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科学と疑似科学とを判別する

572diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:53:40 ID:wXdTZgNc
>>570,>>567
【論理と物理との関係】
 どうもKenさんは、抽象的とされる数学や論理と現実を扱う科学理論との関係について混乱があるようです。確かに両者は別物ですが、密接な関係があることもまた確かです。

 科学で使われる数学理論は証明のされた数学的には正しいものばかりです。それを物理現象などに適用した科学理論が正しいかどうかは、ひとえに現実の何かと数学的対象(数とか関数とか図形とか)との対応が適切かどうかにかかっています。多くの場合は実数に対応する種々の"物理量"が定義され、それらの基本的関係が法則として仮定されます。この"仮説"に数学理論(例えば実数の四則や関数理論)を適用して様々の定理なり予測なりが成されるのです。

 ここでひとたび定義がなされたら、適用する数学理論に反するような理論は初めから排除されます。まあ、そんなもの作る事さえ考えないという方が実態ですね。逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道は円錐曲線以外には存在しない、ということは数学理論から誘導されますが、すると「逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道にサイクロイド曲線軌道がある」なんて理論は非科学的とされるのです。

 論理の科学理論への適用も同じことです。そして数学理論とは異なり、論理法則というのは【あらゆる推論過程に適用される法則】です。科学理論におけるすべての推論というものは、論理法則のどれかに具体的な命題を代入した形をしています。推論の前提となるべき命題の正しさは観測事実や既に正しいとされた科学理論に根拠を求めますから、論理法則に従った結論が必ずしも科学的に正しいとは言えません。しかし、論理法則に従っていない結論が科学的に正しいと認められないのは明らかです。

> 〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

> という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか?

 合理的人間なら当然のスタンスで、その理由を考察してみると上記の見解がひとつの回答になるでしょう。世界が合理的にできているというのは「信仰」に過ぎない、というならば、哲学的にはそれもひとつの見解です。ただ、「矛盾する事象が現実に起きるかも知れない」などという信仰だか仮説だかを基にするなら、科学的推論など成立しません。言葉尻だけでどう貶めようとも、世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

 それに論理法則の中でも特に「P∧¬P」について言えば、これは定義そのものと言えるのです。[>>573]


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