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科学と疑似科学とを判別する

404diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:55:21 ID:2lzkQMyE
>>402
 すべてまとまってから書こうかとも思いましたが、読む人達の時間ももったいないでしょうから少しずつupします。たぶん4-5回の連載になると考えてください。>>all

【エーテルとは何だったのか?-1】

 まず原理的な話です。Pが「光波(電磁波)は波である」であれば¬Pは「光波(電磁波)は波ではない」であり、他の命題例えば「光波(電磁波)を伝える媒質がない」と同じではありません。これはどんな時代であれ明らかなことです。むろん何らかの根拠から「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であれば話は別です。

 ここまではアリストテレスでも知っている論理の話で、まして19世紀の科学者なら【聞けば納得のはず】の常識に過ぎません。

 「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であることの可能な根拠のひとつは観測ですが、もうひとつに定義があります。これはKenさんが[>>367]で述べていることです。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 科学や数学を学べばわかるように定義はとても重要です。そして科学史を学べばわかるように定義とは科学の進歩の節目ごとに変遷してきたものです。定義を突き詰めるという考え、正確な定義をすべきという考えは、19世紀であってもできる研究者であれば基本的には心得ていると私は考えます。多くのできる先人たち自身が色々な定義を考え出してきたのですから。

 そして定義の変化は新しい発見、すなわち新しい観測事実によるものですから、ある時の定義の内容自体は論理の範疇ではなく、科学の範疇です。Kenさんはある時の定義の内容自体が論理だと考えていて、「ある時の定義の内容に反するような考えは、論理に反するような発想(論理にはこだわらない自由な発想?)だ」と考えているようですが、それは違います。


 とはいえ、定義の考えも含めて以下しばらくは【現代の立場】から話を進めます。

 では相対論や量子論を知っている現代人はどう考えるかということですが、ここに2つの見方がでてきます。いや相対論や量子論の【知識】は関係ありませんが(^_^)

 【媒質を持たない波というものも存在して代表例が電磁波である】という見方に立った場合は2つの場合があります。
 「媒質を持つ」というのはもともと波の定義に含まれてはいなかったとすれば、19世紀の人の考えは単に論理的な可能性を見落とした間違いということになり、知識不足によるものではないことになります。
 実は19世紀の波の定義には「媒質を持つ」ことが必須だったとすれば、ある時に波の定義が変ったことになります。なぜ変わったかと言えば波の定義、および定義から導かれる性質の一部しか持たない対象、具体的には光波(電磁波)のことが観測により判明したからです。このようなことは生物学などではよくあります。
  ・動物でも植物でもない生物が発見される。
  ・細胞を持たない生物、ウイルスが発見される
  ・様々な中間種が発見される。

 しかし【電磁波の媒質は真空である】もっと正確には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方に立てば「光波(電磁波)を伝える媒質がある」という考えは現代人も否定していないことになります。つまりマイケルソンとモーリーの実験結果は光の媒質を否定していなかったことになります。

 では19世紀の人は何が間違っていたのかと言えば、「光波(電磁波)の媒質に、音波などの媒質である通常の物質の性質を与えすぎてしまっていた」ということになるでしょう。エーテルの弾性とか堅いはずだとかいう考えですね。

 しかし実は史実としては、ローレンツ理論はこの方針に沿って光波(電磁波)の媒質を実験と一致するものに想定していくというもので、その中で通常の物質から連想されていた性質はそぎ落とされました。

 個人的には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方が気に入っているので、今少し、この立場から詳しく説明します。


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