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科学と疑似科学とを判別する

552diamonds8888x:2019/12/16(月) 05:43:30 ID:6pFCUSvE
>>551

 そもそも観測事実である1と2は具体的にどのような発見を指すのか明確にしてください。具体例レベルで議論したいのならば、粒子性とか波動性がどのような属性を指していたのかは、具体的な観測事実に即して語らなければ意味不明になります。
 それとも1と2は観測事実ではないのでしょうか?

>と認識したらどうでしょうか。

 それは具体的な科学上の発見がどんな出来事なのかによります。そこを明確にしてから議論してください。

553Ken:2019/12/16(月) 08:04:03 ID:DAXXQXCA
また入院することになりました・・・・
復帰したら回答をさせていただきます。

554diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:18:34 ID:6pFCUSvE
>>553 それはお大事に

【光電効果と光圧(放射圧or輻射圧)】
 Kenさんが表記につき、ちょっと誤解されていたようなので。

>>541
> しかし、より重要な粒子的特徴は光電効果です。最初に発見されたのは1839年、今と同じ形で確認されたのは1887年とウィキペディアに書かれています。これも何度か述べましたが、物体を押すというのは、粒子にしかできないことです。

 電磁波が電荷を進行方向に押すことはマクスウェルが理論的に予測しました。むろん波動論によって。ポイントはローレンツ力でした。
 ・FNの高校物理・光の圧力[輻射圧]
   [tp://fnorio.com/0118light_pressure0/light_pressure0.html]
 ・wikipedia「放射圧」

>>510
> まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

 光電効果では電子は波の進行方向にだけは押されません。ネットの解説にはいくらでも図が載っていますから、電子の方向をよくご覧ください。

555diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:31:31 ID:6pFCUSvE
>>553
 ところで19世紀の知見で考えろというKenさんの方法にはちょっとわからない点があるので教えてください。

>>549
>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、

 どうも引っかかるのですが、19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は非論理的だというのがKenさんの認識ですよね。それが世紀が変ったとたんに論理的になるのは、一体どういうメカニズムによるのですか?

556diamonds8888x:2020/01/03(金) 11:46:45 ID:xIWucngE
 いま続いているのは、(¬P)∧Pについて[>>325],[>>329]で「成立する場合もあるし、成立しない場合もある」とKenさんが述べたことに、[>>330]で間違いだと私が指摘し、[>>353]で基準05:と基準06:を明示して以来の議論です。

 根本的にはKenさんに、論理法則と数学理論と観測事実というものに対する誤解、どこをどう誤解したのか余人にはわかりにくい誤解があります。

 論理法則と数学理論と観測事実との基本に立ち戻りましょう。

 いわゆる古典論理法則はアリストテレスの昔から変わらず正しいとされています。3段論法や排中律や矛盾の否定が間違いだとされることは将来ともありえないでしょう。
 論理法則については私のブログ参照(2016-03-22)
 [tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/4c5f6c6a7f50cae23239de011eb5ad0b]

 それに対して具体的な理論は時代と共に間違いだとわかることがあります。例えば以下がその例です。まあ最初の例は間違いというよりは、唯一の正しい理論ではない、という方が正確ですが。科学理論の範疇で言えば、適用できる場合と適用できない場合があるという方が正確です。
  ・ユークリッド第5公準つまり平行線の公理
  ・惑星は円運動をする。天体にとっては円運動が自然である。
  ・波は物質的な媒質を伝播する

 数学理論の場合は数学的には正しいとされる理論でも現実の現象に適用できるか否かは別問題で、何に適用したかにより正否が決まります。例えば実数で成り立つ数学的法則は正しいとしても、現実の現象のどんな量に実数を当てはめるかにより正否が異なります。現実の量の間に例えば加法性が成り立つか否かは観測(測定)で確認しなくては意味がないからです。

 代数理論が例えば実数同士の関係を表すように古典論理法則は命題同士の関係を表していますが、この命題を現実の何に適用した場合に正しいかと言えば、すべての命題に適用した場合に正しいのです。もちろん嘘つきのパラドックスに出てくるようなひねくれた命題ではその限りではありませんが、実のところ現実を表現するような命題であれば、あんなひねくれた命題はありえないものです。現実を表すどんな命題を持ってこようが成り立つほどに抽象化された法則だからこそ未来永劫正しいと言えるわけです。

  ・理論F:支えのない物体は下へ落ちる[>>484]
     (ただし、"支え"とは物体に接触している"物"である)
  ・波は(物質的な)媒質を持つ
  ・光(でも他のモノでも)が波でありかつ粒子であることはない[>>520]

 これらはいずれも論理法則ではありません。数学理論でもありません。ゆえにこれらの理論が「純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないもの[>>389]」なんてことはないのです。これらはいずれも【観測事実から得られた経験則】です。ゆえに新しい観測事実が得られれば覆されることもあります。そして実際に覆されてきたのです。

 Kenさんは「19世紀の知識では」と条件を付けますが、上記経験則が覆されたのはまさに「19世紀に観測された事実」であり、つまり「19世紀の観測から得られた知識」で否定されたのが史実です。(3番目だけはちと怪しいけど、Kenさんの認識がたぶん間違い)。

557diamonds8888x:2020/01/03(金) 11:48:14 ID:xIWucngE
>>556

 経験則とはいうものの用語の定義により意味が変化したという面もあります。用語の定義というと言葉じりだけという印象も受けますが、そうではなくて概念を規定する属性が何かということなのです。

 波という概念では、その属性は「媒質(通常の連続体物質または力場)の振動」と「干渉性と回折性」です。そして短波長の光波と物質波では直接観測にかかったのは「干渉性と回折性」だけでした。この事情は私のブログ「場・波・粒子-3.2- 3種の波(2019/12/09)[tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/bad17b04430e3274955f8949120611cb]」を参照してください。

 また粒子という概念では、「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」や「場・波・粒子-3.3-EPRパラドツクス(2019/12/15)」「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」を参照してください。波とは異なり粒子の属性は色々とありますし、質点の属性とも紛らわしいですが、「軌跡の各点の位置と時刻とは各点ごとに1組ずつである」なんて属性は不確定性理論で否定されてますね。

 なお[>>554]で指摘した通り、古典電磁気学でも電磁波は運動量を運びます。Kenさんが書いた「質量移動[>>537,>>541,>>545,>>551」というのは「運動量を(受け取れる相手に)渡す」という現象を指すのでしょうね。つまり典型的には粒子間で相互作用(例えば衝突)をして運動量が粒子から粒子へと移動するという現象です。質量は粒子間で移動したりはしませんからねえ。質量は粒子の存在そのものですから、質量が移動するというのは粒子の一部が分かれて移動するということです。一部が分かれて移動することなら波の方がよく起きるとも言えそう。

558diamonds8888x:2020/01/04(土) 05:54:42 ID:xIWucngE
>>555,>>556
 [>>556]の「(3番目だけはちと怪しいけど、Kenさんの認識がたぶん間違い)」と書いたことの説明です。言いたのは19世紀には光が「まごうことなき粒子としての特徴」を持つという認識はなかったということ。ゆえに矛盾に見えることさえなかったということです。このパラドックス的な理論は20世紀のものです。ですので「19世紀の人にとって」と言われても困ります。
 まあ「とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか?[>>525]」への回答にもなるでしょう。

 波と粒子の2重性は難しいですよと忠告したのですが、避けて通れないようです[>>524,>>525]。量子力学のひとつのポイントではありますから考えてみるのは悪くはありません。
  [>>532]論点4:波と粒子の2重性は現在では"説明できる"のか?

 では波と粒子の両者の属性が共存しうるという考えはどのように発展したのかを振り返りましょう。つまりは量子力学発展の歴史です。以下の参考の中でも特に4)が内容にも踏み込んでいてわかりやすいと思います。

 参考:歴史
  1)「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」の年表
  2) wikipedia「量子力学の年表」
  3) wikipedia「量子力学 7.歴史」
  4)「場・波・粒子-3.2- 3種の波(2019/12/09)」の*2)[大阪医科大学・医学部・総合教育講座・化学教室・林秀行による量子力学の歴史]

 参考:量子力学の教科書
  5)「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」のRef-1b[前野昌弘『量子力学入門』(2002/02/16)]

 [>>541]では光電効果の発見によって光が粒子であることが見出され矛盾が生じたかのような書き方ですが、これは史実ではありません。光電効果の謎は放出電子の運動エネルギーは光の振動数に依存し、電子の数は光の強度(振幅)に依存していたことで、これを説明できたのがアインシュタインの光量子仮説(1905)です。19世紀の間は「まごうことなき粒子としての特徴[>>549,>>546,>>541]」というものは見出されていません。Kenさんが粒子としての特徴だと考えていた「電磁波は横波なのに電子が進行方向に押される[>>510]」という現象は[>>554]の通りマクスウェルの電磁波理論で説明できます。

 またwikipedia英語版[Photoelectric effect 2.History]によれば、上記の波動説では説明しにくい特徴「(放出電子の運動エネルギーは光の振動数に依存し、電子の数は光の強度(振幅)に依存」が明らかになったのは1886-1902 と19世紀も末のことで、光電効果で放出される粒子が陰極線と同じ粒子と確実になったのもトムソン(1899)です。ま、本筋にはあまり関係ありませんが。

 そして黒体輻射のスペクトル分布がすっきりと説明できないことはわかっていましたが、それが「まごうことなき粒子としての特徴」などという理論を出した人はいません。1900年末というまさに19世紀最後に(それとも20世紀最初に)発表のプランクのエネルギーの量子仮説でさえも、電磁波のエネルギーはhνの整数倍しか取らないと仮定するとスペクトル分布が正確に計算できると示しただけであり、それを粒子性だなどとは言ってはいません。

 光が粒子性(量子性)を持つと明確に述べたのはアインシュタインが光電効果の理論として提唱した光量子仮説(1905)です。この時まで「波と粒子の2重性」という知見も知識も存在しませんでした。またこのときに粒子性とされた属性とは「運動エネルギーがhνという塊で移動する」というものだけであり、例えば大きさとか硬さとか1組の位置と時刻とか言った属性は含まれていません。この辺の事情は私のブログの以下に書きました。
  「場・波・粒子-3.1-まず粒子(2019/12/05)」
  「場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)」

 まとめると光電効果での光の振動数や強度と放出電子のエネルギーと個数との関係が確実になったのが19世紀末〜1902年くらい、それが量子性を持つとの理論で説明できるとされたのが1905年です。光が粒子性を持つという認識は20世紀のものであり19世紀の知見には囚われませんから、矛盾が生じたことはありません。


 なんて論理は変ですよね? だから[>>555]の問いを発したのです。

>>549
>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、

 アインシュタインによる1905年の3の否定は非論理的ではないのですか?
 ないとしらその理由は? もう20世紀だったからなんですか?

 これは[>>520>>524]でも行った議論ですが、私の意図が十分には伝えられていなかったと思います。

559diamonds8888x:2020/01/04(土) 05:55:52 ID:xIWucngE
 どうやら[>>520]が波と粒子の2重性に踏み込んだ最初なのですが、読み返すと細かい表現の中にKenさんの発想が読み取れたような気がします。

>でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

 むろん「P」には観測事実を当てはめるのですが、すると「¬P」は自動的に「Pの否定」として定まってしまいます。にもかかわらず「¬P」もと念押ししているのは、ここでKenさんが想定した「¬P」とは「P」とは別に得られた観測事実だということなのでしょう。例えばPを「光は波である」とするなら¬Pは「光は波ではない」しかありえませんが、Kenさんは「光は媒質を持たない」という命題を「¬P」とみなしたのでしょう。早とちりというのか、論理的な思考はきちんと手順を踏まなくてはいけません。

>基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

 「新しい情報」とは20世紀の量子力学の登場のことらしいですが、この発想が変なのです。量子力学は様々な人が様々な理論を提唱しつつ発展したものですが、いずれも本質的なものは観測事実よりもそれを説明する理論の方です。そしてKenさんの考えによれば、これらの理論は発表当時は19世紀の知見からは非科学的だったはずです。でも20世紀のことだから非科学的ではない? んな馬鹿な。

 波と粒子の2重性を非科学的でなくした情報とは観測事実なのか理論なのか。そこを明確に意識しないから話が混乱しているのです。

560Ken:2020/01/10(金) 16:38:46 ID:DAXXQXCA
今回も長らくお待たせしました。

まずは、こちらから、

>>555

>19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は非論理的だというのがKenさんの認識ですよね。それが世紀が変ったとたんに論理的になるのは、一体どういうメカニズムによるのですか?

波動と粒子が背反関係になくてもよいことを示す具体案が(この場合は量子論が)20世紀に発見されたからです。言い換えれば、19世紀には、光の粒子性と波動性の双方が観測される事実から背反関係を否定したくても、それを可能にする具体案がありませんでした。

もちろん、その場合には、背反関係を否定できる理論を探求するのが、正しい科学の姿勢であることは分かります。ただ、そのような理論を探求することと、そのような理論が必ずあると決めてかかることは、別問題ではありませんか、という問いかけをずっとやっています。

つまり、理論を探求するのは科学ですが、理論があると決めてかかるのは信仰のたぐいではないのか、ということです。矛盾を解決する理論は永久に見つからないかも、それどころか最初から存在しないかもしれません。

ですから、そのような理論が具体的にみつかるまでは、

〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜

という現実を受け入れるのが誠実な態度ではないでしょうか? 「¬P∧P」は、その現実を表現したものです。

繰り返しますが、矛盾の解決を断念するといっているのではありません。


なお、私が入院した後のdiamonds8888xさんの投稿を見ると、私が光粒子説と光波動説の背反関係の根拠にあげたことが必ずしも根拠でないことは、19世紀のマクスウェル理論からも知りえたと言っておられるようです。ここでdiamonds8888xさんが述べられている諸点には賛同できませんが、それはひとまずおいて、とにかく19世紀の知見では粒子と波動は相互に背反という前提で話してみてはどうでしょうか? 上に挙げた、より根源的な問題を論じるには、そのほうがよいように思います。


ただし、私は上に述べたような主張で、diamonds8888xさんを説得しようとしているのではありません。本スレッドにおいてはdiamonds8888xさんの基準に従うと何度も言っています。diamonds8888xさんのお考えが、

〜矛盾を解決する理論は必ず存在する〜

という大前提から出発するのであれば、本スレッドでそれに反論することはありません。

肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。>>551で挙げた1〜7のどれがそうなのかを指定いただければ、理解が進むと思うのですが。

561ゲジゲジ:2020/01/12(日) 19:07:00 ID:eDATlM6A
今さらですが、新年おめでとうございます。
久しぶりにヨコから失礼します。


diamonds8888xさま
kenさまの質問に、もう少しストレートに答えてみます。
必要に応じて活用して頂ければ幸いです。


******本文ココから***********************
 >>560
 >肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。

例えば、以下の3つを組み合わせた理論です。
 ・光は波である
 ・光は粒子である
 ・波と粒子は背反関係にある

または、以下の3つを組み合わせた理論です。
 ・光は波である
 ・波には媒質がある
 ・光には媒質がない

あるいはまた、以下を組み合わせた理論です。
 ・瘴気に当たるとペストに感染する
 ・瘴気に当たるとペストを防げる

 >>78
 >ひとつヒントですが、具体的に反証ないし証明しようとする場合には、それは複数の理論を合わせたものであることが多いのです。
これは基準1「反証可能性」についてのコメントですが、科学という営みが仮説(理論)の提唱と検証の繰り返しである以上、他の基準においても同じ事が言えるでしょう。




 >〜矛盾を解決する理論は必ず存在する〜という大前提から出発するのであれば、
そうではなくて、【矛盾を含む理論は間違いなので排除する】です。

なぜなら
 >>472
 >>1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか
 >「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらない理論を振るい落とすための基準として有効だからです。
 >いわゆる一次スクリーニングのためです。

矛盾「P∧¬P」を含む理論は「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらないので、矛盾を解決する理論が見付かるかどうか、存在するかどうかに関わらず、排除されねばなりません。

******ひとまずココまで***********************


******本文その2ココから***********************

では、なぜ「P∧¬P」を含む理論は間違っていると断言できるのか?

そもそも理論とは何かと言うと、
 >>55
 >理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。
 >これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。
 >その予測や推測が外れれば理論が間違っている可能性が高くなります。
 >理論の検証とは概ね、未知の事実の予測や推測をして、その予測や推測が当たっているかどうかを検証するものになります。


では例えば以下の場合・・・

1.光は波である
2.光は粒子である
3.波は質量が移動しない
4.粒子は質量が異動する
5.3と4から、波と粒子は背反関係にある
6.1と2から、光は波であって粒子である
7.3、4、6から、光の質量は移動して移動しない(即ち「P∧¬P」)

さて7「光の質量は移動して移動しない」は、1〜4を組み合わせた理論から必然的に導かれる理論であると同時に、必然的に導かれる【予測される事実】です。
従って、光の質量が【移動して移動しない】事実が確認されれば、上記の理論は正しい事が証明されるわけですが、【移動して移動しない】事実など、絶対にあり得ません。

考えてみてください。
「移動する」事が観察されたら、それは【移動して移動する】です。
「移動しない」事が観察されたら、それは【移動しなくて移動しない】です。
もし、「ある場合に移動して、別のある場合には移動しない」事が観察されたなら、それは【ある場合は移動して移動する、そして別のある場合は移動しなくて移動しない】です。
決して【移動して移動しない】が観察される事はあり得ません。


つまり矛盾「P∧¬P」となるような事実はあり得ないのです
その様な【あり得ない事実】を必然的に予測してしまった時点で、その理論は「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ではあり得ないのです。

******ココまで***********************

562fnorder:2020/01/13(月) 14:04:09 ID:???
普通我々は、『自然や宇宙において矛盾など存在し得ない』という前提を置いています。
これは基本的な前提なので、根拠があるわけではないんですよね。

『根拠がないものは受け容れられない、科学的じゃない!』と考える人もいるのかもしれません。
しかしそういう考え方だと、物理法則すら認められないことになるはずなんだけどなあ……

563ミケ:2020/01/20(月) 02:18:26 ID:njCnaWyw
以下の内容はdiamonds8888xさんの参考としていただくべく書くものですが、
Kenさんとの議論に用いる場合はdiamonds8888xさんの言葉に直して伝えることを推奨します。

さて、
かなり前から思ってたんですが
(それゆえどこかで書いたかもしれませんが、このスレッドは重くて私のPCではもう過去の投稿を見返せません。)
どうにもKenさんは
科学の体系を「一つの意思決定機構」のようにとらえている節があるように思います。

しかしながら、
科学の営みというのは実際には
個々の科学者、あるいは個々の科学者グループによる仮説の提唱・検証・及び反論の積み重ねであって、

ある時点で矛盾する(その時点ではそのようにみえる)二つの理論があったとして
それは「科学が矛盾を受け入れている」「科学が矛盾する二つの主張をしている」のではなく
「矛盾する二つの理論のいずれかを支持する科学者がそれぞれ存在する(そして多くの場合たがいに論争している)」
という状態なのだと思います。

生物学で言うならばたとえば
進化においてメンデルの法則とダーウィンの(漸進的な)自然選択理論が矛盾するように捉えられた(そう捉えた人が多かった)時期があり
メンデル学派と生物統計学派がそれぞれ
自説の正当性(を示す実験内容)と相手の不備を提示していた、
と私は受け取っています。

やがてはメンデル遺伝と自然選択による漸進的な変化が両立することが分かるのですが、
その前の時点では
「PかつPでない」と主張していたのではなく
「Pである」という側と、「Pでない」という側、それぞれが片方のみを主張していたわけですね。

光が波か粒子かという話は正直興味なくて調べていませんが、
もし当時、波と粒子が背反関係だと考えられていたならば、
これも上記メンデル学派と生物統計学派と同じように
それぞれ片方を主張する人がいて、それぞれ自説を支持する証拠を挙げ、相手方の不備を指摘していたのだと思います。

いわゆる定説・コンセンサスというのも
(議論を重ねはしますが)会議やらで「これ」と決まるものではなく、
証拠と論理から、個々の支持する人がだんだんあるいは急激に偏っていき、
なんとなく趨勢が決まっていくもの。

また、個々の科学者が主張・検証する営みであるがゆえに、
それぞれ個々の実験や観察には「間違い」もありうる。

このあたりの現実を無視し
定説や観察結果の是非が会議で決まっているかのように考えていることが
「矛盾を受け入れていた」
という理屈を導いてしまうのではないかと思います。

564diamonds8888x:2020/02/02(日) 14:37:06 ID:MooDJyKw

>波動と粒子が背反関係になくてもよいことを示す具体案が(この場合は量子論が)20世紀に発見されたからです。

 じゃあ量子論が19世紀に発見されていたとしたら、19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は論理的なのですね? 実際に量子論の最初の理論とも言えるプランクの仮説は19世紀最後のクリスマスプレゼントだなんて言われているくらいですからね。なんて細かい年代に拘るのは科学の議論としてはもちろん冗談交じりで、たまたま量子論の発展が世紀の変わり目だったから19世紀とか20世紀とか名付けているだけだとは思っていますよ。

 要するに19世紀とか20世紀とかはたまたま歴史上の偶然からの命名に過ぎなくて、量子論が発見されて正しい科学理論だと認められた時点以降は、「波動と粒子は背反関係にはない」は論理的なんですよね? 間違いありませんか?

 だとしたら、量子論自体はそれ以前の知見では非論理的なんですよね? では量子論自体はどんな根拠から論理的だと判断されるのでしょうか? 私が疑問なのはその点です。


 付け加えるならば、波と粒子の2重性に関しては「〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜」ということは19世紀には起きていません。最初に起きた科学史上の史実は、それまで生命困難だった観測事実について「光が一部粒子的な性質も持つ」と仮定したプランクの量子仮説がうまく説明できたということです。


>肝心なのは、基準05で疑似科学と判定される理論の具体例です。>>551で挙げた1〜7のどれがそうなのかを指定いただければ、理解が進むと思うのですが。

 見る限り、1〜7のどれも基準05に反してはいません。

565diamonds8888x:2020/02/03(月) 05:25:10 ID:qneqoK9o
>>560
>ここでdiamonds8888xさんが述べられている諸点には賛同できませんが、それはひとまずおいて、とにかく19世紀の知見では粒子と波動は相互に背反という前提で話してみてはどうでしょうか?

 さんざん具体例を要求しておいて、史実ではない前提をおけと言うのですか?
 まずは[>>558]で述べた史実を検討して、理解するのが筋だと思いますが?

 これは論理の筋道の問題ですから仮定を置くのは構いませんが、その場合は「粒子と波動は相互に背反という前提」をもう少し具体的に述べてもらわないと議論にならないと思いますが?

 19世紀には「粒子と波動は相互に背反とみなす理論」しかなかったのは史実でしょうから、そこは認めますよ。「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」というのは過剰表現だと思います。ていうか、当たり前過ぎて背反関係かどうかなど誰も考えなかったというところではありませんか?

 では次にこの理論と食い違うと19世紀の科学者達に考えられた観測事実があったかどうか、という点ですが。そんな風に考えた科学者はプランク以前にはいなかったというのが[>>558]で述べた史実です。

 もしも19世紀の観測事実の中に「まごうことなき波動としての特徴」と「まごうことなき粒子としての特徴」が共にあったとしても[>>549]、それは20世紀の知見による後付けのはずです。なぜなら「「粒子性と波動性とを併せ持つことがあってもいい」という発想はプランク以降の20世紀のものだからです。19世紀の人達は単に、(例えば光は)粒子性は持つが波動性は持たない派と波動性は持つが粒子性は持たない派とに分かれていただけです。もちろん史実が示す通り、19世紀には後者がほとんどでしたが。

566diamonds8888x:2020/02/03(月) 05:26:06 ID:qneqoK9o
>>560
> 〜背反関係にある2つの性質がどちらも観測される〜

> という現実を受け入れるのが誠実な態度ではないでしょうか? 「¬P∧P」は、その現実を表現したものです。

 なるほどKenさんの「¬P∧P」の使い方は理解できたと思いますが、それは論証過程や科学的議論における通常の使い方とは異なります。基準05で使用した「¬P∧P」は論理規則の表現であって現実の表現というのは語弊があります。

 どんな語弊かの説明には戸惑いますので、ここでは理解できたと思いますとだけ書いておきます。ついでに基準05での使用、つまりは普通の使用を御理解いただければありがたい。

567Ken:2020/02/08(土) 10:28:00 ID:AN9ePMUI
diamonds8888xさんから基準が提唱されるたびに、私はその具体イメージを把握するため、その基準によって疑似科学と判定される科学理論の具体例を求め、「例えばこういうものですか?」と尋ねてきました。基準05に関しては、これまでにシュレーディンガーの猫と、現在進行中の光の正体の話を持ち出しました。

そしてそのたびにdiamonds8888xさんから「それは例として適当ではない」とか「その例は史実ではない」という回答をいただいてきました。後者の史実問題については、とりあえず史実と仮定して、基準を適用してみてはどうでしょうかと提案しましたが、できないという回答でした。

やはりそうなると、基準を提唱されたdiamonds8888xさんご自身から具体例を挙げていただく必要があると思います。基準05によって疑似科学と判定されるのはどのような理論ですか?(もしすでに実例を出しておられたのなら、申し訳ありませんが、再掲をお願いします。)

ただし、確認しておきたいことがあります。

>>556
>論理法則と数学理論と観測事実との基本に立ち戻りましょう。

本スレッドで問題になっている「基準」が判定する対象は、あくまでも観測事実から導かれる理論つまり「理科」の話であり、数学理論ではありませんよね?

それにも関わらず、基準05のような論理法則が持ち出されるのは、論理法則によって否定される科学理論は、それだけで誤った理論または疑似科学と判定するべきということでしょうか?

もしそうなら、私が>>560で尋ねたこと、つまり、

〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか? すでに述べたように、それがdiamonds8888xさんのスタンスであるなら、本スレッドではそれに従いますが、「そのとおりである」と明示的な表明をお願いします。


私自身の思考パターンに関するご質問にも答えておきます。

>>564
>だとしたら、量子論自体はそれ以前の知見では非論理的なんですよね? では量子論自体はどんな根拠から論理的だと判断されるのでしょうか? 私が疑問なのはその点です。

量子論、今の場合は「粒子と波動の背反関係の否定」が非論理から論理に変わったのは、「粒子でもあり波動でもある」という状態を説明する具体案が登場したからです。以前にファインマンの講義を紹介しました。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html

この中でファインマンは、観測行為の有無によって、量子は粒子になったり波動になったりする、と述べています。量子(ここでの例は電子ですが、光でも話は同じ)を直接観測すると粒子としての姿を現すが、観測しなければ波動としてふるまうというわけです。

それでは、このような話を19世紀の知識体系の中にいる人にしたとして「論理的」と思われるでしょうか?

私は思われると予想します。この点に関しては、非常に小さいものは観測行為自体によって状態が変わるのは、なにも量子に限らないという説明をアジモフが行なっています。

archive.org/details/AsimovGuideToScience/page/n387/mode/2up/search/thermometer

左頁の最後のパラグラフから読んでみてください。タイヤの空気圧、風呂の水温、回路の電流値という例が挙げられていますが、空気ゲージ、温度計、電流計でこれらを測定できるのは、測量器具に比べて測量対象が充分に大きいからで、対象が小さい場合は、測量することで状態が変わると述べています。

このように説明すれば、19世紀の人にも納得が得られると、私は思います。

568diamonds8888x:2020/02/09(日) 11:43:59 ID:Xkb9K42c
>>567
> もしそうなら、私が>>560で尋ねたこと、つまり、

> 〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

> という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか? すでに述べたように、それがdiamonds8888xさんのスタンスであるなら、本スレッドではそれに従いますが、「そのとおりである」と明示的な表明をお願いします。

 喜んで明示的な表明をします。てか、科学的態度としては当たり前でょ。それを「信仰」と呼ぶということはKenさんは「論理的に矛盾する事象が現実に起こりうる」と考えてるのですよね? 普通はその考えは非合理的と呼ばれますよ。

 むろん広い立場から哲学的に言えば世界は合理的にできているというのも「信仰」だし、世界が科学的に説明できるというのも「信仰」です。でも、そういう「信仰」に基づいて世界を理解しようというのが、科学的な世界観であり、今テーマにしているのは科学的世界観に基づいて世界を理解するための正しい方法、すなわち科学的方法論の話をしているのです。

>基準05によって疑似科学と判定されるのはどのような理論ですか?(もしすでに実例を出しておられたのなら、申し訳ありませんが、再掲をお願いします。)

 まともな科学者ならそんなもの提唱するわけない、と何度も言ってるじゃありませんか。マザーースの歌の中なら何か例が見つかるかもしれませんね。まあ、例えばですねえ。

  ・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。

 なんて理論とか。
 あっと歴史的に有名な奴がありました。いやー、私としたことが基本を忘れていたとは。

  ・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

  「実験したら現実に矛盾が起きた(両方の事象が起きた)」なんて考える人は科学者でなくてもいないんじゃないでしょうか? みなさん「信仰」が強いから。Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか? 明示的な表明をお願いしますね。

569diamonds8888x:2020/02/09(日) 11:47:03 ID:Xkb9K42c
>>567,568
 もうちょっと哲学的に厳密な説明をしときましょうか。

 現実に起こることは、ただそう在るというだけで矛盾も何もないとも言えます。矛盾は現実を解釈する理論の中に起きうるものです。矛盾とはあくまでも論理の中の概念であると考えればそうなりますが、そこで論理とは何かと言えば、それは現実を人が解釈したものです。

 しかし現実を人が解釈したものは必ずしも論理的なものだけではありませんから、それは理論(解釈)と呼ぶことにします。すると理論(解釈)の中には論理的なものも非論理的なものもあり得ます。また科学的と認められる理論(解釈)もあれば、非科学的であるとみなされる理論(解釈)もあります。

 我々の今のテーマは科学的と認められる理論(解釈)の条件は何かということです。私の提案した基準はそのためのものであり、上記の文脈の中での"現実に起こること"の基準ではありません。てか、それは人がどうこうできるものではありませんから基準とか設けても意味がありませんよね。

 "現実に起こること"はどうこうできませんが、その解釈、すなわち理論構築は人間の技であり、そこに基準を設けるのは意味があります。そして論理的に矛盾のある理論は科学的理論としては認められません。それは近代科学以降の科学者(自然哲学者)はもとより、古代ギリシャの自然哲学者だって同意するでしょう。


 要するに理論は現実とは別ということ。
 (哲学的にひねくれて見える言い方ですが、意図は間違えないとは思うんだけど)

570Ken:2020/02/09(日) 19:46:59 ID:AN9ePMUI
>>568

もう少し詳しい定義が分かる例はありませんか?

>・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。
>・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

このような例では一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます。

たとえば、シュレーディンガーの猫は、

〜生きている。かつ死んでいる。

という理論は、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?


>「実験したら現実に矛盾が起きた(両方の事象が起きた)」なんて考える人は科学者でなくてもいないんじゃないでしょうか?
>Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか?

本スレッドではdiamonds8888xさんの基準に従うと言っておりますが、それでも私の考えを尋ねられるのであれば、

〜未来永劫に、絶対に起こらないという保証はできない

ということになると思います。

571diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:45:46 ID:wXdTZgNc
>>570
> もう少し詳しい定義が分かる例はありませんか?

 定義とは何を定義しろという話ですか?

> このような例では一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます。

 どんな例でもアウトです。一般的て何? この文脈では私には定義不明です。さらに同様ではない例とは何?

> たとえば、シュレーディンガーの猫は、

> 〜生きている。かつ死んでいる。

 むろん基準05に照らして科学的理論ではありません。まさか勘違いしていないとは思いますが、シュレーディンガーは「猫が生きている、かつ猫が死んでいる」という状態が観測されるという理論を立ててはいませんし、そのような理論は量子科学にもありませんよ。

 あくまでも観測されていない状態では(つまり他と相互作用していない状態では)、量子というものは排反する観測状態の混合状態を取りうる、というだけです。この言葉で混乱するような生兵法の状態で泥沼に入るのなら、量子力学の例を挙げるのはやめといた方が無難ですよ。

> 〜未来永劫に、絶対に起こらないという保証はできない

 「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

572diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:53:40 ID:wXdTZgNc
>>570,>>567
【論理と物理との関係】
 どうもKenさんは、抽象的とされる数学や論理と現実を扱う科学理論との関係について混乱があるようです。確かに両者は別物ですが、密接な関係があることもまた確かです。

 科学で使われる数学理論は証明のされた数学的には正しいものばかりです。それを物理現象などに適用した科学理論が正しいかどうかは、ひとえに現実の何かと数学的対象(数とか関数とか図形とか)との対応が適切かどうかにかかっています。多くの場合は実数に対応する種々の"物理量"が定義され、それらの基本的関係が法則として仮定されます。この"仮説"に数学理論(例えば実数の四則や関数理論)を適用して様々の定理なり予測なりが成されるのです。

 ここでひとたび定義がなされたら、適用する数学理論に反するような理論は初めから排除されます。まあ、そんなもの作る事さえ考えないという方が実態ですね。逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道は円錐曲線以外には存在しない、ということは数学理論から誘導されますが、すると「逆2乗則の力で結ばれた2つの質点の軌道にサイクロイド曲線軌道がある」なんて理論は非科学的とされるのです。

 論理の科学理論への適用も同じことです。そして数学理論とは異なり、論理法則というのは【あらゆる推論過程に適用される法則】です。科学理論におけるすべての推論というものは、論理法則のどれかに具体的な命題を代入した形をしています。推論の前提となるべき命題の正しさは観測事実や既に正しいとされた科学理論に根拠を求めますから、論理法則に従った結論が必ずしも科学的に正しいとは言えません。しかし、論理法則に従っていない結論が科学的に正しいと認められないのは明らかです。

> 〜論理的に矛盾する事象が現実に起こることは決してない

> という基本スタンスに立つのでしょうか? それは私には「信仰」に思えますが、何か合理的な根拠があることなのでしょうか?

 合理的人間なら当然のスタンスで、その理由を考察してみると上記の見解がひとつの回答になるでしょう。世界が合理的にできているというのは「信仰」に過ぎない、というならば、哲学的にはそれもひとつの見解です。ただ、「矛盾する事象が現実に起きるかも知れない」などという信仰だか仮説だかを基にするなら、科学的推論など成立しません。言葉尻だけでどう貶めようとも、世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

 それに論理法則の中でも特に「P∧¬P」について言えば、これは定義そのものと言えるのです。[>>573]

573diamonds8888x:2020/02/11(火) 16:54:15 ID:wXdTZgNc
>>572,>>570,>>567
【否定とは何か?】
 「P∧¬P」における¬(否定)とは一体なんでしょうか? いうまでもなく「Pではない」という意味です。定義上、Pと¬Pが両立しないのは当然ではありませんか。「P∧¬P」が現実にありうるなどというのは言葉遊び以外の何物でもありません。論理学上では「P∧¬P」を認める論理なんてのも考えてみるということはあるでしょうが、それこそまさに論理学は言葉遊びの一種という面もあるから許されることです。

 「生きている。かつ死んでいる。」という命題が矛盾であるのは、死んでいるということの定義が生きていないということだからです。しかし「波である。かつ粒子である。」の場合は違います。波でないものの中には粒子でないものもたくさんあります。量子力学以前の常識で言えば、粒子は波でないものの部分集合に過ぎない、ということです。

 つまり、以下の1-2は正しいが、3-4は間違いのこともありうる、というのが量子力学以前の常識です。
   1.波ならば粒子ではない
   2.粒子ならば波ではない
   3.粒子ではないならば波である
   4.波ではないならば粒子である

【波と粒子の2重性】
 量子力学以降の波と粒子との話はブログにまとめましたから御参照ください。「説明とは何か?(2020-02-10)」に全記事のリンクも貼ってあります。

 ポイントは波の属性にも粒子の属性にも複数があり、両者の属性を併せ持つとされる量子の属性は、両者の属性から矛盾しないいくつかずつを取り出して持っているのだということです。基本的には量子が持つ波の属性とは干渉性だけと言ってもいいでしょう。

574Ken:2020/02/12(水) 22:51:07 ID:AN9ePMUI
なかなか私の意図が伝わらないようです。

なぜ私がシュレーディンガーの猫を例に挙げるのか、量子力学の基礎に戻って説明します。不必要に冗長な話になるかもしれませんが、

>>571
>生兵法の状態で泥沼に入る

という疑いをもたれているようなので、誤解と混乱をかさねるよりはよいでしょう。量子力学については、すでに何度か紹介したファインマンの講義を今回も利用します。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html

2つの穴があいた壁に向けて粒子を発射します。最初は銃弾のような古典力学的な粒子を考えましょう。発射口から見て2つの穴が対称の位置にあり発射方向がランダムとすると、銃弾がどちらの穴を通るかは50%ずつの確率になるでしょう。ただし個々の銃弾を観測すれば、どちらの穴を通ったかは分かります。

銃弾を観測しない場合はどちらの穴を通過したかは分かりません。それでも2つの穴をAとBとすると、壁の向こう側に出た銃弾はAかBのどちらか一方を通過したはずです。Aを通った銃弾はBは通っていないし、Bを通った銃弾はAを通っていません。つまりAを通ったかBを通ったかは、一方が成立すれば他方は成立し得ない背反、「¬P∧P」の関係になります。

それでは粒子が電子のような量子サイズのものならどうでしょうか? この場合も電子を観測すればどちらを通ったか分かるのは銃弾と同じです。電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

問題は電子を観測しない時です。銃弾とは異なり、この時の電子はAかBのどちらかを通るのではなくAもBも通るのです。そのことの結果として壁の反対側には干渉縞が現れます。

ファインマンも断っていますが「AもBも通る」とは、例えばAを通った後、周回して今度はBを通るというような意味ではありません。それなら最初からBだけを通るのと同じ結果を生じ干渉縞は現れません。干渉縞が現れるのは、

*Aを通りBは通らない
*Bを通りAは通らない

という2つの事象が並立し、壁の反対側でみると異なる2方向から電子がやってくる場合です。このように量子サイズの物体は古典力学ではありえない行動をするのです。

ここまでの話に「矛盾」はありません。古典力学は銃弾のように大きなものを、量子力学は電子のように小さなものを。異なるカテゴリーの対象を扱うのですから。

ところがここでシュレーディンガーの猫は問題提議をしました。つまり小さな物体の事象と大きな物体の事象に直接的な因果関係を付与したらどうなるのか。シュレーディンガーの提案では原子核崩壊が猫の死を引き起こすメカニズムが設定されていますが、むしろ上記の2つの穴の実験の方が分かりやすいでしょう。例えば電子がAの穴を通過したときのみ猫が死ぬようにするのです。

言うまでもなく観測を行なえば猫の生死は判別できます。この思考実験は猫を直接観察できないのが条件ですが、電子がどちらを通ったかを観察すればよい。その場合、干渉縞は現れません。

ところがそのような観測を行なわない場合は干渉縞が現れます。これは上で述べたように、

*Aを通りBは通らない
*Bを通りAは通らない

という2つの事象が並立することを意味します。それはつまり、

*猫は死んでいる
*猫は生きている

という2つの事象が並立することです。電子はAも通ったしBも通ったこと、つまり猫は生きてもいるし死んでもいると結論することが可能ではないか、というのがシュレーディンガーの猫の問いかけなのです。

そして私の問いかけは、そのような結論は基準05によって疑似科学と判定されるのか、ということです。

575Ken:2020/02/12(水) 23:45:02 ID:AN9ePMUI
考えてみれば、基準05の事例として、シュレーディンガーの猫のようなややこしいものを持ち出すより、やはり光粒子説と光波動説の方が例として適当かもしれません。

私が19世紀という時代にこだわったのが失敗で、マクスウェル理論からどのようなことが予測できるかという議論になってしまいました。

ですが、粒子説と波動説の対立はマクスウェルよりはるか前の17世紀にさかのぼります。それぞれの根拠として、

粒子説:直進する。真空を伝わる。
波動説:屈折する。交差する。

というものが挙げられていました。

それでは、このような状況にあった17〜18世紀に、

〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

という理論が登場したら、基準05に照らして疑似科学と見なされたのでしょうか?

576Ken:2020/02/13(木) 21:25:01 ID:AN9ePMUI
>>572
>「矛盾する事象が現実に起きるかも知れない」などという信仰だか仮説だかを基にするなら、科学的推論など成立しません。言葉尻だけでどう貶めようとも、世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

diamonds8888xさんへの回答になるかどうかは分かりませんが、私の見解を述べます。ただし哲学的な話をしようというのではありません。

最も端的な例を挙げます。もしこの世界が、リチャード・ティレルが言うような、仮想世界だったらどうでしょうか?

私自身は、世界がシミュレーションだと示す根拠があるとは思いませんし、「量子はピクセル」というティレルの主張は、まともな情報技術者なら一笑にふすと考えます。

一方で、シミュレーションである可能性を否定する根拠もありません。なにしろ今の私たちは、コンピュータが作る仮想世界も、自己判断能力を有する人工知能も、日常的に目撃しているのですから。その現実性が確立されている以上、私たちの世界がシミュレーションで、私たちがAIという可能性もあるでしょう。

そして仮想世界を支配する法則は、システム設計者やプログラマが頭の中で考えたものです。であれば、設計者やプログラマが「全知全能」でない限り、一切の矛盾を排除した完全無欠な法則など構築できるものではありません。

私は仮想世界のプログラムを作った経験はありませんが、自分たちが開発するシステムがクレージーな、それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、原因を調べた結果、まぬけすぎるミスを発見して、開発チームが爆笑した経験はいくつもあります。(開発段階だから爆笑できるので、納品後に発生したら笑い事ではすみません。)

上のような可能性を認めるのなら、科学、つまりこの世の真実を追求する切り口として、世界を支配する法則に矛盾を捜すのもあり、と考えます。言い換えれば、私たち自身がプログラムなら、このプログラムは自己デバッグ機能を有するということで、これまた私たちの周囲ではありふれた情報技術にすぎません。そしてもし矛盾を見つけたら、それを解消する理論はあるかもしれないし、ないかもしれない、ということです。後者の場合にはプログラムを修正する、つまり法則を変更しないと矛盾は解消されません。


この投稿は、最初に挙げた問いかけがあったから回答しました。既述したように、世界を支配する法則に矛盾はない、という立場をdiamonds8888xさんが表明されるのでしたら、本スレッドで反論することはありません。

577ミケ:2020/02/14(金) 21:11:19 ID:njCnaWyw
シュレディンガーの猫はシュレディンガーによる思考実験。

量子力学的な解釈をすれば、この思考実験で
猫は生きてもいるし死んでもいる状態になると予想される。
【だから量子力学の記述には何か足りないのではないか】
という問題提起なんですよね、この思考実験は。

まさしく
「Pかつ¬Pが予想されるから理論がおかしい」という論理。
すなわち、
>>561でゲジゲジさんの説明されている
「科学者はPかつ¬Pを受け入れない」という実例なんですよね。

まあdiamonds8888xさんが「科学は矛盾を仮定しない」
とおっしゃればそのまま納得されるようですから
一足遅かった感。

578diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:06:46 ID:Gq4AsGDc
>>576
>最も端的な例を挙げます。もしこの世界が、リチャード・ティレルが言うような、仮想世界だったらどうでしょうか?

 「哲学」の範囲をどう認識しておられるのか不明ですが、こういう想定をするのが、まさしく哲学的思考です。Kenさんがここまで考えるくらいに柔軟、というか幅広い思考をする人だから、私も哲学的思考に踏み込むこともあるのです。

 もしかして、こういう想定が普通の科学的思考の範囲だと思いこんでるのでしょうか?

>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、

 これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

>後者の場合にはプログラムを修正する、つまり法則を変更しないと矛盾は解消されません。

 ここでいう矛盾も「P∧¬P」ではありませんよね?
 どちらかというと「整合性がない」「秩序がない」くらいの意味ではないのですか? 「法則が都度変化する」なのかな? 「時刻t1にはPだったけど、時刻t2には¬Pだった。矛盾だ。」くらいの意味かな?

>なかなか私の意図が伝わらないようです。

 要するにKenさんが使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広い、というだけだと思うのですが?

579diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:13:18 ID:Gq4AsGDc
>>574
 やはり生兵法の匂いが。いや、これくらいの生兵法は相当勉強した人でも当たり前のようにも思えますからKenさんが特に頭が悪いとかでは全くないはずです。少し前の私自身だって危ないもんでしたから。日常のマクロ感覚を振り切るのはそれくらい難しいことです。

>この場合も電子を観測すればどちらを通ったか分かるのは銃弾と同じです。電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

 それなにか誤解してますよ? 電子を蛍光板等で検出しただけでは、その電子がどちらを通ったかは区別できません。てか、「区別できる工夫をして観測すれば干渉は消える」というのが最近の様々な工夫のされた光子の2重スリット実験の結果です。詳しくはブログでも紹介しましたからご参考までに。

 「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

>例えば電子がAの穴を通過したときのみ猫が死ぬようにするのです。

 てなわけで、通常はどちらを通ったかは決定できませんが、その場合は死なないんですよね?
 どちらを通ったかを区別できる実験であれば、アルファ崩壊を使うよりも、古典的に近い気がしますよ。その場合は「Aを通ったという結果」と「Bを通ったという結果」とが並立することはありえませんから。

580diamonds8888x:2020/02/15(土) 06:27:29 ID:Gq4AsGDc
>>574,>>579
>>電子の観測方法としてファインマンは光源を配置すればよいと述べています。

> 「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

 まさか、光源から光を発してスリットを通る電子を観測するとかいう話ですか!?
 第1に、それでは電子は光子が当たった瞬間に吹っ飛んでスクリーンには達しませんから干渉縞を作れません。不確定性原理の初期の思考実験のとおりです。
 第2に、もし光子の影響を受けずにスクリーンに達したとしても、すでにどちらかの穴を通ったと判明した以上は干渉縞を作りません。これは理論的にも予想され、かつ最近の実験で確認されたことです。

581diamonds8888x:2020/02/15(土) 17:32:29 ID:R45id5GY
>>575
> 粒子説:直進する。真空を伝わる。
> 波動説:屈折する。交差する。

 えーっと、どちらも光の性質ですよね? 粒子と波とが背反という話にはなってませんが?

> 〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

> という理論が登場したら、基準05に照らして疑似科学と見なされたのでしょうか?

 その理論における波動と粒子の定義によるでしょうね。まあどちらでもあると主張する以上は、その理論の中では背反するような定義にはなっていないでしょうね。ちょうど量子論のようにね。Kenさんの考えだと、「このような状況にあった17〜18世紀」であっても量子論が提唱されれば、それは疑似科学ではないんじゃないのですか?

582diamonds8888x:2020/02/16(日) 05:57:30 ID:R45id5GY
>>575,>>581
 もう少し丁寧に説明します。「このような状況にあった17〜18世紀」というのが具体的には下記が常識である世界のことだとしましょう。[>>573]参照。
   1.波ならば粒子ではない
   2.粒子ならば波ではない

 単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。科学的理論のつもりで提唱された理論ならば、なぜそう言えるのかという部分もついているはずです。つまり、「上記の常識が必ずしも正しくはない」ということを述べた部分があるはずです。そこも含めて妥当か否かという検討がなされるでしょう。

 もっとも往々にして以下のケースが起こりそうですが(^_^)
  ・「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」という部分だけ聞きかじった早とちりの者が頭から否定する。
  ・提唱者も注目を集めるために「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」というキャチフレーズだけ叫んで、結果として無視される。


 量子論を例にとれば、「光子は粒子であり」といっても「古典的粒子の属性をすべて持つ」のではありません。例えば不確定性原理により「厳密に決まった位置と時刻」という属性はなくしています。つまり、互いに背反しない属性を集めた結果、「粒子でもあり波でもある」と言えるのだということです。


 詳しくは私のブログの(2019/12/15)〜(2019/12/30)の「場・波・粒子」と題した記事をご覧ください。

 なおプランクの輻射理論やアインシュタインの光量子仮説の段階では「光は粒子的性質のひとつを持つ」と提唱しただけです。

583Ken:2020/02/16(日) 13:41:10 ID:AN9ePMUI
まず、

>>579
>「光源を配置すればよい」とかいう実験を詳しく紹介してください。

紹介したファインマンの講義(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html)を見てください。なお、先の投稿で私は2つの穴をA、Bと呼びましたが、ファインマンの図に合わせるため、今回は1、2と呼ぶことにします。

まず、普通に電子を発射するだけなら、つまり電子がどちらの穴を通ったか分からない場合は、図37-3のように干渉縞が現れます。次に電子が通過する穴の付近に光源を配置すると、電子が通過した穴の近くで瞬間的な発光が確認されます。図37-4がそれを示しており、この図では穴2に近いAの位置で発光するから、電子は2を通ったことが分かります。そしてこの場合は干渉縞は現れません。そのことはdiamonds8888xさんが>>580で述べておられるとおりです。

ですが私が問題にしているのは光源を置かず干渉縞が現れる図37-3の場合です。ここから猫の生死を判定するまでのロジックを説明すると、

1.干渉縞が確認される
2.ゆえに電子は穴1と穴2の2方向からやってくる
3.つまり1を通る事象と2を通る事象が並立する
(より正確には、1を通り2を通らない事象と、2を通り1を通らない事象が並立する、という意味)
4.電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている
5.ゆえに
 *電子が1を通過し猫が死んでいる
 *電子が2を通過し猫が生きている
という2つの事象が並立する

ということになります。


>>582
17〜18世紀には粒子説と波動説の背反関係は明らかでした。以前に述べたように、これは質量移動の有無という点で、それぞれの定義と直結するものです。例えば、光が、

*指ではじかれた将棋の駒が盤上をすべってゆくようにふるまうのが粒子説
*盤上に立てた駒を多数並べドミノ倒しを起こすようにふるまうのが波動説

ということです。あるいは、こういう言い方もできるでしょう。物体Aから発した光が物体Bに吸収されるとき、

*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説
*AもBも質量に変化がないのが波動説

このように粒子説と波動説を定義すれば、両者が決して混じり得ない背反関係にあるのは明らかでしょう。ただし20世紀にはこの背反関係は崩れました。ですがそこには、>>549の投稿以来何度も書いたように、どうすれば背反関係を否定できるかの具体案(つまり量子力学)がありました。

私自身は19世紀のマクスウェル理論の段階でも、背反関係を否定する具体案はなかったと考えますが、この点は同意いただけないようなので、舞台を18世紀以前に設定します。背反関係を否定する具体案がない条件下で、光の粒子的特徴(直進や真空中伝播)と波動的特徴(屈折や交差)を根拠に、

〜光は粒子でもあり、かつ波動でもある

と主張するのは、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?


>>578
>>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、
>これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

太陽が東からも西からも昇るのは、基準05によって疑似科学と判定される矛盾の例として、diamonds8888xさんが>>568で挙げられたものです。

>・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。

ほかにも、

>・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

という例を挙げた上で、

>Kenさんならこの理論(命題)が現実に起きると思いますか?

というお尋ねがあったので、例えば仮想世界なら起こりうるという回答をしました。

584diamonds8888x:2020/02/16(日) 19:13:46 ID:R45id5GY
【では次に行きますか?】
>>570
> 本スレッドではdiamonds8888xさんの基準に従うと言っておりますが、それでも私の考えを尋ねられるのであれば、

>>576
>既述したように、世界を支配する法則に矛盾はない、という立場をdiamonds8888xさんが表明されるのでしたら、本スレッドで反論することはありません。

 基準05は認めるというこでしょうか? だったら次に進みましょうか? 次は何を議論したいのですか?


【言葉は共通化したいが】
 とはいえKenさんの使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広いという点は認識してほしいですね。そこを認識せずに議論を混乱させないでほしい。[>>578]で指摘したとおりです。


 さらにさんざん書いていますが、媒質のない波については、理論の中に「A:波ならば媒質がある」という命題があるからこそ「B:光は波であるが媒質はない」という命題は「P∧¬P」という結論に至るのです。
 ここで新たに命題Aに替えて「¬A:波でも媒質がなくてもいい」という命題を採用した理論では「P∧¬P」は否定されていません。


 波と粒子の2重性については、例えば「A:波であるものは粒子の性質は何も持たない」という命題のもとでは「波∧粒子」は「P∧¬P」という結論に至ります。しかし「波でも粒子の性質の一部をもつこともある」という仮定さえおけば、その理論では「波∧粒子」は「P∧¬P」を否定しません。実際にプランクの量子論は「光のエネルギーはhνの整数倍に制限される」という仮定を置く理論であり、この性質が粒子の属性の一つであると指摘したのがアインシュタインということです。

> なかなか私の意図が伝わらないようです。[>>574]

 Kenさんの意図とは以下のようなものではないのでしょうか? たどすれば完全に同意します。

  上記のAのような仮定は当時の常識から見れば「矛盾とし思えない」ので、
  そのような「矛盾とし思えない」仮定でも謙虚に考慮しなければ科学の発展はない

585diamonds8888x:2020/02/16(日) 19:19:39 ID:R45id5GY
>>583
 説明が不完全なようですが、それからどうなるのでしょうか?
 さらなる推論を期待します。
 (特に「電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている」が具体的にさっぱりわかりません)

 なお[>>584]ではちょっとした誤植がありましたが御容赦のほどを。

586Ken:2020/02/16(日) 21:46:55 ID:AN9ePMUI
>>585
>特に「電子が1を通る場合のみ猫が死ぬように実験装置がセットされている」が具体的にさっぱりわかりません

そうですね。たとえば、荷電粒子が通過するときのローレンツ力を利用して毒ガス発生装置を起動してはどうでしょうか?

シュレーディンガーの元の提案で利用されるアルファ線の代わりに電磁気的な力を使うわけです。

>>584
>基準05は認めるというこでしょうか? だったら次に進みましょうか?

その前に、私の質問への回答をお願いします。

*シュレーディンガーが提案する条件下で、猫は死んでいる、かつ猫は生きている
*18世紀の知識体系の中で、光が粒子であり、かつ波動である

と主張することは、基準05に照らして疑似科学と判定されるのでしょうか?

587diamonds8888x:2020/02/17(月) 06:06:09 ID:ibdvppDM
>>586

> その前に、私の質問への回答をお願いします。

  [>>581,>>582]。見逃すなんて、いくらなんでもウッカリすぎませんか?

> そうですね。たとえば、荷電粒子が通過するときのローレンツ力を利用して毒ガス発生装置を起動してはどうでしょうか?

 ポイントは「2重性」やKenさんが認識するところの「干渉が起きること」を妨げずに「電子が1を通る場合」を観測しないといけないということです。さもないと、遅くとも毒ガス発生装置を起動した時点では重なり状態は消えてしまいます。

 まあ厳密に言えばこの解釈はwiki「シュレジンガーの猫」で「現実的推論および実用的理論」や「量子測定理論」などの解釈に従った場合ですけどね。

 意味不明ならもっと勉強してから議論するか、無理ならこのスレッドで量子論を持ち出すのはやめてください。少なくとも私のブログで紹介したあたりをざっとでも読んでからですね。でなきゃ、やっぱり生兵法としか評価できません。

 ついでに言えば私も自分が理解するだけで手一杯で、自分の唯一の納得感に固執している素人に説明する余裕はありません。

588Ken:2020/02/17(月) 23:21:26 ID:AN9ePMUI
>>587
>見逃すなんて、いくらなんでもウッカリすぎませんか?

見逃したつもりはありませんが。
diamonds8888xさんはこう述べられました。

>>582
>単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。科学的理論のつもりで提唱された理論ならば、なぜそう言えるのかという部分もついているはずです。

なぜそう言えるのかについては、18世紀の人が粒子的特徴と考えていた光の直進や真空伝播、波動的特徴と考えていた屈折や交差が、事象として観察されていたと、何度も述べました。

その一方で、18世紀の人が理解する粒子と波動は、質量移動の有無という点で、完全な背反関係にありました。この点は、

1.波ならば粒子ではない
2.粒子ならば波ではない

と言われたとおりです。

そのような状況下において、光は粒子でもあり波動でもあると主張するのは、基準05に違反するのですか、と尋ねています。

>>587
ここで指摘されたことは、シュレーディンガーの猫について回る問題でしょう。

私はビジュアル的に分かり易くするため、干渉縞を生じる2重スリット実験に変えましたが、元々の原子核崩壊でも同じことです。アルファ線が毒ガス発生装置を起動した時点で、崩壊が起こった状態と起こらなかった状態が並立する2重状態はなくなるという主張がありえます。

ですが、そういうことは当のシュレーディンガーをはじめ、この問題を議論する多くの人も知っていたはずです。それでもなお、

*原子核が崩壊する→アルファ線が放射される→猫が死ぬ
*原子核は崩壊しない→アルファ線は放射されない→猫は死なない

という2つの背反状態が並立するという理論があるわけです。

私は、そのような立場を擁護しているのではありません。ただ、お尋ねしているのです。このような理論を支持する人は、疑似科学に手を染めているのですか、と。

589diamonds8888x:2020/02/21(金) 21:01:15 ID:o9VFfoSU
>>588

【18世紀の件】
>18世紀の人が粒子的特徴と考えていた光の直進や真空伝播、波動的特徴と考えていた屈折や交差が、事象として観察されていたと、何度も述べました。

>その一方で、18世紀の人が理解する粒子と波動は、質量移動の有無という点で、完全な背反関係にありました。

 「光は粒子でもあり波動でもある」との理論をまともに主張するならば、これらの常識のうちのどれかが否定されるでしょう。それだけのことです。

 例えば粒子でも屈折したり交差したりできる仮説、波でも真空伝播できる仮説などが付いているはずです。そこがしっかりしているがどうかで評価が決まるでしょう。
 実際に、例えば波動説の主張者は粒子の特徴とされる観察事実を波動として説明することも含めて提唱していたでしょう? 当然、反論もありましたが、それは互いに不完全な部分もあるというだけで、我々の議論のテーマである基準に合わないというわけではありません。
 それは波動説の主張者も同様で、ならば、例えばいいとこ取り?で「光は粒子でもあり波動でもある」との理論を主張することも可能ではあったはずです。


【猫の生死の件】
> という2つの背反状態が並立するという理論があるわけです。

 いや、理論はありませんよ。ミケさん[>>577]全文参照のこと。
 少なくとも「猫が生と死の混合状態にある」という主張は非科学だし、そう主張する物理学者はいないはずです。「混合状態とは観測されていないときの状態である」というのは大原則ですからね。

590Ken:2020/02/23(日) 08:23:47 ID:AN9ePMUI
>>589
また少し議論が錯綜しているのではありませんか?

理論X=「光は粒子でもあり波動でもある」とします。

もし光の波動性とされる特徴を粒子説で説明できるとしたら、あるいは反対に粒子性とされる特徴を波動説で説明できるとしたら、その結果として理論Xは「必要がない」という結論になるでしょう。

ですが、今、問題にしているのは、理論Xが必要かではなく、理論Xは「P∧¬P」の例であり、よって基準05に違反しているのかということです。そして、Xは「P∧¬P」の例であると私が考えるのは、

粒子説:質量が移動する
波動説:質量が移動しない

という点を根拠にしており、もしXが「P∧¬P」ではないと主張するなら、上の根拠を18世紀の知識体系の中で否定せねばなりません。そういうことが可能ですか、というのが私の問いかけなのですが。


>いや、理論はありませんよ。

ないということはないでしょう。ウィキペディアの記事を参照してください。
en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

理論に反対する人はいますし、この記事ではその代表にニールス・ボーアを挙げています。

一方で、背反状態の並立を支持する人がいるのも記事から明らかですし、そう考える人が後を絶たないから、シュレーディンガーの提唱から80年以上を経ても、論争に決着がつかないのではありませんか。この記事はHugh Everettという人の説を紹介していますが、この人は「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態により具体性を与えるため、パラレル・ワールドを持ち出しているのです。
en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat#Many-worlds_interpretation_and_consistent_histories

ただし、私の目的はこの理論の是非を論じることではありません。この理論が基準05に違反しているのか、を問うています。基準に違反しており、Everettなどは疑似科学者のたぐいである、と言われるのでしたら、このスレッドではそれを受け入れます。

591fnorder:2020/02/23(日) 09:54:04 ID:???
矛盾を含んでいる理論は棄却される。
ある理論についてなんらかの逆説(矛盾)が提示された場合、その理論の支持者は『この逆説は未解決である』(つまり、いずれ解決される)という立場を取る。

シュレディンガーの猫も同じだよね。

592diamonds8888x:2020/02/23(日) 20:00:48 ID:xPPGHYBQ
>>590

>粒子説:質量が移動する
>波動説:質量が移動しない

 波動説でも質量移動は説明できてたでしょ。仮定の話とすれば議論ができるとはいえ、間違った前提を例に出すのはややこしいからやめてほしいですね。質量移動じゃなくて運動量移動が正しいよ、とも指摘しましたしね。

 ま、それはともかく。

>という点を根拠にしており、もしXが「P∧¬P」ではないと主張するなら、上の根拠を18世紀の知識体系の中で否定せねばなりません。

 新理論である以上は18世紀の知識体系のどれかは否定するのは当たり前でしょう? それとも量子論の知見とやらは18世紀の知識体系は否定していなかったのですか? それとも1799年を過ぎれば18世紀の知識体系はもう無視しても構わないとでも? 18世紀の知識体系に反する理論が妥当となる条件とは何だと考えているのですか?


 少なくとも冒頭では理論ではないと書いてありますよ。アインシュタインの発想だったとは初耳でしたが、 [Naturwissenschaften. 23 (48): 807–812]でシュレジンガー本人が書いているのでしょうかね?
「Schrödinger's cat is a thought experiment, sometimes described as a paradox, devised by Austrian physicist Erwin Schrödinger in 1935, though the idea originated from Albert Einstein.[1]」
 理論だと明示している文章を指摘してください。


 今後のささやかなお願いですが、私はKenさんほど英語が得意ではありません。代替できる和文にするか、英文ならばKenさんの説明を付けてください。なんとか訳してみたら既に和文で見慣れた話だったなんて無駄なことはごめんです。しかも微妙な表現の違いで解釈が異なりそうな話題ならなおさらです。

>一方で、背反状態の並立を支持する人がいるのも記事から明らかですし

 どの文章ですか? 読むのは面倒なんで、できれば解説も付けてください。

>この記事はHugh Everettという人の説を紹介していますが、この人は「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態により具体性を与えるため、パラレル・ワールドを持ち出しているのです。

 観測問題ないし量子論の不思議に興味のある人だったら、「Hugh Everettの多世界解釈」なんて今どき知らない人はいませんよ。わざわざ読みにくい英文など読ませないでください。
 「より具体性を与えるため」ではなくて、「矛盾を解消するため」です。つまり「猫は死んでいる、かつ、猫は生きている」という状態を「¬P∧P」ではなくするためです。すなわち「多世界解釈」とて「¬P∧P」は否定しており、基準05には違反していません。
 あー、それから「多世界解釈」も素粒子レベルでの混合状態が「矛盾である」と考えて、その矛盾解消のために理論を提唱しています。猫の生死混合状態を認めているとは限りません。ていうか、量子論でも「猫みたいな巨体質量体での不確定性は小さすぎて観測にはかからない」というのが不確定性理論からの結果ですからね。もちろんそこで、どこまでの質量のものなら観測できるかというテーマはあります。

593Ken:2020/02/23(日) 21:23:02 ID:AN9ePMUI
とりあえず、この点に回答します。それ以外は後の投稿で。

>質量移動じゃなくて運動量移動が正しいよ、とも指摘しましたしね。

まず、>>554>>557で言われたことは古典電磁気学つまり19世紀の知識体系を前提にしておられます。ですがマクスウェル理論の詳細についてはdiamonds8888xさんとの間で合意が難しそうだったので、舞台を電磁気学以前の18世紀に設定しました。

その上で、

>Kenさんが書いた「質量移動[>>537,>>541,>>545,>>551」というのは「運動量を(受け取れる相手に)渡す」という現象を指すのでしょうね。

ちがいます。銃弾のように質量を持つ粒子が移動するという意味です。>>583にて

>物体Aから発した光が物体Bに吸収されるとき、
>*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説

と述べたのはそのことで、光粒子説なら質量をもつ粒子自体が移動する、ということです。

>>557で上記のように言われたとき、ただちに訂正を求めなかったことは謝罪します。

その上で、

*粒子説では質量が移動する
*波動説では質量は移動しない

という前提をくつがえさないかぎり、粒子説と波動説はPと¬Pの関係にあり、よって

〜光は粒子でもあり、かつ、波動でもある

という理論は基準05に違反するのではありませんか、と尋ねています。

594diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:11:31 ID:VxIn8deI
>>590
 英文の件の他に、もうひとつささやかなお願いです。
 薄々お気づきかもしれませんが、私は基本的には公休日以外は書き込み文を作る時間が少ないです。その間に1つの問への応答だけで待っていられても時間がもったいないでしょう。なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
 さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、このままだと埋もれそうです。[>>570]の曖昧さを正したい大切な問なのに。

595diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:26:17 ID:VxIn8deI
>>590
 以下の話が理解できないようなら「波と粒子の背反」を取り上げるのはもうやめてください。私には量子論を正しく伝える力などありません。[>>587]で明言したとおりです。

【19世紀の波と粒子】
 19世紀以前には「光は波でもあり粒子でもある」という理論は存在しません。これはKenさんも「もしそんな理論が提案されたら疑似科学なのか?」という問いかけですから御承知でしょう。

 そして「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論[>>549]」に反するような観測事実があると認識した人もいません。この点についてはkenさんは以下の観測事実があったとだけ述べていました。

1.まごうことなき波動としての特徴 (交差する、屈折する)
2.まごうことなき粒子としての特徴 (直進する、真空を伝わる)

 でも[>>551]では、これらの性質だけでは「光は波でもあり粒子でもある」という理論も可能かも知れないと認めています。実際にそんな結論を出した人は科学史上にもいません。

>ある意味いろいろな解釈が可能な特徴で捉えれば、背反関係が曖昧になり、3を否定することが可能かもしれません。

 そこで以下の性質も上げています。(いいかげんに、用語を変えてくださいね。)
1.まごうことなき波動としての特徴 (質量が移動しない)=>運動量を伝えない
2.まごうことなき粒子としての特徴 (質量が移動する)=>運動量を伝える

 この「放射圧」という観測事実は18世紀には観測されていません。それどころか1が間違いだという理論的予測の後に、その予測が現実に観測されたのです。
-----wikiの記事引用開始-------
物体の表面に電磁波が当たると入射面に圧力が働くという事実は1871年にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって理論的に導かれ、1900年にピョートル・ニコラエヴィッチ・レベデフによって、また1901年にエルンスト・フォックス・ニコルスとゴードン・フェリー・ハルによって実験的に証明された。
--------引用終り---------

 ですのでちょうど19世紀以前は1と2を問題にした人などいませんでした。

 では「光は波でもあり粒子でもある」という考え方はいつ生まれたのかは次の発言にて。

596diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:31:48 ID:VxIn8deI
>>590
 以下の話が理解できないようなら「波と粒子の背反」を取り上げるのはもうやめてください。私には量子論を正しく伝える力などありません。[>>587]で明言したとおりです。

【20世紀の波と粒子】
 1900年、偶然にもちょうど20世紀の始まりにマックス・プランクが、黒体輻射の波長別強度分布を説明する理論として、光のエネルギーが波長に依存する単位エネルギーに量子化されていると仮定すると、うまく実測と一致する理論が作れることに気づきました。ここまでは、なぜかそう仮定するとうまくいくというだけの話です。
 そして1905年にはアインシュタインが光電効果について、光が量子化されていて単位エネルギーでのみやり取りを行うと仮定するとうまく説明できる、という理論を提案しました。そしてさらに一歩踏み込んで、「量子化できるというのは粒子的な性質であり、光には粒子的性質もある」と提唱したのです。むろんこの提唱はいわばイメージを描いたものであり、正式な理論でもなければ何か新しい現象を予測したものでもありませんでした。
 次はハイゼルベルグの行列力学(1925)です。これは波とか粒子とかいう古典的描像を諦めて、物理量を行列として表現することで現象を定量的に計算できるようにしたものです。ゆえにこの理論には波も粒子もでてきません。
 そしてほぼ同時期にド・ブロイの物質波(1924)と、それを受けたシュレーディンガーの波動方程式(1926)が登場します。これは行列力学同様に原子核を巡る電子の状態に関する理論です。

 まとめると「光は波でもあり粒子でもある」という考え方は、1905年にアインシュタインが思いつき、1924年にド・ブロイが正式な理論に取り入れたと言えるでしょう。

 なので、「光は波でもあり粒子でもある」という結論の矛盾が問題となってくるのは20世紀以降の量子論の内部での話です。その詳細は本スレッドで扱うにはややこしすぎるでしょう。具体的にはどの問題が「波と粒子の背反」に絡むと言えるのかという点も明確ではありませんしね。

 ともかく18-19世紀に「波と粒子の背反」が科学理論上の問題になっていて、それが「20世紀の量子論で3が否定されました[>>549]」ということはありません。事実は逆に「20世紀の量子論で波と粒子の背反問題が登場した」ということです。放っておけば背反問題が結論されるという意味では「(適切な仮説を加えない)量子論は矛盾している」と言っていいかも知れません。ゆえに背反を生じさせないための仮定が色々と加えられ、どんな仮定が良いのかという論争が続いている状態だと言うのが正確なところでしょう。

 参考までに、スタンダードとされる理論では収縮する前は波、収縮後は粒子、として背反問題を回避しています。「同時には波と粒子とはならない」ということでしょうね。スタンダードとされるコペンハーゲン解釈では収縮とは何かについては何も言いませんが、多世界解釈は収縮により多世界に分岐するという仮定を付け加えています。以上は進行波が干渉可能に進みつつ、検出スクリーンでは粒子のごとく1点で検出される話を適切に説明しようとします。進行波の干渉という現象ではなくて、原子核内の電子の定常波の核外にまで広がった部分が収縮するのは何時なのか? というのがシュレジンガーの猫の問題なのです。

597diamonds8888x:2020/02/24(月) 17:47:35 ID:VxIn8deI
>>590
【n世紀の知見なんたら】
 史実とは反しますが、以下を仮定して科学理論の問題を考察します。

-------以下、架空の史実(18-19世紀)---[>>549]---------
以下の3点がそろっていた、
1.まごうことなき波動としての特徴 => 観測事実
2.まごうことなき粒子としての特徴 => 観測事実
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論 => 当時の常識
-------   以上、架空  ---[>>549]-------------

 3つとも認めるならば、「P∧¬P」という結論になる => 当然の論理

>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。
   => 当然の論理
    そこで科学者たちは、どれかを否定した理論を提出しようとする。
    そして異なる理論の間で論争が続く。[>>421]ミケさんの全文参照。

>でも19世紀には3点のどれも否定できず
  ** どうせ架空だからKenさんも私も史実は示せませんが、 **
  科学者たちが論争していたとすれば、各理論の提唱者たちは「○は否定できる」と考えて理論に組み込んでいたことでしょう。3つとも認める理論は誰にも相手にされなかったことでしょう。それはまさに基準05に反しているからです。

 むろん1か2が間違いではないかとして、理論検討や実験をする科学者もいることでしょう。

 1と2の観測に誤りがないと確信できるならば、ベーコン以来の経験論を取る科学者ならば、3は必ず間違っていると考えて、どこがどう間違いなのかを必死で考えることでしょう。うまい理論を誰も思いつけなかった場合には「19世紀には3点のどれも否定できず」という歴史になるし、例えば1860年頃に一人の天才がうまい理論を思いついたとすれば「19世紀の天才○○がそれまでの常識を否定する画期的新理論を提唱した」という歴史になるのです。

 仮にこの画期的理論を「量子論」と名付けましょう。「量子論」は当然ながら19世紀の知見である「波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を否定しています。19世紀中だけどね。
 「20世紀なら量子論の知見により3は否定できる」とかふざけないでください。現実の歴史での「量子論」のきっかけがたまたま1900年のプランクの量子仮説だっただけでしょうに。


>量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。

 そうですか、具体案ならいいんですね。上記の科学者たちが提唱する理論が「具体案」ではないはずがないでしょう。具体案じゃない理論というと、例えばアインシュタインが正式な理論としてではなくイメージとして述べた光の場の中に粒子があるイメージとか。そりゃあ「具体案」ではない理論では相手にされませんよね。だから各人は頭を絞って「具体案」を考え出そうとしますよね。最初はイメージ的アイディアに過ぎなくても、それをまともな理論に練り上げるまでは正式な論文にはしないでしょう。

598diamonds8888x:2020/02/24(月) 18:55:30 ID:VxIn8deI
>>590
 これが一番大事なことだったのに真っ先に投稿するのを忘れてしまいました。

【矛盾と基準05】
 矛盾する理論は否定されるのは科学のみならず理論というものの大前提です。矛盾を含む理論など、それこそ矛盾そのものです。

>>546 >>545
そうですよ、「妥当な科学的理論」としては存在しません。けれど、その存在しないはずの理論を間違えて主張してしまう人は存在しえます。

>>562 :fnorderさん
普通我々は、『自然や宇宙において矛盾など存在し得ない』という前提を置いています。
これは基本的な前提なので、根拠があるわけではないんですよね。
>>591 :fnorderさん
矛盾を含んでいる理論は棄却される。

>>572【論理と物理との関係】
 しかし、論理法則に従っていない結論が科学的に正しいと認められないのは明らかです。
 世界は合理的にできているという想定の下で推論を行うのが科学的方法です。

>>568
喜んで明示的な表明をします。てか、科学的態度としては当たり前でょ。それを「信仰」と呼ぶということはKenさんは「論理的に矛盾する事象が現実に起こりうる」と考えてるのですよね? 普通はその考えは非合理的と呼ばれますよ。

【言葉だけの矛盾】
>>584 【言葉は共通化したいが】
Kenさんの意図とは以下のようなものではないのでしょうか? たどすれば完全に同意します。

  上記のAのような仮定は当時の常識から見れば「矛盾とし思えない」ので、
  そのような「矛盾とし思えない」仮定でも謙虚に考慮しなければ科学の発展はない

>>578
要するにKenさんが使う「矛盾」の意味の範囲が「P∧¬P」よりも広い、というだけだと思うのですが?

>>421 :ミケ :2019/06/12(水) 02:37:49 ID:6UZWK5Gs
  AさんにもBさんにも論理的矛盾はありません。
    〜
  「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
  Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

>>577 :ミケ :2020/02/14(金) 21:11:19 ID:njCnaWyw
シュレディンガーの猫はシュレディンガーによる思考実験。


----以上、既にのべたことで十分のはず---

 要するにKenさんが使う「矛盾」は論理法則上の「¬P∧P」ではなくて「矛盾とし思えない」命題に過ぎません。そのような独自用語にいつまでも固執せず、「¬P∧P」は本来通りの意味にだけ解釈してください。
 なんてえと[>>567]の疑問が出るのでしょうが。

>それにも関わらず、基準05のような論理法則が持ち出されるのは、論理法則によって否定される科学理論は、それだけで誤った理論または疑似科学と判定するべきということでしょうか?

 そのとおりです。納得できなくても、それがスタンダードな科学的方法論です。言葉通りに基準05はそんなものだと受け入れればいいでしょう?

 18世紀だか19世紀だかの知見とかの話はまた別発言にて。

599diamonds8888x:2020/02/24(月) 20:06:40 ID:VxIn8deI
>>593,>>583
【矛盾の件】
>>578
>>>それこそ太陽が東からも西からも昇るのに匹敵するような動作を起こし、
>>これは別に「P∧¬P」ではありませんよね?

>太陽が東からも西からも昇るのは、基準05によって疑似科学と判定される矛盾の例として、diamonds8888xさんが>>568で挙げられたものです。

 ああ、マザーグース的やつですね。この例は1個の太陽が同時に東からも西からも昇る、という意味で言っていますよ。ちょうど量子論の不確定性で2つの場所に同時に質点が存在するようにね。シミュレーション世界で実際にそんなことが起きたのですか? 「〜に匹敵するような」だけであって本当のP∧¬Pではないでしょう? そこをしっかり区別してねというのが[>>598]のお願いなんですよ。
 いうまでもなく太陽のような巨大質量の物体が東と西のような遠距離に同時存在などは量子論でも起こりませんよ。

>というお尋ねがあったので、例えば仮想世界なら起こりうるという回答をしました。

 だからどんな現象ですか、それは。言葉だけならマザーグース的たわ言はいくらでも言えますよ。貫いて∧貫かない、なんてありえないでしょうよ? 「P∧¬Pに匹敵するような」と「P∧¬P」との間には「ほとんど無数の数」と「数学的無限ω」との間のような絶対的な壁がありますよ。


【波と粒子が背反する属性】
>私自身は19世紀のマクスウェル理論の段階でも、背反関係を否定する具体案はなかったと考えますが、

 当たり前です。実際の歴史では背反関係を否定しなきゃいけない理由など1900年まではなかったのですし[>>595,>>596]。私がマクスウェル理論の段階で示したのは横波でも進行方向に圧力を与えるという点です。放射圧の件はまさか同意しないとか言わないでしょうね?

>*指ではじかれた将棋の駒が盤上をすべってゆくようにふるまうのが粒子説
>*盤上に立てた駒を多数並べドミノ倒しを起こすようにふるまうのが波動説

 これは光とはあまりにかけ離れた比喩にしか見えませんので無視します。

>*Aの質量が減り、Bの質量が増すのが粒子説
>*AもBも質量に変化がないのが波動説

 了解しました。で、18世紀にはこれに関してはどんな観測から何がわかっていたと言うのですか? 18世紀の精度では変化があったのかなかったのか識別しにくいと思えますが、18世紀の科学にどんな影響があったと仮定するのですか? どうせ架空の歴史になりそうですから。

600Ken:2020/02/24(月) 23:55:48 ID:AN9ePMUI
一度に多量の投稿をされましたが、とりあえず最も気になる点を挙げます。これはもう、意見が異なるというより、そもそもメッセージが伝わっていないように見えますから。

>>595
>そこで以下の性質も上げています。(いいかげんに、用語を変えてくださいね。)
>1.まごうことなき波動としての特徴 (質量が移動しない)=>運動量を伝えない
>2.まごうことなき粒子としての特徴 (質量が移動する)=>運動量を伝える
>この「放射圧」という観測事実は

>>593の投稿を読んでもまだ「運動量」と言われますか? 「質量」と何度も繰り返しているのに。ここで言ってるのは「放射圧」の話ではないのです。

ニュートンは光粒子説を唱えましたが、ニュートン力学における「粒子」とは、大は天体から小はリンゴまで、質量を持ち、力を加えると加速される(F=ma)存在でした。そのような粒子の非常に微小な集団が空間を飛ぶのが粒子説です。

一方で、電磁気学以前に認識されていた「波動」とは、水面の波紋、弦の振動、音などで、媒質を成す物質はその場で振動するだけで、どこへも行きません。光波動説とは、正体不明の「エーテル」を想定しましたが、エーテルもまた音を伝える大気と同様に、それ自体は移動しないものでした。

それゆえに、粒子説は質量が移動し、波動説では質量が移動しない、と言い続けています。しつこいと思われるかもしれませんが、この点をクリアしないと先へ進めません。

601diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:07:13 ID:ORFugYlA
>599

 お互い時間差でちと行き違ったようですね。

「了解しました。で、〜[>>598]」を御参照ください。
 なお質量が移動というのは通常は別のものに変身してしまう現象と考えられますが、具体的にどんな観測事実かがわからない、というのが[>>598]で示した疑問です。何を出そうが架空の歴史の話にしかならないと思いますが。

602diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:19:58 ID:ORFugYlA
【最重要の話】
[>>598]をもう少し。ともかく最重要なので。実は[>>597]にも関連しますが。

 1. P∧¬P
 2. a)P∧Q b)Q⇒¬P c)P∧¬P {aとbからの推論結果}

 Kenさんは1の事例については「一般的すぎて、同様の例はすべて基準05でアウトになるように思われます[>>570]」と認めているにもかかわらず、2の事例だけ出して来ています。1と2は全く違うでしょうに。最低限、1と2の違いを理解していただかないと、もう他の話なんてできません。

 もしも2のような事態が生じれば、前提であるaまたはbのどちらかは間違いだという結論になります。cという矛盾が推論結果として生じたからです。
 形式論理に沿って言えば、a∧b⇒c(矛盾)、まで推論したら次に、ゆえに「¬(a∧b)」すなわち「¬a∨¬b」と推論できるわけです。これが2の推論を最後まできちんと行った結果になります。

 それをaもbもn世紀の知見だから当時の人にとっては変えられない真理だとか言ってたら科学は一歩も進歩できませんよ。何世紀だろうが、当時の知見を疑い、それとは異なる理論を提出した人間が科学を進歩させてきたのです。その努力がいつ実を結ぶかは別としてですよ。
 当時の人が認めるべきなのは「P∧¬Pでもいい」ではなくて「aまたはbのどちらかは間違い」という最終結論です。


 1が抽象的だから科学理論に使えないって? 1のPに具体的命題を入れればいくらでも具体的例が作れます。論理式というのは、これら無数の具体例をまとめて示したというだけのものです。現実に矛盾がない、という言葉は、1のPに具体的命題を入れた全ての具体的例は現実には成り立たない、と言っているのであり、十分に具体的なことを言っているのです。
 「論理法則というのは【あらゆる推論過程に適用される法則】[>>572]」も同じことを言っています。

603diamonds8888x:2020/02/25(火) 06:25:57 ID:ORFugYlA
>>600,>>601
 返信先を間違えましたね。失礼しました。
 それと、質量の件、読み違えたようです。これも失礼しました。私流に表現させていただくと、

 粒子:運動するとき、それ自体の質量が移動する
 波動:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する

 これだと「質量を持つ媒体を進行する波動」限定の違いになりますね。そこは御注意を。
 [>>597]の結論に影響はありませんが。

604Ken:2020/02/26(水) 21:54:02 ID:AN9ePMUI
>>603
質量移動のことで合意できたのは大きな前進で、これで議論が進むでしょう。ただし慎重に、1ステップずつ進めます。まず>>590にならって、

理論X=「光は粒子であり、かつ、光は波動である」

と定義します。そして、もし理論Xが正しいなら、

理論Y=「光は質量を移動させる、かつ、光は質量を移動させない」

という結論が得られます。そして、この理論Yは、>>568で挙げられた

・太陽は東から昇る。かつ西から昇る。
・この矛はどんな盾でも貫ける∧この盾はどんな矛にも貫かれない

と本質を同じくする基準05違反、マザーグースのたぐいですよね。

ということは理論Xもまた基準05に違反するということでよろしいですか?

私が問い続けていたのはその点なのですが。

605diamonds8888x:2020/03/02(月) 06:12:45 ID:YFIIK6Zs
>>604
> 理論X=「光は粒子であり、かつ、光は波動である」
> と定義します。

 つまり、これ以外には何も言っていないということでよろしいですね?
 ならば既に[>>582]で答えたとおりです。

 ==>単に「光は粒子でもあり、かつ波動でもある」だけでは誰も相手にしません。

> ということは理論Xもまた基準05に違反するということでよろしいですか?

 違反します。上記の条件ではね。
 [>>582]で答えたとおり、上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。他の仮説も同時にない限りは。

 あとは[>>582]もちゃんと読んで、その意図を読み取ってくださいね。

606Ken:2020/03/04(水) 23:03:27 ID:AN9ePMUI
>>605
ここで言われているのは、根拠のないことを唱えるのは正しくない、ということですね。

それは分かりますが、そのことは「P∧¬P」を排除する基準05とは別の問題ではありませんか? いわば「基準」によって選別される前の段階の話でしょう。

光粒子説や光波動説の根拠とされたことは、「直進」「真空伝播」「屈折」「交差」などを挙げてきました。現代の視点では根拠とされないものもあるでしょうし、またdiamonds8888xさんが言われたように、粒子説の根拠とされた事象が波動説で説明されたり、その逆の場合があったかもしれません。

それでも、当時(18世紀)は粒子説、波動説の両方の根拠があると考えた人が多かったと思います。もしすべての事象が粒子説で説明できる、または波動説で説明できるという考えが大勢を占めれば、そこで論争が決着したはずですから。

つまり粒子説にも波動説にも根拠はある。そこで基準05が問題になるわけです。

すこしわき道にそれますが、光の代わりに「血液」を対象に考察してみましょう。ある観察・実験の結果、

〜血液は体内を流れる

という事象が見つかったとします。また別の実験をやったら、

〜血液は酸素を運ぶ

という事象が発見されたとします。すると、ただちに、

〜血液は体内を流れ、かつ酸素を運ぶ

という、両方の観測結果を合わせた主張が可能になるでしょう。ところが光の正体となると、そうはゆきません。粒子であることを示す事象と波動であることを示す事象の双方が認識されていたのだから、血液の例にならえば、

〜光は粒子であり、かつ波動である

という主張がありえたはずです。そうならないのは、粒子であることと波動であることは、両立しない背反関係にあると思われたからです。

つまり、そのような条件の下で、粒子でもあり波動でもあると主張すれば、基準05に違反していたのか、というのが私の問いかけです。

607diamonds8888x:2020/03/07(土) 11:25:40 ID:pKsFXxD6
>>606
 時間不足で単発のみで申し訳ありませんが。

> ここで言われているのは、根拠のないことを唱えるのは正しくない、ということですね。

 私としてはその表現で間違いないし、「根拠のないことを唱えるのは正しくない」のは当たり前だと思いますが、「根拠」の範囲がKenさんは私の解釈より狭いような気がします。

> それは分かりますが、そのことは「P∧¬P」を排除する基準05とは別の問題ではありませんか?

 同じ問題です。ある理論が正しいことの「根拠」には、妥当な推論のみが使われているということも含まれます。

> いわば「基準」によって選別される前の段階の話でしょう。

 前とか後とか、意味がわかりません。その理論が「根拠」とするものを含めて考えなければ、「基準」に一致するか否かの判断もできません。

608Ken:2020/03/07(土) 21:24:34 ID:AN9ePMUI
>>607

どうも、まだ私の文意が伝わらないようですが、周辺説明はともかく、具体化した問題に回答していただければ、よいと思います。

舞台を18世紀に設定すると、

1.光粒子説の根拠があった(だから光粒子説が主張された)
2.光波動説の根拠があった(だから光波動説が主張された)
3.粒子と波動は背反関係にあった(だから粒子でもあり波動でもあるという説は主張されなかった)

という条件がありました。その条件下で、

〜光は粒子であり、かつ波動である

という主張は基準05に違反するのでしょうか?

609diamonds8888x:2020/03/09(月) 05:41:04 ID:C4rTQE1M
>>606,>>604,>>608
>どうも、まだ私の文意が伝わらないようですが、

 はい、さっぱりわかりません。

>という主張は基準05に違反するのでしょうか?
> つまり、そのような条件の下で、粒子でもあり波動でもあると主張すれば、基準05に違反していたのか、というのが私の問いかけです。

 はっきり違反すると明言していますが、何が問題なのですか? 「周辺」て何を指すのか意味不明です。

 [>>605]の何がひっかかるのですか?
> [>>582]で答えたとおり、上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。他の仮説も同時にない限りは。

 で、まあ、他の仮説として可能性のあるひとつとしては例えば


>もし理論Xが正しいなら、〜 理論Y=「光は質量を移動させる、かつ、光は質量を移動させない」〜という結論が得られます。

 という推論を否定できるような仮説が考えられますね。


 なお、「○○は(同時に)波であり、かつ粒子でもある」という理論は現代でもないようです。
 量子論は脇道ですから、これ以上は書きません。

610Ken:2020/03/10(火) 22:36:02 ID:AN9ePMUI
>上記のキャッチフレーズだけ唱えるのでは、気違い扱いさえされずに無視されるだけでしょう。

なんだか私が、根拠もなにもない妄想のたぐいを語っているように言われますが、どうか思い出してください。光粒子説も光波動説も、それぞれ根拠とみなされる事象が観測されていたのですよ。そして>>606で血液を例に説明したように、ある考察対象(この場合は光)が示す特徴が2つ(この場合は粒子性と波動性)ある場合には、その対象が2つの特徴をあわせ持つと考えるのは真っ当な推論ではありませんか。それがつまり、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

というものです。真っ当な推論であれば、気違い扱いも無視もされませんし、もしその理論を否定するなら、否定する側に否定の根拠を示す責任が生じるはずです。

その否定の根拠がつまり基準05ではないのですか? 粒子であることと波動であることは両立し得ないPと¬Pの関係にあったのだから、「P∧¬P」を排除する基準によって否定されるのではないでしょうか?

そのような論理のステップをふんで理論Xを疑似科学と判定する、というのであれば論旨の筋が通りますし、diamonds8888xさんの論旨がそこにあるのなら、議論のこの段階はクリアできるでしょう。

611diamonds8888x:2020/03/16(月) 05:52:01 ID:WZVjBBRA
>>610
>なんだか私が、根拠もなにもない妄想のたぐいを語っているように言われますが、

 そんなことは言ってません。「上記のキャッチフレーズだけ唱える」のはKenさんではなくて、理論Xを唱える架空の人物なのでしょうから。

>ある場合には、その対象が2つの特徴をあわせ持つと考えるのは真っ当な推論ではありませんか。

 それを考慮する理論なら、「上記のキャッチフレーズだけ唱える」だけの理論ではありません。その真っ当な推論から矛盾が導かれないように、つまり基準05に反しない構造の理論にしてから唱えているでしょう。例えばの例とすれば、それは架空の人物の考えることなので私にはわかりません。でも可能な構造のヒントならば、これまでの私の発言やブログに散々書いてあります。
 [>>609]にも書きました。=>「で、まあ、他の仮説として〜考えられますね。」


 なお、例えば粒子論者ならば、「光波動説の根拠とされる観測事実を粒子説で説明する」という理論をも唱えているはずです。むろんそこには本当は矛盾があるかも知れなくて、波動論者はその矛盾を探そうと知恵を絞って論破しようとするでしょう。

 そしてこれは波動論者も同じことで、「光粒子説の根拠とされる観測事実を波動説で説明する」という理論をも唱えているはずです。対して波動は〜以下同文。

 実際の歴史では、光の干渉性が確認されると、こればかりは粒子説では説明できずに波動説に軍配が上がりましたが。

612diamonds8888x:2020/03/16(月) 05:54:09 ID:WZVjBBRA
【他の読者へ】
 何をわかりきったことに日数かけてるんだと考える方々もおいででしょうが、随分と基本的な部分で言葉か概念か推論というものの認識だかが異なっているようで、まさに哲学にずれがあるもようです。数学基礎論の例にもあるように、基本的な部分ほど難しいことも確かです。Kenさん自身は、このような食い違いこそがまさに科学哲学の分野だという認識がなく、「哲学=形而上で科学に関係ない」という認識から抜けられないようで、御自分の感覚がスタンダードと違うことがまだ信じられない御様子なので。

 「言葉の定義が違うんじゃないの?」という提言に全く無反応というのがねえ。[>>604]では理論と結論をごっちゃにしていて後の推論の混乱が透けて見えますけど、まあ私が意を組むことにしてます。

 さて[>>604〜]では、矛盾する結論だけ叫ぶ理論が基準05違反かという問に私が肯定したにもかかわらず、しつこく確認しています。思うに・・。まず私やスタンダードな考えなら・・。

 1) 推論で矛盾が生じれば、その理論は間違い。まして最初から矛盾を主張する理論は1次スクリーニングで消える。
 2) まともな科学者なら、矛盾する命題だけの理論を提唱するはずがない。
 3) ゆえに矛盾を消すような仮説をも並べて提唱しているはず。

 というわけで、[>>602,>>609]等で3)まで含めて書いているのですが、それが却ってわかりにくかったもようです。つまりKenさんにとっては2)までも考えが進んでおらず1)の確認を「慎重に1ステップずつ」進めたいらしい。

 このように基礎的な部分で慎重に進めるのは、まさに科学哲学の態度であり、結構おもしろい考察につながる気もします。もちっと他の考え方を理解する気になれば、よき科学哲学者になれそうな気もしますがねえ。いやむろんアマのですけど。

----------
 ところが[>>610]では2ステップ目[上記の2)]に入り込んでいたようです。既に他の命題(観測事実も含む)も含めての理論ならば、そこから矛盾が出ない構造になっているはず。矛盾を生むのは以下の命題です。

   粒子:運動するとき、それ自体の質量が移動する
 波動:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する

 ゆえに矛盾を消す理論の可能性としては、以下の2通りの道があります。
   光波動説の根拠とされる観測事実からは上記は推論されない。
   上記を否定する。つまり粒子や波動という概念の範囲を広げる。

 実はどちらも同じようなことで、ブログ「3種の波[2019/12/19]」周辺で書いていることです。

============
 なお、「○○は(同時に)波であり、かつ粒子でもある」という理論は現代でもないようです。この点は私もこれまで考えが曖昧だったのですが、スタンダードな量子論の解釈では
  ・量子は伝播するときは波である(波動性を持つ)、つまり干渉する。
  ・量子は検知されるときは粒子である(粒子性を持つ)、つまり定時定点で検知される
 とされています。ていうか、これは観測事実です。いや「伝播するときは波」を観測事実とするのは個人的には二の足を踏みますが。

 そしてコペンハーゲン解釈では、ある時点で波動が収縮して粒子として観測される、と解釈されます。というか、仮定されています。これをすなおに読めば、「(同時に)波であり、かつ粒子でもある」ということはないのです。

 なお、現代でも通用する波と粒子の違いについては節操のない者さんの記事が参考になりました。
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality.html]
  粒子  空間の1点に局在している
  波   空間に拡がっている
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality_terrible.html]
  狭義の粒子性 1点に存在する性質
  広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性

613Ken:2020/03/18(水) 23:31:51 ID:AN9ePMUI
>>611より引用。
**********************************************
それを考慮する理論なら、「上記のキャッチフレーズだけ唱える」だけの理論ではありません。その真っ当な推論から矛盾が導かれないように、つまり基準05に反しない構造の理論にしてから唱えているでしょう。例えばの例とすれば、それは架空の人物の考えることなので私にはわかりません。でも可能な構造のヒントならば、これまでの私の発言やブログに散々書いてあります。
 [>>609]にも書きました。=>「で、まあ、他の仮説として〜考えられますね。」
**********************************************

私が「真っ当な推論」と言ったのは、観測事象だけを見れば、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

というのは、>>606で例に挙げた「血液は体内を流れ、かつ酸素を運ぶ」と同種の推論という意味です。

もう一度繰り返しますが、私が求めるのは>>541で挙げた

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

の3条件を受け入れた上で理論Xを判定することです。diamonds8888xさんが3条件に疑義を持たれていることは承知してますが、3条件すべてを受け入れるのが18世紀の主流だったことは、光の正体に関する論争が継続した事実が証明していると思うのです。もし3条件の1つでも否定する見解が大勢をしめれば、そこで論争が決着したはずですから。

例えば、もし1が否定され、波動的特徴と考えられた事象を粒子的特徴と見なせるなら、光粒子説が受け入れられて論争が終わるはずです。2が否定された場合はその反対で、光波動説が定説となります。

もし3の背反関係を否定する具体案があれば、それこそ理論Xが受け入れられて論争が決着したでしょう。観測事象としては、粒子性と波動性の両方があったのですから。

つまり、3条件のそれぞれを否定する考えがたとえ現れたとしても、広汎な支持を集めることはなかった。論争が何世紀も続いたことがその証拠だと思います。

ですから、そのような、3条件をすべて受け入れている人の立場に身を置いて、理論Xに基準05を適用したらどうなるのか、というのが私の問いかけなのです。その場合に理論Xは疑似科学と判定されるのでしょうか?

614diamonds8888x:2020/03/23(月) 04:49:10 ID:7AQSJFM2
>>613
 なんとか食い違いのポイントが見えたのでお答えしましょう。

>3条件すべてを受け入れるのが18世紀の主流だったことは、光の正体に関する論争が継続した事実が証明していると思うのです。

 ここが違います。3条件すべてを受け入れた理論など提唱されていません。3条件の一部だけを受け入れた理論が複数あって、それらの間で論争が継続した、といのうが正確な事実です。3条件すべてを受け入れた理論が提唱されたと言うなら具体的に示してください。

>もし3条件の1つでも否定する見解が大勢をしめれば、そこで論争が決着したはずですから。

 大まかに言えば、1を肯定し2を否定する理論(波動説)と2を肯定し1を否定する理論(粒子説)との論争が継続していたのです。それはKenさんも御存知でしょう? 18-19世紀において3を肯定する理論は、私は寡聞にして知りません。もしあれば御教示ください。

 もちろん論敵の方は「○を否定するのは矛盾を生じる」などとして論争していたのでしょうが。

615Ken:2020/03/24(火) 22:50:30 ID:AN9ePMUI
diamonds8888xさんが言われるように、波動説の根拠とされる事象を粒子説で説明した人がいたとして、もしくはその反対のことをした人がいたとして、問題はどちらの側も大多数の人を納得させ、論争に決着をつけるほどの説得力をもたなかったことです。大多数の人は、粒子・波動どちらの説にも一理あると考えたでしょうし、だから論争が続いたのではありませんか?

ですから、そのような大多数の人の立場に立って、理論Xに基準05を適用したらどうなるのか、という問いかけをしています。

>18-19世紀において3を肯定する理論は、私は寡聞にして知りません。もしあれば御教示ください。

繰り返しになりますが、光の粒子性も波動性も根拠とされる事象が観察されるのなら、論争などやる前に、「光は粒子であり、かつ波動である」という推論がなされてよいはずです。なぜそれができなかったのでしょうか?

できなかった理由は、粒子と波動は背反関係にあると考えられたからではないでしょうか?

以下は余談ですが。

私自身は、何世紀も続いた光の正体論争は、たとえば江戸時代から200年も続く邪馬台国論争みたいなものだったと思います。九州説を唱える人も畿内説を唱える人もそれぞれの根拠を挙げますが、相手の息の根を止めるほどの証明能力はありません。かといって「ヒミコは九州にもいたし、畿内にもいた」なんて理論は現れません。

616diamonds8888x:2020/03/30(月) 05:56:43 ID:pLFmH3C.
>>615
 「大多数の人」とは具体的にどんな人々を想定しているのですか? まあ、以下の考察通り、誰でも同じことですから、これは不要な質問でした。胸に手を当てて考えてみるのは、Kenさんにとって有益だとは思いますが。


 「粒子・波動どちらの説にも一理あると考えた」人々であるならば、その人々は「科学的に妥当な理論」を持っていたり提出したりしたのではありませんよね?

 基準05などはあくまでも「これできちんと説明できるのだ」と称して提出された「特定のひとつの理論」に対して適用して、その「特定のひとつの理論」が科学的に妥当なものかどうかをスクリーニングするための基準です。
 複数の理論が並立している「(社会的?)状態」や「(複数の人々の)状態」に適用するものではありません。

 すなわち基準05などの適用は、「粒子説は妥当なのか?」として適用し、「波動説は妥当なのか?」として適用するものです。

 ましてや「人々」に適用するものではありません。ひとつひとつの「理論」に適用するものです。さらに念の為に言えば、「大多数の人の立場」に適用するものでもありません。[>>615]での「大多数の人の立場」とは「正しいと考えるべき妥当な理論が見つからないという立場」だとしか見えません。

617Ken:2020/03/30(月) 10:07:23 ID:AN9ePMUI
>基準05などはあくまでも「これできちんと説明できるのだ」と称して提出された「特定のひとつの理論」に対して適用して、その「特定のひとつの理論」が科学的に妥当なものかどうかをスクリーニングするための基準です。

もちろんです。そして私は、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という「特定のひとつの理論」が基準05でどう判定されるのか、をお尋ねしています。

618diamonds8888x:2020/04/04(土) 18:22:36 ID:Qix9q/lA
「そのような大多数の人の立場に立って、」という前提条件の意味がわかりませんが?
[>>616]はその前提条件が意味がないことを説明しています。

619Ken:2020/04/04(土) 22:13:00 ID:AN9ePMUI
意味がないということはないでしょう。
私は、観察事実にもとづいた理論を問題にしているのですから。

(1)光には粒子としての性質がある
 観察事実:光は直進する(音のように障害物の背後に廻り込まない)
 観察事実:光は真空中を伝わる
ゆえに
 理論X1:光は粒子である

(2)光には波動としての性質がある
 観察事実:光は屈折する
 観察事実:光は交差する
ゆえに
 理論X2:光は波動である

ゆえに、理論X1と理論X2を合わせて

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という結論を出すのは無意味ですか?
そんなことはないでしょう。

なかにはdiamonds8888xさんが言われるように、粒子としての、または波動としての性質のみがあると考えた人がいたかもしれません。でもそれは一部の人で、両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。そういう人の立場に立って、理論Xを基準05で判定してみてください。

620diamonds8888x:2020/04/06(月) 05:39:06 ID:Qix9q/lA
>>619
>なかにはdiamonds8888xさんが言われるように、粒子としての、または波動としての性質のみがあると考えた人がいたかもしれません。でもそれは一部の人で、両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。そういう人の立場に立って、理論Xを基準05で判定してみてください。

 「両方の性質があると考えた人が大多数だったと思います。」は事実ですか?

 という問いも、今は仮定の話だからどうでもいいですが。答えは決まってるけどね。

 大多数だろうが、一部の天才だろうが、「両方の性質があると考えた人」というのはつまりは「3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を古い常識に過ぎないとして否定したのですよ。

621Ken:2020/04/06(月) 23:30:06 ID:AN9ePMUI
・・・どうしても3条件に納得がゆきませんか?

(1)光粒子説を示す事実がある
(2)光波動説を示す事実がある
(3)粒子と波動は背反関係という理論がある

前にも言いましたが、3条件の1つでも否定する見解が多数の支持を集めれば、そこで光の正体論争は決着したはずなのです。そうならなかったのは、3つのどれも否定できない人が多かったからとは考えられませんか?

否定できたと主張した人でも、本当に堅牢な、たとえば今の私たちが地動説を支持するほどの根拠をもって、否定したとは思えません。それほどの根拠があれば、必ず大多数の人を納得させたはずです。


もう少し具体的に、個別の条件を説明します。

(1)光粒子説を否定できるか?
できません。何よりも光が真空を伝わることが決定的でしょう。私自身は19世紀の場の理論でも媒質問題を解決できないと思いますが、18世紀には場の理論もありませんでした。波動とは質量と弾性をもつ物質が力を伝える現象で、真空を伝わるはずがありません。

(2)光波動説を否定できるか?
これもできません。光同士が交差するのは決定的です。あらゆる所であらゆる方向に飛んでる光がもし粒子なら、衝突して目に映る映像が乱れるはずです。あるいは粒子密度が極端に低いと、衝突の確率も低くなるかもしれませんが、それなら映像の解像度が低下するでしょう。

(3)背反関係を否定できるか?
17世紀のガリレオ、ニュートン、ホイヘンス、フック以来構築されてきた力学体系は、広汎な現象を説明し、何よりも事実を正確に予測し、また工学応用されて、大砲、時計、楽器、船舶、すでに出現していた蒸気機関などの製作に貢献していました。その力学体系によれば粒子と波動は全く異なる現象でした。もし両者の背反関係を否定したいと考えても、どういう理論を構築すればそんなことができるのか、何の具体案もありませんでした。

以上のように、3条件のどれも否定できないという前提のもとで、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

を基準05で判定することはできませんか?

622diamonds8888x:2020/04/13(月) 05:41:02 ID:Qix9q/lA
>>621
> 前にも言いましたが、3条件の1つでも否定する見解が多数の支持を集めれば、そこで光の正体論争は決着したはずなのです。

 決着など着かない方が普通なのに、何言ってるのか意味不明です。
 現代でも、普通の進化理論とクリエイター理論との決着はついていないんでしょ? 一定の人々の心のなかではね。

>そうならなかったのは、3つのどれも否定できない人が多かったからとは考えられませんか?

 そりゃあ、一人の人の心のなかでは粒子説と波動説との間で揺れていた人は多いでしょうね。でも、粒子説は(2)の事実を粒子として説明しようとしていたし、波動説は(1)を波動として説明しようとしていたはずです。もちろん、それらの説明がなかなか苦しいものだったかも知れません。苦しくなくて万人が納得するものであったならば、おっしゃるとおりすぐに決着したはずでしょうからね。
 それは単に、万人が納得する理論ができなかった、というだけです。つまり、光の正体は不明であった、というだけのことです。

> 以上のように、3条件のどれも否定できないという前提のもとで、

> 理論X:光は粒子であり、かつ波動である

> を基準05で判定することはできませんか?

 [>>605,>>609]参照のこと。この前提なら違反するので非科学的理論です。
 そして「だから3条件のどれかは間違っているはずだ」というのが論理的推論になります。

 [>>620]をちゃんと、じっくりと、考えましたか?
> 大多数だろうが、一部の天才だろうが、「両方の性質があると考えた人」というのはつまりは「3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論」を古い常識に過ぎないとして否定したのですよ。

623Ken:2020/04/13(月) 23:11:18 ID:AN9ePMUI
まず、決着しない論争が続いたのは、一般に「専門家」と称される人々のあいだで、進化理論とクリエイター理論の決着がつかない「一定の人々」ではありません。専門家の論争が続いたことはアジモフも語っていますし、diamonds8888xさんが紹介された文献(たとえばwww.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf)からも明らかです。

>粒子説は(2)の事実を粒子として説明しようとしていたし、波動説は(1)を波動として説明しようとしていたはずです。

「説明しようとした」だけで、説明できたとは思えません。そもそも、なぜ、おっしゃるような「苦しい」説明を試みねばならなかったのでしょうか? 光が真空を伝わる事象は粒子として解釈すれば、苦しくもなんともない、すっきりした説明になりますし、交差する現象を波動として解釈するのも同様です。つまり、観察事象を説明するなら、

理論X:光は粒子であり、かつ波動である

という主張が最もストレートではありませんか。なぜ、その理論が多くの研究者に支持されて、論争が決着しなかったとお考えですか?

考えられる理由は1つ。粒子であることと波動であることは、¬PとP、理論Xが基準05に違反するからではないのですか?

基準05の内容を明確に明らかにするために、どうしてもこの点に「YES」または「NO」で答えていただかねばなりません。

624diamonds8888x:2020/04/16(木) 05:51:58 ID:Qix9q/lA
>>623
>という主張が最もストレートではありませんか。

 そうかも知れませんね。でも17世紀の常識には反していたわけです。素直に考えれば最もストレートな理論でも、常識に反するがゆえに受け入れ難かったというのが19世紀以前の科学の歴史上の事実ですよね。

>なぜ、その理論が多くの研究者に支持されて、論争が決着しなかったとお考えですか?

 史実では決着しなかった、という認識ですね? で、決着しなかった理由を訊いている質問なのですよね?

>考えられる理由は1つ。粒子であることと波動であることは、¬PとP、理論Xが基準05に違反するからではないのですか?

 そうですよ。「YES」だと何度も書いていますよ。[>>622,>>605,>>609]参照のこと。
 基準05に従えば「3条件のどれかは間違っているはず」です。
 3条件のどれかひとつを否定した理論であれば基準05には違反しません。

625Ken:2020/04/16(木) 23:08:08 ID:AN9ePMUI
>基準05に従えば「3条件のどれかは間違っているはず」です。

重要な局面なので慎重に行きます。本スレッドで論じるべき問題は、間違っているかどうかではなく

〜基準に違反する疑似科学なのか

という点にあるのですから。その違いを3条件を用いて説明します。

(1)光は粒子である
(2)光は波動である
(3)粒子と波動は背反関係にある

(1)と(2)は、それぞれ科学理論として正しいか、つまり現実を反映しているかが問題になります。それを判定するのは通常の科学の仕事でしょうし、実際にこの2つは論争の対象になりました。

これに対して、基準に違反するとは、現実を反映するかどうか以前に、そもそも科学の態をなさない疑似科学ということですよね。私は、18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

diamonds8888xさんは、理論Xを次のように評されました。

>でも17世紀の常識には反していたわけです。

常識に反する、というだけではいろいろな解釈が可能ですが、ここでは、私が上で述べたような、論争の対象にすらならないこと。つまり本スレッドでいうところの疑似科学で、理論が正しいか、現実を反映するかとは、別次元の問題と考えてよそしいですか?

626ゲジゲジ:2020/04/21(火) 01:59:23 ID:KJHm7qsI
diamonds8888xさまへ。
久しぶりにヨコからですが、ちょっと色々と混乱しているように感じます。
今一度、整理した方が良いように思われます。

[A]
 (1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実
 (2)光は波動の特徴を持つ → 観察事実
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

[B]
 (1)光粒子説の根拠がある → 観察事実からの解釈
 (2)光波動説の根拠がある → 観察事実からの解釈
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

[C]
 (1)光は粒子である → 理論
 (2)光は波動である → 理論
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 理論

[A]〜[C]がゴッチャに扱われているように感じます。Kenさまが仰るように重要な局面ですから、ここは慎重に、きちんと区別した方が良さそうです。

さて、[A]の(1)と(2)は観察事実ですから、18世紀であろうと19世紀であろうと、誰もが認めざるを得なかったでしょう。そして[A]の(3)は、やはり誰もが認めざるを得ない「常識」でした。

問題は次です。
例えば[A]の(1)から[B]の(1)が導けるでしょうか?
つまり「光は粒子の特徴を持つ」という観察事実は、それだけで「光粒子説の根拠」と言えるでしょうか?
実は言えないのではないですか?
なぜなら「光は波動の特徴を持つ」事も観察されていて、「粒子と波動は背反関係にある」とされているので、(2)か(3)を否定しなければKenさまが言う理論X「光は粒子であり、かつ波動である」になってしまって、基準05に違反するから。
だから[A]の(1)「光は粒子の特徴を持つ」だけでは「光粒子説の根拠」としては不十分で、もしそれだけを根拠に「光は粒子である」という理論を提唱したならば、「根拠もなにもない妄想のたぐいを語っている(>>610 参照)」ように扱われてしまうのではないでしょうか?

具体的に言うと、「光粒子説の根拠」とするためには(1)「光は粒子の特徴を持つ」事の他に、以下のいずれかが必要だったはずです。
 (2-1)光は波動の特徴を持つというのは観察器具の不備や手順のミスによる誤りである。(観察事実(2)の否定)
 (2-2)光は波動と同じ特徴を持つが、波動そのものではない。(観察事実(2)は認めて光波動説の根拠は否定)
 (3-1)媒質が移動する波動もあり得る。光は粒子であり、媒質が移動する波動である。(粒子と波動の背反関係を否定)
 (3-2)媒質が移動しない粒子もあり得る。光は媒質が移動しない粒子であり、波動である。(粒子と波動の背反関係を否定)

勿論、単に「基準05に違反しないように」という理由だけでこれらを主張したならば、それはまた「根拠もなにもない妄想のたぐいを語っている」と扱われてしまうでしょう。これらを主張するには、別途これらを示唆する観察事実の根拠が必要です。
そして実際に行われたのは(2-2)で、光は粒子であるとしながら、波動の特徴も持つ事を説明しようとする仮説が提唱されたわけですが、しかしそれは、対立する光波動説派を納得させるだけの説得力を持たなかったのでしょう。

光波動説の方も同様です。
(2)「光は波動の特徴を持つ」だけでは「光波動説の根拠」としては不十分で、(1)か(3)を否定しなければ基準05に違反します。
実際に行われたのは、光は波動であるとしながら、粒子の特徴も持つ事を説明しようとする仮説が提唱され、しかしそれは、対立する光粒子説派を納得させるだけの説得力を持たなかったのでしょう。
だから論争になったのです。

整理すると、[A]の(1)(2)(3)は恐らくほとんどの人が全てを認めていて、その上で[B]と[C]の(1)(3)を肯定して(2)を否定する仮説(粒子説)と、(2)(3)を肯定して(1)を否定する仮説(波動説)との論争が続いたという事です。[B]と[C]において(1)(2)(3)の全てを同時に認めた人はいなかったという事です。


最後に、Kenさまの以下の発言は何をどう勘違いされているのか分かりかねますが・・・
 >18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。
勿論、粒子と波動が背反関係にある事を否定せずに否定したら基準05に違反するでしょうが・・・
つまり「粒子と波動は背反系にあり、かつ背反関係にない」という理論は明確に基準05に違反しますが・・・

上記の区別がきちんと付けられる事で、Kenさまがヘンな勘違いに気付いてくださればと思っております。
その辺りをdiamonds8888xさまからもう少しうまく説明して頂けるとよろしいかと・・・

627ゲジゲジ:2020/04/21(火) 21:58:13 ID:KJHm7qsI
もうひとつ、論理からの考察と、史実からの考察とも、ゴッチャになっているように感じます。
以下、使えるようであれば使ってください。

*******ココから**********************
そもそも、ここのところずっと議論してきた事は、以下の条件[A]が与えられた時、どの様な理論が「基準05」に反するのか? どの様な理論であれば「基準05」を満たすのか? それを検討する事で「基準05」を「検証」しようとしていたのではないでしょうか?

[条件A]
 (1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実
 (2)光は波動の特徴を持つ → 観察事実
 (3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論

無論、既に「答え」は出ていますよね。以下の理論[C]について・・・

[理論C]
 (1)光は粒子である
 (2)光は波動である
 (3)粒子と波動は背反関係にある

<基準05に違反しない理論>
 ① (2)を否定し、(1)と(3)を肯定する理論(粒子説)
 ② (1)を否定し、(2)と(3)を肯定する理論(波動説)
 ③ (3)を否定し、(1)と(2)を肯定する理論(理論X‐光は粒子であり且つ波である)

<基準05に違反する理論>
 ④ (2)を否定せずに(1)と(3)を肯定する理論(波動説を否定しない粒子説)
 ⑤ (1)を否定せずに(2)と(3)を肯定する理論(粒子説を否定しない波動説)
 ⑥ (3)を否定せずに(1)と(2)を肯定する理論(背反関係を否定しない理論X‐光は粒子であり且つ波である)

実のところ、④〜⑥は同じ事を、表現を変えて述べているだけですね。
いずれも(1)、(2)、(3)のどれも否定せず、全てを肯定する理論です。

史実では、①粒子説と、②波動説とが提唱され、両者の間で論争になったわけですが・・・

勿論、何の根拠もなく(1)粒子説を否定する事はできなかったし、何の根拠もなく(2)波動説を否定する事もできなかったはずです。何の根拠もなく(3)粒子と波動の背反関係を否定する事もできません。
それでは「基準05」以前に、根拠のない妄想になってしまいます。

実際に、①粒子説は根拠をもって波動説を否定しようとしたし、②波動説は根拠をもって粒子説を否定しようとしたはずです。しかしその根拠がどちらも弱く、相手方を納得させるには至らなかった、だから論争が続いたわけです。

ここからは思考実験です。
ではもし、(3)粒子と波との背反関係を否定する、③の理論が提唱されたらどうなったか?
否定する根拠が十分だと認められれば、③理論が受け入れられて論争に決着がついたでしょうし、否定する根拠が不十分であれば、①、②、③の三つ巴の論争になっていたかもしれません。

次に、ではもし、(1)も(2)も(3)も、どうしても否定できない、否定する根拠がまったく見つからなかったらどうなったか?
その時は結論が出せない、理論が提唱できない状態となります。
「光は科学では解明できない摩訶不思議な現象である」という状態が、(1)、(2)、(3)のいずれかを否定する根拠が見つかるまで、ずっと続くのです。場合によっては何十年でも何百年でも。


ですから、Kenさまの以下の発言は明確に間違いです。
>>625
>18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか
>だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

基準05に違反するのは、上で述べた通り(1)、(2)、(3)のいずれも否定しない理論です。
(3)の背反関係を否定する理論は基準05に違反しません。
(3)の是非が論争にもならなかったのは、そもそもそういう理論が提唱されなかったからです。
なぜ提唱されなかったかといえば、誰も背反関係を否定する事を思い付かなかったか、思い付いても背反関係を否定する根拠を見つけられなかったか、そのいずれかでしょう。後者の可能性が高いと思いますが。

論理に基づいて考察している時に、史実からの考察を混在させるから、間違った結論になってしまうのだと思います。
「基準05」を「検証」する思考のプロセスとして間違っていると思います。

628ゲジゲジ:2020/04/21(火) 22:00:04 ID:KJHm7qsI
この投稿は、Kenさまにとっては全くの余談です。
ただヨコから見ていて非常に重要なポイントだと思いますし、ここをKenさまに理解して頂けるかどうかが、今後の議論の重要なカギになると思っています。

Kenさまは第1掲示板でID論を主張されるにあたって、以下の様に述べられました。

>逃げている・・・ 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月22日(金)22時24分58秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18004
>IDの論旨をまとめると、
>1.ダーウィン的な自然選択とIDでは結果として起こる進化が異なる
>2.現実に起こった進化を観察すると、自然選択よりもIDの特徴を示すものがある
>3.よってIDが実行されたと考える

>ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169
>ですからID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。

>すこし疲れてきた・・・ 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月23日(土)07時47分54秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18011
>IDには万人の目に明らかな実例があるのですよ
>他ならぬ人間がそれをやってきたのです。1万年以上にわたる農耕と牧畜の歴史の中で


つまり
(1)自然選択では説明不可能で、人為選択(品種改良)であれば説明できるような進化の実例がある。(観察事実)
(2)人類という、人為選択(品種改良)を行った知的生物の実例がある。(事実)
を根拠として、
人類の有史以前に人類以外の知的生物が存在していて、一部の生物に人為選択(品種改良)を行った。
という理論を主張されたわけです。

実際に(1)で述べられているような進化の観察事実があるのかどうか、Kenさまは具体例を提示されていないので検証できていませんが、今この場では「ある」という事にしておきましょう。

さて、しかし現代の「常識」として、目的意識をもって生物に品種改良を加えるような知的生物であれば、同じように目的意識をもって道具や建築物をつくると思われます。実際に人類はそうしていますし。
しかし人類の有史以前に、人工物の痕跡は発見されていません。
つまりID論は、「人類の有史以前に人工物の痕跡が発見されていない」という事実と背反関係にあるわけです。

従ってID論を正当な科学理論として主張するためには、
(1)人類の有史以前の遺跡などを提示して「人類の有史以前に人工物の痕跡が発見されていない」という事実を否定する。
(2)生物に品種改良は加えるが、道具や建築物は作らない知的生物があり得る事を提示して、背反関係を否定する。
といった事が必要になるわけです。


・・・という事を、基準云々という表現はしないで述べた私の投稿がこちら。
>Ken様のID論が疑似科学である理由 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2018年 1月 2日(火)21時42分24秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18168

そしてそれに対するKenさまからのお返事がこちら。
>ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒
>ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169
>申し訳ありませんが、diamonds8888xさんとの今の議論に結論を出すことを優先させていただけますでしょうか。

と、いうわけで、私としてはdiamonds8888xさまとの議論に結論が出るのを、ずーーーーーーーーーーっと待っているのですよね。
もう2年以上になるのか・・・

629diamonds8888x:2020/04/23(木) 05:15:27 ID:Qix9q/lA
>>625

>常識に反する、というだけではいろいろな解釈が可能ですが、ここでは、私が上で述べたような、論争の対象にすらならないこと。つまり本スレッドでいうところの疑似科学で、理論が正しいか、現実を反映するかとは、別次元の問題と考えてよそしいですか?

 別次元の問題という意味が不明なので直接の返答はできません。
 私の趣旨は「18世紀の人々にとっては(3)は深く染み付いた常識だったので、それを否定する理論は誰も思いつかなかった」という意味です。【20世紀の人間であKenさん】にとっては「最もストレート」なのかも知れませんが、【18世紀の知識体系の中では】ストレートどころか破天荒でムチャクチャな主張と感じられたのでしょうね。

>私は、18世紀の知識体系の中で(3)の背反関係を否定するのは、基準05に違反する疑似科学になるのではないか、と思っています。だからこそ、(1)(2)とは異なり(3)の是非は論争にもならなかったのではありませんか?

 ここで「18世紀の知識体系」とは具体的には何を指しますか? もしも(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれるとするならば、(3)の否定は「18世紀の知識体系」の否定なのですから、基準05に違反するに決まっています。

 (3)は「18世紀の知識体系」には含まれないとするならば、(3)を否定するだけの「理論X」は基準05に違反しません。そしてこの理論Xはその中に(1)(2)の理論を両方とも含んでいます。
 ==>ここで(1)(2)(3)について、事実・解釈・理論の違いについてはゲジゲジさん発言からの私の引用と解釈を参照してください。[>>630]

630diamonds8888x:2020/04/23(木) 05:16:04 ID:Qix9q/lA
>>625,>>626,>>627,>>628
ゲジゲジさん、ありがとうございます
 素晴らしい整理の仕方で、私も目からウロコです。

Kenさん、以下にゲジゲジさん発言から提示しますので御参考までに。先の[>>]の理解の参考にしてください。一部に私なりの訂正を入れてあります。

[>>626]-----提示引用----------
久しぶりにヨコから
〜だから論争になったのです。
--------引用終り----------
わかりやすく、また正確にするための訂正(by diamonds8888x)
 [C]において、「理論」==>「理論(の一部)」と訂正。


[>>626]-----提示引用----------
整理すると、[A]の(1)(2)(3)は恐らくほとんどの人が全てを認めていて、その上で[B]と[C]の(1)(3)を肯定して(2)を否定する仮説(粒子説)と、(2)(3)を肯定して(1)を否定する仮説(波動説)との論争が続いたという事です。[B]と[C]において(1)(2)(3)の全てを同時に認めた人はいなかったという事です。
--------引用終り----------
訂正(by diamonds8888x) [B]と[C]==>[C]
解説:[B]では(1)と(2)を同時に認めても(3)を肯定できます。「根拠がある」ことだけなら[A]を認める誰にとっても正しい解釈です。「根拠がある」ことと「である」ということとは違うという見識がゲジゲジさんの発言の肝であり、私もなるほどと納得するところです。

注意:この訂正は[B]の「根拠」という言葉に対する私とゲジゲジさんとの語感の違いに基づくので、必ずしも訂正しなくてもよいようです。
 =>「(観察事実(2)は認めて光波動説の根拠は否定)」と使っているので、ゲジゲジさんの「根拠がある」の語感は私より理論での断定に近い使い方ですね。確かに解釈というのは、観察事実と理論との境界領域ですからねえ。この考え方自体が目からウロコです。


[>>627]-----提示引用----------
*******ココから**********************

実のところ、④〜⑥は同じ事を、表現を変えて述べているだけですね。
いずれも(1)、(2)、(3)のどれも否定せず、全てを肯定する理論です。

だから論争が続いたわけです。
--------引用終り----------
 中間部は特に重要なので明記した。
 引用部分の次からの思考実験のところも私には特に異論はありませんが、Kenさんへの提示としてはややこしいので含めません。

631Ken:2020/04/23(木) 23:58:06 ID:AN9ePMUI
>もしも(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれるとするならば、(3)の否定は「18世紀の知識体系」の否定なのですから、基準05に違反するに決まっています。

まず、

〜(1)(2)(3)ともに「18世紀の知識体系」に含まれる

というのが私の認識です。その点では(3)だけでなく(1)や(2)を否定するのも「18世紀の知識体系」の否定になるでしょう。ですが(1)や(2)を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。それは単に、既存の知識体系に従わない理論を提唱した、ということでしょう。その理論は正しいかもしれないし、間違っているかもしれません。

(3)の否定のみは性質が異なります。粒子と波動の背反関係を否定すれば、それはすなわち「¬P∧P」状態があると主張することだから、基準05違反になるのではありませんか? 粒子説がPなら、波動説が¬Pになるのですから。

基準05の定義は「¬P∧P」の否定であって、その時点での知識体系を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。

もういちど歴史を思い出してみてください。(1)や(2)を否定した人は実在したのです。diamonds8888xさんが言われる「苦しい説明」をした人たちもそうではありませんか。ですが、(3)の背反関係を否定した人がいたという話を、私は読んだことがありません。

(1)(2)と(3)の間の差異はどこからくるのでしょうか? それが基準05ではないのですか?

言い換えれば、(3)は(1)や(2)との間に矛盾を生じるのではなく、(3)単独で、たとえ(1)(2)がなくても、基準05違反になるのではありませんか?


>私の趣旨は「18世紀の人々にとっては(3)は深く染み付いた常識だったので、それを否定する理論は誰も思いつかなかった」という意味です。

問題は、なぜそのような「常識」が深く染み付いたのか、です。18世紀の知識体系の中で粒子と波動の背反関係を否定すれば、それは「¬P∧P」状態になるからではないのですか?

632diamonds8888x:2020/04/24(金) 05:56:18 ID:Qix9q/lA
>>631,>>630
 [>>631]への直接の答えは後ほどとして、史実として注意したい点をひとつ。
  (ただ、[>>631]の内容はもういちど論理的に考えてみてね)

「(3)粒子と波動は背反関係にある → 前提理論」が常識だった理由としてKenさんは以下を挙げています。
*粒子説では質量が移動する :運動するとき、それ自体の質量が移動する
*波動説では質量は移動しない:進行するとき、質量は移動せず、力ないし運動量のみが移動する
 [>>604,>>603,>>593,>>600,>>593]


 しかし史実では光の質量も運動量も、その結果予想される放射圧というものも、1900年つまり20世紀までは実験的には確認されていませんでした。すなわち【18世紀の知識体系の中では】[A]の(3)、つまり「粒子と波動は背反関係にあるという前提」の観測的根拠には【質量移動に関する観測は含まれていません】。【18世紀の知識体系の中で】[A]の(3)、つまり「粒子と波動は背反関係にあるという前提」の根拠と人々が考えたものは別のなにかです。例えば以下の鬼塚史朗の論文に書かれているようなことです。
 (3)の根拠が質量移動に関するという考えは【20世紀の人間であるKenさん】が20世紀の知識体系から生み出した考えです。もちろん粒子説の提唱者は粒子だから質量も運動量もあるとは考えましたが、観測はできなかったので、光の粒子はとてつもなく軽いと考えたはずです。

  *) wikipedia「放射圧」
  物体の表面に電磁波が当たると入射面に圧力が働くという事実は1871年にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって理論的に導かれ、1900年にピョートル・ニコラエヴィッチ・レベデフによって、また1901年にエルンスト・フォックス・ニコルスとゴードン・フェリー・ハルによって実験的に証明された。

  *) FN高校の物理:光の圧力[輻射圧]
 [ttp://fnorio.com/0118light_pressure0/light_pressure0.html]
  このような考え方で光の圧力が存在する理由を最初に与えたのはMaxwellです。別稿「エーテルと電気の歴史」第8章p311〜312参照
 [ttp://fnorio.com/0172foresight_Maxwell_equations/Whittaker_1910/Whittaker_1910_08.html#311]

  *) 鬼塚史朗 "光の粒子説と波動説(連載 科学誌)" 物理教育 43巻(1995) 4号
 [ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf/-char/ja]
  粒子説VS波動説の詳しい歴史。歴史上で質量移動に関する議論はなされていない。

633Ken:2020/04/24(金) 20:26:14 ID:AN9ePMUI
・・・放射圧の話が質量移動と無関係なことは>>600で説明し>>603で了解をいただいたと思いましたが。

波動現象を説明するのによく用いられるのが、1列に並べた鋼球に別の鋼球を当てる実験です。実物もしくは動画を見られたことが必ずあるでしょう。

www.youtube.com/watch?v=8dgyPRA86K0

この動画の最初の例のように、列の端の球に別の球を当てると、反対側の球のみが飛び出し、中間の球はどれも動きません。この動かない中間の球が波動の媒質に相当し、波動が質量移動を起こさないとは、中間の球が動かないのと同じ意味です。

これを説明する理論は、17世紀のニュートン力学と、同じく17世紀のフックの法則から容易に導けます。つまり波動とは、慣性力(ニュートン力学)と弾性力(フックの法則)が交互に立ち上がりながら力を伝える現象で、18世紀になれば、プロの科学者でなくても、それこそ大学生でも知っていたでしょう。

>歴史上で質量移動に関する議論はなされていない

それは、粒子と波動がまったくの別物であることは議論の余地がなかったから、わざわざ質量移動の議論などしなかったので、もし、粒子と波動を区別する特徴を明示的に求められたら、

*粒子は質量が移動するが波動は移動しない
*粒子は離散的事象、波動は連続的事象
*粒子の速度は発生源の速度の影響を受けるが、波動は受けない

のような諸点を当時の人は挙げたことでしょう。とくに2番目の、粒子の離散性は、20世紀に光を粒子と再認識するカギになりました。18世紀の人には予測できなかったでしょうけど。


もし上の説明に納得がゆかないのなら、光が粒子でありかつ波動であるという理論Xを唱える人が現れなかった史実のみを考えてはどうでしょうか。理論Xさえ肯定すれば、粒子的特徴を波動として説明し、波動的特徴を粒子として説明するような、強引で苦しい理論を立てる必要などなかったに、なぜ、そうしなかったのでしょうか?

634diamonds8888x:2020/04/25(土) 05:54:55 ID:Qix9q/lA
>>633
 脊髄反射の返答ではなくて、もう少しじっくりと私の一連の発言を考えて、少しはスタンダードな考え方を理解する努力をお願いします。[>>622]で示した資料でわかる史実をちゃんと読んで理解しましたか? この光の粒子説と波動説の論争の史実についてブログに書きましたので御参考までに。
  [ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/db7eb6a1ea6ddddaf6e7319e92aed977]

さて、
>・・・放射圧の話が質量移動と無関係なことは>>600で説明し>>603で了解をいただいたと思いましたが。

 了解してますよ。私は「光の質量が観測されなかった」ことを述べています。光の粒子説からはその質量の存在が予測されますし、結果として運動量も放射圧も予測されます。しかし、質量存在の間接的な証拠である放射圧も観測されていません。すなわち、「(1)光は粒子の特徴を持つ → 観察事実」という観測事実の中には「光は質量が移動する」ということは含まれていないと指摘したのです。

 粒子にあって波にはない特徴として「質量が移動する」としてもよいことには同意しました。というより「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

>もし、粒子と波動を区別する特徴を明示的に求められたら、〜のような諸点を当時の人は挙げたことでしょう。

 それはKenさんの想像であって事実かどうかは不明です。Kenさんの想像には無意識のうちに【20世紀の人間であるKenさん】の知識が紛れ込んでいる可能性があります。【18世紀の知識体系の中で】、そのように具体的特徴を列記するような明晰な思考ができたかどうかは、私には不明です。例えば波の具体的特徴を求められたとしたら、【18世紀の知識体系の中では】電磁波にはないが弾性波にはあるような特徴だけを挙げていた可能性だってあります。まあ史実では干渉性が重要な特徴とされ続けたのですが

>もし上の説明に納得がゆかないのなら、光が粒子でありかつ波動であるという理論Xを唱える人が現れなかった史実のみを考えてはどうでしょうか。理論Xさえ肯定すれば、粒子的特徴を波動として説明し、波動的特徴を粒子として説明するような、強引で苦しい理論を立てる必要などなかったに、なぜ、そうしなかったのでしょうか?

 その問題は歴史と人間心理の問題であって、我々がテーマとしている科学の問題でも論理の問題でもありません。ひとつの仮説としては「【18世紀の知識体系の中】から抜け出ることができなかったから」でしょうね。

635diamonds8888x:2020/04/25(土) 05:56:57 ID:Qix9q/lA
>>631,>>633
>(3)の否定のみは性質が異なります。

 なるほど、その勘違いはどこから来るのでしょうね? 何も違いなどありません。

>ですが(1)や(2)を否定するだけなら基準05違反にはならないはずです。

 「18世紀の知識体系」を前提とするのでしょう? 否定したら基準05違反でしょう?
 否定してもいいのなら「前提として」とはどういう意味なのですか? 論理としてムチャクチャです。

>(3)の否定のみは性質が異なります。粒子と波動の背反関係を否定すれば、それはすなわち「¬P∧P」状態があると主張することだから、〜

 性質は異なりません。粒子と波動の背反関係を否定することは「¬P∧P」状態があると主張することにはなりません。以下の3つの並立は矛盾しておらず基準05違反ではありません。
 (1)光は粒子である → 理論
 (2)光は波動である → 理論
 (3)光は粒子であり、かつ波である → 理論

 「波ではない∧波である」と「粒子である∧波である」とは違います。これ何度も言ってますよ。

>問題は、なぜそのような「常識」が深く染み付いたのか、です。

 その問題は歴史と人間心理の問題であって、我々がテーマとしている科学の問題でも論理の問題でもありません。

636Ken:2020/04/25(土) 18:03:07 ID:AN9ePMUI
>「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

どうしてもこの点が納得がゆきませんか?

ですが、音や光とは異なり、波の動きを直接目撃できる波動は、いくらでもあります。たとえば、長いばねの1端を揺すると波が伝わる現象もそうです。

www.youtube.com/watch?v=ubRlaCCQfDk

見ての通り、ばね(媒質)の各部分は前後に振動するだけで、場所を移動することはありません。こんなことは力学が登場する前から目撃されていたと思いますよ。

さらに、17世紀のニュートンやフックやホイヘンス以降は、波動の数理的解析も行なわれていました。上の動画のように、媒質の1部分が振動し、その振動が隣接部分を押したり引いたりして波が伝わるわけですが、単振動は線形2階微分方程式で現されます。

d²x/dt² = -ω²x (xは変位、tは時間、ωは角振動数つまり単位時間に何回往復するか)

この方程式の解は、周知のように三角関数になります。

x = A cos ωt (Aは初期状態で決まる振幅)

このような関数の形はご存知でしょう。変位xはAと-Aの間を往復し、それより外側に行くことはありません。波の媒質が同じ場所で振動するだけで移動しないことは明らかです。そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。

そういう知見を持っていた人が、波では質量移動が起こらないことを知らないなんてことがあるでしょうか? よしんば言葉で表現しなくても(それもありえないと私は思いますが)数式が語っているではありませんか。

637diamonds8888x:2020/05/08(金) 05:35:41 ID:Qix9q/lA
>>636
 ここにアクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで申し訳ないのですが、ささやかなお願い[>>594](英文に関しては[>>592])を実行していただくのは難しいでしょうか? 再考をお願いします。

 難しい理由を挙げていただければ、技術的問題なら私もアイディアくらいは提供できるかも知れません。


>>「質量が移動する」という言葉の意味は納得しました。でも、そのような特徴に関する議論は科学史には登場していません。

> どうしてもこの点が納得がゆきませんか?

 私の文の意味の捉え方がずれています。「科学史には登場していません」という文への返答になっていませんよね?
 私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。

 光の正体に関する波動論vs粒子論の論争の科学史には、「質量が移動するかしないか」ということを焦点とした議論は、私の知る限り登場していません。


 さらに私自身、波動論vs粒子論の論争の科学史には今回調べて新しく知った事実もあり、それは[>>632]等でお知らせしました。それらを読めばKenさんが知らなかったこともあるはずです。それらの新しい知見を取り入れた上での[>>636]なのでしょうか?

 [>>636]発言以降、私の本発言までの2週間の間に、これら科学史上の事実については検討されたのでしょうか? 御自分の知見に古いものがあることは当たり前なのですから、知見の更新の努力はお願いします。

>そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。

 例えばこのことにしても、本当に史実を確認してますか? 私も知りませんから間違いだとは言いませんけど、きちんと信頼できる根拠の元に史実を確認してますか? 確認していたなら幸いですから、参考までに出典など御教示ください。

638Ken:2020/05/09(土) 13:03:43 ID:pdHU4EJo
>私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。

質量が移動しないと知られていたことは同意いただけるのでしょうか? 肝心なのはそこです。知ってはいたが論争にはならなかったのなら、それは論争の余地もなく明らかだったからでしょう。ちょうど今の私たちが、天動説と地動説のどちらが正しいかを論争しないように。

要するに粒子と波動は、その動作が直接観察され、何よりも数式で表現されていたのです。波動の基礎となる単振動は先に書いたように「x = A cos ωt」の形をとりますが、粒子の移動は等速運動なら「x = vt」、等加速度運動なら「x = at²/2」と全く異なる形で、同じものが両方の形をとるのは不可能です。

当時の人は粒子も波動も数学的に捉えており、「質量移動の有無」「離散性と連続性」「発生源速度の影響」などは、数式が表現することを日常的な言葉で置き換えたにすぎません。

>>そして18世紀にもなると、こんなことはすべて分かっていました。
>参考までに出典など御教示ください。

単振動の方程式がいつ登場したかは手元に資料がありませんが、それでも推測はできます。

まず、その基礎となるニュートンの運動法則、フックの法則、そして微積分学はすべて17世紀に登場しています。さらに単振動方程式(d²x/dt² = -ω²x)の発展形というべき波動方程式(∂²u/∂t² = c∂²u/∂x²)を解明したのはダランベールに代表される18世紀の科学者たちです。単振動方程式が媒質の1部分を表現し、波動方程式は全体を統一的に表すという違いがありますが、質量移動が起こらないことを示すには単振動方程式で十分でしょう。

要するに、基礎となる知見が17世紀に出揃っており、かつその発展形が18世紀に登場したのだから、必然的に単振動方程式も遅くとも18世紀には知られていたはずです。ちなみに単振動の法則を利用した近代的な時計は17世紀に登場しています。(理論を知らず、経験だけで作った可能性もあるのでしょうが)

>[>>594](英文に関しては[>>592])を実行していただくのは難しいでしょうか? 再考をお願いします。

まず>>592より後では解説なしで英文を読むことを求めていないと思いますが、そういうことがありましたか?

>>594では>>571で問いかけがあると言われていますが、それはこの部分でしょうか?

>「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

私が言いたかったのは、私たちはすべての科学理論を明らかにしたわけではないし、そもそもそんなことは不可能なのだから、どんな現象も絶対に起こらないという証明などできないということでした。

シュレーディンガーの猫を持ち出さないとしても、何度も話題に挙げた2重スリット実験を思い出してください。AとBの2つの穴があり、同じ電子がAを通りかつBを通ったと言ったら、古典力学しか知らない人には、まさしく言葉遊び、マザーグースのたぐいに思えたに違いありません。でもそれは実現することが分かりました。

639diamonds8888x:2020/05/13(水) 05:51:58 ID:Qix9q/lA
>>638
 詳しいレスの時間も不足なので、希望を込めて簡単に。

>まず>>592より後では解説なしで英文を読むことを求めていないと思いますが、そういうことがありましたか?

 英文の方はOKです。感謝します。一応カッコに入れたことで推測できるかも知れないし、できないかも知れませんが、英文はややおまけ気味で、主要点はもうひとつの方です。「アクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで」てのが、お願いの理由のひとつになってることは、御理解いただけると希望します。

 またしばらくはレスが延びるでしょうから、御自分のコメントに訂正なり追加なりすべき点がないか推敲を期待します。私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。ではまた。

640Ken:2020/05/15(金) 00:28:33 ID:pdHU4EJo
>私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。

読み違いがあるかは分かりませんが、私がdiamonds8888xさんの投稿をどう読み、どこに論点を見ているかを整理しておきます。

まず、質量移動が粒子と波動を分けるという議論が18世紀に見られない点について。diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。私の考えは、議論がないのは知見がないためではなく、その逆、その知見が誰の目にも明白だったというものです。そう考える根拠は、この時代に登場し、今の教科書にも載っている数式が、粒子と波動の違いを明白に語っており、質量移動の有無もその数式が示すので、議論にも及ばないからです。

次に、当時の科学者が、光が粒子であり波動でもあるという結論を回避するため苦心をした理由について、diamonds8888xさんは、そういう「心理」が働いたからと言われます。「心理」が何を意味するのか今ひとつ曖昧ですが、おそらくは「思い込み」「感情」「信仰」のような、論理ではないなにものかでしょう。ですが私は、そこにあったのは明白な数式とその背景をなす力学的考察だったと考えます。

そして、そのことから私は、18世紀当時に「光は粒子であり、かつ波動である」という理論を立てれば、それは基準05違反になったはずと考えますが、この点を何度お尋ねしても、そうだという回答をいただけていません。

641ミケ:2020/05/30(土) 13:45:42 ID:liYNNt7Y
以下は感想ですが、
Kenさんがどこで読み違えているかの一例に触れています。
diamonds8888xさんが戻られるまでの間、
これまでの内容をもう一度検討してはいかがでしょうか。

>それはKenさんの想像であって事実かどうかは不明です。
(>>634)

あるいは
>私が「そのような特徴を科学者たちは知りませんでした。」と書いていたなら、[>>636]は返答になっていますけれど。
(>>637)

とあるように

>diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。

という部分が読み違いですね。

今回は討論ではなくて
(Kenさんのための)対話・説明の場なので
Kenさんの読解力がどうであろうともKenさんに分かるように説明するのが
diamonds8888xさんのいわば責任ではありますが…
読み違いがある・誤解があるといわれている部分について
Kenさんのほうでも一度
「どう読み違えていると言われたのだろうか」
と再検討しないといつまで経ってもdiamonds8888xさんの言わんとすることは伝わりませんし
いつまでたってもKenさんが科学の要件を理解する日は来ないでしょう。

642diamonds8888x:2020/06/07(日) 07:27:38 ID:Qix9q/lA
>>640
 まずミケさんの発言[>>641]は全文参照してください。

>まず、質量移動が粒子と波動を分けるという議論が18世紀に見られない点について。diamonds8888xさんは、ここから質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。

 無かったとは言っていません。あったとも認めていません。どちらかと結論する証拠がない、と言っています。
 Kenさんは「あったはずだ」と結論していますが、

>私の考えは、議論がないのは知見がないためではなく、その逆、その知見が誰の目にも明白だったというものです。そう考える根拠は、この時代に登場し、今の教科書にも載っている数式が、粒子と波動の違いを明白に語っており、質量移動の有無もその数式が示すので、議論にも及ばないからです。

【以下、現時点で緊急に重要だと思う】
 この推論の前提には、人のいや全能の神ならぬ知的生命体の思考についての考え違いがあります。たぶん数学基礎論に匹敵するくらいに基礎的すぎて、納得するのが難しいとは思いますが、少し手間をかけて説明を試みます。ただ、Kenさんも考えてみてください。少しは御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてください。この面倒くさい説明はまた時間がかかりそうなので、今はヒントだけ。


 全能の神ならば、群論の公理(たかだか3つくらい)を一瞥しただけでモンスターの存在も一目瞭然に違いない。けれど人はそうではない。
 ドーキンスの利己的遺伝子理論は、事実としては新しいことは何も言っていない。けれど、それは生物というものの見方を大きく変えた。
 アインシュタインの特殊相対性理論はローレンツの短縮理論と比べて、数式的にはほとんど違わない。けれど、基本となる見方が異なるために前者のほうが物理学を大きく変更することになった。

【追伸】
 御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてくだされば、2週間のうちにあと1-2回くらいはKenさん自身での検討過程を投稿できるのではないかと思うのです。
 実は「数学基礎論に匹敵するくらいに」とか大げさなものではないかも知れませんが、こう言えば少しは真剣に検討していただけるかな、と希望を持って。そんな難しいことわかるわけ無いとか諦められたら逆効果なんですけど、よくわからん。

643Ken:2020/06/07(日) 20:17:19 ID:7/Gvc6ok
>>642

ここで主張されているのは、当時(18世紀)の人は数式を知っていても、その数式が意味するところを、たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった、ということでしょうか?

>ミケさんの発言[>>641]は全文参照してください。

[641]は、そのままdiamonds8888xさんのお考えとして、つまり投稿者名に「diamonds8888x」と入っているのと同じ、と考えてよいわけですね?

644diamonds8888x:2020/06/28(日) 10:59:09 ID:Qix9q/lA
>>643 2つの問には、どちらもYesです。

 「たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった」との状況のイメージが私とKenさんとでは多少は違う可能性はありますが、完全に食い違うとことも、まあないかも。


【再掲】[>>642]
>御自分の思考の枠をちょっと離れた考え方を試してみてくだされば、2週間のうちにあと1-2回くらいはKenさん自身での検討過程を投稿できるのではないかと思うのです。

[>>639][>>594]
>英文はややおまけ気味で、主要点はもうひとつの方です。「アクセスする頻度はどうしても少なく成りがちで」てのが、お願いの理由のひとつになってることは、御理解いただけると希望します。

> またしばらくはレスが延びるでしょうから、御自分のコメントに訂正なり追加なりすべき点がないか推敲を期待します。私の文の意図の読み違いとかね。気づかれることに希望を込めて。ではまた。

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と、再掲だけで言いたいことは当然伝わると思ったのですが、どうやら元々のお願いの文章をいささかずれて理解されていたことがわかりました。まさしく私の意図を誤読された典型例だったらしいです。食い違いのひとつの傾向はわかったような気がしますので、理解していただけたなら対策をお願いしたいと思います。傾向と対策ですね。

 元々のお願いとは[>>594]
> 薄々お気づきかもしれませんが、〜なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
>  さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、〜。

 では、詳しくは別発言にて[>>645]

645diamonds8888x:2020/06/28(日) 10:59:58 ID:Qix9q/lA
>>644 の続き

 書き手の文章[>>594]
> 薄々お気づきかもしれませんが、〜なるべくならすべてのテーマに並行ないし関連させての回答をお願いします。
>  さもないと未検討のことが残ったまま在所不明になったりします。例えば[>>571]でいくつかの問いかけがありますが、〜。

 読み手のレス[>>638]
>>594では>>571で問いかけがあると言われていますが、それはこの部分でしょうか?

> >「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が起きる可能性があるのですね。どんな現象ですか、それは?! 言葉遊びじゃあるまいし。

 [>>594]には2つの問いがありますが、主要点は最初の問いのつもりで書いています。第2の問いはその具体例のひとつに過ぎません。書き手としては【例えば】という言葉で、第2の問いは例に過ぎないことは示したつもりでいて、まずは最初の問い、というかお願いを聞き届けてくれるのか否かに答えが欲しいと思って書いています。
 ところが読み手は、書き手が例示のひとつに過ぎないと思っている第2の問いにまず答えています。意図が完全に食い違いました。


 さて、ここからは、特に読み手の状況については私の想像を交えたコメントになります。なぜ、このような読み違いが起きたのかという傾向と対策です。

 想像ですが、Kenさんには広い全体よりも具体的で局所的な部分に注目しやすいという傾向があるのではないでしょうか。それは美点にも有利な点にもなりえますが、全体の方を見落とすと読み抜けが起こる危険性がありそうです。
 ということで読み手としての対策は、文章のすべての意図をくんだのかどうかを見直してみるというのはどうでしょうか? 御一考をお願いします。

 書き手の対策としては、以下がありそうです。
  ・ひとつのコメントではひとつの意図のみに絞る
  ・複数の意図のどれが主要なのか明示する
  ・その他
 
 でも今回の[>>594]では、どう書けば誤読を避けられたのでしょうか?
 Kenさんにアイディアがあれば教えてください。こう書けば誤読しなかったよ、という表現があれば。


 ついでに例示の方は、そのうちに・・。

646diamonds8888x:2020/06/28(日) 16:31:34 ID:Qix9q/lA
>>645
 ついでに例示の方ですが、[>>570, >>571, >>594. >>638]と続いたテーマです。
>私が言いたかったのは、私たちはすべての科学理論を明らかにしたわけではないし、そもそもそんなことは不可能なのだから、どんな現象も絶対に起こらないという証明などできないということでした。

>シュレーディンガーの猫を持ち出さないとしても、何度も話題に挙げた2重スリット実験を思い出してください。AとBの2つの穴があり、同じ電子がAを通りかつBを通ったと言ったら、古典力学しか知らない人には、まさしく言葉遊び、マザーグースのたぐいに思えたに違いありません。でもそれは実現することが分かりました。

 猫でも2重スリットでも本質は同じで、量子力学における「波と粒子の2重性」や「混合状態」をどう理解するかというテーマです。正確には、2重スリットは「波と粒子の2重性」の問題であり、シュレーディンガーの猫は「混合状態」の問題です。

 ちゃんとした本の文章を注意深く読めばわかりますが、「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」ということはよく知られていますが、「同時に波と粒子の性質が観測される」などという現象は知られていません。具体的に言えば、
  ・同時に、確定した場所と時間で点として観測され、かつ干渉する。
   a)観測は個々の粒子として。干渉はその結果の集合での統計結果として。
   b)観測は波としてで、干渉も観測される。粒子の性質は観測されない。
    (光電効果で電子が放出される瞬間には波としての性質は観測されない) 

 「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」という現象が同時に起きたりはしないのです。
 「あるときは貫かれるし、あるときは貫かれない、その確率はこれこれである」ということならば観測されるでしょうし、普通は実験すればそうなるよね。マクロな現象なら矛や盾のロットの違いとか経時劣化の具合とかで結果が違ったなどと理由付けできるところですが、量子の矛だったら「どの矛も全く同じものであり区別できない」というのが現在の量子力学のセントラルドグマのひとつですから、「その確率はこれこれである」ということだけが観測結果としてわかるというわけです。


 「混合状態」の話はちと複雑です。実際に観測される混合状態と、観測されえない混合状態とがあるからです。「猫が同時に死んでおりかつ生きている」という混合状態は後者の観測されえない例のひとつです。これはシュレーディンガーの思考実験に従えば、「α粒子が原子核内に存在する状態と、原子核外に存在する状態との混合状態」が果たして存在するのかどうかという問題になります。

 量子力学では、【観測されない間は】混合状態として存在している。つまり方程式を解いて波動関数を求めると、原子核内に存在する確率と原子核外に存在する確率とがどちらもゼロではない解が得られます。そして観測としては、【原子核外でα粒子を観測した瞬間に】、原子核内の存在確率はゼロになると考えられます。
 要点は、「原子核内に存在する確率と原子核外に存在する確率とがどちらもゼロではない状態」というものは【観測されない】のです。

 一方、【例えば】水素原子の原子軌道が混合して分子軌道を作る、といったことがあります。この例では水素分子では本当に混合軌道が観測されます。正確に言えば、電子状態が2つの混合軌道の間で変化する際に発生したり吸収したりする光が観測されます。その波長の観測から2つの混合軌道のエネルギー差が観測されることになります。この場合は水素原子の解である軌道は水素分子では観測されません。それは電子の置かれた環境(物理的には電子が受けるポテンシャル)が、単独の原子核と分子とでは異なるのだから当然なのですが。

 要するにシュレーディンガーの思考実験に該当するのは前者の観測されえない混合状態の場合です。

647Ken:2020/06/30(火) 23:44:08 ID:7/Gvc6ok
一般論としては

〜抽象的な数式を知っていても、それが具体世界で何を意味するかをイメージできるとは限らない

ということはあるでしょう。例えばパラボラ曲線(2次関数)は紀元前から知られていましたが、それが放り上げた物体の軌跡と認識されたのは近代物理学以後です。(ですからパラボラを「放物線」と訳すのは歴史認識を混乱させるので、いただけません。)

ですが問題は、18世紀の状況がそれに該当するかです。

>>642
>>質量移動に関する知見が無かったと結論されていると思います。
>無かったとは言っていません。あったとも認めていません。どちらかと結論する証拠がない、と言っています。

「どちらかと結論する証拠がない」というのをもう少し詳しく説明できませんか? 知見が無かったのはほぼ確実だがそうではない可能性も残るという意味なのか。知見があった可能性もなかった可能性も、それなりに納得できるのか。知見があったように思えるが100%の確度はないという意味なのか。

今の目的は基準05を検証することです。粒子と波動の背反関係が想定される条件下では、光が粒子でかつ波動と主張するのは基準05違反なのかを考察するわけですから、背反関係が知られていた可能性があるのなら、その条件で思考実験を行なってもよいのではないでしょうか?

私自身は、先に述べたように、知見(具体イメージ)はあったはずと考えます。理由は簡単です。当時の人は具体問題の解決に数式を利用していたからです。

粒子運動の数式が成功した顕著な例は天文学でしょう。天体位置の予測精度が格段に向上したのがこの時代です。天体位置以外にも、砲弾の軌跡を正確に予測する工学利用も始まりました。一方、振動理論が利用された顕著な例は時計でしょう。振り子の周期が一定だとガリレオが気付いたのは16世紀末ですが、17世紀のホイヘンスは振り子の固有振動数が「√(重力加速度/振り子の長さ)」になることを理論的に解明し、時計の製作が一気に合理化しました。18世紀に波動方程式が知られると、波の伝播速度も算出できるようになりました。

このように、当時の人は数式を知ってるだけでなく、具体事象に応用していたのだから、具体イメージがなかったはずがありません。むしろ実態は、ガリレオが発見した振り子の特徴をホイヘンスが数理化したように、ブラーエたちが蓄積した天文データをケプラーやニュートンが数理化したように、具体イメージが先にあって数式は後から加わったとみるべきでしょう。

もう一つ、私が言い続けていることですが、光の正体論争で「粒子であり波動でもある」という理論が決して受け入れられなかったことも重要です。diamonds8888xさんはその理由は「心理」的なものと言われます。

これまた一般論としては、なにかを心理的に、なんとなく信じてしまうことも人間にはあるでしょう。例えば石と羽毛の落下を見て「重い物体の方が早く落ちる」と信じたり、腐肉に蛆がわくのを見て「生物は無生物から生じる」と信じた例があります。まさしく、なんとなく信じただけで、体系的な実証実験も、なぜそうなるかの説明もありませんでした。だからガリレオやパスツールの実験結果が現れると、それまでの考えは誤りだと納得されたのです。

しかし、粒子と波動の関係は事情が異なります。光の粒子的現象と波動的現象の双方が観測されても、背反関係は否定されませんでした。むしろ、粒子説論者は光の屈折や交差のような波動説の根拠を否定するのに懸命になったし、波動説論者はその反対をやったわけで、あくまでも従来の考えに固執しました。これは彼らの根拠が「心理」などという曖昧なものではなく、当時の知識体系に裏打ちされた堅牢なものだったからでしょう。上で述べたように、粒子を扱う物理理論も波動を扱う物理理論も、多くの事象を説明し、事実を正確に予測し、工学応用までされていました。それなのに「粒子でもあり波動でもある」存在などを認めたら、それほど成功している知識体系を御破算にせねばなりません。

つまり、「粒子でもあり波動でもある」という理論は基準05違反になったはずと私は考えるわけです。

PS:最も重要な件から書きました。これ以外の件にも回答しますので、お待ちください。

648diamonds8888x:2020/07/02(木) 05:35:15 ID:Qix9q/lA
[>>640]で残した宿題の説明です。
>【以下、現時点で緊急に重要だと思う】
> この推論の前提には、人のいや全能の神ならぬ知的生命体の思考についての考え違いがあります。
  (以下略)


 [>>643]のKenさんの理解は、たぶん合っていると思います。([>>644]も参照)。
> ここで主張されているのは、当時(18世紀)の人は数式を知っていても、その数式が意味するところを、たとえば質量が移動するかといったような、具体的なイメージで捉えることができなかった、ということでしょうか?


 以下、私の言葉での説明です。

1. まず以前に[>>612]で紹介した節操のない者さんのサイトでは、波と粒子との違いについて「空間的な広がり」の観点からの区別を示しています。

 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality.html]
  粒子  空間の1点に局在している
  波   空間に拡がっている
 [ttp://taste.sakura.ne.jp/static/farm/science/wave_particle_duality_terrible.html]
  狭義の粒子性 1点に存在する性質
  広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性

 この見方について、Kenさんは以前から気づいていましたか? 気づくというのは、言葉で明確に示せる概念としてはっきりと意識できているという意味です。少なくとも私は、言われて初めてそう言えばそうか、と気づいた状態でした。それはKenさんが示した「質量が移動するか否か」という観点からの区別にしても同じことで、Kenさんに指摘されて初めて、そう言えばそうかと気づいたのです。この点はKenさんと議論していたおかげで知見が深められたのであり、大いに感謝しています。
 17-19世紀のトップ科学者たちであれば私よりボンクラなはずはありませんけれど、上記2つの観点からの区別について明確に示された史料というものがなければ、少なくとも学界で公に上記のような区別が意識されていたということは断定できはしません。

 いくら数式で予測が正確にできたとしても、その「物理的な意味」は様々な見方からの様々な意味(解釈かな?)が有りえますから、ある解釈(意味)がはっきりと意識できていたかどうかは、断定できないことだと思います。

2. 数学は公理から定理を導くものです。その証明の道筋は、ひとたびわかれば誰でも辿れる明らかなものとなります。簡単な定理ならば、普通の人でも見た瞬間に明らかに見えるものもありそうです。これがもし全能の神ならば、公理を見た瞬間にあらゆる定理は自明のことに見えるでしょう。同様に全能の神ならば、数式を見た瞬間に、その物理的意味のすべてが明らかに見えてしまうのでしょう。
 けれど人間はそうではありません。

3. ドーキンスの利己的遺伝子理論は事実としては新しいことは何も言っていない、という批判だか事実の指摘だかは時々なされています。確かに彼が示した生物学上の成果の数々は別の研究者によるものが大半です。彼はただ、それらの中に「自然選択される主体は、個体ではなくて遺伝子である」という見方(意味、解釈)を持ち込んだだけです。

 しかし、この見方にはそれまで誰も気付けなかったのです。気付いたとしても、ひとつの筋道の通った体系として示すことはできなかったのです。

4. アインシュタインの特殊相対性理論の場合、数式的にはローレンツの式と同じ結論を得ます。多分。しかしローレンツの段階ではまだエーテルという絶対静止系を仮定していました。しかしアインシュタインは絶対静止系など必要ないことを示しました。つまり特殊相対性理論が革命的だったのは数式そのものではなくて、その見方だったのです。


 以上、数式がわかっていたとしても、かならずしも物理的意味のすべてが明らかなわけではない、という実例です。

-----
 なお、光の粒子説と波動説の科学史について、ホイヘンスとニュートンの直後からの歴史を少し調べてブログに書きましたが、ご覧いただけたでしょうか?
 (2020/04/25)[tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/db7eb6a1ea6ddddaf6e7319e92aed977]

 ニュートニアンと呼ばれている人たちは、ボンクラではないでしょうが権威主義的ではあったようですね。ニュートンも不肖の弟子たちを持って天国で嘆いていたことでしょう。

649diamonds8888x:2020/07/02(木) 05:36:49 ID:Qix9q/lA
>>647
>粒子と波動の背反関係が想定される条件下では、光が粒子でかつ波動と主張するのは基準05違反なのかを考察するわけですから、背反関係が知られていた可能性があるのなら、その条件で思考実験を行なってもよいのではないでしょうか?

 まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。[>>646]参照。
   1)「ある時は波の性質を示し、ある時は粒子の性質を示す」
   2)「同時に波と粒子の性質が観測される」

650Ken:2020/07/03(金) 00:02:19 ID:7/Gvc6ok
投稿順序にしたがい、まずは>>645>>646に回答します。

>Kenさんには広い全体よりも具体的で局所的な部分に注目しやすいという傾向があるのではないでしょうか。

そのように思われるのかもしれません。基本的な考え方を同じくする者どうしなら、話をいくら広げても問題はないのでしょうが、私たちはそうではないと思われますので、抽象論を極力排し、具体論に沿って、1つずつ進めてゆくしかないと思います。現時点の目的は、

〜diamonds8888xさんから提示された基準05を検証する

ことにあり、検証する主体は私(Ken)ですから、具体的な検証方法を提示するのは私の責任です。そして具体的な方法として、

〜量子力学登場以前に、粒子と波動の背反関係を否定するのは、基準05違反になるのか

という問題提議を行ないました。今はこの問題に集中してはどうでしょうか?

ただし、diamonds8888xさんから問いかけがあったことには、回答してきたつもりです。

〜この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない

という話にまで問題を拡大するのは、上記の基本方針からずれると私には思えるのですが、問われたからには答えるように努めています。

「例示」の方ですが、

>a)観測は個々の粒子として。干渉はその結果の集合での統計結果として。

観測されるのは結果の集合でも、同じ電子が両方の穴を通過しないことには、規則的な干渉縞が現れるはずがありません。ファインマンは最初にそのことを、干渉縞が現れない銃弾の例で説明しています。

両方の穴の通過を可能にするのが「波と粒子の2重性」で、それをもたらしたのが量子力学という新しい知見ですが、私が常に考えるのは、どんな問題でも、それを解決する新しい知見が登場するまでのあいだ、どうするのか、です。18世紀の条件下での光の正体論争を考察するのもそうですし、以前の投稿(>>344)で、マイケルソンたちの実験から量子論の登場までの18年を問題にしたのもそうです。>>638でも「古典力学しか知らない人には」と書きました。

古典力学においては、電子は粒子以外の何物でもありません。観測される電荷が必ず、ある特定の値(電気素量)の整数倍になり、端数というものがないのだから、電子とは離散的な存在つまり粒子なのです。ところが2重スリット実験では干渉縞が現れる。古典力学しか知らない人なら、矛盾を認めるしかないではありませんか。

あるいは、その時は矛盾に思えても、いつの日か矛盾を解決する知見が登場すると信じるのでしょうか? でも、そんな信仰を拠り所にするなら、逆に基準05にひっかかる理論はなくなるでしょう。「この矛がこの盾を貫く、かつ貫かない」にしても、今の私たちの知識体系の中では起こりえない、ということではありませんか。

それなら基準05は決して適用されず、存在理由もなくなるのではありませんか?

以上は、質問があったことへの回答です。繰り返しますが、今はここまで話を広げず、18世紀の状況に集中してはどうでしょうか。>>648>>649ではその問題に戻っていると思われますので、次にこちらへの回答を投稿させていただきます。

651Ken:2020/07/03(金) 22:45:15 ID:7/Gvc6ok
>粒子  空間の1点に局在している
>波   空間に拡がっている
>狭義の粒子性 1点に存在する性質
>広義の粒子性 狭義の粒子性+量子性
>上記2つの観点からの区別について明確に示された史料というものがなければ、少なくとも学界で公に上記のような区別が意識されていたということは断定できはしません。

まず基本的な点として、18世紀の議論に量子力学を持ち込まないでいただけませんでしょうか? 私が舞台を18世紀に設定した理由は、当時の知識体系の中で「基準」を適用したら、どういう結論にいたるかを考えるためです。当時の知識体系ということは、量子論も相対論もマクスウェル理論すらも知られていないことを意味します。

その18世紀に粒子と波動の違いが知られていたかですが、先の投稿(>>647)で述べたように、理論の具体応用を考えれば、知られていたに決まっています。私は、粒子理論が大砲の製作に、振動理論は時計の製作に応用されたと例を挙げましたが、質量移動に関する認識はそこにあるではありませんか。

大砲の砲弾は敵に向かって飛ぶものです。時計の振り子は同じ場所で往復運動をするものです。砲弾が同じ場所にとどまったり、振り子が空を飛んでいったら、製作者が意図した機能を実現することができません。技術者は、そんなことを言葉に出して語るまでもなく、自明すぎることとして大砲や時計を作っていました。それを厳密な理論で説明せよと求められたら、数式を示せばよかったのです。

もうひとつ、何度も繰り返していますが、当時の科学者が「光は粒子であり、かつ波動である」という結論を、あらゆる努力を傾けて回避した原因が「心理」だったとは、当時の人を過小評価しすぎです。光の粒子的特徴と波動的特徴を見せられながら、根拠もなく、ただ心理的に受容できなかったというのでは、正真正銘の疑似科学者ではありませんか。宗教的心情から進化論を排除するのとどこが違うのでしょうか?


>まず「光が粒子でかつ波動」の意味をはっきりさせてください。

背反関係を想定する必要がない、という意味です。

光は粒子と主張する人は、光の直進や真空伝播のような粒子的特徴だけ挙げればよく、波動説を対立概念として否定する必要がない
光は波動と主張する人は、光の屈折や交差のような波動的特徴だけ挙げればよく、粒子説を対立概念として否定する必要がない

これなら「光が粒子でかつ波動」と主張できることでしょう。


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