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本迹に関して対話するスレッド
306
:
沖浦克治
◆tr.t4dJfuU
:2008/12/09(火) 19:58:38 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗の本迹感、当然邪義ですよ。
・御聖意を拝し、顛倒説の根を伐る
『諸法実相抄』に曰く 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。』(平新P666)
この御文は、無作三身・示同凡夫のお姿である御本仏日蓮大聖人ご自身と、三十二相八十種好の方便を体する色相荘厳の釈迦仏とを相対された御言葉であり、
日蓮大聖人(即 久遠元初自受用報身仏)に対すれば、久遠実成の釈迦仏は用の仏・迹仏であることを明かされている重要な御文です。
『就註法華経口伝』(御義口伝)『常不軽品三十箇の大事 第十三』にも 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』(平新P1779)との御妙判がありますが、
末法の本未有善・三毒強盛の衆生を教化するためには、色相荘厳の方便仏では化導の力が及ばず、示同凡夫の本仏でなければならないからです。
総本山第26世日寛上人は「文底秘沈抄」に、
「若し外用(げゆう)の浅近に拠(よ)れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。
故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(六巻抄P49)
と御指南されています。日蓮大聖人の御内証は久遠元初自受用報身如来の再誕であり、法華経の経文上に現れた上行菩薩は仮りの姿であって、
久遠元初自受用報身仏(即 御本仏日蓮大聖人)が仏法の付嘱の上から、過去に上行菩薩として御出現あそばされたのである、という御指南です。
『然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。』(平新P666)
ですから、釈迦仏は我等末法の衆生にとっても主師親三徳を備えていると思うのが仏教の常識であるが、そうではない。
真実には、釈迦仏を成道に導き三徳を被らしめたのは久遠元初無作三身の仏なのである。 との御指南です。
ここで大聖人様の仰る『凡夫』『衆生』の語には、総じて『日蓮が弟子檀那』『日蓮等の類』(就註法華経口伝などに曰く) と一門全体に亘る義を含んでいますが、
池田氏は 「“仏があって凡夫がある” と思っていたら、そうではなく、 “凡夫があって仏がある” のだ」 として、
『凡夫』の語の核となる 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』 の別しての義を故意に無視して、凡夫を(仏に対する)衆生のみにあてはめ、
宗祖日蓮大聖人をも迹仏として貶めています。これでは御本仏日蓮大聖人を”大菩薩”と呼称する身延等と同類であり、
『種種御振舞御書』(平新P1066)の 『かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。』 との誡めに背く謀反者の戯言、亡国の一凶であります。
(更に言及すれば、創価学会は釈迦仏をも侮蔑していますから身延以上の大謗法とも言えます。)
〜引用終わり〜
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