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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
1
:
とはずがたり
:2009/04/24(金) 14:50:24
前スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/l50
カタコト倉庫の次期衆院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2410/1126609657/l50
05衆院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/l50
07参院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089893576/l50
10参院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1202752370/l50
5488
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:05:02
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090901/200249
政権移行 09とちぎ衆院選
<上>民主県連 「厳しい戦い これから」 地方脆弱、強化が急務
(9月1日 05:00)
「2年前のこの場所、マンデーリポート(辻説法)が私の第一声だった。本当にやってきて良かった」
衆院選初当選から一夜明けた31日朝。民主党の石森久嗣氏(47)はJR宇都宮駅前や県庁前でマイクを握った。睡眠時間は1時間半ほど。台風接近で風雨が強まる中、お礼のメッセージを伝えた。
■党人事に意欲
石森氏を支えてきた簗瀬進参院議員は同リポートで、鳩山由紀夫代表と旧民主党を結党した際に「2010年に政権交代」を掲げたエピソードを紹介した。「ほぼ予言通り」と感慨深げに語る一方で、「これからが厳しい戦いのスタートだ」と表情を引き締めた。
2回目の当選を飾った福田昭夫氏(61)は午前9時から日光市内で記者会見し、「政権交代は民主党の願いだったが、国民の願いになった」と選挙を総括。財政に造詣が深いこともあり、党内人事について「できれば国家戦略局の一員に」と意欲を見せた。
新政権を担う民主党の国会議員に休んでいる暇はない。同党県連の県議などの期待も膨らんでいる。ただ野党から政権党になる上で、課題は少なくない。
午後4時から県庁記者クラブで行われた民主党県連の会見。佐藤栄幹事長は「国会議員の数(衆参合わせて7人)より、県議(6人)の方が少ないというのは、あってはならない現実。いずれ解消したい」と、地方の脆弱さに言及した。
県議会では自民党議員会(32人)が最大勢力で、県内市町議会でも自民党勢力は強い。今後「国と地方のねじれ」が政権運営の支障にもなりかねない。
民主党県連の谷博之代表は「自民党が地方に根を張った組織があるように、われわれももっと地域にアプローチしないといけない」と口調を強めた。
■擁立の土台
再来年には統一地方選があることを踏まえ「(県連がかつて実施した)民主塾のように、政策を勉強しようという人々を集めた組織をつくり、候補者擁立の土台にすることも検討したい」と話した。
県連事務局など組織体制の見直しにも着手する。佐藤幹事長は「(衆院選で)業界団体からのさまざまなアプローチがあり、対応に忙殺された」と説明。まずは国会議員の数に見合った組織強化を急ぐ考えだ。
民主党県連の最大のパートナーは連合栃木だ。ただ政権政党となれば、より幅広い団体とのかかわりが必要になってくる。「国民の期待が民主党を政権につけた。成果を着実に出さないといけない」(県連幹部)。期待を失望に変えない努力が求められている。
[写真説明]初当選から一夜明け、簗瀬氏(左)とともに「マンデーリポート」に臨む石森氏=31日午前8時すぎ、JR宇都宮駅前
5489
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:05:58
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090902/200623
政権移行 09とちぎ衆院選
<中>自民県連 「しがらみと利害」限界 魅力ある人材発掘急務
(9月2日 05:00)
日焼けした顔にしわを刻み込み、自民党県議らが県議会議事堂に戻ってきた。1日午前の議員総会で「疲れたよ」と口々に言う同党県連幹部。衆院選小選挙区で1勝3敗に終わった敗因の総括と、がたがたに崩れた組織の再建が重くのしかかる。
■調整の“役割”
「しがらみと利害の時代が過ぎ去ったということだ」。県連幹部の一人は敗因をこう分析する。
建設業界を筆頭に商工会、農協など自民党はいくつもの業界団体を取り込み、時として利害の調整機能を果たしてきた。選挙ではこれらの団体が集票マシンとなり、自民票をかき集める。だが政権交代の風を起こした無党派層と呼ばれる人々は「しがらみと利害」の外にいる人々たちのことでもある。この幹部は「これからは魅力あるリーダーが有権者個人と直接つながらなければ勝てない」と付け加えた。
業界団体に加えて市議や県議の後援会を束ねたみこしに乗る形で選挙を戦うのが、伝統的な自民党の国政選挙。1区の船田元氏、4区の佐藤勉氏はその典型だ。中選挙区時代のスタイルを引きずる両氏が小選挙区で敗れたのは、伝統的手法の限界を示している。
船田氏は30日夜、敗因について記者団に「団体に頼らない、若い人を含めた地域の組織をつくるべきだった。マスコミでの露出度を高める空中戦も必要」と述べた。
■託される再生
5区の茂木敏充氏が逆風の中でも小選挙区で勝ち上がってきたのは、600にも上る網の目のような個人後援会の存在が大きい。
茂木氏はテレビの討論番組でもなじみの顔。下野新聞社の衆院選出口調査では無党派層の46%の支持を獲得した。民主党対立候補の51%には及ばなかったものの、船田、佐藤両氏のほぼ2倍だ。次期県連会長は茂木氏を軸に選考され、県連の再生が託されるとの見方もある。
「空中戦」といえば自民党を離党したみんなの党代表、3区の渡辺喜美氏も存在感を高めた。
発信力の高い渡辺氏は3区で空前の約14万票を獲得、比例代表では県内で約22万票、北関東ブロックでは約59万票をたたき出した。自民党が県内で前回より約18万票も減らした主因となった。県連では渡辺氏に対し「次は3区にも候補者を立てるべきだ」とする主戦論が出てきた。
1日夜には宇都宮市内のホテルに衆院選に出馬した4人の前職や県議らが集まった。来週にも役員会を開き新体制を固めるほか、組織立て直しのためにプロジェクトチームをつくることなどが話し合われたという。
[写真説明]想定外の大接戦。「厳しい選挙だった」と振り返る茂木氏=8月30日夜、足利市内の選挙事務所
5490
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:06:48
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090903/201041
政権移行 09とちぎ衆院選
<下>県政運営 民主予算方針に困惑 難しい知事のかじ取り
(9月3日 05:00)
「例年通り年末までに国の予算案が決まらないと、県の予算も組むことができない」
2010年度の県予算編成に向け、今月から作業を本格化させたい県の財政担当者は困惑を隠せない。新政権を担う民主党は国予算の組み替えを行う方針だが、具体的内容が見通せず年内編成も不透明なためだ。
担当者は「昨年までの予算編成のノウハウが活用できないかもしれない」とも考える。自民党政権下で長年にわたり県政業務を続けてきた県幹部らには、民主党政権への不安や期待、懐疑的な思いが交錯する。
■費用どこから
民主党はマニフェスト(政権公約)で目玉施策を示した。その一つが中学卒業まで一人当たり月2万6000円を支給する「子ども手当」だ。10年度から半額を支給し、11年度から完全支給する。
本県の15歳以下人口は約29万7000人で、単純計算では年間約926億円が必要になる。個人県民税の年間予算額の1・2倍、県県土整備部の年間予算に相当する。県幹部は「国はどこから費用を捻出するのか。県への交付金などに影響が出ると困る」と訴える。
ガソリン税(揮発油税)などにかかる暫定税率の廃止も不安の種だ。県の試算では暫定税率が廃止されれば、年間約300〜350億円が削減される。「財政が厳しい中、財源が減れば県民生活への影響は避けられない」と県幹部は考える。
国の補助金を廃止し、県や市町が自由に使えるようにする一括交付金をめぐっても、「自治体の裁量の幅が広がる」と評価の声がある一方で「配分額が問題」との懸念がある。
県職員の間では「地味な森林整備などがおざなりになり、道路整備など目立つ事業に予算が極端に集中する可能性がある」との見方も出始めている。
■「ねじれ」発生
国会では民主党が与党でも、県議会では自民党が与党。今後は「国と県のねじれ」が生じる。
衆院選で自民党候補を支援した福田富一知事は「県民のために知事としての仕事をするだけ」と言うが、国政の変化で県政運営のかじ取りが難しくなるのは確実だ。民主党県連の谷博之代表は、同党が掲げる地方への財源移譲を念頭に「県で例えば公共事業を重視した(予算の)使い方をすれば、国の流れと違うということもあり得る」と福田知事をけん制する。
これに対し自民党県議の一人は「知事がはっきりと重点施策の考え方を明示すればいい」と、これまで通りの政治姿勢を期待する。
政権移行は、福田知事に「県民のため」の“軸足”も問うことになる。
(この企画は衆院選取材班が担当しました)
[写真説明]自民党候補のマイク納め式で、支援を訴える福田知事=8月29日夜、宇都宮市内
5491
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:08:18
http://www.ibaraki-np.co.jp/series/senkyo/gekihen/page01.htm
検証’09同日選・激変<1> 民主大躍進
2009/09/01(火) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁
■風受ける努力実る
衆院選小選挙区の大勢がほぼ判明した30日午後11時すぎ、民主党県連の郡司彰県連選対本部長は「全小選挙区で比例復活を含めて(議員)バッジを獲得し、茨城でも政権交代できた」と安堵(あんど)と喜びの表情を見せた。
今回選挙で同党は、県内で改選時の1人から9人もの衆院議員を誕生させた。過去2回の参院選で県内比例第一党となったが、衆院の議席は最大で2議席止まり。2大政党制と言うには自民地盤の強さが際立っていた。
比例代表でも大きく票を伸ばした。県内得票は約68万票で前回衆院選(2005年9月)を約20万票も上回った。北関東比例で名簿登載1位の重複立候補者29人を含めた名簿36人中35人が当選する圧勝を遂げた。
■1区福島氏、大量得票15万
郡司選対本部長は8月4日、記者会見で情勢について説明し「風を受け止めるため、前回と違って、きちんと帆を張るような戦いができている」と各陣営の順調な取り組みをアピールした。今回の選挙で、党県連は曲折の末、前回衆院選に続いて全7小選挙区で候補者を擁立し、全県で対自民の構図をつくった。
1年を超える前哨戦。新人を中心に候補者は地域をくまなく回る〝どぶ板〟に徹した。選挙対策でぎくしゃくする陣営もみられたが、徐々に支持母体の連合茨城や県医師連盟、郵政政策研究会との連携を強め、地域に合った陣形を築いた。
終盤戦、支持母体の幹部の1人は「1年前に解散があったら、こんなに風に乗ることはできなかったのではないか」と振り返る。「風」を取り込んだ大きな要因は、ダイナミックな都市型の選挙戦術ではなく、従来型の地道な努力の積み重ねだった。
1区新人の福島伸享氏は30日午後8時すぎ、テレビの選挙特番が当選確実を報じたのを受け、早々と祝勝会を開いた。福島氏は「大きな山が動いた」と実感を語った。
6期連続当選の元農水相で自民前職、赤城徳彦氏と3度目の対決。出陣式で福島氏は「過去2回の選挙で完敗し、一時はふてくされていた」と素直に語り、今回は違うという自信を感じさせた。
福島氏は、赤城氏の地盤の県西地区を細かく回って支持拡大を訴え、大きな成果につなげた。得票は15万票を超え、過去の県内小選挙区で最高を記録。前々回(03年)約5万票、前回約5万7千票の大差で敗れたが、今回は逆に約6万票差で雪辱を果たした。
当選から一夜明け、JR水戸駅前に立った福島氏は、駅の利用者にあいさつしながら「4年間頑張ります」と責任の重さに身を引き締めていた。
第45回衆院選は、民主党が県内でも躍進を遂げた。揺るぎない「王国」を県内で築いてきた自民党は歴史的な惨敗を喫した。二大政党制を確かなものにするために、今後、両党に何が求められるのか。(同日選取材班)
【写真説明】
1区の福島伸享氏は「風」を受けながら地道な選挙戦を繰り広げ、大量得票に結び付けた=30日夜、水戸市笠原町の選挙事務所
5492
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:08:46
http://www.ibaraki-np.co.jp/series/senkyo/gekihen/page02.htm
検証’09同日選・激変<2> 民主の課題
2009/09/02(水) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁
■地方議員増強も鍵
民主党県連の郡司彰選対本部長は、県内選出の同党国会議員が3人から一気に11人に増えたことから「県連組織を強固にしなければならない。県民の期待に応えられる体制を整える」と組織強化を今後の課題に挙げた。
今選挙期間中の本社世論調査では、ふだん支持している政党は民主が約18%、自民が約43%。民主の支持率は、衆院選が小選挙区制に移行した1996年の調査では3・3%。その後、上昇傾向にあるが、依然として自民支持層と2倍以上の開きがある。
今回、民主の県内比例票は過去最多の約68万4千票。得票率は約43%に上る。大量得票は全体の約3割の無党派層のほか、自民を含む他党支持層に食い込んだ結果とみられる。
■組織力の強化図る
民主の県内党員・サポーターは今年5月現在で約5900人。06年から3年間で約2千人増えた。対する自民の県内党員・党友は約6万人で全国2番目の組織力を誇る。
各選挙で民主最大の支持母体となる連合茨城は傘下組合員約12万5千人。家族やOBを含め数十万人の組織力とされる。これまで“実働部隊”を含め民主党の選挙をけん引。同党の選挙が「労組頼み」と言われてきたのはこのためだ。
各県選出の国会議員が増えれば地方組織も強まるとみる党本部。郡司選対本部長は「市町村議を含め地方議員を増やす。来年は県議選もある。常に選挙で戦っていく姿勢をつくりたい」としている。
民主県議は定数65に対し、会派では2番目に多い6人(8月1日現在)。全体の約四分の三を自民議員が占める。県内市町村議約1千人のうち民主議員は40人足らず。全体の約1割の公明、約6%の共産の両党議員より少ないのが現状だ。
出産時55万円の一時金▽年間1人31万円の子ども手当▽高速道路の無料化▽農業の戸別所得補償−など。民主のマニフェスト(政権公約)は「ばらまき」の指摘がある一方、有権者の切実な期待感が追い風の選挙戦をさらに後押しした。
新たな政策の財源を生み出すため、公共事業の中止や大幅見直しを実施する方針。本県がかかわる八ツ場ダム建設も中止が明確に示され、既に関係自治体から慎重な対応を求める声が出ている。
8月11日、水戸市内で開かれたマニフェスト説明会に出席した岡田克也党幹事長は、茨城新聞の取材に対し、大型公共事業の中止や見直しについて「地方と協議することは必要だと思う」と述べた。
公共事業の多くに推進の立場をとってきた各地方議会の民主会派は、当面は継続事業への対応などについて、党本部との調整や新たな判断を迫られそうだ。民主政権が民意を反映した施策を展開していくためにも、地域に根差した、安定した地方組織の存在が求められる。
【写真説明】
鳩山由紀夫代表も県内応援に駆け付け、大勝した衆院選。民主支持の定着へ県連組織の強化が課題=8月24日、JR勝田駅前
5493
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:16:16
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000420909070001
【政権交代@あいち】
猟師町にも「風」
2009年09月07日
【愛知8区】
「自民だらしない」■民主にも推薦状
知多半島の漁師たちが「政権交代」に揺れている。「これまで自民党にしか投票したことがない」という伝統的な保守地盤で暮らしていたが、衆院選では地元愛知8区(半田市、常滑市など)選出の自民の候補者が大差で落選した。予期しなかった事態に先行きが読めないでいる。(星野典久)
数十年間、自民を支持してきたという南知多町の大井漁協。「こんなに惨敗して正直、今後どうしたらいいかわからない」。石黒友之組合長(74)は予想以上の結果に戸惑っている。
民主伴野豊氏の陣営関係者が、「以前は、足を踏み入れるのすら、はばかられた」と言うほど、同町は強固な自民の地盤だった。今回の衆院選でも、県内で数少ない、比例区での自民の得票が民主を上回った所だ。ただ得票数は自民が4394で民主が4128。前回05年の衆院選で3335あった票差は今回、一気に266にまで縮まった。
「民主は漁師を良くしてくれる政策をとってくれるか不安」と石黒組合長。選挙期間中は、日本中に吹き荒れる「風」は感じていた。民主のマニフェストに織り込まれた暫定税率の廃止による漁船の燃油代引き下げ、さらに農家への戸別所得補償制度が、漁業者も対象にならないか、といった期待もあった。それでも「自民には港湾の整備をお願いしてやってもらった経緯がある」と、これまで通り自民候補の伊藤忠彦氏に推薦を出した。
マニフェストよりも義理。陳情を聞いてくれる自民を支持してきた漁師たちにとって、当然の選択だった。「民主の候補と政治的な付き合いをしたことはない。こちらから頼むわけにもいかないし……」
長年にわたり自民支持で固まっていた知多半島のある漁協。だが民主の「風」は、その漁協内にも及んでいた。実は自民候補の伊藤氏だけでなく、民主伴野氏にも推薦をひそかに出していた。伴野氏の陣営によると、県内の漁協から民主候補に推薦状が出るのは初めてのことだったという。
この漁協幹部は、伴野氏に推薦を出した理由について、「基本はあくまで自民。ただ、できれば自民と民主の2人が当選するのが理想」としながらも、「自民候補が落選するかもしれないという危機感はあった」と、政権交代を意識していたことを認めた。
現場で働く漁師たちはもっと敏感に「風」を感じていた。今回初めて民主に投票したという男性(78)=美浜町=は「最近の自民はだらしがなく、不満に思っていた。仲間内にも同じように考えていた人は結構いた」と指摘している。
5494
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:21:00
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000340909070001
流れ変えた境港集会
2009年09月07日
赤沢氏のシンボルカラーの赤一色で埋まった決起集会=8月27日、境港市上道町
◇激戦の2区 逆転の分岐点は・・・
政権交代が起きた第45回総選挙の投開票日から、6日で1週間を迎える。鳥取2区は各種の情勢調査で民主リードが報じられていたが、大激戦の末に自民が626票という小差で逆転を果たした分岐点はどこだったのか。それを振り返り、朝日新聞鳥取版の総選挙報道をひとまず終えたい。(井石栄司)
鳥取2区は選挙戦の序盤、中盤に報道各社が実施した情勢調査では、民主の湯原俊二氏が自民の赤沢亮正氏をリードしていた。朝日新聞が8月22、23日に実施した調査の結果も、湯原氏優勢だった。
しかし、この時点で全体の3分の1の人が投票態度を明らかにしていなかった。さらに、「湯原氏に投票する」と答えた人の7割が「投票先を変えることがある」と回答。一方、「赤沢氏に投票する」と答えた人で「投票先を変えることがある」という回答は3割にとどまった。逆転可能な差だったといえる。
22日、取材で赤沢氏の選挙カーに同行した際、選挙活動を取り仕切っていた広江弌(はじめ)県議は「現時点で負けている。ただ、ここ2、3日で追い上げるムードを作れるかどうかが勝負」と話していた。
26日、2区の激励に入った自民党の山根英明幹事長は情勢についてこう言った。
「広江さんが各支部長を呼びつけてギリギリ締め上げとった。勝てそうな雰囲気だった」
翌27日には境港市で赤沢氏の決起集会が開かれた。「1200人入れるために400人規模の会場から急きょ変えた」という選対の狙い通り、約1100の客席は満席で100人以上が立ち見の状態。予定通りの動員で、組織が締まっているのがわかった。
熱気に包まれた会場で赤沢氏は必死に訴えた。「私には比例復活の道はまったくありません。小選挙区で1票でも負ければ一巻の終わりです。仕事を続けさせて下さい」。すすり泣く妻とともに、何度も何度も頭を下げた。
同市出身で、相沢英之・元衆院議員の妻で女優の司葉子さんも、東京から急きょ駆けつけた。司さんの呼びかけで相沢氏の集会では名物だったという、地酒会社の有力支援者が「ピッピッピー」と笛を吹き鳴らす景気づけで、応援ムードを高めていった。1時間以上に及んだ集会は時間が進むにつれ、高揚感と一体感に包まれた。最後に、「境の票で米子の(負け)分もぜひお願いします」と司さんが締めくくると、会場の高揚感は頂点に達した。
一方、湯原氏側の県議は最終盤、「境港で風を感じる。民主は1万票はいく」と自信をみせていた。しかし、自民の集会への有効な対抗策を同市で打てなかった。
さらに、民主側は、湯原氏が市議、県議を務めた米子市で当初、赤沢氏に1万票は勝つつもりでいた。ところが、福間裕隆・県連幹事長は不安を口にしていた。「湯原の運動量や党への風からすると、もっとリードしてもいい。だが、その手応えがない」
同市での勝利を確実にするため、民主側は28日に岡田克也幹事長を応援に呼んだ。選対発表で1700人という聴衆が米子サティ前を埋め尽くした。しかし、聴衆の視線
は湯原氏ではなく、岡田氏を追っていた。
米子市で、自民側は最後まで手を緩めず、各種団体を使って大規模な電話作戦を徹底
して展開した。民主リードの報道を逆手にとり、「赤沢が通れば2区から代議士が2人出る」とアピールする戦術で浸透を図った。
開票結果は、司さんの言葉通り境港市での赤沢氏の得票率は54・3%で、湯原氏を2655票上回った。一方、湯原氏は同市の4倍の有権者がいる米子市で票が伸びず、3136票のリードで終わったため、境港で負けた分でほぼ相殺された。
赤沢氏側は、民主リードが予想された日野郡でも、内田博長県議が各支部に巻き返しを指示し、682票上回った。川上義博・民主県連代表が最終盤にてこ入れを図ったとされる東伯郡でも、778票勝った。
結局、湯原氏が勝てたのは米子、日吉津、伯耆、南部の4市町村にとどまった。自民は戦術、組織の両面で民主を上回っていたように思える。
5495
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:22:08
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000480909070001
地域の壁、京野氏に課題
2009年09月07日
演説する京野公子氏。選挙戦では民主党幹部が続々と応援に駆け付けた。右は岡田克也幹事長=由利本荘市
「やっぱり地域主義はまだ根強かった。この壁をなんとか乗り越えていかなくては」
当選から一夜明けた8月31日、民主新顔の京野公子氏(59)は、秋田3区の投票結果を振り返り、こう漏らした。
京野氏は、選挙戦で「政権交代」を前面に出し、全国的に吹き荒れた民主党への追い風に乗った。
しかし、地盤である湯沢市で獲得した票数は1万6386票で、得票率は50%。前回の同市での得票率は49%だった。一方、次点の自民前職の御法川信英氏(45)も湯沢で33%(前回35%)を獲得。地元の大仙市では56%(同63%)を得ていた。無所属新顔の村岡敏英氏(49)も地元の由利本荘市で60%(同61%)。いずれも、前回と変わらない支持の厚さを見せた。
□
3区はかつて、御法川氏の父親で自民衆院議員だった英文氏と、村岡氏の父親で元官房長官の兼造氏の2人のベテラン議員が地盤を分け合っていた。選挙制度が変わってからは、交互に小選挙区と比例区に立つコスタリカ方式をとっていた。
「民主党に風が吹いても、支持者は変わらない」。麻生政権が解散する直前でさえ、御法川、村岡の両陣営からこんな声が聞こえていた。選挙期間中は有権者から「この辺りは、ずっと自民党が地盤を守ってきたところだから」と何度も聞いた。
こうした地域選挙を意識し、民主党本部も京野氏を力強くバックアップした。鳩山由紀夫代表、菅直人、小沢一郎の両代表代行、政調副会長の蓮舫参院議員ら幹部が次々に駆け付け、対立候補の地盤で演説などをした。
選挙が近づくにつれて京野氏は「『期待してる』『頑張って』と声を掛けてもらえるようになった。地域を超えて、支持を広げられている」と手応えを感じていた。岡田克也幹事長が由利本荘市で演説した時は、決して多くない聴衆について「地元の候補以外の応援に来るのは大変なことだと思う。来てくれただけでありがたい」と話した。
京野氏の当選を支えたのは、どの候補者の地元でもない横手市の得票だった。前回は御法川氏が1894票差をつけ、京野氏を得票率で3ポイント上回り、当選(旧町村含む)。しかし、今回は一転、京野氏が1万86票差で、16ポイントの差をつけた。
朝日新聞が投票日の30日に各地で行った出口調査によると、無党派層の半数は京野氏を支持、残りを御法川氏と村岡氏が分け合っていた。無党派層へのアピールは成功していた。
□
地元に浸透しながらも及ばなかった御法川氏と村岡氏の悲劇は、それぞれの父親や地盤の影響が強いことが事実上の保守分裂選挙を生んだことだ。自民党県議の支持は割れ、自民党がまとまらないことを理由に公明党も自主投票を決めた。出口調査でも、自民支持層の投票先が2氏に割れていた。
御法川氏は「地元後援会の取りこぼしはなかった。わたし個人への支援はあった」と振り返る。その上で「風にとらわれ過ぎた。地域戦という事情に加え、今回の選挙は自民対民主の構図があった。落選は無党派層が離れてしまった結果だと思う」と分析。そして、次期選挙までに「いま一度、地元固めをしていきたい」と話した。
京野氏は「長く自民党が与党として政権を独占してきたことで、地元の人たちは地元から国会議員を出さないと利益が得られないと感じている。その意識を変革していきたい」と話す。「私は湯沢の人間だけど、3区選出の衆院議員になる。地域全体の人たちに、私に対して期待感と安心感を持ってもらえるよう頑張る」とも言う。
だが、長年の地域選挙で積み上げられた壁は高い。「新人」に厳しい目が注がれるのはこれからだ。
(斉藤寛子)
5496
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:34:42
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/feature/fukuoka1252050661061_02/news/20090904-OYT8T00773.htm
「風紋」09衆院選ふくおか
<1>不信うねり、自民大敗
落選が決まり支援者に頭を下げる渡辺さん(古賀市の事務所で) 「自民党に対する積年の不信やら不満」(麻生首相)が、つかみどころのない風となって選挙区を吹き抜けた。
「相手は全国にはびこった“魔物”。最後まで(姿が)見えなかった。いつ追い越されたのかも、わからない」
古賀市の国道沿いにある自民党前議員・渡辺具能(68)(福岡4区)の事務所。有権者の厳しい審判が下った30日夜、後援会幹部は苦々しげに今回の選挙戦を振り返った。
渡辺は前回、選挙区内の全10市町で民主党候補の票を上回る強さを見せ堂々の4選を果たした。しかも、今回の同党候補は元議員とはいえ地元とは縁遠い「落下傘」の古賀敬章(56)。少なくとも解散風が吹き始めた昨秋までは、多くの関係者が逆風を実感しつつ、少々のことでは渡辺の5選は動かないと考えていた。
魔物が数字に姿をかえて眼前に現れたのは、投開票を1週間あまり後に控えた8月20日すぎ。報道各社の情勢世論調査で劣勢が伝えられるたびに、後援会に動揺が広がった。
「私自身、心外だった」と幹部。「その後は危機感が高まって、選挙戦最終日は最高に盛り上がった。最後の最後で追いついた、とは思ったが、残念ながら追い越したとまでは言えなかった」
◇ ◇
前回の「郵政選挙」がそうだったように、小選挙区制では、2大政党の一方に風が吹くと全選挙区に影響が及び、地滑り的な大勝をもたらすことになる。
福岡7区に立候補、比例選で復活を果たした民主党新人・野田国義(51)の選挙対策本部長を務めた参院議員・大久保勉は「『民主圧勝』報道の頃から空気が変わり、自民支持で動いていた団体の動きが止まった」と振り返る。
「名簿を出す用意がある」「票をもってくる」。複数の地方議員らから、こんな働きかけが始まったのもこの頃という。
◇ ◇
勝敗が決まった30日夜、渡辺は苦渋の表情を浮かべ、報道各社のインタビューに応じた。
「これまでの選挙より、後援会はまとまっていたし、私自身、手応えも感じていた」「直接会った人には、思いは通じたはずだ。しかし、直接触れあうことのできなかった人が圧倒的に多く、そういう人たちが全部、向こうに行ってしまった」
政権交代のかけ声の下、つかみどころのない風に翻弄(ほんろう)された選挙戦。渡辺は敗戦を振り返り、「私の手応えと、結果が結びつかなかった」と力なく語った。(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5497
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:40:31
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1251809564095_02/news/20090901-OYT8T00969.htm
政権交代 山形の構図
<上>民主躍進、その背景
手を取り合って有権者にアピールする和嶋さん(左)と鹿野さん(中)、舟山さん(29日、山形市七日町で) 「政権交代こそが、この国を再生する道だ」
2006年4月12日、鹿野道彦(民主)は涙でぬれた拳を突き上げた。前回選で落選後初めての辻立ち。その時、親友で民主党県連の事務担当として支えてくれた木村昌夫が荼毘(だび)にふされていた。鹿野は遺影を胸に、再起をかけて2500回超の街頭演説を始めた。
改革を訴えて15年前に自民党を離党したが、05年選は郵政民営化など「小泉構造改革」を争点に遠藤利明(自民)に大敗。盟友の前山形市長・吉村和夫の死去(03年)や、選挙戦を仕切った後援会の高齢化も響いて当時の選対幹部は「一時代の終わり」と表現した。
だが、転機は07年夏の参院選。吹き始めた民主への「風」に乗り、鹿野が出馬を説得した舟山康江が2度目の挑戦で初当選。この時初結成した民主、社民、連合山形の合同選対本部による選挙戦略が、今年1月の知事選に続いて、衆院選でも力を発揮することになる。
選対幹事長の吉村和武(県議)は「民主、社民、連合山形、後援会の4本柱が連携する新たなスタイルが築けた」と振り返る。民主は「政権公約」をアピールし、社民は自治労への取り込み、連合山形は事務作業と加盟労組のパイプ役を担い、後援会は地域の集票などに徹した。連合山形会長の安達忠一は「『今を変える』ため大人の役割分担」と語る。多方面のルートで「苦手だった企業・業界への食い込み」(選対幹部)にも奏功し1500超の企業に推薦を得た。知事・吉村美栄子の応援も取り付けた。遠藤とは1291票の小差。選対幹事長の吉村は「連携のどの一手を欠いても勝てなかった」と胸をなで下ろした。
◇
「保守王国の象徴(山形3区)の一角に、くさびを打つ役割を担いたい」。公示直前に県議を辞職して比例選東北ブロックに出馬して初当選した和嶋未希(民主)は、13選を果たした加藤紘一(自民)に「挑戦状」をたたき付けた。次期衆院選もにらむ。
ただ、民主の政権維持や政策展開について、和嶋は「県議会議員や市町村議会議員の拡充が課題。次の改選に向けた準備が必要」と分析。県議会(定数44)の7割は自民県議が占め、和嶋の辞職で民主はゼロ。35市町村議員の総勢(約560人)でも自民議員が6割近くを占め、民主議員は1割にも満たない。県連選対本部長の舟山は「県民は小泉改革にノーを突きつけた。良識、良心で判断してほしい」と地方議員に呼びかけるが、理解や浸透を図る具体的アプローチが急務だ。
自民層にも支持を得てダブルスコアで山形2区を制した近藤洋介を含め、民主は県内から3議席を奪取。舟山は「若い和嶋、中堅の近藤、ベテラン鹿野。バランスがいい」と言う。社民や連合山形との協力を継続できるか、県議会や市町村議会への影響力をどう構築するかなどが、カギとなりそうだ。(文中敬称略)
◇
政権選択を最大の焦点とした衆院選。「山形の陣」の舞台裏を振り返った。
(2009年9月1日 読売新聞)
5498
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:40:58
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1251809564095_02/news/20090901-OYT8T01086.htm
政権交代 山形の構図
<中>逆風にあえいだ自公
支持層からも「今回は民主」
自民党劣勢のテレビ報道を硬い表情で見つめる遠藤さん(左から4人目)と寒河江公明党県本部代表(左端)(30日午後8時50分、山形市あかねヶ丘で) 「首の皮一枚、つながった」――。自民県連幹部から本音が漏れた。県内では小選挙区で民主に2議席を譲り躍進を許したが、全国的に歴史的な敗北を喫した中、比例選を含めると2議席を確保。実質的には1議席を減らすにとどめた。山形1区で遠藤利明が善戦し比例選で復活当選したことが大きかった。
選挙戦終盤に「世論調査では鹿野道彦が一歩抜け出す」と報道され、厳しい空気も漂ったが、「最終盤に有権者の反応が違ってきた」(陣営幹部)。選挙戦最終日の29日午前7時、出陣式会場の山形大付属中体育館は2階部分まで参加者でびっしり埋まった。遠藤は31日、「人が減るのかと思っていたが、大勢集まってくれた。最後の3日間で支援者が頑張ろうという気になってくれた」と振り返った。
選挙戦では党公認を前面に出さず、「世襲ではないたたき上げだから地域の痛みがわかる」「東京と地方の格差を埋める」と訴え、有権者に浸透させた。陣営幹部が「比例選では自民党の獲得議席が少なくなる見通しだから、復活当選はない」と強調したことも、支持者を結束させた。ふたを開ければ、鹿野との票差はわずか1291。自民県連幹事長の今井栄喜は1日、「あの差になったことで比例選で救われた。1票の重さをこれほど感じたことはない」と語った。
だが、県全体でみれば、自民の後退は明らかだ。1〜3区の党公認3候補の得票の合計を05年と比べると、減票分は11万1194票。県内の小選挙区で1人が当選できるだけの票だ。比例選でも7万票余りを減らした。中でも2区は、支持層の多くが民主の近藤洋介に流れ、鈴木啓功は17市町のうち村山、長井、尾花沢市など7市町で近藤に倍以上の票差をつけられた。
「今回は自民の内部からも『一回、民主にやらせたっていいべ』という声が結構あった。ずっと自民を支持してくれてきた人でも頑固だった。我々も反省すべき」。今井は31日、選挙戦をこう振り返り、「県連は国の政策を中心に連携プレーでつながってきたが、今後は国の政策に順応するだけでなく、地域の声をしっかりとらえるのが大事」と再出発への思いを語った。
◇
「選挙区は自民に、比例は公明に」と呼びかけた公明も厳しい戦いとなった。25日、山形市を訪れた代表の太田昭宏は「どうか公明に輝く太陽を昇らせて」と演説で訴えた。遠藤も会場にいたが、太田は公明の政策紹介に終始。太田は26日から、東京12区で自身の選挙に専念した。
比例選での公明の得票は県内で6万8167票。過去最高だった05年より約2万8000票減らした。減少率は、1区で27%、2区で30%、3区で29%。県本部代表の寒河江政好は30日、「昨年秋頃から生活の苦しさのはけ口が政府・与党に向かった」とし、「終盤で『民主は財源が大丈夫か』と言われ風がちょっとやんだが、『今回は(民主で)いいんじゃないの』という選挙になってしまった」と話した。(敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5499
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:41:26
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1251809564095_02/news/20090902-OYT8T01169.htm
政権交代 山形の構図
<下> 社民、悲願の議席獲得
民主、社民両党の街宣車を2台並べた街宣活動、両党の機関紙を一組にして戸別配布する合同ポスティング――。山形3区に立候補した吉泉秀男(社民)の陣営幹部が「こんな強固な連携は初めて」と振り返る選挙協力は、吉泉の比例選復活当選という形で結実した。13選を果たした加藤紘一(自民)に対する惜敗率は61%。05年衆院選で3区に立候補した社民候補に比べて倍増し、県内では1996年の小選挙区制導入以降で初となる悲願の社民候補の議席確保となった。
民主は3区で独自候補擁立を見送ったため、吉泉は自公政権に対する批判の「受け皿」となり、同政権への批判票の掘り起こしに成功した。「3区では惜敗率で選挙協力の恩恵を受けた。代わりに民主は比例票を伸ばし、お互いに目標を達成できた」。社民党県連代表の広谷五郎左ェ門(県議)は、共闘による成果を強調する。全県的な知名度を持つ参院議員の舟山康江(民主)、比例選東北ブロックで初当選した和嶋未希(同)らが「3区は吉泉さんに」と訴え、民主支持層への浸透を手助けした。
当選が決まり、手を合わせる吉泉さん(右から3人目)や広谷・社民党県連代表(右端)ら(31日午前1時20分、酒田市東大町の事務所で) 社民、民主で合同選対本部を組織した「全国まれに見る協力体制」(舟山)は、中央に先んじた“連立”と言える。背景には、党勢に対する広谷の強い危機感があった。「政党に力があるうちに行動しないと存在感を示せなくなる。ジリ貧になってから『協力しよう』では相手にされない」。国に先駆けた連携は、党の施策を少しでも政治に反映するための現実路線でもあった。
しかし、自民に吹いた激しい逆風に乗った吉泉の当選を、「今回だけ」と冷ややかに分析する声もある。ある政党幹部は「特殊な政治現象の中で起きた出来事」と話す。外交・安全保障など、党の政策の違いを指摘する声も多い。別の幹部は「本来の政策を貫くなら(民主との)連立なんて組めない。有権者はしっかり見ており、次の選挙で審判が下るよ」と語った。
来夏に迫った2010年参院選での連携も今後の焦点になる。広谷は「中央の方針もあるが、今の関係を基本に据える」。社民と連携し2区で初の小選挙区当選を果たした民主県連会長の近藤洋介も「和嶋の擁立は、吉泉議員誕生のプラスになったと確信している。社民との連携は続けていくと思う」と語った。
◇
民主を除いて唯一、比例選東北ブロックの県内得票数を伸ばしたのが共産だ。「『小選挙区は民主だが、比例は共産に入れた』という有権者もいた。建設的野党への期待の表れだ」と県委員長の後藤太刀味は説明する。目標の5万票には届かなかったが、県内では05年比で1061票増となる3万6973票を集めた。
一方で、小選挙区に出馬した2人はいずれも05年の候補より票を伸ばせず、「政権選択」「自民対民主」の構図に埋没した格好だ。後藤は「変革は始まったばかり。1年後の参院選の時、政権がどんな状態になっているか想像もつかない」と総括した。県内でも、一つ読み違えれば足元をすくわれる“風”をにらんだ政党同士の戦いがしばらく続きそうだ。(敬称略)
(2009年9月3日 読売新聞)
5500
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:42:49
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/feature/saitama1251793574704_02/news/20090901-OYT8T00752.htm
政権交代 検証14対0
《上》 「パイプ役は」首長不安(2009年9月1日)
自民県議 「団体そっぽ向く」
検証14対0? 「14人全員が選挙区で当選した。『埼玉から政権交代』という目標を達成できて、満点の選挙戦」
歴史的大勝から一夜明けた31日の記者会見で、民主党県連代表の枝野幸男は胸を張った。3議席しか取れなかった前回選から一転、比例選でも県内関係者が当選する「完勝」だった。
枝野は早くも来夏の参院選にまで言及し、「定数3で与党が1人しか出さないのは無責任」と2人を擁立する考えを表明。「最終的には県議会、市町村議会で自民党と拮抗(きっこう)する勢力にしなければ」と語気を強めた。
◎
長く自民党が第1党となっている県議会にも衝撃が走った。
麻生首相が誕生した昨年の総裁選では「麻生選対」を設置し、国とのパイプを誇示してきた自民党県議団。ある県議は「県議選だって、政権党の看板があるからこそ優位に戦ってこられた。野党になったら団体がそっぽを向くのは間違いない」と危機感を募らせる。
県南のある首長は「自民党の国会議員は、地元の行事などにも積極的に顔を出してくれたが、民主党議員はあまり来てくれない。大丈夫だろうか」と不安を口にした。
民主党出身の上田知事だが、民主党がマニフェストに掲げた「八ッ場(やんば)ダム(群馬県)の建設中止」に対しては、「必要な事業だ」と真っ向から反発する。党内でも意見が分かれる問題だが、枝野は会見で「(中止の)方針を変える訳にはいかない。必要なら県でやればいい」と切って捨てた。
一方、経済界はひとまず静観の構えだ。県商工会議所連合会会頭の川本宜彦は「期待半分、不安半分で受け止めている」。大宮東口商店街連絡協議会会長の新井正男も「行き過ぎた規制緩和路線は、各地で大型店の進出と商店街の衰退を招いた。地方経済再生のために、民主党がどう手を打つのか、お手並みを拝見したい」と話した。
2人の言葉からは、小泉政権以降、自民党が進めてきた構造改革路線に対する反感が、県内経済界にも根強いことがうかがえる。
◎
自民党大敗の波紋は、支援してきた県内首長らの間に一気に広がった。「最後の砦(とりで)」と目されながら、よもやの敗戦を喫した党県連会長の山口泰明は31日、東松山市の事務所で閉所式に臨んだ。
山口は今回、選挙区内の全10市町長を選対の総括責任者や顧問に据え、組織固めに奔走。圏央道の坂戸インターチェンジの開設など実績を強調してきた。
山口の落選に、ある首長は「国と地域のパイプ役だった存在がいなくなるのは不安だ」と漏らし、川島町商工会長の鈴木泰左右も「何かあった時、意見陳情が気軽にできる心の支えだった」と表情を曇らせた。
閉所式で山口は「政権が交代しても、官僚機構がすぐに直されるわけでない。今後も何か要望がありましたら何なりと…」と後援会幹部らに声をかけた。しかし、その言葉はどこかむなしく響いた。
(文中敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5501
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:43:27
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/feature/saitama1251793574704_02/news/20090901-OYT8T01192.htm
政権交代 検証14対0
《中》 風受け止めた 帆の整備(2009年9月2日)
検証14対0 「予想通りというか、勝ちすぎですね」。投開票日の30日夜、県庁近くの連合埼玉本部。「全勝」を報告するため訪れた民主党県連代表の枝野幸男に、事務局長の竹花康雄は冗談交じりに声をかけた。
民主党はなぜ小選挙区で14議席も確保できたのか――。「長期政権への不満が大きな風になった」とされるが、民主党県連幹事長の武正公一は「それだけではない」と断言する。「ヨットに例えれば、風を受け止めるだけの帆と柱を県連として4年間かけて作ってきたからだ」
◎
民主党が小泉旋風の前に大敗した4年前の前回選の翌日、県連主催の「民主党埼玉政治スクール」が開講した。参加者は議員を志す約40人。1年間かけて政策や政治の現場を学ばせ、地方議員を増やし、風に左右されない地盤を作り上げる狙いがあった。
今年で5期目を迎えたスクールからは県議3人、市議9人が誕生。2004年に64人だった県連所属の地方議員は、07年の統一地方選を経て106人にまで膨らんだ。今回、新人で当選した小野塚勝俊(8区)、森岡洋一郎(13区)の2人もスクールの出身。
同時に、自民の支持基盤の切り崩しも図ってきた。その一つが業界団体への接近だ。連合埼玉頼りから脱皮するため、今回は参院議員らが中心となり、県内106団体を回って支持を求めた。
最終的に推薦に応じたのは27団体にとどまったが、枝野は「こちらに来なくても、相手に最後の粘りをさせない効果があった」とみる。15区の高山智司は「推薦団体が1・5倍になった。聞いたこともないような団体もあった」と驚きを隠さない。
自民党顔負けの「どぶ板選挙」を展開し、地元に根を張り始めたことを勝因に上げる候補者も少なくない。12区の本多平直は、大票田の熊谷市だけではなく、大利根町など農村地域での票の掘り起こしに力を入れた。「保守地盤を崩すには風だけではダメ。個別の自宅回りを徹底した」と勝因を分析する。
自民党県議だった清水勇人を、県連支持でさいたま市長に当選させたほどの風を、4年間の「地上戦」で確実に受け止めた民主党。その結果の14勝だと、武正は強調する。
◎
風の向きは時々で変わるのが常。「自民党の負け方を見て、次の選挙が怖くなった」という枝野は、「風がどうであろうと、県内で半分近くは勝てるところまで持っていきたい」と早くも「次」に照準を定める。
民主党が業界団体に近づき、地元に浸透すればするほど、自民党停滞の一因となった「しがらみ」が生じかねない。枝野は「応援してもらうために、政策を決めるようになってはいけない」と戒める。
だが、落選した自民党候補者は自戒を込めて言う。「与党になればきれい事では相手が納得しない。民主党もいずれは“自民党化”していくはずだ」 (文中敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5502
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:44:07
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/feature/saitama1251793574704_02/news/20090903-OYT8T00723.htm
政権交代 検証14対0
《下》 自民 組織選挙に限界(2009年9月3日)
検証14対0 敗戦の弁は様々だった。
「自民党のおごり。組織が大きくなりすぎた」(12区・小島敏男)
「『政権交代』というプロパガンダに、有権者がマインドコントロールされてしまった」(3区・今井宏)
「逆風を感じたのは麻生さんになってから。代わってすぐ解散なら、こんなことにならなかった」(15区・田中良生)
「風はあまり感じなかった。台風の真ん中にいたのかもしれない」(10区・山口泰明)
◎
この4年間、自民党は歴史的大勝の余韻に浸ってきた。2005年の前回選は、小泉旋風に乗って小選挙区で12勝3敗。敗れた3人も比例復活を果たし、比例単独候補2人を含め、県内の衆院議員は17人に上った。
だが、今回は圧倒的な逆風を受け、かろうじて2人が比例で復活するにとどまった。「前回の民主党のように、小選挙区で三つくらいはとれると思っていたのだが……」。投開票日の30日夜、県連本部でテレビの開票速報を見ていた県連幹事長の滝瀬副次はつぶやいた。
格差社会と地方の疲弊を招いたとされる「小泉改革」に加え、安倍、福田、麻生と続いた政権のたらい回し――。埼玉の有権者が示した選択は、自民党自らが招いたものだった。
業界を束ねる団体の自民党離れも加速。自民党を支援してきた県医師会の政治団体「県医師連盟」は今回、民主党候補4人を推薦した。建設業界の政治団体「県建設政治連盟」は「基本的には自民支持」としながらも、「活動に理解を示してくれる人なら自民党以外を支持してもいい」との立場をとった。
地元に根を張る後援会組織を作り、業界団体を巻き込んで支持を広げる――という組織選挙の限界を指摘する声も多い。県東のある陣営幹部は「組織選挙が時代遅れなのは分かっているが、無党派層にどう訴えていいのか見当がつかない。結局、組織に頼るしかなかった」と吐露する。
劣勢が伝えられた終盤、民主党と日教組の関係などを批判するネガティブチラシを配布し、伝統的な自民支持層を取り戻そうとした。だが、読売新聞と日本テレビの出口調査では自民支持層の3〜4割が民主党候補に投票した。民主党県連代表の枝野幸男は「ネガティブキャンペーンは逆にありがたかった」と振り返る。
13小選挙区で自民候補を推薦した公明党幹部も「埼玉自民は自力がなさ過ぎる。民主との差が開き過ぎだ」と嘆く。その公明党も比例選北関東ブロックで至上命令の3議席目を奪還できなかった。東京12区で苦戦する太田代表のため、終盤は都内にも力を割かざるを得なかった。
◎
報道各社の世論調査で「自民劣勢」が伝えられ始めた23日朝、県連本部に急きょ自民党県議団が集まった。「無党派層はもう手がつけられない。自分たちの足場を固めるしかない。今回で終わりじゃない。来年の参院選がある」。県連副会長の野本陽一は早くも参院選を視野に檄(げき)を飛ばした。
だが、県連会長の山口まで落選した党の立て直しは容易ではない。参院選では公明党とも議席を争うことになる。何より県民の信頼を取り戻すことが急務だ。
「自民党を変えなければいけない。スリムになった今こそ体質改善して、国民の負託に応えられる保守の政党として生まれ変わらなければならない」
比例復活で議席を守った新藤義孝は巻き返しを誓うが、その道のりはまだ見えてこない。
(文中敬称略)
(この連載は、芳村健次、矢子奈穂、水野祥が担当しました)
5503
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:45:05
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1251723860170_02/news/20090831-OYT8T01294.htm
山梨民主独占
奔走知事に急接近も
当選から一夜明け、朝から街頭演説する民主党の坂口岳洋氏(31日午前7時40分頃、笛吹市石和町で) 31日午前。東京に向かうJR中央線「あずさ」のグリーン車。深く腰掛けた民主党、小沢鋭仁の眼光には、近寄りがたい雰囲気が漂っていた。
〈およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下となす〉
小沢は武田信玄の名言を引用しながらとつとつと語った。
「信玄は10の勝ちは『負け』と教えている。今回の民主党の勝利は10以上だ。ちゃんと党運営をしていかなければいけない」
小沢は1993年の衆院選で、日本新党から出馬し初当選。8党による連立政権は、自民党の長期政権に終止符を打った。だが、政権は1年ももたずに空中分解した。
小沢は「8党連立政権と鳩山政権は全然違う」という。だが、短期政権の苦い思い出は、小沢の心の底に沈んだ澱(おり)のように消えない。
「これから、だれに会うのかは言えない」
小沢は、国会議事堂前駅を出ると、車に乗り込んだ。300議席を超える巨大与党をどう統治するか。人事は、政策は……。鳩山代表の「側近」を自認する小沢の奔走が始まった。
県内の小選挙区で初の11万票台を獲得した民主党の後藤斎。当選後、「勝利の美酒」に酔って就寝したが、31日午前には、表情から喜びの余韻は消えていた。
昭和町の事務所前の当選報告会。あいさつに立った後藤は、韮崎の選対役員だった秋山義友に触れた。「秋山さんは病院で期日前投票をしてくれた後の8月22日、76歳で亡くなった。今日は娘さんが遺影を持って来てくださった」
しんみりとした空気に包まれる中、後藤は自ら言い聞かせるように続けた。
「(郵政選挙で大勝した)4年前の自民党のように、浮かれた気持ちではいけない」
31日朝。ぽつぽつと小雨が降る中、初当選を果たした民主党の坂口岳洋が、笛吹市石和町の交差点に立ち、マイクを握っていた。
「暮らしが良くなったな。そう実感できる政治を必ず、実現します」
通勤途中のドライバーが次々と坂口に手を振る。そのたびに坂口は演説を中断し、手を振り返した。
その後、民主党県連幹事長の樋口雄一と共に横内知事を表敬訪問した坂口に対し、知事は「こちらからあいさつにうかがわなければと思っていたが恐縮だ」と相好を崩した。
記者団に対し、知事は「県選出の国会議員のお力も借りながら、政権交代が県民にプラスになるように努力しなければならない」と語った。
坂口も記者団に強調した。「民主が議席を独占したということは、与党が独占したということ。県民にとってとても幸せなことだ」
民主党と知事の急速な接近を予感させた。
(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5504
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:45:34
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1251723860170_02/news/20090901-OYT8T01039.htm
山梨 民主独占
自民県議団厳しい反応
赤池(右から2人目)、小野(右から3人目)の両氏を招いて開かれた合同会議(1日午後2時50分頃、自民党県連会館で) 真っ黒に日焼けした自民党の小野次郎と赤池誠章の2人は中央の席に並んで座った。終始硬い表情を崩さなかった。
1日午後3時、甲府市丸の内の自民党県連で緊急に開かれた最高委員・県議合同会議。議題は、3選挙区で公認候補が全敗した衆院選の総括だった。
小野は居並ぶ党県議団を前に、敗北の反省を口にするとともに、こう指摘した。「業界団体から今回の選挙は推薦状をもらいましたが、今後はどうなるかわからない。与党は民主党なんですから」
自民党の重要な集票組織である建設、農業などの業界団体。だが、野党・自民党は今後、見向きもされないのではないか――。小野は暗に衆院選だけではなく、あらゆる選挙への影響を指摘したのだった。
会議後、小野は山梨3区で共に戦った県議団と短い立ち話をした。「事務所に『よろず相談所』みたいな看板をかけようと思っているんですよ。国の予算には口を出せない代わりに、何でも相談に乗りますよって」
だが、小野が車に乗り込んだ後、県議団の反応は厳しかった。
「県議選も危ないと言いたかったのだろうが、県議選は党を前面に出す選挙じゃない」「自分の立場がわかっていない。もう3区は小野さんじゃ戦えない」
一方の赤池は会議前、記者団に淡々と語った。
「きょうは東京に行ってきました。議員会館の事務所の引っ越しをあすまでに終わらせろと言われているんで」。大量の資料を運び出すために2トントラックが必要になるという。
会議の中で、赤池は「街頭演説を続けます」と宣言した。だが、出席した県議の一人は、「何となく元気がなかったね。今のままでは民主党に勝てる要素はないだろう」と語った。
堀内光雄はこの日欠席した。「東京で自民党の総務会があるので」。会議の冒頭、県連会長代行の前島茂松は、そう事情を説明した。だが、堀内は党本部で開かれた総務会にも顔を見せなかった。
「保守王国」とも呼ばれた山梨だが、自民勢力の団結、再生への道のりは見えてこない。比例も含め衆参両院で自民党議員がゼロとなったのは全国で岩手、滋賀、そして山梨の3県だけだ。
県庁内では1日、県選管による当選証書の付与式が開かれた。式の後、民主党の後藤斎はテレビカメラの前で感無量の様子で語った。
「県の選管委員長から当選証書を受け取り、改めて真の選挙区での代表者になれたと実感した」
過去2回の当選がいずれも比例復活だった後藤は、東京の中央選管で当選証書を受け取ってきた。後藤は続けた。
「私たちは生活、地方を立て直すと一貫して言ってきた。地域の要望、課題に対し、国の予算を含め、国政との橋渡し、パイプ役を当然果たしていく」(敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5505
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:45:56
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1251723860170_02/news/20090902-OYT8T01042.htm
民主独占
首長事業削減けん制
記者会見場を後にする横内知事(2日午前11時50分頃、県庁で) 2日、知事や市長らの定例記者会見が相次いで開かれた。
県や市はちょうど9月定例議会の時期だ。記者の質問は、民主党政権が自治体の予算に与える影響などに集中した。
午前11時半、県庁。記者会見に臨んだ知事の横内正明は、民主党のマニフェスト(政権公約)への期待感を表明しながらも、公共事業の削減に強い警戒感を示し、けん制することも忘れなかった。
「中部横断自動車道をはじめ、国が関与した大事なプロジェクトが動き出している。それが止まるようなことがあれば、本県選出の民主党議員を通じて、道路整備に影響がないよう要請していく」
県庁内では、「国の予算に本格的な変化があるのは来年度予算からだろう」という空気が支配的だ。ただ、県幹部の一人はこう指摘する。「2011年の知事選に出馬するならば、来年度は知事にとって大事な年。中部横断自動車道に影響が出たら知事選は大変だ」
都留市長の小林義光は記者会見で、民主党政権への不安を率直に表明した。「自民も民主も『ばらまき』という点は似ている。ただ、民主党の場合、制度より個人にお金を出す印象だ。従来のような(自治体への)助成は期待できない」。同市は民主党政権を意識し、補正予算に計上を見送った事業もある。
民主党はマニフェストに、使途に制限がある「ひも付き補助金」を廃止し、一括交付金化することを明記している。
甲府市の幹部は「補助金を廃止するなら、同額のカネを交付金にするべき。三位一体改革のようなことは困る」と語る。小泉内閣の三位一体改革では、国から地方に税源移譲をした代わりに、地方交付税が5兆円削減された経過を踏まえたものだ。
衆参ともに民主が独占し、首長と民主党議員の距離感も注目される。
甲州市長の田辺篤は取材に対し、「甲州のために努力してくれるなら、自民でも民主でもいい」と断言。韮崎市長の横内公明は「政権党の国会議員が衆参合わせて5人もいるのは心強い」と歓迎した。鰍沢町長の石川洋司は「今回は民主だけど、2、3年たったらまた自民に戻るのではないか。自民とも民主ともつながりを継続している」という。早川町長の辻一幸は町のホームページに「保守政治に終止符が打たれ、国も地方も新しい形に変わることを期待したい」と書いた。
衆院選翌日の8月31日午後。民主党の後藤斎はさっそく、県市長会長で南アルプス市長の今沢忠文を訪ね、「足しげく通います」とあいさつした。今沢は「後藤さんに期待している。選挙中も市議から相談を受けたが、『自民だから10、民主だから5』という選挙応援のやり方はやめて平等に、とアドバイスした」と明かした。
不安、期待が交錯する中、地方の首長は民主党政権の本格始動に注目している。
(敬称略)
(2009年9月3日 読売新聞)
5506
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:46:35
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1251723860170_02/news/20090903-OYT8T01152.htm
民主独占
公明と自民「蜜月」変化
山梨民主独占 〈4〉
公明党の推薦を受けた自民党候補の事務所では、黙々と片づけが行われていた(3日午後) 1日夕。甲府市上石田の公明党県本部には、自民党の小野次郎の姿があった。
小野は同県本部代表の秋山雅司と面会すると「引き続き(自民党の)3区の支部長として頑張りますのでよろしくお願いします」と頭を下げた。
だが、秋山の対応は淡々としていた。「そうですか。頑張ってください」
自民、自由、公明3党連立による第2次小渕内閣が発足したのは、10年前の1999年10月だ。以来、自民と公明は政策と選挙両面で蜜月関係を続けてきた。
衆院選後、公明党幹部からは「“連立野党”という関係はない」と、突き放す発言が相次ぐ。秋山も「来年の参院選あたりからは自民党との関係がどうなるかはわからない」と指摘した。
比例南関東ブロックで公明党の議席は「2」と公示前より1減となった。山梨では7万票の比例票を目指したが、前回2005年衆院選より8000票少ない約5万3000票にとどまった。
安倍内閣以降、自民党の閣僚の不祥事が相次いだ。麻生首相の漢字の誤読もあった。「あんな党といつまで一緒にいるつもりだ」。公明党県本部には、そのたびに支持者からの抗議の電話がかかった。
自民党内にも複雑な感情がくすぶる。読売新聞などが実施した衆院選出口調査では、公明党支持層のうち自民党候補に投票したのは4〜6割程度にとどまったからだ。自民党関係者からは「もっと公明党からは支持をいただけると思ったのだが……」との声が漏れる。
小野自身も、衆院での定額給付金を巡る再可決を造反したことで公明党の推薦を得られず、自民と公明両党の関係に水を差す形になった。
秋山は語る。「野党になってもすべてが悪くなるわけじゃない。これからは政策などで独自色を出せる。自民党の泥をかぶることもなくなる」
両党の蜜月関係は確実に変質している。
社民党県連代表の中込孝文は3日、取材に「民主党への風が吹き荒れる中で、善戦した」と総括した。県内の比例票が、03年衆院選から2倍近くに躍進した前回05年並の約2万4000票を確保できたためだ。
社民党は民主党との連立政権に参加する見通しだが、県内では確固たる支持母体を持たず、党所属県議ゼロと脆弱(ぜいじゃく)な基盤は変わらない。
「連立政権で党の評判を落とせば、なすすべがない。党中央頼みだ」。中込はため息をつく。
共産党県委員長の千葉信男も3日、衆院選結果を「まずまず」と総括した。
小選挙区の候補者を1区に絞り、比例選に集中し、約3万3000票と前回05年並の比例票を確保した。
県議や市町村議は計21人いる。7、8月の2か月間で約1900か所で街頭演説を行い、ミニ集会も300回実施した。千葉は「建設的野党として風に飲まれないようにするには、地道な活動しかない」と語る。
(敬称略)
(2009年9月4日 読売新聞)
5507
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:47:13
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1251723860170_02/news/20090904-OYT8T01197.htm
民主独占
参院選へ早くも照準
山梨民主独占 〈5〉
民主党の輿石東参院議員会長(手前左から2人目)の移動には、身辺を警護するSP(右端)と報道各社の多数の記者が同行した(4日午後、国会前で) 4日午後2時15分頃。東京・永田町の参院議員会館での本紙とのインタビュー中、民主党代表の鳩山由紀夫から携帯電話に着信があった。
「はいはい、結構です」
党代表代行と参院議員会長を兼ねる輿石東が電話を切った約20分後、テレビで速報が流れた。
「官房長官に平野博文氏を起用」。鳩山が輿石に官房長官人事の事前了承を取り付けたのだった。
輿石はかつて上野原市立西原小学校などで教諭を務めた。県教職員組合の執行委員長などを経て、1990年、旧社会党から衆院選に出馬し初当選。その後、民主党に移り、98年には参院議員に転身した。国会議員歴は20年近い。
73歳の今年、政権与党の参院を取り仕切る立場になった。3日からは警視庁の警護官(SP)が2人、常に輿石の身辺をガードする。「大変窮屈だな。孫が『じい、サッカーしよう』なんて言ってきても、SPがついてきたらびっくりしちゃう」と笑った。
民主党は無駄な公共事業を省くと公約している。山梨の中部横断道や新山梨環状道路はどうなるのか。輿石はインタビューで「やめちまうなんてばかなことがありますか。だれが国土交通相になるかわからんが、ストップしようなどとしたら、『何を言っているんだお前は』と言える立場に(私は)いる」と言い切った。
輿石は「来年の参院選も、素早く態勢固めをやらないといけない。県議会など地方議会は自民党議員が圧倒的多数を握る。この地方と国の“ねじれ”の克服も課題」と指摘する。
「県議選には民主党の候補者を立てないとだめだ。再来年の知事選で横内知事を推薦するのか対抗馬を立てるのかは、今後の横内県政(の民主党への対応)を見ていくことが大事だ」
参院議員の米長晴信は4日午前6時半から、甲斐市竜王新町のJR竜王駅前に立った。「政権交代」と書かれたタスキ姿で通勤・通学客にあいさつを繰り返した。「衆院選で後藤斎がお世話になりました。民主党はいっそうがんばります」
衆院選で党県連の選挙対策本部長を務め、群馬4区から出馬した新人の三宅雪子の総合選対本部長も兼任した。三宅は前首相の福田康夫を約1万票差まで追いつめ、比例復活した。だが、米長は表情を引き締める。「勝って終わりではなく、これからが本番という本気の姿勢を伝えたい」
一方、自民党県連は8月31日、会長代行、幹事長らによる四役会議を開いた。会長代行の前島茂松は記者会見で強調した。「来年の参院選に向けて、全力で組織の再生と再構築を図っていかなければならない」
来年の参院選で、自民党が勝利すれば、衆参は再び「ねじれ」状態になる。民主、自民両党は少しずつ、次の天王山となる参院選、さらにその先の地方選へと視線を移し始めている。
(敬称略、おわり)
(小谷毅彦、越村格、山田佳代、佐藤友紀、池田寛樹、湯本浩司が担当しました)
(2009年9月5日 読売新聞)
5508
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:48:49
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1251844640607_02/news/20090902-OYT8T00209.htm
政権交代・自民王国崩壊
躍進民主 弱い足腰
選挙カーの上から支持を呼びかける(左から)富岡氏、鳩山代表、中島氏、三宅氏、米長氏。富岡氏は労組系で、中島氏は保守系(8月25日、高崎市内で) 投開票が進んだ30日深夜、高崎市の三宅雪子氏の事務所は、2度の歓声でわいた。1度目は、小選挙区で福田康夫前首相に惜敗した三宅氏が比例復活当選を決めた時。そして、2度目は、三宅氏に群馬4区公認を譲って比例に回った中島政希氏の当選が決まった時だ。
興奮した支持者のざわめきが続く中、中島氏は感極まった表情で記者団に、「政権政党の地方組織として恥ずかしくない県連をつくっていく」と強調した。
今回の衆院選で、県選出の民主党国会議員は、2人から7人に躍進、一気に自民党(5人)を上回る。だが、県連は、選挙直前まで、不正経理問題に端を発した保守系と労組系の内部対立で、こんな大勝利は想像もできない状態だった。
小沢一郎代表代行の裁定で7月27日に両者が県連正常化で合意した際も、選挙後をにらんだ主導権争いが選挙戦中も展開されるとの見方が強かった。「まるでPKO(国連平和維持活動)」――。小沢氏が自身のグループから米長晴信参院議員を三宅選対本部長として送り込んだのを聞いて、ある党関係者はこう漏らした。
だが、いざ公示されると、圧倒的な民主党への追い風が「コップの中の嵐」を覆い隠した。4区でも「選挙中は細かいことは棚上げ」(連合群馬関係者)、「ハイブリッドな選挙が肝要」(保守系県議)と、役割分担して候補者の知名度不足を補い、盤石な基盤を誇る福田前首相を追い上げた。
だが、火種が消えたわけではない。
石関貴史氏が当選した2区では、労組系の県議らが擁立した女性が1万3000近い票を獲得、対立の根深さを印象づけた。3区でも、柿沼正明氏との間にしこりが残る労組系県議は、選挙戦中、応援のマイクを握ることはなかった。
来夏の参院選では、定数が2から1に減る中、労組系の富岡由紀夫県連会長が改選を迎える。久保田務県連幹事長は「ここで負けて、衆参でねじれになることは絶対に防がなかければ」と力を込める。中曽根弘文外相を相手に、生き残りをかけた激しい戦いが予想されるが、労組系議員からは、「数で勝る保守系が主導権を握る中、どうやって挙党態勢をつくるかが課題」との声も漏れ、一枚岩となって富岡氏を担げるかは不透明だ。
さらに、足腰となる地方議員の拡大も課題だ。県議会では、保守系の「民主党改革クラブ」と、労組系が小寺弘之前知事に近い議員グループと合流した「リベラル群馬」に会派が別れ、合流する動きは今のところみられない。両者を合わせても自民党県議団の半数に満たない中、民主党が中止を公約した八ッ場ダム問題では、地元の声を前面で受け止める立場になる。
祝賀ムードにわく候補者の事務所で、ある県議は冷静な表情を変えずにつぶやいた。「風が吹きやんだ中で選挙を迎える時、民主党の本当の姿が見えてくる」
(2009年9月2日 読売新聞)
5509
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:49:21
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1251844640607_02/news/20090902-OYT8T01212.htm
政権交代・自民王国崩壊
再生へ候補選び課題
集まった支持者に頭を下げ、事務所を後にする尾身氏(8月30日夜、前橋市の事務所で) 自民党は「指定席」と言われた県内五つの小選挙区のうち、1〜3区の議席を民主党に明け渡した。その衝撃は大きい。
開票翌日の8月31日、同党県議団総会が前橋市内で開かれた。「ここまで負けるとは思わなかった」。出席者は一様にぼう然とし、重い空気を漂わせた。
1区で民主党の宮崎岳志氏に敗れた尾身幸次氏の側近で、選対中枢にいた中村紀雄県議もその一人。中村氏は「宮崎さんの動きは見えなかった。従来と違った選挙運動をしていたのだろう」と選挙戦を振り返った。
尾身氏は昨秋以来、「常在戦場」を唱えて選挙区を飛び回った。建設業界の取りまとめ役である県建設業協会のトップには今年5月、尾身氏と親しい建設会社の社長が就任。コスタリカ方式で比例選に回った佐田玄一郎氏の全面支援も得た。
だが、尾身氏は選挙戦序盤から「追う」立場に置かれた。終盤の8月26日、中村氏は新聞の世論調査で落選の危機を感じると、コスタリカ方式の1区では禁じ手だったにもかかわらず、前橋市で約100人の支援者を集めて「比例は公明党へ」と呼びかけた。
会場には公明党の加藤修一・県本部代表を招いていた。選挙協力の見返りの“担保”を示すよう求めていた同党への最大限の配慮だった。同党はその後、尾身氏支援に大きく動いた。尾身陣営の中には、「これで負けるはずがない」と勝利を確信した人が少なくなかった。
事情は4区も同じだ。福田康夫前首相は中選挙区時代のライバルだった中曽根系、小渕系の全面協力を得たが、民主党の三宅雪子氏に1万2000票差まで詰め寄られた。
自民党に足りなかったのは無党派層の票だった。日本テレビなどが実施した出口調査では、宮崎氏は無党派層の6割程度を固めたのに対し、尾身氏は2割程度に過ぎなかった。
同党県連の南波和憲幹事長は敗因を「我々は民主党より魅力的なマニフェストを作れなかった。選挙前に国民に景気回復を実感してもらうこともできなかった。加えて、本県では世代交代の流れに乗り遅れた」と分析する。
自民党再生の道は険しい。業界団体の引き締めは野党の立場では限界がある。小泉内閣などが強力に推し進めた「平成の大合併」で市町村議会の議員定数が減り、同党が誇る地方組織の集票力は急速に低下しつつある。今のような個人後援会では、若い世代への広がりは期待できない。それぞれに長い歴史があり、他人に引き継ぐことも難しい。
当面は前議員が引退表明した選挙区の候補者選びが課題となる。県連は公募も視野に、白紙状態から検討する考えだ。同党関係者は「次の衆院選は4年後の任期満了の頃」と異口同音に言う。そうだとすれば、党立て直しに与えられた時間は十分にある。
(2009年9月3日 読売新聞)
5510
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:49:46
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1251844640607_02/news/20090903-OYT8T01259.htm
政権交代・自民王国崩壊
戸惑う自民系首長
自民党候補の応援演説に立つ大沢知事(左)=8月25日、前橋市で 「群馬を良くしたいとの思いは、民主党も自民党も同じだ」。民主党圧勝から一夜明けた8月31日、大沢知事は臨時の記者会見で平静さを強調した。だが、県庁内にすら、それを本心と受け止める向きはない。
投票6日前、大沢知事は自民党候補の決起集会で痛烈な民主党批判を展開した。県内分だけで960億円と試算される民主党の「子ども手当」をやり玉に挙げ、「絵に描いた餅だ」と切り捨てた。
子ども手当は、民主党の政権公約の目玉だが、県や市町村が心配するのは、その「しわ寄せ」だ。民主党は新規政策に必要な財源の一部として、2013年度には公共事業の見直しで1・3兆円を工面する考えだ。県内では八ッ場ダムが代表的な“標的”だが、市町村からの要望が最も多い道路整備も、「中止が相次ぐのではないか」との不安が広がり始めている。
「東毛広域幹線道を中止すれば重大な障害が起こる。今までの費用、労力がすべて無駄になる」。斉藤直身・大泉町長も、道路事業のストップを懸念する。大沢知事も力を入れる同道(高崎市―板倉町、延長約59キロ)は、17年度には全線片側2車線で開通させる計画。すでに総事業費の8割、1017億円が投じられた。今も17区間で工事が続き、今年度も82億円の予算から、用地買収などに6割を費やした。沿線には県内の主要工業団地が並び、同道の完成は「企業誘致の武器」でもある。
国の直轄事業である国道17号・上武道路(埼玉県熊谷市―前橋市、同約40キロ)も、民主党幹部に「整備効果はない」と断じられた。39年前に始まったこの事業は、前橋市内の8・2キロの整備を残すのみ。県幹部の1人は「まさか中止はあるまい」と言う一方で、「無駄だと決めつけるなら根拠を示してほしい。現場を知らない机上の空論とわかる」と語気を強めた。
民主党が掲げる、暫定税率の廃止にも懸念の声が上がる。県税である軽油引取税は、現行は1リットル32円10銭だが、基本税率なら15円に半減する。今年度当初で148億円を見込んだ税収のうち、ざっと80億円が消える計算だ。県の財政担当者は「不況下で減収分を補うのはほとんど不可能だ」と頭を抱える。
民主党政権にどうアプローチすべきか――。「民主党がうたう『地方主権』に大いに期待している」と話す高木政夫・前橋市長を除けば、多くの首長は手探りが続きそうだ。
五十嵐清隆・伊勢崎市長は今月2日の記者会見で、落選していない、自民党の国会議員の名を列挙した上で、「他県よりはベテランが多い」と、彼らの発言力への期待をにじませた。国への陳情で頼ってきたのは、2区で落選した同党の笹川尭氏の人脈だった。国政とのパイプづくりは急務と自覚しつつも、「やり方は、予想がつかない」と漏らした。
松浦幸雄・高崎市長は、「(民主党政権とは)個人的なつきあいを大事にしていく」と述べ、新人議員との信頼関係を築きたい考えだ。その上で、けん制とも期待とも受け取れる一言を付け加えた。「地方の不満が自民党を追い込んだ。民主党がそれを繰り返すはずはない」
(おわり。笠井智大、植竹侯一、清岡央が担当しました)
(2009年9月4日 読売新聞)
5511
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:50:45
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/feature/nagasaki1251811443836_02/news/20090901-OYT8T01024.htm
衝撃 民主4議席独占
<上>自民の支持基盤弱体化
麻生首相が衆院を解散した7月21日午後1時過ぎ。長崎市の自民党県連事務所で、国会議員が「万歳」を繰り返す様子をテレビで眺めていた田中愛国幹事長は、自らを鼓舞するように言った。「情勢は厳しいが、我々県議が頑張れば勝てる選挙だ」
解散の約2か月前に幹事長となり、選挙戦の実質的な責任者を任された田中幹事長は、同29日の選対会議で「苦しいときこそ原点に帰ろう」と呼びかけた。打ち出したのは、系列県議の秘書を県内の各政党支部に派遣し、名簿を基に徹底した電話作戦を行うという戦法だった。
地方議員の数では、自民党は民主党を圧倒的に上回っている。それぞれの議員が持つ票を結集すれば、負けることはない。支持基盤をしっかり固めるという、従来型の徹底した組織選挙だ。
ところが、もくろみは崩れた。選対会議の約1週間後、県医師連盟諫早支部は自主投票を決定。同連盟佐世保支部も自民・民主の両候補を推薦した。ほかに一部の漁協が自主投票を決めるなど、伝統的な支持基盤での自民党離れは確実に進んでいた。
小泉内閣による構造改革に、各種業界が不満を爆発させた結果だった。社会保障費の伸びが年に2200億円抑制されていることなどに医師会は反発。公共事業の削減で倒産する建設会社が相次ぎ、かつて自民党を支えていた集票マシンとしての機能は、格段に落ちていた。
同党県連の小林克敏政調会長は言う。「職域支部の党員は減少を続け、支持基盤の足腰はすっかり弱まった。今回の選挙戦で、このことを改めて痛感させられた」
一方、若い人たちに多い無党派層の支持を集められなかったことも敗因だった。読売新聞とNNN系列各局による出口調査では、民主党が県内で7割近くの無党派層を取り込んだのに対し、自民党に投票した無党派層は3割に届かなかった。
それは、候補者本人も実感していた。2区の自民党前議員・久間章生氏は落選が決まった後、諫早市の事務所で報道陣に対し、「集まってくれる人の多くが高齢者だった。若い人への働きかけが少なかったかもしれない」と振り返った。
保守地盤の強い長崎で、壊滅的なダメージを受けた自民党。投票から一夜明けた31日、田中幹事長は議員総会で敗戦のおわびを述べ、役員会で選挙戦を総括する意向を示した。
これに、あるベテラン県議はつぶやいた。「総括しても、また選挙で『風』が吹けば吹き飛ばされる。むなしいだけだね」
◇
今回の衆院選で、県内の4選挙区では、民主党が全議席を独占し、県内の政党勢力図は激変した。民主、自民の二大政党と、その他の政党は今後、どのような未来図を描くのか。衝撃の余波を探った。
(2009年9月2日 読売新聞)
5512
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:51:14
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/feature/nagasaki1251811443836_02/news/20090902-OYT8T01083.htm
衝撃 民主4議席独占
<中>期待と不安背負い国会へ
福田衣里子氏の当選確実が伝えられ、支持者らは喜びを爆発させた。マニフェスト実現への期待も高まる 「公共事業への依存度が高い県に、どういう政策をするのかが課題。『知りません』では困る」。民主党が政権党となり、県内の小選挙区議席を独占したことを受け、金子知事は31日、民主党がマニフェストで示した姿勢を早速、けん制した。
税金の無駄遣いがないかどうか、事業を全面的に見直し、場合によっては凍結・廃止する――。綿々と続いてきた、公共事業のあり方が変わるという不安感は、ほかの多くの県内首長にも衝撃を与えた。
排水門の常時開放調査が注目されている国営諫早湾干拓事業。同党県連は事業に推進の立場だが、党本部は懐疑的なだけに、諫早市の宮本明雄市長は「開門調査を巡る党本部の対応が心配」と漏らす。また、佐世保市の朝長則男市長は、記者団に「政権交代でやりにくさはあるか」と問われ、「当初はあるかもしれないが、私も努力していきたい」と述べた。
「実情を理解してもらわねば」。県は、今回、新たに選出された同党の当選者に早急に説明に出向くという。
◇
他党に先駆け、マニフェスト重視を打ち出した民主党。今回は、マニフェストも同党への「風」を作った。
党本部は、県内4候補の事務所に、それぞれ7000部を配布。長崎1区で当選した高木義明氏の陣営では、見知らぬ人が事務所に取りに来たり、街頭で配れば、遠くからも買い物客が寄ってきたりと、最終的に3万部を配りきった。
県連には、マニフェストが発表された7月末から問い合わせの電話が相次ぎ、多い時では1日50件近くにも上ったという。渡辺敏勝幹事長は「政権交代へのうねりが起きつつあると感じた。これからはマニフェストを党として責任を持ってやり遂げたい」と意気込む。
島原市でコメ農家を営む男性(62)は、ずっと自民党を支持してきたが、今回初めて民主党に票を投じた。魅力的だったのは、マニフェストの項目のひとつ、戸別所得補償制度だった。
県内の耕作放棄地は約1万3000ヘクタール(2005年)。農地に占める割合は約30%で、全国平均の約10%を大きく上回り、全国ワースト1位だ。高齢化や担い手不足で、農業から身を引く人が多いことを示している。
男性は「米価は下がり、ただでさえ、生活は苦しい。販売価格と生産費の差額を埋めてもらえるなら、こんなにありがたいことはない」と期待感を口にした。
◇
公共事業を重視する首長は、民主党の政策に「財源の裏付けが乏しい」と厳しい目を向ける。一方で、多くの有権者は、子ども手当や高速道路無料化など、マニフェストの実現を求めて票を投じた。県内からの期待と不安を背負い、政権党の議員たちは国会へ向かう。
(2009年9月3日 読売新聞)
5513
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:52:14
>>5511-5512
下が見つからず
5514
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:55:22
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1251768175468_02/news/20090901-OYT8T00314.htm
政権交代 変化への胎動
(上)接戦、復活…渋面の自民
「(当落が判明する)瞬間は、撮ってほしくないんです」。当落判明前の8月30日午後11時10分。小松市の事務所前にやって来た森喜朗が、待ち構えた約100人の報道陣に言った。首相経験者らしからぬ「取材拒否」。県外からも集まった記者やカメラマンらは「普通では考えられない対応」とあきれかえった。
当選確実の一報を受け、報道陣を振り払う様に支援者らと事務所へ入る森元首相(8月30日午後11時16分、小松市で)=米山要撮影 直後、石川2区で森の当選確実が決まると、森は支援者に取り囲まれ、事務所内へ。喜びに沸く陣営の取材を求める報道陣と、阻止しようとする支援者との間で騒然となった。カーテンで閉め切られた室内からは、万歳三唱の声が響いてきた。
元首相に民主の新人・田中美絵子が挑む構図は全国的に注目された。世論調査の大半は、森と田中の接戦を伝えた。森は、選挙のたびに他候補の応援に飛び回ってきたが、今回は地元に張り付き、“どぶ板選挙”を展開した。
この日、森陣営が、連続14回当選に沸く事務所内の様子を取材させたのは地元紙2紙だけ。「かつてない厳しい選挙」(陣営幹部)に、森自身もこれまでになく、いらだっていたようだ。
31日午前0時10分。万歳を終えて外に姿を現した森は、地元を歩き尽くす捨て身の選挙をした気力の源を問われると、「意地だよ、意地」と、日焼けした顔をほころばせた。2区で敗れた田中は、比例選で復活し、初当選を果たした。
◎
自民王国・3区では“地殻変動”が起きていた。自民党以外の国会議員を出していない3区で、北村茂男は小選挙区の議席を逃し、比例で復活当選した。
「すみませんでした。ありがとうございます」。比例の当確を受けて、北村は七尾市の事務所で頭を下げた。支援者からは控えめな拍手だけが響いた。
「『与党と野党の違いは歴然』と申し上げてきただけに、野党に身を置く私自身の心中は複雑」とあいさつした北村。「先人が築いてくれた基盤・地盤を継承できなかったことは私の責任」とも報道陣に述べた。
自民は、1区・馳浩も比例で復活し、解散前勢力を維持した。二人の比例復活を聞いた森は「そりゃ何よりだ。全部、石川県上がりました」と声をはずませた。
だが、「王国」を背負った人々の心中は穏やかではなかった。「私どもの不始末で小選挙区で当選させられなかった」。北村陣営の選対本部長で県議の稲村建男は、支援者に語った。「風に吹きまくられてしまった自民党も反省しろということではなかったか」(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5515
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:55:52
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1251768175468_02/news/20090901-OYT8T01212.htm
政権交代 変化への胎動
(中)民主の基盤見えぬ将来像
選挙中に亡くなった母の遺影を手に、父(左)らと勝利を喜ぶ近藤和也さん(8月30日午後11時30分頃、七尾市で) 今回の衆院選で民主党は、石川1、3区で勝利し、比例選北陸信越ブロックでも、県内の政党別得票率を44・05%に伸ばし、自民党を8・62ポイント引き離す圧勝だった。投開票翌日の8月31日、民主党県連代表の一川保夫は「衆院議員が4年間いなかったマイナスを挽回(ばんかい)しようとしてきた。小選挙区で2議席取れ、予想以上にしっかりした戦いができた」と振り返り、民主党への追い風を「得体の知れない風でなく、政策転換を期待した風だった」と胸を張った。
ただ、勝者2人は喜びをかみしめつつも、気を引き締める。3区で初陣を飾った近藤和也は、同日早朝、中能登町の自宅で勝利の余韻に浸ったが、「これで終わりではない。第一歩を踏み出せるという感じ」と話した。1区で雪辱した奥田建は30日深夜、金沢市の事務所で「大きなスタートラインを作っていただいた」と支援者に頭を下げた。2人は“勝利は始まりに過ぎない”との認識で一致した。
◎
政権与党となった民主党だが、県内の支持基盤は自民党に比べ、はるかに脆弱(ぜいじゃく)だ。2区から出馬した田中美絵子は、自民党の元首相・森喜朗を猛追したが、4469票差で敗れた。比例で復活した田中は31日、「私の力不足。(相手の)圧倒的な組織もあったと思う」と敗因を分析し、「私も負けない組織力を築き上げていきたい」と語った。
実際、民主党の各陣営では、同党代表代行の小沢一郎と太いパイプを持つ県議会第2会派・新進石川が、実質的な力を発揮していた。かかわりの深い1区を始め、2、3区の選対幹部に、所属県議を送り込んだ。新進石川会長の金原博は「民主党は、地に着いた組織を強くしないと、定着する政党には成長しない」と話す。
◎
さらに、新進石川は民主党に、自民党時代、公共事業推進に力を注いだ沓掛哲男の比例選擁立を求めた。有権者が驚く中で、民主比例単独候補の沓掛は当選し、2年ぶりに政界復帰する。
投票4日前の8月26日、沓掛は白山市で個人演説会を開いた。「自民党のいい点、悪い点も熟知している」と述べ、新人の田中に言及した。「田中さんは経験がないと言われるが、当たり前。当分は私が補完したい」と、自ら“民主チームの一員”と繰り返し印象づけた。
民主勝利に“沓掛効果”はあったのか。一川は「自民党に流れそうな票を(民主側に)受けられた」とみて、「沓掛さんの経験も聞かせていただく中で、若い議員とスクラムを組み、県民の期待に応えていきたい」と述べた。
衆院選が終わり、来年の参院選に向け、新進石川が民主党入りする可能性に注目が移り始めた。県内の民主党が、一体どのような組織を目指すのかは、まだ、見えてこない。(敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5516
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:56:18
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/feature/kanazawa1251768175468_02/news/20090903-OYT8T01047.htm
政権交代 変化への胎動
(下)公共事業は?首長ら注視
奥田建さんの当選を祝い、握手を交わす谷本知事(右) (8月31日午前0時35分頃、金沢市の事務所で) 投開票が3日後に迫った8月27日。JR金沢駅東口に姿を見せた民主党代表の鳩山由紀夫は、ガンバロー三唱を終えると、再びマイクを握った。
「彼ら(自民党)は『民主が政権をとれば新幹線が来なくなるぞ』という話を流しているようです。新幹線が来なくなる、そんな話はありませんから。皆さん」
鳩山は既に14分間の演説を終えていたが、選挙カーの上に並んでいた県議会第2会派・新進石川会長で、1区・奥田建陣営を率いる金原博から、北陸新幹線の“問題”に言及するよう求められ、応じたのだった。
奥田と馳浩(自民)が毎回激戦を繰り広げる1区では、2014年度の北陸新幹線金沢開業への期待が強く、馳陣営は「民主政権なら14年開業は不可能」と批判していた。奥田陣営は議席奪還に向け、鳩山から一言を引き出す必要があった。
◎
公共事業費の削減をうたい、国の今年度補正予算の見直しを行う構えの民主党。だが、県内では、新幹線金沢開業は、党派を超えて県選出国会議員に支持されてきた。建設業が経済の一端を担ってきた経緯もある。
民主党を中心とした政権の誕生に、首長たちの心境は複雑だ。能美市長の酒井悌次郎は1日、「政策がどう変わるかは未知数。期待の反面、不安もある」と話し、同党の政策に、「『無駄をなくせば財源が出てくる』と言われるが、どこまで実現できるのか」と懸念を示した。
公共事業削減には、「暫定税率廃止なら道路整備費の減少につながる」(七尾市長・武元文平)、「費用対効果で決められると、社会インフラの遅れた所がどうなるか不安。配慮を」(輪島市長・梶文秋)との声も相次いだ。加賀市長の大幸甚は8月末、補正予算執行への影響について「もし(執行が)ダメになれば、国と地方の信頼関係は壊れてしまう」とクギを刺した。
◎
衆院選で、県内衆院議員の勢力は自民4から、民主4・自民3へと移った。首長たちはバランスを保ちつつも、政権与党・民主党を注視して動き始めている。
知事の谷本正憲は8月31日未明、当選議員の事務所を回り、1区では、勝利した奥田と比例復活した馳の両陣営を祝福に訪れた。奥田への期待を問われた谷本は「与党の立場で、新幹線開業の道筋をつけてほしい」と早速、注文を付けた。
近藤和也の当選で、自民王国が揺らいだ3区。七尾市長の武元は1日の記者会見で「近藤さんだから、民主だからといって距離感がある訳ではない」と述べた。
民主と自民の攻防は引き続き、外交分野などで展開されそうだが、石川の重点課題・北陸新幹線金沢開業について、谷本は「石川全体をどう元気にしていくか、与野党で異なる議論はないと思う」と強調する。
政権交代の波紋は、県内にどのように広がるのか。期待と不安を抱えながら、首長たちは9月議会に臨む。
(敬称略)
(2009年9月3日 読売新聞)
5517
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:56:58
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/feature/niigata1251815030397_02/news/20090901-OYT8T01173.htm
ぼう然 自民全敗
敗戦の報に接し、農相を務めた父・近藤元次さんの写真の前で、土下座して支持者にわびる基彦さん(30日夜、新潟市西蒲区の事務所で) 「私の不徳の致すところで、大変厳しい選挙だった。我々の訴えがご理解頂けなかった」
30日午後9時過ぎ、新潟市西蒲区の自民前議員・近藤基彦の事務所。近藤は目に涙を浮かべて切り出した後、支持者ら約30人に土下座して謝罪した。
党県連会長で農水副大臣を務める近藤は、「負けてはいけない候補」(自民党県議)のはずだった。しかし報道各社の出口調査では大差が開き、開票開始早々、白旗が上がった。
その30分程前には、自民前議員・稲葉大和が村上市の事務所で敗北の弁を述べていた。「なぜこうまで差がつくのか、予想できない。これが今の正直な感想」。ぼう然とした表情で報道陣に答えた。6期目を目指したベテランは結局、民主新人の黒岩宇洋に2倍という票差をつけられた。
◇
「信じられん」。続々と流れる民主候補の「当確」情報に、自民党県連会館は重々しい空気に包まれた。午後10時過ぎ、最後までもつれた5区でも民主・田中真紀子の当確が報じられると、詰めかけていた県議らは静まり返り、しばらく沈黙が続いた。
「6選挙区すべてでこのような結果になるとは、予想もしなかった。政権交代という文字が一人歩きし、有権者にかなりのインパクトを与えていた。小泉内閣による急激な変革への反動もあった」。三富佳一・衆院選選対本部長は振り返った。
◇
自民惨敗の原因は、支持政党のない「無党派層」を取り込めなかったことが大きい。
読売新聞社と日本テレビ・同系列局が共同実施した出口調査によると、県内6小選挙区では、自民が2議席を獲得した2005年衆院選時の出口調査と比べ、無党派層の支持が1〜2割減っていた。3区の稲葉は、前回4割あった支持が半減しており、大敗の一因となったと見られる。
こうした無党派層の動向に対し、自民側は有効な対策を打ち出せていない。「県議や市町村議、企業といった組織をフル回転させる戦い方が、時代遅れで通用しないことは分かっている。しかし、我々には浮動票を狙った戦法が分からない」。自民陣営のある秘書は率直に語った。
出口調査では、自民支持層の3〜4割が小選挙区で民主候補に投票していたことも明らかになった。自民県議の1人は「景気後退が続く中、有権者にアピールできる政策が少なかった。民主政権の行方次第では、そのまま定着する支持者も出るのでは」と警戒感を隠さない。
◇
投開票から一夜明けた31日。県議会庁舎で開かれた自民党県連の党議では、選挙結果について「厳しい」との声が相次いだ。来年には参院選、その先には県議選が控える。渡辺惇夫幹事長は今後の選挙について、「今回の結果の影響があることは間違いない」とし、「捲土(けんど)重来を期して、党の再生、体制固めを最優先させる」と厳しい表情で語った。(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5518
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:57:23
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/feature/niigata1251815030397_02/news/20090901-OYT8T01184.htm
公約期待 実力は未知
「当選確実」となった民主候補のお祝いに駆けつけた新潟市の篠田市長(左)。新政権発足は地方行政にどんな変化をもたらすのか(8月30日夜、新潟市内で) 「県政でも、自民党はこれまでのように安穏と行政に頼り切ることは許されない」(民主県議)、「県議会では議席が多数ある。結束して県民のためにがんばる姿を見てもらい、党県連を再生させたい」(自民県議)――。民主が圧勝した衆院選の結果を受け、県議会では早速、自民、民主の水面下での駆け引きが始まっている。
その一方で、新政権誕生が地方行政の現場にどう影響するのか、県議会9月定例会が2日に開会するなか、県庁幹部らもとまどっているようだ。中でも、鳩山代表が国の補正予算見直しに言及したことに、県職員からは「県の予算案でも対応が必要になるのか、具体的な中身が見えず判断できない」とこぼす声も聞かれる。
◇
県内小選挙区6議席を独占した民主への期待は大きい。
「年金制度拡充など暮らしやすい制度を作って欲しい」(柏崎市、75歳男性)、「児童手当の充実を訴える民主党にかけたい」(長岡市、34歳女性)。民主候補に投票した有権者の多くが、政権公約実行に期待する。県内では農家への戸別所得補償も注目された。新潟市秋葉区の農家男性(73)は「これまでは自民に投票してきたが、今回は民主。補償制度は農業活性化につながる」と評価した。反面、「自公に一度反省して欲しい」(新潟市中央区、67歳男性)と与党批判の受け皿として投じた有権者も少なくなく、政権党としての民主の実力は未知数だ。
「与党経験がないなか、地元から頼まれる仕事や国政の課題への判断が素早くできるか。できなければ次の選挙はわからない」。30日夜、祝勝ムードに沸く民主陣営の事務所で、ベテラン選対関係者は冷静に語った。
5選を決めた民主・筒井信隆も同夜、支持者に感謝の言葉を述べた後、戒めるように語った。「こういう勝利は初めて。おごってしまうと、次が危ない。おごってはならない」
◇
一方、民主大躍進の陰で、公明、共産、社民は県内でも苦戦を強いられた。前回選に続き、共産、社民両党は比例選北陸信越ブロックで議席を獲得できなかった。
共産党県委員会の幹部は「自公政権に対する『ノー』の声が、民主に集中してしまった」と振り返る。同時に「自公政権をやめさせようと選挙戦を戦ってきたので、大きな第一歩にはなった」とも語った。
社民党県連幹部は「想像を絶するものだった」と民主への追い風の強さを評し、「社民が埋没し、我が党の支持層もかなり民主に流れてしまった」とした。
公明党は比例選で議席は確保したものの、支援した県内の自民候補は全滅。県本部の幹部は「何となく政権交代というイメージが広がり、与党の訴えが有権者に伝わらなかった」と振り返った上で、こう語る。
「政権交代が第1ラウンドとすれば、どちらが真の責任政党なのか問われる第2ラウンドを今後、迎えることになる」
(敬称略)
(衆院選取材班)
5519
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:57:57
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20090901-OYT8T00343.htm
取手から国政3人意欲
小泉さん「平成維新」川口さん「民衆党で」石井さん「責任重い」
民主圧勝を伝える朝刊に目を通す小泉さん(取手市内の事務所で) 衆院選の開票から一夜明けた31日、当選者は休む間もなく支援者へのお礼回りや駅頭での当選あいさつなどに追われた。
民主圧勝劇で取手市からは一気に3人の同党衆院議員が誕生することになった。小選挙区で返り咲いた小泉俊明さん(52)は早朝、市内の実家に足を運び、衆院選の公示直前に死去した母親のよし江さんの霊前に「大勝利でした」と報告した。午前6時半からJR取手駅前で当選あいさつに立った後、事務所に姿を見せ、「勝利は有権者の怒りのマグマが噴き出した結果。明治維新、敗戦に次ぐ転換期で、平成維新だ」と述べた。市内から3人の国会議員が選出されたことも踏まえ、「これまで北から動かしてきた茨城の政治の変革であり、歴史的快挙。今後は南から国と茨城を動かす原動力になりたい」と日焼けした顔をほころばせた。
比例選で当選した前県議川口浩さん(54)は、事務所に次々と入る祝電に笑顔で応じた。「政治に対する有権者の閉塞(へいそく)感を見て勝利の確信はあったが、ここまで勝てたことは驚天動地」と述べた。「茨城は県北・日立の民主から本当の民主になった。『民衆党』として、医療や福祉、介護といった現場の思いや実態を伝え、反映させたい」と語った。
同じく比例選で当選した前取手市議石井章さん(52)は、祝福に駆けつけた支援者と事務所でがっちり握手。「喜びよりも責任の大きさを感じ、身の引き締まる思い」ときっぱり。「旧藤代町議、取手市議と地方議員を約21年やってきたが、年々、下の声が上に届かないもどかしさを感じていた。子どもを産み育てやすい環境作りなどに向けて、有権者に身近なパイプ役を果たしていきたい」と決意を見せた。
三つどもえの激戦を繰り広げた7区は、2人が比例で復活、3人の衆院議員が誕生した。小選挙区を勝ち抜いた中村喜四郎さん(60)は、地元の境町の事務所で、お祝いに訪れた支援者への対応やお礼回りに追われた。無所属のため比例復活がない背水の陣だった。支持者は「自民の票を民主に持って行ってもらえた。風がなかったら危なかったかもしれない」と激戦を振り返っていた。
(2009年9月1日 読売新聞)
5520
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:58:39
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/feature/kumamoto1252051528774_02/news/20090904-OYT8T00784.htm
09衆院選 選択のあとで
<上>民主躍進の陰に指南役
衆院選から一夜明けた記者会見で、「熊本から政権交代を果たすことができた」と述べる松野・民主党県連代表(右)(熊本市で) 「有権者が、自公政権にお灸(きゅう)をすえるにとどまらず、見限ったと言っても過言ではない」
民主党が大躍進した衆院選から一夜明けた31日午後。熊本市の民主党県連で開かれた記者会見で、県連代表の松野信夫(58)は、充実感に満ちた表情で高らかに勝利宣言した。
「政権選択」が最大の焦点となった今回の衆院選。県内5小選挙区では、民主党が県都・1区をはじめ、激戦となった2区で自民党に競り勝ち、小選挙区で初の2議席を獲得。敗退した3区でも比例選で復活当選を果たした。比例選の得票は過去最高の41万4000票に上り、自民党に約8万7000票差をつけて県内第1党となった。
昨年来の景気悪化などで社会の閉塞(へいそく)感が強まる中、自公政権への批判や不満が大きなうねりとなり、「保守王国」といわれる熊本に、民主党への追い風を吹かせたと言えそうだ。ただ、躍進の背景は、風だけでなかった。
昨年秋、熊本2区の福嶋健一郎(43)の事務所にスーツ姿の男が現れた。党本部から派遣された小沢代表(当時)の秘書。「街頭演説は一か所3分で一日50回行う」「有権者数が多い都市部では、郡部よりも活動量を増やす」――。銀行マンから公募候補で選挙に初挑戦する福嶋の指南役として、秘書は戦術を事細かく指示し、一緒に選挙区内を回った。
熊本3区に立候補を予定していた元広告会社員の後藤英友(42)には知名度アップ策として、「街頭演説とミニ集会に力を入れてとにかく顔を売れ」とアドバイスした。それまで知名度がなく人集めも容易でなかった後藤陣営は必死に動き、今年に入ると週に3、4回はミニ集会を開けるようになった。
秘書は東京から抜き打ちで事務所を訪ねてきては、後援会の名簿の数や事務所への人の出入り、街頭演説の様子などをチェックし、内容は詳細に党本部に報告された。「いつ秘書が来ても大丈夫なように懸命に回った。気が抜けなかった」と陣営関係者は振り返る。
民主党の躍進は、「保守王国」でも地殻変動が始まっていることを示した。悲願の政権交代を果たし、県連は早くも来年の参院選に向けて選対本部を設け、候補の人選に着手するという。
松野は「今は2人しか県議がおらず、まずは地方議員を増やす。普段から政策を訴え、支持者を広げていく地道な活動も欠かせない」と強調する。衆院選の勝利に乗り、県内の党勢拡大に向けた新たな戦いが始まる。
(2009年9月1日 読売新聞)
5521
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:59:10
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/feature/kumamoto1252051528774_02/news/20090904-OYT8T00786.htm
09衆院選 選択のあとで
<中>自民支持団体に戸惑い
自民党の歴史的敗退から一夜明けた8月31日午前7時過ぎ。大津町の国道交差点脇に、熊本3区で3選を果たした自民党の坂本哲志(58)が立った。「野党となった自民党の中で原点に戻ってやっていきます」。拡声機を通して有権者に呼び掛ける姿に激戦を勝ち抜いた余韻はなく、野党転落への悲壮感が漂っていた。
今回、県内全小選挙区に前議員5人を擁立した自民党。全国的な敗北の中で、県内では坂本を擁した3区のほか、4、5区も議席を守り、県内第1党の勢力を保った。31日未明、熊本市内の自民党県連で記者会見した幹事長の前川收(49)は「他県に比べ、熊本はそれなりに善戦した。野党になっても、国にものを申していく姿勢は変わらない」と強気を見せた。
県都・熊本1区で敗退した自民党の木原稔(40)も「健全な保守政党として再出発するしかない」と選挙翌日から、県農政連など支持団体のお礼回りを続けている。
ただ、自民党が下野することになり、長年にわたって、国とのパイプ役を自民党に頼ってきた建設業や農業、医師会などの各種政治団体は、戸惑いと不安を隠せない。
31日朝、熊本市のJA会館。約60人の職員を前に、県農政連幹部は「民主党中心の政権になり、農業に圧力がかかるかもしれない」と硬い表情であいさつした。
県農政連は約12万5000人の組合員を擁する自民党の有力支持団体の一つ。今回5人の自民党候補のうち、4人を公認、推薦した。
米国との間で貿易の自由化を認めるFTA(自由貿易協定)を巡り、交渉を推進する立場の民主党には不安が残る。ある幹部は「『農業を守るために活動する』という農政連の目的を果たすには政権与党となる民主党とのパイプ作りが必要。自民党との関係を維持しながらそれができるだろうか」と表情を曇らせる。
1〜5区すべてで自民党候補を推薦した県建設業協会(864社)。小泉政権の三位一体改革に伴う公共事業削減などの影響で、会員は15年前の約1600社から半減した。
協会幹部は「『無駄な公共事業の削減』をマニフェストに掲げる民主党が、道路などの社会基盤整備を凍結すれば、業界はさらに苦境に立たされる。これまで通り自民党を頼るか、それとも態度を翻して民主党にすがるべきか」と頭を抱える。
熊本1、2区で自民、民主の両候補を推薦した熊本市医師連盟(約470人)の委員長を務める福田稠(しげる)(63)は「医療費の抑制が続く中、会員の自民党離れが進んでいる。一政党に縛られると自由にものが言えなくなる。政党と少し距離を置きながら医療政策を提言していくのが理想的」とし、「政権交代する今がターニングポイントだ」と話す。
自民党県連は5日、衆院選の総括と、各種支持団体との意見交換を予定する。
ある県議は言う。「業界との『ギブ・アンド・テイク』の関係は、政権与党だから成り立っていた。予算編成などの主導権が民主党に移れば、支持団体をつなぎとめる妙案はない」(文中敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5522
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:59:34
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/feature/kumamoto1252051528774_02/news/20090904-OYT8T00788.htm
09衆院選 選択のあとで
<下>政権交代に期待と不安
1日朝、村役場で朝刊を広げた五木村の和田拓也村長は、ある記事に見入った。「八ッ場(やんば)ダム 入札凍結へ」。民主党がマニフェスト(政権公約)で建設中止を掲げた八ッ場ダム(群馬県)について、国土交通省が本体工事の施工業者を決める入札を凍結する方針を固めた、という内容だった。
民主党は、マニフェストで「大型公共事業を見直す」とし、八ッ場ダムとともに、五木村で関連工事が進む川辺川ダムの中止を掲げている。「川辺川ダムも工事が凍結されるのではないか」と不安が胸をよぎった。
川辺川ダム計画に伴い村中心部が移転した五木村。昨年9月、蒲島知事による建設反対表明を受け、国と県、流域市町村との間でダム以外の治水案を考える協議が進む。本体工事は事実上、休止状態だが、ダム湖をまたぐ橋の建設や農地造成といった村の基盤整備は、ダム関連事業費で継続されており、来年度の政府予算概算要求でも村の生活再建対策として16億5000万円が計上されている。
1日午前、村役場で開かれた村再建対策本部会議の冒頭、和田村長は、民主党政権の誕生に触れ、「概算要求が今後どうなるのか心配だ」と懸念を示した。和田村長は今後も、ダム建設を前提に関連事業の実施を求めていく考えだが、「事業中止を公約に掲げている以上、村の再建事業も縮小される恐れがある。その時、どうすればいいのか」と頭を悩ませている。
政権与党の交代は、水俣病被害者にも波紋を広げている。
民主、自民、公明党などの合意で、7月に成立した水俣病被害者救済法。国の基準に満たない水俣病の未認定患者に一時金を支給するなどの内容だが、支給額を巡っては、自民、公明両党と民主党との間で意見がまとまらず、具体的な支給額や救済対象者の診断方法などについての議論が先送りされた経緯がある。
救済法に反対する訴訟派の被害者団体「水俣病不知火患者会」(水俣市)の滝本忠事務局長は、民主党が当初、自公両党の救済法案に反対していたことを踏まえ、「自公政権だった頃よりは、政府へ働きかけやすくなるだろう」と期待する。
一方、救済法受け入れを決めている「水俣病被害者芦北の会」(津奈木町)の村上喜治会長は「政権交代で救済内容の決定が遅れないだろうか」と心配する。
一時金については、これまでの協議で民主党は300万円としたのに対し、自公両党は150万円とし大きな開きがあった。与党となった民主党主導で協議が進み、高額を支給することになれば、財源を負担する原因企業チッソ(東京)が難色を示すことなどが予想されるからだ。
公式確認から53年。待ち望んだ政治解決が実現してわずか2か月後の政権交代。「私たちの救済は、これから一体どうなるのでしょうか」。村上さんは表情を硬くした。
16日に発足する予定の鳩山新政権。国と地方の関係はどう変わるのか、私たちの暮らしは良くなるのか。期待と不安が交錯する。
(この連載は、佐々木道哉、大石健一、内村大作、桜木剛志、堀美緒が担当しました)
(2009年9月3日 読売新聞)
5523
:
チバQ
:2009/09/09(水) 12:31:36
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000000909060001
Road to the代議士)選挙の現実
2009年09月07日
道休陣営が今年2月に開いた資金集めのパーティーには、多くの支持者らが詰めかけた=延岡市
道休誠一郎(56)の顔写真付きプロフィルは、その日のうちに勤め先のホームページから消えた。
民主党から次期衆院選に立候補することを、勤めていた県の外郭団体に伝えた昨年9月27日、退職願も即日受理された。職場では企業経営などの相談に乗っていた。団体側は否定するが、あまりの対応の早さに道休は「選挙が理由かなあ」と少し面食らったほどだ。
道休は06年、車いす生活の父親や介護する母親の世話をするため、出身の宮崎市に帰郷。外資系企業や証券会社を渡り歩いてきたが、不況にあえぐふるさとで、なかなか仕事は見つからなかった。外郭団体の仕事は、やっと見つけた働き口だった。
年末には、政府の委託で途上国援助を行う会社の主席研究職も辞めた。「立候補を伝えた途端、コツコツと作り上げてきた仕事が端から無くなっていった」と道休。残された肩書は、金融コンサルティング会社社長だけ。「すべてを一人で切り盛りする零細企業。収入が無くなったのも同じだった」
立候補を決めて直面したのが、カネの問題だった。
□ □
細る収入の一方、支出は増え続けた。
10月に、選挙区内のJR延岡駅近くに家賃3万円のワンルームマンションを借り、妻と宮崎市から引っ越した。後援会も立ち上げ活動を開始。自身で用意した数百万円で、駅前の一等地にあった元コンビニの店舗を事務所として借りた。ほかにポスター、名刺、ビラ……。なけなしの貯金は、飛ぶように消えていった。道休は「今では借金大王ですよ」と自嘲(じちょう)する。
収支報告書によると、民主県連が過去3回、2区に立てた候補者の選挙費用は約500万〜1100万円。ただ、これは公示後にかかった費用が中心で、準備期間まで含めれば額はさらに膨らむ。
民主の新顔候補はどうやって資金を工面するのか。類似例がある。
民主県連は、05年衆院選の3区に新顔の外山斎=その後、参院にくら替え=を擁立し、自民系候補に惨敗した。収支報告書によると、民主党本部は公示直前、外山の後援会に500万円を寄付。落選後も、民主党本部は外山が支部長だった県連第3区総支部に月々50万円を寄付し、県連も支部に資金を提供し、候補者をサポートしている。
□ □
ホテルの会場を数百人の支持者らが埋めていた。テーブルに料理が並び、当時、民主党幹事長だった鳩山由紀夫が登場すると、大音量の音楽を流し、場を盛り上げた。
今年2月に、道休陣営が延岡市で開いた資金集めのパーティー。麻生首相の就任で早期の解散総選挙が見込まれたが、その時期が延びに延びたことで、道休の陣営幹部は年明けごろから繰り返し、「カネがない」と漏らしていた。
パーティー券は1枚1万円。1千枚以上を売った。同じ頃、1区で民主や社民などが推した無所属の川村秀三郎が開いたパーティーの券は、1枚3千円。3倍超の値段は、道休陣営の厳しい台所事情を物語っていた。
「みんなに負担をかけるから」と、パーティーに乗り気ではなかった道休。「選挙にカネがかかるのはある程度は予想していたが、やっぱりカネはかかった」。選挙の現実に直面していた。(敬称略)
5524
:
チバQ
:2009/09/09(水) 12:33:07
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000000909090001
Road to the代議士)下 組織力
2009年09月09日
選挙戦終盤、政策をゆっくりと訴える時間はあまりなかった=8月29日、延岡市
男性の怒声が聞こえたと思ったら、道休誠一郎(56)の足もとで生卵が砕け散った。
集合住宅の住民から投げつけられた。ようやく衆院が解散され、選挙戦に突入した8月22日。選挙カーから「道休です、道休、道休、道休誠一郎です」と名前を繰り返し叫び、車を降りたところ。連呼が男性の気に障ったらしい。道休はすぐに駆け寄り、「今度しっかりと話をさせて下さい」と頭を下げた。
道休自身、名前の連呼には抵抗があった。「名前は自分で売るものじゃない。私の話に共感してくれた人が、周りに広げてくれるものだ」
しかし、2区に何のゆかりもない選挙初挑戦の新顔候補にとって、名前を覚えてもらわないことには始まらない。記者が記録したところ、公示日の8月18日に選挙カーから名前を連呼した回数は、5分間で85回。3・5秒に1回の割合だった。
□ □
道休が好んだのは、車座になって有権者と向き合うミニ集会だった。
「顔を突き合わせて話をしなければお互いのことは分からない。皆さんから話を聞き、自分がどういう人間かを伝えたい」と考えたからだ。
昨年10月の立候補表明から公示までの11カ月間。道休は、「平成の大合併」前に2区内にあった22市町村を巡り、1週間ごとに集会を繰り返した。民主と社民の地方議員が連れて回った。
が、いざ選挙戦になると、そんな余裕はなくなった。
選挙カーからの街宣中、通行人を1人でも見つけると、道休は「せめて一言だけでも」と車を降り、あいさつしてマニフェストを配ろうとした。だが、「時間がないから」とスタッフから車に連れ戻された。
もどかしさは、政策面の訴えにもあった。
東九州自動車をはじめとする高速道路整備は、県内でもとりわけ2区の住民にとっては悲願だ。道休も必要性を訴えたが、「道路整備は目的ではない。どう活用していくかが重要」という持論を説く暇はなかった。いつしか「道路を一日も早く通したい」と、単純化していた。
「今回の選挙は私の考え方というよりは、民主党の候補者であることをアピールした選挙。新顔の宿命だろうと受け止めていた」と道休。
□ □
名前や自分の考えを浸透させるには、組織の整備も追いつかなかった。
2区は、宮崎市に隣接する新富町から、大分県に隣り合う延岡市まで南北に100キロ近い。その中に民主、社民の地方議員はわずか15人。道休を擁立した民主が支持基盤とする労組の足場は、延岡市が中心だ。結局、陣営の手が回らず、選挙区の南部は1区の労組などが応援に入った。
一方、2区内の自民の地方議員は122人。自民公認の江藤拓は、衆院議員だった父親の故・隆美から引き継いだ後援会組織を張り巡らせていた。
組織力の差は歴然。民主県連代表の井上紀代子は「政権交代という追い風の中でも、『民主党の道休』という名前を広めることで精いっぱいだった」と振り返る。
□ □
道休や民主県連幹事長の田口雄二は、選挙戦に手応えを感じていた。選挙カーを走らせれば、有権者の反応が悪くなかったからだ。
だが、投票箱のふたが開くと、江藤に4万近い大差をつけられた。負けはしたが、道休の得票も8万超。過去3回の衆院選で2区の民主候補が獲得した票を3〜5万上回り、比例区で復活当選枠にすべり込んだ。
初めての選挙を終え、道休は「住民の声をしっかり聞いた上で、私たちの考えを伝えることが必要だ」と実感している。「日常の活動を通じて政党の考えを伝えられる、地域に密着した組織を作りたい」
いま、新しい事務所を探し始めた。地域住民が気軽に立ち寄って話ができ、自然と情報が集まる場所にしたい、と思っている。(敬称略、この連載は神澤和敬が担当しました)
5525
:
新参者
:2009/09/10(木) 01:28:07
当掲示板の皆様の見識、卓見に敬意を表します。
さて巷で噂の「東京○区」の不正投票疑惑についてはいかがでしょうか?。
皆様のご意見、ご批判をお聞かせいただきたく宜しくお願い致します。
5526
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 07:41:47
迷っていた無党派も最後には、社民・新日にも雪崩を打ったようですね。
自民支持層の与党離れで形勢逆転 兵庫8区などで追跡調査 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090801000660.html
共同通信社は8日、第45回衆院選で激戦となり、事前調査と結果が異なった兵庫8区と大分2区について、投票日約1週間前に行った全国電話世論調査の回答者に実際の投票行動を尋ねる事後追跡調査を実施した。
その結果、兵庫8区は公明党候補に投票すると回答していた自民党支持層が最終的に崩れ、当選した新党日本候補に流れた構図が浮上。大分2区は自民党支持層の同様の変化に加え、無党派層の約6割が社民党候補に投票し、形勢逆転の要因となった。
新党日本の田中康夫代表が公明党の冬柴鉄三元国土交通相に競り勝った兵庫8区。1週間前調査で自民党支持層は60・1%が冬柴氏に、18・4%が田中氏にそれぞれ投票すると答えていた。ところが追跡調査によると、自民党支持層のうち冬柴氏に投票したのは55・4%にとどまり、26・2%が田中氏に投票。公明党、民主党など他の政党支持層の動向に比べても変化が際立った。
大分2区は自民党の衛藤征士郎前衆院予算委員長を社民党の重野安正幹事長が猛追し逆転した。追跡調査では、衛藤氏は公明党支持層の93・6%から得票したが、自民党支持層の72・8%しか固められず、24・0%が重野氏に流れた。1週間前調査で33・0%が衛藤氏に、26・8%が重野氏に投票するとしていた無党派層は、追跡調査によると59・3%が重野氏に投票し、衛藤氏の38・0%を上回った。
5527
:
ももだぬき
:2009/09/10(木) 09:31:26
2005年の衆議院選挙で、知り合いから東京12区の太田昭宏候補に投票してくれと干渉されました。多分、今回も東京12区など公明党の候補に関しての投票干渉がある可能性大と思います。怒りの告発です。
5528
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 19:15:58
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000000909100005
政権交代@山形 農協、距離感探る
2009年09月10日
農協幹部らの前であいさつするJA全中の茂木守会長=上山市のホテル「ニュー村尾」
∞民主政策に反発 でも「陳情は与党でないと」
農協が「政権交代」に大きく揺れている。長年支えてきた自民党が下野。農政を大転換するマニフェストを掲げる民主党とどう付き合っていくのか、立ち位置が定まらないのだ。とはいえ「陳情」は政権党となる民主に向かわざるをえない。来夏の参院選も視野に入れつつ、政界との駆け引きがしばらく続きそうだ。(柳沼広幸、川原千夏子)
「今後、民主党の農政が誤りなきよう強く求めていく必要がある」
9日、上山市で開かれた北海道・東北地区JAトップセミナー。200人以上の農協幹部の前で、来賓の茂木(もてき)守JA全中会長が語気を強めた。
民主のマニフェストの中で農協の反発が特に強いのが、日米自由貿易協定(FTA)だ。選挙戦中盤、自民候補の応援で来県した茂木会長は、急きょ招集した農協組合員を前に繰り返した。「FTAは日本の農業に大打撃を与え、農家には耳障りの良い戸別補償制度と矛盾する」
●参院選は「白紙」
さらに総選挙後、民主は秋の収穫を控えた農村に衝撃を与えた。財源確保のため、09年度補正予算の一部を凍結する方針を打ち出したからだ。補正予算に盛られた交付金を当てにして農機具の購入計画を立てている農家も多くいたが、その財源が不透明になった。
農協の政治団体・県農協政治連盟の今田正夫会長は9日、朝日新聞の取材に対し、「農家から不安の声が上がっている。自民でも民主でも農業の現場をわかってくれる政治家がいないと農家は立ちゆかない」と訴えた。来夏の参院選でどの党を支援するかは白紙という。
●接近する動きも
だが、一部ではすでに民主と接近する動きも出ている。
「JAてんどう」のある幹部は、総選挙の1区で民主の鹿野道彦氏を水面下で支援した。「これまでの農政に反発し、自民支持のJAを嫌って離れていく農家もいる。そうした農家を引き留めたい」との思いもあっての「造反」。農協支所などで民主陣営からマニフェストを説明してもらう場をつくったりした。
1区の自民陣営の選対幹部をしていた遠藤芳雄・前JA山形会長も、実は選挙戦のさなか、民主参院議員の舟山康江氏と平野達男農水委員長と面談し、民主の政策の説明を受けていた。舟山氏側から昨年秋に申し込まれた時には断ったが、このときは応じた。
自民の大物農林族、加藤紘一氏の3区でも変化が起き始めている。加藤氏が野党議員になったうえ、酒田市が地元の民主の和嶋未希氏が比例区で初当選したからだ。
県農政連の副会長を務めるJA庄内みどり(酒田市)の阿部茂昭組合長は戸惑いを隠せない。「政権が変わり、すでに補正予算も凍結され始めた。どうなるのか……」。今までなら加藤氏にお願いすればよかったが、今回の補正予算については「和嶋さんを頼らざるを得ない」。
阿部氏は7日、当選のあいさつでJA庄内みどりを訪れた和嶋氏と面会した。これまでは「自民党オンリー」で民主と話す機会はなかったが、これからは違う。「政権与党、政策に近い人に働きかけていく必要がある」
5529
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 19:23:02
なぜか03衆と04参を無視。
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20090910dde012070025000c.html
早い話が:小鳩はホホと鳴く=金子秀敏
自民党政権では「青き森」という言葉があった。青木幹雄前参院議員会長と森喜朗元首相が永田町を仕切っていると思われていた。
民主党が政権をとると「小鳩体制」という言葉ができた。小沢一郎次期幹事長と鳩山由紀夫次期首相が権力を握った。ただし、小が鳩より上にある。
小鳩体制は自然の流れだ。鳩山氏も小沢氏も自民党竹下派にいた。2人は93年に離党して、鳩山氏は新党さきがけに、小沢氏は新生党に参加し、ともに細川連立政権に加わった。
鳩山氏は首相官邸で官房副長官、小沢氏は新生党本部の代表幹事(幹事長)。このときの小鳩関係と、いまの小鳩関係は相似形だ。
細川政権の崩壊後、紆余(うよ)曲折があり、鳩山氏は民主党、小沢氏は自由党に別れた。だが03年、小沢自由党は民主党に合流、いまの小鳩民主党ができた。
この合流こそ、保守合同以来の55年体制を終わらせる「第2次保守合同」だった。かつて保守合同を唱えた三木武吉は、保守の総得票率70%に着目した。その物差しを使うと、第2次保守合同の重要性がわかる。
民主と自由の合併後、国政選挙が3回行われた。その得票率を比例代表について比較すると−−
▼05年衆院選=自民38%+民主31%=計69%
▼07年参院選=自民28%+民主39%=計67%
▼09年衆院選=自民27%+民主42%=計69%
自民が勝っても民主が勝っても、合計は7割弱で変動していない。ここがポイントだ。
小鳩民主党という、自民と対抗する第2保守党が生まれた時点で、7割の保守票を2大政党が争う時代に戻ったのである。保守と革新が体制選択選挙をした55年体制は終わったのである。そういう時代を作り出したのは小沢氏だ。選挙に強くて不思議はない。
これから大変なのは自民、民主以外の政党だ。今回の得票率をみると、公明党が11%、共産党は7%、社民党は4%で、前2回の選挙とほぼ同じ。
約7割で安定した保守票。その土俵の中で、十数%の票が2大政党の間を揺れ動いて政権が決まる。土俵の外の中小政党は政権選択に参入する余地がない。
それなら、小選挙区主体の衆院をあきらめ、極端な議席差がつきにくい比例代表主体の参院に重心を移していくのではないか。(専門編集委員)
毎日新聞 2009年9月10日 東京夕刊
5530
:
RAINY DAYS
◆UNJSUkn/rI
:2009/09/10(木) 19:43:18
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090910/200909101428_8798.shtml
平野県議が県政自民クを退会 衆院選で民主支援
2009年09月10日14:28
県議会の最大会派・県政自民クラブ(中村慈会長)に所属する平野恭弘県議
(75)=岐阜市選出、当選6回=が10日までに、同クラブに退会届を出し
ていたことが明らかになった。
平野県議は「都合により」としているが、今夏の衆院選の岐阜1区で民主公
認候補を支援したとして同クラブで問題視されており、自主的に退会の意志を
表明したものとみられる。
5531
:
山口新聞男
:2009/09/10(木) 20:04:54
>>5529
民主党の成長は、すなわち保守票の適度な分散を意味する
中選挙区では、当選ラインを押し上げることになり社共の議席獲得が困難になったが、
小選挙区では保守票を奪い合うからこそ、逆に最後の一押しとして革新・その他票が効いてくる
保守二大政党であっても、保守系だけの争いにはならない
議席として目に見えてこないので、受けは良くないのだが・・・
ちなみに自民+民主の得票率は03年衆院選が72%、04年参院選が68%
03年が高いのは、5党(自・民・公・社・共)しか比例に立候補していなかったからだろう
5532
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/10(木) 20:39:39
民主を「保守」扱いするなら、国民新は当然、公明も「保守」の範疇に入ってきそうだけどなあ。
郢書燕説な気がする。
「みんな」や「日本新」、「大地」も。
山口新聞さんの、二大政党制、小選挙区制だからこそ、マイノリティーの一押しが重要という
意見には、納得ですけど。
中選挙区は身内を固めれば勝てる(負けない)制度でしたから。
5533
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 23:25:22
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090910-OYT1T00097.htm
「昨年秋に選挙やっていれば」悔やむ麻生首相
政権交代
首相官邸に入る麻生首相=田中成浩撮影 ――首相官邸、9日午前11時5分 麻生首相が秋山昌広・海洋政策研究財団会長との面会で、ついに後悔の念を口にした。
「(昨年)10月に選挙をやっていれば、こんなに負けていなかったかもしれないが……」
「選挙の顔」と期待された首相は昨年9月の就任直後の衆院解散を模索したが、「政局より政策」と景気対策を優先して先送り。今なお党内では「あの時解散していれば」との恨み節がくすぶる。
首相は秋山氏に対し、「(解散すれば)金融恐慌に対応できなかったし、経済の立ち直りはなかった。(選挙)結果を犠牲にして、経済のためにやってきた」と、自らに言い聞かせるように振り返ったという。
しかし、首相の“悔恨”を聞いた自民党職員は吐き捨てるように一言。「まだ分かってない。麻生さんを選んだこと自体が間違いだったんだ」
――自民党本部、午前8時30分 その自民党は“余震”が続く。「党再生会議」の初会合が開かれたが、「頭撮り」と呼ばれる会議冒頭の公開が急きょ取りやめに。党職員が記者団を呼び込もうとすると、座長の山本有二・元金融相が「ちょっと待て。頭撮りなんかいいじゃないか」と命じた。
約1時間の会議終了後も、小池百合子・元防衛相が待ち構えたテレビカメラの前で無言を貫くなど、15人の出席者の口は一様に重かった。「それぞれ好き勝手に発言されると混乱した印象を与える」(出席者)とかん口令が敷かれたと見られ、ピリピリした雰囲気。
しかし、山崎拓前副総裁が昼のテレビ番組で言い放った。「2世、3世、官僚出身は一切総裁選に立つべきではない」
――国会、午前10時 一方、公明党の山口代表ら新執行部は各党に就任のあいさつ回り。社民党では、阿部知子政審会長が難航する大詰めの連立協議に触れ、「大変ですね、連立っていうのは」と漏らすと、山口氏は「出発点が大事ですよ」と経験を踏まえ応じた。
山口氏は朝のラジオ番組で、「連立でぼけてしまったことがあるかもしれない。公明党の持ち味である福祉、平和、教育、環境で妥協し、分かりにくくなった点は否めない」と、連立の難しさを指摘しており、“主役交代”を印象づける一幕となった。
――民主党本部、午前9時41分 連立協議が続く中、民主党本部はこの日も千客万来の様子。鳩山代表の地元・北海道から上田文雄・札幌市長が駆けつけ、北海道新幹線の札幌延伸などをさっそく要請した。民主党推薦で当選した上田氏は「これからは陳情ではなく、対等な意見交換」と期待を隠さなかった。
音楽、文筆などで幅広く活躍する上田市長は、面会に当たり、自分の歌のCDを2枚持参し代表にプレゼント。実は鳩山代表も約20年前にレコードを出しており、2人は“歌手”同士でもある。鳩山氏の歌の名は「Take HEART 翔(と)びたて平和の鳩よ」。連立協議もまとまり、20年の年月を経ていよいよ「鳩」が飛び立つ。
(2009年9月10日03時09分 読売新聞)
5534
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:24:30
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090911136.html
自民“民主批判CM”は逆効果…6割が悪印象
今回の衆院選で、対立政党を批判するCMを見た人の約6割が、批判された政党ではなく、批判した政党側に対して悪い印象を持ったことが11日、情報通信学会「間メディア社会研究会」の調査で分かった。
同日記者会見した研究会の遠藤薫学習院大教授は、自民党が民主党の政策を批判するアニメCMをネットで公開したり、ビラや冊子を配布したりしたのは「日本で初めての本格的なネガティブキャンペーンだった」と指摘。“逆効果”になっていたことが調査で明らかとなり、「有権者は良識を持って行動している」と分析している。
調査は、衆院選後の8月31日と今月1日の両日、選挙に投票した20代から60代の男女千人を対象に、インターネットを通じ、メディアが投票行動に及ぼす影響を調べた。
それによると、45・5%の人がネガティブCMを見ており、そのうちの63・5%が批判する政党に対して悪印象を受けた。自民党に投票した人の33%もネガティブCMについて悪い印象を持ったと答えた。
インターネットの情報を重要と感じる人の割合は全体の57・3%。20代では76%が重要と答え、58%の新聞、75・5%のテレビを上回った。
[ 2009年09月11日 20:14 ]
5535
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:25:57
http://www.asahi.com/culture/update/0911/TKY200909110186.html
総選挙、「薬物」に負けた? TV報道時間、押され激減2009年9月11日15時1分
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女優の酒井法子被告の薬物事件がなければ、今回の衆院選で民主党の得票はもっと伸びていた? メディア研究者らでつくる「間(かん)メディア社会研究会」(主査=遠藤薫・学習院大教授)がテレビ各局の全番組と有権者意識を分析したら、こんな結果が出た。芸能ニュースに押され、盛り上がりに欠けたテレビの選挙報道が浮き彫りになった。
7月13日から衆院選開票日の8月30日まで、NHKと在京民放5社が放送した全番組を調べた。衆院が解散した7月21日を含む同20日から8月2日までで総選挙に触れた番組は各週34〜37時間。しかし、酒井被告の夫が逮捕されたことが明らかになった同4日以降は放送内容が一変。9日までの1週間で、酒井被告や、やはり薬物事件で逮捕された押尾学被告に関する放送時間は54時間55分。選挙は17時間52分まで激減した。
遠藤教授は「テレビは民主優勢の影響を受けた報道内容だった」と指摘した上で、「もっと放送量が増えていれば、選挙結果では民主への支持の振れ幅がさらに大きかった可能性がある」と分析。
また、同研究会は有権者1千人への意識調査も同時に実施。有権者が投票の際に重視した政策テーマは(1)景気対策(2)年金(3)医療、の順番だった。だが、放送された番組時間を分析すると、(1)年金(2)医療(3)教育の順で、「景気対策」は「年金」の1割程度しかない。有権者の最大の関心とずれて、結果的に自民党が選挙戦で強調した「景気対策」が埋没してしまった。(湯地正裕)
5536
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:27:08
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091101000836.html
衆院選、他党批判は“逆効果” 6割が悪印象、ネット調査
今回の衆院選で、対立政党を批判するCMを見た人の約6割が、批判された政党ではなく、批判した政党側に対して悪い印象を持ったことが11日、情報通信学会「間(かん)メディア社会研究会」の調査で分かった。
同日記者会見した研究会の遠藤薫学習院大教授は、自民党が民主党の政策を批判するアニメCMをネットで公開したり、ビラや冊子を配布したりしたのは「日本で初めての本格的なネガティブキャンペーンだった」と指摘。“逆効果”になっていたことが調査で明らかとなり、「有権者は良識を持って行動している」と分析している。
調査は、衆院選後の8月31日と今月1日の両日、選挙に投票した20代から60代の男女千人を対象に、インターネットを通じ、メディアが投票行動に及ぼす影響を調べた。
それによると、45・5%の人がネガティブCMを見ており、そのうちの63・5%が批判する政党に対して悪印象を受けた。自民党に投票した人の33%もネガティブCMについて悪い印象を持ったと答えた。
2009/09/11 20:13 【共同通信】
5537
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:43:44
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/01.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
大物陥落
気付かなかった疲弊 13年間で地盤変容
閣僚や党の要職を歴任した自民の重鎮、久間章生(68)と薬害肝炎訴訟の元原告で抜群の知名度を誇る民主新人、福田衣里子(28)が戦い「政権交代」の象徴区となった長崎2区−。投開票が行われた30日午後11時近く、久間が選挙事務所内でテレビ局の全国中継に出演する直前、ひな壇脇に置かれたテレビが福田の当選確実を伝え始めた。
「結局ね、伝わらなかった。(防災干拓の出発点となる)諫早大水害も50年以上前。若い人や新興住宅地の人には、今や関係ない話なんだよね」。テレビから流れる福田陣営の歓声を背に、久間は選挙戦で感じてきた、地盤の変容を淡々と語った。
敗戦の弁で久間は「自民への向かい風が強すぎた」と述べた。自民への逆風は、旧来の自民支持層の“久間離れ”も招いていたが、「離れたんじゃなくて、政権交代への期待の波が大きすぎた」と選挙戦を振り返った。
「今回選挙をやっても会うのはお年寄りばかり。お互い年を取りましたなあという感じ」。当落が判明する数十分前、支持者と報道陣でごった返す諫早市の事務所の一室で久間はぽつりと語った。13年間、地元に帰らずに選挙をしてきた久間。この間、地盤を支えてきた支持者も地元の様子もすっかり変わっていた。
落選が決まり報道陣の質問に答える久間章生氏=諫早市栄町の選挙事務所
選挙戦で新幹線整備や諫早湾干拓、道路問題など郷土の主要課題に徹底してこだわった。だが、久しぶりに地盤を歩き回り、疲弊していく地方の実態をあらためて知ることになる。地方の不満は政権与党に向けられていることも。「官僚政治の打破」「変革」を求める民主の勢いに対し、久間は自民政治に批判的な有権者の視線を薄々感じていた。
「自民も地域政策を大胆に転換しなくてはいけない」。久間は選挙戦後半こう訴え「変革」を求める民意に応えようとしたが、遅かった。
衝撃の落選から一夜明けた31日昼。久間は長崎市の自民県連を訪ね、党県連会長職の辞意を伝えた。選挙期間中、「世代交代」「バトンタッチ」という言葉を度々口にしていた久間。だが、金子知事は久間の落選について「非常に残念だ」と述べ、自民関係者からは久間の政治力に今後も期待する声が上がった。「選挙区支部長は当面続ける。後継者はすぐには見つからない」。久間は報道陣にこう述べ、今後の政治活動に含みをもたせた。(敬称略)
2009年9月1日長崎新聞掲載
5538
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:44:20
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/02.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
自民の苦悩
小泉改革で基盤崩壊 終盤の焦点は「負け方」
テレビ各社が開票速報で民主党圧勝を伝えていた8月30日午後11時25分。長崎市江戸町の自民党県連幹事長室。3時間ほど前に落選が報じられた長崎1区の前職、冨岡勉(61)が県連幹事長の田中愛国や政調会長の小林克敏に支援のお礼を述べ、頭を下げた。
「小泉さんで勝って小泉さんで負けたということですよ」。2人からねぎらいの言葉を掛けられた冨岡は「言いたいことを言って当選できるなら何でも言う」。民主党が掲げた子ども手当などのマニフェスト(政権公約)を暗に批判したが、その声に力はなかった。テレビ画面では追い風に乗って当選した民主党の新人候補が喜びを爆発させていた。その姿はまるで4年前の冨岡だった。
冨岡は前回、小泉首相の突然の郵政解散を受け急きょ出馬。小泉旋風に乗り比例で復活当選を飾った。しかし小泉首相が進めた構造改革で格差は広がり、地方は疲弊。一転して猛烈な逆風を受けた。もともと強固な個人後援会も持たず、無党派層も多い長崎市を選挙区とする冨岡にはこの突風にあらがう力はなかった。
自民党県議団の議員総会で衆院選の小選挙区全敗について総括する田中愛国幹事長=8月31日、県庁
自民党への逆風は冨岡だけでなく、これまで民主党に負けを許さなかった2、3、4区の候補もなぎ倒した。投票3日前の8月27日に東彼川棚町で開かれた個人演説会。「町長や町議は合併でいなくなった。建設業者も郵政も小泉首相のせいでみんないなくなった」。3区の前職、谷川弥一(68)は小泉改革に伴う自民党の支持基盤の崩壊を嘆いた。そしてこう結論づけた。「自公政権は負ける。しかし農家の気持ちが分かる人間が必要だ。どうか通して(当選させて)ほしい」。応援に立った知事の金子原二郎も「戦後、健全野党がいたから政策のバランスが取れた。自民党が一定の議席を確保することが重要だ」。選挙戦終盤、関係者の焦点はどこまで議席を死守できるか、その「負け方」に移っていた。
自民党は農政連や建設業界など支持基盤を引き締めた。県医師連盟は「比例は公明党」と初めて機関決定するなど公明党との連携を強化。しかし肝心の自民党県議団の動きは鈍かった。ある自民党県議は「県議OBまでフル稼働していた民主党に比べ、こちらはほとんど動いていなかった。国会議員と地方議員との連携が足りない。公明党に頼りすぎては駄目だ」と反省も漏れる。
惨敗から一夜明けた31日、自民党県議団の議員総会であいさつした田中は「これほど負けるとは思わなかった」と率直に述べた。この日、金子を訪ねた2区の前職、久間章生(68)は自民党について「自民党崩壊とマスコミで言われているが僕は『腐っても鯛』だと思っている」。しかし党再生への道のりは険しい。(敬称略)
2009年9月2日長崎新聞掲載
5539
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:45:01
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/03.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
勢いづく民主
夢物語“風”で現実に 組織の強化に課題も
8月31日。午前0時半を回った長崎市樺島町の民主党県連に、幹事長の渡辺敏勝ら県議、市議、支援者約20人の歓声が沸き上がった。比例九州ブロック(定数21)で当選が報じられた川越孝洋(66)は「えらいことになった。盆と正月が急にきた」と興奮気味に話した。事務所内は政権交代の高揚感に包まれ、関係者は全勝を祝う万歳を何度も繰り返した。
川越は比例単独候補として九州ブロック29位に名を連ねた。選挙中は長崎3区の前職、山田正彦(67)の統括選対本部長として山田を支えた。名簿に載ることさえ予想しなかった川越だが、党への追い風を背景に重複立候補した県内の4人を含む20人が次々に小選挙区で当選。同ブロックで9議席を獲得した党の最後の1議席が転がり込んだ。
川越が県議として民主党県連結成に参画し幹事長に就いた1998年12月。県連の国会議員は1区の前職、高木義明(63)1人だった。それから約11年。今回の衆院選で衆参合わせ8人の国会議員を擁し、自民党(2人)を大きく上回る勢力に成長した。高木は川越の当選について「ここまでくると夢物語。まあそれが現実だが」と民主党を圧勝させた世論に戸惑いも見せた。
比例九州ブロックでの当選が決まり渡辺敏勝県連幹事長(左)らと万歳する川越孝洋氏(中央)=8月31日、長崎市樺島町の民主党県連
衆院選で初めて県内全選挙区勝利を飾った民主党だが、3区と4区では自民党候補に詰め寄られ復活当選を許した。ある民主党県議は「やはり自民党は底力がある」と認める。特に「大差で勝利できる」との見方も出ていた4区の元職、宮島大典(46)の陣営にはショックも広がった。9年ぶりの国政復帰を決めたが約4500票差にとどまり、自民前職、北村誠吾(62)が復活当選。喜びに水を差された。総合選対長を務めた県議の久野哲は31日、静けさが戻った選挙事務所で「選挙はふたを開けてみなければ分からない。正直がっくりきた」と肩を落とした。民主党の佐世保市議の一人は「これで次の選挙は自民党が必死で巻き返しにくる」と警戒する。
労組関係者は「県内での追い風はそれほど強くなかったが、勝てたのは地力強化の表れだ。ただ、前回の郵政選挙を見ても分かるように、逆風が吹いても生き残れるのは高木ぐらい」と指摘する。党所属の県議や市議ら地方議員の少なさを含め、地方組織の脆弱(ぜいじゃく)さは課題として残ったままだ。
小選挙区制度では、世論の動向が当落を大きく左右する。郵政選挙で小泉旋風に乗って当選し「小泉チルドレン」と呼ばれた83人の新人議員のほとんどは再び国会に戻れなかった。2区の新人、福田衣里子(28)の選対関係者は「党への人気が高いほど時がたてばその反動が出てくる。小泉チルドレンとは違うところを見せないと」。関係者の次の戦略への模索は始まっている。(敬称略)
2009年9月3日長崎新聞掲載
5540
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 15:59:28
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090901ddlk05010005000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/上 2区 川口氏に民主の風 /秋田
◇自民や社民、無力感
「政権交代」という歴史的転換点となった09年衆院選。県内3選挙区も自民党が全敗し、民主党が勢いを伸ばすなど政治勢力図をがらりと変える大きなうねりが起こった。県内で民主党へ追い風が吹いた要因は何か、そしてこの変化は何をもたらすのか。選挙区ごとに振り返り、今後を展望する。
「政権交代を成し遂げようじゃないですか」。
衆院選の選挙戦中盤となった8月23日夜、能代市文化会館で開かれた個人演説会で、白いスーツに身を包んだ川口博氏(62)がこう語りかけると、聴衆は沸き立った。
集まった顔ぶれは、普段着姿の女性や会社員など。議員や政治家の後援会関係者、作業着姿の業者といった、従来型の集会と趣を異にした。川口氏が4カ月ほど前に、知事選の候補者としてこの場で演説会を開いたときとも、様相が一変していた。
川口氏は当選した要因について笑顔で語る。「声なき声が後押しし、草の根で一人一人が自分のことのように動いてくれた」
★ ★
2区といえば、元農相の前職、野呂田芳成氏(79)が強固な組織を作り上げてきた。野呂田氏は、4月の知事選に立候補した川口氏を全面支援。選挙期間中は同行し、集会で支持を訴えた。川口氏は敗れたものの、2区の市町村では佐竹敬久知事を圧倒する票を得た。
だがその川口氏の衆院選出馬について、地元では当初厳しいという見方が強かった。
野呂田氏が後継指名していたのは、前参院議員の自民党新人、金田勝年氏(59)。市町村長の多くも金田氏支援に回った。
これに対し川口氏は、いったん“不出馬宣言”。結局立候補を表明したのは公示13日前で、組織は個人的な支持者と民主党を離党した人たちぐらいだった。
それでも知事選を通じ、有権者が求めるものを感じ取っていた。「私は有権者の体温と心を知っている」。8月16日の事務所開きで、前評判を覆す自信を見せた。
演説会場には「いよいよ、政権交代」と表紙に書かれた民主党のチラシを置き、政策もほぼ民主党と同じ内容を掲げ、街頭では「比例代表は民主」と訴えた川口氏。「草の根選挙が2区全体に爆発的に広がった」と振り返った。
同党は連合秋田とともに社民党元職の山本喜代宏氏(53)を推薦していたが、民主党候補がいない選挙区で追い風に乗ったのは川口氏の方だった。
★ ★
「川口さんが立候補してから、支持してくれていた人が顔を見せなくなったこともある」。金田氏は投票から一夜明けた31日、苦渋の顔で振り返った。08年1月に衆院選への出馬を決め、組織固めに奔走。本人も「つじ立ちを重ね、これまでにない選挙をやった自信があった」というほど“ドブ板選挙”に徹した。
「野呂田さんの地盤を引き締めれば勝てる」と陣営は読んでいたが、中盤に世論調査でリードされていると報じられ衝撃が走った。毎日新聞の出口調査では、川口氏は民主支持層の72%、自民支持層からも25%を取り込んだ。
金田氏は能代市などで川口氏を上回り「地盤は切り崩されていない」と強弁したが、「組織選挙」が「風」に負けたのは明らか。金田氏も「逆風というより、暴風雨だった。風以外にも敗因はあるが、今はわからない」というのが精いっぱいだった。
★ ★
1351票差での当落。金田氏も比例代表で復活当選し、川口氏は「結果的に2区から国会議員が2人出た。終わったらノーサイド」という。だが旋風のつめ跡は小さくない。
民主を離党した元県連幹部らは選挙中から「いずれ復党する」と本音を漏らしていた。当選した川口氏自身、「1人では何もできないので、どこかの党に入りたい」と述べ、事実上民主党入りの意向を示した。
知事選での川口氏擁立をめぐり民主党と社民、連合の間に生じた溝が、さらに深まった。民主党と選挙協力しながら、2氏に埋没して敗れた社民の山本氏。同党県連の関係者は悔しさをにじませながら言う。「うちらは選挙協力をやったが、(民主党に)裏切られた。でも国民の総意を得ているから逆らえない。突風がやむのを待ちながら、力を蓄えるしかない」【百武信幸】
5541
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 15:59:57
http://mainichi.jp/area/akita/archive/news/2009/09/02/20090902ddlk05010004000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/中 3区 農家票も自民離れ /秋田
◇組織、地盤を飛ばす逆風
「ポスターの掲示を農家に依頼したら、3、4軒に『え、自民党?』と断られた」
秋田3区前職で、今回議席を失った自民の御法川信英氏(45)の陣営関係者は、こう打ち明ける。
前回と同様、自民県議の支援が無所属の新人、村岡敏英氏(49)側と割れたうえ党の支持率が低下する中、遊説すると有権者の反応は思いのほかいいと感じていた。一方で各社の世論調査の結果は軒並み劣勢。御法川氏は「戦う相手が分からず、雲をつかむようだった」と話す。
だが陣営の中でも、異変に気付いていた人は少なくなかった。
従来の有力な支持基盤だった農家票離れもその一つ。県農政連は自民党の3候補を推薦したが、選挙で御法川氏を支持した農協幹部は公示前に「今回は京野氏が勝つだろう。規模拡大を目指す政府や自民党の農政が、作り手の高齢化や米価の下落に対応できていない」と指摘した。
さらに後援会組織は会員の高齢化が著しく「父の故・英文氏時代から広がっていない」(別の陣営関係者)。週1回程度地元でミニ集会を開いていたが、外務政務官の公務もあり支持者からは「最近顔を見ないな」との声も漏れた。
05年の“郵政選挙”では追い風を受けて大量得票したが、逆風をはじき返すほどの組織力はすでになかった。
★ ★
3区で当選を果たした民主新人の京野公子氏(59)は8月25日、大仙市のホテルで開いた集会で約150人を前に「政権交代の『駒』として当選させてほしい」と呼びかけた。
訴えの内容は、年金や医療、農政の課題、官僚主導の問題点など。ただ反自民の風任せで選挙戦に臨んだわけではない。
有力な地盤を持たず、平日は街頭に立ち土日はミニ集会を重ねて知名度向上を図った。その京野氏が「きつかったが、徹底的に鍛えられた」と名前を挙げる人物がいる。
小沢一郎・民主党代表代行の公設第1秘書で、政治資金規正法違反容疑で逮捕・起訴された大久保隆規被告。陣営関係者は「街頭に毎朝立ったか、ミニ集会を何回開いたかをABCで採点し、党本部に報告していた」と明かす。大久保被告の逮捕後も別の小沢氏秘書がその担当を引き継ぎ、小沢流の選挙戦術をたたき込んだ。
選対には社民市議や市議OBらも入り、ポスター張りなど実動部隊を担った。京野氏は「連合や社民を敵に回しては戦えない」と認め、民主と社民・連合で支援候補が分かれた4月の知事選では沈黙を守った。
それでも社民県連関係者の一人は「ポスターの下には『比例代表は民主党へ』とあった。『どうしてこれを張らないといけないのか』との声もあった」。2区で当選した川口博氏(62)の民主党入りをめぐり連合や社民とあつれきが起きれば、微妙な立場に立たされる可能性がある。
★ ★
父兼造氏から組織と地盤を受け継いだ村岡氏は2回目の挑戦。自民公認を得られず、「政界再編」を掲げて平沼赳夫・元経済産業相のグループから出馬した。
前回の落選後20万人と会い、5000回以上の街頭演説を重ねた。「地元を歩き回り、(有権者の家に)上がり込んで話を聞いた人間を国会に送り込んでほしい」と地域密着を強調。さらに従来型の組織頼みの選挙活動には限界があるとみて、無党派層向けに無料情報誌の配布などで浸透を図ってきた。
公約集では県内の課題をデータとともに細かく示し、ある大仙市の商工関係者から「公約で言えば御法川氏より魅力的」との評価もあった。それでもふたを開けてみれば前回より票を減らし、再び3位にとどまった。
村岡氏の地盤である由利本荘市で7月に開かれた京野氏のミニ集会。参加した高齢の男性数人が「一度民主に(与党を)やらせ、だめなら自民に戻せばいい。『平沼グループ』と言ってもよくわからない」「これまでは社長に動員されて村岡氏の集会に出ていたが、きょうは違う」と声を上げた。
「有権者に『政権選択』の意識が強い。誰より『どぶ板』に力を入れ、顔見知りを増やすなど種をまいたが、花は咲かなかった」。陣営スタッフは、苦渋の表情を浮かべた。【岡田悟】
5542
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 16:00:45
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090903ddlk05010057000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/下 1区 組織選挙再び敗北 /秋田
◇新手法見えぬ自民
29日午後9時過ぎ。選挙活動を終えて秋田市の事務所のソファに腰をおろした秋田1区の自民前職、二田孝治氏(71)はぽつりとつぶやいた。「こういうときにオレが出てよかったんじゃないか。別の新しい人を立てても厳しかったでしょう」
街頭では「民主党をたたきつぶさなければならない」と声を張り上げていた二田氏。だが事務所で見せた表情に悲壮感はなく、むしろすがすがしかった。「恥ずかしくない票は取りたいね」
前回に続き二田氏と民主の寺田学氏(32)が激突した1区。05年は郵政解散による「小泉旋風」をはねのけて寺田氏が勝ち、二田氏は辛くも比例復活を果たした。今回は逆に自民党にとって経験のないほどの向かい風で、厳しい選挙は覚悟していた。
30日午後8時過ぎ、開票が始まる1時間以上前に各社が次々と寺田氏当選を報じた。二田氏は同じ事務所で、支持者に深々と頭を下げた。
★ ★
8期目を目指す二田氏が選挙前の決起集会として8月9日に開いた「ふれあい集会」。会も中盤に差しかかるころ、司会者が来場者の参加団体を一つ一つ読み上げ始めた。その時間は約10分に及び、合わせて110人に上った。会場には全農の永田正利会長をはじめ、農協関係者や農林中央金庫の幹部ら約650人が集まった。
危機感を抱いていた二田氏は今回、「自分の原点の選挙」を徹底させた。朝のつじ立ちを繰り返し、公示前から合わせて100社以上を回って支援者宅への訪問も重ねた。
公示後は選挙カーを使って市内を駆けめぐり、住宅地の街区ごとの公園でマイクを握った。「最後の奉公」「政治生活の集大成」をにじませて組織の一体感を強め、「比例は公明」と繰り返して公明支持者の組織にも頼った。
結果は3万1245票差。組織選挙はまたしても敗れた。選挙後、二田氏は「失われた基盤を再構築しなければ」と話した。
★ ★
「少子高齢化が進んで、老後に不安がある」。8月21日に秋田市浜田の海の家で開かれた寺田氏の集会で、1人の男性が切りだした。
約30人に党のマニフェストを配り政権交代の意義を訴えた寺田氏が「何でも聞いてください。プライベートなことでも何でも」と呼びかけると、質問が相次いだ。「高速道路を無料にして本当に大丈夫だか」「財源は?」−−。
寺田氏は「家計が厳しくなると、ビールを発泡酒に替えるなど、優先順位を決めて節約する。国も同じです」などと例を挙げ、わかりやすさを心掛けた。
終了後、参加者の男性(73)は「医療費や年金がどうなるか気になる。とにかく今の状況を変えてもらわなきゃ」と語った。
寺田氏は小集会重視の姿勢を今回はより徹底させ、公示後の集会は85カ所に上る一方で選挙カーは一切使わなかった。
有権者個人に話しかけ、納得してもらって支持を受けるスタイル。二田氏の陣営側は「追い風の中で余裕があったのだろう。ぎりぎりの選挙になってもあのやり方が貫けるか」と冷めた見方をするが、寺田氏は大きな手応えを感じている。
「次も有権者のみなさんと触れ合える選挙をしたい。できれば少しずつでも1区の全戸を歩いて回りたい」
★ ★
自民党内では次の選挙に向け、「1区の後継者」や「次世代の育成」が一部でささやかれる。若手県議を推す声もあるが、ある自民党関係者は「自民大敗のこの状況で前に出ていくのは難しいだろう」という。
二田氏は敗戦の弁を述べた30日、「引退」を口にしなかった。しかし29日には、こんな心情を吐露していた。
「保守をまとめる種を残してやらねばと思ってやってきた。本当はそういう路線を敷いてやりたかったんだが……」。県政界では与党にして過半数を占める最大会派の自民党。国政での「県都奪還」は悲願だが、“新しい選挙”に対抗する手は、まだ見えない。【百武信幸】
5543
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 16:36:53
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000000909010003
政権交代@青森 民主、小選挙区で1議席
2009年09月01日
小選挙区で落選し、複雑な表情を見せた田名部匡代氏。県内では民主党候補のうち3人が比例区での復活で生き残った=30日深夜、八戸市下長1丁目
■幹部は「がっかり」 追い風取り込めず■
「がっかりしているんだ」。31日、県議会民主党会派の控室。同党県連の田名部定男幹事長は渋い表情だった。
総選挙の結果、同党の県選出国会議員の数は衆参合わせて4人から6人に。これまで同数だった自民は3人に減り2倍の勢力となった。だが、3選挙区で自民候補に敗れ、比例復活での当選に終わった結果に、勝利の喜びはなかった。4小選挙区全勝を目指していたからだ。
民主にとって、今回は小選挙区で得票を伸ばす条件がそろっていた。共産、社民両党が1区以外に候補者を立てず、社民との間では初めて選挙協力の協定も取り付けた。連合青森をはじめとする労組組織も政権交代を旗印にかつてない協力態勢を敷いた。そこに全国的な「追い風」。にもかかわらず、十分な勝利を得ることはできなかった。
県内にも風は吹いていたのか。
全国の民主候補の応援に走り回っていた平山幸司参院議員が投票日前日の29日、4区の津島恭一氏の街頭演説に駆けつけた際、報道陣に聞かれると、「んー」と一瞬、言葉に詰まると、答えをはぐらかした。
◇風感じぬ候補◇
津島氏自身も同日夜、選挙運動を終えると、「みなさんが言う風と、私が感じているものとがイコールじゃないような気がする」と語り、風が感じられなかったという感想を漏らした。
共産党の比例区東北ブロックで当選した元青森県議の高橋千鶴子氏は31日、民主の今回の戦いぶりを聞かれて言い放った。
「県内の民主党は保守の流れをくんでいる。他県にある民主党と同じような存在だと青森の県民が思わなかったのではないか」
民主党県連は、もともとは自民出身の田名部匡省氏らが所属した旧新進党県連の解散後、その組織を受け継いだ政治団体「県民協会」のメンバーが中心となって、現在の態勢ができあがっている。高橋氏の発言は、旧民社党系や旧社会党系が力を持つ他都道府県の地方組織より保守色が色濃い点を意識したものだ。
◇「二世に甘え」◇
その田名部氏の娘、匡代氏は今回も3区で自民の大島理森氏の壁を破れなかった。
匡代氏は31日昼、敗戦の弁で「私は二世議員で、出馬したときから今まで父親の後援会に乗ってやってきた。まだまだ自分の甘えがある」と率直に語った。
確かに今回の選挙戦は、参院議員の改選期を迎える匡省氏との二人三脚だった。選対幹部は「(匡省氏は)自分が現職のうちに何としても勝たせたかったのだろう」と、その心情を代弁する。
しかし、その様子は、突然の引退表明後、長男の淳氏を後釜に据えたいとの意向を周辺に伝えた自民前職の津島雄二氏とそっくり。世襲問題は民主党も無縁ではない。
◇比例票が救う◇
一方、2区の中野渡詔子氏は30日夜、小選挙区の勝敗が決まらない中、比例区で当選確実の一報が伝えられると、事務所で支持者と一緒にバンザイをした。あとでその話を聞いた同党県連関係者は「小選挙区で勝つのが目的なのに認識が違いすぎる」と不快感をあらわにした。
選挙を自分の力で勝ち抜いた末ではなく、追い風を受けた東北ブロック全体の民主への票に救われただけという思いがそこにある。
開票作業の途中で、負けたと思いこみ、比例復活の可能性があるにもかかわらず、「十字架を背負って歩いていく」と「敗北宣言」を述べた3区の大島氏とは対照的だ。
県内のある自民支持者は選挙中、ある民主候補が「県内の時間給の最低賃金を1千円にする」と訴えていたことに違和感を覚えた。
民主のマニフェストは確かに、全国平均時給1千円の最低賃金を目指すとしている。しかし、県内の時間給の最低賃金は600円台。経営者は言う。「7、800円台ならばまだ分かる。いきなり青森で1000円というのは、経済を分かっていない。理想のまた理想だ」
今回、唯一小選挙区で勝利を収めた1区の横山北斗氏。比例で復活当選した1期目以上にその働きぶりが問われる。
当選後の会見で、横山氏は緊張した表情を見せた。「公約として掲げたことを4年以内に実行していくことが大事。それができなければ、4年後にはまた、逆の結果になる。それぐらい有権者の目は厳しい」(栗田有宏)
5544
:
チバQ
:2009/09/12(土) 17:03:58
全然情報のなかった南関東比例下位当選の相原しの女史の情報
http://www.townnews.co.jp/020area_page/04_sat/02_hada_sat/2009_3/09_03/hada_top1.html
第45回衆院選
秦野にも民主の風
8月30日に投開票が行われた第45回衆議院選。世論の圧倒的な追い風を受け全国的に民主党が躍進するなか、秦野市を含む神奈川17区でも、民主党の新人神山洋介氏が初当選を果たした。
新人4氏の争いとなった17区で神山洋介氏は、13万9千678票を獲得。これは2005年9月に行われた前回の衆院選と比較すると、民主党候補者として5万票近い上積みだ。自民党から出馬した牧島かれん氏は10万5千806票。無所属の井上よしゆき氏は4万2千881票、幸福実現党の中野じゅん子氏は4千67票にとどまった。
市内でも、神山氏が最多の4万5千760票を獲得、牧島氏に1万4千票近い大差を付ける結果となった。
比例代表においても、民主党が県内で、前回衆院選の自民党得票(約203万票)をも上回る211万票を獲得して圧勝。市内でも民主が3万9千164票と、自民を1万5千票以上引き離した。市内の投票率は、68.16%(小選挙区)と、前回から2.98ポイント増。
相原史乃氏(菩提在住)が比例で当選
今回、比例代表選南関東ブロックで、民主党から立候補していた相原史乃氏(35歳・菩提在住)が当選。衆参両院制度後では、市内から5人目となる国会議員が誕生した。
相原氏は当紙取材に対し、「日本経済の9割を占め、日本経済を支える底力」である中小零細企業を守り、「国民が明るい気持ちで生き生きと暮らせる労働環境」の整備・改善を出馬理由とした。また今後の抱負として「労働者環境と経営者環境の双方の調整・整備」「公務員改革」「教育改革」の3点を挙げる。
略歴/1996年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業。現在は(有)茜堂を経営。2001年に小沢一郎政治塾に第1期生として入
5545
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:10:27
http://203.139.202.230/09senkyo/090906sen01.htm
衆院選を終えて 県内政党座談会
政権選択を最大焦点に8月30日投開票された第45回衆院選は、野党第1党だった民主党が全国で308議席を獲得する歴史的勝利を収め、惨敗した自民、公明両党は政権を明け渡すことになった。 一方、県内3小選挙区はいずれも公明の推薦を得た自民前職が、民主新人、共産元職・新人、無所属の元知事らに勝利し、逆風をはね返して四たび議席を独占。1区は福井照氏(55)が4選、2区は中谷元氏(51)、3区は山本有二氏(57)がともに7選を果たした。比例代表四国ブロック(定数6)は比例単独の公明前職の石田祝稔氏(58)が5選、自民前職は届かなかった。重複の県内選挙区の民主候補はいずれも復活できず、本県は与党衆院議員がいない唯一の都道府県となる。 民主党中心の新政権で政治はどう変わり、本県への影響はどうなのか。県内主要5党の責任者に選挙の総括などを語ってもらった。
※出席者 自民党県連幹事長・武石利彦氏、民主党県連幹事長・大石宗氏、公明党県本部幹事長・黒岩正好氏、共産党県委員会委員長・佐竹峰雄氏、社民党県連合幹事長・今西忠良氏、司会=堅田正剛(高知新聞社政治部長)
【写真】左から、自民党県連幹事長・武石利彦氏、民主党県連幹事長・大石宗氏、公明党県本部幹事長・黒岩正好氏、共産党県委員会委員長・佐竹峰雄氏、社民党県連合幹事長・今西忠良氏
総括
―全国的に民主党が大勝する一方、県内3小選挙区は自民が独占した。総括を。
武石 県内の戦いで言えば、政権が代わることへの有権者の期待感と不安感が交錯し、衆院解散までは期待感の方が強かった。だが民主党のマニフェスト(政権公約)修正などで不安感が増し、自民党候補への期待に変わった。それをベースに組織力を生かして戦えた。公明党の選挙協力も大きな勝因の一つ。また(党県連が割れることが多かった)橋本県政から尾?ア県政に代わり、久しぶりに党が一枚岩で選挙に臨めた。全国的な惨敗は真剣に受け止めている。
大石 厳しい審判だ。新しいもの(政治)に踏み込むことへの有権者の恐怖感、不安感をいかに取り除き、安心や期待に変えていけるかがポイントだったが、選挙本番に入り、期待より民主の政策への不安が多くなった。党マニフェストが一部で誤解のある表現で流れるなど、その中身を有権者に届けるのに手を尽くせなかった。戦略不足、手勢不足だった。全国的な圧勝は、自公政治への不満の上に民主党が無駄遣いの根絶、脱官僚主導政治などを提示し、今の時代に必要な考え方として理解いただいたものだと思う。
黒岩 比例四国の議席を維持でき、目標は達成した。梼原町で公明が比例第1党になるなど、前回より比例票が増えたのは、自公の選挙協力が一定実った結果だと評価している。3小選挙区の結果は、本県の経済などが厳しい状況にある中、有権者が地域代表を選ぶとき、経験や実力のある前職に期待したのではないか。
佐竹 自公政権の退場は歓迎すべき結果。共産党の全国で(改選前の)9議席確保は健闘と言えるが、四国で議席を獲得できず、県内比例票も約1万2千票減らした。客観要因としては小選挙区制の壁だ。自公への逆風が民主に集中し、マスコミも含めた政権選択キャンペーンの中、「政治を変えよう」という風が共産には逆に圧力にもなった。一昨年の参院選以降、集会などで党の全体像を理解してもらう努力をしてきたが、まだ道半ば。足りなかったとの反省もある。
今西 (比例、小選挙区含めた)四国での議席獲得が悲願であり、残念な結果となったが、自公政権に終止符を打てた。全国的にも(改選前の)7議席を確保できたことは大きい。県内小選挙区では民主3人をローカルレベルで推薦し、特に1区、3区は社民が前面に出て戦ったが、自公の壁が厚かった。
―自民独占を後押しした自公協力では、2、3区の公明の比例票は伸びる一方、1区では減っているが。
黒岩 自公協力は結果として成功したと思っているが、(1区で)現実的に減った部分は今後、分析する。
武石 (2、3区の)郡部では政権交代への不安が票の増加につながる一方で、無党派層の多い1区は、自公政権批判の強さが(そのまま)結果に表れたのではないか。
―民主県連は立て直しが急務だ。
大石 (有権者との)チャンネルを充実させる意味で、今後の選挙で多くの同志をつくり、地域の現場を知る仕組みを構築することが必要だ。県連が結束し、今回の結果を肝に銘じ、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の気持ちで取り組む。
5546
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:11:14
>>5545
今後の政局
―政権が交代し、特別国会が開かれ組閣人事に入る。予算の取り扱いも注目だ。
大石 マニフェストをいかに実現していくかが問われる。説明不足で県民に不安を感じさせた部分も、実行で解消しなければならない。政権公約を提示して選挙協力しており、連立協議も心配していない。本県は全国で唯一、民主党の衆院議員がいない県になってしまった。県連として本県の事情を伝えていく。来年の参院選が実行具合を測る物差しになる。それまでにいかに信頼を得るかが県連の宿題だ。
今西 参院は民主党が(単独で)過半数を占めておらず、野党共闘で社民は重要な位置にいた。政権にかかわる条件は党の基本政策が保障され、社民という政治勢力が弱くならないことがベース。重要な基本政策が違う政権に付いていくのは、かつての村山政権時のように一面では自殺的行為になりかねない部分もある。外交や安全保障、憲法など大きく違う面もあり、個人的には閣外協力がベターではないかと思う。
佐竹 新政権下では建設的野党の役割を果たす。良い点は協力。悪い点は反対、阻止。問題点はただす立場で臨む。自民党も破壊的野党にならず、私たちと適切に手を携えてほしい。後期高齢者医療制度の廃止や労働者派遣法の抜本改正、子育て教育支援は大いに協力する。しかし日米のFTA(自由貿易協定)は日本の農業に壊滅的打撃を加える。衆院比例定数の削減は世論を削ることになる。民主党は財界中心の政治、日米軍事同盟の最優先という枠を超えていない。共産党ならではの提言が必要だ。
黒岩 民主はマニフェストに財源も明確に示さないままだ。農業の戸別所得補償や高速道路無料化、子ども手当などがあるが、新聞報道では16・8兆円の財源に関して党の最高顧問が「そこまで触れなくていい。どうにかなるし、ならなければ『ごめんなさい』と言えばいい」と。国民も期待感を持って一票を投じたと考えられ、示した政策は責任を持ってやらなければ大変な詐欺的行為だと感じる。しっかり頑張っていただきたい。
大石 2年前の参院選で与野党が逆転して、いろんな問題が明らかになった。政権交代で本当の国の姿が明らかになる。今後の行動で評価をいただく。
今西 衆院比例の削減は政治が活力を失い民主主義に反する。高速道路無料化も受益者負担に反し、環境への負荷も大きい。財源とのバランスも含めて考えてほしい。
―自民は総裁選が控える。
武石 党再生には総裁選が重要な位置付けになる。派閥の力学では断じてやってはならない。党再生プランを争点にすべきだ。勢力が減った中から真に党再生のエッセンスをつくり、その輪を大きくするためにも新リーダーは重要。県連も党員個々の意向が反映できる予備選挙に取り組みたい。
―当選した自民党3氏が果たすべき役割は。
武石 高知県に与党衆院議員がいなくなる。当選した自公の議員は責任が大きい。政権運営の経験があり、力のある野党議員だ。自民党の大惨敗は中央集権的な分配の時代でなくなり、役目を失ったのが要因の一つ。民主党は分配型政権ではないと言うので、与党議員がいないから本県に分配がないとは論理的にならない。3氏は地元にいる時間を増やし、現場主義に徹して地方から政策を練り上げ、尾?ア知事とともに本県の実情を政権に訴える。野党100%の本県から地方分権の動きをつくりたい。
5547
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:11:30
>>5546
参院選対応
―来年の参院選にどう臨むのか。
大石 衆院選の総括と併せ、党県連の方向性をできるだけ早く示したい。党公認の独自候補を擁立するのが命題だ。衆院選2、3区で協力した現職、広田一氏を前回は推薦したが、党員ではない。これから広田氏と話し合いたい。
今西 総選挙が終わったばかりでまだ頭にない。少数政党なので衆院選では県内選挙区に候補者を立てられず、参院選も長く独自候補は立てていない。最近は民主党候補を推薦してきた。独自候補は厳しいだろう。
佐竹 参院選は「政権交代」一色にはならず、政治の中身が問われるはずだ。衆院選の反省を踏まえ、できるだけ早く候補者を決め、どう戦うか方向性を定めたい。来年早々にも見込まれる党大会に向け、意見を集約していきたい。
武石 参院は自民が2議席とも失っている。衆院選で一枚岩になれた県連の態勢を崩すわけにはいかない。一枚岩になれ、確実に議席を奪還できる候補を擁立しなければならない。前職も含まれるし、公募という方法もある。どういう方法で選定するか、まず党員に問い、年内にも決めたい。民主の政権運営を見極め、争点を明確にしていきたい。
黒岩 党代表も幹事長も落選し、党の立て直しが命題。参院選に向けた具体的方向性は、その後になる。従来通りなら、比例区に力を入れた取り組みになる。生活実感のある政治、信頼ある清潔な政治という二大政党にはない党公約を掲げ、政策を基本に臨むことになるだろう。(自公選挙協力は)自公連立10年で信頼感がつくられた歴史がある。それは大事にしていかなければいけない。
国と地方の関係
―民主党政権へ交代後の国と地方の関係をどう見通すか。
大石 全国で唯一、民主党の衆院議員がいない県だが、国政では政権を担う立場。地域の実情を知るためいろんなチャンネルを構築し、県民と意見交換の場をつくっていく。中央集権のひずみがいろいろな弊害を起こしている。地方が将来に向けて自立できる体制を目指し、他県連の2倍、3倍の努力をして国政の場に県の実情を訴えていきたい。
今西 今日までの地方と国の関係が、政治的にも経済的にも行き詰まってきた。三位一体改革や規制緩和で格差が生まれ、国民生活が疲弊し、財政を理由に福祉、教育、環境が切り捨てられた。政権交代をした今こそ、真の地方分権を確立し、地方の税財源の充実強化を進めなければならない。国と地方代表が協議する地方行財政会議の法制化が急務だ。
黒岩 公明党の地方分権の政策は、全国知事会から高く評価された。民主党政権で、地方分権がどう進展していくか注視したい。民主党の予算組み替えが県、市町村にどういう影響を与えるか、大勢の県民が懸念している。厳しい本県がさらに厳しくなることがないようにしてほしい。
武石 政権が代わっても、本県の厳しい財政、雇用への対策は継続しなければならない。県議会が7月に可決した大型補正予算がどうなるのか、今後の公共事業の在り方、暫定税率廃止、高速道路無料化が県に与える影響を憂慮している。日米自由貿易協定締結や補助金廃止が本県の農業をますます弱めるのではないか。力ある野党として、政権に物申していく。
佐竹 民主党政権に対して、良いことは推進、悪いことは反対、問題点はただすという姿勢で臨む。分権に関してはただすことが多くなるだろう。民主党は国の役割を外交、防衛、危機管理などに限定する方針だが、国が国民のナショナルミニマム(最低限保障すべき水準)に責任を果たせるのか不安だ。無駄削減と称して公共事業予算がなくなるのは、本県にとってとんでもないこと。地方分権については、道州制や強制的な市町村合併には反対していく。
(2009年09月06日付朝刊)
5548
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:46:01
http://www13.plala.or.jp/news21/shimen/0911_sp01.html
衆院選当選者に聞く/民主党県連代表・寺田学氏
今回の総選挙で、小選挙区の秋田1区から民主党で出馬し当選した寺田学衆議院議員(民主党県連代表)に、これからの動きなどを聞いた。(9月4日インタビュー)
■今回の総選挙の民主党の風について。
「民主党に支持が集まったというより、自民党がダメだということで、結果として民主党に票が集まったということでは。自民党への批判の受け皿になったということだと思う。私自身選挙中、追い風の実感はなかった。厳しい質問を受けたり、集会所を確保する際、民主党には貸さないというところも少なくなかった。秋田が強い保守地盤であることは、前回同様肌で感じた。地方議員の数を見てもわかるのでは」。
■これから国政で力を入れていきたいことは。
「秋田の地元が元気になるように、中央からの財源委譲など地方分権に力を入れたい。また、若者の雇用や社会保障についても地道に頑張りたい」。
■党内ではどのグループに属するか。
「菅直人氏に指導いただき、国政の今後についていろいろ話している。菅氏は今まで自民党に入ったことがなく、純粋さがあり、政権交代にぴったりする人。よく攻撃的だと称されるが、実際会うとそんなところはない。具体的に菅氏のグループに参加したのは、4年前の私の2期目の時からで、党の代表選以降」。
■野党から与党になるが。
「今までは与党を追及してきたが、今度は結果が求められる。後で言い訳したところで国民の厳しい審判が待っている。そういう点からも、今回の当選は前回の2期目とは違い、喜びよりも緊張感がある。重責を感じる」。
■2大政党制について。
「政権交代が可能な政治体制に今回なった。今回は民主党が圧勝したが、今後選挙が続けば次第に議席が落ち着いてくるのでは。政権交代が可能な政冶体制の中で、しっかり役割を果たしていきたい」。
■どういう秋田にしたいか。
「働くこと、老後、子育てが安心してでき、ゆとりがそこそこあるような県にしたい。のんびりした県民性で、自然などの豊かさを享受できるのは秋田の魅力。大事にしたい」。
■秋田2区の対応について。
「無所属で当選した川口博氏は、直接民主党に入党を申し込んできており、近々結論を出す予定。おそらく受諾する方向で決まるのでは(※9月5日、民主党県連常任理事会で入党了承)。党を離れて県連が定めた方向性とは別の候補を応援した方々については、軽々に入党を認める環境にはない」。
【続きは誌面で】
5549
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:49:31
明日への選択 第3部 政権の条件
(1)背水結束演出 危機は去らず
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/01.shtml
衆院解散から一夜明けた22日午前。兵庫7区の自民前職大前繁雄(67)は空路東京から戻ると、地元西宮市で支援者へのあいさつ回りに向かった。
「麻生さんも謝り、(反麻生の急先鋒(きゅうせんぽう)だった)中川(秀直元幹事長)さんも握手した。あれで『よし、やろう』という気になれた」
内閣支持率の低迷、大型地方選4連敗などかつてない逆風に、総裁選の前倒しを強く訴えてきた大前だったが、前日の両院議員懇談会に触れ、気持ちの切り替えを強調した。
ただ、それで危機感が和らいだわけではなかった。今年初めには、自身が理事長を務める学校法人による不透明な国有地取得が表面化。「道義的責任を感じる」などと議員辞職や立候補辞退の可能性にまで言及したことが、選挙に及ぼす影響も懸念されている。
発言の機会は与えられなかったが、懇談会で大前はある提案をしようと考えていた。「総総分離」。首相は麻生のまま、別の人物を党総裁に据えて選挙に臨もうという戦略だ。
「別に麻生さんが嫌いなわけじゃない。総裁が代わればご祝儀で政党支持率は必ず上がる。そんなおいしい手をなぜとらないのか。これまでもそう言ってきただけだ」
■
大前と同様、11区の自民前職戸井田徹(57)も両院議員懇談会後、麻生の下で戦うことに異を唱えなかった。
6月中旬、日本郵政の社長人事をめぐり、前総務相鳩山邦夫が「更迭」されたのを受け、「納得できない」と厚生労働政務官を辞任。昨年9月の党総裁選では麻生の推薦人に名前を連ね、政権誕生に貢献した戸井田だったが、鳩山とともに政権、そして党にも深いダメージを与えた。
「景気対策を最優先させてきた首相の方針は支持できる。あの(総務相更迭)判断だけが残念だった」。戸井田はそう批判のトーンを弱め、党内一致結束を訴えた。だが、行動を共にする鳩山からは「1人では何もできないので、いろんな方と相談する」と新党結成をほのめかすような発言も飛び出す。
■
前回、民主候補にダブルスコア以上で圧勝した9区の自民前職西村康稔(46)は、総裁選前倒しなどをめぐる党内の主導権争いとは一定の距離を置いてきた。解散翌日の22日も淡路島内を走り回り、支持者らに「政治刷新」や「世代交代」を強く訴えかけた。
「改革派の若手が連携し、先頭に立って自民党政治を立て直す覚悟だ」と西村。「民主の大勝なら大勢の“小沢チルドレン”が誕生し、党内から少なからず不満が出る。接戦なら、大連立とか新党結成の可能性もある」。その目は既に衆院選後の政界再編も見据えている。=敬称略
◇
自公政権が歴史的な大勝を収めた「郵政選挙」から4年。政権選択が最大の焦点となる衆院選が事実上、スタートした。未曾有の不況などに直面する今、この国の明日を託せるのはどの政党なのか。その条件とは何か。兵庫の現場から探る。
(総選挙取材班)
(2009/07/23)
5550
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:50:12
明日への選択 第3部 政権の条件
(2)反動ひずみ残す「小泉改革」
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/02.shtml
初当選した4年前から続ける朝の駅立ち。兵庫3区の自民前職関芳弘(44)は23日もJR須磨駅前で午前6時から約3時間、通勤客らに支持を訴えた。ただ、「自民」の2文字を口に出すことは一切なかった。
前回、党の公募で衆院解散の2日後、候補に選ばれた関。銀行員を辞めての挑戦だったが、「地盤も看板もないのに『郵政民営化に賛成、小泉改革を支持する』と訴えるだけで支援の輪が広がっていった」という。
しかし、今回は状況が180度異なる。政党色はできるだけ出さずに選挙戦へ臨む決意を固める。前面に打ち出すのも「小泉改革」ではなく、小選挙区での雪辱を期す民主前職土肥隆一(70)も意識した「世代交代」だ。
国土交通省の官僚から転身、2選を目指す1区の自民前職盛山正仁(55)も「今回は自分自身の実績を訴える。それを有権者に評価してもらいたい」と話す。
全国で80人以上もの「小泉チルドレン」を生み出した郵政選挙。自民への追い風は、4年で完全にその向きを変えた。
有権者の熱狂的な支持を得た郵政民営化に代表される元首相小泉純一郎の改革路線。だが、そのひずみはさまざまな所に現れている。
「三位一体改革」で計5・1兆円の地方交付税が削減され、悲鳴を上げる自治体財政。規制緩和による市場主義の徹底は都市と地方の格差を拡大させた、とされる。日本郵政の「かんぽの宿」売却問題は、前総務相鳩山邦夫と社長西川善文との確執という形で、麻生政権の足元を揺るがす事態にまで発展した。
今月上旬、神戸市を訪れた山口俊一首相補佐官は、県内の首長らとの対話集会で小泉改革を「画期的だったが、地方を疲弊させたことは間違いない」と総括。麻生政権による地方再生への取り組みをアピールした。
党内に高まる小泉改革の否定、路線転換を求める声にチルドレンの1人、6区の自民前職木挽司(50)は反論する。「ひとくくりに『負の遺産』とするのはおかしい。規制緩和推進は経済成長に欠かせない」
■
小泉政権の下などで構造改革の一環として推進された「平成の大合併」。兵庫県内でも21市70町(1999年度末)が29市12町に再編された。その陰で、自民の国政選挙を支えてきた保守系の市町議約500人が引退を余儀なくされた。
「地域に根ざした地方議員の存在が力の源泉だったが、それが崩れてしまった」と自民県連幹事長の五島壮(66)。逆風が強まる中、五島ら県連役員はこうした引退議員を訪ね、衆院選への協力を呼び掛けている。週明けに開く商業、建設業団体などとの会合の場でも支援を要請するという。
改革で崩れかけた支持基盤との関係は修復できるのか。大勝の代償が重くのしかかる。 =敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/24)
5551
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:51:37
> 民主がマニフェスト(政権公約)に盛り込む政権機構の構想概要が23日、明らかになった。政治主導の政策決定へ、各省庁に100人以上の与党議員を送り込むという。
> 小選挙区の民主公認候補は266人。このうち新人は兵庫の5人を含む111人と4割以上を占める。民主が衆院選に大勝、水面下の調整などに当たる委員会の筆頭理事にベテランを起用していくと、大臣や副大臣に新人ら当選回数の少ない議員を登用せざるを得なくなる。
>「新人を筆頭理事に起用すれば、国会が回らなくなる。優秀な新人であれば閣僚は務まるだろうが、ベテランたちがこれを受け入れることができるのか」
> 政策研究大学院大教授の飯尾潤は「民主の最大の弱点になる」と指摘する。=敬称略
明日への選択 第3部 政権の条件
(3)弱点新人4割、地盤に不安も
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/03.shtml
首都圏での公認候補回りの途中、民主党副代表の参院議員石井一(74)は車内から、兵庫5区の元職梶原康弘(52)の携帯に電話をかけ、一気にまくしたてた。
「相手(自民前職谷公一)陣営は選挙区内に張り巡らした組織網で地上戦を展開してくる。40日あれば何が起こるか分からない。風頼みの戦いはするな」
参院民主の総選挙対策本部長代理を務める石井は、大型地方選連勝や民主優勢を伝える報道各社の世論調査などで党内に漂う楽観ムードが気掛かりで仕方なかった。21日の衆院解散直後、党本部(東京)で公認証を受け取った兵庫の立候補予定者たちの高ぶったような表情も、そんな懸念に拍車を掛けた。
民主が有利と言われた4年前は解散直後、首相だった小泉純一郎の会見で風向きが一変、石井自身も強烈な逆風を受け議席を失った。だからこそ引き締めに躍起にならざるを得ない。選挙に慣れていない新人陣営には、サポート役として現職の参院議員を置くほどの念の入れようだ。
「世論調査に一喜一憂する前に1人でも多くの支援者と向き合い、急いで強固な地盤をつくり上げなければならない」
■
「気の緩み」とともに、不安視されるのが選挙を支える地方組織が、自民などに比べはるかに脆(ぜい)弱(じゃく)なことだ。
兵庫県の場合、県議や市議は神戸、阪神間などを中心とした都市部に集中。保守地盤とされるほかの地域では党所属の地方議員は数えるほどだ。「(支持団体の)連合の組合員がいないとポスター張りさえできない陣営もある」と県連幹部。後援会やサポーター党員の拡充も図るが、思うように進んでいないという。
今月5日投開票の県知事選では党方針に反して、「地方の事情がある」と県連独自で自公などとともに現職候補を推薦。政権交代を目指す衆院選を前にした与党との相乗りは、組織の足並みがそろっていない現状を浮き彫りにした。
■
民主がマニフェスト(政権公約)に盛り込む政権機構の構想概要が23日、明らかになった。政治主導の政策決定へ、各省庁に100人以上の与党議員を送り込むという。
小選挙区の民主公認候補は266人。このうち新人は兵庫の5人を含む111人と4割以上を占める。民主が衆院選に大勝、水面下の調整などに当たる委員会の筆頭理事にベテランを起用していくと、大臣や副大臣に新人ら当選回数の少ない議員を登用せざるを得なくなる。
「新人を筆頭理事に起用すれば、国会が回らなくなる。優秀な新人であれば閣僚は務まるだろうが、ベテランたちがこれを受け入れることができるのか」
政策研究大学院大教授の飯尾潤は「民主の最大の弱点になる」と指摘する。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/25)
5552
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:51:51
なぬ!?06年迄あったんかいな。
>会見が開かれた尼崎は94年の市長選で、「非自民・非共産」という兵庫独自の選挙協力方式「連合・5党協」(2006年に消滅)が発足した地でもある。
明日への選択 第3部 政権の条件
(4)軸足連立10年 迫られる総括
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/04.shtml
「よそから来た全く関係ない人に、尼崎の地を譲るわけにはいかない」
24日午後、JR尼崎駅前。公明党代表太田昭宏と並びマイクを握った兵庫8区の同党前職冬柴鉄三(73)は、こぶしを握りしめて声を張り上げた。
ほぼ同時刻、近くのホテルでは、参院議員から同区にくら替え立候補する新党日本代表の田中康夫(53)が記者会見を開いていた。会見には民主党代表鳩山由紀夫も同席し、田中推薦を発表。冬柴の言葉は2人への「宣戦布告」だった。
1999年10月、党幹事長として「自自公」連立政権発足に携わった冬柴。旧自由党が離脱した後も自公連立の要の役割を果たしてきた。一方で国交相当時、同省が道路特定財源でマッサージチェアなどを購入していた問題に、役所擁護の発言をし批判を浴びた。
そんな冬柴に民主は勝負を仕掛けた。白羽の矢を立てたのが長野県知事時代、「脱ダム宣言」で公共事業の在り方に一石を投じ、全国から注目された田中だった。
先月の同市議選で、公明は候補者を前回の当選者より2人減らして臨んだ。自民に恩を売り衆院選での協力体制を固める―。公明側の強い危機感が表れた「取引」だった。
■
「野党時代の公明は『国益』(を考える)という点で、足りない面があった。自民にも庶民の目線など欠ける部分があった。それを互いに補い、学び合ってきた」
今月から兵庫県内各地で自民、公明両党が開く合同国会報告会。衆院比例近畿ブロックに立候補予定の公明前職赤松正雄(63)は「自公連立」の意義をそう強調している。
公明は支持母体創価学会の強固な組織力で自民の選挙を支え、児童手当拡充を実現させるなど政府与党内で確実に発言力を増してきた。
一方で、自衛隊のイラク派遣など安全保障政策では譲歩を重ねた。支持者からは「平和の党として独自性を失った」との不満も漏れた。
■
民主の代表代行小沢一郎と公明代表太田との直接対決が取りざたされ、兵庫8区と並び注目された東京12区。24日、小沢の「国替え」は見送りが決まった。
田中の会見中、将来的な公明との連携の可能性を問われた鳩山は「(小沢が国替えすれば)公明との関係は決定的になっていた」と微妙な言い回しでかわした。会見が開かれた尼崎は94年の市長選で、「非自民・非共産」という兵庫独自の選挙協力方式「連合・5党協」(2006年に消滅)が発足した地でもある。
民主が政権を取った場合、公明は自民とともに野に下るのか。「すぐに自民との関係を解消することは信義上あり得ない」。公明兵庫県本部幹事長の野口裕(59)はそう断言した上で続けた。
「自民が分裂などでごたつけば、いろいろ考えなくてはならないだろう」=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/27)
5553
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:52:27
>2000年以降、3回の衆院選で兵庫6〜8区に候補者を擁立してきた社民も今回は、8区の新人市来伴子(31)に絞った。「党勢を考えると、ほかに立てられる状況ではなかった」と同党兵庫県連幹部。
兵庫の社民も衰亡著しく民主に収斂されるのももう少しかなぁ。。
宝塚市長の中川
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1069407561/1293
が変にパワーアップして戻ってくる危惧はあるけど。。
明日への選択 第3部 政権の条件
(5)存亡埋没回避へ続ける模索
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/05.shtml
衆院解散直前の19日、神戸・新開地の共産党兵庫県委員会で開かれた地区委員長会議。議題は1週間前に行われた東京都議選の総括と衆院選への展望だった。
「都議選の得票は前回(2005年)や07年参院選の都内での比例票を上回った。衆院選へ重要な足掛かりになる」
冒頭、同党県委員長岡正信が党中央委員会の見解を報告した。得票増は投票率の大幅上昇(前回比10・5ポイントアップ)が大きな要因の一つだが、岡は参院選比例票の約1・3倍と伸び率では民主を上回ったことにも触れ、「勢い」を強調した。
ただ、結果は改選前の13から8へと5議席の減。自民中心か、民主中心か―。衆院選の焦点「政権選択」が都議選でもクローズアップされ、存在はかすみがちだった。
兵庫では今月5日の知事選で、自公や民主県連などが推す現職と争った新人が、完敗ながら共産単独推薦候補として過去最多の得票を記録。だが周囲は、相乗りを嫌った民主支持や無党派層の「受け皿になっただけ」との見方が大勢だ。
ある共産地方議員は「衆院選は経験したことのない厳しい戦いになる」と覚悟を決める。
■
衆院選に向け共産は今回、これまで目標としてきた全小選挙区での候補者擁立方針を転換。「参院比例の得票率8%以上」、または「各都道府県で1人以上」を基準に擁立区を絞った。前回12選挙区すべてに候補を立てた兵庫は、神戸・阪神間の6選挙区に半減した。
一方、世界同時不況に伴う「派遣切り」で浮かび上がった非正規雇用問題への取り組み、格差社会やワーキングプア(働く貧困層)を背景とした「蟹工船」ブームに、県委員会幹部は「党勢拡大の好機」とする。目標は「比例近畿ブロックで4議席以上」「兵庫で比例票35万票」。
県内唯一の比例重複候補で3区に立つ新人金田峰生(43)は、与党批判票を取り込もうと、自民を支援してきた農業団体などへの接近を試みる。
■
2000年以降、3回の衆院選で兵庫6〜8区に候補者を擁立してきた社民も今回は、8区の新人市来伴子(31)に絞った。「党勢を考えると、ほかに立てられる状況ではなかった」と同党兵庫県連幹部。「党内の閉塞(へいそく)感を打ち破り、若い世代を含む幅広い層に受け入れられる人材を」と唯一の候補として、NPO法人で環境保護活動などに携わる市来を選んだ。
候補が未定だった民主党に協力を要請。社民県連代表の今西正行(70)自ら出身労組が同じ民主選対委員長の赤松広隆(61)を訪ね、擁立見送りを打診した。しかし、その望みも民主が推薦する新党日本代表、田中康夫(53)の登場でついえた。
「二大政党では拾うことのできない声がある」。そう訴える今西もまだ党浮上の戦略を描けていない。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/28)
5554
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:53:08
>>5549-5554
明日への選択 第3部 政権の条件
(6)世襲「政治参加」阻む足かせ
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/06.shtml
「ガンバロー」。約250人の出席者全員が拳を突き上げて叫んだ。20日、豊岡市内で開かれた兵庫5区の自民前職谷公一(57)の事務所開き。衆院議員を9期27年務めた元農水相の父洋一(82)も姿を見せた。谷のすぐ後ろには、地元選出の自民県議日村豊彦(56)が立っていた。
2003年の衆院選、洋一の引退を受けて、日村は立候補に強い意欲を見せた。しかし、谷との予備選に敗れ断念。4年前は県議を辞職した上、自民を離党、「地盤や知名度がないからこそ新しい政治がつくれる」と無所属で谷に挑んだが、落選した。
その後、県議に返り咲いた日村は昨年10月、復党。今回は自民の地元県議として谷の支援に回った。それでも自身も経験した、新たな人材の政治参加を阻む世襲への憤りは消えていない。
「同じ顔触れがいつまでも政治や選挙を仕切っている。党主体で人材発掘の仕組みをつくらないといけない」
■
共同通信の集計によると、8月の衆院選での「世襲候補」は自民が110人、民主は28人(今月21日現在)。兵庫は自民4人、民主1人の計5人がこれに当たる。5区に立つ民主元職の梶原康弘(52)は世襲ではないが、父は元参院議員。いわゆる2世だ。
27日に発表された民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)。「五つの約束」と題した項目の一つに、同一選挙区で3親等以内の親族の連続立候補を禁止する制限を盛り込んだ。
民主が世襲制限を公約に盛り込んだ背景には、「改革」を掲げた元首相小泉純一郎の次男後継指名や、世襲が3分の2を占めた麻生内閣に対する批判の高まりがあった。
一方、その自民も民主に対抗、選対副委員長の菅義偉を中心に衆院選の目玉公約にしようと調整に入ったが、党内から異論が噴出。6月、党改革実行本部が麻生首相に提出した答申書では、実施時期が明記されず、公募などの条件を満たせば世襲可能など“骨抜き”の内容にとどまった。
兵庫10区で3度目の挑戦となる民主新人岡田康裕(34)。自民前職の元文科相渡海紀三朗(61)は、父親の地盤を引き継ぎ、当選6回を重ねてきた世襲候補だ。ところが、岡田からは世襲批判は聞かれない。
「渡海さんが世襲なのは、この地域の人ならだれもが知っていること。あえて口に出す必要はない」と岡田は説明する。
■
「地方議員にも世襲や2世は多い。制限に手を付ければ途端に人材がいなくなってしまう」
元岩手県知事で総務相も務めた増田寛也は世襲制限に疑問を投げ掛ける。人材を呼び込むには、立候補の資格を広げる方が現実的という。
国政を任せられる人物なのかどうか。候補者の資質を判断するのは、有権者しかいない。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/29)
5555
:
a
:2009/09/12(土) 18:53:18
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5556
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:42:38
選挙中の記事ですが
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082100035&genre=A1&area=K00
Kyoto Shimbun 2009年8月21日(金)
変化の波 激震の「王国」
京都5区 09衆院選激戦区ルポ
「相手は背中まで迫っている」。自民党前職の谷垣禎一は衆院選公示翌日の19日、舞鶴市の漁港や農村を回った。舞鶴市は民主党新人の小原舞の出身地。小原の追い上げを肌で感じた谷垣は「民主党は米国と自由貿易協定を結ぶという。日本の漁村や農村を守れない」と切々と訴えた。
京都5区の有権者は約26万人。前回、谷垣の得票は約10万7千票で、民主候補に約5万票差で圧勝した。財務相として全国遊説で忙しく、地元入りは2、3日だけだった。それでも「保守王国」の強さをみせつけて9選を飾った。
だが今回、その余裕がなくなった。自民への逆風と、若さと地元育ちを前面に掲げる小原の挑戦。谷垣は「初心に帰る」を繰り返し、顔色を変える。山深く人影まばらな集落にまで足を運んでいる。
小原は20日、谷垣のおひざ元である福知山市の農村に入った。「構造改革で地方は見捨てられた。農家への戸別所得補償で後継者を育てる」。選挙カーから身を乗り出して手を振った。
昨年9月の立候補表明以降、小原は知名度を上げようと街頭演説を繰り返してきた。その集大成として公示1週間前の11日夜に舞鶴市で開いた集会には千人が詰めかけた。小原は「古里を元気にしたい」と声を振り絞った。
集会後、今度は福知山市内の病院に向かい、地元の医師有志数人と懇談。福知山医師会長の高尾嘉興の姿もあった。府医師会の政治団体「府医師連盟」は谷垣の推薦を決めたが、高尾は個人の立場で小原支援に回る。父の代から谷垣を支援してきたが「医師不足や交通網など何も変わらなかった」。
府北部で医療格差が広がる。京都府立与謝の海病院で脳神経外科医がゼロになり、丹後医療圏内ではどの病院も脳外科手術ができない深刻な事態に陥った。
この解消に向け共産党新人の吉田早由美は署名活動を展開し、外来診療再開の扉を開いた。20日、福知山市内に立った吉田は「安心できる社会保障が必要だ」。前回得票(約2万5千票)の上積みに躍起になっている。
元海上自衛官の小原は自民の堅い地盤とされる自衛隊関連の「防衛票」にも手を伸ばし、自衛隊OBでつくる府隊友会舞鶴支部に加入した。ある週刊誌に浴衣姿で挙手敬礼する姿が載った。
自民府連幹事長の多賀久雄は16日、舞鶴市内の海上自衛隊(海自)基地や官舎前で「海自のインド洋給油に反対する民主党に国防は任せられない」と演説をぶった。翌日、舞鶴市の事務所に海自OBら100人近くを集め、イラク派遣の「ヒゲの隊長」で知られる元陸上自衛隊福知山駐屯地司令の参院議員佐藤正久が支援を求めた。集会に参加した海自OBは「心情的には元隊員の小原。でも民主の政策では隊員の士気が下がる」と言葉を選んだ。=敬称略
5557
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:44:25
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082200107&genre=A1&area=S00
「郵政後」問い一騎打ち
滋賀2区 09衆院選激戦区ルポ
地元県議らとともに選挙区を回って支持を訴える候補者(米原市醒井)
滋賀県彦根市にある民主党前職田島一成の選挙事務所。公示日の18日夕、応援のマイクを握ったのは地元の郵便局長会長若林茂だった。「4年前を思い出してほしい。郵政民営化は地域の格差を生んだ」
同じ日、約1キロ離れた市内の事務所で、自民党前職藤井勇治は「ふるさとの発展に全力を尽くす」と訴えていた。前回、郵政民営化に反対して党公認を得られなかった小西理への「刺客」として送り込まれた藤井は、この日も「地域の代表」の立場を強調した。
滋賀2区は前回、前々回ともに自民系が分裂、田島が2連勝している。ただ、前回の藤井、小西の自民系の得票合計は9万7千。田島を3万票も上回っている。自民党候補が一本化された今回は、藤井と田島の事実上の一騎打ちとなる。
18日、藤井の出発式で彦根市選出の県議西村久子は藤井の傍らで、「地域のためには実績が必要」と訴えた。
前回は小西を支援し、藤井と対決したが、「党の大逆風の中で勝つには、分裂した票をまとめなければ」。小西を推すため一時離党した他の県議3人とともに、藤井の選対幹部に就任している。
同日夕、西村は後援会員と市内のスーパー前で「民主の政策はばらまき。時代に逆行する」と買い物客に訴え続けた。
藤井も、分裂した自民支持層をまとめるため300カ所以上のミニ集会を開催、トンネル付け替えなどの実績をこまめに訴える。国交相や地元首長を招いた6月の国政報告会では「地域振興には国政とのパイプ役が必要」と繰り返した。
その一方で、民主も着実に支持を広げている。国政選挙の比例得票(東近江市除く)は、田島が初当選した2003年衆院選では自民に約4千票差をつけたが、07年参院選では約1万票差まで引き離している。
地方議員数も大幅に増えた。党の公認や推薦を受けた県議はこの4年間で2人が7人に、市町議は32人が46人へ。田島は彼らの選挙戦で応援の前線に立ち、足元を固めた。
その一人、米原市選出の県議西川敏輝は20日、田島を先導し、藤井が地盤とする長浜市や米原市の農村部を回った。「ここでがっぷり四つなら、勝利がぐっと近づく」
長浜市選出の県議田中章五も16日、自民の勢力が強い市北部に足を運んだ。「高速道路無料化は疑問だ」と民主の政策を批判した住民には、駆け寄って「経済効果がある」と一つ一つ説明した。
2区では今回、前回約1万票を獲得している共産党が候補者擁立を見送っている。田島サイドは「われわれも暮らし重視の政策を重ねている。普通に訴えていれば、(共産票は)取り込める」と、「自公政権の打倒」を掲げる共産の支持増にも期待を寄せる。(敬称略)=おわり
5558
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:45:14
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082100032&genre=A1&area=S00
Kyoto Shimbun 2009年8月21日(金)
保守の牙城で攻防過熱
滋賀1区 09衆院選激戦区ルポ
保守地盤の固い高島市内を汗をかいて歩き、握手で支持を求める候補者(19日午前10時50分、同市マキノ町)
「国道161号バイパス全通を目指します」。19日朝の高島市。自民党前職の上野賢一郎は集まった約300人の支援者に、地元への貢献を約束した。
その8日前の11日夜、民主党前職の川端達夫も同市で、250人の支持者を前に「今回は高島でトップを取る」と決意を述べた。
高島市はかつて、閣僚を務めた故山下元利、故河本嘉久蔵ら自民党の大物議員を輩出した保守地盤の強固な地域。川端も過去4回の衆院選で自民党候補の票を上回ったことはない。前回の「郵政選挙」では上野に5千票差で敗北したが、うち3千票分は同市で引き離されている。
ただ今回は「政権交代」の勢いに乗り、自民の牙城を崩しての完全勝利を目指す。相手の地盤である同市に自ら足を運び、積極的な切り崩しをかける。
「お父さん、川端さん来てはるで」。6月下旬、田で草取りをしていた保守系の同市議会議長渡邊近治は、妻の声に驚いた。なんと、川端が立っていた。「当然、応援は拒んだが、『負けられない』という強い意気込みを感じた」。渡邊は警戒する。
川端は、2年前から高島市でそれまで行っていなかった後援会や労組の小集会をほぼ毎月開催。農業団体や医師会会員など保守支持層にもあいさつにまわっている。
自民党も手をこまねいてはいない。「高島での負けは、滋賀の保守地盤の崩壊を意味する」。上野を支える保守系市議、県議らの危機感は強い。
11日、小雨が時折ぱらつく蒸し暑い陽気の中、市議3人が上野の妻とともに支援者宅に足を運び、汗をふきながら約200軒を頭を下げてまわった。
議員1人が1千枚の選挙はがきを配布して支持の輪を広げるほか、個人演説会への動員も求め、結束固めを図る。合併で急減した保守系の地方議員の動員力を補うため、議員OB会を立ち上げた。
ただ、1区の大票田は、有権者の7割が住む大津市内。上野サイドは若手経営者らが新たに支援組織をつくって集会を開き、著名な党所属国会議員が駆けつけて街頭でアピールするなど、都市部の無党派層対策も進める。
公示日の18日夕、上野は知名度の高い党の参院議員とともに川端の地元・JR石山駅前でマイクを握った。しかし、上野が立ち去った30分後、川端が現れ、駅利用者らに「おかえりなさい」と頭を下げ続けた。
一方、共産党新人の川内卓は18日、JR大津京駅で「生活から安心と活力を奪った自公政治を退場させよう」と訴えた。自民、民主の争いに割り込み、党独自の政策を訴えて比例票の掘り起こしを狙う作戦だ。医療、福祉などの現場でも小集会を重ねる。
5559
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:46:02
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009081900092&genre=A1&area=K00
Kyoto Shimbun 2009年8月19日(水)
国政象徴 揺れる勢力図
京都1区 09衆院選激戦区ルポ
応援演説に駆けつけた党首と並び、繁華街で街宣車から支持を訴える候補者たち(18日午後6時半、京都市下京区四条河原町交差点付近)
衆院選が公示された18日午前。大阪市で第一声を放った民主党代表の鳩山由紀夫は、そのまま新幹線で京都に入った。支持者が待ち受ける京都市下京区の四条河原町交差点付近で民主新人の平智之を隣にして「平君とともに新しい日本の歴史をつくっていこう」。ガッツポーズで支持者を鼓舞した。
その6時間後、同じ場所に共産党委員長志位和夫が共産前職の穀田恵二と並んだ。「自公政権退場の大波を京都1区から起こそうではないか」。沿道を埋めた支持者の数は鳩山代表の街宣を上回った。
同じころ、自民前職の伊吹文明は派閥議員の応援から京都に戻り、中京区の選挙事務所で繊維業界の後援会の決起集会に臨んだ。「今までで一番厳しい選挙。お得意さん以外にも広めてほしい」
1998年に結党された民主は京都でも台頭してきたが、京都1区は小選挙区制度の96年以降、地方議員の数と後援会組織の分厚さで優位な伊吹が4回すべてを制してきた。
有権者は約38万人。前回、伊吹は約11万2千票を得て、民主候補(約6万8千票)、穀田(約5万5千票)を大きく引き離し、その力を見せつけた。
だが、今回は激しい逆風が吹く。「共産の参院指定席を民主が獲得し政界図を変えた」(連合京都幹部)というように民主が力をつけ、業界団体にも浸透を始めた。共産も全国唯一の「必勝区」と定め、選挙区での議席獲得に本気で挑もうとしている。
「経験したことのない厳しさを肌で感じている」。公示直前の16日午後の選対会議。ここでも伊吹は強い危機感を示した。出席した市議は「こんなに厳しい表情の伊吹さんは見たことがない」。猛暑の中、異例の街頭演説に3日連続立ち、各種団体役員を学区単位で訪ね歩いた。「いかに目減りを抑えるかだ。府議や市議が地道に回るしかない」。選対事務長で府議の田坂幾太は強調する。
平は18日夜、上京区の西陣織会館で演説会を開いた。西陣織物振興連盟は今回、伊吹だけでなく平にも民主1区候補初の推薦を出した。「身の引き締まる思いだ」と職人への支援策を訴えた。立候補表明から約10カ月。知名度ではベテランの伊吹、穀田に劣る。拡声器をかついで大通りから路地裏を歩き続けた。「強い伊吹さんの背中が見えてきた」。参院議員の福山哲郎も街宣車から平の名前を連呼した。
穀田は17日、比例近畿ブロックで1位にランクされた。だが、党はあくまで選挙区勝利を求める。共産は今回、小選挙区候補を半分に絞り、「必勝区」の候補に穀田を選んだ。衆院解散後には党幹部が続々と1区に入った。13日、書記局長の市田忠義は京都駅前のホテルに支援団体幹部を集め、「小選挙区の勝利が自公には痛打になる」と檄(げき)を飛ばした。府委員長の渡辺和俊は「伊吹さんが(票を)減らすのは間違いない。民主が抜け出るとも思わない。勝機はある」。国政の行方を象徴し、京都政界の主導権をかけた戦いが、激しさを増している。
5560
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:48:00
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090901-0002614.php
【激震11区 2009衆院選】(1)保守地盤に地殻変動
2009年09月01日 15時18分
自民が議席を失い、民主が圧勝した十勝の衆院選。「激震」が走る地元政経界の地殻変動を追った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
衆院選圧勝の翌朝、十勝大橋のたもとでつじ立ちする石川知裕氏
産業界 始まる駆け引き
「『王国』と戦う姿勢を示すために街頭に立った。このスタイルは変えない」
衆院選開票から一夜明けた8月31日の朝。民主党の石川知裕氏は圧勝の余韻に浸ることもなく、十勝大橋のたもとでつじ立ちを行った。「2代続いた王国は強固で決して崩壊していない」−。あくまでも「謙虚さ」を強調した。
自民党の中川昭一氏は開票日の夜、比例復活でも次点となり、「帯広、十勝、日本が心配。父親(故・一郎氏)や私がやってきたこと、やっていかなくはいけないことがある。恩返しするべく進んでいきたい」と語った。国政復帰に含みを持たせたものだが、後援会関係者は微妙に口を濁した。
衆院選で明暗が分かれた2人。今後の動向を政治関係者は注視する。
開票日の夜、議席を失い記者会見する中川昭一氏
中川氏の「出直し」支える組織に危機
当面の焦点は、中川氏の去就だ。当選8回、議員生活26年ながらも年齢は56歳。「政治家として脂が乗った年齢。まだまだ働いてほしい」と中川系の市議は語る。
ただ後援会内部の敗戦のショックは大きく、復帰の道のりは容易ではない。「(本人が)十勝8万戸の1軒1軒を自分で歩いて信頼を回復するくらい、人間が変わらないと周りは付いていかない」と後援会幹部は語る。
矢野征男選対本部長は「後援会組織は世代交代や組織自体の立て直しが必要。(年齢や立場が)自分たちのようなのが前面に出てはいけない」と一歩距離を置く。中川氏の地元後援会は、帯広連合(会長・岩野洋一帯広商工会議所前会頭)と、十勝連合(会長・有塚利宣十勝地区農協組合長会会長)がある。昨秋の役員改選を選挙後まで延ばしており、落選を機に幹部は辞任するとみられる。
今衆院選では後援会の弱体化・高齢化が明確となり、古参の支持者は「組織が瓦解している」と危機感を語った。バッジを外した中で、これまで支持基盤として固めてきた農業界や経済界と、どう関係を維持、再構築していくかが大きな課題だ。
石川氏と鈴木氏連合軍の強さ鮮明
保守系代議士不在のすき間を突きたいのが石川陣営。「十勝選出」の唯一の代議士となり、与党とのパイプを前面に出せば支持を拡大する好機になる。選挙期間中から政権交代への支持を示す建設会社も現れていた。「十勝を代表する企業とつながりのある地元の人材をブレーンに取り込みたい」と陣営幹部。駆け引きは活発化している。
十勝毎日新聞社が投開票日に行った出口調査によると、中川氏は前回票の約6割しか固めきれず、その一方で新党大地支持者の約75%が石川氏に投票した。比例代表の投票結果では民主・6万4992票、大地・5万1621票に対し、自民・6万2376票。石川氏と鈴木宗男氏(新党大地代表)の「連合軍」の優勢が鮮明となり、反中川の構図が浮かび上がった。
石川氏は保守層の基盤を構成していた経済界、農業界との関係づくりに関し、「耳を傾けてくれるのなら十勝の発展に協力しようと呼び掛けたい」と話す。
本名武氏、中川一郎・昭一氏と、半世紀にわたって守ってきた十勝の保守議席。保守系市議は「これまで基本だった保守の流れ、枠組みが根こそぎ変わった。今後の変化も想像しにくい」と漏らす。十勝の保守地盤は揺らいでいる。
(衆院選取材班)
5561
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:49:41
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1223878241/211
【激震11区 2009衆院選】(2)市長選 勢力図一変
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090903-0002630.php
【激震11区 2009衆院選】(3)パイプ役「未知数」
2009年09月03日 15時23分
当選にわいた石川知裕氏の選対事務所には管内町村長も続々と駆け付けた(左から高橋正夫十勝町村会長、石川知裕氏、竹中貢上士幌町長、勝井勝丸池田町長)
行政、経済界 続く暗中模索
「十勝経済を停滞させない」。衆院選開票翌日の8月31日、帯広商工会議所の高橋勝坦会頭は臨時の正副会頭会議を招集した。確認したのは中川昭一氏に代わり国政窓口となる石川知裕氏との対応。高橋会頭は「中川氏は国とのパイプ役として心強かった。石川氏は未知数」と、経済界と関係が薄かったことを示唆する。
故・中川一郎氏から続いた中央との太いパイプ。「十勝にお金を引っ張って来る人がいなくなるかも」、帯広商工会議所のある役員は不安を漏らした。
中川氏の電話で局長級が現れた
投開票日の夜、中川氏は落選決定後の記者会見で「十勝の事業はすべて私がやったと思っている」と語り、強烈な自負をにじませた。
保守系代議士不在だった釧路で過去数年間、実現した国の主要事業は釧路港の耐震・旅客船ターミナル整備などわずか。これに対し十勝はJAの農産物貯蔵・加工施設増設、高規格道路建設など枚挙にいとまがない。市内の経済人は「市長の陳情では役所の課長級だったのが中川氏の電話1本で局長級が現れ驚いた」と振り返る。
帯広の森屋内スピードスケート場のオープニング式典(8月30日)。来賓席に中川氏と石川氏の姿があった。屋内スケート場も中川氏には強い思い入れのある施設だ。2006年、自前整備に方針転換したものの財源手当てに苦心する市を、農水相だった中川氏が小坂憲次文科相の了解を取り付け、国交省に働き掛けて補助(都市公園事業)を引き出した。
ただ実績を認めつつ、一部の首長は中川氏に不満を募らせていた。中央要請で上京しても、時折不機嫌そうな態度で対応され、「あれはないだろう」と内心へきえきすることも。十勝町村会の高橋正夫会長(本別町長)は「石川氏はこれから何十年も頑張ってもらえる大事な宝」と語る。
清水町の高薄渡町長は「中川氏には比例で復活当選してもらいたかった」と強調。その一方で「石川氏には経済・雇用、社会保障、農業振興などの対策に関し住民の声をよく聞き中央で努力を」と、微妙なバランスを取る。
公共投資削減も仕事なくさない
実績がまだない石川氏は、地域の不安を解消するのが課題だ。民主はマニフェスト(政権公約)に「国出先機関の原則廃止」を盛り込んだが、帯広第2地方合同庁舎建設など地元共通の懸案処理に意欲を示す。削減を盛り込んだ公共投資に関しても「環境分野の土木事業など質を変えるべきだが仕事をなくすことではない」とする。
一連の言動・動きを受けて帯広建設業協会の萩原一利会長は、「北海道のインフラ整備は今後も不可欠。道開発局の存続も業界、地域の繁栄に必要と(石川氏を通して)中央に訴えたい」とする。
最近は秘書を務めた小沢一郎代表代行の政財界人脈を生かし、帯広空港のダブルトラッキング化に関して一部地元経済人らと水面下で意見交換もした。民主党十勝代表代行の池本柳次道議は「与党代議士として責任は重くなる。地域の思いを的確にくみ取れるよう本人も勉強しなければ」と語る。
新政権では行革は「行政刷新会議」、政策決定は「国家戦略局」に統括、族議員が発言力を持った自民党との違いを鮮明にしている。新しい政治環境の下、陳情体質が染み付いている十勝の行政、経済界の暗中模索は続きそうだ。
(衆院選取材班)
5562
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:50:12
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090904-0002641.php
【激震11区 2009衆院選】(4)しこり残した農業界
2009年09月04日 16時23分
公示前日に開いた「日米FTA」への反対集会。地区別で全国最大規模の集会は、民主との間にしこりを残した(8月17日、音更町のアグリアリーナで)
政策めぐり意識のズレ
「十勝農業を守るために中川(昭一)氏を応援してきた。農政活動は政治と農業の役割を確認すること。政権がどこになろうと時の与党としっかり政策協議を行う」
衆院選投票日翌日の8月31日、帯広市内の農協連ビル。十勝地区農協組合長会の会議の冒頭、有塚利宣会長が淡々と今後の運動方針を説明した。有塚氏は中川氏の十勝連合後援会の会長も務める。政変と停滞が許されない農業情勢を考えれば、こういう言葉しか見当たらなかったのだろう。
ひた隠した数字1戸900万円以上
8月17日に農業団体が中心となって開いた、民主党マニフェスト(政権公約)の「日米FTA(自由貿易協定)」に対する3000人規模の反対集会(音更町)。実質的に中川氏の応援集会で、JA系統の自民支持を鮮明に印象付けたが、ある参加者は「ちょっと露骨では」と胸中穏やかではなかった。
その不安は政権交代で現実になった。今後は民主党の石川知裕氏が政権・与党の窓口に。石川氏が政治の師と仰ぐ小沢一郎代表代行は農業団体の政治姿勢に否定的な姿勢を示し、FTA問題で攻撃するJAグループを「相手にする必要はない」とした。選挙が終わり、農業団体は戦々恐々とした思いでいる。
管内農業団体が中川氏を支持してきたのは、畑作、酪農・畜産が主体の十勝農業の特殊性・必要性を政権与党の中枢で訴えてきた実績にほかならない。
水田・畑作経営所得安定対策でも、小麦の手取り不足分が発生すれば「先進的小麦生産等支援事業」に全道で64億円もの予算を付け、その大半が十勝、網走に配分された。同対策では道内1戸当たり平均支払額が約530万円に対し十勝は900万円以上。他地区や農業者以外の批判を招きかねないと、農業団体はその数字をひた隠しにしたほどだ。
選挙期間中、農業団体は民主と自民の農業政策を比較するビラを回し、「民主の予算1兆円を販売農家戸数で割り返した1戸当たり交付額は63万円」「民主の農業政策は十勝農業を崩壊させる」と不安をあおった。中川氏も、民主が掲げた租税特別措置法の見直しで「肉用牛売却所得課税特例措置(通称肉免)」が撤廃されることを取り上げ、「農家の皆さんは本当に民主党でいいのか」と批判した。
しかし、農村部は中川氏に「ノー」を突き付けた。背景にあったのは水田・畑作経営所得安定対策をめぐる感情的な衝突。ある地区懇談会では「努力が報われない」とする出席者に対し、中川氏は「勉強していない」と怒るひとコマもあった。帯広市内の農家は「中川さんに対する不信感が充満していた。無条件で支援する系統と末端農家の間にも意識のズレがあった」と振り返る。
農家の声を吸い上げる仕組みを
民主批判は政権交代のうねりにかき消され、残ったのはあつれきだけ。戸別所得補償制度を前提に輸入自由化もいとわないとする小沢氏のスタンスは、道内農業団体が受け入れられるものではない。「小沢さんが元書生の石川さんの言葉にどれだけ耳を傾けるのか…」「上京しても(陳情に)行くところがない」。農業団体幹部は漏らす。
全十勝地区農民連盟の山田富士雄委員長は語る。「民主の情報がないから不安が広がっている。努力が報われ、最終的に自給率が向上する制度を設計するために農家の声を吸い上げる仕組みが必要。(現場も)陳情オンリーでは難しくなる」
(おわり、衆院選取材班)
5563
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 21:09:21
>>5558
川端は幹事長として臨んだ前回の衆院選で屈辱の比例復活でしたからねー。
> 高島市はかつて、閣僚を務めた故山下元利、故河本嘉久蔵ら自民党の大物議員を輩出した保守地盤の強固な地域。川端も過去4回の衆院選で自民党候補の票を上回ったことはない。前回の「郵政選挙」では上野に5千票差で敗北したが、うち3千票分は同市で引き離されている。
それでも今回も高島市では400票差で上野の勝ち,か。大津で3万票の大差がついたけど。
http://www.pref.shiga.jp/senkyo/syu-giin_sousenkyo/210830/toukaihyo.html
名前(党) 選挙区計 大津市 高島市
川端(民) *112,590 97,585 15,005
上野(自) **82,262 66,824 15,438
川内(共) **19,920 17,677 *2,243
対中(幸) ***2,037 *1,725 **312
5564
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/12(土) 21:52:09
>>5562
> 水田・畑作経営所得安定対策でも、小麦の手取り不足分が発生すれば「先進的小麦生産等支援
> 事業」に全道で64億円もの予算を付け、その大半が十勝、網走に配分された。同対策では道内1戸
> 当たり平均支払額が約530万円に対し十勝は900万円以上。
> 選挙期間中、農業団体は民主と自民の農業政策を比較するビラを回し、「民主の予算1兆円を販売
> 農家戸数で割り返した1戸当たり交付額は63万円」「民主の農業政策は十勝農業を崩壊させる」と
> 不安をあおった。
一方では「民主党の戸別所得補償には財源の裏付けのないバラマキ」と言っておきながら、
他方では「民主党の農業政策予算ではバラマキが足りない」と言っていたわけか。
5565
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:47:48
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0003.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】故郷での風向きは… 「首相・麻生太郎」初の地元入り
2009年08月12日 11:05
まとわりつくような熱気は、梅雨明けによる暑さのせいだけではなかった。
6日午後6時、福岡県飯塚市のイベントホール前広場には7千人(主催者発表)の人だかりができた。古里が生んだ「宰相」を一目見ようと集まったのか。建設業や農業など各業界団体関係者のほか、学生やお年寄りも目立った。
首相・麻生太郎として初めての「お国入り」。原爆死没者慰霊式のあった広島市から福岡県に入り、北九州市や古賀市を経由して飯塚市が5カ所目。この日最後の遊説地だった。
首相の到着を合図に、わき起こる「太郎コール」。遊説カーの上に首相が現れ、マイクを握ると、一瞬張り詰めた空気が漂った。最初にどんな言葉を発するのか、誰もが聞き漏らすまいとしているようだった。
「麻生太郎、帰ってまいりました」。首相は深々と頭を下げた後こう切り出した。「この飯塚から東京に(衆院議員として)送っていただき、ちょうど30年。内閣総理大臣にまで育てていただいた」。さらに演説の中で「ありがとうございました」と4度繰り返した。
昨年9月、自民党幹事長だった首相は、福田康夫前首相の後継を選ぶ党総裁選に出馬。「地元で決意を示したい」と飯塚入りした。4度目の総裁選で初の「本命」となり、後援会幹部との会合では「甲子園の決勝まで来た。断固優勝したい」と並々ならぬ意欲をあらわにした。
あれから約11カ月。「悲願」をかなえた首相を、地元は再び温かく迎え入れた。「いいぞー!」「頑張れっ」。演説中には激励の合いの手も飛んだ。だが、その雰囲気は「熱狂」とは微妙に違っていた。
「失言などで自民党への信頼を失わせてしまったのは私の力不足。おわび申し上げます」。神妙な顔つきで語る首相。聴衆の拍手の大きさが、かえって有権者と首相との隔たりをにじませた。
◇ ◇
政党力が揺らいでいる。特に日本の戦後政治をほぼ一貫して担ってきた自民党は、足元の集票システムが崩壊しつつある。18日の衆院選公示まで10日余り。果たして巻き返しは可能なのか。麻生首相をはじめ福岡県を地盤とする大物候補の“選挙戦”を追う。
●83年麻生氏落選 再起へ角栄流 動員力鳥肌立った
1979年の初当選以降、麻生首相の選挙の中核を担ってきたのは曾祖父・太吉氏が興した炭鉱を発祥とする地方財閥の麻生グループ。ひとたび選挙となれば、従業員やその家族が「集票マシン」としてフル回転した。
だが、首相が選挙区とした旧福岡2区は元来、革新基盤の強い土地柄。83年12月、首相は3度目の選挙で苦杯をなめた。選挙手法に迷いを感じていた首相が相談した相手は、「政治家になる前からほれ込んでいた」(首相の元秘書)という故田中角栄元首相だった。
7万5千票余りを獲得しながら2678票差で次点となったことを話す首相に、田中氏はこう諭した。「いいか。すべてを変える必要はない。変えなきゃならんのは2678票だ」
ロッキード事件で逮捕され保釈中の身にあった76年の総選挙で、2位の3倍以上の得票をたたき出してトップ当選した田中氏の言葉には説得力があった。首相は迷いを振り払い、今までの選挙活動をより一層強化した。
陣営には、麻生グループから延べ千人以上がスタッフとして送り込まれた。社員たちは市町村ごとに責任地区を振り分けられ、各後援会支部に張り付いた。ビラづくりを担当した元社員は「100万枚なら刷ってから配るまで3日あれば十分だった」と豪語する。
演説会など集会での動員も群を抜いた。飯塚市体育館での演説会には2千人を集めた。市中心部のバスセンター前で開いた演説会では、集まった人の多さに周辺道路が通行止めになったほどだ。
圧倒的な動員力に加え、企業や支援団体を締め付ける典型的な「自民党型選挙」。当時、麻生事務所の所長だった深町純亮さん(84)は「思い出すと今でも鳥肌が立つ。まさに『空前絶後』の選挙運動だった」と振り返る。
再起を期した86年の選挙で首相は13万4千票余りを獲得。2位の候補に3万6千票差をつけて圧勝した。
5566
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:48:12
■ ■
7月21日の衆院解散後、首相は事実上の選挙活動の第一歩に支援団体回りを選んだ。街頭に立ち、有権者に支持を訴えた民主党の鳩山由紀夫代表とは対照的だった。
「党総裁として有権者にアピールする方が先では」。自民党内から疑問の声が上がったが、首相に長く仕えた地元秘書OBは真っ向から反論する。「組織固めこそ自民党選挙の王道」。首相は7日も、福岡県農政連や同県の地場企業グループとの会合をこなす予定だ。
衆院選の前哨戦とされた都議選の大敗など、前評判では「自民劣勢」との見方が大勢を占める。だが、この秘書OBは「太郎さんは負けるなんて思っていない。イメージしているのは6区補選だ」と言い切る。
6区補選とは、現職死去に伴う2002年10月の衆院福岡6区補選のこと。期間中、党政調会長だった首相を含め延べ100人の国会議員が選挙区入り。首長や業界の締め付けも激しかった。結果、「落下傘」の自民新人候補が形勢を逆転、民主前職に2万3千票以上の差をつけて勝利した。
首相は最近、衆院選の事務方に自信たっぷりにこう指示している。「これからは、おれをどんどん接戦区に入れるよう予定を組め」
●上の言う通りになる時代じゃない ポスター机に放置
飯塚市内にあるビルの一室。首相の地元入りを伝える数日前の新聞を広げた運送会社社長は6日、しかめっ面でつぶやいた。「もう上の言う通りになる時代じゃないよ」。テーブルには、麻生首相の後援会入会用紙やポスターが数カ月も放置されたままだ。
社長には、業界団体や市議を通じて同日夕の首相の街頭演説会に参加するよう声がかかった。9人の社員にも話したが、うち4人には「今回は自分の判断で行動したい」と言われた。
自民党単独政権が続いた55年体制時代、後援会入会の依頼があれば、多くの同業者がすすんで名前を書いた。右肩上がりの経済。自民党を支持することは、見返りの利益につながった。
今、時代は様変わりした。財政ひっ迫や利害の多様化で業界団体ぐるみの組織選挙は失速。団体の支持も一辺倒ではなくなった。首相の陣営幹部は「昔は計算できた集会の動員数も今じゃできない。動員しても票になるわけじゃないし」と嘆く。
4年前、当時の小泉純一郎首相が九州最大の繁華街、福岡市・天神で行った街頭演説に集まったのは5千人(主催者発表)。小泉氏は聴衆を言葉で熱狂の渦にのみ込んだ。
7日、その天神に首相が立つ。
=2009/08/07付 西日本新聞朝刊=
5567
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:51:21
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】小泉演説から4年 首相、天神へ 「熱狂」には遠く
2009年08月12日 11:02
九州最大の繁華街、福岡市・天神。ひっきりなしに人と車が行き交う。気温32度を超える炎天下に響くセミの声が、都心の喧噪(けんそう)に拍車をかけていた。
7日午後1時半、天神の中心部にある福岡市役所前広場に、麻生太郎首相の声がこだました。「日本には底力がある。それを引き出すのは政治の力。政権ではなく、政策を選択してほしい」
首相は応援遊説のため1泊2日の日程で福岡県入り。6日は地元の飯塚市など5カ所で遊説を行った。1カ所につき約20分間、景気対策を中心に、首相就任後10カ月の実績を強調する内容。失言を恐れてか、首相の持ち味であるアドリブは影を潜めた。
この日も同じ路線を踏襲した。「普段の麻生さんの話より具体的で分かりやすい」。福岡市の会社員男性(28)は評価したが、拍手や掛け声はまばら。演説の様子をいちべつし、足早に通り過ぎる通行人も少なくなかった。
主催者発表によると、聴衆は5千人。4年前、小泉純一郎首相(当時)が近くの公園で行った街頭演説に詰め掛けた聴衆も、主催者発表で5千人。その会場にもいたという福岡市の会社員男性(36)はこう比較した。
「4年前も暑かったが、まさに『熱狂の渦』という言葉がふさわしい雰囲気だった。今回は明らかに熱気が違う。むしろ冷めたムードを感じた」
■ ■
その2時間前、首相は近くのビルで開かれた自民党福岡県連支部長・幹事長会議に出席。あいさつでは「福岡では広田弘毅先生以来72年ぶりに総理大臣を拝命した」と、「地元が生んだ宰相」とのアピールを忘れなかった。
街頭演説を行った広場から歩いて5分。林立する商業ビルの谷間に、静かなたたずまいの神社がある。天神という地名の由来にもなった「水鏡天満宮」だ。
鳥居にかかる石造りの額には、のびのびとした字で「天満宮」と記されている。書いたのは、首相が名を挙げた広田弘毅(1878―1948)とされる。戦前の36年、同県出身者として初の内閣総理大臣になった。
広田は、「ワンマン宰相」と呼ばれた首相の祖父・吉田茂と外務省の同期。福岡県出身者としてただ2人、日本の最高権力者に上り詰めた首相と広田には浅からぬ縁があるようにも見えるが、生まれ育った環境は好対照をなす。
●戦後の経済成長「誰のおかげか」 自身のルーツに重ね
貧しい石工の家に生まれた広田に対し、首相は「銀のさじをくわえて生まれてきた」(党幹部)と言われる。父・太賀吉が衆院議員、祖父が吉田元首相、高祖父は明治の元勲・大久保利通という政治家一族の血筋。さらに、曾祖父・太吉が興した炭鉱に端を発し、戦後復興、高度経済成長と歩を合わせるように一大地方財閥へと発展した麻生グループの資力が、首相の政治活動を後押しする。
麻生グループはエネルギー革命による石炭産業の衰退後、セメント事業に移行。多くの地場炭鉱が閉山となる中、「黒から白への鮮やかな転換」(首相陣営関係者)を成し遂げた。そこには、吉田氏の薫陶を受けた佐藤栄作元首相の助言もあったとされる。
現在はグループ全体で従業員約6千人。医療や教育、人材派遣の分野にまで事業を拡大し、年商は1400億円に上る。「地元では『昔は地下を掘り、戦後は山を掘り、今は人を掘っている』と言われている」。元飯塚市議はこう話す。
「今から64年前、この辺は丸焼けだった。それから今日まで、日本は何の資源もないのに世界第2位の経済大国にのし上がった。誰のおかげか。間違いなく、父母や祖父母のおかげでしょうが」
天神での演説で、首相が最も力を込めた場面。自身の立身出世の基盤となったグループへの自負心がのぞいた。
■ ■
この日、天神での街頭演説では首相の脇を固めるように、次期衆院選福岡1―3区に立候補を予定している遠藤宣彦氏、山崎拓氏、太田誠一氏の前職3人が並んだ。遠藤氏は元官僚、山崎氏は県議出身のたたき上げ、太田氏は元学者。「多彩な人材が自民党の強さとしたたかさを支えてきた」。県連幹部は強調する。
しかし、現在、自民党前職の3分の1は世襲。首相も父の地盤を即引き継いだわけではないが、その1人であることに変わりはない。2代続けて世襲議員の首相が1年で政権を投げ出した後を受けた首相は、自身と党に注がれる有権者の懸念を払拭(ふっしょく)できるのか。
首相の全国遊説は続く。
=2009/08/08付 西日本新聞朝刊=
5568
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:52:44
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】山崎拓氏 背水の駅前 冷たい逆風 肌に感じ
2009年08月12日 11:02
「今回は私がかつて経験したことがない厳しい選挙です。ぜひ助けていただきたい」
10日午前、福岡市内で開かれた後援会女性部の会議。自民党副総裁などを歴任し、党内第4派閥を率いる山崎拓氏(72)は150人の支援者を前に声を振り絞った。
この日の早朝、山崎氏は福岡市南区の西鉄大橋駅前に立っていた。
「お勤めご苦労さまです。今日も頑張ってください」。駅に吸い込まれる通勤客の列に、ひたすらマイクで呼びかけた。足を止める人はいない。それでもお辞儀を繰り返した。
「今までとはちょっと空気が違う。自民党への厳しく冷たい逆風だ」。公示前から朝立ちを繰り返す山崎氏は、肌でそう実感したという。
陣営は「背水の陣」を敷き決戦に臨む。
■ ■
大橋駅前に一緒に立った大橋商店街連盟の幹部(74)は言う。「(2003年の衆院選で)落選を経験してから、拓さんは地元をよく回っている。今回は民主党が人気だけど、力のある拓さんじゃないと地元に予算はもってこれん」
秘書たちが配布していた後援会会報には、15の地域課題がずらりと並ぶ。「天神地区水害対策の早期完成」「地下鉄七隈線の博多駅への延伸」…。山崎氏が選挙区の福岡2区向けにつくった地域マニフェストだ。
《私の目の黒いうちに、井尻駅の高架を成し遂げまして、西鉄福岡大牟田線が春日原まで一気通貫となるよう努力をいたしたいと思います》
《福岡市は活気のある街。県政、市政、そしてわれわれ国政がしっかり手を結び、地元のための政策を展開します》
これまでに行った街頭演説の内容は、得意の外交・安全保障政策ばかりではない。
「いまの官僚機構の中で、地域の要望を通すには有力政治家が必要。山崎拓なら、こんなことを実現できるとアピールしたい」。系列市議は、あえて“利益誘導”を強調する狙いをこう明かした。
●規制緩和「企業選挙」に限界 地域密着が力の源泉
「山崎拓」の名前は、福岡市内の至る所に根を張っている。
都市高速道路、地下鉄、港湾整備…。「人工島の耐震岸壁計画のため東京事務所に陳情に行くと、山崎先生はその場で国交省の幹部に電話を入れた。事業が採択されるまで、ものすごくプッシュしていただいた」。福岡市元幹部(60)は中央官庁とのパイプの太さを思い知ったという。
大型事業に限った話ではない。「商店街のサンドーム(天井)は拓さんのおかげで助成金がついたと聞いた」と話す下着店経営の女性(50)。「どこにお願いしても駄目だったが、事務所に相談したら、消火設備に国の補助金が下りるのを支援してくれた」という医療関係者もいる。
地元発展のため公共事業誘致や予算獲得に奔走する国会議員と、見返りに投票する有権者。1年で人口の10%前後が入れ替わる都市型選挙区で、12回も当選を重ねてきた山崎氏の力の源泉は、こうした地域との蜜月関係にある。
5569
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:53:13
■ ■
大橋駅前に一緒に立った大橋商店街連盟の幹部(74)は言う。「(2003年の衆院選で)落選を経験してから、拓さんは地元をよく回っている。今回は民主党が人気だけど、力のある拓さんじゃないと地元に予算はもってこれん」
秘書たちが配布していた後援会会報には、15の地域課題がずらりと並ぶ。「天神地区水害対策の早期完成」「地下鉄七隈線の博多駅への延伸」…。山崎氏が選挙区の福岡2区向けにつくった地域マニフェストだ。
《私の目の黒いうちに、井尻駅の高架を成し遂げまして、西鉄福岡大牟田線が春日原まで一気通貫となるよう努力をいたしたいと思います》
《福岡市は活気のある街。県政、市政、そしてわれわれ国政がしっかり手を結び、地元のための政策を展開します》
これまでに行った街頭演説の内容は、得意の外交・安全保障政策ばかりではない。
「いまの官僚機構の中で、地域の要望を通すには有力政治家が必要。山崎拓なら、こんなことを実現できるとアピールしたい」。系列市議は、あえて“利益誘導”を強調する狙いをこう明かした。
●規制緩和「企業選挙」に限界 地域密着が力の源泉
「山崎拓」の名前は、福岡市内の至る所に根を張っている。
都市高速道路、地下鉄、港湾整備…。「人工島の耐震岸壁計画のため東京事務所に陳情に行くと、山崎先生はその場で国交省の幹部に電話を入れた。事業が採択されるまで、ものすごくプッシュしていただいた」。福岡市元幹部(60)は中央官庁とのパイプの太さを思い知ったという。
大型事業に限った話ではない。「商店街のサンドーム(天井)は拓さんのおかげで助成金がついたと聞いた」と話す下着店経営の女性(50)。「どこにお願いしても駄目だったが、事務所に相談したら、消火設備に国の補助金が下りるのを支援してくれた」という医療関係者もいる。
地元発展のため公共事業誘致や予算獲得に奔走する国会議員と、見返りに投票する有権者。1年で人口の10%前後が入れ替わる都市型選挙区で、12回も当選を重ねてきた山崎氏の力の源泉は、こうした地域との蜜月関係にある。
■ ■
「景気が上向いてきたのは、まさに現政権の政策のおかげ。厳しい選挙といわれているが、正義は勝つ」
今月3日、福岡市の九州電力本店で開かれた激励会。山崎氏の「企業選挙」を事実上取り仕切る松尾新吾・九電会長(71)は、幹部社員と取引先企業の500人を前に声を張り上げた。
「七社会」と呼ばれる地場大手企業のトップ級が後援会長に座り、400を超える業界団体が支援に回ってきた自民党の組織選挙。「中選挙区時代は、2―3人の自民候補の中で、最も苦戦している候補に集中的に票を回すことができるほど財界の力は強かった」と秘書は振り返る。
企業にとって「霞が関」ににらみが利く自民党は今も昔も頼りになる存在。小選挙区になっても、政権与党の空白区になることだけは避けたい、との思惑が経営者側の背中を押してきた。
だが、規制緩和により企業が官庁の顔色をうかがうことも減った。「(国全体で年間)80兆円あった建設投資は50兆円に減り、たまに仕事があっても一般競争入札。自民党を支援する恩恵は感じなくなった」。建設会社幹部は本音をこう打ち明ける。
●事務所応援社員 くじで決定 投票は個人の意思で
2000年から独占市場の自由化が進み、料金引き下げが認可制から届け出制に移行した電力業界も同様だ。「昔は与党を応援することに義務感があった。でも、最近はお付き合い。そう、部下に酒をおごるような」。九電OBは「政治家−官庁−企業」の力学の変化を実感していた。
「後援会事務所に応援に来てもらえませんか」。九電本店に、山崎氏の事務所から“ボランティア派遣”の要請が来たのは7月末のことだ。
九電が派遣するのは、民主党を支援する労組に配慮して、課長級以上の幹部社員。ある部署は指名し、別の部署はくじ引きで該当者を決めた。延べ約70人。今月中旬から投票日前まで12日間、公休を取って事務所に詰め、支持者カードをもとに電話をかける。
事務所に行くことになった幹部社員は苦笑し、こう言い切る。「決まった以上は行く。でも、こんなやり方がいつまでも通用するとは思えん。どこに投票するかは自分で考えるよ」
「個人」の意思が尊重され、企業への忠誠心も薄れゆく時代。そんな時代の波が、自民党の足元を削る。
=2009/08/11付 西日本新聞朝刊=
5570
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:54:47
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090825/20090825_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】太田元農相 農業地域で熱弁 揺らぐ地盤に危機感
2009年08月25日 13:47
「(民主党は)アメリカとFTA(自由貿易協定)を結ぶと言っている。アメリカの輸出品の中心は農産物であり、そうなれば日本の農業にとって死活問題になる」
11日夜、自民党前職の元農相太田誠一氏(63)は、福岡県前原市の伊都文化会館で約400人の聴衆に訴えかけた。
次期衆院選で福岡3区に立候補を予定する4人のうち3人が出席した公開討論会。「景気対策」「年金」「安全保障」など6分野で、事前に決められた各分野の持ち時間はそれぞれ1人4分間。太田氏は「農業・食料自給率」で民主党の政策を批判する一方、糸島地区の先進的な農業を絶賛した。
前原、志摩、二丈の1市2町を指す第1次産業地域「糸島」は、落選した2003年選挙でも民主党候補を上回る票をたたき出した、太田氏のホームグラウンド。「身ぶり手ぶりを交えて糸島の農業を持ち上げたのは、足元が揺らぐ危機感の裏返しでは」。討論会に参加した会社員男性は、こう受け止めた。
■ ■
父は元博多大丸会長、伯父は元衆院議長、義父は元福岡県知事の故亀井光氏。経済学者から政治家に転身した当初は「農業なんて全然分からない『御曹司』だった」(元JA糸島幹部)。
旧福岡1区への出馬に際し、亀井氏は親密にしていたJA糸島組合長の県議とともに、甘木・朝倉、糸島、粕屋の農村部を「息子を頼む」と行脚したと伝わる。元衆院議員の故森田欽二氏が築いた“農業人脈”を引き継いだ太田氏に、JA福岡中央会の花元克巳会長(77)はこうハッパをかけた。
「福岡県の『農業担当』になれ」
1980年の初当選以来、太田氏はその言葉通り「農政通」を目指した。「官僚の言いなりにならないよう勉強した」とも胸を張る。昨夏の農相就任は、太田氏を支えてきた農業関係者にとっても悲願だった。
昨年8月30日夜。太田氏の農相就任を祝おうと、古くからの有力支持者約10人が福岡市中央区の料亭に集まった。
「大臣はまだやりたいことを遠慮している」。同席した秘書官の冗談に、太田氏は「そうかなあ」と笑いながら上機嫌で杯を傾けた。出席者は「やる気に満ちあふれていた」と振り返る。
その20日後、汚染米問題と「消費者がやかましい」との失言で引責辞任する事態になるとは、誰も想像していなかった。
× ×
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:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:55:25
●盤石の農業票 足で固め 炎天下、現場に学ぶ
前JA糸島組合長で、糸島地区後援会長を務める田中久俊さん(78)は、太田氏の“指南役”の一人。1994年、大渇水が糸島に甚大な被害をもたらした際、作業服に長靴姿で視察に回る太田氏の姿が目に焼きついているという。
炎天下の二丈町。ひび割れた田んぼの稲に、井戸水をまく農家の男性がいた。真意を問う太田氏に田中さんは説明した。「焼け石に水でもシャワーを浴びせてやりたい。農家にとって稲は息子なんですよ」。太田氏は黙って何度もうなずいた。
昨夏の農相就任会見で太田氏がぶちあげた「カロリーベースで食料自給率50%」の目標も、「勉強」の延長線上にある。ミャンマーを訪問した田中さんは、現地で「日本はコメと油を断たれればおしまい」と言われ、衝撃を受けた。戦中戦後の食料難を知る田中さんは帰国後、太田氏に口酸っぱく自給率アップを進言した。
ガットの新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)で、当時の細川連立政権が受け入れたコメのミニマムアクセス(最低輸入量)。「太田さんは最後まで反対し、党罰を受けた」と県農政連糸島支部前委員長の井田磯弘さん(71)は明かす。
農村を固めた太田氏の当選回数は、順調に伸びていった。
■ ■
盤石の農業票に異変が生じたのは、自民党が大敗を喫した2007年夏の参院選だった。
一定規模以上の農家に支援を集中する方向に政策転換したことで、「小農切り捨て」との不満が噴き出した。JA福岡中央会関係者は「『米価の下落を防ぐ』と言われて減反などを受け入れてきたのに、価格は1回しか上がらなかった。仕組みのおかしさに気付き始めた」と解説する。
糸島も例外ではなかった。自民党候補が獲得したのは約1万7800票にとどまり、民主党候補に約1000票差で初めて負けた。
JA糸島幹部は「その流れは今、さらに加速している」と言う。安定しない所得、後継者不足、耕作放棄地の増加…。農業をとりまく環境は年々厳しさを増し、今年は集中豪雨と日照不足の影響で糸島の作況指数予想も厳しい。
民主党が打ち出した「戸別所得補償」が農家の心を揺さぶる。
× ×
●農相辞任、失言で逆風 「農家の思い理解せず」
衆院解散直後の7月23日、糸島と福岡市の農政連幹部合同会議。「糸島の票のとりまとめが厳しい」との報告に、長い沈黙が続いた。
ある出席者は「表だっては誰も言わないが『一度民主党にやらせてみよう』との空気がかなりある」と打ち明ける。
太田氏個人には、農相辞任と失言の逆風も吹く。長年の支持者だった60代の農業男性は今回、民主党元職の藤田一枝氏(60)に投票するつもりだ。「自民党の農業政策がどうのこうのという前に、あの失言にあきれている。農家の思いを全く理解していない」
今月5日、花元さんはJA役職員による太田氏の激励会で力を込めた。「この30年、自民党、太田氏と一緒にやってきた。最後までやらざるを得ない」
一方、元JA糸島幹部は自民党を支持してきた理由を問われ、こう答えた。
「自民党が与党だったから。与党じゃないと、農家が求める要望や政策を形にしてもらえないじゃないですか」
=2009/08/12付 西日本新聞朝刊=
5572
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:55:56
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090813/20090813_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】古賀誠氏「道路族」前面に 声高に功績並べ
2009年08月13日 20:44
白いスーツ姿の歌手松山千春さん(53)が壇上に上がると会場は支援者集会とは思えないほど華やいだ雰囲気に包まれた。
12日午後2時半、福岡県大牟田市の大牟田文化会館大ホール。自民党前職、古賀誠氏(69)の「女性の集い」に駆け付けた松山さんは約1時間、約1500人を前に毒舌を交えつつ古賀氏を持ち上げた。
「そりゃいろいろ言われるよ。誠橋、誠道路、インターチェンジまで造ってさ。これが利益誘導だって言うけど、こんなことができない一山幾らの国会議員を出してどうするの」
松山さんはヒット曲を歌い、最後には「古賀誠の力になって下さい」と壇上で土下座のパフォーマンスまで披露した。
続いて登壇した古賀氏は、打って変わって落ち着いた口調で話し始めた。「橋を造れば誠橋、道を造れば誠道路。仕事をすれば誹謗(ひぼう)中傷の嵐だった。しかし調べてもらえば分かるが、皆さん方に恥じる行為は一つも致してない」
地元・福岡7区で建設され、「誠橋」とも呼ばれる朧(おぼろ)大橋、九州新幹線の駅設置、大牟田市から大川市まで延びる有明海沿岸道路の延伸…。「税金の無駄遣い」との批判が強い中、自身の「功績」を並べ立てた。インフラ整備の必要性を語る口調は、少しずつ声高になっていった。
「私は皆さん方から育てられた国会議員として、古里へのご恩返しとして次の世代に必要な基盤をつくる。何と言われようとつくる」
■ ■
7月22日夜、東京都内の料亭。有明海沿岸道路の延伸を国土交通省に陳情するために上京した福岡県の大牟田、みやま、柳川、大川の4市長に対し、古賀氏は余裕たっぷりに語りかけた。
「あす国交省に行く必要はないですよ。局長を呼ぶから、僕のところで済む」
翌朝、国会議員会館にある古賀氏の事務所に行くと、既に道路局長が呼ばれていた。「沿岸道路を佐賀空港に延ばすまで、局長をしときなさい。君の責任だよ」。4市長を前に道路行政のトップに念押しする古賀氏の様子を、その場にいた一人は生々しく証言した。
●九州新幹線 地元に新駅も 「次」期待し応援続々
1980年に初当選した古賀氏は、故宮沢喜一元首相など官僚出身者が多く、当時「公家集団」とも言われた派閥・宏池会に身を置いた。
建設政務次官、衆院建設常任委員長、運輸大臣と着実に階段を上がり、建設・運輸の「族議員」として足場を築く。2001年には自民党道路調査会長に就任し、「道路族のドン」の地位を確固とした。
その影響力を示すエピソードの一つが、古賀氏の地元で建設中の新幹線鹿児島ルート「筑後船小屋駅」。当初構想にはなく、04年に追加された。久留米、新大牟田の両駅からの駅間距離はわずか十数キロ。地元では「政治駅」と揶(や)揄(ゆ)される。
昨年秋に駅名を決める際、地元・筑後市がこの5文字の駅名を希望したのに対し、JR側は渋った。「5文字の駅名だとコンピューターシステム代が数億円高くつく」。困った桑野照史市長は古賀氏に陳情。2日後、桑野市長の携帯電話が鳴った。「話が付いたよ」
古賀氏を頼るのは地元だけではない。昨年、佐賀県の古川康知事たちは地元で古賀氏を「応援する会」を結成した。九州新幹線西九州ルート着工に伴う並行在来線の運行維持問題を解決してもらったことへの「恩返し」だという。年明けには古川知事や沿線自治体の佐賀、嬉野、武雄各市長、有力県議が交代で古賀氏の地元集会に足を運び、熱弁をふるった。
「佐賀の国会議員は頼りにならん。頼りは古賀先生だけ。こぎゃん恵まれた選挙区(7区)はない。うらやましかぁ」
熱弁には佐賀県内での沿岸道路の早期延伸などへの期待も透ける。
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:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:56:41
●誰のおかげで仕事あるのか 「未来のため」後付け
4年前の前回衆院選。大牟田市で土木業を営む男性は、古賀氏の選挙事務所を出入りする高級車に目がくぎ付けとなった。ナンバーを見ると同業者の社長の愛車だが、運転者は見ず知らずの選対関係者。業者が車まで貸す選挙戦に驚いた。「聞いてはいたが、こんな協力までしているのか」
この男性は選挙が近づけば、パーティー券を購入した。朝礼や集会への動員要請はざら。会場では動員数がチェックされ「踏み絵を踏まされているようだった」とも言う。耳にイヤホンマイクを付けた知人の同業者が集会場で古賀氏に付き添い、ガードする姿を見たこともある。
「三池炭鉱の閉山後、大きな産業はなく地域は悲鳴を上げている。公共事業は不可欠」。40代の建設会社社長は、今回も支援者回りなどで古賀氏の選挙を手伝う。同社は有明海沿岸道路や九州新幹線の土台部分の工事に加わった。
■ ■
だが、沿岸道路や九州新幹線の整備工事をめぐって、地元の中小建設業者には不満がくすぶる。「この数年間で1500億円が地元に落ちる」と言われながら、孫請けにも入れないからだ。
宮崎県などの知事たちが逮捕された事件で談合防止策も厳格化された。「公共事業は安値入札の撃ち合いばかり。選挙に人を出せる余裕などないよ」。ある社長は中小業者全般の苦境をこう代弁し、業界全体の“体力”低下を指摘する。
4年前の選挙中、業界の集会に参加した土木業の男性は、古賀氏周辺から飛び出した言葉に耳を疑った。「今まで誰のおかげで仕事をもらっているんですか」
男性はその後、会社の受注を民間工事中心にシフトさせた。今回は民主党新人の野田国義氏(51)を支援し、リーフレット配布などを手伝っているという。
「国や自治体が膨大な借金を抱える中、さらに借金を増やしてまで公共工事を推し進める時代じゃない。将来地元が栄えるためと言われてもね。(公共事業を進める)後付けの理由でしょ」
=2009/08/13付 西日本新聞朝刊=
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:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:03:15
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090814/20090814_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】高齢化、細る遺族会 「会長やけん落とせん」
2009年08月14日 13:28
夕空にニイニイゼミの鳴き声が響き、足元に敷きつめられた玉砂利から昼の余熱が立ち昇る。
お盆の入りの13日午後7時すぎ、福岡県みやま市の山川中学校で開かれた市遺族会山川支部の戦没者慰霊祭。自民党前職、古賀誠氏(69)が校庭の片隅にある忠霊塔に一礼した後、あいさつに立った。「残念なことに戦後生まれの方々が75−80%になってしまい、愚かな戦争がどんどん風化しようとしている。わが国の平和を永遠に語り継ぎ、戦争を繰り返さない国を残すことが大事です」
約30人の参列者は、ほとんどが70−80代。用意されたパイプいすは空席も目につく。古賀氏は続けた。「国民一人一人が心を一つにして古里を守り、平和の尊さを次の世代にしっかりと語り継いでいきたい」
式典終了後、古賀氏が手押し車のおばあさんに声をかけた。「元気にしとるね」。彼女が「80歳を超えました」と答えると、傍らの息子が続けた。「まだ選挙には行けます。大丈夫です」
みやま市出身の古賀氏は2002年、戦争遺児として初めて日本遺族会の会長に就任した。
会場を回る古賀氏と握手を交わした70代後半の男性は、人の輪を離れると自らを鼓舞するように力を込めた。「私らの会長やけん、絶対に落とせん」。さらに、こうつぶやいた。
「それにしても(慰霊祭に参加する)人が少のうなったなあ」
■ ■
古賀氏が4歳のときに父がフィリピン・レイテ島で戦死。母がリヤカーで行商をして子どもたちを育てた。かつて、政治家を志した動機を聞かれ「生活苦を訴える手紙を政治家に送る母を見て、『政治とは生活だ』と実感した」と答えている。
自民党に強い逆風が吹くなか、古賀氏はかつてない頻度で地元に帰り、ミニ集会を重ねている。そして、戦争遺児の悲哀を語りながら、選挙区内のインフラ整備を「古里への恩返し」と言い切り、情と利に訴えかける。
●大平首相「君は何もないね」 「貧と苦」糧に中枢へ
古賀氏が国会議員秘書を経て初めて国政に挑んだのは、30年前の1979年。4中選挙区に分かれていた福岡県で、そろって初出馬したのが麻生太郎首相(68)と太田誠一元農相(63)だった。
3人一緒に首相官邸へあいさつに行ったとき、大平正芳首相(当時)は古賀氏の経歴書を見ながら言った。「君は何もないね。何もないじゃないか」
麻生氏は吉田茂元首相の孫で地方財閥の御曹司。太田氏は経済学者で福岡県知事の娘婿。身構える古賀氏に大平首相は続けた。
「でも君は、一番の財産を持ったじゃないか。貧と苦だよ。政治家にはこれが必要なんだ。おやじを戦争で亡くし、貧乏で育った体験を国政にどう生かすかだ」
大平首相の助言通り、古賀氏は「貧と苦」を語り、豊かさを実感できる国造りを掲げた。地元遺族会の全面支援を得て9期連続で当選。運輸大臣、党国対委員長、幹事長、派閥の領袖と国政の中枢へ駆け上がった。元秘書は「古賀さんには運の強さとすばしっこさがある。学閥も地盤も看板もなく、そうでなきゃ生き残れなかった」と振り返る。
加藤紘一元幹事長(70)が当時の森喜朗首相降ろしに動いた2000年の「加藤の乱」では、“兄貴分”と慕っていた加藤氏と土壇場で袂(たもと)を分かった。4年前、郵政民営化関連法案の衆院採決の際は、法案反対の動きを見せていたが、採決直前に退席して「棄権」。離党勧告処分を免れた。
ひとすじにつらぬく‐。長く古賀氏を支援し、今回は民主党新人の野田国義氏(51)を推す60代の男性は、古賀氏のキャッチコピーを皮肉り「権力の中枢を目指す姿勢だけは貫いてきた。今回も選挙直前に選対委員長を辞めた」と手厳しい。
5575
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:03:58
■ ■
今月9日、野田氏の出身地、福岡県広川町で遺族の集いが開かれた。
集まった70人ほどを前に、古賀氏の陣営幹部が頭を下げた。「かつてなく厳しい選挙。1票でも多くお願いします」。遺族会の役員が続けた。「まずは足元を固めんと。みなさんの奥さんや息子さんは大丈夫ですか」
終戦から64年。古賀氏の選挙戦を支えてきた遺族会の平均年齢は80歳前後。ある遺族会役員(74)は「息子から下は遺族の意識が薄い。選挙しか会をまとめる機会はなか」と話す。
気温30度を超す猛暑が続くなか、遺族会役員は選挙区内約7000人の支援者を一軒一軒回っている。
●東国原氏擁立騒動が影 慰霊祭欠席 失望の声
ただ、一枚岩に見える遺族会に、東国原英夫・宮崎県知事(51)の擁立騒動が影を落とす。
沖縄戦「慰霊の日」の6月23日。毎年、日本遺族会会長として戦没者追悼式に参列してきた古賀氏は、宮崎県庁にいた。「沖縄の慰霊祭は欠席したことがないんですが、今年は東国原知事にお会いするため、こちらに来ました」。知事との会談の冒頭、テレビカメラの前でそう明言した。
「慰霊より人気取りを選んで、失望した。どげな事情があっても沖縄に行くべきじゃった。遺族ば軽んじて、おごりがあるとやなかろうか」。ある遺族会役員は憤りを胸に秘め、“面従腹背”で野田氏を支援している。
古賀氏はパフォーマンス嫌いとされる。しかし、後援会幹部は「今回は違う。なりふり構っていられない」と言う。大牟田市であった会合では、古賀氏自身が演歌を熱唱し、会場を沸かせた。支持者の男性(64)は「大勢の前でカラオケを披露するのはめったにない。びっくりしたよ」。
間奏で古賀氏は、こうつぶやいたという。「これも自民党のためだ」
=2009/08/14付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:04:29
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090815/20090815_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】鳩山前総務相 強気の毒舌 「党たたき直す」
2009年08月15日 18:52
気温33・7度。強い日差しに、アスファルトの焼けるようなにおいが立ち込める。
14日午後、福岡県久留米市郊外の七木(ななき)地蔵尊。自民党前職、鳩山邦夫氏(60)の街頭演説も熱い。「今の政治には正義がない。民主党はホラばかり吹いている。民主党も自民党も落第だ。それなら、自民党をたたき直すしかない」
敵は民主党か、自民党か‐。鳩山氏の演説は、その境界線すらあいまいだ。掟(おきて)破りの毒舌だからこそ聴衆には受ける。
「かんぽの宿」の売却問題を批判して、6月に総務相を辞任。「盟友」とされた麻生太郎首相(68)とも距離を置く。
鳩山氏を支持する地元のある首長はささやく。「選挙前の大臣辞任は絶妙のタイミング。自民党も民主党も批判できるフリーハンドを手に入れたのだから。言っちゃあ悪いが、渡り鳥だからこその嗅覚(きゅうかく)だ」
自民党から新進党、民主党を経て、再び自民党。4年前の前回衆院選では、東京18区から福岡6区へ選挙区を変えた。久留米市は、母方の祖父・石橋正二郎がブリヂストンを創業したゆかりの地。それでも「落下傘」の声がつきまとった。
鳩山氏は、世間の注目を集める武器として「過激な発言」を意図的に使う。メディアへの露出が増えるほど、地元でも名前が売れるからだ。
■ ■
1972年、鳩山氏は田中角栄元首相の秘書を振り出しに、政界に足を踏み入れた。
「戸別訪問3万軒、つじ説法2万回やりゃあ、勝てるぞ」。角栄氏の教えは鳩山氏の原点。この日、支持者宅へ初盆参りに向かう途中も、街角で数人の姿を見つけては車を降りて握手を求めた。
スーパーの店内にも「どうも、どうも」と入っていく。4日夜、久留米市中心部であった夏祭りでは、約3千人に名刺を手渡した。
メディアに便乗しての「空中戦」に加え、選挙区を地道に歩く角栄氏仕込みの「地上戦」。逆風が強いとはいえ、自民党すら標的にする攻撃的な街頭演説。「そこまでやるか」。中選挙区時代から自民党を支えてきた党員には反発もある。
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:04:47
●かつて「巨人、大鵬、自民党」 「選挙は祭り」地盤固め
「厳しか。自民党の下野を覚悟せないかんかもな」。6日夜、福岡県久留米市の郊外。自民党支部の関係者が行きつけのすし店に顔をそろえた。
地方議員、建設業者、専業農家、公民館長…。中選挙区時代から自民党の選挙を支えてきた面々だ。「巨人、大鵬、自民党、じゃったけどな」と50代の農業男性は嘆く。
高度経済成長期。地元の建設業者は、自民党の候補者陣営に差し出す名簿の数を競った。陣営は名簿に載った世帯に1軒ずつ電話をかけた。手応えがあれば「実」。なければ「空」。その実績に応じて、公共工事が業者に割り振られた。建設業者は「ある意味、公平な成果主義だった」と振り返る。
農家の若手も選挙戦に欠かせない実動部隊となった。街頭のポスター張りは、1枚80円から100円の報酬が相場。豊富な資金力を誇る党本部から両面テープなどの備品が大量に届いた。それらを節約して余らせ、地元の文房具店に原価以下で買い取らせた。店はもうかり、陣営若手の飲み代になった。
選挙は「祭り」。どの事務所も「飲ませ、食わせ」が当たり前の時代があった。酒や炊き出しの材料は、地元の店で買うのがしきたり。酒店が3軒あれば、それぞれ平等に数ケースずつビールを買う。それが地元への気配りだった。
●今は「面従腹背」… 甘言だけ「一度痛い目に」
時代は変わった。事務所で使う文房具は、100円均一の店やインターネットで調達する陣営も多い。炊き出しは消え、コンビニやチェーンの弁当店を利用する。
もちろん酒はご法度。1994年の公職選挙法改正以降、候補者本人以外でも悪質な違反があれば当選は無効となる。
地元議員の一人は「すべてがドライになった」とも言う。地域経済を潤してきた公共工事は激減。兼業農家が増え、後継者がいない農家も多い。候補予定者の集会に動員を掛けても、若手はなかなか集まらない。
規制緩和も影を落とす。スーパーや郊外の大型店に客を奪われ、地元の商店街は壊滅状態。自民党の支持基盤が揺らぐ。
古株の自民党員が集まったすし店の近くには、数件の造り酒屋がある。日本酒に赤く顔を染めた地元議員がつぶやいた。「全国的に一時期、混ぜ物の多い甘ったるい日本酒が増えただろう」。その結果、日本酒離れが進んだ。
「自民党も同じようなことをしてきた。甘い言葉で国民をごまかし、一生懸命に仕えてきた農家をだまし続けた。一度、痛い目に遭えば、愚直な政治をせないかんと気付くじゃろう」
構造改革、格差拡大、地方の切り捨て…。鳩山氏は「ドライな社会を変える」とうたう。
■ ■
福岡県大川市。自民党県議の秋田章二氏(59)は開業医でもある。
「自民党を頼むよ」。診察を終えた患者に声を掛けても、反応は芳しくない。特に子育て世代。「自民党が好かんとか、政治に無関心というわけでもないんやけどな」。育児や教育に関係する政策、その財源について説明すれば、母親たちは身を乗り出して聞く。
「それで自民党をよろしくと頼むと、急に皆、しらけたような表情になる」。政権を任せられるのは、どの政党か。有権者は一見、冷めているようでいて、じっくり見極めている。秋田氏の目にはそう映る。
地元の医師連盟は今回も自民党を推す。しかし‐。「今度は民主党」。秋田氏の周囲でも、そう公言する医師が少なくない。
「面従腹背。ずっと自民党を支えてきたあらゆる組織にそんな空気がある」。鳩山氏と戦う民主党前職、古賀一成氏(62)の陣営幹部は、こう見ている。
鳩山氏の陣営関係者は言う。「だから地道に選挙区を回り、一人でも多く握手するんだ」
=2009/08/15付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:06:14
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090816/20090816_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】揺らぐピラミッド 師の墓前、決意の終戦記念日
2009年08月16日 16:01
都心にひっそりとたたずむ禅寺は、せみ時雨に包まれていた。
終戦記念日の15日。衆院選公示まであと3日に迫ったこの日、黒いスーツに身を包んだ自民党前職の山崎拓氏(72)は、福岡市博多区の聖福寺で、境内に眠る2人の「先達」の墓前に花を手向け、ぬかずいた。
元首相の広田弘毅と、自民党創立の功労者である緒方竹虎−。山崎氏にとって、2人は母校・修猷館の先輩であり「目標」。緒方が自民党総裁のいすを目前に急逝したとき、早大1年生だった山崎氏は父親とともに通夜に駆けつけた。
額の汗をぬぐおうともせず、山崎氏は語った。「自民党最大の危機を迎えている。だが、健全保守の政党である自民党を、守り抜く決意であると墓前に申し上げた」
■ ■
「郷土の先達の志を継いで総理を目指す」。山崎氏がそんな目標を胸に秘め、初当選を果たしたのは1972年。36歳の若さだった。国会議員−県議−市町議。中選挙区制の旧福岡1区で、山崎氏は順調に系列議員を増やし、ピラミッド構造の頂点に君臨した。
96年に小選挙区比例代表並立制に変わった際、山崎氏が選んだのは現在の福岡2区だった。保守地盤の厚い他の選挙区での立候補を促す声もあったが、広田と緒方を輩出し、自らの原点と見定める「福岡のど真ん中」にこだわった。
だが、福岡2区は無党派層が有権者の4割ともいわれる都市型選挙区。今回、民主党新人の稲富修二氏(38)を相手に劣勢も伝えられ「政権を一度変えたいといううねりが起きている」と自民から民主支持に変わった商店主(62)は言う。
小選挙区制への移行はまた、国会議員と地方議員の関係も変ぼうさせた。盤石だった保守地盤には“ひずみ”が生じていた。
■中選挙区地方議員に「系列」 国会議員と一蓮托生
7月下旬、福岡市博多区のホテル。通称「旧1区の会」と呼ばれる会合が開かれた。
集まったのは、中選挙区制の旧福岡1区で「山崎派」とされた県議や市議たち数十人。小選挙区制への移行後、福岡市は三つの選挙区に細分化されたため、現在は山崎氏と選挙区が重ならない議員も少なくなかった。
席上、会合を呼びかけた議員が真顔で切り出した。「今の選挙区は違うけど、おれは拓さんのために頑張る」。何人かの議員はうなずいたが、その場にしらけた空気が漂った。
一つの選挙区から原則3―5人が当選する中選挙区では、同じ選挙区に複数の自民党候補が立候補することから、公認獲得や選挙戦での資金面で派閥の力が大きくものをいった。
領袖を総理・総裁にすることを「最大目標」とする各派閥の争いは、国会議員の地元で地方議員の「系列」を生み、留守を預かる県議や市議たちも、それぞれの議会で議長などのポスト争いに明け暮れた。
「保守同士、同じ土俵での戦いだから熱の入れ方が違ったし、それが党全体の活力になっていた」。自民党県議は懐かしむように振り返る。
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:06:33
■ ■
「拓さんに頼んで実現した公共事業もある。拓さんを当選させることが自分の選挙にもつながった」。「旧1区の会」出席者の一人はこう語る。中選挙区時代、国会議員と系列議員は「一蓮托生(いちれんたくしょう)」の関係でもあった。
だが、1996年から導入された小選挙区制により、こうした構図は一変。公認権は党に集約され、政党助成金制度により党本部から支部に直接資金が入るようになったことで、派閥の「恩恵」は薄らいだ。派閥推薦の順送りだった閣僚人事も、小泉政権誕生後は首相による「一本釣り」が当たり前になった。
県議や市議の系列に“ねじれ”も生じた。旧福岡1区で「誠拓戦争」と呼ばれる激しい政争を繰り広げた山崎氏と太田誠一氏(63)。それぞれ2区と3区を選挙区にしたことで、議員や秘書の「トレード」が行われた。
それでも「選挙後においしい思いをするのは系列の“譜代大名”だけ。外様はしょせんは外様だった」。元議員は苦々しい表情で話す。
■選挙区越え保身に奔走 崩れた“集票マシン”
9日、福岡県久留米市のホールは千人を超す人であふれ返った。久留米市議会議長に就任した栗原伸夫氏(67)を励ます会。あいさつに立った参議院議員の松山政司氏(50)が「7区に電話を」と絶叫すると、拍手と歓声がわき起こった。
深々と頭を下げたのは隣接する福岡7区から立候補予定で、「励ます会」の発起人と紹介された自民党前職の古賀誠氏(69)。地元・福岡6区の自民党前職、鳩山邦夫氏(60)は妻が代理出席したが、その姿も乾杯前に見えなくなっていた。
中選挙区時代、古賀氏は有権者の多い久留米市に盤石の支援組織をつくった。久留米市議会(定数42)の最大会派「緑水会」は、栗原氏を含めて11人。大半が「古賀派」を自認するほど今もつながりは深い。
「いざ鎌倉だ。おやじ(古賀氏)を支える」。栗原氏は5月からほぼ毎日、7区に入り、古賀誠事務所に詰める。「立候補するときに支援を受けた」「古賀夫妻が仲人」…。栗原氏と同様に古賀事務所に日参する6区内の地方議員は多い。
■ ■
「まさに枯れ木も山のにぎわい。6区の議員が7区に来てもやることは限られる。6区にも、7区にも票にならない動きだ」。7区で古賀氏を支える地方議員の一人は、こう突き放す。
ただ、選挙区を越えた応援は「恩義」だけではない。ベテラン議員は、合併や定数削減で地方議員の議席が減り、次回の統一地方選も激戦が予想されていることを挙げる。「国会議員の後ろ盾がないと出馬できそうにない。忠誠を尽くす姿を見せることが、自分の選挙運動になる」
別の市議も「地元6区で不人気の自民党に理解を求める運動をしたら、自分の票が減る。それより、まず出馬できる環境を得るために7区に行くのが得策」と明かす。自民党への逆風の中、“集票マシン”と呼ばれた地方議員は、保身のために奔走している。
=おわり
=2009/08/16付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:09:26
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090820/20090820_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<1>分裂 自民王国に異変あり
2009年08月20日 11:52
4年前の郵政選挙で、演壇に並んだ自民党県議たちの姿はなかった。衆院選公示の18日朝、宮崎市の宮崎神宮。「県連が公募で選んだ候補では、とてもじゃないが(野党共闘の)相手候補に勝てません」。宮崎1区の前職、中山成彬氏(66)は第一声で“身内”への批判をぶちまけた。
自民党県連が選んだ候補とは、元参院議員の上杉光弘氏(67)を指す。中山氏が日教組をめぐる過激発言で昨秋、不出馬表明したことを受け、県連が公募で決めた。ところが中山氏は前言を翻し出馬へ。党本部は一本化を断念し、中山氏は「1区支部公認」、上杉氏は「県連公認」を掲げ、双方が無所属で戦う。宮崎1区は、九州・沖縄38選挙区で唯一、自民公認がいない選挙区だ。
過激発言による国土交通相辞任や、二転三転した進退騒動への批判が根深い中山氏。妻の中山恭子参院議員を選対総本部長に据え、巻き返しを図る。しかし、後ろ盾だった主要経済団体の推薦もなく、陣営内には焦りの色もみられる。
「敵は民主党なのに。自民党同士でけんかしても始まらんやろ」。動員に応じた地元の建設業者(48)はいら立ちを隠さず、出陣式を後にした。
■支援組織に不満
ちょうど同じころ。宮崎市内の繁華街でマイクを握った上杉氏の隣に、県連幹部や1区内の県議全5人が並んだ。緒嶋雅晃県連会長は「中山先生は『出ない』と言った。有言実行が政治家の使命だ」と分裂の種をまいた中山氏を責めた。
緒嶋会長らはその後、近くの県農協会館に直行した。上杉氏を推薦する県内最大の政治団体・県農民連盟の幹部に、呼び出しを受けていたからだ。1区内の連盟の組合員は1万8千人。家族も含め5万5千票を動かすとされる。
「党本部と県連の騒動は、われわれには関係ない。選挙事務所には県連の姿が見えない。うちにおんぶに抱っこじゃないか」。連盟幹部や1区内の農協組合長らが緒嶋会長らに食ってかかった。
自民分裂に不満を募らせるのは農民連盟に限らない。陣営は、宮崎地区建設業協会(130社)に後援会名簿の提出を求めたが、協会側は縦に首を振らなかった。党と候補の後援会、推薦団体の「三位一体」で勝ち抜いてきた宮崎自民。要の党営選挙が抜け落ち、瓦解の芽が見え隠れする。
■初の「野党共闘」
宮崎県では1996年の小選挙区制導入後、自民が過去4回、3小選挙区を独占(郵政選挙の復党組含む)してきた。
民主、社民、国民新の野党3党は今回、元林野庁長官で無所属新人の川村秀三郎氏(60)を初めて相乗りで擁立。全国的な追い風に加え、自民分裂の敵失に乗って悲願の議席奪取を目指す。
その選対本部長を務めるのが、宮崎市郡医師会の会員。川村氏は、林業関係など保守系団体にも食い込む。「引き締めるだけ引き締めないと…。油断が一番の敵だ」。陣営関係者は緩む表情を引き締めてみせた。
共産新人の馬場洋光氏(40)は「自公政権の退場を」と主張。政治団体・幸福実現党新人の鶴丸千夏氏(44)も景気対策などを掲げる。 (報道センター・郷達也、宮崎総局・山田育代)
◇ ◇
30日の投開票に向け、第45回衆院選がスタートした。政権を懸けた各党、候補者たちの攻防を全国各地に追う。
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:10:32
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090821/20090821_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<2>象徴 与党大物に女性刺客
2009年08月21日 13:20
麦わら帽子の女性が、手ぬぐいを首にかけた男性が、街宣車を取り囲んだ。18日午後1時、東京・JR赤羽駅東口。
「民主党の政策なら消費税は20%を超す」。身を乗り出したのは自民党の「ポスト麻生」候補、舛添要一厚生労働相。並んだ公明党公認の前職太田昭宏代表(63)が目の下を紅潮させ、叫ぶ。「くるくる変わるマニフェスト…。民主党に政権は渡せない!」。自民党が候補を立てない自公協力の象徴区。2時間後には麻生太郎首相も来援。「女性のがん検診無料化は浜四津(敏子公明党代表代行)先生から猛烈にお願いされた」。連立10年の実績をアピールすると、聴衆がどっと沸いた。
下町情緒漂う足立区西部、北区にまたがる東京12区は創価学会員が最も多いとされる別名「公明区」。だが7月の都議選で北区の自公票が民主票を下回り陣営は青ざめた。党が認めない比例との重複も一時は検討した。
「地元の庶民代表は太田1人」(陣営)。溶接工にパン職人、大工など7種の職に装った太田氏のポスターを用意、民家や個人商店の壁に張った。学会員は全国から「太田ファン」(都議OB)が集結。公示日には会員でタレントの山本リンダ氏も商店街を回った。
太田氏も全国遊説の合間に街頭に立つ。「消防車より速く駆けつける」「皆さまにしがみついてやる覚悟」‐。悲壮な声が響く。
■2晩で約3千枚
民主党が擁立したのは、小沢一郎前代表の秘書も務めた元タレントの青木愛前参院議員(44)。新人女性が元総務相を破った一昨年の参院選岡山選挙区にならい、長崎2区、群馬4区なども含め、与党の大物に女性刺客を送り込む戦略だ。とりわけ、与党党首に小沢氏の「秘蔵っ子」が挑む東京12区は、民主党にとっても象徴区である。青木氏は18日午後、赤羽駅西口で青い選挙カーから降り、懸命に手を振った。
のぼり立てなど準備に2分。「政権交代で暮らしを守る」と訴える演説は3分。片付け2分、移動に3分。計10分間の遊説を1日40−60カ所。細い路地にも入り込む。
「足で稼ぐしかない」。発案者は小沢氏の秘書(51)。国政選挙を何度も仕切り、青木氏が出馬表明した7月24日から陣頭指揮を執る。初日から約150人に号令。2晩で小沢氏と青木氏が並ぶポスター約3千枚を張り巡らした。公示前日には駅周辺の民主党のポスターが、半日で満面の笑みを浮かべる小沢氏の写真に替わった。「ここまで統率された選挙戦は初体験」(民主都議)。味方も度肝を抜かれた。
■一枚岩に不安も
自民党は今回、初めて12区選対本部を発足。太田氏支援とともに「比例は自民」と訴えるが、都議選で争った後でもあり、落選した自民前都議も、公明関係者も「正直、複雑」。与党サイドは必ずしも一枚岩ではない。
一方、民主党地元議員の間では、小沢氏に12区に「国替え」してもらう待望論が一時盛り上がった。「小沢は将来の公明との連携に気を使ったのだろうが、だれが候補でも小沢と比べると差がある」と都議団幹部(65)。地元出身でない青木氏に、太田氏陣営は“落下傘”批判を強め始めた。
共産新人の池内沙織氏(26)、幸福新人の与国秀行氏(33)も支持を訴える。 (東京報道部・三宅大介)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:11:07
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焦点区を行く ’09衆院選<3>攻防 実績か変革かの縮図
2009年08月22日 11:53
長崎県諫早市の諫早湾奥部。公示から2日後の20日夜、約10キロ離れた2地区で、同時に開かれた個人演説会は対照的な雰囲気に包まれた。
「お年寄りは、障害者は、地方はどうなる。変えるには今しかないんです」。干拓地を見渡す高台の施設で、民主新人の福田衣里子氏(28)が訴えた。言葉を発するごとに起こる「そうだ」の声につられるように、「どうか力を貸してください」。頭を下げる福田氏の声はかすれていた。
一方、干拓地の背後に広がる水田に囲まれた公民館に、自民前職で元防衛相の久間章生氏(68)がいた。「農水省の集落排水事業というのは予算が付きやすいんですが、集落の戸数が減ると、維持管理費はすごく高くなる…」。畳敷きの大広間にすき間なく座った支持者は、国営諫早湾干拓事業を推進した久間氏の説明に黙って耳を傾ける。だが、最後列で高齢の女性2人が、こうささやき合った。「難しゅうて、分からんね」
■支持者に「げき」
29年前から赤じゅうたんを踏むベテランと、国会に初挑戦の28歳女性−。
対照的な2人が戦う衆院長崎2区を、民主党の鳩山由紀夫代表は「政権交代を象徴する選挙区に仕立てる」と宣言。公示前から党幹部や各地の参院議員を相次ぎ投入、党県連や連合長崎もスタッフを重点配置する。
「2区の有権者が福田を当選させられるか、日本中が注目しているんです」。個人演説会では、県連総合選対本部長の西岡武夫参議院議員が支持者に「お願い」ではなく、ハッパをかける。
在京マスコミの取材が熱を帯び、全国的な注目度アップも福田陣営の思惑通りだ。しかし、懸念も出てきた。週刊誌が当落予想で、福田氏優位を相次ぎ報じたからだ。陣営幹部は「内部に『いける』という空気が漂っている」と上滑りを警戒。陣営の選対本部は公示前日、内部資料で「『風』がそのまま2区の票につながるわけではない」と楽観ムードを戒めた。
■核兵器廃絶掲げ
当選9回を重ねた自民ベテランの苦境は、党への逆風ばかりではない。市町村合併に伴い、集票活動の要になる市町村議が激減。地元の県医師連盟諫早支部が自主投票を決めるなど、支援組織の離反もある。「自民の医療施策に期待が持てない」。同支部幹部からは批判の声が公然と上がる。
今は、身内より連立を組む公明党の支持票の方が「確実に計算できる」(陣営幹部)と、演説会場では応援弁士が「比例は公明」を連呼。原爆投下をめぐる発言が引きずる批判のくすぶりにも配慮してか、党のマニフェスト(政権公約)にも記載がない「核兵器廃絶」と記した看板も掲げる。それだけ、陣営の危機感は強い。
13年ぶりというたすき姿の久間氏を乗せ、棚田を縫って走る選挙カーから、女性の連呼が山あいの集落にこだまする。「今回は久間、今回も久間、今回こそ久間」
政治団体・幸福実現党新人の柴田愛氏(35)、無所属新人の山崎寿郎氏(29)、無所属新人の相浦喜代子氏(45)も支持拡大に走っている。 (諫早支局・阿比留北斗、長崎総局・福間慎一)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:12:16
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焦点区を行く ’09衆院選<4>謝罪 「中川王国」崩壊寸前
2009年08月25日 13:19
「十勝が崩壊するか発展するかの戦いだ」。安倍晋三元首相が応援に駆け付けた22日、自民前職の中川昭一前財務相(56)は北海道帯広市で危機感もあらわに訴えた。
2月のイタリア・ローマでの「もうろう会見」から約半年。世界中に発信された醜態に加え、自民党の低支持率が重なり、猛烈な逆風が吹く。
19日、JR帯広駅前。秋の気配が漂う北の大地に響いたのは、男2人の謝罪の言葉だった。
「私の監督不行き届きで、大変見苦しい形をお見せすることになった」と、
盟友をかばう麻生太郎首相。中川氏は「総理の片腕を自任していた私も、総理に大変迷惑を掛けてしまった」。傘も差さずに頭を下げる中川氏を雨が打ち続けた。
■遺産食いつぶし
「あのー、ふう、おぶぁま(オバマ)政権に対して…」。これまで中川氏を支持してきたという帯広市の自営業女性(44)は2月、昼食に立ち寄ったラーメン店で問題の会見映像に遭遇。はしの動きが止まった。「とうとう出ちゃったか…」
農相や財務相、党政調会長など主要ポストをこなし、地元では「次は首相」という期待すら高まっていた。その一方で、酒好きで知られる中川氏には、以前から酒をめぐる醜聞が付いて回った。
会見について、「風邪薬が原因」と飲酒の影響を否定し続ける中川氏だが、9日の集会では「日本のために酒を断つ」と支持者に宣言。それでも、この女性は「今回ばかりは、少し考え直してみたい」。
中川氏の父親は、「北海のヒグマ」の異名を取った元農相の故・一郎氏。全国有数の酪農、畑作地帯に一代で強固な選挙地盤を築き上げた。
それを受け継いだ中川氏は、中選挙区時代を含め連続8回当選。小選挙区になった過去4回は、有権者30万人弱の選挙区で、多いときで次点に6万票の差をつける強さを誇ってきた。北海道11区が「中川王国」と言われるゆえんだ。それが一転。「王国」は崩壊の危機に直面している。
公示後も全国を応援で回り、地元には数日しかいないというのが最近の中川氏の選挙だったが、今回は3月からのおわび行脚でベタ張り状態。応援も、もらう立場だ。
「楽な選挙で後援会が緩んでいた上、ローマ会見が追い打ちをかけ、おやじさんの遺産を食いつぶしてしまった」。陣営幹部はこう嘆く。
■骨肉の争い再来
中川氏に挑むのは民主前職の石川知裕氏(36)と共産新人の渡辺紫氏(60)。石川氏は前回中川氏に敗れたが一昨年、比例で繰り上げ当選した。
石川氏は小沢一郎代表代行の元秘書。西松建設事件絡みで東京地検に参考人聴取を受けたが、「かえって知名度が上がった」(陣営)と強気だ。
石川氏は、十勝出身の新党大地代表、鈴木宗男氏の支援も受ける。一郎氏の急死で、中選挙区時代の1983年に「骨肉の争い」の末、初当選したのが長男の中川氏と秘書だった鈴木氏。因縁の戦いが再来した格好だ。
「地方を疲弊させたのは自民党」と訴える石川氏。中川氏は日米自由貿易協定(FTA)をめぐる民主党のぶれを攻撃しつつ、父親の威光を頼る。「米国の農産物が無税で入ってくると、十勝の農業はつぶれる。父に何と報告したらいいんでしょうか」 (東京報道部・山口英宏)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:12:42
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090824/20090824_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<5>師弟 「利益誘導」是か非か
2009年08月24日 16:43
公示後、初の週末の22日午後、福岡県大牟田市のスーパー駐車場。気温30度の中、白いポロシャツと運動靴姿の自民前職の古賀誠氏(69)は汗を流しながら、何人もの買い物客に笑顔で歩み寄って握手を交わした。
地元市議団の要請で、「1996年の選挙以来13年ぶり」(陣営幹部)という街頭演説に立った古賀氏。動員はなく、聴衆はわずか40人ほど。マイクを握ると、笑顔が消えた。「民主党の議席は300を超えるという予測。大変なことが日本の政治に起きる」
報道各社の世論調査結果への危機感や、平和の尊さなどを訴えた後、持論に言及した。「一歩ずつ社会基盤の整備が進んでいる。10年、20年先にこれらを活用すれば、多くの企業が進出して雇用が創出される。いまそのための汗をかいている」
■利と情を交えて
福岡県南部の福岡7区。「道路族のドン」と呼ばれる9選の古賀氏は、有明海沿岸道路や基幹国道の整備など、この地でのインフラ整備の実績を強調してきた。「古里への恩返し」と訴え、時に「何と言われても(道路や橋を)つくる」と強弁もみせた。
一方、有権者の「情」に訴える場面も目立つ。出身地・みやま市での18日の出陣式では涙ぐんで支持を呼び掛けた。翌19日には、7区内で人口1600人と最少の同県矢部村でミカン箱の上で林業再生を唱えた。
比例代表との重複立候補を辞退し、「負ければ終わり」という党実力者の危機。陣営は、古賀氏が党選対委員長の際、選挙協力の見直しなどを唱えて反発を招いた公明党や支持母体・創価学会との顔合わせを8月上旬に終え、いま選挙協力の強化を急ぐ。
■市役所への抗議
「この7区には豪華すぎる公共工事が多すぎる。一部の政治家が名を残すために(規模が)大きくなってしまう」。22日、福岡県筑後市での街頭演説。元福岡県八女市長で民主新人の野田国義氏(51)は、古賀氏の政治姿勢を「税金の無駄遣い」と暗に批判し、対決姿勢を強めた。
かつて古賀氏の秘書を務めた野田氏。「師弟対決」といわれる7区だが、「古賀氏との主張の違いが対比され、有権者にも分かりやすい」(陣営関係者)と、利益誘導の是非を問う構図に持ち込む狙いが透ける。
政権交代が現実味を帯びる中、民主陣営は古賀氏を支持する首長たちへの「警告」とも受け取れる行動に出た。「中立な立場を外れ、国政選挙への介入が目に余る」。野田氏の選対本部長を務める大久保勉参院議員が20日、大牟田市役所に乗り込み、古賀氏の応援を続ける古賀道雄市長あてに質問書を提出。市幹部を慌てさせたのだ。
さらに大久保氏は、古賀氏推薦を決めている医師連盟や商工連盟、農政連などを回り、切り崩しを図る構えだ。
「民主党300議席」を伝える世論調査。その中で、7区では両者の激しい競り合いが続く。陣営幹部は「ラスト1週間で何とか追い抜きたい」と気を引き締める。
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:13:26
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090825/20090825_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<6>世襲 “小泉党”地盤に異変
2009年08月25日 13:20
「父も兄も応援に入りません。地元のみなさんが頼りなんです」
20日夕、神奈川県横須賀市郊外の駅前。顔を真っ黒に日焼けさせた自民党新人の小泉進次郎氏(28)は、街宣車の上からマイクで訴えた。
父は小泉純一郎元首相、兄は俳優の孝太郎氏。進次郎氏は曾祖父から100年間、この地で衆院議員を輩出する小泉家の「4代目」だ。比例への重複立候補はせず、民主党新人の横粂(よこくめ)勝仁氏(27)、共産党新人の伊東正子氏(68)、政治団体・幸福実現党新人の鶴川晃久氏(35)らと戦う。
■ブランドに陰り
昨年9月、元首相が突然引退を表明し、秘書だった次男進次郎氏を後継指名。世襲批判がわき起こったものの、「小泉ブランドがあれば誰が相手でも負けない」(陣営幹部)とみられていた。
ところが6月28日、横須賀市長選で元首相が応援していた現職が敗れ、その威光に疑問符が付いた。それまで父の支持者回りを優先させ街頭演説などは控えていた進次郎氏だったが、2日後、つじ立ちを始めた。それでも声を掛けられたり、握手を求められたりすることは意外なほど少ない。
自民党への逆風に加え、小泉陣営が気にしているのが今年5月、横須賀市内の祭り会場での出来事。あいさつしようと、民主党の横粂氏が「進次郎さん、進次郎さん」と間近で何度も呼び掛け握手を求めたが、進次郎氏は、それを無視するかのように有権者と握手しながら歩き続けた。
その場面が偶然、撮影され、映像がインターネットに流出。アクセス数は数十万件に上った。「無視するなんて常識がない」「親が元首相だから偉そうだ」‐。ネット上に批判が殺到。「本人に悪意はなかったが、世襲批判と相まって間違ったイメージがつくりあげられてしまった」。頭を抱える陣営幹部は今なお釈明に追われている。
■「ベルリンの壁」
民主党の横粂氏は愛知県出身の「落下傘候補」。大学卒業後、東京で弁護士をしていた。
元首相支持者を刺激しないよう、当初は世襲批判を封印。しかし7月28日、候補予定者がそろった討論会では「恐縮ですが…」とかしこまりながらも、進次郎氏に「お父さんが目指した方向は間違っていた、お父さん謝ってくれ、とお考えでしょうか」と問いただした。苦笑いの進次郎氏は「小泉改革に批判があるなら時代に合わせて変えればいい」と応じた。
横粂氏は毎日、自転車にのぼり旗を立てて走り、つじ立ちを繰り返す。父は「トラック運転手」。庶民感覚をアピールし、「生活が分からない人に政治はできるのか」と世襲候補との違いを訴える。インフルエンザ感染で一時活動を自粛したが、公示日の18日には回復した。春ごろには街頭に立っても見向きもされなかった。今は違う。「小泉に負けるな」と、度々声も掛けられる。
民主党の小沢一郎代表代行が「厚い、高い、小泉氏の壁も30日、国民の力でベルリンの壁と同じように必ず崩壊する」と語った神奈川11区。「進次郎氏の背中も見えない」と横粂陣営は言うが、横須賀市中心部の商店街では、自営業男性(71)がこう漏らした。「こんなに商店街がさびれたのは誰の責任か。みんな小泉支持だが、今回ばかりは考え直す」 (東京報道部・伊藤完司)
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:2009/09/13(日) 00:14:54
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090826/20090826_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<7>優劣 背水の陣 譲らぬ前、新
2009年08月26日 11:09
福岡市のホテルに20日、2500人を集めた自民前職の山崎拓氏(72)の集会。「『わが人生に悔いなし』という石原裕次郎の歌を練習しているんですが、『悔いはある』と歌ってます」。山崎氏はそう冗談を飛ばし、会場を沸かせた。
応援に駆けつけた山崎派の石原伸晃幹事長代理が傍らにいたためだが、山崎氏は次の瞬間、表情を引き締め、言葉を継いだ。「ひょっとしたら今回が最後の勝負になるかもしれないが、必ず国のため、郷土のために、立派な働きをします」
当選12回。派閥を率いる党の重鎮として全国を駆け回っていた選挙戦は一変した。報道各社の世論調査で「劣勢」が伝えられる中、50の小学校区ごとに動員なしで街頭演説を繰り返す。夜も連日4、5カ所の公民館で個人演説会を重ねる。
「初心に帰る」「総決算」と自身に言い聞かせるように“どぶ板”に徹する山崎氏。「政治生命をかけた戦い」と系列議員は力を込める。
■離反する支持層
「何としても山崎拓を福岡から失うわけにはいかない」。24日朝、福岡市・天神のビルの一室。急きょ集まった地元財界300社の幹部たちに、九電会長の松尾新吾氏(71)が呼びかけた。
陣営は、苦戦の原因を足元の自民支持層を固めきれていない点にあると分析。約10万700世帯分に達した後援会リストを基に、再び一軒一軒に電話をかけ、支持固めに躍起だ。
自民支持層の「離反」はそのまま民主新人、稲富修二氏(39)の追い風に変わる。23日、福岡市のホールで開かれた稲富氏の集会。応援演説に立ったのは、自民党県議を支援してきた建設業男性(66)だった。
「米国ではオバマ大統領が誕生した。日本でも稲富のような一本気な男が、政治を変えてくれると期待している」。自公政権への不満と政権交代への期待感が、「山を動かしている」と稲富陣営幹部は推測する。
■陣営の緩み警戒
稲富氏は24日、福岡市南区の交差点に自転車で現れ、マイクを握った。「民主党に不安はあるだろう。でも、行き詰まった日本の状況打開には今、変えるしかない」。若さをアピールするかのようにポロシャツに運動靴姿で、官僚主導の政治撤廃を訴えかけた。
前回の福岡11区から選挙区を替え、2007年10月に福岡2区内に転居した「落下傘候補」。「風では勝ちたくない。草の根の支持基盤をつくりたい」と毎日、自転車を走らせる。1日50回を目標とする街頭演説は計3300回を超えた。
前回衆院選、一昨年春の県知事選と2回続けて苦杯をなめた稲富氏にとっても、今回は負けられない背水の陣。相次ぐ「優勢」報道にも稲富氏は表情を崩さない。「相手は大物。必ず巻き返してくる。簡単に勝てる相手ではありません」
福岡2区では、「建設的野党」をアピールする共産新人の小林解子氏(29)と、政治団体・幸福実現党新人の佐竹秀夫氏(55)も支持拡大に走り続けている。
(都市圏総局・浜田耕治、鶴加寿子)
5587
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:15:31
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090827/20090827_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<8完>余波 小泉改革の風に翻弄
2009年08月27日 11:37
新興住宅街に響く叫び声にも、秋の気配が漂っていた。
静岡県・浜名湖にほど近いスーパー前。自民党前職の片山さつき氏(50)は25日、赤いビールケースに乗り、マイクを握り締めていた。
「大変な逆風です。助けてください。助けてください」
財務省キャリアだった片山氏は4年前の郵政選挙に初出馬。小泉純一郎元首相の郵政民営化に反対、自民党を離党した城内実氏(44)への「刺客」だった。空前の小泉旋風。落下傘候補ながら748票差で城内氏に競り勝った。今回、無所属出馬の城内氏と再び戦う。
その片山氏が今年7月の事務所開きで、支援者に土下座した。「残りの人生を公のために使いたい」。前回から一転、自民党への厳しい向かい風に翻弄(ほんろう)される「小泉チルドレン」の姿を象徴していた。
北は、長野県境の山間部から、南は沿海部の浜名湖周辺まで広がる静岡7区。片山氏のほか、民主党新人の斉木武志氏(35)、政治団体・幸福実現党新人の竹内隆文氏(51)を抑え、城内氏の優勢が伝わる。
■元首相にも距離
今月15日に開かれた片山氏の決起大会には、小泉元首相の姿があった。約1700人が集まり、立ち見も出た。「それでも、4年前の雰囲気とは違った」(陣営幹部)
郵政選挙後、自動車や楽器など地元製造業の業績は悪化し、地域の地盤沈下が進んだ。決起大会で、小泉元首相は構造改革の正当性を強調した。しかし、片山氏の支援者の中にさえ「行きすぎた改革が地域を疲弊させた」「いいかげんにチルドレンから卒業した方がいい」との声がある。陣営は決起大会で、これまで小泉元首相に批判的だった地元医師会の会長に応援演説を依頼。元首相との微妙な距離感を演出せざるを得なかった。
■追い風に“異変”
「信念を貫く男」。そんなのぼり旗が風になびいていた。城内氏は24日、古い住宅街で訴えた。
「私は抵抗勢力ではなく、正義のために戦ってきた。郵政選挙はいかさまだった」。この4年間、小泉改革への批判を続けてきた。
選挙区を歩き回った。ミニ集会など年間800回近く開いた。車座になった集会では、出席者と握手するため、両ひざをつけたまま動く。ズボンが1カ月で破れた。
選挙戦に入ると、城内氏の孤軍奮闘ぶりを伝える報道を通じて、雇い止めになった若者が、ボランティアとして全国から集まった。改革のひずみで切り捨てられた被害者だった。地元財界の重鎮、自動車メーカー「スズキ」の鈴木修会長兼社長も支持を表明。ある県議は「表向きは片山氏支援、水面下では、城内氏を応援する自民党県議も少なくない」と明かす。
自民、民主、無党派と幅広い層から支持を集める城内氏。その情勢に、民主党斉木氏の陣営は戸惑いを隠せない。全国的に吹く民主党への追い風を、城内氏に奪われる“異変”が原因だ。
「小泉元首相は、構造改革ですべて良くなると言ったが、事態は逆に悪くなった。今回の民主党への追い風は、その失望から始まった反自民の風にすぎないのかもしれない」。小泉旋風の余波‐。陣営関係者は、現状をこう分析してみせた。 (東京報道部・斉田康隆)
=おわり
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