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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
5565
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:47:48
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0003.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】故郷での風向きは… 「首相・麻生太郎」初の地元入り
2009年08月12日 11:05
まとわりつくような熱気は、梅雨明けによる暑さのせいだけではなかった。
6日午後6時、福岡県飯塚市のイベントホール前広場には7千人(主催者発表)の人だかりができた。古里が生んだ「宰相」を一目見ようと集まったのか。建設業や農業など各業界団体関係者のほか、学生やお年寄りも目立った。
首相・麻生太郎として初めての「お国入り」。原爆死没者慰霊式のあった広島市から福岡県に入り、北九州市や古賀市を経由して飯塚市が5カ所目。この日最後の遊説地だった。
首相の到着を合図に、わき起こる「太郎コール」。遊説カーの上に首相が現れ、マイクを握ると、一瞬張り詰めた空気が漂った。最初にどんな言葉を発するのか、誰もが聞き漏らすまいとしているようだった。
「麻生太郎、帰ってまいりました」。首相は深々と頭を下げた後こう切り出した。「この飯塚から東京に(衆院議員として)送っていただき、ちょうど30年。内閣総理大臣にまで育てていただいた」。さらに演説の中で「ありがとうございました」と4度繰り返した。
昨年9月、自民党幹事長だった首相は、福田康夫前首相の後継を選ぶ党総裁選に出馬。「地元で決意を示したい」と飯塚入りした。4度目の総裁選で初の「本命」となり、後援会幹部との会合では「甲子園の決勝まで来た。断固優勝したい」と並々ならぬ意欲をあらわにした。
あれから約11カ月。「悲願」をかなえた首相を、地元は再び温かく迎え入れた。「いいぞー!」「頑張れっ」。演説中には激励の合いの手も飛んだ。だが、その雰囲気は「熱狂」とは微妙に違っていた。
「失言などで自民党への信頼を失わせてしまったのは私の力不足。おわび申し上げます」。神妙な顔つきで語る首相。聴衆の拍手の大きさが、かえって有権者と首相との隔たりをにじませた。
◇ ◇
政党力が揺らいでいる。特に日本の戦後政治をほぼ一貫して担ってきた自民党は、足元の集票システムが崩壊しつつある。18日の衆院選公示まで10日余り。果たして巻き返しは可能なのか。麻生首相をはじめ福岡県を地盤とする大物候補の“選挙戦”を追う。
●83年麻生氏落選 再起へ角栄流 動員力鳥肌立った
1979年の初当選以降、麻生首相の選挙の中核を担ってきたのは曾祖父・太吉氏が興した炭鉱を発祥とする地方財閥の麻生グループ。ひとたび選挙となれば、従業員やその家族が「集票マシン」としてフル回転した。
だが、首相が選挙区とした旧福岡2区は元来、革新基盤の強い土地柄。83年12月、首相は3度目の選挙で苦杯をなめた。選挙手法に迷いを感じていた首相が相談した相手は、「政治家になる前からほれ込んでいた」(首相の元秘書)という故田中角栄元首相だった。
7万5千票余りを獲得しながら2678票差で次点となったことを話す首相に、田中氏はこう諭した。「いいか。すべてを変える必要はない。変えなきゃならんのは2678票だ」
ロッキード事件で逮捕され保釈中の身にあった76年の総選挙で、2位の3倍以上の得票をたたき出してトップ当選した田中氏の言葉には説得力があった。首相は迷いを振り払い、今までの選挙活動をより一層強化した。
陣営には、麻生グループから延べ千人以上がスタッフとして送り込まれた。社員たちは市町村ごとに責任地区を振り分けられ、各後援会支部に張り付いた。ビラづくりを担当した元社員は「100万枚なら刷ってから配るまで3日あれば十分だった」と豪語する。
演説会など集会での動員も群を抜いた。飯塚市体育館での演説会には2千人を集めた。市中心部のバスセンター前で開いた演説会では、集まった人の多さに周辺道路が通行止めになったほどだ。
圧倒的な動員力に加え、企業や支援団体を締め付ける典型的な「自民党型選挙」。当時、麻生事務所の所長だった深町純亮さん(84)は「思い出すと今でも鳥肌が立つ。まさに『空前絶後』の選挙運動だった」と振り返る。
再起を期した86年の選挙で首相は13万4千票余りを獲得。2位の候補に3万6千票差をつけて圧勝した。
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