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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

515diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:25:52 ID:L8o3xA0o
>>512
 こちらの問いも大切ですね。

> でも、diamonds8888xさんの基準とは、あらゆる発展段階で普遍的に適用されるものでしょう? どんな知識体系の中でも、その基準に照らし、ある科学理論は「疑似科学」と判定されるはずです。言い換えれば、知識体系が変わっても、疑似科学が正しい科学になったり、その反対が起こるわけではないのではありませんか?

 混乱しやすいですから注意して読んでください。その通りですが、「知識体系」の中に「科学的方法論に関する間違った知見」が入っていれば、その「知識体系」にどっぷりつかっている人は間違えますよね。

 既に述べましたが科学的方法論に関する知見自体も歴史的に進歩してきたのです。科学的方法自体が歴史的に発展してきたものですから、昔の議論に現代の基準に沿わないものが混じっていることもあり得ます。

 とはいえ近代科学勃興期以降、すなわちガリレイやニュートン以降の研究者ならほぼ現代の基準にも沿っているでしょうから事例として挙げることは不適切なことではありません。しいて言えば、当時はまだ確率的思考というものは現代ほど進展していなかったようです。これは現代人にとっても難しいから仕方ない。

 そして如何に古代にまでさかのぼったとしても、さすがに「矛盾を許容する自然哲学理論」を唱えた哲学者はいないと思いますよ。皮肉かジョークか比喩でもない限りは。なにせギリシャ人は論理を貴ぶ人達ですからね。中国など他の地域の哲学者だって自分の理論の矛盾に気付かないことはあっても、矛盾があると知ってて唱えた人はいないと思いますけどねえ。

516diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:37:05 ID:L8o3xA0o
 ちよっと[>>510]についても考慮すべき点をコメントします。

> 音のような縦波は瞬間的に、つまり半サイクルの間は、押すでしょう。でも残りの半サイクルは引くのだから、対象物はその場で前後に振動するだけです。
> 
> まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

 そうとも限りませんよ。粒子の大きさが波長に比べて無視できる場合は御想像通りでしょうが、波長が粒子の大きさより短い場合はどうでしょうか?

 また粒子の質量が大きく波の振動数が高い場合は、粒子が波の動きについていけないことになるでしょう。すると何が起きるか?


 勉強途中を邪魔したようならごめんなさい。検討を、いや健闘を祈ります。

517Ken:2019/10/09(水) 23:27:15 ID:KBz.PgiU
>>513

要するに、光は、媒質を必要とする古典力学的な波ではない、ということです。光は光子という、運動量をもつ粒子なのです。

そんな光が干渉を起こすのは、

*光子のような量子サイズの粒子は、原理的に、位置を特定できない
*ただし無秩序にどこにでも存在するのではなく、存在確率は法則に従う
*その法則とは波動関数である

という特徴があるからです。こんなことはdiamonds8888xさんは先刻ご承知ではありませんか。

そして、私がこのことを何度も強調するのは、量子論が登場するまでは、「媒質のない波」という矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があったことを主張するためです。

>私は最近のKenさんの再勉強の発言はすべて「現代人であるKenさんが自分の考えは抑えた19世紀の知識体系の下でという制限のかかったものとは考えていませんでしたが、違うのですか?

「現代人」の私がファインマンを読んでる理由は1つ。マクスウェル理論から相対性理論を導けるのかを明らかにしたいからです。ただし>>506で断ったように、「媒質がない波」の問題を解決したのが、相対論ではなく量子論という認識に立つ限り、これは現在進行中の議論とは関係がありません。

一方、19世紀の段階で、「基準」がどのような判定を行い、結論を出すかを考えるには、私自身が19世紀の人間になってみる必要があります。

>>514

>「矛盾を受け入れるしかない」とかほざいてあきらめる

あきらめる、などとは言っておりません。そもそも科学に最終結論はありえず、矛盾があろうがなかろうが、探求は永遠に続くことでしょう。その意味で、あらゆる科学理論は暫定的なものです。そして、ある段階で「P∧¬P」状態が観測され、その矛盾を解決する方法が見つからないのなら、暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかないのでは、といっています。

>> >基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)
>> と言われたとき、この基準に照らして疑似科学と判定されるのはどのような理論なのかという、具体的なイメージをお持ちだったのでしょうか?
>そんな馬鹿な理論を提案するまともな研究者などいないと思ってます。

私は「基準」について知ろうとしているのですから、その基準がどういう理論を疑似科学と判定するのかという具体例を知りたいのです。現実には誰も提唱しなかった架空の理論でもかまいません。私が例に挙げたアポロとガイアの理論もそのようなものです。

518Ken:2019/10/09(水) 23:50:40 ID:KBz.PgiU
勉強の途中報告です。
ファインマン物理第2巻の第21章で、マクスウェル理論から特殊相対性理論にいたる、最初のステップが登場しました。

www.feynmanlectures.caltech.edu/II_21.html

その話は21章の6節(21-6)に出てきます。一定速度で動く電荷が(x,y,z,t)という時空座標に作る電場ポテンシャルを表す(21.39)式の中に「1-v²/c²」という、ローレンツ変換と共通する項が含まれます。

もちろん、これだけではまだ特殊相対論にはなりません。本当のローレンツ変換なら、

1.長さが縮み、時間が遅れる
2.電荷ではなく観測者が動く場合も同じになる

という結論になるはずですから。

今後のタイトルを見ると26章でより詳しい説明がなされるのかもしれません。

519diamonds8888x:2019/10/14(月) 14:30:17 ID:EXxs5TEU
>>517
>あきらめる、などとは言っておりません。そもそも科学に最終結論はありえず、矛盾があろうがなかろうが、探求は永遠に続くことでしょう。その意味で、あらゆる科学理論は暫定的なものです。

 そのことは十分に理解されているということですね。よかったよかった。中にはそれを理解していない頭の固い人もいますからね。

>そして、ある段階で「P∧¬P」状態が観測され、その矛盾を解決する方法が見つからないのなら、暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかないのでは、といっています。

 そんな暫定理論を一体だれがいつ提出したんですか? 実例がないでしょう?

>そして、私がこのことを何度も強調するのは、量子論が登場するまでは、「媒質のない波」という矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があったことを主張するためです。

 どうにも表現の問題だけという気もするんですが、どうして「「P∧¬P」状態が存在する」と表現しなくてはいけないのですか? 単に「「P∧¬P」状態が存在する」ように見えるだけでしょう?

 それはむろん「19世紀の知見しかない」からだと言えば確かにそうでしょう。でも、すべての未解決の謎は「矛盾が存在するように思える」ものですよ? けれども「それはまだ我々の知らない知見があるからだ」と想定してその未知の知見を求めて努力するのが自然哲学者(自然科学者)です。「「P∧¬P」状態が存在する」と認めることなどありえません。

 いくら歴史上の話とはいえ自然哲学者(自然科学者)の精神を持たない人達のことは初めから除外してますからね。

 [>>512]で次のように尋ねられましたね。ちょっと答えは保留していましたが
>ある時点では「矛盾」に見えても、いずれ知見が進めば矛盾でないことが分かる、という趣旨でしょうか?

 そういう意味です。が、論理的に厳密に言えば次のようになるでしょう。

 「いずれ〜」という未来のことは誰にもわからない。が、可能性は3つ。
  1) いずれ矛盾ではなかったことが分かる
  2) いずれ矛盾が本当に生じていたことが分かる
  3) 本当の矛盾なのか矛盾に見えるだけなのか分からない状態がいつまでも続く

 要するに【現在】は3)の状態であって、本当に矛盾が生じているのではありません。
 さらに現実的な話としては「矛盾が本当に生じる」なんてことは基本的論理を信ずる限りはありえません。そして自然哲学者(自然科学者)が基本的論理を放棄することなど考えられません。

520Ken:2019/10/17(木) 23:08:00 ID:KBz.PgiU
>>519

繰り返し説明をいただいてますが、やはり私としては抽象論ではなく具体例がないと、納得ができません。
「P」とか「¬P」のような抽象記号にして問題を数学化すれば、それは「P∧¬P」などあり得ないに決まっています。でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

19世紀の話ばかりをして恐縮ですが、どうかご辛抱ください。

19世紀の古典力学の中では、光粒子説と光波動説は絶対的背反つまり「P」と「¬P」の関係にあったはずです。ということは、

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

により、光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

ところが20世紀に量子力学が登場すると、光(電磁波)が粒子でもあり波動でもあるという理論は広く支持され、ファインマンを含むあらゆる教科書に載るようになりました。

基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

これではdiamonds8888xさんが考える「基準」としてはおかしいのではありませんか?

新しい知見が得られただけで、疑似科学と正しい科学が立場を入れ替わるような基準は、そもそも基準になりえないのではないのでしょうか?

521diamonds8888x:2019/10/20(日) 06:12:30 ID:ChDNCoB2
>>517,>>520
 量子のパラドックスは難問ですが、矛盾のある理論など誰も提出していないことには変わり有りません。まずは媒質の無い波についてです。

>>517
> *光子のような量子サイズの粒子は、原理的に、位置を特定できない
> *ただし無秩序にどこにでも存在するのではなく、存在確率は法則に従う
> *その法則とは波動関数である

 つまり波動関数とやらが干渉をする「波」なんでしょう? その「波」には媒質はあるのですか? 単に単語を並べただけで"説明"がついて気になってはいないでしょうね?

 「光は波だから媒質はいらない」というのは「波は必ず媒質を持つ」という公理を守った理論です。違いますよ。「波は必ず媒質を持つ」という公理が破棄されたのです。もっともこれはひとつの"説明"でしかありません。一応「マイケルソン・モーリーの実験」の時点でエーテルの風は吹かないことがはっきりしたものとして、ここで光に関しては次の2つの"説明"、というか"見方"ができました。
  1)光波は媒質を必要としない波である
  2)光波は電磁場を媒質とする波である

 1)の"見方"を取れば、この時点で「波は必ず媒質を持つ」という公理が破棄された理論が登場したという事です。これまで絶対的背反などと考えていた"公理"が観測事実により破棄されるという、自然科学の発展においてよく起きることが起きただけです。P∧¬Pが生じたという理論を提出した人はいません。

  【注】これまでの常識が観測事実により破棄されることが「よく起きる」という認識が20世紀人の認識であり、19世紀はその事実を知り始めた時代であることは確かですが。とはいえ、進化論やら微生物の存在やら原子分子論やら、それなりに慣れ始めてはいたはずですが。

 2)の"見方"を取れば、「波は必ず媒質を持つ」という公理は保存されます。それだけのこと。そして2)の"説明"ならばマクスウェル理論の時点で可能でした。ニュートンが「我は仮説を作らず」と述べて「観測される現象がきちんと予測できるなら、それ以上の"正体の説明"など不要」という現代科学のひとつの見識を確立したように「観測される電磁場の"正体"など不要」と割り切ればそれでよかっただけなのです。


 まず次のことはマクスウェル理論の時点で明らかだったのです。
  ・光は電磁場の振動である。
  ・ゆえに光の伝播には電磁場さえあれば(他の物質的な)媒質はいらない。
  ・または、光の媒質は電磁場である。

 なぜこの単純なことが受け入れにくかったのかと言えば、ひとえに「場」というものを何となく物体や物質のような確固たる実在だと受け入れることができなかったからです。つまり思い込みというやつです。しかし現代の科学は「場の正体」という概念は必要としていません。なぜなら「場」の属性は「場」の方程式により精密に定まっており、定量的に観測可能だからです。ちょうど物体の大きさや形や重さが定量的に観測可能だから、「大きさや形や重さの正体」という概念を必要としないのと同様です。

 さて電磁波の速度は真空の誘電率と透磁率から定まるものでした。ここで誘電率と透磁率とが例えば万有引力定数のように物理法則を定める定数だと考えればこれはどのような観測系から見ても同じになるはずだ、というのがマッハの影響を受けてアインシュインが思索をした「相対性原理」の適用です。となると必然的に光速度はどのような観測系から見ても同じになるはずだとの結論になります。

 まあ実際にはもう少し複雑な話が絡みはしますが、それはブログで詳しく書くとしましょう。それにここまでではまだ「相対性原理」を適用してアイディアが生まれたというだけです。が、アインシュインがこのような思索で相対性理論のアイディアを思いついたのは間違いない所です。強調しておきますが、アイディアを思いつくことが可能だったという話であり、マクスウェル理論から例えば数式誘導により必然的に光速度不変が出てくるという話ではないのですよ。だからこそ「マクスウェル理論から光速度不変が必然という見解は引っ込めます。[>>511]」と書きました。

522diamonds8888x:2019/10/20(日) 06:22:15 ID:ChDNCoB2
>>520
>光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

 なりません。

 「光粒子説と光波動説は絶対的背反」という仮説が間違いだったとわかっただけです。もちろん間違いだという根拠も示さずに「光でも波でもある存在」を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないかも知れませんが。
 もちろん御承知でしょうが、量子論における粒子や波は19世紀にイメージされていた粒子や波とは性質が異なるものです。だから量子論では物質は波でも粒子でもなく量子だ、などともよく言われます。

523Ken:2019/10/20(日) 20:14:21 ID:KBz.PgiU
>>522

>「光粒子説と光波動説は絶対的背反」という仮説が間違いだったとわかっただけです。

でも、考えてみてください。

19世紀の知識体系の中で、粒子説と波動説は背反関係にある、という以外の結論にいたり得たでしょうか?

どうやればそんなことが可能でしたか?

524diamonds8888x:2019/10/21(月) 05:25:29 ID:ChDNCoB2
>>523
>どうやればそんなことが可能でしたか?

 光の媒体の例も理解していないのに、それより理解しにくい波と粒子の両立性に話をずらしたら混乱するだけですよ。まず、波と媒質の件を理解してください。波と粒子の話はそれからです。後者は今でも物理学者の間で見解が分かれるくらいの話なんですから。

 マクスウェル理論の時点で光は電磁場の振動であると多くの研究者は認めたのです。個人的にはちょっと論理の飛躍がある気はしますが、大きな反対はなかったみたいですから。この時点でエーテルは必要なくなっていたのですよ。ニュートンの重力場にエーテルは必要なくなっていたのと同様にね。マクスウェルやローレンツも含むけれど多くの人々は、場の奥には機械論的性質を持つエーテルが必要だ、という想いに囚われていたのです。その囚われを解放したのがアインシュタインの相対性理論ということです。


 ところでこの質問の意味は、以下のどちらの意味ですか? nn世紀のという表現はどうも引っかかりますが、以下のように「新たな知識(主に観測事実)」と解釈していいですよね? 新たな思いつきもあるでしょうけど、思いつきだけなら何世紀だろうと可能でしょうから。

 1.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を人は思いつけたか?
 2.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を提唱したら、それは科学的に妥当な理論なのか?

525Ken:2019/10/22(火) 11:43:27 ID:KBz.PgiU
>>524

まず、

>1.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を人は思いつけたか?
>2.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を提唱したら、それは科学的に妥当な理論なのか?

本スレッドの中では2の意味で使用します。論理的な脈絡なしに夢想する人はいるかもしれませんが、それこそ「疑似科学」ですよね。

>光の媒体の例も理解していないのに、それより理解しにくい波と粒子の両立性に話をずらしたら混乱するだけですよ。

とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか? 私たちの間には、おそらくは基本思想の違いから来る、言葉の意味の行き違いも多くありましたが、全体を見れば、論理的なコミュニケーションが成立していたと思いますし、だからこそ2年近くも議論が続いてきたのではありませんか?

「場」については>>485で私の考えを述べております。

19世紀の人にとって「場」とは、クーロン力やローレンツ力や重力が非接触的に作用することを表す1つの表現方法でした。「場」があるとは、そこに力が働く、という以上の意味ではありません。問題は「なぜ」そんな力が働くかということで、光の媒質問題もここに集約されます。

古典力学の立場で考えてみてください。

波が伝わるとは、つまり力が伝わるということです(縦波なら垂直力、横波ならせん断力)。離れた場所に、非接触的に力が伝わることは、波(この場合は電磁波)が伝わることを知ってる人なら、当然の想定事項です。問題は「何が」その力を伝えるのかで、それがつまり媒質問題にほかなりません。

その媒質問題を考えている人に、「クーロン力やローレンツ力が観測されたから、もう媒質は考えなくてもよい」というロジックが通用するでしょうか?

通用するはずがありません。

>マクスウェル理論の時点で光は電磁場の振動であると多くの研究者は認めたのです。

たとえそうだとしても、その「電磁場」の正体が分からないのなら、

>この時点でエーテルは必要なくなっていたのですよ。

という結論にはならないはずです。少なくとも私には論理の筋道が見えません。

なお、

>その囚われを解放したのがアインシュタインの相対性理論ということです

アインシュタインの考えについては、1909年の論文を紹介していただきましたし(en.wikisource.org/?curid=53013)、ファインマン物理の特殊相対論の説明も読みましたが、なぜ相対論がエーテルを不要にしたのかという説明は見つかりませんでしたと、>>501で述べました。私の考えはそこから変わっておりません。

ただし私自身は、エーテルを不要にしたのは、あくまでも量子論だったと考えています。この点はアジモフの文章を紹介しましたが、もう1つ、2000年頃シカゴ郊外の書店で購入した「Way Science Works」(科学ライターのMarek Walisiewiczが編集責任者)の中の「Action at a distance」という項目からの抜粋を転記します。

Forces seem to be able to act across empty space, almost as if interacting particles were "aware" of each other. It is now thought that each of the four fundamental forces is transmitted by a messenger particle. This flies between two particles, carrying the force which acts on the recipient particle, just as a catcher recoils with the momentum of a thrown ball. Protons and neutrons influence each other via strong nuclear force, carried by gluons. Two negatively charged electrons repel one another via the electromagnetic force, carried by short-lived photons.

なお、ファインマン物理の第3巻が量子力学を集中的に説明しているようなので、より専門的な話を期待しています。

ところで・・・・

ファインマンは第2巻の35章まで読み終えました。もうじき電磁気学の講義シリーズが終わるのですが、マクスウェル理論から相対論が導かれるという話は、21章6節で「取っ掛かり」らしきものが現れたきり、出てきません・・・そんな面白い話があるなら、ファインマンのような人が話し忘れるとは考えにくいのですが。

もっとも逆方向(?)というか、特殊相対論が現れても、ニュートン理論とは異なり、マクスウェル理論が修正を加えられることはなかった、という話は出てきます。

526diamonds8888x:2019/10/23(水) 06:18:25 ID:ChDNCoB2
>>525

>その媒質問題を考えている人に、「クーロン力やローレンツ力が観測されたから、もう媒質は考えなくてもよい」というロジックが通用するでしょうか?

 通用します。それこそがニートンの「我は仮説を作らず」という言葉から生まれた現代科学の思想のひとつです。形而上学的な"正体"なんてものは棚上げしても差し支えないということです。詳しくは最新ブログ記事(10/15)をご覧ください。

>通用するはずがありません。

 というのがまさしく19世紀の間違った常識です。正確には19世紀は思想の以降期間ですけどね。
 そして「媒質のない波はない」というのも間違った常識であり、それはマクスウェル理論の時点でもわかっていてよかったはずのことです。

 そもそも「エーテルが否定された」という意味は「(物質的な属性を持つ)光の媒体は必要なかった」ということであり、「(物質的な属性を全く持たない)光の媒体」ならマクスウェル理論の中にしっかりと存在しているのです。それが"場"です。光の媒質は"真空"だという言い方もできます。


>とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか?

 試したいのならまず[>>521]の問いを考えてみてください。

>つまり波動関数とやらが干渉をする「波」なんでしょう? その「波」には媒質はあるのですか?

527diamonds8888x:2019/10/23(水) 06:38:30 ID:ChDNCoB2
>>525
>私たちの間には、おそらくは基本思想の違いから来る、言葉の意味の行き違いも多くありましたが、全体を見れば、論理的なコミュニケーションが成立していたと思いますし、だからこそ2年近くも議論が続いてきたのではありませんか?

 完全に同意します。
 で、論理的なコミュニケーションを重視するはずの人が「(P∧¬P)を含む理論でも科学的理論として提唱できる」などとおっしゃるのですか? 論理を否定してるでしょ?

 「(P∧¬P)であるかのような現象があった」ということと「(P∧¬P)を含む理論が科学的理論として通用する」ということとは別だと、言葉を変えて何度も書いています。

528Ken:2019/10/25(金) 20:01:28 ID:KBz.PgiU
>>526

>形而上学的な"正体"なんてものは棚上げしても差し支えない

「形而上」とはどういう意味ですか?

光(電磁波)には、音のような、それ以前から知られていた波と、無視できない共通点があります。その点では重力とも明らかに異なります。

(例)
*ドップラー効果
*波源は単振動(電磁波の場合は電荷の)
*重ね合わせの原理(フーリエ解析ができる)
*波源が運動しても波の速度は不変
*回折
*干渉縞

これだけの共通点がある以上、「媒質」という、それなくして他の波は存在し得ない特徴を電磁波にも求めるか、もしも媒質を求めないなら、なぜ電磁波だけは媒質が必要ないのかを説明することが、科学ではないでしょうか?

そのような説明もなく、媒質を無視してしまうことこそ、疑似科学ではないのですか?

529diamonds8888x:2019/10/26(土) 15:02:19 ID:Je6e/0Sg
>>528
> 「形而上」とはどういう意味ですか?

 観測事実の裏づけかないと解釈してください。

> そのような説明もなく、媒質を無視してしまうことこそ、疑似科学ではないのですか?

 挙げられた共通性質のどこにも「媒質」の必要性など出てこないではありませんか。a1〜a5までの去痛点があったのだからa6も共通に違いない、というのは類推であって、論理的な必然ではありません。

 そもそもKenさんの解釈ではマイケルソン・モーリイの実験で光の媒質は否定されたのでしょう? だったら観測事実を尊重して「波には媒質が必要だ」という公理とやらの方を廃棄するのが科学的方法というものでしょう。従来の波は確かに媒質を持っていたけれど、光波はそうではなかった、という観測事実を突きつけられた。ただそれだけの話でしょう。どうしてそこで「(P∧¬P)が生じた」などという非論理的な考えを持ち出さなくてはいけないのでしょうか? 単にP≡Aという命題が観測事実により否定されただけではありませんか。

 一応、光(電磁波)の媒質は電磁場であるという見方も十分に説明したと思いますが、Kenさんとしてはこの見方は嫌いみたいですね。それとも2つの見方があるというのは複雑すぎますか?


 それから大したことではありませんが。

> *波源は単振動(電磁波の場合は電荷の)

 何を言いたいのかわかりませんが。波源はいくらでも複雑な振動をするものがありますけど。そりゃ教科書で理論計算する時にはモデル的に単振動を使うことが多いですし、理論解析は単振動の合成として波を考えますけどね。そうしないと解析が難しいから。いや不可能というべきでしょうか。

530Ken:2019/10/30(水) 19:55:28 ID:1yFDELF.
いろいろな種類の波が昔から知られていました。水を伝わる波、弦を伝わる波、大気を伝わる音・・・・

それらの波と多くの特徴を共有する電磁波だから、波の本質というべき媒質も共有するはずと考えられたのは、diamonds8888xさんが重視される史実だと思いますが、史実がどうであれ、正しい科学の基準に従えば、電磁波の媒質は形而上学的なもので、なければないでよいと考えるべきだった、と主張されておられると読みました。

やはりそうなると「場」というものを考えねばならないようです。

先の投稿で述べましたが、19世紀の人にとって「場」とは、電荷の影響が近傍に現れる現象を表現するための方便でした。例えば、

*電荷が静止していると、近傍にはクーロン力のみがはたらく(電場)
*電荷が運動すると、ローレンツ力がはたらく(電場と磁場)
*電荷の運動が単振動の場合には電磁波を生じる
>>529で言及された複雑な振動も、必ず単振動の合成で、個別の単振動がその周波数の電磁波を生じるのが、重ね合わせの原理です)

つまり、電磁波と電場・磁場とは、電荷のせいで空間に生じる影響の形を並べたものであり、そのような影響がなぜ離れたところに伝わるのかという疑問も共有しているのです。言い換えれば、電磁波に媒質が必要なら「場」にも媒質が必要、ということです。いわば電磁波と「場」は、物理現象の理解という点では同じレベルの「水平的」な関係にあり、一方の(例えば電磁波の)しくみを他方が(例えば電磁場が)説明するという「垂直的」な関係にはありません。

以前にペストの原因の話をしましたよね。最初は沼の瘴気が原因と思われたのが、やがて瘴気に含まれるP菌に注目が移り、さらにP菌の中の化合物Xが、さらにXの中の官能基Yが、という形で原因の掘り下げが進む・・・「説明する」とは、このような垂直的掘り下げを行うことで、同じレベルの例をいくら水平に並べても、説明にはならないと私は思います。

別の例を挙げれば、遺伝のしくみを研究する人が、メンデルのようにマメの世代を観察して、法則を見つけたとします。別の研究者がマメ以外の植物や動物を観察して、同じ法則を確認しても、それはメンデルの正しさを追認したことになっても、メンデルの法則を説明したことにはなりません。メンデルの法則を説明するには、親から子に形質が遺伝する仕組みを明らかにせねばなりません。私たちが知ってる歴史では、DNAの分子構造、染色体の分割と複製、塩基配列がアミノ酸合成に影響する仕組み等が解明されたことで、メンデルの法則が説明されました。これが垂直的掘り下げというものでしょう。

その意味では、電磁波や「場」が伝わる仕組みは何か、なぜ物質的な媒質が必要ないのか、という垂直的掘り下げ行われたのは、やはり量子力学が登場したとき、つまり20世紀であり、19世紀にはエーテル否定の実験事実と、媒質がなくてはならない理論との間に、矛盾があったとしか、私には思えません。

531diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:12:59 ID:hCLIKm0I
>>530
>史実がどうであれ、正しい科学の基準に従えば、電磁波の媒質は形而上学的なもので、なければないでよいと考えるべきだった、と主張されておられると読みました。

 釘をさしておきますが「考えるべきだった」とは主張していません。「考えてもよかった」とは思います。さらに「媒質は電磁場だ」と考えれば、これは形而上学的なものではなく観測されたものを媒質としただけの普通のことです。詳しくは別発言にて。

532diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:16:43 ID:hCLIKm0I
>>517,>>520,>>530
 今、いくつもの論点が並んでいるのでまとめます。

論点1:科学的方法として矛盾のある理論を提案できるか?
  つまり基準05で排除されない科学的に妥当な理論がありうるか?
論点2:電磁波や光に媒質がない理由は20世紀には量子論で"説明できる"のか?
論点3:(重力場・電磁場・物質場などの)場の正体は20世紀には"説明できる"のか?
論点4:波と粒子の2重性は現在では"説明できる"のか?

 kenさんのつもりでは論点1の具体例が論点2〜4なのでしょうが、その進め方では話がややこしくなるだけです。なせか?

 これまでの議論でわかる通り(いやわかるのなら苦労しませんが)、論点2〜3はそれだけで話がややこしい。特に論点4ともなれば、現代の物理学者の間でも複数の"説明"("解釈"とも呼ばれる)が乱立している状況です。

 ややこしさの要因のひとつが"説明"とか"解釈"とかいうものは"理論"ではないし、"理論"に必須でもないことです。このことが現代科学の明確な考え方のひとつであることはブログ[10/15,10/26,10/28]でも一部書/いていますが、それはわかりますか? Y/N?
  [tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x]
 ==>詳しい例示[>>535]


 論点1は私にとってはとても単純な話のはずなのですが、kenさんはなぜか余計な具体例にこだわって話をややこしくしています。数学的には正しいとおっしゃいますが、数学的にではなく論理的に正しいのです。そして非論理的な理論などあろうはずがありません。

--------
*) 例えば以下[>>520]は基準05の意味をややこしく捻じ曲げています。

>(基準05:)により、光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

 光が粒子でもあり波動でもあるという主張は、「P∧¬P」と同義と考えられていた主張「P∧¬Q」を「¬(P≡Q)」と主張することにより実は「P∧¬P」と同義ではなかったと主張しています。したがって基準05には違反していません。【論点1のポイントはたったこれだけです。】

--------
*) さらに無限の世界において、論理的には、下記[>>520]は正しいはずがありません。

>でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

 「P」が具体的に観察されたとして「¬P」という状態は無限にあります。人間技で観察できるはずがありません。Kenさんの具体例はいずれも、「¬P」の一部分ではあると勘違いされていたために観察されないはずと考えられていたQが実際には観察されたという具体例だけです。

 一旦段落を切って次発言につなぎます。[>>534]

533diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:17:20 ID:hCLIKm0I
>>532
 このように、どうもKenさんが使っている「矛盾がある」という言葉の意味が私の想定する意味とは違うようにしか思えません。以下の言明をちょっと検討してみてください。そのうえで、Kenさんが本当に言いたかったことを表現してみてください。

1) [>>517]矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があった
2) [>>517]ある段階で「P∧¬P」状態が観測され
3) [>>517]暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかない

 1),2)は自然界に「P∧¬P」状態が存在したという言明ですが、そんなことはあり得ません。少なくとも科学的方法で世界を解明しようとする人は、そんなことはあり得ないという信念を持ってことに当たります。
 もちろんより深い視点に立てば、自然界に「P∧¬P」状態が絶対に存在しないというのは単なる信念であって証明はできません。しかしその視点に立つならば同様にして、「P∧¬P」状態が存在する時期があったという言明も証明できません。

 もしも1),2)が、ある時期には自然界に「P∧¬P」状態が存在し、ある時点でその状態が消滅したと言うことを意味するならば、なぜある時点で自然界が変化したのでしょうか? 文脈から見る限り、「人間の意識が自然界の矛盾を消した(自然界を変化させた)」または「人間の新しい経験が自然界の矛盾を消した(自然界を変化させた)」としか解釈できないのですが、そういう意味でよいのでしょうか?


 3)は歴史上のある時点に「P∧¬P」を含む暫定理論が提案されたことを主張しています。私はそんな理論を知りません。3)が正しいことを示したいのなら具体的に「P∧¬P」を含む暫定理論を示せばよいだけの話です。が、未だに示されていません。ゆえに私は3)の主張を認めません。

 例としてマイケルソン・モーリーの実験の時点での歴史的事実を挙げましょう。これは一部は論点2にも関連するのですが、別発言にします[>>534]。

534diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:17:56 ID:hCLIKm0I
>>533
 例としてマイケルソン・モーリーの実験の時点での歴史的事実を挙げましょう。これは一部は論点2にも関連します。

[>>530]
>19世紀にはエーテル否定の実験事実と、媒質がなくてはならない理論との間に、矛盾があったとしか、私には思えません。

 私も今回の調査でわかったことですが、科学理論の歴史を忠実にたどると、「エーテル否定の実験事実」という認識がまず間違いなのです。特殊相対性理論以前には「エーテルはない」という仮説を含む理論は存在しません。つまり物理学者たちはマイケルソン・モーリーの実験で「エーテルの存在が否定された」とは考えていなかったのです。

 代表例がローレンツ理論であり、この理論はエーテルを否定していません。詳しくはブログ(10/28)およびそのリンク先を参照してください。

 ローレンツ等の物理学者たちは「エーテルはない」とは考えずに、「エーテルの性質は(音や地震などの媒質である)通常物質とは異なる奇妙なものである」と考えました。フィゾーの実験の説明にはエーテルが通常物質の運動に"引きずられる"という仮説が出たり、フィッツジェラルドはエーテルが通常物質の運動により"短縮する"と考えたりしました。ローレンツ理論はこの"短縮"にさらに"局所時間"、実際には特殊相対性理論と同様な"時間の遅れ"を盛り込んでいます。

535diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:18:45 ID:hCLIKm0I
>>532
 "説明"とか"解釈"とかいうものは"理論"ではない、という例として量子力学の"解釈"の話をします。

  現在の量子力学(クォークを無視したレベルで)は核子、電子、光子などのふるまいは完全に予測できます。つまり理論としては完璧なのですが、その"解釈"は乱立しています。基本的な啓蒙書ではスタンダードな"解釈"とされているコペンハーゲン解釈も、もはやニューフェイスとも言いにくい"多世界解釈"も、あくまで"解釈"です。

 "解釈"や"説明"が"理論"に昇格するためには、その"解釈"や"説明"でなければ成立しないような観測可能な現象が【想定できること】が必要です。ベルの不等式というのが、まさに"隠れた変数理論"と通常の量子力学理論とでは結果が異なるような観測可能な現象が【想定できること】を示したものです。ベルの不等式により、それまでは単なる"解釈"と考えられていた"隠れた変数理論(解釈)"は"理論"へと昇格して、実際の観測結果により"理論"として否定されました。

 もちろん将来的に、例えば"多世界解釈"からしか予測できないような観測事実が考え出されるかも知れません。そうなれば"多世界解釈"は観測により反証可能な理論へと昇格するわけです。そういう意味ではこれらの"解釈"や"説明"を考察することに科学理論上の意義が全くないわけではありません。それどころか新たな理論の指針になることは大いに考えられます。それでも、これらの"解釈"や"説明"がなくても現在の"理論"が不完全だということにはなりません。ただ人間の心の一部が満足できないだけです。

 なおコペンハーゲン解釈では光や電子の正体は波動関数という波であると想定します。すなわち運動ないし伝播しているときは波であり、その状態は観測されないと考えます。そして例えば検知器や写真乾板に衝突したりして観測される瞬間に、その波が収縮して粒子として観測されると"解釈"します。そして波動関数という波に媒質が必要とは考えられていません。
 多世界解釈も、運動ないし伝播しているときは波であると考えるのはコペンハーゲン解釈と同様です。ただし観測される瞬間に収縮ではなく、世界の分裂が起きると考える点がコペンハーゲン解釈とは異なります。

536diamonds8888x:2019/11/04(月) 10:11:31 ID:hCLIKm0I
>>532,>>533,>>534
 要するにエーテルを仮定した諸々の理論はいずれも基準05には反しておらず、Kenさん言うところの疑似科学ではありません。ただ、後に観測事実と一致しないと判明したり、よりすっきりと一致する理論に取って代わられたりした、ということです。

 ともかく余計な具体例はおいて、まず論点1について御理解いただきたいものです。
 [>>533]をよく吟味して考えてください。

537Ken:2019/11/06(水) 18:50:07 ID:KBz.PgiU
話が非常に錯綜してきました。少なくとも私にはそう見えます。

とりあえず、この部分が最重要と思われますので、問題提議をします。

>>532
>光が粒子でもあり波動でもあるという主張は、「P∧¬P」と同義と考えられていた主張「P∧¬Q」を「¬(P≡Q)」と主張することにより実は「P∧¬P」と同義ではなかったと主張しています。したがって基準05には違反していません。

おそらくdiamonds8888xさんは、光粒子説と光波動説がPと¬Pの関係にあることは、厳密には証明できなかったし、粒子でも波動でもない第三の状態がありえるかもしれないことは、19世紀にも考えられたと論じておられるものと思います。

ですが、古典力学における粒子と波動は重要な点で背反関係にあります。粒子説なら質量が移動しますが、波動説では質量移動は起こらず力のみが伝わります。つまり「粒子説」と「波動説」と呼ぶから分かりにくいので、

*質量移動が起こるという説(粒子説)
*質量移動が起こらないという説(波動説)

と表現すれば、両者はPと¬Pの関係になるのではないでしょうか?

538Ken:2019/11/07(木) 22:52:48 ID:KBz.PgiU
粒子説vs波動説とは別の例を思いつきました。こちらの方が納得いただけるかもしれません。

題材として、再びペストと瘴気の話を取り上げます。>>307では、

>ペスト病の人の多くは沼の瘴気に当っていました

という観測事実が想定されました。より正確に言うと、

瘴気に当たった集団と当たらなかった集団では、前者の感染率が高く、そこには偶然では説明できない統計的有意差がある

ということになるはずです。ここから、

A:瘴気に当たるとペストに感染する

という仮説を立てられることでしょう。

ところが、追認実験として、同様の瘴気に当たった別の集団のデータを取ったら、瘴気に当たらなかった集団よりも感染率が低かった、という結果が出たらどうなるでしょうか?

B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる

という仮説を立てるしかありません。同じものに接触しながら、一方は感染率が上がり、他方は感染率が下がる。まさしくPと¬Pの関係であり、どちらの観測事実も否定できないなら、P∧¬Pの状態が存在する、というしかないでしょう。

本物のペストではこんなことは起こらないかもしれません。でも、このような事態を生じうる病気は、大昔から知られていたはずと私は考えます。はるかな後年、近代科学がついにその謎を解明したとき、Bの事象を生じる原因を「抗体」とか「免疫」と名付けたのは、よく知られています。

ちょうど本日、インフルエンザの予防接種を受けたとき、思いついたことです。

539diamonds8888x:2019/11/09(土) 09:57:06 ID:BrFCKZjw
>>537,>>538
 話が非常に錯綜してきた元々の原因はKenさんが話題を広げたことです[>>532]。一応は論点1に絞ってもらえたようで何よりです。どうやらKenさんの勘違いを言葉にできそうです。

 論理学でいう矛盾(inconsistensy)は基準05[>>353]での「P∧¬P」のことです。ここで2つのPには全く同じ言明が入ります。Kenさんの具体例はすべて「(P∧Q)∧(Q≡¬P)」の形であり、Q≡¬Pが偽であればP∧¬Pの具体例にはなりません。

 しかし矛盾(conradiction)という言葉はもう少し軽い意味で使われることも多く、理屈に合わない、混乱している、と言った意味で矛盾しているということもあります。私が「すべての未解決の謎は「矛盾が存在するように思える」ものですよ? [>>519]」と言ったときの矛盾もどちらかと言えばこの軽い意味に近いですね。

 しかしたとえ軽い意味の方であっても「矛盾がある」というのは科学的理論にはあってはならないことというのは古今東西のコンセンサスであり、「矛盾がある」というのは理論に反対する根拠になっています。科学者はやっきになって己の理論の矛盾を消すことに努力します。矛盾がある論理を許容するなどということは決してありません。

>>537
>ですが、古典力学における粒子と波動は重要な点で背反関係にあります。

 そもそもは[>>520]でのKenさんの問題提起からの話ですよね。

>基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

 19世紀以前の光理論については粒子説と波動説は確かに背反していたから論争になりました。どちらの陣営も「¬(粒子説∧波動説)」という点では一致していました。というか実際にはヤングの干渉実験等以降、波動説が定説だったのですが。
 20世紀の量子力学では(粒子説∧波動説)は間違いではありません。ただし、それは粒子も波動も古典的な性質の一部を失っているとしているからです。言い換えれば粒子や波動の概念が変化しているからです。

 すなわち19世紀の時点で、(粒子説∧波動説)が成立するという根拠(観測事実ではなくても上記のような概念変化でもいい)を示さずに(粒子説∧波動説)を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないでしょう。しかし例えば現代の量子論のように粒子や波動の概念を変えたうえで主張すれば、別に疑似科学にはなりません。それなりの根拠も示さずに定説に反対しても相手にされないのは現代と同じです。

 混乱したかも知れないので強調しますが、理論はそれが含む全体でひとつのものです。単に「(粒子説∧波動説)も成立する」だけでは理論にはなっていません。(Q≡¬P)をきちんと否定しなくてはいけないのです。


 ついでに質量について。
> *質量移動が起こるという説(粒子説)
> *質量移動が起こらないという説(波動説)

 質量が旧称の"静止質量"を意味するならば質量ゼロの光子は運んでいません。運動量なら通常物質の波動にも運ばれます。もちろんエネルギーも。
 そういえば[>>516]でちょっと問題提起しましたが、通常物質の波動では純粋な横波というのはなさそうですね。電磁波にしても電荷と相互作用した瞬間に散乱する、つまり伝播方向が変わりますから、結局電磁場の方向も変わってしまいますね。


>>538
> B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる

> という仮説を立てるしかありません。

 まさか。2つの実験では何らかの条件が異なっていたと疑うのが普通でしょう。

540diamonds8888x:2019/11/10(日) 11:51:21 ID:BrFCKZjw
>>539
 【たったこれだけの単純な話です。】

 19世紀でも何世紀でも同じですが以下の理論が定説だったとしましょう。
 1) ¬(P∧¬P) ;Pはあらゆる命題 [基準05そのもの]
 2) Q→P ;Q=[xは波である] P[xは媒体を持つ]
 3) 光は波である。

 ここから「光は媒体を持つ」という定理が誘導されます。ですので、何の根拠もなく「光は媒体を持たない」と主張すればもちろん相手にされないでしょう。
 また1)を否定したら、これまた相手にされないでしょう。
 しかし2)が必ずしも成立しないということを科学的な根拠と共に主張した場合は、これは科学的仮説になりえます。
 また科学的な根拠と共に3)を否定しても、やはり科学的仮説になりえます。

 実際には3)は否定されませんでした。その理由は干渉や回折という性質は観測的に確固としていたという点がひとつ、マクスウェル理論により光の波の正体が明らかになった点がひとつ、です。従ってエーテルが否定された時には、波の属性の中で媒体を持つという属性は必須ではなくなったのです。

 いずれにせよ、命題として否定されたのは2)であって1)ではありません。

 【たったこれだけの単純な話です。】

541Ken:2019/11/12(火) 23:27:05 ID:KBz.PgiU
>>539
>> B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる
>> という仮説を立てるしかありません。
>まさか。2つの実験では何らかの条件が異なっていたと疑うのが普通でしょう。

もちろん誰でもそう疑うことでしょう。でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。筋が通った理論は、いつも必ず見つかるという保証はありません。謎が謎のままという状態が何十年も、あるいは何百年も続くことがあります。そして、diamonds8888xさんが唱える「基準」とは、そういう時でも、正しい科学的アプローチと正しくない(疑似科学的)アプローチを区別するのではありませんか?

>すなわち19世紀の時点で、(粒子説∧波動説)が成立するという根拠(観測事実ではなくても上記のような概念変化でもいい)を示さずに(粒子説∧波動説)を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないでしょう。しかし例えば現代の量子論のように粒子や波動の概念を変えたうえで主張すれば、別に疑似科学にはなりません。それなりの根拠も示さずに定説に反対しても相手にされないのは現代と同じです。

再度整理した上でお尋ねします。

>>537で述べたように、古典力学では、質量移動が起こる粒子説と、質量移動が起こらない波動説は、理論的な背反関係にあります。ところが実際の光(電磁波)を観察すると、粒子・波動両方の特徴を示すのです。

波動としては、>>528で列挙したような、ドップラー効果から干渉縞にいたる諸特徴が確認されていました。また理論的にも電磁波は音などと同じ波動方程式(∂²u/∂t² = c∂²u/∂x²の形)に従い、それから算出された伝播速度が光速の観測値と一致しました。つまり光は波であり、上記の背反関係により、粒子ではありえません。

一方、粒子としての特徴には真空を伝わることがありますが、とにかくエーテルの存在を想定することで、決定的な矛盾となるのは逃れていました。(何度か書いたように、19世紀の「場」理論が媒質問題に解答を与えるとは、私には思えません。)

しかし、より重要な粒子的特徴は光電効果です。最初に発見されたのは1839年、今と同じ形で確認されたのは1887年とウィキペディアに書かれています。これも何度か述べましたが、物体を押すというのは、粒子にしかできないことです。つまり、光は粒子であり、理論的な背反関係によって波ではありえません。

そうなると、古典力学の知識体系の中では、

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

の3者がそろったとき、「P∧¬P」以外のどんな結論にいたりえますか?

>(Q≡¬P)をきちんと否定しなくてはいけないのです。

この場合「Q」とはどんな理論になるのですか?

542diamonds8888x:2019/11/15(金) 06:15:32 ID:ar7QZyDs
>>541
>もちろん誰でもそう疑うことでしょう。でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。筋が通った理論は、いつも必ず見つかるという保証はありません。謎が謎のままという状態が何十年も、あるいは何百年も続くことがあります。

 当然です。それがどうかしましたか? どのような結論を出すべきかと言えば、謎は謎と認めて、つまり今のところ正しい理論は出せないと認めて、ひたすら努力するだけです。

 それから「いくら考えても何が異なっているのか分からない」というのは病気や生物のレベルではありえませんよ。個体同士は違っていて当たり前ですから。むしろ「どんなに観察しても、どんなに同じ条件にしようとしても必ず何かが異なる」ものです。分子以下のレベルではもちろん「すべての分子は全く同じ、すべての電子はまったく同じ」というのが現在までのコンセンサスです。

>そして、diamonds8888xさんが唱える「基準」とは、そういう時でも、正しい科学的アプローチと正しくない(疑似科学的)アプローチを区別するのではありませんか?

 そうですよ。無理して矛盾した理論など出す人はいませんよ。むろん自分では矛盾はないと思って出す人はいます。それに対して「矛盾あり」と反論する人もいたりして、科学は進んでいくわけです。

>ところが実際の光(電磁波)を観察すると、粒子・波動両方の特徴を示すのです。

 つまり光(電磁波)は粒子・波動両方の特徴を示す何かであり、従来の概念での波や粒子とは異なる何かであるという観測事実がでたのですよね。だったら従来の、どうしても背反関係にある波や粒子の概念には当てはまらないものなのですから、背反関係にある必然性はなくなったのです。
 具体的には、干渉性という従来の波の属性と、量子化による瞬間的な相互作用という従来の粒子の属性とを併せ持つものであることがわかったのであり、ここでは第3の分類を作るのが必然です。ですから誤解を避ける厳密な言い方としては波でも粒子でもなく量子と呼ぶのです。

>3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

 結論じゃなくてほとんど公理ではありませんか。この「波動と粒子は背反関係」という理論を廃棄すべきであり、「P∧¬P」は廃棄する必要はありません。

> この場合「Q」とはどんな理論になるのですか?

 なんでも同じでしょ。そんなに論理が信頼できないのですか? [>>540]の単純な話なのに。でもまあ例示すれば。

  例1)P「xは波である」およびQ「xは媒体を持たない」
  例2)P「xは波である」およびQ「xは粒子である」

 それから(Q≡¬P)ではなくて(Q→¬P)を否定すれば十分ですね。というか(Q←¬P)は間違いであることは明らかなので。

543Ken:2019/11/15(金) 13:11:10 ID:If1iNos2
急に入院することになり、2週間ほどネットにアクセスができません。
退院後に回答をさせていただきますので、ご了承ください。

544Ken:2019/11/30(土) 18:03:29 ID:If1iNos2
お待たせしました。

>>542

>謎は謎と認めて、つまり今のところ正しい理論は出せないと認めて、ひたすら努力するだけです。

努力することを否定はしませんが、「正しい理論」なるものがいつかは見つかるかどうかは、別の問題ではないのですか? 未来永劫見つからないかもしれません。とにかく、その時点で得られるあらゆる証拠と、考えうる論理展開によって「P∧¬P」という結論になってしまうのなら、その結論を受け入れるしかないのでは、とお尋ねしています。なにも、それを最終結論とするとは言っていません。

>だったら従来の、どうしても背反関係にある波や粒子の概念には当てはまらないものなのですから、背反関係にある必然性はなくなったのです。

>>537で書きましたが、19世紀の粒子説と波動説は、

>*質量移動が起こるという説(粒子説)
>*質量移動が起こらないという説(波動説)

でした。背反関係の必然性がなくなったといわれましても、上の事実がある以上は、背反性を覆すことができないではありませんか。要するに、

>第3の分類を作るのが必然です

といっても、19世紀には、つまり量子論の登場前には、「第3の分類」に具体性はなく、夢想や妄想以上のものではありえなかったと、私は考えます。

矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

545Ken:2019/12/01(日) 17:02:14 ID:If1iNos2
質問の切り口を変えてみます。

私は、>>353に現れた

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

によって、正しくない科学(疑似科学)と判定されるのはどのような理論なのかを理解しようとしており、思いついたのが、19世紀の光粒子説と光波動説です。質量移動の有無という視点で見れば、両説は背反関係にありますから、粒子と波動のどちらも正しいというのは「P∧¬P」になるではないか、というわけです。

これに対してdiamonds8888xさんは、背反関係にあると考えるのが誤りで、そのときは背反に見えても、背反でないことを示す理論がいつかは現れると考えるべき、と主張をされているのだと思います。

でも、そのような立場を取るのなら、基準05に照らして疑似科学と判定される理論など、存在し得ないのではないでしょうか?

言い換えれば、基準05は何の目的で、どういう理論を排除するために、設定されたのですか?

546diamonds8888x:2019/12/05(木) 06:20:04 ID:qHZepNG6
>>545

>でも、そのような立場を取るのなら、基準05に照らして疑似科学と判定される理論など、存在し得ないのではないでしょうか?

 そうですよ、「妥当な科学的理論」としては存在しません。けれど、その存在しないはずの理論を間違えて主張してしまう人は存在しえます。そのような人の主張を排除することは必要です。へそ理論だって、まともな科学的思考の持ち主なら馬鹿々々しくてそんな理論は成り立たない(存在しない)と考えるでしょう。

 てか、一応の具体例としてはKenさんが挙げてくれているではありませんか。

-------------------
以下のの3者がそろった理論
1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論
-------------------

 で、この理論は「P∧¬P」という結論になってしまったので、間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。


>>544
>といっても、19世紀には、つまり量子論の登場前には、「第3の分類」に具体性はなく、夢想や妄想以上のものではありえなかったと、私は考えます。

 光という「第3の分類」に該当する具体例が観測されたから、従来の理論が矛盾に陥ったのですよ。だから従来の理論は間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。

>努力することを否定はしませんが、「正しい理論」なるものがいつかは見つかるかどうかは、別の問題ではないのですか? 未来永劫見つからないかもしれません。

 何か問題でも? 未来永劫見つからないなら、人類の知がその程度だというだけです。私はそんなことはないと期待していますけど、そりゃまあ未来永劫理論の見つからない難問もあるかも知れませんけど、だったらしょうがないでしょう。
 見つからないものを見つけたと強弁する方がよほど危険です。

>とにかく、その時点で得られるあらゆる証拠と、考えうる論理展開によって「P∧¬P」という結論になってしまうのなら、その結論を受け入れるしかないのでは、とお尋ねしています。なにも、それを最終結論とするとは言っていません。

 「P∧¬P」という結論になってしまった理論は、間違っています。だから廃棄しなくてはいけません。

547Ken:2019/12/07(土) 14:40:33 ID:If1iNos2
問題の本質に近づいてきたようなので、慎重に行きましょう。

>>546

>-------------------
>以下のの3者がそろった理論
>1.まごうことなき波動としての特徴
>2.まごうことなき粒子としての特徴
>3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論
>-------------------

> で、この理論は「P∧¬P」という結論になってしまったので、間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。

「模索」する段階、つまり新たな理論はまだ見つからない、それどころか見つかるかどうかも分からない段階でも、矛盾(P∧¬P)を含む理論は廃棄するわけですね?

やはり、そうなると>>544の末尾で尋ねたことに問題は集約されるようです。

矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

この世を支配する法則には、論理的な矛盾が含まれるかもしれないとは、絶対に考えないのですか?

548diamonds8888x:2019/12/09(月) 05:18:32 ID:2sfSAvlc

>矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

 私はそんな前提には立っていません。はっきりと[>>546]に書きました。

> 何か問題でも? 未来永劫見つからないなら、人類の知がその程度だというだけです。私はそんなことはないと期待していますけど、そりゃまあ未来永劫理論の見つからない難問もあるかも知れませんけど、だったらしょうがないでしょう。
> 見つからないものを見つけたと強弁する方がよほど危険です。

 念のために[>>541]の以下の問いに答えておきます。
>でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。

 その時には、結論をだしてはいけません。ださなずに答を求め続けるのが科学的な態度です。もちろん人間技ですることなので答えは見つからないかも知れませんが、それは仕方ない。


>この世を支配する法則には、論理的な矛盾が含まれるかもしれないとは、絶対に考えないのですか?

 当たり前です。というかですね。"法則"というのは、この世に現れる"現象"の間にはなんらかのつながりがあるはずだという前提の基に、知的生命体が作り出すものです。この世の"現象"だけを眺めてみれば、それは空間と時間の4次元時空に4次元空間の各点での"現象"、すなわち各点の"事象(event)"が並べられただけのものです。それらの"事象(event)"の間の関係には必ずしも整然たる規則などないかも知れません。でも知的生命体は未来を予測するためにそこに法則を見出すようにできています。そして論理的な矛盾を含む法則は役に立ちません。

 そういえばKenさんだって「因果律」はないと困るとおっしゃってましたよね? 論理的な矛盾が含まれるということは「因果律」だって成り立たないこともあるということですよ?

 ともかくも「光には(物質的な)媒質はない」ということが観測されたのだとしたら、「波である光には(物質的な)媒質が必要」という理論の方を廃棄するのは当然のことです。

549Ken:2019/12/11(水) 19:46:32 ID:DAXXQXCA
論点が非常に微妙になってきたようです。私も慎重に書いてみるので、注意してお読みください。

>>548

>その時には、結論をだしてはいけません。

私が問いかけているのは「結論をださずにいられるか」ということなのです。以下の3点がそろっているとき、

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

背反関係にある波動性と粒子性の並立つまり「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまうのではないか?

それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、そうなると論理展開によって「P∧¬P」になってしまうし、その論理展開に従わないのは、それ自体が矛盾ではないのか?

言い換えれば、「P∧¬P」という矛盾を回避するために、別の矛盾を生じただけではないのか?
それなら1次的な観察情報に基づく1〜3を保持する方が、現実に即しているのではありませんか?

大事な点なので繰り返します。

量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。そのような具体案がなく、ただ「P∧¬P」では困るから、とにかく3を否定することに論理性があるとは思えません。

因果律がなければ困るのはそのとおりです。ただし因果律を必ず認識できるかは別の問題でしょう。因果律は「見えない所」で働いているかもしれません。

550diamonds8888x:2019/12/13(金) 05:55:21 ID:t0BDBsW2
>>549
 観測事実だけなら、それは単なるひとつの原子命題であり、それだけで矛盾することはありません。矛盾は、観測事実と何らかの理論との間に生じます。そしてある理論が否定されるのは、その理論と観測事実とが矛盾した時です。むろん理論の中自体で矛盾があることが見つかることもあるでしょうが、それは大抵は理論が作られるときに消されていることが多いでしょう。
 科学的論争では相手の理論の中や、相手の理論と観測事実との間に矛盾を見つけることにより、相手の理論を否定することが多く行われます。矛盾というのは理論を否定する手段そのものなのです。

>背反関係にある波動性と粒子性の並立つまり「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまうのではないか?

 1と2が観測事実であり間違いがないのならば、「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまった時点で、理論である3は間違った理論だと判明したのです。すなわち理論が観測事実により反証されたのです。もちろん1または2の観測が間違いである可能性もありますから、そこは実験科学者の出番ということになります。が、ともかくも観測事実に矛盾する理論は捨てるというのがニュートン以来の、いやベーコン以来の、Kenさんもしっかり認めていた経験主義に基づく近代科学の方法です。

>量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。そのような具体案がなく、ただ「P∧¬P」では困るから、とにかく3を否定することに論理性があるとは思えません。

 ただ「波動と粒子は背反関係にない」では困るから、今のところ間違った理論3に替わる具体案がないから、とにかく「P∧¬P」を否定する、などという態度こそ論理性がありません。それは一番基本的な論理法則なのですから。現代科学どころか、あらゆる論理的思考に基づく理論の一番の核です。

 矛盾とは理論を否定する手段そのものです。

551Ken:2019/12/14(土) 22:20:26 ID:DAXXQXCA
>>550

>1と2が観測事実であり間違いがないのならば、「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまった時点で、理論である3は間違った理論だと判明したのです。


3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

この場合の「粒子」と「波動」を、

粒子性:直進する、真空を伝わる
波動性:交差する、屈折する

という、ある意味いろいろな解釈が可能な特徴で捉えれば、背反関係が曖昧になり、3を否定することが可能かもしれません。しかし、

粒子性:質量が移動する
波動性:質量が移動しない

と認識したらどうでしょうか。これでも背反関係を否定できますか? それとも19世紀にあっても質量移動の有無で粒子と波動を区別することが誤りなのでしょうか?

質問を変えてみます。光は粒子なのか波動なのかを考察するとき、論理的にとりうる結論は、

1.光は粒子である
2.光は粒子ではない
3.光は波動である
4.光は波動ではない
5.光は粒子であり、かつ波動である
6.光は粒子であるか、もしくは波動である
7.光は粒子でも波動でもない

の7とおりであると思われます。(他にありますでしょうか?)

この場合、「P∧¬P」を否定する基準05によって、疑似科学と判定されるのは、7つのうちのどれになりますか?

もちろん、相対論も量子論も知られていない、19世紀の知識体系の中で、というのが条件です。

552diamonds8888x:2019/12/16(月) 05:43:30 ID:6pFCUSvE
>>551

 そもそも観測事実である1と2は具体的にどのような発見を指すのか明確にしてください。具体例レベルで議論したいのならば、粒子性とか波動性がどのような属性を指していたのかは、具体的な観測事実に即して語らなければ意味不明になります。
 それとも1と2は観測事実ではないのでしょうか?

>と認識したらどうでしょうか。

 それは具体的な科学上の発見がどんな出来事なのかによります。そこを明確にしてから議論してください。

553Ken:2019/12/16(月) 08:04:03 ID:DAXXQXCA
また入院することになりました・・・・
復帰したら回答をさせていただきます。

554diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:18:34 ID:6pFCUSvE
>>553 それはお大事に

【光電効果と光圧(放射圧or輻射圧)】
 Kenさんが表記につき、ちょっと誤解されていたようなので。

>>541
> しかし、より重要な粒子的特徴は光電効果です。最初に発見されたのは1839年、今と同じ形で確認されたのは1887年とウィキペディアに書かれています。これも何度か述べましたが、物体を押すというのは、粒子にしかできないことです。

 電磁波が電荷を進行方向に押すことはマクスウェルが理論的に予測しました。むろん波動論によって。ポイントはローレンツ力でした。
 ・FNの高校物理・光の圧力[輻射圧]
   [tp://fnorio.com/0118light_pressure0/light_pressure0.html]
 ・wikipedia「放射圧」

>>510
> まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

 光電効果では電子は波の進行方向にだけは押されません。ネットの解説にはいくらでも図が載っていますから、電子の方向をよくご覧ください。

555diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:31:31 ID:6pFCUSvE
>>553
 ところで19世紀の知見で考えろというKenさんの方法にはちょっとわからない点があるので教えてください。

>>549
>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、

 どうも引っかかるのですが、19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は非論理的だというのがKenさんの認識ですよね。それが世紀が変ったとたんに論理的になるのは、一体どういうメカニズムによるのですか?

556diamonds8888x:2020/01/03(金) 11:46:45 ID:xIWucngE
 いま続いているのは、(¬P)∧Pについて[>>325],[>>329]で「成立する場合もあるし、成立しない場合もある」とKenさんが述べたことに、[>>330]で間違いだと私が指摘し、[>>353]で基準05:と基準06:を明示して以来の議論です。

 根本的にはKenさんに、論理法則と数学理論と観測事実というものに対する誤解、どこをどう誤解したのか余人にはわかりにくい誤解があります。

 論理法則と数学理論と観測事実との基本に立ち戻りましょう。

 いわゆる古典論理法則はアリストテレスの昔から変わらず正しいとされています。3段論法や排中律や矛盾の否定が間違いだとされることは将来ともありえないでしょう。
 論理法則については私のブログ参照(2016-03-22)
 [tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/4c5f6c6a7f50cae23239de011eb5ad0b]

 それに対して具体的な理論は時代と共に間違いだとわかることがあります。例えば以下がその例です。まあ最初の例は間違いというよりは、唯一の正しい理論ではない、という方が正確ですが。科学理論の範疇で言えば、適用できる場合と適用できない場合があるという方が正確です。
  ・ユークリッド第5公準つまり平行線の公理
  ・惑星は円運動をする。天体にとっては円運動が自然である。
  ・波は物質的な媒質を伝播する

 数学理論の場合は数学的には正しいとされる理論でも現実の現象に適用できるか否かは別問題で、何に適用したかにより正否が決まります。例えば実数で成り立つ数学的法則は正しいとしても、現実の現象のどんな量に実数を当てはめるかにより正否が異なります。現実の量の間に例えば加法性が成り立つか否かは観測(測定)で確認しなくては意味がないからです。

 代数理論が例えば実数同士の関係を表すように古典論理法則は命題同士の関係を表していますが、この命題を現実の何に適用した場合に正しいかと言えば、すべての命題に適用した場合に正しいのです。もちろん嘘つきのパラドックスに出てくるようなひねくれた命題ではその限りではありませんが、実のところ現実を表現するような命題であれば、あんなひねくれた命題はありえないものです。現実を表すどんな命題を持ってこようが成り立つほどに抽象化された法則だからこそ未来永劫正しいと言えるわけです。

  ・理論F:支えのない物体は下へ落ちる[>>484]
     (ただし、"支え"とは物体に接触している"物"である)
  ・波は(物質的な)媒質を持つ
  ・光(でも他のモノでも)が波でありかつ粒子であることはない[>>520]

 これらはいずれも論理法則ではありません。数学理論でもありません。ゆえにこれらの理論が「純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないもの[>>389]」なんてことはないのです。これらはいずれも【観測事実から得られた経験則】です。ゆえに新しい観測事実が得られれば覆されることもあります。そして実際に覆されてきたのです。

 Kenさんは「19世紀の知識では」と条件を付けますが、上記経験則が覆されたのはまさに「19世紀に観測された事実」であり、つまり「19世紀の観測から得られた知識」で否定されたのが史実です。(3番目だけはちと怪しいけど、Kenさんの認識がたぶん間違い)。

557diamonds8888x:2020/01/03(金) 11:48:14 ID:xIWucngE
>>556

 経験則とはいうものの用語の定義により意味が変化したという面もあります。用語の定義というと言葉じりだけという印象も受けますが、そうではなくて概念を規定する属性が何かということなのです。

 波という概念では、その属性は「媒質(通常の連続体物質または力場)の振動」と「干渉性と回折性」です。そして短波長の光波と物質波では直接観測にかかったのは「干渉性と回折性」だけでした。この事情は私のブログ「場・波・粒子-3.2- 3種の波(2019/12/09)[tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/bad17b04430e3274955f8949120611cb]」を参照してください。

 また粒子という概念では、「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」や「場・波・粒子-3.3-EPRパラドツクス(2019/12/15)」「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」を参照してください。波とは異なり粒子の属性は色々とありますし、質点の属性とも紛らわしいですが、「軌跡の各点の位置と時刻とは各点ごとに1組ずつである」なんて属性は不確定性理論で否定されてますね。

 なお[>>554]で指摘した通り、古典電磁気学でも電磁波は運動量を運びます。Kenさんが書いた「質量移動[>>537,>>541,>>545,>>551」というのは「運動量を(受け取れる相手に)渡す」という現象を指すのでしょうね。つまり典型的には粒子間で相互作用(例えば衝突)をして運動量が粒子から粒子へと移動するという現象です。質量は粒子間で移動したりはしませんからねえ。質量は粒子の存在そのものですから、質量が移動するというのは粒子の一部が分かれて移動するということです。一部が分かれて移動することなら波の方がよく起きるとも言えそう。

558diamonds8888x:2020/01/04(土) 05:54:42 ID:xIWucngE
>>555,>>556
 [>>556]の「(3番目だけはちと怪しいけど、Kenさんの認識がたぶん間違い)」と書いたことの説明です。言いたのは19世紀には光が「まごうことなき粒子としての特徴」を持つという認識はなかったということ。ゆえに矛盾に見えることさえなかったということです。このパラドックス的な理論は20世紀のものです。ですので「19世紀の人にとって」と言われても困ります。
 まあ「とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか?[>>525]」への回答にもなるでしょう。

 波と粒子の2重性は難しいですよと忠告したのですが、避けて通れないようです[>>524,>>525]。量子力学のひとつのポイントではありますから考えてみるのは悪くはありません。
  [>>532]論点4:波と粒子の2重性は現在では"説明できる"のか?

 では波と粒子の両者の属性が共存しうるという考えはどのように発展したのかを振り返りましょう。つまりは量子力学発展の歴史です。以下の参考の中でも特に4)が内容にも踏み込んでいてわかりやすいと思います。

 参考:歴史
  1)「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」の年表
  2) wikipedia「量子力学の年表」
  3) wikipedia「量子力学 7.歴史」
  4)「場・波・粒子-3.2- 3種の波(2019/12/09)」の*2)[大阪医科大学・医学部・総合教育講座・化学教室・林秀行による量子力学の歴史]

 参考:量子力学の教科書
  5)「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」のRef-1b[前野昌弘『量子力学入門』(2002/02/16)]

 [>>541]では光電効果の発見によって光が粒子であることが見出され矛盾が生じたかのような書き方ですが、これは史実ではありません。光電効果の謎は放出電子の運動エネルギーは光の振動数に依存し、電子の数は光の強度(振幅)に依存していたことで、これを説明できたのがアインシュタインの光量子仮説(1905)です。19世紀の間は「まごうことなき粒子としての特徴[>>549,>>546,>>541]」というものは見出されていません。Kenさんが粒子としての特徴だと考えていた「電磁波は横波なのに電子が進行方向に押される[>>510]」という現象は[>>554]の通りマクスウェルの電磁波理論で説明できます。

 またwikipedia英語版[Photoelectric effect 2.History]によれば、上記の波動説では説明しにくい特徴「(放出電子の運動エネルギーは光の振動数に依存し、電子の数は光の強度(振幅)に依存」が明らかになったのは1886-1902 と19世紀も末のことで、光電効果で放出される粒子が陰極線と同じ粒子と確実になったのもトムソン(1899)です。ま、本筋にはあまり関係ありませんが。

 そして黒体輻射のスペクトル分布がすっきりと説明できないことはわかっていましたが、それが「まごうことなき粒子としての特徴」などという理論を出した人はいません。1900年末というまさに19世紀最後に(それとも20世紀最初に)発表のプランクのエネルギーの量子仮説でさえも、電磁波のエネルギーはhνの整数倍しか取らないと仮定するとスペクトル分布が正確に計算できると示しただけであり、それを粒子性だなどとは言ってはいません。

 光が粒子性(量子性)を持つと明確に述べたのはアインシュタインが光電効果の理論として提唱した光量子仮説(1905)です。この時まで「波と粒子の2重性」という知見も知識も存在しませんでした。またこのときに粒子性とされた属性とは「運動エネルギーがhνという塊で移動する」というものだけであり、例えば大きさとか硬さとか1組の位置と時刻とか言った属性は含まれていません。この辺の事情は私のブログの以下に書きました。
  「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」
  「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」

 まとめると光電効果での光の振動数や強度と放出電子のエネルギーと個数との関係が確実になったのが19世紀末〜1902年くらい、それが量子性を持つとの理論で説明できるとされたのが1905年です。光が粒子性を持つという認識は20世紀のものであり19世紀の知見には囚われませんから、矛盾が生じたことはありません。


 なんて論理は変ですよね? だから[>>555]の問いを発したのです。

>>549
>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、

 アインシュタインによる1905年の3の否定は非論理的ではないのですか?
 ないとしらその理由は? もう20世紀だったからなんですか?

 これは[>>520>>524]でも行った議論ですが、私の意図が十分には伝えられていなかったと思います。

559diamonds8888x:2020/01/04(土) 05:55:52 ID:xIWucngE
 どうやら[>>520]が波と粒子の2重性に踏み込んだ最初なのですが、読み返すと細かい表現の中にKenさんの発想が読み取れたような気がします。

>でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

 むろん「P」には観測事実を当てはめるのですが、すると「¬P」は自動的に「Pの否定」として定まってしまいます。にもかかわらず「¬P」もと念押ししているのは、ここでKenさんが想定した「¬P」とは「P」とは別に得られた観測事実だということなのでしょう。例えばPを「光は波である」とするなら¬Pは「光は波ではない」しかありえませんが、Kenさんは「光は媒質を持たない」という命題を「¬P」とみなしたのでしょう。早とちりというのか、論理的な思考はきちんと手順を踏まなくてはいけません。

>基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

 「新しい情報」とは20世紀の量子力学の登場のことらしいですが、この発想が変なのです。量子力学は様々な人が様々な理論を提唱しつつ発展したものですが、いずれも本質的なものは観測事実よりもそれを説明する理論の方です。そしてKenさんの考えによれば、これらの理論は発表当時は19世紀の知見からは非科学的だったはずです。でも20世紀のことだから非科学的ではない? んな馬鹿な。

 波と粒子の2重性を非科学的でなくした情報とは観測事実なのか理論なのか。そこを明確に意識しないから話が混乱しているのです。

560Ken:2020/01/10(金) 16:38:46 ID:DAXXQXCA
今回も長らくお待たせしました。

まずは、こちらから、

>>555

>19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は非論理的だというのがKenさんの認識ですよね。それが世紀が変ったとたんに論理的になるのは、一体どういうメカニズムによるのですか?

波動と粒子が背反関係になくてもよいことを示す具体案が(この場合は量子論が)20世紀に発見されたからです。言い換えれば、19世紀には、光の粒子性と波動性の双方が観測される事実から背反関係を否定したくても、それを可能にする具体案がありませんでした。

もちろん、その場合には、背反関係を否定できる理論を探求するのが、正しい科学の姿勢であることは分かります。ただ、そのような理論を探求することと、そのような理論が必ずあると決めてかかることは、別問題ではありませんか、という問いかけをずっとやっています。

つまり、理論を探求するのは科学ですが、理論があると決めてかかるのは信仰のたぐいではないのか、ということです。矛盾を解決する理論は永久に見つからないかも、それどころか最初から存在しないかもしれません。

ですから、そのような理論が具体的にみつかるまでは、

〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜

という現実を受け入れるのが誠実な態度ではないでしょうか? 「¬P∧P」は、その現実を表現したものです。

繰り返しますが、矛盾の解決を断念するといっているのではありません。


なお、私が入院した後のdiamonds8888xさんの投稿を見ると、私が光粒子説と光波動説の背反関係の根拠にあげたことが必ずしも根拠でないことは、19世紀のマクスウェル理論からも知りえたと言っておられるようです。ここでdiamonds8888xさんが述べられている諸点には賛同できませんが、それはひとまずおいて、とにかく19世紀の知見では粒子と波動は相互に背反という前提で話してみてはどうでしょうか? 上に挙げた、より根源的な問題を論じるには、そのほうがよいように思います。


ただし、私は上に述べたような主張で、diamonds8888xさんを説得しようとしているのではありません。本スレッドにおいてはdiamonds8888xさんの基準に従うと何度も言っています。diamonds8888xさんのお考えが、

〜矛盾を解決する理論は必ず存在する〜

という大前提から出発するのであれば、本スレッドでそれに反論することはありません。

肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。>>551で挙げた1〜7のどれがそうなのかを指定いただければ、理解が進むと思うのですが。

561ゲジゲジ:2020/01/12(日) 19:07:00 ID:eDATlM6A
今さらですが、新年おめでとうございます。
久しぶりにヨコから失礼します。


diamonds8888xさま
kenさまの質問に、もう少しストレートに答えてみます。
必要に応じて活用して頂ければ幸いです。


******本文ココから***********************
 >>560
 >肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。

例えば、以下の3つを組み合わせた理論です。
 ・光は波である
 ・光は粒子である
 ・波と粒子は背反関係にある

または、以下の3つを組み合わせた理論です。
 ・光は波である
 ・波には媒質がある
 ・光には媒質がない

あるいはまた、以下を組み合わせた理論です。
 ・瘴気に当たるとペストに感染する
 ・瘴気に当たるとペストを防げる

 >>78
 >ひとつヒントですが、具体的に反証ないし証明しようとする場合には、それは複数の理論を合わせたものであることが多いのです。
これは基準1「反証可能性」についてのコメントですが、科学という営みが仮説(理論)の提唱と検証の繰り返しである以上、他の基準においても同じ事が言えるでしょう。




 >〜矛盾を解決する理論は必ず存在する〜という大前提から出発するのであれば、
そうではなくて、【矛盾を含む理論は間違いなので排除する】です。

なぜなら
 >>472
 >>1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか
 >「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらない理論を振るい落とすための基準として有効だからです。
 >いわゆる一次スクリーニングのためです。

矛盾「P∧¬P」を含む理論は「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらないので、矛盾を解決する理論が見付かるかどうか、存在するかどうかに関わらず、排除されねばなりません。

******ひとまずココまで***********************


******本文その2ココから***********************

では、なぜ「P∧¬P」を含む理論は間違っていると断言できるのか?

そもそも理論とは何かと言うと、
 >>55
 >理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。
 >これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。
 >その予測や推測が外れれば理論が間違っている可能性が高くなります。
 >理論の検証とは概ね、未知の事実の予測や推測をして、その予測や推測が当たっているかどうかを検証するものになります。


では例えば以下の場合・・・

1.光は波である
2.光は粒子である
3.波は質量が移動しない
4.粒子は質量が異動する
5.3と4から、波と粒子は背反関係にある
6.1と2から、光は波であって粒子である
7.3、4、6から、光の質量は移動して移動しない(即ち「P∧¬P」)

さて7「光の質量は移動して移動しない」は、1〜4を組み合わせた理論から必然的に導かれる理論であると同時に、必然的に導かれる【予測される事実】です。
従って、光の質量が【移動して移動しない】事実が確認されれば、上記の理論は正しい事が証明されるわけですが、【移動して移動しない】事実など、絶対にあり得ません。

考えてみてください。
「移動する」事が観察されたら、それは【移動して移動する】です。
「移動しない」事が観察されたら、それは【移動しなくて移動しない】です。
もし、「ある場合に移動して、別のある場合には移動しない」事が観察されたなら、それは【ある場合は移動して移動する、そして別のある場合は移動しなくて移動しない】です。
決して【移動して移動しない】が観察される事はあり得ません。


つまり矛盾「P∧¬P」となるような事実はあり得ないのです
その様な【あり得ない事実】を必然的に予測してしまった時点で、その理論は「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ではあり得ないのです。

******ココまで***********************

562fnorder:2020/01/13(月) 14:04:09 ID:???
普通我々は、『自然や宇宙において矛盾など存在し得ない』という前提を置いています。
これは基本的な前提なので、根拠があるわけではないんですよね。

『根拠がないものは受け容れられない、科学的じゃない!』と考える人もいるのかもしれません。
しかしそういう考え方だと、物理法則すら認められないことになるはずなんだけどなあ……

563ミケ:2020/01/20(月) 02:18:26 ID:njCnaWyw
以下の内容はdiamonds8888xさんの参考としていただくべく書くものですが、
Kenさんとの議論に用いる場合はdiamonds8888xさんの言葉に直して伝えることを推奨します。

さて、
かなり前から思ってたんですが
(それゆえどこかで書いたかもしれませんが、このスレッドは重くて私のPCではもう過去の投稿を見返せません。)
どうにもKenさんは
科学の体系を「一つの意思決定機構」のようにとらえている節があるように思います。

しかしながら、
科学の営みというのは実際には
個々の科学者、あるいは個々の科学者グループによる仮説の提唱・検証・及び反論の積み重ねであって、

ある時点で矛盾する(その時点ではそのようにみえる)二つの理論があったとして
それは「科学が矛盾を受け入れている」「科学が矛盾する二つの主張をしている」のではなく
「矛盾する二つの理論のいずれかを支持する科学者がそれぞれ存在する(そして多くの場合たがいに論争している)」
という状態なのだと思います。

生物学で言うならばたとえば
進化においてメンデルの法則とダーウィンの(漸進的な)自然選択理論が矛盾するように捉えられた(そう捉えた人が多かった)時期があり
メンデル学派と生物統計学派がそれぞれ
自説の正当性(を示す実験内容)と相手の不備を提示していた、
と私は受け取っています。

やがてはメンデル遺伝と自然選択による漸進的な変化が両立することが分かるのですが、
その前の時点では
「PかつPでない」と主張していたのではなく
「Pである」という側と、「Pでない」という側、それぞれが片方のみを主張していたわけですね。

光が波か粒子かという話は正直興味なくて調べていませんが、
もし当時、波と粒子が背反関係だと考えられていたならば、
これも上記メンデル学派と生物統計学派と同じように
それぞれ片方を主張する人がいて、それぞれ自説を支持する証拠を挙げ、相手方の不備を指摘していたのだと思います。

いわゆる定説・コンセンサスというのも
(議論を重ねはしますが)会議やらで「これ」と決まるものではなく、
証拠と論理から、個々の支持する人がだんだんあるいは急激に偏っていき、
なんとなく趨勢が決まっていくもの。

また、個々の科学者が主張・検証する営みであるがゆえに、
それぞれ個々の実験や観察には「間違い」もありうる。

このあたりの現実を無視し
定説や観察結果の是非が会議で決まっているかのように考えていることが
「矛盾を受け入れていた」
という理屈を導いてしまうのではないかと思います。

564diamonds8888x:2020/02/02(日) 14:37:06 ID:MooDJyKw

>波動と粒子が背反関係になくてもよいことを示す具体案が(この場合は量子論が)20世紀に発見されたからです。

 じゃあ量子論が19世紀に発見されていたとしたら、19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は論理的なのですね? 実際に量子論の最初の理論とも言えるプランクの仮説は19世紀最後のクリスマスプレゼントだなんて言われているくらいですからね。なんて細かい年代に拘るのは科学の議論としてはもちろん冗談交じりで、たまたま量子論の発展が世紀の変わり目だったから19世紀とか20世紀とか名付けているだけだとは思っていますよ。

 要するに19世紀とか20世紀とかはたまたま歴史上の偶然からの命名に過ぎなくて、量子論が発見されて正しい科学理論だと認められた時点以降は、「波動と粒子は背反関係にはない」は論理的なんですよね? 間違いありませんか?

 だとしたら、量子論自体はそれ以前の知見では非論理的なんですよね? では量子論自体はどんな根拠から論理的だと判断されるのでしょうか? 私が疑問なのはその点です。


 付け加えるならば、波と粒子の2重性に関しては「〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜」ということは19世紀には起きていません。最初に起きた科学史上の史実は、それまで生命困難だった観測事実について「光が一部粒子的な性質も持つ」と仮定したプランクの量子仮説がうまく説明できたということです。


>肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。>>551で挙げた1〜7のどれがそうなのかを指定いただければ、理解が進むと思うのですが。

 見る限り、1〜7のどれも基準05に反してはいません。

565diamonds8888x:2020/02/03(月) 05:25:10 ID:qneqoK9o
>>560
>ここでdiamonds8888xさんが述べられている諸点には賛同できませんが、それはひとまずおいて、とにかく19世紀の知見では粒子と波動は相互に背反という前提で話してみてはどうでしょうか?

 さんざん具体例を要求しておいて、史実ではない前提をおけと言うのですか?
 まずは[>>558]で述べた史実を検討して、理解するのが筋だと思いますが?

 これは論理の筋道の問題ですから仮定を置くのは構いませんが、その場合は「粒子と波動は相互に背反という前提」をもう少し具体的に述べてもらわないと議論にならないと思いますが?

 19世紀には「粒子と波動は相互に背反とみなす理論」しかなかったのは史実でしょうから、そこは認めますよ。「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」というのは過剰表現だと思います。ていうか、当たり前過ぎて背反関係かどうかなど誰も考えなかったというところではありませんか?

 では次にこの理論と食い違うと19世紀の科学者達に考えられた観測事実があったかどうか、という点ですが。そんな風に考えた科学者はプランク以前にはいなかったというのが[>>558]で述べた史実です。

 もしも19世紀の観測事実の中に「まごうことなき波動としての特徴」と「まごうことなき粒子としての特徴」が共にあったとしても[>>549]、それは20世紀の知見による後付けのはずです。なぜなら「「粒子性と波動性とを併せ持つことがあってもいい」という発想はプランク以降の20世紀のものだからです。19世紀の人達は単に、(例えば光は)粒子性は持つが波動性は持たない派と波動性は持つが粒子性は持たない派とに分かれていただけです。もちろん史実が示す通り、19世紀には後者がほとんどでしたが。

566diamonds8888x:2020/02/03(月) 05:26:06 ID:qneqoK9o
>>560
> 〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜

> という現実を受け入れるのが誠実な態度ではないでしょうか? 「¬P∧P」は、その現実を表現したものです。

 なるほどKenさんの「¬P∧P」の使い方は理解できたと思いますが、それは論証過程や科学的議論における通常の使い方とは異なります。基準05で使用した「¬P∧P」は論理規則の表現であって現実の表現というのは語弊があります。

 どんな語弊かの説明には戸惑いますので、ここでは理解できたと思いますとだけ書いておきます。ついでに基準05での使用、つまりは普通の使用を御理解いただければありがたい。

567Ken:2020/02/08(土) 10:28:00 ID:AN9ePMUI
diamonds8888xさんから基準が提唱されるたびに、私はその具体イメージを把握するため、その基準によって疑似科学と判定される科学理論の具体例を求め、「例えばこういうものですか?」と尋ねてきました。基準05に関しては、これまでにシュレーディンガーの猫と、現在進行中の光の正体の話を持ち出しました。

そしてそのたびにdiamonds8888xさんから「それは例として適当ではない」とか「その例は史実ではない」という回答をいただいてきました。後者の史実問題については、とりあえず史実と仮定して、基準を適用してみてはどうでしょうかと提案しましたが、できないという回答でした。

やはりそうなると、基準を提唱されたdiamonds8888xさんご自身から具体例を挙げていただく必要があると思います。基準05によって疑似科学と判定されるのはどのような理論ですか?(もしすでに実例を出しておられたのなら、申し訳ありませんが、再掲をお願いします。)

ただし、確認しておきたいことがあります。

>>556
>論理法則と数学理論と観測事実との基本に立ち戻りましょう。

本スレッドで問題になっている「基準」が判定する対象は、あくまでも観測事実から導かれる理論つまり「理科」の話であり、数学理論ではありませんよね?

それにも関わらず、基準05のような論理法則が持ち出されるのは、論理法則によって否定される科学理論は、それだけで誤った理論または疑似科学と判定するべきということでしょうか?

もしそうなら、私が>>560で尋ねたこと、つまり、

〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか? すでに述べたように、それがdiamonds8888xさんのスタンスであるなら、本スレッドではそれに従いますが、「そのとおりである」と明示的な表明をお願いします。


私自身の思考パターンに関するご質問にも答えておきます。

>>564
>だとしたら、量子論自体はそれ以前の知見では非論理的なんですよね? では量子論自体はどんな根拠から論理的だと判断されるのでしょうか? 私が疑問なのはその点です。

量子論、今の場合は「粒子と波動の背反関係の否定」が非論理から論理に変わったのは、「粒子でもあり波動でもある」という状態を説明する具体案が登場したからです。以前にファインマンの講義を紹介しました。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html

この中でファインマンは、観測行為の有無によって、量子は粒子になったり波動になったりする、と述べています。量子(ここでの例は電子ですが、光でも話は同じ)を直接観測すると粒子としての姿を現すが、観測しなければ波動としてふるまうというわけです。

それでは、このような話を19世紀の知識体系の中にいる人にしたとして「論理的」と思われるでしょうか?

私は思われると予想します。この点に関しては、非常に小さいものは観測行為自体によって状態が変わるのは、なにも量子に限らないという説明をアジモフが行なっています。

archive.org/details/AsimovGuideToScience/page/n387/mode/2up/search/thermometer

左頁の最後のパラグラフから読んでみてください。タイヤの空気圧、風呂の水温、回路の電流値という例が挙げられていますが、空気ゲージ、温度計、電流計でこれらを測定できるのは、測量器具に比べて測量対象が充分に大きいからで、対象が小さい場合は、測量することで状態が変わると述べています。

このように説明すれば、19世紀の人にも納得が得られると、私は思います。

568diamonds8888x:2020/02/09(日) 11:43:59 ID:Xkb9K42c
>>567
> もしそうなら、私が>>560で尋ねたこと、つまり、

> 〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

> という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか? すでに述べたように、それがdiamonds8888xさんのスタンスであるなら、本スレッドではそれに従いますが、「そのとおりである」と明示的な表明をお願いします。

 喜んで明示的な表明をします。てか、科学的態度としては当たり前でょ。それを「信仰」と呼ぶということはKenさんは「論理的に矛盾する事象が現実に起こりうる」と考えてるのですよね? 普通はその考えは非合理的と呼ばれますよ。

 むろん広い立場から哲学的に言えば世界は合理的にできているというのも「信仰」だし、世界が科学的に説明できるというのも「信仰」です。でも、そういう「信仰」に基づいて世界を理解しようというのが、科学的な世界観であり、今テーマにしているのは科学的世界観に基づいて世界を理解するための正しい方法、すなわち科学的方法論の話をしているのです。

>基準05によって疑似科学と判定されるのはどのような理論ですか?(もしすでに実例を出しておられたのなら、申し訳ありませんが、再掲をお願いします。)

 まともな科学者ならそんなもの提唱するわけない、と何度も言ってるじゃありませんか。マザーースの歌の中なら何か例が見つかるかもしれませんね。まあ、例えばですねえ。

  ・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。

 なんて理論とか。
 あっと歴史的に有名な奴がありました。いやー、私としたことが基本を忘れていたとは。

  ・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

  「実験したら現実に矛盾が起きた(両方の事象が起きた)」なんて考える人は科学者でなくてもいないんじゃないでしょうか? みなさん「信仰」が強いから。Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか? 明示的な表明をお願いしますね。

569diamonds8888x:2020/02/09(日) 11:47:03 ID:Xkb9K42c
>>567,568
 もうちょっと哲学的に厳密な説明をしときましょうか。

 現実に起こることは、ただそう在るというだけで矛盾も何もないとも言えます。矛盾は現実を解釈する理論の中に起きうるものです。矛盾とはあくまでも論理の中の概念であると考えればそうなりますが、そこで論理とは何かと言えば、それは現実を人が解釈したものです。

 しかし現実を人が解釈したものは必ずしも論理的なものだけではありませんから、それは理論(解釈)と呼ぶことにします。すると理論(解釈)の中には論理的なものも非論理的なものもあり得ます。また科学的と認められる理論(解釈)もあれば、非科学的であるとみなされる理論(解釈)もあります。

 我々の今のテーマは科学的と認められる理論(解釈)の条件は何かということです。私の提案した基準はそのためのものであり、上記の文脈の中での"現実に起こること"の基準ではありません。てか、それは人がどうこうできるものではありませんから基準とか設けても意味がありませんよね。

 "現実に起こること"はどうこうできませんが、その解釈、すなわち理論構築は人間の技であり、そこに基準を設けるのは意味があります。そして論理的に矛盾のある理論は科学的理論としては認められません。それは近代科学以降の科学者(自然哲学者)はもとより、古代ギリシャの自然哲学者だって同意するでしょう。


 要するに理論は現実とは別ということ。
 (哲学的にひねくれて見える言い方ですが、意図は間違えないとは思うんだけど)

570Ken:2020/02/09(日) 19:46:59 ID:AN9ePMUI
>>568

もう少し詳しい定義が分かる例はありませんか?

>・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。
>・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

このような例では一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます。

たとえば、シュレーディンガーの猫は、

〜生きている。かつ死んでいる。

という理論は、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?


>「実験したら現実に矛盾が起きた(両方の事象が起きた)」なんて考える人は科学者でなくてもいないんじゃないでしょうか?
>Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか?

本スレッドではdiamonds8888xさんの基準に従うと言っておりますが、それでも私の考えを尋ねられるのであれば、

〜未来永劫に、絶対に起こらないという保証はできない

ということになると思います。

571diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:45:46 ID:wXdTZgNc
>>570
> もう少し詳しい定義が分かる例はありませんか?

 定義とは何を定義しろという話ですか?

> このような例では一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます。

 どんな例でもアウトです。一般的て何? この文脈では私には定義不明です。さらに同様ではない例とは何?

> たとえば、シュレーディンガーの猫は、

> 〜生きている。かつ死んでいる。

 むろん基準05に照らして科学的理論ではありません。まさか勘違いしていないとは思いますが、シュレーディンガーは「猫が生きている、かつ猫が死んでいる」という状態が観測されるという理論を立ててはいませんし、そのような理論は量子科学にもありませんよ。

 あくまでも観測されていない状態では(つまり他と相互作用していない状態では)、量子というものは排反する観測状態の混合状態を取りうる、というだけです。この言葉で混乱するような生兵法の状態で泥沼に入るのなら、量子力学の例を挙げるのはやめといた方が無難ですよ。

> 〜未来永劫に、絶対に起こらないという保証はできない

 「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

572diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:53:40 ID:wXdTZgNc
>>570,>>567
【論理と物理との関係】
 どうもKenさんは、抽象的とされる数学や論理と現実を扱う科学理論との関係について混乱があるようです。確かに両者は別物ですが、密接な関係があることもまた確かです。

 科学で使われる数学理論は証明のされた数学的には正しいものばかりです。それを物理現象などに適用した科学理論が正しいかどうかは、ひとえに現実の何かと数学的対象(数とか関数とか図形とか)との対応が適切かどうかにかかっています。多くの場合は実数に対応する種々の"物理量"が定義され、それらの基本的関係が法則として仮定されます。この"仮説"に数学理論(例えば実数の四則や関数理論)を適用して様々の定理なり予測なりが成されるのです。

 ここでひとたび定義がなされたら、適用する数学理論に反するような理論は初めから排除されます。まあ、そんなもの作る事さえ考えないという方が実態ですね。逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道は円錐曲線以外には存在しない、ということは数学理論から誘導されますが、すると「逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道にサイクロイド曲線軌道がある」なんて理論は非科学的とされるのです。

 論理の科学理論への適用も同じことです。そして数学理論とは異なり、論理法則というのは【あらゆる推論過程に適用される法則】です。科学理論におけるすべての推論というものは、論理法則のどれかに具体的な命題を代入した形をしています。推論の前提となるべき命題の正しさは観測事実や既に正しいとされた科学理論に根拠を求めますから、論理法則に従った結論が必ずしも科学的に正しいとは言えません。しかし、論理法則に従っていない結論が科学的に正しいと認められないのは明らかです。

> 〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

> という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか?

 合理的人間なら当然のスタンスで、その理由を考察してみると上記の見解がひとつの回答になるでしょう。世界が合理的にできているというのは「信仰」に過ぎない、というならば、哲学的にはそれもひとつの見解です。ただ、「矛盾する事象が現実に起きるかも知れない」などという信仰だか仮説だかを基にするなら、科学的推論など成立しません。言葉尻だけでどう貶めようとも、世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

 それに論理法則の中でも特に「P∧¬P」について言えば、これは定義そのものと言えるのです。[>>573]

573diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:54:15 ID:wXdTZgNc
>>572,>>570,>>567
【否定とは何か?】
 「P∧¬P」における¬(否定)とは一体なんでしょうか? いうまでもなく「Pではない」という意味です。定義上、Pと¬Pが両立しないのは当然ではありませんか。「P∧¬P」が現実にありうるなどというのは言葉遊び以外の何物でもありません。論理学上では「P∧¬P」を認める論理なんてのも考えてみるということはあるでしょうが、それこそまさに論理学は言葉遊びの一種という面もあるから許されることです。

 「生きている。かつ死んでいる。」という命題が矛盾であるのは、死んでいるということの定義が生きていないということだからです。しかし「波である。かつ粒子である。」の場合は違います。波でないものの中には粒子でないものもたくさんあります。量子力学以前の常識で言えば、粒子は波でないものの部分集合に過ぎない、ということです。

 つまり、以下の1-2は正しいが、3-4は間違いのこともありうる、というのが量子力学以前の常識です。
   1.波ならば粒子ではない
   2.粒子ならば波ではない
   3.粒子ではないならば波である
   4.波ではないならば粒子である

【波と粒子の2重性】
 量子力学以降の波と粒子との話はブログにまとめましたから御参照ください。「説明とは何か?(2020-02-10)」に全記事のリンクも貼ってあります。

 ポイントは波の属性にも粒子の属性にも複数があり、両者の属性を併せ持つとされる量子の属性は、両者の属性から矛盾しないいくつかずつを取り出して持っているのだということです。基本的には量子が持つ波の属性とは干渉性だけと言ってもいいでしょう。

574Ken:2020/02/12(水) 22:51:07 ID:AN9ePMUI
なかなか私の意図が伝わらないようです。

なぜ私がシュレーディンガーの猫を例に挙げるのか、量子力学の基礎に戻って説明します。不必要に冗長な話になるかもしれませんが、

>>571
>生兵法の状態で泥沼に入る

という疑いをもたれているようなので、誤解と混乱をかさねるよりはよいでしょう。量子力学については、すでに何度か紹介したファインマンの講義を今回も利用します。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html

2つの穴があいた壁に向けて粒子を発射します。最初は銃弾のような古典力学的な粒子を考えましょう。発射口から見て2つの穴が対称の位置にあり発射方向がランダムとすると、銃弾がどちらの穴を通るかは50%ずつの確率になるでしょう。ただし個々の銃弾を観測すれば、どちらの穴を通ったかは分かります。

銃弾を観測しない場合はどちらの穴を通過したかは分かりません。それでも2つの穴をAとBとすると、壁の向こう側に出た銃弾はAかBのどちらか一方を通過したはずです。Aを通った銃弾はBは通っていないし、Bを通った銃弾はAを通っていません。つまりAを通ったかBを通ったかは、一方が成立すれば他方は成立し得ない背反、「¬P∧P」の関係になります。

それでは粒子が電子のような量子サイズのものならどうでしょうか? この場合も電子を観測すればどちらを通ったか分かるのは銃弾と同じです。電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

問題は電子を観測しない時です。銃弾とは異なり、この時の電子はAかBのどちらかを通るのではなくAもBも通るのです。そのことの結果として壁の反対側には干渉縞が現れます。

ファインマンも断っていますが「AもBも通る」とは、例えばAを通った後、周回して今度はBを通るというような意味ではありません。それなら最初からBだけを通るのと同じ結果を生じ干渉縞は現れません。干渉縞が現れるのは、

*Aを通りBは通らない
*Bを通りAは通らない

という2つの事象が並立し、壁の反対側でみると異なる2方向から電子がやってくる場合です。このように量子サイズの物体は古典力学ではありえない行動をするのです。

ここまでの話に「矛盾」はありません。古典力学は銃弾のように大きなものを、量子力学は電子のように小さなものを。異なるカテゴリーの対象を扱うのですから。

ところがここでシュレーディンガーの猫は問題提議をしました。つまり小さな物体の事象と大きな物体の事象に直接的な因果関係を付与したらどうなるのか。シュレーディンガーの提案では原子核崩壊が猫の死を引き起こすメカニズムが設定されていますが、むしろ上記の2つの穴の実験の方が分かりやすいでしょう。例えば電子がAの穴を通過したときのみ猫が死ぬようにするのです。

言うまでもなく観測を行なえば猫の生死は判別できます。この思考実験は猫を直接観察できないのが条件ですが、電子がどちらを通ったかを観察すればよい。その場合、干渉縞は現れません。

ところがそのような観測を行なわない場合は干渉縞が現れます。これは上で述べたように、

*Aを通りBは通らない
*Bを通りAは通らない

という2つの事象が並立することを意味します。それはつまり、

*猫は死んでいる
*猫は生きている

という2つの事象が並立することです。電子はAも通ったしBも通ったこと、つまり猫は生きてもいるし死んでもいると結論することが可能ではないか、というのがシュレーディンガーの猫の問いかけなのです。

そして私の問いかけは、そのような結論は基準05によって疑似科学と判定されるのか、ということです。

575Ken:2020/02/12(水) 23:45:02 ID:AN9ePMUI
考えてみれば、基準05の事例として、シュレーディンガーの猫のようなややこしいものを持ち出すより、やはり光粒子説と光波動説の方が例として適当かもしれません。

私が19世紀という時代にこだわったのが失敗で、マクスウェル理論からどのようなことが予測できるかという議論になってしまいました。

ですが、粒子説と波動説の対立はマクスウェルよりはるか前の17世紀にさかのぼります。それぞれの根拠として、

粒子説:直進する。真空を伝わる。
波動説:屈折する。交差する。

というものが挙げられていました。

それでは、このような状況にあった17〜18世紀に、

〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

という理論が登場したら、基準05に照らして疑似科学と見なされたのでしょうか?

576Ken:2020/02/13(木) 21:25:01 ID:AN9ePMUI
>>572
>「矛盾する事象が現実に起きるかも知れない」などという信仰だか仮説だかを基にするなら、科学的推論など成立しません。言葉尻だけでどう貶めようとも、世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

diamonds8888xさんへの回答になるかどうかは分かりませんが、私の見解を述べます。ただし哲学的な話をしようというのではありません。

最も端的な例を挙げます。もしこの世界が、リチャード・ティレルが言うような、仮想世界だったらどうでしょうか?

私自身は、世界がシミュレーションだと示す根拠があるとは思いませんし、「量子はピクセル」というティレルの主張は、まともな情報技術者なら一笑にふすと考えます。

一方で、シミュレーションである可能性を否定する根拠もありません。なにしろ今の私たちは、コンピュータが作る仮想世界も、自己判断能力を有する人工知能も、日常的に目撃しているのですから。その現実性が確立されている以上、私たちの世界がシミュレーションで、私たちがAIという可能性もあるでしょう。

そして仮想世界を支配する法則は、システム設計者やプログラマが頭の中で考えたものです。であれば、設計者やプログラマが「全知全能」でない限り、一切の矛盾を排除した完全無欠な法則など構築できるものではありません。

私は仮想世界のプログラムを作った経験はありませんが、自分たちが開発するシステムがクレージーな、それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、原因を調べた結果、まぬけすぎるミスを発見して、開発チームが爆笑した経験はいくつもあります。(開発段階だから爆笑できるので、納品後に発生したら笑い事ではすみません。)

上のような可能性を認めるのなら、科学、つまりこの世の真実を追求する切り口として、世界を支配する法則に矛盾を捜すのもあり、と考えます。言い換えれば、私たち自身がプログラムなら、このプログラムは自己デバッグ機能を有するということで、これまた私たちの周囲ではありふれた情報技術にすぎません。そしてもし矛盾を見つけたら、それを解消する理論はあるかもしれないし、ないかもしれない、ということです。後者の場合にはプログラムを修正する、つまり法則を変更しないと矛盾は解消されません。


この投稿は、最初に挙げた問いかけがあったから回答しました。既述したように、世界を支配する法則に矛盾はない、という立場をdiamonds8888xさんが表明されるのでしたら、本スレッドで反論することはありません。

577ミケ:2020/02/14(金) 21:11:19 ID:njCnaWyw
シュレディンガーの猫はシュレディンガーによる思考実験。

量子力学的な解釈をすれば、この思考実験で
猫は生きてもいるし死んでもいる状態になると予想される。
【だから量子力学の記述には何か足りないのではないか】
という問題提起なんですよね、この思考実験は。

まさしく
「Pかつ¬Pが予想されるから理論がおかしい」という論理。
すなわち、
>>561でゲジゲジさんの説明されている
「科学者はPかつ¬Pを受け入れない」という実例なんですよね。

まあdiamonds8888xさんが「科学は矛盾を仮定しない」
とおっしゃればそのまま納得されるようですから
一足遅かった感。

578diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:06:46 ID:Gq4AsGDc
>>576
>最も端的な例を挙げます。もしこの世界が、リチャード・ティレルが言うような、仮想世界だったらどうでしょうか?

 「哲学」の範囲をどう認識しておられるのか不明ですが、こういう想定をするのが、まさしく哲学的思考です。Kenさんがここまで考えるくらいに柔軟、というか幅広い思考をする人だから、私も哲学的思考に踏み込むこともあるのです。

 もしかして、こういう想定が普通の科学的思考の範囲だと思いこんでるのでしょうか?

>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、

 これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

>後者の場合にはプログラムを修正する、つまり法則を変更しないと矛盾は解消されません。

 ここでいう矛盾も「P∧¬P」ではありませんよね?
 どちらかというと「整合性がない」「秩序がない」くらいの意味ではないのですか? 「法則が都度変化する」なのかな? 「時刻t1にはPだったけど、時刻t2には¬Pだった。矛盾だ。」くらいの意味かな?

>なかなか私の意図が伝わらないようです。

 要するにKenさんが使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広い、というだけだと思うのですが?

579diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:13:18 ID:Gq4AsGDc
>>574
 やはり生兵法の匂いが。いや、これくらいの生兵法は相当勉強した人でも当たり前のようにも思えますからKenさんが特に頭が悪いとかでは全くないはずです。少し前の私自身だって危ないもんでしたから。日常のマクロ感覚を振り切るのはそれくらい難しいことです。

>この場合も電子を観測すればどちらを通ったか分かるのは銃弾と同じです。電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

 それなにか誤解してますよ? 電子を蛍光板等で検出しただけでは、その電子がどちらを通ったかは区別できません。てか、「区別できる工夫をして観測すれば干渉は消える」というのが最近の様々な工夫のされた光子の2重スリット実験の結果です。詳しくはブログでも紹介しましたからご参考までに。

 「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

>例えば電子がAの穴を通過したときのみ猫が死ぬようにするのです。

 てなわけで、通常はどちらを通ったかは決定できませんが、その場合は死なないんですよね?
 どちらを通ったかを区別できる実験であれば、アルファ崩壊を使うよりも、古典的に近い気がしますよ。その場合は「Aを通ったという結果」と「Bを通ったという結果」とが並立することはありえませんから。

580diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:27:29 ID:Gq4AsGDc
>>574,>>579
>>電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

> 「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

 まさか、光源から光を発してスリットを通る電子を観測するとかいう話ですか!?
 第1に、それでは電子は光子が当たった瞬間に吹っ飛んでスクリーンには達しませんから干渉縞を作れません。不確定性原理の初期の思考実験のとおりです。
 第2に、もし光子の影響を受けずにスクリーンに達したとしても、すでにどちらかの穴を通ったと判明した以上は干渉縞を作りません。これは理論的にも予想され、かつ最近の実験で確認されたことです。

581diamonds8888x:2020/02/15(土) 17:32:29 ID:R45id5GY
>>575
> 粒子説:直進する。真空を伝わる。
> 波動説:屈折する。交差する。

 えーっと、どちらも光の性質ですよね? 粒子と波とが背反という話にはなってませんが?

> 〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

> という理論が登場したら、基準05に照らして疑似科学と見なされたのでしょうか?

 その理論における波動と粒子の定義によるでしょうね。まあどちらでもあると主張する以上は、その理論の中では背反するような定義にはなっていないでしょうね。ちょうど量子論のようにね。Kenさんの考えだと、「このような状況にあった17〜18世紀」であっても量子論が提唱されれば、それは疑似科学ではないんじゃないのですか?

582diamonds8888x:2020/02/16(日) 05:57:30 ID:R45id5GY
>>575,>>581
 もう少し丁寧に説明します。「このような状況にあった17〜18世紀」というのが具体的には下記が常識である世界のことだとしましょう。[>>573]参照。
   1.波ならば粒子ではない
   2.粒子ならば波ではない

 単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。科学的理論のつもりで提唱された理論ならば、なぜそう言えるのかという部分もついているはずです。つまり、「上記の常識が必ずしも正しくはない」ということを述べた部分があるはずです。そこも含めて妥当か否かという検討がなされるでしょう。

 もっとも往々にして以下のケースが起こりそうですが(^_^)
  ・「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」という部分だけ聞きかじった早とちりの者が頭から否定する。
  ・提唱者も注目を集めるために「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」というキャチフレーズだけ叫んで、結果として無視される。


 量子論を例にとれば、「光子は粒子であり」といっても「古典的粒子の属性をすべて持つ」のではありません。例えば不確定性原理により「厳密に決まった位置と時刻」という属性はなくしています。つまり、互いに背反しない属性を集めた結果、「粒子でもあり波でもある」と言えるのだということです。


 詳しくは私のブログの(2019/12/15)〜(2019/12/30)の「場・波・粒子」と題した記事をご覧ください。

 なおプランクの輻射理論やアインシュタインの光量子仮説の段階では「光は粒子的性質のひとつを持つ」と提唱しただけです。

583Ken:2020/02/16(日) 13:41:10 ID:AN9ePMUI
まず、

>>579
>「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

紹介したファインマンの講義(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html)を見てください。なお、先の投稿で私は2つの穴をA、Bと呼びましたが、ファインマンの図に合わせるため、今回は1、2と呼ぶことにします。

まず、普通に電子を発射するだけなら、つまり電子がどちらの穴を通ったか分からない場合は、図37-3のように干渉縞が現れます。次に電子が通過する穴の付近に光源を配置すると、電子が通過した穴の近くで瞬間的な発光が確認されます。図37-4がそれを示しており、この図では穴2に近いAの位置で発光するから、電子は2を通ったことが分かります。そしてこの場合は干渉縞は現れません。そのことはdiamonds8888xさんが>>580で述べておられるとおりです。

ですが私が問題にしているのは光源を置かず干渉縞が現れる図37-3の場合です。ここから猫の生死を判定するまでのロジックを説明すると、

1.干渉縞が確認される
2.ゆえに電子は穴1と穴2の2方向からやってくる
3.つまり1を通る事象と2を通る事象が並立する
(より正確には、1を通り2を通らない事象と、2を通り1を通らない事象が並立する、という意味)
4.電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている
5.ゆえに
 *電子が1を通過し猫が死んでいる
 *電子が2を通過し猫が生きている
という2つの事象が並立する

ということになります。


>>582
17〜18世紀には粒子説と波動説の背反関係は明らかでした。以前に述べたように、これは質量移動の有無という点で、それぞれの定義と直結するものです。例えば、光が、

*指ではじかれた将棋の駒が盤上をすべってゆくようにふるまうのが粒子説
*盤上に立てた駒を多数並べドミノ倒しを起こすようにふるまうのが波動説

ということです。あるいは、こういう言い方もできるでしょう。物体Aから発した光が物体Bに吸収されるとき、

*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説
*AもBも質量に変化がないのが波動説

このように粒子説と波動説を定義すれば、両者が決して混じり得ない背反関係にあるのは明らかでしょう。ただし20世紀にはこの背反関係は崩れました。ですがそこには、>>549の投稿以来何度も書いたように、どうすれば背反関係を否定できるかの具体案(つまり量子力学)がありました。

私自身は19世紀のマクスウェル理論の段階でも、背反関係を否定する具体案はなかったと考えますが、この点は同意いただけないようなので、舞台を18世紀以前に設定します。背反関係を否定する具体案がない条件下で、光の粒子的特徴(直進や真空中伝播)と波動的特徴(屈折や交差)を根拠に、

〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

と主張するのは、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?


>>578
>>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、
>これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

太陽が東からも西からも昇るのは、基準05によって疑似科学と判定される矛盾の例として、diamonds8888xさんが>>568で挙げられたものです。

>・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。

ほかにも、

>・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

という例を挙げた上で、

>Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか?

というお尋ねがあったので、例えば仮想世界なら起こりうるという回答をしました。

584diamonds8888x:2020/02/16(日) 19:13:46 ID:R45id5GY
【では次に行きますか?】
>>570
> 本スレッドではdiamonds8888xさんの基準に従うと言っておりますが、それでも私の考えを尋ねられるのであれば、

>>576
>既述したように、世界を支配する法則に矛盾はない、という立場をdiamonds8888xさんが表明されるのでしたら、本スレッドで反論することはありません。

 基準05は認めるというこでしょうか? だったら次に進みましょうか? 次は何を議論したいのですか?


【言葉は共通化したいが】
 とはいえKenさんの使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広いという点は認識してほしいですね。そこを認識せずに議論を混乱させないでほしい。[>>578]で指摘したとおりです。


 さらにさんざん書いていますが、媒質のない波については、理論の中に「A:波ならば媒質がある」という命題があるからこそ「B:光は波であるが媒質はない」という命題は「P∧¬P」という結論に至るのです。
 ここで新たに命題Aに替えて「¬A:波でも媒質がなくてもいい」という命題を採用した理論では「P∧¬P」は否定されていません。


 波と粒子の2重性については、例えば「A:波であるものは粒子の性質は何も持たない」という命題のもとでは「波∧粒子」は「P∧¬P」という結論に至ります。しかし「波でも粒子の性質の一部をもつこともある」という仮定さえおけば、その理論では「波∧粒子」は「P∧¬P」を否定しません。実際にプランクの量子論は「光のエネルギーはhνの整数倍に制限される」という仮定を置く理論であり、この性質が粒子の属性の一つであると指摘したのがアインシュタインということです。

> なかなか私の意図が伝わらないようです。[>>574]

 Kenさんの意図とは以下のようなものではないのでしょうか? たどすれば完全に同意します。

  上記のAのような仮定は当時の常識から見れば「矛盾とし思えない」ので、
  そのような「矛盾とし思えない」仮定でも謙虚に考慮しなければ科学の発展はない

585diamonds8888x:2020/02/16(日) 19:19:39 ID:R45id5GY
>>583
 説明が不完全なようですが、それからどうなるのでしょうか?
 さらなる推論を期待します。
 (特に「電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている」が具体的にさっぱりわかりません)

 なお[>>584]ではちょっとした誤植がありましたが御容赦のほどを。

586Ken:2020/02/16(日) 21:46:55 ID:AN9ePMUI
>>585
>特に「電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている」が具体的にさっぱりわかりません

そうですね。たとえば、荷電粒子が通過するときのローレンツ力を利用して毒ガス発生装置を起動してはどうでしょうか?

シュレーディンガーの元の提案で利用されるアルファ線の代わりに電磁気的な力を使うわけです。

>>584
>基準05は認めるというこでしょうか? だったら次に進みましょうか?

その前に、私の質問への回答をお願いします。

*シュレーディンガーが提案する条件下で、猫は死んでいる、かつ猫は生きている
*18世紀の知識体系の中で、光が粒子であり、かつ波動である

と主張することは、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?

587diamonds8888x:2020/02/17(月) 06:06:09 ID:ibdvppDM
>>586

> その前に、私の質問への回答をお願いします。

  [>>581,>>582]。見逃すなんて、いくらなんでもウッカリすぎませんか?

> そうですね。たとえば、荷電粒子が通過するときのローレンツ力を利用して毒ガス発生装置を起動してはどうでしょうか?

 ポイントは「2重性」やKenさんが認識するところの「干渉が起きること」を妨げずに「電子が1を通る場合」を観測しないといけないということです。さもないと、遅くとも毒ガス発生装置を起動した時点では重なり状態は消えてしまいます。

 まあ厳密に言えばこの解釈はwiki「シュレジンガーの猫」で「現実的推論および実用的理論」や「量子測定理論」などの解釈に従った場合ですけどね。

 意味不明ならもっと勉強してから議論するか、無理ならこのスレッドで量子論を持ち出すのはやめてください。少なくとも私のブログで紹介したあたりをざっとでも読んでからですね。でなきゃ、やっぱり生兵法としか評価できません。

 ついでに言えば私も自分が理解するだけで手一杯で、自分の唯一の納得感に固執している素人に説明する余裕はありません。

588Ken:2020/02/17(月) 23:21:26 ID:AN9ePMUI
>>587
>見逃すなんて、いくらなんでもウッカリすぎませんか?

見逃したつもりはありませんが。
diamonds8888xさんはこう述べられました。

>>582
>単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。科学的理論のつもりで提唱された理論ならば、なぜそう言えるのかという部分もついているはずです。

なぜそう言えるのかについては、18世紀の人が粒子的特徴と考えていた光の直進や真空伝播、波動的特徴と考えていた屈折や交差が、事象として観察されていたと、何度も述べました。

その一方で、18世紀の人が理解する粒子と波動は、質量移動の有無という点で、完全な背反関係にありました。この点は、

1.波ならば粒子ではない
2.粒子ならば波ではない

と言われたとおりです。

そのような状況下において、光は粒子でもあり波動でもあると主張するのは、基準05に違反するのですか、と尋ねています。

>>587
ここで指摘されたことは、シュレーディンガーの猫について回る問題でしょう。

私はビジュアル的に分かり易くするため、干渉縞を生じる2重スリット実験に変えましたが、元々の原子核崩壊でも同じことです。アルファ線が毒ガス発生装置を起動した時点で、崩壊が起こった状態と起こらなかった状態が並立する2重状態はなくなるという主張がありえます。

ですが、そういうことは当のシュレーディンガーをはじめ、この問題を議論する多くの人も知っていたはずです。それでもなお、

*原子核が崩壊する→アルファ線が放射される→猫が死ぬ
*原子核は崩壊しない→アルファ線は放射されない→猫は死なない

という2つの背反状態が並立するという理論があるわけです。

私は、そのような立場を擁護しているのではありません。ただ、お尋ねしているのです。このような理論を支持する人は、疑似科学に手を染めているのですか、と。

589diamonds8888x:2020/02/21(金) 21:01:15 ID:o9VFfoSU
>>588

【18世紀の件】
>18世紀の人が粒子的特徴と考えていた光の直進や真空伝播、波動的特徴と考えていた屈折や交差が、事象として観察されていたと、何度も述べました。

>その一方で、18世紀の人が理解する粒子と波動は、質量移動の有無という点で、完全な背反関係にありました。

 「光は粒子でもあり波動でもある」との理論をまともに主張するならば、これらの常識のうちのどれかが否定されるでしょう。それだけのことです。

 例えば粒子でも屈折したり交差したりできる仮説、波でも真空伝播できる仮説などが付いているはずです。そこがしっかりしているがどうかで評価が決まるでしょう。
 実際に、例えば波動説の主張者は粒子の特徴とされる観察事実を波動として説明することも含めて提唱していたでしょう? 当然、反論もありましたが、それは互いに不完全な部分もあるというだけで、我々の議論のテーマである基準に合わないというわけではありません。
 それは波動説の主張者も同様で、ならば、例えばいいとこ取り?で「光は粒子でもあり波動でもある」との理論を主張することも可能ではあったはずです。


【猫の生死の件】
> という2つの背反状態が並立するという理論があるわけです。

 いや、理論はありませんよ。ミケさん[>>577]全文参照のこと。
 少なくとも「猫が生と死の混合状態にある」という主張は非科学だし、そう主張する物理学者はいないはずです。「混合状態とは観測されていないときの状態である」というのは大原則ですからね。

590Ken:2020/02/23(日) 08:23:47 ID:AN9ePMUI
>>589
また少し議論が錯綜しているのではありませんか?

理論X=「光は粒子でもあり波動でもある」とします。

もし光の波動性とされる特徴を粒子説で説明できるとしたら、あるいは反対に粒子性とされる特徴を波動説で説明できるとしたら、その結果として理論Xは「必要がない」という結論になるでしょう。

ですが、今、問題にしているのは、理論Xが必要かではなく、理論Xは「P∧¬P」の例であり、よって基準05に違反しているのかということです。そして、Xは「P∧¬P」の例であると私が考えるのは、

粒子説:質量が移動する
波動説:質量が移動しない

という点を根拠にしており、もしXが「P∧¬P」ではないと主張するなら、上の根拠を18世紀の知識体系の中で否定せねばなりません。そういうことが可能ですか、というのが私の問いかけなのですが。


>いや、理論はありませんよ。

ないということはないでしょう。ウィキペディアの記事を参照してください。
en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

理論に反対する人はいますし、この記事ではその代表にニールス・ボーアを挙げています。

一方で、背反状態の並立を支持する人がいるのも記事から明らかですし、そう考える人が後を絶たないから、シュレーディンガーの提唱から80年以上を経ても、論争に決着がつかないのではありませんか。この記事はHugh Everettという人の説を紹介していますが、この人は「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態により具体性を与えるため、パラレル・ワールドを持ち出しているのです。
en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat#Many-worlds_interpretation_and_consistent_histories

ただし、私の目的はこの理論の是非を論じることではありません。この理論が基準05に違反しているのか、を問うています。基準に違反しており、Everettなどは疑似科学者のたぐいである、と言われるのでしたら、このスレッドではそれを受け入れます。

591fnorder:2020/02/23(日) 09:54:04 ID:???
矛盾を含んでいる理論は棄却される。
ある理論についてなんらかの逆説(矛盾)が提示された場合、その理論の支持者は『この逆説は未解決である』(つまり、いずれ解決される)という立場を取る。

シュレディンガーの猫も同じだよね。

592diamonds8888x:2020/02/23(日) 20:00:48 ID:xPPGHYBQ
>>590

>粒子説:質量が移動する
>波動説:質量が移動しない

 波動説でも質量移動は説明できてたでしょ。仮定の話とすれば議論ができるとはいえ、間違った前提を例に出すのはややこしいからやめてほしいですね。質量移動じゃなくて運動量移動が正しいよ、とも指摘しましたしね。

 ま、それはともかく。

>という点を根拠にしており、もしXが「P∧¬P」ではないと主張するなら、上の根拠を18世紀の知識体系の中で否定せねばなりません。

 新理論である以上は18世紀の知識体系のどれかは否定するのは当たり前でしょう? それとも量子論の知見とやらは18世紀の知識体系は否定していなかったのですか? それとも1799年を過ぎれば18世紀の知識体系はもう無視しても構わないとでも? 18世紀の知識体系に反する理論が妥当となる条件とは何だと考えているのですか?


 少なくとも冒頭では理論ではないと書いてありますよ。アインシュタインの発想だったとは初耳でしたが、 [Naturwissenschaften. 23 (48): 807–812]でシュレジンガー本人が書いているのでしょうかね?
「Schrödinger's cat is a thought experiment, sometimes described as a paradox, devised by Austrian physicist Erwin Schrödinger in 1935, though the idea originated from Albert Einstein.[1]」
 理論だと明示している文章を指摘してください。


 今後のささやかなお願いですが、私はKenさんほど英語が得意ではありません。代替できる和文にするか、英文ならばKenさんの説明を付けてください。なんとか訳してみたら既に和文で見慣れた話だったなんて無駄なことはごめんです。しかも微妙な表現の違いで解釈が異なりそうな話題ならなおさらです。

>一方で、背反状態の並立を支持する人がいるのも記事から明らかですし

 どの文章ですか? 読むのは面倒なんで、できれば解説も付けてください。

>この記事はHugh Everettという人の説を紹介していますが、この人は「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態により具体性を与えるため、パラレル・ワールドを持ち出しているのです。

 観測問題ないし量子論の不思議に興味のある人だったら、「Hugh Everettの多世界解釈」なんて今どき知らない人はいませんよ。わざわざ読みにくい英文など読ませないでください。
 「より具体性を与えるため」ではなくて、「矛盾を解消するため」です。つまり「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態を「¬P∧P」ではなくするためです。すなわち「多世界解釈」とて「¬P∧P」は否定しており、基準05には違反していません。
 あー、それから「多世界解釈」も素粒子レベルでの混合状態が「矛盾である」と考えて、その矛盾解消のために理論を提唱しています。猫の生死混合状態を認めているとは限りません。ていうか、量子論でも「猫みたいな巨体質量体での不確定性は小さすぎて観測にはかからない」というのが不確定性理論からの結果ですからね。もちろんそこで、どこまでの質量のものなら観測できるかというテーマはあります。

593Ken:2020/02/23(日) 21:23:02 ID:AN9ePMUI
とりあえず、この点に回答します。それ以外は後の投稿で。

>質量移動じゃなくて運動量移動が正しいよ、とも指摘しましたしね。

まず、>>554>>557で言われたことは古典電磁気学つまり19世紀の知識体系を前提にしておられます。ですがマクスウェル理論の詳細についてはdiamonds8888xさんとの間で合意が難しそうだったので、舞台を電磁気学以前の18世紀に設定しました。

その上で、

>Kenさんが書いた「質量移動[>>537,>>541,>>545,>>551」というのは「運動量を(受け取れる相手に)渡す」という現象を指すのでしょうね。

ちがいます。銃弾のように質量を持つ粒子が移動するという意味です。>>583にて

>物体Aから発した光が物体Bに吸収されるとき、
>*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説

と述べたのはそのことで、光粒子説なら質量をもつ粒子自体が移動する、ということです。

>>557で上記のように言われたとき、ただちに訂正を求めなかったことは謝罪します。

その上で、

*粒子説では質量が移動する
*波動説では質量は移動しない

という前提をくつがえさないかぎり、粒子説と波動説はPと¬Pの関係にあり、よって

〜光は粒子でもあり、かつ、波動でもある

という理論は基準05に違反するのではありませんか、と尋ねています。

594diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:11:31 ID:VxIn8deI
>>590
 英文の件の他に、もうひとつささやかなお願いです。
 薄々お気づきかもしれませんが、私は基本的には公休日以外は書き込み文を作る時間が少ないです。その間に1つの問への応答だけで待っていられても時間がもったいないでしょう。なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
 さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、このままだと埋もれそうです。[>>570]の曖昧さを正したい大切な問なのに。

595diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:26:17 ID:VxIn8deI
>>590
 以下の話が理解できないようなら「波と粒子の背反」を取り上げるのはもうやめてください。私には量子論を正しく伝える力などありません。[>>587]で明言したとおりです。

【19世紀の波と粒子】
 19世紀以前には「光は波でもあり粒子でもある」という理論は存在しません。これはKenさんも「もしそんな理論が提案されたら疑似科学なのか?」という問いかけですから御承知でしょう。

 そして「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論[>>549]」に反するような観測事実があると認識した人もいません。この点についてはkenさんは以下の観測事実があったとだけ述べていました。

1.まごうことなき波動としての特徴 (交差する、屈折する)
2.まごうことなき粒子としての特徴 (直進する、真空を伝わる)

 でも[>>551]では、これらの性質だけでは「光は波でもあり粒子でもある」という理論も可能かも知れないと認めています。実際にそんな結論を出した人は科学史上にもいません。

>ある意味いろいろな解釈が可能な特徴で捉えれば、背反関係が曖昧になり、3を否定することが可能かもしれません。

 そこで以下の性質も上げています。(いいかげんに、用語を変えてくださいね。)
1.まごうことなき波動としての特徴 (質量が移動しない)=>運動量を伝えない
2.まごうことなき粒子としての特徴 (質量が移動する)=>運動量を伝える

 この「放射圧」という観測事実は18世紀には観測されていません。それどころか1が間違いだという理論的予測の後に、その予測が現実に観測されたのです。
-----wikiの記事引用開始-------
物体の表面に電磁波が当たると入射面に圧力が働くという事実は1871年にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって理論的に導かれ、1900年にピョートル・ニコラエヴィッチ・レベデフによって、また1901年にエルンスト・フォックス・ニコルスとゴードン・フェリー・ハルによって実験的に証明された。
--------引用終り---------

 ですのでちょうど19世紀以前は1と2を問題にした人などいませんでした。

 では「光は波でもあり粒子でもある」という考え方はいつ生まれたのかは次の発言にて。

596diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:31:48 ID:VxIn8deI
>>590
 以下の話が理解できないようなら「波と粒子の背反」を取り上げるのはもうやめてください。私には量子論を正しく伝える力などありません。[>>587]で明言したとおりです。

【20世紀の波と粒子】
 1900年、偶然にもちょうど20世紀の始まりにマックス・プランクが、黒体輻射の波長別強度分布を説明する理論として、光のエネルギーが波長に依存する単位エネルギーに量子化されていると仮定すると、うまく実測と一致する理論が作れることに気づきました。ここまでは、なぜかそう仮定するとうまくいくというだけの話です。
 そして1905年にはアインシュタインが光電効果について、光が量子化されていて単位エネルギーでのみやり取りを行うと仮定するとうまく説明できる、という理論を提案しました。そしてさらに一歩踏み込んで、「量子化できるというのは粒子的な性質であり、光には粒子的性質もある」と提唱したのです。むろんこの提唱はいわばイメージを描いたものであり、正式な理論でもなければ何か新しい現象を予測したものでもありませんでした。
 次はハイゼルベルグの行列力学(1925)です。これは波とか粒子とかいう古典的描像を諦めて、物理量を行列として表現することで現象を定量的に計算できるようにしたものです。ゆえにこの理論には波も粒子もでてきません。
 そしてほぼ同時期にド・ブロイの物質波(1924)と、それを受けたシュレーディンガーの波動方程式(1926)が登場します。これは行列力学同様に原子核を巡る電子の状態に関する理論です。

 まとめると「光は波でもあり粒子でもある」という考え方は、1905年にアインシュタインが思いつき、1924年にド・ブロイが正式な理論に取り入れたと言えるでしょう。

 なので、「光は波でもあり粒子でもある」という結論の矛盾が問題となってくるのは20世紀以降の量子論の内部での話です。その詳細は本スレッドで扱うにはややこしすぎるでしょう。具体的にはどの問題が「波と粒子の背反」に絡むと言えるのかという点も明確ではありませんしね。

 ともかく18-19世紀に「波と粒子の背反」が科学理論上の問題になっていて、それが「20世紀の量子論で3が否定されました[>>549]」ということはありません。事実は逆に「20世紀の量子論で波と粒子の背反問題が登場した」ということです。放っておけば背反問題が結論されるという意味では「(適切な仮説を加えない)量子論は矛盾している」と言っていいかも知れません。ゆえに背反を生じさせないための仮定が色々と加えられ、どんな仮定が良いのかという論争が続いている状態だと言うのが正確なところでしょう。

 参考までに、スタンダードとされる理論では収縮する前は波、収縮後は粒子、として背反問題を回避しています。「同時には波と粒子とはならない」ということでしょうね。スタンダードとされるコペンハーゲン解釈では収縮とは何かについては何も言いませんが、多世界解釈は収縮により多世界に分岐するという仮定を付け加えています。以上は進行波が干渉可能に進みつつ、検出スクリーンでは粒子のごとく1点で検出される話を適切に説明しようとします。進行波の干渉という現象ではなくて、原子核内の電子の定常波の核外にまで広がった部分が収縮するのは何時なのか? というのがシュレジンガーの猫の問題なのです。

597diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:47:35 ID:VxIn8deI
>>590
【n世紀の知見なんたら】
 史実とは反しますが、以下を仮定して科学理論の問題を考察します。

-------以下、架空の史実(18-19世紀)---[>>549]---------
以下の3点がそろっていた、
1.まごうことなき波動としての特徴 => 観測事実
2.まごうことなき粒子としての特徴 => 観測事実
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論 => 当時の常識
-------   以上、架空  ---[>>549]-------------

 3つとも認めるならば、「P∧¬P」という結論になる => 当然の論理

>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。
   => 当然の論理
    そこで科学者たちは、どれかを否定した理論を提出しようとする。
    そして異なる理論の間で論争が続く。[>>421]ミケさんの全文参照。

>でも19世紀には3点のどれも否定できず
  ** どうせ架空だからKenさんも私も史実は示せませんが、 **
  科学者たちが論争していたとすれば、各理論の提唱者たちは「○は否定できる」と考えて理論に組み込んでいたことでしょう。3つとも認める理論は誰にも相手にされなかったことでしょう。それはまさに基準05に反しているからです。

 むろん1か2が間違いではないかとして、理論検討や実験をする科学者もいることでしょう。

 1と2の観測に誤りがないと確信できるならば、ベーコン以来の経験論を取る科学者ならば、3は必ず間違っていると考えて、どこがどう間違いなのかを必死で考えることでしょう。うまい理論を誰も思いつけなかった場合には「19世紀には3点のどれも否定できず」という歴史になるし、例えば1860年頃に一人の天才がうまい理論を思いついたとすれば「19世紀の天才○○がそれまでの常識を否定する画期的新理論を提唱した」という歴史になるのです。

 仮にこの画期的理論を「量子論」と名付けましょう。「量子論」は当然ながら19世紀の知見である「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を否定しています。19世紀中だけどね。
 「20世紀なら量子論の知見により3は否定できる」とかふざけないでください。現実の歴史での「量子論」のきっかけがたまたま1900年のプランクの量子仮説だっただけでしょうに。


>量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。

 そうですか、具体案ならいいんですね。上記の科学者たちが提唱する理論が「具体案」ではないはずがないでしょう。具体案じゃない理論というと、例えばアインシュタインが正式な理論としてではなくイメージとして述べた光の場の中に粒子があるイメージとか。そりゃあ「具体案」ではない理論では相手にされませんよね。だから各人は頭を絞って「具体案」を考え出そうとしますよね。最初はイメージ的アイディアに過ぎなくても、それをまともな理論に練り上げるまでは正式な論文にはしないでしょう。

598diamonds8888x:2020/02/24(月) 18:55:30 ID:VxIn8deI
>>590
 これが一番大事なことだったのに真っ先に投稿するのを忘れてしまいました。

【矛盾と基準05】
 矛盾する理論は否定されるのは科学のみならず理論というものの大前提です。矛盾を含む理論など、それこそ矛盾そのものです。

>>546 >>545
そうですよ、「妥当な科学的理論」としては存在しません。けれど、その存在しないはずの理論を間違えて主張してしまう人は存在しえます。

>>562 :fnorderさん
普通我々は、『自然や宇宙において矛盾など存在し得ない』という前提を置いています。
これは基本的な前提なので、根拠があるわけではないんですよね。
>>591 :fnorderさん
矛盾を含んでいる理論は棄却される。

>>572【論理と物理との関係】
 しかし、論理法則に従っていない結論が科学的に正しいと認められないのは明らかです。
 世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

>>568
喜んで明示的な表明をします。てか、科学的態度としては当たり前でょ。それを「信仰」と呼ぶということはKenさんは「論理的に矛盾する事象が現実に起こりうる」と考えてるのですよね? 普通はその考えは非合理的と呼ばれますよ。

【言葉だけの矛盾】
>>584 【言葉は共通化したいが】
Kenさんの意図とは以下のようなものではないのでしょうか? たどすれば完全に同意します。

  上記のAのような仮定は当時の常識から見れば「矛盾とし思えない」ので、
  そのような「矛盾とし思えない」仮定でも謙虚に考慮しなければ科学の発展はない

>>578
要するにKenさんが使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広い、というだけだと思うのですが?

>>421 :ミケ :2019/06/12(水) 02:37:49 ID:6UZWK5Gs
  AさんにもBさんにも論理的矛盾はありません。
    〜
  「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
  Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

>>577 :ミケ :2020/02/14(金) 21:11:19 ID:njCnaWyw
シュレディンガーの猫はシュレディンガーによる思考実験。


----以上、既にのべたことで十分のはず---

 要するにKenさんが使う「矛盾」は論理法則上の「¬P∧P」ではなくて「矛盾とし思えない」命題に過ぎません。そのような独自用語にいつまでも固執せず、「¬P∧P」は本来通りの意味にだけ解釈してください。
 なんてえと[>>567]の疑問が出るのでしょうが。

>それにも関わらず、基準05のような論理法則が持ち出されるのは、論理法則によって否定される科学理論は、それだけで誤った理論または疑似科学と判定するべきということでしょうか?

 そのとおりです。納得できなくても、それがスタンダードな科学的方法論です。言葉通りに基準05はそんなものだと受け入れればいいでしょう?

 18世紀だか19世紀だかの知見とかの話はまた別発言にて。

599diamonds8888x:2020/02/24(月) 20:06:40 ID:VxIn8deI
>>593,>>583
【矛盾の件】
>>578
>>>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、
>>これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

>太陽が東からも西からも昇るのは、基準05によって疑似科学と判定される矛盾の例として、diamonds8888xさんが>>568で挙げられたものです。

 ああ、マザーグース的やつですね。この例は1個の太陽が同時に東からも西からも昇る、という意味で言っていますよ。ちょうど量子論の不確定性で2つの場所に同時に質点が存在するようにね。シミュレーション世界で実際にそんなことが起きたのですか? 「〜に匹敵するような」だけであって本当のP∧¬Pではないでしょう? そこをしっかり区別してねというのが[>>598]のお願いなんですよ。
 いうまでもなく太陽のような巨大質量の物体が東と西のような遠距離に同時存在などは量子論でも起こりませんよ。

>というお尋ねがあったので、例えば仮想世界なら起こりうるという回答をしました。

 だからどんな現象ですか、それは。言葉だけならマザーグース的たわ言はいくらでも言えますよ。貫いて∧貫かない、なんてありえないでしょうよ? 「P∧¬Pに匹敵するような」と「P∧¬P」との間には「ほとんど無数の数」と「数学的無限ω」との間のような絶対的な壁がありますよ。


【波と粒子が背反する属性】
>私自身は19世紀のマクスウェル理論の段階でも、背反関係を否定する具体案はなかったと考えますが、

 当たり前です。実際の歴史では背反関係を否定しなきゃいけない理由など1900年まではなかったのですし[>>595,>>596]。私がマクスウェル理論の段階で示したのは横波でも進行方向に圧力を与えるという点です。放射圧の件はまさか同意しないとか言わないでしょうね?

>*指ではじかれた将棋の駒が盤上をすべってゆくようにふるまうのが粒子説
>*盤上に立てた駒を多数並べドミノ倒しを起こすようにふるまうのが波動説

 これは光とはあまりにかけ離れた比喩にしか見えませんので無視します。

>*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説
>*AもBも質量に変化がないのが波動説

 了解しました。で、18世紀にはこれに関してはどんな観測から何がわかっていたと言うのですか? 18世紀の精度では変化があったのかなかったのか識別しにくいと思えますが、18世紀の科学にどんな影響があったと仮定するのですか? どうせ架空の歴史になりそうですから。

600Ken:2020/02/24(月) 23:55:48 ID:AN9ePMUI
一度に多量の投稿をされましたが、とりあえず最も気になる点を挙げます。これはもう、意見が異なるというより、そもそもメッセージが伝わっていないように見えますから。

>>595
>そこで以下の性質も上げています。(いいかげんに、用語を変えてくださいね。)
>1.まごうことなき波動としての特徴 (質量が移動しない)=>運動量を伝えない
>2.まごうことなき粒子としての特徴 (質量が移動する)=>運動量を伝える
>この「放射圧」という観測事実は

>>593の投稿を読んでもまだ「運動量」と言われますか? 「質量」と何度も繰り返しているのに。ここで言ってるのは「放射圧」の話ではないのです。

ニュートンは光粒子説を唱えましたが、ニュートン力学における「粒子」とは、大は天体から小はリンゴまで、質量を持ち、力を加えると加速される(F=ma)存在でした。そのような粒子の非常に微小な集団が空間を飛ぶのが粒子説です。

一方で、電磁気学以前に認識されていた「波動」とは、水面の波紋、弦の振動、音などで、媒質を成す物質はその場で振動するだけで、どこへも行きません。光波動説とは、正体不明の「エーテル」を想定しましたが、エーテルもまた音を伝える大気と同様に、それ自体は移動しないものでした。

それゆえに、粒子説は質量が移動し、波動説では質量が移動しない、と言い続けています。しつこいと思われるかもしれませんが、この点をクリアしないと先へ進めません。

601diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:07:13 ID:ORFugYlA
>599

 お互い時間差でちと行き違ったようですね。

「了解しました。で、〜[>>598]」を御参照ください。
 なお質量が移動というのは通常は別のものに変身してしまう現象と考えられますが、具体的にどんな観測事実かがわからない、というのが[>>598]で示した疑問です。何を出そうが架空の歴史の話にしかならないと思いますが。

602diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:19:58 ID:ORFugYlA
【最重要の話】
[>>598]をもう少し。ともかく最重要なので。実は[>>597]にも関連しますが。

 1. P∧¬P
 2. a)P∧Q b)Q⇒¬P c)P∧¬P {aとbからの推論結果}

 Kenさんは1の事例については「一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます[>>570]」と認めているにもかかわらず、2の事例だけ出して来ています。1と2は全く違うでしょうに。最低限、1と2の違いを理解していただかないと、もう他の話なんてできません。

 もしも2のような事態が生じれば、前提であるaまたはbのどちらかは間違いだという結論になります。cという矛盾が推論結果として生じたからです。
 形式論理に沿って言えば、a∧b⇒c(矛盾)、まで推論したら次に、ゆえに「¬(a∧b)」すなわち「¬a∨¬b」と推論できるわけです。これが2の推論を最後まできちんと行った結果になります。

 それをaもbもn世紀の知見だから当時の人にとっては変えられない真理だとか言ってたら科学は一歩も進歩できませんよ。何世紀だろうが、当時の知見を疑い、それとは異なる理論を提出した人間が科学を進歩させてきたのです。その努力がいつ実を結ぶかは別としてですよ。
 当時の人が認めるべきなのは「P∧¬Pでもいい」ではなくて「aまたはbのどちらかは間違い」という最終結論です。


 1が抽象的だから科学理論に使えないって? 1のPに具体的命題を入れればいくらでも具体的例が作れます。論理式というのは、これら無数の具体例をまとめて示したというだけのものです。現実に矛盾がない、という言葉は、1のPに具体的命題を入れた全ての具体的例は現実には成り立たない、と言っているのであり、十分に具体的なことを言っているのです。
 「論理法則というのは【あらゆる推論過程に適用される法則】[>>572]」も同じことを言っています。

603diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:25:57 ID:ORFugYlA
>>600,>>601
 返信先を間違えましたね。失礼しました。
 それと、質量の件、読み違えたようです。これも失礼しました。私流に表現させていただくと、

 粒子:運動するとき、それ自体の質量が移動する
 波動:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する

 これだと「質量を持つ媒体を進行する波動」限定の違いになりますね。そこは御注意を。
 [>>597]の結論に影響はありませんが。

604Ken:2020/02/26(水) 21:54:02 ID:AN9ePMUI
>>603
質量移動のことで合意できたのは大きな前進で、これで議論が進むでしょう。ただし慎重に、1ステップずつ進めます。まず>>590にならって、

理論X=「光は粒子であり、かつ、光は波動である」

と定義します。そして、もし理論Xが正しいなら、

理論Y=「光は質量を移動させる、かつ、光は質量を移動させない」

という結論が得られます。そして、この理論Yは、>>568で挙げられた

・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。
・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

と本質を同じくする基準05違反、マザーグースのたぐいですよね。

ということは理論Xもまた基準05に違反するということでよろしいですか?

私が問い続けていたのはその点なのですが。

605diamonds8888x:2020/03/02(月) 06:12:45 ID:YFIIK6Zs
>>604
> 理論X=「光は粒子であり、かつ、光は波動である」
> と定義します。

 つまり、これ以外には何も言っていないということでよろしいですね?
 ならば既に[>>582]で答えたとおりです。

 ==>単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。

> ということは理論Xもまた基準05に違反するということでよろしいですか?

 違反します。上記の条件ではね。
 [>>582]で答えたとおり、上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。他の仮説も同時にない限りは。

 あとは[>>582]もちゃんと読んで、その意図を読み取ってくださいね。

606Ken:2020/03/04(水) 23:03:27 ID:AN9ePMUI
>>605
ここで言われているのは、根拠のないことを唱えるのは正しくない、ということですね。

それは分かりますが、そのことは「P∧¬P」を排除する基準05とは別の問題ではありませんか? いわば「基準」によって選別される前の段階の話でしょう。

光粒子説や光波動説の根拠とされたことは、「直進」「真空伝播」「屈折」「交差」などを挙げてきました。現代の視点では根拠とされないものもあるでしょうし、またdiamonds8888xさんが言われたように、粒子説の根拠とされた事象が波動説で説明されたり、その逆の場合があったかもしれません。

それでも、当時(18世紀)は粒子説、波動説の両方の根拠があると考えた人が多かったと思います。もしすべての事象が粒子説で説明できる、または波動説で説明できるという考えが大勢を占めれば、そこで論争が決着したはずですから。

つまり粒子説にも波動説にも根拠はある。そこで基準05が問題になるわけです。

すこしわき道にそれますが、光の代わりに「血液」を対象に考察してみましょう。ある観察・実験の結果、

〜血液は体内を流れる

という事象が見つかったとします。また別の実験をやったら、

〜血液は酸素を運ぶ

という事象が発見されたとします。すると、ただちに、

〜血液は体内を流れ、かつ酸素を運ぶ

という、両方の観測結果を合わせた主張が可能になるでしょう。ところが光の正体となると、そうはゆきません。粒子であることを示す事象と波動であることを示す事象の双方が認識されていたのだから、血液の例にならえば、

〜光は粒子であり、かつ波動である

という主張がありえたはずです。そうならないのは、粒子であることと波動であることは、両立しない背反関係にあると思われたからです。

つまり、そのような条件の下で、粒子でもあり波動でもあると主張すれば、基準05に違反していたのか、というのが私の問いかけです。

607diamonds8888x:2020/03/07(土) 11:25:40 ID:pKsFXxD6
>>606
 時間不足で単発のみで申し訳ありませんが。

> ここで言われているのは、根拠のないことを唱えるのは正しくない、ということですね。

 私としてはその表現で間違いないし、「根拠のないことを唱えるのは正しくない」のは当たり前だと思いますが、「根拠」の範囲がKenさんは私の解釈より狭いような気がします。

> それは分かりますが、そのことは「P∧¬P」を排除する基準05とは別の問題ではありませんか?

 同じ問題です。ある理論が正しいことの「根拠」には、妥当な推論のみが使われているということも含まれます。

> いわば「基準」によって選別される前の段階の話でしょう。

 前とか後とか、意味がわかりません。その理論が「根拠」とするものを含めて考えなければ、「基準」に一致するか否かの判断もできません。

608Ken:2020/03/07(土) 21:24:34 ID:AN9ePMUI
>>607

どうも、まだ私の文意が伝わらないようですが、周辺説明はともかく、具体化した問題に回答していただければ、よいと思います。

舞台を18世紀に設定すると、

1.光粒子説の根拠があった(だから光粒子説が主張された)
2.光波動説の根拠があった(だから光波動説が主張された)
3.粒子と波動は背反関係にあった(だから粒子でもあり波動でもあるという説は主張されなかった)

という条件がありました。その条件下で、

〜光は粒子であり、かつ波動である

という主張は基準05に違反するのでしょうか?

609diamonds8888x:2020/03/09(月) 05:41:04 ID:C4rTQE1M
>>606,>>604,>>608
>どうも、まだ私の文意が伝わらないようですが、

 はい、さっぱりわかりません。

>という主張は基準05に違反するのでしょうか?
> つまり、そのような条件の下で、粒子でもあり波動でもあると主張すれば、基準05に違反していたのか、というのが私の問いかけです。

 はっきり違反すると明言していますが、何が問題なのですか? 「周辺」て何を指すのか意味不明です。

 [>>605]の何がひっかかるのですか?
> [>>582]で答えたとおり、上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。他の仮説も同時にない限りは。

 で、まあ、他の仮説として可能性のあるひとつとしては例えば


>もし理論Xが正しいなら、〜 理論Y=「光は質量を移動させる、かつ、光は質量を移動させない」〜という結論が得られます。

 という推論を否定できるような仮説が考えられますね。


 なお、「○○は(同時に)波であり、かつ粒子でもある」という理論は現代でもないようです。
 量子論は脇道ですから、これ以上は書きません。

610Ken:2020/03/10(火) 22:36:02 ID:AN9ePMUI
>上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。

なんだか私が、根拠もなにもない妄想のたぐいを語っているように言われますが、どうか思い出してください。光粒子説も光波動説も、それぞれ根拠とみなされる事象が観測されていたのですよ。そして>>606で血液を例に説明したように、ある考察対象(この場合は光)が示す特徴が2つ(この場合は粒子性と波動性)ある場合には、その対象が2つの特徴をあわせ持つと考えるのは真っ当な推論ではありませんか。それがつまり、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

というものです。真っ当な推論であれば、気違い扱いも無視もされませんし、もしその理論を否定するなら、否定する側に否定の根拠を示す責任が生じるはずです。

その否定の根拠がつまり基準05ではないのですか? 粒子であることと波動であることは両立し得ないPと¬Pの関係にあったのだから、「P∧¬P」を排除する基準によって否定されるのではないでしょうか?

そのような論理のステップをふんで理論Xを疑似科学と判定する、というのであれば論旨の筋が通りますし、diamonds8888xさんの論旨がそこにあるのなら、議論のこの段階はクリアできるでしょう。

611diamonds8888x:2020/03/16(月) 05:52:01 ID:WZVjBBRA
>>610
>なんだか私が、根拠もなにもない妄想のたぐいを語っているように言われますが、

 そんなことは言ってません。「上記のキャッチフレーズだけ唱える」のはKenさんではなくて、理論Xを唱える架空の人物なのでしょうから。

>ある場合には、その対象が2つの特徴をあわせ持つと考えるのは真っ当な推論ではありませんか。

 それを考慮する理論なら、「上記のキャッチフレーズだけ唱える」だけの理論ではありません。その真っ当な推論から矛盾が導かれないように、つまり基準05に反しない構造の理論にしてから唱えているでしょう。例えばの例とすれば、それは架空の人物の考えることなので私にはわかりません。でも可能な構造のヒントならば、これまでの私の発言やブログに散々書いてあります。
 [>>609]にも書きました。=>「で、まあ、他の仮説として〜考えられますね。」


 なお、例えば粒子論者ならば、「光波動説の根拠とされる観測事実を粒子説で説明する」という理論をも唱えているはずです。むろんそこには本当は矛盾があるかも知れなくて、波動論者はその矛盾を探そうと知恵を絞って論破しようとするでしょう。

 そしてこれは波動論者も同じことで、「光粒子説の根拠とされる観測事実を波動説で説明する」という理論をも唱えているはずです。対して波動は〜以下同文。

 実際の歴史では、光の干渉性が確認されると、こればかりは粒子説では説明できずに波動説に軍配が上がりましたが。

612diamonds8888x:2020/03/16(月) 05:54:09 ID:WZVjBBRA
【他の読者へ】
 何をわかりきったことに日数かけてるんだと考える方々もおいででしょうが、随分と基本的な部分で言葉か概念か推論というものの認識だかが異なっているようで、まさに哲学にずれがあるもようです。数学基礎論の例にもあるように、基本的な部分ほど難しいことも確かです。Kenさん自身は、このような食い違いこそがまさに科学哲学の分野だという認識がなく、「哲学=形而上で科学に関係ない」という認識から抜けられないようで、御自分の感覚がスタンダードと違うことがまだ信じられない御様子なので。

 「言葉の定義が違うんじゃないの?」という提言に全く無反応というのがねえ。[>>604]では理論と結論をごっちゃにしていて後の推論の混乱が透けて見えますけど、まあ私が意を組むことにしてます。

 さて[>>604〜]では、矛盾する結論だけ叫ぶ理論が基準05違反かという問に私が肯定したにもかかわらず、しつこく確認しています。思うに・・。まず私やスタンダードな考えなら・・。

 1) 推論で矛盾が生じれば、その理論は間違い。まして最初から矛盾を主張する理論は1次スクリーニングで消える。
 2) まともな科学者なら、矛盾する命題だけの理論を提唱するはずがない。
 3) ゆえに矛盾を消すような仮説をも並べて提唱しているはず。

 というわけで、[>>602,>>609]等で3)まで含めて書いているのですが、それが却ってわかりにくかったもようです。つまりKenさんにとっては2)までも考えが進んでおらず1)の確認を「慎重に1ステップずつ」進めたいらしい。

 このように基礎的な部分で慎重に進めるのは、まさに科学哲学の態度であり、結構おもしろい考察につながる気もします。もちっと他の考え方を理解する気になれば、よき科学哲学者になれそうな気もしますがねえ。いやむろんアマのですけど。

----------
 ところが[>>610]では2ステップ目[上記の2)]に入り込んでいたようです。既に他の命題(観測事実も含む)も含めての理論ならば、そこから矛盾が出ない構造になっているはず。矛盾を生むのは以下の命題です。

   粒子:運動するとき、それ自体の質量が移動する
 波動:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する

 ゆえに矛盾を消す理論の可能性としては、以下の2通りの道があります。
   光波動説の根拠とされる観測事実からは上記は推論されない。
   上記を否定する。つまり粒子や波動という概念の範囲を広げる。

 実はどちらも同じようなことで、ブログ「3種の波[2019/12/19]」周辺で書いていることです。

============
 なお、「○○は(同時に)波であり、かつ粒子でもある」という理論は現代でもないようです。この点は私もこれまで考えが曖昧だったのですが、スタンダードな量子論の解釈では
  ・量子は伝播するときは波である(波動性を持つ)、つまり干渉する。
  ・量子は検知されるときは粒子である(粒子性を持つ)、つまり定時定点で検知される
 とされています。ていうか、これは観測事実です。いや「伝播するときは波」を観測事実とするのは個人的には二の足を踏みますが。

 そしてコペンハーゲン解釈では、ある時点で波動が収縮して粒子として観測される、と解釈されます。というか、仮定されています。これをすなおに読めば、「(同時に)波であり、かつ粒子でもある」ということはないのです。

 なお、現代でも通用する波と粒子の違いについては節操のない者さんの記事が参考になりました。
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality.html]
  粒子  空間の1点に局在している
  波   空間に拡がっている
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality_terrible.html]
  狭義の粒子性 1点に存在する性質
  広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性

613Ken:2020/03/18(水) 23:31:51 ID:AN9ePMUI
>>611より引用。
**********************************************
それを考慮する理論なら、「上記のキャッチフレーズだけ唱える」だけの理論ではありません。その真っ当な推論から矛盾が導かれないように、つまり基準05に反しない構造の理論にしてから唱えているでしょう。例えばの例とすれば、それは架空の人物の考えることなので私にはわかりません。でも可能な構造のヒントならば、これまでの私の発言やブログに散々書いてあります。
 [>>609]にも書きました。=>「で、まあ、他の仮説として〜考えられますね。」
**********************************************

私が「真っ当な推論」と言ったのは、観測事象だけを見れば、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

というのは、>>606で例に挙げた「血液は体内を流れ、かつ酸素を運ぶ」と同種の推論という意味です。

もう一度繰り返しますが、私が求めるのは>>541で挙げた

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

の3条件を受け入れた上で理論Xを判定することです。diamonds8888xさんが3条件に疑義を持たれていることは承知してますが、3条件すべてを受け入れるのが18世紀の主流だったことは、光の正体に関する論争が継続した事実が証明していると思うのです。もし3条件の1つでも否定する見解が大勢をしめれば、そこで論争が決着したはずですから。

例えば、もし1が否定され、波動的特徴と考えられた事象を粒子的特徴と見なせるなら、光粒子説が受け入れられて論争が終わるはずです。2が否定された場合はその反対で、光波動説が定説となります。

もし3の背反関係を否定する具体案があれば、それこそ理論Xが受け入れられて論争が決着したでしょう。観測事象としては、粒子性と波動性の両方があったのですから。

つまり、3条件のそれぞれを否定する考えがたとえ現れたとしても、広汎な支持を集めることはなかった。論争が何世紀も続いたことがその証拠だと思います。

ですから、そのような、3条件をすべて受け入れている人の立場に身を置いて、理論Xに基準05を適用したらどうなるのか、というのが私の問いかけなのです。その場合に理論Xは疑似科学と判定されるのでしょうか?

614diamonds8888x:2020/03/23(月) 04:49:10 ID:7AQSJFM2
>>613
 なんとか食い違いのポイントが見えたのでお答えしましょう。

>3条件すべてを受け入れるのが18世紀の主流だったことは、光の正体に関する論争が継続した事実が証明していると思うのです。

 ここが違います。3条件すべてを受け入れた理論など提唱されていません。3条件の一部だけを受け入れた理論が複数あって、それらの間で論争が継続した、といのうが正確な事実です。3条件すべてを受け入れた理論が提唱されたと言うなら具体的に示してください。

>もし3条件の1つでも否定する見解が大勢をしめれば、そこで論争が決着したはずですから。

 大まかに言えば、1を肯定し2を否定する理論(波動説)と2を肯定し1を否定する理論(粒子説)との論争が継続していたのです。それはKenさんも御存知でしょう? 18-19世紀において3を肯定する理論は、私は寡聞にして知りません。もしあれば御教示ください。

 もちろん論敵の方は「○を否定するのは矛盾を生じる」などとして論争していたのでしょうが。


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