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本迹に関して対話するスレッド

308森野一士:2008/12/10(水) 12:02:07 ID:/.wVSr1g0
沖浦さんへ

先生は、大聖人のことを迹仏だとは言われていません。
法華経文上の仏のことを迹仏だと言われています。


法華経文底の大聖人の仏法では、
仏は大聖人であり、大聖人と同意で信心活動を
している学会員の方々です。


以下、新人間革命より引用
「本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。
つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。
それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない」
引用終わり

私は、このご指導を、
本迹に立て分けることと、
勝劣に立て分けることは同等である、
と受け止めました。

私は、曼荼羅は御本尊と信心しています。




「聖教新聞10/26 SGIの友と人間主義の哲学」より
「先生は”SGIは永遠に御本尊と御書を根本として
前進していく”」と。


「東洋の智慧を語る」P233
「大聖人は、(略)曼荼羅本尊を示しました。
その本尊に唱題すれば仏界を顕現できる。」と。


聖教新聞11/14
「何があっても御本尊根本、信心根本で進むことだ」と。


新人間革命19巻P300
「曼荼羅として顕された御本尊」と。


大白蓮華11月号P56
「御本尊には大聖人の御生命があらわされています。
この御本尊を人生の根本として拝し、」と。


諸法実相抄講義よりP64
「人法一箇の御本仏であるが故に
人法体一の御本尊をご図顕されたのです」と。


戸田先生全集第四巻P339
「この五字とはお曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります」と。


百六箇抄P869
「曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」と。


随筆人間世紀の光10/24
「御本尊に向かう時、この会座に、私たち自身が
連なっているのだ。(略)御本仏との「師弟の対話」の
儀式こそ、勤行なのである」と。


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