[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
本迹に関して対話するスレッド
463
:
雨煽り
:2009/04/23(木) 22:12:58 ID:NjA8zkPc0
東空さん
あのぅ…引用貼り付けの後に何か言葉(説明とか)を入れてもらわないと、
その貼り付けだけでは東空さんの言われたい事を判断できませんので、会話が成り立たないと申しました。
「相対」等しない立て分けも理論立てできる。ということでよろしいですか?
釈迦の法華経ではなく、大聖人の妙法蓮華経に限定して説明致します。
私達にとっては大聖人の仏法こそが、その全ての筈ですからね。
迹門理の一念三千・迹門不変真如の理
本門事の一念三千・本門随縁真如の智
「理と事」「理と智」の立て分けですが、ここには勝劣や優劣はありません。
と、一応述べておきます。
厳密に言うと、勝劣はあるのですよ。しかし、立て分けによって変わってしまうので無いと言う事にしておきます。
事は本門、理は迹門ですね。事と智は同義です。
五重玄はご存知ですか?
「体」で述べますと、御本尊のことですね。
「宇宙根源の法・久遠元初の南無妙法蓮華経」が不変真如です。つまり迹門です。
大聖人の『たましいをすみにそめながして』の漫荼羅本尊が随縁真如です。本門です。
「用」で述べますと、衆生を成仏させる働き、功能です。
衆生が主体で、衆生から見て、御本尊が理になります。不変真如で迹門になります。
御本尊に自行化他の題目を唱えて成仏する当体、衆生が随縁真如です。事の一念三千です。本門です。
御本尊が立て分けによって、「本」になったり「迹」になったりします。衆生も同じです。
本迹に実質的な勝劣があると思いますか? 立て分けだけの問題でしかないと思われます。
巷で行われている論争は、立て分けの違う事を同じに論じているだけでしょう。
私の考えは、「どっちが本でもどっちが迹でも、どっちでもいい。どっちにしたって私達の信心が変わる訳ではありませんからね。」
と言う事です。
ただし、間違っていない義を間違ってると言う事は謗法ではないですかね。
最後になりましたが、文証をのせておきます。
日蓮大聖人御書講義 第七巻
当体義抄301ページ
『また、御本尊とわれわれとの関係として不変真如、随縁真如を論ずれば、先の真諦と俗諦の説明と同じになる。すなわち、大御本尊それ自体は「是の法法位に住した」お姿であり、不変真如の理である。それを、さらに御本尊を根底に信心を開き、人々の生活の上に、現実に智慧となり、大生命力となって涌現してくることを「世間の相常住」というのである。』
分り難いかもしれませんが、書籍をお持ちでしたら、前ページから読んでみて下さいね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板