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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5524チバQ:2009/09/09(水) 12:33:07
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000000909090001
Road to the代議士)下 組織力
2009年09月09日


選挙戦終盤、政策をゆっくりと訴える時間はあまりなかった=8月29日、延岡市



 男性の怒声が聞こえたと思ったら、道休誠一郎(56)の足もとで生卵が砕け散った。


 集合住宅の住民から投げつけられた。ようやく衆院が解散され、選挙戦に突入した8月22日。選挙カーから「道休です、道休、道休、道休誠一郎です」と名前を繰り返し叫び、車を降りたところ。連呼が男性の気に障ったらしい。道休はすぐに駆け寄り、「今度しっかりと話をさせて下さい」と頭を下げた。


 道休自身、名前の連呼には抵抗があった。「名前は自分で売るものじゃない。私の話に共感してくれた人が、周りに広げてくれるものだ」


 しかし、2区に何のゆかりもない選挙初挑戦の新顔候補にとって、名前を覚えてもらわないことには始まらない。記者が記録したところ、公示日の8月18日に選挙カーから名前を連呼した回数は、5分間で85回。3・5秒に1回の割合だった。


   □   □


 道休が好んだのは、車座になって有権者と向き合うミニ集会だった。
 「顔を突き合わせて話をしなければお互いのことは分からない。皆さんから話を聞き、自分がどういう人間かを伝えたい」と考えたからだ。


 昨年10月の立候補表明から公示までの11カ月間。道休は、「平成の大合併」前に2区内にあった22市町村を巡り、1週間ごとに集会を繰り返した。民主と社民の地方議員が連れて回った。


 が、いざ選挙戦になると、そんな余裕はなくなった。
 選挙カーからの街宣中、通行人を1人でも見つけると、道休は「せめて一言だけでも」と車を降り、あいさつしてマニフェストを配ろうとした。だが、「時間がないから」とスタッフから車に連れ戻された。


 もどかしさは、政策面の訴えにもあった。
 東九州自動車をはじめとする高速道路整備は、県内でもとりわけ2区の住民にとっては悲願だ。道休も必要性を訴えたが、「道路整備は目的ではない。どう活用していくかが重要」という持論を説く暇はなかった。いつしか「道路を一日も早く通したい」と、単純化していた。


 「今回の選挙は私の考え方というよりは、民主党の候補者であることをアピールした選挙。新顔の宿命だろうと受け止めていた」と道休。


   □   □


 名前や自分の考えを浸透させるには、組織の整備も追いつかなかった。
 2区は、宮崎市に隣接する新富町から、大分県に隣り合う延岡市まで南北に100キロ近い。その中に民主、社民の地方議員はわずか15人。道休を擁立した民主が支持基盤とする労組の足場は、延岡市が中心だ。結局、陣営の手が回らず、選挙区の南部は1区の労組などが応援に入った。


 一方、2区内の自民の地方議員は122人。自民公認の江藤拓は、衆院議員だった父親の故・隆美から引き継いだ後援会組織を張り巡らせていた。


 組織力の差は歴然。民主県連代表の井上紀代子は「政権交代という追い風の中でも、『民主党の道休』という名前を広めることで精いっぱいだった」と振り返る。


   □   □


 道休や民主県連幹事長の田口雄二は、選挙戦に手応えを感じていた。選挙カーを走らせれば、有権者の反応が悪くなかったからだ。


 だが、投票箱のふたが開くと、江藤に4万近い大差をつけられた。負けはしたが、道休の得票も8万超。過去3回の衆院選で2区の民主候補が獲得した票を3〜5万上回り、比例区で復活当選枠にすべり込んだ。


 初めての選挙を終え、道休は「住民の声をしっかり聞いた上で、私たちの考えを伝えることが必要だ」と実感している。「日常の活動を通じて政党の考えを伝えられる、地域に密着した組織を作りたい」


 いま、新しい事務所を探し始めた。地域住民が気軽に立ち寄って話ができ、自然と情報が集まる場所にしたい、と思っている。(敬称略、この連載は神澤和敬が担当しました)


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