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本迹に関して対話するスレッド
501
:
沖浦克治
:2009/06/22(月) 07:24:59 ID:AJ3hr85o0
人が迹、曼荼羅本の未熟さは何処から来るか?
宗門教学ですね。
この邪義を作ったのは寛師です。
観心本尊抄の文段に以下の愚論があります。
>就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。
戒壇様が一大秘法だぞ!
寛師はこれを言うために手間隙かけてますね。
理由です。
同じく文段からですよ。
>答う、実に所問の如し。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。当に知るべし、智者大師は隋の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観を始め、一夏にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。
吾が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。
これに三事の不可思議あり。
一には天台大姉は五十七歳にして止観を説き、蓮祖大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を顕す。また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。これ則ち像末の教主の序、豈不思議に非ずや。
天台は57歳で本懐である摩訶止観を説いて、60歳で亡くなった。
大聖人様は、58歳で戒壇様を顕され、61歳で御入滅なされた。
であるから、戒壇様こそが一大秘法で出世の御本懐だ。
一年大聖人様が歳を重ねられたのは、像法に対する末法の順番だからだ。
これね、こじつけですよ。
御書の何処にこんな文証ありますか〜?
だから、人師論師はダメなんです。
こじ付けで人を惑わす事を、紛然と言います。
眺め人さんは覚えておきましょうね。
>二には天台は四月二十六日に止観を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。蓮祖は後に生れたまうと雖も、下種の教主なり。故に義、前に在り。
この故に蓮祖は二十五日応当抄を終り、十月の入滅なり。天台は前に生れたまうと雖も、熟益の教主なり。故に義、後に在り。この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。種熟の序、豈不思議に非ずや。
これも説明する必要のないほど幼稚ですね。
こう言う低レベルをさも仏法の大事みたいに囃し立ててきたのが宗門教学です。
それに踊らされているのが眺め人の方々です。
相当情けないですね。
>三には天台・蓮祖は同じく入滅四年已前に終窮竟の極説を顕す。寧ろ不思議に非ずや。
天台は亡くなる4年前に本懐を遂げた。
だから大聖人様の御本懐は御入滅4年前でしかない。
これね、相当無理ですよ。
こう言う場合、どうして弘安2年、10月12日か?
明確にしないとダメなんです。
証拠にはなりません。
弘安2年はね、360日ほどあるんです。
すると、戒壇様の本懐確立は350分の1ですよ。
そう言う不確かなものに人生かけますか〜〜??
ここに橋があって、360回に1回は無事に渡れる強度がある。
下は千尋の谷底です。
貴方ね〜〜、渡りますか〜?
私?
嫌に決まってますよ。
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