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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5494チバQ:2009/09/08(火) 21:21:00
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000340909070001
流れ変えた境港集会
2009年09月07日


赤沢氏のシンボルカラーの赤一色で埋まった決起集会=8月27日、境港市上道町

◇激戦の2区 逆転の分岐点は・・・


 政権交代が起きた第45回総選挙の投開票日から、6日で1週間を迎える。鳥取2区は各種の情勢調査で民主リードが報じられていたが、大激戦の末に自民が626票という小差で逆転を果たした分岐点はどこだったのか。それを振り返り、朝日新聞鳥取版の総選挙報道をひとまず終えたい。(井石栄司)


 鳥取2区は選挙戦の序盤、中盤に報道各社が実施した情勢調査では、民主の湯原俊二氏が自民の赤沢亮正氏をリードしていた。朝日新聞が8月22、23日に実施した調査の結果も、湯原氏優勢だった。


 しかし、この時点で全体の3分の1の人が投票態度を明らかにしていなかった。さらに、「湯原氏に投票する」と答えた人の7割が「投票先を変えることがある」と回答。一方、「赤沢氏に投票する」と答えた人で「投票先を変えることがある」という回答は3割にとどまった。逆転可能な差だったといえる。


 22日、取材で赤沢氏の選挙カーに同行した際、選挙活動を取り仕切っていた広江弌(はじめ)県議は「現時点で負けている。ただ、ここ2、3日で追い上げるムードを作れるかどうかが勝負」と話していた。


 26日、2区の激励に入った自民党の山根英明幹事長は情勢についてこう言った。
「広江さんが各支部長を呼びつけてギリギリ締め上げとった。勝てそうな雰囲気だった」


 翌27日には境港市で赤沢氏の決起集会が開かれた。「1200人入れるために400人規模の会場から急きょ変えた」という選対の狙い通り、約1100の客席は満席で100人以上が立ち見の状態。予定通りの動員で、組織が締まっているのがわかった。


 熱気に包まれた会場で赤沢氏は必死に訴えた。「私には比例復活の道はまったくありません。小選挙区で1票でも負ければ一巻の終わりです。仕事を続けさせて下さい」。すすり泣く妻とともに、何度も何度も頭を下げた。


 同市出身で、相沢英之・元衆院議員の妻で女優の司葉子さんも、東京から急きょ駆けつけた。司さんの呼びかけで相沢氏の集会では名物だったという、地酒会社の有力支援者が「ピッピッピー」と笛を吹き鳴らす景気づけで、応援ムードを高めていった。1時間以上に及んだ集会は時間が進むにつれ、高揚感と一体感に包まれた。最後に、「境の票で米子の(負け)分もぜひお願いします」と司さんが締めくくると、会場の高揚感は頂点に達した。


 一方、湯原氏側の県議は最終盤、「境港で風を感じる。民主は1万票はいく」と自信をみせていた。しかし、自民の集会への有効な対抗策を同市で打てなかった。


 さらに、民主側は、湯原氏が市議、県議を務めた米子市で当初、赤沢氏に1万票は勝つつもりでいた。ところが、福間裕隆・県連幹事長は不安を口にしていた。「湯原の運動量や党への風からすると、もっとリードしてもいい。だが、その手応えがない」


 同市での勝利を確実にするため、民主側は28日に岡田克也幹事長を応援に呼んだ。選対発表で1700人という聴衆が米子サティ前を埋め尽くした。しかし、聴衆の視線
は湯原氏ではなく、岡田氏を追っていた。


 米子市で、自民側は最後まで手を緩めず、各種団体を使って大規模な電話作戦を徹底
して展開した。民主リードの報道を逆手にとり、「赤沢が通れば2区から代議士が2人出る」とアピールする戦術で浸透を図った。


 開票結果は、司さんの言葉通り境港市での赤沢氏の得票率は54・3%で、湯原氏を2655票上回った。一方、湯原氏は同市の4倍の有権者がいる米子市で票が伸びず、3136票のリードで終わったため、境港で負けた分でほぼ相殺された。


 赤沢氏側は、民主リードが予想された日野郡でも、内田博長県議が各支部に巻き返しを指示し、682票上回った。川上義博・民主県連代表が最終盤にてこ入れを図ったとされる東伯郡でも、778票勝った。


 結局、湯原氏が勝てたのは米子、日吉津、伯耆、南部の4市町村にとどまった。自民は戦術、組織の両面で民主を上回っていたように思える。


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