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本迹に関して対話するスレッド
185
:
もやし暮らし
:2008/11/25(火) 00:18:33 ID:UFaQVeag0
もくれんさん
はじめまして
『一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法
たる南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です』
ありがとうございます。
理解はできます。
これを読みましてもそうですが、御本尊と曼荼羅は、
イコールであってイコールでないととれますがどうでしょうか?
私が言いたいのはそういうことです。
南無妙法蓮華経は南無妙法蓮華経であって、
目に見えるように顕したのが曼荼羅なのですから。
>当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。
その通りだと思います。
私が言っている迹としての曼荼羅は、寿命があるということを前提にです。
もしそこで 人の体も寿命があんだろ というなら、それに宿る己心の仏界の生命は永遠ですよね。
そう考えると、拝む人と、拝まれる曼荼羅で考えた場合は、
どちらかといえば人が本ではないでしょうか?
人が拝まなければ、曼荼羅はそこに存在するだけにすぎません。
「自分が本 蓮祖が迹」に関しては、まったくそれとは
ちがうと思います。
風凛さん
はじめまして。
ありがとうございます。
>曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております
まぜてますか?
では、なぜ「曼荼羅」と「御本尊」という二つの言葉が存在するのでしょうか?
意味するところがちがうからではないでしょうか?
イコールであってイコールでないと。
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