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本迹に関して対話するスレッド
169
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/24(月) 06:35:51 ID:AJ3hr85o0
今ね、天城さんは日蓮正宗の講義のままです。
宗門関係の人ですね。
あの論が素晴らしいって浮かれる人、全て日蓮正宗教学ですね。
組織はついてません。
やまいぬさんも、日蓮正宗の教義ですね。
先ず、真っ当な創価学会員に、自分が間違いなく創価学会員であるとの証明がいります。
己義や邪儀を唱えて、自分は学会員です。
これは無理なんですよ。
仏は迹。
人は本。
仏法の決まりごとです。
一大事因縁って言いますね。
仏の出世の本懐ですよ。
シャーリプトラよ、如来には一つの仕事、一つのなすべきこと、すなわち大きな仕事、大きななすべきことがあって、その仕事のために正しいさとりを得た尊敬さるべき如来があらわれるというその仕事とは、どういうことであるか。すなわち、それは、如来の知見を衆生たちに得させるという目的で、そのために正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見を衆生たちに見せるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見に衆生たちをはいらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見を衆生たちにさとらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見の道に衆生たちをはいらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。これがすなわち、シャーリプトラよ、如来の一つの仕事、一つのなすべき事柄、大きな仕事、大きななすべき事柄であり、(如来が)世間にあらわれるための唯一の目的なのである。このようにして、実に、シャーリプトラよ、如来の唯一の仕事、唯一のなすべき事柄、大きな仕事、大きななすべき事柄というもの、それを如来は行なわれるのである。
方便品にありますよ。
仏は人のために出現するのです。
だから、人のための仏法です。
所が、ぶつ本人迹論者たちは、人が法ために存在すると言います。
所詮人なんか道具ですよ。
駄目な人ですね〜〜。
170
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/24(月) 16:04:35 ID:AJ3hr85o0
人のための仏だよ。
当たり前じゃないか。
人を救うのが仏だろう。
救って何ぼだよ。
急病人のための救急車だ。
救急車のために急病になる奴いるかい?
いないだろう。
同じなんだよ。
人を救うための仏なんだよ。
仏に救われるための人間じゃないよ。
171
:
もやし暮らし
:2008/11/24(月) 20:28:54 ID:UFaQVeag0
本迹について、なかなか決着がつきませんが、
ちょっと私の感じたことを。
沖浦さんの解釈に対しての数々の異論のなかに、
「御本尊=曼荼羅」だ と言い切っているかたもおられるようですね。
これには私も疑問です。イコールではないと思います。
誰がこんなことを教えたんだろう・・・。
大聖人は、きちんと分けて説いているのに。
「御本尊=南無妙法蓮華経」ならば 理解できる。
曼荼羅という言葉の持つ意味と、御本尊という言葉のもつ意味の違いは、御書を読んで考えれば、
とわかると思うんですけどね。
そういう意味で、私は、
拝む人と拝まれる曼荼羅に関しては、
人が本で、曼荼羅が迹だと 思います。
要するに「曼荼羅」と「御本尊」の意味をごっちゃにして考えてしまっている方が
多いのでは?と考えます。
だから、ここまでややこしくなっているのかもですね。
しかしながら、
沖浦さんのいう、「自分が本 蓮祖が迹」 にはまったく理解ができません。
172
:
もやし暮らし
:2008/11/24(月) 20:37:18 ID:UFaQVeag0
御本尊=南無妙法蓮華経
であるが
曼荼羅=南無妙法蓮華経 ではないと思う。
173
:
やまいぬ。
:2008/11/24(月) 21:13:49 ID:HjKxo9Ic0
>先日本部幹部会で、『折伏の事を日本語で対話って言うんです。』(趣意)
また大得意、というか一つ覚えの「趣意」ですか?(^o^)
>私が調らべて一言一句間違いない引用をすれば、対面対話を実行する。確約しなさい。
>ならば引用いたしましょう。
くだらない。二言目には「俺と会え」、余程淋しいのですか、沖浦さん?(^^)
自分が書いたことならば自分が責任持って原文をきっちり提示する――当り前の
大前提ですよ。(^o^) それを「趣意」の2文字で逃げ回っていたのはあなたであり、
いまだにそれらの原文を提示出来ていません。論外ですよ。(^o^)
そしていつもながらの「俺と会え」。(^o^)
なにが「確約しなさい」ですか、沖浦さん? 逃げてないでとっとと自分の引用した
原文、書き込んだ人間の責任で書いてみなさい。(^o^)
>師匠と打線氏
なんて書いてあるんですか? 誰ですか?(^o^)
あなたは「師匠」とかいうひとの名前を打ち間違えて確認もしないのですか?
大した「師弟観」ですね。見習う気はありませんが。(^o^)
>貴方が池田先生の御行動について述べる資格なんかありません。
1字も違えずあなたにお返ししますよ、沖浦さん。(^o^)
師の指導を公然と歪曲し、全く真逆の意味に摩り替えて、邪義を平然と捏造するような
人間の何処に、「師匠云々」など書く資格がありますか。(^o^)
馬鹿馬鹿しいにもほどがあるんですよ、沖浦克治さん。(^o^)
174
:
やまいぬ。
:2008/11/24(月) 21:14:42 ID:HjKxo9Ic0
>貴方の一々の屁理屈は反論の値打すらありません。
はい、また逃げましたね。(^^)
パワーリフティングの猛者は、こうやって何度でも逃げてきましたね。
『沖浦先輩。
余程お望みのようですので、
>それと、御書や先生の指導、世間の学説などを引用する際、このスレでは趣意結構です。
この「趣意可」の規定の最大効果と、そのような曖昧極まる書き込みをお続けになった
先輩の手法をそのまま真似て、今回の「自分が本、蓮祖が迹。」というあなたの断定の
真偽について、魔法のように一瞬で決着させてみせましょう。
『もし今後、学会に居ながらロクに学会活動もせぬくせに、自己顕示欲に迷って「我こそは
真の学会員也」などと称し、本心において学会員を馬鹿にし軽んじ、あまつさえ
「自分が本、蓮祖が迹。」などという世迷言を抜かす者が出て来たならば、この者は
その瞬間に魔物でありサタンである!』(戸田先生指導・趣意)
私の勝ちです。
沖浦先輩、あなたが繰り返してきた「趣意」なる逃げ口上の使い方をそっくり真似ただけですよ。
先輩、まさかあなたは私の上記の「戸田先生の指導」の資料提示などは望まれませんよね?
もしそれを望むなら、今まで先輩がお書きになったすべての「趣意」付きの指導に関し、
私より先に提示する義務と責任が発生します。
沖浦克治という丈夫が、まさかひとにのみ望んで、先からの自分の書き込みに関する責任は
逃れようとはなさいませんものね?
お望みになられた通り、この沖浦板Ⅱで決着させて頂きました。』
黙ってスルーですか。(^o^)
『>で、判定者である民衆はなんと言っておられますか?
誰でしょう?(^o^)
>やまいぬさん。貴方レベル低すぎます。
謹んで先輩に、そっくりお返し致します。
あなたの一方的に決めたルールで私の完勝――あなたは最早、1文字書けば書いた分だけ全部
完敗した泣き言となります。沖浦克治という丈夫のすることではありません。』
惨めですね。(^^)
『>私はね、既に表明しておりますが、ネットで先生のご指導を引用する際、音源を全て持っているものを
>引用しております。
ほう? あなたは「法華経の智慧」を引用されましたね?
池田先生や教学部の2人とともに、あなたはその場にいて録音でもされたと?(^^)
あれ? あなたにとって「先生」とは、池田先生ではないのですか?(^o^)』
返答不能ですか?(^o^)
『>やまいぬさん、貴方はありもしない戸田先生のご指導をでっち上げました。
>大きな謗法です。
あなたが「趣意」の2文字を使って、証明できない幾多の先生の指導を散々書き込んだことに比べれば、
さらに、「法華経の智慧」を引用しながら、子供でも解る文意を平然と捻じ曲げ、自分の都合のいいように
変えて、「自分は本、蓮祖は迹。」なる、いまだ阿部日顕しか云ったことのないのと寸分違わぬ
捏造教義を主張したことに比べれば、可愛いものですよ。(^o^)』
返答不能ですか?(^o^)
『>単純な事実ですね
>人が本、仏は迹。は、大聖人様の教えです。
>私のものではありません。
>本が家。迹が足場。
ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。(^^)』
今度は読めましたかぁ? 「教学的根拠」であって、あなたのいつもながらの根拠なき
思い込みじゃありませんよぉ。(^o^)
『その上で――
では本尊は足場であり、いずれ取り除くべきものであるという文証を挙げてください。
簡単ですよね? 単純なんでしょうから。』
また逃げますかねぇ?(^o^) 文証ですよ、文証!!(^o^)
『>手段同士を相対比較すれば、
>目的にかなった手段が本。目的とそぐわない手段は迹。
>こうなりますね。
あれ? 今度は出鱈目な本迹相対ですか?(^^) どこにこんなことが書いてあるのか、文証を
どうぞ。(^^)』
どーぞといえば、さっさとどーぞ。(^o^)
『>仏本人迹論者の方、何か問題ありますか??
さて誰が「仏が本、人が迹」などと主張しているのでしょうか?(^o^)
あなたが過去に書いた「理の当然」は、あなたの修羅が招いた全くの出鱈目です。(^^)
あなたは道理の通らぬことを、根拠抜きに断定するばかりです。あなたの思いたいように。(^^)
誰かが「仏が本、人が迹」などと主張したという書き込みを、どうぞupしてください。
出来なければ、あなたはただのデマゴーグです。(^^)』
どーぞ。挙げれますよねぇ? それとも挙げられるのは「重い物」ばかりですか?(^^)
175
:
やまいぬ。
:2008/11/24(月) 21:15:43 ID:HjKxo9Ic0
『「世法のことを世法で取り返す」――これなら、ではどこに「信心」がありますか?
別に学会員でなくとも、当たり前に世間でやっていることですよ。
「あれはやる、これはやらない」――それで復活した方の体験などありません。
「全部やると決意した」――これが、先生の指導通りというものです。』
だんまりですか?(^^)
『>先生はね、仏法は今から先が肝要だ。と、それこそ何万遍もご指導です。
>過去にとらわれて生きる事はおろかです。
違いますね。
仏法が何故「三世」という言葉を用いるかお解りでしょうか?
「現当二世」が「過去」をも変えるからですよ。
痛恨の過去に引きずられて、今と未来に価値を生まないならそれは反仏法であり反価値です。
痛恨の過去を忘れ去るのではなく、それまでの自分を反省し、だから実は決して過去を
忘れ去ることなく、自分を根本から変えて真実の価値を生む――これが創価思想です。
今と未来が大切だから、過去なんかどーでもいい――こんな能天気な話ではありません。
そして、では何を変えるのか? 「信心」ですよ。
あなたで云えば、「あれはやるけど、これはやらない」のあなたです。
「あれはやるけど、これはやらない」の根底にあるのは、心の奥底で「学会を舐めている」、です。
池田先生は戸田先生との関係の中で、戸田先生の仰ったことの、「あれはやるけど、これはやらない」
をやりましたか? 仰ってもいないことまでも全部、お二人にしか解らない凄まじい理解の中で、
全部「先んじて」までやられてきたのではないのですか?
これが「師弟」というものです。
「あれはやるけど、これはやらない」などという師弟など、どこに存在しますか?
支援活動をしないことは組織も認めているし自由だ。
――確かに自由ですよ。
「あれはやるけど、これはやらない。俺の自由だから」――全く結構ですが、そんな師弟など
ありませんから、金輪際「自分が池田先生の弟子だ」などとは仰って頂きたくありません。
世界中の池田門下に対して無礼です。』
どーぞ。(^^)
『>でも、私は真面目な創価学会の組織の方を尊敬しております。
でもご自分ではその姿を真似て、先生の指導の如くはやってこられなかった訳ですね?(^^)』
あーあ。黙ったまんまだ。(^^)
『>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
あれ? あなたは「自分が本、蓮祖は迹。」と断定されましたね?
蓮祖は「広宣流布をおこなっている民衆」の一人ではないのですか????
>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
先に問うた私の書き込みに返答なさいませんでしたね?
内証はどうあれ人間・蓮祖は、「衆生」ではないのですか? 蓮祖は「広宣流布を行っている民衆」の
最初のお一人ではないのですか? あなたにとってはやはり、過去の絶対的な迹仏とおなじなのですか?』
あれ? これまた返答不能ですか?(^o^)
>仏界湧現などと大嘘を平気でついている人間。
>師の言葉を捏造する人間。
>大謗法の人生です。情けないですよ。
お見事! 全部今のあなたの描写です!!!(^o^)(^o^)
よく見えていらっしゃるじゃないですか!(^o^)
沖浦さん、貴方ね、本気で信心に頑張りなさい。
>創価学会は名前も顔も分からないネットでの書き込みを全く評価していませんよ。
という公式見解をupしてください。(^o^)
・・・あれ? また捏造ですか? もう飽き飽きなんですよ、捏造ばっかりの沖浦克治さん。
>貴方の書き込みは創価学会以外の活動です。
>我見のネットなんですよ。
これも見事ですねぇ。よくご自分が見えていらっしゃる。(^o^)
>対面対話に直結するネット。これをおやりなさい。
という学会の見解をどうぞ。(^^) またあなたの捏造ですか?(^o^)
逃げ続ける言い訳に使う頭があるのなら、ご自分人生を考えるべきです。
もったいないでしょう、今のままではね。
176
:
やまいぬ。
:2008/11/24(月) 21:16:21 ID:HjKxo9Ic0
>人のための教えですから、目的である人は、本。手段である教えは迹。
で、「自分は本、蓮祖は迹。」と断定した沖浦克治にとっては蓮祖は「手段」なんだそうな。(^^)
>救済される民衆が本。仏法が迹。
本迹の教義的根拠すらまだ出せていないでダラダラ書かないことです。(^o^)
>曼荼羅は仏法の中に含まれるから迹。これが何故おかしいのですかね?
ね? 丸っきり解っていないでしょ、この方?(^o^)
>人のための法じゃなかったのですか? 仏本人迹論の方々。
だーから「仏本人迹論」なんて、何処で誰が書いたのか、さっさと挙げて御覧なさいよ、
沖浦克治さん?(^o^) 少々遅すぎますよ。(^^)
>やまいぬさん。今日の新聞の2面です。
「沖浦克治に会え!」とはどこにもありませんが??(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
(あー、腹痛い・・・。(^o^) )
わざわざ長野の人間に逢わずとも、時間の許す限り、自分が逢わねばならない人間に
逢っておりますよ。ご心配なく。(^o^)
>拠点提供の尊さもご指導です。
知っていますよ。私も10年以上、24時間体制で拠点を提供してきましたから。(^o^)
>やまいぬさん、愚壮さん、その他の師敵対の大謗法です。
何度でも教えて差し上げますよ。
「法華経の智慧」を歪曲したのみならず、それを以て「自分が本、蓮祖は迹。」なる奇っ怪な、
阿部日顕以外云ったこともない邪義を捏造したあなたこそが師敵対の大謗法です。
沖浦さん、貴方は今本当に創価学会員かどうかを問われているんですよ。
ご自分が学会員である証明を先ずなさい。その後、論じなさい。
>私は貴方とお会いいたしましたが、創価学会員である証明は頂いておりません。
>単なる貴方の自己申告のみです。
あーあ、これだ。(^o^)
「やまいぬ。とは実際に会ったから信頼できる」と繰り返し書いてくださったのは
どこのどちらさまですか?(^^)
あなたの邪義に反意を示した途端、「学会員だと証明しろ」??(^o^)
沖浦克治さん、語るに墜ちましたね。
さあて、いったいいつになったら、本迹の定義の教義的根拠は出せるのでしょうか?
待っていますよ、沖浦さん?(^^)
177
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/24(月) 21:28:40 ID:AJ3hr85o0
やまいぬさん
本性が出てますよ。
少し真面目に信心して祈るんですよ。
このままじゃ駄目になります。
本気で組織おやりなさいね。
嘘の人生はいけません。
創価学会はね、HNでのネットには全く価値を認めていないのです。
いくらネットでHNで大言壮語しても、仏道修行じゃないんですよ。
本物の社会で実証を示しなさいね。
本迹なんか論じる資格ありませんよ。
HNはね、無意味なんですよ。
178
:
やまいぬ。
:2008/11/24(月) 21:49:09 ID:HjKxo9Ic0
>嘘の人生はいけません。創価学会はね、HNでのネットには全く価値を認めていないのです。
だーから公式見解はどうしたんですか?(^^)
あなたの妄想や「そう思いたい」という思い込みなど誰も訊いておりませんよ。
50代でもう耄碌されましたか? どうぞ。(^^)
>本物の社会で実証を示しなさいね。
御聖訓の通りの行動で、はっきりした因果を以て、大功徳を連日頂いておりますが、
それがなにか?(^o^)
で、膨大な宿題がそのままですよ。
また唖の如く黙り込んで逃げるのですか、沖浦克治さん?(^o^)
本迹の教義的根拠はどうしたんですか? さっさと書いてくださいよ。
待ちくたびれますよ。(^^)
179
:
もくれん
:2008/11/24(月) 22:48:45 ID:gO.Fk5NY0
>>172
もやし暮らしさん
突然にすみません
>御本尊=南無妙法蓮華経
>であるが
>曼荼羅=南無妙法蓮華経 ではないと思う。
ちなみに、創価学会の正式な出版物の記述です。
書籍「教学の基礎」創価学会教学部編
一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法
たる南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です
とあります。
この表現を「じ〜〜と」眺めてみてください。
少し解説しますと「またそれを」は「そっくりそのまま」の表現が
いいとは思いますが、
★ しかし、一般論で「曼荼羅」だけでは、必ずしも、通常私達の
拝している「曼荼羅御本尊」とは、限りませんが、
>>172
この場合は
もやし暮らしさんは、当然、日夜私達が拝している「御本尊様」の
ことを「曼荼羅」と表現されたものと「仮定」して、上記は書きました。
180
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/24(月) 23:03:24 ID:twunqjekO
もやし暮らしさん、初めまして。
今時間的に長く書けないので要点だけ書かせて下さい。
御書書き出す時間ありませんので。
創価学会員が拝するご本尊に関してです。
曼陀羅の中央に、
「南無妙法蓮華経 日蓮」とございます。
また、曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております。
突然失礼致しました。
181
:
もくれん
:2008/11/24(月) 23:03:52 ID:gO.Fk5NY0
>>171
もやし暮らしさん
連続で失礼します
>そういう意味で、私は、
>拝む人と拝まれる曼荼羅に関しては、
>人が本で、曼荼羅が迹だと 思います。
沖浦説に「同感」ですと、言っていると理解してよろしいですか?
御本尊様と私達の関係は「帰命の対境」です。
御本尊様と私達の関係を「本・迹」で表現するのは、間違いです。
「本・迹」の仏法用語の使い方を、「仏教哲学大辞典」等で、ご確認ください。
>沖浦さんのいう、「自分が本 蓮祖が迹」 にはまったく理解ができません。
そもそも、沖浦さんは「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」と言ったのですよ。
ですから、先ほどいみじくも、もやし暮らしさんも、沖浦さんと同じことを
言っているわけですね。沖浦さんと「同感」ですと、言っているようなものですよ。
ただ、「衆生己心の妙法」・・・・衆生
「曼荼羅・・」 日蓮大聖人(人法一箇ですから)
天城氏が「人本・仏迹」論と、短く表現したのですよ。
182
:
もくれん
:2008/11/24(月) 23:23:59 ID:gO.Fk5NY0
もやし暮らしさん
しつこいですが、
「本尊」も「曼荼羅」も「法」そのものなんですよ。
目に見えない「法」つまり「本尊」を、具体的に図顕したのが「曼荼羅」ですね。
通常私達は「御本尊様」というと、「曼荼羅御本尊様」を意味しますよね。
「法そのものです、南無妙法蓮華経そのものです、日蓮大聖人のたましいですね。
当然、私達の胸中にも「本尊」はあるわけです、己心の仏界の生命ですよね
当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。
183
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 00:05:47 ID:UFaQVeag0
>>また、曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております。
混ぜてるのではなくて、大聖人自身の図顕や目に見える物をさして曼荼羅と表現している。
本尊は本尊曼荼羅は曼荼羅で書かれているかと思いました。
大聖人が混ぜる必要はないと思っていました。
南無妙法蓮華経(ご本尊)で良いのではないですかね。
南無妙法蓮華経(曼荼羅)にする必要はあまりないように思います。
問題は通常はや、一般的にはのような曖昧な表現が誤解の元になるかと思います。
>>御本尊様と私達の関係を「本・迹」で表現するのは、間違いです。
これは当然ですね。
>>当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。
これで良いのではないですかね。
曼荼羅とご本尊をうまく説明できる方がいらっしゃるとわかりやすいのですが......
184
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 00:12:24 ID:UFaQVeag0
混ぜるとありましたが、真筆はありませんがこの御書の内容を見て混ぜている
とは思わない私です。
素人の意見でした。
経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり、相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり。
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。
185
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 00:18:33 ID:UFaQVeag0
もくれんさん
はじめまして
『一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法
たる南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です』
ありがとうございます。
理解はできます。
これを読みましてもそうですが、御本尊と曼荼羅は、
イコールであってイコールでないととれますがどうでしょうか?
私が言いたいのはそういうことです。
南無妙法蓮華経は南無妙法蓮華経であって、
目に見えるように顕したのが曼荼羅なのですから。
>当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。
その通りだと思います。
私が言っている迹としての曼荼羅は、寿命があるということを前提にです。
もしそこで 人の体も寿命があんだろ というなら、それに宿る己心の仏界の生命は永遠ですよね。
そう考えると、拝む人と、拝まれる曼荼羅で考えた場合は、
どちらかといえば人が本ではないでしょうか?
人が拝まなければ、曼荼羅はそこに存在するだけにすぎません。
「自分が本 蓮祖が迹」に関しては、まったくそれとは
ちがうと思います。
風凛さん
はじめまして。
ありがとうございます。
>曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております
まぜてますか?
では、なぜ「曼荼羅」と「御本尊」という二つの言葉が存在するのでしょうか?
意味するところがちがうからではないでしょうか?
イコールであってイコールでないと。
186
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 00:27:10 ID:twunqjekO
>>183
もやしの旦那さん、初めまして。
レスありがとうございます。
私はここの板の常連ではなく、来るのも・・・という立場ですので、183へのレスのみひとまず。
「混ぜて」という表現、言葉が過ぎると思いましたが、曖昧だと混乱の元なので使用致しました。
御書の文章の中に両方を折り込んだように使われている、という方がいいのかもしれません。
個個人で受け取る印象が異なるでしょうから、そこだけに必要以上に囚われずにレス見て頂ければと思います。
私は、ご本尊と曼陀羅を殊更分けたり、本じゃくに分けたやりとりが長く続いている状況の方に、違和感と驚き感じています。
祈る時に私はわざわざかのように分けて難しく考えて祈った事無いからです。
目の前にご安置してある曼陀羅をご本尊として祈るだけですから。
かのような発想自体ありません。
また、御書の言葉をそのまま拝する事が大切だと思っています。
レスありがとうございました。
187
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 00:36:47 ID:UFaQVeag0
もくれんさん
何度もごめんなさい。
>「本尊」も「曼荼羅」も「法」そのものなんですよ
う〜ん
そのもの・・・
これに関しては、ちょっと違うような・・・。
うまくいえなくてごめんなさい。
188
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 00:48:36 ID:UFaQVeag0
風凛さん
そうもありがとうございます。
本、迹の使い方を沖浦さんがお間違いのようですから、こんなに問題に
なっているのだと考えます。
沖浦さんとしては、本、迹を使えば簡単に振り分けができると判断しての
発言なんでしょう。しかしながら、本、迹は非常に大切な要素(大聖人様の仏法において)
であるのですが、軽々しく本、迹を様々な言葉に混ぜて発言しているところに
問題があります。
大聖人様の仏法であるが、沖浦節で解説している=誤った情報を発信する。
そして、人柄にひかれた人間が法を見失う可能性を秘めている。
事、教学に関しては重要であり、学会の基礎となる部分ですから、問題です。
他宗の方が何を言おうと、それは反論すれば済むことですが、学会員を名乗る
人間が自己の満足を得るために発言してはならないかと思います。
おっしゃる通り御書を素直に拝し、実践するだけなのですよね。
正直、沖浦さんは、何が何でも自分を優位にしていたい気持ちが言葉から伺えます。
個人スポーツの延長線上の気持ちのまま語っているのか?
組織は団体です。個人の祈りは個人ですが、個人そのものを団体にあてはめて
おられるのでしょうか?
私には到底理解できない教学を沖浦さんは発信しておりますが、一度も他人の
意見を受け入れない状態ですね。
このような事を書くと、貴方は負けている。祈りなさい、私の方が上です。
このような言葉しか返ってきません。
言葉のどこにも説得力がないのです。
仏法でも、言葉と耳から入る情報はとても重要だと思っております。
そのような御書も涅槃経をたとえて書かれた御書があったような気がします?
一連の発言に怒りを覚える方は多いかと思います。その怒りを魔だと言う沖浦さん
はもっと魔に支配されているように感じております。
失礼しました。
189
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 01:04:13 ID:twunqjekO
>>185
他板でレスしましたが、もやし暮らしさんの185へ。
凡語で曼陀羅⇒漢語で御本尊。
創価学会での御本尊は曼陀羅本尊。
こう言えば分かりやすいでしょうか。
もし、2つの言葉にばかり囚われて、分けて考えなければならないのなら、学会員は何を根本にしているのか分からなくなると思いませんか。
人間で考えてみても、もやしさんのおっしゃるように体は寿命あります。
でも、肉体と精神、どちらがバランス欠いてもよくないと思います。
もやしさんが感じてらっしゃる「=であって=でない」という感覚、何をおっしゃりたいのか、伝わってきています。(^_^)
感じ方の部分は、今後のもやしさんご夫妻の信心の経緯でそこからまた、変化等して行くのではないでしょうか。
ただ、ご本尊、つまり信心に関して外してはならない大事な事ありますので、先にもやしさんがレスされた・もくれんさんが書かれた創価学会の教義の根本をじっくり感じて下さればと思います。
もやしさん、レスありがとうございました。
190
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 01:26:03 ID:UFaQVeag0
風凛さん
こちらこそ、ありがとうございます。
>凡語で曼陀羅⇒漢語で御本尊。
私が言いたいところは、このような違いではなく
言葉の持つ意味の違いなんですぅ。
「御本尊」と言いきった場合、目に見えないこともふくまれるととれますよね。
そして「曼荼羅」もしくは「曼荼羅御本尊」といった場合は、目にみえる存在です。
その違いではないでしょうか?
それを無視してなんでもかんでも簡単に語るから、よけいここまでややこしくなってしまっているのではないかと
思います。
沖浦さんの論は、簡単にしているようでいて、実は余計に難しくしていると
感じてなりません。
191
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 01:26:40 ID:twunqjekO
>>189
へ補足。
ご本尊とは信仰で大切な存在。
一方曼陀羅は、信仰の根本を紙幅に現したもの。
上記語彙の表現たがえども同じ事をさします。
が、ご本尊という言葉の持つイメージと、紙幅の曼陀羅とで、微妙に違いを感じる方がいるかもしれません。
もやし暮らしさんへは、
「=であって=ではない けれども=である」と表現した方が分かりやすいのかな?と思いました。
もやしさん、
もやしの旦那さん、レスありがとうございました。
192
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 01:42:51 ID:twunqjekO
>>190
もやしさんへ。
私も本来、こういう事での書き込みあまりしません。
ご本尊の前に素直に座るだけですから。でも、難しく考え過ぎる書き込み目にすると、書き込むするようになってしまいます。
あと、感覚を全て完璧に100%表現するのは難しいと思います。
もやしさんのご本尊への感じ方と、私の感じ方、近いかもしれませんし。
ただ、もやしさんが本じゃくで分ける事に同意されてる場合、そこから距離開いて行くのだと思います。
そこは御主人とお話されていかれたらと、思います。
193
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 01:57:22 ID:UFaQVeag0
風凛さん
基本的にもやし暮らしは本、迹でご本尊様をわけておりません。
非常に難しい表現が必要かとは思います。
簡単に言えば、本、迹でわけるものではない事は前提で言っている訳です。
そもそも、ご本尊は迹や連祖が迹だのおかしな意見が発端かと思います。
なので、本、迹でわける事には同意していないのです。
あえて分けるならばとの話からでしょう。
こんな感じです。
そもそも勝劣をつけるほうがおかしい訳ですし、もやし暮らしもそれは
十分理解しております。
194
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 02:10:44 ID:UFaQVeag0
風凛さん
私、他板でも書いたことがあるんですが、
主人が言っているように、ど〜うしても分けるならば が前提です。
195
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 02:13:47 ID:twunqjekO
>>193
>基本的にもやし暮らしは本、迹でご本尊様をわけておりません。非常に難しい表現が必要かとは思います。簡単に言えば、本、迹でわけるものではない事は前提で言っている訳です。
上記伺い、ほっとしました。
上記の前提があっても、「分けて考えた場合の書き込み」がある・続ける事で、その書き込みを目にしたほうでは、「分ける事に同意している」という印象があったかもしれません。
この点は、私も失礼致しました。
もやしさんの感覚と、もやしの旦那さんの書き込み伺ってですが、今後もご夫婦で励ましあいながらの信心歩まれて行くお姿浮かびました。
もやしさんの過去の書き込みをリアルタイムで拝見した時は、どう表現していいか分からない事多々ありましたが(私も昔内得してたので余計に)、もやしの旦那さんのいくつかのレス拝見し、ほっとしました。
やりとりありがとうございました。
他所で行きかいましたら、よろしくお願い致します。
196
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 06:57:59 ID:AJ3hr85o0
貴方方ね、教学より、人間革命目指しなさい。
祈りのない教学なんて、小理屈ですよ。
祈って社会に創価の正義を示せる人におなりなさい。
今は駄目でも、3年後、10年後、20年後を目指すんです。
貴方方の書き込み、なにくそ今に見てろ!がまったくありません。
これじゃ〜ね〜〜?
197
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 06:59:33 ID:AJ3hr85o0
では三人さんに、本迹をお教えいたしましょう。
ネットで無意味な教学論を書き込むのが、迹。
宿命転換の助縁になる決意を書き込むのが、本。
覚えておきましょうね。
198
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 07:00:45 ID:AJ3hr85o0
ですから三人さん、
photochika さんを見習いなさい。っていつも言ってるでしょう。
199
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 09:25:47 ID:twunqjekO
もやし暮らしさんへ。
大事な事書いていませんでした。
ネットでの書き込み、基本的には誰でも自由。
ですが、もやしさんが「どんなに前提ありきで」分ける発言をしてもロムの方全員がもやしさんの前提を知っているとは限りません。
その上でもやしさんの分ける発言だけを目にする方もいる以上、「分けて考える」方がこれからも出てくる助縁になる可能性あると思います。
また、書き込み者本人の言葉の発露において、ネットもリアルも生命では同じです。
どんなに前提ありきでもです。
もやしさんの心のどこかに留めおいて頂けると幸いです。
では。
200
:
もくれん
:2008/11/25(火) 11:47:47 ID:gO.Fk5NY0
>>185
もやし暮らしさん
>人が拝まなければ、曼荼羅はそこに存在するだけにすぎません。
ある意味「その通り」と思います。
ちょっと時間が無いので、上記についてのみ、書きます。
ちなみに、日蓮宗の身延とか、その他の寺にも、日蓮大聖人の御真筆の
曼荼羅御本尊はあるそうです。
当然、謗法の寺にあるのですから、御真筆といえど功徳はありません。
(先生のスピーチに、はっきり書いてあります。)
というか、五老僧の流れは、大聖人を御本仏として、わからないので
そもそも「曼荼羅御本尊」に向かって、題目を唱えないのでしたよね。
このへんは、ほとんど詳しくないので・・
五老僧の流れは、大聖人を「大菩薩」という程度にしか、認識できていませんね。
又、現宗門(日顕宗)の題目も絶対に功徳は無いと、先生は断言されています。
いわゆる「戒壇様」ですね・・・・・・・
金原氏の本で「真偽」が話題になりましたが、仮に「ほんもの」であったとしても
日顕宗に「存在」している以上、法華講の人たちが、どんなに題目を唱えても
絶対に功徳は無いと、先生は断言されています。
勿論、他の法主の書写の御本尊でも、同様です。
そうですね、「曼荼羅御本尊の仏力・法力を引き出すのは、私達の信力・行力
ですからね」
存在しているだけであれば、「掛け軸」に、なりかねないですね。
というか、何の「価値・つまり智慧」を、引き出すことはできませんね。
そのへんは、普通の学会員は「発心」すれば、必ず当たり前のこととして
「解かって」いくはずです。
当たり前のことですが、
「御本尊様・つまり曼荼羅御本尊様」を「明鏡」として、真剣に、師弟不二で
広宣流布を願い、自他共の幸福を祈りに入れ、題目を唱えることに
よって、己心の仏界の生命(己心の妙法)が涌現する・・・・・
普通の学会員は、当たり前のことですね。
又、これも、普通の学会員の当たり前の体験ですが、「緊急火急」の際
曼荼羅御本尊様なしで、題目のみで、なんらかの、体験をつかむ・・
私も、当然、あります。
だからといって、「曼荼羅が迹」というのは、次元の違う話です。
★ 曼荼羅御本尊 と 私達
対境 と 帰命
の関係です。御義口伝の冒頭にあります。
★ それから、 普通 「御本尊様」と私達が表現するのは
各家庭や会館の「御本尊様」つまり「曼荼羅」ですね。
一大秘法の「本門の本尊」の「本尊」は、御本仏の「たましい」そのもので
その「たましい」そのものを、具体的に目に見える形にしたものが
「曼荼羅」です。内容は同じですが、「曼荼羅」は、物質としての側面から
寿命がある・・この違いですね。
201
:
もくれん
:2008/11/25(火) 11:56:55 ID:gO.Fk5NY0
もやし暮らしさん
それから、教学の研鑽でしたら、こちらでも、おなじみの
粛坊さんが管理人の「けんちゃん・ぎかんちゃん」という掲示板ですが
「ヤフー」検索で、すぐ出ます。
私も常駐しています。
こちらで、これ以上、教義論を展開すると、沖浦さんにご迷惑に
なるのかもしれないので、以後は「けんちゃん・ぎかんちゃん」で
必要に応じて、教学談義は、させていただきたく思います。
よろしかったら、お越し下さい。
202
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 12:09:27 ID:UFaQVeag0
>>199
風凛さん
ご忠告ありがとうございますm(__)m
確かに私の言葉が足りないところがありました。
お許しください。
以後来をつけます。
203
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/25(火) 12:58:30 ID:twunqjekO
>>184
もやしの旦那さんすみません、184見落としていました。
184拝見して、もやしの旦那さんの方が私よりも教学がおありだと改めて思いました。
素人ではないだろう、と。
個人的な所感ですが。
もやしの旦那さんが上げて下さった御書の中の『此の御本尊』とは何をさし現していると思われますか。
もやしの旦那さんがおっしゃって下さったように、この御文もそのまま拝するものだと、私は思います。
>>202
もやしさん、いえ、こちらこそありがとう。
もやしの旦那さん、もやし暮らしさん、レスありがとうございました。
何か疑問ありましたら、ご夫妻がロムしてるだろう他板にいますので、いつでもどうぞ。
また、どこかで。
管理人さん、このスレッドでのやりとりで長々と失礼致しました。
204
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 13:29:03 ID:UFaQVeag0
もくれんさん
レスありがとうございますm(__)m
風凛さんとのやりとりと重複してしまいますので、そちらをお読みいただけると
助かります。すみません。
もくれんさんがおっしゃる 「学会員ならば、当然。あたりまえ。」
そうですね。理解できます。
その当然の事を理解できていない人が ネットででたらめを語っている現状。
問題ですね。
管理人さん、長々と失礼しました。
205
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 18:39:13 ID:UFaQVeag0
風凛さん
私は教学はありません。無いから良いと思うのです。沖浦さんのように教学を
中途半端に利用して自己の勝手な解釈を展開するより、教学がなく、一生勉強
の立場のほうが良いと思っております。
ご返答ありがとうございます。
206
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 19:05:55 ID:AJ3hr85o0
もやしの旦那さん
一生教学に無縁でどうぞ。
私は貴方のような愚かな人生はいやですよ。
207
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 19:31:28 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
やっぱり、何が何でも他人に勝ちたい気持ちが見えますね。
勝つためならば何でも利用し、教義までも変化させる姿こそ、日蓮正宗そのものなのです。
しかも、相手の言葉を理解していない発言が貴方のいい加減さを顕しています。
208
:
やまいぬ。
:2008/11/25(火) 22:32:46 ID:izDmNcgk0
>私は貴方のような愚かな人生はいやですよ。
ああ、50過ぎて止められない自己顕示欲と自意識過剰の故に師匠の言葉を
歪曲して師匠利用を働き、まして邪義を捏造するような無慚な人生のことですね?(^o^)
209
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 22:52:10 ID:AJ3hr85o0
いいえ、私がいやだと言っているのはね、やまいぬさんに見られるように、師匠の数ヶ月前の指導も忘れ果て、邪儀と指導を捏造して自らの正当化を図り、現実社会で敗北を重ね、組織では全く活動できない人生なのですよ。
私と耕治はね、創価の王道を行くのです。
指をくわえてみていらっしゃい。
でもね、貴方も祈って行動するならば、開かれますよ。
一度ネットから撤退し、現実社会で頑張ってみればいかがですか?
210
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 22:54:27 ID:AJ3hr85o0
やまいぬさん、もくれんさん、風凛さん、もやしご夫婦さんたちの、祈りのない小理屈の書き込みはネットでも迹。
祈りに裏付けられた私共の主張のネットは、本。
ネットにも本迹あるんだよね。
211
:
やまいぬ。
:2008/11/25(火) 23:05:51 ID:izDmNcgk0
あなたの「勝手に決めた」捏造本迹がね。(^o^)
>一度ネットから撤退し、現実社会で頑張ってみればいかがですか?
あなたは学会から去ってくださって結構。(^o^) 無用ですよ。
212
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/25(火) 23:20:27 ID:AJ3hr85o0
やまいぬさん
貴方が先ずどこの何者か?
明確に皆様に分かるようにしましょうね。
それが無いと、貴方煙のような存在ですよ。
師匠に弓を引く人生、何時まで続けますか??
真面目に祈って打開しましょうね。
頑張るんですよ。
213
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 23:31:11 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
もうやめたら如何でしょう。こんな理屈
>>ネットにも本迹あるんだよね。
これで創価王道でしょうか?
(祈るんです 頑張るんです) これしか言えないのでしょうか。
話の流れからして激励ではなく煙にまくために激励の言葉を利用して
いるようにしか思えません。
通常、謙虚な心であれば、私も頑張ります。私も祈りますと言います。
弓を引いておられるのは沖浦さん自身かもしれないと、振り返る姿勢も大事
214
:
タンポポ
:2008/11/25(火) 23:43:25 ID:WwDrUF2wO
今日帰りしな国会議事堂を見ていてちょっぴりわかった事。国会議事堂へ選挙で上がれた国会議員は迹。市町村議員や市町村長も迹。国民が本。国民のために働ける国会議員や市町村長や市町村議員は本。国会のためや市町村長利益のために動く国会議員や市町村長や官僚らは迹。国民のために働けている国会議事堂議会が本。市町村民のために働けてる市町村議会が本。と悟り理解できました。国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います。チョイ悟りまで。宗教の中でも同じですね。民衆のため人間のための宗教であることが本だね。宗教のために人間では迹だね。
215
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 23:46:43 ID:UFaQVeag0
>>貴方が先ずどこの何者か?
明確に皆様に分かるようにしましょうね。
これも煙にまく手段です。意味わかります?
であれば、参加する否定者も肯定者も何処の何者かを明確にしないと話にならない
俺は(沖浦さん自身)名前を公開しているからすごいんだぞー
お前も同じにしなさい。でなければ貴方の言っている事は全て間違いだ。
このような返答を煙にまくと世間では言います。
自分に否定的な人間は全て疑い排除し、肯定的人間には飴を配る。
これで、沖浦さんの自説や考えをどうやって伝えるのでしょう?
否定する者には適正であり、根拠のある証拠を明確にすればそれで良い
のではないでしょうか?
ただ、排除し、肯定者と談義するだけならばサークル活動であります。
連祖は迹を沖浦さん自身がわかりやすく説明し、これでもかーと一喝して
黙らせる事が今やるべき事ではないでしょうか?
216
:
もやしの旦那
:2008/11/25(火) 23:50:10 ID:UFaQVeag0
タンポポさん
何でもかんでも本、迹で話して何の約にたつのでしょう?
本当におかしくなりますよ。沖浦さんへの援護はよくわかりますが、非常にお粗末です。
沖浦さん
これが貴方の肯定者のコメントですよ。
多分、沖浦さんは(おかしくないね)こう答えるでしょう。
217
:
タンポポ
:2008/11/25(火) 23:57:17 ID:WwDrUF2wO
タンポポは周りに役立つ本になれる様にひたすらリアル生活でがんばるのみです。迹的になんないようにね。
218
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 00:43:38 ID:UFaQVeag0
>>迹的になんないようにね。=沖浦さん肯定ですから(連祖的?)
所謂、自分主義?(自分が本)
本は約にたって迹は役立たず? そしてリアル生活?
本来このように本、迹を使うものではないでしょう。
ここは創価学会系の掲示板ですよね??????
219
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 00:45:32 ID:UFaQVeag0
本は約にたって 本は役に訂正
220
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/26(水) 06:47:32 ID:AJ3hr85o0
もやしのお二人さん、おはようございます
あらゆる事に大聖人様が本迹があると仰せだから、自分は常に本を心がけて生きていこう。
これがっ門下の姿勢として、本。
そんなめんどくさいことどっちだっていいや。
これが、決定的に迹で、最低のじんせい。
池田先生が、対話対面しか人類の救済はない。
どれほど回り道に見えてもそれしかない。
と、世界中を対面対話をなされ、弟子にも常にお教え下さっている。
だから、ネットできっかけを作ったら、対面対話に直結させよう。
そのためのネットなんだ。
が、ネットにおける弟子の行いとして、本。
対面するために自分が何者か明確にすると大変な目に会う。
だから、対面対話なんか出来るわけない。と臆病で行動できず、屁理屈こねて対面対話を避ける事を必死で正当化しようとする愚かな人の行いと書き込みが、弟子としてのネットの、迹。
のみならず、悪で、大謗法。
覚えておきましょうね。
221
:
梅
:2008/11/26(水) 15:27:21 ID:GzTbFjgs0
もやしさん
>何でもかんでも本、迹で話して何の約にたつのでしょう?
という貴方の疑問に対して、池田先生がお答えですよ。
「新・人間革命」第8巻148ページ1〜4行をお読み下さい。
222
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 19:03:48 ID:UFaQVeag0
梅さん
1〜4行を読めばそうでしょう。新人間革命のなかの本、迹のたてわけに関する
梅さん
只今帰宅しました。読む前に知っております。頭にも入っております。
繰り返し何度も読みましたので。
全ての文章をお読みください。沖浦さん説は破壊されますよ。
自分が本連祖が迹がね。
きっと梅さんはこの4行で勝ち誇っているのでしょう。しかし文章は全て読んで
解釈するべきですね。言葉悪いですが小説ですよ。しかも百六からの引用ですよ。
更に、この文章では迹は悪い状態を示していますね。連祖は迹ですよ。
沖浦さんの解説は。
当然、最近においては両巻血脈は学会ではあまり使用しませんよね。
両巻血脈とは(本因妙抄と百六箇抄)の事である。
この両巻血脈を日蓮正宗は血脈に利用している実態がある。
ここは学会員ならば昔赤線を引いたものです。引く場所は11行目からはじまり
次のページの4行目からである。
ここまで理解すれば沖浦さん説は全て崩れるでしょう。
貴方は先生がお答えと言っておられるが、切り文は宗門と同じですよ。
私が言う何が何でもとはまったく意味が違うものなのです。
梅さん?物事はしっかり判断すべきでしょう。
半端に沖浦さん説が頭に入り、重要な部分が抜けているのではないでしょうか?
223
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 19:07:18 ID:UFaQVeag0
梅さん
ここまで貴方は言われたのですから、自分が本、連祖が迹をしっかりと証明する
義務が発生いたしました。沖浦さんが答えないのですから貴方が答えるしかありません。
宜しくお願いします。
224
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 19:21:05 ID:UFaQVeag0
220>>
この沖浦さんの解説理解できないです。沖浦さんはどうして発言に振り返らずに
重要な問題をおいて先行発言なさるのでしょうか?
自分が本、連祖が迹は今でも同じ考えなんでしょうか?
>>そんなめんどくさいことどっちだっていいや。
これが、決定的に迹で、最低のじんせい。(沖浦さん発言)
であるとすれば、連祖は迹と言った訳ですからね。
ご自分でおかしいと思いませんでしょうか?
ここで煙にまけば、貴方の言う、迹の人生そのものではないでしょうか?
ご意見を頂ければ幸いです。
225
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 19:31:04 ID:UFaQVeag0
>>対面するために自分が何者か明確にすると大変な目に会う。
だから、対面対話なんか出来るわけない。と臆病で行動できず、屁理屈こねて対面対話を避ける事を必死で正当化しようとする愚かな人の行いと書き込みが、弟子としてのネットの、迹。
これもおかしな説ですよね。掲示板とはHNでのやりとりが基本(これは常識)
この常識を破り、正体を明かさなければ臆病???
これは沖浦さんの自己の考えの押し売りな訳です。
100人に聞いて100人が掲示板の話において沖浦さんを否定されるでしょう。
確かに実名掲示板は存在しますが、ここを選択するのは自己判断なのです。
結果として、このようなコメントで沖浦さんは煙にまいている状態じゃないでしょうか?
はっきり自己の説を証明したいならば、身元などさほど関係ないはずです。
誰でも見れる掲示板です。
ここで沖浦さんの言う本、迹ならば堂々とやるべきでしょう。
更には迹で悪で、大謗法と沖浦さんは言いました。
是までの、本、迹発言(沖浦さん)の正当性のあるコメントを期待しております。
226
:
もやし暮らし
:2008/11/26(水) 19:33:28 ID:UFaQVeag0
梅さん
>「新・人間革命」第8巻148ページ1〜4行をお読み下さい。
答え?
おっしゃりたい事はわかるのですが、「新・人間革命」は小説ですよ。
御書ではないですよ。(否定するつもりはございません)
では 梅さんは小説に依れ ということでしょうか。
それも、登場人物の山本伸一に依れ と言ってることになりますが。
確かに、「新・人間革命」の梅さんが提示した場所に、本迹についてふれているところは、ありますね。
しかし
前後をきちんとお読みください。
この物語の中では 山本伸一が研究課題として「百六箇抄」をあげて
学生に講義しているというだけではないですか。
そして、現実をみてください。
ご存知かと思いますが、
「百六箇抄」(両巻血脈)については、宗門が自分達の血脈観を守るために必死でニセではない と
しているものですよ。
真実かどうか、要するに あやふやなもの。
宗門に対し、血脈観の違いを論じてきた学会員が、あろうことか、それに依れ、ということでしょうか?
227
:
もやし暮らし
:2008/11/26(水) 19:35:43 ID:UFaQVeag0
・・・・・と思ったら
その前に旦那がいろいろ書いてました。
228
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/26(水) 20:03:42 ID:AJ3hr85o0
もやしのお二人さん
貴方方専用スレッドがあります。
そちらに書き込んでください。
そちらでお話を致しましょう。
何度も同じ注意をする事になれば、アクセス制限を致します。
どうか、ルールをお守りください。
229
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:07:46 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
おかしいですよ。ここは本、迹スレッドです。本迹に関することを書いていて
何故勝ってにつくられたスレッドに誘導するのでしょう?
これがルールはおかしいですよ。これを理由にアクセス禁止にして解答
しないでお逃げになる行為だけは無い事を祈ります。
230
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/26(水) 20:12:58 ID:AJ3hr85o0
もやしのお二人さん
私の板のルールは最終的に私が決める。
当然の常識です。
おいやなら、ご自分で板を立ててご自由に運営なさい。
貴方方には二つの選択があります。
私の決めたルールを守ってここで書き込みを続ける。
この板から去る。
お決めになるのは貴方方です。
どうぞご自由にしてくださいませ。
231
:
梅
:2008/11/26(水) 20:17:21 ID:GzTbFjgs0
もやしさん
>きっと梅さんはこの4行で勝ち誇っているのでしょう。
何で私が貴方に「勝ち誇る」必要がありますか?
貴方がタンポポさんの投稿に疑問を呈しているから
私は、「人間革命」に本迹の記述がありますよ書いたまでです。
そこを読めば
「私たちの人生にも、生活にも、全部「本迹」がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
と書いてありますから、それをどう読むかは貴方のご判断に任せています。
貴方が、繰り返しよんで頭に入っているなんて知る由もありませんからね。
>言葉悪いですが小説ですよ。しかも百六からの引用ですよ。
確かに小説ですよ。それがどうかしましたか?
百六箇抄を先生が講義しているシーンです。問題があるのですか?
>この文章では迹は悪い状態を示していますね
そうとも限りませんよ。
「たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』・・」と書かれていますが
貴方にとって、眠って時が悪い状態ですか?
>貴方は先生がお答えと言っておられるが、切り文は宗門と同じですよ。
「人間革命」に書いてありますよだけでよかったのですか?
何処にあるのか探すのが大変でしょ?
親切心でその箇所を教えたことまで、切り文だとする貴方の感覚はどうなってるんでしょうね?
>私が言う何が何でもとはまったく意味が違うものなのです。
そうでしたか?
これからは、意味を明らかにするようにしてお書きくださいな。
>梅さん?物事はしっかり判断すべきでしょう。
なんでこんなところに「?」が入っているのか分かりかねますが
お互いに、物事をしっかり判断するように心がけたいものですね。
>ここまで貴方は言われたのですから、自分が本、連祖が迹をしっかりと証明する
>義務が発生いたしました。沖浦さんが答えないのですから貴方が答えるしかありません。
「ここまで言う」とはどこまでですか?
私は本迹の記述がある当該箇所をお教えしただけですよ。
しかも貴方に言わせれば「切り文」でしたね。
本のページと行だけ書いたことが「切り文」になるとは、前代未聞です。
にもかかわらず
「証明する義務が発生しました」とは、貴方の論理は飛躍しますね。
こんな論法を通せるなんて、驚きを通り越しますよ。
>宜しくお願いします
明確にお断り申し上げます。
私には、貴方は私に絡んでいるのだとしか思えません。
したがって、私は貴方にお答えする必要を感じませんし
気持ち的にも、貴方とやり取りする気になれません。
悪しからず。
232
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:20:19 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
結局、麻生総理みたいな逃げ方じゃないですか?
沖浦さんの説ではここで勝手に排除すれば迹ですよ。
見ている方々は逃げたと判断しますよ。
それでもよろしいのならばアクセス禁止で結構です。
233
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:25:30 ID:UFaQVeag0
梅さん
貴方のコメントは開き直りと言いますよ。
貴方は人間革命に依って日蓮大聖人の仏法をやっておられるのですか?
池田先生がそれで喜ぶとでもお考えでしょうか。
早い話、御書の一つも出せないと言う事ですね?
祈っていると学びたくなり行動したくなるのが大聖人の仏法であります。
誰もが言う祈りが出発です。正しく真剣に祈れば間違いなく学びたくなります。
そして行動するんです。師とするものを間違えると祈りに対して学びがなく
行動に出ます。結果、邪説を発信する事になるのです。
234
:
日々朗らか(決意)
:2008/11/26(水) 20:28:07 ID:8FNX.yWoO
>>230
管理人の沖浦さんに提案です。
【ホンシャクスレ】の中での、アホっぽい書き込みは、【もやし夫妻の部屋】で……。
梅さんとの【ホンシャク】に対するやり取りは、そのままで………。
とは、いかないでしょうか……。
アク禁にするには、惜しいキャラの夫婦ですので……。
是非、管理人さまとしての立場で、
【ご一考】下さい。
その判断は、管理人さまに委ねたいと思います。
235
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:29:06 ID:UFaQVeag0
梅さん
上記にように、日蓮正宗はこの学びの部分をさせません、だから邪説がはびこる
のですよ。これが道理ではないでしょうか?
236
:
梅
:2008/11/26(水) 20:40:00 ID:GzTbFjgs0
もやしさん
>貴方は人間革命に依って日蓮大聖人の仏法をやっておられるのですか?
貴方は、何処まで曲解すれば気が済むのです!
人間革命を挙げたことが、貴方の思考ではどう考えて大聖人の仏法と結びつかなくなるのですか?
沖浦さん、私も日々さんに賛成です。
しかし、日々さん、私はこれ以上このフタリにはカカワリタクナイ気持ちですよ。
237
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:48:35 ID:UFaQVeag0
梅さん
意味が理解できません。
私は、大聖人の御書に依るだけですよ。何処をどう曲げましたか?
本、迹についてです。
「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」
正法は一字・一句なれども時機に叶いぬ「れば必ず得道なるべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず」
「但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず」
しっかりと大聖人の言葉を心に刻んでほしいです。梅さん
それと日々さん、大聖人の仏法を語るにあたりふざけた態度のやりとりは不適切です。
まずは、自分にフィルターをかけないで、普通にコメントしたら如何でしょう?
238
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 20:56:02 ID:UFaQVeag0
>>人間革命を挙げたことが、貴方の思考ではどう考えて大聖人の仏法と結びつかなくなるのですか?
大聖人の仏法と結びつける?勘違いですよ。梅さん、仏法の教義と結びつける
のではなく、あの小説から自分の信心の姿勢を学んだり、発心したりするのです。
そして、御書を読み少しづづでも御書を理解して行くのですよ。
池田先生は信心の根本として書かれている訳ではありません。
池田先生は信心のための指導は別にされております。そては、大聖人の御書根本の指導です。
更には、人間革命はむしろ内部より外へ向けた小説です。
正法を知らない方が読んで、素晴らしいと思って入信された方もいると思います。
とのような事があっても学会は御書根本なんです。わかりますか?
239
:
風凛
◆IuSmpGjaC6
:2008/11/26(水) 21:02:54 ID:twunqjekO
>>205
どんなに教学があり、どんなに信心が深まっていこうと、ずっと学んで行く事ですね。
もやしの旦那さん、返信ありがとうございます。
240
:
梅
:2008/11/26(水) 21:05:16 ID:GzTbFjgs0
もやしさん
>意味が理解できません
先生や仏法の思想を根本にあっての小説「人間革命」なのですから
それに学ぶことも当然ではありませんか?
>>人間革命を挙げたことが、貴方の思考ではどう考えて大聖人の仏法と結びつかなくなるのですか?
は、そのような意味で申し上げました。
241
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 21:20:28 ID:UFaQVeag0
梅さん
それはそれで良いでしょう。しかし、もし人間革命を読まれたら御書を理解したく
なりませんか?そのような内容が沢山人間革命に出てきます。
もし、貴方が結びつけたなら御書と人間革命どちらを優先されますか?
当然御書ですよね。
このような事が理解できていないと進歩がないのですよ。
下手をすると貴方の思考が世間で言う池田教と言われる根源です。
先生に迷惑なんですよ。
だから御書を一生かけて学ぶんではないですか?
学会指導で御書はいいから人間革命だけよみなさい、それでわかるからなどと
指導はしていませんよね?
私は人間革命を否定しておりませんし、先に述べた信心の姿勢や発心のために
とてもやくにたっております。代々先生を信心の姿勢の師としてですよ。
信心の教義は御書にあります。御書だけです。
これが、創価学会ではありませんか?
242
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 21:23:53 ID:UFaQVeag0
梅さん
大変申し訳ないのですが
もやしは二人いますので、ちゃんとした名指しでお願いします。
二人で一つではありません。
243
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 21:28:03 ID:UFaQVeag0
>>しかし、日々さん、私はこれ以上このフタリにはカカワリタクナイ気持ちですよ。
梅さん、これじゃ駄目ですよ。
貴方にとって、大聖人の仏法上私は邪説を言っているからコメントしているんですよね。
結果がどうであれ、最後までやり抜く精神が学会ではないでしょうか?
244
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/26(水) 21:29:11 ID:AJ3hr85o0
日々さん
貴方のご提案を考慮し、もやしさんを3日間のアクセス規制と致しました。
245
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 21:31:06 ID:UFaQVeag0
梅さん
人は本 連祖は迹 これを正しいと思うならば、どんどんやってください。
この沖浦さんの説を貴方は信じているんですよね?
違いますか?
もし、この説がおかしいと言うならば貴方と論議する必要はないのです。
如何ですか?
246
:
もやしの旦那
:2008/11/26(水) 21:34:34 ID:UFaQVeag0
沖浦さん
お逃げになるんですね。しかも日々さんを利用して。
このような行為を煙にまくと言うのではないでしょうか?
沖浦さんのコメントの矛盾はどうなりますか?
多数の方がみていると思います。
矛盾だったとコメントするか沖浦さん自身に間違いは一切無いとコメント
すべきでしょう。
結局卑怯な沖浦さんとして今後扱われますよ。
247
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/26(水) 21:39:29 ID:AJ3hr85o0
一週間と致します。
248
:
日々朗らか(決意)
:2008/11/26(水) 21:41:21 ID:8FNX.yWoO
>>244
管理人さま。了解いたしましたm(__)m。
善処な対応だと思います。
あと、梅さんへ。
もやしさん夫婦は、夫婦でこの板を煽っているだけです。
怖くもなんともありませんo(^-^)o。
ただ、【面倒くさい】だけです(-.-;)。
これが1番クセが悪い(汗f^_^;笑)。
って事です。
無理に付き合う必要もないでしょうo(^-^)o!
ほらほら、見てみてくださいo(^-^)o。
よく、主張する内容を見てください(笑)。
………似てますよね(^o^)。
いぬ。さんと………。
理解できないんです。
分かりやすいように説明しても……。
【教学テキに説明せよ。】
これがお決まりの台詞です。
梅さん………相手に合わす必要はありませんよo(^-^)o!!。
249
:
日々朗らか(決意)
:2008/11/26(水) 21:47:51 ID:8FNX.yWoO
>>247
一週間は、長いですねo(^-^)o。
でも、一週間あれば、人は変われますo(^-^)o!。
我慢できますか?夫婦で。
他の板で、愚痴をこぼさないように、
来週の水曜日(12月3日)まで我慢してください、もやし夫婦さんo(^-^)o。
因みに、その日は、元祖・・革命児。長州リキ(本名・吉田光雄)の誕生日です(^0^)/♪!
アハハ♪!
250
:
日々朗らか(決意)
:2008/11/26(水) 21:52:53 ID:8FNX.yWoO
なんだか……f^_^;、
>>246
を読んで、ふと思ったんですけど……。
昔(私が日々決意。または、日々更に決意。の時に)、私と絡んだ事、ありませんか???。
勘違いであれば、すいませんm(__)m。
251
:
俎
:2008/11/26(水) 22:24:06 ID:nCQg2g4oO
やり取り拝見させて頂いております。
非常に信心の参考になります。
せっかくの対話をアクセス禁止にされたのは見ている側からしては寂しいと思いました。
多分私はこのもやしの旦那さんを知ってると想像します。
先生の故郷で男子部時代に活動していた仲間と文章から推測します。
多分この方は大田区糀谷や羽田で活動していた方です。
何故なら先生の故郷にあてた指導が随所から見えます。
多分管理人様にはわからないでしょうけど。
私はどもの支部では話題の掲示板です。
どうぞ、公平な掲示板である事を願います。
頑張って下さい。
252
:
梅
:2008/11/26(水) 22:54:25 ID:GzTbFjgs0
もやし旦那さん
「もやしさん」と書いたのは、お二人とも見事に共通意識・投稿内容一致のご夫婦さんで
あえて分ける必要もないと感じていたからです。
ネチケット違反でしたら、ゴメンナサイ。
>下手をすると貴方の思考が世間で言う池田教と言われる根源です。
>先生に迷惑なんですよ。
私のどの投稿の思考が(あるいはその思考を示すどこの部分が)池田教なのか
詳しくご指摘くださいな。
先生にご迷惑をかける池田教でまずければ、いくらでも直しますよ。
>学会指導で御書はいいから人間革命だけよみなさい、それでわかるからなどと
>指導はしていませんよね?
私の投稿のどこを読むと、このような発言になるやら・・
貴方は他人の投稿への反応が早すぎるのではありませんか。
時には、じっくり読んでからという姿勢も必要かと思います。
>私は人間革命を否定しておりませんし、先に述べた信心の姿勢や発心のために
>とてもやくにたっております。代々先生を信心の姿勢の師としてですよ。
>信心の教義は御書にあります。御書だけです。
>これが、創価学会ではありませんか?
貴方、本当にほんの少し前まで退転していたの?
貴方ほどの教学力があるのに不思議です。
もしかして、観念論で御本尊様に真剣に題目あげてなかったとか?
これからは、しっかりと広宣流布に邁進されることを祈ります。
253
:
藍
:2008/11/26(水) 23:01:04 ID:yl4Ah8xYO
わたくしもずっとスレッドを見させていただいておりました。
大変勉強になっております。
けれど、この流れですと、アクセス禁止が善処とは思えませんね。
残念です。
管理人様、そもそもここでのルールとは?
明確に提示されているならわかりますが、それがない上で個人的な感情を優先させては公平とはいえないでしょう。
見ているほうからすると、
単に沖浦さんが答えられなくなったから排除した、ようにしか 見えませんよ。
自己紹介をするほどのものではありませんので
これで失礼いたします。
254
:
俎
:2008/11/26(水) 23:48:50 ID:nCQg2g4oO
うめかばいかわかりませんが梅さんとお呼びしますね。
私のような学会員が生意気だとは思いますが少しだけ。
貴方は心が腐っていると思います。
前の文章も読みましたが、貴方は悪口はいけないと言われているのに平気で悪口を吐き捨てる。
私が思う貴方のお題目こそ、腐っているので相手がいなくなると強気で悪口を吐き捨てる。
私が思うに貴方は先生の弟子ではありません、先生の邪魔をする人間だと思いますよ。
貴方の心の中は
貴方のコメントには一切御書が登場しません。
貴方のお友達もそうです。
現実問題として、教学がないときちんとした仏法対話はできません。
たいてんについて書かれていますが、貴方もたいてんする可能性はあるのですよ。
学会組織としては日々の家庭指導でたいてんした方が復帰されると嬉しいものです。
貴方が家庭指導をしていないか、しているふりの結果としてこのように文字に現れているのではないですか。
貴方が言う事は確かに池田教の元になると私も思います。
何故ならば、先生の指導をうける。
仏法対話をしようと思う、そして対話するには御書を勉強しなくてはならないと自然に思う 。
貴方がどのような指導をうけているかわかりませんが、一人たつ精神とは一人一人が力をつけなければならないのです。
これが先生の指導の真髄じゃないですか?
愚痴や不満をネットの知らない人へ向けても何の成長もありません。
名誉や財産の力でなく、仏法を広める力を磨くべきだと思いますよ。
貴方の先輩沖浦さんも昔はたいてんしていましたね。
だからたいてん者を悪者扱いすることが哀れなんです。
これからは益々一人たつ精神で頑張って行かなければなりません。
信行学全てにおいて頑張って行かなければなりません。
一つ欠けてもいけません。
弱い人間ほど吠えるものです。
強い人間は堂々として、どんな苦しい時でも逃げません。
先生を見習うならばこの精神を忘れないでほしいと思います。
255
:
梅
:2008/11/27(木) 00:09:35 ID:GzTbFjgs0
俎さん
こんばんは
PCの電源を切ろうとするるところに、貴方のレスが飛び込んできました。
お怒りの原因はいろいろあろうかと思います。
しかし、私の前のスレだけでなく、このスレッドの
>>221
からお読み下さい。
それが、もやしさんと私との今回の始まりです。
それでも、貴方のお怒りが解けず、私の心や題目が腐っているとおっしゃるなら、そのまま受け取りましょう。
貴方のレスが頂けますか?
それとも言いっぱなしですか?
もう少し、ここは私の職場ですが、帰らずにいます。
256
:
もくれん
:2008/11/27(木) 00:15:58 ID:gO.Fk5NY0
>>226
もやし暮らしさん
>おっしゃりたい事はわかるのですが、「新・人間革命」は小説ですよ。
>御書ではないですよ。(否定するつもりはございません)
>では 梅さんは小説に依れ ということでしょうか。
>それも、登場人物の山本伸一に依れ と言ってることになりますが。
小説・人間革命、全12巻
小説・新・人間革命・・現在19巻まで、単行本、新聞に22巻が掲載中
これは、創価学会員にとって、「絶対に必読の書」です。
御書は御書、人間革命は人間革命です。
どちらも、重要です。
山本伸一の「振る舞い・行動」に、私は学んでいます。
それから、「梅」さんは、私の掲示板で「沖浦説」について私とじっくり
「対話」することになっていますので、大丈夫ですよ。
梅さん、あまり、ここで「道草」をしないほうがベターだと思いますよ。
とことん「理論」で、つめていきましょう。
「説教論」が、進入してきて「お相手」していると、反価値的ですから
華麗にスルーするのも「智慧」ですよ。
257
:
俎
:2008/11/27(木) 00:18:29 ID:nCQg2g4oO
腐ってなければ、貴方のようなコメントはしないでしょう。
帰宅してご本尊の前に座り考えて下さい。
それが一番です。
遅くまで仕事ご苦労様です。
258
:
俎
:2008/11/27(木) 00:23:05 ID:nCQg2g4oO
流れはわかります。
貴方のの新人間革命の部分的な解釈と私は思います。
いくら先生の書でも百六の文章は存在しないのは明らかであるため、法として読むべきではなく、信心の姿勢としての先生の例えとして読むべきではないかと私は思います。
259
:
梅
:2008/11/27(木) 00:26:10 ID:GzTbFjgs0
俎さん
>腐ってなければ、貴方のようなコメントはしないでしょう。
>帰宅してご本尊の前に座り考えて下さい。
これでは、お答えになりませんよ。
ただ、暴言を吐かれているだけです。
そう言うならば、きちんと指摘してくださいな。
具体的指摘を受け、間違っていると思ったら、直すくらいの度量はあるつもりです。
260
:
耕治
:2008/11/27(木) 00:29:36 ID:AJ3hr85o0
貴方は悪口はいけないと言われているのに平気で悪口を吐き捨てる。//
そう思うなら、
「貴方のお題目こそ、腐っている」
「強気で悪口を吐き捨てる。」
「貴方は先生の弟子ではありません」
「先生の邪魔をする人間だ」
「貴方もたいてんする可能性はある」
などといった梅さんに対する罵倒を謝罪し、あなたご自身が「悪口はいけないこと」
を身をもって証明なさい。
「愚痴や不満をネットの知らない人へ向けても何の成長もありません。」
であるなら、愚痴や不満を梅さんに向けるにはやめなさい。
「これからは益々一人たつ精神で頑張って行かなければなりません。」
であるなあらば、あなたが見本をみせなさい
「信行学全てにおいて頑張って行かなければなりません。
一つ欠けてもいけません。」
であるなら、上記自語相違を改めてすみやかに実行にうつしなさい。
「弱い人間ほど吠えるものです。
強い人間は堂々として、どんな苦しい時でも逃げません。」
で、あつならば、匿名で梅さんに罵声を浴びせるのではなく、でてきなさい。
261
:
梅
:2008/11/27(木) 00:30:29 ID:GzTbFjgs0
俎さん
>貴方のの新人間革命の部分的な解釈と私は思います。
私は一言も自分の解釈を述べていませんよ。
よくお読み下さい。
262
:
梅
:2008/11/27(木) 00:44:45 ID:GzTbFjgs0
俎さん
>いくら先生の書でも百六の文章は存在しないのは明らかであるため、法として読むべきではなく
百六箇抄に偽書説があることは承知しています。
しかし、この抄は池田先生が戸田先生より何日もかけて個人講義を受けたものです。
貴方の発言は教学の「コア」の部分で誤っています。
145ページをお読みください。
263
:
俎
:2008/11/27(木) 01:00:17 ID:nCQg2g4oO
こうじさんでしょうか、梅さん
もう少し知恵を働かせて下さい。
お二人は全体を見ないで一ヶ所を見るクセがあるように思います。
戸田先生の時代、宗門と強調路線、貴方の先輩は宗門の毒と連発しています。
人間革命、御書はイコールではありません。
ここが知恵です。
間違いなく連祖は迹と断言した沖浦様です。
ここだけ間違いであったと訂正すれば終わりです。
これが知恵であり大人です。
264
:
耕治
:2008/11/27(木) 01:03:58 ID:AJ3hr85o0
私があなたにしているのは簡単か明瞭な話です。
「貴方は悪口はいけないと言われているのに平気で悪口を吐き捨てる」と
梅さんを責めている以上、そのわずか数行後に
「貴方のお題目こそ、腐っている」
「強気で悪口を吐き捨てる。」
「貴方は先生の弟子ではありません」
「先生の邪魔をする人間だ」
「貴方もたいてんする可能性はある」
などといった梅さんに対する罵倒を浴びせた自語相違を認め、謝罪し、
「悪口はいけないこと」を身をもって証明なさい。
265
:
梅
:2008/11/27(木) 01:08:11 ID:GzTbFjgs0
俎さん
>お二人は全体を見ないで一ヶ所を見るクセがあるように思います。
ですから、具体的なご指摘を願っています
貴方の主観的な印象なぞお聞きしていませんよ。
>人間革命、御書はイコールではありません。
>ここが知恵です。
貴方のおっしゃりたいことが分かりかねます。
小説「人間革命」の意義はこのスレの
>>256
で、もくれんさんが明確にご指摘ですよ!
266
:
俎
:2008/11/27(木) 01:09:17 ID:nCQg2g4oO
何故ならば沖浦様はきこんにあわない事は捨てると発言されていますね。
腐っているとは梅さんのコメントを読んで申し上げた次第です。
もし、気を悪くされたのならばお詫び申し上げます。
こうじさんで宜しいのでしょうか?
貴方ののコメントは理解できません。
腐ってる=悪口ではありません。
腐っているものを見れば腐っていると人は言います。
私には腐って見えた訳です。
267
:
俎
:2008/11/27(木) 01:16:54 ID:nCQg2g4oO
梅さん
そうですね。
もくれんさんが振る舞い行動に限定されております。
法としてではありませんですね。
知恵とはこのような事です。
これで理解できないようであれば、本当に腐っていると申し上げるしかありません。
早く帰宅されたほうがいいですよ。
お題目や勤行もあるかと思います。
268
:
梅
:2008/11/27(木) 01:32:24 ID:GzTbFjgs0
俎さん
もう1時半になります。
私は自営業ですので、比較的自由ですが、貴方はどうですか?
遅くまでレスしていて大丈夫ですか?
学会員だけでなく他人から、「心が腐っている」などと言われたのは初体験ですよ。
それで、どうしてそう言われるのか知りたくて、貴方に遅くまでお付き合いしてしまいました。
しかし、この後も貴方のお相手をするのは、いくらなんでも、もうご免こうむります。
耕治さんが貴方におっしゃってくださってますが
私はこの件で貴方に謝罪要求などはいたしません。
誤解だったかも知れないし、ネット上のHNでの発言ですしね。
しかし、これから帰宅し、貴方のおっしゃるように御本尊様の前に端座し
貴方から受けた発言をご報告し、心行くまで唱題します。
それで、私の「心が腐って」いて、「題目が腐って」いるという貴方のご指摘が正しいとなれば
御本尊様はそう私に教えてくださるでしょう。
そうでなかった場合については、私の関知しないところです。
おやすみなさい。
269
:
俎
:2008/11/27(木) 02:31:42 ID:nCQg2g4oO
梅さん
私は1日三時間ほど寝ます。
仕事は水産業です。
同じような立場ですよ。
感じ方は様々デス。
何も問題ありません。
ただ、ご本尊様に報告は私と感覚が違いますよ。
ご本尊様から何かがおりてくる訳ではないですよね。
例えば、珈琲の量を何杯入れました。
間違いないでしょうか?とご本尊様に報告しても教えてはくれません。
私は無心で自分を見つめます。
題目をあげきったときに知恵や自分の間違いや生き方が自らの魂から湧いてくるような感覚です。
例えば、病気でも治して下さいとは祈りませんよね。
題目をあげきったら治っていた、良い先生を探そうと思い良い医者に出会った。
こんな感覚なんです。
すがるのではなくて自身のご本尊様を活動させるような感覚です。
だから価値のある宗教だと思うのです。
普通はお願いします。とか、こんな事がありましたねように
まるで神に語るような感覚ではないのです。
うまく説明できませんがそんな感覚です。
ですから、淡々と題目をあげて、数珠をジャラジャラしたり気合いを入れたような題目をあげないようにしています。
私からすれば、数珠を何本も切ったと自慢するかたがいますが、おかしいとしか思わないのです。
そんな人間ですので時には暴言と言われるかも知れません。
何故腐っていると申したか?
沖浦様の間違いによった発言だからです。
まともに信心していれば沖浦様のような迹や本の解釈はしないかと思っての事です。目をさましてもらいたい。
ただそれだけです。
梅さんが悪い人とはまったく思いませんよ。信については一生懸命だと思います。
池田先生の指導の元でやはり正しく御書を学んで頂きたいのです。
沖浦様説で学ばれては本当に腐ると思うのです。
どうか梅さん、互いに信心を頑張りましょう。私も今まで以上に梅さんに出会った機会にもっと頑張ります。
お仕事無理しないで下さい。
ではおやすみなさい。
270
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/27(木) 07:36:21 ID:AJ3hr85o0
また面白いのが出てきました。
いい掲示板ですね〜〜〜。
と、自画自賛。
271
:
梅
:2008/11/27(木) 13:34:22 ID:GzTbFjgs0
俎さん
夕べの続きをしましょう。
>>254
①>前の文章も読みましたが、貴方は悪口はいけないと言われているのに平気で悪口を吐き捨てる。
②>私が思う貴方のお題目こそ、腐っているので相手がいなくなると強気で悪口を吐き捨てる。
①について
確かに、私はどんな場面であっても悪口雑言はよくないと思っていますよ。
>>221
以下のスレで、私が「平気で悪口を吐き捨てる」といわれる投稿文を具体的にご指摘下さい。
②について
「相手がいなくなると強気で悪口を吐き捨てる」という相手とは誰ですか?
「相手がいなくなる」とはどういう状況を指していますか?
具体的にお答え願います。
もし、もやし旦那さんがアク禁になった後の私の彼宛の投稿を指しているなら
スレッドの流れが速くて、私の投稿が追いつかなかっただけですよ。
私には「利根も通力」もありません。
ですから、私が書き込みの用意をしている最中に、彼がアク禁になったなんて知る由もありません。
貴方には、そういう経験がありませんか?
それに、一週間で解除になるようですから、私の投稿は彼にとってもムダではないでしょう。
>私が思うに貴方は先生の弟子ではありません、先生の邪魔をする人間だと思いますよ。
貴方の主観に基づいたものですか?
客観的な事実に基づく主張であるなら、具体的事実をご指摘下さい。
これは、学会員としてとても大事なところですね。
貴方が他人からそのように言われた場合はどうするか考えてみてください。
貴方の責任ある回答をお願いします。
④>貴方のコメントには一切御書が登場しません。
どの部分で御書を出すべきですか?
私は
>>221
以下の投稿で御書を引いてコメントしなければならない主張など、一行たりとも書いていませんよ。
>愚痴や不満をネットの知らない人へ向けても何の成長もありません。
私の投稿のどこに「愚痴や不満」が書かれてますか?
具体的にご指摘願います。
>たいてんについて書かれていますが、貴方もたいてんする可能性はあるのですよ
もやし旦那さんのことですね。
退転の話は彼がご自分でなされたことですよ。
貴方はこの方の投稿をどのあたりからご存知ですか?
ご夫婦で投稿される以前からの他スレもロムしてみて下さい。
そして、是非ご感想を聞かせてくださいな。
>だからたいてん者を悪者扱いすることが哀れなんです。
私は退転者を悪者扱いしてませんよ。
貴方がそう思われたなら、私の投稿の具体的内容をご指摘下さい。
もちろん、私も退転の可能性があります。貴方もですね。
>>269
>例えば、病気でも治して下さいとは祈りませんよね。
いいえ、私が病気なら治して下さいと祈ると思います。
私には先生と同じ年の母がいて、今、風邪気味です。
夜中に咳き込んでいるのを聞くと、ご本尊様に安らかに眠れるようにと祈ってますよ。
結果は、貴方のご想像に任せます。
>ですから、淡々と題目をあげて、数珠をジャラジャラしたり気合いを入れたような題目をあげないようにしています。
>私からすれば、数珠を何本も切ったと自慢するかたがいますが、おかしいとしか思わないのです。
私は「のるか反るか」の時は、気合を入れた唱題をしています。
私も、お数珠を切ることがありますから、新しい予備を2本用意してありますよ。
夕べは深夜ですから、おとなしめの唱題でした。
しかし、貴方の件についてはきちんとご報告しました。
私はそういう信心をしています。
祈り方はそれそれでかまわないでしょう。ただし、「声仏事をなす」ですね。
>まともに信心していれば沖浦様のような迹や本の解釈はしないかと思っての事です
貴方の感想が正論である為には、貴方の教学で完膚なきまでに沖浦さんをたたきのめせばよいのです。
私なんぞにかかわっていないで、逃げないでやってごらんなさいな。
>どうか梅さん、互いに信心を頑張りましょう。私も今まで以上に梅さんに出会った機会にもっと頑張ります。
全く同意です!!
私は、これが言いたいがため長々と書いてきました。
教義どうこうよりも、如何にご本尊様を信じるかは同じなんです。
3時間の睡眠でいられるとは、貴方はお若い方なのでしょうか?
私は今日は昼寝がしたいくらいですよ。
272
:
耕治
:2008/11/27(木) 14:08:54 ID:AJ3hr85o0
結局
、罵倒のみに終始して遁走するいつものパターンか。
でも、こういう言葉の軽いこびとは、得意の自語相違で言い訳して
また書いてくるんだよねー。
273
:
もくれん
:2008/11/27(木) 16:11:08 ID:gO.Fk5NY0
>>267
俎さん
まだロムはされてますか?
>もくれんさんが振る舞い行動に限定されております。
>法としてではありませんですね。
上記は昨夜遅く、取り急ぎ書きましたが、小説・新・旧・人間革命は
全て「研鑽」対象ですね。
別に「振る舞い・行動」に限定しているわけではありません。
内容は、全て研鑽対象ですが、正確です。
厳密には「師弟」の精神こそ、学べるわけですが、歴史、文化、等々
教学関連の記述と当然ありますし、全て「研鑽対象」で
もやしさんが言われるように「小説ですよ」との表現も適切ではありません。
小説の形を取って、学会の真実を描いているのですから。
もやしさんは、あたかも「小説」だから、信頼に足らないとの印象を与えています。
そのために、昨夜のレスは書きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
:もやし暮らし:2008/11/26(水) 19:33:28 ID:UFaQVeag0
梅さん
>「新・人間革命」第8巻148ページ1〜4行をお読み下さい。
答え?
おっしゃりたい事はわかるのですが、「新・人間革命」は小説ですよ。
御書ではないですよ。(否定するつもりはございません)
では 梅さんは小説に依れ ということでしょうか。
それも、登場人物の山本伸一に依れ と言ってることになりますが。
確かに、「新・人間革命」の梅さんが提示した場所に、本迹についてふれているところは、ありますね。
しかし
前後をきちんとお読みください。
この物語の中では 山本伸一が研究課題として「百六箇抄」をあげて
学生に講義しているというだけではないですか。
そして、現実をみてください。
ご存知かと思いますが、
「百六箇抄」(両巻血脈)については、宗門が自分達の血脈観を守るために必死でニセではない と
しているものですよ。
真実かどうか、要するに あやふやなもの。
宗門に対し、血脈観の違いを論じてきた学会員が、あろうことか、それに依れ、ということでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もやし暮らしさんは、まだ正式に「会員」ではないとは、承知しています。
が、上記レスの内容は、小説新人間革命に対する「認識」としては
かなり、問題有りです。
先生が、「新・人間革命」で執筆されていることは、素直に「受け止める」
この姿勢が大切です。
その8巻の「宝剣の章」は、私も確認しています。
「本・迹」を私達の現実生活に即して、具体的に説明してくださっていて
内容的には、全くその通りです。
そのことで「梅」さんに「噛みつく」かのような態度はちょっと
オーバーではないでしょうか。
そもそも「タンポポ」さんのレスから、始まったことでしょうが、
小説・新・人間革命8巻の「本・迹」の記述そのものは、なんら問題なく
大いに学べばいいことです。
>>214
のタンポポさんの「本・迹」観は「メチャクチャ」であるのは
言うまでもありません。
274
:
俎
:2008/11/27(木) 16:15:30 ID:nCQg2g4oO
支部の活動とか家庭訪問やら仕事でそうネットやる時間がありません。時間に余裕ができれば参加します。
275
:
もくれん
:2008/11/27(木) 16:42:49 ID:gO.Fk5NY0
梅さん
けんちゃん・ぎかんちゃん
http://jbbs/livedoor/jp/study/7888/
「もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋」
4本ほど、レス書きました。
できれば、質問等は、あちらでしていただけると、ありがたいです。
落ち着いて、静かに語れる板です。
この板では、もやしさんが登場すると梅さんが、「横道」に引きずり込まれます。
純然たる「教義論議」は、不適切な面もあります。
それ以前に沖浦氏の「邪義」について語るのですから、当板では無理が
あり過ぎますし、
いずれにしても、お待ちしております。
276
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/27(木) 18:01:24 ID:AJ3hr85o0
もくれんさん
貴方の教学レベルでは、日蓮正宗から抜け出す事は不可能なんですよ。
先ず組織を頑張ってて御覧なさい。
そして苦しむ友と同苦する習慣を身に付けるのです。
いくら、御書や経文を読んでも、貴方の信心には曇りがあります。
友と同苦出来ない自分自身。
しっかり見つめて祈るのですよ。
教学ごっこで時間潰すより、1万倍は大切です。
今の貴方を駄目にしているものが、ネットでの小理屈の書き込みです。
仏は迹。
人が本。
仏法の基本すら理解できない自分。
頑張ってくださいね。
277
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/28(金) 07:42:59 ID:AJ3hr85o0
俎 さんに
自己紹介をお願いすると、もう来ないからやらない。って言いましたね。
来ないでいいですよ。
アクセスは制限しました。
他所で文句言ってるそうですね。
一言差し上げましょう。
この馬鹿者!!!!
278
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/28(金) 08:32:12 ID:AJ3hr85o0
本日の人間革命に載っていますね。
私は、師弟の本迹だと思いました。
279
:
やまいぬ。
:2008/11/28(金) 16:47:30 ID:ktb.dUcM0
>結局、罵倒のみに終始して遁走するいつものパターンか。
全く根拠一つ挙げられずに、自分の書きたいことだけ書いて、根拠問われて
「唖法を受けたる婆羅門等の如」く逃げ廻るのは、あなたのお父さんです。(^^)
>でも、こういう言葉の軽いこびとは、得意の自語相違で言い訳して
>また書いてくるんだよねー。
全くその通り!(^o^) HNでの体験など信じないと書いた数時間後に
初見のHNの方の書き込み読んで、「やまいぬ。も見習え」と平気で書くような
自語相違の極致であるきみのお父さんそのものですね。(^^)
さすがに親子、相変わらずきみのお父さんのことをきっちり見れているじゃないですか。(^^)
父とはいえ、自語相違の大連発を平気で繰り返す「こびと」です。
放置するか斬るか、ご自由になさいませ。(^o^)
280
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/28(金) 18:31:18 ID:AJ3hr85o0
愚かな方々がいて、私が自分の人生では自分が本、他は迹。だと言った事に文句を言いますね。
この人達は、自分の人生で自分が迹であることを証明はしないんです。
ただ、私の迹の中に蓮祖が含まれるからいけない。
馬鹿の一つ覚えなんですね。
それなら、自分の人生で自分が迹で大聖人様が本だと言う証明すればいいんですよ。
ところが出来ない。
文句だけは叫ぶ。
駄目人間の見本ですよ。
自分が本で、主体でない人生。
ありますか〜〜〜?????
頭冷やして考えなさいね。
281
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/28(金) 21:32:03 ID:AJ3hr85o0
あらゆる中傷批判をものともせず、行動して眼前の証拠を出す人が、本。
ネットで右往左往して組織利用だと浮かれ騒ぐ人は、迹。
簡単ですね〜〜。
282
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/29(土) 06:03:02 ID:AJ3hr85o0
創価学会は、創価学会の平和主義を世界に公約しています。
これが事実ですよ。
この理念のどこを押したら、仏が本、人が迹。が出てきますか?
どこに、曼荼羅が本、信徒が迹。と読めますか?
いい加減、日蓮正宗の呪縛から卒業なさい。
SGI憲章(創価学会の基本理念)
1.SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に
貢献する。
2.SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別する
ことなく基本的人権を守る。
3.SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
4.SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広
げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
5.SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市
民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
6.SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と
主体性を尊重する。
7.SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の
基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
8.SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、
相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
9.SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進
する。
10.SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格
を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。
283
:
沖浦克治
◆sFO4WcF4K2
:2008/11/30(日) 20:21:53 ID:AJ3hr85o0
人間革命第八巻、宝剣の章から抜粋引用
「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」(御書八六九ページ)の個所では、伸一はこう語った。
「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。
たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。
また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。
ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地湧の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。
一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。
諸君も、やがて社会人となり、世間の荒波に揉まれることになるだろう。思うように学会活動ができない時もあるかもしれない。しかし、そこにも、『本迹』はある。どんな状況になっても、広布の使命を果たし抜こうとの決意があれば『本』です。環境に負け、信心を失って、使命を忘れてしまうならば、『迹』になる。
『本』と『迹』は、ある意味で、ほんのわずかな差といえるし、一念の問題だけに、外からはわからないこともある。しかし、仏法の眼で見れば、すべては明らかであるし、天地雲泥の差となる。
『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。
自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか――それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」
この「本迹」についての伸一の講義は、受講生の心に深く刻まれ、その後の生き方の大きな支えとなっていったようだ。
284
:
タンポポ
:2008/12/08(月) 14:30:20 ID:WwDrUF2wO
本迹に関して。私の感じたままの信心浅いなりに、理解具合をガチガチに分析、解体、組み立てなおして研さんしたりする人が居ますが、私の理解具合悟り具合に関しては感じたままの気持ちで理解できる所まで悟れた所まで!としています。人の信心の理解悟り具合も、信教の自由です。旅行で国会を眺めていて、素直に感じた理解悟り具合に、素直に、ご本尊様に、感謝致します。また難しい事は追々に体験や見たり聞いたりした中から各々が感じて理解悟りを得て行くモノと思います。 実践とありますが、実際に目で見て感じて、体で、理解出来て行くことも実践の一歩ですね。ここの皆さんのカキコからも勉強出来て感謝致します。教条主義のガチガチ理解になんないように気をつけて行きたいです。素直に、
285
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 14:57:55 ID:AJ3hr85o0
本迹は、法華経迹門と本門に限定して考える必要はありません。
多くの人はココが分かりません。
それで、私と会話が成立しないのです。
入り口で立ち往生ですね。
もくれんさん、やまいぬさんはそうなんです。
先生が人間革命で本迹を述べられておられます。
それが正解でしょう。
学生の本分(目的)は学ぶ事です。
ですから、学んでいる時は本。
本来の姿ですね。
遊びほうけている時は、迹。
本来の目的から外れています。
先生は、本を本来の姿、迹をそれから外れた姿で立て分けておられます。
新人間革命、宝剣の章から、抜粋引用
『たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。
また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。
ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地湧の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。
一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。
諸君も、やがて社会人となり、世間の荒波に揉まれることになるだろう。思うように学会活動ができない時もあるかもしれない。しかし、そこにも、『本迹』はある。どんな状況になっても、広布の使命を果たし抜こうとの決意があれば『本』です。環境に負け、信心を失って、使命を忘れてしまうならば、『迹』になる。
『本』と『迹』は、ある意味で、ほんのわずかな差といえるし、一念の問題だけに、外からはわからないこともある。しかし、仏法の眼で見れば、すべては明らかであるし、天地雲泥の差となる。
『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。
自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか――それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」』
〜引用終わり〜
何処に法華経の本門と迹門がありますか?
要約して言うならば、行動と言う手段も、本来の目的にかなうものは、本。
それから外れた行為が、迹。
ここから分かる事は、
目的が本。
手段が迹。
だと言う事です。
音楽を奏でるのが目的なら、ピアノと言う楽器は手段ですから迹です。
音楽を奏でる人間が本です。
民衆救済が目的なら、そのための曼荼羅は手段ですから、迹。
救済と言う行為と、救済されるべき人間が、本。です。
教育と同じですね。
生徒が本ですし、行為は、教育にかなうものが本です。
かなわないのは迹です。
学校そのものは生徒のために存在しますから、生徒と学校を存在次元で比較すれば、生徒が本、学校は迹。
極めて単純な道理です。
どうして分かりませんかね??
286
:
風凛
◆WZ6GWnJ9nY
:2008/12/08(月) 17:49:19 ID:twunqjekO
>>285
沖浦さん、こんばんは。
はい、分かりません。
粛坊さんの掲示板で梅さんが、「寝ている間もウトウトしている間は本迹どちらになるのか」(趣意です。もくれんさんのスレッドにあります。今ログ出せないので。梅さんすみません)という事おっしゃっていましたが、これも本迹で立て分けなければならないのなら、分ける事可能ですね。
でもどうしてわざわざご本尊・大聖人様を出して本迹に分けないとなんですか?
沖浦さんもご本尊様ご安置してますよね。
自宅に既に、
「『かいだん』という仏壇」があるじゃないですか。
曼陀羅の「真ん中に」は、あれほど沖浦さんが何度も何度も言っている南無妙法蓮華経がきちんとかかれて収まっているじゃないですか。
題目を中心に必要なものが余す事無く収まっているものを分解しバラシテ考え無いといけないんですか。
立宗宣言であるように大事な題目があり、時機を待って「衆目の前に」現された ご本尊があるんでしょ?
題目無くして曼陀羅は成り立たないし、曼陀羅無ければ正しく日蓮仏法が伝わる事が難しい、だから両方があるんじゃないですか。
どうしてそれを分解して難しく考えるかな。
沖浦さんも戸田先生の教え大事にされてきたのですよね?
私も内得時代は戸田先生の本で学んだんですよ。
考え方に差がありすぎませんか。
でも私、ご本尊に対しての考え間違っていませんから。
ご本尊を道具と言い、大聖人を迹と言えるのなら、大聖人様を皆さんの前に連れて来て下さい。
大聖人様が、「沖浦さんの持論が正しい」とおっしゃるなら私は、沖浦さんの意見聞きますよ。
ご本尊道具と言えるなら簡単なはずです。
沖浦さんにとってご本尊てどんな存在ですか?
何ですか?
忘れちゃいけなあもの忘れていませんか?
287
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 19:01:36 ID:AJ3hr85o0
風凛さん
貴方は祈りを知らない。
生命論が分からないのです。
ですから、本迹は理解が不可能ですね。
お気の毒ですが貴方御自身の問題です。
ご自分で祈って悩み、御書を紐解く以外に解決は不可能です。
頑張ってくだっさいね。
288
:
日々朗らか(決意)
:2008/12/08(月) 19:04:42 ID:8FNX.yWoO
>>286
風凛さん。”今度は私がヨコから”失礼しますねf^_^;。
【余す所なく図顕された御本尊】と【同じ命】が【私たち衆生ひとりびとり】の生命にある。
という事ですよ。
難しく考える事なんかないんです。
あっ、ヨコから失礼いたしましたf^_^;。
やられたらやり返す(笑)♪。
【善い意味で】とってくださいネo(^-^)o。
289
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 19:10:29 ID:AJ3hr85o0
風凛さん
ややこしくしているのは貴方のような方ですよ。
290
:
風凛
◆WZ6GWnJ9nY
:2008/12/08(月) 19:13:33 ID:twunqjekO
>>288
日々さん。
やられたらやり返すからと思っての書き込みご苦労様。
日々さんには向こうで書き込みしますから、焦らないで下さい。
レス内容変でしょ?
日々さんが言ったものが私達にも当然あるのなら、大聖人様は言わずもがなです。
それに対して迹と言ってしまったら、我々も迹という事になってしまいませんか?
これでは迹迹論です。
「沖浦さんの持論による」本迹論も何だかよく分かりませんが、こっちもシャクトリ虫みたいで、変です。
ま、いいや。
日々さんに伝えたい事あれば向こうで伝えます。
291
:
風凛
◆WZ6GWnJ9nY
:2008/12/08(月) 19:16:16 ID:twunqjekO
沖浦さんへ。
戸田先生を大切にしなが学んで来たのなら、戸田先生がおっしゃっていた事を、もう一度振り返って下さいませ。m(__)m
292
:
日々朗らか(決意)
:2008/12/08(月) 19:26:59 ID:8FNX.yWoO
>>290
【修羅から→茶化し】ですか(-.-;)。
よくあることですf^_^;。
『いつも貴女は、ヨコから入る。』
コレ、気をつけたほうがイイですよ。
【ネット依存シンドローム】です。
マジに心配しております(-.-;)。
293
:
森野一士
:2008/12/08(月) 19:30:44 ID:/.wVSr1g0
皆さんこんばんは。
沖浦さんへ
私は、
御本尊を根本にした人の民衆救済の行動が本。
御本尊を根本にしてない人の民衆救済の行動は迹。
と信じています。
294
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 20:20:50 ID:AJ3hr85o0
風凛さん
貴方には無理なんですよ。
素直に人の命がそのまま本尊で、この世で最も尊いものだ。
これが認められないのです。
生命論が分からない、信心がない人なんです。
貴方には祈りが無い。
友との同苦もない。
現実社会での勝利の実証もない。
あるのは、ネットでの愚論だけです。
何度貴方に言っていますよね。
一度ネットをやめて、真剣な祈りから始めなさい。
何故出来ませんか?
簡単です。
祈りに挑戦できないのです。
折角のご本尊様が勿体無いですね。「
295
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 20:23:42 ID:AJ3hr85o0
森野一士さん
ご本尊様根本じゃないですね。
創価思想が根本です。
創価思想の最大の武器がご本尊様です。
曼荼羅崇拝はいけませんよ。
あくまでも、人が本です。
曼荼羅は迹ですからね。
296
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 20:39:38 ID:AJ3hr85o0
ココまでくるとね〜〜。
悩乱も深刻すぎます。
>大聖人様を皆さんの前に連れて来て下さい。
なんと愚かな発言でしょう。
この人、本迹論じる以前の問題ですね。
人としてどうなのか?
本質を問われます。
297
:
梅
:2008/12/08(月) 20:44:24 ID:GzTbFjgs0
風凛 さん
はじめまして
>粛坊さんの掲示板で梅さんが、「寝ている間もウトウトしている間は本迹どちらになるのか」
>(趣意です。もくれんさんのスレッドにあります。今ログ出せないので。梅さんすみません)という事おっしゃっていましたが
風凛さんのあげられた箇所は私ではありません。もくれんさんの発言です。
私はこういう思考方法は、おそらく取らないかと思いますので
私の発言のように取られると、対話全体をも誤解されかねないので書き込みました。
298
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/08(月) 20:59:18 ID:AJ3hr85o0
先生に失礼ですね。
このもくれんさんのコメント。
300
:
風凛
◆WZ6GWnJ9nY
:2008/12/09(火) 00:21:41 ID:twunqjekO
>>297
梅さん、こんばんは。
レスありがとうございます。
梅さんともくれんさんのやりとりで、「持続した熟睡状態では無い」睡眠について出されたのはもくれんさんでしたね。これが投稿後に明示しようと思っていたリンク先です。
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1226090096/168
梅さん、失礼しました。
301
:
梅
:2008/12/09(火) 14:57:41 ID:GzTbFjgs0
風凛さん
300番ゲットおめでとう!
なんだか、こういうのがはやってません?(笑)
風凛さん、探し出して下さってありがとうございます。
実は、もし、私の発言なら、参ったぞ〜って思っていたのです(フ〜ッ)
302
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 18:45:46 ID:AJ3hr85o0
ようするに、もくれんさんも、風凛さんも、仏法なんかどっちでもいいんですよ。
自分はココまで理屈知ってるぞ!
これだけなんです。
だから、お二人の書き込みからは、祈りが伝わらないでしょう。
祈りの無い書き込みは、勇気と希望を生み出せません。
無理なんですね、自分が歓喜しないのですから。
この点、やまいぬさん、阿部さん、愚壮さん、天城さん、那由多さん、河内さん、京都さん、小野さん、恋さん、などなど、全ての方に共通する仏法者としての致命的な欠点ですね。
この方々の、一凶です。
祈れない人は功徳がでません。
境涯も開きません。
人間革命もで来ません。
ただ、自分の宿命を我慢して受け入れるだけの人生なんですよ。
自己主張が困難で、他者に認められがたい生き様です。
人は自己顕示欲がある生き物です。
ところが評価を受けがたい人生をすごす。
どこかに逃げ道を求めねば、精神の安定は得られません。
それが、この方々のネットなんでしょうね。
きっかけはそれでもかまわないのです。
然しながら、早い時期にネットでの活動を現実生活の入り口としてゆく方向付けが必要なんです。
その方向付けと、それに対する真剣な努力、祈りがないと、ただのネットお宅の中毒で終わってしまいます。
勿体ないですね。
何故、現実生活に結び付くネット、目指しませんか?
303
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 19:25:08 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗が信徒支配のために神格化してきた、日蓮大聖人様の人間としてのお振る舞い、生き様を、解明する学問が発生する可能性があると思っています。
人間大聖人様。に迫るんですよ。
人しか人は救えない。
これが大聖人様のお教えです。
世界に流布するためには、寛師教学じゃ駄目なんです。
人として大聖人様が世界一のお方であられた。
そして700年後の戸田先生もご同様のお方であられた。
これがね、創価の原点なんです。
これを外れると外道なんですよ。
304
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 19:27:46 ID:AJ3hr85o0
エルサルバドルの理事長の体験が最近の大白に載りました。
画期的です。
昔なら、絶対に載せません。
曼荼羅崇拝者が敵に走りますから。
曼荼羅見たこと無くて、命に及ぶ大難乗り越えてます。
現証じゃないですか!
曼荼羅迹の。
目の前に突きつけられても認めない。
毒気深入・失本心故、です。
釈迦、天台、伝教、蓮祖、戸田先生。
過去の仏は全て曼荼羅なしでお悟りです。
曼荼羅が、迹。と曼荼羅軽視。は別ですよ。
私は大切にしています。
御本仏様からの贈り物です。
大切にして当然でしょう。
以前、樋田さんが、曼荼羅をコピーしてひらひらさせた時、本気で起こりました。
映像に残っています。
叱り付けていますよ。
あれは曼荼羅じゃありません。
でも、御本仏様のお手になるものです。
家族や恋人の写真でも大切にします。
それが人と言うものじゃないでしょうか?
私はね、大聖人様につながるものは全て世界で一番大切です。
ですから、あの時本気で叱ったんです。
曼荼羅が迹だから粗末にしていい。
そんなことしたら、大謗法です。
この点ははっきり言っておきます。
305
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 19:55:11 ID:AJ3hr85o0
『法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、』
(守護国家論)
ご本尊様に祈って、歓喜するのは祈る本人です。
我即ち歓喜す。です。
祈れば分かりますが、喜びは自分の命の中から沸き出てきます。
曼荼羅から伝わって来ません。
命の中からなんですよ。
湧現と言います。
これが仏法の内道たる所以です。
祈ってない人にはわかりません。
曼荼羅が本。
これはね、祈りを体験してない人です。
御書にあります。
伝教は何もなしで悟った。
命に湧現したんですよ。
『賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり、仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、』
(妙密上人御消息)
ほらね、曼荼羅出てきません。
師の存在が助縁か、自ら悟るか、どっちかです。
第一、伝教は曼荼羅ありません。
拝んでませんよ。
所詮、仏法は人から人です。
曼荼羅から人じゃありません。
では曼荼羅はなぜか?
道具ですよ、悟るための武器です。
使うのは人。
ピアノ弾きのピアノと同じです。
武士の刀です。
使う人が弱いと駄目ですね。
『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給』
(経王殿御返事)
この様に、大聖人様がご自身の顕されたお曼荼羅を武士の刀だ。と、明言されておられます。
これじゃ困る人種がいるんです。
日蓮正宗にいる出家って奴らなんですよ。
アレらは、何が何でも曼荼羅が神秘で摩訶不思議にしておかないと、信徒支配が出来ないんです。
俺たちゃこれほどありがたいんだぞ。
後ろに曼荼羅控えてる。
この類です。
曼荼羅本のもくれんさん、天城さん方。
いい加減に日蓮正宗辞めたら如何?
306
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 19:58:38 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗の本迹感、当然邪義ですよ。
・御聖意を拝し、顛倒説の根を伐る
『諸法実相抄』に曰く 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。』(平新P666)
この御文は、無作三身・示同凡夫のお姿である御本仏日蓮大聖人ご自身と、三十二相八十種好の方便を体する色相荘厳の釈迦仏とを相対された御言葉であり、
日蓮大聖人(即 久遠元初自受用報身仏)に対すれば、久遠実成の釈迦仏は用の仏・迹仏であることを明かされている重要な御文です。
『就註法華経口伝』(御義口伝)『常不軽品三十箇の大事 第十三』にも 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』(平新P1779)との御妙判がありますが、
末法の本未有善・三毒強盛の衆生を教化するためには、色相荘厳の方便仏では化導の力が及ばず、示同凡夫の本仏でなければならないからです。
総本山第26世日寛上人は「文底秘沈抄」に、
「若し外用(げゆう)の浅近に拠(よ)れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。
故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(六巻抄P49)
と御指南されています。日蓮大聖人の御内証は久遠元初自受用報身如来の再誕であり、法華経の経文上に現れた上行菩薩は仮りの姿であって、
久遠元初自受用報身仏(即 御本仏日蓮大聖人)が仏法の付嘱の上から、過去に上行菩薩として御出現あそばされたのである、という御指南です。
『然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。』(平新P666)
ですから、釈迦仏は我等末法の衆生にとっても主師親三徳を備えていると思うのが仏教の常識であるが、そうではない。
真実には、釈迦仏を成道に導き三徳を被らしめたのは久遠元初無作三身の仏なのである。 との御指南です。
ここで大聖人様の仰る『凡夫』『衆生』の語には、総じて『日蓮が弟子檀那』『日蓮等の類』(就註法華経口伝などに曰く) と一門全体に亘る義を含んでいますが、
池田氏は 「“仏があって凡夫がある” と思っていたら、そうではなく、 “凡夫があって仏がある” のだ」 として、
『凡夫』の語の核となる 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』 の別しての義を故意に無視して、凡夫を(仏に対する)衆生のみにあてはめ、
宗祖日蓮大聖人をも迹仏として貶めています。これでは御本仏日蓮大聖人を”大菩薩”と呼称する身延等と同類であり、
『種種御振舞御書』(平新P1066)の 『かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。』 との誡めに背く謀反者の戯言、亡国の一凶であります。
(更に言及すれば、創価学会は釈迦仏をも侮蔑していますから身延以上の大謗法とも言えます。)
〜引用終わり〜
307
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 20:00:20 ID:AJ3hr85o0
池田先生の本迹のご指導、当然正しい。
法華経の智慧 〜二十一世紀の宗教を語る 第五巻 (池田大作著/聖教新聞社 1999.9/20刊)
如来神力品① 地涌の菩薩への「付嘱」―― 広宣流布への荘厳な儀式
全民衆よ!汝自身の尊貴さに目覚めよ!
「凡夫こそ本仏」の大宣言 (P171〜)
斉藤(斉藤克司教学部長・副会長) 考えてみれば寿量品で否定された「始成正覚」という考え方には、きわめて危険な要素があったのではないでしょうか。
つまり釈尊が伽耶城近くの菩提樹の下で「始めて」悟った ――この始成正覚の「前は凡夫」「後は仏」と考えてしまうと、「人間・釈尊」が見えにくくなります。
実際のところは「人間として」真剣に正しき道を求めたからこそ「わが仏界」に目覚めた。そうやって目覚めたからこそ、「人間として」最高の生き方ができた。
つまり「人間・釈尊」として一貫しているわけです。この一貫性を「始成正覚」は切断してしまう危うさがある気がします。
遠藤(遠藤孝紀副教学部長・墨田区副区長) 始成正覚以後は「人間を越えた」何か特殊な存在になった、そんな錯覚に陥りやすいですね。
釈尊という人格を、目の当たりにできた 釈尊在世の衆生はいいとして、釈尊滅後の人には、どうしてもそう思われがちだと思います。
須田(須田晴夫副教学部長・墨田区副区長) そこから釈尊を神格化したり、自分達は「凡夫でしかない」と卑下してしまった。これは謙虚なようで、じつは傲慢の裏返しですね。
「人間(凡夫)」の尊貴さを知りもしないのに、知ったつもりで人間不信になっているわけですから。
名誉会長(池田大作創価学会名誉会長) 「凡夫でしかない」 ―― そういう言い方は、とんでもない間違いです。
そういう錯覚の黒雲を、大いなる涼風で吹き払ったのが法華経です。「凡夫でしかない」どころか「凡夫こそ仏なのだ」と。「人間こそが最高に尊貴なのだ」と。
この「法華経の心」を究極まで表現されたのが日蓮大聖人の次の御言葉です。
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、
然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』 (全集P1358)
『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』 (全集P1359)
まさに「それまでの仏法がひっくり返ってしまった」御言葉です。凡夫が「本仏」、仏はその“影”である「迹仏」にすぎないと言われるのだから。
“仏があって凡夫がある”と思っていたら、そうではなく、“凡夫があって仏がある”のだと。
仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言です。
どんな宗教でも、神仏などの「絶対なる存在」が上、人間はその下と考えるのが通例です。それを否定して、絶対者と思われている神仏は、
実は凡夫=人間の「影」であり、「用(働き)」であり、「人間のための手段」にすぎない ――こんな宣言は他にありません。
まさに「人間のための宗教」の大宣言なのです。
歴史上、「人間のため」のはずの宗教が、いつのまにか「権威のため」の宗教に変貌してきた。その思想的な根っこは「神仏が上、人間が下」としたところにある。
そう言えるのではないだろうか。
〜引用終わり〜
308
:
森野一士
:2008/12/10(水) 12:02:07 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
先生は、大聖人のことを迹仏だとは言われていません。
法華経文上の仏のことを迹仏だと言われています。
法華経文底の大聖人の仏法では、
仏は大聖人であり、大聖人と同意で信心活動を
している学会員の方々です。
以下、新人間革命より引用
「本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。
それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
引用終わり
私は、このご指導を、
本迹に立て分けることと、
勝劣に立て分けることは同等である、
と受け止めました。
私は、曼荼羅は御本尊と信心しています。
「聖教新聞10/26 SGIの友と人間主義の哲学」より
「先生は”SGIは永遠に御本尊と御書を根本として
前進していく”」と。
「東洋の智慧を語る」P233
「大聖人は、(略)曼荼羅本尊を示しました。
その本尊に唱題すれば仏界を顕現できる。」と。
聖教新聞11/14
「何があっても御本尊根本、信心根本で進むことだ」と。
新人間革命19巻P300
「曼荼羅として顕された御本尊」と。
大白蓮華11月号P56
「御本尊には大聖人の御生命があらわされています。
この御本尊を人生の根本として拝し、」と。
諸法実相抄講義よりP64
「人法一箇の御本仏であるが故に
人法体一の御本尊をご図顕されたのです」と。
戸田先生全集第四巻P339
「この五字とはお曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります」と。
百六箇抄P869
「曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」と。
随筆人間世紀の光10/24
「御本尊に向かう時、この会座に、私たち自身が
連なっているのだ。(略)御本仏との「師弟の対話」の
儀式こそ、勤行なのである」と。
309
:
梅
:2008/12/10(水) 16:41:50 ID:GzTbFjgs0
森野さん
こんにちは、しばらくです
一部分だけ、横レスさせてください。
>以下、新人間革命より引用
>「本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
>つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。
>それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
>引用終わり
>私は、このご指導を、
>本迹に立て分けることと、
>勝劣に立て分けることは同等である、
>と受け止めました。
私は以前、この部分はあっさりと読みすごしました。
元来、「本迹」の使い方は「本迹相対」ですから、「勝劣」の立て分けだったからです。
ところが、森野さんの引かれた頁に
『眠っている時は「迹」、起きている時は「本」。』という話が続きます。
これもフツウに読んでいたときは、簡単に読み飛ばしていました。
その後、本迹論は必ずしも「勝劣」に限らないのではないか、と考えるようになりました。
そうでないと、説明が大変難しい場面が出てくるからです。
一つは上記の場合ですが、他にも「自他」を本迹で言う場面です。
これを避けるためには、本迹から離れてしまえばよいのですが
あくまで拘るとすれば、「必ずしも勝劣に限らない」とすれと道が開けてきます。
沖浦さんの説も、そのように解さないと誤解をうみますね。
では、人間革命の該当頁では「本迹は勝劣に限る」としているかですが
そのようには限定していないようにも読めます。
『本迹、勝劣を立て分けて』と書かれていますが
『本迹の勝劣』とか『本迹で勝劣』とは表現されていません。
この頁のほんのわずかな部分を、ここまで深読みしてよいかどうか私には分かりません。
しかし、「迹」は「用(働き)」をいうと「法華経の智慧」にあります。
ですから、その働きを見て、あるいはそれを価値評価したときに
全ての現象を、必ずしも「迹=劣」という必要はないと考えました。
以上、私はこう考えたということにすぎませんが、ご一考願えれば幸いです。
310
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/10(水) 21:58:18 ID:AJ3hr85o0
貴方と私は意見に相違がありますね。
でも、当然ですよ、全ての創価学会員が同じ意見をもてませんし、持てば不可解です。
双方が双方の意見を持ち、それを自由に交換できる。
これが仏法と言う思想です。
ですから、貴方はそのままでいいと思いますよ。
311
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/10(水) 22:03:26 ID:AJ3hr85o0
>>310
は森野さんにです。
312
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/12(金) 06:22:08 ID:AJ3hr85o0
そろそろ、釈迦の法華経の本迹相対から脱却したらいいでしょうね。
何時までも古い教えの相対に縛られて、その立場から現実を見ることは大間違いです。
依義判文。ご存知ですね。
現実社会の立場から御書を読む。
戸田先生以来、創価教学の原点です。
なのに今、ネットで多くの人達が本迹の解釈の入り口で立ち往生しています、
日蓮正宗に未練があるのでしょうね。
相当情けないと思います。
2チャンネルに以下の書き込みがありました。
405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 23:31:38 ID:???
反沖浦派に告ぐ。
他人より自分の事を心配しなさい。活動や唱題そっちのけで掲示板に張り付いてるアナタ=
重度のネット依存症が何を語っても説得力梨。アナタがやるべき事はPCを閉じ心療内科へ行く事。
痛々しい姿で学会を貶め照ることに早く気付いて欲しい。
ネットが辞められないならせめて学会員を名乗るのをおやめなさいな。
424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 17:40:44 ID:???
反オッキー派はオッキーにHNでの体験じゃダメだと言われて、色々反論しているようだが…そのHNでの体験すら語って無くね?
漏れは別にHNで体験語っていいと思うし、有りだと思うんだが、そこが反オッキー派もなんだかな、って思う。
魚青氏も気付いているようだが、オッキーを揶揄ってるようで実質オッキーの術中にハマりまくっているように感じる今日この頃。
427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 19:51:35 ID:???
オッキー教学を叩けば叩く程正宗に正統性が生じるジレンマ…
感じない奴ほど思考停止してる。
これほどニケーン宗の害毒が強いとは思わなかったよ。
436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 23:14:16 ID:???
今のところ田山氏を誹謗してはいるが、それは自分には絶対にブーメラン的に帰って来ない安全な相手を叩いて、自分の攻撃衝動を満足させてるだけなのだよ。
本来ならオッキーに多大な影響を与えた風人氏を叩かねばならないのだが、いざ叩いたら、創価は最近懐深くなったことを否定してしまうから。
あと、正しい情報すら認めないカルト認定されるしね。
実はオッキー叩いてるやつらはめちゃくちゃ苦しいのだよw
〜引用終わり〜
貴方方世間様に心底愚かだと判断されいますよ。
313
:
森野一士
:2008/12/12(金) 11:30:26 ID:/.wVSr1g0
梅さんへ
>>309
『眠っている時は「迹」、起きている時は「本」。』
私は、このご指導も本は勝、迹は劣と受け止めました。
>「必ずしも勝劣に限らない」とすると道が開けてきます
私は、本は勝、迹は劣であり、説明は可能である、と認識しています。
引用
「本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。
それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
「勝劣を立て分けていきなさい」
「全部、『本迹』がある。
それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
私は、本迹に立て分けることは、勝劣にも立て分けることになる、
と認識しました。
先生は、新人間革命8巻P131で「本迹の勝劣を照らし出して」と言われています。
また、P149「本迹といっても、この瞬間瞬間が勝負である」と。
私は、本は勝、迹は負すなわち劣、と受け止めました。
>「迹」は「用(働き)」をいうと「法華経の智慧」にあります。
ですから、その働きを見て、あるいはそれを価値評価したときに
全ての現象を、必ずしも「迹=劣」という必要はないと考えました。
私は、
「迹」は「用(働き)」をいうと「法華経の智慧」にあります。
ですから、その働きを見て、あるいはそれを価値評価したときに
全ての現象は、必ず「本に対する迹=勝に対する劣」である、
と認識しました。
御書P1358
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、
仏は用の三身にして迹仏なり、」
私は、この御文を、
全ての人を成仏させることが出来る
大聖人の文底の本門の仏法においては
本体である本仏は大聖人であって、また
大聖人と同意で信心活動している学会の方々であり、勝
文上の釈尊の仏法で説かれる仏は迹仏であり、
本仏である人間の影、用(はたらき)、手段にすぎず、劣。
と認識しています。
(法華経の智慧第五巻P173参照)
314
:
森野一士
:2008/12/12(金) 11:35:24 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
>>310
読みました。
315
:
梅
:2008/12/12(金) 14:50:29 ID:GzTbFjgs0
森野さん
こんにちは
①>先生は、新人間革命8巻P131で「本迹の勝劣を照らし出して」と言われています。
②>また、P149「本迹といっても、この瞬間瞬間が勝負である」と。
森野さんと同じく私も、基本的には本迹=勝劣であると思います。
つまり、①のように百六箇抄で取り上げる日蓮仏法と釈迦・天台との勝劣、いわゆる『本迹相対』をいうとき。
あるいは、②のように本迹を『個人の一念』の問題にとらえるときです。
そこで、森野さんは、『眠っている時は「迹」・起きている時は「本」』を
同じく本迹で勝劣があるということでした。
しかし、生命論では、私たちの生命は生死・生死を繰り返し永遠だというのに
睡眠時はあたかも「死」のように、起きている時は「生」にたとえたりしますね。
すると、同じように「生死」も「本迹」で「勝劣」があるということになりませんか?
どうですか?
単なる断定だけでなく、その理由まで述べるとすれば、たいへんゴチャゴチャしてきますよね。
さらに百六箇抄では、【久遠自受用報身の本迹】の項で、『男は本・女は迹・知り難き勝劣なり』と言っています。
これは、『男は本・女は迹』と断定した上で『知り難き』『勝劣』と続くわけですから
『勝劣の判定は難しい』という意味になるのでしょうか?
それとも『男は本・女は迹』は『知り難い』が、にもかかわらず『勝劣』はある、という意味でしょうか?
いずれにしても、これらのように「本迹」は一筋縄では行かないものがあります。
この点に、私たち学会員に共通理解があれば、①②のように
「このような場面」では「このような使い方」をしていますと前提を置くか
あるいは、本迹は「必ずしも勝劣に限らない」という前提を取るかなど
対話の「土俵」を設定することができますよね。
沖浦批判者は、このような「土俵」を作ることを全く無視した上で批判しているようです。
沖浦さんは、「本迹は立場」と前提をおいてますから
批判するなら、その辺のところから土表作りをはじめてもよいはずです。
私には、『はじめに批判・非難ありき』に見えてなりません。
316
:
森野一士
:2008/12/12(金) 17:36:29 ID:/.wVSr1g0
梅さんへ
起きている時と眠っている時の本迹の立て分けは
生においての場合の立て分けである、と認識しています。
知ることが難しい勝劣、と認識しています。
私は、本迹の立て分けは勝劣に立て分けること、
と認識しています。
私は、沖浦さんは、御本尊と曼荼羅を切り離し、本迹に立て分けている、
と認識しています。
私は、御本尊と曼荼羅は切り離せなくて、本迹には立て分けられない、
と認識しています。
317
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/12(金) 18:34:23 ID:AJ3hr85o0
ご本尊は曼荼羅なんですよ。
でもね、本門の本尊は私共凡夫の己心の妙法なんです。
自分の持っているものを、ご本尊などと敬称をつけないでしょう。
本尊と言いますね、当然。
ですからね、ご本尊は曼荼羅です。
そしてその曼荼羅本尊は、虚空会の儀式で顕われた宝塔を一幅の曼荼羅に写し取ったものです。
でもね、本当はそう言う儀式は現実にはありませんね。
物理的に不可能なんです。
その点については、戸田先生の人間革命に詳しく書いてあります。
あの儀式は釈迦己心の儀式です。
ですから、虚空会も宝塔も釈迦の命の中でのことです。
そして、その釈迦と全く同じ命を、大聖人様も私共も等しく持っているのです。
本尊とはね、その事なんですよ。
これはね、大聖人様の仏法の基本中の基本です。
少し真面目に考えて見るべきですね。
318
:
梅
:2008/12/12(金) 21:39:34 ID:GzTbFjgs0
森野さん
>起きている時と眠っている時の本迹の立て分けは
>生においての場合の立て分けである、と認識しています
そうですね。喩えに少し深入りしました。
では、上の例において、どうして本迹を立て分け、勝劣があるのでしょう。
森野さんはどのように考えていますか?
私は、絶対に勝劣があるとするなら
極めて実践論的意味合いなのかな(眠っている時は意識した行動がないから=劣)と思っているのですが・・。
それから、沖浦さんの
>>317
のレスで
本迹はともかくとして、「御本尊=曼荼羅」の点では
森野さんと沖浦さんとは認識が一致したと見てよいのでしょうか?
それとも、森野さんのいう「御本尊」は沖浦さんの言う「本尊」ですか?
319
:
森野一士
:2008/12/13(土) 01:29:33 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
私は、本門の本尊は曼荼羅の御本尊であり
私たちの胸中の御本尊である、と認識しています。
曼荼羅の御本尊は尊極の生命の実相であり、
法華経文上の虚空会の儀式は、
釈尊の尊極の生命を顕している、
と認識しています。
320
:
森野一士
:2008/12/13(土) 01:38:27 ID:/.wVSr1g0
梅さんへ
生は、活動をすることが主であるから、
起きていることが「本」、と受け止めました。
御本尊のことは
>>319
に書きました。
321
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/13(土) 06:00:28 ID:AJ3hr85o0
森野さん、おはようございます
胸中のご本尊様があるのではないのですよ。
命の中のどこかに本尊が冥伏しているんじゃないんです。
お前たちの命そのものが本尊で仏なんだ。
これが大聖人様の教えです。
御書にあるでしょう。
その命を写し取ったものが曼荼羅です。
写真みたいなものです。
書写って言うでしょう。
でも現実には印刷じゃないですか。
でも、お力あるでしょう。
そのお力はね、本当の本当は私共の命が本来備える力です。
曼荼羅は助縁です。
少しこの点をお考えになられるといいと思います。
322
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/13(土) 06:06:34 ID:AJ3hr85o0
森野さん
虚空会での宝塔は釈迦の命限定じゃないんですよ。
お前たち凡夫の命はこう言う凄いものなんだぞ!
これが宝塔だって、大聖人様が仰せなんです。
私共は素直にこれを信じればいいのです。
そこがね、人間革命の出発点なんですよ。
以信得入です。
明確に大聖人様が仰せです。
それを、後世の人間が大聖人様を神格化して利用するために、色々邪義をくわえたんです。
御書にストレートに戻るべき時なんですよ。
世界広布には不可欠です。
323
:
森野一士
:2008/12/13(土) 19:20:51 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
「私たちの胸中の御本尊」から
「私たちの尊極な生命である御本尊」に訂正いたします。
私は、
末法の人は、大聖人の仏法おいて、
法華経に出てくる宝塔が、
御本尊を信受した人の当体なのだ
と知ることが出来る
と認識しています。
法華経文上の虚空会の儀式は尊極な生命を顕していて、
また末法に流布される御本尊が顕れている、に訂正いたます。
大聖人は、文底の立場で文上の虚空会の儀式を用いて
全ての人を成仏させることが出来る曼荼羅の御本尊を
御図顕された、と認識しています。
曼荼羅の御本尊は、大聖人の生命であり
私たちが曼荼羅の御本尊を信じ、信心活動している時に
湧現される元々の尊極な生命である、と認識しています。
324
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/16(火) 17:53:08 ID:AJ3hr85o0
森野さん、亀レスでごめんなさい。
本日の聖教新聞の5面、オランダのウイルプスハールさんの体験が載ってます。
87年に折伏され、その後頂いた経文と数珠を使い勤行とお題目だけを唱えた。
会合に参加したのは翌年一月、当然、お曼荼羅ありませんよ。
組織もやってません。
でも、しっかり功徳があったと書かれています。
SGI入会は89年2月です。
そろそろ、お曼荼羅一辺倒と、組織至上主義から抜け出す時期じゃないでしょうか?
325
:
あ
:2008/12/17(水) 10:51:17 ID:6Xr.t7kY0
富士ぼー掲示板のマ◎マ◎さん
「人本仏迹論」一考―――本尊と我々の命と題目の関係
大変参考になる。良い論文です。
みなさん、是非読んでみてください。
326
:
あ
:2008/12/17(水) 14:19:46 ID:6Xr.t7kY0
重複ですが
沖浦さんの言われる。
「人本仏迹」
当然の事だと、思います。
不幸な人が、幸せになる為の仏法です。
仏と敬称される方達は、凡夫を、同じ境涯にする事に、幸せを感じるのです。
だから、不幸な人(すなわち凡夫)が、主役なんです。
主役(凡夫)がいなければ、仏と敬称される方達の存在意義は、
無いと、思います。
沖浦さんの言われるように、
個人(凡夫)すなわち主役から見た、仏と敬称される方達は、
当然、脇役なんです。
大聖人様も、凡夫の生きる人生劇場では、脇役になるのです。
また、大聖人さまから、みれば、われら凡夫が脇役であり、
大聖人様ご自身は、主役であります。
327
:
森野一士
:2008/12/17(水) 18:56:34 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
私は、曼荼羅本尊の流布は、これからも世界中に
されていく、と信じています。
文底の仏法は、仏と法と人に差別がない法である、と信じています。
曼荼羅本尊は、大聖人の生命である、と信じています。
328
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/17(水) 22:22:15 ID:AJ3hr85o0
曼荼羅流布はなされます。
曼荼羅はね、大聖人様の魂ですよ。
同じく私共の魂をかたどったものです。
これがわからないと、人間革命は分かりません。
人間改造ですね。
329
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/18(木) 07:26:11 ID:AJ3hr85o0
今富士ボー覗きました。
阿部さん、天城さん、紋さん方、あ、さんにコテンパンにやられてますね。
仕方ないですよ、あの板の方々全員口舌の徒でしかないです。
行動が不可能な方々です。
教学もてあそんで邪義作ってます。
ここの皆さんのような、実践の教学じゃありません。
アレね、天台ですよ。
相当遅れてますね。
330
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/18(木) 13:04:18 ID:AJ3hr85o0
粛坊 さん
今日の聖教新聞読みましたか?
貴方や小野さん、もくれんさん、風凛さん、天城さん、やまいぬさん、愚壮さん、河内さん、粛坊さん、京都乃鬼さん、ういろうさん、月の砂漠さん、紋さん、那由多楽人さん、秀樹さん、鯖さん、恋さん、夜桜河童さん、たちの事が載っていますよ。
戸田先生が最も嫌われた、口先だけの人です。
池田先生がご指摘になられた、傍観者です。
口先だけの人で、傍観者。
これが貴方がたの正体です。
331
:
鵜
:2008/12/19(金) 05:09:08 ID:opBzNoO20
他の掲示板には相当の悪者がいるようですね。
私も不勉強ですが、創価の名を汚す悪人には鉄槌を加えるべきだと思います。
創価の敵は、皆でやっつけましょう。
332
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/19(金) 07:26:26 ID:AJ3hr85o0
鵜さん、おはようございます
やっつけなくていいんですよ。
普通にしておくべきなんです。
泥仕合する必要はありません。
要は、自分が社会で大成功し創価の正義を示したものが勝です。
333
:
鵜
:2008/12/19(金) 17:48:14 ID:opBzNoO20
沖浦様
やっつけなくていいんですか。
私は、沖浦様が先日かかれたネットの掃除という作業に非常に共感を覚えました。
謙遜なさることはありません。沖浦様自身大いに仕合されていると思いますよ。
それにしても社会での大成功と創価の正義を示す事は大切ですね。
私ごとで恐縮ですが先日大きな商談がまとまりました。御本尊のおかげです。でもここで油断をしちゃいけませんね。まだ今年も年末まで日があります。まだまだ戦いますよ。折伏ももっとします。
334
:
あ
:2008/12/19(金) 18:01:34 ID:6Xr.t7kY0
鵜さんこんにちは、
そんなに、いじめないでくださいよ
それと、JunkDarkさんと 鯖さんによろしくお伝えくださいね。
JunkDarkさんと 鯖さんって、双子みたいですね。
335
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/19(金) 18:08:13 ID:AJ3hr85o0
鵜さん
やっつけなくていいんですよ。
その仕事は既に終了しています。
今ね、小野さん筆頭に阿部さんやその他の方々、世間での信用はゼロです。
まともな創価学会員は相手にすらしてません。
あの方々終わったんですよ。
ですからね、貴方は世間に勝利の実証を示す事を頑張ってくださいね。
336
:
鵜
:2008/12/19(金) 23:49:27 ID:opBzNoO20
沖浦克治様
終了ですか。おめでとうございます。大勝利ですね。あの方々終わったんであれば相手にする必要ありませんね。
世間に勝利の実証、もっともっとがんばります。あとこの掲示板では本名を明かす必要があるのでしょうか。
そうであるとちょっと躊躇してしまうのですが。
それと、あ様。JunkDarkさんと 鯖さんは直に存じませんので。小野さん、もくれんさん、風凛さん、天城さん、やまいぬさん、愚壮さん、河内さん、粛坊さん、京都乃鬼さん、ういろうさん、月の砂漠さん、紋さん、那由多楽人さん、秀樹さん、鯖さん、恋さん、夜桜河童さん、
については口先だけの人、傍観者ですと沖浦さんがおっしゃっていますがやっつけなくていいでしょう。
沖浦克治さんをお互い見習って世間に勝利の実証を示す事を頑張りましょう。
私は年末までに折伏と商談をもう一つ決めます。
337
:
あ
:2008/12/20(土) 04:24:23 ID:6Xr.t7kY0
鵜さん
おはようございます。
JunkDarkさんと 鯖さんと 鵜さんが 三つ子にみたいに、見えちゃったんです。
338
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/20(土) 07:07:46 ID:AJ3hr85o0
貴方はね、鵜さん、ご自分の戦いに頑張りなさいね。
小野さん達は捨てておいていいんですよ。
後はね、仏法の厳しい因果の法則が裁きます。
もし、その現証が無ければ仏法は嘘じゃないですか。
そんなことはありません。
本名はね、貴方が本当に社会で成功し、体験を語る事で創価の正義を示すときがくれば明かせばいいでしょう。
もしくは、今この時点で成功していなくとも、将来例えば3年先にこうなってみせる!
そう言う決意と深い祈りがあるならば、どうぞご本名でネットをおやりなさい。
そしてこの板云々ではなくて、あらゆるネットを本名でおやりなさい。
それとですね、今貴方は修羅になっています。
勝他ですよ。
やっつける、とか、やっつけないとか、仏法者としての利他の念がありません。
祈りが貴方には無いのです。
ネットで大言壮語をするより、現実の社会でしっかり祈り、足元を固めなさい。
ネットはその後でいいでしょう。
今の貴方はネットが一凶になりつつありますよ。
頑張ってくださいね。
339
:
天城五兵衛
:2008/12/20(土) 20:10:30 ID:dxFPl8j.0
27123.沖浦さん
名前:天城五兵衛 日付:12月20日(土) 20時9分
相変わらず、自語相違ですね。阿部日顕並です(爆笑)
つまり、「人間のクズ」並ですよ。
天城五兵衛があなたの掲示板に行かない事を知っているから、私(を含め様々な方)の誹謗中傷を加える。情けないですね。還暦過ぎた人のされる行為ですか?まるで前科一犯の元顧問弁護士・山崎某並の人間性ですね。
あなた、私との対論を希望していたじゃないですか。で、対戦条件やルールなどを提案したにも拘らず、何も反応もせずに放棄して逃げたのあなたですよ。
それにも懲りず、17日の夜中に対論希望の書き込みしているじゃないですか。やりましょうよ!私からは、前回提案の要領とルールでいいですから、完全決着つけましょうよ!若鷹バトルトークで待ってますよ!
ルールなど希望があれば、若鷹に書き込んでください。
それから、関係ない話題に振らんで下さいよ!
340
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/20(土) 20:15:44 ID:AJ3hr85o0
天城さん
貴方はネットで書き込むだけの、虚言の人です。
私の相手になれる立場ではありませんよ。
その点を弁えて書き込んでください。
対戦相手と認められるだけの人間におなりなさい。
341
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/20(土) 20:26:41 ID:AJ3hr85o0
しかし、今時創価学会員同士でバトルトークやりたがる人、
いたんですね〜〜。
時代錯誤ですね。
342
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/20(土) 22:44:58 ID:AJ3hr85o0
バトルやりたかったら、
自分の弱い命とバトルやんなさい。
343
:
宿望
:2008/12/21(日) 10:54:00 ID:dyRcpeU20
方や実名、方やHN、これでは平等な対論にはなりませんでしょうね。
管理人様に対論申し入れるなら、実名公開の勇気がある人でなければなりませんね。
相手が表に出て待っているのに、自分は家の中から「さ〜勝負しろ!」といっているようなもんで、最初から対論の土俵に上がっていないことに気づけないんでしょうかね。
344
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/21(日) 12:38:41 ID:AJ3hr85o0
HNで影でコソコソ顰めく輩。
虚言の人です。
まともな学会員一人としていませんよ。
だってね、アレ達、功徳の体験全くないでしょう。
信心なんかしてませんよ。
宿望さん。
345
:
宿望
:2008/12/21(日) 17:38:55 ID:9yP1IpMs0
管理人様、本当にその通りでしょう。
「まともな学会員」でないといいますか、「まともな人間」でないといったほうがいいかもしれませんね。
学会員であるなしにかかわらず、人としてどうなんでしょうね、あの方々は。
本当に口汚いですね。当然、実名では同じことは出来ないでしょう。HNだからこそやっているんでしょうね。
それにしても、HNだろうとなんだろうと、学会員を名乗りながらあの醜態は、自らが信奉する教団に泥を塗っていることに気づかないんでしょうかね?
反人権のかたまりみたいな言動ですよね、あの方々は。
346
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/21(日) 18:35:46 ID:AJ3hr85o0
宿望さん、
既に本部から、ある板の管理者に厳しい指導が入ったとの情報が先ほどありました。
相当厳しい内容で、このままの状態で掲示板の運営を続けるなら、除名も含めた処分が出されるそうです。
私は他の板はあまり見ませんが、もし最近書き込みが激減している板があれば、そこの管理人が対象になっているのでしょう。
ようやく本部も重い腰をあげたようですね。
先日、マスコミ担当の信越の最高幹部が来訪したのは、下見だったのですね。
347
:
天城五兵衛
:2008/12/21(日) 21:42:42 ID:dxFPl8j.0
物は言い様ですね、逃げ専門の沖浦さん!
「口舌の徒でしかない」
「口先だけの人で、傍観者」
「教学もてあそんで邪義作ってます。ここの皆さんのような、実践の教学じゃありません。アレね、天台ですよ。」
それで、あなたはそんな私に太刀打ち出来ないばかりか、私の論に対して反論不能ですね。
おまけに、直接対論を要求しておきながら、またまた遁走ですか?
あなたらしいですね。
若鷹で徹底的にやりましょよ!
若鷹の管理人さんも、公正にジャッジすると宣言して下さっていますよ。
条件とルールの提示を、若鷹にお願いします。
天城五兵衛 拝
http://www2.ezbbs.net/33/amagian/
348
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/21(日) 22:25:25 ID:AJ3hr85o0
天城さん
少し物の道理を弁えましょうね。
私はね対面対話を志す人間です。
池田先生の仰せですからね。
貴方がもし、創価学会員なら、私と対面対話をどうぞ。
今時ね、顔の見えないネットで、誰かも分からないHNなどで、バトルトーク??
貴方ね、相当おかしな趣味お持ちですね。
勇気出して現実社会に出ていらっしゃい。
虚言の人ではだめですよ。
修行を避けてはいけませんよ。
では、現実の対話の打ち合わせの実名掲示板どうぞ。
349
:
宿望
:2008/12/21(日) 22:47:28 ID:9yP1IpMs0
しかし同じ宗教団体の人同士が、何故会うことを拒み、方や実名にもかかわらず、自分たちはハンドルネームのまま、「対論」だ、「バトルトーク」だと騒ぐのでしょうね。
創価系掲示板みて思うことは、創価には違ったものの考え方をする人間は排除する、創価とはそういう団体だ、ということですね。
違う宗教の人とも喧嘩し、同じ宗教でも考えが違えば喧嘩し、喧嘩ばかりの三悪道・四悪趣の宗教じゃないですか。
そんな宗教誰がやりたいと思うんでしょうね?
350
:
★ホセ・ラサール★
◆4cVqan2W..
:2008/12/21(日) 23:16:55 ID:hihFB6a2O
宿望さん、
はじめまして、今晩は。
創価学会員は同志を非難批判してはいけません。と、池田先生は指導されています。
本当の同志がこれを守らなければ除名も、あり得ます。
全体数からするとごくまれですけどもね。
だが、ほとんどの批判誹謗者は、創価学会切り崩しの意図を持った者たちが、創価学会員に成りすましているのが現状なのですよ。
351
:
京都乃鬼
:2008/12/21(日) 23:46:26 ID:bLRjw1dY0
>現状のネットでその取り組みをしているのは、私共のグループだけなんですよ。
沖浦くんのいう「私たちのグループ」ってナニ?
「自分は本 蓮祖は迹」を信奉する沖浦教の仲間?
少なくとも、この「教義」を責めないグループというのは、詐親であるから戒めたい。
=今月の座談会御書=
「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く」
昭和54年から学会を離れ、嘗て池田先生を疑い、師匠の書物を捨て去り、
そして平成の今、法華講と仲良くすることを勧め、
「蓮祖は迹」との邪義を吐き、世間に向かって平気でウソを吐く!
こんな「沖浦教のグループ」は創価学会とは無縁です!
352
:
天城五兵衛
:2008/12/22(月) 00:29:15 ID:dxFPl8j.0
>>348
私はね対面対話を志す人間です
それでは、何故ネットで「自分が本、大聖人は迹」等と書き込みしたのか?
学会本部にでも来て、説法してればよかったものを!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
創価学会教学では、大聖人は末法の本仏であり、あんたの言うような迹仏ではないんだよ〜!
邪説を説くあなたは、もはや学会員ではない!「沖浦教」でも旗揚げするのか?三島でか?
ネットで論争を挑んできた以上、ネットで片付けましょうよ!
以前から主張している通り、あなたの掲示板で対論しても、都合が悪くなればアクセス禁止や削除処分で勝った勝ったと馬鹿騒ぎするあんただから、第三者の公正な板でやりましょうよ!
それとも怖いですか?
逃げ専門屋の嘘つきさん!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!キャハハ!!彡ヾ(▽≦*)ツ...ヾ(*≧▽)ノ彡キャハハ!!
353
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 04:43:08 ID:AJ3hr85o0
京都の鬼さん、
少し礼儀を弁えなさい。
これ以上改まらなければアクセスを禁止しますよ。
354
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 04:45:47 ID:AJ3hr85o0
天城さん
貴方は冷静さをなくしています。
罰の現証ですね。
少し頭を冷やしなさい。
私は大聖人様が、迹仏だと一度も言いませんよ。
国語の勉強が出来たら書き込みなさい。
書き込みがあらたま無ければアクセスを禁止します。
注意しなさいね。
355
:
天城五兵衛
:2008/12/22(月) 09:56:18 ID:dxFPl8j.0
あなた、過去にこういう書き込みされていますよね!
> ご本仏と言えども、この世の関係では私が本、大聖人様が迹。
「御本仏と雖も迹」とね。
ペンネームであれ、本名であれ、ハンドル名であれ、自分の考えを活字にする時には必ず責任が伴います。
書いた以上、消せませんね。訂正しない限り。
創価学会教学では、この様な本迹で捉えることはありません。
日本語の勉強が必要なのは、あなた自身ではありませんか。
さて、以前から主張している通り、あなたの掲示板で対論しても、都合が悪くなればアクセス禁止や削除処分が出来る以上、公平な対論など出来ませんよ。
第三者の公正な板でやりましょう!
若鷹さんが、快諾されていますので、ルールとテーマに関する希望をお寄せ下さい。
しかと申し付けましたよ!
356
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 10:49:28 ID:AJ3hr85o0
天城さん、現在の貴方は負け犬です。
ネットで人を責める事惨めな現実の生活の憂さを晴らすだけの存在です。
相当情けない人生です。
判断力も皆無です。
医者に行くべきですね。
迹仏?
言いませんね。
御本は大聖人様お一人。
これを覚えておきなさい。
信心が無いからぐらつくのですよ。
仏はね、人のために出現いたします。
蓮祖のご指南です。
ですからね、いかなる仏も、人が本、仏が迹。
これが仏法の基本です。
基本すら知らない貴方、もう愚論はやめてお医者さんに行きなさい。
357
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 11:32:49 ID:AJ3hr85o0
天城さん、貴方ね創価なのるんなら、もっと正々堂々と生きて御覧なさい。
以下に、私の2ちゃんねるでのやり取りを貼っておきます。
同じ人生を生きる自身が出来たら、私に会いにいらっしゃい。
以下、2ちゃんねるから抜粋引用。
960 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/12/22(月) 01:19:32
うっわ
>>953
のリンク先から沖浦克治のIPでググッたら
ほんとにレスキューの社長だったwww
創価掲示板にあんなカキコミされて会社大丈夫ですか?
963 :沖浦克治 ◆JEhW0nJ.FE :2008/12/22(月) 05:28:34
>>960
さん
ええ、本名です。
隠さない人生に決めました。
私はね16歳で創価学会員となりました。
それ以前、悲惨な人生だったんです。
世間に沖浦名乗れませんでした。
で、創価人になった時決めたんです。
いつかはドアを誰が何時ノックしても、その場で開けられる人生になるぞ!
ですからね、現実から絶対に逃避しません。
それが原因で潰れたら本望なんです。
964 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/12/22(月) 09:36:57
でも社長、
ネット上でお客さんを罵ったりするような書き込みは
創価学会での教えなんですか?
商売人として、人として
絶対いけないことだと思いますが。
966 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2008/12/22(月) 10:13:03
社長、
ワックスは良いんだから、
ガリウムやカシワックスのスレみたいに、
関係者は静観するに限るよ。
宣伝は充分出来たでしょ?
欲ばると失敗するよ。
968 :沖浦克治 ◆JEhW0nJ.FE :2008/12/22(月) 11:07:39
>>964
さん
>>966
さん
私はね、創価の教えで生きてはおりません。
煩悩お多き一人の生身の人間です。
所謂、宗教者の解脱などには興味もありません。
腹が立てば素直に怒ります。
それで使っていただけないレベルの情けないワックスなどは、絶対に作りません。
2ちゃんねるは、ヒントと情報と優れた人材の宝庫です。
目の前にこのような宝の山がありながら、手をこまねいて見ているような、情けない経営は致しません。
358
:
河内平野
:2008/12/22(月) 12:52:15 ID:qw2u16As0
沖浦くん、いよいよ終わりだな!
もうすぐ、学会から除名になるだろう。
359
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 13:01:13 ID:AJ3hr85o0
河内さん、貴方は元々創価学会員ではありません。
ですから、創価学会の内部に口で出しする必要は皆無です。
今ね、貴方を信頼する創価学会員なんかいませんよ。
360
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 13:41:25 ID:AJ3hr85o0
河内さん、お読み
竹入さんとの和解が成立いたしましたね。
竹入さんが遺憾の意を表明する。
今後、双方非難をし合わない。
仏敵!相手でこれで皆様方ご納得なんですか〜〜??
私が、最も情け無いと思うのは、ほんの数か月前ネットで、
一生仏敵を責めないと謗法で、池田先生の弟子ではない!
大声で浮かれて跳ね回って、英雄気取りだった連中。
小野さん、愚壮さん、鉄斎さん、コスモスさん、河内さん、東国人さん、ういろうさん、銀次郎さん、ゆり根さん、夜桜河童さん、などなどが、今、全く仏敵を責めないで沈黙している姿なんです。
あの時、何度も注意しても聞きませんでした。
ところが今、一切沈黙をする。
そして、上ではこの愚か意見などは歯牙にもかけず、サッサと和解をしてしまった。
この人たち、一生やる。と言った決意が数か月持たない。
上からは無視して切り捨てられる。
これね、蓮祖門下じゃないと思いますね。
宗教人の屑です。
だってね、自分達の間違いを謝罪すらしませんよ。
あの輩がすべき事はね、
以前、仏敵で跳ね回りましたが、あれは自分の個人の判断で創価学会とは無関係でした。
創価学会が指示したって、私は大嘘を付きました。
組織にも、ネットの方にも自分の修羅の命でご迷惑をかけました。
お詫びいたしますとともに、責任を取ってネットも撤退いたします。
ですね。
こうすれば、あの愚か者どものネットで発言は、創価学会が仏敵を作ったと言う証拠にはなりません。
あの時、私は小野さんに忠告したんです。
これらの仏敵関連の発言を、矢野さんたち敵陣がネットで収集している。
だから、今のうちに手を打つべきだ。
ですが、小野さんは理解できませんでした。
とうぜん、これらの騒ぎの張本人共も浮かれたままでした。
今、あれたち大ばか者の発言が邪魔なんですよ。
ですから、張本人共は、責任を取って謝罪、ネットを撤退。
これが人として当然の姿です。
仏敵ってね、あの時も言いましたが、これらの愚か者の命の中にいるんですよ。
361
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 16:25:28 ID:AJ3hr85o0
天城さん、
本日の人間革命読んでますか?
先生が、明確に、ご自分は仏法を先に知ったわけではない。
戸田先生を通して仏法を知った。と言われています。
この方程式は社会万々を繋ぐ軸だ。と仰せです。
つまり、人間があって全てが始まる。
人が本です。
仏法は迹です。
貴方ね、HNでこそ隠れして、他者を攻撃する人、何かその人から始まると思っているんですか?
既に貴方は創価の教えから逸脱した存在ですよ。
362
:
天城五兵衛
:2008/12/22(月) 17:49:51 ID:dxFPl8j.0
沖浦さん、
私はあなたと違って、2チャンネルに行く意思などありません。
そんなところに出入りする時間などありません。まして相手にしているほど暇人ではありません。
>>私はね、創価の教えで生きてはおりません。
他人様に『新・人間革命』読んだか?などと言えた義理ですか?
それから、私はネットで人様を攻めてはいませんよ。
あなたが邪義をネットで撒いているから、その愚論を間違いとして明らかにしているのですよ。
これは仏法上、素晴らしいことではありませんか!
それで、私から逃げたくせに臆面もなく再度直接対決を要求されてきたので、受けて立つと表明しているんですよ。
売られた喧嘩は買え!−あなたのポリシーでしょう。
私は買いますから、対論しましょうよ!
「バトルトーク」の言葉が嫌なら、管理人さんも名称変更を承諾されていますから、提案して下さいよ。
「沖浦と天城の、炬燵でミカンの対話」とでもしましょうか?
ともあれ、やりましょうよ、対論!
あなたはネット上で邪義を撒いた。天城五兵衛はその邪義を指摘した。
その指摘を論理的に論破出来なければ、実名もペンネームもハンドル名も意味ないですね。
IT技術が格段と進歩する毎日ですが、技術の進歩が私たちの日常生活に使われる保証はありません。
スカイプを使えば、いつでも「CU-SeeMe」出来ますが、使う人は極めて少ないですね。
対面対話を標榜するあなたは、この技術を掲げないのは何故ですか?
企業はこの技術を使うよりも、物凄いお金がかかりますが電話会議を使います。
BB回線は当たり前になりましたが、企業は専用回線かVPNを使います。
リスク管理に対する意識の低い平和ボケした脳天気なあなたには理解出来ないでしょうね。
まあ、必要性を感じなければそれで良いんですけど、世の中には善意の人ばかりではありませんから、私はリスク管理には注意を払っています。
ともあれ、あなたが邪義をネットで撒いているから、その愚論を間違いとして明らかにしているのですよ。
これは仏法上、素晴らしいことです。
あなたは私の反論に対してグーの音も出ないから、信用だの他者攻撃だの言い訳ばかりで逃げまくるだけですね。
そんな人生嫌なんでしょ!違いますか?
堂々と私と決着つけたいんでしょう?
若鷹で待っていますよ!逃げないでくださいな!
http://www2.ezbbs.net/33/amagian/
363
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/22(月) 20:06:41 ID:AJ3hr85o0
天城さん、貴方暇人代表ですよ。
現実社会で行動もしないで、ネットだけ。
ネットお宅に暇人です。
少し弁えなさい。
364
:
鰰
:2008/12/23(火) 13:29:13 ID:gg7rZNmEO
横からすんません。
沖浦さん真面目に天城さんと向き合ったらいいんでないかい?
天城さん、沖浦さんと会って話し合えばいいのになでも実名板に来いってないよな・・・
ROMしている学会員はこう思ってんじゃないかな・・・
俺もそう思います
横から失礼しました
365
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/23(火) 13:58:27 ID:AJ3hr85o0
鰰さん
向き合う?
だから対面しようと言うのですよ。
でも、直接私とは会えない。
これじゃ駄目ですよね。
虚言の人です。
366
:
鰰
:2008/12/23(火) 14:26:44 ID:gg7rZNmEO
>>これじゃ駄目ですよね。
虚言の人です。
沖浦さんこんなカキコミするから真面目にでないと言ってるんです
なんか喧嘩売ってるみたいです。
367
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/23(火) 15:06:08 ID:AJ3hr85o0
鰰 さん
喧嘩売ってませんよ。
ネットはね、これからの布教拡大の大きな舞台になるのですよ。
以前、電話が普及し始めた時、戸田先生が非常に喜ばれたそうです。
広宣流布が進む。
今ね電話がネットなんですよ。
所がネットで大半の創価学会員を名乗る方のレベルの低さはどうですか?
さっき富士ボー覗きました。
阿部日さんが他宗批判の記事を貼り付けています。
世間様がそれを見て創価を支援すると思いますか?
どっちもどっちの中傷合戦だ。
こう思われます。
するとね、世帯が大きいだけ創価が傷つくのです。
ですから、非難中傷合戦より、対面対話による協調を探るべきです。
何度も言ってますよ。
所が敵を責めないものは仏敵。
常にこの理屈です。
自分が社会で勝利してこその創価です。
口先酒の人はね、虚言の人ですよ。
368
:
駒
:2008/12/23(火) 15:56:24 ID:4i/AJj7c0
結局逃げてるんですね。沖浦さん
何といい訳しても誰でも沖浦さんの発言や行動はおかしいですよ。
自己紹介しろと沖浦さんは言うでしょう。そしてしないなら意味無いとも言うでしょう。
世の中の嘘つきは皆そうです。自覚してくださいね。
369
:
鰰
:2008/12/23(火) 16:42:21 ID:gg7rZNmEO
意味がわかりません
ネットが布教拡大の大きな舞台
でも
対面対話・・・
どっちなんですか?
370
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/23(火) 17:49:12 ID:AJ3hr85o0
駒さん、自己紹介をどうぞ。
私ね一つだけ取り柄あるんです。
絶対に現実から逃げない。
だから本名で住所電話番号まで明らかにしてのネットです。
逃げてるのね、私とあうのが怖い人ですよ。
事実を正しく認識しましょうね。
371
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/23(火) 17:51:21 ID:AJ3hr85o0
鰰 さん
簡単ですよ、ネットで知り合う、その後対面し語り合う。
これだけです。
ですからね、対面対話に結び付かないネット、無意味ですね。
自己満足です。
お分かり?
372
:
鰰
:2008/12/23(火) 18:46:55 ID:gg7rZNmEO
対面に繋がらないと無意味なんでしょうか?
ネットは大半は匿名でどこの誰だかわからないけどは今まで仲良くやっていた皆さんとは無意味だったんでしょうか?
対面できないとアレ扱いになるのですか?
沖浦さんが正しいと思うのなら対面しなくても天城さんが用意した所でも沖浦さんの正義が証明されますよね
天城さんに失礼かもしれませんが、あちらに合わす沖浦さんの心の広さがあってもいいんでないかい?
事はネット上でのことですし先ずは天城さんと十分やりあったら良いのではないでしょうか?
元の楽しかった、勉強になる各板になるよう祈る毎日ですROM専門がちょっとでしゃばりすみませんでしたROMに戻ります
373
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/23(火) 20:46:58 ID:AJ3hr85o0
仲良しクラブが何千人集まってもね、何一つなしとげられません。
榊さん、貴方はそれをご存知ない、私は知っています。
私はね、天城さんとネットで論争する事は無意味だと思っています。
私は創価の人間です。
戦場はね、現実の社会なんですよ。
匿名で仲良くやっていくことに興味はありません。
一緒に戦う人だけ来ればいいんですよ。
所詮、生きることは戦いです。
374
:
鰰
:2008/12/23(火) 21:21:32 ID:gg7rZNmEO
逃げてますね
375
:
鰰
:2008/12/23(火) 21:23:46 ID:gg7rZNmEO
それと榊ではないです
鰰です
376
:
梅
:2008/12/23(火) 21:34:27 ID:GzTbFjgs0
横レスですが・・
駒さん、鰰さん
はじめまして
意見が対立している時の、ネットでの対話って難しいですよ。
穏やかに穏やかにと気をつけていても、言葉でしかやり取りできません。
その言葉も、どのような表情・声音で発せられているかも分からず、リアルとは全く違います。
ですから、どちらかが悪口雑言を一言でも発すれば、それでオワリですね。
そのつもりでなくても、相手が悪口雑言と受け止めれば、やはりそれでオワリです。
ましてや、それが最初から「法論」じみているとなれば、結果は見え見えでしょう。
穏やかにやる気なんぞ、はなからないわけですからね。
天城さんのこちらへの投稿(
>>352
を始めとする一連の投稿)を見れば
いかに侮蔑的・挑戦的であるか分かるでしょう?
こういう対話は、失敗するに決まってます。
そう思いませんか?
「逃げてる」とか非難するまえに、ネットの限界というものを知るべきです。
なんなら、貴方がたからも天城さんに、リアルでの対話をすすめられたらいかかですか?
377
:
梅
:2008/12/26(金) 16:11:38 ID:GzTbFjgs0
もくれんさんへの語りかけ
貴方との対話が、本論に入る前に終了されたのは残念でありました。
貴方がこのスレをロムしているかどうか分かりませんが、貴方が天城氏の論文を読むように勧められたうえで
私たちの対話が始まったので、いつかは彼の論文にも触れるはずでした。
彼の論文の目的は、「人本仏迹」論を邪説とするにあります。
そして、その批判論の前提には
<沖浦氏のいわゆる「人本仏迹論」を正すー5>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戸田先生の講義を引用される形で、池田先生も、
「虚空会の儀式」=「御本尊」=「御本仏の生命」
と明確に講義されている。
一体どこに、「虚空会は迹。と明言されておられる」のだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とあるように、「虚空会は迹」の明言がないのにもかかわらず
沖浦さんの投稿の、(池田先生が)虚空会を迹と明言した、という点が批判されてます。
これが、天城氏の沖浦邪説論の根本・根底になっていたわけですね。
しかし、これは完全に天城氏の認識不足でした。
「御書の世界」2巻209頁
名誉会長『本迹に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で虚空会は「迹」です。
迹をもって本を顕すのです。』
と明確にあります。
したがって、彼の批判論は根本・根底から覆り、再検討されるべきでした。
にもかかわらず、いまだに邪説呼ばわりする貴方や彼の認識はいかがなものでしょう。
お互いに、『謙虚に思考する』、そういう姿勢を持ちたいものです。
378
:
もくれん
:2008/12/27(土) 11:14:23 ID:gO.Fk5NY0
>>377
梅さん、見ましたよ
>「御書の世界」2巻209頁
>名誉会長『本迹に立て分ければ、根源の法である南無妙法蓮華経が「本」で虚空会は「迹」です。
> 迹をもって本を顕すのです。』
迹をもって本を顕すのです・・と、明確に先生は言われてます。
本そのものです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225415423/356
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1225415423/357
この「やまいぬ」さんのレスの通りです。
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と
唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
日蓮大聖人と曼荼羅本尊と我ら衆生は、本来差別なく、あとは「信」の一字が
絶対必要なわけですね。
ですからあえて言えば、全部「本」ですね。
曼荼羅と衆生に「本・迹」関係は、絶対に成立しません。
正式な「本・迹」の使い方をすればですが、自己流の「本迹」使用に
ついては「言語道断」以外の言葉はありません。
自己流の「本迹」使用について、対話は無意味です。
上記の生死一大事血脈抄だけで、一発結論なんです、本来は。
本迹論議以前の話なんです、実は。
379
:
梅
:2008/12/27(土) 17:38:36 ID:GzTbFjgs0
もくれんさん
見てくれてありがとう。
あれから、何度も天城論を読んでいます。
すいぶんといい加減なところも気がつきました。
ともあれ、「虚空会は迹」は「明言」であったですね!
目下は、『迹をもって本を顕すのです』の部分を思索しています。
他の意見は参考にしますが、自分自身がどう理解するかが大切だと思っています。
>正式な「本・迹」の使い方をすればですが、自己流の「本迹」使用に
>ついては「言語道断」以外の言葉はありません。
「自己流」かどうかは一概に判断できません。
『迹をもって本を顕す』という表現自体が、本迹の使い方としては発展形ですからね。
380
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/28(日) 22:29:35 ID:AJ3hr85o0
もくれんさん
真面目に行動なさい。
行動無き信は偽物です。
381
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/28(日) 22:43:00 ID:AJ3hr85o0
迹を持って本を顕すとは、虚空の宝塔と言う迹の姿を借りて、衆生己心の妙法と言う本を顕しているのです。
宝塔が説明ですね。
己心の妙法が実態です。
法華経全体で、お題目を顕しているでしょう。
法華経と言う迹で、お題目と言う本を説明しているのです。
レントゲン写真と言う迹で、骨の状態と言う本を顕して説明するでしょう。
同じなんですよ。
具謄本種です。
もくれんさん、貴方この程度の事をご存じなくて御書を論じる。
無理がありますね。
貴方の教学ただの知識です。
同苦の祈りが無いから、知恵にならないのです。
お気の毒ですね。
382
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/29(月) 11:03:40 ID:AJ3hr85o0
Fボーで、色々邪義が乱れ飛んでいますね。
あの板いよいよ邪義板になってます。
383
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/30(火) 21:40:50 ID:AJ3hr85o0
またまたFボーイへ理屈充満中ですね。
アレね、教学を学問としてやっているんですよ。
だから、書き込みに同苦の祈りが全くありません。
自身の功徳の喜びもゼロです。
宗門の三面記事と、他者への攻撃の羅列ですね。
あの板の創価精神は、私が去った時に潰え去ったんです。
今ね、残りかすなんですね。
無残ですよね、現証は。
384
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2009/01/02(金) 11:57:22 ID:AJ3hr85o0
小野さん、もくれんさん、恋さん、鯖さん、やまいぬさん、風凛さん、天城さん、たちは全て評論家ですね。
教学も実践に裏打ちされてはいません。
ただの知識でしかありません。
知識だけの教学は仏法の評論です。
何の意味も持ちません。
迹の教学ですね。
そして、あの方々は人生の体験と祈りを語りません。
行動しないのです。
行者ではなく、信者なんですね。
これは仏法者ではありません。
少し真面目に行動すべき人達ですね。
今、ネットで害毒を撒き散らしています。
やめるべきですね。
385
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2009/01/05(月) 15:55:14 ID:AJ3hr85o0
信心のやり方を、大聖人様がご指南されておられます。
『夫信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、しかのみならず正直捨方便不受余経一偈の経文を女のかがみをすてざるが如く男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候、あなかしこあなかしこ。』
(妙一尼御前御返事)
そしてその、信心の捉え方もご指南なされておられます。
『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、』
(生死一大事血脈抄)
私共凡夫の命が、大聖人様と全く同じであると悟ってお題目を唱える信心に血脈が通う。
このように仰せですね。
これを素直に信じればいいのです。
それを複雑に複雑にする事はいけません。
そもそも大聖人様の仏法は肝心要を取り出したものです。
それを複雑にする事はいけませんね。
386
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/07(水) 00:17:29 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
私は、沖浦さんが『法華経の智慧』P173を引用されて言われている
「人本仏迹」は、【文底の立場から文上の仏を迹とする】場合は、
間違っていない、と認識しています。
私は、『法華経の智慧』P173の部分だけを引用し、
『「大聖人を迹仏」と言っているからおかしい』と
批判されている方は、誤認識している、と認識しています。
ある意味、文上は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが
文底は、
387
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/07(水) 00:19:26 ID:/.wVSr1g0
白麦は森野です。失礼しました。
388
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/07(水) 02:44:20 ID:/.wVSr1g0
訂正
ある意味、文上は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが。から
ある意味、文底から見た文上の法、あるいは仏は、
人のための法、あるいは仏で、
「人本法迹、あるいは仏迹」ですが
389
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2009/01/07(水) 06:26:15 ID:AJ3hr85o0
白麦さん、おはようございます
仏は、人間救済。のために出現いたします。
学校の先生が、生徒の教育のために存在するのと同じです。
一切法が仏法ですから、一切の世間の法も同様です。
文低文上に関係なく、仏は人のための存在です。
簡単明瞭な道理ですよ。
仏の悟りは全て同じです。
説く法は人の機根で変化いたします。
人が中心の教えだからです。
自分が本、仏は迹。
仏全体が迹ですから、最高の御本仏様であられる大聖人様は、私の人生から見ればやはり迹のお立場です。
これは、仏法が人のため。の道理から見て当然です。
貴方の人生は貴方が本。
他の全ては迹。
私も大聖人様も、貴方の人生では迹ですね。
所が、これを切り文して、私が蓮祖迹仏説を唱えた。と、言う愚か者が散見されます。
ここまで文章の理解能力がないなら、教学なんか無理ですね。
390
:
沖浦克治
◆FjOpeTE2Ts
:2009/01/19(月) 06:46:41 ID:AJ3hr85o0
Fボー覗きました。
マグマグさん、相変わらずの愚論ですね。
あの方や他の付和雷同の方々、教学まったくしりません。
御書講義集読んだことないでしょうね、あれじゃ。
以前から講義の内容は二つに分かれていました。
御書を教学ではこう読む。
生命論にやくせば、こうである。
この、生命論の部分が創価思想です。
たとえば戒壇。
生面論にやくせば、生命の活動の場が戒壇である。
何度も書かれています。
アレはまったく読んでませんね。
いまだに宗門の寺教学です。
アレじゃね〜〜。
391
:
宿望
:2009/01/19(月) 21:50:36 ID:cB49gTb20
マグマグ氏の愚論より、管理人様を「詐欺師」呼ばわりする、裏切りもののヤマイヌの方が問題でしょ。
何故管理人様はヤマイヌに甘いのですか?
人権侵害も甚だしいと思います。
392
:
沖浦克治
:2009/01/19(月) 21:59:39 ID:AJ3hr85o0
詐欺師呼ばわりはいけませんね、宿坊さん。
でもね、あの人を信用する人は皆無でしょう。
あの書き込みを見て、彼を信用する人はいないですよ。
それと、すでに若鷹には名誉毀損でしかるべき措置をとると書き込んでいます。
マグマグさんはね、いかにもまじめを装うから世間がだまされます。
ですからこっちのほうが悪質なんです。
魔は仏に似ると言いますから。
393
:
沖浦克治
:2009/01/19(月) 22:51:38 ID:AJ3hr85o0
それとですね、宿坊さん
やまいぬさんはね、人生に負けたんですよ。
舞台志して挫折したんです。
私はね、一度も挫折したことはありません。
いくら時間がかかってもあきらめないのですよ、創価の人間ですからね。
でも、彼はあきらめてしまった人です。
私に何をやってもかなうはずがありません。
負けた人と負けなかった人間、差が歴然です。
今ね、彼は舞台まったくできません。
私はやり続けています。
たもつことが肝心です。
志を曲げたらそこでおしまい。
これが彼の姿です。
ですからね、すでに負けた人を責める必要はありません。
宗門と同じです、捨てておいていいんですよ。
394
:
宿望
:2009/01/20(火) 22:18:27 ID:Dwr1y.WQ0
管理人様、しかし『やまいぬ。』の言動は明らかな背信行為・裏切り者でしょう。
管理人様が過去に散々褒めてきたことをたてに、あのような異常極まりない、とても常人とは思えない投稿文を創価の名で書いているわけです。
彼が信念を曲げ、人生に負けた人間であることは、あの恨み辛みに満ちた落ちぶれた人間しか書きようのない投稿文を見れば一目瞭然です。
挫折と敗北の連続だからこそ、あのようなさもしい人間性になるのだと理解できます。
あわせて創価の信仰の害毒が、彼の人間性に如実に現れているとも思います。
はっきり言って宗門の方がはるかにまともでしょう。私にはそう見えます。明らかに『やまいぬ。』<宗門です。
395
:
沖浦克治
:2009/01/20(火) 22:44:57 ID:AJ3hr85o0
宿坊さん
別に宗門だから、創価学会だから、天理教だからとかで、人の値打ちは変わりませんよ。
同じ人間です。
宗門でも立派な方は立派です。
天理教でも優れた人は優れています。
創価でもくずはくずです。
一切無関係ですよ。
ひとつ異なるのは、創価は貧困と病気から広まった宗教です。
社会一般のレベルよりきわめて低いところがスタートでした。
いまだに引きずっているのです。
でもね、その最下層からの布教が創価の誇りです。
やまいぬさんはね、その意味では創価の原点ですよ。
いつか必ず立ち直りますよ。
見ていましょうね。
396
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/20(火) 23:31:26 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
沖浦さんは、
「自分が本、仏は迹。
仏全体が迹ですから、最高の御本仏様であられる大聖人様は、
私の人生から見ればやはり迹のお立場です。
これは、仏法が人のため。の道理から見て当然です。
貴方の人生は貴方が本。他の全ては迹。
私も大聖人様も、貴方の人生では迹ですね」
と言われていますが、
私は、沖浦さんは「迹」を「〜の為のもの」という意味で
使われていると理解しました。
自分の為の他人
自分の為の大聖人
他人の為の自分
*大聖人の為の自分=仏の為の人=仏本人迹、と。
ここで、
私は、沖浦さんが言われている「人本仏迹」と、
*とは、矛盾すると思うのですが、いかがですか。
397
:
沖浦克治
:2009/01/21(水) 07:28:01 ID:AJ3hr85o0
白麦さん
今から仕事です。
返事は後でいたします。
398
:
沖浦克治
:2009/01/21(水) 18:27:50 ID:AJ3hr85o0
白麦さん
目的が本ですね、手段がシャクです。
手段にも、本来の目的に沿うものは手段の中で本。
沿わない無駄なものはシャクです。
難しく考える必要はありませんね。
399
:
宿望
:2009/01/21(水) 18:43:00 ID:0vc5q3ho0
しかし管理人様は心が広いというか、ヤマイヌには甘いというか、私には信じがたいですよ。
はっきり言いますが、あんな人間はいくら見守ったって期待はずれなだけですよ。
損しますよ!管理人様!
400
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/01/21(水) 19:18:44 ID:8FNX.yWoO
【キリ番】を頂きマースo(^-^)o!。
”キューキュー”を見ると、捕りたくなっちゃって(^_^;)。
誰か、『ナイスキャッチ♪』とツッコミ言ってくれると嬉しいのですが(^_^;)♪。
アハハ♪。
401
:
沖浦克治
:2009/01/21(水) 20:07:02 ID:AJ3hr85o0
宿坊さん
仏の呼び名に、能忍と言うものがありますよ。
よく忍ぶ。
それとですね、彼がいるから私の正が証明されているのです。
言い方はよくないですが、あほな方がいるから賢い人がいるでしょう。
同じですよ。
402
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/01/21(水) 20:39:59 ID:8FNX.yWoO
>>401
そうです。
ナナジュウさんがいるから、オレが居る。
ほととぎす君が居るから、オレが居る。
ようするに、【オレが居るから、二人が居る。】みたいな(^_^;)。
そういうもんですよネ。
(興味のある方は、沖板ワンッ!へ(へへへへ笑)♪)
403
:
camel
:2009/01/21(水) 21:34:14 ID:UC7L/QMAO
ナイスキャッチ。
404
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/22(木) 02:40:46 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
沖浦さんの「目的が本で手段が迹」は、
「人が目的で仏が手段」と言うことでしょうか。
私は、大聖人の仏法は、
『「目的A(成仏=人、広宣流布) 即
手段(御本尊を信じての自行化他の唱題)」』である、
と認識しています。
『』は因果倶時
自行化他の唱題により平和・教育・文化の向上へとつながっていく。
私は、「人の為の仏」の「人」は「因果倶時の人」、
「仏」は「脱益の仏」、と認識しています。
405
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/01/22(木) 05:45:50 ID:8FNX.yWoO
皆さん(^0^)/!おはようございますm(__)m(^0^)/!
今日の新聞掲載の先生の講義を学びましょうo(^-^)o!
いやあ、すごかったですよ!
さあ!無事故決意で一日を出発です!。頑張りましょう!。
406
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/01/22(木) 05:59:02 ID:8FNX.yWoO
『凡夫こそが仏』。
との講義です。
407
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 07:09:59 ID:AJ3hr85o0
白麦さん、おはようございます
仏法、特に大聖人様の方、分けても創価思想には他の宗教と異なる大きな特徴があります。
教学ではそれを、一大事。と名づけています。
一大事とは、凡夫がそのままで仏の当体だ。と言うことです。
人が人として生まれるように、同じく人はそのまま仏なんです。
こういうとまた愚かな人たちが、本来仏なら仏道修行の必要がない。などと必ず愚論を述べます。
人として生まれて何もしなくて人として成長は不可能です。
教育が必要です。
あらゆる人としての修行は不可欠です。
私たちもそうやって人として成長ができたでしょう。
もし育ち行く時、修行が無ければ人としての成長は不可能です。
同じなんですよ。
その修行を即と言います。
九界即仏界ですね。
408
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 07:25:58 ID:AJ3hr85o0
日々朗らか(大勝利)さん、おはようございます
帰宅してから新聞を読みます。
409
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 17:49:34 ID:AJ3hr85o0
日々さん、新聞読みました。
あの講義はね、昭和52年にほとんど同じ内容でなされ、小冊子になって出ました。
生死一大事血脈抄講義とほぼ同時でした。
その時、私は、仏がシャク、人が本だとわかりました。
その二年後、先生は裏切りにあわれ、勇退と言う活動停止処分をお受けになられたんです。
私はそのときに決めたんです。
この、仏がシャク、衆生が本こそが先生のご遺言だ、誰がなんと言っても大声で語り続けよう。
已来、どこでも、誰にでも、どの席でも語り続けています。
おかげで組織では嫌われました。
でもね、私、弟子の端くれです。
除名になるとわかっていても言い続けます。
師匠が世界広布のため、一切を投げ捨てて宣言された言葉です。
仏はシャク、人は本。
地獄に落ちたら鬼に語ります。
絶対に言い続けると決めたんです。
ほぼ同じ時期に、池田先生が観心本尊抄を引用し話された事がありました。
『観心とは我が己心の仏界を観じる、すなわち信心です。
私共凡夫が成仏するためには信心をする、信心には本尊がいりますね。
その信心のための本尊ですよ。本尊のための信心じゃないよ。
その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。
こう読むんです。
だから大聖人様はありがたいんです。
凡夫が信心するための本尊なんです。
私共が主体なんです。』(趣意)
明快なんですよ。
それを戒壇様本懐論に毒されて、読めない。
これだけの話ですよ。
今、先生が明確にご宣言なされました。
うれしいですよ。
非難されても言い続けた甲斐がありました。
これでも、宗門未練の不覚悟会員は、いいや、アレは文上だ、文底では仏が本だ。って、言いますよ。
能乱ですからね。
あの人たちはね。
小野さん、もくれんさん、天城さん、やまいぬさん、マグマグさん、その他の師敵対の人達。
今日の先生の単純明快なご指導、なんと読むのでしょう?
言い訳難癖がどう展開するか?
見ていましょうね。
410
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/22(木) 18:26:04 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
文底では、
大聖人が本仏で、大聖人に連なる学会の人たちが仏です。
「仏はシャク、人は本」の「仏」は文上の仏です。
、
411
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 18:32:29 ID:AJ3hr85o0
貴方のFボーでの先日の書き込みですね、マグマグさん。
>貧乏人と病人から出発した学会の草創精神は現代に継承されながらも、その時代はとっくの昔に終った。池田先生は福運論、境涯論で大きく我々を指導される。それぞれが信心、学会活動によって獲得した福運こそが功徳であり、永劫の未来に最良の因として残せる財産である。
〜引用終わり〜
現代に継承??
いいえ、創価誇りの原点だと先生が仰せです。
貴方ね、師敵対です。
お寺戻りなさい。
創価には相容れませんね、貴方の考えは。
412
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 19:19:57 ID:AJ3hr85o0
白麦さん
貴方がそう信じられることはご自由です。
ですが、私は貴方の信念より池田先生の講義を信じます。
413
:
タカ
:2009/01/22(木) 21:21:01 ID:qIvXPkFI0
沖浦さん、昨日から投稿しましたがメッセージは届きましたでしょうか?
414
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 21:30:34 ID:AJ3hr85o0
タカさん、自己紹介スレッドに投稿なさいましたか?
自己紹介が終わるまで貴方のスレッドは強制下げにしておりますし、コメントはいたしかねます。
415
:
タカ
:2009/01/22(木) 21:44:21 ID:qIvXPkFI0
はじめまして、高井義晴と申します。
信心を始めて10年になります。
拠点は千葉になります。
宜しくお願い致します。
416
:
沖浦克治
:2009/01/22(木) 21:45:03 ID:AJ3hr85o0
師敵対の愚人の言い訳が目に浮かびますね。
先生は、ここで言う凡夫とは、大聖人御自身の御事です。と言われている。
俺達衆生のことじゃない。
程度の愚論は吐くでしょうね。
その後で先生は、戸田先生の
『成仏とは、仏になる、仏になろうとすることではない。
大聖人の凡夫即極、諸法実相のお言葉を、素直に信じ奉って、この身このままが、永遠の昔より未来に向かって仏であると覚悟することである。』
との御金言を引用され、この凡夫とは私どもの事なんだ。とあかされておられます。
とうとう、師敵対の輩の邪義、人シャク仏本論には、先生がとどめを刺されましたね。
417
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/22(木) 23:00:11 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
先生は、ここで言う凡夫とは、大聖人御自身の御事です。と言われています。
そして、「成仏とは、大聖人の凡夫即極、諸法実相のお言葉を、素直に信じ奉って、
この身このままが、永遠の昔より未来に向かって仏であると覚悟することである」と。
私たちも、大聖人の仏法を信じて仏界を開く事が出来る、ということです。
大聖人も、
大聖人の仏法を信じている私たちも、
本来仏界を具えている全ての人も
本 であり、
文上のきらびやかな仏様が
迹 です。
「私は、先生の言われている通りに信じます。」
^
418
:
沖浦克治
:2009/01/23(金) 06:59:51 ID:AJ3hr85o0
白麦さん、おはようございます
先生はね、以前、本因本果について以下のようにご指導です。
『大聖人様の仏法は本因妙です。
釈迦は本因、大聖人様は本果でいらっしゃる。
しかし、大聖人様の仏法で見た場合、大聖人と日興上人、大聖人様は本果でいらしゃる。
日興上人は本因です。
師匠が本果、弟子が本因。
私は本果です、諸君たちは本因である。
そして君たちが人を育てる時、君たちが本果になる、育てられる人が本因です。
こうして、仏法っ本果本因、本因本果永久に続いて行くのです。
だから仏法には独裁がありません。』(趣意)
『下種十妙実体の本迹 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり。』
(百六箇抄)
本因が肝心です。
私どもは本因。
ですから私どもが本です。
419
:
沖浦克治
:2009/01/23(金) 07:01:56 ID:AJ3hr85o0
418記入ミスです。
>釈迦は本因、大聖人様は本果でいらっしゃる。
を、
釈迦は本果、大聖人様は本因でいらっしゃる。
に、訂正いたします
420
:
沖浦克治
:2009/01/23(金) 07:21:46 ID:AJ3hr85o0
若鷹に今書き込んでおきました。
創価を見失った、創価はぐれ人が大騒ぎしていましたね。
師匠に弓引いて平気なんですね、あの人たち。
まじめに教学学んだ方がいいですよ。
すでに創価の人じゃないですね、命が。
創価の信心から離れて仏果は得られませんよ。
先生が新聞で仰せでしょう。
『釈迦は人間として法を説いた。
だが、後世の人が自分たちを権威付けるために、色相荘厳にして神格化してしまった。』(趣意です、新聞取ってますね?読めますか??)
大聖人さまを特別にして色相荘厳にし、神格化して権威で持って民衆を欺いたものが宗門です。
貴方方同じことやってますよ。
大聖人様はお一人の人間。
私どもの人間。
一切差別は無いのですよ。
創価思想とはね、宗教が神仏を祭り上げ、権力と聖職者が結託して民衆を搾取する社会を革命する思想です。
人が本なんですよ。
神仏はシャクです。
覚えておきましょうね、日蓮正宗未練の皆様方。
421
:
一壮年
:2009/01/23(金) 07:35:11 ID:QOd0sUq6O
沖浦さん、昨日の新聞読みました。権威の為の宗教ではなく民衆の為の仏法なんだって事がよく理解出来ました。
日蓮正宗の御戒壇様が本懐じゃないですよね。勿論、御戒壇様を偽物とはいいません。
宗門が証明するのが筋なのでしょうが、やらないでしょうね。
422
:
沖浦克治
:2009/01/23(金) 07:41:01 ID:AJ3hr85o0
一壮年さん、おはようございます
戒壇様は本物のご本尊様です。
貴方や私の自宅のご本尊様とまったく同じお力を立派にお持ちです。
ですが、戒壇様だけが本物で後コピーだと言ったことが寛師の間違いです。
ご本尊様を色相荘厳にしてしまいました。
大聖人様は一度もおっしゃいません。
道具だから上手にお使いなさい。と、仰せです。
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、』
(経王殿御返事)
423
:
あきら
:2009/01/23(金) 12:22:02 ID:Haq9JdLU0
いわゆる、大切なもの、必要なもの、重要なものを履き違えることで
本迹に迷う結果となるんですね。
世の中に置かれた状況、環境によってはお金こそ重要なものに
見えてしまうことだってあります。
しかし、お金など使ってしまうことにより
跡形もなくなってしまいます。
大聖人は大慈大悲を持ってご本尊をご図顕あそばれました。
「大慈大悲」の意味を履き違え、混乱を起こしている方がいらっしゃる様です。
末法万年の先には、たとえコンクリートや鉄でしたためられた
ご本尊であっても、その形は失われてしまいます。
どんなものでもいつか陽子は崩壊し、消滅するんですよね。
まして木にしたためられ、たとえ彫られていたにしても
それはむなしく消滅していきます。
末法万年とはそうしたスケールである以上、
あくまでも道具であると思いますね。
仏法は魔法ではありませんから。
大聖人の仏法は、世の中の常識や法に背くものではない点から
考察しても、「人が本」以外に考えられません。
ご本尊に大慈大悲があるのではなく、
ご図顕あそばれた大聖人に大慈大悲が備わっているのです。
424
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/24(土) 00:19:31 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
大聖人の文底下種益の本因妙の仏法とは、
御本尊(境妙)を
信じて(智妙)
題目を唱え(行妙)
名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏することです。
『下種十妙実体の本迹 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり
、是れ真実の本因本果の法門なり。』
(百六箇抄)
「本因妙を本」とは、上記のことを本とする、ということです。
「凡夫即極の仏法」を教えて下さったのが御本仏である大聖人です。
そして、因果倶時の曼荼羅の御本尊は、大聖人の生命です。
そして、「大聖人を信じてお題目を唱えて即身成仏」(因果倶時)=
「師弟不二」(因果倶時)です。
私たちの生命は尊極です。
そして、私たちの仏界は、大聖人の仏法を信じ行じることで開かれます。
聖教新聞1月8日付け。先生の講義「御書と師弟」に
「大聖人の仏法」は、弟子は因、師匠は果であり、「師弟不二」と言われています。
「師弟不二」の一念を因として、とも言われています。
また、仏法も人生も、成長の最高の「因」となるのが「師匠」の存在、と。
師弟不二、因果倶時不思議の一法の曼荼羅の御本尊です。
「法華経の智慧」には、
久遠の本仏()は、因果倶時の仏()である、と言われています。
菩薩(因)仏(果)であると。
大聖人は「人」であり、「御本仏」なのです、と。
鄯・鄴
425
:
沖浦克治
:2009/01/24(土) 05:42:45 ID:AJ3hr85o0
白麦 さん
私と貴方は意見が異なります。
別にすり合わせることはないでしょうね。
私は人が本だと仰せの池田先生を信じる立場です。
貴方は漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね。
いずれにせよ、漫荼羅にお題目を唱え、創価を世間に宣揚するなら同じ結果です。
目くじら立てるほどのことじゃありませんね。
426
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/24(土) 23:58:47 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
>私は人が本だと仰せの池田先生を信じる立場です。
>貴方は漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね.。
私は、文上の迹仏に対して、人を本と仰せの池田先生を信じます。
私は「曼荼羅の御本尊と人」の関係は、
御本尊(境妙)を
信じて(智妙)
題目を唱え(行妙)
名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏する、と言う
「境智冥合」をする関係である、と認識しています。
そして、私は、
本尊を相対した(比べた)場合は、
下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり、
脱益文上仏法の釈迦仏像や阿弥陀の仏像本尊は「迹」 である
下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり、
例えば、沖浦宗の沖浦と言う人本尊は「迹」 である、
と認識しています。
427
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/25(日) 00:07:20 ID:/.wVSr1g0
訂正
例えば、沖浦宗の沖浦と言う人本尊は「迹」 である
から、
例えば、沖浦宗の{沖浦}と言う人本尊は「迹」 である
428
:
沖浦克治
:2009/01/25(日) 06:02:17 ID:AJ3hr85o0
白麦さん、おはようございます
認識は結構ですよ。
でも、間違っていますね。
先ず、認識より信ですね。
そして信よりおきる行です。
信行を進める学です。
信行学の順番です。
ところが貴方はその三つのどれでもない、認識が最初に来ます。
仏法の考え方じゃないんですよ。
それと、沖浦教と言うものはありませんよ。
430
:
白麦
◆Ec49GnoeJE
:2009/01/26(月) 02:01:51 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ
私は、
大聖人・創価の三人の先生を信じ、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A」を「A」と認識し、
「A」を信じます。
そして、「A」を信じ、
「A」を実践すれば、利美善の価値を生む、と信じます。
私は、
大聖人・創価の三人の先生のことや、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A]や
「A」を実践して体験したことを、自分の力に随って、
一文一句でも語り伝えていきます。
私は、
大聖人・創価の三人の先生のことや、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A]を
信行を強くするため学びます。
私は、曼荼羅の御本尊を大聖人の生命と信じ、
自行化他のお題目を唱え、広宣流布の実践をし、
大聖人の仏法・御書を学びます。
私は、
創価の三人の先生の指導を信じ、学び、
平和・文化・教育向上の実践をし、
地域、職場の人間関係において、
創価の人間として信頼を勝ち得て、実証を示し
和楽の家庭を築きゆき、
悔いない人生を送ります。
私は、
大聖人・創価の三人の先生が言われていること「A」を「B」と認識していることが分かれば、
大聖人・創価の三人の先生が言われていることは「A」である、と改めます。
牧口先生は、「認識せずして評価するなかれ」と言われています。
「喩えば」です。
沖浦さんが、私に、
「漫荼羅が本で人に勝るとお考えのようですね」と推察されていたので、
喩えを用いれば分かりやすくなる、と思いましたので。
改めます、
下種文底仏法の大聖人の曼荼羅の御本尊が「本」 であり
日顕宗の教祖である、日顕人本尊は「「迹」」 である、と認識し、そう信じます
注)日顕さん自身「自分が本で大聖人は迹」と言われている、とのことより、
「自分が人本尊である」と宣言されている、との意から。
あくまでも、喩えです。{(迹)にもならない}
私は「曼荼羅の御本尊と人」の関係は、
御本尊(境妙)を
信じて(智妙)
題目を唱え(行妙)
名字の凡身(位妙)を改めず即身成仏する、と言う
「境智冥合」をする関係である、と認識し、そう信じています。
私は、
沖浦さんの掲示板に来られる方々、
見ておられる方々の
大聖人の仏法の信行学の
より一層の向上を祈っています。
鄯・鄴
431
:
沖浦克治
:2009/03/17(火) 06:24:09 ID:AJ3hr85o0
そろそろ真面目な話題をいたしましょう。
『実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、』
(諸法実相抄)
実相と言うのは妙法です。
諸法が妙法だと言うことです。
諸法とは世間一切の法社会活動、生命の動き、あらゆる現象です。
それがそのまま妙法なんだよ、どこか遠いところに極楽のような理想社会があるんじゃないよ。
このようにご指南ですね。
地獄は地獄のまま、妙法蓮華経の当体なんだ。
仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿、そのままで妙法の当体だよ。
仏法を修行する事で何か違った存在になる事ではないのですよ。
貴方方はそのままの姿が元々の仏様なんですよ。
あらゆる物の本質が妙法蓮華経で差別はないんだよ。
このように仰せですね。
俺は創価学会員で池田先生の弟子だから偉いんだ。
これはこの御文から間違いです。
一切衆生が仏様です。
他者を誹謗中傷することはこの御文に背く謗法です。
432
:
沖浦克治
:2009/03/20(金) 21:41:39 ID:AJ3hr85o0
昨日の岩隈投手の快投、素晴らしかったですね。
と、感動するのが迹。
では自分はどうやって岩隈投手のように勝利して、世間に創価を示すのか?
こう悩んで祈り行動する事が本。
ネッ、簡単でしょう。
433
:
沖浦克治
:2009/03/20(金) 21:51:59 ID:AJ3hr85o0
そう言う自分自身に向上への祈りと行動の無い人は、どのような高邁な法を聞いても、どんなに素晴らしい体験に接しても、いくら渾身の指導を受けても、所詮人事で終わる人生です。
仏法は行です。
行とは事実の実証ですよ。
事実の実証への祈りと行動にかける人は、創価の人生は生きられません。
ネットは、ほとんどが書き込みだけの世界です。
行動を起こせないネット。
一凶です。
434
:
沖浦克治
:2009/03/21(土) 07:31:10 ID:AJ3hr85o0
物凄く簡単なんです。
先生がご指導をされる。
聞いた自分がその指導でどう行動するか?
その行動の部分だけが本につながります。
本は、創価を保った人間の人生における成功です。
先生がこう言われた、ああ言われた。
これは、理です。
事じゃありません。
事は行動です。
それによる結果です。
それ以外仏法の証明はありません。
『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、』
(三三蔵祈雨事)
創価を保って功徳の体験を積む勝利の人生か?
道を外れて功徳が語れない負けの人生か?
どちらの人生を歩むか?
その人の信心の厚薄によります。
ですから、一切仏法は自己責任です。
他者を非難中傷して創価の正義は語れません。
それは不可能なんですよ。
池田先生のお振る舞いが証拠です。
者共進め。
じゃ無いんです。
者共続け!
これが正義の証明です。
ネットで大言壮語しても、実生活で創価の勝利を功徳の姿で語れない人は、仏法者じゃないんです。
ある掲示板での書き込みです。
>何故沖浦克治が、こうもわざとらしく「功徳」「功徳」と連呼するか?――それしか書けないからです。(^o^)
功徳が語れないなら創価の意味はありません。
この人は創価ではないですね。
外道です。
お気の毒です。
435
:
沖浦克治
:2009/03/21(土) 19:06:50 ID:AJ3hr85o0
岩隈選手が大活躍した!
池田先生がまた勲章をいただいた!
それを聞き、自分はその様に創価の名前をたかめるか?
これが本です。
聞いて喜んでいる部分は理で迹です。
自分が行動できるか否か。
ネットで教学論じても、行動して社会で勝利の実証を示せない人は、迹です。
無意味ですね。
創価じゃないからですよ。
436
:
京都乃鬼
:2009/03/22(日) 15:52:50 ID:bLRjw1dY0
岩隈選手は大活躍した!
しかし・・・
沖浦克治さんは何回も、大事なスキーの大会で旗門不通過でした。
これは無意味ですかね。
順位さえ付かない「行動」は。
アナタの論ならば・・・創価じゃないからですか?(鬼クスクス)
437
:
沖浦克治
:2009/03/22(日) 16:47:12 ID:AJ3hr85o0
京都の鬼さん
私はね、たいしたレーサーじゃないですよ。
でもね、全日本マスターズ選手権では二年連続入賞しております。
マスターズ仲間ではトップレーサーとして認知されているんですよ。
順位さえ付かないレース。
敗北ですね。
でもね、ある球聖と呼ばれた野球選手が引退の時に言った言葉です。
私は数々の賞をもらった。
だが誇りはそれではない。
数限りないスランプに落ち、その度にそこから這い上がったことだ。
わかりますか?
世間の超一流は心に創価を保っているんですよ。
自然にそうなるんです。
いけないのは貴方のように他人の失敗を喜びあげつらう事なんですよ。
創価の信心ではないですね。
438
:
沖浦克治
:2009/03/22(日) 16:54:58 ID:AJ3hr85o0
京都さん
私の旗門不通過を喜んでいる貴方は迹。
よしチャンスが来た、今のうちに自分が何かで勝って私以上にアスリートをして有名になってやる。と、貴方が思い行動に移せば本。
覚えておきましょうね。
439
:
京都乃鬼
:2009/03/22(日) 17:06:08 ID:bLRjw1dY0
ワシがキミの旗門不通過を喜んでいる?
そう捉えるキミの境涯が低い、ということや。
沖浦クン。
負けた言い訳はエエんや。
まずは旗門を通過した「実証」を示してから御託をのべなさい。
それが沖浦教の教えではなかったのか?
そうワシはキミに問うているんや。
「順位さえ付かない行動は無意味」(沖浦趣意)
話をそらすなよな!
440
:
東空
:2009/04/20(月) 21:42:55 ID:ZPjW1MZ.0
沖浦克治さん、こんばんは。
本迹に関する沖浦さんの書き込みが、気になりました。
よくあるたとえに、水面に映る月(迹門)と空の月(本門)ですが、(水面に映る月は仮の姿ですね)
一つの事象や事柄に対して、本質を探り(はたして、どちらが本物の月か?)明確にするために「本」と「迹」に立て分けるのに
用いるのが妥当と思います。
レストランでウィンドウケースに、見本として陳列されている作り物「蝋細工?」の食品(迹)があります
店に入り注文すると、調理された食べ物(本)が出てきます。
これが「本によって迹をたれ、迹によって本を顕す」ということになります。
*
>>19
人が本。 仏が迹。*
と、本迹の関係にあるわけではないと思います。
沖浦さんは、本迹の使い方に誤りがあると思います。
441
:
東空
:2009/04/20(月) 21:48:38 ID:ZPjW1MZ.0
続きです
>>7
沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/11(火) 20:57:18 ID:AJ3hr85o0
>梅さん
>本迹と、勝劣を同じで論じると駄目なんです。
>勝劣はある意味では絶対的な優劣なんです。
>本迹は現実主義なんです。
新・人間革命の8巻(宝剣の章)に先生の本迹に関するご指導が載っています。
★引用〜「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」
(御書P869)の個所では、伸一はこう語った。
「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
つまり、私たちの人生にも、生活にも全部、「本迹」がある。それを、きちっと見極め、
立て分けていかねばならない。〜★引用ここまで
御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
訂正されたほうが、よろしいかと存じます。
442
:
沖浦克治
:2009/04/21(火) 04:56:26 ID:AJ3hr85o0
東空 さん
訂正いたしません。
但し、貴方が本迹を私と異なる捉え方をされても、気にはいたしません。
443
:
沖浦克治
:2009/04/21(火) 05:48:59 ID:AJ3hr85o0
本迹もそうですが、一番いけないのは、御書を拝して、
この御文は絶対にこう言う意味だ!
この断定なんですね。
これはダメなんです。
こうも拝せるのではないか。
これが正しい学び方ですし、読み方です。
人間革命の中で戸田先生が御書の拝し方で仰せです。
眺め人たちはここがわからない。
人間革命眺めるだけ、御書眺めるだけ。
本迹の御文があります。
『迹門方便品は一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり、しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし根なし草の波の上に浮べるににたり、』
(開目抄上)
これを衣文として、本は月そのもの、迹は水に映った月。
このようにたとえますね。
では、これはそのまま勝劣か?
少し違います。
水に映る月を水に映るものとして認識し、楽しんで観賞するなら、本物の月と勝劣はないですね。
この場合の勝劣は、どちらの水面がよりよく月を美しく映すか?
映る月同士の比較対照です。
本迹を勝劣だと決め付けると間違います。
私は本迹を、利か不利かで捉えます。
牧口先生の価値論の、利・美・善のうちの、利の部分が最も本迹に近い考えだと思います。
但し、これは私の意見です。
他の方が違う考えをお持ちになられる事はご自由です。
444
:
東空
:2009/04/21(火) 09:52:52 ID:yI7NZLNw0
沖浦さん、おはようございます
>>443
>本迹もそうですが、一番いけないのは、御書を拝して、
>この御文は絶対にこう言う意味だ!
>この断定なんですね。
>これはダメなんです。
しかしながら、沖浦さんは
>>7
にて
>本迹と、勝劣を同じで論じると駄目なんです。
と、断定されています。そして
>勝劣はある意味では絶対的な優劣なんです。
と記されていますが、
宗教批判の原理の、本迹相対は、法華経の本門と迹門のことで、比較相対して、
本門が優れる「勝劣」ですね。
「迹門」はインドで仏となった釈迦が、理論上の実相観を述べたもので、理論上の問題を取り扱ったもの、事実上の問題を取り扱っていません。
「本門」は釈迦が永遠の生命観に立って宇宙および、生命の実相を述べたものです。
>>441
に引用した先生のご指導も「断定だからダメなんです」と仰られるのでしょうか?
>>443
>水に映る月を水に映るものとして認識し、楽しんで観賞するなら、本物の月と勝劣はないですね。
観賞するという視点においては、水月のほうが美しくみえる場合があるでしょうね。
445
:
雨煽り
:2009/04/21(火) 23:18:37 ID:NjA8zkPc0
東空さん
法華経の本門と迹門は、「本門」と「迹門」を「相対」して勝劣がありますから
言われている通りです。が、それは釈迦の「法華経」の「本迹相対」です。
宗教批判として「相対」した、理論立てをすれば勝劣がある。と言うことです。
「相対」等しない、理論立てはできますか?
では、大聖人の「妙法蓮華経」ではどうでしょうかね?
「本迹」とは本門と迹門だけの事ではありませんのはご存知でしたか?
「理と事」及び「理と智」についてもご存知でしょうか?
質問だらけになりました事をお詫び致します。すいません。
446
:
東空
:2009/04/22(水) 14:10:20 ID:BWA6azKU0
>>445
雨煽りさんへ
>「相対」等しない、理論立てはできますか?
>では、大聖人の「妙法蓮華経」ではどうでしょうかね?
・妙法蓮華経こそ“本仏”それに対して、釈迦・多宝の二仏は“用の仏”“迹仏”であると仰せられるのであります。「諸法実相抄:池田会長講義」
>「本迹」とは本門と迹門だけの事ではありませんのはご存知でしたか?
・「発迹顕本」仏が垂迹(仮の姿)を開いて本地(本来の境地)を顕すことです。「迹」とは、影、跡の意味です。「御書の世界:第2巻」
>「理と事」及び「理と智」についてもご存知でしょうか?
・「智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時理を如と名く智は来なり。」 P0409
★1質問です。沖浦さんの言われる:人が本。 仏が迹。:という説を、雨煽りさんは同調できますか?
同調できるのでしたら、文証、理証で示してください。文証は文献上の証拠です。理証は文証があるとして、
その文証が科学と矛盾せず、かつ理論としてあらゆる人が納得できるかどうかが重要です。
★2質問です。
>>445
「法華経の本門と迹門は、「本門」と「迹門」を「相対」して勝劣がありますから
言われている通りです。が、それは釈迦の「法華経」の「本迹相対」です。宗教批判として「相対」した、理論立てをすれば勝劣がある。と言うことです。」
と、雨煽りさんは述べられておりますが、雨煽りさんの発言は「勝劣」を用いるのは、
釈迦の「法華経」の「本迹相対」だけに限る、というように見受けられますが、それですと
私が
>>441
に引用した文
〜引用:伸一はこう語った。「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:〜引用ここまで
この引用で示した先生の、ご指導は間違いだと仰るのでしょうか?そしてその根拠は何でしょうか?
447
:
ソウイチ
:2009/04/22(水) 14:34:42 ID:qZp.bdpw0
東空さんはモヤシさんですか?
448
:
東空
:2009/04/22(水) 14:58:11 ID:BWA6azKU0
>>447
ソウイチさんへ
モヤシさん、という方は、このスレッドに書き込みされている「もやしの旦那」さんのことでしょうか
いいえ、違います。
掲示板管理者の方に、アクセス地域やホストをお尋ねになられれば、別人ということがわかります
449
:
備前
:2009/04/22(水) 16:12:06 ID:CTtMwhXY0
>>446
初めまして、東空さん
せっかくの雨煽り氏との討論に水を差す様で悪いのですが
少々お尋ねいたします。
>〜引用:伸一はこう語った。「立つ波、吹く風、いっさいの現象に
>ついて、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:
>〜引用ここまで
ここでは「本迹、勝劣」であって「本迹勝劣」ではありませんよね
「本迹」と「勝劣」の間にある「、」は、いかなる意味を持つもなのでしょうか?
私は、単に読みやすいようにと使用されたものではないと思います。
重箱の隅を突く様で申し訳ありませんが(^^; 、その辺りいかがお考えでしょうか?
450
:
東空
:2009/04/22(水) 17:46:40 ID:pqsJ0MTI0
>>449
備前さん、はじめまして
>「本迹」と「勝劣」の間にある「、」は、いかなる意味を持つもなのでしょうか?
「、」は(読点)とうてん 「・」は(中点)なかてん
文の中で、語句の切れ目や、自然の息継ぎで間を取る場合などに使用する符号 、(読点)で
文の中で、語と語の区切りを明らかにするために使用する符号は ・(中点)です。
例>美・利・善
「新・人間革命」の文中においても、語と語の区切りを要する場合 ・(中点)が随所に用いられています。
>私は、単に読みやすいようにと使用されたものではないと思います。
「・」(中点)が使用されれば、そうかもしれません。
451
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/04/22(水) 19:42:59 ID:8FNX.yWoO
『、』は区切り。
『・』は同一(一体)。
を意味すると私は思います。
452
:
ソウイチ
:2009/04/22(水) 22:18:46 ID:qZp.bdpw0
東空さん。
もやしさんは以前引越しすると書きました。
ホストもアクセス地域も変わります。
東なんとかさんも多くのアドレスを持っていました。
貴方が最初に登場したときから疑いを持っていました。
もやしさんも最初沖浦さんの味方で登場し敵になりました。
貴方にも全く同じものを感じます。
今後の書き込みを注目しております。
453
:
雨煽り
:2009/04/23(木) 00:23:56 ID:NjA8zkPc0
東空さん
>>446
のレスを見る限りでは、
私との会話が成り立っていませんが…
「理論立て」並びに「立て分け」が出来無い。もしくは、知らない。
と、解釈して宜しいのでしょうか?
私の勘違いでしたらお詫び致します。
454
:
東空
:2009/04/23(木) 00:43:38 ID:pqsJ0MTI0
>>452
ソウイチさん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1218983234/114
5月から区営住宅の公募が行われます、それに当選しなければ、私は引越しが出来ません
私に対する疑いや感じ方は貴方の自由です。最初はこの掲示板の「貴方の夢を語るスレッドですよ」に惹かれました。
それで書き込みに参加したのですが、「本迹に関して対話するスレッド」での沖浦さんの主張には納得がいかない、という事です。
455
:
東空
:2009/04/23(木) 00:49:49 ID:pqsJ0MTI0
>>453
雨煽りさん
寝ますので、また今度です、おやすみなさい。
456
:
ソウイチ
:2009/04/23(木) 07:21:54 ID:qZp.bdpw0
東空さん、5月の都営住宅は言い訳にならないでしょう。
もやしさんが引越しをするといったのは一年も前です。
都営住宅の5月はおかしいです。
あちらこちらの掲示板に貴方の意見が貼られて沖浦さん攻撃の材料になっています。
もやしさんとそっくりです。
本迹がわからないなら違う聞き方をするはずです。
ものすごく怪しいと思います。
457
:
備前
:2009/04/23(木) 10:30:31 ID:CTtMwhXY0
>>450
おはようございます、東空さん
その様に割り切った使い方ばかりではないと思いますが
>ついて、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:
私は、「本迹や勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と
捉えておりますが
貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と
捉えてみえられるのでしょうか?
458
:
東空
:2009/04/23(木) 10:32:31 ID:GRLqWMfk0
>>456
ソウイチさん
>都営住宅の5月はおかしいです。
私は「区営住宅」と言っています。
>もやしさんとそっくりです。
今、もやしさんが参加している掲示板に、私が書き込みをすれば、アクセスとホストの違いが明確にわかる事です
今は、もやしさんは、どこの掲示板に参加されているのでしょうか?
459
:
東空
:2009/04/23(木) 10:42:07 ID:GRLqWMfk0
>>453
雨煽りさん おはようございます
>>446
で回答がひとつ抜けていましたね、申し訳ありません
>「相対」等しない、理論立てはできますか?
* 人が本。 仏が迹。*という「相対」はしません。本迹相対は「一つの事象や事柄」を立て分けることにあります
例:人が本。鏡に映したその人の姿は迹。 「人」を「立て分けて」いるので「相対」になります
例:人が本。鏡が迹。 これだけでは二つの異なるものを並べただけで「相対」しません。
本迹相対の立て分けは、どちらが優れているかの「勝劣」またどちらが「尊い」かですね。
>>457
>貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と捉えてみえられるのでしょうか?
そうです。宗教批判の原理の、本迹相対でも同じ事です
雨煽りさんへ質問した
>>446
の回答をお待ちしております。
460
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/04/23(木) 11:40:36 ID:8FNX.yWoO
>>456
ソウイチさん。そのようなツッコミは、【今の所】不要かと思いますよ。
東空は東空さん。
それで言いのではないでしょうか。
いかなる人でもまず目の前の人(モニターの向こう側の)を信じる。
これがネットでの大前提です。
議論も盛り上がってきているようですし……。
461
:
備前
:2009/04/23(木) 12:55:02 ID:CTtMwhXY0
>>459
こんにちは
>>貴兄は、「本迹の勝劣を立て分けていきなさいという御文です。:」と捉えてみえられるのでしょうか?
>そうです。宗教批判の原理の、本迹相対でも同じ事です
なるほど、私と貴兄に捉え方に相違がある訳ですね
ならば、貴兄の
>>441
の発言での
>御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
>訂正されたほうが、よろしいかと存じます。
この部分は訂正された方が良いのではないでしょうか
それに「本迹」に配するのは別に法華経二十八品だけだではありませんよ
「本:日蓮仏法・迹:釈尊仏法」に配される時もありますし
何処の掲示板で読んだかは、忘れたのですが先生の指導(?)で
「学生は勉強している時が本、遊んでいる時が迹」と云われていると
何方かが書き込まれていたと記憶しております。
462
:
東空
:2009/04/23(木) 17:18:16 ID:QvnWkSMU0
>>461
備前さん こんばんは
>それに「本迹」に配するのは別に法華経二十八品だけだではありませんよ
>>441
で池田先生の指導を引用して載せています
★引用〜私たちの人生にも、生活にも全部、「本迹」がある。それを、きちっと見極め、
立て分けていかねばならない。〜★引用ここまで
このように、先生のご指導は「法華経二十八品だけ」ではありません。
>私と貴兄に捉え方に相違がある訳ですね
>ならば、貴兄の
>>441
の発言での
>>御書および先生の指導と、沖浦さんの発言には、このような違いが見られます。
>>訂正されたほうが、よろしいかと存じます。
>この部分は訂正された方が良いのではないでしょうか
あなたと私に、本迹の捉え方に相違があるから、訂正された方が良い、
というだけの発言では、何の説得力もありません。
備前さん、* 人が本。 仏が迹。*という捉え方はなぜ正しいのでしょう?
文証(文献上の証拠)と、理証(あらゆる人が納得できる理論)で説明して下さい。
納得がいきましたら訂正いたします。
463
:
雨煽り
:2009/04/23(木) 22:12:58 ID:NjA8zkPc0
東空さん
あのぅ…引用貼り付けの後に何か言葉(説明とか)を入れてもらわないと、
その貼り付けだけでは東空さんの言われたい事を判断できませんので、会話が成り立たないと申しました。
「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?
釈迦の法華経ではなく、大聖人の妙法蓮華経に限定して説明致します。
私達にとっては大聖人の仏法こそが、その全ての筈ですからね。
迹門理の一念三千・迹門不変真如の理
本門事の一念三千・本門随縁真如の智
「理と事」「理と智」の立て分けですが、ここには勝劣や優劣はありません。
と、一応述べておきます。
厳密に言うと、勝劣はあるのですよ。しかし、立て分けによって変わってしまうので無いと言う事にしておきます。
事は本門、理は迹門ですね。事と智は同義です。
五重玄はご存知ですか?
「体」で述べますと、御本尊のことですね。
「宇宙根源の法・久遠元初の南無妙法蓮華経」が不変真如です。つまり迹門です。
大聖人の『たましいをすみにそめながして』の漫荼羅本尊が随縁真如です。本門です。
「用」で述べますと、衆生を成仏させる働き、功能です。
衆生が主体で、衆生から見て、御本尊が理になります。不変真如で迹門になります。
御本尊に自行化他の題目を唱えて成仏する当体、衆生が随縁真如です。事の一念三千です。本門です。
御本尊が立て分けによって、「本」になったり「迹」になったりします。衆生も同じです。
本迹に実質的な勝劣があると思いますか? 立て分けだけの問題でしかないと思われます。
巷で行われている論争は、立て分けの違う事を同じに論じているだけでしょう。
私の考えは、「どっちが本でもどっちが迹でも、どっちでもいい。どっちにしたって私達の信心が変わる訳ではありませんからね。」
と言う事です。
ただし、間違っていない義を間違ってると言う事は謗法ではないですかね。
最後になりましたが、文証をのせておきます。
日蓮大聖人御書講義 第七巻
当体義抄301ページ
『また、御本尊とわれわれとの関係として不変真如、随縁真如を論ずれば、先の真諦と俗諦の説明と同じになる。すなわち、大御本尊それ自体は「是の法法位に住した」お姿であり、不変真如の理である。それを、さらに御本尊を根底に信心を開き、人々の生活の上に、現実に智慧となり、大生命力となって涌現してくることを「世間の相常住」というのである。』
分り難いかもしれませんが、書籍をお持ちでしたら、前ページから読んでみて下さいね。
464
:
ソウイチ
:2009/04/24(金) 08:18:31 ID:qZp.bdpw0
東空さんと日々朗らか(大勝利)さん。
わかりました。
ロムに戻ります。
おかしくなったら又書きます。
465
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/04/24(金) 15:14:04 ID:8FNX.yWoO
>>464
ソウイチさん。見守ってください。
おかしくなったら、飛び込んで来てください。
466
:
東空
:2009/04/24(金) 17:02:27 ID:HGHiETdc0
>>463
雨煽りさん
>あのぅ…引用貼り付けの後に何か言葉(説明とか)を入れてもらわないと
>東空さんの言われたい事を判断できませんので
私の言葉は、先生の指導に同調すると言う事です。同調しているのですから、私見をはさむ余地はありません。
あえて言いますと「この引用文に私は同調しております」でしょうね。
>「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?
>>445
では >「相対」等しない、理論立てはできますか?
と質問されています。「立て分け」という言葉はありません。
「本迹相対せずに立て分けができるという理論は成り立つか?」という意味の質問なのでしょうか??
それなら、一つの事象を立て分けて相対するので、立て分けなければ相対しようがないので理論立ては出来きないでしょう
簡単に言えば、事は行為で、理は言葉でしょう。
五重玄は二種有ります。・仏意の五重玄 ・機情の五重玄
>最後になりましたが、文証をのせておきます。
*人が本 仏が迹* という「人と仏」の本迹相対としての、立て分けの説明にはなっていませんね。
「帰というは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは、本門随縁真如の智に命(もとづ)くなり、帰命とは南無妙法蓮華経是なり」(御書P708)
最後になりましたが御書の御文です
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。」(御書P760)
467
:
東空
:2009/04/25(土) 01:12:38 ID:vv8c7urA0
>>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9645/1225794198/641
日々朗らか(大勝利)さん
>そもそも『仏本人迹論』を唱える日顕宗の【対義する語】として出た言葉だと思いますね。
創価学会版の御書にあります
下種寂照・実事・体用無上の本迹
「生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり云云。」(御書P867)
下種十界互具の本迹
「唱え奉る妙法・仏界は本・唱うる我等九界は迹なり、妙覚より理即の凡夫までなり、実の十界互具の勝劣とは是なり。」(同P868)
「自分自身が妙法の当体」は正しいです。だからこそ、わかりにくいのです。
「本迹相対」は理解しにくいと思います。五重の相対で言えば「同じ釈迦の法華経の中での相対」だからでしょうね。
*人が本 仏が迹* は、御本尊、軽視の愚を犯すことです。
「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」(同P544)
(創価学会教学部の解説です)「仏の説いた経文によるべきであって、人師・論師によってはならない。常住不変の仏の実義に
よるべきであって、人師・論師の言葉によってはならない。
仏の智慧によるべきであって、人師・論師等の浅識(浅い知識)によってはならない。了義経(仏の真実の教え)に
よるべきであって、不了義経(方便の教え)によって法を説いてはならない」(涅槃経)
468
:
東空
:2009/04/25(土) 01:30:55 ID:vv8c7urA0
まことに勝手ながら、この掲示板から撤退させていただきます。
短い間でしたが、ありがとうございました
469
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/04/25(土) 04:29:38 ID:8FNX.yWoO
東空さん。
続けてください。
『本迹、勝劣』『本迹・勝劣』、学ばせてください。
せっかく有意義な議論ができているなあ。と思っておりました。
雨煽りさんも寂しがると思います。
また機会があれば、宜しくお願いいたしますm(__)m。
470
:
雨煽り
:2009/04/25(土) 08:07:07 ID:NjA8zkPc0
東空さん
なぜ撤退されるのですか?
まぁご自由ですが…
理解されたくなければされないのは結構ですが
理解された方が良いと思いますよ。
観念の遊戯では無く現実なのですからね。
『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』なのです。元初から永劫までね。
拘る理由が何かありますかね。
本迹未分なものを、あえて本迹に立て分けた理論立てを
「どっちが本だ、どっちが迹だ」なんて、さも、重大そうに論議している。
その実は「衆生(自分?)から見て」「仏から見て」「信仰の姿勢」等を
混同しての議論しているだけのことではないでしょうか。
各々の論それ自体は間違ってはいませんが、間違いではないことを間違いだという事が間違いです。
中道ですからね。全て必要だと思われます。
日蓮大聖人を御本仏として信仰しているのですから、法華経や釈迦仏法がどうであれ
大聖人の言われた儘を信じますし、
同じように、学会員なのですから創価学会や池田先生の指導を信じます。
それが道理なのではないでしょうか。
>「相対」等しない理論立てはできますか?
は、私からの単なる質問ですが
>「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?
は、東空さんのレスを読んで私が思ったことです。
言葉は似ているが意味は違います。間にレスの存在がありますからね。
東空さんの言われる「同調」も、私の考えるものとは違っていると感じます。
極端に自分の言葉が少ない東空さんのレスを私が解釈をすると、
東空さんの真意とは違って来ると思います。
故に、会話は成り立たない。と言う事です。
結局東空さんの真意が私には解りませんでしたが、
お元気で…
471
:
雨煽り
:2009/04/25(土) 08:24:06 ID:NjA8zkPc0
坊主の説法を思い出しました。
「欝頭羅弗とはならじ。これをよく考えてもらいたい。」
よく考えてもらいたいって…おぃおぃお前が教えてくれるんじゃないのかぃ…
って、余談でした。m(__)m
472
:
雨煽り
:2009/04/25(土) 09:15:52 ID:NjA8zkPc0
解釈の違いが色々あります。
「人」は何を指すのでしょう
「仏」は何を指すのでしょう
「衆生」は何を指すのでしょう
「凡夫」は何を指すのでしょう
「体」とは…
「用」とは…
「総」とは…
「別」とは…
「妙法蓮華経」ですから「差別なし」です。
『総じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身は末法の法華経の行者なり』
『日蓮の弟子檀那』が『法華経の行者』で『如来』なのです。
473
:
ソウイチ
:2009/04/25(土) 11:39:16 ID:qZp.bdpw0
やはりそうだった。
あの人が言いたいこと。
>*人が本 仏が迹* は、御本尊、軽視の愚を犯すことです。
これを言うためにあれだけの自己紹介までやったんです。
おかしいと思っていました。
474
:
ソウイチ
:2009/04/25(土) 21:07:42 ID:qZp.bdpw0
人間よりも本尊が優れる宗教に魅力を感じません。
宗教は人間のためにあるのです。
この大原則を外して宗教に意味がありますか?
475
:
雨煽り
:2009/04/26(日) 00:09:40 ID:NjA8zkPc0
えっと…
私の論も、東空さんの論も、沖浦さんの論も、表現等の違いはあれ、核心は、あまり違いはありません。が、
沖浦さんの表現だけを見ると、理解出来ない(したくない?)人からは誤解されるかも知れないところがあります。
しかし沖浦さんは、けっして御本尊を軽視している訳ではありません。
家では御本尊に向かって唱題するのですからね。
御本尊の無いところで唱題するのに、御本尊があっても無くても変わらない。と言われているのです。
それと、「用」の部分を強調しているだけです。例えば
「仏とは信心をしている貴方のことです。御本仏と雖も貴方を仏にする為の存在なのです。」
と言うように、主体を「人」にして、論じておられるだけです。
それは正論でしょう。
理解出来ない人がいるだけだと思います。
『一大秘宝義』『本迹論』については正論ですからね。
476
:
雨煽り
:2009/04/27(月) 01:52:33 ID:NjA8zkPc0
大事なことは
本迹未分な自性を、
機情に随って、
敢えて立て分けた。
というところです。
な〜んて、書いたって…
解らない人には、全く解らないでしょうね。
東空さんなら解るかも…ね。
477
:
沖浦克治
:2009/04/27(月) 05:43:29 ID:AJ3hr85o0
東空さん
またおいでなさいね。
仏が迹が曼荼羅軽視?
完全な間違いです。
仏法の基本知識に欠けますね。
仏法は人のための法です。
人が仏法のためにあるのではないのです。
これが創価思想の大原則です。
大聖人様のご精神です。
この点を先ず認識すべきですね。
人のための法ならば、人は主体、法は従です。
AのためのBは、文法上Aが本で主、Bが迹で従。
これが当然の解釈です。
ですから、法と人、どちらがどちらのためにあるか?
これが理解できれば後は極めて単純明快なんですよ。
人は迹だ。
この人たちは仏法に無知です。
人のために説かれる法が仏法ですから、この解釈は完全な誤りで邪義ですよ。
そして、お曼荼羅も仏も一切は仏法の中に含まれて存在しています。
ですから、お曼荼羅も仏も迹で従です。
人は本です。
この点をよく弁えてから御書を学びましょう。
貴方があげた文証、
「生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり云云。」(御書P867)
人としての姿が迹で、本来は仏だよ。だから衆生は仮に人間の姿をしているが本地は仏なんだよ。
このように読めばいいと思います。
仮に人間の姿です。
方便で死んだり生まれたりするでしょう。
この世はね、仮の姿なんですよ。
ですから、方便で死にますね。
するともう人間じゃないです。
人では無くなるのです。
でもね、命はそのままで仏なんです。
生死ともに仏です。
『いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり、法華経の第四に云く、「若し能く持つこと有れば即ち仏身を持つなり」云云。』
(上野殿後家尼御返事)
ほらね、このように仰せです。
簡単な事を複雑にしてしまってはダメですよ。
478
:
雨煽り
:2009/04/28(火) 00:19:13 ID:NjA8zkPc0
「本」が「勝」で
「迹」が「劣」ですが…
釈迦の法華経の本門と迹門には「法」の勝劣と「機情」の勝劣があります。
もちろん、本門が「勝」です。
日蓮大聖人の妙法蓮華経には「機情」の勝劣はありません。
本迹とは事理です。
「本」が「事」で
「迹」が「理」です。
「事」とは「事実の上」「現実」ということです。
「理」とは「法」「理屈」等です。
御本尊を例えると…
久遠元初の法が「理」で、曼陀羅本尊が草木成仏の「事」です。
衆生を例えると…
御本尊が「法」・「理」で、自行化他の題目を上げて成仏して行く我々が「事」です。
勝劣では、どこまでも現実が「事」で「勝」だということです。
ですが、大聖人の妙法蓮華経は、釈迦の法華経のような本門・迹門はありません。
本有の本迹で、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘』なのです。
479
:
雨煽り
:2009/06/05(金) 07:04:25 ID:NjA8zkPc0
>>463
で書き込んだ御書講義録ですが、
理解出来ない人が多いようですので、もう少し補足します。
前々ページに
『法華経に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云』
の文についての講義が書かれています。
その13行目に
『御義口伝巻下に(中略)「是法住法位」を真諦、迹門、「世間相常住」を俗諦、本門と配当した次の文を示されている。』
と、あり、次ページに
真諦 俗諦
是法住法位 世間相常住
迹門 本門
と書かれています。
「是の法法位に住して」が真諦で不変真如で迹門です。
「世間の相常住なり」が俗諦で随縁真如で本門です。
御本尊が真諦で不変真如の理で迹門になり、
題目を唱える我々が俗諦で随縁真如の智で本門になります。
事と理ですが、この事理の認識が理解し難いのだと思います。
例えば…
他人が沢山儲けて、その家にどれだけお金があるのかを、いくら数えても、自分は全く裕福になどなりません。
儲かる方法を教えてもらって、実践し、自分が儲かって初めて自分が裕福になるのです。
と、こんなような話が確か戸田先生の指導にもあったと思います。(よく憶えていませんが)
他人事は、たとえそれがどんなに優れていたとしても、単なる理でしかありません。
自分が実践して初めて自分の現実になり、事になります。
大聖人が末法での成仏の法を示され、御自身をもって成仏の姿を現されました。
が、しかし、それだけでしたら、自分にとっては単なる理屈、理論、方法です。理にしかなりません。
自分が信仰して、実践して、初めて事になります。現実です。
池田先生が仏法を現代に約し、解釈してスピーチして下さいますが、それだけでしたら単なる理です。
それを指導として、人間革命していって、初めて、事です。
自分の家に御本尊があるからといって、成仏などしませんよね。
それがどんなに素晴らしい力のある御本尊であったとしても、それだけでしたら、成仏はできません。
自行化他の題目を唱えて、初めて成仏できるのです。
題目をあげて、己心の九界を仏界へと開くのが、事の一念三千です。
事の一念三千は任用の前に教えられてる筈ですね。
事が本門で、理が迹門です。
480
:
雨煽り
:2009/06/07(日) 04:58:22 ID:NjA8zkPc0
ある一事象を見る為に、本迹と立て分けるのですが、
立て分けた本迹に勝劣はあっても、立て分けられる゛そのもの゛に勝劣がある訳ではないのです。
『差別なし』ですからね。
衆生が成仏する。という用を見る為に、衆生を本として、成仏させる働きの仏を迹として、本迹を立て分けます。
本迹ですから、自ずから勝劣が生じてきますが、あくまでも、本と立て迹と立てたところに勝劣がある訳で、
衆生そのもの、仏そのものに勝劣がある訳ではないのです。『差別なし』ですから。
もちろんそれは仏を本と立てても同じです。『差別なし』です。
衆生と仏に勝劣などありません。
ところが、釈迦の法華経の本門と迹門には゛そのもの゛に勝劣があります。
法の勝劣と機情の勝劣です。
故に、釈迦の法華経では、本迹相対が勝劣として成り立つのです。
大聖人の『妙法蓮華経』は、『本迹殊なりと雖も不思議一』で『事理倶勝』です。
そして『差別なし』です。
一事象として、何を見るか、何を主体として考えるかで本迹に相当するものは変わりますが、
変わったところで、『差別なし』は不変です。
勝劣に拘る人の心には、差別があるんじゃないですか?
仏法は内道と言われるように己心の問題ですからね。己心が自分にとっての本です。
481
:
備前
:2009/06/07(日) 16:33:49 ID:CTtMwhXY0
こんにちは、雨煽りさん
>勝劣に拘る人の心には、差別があるんじゃないですか?
有るのか無いのかは、解かりませんが
私が相手してもらった方々の大半は「本迹=勝劣」の単純化された思考が
底辺にある故「衆生己心の妙法が本・御本尊が迹」が気にくわないと言うのが
現状かと思います。
そしてまた、「衆生己心の妙法が本・御本尊が迹」も一つの立場・見方とは
捉えず、御本尊と衆生の関係の全て思っている所に一因があると
思います。
もっとも「衆生己心の妙法が本・御本尊が迹」を、うまく利用して
立ち回っている御方も見えられるようですし(笑
いやぁ〜、ネットって複雑怪奇ですわ(爆
482
:
粛々坊
:2009/06/07(日) 21:34:43 ID:VUuZ458.0
>>481
備前君はオアシスがお似合いだよ。君は教学云云あと20年(未活のぶん)早いようだ。
これだけいっておこう。「本迹」と「本末究竟等」の違い分かるかな?。
483
:
沖浦克治
:2009/06/07(日) 23:01:34 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん
貴方百年はやい!
引っ込んでなさい。
484
:
沖浦克治
:2009/06/07(日) 23:22:25 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん
もう一度レベルの低い揶揄入れたら、長期アク禁ですよ。
注意してくださいね。
485
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 00:06:47 ID:NjA8zkPc0
>>481
備前さん
よくある「驕慢だぁ〜謗法だぁ〜」と、のたまう禿人達と同義主張の人達ですね。
ほぉ〜んと、困ったちゃんです。
雨も降ってないのに紅い傘でも差して歩いてるのかも、しかも他人に持たせて…なぁ〜んて(笑)
長年「差別義」の中にいると『如蓮華在水』を忘れてしまって
七識に「仏は上」って組み込まれているのかも知れませんね。
御書には明確に『差別なし』と書いてあるのにね。
486
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 00:26:35 ID:NjA8zkPc0
>>482
粛々坊さん
他人に質問するより、自分の理解を深めた方が良いと思います。
そんな質問をされているところを見ると、理解が浅いのだと見受けられます。
もう一段深く理解されると真実が見えてくるかも…ヒント『父子』
そんなことより、粛々坊さんが書き込まれると言われていた
『一大秘法義』(でしたよね?)早く書き込んで下さいね。
書き込まれるのを待っているんですから。
487
:
粛々坊
:2009/06/08(月) 00:56:39 ID:VUuZ458.0
>>486
一大秘法?あくまで「本門の本尊」ですね。法華経(題目)は御本尊にすべて集約されています。
それよりもなぜ「本末究竟等」と書くとアク禁なんですか?沖さん。
488
:
粛々坊
:2009/06/08(月) 00:59:35 ID:VUuZ458.0
>>486
雨煽りさんはぜひ粛板でお待ち申し上げます。
再度、徹底的に教義の検証をしたいと思います。論客揃いですよ(笑)。
489
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 02:15:55 ID:NjA8zkPc0
>>488
粛々坊さん
何の事ですか?
何の脈絡も無く
>お待ち申し上げます。
と言われてもねぇ〜・・・・・・・
脈絡の無いところが、まるでテラオさんのようです(笑)
490
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 02:23:58 ID:NjA8zkPc0
>>487
粛々坊さん
書き込むと言われていた事が、
たったそれだけの文章だったのですか?
・・・・・・・・・・
ナァ〜ンダ・・・・・ オヤスミィ〜
491
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 02:34:31 ID:NjA8zkPc0
あっ、そうそう…
>>487
文証出してね。
モォイチド・・・・・ オヤスミィ〜
492
:
沖浦克治
:2009/06/08(月) 08:49:28 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん
本末云云えは無関係です。
自分は知っている、お前達は知らない。
示唆するだけの無責任がアク禁対象です。
貴方は私に以前、創価の師弟は云云と言いましたね。
では、宿題です。
貴方は、創価の師弟について自分の主張お書きなさい。
それと、本迹と、本末究竟等の違いについて論じなさい。
この二つのテーマを終了して後、他の話題を語ることを認めます。
それ以外を書けば、長期アク禁になります。
ではどうぞ。
493
:
粛々坊
:2009/06/08(月) 09:47:00 ID:VUuZ458.0
それでは簡潔に行きましょうか。
仏教哲学大辞典 第三巻 368ページ
師弟不二・(二)師弟不二を明かされた御文⑫
「方便品にある『本末究竟等』の文。師匠は本であり、弟子は末である。
師匠は弟子を自分と同じ境涯に引き上げようとし、弟子もまた師匠の一切
を受け継ごうとして仏道修行に励む。これ本末究竟等をめざす師弟の姿、
行動であり、この師匠と弟子の人間対人間の生命の奥底におけるふれあい、
つながりの中に、仏法の血脈は伝わるのである。」(引用終わり)
494
:
粛々坊
:2009/06/08(月) 11:00:35 ID:VUuZ458.0
>>493
よって師弟関係は「本迹」ではありません。
以上師弟相対・師弟不二は終わりです。簡潔でしたね(笑)。
495
:
沖浦克治
:2009/06/08(月) 13:11:29 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん
答えになっていません。
これでアクセスをお断りいたします。
496
:
雨煽り
:2009/06/08(月) 16:28:07 ID:NjA8zkPc0
>>493
まるで子供が「山の形は三角だ!」と言っているようなものですね。
大「山は三角じゃないよ。」
子「だって三角じゃん、此処から見てよ。三角じゃん。」
大「そこから見ると三角に見えるだけで、山の形は三角じゃないよ」
子「三角ったら三角!」
自分の浅い知識が、その全体などと思わない方が良いですよ。
全体が見えてくるまで、ひたすら信行学に励むことですね。
497
:
雨煽り
:2009/06/21(日) 15:53:40 ID:NjA8zkPc0
そもそも本迹とは…
『言語道断・心行所滅』の『大分真如』である妙体を
機情に随って『証分真如』として説いたものなのです。
迹門の機情には『不変真如の理』を説き、
本門の衆生には『随縁真如の智』を明かしたのです。
釈迦の法華経の本迹には、上記の理由で、事・理の違い、久・近の違いがあり、
それがそのまま、法の勝劣、機情の勝劣になります。
しかし、大聖人の『妙法蓮華経』には機情の勝劣などありませんから
当然、法の勝劣もありません。証分真如を説く必要が無いのです。
随縁も不変も大分真如の説明をするものであって、勝劣を論じるものでは無いのです。
故に、『事理倶勝』と…
法の勝劣が無い。其の上での本迹です。本迹ですから勝劣は生じます。
が、あくまでも大分真如の事理の側面で、言語道断・心行所滅の上の勝劣です。
不可思議の中の勝劣です。本有の本迹です。
故に、『本迹殊なりと雖も不思議一』と…
上記を踏まえて、
仏法は、衆生が本来仏であり、仏と開く為に説かれたものですから
衆生を本と立て、成仏させる働きの仏を迹と立てるのです。
もちろん、仏を本と立て衆生を迹と立てても、
それはそれで仏法を論じているのですから間違いはありません。が、
衆生を本と立て仏を迹と立てる論を「間違い」と言う事が間違っている。と主張しているのです。
仏法の一側面や一考察をもって、その全体だ。などとの解釈は成り立ちません。
様々な側面、様々な立て分けがあり、言語道断・心行所滅なのですからね。
一大秘法義と同じく、こちらも、くれぐれも、
邪義だと言われる人は「衆生が本では無い」「仏が迹では無い」という
文証を上げてくださいね。
499
:
沖浦克治
:2009/06/21(日) 23:29:25 ID:AJ3hr85o0
皆様方に
以前、法華講関係の板で、衆生が本、仏が迹を私が主張し、仏が本、衆生が迹との立場の法華講員の方々と論議を致しました。
今、小野さん、マグマグさんなどをはじめとする眺め人の方は、当時の法華講員の方と全く同じ発言をしています。
明日から、少しアップして見ますので、両者を比較してください。
眺め人教学は、正宗教学です。
どうして創価を名乗るのでしょうね?
不思議です。
500
:
雨煽り
:2009/06/22(月) 00:19:57 ID:NjA8zkPc0
>>498
ぜんまいさん
沖浦さんを批判し非難している人達の殆んどがそうですよ。
自分達が教学的に未熟で理解出来ないことを「邪義」と言って憚らないのです。
文証を出しても、その文証に書いてある言葉も理解出来ない程の未熟さですが、
もっと未熟な人からは立派な教学に見えるようです。(笑)
「魔」は確か紛らわしいのでしたよね。
尤もらしいことを書き綴って、さも仏法を知ってますよ。みたいな反論を書きなぐっています。
が、その実は、全く違う立て分けを論じて「衆生が本・仏が迹」を否定しているだけです。
それはそのまま、自分の無知を晒し出している。という事です。
否定する文証など無いのですからね。そんな仏法はありませんから。
501
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 07:24:59 ID:AJ3hr85o0
人が迹、曼荼羅本の未熟さは何処から来るか?
宗門教学ですね。
この邪義を作ったのは寛師です。
観心本尊抄の文段に以下の愚論があります。
>就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。
戒壇様が一大秘法だぞ!
寛師はこれを言うために手間隙かけてますね。
理由です。
同じく文段からですよ。
>答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。
吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。
これに三事の不可思議あり。
一には天台大姉は五十七歳にして止観を説き、蓮祖大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を顕す。また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。これ則ち像末の教主の序、豈不思議に非ずや。
天台は57歳で本懐である摩訶止観を説いて、60歳で亡くなった。
大聖人様は、58歳で戒壇様を顕され、61歳で御入滅なされた。
であるから、戒壇様こそが一大秘法で出世の御本懐だ。
一年大聖人様が歳を重ねられたのは、像法に対する末法の順番だからだ。
これね、こじつけですよ。
御書の何処にこんな文証ありますか〜?
だから、人師論師はダメなんです。
こじ付けで人を惑わす事を、紛然と言います。
眺め人さんは覚えておきましょうね。
>二には天台は四月二十六日に止観を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。蓮祖は後に生れたまうと雖も、下種の教主なり。故に義、前に在り。
この故に蓮祖は二十五日応当抄を終り、十月の入滅なり。天台は前に生れたまうと雖も、熟益の教主なり。故に義、後に在り。この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。種熟の序、豈不思議に非ずや。
これも説明する必要のないほど幼稚ですね。
こう言う低レベルをさも仏法の大事みたいに囃し立ててきたのが宗門教学です。
それに踊らされているのが眺め人の方々です。
相当情けないですね。
>三には天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮竟の極説を顕す。寧ろ不思議に非ずや。
天台は亡くなる4年前に本懐を遂げた。
だから大聖人様の御本懐は御入滅4年前でしかない。
これね、相当無理ですよ。
こう言う場合、どうして弘安2年、10月12日か?
明確にしないとダメなんです。
証拠にはなりません。
弘安2年はね、360日ほどあるんです。
すると、戒壇様の本懐確立は350分の1ですよ。
そう言う不確かなものに人生かけますか〜〜??
ここに橋があって、360回に1回は無事に渡れる強度がある。
下は千尋の谷底です。
貴方ね〜〜、渡りますか〜?
私?
嫌に決まってますよ。
502
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 07:56:04 ID:AJ3hr85o0
ぜんまいさん、おはようございます
以下眺め人のマグマグさんですよ。
Fボーからです。
>沖浦克治氏は、三世諸仏の大事、受持即観心の南無妙法蓮華経、即ち「観心の本尊」「本門の本尊」を「迹」であると言いのけ、氏自身のことを「本」であると傲慢にも相対させた。
先ずこの眺め教学は大間違いですね、前提が過ってます。
受持即観心は法華経ですね、お題目です。
曼荼羅じゃないのですよ。
ところが眺め教学は寛師に騙されて、曼荼羅だと勘違いしてます。
曼荼羅は迹です。
当然です。
私共の師匠は仰せですよ。
『虚空会の宝塔は衆生己心の妙法を書き写したものだから迹。
己心の妙法が本体で本。』(趣意)
曼荼羅は、その虚空会をもう一度書き写したもの。
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
(日女御前御返事)
我恋はふりたる経の摺形木絶えまがちにも成りにける哉
(私の恋は、使い込んで磨り減った摺形木の印字みたいに、あの人との逢瀬が途切れ途切れになってしまったなぁ)
摺形木とはね、当時のコピーの事です。
虚空会の儀式が迹で、それをコピーした曼荼羅が本??
ありえませんよ。
>沖浦氏と違い、雨煽り氏の「人本仏迹」にないものが一つある―――御本尊は迹で道具だとする「道具」の文言だ。が、本質的には同じだ。沖浦、雨煽りの両氏の邪説「人本仏迹」に何の違いもない。マグマグ
愚論重ねて恥じかいてうれしい??
真面目に御書読んだらいかが?
眺め教学楽しい〜???
504
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 21:27:01 ID:AJ3hr85o0
ぜんまいさん、貴方はぜんまい忍者さんですか?
そうでないなら、自己紹介してくださいね。
そうなら、ハンネ変更を書き込んでください。
ご意見はその後にしてください。
今のところ削除いたします。
505
:
ぜんまい
:2009/06/22(月) 21:47:47 ID:MCEII2N20
>>498
では、改めて。雨煽りさん、こんばんは。
>>「衆生が本では無い」
>>これは誰が主張しているのですか?
>沖浦さんを批判し非難している人達の殆んどがそうですよ。
私がロムした限りでは、「衆生が本では無い」とは誰も主張していないと思います。
ただ最近の掲示板の流れが早い為、私が見落とした可能性もあります。「衆生が本では無い」と主張された方の書き込みを
具体的に教えてもらえませんか?
506
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 21:54:46 ID:AJ3hr85o0
ぜんまいさん、
Fボーのマグマグさんです。
人が迹だと言っていますね。
>簡単に破折すれば、衆生を「本」とすれば、衆生が本体となる。そこへ仏の「用」だけを持って来ても何の役にも立たない。この衆生には十界が互具されていないのか?この衆生には「仏界」が具わっていないのか?一体全体―――成仏させる働きの仏―――とは何を指して言っているのか?
この仏が御本尊のことであるならば、更に不適切な表現となろう。先ず、己心に具わる仏性、仏界を排除することになる。次に、仏の力用を安直に利用していることになる。三つには―――衆生が本来仏であり―――と、氏自身が大前提として書かれていることに矛盾する。本来、仏であるならば、成仏しているのだ。今更、成仏させる働きを他に頼んでどうするのか。前掲の通り、現実にまだ成仏の境涯にないからこそ、大聖人は―――生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり―――と仰せなのではないか?
507
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 22:25:38 ID:AJ3hr85o0
聖地奪回の十字軍は、ヨーロッパでは正義の戦士ですが、イスラムの人々にとっては野蛮極まりない侵略者に過ぎませんでした。
戒壇様奪回!
愚の骨頂ですね。
何の価値も生みません。
御本尊様に優劣があると思う人で、戒壇様が究竟中の究竟だと信じる人は、サッサト宗門に行くべきです。
こう言う無駄なことに精力使うより、行動して解決すべきなのです。
信教の自由が完全に保障された国に住む意味がありませんね。
508
:
雨煽り
:2009/06/23(火) 02:59:55 ID:NjA8zkPc0
>>505
ぜんまいさん
あれっ…
誰もが知ってると思ってましたが、ぜんまいさんは知らなかったのですね。
沖浦さんを批判し避難している人達は殆んどが「衆生(人・己心の妙法)が本・仏(御本尊・大聖人)が迹」と、
「一大秘法題目義」を間違いだ。と言ってます。なかには表現の違う人もおられますが、
教学的にはこの二つです。
私はこの二つを間違いでは無い。と主張しているのですが、
非難している人達の中で理解出来た人は一人もいません。(もしかすると一人だけ理解しつつある人がいるかも)
まぁ、教学未熟な人には理解出来なくて当然ですが…
私がテラオさんと対話してた板の人達もそうですよ。
ただ、反論出来るだけの教学が無くて、直接仏法を出して反論などできず、
他人の尻馬に乗って、反論に同調したレスを書いたりしてます。
日々さんをアク禁にした理由を知っていますか?
「沖浦一派への見せしめ」だそうです。(笑)
疑義を捏造までしてですよ。
ぜんまいさん、本当に知らなかったのですか。
あっ…
疑ってる訳じゃありませんからね。
509
:
沖浦克治
:2009/06/23(火) 07:34:10 ID:AJ3hr85o0
私は御本尊様を疑ったことは一度もありません。
だから仏前でお題目を唱えるのです。
疑っていたらお題目は唱えません。
私はベース弾きです。
この楽器今日きちんと音が出るのか?
このように疑ってはステージングも練習も不可能です。
同じですよ。
御本尊様を受持すると言う事が、我が身の仏界を観ることです。
御本尊様は対境で助縁です。
本体じゃないのですよ。
本体は私共の命に本来備わっています。
面白いと笑いますね。
漫才見て笑うのは、面白いと言う気持ちが私共に本来備わっているからです。
無いと笑えません。
面白い気持ちはね、漫才と言う縁に触れて私共の命から涌現したのです。
同じなんですよ。
迹で道具だ。との立て別け。
なくてもいいですよ、創価を信じるならね。
ただ、現在の布教のためには、戒壇様本懐論は邪魔なんです。
世界広布の障害になるんです。
戒壇様本懐論は寛師です。
当時は必要でした。
幕末の攘夷ですよ。
幕府を倒す口実として強力な武器だったんです。
新政府が出来たら、邪魔なんです。
同じですね。
寛師の時代、邪義が宗門を圧倒してたんです。
要報寺(この字でしたか?)から100年間法主を派遣してもらった後ですからね。
で、大石寺の正当性を出すために考え出したものが、たまたま大石寺にあった、戒壇様を蓮祖本懐に祭り上げることでした。
それで、色々と後付の理屈をつけて戒壇様を荘厳化し、その威力で大石寺の正当化を図ったんです。
成功したのですね。
でも、反面、曼荼羅が本である。
こう言う邪義が付帯して後世に伝わりました。
創価学会が日蓮正宗時代ならそれでいいんです。
破門で袂を別ちました。
すると戒壇様本懐論は創価学会としては困ります。
だって、戒壇様は日蓮正宗のものですよ、創価学会にはないのですから。
本懐取られたら道は二つしかありません。
取り返すか?
否定するか?
私は否定するんです。
元々大嘘なんですから。
戒壇様が本懐のわけないですよ。
御書読めば簡単に理解できます。
今はもう、戒壇様本懐論は邪魔なんです。
戒壇様本懐論を否定するのは極めて簡単なんです。
曼荼羅が本、衆生が迹。
これを覆すといい。
世界広布のためにはもう少し深くする必要があります。
それが、本尊は衆生己心の妙法なんだ。
お曼荼羅はそれを紙に写し取ったもので、衆生が自らの仏界を涌現させるための道具です。
世界に広めるものは、久遠元初から決まっている、一切衆生が仏の当体であると言う、最大の価値を民衆の心の中に創ることです。
人間革命の運動の伝播です。
そのため旗印がお曼荼羅です。
御書に載っていますよ。
私共はね、地涌の菩薩なんでしょう?
それとも迹化の菩薩ですか?
本化の菩薩ならね、布教が命です。
創価を広めたいなら、機根のあった教学を武器として持つ。
一人で信じんするだけなら、宗門教学で満足する。
私はね、創価の人間です。
邪魔されても布教します。
510
:
ぜんまい
:2009/06/23(火) 23:08:46 ID:IAhWQBo.0
>>508
雨煽りさん、こんばんは。
>沖浦さんを批判し避難している人達は殆んどが「衆生(人・己心の妙法)が本・仏(御本尊・大聖人)が迹」と、
>「一大秘法題目義」を間違いだ。と言ってます。なかには表現の違う人もおられますが、
>教学的にはこの二つです。
「人が本・仏が迹」と本迹で建て分ける事が間違いであるとは言っていますが、だからといってそれが
=「衆生は本ではない」と主張しているとは違うと思いますが?
私自身教学未熟ですが、自分の目で確かめて考察したいと考えていますので、本迹での建て分けの指摘云々ではなく、
ではなく、明らかに「衆生は本ではない」と主張されている方がいるようでしたら、その方の書き込みを教えて
ください。
511
:
ぜんまい
:2009/06/23(火) 23:19:40 ID:JhGoiO1U0
>>510
訂正
>ではなく、明らかに「衆生は本ではない」と主張されている方がいるようでしたら、その方の書き込みを教えて
↓
明らかに「衆生は本ではない」と主張されている方がいるようでしたら、その方の書き込みを教えて
「ではなく、」が2回続いてしまいました。すいませんでした<m(__)m>
512
:
沖浦克治
:2009/06/24(水) 06:11:52 ID:AJ3hr85o0
雨煽りさん、おはようございます
ぜんまいさんがご指名ですので、私がレスをつけることがお二人に失礼かと存じます。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
513
:
沖浦克治
:2009/06/24(水) 06:56:55 ID:AJ3hr85o0
小野さんや、他の方々、私が曼荼羅が迹、人が本と言うでしょう。
そうすると、判で押したように、ご本尊様軽視だ。って、浮かれ騒ぐんですよ。
馬鹿ですね〜〜、この手合い。
じゃ、自分たちは人間軽視じゃないですか。
この単純明快な道理を忘れ果てて浮かれてんです。
迹が軽視ならね、アンタ方、この世で最も大切な人の命軽視してるんじゃないですか。
私が19歳の時、近所で火事があったんです。
創価学会員のお宅で、生まれて一月ほどの赤ちゃんが焼死されました。
私と幹部が非難場所に激励にいきました。
すると幹部が、ご本尊様はどうしました?って、聞いたんです。
ご主人がキット顔を上げられて、子供も出せなかったんです。と、返事されました。
数日後、妙本寺という寺で友人が出家してたので聞きました。
この場合どっちが優先なんだ?
すると、人です。って、即答されたのです。
私は当時、人よりご本尊様が先だと教えらていたんです。
以来、31歳まで、ズ〜〜〜〜〜ット考え続けていました。
ご本尊様と人間、どっちかしか助けられない時、自分はどうするべきなんだろう?
現場を見て、悩んだ人間の深刻な葛藤でした。
31歳で耕治が3歳、と1歳、火事になって、子供見捨ててご本尊様助けて本当に正しいのか?
子供見ながらいつも考えていたんです。
その時、池田先生の観心の本尊抄のご指導を聞きました。
『観心とは信心です。
我が己心の仏界を信じる。
これが観心です。
私たち凡夫が信心するためには本尊が要る。
そのための本尊だよ、本尊のための人間じゃないよ。
その信心のための本尊を、五の五百歳に始めておいたよ。と、こう読むんです。
本尊のための人間じゃないよ、人間のための本尊だよ。
だから大聖人様はありがたいんです。』(趣意)
その時、長年の疑問がパット解決しました。
人を先ず助けよう。
それから、御書の読み方が変わりました。
人が迹、曼荼羅本。
絶対に邪儀ですよ。
人の命より大切なもの、この世にあるはずないじゃないですか。
それを、人が本で曼荼羅迹だとご本尊様軽視??
アンタ方ね、命軽視の大謗法です。
情けない!!
514
:
沖浦克治
:2009/06/25(木) 17:20:39 ID:AJ3hr85o0
『去十月十日に付られ候し入道・寺泊より還し候し時法門を書き遣わし候き推量候らむ、已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に天親・竜樹内鑑冷然外適時宜云云、天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。』
(富木入道殿御返事) 文永八年十一月 五十歳御作
ここで大聖人様は、一大事の秘法をこの国で始めて既にひろめた。と明確に仰せです。
その後、観心本尊抄を、文永十年四月に顕されます。
更に、その三ヶ月後、佐渡で始めてお曼荼羅をご図顕になられます。
わずかでも常識があるなら、大聖人様が最初にお広めになられたのはお題目であって、そのお題目が一大事の秘法であり、それがそのまま開けば三大秘法を示す事が理解できますね。
その後、難を呼び寄せれら、佐渡に御流罪、その地でお曼荼羅を顕されておられる。
一大事の秘法を既に広めたと仰せの時、お曼荼羅の御図顕前ですので、文字曼荼羅はありません。
この事実を先ずきちんと把握すべきです。
515
:
エルフ
:2009/06/26(金) 05:25:17 ID:FJCtL.4M0
自己紹介依頼ですが、久しぶりにコメントさせて頂きます、沖浦さんの言う人の命とご本尊どっちが優先なんだとの話、妻と話しましたが私たちも子供を、人の命を優先致します。沖浦さんの本迹論争、私なりに活動の合間にネットで拝見してました、正直、教学2級程度の私には難しい話もありますが、沖浦さんの考え方は私の心に深く響く事ばかりでした。これからも色々勉強させてください。
516
:
沖浦克治
:2009/06/26(金) 06:12:53 ID:AJ3hr85o0
エルフさん、おはようございます
世界中で紛争、内乱、テロが起き、多くの民衆が犠牲になっています。
創価の広布は、大きな戦争を抑止しました。
キューバ危機のとき、あるマスコミが識者達に対して、第三次世界大戦が将来起こると思うか?と質問をしました。
多くの識者に混じって、飛びぬけた回答がたった一つありました。
断じて起こさせてはいけない。(趣意)
池田先生です。
この先生の一念が大戦を止めました。
今、世界が大きな戦争から守られているは、先生の強き一念だと思います。
紛争、内乱、テロ、の抑止は私共弟子の仕事です。
これ等の不幸の原因が宗教にあすます。
神が本、人が迹。
人は道具なんですよ、この思想では。
自爆テロをごらんなさい。
方法論による解決も当然必要です。
でも、この不幸の原因は間違った思想なんです。
神や仏のために人間が作られている。
一凶です。
これと真正面から戦う事が世界広布の絶対条件です。
そのために勝ち取った破門です。
眺め人にはわからないのですね。
517
:
雨煽り
:2009/06/26(金) 18:16:54 ID:NjA8zkPc0
>>512
沖浦さん
こんにちは
「ホスト規制でエラー」になり、書き込めませんでした。
自分の創った文章でも、消えてしまうと何を書いたのか忘れてしまいます。(笑)汗)
のんびりと思い出しながら書き込んでみます。
518
:
雨煽り
:2009/06/26(金) 19:19:44 ID:NjA8zkPc0
>>510
ぜんまいさん
遅くなりましたが返答します。
まず、何処に書いてあるのか。は、私にはお答えできませんので了承下さい。
「本迹に立て分けることが間違い」だと言われている人もおられるのは解りますが、
常識で考えてみて下さい。
「衆生が本・仏が迹」を間違いだと書き込まれている人に対して
「衆生が本では無い」「仏が迹では無い」という文証を上げて下さい。と言っているのです。
「立て分けることが間違い」だと言われる人になら、
「立て分けることが間違い」という文証を上げて下さい。と言います。
自分の考えをただ主張するだけなら、解釈の一つと考えますから、文証を上げて下さい。とは言いませんが、
こちらの主張した「衆生が本・仏が迹」を否定し、邪義だと言われます。
邪義だと言われるのなら、確たる文証を上げて戴けなければ、論議になりません。
故に、文証を上げて下さい。と言っているのです。
「立て分けるのが間違い」だと言いながら
『生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり云云』を引用し反論する人は、
「人が本・仏が迹」に『人は迹・仏は本なり』を当てて来ているのであり、
「立て分けるのが間違い」だとの主張は道理が通りません。
そして、「人が本・仏が迹」と『人は迹・仏は本なり』では、違う立て分けですから、
違う立て分けで否定する事はできません。同じに論じられないのです。
反論される殆んどの人が、その、違う立て分けを同じに論じています。解らないのでしょう。
教学未熟故に生じる問題だと思われます。
摩り替え、道理の通らない論を為すのも、他論を理解出来無いのも未熟なる故でしょう。
「衆生が本では無い」も「本迹に立て分けることが間違い」も文証がどこにあるのでしょうね。
私の知る限りでは、御書にはどこにもありませんが…
519
:
沖浦克治
:2009/06/26(金) 20:59:07 ID:AJ3hr85o0
雨煽り さん
ごめんなさいね。
520
:
雨煽り
:2009/06/26(金) 21:51:19 ID:NjA8zkPc0
沖浦さん
私は「アク禁ってこんな状態なのかぁ〜」って、知ることが出来ただけ
儲け者だと思っています。(経験する機会がないので)
書き込め無くなっても私自身には、あまり影響は無いので大丈夫ですよ。
無礼な書き込みをする人がいる。のが問題なのですからね。
521
:
ぜんまい
:2009/06/26(金) 23:27:12 ID:ncfZ7giE0
>>518
雨煽りさん、こんばんは。
>「本迹に立て分けることが間違い」だと言われている人もおられるのは解りますが、
>常識で考えてみて下さい。
>「衆生が本・仏が迹」を間違いだと書き込まれている人に対して
>「衆生が本では無い」「仏が迹では無い」という文証を上げて下さい。と言っているのです。
>
>「立て分けることが間違い」だと言われる人になら、
>「立て分けることが間違い」という文証を上げて下さい。と言います。
「衆生が本・仏が迹」を間違いだと言われる方は「仏が本・衆生が迹」と主張されているという意味ですか?
「立て分けることが間違い」と言われる方とは別に「仏が本・衆生が迹」を明確に主張されている方がいる
ということですね?
私が見たところ、「仏が本・衆生が迹」と主張される方を見つけることはできませんでした。よろしければ、
「仏が本・衆生が迹」と明確に主張されている方が、どのように書き込みされているか教えて頂けませんで
しょうか?
522
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/06/26(金) 23:52:48 ID:KryGZVx.0
何方か、この二つの御文を通解していただきたいのです。
よろしくおねがいいたします。m(__)m。
親父釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ又誕生の日をば薬師になしぬ、八幡大菩薩をば崇るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ、本地垂迹を捨つる上に此の事を申す人をば・かたきとする故に力及ばせ給はずして此の神は天にのぼり給いぬるか、但し月は影を水にうかぶる濁れる水には栖ことなし、木の上・草の葉なれども澄める露には移る事なれば・かならず国主ならずとも正直の人のかうべには・やどり給うなるべし。
四条金吾許御文 1197ページ
我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり、日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり、十羅刹と申すは諸神を一体に束ね合せたる深義なり、日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり、又是生とは日の下の人を生むと書けり。
は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり、今久遠下種の寿量品に云く「今此三界皆是我有主君の義なり。
日蓮産湯相承事 879ページ
523
:
夕焼け
:2009/06/27(土) 14:55:52 ID:sZcjHcOQ0
「人本仏迹」について。
沖浦さんの主張を考えると、「人本仏迹」という言葉は適当ではないと思います。
普通に読むと、人が本地で仏が垂迹ということだが、
逆にすると、「仏本人迹」で仏が本地で人が垂迹となる。
このような四字熟語は「神本仏迹」という造語を連想させられるが、
神が本地で仏が垂迹、つまり神の分身または影が仏となって地上に現れたとするもので、
戦時中の正宗の僧が権力におもねいて編み出したものだ。
凡夫(人)も仏も見かけや生物学的には人間以上でも以下でもない。
額を割られれば血がでるし、船に酔えば苦しむし、風邪を引けば食事も喉を通らないし、
邪義には怒りをあらわにするし、母の病に祈らずにはいられない。
要するに、日蓮大聖人の実在そのものが本来の仏(本門の仏)であり、
教機時国に当てて現れる、人とかけ離れた姿の仏は、
未顕真実の仏(迹門の仏)で本来の姿ではない。
いわゆる、凡夫(人)が本仏で仏(色相荘厳)が迹仏の本迹は判るが、
人と仏を二元論的に上流下流論的に本迹で表現してしまう、
この四字熟語はどこかおかしいし、誤解を生むと思う。
人と仏を別のものという前提で比較しているから、おかしくなる。
人と仏は別の存在とするのは釈迦仏法。
人と仏は同じ存在とするのが日蓮仏法。
仏も人なんだから、本も迹も無い。
どうしても表現するなら、「人本仏本」だが、
わたしなら「人即仏」とします。
人は信、即は南無妙法蓮華経、仏は日蓮となります。
「御本尊は道具」について
この言葉も独り歩きして誤解を生む言葉です。
かつて戸田先生が御本尊を幸福製造機とおっしゃったことがあるが、
あくまでも譬えで話されたことで、
御本尊をその辺の掃除機や洗濯機と同じだとは言ってません。
御本尊を単なる道具でしかないとするのは誤りです。
母親は自分が生まれてくるための道具に過ぎない、というようなものです。
大聖人は法華経の一字一句は生身の仏だとおっしゃっています。
御本尊には自分の命がそそがれているともおっしゃっています。
土も石も草木も動物も人も、宇宙のあらゆる存在は妙法の当体であり、
御本尊は大聖人と信じるのが、わたしたちの信仰ではないでしょうか。
御本尊に唱題し、人はその本地を観じているのです。
悪事を見て、悪口を聞いて、ふつふつと怒りを覚えるように、
御本尊に唱題することで、ふつふつと仏の生命が湧き上がるのです。
御本尊は御本尊。
あとは人の問題ではないでしょうか。
衣裏繋珠の譬えのように、譬えとして物に置き換えるのはいいですが、
道具にしか過ぎないと誤解されないよう、言い方を工夫すべきです。
525
:
胸やけ(コカコーラ急に飲み過ぎて)
:2009/06/27(土) 17:39:35 ID:8FNX.yWoO
どうも。日々朗らか(大勝利)ですm(__)m。
仕事が終わり、喉が渇いたのでコカコーラを飲んだんだけど(^_^;)。急に飲んだのでクルチイです(^_^;)。
で……これから”夕焼けさん”と、”朝焼けさん”で対話が進むのでしょうか?。
であれば、期待します。
お続けください。
526
:
雨煽り
:2009/06/27(土) 17:39:42 ID:NjA8zkPc0
>>521
ぜんまいさん
もしも、本当に、本迹に立て分けることが間違いだ。と思っておられたとしたら、
何の為に『生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹・仏は本なり云云』を引用するのでしょうか。
本迹に立て分けることは間違いだけど、仏を本と立てる本迹は正しい。とでも言いたいのか、
それとも、本迹に立て分けることが間違いだから、『人は迹・仏は本なり』も嘘で偽書だ。とでも言いたいのでしょうか?
どちらにしても、その程度の論、その程度の教学だという事でしょう。
道理が通りません。論理として成り立ちません。
自らが引用した文証によって自らの主張の破綻を招きます。未熟な所以でしょう。
本迹に立て分けることが間違いだ。と言われる人は『仏界は本・唱うる我等九界は迹なり』をも含めて
百六箇抄を否定する。という事だと思われますが、どうでしょうか。
私のROMした限りですので、確かな事は言えませんが、同じ引用をされていた人は4名程おられましたよ。
余談ですが、例えば『有情界に限り』を、御書とは全く逆の意味に読まれている人もおられましたが、
他の人からは立派な教学だと思われている様です。所詮そんな程度なのです。
「人が本・仏が迹」を、認めようが認めまいが自由ですし、いいのですが、間違いだ。と言う事が間違いで、
邪義だと言う人は文証を上げて下さい。と主張しているのです。
その趣旨から言えば「立て分けるのが間違い」だとの文証でも良いと思います。
しかし、違う立て分けを、いくら引用しても、否定は出来無い。という事です。
私が引用している講義録が理解出来れば、かなりの範囲で理解できるようになると思います。
その中に御義口伝も書かれていますから、文証として、何ら遜色の無いものと考えます。
私の書き込んでいる「本迹」は「事理」とか、事理の立て分けとかは理解できますか?
前回と重複しますが、何処に書いてあるのか。は、私にはお答え出来ませんので、ご了承下さい。
527
:
ぜんまい
:2009/06/27(土) 22:11:53 ID:xDX/IlFo0
>>526
雨煽りさん、こんばんは。話がかみ合いませんね(苦笑)。
私は「衆生は本ではない」、「仏が本・衆生が迹」であると主張されている方が、どのように書き込みされているかを
自分の目で確かめてみて、考察したいと考えていました。しかし、自分でロムした限りでは見つかりませんでした。
雨煽りさんが(理由はわかりませんが)、2回も「私にはお答え出来ません」との回答でしたので、これ以上お願いしても
無理でしょう。
前にも質問させて頂きましたが、雨煽りさんの考えとして「衆生が本・仏が迹」を間違いだと言われる方は=「仏が本・衆生が迹」
と主張されているというとらえ方ですか?
528
:
ぜんまい
:2009/06/27(土) 22:45:46 ID:xDX/IlFo0
>>523
夕焼けさん、はじめまして。
夕焼けさんの書き込みに興味を持ちました。尚且つ、分かりやすい説明ありがとうございます。
529
:
雨煽り
:2009/06/28(日) 00:16:42 ID:NjA8zkPc0
>>527
ぜんまいさん
私もかみあわないなと思ってました。(笑)
きっと、私により他の人に聞かれた方が良いかと思います。
>「衆生が本・仏が迹」を間違いだと言われる方は=「仏が本・衆生が迹」と主張されているというとらえ方ですか?
「=」で限ったものでは無い。と思います。と言うより、法では無く感情的に非難されてる人が多いと見受けられます。
例えば、沖浦さんが「自分が本・御本仏と雖も迹」旨の発言をされた事とか、
「(人が本・仏が迹と言ってる)私が正しいのです」旨の発言をされた事とかが気に入らないのでしょうね。
法と解釈すれば「衆生が本・仏が迹」の具体論ですから、間違いではないのですが…
それと、反論するとなれば、本迹の立て分け方が間違っているか、本迹と立て分けることそのものが間違っているかの
どちらかしか無いと考えます。
私のように、どちらも間違いでは無い、立て分けが違うだけだからどちらでもいい。と考える人は反論などしないと思います。
立て分けの違うものを引用して、道理の通らない反論にならない反論を何時までも続けて、
邪義だとまで言われるのですから、「衆生が本では無い」という文証を上げれば、話は済みます。
邪義だと言うからには、確たる根拠があるのでしょうからね。
まぁ、「漫荼羅」という字を間違いだと言うくらい浅識な人のようですから
どれほどの根拠なのかは疑問ですがね。
ぜんまいさん、また今回もかみあいませんでしたか?(笑)
530
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/06/28(日) 07:18:01 ID:8FNX.yWoO
ぜんまいさんo(^-^)o♪。お久しぶりです(^0^)/♪。
私から”ピントの合ったヒント”を(笑)(^_^;)♪。
参考にしてみてください。
【人本仏迹】【人迹仏本】
これらはデジタル(二進法)なんです。
夕焼けさんは、それに気づいておられ【○即○】に置き換えました。
そもそも【その二進法の表現】は、沖浦さんの”アナログ(十進法)な書き込み”を、一部のヒト(天城さんやいぬ。)が二進法にムリクリ変換した造語です。
はい。これをヒントにしてください。
ってコレ、意味わかりませんかね(^_^;)(あはは汗)?。
531
:
夕焼け
:2009/06/28(日) 09:13:48 ID:IgnaZtmY0
おはようございます。
今日は、出かけて家に居ません。
帰ってきたらビールを飲んで寝ようと、今からたのしみにしてます。
ところで、沖浦さんの発言の言葉は、おかしいと思うところ多々あります。
一歩間違ってしまうと危うい とハラハラするところでもあります。
しかし、その心情には共感をしますし、まったく同じくするところ多です。
私が考えるところ、本迹は絶対的な認識の範疇にはない概念だと思うのです。
つまり、何々とすると、何々は本、何々は迹、という使い方になります。
たとえば、仏は寤、凡夫(人)は夢、というと、仏は本、人は迹となります。
本迹だけ見ると、沖浦さんの主張と正反対になります。
時間がないのでここまでとします。
532
:
沖浦克治
:2009/06/28(日) 23:03:05 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん、ぜんまいさん
明日朝書きますね。
533
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 06:50:53 ID:AJ3hr85o0
朝焼けさん、自己紹介をどうぞ。
書き込みは削除いたします。
534
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 07:02:09 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん、おはようございます
少しお答え致します。
人本仏迹との名前は、神本仏迹に引っ掛けて眺め人が作った造語ですね。
あれが精一杯の造語でしょうね。
元々教学を知らない連中です。
論では勝てないので、イメージで頑張る種類の人なんです。
現実社会では無力で、ネットで吼えて戦う気持ちになっている。
この境涯の顕れが、あの造語ですね。
>どうしても表現するなら、「人本仏本」だが、
わたしなら「人即仏」とします。
人は信、即は南無妙法蓮華経、仏は日蓮となります。
わたしならと言われていますね。
どうぞご自由にしてください。
貴方のご意見は貴方のご自由です。
>かつて戸田先生が御本尊を幸福製造機とおっしゃったことがあるが、
あくまでも譬えで話されたことで、
御本尊をその辺の掃除機や洗濯機と同じだとは言ってません。
御本尊を単なる道具でしかないとするのは誤りです。
母親は自分が生まれてくるための道具に過ぎない、というようなものです。
ここは貴方の幼い教学が如実です。
御本尊様はね、物質ですよ。
尊い母親の出産と比較する事自体、人を蔑む行為なんですよ。
よくないですね。
>御本尊は大聖人と信じるのが、わたしたちの信仰ではないでしょうか。
どうぞこのあたりはご自分の信条の部分ですので、お好きにしてください。
私もほとんど同じ意見ですがね。
>御本尊に唱題することで、ふつふつと仏の生命が湧き上がるのです。
この書き方でわかりますね。
貴方はふつふつと沸きあがったことがないですね。
経験していればこう言う表現にはなりません。
所詮理屈の教学です。
よくないですね。
貴方はね、ネットで長文書くより、現実生活で同苦の祈りをする事です。
そこがスタートなんですよ。
>道具にしか過ぎないと誤解されないよう、言い方を工夫すべきです。
『戒壇様といっても物で出来ている。
いつかはなくなっちゃうんです。』(趣意)
コメントをどうぞ。
535
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 07:16:48 ID:AJ3hr85o0
ぜんまいさん、おはようございます
雨煽りさんは、人が本、仏が迹。を破折するための絶対条件として、自分はこの問題をどう捉えるか?と言う立場の表明が必要ですあって、自分の立場を明確に出来ない人は、他者と議論は不可能だと言われているのです。
例えば、会議で誰かに、貴方の考えはテーマの趣旨を理解していない。と言う人は、テーマの趣旨を理解している必要があります。
相手に、なるほどでは貴方はテーマの趣旨をどう理解されていますか?
と切り返されて答える必要がありますから。
でないと、相手が趣旨をどのように取り違えているかを説明できません。
もし、そう聞き返されてまともに説明できない場合、反対のための反対意見として扱われ、発言者は以後その会議では信頼をされなくなります。
無責任な人だと判断をされてしまう。
これは世間での常識なんです。
眺め人はこのような人ですね。
人が本、仏が迹。は、仏法の道理を取り違えている。と言いますね、あの人たちは。
ならば、自分がどのようにその道理を取っているか?
これを明確にせねばなりません。
所が、貴方がどう読んでも人が迹で仏が本だとの発言が見あたらない。
これは事実ですね。
直接的な表現がないのです。
自信の確たる意見を持っていない連中なんですよ。
私はね、この点に最も大きな眺め人の欠点があると思います。
536
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 07:18:44 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん
>ところで、沖浦さんの発言の言葉は、おかしいと思うところ多々あります。
一歩間違ってしまうと危うい とハラハラするところでもあります。
別に貴方の心情に保険をかけるつもりは私にありません。
このあたりもご自由にどうぞ。
貴方のこの感覚には興味をもてませんのであしからず。
537
:
夕焼け
:2009/06/29(月) 09:23:12 ID:75l2QCa.0
沖浦さん、おはようございます。
そして、ご返事ありがとうございます。
時間がないので、御要望のコメントします。
>>『戒壇様といっても物で出来ている。
いつかはなくなっちゃうんです。』(趣意)
異存ありません。
これは、物に限らず そうですね。
物質でいうと物質そのものは無くなりません。
様態を変化させるため、人にはそう見えます。
(分子・素粒子の世界での話しですが、)
(もっともこの範疇では物質と物資でないものの境界が不確かなものになります。)
それと、いろいろ大変でしょうが、
そう、つっかからないで、お話できると助かります。
538
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 16:37:50 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん
つっかけていませんよ。
ただね、貴方は少しばかり思い込みが激しいと思うんです。
私は御本尊様を単なる道具だと言った事は一度もないですね。
人類史上最高の発明品だと言っています。
少し先入観をなくしてどうぞ。
539
:
夕焼け
:2009/06/29(月) 21:51:09 ID:75l2QCa.0
沖浦さん、こんばんは.
よく、読んでいただきたいのですが。
最初に、
>「御本尊は道具」について
>この言葉も独り歩きして誤解を生む言葉です。
最後に、
>道具にしか過ぎないと誤解されないよう、言い方を工夫してください。
と書いてあるように、
沖浦さんの主張の真意を前提に、少し擁護してるつもりなのですが、(全面的ではないですが)
未熟な書込みで、反省いたします。
それと、大変でしょうから、
総てにコメントいただかなくても、わたしはかまいせん。
必要だと思うとき、意義があると思うときだけでいいですよ。
最後に先生の言葉を載させていただき、反省といたします。
対話は、自説に固執した自己主張のぶつけ合いではない。
単なる言葉の往復でもない。
対話を通して、互いの語る言葉の「意味」を共有し、理解しあうことである。
そして、新たな価値を創造しゆく作業なのだ。
人間世紀の光 -192- から
540
:
沖浦克治
:2009/06/29(月) 22:08:51 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん
言葉が独り歩きして誤解を生むことはありますね。
私も注意していますよ。
真面目に読むならわかります。
でもね、何が何でも私を邪義の教祖にしないと困る人たちがネットをこれまで仕切っていたのです。
この人たちはね、正常な意見は理解できませんし、自分に都合の悪い意見は認めません。
ですので、あまりこの連中の反応は考慮しないのです。
541
:
粛々坊
:2009/07/01(水) 00:22:08 ID:VUuZ458.0
沖浦氏の「漫荼羅と御本尊の違い」をどう解釈したらよいか悩んでいます(笑)。
漫荼羅が本迹では「迹」・御本尊は「本」ですか?
542
:
沖浦克治
:2009/07/01(水) 05:28:22 ID:AJ3hr85o0
粛々坊さん
曼荼羅は御本尊様と同じですね。
自分の己心の妙法が自分の本尊です。
この場合自分の本来持っているものですので、本尊とは言いますが、私は御本尊とは言いません。
御は敬語ですね。
自分には付けませんから。
543
:
沖浦克治
:2009/07/01(水) 06:09:25 ID:AJ3hr85o0
曼荼羅は、虚空会に建った宝塔を書き写したもの。
御書にありますよ。
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり、』
(日女御前御返事)
『すりかたぎ』とは、書き写すとの意味ですね、現在の印刷やコピーです。
お曼荼羅は虚空の宝塔を書き写したもの。ですので、宝塔が本来の姿で本、お曼荼羅は書き写されたもので迹です。
双方の対比では必然的にこうなります。
では、虚空の宝塔は何を書き写したものか?
先生のご指導にありますね。
『この宝塔は、衆生己心の妙法を虚空に写し取ったものですから迹です。
衆生己心の妙法が本です。』(趣意)
これではっきり致しました。
お曼荼羅は、宝塔に対して迹。
宝塔は、衆生己心の妙法に対して迹。
ですので、衆生己心の妙法は双方に対して本。
お曼荼羅は他の二つに対して必ず迹。
粛々坊さん、これね、物凄く単純なんですよ。
所が複雑にして飯食って多種の人がいるんです。
日蓮正宗という宗派のボンさんですよ。
以下に彼らの邪義を貼っておきます。
天城さんや、恋さん、その他の眺め人が、この通りの意見を何度も何度も書いていますね。
【破邪顕正】創価教義検証館 から、抜粋引用。
池田名誉会長と教学部幹部は、「如来神力品第二十一」における釈尊から地涌の菩薩への付嘱を題材にとって、
仏と九界の衆生との垣根を取り払い、「凡夫でしかない」という従属的な信仰的立場から、
「凡夫こそ仏なのだ」「人間こそが最高に尊貴なのだ」という主体的な信仰への変革こそが法華経の心 であるとしている。
その文証として日蓮大聖人御書全集から『諸法実相抄』の 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、
然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』(全集P1358)
同じく、『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』(全集P1359)を、その究極の表現として挙げ、
「信仰実践者である衆生・凡夫こそ本仏であり、教えを説く仏は衆生の影(迹)の役割となる。
であるから、仏は我等衆生にとって主師親三徳を備えているのではなく、実は我等衆生が主師親三徳を被らせることによって仏を尊貴たらしめているのである。」
「凡夫こそ本仏。仏は迹仏にすぎない。」
という、まさに「仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言」であると宣揚している。
さらに、「絶対者と思われている神仏は、 実は凡夫=人間の影であり、用(働き)であり、人間のための手段にすぎない」として
「人間のための宗教」の大宣言であるとし、「人間が上、仏が下」とする創価学会独自の法義解釈を展開している。
544
:
沖浦克治
:2009/07/01(水) 06:21:01 ID:AJ3hr85o0
名誉会長 飛躍した言い方になるが、結論から言えば、人法一箇の南無妙法蓮華経如来の功徳を賛嘆しているのです。
「久遠実成の釈尊」も「上行菩薩」も宇宙の御本仏であられる南無妙法蓮華経如来の「迹(影)」です。
南無妙法蓮華経如来は、無始無終の仏であり、宇宙そのものであり、三世十方の一切の諸仏の根源であり、十界本有、十界互具の御当体です。
その十界のうちの「仏界」を、法華経では「久遠実成の釈尊」と「多宝如来」として説き、南無妙法蓮華経如来の「九界」を「上行菩薩」等として説いたのです。
同じ根本仏の己心の仏であり菩薩です。だから、ここでは南無妙法蓮華経如来を賛嘆してもしきれないと言っていると拝してよい。
南無妙法蓮華経如来は、諸仏を生んだ「根源の師」ですから、師匠を讃えていることでもある。
545
:
沖浦克治
:2009/07/01(水) 06:52:01 ID:AJ3hr85o0
よく眺め人たちが、私が
自分の人生は自分自身が当然本。であるから、ご本仏様である大聖人様も、自分自身の人生に限れば迹のお立場となる。
これはね、依正不二の立場からの本迹の立て別けです。
大聖人様を迹仏だとは一度も言っておりません。
しかし、天城さんや恋さん、河内さん、公爵さん、マグマグさん、小野さんたち眺め人さんは、これが理解できません。
天城さんは以下の愚論を唱えていますし、これらの方々もその天城さんの愚論を賞賛しています。
以下彼の掲示板より抜粋引用。
沖浦氏の所謂「人本仏迹論」を、正当と誤解している会員がいるようなので、検証してみたい。
該当箇所は下記の記述であるようだ。
「池田先生が、曼荼羅は虚空会の儀式を紙に写し取ったものだ。(趣意)と言われている。 そして、虚空会は迹。と明言されておられる。虚空会が迹で、写し取った曼荼羅が迹は理の当然じゃないですか。」
これについて、下記を文証として、氏の論が正しいと考えているようである。
〜中略〜
創価学会教学では、日蓮大聖人と南無妙法蓮華経とは人法一箇であり、日蓮大聖人や根源の法を「迹(影)」などと定義しない。「人が本、大聖人は迹」とする沖浦氏親子の論は、大聖人の仏法を歪曲化した邪説であることは、一目瞭然である。
〜引用おしまいです〜
ホラね、この人嘘付いてますよ。
この人愚かです、大聖人様が人間である事忘れています。
人間だから、大聖人様はご自身の人生で当然本ですよ。
でも、同じ人間でも自分が自分の人生では本。
当たり前じゃないですか。
若鷹で長年戦う?と、こうなる見本ですね。
まんま、日蓮正宗教学です。
何故創価名乗るんでしょうね〜〜。
この人ね、戒壇様本懐論ですよ、きっと。
天城さんに宿題出しておきましょう。
① 戒壇様は大聖人様の御本懐である
② 本懐ではない
③ わからない
三択ですよ。
546
:
夕焼け
:2009/07/01(水) 17:49:10 ID:75l2QCa.0
人と仏の本迹について、
仏については前に
>>523
で示しましたが、
人について考察すると、
不信によって生命が無明に覆われ、六道に迷う姿は「迹」。
信をもって御本尊に唱題し、人に仏法を語り続ける姿は「本」。
人にも「本」と「迹」があるのです。
この視点がないと「人が本」ということも、変な方向に向かうことになります。。
この視点から見ると、
御本尊は「迹」といえども「本」なのです。
人は「本」といえども「迹」なのです。
かごの中の鳥がさえずると、外の鳥が呼び寄せられ、
外の鳥が鳴くとかごの鳥は外に出ようとします。
かごの扉が開けば、鳥は外に飛び出し、供にさえずり、
大空に羽ばたいていきます。
これは御書に語られた譬えです。
御本尊に唱題し、仏法を語ることが、扉を開く力となります。
言葉・文字・影像は実物・実態を形容化・形象化したもので、迹と言えます。
実物・実態は、本となります。
言葉・文字・影像は実物・実態そのものではないが、
言葉・文字・影像でしか人は表現できない。
(言葉・文字・影像の限界がここにあります。)
しかし、表現した言葉・文字・影像は、
人の心に働きかけます。実物・実態を浮かびあがらせます。
この意味から、虚空の宝搭を「本」として御本尊は「迹」と考察できます。
虚空の宝搭といっても、釈迦が人の己心の宝塔(妙法)を表現したものだから、
人の己心の妙法は「本」となります。
ここで注意しなければいけないことは、人=人の己心の妙法ではありません。
簡単に言うと、鳥+かご=鳥でないのと似ています。
御本尊は日蓮大聖人の己心の妙法を「本」とした「迹」と考察できます。
御本尊に南無妙法蓮華経日蓮となっていることや、御書の言葉が根拠です。
人に限らず生命が尊いのは、日蓮大聖人と同じ、この己心の妙法を内包しているからです。
547
:
夕焼け
:2009/07/02(木) 18:11:28 ID:75l2QCa.0
こんばんは。
言葉というのはむずかしいですね。
「迹」ですから、考えや思いを語りきれない。
伝えきれないもどかしさがあります。
・火事場の御本尊
・依正と本迹
・一大事の秘法と題目
・大御本尊と本懐
と話をしたいことは、まだまだあるのですが、
正念場の戦いがやってきておりますので、とりあえず、ここまでといたします。
また、近いうちに来させていただきます。
548
:
沖浦克治
:2009/07/02(木) 18:26:41 ID:AJ3hr85o0
夕焼けさん
何時なりともどうぞ。
549
:
沖浦克治
:2009/07/03(金) 07:42:47 ID:AJ3hr85o0
命の顕れ方です。
大聖人様の人としてのお姿は迹ですね。
少し微妙な問題ですが整理いたしましょう。
『下種最後直授摩頂の本迹 久遠一念元初の妙法を受け頂く事は最極無上の潅頂なり法は本人は迹なり。』
(百六箇抄)
『下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。』
(百六箇抄)
この御文が本物かどうか?
ひとまずおきます。
人として生きる姿は、命の永遠性から見ると、迹です。
命そのものが己心の妙法で本で仏。
私はこのように思います。
ですので、私共も、大聖人様も現世は仮の姿で迹。
命そのものが本です。
『故聖霊は此の苦をまぬかれ給いすでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、』
(上野殿後家尼御返事)
命そのものは火にも焼けない。
このように仰せですね。
方便現涅槃。と言いますが、死ぬ事は方便だと説かれます。
ですので、生きる事も方便です。
命が、死んだり生きたりする事自体が命の性質の現われで、本質は更に深いところにある。
これが仏法です。
若退若出が命の本性です。
『生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり』
(御義口伝巻下)
ですので、大聖人様も私共もこの世は仮の姿です。
そして、仏と衆生も仮の姿なんですよ。
550
:
沖浦克治
:2009/07/06(月) 06:45:12 ID:AJ3hr85o0
富士ボーのクレアさん
貴方完全に間違ってますよ。
憲法。ってご存知ですか?
国の法の大原則です。
法律は憲法に違反すると廃止されます。
この憲法に当たる部分がね、大聖人様の仏法では、
仏法は全体が衆生のため!
なんですよ。
あらゆる仏法の発想や教義の研究は、この観点を忘れたり、離れたりしてはいけないのです。
その上で、本迹を思索なさいね。
頑張るんですよ。
551
:
沖浦克治
:2009/07/06(月) 07:36:54 ID:AJ3hr85o0
クレアさんにかぎらず、あちらこちらで本迹を論じる人たちね、物凄く大切なことを置き去りにしてます。
マグマグさん、天城さん、恋さん、白猫さん、その他の宗門教学支持の人たちですね。
仏法が人のためか?
人が仏法のためか?
自分の寄って立つ位置がどちらか?
これを全く明快にしませんね。
私はね、2002ねん9月からネットやってます。
最初から、
仏法は人のため教えだ。
宣言しています。
ところがね、眺め人の方々、小野さん筆頭に全くこれには触れませんね。
眺め人さん、貴方方一体どっちのお立場ですか??
人が仏法のためならね、創価やめて日蓮正宗に行きなさい。
創価とは正反対ですから。
で、一体どっち〜〜???
552
:
沖浦克治
:2009/07/06(月) 20:22:58 ID:AJ3hr85o0
7月号の大白蓮華お読みですか?
63ページの上の段に、一大事。に関する先生のご指導が載っています。
『幸せな生活の源泉となる、一大事。とはなにか。
それは信心です。
これが無ければ最後の勝利はありません。
信心が一大事です。』
一大事とはね、一大秘法です。
それが、信心なのです。
信心についての先生のご指導です。
『観心とは信心です。
我が己心の仏界を観じる。
すなわち、我が己心の仏界を信じることなんです。
そのための本尊を五の五百歳に始めておいたよ。
こう読むんです。
我々凡夫が仏になるためには本尊がいる。
その本尊だよ。
信心のための本尊だよ。
本尊のための人間じゃないよ。
だから、大聖人様はありがたいんです。』(趣意)
これが創価の原点ですよ。
これが信じなれないなら、サッサト宗門にいく方がいいですね。
553
:
沖浦克治
:2009/07/06(月) 22:05:39 ID:AJ3hr85o0
同じく大白蓮華の53ページです。
大きな白抜き文字で、
われら衆生こそ
妙法蓮華経の当体
こう書いてありますね。
読んでますか?
眺めててわかりませんよ。
554
:
沖浦克治
:2009/07/07(火) 08:22:10 ID:AJ3hr85o0
仏が法華経で、お曼荼羅で、自分の命の外にある。
外道ですね。
『但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず・法なり、・法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。』
(一生成仏抄)
この、・のところには以前、粗と言う文字があてられていました。
粗末な法との意味ですね。
いくらお題目を唱えても、お曼荼羅が法華経で仏であって、自分の中には法華経も仏も存在しないと思うなら、それは妙法ではなく、粗末な考えなんだよ。
お題目を唱える時は、自分の一念に向かって唱えなさい。
このように仰せなんです。
お曼荼羅はそのための道具ですね。
更に、後段には、
『然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、爰を以て止観には雖学仏教還同外見と釈せり、然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、』
だから、天台はもし自分の命が仏なんだと信じないなら、罪は滅しないし、修業は苦行でしかない。
その様な人たちは、仏教を学ぶ格好をしている、外道なんだよ。
こうご指摘です。
曼荼羅至上主義者はね、外道なんです。
戒壇様本懐論は外道です。
この御文に照らし、ご本懐は戒壇様じゃありません。
もし、そうなら、こう言う事を仰せになるわけ無いですよね。
555
:
雨煽り
:2009/07/08(水) 00:36:39 ID:NjA8zkPc0
日顕書写から日寛書写の御本尊に交換された人は沢山おられます。
私もそうですからね。
一言に御本尊と言っても、常住御本尊もあれば御形木御本尊もあるし、
その他多種の御本尊があります。
何故、曼荼羅御本尊は多種あるのでしょう。
何故、曼荼羅御本尊は交換出来るのでしょう。
自己の生命は交換など出来ません。
題目も交換などありえません。
不変真如も交換などありえません。
もちろん己心の妙法も交換などありえません。
「衆生が本・仏が迹」を批判非難している人は
何故、曼荼羅御本尊は交換出来るのか
自説との整合性がとれますか?
甚だ疑問に思いますが…
556
:
沖浦克治
:2009/07/08(水) 05:30:12 ID:AJ3hr85o0
雨煽りさん、おはようございます
私が戒壇様本懐論を疑うきっかけは、お形木様と常住様の二種類のご本尊様の存在でした。
更に葬式で使う導師曼荼羅を見て疑問が深くなったのを覚えております。
当時は御本尊様に対する質問が禁句の時代でした。
しかし胸中の疑問は押さえがたく、昭和52年から53年にかけての池田先生のご指導に接し、氷解いたしました。
物凄く運がよかったと思います。
今、曼荼羅原理主義者は、眺め人となって、最後の足掻きをしております。
ノルマンディー上陸作戦の時、ある兵士が海岸で心臓を撃ち抜かれ、200メートルを走ってから息絶えました。
戒壇様本懐論者達は、最後の200メートルを走っているのですよ。
557
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/09(木) 23:12:57 ID:KryGZVx.0
9 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/07/09(木) 15:53:08
>>7
白ネコさん。 その通りですよ。
人間主義ですよ。
宇宙の森羅万象すべてが、衆生を取り巻く全ての環境が衣報でもあるが、妙法であり御本尊でもあります。 肉眼で見ることができます。曼陀羅も同じく肉眼で見ることができます。
衆生己心の妙法も御本尊であり正報に例えられます。
勿論、肉眼で見ることができません。
日本古来では、主にアイヌ民族が先住民族であると、政府は認め始めていますよね。
アイヌ民族の前身は縄文人であり、日本人の祖先なのです。
大陸からの北方系渡来人とは違いますが、どちらも日本人であることは間違いありません。
アイヌ民族は人間を取り巻く環境全てに感謝をし、【本】と捉え、祈りを捧げてきました。
衆生の生命には神は内在しないという考え方です。
これを一応は、多神教、偶像崇拝、曼陀羅崇拝と類似しています。
外道信仰とも言います。
私たち衆生己心の妙法そのものが御本尊です。
肉眼では見えませんが、正報に例えられます、衆生己心の妙法【本】の仏界を喩現させるには、お題目をあげることです。
これを内道信仰と言います。
日蓮正宗の内道信仰との違いを、スタンスの違いを明確にしなければなりませんよ。
白ネコさん、
558
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/09(木) 23:20:08 ID:KryGZVx.0
自称創価学会員、白ネコ氏の掲示板から引用転載。
13 :佐藤義徳 ◆4cVqan2W..:2009/07/09(木) 23:05:30
>が、曼荼羅本尊と衆生は、本迹関係にありません。
○ 白ネコさん、その曖昧さが宗門の邪義を認めることになるのですよ。
>その内実に「差別なし」(当然、信の一字が必要ですが)ですね。
○(信の一字)当然ですね。 「差別なし」この言葉は宗門に言うべきですね。
>だから、衆生の内在本尊も、大聖人様と同じく尊貴なのですから。
○ 当たり前のことですね。
白ネコさん、分っているではないですか。
宗門は、曼荼羅御本尊が【本】 大聖人様が建立した本門の戒壇が【本】 衆生己心の妙法は【迹】という教義を主張しているのですよ。
>つまり、日蓮大聖人の御精神のとおりの「実践」「実証」は、現在では
創価学会、そしてSGIにしかありません。
これは、繰り返し繰り返し、先生の指導にもあるとおりです。
○ 白ネコさん、分っているじゃないですか。
日蓮大聖人の御精神の血脈は創価学会、SGIにしかないことをわかっているのなら、
日蓮正宗と同じ教義ではいけないですよ。
創価学会は大聖人様から期待を一身背負い、広宣流布へと邁進する団体ですよ。
日蓮正宗は、創価学会のの前進を阻止することに全力を注いでいる組織ですよ!
日蓮正宗と同じ教義のスタンスを、大聖人様が許す訳がありませんよ。
よくお考えなさいね。
○ 平和への歩みを止めようとする、三類の強敵にはどのような対処をしたら良いのか?
あなたは分っていますか?
分っているのならば、破邪剣正という威勢を何処に向けたらよいのかは、おのずとわかることですよ。
これが解からなければ、あなたの魂は創価学会にあらず、という事になりますが??
>正式な「仏法用語」に基づいて、教義議論をしないと、若鷹の皆さんも、相手にできなくなるのです。
>是非、正式な「本迹」に徹してみたらどうですか。
>そうすれば、若鷹に限らず、皆さんも、お相手してくれますよ。
○その上から目線、その言葉は、創価学会員というスタンスを取りながらも、
本来はアチラさん、【創価学会員成りすまし】という本来ののスタンスが丸見えですよ。(笑)。
他の創価学会員は騙せても、この私だけは絶対に騙されませんよ! 白ネコさん?
559
:
沖浦克治
:2009/07/14(火) 20:56:37 ID:AJ3hr85o0
白ネコさんはね、曼荼羅至上主義者なんですよ。
書き込みに如実でしょう。
あの人はね、人の命より曼荼羅が大事なんです。
それはさすがにいいにくいので、曼荼羅と拝む人に本迹はない。
と、言い訳するんです。
ところがね、本迹は立場の差でもあるんですよ。
拝んで感激したり、決意したりするのは、拝む人で、お曼荼羅ではありません。
この、行動する主体が本なんです。
ピアノを弾いて感動を生む人がいて、コンサートで聴衆を魅了します。
音はね、楽器から出ますが、音楽そのものはミュジシャンの命から湧き出ているのです。
どんな立派なピアノがステージにおいてあっても、弾き手が弾いて初めて音楽が出ます。
この、弾き手が本ですね。
楽器は道具で迹です。
お曼荼羅も全く同じ理屈です。
所が、それは曼荼羅軽視だ。と、ありもしない屁理屈言って自分を正当化するんです。
御書には、
『経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、』
(日女御前御返事)
このように仰せですよ。
仏法は必ず世法である。
こう仰せです。
ですから、お曼荼羅だけは世法の範疇にない。
これは明らかに邪義なんです。
これじゃ困る人達がいますね。
日蓮正宗と言う宗派の人です。
お曼荼羅、特に戒壇様が、唯一無二で、人より大事なんだ。
こう権威付けないと、自分達の宗派は存在できなくなるんです。
だから、手を変え品を変え、紛らわしい理屈を考え出して、人が本、仏が迹を否定しますよ。
その証拠にね、天城さんと言う宗門の方がいて、
自分は人が迹で、仏が本だとは一度も言ってない。
と、イケシャーシャーと言いますよ。
回りも乗せられて、そうだそうだ、本来お曼荼羅と人で本迹なんかない。て、浮かれます。
ところがね、大聖人様はそうはおっしゃらない。
『又立つ浪吹く風万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり。』
(百六箇抄)
あらゆる事で、本迹を弁えなさい。
この様に仰せなんです。
ですので、白ネコさん、天木さん小野さんはね、創価どころか、蓮祖門下じゃないのです。
この方々も、御書にありますね。
『第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云』
(兄弟抄)
紛らしく魔は競い起こる。
従えば悪道に落ちる。
畏れれば創価は出来ない。
このように仰せです。
あの人達紛らわしいですね。
人のための法なら、人が本。
法のために人がいるなら、人が迹。
どっちかですよ。
中間はありません。
中間がぼんやりとあると思わせるのが、紛然。です。
魔の本質です。
だから、大聖人様は、
『万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり。』
と、紛然を阻止されておられますよ。
騙されたらいけないですね。
『いい事をやらないのは、悪い事をするのと同じだ』(趣意)
牧口先生です。
人の命こそが尊極の当体なんだ。
創価の原点です。
思想宗教の違いが多くのテロを引き起こし、尊極の人命が世界中で失われている現在、最も重要な思想です。
これを世界中に、人間革命の運動。として広めることこそが、現代社会の最善なんですよ。
それを、小理屈ひねりまわして否定する人。
悪いことをする人なんですよ。
560
:
雨煽り
:2009/07/16(木) 10:28:22 ID:NjA8zkPc0
『迹門不変真如の理』
『本門随縁真如の智』
迹門と本門です。御書にちゃんと書いてありますね。
読めませんか?
本・迹は随縁・不変のことで、事・理で、俗諦・真諦です。
読めないのか、読んでも理解出来ないのか知りませんが、
これが理解出来なければ、私の引用した文証も理解出来ないでしょう。
まぁ、『難信難解』ですから理解出来なくても不思議はありません。
しかし、自分が理解出来ないからといって、邪義や邪論等と言うのは謗法です。
邪義・邪論と言いたければ、文証を上げてから言えば良いのです。が、
まだ一人も文証を上げた人はいませんね。
「人が本・仏が迹」を非難している人は、誰でもいいですから文証を上げてください。
「人が本ではない」もしくは「本迹には立て分けられない」等の文証を上げてください。
非難している人で、文証を上げられる人、誰かいないのですか?
もしかすると、『不変真如』『随縁真如』の意味が解らないのかな?
『真諦』『俗諦』の意味も解らないのかな?
『事』『理』も解らず『本』『迹』が解る訳無いでしょうね。
561
:
沖浦克治
:2009/07/16(木) 22:56:36 ID:AJ3hr85o0
本迹は、一面から捉えるならば、理論と行動の差ですね。
理論が迹。
大聖人様の仏法は、法それ自体は普遍真如の理です。
お題目は変化しません。
ではお題目を唱え祈り、行動をする。
これは、随縁真如の智で本になります。
現実に当てはめると、眺め人は教学は述べるが行動が無いので迹。
私共は行動をするので本。
こう言う立てわけです。
『本当の教学は智慧です。
それは全ての戦いに生きてくるのです。
世間は逆です。信心なしで、行動するからうまくいかない。
御書を通して髄縁真如の智をもってやっていくのです。』
先生の当体義抄講義からです。
要は、ネットと言う閉鎖空間で、ハンネと言う匿名性に隠れて、小理屈を言い合って戦った気分になっている人は、人生そのものが迹なんですよ。
ネットで述べる、現実で戦う。
このコンビネーションが上手く行ってない人は、髄縁真如の智のない、空回りの人生です。
仏法者ではないですね。
562
:
夕焼け
:2009/08/11(火) 18:24:21 ID:CNUGShjo0
「本」・「迹」で捉えるとき、
絶待・相対の二妙で捉える必要があると思います。
特に大聖人の仏法では絶待妙の上から本迹を捉えていく必要があります。
頭は混乱しますが。(^^!
御本尊について考察するとき、
人が「本」だから自己の本尊に唱題すればいいなどと言い始めたら、それは邪義です。
これが、人が「本」という言葉の危うさで、鬼神・魔のつけ入るところです。
用心いたしましょう。
御本尊は万物下種の種子といえるものです。
日蓮大聖人の教えのとうり、御本尊に唱題することが信心の根本で、
日蓮大聖人が示されたとうり、難を乗越え広宣流布に生きることが成仏の要諦ではないでしょうか。
563
:
夕焼け
:2009/08/14(金) 20:27:36 HOST:OFSfa-07p7-168.ppp11.odn.ad.jp
本迹について
本と迹は幾つかの捉え方があると思う。
考えられるものを列挙してみると、
一、理と事で捉える。
一、理と名で捉える。
一、体と用で捉える。
一、因と実で捉える。
一、法と相で捉える。
一、冥と顕で捉える。
一、内証と外用で捉える。
まだあると思うが、引用はまた次回。
いずれにせよ、日蓮大聖人は本迹殊なりと雖も不思議一としている。
564
:
沖浦克治
:2009/08/15(土) 06:29:54 ID:AJ3hr85o0
本迹を最も世間で納得を得られる捉え方は、目的が本、手段が迹。でしょう。
何のため、の、何が本、ためが迹。
一言の中に本迹があります。
そして、分割はふかのうです。
セットですね。
行為と、目的です。
目的があっても、行為がないと達成は不可能ですし、目的がなければ正しい行為は起こせません。
衆生救済という目的があってはじめて菩薩の行が可能ですね。
衆生が本で、菩薩は迹ですが、菩薩の中だけでは、四弘誓願と言う誓いが本、そのための行動が迹。
然しながら、行動にも本迹があります。
誓願にそった行動が本、外れた行動が迹。
本迹はいくらでも細かく判定可能です。
仏法と衆生では、衆生のための仏法ですから、人が本、仏法全体が迹ですね。
仏は仏法の中に含まれますので、
仏が迹、衆生が本。
衆生のみにかぎると、本来は仏様ですので、仏としての立場が本、人としての立場は迹になります。
人は本来仏様ですので、自身の命が全て備えた仏であり、三大秘法も全て自身に備わったものだ。
こう決める事が本覚です。
虚空会とか、御本尊様はその説明です。
これが、仏法の基本原則です。
これを外すと、外道になります。
『但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず・法なり、・法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。』
(一生成仏抄)
素直に拝すれば簡単に理解が出来ますね。
所が複雑に読む職種の人がいます。
日蓮正宗の僧侶と言う生業の方です。
この人たちは、一切衆生と仏を別次元にし、その次元の狭間で受け渡しをすることがご商売です。
イタコですね。
霊界と現世の橋渡し役です。
仏法では霊界はありません。
若退若出が命の本質です。
『又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、』
(御義口伝巻下)
イタコは不要ですね。
同じく、凡夫のことを人間と言い、仏が本来で衆生が仮の姿。
これが仏法ですから、ご本仏様と、法と、お曼荼羅があれば、誰でも成仏可能です。
すると、僧侶は不要になりますね。
指導者は必要ですが、僧侶と言う職業にはこだわる必要がありません。
過たず方向を示せるコーチングが必要ですが、仏法は現実社会で開く教えなので、在家しかいりません。
出家は不要です。
曼荼羅至上主義の眺め人は、出家待望論ですね。
邪義です。
565
:
R
:2009/09/15(火) 18:52:51 ID:U5u.EwPE0
沖浦さん はじめまして
本迹についての 質問をしたいんですが よろしいでしょうか?
単なる質問です。
566
:
沖浦克治
:2009/09/15(火) 21:43:26 ID:AJ3hr85o0
Rさん
先ず自己紹介をどうぞ。
その後ご質問をしていただいて結構ですよ。
567
:
R
:2009/09/15(火) 23:09:52 ID:U5u.EwPE0
えっと 簡単ではありますけど、自分は学会2世で男子部に所属しています。
近辺の男子部や壮年部の先輩にはちょっと聞けないので、
直接掲示板で聞いてみようと思いました。
HNなので信憑性に欠けますけど、自称でもかまいません。
信心の体験については共感や納得できる部分もありますし、
ただ、僕の未熟な教学力ではわからない部分もありますけど、
書いている内容についての純粋な質問なので、ご迷惑でなければ、
お時間があるときでかまいませんので、教えてください。
いわゆる、人が本、仏法全体が迹というのは、
仏道修行を指して言われているんでしょうか?
つまり、仏道修行の中で、人と法を本迹相対しているんでしょうか?
富士宮ボーイというサイトの掲示板で、
分けて相対できないとの主旨の書き込みを見たんですが、
ところが仏道修行としてみた場合、その中に
修行する人と、その為の法、という見方が出来ると思うんですが、
富士宮ボーイで書かれているような、人と法という見方ではなくて、
仏道修行を一つとして見たときに、その中に人と法があるという事なんでしょうか?
法のための修行ではなく、人のための修行ですから、
本分が人になり、余分が法に、相対出来てしまうと思えるわけです。
つまり、一見、人と法を直接、本迹相対しているように見えますが、
実のところ、仏道修行を本迹相対しており、その中に人と法があって、
本分が人になり、余分が法になるとの事なんでしょうか?
568
:
沖浦克治
:2009/09/16(水) 06:28:26 ID:AJ3hr85o0
Rさん、おはようございます
貴方のレスの最初の部分を自己紹介のスレッドに貼っておきました。
本迹に関してですね。
仏道修行と言う観点では、修業をする人間が本、そのための法全体が迹。
要するに主体はどちら側なのか?
これが基本です。
例えば、貴方や私が御本尊様にお題目を唱える。
この時唱えると言う唱題行を行う私や貴方が本、お曼荼羅はもったいなくも迹。
こう言うたて分けになります。
創価のご観念文に、
一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊に南無し奉り
とあります。
ですが、南無の対象は迹、帰命する側が本。
大聖人様の仏法はこう言う原則です。
この場合、人が本であるから御本尊様軽視だ。と、浮かれ騒ぐ愚人も多々おりますが、捨てて置いて結構かと存じます。
個人の矮小な思い込みと、創価思想は無縁のものでございます。
『されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く「如来秘密神通之力」是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり」と判じ給へり、』
(諸法実相抄)
この通りです。
何故今こう言う相対が必要なのか?
世界広布のためです。
世界中で起こる不幸の原因は、過てる宗教が原因です。
その根源の一凶は、人が神や仏の下位に位置づけられる思想にあります。
自爆テロに代表されるこれらの思想が、本来尤も尊いものである、人の命を神仏の名の元に虚しく散らす元凶となっております。
仏法は、別けても大聖人様、別けても創価思想は、人こそ本よ、人こそ本仏よ。との革命思想です。
この思想以外、世界の民衆を救済する法はございません。
人が迹、仏特に曼荼羅が本との邪義は、日蓮正宗の26世、寛師の唱えた戒壇様本懐論が起源です。
一大秘法が戒壇様との邪義は、宗門のもので、創価にはその考えはございません。
以上ですが、他にご質問があおりでしょうか?
569
:
R
:2009/09/17(木) 01:38:36 ID:U5u.EwPE0
回答ありがとうございました
行動を本迹されてるというのが分かりました
仏道修行、広宣流布、唱題にしても、本分となるものを本、他を迹。
個別にみたら人法一箇ですから、差別はないと書かれてますから、
行動、そのものの本質を本迹相対してますね。
そういう相対でしたら、御書や池田先生の指導と何ら矛盾しないと思います。
言わんとしていることが分かりました。
570
:
沖浦克治
:2009/09/17(木) 07:40:04 ID:AJ3hr85o0
Rさん
何時でもどうぞ。
571
:
岩志九郎
:2013/10/26(土) 13:41:53 ID:???0
新しい掲示板を見つけました。 宗教掲示板を紹介します。
http://shizu.0000.jp/cult/index2.html
宗教@しずちゃん ■ ▼ 宗教に関する話題です。
http://shizu.0000.jp/cult/index2.html
創価カルト、池田先生のスレッドが沢山あって、面白いですよ。
カルトの皆さんも、どんどん投稿しましょうね。
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