私が ここで驚いたのは、そのサイトでは 直訳を基本とします と謳いながらも ここでは 辞書にもないような訳語を持ってきて 秀逸な訳し方をしていることです。「お伺いする」とは「訪問する」の謙譲語ですね。でも、「尋ねる」の意味もあります。また、謙譲語ですので、"You may come to the party."という文の和訳には使えません。それと、親しい間柄なら、「パーティーに行ってもいいかい?」と聞くでしょう。それから、「話し手と聞き手が違う場所に居る時:話し手→聞き手の居る場所」というのも 満更間違いとは言えないど、学校や会社などで対面で話していて、パーティーのホストに質問する場合も多いでしょう。
① Debo salir hoy.
② Debí salir ayer.
③ Deberé salir mañana.
④ No debo salir hoy.
⑤ No debí salir ayer.
⑥ No deberé salir mañana.
それと、こんなのも。
「彼女は私の娘より小さい。」
スペイン語では
Ella es más pequeña que mi hija.
ごく簡単な文です。
じゃあ、英語では、
She is ( )than my daughter.
括弧には何が入ると思います? 簡単な文のはずなのに、 英語は なかなか手ごわいですね。
では 付加疑問文です。
「今日は暑いですね。」
英語では、”It is hot today, isn't it?”
スペイン語では、”Hace calor hoy, ¿verdad?"
「俺はまだ若いだろ。」
英語では、"I'm still young, ・・ I?"
フランス語では、"Aún soy joven, ¿verdad?"
英語では amとnotで 短縮形ができないので、どうしよう?
それから、次の文です。
「私は君を2時間待っている。」
英語では、”I have been waiting for you for two hours."
現在完了進行形を用いた文で、中学では習わない文法です。
その他にも 中学で熟語として出て来るものの、wait forのforは前置詞なのに、後続の名詞や代名詞よりも 先行する動詞と強く結び付き、本来 自動詞であるはずの waitが他動詞的な働きをしています。このような働きをする前置詞は adverbial particleと呼ばれるものですが、高校の英文法にも登場しない用語です。
スペイン語では、"Te espero desde hace dos horas."
動詞も単純に他動詞で、普通に現在形なので、大学でも最初のうちに習うはずです。
というのは、
Если б знали вы, как мне дороги
Подмосковные вечера.
みたいな文には慣れてても、
そこにいきなりбыが出て来たり(бはありますが、笑)、
Я птица.と言えばいいものを、
птицейと格変化してると、
一時的ないし半永久的に頭が混乱状態、錯乱状態に陥るのです(笑)
(ロシア語学習者なら誰でも体験することかもしれません。)
そこで、このбыを訳出しようと焦ります。
If I should be a bird...
そうか、これで行くしかない!と一瞬思いますが、
shouldとбыは何の関係もないことに気づきます。
そこで、突然浮かんだこの未来の仮定を表すこのshouldを打ち消すため、
nowを持って来る(shouldじゃないだろ、nowだ!)、
そういうメカニズムで精神的過剰反応もしくは補償反応が
起きてるのだと思われます。
бы→should→nowと複雑な仮定でなく過程が含まれてるんです!
その後、何とか難局を乗り越えた主は、ひとり静かに、
Трудно высказать и не высказать
Всё, что на сердце у меня.
と公共の場では発表しませんが、反省するのです。
このフレーズを「直訳では伝わらないことが多い」と
意訳することはできないのです(笑)
また"высказать и не высказать"となってることには首をひねり、
「どっちか1つにしとかないと、わからんだろ!」と
グチをこぼしたりもするのです。
(ソ連の唯物論弁証法が背後にあるなんてことは
「直訳」と関係ないため、どうでもいいのです。)
主は公共の場では、
Так, пожалуйста, будь добра.
Не забудь и ты эти летние
と言うのです。
前半はロマンに浸るために必要なだけで、
言いたいことは"Не забудь"だけなんですが…
もちろん、
Песня слышится и не слышится
В эти тихие вечера.
みたいな弁証法的な文に出会うと、
「歌は聞こえる、そして聞こえない」とここでも「直訳」を
持ち込みます。
この頃のロシアは社会主義バリバリのソ連でしたから、
レーニンやマルクスの教えを踏まえ、弁証法的に
「歌は聞こえると同時に聞こえない」とか、
やや煩雑にはなりますが、
「歌は聞こえる様で聞こえず、聞こえない様で聞こえる」
と訳すのが、当時のソ連文化に基づいた意訳だと思われます。
"(CNN)He was on the road Sunday, /but it didn't matter. //The buzz still was palpable in Oakland, California,/ as 14,644 fans turned up at the ballpark /to see the rookie/ known as the Japanese Babe Ruth."
"(CNN)Hij was zondag onderweg, /maar het maakte niet uit. // De opwinding was nog steeds voelbaar in Oakland, Californië, / toen 14.644 fans naar het stadion kwamen /om de rookie te zien/ die bekendstaat als de Japanse Babe Ruth."
〈引用開始〉
≪And with visual audio annotation software/ they can review recordings,/ and highlight and annotate/ where people drop articles, abbreviate, flip sentence structure/ or see how they use slang.
*audio visual=av機器、音響映像機器
*annotation=注釈≒explanation
*highlight=〜を目立たせる
*annotate=アナテイトゥ=注釈をつける
*flip=〜をひっくり返す
*slang=俗語
そして、音響・映像機器の注釈《話し手の言葉を瞬時に文字に起こすようなこと…テレビのワールドニュースなどで見かける》ソフトがあれば、/彼らは記録を復習することができます。/そして、(次のこと)2 を目立たせ、注釈をつけることができます。/1 人々が、どこで、冠詞を・落とし[→省き]、省略し、文の構造を・ひっくり返すか[→倒置するか] 《間接疑問文》/3 または、彼らがどのように俗語を使うかを見ることができます。《review, highlight, annotate, see が同格で、主語they canに対する動詞》≫
〈引用終了〉
"With a gift for self-expression,/ we can demonstrate wit and empathy/ and develop those little language quirks/ that our friends recognise as being unique to us."
諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。
"Met een gave voor zelfexpressie,/ kunnen we humor en empathie tonen/ en die kleine taalkundige eigenaardigheden ontwikkelen/ die onze vrienden herkennen als uniek voor ons."
"One solution is for teachers /to encourage students to tap into pop culture,/ in the form of freely accessible online podcasts, music, films, and TV programs/ in the target language."
"Een oplossing is voor leraren /om studenten aan te moedigen om zich onder te dompelen in de popcultuur, /in de vorm van vrij toegankelijke online podcasts, muziek, films en tv-programma's /in de doeltaal."
〈引用開始〉
≪⑥ In my view,/ what the teaching of languages currently seems to lack/ is the necessary context/ for what language is.
*context=文脈、背景
私の見解では《=in my opinion》/言語の指導が現在のところ欠けているように見えるものは、《what=the thing which〜の関係代名詞》/2 必要な背景です。/1 言語が何のためにあるかの。≫
〈引用終了〉
They can understand the context for employing certain colloquialisms and how to utilize them to express their personality in a second language.
そのサイトの主は 得意のスラッシュリーディングと直訳で次のように解釈しています。
≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫
それで、この文で用いられている employの同義語は次のうちのどれでしょうか?
① hire
② manipulate
③ apply
④ utilize
⑤ quote
そこで質問ですが、直訳によって「employing certain colloquialisms」の正確な意味が理解できているかを確認することができるのでしょうか?また、この文脈における "employ" の適切な同義語は①〜⑤のうちどれに当たると考えられるでしょうか?
実際に、そのぺージでは、「teachers will bestow a valuable gift on their students」という表現が「先生たちは生徒に価値ある才能を授けるでしょう。」と訳されています。しかし、「才能を授ける」という表現は、まるで先生が神様や魔法使いのように感じられ、不自然ではないでしょうか?
みなさんは どう思いますか?
A:
(11)に
Such tools can ENABLE students to dig deeper into spoken language
and truy study it effectively.
(12)
Ultmiately, teachers of English must find ways to EMPOWER students
to find their voice in order to transform language learnining from
an academic subject into a part of who they are.
In doing so, teachers will BESTOW a valuable gift on their students.
こういうことを書いてるうちに、
「先生って、なんだか神みたいだなぁ」という考えがよぎったのです(笑)
そこで、
「(神みたいな)先生が、こういうことをすることで、生徒たちに
価値ある贈り物(or 才能 or 恵み)を(神みたいに)『授ける』ことに
なるんです。」
と書いてるのだと思います。
≪Yet/ 75% of UK adults/ are unable to hold even a basic conversation/ in a second language.
しかし/イギリスの大人の75%は/2 基本的な会話でさえ持つことができない。/
1 二番目の言葉(→第二外国語)で。≫
ですから、「英語では物の位置関係や話の流れを意識して単語を選ぶ」と説明し、実際の物を使ってやりとりを再現すると、学習者にもわかりやすく伝えられます。たとえば、ペンを持って「This is my pen.」、相手の方を指して「Is that your pen?」、そのあとに「It is red.(それは赤い)」というように段階的に見せていくと、自然と理解が深まります。
"With a gift for self-expression,/ we can demonstrate wit and empathy/ and develop those little language quirks/ that our friends recognise as being unique to us."
そこで質問ですが、このように英語の現在形が必ずしも現在の動作を指すわけではなく、習慣を表すことが多い点や、不定冠詞 "a" が不特定の一曲を指すニュアンスを持つことを踏まえると、日本語に訳す際にはどのような工夫をすべきでしょうか?また、直訳にこだわることでSV構造を把握しやすくなるという主張について、和訳なしでもSVを認識できる可能性を考えた場合、どのような学習アプローチが効果的だと考えられますか?
さほど 難しい文ではありませんが、若干 留意点があります。先ず、ここでは、何かを持っているのは 誰の手かなんて はっきりしているのに、英語では yourという代名詞の所有格を伴うことです。ちなみに、スペイン語では 英語やオランダ語と違って "¿Qué tienes en la mano?" というように 定冠詞を用いるのが普通です。もう1つは、日本語では「(あなたが)手に持っているのは何ですか?」と尋ねるのが自然です。
それから、このセクションは小学生が対象のようですが、それでも、「以下の基本例文を何度も声に出して読んでみてください。スラスラ読めるようになったら、今度は和訳だけ見て、英語を言ってみましょう。英会話ができるようになりますよ」
と書いています。それに、このサイトは「和訳(直訳を基本とします)」をモットーにしていますが、小学生が「○○ちゃんが手に持ってんの なあに?」と英語で聞きたい場合に、反射的に「(あなたが)手に持っているのは何ですか?」という文に言い換えられるかも 甚だ疑問です。直訳の練習を重ねた 少し利発な子ほど 苦し紛れに "What is ○○ has in a hand?" みたいなブロークンな英語になるかもしれません。
もし、この意訳から英文を起こそうとすると、
"I'll help his homework tonight."
という文ができてしまいます。生徒たちは、どうしてこれが間違えか理解できません。先生方は、どのように説明されますか?
私がとても役立つと感じているスラッシュリーディングをしてみます。
"I'll help him/with his homework/tonight."
「私は彼を手伝うつもりです。/彼の宿題で/今晩」
このようにしておけば、helpの後に「手伝ってあげる相手」を、withの後に「仕事の内容」を入れ、便宜上withを「〜で」と訳すと、生徒に教えやすいです。そして、I'll help his homework…としてしまうと、homeworkという生き物(?)を手伝うような、とんでもない感じの文になってしまうと説明すると、生徒は納得してくれます。しかし、ここまで説明する先生は、私の知るかぎりではいませんでした。真面目な生徒に限って、混乱しています。そもそも、この難しい英文を、中学2年の1学期に教えること自体、問題があるとは思いますが…
<引用終了>
この考え方に従って、
a hungry catとThe cat is hungry.はその様に訳し分けるのだと思います。
なので、
a Hungarian cat「ハンガリー産の猫」
The cat is Hungarian.「その猫はハンガリーの国籍を(一時的に)有して
いる」等と使い分けないといけません!
上の例は半永久的であり、下の例では一時的にHungarianなんです(笑)
この様に厳密に区別していて、
a cat hungry without eating anything for two days
なるものに出くわすことがあります。
これはbe動詞の後でもないし、名詞の前でもありません!
しかし、ここで第3の区別を立てるのは厄介なので、主先生なら、
これは、
a cat which is hungryからwhich isを省略したものであると断定し、
「3日食べてなく、おなかがすいているところの猫」と訳します。
つまり、be動詞+形容詞のパターンと同じになります。
気をつけないといけないのは、関係代名詞の訳し方のみとなります。
(すべてを主先生の意に沿って訳すのは難しいかもしれませんが。)
以下の例でこの区別を守ると、面白い結果になります。
Poor John!「お金のないジョン!」
John is poor.「ジョンはお金がなくなってます。」
この訳し分けにより、
ジョンは半永久的にお金がないのか、それとも、
昨日パチンコや麻雀等でお金をすったのか明白になります(笑)
以下の様な例にも注意が必要です:
She is a dead woman.「彼女は死んだ女です。」
She is dead.「彼女は死んでいる(ところ)です。」
この様に訳すと、上の2番目の文では、sheとdeadの関係が
一時的であることが明白になります!(笑)
「おなかがすいている猫」は、上記の例から明らかな様に、
a cat which is hungryとなります!
ネイティブの人たちは、おそらく、この区別を厳密に行い、
It is not a hungry cat but a cat which is hungry.
「それはおなかがすいた猫でなく、おなかがすいている猫である。」
みたいに、もしかして、言うのかもしれません(笑)
もしも誰もそう言わないとしたら、主先生がアメリカにも布教活動を
広げる必要があるのかもしれません!
Q:
英語を学ぶ中で、「直訳」と「意訳」のバランスに悩むことがあります。特に中学英語の基本文型であっても、日本語と英語の構造の違いから、意味の取り方や訳し方に迷う場面があります。
そこで、「私は中国から来ています。」は とあるサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )によると、"I come from China."だそうですね。以下 引用です。
これらは中学1年の最初の頃に習う文法ですが、直訳を教えない学校が多いです。そして、生徒達は、直訳をしない習慣をつけてしまいます。fromの訳を「〜から」と覚えている生徒は、"I practice baseball from four to six everyday."という文を初めて聞いても、理解が早いです。応用が利きます。一般の生徒は、帰国子女とは違うのです。頭の中で、しっかり英文を組み立てられる訓練にもつながる直訳は、とても重要であると思うのですが、いかがでしょう。≫
〈引用終了〉
学習者のレベルにもよりますが、
The game excites me.
The game is exciting. (That is an exciting game.)
I am excited with the game.
I play the game with excitement (or excitedly).
「こんな構造になってるだよ」と教えることは有益ではないでしょうか?
① "Recently, /Shibusawa’s doctrine of prioritizing public interest/ has enjoyed a revival// as many in the corporate world/ reevaluate the short-term, profit-driven goals/ that led to the 2008 global financial crisis."
② "Recentelijk, /de doctrine van Shibusawa om het algemeen belang te prioriteren/ heeft een heropleving genoten// aangezien velen in de bedrijfswereld/ de op winst gerichte kortetermijndoelen heroverwegen/ die hebben geleid tot de wereldwijde financiële crisis van 2008. "
③ 「私は(次の事を)言うことを残念に思います(→残念ながら言わなくてはなりません)//《何を?》私達はあなたの申し出をことわらなければならないということを。」
ここで、③の(次の事を)は ①にない要素です。でも、②の文で 形式目的語のhetを訳出したと考えることもできます。もしくは、英語と日本語では語順が違うので、スラッシュで区切ったチャンクが繋がらないので、苦肉の策とも考えられます。でも、もし、そうだとすれば、例えば、「I want a new bike.」のような 単純な SVOの構文でさえ、形は覚えても、まだ、いちいち訳さないと理解できないレベルなのかもしれません。
2.①You need some rest.
↑主語S=you, 動詞V=need
②What you need is some rest.
↑主語S=What you need, 動詞V=is (be動詞).
......
3.①あなたは、いくらかの休憩が必要です。
②あなたが必要としているものはいくらかの休憩です。≫
‹引用終了›
ここで疑問が起きました。①の訳文の「あなたは、いくらかの休憩が必要です。」は 「〜は〜が・・・」という形の 所謂「ハガ構文」で、日本語では二重主語の文になります。↑のサイトの主自身が、「特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です」と言っておきながら、日本語の訳文だけを見ると、「あなた」と「いくらかの休憩」のどっちが主語なのか分かりませんし、動詞も不在です。まあ、ここでは 元の英文は「あなた」が主語になっていますが、もし、「いくらかの休憩」が主語になるなら、元の英文は“Some rest is necessary for you.”となるはずです。
言葉というのは、思考を伝達するための手段です。つまり、言いたいコトが相手に伝わることが最重要ポイントだと言っていいです。
<引用開始>
≪音声教材の使い方の説明
動画を見て感じたことは、リスニングが「むずかし過ぎる」という印象。何となくは、わかるようになると思いますが、しっかり理解するのは至難の業と感じました。例えば、
We can*Unit1/ Let's Listen(5年生)
…I like hambuger steaks. They are yummy. Do you like hamburger steaks?と出てきます。一般動詞のlike。be動詞のareが一緒に出てきて、混乱する。複数形のsteaksが出てきて人称代名詞のtheyで受ける。ここまでむずかしくする必要があるのか疑問でした。≫
<引用終了>
だそうです。しかし、「を」や「が」にそんなにこだわるなら、
in the houseの場合は"in"、on the tableの場合は"on"の違いが
わかる様に、また、これが「前置詞」であることがわかる様に、
直訳しないといけないのではないでしょうか?
しかし、日本語に「前置詞」はないんです!どうしましょう?(笑)
e① There is a glass on the table.
e② There must be a label somewhere on the table.
諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。
n① Er is een glas op tafel.
n② Er moet ergens een label op de tafel zijn.
ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。しかし、「を」や「が」にそんなにこだわるなら、
in the houseの場合は"in"、on the tableの場合は"on"の違いが
わかる様に、また、これが「前置詞」であることがわかる様に、
直訳しないといけないのではないでしょうか?
しかし、日本語に「前置詞」はないんです!どうしましょう?(笑)
ショッピング中のお客さんと店員の会話文で、"May I help you?" の訳を、「いらっしゃいませ」と書いてある教科書があります(2017年2月現在)。教科書に訳が載っているため、安心しているのか、読む練習だけやって、説明をしない先生がいます。また、授業時間が足りないのか、「ここは教科書を自分で読んで、そのまま覚えておいて!」とだけ、指示する先生もいます。これで生徒は、英語を正しく理解できるのでしょうか。
もし、「私はあなたをお手伝いしてもよいですか。」と直訳を教えていれば、生徒は、この文が丁寧な表現であるとわかるはずです。ここから、意訳すると、「何かお困りですか。」になると、説明して頂きたいです。助動詞を履修中なら、"Shall I help you?"にすると、「私があなたを手伝ってあげましょうか。」と、上から目線になってしまうというと、生徒に説明でき、より効率的な授業ができると思います。
教科書だけでなく、単語・熟語集にも、"May I help you?"は「いらっしゃいませ」と書いているものも多く、独学もしている真面目な生徒ほど、そのまま覚えています。そんな生徒に、『お寿司屋さんで、「いらっしゃい!」は、"May I help you?"なんて言わないよ。まず"Hello!"とかでしょ。』と説明すると、びっくりする子もいます。どう思われますか?≫
〈引用終了〉
"Television programmes do sometimes, without any real intention, stimulate people's curiosity to pursue interests and read books which they would not otherwise have known about or understood."
"Televisieprogramma's wekken soms, zonder enige echte bedoeling, de nieuwsgierigheid van de mensen op om interesses na te streven en boeken te lezen die zij anders niet zouden hebben gekend of begrepen."
ここで、約45分に少し違和感があるかもしれません。というのは、約というのは 概数を表すのに、1の位に端数があるからです。しかし、about three quarters of an hourというのは 英語では 30分以上はかかるけど、1時間までかからない ざっくりとした時間を表すのに キリのいい数字の便利な表現でもあります。
そこで質問ですが、英語の "about three quarters of an hour" のような、ある程度の幅を持たせた時間表現は、日本語ではどのように表現するのが自然でしょうか?「約45分」以外で、より英語のニュアンスに近い言い方があれば教えてください。
≪A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as the refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train.
As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us.≫
突っ込みどころのオンパレードですが、以下の点について特に気になりました。
1. **As well as...の使い方**
* "As well as the refreshing environment, it is very convenient..." という表現ですが、A as well as B の構文で、Bは"the refreshing environment"にあたるとして、Aが何にあたるのか不明です。また、"it"が"A City"を指しているように読めますが、"A City is very convenient." という表現は、少し違和感があります。通常、"convenient"は居住環境が便利であることを示す際に使われ、駅が多いことを指す場合は"easily accessible"や"well connected"の方が自然ではないでしょうか?
2. **because ofの適切さ**
* "because of three railways intersecting at B Station"という部分ですが、"because of"はどちらかというと悪い理由に使われることが多く、ここでは少し引っかかります。よりポジティブなニュアンスが求められる場面で、この選択は適切でしょうか?
4. **主語の重複**
* "As we would like... to know the charm of A City" の箇所についても、直訳調で少し硬く感じます。"As we want you to know our A City,"のようにシンプルな表現で十分ではないでしょうか?また、"we, A City Office, have"と続く部分での"A City Office"は、主語が重複して余計な気がします。ここでの主語は何を指しているのでしょうか?
≪As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us.≫
ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、日本語に置き換えるしかありません。ここで、諭吉は「エゲレス語の he は 蘭語の hij に当たるなり、則ち「彼」と訳すが便宜なり。」という感じで覚えていったと思われます。
そこで質問ですが、「私たちは6月にたくさんの雨を持っています(We have a lot of rain in June.)」という訳を見て、飴ならともかく雨なんて一体どうやって“持つ”のか、と思わずツッコミたくなるのは私だけでしょうか?このような“英語らしい”表現を直訳して覚えることが本当に効果的な学習法だとすれば、そもそも英語の論理と日本語の感覚のズレを無視して丸暗記するやり方に、果たして意味があるのでしょうか?
ここで、"strong linguistic skills"を 「強い言語の技術」と訳したせいなのか、それとも、ただ、単語帳の訳を機械的に当てただけなのか developのイメージを掴んでいないようです。そのサイトの主にとっては
"He has developed a sickness."だと、
「彼の病気は進行した。」は頭から湯気モノで、
「彼は1つの病気を発達させた。」なんでしょうね(笑)
そこで質問ですが、「develop=発達させる」と覚えれば万事OKと信じて疑わないこの風潮、いったいどこまで我々の英語力を“発達”させてくれるのでしょうか?文脈も語感も無視して、単語帳の訳語を貼り付けるだけの学習で、本当に“strong linguistic skills”が身につくと本気で思っているのでしょうか。
Q:
英文法で 日本人には 難しいものに「仮定法」があります。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/5subjunctive1.html )から英文を借りました。
e① "If I had a lot of money, I would travel around the world."
e② "If I were a bird, I could fly to him."
しかも、徹底した直訳を推奨しています。例えば、"We have a lot of rain in June."という文なら「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」と訳す徹底ぶりです。
一方で、別のページ(makki-english.moo.jp/4dictionary4.html)では
真逆のことを書いています。
ここで、そのサイトでは ②を想定し、ヴェルシオンに関しては 時間的制約と即効性を重視するために、一貫した直訳を推奨しています。例えば "We have a lot of rain in June."という文なら「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」と訳す徹底ぶりです。もちろん ③を視野に入れたら 全く使い物になりません。
ところで、直訳にもいろいろありますが、ここでは直訳=中学式直訳だと考えます。
I want to use your bathroom.「私はあなたの浴室を使うことを欲します。」
「あなたの家のトイレを借りたい」は意訳なのでダメです。
これを丁寧形に変換すると、
I would like to use your bathroom.「私はあなたの浴室を使うことを
好むであろうに。」(笑)
「気にしないでそのまま訳してください」の精神に則っております。
この先生は「これを(英和ペアで)(スラスラ言えるまで)暗記する」
ことを勧めてます。
そうすると、英和、和英両方向で訳できるわけです。
そして「私はあなたの浴室を使うことを欲します。」が頭に入る訳です。
しかし、英和ペアで覚えてないものが出現すると、例えば、
「お宅のトイレを拝借してもよろしいですか?」
みたいな日本文に遭遇すると、
"May I borrow your house's toilet?"みたいにやりかねません。
先生の添削を受けなければ、これでいいと思い込む可能性が高いです。
ここで、"We have rain."=「私たちは雨を持つ。」はオブセッションになります。
こう覚えた子供は、受動態を習う時に、
"A lot of rain is had here in June."とやらかします。
「持つ」ことができるのはrainだけじゃありません。
"We have a beautiful rainbow this morning."
「今朝、私たちは美しい虹を持ってます。」
また、
"They had an earthquake there."だと
「彼らはそこで1つの地震を持った。」とやらかします。
"We had a big tornado."だと
「私たちは大きな竜巻を持った。」です。
自然現象のみか、
"I had a quarrel with her."
「彼女と一緒に喧嘩を持った。」になります。
③ 「サリーは、ファミリービジネスで働くために今までの仕事を辞めました。彼女は引退した母親の仕事を受け継ぎました。」
ここで、「, who retired.」 ですが、和訳では"彼女は引退した母親の仕事を受け継ぎました"となっていますが、実際はカンマで区切っているから "彼女は母親の役目を引き継いだ、ちなみに母親は引退しました"と言っているわけだと思います、英語として自然なのかもしれませんが、日本語として考えると不自然に感じてしまいます という人もいるでしょう。
そこで質問ですが、
このように、英語の「, who retired.」のような構文は、日本語の語感とは異なる文の運び方をしますが、私たちはこの“言い回しのズレ”をどう捉えるべきなのでしょうか? 英語の自然さを尊重するあまり、日本語としての自然さを犠牲にしても良いのか、それとも、訳文はあくまで日本語としての読みやすさを優先すべきなのでしょうか?
① 「私どもA市役所は、日本人ではない方々に、A市の魅力を知って頂きたいので、次のように、無料の半日ツアーを計画しました。もしあなたが計画に興味がありましたら、どうぞ遠慮なく私どもにご連絡ください。」
諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。
② "Omdat we graag willen dat overzeese bezoekers de charme van Stad A ontdekken, hebben we de volgende gratis excursie van een halve dag gepland. Als het plan je interesseert, aarzel dan niet om contact met ons op te nemen."
そして、これを英語に直訳します。
③ "Since we wish overseas visitors to discover the charm of the City A, we have planned the following free half-day excursion. If the plan interests you, don't hesitate to contact us."
④ "As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us. "
そこで質問ですが、"non-Japanese people" という表現は、英語として一般的によく使われるのでしょうか。また、"we, A City Office" のように、1人称複数と3人称単数が混在する形で主語を立てることは、英語として許容される構文なのでしょうか。
② "De stad A wordt omringd door weelderig groen en staat bekend om zijn smakelijke nashi-peren. De stad heeft niet alleen een verfrissende sfeer, maar is ook gemakkelijk bereikbaar dankzij drie spoorlijnen die aftakken op station B. Met een sneltrein kun je Tokio in ongeveer drie kwartier bereiken."
そして、これを英語に直訳します。
③ "The city A is surrounded by lush greenery and is known for its tasty nashi pears. Not only does the city have a refreshing atmoshere, it is easily accessible thanks to three railway lines branching off at the station B. Taking a rapid train, you can get Tokyo about three quaters of hour."
④ "A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train."
ここで、as well asの使い方が間違っています。それと convenientも少し違います。そこで 質問ですが、「as well as」や「convenient」のように、つい日本語感覚で使ってしまいがちな表現については、どのように学ぶのが効果的だと思われますか?
Q:
鳥になりたい」と言えば、ロマンチックに聞こえるかもしれませんが――なってみたら意外とニワトリだった、なんてこともあるんです。空を自由に飛ぶつもりが、朝4時にコケコッコー。
そんな落とし穴を踏まえつつ、「If I were a bird」の“鳥”がどんな鳥かをめぐる、言語の大喜利がここに始まります。
そこで質問です、
「Have a nice day.」を文字通り「良い1日を持ってください」と訳すのは面白いですが、もし誰かが本気で「持つ」ことにこだわったら、
添付の画像みたいなこと 想像しちゃいますよね。みなさんは どう思いますか?
A:
"Have a nice day."を「良い1日を持ってください。」と訳す人は、
添付画像みたいにしか想像できない人に出会うと、まさに、
我が意を得たり!と感じ、打ち解け、親友になると思います(笑)
"We have a lot of rain."についても、
「そうだよね『雨が多い』でなくて『多くの雨を持ってる』だよ!」
とhave論議に花が咲くでしょう。
徹夜で話し込むかもしれません。
そういう人種は「have=持つ」を信奉し、内容は二の次なので、
"How many eyes do you have?"
なんて質問を平気でし、何か悪いことを言ったとは思いません。
片方が義眼のピーター・フォークみたいな人にこの質問をしてはいけない
なんてことには一生、思い当たりません。
こちらは同じ人種でないとしても、続けて
"Have a safe journey!"と感嘆符つきで言われ、なおかつ、
「安全な旅行を持ってください」と解説されると、
一瞬、それってお菓子の空箱に入ってるのか?それとも、
電池レンジで温めて食べる物か?迷ったりします(笑)
その一瞬が過ぎると「もしかして、可哀想な人?」と思います。
また、have a nice day, a lot of rain, two eyes, a safe journeyとこれだけ
多いと、「全部持ち切れるんですか?」と尋ねたくなります(笑)
でも、相手の目がすわってるのを確認すると、
「そんなこと尋ねてはいけない!」と自制します。
そこで質問ですが、"She could come here yesterday." という英文は、彼女が実際に来たという事実を示しているのか、それとも「来ることができたのに来なかった」という、ある種の失望や皮肉を含んだ文なのでしょうか?
Q:
そのサイトのこの英文は文法的に間違いです。
過去の一回の行為をcouldを用いて表すことはできません。
was/were able toを使わないといけないのです。
She could come here. という文であれば、「今(から)彼女がここに来ることができれば(な)」と言ったニュアンスになります。つまり仮定法過去です。
若しくは「彼女がここに来れるかも」という推量を表します。
yesterdayを使うなら、She was able to come here yesterday. となります。
此方は、彼女は昨日実際にここに来ることができた、というニュアンスです。
つまり「達成した」ことを表しているのです。
"As it’s one of the first words/ most students learn,// it can be surprising/ to discover/ just how tricky all the uses of こと in Japanese/ actually are.
While it’s in most beginner’s textbooks, //this critical particle will also be waiting for them/ when they reach the intermediate- to advanced-level Japanese, too!"
区切り毎にオランダ語に訳していきます。そのまま ほぼ正しいオランダ語になります。
"Omdat het een van de eerste woorden is/ die de meeste studenten leren,// kan het verrassend zijn/ om te ontdekken/ hoe zojuist lastig alle gebruiken van こと in het Japans/ eigenlijk zijn.
Hoewel het in de meeste leerboeken voor beginners staat, //dit kritische partikel ook op hen te wachten/ als ze Japans van gemiddeld tot gevorderd niveau bereiken, ook!"
"Hearing the language used for its intended purpose/ would open a student’s eyes (and ears!)/ to how native English speakers manipulate language/ to express themselves, create social connections and explore their personality."
諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。
"De taal horen zoals die bedoeld is te worden gebruikt,/ zou de ogen (en oren!) van een student openen/ voor hoe moedertaalsprekers van het Engels de taal manipuleren/ om zichzelf uit te drukken, sociale contacten te leggen en hun persoonlijkheid te verkennen."
"It is true/ that native speakers are often made available in the classroom,/ but their presence alone/ is unlikely to spark the sort of conversational tennis/ that the student will encounter in the English-speaking world."
“Het is waar/ dat moedertaalsprekers vaak beschikbaar worden gesteld in de klas,/ maar hun aanwezigheid alleen/ zal waarschijnlijk niet het soort conversatie-tennis aanwakkeren/ dat de student zal tegenkomen in de Engelstalige wereld.”
「つぎのことは、本当です。.../ネイティブの話し手が教室でしばしば・利用される(→授業に参加する≒are often available・ availableはよく使われる英単語ですが、使用法が難しいので注意が必要です)ということは。/しかし、・彼らの単独での存在...は/2会話のテニスのようなものを引き起こしません。.../1生徒が英語を話す世界の中で偶然会うであろう(テニスを)。」
① "Tackling written assignments/ allows time for reflection and editing,/
but the on-the-spot nature of communicating verbally/ leaves the speaker/ vulnerable to embarrassing mistakes."
諭吉な、日本語よりも オランダ語に訳した方が分かりやすかったでしょう。
② "Het aanpakken van schriftelijke opdrachten/ biedt tijd voor reflectie en herziening,/ maar de spontane aard van mondelinge communicatie/ maakt de spreker kwetsbaar voor gênante fouten."
≪To paraphrase the novelist Edmund de Waal, /with a confident grasp of languages,/ you are at home anywhere.
*paraphrase=言いかえる=in other words(しばしば要約する時に用いられる)
*grasp=つかむこと[→理解]
*be at home=くつろぐ
小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールに言いかえると[→要約するために、小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールの言葉を借りると?]/言葉の自信に満ちた理解があれば、/あなたは、どこででも、くつろげるのです。≫
そこで質問ですが、「you are at home」のような表現を、文脈を無視してただ辞書から拾った訳語で置き換えようとすると、かえって本来のニュアンスを取り違えてしまう危険もあります。では、この表現を意味として最も近い形に言い換えると、次のうちどれになるでしょうか?
① you can rest at ease
② you are in a homely atmosphere
③ you don't have to be embarrassed.
④ you are in your house
⑤ you are familiar with English
第6パラグラフの文です。
≪In my view,/ what the teaching of languages currently seems to lack/ is the necessary context/ for what language is.
*context=文脈、背景
私の見解では《=in my opinion》/言語の指導が現在のところ欠けているように見えるものは、《what=the thing which〜の関係代名詞》/2 必要な背景です。/1 言語が何のためにあるかの。≫
第10パラグラフの文です。
≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫
① "It’s not helpful/ that the assessment of English at schools/ normally focuses on grammar,/ while building competence in spoken English/ can be neglected."
② "Het helpt niet/ dat de beoordeling van Engels op scholen/ zich normaal gesproken richt op grammatica,/ terwijl het opbouwen van competentie in gesproken Engels/ verwaarloosd kan worden."
③「次のことは有益ではありません。(仕方がありません?It's not useful/It can't be avoided [helped]?)《It-thatの構文、Itがthat以下を指す仮主語》/学校での英語の評価が/普通、文法に焦点を合わせているということは。/だが一方、口語英語の能力を確立することは《while=対比を表し、だが一方》/無視され得るのです(→時には無視されかねないのです)。」
≪We can! 1 (5年生)
Unit2のStory Time
I want to speak English more. We are good friends.
…不定詞の名詞的用法(中2の2学期)、we/friends複数が出てきます。「どうしてこうなるんですか?」と生徒に聞かれたら、どう答えますか?説明にものすごく時間がかかると思いますが、説明しなければ納得できなく、英語嫌いな生徒も出てくると思います。こんなむずかしい文法のが、この時期に必要でしょうか。リスニングもリーディングも、習った文法で対応できる教材にするべきと思います。応用は中学に入ってからで十分では?≫
そこで質問ですが、
“we”が使えない英語って、いったい何を誰と話せばいいのでしょう?
“We are good friends.”——たったこれだけの文で、子どもたちは「わたし」と「あなた」のあいだにある、あたたかなつながりを感じることができます。
それなのに、「不定詞が…」「複数形が…」と難癖をつけて、それを封印してしまうなんて、まるで“友情禁止令”みたいじゃありませんか?
言葉は本来、誰かと何かを共有するための道具のはず。
なのに、“we”すら許されない英語教育の中で、子どもたちは何をどう共有すればいいのでしょうか?
"Tackling written assignments/ allows time for reflection and editing,/
but the on-the-spot nature of communicating verbally/ leaves the speaker/ vulnerable to embarrassing mistakes."
They can understand the context for employing certain colloquialisms and how to utilize them to express their personality in a second language.
そのサイトの主は 得意のスラッシュリーディングと直訳で次のように解釈しています。
≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫
もし、この意訳から英文を起こそうとすると、
"I'll help his homework tonight."
という文ができてしまいます。生徒たちは、どうしてこれが間違えか理解できません。先生方は、どのように説明されますか?
私がとても役立つと感じているスラッシュリーディングをしてみます。
"I'll help him/with his homework/tonight."
「私は彼を手伝うつもりです。/彼の宿題で/今晩」
このようにしておけば、helpの後に「手伝ってあげる相手」を、withの後に「仕事の内容」を入れ、便宜上withを「〜で」と訳すと、生徒に教えやすいです。そして、I'll help his homework…としてしまうと、homeworkという生き物(?)を手伝うような、とんでもない感じの文になってしまうと説明すると、生徒は納得してくれます。しかし、ここまで説明する先生は、私の知るかぎりではいませんでした。真面目な生徒に限って、混乱しています。そもそも、この難しい英文を、中学2年の1学期に教えること自体、問題があるとは思いますが…≫
<引用終了>
そこで質問ですが、
そもそも英語は、現代の日本人にとって初めて触れる外国語であるにもかかわらず、特に そのサイトとでは 文字や文法の学習が先行し、「英語を聞いて、それを真似て発音する」という基本的な音声模倣のプロセスが極端に軽視されています。また、十分なインプットがないまま、いきなり「正しい英作文」を求めたり、動詞と前置詞を個別の単語として機械的に理解させたり、日本語の「手伝う/助ける」などの語法の整理も曖昧なままにしています。
このような状態で、「I'll help him with his homework tonight.」の文法説明を細かくしても、本質的な理解にはつながらず、むしろ混乱を深めてしまうだけではないかとも思えます。果たして、こうした説明を中学2年生の段階で与えることは、英語教育として本当に有効なのでしょうか?
① "In the case of Caroline Dickinson there was the added mystery of how this young girl had been raped and murdered in the same room as her sleeping school friends without them being woken up."
② "In het geval van Caroline Dickinson was er het extra mysterie hoe dit jonge meisje was verkracht en vermoord in dezelfde kamer als haar slapende schoolvriendinnen zonder dat zij wakker werden."
そこで質問ですが、「as her sleeping school friends」の部分に使われている as の意味や役割について、みなさんはすぐにピンときたでしょうか?
一見すると「比較」の as にも見えますし、「一緒にいたこと」を示すようにも感じられて、英語にあまり慣れていない人にとっては少し戸惑いやすい箇所かもしれません。
「同じ部屋」と言っているのに、なぜ with や in the same room together with... のような表現ではないのか?——そんな疑問も湧いてきます。
こうした一語の使い方ひとつでも、文全体のイメージが大きく変わることがありますよね。みなさんは どう思いますか?
さて、学校の先生は五文型を教えるのに必死で、次は冠詞を教えようとするので、
日本人が非常に苦手とする「同等性」については教えません。
As well as、exceptなどが代表格です。
なので、多くの日本人は下の様な英語を平気で使います。たとえば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )でも ご多分に漏れず、As well asの使い方を見事に間違えております。
"A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train."
ここで、itは A City を指していると思われます。しかし、それだと A Cityと refreshing environmentが同等性を表すことになるんですが、そうすると、refreshing environmentも convenientなんでしょうか。この covenientも少し変だけど、refreshing environmentと three railways intersecting at B Stationも因果関係はないでしょう。
そこで質問ですが、このように「A市」と「すがすがしい環境」が As well as によって同列に並べられてしまうと、「すがすがしい環境も、鉄道が三本通っていて便利だからです」といった、因果関係としては明らかに成り立たない印象を与えてしまわないでしょうか?
本来、便利である理由は“鉄道の交差”にあるはずなのに、「すがすがしい環境」がそこに紛れ込むことで、読み手は“何が何と並列なのか”“何に何がかかっているのか”を見失ってしまいます。
このような文の構造のまずさが生まれる背景には、やはり「As well as」が同列の対象をつなぐという感覚を、日本人学習者があまり深く理解せずに、なんとなく「〜も」という語感で使ってしまっている問題があるように思われます。
こうした同等構文の誤用、つまり“つないではいけないものをつないでしまう”ミスは、文法的には一見正しく見えてしまうだけに、英語学習においてもっと早い段階で丁寧に扱われるべきではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?
そこで質問ですが、「The girl has two eyes.」という文にすら“複数形”という魔物が潜んでいるがゆえに、それを教室から追放し、小学生たちには単眼の幻影を見せるというこの指導法は、いったい何を守ろうとしているのでしょうか?
子どもたちの知的成長でしょうか、それとも大人たちの安心感でしょうか? みなさんは どう思いますか?
③ 「私が借りたアパートを見に行ったのですが、たった1ヶ月前に取り壊されていたことが分かりました。」
そこで質問ですが、the がついている時点で、もうその名詞は一つに特定されているのだから、本来さらに限定する必要はないように思えますよね。だから、生徒に説明するときも “the がついている=唯一に限定” と理解していると、なぜさらに関係代名詞で限定できるのか疑問に感じてしまうと思います。むしろ追加説明のニュアンスなら which の非制限用法が自然だ、と考える生徒も多いはずです。では実際に、the がついている名詞に非制限用法を使うのはどんなケースなのか、どう説明したら分かりやすいのでしょうか?