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【失敗】廃棄小説投下スレッド【放棄】

1名無しさん:2004/11/27(土) 03:12
コソーリ書いてはみたものの、様々な理由により途中放棄された小説を投下するスレ。

ストーリーなどが矛盾してしまった・話が途切れ途切れで繋がらない・
気づけば文が危ない方向へ・もうとにかく続きが書けない…等。
捨ててしまうのはもったいない気がする。しかし本スレに投下するのはチョト気が引ける。
そんな人のためのスレッドです。

・もしかしたら続きを書くかも、修正してうpするかもという人はその旨を
・使いたい!または使えそう!なネタが捨ててあったら交渉してみよう。
・人によって嫌悪感を起こさせるようなものは前もって警告すること。

778Evie ◆XksB4AwhxU:2015/05/20(水) 18:17:29
その時、上の階からガラスが割れるような音がした。続いて短い悲鳴と、聞き覚えのある怒声が鼓膜を震わせる。
「上田!?」
すぐさま身を翻して階段を駆けあがる。目的の人物が闘っているのが何階かまでは分からない。
ドアをひとつひとつ開けて上田を探す。
2階の廊下に、点々と血の痕が続いていた。丸い形にえぐれた壁を見る。次に屈みこんで、大きくへこんだ床を指でなぞる。
「こりゃ、熔錬水晶の使い手とやりあったな……あの二人の敵じゃねえだろうが、
 問題はパワー負けした時……か」
熔錬水晶には黒い欠片が混ぜこまれている。過去に自身が何度も服用したおかげで覚えているが、
黒い欠片で強化された石は、持ち主の意に関係なく凄まじいパワーを発揮する。
ノーマルなさくらんぼブービーの石で太刀打ちできるかどうか。
「鍛冶の体力次第だが……上の階に逃げて時間稼ぎしてるくさいな」
有田は下唇を舐めると、それを辿って矢のように走る。
「いでっ!!」
慌てたせいで、足がもつれてすっ転んだ。
走り続けたせいで心臓が痛い。呼吸が苦しい。口の中が乾いてのどが痛い。
それでも立ち上がり、壁に手をついて進む。上からは、まだ何かが爆ぜる音、人の言い争う声が聞こえてくる。
「……こりゃ、報いか?」
そう、前もこうやって、息を切らして走ったことがあった。ただ、あの時は追われる立場だったが。
「……因果だよなあ……俺たちって」

【過去】

「これ、お願いします」
U-turn.対馬は物陰に有田をひっぱりこむと、素早く何かを握らせた。
「絶対に黒のメンバーには渡さないでください俺は先に行きますから」
「え?お、おい!」
慌てて引き止めたが、対馬は振り返らず去って行き、スタッフにまぎれた。
「なんだってんだ、一体……」
対馬が渡した包みは、ハンカチで丁寧にくるまれていた。指に硬い感触がつたわる。
結び目を開くと、透きとおった中に虹色の光が揺れる石が入っていた。
間違いなく、対馬のレインボークォーツだ。
「おい、対馬はなんだって?」
様子を伺っていたらしい上田が、後ろから覗きこんでくる。
「あいつ何考えてんだ?石を手放すなんて出たとこ勝負、あいつらしくもねえ」
今回ばかりはその意見に全面賛成だ。
同封されていた手紙を開くと、見覚えのある筆跡が踊っていた。
『突然、石を押しつけられてご迷惑でしょう、すみません。
 ですが、もうこれしか方法が思いつきません。
 俺は自分の中に残る正義感に従おうと思います。
 同じように迷っているお二人に、俺の石を預けます。
 黒は俺の石を……』
そこで筆跡は途切れていた。慌てて書いたらしく、この文面からは対馬の目的が読めない。

779Evie ◆XksB4AwhxU:2015/05/20(水) 18:19:18
「……なんなんだ、一体……」
ため息をついたところで、コンコン…と控えめに楽屋のドアがノックされた。
とっさに石を包み直し、脱ぎ捨てていたジャケットのポケットに突っ込む。やがてドアノブが回され、一人の男が姿を現す。
「……土田、どうした?本番前に」
土田はいつもどおりの無表情で、どこか疲れたような顔をしていた。
「いえね、対馬の姿が見えないんで、どっかの楽屋に遊びに行ってるのと思いまして。
 今スタッフ全員で探しまわってるとこなんです」
ああ、さっき会ったぞ…と言いかけて、対馬の言葉を思い出す。

『__黒のメンバーには渡さないでください__』

有田はごく、と唾液を呑みこんだ。
ここで正直に石を渡せば終わる。まだ対馬が黒を裏切ったと決まってるわけじゃない。
さすがの土田も、相方をどうにかしようとは思わないだろう……いや、あの土田のことだ、何をするか分かったもんじゃない。
大体、なんで俺に渡したんだあいつ、何考えてんだ?頭の中を、ぐるぐる回る思考。
数秒か、もっと長く感じた時間が過ぎた後、有田は口をゆっくりと開いた。

「わりい、見てねえわ」
「……そうですか。見つけたら知らせてください」
土田が出て行ったドアに耳をくっつけて、足音が遠ざかるのを確認して、ようやく肩から力が抜けた。
急いでジャケットを着直すと、対馬の番号を呼び出してかける。
「……だめだ、あいつ電源切ってやがる」
「ややこしいことになる前に、石返してなかったことにすればいいんじゃねえのか?
 まずは対馬を探して__」
笑いながら振り返った上田の顔が、みるみる青くなった。
歯をガチガチ鳴らしながら、有田の背後を指さして叫ぶ。
「後ろだ!」
体を左に傾けると、緑色のゲートから伸びてきた腕が空を切る。
「走れ、速く!」
突然の出来事に、腰が抜けてしまった有田の手を引いて、上田が走る。
二人の足音が遠ざかると、誰もいなくなった楽屋には、
ゲートから半分体を出した土田だけが残された。
「……一体、どこまでシナリオを狂わせれば気が済むのか」
ふっと口元をゆるめて、実に楽しそうな笑みを浮かべる。
「本当に、難儀な人たちだ……」
石を握り締めると、空中に生まれた赤いゲートに、頭からゆっくりと呑みこまれていった。

780名無しさん:2015/05/21(木) 19:45:21
なんかいよいよ核心に迫ってきた感じ…
「白をまとめられるのはお前らの石だけ」というセリフがそれとなく
未来(本編の現在軸)を暗示してるのがいいなあと思いました
×-GUNの石がスピワに受け継がれるという点を踏まえてという…

781名無しさん:2015/05/25(月) 19:59:00
そういやこの時期、爆笑問題は白寄りだったって事かな?
本編の現在軸で中立にいるのは、白をまとめるはずの×-GUNが頼りなかったから
という可能性も出てきた?
彼らは石とのシンクロ率が低めで充分力を使いこなせない事も知ってるのかな?
それが、現在軸において石の力をより引き出せるスピワを見た事でどう変わるのか、
みたいなのも描けそうな感じ…

782Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/06(土) 15:45:33
『We fake myself,can't run away from there-6-』
___________________________

いつの間にか降りだした雨が、二人の肩を濡らしている。
髪からは雫が滴り、舞台衣装のスーツは水を吸って鎧のように重い。ここ一週間で最も憂鬱な気分だ。
おまけに、目の前にとても一般人とは思えない殺気をまとった後輩芸人が立っているとしたら。
これ以上気が沈む事なんてあるのだろうか。

「対馬はどこに?あいつの目的は?レインボークォーツを渡す気は?黒を裏切った理由は?」

土田は指を一本ずつ折り曲げて、矢継ぎ早に質問をぶつけた。
こちらに思考する暇を与えないことで追いつめる、尋問の常套手段だ。
「知らない。聞いてない。渡す気はない。それと、最後は俺らにも分かんねえ」
「……分からない?」
「ただ、対馬のおかげで謎がひとつ解けた。
 ……俺たち、やっぱり悪役、向いてないみたいだ」
にへら、と笑った有田。人間には、笑顔の相手を攻撃できないという本能があるなんて言った戦場カメラマンがいたが、
この光景を見たら速攻で撤回するに違いない。土田の殺気は大きく膨れ上がり、街路樹の葉や地面、ベンチに至るまで
殺気にあてられて震えているようだ。気づくと、上田の口はからからに乾いていた。頬を冷や汗が滴り落ちる。
土田に気圧されて一歩、また一歩と後ずさるが、有田はそれにも負けずに土田をまっすぐ見つめている。
「それくらいにしておきませんか。……俺にもあまり時間はない」
土田は喉元に巻いていたマフラーの結び目に指をかけ、するりと外した。
「……だな」
有田も頷き、ベルトに差し込んでいた拳銃を抜き出す。
ガラスで出来ているのか、透明な中に脆くも美しいプリズムを内包した、小ぶりの拳銃。
銃口を向けられた土田は、臆さずゆっくりと口を開いた。上田がとっさに耳を塞ぎしゃがみ込むのと同時に、
引き金に指がかかる。

783Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/06(土) 15:46:11
「“あなたにそんな権利があるとでも?”」

弾丸が放たれるのと同時に、土田の唇が言葉を紡いだ。言霊は見えない矢となって、有田の胸を貫く。
軌道はわずかに逸れて、土田の頬をかすめるに留まった。上田は恐る恐る手を外し、立ち上がる。

「“あなた方は、その石で何人を傷つけたか覚えていますか?
  その手からこぼれ落ちたものは、もう二度と還っては来ませんよ”」
低く、地を這うような声。再び、見えない矢が有田の心臓を突き抜ける。
有田は漫画であればビクリ、と擬音がつきそうなほど、大げさに動揺した。
額からは次から次へと汗がこぼれ落ち、心臓はうるさいくらいに脈打っている。
引き金にかかった人差し指は、糸でからめとられたように動かない。
「お、おい有田……何やってんだよ、さっさと攻撃しねえと……」
「分かってる!……でも、動けねえんだよ!」
手はカタカタと震えて、照準が合わない。
土田の真っ赤なマフラーがパサ、と地面に落ちる。まるで血が滴り落ちるような錯覚。
有田は目を見開いたまま、ゆっくりと歩みよってくる土田を凝視するしかない。
 「“たとえば、そうですね……X-GUNの二人はどうでしょう?一生消えない傷を刻みつけた相手を、
  反省したからといって、笑顔で許してくれるでしょうか?恩を仇で返した爆笑問題は?
  生放送中に襲われた成子坂は?まだまだ沢山いますよね……あなた方が傷めつけた人は”」
土田は、ぞっとするような笑みを口元に浮かべて言霊を放つ。そのたびに言葉は鎖のように、有田をじわじわと締めつけていく。
いつの間にか、土田の顔がすぐ目の前に迫っていた。

「“あなた達は、許されない。どれだけ償おうが、絶対に”」

ぐるりと目の前の景色が暗転する。
自分は、いつの間にか暗い水の中に沈んでいた。上も下も分からない。有田の意志に反して、体はどんどん沈んでいく。
ばたつかせた足を、誰かが掴んだ。頭から血を流した嵯峨根が、憎しみのこもった上目遣いで睨みつけている。
『……嫌だ、やめろ!』
もがく体に無数の手が絡みつき、引きずりこもうとする。その手の持ち主は皆、自分たちが傷つけた芸人たちで。
口々に二人を罵りながら、有田の体に爪を立てる。
『離せ!』
コポ、と口から水泡が浮かんでは消えていく。もがけばもがくほど、手の力は強くなっていく。
苦しい。息ができない。冷たい。怖い。嫌だ。頭の中を支配する暗い感情。
『有田!』
混沌の中で、誰かの声がした。唯一自由なままの右手を、精一杯伸ばす。
『こっちだ、有田!』
その手を、次々に誰かが掴んだ。温かい、知っている手だった。その手が、有田をぐいっと引き上げる。
体に絡みついていた手が、一人、また一人と離れていった。体が急浮上する感覚に、ぎゅっと閉じていた目を開く。
仄暗い水の底から、光が指す方へ向かって、有田の体はぐんぐん引っ張られていった。

784Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/06(土) 15:47:03
「有田!しっかりしろ、有田ぁ……!」

体にまとわりついていた不愉快な感覚が消えて、明転。
背中に硬い感触があった。ややあって、それがアスファルトだと思い出す。
薄く目を開くと、泣きそうな顔で自分を覗きこむ上田が視界いっぱいに広がる。
「……さっきの、手」
無意識に握りしめていたらしい右手の拳を、そっと開く。
「お前らだったのか」
上田の肩を借りて立ち上がる。ものすごい量の悪意を叩きこまれた所為で、まだ頭がぐらぐらして、まともに歩けない。
右肩をおさえて膝をつく土田の前に、誰かがいた。
「……やって、くれましたね……あなた達はっ……もう、闘えないと……思ってましたよ……」
ぱっくり裂けた右腕から、鮮血がぽたぽたと滴り落ちる。
土田の皮膚を噛みちぎった張本人は、カチカチと歯を鳴らして唸り声を上げた。
四つん這いになった加賀谷の背中に足を組んで座る男は、首に繋がった糸を引いて黙らせて、
後ろに立つ海砂利を指さした。

「別に、こいつらがどないなっても俺は一向に構わんのやけど……西尾さんには恩があるしな。
 ……ええ加減、このうっとい派閥争いにも、終了のゴングを鳴らしたらなあかん。
 対馬がそのきっかけになるんやったら、大歓迎や」
「“松本さん。あなたも、自分の弱さを……”」
「お前の言霊が、誰にでも通じる思うたら大間違いやで」

土田は詠唱を一旦停止して、ぐっと口を噤む。
松本の言うとおり、土田の石のもう一つの能力は、元々精神面が強い人間には効果が薄い。
故に、石の闘いで何度も修羅場をくぐり抜けた芸人や、辛い下積みに耐えた芸人には、使用を控えてきた。
「(……さて、松本さんのSAN値はどれくらいか。
  格闘技やってたらしいからな。やはり、ゲートを使って地道に追いつめるのが一番か。
  あの二人の石には、時間制限がある。そこまで耐えれば俺の勝ちだ)」
土田は一瞬でそこまで思考すると、落としていたマフラーをもう一度巻き直し、対価で声を失った喉を保護する。

「……お前らとダブルス組むのも久しぶりだな。足引っぱんじゃねえぞ」
有田も松本の隣に立つと、手の中の拳銃を霧散させる。手のひらには、くすんだ黄鉄鉱だけが残った。
右手から肩にかけて、急激に重みがかかる。見ると、肩から先が石に変わっていた。
「それはこっちの台詞や。お前がバテたら盾にしたるからな。
 安心せえ、もし死んでも墓にはちゃんと座布団も供えて、
 “松本ハウスに全敗の男、ここに眠る”って刻んだるわ。
 たしか……316戦316勝やったか?」
「数えてたのかよ!お前意外と陰湿だな……」
「わざわざ仕事終わりに襲ってくるお前らほどやないわ」
お互い憎まれ口を叩きながらも、軽く拳を合わせる。
上田は邪魔にならないよう、そっと後ろに下がって「頑張れ」と親指を立てる。
「“サブマシンガンは小さくて軽いせいで、相手を殺すのには向かないけど、
 おかげで警察の銃撃戦では大活躍だよ!”でお馴染み、
 海砂利水魚です!」
口上が終わると、手のひらの黄鉄鉱が、ぱあっと金色の光を放つ。
光は少しずつ形を成して、やがて現れたのは、薬師○ひろ子の映画でお馴染みのM3グリースガン。
……ただし、有田の体には不釣り合いなほど、巨大なサイズで。
「なんじゃこりゃあ!」
思わず某刑事の殉職シーンのような台詞を叫んでしまった有田を、
隣の松本も、指輪をはめ直していた土田も、しばらく呆然と眺めた。
「……ええ!?……なんだこれ、3メートルくらいあんだろ!!……あれ、軽い!?」
ぶんぶん振り回してすげー!と目を輝かせる有田。やがて上田がぷっと吹き出す。
「……くく、あっはっはっは!おま、お前……ホント、こんな時まで何だよ!……あーおかしい……」
ひー、ひーと苦しそうに息をしながら、涙目で腹を抱えて笑う上田。
しかし、はっと我に返って真顔になると、「わりい」とばつが悪そうに頬をかいた。
「……いや、お前らはそれでええんやで。今までも、“これからもな”」
「え?」
よく聞こえなかった有田は聞き返したが、松本はもう土田だけを見ていた。
腕時計をちら、と確認する。秒針は正確に時を刻む。発動時間は残り七分と、すこし。

785Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/06(土) 17:07:12
三人は同時に地面を蹴った。
空間がカッターで切り裂いたように開く。有田が銃口を向けるより早く、土田の体は赤いゲートに飲みこまれた。
「有田、右だ!」
上田が叫ぶと同時に、跳ぶ……というより地面に転がって避ける。
仰向けに倒れた有田の目の前に、小ぶりのナイフを持った土田が飛び出してきた。
間一髪で避けた拍子に、松本がバックステップで距離をとっているのを見てしまう。
「松本、お前一人だけ後ろとかずりいぞ!……っとと、あっぶねえ!」
ナイフの刃先を蹴って、弾き飛ばす。舞台用の革靴でよかったと柄にもない感謝をした。
機関銃を構えてぱらららっと撃つ。一瞬、肉がえぐれたりやしないかと肝を冷やしたが、
弾も無害なBB弾に変わっているらしく、土田の動きをわずか止めるに留まった。
「ガウッ!」
無防備になった土田の右手に、飛びこんできた加賀谷が思い切り噛みつく。
土田は一瞬ひるんだが、すぐに左の袖口に隠し持っていたナイフを取り出して振るった。
「させるか!」
地面に片膝をついた松本が、右の指を一気に折り曲げ腕を振るう。
加賀谷は土田の上を軽々と飛び越えて、今度は背中に飛びかかる。
のしかかってきたものの正体を考える暇もなく、土田の体は地面に倒れこんだ。
土田の口からかすかに空気が漏れたが、決定打には至らなかったのか、有田の足を掴んで引きずり倒すと、
首に手をかける。ひゅ、と空気が喉から漏れた。
「十秒だけ待ってあげます。レインボークォーツを、渡してください」
引き剥がそうと暴れるが、全体重をこめてのしかかられ、息もできない。
ぎり、と指に力がこもった瞬間、

「離れろぉっ!!」

土田の体が、横からのタックルで文字通り吹っ飛んだ。
地面にへたりこんで、こちらに片腕を伸ばしている。その指から一本、また一本と糸が離れ落ちていく。
松本の額には血管が浮き出て、鼻血がだらだらと顎をつたい落ちている。脳の負荷が限界値に達したのか、目の焦点も合っていなかった。
「……無理、すんなよ」
やっとの思いで出たのは、そんな的外れな言葉だった。土田はもう跳ぶだけのパワーも残っていないのか、地面に転がったまま動かない。
「……今のうちに、はよ行け……レインボーブリッジの、遊歩道に……あいつは、おる」
「え?」
「そっから動いとらんから……今行けば…たぶん……黒の奴等よりは早く……」
「お前らを置いてけるわけねえだろ!」
「ええから、はよ行け!」
本気で怒鳴られ、有田もそろそろと立ち上がる。
「……後じゃ恥ずかしいから、今のうちに言っとく」
ごめん、それと、ありがとう。
海砂利の二人は何度も振り返りながら、走り去った。
彼らの他には誰もいなくなった海浜公園で、最初に口を開いたのは土田だった。
「……もう何もしませんから、どうぞ石を解除してください」
土田も、指輪を外してベンチに倒れこむように座る。見ると顔色も悪い。五分五分と思っていたが、彼もずいぶんと消耗していたようだ。
「……対馬は変なところで頑固だ。俺が力ずくで止めたところで、無駄なんでしょうね。
 そこんとこ、松本さんはどう……」
思います?と聞きかけて、土田は口をつぐんだ。
力尽きた松本は地面に仰向けに倒れて、灰色の空をぼんやりと見つめている。
『最後に、その力……海砂利のために使ってくれんか。
 あの二人の背中を押す手助けを、したってほしい』
電話越し、震えていた西尾の声。白黒どちらにも染まらず、自分たちの居場所をふらふらと探し続けた果てがこれなら、
思っていたより悪くない。また鼻血が垂れて、口の中に鉄の味が広がる。
「(まあ……あと一つ贅沢言うんやったら……)」
瞼が重くなって、意識が遠ざかっていく。松本は体の力を抜いて、抗えない眠気に身を任せた。
「(お前らと肩を並べて、闘いたかったな)」

786Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:32:12
やっとこさ回想が終わりました。対馬さんの詳細などはほとんど決めていないので、
書きたいという方にお任せしてしまいたいと思います。

『We fake myself,can't run away from there-7-』
____________________________________

俺たちがなくしたものは、諦めたものはどれだけあるだろうか。
たとえば思い出のたくさんつまった家、せっかく入った大学、それから、それから……
失った多くのものの代わりに、より大きなものを得るために、走り続けてきた。だが、俺たちは一体何が欲しかったんだろうか?
芸人になって、なんとか飯も食べれて、仲間や頼りがいのある先輩に囲まれて……それで、他に何を望んでいたのか。
だから、走る。対馬が、その答えを持っているような気がして。

「はあ、はあ……ちょ、休憩……」
「歩きながら休め!」

音を上げそうになる有田を叱咤して、上田も汗をふきふき走る。
やがて、きらびやかにライトアップされたレインボーブリッジに辿り着いた。芝浦側の入り口は照明も落とされて、ゲートは堅く閉ざされている。
現在時刻、午後21時ちょうど。通行時間はとっくに過ぎていた。
「……いまさら、不法侵入くらい構いやしねえだろ」
上田は財布から通行料の300円だけを取り出すと、料金所のカウンターに無造作に放る。
硬貨がテーブルの上でぶつかり合う音が、やけに大きく響いた。そのままさっさと歩き出す上田に、慌てて有田も300円を置いて追いかける。
風がかすかに吹き込んでくる音に顔を上げると、上田が「あれだ」とゲートを指さす。
上田が手をかけて押すと、あっさり開いた。無人のカウンターに頭を下げて、ゲートをくぐった。
展望エレベーターで遊歩道に上がると、左と右にルートが分かれている。直感で、右の北ルートを選んだ。
「……人、いねえな」
「だな」
実に当たり前のことを言う上田に、少し気が和んだ。長い遊歩道を歩いている間、すれ違う車の運転手がたまにこちらを二度見してくるが、
それ以外は誰かが追ってくる気配もなく、やがて休憩所に着いた。展望台を兼ねた休憩所にはすでに先客が一人。
後ろ手に指を組んで、夜景を眺めている小柄な背中に、忘れかけていた疲労がどっと押しよせてくる。有田は対馬の肩を掴んで引き寄せた。
「俺らに、運び屋みてえなことさせて……オメーは呑気に夜景鑑賞、かよっ……」
「いや、今日は特別綺麗なんですよ。ほら」
レインボークォーツを対馬に押しつけると、二人も渋々隣に立って夜景を眺めた。
対馬の真似をして深呼吸したり、雨が止んだおかげで凪いだ海を見ているうちに、段々と気分が落ち着いてくる。
「黒はもう来ませんよ」
「え?」
「今頃は大阪の二丁目劇場と、渋谷の宇田川町あたりで、白の芸人との大規模な戦闘が起こってるはずです。
 さすがの黒もそっちの火消しが忙しいでしょうし、俺の追跡に人員を回す余裕はありませんよ」
「じゃあ、俺達に石を渡してマラソンさせたのは、白の芸人が着くまでの時間稼ぎってわけか!?」
有田が素っ頓狂な声をあげると、「そうです」と悪びれもせず笑う。もう怒る気も失せた二人は、静かに海を眺める事にした。
今頃は、あの夜景の向こうで人知れず白と黒が刃を交えているのか。おそらく『ドッキリの撮影』として処理されるのだろうが。
やがて、上田が重い口を開く。

787Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:33:59
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「お前の後ろに、まだ誰かいんのか」
「いや、俺の意志です。誰に命令されたわけでもありません。まあ、白の芸人と一緒に作戦をたてたりはしましたが、仲間とも呼べない関係です」
「その計画……って」
「今日のうちに、実行に移します。早い方が横槍も入らなくて済みますから。明日には全部終わってる……ってのが理想ですけどね」
対馬は、イレギュラーがなければですけど、と付け加えると、そっと両手で包み込むように、虹色に輝く結晶を握りしめた。
「知ってます?願い事っていうのは……星の数ほど願って、針の先ほど叶うっていうの。俺一人の力がどこまで通じるかは分からない。
 だけど、土田がいつか、少しでも俺の想いに気づくことがあれば。それだけで俺は報われると思います」
「そんなの、分かんねえだろ」
上田の言葉で、対馬の笑顔がわずかに翳った。それを誤魔化すかのように柵に手をかけて、体を大きく反らして背筋を伸ばす。
そのまま、仕返しとばかりに聞いてくる。
「で、海砂利さんこそどうしてここにいるんですか。俺の石なんてゴミ箱にでも捨てて、知らん顔してればよかったでしょうに」
「……そうだな、俺達はずっと、勝ち目のない賭けはしなかったし、自分の得にならない事はしなかった。
 生きていく上での、不穏分子を排除して、常に最善の道を、選んできたつもりだった」
上田は柵に上半身を預けて、タバコを一本取り出す。ふうっと煙を吐いて、遠くのネオンに目をやった。
「今なら分かる。俺達は……合理的に生きていたんじゃない。まるで死人のように、思考を放棄して。
 必死で、自分たちの進んできた道を正当化する方法を探してきた」
まだ半分残ったタバコをもみ消すと、指を組んでじっと目を伏せる。
「なあ、対馬」
「はい」
「俺達は、一体どうすればいい?どこに行けばいい、どこに立てばいい?……どうしたら、この胸の痛みは消えるんだ?」
最後はほとんど泣きそうな声になっていたが、対馬は笑わずその肩に手を置く。
「目を閉じて……石を手にしてから、あなた達が一番楽しかった時のことを、思い出してみてください」
対馬はくるりと背中を向け、靴音を響かせ歩いて行く。
「待て!……あ、いや……待って、くれ」
つい、黒ユニットの癖で命令形になってしまった。慌てて丁寧に言い直した有田を、対馬は半分だけ振り向いて、なんとも言えない表情で見つめた。
自分の心臓部分を、親指でとんとんとノックする。

「そうすれば、自分の本心が見えますよ」

石を持ってから、今までで一番楽しかった時。思い出そうとする二人の耳に、肉が焼ける音と酔客の喧騒が押しよせてくる。
目を開けると、二人はいつの間にか夜の焼肉屋にいた。
「ここ……俺達がいつも行ってたあの店か?」
有田のつぶやきには答えず座敷に目をやると、鉄板の上で焼かれている肉と野菜、空っぽになったビール瓶が見える。
これは、すでに過ぎ去った日の風景なのか。目の前で繰り広げられている光景には、どこか現実味がない。
『ぷはーっ、やっぱこれやなあ!生きとるって感じするわあ』
赤ら顔でビールジョッキを一気に空けた嵯峨根を、過去の海砂利はぽかんと口を開けてみている。
つまみの枝豆も、あたりめも、あっという間に空になった。嵯峨根はジト目で後輩たちを見回すと、またビールを注いだ。
『……なーに辛気臭い顔しとんねん。お前らも飲め飲め!!』
『わ、ぶほっ!やめっ……』
無理矢理ビールを飲まされてむせる有田に、西尾が『ごめんな』と手を合わせる。

788Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:35:32
『ていうか、そもそもなんであの二人まで来てんだよ』
『いつも後輩に奢ってるから、お返しってことで』
『おい、まさかX-GUNさんが食った分も俺が出すのか!?』
誘った張本人の加賀谷は、悪びれずにパクパクと肉を食べている。畳にばたんとノビた有田の頬を、酔っ払った嵯峨根がさきいかで突いている。
カオスとしか言いようのない光景に、上田は『どうしてこうなった……』と言うしかなかった。
『あ、カルビもう一枚追加で』
『加賀谷てめえ、さっきから何枚食う気だよ!』
『おまたせしましたー』
店員の声に振り返ると、今まで大人しく野菜を焼いていたはずの松本の前に、巨大なパフェがどんっと置かれていた。大きなグラスには色とりどりのアイス、
たっぷりの生クリーム、トロピカルフルーツにチョコレート……ド派手な色合いは、見てるだけで奥歯が痛くなってきそうだ。
『シェフの気まぐれジャンポパフェでございます。ごゆっくりどうぞー』
店員が行ってしまうと、一心不乱に食べ始める松本。上田は、三枚になった伝票を恐る恐るめくってみた。
『ジャンポパフェ、一万円……!!?』
わなわなと、伝票を持つ手が震える。合計金額はすでに五万円を超えていた。
『自分では絶対頼まんからなあ、こういうの。あ、俺にもくれるか?これ、全員で食わんと無理やろ。
 いやー、ジャンポパフェはデブの憧れやしな!一度は食べたいっていう気持ち、分かるわあ』
何故か西尾はうんうんと頷き、生クリーム部分を器用に取り分ける。
『あ、僕はソフトクリームのとこもらっていいですか?』
『ずるいわあ、ほんなら俺はメロンもらうで!』
酔い覚ましとばかりに果物を狙う嵯峨根。いただきまーすとパフェにかぶりつく男たちを見ているうちに、
上田の額に血管が浮き上がり、全身から怒りがこみあげてきた。 
『てめえら……ちょっとは遠慮しろ!俺の金だぞ!!』
『キャー上田さんこわーい……あだだだ』
おどけて体をくねらせる加賀谷の頬を思い切り左右にひっぱってやると、両手をばたつかせて抵抗した。
あはは、と焼肉屋の座敷に笑い声がこだまする。上田もいつの間にか、涙目になりながらやけっぱちで笑っていた。
今からは想像もつかない平和な光景。
思えば、この時が一番幸せだった。平気で高い肉を頼み、ビールを飲みまくり、勝手に他の芸人を連れてくる松本ハウスの二人。
俺たちを破産させる気かとよっぽど怒鳴ってやろうかと思っていたが、特訓も楽しかった。(いつもストレス発散を兼ねてかボコボコにされていたが)
白も黒も関係ない。ただ、仲間と一緒に楽しく、バカをやっていたかった。それを手放したのは他ならぬ自分達で…捨てたはずのそれを、ずっと求め続けていた。
今から思えば遠い昔のような、たった一年前の日々。それを奪ったのは、何か?

「ああ……そうか」
「有田?」
「俺、最初っから……このままでいたかったんだな」
有田は両手で顔を覆って、その場にうずくまった。
「あの時、土田の手を振り払っていたら……いや、嵯峨根さんの手をとっていたら……」
「違う」
上田も膝をついて、そっとその肩を抱き寄せた。目の前で騒ぐ男たち。過去の風景が徐々にぼやけて、遠ざかる。
まぶたを閉じて、開く。さっきまでと同じ、展望台。ただ、そこにはもう対馬の姿はなく。
「過去には戻れない。だけど、今をなかったことにはできない。だったら、やる事は一つだ」
有田の顔を上げさせて、しっかりと目を合わせる。

789Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:37:35
「償おう」

その一言に、有田がゆるゆると顔を上げる。
「今からでも遅くない。過ちを認めて、やり直そう。そして、今よりもっとまともな絆を結ぶんだ」
「……簡単に、言ってんじゃねえよ……」
有田は立ち上がって、上田の胸ぐらをつかむと、前後に激しく揺さぶった。
「いまさら、どうやって許してもらおうってんだよ!土田が言ったとおりじゃねえか、そんな都合よくいくわけねえ!
 白からも黒からも追われて、潰されるだけだ!」
「それは、何もしなくても同じだ!!」
有田を引き剥がし、呼吸が落ち着くまで待つ。
「……どうせどちらからも恨まれるなら、やるだけやってみてもいいだろ。怖いなら、俺の後ろに隠れてろ。守ってやるから」
「バカ言ってんじゃねえよ」
有田は袖口で涙をごしごし拭くと、上田をピッと指さして鼻を鳴らす。
「コンビだろ、勝手に野垂れ死んだら許さねえぞ」
「それは……」
「そうと決めたら、とっとと帰るぞ。明日から土下座と泣き落し外交で忙しくなるからな!」
肩をぐるぐる回してさっさと歩き出す相方に、上田も気の抜けた笑みでついていく。
「最初はやっぱ加賀谷ん家だな。朝イチで玄関開けたら今をときめく海砂利の土下座だぞ?ぜってーウケる!」
こんな時までボケてどうすんだ、とツッコもうとして、やめる。
別に涙がこぼれそうなわけでもないが、上田は空を見上げた。さっきまでの雨が嘘のように、空は晴れ渡り、紫と青のグラデーションの中に星が瞬いていた。

その日の夜、都内某所で虹色の光が爆ぜるのを見たと通報があったが、警察が駆けつけた時には何もなく、ただの悪戯として片づけられた。
そして、翌日……

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これがひとつの物語だとしたら、まるでそのページだけ破り捨てられたかのように、昨日の記憶がぷっつりと途切れている。
いや、昨日だけではない。頭の中に、ぶつ切りになった過去の記憶がふわふわと浮かんでいるようだ。
そして、何より……

「これ、なんだ?」

頭をがしがしかきながら、ガラスのような光沢のある石を眺める。買った覚えも、ましてや誰かにもらった覚えもない。
さて、仕事に出かけるかとジャケットに袖を通したところで、ポケットに違和感。見た目は大理石に似ているが、名前までは分からない、石。
「実はさ、俺も……なんだけど」
有田が取り出して見せたのは、一見すると黄金とも見間違うような真鍮色の多面体。
「朝起きたら床に落ちててさ」
「……なーんか、気味悪いな」
「売るのも怖えし、捨てちまおうぜ」
「だな」
今回ばかりは有田の言うとおりだ。こんな怪しい石とは一刻も早くおさらばしたい。
二人は石をティッシュに包むと、くしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に捨てる。見計らったようなタイミングで、ドアが開いてADが呼ぶ。
「海砂利さーん、リハーサル始まりますんでスタジオに集合してくださーい」
「あいよっ……んじゃ、今日も頑張りますか」
有田はどうやら絶好調らしく、スタジオまでずっと笑顔だった。

790Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:40:14
「そういや、さっき聞いたんだけど……あ、上田のこったからもう知ってるか?」
「いや、なんのことだよ」
「加賀谷がやめたんだって、芸人」
「やめた?そりゃいったい、どうして」
「なんでも、病気の方が悪くなっちまったらしい。しばらく入院するとかなんとか聞いたけど、ちょっとやそっとで戻れるようなやつじゃねえだろ、
 あいつの病気ってよ。ここ一年くらい忙しくて、休む暇もなかったろ?薬とかちゃんと飲んでなかったのかもな」
「じゃあ、松本はピンでやってくのか」
「そういうことになるな」
上田は話を聞きながら、心のどこかに引っかかるものを感じた。それはかすかな罪悪感にも似た、胸の痛み。だが、その正体を知ろうとすると、
まるで霧の中で影を探すかのように、記憶がおぼつかない。それは有田も同じようで、首をひねる。
「俺もなんか変なんだよ。昨日フジで収録したのは覚えてんだけど、その後どうやって家帰ったのか全然分かんねえんだよな。お前は?」
「俺もだ。酒も飲んでねえのに、変だな……まさかなんかの病気とか?」
「それともUFOに連れ去られて、脳みそいじられたとか!?マジ怖え……どうしちゃったんだよ俺達!」
怯える有田の前に、ふっと誰かが立ちふさがる。見ると、額に冷えピタを貼った土田が立っている。頬もこけて、一気に十歳は老けたようだ。
「……おはようございます」
「おお、おはよ……お前風邪でもひいたのか」
上田が顔色を見ようとすると、さっと避けた。その仕草に少し苛立ったが、具合の悪そうな相手に怒るのも気が進まない。
「いえ、ただのコンビ内喧嘩ですよ」
それだけ言うと、足早に立ち去った。すれ違う時に「やってくれたな……」と呟く声が聞こえたが、
それが誰に対してのものなのか、その時は分からなかった。
これが、海砂利水魚ことくりぃむしちゅーにとっての、キャブラー大戦の終わりだった。

【現在】

「……ごめん」
鍛冶の目に光が戻る。石から発せられていた放射光が弱まって、消える。ゆっくりと倒れこんでいくのを、木村はただ見つめるしかなかった。
これがRPGの画面なら、右上のあたりに出たHPゲージが真っ赤に点滅してるところだろう。
二人組の襲撃者のうち、一人はなんとか気絶させたが、もう一人は息を荒げながらもまだ立っている。
うつ伏せに倒れた鍛冶の頸動脈すれすれの所に、熔連水晶の剣が突き刺さる。そのままゆっくりと傾け、
あと少しで首が落とせるというあたりで、男は剣を止めて、後ろにいる上田を無機質な目で見つめた。
「あなたも、そんな顔をするんですね」
「……何が言いたい?」
「10年前……高校生の時、渋谷の路地裏で、あなたが若い男の記憶を消しているのを見た。どんな理由だったのかは知らないし、知る必要もない」
男は鍛治が動けないのを知ると、剣を引き抜いた。
「物陰に隠れていた俺は、あなたの石が発する青白い光に目を奪われた。やがてあなたがテレビで見たお笑い芸人だと思い出して、
 あの光をもう一度見たいと思って、この世界に飛び込んだ……魅せられたんだ、石に」
重心を低く保った木村が、なおも話し続ける男に飛びかかる。木村の全身の力を込めたタックルが決まると、男は少し驚いたように目を見開く。
男に馬乗りになった木村の石が一瞬、ぴかっとまばゆい光を放つ。……が、木村はそのまま男の上に倒れて動かなくなった。
最後の力を振り絞って男を操ろうとしたが、ルーレットの女神は木村に微笑まなかったらしい。
「だから、あなたがそんな“普通の芸人みたいな”顔をしているのを見るのは、腹がたちます。
 いまさら、そんな……何事もなかったような顔を」
ただならぬ空気に、上田は一歩後ずさって、武器として構えていたパイプ椅子を振り上げる。
が、すぱっと空気を切り裂く音。あっという間に、椅子は十六個の欠片になって飛び散った。これはもう肉弾戦で行くしかないかと振り上げた拳は
やすやすとかわされ、上田の喉に男の手がかかる。
「……がっ、ぐぅ……!」
気道を塞がれ、呼吸ができない。上田の足が地面からわずかに持ち上がった。目の前がぼやけて、口の端から唾液が垂れる。
振り解こうと男の腕にかけた手から、だらんと力が抜けた。徐々に遠ざかる意識の中、思い出すのは記憶を取り戻した時のこと。

791Evie ◆XksB4AwhxU:2015/06/19(金) 21:41:15
【2004年】

「おー、めっちゃひさしぶりやん!」
「あ、嵯峨根さん……おひさしぶりです」
「いっつもテレビで見とるで、まさかお前らがボキャ天の出世頭になるとはなあ」
一番会いたくない人間と、テレビ局の廊下で鉢合わせた。目をそらして「はあ……まあ」とあいまいな返事をする上田に、X-GUNの二人は顔を見合わせる。
西尾がそっと手を伸ばした。思わず目をぎゅっとつむって体をこわばらせたが、額にぺたっと冷たい感触。おそるおそる目を開くと、
手のひらを当てて、熱を測っているだけだった。
「熱はないみたいやけどな、俺葛根湯持っとるから、あとで分けたろか?」
「え?あ、はい……ぜひ……」
やっぱり。上田は心のなかでつぶやく。この態度が演技なら主演男優賞モノだ。二人は、少し前までの自分達と同じく、石に関する記憶を失ったまま__。
X-GUNの中で、自分達は芸人仲間であり、敵ではない……。
「うっ」
「あ、大丈夫か!?やっぱりお前、胃に来る風邪ひいとんのとちゃう?」
口元を抑えてしゃがみこんだ上田の背中を、嵯峨根が優しく撫でる。その手を振り払って、廊下を走って逃げる。
「おい!」
後ろから追いかけてくる嵯峨根の声に滲んでいたのは、怒りではなく、上田を案ずる心。走りながら、誰のものとも知れない声が頭の中で反響する。
やめろ。
やめてくれ。
そんな優しい顔で見るな、気遣うな、はっ倒されたほうがましだ!あんたたちにはその権利があるはずだ!!
なのに、何故……何故、覚えていてくれないんだ、俺達の罪を、黒だった過去を!
「くそっ!」
逃げた先で壁を思い切り殴ると、胸の奥につかえていた不快感が薄らいでいく。ポケットから石を取り出して見ると、
かつてどす黒い感情のエネルギーを呑みこんでいた時とは違う、やわらかな光を湛えていて。
「……嘘でもいいから」
石を握りこんで、祈りを捧げるように両手の指を組む。
「お前が憎いと、言ってくれ……」

【現在】

ふっ、と意識が過去から引き戻される。喉に食い込んだ男の指に、さらに力がこもった。ポケットの中の方解石が、熱を持って脈打っている。
「……ぐっ、は……な、」
男の腕に震える指をかける。引き剥がそうともがく後ろで、勢い良くドアが開いた。
「上田!?」
その声に、目線だけを必死で動かす。が、有田の姿をその目にとらえた途端、上田も男も(ついでに鍛治も)一瞬あっけにとられた。
ピコハンを右手に、左手にモップを持った彼は、さくらんぼブービーの二人が倒れているのを見ると、みるみるうちに怒りをにじませた。
「お前ら……ただで済むと思うなよ」
どすの利いた低音で紡がれたヒーローさながらのかっこいい台詞は、その見た目のせいでいまいち決まらず。
「……あれ?なんだこの空気」
有田は頬をかくと、気まずそうに息をついた。

792Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 20:17:48
なんだかんだで8まで来てしまいました。本スレは消滅してますが、何だかんだで10年以上企画が存続してるというのは
2chの中でも息が長い方ですね……また盛り上がる日を願って。ふと、鳥肌さんで書いてみたいなんて思ったのですが、
あの人はネタにしても大丈夫なんでしょうか(放送禁止的な意味で)

『We fake myself,can't run away from there-8-』
_______________________

有田が謎の男と対峙している頃。
サンミュージックの入っているビルの前に、四谷4丁目交差点をクラッシュすれすれの猛スピードで抜けてきた一台のタクシーが停まった。
目を回してハンドルに突っ伏している運転手をよそによっこらせ、と出てきただいぶ胡散くさい関西弁の男は、
築年数は経っているが立派なビルを見上げて、自分の所属事務所でもないのに、なぜかドヤ顔でうんうんと頷いた。
続いて出てきた坊主頭の男も横に立つと、真似して頷く。
「おー、めっちゃ駅から近いやん、道も分かりやすいし。さすがに大川とは格がちゃうなあ」
「ほんとですねえ」
「これならタクシー使わんで歩いてもよかったな」
エントランスへ向かって駆け出そうとした二人を止めたのは、窓が自動で開く音だった。
そこでやっと復活した運転手が、グロッキーになりながら半分開けた窓から身を乗り出して聞く。
「ちょっと、ちょっとお客さん?なんなのこの領収書、名前のところ“海砂利水魚様”って……
 ていうかあんた達、東京でこんなカーチェイスみたいなマネさせるとか、何者なわけ?」
その問いに、二人は顔を見合わせてくつくつと笑った。坊主頭の男が何故か嬉しそうな声色で答える。
「別に、ただのお笑い芸人ですよ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

有田は石を強く握り締めると、男の全身を視界に映した。所詮量産型、というべきか。
男の持つ大剣には細かいひびが入って、今にも砕け散りそうだ。男は上田の体を前触れ無く地面に落とす。
ゲホゲホと激しく咳き込む上田を守るように前に立った有田は、光で出来た剣を見て「ハッ」と嘲るように口の端を上げた。
「不思議なもんだよなあ、贋作ってのは、どうしたって本物には勝てねえ」
「……この石に、弱点なんかない」
「熔連水晶の中身って、なんだか知ってるか?」
言うなり有田は体をひねって、ピコハンを投げつける。男はあっさりとそれを大剣で斜め一文字に切り裂いた。
またピシッと小さな亀裂が剣身に走り、細かい粒が空中に舞い散る。

793Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 20:18:46
「水晶をすり潰した粉とか、そのまんまじゃ商品にならねえ欠片とか、粗悪なガラスとかをさ、
 溶かして混ぜて固めた偽物の輝き。それが熔錬水晶ってやつだ。
 モース硬度7の水晶サマには美しさも頑丈さも及ばねえんだよ」
男は、そこで初めて自分の鼻先に突きつけられた消火器のノズルを見た。

「お前も芸人だって言うならよ、ガラクタのまんまで終わってんじゃねえ」

こんなショボい石じゃなくて、本物貰えるくらいの芸人になれよ、と付けくわえて、にったあ……と悪い笑みを浮かべる有田。
「(あいつ、死んだな)」
上田は心中で合掌した。有田があの邪悪な笑みを浮かべる時は本気でヤバい。
反論しようと口を開いた男に構わず、有田の指がレバーにかかる。カチッと小気味いい音がしたかと思うと、ノズルから勢い良く噴き出す真っ白な霧。
「う、うわっ……なんだ、冷たっ……!」
剣を取り落としてわたわたと暴れる男の影が、霧の中でぼんやりと揺らいで見えた。有田はすうっと息を吸い込んで、踵で強く地面を蹴る。
大きく振りかぶった拳を、男の頬に叩きこんだ。
「先輩からの愛のムチだ、受け取れ馬鹿野郎!」
男は今度こそぱったりと地面に倒れ沈黙する。有田は得意気に胸を張ると、拳を解いて振り返った。
「……おい」
「あ、わりいなほっといちまって。大丈夫か?痕にはなってねえな」
「ちげえよ、後ろ後ろ」
「あ?」
しゃがみこんで上田の容態を確かめていた有田が、ギギギッと油を挿していないロボットのような動きで振り向く。
ゆっくりとドアノブが回り、会議室や給湯室からぞろぞろと群れをなして出てくる人々。
皆一様に光のない瞳で、手にはホウキや椅子など、思い思いの凶器を持って幽鬼のようなおぼつかない足取りで近づいてくる。

「……どうも、お騒がせしてまーす……」
有田がやっと出した声はひどくかすれていた。
上田も体を起こして、ははは……と声にならない笑い声をあげる。所詮素人だらけのインスタントな悪の組織と高をくくっていたが、
黒ユニットもここ10年で「緻密な作戦をたてる」ということを覚えたらしい。
考えてみれば、これだけ派手にドンパチしておいて、非常ベル一つ鳴らなかったのがおかしい。
下の警備員がぼんやりしていたのも、意識が何者かによって操作されていたと考えれば辻褄が合う。
「う、上田さん……俺丸腰なんですけど!!死ぬ、今回ばかりは確実に死ぬう!!」
床に転がった鍛冶が真っ青になる。上田は彼らを見つめたまま、叫ぶ鍛冶を引っぱってじりじりと後ろに下がった。
「やべえな有田」
「やばいな上田」
「お前の石でどうにかなんねえか?」
「素人相手に怪我させちゃ洒落になんねえよ!ていうか何に変身すりゃいいわけ!?それよりこいつらに弱点とかあんの!?」
疑問を一気に言い切った有田。強いて言うなら首か目だろうが、どちらも突いたら確実に死ぬ部位だ。
群れの中から走り出てきたスーツの男が、ホウキを振り上げた。
「あっぶね!」
有田は脳天を狙ってきたそれを、Go!皆川に負けずとも劣らないほど美しいブリッジで避ける。が、アラフォーの腰にはきつかったのか、
グキッと音がして、「いってえ!」とその場に転がった。そこで、眠ったままの木村が目に入る。

794Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 20:19:34
「木村!!」
思わず無防備な木村に覆いかぶさった上田の脳は、まとまりのない思考が浮かぶ中、火花を散らしてフル回転していた。
俺は何をしているんだ。俺の石じゃ何も出来ねえってのに、なんでこんな縁もゆかりもないビルで、
特に仲いいわけでもない芸人庇ってんだ。本当なら家でのんびりテレビでも見てたんだろうに、なんだってこんな面倒事に巻き込まれてるんだ。
「……やめろ」
低い声で呟くが、パイプ椅子を引きずった中年男の耳には届いていない。もうダメだと目をつぶりそうになった自分を叱咤して、
木村の前に立ちふさがる。今逃げてどうする、こいつら二人は自分を信用しているからこそ頼ってくれたというのに。
「……やめろっつってんだろ」
「上田!」
なんとかホウキの攻撃を受け止めた有田が目を見開く。上田はきっと顔を上げて、パイプ椅子を引きずる男を睨みつけると、
喉の奥から絞り出すような叫び声を上げた。

「お前ら黒はどう思ってるか知らねえけどなあ……今ここにいる俺は、白として、こいつらを傷つけさせるわけにいかねえんだよ!!」

男はその気迫に押されたのか、虚ろな目のままぴたっと動きを止める。引いてくれるのかと一瞬期待した時、
上田にとっては非常に懐かしい声が耳に届いた。
「ワンちゃん、ごらん。あれが関西で言うとこのイキリやで」
「うわー、はずかしー」
瞠目した上田が振り返った先にいたのは、十年の時を経てはいるものの、変わらない見た目の二人組。
加賀谷は少し(かなり?)ふくよかになっていたが、若いころと同じく人懐っこい笑みを浮かべてぶんぶんと両手を振っている。
「……お前ら」
松本がハッと気づいたように笑顔を消して、一気に駆け寄ってきた。
「なんだ、再会のハグか!?」
「するか!」
体を半分回転させて、両手を広げた上田をスルーした松本の足の行き先は、上田に襲いかかってくる男の腹だった。
鈍い音がして、男は盛大に吹っ飛ぶ。壁に背中を激突させて、男の胸からごほっと空気が漏れた。
男はそのままずるずると床に倒れこみ、気を失った。
「わりい、ボーッとしてた……ていうか、なんでお前らここにいんだよ!加賀谷はいつの間にシャバに戻ってたんだ!?
 聞きてえことが山ほどあるわ!」
「話は後や、とりあえずこいつら蹴散らすで!……せやけど、あれ使えっかな?有田、ちょっとの間そいつら頼むわ」
「おう……って、全部俺か!?」
有田はくっそおお、と叫びながらも、退却した三人の前に立ちふさがってモップを振り回す。滅茶苦茶な軌道を描くモップに、
操られた人々は本能的な恐怖を感じたのか、少しだけ後ろに下がりはじめた。
松本は木村の隣に膝をつき、その頭に手を置くと、後ろの加賀谷に合図する。
「えーと、鍛冶くん……でいいんだよね?」
「あ、はい……はじめまして、オニキス継がせてもらってます……さくらんぼブービーの鍛冶です」
「疲れてるところ悪いんだけど、もうちょっとだけ頑張ってもらってもいいかな?」
「はい……でも、どうやって?」
加賀谷は両手でそっと鍛冶の手をとって、握りこまれたままだった黒瑪瑙を懐かしそうに撫でて語りかける。
「ひさしぶりだね。十年前はいきなり消えてごめんなさい。でも、僕を許してくれるなら……
 鍛冶くんに僕の力をあげて!」
やがて、石が大きく鼓動するように光を放った。鍛冶の体にじんわりとあたたかい感触が広がっていく。今までだらんと力の抜けていた手足に、
再び活力が満ちて全身の神経を電気が駆け抜ける。

795Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 20:20:10
「あ、あれ?手が動く……ていうか、俺気絶してない……なんで!?」
混乱する鍛冶の隣で、木村がぱち、と目を開ける。まだ状況が掴めていないのか、不思議そうな表情であたりを見回す木村の頭を、
松本が軽く小突いて覚醒させた。
「起きたか、二代目」
「えっと……もしかして、松本キックさん?」
「つもる話は後や、手ェ出せ」
言われるまま差し出された木村の手に、松本が自分の手をぴたっと合わせ指を組む。指のすきまからぱあっと放射光が放たれ、
あたりが一瞬昼間みたいに明るくなった。松本が指を解くと、二人の指の関節の間を透明な糸が繋いでいる。糸の先は立ち上がった鍛冶の体に伸ばされ、
木村が指を曲げると、鍛冶の腕も上がった。
「こいつら蹴散らして逃げるなら、こんくらいで十分やろ」
「……どういう意味、ですか?」
まだ理解していないらしい木村に、松本が簡潔に説明する。
「“キャブラー大戦時代に覚醒していた石に限り、以前の持ち主の肉体を媒介として能力の一時的な借用や、
 エネルギーの受け渡しによる対価の軽量化、能力の倍増等が可能となる”以上、太田光さんからの受け売りでした」
棒読みな口調で一気に話すと、まだぽかんとしている木村を無理矢理引っぱって立たせる。
「いたっ、いだだっ!あの、俺もうクタクタなんですけど……」
「おい松本、お前がやってやってもいいんじゃねえのか?」
見かねた上田が一歩前に出るが、きっと睨みつけられ、口をつぐむ。

「お前がやらなあかんのや、木村。今の石が選んどるのはお前なんやからな。それに……」

松本が言い淀んだ先は、上田には何となく理解できた。今の松本は舞台俳優であり、芸人としては一線を退いた身だ。
今までも元キャブラーが能力を一時的に借りた例はあったが、それは彼らがまだ芸人であったがゆえに可能だった事かもしれない。
たとえ元芸人であっても、単体で能力を行使した場合、どんなペナルティが下るかは未知数。
「まさか、お前らしくねえよ」
怖いのか?と言いかけて、またやめた。その代わりに、木村の思うがままに任せることにする。
「……カッコよく言うなら、石とその運命から逃げるな、って事でしょ?分かってますよ。ただ、どうやって?」
ふ、と笑って松本がもう一度木村の手をとる。社交ダンスを踊るように指を組み、向かい合わせに立って前を向いた。
「深く息を吸って、吐け。自分の体と石が呼応しとるのが分かるか?」
「はい……なんとなく」
「その感覚を辿って、鍛冶と自分の体を一体化させろ。お前が鍛冶で、鍛冶がお前や。
 人間の脳についとるリミッターを外して、身体能力を最大限に引き出す。その手助けをしたると考えればええ。
 ……えーと、確かこうやったっけな?」
松本は人差し指をくいっと曲げさせて、腕を上げる。鍛冶の体が四つん這いになったかと思うと、手足の血管がビキ、と浮き出た。
「あ、やっぱワンちゃんと操作同じなんや」
鍛冶の体が弾かれたように飛び上がり、一回転して天井に両足をつく。
「お?……おっ、お、おわああ!!今度は何ぃぃぃ!?」
突然の出来事に頭がついていかず、悲鳴をあげる鍛冶。上げた腕を一気に下ろすと、
勢い良く石膏ボードを蹴った踵が、角材を持った男の脳天にクリーンヒットした。モップを取り落として肩で息をしていた有田が後ろへ下がると、
それを合図に松本も手を離して「後は頑張れ」と木村の背中を叩く。
「お゛うっ!?」
視界がぐるぐる回る気持ち悪さに、思わず喉からくぐもった声が上がる。まるで19世紀に倫敦を震撼させたバネ足ジャックの如く
空中で丸まった相方を、木村がじっと澄み切った目で見つめていた。
特徴的な大きい瞳をすっと細めて、敵の数をひい、ふう、みいと数える。
開きっぱなしの給湯室のドアが目に入ると、何か思いついたのか、両手を前でクロスさせた。
「全部で15人……か。行けるな」
「え?」
低いつぶやきに、嫌な予感がする。

796Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 20:20:49
木村は突然腕を後ろに動かすと、ウィンドミル投法の如く勢いをつけて回転させた。鍛冶の体は人の群れの中に飛び降りると
ハサミを構えた女社員のヒールを足で払い転ばせ、周囲の人々を逆立ちになって回転しながら、蹴り飛ばす。
「んで、最後は……」
両足を揃えて横向きに飛んで、壁を蹴る。ボコ、と穴が空いた中に銀色の配水管が通っているのを見つけた鍛冶が、なんとなく
木村の意図するところを察した瞬間、
「鍛冶くんキーック!!」
鍛冶の全力を込めた胴回し回転蹴りは、築ウン十年の配水管にあっさりと亀裂を入れた。
亀裂のすきまからプシャアア、と勢い良く噴き出す冷たい水に戸惑う人々。
「……後は頼みます」
木村は非常階段のドアを開け放つと、石をぐっと握りしめて能力を解除した。倒れこむ体が水面に浸かる前に、松本がそっと受け止める。
「おつかれさん」
階下からバタバタと騒々しい足音が近づいてくるのを察知すると、非常階段に体を滑りこませてドアを閉める。
水圧でなかなか閉まらない事に苛ついてか、松本が眉間にしわをよせた時、上田の手がドアノブにかかる。
「「せーのっ!」」
ドアがけたたましい音をたてて閉まるのと同時に、警報機がベルを鳴らした。

数分後。暗示が解けたのか、膝下まで水に浸かった人々が、ベルが鳴り響く中で呆然と顔を見合わせていた。
「……俺たち、何してたんだ?」
「確か会議してたはずですけど、この床上浸水はいつの間に……」
自分達の手に握られた凶器と、なおも水を吐き続ける割れた配水管を見くらべて、彼らに出来るのは為す術もなく立ち尽くすばかりだった。
「大丈夫ですか!」
その時、下から駆け上がってきた警備員が、あまりの光景に仰け反る。
「今業者に連絡しますんで、少々お待ちを……うわ、なんだこれ!」
丸くえぐれた地面に足をひっかけた警備員は、中の鉄骨が剥き出しになった壁(だったもの)を見て首を傾げ呟いた。
「……最近多いよなあ、こういうの……」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「はあッ……はあ、はあっ……だめだ、もー限界」
交差点近くの路地に入り、雑居ビルの階段を上がる。二階の踊り場に辿り着くと、有田は壁に背中を預けてずるずると座りこんだ。
自力で動けないさくらんぼブービーの二人を地面に下ろす。パトカーのサイレンが美しいドップラー効果を描いて下を通り過ぎて行った。
「誰だ?110番したの」
「あ、僕です」
加賀谷がはーいと手を挙げて、室外機の影に隠れて下の様子を伺う。警察官が腰に吊った警棒をガチャガチャ言わせながら慌ただしく走って行く。
こちらには気づいていないらしく、ずぶ濡れになった警備員や社員から話を聞いている後ろ姿だけが遠くに見えた。
「……なんとか、逃げ切れたみたいだな」
有田はタバコを取り出して、やめる。今はそんな気分じゃない。
「ですね……あー、久しぶりに走ったから膝ガッチガチですよ」
加賀谷が背負ってきた(というより引きずってきた)鍛冶は気が抜けたのか、むにゃむにゃと幸せそうな寝顔で、小さくいびきをかいている。
「……こいつ、よくこの状況で寝れるよな……ボニー.アンド.クライドってのも案外こんな図太い奴等だったのかな」
上田は柵にもたれて下を眺めていた松本にちら、と視線をうつした。しばらくして、その視線に気づいたのか怪訝そうな顔で振り返る。
迷ったが、今のうちにどうしても聞きたいことがあった。
「なんで、俺たちがあそこにいるって分かった。誰から聞いた?」
「あんな、この瑪瑙が呼んでくれたんや。最初は空耳か思ったんやけど、気がついたらタクシー乗って、四谷まで来とってな」
「……石の意志ってやつか……」
「せやな」
上田の駄洒落はあっさりスルーされた。会話が止まってまた気まずい空気になる。なにせまともに顔を合わせるのは10年ぶり。
こちらの過去を思えば土下座でもしたほうがいいのかと馬鹿な考えが浮かぶ。しばらくお互いの出方を伺った後、
一服終えた有田がタバコの先を地面でもみ消して口を開く。

797Evie ◆XksB4AwhxU:2015/07/07(火) 21:18:40
「……その、ありがと、な。助けてくれて」
「は?」
顔を上げると、松本は能面のような無表情でこちらを見つめていた。
「別にお前らなんかどうなってもええけどな、こいつらに罪ないやん、葬式行くのめんどいから“ついでに”助けたっただけや。勘違いすんな」
なんとなく分かってはいたが、いざ言葉にされるとイラッとくる。上田が止めるより先に、有田が持ち前の短気を爆発させた。
「なんだと、俺さえ全力だったらあんな奴等一網打尽だっての!相変わらず恩着せがましいなお前らは!!」
「あれー?さっきありがとって言ったのもう忘れてるんですかー、有田さんもしかしてアルツ?」
「だあああムカつく!!やっぱお前と絡むと運気下がるわ!!今度は外科で入院してえか!?」
「あだだだ!い、いつまでもやられっぱなしだと思わないでくださいよぉ!10年前の僕とは違う!」
「やるかこのっ……」
むぎー、とお互いの頬を引っ張り合う二人に、上田は思わず「ぷっ」と吹き出す。あはは、と涙を流しながら笑った。
「っはは……あー、何してんだろ。こっちは5年も苦しんでたってのによ」
そこで有田の攻撃から解放された加賀谷が、「ぷはっ」と息を吐いた。
「……もしかして、“自分達が毎日しつこく追っかけ回してたから薬飲む時間なくて悪化した”とか思ってました?」
「うっ……まあ、そうだな。責任の一端は俺たちにもあると思ってた」
「思い上がりもいい加減にしてくださいよ、たとえ上田さんたちが何もしなくたって、あんだけ仕事詰まってたら
 普通に悪化しますよ、第一コンプライアンス守らなかったのは僕の責任でしょ?どんだけ自意識過剰なんですか」
何一つ反論出来ない。そういえばこいつ曲がりなりにも麻布卒だったかと思い出す。
「……そうやって、自分達だけで何でもかんでも抱えこもうとするの、ずるいです。
 ちょっとくらい、僕にも背負わせて欲しかったのに、いつの間にかどんどん遠くに行っちゃって、
 それで10年もっ……」
そこで初めて、加賀谷が歯を食いしばってボロボロ泣いてるのに気づいた。
「あ、あれっ……変だな、言いたいこといっぱいあるのに、頭空っぽになっちゃって……」
そこから先は言葉にならなかった。空を見上げてあー、と泣く加賀谷に、なぜか有田の涙腺まで切れる。
気がつくと、四人とも身を震わせて、泣きじゃくっていた。余計な言葉は要らなかった。
有田はごめん、ごめんと繰り返しながら、掌の黄鉄鉱に涙をぽと、と落とす。
記憶を取り戻した時も出なかった涙が、後から後から溢れて止まらない。海砂利水魚の10年前の過ちはやっと赦されたのだ。

そのそばで、しっかり目を覚ましていた二人。鍛冶は苦笑まじりのため息をついて、小さく呟く。
「……全部聞こえてたんだけどなあ」
「……しばらく泣かせてやろうぜ。積もる話もあんだろ」
「だな」
鍛冶は平和な気分で寝返りを打つと、ゆっくり目を閉じた。遠回りをせずに済んだ自分達二人の日々に感謝しながら。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

日が傾いて、橙色の光が街を染める頃。
ようやく泣き止んで呼吸の整った四人は、ぼんやりとビルの向こうに沈む夕日を見つめていた。
「……いまさら遅えかもしれねえけど、力を貸してくれねえか」
「ボキャ天の遺産にできることがあるなら、なんでも」
「とぼけんじゃねえよ、もっかいお笑いやるんだろ。お前ら」
照れて頭をかく加賀谷の頭をまた小突いて、上田は立ち上がった。
「今度こそ、終わりにしてえんだ。あのキャブラー大戦を生き延びた奴が、白ユニットに必要なんだよ」
松本ハウスは顔を見合わせると、ふっと柔らかく笑う。
「……はい。僕達でよければ。だけど、一つだけ……」
「なんだ?」
「僕お腹空いちゃいました」
今までのほどよい緊張感をぶち壊す一言に、くりぃむの二人はどっと脱力する。
「一回ごとに焼き肉ビールつき、で手を打ったるわ。あの店、まだあったで」
「……ったく、やっぱ勝てねえんだな。お前らには」
がしゃがしゃと頭をかき回すと、有田は狸寝入りをしていたさくらんぼブービーをたたき起こす。
「とっくに起きてんのは分かってんだよ。若いくせにいっぱしに気ぃ使ってんじゃねえ」
腰をさすりながら起き上がった二人の頭を撫でて、踵を返す。有田の後ろに続いた加賀谷が「上田さんはやくー!」と手招きした。
「……ああ、今行く」
これからはきっと、闘いに彩られながらも穏やかな心で日々を過ごせるはず。
上田はすっかり軽くなった心で、彼らに続いた。

798名無しさん:2015/07/08(水) 10:44:12
>>792
最近小沢が「セカオザ」とかいってまた売れてきてるし、ここも盛り上がって
くれないかなあ、と当方も思っております
ここでスピワ関連の面白い話を書いてくれてた小蝿さん、またここに来てくれないかなあ?

799Evie ◆XksB4AwhxU:2015/08/05(水) 16:56:05
思えば四ヶ月もかかってしまいましたが、最終話です。
投下は初めてでしたが、こんな作品でも面白いと言ってくださった方に感謝です。

『We fake myself,can't run away from there-9-』

____________________________________

ほどよくビールが入ったところで、鍛冶が思い出したように呟いた。
「あ、そういえば肝心なこと聞いてませんでした。木村の石ってどうなっちゃうんですか?」
「あぁ、そうだな……」
上田は箸で肉をつつきながら、考える。
「そりゃ、芸人やめたらもう使えねえよ。いずれ石が別の持ち主に巡りあえば、そいつのもんになるが……
 キャブラー大戦期の石だって、まだ持ち主が見つからなくて野良石ってのもあっからな」
「いやいや、松本は今度芸人に復帰すんだろ?ていうことは、松本に所有権が戻るんじゃねえのか?」
有田の一言で、また上田はうーんと考えこんでしまう。
「とはいえ、お前らの石はコンビでワンセットだからなあ……今まで、一つの石に二人の持ち主ってのは例がねえし……
 そん時にならねえと分かんねえな。木村はどう思う?」
「俺も、上田さんが言うとおりだと思います。まあ引退は近いし、その時を待ちますよ」
口いっぱいに詰め込んだ肉をもぐもぐ咀嚼しながら、木村は呑気に答えた。
「ただ、鍛冶の石だって木村がいなけりゃ使えねえってわけじゃねえだろ。例えば、鍛冶が能力を発動しても、
 味方が避けることさえ出来りゃいいわけだ。バリア張ったりテレポートで逃げたり、いくらでもやりようはあんだろ」
有田のアイデアに、鍛冶をのぞく三人がそろって頷く。
「つまり、俺はまだ戦えるってことですか?」
「まあ、役無しの身になるのは当分先だろうな。お前もその方がいいだろ?」
「はあ……」
鍛冶はまだ釈然としないようだったが、隣で勝手に盛り上がる“初代”の二人をちら、と横目で見た。
快気祝いとばかりに肉を頼みまくり、話し合う自分達には目もくれずに食べている。
「……あのー、加賀谷さんに聞きたいことあるんですけど」
「後にして、今お肉裏返すベストなタイミング測ってんの」
「肉より大事な話なんですよ!ちゃんと聞いてください!!」
鍛冶が大声を上げると、びっくりした拍子に滑った箸が炭火に落っこちた。
「あぁ……」
燃える割り箸を切ない目で見つめる加賀谷に、物凄い勢いで罪悪感がこみ上げてきたが、それはそれだ。
「このオニキスなんですけど」
鍛冶は言うなり、自分の石をテーブルに出して加賀谷の方へ滑らせる。
「あ、それはもちろん鍛冶くんに差し上げます」
加賀谷は箸の先でそれを鍛冶の方へ押し戻した。
「いやいや、先輩なんだから加賀谷さん持っといてくださいよ」
「いやいや、鍛冶くんのほうが若いんだから先輩を労ってよ」
二人の間でぐいぐいと、寄せられては返しを繰り返す石。その様まるで大岡裁きのごとし。

「……アホや、あいつら」
松本がぽつりと呟く。
「……石って、似たような奴を選ぶもんだな」
有田もそれに同意した。

800Evie ◆XksB4AwhxU:2015/08/05(水) 16:56:43
「なあ」
「何や」
「嵯峨根さんに詫び入れようと思うんだけど、ついてきてくんね?」
「……一人で行け」
「そんなこと言わずにさあ!俺あの人の腕へし折っちまってんだぞ!?しかも両方!
 なあ頼むよ、遠くから見ててくれるだけでいいから!」
「はいはい、分かった分かった」
松本は適当な返事をしながら、携帯電話をテーブルの下で開いてメールを打つ。
終わると、壁にもたれてお冷を一気飲みした。まだ石の押し付け合いを続ける二人を横目で見て、呟く。
「俺も、芸人失格かもしれんな」
「どういう意味だよ」
「ずっと考えとったんや。お前はほんまは俺達みたいで、俺達はただ運がよかっただけなんやないかって。
 ただほんの少しお互いの解釈が違っただけで、お前らのしでかしたことが全部お前らの所為っていうわけやないんやろ?」
有田はまた考えこんでしまったが、やがて「そうか」と納得したように下を向いた。
「俺たちに大した違いなんてなかったって事か。そういやお前も楽しそうだったもんな、あの時」
10年前と変わらない黄鉄鉱を掌に乗せて眺める。
「この石は俺たちの歩んできた道を示してたなんて、誰が分かるってんだ」

やがて、店員が「いらっしゃいませー」と間延びした声で挨拶するのが聞こえてきた。
店内に入ってきた男二人は、席に案内しようとする店員を断って座敷へ入ってくる。
「あっ」
木村が有田の後ろに立っている細身の男を指さして、某大物芸人の「うしろうしろ!」のギャグの如く口をパクパクさせた。
いつの間にか肉の奪い合いに変わっていた加賀谷と鍛冶も、野菜を焼いていた上田もその声に振り返る。
「なんだよ……さっ、さがねさん……なんで、ここに……」
振り返ったまま、固まってしまった有田の顔を見て、嵯峨根は面白そうに笑った。
続いて入ってきた西尾は、顔を背けて合掌する。
「なんでって……今度こそホンマに白黒つけるんやろ?」
携帯をパカッと開いて、さっき送られたメールを見せる。

『TO:さがね正裕
 
 黒ユニットとの本土決戦に志願しました。
 少しでも前に進みたいというお気持ちがあるのでしたら、X-GUNのお二人もお力添えをお願いします。  松本』

驚く有田に、両手を広げた嵯峨根は台詞がかった声色で続ける。
「昔のことはもう意味なんかないんや。俺たちは手を取り合わなあかん」
「嵯峨根さん……」
少し感動している有田に向かって、西尾はそれまでの空気をぶち壊す一言を放った。
「せやから……晩飯、奢ってや。それで昔のことはチャラにしたるから」

数十分後。
そこには、財布を下に向けて肩を落とす上田と、西尾に肉をあらかた食べられて落ち込む有田の姿があったという。

【終】

801名無しさん:2015/08/06(木) 22:44:10
おおっ!!乙でした

802名無しさん:2015/08/07(金) 16:47:11
なんかとても充実した内容で楽しませてもらいました
それで当方からの提案ですが、今後の楽しみ方として底ぬけAIR-LINEや
BOOMERなど他のキャブラーの能力とか考えて載せてくのはどうですかね?
底ぬけの場合、新たな持ち主が出てきてなければ今は古坂が3人分の石を持ってそうな気がする…

803Evie ◆XksB4AwhxU:2015/10/29(木) 18:57:55
廃棄小説スレの>>146を読んで、ずっと前にプロットだけ作って放置していたアリキリの短編を投下。
この後どうなるかは全く決めてなかったのでお蔵入りしてました。
設定固まっていないのをいいことに結構好き勝手に書いてしまったものです。

【ekou-1-】

「え……何、これ?」
「見てのとおりだ」

石井はソファに深く体を沈めて、頭を抱えていた。
テーブルの上には、無残に潰れた携帯電話の残骸。
基盤とコードはまだバチバチと爆ぜるような音をたてている。
石塚はそっと、石井のケータイ(だったもの)を拾い上げる。
ひび割れて何も映らなくなったモニタを撫でると、指先にちりっとかすかな痛みが走った。
「……僕は、思い出してしまったんだ」
文章にすれば圏点がついているであろうゆっくりとした発音。
石塚はそれで何もかも悟ったが、あえて分からないふりをして「なにを?」と聞き返した。
ついでにいつもの癖で軽く首を傾げてみせると、石井はふうっと息をつく。
「いや……分からないならいい。知らない方がいい事だ」
「そっか。分かった」
「聞かないのか?」
食い下がらなかったのが不思議だったのか、眉根をよせて少しだけ腰を浮かせ問うてくる。
「石井さんが言いたくないなら、今はまだそれでいいよ」
信頼をこめた一言に、石井は今度こそホッとして表情をやわらげた。
「……いや、話すよ。君との間に隠し事はしたくない」
「嫌な話?」
「ああ。君はとても信じられないだろうし、僕を軽蔑すらするかもしれない。
 だが、事実は小説より奇なり、だ。僕は君に嘘はつかない。座ってくれ」
言われるがまま、ソファに腰を下ろして向かい合う。石井はどう切り出すべきか迷っているのか、
組んだ指をせわしなく動かして、床に落とした視線を彷徨わせている。
(……この人も、こういう顔するんだなあ……)
いつもより弱った相方を見つめながら、石塚はつい一時間前の電話を思い出していた。

遠くから聞こえる着信音に、ゆっくりと意識が浮上する。
まだ完全に覚醒していない頭を振って、ベッド脇に置いておいたケータイを手探りでとる。
名前は表示されていなかった。市外局番から始まる10ケタのそれが、石井の自宅の番号だと思い出すのに
たっぷり5コールを要した。やわらかい枕に顎を乗せて、耳に当てる。
「……もしもし?」
『もしかして寝起きか?
 それならなおさら悪いが、すぐに僕の家へ来てくれないか。大変なことが起きた。
 ……とても電話では説明できない事態なんだ、頼む!』
それきり、ぷつっと電話は切れてしまった。
「あ、ちょっ……石井さん?」
あの声音から言って、ただならぬ事態なのは間違いない。
だが、悠長に電話してきたということは、彼自身に危険が迫っているわけではなさそうだ。
石塚は起き上がり、適当に服を身につけて手早く身支度を終える。家の鍵とケータイをポケットにねじこんだ所で、
ふと、開いたままのチェストの引き出しが目に入った。石塚は引き出しに手をかけると、一気に開けた。

804Evie ◆XksB4AwhxU:2015/10/29(木) 18:59:06
「聞いてるのか?」
不機嫌そうな石井の声が、やけに近くで聞こえた。
思案に沈んでいた石塚は、そこではっと顔を上げる。すると、顔色の悪い石井の視線とまともにかち合った。
「これからは君にも気をつけて欲しいんだ。
 なるべく一人で動くのはやめろ。変なやつから声をかけられたら、
 すぐに逃げろ。もしくは僕を呼んでくれ。それと……今はまだ、
 黒の芸人とは仕事以外で不用意に関わらない方がいい。
 君にとっては一方的な押しつけになって悪いが、従ってくれ」
お願いの形をとってはいるが、その口調には厳しい響きがある。
すぐ頷かなかったのを拒絶ととったのか、石井は今度は命令口調になった。
「いいから、言うことを聞くんだ。
 今まで僕の指図が間違っていたことがあったか?」
石井の心配はもっともで、だからこそ首を横に振れない。
分かっていたが、石塚の首はやけに緩慢な動作で深く前へ垂れた。
「……うん、分かった。石井さんの言うとおりにする」
「分かってくれたんならいい。
 それと、最後に一つだけ。
 ……もし、石を手に入れたら。それが誰かからの贈り物だろうと、拾い物だろうと、
 とにかくまっさきに、僕に知らせるんだ。いいね?」
肩に手を置いて、語尾に力を込める。
毎度思うが、石井のこの人心掌握術はどこで学んだのか。
澄んだ声と美しい滑舌を聞いているうちに、何もかも見透かされているような気分になる。
「それと、これを」
渡されたのは、石井が片手で走り書きしていたメモだった。
いつもより雑な字で、何人かの名前と電話番号が書いてある。
その中でもアンジャッシュの二人には名前の横に星マークがついていた。
「それが、いわゆる白ユニットの芸人だ。そこに名前が上がっている人は安全だと思っていい。
 僕がいなかったら、彼らに助けを求めろ。いいね?」
石塚は操られるように「うん」と返事をして頷いた。そこでやっと満足気に石井の手が離れる。
立ち上がると、石井も後からついてきた。もう話は終わったろうし、ここにこれ以上用事はない。
石井は玄関の鍵を開けると、深いため息をついて眉間をおさえた。
「悪いな、神経がピリピリしていて……とても一人じゃ立ち直れそうになかった」
「いいって。俺にできることならなんでも」
「ありがとう。でも……僕は、守られるより、守る方がいい。
 君は僕の後ろにいてくれ。それだけでいいんだ」
その物言いが少し引っかかったが、石塚は構わず外へ出ようとした。
しかし、ドアノブにかかった手に、後ろから出てきた石井の手が重なって動きを阻む。
「石塚くん」
振り返ると、自分より低い位置にある石井の目とまともにかち合った。
「本当に、石は持ってないんだね?」
嘘をつくのは難しい。澄み切った目で相手を見つめて、疑う余地を与えるな。
低めの声で、ゆっくりと、否定しろ!__頭のどこかでそんな声が聞こえた。
一秒も経たないうちに、唇が微笑の形を作る。
「ああ、持ってない」
石井は安心したように肩の力を抜いて「じゃ」と短く挨拶した。
扉がゆっくりと閉まる。石塚は音のない舌打ちをして、その場を後にした。

帰る道すがら、パーカーのポケットに手を入れて中を探った。
指先が硬いものに当たる。引き出すと、石塚の手には虹色の光を内包した結晶が乗っている。
「石井さん……」
ぎゅっと握りしめる。手のひらが角で痛い。ぎりぎりと握りこんだ。
その痛みが、さっきの嘘を責めたてているようで石塚は下を向いた。
本当はこの石を見せて、一緒に頑張ろうと言うつもりだった。
しかし、弱り切った石井を見た瞬間、その言葉は声にならなかった。
自分はあの人に何をしてやれるのか。この石はどんな役に立つのか。それが分からなくなった。
(もっと、強い石ならよかったな。
 そしたら、俺が石井さんを守ってあげられるのに)
思い出されるのは、混沌と血の匂いで満ちた1999年。ずっと見ていた、石井の背中。
気がつくと、自宅マンションのすぐ手前まで来ていた。
憂鬱な気分のまま、階段をのぼる。鍵を開けて玄関に入ると、ポケットのケータイが鳴った。
デフォルトの着信音ということは、未登録の番号だろうか。
「はい、石塚です」
しかし、電話の相手は無言のままだ。一旦耳から離して画面の番号を確認する。
やっぱり、知らない番号だ。
「もしもし?……どちら様ですか?」
やや怒りをこめて聞くと、電話の相手は笑いながら言った。

805Evie ◆XksB4AwhxU:2015/10/29(木) 19:03:22
『俺だよ、俺』
「……三村さん?」
石塚は四つ折りになったメモを取り出した。白の芸人たちの名前の横、特に接触が多く要注意すべきな
ホリプロの黒ユニット所属芸人たちの名前がある。電源ボタンに指が伸びたところで、
まるで見ているかのように三村が言った。
『おいおい、もうちょっと話聞けって。お前にはライブでぶっ叩かれた貸しがあんだからよ。
 悪の組織、黒のユニットからお電話だぜ』
「……一応、悪いことしてるって自覚はあるんですね。
 あと、俺の相方を洗脳マシーンみたいに言わないでください」
『洗脳だろ?お前の意思で決めたことかよ、それ』
「あのねえ、言っときますけど、俺はキャブラー大戦もこの体で知ってたんですからね!
 こんな弱っちい石で何させたいのかは知りませんけど、俺は黒に協力する気なんて1ミリも」
気がつくと、電話の向こうは再び無音に戻っていた。
「……もしもし?」
「お、石塚のくせにいい感じの部屋じゃねえか」
すぐ近くで聞こえた三村の声に、勢い良く振り向く。
うっかり鍵をかけないままだった玄関に、二人の男が立っていた。
石塚はケータイをポケットにしまって、テーブルの上のペン立てからカッターナイフを取り出す。
刃をチキチキと出す間に二人はもう部屋に上がりこんでいた。
「……無理すんなって、お前に人は刺せねえよ。
 別にお前をとって食おうってわけじゃねえ。仕事上がったついでに来ただけだ」
カッターは右手に構えたまま、石塚は壁に背中を当てる。二人は勝手によっこらせ、と腰を下ろした。
石塚の背中を冷や汗が垂れて、刃先が震えた。さまぁ〜ずの能力はよく知っている。自分一人で……
いや、石井がいても太刀打ちできるとは言いがたい相手だということも。
「お前にな、ちょっと聞きてえことがあんだよ」
大竹が、プラチナクォーツの入った左のポケットを指さした。
一瞬、この石で一瞬だけ隙を作れば逃げられるかもしれない。
……が、ベッドの上にあった名刺入れは、あっという間に三村の手の中に収まった。
話し合いと表現するにはあまりに一方的な流れに、抗議しようと口を開きかけた石塚を、
大竹が手で制して部屋の空気を張り詰めさせる声で言った。
「上手くおしゃべり出来たら、ご褒美だ」

806名無しさん:2015/10/30(金) 23:42:49
お、新作が来てる
アリキリの話ですか

807名無しさん:2015/11/01(日) 02:29:11
>>803-805
投下乙です。面白かった。
「この後どうなるか決めてなかった」とのことですが
現在事情が許すようでしたらぜひぜひ続きをお願いします。

808Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/01(日) 20:51:15
続きは一応考えてあるんです。 

脅迫or洗脳で一旦黒化

誤解から石井、白と争う

なんやかんやあって和解or浄化

ハッピーエンド←こんな風に考えてましたが、石塚さんを短期間とはいえ
黒として使って大丈夫か判断を仰ごうとしたら本スレが消滅したのでお蔵入りだったのです。

809名無しさん:2015/11/02(月) 02:23:36
>>808
石塚の黒化で特に問題になるようなことはないだろうと思います。
短期間で戻るのであればなおさら。

続きが読めたら嬉しいです。

810Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/02(月) 20:49:02
続きが読みたいと言って下さった方がいらっしゃったので投下。
ちなみにタイトルはホリプロ繋がり。

【ekou-2-】

「お前の選べる道は二つだ」
三村は台所で勝手に水を汲むと、一気に飲み干した。
「石井について洗いざらいぶちまけて自分の身を守るか、それとも俺達に“駄賃を払う”代わりに石井からの信頼を守るか。
 ……前者の方がお手頃だと思うがな」
「俺に、相方を売れって言うんですか」
カッターナイフを持つ手が小刻みに震える。大竹がその手に自分のを重ねて、凶器を下ろさせた。座れ、と顎でうながされ、
そのまま床にへたりこんだ拍子に、ポケットから白金色の鉱石が転がり出る。それを握りしめて、心臓を落ち着かせる。
(たとえ俺がここで石井さんと話したことを吐いても、その一度で終わるわけない。
 その弱味につけこまれて、気がついたら黒の操り人形にされるだけだ)
大竹は黙ったまま、成り行きを見守っている。思考は頭の中でぐるぐる回って、まとまらない。
(どう答える?なんて言えばこの場を乗りきれるんだ?……だめだ、思いつかない!!)
石塚は見えないよう、後ろ手にそっとケータイを開いた。操作は見なくても覚えている。電話帳を開いて、あ行から石井の番号を出す。
(……よし、あとはダイヤル……)
決定ボタンを押そうとした。瞬間、三村の手が伸びてきて、それを取り上げる。
「あ!」
「……人が話してる時にケータイいじるのは、よくねえなあ。……石井に何の用があったんだ?」
ん?と画面の番号を見せつけられる。三村の顔からみるみるうちに笑顔が消え去った。
「助けてくれ、とでも言うつもりだったのか?……お前、それはねえだろ。……石井は110番じゃねえ。
 そろそろ答えろ。相方か、それとも自分か」
電源ボタンが長押しされて、画面に一筋の白い線が走った。電源の切れたケータイを返され、石塚はいよいよ逃げられない事を悟る。
イエスか、ノーか。その二択しかない。そして、どちらを選んでも、さまぁ〜ずが約束を守るとは限らない。

(……そんなの、選べるわけねえだろ……!)

二人の良心を揺さぶれたとしても、その上にいる設楽は甘くない。設楽の人を喰うような笑みが思い出されて、背筋が震えた。
石塚はゆっくりと顔を上げた。ごく、と唾液を飲みこんで、からからに乾いた口を開く。
「俺は……」
その後に続く言葉は、喉につっかえて出てこない。怖い。決意を決めているはずなのに、声は情けなく震える。
「さっさとしろよ。こっちも時間がねえんだ」

「俺は、絶対に……石井さんを裏切りたくない。石井さんを傷つけるなんてしたくない!
 あんたたち黒の好きになんかさせない!」

その答えに、三村はため息をついて首をひねった。後ろの大竹に「どうする?」と振り返って問う。
「こいつの意思を尊重してやるしかねえだろ。石井に負けず劣らずの頑固さだ。ただ……」
最後につけたされた言葉に、石塚は知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。

811Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/02(月) 20:49:32
「こいつは使えるかもしれねえ」
「はあ?何言ってんだお前」
大竹は三村を押しのけると、前に座って石塚の目をまっすぐ見すえた。
「なあ、石塚。お前……いい子だもんな。お前が悪いことしても、きっとみんなお前のことは疑わねえよ。
 お前がそんなことするわけないって、あの石井まで信じきってる。そういうの、この世界じゃ希少種なんだぜ?
 だって世の中、何もしてないのに疑われる奴もいるからな。あいつはきっと裏の顔がある、
 あいつはなんか雰囲気が怪しい……そんな風に」
気がつくと、石塚は左手をとられていた。ちょうだいをするようにひっくり返った手のひらに、何か硬いものが落とされる。
それは、独り者がするには不自然な、小さな水晶のついた指輪だった。大竹の指がそれをつまんで、眼前にかざす。
「わりいな、何の成果もなしに帰るわけにはいかねえんだ。
 ……お前が考えてるほど、俺らも自由ってわけじゃない」
結婚式の指輪交換のように、薬指が持ち上げられた。爪の先に当たると、指輪はすんなりはまる。
指輪の正体に石塚の思いが至った瞬間、大竹はうつむいて呟いた。
「……ごめんな」
直後、指輪から黒い炎がたちのぼるのが、見えた気がした。同時に、心臓を冷たい手で握りしめられるような感覚が襲う。
「あ、……あ゛っ、!…ぐっ……ぅ……」
胸を抑えて床に倒れる。胸の奥から何かがせり上がってくる感覚を、クッションに爪を立ててやり過ごす。
表現しようのない不快感に、手が動かない。薬指にはまった指輪が、ぎりぎりと痛んだ。
「石塚!」
駆け寄ろうとした三村を、大竹が止めて首を横に振った。
「……たす、け……、いし……いさん……」
苦悶の合間に喘ぐように発せられた名前に、三村は耐えられないとばかりに目を背けた。

同じ頃、石井は自宅で写真立てを拭いていた。
最近仕事がたてこんでいたので、ガラスはすっかり曇ってしまっている。雑巾で丁寧に拭きとると、棚に戻そうとした。
「あっ」
手が滑った拍子に、写真立てはフローリングに落ちてわずかに跳ねた。恐る恐る見てみると、
案の定、ガラスのフレームには斜めにひびが入って砕けている。
「……こりゃ、もう使えないか。スペアもないし……参ったなあ」
ガラス片を片付けるために、中の写真を引き出す。それはまだコンビを結成したばかりの頃に撮った最初の宣材写真だった。
(そうか。もう10年以上も経つんだね……)
懐かしさにそっと指でなぞる。思えばこの頃は石塚もまだ未成年で、自分たちは先が見えない代わりに疑わないでいられた。
苦しい下積みの先には素晴らしい未来が待っている。きっと楽しい日々がある、と。
『いいって。俺にできることなら、なんでも』
さっき玄関で振り返りざまに笑った顔が浮かぶ。同時に、何か嫌な予感が胸をしめつけた。
「……考えすぎか」
ドラマじゃあるまいし、何でもかんでも凶兆に結びつけるなど馬鹿らしい。第一何の予感だというのか。
石井は笑って不安を打ち消したが、一度生まれた小さな炎は、なぜかいつまで経っても消えなかった。

「……おい、ちゃんと正気か?」
目の前でひらひらと何かが動く。それが大竹の手だと理解するのに、しばらく時間がかかった。
石塚は床に横向きに倒れたまま頷いた。浅い呼吸を繰り返して、ゆっくりと体を起こす。三村があわてて手を貸すが、
今度は大竹も止めなかった。ベッドに倒れこむと、丸められた紙片が顔の横にぽて、と落とされる。
「今度は黒の集会で会おうぜ。それに地図が書いてあっから、遅刻すんなよ」
「……俺が、白に知らせたら?」
大竹は肩をすくめて答えた。
「お前は知らせねえよ。いや、できねえと言ったほうがいいか?」
石塚は理由を聞こうとしたが、言葉は声にならなかった。瞬きするごとに頭が重くなって、意識が遠ざかっていく。
「だってお前はもう……」
その先は聞こえなかった。
眠りに落ちる前、最後に見えたのは、廊下へと消えていくさまぁ〜ずの背中だった。
玄関のドアが閉まるのと同時に、石塚の意識も再び深い穴の底へ落ちていった。

812Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/02(月) 20:50:25
◆◆◆◆◆◆◆◆

翌日。
石井は約束の時間よりかなり早く稽古場に現れた。おはようございます、と遠くから叫ぶ後輩に挨拶を返して、
ネタ合わせのために持ってきた台本をテーブルの上に広げ、椅子に座って相方を待ち構える。
「ねえ、石塚くんまだ来てない?」
遠くで練習していた岡安に向かって叫ぶと、喉を無駄に消耗しないためか両手でバツ印を作って首を振った。
約束の時間までまだ30分近くあるのだから、来ていなくてもなんら不思議はないのだが、昨日からどうも胸騒ぎがする。
電話してみようかと思った時、稽古場のドアがそっと開いた。石塚は普段通りに明るく挨拶をして、相方の所へ来た。
「おはよ、石井さん」
「おはよう、どこか具合が悪いのか?」
「なんで?」
「……声がかすれてるし、いつもより半音低い。寝癖ついてる。顔色も悪い。僕は案外君を観察してるんだ」
順番に指摘していくと、石塚は喉に手を当ててふっと笑った。
「ごめん、実はちょっと風邪気味でさ」
「やっぱりか。じゃあ今日は早めに終わらせて帰ろう。しっかり治したほうがいい」
「うん……ありがと、石井さん」
石井は立ち上がると、気にするなというように石塚の背中を軽く叩いた。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
「ああ」
コートを脱いで椅子にかける。稽古場を出る寸前、石井をもう一度振り返った。いつもどおり姿勢よく座って、
台本に線を引いている。石塚は顔を背けて、足早にその場を立ち去った。

男子トイレの手洗い場。冷たい水でバシャバシャと顔を洗って、鏡を見る。石井に指摘された時、
少し体がこわばったが、上手く誤魔化せたようでホッとした。
「……これでいいんだ」
袖に隠していた左手の薬指。外そうと指をかけた瞬間、嘔吐感がこみあげた。
「うっ」
個室に駆けこんで膝をつき、便器の台座を上げる。しかし、吐きそうで吐けない、気持ち悪さだけが胸に広がる。
しばらくすると吐き気はおさまったが、代わりに手が細かく震えていることに気づいた。
「風邪じゃ手は震えねえよな」
肩越しに聞こえた声。振り返ろうとした体を押さえつけられ、便器の方へ追いやられる。
「ちょっ、何す……」
大竹は後ろ手に鍵を閉めると、黙れ、と口だけを動かして石塚の口を右手で塞いだ。
抵抗しようと手を振り上げると同時にドアが開く音。男にしてはやや軽い足音が、手洗い場のところで止まった。
「石塚くん、いないのか?」
おかしいな、一階の方に行ったのかなと呟く声。石井は男性用小便器の並んだ前を通りすぎて、個室のドアを
コンコンと二回叩いた。大竹が左手で叩き返すと、「石塚くん?」と聞き返してくる。
「俺だ、俺」
「ああ、大竹さんでしたか」
「おう。どうかしたか?」
答える間も石塚の口に当てた手は離さない。
「いえ……何でもありません」
「そっか、じゃあ俺そろそろ出っから、どいてくれるか?」
「いえ。失礼します」
石井が出て行くと、やっと大竹の手が離れた。呼吸を整えながら、まだ震えの止まらない手でフタをおろしてその上に腰かける。
恨みがましい目で見上げると、大竹はなんでもないような顔で腕を組む。

813Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/02(月) 20:51:02
「俺と一緒にいる所を石井に見られたら、困るのはお前だろ?
 ……まあ、悪かった。お前とゆっくり話せそうな場所がなかなかなくてな」
「で、何か用ですか」
「お前にプレゼントがあんだよ。口開けろ」
「え?」
「いいから開けろ、指突っこんで無理矢理こじ開けられてえのか」
低い声ですごまれ、おずおずと口を開ける。そこに、何かが押しこまれた。砕いたキャンディーのような、鋭角のある物体。
(……これ、黒の欠片だ!)
吐き出そうとするが再び口を塞がれる。息苦しさに喉が動いた瞬間、石塚は無意識にそれを嚥下していた。
固形物だったはずのそれは舌に触れると、どろりと粘性をもった液体に変わって食道を落ちていく。
大竹の手が離れると、昨日から数えてすでに三度目の窒息に、石塚は激しく咳き込む。
「いきなり何てことするんですか!」
「おいおい、感謝こそすれ恨まれる筋合いなんてねえぞ。どうだ、楽になったろ?」
言われて、手の震えがおさまっていることに気づく。朝から続いていた鈍い頭痛も、いつの間にか消えていた。
「それで今日一日は保つだろ。じゃ、頑張れよ」
「ま、待ってください!」
出ていこうとする大竹の腕をつかんで引き止める。
「なんで……なんで、黒の欠片なんか」
「まだ分かんねえのか?その指輪だよ。そいつは熔錬水晶って石で、まあ……大量生産品だ。
 黒の下っ端に持たされる石なんだが、水晶にしちゃ黒っぽく見えんだろ?」
「まさか、これが」
「そうだよ、黒の欠片が混ざってんだ。あ、言っとくけどいまさら外しても無駄だぜ?」
大竹はかがんで、石塚の胸ポケットからプラチナルチルクォーツを取り出して見せた。
「こいつもお前に似て健気な石だよなあ。大抵のやつは一発で黒に染まるのに、お前はまだふらふらと
 白黒を行き来してる。欠片への抵抗力が強いんだな」
鍵を開けてドアを開け放つと、思い出したように振り返る。
「ああ、そうそう。石井がまた撮影入ったんだって?」
「……それが、どうかしましたか」
「無事に仕事に行けるといいな、最近はなにかと物騒だろ。
 ……お前がいい子にしてたら、何もしねえよ」
脅迫めいた言葉の意味を問う前に、大竹は出て行ってしまった。
「……戻らないと」
立ち上がったところで。ケータイがメール受信を知らせる音を鳴らした。受信ボックスを見ると、
未登録のアドレスから一通来ている。石塚はため息をついて、ケータイをパチンと閉じた。
(俺のまわりは、どうにもならない事ばかりだ)

◆◆◆◆◆◆◆◆

「おう、元気してた?」
廊下の向こうから歩いて来たのは、石井にとって最も接触したくない相手。今日は石塚の具合が悪そうだったので、
ネタ合わせも早めに切り上げる事になった。帰るまでの時間をどう潰すか考えていたので無視しようかと思ったが、
設楽は(行き先は反対のはずなのに)さっさと石井の隣りに立って歩いた。
「……設楽」
「最近忙しいらしいじゃん、がんばってね」
「あ、ああ……」
「そうだ、聞いてよ。うちの娘がさあ、日村のほうが俺より好きだって言うんだよ。
 どこが?って聞いたら日村のほうがお腹がぽよぽよしてて乗っかると気持ちいいから、だってさ。
 ひどくねえ?腹たったから日村しばらく出禁にしようかなんて思っちゃったりして。まあ冗談だけど」
調子が狂う。設楽の目的は何なのか。まさか、ただの世間話というのでもあるまい。石井は設楽の言葉を聞き流しながら、
自動販売機でコーヒーを買う。プルタップを指で開けて、飲もうとしたところで自分をじっと見る視線に気づいた。
「いや、ごめん。飲んでいいよ」
くすくす笑いながら設楽が手を振る。言われなくてもそのつもりだ。半分ほど飲んだところで、また視線が気になって
設楽の方を振り向く。あいかわらず腹の中が読めない、貼りついたような笑顔で石井を見ている。
「何か?」
「嵐は思いもよらないところから起こる。そして激しい雨風が過ぎ去った後には、何も残らない。
 人は、近づいてくる灰色の雲に気づいた時に、はじめて嵐の訪れを知るんだ。それまでは毎日が晴れだと信じて疑わない」
「誰の詩だ?」
「いや、個人的な人生観だよ。邪魔して悪かったね。じゃ、また今度」
設楽はくるりと踵を返すと、手を振って去っていった。その姿が廊下の向こうに消えると、石井も缶をゴミ箱に捨てる。
「……読めない相手は疲れるな」
呟き、また歩き始める。石塚ならこんなことはない。言葉に裏表などないし、感情は素直に表してくれる。だから気を張る必要もない。
廊下の窓から空が見えた。青空の向こうに灰色の雲が散り散りに浮かんでいるのを見て、設楽の言葉が思い出される。
「……あれで揺さぶりをかけたつもりなのか?」
石井はふっと笑って、リュックを背負い直し歩いて行った。

814Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/02(月) 20:51:23
同時刻。石塚は誰ともはち合わせないように非常階段を使って外に出た。フェンスを乗り越えて、裏通りに出る。
トイレで受けとったメールには、簡単な命令が書かれていた。添付ファイルにはターゲットの顔写真と、
ターゲットを待つべきポイントを記した地図。
走りながらケータイを耳に当てると、向こうからはなんとも愉快でない声が聞こえてくる。
『記念すべき最初の仕事だよ。上手くできたらご褒美あげる。
 相手に下手な情けなんてかけるなよ、それと、白に情報流したりってのもナシだ。
 まあお前にそんな器用なマネできないのは知ってるけどさ』
「要は、逆らうなって言いたいんだろ!」
人通りの少ない路地裏を走り抜ける。ターゲットの帰り道はたしか一本向こうの通りだ。
『ああ、それと……言わずもがなだと思うけど、石井の身に何かあっても、それは黒とは“何の関係もない”
 俺の言葉の意味は分かるね?……じゃあ、頑張って』
ブツッと音がして、通話は一方的に切られた。
「もしもし、設楽!?」
ケータイに向かって怒鳴ってみても何も始まらない。石塚はとりあえず電柱の影に姿を隠した。
「……あ、顔」
パーカーのフードを下ろして顔が見えないようにする。心もとないが、顔バレの危険性は限りなく低くしたい。
念のため道路脇のミラーで確認した。
どうせ洗えば縮んじゃいますよ、と言いくるめてワンサイズ大きいものを買わせてきた洋品店の売り子に感謝した。
前が見えづらいという欠点もあるが、フードの影は黒く顔にかぶさって、口元すらよく見えない。
(……来た!)
ターゲットが歩いてきた。自分と同じか、少し年下くらいの金髪の男だった。
石塚は胸に手を当てて息を整えると、10メートルほど離れてついて行く。歩きながら、さっきのメールの文面を思い出す。
『こいつは、黒ユニットに自分から頼みこんで入ってきたくせに、
 すぐ怖気づいて白に情報を流した裏切り者だ。
 幸い、白はこいつの石を奪っていない。適度に叩き潰して、回収しろ』
「……ごめん」
それが目の前の男に向けたものか、それとも石井に対してのかは、自分にすら分からなかった。
人通りのない路地に男が足を踏み入れた瞬間、石塚は速足で近づき、その肩に手をかけた。

815名無しさん:2015/11/03(火) 08:05:06
あ、続き来てる
今後スピワとか出てくるのかな?楽しみ

816名無しさん:2015/11/03(火) 23:19:51
設楽VS石井、読み応えありました。
まだお互いに探ってる状態で一見普通の友人同士の会話にしか見えないのに設楽の迫力が半端ない。
それに対する石井の只者じゃない感もすごい。
それにしても、所持石の能力関係なくナチュラルで「洗脳マシーン」呼ばわりされる石井って……。

817Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:12:21
ちょこっと修正して落とします。時間軸的には05年6月ごろをイメージしていました。
>>146で児嶋が番組終了からしばらく経つのにまだ愚痴ってる、というのを踏まえて、
05年2月の終了からワンシーズン後くらいだろうか、と思ったので。ところで、熔錬水晶の発動条件に「体に触れる」って
ありましたっけ……そこは直していないので、もし違うのでしたら次から修正しておきます。

【ekou-3】

金髪の男が、ぎょっとしたように振り返った。その隙を逃さずに膝で背中を押して地面に引き倒す。
「な、なんだよお前っ……まさか、黒の!?」
それには答えず、暴れる男のポケットを探る。要は石を回収さえすればいいのだから、石だけ素早く抜き取ってしまえばいい。
(あーもう、なんでボタンつきなんだよ!)
指先がからまって、うまく外せない。それでもなんとかズボンのポッケを調べ終わると、ジャケットに手をかける。
石塚は実際、戦闘経験も浅かった。完全に補助系の能力だったからというのもあるかもしれない。
男が最後のあがきとばかりに拳を振り上げさえしなければ、上手く行ったはずだった。
「……うッ」
ガッと鈍い音がして、頬に衝撃が走る。軽い平手打ち以外のパンチを、しかもエルボーをくらうなど初めての経験だった。
目の前が一瞬ぶれて、体から力が抜けていく。
(……え、俺……今、殴られた?)
その隙を逃さず、男はもう一発、頬に拳を叩き込んできた。
頬が熱を持って腫れてくる。歯が二本ぐらついていた。呼吸をするごとに口の中に鉄の味が満ちる。
(……痛い。ていうか熱い……)
石塚は頬を押さえてその場に膝をついた。痛みよりなんとも言えない惨めさのほうが勝った。
目頭が熱くなる。どうしてこんなことになった?自分はただ、石井と平凡な日常を生きていたいだけなのに。
不覚にも涙がこぼれた。袖口で拭っても、後から後からあふれて止まらない。
「畜生!」
男は立ち上がると、ペッと唾を吐いて背中を向けた。待ってと手を伸ばそうとして、薬指にはまった熔錬水晶が目に入る。
(これを使ったら……使っちゃったら、俺は本当に)
黒ずんだ結晶が、ぼんやりと昏い光を放った。耳の奥で、設楽の声がリフレインする。
『石井の身に何かあっても、それは黒とは“何の関係もない”……俺の言葉の意味は分かるね』
石塚は人さし指を伸ばして、残りの指を内側に折り曲げた。
一を数える時のようになった指の先はまっすぐ、男の背中に狙いを定めている。
(……それでも、俺は石井さんに無事でいてほしいんだ。だから、そのためなら)
非常に小さな小粒の光球が集まり、一つの光になった。男は気配に立ち止まり、振り返る。

「俺が、悪者にもなってやる」

無意識の手の震えが、照準をわずかに狂わせた。光の弾丸が、男の肩をかすめて背後の壁に孔を空ける。
「チッ……しつけえ野郎だな!」
男は、背中のリュックからコーヒー缶を取り出してタップを開ける。そのまま一文字を描くように動かすと、道路に
点々とコーヒーがこぼれ落ちた。男は指で丸を作ってくわえると、「ピッ」と指笛を吹く。
瞬間、石塚の足元から青い光が放たれる。後ろに飛びのいて避けるのと、道路がまるで地震の時のようにボコッと
隆起して割れるのは、ほぼ同時だった。
「ぐっ……!」
右手にぬるりとした感触。見ると、手の甲が爆破で飛んできた破片で裂けたのか、斜めに切れて血が滲んでいた。
布で血の流れをせき止めようとするが、あっという間にパーカーの裾が真っ赤に染まる。
「……ははっ、どうよ俺の石は?……まだ終わりじゃねえぞ、俺を襲った分は倍にして返してやる!」
すっかり逆上した男は一歩ずつ近づきながら、コーヒー缶を振り回す。
点呼のように吹かれる指笛が響くたびに、予測不可能な箇所から爆発がおこった。石塚も避けながら狙撃するが、
元々素人なところに持ってきて、動いている的を狙い撃つのは難しく、まったく見当はずれの場所に当たる。

818Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:13:45
(やばい、このままじゃいずれ直撃だ。
 ……弾切れまで待つってのもアリだけど、どうせストックあるんだろうしな……)
石塚は電柱の影に隠れて、苦手な思案を巡らせる。ふと、右手の指先からぽた、ぽたとこぼれ落ちる鮮血が目に入った。
胸に手を当てて、激しく脈打つ心臓を抑える。何回か深呼吸すると、覚悟が決まった。
「おい、逃げてんじゃねえぞ!」
男はすっかり勝利を確信したらしく、強気に煽った。言われた通り電柱の影から石塚が出てくると、にんまり笑う。
石塚が歩き出すのと同時に、男もコーヒー缶を振るった。残り少ない中身が全てパーカーの前身頃にかかる。
「ピッ」と鋭い指笛が鳴る。しかし、青い放射光は出なかった。
「なんだと!?」
男が驚きの声をあげる。同時に、銃声に似た音が響いた。
ほぼゼロ距離からの弾丸が、男の腹に深くめりこむ。あまりの圧迫感に、男は呼吸もできず立ち尽くした。
石塚の指がゆっくりと下ろされると、腹を抑えて短く息を吐く。
「ぅ、ぐ……」
服にじわりと血が滲んで、内部から痛みが波のように押しよせる。
石塚は地面に倒れこんだ男のジャケットを探った。案の定、胸ポケットからブレスレットに加工された宝石が出てくる。
立ち上がると、「待……て……」と弱々しい声が引き止めた。
「お前……なんで……何を、仕込んでやがった……」
石塚は無言で、着ているパーカーを指さした。点々とついた染みは、夕暮れの薄暗い光に慣れた目に、ゆっくりと本来の色を教えた。
「……はっ、そういうことかよ」
ぱっくり裂けた右手の傷口とその赤い染みを見くらべて、男は自嘲気味に笑った。
男の笑いは、石塚の姿が路地の向こうに消えた後も、しばらく止む事はなかった。


収録終わりでいい気分だったので、夕暮れを見ながら散歩して帰ろうと思ったのがよくなかった。
のんびり歩いているうちに、空気にただならぬ気配が混ざる。それは、つい5、6年前まで当たり前に感じていた……そして
最近ふたたび感じるようになった気配。黒ユニットの人力舎白掃討作戦が失敗したのは聞いていたが、それにしても
この頃の黒はまたなりふり構わないようになった。
「……ここからが本番、ってか?」
第六感が激しく打ち鳴らしていた警告を無視して、深沢は走りだした。中年を間近に控えた体に全力疾走はいささかきついが、
構わず走り続ける。すると、人気のない路地裏から断続的な爆発音が聞こえてきた。
爆発で舞い上がったコンクリート片からとっさに顔を庇うと、パンッと乾いた音が響き渡る。
恐る恐る顔を上げると、金髪の男が地面に倒れていた。もう一人……フードを目深にかぶった男が、倒れた体を乗り越えて
こちらに歩いてくる。あわてて公園に入ると、草むらに隠れて男の顔をうかがった。
パーカーの男は、奪った石をポケットに入れて、あたりをきょろきょろと落ち着きなく見回した。
やがて人の気配がないのを確認した男は、フードに手をかけ一気に脱ぐ。
「……ッ!?」
深沢は驚きのあまり、息を呑んだ。
フードの下から現れたのは、自分もよく知っている……いや、だからこそ最も『黒』だと信じられない人間だった。
「石塚?」
呟きはほとんど吐息となって、消えていく。
むしろ相方の石井の方が、いまいち腹の中が読めない部分があり、黒だと言われてもあまり違和感がないように思える。
普段は冷静で知的な雰囲気の男。ドラマでも同じような役どころの多い石井だが、自分で書いたコントの登場人物になると、
たまに、お芝居だと分かっているこちらでもぎょっとするような狂気を放つ事があるからだ。
(やっぱり、あの合理的な石井が黒に与するってのは考えにくい。
 それに、アリキリの二人とも黒だっていうなら、石井が一緒にいないのはもっとおかしい。
 つまり……石塚の方だけが……一番ありえないパターンじゃねえか)

819Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:14:12
しかし、石塚からは黒の芸人特有の禍々しさはあまり感じられない。まだ仲間になって日が浅いのか、黒ユニットのやり方にも
慣れていないようだ。石塚が足早に立ち去った後も、深沢はしばらく立ち上がれなかった。額に手を当てて、低く呻く。
「……だめだ、あいつは黒になんか入れちゃいけない。……なんとかしてやらないと」
深沢は立ち上がり、ズボンについた砂埃をはらう。それから、まずは救急車を呼ぼうと公園の電話ボックスに走る。
「もしもし……はい、救急です」
手短に通話を終えると、受話器を戻す。がちゃんとやけに大きな音がして、年甲斐もなく心臓が跳ねた。
狭い電話ボックスを出ると、ため息をついて髪をかきあげる。東にも知らせたほうがいいかと考えたが、
東もあれでなかなか、すぐに熱くなる江戸っ子気質の持ち主だ。逆上してますます状況を悪化させかねない。
「あー、なんで俺がこんな悩まなきゃいけねえんだよ!」
深沢は、次々に浮かぶ苦悩の種を振り払うように髪をかきむしった。
(逆に黒ユニットを利用してやるような、したたかな奴なら心配なかったんだけどな……
 石塚の性格じゃ、気づいたら泥沼にはまっちまうのがオチだ)
ベンチに座って考える。救急車のサイレンが近づいてきて、公園の近くで止まった。中から救急隊員がばらばらと降りてきて、
路地に倒れた男を担架に乗せている。深沢は背もたれに体を預けて空を見上げると、降って湧いた厄介事にため息をついた。
「さて、これからどうしようか……」
橙色の夕暮れは、いつの間にか雨雲が浮かぶ仄暗い青に変わっていた。


翌朝。疲労のあまり、帰りつくなりベッドに倒れこんで寝ていた石塚は、
薬指の皮膚に、歯を立てられているような鋭い痛みを感じて目を覚ました。頭も痛い。おまけにまた手が小刻みに震えている。
おまけに昨日殴られた頬が腫れて熱をもっている。氷袋を当てて冷やすが、黒ユニットに労災があるのかどうかが気になった。
『それで今日一日は保つだろ』
大竹の言葉が思い出された。あんな少量の欠片を飲むのでもあんなに苦労したのに、一体どれだけ飲めばこの症状は治まるのか。
考えるだけで憂鬱な気分だ。そういえば、稽古場にコートを忘れてきた。
「もしかして、毎日飲まなきゃダメとか?……嫌だなあ」
通話履歴を確認するが、設楽からの着信はない。一応命令どおりに石は奪ってきたが、なんのアクションもないというのは
逆に不気味で恐ろしいような気もする。そこまで考えたところで、薬指の痛みが再び盛り返してきた。
「いって……何なんだよこれ、呪いの指輪かよ!」
起き上がって外そうとするが、なぜかがっちりと喰いこんで離れない。しまいには無理矢理ねじるようにして外す。
床に転がった指輪をテーブルに置くと、そこでケータイが鳴った。耳に当てると、かすかな引き笑いが聞こえる。
『よお石塚、そろそろ限界か?』
「……大竹さん」
『設楽から伝言だ。“明後日、黒ユニットの集会が開かれるから、地図の場所に来ること。あ、そうだ。
 今はたまたま黒の欠片のストックがないから、あと二日間頑張ってね”……だそうだ』
設楽の語り口を流暢に真似しながら伝えてくる。たまたまない、というのが嘘なのは石塚にも分かった。
ぎりぎりまで焦らして、堕ちてくるのを待っている。残酷なやり口だ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!じゃあ俺あと二日もこんな……」
『じゃあ、俺は忙しいから切るぞ。また明後日な』
「大竹さん!」
叫びも虚しく、通話は切られた。ケータイを放って、またベッドに倒れこむ。気休めと分かってはいるが、
頭痛薬を水なしで噛み砕く。まるで夢と現実を行き来しているような、ふわふわした感覚。
ちょっとでも気を抜くと、どす黒い思考に引っぱられそうになるのを、爪を噛んでこらえる。
「……怖いよ、石井さん」
石塚は体をぎゅっと丸めて、やり過ごすために目を閉じた。

820Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:15:02

それから二日間、仕事がなく丸々休みだったのは幸運だったと言えるかもしれない。
設楽がそれを知っていて欠片の処方を調節させたということも考えられるが、とにかく集会の日まで、
石塚は家から出ずにほとんどベッドの中で毛布をかぶって過ごした。禁断症状にも波があるのか、その日の朝は
弱い頭痛があるくらいで、手の震えもおさまっていた。
「もしかして、お前か?」
指先で摘んだプラチナルチルクォーツに話しかけてみる。期待したわけではなかったが、石は光りもしなかった。
薄情な石だ。石塚は出ようとして、テーブルに置きっぱなしだった熔錬水晶の指輪を見る。
「……お前とは、あんまり長く付き合いたくないな」
石塚は迷った末、指輪をポケットに突っこんで家を出た。

「おいっ、どうしたんだ、その怪我!」
稽古場に入って挨拶するなり、石井は血相を変えて飛んできた。頬の腫れは引いていたが、右手の傷口はまだ塞がっていない。
石井は(昨日傷口が開いたせいで)また赤く滲んだ包帯と相方を見くらべて、顔色を青くした。
「……まさか、黒に」
「ち、違うって!料理してたらうっかり手が滑っちゃって、それで……ザックリと」
二日間のうちに用意しておいた言い訳を話すと、石井は呆れ顔になった。
「なんだ、心配して損した……冗談だよ。君からは目が離せないな」
笑いながら、忘れていったサマーコートと、ホチキスで留められた台本を渡す。
「検閲、頼むよ。君が修正してくれないと始まらない」
「俺、今回は死にたくないなあ。グロい?」
「これでも抑えたつもりなんだけどね。どうも生まれついた性質っていうのは変わらないらしい。
 ……しっかりしてくれよ。君が僕の分まで明るくしてくれないとバランスがとれない」
石井が行ってしまうと、台本をめくる。
文字を書こうとした瞬間、痛みで指の力がゆるんだ。机に転がった赤ペンがやけに大きな音をたてたおかげで、
稽古をしていた後輩たちがぎょっと振り向く。
「バランス、か」
石塚は手を振って彼らを安心させると、そっとぎこちない動作で左手に持ち替えた。

地図を頼りに走るタクシーが泊まったのは、石塚の収入では一生縁がないであろう、神楽坂の一等地にある料亭の前だった。
驚く運転手に料金を払って降りる。タクシーが走り去ってしまうと、石塚はサマーコートのポケットに手を突っこんで
上品な佇まいの門構えを見上げた。六本木の帝王と呼ばれた元首相も、こんな場所で飲み食いしたのかと思いを馳せる。
「……黒って、どこからお金もらってんだろ」
門をくぐって、引き戸を開ける。すると目に飛び込んできたのは、つやつや光る檜の床や実に達筆な掛け軸などの調度。
「う、うわっ!なんだよこれ、いくらすんの!?」
自分のあまりの場違いぶりに、顔が真っ赤になる。やっぱり出ようかと踵を返しかけた瞬間、
「お待ちしておりました、石塚様」と抑揚のない声が背後から聞こえた。
「え?」
振り返ると、いつの間にいたのか、仲居が背筋をぴんと伸ばして立っている。顔はロボットのように無表情で、眉一つ動かさない。
「皆様、もうお見えになっております。あちらへ」
見ると、仲居の手は廊下の一番端にある座敷を示していた。
閉じた襖の前に行くと、中から「いいよ、入りな」と声がする。石塚はそっと襖に手をかけて開いた。

「ああ、ちゃんと来たんだ。どっかで迷子になってんのかと思ったよ」
設楽は言いながら、杯に口をつけて一気に飲み干した。
同期なだけに遠慮がない物言いだが、対する石塚はといえば、そこに広がる光景に驚きを通り越して恐怖を覚えていた。
長いテーブルに並んだ、刺身の盛り合わせや懐石料理、何本もの日本酒。席についているのは、若手から大物まで、
事務所も年齢も幅広い者達。何より恐ろしいのは、彼らのほとんどがにこりともせず、淡々と同じリズムで箸をつけて
料理を口に運んでいることだった。まるでそうしろとプログラミングされたような動作に、石塚は思わず一歩後ずさる。
「どしたの、遠慮せずに座んなよ。……ああ、もしかして和食苦手だった?
 じゃあ食べたいもの教えてよ、なんでも持ってきてやるから」
普段なら「設楽さんふとっぱら!」とでも言ってふざけるところだが、目が笑っていない。
(は、はやく座んないと……)
石塚は、なるべくはじっこの方に空いている席を探した。しかし、なぜかどこにもすでに先客がいる。
結局、上座で飲んでいる幹部三人のすぐ隣の座布団に腰を下ろすはめになった。
しかし、箸は取らずに周りを見回す。黒に少しでも味方になってくれそうな芸人はいるのか、知りたかった。

821Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:15:25
なぜかさまぁ〜ずの二人はいなかった。都合がつかなかったのかと思い直して、そっと向かいを見る。
(あ、あれ、猿岩石の。たしかほぼ同期だったような……)
有吉は退屈そうな顔で酒を飲んでいた。表情があるのに少し安心するが、口をきいた事もないのに声をかけられそうにない。
(その隣にいるのが、なんだっけ、いつもここから?一人しかいないけど……うわ、ネプチューンまでいる!)
堀内は石塚と目が合うと、なぜかしーっと指を唇に当てた。意味が分からず顔を背ける。
すると、もろに小林と目が合ってしまい、あわてて下を向く。
(……やばい、スゲー居心地わるい……)
やがて、小林が隣の設楽に何やら目配せした。

「……じゃあ、今日は転校生がいるからね。みんなに紹介しよっか」
設楽が手を叩くと、全員食べるのをやめて箸を置いた。
「知ってる人もいると思うけど、アリtoキリギリスの石塚義之くん。
 俺とは同期の桜だから、みんな仲良くしてやって」
ややふざけた挨拶に、まばらな拍手が起こった。石塚はとりあえず軽く会釈をする。
設楽は今度は石塚の方を向いて、飲め、というように杯を差し出した。
「歓迎するよ。本能に忠実な奴は嫌いじゃないからね。これはほんの挨拶代わりに」
口をつけるが、水を飲んでいるように味気ない。心なしか、設楽の声がいつもと違うような気がした。
「そういえば、さっきから一言も喋ってないよね。どうしたの?お前らしくないじゃん。
 慣れない場所で緊張してる?それとも……俺が怖い?」
「えっ……」
いきなり核心を突かれて、杯を取り落とす。幸い、下がやわらかい座布団だったおかげで割れなかった。
「お前の考えてることなんて手に取るように分かるよ。素直だし、感情がすぐ表に出る」
設楽は実に面白そうな笑みを浮かべて、落ちた杯を拾い上げた。
「お前は賢い選択をしたんだ。そうだろ?だって、お前はいつも不自由だったもんね」
「言ってる意味が……よく分かんないんだけど」
また酒が注がれ、石塚の前に杯が来る。
「お前は常に、周りの奴らが望む姿をモンタージュみたいに作って生きてるってことだよ。もっと言えば、
 いつも石井の言うとおりに動いてる。石井の背中の後ろに隠れて、おとぎ話のお姫様みたいに守られて。
 キャブラー大戦の時だって、そう……」

石塚はその単語が出た瞬間、杯をつかんで、設楽の頭から中身をぶちまけた。
その場がざわめく。幹部の設楽に楯突くなど、黒の芸人たちのほとんどが初めて目にする光景だった。
「もしかして、怒った?」
髪から日本酒の匂いのする水滴を滴らせ、設楽は引き笑いを漏らす。隣の小林も土田も、たった今起こった出来事に
驚愕の表情を浮かべていた。急に訪れた静寂に、石塚は杯を持ったまま、はっと気がついて狼狽え始めた。
「あ……ちが、これは……」
「何が違うの?お前今、すごい顔してるよ。よっぽど石井が弱点みたいだね。でも……なんの心当たりも
 なかったら、こんな事しないよね」
小林はそこで気づいた。さっきから設楽が紡いでいた挑発的な言葉は、すべてこの為にあったのだと。
設楽のポケットに入っているソーダライトが、布地の下で輝きを放つ。
同時に、石塚の目の前が真っ暗になった。頭の中に設楽の声が何重にもなって響く。

822Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:16:06
『人間の心っていうのは、常に二重構造になってる。嫌よ嫌よも好きのうちって言うだろ。
 どんなに優しいとか、いい人だって言われている奴でも、心のどこかに闇がある。
 そうだよ石塚、お前のことだよ。お前の中にだってあるはずなんだ。深く果てしない、闇が……』
あたりを見回しても、設楽の姿は見えない。声だけが意志を持ったように反響してくる。
『お前だって、一度は石井を憎んだことがあるんじゃないの?どうして自分だけ、って……いつも石井の
 影で、石井の背中ばかり見ている。そんな自分が嫌になったことがさ。
 闇を恐れちゃいけない。それを受け入れるんだ。その手助けを、俺がしてあげるから』
耳を塞いで、その場にうずくまる。その間も設楽の声は止まらない。
「やめろ!」
『でも、石井はお前を信頼している。それが苦しくてしかたないんでしょ?自分の中にある汚い感情を
 見られたくないんだ。でもその所為で、お前は嘘をついた』
「……まさか」
『俺はなんでも知ってるんだよ。石井が記憶を取り戻したことも、お前が石井を苦しめたくなくて嘘ついたことも。
 でもさ、気づかない?嘘をついた時点でお前はもう、石井を裏切ってるってこと』
「黙れ、黙れよ!!」

叫んだ途端、目の前が急に明るくなった。何かに締めつけられていたような感覚が解けて、呼吸が楽になる。
「……まぐれっていうのは、二度目はないんだよ」
設楽はソーダライトを指でなぞると、忌々しげに口を開きかけた。
「やめろ、設楽」
意外にも、土田から助け舟が出た。設楽の二の腕を掴んで、石の発動を止めるよう目で合図する。
「深追いは禁物だ。連続での説得は、精神に悪影響を及ぼす危険性がある。
 ……こいつは、石井を守るって点では迷いがないんだ。焦らずじっくりと、欠片を使って従わせたほうがいい」
後半の言葉は、設楽の耳元で囁かれたせいで石塚には聞こえなかった。小林も、開きっぱなしのノートと
設楽を見くらべて、ほっと安心したようなため息をつく。
「そうだね。小さなことから一つずつ、確実に……摘み取っていかないとね」
設楽は納得したのか、不穏な言葉と共にソーダライトをポケットにしまった。
代わりに取り出したのは、鋭角で構成された黒い鉱石の欠片。石塚の手がまたかすかに震えだすと、満足気に鼻を鳴らす。
指先でピンッと黒の欠片が弾かれる。畳の上に、黒の欠片が転がった。

「ご褒美。拾いなよ」

その言葉に、石塚は惨めな気分で欠片をつまみ上げる。手の中にそっと握りこんだまま、設楽を見た。
「ねえ、自分で拾って飲むってことはさ。黒ユニットに従ってくれるってことでいいんだよね?」
設楽は石塚の肩をポンポンと叩いた。これを飲まなければ、あの苦痛を味わい続けることになる。
だが、一時楽になる代わりに得られるのは、完全なる服従__。
「約束するよ。お前が黒のために働いてくれる限り、石井に手出しはしない。俺達は、運命共同体だ」
そう囁いた設楽の指に力がこもる。石塚は震える手で欠片を口に入れると、喉を鳴らして飲みこんだ。
心臓のあたりがすうっと冷えていく。小刻みに震えていた手を見つめる。すっかり震えはおさまって、体が軽くなっていた。
「ようこそ、黒ユニットへ!」
設楽の耳障りな笑い声が、不気味なほど静かな座敷に響き渡った。

◆◆◆◆◆◆◆◆

あの悪夢のような集会から一夜明けた昼。石塚は自宅のテーブルの上で作業をしていた。
「えーと、こっちのネジは……プラスドライバーで行けるかな?」
ネジを回して部品を外していく。けして不器用ではないと自負しているが、工作など小学生の時以来だ。
完全に補助に特化した自分の石では、相手の隙を作るか誘いこむ事しか出来ない。やはりどうあがいても
この熔錬水晶を使って撃つしかないのだが、指にはめると(錯覚かもしれないが)指が食いちぎられそうに痛む。
かといって指でつまんで撃つのも危なっかしい。となったところで石塚はひらめいた。

(モデルガンの中にこれを入れたら、撃てるんじゃねえの?)

部品の正体は、秋葉原で午前中のうちに買ってきたモデルガンだ。店員はこちらが初心者と分かると、銃に関するウンチクを、
上田のごとく盛大にしゃべりまくったが、使えさえすればそれでいいと思っていたので、聞いていなかった。
「あ、ここが弾倉か。じゃあ……ここに、入れれば……よし、入った」
銃身を開いて、中に熔錬水晶の指輪を入れて固定する。サイズを測ったのがよかったのか、ぴったりだった。
しかし素人仕事が災いしたのか、ハンドガンの形に戻せたのは日が暮れてからだった……

823Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:16:56
さすがに家の中で練習するわけにも行かないので、ご近所が寝静まったのを見計らって外に出る。
大竹いわく、この熔錬水晶は「石としてのパワーはそこまで強くない」という。ただ、この前一度だけ使った限りにおいては
普通の拳銃より弱いが十分に殺傷能力はあるらしい。目をつけておいた廃ビルに着くと、
入り口に張り巡らされたイエローテープを引きちぎって中に入る。空き缶を横一列に並べると、足元に注意して後ろに下がった。
10メートルほど離れたところで、安全装置を外して刑事ドラマのように両手で構える。
(石井さんも、小道具で持ったことあんのかな)
深く息を吸って、吐く。鼓動が落ち着くのを待って、引き金に人さし指をかけた。
パンッと乾いた音が、空気を切り裂く。光の弾丸は空き缶をかすめて、後ろのひび割れた壁に小さな穴を開けた。
「……俺がやるしかないんだ」
気を取り直して再び構える。
続けざまに五発撃ったが、初心者が簡単に当てられるほど甘くはなかった。
「もう一回!」
狙いを定めて引き金を引く。今度は見事に命中した。弾を受けたアルミ缶は空中でぐしゃっとへこんで、カラカラと床を転がった。

「危ない!!」
スタッフの誰かが叫ぶ。石井は反射的に飛び退く。直後、上から大きな撮影用のライトが落ちてきた。
床に叩きつけられた勢いで、ガラスレンズが割れて外れたネジが飛び散る。突然の出来事に、さすがの石井も足から力が抜けた。
「石井さん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……怪我はないから、平気だ」
なんとか立ち上がり、衣装についたホコリを払う。向こうで撮影係の若いスタッフが監督に怒鳴られていた。
「ったく、いくら撮影が真夜中までかかってるって言ったってなあ。安全第一って言葉知らねえのかお前は!」
「す、すいません!でも……俺、本当に確認したんですけど、さっきはこのコード切れてなかったんですよ!」
「ああ?こんなん落として誰が得するってんだ、さっさと片付けろ!」
高い機材がオシャカになった悲しみからか、監督はさっさと行ってしまった。
石井は片付けをするスタッフたちをぼんやり見ながら、考えていた。
(いや、いるんだ。これを落とす理由のある組織が、一つだけ……)
石井は無意識のうちに、手の中の石を握りしめていた。

「石井さん、おはよ!」
後ろからどんっと重いものがのしかかってくる。
その正体であるところの相方を面倒くさそうにどけて、石井は呆れ顔で振り返った。
「……石塚くん。僕は昨日三時間しか寝ていないんだ」
理由はそれだけではない。なにせ一歩間違えれば大怪我をするところだったのだから、
一夜明けても神経の昂りが収まらないのは当然のことだった。
「……ごめん」
「いや、君が謝ることはない。撮影は終わったからね。君の方こそどう?」
「うん、一応ダメそうなとこには赤線引いといたよ」
台本を受け取り、歩きながらめくる。一ページ目からすでに真っ赤だ。
(……やっぱり、僕は疲れているのかな)
石井のネタは、精神状態が大きく反映される。幸せな気分の時には平和だが、ストレスが多かった時のネタは
高い確率で人が死んだり、酷い目にあったりする。そこに石の闘いという新たなストレスが加わった今、
ネタ見せを通る確率はどれだけ下がったのか、考えるだけでも憂鬱な気分だった。
「……ん?」
石井はふと顔を上げた。前を歩いている石塚から、何か嫌な気配がする。それはぼんやりと形を持っていないが、
濁り、もしくは淀みと表現するのが適切な気がするもの。いずれにせよ、目の前の人間がまとうにしては
不自然な気配に、石井は相方の手を取って振り向かせた。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
振り返った石塚からは、さっきまでの負の気配は完全に消えていた。間違いかと思い直し、手を離す。
「どしたの?石井さん、なんか今日変だよ」
「……そう、そうだな……君を疑うなんて……普段なら絶対にありえないはずなんだ」
頭を振って打ち消す。石塚は相変わらず困ったように笑っていた。
「じゃあ、早く行こうよ」
「あ、ああ……そうだね」
この時、何故もっと厳しく問いつめなかったのか。
後に石井はこの日のことを激しく後悔することになるが、それはまだ先の話。

824Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/07(土) 19:27:36
金髪の男の能力を投下しておくの忘れていました。代償は出せなかったけれど、
必ず火傷するという点では痛いかもしれない。

【金髪の男(名前不明)】
【石】不明
【能力】コーヒーを媒介として、物質を爆破する。転送系の能力の一つ。
【条件】転送したい場所にコーヒーを落とした後、指笛を鳴らす。
    口笛では不可、またきちんと音が出ないと爆破できない。
【代償】熱いコーヒーを冷まさずに飲む。飲む量は爆破に使った量と比例する。

825Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/14(土) 21:45:04
今しかいいタイミングはないだろうと思うので、
森脇さん復帰の記事見て息抜きに書き殴った、元猿岩石の短い文を投下してみます。
私しか喜んでないのかもしれないと思いつつ。そして例によって時系列はガン無視状態。多分続かない。

『Roadless road』

廊下の角を曲がったところで、懐かしい顔に突き当たった。
一見すると普通のサラリーマンにしか見えないような平凡な顔の、だが6歳の頃から見ているせいで
すっかり覚えてしまった風貌の男。彼は行き違うスタッフを流れるように避けて、有吉の方に歩いてくる。
すれ違ったところで、無視して通りすぎようとした有吉の手首をつかみ、自分の方へ引きよせた。
「……お前とは、火事と葬式以外は不干渉って決めてんだよ」
最初に出た言葉はひさしぶり、でも元気か、でもない憎まれ口。
「村八分かよ!せめてそこに年賀状くらいは入れろよ!まあ、俺もそのほうが自然な形だと思うけどな」
森脇は顔の下半分だけを笑顔にして「はははっ」と心のこもっていない笑い声を聞かせた。
「お前がこの後次の収録まで20分の休憩があるのは調査済み。ついでに、今夜は予定がないのも知ってる。
 独身貴族のお前に帰りを待つ家族なんていないだろ?だったらさ」
自販機横のゴミ箱に腰を下ろして、足先を軽く組ませる。貼りついたような笑顔を崩さないまま、森脇は続けた。
「俺と思い出話する時間くらいあんだろ?」
「……お前とお喋りなんかしたって」
やっぱり行ってしまおう。そう思って歩き出した有吉の体は、次に弾き出された一言で、根が生えたように止まった。

「忘れ物、とりにきた」

振り返ると、森脇は自販機のボタンを戯れにいじりながら、じっと有吉を見つめている。
「……俺か?」
とりあえず、一緒にいた頃のようにボケてみた。全くウケずにダメ出しばかり貰っていた過去は棚に上げて。
「かっこよく言うんだったら、失われた半身、ってやつ?」
森脇が立ち上がり、また近づいてくる。有吉が半歩離れれば、それにかぶせるように一歩、一歩と距離を詰めてくる。
気がつくと、背中に壁がついていた。有吉の顔のすぐ近くに森脇の拳が叩きつけられる。大きな音がして、思わず体が跳ねた。
ああ、これが最近流行りのの壁ドンってやつかと考える間もなく、詰問が始まる。
「まだ、持ってんだろ?俺がお前にやった“身元保証書”」
「あれを取り返してどうする気だよ。お前もう芸人じゃねえんだぞ、どうせ使えねえだろ」
「使えるか使えないか、そういう問題じゃねえんだな、これが。
 ……真鍮に新しい持ち主が出てないのも知ってる」
「どうやって調べたんだ」
「分かるんだよ、どんなに隠してたって、真実が分かれば後は俺の領域だ。忘れたとは言わせねえかんな」
「勝手に一抜けしたのはお前だろ!」
予想に反して、森脇はひるまなかった。代わりに笑みを消して、失望したような表情になる。
「あの真鍮だって……俺がいなけりゃ、ただの石ころだったじゃねえか」
「お前にあいつの何が分かんだよ!!」
まるで恋人を嘲られた男のように叫んだ後、大声で人が来るとまずいのか、はっと口元に手を当てて有吉から離れる。
「……バカじゃねえの、お前まだ真鍮のこと」
「あのまま俺が持ってたって、いつかは手放すことになってたとは思う。
 でも、あそこであいつを離すべきじゃなかった」
今度は森脇のほうが背中を向ける番だった。壁からゆっくりと離れた有吉に、顔だけ向けて忘れていたように聞く。
「お前、イーグルアイの声……聞いたことあっか」
「いや」
「じゃあ、俺の勝ちだ」
わけの分からない捨てぜりふを残して、今度は軽やかな足どりで去っていく。有吉は元相方の背中を見送って首をひねった。
「あいつ、何する気だ?」

826Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/15(日) 22:56:24
タイトル変わりますが、続き。
プラン9とロザンの動きをすこし意識している展開。そして多角型、特化型の名称は勝手に呼ばせただけですので、
これから書きたい方は無視してくださっても大丈夫です。能力スレの>>817さんによると道をつけ加えたりは可能のようですが
元々あったものを消したりとかは不可能と思って書いてました。吉田が二人いるので文章がめんどい。

【Deep down inside of me-1-】

「人間は、大地がないと立っていられない」
設楽は壁一面に貼られた写真の中から一枚とって、心底愉快そうに歯を見せて笑った。
「まずは足場を踏み慣らして固めるんだ。新しい道を作って歩くのはそれからでいい」
座ってノートを読んでいた小林は、その言葉に顔を上げて伊達眼鏡を外した。
設楽が幹部の自分相手に抽象的な言葉を使ってはぐらかすのは珍しい。彼流の謎かけと理解して、口を開く。
「……人力舎の殲滅作戦は失敗しましたからね。ホリプロ内での黒勢力を盤石なものにする方が、戦略的にはいいでしょう。
 その為に、彼というジョーカーが不可欠になる」
「いうなれば、秘密警察だね。邪魔者を消すまでは求めてない。俺が欲しいのは白の情報だ」
「なるほど。しかし、あの性格を見た限りでは密偵に向いているとは思えませんが」
設楽がふん、と鼻を鳴らす。その態度に、小林は自分が失言したことを悟った。
「どのみち、時間をかけるつもりはない。あいつが使えなくなる前に、ホリプロは俺の支配下になる。
 あそこを抑えてしまえば白の勢力は半減したも同然さ。いくら人力舎の奴らが抵抗したって、
 向こうにも“撒き餌”を仕掛けてあるんだから」
「油断は禁物ですよ。下手に突くと何が出てくるやら」
「分かってるさ。だから小さな綻びを一つずつ、解いていこうって言うんだ」
小林は立ち上がり、設楽の隣りに並んだ。ピンで留められた写真たちの中心にある石塚の宣材写真を、ペン先で軽く突く。
「ここまではシナリオ通りだ。嬉しいだろ?」
「いいえ……俺のシナリオは常に書き変わりますから、安心はできませんよ。
 誰かのアドリブで、照明の当たる方向が違うだけで、こちらも全く予想しない方向に動いてしまう」
「肝に銘じておくよ。号泣との一件ですっかり懲りたからね、これからはシナリオを狂わせるような行動は控えるよ」
力を込めて言うと、小林がほっとしたのが、気配でも分かった。定期的に機嫌をとっておこうというわけではないが、
この男にへそを曲げられると色々とわずらわしいのも、また事実だ。
「では、また今度」
小林は壁から離れて、ノートと筆記用具をかばんに放り込む。部屋を出ていこうとドアに手をかけたまま、思い出したように振り返った。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「うん、好きにしなよ」
「あなたはいつか言いましたね。黒ユニットのメンバーは、大切な仲間か、使える道具かに分かれると。
 なら……あなたにとって石塚君は、道具と仲間、どちらなんですか」
設楽はそれには答えず、また指を後ろ手に組んで写真を眺めた。円形に貼られた写真、そのうち白に協力する者にはバツ印がついている。
小林が出て行ってしまうと、ゆっくりと手を伸ばした。中でも真っ赤なバツがついた者の写真を、爪でカリカリとひっかく。
どこで撮ったのか、小沢のニヤケ顔の上に爪を立てて、唸るように呟いた。
「……ヒーローごっこは終わりだ」
そのままぐしゃりと握りつぶして、スピードワゴンの二人の写真を壁から引き剥がす。
「嵐になるよ、これから」

◆◆◆◆◆◆◆

時計の針は「カチッ」とやけに大きな音を響かせて、21の数字を打った。初夏の涼しい風が吹き抜ける屋上に、三人の男が立っている。
その中の一人、石塚は小さな箱を開けて、名刺を一枚取り出す。肩書きは『アリキリ商事株式会社 営業主任』
ボキャ天時代に作った懐かしい名刺だ。石塚はフードを下ろして石を発動しようとして、止まった。
「見んなよ」
視線を感じる、振り向く、二人が目をそらす。さっきからこの繰り返しだ。
「見んなって、恥ずかしいから」
そう言うと、阿部は両手で目を覆った。が、指の隙間からじぃ……とやや陰気な目つきで見ている。
「だから、終わるまでどっか行ってろって!」
石塚はシッシッと手で払う仕草をした。その様子に、阿部の隣でナイフを研いでいた吉田が腕時計を見て短く息を吐く。
「ていうか、なんか普通に喋っちゃってるけど……お前ら誰?」
「え、いまさら!?」
それまでずっとローテンションだった阿部が、そこで初めて素で驚きの声をあげた。
「ここに来るまでに聞かないから、てっきり知ってるもんだと……」

827Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/15(日) 22:56:51
阿部は長い前髪をかきあげて、相方と顔を見合わせた。しばらく「お前が言えよ」「いいやお前が」と
ダチョウ倶楽部のような譲り合いをした後、吉田が言うことに決まったのか、軽い咳払いをする。
「俺は吉田大吾と申します。で、こっちが」
「どうもー、相方の阿部智則です」
「「二人合わせて、ポイズンガールバンドです、よろしくお願いしまーす」」
漫才の最初の挨拶のように、声を合わせて頭を下げてくる。
「よ、よろしく……」
とりあえずこちらもお辞儀をした。黒ユニットの戦闘員というともっと怖い印象だったが、思いの外普通なので、
石塚は逆にどう扱えばいいのか分からなくなってしまった。
「で、なんで俺達がここにいるかっていいますと、それはずばり石塚さんのお手伝いです」
阿部はなぜか少し胸を張って言う。
「ぶっちゃけ、今回の相手は石塚さん一人じゃ無理なんですよ。と、いうのもですね」
「意志が強い。去年、黒の石に汚染されましたが、仲間の助けもあって自力で立ち直っているんです」
「あ、俺の台詞とんなよ!……とにかく、ターゲットは今ピンの仕事で仲間から離れて東京に来てる。
 今までも大阪に潜んでいる黒の芸人がアプローチをかけてましたが、全部退けてきました。
 ここでもう一度黒に染めて大阪に送り返せば、大阪の白勢力を内側から崩す鍵になるってわけです」
「で、その人の名前は?」
聞くと、吉田の表情がわずかに曇ったが、すぐに元の静かな顔に戻って答える。
「浅越ゴエ。73年生まれの吉本NSC16期で、ザ・プラン9のメンバーの一人。
 石の能力は、阿部と同じ回復。ただ、阿部の場合は使い道が分かれる“多角型”
 浅越さんの場合は身体的ダメージの回復を極めた“特化型”とでも言ったほうがいいですかね」
「んー、回復しかできないんなら前から行ってもいいんじゃないの?」
「浅越さん一人でしたら、俺達が出てくることもありませんでしたよ」
吉田は意味深な言葉と共に、再び腕時計を見た。
「シナリオによると、あと5分です……早くしてくれますか」
「分かった、やるよ。やればいいんだろ!」
半ばキレながら、石塚は名刺を空に掲げ叫んだ。

「千の地図を持つ男、チズ.マスカラス!!……はずかしぃ……」

瞬間、ぱあっと名刺から眩い光が放たれ、それは大きな地図に変わる。建物から小さな道路に至るまで、
周辺の地形が精密に映しだされた白地図が、ふわりと目の前に舞い降りた。
「できた……ほんとに出た!」
この能力は今日が初お目見えなので心配していたが、無事に発動できた。
ほっと胸をなでおろすと、阿部が「ブラボー」と棒読みで言いながら拍手した。
石塚は地図を地面に広げて、風で飛ばないよう膝頭で抑えると、ポケットからボールペンを取り出す。
「来ました……やっぱり、ブラマヨさんも一緒だ」
吉田はひどく冷静な声音で呟くが、対する石塚はといえば、早速本領発揮とばかりにテンパり始めた。
「えぇー、聞いてねえよそれ!」
「さっきちゃんと言ったじゃないですか」
「どこで!?……ああもう、俺頭使うの苦手なのに!」
「俺達はブラマヨさんを足止めします。まずは、なんとかあの三人を引き離して下さい」
言うなり吉田は阿部をともない、屋上のドアを開けて階段を走り降りていく。
「引き離す……って、どうやって?」
石塚は前髪をぐしゃっと握りしめて、ボールペンをノックした。そっと白地図にペン先を乗せて、
元々あった道と区別するために赤いラインを引いていく。その間に眼下の通りに出た二人は、
ほろ酔い気分で歩いていた浅越と、鼻歌交じりの千鳥足で後に続いていたブラマヨの行く手を塞ぐように立つ。
「お久しぶりです、浅越さん」
「……吉田」
浅越は足を止めてずれていた眼鏡を直した。
「俺達と少し遊びませんか。酔い覚ましも兼ねて」
言うなり吉田は、鋭いナイフの刃先を手のひらに突き立てた。傷口から鮮血が赤い玉になって迸る。
その光景に、浅越は「うっ」と口元を抑えてたじろいだ。
パキパキと氷が割れるような音をたてて、血液が片手剣を形作っていく。赤黒い剣の切っ先が、浅越に狙いを定めた。
「ワンラウンドでどうですか」
浅越が答える前に、ブラマヨの二人が前に走り出る。吉田がブレスレットの石を握りしめて叫んだ。
「吉田!“もしお前の頭の上に電柱が倒れてきたらどうすんねん!!”」

828Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/15(日) 22:57:15
言われた瞬間、吉田は雷に打たれたように固まった。相変わらずのポーカーフェイスだが、
額からは玉のような汗が転がり落ちる。空を見上げて、剣を持っていない方の手を顔にかざした。
「よし、かかったッ……」
前衛の吉田を封じてしまえば、回復系の阿部には何もできない。吉田がそう思ったのもつかの間、ピリッと空気が震えた。
「__はあ?」
小杉も思わず間の抜けた声をあげた。邪魔にならないよう後ろに下がっていた浅越と自分たちの間に、
何もない場所から現れた丸い光の玉が、集約して形を帯びる。やがてそれは、大きなビルとなってそびえたつ。
「おっ、おい、お前ら何した!このビルどっから持ってきてん!」
小杉がつばを飛ばして叫ぶ。阿部は答えず、ほー、と感嘆するような声を喉から出してビルを見上げた。
吉田もぺたぺたと触ってみるが、硬質の感触が、たしかに幻影ではないと教える。
道路を寸断するように立ち塞がるビル。デザインはごく普通の鉄筋コンクリート5階建て。しかしちょうど
浅越とブラマヨを寸断するように建っているせいで、彼らは引き離されてしまった。
「くそ、こいつっ……浅越、お前なんとかこっち来い!」
「む、無理ですよ!ちょうど道路を塞いでて、通れないんです!」
「裏道通ってこい!」
小杉は最後に腹立ちまぎれからか、ガンッと壁面を蹴飛ばす。
が、しっかり質量を持っているビルは衝撃と共に鈍い痺れを足の甲に伝えた。
「いってえ!!」
「アホか……」
足を抑えてのたうち回る相方を、呆れ顔で見下ろす吉田。直後、吉田の頭上でメリメリと音がした。
はっと見上げる。根本から折れた電柱が、電線を揺さぶりながら彼の上にゆっくりと倒れてくる。
「う、うわあああ!!に、逃げな……」
腰を抜かして悲鳴をあげる吉田の前で、幻覚の効果が切れたのか、もう一人の吉田も首をこきりと鳴らして剣を構え直す。
「……あなた達の相手は、俺です」
なんとか起き上がった小杉がその言葉の意味するところを悟った瞬間、吉田は地面を蹴っていた。

◆◆◆◆◆◆◆◆

「裏道通ってこい!!」
小杉の叫びが終わるか終わらないかのうちに、浅越も踵を返して走りだしていた。
角を曲がって、初めて来た場所で分かりづらい小路を必死に見回す。
(そうだ、俺も回復で援護せんと。吉田とやり合って無傷で済んだ奴なんておらん!)
やがて、右左に分かれた路地に出た。直感で左を選ぶ。見たところ小杉たちのいる通りに近そうだったからだ。しかし……
「……嘘やろ、行き止まりって」
目の前にはそびえ立つ壁。しかし、向こう側から吉田の怒鳴り声や、血の鞭がしなる音が聞こえてくる。
「ちゅう事は……これ、さっきの?」
元来た道に戻ろうと踵を返す。その時、こちらに近づいてくるかすかな足音が耳に届く。
「……!」
薄暗い影の落ちる狭い路地に現れたのは、サイズが少し大きいサマーコートを着た男。フードをかぶっていて、顔は見えない。
「さっきのはお前か」
男は答えない。代わりにだらんと下げていた右腕をゆっくりと伸ばす。長い袖に隠れていた手に握られていたのは、
銀色に光る小さなモデルガンだった。
「吉本か?……大阪か?」
その質問には首を横に振った。そこで自分の情報を与えてしまったことに気づいたのか、顔が見えなくても分かるほど
わたわたと慌てはじめる。その仕草に、浅越は敵ながら心配になってしまった。
(……こいつ黒のくせに、えらいボケた奴やなあ……こんなんでやっていけとるんか?)
男はモデルガンを持ったまま、その場でおろおろしていたが、やがて自分の任務を思い出したらしい。
安全装置を親指で外して、両手に持って構えた。銃口を向けられ一瞬たじろぐが、よく考えれば実弾が出るはずはないのだ。
後ろは行き止まり、前には敵。逃げられない状況でするべきことはただ一つ。浅越は銃口と自分を結ぶ直線上から、
わずかに体をずらして口を開いた。
「なあ、一旦落ち着いて話しあおうや。お前がどういう理由で黒におるかは知らんけどな」
両手を上げて、闘う意志はないとアピールする。どうやら相手も闘いは苦手のようなので、
話しながら少しずつ前進していく。
「俺もな、ほんの短い間やったけど……黒に行きかけたことがある。仲間にたくさん迷惑かけて、お互い傷ついて……
 それでもなんとか、こうやって楽しく酒飲めるようになったんや。なあ、黒におったってそんな楽しいことできるか?
 お前かて、相方がおるんなら……俺の言いたいこと、分かるやろ」
相方、の言葉に男は少し動揺した。

829Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/15(日) 22:57:35
「俺は大阪やし、事務所もちゃうけど、お前の手助けにはなれると思う。俺みたいな想いは誰にもして欲しくないから。
 もし、お前が黒から本気で逃げ出したいって思うんやったら……」
いつの間にか、距離は一メートル弱にまで縮まっていた。浅越は足を止めて、最後の言葉を放つ。

「顔、見せてくれ」

わずかな、静寂。男__石塚は震える手をフードにかけて……そのままの体勢で、止まった。
「……もっと早く、会えてたら」
つぶやきの意味を問う前に、引き金にかかった指が動く。パンッと軽い衝撃音が響いた。同時に肩のあたりを襲う熱。
「うっ」
えぐりとられるような痛みに、肩を抑えてその場にうずくまる。指の間からぬるりと血が流れた。骨が軋む感覚と共に、
肩から指先に至るまでの範囲がびりびりと電流を流したみたいに痺れていく。
「くっ……゛い、つぅ……!」
肩の傷口を手で抑えたまま、傷を癒やす。やわらかな光が広がり、痛覚が徐々に遠ざかっていく。
いくら治せると言っても痛みを感じないわけではない。脂汗をぬぐいながら立ち上がると、すぐ目の前に銃口があった。
見下される体勢になったおかげで、フードに隠れていた顔が見えたが、真っ黒い影がかかって顔立ちまでは分からない。
「お前……」
もう一発、銃声が響いた。腹筋に叩きこまれた光の弾は、浅越の呼吸を一瞬せき止める。
「かはっ……!ゲホ、げほっ……う、ぅ……」
地面に倒れて激しく咳き込む浅越の胸ポケットから、天青石のストラップがついたケータイが抜き取られる。
青い結晶が徐々に黒く染められていく。終わると、石塚はケータイをそっと浅越の手に握らせた。
石塚が壁に手をつくと、行き止まりを作っていた建物の壁が、テレビ画面にノイズが雑じるようにぶれて消えて行く。

「浅越!」
吉田の一閃を分厚い脂肪のおかげでなんとか退けた小杉が、倒れている浅越に駆け寄ってくる。
そこで浅越のそばに立っている石塚に気づき、みるみるうちに額に血管が浮き上がった。
「お前……そうか、お前ら最初から浅越狙いか」
怒りをにじませた小杉の声音に、石塚はまたびくっと怯えて後ずさる。
「顔も見せんで騙し討か。卑怯な戦法やな」
卑怯、の一言は、氷のように石塚の心臓に突き刺さった。この状況を表すにはたしかに的確な一言。
石塚はぎゅっと拳を握りしめて、またゆっくりと開いた。心のどこかで黒の欠片が、自分の声を真似て囁く声がする。

『お前に何が分かんだよ、運がよかっただけのくせに』『正義ぶりやがって、ヒーロー気取りか』『黙れハゲ』
『その髪の毛引きちぎられてえのか』『跪け』『つまんねー説教する気かこいつ』『他にやることねえのかよ、サミシー奴らだな』

頭を振って、幾重にも響く声を黙らせた。
「……そっか、そうだね」
あっさり肯定されたのが意外だったのか、今度は小杉のほうが驚く。その後ろで阿部が「あまり喋らないで」と首を横に振るのが見えたが、
このまま終わるのは何となく後味が悪かった。吉田は剣を下ろして地面に突き立て様子をうかがっている。
「お前、やっぱり」
「やっぱり、何?」
「黒なんか……居心地よくないんやろ、ほんまはお前、こんな事したないんやろ!
 なあ、お前の名前教えろや、お前が誰か分かったら、俺の石で迷いを取り除けるから」
「はあ?」
思わずフードを脱ぎたくなったが、それだけはこらえる。心の中の黒と白の天秤が、バランスを失って一気に黒に振りきれた。
ポケットの中のプラチナルチルの光が、どんどん弱まっていく。石塚は思わず笑い出していた。
「小杉、お前さあ。何言い出すかと思えば、いい年こいて正義のヒーローごっこ?
 “ほんまはお前、こんな事したないんやろ!”……あはははっ、ははっ……マジ腹痛い!」
比喩ではなく、腹を抱えて笑う。突然雰囲気が変わった敵に、ブラマヨの二人はどうすればいいのか分からず顔を見合わせる。
「それが何?」
笑いを止めて、逆に石塚のほうが問いかける。右手の銃口は、今度はブラマヨの方に向けて照準を合わせた。
「俺を助けようって思ってる?逆に俺はさ、お前らなんかぶっちゃけどうでもいいんだよね。仲良くもないし。
 ……だから、俺とおしゃべりする前に浅越さんなんとかしたら?」
「こいつっ……!!」
ついに、小杉の沸点が切れた。しかし、怒りのまま殴りかかろうとした小杉の足元を、何かが通りすぎる。
「お、おっ!?」
足がもつれてすてーんと転んだ小杉を、電柱の陰から走り出た男が助け起こす。
「大丈夫か!」
「……う、誰や!また黒の援軍……って、まさか」
顔から地面にぶっ倒れたせいで赤くなった鼻をおさえて、小杉は立ち上がった。

830Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/15(日) 22:57:55
自分をすっ転ばせた男……Take2の深沢邦之。その足元には光に包まれたボウリングの玉のような物体がある。
深沢がそれを拾うと、球に見えていたのはただの赤いガムボールだった。突然の闖入者に驚くブラマヨの二人を下がらせ、
「悪い。俺は黒じゃないんだがな」と頭を下げる。
「えっ……いや、深沢さん、なんで俺達の方を」
「頼む、あいつと話がしたいんだ。……ここは、俺の顔に免じて下がってくれないか。
 俺はあいつの正体も知ってるし、長い付き合いなんでな」
まだ納得のいかないらしい小杉を、吉田が引っぱる。
「な、深沢さんああ言うとるし……俺らは浅越の方、どうにかしたらな」
小杉はまだ納得していないようだったが、ポイズンの方も吉田の出血量がそろそろ限界に達しかけて動けなくなっている。
阿部が急いで吉田を連れていく。吉田は石塚の方に向かって「逃げて」と手を挙げて合図した。
「えー、まだ足りねえよ」
石塚はだらしない体勢で壁にもたれかかって、あー、と意味のない声を出す。
「……じゃあ、任せます。せやけど、後でちゃんと話聞かせてください」
小杉が渋々頷くと、ブラマヨの二人は浅越のいる路地の方に走る。石塚は浅越の体を乗り越えて、二人を通す。
横を通りすぎる瞬間、小杉とわずかに目が合ったような気がしたが、
すぐに小杉は浅越の隣に膝をついて、その体を揺さぶり始めた。
「おい、しっかりせえ!……大丈夫や、ちゃんと息しとる!」
吉田が少しうれしそうに叫んで浅越の腕を肩に乗せると、小杉も手伝う。
その光景を見ているうちに、石塚の中の天秤がまた、白の方にぐぐっと傾いた。
「……あれ?」
ふっと気が抜けたように、深沢を見つめる。その仕草で全て理解したのか、深沢はまた新しいガムボールを取り出して光をまとわせ、
球に変えた。そのまま、路地を出て走り出した石塚の足元に向かってすべらせる。
「うわっ!」
今度は石塚のほうが転ぶ番だった。バランスを崩した拍子に背中から壁にぶつかって、肺の奥から空気が吐き出される。
深沢は一瞬ためらったが、すぐに走る。脂肪がないせいでもろに衝撃を受けて咳き込む石塚に近づくと、
その胸ぐらをつかみあげて無理矢理立たせた。
「助けてくれって、言え」
「……え」
「言えよ!!……でなきゃ、お前もっと酷え事になるぞ」
深沢はフードを脱がそうと手を伸ばしたが、後ろにいるブラマヨの視線に気づいて止めた。
掴みあげている手に、ぽたぽたと汗か涙か分からない液体がこぼれ落ちる。
「なあ……言ってくれよ。俺は、お前らが喧嘩してるとこなんか見たくねえんだよ。
 だって俺ら、キャブラー仲間だろ?」

831名無しさん:2015/11/16(月) 02:01:48
乙です。
小林の設楽への問い「石塚は道具か?」について
自分は完全に設楽が石塚を道具扱いしていると思っていたのでそこで設楽が答えなかったのが結構意外でした。
そして深沢ガンバレーと言いたい。

832Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/18(水) 22:21:16
そんな簡単にいくなら、設楽さんはとっくに浄化されてますという回。
想像以上に長くなりそうでどうしようと思ってます。深沢さんがガムボールを使っているのは、『球体』で
小さく持ち運べるものが少ないから、という理由をつけてますが、出せませんでした。

【Deep down inside of me-2-】

ブラマヨの二人が浅越を連れてその場を離れると、深沢も石塚の胸ぐらをつかんでいた手を離して荒い息をつく。
「あだっ」
足がもつれて、尻餅をつく。深沢は痛みに腰をさする石塚の前にしゃがんで、顔を隠していたフードを脱がせてやった。
地面にぺたんと座ったまま見上げる顔からはすっかり毒気が抜けて、瞳は微かに震えている。
「……そんな顔するなよ。俺は、お前のことちゃんと全部分かってるから。石井は知らないんだろ?」
石塚は黙りこくったまま、小さく頷く。
「……そうか。そうじゃないかと思ってた。あいつ、スタッフとか後輩には厳しくてもお前には優しいから。
 石井がこの事知ったら、きっとただじゃおかないだろうな。黒に捨て身で特攻するぐらいやるぞあいつは」
光をフレアのようにまとった球を指で弾くと、あっという間に小粒のガムボールに戻った。
それをぽいっと口に放り込んで、奥歯で噛む。
「甘っ」深沢は当たり前の感想と共に味のなくなったガムを飲みこんだ。その態度があまりに普段通りなので、
石塚は立ち上がることも忘れてぽかんと見つめる。
「深沢さん、なんで……なんで、怒んないんですか」
「なんで怒る理由があるんだよ。責められるべきはお前じゃない。それに……お前は優しすぎる奴だから。
 どうせ石井を人質にとられてるんじゃないのか、そうだろ?」
てっきり責められると思っていた石塚は、予想に反した温かい言葉にとうとう泣き出した。
「何泣いてんだよ、ん?安心しろって、まだお前のことは誰にも言ってないから」
えぐえぐとしゃくり上げながら震える肩を軽く叩いて、深沢も熱くなってきた目尻を指で拭う。
「大丈夫だ、今ならまだ戻れる。浄化してもらって、ブラマヨと浅越に謝って、それで終わりにしよう。
 俺が一緒に行ってやるよ」
深沢の説得に、心の中の天秤はもう一度白に傾こうとしていた。しかし、優しい笑顔と一緒に差しのべられた手をとろうとした瞬間、
水面に一滴の墨汁を落としたように、いくつもの声が耳の奥で響く。

『君との間に隠し事はしたくない』『守られるより、守る方がいい』『君は僕の後ろにいてくれ』『本当に、石は持ってないんだね?』
『僕は案外君を観察してるんだ』『君からは目が離せないな』『嘘をついた時点でお前はもう、石井を裏切ってるってこと』

石塚は手をひっこめて、耳を塞いだ。その間も黒の欠片の残骸が、頭の中で嘲笑う声は止まない。
「どうした?おい」
心配そうな深沢の声も今の石塚には届かない。狙いすましたように、手がまた小刻みに震えだした。
(……あ、前に欠片を飲んだのって、いつだっけ?)
石塚がそれの意味するところを理解した瞬間、声がさらに大きくなった。

『裏切り者』 『嘘つき』 『許さない』『許さない』『許さない』『許さない』『ゆるさない』

声は、いつの間にか石井のものに変わって耳元で響く。
歯がカチカチ鳴って、脳を直接かき回されるような痛みが押しよせる。正常な思考が徐々に黒い海に沈んでいった。
「……、不愉快なんだよ」
「え?」
聞きとれなかった深沢が、口元に耳を近づける。石塚は低い声でもう一度繰り返した。
「……いい年こいてガキみたいにイキがってんじゃねえよ、不愉快なんだよ」
普段からは考えられない傲慢な口調でつぶやくと、くくっと押し殺したような笑い声を漏らす。
「石塚!……くそ、呑まれるな!しっかり……」
ただならぬ気配に、深沢は石塚の肩を掴んで揺さぶる。
直後、乾いた破裂音が連続して響き渡った。

833Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/18(水) 22:21:46
「やっぱり俺、心配やわ」
タクシーを拾って浅越を乗せると、ぽつり、と小杉が呟く。助手席に乗りこんで行き先を告げようとしていた吉田は、
小杉の思いつきにため息をついて出てくる。
「お前何言うとんねん、深沢さんがああ言うたんやから、任せとけばええんや。
 どうも深沢さんとは深い縁があるやつみたいやし、あの人は“ベテラン”やから、そう簡単にやられたりは……」
「ちゃうねん、俺が心配なのは深沢さんだけやのうて」
「分かっとる。お前ほんまはお人好しやもんな」
「おい、それ以上言うたら怒るで」
「もう怒っとるやん」
吉田は笑いながらタクシーに近づくとドアを半分開いて、後部座席で疲れて寝ていた浅越を揺り起こす。
「あれ、吉田さん達乗らんのですか?」
眠たそうに眼鏡の下の瞳を瞬かせて浅越が聞くと、後ろの小杉を親指で指して苦笑いを浮かべる。
浅越は何か言いたげに吉田と小杉を見くらべていたが、やがて頭を振って、タクシーから降りた。
「俺も行きます、病院代もバカになりませんよ?」
「むさ苦しいナイチンゲールやなあ」
吉田が憎まれ口を叩くと、ややムッとした顔で隣に並んだ。そこで、小さな破裂音が耳に届く。
三人は一斉に今来た道を振り返る。ややあって、もう一発聞こえた。
「急ぎましょう!」
浅越が一足先に走りだすと、ブラマヨの二人も慌てて後を追った。

黒の欠片。効能は石の能力の増幅、精神汚染、鎮痛、思考操作。副作用は頭痛、手の震え等多数。
それが、深沢が持つ欠片についての知識全てだ。
しかし、こうして石塚と対峙する限りでは、『汚染』というより『反転』と表現するほうが正しいようにも思う。
「……目覚ませ、石塚!」
深沢は手首をやわらかくしならせて、光の球を滑らせる。石塚はひらりとそれを避けたが、球は実に器用な追尾を見せた。
「ハァ……なんでこんなめんどくせー事になってんだろ……あぶねっ」
足元を掬いかけた球を飛びのいて避けると、首をこきっと鳴らしてモデルガンを構え直す。
「オッサンのお遊戯に付き合ってやったけどさ。そろそろ目障りなんだよね」
深沢はピルケースからガムボールを一つつまみ出して、ふうっと呼吸を整えた。
石塚義之という男の性格。一言で表現すれば天然ボケ、明るく賑やかで毒気のない性質。
それが反転すればどうなるか。自己中心的で傲慢、残酷で薄情なものへと変わるのではないか。そう、今のように__。
「なあ、でも……それは、お前じゃないんだ」
「はあ?自分語りとかいい加減にしなよ。本気で殺すよ?」
「やってみろよ、できないだろ?だって、それは本当のお前じゃないからな」
今度は手をクロスさせて、二発連続で球を放つ。石塚はそれをサイドステップで避けて、モデルガンを右手に構え直した。
ゆっくりと腕を上げて、銃口を自分のこめかみに当てる。
「やめろ!!」
ちょうど拳銃自殺をするような仕草に、深沢はとっさに飛び出していた。それが何を生むか、彼の頭からは完全に抜け落ちていた。
ただ後輩を助けたい、その一心で飛び出した深沢の心臓部分に、冷たいものが突きつけられる。
次の瞬間、深沢の胸は鋭い弾丸で撃ちぬかれた。熱い。体は冷えきっているのに、撃たれた胸だけが燃えるように熱い。
「ぐっ……」
胸を抑えて地面に膝をついた深沢に、また銃口が突きつけられた。
「これがあんたの限界だよ、バーカ」
呼吸ができない。肋骨が軋むように痛い。ピルケースを振ったが、もうガムボールは使い切っていた。
実に楽しそうに笑う石塚を、深沢は為す術もなく見上げた。

「そういえば、あいつ誰なんやろ」
タクシーを拾うために元来た道からだいぶ離れてしまったので、急ぎ足で戻りながら小杉が言う。
「まあ、あんだけペラペラ標準語喋っとったんやし、東京出身の芸人なのは間違いないやろ。
 地方から出てきて覚えた奴って、どうしても訛りが出てまうからなあ」
吉田が繋げると、なるほど、と頷く。相方の反応に調子づいたのか、吉田はさらに推理を繋げた。
「ほんで、俺らにはタメ口使うて呼び捨て……せやけど、浅越にはさん付けやった。
 ちゅうことは、浅越より年下で、俺達とは同期。俺ら浅越と年変わらんし、年齢基準でさん付けするんやったら、
 俺らにもせんとおかしいやろ」
吉田の推理は論理的だったが、小杉にはいまいち納得がいかなかった。
そこで、男の胸ぐらをつかんでいた深沢が、涙まじりに叫んでいた声が蘇る。

834Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/18(水) 22:25:34

『俺ら、キャブラー仲間だろ?』

「キャブラー……」
小杉は雷に打たれたように立ち止まった。先を急いでいた浅越も吉田も、振り返って怪訝な顔で見る。
「せや、深沢さん……あいつのこと、キャブラーいうとった」
浅越は少し考えて、「ボキャブラ天国ですか」と答える。小杉は頷いて、また走り出しながら続けた。
「あの番組、大阪吉本はあんまり力入れとらんかったから……浅越が聞いたんと一致するわ。
 キャブラーで俺らと同期で東京の芸人いうたら、誰がおる?だいぶしぼれてくるやろ」
吉田は頭の中で検索をはじめた。NSC13期はJCAの3期に対応する。しかし結成年を基準にするか、デビュー年を基準にするかでも異なるので、
それも含めて計算する。走りながら、吉田の頭の中で普段付き合いのない同期芸人達の顔が浮かんでは消えた。
「東京03……は、キャブラーやないから除外。坂道コロンブス……にしては背高いし、これもちゃうな。
 アンタッチャブルは白って決まっとるし……飛石連休、も条件が合わん」
うーんと考える吉田の隣で、浅越が「あ」と声を上げた。
「俺、分かったかも……小杉さんは?」
「さっき思い出したわ。こんなとこで同窓会はしたなかったけどな」
角を小走りで曲がった小杉が、突然立ち止まった。
後ろを走っていた吉田と浅越は、小杉の背中にぶつかって止まる。
「おい、お前いきなり……深沢さん?」
吉田は、眼前に広がる光景に思わず言葉を失う。浅越も無意識のうちに拳を握りしめていた。
地面に仰向けに倒れた深沢と、その近くで膝に顔を埋めて座るサマーコートの男。
さきほどとは違い、フードが脱げて明るい茶髪があらわになっている。
「石塚ぁ!!」
小杉は怒りに任せてずんずんと近づき、胸ぐらをつかんで無理矢理顔を上げさせた。
が、振り上げられた拳は石塚に届くことなく下ろされる。
「……お前、やっぱり」
その先は伝えられなかった。石塚は一瞬の隙を突いて小杉を突き飛ばし、逃げていく。
「石塚!」
吉田も追いかけようとしたが、倒れたままの深沢が目に入り足を止めた。
倒れたままの深沢の隣に膝をついて、浅越が肩を貸す。撃たれた傷は治っていたが、まだ体が辛いのか苦しげな呼吸を繰り返していた。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、お前こそ平気か?……早く、浄化……しないと、な」
「しゃべらないで下さい、まだ無理せん方が」
「……俺が、甘かった。浄化してやれば、終わりって……わけじゃ、ないんだな」
「何の話ですか?」
深沢は答えず、突き飛ばされて尻餅をついたままの小杉に目を向けた。
小杉は立ち上がることも忘れて、さっき自分を突き飛ばした石塚の顔を思い出していた。握りこんだままだった拳を開いて、
石塚が走り去った方角を見つめる。
「……泣くんやな、黒のくせに」

◆◆◆◆◆◆◆

835Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/18(水) 22:25:59
「うっ……ぐす、う……」
石塚は家に帰り着くなり、ベッドに倒れこんで声を上げて泣いた。足をばたつかせて枕を殴る。
そうしているうちに、段々気持ちも落ち着いてくる。起き上がってケータイを開くと、石井の番号をダイヤルしようとして、やめた。
「深沢さん……」
ぐしゃ、と髪の毛をかきまぜて思い出す。
黒の欠片に引っぱられて、深沢を襲っている間。石塚もすぐ後ろからそれを見ていた。自分の意思に反して動く体と、
次々に放たれる罵詈雑言。何度もやめろ、と叫んだ。だが、体の主導権を取り戻した時目に飛び込んできたのは、
地面に力なく倒れる深沢と、それを呆然と見つめる阿部だった。どうやら石塚が遅いので心配して戻ってきたらしく、
深沢と石塚を見くらべて、ブラッドストーンを握りしめる。
『これ……石塚さん、やったんですか』
『……わかんない』
『分かんないって……』
阿部は膝をついて、深沢の体にそっと触れた。傷をひい、ふう、みいと数えて、少し迷ったように視線を彷徨わせたが、
やがてため息をついて手をかざす。阿部の手から丸みを帯びた光が放たれ、深沢の傷が少しずつ塞がっていく。
『なあ、たしかお前の石って』
『いいんです。俺がやりたくてやってるんですから』
傷を癒やした後、それと同じだけの痛みを負うことは聞いていたが、阿部は首を横に振って続く言葉を許さなかった。
『……お互い、息苦しいですね』
ぽつり、と独り言のように放たれた言葉。背中を向けているせいで、阿部の顔は見えなかった。
『石塚さんは、黒に捕まる前の自分に戻りたいって思ったことあります?』
石塚が答える前に、『俺たちは何回もあります』と続ける。
『でも、きっと黒から逃げられても……元通りなんてありえないんでしょうね』
その言葉は、深く石塚の胸に突き刺さった。

翌日。
誰もいない楽屋に置きっぱなしだった小沢の携帯電話が、着信音を響かせて震える。
やがて、ピーッと音が鳴って留守電に切り替わった。
『もしもし、俺、小杉やけど……大事な話があんねん、今日ちょっと会えんか?
 電話ではちょっと言えへん話でな。仕事終わった後でええから、返事くれや、ほな』
またピーッと発信音が鳴って、メッセージは終わった。やがて、トイレから戻ってきた小沢は、
ケータイのライトが点灯しているのを見てとりあげる。
「……なんか、嫌な予感する」
小沢は頭を振って、こんこんと拳で軽く額を叩く。自分に活を入れると、思い切って留守電の再生ボタンを押した。

836名無しさん:2015/11/19(木) 00:48:45
>>832
毎回楽しみにしています。長くなるのは大歓迎です。

837Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 18:59:55
軽くバレました、という回。石塚さんの芸歴はデビュー年で計算すると94年からですが、
ブラマヨ、次課長とは同期じゃね?という意見がファンの間ではわりと多いので、それに準じています。
今回は黒ユニ集会編、珊瑚編と共通する設定あり。設楽の台詞は感想スレ>>448の『ロザンが関西黒ユニの中核』を参照。
ななめ45°は能力スレの>>748、タカトシは>>322から。

【Deep down inside of me-3-】

「おう小沢、こっちや」
ロビーに降りると、受付の前で吉田が手を振っていた。22時に会う事になっていたが、ブラマヨの二人が予想よりも早く上がれたおかげで、
約束の時間より3時間ばかり早い待ち合わせとなった。小沢もぎこちない笑顔で手を振り返すと、いつも行く店に予約を入れようとケータイを開く。
「あ、ええよ別に。ここで」
吉田が指さしたのは、観葉植物の影に隠れるように設置されたベンチ。主に来客が待つためのものだが、
正直疲れていたので、ありがたい申し出ではあった。スピワの二人が腰を下ろすと、向かい合うようにブラマヨの二人が座る。
「メール読んだよ。号泣なら上の階にいるから、後で……」
「ああ、浅越なら先に行かせたで。一刻も早いほうがええからな。その……すまんな、ついでに浄化なんか頼んで」
心底申し訳無さそうに眉をへの字にした小杉。井戸田は「浄化は朝飯前」と声をかけて気にするな、と親指を立てた。
しばらく黙って互いの出方を伺う。やがて言葉がまとまったのか、小杉が口を開く。
「なあ、最近……なんか変わったこと、ないか」
だいぶ遠回しな切り出し方だった。井戸田は首をひねって「特に」と答える。
「例えば、誰かの行動がおかしいとか、様子が変とか、怪我する奴が増えたとか」
「……たしかに俺達の所には設楽さんがいるけど、あの人も仕事と石に関するゴタゴタはある程度線引きしてる」
「せやったら、ホンマに何も知らんのか?ホリプロで白をまとめとる、お前らでも?」
「ここ最近静かなのは事実だけどよ、黒の奴でも見えない設楽さんの腹の中なんて、俺達なんかに分かるわけないだろ。なあ、小沢さん」
それまで話の成り行きを見守っていた小沢は、いきなり水を向けられて戸惑ったが、井戸田の強い視線に押されて「うん」と同調する。
「さっきから何が言いたいのかな。俺達に気を遣わなくていいから、はっきり言ってよ」
すると、ブラマヨの二人は顔を見合わせてさらに表情を固くした。なるべく遠回しに、ショックを与えない伝え方を考えてきたのは
小沢にも分かったが、吉田はとうとう核心をついてきた。
「お前らの中に、黒の餌食になった奴がおる」
吉田の言葉に、スピワの二人は体をこわばらせた。それきり黙りこくってしまった吉田の代わりに、小杉が昨夜のできごとを簡潔に説明する。
聞き終わった時、井戸田の口から最初に出たのは「嘘だ」という否定だった。
「おい、いくらなんでも……言っていいことと悪いことがあるだろ、どうせつくならもっとマシな嘘を」
「しょーもない嘘つくためにこんなとこまで来るわけあるか!エイプリルフールでもないのに」
がなる吉田の隣で、小杉は組んだ指を解くと、背もたれに体を預けてふうっとため息をつく。
「とにかく、放っておけないのは事実や。コムはほとんど黒の陣地になってもうとるし……ホリプロの方にも
 黒の食指が伸びたら、あとは時間の問題やからな。
 相方に報告するのが一番ええんやろうけど、スケジュール知らんから捕まえようがないし……第一、縁の浅い
 俺らの話なんか、素直に聞いてくれるとも思いがたいし」
小杉はよっこらせ、と立ち上がり、まだ座ったままの小沢を見下ろしてつけ加える。
「そいつにとって居心地のええ場所で、それなりに楽しくやっとるんなら、俺ら何も言わんで」
小沢は膝の上で拳を握りしめて、その言葉を胸にとどめた。

沈黙とは、もっとも労力のかからない圧迫だ。
この倉庫に窓はない。石塚から見て対角線上のドアは内側から施錠されているし、その前に設楽が立っている所為で逃げ道も塞がれた。
そして、廊下を歩いていた石塚を無理矢理この倉庫に押しこんで鍵をかけてから、設楽はずっと沈黙している。
「お前は」
重い空気に耐えられなくなってきたところで、設楽は一歩ずつ、こちらへ歩いてきた。
「破滅願望があるのかな」
予想だにしない一言。石塚が反論しようと口を開くと、それはいいというように手をかざして黙らせる。

838Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:03:00
「おかげでシナリオが水の泡だ。宇治原の脳味噌だって常にフル回転じゃ可哀想だから、
 たまにはこっちで手助けしてやろうと思ったのに……たしかに深沢さんの出現はイレギュラーだった、それは認めよう。
 でも、アドリブが苦手なら、いよいよ俺の方で糸を繋いで動かしてやるしかないのかな?」
設楽はポケットから、黒の欠片が詰まった小瓶を取り出した。手のひらに一つ出して、見せつけるように眼前にかざす。
小道具の入った段ボール箱を避けて少しずつ後ろに下がるが、当然ながら背中は壁に当たって止まった。
目の前に立つ設楽は、相変わらず感情の読めない瞳でじっと見つめてくる。
「……俺が怖い?」
集会の夜と同じ問いかけを、今度は真顔でされた。
「いいんだよ、別に。いまさら誰にどう思われたって俺はどうでもいいから。相方のためなんて理由はさ、
 裏を返したら究極のエゴイズムさ。でもね、俺はお前のほうが怖いよ。強い光はより濃い闇を生むから」
「……はっきり言えよ」
「同類ってことだよ、俺達は」
設楽はしばらく黙っていたが、やがて石塚のズボンのポケットに手を突っこんで、隠し持っていたプラチナルチルを奪い取った。
「あ、返せよ!返せってば!」
手を伸ばすが、ひょいっと避けられる。設楽は結晶に軽く爪を立てて、ぎりっと力を込めた。
「いっ……!?ひっ、ぎっ!」
瞬間、心臓に鈍い痛みが走る。例えるなら、麻酔無しで胸を切り開いて直接臓器を握りつぶされるような、耐え難い痛み。
「……がっ!あ゛……あ、はっ、苦しっ……あがっ!」
声にならない悲鳴をあげて床に転がる石塚を、設楽はじっと眺めていた。
自分の意志に関係なく涙と唾液がこぼれて、床に垂れる。痛みと圧迫感から逃れようと、爪がキリキリと床を引っかいた。
「……はい、3分経ったからおしまい」
やがて設楽が指の力をゆるめると、心臓の痛みは一瞬で消え去った。まだ不規則な呼吸を繰り返して床に倒れた石塚の手に、
黒の欠片をそっと握らせて囁く。
「この痛みを忘れるなよ。お前がコースアウトすれば、その分だけ石井の危険が増すんだからね、分かった?」
「わっ……分かった……」
なんとか答えると、満足したのか手を離して施錠されたままのドアに歩いて行く。
設楽が倉庫を出て行った後、ようやく動くようになった体を起こして欠片を口に入れる。
ごく、と喉を鳴らして飲みこむと、楽になっていく体と共に、また形のない自己嫌悪がわきおこってきた。
「……最低だ」

一方、倉庫を出た設楽は悠々と廊下を歩いていた。と、向こうから走ってきた井戸田が設楽の姿を認める。
井戸田は一瞬迷ったようだったが、やがて背に腹は代えられないと思ったか手を挙げて呼び止めた。
「あの、石塚さん見ませんでした?」
「え?いや、別に」
正直に居所を教えてもよかったが、念のためはぐらかしてみる。井戸田は「そうですか」と素っ気なく言うと、礼もなしに走り去った。
どうやらブラマヨの二人は洗いざらい喋ったらしく、かなり慌てているのが後ろ姿からでも分かる。
それを見送って、設楽はエレベーターのボタンを押す。エレベーターが降りてくるのを待つ間、なぜか無性に日村に会いたくなった。
「……最低だね」
設楽は自嘲的につぶやくと、踵を返して日村のいるブースへ歩いて行った。

「なに、俺になんか用?」
稽古場に息せき切って駆け込んできた小沢を、テーブルに小道具の刃物を並べていた石塚は、
きょとんとした目で見上げた。汗をぬぐって荒い息をつく小沢の目に、椅子に半開きで置かれた石塚のリュックが目に入る。
「すいません、ちょっと」
言うなり小沢はリュックをつかんで逆さにすると、中身をテーブルにぶちまけた。
「あ!何すんだよお前っ……やめろって!人の荷物!」
テーブルに転がり出たのは、携帯電話や財布、ごく普通のリングノートや筆記用具など。それらを一つ一つ調べたが、
黒の欠片らしきものは見当たらない。リュックの中にもチャックがあったのでそこを開いたが、
やはり石塚が『クロ』だと示す明確な証拠はない。
磁石やななめ45°といった後輩たちは、この持ち物検査を止めるべきか否か分からず、おろおろと遠巻きにした。
「やーめーろってば!もういい加減にしろよ!」
石塚が止めようと腰にしがみついてきた。小沢はそれには構わず、軽く畳まれたサマーコートをつかむ。
前身頃のポケットを調べて、中のポケットに手を突っ込もうとしたところで、バタンと稽古場のドアが開く。

839Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:03:46

「やり方がスマートじゃないな」
すべてを話し終えた時、石井の口から出たのはそんな冷静な言葉だった。しかし、心のなかでは思考が錯綜しているのか、
彼にしては珍しい小刻みな貧乏揺すりをしていた。
石井は頭を整理するためか、屋上の柵にもたれかかって腕を組んだまま、空を見上げる。
「石塚くんがトイレに立った隙にでも、こっそり調べればいいじゃないか。
 それが後ろめたくて嫌だっていうなら、渡部さんに“同調”してもらえば一発だ。嘘発見器みたいに使って申し訳ないけどね」
小沢は何も言えずに下を向いていた。いたたまれなくなった井戸田が助け舟を出す。
「でも、まだ石塚さんがそうって決まったわけでもないのに、渡部さんまで巻きこむのはどうかと思って……
 小沢も気が動転してたんです、とても信じられない話だから」
「違ったら違ったでいいじゃないか。それとも、疑う事自体が悪だというのか?
 ……いつから、白はそんな及び腰になったんだ」
石井は深いため息をついて、後頭部をカリカリと掻いた。
「いずれにせよ、今は静観したほうがいいんじゃないのか。万に一つ石塚くんが本当に黒だとして、
 僕を欺けるような器用な子じゃない。そのうち向こうから答えを教えてくれるだろう」
子、と表現したところに、石井が相方に抱くイメージがあるようで、井戸田は思わずぷっと吹き出していた。
「何がおかしい!……とにかく、石塚くんはまだ記憶も戻ってないし、石も持ってない。……本人が言う限りだから、
 嘘か本当か確かめようはないけどね。さっきの方向で頼むよ」
石井は柵から体を離して、出口に向かって歩いて行く。鍵がかかっているのを忘れてドアノブを回したせいで、
ガチャッと金属のぶつかり合う音がした。
「……僕としたことが」
口の中で小さくつぶやき、今度こそ鍵を開けて屋上から出て行く。石井の足音が聞こえなくなると、二人はどちらからともなく顔を見合わせ、
お互いの思考の混乱をまとめようと並んで立って夜景を見た。
「潤はどう思う?」
「……相方可愛さに目が曇るってのはどうなのかな」
「じゃあ、やっぱり石塚さんは黒だと思う?」
「ただし、本人の意志じゃないパターンだな」
小沢は何も言い返せず、黙って風を浴びていた。
「“フードがついた、デカめの黒いサマーコート”……今日も着てた。あの人今日、足引きずってんの気づいた?」
「あ、そういえば……左足が全然動いてなかったね」
「あれ、深沢さんに転ばされた所為で捻挫した、って考えたらどうだよ。黒にも治せる奴はいるだろうけど、
 深沢さんを治すのが手一杯で、治せなかったんだ」
「……やっぱり、黒なの?」
「黒なんだよ」
柵を握りしめる井戸田の手に、さらに力がこもる。手の甲にぴくっと筋が浮き上がった。

840Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:04:15
一方、屋上を出た石井も、冷静を装いながら速足で廊下を闊歩していた。時折すれ違う人間はそのただならぬ雰囲気に、
見て見ぬふりをして通りすぎる。誰もいない休憩所まで来ると、石井はガンッと壁に額を打ちつけて息を吐いた。
スピワの二人と話している間、拳はずっと固く握りしめられたままだった。白くなった手を開いて、ずり落ちそうになる体を支える。
「大丈夫だ……まだ、そうと決まったわけじゃない」
少し落ち着いてから稽古場に戻ろうと、背中を壁につけて深呼吸する。
そこで、「石井さーん」と自分を呼ぶ小さな声が廊下の向こうから近づいてきた。見ると、ななめ45°の土谷が駆け寄ってくる。
「石井さん、話終わりました?」
「えっ?ああ……ちょっと誤解があったみたいだ、大したことじゃない」
土谷はそれでなんとなく察したのか、「そうですか」と顔を曇らせた。汗ばんだTシャツの下にカプセル型のチャームが揺れている。
石の事情を知る者同士では、会話が短くて済むので楽だ。
「あ、そういえば石井さんに報告があったんでした」
土谷は思い出したように手を叩く。
「あの、石塚さん帰っちゃったんですけど……大丈夫ですか?」
「今日の分はだいたい終わっていたから、問題ないよ。小道具の点検も終わったし」
「そうですか。でも……なんか具合悪そうだったんですよね、岡安が“やっぱり心配だから見送る”って外出たんですけど、
 もういなかったらしくて、帰って来ちゃったんですよ」
それに、石井はかすかな違和感をおぼえた。
「いなかった?……ロビーにも?」
「あ、はい」
それがどうかしました?と訝しむ土谷に構わず、石井はしばらく眉をひそめて考えた。が、違和感の正体は結局見つからなかった。

「元々のシナリオよりやや早めに進んでいますね」
小林はノートをぱたんと閉じて、伊達眼鏡を外した。はああと息を吹きかけシャツの裾で拭くと、また元通りにかけ直す。
「白に存在を知られた以上、あとは時間の問題か。欠片の用量を増やすってのはどうだ?」
隣に座る土田が提案すると、小林は首を横に振った。
「いえ、まずは俺がシナリオを書き直しましょう。彼のプラチナルチルは欠片への耐性が強いようですからね」
「さすがは希少石といったところか。あいつが浄化されて使えなくなる最悪の事態だけは回避しておきたいな。
 シナリオで完全に動きを制限するのがいいか、どうせ知られるなら、プラチナルチルを直接穢すか……どうする?設楽」
設楽は肘かけに頬杖をついて、チェス盤をとんとんとせわしなく指で叩いていた。
考えがまとまったのか、背もたれにぐっと体を預けて天井を見上げる。
「……いや、欠片の処方は今までどおりでいい。予定より早いけど、舞台装置を動かすことになりそうだ」
設楽の指が、チェス盤の上に並んだ白いポーンの一つをピシッと弾く。ポーンは盤上を黒の陣地まで転がって、
黒のクイーンにぶつかって止まった。
「石塚はマリオネットじゃない。選ぶのはあいつだ」

「はあっ……はあ、しつけえなあいつら!!」
走るトシの頭の中でエンドレスループするのは、『翼をください』のサビ部分。
少し遅れてついてくるタカは、最近さらにぽっこりしてきたお腹を震わせて、そろそろ限界です、と手を振る。
そもそも、自分たちが名前を知らないのだから大したことないだろうと思ったのが間違いだった。
普段から黒の若手に「油断するな、相手を舐めてかかるな」と半分説教のようなことを言っていたのに、
疲れていたのでつい「まあいっか、テキトーで」と思ってしまった。
悪いのは自分たちに尻拭いをさせる黒の若手だ、いや、もっと言うと過密スケジュールの自分たちに(まるで隙間産業のごとく)
任務を入れてくる黒ユニットのせいだ。トシは、これが終わったら一言文句を言ってやろうと心に誓う。
「あーもう無理!限界!」
振り返ると、タカが足をもつれさせて転んでいた。助け起こすと、「もうダメ」と地面にへたりこむ。
トシも、頭皮まで真っ赤になった顔を手でパタパタと仰いで冷やす。と、遠くからパタパタと足音が聞こえた。
あわててタカを路地裏に引っ張りこむと同時に、さっきまで自分たちがいた道に白の追手が走りこんでくる。
「どっち行った?」
「わりい、見てねえ」
「チッ……じゃあ、俺が向こう探すから。お前はそっちの地下道探せ」
「分かった」
白の追手は短く会話を終えると、まるで見当違いの方向に走っていった。
一瞬ホッとしたが、ここから逃げるためにはどうしても地下道を通る必要がある。白の追手とかち合わせずに駅の向こう側に出られればいいが、
その可能性はゼロに近い。おまけに、二人ともかなり体力を消耗している。正面突破は無理そうだ。

841Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:04:45
「あー、せめて石が奪れてたらな……こりゃ、怒られるかも」
坊主頭を撫でて、トシが空を仰いだ瞬間。
「こっち!」
ぐいっと、トシの手が引かれた。包帯が巻かれた手の先を見ると、雑居ビルの地下に続く階段から、誰かが二人を手招きしている。
トシは一瞬ためらったが、タカを連れて階段を下りた。男は懐から懐中電灯を取り出して、ぱっとあたりを照らしだす。
男の名前を思い出すのに、トシは若干のタイムラグを必要とした。
「石塚さん、ですよね」
「助かったー!」
タカは同じ黒の助っ人にもう気を許して、ずるずるとその場にへたりこむ。トシはややイラッときたが、怒るのも大人げないので黙っていた。
「そんなに喜ばれると、なんか複雑だなー」
「え?」
「俺も点数稼がないとやばいからさ」
わけがわからない、と首をひねるタカには構わず、石塚はポケットから四つ折りになった白地図を取り出す。
左手に持ったボールペンをノックすると、トシを見上げた。
「あ、石は奪ってきた?」
「……いえ、片方はとれたんですけど」
「けど、何?」
「……物質転送系の能力なんですよ、取り零したほうが。だから、こうやって逃げてたんです」
トシが肩を軽く回しながら答えると、石塚はしばらくうーん、と考えていたが、やがて思いついたのか、ペン先を地図に落とす。
ペン先が青い光を放ち、みるみるうちに地図記号が書かれる。
「よし、できた。行こう」
石塚は地図を畳むと、地上への階段に足をかけて、また二人を手招きした。

一方、タカトシを追いかけていた白の二人は、目の前の光景を唖然と見つめていた。
地下道から出た先にそびえ建っていたのは、電線でビルから繋がれた鉄塔。周りに張り巡らされたフェンスには『高圧電流注意』と
赤い文字の板が下がっている。
「ど、どうなってんだこれ……」
「こんなとこに鉄塔なんてあったか?」
勇敢にも一人が歩みより、フェンスに指をかける。が、彼は忘れていた。自分は今、石を奪われて全くの無防備だということを。
「……ぐ、あっ!」
パンッと乾いた破裂音が響き、男の体が揺らめく。肩を抑えてその場にうずくまる相方に、思わず駆け寄ろうとしたもう一人は、
上から聞こえてきた声に踏みとどまる。
「じゃあ、先に謝っとくね」
石塚は、バスケボールに変身しておいたトシを胸に抱えて、語りかけた。男はチョーカーについた石を握りしめて、
鉄筋のハシゴ部分に左手をかけて立つ石塚を、はっきりと視界に映す。
「……外したら、ごめん」
「えっ、石塚さん……ちょっと待って!」
タカがやや青ざめた顔で叫ぶ。
「な、なんだあの人……仲間じゃないのか?」
白の追手二人も、鉄塔の上で言い争う二人をぽかんと見つめる。
「大丈夫、俺ドッジボール得意だし」
「そういう問題じゃなくて!」
「死んだらごめんな、葬式には行くから!」
言うなり石塚はトシを軽く振りかぶって、眼下の男めがけて投げる。
「うわ、マジで投げた!」
男は頭の上に迫り来るボールに、慌てて発動対象を変更した。チョーカーの石がぱあっと青い放射光を放ち、
ボールの形をしたトシが一瞬にして空から消え去る。やがて背後から聞こえた、がさがさと茂みが揺れる音に、追手二人はほっとため息をつく。
「死ぬかと思った……」
坊主頭に葉っぱを乗せて出てきたトシに、男は思わず笑みを見せた。直後、カチッと何かを回すような音がする。
男は、油をさしていないロボットのようなぎこちない動きで振り向く。直線上に立つ石塚は黒々とした銃口をまっすぐに向けて、
唐揚げをねだる時と同じように手の平を差し出した。
「石、ちょーだい」

842Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:06:46
「石塚さん、ひとつだけ文句言っていいですか」
トシは坊主頭にぴくぴくと青筋をたてて、少し離れて歩く石塚を睨みつけた。
「……投げる時は、変身する前に言って下さい」
「え、そこ!?」
タカが珍しく、ぴったりのツッコミを入れる。石塚はタバコを口から外して「ごめん」と謝った。
「まあ石は奪えたし、これで怒られなくて済むっていうのは気が楽です。……ありがとうございました」
「いーって。偶然うまくいったようなもんだし」
石塚は手をひらひらと振って、そこでふと気づいた。
(あれ、そういえば俺……なんで、こいつらを助けたんだろ?)
実のところ、黒から「タカトシを助けろ」と命令されたわけではない。たまたま微弱な石の反応を感じたので向かってみたら、
この二人が逃げているところに出くわした、というだけのことだった。気づかなかったふりをして通りすぎることもできたはずだったのに。
「石塚さん?」
足を止めて考えこんでいた石塚を、タカの声が引き上げる。石塚はなんでもない、と首を振って、また歩き出した。

【白の追手】(名前不明)
【石】不明
【能力】物質の転送
【条件】転送したい物体の全体を視認しないと転送できない。故に、内臓やポケットの中のものなどは転送不可能。

843Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/22(日) 19:11:57
すみません、なぜか削れていました……>>839の前にこれが入ります。

「おい、これは一体なんの騒ぎなんだ!」
朗々とした声が響き渡ると、稽古場になんとも言えない静寂が下りた。
岡安がちらっと横目で二人をうかがいながら、「小沢さんが……」と小声で呟く。
それだけで全て理解したのか、石井はずんずん近づいてくると、小沢から相方を引き剥がした。
その後ろから井戸田も入ってきて、あちゃーと頭を抱える。
「大丈夫か?」
「あ……うん」
石井の気遣いに、石塚はちらっと目をそらして答える。その仕草に、井戸田は少し違ったものを感じとった。
「説明してもらおうか。場合によっては、君との関係を考え直さなければならなくなる」
自分より身長の低い石井の、しかし鋭い眼光に射抜かれ、小沢は気まずい空気の中でサマーコートを返す。
「……すいません、でも俺がなんの理由もなくこういうことするように見えますか?」
素直に謝った後の問いかけに、石井は眉をしかめて「いや」と首を横に振った。
小沢の背中を叩いて、「出よう」とうながす。二人が出て行ってしまうと、その後を井戸田も慌てて追いかけた。
「……うわあ、石井さん完全に怒ってるよ」
「あれ、土谷は見るの初めてだっけ?珍しいもん見れたな、あの人怒る時は静かに怒る方だし」
土谷と下池がひそひそ話し合う後ろで、岡安は石塚を手伝って、荷物を入れなおす作業をしていた。
「大丈夫ですか?利き手怪我してるのに……」
「いいよ、こんぐらい左でいけるし」
「でも、小沢さんいきなりどうしちゃったんでしょうね。あの人も夏ボケて変になっちゃったのかな」
「まだ7月上旬でそれはないだろ」
土谷がツッコむと、それもそうだと笑う。その隣で、石塚はさっき階段ですれ違った浅越を思い出した。
向こうはよほど急いでいたのか石塚には気づかず上がって行ってしまったが、浅越がここにいる理由を考えると、
石塚の心に不安がさざなみを立てる。
「……ごめん、なんか疲れちゃった。俺、帰るね」
「しかたないですよ。じゃあまた明後日に」
軽く頭を下げる岡安に手を振って、石塚も速足で稽古場を出る。ドアをそっと閉めると、
石塚は今まで作っていた不安げな笑みを消して、屋上へ続く階段を上っていった。

844名無しさん:2015/11/22(日) 23:49:39
乙です!
ただ一つ言わせていただきますと、磁石がコムに来たのは2008年6月で
この時点ではサワズ所属だったはず…
あとこのスレにオードリーの話があったけど、「まだ無名だったにも関わらず
選ばれた芸人の証たる石を手に入れた」という形にして、「なぜお前らが石を !? 」とか
驚かれるといった、いわば「将来売れっ子になる伏線」的な感じで本編の時点に組み込めそう?
最後に、井戸田の新能力としてハンバーグ師匠で何かできないかなと思ってたり…
一ネタやって「ハンバーーーーグ ! ! 」と叫ぶとステーキプレートに乗ったハンバーグセットが
目の前にストンと落ちてくる、とか?

845名無しさん:2015/11/23(月) 00:17:50
乙です。石塚のことがとりあえずスピードワゴンに伝わったことに安心しました。
でもこの状況を打破するのは並大抵のことじゃなさそうですね。どう動くのか楽しみです。

>>841について、石塚とタカトシが面識がないように読めるのですが
(名前を思い出すのにライムラグがあったとか、『石塚さん、ですよね』のあたり)
2005年6月ごろだと石塚とタカトシはフジのF2スマイルという番組で共演中です。同じ曜日担当でした。
F2スマイルは2005年4月からの開始ですがその前のF2-X(2004.4-2005.3)からのつながりになるのでそれなりに付き合いは長いかと。

>>844
石を「選ばれた芸人の証」「売れっ子になる伏線」的に扱うのはどうなんでしょう。
それを否定することが若林のアイデンティティ、というのがオードリー編の柱だったと思いますが。

846845:2015/11/23(月) 00:44:23
>>583のように
「石を持つ」=「選ばれた芸人の証」「売れっ子になる伏線」と『思い込んでいる』芸人がいる、ということならわかるんですが
>>844を読むと石=選ばれた芸人の証というのが設定として組み込まれるように見えたので。
違っていたらすみません。

847名無しさん:2015/11/23(月) 08:24:36
>>846
ああそうですね、一応「若手たち(特に石を持ってない人たち)の間では、いつしか
『石を持つ事が選ばれた芸人の証だ』と認識されるようになっていった」という感じです
オードリーが売れる前の話な訳ですが、肝になるのは「売れっ子になる伏線」は石を持つ事
そのものよりも別の所にあって、その中の出来事の一つとして(傍からは分不相応に見えた)
石を手に入れた事があった、みたいな感じですかね

848名無しさん:2015/11/23(月) 08:32:09
暗かったので「あれ、誰だっけ」と遅れて分かってる、というのをいれ忘れていましたorzタカが完全に安心しているのは知らない相手ではないから、です。磁石は単なるミスです...今回ミス多いな...

849名無しさん:2015/11/23(月) 13:31:36
>>847続き
言葉が足りなくてすみませんが、「若手たち(特に石を持ってない人たち)の間では、
いつしか『石を持つ事が選ばれた芸人の証だ』と認識されるようになっていった」点を
黒側がスカウトに利用する事もあるだろうなあ、と思ってまして
「とにかく石を手に入れれば売れるようになるぞ」と吹き込み煽ってる可能性もあるのかなと
あとHi-Hi(書く人いるかわからんけど)にも通じるけど、「売れっ子になる伏線」
てのは石を持つ事そのものではなく話全体の流れを指してます

850Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/23(月) 21:21:01
あああ、名前欄入れ忘れていた……
なんだって今回はミスばかり……磁石の方も書いてたんですよ、
例によって文章が混ざったのです。

851名無しさん:2015/11/23(月) 23:47:12
>>850
どうか落ち着いて(苦笑)
「磁石の方も書いてた」と言いますと?もう一つ話を構想しておられるのですか?

あと思いつきですみませんが、小沢と若林・大吉・光浦の4人がそれぞれの
石を共鳴させつつ歌うと歌声を聞いた者に頭痛や目眩や耳鳴りを起こさせる
(パワーが強ければ物理的破壊力も発揮する)「ジャイアンコーラス」なる
必殺技が発動する、とか考えてしまった(笑)

852845:2015/11/24(火) 08:10:23
>>847>>849
よくわかりました。ご返答ありがとうございました。

>>850
磁石編もあるとは!楽しみです。M-1残念でしたね彼ら。

853Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/27(金) 19:06:20
磁石、となっているところは、本当はこの二人のはずでした。ななめ45°のターン。

『Deep down inside of me-4-』

うやむやにせず、きちんと確かめよう。
石井がその決意を固めたのは、ブラマヨがわざわざ訪ねてきて爆弾を落としていってから、二週間も経ってからだった。
以前は何気なく交わしていた軽口も、今はぎくしゃくした、明らかに無理をしたリズムで交わされる。
なにより、石塚の態度がそんな温かい雰囲気を拒んでいた。石井の方も、気がつくと必要以上に気を遣って、まるで小さな子供を
なだめるような接し方をしてしまう。石塚はそれを敏感に感じとり、なるべくいつも通りにしようとまた空元気を出すのだった。
「なあ、あれなんやねん。あいつらいつから冷戦しとんの?」
「俺ら知らんから教えろやー、はよ教えんと嵯峨根の給料30%オフやでー」
「なんでお前が俺の給料握っとんのや!……俺らあん時稽古場におらんかったから仲間ハズレやねん、教えてや」
X-GUNの二人が、左右から土谷の服を引っぱる。土谷は面倒くさそうに顔をしかめてその手を振り払った。
「そんなに気になるなら、石井さんに直接聞けばいいじゃないですか」
「せやかて……なあ?」
西尾はちらっと、遠くで休憩している石井を横目で見た。机に肘をついて指を組み、つま先でとんとんと地面をタップする石井からは、
近づくなという無言のオーラが漂っている。石塚は相方に背中を向けてケータイでメールを打っているが、やはり話しかけづらい雰囲気だ。
ごほん、と咳払いすると、西尾はなるべく自然な笑みを作った。
「あー、あいつらのせいで空気悪いわー。さっさと仲直りせえやほんまに。どうせあれやろ、石塚がなんか我侭言うて
 石井のこと困らせとんのやろ。あかんでえ、そういうの。お前年下やねんからな、ちゃんと言うこと聞きいや」
石を持たない芸人たちから見ればただのコンビ内喧嘩にしか見えないように言い繕いながら、西尾はさり気なく石塚の方へ近づき、
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜ、励ますふりをして後ろからケータイを覗きこんだ。一瞬で文面を読んだ後、自然な歩幅で帰ってくる。
「……ちょっと、こっち来い」
耳元で囁くと、土谷をそっと稽古場の外へ連れ出す。
ぱたん、とドアが閉まったところで、西尾は作り笑いを消して、真剣な顔で切り出した。

「“約束、覚えてるか?”……すまん、これしか読めんかった」
嵯峨根はそれで大体分かったのか、顎に指をかけて思案する。
「一旦話まとめようや。あいつらキャブラー大戦の時はどやった?」
西尾はそこで、嵯峨根の方が細かいところまでよく記憶しているのを思い出して聞く。
「無所属。かといって中立でもない。ただ黒から逃げまわるだけの、若手にようあるパターンやったな。
 石井がそもそも慎重派やったから、“白ユニットも頼りにならない”言うとったわ。……これは俺らの責任がデカいけど。石井は
 自分たちの安全が保証されるんやったら黒でもええって思うとったみたいやけど、石塚は黒を怖がっとった。尋常やないぐらい」
「まあ、あいつは怖がりやけど……なんでそこまで」
「さあ……石井はともかく、弱小能力の自分は使い捨てられるって思っとったんやろ。
 あの頃はまだ量産型の石もなかったし、石井に負担かかる構図は変わらんからな。
 俺はその所為でb.A.dもすぐ抜けたんやないかと思うとったわ。ほら、あそこには海砂利がおったから」
「その石塚がいまさらになって黒に自分を縛りつける理由……」
「あん時、石井が考えとったことを石塚がやっとんねん。そんだけのことや」
話について行けず、X-GUNの二人を見くらべる土谷はそこでふと閃いた。ことは急げとばかりに口を開く。
「あ、あの……俺、ちょっと思いついたんですけど」

854Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/27(金) 19:06:52
設楽は移動中の車内でケータイを開き、声は出さずに笑う。
「約束、ね……俺もずいぶんと買いかぶられたみたいだ」
隣りに座る日村が「何の話?」と聞いてきたが、「関係ないでしょ」とはぐらかすと、それ以上は食い下がらなかった。
この程よい距離感を、都合がいいと思うかそれとも心地良いと思うか。それが白黒の分かれ目だろうと設楽は考えている。
(しかし、こんなメール送ってくるってことは……あいつ、まだ俺を甘く見てるんだな。
 そこに致命傷をつけるのは石井だ。それでやっとあいつは“完成”する)
設楽は窓を少し開けて、外の景色が流れるのをぼんやり眺めた。

思考がどんどん鈍くなっていくのが分かる。石塚はこめかみをおさえて、頭痛をやり過ごした。親指の爪を強く噛むと、
痛みで思考が一瞬だけクリアになり、休憩所で話すスピワの会話が耳に入ってくる。
「……やっぱり、石井さんに協力してもらおう」
「だめだ」
「なんで!」
小沢が思わず叫ぶと、井戸田は唇に人さし指を立ててあたりを見回した。人の気配がないと分かると、
拳を握りしめて睨みつけてくる相方に近づき、ワントーン低い声で囁く。曲がり角に隠れて盗み聞きしている石塚は、心の中で舌打ちした。
「石井さんに、冷静な判断ができるとは思えない。……相方だぞ?俺らだってあんなにショック受けたのに、
 10年以上も一緒にいる人ならなおさらだろ。俺らでなんとか解決しよう」
「相方だからこそ、目をそらしちゃダメだ!」
「だから、大声出すなって。……分かったよ、小沢さんがそこまで言うなら止めない。石井さんも加えよう。
 ただ、石井さんも最近疲れてんのかな、なんかイライラしてるみたいだし……」
スピワの二人は話しながら歩いて行った。声が遠ざかると、石塚はそっと角から出てタバコを口にくわえ考える。
(俺の仕事は、ホリプロの中の“白”の動きを探る事……なんだけど)
煙を吐き出すが、空気を吸っているように味気ない。ふと、ポイズンの吉田が「黒の欠片は感覚を鈍らせる」とぼやいていたのを思い出した。
(……ぶっちゃけ、俺をなんとかしようとしてるとしか報告しようがないもんな。
 浄化してもらうのが一番いいんだろうな、でも)
ポケットからプラチナルチルを取り出して、ぽーんと空中に放ってキャッチ、を繰り返す。
(そしたら、俺がついた嘘もバレる)
設楽がどんな地図を描いているのかは知らないし、知る必要もない。自分にとって大切なのは石井の存在。
深沢は優しく手を差し伸べた。それを台無しにしたのは自分。深沢より厳しい石井はきっと、自分を完全には許さないかもしれない。
石塚がその可能性に思い至った瞬間、手先がわずかに狂った。
「あ」
キャッチし損ねたプラチナルチルが、床に落ちてわずかにはね返る。転がった石を拾おうと屈んだ瞬間、石塚の脳裏に半年前の光景が蘇った。

【2004年.11月】

財布から小銭を取り出そうとしたはずが、寒さでかじかんだ指は石塚の意図に反して変な方向に動いた。
「あっ」
小銭入れの中に入れておいたプラチナルチルが、指で弾かれて床に落ちる。石はあっという間にころころと転がって見えなくなってしまった。
かがんで床を探ると、ひょいっと誰かの手が視界に割り込んでくる。顔を上げると、「これ、お前の?」と日村が石を差し出していた。
「お前のだよな、落としたの俺見てたもん」
日村は石塚の手に石を握らせる。立ち上がりズボンについたホコリをぱんぱんと払うと、くるりと踵を返して片手を挙げた。
「じゃ、もう落とすなよ」
石塚が礼を言おうとすると、気配で分かったのか「いーって」と黙らせた。そのまますたすた歩いて行ってしまうのを見送って、
プラチナルチルを小銭入れにしまい直す。
「……知らない、のか?」
首をひねったが、結局のところ日村の立ち位置は分からなかった。

855Evie ◆XksB4AwhxU:2015/11/27(金) 19:08:13

【現在】

「……そうだ、日村さんは設楽のこと、知らないんだ」
正確には薄々気づいている、といったほうが正しいかもしれないが、知らないと仮定すると、半年前の一件も違う角度から見られる。
プラチナルチルの存在が、(意図的かどうかはともかく)日村から設楽に漏れたとしたら?設楽がその時からこの地図を描いていたとしたら?
石塚はその場を歩き回りながら、思考をまとめるために小さな声で呟く。
「さまぁ〜ずさんが、今の俺と同じことをしてたんだ。俺達を監視して、石井さんが記憶を取り戻したのもそこから知った。
 だから、あんないいタイミングで俺を捕まえられた……じゃあ、やっぱり」
いつの間にか短くなっていたタバコの火を灰皿でもみ消して、壁にどん、と背中をつける。ずり落ちそうになるのをなんとかこらえた。
「俺がこうなるのは、最初から決まってたんだ」
体から力が抜けて、その場にへたりこむ。頭の中が真っ白に塗りつぶされたようで、しばらくの間思考が完全に停止する。
その時、休憩所に誰かが近づいてくる気配。二人分の足音が、徐々に大きくなる。
石塚は音をたてないようそっと立ち上がり、声の主を探った。
「……下池はいい、俺が決めた」
「でも、土谷……」
声の正体は、ななめ45°の岡安と土谷だった。
「俺は、もう一度黒に行く。……お前らが嫌なら、俺一人でも戻る」
「やめろよ、もうそれ以上言うなって」
岡安の声が段々高くなっていく。土谷は鬱陶しそうにその手を振り払って、「いい加減にしろ!」と叫んだ。
「リーダーの俺についてくるのか、それともやめるのか!今すぐここで答え出せ!!」
「なあ。どうしちゃったんだよ、なんで急にそんなこと言い出したんだよ!」
岡安は半分涙目になっていた。土谷はちらっと、石塚の隠れている曲がり角の死角に視線をやった後、岡安の体を自分の方へ引きよせる。
「……よし、もういいぞ」
「は?何の話?」
まだ状況がつかめていないらしい岡安に、「もう終わりだよ」と囁く。土谷は曲がり角を覗きこんで、石塚が完全にいなくなったのを確認する。
土谷は腰に手を当てて、してやったりというような笑顔を浮かべた。
「あの人がまだ完全に黒に染まってないんなら、必ず引っかかるはずだ」
「えっ?」
立ち尽くす岡安の頭の中を、たくさんの疑問符が駆け巡る。しばらくして合点がいったのか、「ああ!」と手を叩いた。
「そう何もかも、設楽さんの思い通りにはさせねえよ」
土谷の首から下がったカプセルが、きらりと光った。

856Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:27:16
ポイズンも芸歴が微妙なので難しい。そしてやや下ネタ的表現ありますので、ご注意ください。
下池さんの能力は「性質と中身を異性にする」ようですが、「性転換」ではないんだろうなと思っています。

【Deep down inside of me-5-】

自宅まで送るというマネージャーの車を断って、石井は一人で夜道を歩いていた。危ないからタクシーを使えとマネージャーは言ったが、
頭の中をとりとめのない思考が錯綜して止まらない。涼しい風を浴びて考えをまとめたかった。
見慣れた住宅街も、夜の22時を過ぎると不気味さをはらんだ静寂が降りる。石井は自然、速足になって家路を急いだ。
「石井さん?」
背後から聞こえた声に、ぴた、と足が止まる。
「石井正則さん、ですよね」
振り返ると、見覚えのない男が立っていた。記憶を辿るが、思い出せない。どうも初対面らしい。ここ一ヶ月ほど、
こうして黒の芸人に襲撃されることが増えた。しかし、たいていはこちらが名も知らない若手であり、なんとか撃退してきた。
それでも回数が増えればいらだちもするし、疲労もたまる。スピワの二人はなんとなく感づいているようだが、ただでさえ白ユニットを
まとめるのに忙しい二人に、これ以上負担をかけたくなかった。
「何か?」
平静を装って返すと、男はヒューッと囃し立てるように口笛を吹いた。何が面白いのかにやにや笑いながら、背中に回していた手を前に出す。
左手に握られていたのは、アーチェリーのような大きな弓。右手に光の球が集まり、一つの大きな光になる。それは形を変えて、細い矢となった。
「恨むんなら、あんたのお友達を恨んでくださいね」
男は矢をつがえて、グリップをしっかりと親指で抑えた。
「待て、どういう意味だ!」
きりり、と糸が張られ、石井に狙いが定まる。石井が横に飛び退くと同時に、矢は風のような音をたてて放たれた。
石井の頬をちりっ、と熱がかすめる。指先でなぞると、浅く切れた頬から血が垂れていた。
「……仕方ないか」
覚悟を決めると、ポケットのルチルクォーツがそれに呼応するようにやわらかい光を放つ。石井はふうっと息を吐く。体をかがめて拳を握りしめた。
頭の中で鳴り響くのはロッキーのテーマ。男は作り笑いを引っこめて、じり……と後ろに下がる。
「__ふっ、」
短く息を吐いて腹筋を締めると、低い体勢から一気に飛びかかる。
「なっ……はや、」
男は予想以上のスピードについて行けず、あわてて二本目の矢を放つ。が、至近距離からの威力も半減した一撃は、
石井が体を半回転させるだけであっさりと後ろのアスファルトに突き刺さった。男は狙撃は諦めたのか、弓を捨てる。
両手に矢を握り、突撃する石井を迎え撃つ。
「ここ、だッ!」
三日月型の弧を描いた矢尻。その刃は、石井の肩の皮膚をほんの1cmにも満たない深さ、切り裂いた。
男は強かった。たった一つ計算間違いがあったとすればそれは、石井が平均的な日本人男性より小柄であったこと__。
「……、かッ、!……」
男の腹に、石井の拳が深々とめりこんだ。もちろんかなり手加減はしてあるが、それでも体重を込めたジャブは重い。
体をくの字に折った男の口から、酸の混じった唾液が吐き出される。石井は荒い息をついて、男がうつ伏せに倒れるのを見届けた。
「……可哀想な、人だ……」
立ち去ろうとした石井の足を、男の声が引き止める。この先を聞いてはならない、という予感がした。なのに、足は縫いつけられたように動かない。
「あなたは、何もかも……知ってる。だけ、ど……あなた、は……何も、分かっちゃいない」
それきり、男はがっくりと頭を落とした。石井は気を失った男を放って歩き出す。その間も、さっきの言葉が頭の奥でリフレインした。
「……僕が、分かってないこと……」
主語を自分に変えて呟いてみたが、答えがはっきりとした形を持つことはなかった。
再び歩き出した石井の耳に、ピリリリ、と着信音が届く。自分のケータイのものではない。振り返ると、気絶したままの男の
ポケットから聞こえているようだった。音はすぐに消えたが、石井はしゃがみこんで、男のポケットを探る。
「最新型か」
赤い折りたたみケータイを開いてみる。何かヒントが残っているかもしれないとメールや通話履歴を確認するが、特に怪しいものはなかった。
「ん?」
保存BOXBOXに、一つだけ動画が入っている。2分ほどの短い動画だが、『証拠』というタイトルに胸騒ぎがする。
『恨むんなら、あんたのお友達を恨んでくださいね』
石井は迷った末に、再生ボタンを押した。

857Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:27:46

真っ暗な劇場の中、手探りで歩く。石塚はサマーコートのポケットに手を突っ込んで、中にあるプラチナルチルの感触を確かめた。
観客席の通路を通り抜けて、ステージ脇の階段に足をかける。徐々に闇に慣れた目に、ステージ袖のドアがぼんやりと浮かび上がるのが見えた。

『__終わった後、劇場で待ってます』

昼間、廊下ですれ違った土谷が、耳元で囁いた一言。振り返った時にはもう土谷は角を曲がって見えなくなっていた。
この前休憩所で聞いた話とあわせて報告すると、ケータイの向こうの設楽は
『いいじゃん、ステージに上がりなよ。お前が主役だ』と笑った。何か引っかかるものを感じたが、行かないことには始まらない。
石塚はマネージャーからななめ45°の出演する劇場を聞き出し、すべてのプログラムが終わった後にこうしてやってきたのだった。

「土谷……土谷、いないのか?」

ステージには誰もいなかった。石塚は一人芝居でもするように真ん中に立って、あたりを見回す。
もしかしたら楽屋にいるのかもしれない。土谷は劇場、とはいったが、ホールにいるとは言わなかった。
石塚はしばらく立ち尽くしていたが、やがてステージ袖に向かって一歩踏み出す。
瞬間、バンッと叩きつけられるような音と共に、まぶしい光が石塚の視界を覆った。反射的に顔の前に手を出した石塚の耳に、
聞き慣れた、だが絶対に聞きたくなかった声が届く。
「……いつか、僕は言ったね。君との間に隠し事はしたくない、と。だから僕は君に何もかも打ち明けた。
 でも、君は僕に何も話してくれなかった」
石塚の姿を照らしだしたのは、二階部分に設置されたスポットライトだった。目が光に慣れてくるのを待って、手を下ろす。
静かなホールに、男にしては小さく軽い足音が響く。それは徐々に近づいてきて、ステージのすぐ下で止まった。
「僕は君の全てを知っていると思っていた。でもそれは間違いだった……いい加減、顔を見せたらどうなんだ。石塚君」
石塚はその言葉に、観念したようにフードを脱ぐ。石井の後ろにいた小沢は、まだ信じられないのか首を振って目をそらした。
そんな相方を、井戸田がそっと後ろに押しのけて前に出る。
「……すいません、石塚さん」
待ち焦がれていた声のした方角に視線を向けると、観客席に隠れていた土谷が、そっと出てくる。
よく見ると下池はステージ袖に、岡安はスポットライトのところで石塚を見つめていた。
「俺達、前に黒に引きずりこまれていたのはお話しましたよね。だから、どうしても……ほっとけなかったんです」
「嘘、だったのか」
石塚のつぶやきに、石井は眉をひそめた。

「嘘つきはどっちだ」

その言葉に、石塚のみならず全員が固まる。小沢は早くも石井を作戦に引きこんだ事を後悔した。
「君は石を持っていない、と嘘をついた。僕が疑わないのを知っていて。そして……深沢さんを半殺しの目にあわせた」
「そ、それは……」
「僕のためだった、とでも言うつもりか。君は僕が無事で済むなら誰かを傷つけてもいいのか?いくら黒の欠片を飲んでいたからって、
 それが言い訳になるとでも思ったのか?」
ため息をついた石井が前髪をかきあげる。先輩に黙って、とも言えず土谷は成り行きを見守った。
(石井さん、何考えてんだ……あの人を責めたって意味ないだろ!)
井戸田は腹の中で舌打ちすると、これ以上石井が言葉を発する前に止めようと前に出る。しかし、もう遅かった。
「君がどんな見返りを約束されたかは知らないが……今の君にとっては、僕ですらその他大勢と同じなんだな」
石塚はややあって、「……どういう、こと?」と消え入りそうな声で一歩前へ出る。
「自分の手を汚したくないから、黒の若手を差し向けるなんて……これがなかったら、僕は君を許していた」
「えっ……何、言って……石井さん……俺、そんなこと」
縋るように伸ばした手は、怒りのこもった鋭い視線にはねのけられた。
「嘘だと思っていた。いや、思いたかった。これを見なかったら……何もかも、なかったことにできたのに」
石井の手にあったのは、昨夜男のポケットから拝借したままの赤い折りたたみケータイだった。ピ、と再生ボタンが押される。

858Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:28:36
『……じゃ、さっき言った通りにやれよ。仕事に支障が出ないレベルなら何しても構わない。ただ、顔はやめとけよ』
どこかの楽屋だろうか。白いテーブルの上、隠し撮りのために斜めに置かれたケータイの向こうで、
石塚が不機嫌そうに頬杖をついて座っている。
「ち、違う……これ、俺じゃない!」
必死に否定するが、タバコのせいでかすれた声も、根本だけ黒い茶髪も、顔つきさえも、完全に石塚のものだった。
石塚は今度こそよろめいて、その場にへたりこむ。
『はいはい、分かってますって。それにしても、あなたも結構いい性格してますよね。
 よりにもよって相方を襲わせるなんて。いやあ、俺にはそこまでの度胸ありませんよ……っとと、すいません』
画面の中の石塚は軽口を叩いた相手を睨みつけると、テーブルに手をついて立ち上がった。画面が見えないので声しか聞こえない他の五人も、
信じられない、というような顔で、ステージに立つ石塚と石井の間でせわしなく視点を動かした。
『……人には我慢の限界ってのがあんだよ。長生きしたかったら、口を縫いつけときな』
普段の石塚からは考えられない恐ろしい台詞を吐いて背中を向けたところでぴた、と動画が止まる。
石井はケータイを持った手をゆっくりと下ろして、「……最悪だ」と吐き捨てた。
「石井さん……あの」
これ以上話したくもない、というように手を振って、石井は顔を背けた。そしてとうとう、激情のままに言ってはならない言葉を告げる。

「こんなの……こんなのは、君じゃない」
石塚は少しだけホッとしたように体の力をゆるめた。が、続く言葉にまた崩れ落ちそうになる。
「今の君は僕の相方じゃない、僕が信頼している石塚義之は、こんな事はしない!」

石塚はその瞬間、自分の心のなかの天秤に『ピシッ』とヒビが入る音を聞いた。
白と黒の分銅を置いた天秤に入った亀裂はどんどんと深く大きくなり、やがてガラガラと音をたて崩れてゆく。
残骸の中から弾き出された黒の分銅が、ころんと転がった。

「……なんで、そんなこと言うんだよ」
石塚はふらりと立ち上がって、熔錬水晶を仕込んだ銃を左手に構えた。そのまま、右手に巻いた包帯の留め具を糸切り歯で解く。
包帯の下にあったのは、傷は塞がったもののまだ赤い痕の残った手。しばらく動かせなかったおかげでもつれる指で、安全装置を外した。
「石井さんのためだったのに。なんで、その石井さんが俺を」
銃口が向いているのは、天井。その意味するところを井戸田が察知した瞬間、乾いた銃声が響いた。
光の弾丸は、幕を上げるための器具を粉々に打ち砕く。重い幕の右半分だけがガクンッと落ちて、石塚の姿をステージから消し去る。
「石塚さん!」
井戸田がステージに駆け上がる後ろで、土谷が二階部分の岡安に向かって合図する。スポットライトを回転させた岡安は、
首から下げたチャームを握り締めて「電車がまいりまぁす」とねっとりした声を発した。瞬間、カプセル型のチャームが
まばゆい光を放ち、ポンッと小さな列車が現れる。岡安はその上にまたがって、観客席の方へ滑るように下りてきた。
「いない……?」
ステージに上がった井戸田は首を傾げる。幕を突き抜けてきた岡安は、かすかな気配を感じて顔を上げて、
「土谷、屋上ってどっから行けるっけ」と聞いた。
「えーと、たしか楽屋の隣に階段が……」
土谷の言葉が終わるか終わらないかのうちに、石井と小沢がステージに上がる。上手側にいた下池がステージを駆け抜けて、そっとドアノブに手をかけた。
「……開いてます」
「鍵は?」
小沢の質問に、「ここに」とスタッフから預かったのであろう鍵束を見せる。
「このドア、内側に開くんだね」
「それが何か?」
「……向こう側から、誰かが開けてやればいいんだ。考えてみなよ、こんなバレバレの罠に、石塚さんが一人で来るわけない」
「ピンポーン」
不意に混じった声に、全員が一斉に振り返る。いつの間にか開け放たれたホールのドアの向こうから、二人分の人影がこちらへ歩いてきた。

859Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:29:13
「さっすが小沢さん」
阿部は心のこもっていない棒読みで賞賛する。隣の吉田は「……なんで俺達が」と明らかに気乗りしていない様子で
包帯の留め具を外した。ステージの上でまごまごしていた石井は、そこで初めてはっと我に返って岡安のミニ電車に飛び乗る。
「あ、待ってくださいよ!」
二人だけでは危険だと思ったのか、小沢がその後ろに乗って「あとは頼んだ!」と井戸田に手を合わせる。三人を乗せたミニ電車は、
キキキ、と耳障りな音をたててドリフトして、煙を吐きながら狭い階段を駆けていく。
「下っぱ同士協力しましょうってことだよ、多分。大丈夫、ちゃんと働いた分は石塚さんに請求するから」
「何をだよ」
いつもどおりの静かなツッコミを入れた吉田が、一歩ずつステージに歩みよってくる。その異様な雰囲気に、土谷は少しずつ後ずさった。
包帯の留め具を外して床に落とす。バツ印に刻まれた手のひらの傷で、血がコポコポと泡立ち、徐々に硬化していく。
阿部を後ろに下がらせて、傷口からずるりと長い棒のようなものを引き出した。
「……槍?」
「矛です」
井戸田のつぶやきに、心底不本意だというような声音で返す。吉田はつま先で床を強く蹴って、ステージに飛び乗った。
「う、わっ!?」
半月型の軌道を描く矛の先は、すんでのところで避けた井戸田のシャツを切り裂いた。のけぞった井戸田の耳に、
「そのまま!」と土谷が鋭く叫ぶ声。イナバウアーの体勢で固まった井戸田の腹すれすれの所を、ゴオッと熱いものが通過する。
吉田は矛を半回転させて、充電式ドライヤーを銃のように構えた土谷に狙いを変えた。
「させるか!」
そこで舞台袖にいた下池が、吉田を指さして叫ぶ。首から下げたチャームがぱあっと光を放ち、吉田を一直線に射抜いた。
「……くっ、」
少しよろめいた後、吉田はそこにあるべき__相「棒」の存在感が薄れていることに気づく。
「……まさか」
矛を取り落とし、カチャカチャとベルトを外す。くるりと背を向けて、スラックスとトランクスをそっと引っぱり……絶叫した。
「なっ……な、な」
振り返った吉田は耳まで真っ赤になっていた。似つかわしくない絶叫に驚いた井戸田が下池を見やると、「へへっ」と照れ笑い。
「あ、あんた……どこにやったのよ!あたしのっ……あたしの……」
女言葉で罵倒するが、恥ずかしいのか消え入りそうな声で「……」と男の象徴を表す相方に、
阿部は目をパチクリさせて「ついてんじゃん」と首を傾げる。阿部の目には、吉田はスッピンのニューハーフにしか見えない。
「ねえ、その石ってさあ。吉田をボンキュッボーンの美女にしてくれたりとかしないの?」
今まで死んだ魚のようだった阿部の目がきらりと光る。空中で胸をモミモミするパントマイムをしながら聞くと、
下池は心底残念、という顔で肩をすくめた。
「うーん、あくまで中身と性質の問題だから、完全にタマキン消してオッパイくっつけるってわけじゃないみた……あぶねっ!」
顎に手を当てて考える下池の頭すれすれの所を、矛が旋回する。髪の毛が何本かひらり、と宙に待った。
アルゴリズム体操のごとくしゃがんで避けた下池は、「おっ」だの「ひえっ」だの叫びながら、怒りのまま矛を振り回す吉田から逃げる。
「……なんか、タマがヒュンッてなった」
「俺もです」
ステージに座りこむ井戸田と、その隣で股間を守るように手を前に出した土谷は、
目の前で繰り広げられる修羅場に似つかわないのんきな感想を漏らした。

◆◆◆◆◆◆◆

幕が落ちると同時に、石塚は走り出していた。心臓が脈打つ音が頭の中で響く。はあっ、はあっと短い間隔で呼吸をしながら、
緑色の照明で照らしだされた非常階段をのぼって、屋上に続くドアに手をかける。阿部は「屋上から脱出できるようにしときますねー」と
のんびりした声音で言っていたが、仕事はきちんとするタイプらしい。あっさり開いたドアの向こうに人の気配はない。
石塚は屋上に出ると、念のため後ろ手に鍵をかけた。岡安の能力に鍵が意味を成さないのは知っているが、気休めだ。
「……無理か」
柵に足をかけて、すこしせり出した外側にとんっと下りる。隣のビルとの間隔は、およそ50メートルほど。
到底飛び移れる高さではないそれに足がすくむ。と、そこで車輪と地面が擦れるかすかな音が耳に届いた。

860Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:29:51
「石塚さん!」
無人の屋上に、岡安の高い声が響き渡る。一番後ろにいた小沢が降りると、ミニ電車は『ポンッ』と軽く弾けるような音をたてて消えた。
「……ダメだ、もう」
小沢は目をつぶって意識を集中させたが、それらしい気配は小さすぎて感知できない。一方の石井は、柵に手をかけて地面を必死に探していた。
「飛び降りたんなら、音で分かりますよ」
「……あっ、……そう、そうだな……一体どうしたってんだ、僕は」
石井は頭を振って、諦めたように息を吐く。
「……なんで、あんな言い方しかできなかったんだろう」
岡安は慰めの言葉も見つからないのか、少し遠くで黙って立っていた。
「信頼していたからこそ、許せなかった。あれは本当の石塚君じゃないって、分かっていたはずなのに」
「でも、浄化すればきっと元通りになりますよ。その時には、石井さんがしっかり支えてあげないと」
「それでも、全部が全部なかったことにできるわけじゃないんだ。僕は……あれ?」
石井はふと、何かに気づいたように顔を上げた。視線の先には、隣の建物の屋上に設置された、ケータイの無線アンテナ。
「なあ。これ、前からあったか?」
「え?いや……」
劇場の目と鼻の先に建つ2階建てのビル。岡安は柵から身を乗り出して「なんとか飛べそうですね」と頷く。
「あっ!」
岡安は思わず叫んだ。古いテレビにノイズが混ざるように、ビルの形が左右にぶれる。三人の目の前で、
ビルはあれよあれよという間に無数の光の玉になって、空に溶けていく。一分もしないうちに、ビルは影も形もなくなっていた。
「これ……まさか、ブラマヨが言ってた」
小沢は独り言を漏らした後、隣の石井と顔を見合わせる。石井はぎゅっと拳を握りしめて、悲しみとも怒りともつかない表情を浮かべていた。

「はっ……はっ、はあッ……はあっ、」
地下道の壁に手をついて、ずるずるとその場に崩れ落ちる。あの時とっさに地図にビルを書き込んで足場を作り、飛び移ったのは正解だった。
石塚はその間一度も振り返らず、ただ無心に走った。もはや何から逃げたいのか、それすらもわからないまま。
『僕が信頼している石塚義之は、こんな事はしない!』
頭の中で反響する石井の声に、耳をおさえてうずくまる。
「うっ……」
噛み締めた唇のすきまから嗚咽が漏れた。こらえていた涙が、後から後から頬を伝う。
「うっ……うぇ、……あああー、」
ぺたんと座りこんで、ひたすら泣く。どうしてこんな事になった?自分はただ、石井と一緒にいたかっただけで、石井を守りたかっただけで。
その為なら自分はどうなってもいいとさえ思っていた。石を持っていないと嘘をついたのも、助けて、が言えなかったのも。
石井にこれ以上負担をかけたくなかったから、ただそれだけの理由だったのに。

「俺は石井さんを裏切ったんじゃない」

泣きながら声に出してみると、胸のあたりに氷を落とされたような感覚があった。
「石井さんが俺を裏切った」
無意識に口が動いて、主語がいれかわる。
「石井さんは俺から逃げた。都合のいいことしか見なかった。俺が悪いんじゃない、たまたま目をつけられただけだ、なのに石井さんは」
言葉を発するごとに、心臓のあたりにじわじわと冷たい感触が広がっていく。
いつの間にか涙は止まっていた。もう何が理由で泣いていたかも思い出せない。
「……信頼、か。芸人のくせにつまんねー綺麗事ぬかしやがって」
スイッチを一つずつOFFにするように、石塚の中から『正』の感情が消えていく。今までは異物でしかなかった黒の欠片が、
まるで酸素のように当たり前の顔をして体の中に染み渡った。
「お前の言う信頼ってのは、自分に都合がいいことだけつまみ食いみたいに信じるってことかよ。ねえ、石井君?」
石塚は立ち上がり、ガンッと地下道の壁を殴って叫ぶ。
「一生ヒーロー気取りのお遊戯してろ、バーーッカ!!」
はははっ、と笑いながら地下道を出る階段をのぼっていく。しかしその足取りは、なぜかふらふらと不安定なものだった。

861Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/02(水) 16:40:20
やられ役なので単純な武器化能力にしていました。

襲撃してきた男(名前不明)
【石】不明
【能力】石を弓に変える。弓はアーチェリーのような形状をしているが、
     矢は一本ずつしか出せないため、連射は難しい。また、自動で照準を合わせてくれたりはしないので、
     射撃精度は本人次第。
【代償】撃った矢の本数によって、利き目の視力が低下する。
     最大で失明、一発、二発程度ならほとんど変わらない。時間経過と共に回復する。

862名無しさん:2015/12/02(水) 19:40:05
乙です、佳境に入ってきましたねえ
どんどんドツボにはまっていく石塚が怖い…
あの動画のカラクリも気になる
で、下池の能力は能力スレのログにもあるように「ドラえもん」のオトコンナが
元ネタでして、精神面の男らしさと女らしさを逆転させるという物です

あと余談だが、設楽の能力がやついの能力でおバカになってしまい
ゲラゲライヤホンのごとく何を言っても抱腹絶倒の笑い話に聞こえるようになって…みたいな
コメディタッチの話が漠然と浮かんでしまったw

ttp://members3.jcom.home.ne.jp/atelier-bios/koza0117.html

863Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/07(月) 19:05:50
またタイトル変わりますが、続いてます。欠片で黒化したのは今まで浅越さんやヒデさんなどおりましたが、
黒石塚はそれらとは方向性が違う感じ。『写真にキスしたら顔をコピーできる』はちょっと改訂して能力スレに落としてみたい。

【Irony of the fate-1-】

一夜明けて顔を合わせた相方は、拍子抜けするくらいにいつも通りだったので、石井はかえって面食らった。
向い合って座り、デニーズでネタの最終チェックをしていく。石塚はしばらく普通に話していたが、
やがて思いついたのか、ペンを置いて水を一口飲んだ。
「始まりは強引だったけどさ。冷静に考えてみたら、設楽の言うことも一理あるんだよね」
石井は弾かれたように顔を上げた。
「……うわ、そうやってあからさまにガッカリって顔されると、正直心外なんだけど」
「今の君は……どっちなんだ」
「どっちもこっちもねえよ。俺は俺。お前の相方の、石塚義之」
「違う!」
思わず張り上げた声に、後ろの席で食べていた客がびっくりして振り向く。店内の注目が一瞬集まるが、石井が立ち上がって
すいません、と謝ると皆興味を失ったようにそれぞれの食事に戻っていった。座り直す石井に、石塚は軽蔑したような一瞥をくれる。
「……何が違うっていうんだよ。お前が信頼していたのは、お前が俺だと思ってたのは、お前にとって都合のいい、
 妄想みたいな俺だろ?お前いつか言ってたよな、“自分はマジメに見えるけど、結構中身はドロドロしてる”それってさ、
 まんま俺にも当てはまるって言ったら、どうする?」
言いながら、黒の欠片を一粒取り出す。
「やめろ!」
手首をつかもうとした手は、スカッと空を切った。石塚は薬を飲む時のように水で流しこんで、わざと大きな音をたててコップを置く。
「外面と中身って、全然違うだろって話。俺は別に欠片で操られてるわけでもないし、ちゃんと自分の意志で考えて喋ってんだよ。
 前はなかなか抜けないトゲみたいだった黒の欠片がさ、今は細胞になったってぐらい自然。
 ほら、お前だって聞いたことあんだろ。能力者のほとんどが石に魅入られて、そのうちの半分くらいが黒に振りきれるって話。
 人間なんてそんなおキレイなもんじゃないんだしさ、特に芸人なんて人間失格みたいな奴も多いでしょ、誰とは言わないけど。
 俺はさ、今すっげえいい気分なんだよ。何ていうのかな、今なら何でもできそうな感じ。だからさ」

ほっといてくんない?

その一言が出た瞬間、石井の思考は完全に停止した。今投げつけられた言葉が理解できず、ただ呆然とテーブルを見つめる。
やっと復活した時、もう石塚はいなかった。
「……そんなの、無理に決まってるだろ」
石井は勢い良く立ち上がり、手早く勘定を済ませてファミレスを出た。

864Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/07(月) 19:06:31
話をすべて聞き終えると、深沢はベンチに背中を預けて長いため息をついた。浅越の能力で全て治癒したとはいえ、
体に何発も銃弾を撃ち込まれる感覚というのは愉快な記憶ではないらしく、頭を振ってそれを打ち消そうとする。
「……で、お前はどうしたいんだ?」
「取り戻します。誰がなんと言おうと、絶対に」
「それから?」
「……どれだけ時間がかかってもいい。いつか完全にわだかまりをなくせたら」
「違うよ」
深沢はあっさりと石井の言葉を否定して、組んでいた膝を解く。姿勢を正して、隣りに座る石井の目をまっすぐに見すえた。
「石塚は、お前の所有物じゃない」
一も二もなく協力してくれると思っていたわけではないが、相方の肩を持つような言葉に、石井は少し機嫌を悪くした。
それが伝わったのか、深沢はまた短くため息をついた。
「誤解のないように言っておくと、俺は黒に共感してるわけでもない。黒のやり方は強引だし、石塚は黒より白のほうがまだ
 居心地がいいだろうってのは俺にも分かる。だけどな、ここで厄介なのが、あいつの感情だ」
「感情……」
「いくら浄化したって、本人の心ってのが変わらなかったら、また黒に落ちる。……実際、そういう奴らを
 何人も見てきたから言うんだ。あいつの場合は破壊願望だの上昇志向だの、そういったスタンダードな負の感情じゃない。
 向かう方角が歪な分、一筋縄では行かないだろうな」
「……なら、どうすればいいんですか」
「あいつの言うとおり放っといてやって、向こうから帰ってくるのを待つっていうのが一番波風が立たない。
 でもそれじゃお前が納得できない。かといって、ホリプロなら……島田か?に頼んで浄化してもらっても、お互いわだかまりは残る。
 なあ石井、負の力を操りながらも、それに飲まれない奴もいる。
 逆に、あっさりとそちら側に落ちる奴もいる……正位置と逆位置、どちらに立つか選んでいるのは結局のところ、そいつ自身なんだ」
深沢は立ち上がり、こわばった筋肉を解すためにうーんと伸びをした。頭の上で組んだ手を下ろして、振り返る。
「本当に相方を取り戻したいんなら、嫌な部分も醜い部分も、全部見る覚悟でぶつかってけよ。
 ここがアリtoキリギリスの正念場だ」
じゃ、あとは頑張れと手を挙げて去っていく深沢の背中を見送り、石井はまた考えこんだ。
何かヒントが貰えればと思ったのに、これでは全く振り出しに戻ったのと同じだ。
「……考えるしかない、のか」
そこで、ポケットに突っ込んでいた携帯電話が震えた。体がびくっと跳ねたが、話の邪魔になるからと着信音をミュートにしていたのを思い出す。
「もしもし……分かった、すぐに行く」
石井は通話を切ると、冷静な声音とは裏腹に転がるような足取りで駈け出した。

「石井さん、あのケータイまだ持ってます?」
ロビーに駆けこむなり、待っていた小沢はそんな質問をしてきた。石井はしばらく考えて、それがあの赤い折りたたみケータイを
表していることに気づき、かばんから取り出して見せる。
「ちょっと、お借りしますね」
小沢は半ばひったくるように赤いケータイを奪うと、「あ、やっぱり……」と眉をしかめる。
「何がやっぱりなんだ?」
「これ、プリペイド携帯電話ですよ。確かに最新型だけど、カード購入すればすぐに使える奴です。
 芸人なんて仕事の電話も多いんだし、プリペイドをメインに使ったらすぐに金額が跳ね上がっちゃいますよ。
 そいつ、これしか持ってなかったんですね?」
「あ、ああ……」
「昨日からずっと考えていたんですけど、おかしいのはそれだけじゃないんです。ほら、これ」
小沢が見せた画面には、『証拠』とタイトルのついた例の動画の再生画面。小沢は石井を気遣ってか音声をミュートにして、問題のところで
ピ、と再生を止めた。無言でもう一度画面を見せられるが、石井にはどこがおかしいのかよく分からなかった。小沢は画面を人差し指で叩く。
「ここです、右手に包帯がない」
「あ!」
「石塚さんの右手、まだ痕が残ってるんですよね。でもこの動画では怪我する前と同じように見える」
「で、撮影日時は怪我をした日の後……たしかに、矛盾してるな」
ようやく調子を取り戻した石井が言葉尻を繋ぐと、小沢は自分の推理が不安だったらしく、ようやく表情を和らげた。
「でも、これはどう見たって……」
「石塚さんの身長って、何cmでしたっけ」
「ん、僕より21cm高かったはずだから……178、かな」
小沢はまた動画を進めて、最後に石塚が立ち上がるところで止めた。

865Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/07(月) 19:07:04
「ここなんですけど。テーブルの高さと合わせてみても、ちょっと低いように見えるんですよ。
 せいぜい170ぐらい。ラバーソールとかで高く見えることはあっても、縮むってのはありえないですよね。
 あるはずの傷がない、身長も低い。ということは」
「これは、石塚くんじゃない」
石井はその場にへたりこみそうになったのを、なんとかこらえた。安心と同時に湧き上がるのは、気が立っていたとはいえ
こんな簡単な偽物に騙された自分の不甲斐なさ。
「そう、別の誰かなんです。問題はどうやって同じ見た目で声まで再現できるか……なんですけど、黒にも変身系の能力者がいるとしたら、
 簡単に説明がつくと思いませんか?」
「変身……」
「何人か知ってるんですよ。たとえば写真にキスをしたら被写体の顔をコピーできるとか、特徴のある人間にだけ変身できるとか。
 最後に一つだけいいですか」
小沢は流暢に回る舌とは反対に、おずおずと聞いてきた。頷くと、「石塚さん、最近髪染めたのいつか分かります?」と聞いてくる。
「えーと、たしか……今月の頭に美容室行ったとか言ってたな。この動画の日付の、そうだ。2日くらい前……あっ」
石井は合点がいったのか、手を叩く。
「2日で色落ちなんて、ありえませんよ」
「そうか、首から上……顔と声だけしかコピーできないのか」
「あくまで想像ですけどね。それなら身長が違うのも納得いきます……石井さん?」
何もかも聞き終えると、石井は小沢からケータイを奪いとった。床に落として、カラカラとその場で回るケータイを、思い切り踏みつける。
ぐしゃっと潰れて部品がいくつか飛んだ。
「い、石井さん……」
小沢が顔を引きつらせているのにも構わず、ゴキブリでも叩き殺すようにガンッ、ガンッと何度も踏んで、完全に破壊する。
はあ、はあと肩で息をしながら、無残に潰れたケータイを見つめる石井の目は、今まで誰も見たことがないほどの怒りに満ちていた。

「退屈、だな」
そう呟く石塚の目の前には、血を流して倒れる男達。その中の一人が「うう……」と唸って、動かない体を引きずり逃げようとする。
その背中を踏みつけて動きを止めてやると、「ぐえっ」とカエルが潰れるような声を出して動かなくなった。
もう一発撃ちこんでやってもいいかと思ったが、思いとどまる。石塚はその背中から足を離さないまま、ククッと笑った。
「昔さあ、ライブで後輩の頭踏んだことあってさ」
倒れている中には、白でそこそこ名前が知れた芸人もいたようだが、思い出せない。
「こう、ちょうどこいつみたいに倒れてんだよ、その後輩が。で、靴の下に頭蓋骨の感触があって。悪いことしたなーとか、
 このままちょっと力込めてみたら潰れるんだろうなとか、一瞬だけ考えた。
 ……やってたらここにいねえよ、バーカ」
おびえた目で自分を見ている白の芸人を蹴り飛ばす。地面に転がってゲホゲホと咳き込むのを、笑いながら眺めた。
「でもさ、そういう考えが浮かぶのが人間ってもんだろ。だから、黒はそれを否定しない」
やっと呼吸が落ち着いた男の前にしゃがんで、ポケットから黒の欠片を取り出す。それの意味する所を知っている男は
首を振って拒絶したが、石塚はその口に指を突っ込んで開かせ、口を塞いで飲ませる。
『早くしろ、指突っ込んで無理やりこじ開けられてえのか』
あの時の大竹の目は本気だった。まさか自分がそれをすることになるとは思わなかったが、それもまた運命というものかもしれない。
石塚はうっすらと笑って、ここにはいない相方に向けて呟く。
「……だからさ、お前もこっちに来いよ」

なあ、石井?

866名無しさん:2015/12/07(月) 23:48:32
>>863
乙ですー
まあ、ヒデのはほぼ後づけのようですけどね…
まとめサイトに上がってる話が中途半端なままになっちゃってたので
いろいろ大まかな案をつけ足した方がいたようで
ペナや品庄関係の話はここにもいくつかあるけど、いつかその辺をきれいにまとめた
話ができたらいいなあ

867Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/16(水) 15:57:05

『Irony of the fate-2-』

円形に貼りつけられた壁一面の写真から、一つずつバツ印が消えていく。
設楽はまたバツのついた写真を一枚『ペリッ』と剥がして、新しい写真と入れ替えた。後ろでペンを回しながらノートと睨めっこしていた
小林は、思考を無遠慮に中断したその音に顔を上げて眉をしかめる。設楽は「ごめん」とまるで心のこもっていない謝罪をして手を合わせた。
「正直、あいつがここまで出来る子だとは思わなかったよ」
真ん中の写真をとんとん、と指の関節で叩いて笑う。
「……彼は密偵として働くはずでしたが」
「そのはずだったんだけどね。潰す方が楽しいみたいで」
設楽は小林と向い合って座ると、「んー」と伸びをした。肩の上で組んでいた指を解いて、感情の読めない目でじっ、と小林を見つめる。
「あるいは、嫉妬かも」
文脈から全く繋がらない言葉に、小林は「はい?」と聞き返す。
「いや、あいつらってさ。分かりやすく仲いいって感じじゃないんだよ。普段から遊んだりとか、そういうのじゃないけど、
 なんか信頼し合ってるっていうの?そういうのがなんか腹たったのかもね。俺はといえば、日村に隠し事ばっかりしてる。
 裏を返せば俺は孤独だ。でも石塚は、石井に守ってもらえる。信じてもらえる。なんで同期なのに、あいつだけ……って」
小林はノートを閉じて、次の言葉を待った。
「……どうかな。そう思ったことも、あったかもしれないね」

扉を蹴破って転がり込んできた吉田が口を開く前に、井戸田は蝶番の外れてぶら下がった扉を指さして、「修理代」と手のひらを差しだした。
吉田は荒い呼吸を整えながら、財布から千円札を取り出しテーブルにバンッと叩きつける。
そのまま「まあ一旦落ち着いて」とパイプ椅子を出していた小沢にずかずかと歩みよって、状況を呑みこめていない小沢を睨みつけた。
「石塚の居場所、教えろ」
吉田の強い目線に押されて、小沢はう、とたじろいだ。助けを求めるように相方を見ると、井戸田はやれやれ、と肩をすくめる。
「おい、せめて理由を言え、理由を」
井戸田がとりなすと、吉田はため息をついて「すまん。確かに急やった」と謝った。
「あんな、小杉が……消えてもうてん」
「ケータイは?」
「繋がらん。大家に合鍵で開けてもろたんやけど、家はもぬけの殻や。石塚の奴、お前らが取り逃がしてから吹っ切れたんか知らんけど、
 えらい派手に暴れ回っとるやろ。俺らの可愛がっとる後輩もそれでやられて、小杉がとうとうキレてな。サシで話つけに行く言うとったんや」
取り逃がして、の所に力をこめて、じろりと睨みつける。井戸田は降参だ、というように両手を挙げた。
そこで、こっそり聞き耳をたてていた土谷が「あの……」と申し訳無さそうな声をかけてくる。
「岡安も、いないんですけど……」

868Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/16(水) 15:58:07
渋谷の歓楽街にほど近い、廃棄されたビルの地下室。元はキャバレーだったらしく、毒々しいピンク色のステージやバーカウンターには、
空になった酒瓶や引き裂かれたドレスが捨てられている。そして、彼らをここへ閉じこめた犯人にとっては非常に好都合なことに……
天井に、どう考えてもいかがわしい用途しか思いつかないフックが取りつけられていた。
二人の手首は、銀色に光る手錠(もちろん玩具だろうが)と天井のフックから伸びるチェーンで繋がれている。
そして二人は、この状態で一夜を明かしていた。が、なぜか小杉は不敵な笑みを浮かべて、隣でげんなりしている岡安に話しかけてくる。

「なあ岡田、これはチャンスやで」
「岡安です。この状況でよくそんな前向きな事言えますね」
「よう考えてみい。一見すると俺らのほうが捕まっとるように見えるけどな、逆に考えれば俺らが石塚を捕まえとんねん」
岡安は一瞬「ああ……」と納得したように頷いたが、すぐに「いやいや、逆に考える必要ないでしょ」と言い返した。
「ていうか言っときますけど、小杉さんがあそこで大声出さなきゃ
 俺らこんなことになってないんですからね?」
「それは……ホンマ、すまんかった。せやけど、なんでちょうどええタイミングであんなとこおってん、岡本」
「岡安です。嫌な偶然ですけど、あそこは俺の帰宅ルートなんですよ。
 でも、石塚さん一人で俺らを運べるわけないですよね。またポイズンの二人が一緒だったのかな……
 あの人、単独犯装って仲間を待機させてるからやりづらいんですよ」
「まあ、石塚に俺らをどうこうする気はないらしいってのがせめてもの救いやな。トイレ行けへんのは辛いけど。なあ、岡村」
「岡安です。……さっきから、絶対わざとですよね!」
場の空気を和ませよう思て、とブツブツ愚痴る小杉の耳に、『コッ』とかすかな音が届いた。足音は階段を下りて、
二人が閉じこめられている地下室の扉の前で止まる。鍵が差し込まれ開かれたドアの向こうには、予想通りの男が立っていた。

「おはよ。ごめんな?遅くなって」
石塚は床に散乱した酒瓶や椅子の残骸を器用に避けながら歩き、二人の前にしゃがんでコンビニの袋をがさがさと漁る。
中からおにぎりとミネラルウォーターを取り出して並べると、「食えよ」とすすめた。
「……おかげさまで、よう寝れたわ」
小杉が嫌味を言っても「へえ」と意に介さない。
「俺さあ、黒に入って初めて設楽に褒められちった。“自発行動ができるようになったのは、いい進歩だ”って」
言いながら、おにぎりを口にくわえて中のエビを噛みちぎる。
「目的は何ですか?」
「この前俺をハメてくれたお仕置きだよ。お前ら二人はあいつらをおびき出すエサだ」
岡安が手錠のはまった腕を持ち上げると、首を横に振って「ダメ」と答える。
「俺の石、どこやった?」
小杉は拘束された腕をぐっと伸ばして、おにぎりをもぐもぐ咀嚼する石塚に近づいた。
その前にしゃがみこんで目線を合わせて「なあ」と問いかける。石塚はしばらく黙っていたが、やがて最後の一口を水で流しこんだ。
「……懲りねえデブだな」
石塚は低い声で呟いたかと思うと、わずかに腰を浮かせる。瞬間、小杉の薄く開いた口は冷たい金属にこじ開けられた。
「ぐ、もがッ……!」
石塚は喉奥まで突き入れたモデルガンを、ぐりっと回した。カプセルに包まれた黒の欠片を口に入れられたような不快な味が、
小杉の口中に広がる。それが熔錬水晶の仕業だと気づいた時、安全装置が外された。驚きに目を見開いた小杉を、実に面白そうな顔で見上げてくる。
「なあ、しばらく飯食えねえようにしてやろうか?」
ゆっくりと、石塚の指が引き金にかかった。隣の岡安が「やめてください!」と叫ぶ。

パンッ、と乾いた破裂音が響いた。天井に空いた小さな穴から、パラパラと建材の欠片が落ちてくる。
「……ぷっ、アハハハッ!」
石塚が腹を抱えて笑い出す。それを合図にしたように、小杉はその場にへなっと座りこんだ。
引き金を手前に引くのとほぼ同時に、石塚は小杉の口からモデルガンを引き抜いて天井へ向けていた。
岡安は手を伸ばした体勢のまま、固まっている。その光景が面白いのか、石塚はまた腹を抱えて笑い出した。
「ハハハッ、やばい、すげえ面白い……ぐっ!」
小杉は自由になる方の手を伸ばして、石塚の胸ぐらを掴んだ。そのままぐいっと引きよせる。石塚は息苦しさに一瞬だけ顔を歪めたが、
すぐに嘲るような冷たい笑みを貼りつけて、小杉を見つめ返した。

869Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/16(水) 15:58:59
「……おいおい、何熱くなっちゃってんの?ちょーっと遊んだだけだろ」
「お前ッ……お前、相方に堂々と顔向けできんような事して、何が楽しいねん!」
「相方?」
石塚はそこで笑みを消した。完全に黒に振りきれた芸人特有の虚ろな目に射抜かれて、小杉は思わず胸ぐらを掴んでいた手を離す。
「お前さあ、自分で言ってて恥ずかしくねえの?相方なんて言葉で誤魔化してんじゃねえよ。ただの仕事仲間だろ?
 小杉、お前だって吉田が普段何をしてるか、何を考えてるかなんて、全然知らねえだろ。当たり前だよな、赤の他人だから」
「……俺は吉田を信頼しとるから、それでええんや。あいつが俺にどんな事を隠しとっても、そんな事で俺らは揺らいだりなんかせえへんのや。
 俺らは絆で繋がっとる。それが俺らを強く結びつけとるんや!」
「信頼、ね。俺だってそこから始まってんだよ。俺は石井を信頼していた。石井に心配をかけたくなかった。石井のためなら悪人にもなれた。
 俺達の間にも、信頼があった。お前らが絆と呼んでいるものがあった」
石塚は小杉の耳元に顔を近づけて、囁く。

「それが、俺を壊した」

小杉が言葉の意味を理解する前に、鍵のかかっていなかったドアがバタンと蹴破られる。
「岡安!」
土谷はあわてて岡安のもとへ駆けよると、拘束されている方の手首を持ち上げて、シェーバーを取り出す。
「これ、家電の中に入る……よな。岡安、ちょっと怖いだろうけど、我慢しろよ」
首から下げられたカプセル型のチェーンが、柔らかい光を放つ。シェーバーのスイッチが入ると、強化された三枚刃が金属製のリングを
ガリガリと氷のように削っていく。岡安はぎゅっと目をつぶってそちらを見ないようにしていたが、シェーバーの電源が切れると、恐る恐る目を開けた。
「ほら、外れた」
「あ、ありがとう……土谷、よくここ分かったね」
岡安が自由になった腕をさすりながら聞くと、「サーチしてもらったんだよ」とこともなげに答える。ななめ45°の3人が無事を喜ぶ横で、
吉田は「面倒かけんな、アホ」と小杉の頭を軽く叩いていた。

「……石塚くん」

張りのある声に振り返ると、石井が開いたドアにもたれかかって立っていた。
「……へえ、やっぱ来たんだ。暇な奴」
「石塚くん、もうやめるんだ」
「何を?……ああ、まさか、またあのくっさい台詞聞かせる気?“こんなのは君じゃない、僕の相方じゃない”……ハハッ、傑作だよなあ。
 あの台詞言いながら、自分に酔ってたんでしょ、バカなやつ」
ななめ45°の3人を下がらせて、石井は一歩ずつ相方に歩みよって行く。その間も石塚は笑うのを止めなかった。
「勝手に俺をでっち上げて、勝手に失望して。勝手に俺の立ち位置を決めて、そこに戻そうとする。
 それって、ガキが駄々こねてんのと何の違いがあるわけ?」
石井は足を止めた。そのまま膝を折り、石塚の足元に正座する。
「……すまない!」
指をそろえて、頭を下げる。石塚は「うげっ」と心底気持ち悪そうな顔をした。後ろで成り行きを見守っていた
ななめ45°の3人も、ブラマヨも、石井の突然の土下座に、どうしていいのか分からず二人を代わる代わる見る。
「僕は身勝手で……妄信的で、いつだって自分の事しか……自分に都合のいい事しか見えちゃいなかった。
 それが……君を、苦しめていたって事も、今なら分かる」
石塚はその頭を踏みつけようとして、足を戻した。石井は顔を上げて、その両足にすがりつく。
「だから。僕に、もう一度だけでいい。チャンスをくれ。今度こそ君を離さないから」
頼むよ、と繰り返しながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔をジーンズにこすりつける。石塚は薄くなりかけた石井の髪をつかむと、
無情にも引き剥がした。
「……いまさら、遅えんだよ」
石井の頭から手を離して、顔を背ける。
「お前の言葉なんか、もう何の意味も持たねえんだよ。俺達は」
安全装置が外されたままのモデルガンの銃口が、ゆっくりと石井の眉間に向けられた。

「戦うしか、ないんだ」

石井はゆっくりと立ち上がり、袖で涙を拭いた。石を取り出そうとする後輩たちの前に手を出して「僕が」と押しとどめる。
「これは、僕たち二人の問題なんだ。下がっててくれ」
それだけ言うと、ルチルクォーツを胸の前で握りしめる。5人は言われたとおりに下がるが、いつでも助けに入れるよう準備した。
「僕たちには絆がある。11年の信頼がある……それに、意味がないとは思わない」
「絆、信頼……ハハッ、まるでうさんくせえ感動企画みたいだな。それが本当にあるってんなら、なんでお前、あの時俺を否定した?」
石井は答えない。今はどんな言葉も相方の心に届かないと分かっていた。

870Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/16(水) 16:00:29
「これが、お前の言う“絆”とやらの結果だよ!」
「……僕が、君を壊したっていうのか」
「そうだよ。天然で、バカで、いっぱいいっぱいの俺でいて欲しい……光の当たらない部分なんて見たくない?
 頭でっかちの石井くんに教えてあげるよ。それは“信頼”じゃない、“支配”って言うんだよ!」
「それは違う!」
石井はとうとう叫んだ。
「いまなら分かる。君は全部ひっくるめて君なんだ。僕が知らない部分があるのも当たり前だ。それを受け入れてこそ
 僕たちの絆は本物になるってことも、僕は理解したんだ!だからそれを教えてほしい。
 君が黒を受け入れた……そのわけが、君をこうして叫ばせているんだろ?」
石塚はしばらく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で黙っていた。やがて、押し殺したような笑い声が漏れる。
それは徐々に大きくなって、地下室に響き渡った。
「……なあ、小杉」
突然名前を呼ばれ、小杉はハッと顔を上げる。
「お前、さっき言ったよな。吉田がどんな事を隠してても、そんな事で揺らいだりはしないって……それってさあ、吉田の汚い、醜い部分を
 全部受け入れてやるって意味?」
小杉はゆっくりと頷く。吉田は照れくさいのか背中を叩いて「何やそれ」と笑う。
「そら、すぐには無理やろ。せやけど、俺はどんだけ時間がかかっても、どんだけ苦しんでも……吉田は丸ごと受け入れたる」
「……言葉にするのは簡単だよなあ。でもさあ、それって結局無理してるんじゃん」
石塚はガンッと壊れかけの椅子を蹴飛ばした。椅子は派手な音をたてて床に転がり、動かなくなる。
一部始終を見ていた吉田の顔から、笑みが消えた。
「……他人の醜い部分なんか……相方の影なんか……そんな気持ちわりいもん、見たいわけねえだろ!」
「お前ッ……」
もう我慢できない、と前に出ようとする小杉を、ななめ45°の3人が一生懸命止める。
「だからテメエら白はヒーロー気どりのガキだってんだよ!自分の腹の底はさらけ出さないで、うわべだけ理解したふりをして
 “丸ごと受け入れたる”だって?いい年なんだから、そういう偽善者のこと、なんて言うか分かるよなあ?」
握りしめた石井の指の隙間から、柔らかい光が放たれて消えた。踵にぐっと力をこめて、一気に跳びかかる。

「“傷の舐め合い”ってんだよ!バーーーッカ!!」

突進してくる石井を、体をひねって避ける。バーカウンターの上に飛び乗って、石井の肩に照準を合わせた。
パンッと破裂音がして、石井の肩を熱いものがかすめる。
「なあ石井、俺達はずっと一方通行だったよなあ?」
石井の拳が、バーカウンターに炸裂する。石塚は崩れかける足場を捨てることにしたのか、その肩をジャンプ台のように踏みつけ飛び越えて、
あっという間に石井の背後に回った。次々に放たれる弾丸を避けながら、石井も相方を捕まえようと手を伸ばす。
「俺達は結局どこまで行ったって、“間に合わせ”のままだったんだよ!自分がどんだけ×××××な事をしてるかなんて
 分かってんだよ、でもしょうがねえだろ、俺の影を丸ごと受け入れたのが、黒だったんだから!!」
逃げながら叫ぶのに疲れたのか、ぜえぜえとかすれた息を吐きながら石井に狙いを定める。石塚は背中に硬いものが当たったのに気づき振り返る。
いつの間にか、壁のすぐ近くまで追いつめられていた。狭い地下室を決闘の場に選んだのを今更になって後悔するが、
不思議と、相手を蔑むような昏い笑みは消えなかった。
石井も汗で額に貼りついた前髪をかきあげて、握りしめていた拳を開く。
「どうして、こんな事になったんだろうな」
それを見ていた石塚は頭が冷えてきたのか、静かに呟いた。
「……なあ、次で終わりにしないか?……どちらが運命に選ばれるか決めるのも、悪くない」
石井は踵にぐっ、と力をこめて、体の重心を低く落とした。
「いいよ、石井さん」
毒気のないいつも通りの呼び方に、石井は顔を上げる。石塚はほんの一瞬だけ、黒の欠片に侵食される前の表情を浮かべていたように思った。
銃を構えた両手がゆっくりと持ち上がる。石井が飛びかかるのとほぼ同時に、弾けるような銃声が響いた。

871Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/16(水) 16:01:09

「あっけないな……畜生、これで終わりか……」
呟く石塚の胸にぽた、と赤黒い雫が落ちる。石井は左肩に空いた穴をおさえて、疼くような痛みをやり過ごそうとした。
石井は仰向けに倒れた石塚の上に乗っかって、動きを完全に止めた。この期に及んでも尚傷つける事を厭う相方に、石塚はため息をつく。
「俺の腕へし折るくらいはしろよ。……ほんと俺には甘いんだよな、お前」
不意に、階段を下りてくる足音。5人を押しのけて慌ただしく入ってきた『誰か』の顔が見えると、石塚はまた面白そうに笑った。
「“信頼”してるから、だろ?……分かってるよ、そんなの」
隣にひざまずいた島田の手が、そっと石塚の目の上にかざされた。やわらかく、温かな光が内側から穢れを祓っていく。
「つまんねえ、の」
完全に浄化される前、最後に出たのはそんな屈折した言葉だった。

872Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/25(金) 19:13:39
流血注意。
そして、石井さんがトリップしています。少し無茶な展開が苦手な方もご注意ください。

『Irony of the fate-3-』

まるで陽だまりのようだ、と石井は思った。あたたかく、どこか神々しい光。
『正』の石だけが持つ清らかさは、黒の欠片に汚染されていない石井すら惹きつける。
島田がそっと手を引っこめると、光は徐々に弱まって消えた。浄化を終えて行こうとした島田は、ふいによろけて膝をつく。
助け起こそうとすると「大丈夫です、ただの代償ですから」と首を振って、壁に手をついて立ち上がる。
「俺達は、先に行きましょう」
「……あいつらだけにして、大丈夫なんか?」
吉田は懸念を示したが、若い土谷は他に能力者の気配が感じられないためか、楽観的な判断を下した。
「俺達がいても圧迫感あるだろうし、ここは相方に任せるのが一番だろ。……ほら、行くぞ」
「う、うん……でも大丈夫かなほんとに」
岡安は何度も振り返りながら、階段を上って行く。6人の気配が完全に消えると、石井はハッと気づいたように視線を落とした。
「おい」
浄化は終わったが、石塚は目を閉じたままぐったりしている。頬を叩いて呼びかけると、やがてうっすらと目が開いた。
「おい、しっかりしろ。聞こえてるか?」
石塚はぼんやりと視線を彷徨わせて、隣に座りこんだ石井を視界に映す。ぱちぱちと瞬きして、体を起こした。
「……石井、さん?」
いつもの呼び方に、ひどくほっとする。緊張の解けた石井の体から力が抜けて、自然と笑顔になった。
「よかった……帰ってきてくれたんだな」
伸ばした手に、パンッと衝撃が走る。叩かれた、と気づくのに石井はしばらくかかった。
「……え?」
弾かれた手が赤くなって、痺れるような痛みが広がる。
石塚はひどく張りつめた表情で、まるで何か恐ろしいものを見るような目でこちらを見ていた。
「なんで……なんで、そんな優しくすんだよ。俺、沢山ひどい事言っただろ?それに……それにっ……」
いたたまれなくなったのか、石井をどんっと突き飛ばして階段を駆け上っていく。
「待て!」
追いかけようと階段に足をかけたところで、撃たれた肩が灼けるように痛みだした。
「__っ、う……」
傷口をおさえて低く呻くと、忘れていた痛みがじわじわと弱まってきた。予想より出血が多かったらしく、
体からすうっと力が抜けて、気を抜くと倒れそうだ。回復系の能力者を呼ばなければと思いながら、
一段ずつ不安定な足どりで上がっていく。地上に出てあたりを見回すが、石塚はもう人ごみにまぎれてしまったらしかった。
「……本当に、僕は……肝心なところで言葉が足りないんだな……」
石井は壁に背中をついて体を支えると、ケータイを開いて耳に当てた。

873Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/25(金) 19:14:08
「はあっ、はあ、は、はあっ……」
逃げるのは、これで3回めだ。最初は深沢とブラマヨから、2回目は石井との対話から、そして今は自身の犯した過ちから。
(そういや、コンビ組んだばっかの頃も俺は“やめたい”ばっか言ってたっけ)
無我夢中で走った所為で現在位置がよく分からないが、そう遠くまで来たわけではないらしい。
石塚は路地に入ると壁に手をついて、呼吸を整えた。ふと、目の前の地面に黒い影が伸びるのを見て顔を上げる。
そこには、自分をこの状況に追いこんだ元凶であるところの人物が立っていて。
「俺が怖い?」
設楽はポケットに手を突っ込んで、3回目となる問を投げかけた。石塚はちょっと考えて、「いや」と首を横に振る。
「だって、設楽は設楽だろ」
そう言うと一瞬だけ驚いたように目をみはって、オーバーな仕草で肩をすくめる。
「……何でかな、お前に言われても全然嬉しくない」
「おい!」
「ああ、いや……こんな事が言いたいんじゃなかったのにな」
設楽はここに来るまでに散々考えたであろう言葉の組み合わせが気に喰わないのか、しばらく黙る。
やがて思考がまとまったのか、一歩ずつこちらへ歩みよりながら話し始めた。
「きっと、石井はお前を責めないよ。全部黒の欠片の所為にして、お前の心を楽にしてやったつもりでいる。
 石井だけじゃない。誰も、お前を責めたりなんかしないだろうね。でも……お前は、それが辛いんだ。
 だから逃げたんだろ?」
二人の距離が、30メートルほどに縮まった。
「だってお前は、優しすぎる奴だから」
「設楽」
深沢と同じ台詞を、石塚は鋭く遮った。拳を握りしめて、不機嫌そうに立つ彼に、ずっと言えなかった一言をぶつける。
「それは、お前だろ」
設楽は表情を変えないまま、ぴくりと眉を動かす。石塚はその仕草で図星だ、と直感した。
例えばウド鈴木のように、誰にでも分かるような相方への愛情を見せる事はない。だが、ふとした拍子に日村への思いやりや
彼なりのコンビ愛、と表現すると些か薄っぺらいような感情を出すのが、設楽統という男だった。
「ハハハ……お前、何言ってんの。まさか俺が、日村のために黒にいるとでも言いたいわけ?」
「ずっと引っかかってたんだよ。お前みたいな奴がこんな風に芸人引きこんで、悪の組織ゴッコして遊んで、
 そんなんで満足すんのか?って。倉庫で俺にペナルティをやった時、言ってただろ。“俺達は同類”だって」
また、距離が縮まった。喋り続ける石塚の背中を冷や汗がつたう。
「そうだよ、俺は怖いよ。いくら皆が許してくれたって、俺が俺を許せねえよ。……お前とは違う理由で。
 こんな言い方、変だけどさ。お前、悪のリーダーって感じじゃねえもん。お前が黒をまとめてるっぽいの、
 すっげえ違和感あったんだよ。お前の背後に、まだ誰か……“何か”あるとしか思えない。
 だから、お前なんか怖くねえっていうんだよ」
距離が20メートルほどに縮まった。石塚は握りしめた拳の中、手のひらに爪を立てて恐怖を抑えこむ。
「悔しいけど、お前の言うとおりだった。黒の欠片は、俺の中にあったどす黒い“闇”を引き出したんだ。
 俺はもう俺の闇と向き合った。でも、お前は?」
今度こそ、設楽は自分を完全に洗脳するだろう。現に設楽のポケットの中で、ソーダライトが淡い光を放っている。
さっきから二重に反響して聞こえてくる設楽の声に、石塚は抗おうと壁に手をついた。
「偉そうに主役面してんじゃねえよ」
深く息を吸って、覚悟を決める。これが最後だ。

「とっとと舞台から下りろ、“ピエロ”風情が」

集会の夜の仕返しが半分、設楽の心に少しでも響けばという賭けが半分だった。
しかし、設楽は押し殺したように笑うだけで、何も言わない。その時、背後から「石塚くん!」と張りのある声が叫んだ。
振り返ると、ハンカチで肩の傷を縛った石井が立っている。全速力で走ってきたのか、汗だくで荒い息をついていた。
石井はぎこちないながらも笑顔を作って、相方に駆け寄ろうとした。が、その前に立つ男を見て止まる。
「……設楽……」
石井は、怒りが体の中に突き上げてくるのを感じた。今まではどこか遠い出来事だった石の争い。その中心に立つ設楽の事も、
普段の付き合いとは切り離して考えていた。設楽が何を考えていても、どこにいても、自分にとっては『同期の設楽統』だった。
石塚を、黒の坩堝に引きずりこむまでは。

874Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/25(金) 19:14:32
「……許さない」
握りこんでいたルチルクォーツが、かあっと熱くなる。石井は奥歯を噛みしめて、設楽を見つめた。
「絶対に!」
弾かれたように、石井の体が飛び出した。怒りという原始的な感情が石井の思考を塗りつぶす。ルチルクォーツが、
怒りに呼応するようにその力を増していった。対角線上、振りかぶった腕の行く手に、横から誰かが割って入る。
石井の頭の中でやめろ、と制止する声がする。だが、もう拳を止めることはできない。

その刹那、目の前に飛び出した石塚の背中に、設楽は感情の読めない視線を向けた。
「……俺はお前のこと、使える道具だとしか思ってないよ」
小林には教えなかった答え。道具の中でも上等で、使い勝手がいいというだけのこと。
石塚は顔だけ半分振り返って、ふっと笑った。
「知ってたよ」

石井の拳が、行き着く先。
設楽の顔面を思い切り殴ろうとしたそれは、代わりに石塚の胸に当っていた。
その結果に驚きの声をあげるより先に、貧血か、飲み過ぎた翌朝のような感覚が石井を襲う。足にぐっと力を入れて踏ん張ると、
次に目が開いた時、石井の拳の先にいるはずの石塚も、その後ろの設楽も消えていた。
「ここは……」
立ち上がってあたりを見回すが、深い霧に覆われた視界は、自分の半径1メートルくらいしか分からない。
さっきまでいた路地裏とは明らかに違う、異質な空間。そこにいるのは石井一人だけ。
石井の怒りを込めた一撃から庇おうと、設楽の前に石塚が出て、拳に硬いものが当たる感触があった。そこまでは覚えている。
瞬間、目の前がぐらりと揺れて……そのまま、どこかへ吸いこまれるような感覚があった。
「……そういえば、似たような話を聞いていたな」
アバタイトの力を虫入り琥珀にぶつけた瞬間、意識だけが虫入り琥珀の中に引っぱられて過去の記憶を見た小沢。
聞いた時は少し羨ましいと思ったが、いざ自分が同じような状況になると、不安のほうが勝ってくる。
痛みの消えた肩に手を当ててみる。石塚が撃った傷口はなかった。となれば、やはりこれは小沢と同じような現象なのか。

「とりあえず出口を探すしかない、か」
よろめきそうになったのをこらえて、まっすぐ歩き出す。しばらく霧の中を進んだ先に、人がやっと一人通れるほどの細い道があった。
後ろを振り返ったが、歩いてきた道はもう霧に隠れて見えない。
「……仕方ないな」
石井は少し迷って、一歩踏み出した。

『石井と……あー、名前何やったっけ?』

ぴた、と足が止まる。聞き覚えのある関西弁に石井が顔を上げると、半分笑いながら『石塚です!』と答える相方の声。
このやりとりは覚えている。司会が変わったばかりの『いろもん』に出た時のものだ。台本かどうかは知らないが、
今田はいいのが来た、とばかりにイキイキと石塚をいじっていた。
「うるせえよ」
今度は少し低い声が、すぐ近くで聞こえる。確かに石塚の声だが、いつもと違ってはっきりとした敵意を持っている。
石井は思わず両耳を塞いで、その場に立ち尽くした。
「なんだったんだ、今のは……」
もう聞こえてこないのを確認すると、また歩き出す。その間も次々に聞こえてくる、声。
『おかしいやん、相方やのに呼び捨てせえへんとか』
『石井くんはいいけど、お前はダメだなあ』
『今日のゲスト、石井くんの“大親友”石塚くんです!』
『……いてっ、……お笑いやめちまえお前!』
その声を無視して歩くと、やがて、大きな扉の前に出た。ドアノブに手をかけるが、開ける勇気が起きない。
「……なんだか、嫌な気配がする」
しかし、こうしていても始まらない。石井は深呼吸して、ゆっくりとドアを開けた。

875Evie ◆XksB4AwhxU:2015/12/25(金) 19:14:57
真っ暗な空間に、スタンドマイクだけが立っている。小さな扇のついたそれは、間違いなく『アレ』だ。
石井は一歩ずつマイクに歩みよって、その前に立つ。するとまた、どこかから声が聞こえてくる。
『不安だ』『どうしよう』『石井さんは俺なんかで本当にいいのか?』『ちゃんと役に立ってんのかな』
石井はまた耳をふさごうとして、やめる。石塚の声はしばらく沈黙した後、焦りからいらだちを孕んだものに変わった。
『くそ、何で俺だけこんな不安になんなきゃいけねえんだよ』『“じゃない方”?ふざけんな、俺だって一杯一杯で
頑張ってんだよ』『周りの奴らも、好き勝手言いやがって。だからクソだってんだ』『ほっといてくれよ、もううんざりだ』

「……なんだ、結局来ちゃったんだ」
いつの間にか、石塚が隣に立っていた。
「ここは何だ、君の心の世界か?それともプラチナルチルの中に残った記憶か?」
「さあ……俺にも分かんない。お前に見せたくねえ部分だったのは確かだよ。黒の欠片のせいでちょっと
 漏れちまったけどさ。設楽の言葉を借りるんなら、“誰にでもある”らしいけど。石と芸人は一心同体っていうんなら、
 この世界も説明がつくだろ」
「なら、さっきのあれが君の本音だと?」
「いや……多分、どっちも本当なんだよ。お前が普段見てる俺も、ここにいる俺も」
石井は頷いて、手を差しだした。不思議そうに首を傾げた石塚の手をとって、ぎゅっと握る。
「いつか、コントで言っただろ。人生で大事なことは、“一人じゃない”ってことだ」
石塚はおずおずと、石井の手を握り返した。
「僕がいて、君がいて。それでやっと“アリtoキリギリス”になるんだ。だから、気にするな。
 どんな形でも、誰が何を言っても、僕らの道は一つだ」

その言葉を告げた瞬間、まるで芝居の明転のように、あたりが真っ白になった。
思わずぎゅっと目をつぶるが、石井はふと恐ろしいことに気づいた。
握っていたはずの手の感触がない。いや、自分の手は何かやわらかいものにめりこんでいる。手首を、温かくどろりとした
液体がつたう。石井の耳に、「カハッ」と何かを吐き出す音が届く。恐る恐る目を開けた石井は、目の前の光景に悲鳴を上げそうになった。
「い……石井、さん……」
設楽を庇うように前に立った石塚のみぞおちのあたりに、石井の拳が深々とめりこんでいる。胸骨が折れて内臓を傷つけたのか、
苦痛に呻く石塚の口からは鮮血がこぼれ落ちていた。あわてて拳を引き抜くと、支えを失った体が倒れこんでくる。
「あ……僕はっ……僕は、何てことを……おい、しっかりしろ!目を開けろ!」
石井は肩を貸して立たせようとしたが、力が入らないのか体重がもろにかかってくる。砂利を踏む音に顔を上げると、
少し青ざめた顔で設楽が近づいてきていた。伸ばしてきた手をぱしんと払って、石塚の腰に手を回し支える。
「大丈夫だ、さっき……電話で、呼んだから……」
なんとか立ち上がらせて、半ば引きずるように歩き出す。ルチルクォーツの発動時間が、もうジリ貧だ。撃たれた傷口がまた開いている。
「……石井さん」
小さく呟かれた声に、石井の足は止まった。ずる、と石塚の体がずり落ちるのを支えてやると、焦点の合わない目で石井を見つめてまた呟く。
「       」
石井は膝をついて、口元に耳を近づける。石塚は何事かつぶやき終わると、ぐったりと地面に倒れた。
壁に背中をつけて、力なくずり落ちるのと同時に、誰かが路地に入ってきた。その人物は倒れた石塚を見て、慌てたように抱き起こす。
「……何、やってるんですか」
責めるような声音だった。石井は顔を上げて、浅越をぼんやりと見る。
「まだ大丈夫ですよ!あなたがそんな、諦めたような顔してどうするんですか!!」
言葉の意味がわからず、しばらく呆けたように座りこむ。その間に浅越は石塚の傷口に手をかざした。
やわらかい光が傷口を覆って、苦しそうだった石塚の表情が徐々に穏やかなものに変わる。しかし、「これで大丈夫……」と笑った浅越は、
傷が塞がっても倒れたままの石塚を見て笑顔を消した。
「……え?」

876名無しさん:2016/01/28(木) 18:11:55
レス遅くなりましたが、投下乙でした。

>>873
白にも黒にもなかなか見せない設楽の本心の一端を指摘したのが
石塚だというのがなんかいいなあと思いました。
石塚って「物事の本質を鋭く指摘する」ってタイプじゃないけど
論理じゃなくて感覚で大事なところにたどり着く感じが論理的な思考の石井と好対照になってますよね。
やっぱりいいコンビだわ、アリキリ。

877Evie ◆XksB4AwhxU:2016/01/29(金) 22:56:24

【Irony of the fate-4-】


「……小林」
「はい」
「俺はまた分かんなくなっちゃったよ」
小林はノートから目を上げて、窓の外を眺めている設楽の背中を見つめた。
「俺さ、土田さんには感謝してるんだ。あの人が“みんなを黒一色に染めればいい”って
 言ってくれた時、自分の道が見えた気がした。ああ、これでいいんだって思えたんだ。
 俺のやってることは間違ってない、きっといい結果になるはずだ。ただそう信じてればよかった。
 ……なのに、石塚が全部台無しにした」
無意識に握りしめていたであろう拳をそっと解いて、設楽は振り向いた。
「俺は、ピエロだったのか?」
「ある意味では、そうかもしれませんね」
小林の答えは、肯定でも否定でもなかった。言外に、それは設楽が出すべき答えだと告げている。
「……無理。俺、もう戻れる気がしないもん。それにさ、俺が立ち止まったら、
 黒の奴らはどうなっちゃうわけ?俺が諦めちゃったら、石に潰されちゃうんじゃないのかな」
「賽の目は投げられた、ということですか」
「そうだよ。これはゲームじゃない、戦争なんだ」
「対馬さんのような芸人は、もう現れないと?」
「一人の聖者でどうにかなるような、甘いもんじゃない。少なくとも俺はそう思ってる。
 たとえ白を潰したところで、まだ大きな敵はある。
 俺は俺の目的があって、黒にいたはずで……
 だけど、それがこの頃ぶれてきてるような気がするんだ」
「石塚くんのせいで?」
「ん、多分その感情は、俺の中に永久凍土みたいにあったんだ。
 今までも色んな人がそれを溶かそうとして、叩いたり削ったりしたんだけど、ダメで。
 さうがにもう来ないだろうと思って安心してたら、
 石塚がやってきて、ヒビが入ったそこを、カナヅチで一回だけ叩いたんだ。
 そしたら、嘘みたいにガラガラ崩れて、中にあった本音が見えた。そんな感じ」
「……それで、今はどんな気持ちなんですか」
「だから、それが分かんないんだって」
設楽はソファに座り直して、テーブルの上に広げられた大学ノートに視線を落とす。
自分にはパソコンのプログラムのようにしか見えない記号の羅列も、
小林の眼球を通せば一人前の日本語に変換される。同じことだ、と設楽は思った。
「石塚にとって、俺は守るに値する相手だったのか?」
「身を挺して庇ったということは、そういうことでしょう」
「バカだね、あいつ」
設楽は前髪をぐしゃっとつかみ、滅茶苦茶にかき混ぜて、また呟いた。
「……バカだ、ほんと」


□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

白ユニットが本部として借りている、都内のアパートの一室。
本日の風速、3メートル。開きっぱなしの窓から吹きこんできた風が、ふわりとカーテンを揺らす。
小沢はそっと中の様子をうかがった。
「どう?」
井戸田の問いに、黙って首を横に振る。
「そうか……でも、あのまんまじゃ石井さんが弱っちまう。なんか手がかりはないのか」
「あくまで憶測の域を出ないんだけど」
小沢がためらいながら続ける。
「眠ってるのはプラチナクォーツの方なんじゃないかな」
「……えーと、それはつまり……プラチナクォーツが回復のために眠ってるから、
 持ち主の意識も沈んでるってわけか?」
「嵯峨根さんから聞いただろ。ほら、松本ハウスの話。
 相方の分も代償を支払って、丸一日目覚まさなかったって。
 石塚さんは欠片の所為でずいぶん無理な使い方してたみたいだしね……
 限りある石のパワーを強引に引き出してたんだから、負荷も大きいんじゃないの?
 あとは、パワーをぶつけられた反動とか。石同士の力がぶつかり合うと
 不思議な現象が起こるのは、身をもって確認したし」
「なるほどな……」


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