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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

395Ken:2019/05/25(土) 08:48:12 ID:2D5jBja2
>>394
>この理由付けが間違いだと、私はずっと主張しているのです。Bの「「純論理的、数理的」なものではない」という考え方は知識によるものではありません。つまり当時の人も知っているはずのことです。

diamonds8888xさんがそのように主張しておられることは承知しています。なぜ私が納得しないのかと、もどかしい思いをされているかもしれません。

でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

〜20世紀に発見された知識には触れず、19世紀に知られていた知識のみを用いて、媒質のない波が存在するという結論にいたる

その論理の筋道を提示してください。diamonds8888xさんの主張が正しいなら、必ずできるはずです。

どうかよろしくお願いします。

396diamonds8888x:2019/05/25(土) 11:01:29 ID:Qjz/9QPI
>>395
>でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

 はあっ? まあいいです。それよりも、もうひとつすみませんが、


 【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】
  ・史実ではないと認めるか
  ・史実と示せる文献等の根拠を示すか
  ・実は表現がちょっと間違えていたのか

[>>380]より
>繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。[>>355]


 私の確認できる限りの史実では、「矛盾を受容した人」はいません。矛盾を受容することにより、科学の進歩に貢献した人もいません。すなわち「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法が使われたことなどありません。

 具体的に言えば、マイケルソンとモーリーの実験結果の後に「エーテルは存在しない」と考えた人は、アインシュタイン以前にはいません。エーテルの存在は前提として、マイケルソンとモーリーの実験結果と一致するようにエーテルの性質を想定しようとしたのです。

 そしてアインシュタインも「エーテルは存在しない」と主張したというよりは、「エーテルの存在を無視した」という方が適切でしょう。つまり特殊相対性理論は、単にエーテルという概念を使っていなかったのです。そして物理学上の論争として「波である光や電磁波の媒質がないのはおかしい」という理由で特殊相対性理論を批判した人を私は知りません。
 そもそもマクスウェル理論にもエーテルという概念は使われていませんから、特殊相対性理論に関しても問題にされなかったのではないかとも考えられますが。


 【要するにそもそも】、「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法の有効性を示すのに、マイケルソンとモーリーの実験結果の事例は不適切なのです。

 けどまあ、ご希望通りこれをネタに説明をしましょう。
 必要な調査もしていたし、時間はかかりますので御承知おきください。

397Ken:2019/05/25(土) 15:28:17 ID:2D5jBja2
>>396
私が提案した思考実験に応じていただける、ということですね?

1つ注文をさせてください。

「媒質のない波」を論じる前提として、

〜波(波動)とはなにか?

という定義から述べていただけますでしょうか?

「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

398diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:16:16 ID:Qjz/9QPI
>>397

>「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

 「波(波動)とはなにか?」という定義が重要であることは大いに同意します。Kenさんが[>>367]で述べていることはまさにそこがポイントになっています。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 波の定義は初歩的というほど簡単とは言えません。というか基礎的な概念ほど定義、というよりも概念の範囲が難しいものです。科学の革新的発展の時には基礎的概念が変革されることが普通です。

 そして「基礎的概念の定義には注意すべし」というのは古来から先端的科学(先端的自然哲学)の研究者なら無意識にでも行っていることで、知識不足からなおざりになるというものではありません。

 また、波(波動)の定義によって[>>394]で示した2つの見方が分かれることにもなります。

>  ・光(電磁波)の媒質はない
>  ・光(電磁波)の媒質は真空である

 後者の見方を取れば「マイケルソンとモーリーの実験結果によりエーテル(光の媒質)の存在が否定された」という解釈は間違いとなりますが、それがまんざら珍説でもないことを示すものとして以下の資料を示しておきます。私自身もすべて読んで理解してはいませんが、後述の時に文中で示すのも長くなるのであらかじめ示しておきます。

---------引用開始---------------
京都大学哲学研究会(レジュメ? > ?相対性理論の起原)
[ps://sites.google.com/site/kyototekken2011/rejume/mahhano-ke-xue-si-xiang]

 〜通俗的な相対性理論の解説は〜一九世紀の物理学者たちは絶対静止のエーテルという仮構を信じ切っており、決定的な反証が出されてもやはりエーテル説を捨てようとしなかった。アインシュタインだけが実験結果を率直に受け取り、エーテルを廃して〜

 多くの入門書はエーテルの仮想がいかに不適切なものであったかを力説〜その最終的な帰結は、今の電磁気の教科書に書いてあるような、古典的な「場」の考え方の確立である。

 「エーテル」を現在の電磁気学の教科書における「場」と同等の概念にまで引き上げたのは、ポアンカレの「相対性原理」である。
---------引用終り---------------

399diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:17:48 ID:Qjz/9QPI
>>397
 それはそうと次の件は早く決着させてください。

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

 そのために波の定義が必要ならKenさんが[>>367]で採用した定義を使えばよいでしょう。必要ないと思うけど。

 そもそも[>>367]は、現代人としてのKenさんの定義は、19世紀の人の定義とは異なると言っているのでしょうか?

400Ken:2019/05/25(土) 18:35:24 ID:2D5jBja2
>>399

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

これは>>396で問われた件ですね。

正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。
ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。


なお、

〜波(波動)とはなにか?

を語っていただくに際して、言うまでもないとは思いますが、19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

401ミケ:2019/05/25(土) 22:24:08 ID:6UZWK5Gs
…diamonds8888xさん以外の投稿は読まないとのことですからKenさんに向けたものではありません。

・史実ではないと認めるか
・史実と示せる文献等の根拠を示すか
・実は表現がちょっと間違えていたのか
(New!)・史実かどうかは論点ではないので史実ではないかどうかは答えません!←ピコーン

diamonds8888xさんのお返事も必要ありませんが
正面から質問に答えなかったり、「質問に答える前に一つ確認を」と質問返しを繰り返されて
さすがに普通だったらいら立っているだろうと思いちょっとした笑いを提供してみました。

402diamonds8888x:2019/05/26(日) 06:28:39 ID:Qjz/9QPI
>400
>正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

 つまり史実を知らないということですね?
 では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?
 私が知る限りでは史実ではありませんから。 

>19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

 19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう? それならまずKenさんの定義を示してください。というのは単なるいらだちの表現。[>>367]からほぼ推察できるから別に必要ないです。

 まあ、私は複数の定義を示して、それぞれの場合にどうなるかを説明するつもりでいます。

 時間がかかりますから、その間ぼーっとしてないで、[>>394]からのリンク先をじっくり考えてください。論理と知識の区別がついてないようですから。

403Ken:2019/05/26(日) 07:44:04 ID:2D5jBja2
>>402
>19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう?

それは難しく考えすぎですよ。

要するに19世紀には知られていなかった量子力学的な波、つまり光子や電子などがどの位置に存在するかは波動関数に従うといった概念などは持ち込まないでください、ということです。

その条件さえ満たしていれば、diamonds8888xさんが考える定義で結構です。というよりも、本来の検証対象はdiamonds8888xさんの基準ですから、ここで他の人の定義など持ち込まれては、話が混乱します。

404diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:55:21 ID:2lzkQMyE
>>402
 すべてまとまってから書こうかとも思いましたが、読む人達の時間ももったいないでしょうから少しずつupします。たぶん4-5回の連載になると考えてください。>>all

【エーテルとは何だったのか?-1】

 まず原理的な話です。Pが「光波(電磁波)は波である」であれば¬Pは「光波(電磁波)は波ではない」であり、他の命題例えば「光波(電磁波)を伝える媒質がない」と同じではありません。これはどんな時代であれ明らかなことです。むろん何らかの根拠から「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であれば話は別です。

 ここまではアリストテレスでも知っている論理の話で、まして19世紀の科学者なら【聞けば納得のはず】の常識に過ぎません。

 「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であることの可能な根拠のひとつは観測ですが、もうひとつに定義があります。これはKenさんが[>>367]で述べていることです。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 科学や数学を学べばわかるように定義はとても重要です。そして科学史を学べばわかるように定義とは科学の進歩の節目ごとに変遷してきたものです。定義を突き詰めるという考え、正確な定義をすべきという考えは、19世紀であってもできる研究者であれば基本的には心得ていると私は考えます。多くのできる先人たち自身が色々な定義を考え出してきたのですから。

 そして定義の変化は新しい発見、すなわち新しい観測事実によるものですから、ある時の定義の内容自体は論理の範疇ではなく、科学の範疇です。Kenさんはある時の定義の内容自体が論理だと考えていて、「ある時の定義の内容に反するような考えは、論理に反するような発想(論理にはこだわらない自由な発想?)だ」と考えているようですが、それは違います。


 とはいえ、定義の考えも含めて以下しばらくは【現代の立場】から話を進めます。

 では相対論や量子論を知っている現代人はどう考えるかということですが、ここに2つの見方がでてきます。いや相対論や量子論の【知識】は関係ありませんが(^_^)

 【媒質を持たない波というものも存在して代表例が電磁波である】という見方に立った場合は2つの場合があります。
 「媒質を持つ」というのはもともと波の定義に含まれてはいなかったとすれば、19世紀の人の考えは単に論理的な可能性を見落とした間違いということになり、知識不足によるものではないことになります。
 実は19世紀の波の定義には「媒質を持つ」ことが必須だったとすれば、ある時に波の定義が変ったことになります。なぜ変わったかと言えば波の定義、および定義から導かれる性質の一部しか持たない対象、具体的には光波(電磁波)のことが観測により判明したからです。このようなことは生物学などではよくあります。
  ・動物でも植物でもない生物が発見される。
  ・細胞を持たない生物、ウイルスが発見される
  ・様々な中間種が発見される。

 しかし【電磁波の媒質は真空である】もっと正確には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方に立てば「光波(電磁波)を伝える媒質がある」という考えは現代人も否定していないことになります。つまりマイケルソンとモーリーの実験結果は光の媒質を否定していなかったことになります。

 では19世紀の人は何が間違っていたのかと言えば、「光波(電磁波)の媒質に、音波などの媒質である通常の物質の性質を与えすぎてしまっていた」ということになるでしょう。エーテルの弾性とか堅いはずだとかいう考えですね。

 しかし実は史実としては、ローレンツ理論はこの方針に沿って光波(電磁波)の媒質を実験と一致するものに想定していくというもので、その中で通常の物質から連想されていた性質はそぎ落とされました。

 個人的には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方が気に入っているので、今少し、この立場から詳しく説明します。

405diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:57:46 ID:2lzkQMyE
>>400
>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

 ああーー、そういうこと。媒質のない波である物質波なんてものを提案した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 Kenさんの論法だと「相対論や量子論を思いついた人」は【論理的に考えていなかった】ということになるのですが、そういうことなんですね?

 彼らは【論理的に考えていなかった】からこそ画期的な進歩を成し得たのだ、というお考えだということなのですね?

406Ken:2019/06/02(日) 07:15:20 ID:2D5jBja2
とりあえず、こちら(>>405)だけ

>特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?

私の>>400の発言から、

>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

という部分のみを切り取られていますが、私はその直後に

>ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。

と述べています。

この文脈から

〜相対論や量子論のような具体的な解決策をもつことなく、媒質のない波を想定するのは非論理的

という文意は明らかと思っていました。

「19世紀の知識体系」とは、つまり、相対論や量子論を考え付く前という意味です。この点をより明確にするため、

〜マイケルソンたちが実験した1887年から、アインシュタインが光量子を提唱する1905年までの18年のあいだに

と何度かくりかえしました。

407fnorder:2019/06/02(日) 12:37:49 ID:???
シャーロック・ホームズいわく。

あり得ないものを除いて最後に残ったものは、そどれほどありそうにないように見えても、それこそが真実である。

これこそ論理的思考だと思います。なお、ホームズは19世紀末の作品です。

408diamonds8888x:2019/06/04(火) 06:02:15 ID:2lzkQMyE
>>406
>「19世紀の知識体系」とは、つまり、相対論や量子論を考え付く前という意味です。

 つまり相対論や量子論は、「19世紀の知識体系」から見れば【論理的ではない】ということになりますよね?
 多くの人は「19世紀の知識体系」から見て【論理的な考え】だけに拘っていたから、相対論や量子論を思いつけなかったのだ、というのがKenさんのお考えなのでしょう? ゆえに科学の進歩のためには【論理的な考え】だけに拘ったらいけない、というのではないのですか?

409Ken:2019/06/04(火) 23:49:47 ID:iVfyo2Fw
>>408

>多くの人は「19世紀の知識体系」から見て【論理的な考え】だけに拘っていたから、相対論や量子論を思いつけなかったのだ、というのがKenさんのお考えなのでしょう?

誤解を生じては困るので、【論理的な考え】に厳密な説明を加えておきます。まずは数学を例にとりましょう。

例えば2次方程式には解の公式というものがあり、どんな方程式をだれが解いても、同じ答えに達します。
ja.wikipedia.org/wiki/二次方程式の解の公式

ところが微分方程式の解き方に公式はありません。方程式の解は関数ですが、どういう関数なら方程式を満足するかは試行錯誤で見つけるしかない。例えば

y"(x) + y(x) = 0

のような方程式を解くには、yをいろいろなxの関数と仮定して、方程式を満足するかを試してゆきます・・・「y = x²」ではだめ、「y = 1/x」もだめ、「y = exp(x)」のような指数関数でもだめ・・・・そしてついに「y = sin x」のような三角関数を試したとき、上の方程式を満たす解であることが分かります。

数学は純粋論理の世界です。2次方程式も微分方程式も、求められた解は厳密に論理的なものに違いありません。にも関わらず、両者は解を求める方法が異なり、微分方程式の解法には試行錯誤つまり偶然が介在するのです。


ここから理科の話になります。

マイケルソンの実験が「媒質がない波」という課題を出し、アインシュタインの光量子説が解答を出したわけですが、この解答へいたる道には、上記の微分方程式と同様の偶然が介在したと私は考えます。

たとえば、解に至る過程にはプランクによる量子の発見が必要でした。しかしプランクは、黒体放射から上限のない高周波が出るという理論上の矛盾を解決するため量子を考案したので、媒質がない波の問題を考えていたわけではありません。その意味では、光の媒質問題が解決したのは偶然の産物といえるでしょう。偶然であり必然ではなかったからこそ、解が見つかったとき18年も経っていました。

一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか? 偶然に何かを(例えば量子を)思いついた人だけが「正しい科学」の基準に従える、というのでは基準にならないでしょう。

冒頭で挙げた【論理的な考え】の論理とはこれの意味です。このような論理だけで量子論にいたるのは不可能と、私は考えます。

もちろん19世紀の人でも、アインシュタインが光量子説にいたった経緯と根拠を順を追って説明されたら「論理的」であると納得するでしょう。「y"(x) + y(x) = 0」の解が「y = sin x」と教えられた人が納得するのと同じです。

繰り返しますが、私の論点は、マイケルソン実験までの情報をもつ人が、媒質のない波という結論に達するには、偶然の働きが必要という認識が根拠になっています。もしもこの認識が誤っており、偶然を介在させず、論理の積み重ねのみでその知見に達するなら、私の認識は誤りということになります。

〜19世紀の知識体系にのみ基づき、媒質のない波へ至る、論理の筋道

を示してくださいとお願いする理由はここにあります。

410fnorder:2019/06/06(木) 21:27:18 ID:???
仮説と検証の繰り返しが『論理的ではない』と考えるなら科学は概ね『論理的でない』ということになりそうだな。すげえ。

411ミケ:2019/06/06(木) 22:42:56 ID:6UZWK5Gs
diamonds8888xさんが
>>14
>着想の段階では何をきっかけに思いつこうといいのですが、(以下略)
と書いていることをサルベージしておこうと思います。

仮説を検証する過程と、
仮説を導き出す過程と、
どちらが重要で、どの部分が論理的であるべきなのか。
「基準」において論理を用いているのはどこなのか。

と、いうあたりに力点を置くのが良いかと

412ミケ:2019/06/06(木) 23:13:39 ID:6UZWK5Gs
直近ですと

>>361

>理論の発想には根拠は必要ありません。
>それが観察事実を説明できてさえいれば十分に理論の資格があります。
>根拠は夢でもこじつけでも一向に構いません。
>原因不明で頭の中にぽかっと浮かんだアイディアで一向に構いません。

と書いていらっしゃいましたね。サルベージする必要もありませんでしたか。

413ゲジゲジ:2019/06/08(土) 22:57:51 ID:vlYjD/b.
どうしてもヨコから口出ししたくなってしまうのですが、できるだけ我慢してこれだけ。

 >>307
 >基準02-04[>>56,>>59]は、むしろ、理論の検証過程が科学的か否かを判定するための基準です。

diamonds8888xさまはこんな事は言っていないと思いますが・・・
 >一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、
 >論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか?

414diamonds8888x:2019/06/09(日) 05:19:26 ID:bxkh5HmA
>>404【エーテルとは何だったのか?-2】

 「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方からの説明です。
 くどいようですが、しばらくは【現代の立場】から話を進めます。【現代の立場】がはっきりしなければ【19世紀の立場】がそれとどう違うのかもはっきりしないからです。

 マクスウェル理論が示しているのは電磁波とは電場と磁場の変動が空間を伝わってゆく波だということです。素直に受け取れば、電場と磁場を媒質とする波を電磁波と定義したのであり、「光波(電磁波)の媒質は電場と磁場である」ということは今も変わりません。

 すると「光波(電磁波)の媒質はない」というのは単に「通常の物質としての光波(電磁波)の媒質はない」という意味に過ぎなくなり、言葉の綾でしかなくなります。そしてマクスウェル理論が示す電磁波の媒質である電場と磁場とは、まさしく通常の物質ではありません。

 通俗的には「特殊相対性理論がマイケルソンとモーリーの実験結果が示す矛盾を解消した」と言われるようですが、先に述べたようにアインシタインは真っ向からエーテルを否定したのではなく、むしろ「エーテルの存在を無視した」と言う方が正確です。すなわち特殊相対性理論は、そもそもマイケルソンとモーリーの実験結果とは無関係にマクスウェル理論の帰結である「電磁波の速度は真空の誘電率と透磁率とから決まる定数である」から出発します。そして「速度が異なる観測者から見てもマクスウェルの方程式は不変である」という相対性の原理と呼ばれる要請を置きます。つまりいわゆる光速度不変の原理が公理として置かれます。その代償として、「速度が異なる観測者の時空座標系は互いに異なってもよい」という考えを取り入れます。あとは、今となっては高校生にも理解できる数学的手順で特殊相対性理論の驚くべき定理の数々が導かれます。

 ですのでアインシタインが破壊した常識とは、「波には媒質がある」というものではなく、むしろ「時空は誰にとっても同じような、単なる物体の入れものとか現象の舞台のようなものである」という、力学上ではニュートンが明確に言葉にしたとされる常識の方です。いわゆる「ニュートンの絶対時間、絶対空間」と呼ばれるものです。そしてこの常識を破壊したのは実はアインシタインではなく、エルンスト・マッハの『力学史』です(1883年;マイケルソンとモーリーの実験の5年前)。アインシタインもマッハの影響を公言していたようです。

 マッハは「経験的根拠(観測的根拠)のない常識は何も認めない」という徹底した論理でニュートンの絶対時間や絶対空間を「限られた経験からの根拠によるものでしかない」と喝破したのですが、さすがにこれほどの徹底した哲学的思考を最初にやるのは天才のなせる技というべきかも知れません。とはいえ、これを「当時にはなかった知識」と呼ぶのもまたためらわれます。デカルトのような徹底した懐疑論というものも既に登場していたのですから。


 かくて「いわゆるエーテル」はなし崩し的に存在を無視されて幻と化したのですが、そうなると実は、「そもそもマクスウェル理論には存在しなかった「いわゆるエーテル」を勝手に想像したことが間違いだった」という見方も成り立ちます。

 ではなぜ「いわゆるエーテル」を勝手に想像するはめになったのかを、今度は【19世紀の研究者の立場】で考えてみます。

415diamonds8888x:2019/06/09(日) 05:21:45 ID:bxkh5HmA
>>409
 ミケさんの投稿のおかげでKenさんの趣旨がわかりました。まさかそんな風に混乱していたとは!

 では基本論として、科学理論が確立される(定説となる)までの経緯は2つの段階に分けられます。理論が発想される段階と、それが検証される段階です。ミケさんが引用した私の発言で述べたように発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。そしてここには、今のテーマである科学の基準も適用されません。セレンディピティという言葉もあるくらいですから。

 科学の基準が必要になるのは検証の段階です。発想された理論が反論で揉まれたり、観測事実を説明しようとしたりする際の話です。

>一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか? 偶然に何かを(例えば量子を)思いついた人だけが「正しい科学」の基準に従える、というのでは基準にならないでしょう。

 というわけで発想までなら科学の基準は必要ありません。でも「至る」というのは発想だけで済むものではないでしょう? 検証されて多くの研究者に認められなければ「至る」という表現は拙いでしょう? 何歩かゆずって、多数派に認められなくても公表された段階で「至る」とするとしても、その段階では中身は【普通の意味で論理的なもの】でないと話になりません。

 ゆえに発想は自由だと言えども、検証のために公表する段階では、理論の内容に論理的矛盾のあるようなものは、その段階で切られます。Kenさん定義の論理ではなく、普通の意味の論理ならですけど。

 ここんとこ理解できましたか?

 もちろん偉大な発想というのはランダム突然変異みたいなほぼ完全な偶然ではありませんよ。例えば、どう考えれば常識を打破する発想が生まれるかという事例が科学史上積み上がってますから、そこから学ぶということは可能です。ま、それはともかく。


 で、Kenさん定義の【論理的な考え】の論理というのが具体的にはよくわかりません。知識体系によって【論理的な考え】の帰結が異なるというのが普通の意味の論理ではありえません。結局[>>405]への回答は次のようになるのでしょうか?

1)19世紀の知識体系による【論理的な考え】では、波には媒質が必要である。
2)量子論の内容によれば、媒質のない波も存在する。
3)量子論を発想した人は、(発想段階では)【論理的な考え】をしなかった。
4)量子論の内容そのものは、19世紀の人でも【論理的な考え】だと納得する?
5)量子論の内容は、19世紀の知識体系による【論理的な考え】とは食い違う。

 私はもちろん「Kenさんは5)だと考えてますよね?」と尋ねたつもりだし、1)と3)からはどうしても5)が誘導されるとしか思えないんですけどね?
 で、4)は、そう考えるのでしょうか? ではこのとき19世紀の知識体系による【論理的な考え】は打ち捨てられるってことなんですか? ああーー、書いていて混乱してきましたよ。

 答を整理してもらえますか?

416diamonds8888x:2019/06/09(日) 08:17:16 ID:bxkh5HmA
>>415(>>409)
 厳密に言えば発想のヒントはどこからでもいい。でも思いつきをまともな発想にするには論理も知識も必要です。そうして表に出てきた発想は、決してランダムな偶然によるものではなく、その人なりの思考が加えられたものになっています。それゆえにこそ常識を破壊するような発想は表に出にくいとも言えます。その人の思考が常識に縛られていることが多いからです。
 (この辺はどこからどこまでが「ヒント」か「発想」か「理論」かによりますけど)

 でも常識を破壊した発想も後世から考えると実に自然なものであり【当時の知識だけから】だけから誰が思いついても不思議ではないと思えるものです。常識を破壊した人だって【当時の知識以上の知識はなかった】のだから当たり前です(未来人じゃあるまいし)。

 そして常識を破壊できる発想をうむ方法論もいくつか考えられるのです。最も単純でわかりやすいのが虱潰し。

 詰将棋や詰碁を解くとき人は読み筋を絞り勝ちです。下手なひとほど、実は正解に続く初手をなぜか思いつかなかったりします。ここで役立つのが虱潰しです。可能な手をともかく読んでみる。すると、なぜだか初めは考えもしなかった手が意外と見込みがありそうなことが見えてきたりします。

 で、虱潰しがうまくいくという根拠が「P∨¬P」。可能な7通りの初手のうち6通りが詰まないことが確かであれば、なぜだか初めは考えもしなかった手であっても残った手が正解のはずだ。いやまあ詰将棋や詰碁だと実は不詰だったということもありますが(^_^)
 いやもうひとつ問題が。6通りが詰まないことが確かという判断が下手な人では間違ってるかもしれない・・常識だよね(^_^)。

 ほら論理的思考は発想を生むのにも役立つでしょ。既に述べた通り、これはホームズも重宝していた方法です。

 といった話をエーテル話で展開しようというのが【エーテルとは何だったのか?】シリーズの投稿だったのですが、Kenさんの意図とはポイントがずれてたかなあ。むなしいなあ。

417diamonds8888x:2019/06/09(日) 10:31:34 ID:bxkh5HmA
>>416
 非ユークリッド幾何学の例はどうでしょうか。平行線公準がどうしても証明できないので、平行線公準が成り立つと仮定したらどうなるか? を論証してみたわけです。これ自体は背理法と呼ばれる数学では常套手段の証明法です。ただ彼ら(ロバチェフスキー達)はそれを徹底してみたのです。言うなれば、この初手ならなんとかなるかも知れないから何百手でも読んでみよう、というわけですね(何十手レベルならプロには常識だから!!)。そしたら何百手でも矛盾が出てこない!?。

 てなわけで「異なる法則が支配する異世界」という、後のマルチバースや多世界解釈にもつながるような思想が誕生したのです。これは別に【新たな知識】やら偶然やらによる発想ではなくて、背理法という自然な論理的方法を愚直に徹底したまでなのです。(いや並みの人間には徹底できなかったのだけど)。

 光速度不変の原理からの相対性理論の誘導も似てますね。「論理は間違えないのだから、我々の観測の方が不十分だっただけなのだ」というわけです。まさにエラリー・クイーンの名推理。

418Ken:2019/06/09(日) 10:47:35 ID:iVfyo2Fw
意思疎通が難しいことは覚悟の上ですが、それにしても論点がかみ合いませんね。

>科学理論が確立される(定説となる)までの経緯は2つの段階に分けられます。
>理論が発想される段階と、それが検証される段階です。
>発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。

でも、私が問題にしているのは発想の段階ではなく、その前なのですが。

微分方程式の解にせよ、多くの自然科学問題の解にせよ、それを「発想する」のは偶然に依存することは同意いただけますか?

偶然に依存するということは、問題が問われてから解を発想するまで、時間差を生じることを意味します。その時間差は短いかもしれないし長期にわたるかもしれません。たとえば、マイケルソンたちの実験が電磁波の媒質問題を提議してから、光量子説という解答が発想されるまで、18年が経過しました。

その「18年」のあいだ、つまり解の発想自体がない状況では、diamonds8888xさんの基準に従う「正しい科学」は、どのような立場をとるのでしょうか? 私が問い続けているのはこの点なのですが。

私自身は、例えば>>355で述べたように、

>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

と考えます。

19世紀の波動理論では、電磁波を含むあらゆる波には「媒質が存在する」→これを「P」とします。
マイケルソンの実験結果では、電磁波には「媒質が存在しない」→これを「¬P」とします。

上のPと¬Pのどちらも否定できないなら、両者の並立状態「P∧¬P」を受け入れるしかありません。

これに対してdiamonds8888xさんは、上記のPが誤りで、媒質がない波が存在することは19世紀の知識体系でも導ける、と主張をされているのだと思います。ですから、その結論にいたる論理の筋道を示してくださいと、6週間前に投稿した>>356以来ずっと言い続けています。


ところで・・・

>ミケさんが引用した私の発言で述べたように

第三者の投稿を私に読ませるなら

(1)Cの発言をAの言葉で言い直す
(2)Cの発言から利用できる部分を抜き出す
(3)Cの発言をそのままAの発言とみなしてよいと保証する

という3つのどれかの形をとってくださいとお願いし、>>314で了承を得ているはずです。(上記のCが第三者、Aがdiamonds8888xさんに該当)

時間と労力をかけて到達した合意ですので、遵守していただくように、改めてお願いします。

419Ken:2019/06/09(日) 11:21:08 ID:iVfyo2Fw
これもなんだか誤解を生みそうなので、先手を打って、明確にしておきましょう。

>発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。

一個人の脳内思考ではそうかもしれません。

でも、その発想を発表して世に問うときには、【正しい論理】を伴う必要があるのですよね?

私たちが議論しているのは公開の場(ネット、メディア、シンポジウム等)に出てくる仮説ですから、「発想」と【正しい論理】は、同じタイミングで出てくるはずでしょう?

420ゲジゲジ:2019/06/11(火) 17:24:50 ID:iPn.zrmM
diamonds8888xさまへ。

なぜお2人の論点がここまでかみ合わずに足踏みしてしまうのか?
diamonds8888xさまもイライラされている事と想像しますが、ヨコから見ていてもイライラします。
少しでも早く議論が進むようお手伝いしたいと思いますので、使えるようなら使ってください。


〜〜〜本文ココから〜〜〜
 >>418
 >19世紀の波動理論では、電磁波を含むあらゆる波には「媒質が存在する」→これを「P」とします。
 >マイケルソンの実験結果では、電磁波には「媒質が存在しない」→これを「¬P」とします。

もう少し分解して考えてみましょう。
 ・電磁波は波である。→「Pa」
 ・波には媒質が存在する。→「Pb」
 ・「Pa」と「Pb」から、電磁波には媒質が存在する。→「P」
一報でマイケルソンの実験結果から、
 ・電磁波には媒質が存在しない。→「¬P」

ここから論理的に導けるのは以下の3通りです。
(1)「Pa」が間違い。ゆえに「P」は間違い。
電磁波は波ではない。いくつかの点で波と同じ性質を持つが、波とは異なる別の現象である。
(2)「Pa」が間違い。ゆえに「P」は間違い。
波には媒質が存在するとは限らない。媒質が存在しない波もあり得る。
(3)「¬P」が間違い。
電磁波には、マイケルソンの実験では検出されないような、これまで知られていたような物質とは異なる性質を持つ媒質が存在する。


上記(1)〜(3)のいずれかに当てはまる仮説であれば、少なくとも論理の点では科学的な基準を満たすと言えます。
勿論、今の論点ではない別の基準(反証可能性がある事など)も満たしている必要はあるわけですが。


では(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付かなかったら???
あるいはそういう仮説を思い付く前は???

「P∧¬P」のように見える、その時点の科学では説明できない不思議な現象がある・・・という状況が、仮説を思い付くまで続くだけの事です。
「P∧¬P」を受け入れるしかないのではなく、説明ができない事を受け入れるしかないのです。

実際は「解」に辿り着くまで、(1)〜(3)に当てはまるような仮説を色々と考えて検証してみる、という試行錯誤が続きます。
いや、「解」に辿り着いたとしても、本当にその「解」が正しいのか? もっと適切な、現象を上手く説明できる「解」ないのか? ほぼ永久に試行錯誤は続いていきます。それが仮説と検証という、科学の営みそのものです。


さて、以上が「思考実験」の回答になるかと思いますが、実際の史実はどうだったでしょうか?
史実では光量子説が発想されるまでの「18年」の間、(3)「¬P」が間違い、の方向で仮説と検証が続けられました。

そもそもマイケルソンの実験結果から「電磁波には媒質が存在しない」と解釈した人がいたのでしょうか?
「電磁波には媒質が存在しない」は、それこそ量子力学を知った後世の人たちによる後付けの解釈ではないですか?

「ない」事を証明するのは「悪魔の証明」です。その事は19世紀の人たちも知っていたはずです。
で、あればマイケルソンの実験結果から電磁波には媒質が「ない」事が証明されたなどとは普通は考えないはずです。
これまで考えられていたような媒質とは異なる媒質がある、と考えるのが自然な事です。


〜〜〜ココまで〜〜〜

Kenさまの「思考実験」はそもそもの前提が史実とは異なっていますし、にも拘らずその説明が不足しているのですよね。

 >diamonds8888xさんは、(略)媒質がない波が存在することは19世紀の知識体系でも導ける、と主張をされている
これは誤読ですよね。どこをどう誤読するとこういう解釈になるのか分かりませんが・・・

diamonds8888xさまが一貫して仰っていたのは、19世紀の知識体系でも「P∧¬P」があり得ない事は理解できるはず、というものだし、19世紀の知識体系でも上記(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付く事はできる、というものでしょう。
実際に史実では(3)の仮説を思い付いているわけですし。

421ミケ:2019/06/12(水) 02:37:49 ID:6UZWK5Gs
「光は波か粒子か」の科学史的な話には興味がないので調べていませんが

Pを肯定するような実験結果Xと
Q(当時は¬Pと考えられていた)を肯定するような実験結果Yが得られた場合、
当時PとQが並立しないと考えられていたならば

Aさん「Pは正しい。YがQを肯定するように見えるのはMという事象を仮定すれば説明できる。」
Bさん「Q(¬P)が正しい。XがPを肯定するように見えるのはNという事象を仮定すれば説明できる。」

などの立場があり得ます。
AさんにもBさんにも論理的矛盾はありません。

最終的に、「Qは、¬Pではなかった。」(PもQも正しかった)となるわけですが
その前段階は
「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

このあたりにも混乱がありそうですね。
もちろんここだけではないようなので色々大変そうですね。

422diamonds8888x:2019/06/15(土) 06:00:34 ID:k5FCKFao
>>418,>>419
とりあえずこれだけ

>>ミケさんが引用した私の発言で述べたように

>第三者の投稿を私に読ませるなら

 【私の発言】です。ミケさんの見解ではありません。
 かの発言中の文だけでは文脈が心配ならリンク先の【私の発言】を参照すればいい。

>一個人の脳内思考ではそうかもしれません。

 「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」てのは一個人の脳内思考じゃないんですか? 公表された例があるなら示してください。私の知る限り、「矛盾を受容するしかない」と主張した論文が出たことはないと思いますが? ちゃんと史実に基づいてくださいな。

 ともかく>>418>>419で考えているステージが食い違ってるではありませんか。もうちょっと時系列を整理して、説明してくださいな。

423diamonds8888x:2019/06/15(土) 06:09:13 ID:k5FCKFao
>>422 補足

>私たちが議論しているのは公開の場(ネット、メディア、シンポジウム等)に出てくる仮説ですから、「発想」と【正しい論理】は、同じタイミングで出てくるはずでしょう?

 それで「発想の段階ではなく、その前」も同じタイミングなんですよね?
 それで間違いありませんか?

424Ken:2019/06/15(土) 09:38:25 ID:sdGoTYng
>>422

>かの発言中の文だけでは文脈が心配ならリンク先の【私の発言】を参照すればいい。

diamonds8888xさんの過去の【私の発言】に言及されるのはよいのですが、それには過去の発言の投稿番号を挙げていただくか、もしそれが第三者の発言中で挙げられているなら、その第三者の投稿番号を示していただけませんか? >>415ではどちらも行なわれていません。

>「矛盾を受容するしかない」と主張した論文が出たことはないと思いますが? ちゃんと史実に基づいてくださいな。

この件は>>400

>正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

と、>>402

>では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?

で決着がついたと思っていましたが。

私は>>356で「思考実験」をやりましょうと提案しました。思考実験というからには架空の条件を設定して、その条件から導かれる結論をシミュレートします。史実を明らかにするのが目的なら、それは歴史考証であって思考実験ではありません。

ですから、

>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

というのも、19世紀の知識体系の中に、現在のdiamonds8888xさんと同じ「基準」を持つ人がいたら、という条件を設定して、私自身がシミュレーションを行なった結果、導き出された結論です。

そして、diamonds8888xさんなら、同じ条件設定のもとでどのようなシミュレーション結果を出されますでしょうか、ということを>>356以来、問いつづけていうます。

ここで問題になっているのは、例えば>>415で述べられた

>知識体系によって【論理的な考え】の帰結が異なるというのが普通の意味の論理ではありえません。

という点です。私はまさしく、知識体系によって論理的な考えの帰結が異なる、と思うのですから。その1例として>>354では、ニュートンの万有引力の法則を挙げました。この法則は、現在では一般相対論によって否定されていますが、17世紀の知識体系の中では論理的であったと思います。

同じことを電磁波の媒質問題について検証するための思考実験をやってみましょう、と言っています。もしも19世紀の知識体系から、媒質がない波の可能性に到達しえるのなら、diamonds8888xさんが正しく、私が間違っていることになります。

425diamonds8888x:2019/06/15(土) 11:33:48 ID:k5FCKFao
>>424
>その第三者の投稿番号を示していただけませんか? >>415ではどちらも行なわれていません。

 「ミケさんの発言」と言えば直近の[>>412][>>411]に決まってるでしょ。そこにリンクがあります。まさかあんな短い投稿を【本当にちらとも見ないの?】。約一週間もあったのに。

>ニュートンの〜17世紀の知識体系の中では論理的であったと思います。

 論理だけではなく知識(経験、観測)も入ってるからです。論理的かどうかというだけなら、ニュートン理論も相対性理論も、現在でも普通の意味で論理的です。2つの理論の帰結が異なるのは設定した公理が異なるからであって、使った論理が異なるからではありません。


>>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

>というのも、19世紀の知識体系の中に、現在のdiamonds8888xさんと同じ「基準」を持つ人がい>たら、という条件を設定して、私自身がシミュレーションを行なった結果、導き出された結論です。

 はあああああ、全部Kenさんの創造なの。事実と誤解したものでさえないと。早く言ってよね。
 「¬P)∧Pを肯定する」という見解は「>>356で「思考実験」をやりましょうと提案」する前からおっしゃってましたよね。シミュレーションの結果だとは一言も言わずに。
 まあそれならば、この件はもう少し推敲してからコメントしましょう。ちと何日後になるかは不明です。

 ただ、どれほど失敬なことをしたかは自覚してほしいですね。
 自分の見解と事実を区別するのは科学的議論の基本です。
 自覚がない、つまり悪気がないのはわかってますけど、そういうのを「天然」というわけですよ。

426Ken:2019/06/15(土) 13:28:01 ID:sdGoTYng
>>425

>「¬P)∧Pを肯定する」という見解は「>>356で「思考実験」をやりましょうと提案」する前からおっしゃってましたよね。シミュレーションの結果だとは一言も言わずに。

これが、そんなに「失敬」ですか??

1.「¬P∧Pを肯定する」という意見を述べる
2.1で述べた意見に同意が得られない
3.そこで「¬P∧P」の具体例を提唱する

具体例がつまり思考実験(=シミュレーション)です。上の順序に問題がありますか?


「¬P∧P」を世間が受け入れたのが「史実」であると私が主張したと思われるのでしたら、最初に「18年問題」を取り上げた>>344を読み返してみてください。いくつかのキーとなる文章を抜粋すると、

>私の問題提議は、その18年のあいだに、科学はどういう立場をとるべきであったか、というものです。
→「どういう立場をとったか」ではなく「とるべきであったか」と言ってます。

>(¬P)∧P以外に表現しようがないのではありませんか?
→「表現した」ではなく「表現しようがない」と言ってます。

>上記の18年を生きた人がそれを予測するのは不可能で
→「不可能」というからには思考実験の結果になります。「現実に行なわれなかった」という言い方をしておれば、史実を述べたことになるでしょう。もっとも、この場合は、現実にも、光量子説が登場したのは18年後なのですが、それはシミュレーションの裏付けと解釈しています。


それとも私の文章に「史実」を述べたとしか解釈できない部分がありますでしょうか?

427diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:00:42 ID:jv7EfXUQ
[>>414]【エーテルとは何だったのか?-3】
 [>>398]で引用した京都大学哲学研究会の記事によれば、マクスウェル自身が光波(電磁波)の速度は媒質(エーテル)に対するものであり「エーテルの風」の存在を予言したようです。それはおそらく「理論的には光速度一定」という結論を即座にありえないと否定したからでしょう。振り返ってみれば、ガリレイ変換という常識にとらわれていたと言えます。

 そしてマイケルソンとモーリーの実験によりエーテルの風が観測されなかった結果を受けて、「光波(電磁波)には媒質はない」という理論は私の知る限り公表されてはいません。歴史上有名で評価も高いものはローレンツ理論です。これは「(媒質である)エーテルの性質をマイケルソンとモーリーの実験結果を説明できるように仮定した」というものです。この理論はかなり成功したために相対性理論は単にローレンツ理論の別の形ではないかくらいの評価もあって、相対性理論にはノーベル賞が与えられなかった原因のひとつという話もあるようです。

 さてローレンツ理論では物体の運動によりエーテルが「引きずられて」、光の媒質たるエーテルが縮んだり局所時間が変化したりすると仮定されます。この効果が「ローレンツ短縮」という相対性理論の用語として今も残っています。ここでエーテルを真空と言い換えさえすれば「エーテルの存在を否定した理論」になっちゃいます(^_^)??!!

 実のところ私も、ローレンツ理論と特殊相対性理論で予言結果がどう異なるのか、または異なるところはないのか、ということはよく知りません。ローレンツ理論の公理系では「光のエーテルに対する相対速度は一定」としているだけなので、「光速の質点はどの観測者から見ても光速である」とはなりません。ただ定理としては誘導されるかも知れません。エーテルを引きずることによるローレンツ短縮などの効果が一種の抵抗となるとか。対して特殊相対性理論の光速度不変の原理は「光速の質点はどの観測者から見ても光速である」です。


------
以下はゲジゲジさん[>>420]の受け売り
> そもそもマイケルソンの実験結果から「電磁波には媒質が存在しない」と解釈した人がいたのでしょうか?
> 「電磁波には媒質が存在しない」は、それこそ量子力学を知った後世の人たちによる後付けの解釈ではないですか?

428diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:03:18 ID:jv7EfXUQ
>>426
>具体例がつまり思考実験(=シミュレーション)です。上の順序に問題がありますか?

 1の意見の根拠としての具体例が思考実験(=シミュレーション)、つまり架空のものだけというのが失敬です。そんなもの具体例とは呼びませんよ普通。ていうか、じゃあKenさんの思考実験ではどうなるんですか?

---------事実 -------------------
 史実としては「¬P∧Pを肯定する」という研究者はいなかった。
 しかし史実としては「媒質のない波もある」「光の媒質は真空である」という認識が生まれた。
 ゆえに、科学の発展には「¬P∧Pを肯定する」という態度は必要なかった。
-------------------------------

 現実に使われもしなかった基準など議論する価値がありません。ちなみに19世紀の科学者だって私が挙げた基準くらいは無意識にせよ守ってます。

 これ当たり前と思ってますから、当然にKenさんもそれを立証する事実を挙げていると思っていたら、それは単なる思の考実験の産物?
 しかもKenさんの思考実験の結果も根拠も示されていません。

 Kenさんは「¬P∧Pを肯定する」という研究者がいたとしたら、一体どうなったとシミュレーションしたのですか?

>それとも私の文章に「史実」を述べたとしか解釈できない部分がありますでしょうか?

 上述の通り、「史実」に基づいてもいなかったことが失敬です。
 じゃあ、史実は使わなくてもいいから、「¬P∧Pを肯定する」という立場を「とるべきであったのではないか」と考える根拠を、きちんと整理して示してください。



 これで「自分の見解と事実を区別するのは科学的議論の基本です。」の真意がわかりましたか?

 あーー、それから[>>425]の他の2点については?

429diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:16:54 ID:jv7EfXUQ
>>428
 言っときますが、使い方を間違えなければ思考実験も有力な方法ですよ。ただし途中では観測事実を使わないだけに、妥当な思考実験と認められるためのハードルは高いのです。

 広い意味ではニュートンやアインシュタインのやった、簡単な原理を仮定して後は数学的に結果を誘導するというのもまさに思考実験の一種です。この場合は途中で使われるのが誰しもが正しいと認められる論理だけなので、厳密に正しいものと認められるのです。

430Ken:2019/06/16(日) 22:48:12 ID:sdGoTYng
>>428

思考実験の信用がそれほど低いとは。まず、この点を合意しておかねば、先がありませんね。

私の要点ををいえば、

〜思考実験しか選択肢がない場合がある

となります。

本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。また、diamonds8888xさんのお考えでは、この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、万人に影響を与えるものとなっています。いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。

そうなると、容易なことでは実証実験ができません。

すこし話が逸れることをお許しください。

2019年の10月には消費税が10%になることはご存知でしょう。この種の政策には賛否がつきものですが、増税に反対する人はデフレが加速して就職氷河期が再来すると言いますし、賛成する人は財政破綻すれば第二のギリシャになると言います。おそらくどちらの理論も定性的には正しいのでしょう。よって、どちらの効果が大きいかの定量判断が必要ですが、万人が納得できる定量的判別法は存在せず、ゆえに議論が尽きることはありません。

ただし「科学的見地」から見た最善の判別法ははっきりしています。実証実験をやることです。例えば、あくまでも増税を回避し、財政赤字を国債で補填してゆけば、本当にギリシャのようになるか見てみるのです。

でも、本当に第二のギリシャになった時の悲劇を考えると、そんな実験はできません。ですから皆、増税したら、増税しなかったら、どうなるかをシミュレートしているのです。

安全保障問題はどうでしょうか? 安保政策の目的が、戦争被害が起こらないようにする、すくなくとも最小化することであるのは万人が納得するでしょう。しかし具体策では意見が分かれます。例えば、アメリカとの軍事同盟をより深化させるのか、もしくは縮小させ世界各国とできるだけ等距離になるのか?

この場合にも、純粋な科学的見地からの最善の判別法は実証実験でしょう。例えば、いろいろな条件で戦争をやってみて、どれだけの人名が失われるかといったデータをとるのです。でも、まともな神経の人間に、そんな実験ができるはずがありません。だからこそ、世界中の防衛省やシンクタンクでシミュレーションをやっています。

さて、科学教育に影響する「正しい科学の基準」にも同じことがいえます。例えばdiamonds8888xさんの「基準01」を実証的に検証するには、一部の学校にのみこれを適用し、適用しなかった学校との間で、科学的知見の増進に有意差が見られるかを調べるべきでしょう。

でも、人間を材料にそんな実験はできません。それなら思考実験をやるしかないではありませんか。

思考実験をやるにも、設定する条件は、現実に起こりうるものに近い方がよい。そこで私は「¬P∧P」というべき状態が過去に存在したかを考え、19世紀末に思い当たったわけです。ただし、あくまでもシミュレーションですから、現実の19世紀に生きた人が「¬P∧P」状態を認識したかは別問題です。


>あーー、それから[>>425]の他の2点については?

元は第三者の発言でも、私に読むことを求めるなら、diamonds8888xさんが文章責任をもつdiamonds8888xさんの発言としてください、と言いました。そのことははっきりするため投稿番号の指定をお願いします。言わなくても分かる場合もあるでしょうが、どこまでがそうなのかは主観が入りますので、明確な境界線を引くためです。

もう1つの件(ニュートン)及びそれ以外の件は、思考実験を用いることの妥当性に合意がないと、論じても意味がありません。

ですから、まずは本投稿への回答をお待ちします。

431ゲジゲジ:2019/06/18(火) 22:24:43 ID:azPksEYQ
お2人に提案です。
(といってもKenさまはご覧にならないでしょうけれど・・・)

お2人で何をどこまで合意ができているのか、もういちど根本から確認した方が良いと思います。

差し当たってKenさまのこの投稿から・・・
 >>430

(1)
 >本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、
  → ここは恐らくお2人で合意ができているでしょう。

しかし
(2)
 >そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。
  → ここ、合意できていますか?
    Kenさまはこのスレッドで「正しい科学の基準」を検証しているつもりのようですけれど・・・
    diamonds8888xさまも「正しい科学の基準」を検証しようとしていますか?

そして
(3)
 >また、diamonds8888xさんのお考えでは、
 >この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、(略)
  → diamonds8888xさんのお考えでは「正しい科学の基準」は【公教育を規定】するのでしょうか?
   「正しい科学の基準」と「公教育で教えるべき基準」とは別のものではないですか?

それから
(4)
 >いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。
  → 上記(1)〜(3)に合意できればここも合意できるでしょうが・・・
    上記に合意できなければここも合意できませんよね。
   「正しい科学の基準」は【科学教育政策が決定すべき】なんでしょうか?

最後に
(5)
 >そうなると、容易なことでは実証実験ができません。
  → そもそも「正しい科学の基準」を検証しないのであれば、実証実験など不要です。
    実証実験の必要性には合意できているのでしょうか?


この様な事を進言するのは言うまでもなく、ヨコから見ていて上記の点に合意ができていないのではないかという懸念を感じるので・・・
いや、私の認識が間違っていて杞憂だったら良いのですが・・・

もしこれだけ認識が、それも、そもそも何の議論をしているのか? の認識が異なっていたら、もうマトモま議論になどなりようがないので・・・

432diamonds8888x:2019/06/22(土) 05:53:08 ID:ZtWyl2Fg
>>404,>>414,>>427 【エーテルとは何だったのか?-4】

 波の定義を最も抽象度高くしてみれば「何らかの振動(時間的変動)が空間的に伝わる現象」となるでしょう。これは19世紀の研究者も聞けば同意してくれることでしょう。同意すると考える根拠は、彼らが「波」として知っている現象をすべて含んでいて、かつ、この定義に当てはまるならば未知の現象でも「波」とみなしてよいと考えるだろうと推測できるからです。

 この定義での「何らか」が「波の媒質」と定義できます。この定義では波は必ず媒質を持ちます。例示すれば、
  音波   通常の物質(固体・液体・気体など)
  光波・電磁波  電界と磁界
  重力波  重力場=空間の歪
  物質波  物質場=質点の存在確率(観測される確率)
  スタンディングオベーション 人の集団

 これらの媒質はそれぞれに性質が異なるところがあります。通常の物質には音波を伝える性質の基である弾性意外にも諸々の属性がありますが、電磁界は電荷などに力を加える性質、重力場なら質点に力を加える性質という定義上の性質以外の属性はほとんどありません。物質波の媒質ともなると、他の何かに影響を与えるということもありません(たぶん)。

 電磁波が電界と磁界を媒質とする波であることはマクスウェル理論の本質です。ところがここでエーテルという何かしら電界や磁界とは別の属性を持つようなものを考えてしまったことが誤りだったと言えるでしょう。「エーテルの弾性率はとても硬くなるはず」とか「光は横波だからエーテルは固体だ」みたいな発想が典型ですね。これはファラデーやマクスウェルが電気力線や磁力線のような「弾力のある線」という強烈なイメージを考え出してうまく行き過ぎたことが一因ともされています。電気力線や磁力線のこのようなイメージは教育的には結構役に立つので、現在でも間違いというわけでもありませんしね。原子模型の棒のような結合手のイメージが、必ずしも間違いというわけでもないように。

433diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:01:27 ID:ZtWyl2Fg
>>432
 貴重な文書を見つけました。アインシュタインの講演(訳:石原純)です。諸君、襟を正して拝読するように(爆)。20世紀前半以前の科学者の文章にありがちな、長くて修飾が多いと感じる文章ですけどね(^_^)。訳もちょっと古めかしいし。

Ref)アインシュタインの講演「エーテルと相対性理論」(1920/05/05)
[ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Einstein/ether-rel.pdf]

 科学図書館[ttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/munehiro/science/scilib.html]の「石原純」のリンクからたどれます。この科学図書館も素晴らしいプロジェクトですね。読みたいものが増えてしまった。時間資源があ〜〜〜〜。

 現在言われているローレンツ理論の位置付けやマッハの影響などをアインシュタイン自身も意識していたことがよくわかります。いやアインシュタイン自身がそういう見方を明確にした張本人なのかも。

-------抜粋引用-------------
ローレンツのエーテルの力学的性質については,やや戯談的な云い方ではありますが,非運動性が之にローレンツの尚お残しておいたところの唯一の力学的性質であると云うことが出来ます。之に附け加えて特殊相対性理論が持来たしたエーテル見解の全変革は,それがエーテルからその最後の力学的性質,即ち非運動性をも取り去ってしまったことにあると云ってもよいでしょう。
-----
エーテルはそもそも存在しないものです。電磁気の場は或る媒質の状態ではなくて,独自的の実在であり最はやどんな他の者にも還元せられるものではなくそして丁度物質の原子のようにどんな保持者にも結び付けられないものです。
-----
このエーテルの否定は特殊相対性理論によって必然的に要求せられたものではないことが判ります。私達は或る一つのエーテルの存在を仮定しても差支ないのです。唯だ之に一定の運動状態を帰することが断念されなければならないので,即ちローレンツが尚お之に残して置いた最後の力学的特徴を抽象によって之から取り除かなければならないのです。
-----
一般相対性理論のエーテルは,それ自身あらゆる力学的並びに運動学的性質から裸にされた,併し力学的(及び電磁気的)の出来事を共に決定するところの一つの媒質であります。
-------引用終り-------------

 【エーテルとは何だったのか?】で私が言おうとしていることが、結構述べられていますね。一言で言えば「媒質が否定されたのではなく、エーテルが、いやエーテルという言葉に含まれていた余分な性質が否定されたのだ」。

 【それと大事な点ですが】、「いわゆるエーテルの否定」には量子論は無関係です。

434diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:07:44 ID:ZtWyl2Fg
>>430
>本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、

 この文言はOK。でも解釈が全く違うみたいですね。

>そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。また、diamonds8888xさんのお考えでは、この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、万人に影響を与えるものとなっています。いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。

 Kenさんの言う「科学的知見の増進」とは「研究者以外の一般人も含めた万人が正しい科学的知見を得るようにすること」なんですね? だから「一部の学校にのみこれを適用し〜」となるわけですね。

 私はそこは全く考えていません。「正しい科学の基準」は(アマ含む)研究者たちが、科学を推進していく際に、または(本掲示板のような場も含む科学の議論の場で)議論する際に、適用すべき基準です。

 Kenさんの言う「科学的知見の増進」には、今のテーマである「正しい科学の基準」とは全く異なる諸々の手段が必要になります。それは「科学教育」という科学そのものとは別の分野でもあり、近年「科学のコミニュケーション」などというテーマで研究がなされている分野でもあります。感じとしては自然科学と社会科学がどちらも必要みたいな。

 【念を押しますが】、学校教育も科学教育政策も本テーマには無関係です。


>言わなくても分かる場合もあるでしょうが、どこまでがそうなのかは主観が入りますので、明確な境界線を引くためです。

 [>>425]からたどるリンクに主観が入るはずないでしょ。勘違いして書いてない番号にでも飛ばない限りは。

 だいたい私がこうして読んで答までの1週間に何やってたんですか? その間にリンクたどって読むくらいできたでしょうに。

435diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:20:48 ID:ZtWyl2Fg
>>430,>>434
>【念を押しますが】、学校教育も科学教育政策も本テーマには無関係です。

 そもそも直近の必要性として、本掲示板でKenさんが議論したかった進化論議論のための基準がほしかったわけでしょ?

436diamonds8888x:2019/06/23(日) 08:31:01 ID:ZtWyl2Fg
>>435
 Kenさんにも科学の基準というものを知ってもらったうえで気持ちよく議論してもらえるというのが、そもそもの目的で、これは二人にとって極めて実用的な目的です。そして議論したいテーマである進化論自体に関する議論というのは、本掲示板の多くの人が興味を持っているテーマです。

 それに比べて[>>430]の「科学的知見の増進」というのは、私も興味こそあれ議論するには手に余るテーマです。そして何らかの結論が得られたとしても、それを実行する手段も持ちません。誤解を恐れずに言えば、当面の実用性がありません。なので、私は話題が出たとしてもあまり積極的に参加する気はありません。

 そして【念を押しますが】、「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。

437diamonds8888x:2019/06/23(日) 08:50:28 ID:ZtWyl2Fg
>>433
 こちらは量子論の始祖、プランク尊師のお言葉である。心して拝読するように(爆)。20世紀前半以前の科学者の文章にありがちな、(以下略)。

 マックス・プランク「力学的自然観に対する近代物理学の立場」
 [ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Planck/tachiba.pdf]

 アインシュタインの講演ほどわかりやすくありませんが、余計な属性を持つエーテルというものが考え出された背景には「力学的自然観」があったことが述べられていて、なるほどと思いました。

438Ken:2019/06/25(火) 22:51:55 ID:c05kagVQ
>>436の投稿には驚きました。
頭をひねりながら何度か読み返しましたが、驚きは変わりません。

>「科学的知見の増進」というのは、私も興味こそあれ議論するには手に余るテーマです。
>そして【念を押しますが】、「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。

私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、

〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

であると。


違うのでしょうか???

もし、違うとなると・・・・diamonds8888xさんの「正しい科学の基準」とは何のために、どういう目的をもって設置されたのですか? その基準に従うことで、どういうメリットが得られるのですか?

視点を変えますと、diamonds8888xさんの基準を検証するには、どういう切り口で検証するべきなのでしょうか?

この問題は、本スレッドに参加する根源のスタンスに関わりますので、その他の問題(エーテル、思考実験等)は、この問題が片付くまで保留させてください。

お手数ですが、回答をお願いします。

439ミケ:2019/06/26(水) 01:03:23 ID:6UZWK5Gs
この投稿は当然、Kenさんに向けてのものではありません。
ここをまだ読んでいる人(そもそもあまりいないと思いますが)
及びdiamonds8888xさんの参考になれば儲けもの、
私の認識を整理するものです。

私の認識としてはここの議論は

Kenさんが以前掲示板に書いた際
・ID論は疑似科学と言われた。
・Kenさんには疑似科学の基準がご都合主義、後付けに感じられた(?)。
ということから、Kenさんとしては
科学的に適切なID論(普通に言われているものと異なる)はKenさんの頭の中にあるけど
後出しで疑似科学と言われそうなので
あらかじめ疑似科学と科学の定義・境界をはっきりさせたい(教えてもらおう)。
その際、対複数から色々言われると処理しきれないので相手をdiamonds8888xさんに絞った。

という主旨なのかと思っていました。
>>43参照)
議論と言っても、
Kenさんが納得いかない部分を質問する中で疑問点を解決していく程度のことなのだろうと。

しかし、ここのところの投稿を見るに
Kenさんの意図としては、
一般で通用している疑似科学と科学の境界をdiamonds8888xさんから教えてもらうのではなく
ここで科学の定義を議論、「検証」して
場合によってはオリジナルに「制定」しようという感じだったのでしょうかね。
(それを論じるにはKenさんはちょっと科学の現場についての下地が不足しているような気がしますがそれはそれとして)
確かに過去の投稿を見ると、そのように読めなくもない。
なるほど、賛成とか反対とか、その基準は外すべきとか何とかの言いぶりは
疑問点の解決というより議決のような枠組みで話しているように見えます。

仮にここでオリジナルの科学の基準が制定されたとして、
ここのオリジナルの基準でID論は科学だなどと主張しても意味ないと思うのですが……。
ましてや相手をdiamonds8888xさんたった一人に絞って。
diamonds8888xさんだって人間なのですから、間違いや勘違いもあるでしょう。
diamonds8888xさんとだけ(あるいは数人とだけ)議論してオリジナルの科学基準を制定して
そのオリジナルの価額基準に基づいてKen式ID論を披露したとして
あとで別の人から「それって科学理論として適切じゃないんじゃない?」って言われたらどうするつもりなんでしょう。
「ああ、やっぱりID論は後付けで否定されるんだー、進化論者はかつてのガリレオ裁判の教会側なんだー」と言うんでしょうか?
単にdiamonds8888xさんやここの人に見落としがあっただけかもしれないのに。

というのが感想です。

440diamonds8888x:2019/06/29(土) 18:06:08 ID:giwSPryo
>>438
 「科学の進歩」にも2つあるでしょ。
 専門家の間での知識の進歩と、それが非専門家の間に広まるという意味での進歩と。
 今回の「基準」は主に前者の過程で使われるべきものです。

------[>>434]より引用開始----
 Kenさんの言う「科学的知見の増進」とは「研究者以外の一般人も含めた万人が正しい科学的知見を得るようにすること」なんですね? だから「一部の学校にのみこれを適用し〜」となるわけですね。

 私はそこは全く考えていません。「正しい科学の基準」は(アマ含む)研究者たちが、科学を推進していく際に、または(本掲示板のような場も含む科学の議論の場で)議論する際に、適用すべき基準です。
----------引用終り------

441diamonds8888x:2019/06/30(日) 05:51:45 ID:giwSPryo
>>438
 そもそも以下の定義は循環してるではありませんか。

> 〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

 「科学の進歩」とは何ですか? 科学(科学知識がわかりやすいかな)がより正しいもの、つまり事実や真実に近いものになっていくことではないのですか?

 別の言い方をすれば、科学の進歩とは、「より正しい科学理論が定説として増えていくこと」ということになりませんか?

 ここで定説とは普通の意味では大多数の専門家が正しいと認めている学説です。それは非専門家の間で広く知られている説とは異なることが多いのは、当然の常識として御存知でしょう? いわゆる俗説です。

 議論中の「科学の基準」は定説や定説候補を議論する際のものです。[>>430]で触れていらした科学教育政策というのは、俗説を定説に置き換えていくための手段であり、テーマ外です。

442diamonds8888x:2019/06/30(日) 06:06:41 ID:giwSPryo
>>439
>なるほど、賛成とか反対とか、その基準は外すべきとか何とかの言いぶりは
>疑問点の解決というより議決のような枠組みで話しているように見えます。

 Kenさんの表現はよく覚えていませんが「賛成とか反対」というのは「納得できた、できない」というのと同義でしょうから。ただ、それを判断する御自分の基準がスタンダードな科学観からは相当ずれているのだという自覚は、まだまだ足りないみたいですが。

 いやしくも科学技術職に着いていた人が、これほど変な思い込みが強いというのが驚きなんですが。米国の知識人とは違って子供の頃に吹き込まれた「聖書は正しい」ドグマに毒されてるわけでもないのに。いやKenさんの思い込みは全く聖書とは関係ないものですけどね。

 なんで2種類の違いがわかんないんだろ? [>>440,>>441]

443Ken:2019/06/30(日) 23:58:32 ID:c05kagVQ
>>440 >>441

diamonds8888xさんの基準は専門家のためのもので一般人は関係ない、ということですか・・・・

そうはいっても、基準に背く「正しくない科学」を教育現場に持ち込んでよいと、diamonds8888xさんが言われることはないでしょうから、結局、一般人は自分では判断せず、ただ専門家が定説として提供するものを受け入れるべき、というお考えなのでしょう。

そこが私の思想とは大きく異なりますが、今の議題ではないので、この件は終わりにします。「基準」は専門家のためのもの、という前提で話を続けます。

もともとこの件は、思考実験の妥当性を論じるために>>430で持ち出しました。学校の場で実証実験はできないから思考実験をやるしかない、と。

その事情は対象が専門的な研究者でも同じではないでしょうか? 「基準」が科学の進歩にどう影響するかを実証的に調べるなら、例えばこんな実験をやるべきでは?

〜同じ分野を扱う2つの学会を立ち上げ、一方にのみ「基準」を適用した上で、両者の実績を長期的に比較する

大切なのは、「基準」の影響を抽出するため、それ以外の条件は同じにすることです。2つの学会に属する人員数や、もっと大切な予算の規模を等しくするのは必須条件でしょう。

また、両者は隔離せねばなりません。一方に属する研究者はもう一方のシンポジウムに参加するのも、その刊行物を読むのも、相手側の人員と話をするのもだめです。まして同じ企業や大学に勤務するのは許されません。

また、どちらの学会に属するかを各研究員に選ばせると、それ自体がバイアスになる可能性があるので、すべてくじ引きにする必要もあるでしょう。

さて、こんな実験を人間社会で実行できるでしょうか?

できないとなれば、やはり思考実験をやるしかないのではありませんか?

444ミケ:2019/07/01(月) 01:28:47 ID:6UZWK5Gs
>>442
>いやしくも科学技術職に着いていた人が、(以下略

そういえば一番最初の投稿に情報技術者とありましたね。
なんとなく法曹関係か行政関係の方なのかなと思ってましたが。
まあエンジニアも色々で、文系出身者もいるそうですし、
科学的思考法というものになじみがないとしてもあり得ない話ではないかもしれません。

「科学の基準(理論が実証・検証できるためにはどのような形であるべきか)」を
「それが科学の進歩に影響するか実証実験で実証したいが…」と言い出すあたり、
やはり根本的な取り違えがありそうです。
(ゲジゲジさんの>>431の提案とも関わってくるでしょうか)

仮説⇒仮説からの予測(どんな実験をすれば支持/棄却されるか)
⇒実験や観察などによる検証・反証・仮説修正⇒また仮説⇒繰り返し
という科学の営みにおいて
・仮説から予測を導くにはどんな仮説である必要があるか
・その仮説はこの営みを経ているか
・その仮説はこの営みを経ていると装っていないか
要はこれだけの話なんですけどね……。

先読み。
科学の増進に寄与という言い回しから、
Kenさんはおそらく、
「定説と違うもの」「検証不能なもの」も新説のヒントになるかもしれないと=科学の増進に寄与する
=科学である=よってID論を疑似科学扱いするな
という感じで考えていそうですね。
そこにたどり着くまでまだまだかかりそうですが。

445ゲジゲジ:2019/07/02(火) 07:47:34 ID:IamI8D02
ひとつ気になるのが、Kenさまがよく「diamonds8888xさんの基準」という表現をされている事です。

まるで、この掲示板でdiamonds8888xさまが「提案・提唱」した基準を「検証」しようとしているように読み取れます。

diamonds8888xさまは単に基準を「紹介・説明」しているのであって、この基準というのは単にKenさまがご存知なかっただけで【ほとんどの科学に取り組む人たち共有されている認識である】という事に合意はできているのでしょうか?

446diamonds8888x:2019/07/04(木) 05:24:08 ID:uVZpr/yM
>>443
 おもしろそうな実験ですけど、まずは、
  ・「科学の進歩」の定義をする必要があります。
  ・「実績」の定義および測定方法を決める必要があります。
   (まさかインパクトファクターだけでは拙いよねえ)

 何か目途はついているのですか?
 [>>441]に私の見解の一端がありますから御参考までに。


【誤解する人もいるといけないので】

>結局、一般人は自分では判断せず、ただ専門家が定説として提供するものを受け入れるべき、というお考えなのでしょう。

 んなわけないでしょ。>>440の[>>434]引用文をよく読んでください。
 非専門家と言えども努力すれば専門家の見解をそれなりに評価できるようになります。ただし評価力は謙虚にまなばなくてはなりません。
 (一般人なんて言葉は使ってないニュアンスはわかってほしいなあ)

 あくまでも見解の評価であって、人間の評価ではないよ。

 やめとこ。このテーマだけで別のスレッドができそうだ。専門家であることは誰がどうやって決めるのか? とかね。ややこしいよ。

447diamonds8888x:2019/07/04(木) 05:25:30 ID:uVZpr/yM
>>444
>そういえば一番最初の投稿に情報技術者とありましたね。
>なんとなく法曹関係か行政関係の方なのかなと思ってましたが。
>まあエンジニアも色々で、文系出身者もいるそうですし、
>科学的思考法というものになじみがないとしてもあり得ない話ではないかもしれません。

 いえね。以前(何年前だろ?)に恐竜の力学関係での議論では「数式での説明が通用するからやりやすいな」と思ったし、Kenさんに向けてもそのことを明言しましたのでね。飛び降りて着地する時の衝撃に耐えるのに必要な脚の太さみたいな話でしたが、あのときはKenさんは、動力学を適用すべきところに静力学を適用していて間違えていたのですが。

 で、私はなんとなく電気関係というイメージでしたが根拠はなかったかも知れません。

448ゲジゲジ:2019/07/04(木) 06:42:56 ID:4PNNNXmk
>>442
>>444
>>447

参考までに。
>>87

>私は、四半世紀も昔とはいえ、機械工学科を卒業してエンジニアとしてメーカーに就職し、
>当初の数年は機械設計を、その後は情報部門で働いてきました。

449Ken:2019/07/05(金) 23:36:40 ID:fAtXoc8.
>>446

diamonds8888xさんが提唱される「正しい科学の基準」ですから、その目的はdiamonds8888xさんから明らかにしていただかねばなりません。私は「こうではないか」という推測を述べただけです。

>>441

>科学の進歩とは、「より正しい科学理論が定説として増えていくこと」

この文章だけでは、少なくとも私から見れば、いろいろな解釈が可能です。

〜「正しい科学理論」をどう定義するのか?
〜「増える」とは絶対数の増加を意味するのか? それとも「正しくない理論」との相対的比率なのか?

また、

>ここで定説とは普通の意味では大多数の専門家が正しいと認めている学説です。

「専門家」といわれますが、>>446では

>専門家であることは誰がどうやって決めるのか?

とも言われています。私もこの点は非常に関心があります。
専門家の定義を明確にしないと、専門家が決める定説の定義もできないでしょう。

450diamonds8888x:2019/07/06(土) 06:25:29 ID:uG2ADpN.
>>449
 そこまで読解が混乱してるのは、このところ私の口調が荒れ気味なので感情的に混乱してるからですか? だったら申し訳ないので謝りますが、もうちょっと気を落ち着けてまともに考えてくださいな。

 [>>449]で尋ねたのは【Kenさん提唱の思考実験の前提】に関してです。本テーマの「正しい科学の基準」に関してではありません。

>>科学の進歩とは、「より正しい科学理論が定説として増えていくこと」

>この文章だけでは、少なくとも私から見れば、いろいろな解釈が可能です。

 だから【Kenさん提唱の思考実験の前提】としては、科学の進歩とは何なのかと尋ねています。答えるのはKenさんです。
 「科学の進歩に寄与するのが正しい科学[>>438]」と定義したのはKenさんですよ。このときに「科学の進歩」という言葉でどんなイメージを考えていたのかを教えていただければよいのです。

【注】「私は「こうではないか」という推測を述べただけです。」とおっしゃいますが、その推測とは何を指しているのかわかりません。
  (あれ、混乱してるのは読解ではなくて、表現の方だったのか?)


>専門家の定義を明確にしないと、専門家が決める定説の定義もできないでしょう。

 こんなところは科学哲学的思考ができるのですね。別スレッドができそうなほどのテーマですけど[>>446]。でもどうやら、科学活動というもののイメージがだいぶ食い違っていそうなので、そこを明らかにしないと拙い気がしてきました。

451diamonds8888x:2019/07/06(土) 06:26:27 ID:uG2ADpN.
>>449
>専門家の定義を明確にしないと、専門家が決める定説の定義もできないでしょう。

 囲碁将棋に喩えたらわかりますか? 専門家と非専門家は人が区別されてるわけじゃあない。人は努力して専門家になれるのです。ただしそのためには、既に専門家である人から謙虚に学ばなければなりません。

 囲碁将棋なら間違ってれば負けるからわかりやすいんだけど、科学の場合は素人は間違いがわからないことが多いから面倒なんですけどね。まあ人間だからチョンボはプロもやりますが、複数のプロが同じ間違いをすることは少ないのです。で、囲碁将棋の戦術とか技術も「進歩」してますよね、実際に。

 本テーマの「正しい科学の基準」というのは囲碁将棋に喩えたらほとんど「将棋のルール」みたいなものなんですよ。それは高校程度までの自然科学系教科をきちんと習得すれば身についてくるはずのものです。

 例えば桂馬がナイトみたいに八方にも効くと思い込んで「詰みだ」と叫んだら、その人はずぶの素人と判断されます。

 まあ私の場合は学校教科書だけじゃなくて良質の本も色々読みましたから、「高校程度までの自然科学系教科をきちんと習得すれば」というのは、根拠薄弱とも言えますけどね。論理が大事というのは推理小説でも実戦的に学びましたしね。

 話はそれますが、推理小説にはオカルト系疑似科学を粉砕する話もありますからね。

452diamonds8888x:2019/07/06(土) 08:11:06 ID:uG2ADpN.
>>449

「科学の進歩」を一般的に定義しようとするとなかなか大変ですが、少なくとも以下の過程は「科学の進歩」だという前提では一致していると思ってますが、そうですよね?

 光が波か粒子かでの論争状態=>電磁界の波で決着=>量子論の登場
 エーテル理論=>相対性理論

453Ken:2019/07/06(土) 13:27:59 ID:fAtXoc8.
>>450

自覚的には混乱もしていないし落ち着いているのですが。(私は心理学を知りませんが、「感情的に混乱」した状態とは定義と観察方法が確立したものなのですか?)

ただ、diamonds8888xさんとの間で意思疎通がうまく行ってないことは自覚がありますので、これでも言葉遣いには注意を払っているつもりです。

>「科学の進歩に寄与するのが正しい科学[>>438]」と定義したのはKenさんですよ。

なるほどdiamonds8888xさんにはそう見えましたか。

でも、私が「科学の進歩に寄与するのが正しい科学」と述べたのは、それが本来diamonds8888xさんのお考えで、その考えの下に「正しい科学の基準」を設定されたのであり、ゆえに思考実験の妥当性も、その本来の目的に叶うかという切り口で論じるべきと思っていたからです。私に思い込みがあったとすれば、この点でしょう。

ところが>>436で、

>「科学的知見の増進」というのは、私も興味こそあれ議論するには手に余るテーマです。
>「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。

という発言がありました。それを見て驚き、自分の思い込みが間違っていたのかと思い、>>438の発言になりました。

>違うのでしょうか???
>もし、違うとなると・・・・diamonds8888xさんの「正しい科学の基準」とは何のために、どういう目的をもって設置されたのですか?

ですから、今の場合は、「正しい科学の基準」がどういう目的で設定されたのかを、diamonds8888xさんご自身に語っていただくのがすべての基礎になります。目的が明らかでないと、なにがその目的に叶うかの検証もできません。

>>451

「正しい科学の基準」を将棋のルールに例えるのは不適当ではありませんか?

将棋のルールなら、そもそも検証の対象になりません。桂馬がナイトのように動けないのがルールなら、無条件にそれを受け入れるか、もしくは将棋とは別のゲームを作るしかない。

でも「正しい科学の基準」とは、問答無用の受け入れを要求されるものではないでしょう。diamonds8888xさんご自身も、以前の発言で、この基準は科学史の中で進歩してきたと言われませんでしたか? 進歩したのなら、そこには検証と批判があったはずです。

>>452

量子論も相対論も進歩だと思いますが、科学の進歩に関する私自身の見解は、diamonds8888xさんのものとは異なるでしょうし、本スレッドの議論には関係がありません。今は、diamonds8888xさんの見解を理解・検証しようとしているのですから。

ただし、diamonds8888xさんが量子論や相対論を進歩と見なす理由は、分かっているつもりです。旧来の理論では説明できない観測事実を説明したのですから。

量子論:例えば2重スリット実験
相対論:例えば時間の遅れ

454diamonds8888x:2019/07/08(月) 05:48:50 ID:uG2ADpN.
>>453
 なるほど了解。「(あれ、混乱してるのは読解ではなくて、表現の方だったのか?)」が正解でしたか。御説明ありがとうございます。

 まあ一言ご注文申せば、文章の中の考えや言葉が誰のものかを誤読されないように御注意してください。

>でも、私が「科学の進歩に寄与するのが正しい科学」と述べたのは、それが本来diamonds8888xさんのお考えで、その考えの下に「正しい科学の基準」を設定されたのであり、ゆえに思考実験の妥当性も、その本来の目的に叶うかという切り口で論じるべきと思っていたからです。私に思い込みがあったとすれば、この点でしょう。

 「科学の進歩」なんてそんな言葉は、私は使ってません。でも結果的には確かに「科学の進歩に寄与する」に決まってます。正しい科学の基準に従わなかったら、あっちゃの方向にねじ曲がりますからね。

 さらに問題なのが、「科学の進歩」に2種類あるという点をどうにもKenさんがまだ理解していないらしいことです。だからこそ私は安易には「科学の進歩に寄与するのが〜」とかは言っていないのです。さらには別の観点として、世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩とにも違いはありますしね。


 では「正しい科学の基準」の目的と進歩について私なりの解説をしますが、ちと組み立てに時間をください。で、その間に、御自分の(自然科学系の)専門の知識の正しさをどうやって確信しているのかを考えてみてください。まさか権威の盲信ではないでしょ? このように、自分が科学的に正しい知識だとか正しい事実だとか思っていることが、どんな根拠でそう思うのかを少し深く考えてみること、それが一種の科学哲学的思考なんですが、何かの参考になると思います。

 さらに、これはもうお願いですから、紹介済みの以下の中でも特にRef-2は読んでください。私が下手な説明をするよりも、科学的方法論の進歩がきちんと歴史を踏まえて書いてありますから。そしてRef-1も読んでください。基本的にKenさんが勘違いしているらしきことが正せる、かも知れないので。Ref-1くらいはざっと目を通しておくべき基礎文献と考えてください。もちろん、別に全文を理解しろなんて無茶な要求はしません。こういう知識があるということを知って視野を広げていただくだけでもいいのです。

  1)戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) 』(2005/01)
    一番スタンダードでとっつきやすいかも
  2)内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』世界思想社 (1995/04)
    1より本格的。科学的方法論の発達の歴史がわかる。
  3)内井惣七『シャーロック・ホームズの推理学 (講談社現代新書)』(1988/11)
    楽しく読めるが深い。科学の方法論を認識したいなら、これが一番かも。

【追記】
>自覚的には混乱もしていないし落ち着いているのですが。(私は心理学を知りませんが、「感情的に混乱」した状態とは定義と観察方法が確立したものなのですか?)

 学問的なことは知りません。単に私の個人的判断ですから、精度はものすごく悪いでしょうね。多くの人が社会生活で毎日やっていることと同じ判断行為です。

455diamonds8888x:2019/07/08(月) 05:50:14 ID:uG2ADpN.
>>453,>>454
 それから、以下の点は御自分で考えておいてください。御自分なりに、です。

>ですから、今の場合は、「正しい科学の基準」がどういう目的で設定されたのかを、>diamonds8888xさんご自身に語っていただくのがすべての基礎になります。目的が明らかでないと、なにがその目的に叶うかの検証もできません。

 ・設定者は誰か?(可能性は複数かもよ)
 ・その目的は?(設定者によっても、使用者によっても違うかもよ)
 ・Kenさん自身にとっての目的は?
    (Kenさんはどう使いたい?)(どう使うべきだと思う?)

 Kenさん自身も科学研究を進めるときに何の基準もないとは考えないでしょ? でもKenさん自身が考えている(自覚してない無意識でかも知れないけど)基準は、私が示した基準とは違っているところがある。私としては、その違いがわかれば説明もしやすくなりますから、Kenさん自身の「常識」を知るために、こちらから尋ねることもあるわけです。どうもその「常識」の中には、私の想像の埒外のものもあるらしいので、なおさら確認も必要になります。そのための問いには、可能な限り答えてほしいですね。

 本当は、Kenさん自身が科学研究に取り組むとしたら、ここは抑えとくよ、というポイントを聞かせてもらえると、助かるのですが、まあ考えたことがなければ取りまとめて説明するのも難しいでしょうから。

 以上は、以下のコメントに対する私の感想でもあります。

>量子論も相対論も進歩だと思いますが、科学の進歩に関する私自身の見解は、diamonds8888xさんのものとは異なるでしょうし、本スレッドの議論には関係がありません。今は、diamonds8888xさんの見解を理解・検証しようとしているのですから。

 私の考えを、Kenさんが理解できるように説明しようとすれば、Kenさんの考えを私が知ることも必要になるのです。それが、互いの考えを理解する道です。

456Ken:2019/07/12(金) 23:52:16 ID:fAtXoc8.
>455

このスレッドでは、私の意見は封印するのが原則ですが、お尋ねがある場合には説明します。

>Kenさん自身が考えている(自覚してない無意識でかも知れないけど)基準は、私が示した基準とは違っているところがある。

つまりdiamonds8888xさんに基準01や基準02があるように、私自身の基準があるか、というお尋ねでしょうか?

それならあります。しかもdiamonds8888xさんのものと大して異なるとは思いません。

例えば基準01は科学理論の反証可能性を挙げますが、反証可能であればよいに決まってます。どんな理論であれ、それを応用したハードウェアやソフトウェアがちゃんと働くかテストをやりますし、テストをするのは検証/反証可能であることが前提ですから。

ただ、私たちの見解が異なるのは、基準の内容ではなく、基準がどれだけ絶対のものであるか、という点ではないでしょうか?

diamonds8888xさんは>>451で、正しい科学の基準を将棋のルールに例えられましたが、私から見ると、まさしくここにdiamonds8888xさんの思想が表現されているように思えます。ルールには絶対に従わねばなりません。ルールを守らず、桂馬をナイトのように動かす対局者とは、そもそもゲームができません。「基準」もまたそういうルールではないのですか? 反証可能性を提示できない科学理論は科学理論ではないという基準には万人が従うべきというのがdiamonds8888xさんのご主張でしょう? それなら、基準すなわち法律ではありませんか。

私の考えは違います。反証可能であることは望ましいけれども、万人が従うべき法律とは思いません。>>454では

>世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩

と言われましたが、まさしくその2つが科学の目的で、ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべきと考えます。

それでは「科学理論は反証可能であるべき」というような基準は何のためにあるかといえば、上の目的を効率よく達成するための手引きでしょう。将棋でいえば、解説書などで紹介されている「勝つための定石」に該当します。

「定石」も「正しい科学の基準」も、長い歴史の中で確立されたものでしょう。人々の心に深く根を下ろし、また現実にも、それに従うことで成果が出ているのだろうと思います。

でも、どれだけ深く根をおろし、成果が出ていても、定石はルールではありません。ルールに背く自由はありませんが、定石に従わないのは当人の自由で、それでも勝てばよいのです。そして「正しい科学の基準」にも同じことが言えるはずです。基準に従わない人でも、上に挙げた科学の目的を達成できるなら、その人は成功者です。ある科学理論が反証可能ではなくても、そのこと自体は排除の理由にはなりません。

457Ken:2019/07/12(金) 23:52:50 ID:fAtXoc8.
科学が将棋に例えられたので、少し余談をさせてください。

将棋の歴史は存じませんが、おそらくは数百年にわたって「勝つための定石」を発達させてきたのだと思います。それに通暁する人が、多くの対局に勝ち、段位を上げたり、名人と呼ばれるのでしょう。そういう人は定石に、diamonds8888xさんが正しい科学の基準にもつのと同じ信頼を寄せているのではと思います。

ところが、今、そんな名人を打ち負かす、新しい種類のプレーヤーが登場しました。人工知能です。

「人工知能」の歴史も数十年に及びますが、最近のAIの一大特徴は、人間の知恵を学ばない点にあります。これは「エキスパート・システム」と呼ばれたかつての(約30年前)のAIと大きく異なる点です。エキスパート・システムは、その名のとおり人間の専門家のノウハウを組み込んだプログラムで、機械の故障診断や、セールスマンの巡回経路作成などをやりました。当時は若造だった私も関心をもち、プログラムを書いてみたことがあります。将棋にしても、人間が培ってきた「勝つための定石」をコンピュータ・プログラムにしたのが、かつてのAI将棋でした。

ところが、私が理解する、今のAIは違います。将棋なら「敵の王将を取ってゲームに勝て」という目的のみを与え、ほかには知識を与えず、ひたすらシミュレーションを繰りかえさせます。当然、最初は弱い。なにしろ作戦すらもなく、行き当たりばったりに駒を動かすだけですから。

しかし、シミュレーションの数は人間とは比較になりません。人間の一生の対局数など数万件が限度でしょうが、そんなものは数時間でこなしてしまう。数百年の将棋の歴史の中の対局数でも数週間かせいぜい数か月。その中から、どういう局面でどのように指せば勝てたかというパターンを認識するのです。しかも人間と違って、コンピュータは一度学習したことを決して忘れませんし、優秀なプレーヤーを増やすのも簡単です。人間なら師匠が長い時間をかけて弟子を育てますが、コンピュータはデータベースをコピーするだけで「師匠」と対等の「弟子」ができるし、プレーヤー数が増えればノウハウの蓄積速度も比例して上がります。

何よりも今のAIが成し遂げた功績は、人間の専門家が長い時間と努力を傾けて築き上げ、これが最善の「定石」と信じてきたことが、最善でもなんでもなかった現実を突きつけたことでしょう。AIの指し手を人間が見ても、なぜそのように指したのかは分からないといいます。つまり人間の定石とは異なる理論で動いているのです。それでも、繰り返して勝負に勝つという再現性があるので、そこには理論があり、まぐれで勝ったのではないことは分かります。

将棋や囲碁は一例にすぎません。多様な分野で人間を凌駕する人工知能が出現しています。そして、ここからは私の予想ですが、科学研究の分野でも同じことが起こるでしょう。今でも、文献を読んだり検索する能力ではAIの方が上ですが、実験を考案したり、理論を抽出する能力も、いずれ人間はAIに敵わなくなるはずです。今は人間の研究者がコンピュータを道具として使いますが、いずれはコンピュータが考えた実験や材料収集を人間の助手が行うという逆転現象も起こるでしょう。

そして、そのとき、人間の専門家と同じ基準にAIが従う保証はありません。たとえば、反証不可能ではあるが、そのとおりにすると技術が進歩するような理論が現れたら、その理論を受け入れ、基準の方を棄却するしかないでしょう。そうなった時のためにも、基準自体を科学理論の是非を判定するためには使わないのがよいというのが私の考えです。

ただし、繰り返しになりますが、本スレッドの中では、私の意見は封印しています。正しい科学の基準とは万人が従うべき「法律」という前提に立ち、それが普遍的に通用するのかという視点をもちながら、理解をしようとしています。

458diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:26:03 ID:zhMZtAxo
>454
 説明のしやすさと後の参照のしやすさとを考慮してブログに書きました。まずは序論です。
 [ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f11f82cd57ae0c23103cb4bea5628390]

459diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:32:27 ID:zhMZtAxo
>>456,>>457
>このスレッドでは、私の意見は封印するのが原則ですが、お尋ねがある場合には説明します。

 そんな原則は私は読んだことありませんよ? まあそれはともかく。

 意見と言っても色々な内容がありますが、私が理解したいのはKenさんの物の見方です。物の見方が同じだろうと思って話を進めたら実は食い違っていたということが、多々ありましたから。それだけの話です。

 今回教えていただいた点についは、精読したうえでまた後ほど。

460diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:47:14 ID:zhMZtAxo
>>456
 簡単なコメントでわかりくかったり、もっと悪いことには誤解されたりする恐れはありますが、早いこともいい点はあるので書いておきます。

> 私の考えは違います。反証可能であることは望ましいけれども、万人が従うべき法律とは思いません。

 この文に代表される Kenさんの全体の趣旨は、(例えば科学哲学的に)非常に厳密にいうならば正解・正論・大原則。でも実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ。科学研究の実際には百害あって一利なし、と言ってもいいです。

 それと私の考えを"法律"にたとえられると非常に違和感があります。まあそれは"法律"という言葉に対するイメージが異なる性かも知れませんが。

>>454では

> >世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩

> と言われましたが、まさしくその2つが科学の目的で、ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべきと考えます。

 そこで、「その目的にかなったこと」をどう判断するのかを考えてほしいです。実際的に、どんな手段で判断できるのかを。

461Ken:2019/07/19(金) 23:07:50 ID:fAtXoc8.
>>460

>「その目的にかなったこと」をどう判断するのかを考えてほしいです。実際的に、どんな手段で判断できるのかを。

まず大前提として、科学の進歩を客観的、総合的、なにより科学的に評価するなら、数値的指標を定義せねばなりません。もし人工知能に科学の進歩を委ねるなら「目的関数」に設定するものです。

1.世界を知るという行為としての科学の進歩
2.科学技術の進歩

ここで、1を数値化するのは非常に困難です。世界を知るとは、観察事実を説明する理論を立てることであり、理論を評価する最善の方法は、事実を予測して的中させることです。しかし科学全般が対象となると、予測すべき事実は多岐にわたり、予測が的中しても、個々の事例がもつ価値は異なるでしょう。

そこで、まず2を考えましょう。技術の進歩も多岐にわたりますが、まだしも統一的な指標を立て易いと思います。以下は私なりに考えてみた技術進歩の評価指数(案)です。

人類発生以来の大半の期間、利用できるエネルギーは人力だけでした。数十万年前に火を使い始めたのが最初のエネルギー革命で、その次は約1万年前に家畜を労役させるようになったときです。食物を醗酵させる作業を考えると「家畜」の中に微生物を含めてもよいでしょう。その後は、風力や水力、石炭、石油、そして原子力などがエネルギー源に加わりました。

これらの技術進歩を評価する指標として、人間が使用するエネルギー量はどうでしょうか? 実際にはエネルギー総量よりも、単位時間あたりの量つまり出力が重要です。例えば掘り出した石炭からコークスを作るのは技術進歩ですが、エネルギー総量は元の石炭よりも減るのですから。また、熱力学を応用してエンジンの効率を上げるのも、出力値が目的関数として妥当でしょう。

そこで、科学進歩を評価する指標の1つとして、社会全体の時間当たりの利用エネルギー量を使います。単位は「ジュール/秒」(ワット)になります。

もう1つの重要な指標が情報量です。これも歴史の中で幾多の技術革命がありました。文字の発明、記録媒体(粘土板、紙、磁気ディスク、フラッシュメモリ)の発明、印刷、計算機械(算盤、計算尺、コンピュータ)、情報伝達手段(狼煙、手紙、電話、テレビ、インターネット等)。

そして、エネルギーと同様、情報も情報総量(ビット)よりも時間当たりの情報処理量(ビット/秒)が、技術進歩の指標としてふさわしいと思います。速度があればこそ総量も増えるのですから。

エネルギーや情報と並ぶ技術進歩の指標として私が注目するのはエントロピーです。

例えば鉱石を精錬して鉄や銅を作るのは、鉄や銅の原子とそれ以外を分けることなので、エントロピーを減らします。ウラン濃縮も同位体を分離するので、エントロピーを減らす技術といえるでしょう。しかし、もっと重要なのは医療技術などです。

わが師アジモフは、生命とはエントロピーを減らすものと定義しました。例えば私たちが炭水化物を摂取すると消化器官内でグルコース等に分解されます。ここまではエントロピーが増えるのですが、腸壁から生体組織に入ると逆転が起こり、ATP等に代表される、利用可能なエネルギーを蓄えた物質が合成されます。これはエントロピーを減らす作業なのです。

生命が死んだら、このようなエントロピー減少が止まるのはもちろんですが、病気や老化でもこの機能が衰えるとすると、人間を健康に保つ科学技術の最も根源的な指標として、1人あたりのエントロピー量はどうでしょうか? 単位は「ジュール/ケルビン」になります。

もし、以上の3つの数値から「科学技術指数」を算出するなら、適当な重み係数をかけて、

科学技術指数 = A×出力 + B×ビットレート - C×エントロピー

と定義したいところですが、単位が異なる数値の足し算はできませんから、重みは乗数として、

科学技術指数 = 出力のA乗 × ビットレートのB乗 ÷ エントロピーのC乗

とします。そして、いろいろな条件でこの指数がどう変化するかを実証実験か思考実験するのです。もし人工知能に科学の進歩を委ねたら、間違いなくこの種のことをやるでしょう。


それでは、科学進歩の第1の定義「世界を知るという行為」はどうでしょうか。

上で述べたように、これを数値化するのは困難で、私には良案がありません。

ただ、近代以後の歴史を見ると、科学知識の進歩はほとんどの場合技術の進歩を生じています。そもそも科学研究にコストがかかることを思えば、スポンサーはリターンを求めるでしょうし、それは利益を生む新技術の形をとるのが普通でしょう。

そう考えると、

科学技術指数 = 科学進歩指数

としてもよいのではないでしょうか。つまり、上記のような指数で表した科学技術の進歩をもって、科学の進歩を評価するのです。

462diamonds8888x:2019/08/01(木) 06:02:57 ID:56BHMZHA
>>461
 Kenさんは「ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべき」と述べました。この目的とは「世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩」です。
  [>>454]

 私はこの見解にはまったく同意しませんが、ひとつの難点として「「その目的にかなったこと」をどう判断するのかは困難ではないか?」との意図を込めて、具体的方法を尋ねました[>>460]。

 さて答えは。

 1.「1.世界を知るという行為としての科学の進歩」を直接判定するのは困難。
 2.「科学技術指数 = 科学進歩指数」として良いだろうと想定して、「2.科学技術の進歩」を判定する方法を考える。
 3.「2.科学技術の進歩」の判定手段として、社会全体の時間当たりの利用エネルギー量、時間当たりの情報処理量(ビット/秒)、1人あたりのエントロピー量、等を使って定量的に導く


 独創的な方法で面白いですが、つまりは、「現時点では科学理論の正しさは判定する具体的方法はない」という結論になりますよね? それでいいんですか? だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?

 「1.世界を知るという行為としての科学の進歩」と「2.科学技術の進歩」を混同するなよ、というのが私の見解ですけどね。


【報告】ブログに序論の2を書きました。

463Ken:2019/08/04(日) 18:55:52 ID:fAtXoc8.
>>462

話が錯綜してくると、ちょっとした言葉使いが誤解を生むので、慎重に行きましょう。

>「現時点では科学理論の正しさは判定する具体的方法はない」という結論になりますよね?

この表現だと、特定の科学理論の正しさを判定できない、と読めてしまいます。もちろんそんなことは言っていません。>>461では

>理論を評価する最善の方法は、事実を予測して的中させること

と書きました。たとえば1915年に一般相対論が提唱された後、

〜日蝕のとき太陽近傍の星を観測すると、普段の位置からはずれて見えるはず

という予測が行なわれ、1919年の日蝕で、そのとおりの事実が観測されました。

私ができないといったのは「世界を知るという行為としての科学の進歩」を定量的に評価することです。

例えばここにdiamonds8888xさんという研究者がいて、基準01や基準02のような基準をもっているとします。この人がある理論を発見しました。仮に「理論A」と呼びましょう。

またKenという研究者がいてdiamonds8888xさんとは異なる基準をもっています。このKenもまた新しい理論を考えました。「理論B」と呼びましょう。

さらには科学技術指数を最大化する目的を与えられた人工知能があり、人間に見えるような基準はもっていません。このAIが「理論C」を考案したとします。

そしてA、B、Cの3理論すべてが、事実を予測して的中させるというテストをパスしたとします。この場合、3者のだれが科学の進歩に最も貢献したかという判定はできないのではないでしょうか。でも「基準」の影響を評価するにはその判定が不可欠のはずです。


>だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?

議論の基本構造を思い出してください。私(Ken)は、そもそも万人が従うべき、法律的な(「法律的」という言葉が不適当なら「普遍的」な)基準の必要性を認めておりません。ですが、本スレッドでは私の見解は封印し、diamonds8888xさんの基準を前提として話を進めましょうと言いました。

したがって、基準は何のためのものか、という問いかけに答える責任は、基準を提唱したdiamonds8888xさんに帰属します。ただし、私の考えを問われた場合には、>>461のように回答をします。

464diamonds8888x:2019/08/05(月) 06:17:05 ID:iFl5l1RA
>>463
 どうも比喩や反語を使うと通じなくて話がややこしくなりますね。失礼しました。
 「だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?」は反語表現ですから、意味が通じなかったのなら忘れてください。「将棋の比喩」も、そもそも科学的方法の理解のない人には通じないわけですから、私の表現の拙さというしかありません。


 自然科学の謎を解明するために広く採用されているものを私がまとめて示した(何も独自に提唱したのではありまませんよ)基準は「科学理論の正しさを評価するため」のものです。もちろん他にも、使える基準、ただしいつも使えるとは限らないかも知れない基準とか個別に使える基準とかは無数にありますが、そんなのいちいち議論しても仕方ありませんしね。

 けれどそれらの基準の中には「科学技術指数 = 科学進歩指数」などと想定して科学技術の進歩で評価するなどというものはありません。


 どうも[>>453>>463]のKenさんの立場を誤解していた気配がしますが、つまり、[>>461]で提案した方法は実はKenさんは認めていないということですか? 次のどの立場です?

 a)「科学理論の正しさを評価するため」には間違っている
 b)「科学理論の正しさを評価するため」には間違ってはいないが、実際には使えない

 すでに[>>454]で述べたように、私は間違っているという立場だし、実際に使うには技術的(例えば統計を取る技術)に極めて困難という立場です。で、[>>453]によればKenさんは、私が「科学技術の進歩」を「科学理論の正しさを評価するため」の指標にしていると誤解されたようですが、[>>454]で私はその誤解を否定しました。

>でも、私が「科学の進歩に寄与するのが正しい科学」と述べたのは、それが本来diamonds8888xさんのお考えで、〜

>「科学の進歩」なんてそんな言葉は、私は使ってません。

 てことで、どちらも「科学理論の正しさを評価するため」に「科学技術の進歩や科学の進歩」を使うのは間違いと考えている、てことなら意見は一致ということでOKですが?

465diamonds8888x:2019/08/06(火) 06:30:09 ID:VYRwqARk
>>463
 そもそもKenさんが、正しい科学の判定に変な基準を持ってたとわかったことが始まりでしたね。「言わずもながの前提」と考えていたのですから。

[>>438]
>私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、

> 〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

> であると。

 そんな基準は私は否定しましたが、[>>440,>>441,>>446]では説明不足で、Kenさんの「言わずもながの前提」がいかに変な基準であるかは御理解いただけなかったということですね。


 もひとつ、双方とも意図を誤解した箇所がありました

[>>424]
>>では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?

> で決着がついたと思っていましたが。

 この「決着がついた」という意味は、「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」というのは「思考実験の結果」ということで決着です、ということですよね?

 でもそこでKenさんは、それがまずいことだとは思ってない! なんてこったい、非常識な。
 私の「史実ではないという前提で話を進める」という言葉の意味は、「史実ではないから、「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」という見解は、間違いとしてもう相手にしませんよ」という意味ですよ。誤解してましたね? 反語は通じないのかあ、反省・・。

 Kenさんにとっては、事実の裏付けのない思考実験の結果だけで何かの証拠になる、などという非常識な論法も「言わずもながの前提」だったのですね。まいったなあ。

466diamonds8888x:2019/08/07(水) 06:10:52 ID:OuQZ9xAQ
>>465
 お互いに「言わずもながの前提」と思い込んでいて、実は食い違っているということが多そうなので、それらを洗い出した方がすっきりしそうですね。ちょっと私の観点からまとめてみますが、Kenさんも可能なら洗い出してみてください。

 そのひとつが矛盾を認める場合があるか否かという、このところ続いている議論のテーマらしいですが、それは別発言にて。

467diamonds8888x:2019/08/07(水) 06:16:07 ID:OuQZ9xAQ
>>466
 このところ続いている議論はそもそも基準01-04とは少しはずれた件です。[>>316]で始めた論理テストに関して、実はKenさんと私で「論理」に対する認識に差があることが判明しました。つまり[>>331]においてです。

>ですが現実には、Pと¬Pの関係にある2つの理論が、実は両方とも真実だった例があります。>あるいはPと¬Pの関係にあるというのが誤解だったかもしれません。でもその判定は非常に難しく、現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?

 まともな科学者が「(¬P)∧Pを含む理論」を提唱することはありません。現実問題としては彼らはどうするかと言えば、既存の理論では(¬P)∧Pが導かれるように思えるので、すなわち既存の理論には矛盾があるように思えるので、(¬P)∧Pを解消するような新しい理論を打ち立てるように努力します。あきらめて矛盾を認めるなんてことは絶対にしません。

 あー、もしかしてKenさんの文章での「認める」の意味は私の考える意味とは違ってます??

 同じことは[>>420]ゲジゲジさんも書いてます。
>では(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付かなかったら???
>あるいはそういう仮説を思い付く前は???

>「P∧¬P」のように見える、その時点の科学では説明できない不思議な現象がある・・・という状況が、仮説を思い付くまで続くだけの事です。
>「P∧¬P」を受け入れるしかないのではなく、説明ができない事を受け入れるしかないのです。

 つまり、今はまだ自分たちには「説明ができない事を受け入れる」。説明ができないという自分たちの至らなさを受け入れる。でもあきらめて矛盾を認めるなんてことはせずに、矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続ける。あきらめなければ、いつか未来に輝ける希望が待っているのだ、ゆけ真実を目ざして。
 またやっちゃった。最後の一文はちと無視してください。

[>>421]ミケさんも書いてます。
>その前段階は
> 「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
>Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

 AさんもBさんも矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続けている点では同じです。その過程で論争をしている。争いといいつつも実は協力しあっているという面がある。個人個人の感情はともかくとして。こうして人類の知見は改良が続いていくのです。


 あー、ついでに一言。量子力学が矛盾を認めている、なんてのは客引きのための啓蒙書の表現を鵜呑みにしただけの勘違いですからね。

468Ken:2019/08/07(水) 23:20:32 ID:fAtXoc8.
順を追って1つずつ片付けてゆきましょう。

1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか
2.思考実験の可否
3.2で思考実験が「可」と結論された場合のみ、19世紀末の波の媒質問題
4.3の結論を受けて「(¬P)∧P」の可否


まず、1ですが。

>>461で少し言及したように、世界を知る行為として科学をみた場合、どんな科学理論でも、その理論で未来の事実を予測できるか、というのが是非の判断材料だと、私は思います。事実を予測できることが、技術の進歩にもつながります。

そこでdiamonds8888xさんにお尋ねしたいのは、提示された01以下の基準は、

科学理論が正しいものであるためには、これらの基準を満たさねばならないのですか?

たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。このような理論は正しいのですか? それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?

469ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:10:25 ID:Gira1YSo
久しぶりにヨコから書き込みます。

diamonds8888xさまは「科学の基準」を「将棋のルール」にたとえられました。
しかしKenさまは「将棋のルール」ではなくて「勝つための定石」だと主張されます。

同じ様な事はずいぶん前にも仰っていました。
 >>62
 >「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。
 >たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。
 >それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。
 >たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。

私としては、【「科学の基準」は「将棋(や野球)のルール」のようなものである】という事を、どの様に説明したらKenさまに理解して頂けるのか考えてみました。
diamonds8888xさまにおかれましては、必要に応じて使えそうであれば使って頂ければ幸いです。


〜〜〜本文ココから〜〜〜
1.将棋のルール(と科学の基準)は誰もが守らねばならないか?

最初に答えを言ってしまえば、誰もが守らなければならないものではありません。
守らない自由はあります。

もし私が、「桂馬はチェスのナイトのように動けた方が良い」と思ったとしましょう。
(別にそんなふうには思いませんが)
そして、この考えを色々な人に提案してみます。

最低1人、私に賛同してくださる人を見付ければ、私はその人と新(珍?)ルールで対局できます。
もし賛同者を2人、3人・・・と見付ける事ができれば、そのメンバーで新ルールに基づく大会を開く事もできるでしょう。
10人集めて、5組ぐらいの対局ができれば、それなりに大会っぽくなるかもしれません。
いや、誰も賛同者を見付けられなかったとしても、私1人で詰め将棋を楽しむ事はできます。

但し・・・
その新(珍?)ルールは飽くまでも賛同する人たちの中だけで成立します。
その人たちの集まりから一歩外に出たら、そんなルールを主張したら対局の相手をして貰えないでしょう。


科学の基準も同じです。
「反証できない理論」でも「P∧¬P」でも認めて良いという学会があったとしたら、その学会の中ではそういう理論を提唱して議論する事ができます。
そんな学会がなかったとしたら、自分で作る事だってできます。

但し・・・
飽くまでもその新(珍?)基準は、その学会の中だけで成立するものであって、そこから一歩外に出たら、そんな理論は相手にされる事はないでしょう。

470ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:11:01 ID:Gira1YSo
2.将棋のルール(と科学の基準)は普遍的か?

1.では「守らない自由はある」と言いながら、守らなければ相手にされないのだから、結局のところ守るしかないのでは?と思われるかもしれません。
まぁ、実際その通りではあるのですが・・・

しかし今度は仮に、羽生善治さんが「桂馬はチェスのナイトのように動けた方が良い」と主張したと考えてみましょう。
(勿論、現実には絶対にあり得ないとは思いますが・・・)

彼は自他共に認める将棋の「専門家」ですし、それを証明するだけの実績を積んで来ています。
そんな彼が、仮にそんな主張をしたとすれば、きっと耳を貸す人たちが、それも他の「専門家」と言われる人たちの中から出てくるはずです。

そして恐らく、「では試しに新(今度は珍ではない事がポイント)ルールで対局してみよう」となるでしょう。
そして対局してみて、「専門家」と言うべき複数の人たちが「こちらルールの方が良い」と感じたなら、ルールが変更される事だってあり得るはずです。

ここまでは現実には絶対にないだろう思考実験ですが、実際の史実はどうだったでしょうか?
日本将棋連盟のサイト(私も別に将棋に詳しいわけではなく「将棋 歴史」で検索しました)によると、時代とともに将棋のルールも変遷してきた事が分かります。

例えば昔は「銅将」、「鉄将」、「猛虎」、「飛龍」なんていう駒もあったみたいですね。
そして15、16世紀頃に「相手の駒を取ったら自分の駒として使えるようになる」という画期的なルール変更があったようです。
素人的に考えても、このルール変更の前と後では、勝つための戦略や戦術の立て方が決定的に変わった事でしょう。

21世紀に入っての20年ぐらいでも、さすがに駒の動きについてのルール変更はなかったようですが、それでも持ち時間や休憩の取り方などに関するルール変更は何度かあったみたいですね。

ポイントは、【その世界に精通していて、且つその世界に精通している事を他の人たちにも認められるだけの実績を持つ人】が「ルール変更」を主張したなら、賛同者が増えて実際にルールが変更される場合もあり得る、という事でしょうね。
ただの「将棋好きのオヤジ」がルール変更を主張しても、まず誰からも相手にされないでしょう。


科学の基準も恐らく同じです。
科学に精通していて、そしてそれだけの実績を出してきた人が「基準」の変更を主張したなら、「基準」が見直される事もあるでしょう。
だから実際に、科学の黎明期である古代ギリシャ時代辺りからの歴史を眺めてみれば、科学の基準自体も変遷してきているのでしょう。

471ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:11:31 ID:Gira1YSo
3.将棋のルール(と科学の基準)はどのように検証されるか?

将棋のルールの目的と言えば、将棋のプレイヤーや観戦者が真剣な「知のスポーツ」を「楽しむ」事にあるでしょう。
そのためには、例えば先攻(あるいは後攻)が圧倒的に有利になるようなルールでは楽しめないし、ほとんど運だけで勝負が決まってしまうようなルールもダメでしょう。勝負に時間がかかり過ぎてもいけないし、逆にあっさりと勝敗が付き過ぎてもいけません。

将棋のルールに基づいて将棋を「楽しむ」事ができるのか?
実際に将棋のルールに基づいた対局が行われる事で「検証」され続けているのではないでしょうか?

2.で述べたように、昔は今よりも色々な種類の駒がありました。
それではルールが複雑すぎるので、単純化されて現在のルールに落ち着いたようです。
また勝負が付かない事が多かったために、「相手の駒を取ったら自分の駒として使える」というルールが考え出されたようです。


科学の基準も恐らく同じです。
実際にその「基準」に基づいた仮説理論が提唱され、検証される事で、実は「基準」自体も検証され続けているのではないでしょうか?
ですから>>468
 >たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。
 >このような理論は正しいのですか?
 >それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?
もし本当にそのような理論が現れたのなら、その理論は科学として正当でしょうし、そんな理論が現れた時こそ「基準」の方が見直される時なのではないでしょうか?


最後に余談ですがAIについて・・・
将来AIが感情を持つようになるかどうか分かりませんが、仮に持つようになったとしましょう。
そうしたらAIは、AI自身が将棋を「楽しむ」ためにルールを変更するかもしれませんね。

例えば数十種類の駒が数百個あって、数万マスの盤面で対局するみたいな・・・
もちろん、AIと対局する相手はAI。それを観戦して楽しむのもAIです。
ニンゲンには最早ルールを理解する事さえ不可能な、そんなAIによるAIのための将棋の新ルールができるかもしれませんね。

472diamonds8888x:2019/08/11(日) 15:33:23 ID:Z08SmBac
>>468
>たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。このような理論は正しいのですか? それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?

 もちろん、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論、ならそれは正しいです。万が一もしも基準01〜04に反していたとしても。

 ゲジゲジさん[>>471]からの発言と同様です。
 > >それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?
 > もし本当にそのような理論が現れたのなら、その理論は科学として正当でしょうし、そんな理論が現れた時こそ「基準」の方が見直される時なのではないでしょうか?

 要するに、「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ならば自動的に満たしているであろう性質のいくつかが基準01〜04であって、何も私が勝手に想像して設定したわけではありません。むろん仮定するだけなら基準01〜04に反して、かつ「再現性をもって、事実を正しく予測できる」理論も想定することはできますが、具体的には難しいですよ。私には不可能にしか思えません。

 基準01〜04が正しいか否かということはつまり、「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ならば自動的に基準01〜04満たす、ということが正しいか否かにかかっているわけです。私は、そのことを納得してもらおうとして努力してきたのです。

 簡単に言っておきます。

 基準01でのへそ理論や世界5分前仮説は、そもそも未来予測ができません。というのは不正確ですね。5分前以降は通常の「世界はずっと昔から連続していた理論」と区別できませんから未来予測に関しては通常理論と同等です。違ってくるのは過去の解釈ですので実は「再現性をもって、事実を正しく予測できるかどうか」という基準は通常理論との区別には使えません。

  (過去の事実に関する理論の正しさ、というなかなか面倒な問題についてはブログでの「序-3(2019/08/10)」に書いてみました)

 基準02〜04はいずれも論理に反しない理論かどうかという基準です。私にはそんなものは不可能としか思えません。Kenさんがモデル的なものでもなんでも納得できる理論を示してくれれば考察してみますが、存在しないとしか思えないものを相手にする気にはなれません。いや普通の科学的感覚をもってたらそうですよ。


 質問に沿ってちゃんと答えておきましょう。

>1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか

 「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらない理論を振るい落とすための基準として有効だからです。いわゆる一次スクリーニングのためです。


【報告とお詫び】ブログでは「序3(2019/08/10)」まで書きましたが、なかなか科学的方法の発達の歴史にまで入り込めていません。ただ、あのような基本的なところを抑えずに歴史の各論に入ると歴史的事実はともかく、その解釈で齟齬や誤解を生じると考えますので、しばらくは序論が続きますので御容赦を。「序-1」「序-2」ではこのスレッド初期でテーマになった事実と理論の違いをまとめてあります。

473Ken:2019/08/13(火) 23:37:46 ID:fAtXoc8.
>>472では、基準はルールではなく定石であると述べられたと解釈します。つまり、基準に従わないこと自体は、理論を排除する理由にならない、という意味で。この基準に背くと、たとえば>>460で言われたように

>実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ

というのが本当なら、まさにその「大けが」をしたという結果をもって、その理論が誤りであると判定すればよいでしょう。

私は別にdiamonds8888xさんの基準を全否定してはいません。基準01などは、私だって利用してきたと思います。私はハードウェアやソフトウェアを作るのが仕事という期間が長かったのですが、作った製品のテスト計画を立てる時は、当然、どういう条件で製品が失敗するかを考えます。これは反証可能性を考えるのと同じことでしょう。

ただ「基準」が正しい科学理論を構築する定石だったとしても、それは、これまでがそうだったというだけで、今後もずっとそうとは限りません。特に、何度も繰り返しますが、人間とは桁違いの情報処理能力(=思考能力)をもつコンピュータが現れた時、人間の定石など無視するかもしれません。現実に、囲碁や将棋を含む多くの分野で、それは起こっているのですから。

基準に背きながら、事実を予測できる理論の具体例は、私にも思いつきません。というより、今そんなことができるのは人工知能ぐらいでしょう。ただし、広汎に受け入れられている理論の中に、基準に背くものがあるのではという問題提議はやってきました。基準01の議論は中断していますが、ブラックホール内部の考察がそうです。ほかにも思いついたことがありますが、01の議論が再開されたときに述べようと思います。


それでは、以後、「基準」とは定石である、という理解で議論を進めてもよろしいですか?

よろしければ、思考実験の可否の話をしたいと思います。

474diamonds8888x:2019/08/14(水) 06:23:08 ID:886f3D2s
>>473
>基準に背きながら、事実を予測できる理論の具体例は、私にも思いつきません。

 はい? では何のために基準の議論をしてきたのですか?

 Kenさんはつまり、進化論の議論にもどっても基準01-04に背く理論は提出しない、たぶんできない、と言っているのですよね?
 現在Kenさんの頭にある、進化論の議論にもどって提出しようとしている御自分の考えはすべて基準01-04に背いていない、と言っているのですよね?

475diamonds8888x:2019/08/14(水) 06:24:12 ID:886f3D2s
>>471 ゲジゲジさん

 [>>454]の囲碁将棋の喩えはわかりにくかったかも知れません。今読み直して、一番言いたかったのは単純に、その分野での基本知識のレベルとそれに対する理解のレベルのことだったのです。
理解の深い人の知見は専門家の意見として重きをおくべきだという意図と、議論している科学の基準というのが、非常に基本的なものだという点です。

 考え直してみると正確には次の対比がよさそうですね。でもこれでも、細かく言うとずれは出るから、やつぱり拙い比喩だったのでしょう。

  将棋のルール  自然の根本原理(実際にはあるかどうかはわからない)
           (たぶん永遠にわからない)
  定跡  人が発見した自然法則
  科学の基準  定跡の判定基準
      (玉が敵陣に突進するのはダメ、とか)
      (チェスだとクイーン1個損したら投了しますから)


 新しいルールが作られていくという話は、ブログの方で次に書こうと思っている「科学的正しさと社会的力学?との関係」みたいなことを連想しました。

476Ken:2019/08/14(水) 06:57:25 ID:fAtXoc8.
>>474

>はい? では何のために基準の議論をしてきたのですか?
>Kenさんはつまり、進化論の議論にもどっても基準01-04に背く理論は提出しない、たぶんできない、と言っているのですよね?

私は、>>473で、

〜広汎に受け入れられている理論の中に、基準に背くものがある

と言い、ブラックホールの内部という具体例まで挙げているではありませんか。
まさに、そういうことがあるから、ここまで基準の議論をしてきたのですが。

もともと「基準」の話を始めたのは、ID論は疑似科学という指摘があるからです。そして、ドーキンスなどがIDを疑似科学と主張する理由は、diamonds8888xさんが「基準01」「基準02」と呼ぶものに違反しているからです。すくなくともドーキンスはそのように主張します。

ですから、これらの「基準」は真に普遍的なものなのか、これらが正しい科学の基準となると、多くの人が受け入れている理論の中に「正しくない科学」と判定されてしまうものがあるのでは、というのが私の問題提議です。

477diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:46:57 ID:WaZUEsIw
>>476
> と言い、ブラックホールの内部という具体例まで挙げているではありませんか。

 ブラックホールの内部に関しては事実自体が観測不可能ということですから、「事実を正しく予測できる理論」という基準にさえ当てはまらないという見解でしたよね? 基準01-04以前の話になるのではありませんか?
 これは難問だと述べていたはずです。一応フログの「序-2」に書き始めてはいますが、本スレッドでの議論に載せるにはややこしすぎるのでないかと危惧します。

> ですから、これらの「基準」は真に普遍的なものなのか、これらが正しい科学の基準となると、多くの人が受け入れている理論の中に「正しくない科学」と判定されてしまうものがあるのでは、というのが私の問題提議です。

 そんなものはありません、というのが私の言いたいことです。
 「多くの人が受け入れている」というのはもちろん、現在の科学界の定説という意味ですよね? 創造論などはアメリカで「多くの人が受け入れている」と言われていますが。

478diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:47:47 ID:WaZUEsIw
>>466,>>477
 わたしの「言わずもながの前提」いくつか。

 1) 人類が発見してきた自然法則というものは客観的存在である。人が関与しているから主観的かも知れないと不満ならば、一歩ゆずって客観的存在を反映したものである。人はそれを発見できるだけであり、例えば法律のように恣意的に作れるものではない。

 2) 人が発見したと思った法則が間違っている、つまり客観的存在を正しく反映していないことはある。同じ現象に適用される複数の法則が提唱されることがあり、そこでどの法則が客観的存在をより正しく反映しているかどうかを巡る論争が起きる。

 3) 上記法則の例には、多くの自然法則が入り、さらにユークリッド幾何学の公理や定理、自然数の公理や定理(例えばペアノの公理)、さらには論理法則も入る。このように非常に広い範囲に適用できる法則を「普遍的」と呼ぶ。
  (論理や数学まで自然法則とすることには反対も多いとは思う。 )
  (でもKenさんとは同意できそうだけど、どうかな?       )
  (幾何学の定理の多くは観測事実からも検証できることは事実。 )

 4) 人が発見したと思った法則が客観的存在を正しく反映しているかどうかは、観測事実を正しく反映しているかどうかで判定する。とは言っても人が一人だけでは限界があるのですが。

 5) 多くの観測事実や法則の発見は、社会として組織された人類の不断の努力により蓄積されてきており、歴史を経るごとに客観的存在の真の姿に近づいている。その蓄積には尊重すべき重みがある。


 さて我々が手にできるのはあくまでも「人が発見したと思った法則」です。なので厳密な事を言えば、明日にも間違いとわかってひっくりかえるかも知れません。でも、だからといって現在検証済みとされている法則に矛盾する新理論を提出するには、それ相当の根拠が必要です。

 例えば生物の進化史上の出来事の真相や進化メカニズムに関する仮説があったとして、それが放射性元素の壊変法則から必然的に導かれる結論と相反するとしたら、その仮説が正しいと主張するのは難しいでしょう。壊変法則は絶対正しいとは限らない、とか言って無視するというのではまともな研究者には相手にされなくても仕方ありません。

 では本スレッドのテーマとなっている基準01-04はどうでしょうか? ==>[>>479]

479diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:48:49 ID:WaZUEsIw
>>478
 さて、本スレッドのテーマとなっている基準01-04もまさに客観的存在を反映していると考えられる法則の一種です。適用範囲としてはニュートン力学などよりも普遍的な、どちらかというと論理法則に近いような法則です。実際に基準02-04は、良く知られた論理法則をそのまま適用しただけです。「科学理論は論理的整合性を持たなくてはいけない」という話です。

 スクリーニング手段として定評があるのですから素直に使えばいい。Kenさんも基準01-04に反する理論は思いつかないと言うのだから、それでいいわけで。もしも反しているからダメ、という話が出たら、「反してない」ことを示すか、「確かに反しているけど、これこれの理由で妥当だ」と納得できる理由を述べればいい。後者は絶望的に難しいとは思いますけど。


 ただ光の波動説と粒子説の科学史の中で「矛盾を受け入れるしかなかった」とKenさんは主張しています。しかも「矛盾を受け入れて構成した理論」は具体的には示していません。なのでそれは実は別のことを「矛盾を受け入れるしかなかった」と表現しただけなのでは? と[>>466]で書きました。

 このところの矛盾論争は、ここに尽きます。

480diamonds8888x:2019/08/18(日) 06:15:47 ID:WaZUEsIw
>>479
>もしも反しているからダメ、という話が出たら、「反してない」ことを示すか、「確かに反しているけど、これこれの理由で妥当だ」と納得できる理由を述べればいい。

 具体的な例を示しましょう。

>>476
>もともと「基準」の話を始めたのは、ID論は疑似科学という指摘があるからです。そして、ドーキンスなどがIDを疑似科学と主張する理由は、diamonds8888xさんが「基準01」「基準02」と呼ぶものに違反しているからです。すくなくともドーキンスはそのように主張します。

 疑似科学という指摘に反論するのならば、ID論が「基準01」「基準02」に反してはいないことを示せばよいのです。それをいきなり、「基準01」「基準02」が通用しないという方向に持っていくのは筋がおかしい。

481Ken:2019/08/20(火) 20:51:22 ID:Nse8qxIU
とにかく、論点を1つずつ片付けていってはどうでしょうか?

本スレッドで私が行なう問題提議は、1種類しかありません。diamonds8888xさんが提唱される基準とは普遍的なものなのか、ということです。より具体的には、一般に受け入れられている理論の中に、提唱された基準では「正しくない」と判定されるものがあるのではないか、ということです。そんなものはない、とdiamonds8888xさんは言われるかもしれませんが、私にはあるように思えますし、結論にいたるには具体事例を検証するしかありません。具体事例を出す責任は「ある」と主張する私に帰属します。

初めは番号順序のとおりに基準01から議論を始めましたが、01は後回しにして基準03以下を先にやろうと、diamonds8888xさんから申し出がありました。基準03以下とは、要するに、純論理的・数理的な考察によって、正しい/正しくないを判定できる科学理論があるという内容だと思います。

そして挙げられた論理式の中に「(¬P)∧P」というものがありました。論理式としてこれが不可能なことは分かりますが、現実世界ではこれを認めるしかない場合があるのではと問題提議を行い、具体例として、現在も未決着のシュレーディンガーの猫と、19世紀末の電磁波の媒質問題を取り上げました。さらには後者を論じる中で、思考実験をやってもよいかが問題になりました。

これが現在の状態ですので、まずは思考実験の可否を話し合いませんか?


私としては、どんな時でも、問題を1点に絞り込みたいのですが、それとは別に、私自身の思想的なものを尋ねられると回答をせざるを得ません。結果として論点が拡散されているように思います。

基準01も基準02も、必ず論題になります。基準01については、ブラックホール内部の考察という基準違反(?)の例を挙げました。他にも1つ思いついたことがあり、こちらはブラックホール内部とは異なり、観測可能だけど反証不可能の例と考えます。いずれ基準01に議論が戻ったときに詳しく話しましょう。

482ゲジゲジ:2019/08/20(火) 22:48:09 ID:lTUI2rVo
diamonds8888xさま。
お返事[>>475]ありがとうございます。
なるほど、将棋のルールを喩えとして出されたのは、そのような意図でしたか。

ただKenさまの以下の発言を見ると、科学の基準は「ルール」とした方が誤解がないかも・・・と感じます。
いや、それによって後で別のヘンな誤解に繋がってもいけないのですが・・・

>>473
 >基準はルールではなく定石であると述べられたと解釈します。
 >つまり、基準に従わないこと自体は、理論を排除する理由にならない、という意味で。
基準に従わない理論は排除されますよね。
で、なければスクリーニングの意味がありません。

 >>実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ
 >というのが本当なら、まさにその「大けが」をしたという結果をもって、
 >その理論が誤りであると判定すればよいでしょう。
当人はそれでいいでしょうけれど、「巻き添え」を食らう方はたまりません。
具体的に言うと、検証も反証もできるはずのない理論に反論したり、議論したりする事に時間と労力を取られたくないでしょう。
ですからきちんとした科学的議論の場では、基準に従わない理論など誰も相手にしないはずです。


さて、度々ヨコから失礼します。
Kenさまは[>>481]で
 >まずは思考実験の可否を話し合いませんか?
と仰いますが、その前に以下の点を確認しておいた方が良いかと思います。

1.基準に従わない(基準を満たさない)理論は排除される。
2.基準の目的は、「科学の発展」のためではない。
3.基準は【理論】に適用される。

3.について補足すると、ずっと以前にdiamonds8888xさまから以下のご発言がありますが・・・
 [>>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 [>>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

Kenさまの「ブラックホール内部の考察」やら、直近の「19世紀末の電磁波の媒質問題」やら、どうも
【基準を満たさない(ように見える)事実を認めること】と、
【基準を満たさない理論を提唱すること】とが混同されているように感じられます。

まず何について議論をしているのか、はっきり合意を取ってから次に進まれた方が良いかと・・・

483diamonds8888x:2019/08/25(日) 05:53:51 ID:ewVWVBlI
>>481
>本スレッドで私が行なう問題提議は、1種類しかありません。diamonds8888xさんが提唱される基準とは普遍的なものなのか、ということです。より具体的には、一般に受け入れられている理論の中に、提唱された基準では「正しくない」と判定されるものがあるのではないか、ということです。そんなものはない、とdiamonds8888xさんは言われるかもしれませんが、私にはあるように思えますし、結論にいたるには具体事例を検証するしかありません。具体事例を出す責任は「ある」と主張する私に帰属します。

 明快なテーマ提起ですね。了解です。となれば、以下の具体例3つもひとつずつがいいでしょうね。

>そして挙げられた論理式の中に「(¬P)∧P」というものがありました。論理式としてこれが不可能なことは分かりますが、現実世界ではこれを認めるしかない場合があるのではと問題提議を行い、具体例として、現在も未決着のシュレーディンガーの猫と、19世紀末の電磁波の媒質問題を取り上げました。さらには後者を論じる中で、思考実験をやってもよいかが問題になりました。

>これが現在の状態ですので、まずは思考実験の可否を話し合いませんか?

 思考実験の可否は派生的なものなので枝道に入る恐れが大でしょう。
 まずは19世紀末の電磁波の媒質問題については、[>>467]に解答を示していますので、これで納得できないなら、どう納得できないのかお聞かせください。
 [>>433]および[>>432]を最後とした【エーテルとは何だったのか?】も参考にしてください。


【別の例について】
 なおシュレーディンガーの猫については[>>467]では軽く扱いましたが、

> あー、ついでに一言。量子力学が矛盾を認めている、なんてのは客引きのための啓蒙書の表現を鵜呑みにしただけの勘違いですからね。

 [>>343]では渋々ながらも引っ込めたように見えましたが、まあ理解はしていないみたいですね。この場合もやはり「現実問題としては彼らはどうするかと言えば、既存の理論では(¬P)∧Pが導かれるように思えるので、すなわち既存の理論には矛盾があるように思えるので、(¬P)∧Pを解消するような新しい理論を打ち立てるように努力します。」

ゲジゲジさんが書いていること[>>482]も同じことを言っています。
> 【基準を満たさない(ように見える)事実を認めること】と、
> 【基準を満たさない理論を提唱すること】とが混同されているように感じられます。

【わからない比喩は無視してください】
 喩えてみれば手品を見て、「自分には科学的説明が思いつかないと認める」けれども「科学で説明できない現象が起きているとは認めない」ということです。あー、この比喩に違和感を感じたら比喩の意図を誤解しているということですから無視してください。

484diamonds8888x:2019/08/25(日) 09:09:35 ID:ewVWVBlI
>>481,>>483
 ものすごく簡単でわかりやすいと思える例を思いつきましたので御紹介しましょう。

  理論F:支えのない物体は下へ落ちる
     (支えのない静止物体は存在しない)
  定義S:"支え"とは物体に接触している"物"である

 さてここで落下せずに静止している物体のように見えるものXが観測されました。すると色々な解釈がなされます。つまり色々な新理論が提出されます。

  1.世の中にはP∧¬Pが成り立つ場合もある。
  2.Xは物体ではない。例えば幻とか、我々が手に触れられる物体とはまったく別の"物"だとか。
  3.支えのない物体でも下へ落ちない場合がある。つまり理論Fが間違っている。
  4.物体に接触していない"支え"が存在する。つまり定義Sは"支え"の定義として不適切だった。
  5.今は"支え"は見えもせず触れることもできないように思えるが、努力すればきっと検知できるようになる。(何者かが隠している場合も含む)。

 3.は「エーテルは存在しなかった」という見方に相当し、4.は「光の媒質は真空だった」という見方に相当します。で、Kenさんは1.について以下のように主張しているように見えますが、そうだったのですか? もう一度よく考えてみてください。

  ・(全ての人は)1.を受け入れるしかなかった。
  ・定義Sが絶対である以上は1.を受け入れるのが唯一の論理的帰結である。
  ・このような事例を見れば、現代の我々も1.を受け入れることも科学的方法として許容しなくてはならない。


 なお、上記Xの観測というのは人類歴史上無数に観測されていて、実際に多かった解釈は2.と4.だろうと思います。それに反して「波なのに(通常の物質に似たような)媒質が見つからない」という観測事実というのは19世紀に人類が初めて出くわした現象です。少々混乱を来した人もいたでしょうが、実際にことにあたっていた科学者たちは決して「P∧¬Pが成り立つ理論」など考えようとはしていませんよ。

485Ken:2019/08/28(水) 22:50:19 ID:l6l6JAnA
まず、

>思考実験の可否は派生的なものなので枝道に入る恐れが大でしょう。

そうかもしれませんが、この点を明確にしておかないのなら、今後の議論の中でも私が思考実験を、つまり仮定の条件を設定してシミュレーションを行なうことがありうると思います。


それでは、電磁波の媒質問題の話をします。

19世紀の段階では、なぜ波には必ず媒質が必要と考えるべきであったかについて。これは>>347を含むいくつかの投稿で述べました。>>347から抜粋しますと、

>波が振動現象であるからには、必ず「振動するなにものか」があるはずですから。
>振動するものがないのに振動するというのは矛盾ではありませんか。

つまり、

基本命題:振動現象には振動する実体があるはず

これに対して、diamonds8888xさんが直接に回答をされたのは、>>432であると思います。

>光波・電磁波  電界と磁界
>電磁界は電荷などに力を加える性質
>電磁波が電界と磁界を媒質とする波であることはマクスウェル理論の本質です。

(はじめに、私は「電界」「磁界」ではなく「電場」「磁場」ということをお断りしておきます。例えば「場の理論」とは言いますが「界の理論」という言い方を聞いたことがありませんから。)

私が主張したいのは、19世紀の段階では、「電場」とか「磁場」といっても、便宜上設定されたもので、その正体は不明であったことです。電場を例に説明しましょう。

空間の1点にqクーロンの電荷があり、そこから距離rの位置にaクーロンの電荷があると、空間の誘電率をεとして、

F=qa/(4πε・r²)

というクーロン力が働きます。これだけならスカラー量ですが、力はベクトルですから[F->]と表記すると(アルファベットの上に矢印を書くような一般的なベクトル表記は本掲示板ではできませんから)、aからqまでの空間ベクトルを[r->]として、

[F->]=(qa/(4πε・r³))・[r->]

もしaの代わりにbクーロン、cクーロンの電荷があると、力は、

[F->]=(qb/(4πε・r³))・[r->]、(qc/(4πε・r³))・[r->]

となり、結局、

[E->]=(q/(4πε・r³))・[r->]

が、aやbの値に依存しない因子なので、これを「電場」と呼んでいました。

つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

ここで上の基本命題を思い出してください。もしも、

〜「場」があるから、物質的な媒質はなくてもよい

という論法で基本命題を否定するのなら、「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。これはおそらく>>484の4で言われた、

>物体に接触していない"支え"が存在する

と本質的に同じことをいっているのでしょうが、「場」の正体に具体案がなければ、媒質の代替案にはなりません。ましてや基準01に従えば、具体案を検証/反証する方法まで提唱できないと、理論にはなりえないのではありませんか?

しかし、19世紀にその知見はありませんでした。それゆえ、振動現象には振動する実体が必要、という命題は有効だったと思います。これは、現実の19世紀末を生きた人が実際にそう考えたか、とは別の問題です。当時の知見のもとで論理的に追求すれば、その結論にいたらねばならない、ということです。

486diamonds8888x:2019/08/31(土) 06:04:21 ID:4b.rjCLU
>>485 うん、かなり重要なポイントに入ってきましたね。頭を十分に柔らかくして考えてくださいね。

>つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。

 まさにその通りです。

>注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

 まさにその通りです。
 ところでニュートンが万有引力の法則を発見した時にも万有引力の正体は不明でした。磁力は大昔から観測されていましたが、その正体もやはりファラデーやマクスウェルに至っても不明でした。このことは認識されていますよね?

>という論法で基本命題を否定するのなら、「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。

 19世紀の研究者たちの多くがそう考えたのは確かです。では20世紀以降の物理学ではどうか。

 ということで、現代の(というか20世紀以降の)物理学における光に関するKenさんの認識を確認したいのですが、今のKenさんの論法の中では現代の物理学における「場」の正体とは何だと考えるのですか?

 ついでに可能であれば(知っていれば)、「場」の正体はいつ誰が明らかにしたと考えていますか?

 ついでに可能であれば(知っていれば)、「場」の正体を明らかにした誰かさんの理論は、「19世紀の知見に従えば論理的に矛盾している」のでしょうが、そこのところを説明してください。


【以下の主旨は本質的に上記と同じことですが】

>これはおそらく>>484の4で言われた、

>>物体に接触していない"支え"が存在する

>と本質的に同じことをいっているのでしょうが、

 ん? 「これ」とはどういう考えのことですか?
 それと4の後半の「つまり定義Sは"支え"の定義として不適切だった。」が電磁波問題の何に対応するのかは、まだ理解できていないのですか?
 4と5の混合を思いつきましたが、それは後ほど。まずはKenさんの認識を確認しないと行違うでしょうから。

>「場」の正体に具体案がなければ、媒質の代替案にはなりません。ましてや基準01に従えば、具体案を検証/反証する方法まで提唱できないと、理論にはなりえないのではありませんか?

>しかし、19世紀にその知見はありませんでした。

 同意できません。まあ、まずは「現代の(というか20世紀以降の)物理学における光に関するKenさんの認識」を教えてください。

487diamonds8888x:2019/08/31(土) 06:12:20 ID:4b.rjCLU
>>458,>>472,>>475
 ブログに序-4を書きました。なんとか次から歴史に入りたいと考えています。

488Ken:2019/09/02(月) 00:40:24 ID:CbSK8gT6
>>486

>今のKenさんの論法の中では現代の物理学における「場」の正体とは何だと考えるのですか?

尋ねられたことには回答しますが、このような質問の意味が分かりません。

19世紀の知識体系の中で、電磁波の媒質問題をどう考えるべきかという思考実験をしているのに、20世紀の知識を持ち込んだら、実験条件が変わってしまいます。その点を注意してください。

「20世紀に「場」がどう考えられたか、言い換えれば電磁波がどのように伝わると考えられたか?」

答えは、

〜電磁波は粒子であることが分かったので、媒質が不要になった

となります。

歴史的な経緯を語りますと、まず、光電効果が観測されていました。いろいろな金属に電磁波を当てると電子が飛び出します。なぜそうなるかを説明したのがアインシュタインで、1900年にプランクが提唱した量子の概念を用いた論文を1905年に発表しました。

つまり電磁波の量子つまり光子が金属中の電子に衝突して電子を押し出すというのです。これは光子が運動量をもつ粒子であることを意味します。古典力学的な波が何かを「押す」ことはありません。

これにより、電磁波が古典力学的な波動であるという前提が崩れ、ゆえに媒質の存在も不要になりました。「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。

>「場」の正体を明らかにした誰かさんの理論は、「19世紀の知見に従えば論理的に矛盾している」のでしょうが、そこのところを説明してください。

「矛盾」という表現が妥当とは思いません。19世紀には知られてなかった光子の存在が明らかになったのだから、19世紀とは異なる結論が導かれるのは当然です。

このような回答でよろしいでしょうか?

よろしければ、上に述べた20世紀の発見は忘れて、19世紀の知識体系の中で、媒質のない波という結論に到達できるか、についてお考えをお聞かせください。

489diamonds8888x:2019/09/03(火) 05:52:43 ID:4b.rjCLU
>>488
>このような回答でよろしいでしょうか?

 全然よろしくありません。そんな風に考えてたのですか。

 エーテル理論が否定されたのは特殊相対性理論においてです。そして特殊相対性理論は量子論とは独立した理論です。
 エーテル理論が否定されたことについては量子論はまったく関係ありません。
 >>433,>>437で紹介したアインシュタインとプランクの講演も御参考に。

>20世紀の知識を持ち込んだら、実験条件が変わってしまいます。その点を注意してください。

 20世紀の知識を正しく理解していなければ19世紀の知識のどこがどのように間違いだったのかを正しく評価できません。そのためKenさんの理解を確認したのです。そしたら上記のように、そもそもKenさんの理解に間違いがあり、それゆえエーテル理論の評価にも狂いが生じていることが判明したのです。

 もう一つのポイントとしてまず種明かしをすれば、「20世紀の知識だって19世紀の知識しか持たなかった人が考え出したものだよ」ということがポイントであり、Kenさんの論法で抜けているところです。すなわち、矛盾を解消したとKenさんがいう20世紀の知識が得られた時点で、「19世紀の知識しか持たなかった人は、そう考えるしかなかった」というのは実は間違いだったことが判明したのですよ。


 以下は現時点のテーマとの関連は薄いですが、量子力学を学びなおす気がおありならば参考にしてください。他にもツッコミどころは多々ありますがエーテル理論否定問題とは無関係ですから省きます。

>「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。

 初耳ですね。出典は? もしかして仮想過程による交換力のことですか? 何かの啓蒙書でそんな表現をしていたのでしょうか?

490Ken:2019/09/03(火) 22:43:43 ID:CbSK8gT6
>>489

>>433,>>437で紹介したアインシュタインとプランクの講演も御参考に。

>>433
>Ref)アインシュタインの講演「エーテルと相対性理論」(1920/05/05)
>[ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Einstein/ether-rel.pdf]

正直にいいますと、この石原純という人の文章は読みにくいです。できればもう少し平易な言葉で解説していただけませんか?


私の方の情報源は、まずはウィキペディアから

en.wikipedia.org/wiki/Luminiferous_aether#Special_relativity

以下の部分を参照してください。残念ながら同項目の日本語ページには、この一節がありません。

Moreover, in another paper published the same month in 1905, Einstein made several observations on a then-thorny problem, the photoelectric effect. In this work he demonstrated that light can be considered as particles that have a "wave-like nature". Particles obviously do not need a medium to travel, and thus, neither did light. This was the first step that would lead to the full development of quantum mechanics, in which the wave-like nature and the particle-like nature of light are both considered as valid descriptions of light. A summary of Einstein's thinking about the aether hypothesis, relativity and light quanta may be found in his 1909 (originally German) lecture "The Development of Our Views on the Composition and Essence of Radiation"

同じ内容をより詳細に語っているのが、アジモフです。

archive.org/details/AsimovGuideToScience/page/n361

見開き左(352頁)の3行目「The German physicist〜」から、1枚めくった354頁の14行目「〜could now be buried」までの内容をまとめたのが、>>488の私の書き込みです。

どちらの記事も、光電効果が明らかにした光の粒子性が媒質を不要にした、と述べているのがお分かりいただけると思います。

>>「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。
>初耳ですね。出典は? もしかして仮想過程による交換力のことですか? 何かの啓蒙書でそんな表現をしていたのでしょうか?

電磁場は光子
強い相互作用はグルオン
弱い相互作用はWボソン
重力場は(未発見の)重力子

が媒介するという理論が支持を得ているのではなかったでしょうか?

491名無しさん:2019/09/08(日) 04:19:43 ID:5f6y.vmE
地球に迷い込んで出られんようになっとるのが人間の魂なんや

492名無しさん:2019/09/08(日) 06:04:27 ID:DiMR4NG6
>>490
 まず英語版wikiの"Particles obviously do not need a medium to travel, and thus, neither did light." についてですが、ソースとされているアインシュタインのレクチャー(1909)では、その理由でエーテルが不要になったとの考えは述べられていないことを指摘しておきます。ドイツ語でのレクチャーの英訳はウィキソース[tps://en.wikisource.org/?curid=53013]に置いてあります。

 全体の趣旨は、特殊相対性理論とプランクの光量子仮説(light-quanta hypothesis)から光が粒子と波の2重性を持つと考えざるを得ないという結論を示そうとしているようです。つまりこれは光の2重性("quantum structure")が明確に打ち出された歴史上最初の提案らしいですね。これが後のド・ブロイの物質波仮説(1924)につながるのでしょう。ウィキソースの冒頭の解説には「a concept that may have led de Broglie to the "pilot wave" idea」と書かれていましたが。
 アインシュタインの主旨では、マクスウェル理論とマイケルソン・モーリーの実験と特殊相対性理論とによりエーテル仮説は必要がなくなったというのが、光量子像の話へのいわゆる前置きです。

 御紹介のアイザック博士(サー・アイザックと同名で嬉しいとの主旨の本人談もあるのでこう呼びます)の文の前大半は良く知られた史実で、最後の「This has been made to seem a paradox 〜could now be buried」が比喩を交えた博士自身の解説です。「粒子でもあるから媒質はなくてもいい」とする"説明"が有効だと考えていたらしいことはわかりますが、この部分はきちんとした"理論"の紹介にはなっていません。

 このあたりはまさに科学哲学では大きなテーマのひとつである「"説明"とは何か?」という話が絡んできていますので、ブログでしっかり書いた方がよさそうですが、まずは素描をしてみましょう。 >>>次の発言へ[>>493]


【補足】"Asimov's Guide to Science" (1960, 1965, 1972 Basic Bookd Inc.) は、初版は "The Intelligent Man's Guide to Science" (1960) で最新版が "Asimov's New Guide to Science" (1984) と版によるタイトルの微変更がありますが、御紹介の巻に関しては初版と同じとみてよいような気がします。残念ながらどの版にも邦訳はないようです。

493diamonds8888x:2019/09/08(日) 06:06:54 ID:DiMR4NG6
[>>492]は名前が抜けましたが私の投稿です。その続きです。

 "理論"と"説明"の微妙な違いの良い例がKenさんの発言[>>485]に示されています。

> つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

> 〜(中略)〜

>「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なれゆえぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。

 すなわち"理論"は、ある一連の仮定(公理とも考えられる)から観測可能な現象を予測できるもの、言うなれば「いかに?」という問いへ答えるものであり、必ずしも「なぜ?」という問いへの答えにはならない、という事情です。

 そして「科学は"なぜ?"は問わない」という考え方もあり、これも現代科学(20世紀以降ないし20世紀後半以降)のひとつの考え方です。ここの掲示板でも(第1でも第3でも)どなたかが披露されたこともありました。この考え方の19世紀の急先鋒がエルンス・マッハで、彼の思想はマッハ哲学とも称されてアインシュタインも影響を受けたと公言していましたが、別に"説明"と名が付くものすべてを排除しようとしたわけでもありません。

 マッハ哲学のポイントは「観測できないものは絶対に理論に持ち込まない」という思想で、いわば経験論の徹底からの結論とも言えます。まあ行き過ぎて窮屈になって科学理論構築の実用上は使いにくい思想になってたようですけど。「"絶対に"持ち込まない」ではなくて「"むやみに"持ち込まない」とか「持ち込まなくてもいい。持ち込んで安心できるならどうぞ。」くらいにしておけば良かったものを(^_^9。

 "理論"と"説明"の微妙な違いの別の例は量子力学です。量子力学理論は完成している範囲、例えば通常の化学反応とか物性物理学で扱う現象とかは正確に予測できると考えられています。さりながらいくら予測精度が高いという事実を突きつけられても"なぜそうなるのか?"ということがわからん、というわけです。粒子と波の両方の性質を持つとか、粒子がある範囲に確率的に存在するとか、"説明"になってない! というわけです。

 このような問題に歴史上初めて直面したのが万有引力仮説を提唱したサー・アイザックです。

494diamonds8888x:2019/09/08(日) 06:12:04 ID:DiMR4NG6
>>493
 アイザック・ニュートンが『プリンキピア(1687)』で発表した運動の法則と万有引力仮説はケプラーの法則(これは天球上の惑星運動を整理したもので万有引力仮説に比べれば観測事実ともみなせる)をピッタリと予測し、地上の落体運動も正確に予測し、19世紀に入っては海王星の予測というすさまじい威力を発揮したのですが、「"なぜ"引力なんてものが働くのか?」もっと正確には「引力の働くメカニズムは何か?」という問いには答えられませんでした。それらの批判に答えたとされる有名な言葉が「我は仮説を作らず」という言葉です。

 批判者が"引力の働くメカニズム"、別名"引力の正体"が必要だと考えた理由は、万有引力が"遠隔作用"だったからです。"近接作用"つまり直接接触した物体同士で力が伝わることは理解できる("説明"する必要がない)けれども、離れた物体同士に力が働くことには"説明"が必要だと考えたのです。

 こうして提案された重力理論の数々は日本版wikiでは「重力を説明する古典力学的理論」、英語版wikiでは「Mechanical_explanations_of_gravitation」に載っています。その多くでエーテルが使われていて"重力エーテル(gravitational aether)"とよばれており"光を伝えるエーテル(Luminiferous aether)"とは区別されています。これらの重力理論はいずれも科学的検証に耐えることができず、結局は"重力の説明"などされずに「質量は重力を産むのだ」という"現象論的事実"で満足してるというのがその後の経緯であり、現代の多くの人々の感覚です。"遠隔作用"は実際に観測されているでしょ。すなわち万有引力は磁力や静電気力と同様に"遠隔作用"として"実在"してるでしょ。それが何か? てことですね。

 そして磁力や静電気力を"実在する"と認めてしまえば、"場"とは"遠隔作用"が作用している場所を命名したものに過ぎずそれ以上"説明"する必要はありません。そしてマクスウェルが"場"が変化する法則を定量的に明らかにした時点で、実はそれ以上の"説明"は必要なかったのです。

 ふー、ちょっと舌足らずかなあ。ま、不明点があればどうぞ。


 なお重力エーテルの歴史的経緯の一部はアイザック博士が『次元がいっぱい(科学エッセイ8)』の中の「絶対真空 (The Rigid Vacuum)」で書いていますね。で、「災い転じて福となる(The Light that Failed)」ではやはり「プランクとアインシュタインの研究は、光が場合によっては粒子のようにふるまうものであり、ゆえに光が真空中を進むためにはエーテルが必要とされないことを証明したのである。」と書いてありますから、遺憾ながら博士もこの"説明"で満足しているみたいです。なにせ "Asimov's Guide to Science" でも、ニュートンの絶対空間の枠組みを否定したという特殊相対性理論の意義の一番大事な点を、エーテル説否定の次の2番目に持ってきてますからねえ。


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