて蜀江の錦に同じ、
病は心からである、之を無形に治せば、効有形に現る。
(´・(ェ)・`)つ
988
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/16(水) 21:32:36 ID:1d4drIFg0
病は気からとも言うのじゃ。
酒の水面に写った蛇の影を呑んで病にかかったと思ったものも居るのじゃ。
それは弓が写ったものだったというのじゃ。
紅葉の景色を錦と見るようなものじゃ。
心に病があれば肉体も病むのじゃ。
989
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/17(木) 18:59:58 ID:7OJSsgOo0
178
渡江達磨 渡江の達磨
去々來々随意行 去去来来意に随って行く
乾坤萬里俗塵生 乾坤万里俗塵生ず
西天此土姓名重 西天し土姓名重し
脚底客頭藘葉軽 脚底客頭ろえふかろし
くま訳
何の囚われもなく、意のままに好きなところに行く。
確かに、天下地の果て何処へ行っても、浮世の煩わしさが生じる。
極楽浄土と現世の「法」のことを思うとき、達磨の存在は大変重いのであるが、
その言動は、徹底して軽やかであったのだ。
*去々来々:波が寄せては返す様子、これは一つのことにとらわれない姿、自由な様子。
*俗塵(ゾクジン):浮世のちり。俗世間の煩わしい事柄。
*西天(さいてん):西方浄土。極楽。天竺(てんじく)。インド。
*此土(シド):この世。現世 自分のいる所。この土地。
*蘆葉達磨(ろよう--):インドから中国に来て梁の武帝に法を説き、さらに洛陽を目ざし揚子江をのぼっ
たが、その時、一葉の蘆(あし)の葉に乗って渡ったとの伝説を示す語。「蘆の葉に法の方便」
参)170 の詩
>>974
>>972
(´・(ェ)・`)つ
990
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/17(木) 21:37:21 ID:1d4drIFg0
達磨は去るのも来るのも自由だというのじゃ。
俗塵のあるところどこにでもいくのじゃ。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのじゃ。
しかし、その身は脚底から頭の上まで葦の葉に乗って川をわたるほど軽いのじゃ。
991
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/17(木) 22:09:39 ID:7OJSsgOo0
>>990
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
達磨は去来自在何所へでも行くのだ。
天下どんなに遠くても、俗世間のどこにでも行くのである。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのである。
けど、頭の天辺から足の裏まで、葦の葉に乗って川をわたるほど身軽なのだ。
(´・(ェ)・`)b
992
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/18(金) 19:10:12 ID:vvZ4Fpoo0
179
正工夫示久参徒 しょう工夫久参の徒に示す
機輪轉處實能幽 きりん転ずるところ実によく幽なり
臨済正傳名利謀 臨済の正伝名利のはかりごと
一枕春風鷄足暁 一ちんの春風鶏足の暁
三生夜雨馬嵬秋 三しょうに夜雨馬かいの秋
くま訳
正しい仏道修行の仕方を長く修行している者に示す
禅修行によってよく整えられた意識の働きは、実に奥深いのである。
臨済の正伝などと言っても、そんなものは名利を求めるはかりごとの結果に過ぎない。
一人寝の朝は、春風のように爽やかで、釈迦を継いだ迦葉(かしょう)が入滅した鶏足山の暁のようだ。
三生を誓った森と過ごす、雨の夜は、唐の玄宗皇帝が護衛兵の反乱により、やむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るようだ。
鶏足山の暁とは、我こそは仏教正伝であると言う自負でありましょうか。
馬嵬秋とは、80歳を過ぎて、いづれ死により愛する森と分かれなければならない一休さんの、惜別の念でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
993
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/18(金) 19:20:43 ID:vvZ4Fpoo0
*おまけ①:大燈国師が死に臨んで、その心境を吐露した詩
仏祖を截断し
吸毛常に磨す
機輪転ずる処
虚空牙を咬む
中村元先生訳
わたしはこれまで仏や祖師たちをばさばさ切りたおし、
その都度吸毛剣(髪の毛をその刃の上に吹きつければスパリと切れるほどの見事な剣)を磨き続けてきた。
俊敏な禅のはたらきを発動するときには、
虚空もギリギリと歯ぎしりする。
くま訳
仏祖の言葉を裁断乗り越えるため、
その切れ味を研ぎ澄してきた。
その臨機応変な禅機の向かうところ
虚空に対してさえも牙をきしませるのである。
*おまけ②禅宗伝法祖師22祖の摩拏羅(まぬら)尊者の伝法の偈(げ)である。
心随万境転 心は万境に随って転ず
転処実能幽 転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性 流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂 喜びもなくまた憂いもなし
承福寺HP訳
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き移ろい変わりやすものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、
心中においては常に平常であり喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主
となるところの境地である。
悟りの証明HP訳
私たちの意識作用は周りのあらゆる物事に随って、その物事に転じる(その物事を映す)。
(その意識作用の)転じる様は実にありがたく奥深い。
(しかし)意識作用のハタラキそのものになって意識の本性(仏性)を体得すれば、
喜びも憂いもない(意識作用の世界は絶体無である)。
くま訳
心は外界の変化に応じて移ろう。
修行により、心を整え、転じれば、実に奥深い境地にに到れる。
移ろい行く心のあり様を見て、自分のありのままを捉えることが出来れば、
喜びも憂いも無く、苦も無い。
(´・(ェ)・`)b
994
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/18(金) 22:16:47 ID:1d4drIFg0
>>992
特に自負は無いようじゃ。
ただ鶏足山にいるような爽やかさじゃといっているようじゃ。
それも特定の女子ではなく、愛別離苦を詠っているようじゃ。
独りで修行することを勧めているのじゃな。
995
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/19(土) 17:13:12 ID:WIUog5qw0
>>994
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
第4句:三生を誓ほどの深い情愛は、玄宗皇帝がやむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るような苦をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)b
996
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/19(土) 17:14:31 ID:WIUog5qw0
180 1/2
虚堂和尚十病 二首
1.病在自信不及處 2.病在得失是非處 1.病は自信不及のところに在り
3,病在我見偏執處 4,病在眼量窠白處 3,げんりょうくわきう
5,病在機境不脱處 6,病在得少為足處
7,病在一師一友處 8,病在旁宗別泒處 8, 別派
9,病在位貌拘束處 10病在自大了一生小得處
是非元勝負修羅 是非は元勝負の修羅
傍出正傳人我多 傍出す正傳人我多し
近代邪師誇管見 近代の 管見に誇る
識情毒気任偏頗 偏頗に任す
曹洞宗長泉禅寺 HP訳
1,失敗からも成功からも学べていない
2,感情に左右され、目先の報酬にとらわれる
3,自分の体験や知識なる偏見によって動けない
4,かきゅうとは鳥の巣のことで、固定観念によって「こうあるべき」と決め込む
5,心が自由に働かず、視点を変えられない
6,小さな満足に甘んじてしまう
7,交際や知識の範囲が狭い
8,一つの理論に凝り固まる
9,自他の地位や肩書きにとらわれる
10,自分の慢心に気づかぬようでは生涯得られない
つらつら日暮HP訳
この「病」だが、学道の障害を指しており、これがあるために、学人は妙境を得られないという。
1.自己本道中に在ることを信じられない場合に病になるという。
2.思慮分別に立つことをいう。
3.自分の見解に偏ってしまうことをいう。
4・限られた型にはめ込んでしまうことをいう。
5.特定の働きや対象から脱せられないことをいう。
6.僅かの境涯を得ただけで満足することをいう。
7.一人の師、一人の友だけと交わり、遍参しないことをいう。
8.宗派の善し悪しを区別することをいう。
9.地位や見た目にとらわれることをいう。
10.自分が大事であって、僅かな見解を得ただけでそれ以上の向上心が無い状態をいう。
くま訳(詩の部分のみ)
分別することは、元々勝ち負けが生じることであり、修羅場になってしまう。2
傍流か主流・正伝かを問うのは、我執によるものである。3 4
昨今の邪視は、狭い視野の狭い考えを誇らしげに主張する8 9
迷情、悪意、により不公平な判断をする。
*管見(かんけん〕:狭い見識。視野の狭い考え方。 自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ
997
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/19(土) 21:36:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
これが正しいとかあれが間違いとか分別していれば戦いになるというのじゃ。
論争とか宗派の争いもそれがもとなのじゃ。
それでまた見解も狭まり、考えも歪んでしまうのじゃ。
実践のみが仏道なのじゃ。
998
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/20(日) 15:34:53 ID:Y9d16ak.0
いつもと違う一休さん、金持ちの娘に手を出して、詰められてるのでありましょうか?
2/2
議論未休正與邪 未だ休せず正と邪と
無慙愧漢是天魔 無慙愧の漢これ天魔
狂雲臥病相如渇 狂雲が病は相如が渇
一枕秋風奈我何 一ちん秋風我をいかんせん
くま訳
正邪の議論がいつまでたってもやまない。
無反省で天に愧じることのない輩は、天魔である。
狂雲の病は、相如の病とおなじである。
一人寝の秋風、わしをどうしようと云うのだ。
*相如が渇:司馬相如(禅179-117)富豪卓王孫の娘分君を誘惑して駆け落ち。父は怒り財産はやらないと
決めたが、その後相除は病気(糖尿病らしい)を患う。それを見かねた周囲の嘆願により財産をもらえるこ
とになった。
(´・(ェ)・`)つ
999
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/20(日) 23:03:24 ID:1d4drIFg0
正邪の議論は無意味というのじゃ。
ただ慙愧するべき時にしなければ天魔だというのじゃ。
糖尿病は昔、消渇といったのじゃ。
相如と同じ病というのじゃ。
病で寝ていると秋風が沁みてくるというのじゃ。
1000
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/21(月) 19:27:26 ID:9PoQw6NM0
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
正邪の議論は無意味である
しかし、慚を知らない者は天魔である。
狂雲の病は相如と同じ糖尿病である。
病床では風が吹いても痛いのだ。
181
示耽名僧 1/3 名に耽る僧に示す
腹中地獄成 腹中に地獄成る
無量劫識情 無量劫の識情
野火焼不儘 やくわ焼けども尽きず
春風草又生 春風草又生ず
名利を求めてやまない僧に示す
胸中地獄になる
永遠の迷情
野火で焼けても、根絶えることは無い
春風吹く頃には、又生えるのだ
*腹中:1 腹の中。また、胃腸。2 心の中。胸中。3 度量。
*野火焼不盡:白居易の詩の一節。野火で焼けても根は絶えず、春風の吹く頃にはまた生えてくる。
(´・(ェ)・`)つ
1001
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/21(月) 19:29:04 ID:9PoQw6NM0
*おまけ: 野火焼不盡(白居易の詩)
賦得古原草送別 「古原の草」を賦し得て、別れを送る
離離原上草 離離(りり)たる 原上(げんじょう)の草、
一歳一枯栄 一歳(いっさい)に一たび枯栄(こえい)す。
野火焼不盡 野火(やか) 焼けども尽きず、
春風吹又生 春風 吹いて又生ず。
遠芳侵古道 遠芳(えんぽう) 古道を侵し、
晴翠接荒城 晴翠(せいすい) 荒城に接す。
又送王孫去 又王孫(おうそん)の去るを送る、
萋萋満別情 萋萋(せいせい)として別情(べつじょう)満つ。
ふさふさと垂れ下がった野原の草は、
一年に一度、枯れていたのがまた栄える。
野火で焼けても根は絶えず、
春風の吹く頃にはまた生えてくる。
はるか彼方、芳しい草は旧道の上に伸びひろがり、
緑の色も鮮やかに、荒れ果てた都の城壁につづいている。
こうしてまた、遠く旅立つあなたを送る。
あおあおと茂った草にも別れを惜しむ情が満ちみちている。
人間誰しも大きな失敗や、心が折れそうになる出来事を経験します。自分はもう終わりだ、取り返しがつか
ないことをした。そう思える瞬間もあるでしょう。しかし、若草山のように時が経てば必ず新しい青々とし
た芽が吹いてきます。
(´・(ェ)・`)b
1002
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/09/21(月) 22:50:24 ID:1d4drIFg0
名声に囚われてはいかんというのじゃ。
僧はもはや金とか権力とは無縁であるが、名声は得られるのじゃ。
名僧と呼ばれるために名声に囚われていては苦難が待っているのじゃ。
何度でも苦しむことになるのじゃ。
1003
:
避難民のマジレスさん
:2020/09/22(火) 21:40:54 ID:Lf8gaWYc0
新スレのご案内
鬼和尚の仏教講読会 別館2
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