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Yahoo!知恵袋 名Q&A集

591Hart Bel:2025/03/06(木) 11:55:38
Q:
現代の日本において、英語学習は多くの人々にとって重要な課題となっています。しかし、学校教育や従来の学習方法では、必ずしも効果的な英語習得につながっていないという現状もあります。
特に、単語や文法の暗記に偏りがちな学習法は、実践的なコミュニケーション能力の向上を妨げているという指摘もあります。そこで、私たちは、より効果的な英語学習法について考える必要があります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の2つの英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading3.html )から英文を借りました。(予め スラッシュを入れています。)

"Since one side of each egg is pointed, /space between eggs is minimized//
as they lie on their sides /with the pointed ends /facing towards the center."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Omdat één kant van elk ei puntig is, /wordt de ruimte tussen de eieren geminimaliseerd// terwijl ze op hun zij liggen /met de puntige uiteinden /naar het midden gericht."


ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは 次のように 解説しています。

≪それぞれの卵の1つの端がとがらされているので/卵の間の空間〔距離〕は、最小限にされます//
それら(=卵)がそれらの側に横たわる時/(←どの側?)とがった端を持っている(側に)/中央の方を向いている(とがった端を)。

《意訳》
それぞれの卵は片側がとがっているので、とがった側を中央に向けた状態で置くと、卵間の距離は最少になります。≫

スラッシュで 英文をブレイクダウンして、チャンクを直訳しても 分かりにくいですね。直訳を金科玉条にしている そのサイトの主も 流石にこれでは 分かりずらいらしく、意訳を付けています。そうすると、最初から直訳なんか 要らないような気がします。もっとも、こういうのは 訳すよりも 卵を2つ用意して イメージした方が ピンとくるのではないでしょうか?

そこで質問ですが、私たちが英語を学ぶ際に、福沢諭吉のようにオランダ語を橋渡しとして利用することはできません。では、その代わりに、現代の日本人が英語を効率的に習得するためには、どのような方法が考えられるでしょうか?特に、単なる直訳に頼らず、より自然な理解を促す学習法について、ご意見をお聞かせください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12311675922

592Hart Bel:2025/03/07(金) 06:59:40
Q:
今回の話題は、英語学習における文化的背景やニュアンスの重要性についてです。
言語を学ぶ際、単に単語や文法を覚えるだけでなく、その言語が使われている文化や社会的背景を理解することが、より自然で効果的なコミュニケーションを可能にするという点について考えてみたいと思います。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/2special3.html )から英文を借りました。

May I come to the party?

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

Mag ik naar het feest komen?

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「(私は)パーティーにお伺いしてもよろしいでしょうか。」

私が ここで驚いたのは、そのサイトでは 直訳を基本とします と謳いながらも ここでは 辞書にもないような訳語を持ってきて 秀逸な訳し方をしていることです。「お伺いする」とは「訪問する」の謙譲語ですね。でも、「尋ねる」の意味もあります。また、謙譲語ですので、"You may come to the party."という文の和訳には使えません。それと、親しい間柄なら、「パーティーに行ってもいいかい?」と聞くでしょう。それから、「話し手と聞き手が違う場所に居る時:話し手→聞き手の居る場所」というのも 満更間違いとは言えないど、学校や会社などで対面で話していて、パーティーのホストに質問する場合も多いでしょう。

そこで質問ですが、英語学習において、文化的な背景やニュアンスを理解することの重要性について、今回の例を踏まえてどのように考えられますか?また、それを効果的に学ぶための方法について、あなたの考えを教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12311854697

593Hart Bel:2025/03/09(日) 16:41:34
Q:
英語学習において、文法や単語を暗記することはもちろん大切ですが、実際に使えるようになるためには、それだけでは不十分だと感じています。
特に、動詞のニュアンスを理解し、適切な場面で使いこなすことは、簡単なようで奥が深いですよね。

ところで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/2special3.html )からの引用です。

<引用開始>
①goとcome、takeとbringの使い方

とてもよく使う動詞ですが、日本人には、使い分けがとてもむずかしい!学校では、「go」→「行く」、「come」→「来る」、「take」→「連れて行く」、「bring」→「持って来る」とまず習うのですが、話し手と聞き手が違う場所にいる時、日本語と真逆になることがあります

1.話し手→特定の場所

特定の場所に「行く」 →「go」

特定の場所に「持っ行く・連れて行く」 →「take」


2.特定の場所→話し手

特定の場所から、話し手の方に「来る」 →「come」

特定の場所から、話し手の方に
「持って来る・連れて来る」→「bring」


3.話し手と聞き手が違う場所にいる時、
話し手→聞き手のいる場所

ここが、日本語と英語の全く違うところで、《話し手が聞き手のいる場所に行く、または持って行く場合は、英語では、聞き手の立場に立って考えます。》日本人は、ここだけ押さえておけば大丈夫!

*話し手と聞き手が違う場所にいて、

話し手が、聞き手の所に向かう場合 行く come
持って行く
連れて行く bring

理論的には、こんな感じですが、頭だけで分かっていても、実際話そうとすると、意外と簡単にはいきません。そこで、例文で覚えてしまいましょう。習うより慣れろ!何度も音読して、暗唱できるくらいになれば、使える英語のなるはずです!
<引用終了>

でも、こういうのって コンテキストもなしに 単文だけをバラバラに覚えてもダメなのではないでしょうか? 何度も音読して、暗唱できるくらいになっても、シチュエーションをイメージできないと、使える英語にはならないのではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

hdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11311912586

594Hart Bel:2025/03/09(日) 16:43:16
Q:
英語学習において、文法や単語を暗記することはもちろん大切ですが、実際に使えるようになるためには、それだけでは不十分だと感じています。
特に、動詞のニュアンスを理解し、適切な場面で使いこなすことは、簡単なようで奥が深いですよね。

ところで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/2special3.html )からの引用です。

<引用開始>
①goとcome、takeとbringの使い方

とてもよく使う動詞ですが、日本人には、使い分けがとてもむずかしい!学校では、「go」→「行く」、「come」→「来る」、「take」→「連れて行く」、「bring」→「持って来る」とまず習うのですが、話し手と聞き手が違う場所にいる時、日本語と真逆になることがあります

1.話し手→特定の場所

特定の場所に「行く」 →「go」

特定の場所に「持っ行く・連れて行く」 →「take」


2.特定の場所→話し手

特定の場所から、話し手の方に「来る」 →「come」

特定の場所から、話し手の方に
「持って来る・連れて来る」→「bring」


3.話し手と聞き手が違う場所にいる時、
話し手→聞き手のいる場所

ここが、日本語と英語の全く違うところで、《話し手が聞き手のいる場所に行く、または持って行く場合は、英語では、聞き手の立場に立って考えます。》日本人は、ここだけ押さえておけば大丈夫!

*話し手と聞き手が違う場所にいて、

話し手が、聞き手の所に向かう場合 行く come
持って行く
連れて行く bring

理論的には、こんな感じですが、頭だけで分かっていても、実際話そうとすると、意外と簡単にはいきません。そこで、例文で覚えてしまいましょう。習うより慣れろ!何度も音読して、暗唱できるくらいになれば、使える英語のなるはずです!
<引用終了>

でも、こういうのって コンテキストもなしに 単文だけをバラバラに覚えてもダメなのではないでしょうか? 何度も音読して、暗唱できるくらいになっても、シチュエーションをイメージできないと、使える英語にはならないのではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11311912586

595Hart Bel:2025/03/10(月) 10:56:26

Q:
英語を学ぶ上で、日本語との構造の違いは避けて通れない課題のひとつです。
特に、日本語では「形容詞」がそのまま述語として機能するのに対し、英語では必ず「動詞」が必要となるため、be動詞の理解が不可欠になります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。例えば、次の文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/1defferEnglishJapanese.html#twotypes )から文を拝借しました。

"The flower is beautiful!"
"I am busy now."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が分かりやすかったでしょう。

"De bloem is mooi!"
"Ik ben nu bezig."

英語のbeは オランダ語では zijnなので、なんら戸惑うこともなかったでしょう。
ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「その花はきれい!」
「私は今忙しい。」


和訳も特に難しくは ないようです。ところが、中には この日本語の文を英語に直す時に、be動詞を忘れてしまう人がいるようなのです。そこで、そのサイトでは 次のように解説しています。以下、引用です。

‹引用開始›
≪・・・
(例)「その花はきれい!」
この文をそのまま英語にすると、
"The flower beautiful."
しかし、「beautiful/きれい」は形容詞で、動詞ではないので、動詞が入っていないこの文は間違いです。正しくは、「be動詞のis」を加えて文を作ります。

"The flower is beautiful!"

be動詞は日本人には特にむずかしい動詞ですが、意味を「です。ある。いる。なる。」と覚え、be動詞(現在形の場合)が出てきたら、必ず4つのうちのどれかで直訳しておくと、英作文を作る時や英語を話す時に役立ちます。
つまり、この文を直訳すると、

「その花はきれいです。」

「です」は日本語的には動詞とは言えませんが、英語では立派な動詞です。そして、この「です」を入れる作業が大事です。
・・・・

日本人にとってやっかいなのは、簡単そうに見えて実はむずかしい、be動詞です。上の③でも触れましたが、be動詞の意味を、「です、いる、ある、なる」と覚え、必ず訳すようにすると間違えが減ると思います。・・・

(例)「私は今忙しい。」

これを英語で言うと、どうなるでしょう。
"I am busy now."

日本語では、「忙しい」という形容詞が述語となりますが、英語は「動詞」を必ず入れなくてはなりません。形容詞と一緒に使われるbe動詞の「です」という意味をしっかり入れて、以下のように直訳するくせをつけておくと、英文を作ったり、英語を話したりする時に、be動詞を入れ忘れることが少なくなります。

「私は今忙しいです。」

何度も書きますが、この「です」を入れる作業が大事です。このように訳しておくと、後々、英語の上達に大きく役立ちます。中学生だけでなく、大学受験生にも、たびたび注意しているところです。≫
‹引用終了›

そのサイトでは、「be=です」と覚えることを推奨していますが、それなら、逆に 「僕は野球が好きです。」を、“I am like baseball.”というように、余分な be動詞を挿入してしまうミスを犯してしまう人もいるかもしれません。

そこで質問ですが、このような誤解を防ぐためには、どのような学習方法や意識の持ち方が有効でしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10312024010

596Hart Bel:2025/03/11(火) 04:58:40
Q:
英語とスペイン語、どちらの言語を習得する方が難しいと感じますか?

発音、文法、語彙、様々な側面から比較検討することで、それぞれの言語の難しさが見えてきます。

先ずは、発音面で。
例えば、animalという単語ですが、これは 英語もスペイン語もスペルが同じで、意味もほぼ一致します。

ところで、↓の動画の 5:48頃をお聴きください。

www.youtube.com/watch?v=QpcmwopGDxw&t=357s

動画の女性は animalを「アニマる」と、ほぼスペル通りに発音しています。
でも、英語だと 発音記号では【ˈænəm(ə)l】で、むしろ、「エネモ」または「エナモ」みたいに聞こえます。一方、スペイン語なら、スペル通りに発音して OKです。

それにしても、英語の学習サイトなのに、スペイン語に近い発音というのも 何とも皮肉ですね。


次は 文法面で。
例えば、次の英文です。

① I must go out today.

ここで、todayをyesterdayに変えて過去形にしてみます。mustには過去形がないので、have toに置き換え、これを過去形にします。

② I had to go out yesterday.

次は todayをtomorrowに変えて 未来形にしてみます。これも、mustはwillと併用できないので、have toに置き換えます。

③ I will have go out tomorrow.

それでは、今度は 否定形です。mustの否定形は禁止を表わします

④ I must not go out today.

これも、 todayをyesterdayに変えて 過去形にしてみます。 これも、mustをhave toに変えて... ちょっと待って、have toの否定形は mustと違って禁止を表わせないので どうしよう?

⑤ I didn't ・・・ go out yesterday.

それじゃ、todayをtomorrowに変えて 未来形に....

⑥ I will not ・・・go out tomorrow.

困っちゃったなあ....
でも、スペイン語なら 何ら悩む必要がありません。

① Debo salir hoy.
② Debí salir ayer.
③ Deberé salir mañana.
④ No debo salir hoy.
⑤ No debí salir ayer.
⑥ No deberé salir mañana.

それと、こんなのも。

「彼女は私の娘より小さい。」

スペイン語では

Ella es más pequeña que mi hija.

ごく簡単な文です。
じゃあ、英語では、

She is ( )than my daughter.

括弧には何が入ると思います? 簡単な文のはずなのに、 英語は なかなか手ごわいですね。


では 付加疑問文です。

「今日は暑いですね。」

英語では、”It is hot today, isn't it?”
スペイン語では、”Hace calor hoy, ¿verdad?"

「俺はまだ若いだろ。」

英語では、"I'm still young, ・・ I?"
フランス語では、"Aún soy joven, ¿verdad?"

英語では amとnotで 短縮形ができないので、どうしよう?


それから、次の文です。

「私は君を2時間待っている。」

英語では、”I have been waiting for you for two hours."
現在完了進行形を用いた文で、中学では習わない文法です。
その他にも 中学で熟語として出て来るものの、wait forのforは前置詞なのに、後続の名詞や代名詞よりも 先行する動詞と強く結び付き、本来 自動詞であるはずの waitが他動詞的な働きをしています。このような働きをする前置詞は adverbial particleと呼ばれるものですが、高校の英文法にも登場しない用語です。

スペイン語では、"Te espero desde hace dos horas."
動詞も単純に他動詞で、普通に現在形なので、大学でも最初のうちに習うはずです。

そこで質問ですが、総合的に英語とスペイン語ではどちらが難しいですか?
また、他にも 英語の方がスペイン語よりも難しい部分がありましたら、教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12312060992

597Hart Bel:2025/03/11(火) 10:59:12
Q:
英語学習において、仮定法は多くの学習者が苦労する分野の一つです。特に日本語話者にとって、英語の仮定法は時制の概念が曖昧に感じられ、理解を難しくしている要因の一つと考えられます。
そこで、とある 英語学習のサイト(makki-english.moo.jp/5subjunctive1.html )から文を借りました。

"If I were a bird, I could fly to him."

↑のサイトでは 日本語は時制があいまいだというので、「今」を補足して訳しています。

「もし私が今鳥であったなら、私は今彼の所に飛んでいけるのになあ。」

何とも、ユニークな訳し方ですが、ロシア語を思い出しました。ロシア語に訳すと こうなります。

"Если бы я был птицей, я бы мог прилететь к нему."

なるほど、そのサイトの主は あたかも 一旦ロシア語に訳して、быを「今」と訳したようにも感じます。

そこで質問ですが、日本語において仮定法の時制を明確にするために、「今」という補足を入れることは、一般的にどの程度適切なのでしょうか? また、英語の仮定法を学ぶ際に、ロシア語のбыのような要素を参考にすることは、日本語話者にとって理解を助ける手がかりになるのでしょうか?

A:
私みたいな者が言うのはなんですが:

この主を見ればわかる通り、
「ロシア語のбыのような要素を参考にすることは」混乱しかもたらさない
と思います。

というのは、
Если б знали вы, как мне дороги
Подмосковные вечера.
みたいな文には慣れてても、
そこにいきなりбыが出て来たり(бはありますが、笑)、
Я птица.と言えばいいものを、
птицейと格変化してると、
一時的ないし半永久的に頭が混乱状態、錯乱状態に陥るのです(笑)
(ロシア語学習者なら誰でも体験することかもしれません。)

そこで、このбыを訳出しようと焦ります。
If I should be a bird...
そうか、これで行くしかない!と一瞬思いますが、
shouldとбыは何の関係もないことに気づきます。
そこで、突然浮かんだこの未来の仮定を表すこのshouldを打ち消すため、
nowを持って来る(shouldじゃないだろ、nowだ!)、
そういうメカニズムで精神的過剰反応もしくは補償反応が
起きてるのだと思われます。
бы→should→nowと複雑な仮定でなく過程が含まれてるんです!

その後、何とか難局を乗り越えた主は、ひとり静かに、
Трудно высказать и не высказать
Всё, что на сердце у меня.
と公共の場では発表しませんが、反省するのです。
このフレーズを「直訳では伝わらないことが多い」と
意訳することはできないのです(笑)
また"высказать и не высказать"となってることには首をひねり、
「どっちか1つにしとかないと、わからんだろ!」と
グチをこぼしたりもするのです。
(ソ連の唯物論弁証法が背後にあるなんてことは
「直訳」と関係ないため、どうでもいいのです。)

主は公共の場では、
Так, пожалуйста, будь добра.
Не забудь и ты эти летние
と言うのです。
前半はロマンに浸るために必要なだけで、
言いたいことは"Не забудь"だけなんですが…

もちろん、
Песня слышится и не слышится
В эти тихие вечера.
みたいな弁証法的な文に出会うと、
「歌は聞こえる、そして聞こえない」とここでも「直訳」を
持ち込みます。
この頃のロシアは社会主義バリバリのソ連でしたから、
レーニンやマルクスの教えを踏まえ、弁証法的に
「歌は聞こえると同時に聞こえない」とか、
やや煩雑にはなりますが、
「歌は聞こえる様で聞こえず、聞こえない様で聞こえる」
と訳すのが、当時のソ連文化に基づいた意訳だと思われます。

しかし、ここの主がフランス語を知らないのは幸いです。
なぜなら「ne 〜 pas」を訳す場合、単語が2つあるため、
"Je ne vole pas."みたいなものに遭遇すると、
「私は飛ばずない」みたいに訳すからです!(笑)
"Я птица."で「Be同志(товарищ)を抜かしてはいけません!」
(革命の精神に反するため。)
と言って喜んでるうちが華です!

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10312089880

598Hart Bel:2025/03/11(火) 15:51:08
Q:
英語を話せるようになるためには、単語やフレーズをただ暗記するだけでなく、それらを実際の会話や文章の中で適切に使いこなせることが重要だと思います。
ところで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3passivevoice1example.html )では
≪何度も繰り返し音読し、覚えてしまいましょう。最終的には和訳だけ見て、英文が出てくるようになると、英語が話せる感覚がつかめます。≫
と言っています。しかし、コンテキストもなしに 脈絡のない英文とその和訳を暗記して、日本語→日本語の翻訳練習をしたところで、英語が話せる感覚はつかめないのではないでしょうか? 別のページ(makki-english.moo.jp/3passivevoice2juniorexample.html )では、次のような例文があります。

≪The computer is amazing. そのコンピューターは・驚くほどのものだ→すごい。≫

amazingという単語はよく使いますよね。でも、「そのコンピューターは・驚くほどのものだ→すごい。」という文を条件反射的に「The computer is amazing. 」と訳せるようになっても、どこまで、amazingのニュアンスを掴んで 使いこなせるかは 甚だ疑問です。

そこで質問ですが、単に日本語訳を丸暗記するのではなく、「amazing」などの単語のニュアンスを正しく理解し、自然な英語表現として使いこなせるようになるには、どのような学習方法が効果的でしょうか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11311934556

599Hart Bel:2025/03/11(火) 16:10:01
Q:
英語を学ぶ日本人にとって、受動態や定冠詞の習得は難しい課題のひとつです。
特に、日本語と英語の文法構造の違いから、受動態を直訳すると不自然になったり、定冠詞の「the」を適切に理解できず、曖昧に訳してしまったりすることが少なくありません。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/3passivevoice1example.html )から英文を借りました。

"I was very surprised at the news."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

“Ik was erg verbaasd over het nieuws.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「私はそのニュースにとても驚きました。
←私はそのニュースにとても驚かされました。」

ここで、問題点が2つあります。1つは英文では 受動態になっていて、そのまま オランダ語でも受動態で訳して 問題ありませんでしたが、日本語では 不自然になることです。もう1つは、あっさり見過ごされがちな点ですが、定冠詞のtheです。
定冠詞のtheは オランダ語では deまたは hetになり、定冠詞の使い方も 英語とオランダ語は似ているので、諭吉にとっては 呑み込みやすかったと思います。ところが、定冠詞は日本語にはないので、初めて英語を学ぶ日本人にとっては なかなか難しいのにも関わらず、適当に「その」と訳したり、無視したりして、疎かにされがちです。「私はそのニュースにとても驚きました。」という訳が間違いとは言えませんが、「そのニュース」というのは、聞き手はすでに知っていて、話し手が、そのニュースを聞いて驚いた というニュアンスがありますが、the newsだと、すでに言及しているニュースではあっても そこまでの意味合いはありません。というのも、theは thisとthatの中間の、スペイン語で言えば、esoのような指示形容詞ではないからです。そのサイトでは「 何度も繰り返し音読し、覚えてしまいましょう。最終的には和訳だけ見て、英文が出てくるようになると、英語が話せる感覚がつかめます。」と書いていますが、コンテキストもなしに 単文単位で 和訳だけ見て、英文が出てくるようになっても 英語が話せる感覚がつかめるかは 甚だ疑問です。

そこで質問ですが、英語の受動態や定冠詞の使い方を、日本語を母語とする学習者がより自然に理解できるようにするには、どのような学習方法が効果的でしょうか?また、単文単位での和訳暗記ではなく、文脈を重視した英語学習を実践するための具体的なアプローチについて、ご意見をお聞かせください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312014529

600Hart Bel:2025/03/12(水) 12:35:13
Q:
英語と日本語は、語順や構造の違いが大きく、直訳すると不自然になりがちです。特に、英語の情報の流れをそのまま日本語に移そうとすると、意味のつながりが悪くなったり、再読が必要になったりすることがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6baseball2018AprOtaniShoheitranslation.html )から 英文を借りました。

"(CNN)He was on the road Sunday, /but it didn't matter. //The buzz still was palpable in Oakland, California,/ as 14,644 fans turned up at the ballpark /to see the rookie/ known as the Japanese Babe Ruth."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。(諭吉が生きていた時代じゃないだろ という突っ込みはご勘弁ください。)

"(CNN)Hij was zondag onderweg, /maar het maakte niet uit. // De opwinding was nog steeds voelbaar in Oakland, Californië, / toen 14.644 fans naar het stadion kwamen /om de rookie te zien/ die bekendstaat als de Japanse Babe Ruth."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「(CNN)彼は日曜日に遠征中であった/しかしそれは、問題にならなかった。//興奮はまだカリフォルニアのオークランドでは明白であった。//14,644人のファンが野球場に現れ(→訪れ)/新人選手を見るために/日本のベーブルースと知られている(新人を)。」

区切り同士が スムーズにつながらず、読みにくいですよね。私は これを「ディスコネクト」と呼んでいます。そして、これを少しでも改善しようとして、「(新人を)」を補っていますが、the rookieを再読する形で 却って面倒になり、これはこれで ややこしいいですね。(それと、rookieは ルーキーでいいと思うんです。) 私は これを「タングリング」と呼んでいます。そして、そのサイトの 他のパラグラフでは「次の」とかも よく使っていますね。まさに、英語と日本語の相性の悪さを物語っています。

そこで質問ですが、英語と日本語の相性の悪さを克服し、より自然で読みやすい和訳を行うためには、どのような工夫やアプローチが有効だと考えられますか?例えば、語順の工夫や補足の仕方など、具体的なテクニックがあれば教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11311961616

601Hart Bel:2025/03/13(木) 12:48:33
Q:
英語を学ぶ際、日本語に直訳するとかえって意味が分かりにくくなることがあります。特に、英語と日本語では文の構造や論理の組み立て方が異なるため、直訳だけでは適切に意味をつかめない場合が少なくありません。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から英文を引用しました。

"Madrid, where he first met her, is the capital of Spain and a beautiful city."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

“Madrid, waar hij haar voor het eerst ontmoette, is de hoofdstad van Spanje en een prachtige stad.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「マドリッドは、そして、そこで彼は初めて彼女に会いましたが、スペインの首都で美しい町です。」

変な日本語になってしまって、英語よりも分かりにくくなっています。ここで、「そして」とは ある事柄に続いてもう一つの事柄が起こるときに用いる語ですが、その ある事柄とは何なのか 一瞬首を傾げます。

そこで、質問ですか、今回引用した英文のように、日本語に直訳すると意味が分かりにくくなる英文に出会った場合、どのように理解を深めれば良いでしょうか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312121916

602Hart Bel:2025/03/13(木) 18:33:03
Q:
英語学習において、単に文法を理解し、文章を暗記するだけでは、実際の会話の中でスムーズに使えるようになるとは限りません。
特に、過去完了のような文法項目は、和訳を通して学ぶだけでは、適切な場面で自然に使いこなすのが難しいこともあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/3presentperfect3.html )から英文を引用しました。

"The game had already begun when I arrived at the stadium."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

“De wedstrijd was al begonnen toen ik bij het stadion aankwam.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「私が、スタジアムに着いた時、その試合は既に始まっていました。」

過去完了の文ですね。過去完了は未来完了よりは易しいとは思いますが、それでも、そのサイトでは「直訳を基本とします」と書いているものの、和訳には反映しにくいですよね。それで、「頭で理解するより、大事なのは、スラスラ英文を言えることです。何度も音読して、練習してください。できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言えるようにしましょう。」とも書いているものの、コンテキストを度外視した脈絡のない英文の羅列の和訳を機械的に再翻訳する練習を重ねても どれだけ 状況に応じて スラスラ英文を言えるようになるかは 甚だ疑問です。

そこで質問ですが、このような過去完了の文を含む英文を、ただ音読して暗記するのではなく、実際の会話の中で自然に使えるようにするためには、どのような学習方法が効果的でしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312198906

603Hart Bel:2025/03/15(土) 06:33:40
Q:
英語を学ぶ際、単語や文法を覚えるだけでなく、実際にその表現がどのような場面で使われるのか を理解することが大切です。
特に、日本語と英語では同じ意味の表現でも使われる状況やニュアンスが異なることがあり、直訳だけでは適切に伝わらないこともあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/3passivevoice2juniorexample.html )から英文を引用しました。

"The book is very interesting."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Het boek is erg interessant."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「その本はとてもおもしろいです。」

ごく簡単な文ですが、注意点がいくつかあります。というのも、そのページでは
「頭で考えるより、スラスラ言えるまで、例文を何度も音読しましょう!
出来るようになったら、和訳だけを見て、英文を言う練習をしてみてください。」
とありますが、コンテキストもなしに単文だけを和訳しても ニュアンスが全く分からないことです。

先ずは、定冠詞のtheです。

「その本はとてもおもしろいです。」を "The book is very interesting." と訳した場合、少し変なシチュエーションとしては、以下のような状況が考えられます。

* あなたは友人と本屋にいます。
* 友人が手に取った、少し古びた本を見て、あなたは言いました。
* "The book is very interesting."

* この状況では、特定の「その本」を指しているため、"The book" よりも "That book" を使う方が自然です。
* "The book" は、一般的な「本」を指すニュアンスが強く、特定のものを指すには少し曖昧です。
* この状況では、友人が手に取った特定の「その本」を指しているため、"That" が適切です。
* "That book"と言うことで、話し手と聞き手の間で、どの本の事を言っているのか明確になります。

次は、interestingです。「おもしろい」に対応する英語としては 他にも funnyがありますが、訳語を共有していても 英語では同義語とは言えず、相互互換性はあまり高くありません。ですから、こんな表現もありえます。

"This book isn't so funny, but quite interesting."

それと、英語を訳す時と、普段私たちが話す日本語とでは 文体の乖離が大きいことです。最初の英文をカジュアルに訳せば、「本、すごく おもしろいよ。」となるでしょう。

そこで 質問ですが、皆さんは 英語の例文を覚えるときに、どのようにして文のニュアンスや適切な使い方を身につけていますか? また、例文を覚える際に意識していることや、実践している学習法があれば、ぜひ教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13312243838

604Hart Bel:2025/03/15(土) 13:10:06
Q:
英語の発音を学ぶ際、日本語話者にとって特に難しいのが母音や子音の微妙な違いです。
さて、私が中学生の時、英語の先生は、英語の授業以外でも、例えば 校内アナウンスなどで 「○年C(スィー)組の生徒は.......」と言っていました。英語の先生だからと言っても 何ともなくわざとらしく少し滑稽に聞こえたものです。

↓の動画の 1:17にあるような発音です。

www.youtube.com/watch?v=WQdRHxjeajg&feature=youtu.be

しかし、ネーティブがCを発音すると もっと「シー」に近いというか、「スィー」と「シー」の中間のように聞こえます。恐らく、中学の時の英語の先生は 「シー」になってはいけないと意識するあまり、「C」を発音した時に、口の形と舌の位置が「ウ」に近い形で、つまり、舌先が下の前歯から歯茎に移動し、唇を横に引くのが不十分な状態で 「イー」と発音した為に 母音自体が普通の「イー」とは微妙に違ってしまったと考えられます。丁度 ロシア語の “сы”の音です。
でも、正しい英語の発音だと sの子音がロシア語のように軟音化することなく、iの母音が続きます。
かといって、ロシア語の "съи " の音のように 分離されることなく 滑らかに 子音の後に母音が続きます。

最初の動画では seeの後に eatが出て来ますが、seeを発音した直後に、唇をそのままの形に保ち、すぐさま eatを発音すると、確実に唇が左右に広がるはずです。

そこで質問ですが、日本語話者が「see」を発音するときに、無意識のうちに「сы」寄りになってしまう要因として、舌の位置や唇の動き以外に考えられることはありますでしょうか?また、ネイティブのような自然な「see」の発音に近づけるためには、どのような意識や練習方法が効果的だと思われますか?

A:
「カケキコク」と言った直後に「サセシソス」と言ってみると、
なにやら言いにくいです(笑)
違和感があるのです。
「カケキコク」はスムーズな音の移行になりますが、
「サセシソス」はど真ん中にかなりの違和感があります。
Sの中にSHという変なのが入って来るからです。
「サセニソス」や「サセミソス」の方が言いやすいぐらいです(笑)
この「シ」だけが異質なんです!

しかし、こういうことはどんな切り口で行こうが、どの様に説明しようが、
あまり実践と結びつかないことが多いです。
なぜ?
そもそも日本語では「子音と母音を分ける」習慣が全くないからです。
「SUでなくて、Sだけ言ってみろ!」と言っても、できなかったりします。

「子供に音声学を教えるとは何事だ!」と言ってくるMPが怖いため、
音声学でなく、歯磨きを教えます。
まず、歯磨き粉をたくさんつけて歯を磨いてもらいます。
この状態で「タチツテト」や「ナニヌネノ」を言ってもらいます。
普通は言えないか、すごく言いにくいか、苦しいです(笑)
その後で「アイウエオ」も言ってもらいます。
誰でもすんなり言えるでしょう。

「投稿できません」が度々出て、原因が明らかにならないため、
すみませんが、以下に分けて投稿させていただきます。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312288654

605Hart Bel:2025/03/16(日) 14:38:33
Q:
英語の学習を進める中で、単語や表現の訳し方が文脈によって微妙に異なることに気づくことがあります。特に、専門的な用語や技術的な表現は、日本語に置き換える際に注意が必要です。
さて、とある英語学習サイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )からの引用です。
とある ネットニュースの記事を解説しています。11パラグラフの1文です。

〈引用開始〉
≪And with visual audio annotation software/ they can review recordings,/ and highlight and annotate/ where people drop articles, abbreviate, flip sentence structure/ or see how they use slang.
*audio visual=av機器、音響映像機器
*annotation=注釈≒explanation
*highlight=〜を目立たせる
*annotate=アナテイトゥ=注釈をつける
*flip=〜をひっくり返す
*slang=俗語
そして、音響・映像機器の注釈《話し手の言葉を瞬時に文字に起こすようなこと…テレビのワールドニュースなどで見かける》ソフトがあれば、/彼らは記録を復習することができます。/そして、(次のこと)2 を目立たせ、注釈をつけることができます。/1 人々が、どこで、冠詞を・落とし[→省き]、省略し、文の構造を・ひっくり返すか[→倒置するか] 《間接疑問文》/3 または、彼らがどのように俗語を使うかを見ることができます。《review, highlight, annotate, see が同格で、主語they canに対する動詞》≫
〈引用終了〉

そこで質問ですが、上記の解説では annotation を「注釈」と訳していますが、コンテキストから考えると、日本語でも使われる 「アノテーション」(データにタグやメタデータを付与する作業)という意味のほうが適切ではないでしょうか?

また、 highlight についても「目立たせる」と訳されていますが、文書や文字列を強調表示する 「ハイライト表示する」 という意味のほうが自然に感じられます。

このように、より文脈に合った訳語を選ぶべきではないかと考えたのですが、この点についてどのように思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312346374

606Hart Bel:2025/03/16(日) 20:31:55
Q:
英語学習の難しさは、時代が変わっても共通の課題です。特に、抽象的な文章の理解は、多くの学習者が苦労する点でしょう。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師は 自身のページ(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でとあるネットニュースの記事を解説していますが、第7パラグラフの文です。(予め スラッシュを入れています。)

"With a gift for self-expression,/ we can demonstrate wit and empathy/ and develop those little language quirks/ that our friends recognise as being unique to us."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Met een gave voor zelfexpressie,/ kunnen we humor en empathie tonen/ en die kleine taalkundige eigenaardigheden ontwikkelen/ die onze vrienden herkennen als uniek voor ons."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

≪・・・
自己表現の才能で、/私達は機転[気の利いた話]と共感を表に出し/ そして、2 それらの小さな言葉の妙な癖を展開できます。.../1 私達の友人が、私達にとってユニークであると認識する(癖を)...》
意訳(例): 自己表現できる能力を持っているから、私たちは、機転の利いた話をしたり、人に共感することができ、友人がユニークだと思えるレベルまで、言葉にひねりを加えることできるのです。≫

それほど複雑な文ではありませんが、内容もやや抽象的です。スラッシュリーディングと直訳で解読しても非常に分かりにくいです。また、スラッシュリーディングは スラッシュで区切ったまとまりごとに、前から順番に直訳しながら理解していくのが原則のはずなのに、そのサイトでは漢文の訓読のように番号を振っています。しかも、和訳が入れ子構造になっています。それに、「(癖を)」を再読しているのも気になります。更に、意訳(例)も少し見当外れです。

そこで質問ですが、現代の英語学習者が、福沢諭吉のように外国語習得のアドバンテージがない状況で、効果的に英語力を高めるためには、どのような学習方法や考え方が有効でしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13312337608

607Hart Bel:2025/03/17(月) 06:09:08
Q:
英語学習において、題材選びは学習効果を大きく左右する要素の一つです。特に、学習初期段階である英検3級〜準2級レベルでは、学習者の負担を考慮し、適切な題材を選ぶことが重要となります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/6proverb2.html )から英文を引用しました。(予め、スラッシュを入れています。)

"To the north from his place, /lived foreign people, Hu, /and there was a fort/ at the border between the two countries."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Ten noorden van zijn huis, /woonden vreemde mensen, Hu, /en er was een fort/ aan de grens tussen de twee landen."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「彼の(居住)地から北には/ 胡(こ・中国語読みでHu))という外国人が住んでおりました/そして城塞がありました/2つの国の間の国境には。」

構文的に、特に難解な箇所はありませんが、和訳で難しいのは Huですね。中クラスの英和辞典には載っていないと思います。まあ、この程度はいいとしても。中国の固有名詞は 英語ではピンインに準拠しますが、日本語では漢字を日本語読みします。ですから、英文中の中国の固有名詞を訳すには 中国語の知識も少し必要になって来ることがあります。そうすると、中国の固有名詞が頻出する文章は 英検3級〜準2級の英語の読み物の題材として適切なのかも少し疑問です。

そこで質問ですが、英検3級〜準2級レベルの英語学習において、中国の固有名詞が頻出する題材を扱うことは、学習者の負担を過度に増やし、英語学習のモチベーションを低下させる要因になり得るのではないでしょうか?また、その場合、より適切な題材の選定基準について、どのような点が考慮されるべきでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10312314875

608Hart Bel:2025/03/17(月) 22:45:29
Q:
英語学習の方法は多岐にわたり、様々なアプローチが存在します。スラッシュリーディングはその一つであり、英語を理解するための1つの手段として知られています。
しかし、その実践方法には様々な解釈があり、時に混乱を招くこともあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師は 自身のページ(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でとあるネットニュースの記事を解説していますが、第9パラグラフの文です。(予め スラッシュを入れています。)

"One solution is for teachers /to encourage students to tap into pop culture,/ in the form of freely accessible online podcasts, music, films, and TV programs/ in the target language."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。(この時代に podcastなんてまだなかっただろ という突っ込みはご勘弁ください。)

"Een oplossing is voor leraren /om studenten aan te moedigen om zich onder te dompelen in de popcultuur, /in de vorm van vrij toegankelijke online podcasts, muziek, films en tv-programma's /in de doeltaal."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「1つの解決策は、先生たちにとって、4 (次の事をすること)です。/3 生徒達が若者の大衆文化を利用できるように励ますこと。/2 自由に利用可能なオンラインのポットキャスト、音楽、映画、そしてテレビ番組の形で/1 目標の言葉で。」

それほど複雑な文ではありませんが、スラッシュリーディングは スラッシュで区切ったまとまりごとに、前から順番に直訳しながら理解していくのが原則のはずなのに、そのサイトでは漢文の訓読のように番号を振っています。それで、却って分かりにくくなっています。それに、英語と日本語の意味のズレが積み重なって 文全体の意味の補正が利かなくなっています。また、「(次の事をすること)です。」の部分もかなり苦し紛れ感が半端ないです。

そこで質問ですが、スラッシュリーディングの原則に従えば、英語の語順に沿って前から理解していくべきだと思います。しかし、先述のサイトでは、日本語訳の語順を調整するために番号を振っており、それが逆に理解を難しくしているように感じます。

このような訳し方は、スラッシュリーディングの本来の目的に反しているのではないでしょうか? また、英語の意味のズレが積み重なることで、全体の理解が難しくなる可能性について、どのように考えればよいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312388879

609Hart Bel:2025/03/18(火) 17:26:09
Q:
英語の読解方法としてスラッシュリーディングを活用する人は多いですが、スラッシュの入れ方によっては文の正しい構造を見誤ることもあります。
そこで、とあるネットニュースの記事を直訳とスラッシュリーディングを金科玉条にしている人が自分のサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )で解説しているんですが、ちょっと変な個所を発見しました。以下、引用です。第6パラグラフの最初の文です。

〈引用開始〉
≪⑥ In my view,/ what the teaching of languages currently seems to lack/ is the necessary context/ for what language is.
*context=文脈、背景
私の見解では《=in my opinion》/言語の指導が現在のところ欠けているように見えるものは、《what=the thing which〜の関係代名詞》/2 必要な背景です。/1 言語が何のためにあるかの。≫
〈引用終了〉

ここで、スラッシュが contextとforの間に入っていますが、これによって、necessaryとforの呼応関係を見落としているようです。つまり、この forは necessaryにかかって、何に必要なのかを導いています。そして、そのおかげなのか、そのサイトの主は forがwhatと強く結びついているものと勘違いしています。ここでは whatは先行詞なしの関係節を形成しています。

そこで質問ですが、このようにスラッシュの位置が適切でないことで、文の構造理解に影響を与えるケースは他にもあるのでしょうか?また、スラッシュリーディングを行う際に、どのような点に注意すれば正確に文構造を把握できるでしょうか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13312434723

610Hart Bel:2025/03/19(水) 07:58:36
Q:
リスニング力を伸ばす方法を教えてください

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13310695773

611Hart Bel:2025/03/19(水) 12:52:24
Q:
語学学習において「直訳」と「意訳」のどちらを重視すべきかは、学習者の目的によって異なります。直訳は文の構造をそのまま把握しやすい一方で、意味が不自然になりやすいこともあります。
一方で、意訳は自然な表現を生み出せますが、原文の厳密な意味が損なわれる可能性もあります。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )からの引用です。

‹引用開始›
≪直訳をするのは、あくまで、きっちり読めているかを確認するためです。時間をかけて丁寧に訳す翻訳に近い意訳とは、全く違います。意訳していては時間ばかりかかってしまい、速読できるようになりません。直訳と意訳を、くれぐれも混同しないでください。≫
‹引用終了›

しかし、直訳したところで、きっちり読めているか 確認できるとは 限らないのでは ないでしょうか?
そこで、第10パラグラフにある文です。

They can understand the context for employing certain colloquialisms and how to utilize them to express their personality in a second language.

そのサイトの主は 得意のスラッシュリーディングと直訳で次のように解釈しています。

≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫

それで、この文で用いられている employの同義語は次のうちのどれでしょうか?

① hire
② manipulate
③ apply
④ utilize
⑤ quote

そこで質問ですが、直訳によって「employing certain colloquialisms」の正確な意味が理解できているかを確認することができるのでしょうか?また、この文脈における "employ" の適切な同義語は①〜⑤のうちどれに当たると考えられるでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12312480707

612Hart Bel:2025/03/20(木) 10:50:05
Q:
英語の読解において、直訳と意訳の使い分けは重要ですが、直訳が必ずしも正確な理解につながるとは限りません。
例えば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )では 「直訳は、きっちり読めているかを確認するため」とされていますが、実際には直訳の仕方によって意味を誤解することもあり得ます。

実際に、そのぺージでは、「teachers will bestow a valuable gift on their students」という表現が「先生たちは生徒に価値ある才能を授けるでしょう。」と訳されています。しかし、「才能を授ける」という表現は、まるで先生が神様や魔法使いのように感じられ、不自然ではないでしょうか?
みなさんは どう思いますか?

A:
(11)に
Such tools can ENABLE students to dig deeper into spoken language
and truy study it effectively.

(12)
Ultmiately, teachers of English must find ways to EMPOWER students
to find their voice in order to transform language learnining from
an academic subject into a part of who they are.

In doing so, teachers will BESTOW a valuable gift on their students.

こういうことを書いてるうちに、
「先生って、なんだか神みたいだなぁ」という考えがよぎったのです(笑)
そこで、
「(神みたいな)先生が、こういうことをすることで、生徒たちに
価値ある贈り物(or 才能 or 恵み)を(神みたいに)『授ける』ことに
なるんです。」
と書いてるのだと思います。

しかし、ここまでずっとまじめに直訳をして来た人が、
また、過去にpersonalityを「人格」と訳したり、employに[←雇用する]
なんて注意書きをつけてた場合、
また「今」や「そして」や「まだ」が予期できないところで
かなり活発に活躍してた場合でさえ、
ここで突然「授ける」という日本語を使うと、誰しもが「おやっ?」と
少しは首をひねります。
しかし、これは初犯でないため、つまり、ここまで読んだ人は慣れっこに
なってるため、読み飛ばしてしまうと思います(笑)

>不自然ではないでしょうか?
もちろん不自然です。
でも、他も不自然なため、この人の翻訳としては自然になります(笑)
原文そのものが不自然だったとしても、この人のせいになります(笑)

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312525291

613Hart Bel:2025/03/22(土) 18:43:37
Q:
英語の速読において、直訳を基本にして理解を進めることが重要だとする意見があります。
しかし、英語と日本語では言葉の意味やニュアンスにズレが生じるため、単純な直訳だけではその意図が正確に伝わらないことがあります。例えば、あるニュース記事の一文を直訳してみても、そのニュアンスが失われてしまうことがあります。そこで、とある方によると、
「英語を速読する時に意訳などしていたら、時間ばかりかかります。大事なのは、直訳を元に英語を理解することです。」
だそうです。でも、当然のことながら、英語と日本語の単語には意味のズレがあります。例えば、次の文です。とある ニュース記事(japantoday.com/category/features/opinions/how-to-help-students-of-english-find-their-voice )の第5センテンスの文です。

“Yet 75% of UK adults are unable to hold even a basic conversation in a second language.”

そして、その とある人は自分のサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )で 次のように訳しています。

≪Yet/ 75% of UK adults/ are unable to hold even a basic conversation/ in a second language.
しかし/イギリスの大人の75%は/2 基本的な会話でさえ持つことができない。/
1 二番目の言葉(→第二外国語)で。≫

しかし、それでは ニュアンスが読み取れません。「直訳」が「英単語に数少ない訳語を機械的に当てはめること」であればなおさらです。

そこで質問ですが、直訳を基本にして英語を理解する際、どのようにしてそのニュアンスの違いを埋めることができるのでしょうか?また、機械的な訳語だけでは意味が伝わらない場合、どのようにして文脈や文化的な背景を反映させて、より自然で正確な理解に近づけることができるのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12312438887

614Hart Bel:2025/03/28(金) 20:51:34
Q:
春から高校生になる者です。
英語のリスニングのおすすめの勉強法を教えていただきたいです。
最近英語で喋る方の配信を見ているのですが、話している内容が聞き取れず意味が分からないことがあるので、自分の頭で理解できるようになりたいです。

中学校までで習った単語・文法は、ほぼ理解しています。

実際にとても効果があったり早く上達したと感じられたりした勉強法などあれば参考にしたいです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10312708005

615Hart Bel:2025/03/29(土) 06:59:16
Q:
英語学習って、本当に奥が深いですよね。特に、複雑な文構造とか発音とか、なかなか手強いです。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/2verbpresent2.html )から英文を借りました。

e① What animal do you like?
e② I like dogs.


諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① Van welk dier hou je?
n② Ik hou van honden.

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j① あなたは、何の動物(=どの動物)が好きですか。
j② 私は、犬が好きです。

特に難しい文ではありませんが、いくつか 注目ポイントがあります。先ず、疑問詞は文頭に置かれることです。これは 日本語と大きく違う点ですが、ここは意外にもあっさりと受け入れられやすいかと思います。でも、難しいのは 中上級レベルに達した時です。例えば、
「あなたがどの動物を好きなら、彼はその動物のように優しいですか?」という文を英作するのは 諭吉も苦心していたかもしれませんし、今の英語の中上級者さえも頭を悩ますでしょう。もう一つのポイントは e①では animalが単数形だけれど、 e②では dogが複数形になっています。
それから、意外に見過ごしがちなのは animalの発音です。 そこで、↓の動画の5:47頃をご覧ください。

www.youtube.com/watch?v=QpcmwopGDxw&feature=emb_logo

この動画では「アニマル」と聞こえますが、ネーティブの発音では「エネモ」もしくは「エナモ」に近く聞こえます。諭吉も ↑の動画のように発音していたかもしれませんが、当時は英語はオランダ語に取って代わられたばかりで、書物の翻訳がメインだったので さほど大きな支障はなかったと思われます。しかし、現代では リスニングやスピーキングにおいて発音も重視されるようになってきています。

そこで質問ですが、英語の中上級レベルにおける複雑な文構造を、日本人が効果的に習得するための学習方法について、具体的なアドバイスをお願いします。また、英語学習において、リスニングやスピーキングといった発音の重要性が高まっている現代において、効果的な学習方法やおすすめの教材があれば教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312917846

616Hart Bel:2025/03/29(土) 16:17:24
Q:
日本の英語教育では、文法を体系的に学ぶことが重視されてきました。その中でも「不定詞の用法」は、名詞的・形容詞的・副詞的に分類され、和訳とともに詳しく説明されることが一般的です。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/3infinitive2.html#adjective )から英文を借りました。

"It's time to go."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Het is tijd om te gaan."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「もう行く(べき)時間です。」

不定詞を用いていますが、特に難しい文ではありません。小学校の英語でも よく登場しそうな文です。しかし、そのサイトでは 勿体ぶって 「特別な用法 (高校範囲)」と位置付けています。難しいとしたら、不定詞を名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法というように カテゴライズし、無理に日本語に直訳しようとするからだと思います。ですから、日常的にもよく使われる表現であって何も特別な用法でもありません。
それから、ページの最初の方で、「文法の説明は入れましたが、わからなくても大丈夫!大事なのは、スラスラ英文を言えることです。何度も音読して、練習してください。できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言えるようにしましょう。」 と書いていますが、コンテキストもなしに、脈絡のない英文の羅列の和訳を 機械的に元の英文に還元する練習をしたところで、どれだけ、状況に応じて 適切な英文を使いこなせるかも疑問です。

そこで質問ですが、日本における英語教育では、なぜ依然として「不定詞の用法」を名詞的・形容詞的・副詞的に分類し、それに基づいた和訳を重視する傾向が強いのでしょうか? これは英語の実践的な運用能力の向上にどのような影響を与えていると考えられますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14312909984

617Hart Bel:2025/03/30(日) 10:19:04

Q:
英語を学ぶ際、文法の理解と実際の運用のバランスは常に議論の的となります。
特に、日本の英語教育では、伝統的に文法を重視する傾向があり、その結果として、英語の構造を理論的に説明する力は養われるものの、スムーズな会話が苦手な学習者も多いのが現状です。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/3infinitive6.html )から英文を借りました。

① "I saw ducks cross the street."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Ik zag eenden de straat oversteken."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③「私はカモ(達)が通りを横切るのを見ました。」

特に難しい構文ではありませんが、そのサイトでは、①の英文は 「SVO+原形不定詞は、第5文型/SVOC文になります。」だそうです。でも、この文のパターンは ducksが cross the streetの主語(動作主)になっており、日本式英文法では 一般的な解釈ではありませんが、 ducks cross the streetで infinitive clauseを形成し、その infinitive clauseが sawの直接目的語になっています。それと、原形不定詞という呼び方も少し滑稽です。要は、このパターンの英文の文型を詮索しても ナンセンスなような気がします。

そこで質問ですが、日本の英語教育において、このような文法構造の解釈の違いをどのように捉えるべきでしょうか?また、英語の自然な文の捉え方を身につけるためには、日本式英文法の枠組みにこだわるべきか、それともより実践的なアプローチを重視すべきか、どのような学習方法が効果的だと考えますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312969616

618Hart Bel:2025/03/30(日) 13:04:11
Q:
英語で日常会話が話せるようになりたいです。何からすれば良いですか?勉強方法など教えていただきたいです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10313003985

619Hart Bel:2025/03/31(月) 12:35:17
Q:
英語学習において、代名詞や指示詞の使い分けは、日本語との違いが大きく、簡単なようで 初学者が間違いやすいポイントの一つです。
特に、this、that、itのような単語は、日本語に直訳しようとすると微妙なニュアンスの違いが伝わりにくく、誤解を招くこともあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/8beverb2b.html )から英文を借りました。

e① This is my pen.
e② Is that your pen?
e③ It isn't my pen.

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① Dit is mijn pen.
n② Is dat uw pen?
n③ Het is niet mijn pen.

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j① これは私のペンです。
j② あれはあなたのペンですか。
j③ それは私のペンではありません。

ごく簡単な英文ですが、注意点があります。というのは、this=「これは」、it=「それは」、that=「あれは」にキッチリ対応しているわけではないことです。というのは、e②の文では thatは そのペンは話者から離れたところにはありますが、対話者との距離は分かりません。でも、j②の文だと そのペンは 話者からも対話者からも離れていることになります。e③の文のitは 話者や対話者との距離は関係なく、とにかく、thisやthatで一度言及していることになります。ですから、そのペンを対話者が手に持っているとすれば、e③の文のitは「これは」になるのが普通です。そのサイトでは、「和訳(直訳を基本とします) 」をモットーにしていますが、これでは thisとthatとitの区別が分かりません。日常会話では 特に重要です。

そこで質問ですが、そこで質問ですが、上記のようなthis、that、itの使い分けに関する英語のニュアンスを、日本語で的確に伝えるにはどうすれば良いでしょうか?具体的な例文を交えて、解説をお願いします。

A:
this、that、itの違いを日本語で的確に伝えるためには、「距離感」と「話の流れ(文脈)」の2つに注目して説明するのが効果的です。

まず、「this」は話し手の近くにある物や、これから話す内容を指します。たとえば、ペンを手に持っているときに「This is my pen.(これは私のペンです)」と言います。

「that」は話し手から離れた物を指します。相手の机の上にあるペンを見て「Is that your pen?(あれはあなたのペンですか)」のように使います。

「it」はすでに話題に出た物を指すときに使います。「That is your pen. It is not mine.(それはあなたのペンです。それは私のではありません)」のように、一度登場したものを繰り返すときに便利です。

日本語にすると全部「これ」「それ」「あれ」となってしまうことがありますが、英語では話し手との物理的な距離や、会話の中での登場タイミングで使い分けているのです。

ですから、「英語では物の位置関係や話の流れを意識して単語を選ぶ」と説明し、実際の物を使ってやりとりを再現すると、学習者にもわかりやすく伝えられます。たとえば、ペンを持って「This is my pen.」、相手の方を指して「Is that your pen?」、そのあとに「It is red.(それは赤い)」というように段階的に見せていくと、自然と理解が深まります。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11312763296

620Hart Bel:2025/04/01(火) 20:29:36

Q:
日本人にとって、英語学習は長年の課題ですが、その習得方法については様々な議論があります。
特に、日本語には明確な未来形がないため、英語の未来表現をどのように理解し、自然に使いこなすかは重要なポイントです。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/3future2.html )から英文を借りました。

① "I will play tennis tomorrow."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Ik ga morgen tennis spelen."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③「私は、明日テニスをするつもりです。」

簡単な未来形の文ですね。しかし、ここで 若干 注意点があります。というのは、③の日本語の文は 未来のことよりも 現時点での 意図や意向を表していることです。ですから、こういう場合は 英語でも "I intend to play tennis."ということが多いです。そして、日本語でも単純に翌日の予定なら 普通は「明日 テニスするんだ。」とか「明日、テニスするのよ。」と言うかと思います。③の文は willを和訳に反映させたつもりでしょうけど、日本語には未来形がないので、無理に和訳すると 却って おかしくなります。また、そのページでは最初の方で「スラスラ言えるまで、何度も音読しましょう!できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言う練習をしてみてください。」とありますが、普段、私たちが 日本語を話す時、英訳を意識して 未来のことだから、「私は、明日テニスをするつもりです。」と言わなくっちゃと考える人は誰もいないので、このような練習が どれだけ効果的かも 疑問です。

そこで質問ですが、日本人が英語を学ぶ際に、未来のことを表す表現をどのように習得するのが最も自然で効果的なのでしょうか?また、英語の未来表現を日本語に訳す際に、不自然にならない工夫があれば教えてください。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313078089

621Hart Bel:2025/04/02(水) 06:39:14

Q:
日本における英語学習の先駆者と言えば、福沢諭吉とジョン万次郎が挙げられます。諭吉は英語の前にオランダ語を習得しており、オランダ語をべースに英語を覚えました。
一方、万次郎は 漂流しているところを アメリカの捕鯨船に拾われ、英語を四六時間 全身で浴びて 英語を覚えました。所謂 イマージョンというやつですね。このように、彼らの英語へのアプローチは 正反対ですが、ここでは 諭吉のアプローチを取り上げます。諭吉が英語を覚えたプロセスを辿ってみようと思います。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )から 英文を借りました。

① "I'll help him with his homework tonight."

これを 意味の塊で 区切ります。

② "I'll help him / with his homework / tonight."

これを オランダ語に逐語訳していきます。

③ "Ik zal hem helpen / met zijn huiswerk / vanavond."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

④「私は彼を手伝うつもりです。/ 彼の宿題で / 今晩」

でも、オランダ語の代わりに 日本語に訳すと 区切りの順番が日本語と異なり、日本語の語法まで捻じ曲げてしまうことがあります。そこで、日本語の語法に沿って 丁寧に和訳するのが 主流になりました。

⑤ 「私は今晩、彼の宿題を手伝うつもりです。」

ところが、この方法では 時間がかかると言うので、諭吉の没後、100年もたってから、一部の受験生と通訳志願者の間で、返り読みをなくし、英語の流れで読みましょうと言うことで、④のような訳し方が リバイバルしました。
所謂、スラッシュリーディングですね。でも この程度なら何とかなっても、次のように 少し難解な文だと 訳が分からなくなります。

"With a gift for self-expression,/ we can demonstrate wit and empathy/ and develop those little language quirks/ that our friends recognise as being unique to us."

≪自己表現の才能で、/私達は機転[気の利いた話]と共感を表に出し/ そして、 それらの小さな言葉の妙な癖を展開できます。/ 私達の友人が、私達にとってユニークであると認識する(癖を)≫

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11293422721

そこで質問ですが、日本人が初めての外国語として 英語を学ぶ場合、スラッシュリーディングは有用性が低いのではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12313121217

622Hart Bel:2025/04/02(水) 11:21:06
Q:
英語を学ぶ際、日本語と英語の文法やニュアンスの違いに戸惑うことは少なくありません。
特に、日本語を基準に英語を直訳しようとすると、時制の使い方や細かいニュアンスの違いを正しく理解するのが難しくなることがあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/2verbpresent2play.html )から英文を借りました。

① "What do you do after school?"

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Wat doe je na school?"

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「あなたは、放課後何をしますか。」

難しい文では ありませんが、ここで留意点があります。というのは、①の英文では 普段 放課後 何をしているのか 聞いているのに対し、③の文では コンテキストがないと 断定はできませんが、多くは その日の放課後の予定を尋ねていることです。これは、私たちが 普段 日本語を話す時は、日本語の文法の知識に基づいているのではなく、感覚に依存しているので、英文法の説明に対して 日本語の文法の知識が追い付いていないことが多いのです。また、そのページでは「繰り返し音読し、スラスラ読めるようになったら、今度は、和訳だけ見て英語を言えるようにしてください。英語が話せる感覚がつかめますよ」とも書いていますが、コンテキストを度外視し、機械的に こんな練習を重ねたところで、シチュエーションに応じて どこまで適切に英語の時制を使い分けられるようになるかは 甚だ疑問です。

そこで質問ですが、英語を学ぶ際に、日本語の直訳に頼ることなく、適切な時制やニュアンスを理解し、自然に使い分けられるようになるには、どのような学習方法が効果的だと思いますか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12312977717

623Hart Bel:2025/04/02(水) 18:13:05
Q:
日本における英語学習の先駆者と言えば、福沢諭吉とジョン万次郎が挙げられます。諭吉は英語の前にオランダ語を習得しており、オランダ語をべースに英語を覚えました。
一方、万次郎は 漂流しているところを アメリカの捕鯨船に拾われ、英語を四六時間 全身で浴びて 英語を覚えました。所謂 イマージョンというやつですね。このように、彼らの英語へのアプローチは 正反対ですが、ここでは 諭吉のアプローチを取り上げます。諭吉が英語を覚えたプロセスを辿ってみようと思います。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading2.html#SheSingsWell )から 英文を借りました。

① "She sings a song very well."

短い文ですが、これを 2つに区切ります。

② "She sings a song /very well."

これを オランダ語に逐語訳していきます。

② “Ze zingt een lied /heel goed.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「彼女は、歌を歌います。/とても上手に。」

そのサイトでは 次のように注釈を付けています。

≪↑短い文なので、区切らずにも読めますが、"very well"を強調する読み方もあるので、短くても区切りを入れておきましょう。
×「彼女はとても歌がうまいです。(意訳)」は日本語として自然ですが、直訳しないとSVが何かわからなくなってしまうので、初めは必ず直訳してください。≫

そこで、そのサイトで見落としている部分がいくつかあります。先ず、①の文は現在形で、最も基本的な形で、特に難しいとは思われていないけど、見過ごされがちな点なのですが、①の文は 現在形でも 現在を表していないことが多いことです。というのは、話者が ①の文を言っている時、彼女が歌っているというわけではなく(歌っている最中もありえますが)、過去に何度も歌って、これからも ほぼ確実に歌う見込みがあるということです。つまり、習慣を表しています。そして、ここが 重要なのですが、意味の力点は singという動作よりも、very wellにあるということです。というのは、「歌う」という行為は 上手下手はあっても 殆どの人が必ず行うことであり、歌うのが 上手か下手かが問題だからです。一方、③の文では 習慣なのか、これからの予定なのかも曖昧です。

もう1つの問題は a songです。普段は スルーされがちな 不定冠詞のaが ここでは 大きな意味を持ちます。a songは any songsではないといことです。つまり、彼女は どんな歌でも とても上手に歌うのではなく、十八番の一曲があるようなニュアンスです。まあ、①の文自体 あまり言わないと思います。普通は singだけ十分ですが、①の文を自然に訳すなら、こうなるでしょう。

④「彼女、ある曲 歌うのが すごく上手いんだよ。」

それと、そのサイトでは「しないとSVが何かわからなくなってしまう」と書いていますが、SVを認識するのに、和訳は要らないと思います。

そこで質問ですが、このように英語の現在形が必ずしも現在の動作を指すわけではなく、習慣を表すことが多い点や、不定冠詞 "a" が不特定の一曲を指すニュアンスを持つことを踏まえると、日本語に訳す際にはどのような工夫をすべきでしょうか?また、直訳にこだわることでSV構造を把握しやすくなるという主張について、和訳なしでもSVを認識できる可能性を考えた場合、どのような学習アプローチが効果的だと考えられますか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313152518

624Hart Bel:2025/04/03(木) 11:09:24
Q:
英語学習において、日本語との違いや直訳の限界について考えることはとても重要です。特に、小学生が自然な英会話を身につけるには、学校で習う表現が実際の会話でどのように使われるのかを意識する必要があります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/8verbpresent3.html )から英文を借りました。

"What do you have in your hand?"

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Wat heb je in je hand?"

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「あなたは、(あなたの片方の)手の中に、何を持っていますか。」

さほど 難しい文ではありませんが、若干 留意点があります。先ず、ここでは、何かを持っているのは 誰の手かなんて はっきりしているのに、英語では yourという代名詞の所有格を伴うことです。ちなみに、スペイン語では 英語やオランダ語と違って "¿Qué tienes en la mano?" というように 定冠詞を用いるのが普通です。もう1つは、日本語では「(あなたが)手に持っているのは何ですか?」と尋ねるのが自然です。
それから、このセクションは小学生が対象のようですが、それでも、「以下の基本例文を何度も声に出して読んでみてください。スラスラ読めるようになったら、今度は和訳だけ見て、英語を言ってみましょう。英会話ができるようになりますよ」
と書いています。それに、このサイトは「和訳(直訳を基本とします)」をモットーにしていますが、小学生が「○○ちゃんが手に持ってんの なあに?」と英語で聞きたい場合に、反射的に「(あなたが)手に持っているのは何ですか?」という文に言い換えられるかも 甚だ疑問です。直訳の練習を重ねた 少し利発な子ほど 苦し紛れに "What is ○○ has in a hand?" みたいなブロークンな英語になるかもしれません。

そこで質問ですが、直訳を重視した学習方法が、小学生にとって英語の自然な運用能力を育む上でどのような影響を及ぼすのでしょうか?また、英語と日本語の構造の違いを考慮しながら、より実践的な英語学習方法としてどのようなアプローチが有効だと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313011359

625Hart Bel:2025/04/04(金) 06:25:33
Q:
英語の読解法の1つに「スラッシュリーディング」というのがあります。
そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading2.html#when )からの引用です。

<引用開始>
≪スラッシュリーディングを始める時期は?

スラッシュリーディングが役立つと言っても、あまり早くから練習し始めると、日本語も英語も、どちらもおかしくなってしまうこともあります。初級クラスの英文は、それほど複雑でないので、中学1年〜2年レベル(前のページ)の英語を、しっかり和訳〔直訳〕できるようになってからで良いと思います。この時期、直訳をしっかりできると、後でスラッシュリーディングを習得する時、役立ちます。≫
<引用終了>

しかし、開始時期に関係なく、スラッシュリーディングに依存するることが 日本語も英語も、どちらもおかしくなってしまうことに繋がるのではないでしょうか?
そこで、同じサイトと違うページ(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )からの引用です。

<引用開始>
≪例2:"I'll help him with his homework tonight."

これは、中学2年の初めに、ある教科書に載っていた英文です。この訳を、「私は今晩、彼の宿題を手伝うつもりです。」と訳す先生が多いです。英語教材の訳も、そうなっているものが多いです。しかし、これは意訳です。

もし、この意訳から英文を起こそうとすると、
"I'll help his homework tonight."
という文ができてしまいます。生徒たちは、どうしてこれが間違えか理解できません。先生方は、どのように説明されますか?

私がとても役立つと感じているスラッシュリーディングをしてみます。

"I'll help him/with his homework/tonight."

「私は彼を手伝うつもりです。/彼の宿題で/今晩」

このようにしておけば、helpの後に「手伝ってあげる相手」を、withの後に「仕事の内容」を入れ、便宜上withを「〜で」と訳すと、生徒に教えやすいです。そして、I'll help his homework…としてしまうと、homeworkという生き物(?)を手伝うような、とんでもない感じの文になってしまうと説明すると、生徒は納得してくれます。しかし、ここまで説明する先生は、私の知るかぎりではいませんでした。真面目な生徒に限って、混乱しています。そもそも、この難しい英文を、中学2年の1学期に教えること自体、問題があるとは思いますが…
<引用終了>

この時点で日本語がおかしいです。スラッシュリーディングをするために、区切りを無理やり直訳しています。これでは、日本語も英語も語感が狂ってきます。

そこで質問ですが、スラッシュリーディングを学習に取り入れる際、直訳に偏りすぎることで日本語や英語の自然な語感が損なわれる可能性について、どのように考えますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313200289

626Hart Bel:2025/04/05(土) 10:33:27
Q:
英語力を測る方法についてはさまざまな考え方がありますが、特に「英文和訳の直訳」が総合的な英語力の指標になり得るかどうかは議論の余地があるポイントです。
そこで、とある元英語塾の講師は 自分のサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2opinion1.html ) では 次のように書いています。

<引用開始>
≪ 語彙力も含め、総合的な英語力の見分け方

英文の音読と、英文の直訳をしてもらいます。

1.生徒の学年や実力に合いそうな、1文が長めで、多少難しい語彙が1、2語入った生徒にとって初見の英文を用意します。

2.生徒に音読してもらいます。まず、適切なところで間を開けながら、相手に通じるように読めているかチェックします。この時、イントネーションはどうか。l, f, v, th, nを発音はできているか。sの発音が、無声音になる場合と濁音にな場合など、英語の発音の基本ルールが理解できているかなど、細かいところも同時に観察できると思います。

3.次に、英文和訳の直訳ができるかチェックします。ここが一番重要です。スラッシュリーディングができる生徒は、スラッシュリーディングのやり方で訳してもらいます。訳を聞いていると、生徒の「語彙力」「英文の構造のとらえ方」など、重要な英語力が見えてきます。


中学生であろうと大学受験生であろうと、英文和訳の直訳のできる生徒は、概して英語力が高いです。長文読解問題の点数が高いかどうかは、関係ありません。たまに、英語力がないのに、国語力だけで長文読解問題の点数が高い生徒もいるからです。逆に、読解問題の点数が低くても、英語力はそこそこ高い生徒もいます。全部英文直訳ができるのに、内容を理解できない生徒がいましたが、これは、英語力がないのではなく、国語力がないために起きるとわかりました。ただし、そのような生徒でも、大学の、自分の研究分野に関するむずかしい英語の論文は理解できるようです。国語力だけで英文を理解している生徒には、できないことと思われます。

「英文和訳の直訳がしっかりできるということは、英文の構造を正しく理解できる。英文の構造がわかれば、英作文も得意になる。英作文ができれば、英語を話す力もついてくる。」というのが、私の基本的な考えです。≫
<引用終了>

確かに、長文読解問題だけでは 英語力は測れませんが、全部英文直訳ができるのに、内容を理解できない生徒は 英語力が足りないのであって、国語力はあまり関係ないはずです。また、海外帰国子女なんかは 内容を理解できても 英文直訳が苦手だったりすることも少なくありません。

そこで質問ですが、この元講師の主張するように、英文和訳の直訳力は本当に総合的な英語力を測る上で有効な指標となり得るのでしょうか?また、海外帰国子女のように、内容理解はできても直訳が苦手なケースや、逆に直訳はできるが内容理解が追いつかないケースに対して、どのような英語力評価を行うのが適切だと考えられますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313213629

627Hart Bel:2025/04/05(土) 20:33:39
Q:
英語の形容詞は、日本語の形容詞と少し異なる性質を持っているため、学習者が混乱しやすいポイントがあります。そこで、次のサイトをご覧ください。
makki-english.moo.jp/8beverb2.html

このサイトでは 形容詞を取り上げていますが、形容詞には 形容詞の意味とBe動詞の後に置かれた時の意味があるようですが、そうすると、後者は形容詞ではなくなるのか? そして、hungryの形容詞の意味は「おなががすいた」で、 Be動詞の後に置かれた時の意味は「おなかがすいている」です。それでは、「私はおなかがすいた」、「おなかがすいている猫」は英語でどういうのか? 説明がつかなくなります。

そこで質問ですが、「形容詞の意味」と「Be動詞の後に置かれた時の意味」が異なると考えた場合、形容詞としてのhungryと、Be動詞とともに使われたhungryの関係をどのように説明すればよいのでしょうか?また、「私はおなかがすいた」と「おなかがすいている猫」を英語で表現する際に、形容詞hungryの使い方がどのように異なるのか、ご説明いただけますでしょうか?

A:
一般的には
「形容詞+名詞」(制限用法)は両者の結びつきが強い、
これに対し「名詞+Be動詞+形容詞」(叙述用法)は両者の結びつきが
一時的であることが多い、みたいに説明されてると思います。
主先生は文法書でこれを読み、きわめて真剣に受け取り、拡大解釈し、
我が物としてる感が強いです。

この考え方に従って、
a hungry catとThe cat is hungry.はその様に訳し分けるのだと思います。
なので、
a Hungarian cat「ハンガリー産の猫」
The cat is Hungarian.「その猫はハンガリーの国籍を(一時的に)有して
いる」等と使い分けないといけません!
上の例は半永久的であり、下の例では一時的にHungarianなんです(笑)

この様に厳密に区別していて、
a cat hungry without eating anything for two days
なるものに出くわすことがあります。
これはbe動詞の後でもないし、名詞の前でもありません!
しかし、ここで第3の区別を立てるのは厄介なので、主先生なら、
これは、
a cat which is hungryからwhich isを省略したものであると断定し、
「3日食べてなく、おなかがすいているところの猫」と訳します。
つまり、be動詞+形容詞のパターンと同じになります。
気をつけないといけないのは、関係代名詞の訳し方のみとなります。
(すべてを主先生の意に沿って訳すのは難しいかもしれませんが。)

以下の例でこの区別を守ると、面白い結果になります。
Poor John!「お金のないジョン!」
John is poor.「ジョンはお金がなくなってます。」
この訳し分けにより、
ジョンは半永久的にお金がないのか、それとも、
昨日パチンコや麻雀等でお金をすったのか明白になります(笑)

以下の様な例にも注意が必要です:
She is a dead woman.「彼女は死んだ女です。」
She is dead.「彼女は死んでいる(ところ)です。」
この様に訳すと、上の2番目の文では、sheとdeadの関係が
一時的であることが明白になります!(笑)

「おなかがすいている猫」は、上記の例から明らかな様に、
a cat which is hungryとなります!
ネイティブの人たちは、おそらく、この区別を厳密に行い、
It is not a hungry cat but a cat which is hungry.
「それはおなかがすいた猫でなく、おなかがすいている猫である。」
みたいに、もしかして、言うのかもしれません(笑)
もしも誰もそう言わないとしたら、主先生がアメリカにも布教活動を
広げる必要があるのかもしれません!

これを遊び心でやるのは楽しいと思いますが、
区別がないところで区別を発明すると、
本来ある区別がおろそかになるので注意が必要と思われます。
(Poor John!の例。)


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313167208

628Hart Bel:2025/04/06(日) 05:46:22

Q:
英語学習において、日本語訳を重視する方法はよく見かけます。しかしそのアプローチが、本当に「英語を話せるようになる」ことに直結するのか、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
そこで、↓のサイトをご覧ください。
makki-english.moo.jp/4dictionary.html

以下 引用です。

〈引用終了〉
≪1つ注意して欲しいのは、英文を音読をする時に、日本語の意味を思い浮かべながら音読することです。≫

≪何度も書いていますが、私は、単語を覚える時に一番大切なことは、「正しい発音ができて、日本語の意味がわかる」ことだと思っています。≫

≪英単語は、1語づつ、しっかり日本語訳をつけて直訳することが、英語を話せるようになる近道です。≫
〈引用終了〉

英語の勉強なのに日本語を意識しすぎています。当たり前のことですが、英語を母国語としている人は 日本語よりもはるかに多く、英語を外国語として学習しているのは日本人だけじゃありません。それでも、私たちは 英語を仲介言語として スペイン人やフランス人と コミュニケーションを取ることがあります。これは、彼らと英語の知識を共有しているからであって、英文和訳のスキルを共有しているからではありません。
ところで、例えば、有名な漢詩に「春眠不覚暁 処処聞啼鳥」というのがありますが、私たちは「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く」というように書き下し文にします。中国語が得意なら 中国語学習の一環として、「春天睡得很香,不知不觉天已经亮了,到处都能听到鸟儿的啼叫声。」と現代語中国語に訳すアプローチもありますが、これでは 漢文の学習とは言えません。つまり。漢文とは 昔の中国の文章の意味を理解することよりも 書き下し文にするプロセスこそが重要だからです。
私はこれこそが、英語と漢文の最大の違いだと思うんですが、↑のサイトのスタンスは漢文のメソッドを彷彿とさせます。

そこで質問ですが、英語を「使える言語」として習得することが目的であるなら、文法や単語を逐語的に日本語に置き換えるトレーニングではなく、英語を英語のまま理解する回路を育てる学習の方が、最終的には効率的ではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

A:
ご意見に賛成です

『英文音読時に日本語の意味〜』のくだりは
同時通訳者に求められるような極めて高度な作業で
初学者向けの引用サイトにはそぐわない論理に思えます
また
『英単語は一語ずつ意味〜』も
英語文化圏が積み上げてきた慣用句や汎用的な前置詞
多義語の意味を文脈から選択する事を無視しているように聞こえます

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313312663

629Hart Bel:2025/04/07(月) 11:22:16
Q:
言語学習の歴史を振り返ると、時代背景や社会情勢によって、人々の学習対象となる外国語は大きく変化してきました。
現代の日本において、英語はグローバルコミュニケーションの基盤として、多くの人々が学習に取り組む言語となっています。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3future2.html )から英文を借りました。

① "I will play tennis tomorrow."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Ik zal morgen tennis spelen."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「私は、明日テニスをするつもりです。」

特に 難しい文には思われていませんが、若干 注意点があります。というのは、①の文は未来を表していますが、③の文は 話者が発言している時点での 意図や意向を表しているという点です。ということは、③の文では 話者が翌日、急に体調を崩したり、急に都合が生じて、テニスを出来なくても 言い訳できますが、①の文では 嘘をついたことになるからです。 また、そのページでは 初めの方で「スラスラ言えるまで、何度も音読しましょう! できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言う練習をしてみてください」と書いていますが、こういうことも考えないで、こんな練習を重ねたところで、状況に応じて どこまで 適切に英語を使えるようになるかも 疑問です。

そこで質問ですが、英語を習得する上で、現代の日本人が克服すべき課題は何だと思われますか?特に、単なる和訳や音読に留まらない、言語の深い理解をどのように促すことができるでしょうか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12313248657

630Hart Bel:2025/04/08(火) 05:29:36
Q:
英語学習のあり方について考えるとき、私たちはつい文法や語彙の正確さにばかり目を向けがちですが、本当に大切なのは、相手の意図を正しく理解し、自分の考えを誤解なく伝えることではないでしょうか。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から英文を借りました。

① "My wife, who was delivered of a boy yesterday, looks well now."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Mijn vrouw, die gisteren bevallen is van een jongetje, ziet er nu goed uit."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「私の妻、そして彼女は昨日男の子を出産したのですが、今、元気そうに見えます。」

そのページでは「ここでカンマを付けないと、他にも奥さんがいる感じになってしまう」と書いていますが、ネーティブは そんなにカンマの有無を気にしないけど、
問題は和訳です。「そして彼女は〜」 の方が よっぽど ヤバいです。これは 怪しいですね。この訳だと、前日に男の子を出産したのは 話者の愛人で、話者の妻が それを聞いてショックだったけど、今は元気そうみたいな ニュアンスを匂わせます。

そこで質問ですが、現在の日本の英語教育において、文法や語彙の習得ばかりに焦点を当てるのではなく、むしろ意味の取り違えや誤解を防ぐ「文脈に応じた訳し方」や「文化的背景の理解」をもっと重視すべきではないでしょうか?
みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11313410631

631Hart Bel:2025/04/13(日) 07:06:52
Q:
皆様、グローバル化がますます進む現代において、英語は私たちの生活や仕事において欠かせないツールとなっています。多くの方が幼い頃から英語に触れ、学習に励んでいることと思います。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるページ(makki-english.moo.jp/8beverb5.html )から英文を借りました。

① "Which is your bag?"

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Welke is uw tas?”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そこで、そのページでは 次のように解説しています。

<引用開始>
≪Whichで始まる疑問文(be動詞の場合)の注意点:
《whichが日本人にとって、むずかしい理由》

英語では、Whichから始まる疑問文(be動詞の場合)では、Whichを主語と考えます。日本語で、「あなたのバックはどちらですか。」と質問する時、主語は、「あなたのバックは」と考えがちですが、英語では、「どちらがあなたのバックですか。」のように、主語を「どちらが」と考えて、英文を作ります。

Which is your bag? 主語=Which 動詞=is

「同じじゃないか」と感じる方もいらっしゃると思いますが、この直訳は、必ず、「どちらがあなたのバックですか。」と覚えてください。そうしないと、答え方がわからなくなってしまいます。さらに後で勉強する間接疑問文が出てきた時に、苦労します。
この辺りはとてもむずかしいので、やはり頭で考えるのではなく、基本例文を何度も読んで、覚えてしまいましょう。≫
<引用終了>

私は 訳し方なんか どうでもいいような気がします。英訳を考えて 日本語を話す人なんか誰もいません。それに、このチャプターは 小学生がターゲットのようですが、小学生なら 基本例文を何度も読んで、覚えるよりも、耳で何度も聞いて ロールプレイングゲームでもした方が、100倍効果的だと思います。

そこで質問ですが、「Which is your bag?」のような文を学ぶ際、日本語訳や主語・補語の文法的な区別にこだわることは、本当に小学生の学習にとって効果的なのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11313329691

632Hart Bel:2025/04/15(火) 18:50:53
Q:
英語教育において、教師自身の発音や話し方の質は、学習者の模範となるべき大切な要素だと考えます。そこで、↓の動画をご覧ください。
www.youtube.com/watch?v=KpnYLPefqKY&feature=youtu.be

リンキングやリダクションがなっておらず、かなり不自然です。
まあ、これが 英語以外の外国語が専門で英語を引き合いに出すのなら、この程度は許容範囲ですし、「私は何しろ 英語が専門でないんで。」と言い訳出来ます。でも、曲がりなりにも ターゲットが中学生であれ、数ある外国語の中の英語を専門に教えるからには これでは適当過ぎはしないでしょうか? その動画の女性には 英語は数ある外国語の中でも ダントツに学習者が多いからこそ、厳しい審査の目に晒されることになるという意識はないのでしょうか? 発音の拙さを指摘されても「どうせ相手は中学生だから これで十分。」と開き直るでしょうか?

中には
≪その動画の主なターゲットは小学生〜中学1年とされています。
あなたは、例えば、英語学習初級者に対して native speaker がこのレベルの英語を教えるときにもリンキングやリダクションを多用した話し方をすると思いますか?また、そのような話し方をすることが効果的だと思いますか?私には、そうは思えません。確かに、不味いところがあるのは否定できませんが、さほど頭から否定すべきほどとは思えません。≫
と反論する方も いるかもしれませんが、「初級者向けだから」「子ども向けだから」として、教師側の発音や話し方の自然さがここまで甘く見られて良いのでしょうか?むしろ、初学者だからこそ、最初に触れる英語の音が不自然であることの影響は大きいのではないでしょうか。音声面におけるインプットの質が、その後のリスニング力やスピーキング力の礎を築くことを考えれば、なおさらです。
また、「ネイティブも子ども相手にはリンキングを使わない」とのことですが、それは「すべてのリンキングやリダクションを排除する」という意味ではないはずです。自然な発話の中でも、ゆっくり丁寧に話しつつ、英語特有の音のつながりを示すことは可能ですし、むしろそうすることでこそ、「あ、英語ってこういう音なんだ」と気づく機会にもなり得るのではないでしょうか。そこで質問ですが、
本来、学習初期段階におけるインプットこそが今後の言語習得の基盤を形成するという観点から見て、たとえ対象が小学生や中学1年生であっても、教師が意識的に自然で正確な発音や話し方を示す努力を怠ってもよいのでしょうか?
また、「この程度で十分」とする発想が、知らず知らずのうちに学習者の将来の可能性を狭めてしまう危険性について、どのようにお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313730809

633Hart Bel:2025/04/20(日) 17:18:53
Q:
英語を話せるようになるために、昔ながらの「音読」や「暗唱」といった方法が今も根強く支持されています。実際に、多くの英語学習サイトや教材でもこのような手法が推奨されています。
そこで、とある英語学習サイト(makki-english.moo.jp/2verbpasttense3.html )
では
「スラスラ言えるまで、何度も音読しましょう!
できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言う練習をしてみてください。英会話をする時もきっと役立ちますよ」
という文言が何度も登場します。典型的に古典的な学習法ですが、この方法の欠点や弱点は何だと 思いますか。

A:
「音読」、「暗唱」(ただの丸暗記)の欠点は、単語を替えて応用できないことでしょう。

「スラスラ言えるまで、何度も音読」⇒とにかく口を動かすだけ。
「できるようになったら、和訳だけを見て、英文を言う練習」⇒口がまわるようになったら、和文を見て暗唱(ただの条件反射)。
「スラスラ言えるまで音読。できるようになったら・・・」⇒長時間かけてもスラスラ言葉が出ない人は先に進めない。その時間があるなら、文を理解させたほうが早いでしょう。ゆっくり話してよいので、なぜそのような言い回し(文の構造)なのかを理解しながら音読しないと意味がないでしょう。これでは掛け算の九九を丸暗記させるのと同じようなものです。

この知恵袋でも、英語力ゼロで学習したいという人に対して、「とにかくフレーズを丸暗記すれば話せるようになる」という人がいますが、何も知らない状態で暗記したところでどうなるでしょう。自分で考え、自分の言葉で話すのが人間であり、言語はそのように習得するものです。与えられた言葉を考えずに音読したり、暗唱したりするのは、人間が喋ることをそのまま覚えるオウムと同じレベルです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10313667390

634Hart Bel:2025/04/21(月) 17:21:22
Q:
英語の学習法について考えるとき、私たちはつい現代の方法ばかりに目が向きがちですが、ふと立ち止まってみると、英語学習には長い歴史があることに気づきます。
特に、日本における外国語学習の変遷を振り返ると、そこにはさまざまな工夫と努力の跡が見えてきます。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/2thereis.html )から 英文を拝借しました。

① "There is a cat on the chair."

諭吉なら次のように オランダ語に逐語訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Er is een kat op de stoel.”

そのまま 正しいオランダ語になります。ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしか ありません。

③ 「椅子の上に 1匹の猫がいます。」

この英文は thereを仮主語にしたパターンですが、このサイトでは ページの始めの方で、
≪この文法は、肯定文でも、be動詞の後に主語が来る、中学レベルで習う英語では、「特別中の特別!の文法」です。≫
と いかにも仰々しく書き立てています。

そこで質問ですが、上記サイトの筆者が指摘するように、"There is構文" は中学英語において特異な文法として扱われているにもかかわらず、英語のネイティブスピーカーにとってはごく自然な表現です。このギャップは、日本語を母語とする私たちが英語を学ぶ上で、どのような困難を生み出していると考えられますか?また、このギャップを埋めるためには、どのような学習方法が有効でしょうか?

A:
あのサイトがおかしい
動詞の後ろに主語が来る肯定文なんて見たことがありません
学校ではきちんと教えていると思われます


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313890588

635Hart Bel:2025/04/21(月) 17:47:07
Q:
英語の時制は、日本語と完全に一致するわけではありません。特に未来の表現においては、いくつかの興味深い点が見られます。
ところで、英語では、「現在形」が通常の現在の事実や習慣だけでなく、**確定された未来(確実に起こる予定)**を表すために使われることがあります。これは特に以下のようなケースで顕著です:

#### 時刻表や予定表に基づく未来(行事や公共のスケジュール)

これは「確定性」が非常に高い場合に限られます。たとえば:

- *He leaves for London next Monday.*
(彼は次の月曜日にロンドンへ発ちます。)

- *Our train arrives at ten thirty.*
(私たちの列車は10時30分に到着します。)

これらは「主語の意思」によらず、「すでに決まっている動き」「第三者によって定められているスケジュール」です。
したがって、**現在形**を使って自然に未来を語ることができます。

しかし、すべての未来に現在形を使えるわけではありません。

これはとても重要な点です。

たとえば、あるサイト(makki-english.moo.jp/2verbpresent2have.html )に載っている例:

- *Where do you eat dinner today?*

この文は一見すると、未来を尋ねているようにも思えますが、**「確定的な未来」とは言い難い**状況です。なぜなら:

- 「今日の夕食をどこで食べるか」はまだ決まっていないかもしれない。
- 質問者の提案次第で予定が変更になる可能性がある。
- 柔軟な予定や意思決定を含む場合は、**現在形ではなく未来表現(will / be going to)を使った方が自然**。

例えば:

- *Where are you going to eat dinner today?*
- *Where will you have dinner today?*

このように言った方が、「これからどうするつもり?」という未来の選択に自然に聞こえます。

そこで質問ですが、上記の「確定された未来」を表す現在形と、そうではない未来を表す未来形(will/be going to)を使い分ける上で、最も重要な判断基準は何でしょうか?


A:
公的か私的かですね。
公的であれば、単純現在形で未来のことを表わせます。
例えば、大統領や首相・天皇等の公的行事や公共交通機関のスケジュール、または旅行会社の団体旅行スケジュールなどであれば、単純現在形を用います。
しかし、個人的なスケジュールでは単純現在形ではなく現在進行形やbe going to, willを使います。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313719578

636Hart Bel:2025/04/23(水) 11:40:42
Q:
英語を学ぶ中で、「直訳」と「意訳」のバランスに悩むことがあります。特に中学英語の基本文型であっても、日本語と英語の構造の違いから、意味の取り方や訳し方に迷う場面があります。
そこで、「私は中国から来ています。」は とあるサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )によると、"I come from China."だそうですね。以下 引用です。

〈引用開始〉
≪中学の教科書やテキストで、よく出てくる表現を例に挙げてみます。

例1:"I'm from China."と"I come from China."

これをどちらも、「私は中国の出身です。」と、訳していることが多いのが気になります。なぜなら、前置詞fromをしっかり直訳していないからです。be動詞のamと一般動詞のcomeの明確な違いも判りません。

直訳すれば、「私は中国からです。」と「私は中国から来ています。」になるはずです。とりあえず、このように訳しておけば、生徒は一つ一つの英単語の意味を、正確に把握できます。そこから「出身」の意味が出ると教える方が、生徒には理解しやすい思うのですが、いかがでしょう。

これらは中学1年の最初の頃に習う文法ですが、直訳を教えない学校が多いです。そして、生徒達は、直訳をしない習慣をつけてしまいます。fromの訳を「〜から」と覚えている生徒は、"I practice baseball from four to six everyday."という文を初めて聞いても、理解が早いです。応用が利きます。一般の生徒は、帰国子女とは違うのです。頭の中で、しっかり英文を組み立てられる訓練にもつながる直訳は、とても重要であると思うのですが、いかがでしょう。≫
〈引用終了〉

しかし、私たちは 日本語の文法も よく分かってないことが多いので、直訳したと思っても 日本語に反映しきれないことが多いです。
そうすると、「私は中国から来ます。」を英語では どう言うのでしょうか?
また、“I'm coming from China.”は どう訳したら いいでしょうか?
果たして、↑の サイトの考え方は 合理的と言えるのでしょうか? みなさんは どう思いますか?


A:
直訳することにメリットを何も感じません。
なぜなら、異なる言語間で、単語と単語は一致しないからです。

“I'm coming from China.”
は、中国人が日本に移住したときに言うなら「出身です」でいいかもしれませんが、
アメリカ人が出張で中国に寄った後に日本に来たなら「経由です」にもなり得ます。
あくまでも意味と主旨を理解した上で、最適な日本語を当てるべきと思います。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12313793287

637Hart Bel:2025/04/24(木) 18:09:22
Q:
英語は世界共通語です。英語はドイツ語やフランス語より簡単ですか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13313815668

638Hart Bel:2025/04/30(水) 04:52:02
Q:
英語の勉強をしていると、教材によって表現やアプローチが微妙に異なることに気づくことがあります。
ところで、とある英語学習サイト(makki-english.moo.jp/4adjectiveconj3.html )の形容詞のリストで気になったことがあります。このリストはなぜか日本語が先になっています。そこで、42の「わくわくする」ですが、これは日本語では動詞ですよね。なぜ、日本語の動詞が英語の形容詞に対応しているのでしょうか? また、英単語の覚え方として 日本語→英語の順序には どんなメリットとデメリットがありますか?

A:
おひさしぶりです。

すべては、この先生がどこまで考えてこのリストを作ったか?に
よると思います。
42. exciting「わくわくする」
これだと英語が形容詞で、日本語が動詞であるばかりか、
このまま丸暗記させられた生徒は(さらに直訳の奴隷である場合は)
「私はわくわくします。」をI am exciting.と訳しかねません。
せっかく、
41.「おもしろい」interesting
42.「わくわくする」exciting
43.「驚くべき」surprising
と並べてるのですから、
これらは「動詞から(現在分詞から)派生した形容詞」と教え、
また直訳が好きなのですから:
41.「おもしろがらせる(ような)」interesting
42.「わくわくさせる(ような)」exciting
43.「驚かせる(ような)」surprising
と解説してもバチは当たらないと思われます。

単純に「日本語の動詞が英語の形容詞に対応している」みたいな教え方には
百害あって一利なしと思われます。

日本語→英語の順序:
英語で表現することに飢えてる生徒にはこの語順がいいかもしれません。
しかし、英語を日本語に訳すことが第一と考えている生徒やその段階だと
??です。

42と43はまだしも、41.「おもしろい」= interestingは問題です。
日本語の「おもしろい」の方が英語のinterestingより多義もしくは広義で
あるからです。
日本語と英語の単語は「一対一対応」でない!と早い段階で教えておくこと
は大切ではなでしょうか?

学習者のレベルにもよりますが、
The game excites me.
The game is exciting. (That is an exciting game.)
I am excited with the game.
I play the game with excitement (or excitedly).
「こんな構造になってるだよ」と教えることは有益ではないでしょうか?

Exciteを例にこれをやれば、
interestでも、surpriseでも、同じ様になってることが理解できます。
「exciting=わくわくする」と覚えるのでなく、
上記の様な「構造」を学習し、
この「構造」のせいで、an exciting gameを「わくわくするゲーム」と
訳すこともあるんだよと教えるべきかと思います。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11314025616

639Hart Bel:2025/04/30(水) 21:40:34
Q:
英語学習の歴史を振り返ると、私たちが当たり前に使っているアプローチとは異なる、過去のユニークな方法に出会うことがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。諭吉は 英文を意味の塊ごとに分節して オランダ語に逐語訳したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3passivevoice1example.html )から 英文を拝借しました。

① "I'm interested in history."

これを オランダ語に直訳します。

② "Ik ben geïnteresseerd in geschiedenis."

そのまま 正しいオランダ語になります。ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしか ありません。

③「私は歴史に興味があります。」

ここで、①の be interested inは 受動態から変化した連語ですが、日本語的な発想から 受身の感覚が掴みにくいかもしれません。

そこで質問ですが、英語の "be interested in" のような、受動態から派生した連語で、日本語の直訳では受身の意味合いが薄れてしまいがちな表現には、他にどのようなものがあるでしょうか?また、それらの表現を日本語で自然に理解するためには、どのような考え方をすると良いと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314189510

640Hart Bel:2025/05/01(木) 16:34:24
Q:
英語学習をめぐる歴史的背景を振り返ると、興味深い事実に行き当たります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6historyshibusawaeiichi2.html )から 英文を借りました。渋沢栄吉に関する記事です。 (予め、スラッシュで区切っています。)

① "Recently, /Shibusawa’s doctrine of prioritizing public interest/ has enjoyed a revival// as many in the corporate world/ reevaluate the short-term, profit-driven goals/ that led to the 2008 global financial crisis."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。(比較的最近の記事ですが、渋沢と諭吉は5歳差で同世代の偉人ですので、諭吉も きっと渋沢の活躍を見守っていたことと 思われます。)

② "Recentelijk, /de doctrine van Shibusawa om het algemeen belang te prioriteren/ heeft een heropleving genoten// aangezien velen in de bedrijfswereld/ de op winst gerichte kortetermijndoelen heroverwegen/ die hebben geleid tot de wereldwijde financiële crisis van 2008. "

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしかありません。

③「最近/公共の利益を優先させる(ことの)渋沢の教義は/復活を楽しんできています(≒has had a revival →大いに見直されてきています)//大企業の世界の多くが/短期の、利益に駆られたゴールを再評価する中で/2008年の世界金融危機につながった(ゴールを)。」

ここでは、最後の区切りが the short-term, profit-driven goalsを修飾する関係節を形成する入れ子構造になっていて、そのサイトの主は 苦し紛れに「(ゴールを)」再読させていますが、これはこれで 却って読みにくくなっています。

そこで質問ですが、現代において、英語学習者が英文の構造を理解する上で、日本語の文法構造が持つ特有の性質(例えば、修飾語が被修飾語の前に置かれる点や、格助詞の存在など)は、どのような点で誤解や混乱を招きやすいと考えられますか?そして、英語学習者は、日本語の文法構造の持つ影響をどのように意識し、効果的に英語の構造を理解していくことができるでしょうか?

補足
渋沢栄吉は 渋沢栄一の間違いでした。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314390870

641Hart Bel:2025/05/01(木) 16:47:44
Q:
今回のテーマは、私たちが英語を学ぶ上で直面する、言語構造の違いという課題についてです。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/3sentencepattern3.html )から 英文を借りました。

① "I want a new bike."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。

②“Ik wil een nieuwe fiets.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしかありません。

③ 「私は、新しい自転車を欲しいです。」

これは、SVOのシンブルな文で 特に難しくは思われていません。でも、これこそが、英語の得意な人と苦手な人の分岐点にも 思えます。というのは、英語と日本語の語順の違いを象徴する初歩的な文だからです。ここで、いつまでも和訳しながら返り読みしていると、複雑な文になった時に 苦労することになります。文が少し長くなると、スラッシュで区切って 読む人もおりますが、例えば Oが 節になったり、更には 関係節で 修飾される 入れ子構造になったりすると、 英文を前から順番に読み進めて理解していくのが困難になってきます。

そこで質問ですが、英語と日本語のように文法構造が大きく異なる言語を習得する際に、私たちはどのような点に注意し、どのような学習方法を取り入れるべきでしょうか?特に、日本語の語順に捉われず、英語を英語のまま理解するための効果的なアプローチがあれば教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314110080

642Hart Bel:2025/05/01(木) 19:11:49
Q:
英語以外の勉強をするにはどうしたらいいですか?
他の言語を勉強している人の勉強法を知りたいです

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314392400

643Hart Bel:2025/05/01(木) 19:12:30
Q:
英語以外の勉強をするにはどうしたらいいですか?
他の言語を勉強している人の勉強法を知りたいです

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314392400

644Hart Bel:2025/05/01(木) 19:23:51
Q:
英語学習にはさまざまなアプローチがありますが、その中でも「訳すか訳さないか」はしばしば議論の的になります。
ところで、私が中学生の時、すごく英語の得意な生徒がいて、その人は 英語は日本語に訳さないと言っていました。例えば、happinessなんかは「幸せ」と訳すか「幸福」と訳すかなんかは 日本語の問題であって、英語の勉強なのに、日本語で悩んでいたら 効率が悪いとのことでした。また、typicalを「典形的」と訳したら、漢字の間違いで 減点されて、悔しそうに愚痴をこぼしておりました。
でも、その人とは真逆で、和訳、しかも 直訳に徹底的に拘っている人があります。
その人のサイト(makki-english.moo.jp/4reading1.html )からの引用です。

〈引用開始〉
≪「直訳」ができて初めて、効率的な英語学習ができますが、どうしても「日本語が乱れるから許せない」と考える方は、「必ず、直訳してから意訳する」ようにしてみてください。英作文や英会話を得意になりたいと思ったら、まず、直訳から英文を起こすようにしてください。意訳から英文を起こすことは、むずかしいことが多いのです。≫
〈引用終了〉

しかし、効率的な英語学習とは何でしょうかね。最初に文法を叩き込んで、少しの文例を暗記すれば、単語を入れ替えても 類推で直訳できることを指すのだろうか。
でも、これは第2外国語でフランス語やドイツ語を覚えるのだったら、合理的かもしれませんが、私たちにとって最初の外国語である英語の場合は、却って 不合理ではないでしょうか? ↑のサイトでは 別のページで、文法的解釈が難しい構文は、
コンテキストは考えないで、機械的に 英文とその直訳を丸暗記させています。
それに、「まず、直訳から英文を起こすようにしてください」とありますが、例えば、“Here we go!”とか“What a shame!”のようにネーティブが毎日使うような卑近な表現は コンテキストから直接 英語が浮かんでくるはずで、まさか、「ここに私達は行く」とか「何という恥」という直訳から英文を起こす人はいないと思います。

そこで質問ですが、英語学習における「訳さない」という考え方と、「直訳」を重視する考え方、そして効率的な学習方法について、あなたはどのように考えますか?また、日本人が英語を学ぶ上で、文法、直訳、意訳、そしてネイティブが使う自然な表現の習得は、どのようなバランスで取り組むべきだとお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314016643

645Hart Bel:2025/05/02(金) 12:46:28
Q:
皆様、こんばんは。今宵も、言葉と文化の奥深い世界を共に探求してまいりましょう。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3sentencepattern3.html )から 英文を借りました。 (予め、スラッシュで区切っています。)

① "I regret to say // that we must reject your offer."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Ik betreur het te zeggen // dat we uw aanbod moeten afwijzen."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしかありません。

③ 「私は(次の事を)言うことを残念に思います(→残念ながら言わなくてはなりません)//《何を?》私達はあなたの申し出をことわらなければならないということを。」

ここで、③の(次の事を)は ①にない要素です。でも、②の文で 形式目的語のhetを訳出したと考えることもできます。もしくは、英語と日本語では語順が違うので、スラッシュで区切ったチャンクが繋がらないので、苦肉の策とも考えられます。でも、もし、そうだとすれば、例えば、「I want a new bike.」のような 単純な SVOの構文でさえ、形は覚えても、まだ、いちいち訳さないと理解できないレベルなのかもしれません。

そこで質問ですが、こうしたスラッシュリーディングのように、英文を細かく区切って順番に訳していく方法は、本当に英語の理解や運用力の向上に役立つのでしょうか?文の構造を機械的に追うことに慣れてしまうと、かえって意味のまとまりや自然な英語の流れをつかむ力を妨げてしまうのではないかと感じるのですが、いかがでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11314035931

646Hart Bel:2025/05/03(土) 10:23:53
Q:
英語学習において、どの指導法が効果的なのかは常に議論されています。
ところで、日本人は英会話の苦手な人が多いですよね。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading1.html ) によると、
≪昔は、直訳を軽く見て、意訳にこだわり過ぎることで、日本人が英語を話せない一因となってきたと思います。逆に今は、英会話を重視するあまり、和訳自体を軽視する学校が出てきています。英会話の基本は直訳です。≫
だそうですが、これは少し違うのではないでしょうか?
私が思うに、塾などで 英語の苦手な生徒に 英文和訳をさせたら できなかったので、音読をさせてみたら 案の定 たどたどしかったということでしょう。そして、直訳という一面的な要素だけで早計に総合的な判断をしているような気がします。
そして、簡単な英文の直訳を教えたら、その簡単な英文くらいは 口ずさめるようになっただけの話でしょう。

そこで質問ですが、「直訳が英会話の基本」と言い切ることは、本当に英語力全体の育成に役立つのでしょうか?特定の状況では効果的でも、それが万能であるかのような表現には疑問を感じます。直訳と意訳、音読や会話練習といった多様なアプローチのバランスについて、どのように考えるべきでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314358500

647Hart Bel:2025/05/03(土) 19:57:41
Q:
英語の学習において、英文和訳と和文英訳は大きなウェイトを占めますね。
そして、英文和訳と和文英訳では 普通は前者の方が重要視されます。でも、英語を後者の方が楽しかったりします。海外旅行の英会話帖なんかも、日→英の形式が殆どです。そして、また ↓のサイトも 単語単位ですが、日→英のパターンで羅列されています。

makki-english.moo.jp/2specialnoun.html

とはいっても、このサイトの他のページは 英→日が基本ですが、それでも、英語の教科書や参考書などから引用したような英文が主体で、それ以外では 日本に関する英語で書かれた記事などを取り上げているものの、英語圏のサブカルに関するトピックは皆無です。全体的には文法偏重で発信型の傾向が強い印象を受けました。

そこで質問ですが、このように文法偏重で発信型に偏った英語学習の欠点や弱点は何だと思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11314362716

648Hart Bel:2025/05/03(土) 19:58:29
英語の学習を始めたばかりの頃、英文をどうやって日本語に訳せばいいのか迷った経験はありませんか?特に、英語と日本語では語順が大きく異なるため、最初は戸惑うのが当たり前です。
そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )からの引用です。

<引用開始>
≪①英文和訳のポイント

1) 英語を日本語に訳す時は、初心者は、まず主語を訳し、次に英文の後ろから訳し、最後に動詞を訳す

日本語の文は、主語が省略されることも多く、文の結論となる動詞は文の最後に来ますが、英文は、主語が必ず文頭に置かれ、主語のすぐ後に、文の結論となる動詞が来ます。

そこで、英文和訳をする時は、まず主語を訳し、次に英文の後ろから順番に訳していき、最後に動詞を訳すとうまく行きます。この訳し方を、中学1年のうちは続けて欲しいと思います。

ただし、英語に慣れてきたら、英語ネイティブの外国人のように、英文を文頭から、そのまま理解していって欲しいと思います。これを、スラッシュリーディングと言います。この練習をすれば、英語の速読だけでなく、リスニングやスピーキングにも役立ちます。ただ、日常的に英語を使わない日本人が、初めからスラッシュリーディングに挑戦すると、しばしば混乱してしまいます。

英語の文法を習い始めたばかりの人や英語に自信がない人は、まず、「主語を訳し、次に英文の後ろから訳し、最後に動詞を訳す」ことをできるようにしてください。

なお、スラッシュリーディングは、次に取り上げる「英文は必ず直訳すこと!」と大きく関連します。是非読んで、「直訳の大切さ」を確認してみてください。



2) 英文は必ず直訳すること!

英語を日本語に訳す時、さらに気を付けて欲しいのは、英文を「直訳」することです。これは、英単語や英熟語など、1つ1つの意味を、しっかり日本語に直す訳し方です。特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です。
英語と日本語は文章の作り方が違うので、直訳すると変な日本語になることもありますが、意味は理解できると思います。気にしないでそのまま訳してください。≫
<引用終了>

でも、この方法には致命的な欠陥があります。この方法だと 英文を文頭から読むことには少し近づいてはいますが、英文をスラッシュで区切っても、スラッシュで区切られたチャンクを返り読みしながら直訳する癖がなかなか抜けにくいんですよね。また、チャンク同士が頭の中でうまく繋がってくれないことも多いんですよね。

そこで質問ですが、この「主語→後ろから→動詞」という初期段階の和訳方法のデメリットを最小限に抑えつつ、よりスムーズに文頭からの理解、ひいてはスラッシュリーディングへと移行していくための、より効果的なステップや練習方法について、何か良いアイデアはないでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14314049029

649Hart Bel:2025/05/04(日) 18:17:56
Q:
高1です。
英語のリスニングが苦手です
何か良い勉強法はありませんか?


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314561380

650Hart Bel:2025/05/06(火) 13:46:01
Q:
英語学習において「直訳」と「意訳」のバランスは、しばしば議論の的になります。特に英語と日本語の文構造の違いから、単純な語の置き換えでは意味が通じにくくなることもしばしばです。
さて、とある 英語学習のサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )からの引用です。

‹引用開始›
≪英語を日本語に訳す時、...気を付けて欲しいのは、英文を「直訳」することです。これは、英単語や英熟語など、1つ1つの意味を、しっかり日本語に直す訳し方です。特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です。
英語と日本語は文章の作り方が違うので、直訳すると変な日本語になることもありますが、意味は理解できると思います。気にしないでそのまま訳してください。

・・・・

1.「君にはいくらかの休憩が必要だ。」
という文を英文にしてみましょう。簡単なようで、むずかしいと感じる人も多いのでは? 以下、2通りの言い方があります。

2.①You need some rest.
↑主語S=you, 動詞V=need
②What you need is some rest.
↑主語S=What you need, 動詞V=is (be動詞).
......
3.①あなたは、いくらかの休憩が必要です。
②あなたが必要としているものはいくらかの休憩です。≫
‹引用終了›

ここで疑問が起きました。①の訳文の「あなたは、いくらかの休憩が必要です。」は 「〜は〜が・・・」という形の 所謂「ハガ構文」で、日本語では二重主語の文になります。↑のサイトの主自身が、「特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です」と言っておきながら、日本語の訳文だけを見ると、「あなた」と「いくらかの休憩」のどっちが主語なのか分かりませんし、動詞も不在です。まあ、ここでは 元の英文は「あなた」が主語になっていますが、もし、「いくらかの休憩」が主語になるなら、元の英文は“Some rest is necessary for you.”となるはずです。
言葉というのは、思考を伝達するための手段です。つまり、言いたいコトが相手に伝わることが最重要ポイントだと言っていいです。

そこで質問ですが、英語の文を日本語に翻訳する際、「主語と動詞を明確にする」という直訳の原則と、日本語として自然で意味が明確に伝わる表現との間で、どのようにバランスを取るべきでしょうか?特に、ハガ構文のように主語が曖昧になりやすい構造を避けるためには、どのような点に注意し、どのような工夫をすべきだとお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12314094857

651Hart Bel:2025/05/07(水) 11:24:09
Q:
英語を英語のまま理解するにはどのような事をすればよいのですか?
中学生の頃は、英語を英語のまま理解出来ていたのですが、高校に入ってからそれが出来なくなってしまいました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14313518319

652Hart Bel:2025/05/07(水) 13:24:39

Q:
世界には多様な言語が存在し、それぞれ独自の文化や歴史を背景に持っています。しかし、日本における外国語学習においては、時にその多様性が見過ごされることがあるのではないでしょうか。
地球上には色んな言語があります。こんなことは小学生でも知っていますよね。ところが、中学・高校と 専ら英語だけを勉強しているうち、英語の他にも色んな外国語があることも忘れ、地球上には日本語と英語しか存在していなくて、英語が唯一の外国語であるような錯覚に陥っている人って 少なくないのではないでしょうか?

ところで、↓の動画の5:47頃をご覧ください。

www.youtube.com/watch?v=QpcmwopGDxw&feature=emb_logo


そこで、animalの発音なんですが、この動画では「アニマル」と聞こえますが、ネーティブの発音では ご存知のように「エナモー」に近く聞こえます。でも、少し英語の出来る人なら、≪animalを「アニマル」と読むのは日本人だけです≫という人も多いかと思います。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10234068900

しかし、フランス語やスペイン語なら そのままスペル通りに読めば 正しい発音になるので、「アニマル」と聞こえます。フランス語もスペイン語も英語に次ぐ国際語なので、この2つを合わせれば、世界の広い地域で animalを「アニマル」と読んでいることになります。

また、英語しか知らない人は ≪北京を「ペキン」と呼ぶのは 日本人だけ≫とか
よく言います。でも、実際は スペイン語やドイツ語でも「ペキン」と呼ぶ方が多いです。

その他にも、外国人に英語が通じないと、自分の英語が悪いせいだと思い込む人もおります。

oshiete.goo.ne.jp/qa/5457615.html

また、日本語も英語も解さない外国人に出会うと、あたかも宇宙人にでも遭遇したかのように うろたえる人もおります。

そこで質問ですが、このような日本における外国語学習の現状や、それに伴う国際的なコミュニケーションにおける認識の偏りについて、どのように考えられますか?また、この状況を改善するために、どのような教育や情報発信が効果的だとお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314639353

653Hart Bel:2025/05/07(水) 22:42:23
Q:
今回のテーマは、外国語学習における言語間の関連性と、歴史的な学習環境の違いについて考察してみたいと思います。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/3sentencepattern6.html )から 英文を借りました。(スラッシュを予め入れています)

① "One knows the state of the kitchen and the quality of the food/ at a glance."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Je kent de staat van de keuken en de kwaliteit van het eten/ in één oogopslag."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「一人の人は、台所の状態と食べ物の品質を知ります/一目見ただけで(→すぐに)。」

しかし、ここで、「一人の人」が日本語として 甚だ不自然です。それから、kitchenは 家庭の調理場は「台所」ですが、ホテルやレストランなどの調理場は「台所」とは普通 そう呼びませんが、コンテキストなしに 単文だけでは どちらなのか 分かりません。

そこで質問ですが、現代の日本人が、英語を初めて学ぶ際に、福沢諭吉がオランダ語を足掛かりに英語を習得したようなアドバンテージを、何らかの形で得ることは可能でしょうか?もし可能であれば、どのような方法が考えられますか?また、不可能であるならば、それはなぜでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11314441701

654Hart Bel:2025/05/08(木) 05:53:03
Q:
小学校英語教育の導入にあたり、文法や語彙の難易度設定は常に議論の的となっています。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。文部科学省 小学校外国語教材We Can!デジタル教材の紹介(YouTube)(www.youtube.com/watch?v=lk4ucWUTQMQ )から 拾いました。

e① I like hambuger steaks.
e② They are yummy.
e③ Do you like hamburger steaks?

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① Ik hou van hamburgersteaks.
n② Ze zijn heerlijk.
n③ Hou je van hamburgersteaks?

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j① ハンバーガーが好きです。
j② おいしいです。
j③ ハンバーガーは好きですか?

しかし、ここで、とあるサイトの主(makki-english.moo.jp/contentsfirst2elementaryschool2.html )が難色を示しています。
以下、引用です。

<引用開始>
≪音声教材の使い方の説明
動画を見て感じたことは、リスニングが「むずかし過ぎる」という印象。何となくは、わかるようになると思いますが、しっかり理解するのは至難の業と感じました。例えば、
We can*Unit1/ Let's Listen(5年生)
…I like hambuger steaks. They are yummy. Do you like hamburger steaks?と出てきます。一般動詞のlike。be動詞のareが一緒に出てきて、混乱する。複数形のsteaksが出てきて人称代名詞のtheyで受ける。ここまでむずかしくする必要があるのか疑問でした。≫
<引用終了>

日常的なコンテキストで、シチュエーションもイメージしやすい シンプルな文なので、特に、難しくも何ともない文です。難しいとすれば、be動詞という用語くらいてです。というのも、be動詞で最初に出会う形は、am、is、areであり、beの形が登場するのは、命令形、原形、不定詞、仮定法現在なので、小学生に最初の段階で be動詞という用語を持ち出すのは 愚の骨頂にも思えます。

**そこで質問ですが、**英語が日本人にとって初めて触れる外国語である今、小学生が理解しやすい形で文法事項(例えばbe動詞や一般動詞の使い分け)を導入するには、どのようなアプローチが有効だとお考えですか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314644098

655Hart Bel:2025/05/08(木) 06:34:16
Q:
英語の学習で 直訳を こよなく愛する人がおります。そこで、とある 英語学習のサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )によると、
≪英語を日本語に訳す時、...気を付けて欲しいのは、英文を「直訳」することです。これは、英単語や英熟語など、1つ1つの意味を、しっかり日本語に直す訳し方です。特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です。≫

だそうです。しかし、「を」や「が」にそんなにこだわるなら、
in the houseの場合は"in"、on the tableの場合は"on"の違いが
わかる様に、また、これが「前置詞」であることがわかる様に、
直訳しないといけないのではないでしょうか?
しかし、日本語に「前置詞」はないんです!どうしましょう?(笑)

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。

e① There is a glass on the table.
e② There must be a label somewhere on the table.

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① Er is een glas op tafel.
n② Er moet ergens een label op de tafel zijn.

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。しかし、「を」や「が」にそんなにこだわるなら、
in the houseの場合は"in"、on the tableの場合は"on"の違いが
わかる様に、また、これが「前置詞」であることがわかる様に、
直訳しないといけないのではないでしょうか?
しかし、日本語に「前置詞」はないんです!どうしましょう?(笑)

次に、こんなことにこだわってると、e①は

j①「テーブル『の上に』1つのグラスがあります。」

と訳しても、e②を

j②「テーブル『の上の』どこかにラベルがあるに違いない。」

と訳していいんでしょうか?

ラベルは横や下や脚に貼ってあっても、onですよ(笑)
「テーブルのどこかにラベルが貼ってあるはず。」が正しい日本語に
ならないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

A:
onの辞書訳は 上に が知られていますが、最近では、接する という理解が広まっていると思います。知っているかどうかの違いなので、誤訳は大目に見てもよいのではないかと思います。
明治レベルの人に誤訳を指摘しても仕方ないです。
文化や言語の体系が異なるので(できるにこしたことはないですが)直訳一本は無理です。
テーブルのどこかに貼ってあるかも、という訳がもちろん正しいです。もっというと、両面テープでグラスを貼り付けても構わないと思います。
「グラスが1個、そのテーブルに触れていますよ。」はいかがでしょうか

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314610638

656Hart Bel:2025/05/08(木) 13:49:06
Q:
英語教育において、表面的な訳語や定型表現だけに頼る指導が少なくないように感じます。しかし、英語を覚える上で非常に重要なのに、つい軽視しがちなことの1つに コンテキストがあるかと思います。
その点では ↓のサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )も例外ではないようです。
以下、引用です。

〈引用開始〉
≪例3:"May I help you?"

ショッピング中のお客さんと店員の会話文で、"May I help you?" の訳を、「いらっしゃいませ」と書いてある教科書があります(2017年2月現在)。教科書に訳が載っているため、安心しているのか、読む練習だけやって、説明をしない先生がいます。また、授業時間が足りないのか、「ここは教科書を自分で読んで、そのまま覚えておいて!」とだけ、指示する先生もいます。これで生徒は、英語を正しく理解できるのでしょうか。

もし、「私はあなたをお手伝いしてもよいですか。」と直訳を教えていれば、生徒は、この文が丁寧な表現であるとわかるはずです。ここから、意訳すると、「何かお困りですか。」になると、説明して頂きたいです。助動詞を履修中なら、"Shall I help you?"にすると、「私があなたを手伝ってあげましょうか。」と、上から目線になってしまうというと、生徒に説明でき、より効率的な授業ができると思います。

教科書だけでなく、単語・熟語集にも、"May I help you?"は「いらっしゃいませ」と書いているものも多く、独学もしている真面目な生徒ほど、そのまま覚えています。そんな生徒に、『お寿司屋さんで、「いらっしゃい!」は、"May I help you?"なんて言わないよ。まず"Hello!"とかでしょ。』と説明すると、びっくりする子もいます。どう思われますか?≫
〈引用終了〉

しかし、このように コンテキストを軽視した英語学習は適切ではありません。単語やフレーズの直訳だけでなく、それらがどのような状況で使われるのかを理解することが重要です。↑のサイトの主は コンテキストを少しは意識しているようですが、これまで 直訳で処理しようとしています。

・単語やフレーズの意味を正しく理解するためには、コンテキストが不可欠です。コンテキストを無視すると、不自然で不適切な表現を覚えてしまう恐れがあります。

・言語は文化的背景と密接に関係しています。コンテキストを理解することで、その言語が使われる文化的側面も学べます。

・コンテキストを考慮すると、一つの表現に対して複数の訳し方が存在することになりますが、それは言語の柔軟性を反映しています。状況に応じた適切な表現を身につけることが重要です。

・教科書や参考書がコンテキストを十分に説明していない場合は、教師が補足説明をする必要があります。時間の制約があれば、重要なポイントに絞って説明するなどの工夫が求められます。

コンテキストを軽視した英語学習は、言語運用能力の向上を妨げる可能性があります。教師側も学習者側も、コンテキストの重要性を認識し、適切に取り入れることが望ましいでしょう。

そこで質問ですが、英語を学ぶ際に、どのようにすれば日常的にコンテキストを意識した学習ができるのでしょうか?また、限られた授業時間の中で、教師はどのようにしてコンテキストの重要性を伝えればよいと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314514505

657Hart Bel:2025/05/08(木) 16:58:28
Q:
英語学習法として広く知られるスラッシュリーディングについて、その効果や限界を再考してみたいと思います。
そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading2.html )からの引用です。

<引用開始>
≪英語は、日本語に比べて、しっかり間合いを取りながら話すのが自然です。逆に、間合いを取らないと、何を言っているか、わからなくなってしまうことも多いです。英文を読む時も、話す時同様に、この間合いの部分でしっかり区切り、意味を理解しながら読むようにすると速読できるようになります。これがスラッシュリーディングの考え方です。

スラッシュリーディングを正しくできるようになるために必要なのが、正しく直訳できることです。初めのうちは、スラッシュで区切ったまとまりごとに、前から順番に直訳しながら理解していきます。上達すると、いちいちスラッシュを入れて日本語に訳さなくても、英文を理解できるようになるので、リスニングにも、スピーキングにも役立ちます。≫
<引用終了>

しかし、ここで 「速読」を 仮に、普通の速度で音読するよりも 速く黙読できること、もしくは、目安として、英語以外の外国語の映画の 英語字幕が消えるまで 字幕を読み切る と定義した場合、このように スラッシュで区切ったまとまりごとに、前から順番に直訳しながら理解すれば 速読できるのか 疑問です。

そこで質問ですが、スラッシュリーディングのように直訳しながら前から順に理解する方法が、本当に速読や字幕読解のような実用的なスピードに結びつくのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10314564410

658Hart Bel:2025/05/17(土) 20:49:01
Q:
英語学習者の多くが "and" を軽く見がちですが、この小さな接続詞には思った以上に深い役割があります。単なる並列に見えて、その背後には論理的なつながりや展開が隠れていることも少なくありません。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。例えば、次の文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/4reading4B.html )から文を拝借しました。

"Television programmes do sometimes, without any real intention, stimulate people's curiosity to pursue interests and read books which they would not otherwise have known about or understood."

諭吉なら、次のように オランダ語に訳した方が分かりやすかったでしょう。
(この時代に テレビなんてなかっただろ という突っ込みはご勘弁ください。)

"Televisieprogramma's wekken soms, zonder enige echte bedoeling, de nieuwsgierigheid van de mensen op om interesses na te streven en boeken te lezen die zij anders niet zouden hebben gekend of begrepen."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そこで、↑のサイトでは スラッシュリーディングを推奨しています。以下、引用です。

‹引用開始›
①テレビ番組は、時々(次の事を)します(…doはstimulateの強調)/②本当の意図なしに(→意図せず)/③人々の好奇心を刺激します//④興味を追求したり本を読んだりしたいという(人々の好奇心を)(…pursueとreadは同格でcuriosityを説明する不定詞)/⑤彼らが(=人々が)さもなければ(…otherwise=もしテレビ番組がなければ)知ったり、理解する事もなかったであろう(人々の好奇心を刺激します)。(…knownとunderstoodが同格/whichの先行詞はcuriosity)
‹引用終了›

そのサイトのスラッシュリーディングでは、先ず、英文をスラッシュで区切って、
区切り(チャンク)を直訳するのですが、そうすると、チャンクが上手く繋がりにくいことが往々にして起きます。そこで、そのサイトでは、“(次の事を)”とか“(人々の好奇心を)”を補っていますが、それだと、むしろ こんがらがるような気もします。また、 andは単なる同格ではなく、論理的な流れを表しています。具体的には、「pursue interests」と「read books」が一連の関連する行動として結びついています。

そこで質問ですが、このような場合、英語を読む際にチャンクごとの意味を補う方法として、どのような工夫が効果的でしょうか?特に、andのように単なる並列ではなく、論理的な関係を持つ接続詞が含まれる場合、どうすれば文全体の流れをスムーズに理解できるのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315106826

659Hart Bel:2025/05/18(日) 06:58:15
Q:
英語で日常的には 超高頻度で使うのに、英語の中級者もなかなか使いこなせないものに 時間の表現があります。例えば、9時55分なら、日常会話では "five to ten"というのが 普通です。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。

"You can get to Tokyo in about three quarters of an hour taking a rapid train."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。(当時は まだ 快速電車なんて走ってなかっただろ という突っ込みは ご勘弁ください。)

"Je kunt in ongeveer drie kwartier naar Tokio reizen met een sneltrein."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「快速電車を使えば約45分で東京に着きます。」

ここで、約45分に少し違和感があるかもしれません。というのは、約というのは 概数を表すのに、1の位に端数があるからです。しかし、about three quarters of an hourというのは 英語では 30分以上はかかるけど、1時間までかからない ざっくりとした時間を表すのに キリのいい数字の便利な表現でもあります。

そこで質問ですが、英語の "about three quarters of an hour" のような、ある程度の幅を持たせた時間表現は、日本語ではどのように表現するのが自然でしょうか?「約45分」以外で、より英語のニュアンスに近い言い方があれば教えてください。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12314765222

660Hart Bel:2025/05/19(月) 20:49:12
Q:
英語で文章を書くとき、文法や表現の正確さに不安を感じることがあります。
それに対して、とある人のサイト(makki-english.moo.jp/6compositonwill.html )によると

≪…自分の書いた英文が正しいかどうかは、スラッシュリーディングをして直訳してみるとみるとわかります。≫
だそうです。しかし、こんなんで 英文の間違いを発見できるものでしょうか?

例えば、その人の 別のページ(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )からです。

≪A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as the refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train.

As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us.≫

突っ込みどころのオンパレードですが、以下の点について特に気になりました。

1. **As well as...の使い方**
* "As well as the refreshing environment, it is very convenient..." という表現ですが、A as well as B の構文で、Bは"the refreshing environment"にあたるとして、Aが何にあたるのか不明です。また、"it"が"A City"を指しているように読めますが、"A City is very convenient." という表現は、少し違和感があります。通常、"convenient"は居住環境が便利であることを示す際に使われ、駅が多いことを指す場合は"easily accessible"や"well connected"の方が自然ではないでしょうか?

2. **because ofの適切さ**
* "because of three railways intersecting at B Station"という部分ですが、"because of"はどちらかというと悪い理由に使われることが多く、ここでは少し引っかかります。よりポジティブなニュアンスが求められる場面で、この選択は適切でしょうか?

3. **Nashi pearsの大文字問題**
* "good Nashi pears"の"Nashi"が大文字になっていますが、地名や人名由来でない限り、通常は小文字で書くのが自然だと思います。また、この部分は前の"lush greenery"とセットで、環境に関する話として一緒にまとめた方が流れが良いのではないでしょうか?

4. **主語の重複**
* "As we would like... to know the charm of A City" の箇所についても、直訳調で少し硬く感じます。"As we want you to know our A City,"のようにシンプルな表現で十分ではないでしょうか?また、"we, A City Office, have"と続く部分での"A City Office"は、主語が重複して余計な気がします。ここでの主語は何を指しているのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12315145252

661Hart Bel:2025/05/20(火) 03:59:02
Q:
英語で 最初に覚える最重要な動詞でありながら、日本人には基本中の基本でありながら、英語を習い始めの生徒には少し難しいものに be動詞があります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/8beverb2a.html )から英文を引用しました。

e① "My father is a musician."
e② "My mother is kind."

諭吉なら、「エゲレス語の beは 蘭語で zijnなり」 というふうに すんなり理解できたでしょう。しかも、3人称単数現在形は 英語、オランダ語ともに isです。

n① "Mijn vader is een muzikant."
n② "Mijn moeder is aardig."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j#① 「私の父はミュージシャンです。」
j#② 「私の母は優しいです。」

何も 問題はないようですが、e①は 補語が名詞ですが、 e②は 形容詞です。 ここで、j#①の「です」は 常体の「だ」に対応する敬体ですが、j#②の「です」は 形容詞の終止形につけることによって 敬体に変えるので、微妙に働きが異なります。それでは、常体に直してみます。

j♮① 「私の父はミュージシャンだ。」
j♮② 「私の母は優しい。」

しかし、そのサイトの主は 別のページ(makki-english.moo.jp/2beverbpresent2.html )では しきりに beを「です」と訳すのを勧めています。

でも、日本語は私たちの母国語であり、普段 英訳を考えて日本語の言い回しを考える人は誰もいません。それと、そのサイトの主は 英語の勉強なので 日本語の文法には深入りしないのは分かるんですが、それなのに、日本語を無理やり英語に対応させようとして 歪めてしまっております。

そこで質問ですが、日本語の「です」は名詞や形容詞の後に付く場合で働きが異なり、それを考慮せずにbe動詞を単純に「です」と訳すことには、どのような問題があると考えられますか?また、この違いが英語学習に与える影響について、どのように説明すれば学習者にとって分かりやすくなるでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14315166474

662Hart Bel:2025/05/20(火) 05:31:12
Q:
英語で beと並ぶ最重要な動詞に haveがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。

① "She has an empty head."

諭吉なら、「エゲレス語の haveは 蘭語で hebbenなり」 というふうに すんなり理解できたでしょう。

② "Ze heeft een leeg hoofd."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③「彼女は空の頭を持っている」

でも、これでは変な日本語ですが、とあるサイト(makki-english.moo.jp/8verbpresent3.html )の主なら こんな風に直訳していたでしょう。でも、普通は、次のように 訳しますね。

④「彼女は頭が空っぽです。」

そこで質問ですが、現代の中学生が英語の have を正しく理解するためには、どのような学習方法が効果的でしょうか?また、have が単に「持っている」という意味だけでなく、幅広い使い方があることをどのように教えるのが適切だと思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315210551

663Hart Bel:2025/05/20(火) 07:49:55
Q:
英語学習には様々なアプローチがありますが、その方法や背景には時代や環境が大きく影響します。特に、初めて学ぶ外国語としての英語は、日本人にとって特別な位置づけにあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/8beverb5.html )から 英文を拝借しました。

① "Which is your umbrella, this or that?"

諭吉なら 日本語よりも オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Welke is je paraplu, dit of dat?"

そのまま 正しいオランダ語になります。ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしか ありません。

③「どちらが、あなたのかさですか。こちら、それともあちら?」

ここで、そのサイトでは ターゲットは小学生のようですが、≪「あなたのかさは、どちらですか。」と訳してはいけません。「どちらが〜」と訳しましょう。後で必ず役立ちます。≫と 注意を喚起しています。でも、これは 日本語の問題であって、英語の学習とは あまり関係ないように感じます。それと、そのページの方の最初の方で、「この辺りはとてもむずかしいので、やはり頭で考えるのではなく、基本例文を何度も読んで、覚えてしまいましょう。」とありますが、これは 諭吉がオランダ語を覚えた方法であって、現代人が初めての外国語として英語を覚えるには もっといい方法があるような気がします。

そこで質問ですが、現代の小学生が初めて外国語として英語を学ぶ際、文法規則の暗記や日本語への直訳といった古典的な学習法は、本当に効率的で効果的なのでしょうか?もしそうでないとしたら、より自然で、英語そのものの感覚を身につけやすい、現代に合った新しい学習アプローチとはどのようなものが考えられるでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13314891963

664Hart Bel:2025/05/21(水) 09:43:56
Q:
英語表現には文化的なニュアンスや背景が影響することが多く、日本語と異なる感覚で使われる単語も少なくありません。特に「外国人」を指す表現には注意が必要です。
さて、インバウンドツアー参加者募集の英語の案内文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )から借用しました。

≪As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us.≫

ここで 気になったのは non-Japanese peopleという表現です。そのサイトにも「 外国人にforeignersを使わない。外国人から見ると日本人がforeignersなので。」と書いています。しかし、なんか一理あるようで違和感を感じます。というのは、私はフランスやタイに滞在したことがあるんですが、フランスやタイでも 外国人を指して、non-French peopleとか non-Thailander peopleと言うのを聞いたことがありません。

そこで質問ですが、英語圏では一般的に「外国人」を指す場合に、"non-Japanese people"のような表現がどの程度自然とされているのでしょうか? また、"foreigners"を避ける理由として挙げられている「視点の違い」に関して、実際の英語使用においてはどのように考えられているのかも教えていただけると幸いです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13315233143

665Hart Bel:2025/05/22(木) 20:20:24
Q:
英語が話せるようになりたいです。40代です、高校までに習った英語や文法は何となく覚えています。。
英検をとっても話せるようにはならないという意見を見ましたが、取得に向けて勉強する事は会話する事のプラスにはなりますか……?

目標持って勉強していきたいです、何かアドバイスいただけたら嬉しいです、よろしくお願いいたします。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10312509240

666Hart Bel:2025/05/24(土) 03:31:30
Q:
英語を学ぶ中で、特に人称代名詞の訳し方について、以前から気になっていることがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の人称代名詞です。

e① "he"
e② "she"

諭吉なら、日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① "hij"
n② "zij(ze)"

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、日本語に置き換えるしかありません。ここで、諭吉は「エゲレス語の he は 蘭語の hij に当たるなり、則ち「彼」と訳すが便宜なり。」という感じで覚えていったと思われます。

そこで、私が 中学生になって英語を学び始めたとき、英語の文法(be動詞やdoの使い方など)にはそれほど抵抗を感じませんでしたが、「he」「she」を「彼」「彼女」と訳すことに違和感を覚えました。それまでは、日常会話で「彼」「彼女」と言えば、「恋人」のことを指していたからです。ですから、「彼」「彼女」といった人称代名詞を頻繁に使うことには、とても戸惑いました。そもそも、日本語の代名詞としての「彼」「彼女」という言葉は オランダ語の "hij"と"zij(ze)"の訳語として定着し、それが そのまま英語の "he"と"she"の訳語に引き継がれたようです。

そこで質問ですが、今では小学校から英語教育が始まっていますが、「he」「she」を教える際に、例えば とあるサイト(makki-english.moo.jp/8beverb2a.html )のように「彼」「彼女」という訳語をそのまま使うことには疑問を感じます。そもそも、日常会話で「彼」「彼女」という言葉を使わない年齢の子どもたちに、なじみのない訳語を当てはめることが、本当に適切な指導法なのでしょうか?むしろ、そうした翻訳が、子どもたちにとって英語に対する不要な違和感や混乱を生んでいるのではないかと感じています。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315318091

667Hart Bel:2025/05/24(土) 11:37:42
Q:
英語を勉強する時のコツってあったりしますか?ペラペラ喋れる学力を付けたいのですがまずどうしたらいいのかも分からずなので、おすすめの勉強法、おすすめの本などなんでもいいので教えてくれたら嬉しいです

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12314384497

668Hart Bel:2025/05/24(土) 17:12:16
Q:
みなさんは お馴染みの The ABC Songの原曲をご存じですか?
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代に オランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、しかも、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、「キラキラ星」の歌詞の最初の1節です。諭吉も この曲は耳にしていたかもしれません。

"Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky."

諭吉なら、日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Twinkel, twinkel, kleine ster,
Hoe ik mij afvraag wat je bent!
Ver boven de wereld zo hoog,
Zoals een diamant in de hemel."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「きらきら星よ、
君は何だろう
こんなにも高く
空に輝くダイヤモンドのように」

「キラキラ星」は 幼児の英語教室では 定番中の定番の歌ですが、とある 英語学習サイト(makki-english.moo.jp/contentsfirst2elementaryschool2.html )の主なら さぞかし目くじらを立てていたでしょう。特に、2行目は 疑問詞が2つも使われていて、しかも 感嘆符がついて、感嘆文の体裁をしていますが、この手の文は 中学では習わないはずです。そして、3行目の highは 形容詞なのか、副詞なのか、そして 何にかかっているのか....

そこで質問ですが、そのサイトのように「文法的に解析の難しい表現は不適切」とするような姿勢は、かえって子どもたちの柔軟な言語感覚を妨げてしまうのではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10315365930

669Hart Bel:2025/05/26(月) 12:39:16

Q:
外国語習得の難易度についてです。

諸説あるかとは思いますが、日本人にとっての外国語習得のランキングの表を見たことがあります。
そこでは英語に比べて、スペイン語は簡単でドイツ語フランス語が英語と同じくらいという記載でした。

そこで質問です。

スペイン語は英語に比べれば発音は簡単かもしれませんが、スピードは早いわ動詞は活用するわ名詞の性はあるわでとても英語より簡単とは思えません。

そして語尾の発音が消えて不規則活用同士も多く除法の区別も難しいフランス語や、aとtheどころかmyやwhichも活用し中性名詞も出てくるドイツ語と難易度が同じということが考えられません。

みなさまいかがお考えでしょうか?英語は思ったより難しいのか、他の言語が意外に簡単と評価されているのか


よろしくお願い申し上げます。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10315288420

670Hart Bel:2025/06/01(日) 16:18:38
Q:
英語学習において、「from=〜から」と機械的に覚えてしまうと、文脈によっては誤解や違和感が生じることがあります。
そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3preposition2.html )から 英文を借りました。

e① "I am from China."
e② "I come from China."

そのサイトでは 次のように訳されています。

j① 「私は中国からです。」
j② 「私は中国から来ています。」

ここで、そのサイトでは ≪from〜ふロム「〜から」と覚えよう!あとで必ず役立ちます。≫と書いています。でも、日本語としても ぎこちなく、j①は「私は魚です」が "I am fish."にならないように、e①に対応しないことが 多々あります。j②も それじゃ、" I'm coming from China."はどう訳したらいいか 分からなくなる人もいるでしょう。でも、これでも 何とか意味は分かります。
ところが、次の文は どうでしょう。

e③ "I am bored from the event."
j③「私はその催し物に退屈している」

これだと、fromを「〜から」と訳したら 意味が通らなくなります。
そこで質問ですが、「from」は常に「〜から」と訳せるものではないとしたら、どのようにその使い分けを習得すればよいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14315649219

671Hart Bel:2025/06/02(月) 18:54:49
Q:
今日から6月に入りましたね。6月と言えば 日本では 雨の多い ジメジメした月ですね。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代に オランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、しかも、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )から英文を拝借しました。

e① "We have a lot of rain in June."
e②イ "It rains a lot here in June."

諭吉なら 日本語よりも オランダ語に訳した方が 理解も早かったでしょう。

n① “We hebben veel regen in juni.”
n②イ “Het regent hier veel in juni.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j①「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」
j②ロ「6月には、ここではたくさん雨が降ります。」
j③「こちらでは、6月は雨が多いです。」

そのサイトによると、

≪②の文は、日本語を直訳した英語で、思いつきやすいと思いますが、①のWe have〜の英文はどうでしょう。これは、英語らしい言い回しですが、日本語的な考え方では、なかなか出てきません。そこで、この文を、意訳しないで直訳して覚えておけば、We have〜という、英語らしい言い回しの英文が、すぐに頭に浮かぶようになるのです。≫

だそうです。でも、疑問があります。最初のお題の j③を 無理に英語に直訳すれば

e③ “Here in June the rain is plentiful.”

になるでしょうけど、普通 そんな不自然な英文は思いつきにくいはずです。

それから、e②イを 無理に直訳すれば、

j②イ「それは ここで6月に たくさん降雨する。」

となるはずであり、直訳した文が j②ロ になるなら、元の英文は

e②ロ "In June the rain falls a lot here.”

にならなければなりません。

そこで質問ですが、「私たちは6月にたくさんの雨を持っています(We have a lot of rain in June.)」という訳を見て、飴ならともかく雨なんて一体どうやって“持つ”のか、と思わずツッコミたくなるのは私だけでしょうか?このような“英語らしい”表現を直訳して覚えることが本当に効果的な学習法だとすれば、そもそも英語の論理と日本語の感覚のズレを無視して丸暗記するやり方に、果たして意味があるのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13315724423

672Hart Bel:2025/06/03(火) 02:56:37
Q:
英語の学習で、英語⇔日本語の翻訳は 英語学習において大事な柱の一つですが、超極端に こればっかりに偏り、独自のスタイルを編み出した人がおります。
そこで、その人のサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )からの引用です。

<引用開始>
≪練習1.日本語の問題文を、2.それぞれ2通りの英文に訳し、3.訳した英文を日本語に直訳してみてください。1.→2. はむずかしいので、わからない人は、2.→3.だけやってみましょう。 (実は、「2.の英文」に対し、「1.は意訳」、「3.が直訳」になります。)

1. 《問題》 日本語の文 (日本語として自然な文)
《↓各例題の番号から、解答にすぐ飛べます》
例題1) 「彼女は歌が上手です。」
例題2) 「こちらでは6月は雨が多いです。」
例題3) 「そのニュース聞いて、嬉しかったよ。」
例題4) 「窓を開けてもいいですか。」「もちろん。」
例題5) 「君には、いくらか休憩が必要だ。」

2. 上の1.の日本語の文を、2通りの英文に訳してください。
↑よくわからない人は、下の3.に進んで下さい。

3. 上の2.で作った2通りの英文を、日本語に直訳してください。
↑ここが重要です。必ずやってみてください。

*例題1)と2)は中学1〜2年生レベル、例題3)は中学2〜3年レベル、例題4)と5)は中3〜高校生レベルですから、自分のレベルに合った例題だけ見てください。また、2通り以上の英文を作ることも可能ですが、ここでは2通りだけ例示しました。ご了承ください。
・・・・
例題2)
1.「こちらでは、6月は雨が多いです。」

2.①It rains a lot here in June.
↑主語S=it注意リンク日本語に訳さないit, 動詞V=rains, a lot=副詞)
②We have a lot of rain in June.
↑主語S=we, 動詞V=have, rain=名詞

3.①6月には、ここではたくさん、雨が降ります。
②私達は6月にたくさんの雨を持っています。

和文英訳で、2.①の英文は日本語を直訳した英語で、思いつきやすいと思いますが、2.②の英文はどうでしょう。haveを辞書で引くと「〜がある」という意味も載っていますが、weと合わせて使う表現は、慣れないとむずかしいと思います。3.②「私達は雨を持っている」なんて、日本語として変ですが、多義語のhaveを使った英語らしい言い回しです。
初めのうちは3.②のように直訳しておくと、「We have rain.」という、英語らしい英文が、すぐに頭に浮かぶようになると思います。
・・・・
<引用終了>

そこで、そのサイトの主は 英文和訳は直訳を勧めてますが、
和文英訳については直訳を勧めてません! 特に 興味深いのは
例題2) 「こちらでは6月は雨が多いです。」です。無理に直訳すれば

"Here in June the rain is plentiful."

となるでしょう。
ところで、和文英訳は 英文和訳の裏返しなわけですが、そのサイトの方法だと
非対称性や不可逆性を感じます。

そこで質問ですが、英文和訳では「直訳→意訳」へと自然に展開していくのに対し、和文英訳では「意訳→直訳」には向かわず、むしろ直訳が避けられる傾向があります。これは言語間の構造的な違いによるものでしょうか?それとも、学習アプローチの優先順位の問題なのでしょうか?また、この「非対称性」や「不可逆性」を意識することで、英語学習においてどのようなメリットや注意点があるとお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10315790560

673Hart Bel:2025/06/05(木) 20:59:10
Q:
食卓に並ぶ料理の味を引き立てる塩。その塩を誰かに取ってもらう、そんな何気ない一言にも言葉の文化が表れることがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。

e① Can you pass me salt?
e② Will you pass me salt?
e③ Could you pass me salt?
e④ Would you pass me salt?

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。

n① Kunt u mij het zout aangeven?
n② Wilt u mij het zout aangeven?
n③ Zou u mij het zout kunnen aangeven?
n④ Zou u mij het zout willen aangeven?

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしかありません。

j①②③④「塩を取ってくれますか?」

このように 全部同じ訳になってしまい、和訳しただけでは ニュアンスの違いが分かりにくくなってしまいます。

そこで質問ですが、英語の依頼表現に含まれる丁寧さや距離感の差異を、日本語母語話者が効果的に学ぶには、どのような指導法が考えられるでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12315862962

674Hart Bel:2025/06/07(土) 18:00:08
Q:
6月は 雨の多い月ですが、それでも 東北や甲信越では 薔薇や菖蒲の蕾が次々にと開き始め、優美な花を咲かせます。また、果物では 真っ赤なさくらんぼが たわわに実ります。まさしく、初夏の訪れですね。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。さて、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、とあるサイト (makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )
では とあるネット記事を解説していますが、最初の文です。developがポイントです。

① "When learning a foreign language, developing strong linguistic skills is a challenge."

諭吉なら、「エゲレス語の developは 蘭語で ontwikkelenと言ふなり」という感じで オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Bij het leren van een vreemde taal is het ontwikkelen van sterke taalvaardigheden een uitdaging."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「外国語を学ぶ時、強い言語の技術を発達させることが課題です。」

ここで、"strong linguistic skills"を 「強い言語の技術」と訳したせいなのか、それとも、ただ、単語帳の訳を機械的に当てただけなのか developのイメージを掴んでいないようです。そのサイトの主にとっては
"He has developed a sickness."だと、
「彼の病気は進行した。」は頭から湯気モノで、
「彼は1つの病気を発達させた。」なんでしょうね(笑)

そこで質問ですが、「develop=発達させる」と覚えれば万事OKと信じて疑わないこの風潮、いったいどこまで我々の英語力を“発達”させてくれるのでしょうか?文脈も語感も無視して、単語帳の訳語を貼り付けるだけの学習で、本当に“strong linguistic skills”が身につくと本気で思っているのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11315973601

675Hart Bel:2025/06/08(日) 11:25:37
Q:
英文法で 日本人には 難しいものに「仮定法」があります。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/5subjunctive1.html )から英文を借りました。
e① "If I had a lot of money, I would travel around the world."
e② "If I were a bird, I could fly to him."

そのサイトでは ユニークな訳し方をしています。

j①「もし私が今たくさんのお金を持っていたら、私は、今世界中を旅行するのになあ。」
j② 「もし私が今鳥であったなら、私は今彼の所に飛んでいけるのになあ。」

今度は ロシア語に訳してみます。

r① "Если бы у меня было много денег, я бы путешествовал по всему миру".
r② "Если бы я был птицей, я бы мог прилететь к нему".

そうすると、そのサイトの訳にある「今」は あたかも ロシア語の быに対応しているようにも思えます。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13315995003

676Hart Bel:2025/06/10(火) 20:36:38
Q:
シス単やターゲットのような 大学受験生向けの単語帳には必ず載っているような単語でありながら、ピッタリ日本語に訳し難く、また、
それらの単語帳に載っているような訳語は 日常会話では あまり頻繁に用いないので、日本人には 少し難しい英語の語彙があります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代に オランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、しかも、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 英文です。

e① "Oh, you don't have your passport. You can't identify yourself."
e② "He was recognized as a thief."

諭吉なら 「エゲレス語の identifyと recognizeは 蘭語で identificerenと herkennenと言ふなり」という感じで すんなり理解できたでしょう。

n① "Oh, u hebt uw paspoort niet. U kunt zich niet identificeren."
n② "Hij werd herkend als een dief."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j①「あなたはあなたのパスポートを持ってません。あなたは、あなたを同一視することができません。」
j②「彼は泥棒と承認されたました。」

ここで、「自分が何を言ってるのかわかってない」は、
まさにこういう場合に適応される表現なんです!(笑)

そこで質問ですが、現代の日本人が、福沢諭吉のようにオランダ語の橋渡しもなく英語を学ぶ場合、「identify」や「recognize」のような訳しにくい語をどうやって腑に落ちるまで理解すればよいのでしょうか? また、これらの単語に対する訳語が日常会話ではあまり使われない以上、英語での語感や用法を実感的に掴むには、どんな学び方が有効だと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12316099912

677Hart Bel:2025/06/12(木) 05:10:21
Q:
現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。
そして、当時の蘭学塾では 講師が 幾度となく 生徒たちに「Begrijp u?(Do you understand?)」と尋ねていたことでしょう。

そんな時代に、福沢諭吉はオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/1tense.html )から英文を拝借しました。

① "Do you understand?"

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に直訳した方が 分かりやすかったでしょう。諭吉も 何度も耳にしたはずです。

② "Begrijp u?"

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、オランダ語を日本語に置き換えるしかありません。

③「わかりましたか。」
④「あなた達はわかっているのですか。」

ここで、普通は ③のように訳しますが、そのサイトでは ④のように、時制がわかるように直訳しておくと、ここから英文を作ったり、英語で話したりする時に間違えにくくなり、便利です と書いています。でも、私たちが 普段 日本語を話す時は 英文を書いたり、英語を話すことを意識しているわけではありません。また、④は 理解の確認よりも、規範やルールへの認識の足りない生徒や部下などに対しての注意や叱責のニュアンスがあります。それから、④を 次のように 英訳する人もいるでしょう。

⑤ "Are you understanding?"

これは ネイティブも滅多に言わないと思いますが、あえて訳せば こんな感じでしょうか?

③「君たちも やっと分かってきたかい?」

そこで質問ですが、英語の understand に対して「わかる」や「理解する」といった日本語訳を当てると、時制や継続性といった英語独特のニュアンスが曖昧になりがちです。このような場合、日本語訳を工夫することで英語の正しい文法や意味をより正確に把握できるようになるのでしょうか。それとも、日本語と英語の構造の違いを理解したうえで、訳語にはあまりこだわらず、文脈から使い方を覚える方がよいのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316146910

678Hart Bel:2025/06/12(木) 05:12:44
Q:
英語学習法にはさまざまなアプローチがありますが、特に初学者や受験生にとって「和文英訳」を通じて英語力を養う方法は今なお根強い人気があります。
そこで、とある英語塾の元講師のサイト(makki-english.moo.jp/4entranceexam2whattodo.html )からの引用です。

‹引用開始›
≪こちらのサイトで、一番重視している英語学習方法は、各文法ごとに、基本例文を紹介しているので、「例文の日本語を見ただけで、すぐに英語に直し、英語を話せるようにする」ということです。そのために、基本例文を何度も何度も、スラスラ言えるまで音読してください。こうすれば、英語の文法が自然に身につき、同時に、英作文力、英会話力を上げることができます。≫
‹引用終了›

このサイトの主は 随分と和文英訳に拘っています。確かに、英語を日本語に訳すのとは違って、英語の単語や文法をしっかり理解していないと難しいですよね。しかし、↓のような問題は歯が立たなくなることが往々にして起こると思います。


◇英単語の中でも thinkは最重要語の一つですが、それでも日本人の英語では 殊の外多用するきらいがあるように思えます。それでは ↓にある thinkの使った文を、
( )に適語を入れて、ほぼ意味が同じになる様に、thinkを用いない書き換え文を完成させてください

① I think that his speech is very fine.
→ I greatly( )his speech.

(イ).admire, (ロ).appreciate, (ハ).enjoy, (ニ).love, (ホ).praise


② When I was talking with her on the phone, I didn't think that it was her voice.
→ I didn't ( ) her voice over the phone.

(イ).catch, (ロ).distinguish, (ハ).identify, (ニ).notice, (ホ).recognize


*次は 日本語に惑わされないで、正しい英語を使えるかを試すテストです。

① Please call me as soon as the price is ( ).
価格が分かり次第、お電話ください。

ア. confirmed イ. decided ウ. informed エ. known オ. understood


② Japanese subtitles aren't ( )in this movie.
この映画には日本語の字幕がありません。

ァ. attached イ. available ウ. contained エ. present オ. written

そこで質問ですが、「和文英訳」を通じて英語力を高めることに重点を置く学習法では、このような「thinkを使わずに意味を保った言い換え」や、「日本語に引きずられずに正しい英語表現を選ぶ」問題に対しても、十分に対応できる力が養えるのでしょうか?また、これらの問題に強くなるためには、どのような補助的な学習方法が効果的だとお考えでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316076815

679Hart Bel:2025/06/20(金) 10:40:38

Q:
英語の学習で 最も大事というわけではありませんが、欠かせないものに 英文和訳と和文英訳があります。
とりわけ、とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では 英文和訳を最重要視しています。

<引用開始>
≪英語を日本語に訳す時、...気を付けて欲しいのは、英文を「直訳」することです。これは、英単語や英熟語など、1つ1つの意味を、しっかり日本語に直す訳し方です。特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です。
英語と日本語は文章の作り方が違うので、直訳すると変な日本語になることもありますが、意味は理解できると思います。気にしないでそのまま訳してください。≫
<引用終了>

しかも、徹底した直訳を推奨しています。例えば、"We have a lot of rain in June."という文なら「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」と訳す徹底ぶりです。
一方で、別のページ(makki-english.moo.jp/4dictionary4.html)では
真逆のことを書いています。

<引用開始>
≪英語にする時は、日本語から直訳するのではなく、今まで学んだ英語らしい基本例文を思い出しながら英文を考えます。≫
<引用終了>

ここで、英文和訳と和文英訳は 互いに裏返しの関係にあるはずです。そのサイトの言い分も一理あるようで、不可逆性や非対称性を感じます。

そこで質問ですが、英文和訳では「不自然な日本語」になっても直訳を貫くことが奨励される一方、和文英訳では「自然な英語」にこだわって直訳を避けるのは、どういう理屈なのでしょうか?和訳では“意味がわかればOK”で済まされ、英訳では“形が大事”とされるこの落差――翻訳が片道通行になってしまうような違和感を覚えます。これは言語構造の違いに基づく合理的判断なのでしょうか?それとも、学習戦略上の割り切りに過ぎないのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13316468343

680Hart Bel:2025/06/21(土) 04:38:48
Q:
英語の学び方について考えていると、実は学ぶ側の資質以上に「教え方の違い」が成果に大きく影響しているのではないか、と思うことがあります。
どんな分野でもそうですが、教え方によっては、学習初期に手応えを感じやすくなる一方で、ある地点を境に伸び悩むこともあります。逆に、最初は地味でも、後になって大きく実力が伸びていくような指導法も存在します。

そこで、例えば、テニスを教える教室がAとBの2つあるとします。B教室のインストラクターの方がテニスの腕は はるかに上です。そこで、AとBの教室に同時期に入会した生徒たちがおります。最初のうちは A教室の生徒たちの方が上達が速く、A教室とB教室の生徒たちに対抗試合をさせたら、A教室の生徒たちの方が強かったのに、ある時期を境に、逆転してしまいました。テニスだけでなく、他のスポーツや 楽器なんかも 似たようなことが多々あると思います。そして、それは 英語にも同じことが言えるような気がします。

さて、↓のサイトをご覧ください。

makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html

このサイトでは、徹底して 直訳とスラッシュリーディングに拘っています。一部頷ける点もありますが、首を傾げる箇所が多いです。

① 速読と精読は必ずしも対立するものではないのでは?
② 英文を和訳するのは 手段の1つであって 目的ではないのでは?
③ 直訳できるだけでは 英文を理解しているとは言えないのでは?
④ スラッシュリーディングは 第2外国語の裏技としては有効かもしれませんが、私たちにとって初めての外国語である英語には向かないのでは?
⑤ 英語を習う側よりも、教える側の方が 和訳に頼る傾向にあるのでは?
⑥ 文法重視で 発信型の傾向が強くないでしょうか?
⑦ 英語にカナを振るのは 邪道ではないか?

自分の中では 違和感を感じるものの、またはっきり纏まっていません。
そこで質問ですが、英語学習においても、最初に「直訳・スラッシュリーディング」を徹底するA教室型の学び方と、文脈や感覚も含めて自然に理解するB教室型の学び方があるとすれば、どちらが長期的に「使える英語力」につながるのでしょうか? また、直訳偏重が、かえって英語の本質的な構造理解を妨げる危険はないのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11316350791

681Hart Bel:2025/06/23(月) 07:33:48
Q:
昨日も似たような質問を出したんですが、戴いた回答を元に再整理して 新たに質問を出させて頂きました。
さて、外国語学習において、対象外国語を自国語に訳す練習をフランス語で ヴェルシオン(version)、そして、その反対を テーム(thème)と言います。それで、日本人の英語学習なら、英文和訳が ヴェルシオンで、和文英訳が テームになります。
また、日本人のヴェルシオンとテームには 大きく3つの役割があります。

① 英語の理解度や習熟度を確認するため。
② 英会話をしたり、英語で読み書きする足掛かりのため。
③ 英日の 通訳や翻訳の練習のため。

そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では 英文和訳を最重要視しています。

<引用開始>
≪英語を日本語に訳す時、...気を付けて欲しいのは、英文を「直訳」することです。これは、英単語や英熟語など、1つ1つの意味を、しっかり日本語に直す訳し方です。特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です。
英語と日本語は文章の作り方が違うので、直訳すると変な日本語になることもありますが、意味は理解できると思います。気にしないでそのまま訳してください。≫
<引用終了>

ここで、そのサイトでは ②を想定し、ヴェルシオンに関しては 時間的制約と即効性を重視するために、一貫した直訳を推奨しています。例えば "We have a lot of rain in June."という文なら「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」と訳す徹底ぶりです。もちろん ③を視野に入れたら 全く使い物になりません。

ところで、直訳にもいろいろありますが、ここでは直訳=中学式直訳だと考えます。

I want to use your bathroom.「私はあなたの浴室を使うことを欲します。」
「あなたの家のトイレを借りたい」は意訳なのでダメです。
これを丁寧形に変換すると、
I would like to use your bathroom.「私はあなたの浴室を使うことを
好むであろうに。」(笑)
「気にしないでそのまま訳してください」の精神に則っております。

この先生は「これを(英和ペアで)(スラスラ言えるまで)暗記する」
ことを勧めてます。
そうすると、英和、和英両方向で訳できるわけです。
そして「私はあなたの浴室を使うことを欲します。」が頭に入る訳です。
しかし、英和ペアで覚えてないものが出現すると、例えば、
「お宅のトイレを拝借してもよろしいですか?」
みたいな日本文に遭遇すると、
"May I borrow your house's toilet?"みたいにやりかねません。
先生の添削を受けなければ、これでいいと思い込む可能性が高いです。

この先生のお勧め英和ペアをたくさん覚えてるので、
「私はあなたの浴室を使うことを欲します。」が出て来ないかな、
出て来たら瞬時に訳してやるのに!と待ち侘びてたりもします。
しかし、そんな日本語は10年や20年では出て来ないでしょう(笑)
そうして、ここで ヴェルシオンとテームの非対称性ができてしまい、英語学習として かなり いびつなものになってしまっております。

そこで質問ですが、
このように、徹底した「中学式直訳」によるヴェルシオンばかりを繰り返すことで、確かに「英文の構造をそのまま捉える力」は鍛えられるかもしれませんが、いざテーム――つまり自然な日本語から自然な英語に訳す場面では、その訓練がかえって足かせになったり、誤訳の温床となることはないのでしょうか?
また、英語運用力の育成という観点から見たとき、ヴェルシオンとテームの練習量や方法のバランスは、本来どのように考えるべきなのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13316506888

682Hart Bel:2025/06/23(月) 20:43:19
Q:
英語を学ぶ際、つい単語ごとに一対一で意味を対応させようとしてしまいますが、それがかえって訳文の不自然さを生む原因になることも少なくありません。
特に「choose」のような日常語は、文脈によって多様なニュアンスを帯びるため、表面的な意味だけでは捉えきれないことがあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。さて、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、次の英文です。

e① "The parrot chose to attack my ear."
e② "Why did you choose to say such a thing to her?"
e③ "What hole will you choose?"

諭吉なら、「エゲレス語の chooseは 蘭語で kiezenと言ふなり」という感じで すんなり訳せたでしょう。

n① "De papegaai koos ervoor om mijn oor aan te vallen.”
n② "Waarom koos je ervoor om zoiets tegen haar te zeggen?”
n③ "Welk gat zul je kiezen?"

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j①「オウムのヤツ、どこをって、耳を攻撃して来た。」
j②「なんで、わざわざ、彼女にそんなこと言ったの?」

ここで、choose=選ぶ と訳していては しっくり来にくいかと思います。
そこで質問ですが、「choose」を常に「選ぶ」と直訳せずに、文脈に応じて柔軟に訳すためには、どのような発想の転換や言い換えの工夫が必要だと思われますか?また、そのためには英文のどこに着目すべきなのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316631335

683Hart Bel:2025/06/25(水) 20:38:30
Q:
6月といえば雨。雨といえば梅雨。そして梅雨といえば、外では傘を、家では湿気対策を、そして中学の英語の授業では「飴、もとい、雨を持つ」練習を始める季節です。
飴でも舐めながら気長にやりましょう、ということなのでしょうか。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、例えば、次の文です。

j①「こちらでは6月は雨が多いです。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

n② "Het regent hier veel in juni."
n③ "We hebben veel regen in juni."

そして、これらを英語に直訳すれば、そのまま正しい英語になります。

e② "It rains a lot here in June."
e③ "We have a lot of rain in June."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。そこで、例えば とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では オランダ語のように 直訳すれば、そのまま正しい英語になるように 予め 日本語をデフォルメする方法を推奨しています。

j②「6月には、ここではたくさん、雨が降ります。」
j③「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」

ここで 傑作なのは 何と言っても j③です。そのサイトでは このように直訳しておくと、「We have rain.」という、英語らしい英文が、すぐに頭に浮かぶようになると思います と書いていますが 甚だ疑問です。

そこで質問ですが、「雨を持っている」という不思議な日本語を脳内で経由しないと出てこない英語表現って、果たして“自然に話せる英語”と呼べるのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14316713609

684Hart Bel:2025/06/25(水) 22:49:51
Q:
素人の英語学習サイトには、ときに“オブセッション”と呼びたくなるようなこだわりが見られます。「have=持っている」もその一例です。
辞書に書いてある意味を忠実に守ろうとするあまり、言葉が本来持つ柔軟さや文脈による意味の揺れを無視してしまう――これはもう、ただの翻訳の問題というより、“意味の呪縛”と言ったほうがよいかもしれません。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、例えば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )から 英文を拝借しました。

① "We have a lot of rain in June."

諭吉なら 日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が分かりやすかったでしょう。

② "We hebben veel regen in juni."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「私達は6月にたくさんの雨を持っています。」

ここで、"We have rain."=「私たちは雨を持つ。」はオブセッションになります。
こう覚えた子供は、受動態を習う時に、
"A lot of rain is had here in June."とやらかします。
「持つ」ことができるのはrainだけじゃありません。
"We have a beautiful rainbow this morning."
「今朝、私たちは美しい虹を持ってます。」
また、
"They had an earthquake there."だと
「彼らはそこで1つの地震を持った。」とやらかします。
"We had a big tornado."だと
「私たちは大きな竜巻を持った。」です。
自然現象のみか、
"I had a quarrel with her."
「彼女と一緒に喧嘩を持った。」になります。

このように、「have」を「持っている」と杓子定規に覚えてしまうと、自然現象から人間関係まで、あらゆる状況がちぐはぐな表現になってしまいます。英語の「have」が持つ意味の広さや、文脈によるニュアンスの違いを捉えきれていないがゆえの、なんとも言えない「珍訳」が生まれてしまうのです。

そこで質問ですが、このような「have」の誤解を招かないために、日本の英語教育において、どのようなアプローチが考えられるでしょうか? 特に、子供たちが早い段階で「have」の多様な意味と使い方を自然に習得できるよう、具体的な指導法や教材の工夫があれば教えていただけますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12316734557

685Hart Bel:2025/06/26(木) 15:51:01
Q:
あなたには、得意な歌ってありますか?
ふと気分が乗ったとき、つい口ずさんでしまう一曲――そんな“いつもの歌”を持っている人も多いのではないでしょうか。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、例えば、次の文です。

j①「彼女は歌が上手です。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

n② "Ze is goed in zingen."
n③ "Ze zingt goed."

そして、これらを英語に直訳すれば、そのまま正しい英語になります。

e② "She is good at singing."
e③ "She sings well."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。そこで、例えば とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では オランダ語のように 直訳すれば、そのまま正しい英語になるように 時には 日本語を予め調整する方法を推奨しています。

j② 「彼女は歌うことが得意です。(上手です)」
j③ 「彼女は上手に歌います。」

ここで、そのサイトによると、e③をj①のように訳すと、意訳になってしまうそうなのです。動詞がsings「歌います」をちゃんと訳していないからだそうです。もし直訳する癖をつけておかないと、文章が複雑になった時、英文の構造も意味も理解できなくなってしまう生徒を多く見てきており、英作文をする時も、直訳した日本語からならば、割と簡単に英文を作ることができるそうなのです。
しかし、日本語として j②はまあいいとして、問題は j③です。この日本語からは
彼女が どんな歌をいつ歌うのか 甚だ不完全な印象を与え、意味が 非常にぼやけてしまっております。でも、e③は 彼女は 歌全般が上手いことを示しています。

そこで質問ですが、e③のような シンプルな英文でも、それを直訳しようとすると意味がぼやけたりすることがあります。このように、安易な直訳では正確な意味が伝わらないリスクがある中で、学習者はどの程度“自然な訳し方”と“原文の忠実さ”のバランスを意識すべきなのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11316747396

686Hart Bel:2025/06/26(木) 18:06:30
Q:
「ニュース」といえば、私たちが日々目にする情報のかたまりですが、その受け取り方一つで言葉の使い方にも大きな差が出るものです。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは 英作文にも オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、例えば、次の文です。

☆「そのニュース聞いて、嬉しかったよ。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

e① "Ik was blij om het nieuws te horen."
e② "Het nieuws maakte me blij."

そして、これらを英語に直訳すれば、そのまま正しい英語になります。

e① "I was happy to hear the news."
e② "The news made me happy."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。そこで、例えば とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では オランダ語のように 直訳すれば、そのまま正しい英語になるように 時には 日本語を予めデフォルメする方法を推奨しています。

j① 「私はそのニュースを聞いて嬉しかった。」
j② 「そのニュースは私を嬉しくさせました。」

ここで、そのサイトでは j②は 日本語に直訳すると少し不自然ですが、とても英語らしい表現です、直訳をしておけば、その日本語から英文を作ることは、それほどむずかしくありません、初めから意訳をして欲しくない理由です と書いています。
しかし、英語を話すのに なぜ 和文英訳が必要なのか 疑問です。つまり、どうして、必ず 日本語から英語を起こさなければならないのか 疑問です。

そこで質問ですが、日本語から無理に英語をひねり出す訓練が、果たして実用的な英語力の育成に繋がるのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12316754102

687Hart Bel:2025/06/26(木) 20:00:51
Q:
英語の発音が上手くなるためにはどのようなことを意識するべきなのでしょうか

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11316741091

688Hart Bel:2025/06/27(金) 05:55:59
Q:
「ねぇ、今日ちょっと元気ない?てか、さっきから3回あくびしてるの見逃してないからね?
」――そんなふうに、休み時間に友だちを気づかうことって、ありますよね。でも、その一言を英語で言おうとした瞬間、こっちまで“脳みそ休憩中”になったりして…。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは 英作文にも オランダ語の知識を駆使したと思われます。
そこで、例えば、次の文です。

☆「君には、いくらか休憩が必要だ。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

n① "Je hebt wat rust nodig."
n② "Wat je nodig hebt is wat rust."

そして、これらを英語に直訳すれば、そのまま正しい英語になります。

e① "You need some rest."
e② "What you need is some rest."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。そこで、例えば とあるサイト(makki-english.moo.jp/1howtotranslate.html )では オランダ語のように 直訳すれば、そのまま正しい英語になるように 時には 日本語を予めデフォルメする方法を推奨しています。

j① 「あなたは、いくらかの休憩が必要です。」
j② 「あなたが必要としているものはいくらかの休憩です。」

ここで、 j①は 「〜は〜が・・・」という形の 所謂「ハガ構文」で、日本語では二重主語の文になります。↑のサイトの主自身が、「特に、主語と動詞が何かわかるように直訳することが大切です」と言っておきながら、日本語の訳文だけを見ると、「あなた」と「いくらかの休憩」のどっちが主語なのか分かりませんし、動詞も不在です。まあ、ここでは 元の英文は「あなた」が主語になっていますが、もし、「いくらかの休憩」が主語になるなら、元の英文は

e#① "Some rest is necessary for you.”

となるはずです。また、j②に対する英語の直訳は

e#② "It's some rest that you need."

とも考えられます。

そこで質問ですが、こうした「英語に直訳しやすくするために日本語をデフォルメする」手法は、本当に言語運用力の向上に繋がるのでしょうか。むしろ、日本語として不自然な文に慣れてしまうことで、かえって思考や表現が歪められるリスクはないのでしょうか。私たちは、自然な日本語を土台にして、正しい英語構文を学ぶことはできないのでしょうか。みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316770585

689Hart Bel:2025/07/01(火) 09:28:22
Q:
親の引退にともない、退職して 家業を引き継ぐ――そんな場面は日本でも珍しくありませんが、英語ではこの出来事をわずか一文でさらりと描写してしまいます。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。

① "Sally quit her old job to work at her family's business. She took over for her mother, who retired."

諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Sally gaf haar oude baan op om in het bedrijf van haar familie te gaan werken. Ze nam het over van haar moeder, die met pensioen ging."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「サリーは、ファミリービジネスで働くために今までの仕事を辞めました。彼女は引退した母親の仕事を受け継ぎました。」

ここで、「, who retired.」 ですが、和訳では"彼女は引退した母親の仕事を受け継ぎました"となっていますが、実際はカンマで区切っているから "彼女は母親の役目を引き継いだ、ちなみに母親は引退しました"と言っているわけだと思います、英語として自然なのかもしれませんが、日本語として考えると不自然に感じてしまいます という人もいるでしょう。

そこで質問ですが、
このように、英語の「, who retired.」のような構文は、日本語の語感とは異なる文の運び方をしますが、私たちはこの“言い回しのズレ”をどう捉えるべきなのでしょうか? 英語の自然さを尊重するあまり、日本語としての自然さを犠牲にしても良いのか、それとも、訳文はあくまで日本語としての読みやすさを優先すべきなのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12316926452

690Hart Bel:2025/07/01(火) 18:05:03
Q:
「私の妻が出産した」と言えば平和な日常の報告ですが、「愛人が出産したのに妻が元気そう」となると、いきなり波乱含みの物語が始まります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって初めての、そして、半数強の人にとっては唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさん ご存知かと思います。

それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から英文を拝借しました。

① "My wife, who was delivered of a boy yesterday, looks well now."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Mijn vrouw, die gisteren bevallen is van een jongetje, ziet er nu goed uit."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「私の妻、そして彼女は昨日男の子を出産したのですが、今、元気そうに見えます。」

ここで、「私の妻、そして彼女は…」
素直に読むなら、
「私の妻と愛人が同日出産!」と取れますよね(笑)
これはおかしい!と思ったら、考え直して、
「彼女(愛人)が出産したけど、妻は平気で元気!」
と取れます(笑)
この訳で「妻=彼女」と取るのは、そのサイトの主と価値観をシェアする
人でけでしょう(笑)
「父親が誰か?」ならありきたりですが、
「出産したのは誰か?」は革命的推理小説になりますよ!(笑)
まるで関係詞が一つ狂っただけで「家庭円満→修羅場→推理小説」と展開してしまうこのスリリングさ、英語学習とはかくも命がけなのでしょうか(笑)。

そこで質問ですが、関係詞を含む英文を自然な日本語に訳す際、「私の妻、そして彼女は…」のような“二重主語”にならないコツや、訳出の呼吸を整えるポイントがあれば、ご教示いただけないでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316946820

691Hart Bel:2025/07/03(木) 09:48:15
地域の魅力を海外の方々に発見してもらう方法として、無料の半日ツアーを企画し、その内容を英語で案内するという取り組みは、近年さまざまな自治体で見られるようになってきました。
英語による情報発信は、単なる翻訳にとどまらず、文化や価値観の違いを乗り越えて魅力を伝えるための工夫が求められます。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは 英作文をするにも オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )から拝借しました。

① 「私どもA市役所は、日本人ではない方々に、A市の魅力を知って頂きたいので、次のように、無料の半日ツアーを計画しました。もしあなたが計画に興味がありましたら、どうぞ遠慮なく私どもにご連絡ください。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

② "Omdat we graag willen dat overzeese bezoekers de charme van Stad A ontdekken, hebben we de volgende gratis excursie van een halve dag gepland. Als het plan je interesseert, aarzel dan niet om contact met ons op te nemen."

そして、これを英語に直訳します。

③ "Since we wish overseas visitors to discover the charm of the City A, we have planned the following free half-day excursion. If the plan interests you, don't hesitate to contact us."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。

④ "As we would like non-Japanese people to know the charm of A city, we, A City Office, have planned a half-day tour free of charge as follows. If you are interested in the plan, please feel free to contact us. "

そこで質問ですが、"non-Japanese people" という表現は、英語として一般的によく使われるのでしょうか。また、"we, A City Office" のように、1人称複数と3人称単数が混在する形で主語を立てることは、英語として許容される構文なのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14316828389

692Hart Bel:2025/07/03(木) 11:23:13
Q:
東京近郊、みずみずしい緑に囲まれた街へ、急行電車に揺られて梨狩りに出かける――そんな旅情あふれる一文を英語に訳そうとすると、思わぬ表現の壁にぶつかることがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは 英作文をするにも オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )から拝借しました。

①「A市は、みずみずしい緑に囲まれ、おいしい梨で知られています。
すがすがしい環境だけでなく、B駅で交わる3つの鉄道のため、とても便利です。もし(あなたが)急行電車に乗れば、(あなたは)50分以内に東京に行くことができます。」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。(この時代に 鉄道なんて まだ走ってなかっただろ という突っ込みは ご勘弁ください)

② "De stad A wordt omringd door weelderig groen en staat bekend om zijn smakelijke nashi-peren. De stad heeft niet alleen een verfrissende sfeer, maar is ook gemakkelijk bereikbaar dankzij drie spoorlijnen die aftakken op station B. Met een sneltrein kun je Tokio in ongeveer drie kwartier bereiken."

そして、これを英語に直訳します。

③ "The city A is surrounded by lush greenery and is known for its tasty nashi pears. Not only does the city have a refreshing atmoshere, it is easily accessible thanks to three railway lines branching off at the station B. Taking a rapid train, you can get Tokyo about three quaters of hour."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。

④ "A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train."

ここで、as well asの使い方が間違っています。それと convenientも少し違います。そこで 質問ですが、「as well as」や「convenient」のように、つい日本語感覚で使ってしまいがちな表現については、どのように学ぶのが効果的だと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14316822434

693Hart Bel:2025/07/03(木) 11:44:34
Q:
鳥になりたい」と言えば、ロマンチックに聞こえるかもしれませんが――なってみたら意外とニワトリだった、なんてこともあるんです。空を自由に飛ぶつもりが、朝4時にコケコッコー。
そんな落とし穴を踏まえつつ、「If I were a bird」の“鳥”がどんな鳥かをめぐる、言語の大喜利がここに始まります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/5subjunctive1.html )から英文を拝借しました。

"If I were a bird, I could fly to him."

諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

“Als ik een vogel was, zou ik naar hem toe kunnen vliegen.”

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは「今」を挿入しています。

「もし私が今鳥であったなら、私は今彼の所に飛んでいけるのになあ。」

という「イマイマしい」訳ですが、
この「今、今」コンビもどんな災難をもたらすか、怖いです。

仮定法過去完了だと、
"If I had been a bird, I could have flown to him."
「もし私がかつて鳥だったら、かつて彼の所に飛んでいけたのになあ。」と
とんでもなく勝手勝手な訳になります。

これがもしも仮定法未来であれば、
"Should I be a bird, I could fly to him."
「もし私が近々鳥になれれば、近々彼の所に飛んでいけるのになあ。」と
耳がキンキンしそうな訳になります。

もうお気づきと思いますが、
この様なテクニックを用いた訳は、訳のみが毒を含んでるのみならず、
翻訳依頼者も、その翻訳を読む人間にも、毒が回るんです。
こんな訳を見てて、まだなにかあるぞ!絶対にタダでは済まんぞ!と
思ってると、ここでいう「鳥」が「ニワトリ」であった、なんて
アンチクライマックスがついてたりもするんです!(笑)

そこで質問ですが、あなたならこの仮定法の「鳥」、いったい何の鳥だと思って訳しますか? ハトですか?ワシですか?それとも…やっぱりニワトリ? そして、訳すときに「今」や「かつて」などの時間マーカーをどこまで許容しますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317001866

694Hart Bel:2025/07/06(日) 04:16:38
Q:
英語の haveには 色んな意味があります。それで、代表的な訳語は「持っている」ですが、これは ほんの一部をカバーしているにすぎません。そこで、例えば 次の英文です。
とあるサイト(makki-english.moo.jp/2imperative.html )から英文と和訳を拝借しました。

≪ Have a nice day.
良い1日を持ってください。≫

そこで質問です、
「Have a nice day.」を文字通り「良い1日を持ってください」と訳すのは面白いですが、もし誰かが本気で「持つ」ことにこだわったら、
添付の画像みたいなこと 想像しちゃいますよね。みなさんは どう思いますか?

A:
"Have a nice day."を「良い1日を持ってください。」と訳す人は、
添付画像みたいにしか想像できない人に出会うと、まさに、
我が意を得たり!と感じ、打ち解け、親友になると思います(笑)

"We have a lot of rain."についても、
「そうだよね『雨が多い』でなくて『多くの雨を持ってる』だよ!」
とhave論議に花が咲くでしょう。
徹夜で話し込むかもしれません。

そういう人種は「have=持つ」を信奉し、内容は二の次なので、
"How many eyes do you have?"
なんて質問を平気でし、何か悪いことを言ったとは思いません。
片方が義眼のピーター・フォークみたいな人にこの質問をしてはいけない
なんてことには一生、思い当たりません。

こちらは同じ人種でないとしても、続けて
"Have a safe journey!"と感嘆符つきで言われ、なおかつ、
「安全な旅行を持ってください」と解説されると、
一瞬、それってお菓子の空箱に入ってるのか?それとも、
電池レンジで温めて食べる物か?迷ったりします(笑)
その一瞬が過ぎると「もしかして、可哀想な人?」と思います。
また、have a nice day, a lot of rain, two eyes, a safe journeyとこれだけ
多いと、「全部持ち切れるんですか?」と尋ねたくなります(笑)
でも、相手の目がすわってるのを確認すると、
「そんなこと尋ねてはいけない!」と自制します。

これは私だけの反応でなく、世の中の大多数の人の反応だと思います。
なので「良い1日を持ってください。」と言われても、
わざわざダメ出しなどせず、黙ってます。
この人のために、誰か勇気のある人、隣人思いの人が出現し、
「良い1日を持つ?でも、それって冷凍保存きくんですか?」とか
「どこのコンビニで売ってますか?」ぐらい
言ってあげることを心から願っております。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317098291

695Hart Bel:2025/07/06(日) 10:20:31
Q:
英語を学んでいると、「騒がしい」は noisy、「内気な」は shy だと教わるものの、それが実際の英文の中で “Don't be 〜” のような形で出てくると、
ただの語彙の知識では対応しきれないと感じることがあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/2imperative.html )から 英文と その和訳を拝借しました。

e① "Don't be noisy."
e② "Don't be shy."

諭吉なら 「エゲレス語の "Don't be〜"は "Wees niet〜"と蘭語に譯せるなり」という感じて 呑み込みも早かったでしょう、

n① “Wees niet luidruchtig.”
n② “Wees niet verlegen.”

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j① 「うるさくしてはいけません。」
j② 「恥ずかしがらないで!」

ここで、beは英語で最も重要な動詞でありながら、日本語の動詞に対応しないことの方が多く、ここでは 命令形になっており、しかも 否定です。そして、そのサイトの主は 直訳を金科玉条にしておきながら、ようやく 直訳を断念した珍しい例です。というのは 「noisy=ノイズィー =騒がしい」、「shy=シャイ =内気な、はにかんだ」と 解説しておきながら、和訳には それらの訳語が現れていないからです。

そこで質問ですが、"Don't be 〜" のような構文に出会ったとき、英語学習者はまず構文そのものを捉えるべきなのか、それとも意味の自然な理解を優先すべきなのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12317107967

696Hart Bel:2025/07/06(日) 18:10:22
Q:
あなたは 彼女にデートの約束をすっぽかされたことはありませんか?
デートの待ち合わせ時間になっても現れず、すると、彼女から電話が来て、
「ごめん、お母さんが急に倒れで、デートに行けなくなったの。」
でも、後日 あなたは 彼女が他の男性とデートしていることを知り、 失望と怒りで 狂いそう.......

ところで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/3auxverb2.html )から
英文と和訳を拾いました。

≪She could come here yesterday.

彼女は、昨日、ここに来ることができました。≫

そこで質問ですが、"She could come here yesterday." という英文は、彼女が実際に来たという事実を示しているのか、それとも「来ることができたのに来なかった」という、ある種の失望や皮肉を含んだ文なのでしょうか?

Q:
そのサイトのこの英文は文法的に間違いです。
過去の一回の行為をcouldを用いて表すことはできません。
was/were able toを使わないといけないのです。
She could come here. という文であれば、「今(から)彼女がここに来ることができれば(な)」と言ったニュアンスになります。つまり仮定法過去です。
若しくは「彼女がここに来れるかも」という推量を表します。
yesterdayを使うなら、She was able to come here yesterday. となります。
此方は、彼女は昨日実際にここに来ることができた、というニュアンスです。
つまり「達成した」ことを表しているのです。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317137911

697Hart Bel:2025/07/06(日) 21:58:31
Q:
結婚は、ある意味「状態」の変化でもあります。
それまでは独身という状態にあり、ある日を境に法的にも社会的にも「既婚者」という新たな状態に移行する——この変化は、英語の動詞の扱いにも似ているかもしれません。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。

① "She knew that he was married."

諭吉なら 「エゲレス語の knowは 蘭語で wetenと言ふなり」という感じで 呑み込みも早かったでしょう。

② "Ze wist dat hij getrouwd was."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③「彼女は彼が結婚しているということを知っていた。」

ここで、中には なぜ「知った」っていう過去のニュアンスじゃなくて完了のニュアンスがでるのか 疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、knowは知っているという状態を表します。I knewはすでに知っていたことを示します。

そこで質問ですが、
私たちが現在、英語の「know」のような“状態を表す動詞”に出会ったとき、それが「すでに知っていた」という意味なのか、「その時点で初めて知った」という意味なのかを、どのように文脈で判断すればよいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317144149

698Hart Bel:2025/07/07(月) 18:01:24
Q:
テニスと卓球は、どちらもラケットを使うスポーツですが、その雰囲気も技術もまったく異なります。
そしてこの違いは、単なる競技の話にとどまらず、言語表現にも通じるところがあるように思えます。たとえば、テニスが好きだけれど卓球は苦手という人の気持ちを、英語でどう表現するか――そんな一見単純に見える文章の中にも、翻訳の落とし穴が潜んでいます。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは 英作文をするにも オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の文です。よそのナレッジサイトの質問(oshiete.goo.ne.jp/qa/11371448.html )から拝借しました。

① 「彼女はテニスが大好きです。しかし卓球は好きではありません。なぜなら卓球ができないからです」

諭吉なら、先ずは オランダ語に訳してみたでしょう。

② "Ze houdt van tennis. Maar ze houdt niet van tafeltennis. Omdat ze niet goed is in tafeltennis."

これを 英語に直訳します。

③ "She loves tennis. But she doesn't like table tennis. Because she is not good at table tennis."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、直接 英訳するしかありません。
ここでは、No.5の方が スペルミスもなく、ある意味 忠実に訳しています。

④ "She loves tennis but she doesn't like table tennis, because she can't play it (=table tennis)."

しかし、No.8の方が仰るように、中学の課題の英作文なら 正解でしょうけど、意味的に少し変ですね。というのは、テニスのラケットをスイングして コートの中を走れる人が、卓球のラケットを握って 卓球台の前に立って構えるのが 不可能だとは考えにくいからです。ここでの「できない」は 「下手」とか「苦手」と解釈するのが妥当だと思います。

そこで質問ですが、"彼女は卓球が苦手だから好きではない"というニュアンスを、ネイティブらしい自然な英語で表現するには、どんな言い回しがふさわしいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317078208

699Hart Bel:2025/07/08(火) 21:50:35
Q:
日本語を学ぶ外国人にとって、最大の難所の一つは「こと」や「の」など、見た目は簡単でも意味が多層的な語句かもしれません。
単語も文法も“説明すればするほど謎が深まる”──そう感じたことのある方も多いでしょう。
日本語という言語の構造が、英語話者にとっていかに異質か。
そして、その逆もまた然りです。

ところで、日本における英語学習の先駆者と言えば、ジョン・万次郎と福沢諭吉が挙げられるかと思います。そこで、ここでは 福沢諭吉を取り上げたいと思います。
諭吉はご存じの通り、江戸時代に熱心にオランダ語を習得し、明治になって英語に鞍替えしたことで有名ですね。当時は 日本語で説明された英語の学習書は皆無だったので、諭吉たちは オランダ語で書かれた英語を学習書を使いました。そこで、英文を区切りながら、区切り毎にオランダ語に訳していきました。では、手順を見ていきましょう。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6NewspaperBlogJapaneseGrammar.html )から 英文とその和訳を拝借しました。

ここで引用する題材は 日本語の文法についての外国人のブログですが、プロセスは感じて頂けるかと思います。(予め スラッシュを入れています)

"As it’s one of the first words/ most students learn,// it can be surprising/ to discover/ just how tricky all the uses of こと in Japanese/ actually are.
While it’s in most beginner’s textbooks, //this critical particle will also be waiting for them/ when they reach the intermediate- to advanced-level Japanese, too!"

区切り毎にオランダ語に訳していきます。そのまま ほぼ正しいオランダ語になります。

"Omdat het een van de eerste woorden is/ die de meeste studenten leren,// kan het verrassend zijn/ om te ontdekken/ hoe zojuist lastig alle gebruiken van こと in het Japans/ eigenlijk zijn.
Hoewel het in de meeste leerboeken voor beginners staat, //dit kritische partikel ook op hen te wachten/ als ze Japans van gemiddeld tot gevorderd niveau bereiken, ook!"

今度は、オランダ語の部分を日本語に置き換えます。

「それは最初の言葉のひとつであるので/ほとんどの生徒が学ぶ//(次のことは)驚くべきことです/(次のことを)発見することは/日本語の「こと」の使い方がどれだけ難しいかを(発見することが)。
それは、ほとんどの初心者のテキストにあり(→載っていて)//この重大な接尾辞(=「こと」)は彼ら(=生徒達)を待っている/中級から上級レベルの日本語に到達した時にも。」

ここで、英語とオランダ語は近縁の言語同士なので、英文を区切って、区切り毎にオランダ語に訳すのは理に適っていました。しかし、英語と日本語では全く違うので、分かりにくく、英文を区切って 区切り毎に和訳していく方法は廃れてしまいました。そこで、丁寧に和訳していくスタイルが主流になるのですが、いちいち返り読みするので 時間がかかるという難点がありました。
そこで、諭吉の時代から 100年以上経った後、通訳や一部の受験生の間で 「スラッシュリーディング」という名前で この手法が復活するのですが、分かりにくいというデメリットは克服できませんでした。

そこで質問ですが、福沢諭吉が行っていたような、近縁言語間での“逐次翻訳”による学習法は、現代の英語教育にどこまで応用可能だと考えられるでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10316950310

700Hart Bel:2025/07/11(金) 09:48:05
Q:
急に英語を学びたくなりました。

もちろん基礎からやりますが、まず何からスタートした方が良いでしょうか?
単語?リスニング?その他?
あと、映画等を観るときは、字幕スーパーか、逆の日本語ボイス英語字幕か、どっちが覚えやすい、馴染みやすいでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10317255230

701Hart Bel:2025/07/13(日) 08:46:58

Q:
言語とは本来、思考や感情を伝達するための道具であるはずなのに、ひとたび「操作」という言葉が加わると、意味は急にきな臭くなります。誰がどう操るのか、どこまでが自然でどこからが意図的なのか——。
単語の意味をなぞるだけでは、もはや“言語”そのものが、別の力に「操作」されてしまうのではないかと感じることもあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から英文を拝借しました。とある ネットニュース記事を開設しています。予め スラッシュを入れています。

"Hearing the language used for its intended purpose/ would open a student’s eyes (and ears!)/ to how native English speakers manipulate language/ to express themselves, create social connections and explore their personality."

諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"De taal horen zoals die bedoeld is te worden gebruikt,/ zou de ogen (en oren!) van een student openen/ voor hoe moedertaalsprekers van het Engels de taal manipuleren/ om zichzelf uit te drukken, sociale contacten te leggen en hun persoonlijkheid te verkennen."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「それの意図された目的のために使われる言葉を聞くことは、《used〜purposeはlanguageを修飾する分詞句》/3 生徒の目を(そして耳を)開くでしょう。/2 ネイティブの英語の話し手がどのように言語を操作しているかに対しての(目を)/1 彼ら自身を表現し、社会的つながりを作り、彼らの個性を切り開くために。」

ここで、「言語を操作」とは何でしょう。「特定のイメージを植え付けたり、世論を誘導したりするために、意図的に言葉を選ぶ」ことや、或いは、コンピュータが言語データを解析、生成、翻訳したりする」することを彷彿とさせます。他にも、「個性を切り開く」という訳には 笑っちゃいました。

そこで質問ですが、
単語帳に載っている意味をそのまま当てはめ、文法どおりに機械的に訳した結果が「言語を操作して個性を切り開く」だとしたら、私たちはいったい何を読まされているのでしょうか。
もはや英文の意味というより、訳文の“暴走”を味わう読解練習になっていないでしょうか?
こうした訳のズレや滑稽さを回避しつつ、自然な日本語に落とし込むには、どんな視点や感覚が求められるのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317375883

702Hart Bel:2025/07/13(日) 17:33:46
Q:
“声”とは、単なる音ではなく、その人自身の思考や感情、そして存在そのものの表現です。では、英語を学ぶとき、私たちはどこでその“声”を見つけることができるのでしょうか?
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から拝借していました。そのサイトで解説している ネットニュース記事のタイトルになります。

① "How to help students of English find their voice"

諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Hoe je Engelslerende studenten kunt helpen hun stem te vinden"

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは 次のように訳しています。

③ 「英語の生徒が、思い切って声を出せるように手助けする方法」

ここで、③だけを見たら、引用元の記事の著者のTuckerさんとやらは声楽家か、音声学者か!と
思います。
また そのサイトの主は「直訳、直訳」と言ってるのに、この「思い切って」に当たる英語は
どこにありますか?
そして、"find their voice"は「(思い切って)声を出す」ことなんですか?

タイトルが「きっちり読めて」ない人が本文を「きっちり読めて」いる
のでしょうか?
直訳信奉すると、タイトルすら読めなくなることを証明してないでしょうか?
みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317414513

703Hart Bel:2025/07/13(日) 18:32:09


Q:
マドリッドには、パリやロンドンとはまた違った、控えめで穏やかな美しさがあります。中世の面影がそのまま街の輪郭となり、訪れる者を静かに迎えてくれるようです。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から ①と③の文を拝借しました。

① "Madrid, where he first met her, is the capital of Spain and a beautiful city."

諭吉なら 次のように 日本語よりも オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

② "Madrid, waar hij haar voor het eerst ontmoette, is de hoofdstad van Spanje en een prachtige stad."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「マドリッドは、そして、そこで彼は初めて彼女に会いましたが、スペインの首都で美しい町です。」

ここで、①は関係詞を用いた文ですが、先行詞の Madridが固有名詞のため、関係詞の前に、カンマ「,」を置く用法になります。そして、「そして」には 前の内容に続いて、さらに何かを加えたり、同じような種類の情報を、つなげる働きがあります。ところが、①の文は先行詞が主語なので、そのサイトの主にとっては 苦肉の策だとは 思われますが、まだ、内容すら 言及していないのに、「そして」て続けるのは 日本語として 甚だ奇妙です。

そこで質問ですが、日本語母語話者の視点からすると、このような訳文は不自然に感じられることが多いと思われます。英語の論理構造を損なわずに、より日本語らしい訳し方をするには、どのようなアプローチが適切でしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317352268

704Hart Bel:2025/07/14(月) 15:58:25
Q:
英語の“会話”とは、本来キャッチボールのようなものです。
投げたら返ってくる、言えば応じてもらえる——そんな往復運動の中で、意味が立ち上がってきます。けれども、私たちが教室で英語に触れるとき、それはむしろ、壁に向かってボールを投げているような感覚になることも少なくありません。相手はいるのに、会話にならない。それは単語の意味がわからないからでしょうか? それとも——

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から拝借していました。予め、スラッシュを入れています。

"It is true/ that native speakers are often made available in the classroom,/ but their presence alone/ is unlikely to spark the sort of conversational tennis/ that the student will encounter in the English-speaking world."

諭吉なら 「エゲレス語の aloneは 蘭語の alleenに当たるなり」という感じで すんなり理解できたでしょう。

“Het is waar/ dat moedertaalsprekers vaak beschikbaar worden gesteld in de klas,/ maar hun aanwezigheid alleen/ zal waarschijnlijk niet het soort conversatie-tennis aanwakkeren/ dat de student zal tegenkomen in de Engelstalige wereld.”

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そこで、そのサイトでは 次のように訳しています。

「つぎのことは、本当です。.../ネイティブの話し手が教室でしばしば・利用される(→授業に参加する≒are often available・ availableはよく使われる英単語ですが、使用法が難しいので注意が必要です)ということは。/しかし、・彼らの単独での存在...は/2会話のテニスのようなものを引き起こしません。.../1生徒が英語を話す世界の中で偶然会うであろう(テニスを)。」

ここで、availableは使用法が難しいのではなく、無理に直訳しようとすると、ピッタリする訳語がないだけです。それと、「their presence alone is...
彼らの単独での存在は → 彼らがいるだけでは」です。aloneは 中学でも出てくるような単語でありながら、ここでは 副詞でありながら their presenceにかかって 形容詞的な働きをしています。それから、 会話のテニスでは 日本人には ピンと来ないでしょう。それに、日本人がテニスでイメージするのは、プレイヤー同士がボールを打ち合い続けるラリーよりも、むしろ、高く上がったボールを相手コートに強く打ち込む スマッシュかもしれません。

そこで質問ですが、
英語が初めての外国語である私たちは、「available」や「alone」のような単語に出会うたびに、まず日本語訳を探し、その訳語にどうにか意味を押し込めようとしがちです。でも、こうした訳のプロセスが、かえって理解を遠回りにしていると感じたことはありませんか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317429299

705Hart Bel:2025/07/15(火) 12:36:52
Q:
異なる言語に向き合うとき、私たちがまず直面するのは「理解の困難」ではなく、じわじわと広がる「当惑」かもしれません。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から拝借していました。とある ネットニュース記事を解説しています。第2パラグラフの文です。予め、スラッシュを入れています。

① "Tackling written assignments/ allows time for reflection and editing,/
but the on-the-spot nature of communicating verbally/ leaves the speaker/ vulnerable to embarrassing mistakes."

諭吉な、日本語よりも オランダ語に訳した方が分かりやすかったでしょう。

② "Het aanpakken van schriftelijke opdrachten/ biedt tijd voor reflectie en herziening,/ maar de spontane aard van mondelinge communicatie/ maakt de spreker kwetsbaar voor gênante fouten."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは 次のように訳しています。

③ 「書かれた宿題に取り組むことは《動名詞から導かれる文が主語》/熟考と校正することのための時間を認めます。/
しかし、言葉で意見を伝え合うことの現場の性質は、/話し手を、当惑させるような間違えに傷つきやすいままにしてしまいます。」

しかし、ここで、
【- editing 校正する → 編集するとか、まとめる
- allows time 時間を認めます → 時間の余裕がある
- leaves the speaker/vulnerable to embarrassing mistakes
話し手を、当惑させるような間違えに傷つきやすいままにしてしまいます。
→ 赤面する様なミスが残ったままにしてしまう】
です。

そこで質問ですが、
このように英文の構造や語法が日本語とは大きく異なる場合、単に日本語に訳すだけでは、本来のニュアンスや機能まで掴みきれないこともあるのではないでしょうか。
では、私たちはどのような姿勢で英語に向き合えば、「訳す」だけにとどまらず、より深くその意味や運用を理解していくことができるのでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10317493980

706Hart Bel:2025/07/15(火) 19:33:20
Q:
言葉への自信は、ただ辞書的な意味を知っているだけでは育ちません。むしろ、文脈の中でどう息づいているかを感じ取る力こそが、本当の理解に近づく鍵です。
さて、とある英語学習のサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )によると、

≪速読していて、「あれ?意味が微妙にわからない!」と感じた時は、一度止まって、スラッシュリーディングしながら直訳してみてください。正しく文章が理解できるようになります。これを怠ると、あやふやに英語を読む癖が抜けなくなります。
・・・・・
直訳をするのは、あくまで、きっちり読めているかを確認するためです。時間をかけて丁寧に訳す翻訳に近い意訳とは、全く違います。意訳していては時間ばかりかかってしまい、速読できるようになりません。直訳と意訳を、くれぐれも混同しないでください。≫

だそうです。でも、直訳しても あやふやに英語を読む癖が抜けていないようです。
確かに 一文一文丁寧に解読しており、文法的な解釈ミスも 2,3か所に留まっていますが、木を見て森を見ず の状態になっており、文章全体の趣旨を掴んでいるようには思えません。そのサイトでは とあるネットニュース記事を解説していますが、最後の文です。

≪To paraphrase the novelist Edmund de Waal, /with a confident grasp of languages,/ you are at home anywhere.
*paraphrase=言いかえる=in other words(しばしば要約する時に用いられる)
*grasp=つかむこと[→理解]
*be at home=くつろぐ
小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールに言いかえると[→要約するために、小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールの言葉を借りると?]/言葉の自信に満ちた理解があれば、/あなたは、どこででも、くつろげるのです。≫

そこで質問ですが、「you are at home」のような表現を、文脈を無視してただ辞書から拾った訳語で置き換えようとすると、かえって本来のニュアンスを取り違えてしまう危険もあります。では、この表現を意味として最も近い形に言い換えると、次のうちどれになるでしょうか?

① you can rest at ease
② you are in a homely atmosphere
③ you don't have to be embarrassed.
④ you are in your house
⑤ you are familiar with English

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12317498217

707Hart Bel:2025/07/16(水) 09:09:45
Q:
英語を学んでいると、「available=利用可能な」と覚えたはずなのに、いざ英文を読んでみると、その訳ではどうも意味が通らない、そんな経験をした方も多いのではないでしょうか。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です

e① "I tried every available method."
e② "The product is not available any longer."
e③ "At what time is he available?"

諭吉なら、「エゲレス語の availableは 蘭語で beschikbaarと言ふなり」という感じで すんなり呑み込めたでしょう。

n① "Ik heb alle beschikbare methodes geprobeerd."
n② "Het product is niet meer beschikbaar.”
n③ "Op welke tijd is hij beschikbaar?"

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。しかし、ここで、availableは「=利用可能な」では意味をなしません。

j① 「私はありとあらゆる方法を試しました。」
j② 「その商品はもう手に入りません。」
j③ 「彼はいつなら空いていますか?」

このように、「availableはよく使われる英単語ですが、使用法が難しいので注意が必要です」 とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でも誤解され、中学の英語では登場せず、高校の英語でも 敬遠されがちな単語の1つです。

そこで質問ですが、availableのように、日常英語では頻繁に登場するのに、意味の捉えづらさから敬遠されがちな単語に対して、私たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317509148

708Hart Bel:2025/07/16(水) 22:14:16
Q:
英語を学んでいると、「available=利用可能な」と覚えたはずなのに、いざ英文を読んでみると、その訳ではどうも意味が通らない、そんな経験をした方も多いのではないでしょうか。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です

e① "I tried every available method."
e② "The product is not available any longer."
e③ "At what time is he available?"

諭吉なら、「エゲレス語の availableは 蘭語で beschikbaarと言ふなり」という感じで すんなり呑み込めたでしょう。

n① "Ik heb alle beschikbare methodes geprobeerd."
n② "Het product is niet meer beschikbaar.”
n③ "Op welke tijd is hij beschikbaar?"

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。しかし、ここで、availableは「=利用可能な」では意味をなしません。

j① 「私はありとあらゆる方法を試しました。」
j② 「その商品はもう手に入りません。」
j③ 「彼はいつなら空いていますか?」

このように、「availableはよく使われる英単語ですが、使用法が難しいので注意が必要です」 とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でも誤解され、中学の英語では登場せず、高校の英語でも 敬遠されがちな単語の1つです。

そこで質問ですが、availableのように、日常英語では頻繁に登場するのに、意味の捉えづらさから敬遠されがちな単語に対して、私たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317509148

709Hart Bel:2025/07/16(水) 22:15:43
Q:
「animal」は誰でも知ってる——と思っていたら、耳では出会ったことのない“珍獣”だった、なんてことありませんか?.........

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12317474482

710Hart Bel:2025/07/16(水) 22:17:04
Q:
私が中学生の時、英語の和訳の問題で、bagをバッグと訳したら 減点された思い出があります。「かばん」と訳さなければならないようなのです。
でも、日本語の「かばん」には bagだけでなく、 briefcaseやsuitcaseも含まれる一方、bagには「かばん」の他にも「袋」という意味もあります。でも、Christmasは流石に「降誕祭」ではなく「クリスマス」でOKでした。
それでは、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )からの引用です。

‹引用開始›
≪直訳をするのは、あくまで、きっちり読めているかを確認するためです。時間をかけて丁寧に訳す翻訳に近い意訳とは、全く違います。意訳していては時間ばかりかかってしまい、速読できるようになりません。直訳と意訳を、くれぐれも混同しないでください。≫
‹引用終了›

しかし、直訳したところで、きっちり読めているか 確認できるとは 限らないのでは ないでしょうか? その サイトでは とあるネットニュース記事を解説しています。

第6パラグラフの文です。
≪In my view,/ what the teaching of languages currently seems to lack/ is the necessary context/ for what language is.
*context=文脈、背景
私の見解では《=in my opinion》/言語の指導が現在のところ欠けているように見えるものは、《what=the thing which〜の関係代名詞》/2 必要な背景です。/1 言語が何のためにあるかの。≫

第10パラグラフの文です。
≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫

両方に contextという単語が登場しますが、第6パラグラフの文では「背景」、第10パラグラフの文では「文脈」と訳されていますが、大切なのは 訳語を当てることではなく、contextの概念を理解することだと思います。

そこで質問ですが、
直訳や訳語の選定よりも、「context」という語が指している考え方や背景そのものを理解することの方が、語学学習としては重要なのではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317532154

711Hart Bel:2025/07/17(木) 19:13:37
Q:
小説家の言葉を要約するという行為は、しばしばその言葉の奥にある文脈や感情、さらには語り手の思想までも含めて、凝縮し直すという繊細な営みです。
ましてや、そこに「くつろぐ」といった語を当てはめるとなれば、なおさら注意が必要です。それは単に身体を休めることを指しているのか、それとも精神的な安心感や、異文化における自己肯定のような深い意味合いを含んでいるのか。訳す側の解釈次第で、読み手の受け取る印象も大きく変わってしまうのです。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から拝借していました。とある ネットニュース記事を解説しています。最後の文です。予め、スラッシュを入れています。

① "To paraphrase the novelist Edmund de Waal, /with a confident grasp of languages,/ you are at home anywhere."

この文では at homeが曲者ですが、諭吉なら「エゲレス語の at homeは 蘭語で thuisと言ふなり」という感じで すんなり理解できたできたでしょう。

② "Om de romanschrijver Edmund de Waal te parafraseren, /met een zelfverzekerde talenkennis,/ ben je overal thuis."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは 次のように訳しています。

③ 「小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールに言いかえると[→要約するために、小説家のエドマンド・ドゥ・ヴァールの言葉を借りると?]/言葉の自信に満ちた理解があれば、/あなたは、どこででも、くつろげるのです。」

そこで質問ですが、"at home " を「くつろげる」と訳すのは、果たして文脈に即していると言えるのでしょうか?
言葉への自信がテーマである以上、「くつろぎ」よりも「恐れがない」「自信がある」「自在にふるまえる」などの方が本旨に近いようにも思えます。どのように捉えるのが最も適切なのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317548108

712Hart Bel:2025/07/18(金) 16:13:07
Q:
言語を“訳す”ことと、“わかる”ことは、必ずしも一致しません。
むしろ時に、翻訳という作業は、原文の意味やニュアンスを“きれいに”整えるあまり、かえって本来の姿をぼかしてしまうことさえあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から拝借していました。予め、スラッシュを入れています。

① "It’s not helpful/ that the assessment of English at schools/ normally focuses on grammar,/ while building competence in spoken English/ can be neglected."

諭吉なら 「エゲレス語の itは 蘭語で hetと言ふなり」という感じで 形式主語の itも すんなり呑み込めたでしょう。

② "Het helpt niet/ dat de beoordeling van Engels op scholen/ zich normaal gesproken richt op grammatica,/ terwijl het opbouwen van competentie in gesproken Engels/ verwaarloosd kan worden."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そのサイトでは 次のように訳しています。

③「次のことは有益ではありません。(仕方がありません?It's not useful/It can't be avoided [helped]?)《It-thatの構文、Itがthat以下を指す仮主語》/学校での英語の評価が/普通、文法に焦点を合わせているということは。/だが一方、口語英語の能力を確立することは《while=対比を表し、だが一方》/無視され得るのです(→時には無視されかねないのです)。」

ここで、先ず 気になったのは、そのサイトの主は 形式主語の itを「次のことは」と訳していることです。でも、まあ、それはともかく、
"building competence
能力を確立することは → 実力を積み重ねる"
です。
そこで質問ですが、
日本語を介して英語を理解しようとするこのアプローチは、本当に英語の「本質」に迫れているのでしょうか?
たとえば、“building competence” という表現を「能力を確立する」と訳すと、「積み重ねて身につけていく」という本来のニュアンスが薄れてしまいますし、“neglected” を「無視される」と訳すと、意図的な拒絶(=ignore)のようにも受け取られかねません。
こうした訳語のズレを積み重ねた先に、果たして英語で「話せる」「伝えられる」力が育つのか——少し立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317419166

713Hart Bel:2025/07/19(土) 13:05:59

Q:
大学入試共通試験の英語は、英文を日本語で考える習慣がある人は得意で、
英語を英語のまんま考える人は不得意ですか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12317461757

714Hart Bel:2025/07/20(日) 18:09:53
Q:
英語を訳すとは、本来、単語の意味を移すだけではなく、その背後にある文化や感情、語感までも汲み取る繊細な営みのはずです。
にもかかわらず、私たちはしばしば、辞書にある語義をそのまま当てはめることで、言葉の厚みや余韻を削ぎ落とし、訳した「つもり」になってしまうことがあります。それは、理解の助けではなく、むしろ思考の停止を招いてはいないでしょうか。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。齋藤秀三郎氏の「熟語本位斎藤英和中辞典」から 例文を拝借しました。

e① "A society woman makes you feel at home with her."
e② "He makes himself at home everywhere."

諭吉なら、「エゲレス語の at homeは 蘭語で thuisと言ふなり」という感じで すんなり理解できたでしょう。
(秀三郎氏が 先述の辞書を世に出したのは 諭吉の没後14年後になりますが.....)

n① "Een vrouw uit de maatschappij zorgt ervoor dat je je thuis voelt bij haar."
n② "Hij voelt zich overal thuis."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j①「交際家は人に気兼させぬ。」
j②「至る處で不遠慮だ(傍若無人)」

ここでは、at homeの訳し方がポイントになります。流石、秀三郎氏、和訳が秀逸です。一方で、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )の主のように、題材にしている論説文の最後の文で 「くつろげる」というように間抜けな訳し方をしている人もおります。

"At home"は文字通りには「家に(いる)」です。
辞書を引かず、考えてみます。
「家にいる」はどんな比喩になり得るのか?
「言葉を自分のモノにしてれば、自信があれば、」
「あなたは、どこに行っても…」:

大丈夫です。/不安が消えます。
(内弁慶みたいに)強くなれます。
物おじしなくて済むんです。/落ち着いていられます。
(もう前みたいに)震えてなくていいんです。
しどろもどろにならなくて済みます。
悩まなくていいんです。/憂えなしです。
ドンと構えていられます。/ドシッとしてられます。/ぐらつきません。
余裕ですからね。/余裕しゃくしゃくです。
大船に乗った気分ですよ。/鬼に金棒ですよ。/水を得た魚ですよ。
無敵になります。/ここは我が城!です。
誰でもかかって来い!ですよ。/あんたが大将!です。
矢でも鉄砲でも持って来い!と言えます。

そこで質問ですが、
「at home」という語に込められた、言語的・心理的な深層をすべて削ぎ落とし、「くつろぐ」の一語で済ませてしまうような訳は、本当に正当と言えるのでしょうか?
それは単に、読者の思考力と感受性を信じることを放棄した、“分かった気にさせる訳”に過ぎないのではないでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317623834

715Hart Bel:2025/07/21(月) 13:28:45
Q;
たとえば、目の前に一本の鉛筆があるとします。形や色はもちろん、その用途も明快で、誰もが知っているありふれた文房具です。
しかし、この何の変哲もない鉛筆一つを指すとき、日本語では「これ」「それ」「あれ」といった言葉を、場面や距離感、人間関係などに応じて使い分けます。まさに、空気のように自然に、そして無意識に。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の英文です。

e① "This is a nice pencil."
e② "That is a nice pencil."
e③ "It is a nice pencil."

諭吉なら、「エゲレス語の thisは蘭語の ditに、thatは datに、また、itは hetに各〻對應するものと見ゆ。」という感じで、理解しやすかったでしょう。

n① "Dit is een mooi potlood."
n② "Dat is een mooi potlood."
n③ "Het is een mooi potlood."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j① 「これはすてきな鉛筆です。」
j② 「あれはすてきな鉛筆です。」
j③ 「それはすてきな鉛筆です。」

そこで質問ですが、
たとえば、生徒が「それはすてきな鉛筆ですね」と言いたい場面で、聞き手が鉛筆を手に持っていて、まだ会話の中でそれに一度も触れていないとします。このようなケースでは、つい日本語の「それ」に引きずられて、e③のようにと言ってしまう子も少なくないかもしれません。実際には "that" を使うべき場面ですが、「それ=it」といった1対1対応の意識があると、英語本来の使い分けに気づきにくいのではないでしょうか?

英語と日本語の代名詞を無理に対応づけようとすると、かえって誤用の原因になってしまう—— これは たとえば とある英語学習のサイト(makki-english.moo.jp/8beverb2b.html )とて 例外ではありません。それに、このサイトは とりわけ 机の上での 英文和訳や和文英訳に極端に偏っています。
そこで、このような言葉のズレを、限られた授業時間の中でどう伝え、どうすれば子どもたちに自然な感覚として身につけてもらえるのか。
現場の先生方はどのような工夫をされているでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317731359

716Hart Bel:2025/07/21(月) 20:19:30
Q:
みなさんは ロシアのチェブラーシカってご存じですか? ミッキーマウスと比べたら、知名度には雲泥の差がありますが、ミッキーマウスみたいに スレてなくて、
知る人ぞ知るの隠れたアイドルです。そこで、チェブラーシカは ワニのゲーナに出会います。ゲーナは一人ぼっちで 友達を募集していました。そして、チェブラーシカと仲良しになったゲーナはチェブラーシカに "Мы хорошие друзья.(We are good friends.)"と言って 友情を分かち合います。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば、次の2つの英文です。

I want to speak English more. We are good friends.

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

Ik wil meer Engels spreken. We zijn goede vrienden.

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。これは、"We Can!"という小学生向けの英語教材にあった英文ですが、とあるサイト(makki-english.moo.jp/contentsfirst2elementaryschool2.html#WeCan )では この教材を「文法的に見ると、初心者が学ぶには、あり得ないむずかしさと思いました。」と酷評し、具体例として 先程の英文を挙げています。

≪We can! 1 (5年生)
Unit2のStory Time
I want to speak English more. We are good friends.
…不定詞の名詞的用法(中2の2学期)、we/friends複数が出てきます。「どうしてこうなるんですか?」と生徒に聞かれたら、どう答えますか?説明にものすごく時間がかかると思いますが、説明しなければ納得できなく、英語嫌いな生徒も出てくると思います。こんなむずかしい文法のが、この時期に必要でしょうか。リスニングもリーディングも、習った文法で対応できる教材にするべきと思います。応用は中学に入ってからで十分では?≫

でも、"We can!"は 生徒よりも先生を選ぶ教材なのではないでしょうか? それで、昔ながらの文法訳読法で中学生にしか英語を教えられない力不足の人間の愚痴のようにも聞こえます。というのは、この手の英文は 幼児向けの英語教室でも 必ず出で来ますが、このサイトの主から英語を教わる小学生たちは、こんな簡単な英文も 中学までお預けになり、英語を通して 誰とも仲良くなれず ホントに可哀想です。

そこで質問ですが、
“we”が使えない英語って、いったい何を誰と話せばいいのでしょう?
“We are good friends.”——たったこれだけの文で、子どもたちは「わたし」と「あなた」のあいだにある、あたたかなつながりを感じることができます。
それなのに、「不定詞が…」「複数形が…」と難癖をつけて、それを封印してしまうなんて、まるで“友情禁止令”みたいじゃありませんか?
言葉は本来、誰かと何かを共有するための道具のはず。
なのに、“we”すら許されない英語教育の中で、子どもたちは何をどう共有すればいいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317747341

717Hart Bel:2025/07/22(火) 13:35:40
Q:
宿題というのは、ただでさえ生徒を悩ませる存在ですが、どうやら翻訳者にとってもなかなか手強い相手のようです。
そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )から 英文を拝借しました。とある ネットニュース記事を解説していますが、第2パラグラフの文です。

"Tackling written assignments/ allows time for reflection and editing,/
but the on-the-spot nature of communicating verbally/ leaves the speaker/ vulnerable to embarrassing mistakes."

そのサイトの主は 得意のスラッシュリーディングと直訳で 次のように解釈しています。

「書かれた宿題に取り組むことは《動名詞から導かれる文が主語》/熟考と校正することのための時間を認めます。/
しかし、言葉で意見を伝え合うことの現場の性質は、/話し手を、当惑させるような間違えに傷つきやすいままにしてしまいます。」

ここで、特に

≪Tackling written assignments allows time for reflection and editing.
「書かれた宿題に取り組みことは熟考と校正することのための時間を
認めます。」≫

の部分が気になります。というのは そのサイトの主が 別のページ(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )では

"Help homework"で「宿題さんを助ける!」なんて言って笑ってた
先生が、ここでは「宿題に取り組むさんが認める」ですからね!
これはダメでこれはOK!
一体、誰が決めるんですか?
言葉の独裁者は怖いですよ(笑)
「我が単語帳」を使い、自分が好きな様に擬人法を使って、
他人がそれをすると許さない!
基準がないんですよ。
「我こそが法なり」ですよ(笑)

要するに、「宿題さんを助ける」はNGだけど、「宿題さんが時間を認める」はOKという、この選別基準のあやふやさ――。
そこで質問ですが、「Tackling written assignments allows time...」という英文において、"Tackling" を「取り組むこと」と無難に訳すのはよいとしても、"allows" を「認めます」と訳すのは、果たして自然な日本語と言えるのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10317461565

718Hart Bel:2025/07/22(火) 21:29:03
Q:
直訳というのは、英語を“訳した気になる”には手っ取り早い方法です。とりあえず日本語が並べば、それっぽく見えますし、「自分、読めてるかも」と思えて安心です。
でも、そうやって安心しきったまま、英語の“コンテキスト”ごと置き去りにしてしまう人も、案外少なくないようです。

ところで、私が中学生の時、英語の和訳の問題で、bagをバッグと訳したら 減点された思い出があります。「かばん」と訳さなければならないようなのです。
でも、日本語の「かばん」には bagだけでなく、 briefcaseやsuitcaseも含まれる一方、bagには「かばん」の他にも「袋」という意味もあります。でも、Christmasは流石に「降誕祭」ではなく「クリスマス」でOKでした。
それでは、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )からの引用です。

‹引用開始›
≪直訳をするのは、あくまで、きっちり読めているかを確認するためです。時間をかけて丁寧に訳す翻訳に近い意訳とは、全く違います。意訳していては時間ばかりかかってしまい、速読できるようになりません。直訳と意訳を、くれぐれも混同しないでください。≫
‹引用終了›

しかし、直訳したところで、きっちり読めているか 確認できるとは 限らないのでは ないでしょうか?
そこで、第10パラグラフにある文です。

They can understand the context for employing certain colloquialisms and how to utilize them to express their personality in a second language.

そのサイトの主は 得意のスラッシュリーディングと直訳で次のように解釈しています。

≪They can understand the context/ for employing certain colloquialisms/ and how to utilize them/ to express their personality in a second language.
*context=文脈、背景≒meaning
*colloquialism=コろウクィアリズム=口語的表現、方言
彼らは、5 文脈[→意味]を理解できます/1 ある方言を使用する[←雇用する]ことに対する/2そ して、4どのようにそれらを利用するかに対する 《"for employing"is in apposition (同格)with "(for) how to".》/3 第二言語で彼らの人格(個性)を表現するために。≫

とょっと、問題個所だらけですが、ここでは contextを取り上げたいと思います。
そのサイトの主は contextを「文脈」と訳していますが、contextの意味をよく分かっていないようです。contextは「コンテキスト」のままでもいいでしょう。大事なのは bagの例もしかり、訳語を当てることではなく 概念を理解することではないでしょうか。

そこで質問ですが、「直訳」という方法は、本当に語学習得において“きっちり読めているかどうか”を測る適切な手段と言えるのでしょうか? また、文中の “context” のような語に対して、安直に「文脈」といった訳語を当てることが、本質的な理解を妨げてはいないでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317469061

719Hart Bel:2025/07/25(金) 06:41:25
Q:
中学校の英語だと、教科書にならってないことを書いたらばつにされます。それは、不公平じゃないですか?

私は生まれたときからバイリンガルです。
テストで、
おもしろい=fun
それよさそうですね=sounds good
私の家=my place
カレー= curry and rice

全部ばつでした。

あとよくわからない受動ってのは、すごくおかしな言い方してて、意味わからないです。そんな言い方しないので。

点数落ちて80点台しかとれないです。

英語できる人、これどう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11317606591

720Hart Bel:2025/07/27(日) 20:12:11
Q:
英語の和訳問題って
意訳よりも、不自然な日本語でも直訳の方がいいですよね?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14317775534

721Hart Bel:2025/07/29(火) 12:34:23
Q:
「宿題」という言葉を聞いて、皆さんはまず何を思い浮かべるでしょうか。
先生に言われて仕方なくこなすもの、やらなければ叱られるもの、あるいは、勉強の理解を深めるための大切な復習手段。立場や経験によって、その印象はさまざまだと思います。しかし、本来「宿題」とは、“自分で考え、工夫し、つまずきながら乗り越えていく”プロセスそのものだったはずです。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器すら存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とあるサイト(makki-english.moo.jp/contentfirst2translation.html )から英文を借りました。

"I'll help him with his homework tonight."

諭吉なら、次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

“Ik zal hem vanavond helpen met zijn huiswerk.”

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。そこで、そのサイトでは 次のように 説明しています。

<引用開始>
≪これは、中学2年の初めに、ある教科書に載っていた英文です。この訳を、「私は今晩、彼の宿題を手伝うつもりです。」と訳す先生が多いです。英語教材の訳も、そうなっているものが多いです。しかし、これは意訳です。

もし、この意訳から英文を起こそうとすると、
"I'll help his homework tonight."
という文ができてしまいます。生徒たちは、どうしてこれが間違えか理解できません。先生方は、どのように説明されますか?

私がとても役立つと感じているスラッシュリーディングをしてみます。

"I'll help him/with his homework/tonight."

「私は彼を手伝うつもりです。/彼の宿題で/今晩」

このようにしておけば、helpの後に「手伝ってあげる相手」を、withの後に「仕事の内容」を入れ、便宜上withを「〜で」と訳すと、生徒に教えやすいです。そして、I'll help his homework…としてしまうと、homeworkという生き物(?)を手伝うような、とんでもない感じの文になってしまうと説明すると、生徒は納得してくれます。しかし、ここまで説明する先生は、私の知るかぎりではいませんでした。真面目な生徒に限って、混乱しています。そもそも、この難しい英文を、中学2年の1学期に教えること自体、問題があるとは思いますが…≫
<引用終了>

しかし、最初からミスを犯さない学び方をするのでなく、
ミスはなるべく早く直せる様な学び方をするのがいいと思います。

そこで質問ですが、
そもそも英語は、現代の日本人にとって初めて触れる外国語であるにもかかわらず、特に そのサイトとでは 文字や文法の学習が先行し、「英語を聞いて、それを真似て発音する」という基本的な音声模倣のプロセスが極端に軽視されています。また、十分なインプットがないまま、いきなり「正しい英作文」を求めたり、動詞と前置詞を個別の単語として機械的に理解させたり、日本語の「手伝う/助ける」などの語法の整理も曖昧なままにしています。
このような状態で、「I'll help him with his homework tonight.」の文法説明を細かくしても、本質的な理解にはつながらず、むしろ混乱を深めてしまうだけではないかとも思えます。果たして、こうした説明を中学2年生の段階で与えることは、英語教育として本当に有効なのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14318027504

722Hart Bel:2025/07/29(火) 18:36:53
Q:
「末期」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
病の終わり、体制の崩壊、あるいは理性の限界──。
何かが本来のかたちを失い、修復もままならなくなった状態を、私たちはそう呼ぶのかもしれません。
にもかかわらず、なぜか当事者たちはそれに気づかず、むしろ自信たっぷりに“正しさ”を振りかざしていたりするのです。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次のフレーズです。とあるサイト(makki-english.moo.jp/index2.html )のタイトルです。

① "Makki's Let's Speak English"

諭吉なら 日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。(当時はパソコンやネットはなくとも ハイテクに関する用語や表現は含まれていません。)

② "Makki's Laten we Engels spreken"

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「マッキーの英語を話そう」

特に 難しいことはないかと思います。このサイトは タイトルだけを見ると 英会話を主眼にしているようですが、実際は 小学生から 文法と直訳を叩き込もうとする 羊頭狗肉、いや、恐ろしいサイトです。でも、それだけに、体系的な順序立てを意識しているようです。それで、別のページ(makki-english.moo.jp/8main.html )では 《複数形は扱いません》と書いています。このチャプターは小学生向けのようですが、そのサイトの主の方針では 複数形は中学まで お預けのようです。ところが、このタイトルにすでに しっかり複数形が使われているではありませんか。そう、Let'sです。Let'sは ご存じの通り、Let usの短縮形で、しっかり weという1人称複数代名詞の目的格が入っています。しかも、letは放任を表す助動詞で 原形不定詞を伴います。
あと、 Makkiも Mackieとか Mackeyにしないところが、何とも uncoolですね。(笑)

そこで質問ですが、小学生に英語を教える際に「複数形は扱いません」と宣言しておきながら、そのサイトのタイトルに堂々と“Let's”という1人称複数を含んだ表現を使ってしまうのは、いったいどういう教育方針なのでしょうか。複数形は禁じ手でも、決まり文句なら無罪放免なのでしょうか。それとも、これは“複数形”には含まれないという、苦しい言い訳が用意されているのでしょうか。みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10318013955

723Hart Bel:2025/07/29(火) 22:22:26
Q:
“まだ終えている”…うーん、これはどういうことなんでしょうか。終わったのに、まだ終わっている。
まるで『夏休みの宿題は7月中に全部やったはずなんだけど、なんとなく達成感がなくて、8月31日にもう一度確認しちゃう』みたいな、あの不思議な感覚に似ています。いや、やったんです。確かにやった。ノートにも書いたし、親にも見せた。でも、心のどこかで“終わった気がしない”…。それが“まだ終えている”。一種の思春期的未練、あるいは文法界の幽霊部員みたいな存在かもしれません。終わってるけど、まだ名簿に名前はある。完全に終わったようで、どこか余韻を残して漂っている。“まだ終えている”──これはもはや文法の話というより、人生の態度の話かもしれません。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師は 自身のページ(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でとあるネットニュースの記事を解説していますが、第2パラグラフの文です。(予め スラッシュを入れています。)

"However, /many students still complete their studies/ without confidence in their ability/ to hold a conversation."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。

"Toch, /maken veel studenten hun studie nog steeds af/ zonder het vertrouwen in hun vermogen/ om een ​​gesprek te voeren."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

「しかしながら/多くの生徒は、3まだ彼らの勉強を終えています。/2彼らの能力に自信なしで.../1会話をする(能力)。...≫」

そこで、「まだ彼らの勉強を終えています。」とは一体何でしょうか? ここで、stillは否定文でよく用いられ、「まだ」という意味ですが、この文は肯定文です。でも、withoutが否定的な意味を持ち、さらに stillは withoutと相関関係にあり、意味の力点も completeという動詞よりも without以下の句に置かれています。しかし、withoutの前でスラッシュで区切っていますので、stillとwithoutの呼応関係も見事に見逃し、completeを含むチャンクの直訳が支離滅裂になっています。

そこで質問ですが、このように「still」と「without」の意味的な連携や、意味の重心が動詞ではなく後続の句に置かれるような英文において、逐語訳やチャンクごとの直訳に頼る姿勢は、果たして学習者にとって有益なのでしょうか?
また、英語に対する「最初の外国語」としての感覚を持ち得ない現代の日本人にとって、文構造や論理展開の重心の置き方を、どうすれば効果的に理解・定着させることができるのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10318054320

724Hart Bel:2025/08/03(日) 07:44:58
Q:
キャロライン・ディキンソンの事件は、その痛ましさと共に、言葉の壁を越えて報じられ、多くの人々の記憶に刻まれました。
その英文を読み解く中で、私たちは改めて「言語の違い」がもたらす理解のズレや難しさに直面することになります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。

① "In the case of Caroline Dickinson there was the added mystery of how this young girl had been raped and murdered in the same room as her sleeping school friends without them being woken up."

諭吉なら、「エゲレス語の asは 蘭語の alsに当たるなり」という感じで 割とすんなり理解できたでしょう。


② "In het geval van Caroline Dickinson was er het extra mysterie hoe dit jonge meisje was verkracht en vermoord in dezelfde kamer als haar slapende schoolvriendinnen zonder dat zij wakker werden."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③「キャロライン・ディキンソンの事件をめぐる謎は、この少女が学校の友人と同じ部屋で寝ている間に起こされることなく強姦され殺害されたという事実によってさらに複雑になっている。」

そこで質問ですが、「as her sleeping school friends」の部分に使われている as の意味や役割について、みなさんはすぐにピンときたでしょうか?
一見すると「比較」の as にも見えますし、「一緒にいたこと」を示すようにも感じられて、英語にあまり慣れていない人にとっては少し戸惑いやすい箇所かもしれません。
「同じ部屋」と言っているのに、なぜ with や in the same room together with... のような表現ではないのか?——そんな疑問も湧いてきます。
こうした一語の使い方ひとつでも、文全体のイメージが大きく変わることがありますよね。みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10318213550

725Hart Bel:2025/08/04(月) 08:48:09
Q:
2025年夏現在、海外からの観光客を含む渡航者も増えていますが、約7割が英語が母国語でないとのことです。でも、私たちは 道案内などでも 英語を仲介言語にすることが 多いのではないでしょうか?
しかし、英語を話すにしても 母国語の訛りが英語に出ますよね。
それでは、とある英文を カタカナで表記してみました。

「ゴー・ストレート、ターン・レフト・アット・ザ・セカンド・トラフィック・ライト。」

でも、大半の人は 次のように 英語にスペルアウトできるのではないでしょうか。

"Go straight, turn left at the second traffic light."

日本語には rとlの区別はありませんが、それでも、コンテキストも手伝い、日本人は日本語の癖を知っているので、問題はなさそうです。しかし、英語を仲介言語とするということは、非ネイティブの話す英語も理解しなければなりません。それでは、先程とは違う英文を ハングルとタイ文字で表記してみました。Google Translate、または、いつも お使いの読み上げソフトで 音声を確認してみて下さい。

①ハングル: 하우 캔 아이 겟 투 시티 홀 온 풋?

②タイ文字: ฮาว แคน ไอ เก็ท ทู ซิตี้ ฮอล ออน ฟุต?

元の英文に起こせたでしょうか。

そこで質問ですが、「英語を仲介言語にする」という選択は、本当に最適なのでしょうか?
特に発音に注目してみると、英語が母語でない者同士が、それぞれ自国の訛りを引きずった“通じにくい英語”を使ってやり取りする場面も少なくありません。
むしろ、お互いに拙い英語で苦労して伝え合うより、いっそ翻訳アプリや音声翻訳機を介したほうが、よほどスムーズに意思疎通できるのでは――そんな疑問も浮かんできます。

実際、非ネイティブ同士の会話では、「正しい単語を使っているのに、発音の違いから意味が通じない」といったことも少なくありません。たとえば、"light"と"right"、"truck"と"track"、"ball"と"ball"など、微妙な母音や子音の違いが、意図しない誤解を招くことがあります。
話し手は自分が通じていると思っていても、聞き手の耳にはまったく違う単語として届いている――そんな「発音の認識のズレ」が、実際の対話では思った以上に深刻な壁になるのです。

そう考えると、AI翻訳機のように、発音に左右されず正確に意味を届けられるツールの方が、観光地や緊急時の案内などでは、むしろ実用的なのかもしれません。
これからの国際コミュニケーションにおいて、「通じる英語」とはどのようなものなのか、改めて考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10318249245

726Hart Bel:2025/08/04(月) 17:17:09
Q:
たとえば、ある町の紹介文で「すがすがしい環境」と「便利さ」が同じ文の中に並べられているのを見かけることがあります。
緑に囲まれて、空気が澄んでいて、鳥のさえずりが聞こえてきそうな場所――そうした自然環境は、確かに多くの人にとって魅力的です。一方で、三本の鉄道路線が交差し、快速電車に乗れば都心まで50分――それもまた、現代の生活においては大きな価値があります。
でも、だからといって「すがすがしい環境」と「交通の便のよさ」を、まるで同じカテゴリーに属するかのように“ひとまとめ”にして語ってしまうと、読み手はふと首をかしげたくなってしまいます。そもそも、森林浴をして心が洗われることと、都心までのアクセスが良好なこととは、気持ちの流れも利便性の尺度もまったく異なる次元の話だからです。

さて、学校の先生は五文型を教えるのに必死で、次は冠詞を教えようとするので、
日本人が非常に苦手とする「同等性」については教えません。
As well as、exceptなどが代表格です。
なので、多くの日本人は下の様な英語を平気で使います。たとえば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )でも ご多分に漏れず、As well asの使い方を見事に間違えております。

"A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train."

ここで、itは A City を指していると思われます。しかし、それだと A Cityと refreshing environmentが同等性を表すことになるんですが、そうすると、refreshing environmentも convenientなんでしょうか。この covenientも少し変だけど、refreshing environmentと three railways intersecting at B Stationも因果関係はないでしょう。

そこで質問ですが、このように「A市」と「すがすがしい環境」が As well as によって同列に並べられてしまうと、「すがすがしい環境も、鉄道が三本通っていて便利だからです」といった、因果関係としては明らかに成り立たない印象を与えてしまわないでしょうか?
本来、便利である理由は“鉄道の交差”にあるはずなのに、「すがすがしい環境」がそこに紛れ込むことで、読み手は“何が何と並列なのか”“何に何がかかっているのか”を見失ってしまいます。
このような文の構造のまずさが生まれる背景には、やはり「As well as」が同列の対象をつなぐという感覚を、日本人学習者があまり深く理解せずに、なんとなく「〜も」という語感で使ってしまっている問題があるように思われます。
こうした同等構文の誤用、つまり“つないではいけないものをつないでしまう”ミスは、文法的には一見正しく見えてしまうだけに、英語学習においてもっと早い段階で丁寧に扱われるべきではないでしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14318265534

727Hart Bel:2025/08/06(水) 21:22:54
Q:
「小学生には複数形なんて難しすぎるっしょ?」──そうつぶやいた瞬間、少女の目はひとつになった。
家庭で英語を教えようと張り切る親や、手製の教材で近所の子に教え始める“素人先生”たち。
その熱意は否定しないが、ときに暴走し、「複数形は中学からでいいよね」という謎ルールを発動させる。
結果、目がふたつあると説明が面倒なので、少女は一つ目に加工され、教材の中で奇妙に微笑む。
これを“やさしさ”と呼ぶのか、それとも現実の改ざんと呼ぶべきか──
気づけばそこには、“two eyes”が禁句となった世界が広がっている。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器すら存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。小学校の英語でも出てきそうですね。 当たり前すぎる文ですが、イラストや実物を見ながら なるべく日本語を解さず 英語で ダイレクトに体の名称を覚えたり、パターンプラクティスの練習として よく登場するようです。

① "The girl has two eyes."

諭吉にとっては 単数複数の概念は オランダ語でも お馴染みだったので、なんら造作もなかったでしょう。

② "Het meisje heeft twee ogen."

ところが、明治になると オランダ語は急激に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「その女の子には 目が2つあります。」

特に難しい点はありませんが、haveの訳し方、数詞の訳し方、和訳に反映されない 複数形の問題がありますが、今回は 特に 複数形の問題に焦点を置こうと思います。そこで、こちらのサイトのページ(makki-english.moo.jp/8main.html#subject )では 小学生を対象にしていますが、「複数形は扱いません」と宣言しているので、①の文は 中学まで お預けになってしまいます、そこで、単数形だけで 頑張らなくてはいけません。それでは、次の英文です。

④ "The girl has only a single eye."

その サイトの主は妖術を使うようですが、女の子が 本当に一つ目では可哀想なので、生徒たちに幻覚を見せます。

そこで質問ですが、「The girl has two eyes.」という文にすら“複数形”という魔物が潜んでいるがゆえに、それを教室から追放し、小学生たちには単眼の幻影を見せるというこの指導法は、いったい何を守ろうとしているのでしょうか?
子どもたちの知的成長でしょうか、それとも大人たちの安心感でしょうか? みなさんは どう思いますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10318050570

728Hart Bel:2025/08/08(金) 05:37:16
Q:
外国語の勉強は異文化の勉強とも言えると思いますが、英語を勉強する動機が日本の文化を世界に紹介したいなんて(そういう人も必要かもしれませんが)外国語の勉強の意味が逆になってませんか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14318386554

729Hart Bel:2025/08/09(土) 18:28:36
Q:
チキンほど、世界中で幅広く親しまれている食べ物も珍しいかもしれません。牛や豚のように宗教的なタブーに引っかかることも少なく、誰もが気兼ねなく口にできる存在です。
フライドチキンやチキンカレー、チキンサラダにローストチキン…子どもも大人も、日常の食卓から特別なごちそうまで、さまざまな場面で登場します。国や文化を問わず、チキンは“安心して出せる料理”の代表格とも言えるでしょう。そんなチキンですが、たったひとつの言葉の違いで、その「姿かたち」ががらりと変わってしまうことがあります。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。

e① “I ate chicken.”
e② “I ate a chicken.”

諭吉なら、日本語よりも オランダ語に訳した方が 違いが分かりやすかったでしょう。

n① "Ik at kip."
n② "Ik at een kip."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

j①② 「私は鶏肉を食べた。」

ここで、e①なら丸ごと1匹、e②だったら鶏肉の何か(料理)を食べたってことです。チキンサラダかもしれないしソテーかもしれない。
英語が母国語の人は子供でも無意識に使い分けてます。

そこで質問ですが、私たち日本人の多くは、英語が人生で初めて触れる外国語であり、その文法や語感にはどうしても馴染みづらさがあります。特に、冠詞の「ある・なし」によって意味が変わってしまうような表現は、日本語にはない感覚であるため、単にルールとして覚えるだけでは、なかなか実際の会話や読解に活かすことができません。
このような微妙なニュアンスの違いを、頭ではなく“感覚”として自然に身につけるためには、どのような学び方が有効なのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12318149422

730Hart Bel:2025/08/19(火) 13:00:05
Q:
アパートって言うと、あの古びた建物とか、大家さんがちょっと怖かったりする場所とか、毎日通る道の途中にある小さな風景のひとつだったりして、つい「あ、あそこね」と思い浮かべちゃいますよね。
そんなふうに、身近にあるものなのに、なぜか説明しようとすると考えすぎちゃったり、あれこれ想像が膨らんで話が長くなったりして、結局何を言いたかったのか分からなくなることもあったりします。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。

① "I went to see the apartment that I had rented ,but I only found that it had torn down just a month ago."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に 訳した方が分かりやすかったでしょう。

② “Ik ging naar het appartement dat ik had gehuurd, maar ik ontdekte dat het een maand geleden was afgebroken.”

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「私が借りたアパートを見に行ったのですが、たった1ヶ月前に取り壊されていたことが分かりました。」

そこで質問ですが、the がついている時点で、もうその名詞は一つに特定されているのだから、本来さらに限定する必要はないように思えますよね。だから、生徒に説明するときも “the がついている=唯一に限定” と理解していると、なぜさらに関係代名詞で限定できるのか疑問に感じてしまうと思います。むしろ追加説明のニュアンスなら which の非制限用法が自然だ、と考える生徒も多いはずです。では実際に、the がついている名詞に非制限用法を使うのはどんなケースなのか、どう説明したら分かりやすいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14318875434

731Hart Bel:2025/08/20(水) 16:54:27
Q:
医者という職業も、時代ごとに学ぶ言語がまるでジェットコースターのように変わってきたのが面白いですよね。
江戸時代には、医師といえばオランダ語の文献を読んで医学を学ぶのが普通で、今の私たちからするとずいぶん遠い世界の話のように感じます。明治になると西洋医学の本格的な導入とともに、ドイツ語が中心になり、医者たちはまた別の言語と格闘する日々を送ったことでしょう。そして昭和も終わり、平成に入ると、もはや英語こそが医療の学問語として欠かせない存在となり、医師たちは論文も学会も日常的に英語で向き合うことになります。こうして振り返ると、医者が扱う言語は時代の流れに応じて移り変わり、私たちの想像以上に複雑で、しかも不思議なほど必然的だったのだな、とつくづく感じます。

ところで、現代では 英語は 医師の卵だけでなく、全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。
それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。とあるサイト(makki-english.moo.jp/5relativepronoun5.html )から英文と和訳を拝借しました。

① "He has two sons, who are doctors."

諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語の方が訳しやすかったでしょう。

② "Hij heeft twee zonen, die artsen zijn."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「彼は2人の息子を持っています。そして彼らは医者です。」

ここで、そのサイトでは
「関係代名詞のwhoはカンマの後に置かれているので、継続用法。
「息子が2人いる」と断定しているので、他に息子はいないことになります。」
と書いていて、ほぼ正しいでしょう。しかし、問題は ③の和訳です。というのは、①の英文と ②のオランダ語訳では、「彼」も医者なのかは 不明ですが、③の和訳では 3人とも医者と解釈されるでしょう。

そこで質問ですが、関係詞の継続用法というのは、こちらが「よし、正確に直訳したぞ」と胸を張っていても、いざ日本語にしてみると、原文以上のニュアンスを勝手に背負い込んでしまったり、逆に原文にはなかった“余計な含み”を読者に与えてしまったりすることが多いのでしょうか? まるで、原文の冷静な二文が、日本語訳では急にドラマ仕立てになってしまうような感じです。これは単なる訳者の腕前の問題なのか、それとも日本語という言語の性質上どうしても避けられない“皮肉なズレ”なのか――一体どう考えればよいのでしょうか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12318950237

732Hart Bel:2025/08/25(月) 19:55:21
Q:
英語の例文暗唱は日本語を見てスラスラ英語で言えるようになるのがゴールで大丈夫でしょうか

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11318989216


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