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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5509チバQ:2009/09/08(火) 21:49:21
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1251844640607_02/news/20090902-OYT8T01212.htm
政権交代・自民王国崩壊
再生へ候補選び課題

集まった支持者に頭を下げ、事務所を後にする尾身氏(8月30日夜、前橋市の事務所で)  自民党は「指定席」と言われた県内五つの小選挙区のうち、1〜3区の議席を民主党に明け渡した。その衝撃は大きい。

 開票翌日の8月31日、同党県議団総会が前橋市内で開かれた。「ここまで負けるとは思わなかった」。出席者は一様にぼう然とし、重い空気を漂わせた。

 1区で民主党の宮崎岳志氏に敗れた尾身幸次氏の側近で、選対中枢にいた中村紀雄県議もその一人。中村氏は「宮崎さんの動きは見えなかった。従来と違った選挙運動をしていたのだろう」と選挙戦を振り返った。

 尾身氏は昨秋以来、「常在戦場」を唱えて選挙区を飛び回った。建設業界の取りまとめ役である県建設業協会のトップには今年5月、尾身氏と親しい建設会社の社長が就任。コスタリカ方式で比例選に回った佐田玄一郎氏の全面支援も得た。

 だが、尾身氏は選挙戦序盤から「追う」立場に置かれた。終盤の8月26日、中村氏は新聞の世論調査で落選の危機を感じると、コスタリカ方式の1区では禁じ手だったにもかかわらず、前橋市で約100人の支援者を集めて「比例は公明党へ」と呼びかけた。

 会場には公明党の加藤修一・県本部代表を招いていた。選挙協力の見返りの“担保”を示すよう求めていた同党への最大限の配慮だった。同党はその後、尾身氏支援に大きく動いた。尾身陣営の中には、「これで負けるはずがない」と勝利を確信した人が少なくなかった。

 事情は4区も同じだ。福田康夫前首相は中選挙区時代のライバルだった中曽根系、小渕系の全面協力を得たが、民主党の三宅雪子氏に1万2000票差まで詰め寄られた。

 自民党に足りなかったのは無党派層の票だった。日本テレビなどが実施した出口調査では、宮崎氏は無党派層の6割程度を固めたのに対し、尾身氏は2割程度に過ぎなかった。

 同党県連の南波和憲幹事長は敗因を「我々は民主党より魅力的なマニフェストを作れなかった。選挙前に国民に景気回復を実感してもらうこともできなかった。加えて、本県では世代交代の流れに乗り遅れた」と分析する。

 自民党再生の道は険しい。業界団体の引き締めは野党の立場では限界がある。小泉内閣などが強力に推し進めた「平成の大合併」で市町村議会の議員定数が減り、同党が誇る地方組織の集票力は急速に低下しつつある。今のような個人後援会では、若い世代への広がりは期待できない。それぞれに長い歴史があり、他人に引き継ぐことも難しい。

 当面は前議員が引退表明した選挙区の候補者選びが課題となる。県連は公募も視野に、白紙状態から検討する考えだ。同党関係者は「次の衆院選は4年後の任期満了の頃」と異口同音に言う。そうだとすれば、党立て直しに与えられた時間は十分にある。

(2009年9月3日 読売新聞)


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