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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
5578
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:06:14
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090816/20090816_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】揺らぐピラミッド 師の墓前、決意の終戦記念日
2009年08月16日 16:01
都心にひっそりとたたずむ禅寺は、せみ時雨に包まれていた。
終戦記念日の15日。衆院選公示まであと3日に迫ったこの日、黒いスーツに身を包んだ自民党前職の山崎拓氏(72)は、福岡市博多区の聖福寺で、境内に眠る2人の「先達」の墓前に花を手向け、ぬかずいた。
元首相の広田弘毅と、自民党創立の功労者である緒方竹虎−。山崎氏にとって、2人は母校・修猷館の先輩であり「目標」。緒方が自民党総裁のいすを目前に急逝したとき、早大1年生だった山崎氏は父親とともに通夜に駆けつけた。
額の汗をぬぐおうともせず、山崎氏は語った。「自民党最大の危機を迎えている。だが、健全保守の政党である自民党を、守り抜く決意であると墓前に申し上げた」
■ ■
「郷土の先達の志を継いで総理を目指す」。山崎氏がそんな目標を胸に秘め、初当選を果たしたのは1972年。36歳の若さだった。国会議員−県議−市町議。中選挙区制の旧福岡1区で、山崎氏は順調に系列議員を増やし、ピラミッド構造の頂点に君臨した。
96年に小選挙区比例代表並立制に変わった際、山崎氏が選んだのは現在の福岡2区だった。保守地盤の厚い他の選挙区での立候補を促す声もあったが、広田と緒方を輩出し、自らの原点と見定める「福岡のど真ん中」にこだわった。
だが、福岡2区は無党派層が有権者の4割ともいわれる都市型選挙区。今回、民主党新人の稲富修二氏(38)を相手に劣勢も伝えられ「政権を一度変えたいといううねりが起きている」と自民から民主支持に変わった商店主(62)は言う。
小選挙区制への移行はまた、国会議員と地方議員の関係も変ぼうさせた。盤石だった保守地盤には“ひずみ”が生じていた。
■中選挙区地方議員に「系列」 国会議員と一蓮托生
7月下旬、福岡市博多区のホテル。通称「旧1区の会」と呼ばれる会合が開かれた。
集まったのは、中選挙区制の旧福岡1区で「山崎派」とされた県議や市議たち数十人。小選挙区制への移行後、福岡市は三つの選挙区に細分化されたため、現在は山崎氏と選挙区が重ならない議員も少なくなかった。
席上、会合を呼びかけた議員が真顔で切り出した。「今の選挙区は違うけど、おれは拓さんのために頑張る」。何人かの議員はうなずいたが、その場にしらけた空気が漂った。
一つの選挙区から原則3―5人が当選する中選挙区では、同じ選挙区に複数の自民党候補が立候補することから、公認獲得や選挙戦での資金面で派閥の力が大きくものをいった。
領袖を総理・総裁にすることを「最大目標」とする各派閥の争いは、国会議員の地元で地方議員の「系列」を生み、留守を預かる県議や市議たちも、それぞれの議会で議長などのポスト争いに明け暮れた。
「保守同士、同じ土俵での戦いだから熱の入れ方が違ったし、それが党全体の活力になっていた」。自民党県議は懐かしむように振り返る。
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