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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5540名無しさん:2009/09/12(土) 15:59:28
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090901ddlk05010005000c.html

「交代」の激震:’09衆院選/上 2区 川口氏に民主の風 /秋田
 ◇自民や社民、無力感
 「政権交代」という歴史的転換点となった09年衆院選。県内3選挙区も自民党が全敗し、民主党が勢いを伸ばすなど政治勢力図をがらりと変える大きなうねりが起こった。県内で民主党へ追い風が吹いた要因は何か、そしてこの変化は何をもたらすのか。選挙区ごとに振り返り、今後を展望する。

 「政権交代を成し遂げようじゃないですか」。

 衆院選の選挙戦中盤となった8月23日夜、能代市文化会館で開かれた個人演説会で、白いスーツに身を包んだ川口博氏(62)がこう語りかけると、聴衆は沸き立った。

 集まった顔ぶれは、普段着姿の女性や会社員など。議員や政治家の後援会関係者、作業着姿の業者といった、従来型の集会と趣を異にした。川口氏が4カ月ほど前に、知事選の候補者としてこの場で演説会を開いたときとも、様相が一変していた。

 川口氏は当選した要因について笑顔で語る。「声なき声が後押しし、草の根で一人一人が自分のことのように動いてくれた」

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 2区といえば、元農相の前職、野呂田芳成氏(79)が強固な組織を作り上げてきた。野呂田氏は、4月の知事選に立候補した川口氏を全面支援。選挙期間中は同行し、集会で支持を訴えた。川口氏は敗れたものの、2区の市町村では佐竹敬久知事を圧倒する票を得た。

 だがその川口氏の衆院選出馬について、地元では当初厳しいという見方が強かった。

 野呂田氏が後継指名していたのは、前参院議員の自民党新人、金田勝年氏(59)。市町村長の多くも金田氏支援に回った。

 これに対し川口氏は、いったん“不出馬宣言”。結局立候補を表明したのは公示13日前で、組織は個人的な支持者と民主党を離党した人たちぐらいだった。

 それでも知事選を通じ、有権者が求めるものを感じ取っていた。「私は有権者の体温と心を知っている」。8月16日の事務所開きで、前評判を覆す自信を見せた。

 演説会場には「いよいよ、政権交代」と表紙に書かれた民主党のチラシを置き、政策もほぼ民主党と同じ内容を掲げ、街頭では「比例代表は民主」と訴えた川口氏。「草の根選挙が2区全体に爆発的に広がった」と振り返った。

 同党は連合秋田とともに社民党元職の山本喜代宏氏(53)を推薦していたが、民主党候補がいない選挙区で追い風に乗ったのは川口氏の方だった。

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 「川口さんが立候補してから、支持してくれていた人が顔を見せなくなったこともある」。金田氏は投票から一夜明けた31日、苦渋の顔で振り返った。08年1月に衆院選への出馬を決め、組織固めに奔走。本人も「つじ立ちを重ね、これまでにない選挙をやった自信があった」というほど“ドブ板選挙”に徹した。

 「野呂田さんの地盤を引き締めれば勝てる」と陣営は読んでいたが、中盤に世論調査でリードされていると報じられ衝撃が走った。毎日新聞の出口調査では、川口氏は民主支持層の72%、自民支持層からも25%を取り込んだ。

 金田氏は能代市などで川口氏を上回り「地盤は切り崩されていない」と強弁したが、「組織選挙」が「風」に負けたのは明らか。金田氏も「逆風というより、暴風雨だった。風以外にも敗因はあるが、今はわからない」というのが精いっぱいだった。

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 1351票差での当落。金田氏も比例代表で復活当選し、川口氏は「結果的に2区から国会議員が2人出た。終わったらノーサイド」という。だが旋風のつめ跡は小さくない。

 民主を離党した元県連幹部らは選挙中から「いずれ復党する」と本音を漏らしていた。当選した川口氏自身、「1人では何もできないので、どこかの党に入りたい」と述べ、事実上民主党入りの意向を示した。

 知事選での川口氏擁立をめぐり民主党と社民、連合の間に生じた溝が、さらに深まった。民主党と選挙協力しながら、2氏に埋没して敗れた社民の山本氏。同党県連の関係者は悔しさをにじませながら言う。「うちらは選挙協力をやったが、(民主党に)裏切られた。でも国民の総意を得ているから逆らえない。突風がやむのを待ちながら、力を蓄えるしかない」【百武信幸】


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