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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5542名無しさん:2009/09/12(土) 16:00:45
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090903ddlk05010057000c.html

「交代」の激震:’09衆院選/下 1区 組織選挙再び敗北 /秋田
 ◇新手法見えぬ自民
 29日午後9時過ぎ。選挙活動を終えて秋田市の事務所のソファに腰をおろした秋田1区の自民前職、二田孝治氏(71)はぽつりとつぶやいた。「こういうときにオレが出てよかったんじゃないか。別の新しい人を立てても厳しかったでしょう」

 街頭では「民主党をたたきつぶさなければならない」と声を張り上げていた二田氏。だが事務所で見せた表情に悲壮感はなく、むしろすがすがしかった。「恥ずかしくない票は取りたいね」

 前回に続き二田氏と民主の寺田学氏(32)が激突した1区。05年は郵政解散による「小泉旋風」をはねのけて寺田氏が勝ち、二田氏は辛くも比例復活を果たした。今回は逆に自民党にとって経験のないほどの向かい風で、厳しい選挙は覚悟していた。

 30日午後8時過ぎ、開票が始まる1時間以上前に各社が次々と寺田氏当選を報じた。二田氏は同じ事務所で、支持者に深々と頭を下げた。

   ★  ★

 8期目を目指す二田氏が選挙前の決起集会として8月9日に開いた「ふれあい集会」。会も中盤に差しかかるころ、司会者が来場者の参加団体を一つ一つ読み上げ始めた。その時間は約10分に及び、合わせて110人に上った。会場には全農の永田正利会長をはじめ、農協関係者や農林中央金庫の幹部ら約650人が集まった。

 危機感を抱いていた二田氏は今回、「自分の原点の選挙」を徹底させた。朝のつじ立ちを繰り返し、公示前から合わせて100社以上を回って支援者宅への訪問も重ねた。

 公示後は選挙カーを使って市内を駆けめぐり、住宅地の街区ごとの公園でマイクを握った。「最後の奉公」「政治生活の集大成」をにじませて組織の一体感を強め、「比例は公明」と繰り返して公明支持者の組織にも頼った。

 結果は3万1245票差。組織選挙はまたしても敗れた。選挙後、二田氏は「失われた基盤を再構築しなければ」と話した。

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 「少子高齢化が進んで、老後に不安がある」。8月21日に秋田市浜田の海の家で開かれた寺田氏の集会で、1人の男性が切りだした。

 約30人に党のマニフェストを配り政権交代の意義を訴えた寺田氏が「何でも聞いてください。プライベートなことでも何でも」と呼びかけると、質問が相次いだ。「高速道路を無料にして本当に大丈夫だか」「財源は?」−−。

 寺田氏は「家計が厳しくなると、ビールを発泡酒に替えるなど、優先順位を決めて節約する。国も同じです」などと例を挙げ、わかりやすさを心掛けた。

 終了後、参加者の男性(73)は「医療費や年金がどうなるか気になる。とにかく今の状況を変えてもらわなきゃ」と語った。

 寺田氏は小集会重視の姿勢を今回はより徹底させ、公示後の集会は85カ所に上る一方で選挙カーは一切使わなかった。

 有権者個人に話しかけ、納得してもらって支持を受けるスタイル。二田氏の陣営側は「追い風の中で余裕があったのだろう。ぎりぎりの選挙になってもあのやり方が貫けるか」と冷めた見方をするが、寺田氏は大きな手応えを感じている。

 「次も有権者のみなさんと触れ合える選挙をしたい。できれば少しずつでも1区の全戸を歩いて回りたい」

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 自民党内では次の選挙に向け、「1区の後継者」や「次世代の育成」が一部でささやかれる。若手県議を推す声もあるが、ある自民党関係者は「自民大敗のこの状況で前に出ていくのは難しいだろう」という。

 二田氏は敗戦の弁を述べた30日、「引退」を口にしなかった。しかし29日には、こんな心情を吐露していた。

 「保守をまとめる種を残してやらねばと思ってやってきた。本当はそういう路線を敷いてやりたかったんだが……」。県政界では与党にして過半数を占める最大会派の自民党。国政での「県都奪還」は悲願だが、“新しい選挙”に対抗する手は、まだ見えない。【百武信幸】


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