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情報スレッド
1
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/01/09(金) 17:39:51
日顕宗や顕正会の動向や情報、フェイク、石山だより、勝ち戦、同盟通信、新改革通信などの情報。
有志の皆様、宜しくお願い致します。
307
:
検証会議
:2009/11/21(土) 20:52:17
フェイク 第1071号
(発行=09.11.20)
阿部信彰、新設の布教部長に降格
宗門の前途は真っ暗、脱講者は急増の気配
末寺坊主・法華購が早くも愚痴と悲鳴
法華講員が激減し、折伏も停滞している日蓮正宗が今月十三日、宗務院に「布教部」
を新設して、部長には庶務部長だった阿部信彰を任命した。庶務部長は宗務院の中でも
権力が集中する総監に次ぐポストだが、布教部長への転出は明らかに降格人事で、
これで信彰の登座の芽は遠のいたという見方が有力である。
その後任の庶務部長には早瀬の人脈の斎藤栄順が副部長から昇格した。これにより
宗務院は従来の庶務・教学・渉外・海外・財務の五部に布教部を加えた六部体制になる。
七月の無謀な結集総会の席で、ニセ法主・早瀬日如が「平成二十七年の日興上人
御生誕七百七十年までに、全ての法華講支部が現在の講員数を五十%増加すること」
「平成三十三年の日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節までに法華講八十万人の体勢を築く
こと」という新たなノルマを課した。
布教部の新設は、この過酷なノルマ達成のために、末寺・法華講にハッパをかけるの
が主な役割である。
宗内情報によると、布教に関する事項は全て布教部が遂行するとのことだが、大して
重要な役割はない。
例えば、これまで庶務部長だった信彰が大講頭を連れて強行してきた末寺坊主の
締め上げ、講員への恫喝、それに教学部が運営してきた法華講夏期講習会などを布教部
が担当するという。
面白いのは、十一月十六日付「大白法」に「法華講員各位には、布教部の誕生を喜ぶ
と共に……」等と書いていることだ。法華講にしてみれば、自分達を恫喝し、出来ない
折伏に狂奔させる目的の布教部が出来たからといって素直に喜べる筈がないではないか。
むしろ、その辛辣なやり方に反対する法華講員、及び末寺坊主から「やめてくれ」等
の愚痴と悲鳴が早くも聞こえてきている。確かに、部長が信彰では講員達の苦しみが
増すばかりで、今後ますます脱講者が増えると予想される。
信彰は、自分で折伏した経験がないばかりか、教学力も包容力も人徳もなく、恫喝
するしか能がない。
…………………………
暴力を振るう阿部信彰
これまでも僧俗指導会で住職や法華講員を怒鳴りつけ、激しく追及したため住職や
講頭を辞めた者も多い。
この信彰は日顕と同じで、御本尊を信じられず、平成十五年には新興宗教の信者との
法論に負け、新興宗教に功徳があると認めていた。
新興宗教の信者 私の入っている新興宗教では実は病気が治るんです。
信彰 本当に治りますか。
信者 当然、病気も治るし、お金も入る。
信彰 そうですか。
信者 功徳があります。
信彰 新興宗教は、どの宗派も功徳があるんですね。
信者 そう、日蓮正宗じゃなくても功徳があるんだ。
信彰 分かりました。
この後も新興宗教の信者に言い負かされた信彰は、御本尊の功徳を全く
言えなかった。こんな無能坊主に布教部長は絶対に務まらない。
308
:
検証会議
:2009/11/26(木) 14:16:36
石山だより 平成二十一年十一月二十五日
あの暴力信彰が布教部長に就任。瞬間湯沸かし器二世は、みんなから嫌われている。
布教、布教と言っても笛吹けど踊らず状態になることは見え見えだ。平成二十七年に
講員50%増、平成三十三年に講員80万達成と景気よくぶち挙げたが、少子高齢化の
ご時世、特に高齢化が激しい、どんなに絶叫しても所詮、目標を達成することは
ムリムリと多くの住職が言っている。何せ、六年後、十二年後の話なので、実感が
わかない。その頃には、相承なき顕チャンも、寛チャンもこの世には不在の身だろうと
囁かれている。
一、恒例の御大会が二十・二十一日の両日、底冷えの厳しい大石寺で行われた。今年
もお練り、申状捧読など毎年、同じ事を繰り返すだけで何の進歩もないマンネリの行事
に登山者は辟易し、感動したり、喜ぶ登山者は見当たらない。登山者の関心事は十五日
の火災の焼け跡を見に行くことだった。火災現場は廃墟と化していた総二坊西側の売店
で、焼けた売店と総二坊の間に、新しい売店が出来ている。そこの売店での登山者と店
の人との立ち話の会話を紹介する。
登山者 四・五日前、この裏で大火事があったんですか?
店 員 ええ、そうです。(と言って売店の奥に登山者を招き入れ、裏口から焼け跡
を見せた)
登山者 ウワー、すごく燃えたんですね?
店 員 はい、火の勢いが凄かった。火事が起こった時、運悪く南風が強くて、
建物全体に一気に火が回った。
登山者 それは、怖かったでしょう?
店 員 はい、もう怖くて、怖くて体が震えましたよ。火はもの凄い速さで
燃え広がりました。煙も真っ黒でした。
登山者 ところで、原因は?
店 員 よく分からないのですが、ご僧侶の焚き火とか、子供の火遊びという噂も
あります。内事部からは、何の説明もありません。
登山者 この店舗は無事だったんですね。
店 員 ええ、無事だったんですけど、私達は生きた心地しなかったです。昔は、
登山者で溢れて沢山売れたのですが、近年サッパリ売れなくなって死活問題です。
売れないわ、その上火事では、踏んだり蹴ったりですよ。大石寺も運の尽きで、お先
真っ暗ですわ。
二日目は昼食を挟んで午後一時から仮御影堂(奉安殿)で布教講演会が行われたが、
弁当の到着が間に合わず、なかには昼食抜きで参加した気の毒な登山者もいた。
とにかく、参加者は、お年寄りが多いので、山内を歩くのも相当きつい、登山するのも
容易じゃない。申し状を読むのを聞いてもタダ坊さん達の自己満足に聞こえる。儀式も
大事かも知れないが、世相が悪すぎる今こそ、七百五十年という佳節なのだから、
立正安国論を実践する「時」ではないか。と言っても、修行を怠り、贅沢、懶惰懈怠に
浸って来た者には、到底無理な話だ。
(無任所で溢れる本山、二十三日には千葉の妙聰寺の住職に佐藤信暢がなった。
寛チャンのファミリーだ。能力とか、実力など一切関係ない社会だ。法華講のT氏が
寄進したそうだが、援助寺院が一カ寺増えただけだと言われている。待ちくたびれた、
順番待ちの無任所鼠)
309
:
検証会議
:2009/11/26(木) 14:19:18
越 洋
平成21年11月21日
11月15日(日)夕方から各社のメディアが"大石寺の売店焼く"と一斉に報じた。
折からの乾燥した空気と強風のため、約1時間で250平方メートルを焼き、地元民の
間には"また大石寺か!!いったい大石寺の防火体制はどうなっているのか!!"と怒りと
不満が充満している。当初、法華講などは「火災は学会のせい」と言っていたが、調べ
が進んで原因は富士学林研究室Kの家族の火遊びだったと判明。翌16日には大石寺
近在の檀家の家も火事になり、悲惨なことばかりだ。
8月28日には宗務院近くの裏門南側の駐車場で大きな爆発音と共に車両一台が
炎上し、計十台が類焼した。タイヤのゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に
広がり、近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼした。当日は寺族同心会物故者の満山供養を
行っていた。最初に焼けたのは、その満山供養に参加するため乗ってきた車だ。
「宗門を疲弊させた日顕に対する同心会物故者の怒りと嘆きの炎ではないか」との声も
あった。
平成18年の8月12日には日興上人所縁の「逆さ杉(お華水の杉)」が落雷のため
炎上した。「奉安堂に落雷しても不思議でないのに『逆さ杉』が避雷針になって奉安堂
を守った」と狂喜する愚者もいた。
先月11日のワシントンDC・妙宣寺の「お会式」の際の出火も、今回の火災も、仏法
の峻厳な現証であり、宗門に原因がある。それにもかかわらず、屁理屈を並べて
学会批判の口実にしている。この手法は、かつてローマ帝国の暴君・皇帝ネロが
ローマ市で大火事(64年)が発生した際、キリスト教徒のせいにして信者を次々に
処刑した構図に酷似している。その後、暴君ネロの末路は悲惨を極めた。日顕と
その一派は愚かな「C作戦」という謀略で一千万信徒を騙し、破門して五逆罪を
犯した。その罪は立正安国論に照らしても、予想を超えた現証が続々と起こることは
間違いない。一連の火事は宗門にとって大凶事の予兆にすぎないのである。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000788.jpg
310
:
検証会議
:2009/11/26(木) 23:47:41
大石寺短信 第474号
平成21年11月26日(木)
日顕宗の動き
1. 新たに「布教部」が発足
このほど、文部科学省の認可が正式に下り、日顕宗に「布教部」が設置された。
これで宗務院は庶務部、教学部、渉外部、海外部、財務部、布教部の6部体制となる。
布教部の部長には前庶務部長の阿部信彰が、庶務部長には斎藤栄順が就いた。
布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒への布教指導」
「布教のための文書作成」「法華講の指導」とのこと。
この布教部の設置を報じる「大白法」11月16日号は「布教の牽引車となって広布推進
の大道を切り開き…」などと大言壮語しているが、設置の背景について、憂宗護法同盟
の「同盟通信」は辛らつに分析している。“父親・日顕ゆずりの「瞬間湯沸かし器」で
ある信彰はこれまで、庶務部長として、末寺坊主や法華講員らを怒鳴りつけ、
抑えつけてきたため、日如は、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に
戻し、「恫喝の庶務部」という印象を対外的にも払拭したかった”――どうやらこれが
真相のようだ。
2. 本年の折伏達成寺院は現状で1割未満
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成した支部(寺)が紹介されている。
10月末現在でその数は38。全国には600近くの寺があるので、達成支部は1割にも
満たない。残り2カ月の段階でのこの有り様。目も当てられない状況だ。
しかも、昨年の同日号の紙面で紹介されていた達成支部の数は「50」だったの
だから、明らかな退潮。こんな恥ずかしい記事をわざわざ載せたということは、
「大白法」はよほど記事に困っているのだろう。
記事には、「折伏は必ずできる」という、もっともらしい見出しが付いているが、
ほとんどの坊主・法華講員はそんな風に思っていない。毎年、折伏目標が達成できる
支部は全体の2割弱程度。ほとんどの寺が「折伏は難しい」と実感しているのだ。
そもそも、折伏のハッパをかけている坊主の寺が成果を出していないのだから、
説得力はない。新設の布教部長に就いた阿部信彰の寺は毎年毎年、惨敗続き。今回の
紙面にも名前はない。このほか、執行部の重役・藤本、総監・八木、庶務部長・斎藤、
教学部長・水島、渉外部長・秋元、海外部長・漆畑、財務部長・長倉の支部も達成
できていない。さらに、布教部の設置に併せて任命された15人の「折伏推進委員」の中
でも、達成できているのはわずか6人。
これでは、「偉そうなことを言う前に、まず自分の寺で模範を示せ」と末寺坊主たち
が怒り出しても仕方があるまい。
3. また大石寺で火事
15日午後2時25分ごろ、大石寺の総坊売店から出火、店舗8軒が全焼した。当時、現場
には黒煙が上がり、消火のため消防車が何台も駆けつけ、一帯は騒然となった。出火元
の店舗は閉店中で、電気やガスも止められていて、火の気がなかったところから、
出火原因は不審火との見方が強いとみて関係各署が調べている。
大石寺では、8月にも構内の駐車場に停めてあった車両が炎上する事故があった
ばかり。また、アメリカの妙宣寺では、先月、御会式の最中に寺で火事が発生した。
まったくもって現罰続きの日顕宗である。
4. 12月の予定
6日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
11日(金) 全国正副宗務支院長会(本山)
13日(日) 御講(末寺)
311
:
検証会議
:2009/11/27(金) 21:07:25
新改革通信 第105号
平成二十一年十一月二十七日発行
一凶・日顕の末路(一)
宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が暗示
する日顕の末路
平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前に
して、宗門では様々な異変が続いている。
それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながって
いる。
その"線"とは、"日顕の権威の失墜"である。
たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような
事件は、日顕が法主の時代には起こり得なかったことである。
また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷
させられるということなども、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、
信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づいた。
すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内に
くすぶっていた"恐怖政治の悪法主・日顕"への批判が、ゆっくりだが、表面化している
のだ。
日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、
存在感を示そうとしている。
また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から"火事
は福運を失くす、諸天が去る"と言われている。
①八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎上。
②十月十一日正午(日本時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシントンの
妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。
③十一月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。
仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への
布教、どれも創価学会の存在があったからこそ、成し得たものである。それを否定した
日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることができるであろう。
平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の
御遺命である世界広布を妨げた「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放している
こと、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示しているのだ。(編集部)
312
:
検証会議
:2009/11/28(土) 13:38:10
フェイク 第1072号
(発行=09.11.27)
「庶務部長の器じゃない」と宗内の声
阿部信彰の後任・斎藤栄順は謗法の欠陥坊主
墓参の未入信者へ土産代りに本尊を渡す
嫌われ者の極道坊主から器の小さい遊蕩坊主に交代した――今、宗内で嘲笑されて
いるのは宗務院庶務部長の人事である。阿部信彰が新設の布教部長に左遷され、その
後任の庶務部長に就いた斎藤栄順といえば、「河辺メモ」の筆跡が河辺本人のものに
間違いない、と法廷で証言した坊主として知られている程度で、今まで殆ど
目立たなかった。
本紙編集室にも「斎藤とは一体、どんな坊主なのか?」という問い合わせが多く
寄せられている。また、宗内からは「宗務院の庶務部長になるような器じゃない」との
声も聞こえてくる。
確かに斎藤は小物で存在感が薄く、特筆すべき実績も何一つない。支院長になった
過去もなく、宗会議員に当選した経験もない。
こんな平坊主が何故、総監に次ぐ庶務部長になったのか? その疑問に答えると共に
無能坊主・斎藤栄順の素顔を紹介する。
斎藤の本名は誠治、昭和三十八年に尾花泰順を師僧として得度。昭和四十八年に
最下級の教師の「訓導」になり、その翌年に奉天坊住職、昭和五十七年三月に寿命寺
(富士宮市)住職になった。翌五十八年に庶務部主任になって以来、当時の部長・
早瀬義寛(日如)の子分になり、この度、親分の日如が「庶務部長は無能でも忠実な男
がよい」と抜擢した次第。今後も実質の庶務部長は日如で、斎藤は書記係にすぎない
のだ。
斎藤の特徴を端的に言うと「謗法容認の軟弱な体質で遊び好き」「小心の堕落坊主」
という評判だ。
まず、謗法について寿命寺の信徒が法華講仲間の謗法払いを依頼しても、斎藤は
「私が頼んでも、謗法払いをしてくれない」と泣き言を言うだけで埒があかない。
更に、未入信の姉妹が寿命寺へ母親の墓参に行った際、斎藤は折伏も説明もせず、二人
に土産の代りに本尊を持たせた。
……………………
小心の堕落坊主・斎藤
行事をサボり観光旅行
斎藤は金儲けには熱心で、言葉巧みに塔婆供養を奨励する。ある講中幹部は、斎藤が
小さい声で題目を唱えながら塔婆を書いていると思っていたが、よく聞くと、ナント
「はい、二千円、はい、二千円」と言いながら書いていたという。
斎藤が遊び回っているのは寿命寺の講中にも知れ渡っているようだが、平成九年
(一九九七年)には、こんな醜態が露見した。
それは五月十八日、ハワイ・本誓寺(当時の住職は高橋思道)で開創三十周年
記念法要が行われた時、招かれた斎藤と宮沢親道、吉本恵道の三人が法要終了後も
ハワイに居残り、大石寺での寺族同心会をサボって、観光旅行を楽しんでいた。
斎藤らはワイキキビーチ沿いにある豪華ホテルに滞在。家族を連れてホノルル市内を
見学、飛行機でハワイ島に渡り、ショッピングやディナーショーを楽しみ、カヌー遊び
に興じるなど、まさに常夏の楽園で遊び呆けていた。
この斎藤が庶務部長だから今後は殴る蹴るの暴行を受けてケガする住職も減る
だろう、とも囁かれている。
313
:
検証会議
:2009/12/02(水) 21:48:33
フェイク 第1073号
(発行=09.12.01)
宗門の狙いは十億円の御開扉料
日顕宗の「五十万人を突破」の速報を嗤う
帳尻合わせの「登山地獄」に苦しんだ法華講
日顕宗の立正安国論正義顕彰七百五十年記念局が十一月二十八日にデタラメな
「速報」を出した。それは「登山参詣人数、御命題の五十万人を突破」と題する内容で
ある。「速報」では冒頭に「本日、本年一月からの登山参詣者累計人数が
五十万一千九百五十五人に達し、五十万総登山の御命題を見事に達成しました」と
述べ、そのあと「(日如と日顕の)御高徳によるところであり」「宗内僧俗各位の
たゆまぬ精進が結実したもの」等々、ウソ八百の文言を並べている。
日如と日顕の二人のニセ法主に「御高徳」はない。また「たゆまぬ精進」の坊主も
いない。今年初めに大石寺の某僧は「達成しても、しなくても、どうせ『達成した』と
発表するから傍観している」と語っていた。
その予想通りに出た「速報」は無謀極まる「五十万登山」が、八万人ソコソコしか
いない法華講にとって、いかに悲惨で過酷な「登山地獄」であったかを裏付ける文書と
いってよい。
今年は十回以上も登山させられた講員が多くいた。各末寺の法華講では
「複数回登山」の檄が飛び交い、それも五回や六回ではなく、「十回以上」という
非常識な登山の強要が公然と叫ばれていたのである。
ニセ法主が言い出した五十万というノルマの帳尻合わせのために、荒れ果てた大石寺
に足を運んだ高齢者や身障者も含む哀れな講員。そこには歓喜も功徳もないばかりか、
生気すら感じられなかった。こんな粉飾と水増しの登山人数に一体、何の意味がある
のか?
総監の八木日照が布教区別僧俗指導会を回って十回以上の登山を奨励した話を
「大白法」に掲載していた。
「先般、四国のほうへ伺いました時に、女子部の方が決意発表されて、今年は十一回
の記念登山を計画しているということで『自分は十一回全部に参加したい。そのつもり
で準備をしている』と話していました。
そのためには、仕事を休まなければなりませんし、経済的なこともあります。体調も
しっかりと調えなければ十一回全部に登山することはできないということで、決意を
述べていらっしゃいました」(「大白法」二月十六日付)
功徳も感動もない登山
八木は女子部員の決意を引きながら十回以上の登山を強調していたのだ。
複数回の登山に加え、もう一つの「数稼ぎ」の手口は一度の登山で二回、三回と
御開扉を受けさせる方法で、御開扉料は当然、その都度、支払うことになる。
日帰り登山者が大石寺に居残り、翌日に一泊登山者として御開扉を受け、下山の前に
また奉安堂に行って三回目の御開扉に臨む。つまり、一度の登山で三回も御開扉を
受ける水増しが横行していたのだった。
こうして延べ人数が五十万人になったということは、一人二千百円の御開扉料
だから、総額十億円を超える泡銭(あぶくぜに)が「供養」という名目で本山に入った
計算になる。十億円の金集めが狙いだった日如らは、ほくそ笑んでいるだろう。
某講員は「年に五回も十回も無理やり登山させられたから喜びも感動もない」と
語っていた。信心のない御開扉には功徳はない。
327
:
検証会議
:2009/12/08(火) 11:39:45
フェイク 第1074号
(発行=09.12.07)
やはり原島昭は嵩と同じ虚言症
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕 ①
昔の「ルビー」誌の文・絵を転載し見当違いの難癖
原島昭(故・嵩の兄)が「慧妙」の十二月一日付に昔の雑誌「ルビー」の記事と挿絵
を転載して見当違いの奇怪な文を書いている。
これは原島が「慧妙」の十月一日・十一月一日付に学会への恨みを込めて寄稿した
内容の間違いを本紙第一〇六一・一〇六八・一〇六九号で指摘したことに対する言い訳
と反論のつもりらしい。まず、これまで昭が「慧妙」に書いたウソと間違い、それを
指摘した本紙の要旨を列記する。
原島昭のウソ・間違い=私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、母が入信し、その翌年には
父が入信した。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった。(十月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=幼児が驚くような布教活動とは信じ難い。原島精子は蒲田支部の基礎を
作るどころか、学会内に派閥を作ろうと画策して婦人部長の役職を解任され、そのうえ
謹慎を命じられた。
昭のウソ・間違い=私が、ねじけた物の味方をするようになったのは多分に
創価学会二代会長・戸田城聖氏の影響でもある。(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=昭は、自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全く
ふざけている。昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係を見て
きたからではないかと指摘する人がいる。(嵩と母親の異常な関係は本紙第一〇六九号
に詳述)
昭のウソ・間違い=①戸田氏は「『冒険少年』、次いで『ルビー』を創刊し……当時
は雑誌が一冊二、三十円位の値段で、②「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと
開いて見て驚いた。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた③二つの雑誌を発行する「日本正学館」に……
④その後一年もたたないうちに、池田氏編集の二雑誌は廃刊になった。
(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=池田編集長が「冒険少年」と「ルビー」の「二雑誌」を編集していたか
のように錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。(「ルビー」の奥付を提示して)
「ルビー」は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集
していた。
また「ヌード写真で占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。発行
は大道書院、定価は六十五円。邪推と妄想と勘違いで文を書いている昭は、死んだ嵩と
同じ虚言症だ。
昭のウソ・間違い=(母親の役職解任の後)二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ
「あなたを辛い目に合わせて申し訳なかった」と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させた。(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=戸田会長が精子に詫びたというのは作り話で、最後まで信用して
いなかった。また、戸田会長が精子に「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長になっていない。精子が、その役職に登用
してもらったのは、戸田会長が亡くなって六年半後の昭和三十九年十二月二十五日で
ある。ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。(つづく)
328
:
検証会議
:2009/12/11(金) 01:53:58
越 洋
平成21年12月8日
きょう12月8日は忘れることの出来ない太平洋戦争開戦の日である。昭和16年の
この日、時の法主・鈴木日恭は次のような「訓諭」を発した。
「本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発
(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)
本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓
ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ
以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
右訓諭ス」
日恭の「訓諭」は、開戦を待ち望んでいたかのような言辞で埋め尽くされ、以後も
積極的に軍部に従い、戦争遂行に協力した。併せて、宗門はそれまでの軍事献金の功労
によって、当時の海軍大臣であった嶋田繁太郎から「感謝状」を与えられたので
あった。
戦争の犠牲者は2000万人とも言われている。日蓮正宗は戦争を賛美し加担。御書
の刊行禁止の上、14ヶ所の字句を削除し、経本の観念文を改竄するなど数々の大謗法
を犯した。こんな大謗法を御本仏が許される筈はなく、昭和20年6月17日、大石寺
は大火に包まれ、日恭は生焼け状態で焼死した。如何なるいい訳も通用しない。
戦後64年経っても何一つ反省を示さない傲慢無礼の宗門である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000794.jpg
329
:
検証会議
:2009/12/11(金) 21:16:58
石山だより
平成二十一年十二月九日
阿部信彰の布教部長就任は、左遷なのか?栄転なのか?どっちなのか?と問われる
と、その答えは左遷である。
庶務部長には様々な権限があるが、布教部長はハッパをかけるだけである。寛チャン
が法主になって4年。その間、顕チャンの弟子の八木と信彰は寛チャンを無視して隠尊
の言いなりになってきた。寛チャンとしては感情的に許せないものがあるものの、
顕チャンの手前、何も言えなかった。ところが、昨年、信彰と八木が北海道・得成寺の
里内信徳を本山に呼びつけて査問した際、激高した信彰が立ち机を蹴り飛ばした。
それが里内の腰と足を直撃し、告訴事件に発展した。
信彰の暴力は日常的で、女房の信子に対しても、髪の毛を掴んで引っ張り回し、女房
が「ごめんなさい」と謝っても止めない。そんな病的な暴行は有名な話だ。目上の者
にはニコニコ、ペコペコ、目下の者には傲慢に威張り散らす畜生坊主である。在勤者に
対しては言葉よりも暴力。こんな信彰を庶務部長にしておいたら、里内事件の告訴が
受理された場合、宗門に傷が付くと寛チャンは考え、信彰を外すために布教部長を新設
したのである。
信彰は布教部長になったが、権限としては、たいしたことない。人事のことをやる
のは庶務部だ。そういう意味では、寛チャンが実質的な庶務部長といえる。斉藤栄順
は「名ばかり部長」で単なる事務係ということだ。信彰は恐怖部長として檄を飛ばす
だろうが、権力を振るえば振るうほど、みんなの心は離れ、今以上に毛嫌いされる
のは明々白々。その意味では最も相応しくない者が布教部長になった皮肉な人事で、
宗門史上、大きな災いの元になるだろう。
(いつ殴られるか、と戦々恐々の毎日。身体に変調をきたしたが、信彰の寺の在勤が
終わったら治った無任所鼠)
330
:
検証会議
:2009/12/11(金) 21:17:28
石山だより
平成二十一年十二月十一日
十一月二十八日、「登山参詣数、御命題の五十万人を突破」という速報を記念局が
出した。内容は「宗内僧俗各位のたゆまぬ精進が結実したものであって、まさしく
『異体同心なれば万事を成じ』との御聖訓を実証したものと慶賀にたえません」と
言っている。だが、各末寺の住職や法華講各位は、この登山者数がマヤカシで、
インチキであることを知っている。
七月二十六日の七万五千名大結集総会では、実質七万人も集まらなかったが、この
七万の法華講が一人何回も登山した結果に過ぎない。御開扉の際、一人が二枚の
御開扉券を出しても役員は黙って受け取っていた。一人最高で十五回も登山した講員が
いる。平均すると一人が七回も登山に来ていることになる。登山の常連さんが多い
ので「売店で買い物をする講員がいない」と売店主がぼやいていた。
昭和二十六年五月三日に第二代戸田会長推戴式が常泉寺で行われ、席上、
七十五万世帯の折伏を宣言された。その後、本山で法華講にも七十五万世帯を
呼びかけられたが、全くその気もなく、歳月だけが虚しく過ぎたのである。要するに
広宣流布の実現を願う信心がないからだ。以来、仏意仏勅なき故、五十八年も経った
のに、七万五千人さえも集まらない淋しい現状だ。
いくら「御命題五十万人を突破」と大本営発表をしても宗内で信用する者は誰も
いない。みんな達成感など実感できないのだ。また、布教区を細分化して三十七から
四十七に増やし、布教部を新設し、折伏推進委員を任命しても、平成二十七年の講員
五十%増が出来るとは誰一人、思ってもいない。
(今までも死亡、退転・行方不明の多い法華講では、更に高齢化が進んで講員は減る
一方だ。登山、登山と叫ばれ、折伏、折伏とハッパをかけられ、供養、供養と
言われても、年金生活では溜息ばかりしか出てこない。在家の父の姿に痛みを感じる鼠)
331
:
検証会議
:2009/12/12(土) 15:38:33
大石寺短信 第475号
平成21年12月10日(木)
日顕宗の動き
1.苦しみ充満の「50万登山」がようやく終了
先ごろ、各末寺に本年の「50万登山」が達成されたことを告知する文書が配信
された。当初、日如は能天気にも「全信徒の登山」と言っていたが、それが絵空事で
あることに気づいた後は「1人が12回ぐらい登山したっていい」と方針変更。その結果、
多くの活動家が「12回」どころか、それ以上の登山を強要される事態となった。一方、
着山日と翌日に御開扉を受けて2回の登山とするなどの「回数稼ぎ」も横行。病後にも
かかわらず、遠隔地から長時間バスに揺られて参加し、病院に担ぎ込まれる参加者も
出た。
「こんな登山に何の意味があるのか」といった疑問の声が噴出したが、7年前の
「30万登山」等と同様、しょせんは本山を潤わせるための金集め登山。日如ら
本山関係者は莫大な御開扉料、供養の収奪に成功したわけだ。
阿部政子の“億ション”に象徴されるように、日顕、日如と一部の取り巻きだけが
肥え、末寺はやせ細る一方。宗内格差はますます広がっている。
2.友人葬への笑止千万の難癖
日顕宗が2種類のリーフレットを作った。それぞれA4版3つ折りで「創価学会員に
よる『友人葬』は間違いです!」「日蓮正宗の信仰」と題したもの。一部10円で末寺、
信者に売りつけるという。
この期に及んで友人葬に難癖をつけているが、裏を返せば、学会の友人葬への
危機意識の表れでもある。それもそのはず。坊主の贅沢に費やされるための供養を出す
必要はない、広布に前進する同志の唱題に送られて安祥と霊山に旅立てる、そんな
清々しい友人葬は坊主の食い扶持を奪ってしまう脅威なのだ。
そもそも、葬儀の席で、勤行を間違え、居眠りし、「供養が少ない」と暴言を吐き、
酒に酔っぱらうなど、醜態をさらして顰蹙を買ってきた日顕宗の坊主たち。このような
現実を棚に上げて、言葉巧みに高齢者の不安を煽るやり方は極めて卑劣である。
友人葬こそ大聖人の仏法の本義にかなった葬儀の在り方であることは言うまでもない。
3.布教区が細分化
4日に行われた臨時宗会で宗規が改正となり、10布教区が増えて47布教区の体制と
なった。内訳は以下の通り。
・東北布教区(青森県、岩手県)が青森布教区と岩手布教区に
・静岡南布教区(静岡県南部)が静岡東布教区と静岡西布教区に
・中部布教区(愛知県、三重県)が愛知東布教区、愛知西布教区、三重布教区に
・北近畿布教区(福井県、滋賀県、京都府)から京都布教区が分離
・大阪布教区(大阪府)が大阪北布教区と大阪南布教区に
・東中国布教区(鳥取県、島根県、岡山県)が北中国布教区(鳥取県、島根県)と
岡山布教区に
・西中国布教区(広島県、山口県)が広島布教区と山口布教区に
・福岡布教区(福岡県)が福岡東布教区と福岡西布教区に
・中九州布教区(熊本県、大分県)が熊本布教区と大分布教区に
日如はこれまでの宗務院中心の体制を見直し、「連絡役」に過ぎなかった支院長に
一定の権限を与え、布教区の機能の強化を図ろうとしている。背景にあるのは「自分の
代に法華講の勢力を増やそう」という日如の野心である。油断することなく警戒して
まいりたい。
332
:
検証会議
:2009/12/13(日) 00:37:40
フェイク 第1075号
(発行=09.12.10)
原島昭・嵩の狂いは母親の悪影響!
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕②
本紙の記述を「真相」と認めながら無駄な抵抗
原島昭と嵩(故人)兄弟の狂いは母親の悪影響が原因の一つと言われている。
その昭が「慧妙」十二月一日付に「フェイクの欺瞞を嗤う」「フェイクの偽証」の
見出しをつけ、本紙を非難しているので粉砕する。
昭の母・精子(下の写真)の役職解任と謹慎に関して、本紙が①精子は派閥作りを画策
した②戸田会長から精子は「信用できない」と叱責されたと記した。すると昭は
「フェイク」紙が何故、そんな事実を知っているのか、と疑問を呈し「『フェイク』は
創価学会中枢の関与のもとに書かれたか」また「記事の情報源が学会の古参幹部である
か」と推測。そして「『フェイク』紙が述べているとおりのようです」と認めている。
その反面、同じ文の中で「(フェイク紙は)妄想癖の持ち主によって書かれた」と難癖
をつけており、全く支離滅裂だ。
つまり、昭は本紙の記述を学会中枢、古参幹部の確かな情報に基づく真実だと
認めながら「妄想の産物」と非難しているのである。
本紙第一〇六一号に精子の文京婦人部長の解任・謹慎について、こう記した。
「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が強く
イヤな女だった」「陰湿で好きになれなかった」
このように記した箇所では、明確に「草創期の諸先輩の原島精子に対する評価は
厳しい」と書き加えておいた。これで分かる筈だ。
昭や死んだ嵩じゃあるまいし、妄想で記事は書けない。功労の諸先輩で精子を良く
言う人は一人もいない。
原島母子は悪の元凶
また、昭は「当事者たる母自身は訳がわからないまま解任され、嘆き悲しんでいた」
という事実しか知らないと書いている。
昭が母親の解任理由を知らないから「派閥作りをした」と教えてあげたのだが、何も
知らない昭が、真相を伝えた本紙を非難するのは筋違いというものだ。
派閥作りを画策して解任された事実は、原島家にとって一大汚点。だから、
解任・謹慎は「いい加減な命令だった」と、今度は戸田会長を悪者に仕立てようとして
いるが、言語道断!
更に、昭は自分の母と同時に解任された、もう一人の婦人部長について
「フェイク」紙が触れていないのは「偽証の詐術」だと変な理屈を述べているが、
これも的外れだ。精子の陰湿な派閥作り、昭と嵩の「虚言症」を指摘するのに、関係の
ない他人を引き合いに出す必要もあるまい。
なお、昭は、かつて大阪地方区から参議院に立候補した白木義一郎氏が当選した勝因
は野球のスターだったからだと書いているが、選挙はそんなに甘くない。
その例の一つ、広島東洋カープを優勝に導き、赤ヘル黄金期を築いた古葉監督でさえ
野球殿堂入りの後、五年前に参院選に出たが落選した程である。
(つづく)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg
333
:
検証会議
:2009/12/13(日) 21:04:49
フェイク 第1076号
(発行=09.12.11)
死ぬまで続いた原島嵩の変態行為
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕③
原島昭は「ルビー」誌の挿絵から淫らな想像?
日顕宗のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた駄文のウソ、間違いについては、本紙で逐一、指摘(要旨は本紙第一〇七四号を
参照)してきた。
この指摘に反論も説明も出来ない昭は十二月一日付「慧妙」に、矢島周平が編集して
いた雑誌「ルビー」の読み物を取り上げ、そのうえ数枚の挿絵も転載するなど争点を
すり替えて学会の悪口を書いている。
当初、昭は「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を
創刊し」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て驚きました(中略)
ヌード写真で占められていた」「(日本正学館に一人の若者が入社したと述べ)父が
『池田君はよく働く…』と私に語ったことがあります。しかし、あの雑誌『ルビー』の
内容を知っていた私は、そう語る父に対しても不信の眼を向け始めた」「その後一年も
たたないうちに池田氏編集の二雑誌は廃刊になりました」
これを読む限り、昭は「ヌード写真で占められていた『ルビー』を池田青年が編集
し、日本正学館が発行していた」と悪意からウソを書いていることが分かる。
そこで本紙は「ルビー」の奥付を示し、発行所は大道書院、編集者は坊主に
なりさがった矢島周平(写真)だった、と教えてあげた。
すると、昭は己の誤認識を訂正しないで「慧妙」で「ルビー」の読み物を取り上げ、
挿絵も転載している。だが「グラビア写真と最初から最後まで占められていた」という
ヌード写真とやらは一枚もない。昭は少年の頃、あの挿絵を見て淫らな想像をしていた
のか?
昭は本紙の記述を「偽証」「偽証の詐術」と非難するが、挿絵を「ヌード写真」と
偽る昭こそが「偽証」の男というべきである。
昔、日本正学館に矢島周平がいて雑誌を編集していたからといって、今の学会とは
関係のない話である。
それは以前、聖教新聞社にセクハラ常習犯の原島嵩という変態の主幹がいたが、その
ことが現在の学会や同新聞社の体質を論じる材料にならないのと同じことだ。
嵩には赤坂のスナックに「ノコちゃん」というお気に入りの女性がいて、聖教本社に
請求書を届けに行っていた。応対した女子職員に「いつも(原島に)抱きつかれて
嫌だけど商売だから」と言っていたという。
この原島は死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の部屋に
忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意された。女性トイレに素足のまま
潜んでいたこともある。こんな原島を婦人達は大変に気味悪がっていた。
ところで、ヌード写真といえば、かつて日蓮正宗の坊主仲間が互いに持ち寄り、
見せ合っていた。
あの色魔の日顕がシアトルで夜中にホテルを抜け出し、英語ができないので身振り、
手振りのジェスチャーで売春婦にヌード写真を撮らせて欲しいと頼んだのも、宗内で
自慢したいためだったということだ。
昭和二十八年八月に得度した矢島も日顕に似たような変質者だったのだろう。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg
334
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:15:06
新改革通信 第106号
平成二十一年十二月十八日発行
一凶・日顕の末路(二)
日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・
「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!
八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か?それは「法教院」の存続で
ある。
なぜか?法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、
「法教院」が存続すれば、創立した日顕の名前が歴史に残るからである。
しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は
以下の通りだ。
①「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業しても学歴
にならず、卒業者は社会的には「高卒」となる。
②以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか行けない
今では、どの高校に行っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、必然的に学力が低下
している。
③一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になっている。
そのような中で、広く世間に通用する人材は生まれない。
④大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。
⑤無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らなければ
ならない。
⑥「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫して
いる。
他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が
「高卒」という現代日本の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。
日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が
「法教院」に対して意見をしたが、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で
反論した。
日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さ
が歴史に残ることである。
しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。
皆無である。日顕の死後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは
宗内の大方の見通しである。
(編集部)
335
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:16:24
越 洋
平成21年12月19日
たった一人の愚人のために一宗が衰亡する。なのに誰一人として「命」をかけて反対
の声をあげない不思議な沈黙教団。その名「日蓮正宗」。宗祖日蓮大聖人は何と仰せに
なるだろうか?
きょう12月19日は、阿部日顕の87歳の誕生日である。常泉寺のお手伝いだった
彦坂スマが男の子を私生児として出産したのが大正11年のこの日。
その子の父親は阿部日開、或いは、弟子の高野日深とも言われているが、5歳の時に
認知したのは日開であった。
日顕は87年間、未生怨を引きずり、遊蕩の限りを尽くし、大悪行と大謗法を重ね、
法主の座を盗み取った。そのうえ「現代における大聖人様」気取りで仏法僧の三宝を
破壊した。また大御本尊を「ニセモノ」と断じ、題目を「体に有害」と誹謗、更に、
事の戒壇たる正本堂を破壊した。
創価学会の戸田第二代会長は、広宣流布を阻む者は釈迦在世の六師外道が最後には
日蓮正宗の中に生まれてくると昭和31年2月7日、大阪・中之島公会堂での「佐渡御書」
の講義の際、次のように喝破した。
「大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子などになる連中は、いったい
過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、
形だけ仏法をやって、今度は正法に邪魔するのです。大聖人様を迫害した良観たちが、
いま生まれてきて仏立宗等の坊主になっているのです
(中略)
それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって邪魔をするのです。今度、それでは
どうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、今度は日蓮正宗の中に生まれてくる
のです。そして蓮華寺の僧侶のようになってくるのです」
戸田会長は本尊流布が進めば、それを邪魔する者が日蓮正宗の中に生まれてくると
鋭く指弾した。実例として「蓮華寺の僧侶」こと、崎尾正道という悪僧を挙げている。
崎尾は昭和30年に「学会員には御本尊を下付しない」「すでに下付した御本尊を返せ」
と通達。御本尊を手段にして学会組織の切り崩しを画策した極悪坊主であった。
今、崎尾と同じく御本尊の下付を停止した日顕は、その後も日寛上人の御本尊に難癖
をつけて、御本尊を手段にして学会の切り崩しを謀っている。この日顕こそ、日蓮正宗
の中に出現した"仏敵"なのである。この外道坊主・日顕の誕生から退座までの悪行を
簡潔に追ってみた。
336
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:18:08
【日顕の生涯】
○大正11年(1922年)12月19日 東京・向島小梅町165番地で生まれる
(彦坂信夫)
○昭和 3年(1928年) 8月28日 桜井仁道のもとで得度
(信夫を信雄と改名)
○昭和18年(1943年) 4月10日 野坂政子との婚姻届を提出
○昭和22年(1947年) 5月13日 向島・本行寺住職になる
○昭和36年(1961年) 9月 1日 教学部長になる
(「夢のお告げ」を受ける)
○昭和38年(1963年) 3月16日 アメリカへ初の海外出張授戒。ハワイで
トイレに御本尊を置き忘れる
〃 〃 3月20日 シアトル7番街で売春婦とトラブル
(シアトル買春事件)
〃 〃 4月 5日 京都・平安寺住職になる
○昭和52年(1977年)11月22日 常泉寺(東京・墨田区向島)住職になる
○昭和53年(1978年) 4月15日 後に「この日に日達上人から法を内付
された」と詐称する
○昭和54年(1979年) 5月 7日 総監になる
〃 〃 7月22日 管長になる
○昭和55年(1980年) 5月 6日 栃木県鹿沼・仏城寺の入仏式で
「じゃかましい」と信徒を怒鳴る
○昭和61年(1986年)11月22日 東京・赤坂の高級料亭「川崎」で芸者に
囲まれ記念撮影
○平成元年 (1989年) 7月17日 福島市の禅宗の寺に墓を建て法要
○平成2年 (1990年) 7月16日 西片会議(藤本、早瀬、秋元、八木、
河辺、関が出席)で謀議
〃 〃 7月18日 御前会議(西片会議と同じ坊主が出席)で
「C作戦」を謀議
〃 〃 7月21日 名誉会長、会長が目通り。席上、「驕慢謗法だ」
「懲罰にかける」と恫喝
〃 〃 8月29日 教師指導会で綱紀自粛を徹底(直後に伊豆長岡の
超高級温泉旅館で豪遊)
〃 〃 11月20日 名誉会長、会長が目通り。席上、「最近の学会は
破折がない」と発言
〃 〃 12月16日 宗門、話し合いを拒否し、「お尋ね」文書を
一方的に送付
〃 〃 12月25日 日顕、段勲や高橋公純らとマスコミ工作
などを謀議
〃 〃 12月27日 宗門、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免
337
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:18:31
○平成3年(1991年) 1月 6日 日顕が正本堂の意義を歪める大謗法の
説法、「粥をすすっても」と発言
〃 〃 3月12日 東京・目黒に日顕の20億円豪邸計画が
発覚
〃 〃 8月29日 日顕が教師指導会で「頭からカマシて
やれ」と暴言を吐く
〃 〃 11月 7日 学会に対して「解散勧告書」送付
〃 〃 11月28日 学会に対して広宣流布の御遺命に逆行する
「破門通告書」送付
○平成5年(1993年) 1月 総坊前などの桜280本を切り倒す
〃 〃 12月15日 宗門、シアトル事件報道を地裁に提訴
○平成6年(1994年) 1月16日 世田谷の豪邸計画が発覚
〃 〃 6月 1日 大石寺の遺骨大量不法投棄が発覚
○平成7年(1995年) 8月23日 大客殿の解体を発表
○平成8年(1996年) 11月18日 宗門、文部大臣に学会解散の意見書を
提出(相手にされず)
○平成9年(1997年) 6月18日 今度は渋谷区松濤の豪邸計画が発覚
○平成9年(1997年) 12月22日 シアトル事件裁判で日顕出廷
(翌年2月2日、5月18日も)
○平成10年(1998年) 2月 5日 大御本尊を正本堂から劣悪な奉安殿へ密か
に遷座
○平成10年(1998年) 6月23日 狂気の正本堂解体を強行。日達上人の遺業
を悉く破壊
○平成11年(1999年) 7月 7日 日顕が大御本尊を「偽物」と断じていた
ことが「河辺メモ」で発覚
○平成12年(2000年) 9月 大石寺近くの神社に日顕の本尊が下付
されていたことが発覚
○平成14年(2002年) 1月31日 宗門側が訴えていたシアトル事件の訴えを
取り下げ、学会側全面勝利
○平成15年(2003年) 4月 8日 遺骨大量不法投棄事件、高裁で大石寺が
敗訴。200万円の賠償命令
〃 〃 7月15日 ニューヨークから帰った日顕が断罪さる。
池田託道氏に対するデマ事件で、最高裁が日顕側の上告を棄却。30万円の支払い命令
判決が確定
〃 〃 9月 9日 パリから帰った日顕がまた断罪。
シアトル事件をめぐるデマ、最高裁が日顕側の上告を棄却。400万円の支払いを
命じた判決が確定
〃 〃 12月19日 日顕、81歳の誕生日に断罪。
遺骨大量不法投棄事件、最高裁が大石寺の上告を棄却。遺族に計200万円の支払いを
命じた判決が確定
○平成16年(2004年) 2月24日 芸者写真訴訟、最高裁が上告を棄却。
宗門側の敗訴が確定
○平成17年(2005年) 2月 インドネシア親修から帰った日顕、
約1カ月間、雲隠れ
〃 〃 3月 赤坂の一等地に阿部政子名義で、
時価約2億の高級マンション18階一室を所有していることが発覚
〃 〃 3月29日 総監の藤本が辞任し、後任に早瀬日如が就任
〃 〃 5月下旬 世田谷の豪邸を解体、隠居する日顕の邸宅
を新築
〃 〃 12月 1日 早瀬が学頭に就任
〃 〃 12月15日 日顕退座。早瀬日如がニセ法主二世となる
338
:
検証会議
:2009/12/19(土) 21:00:00
フェイク 第1077号
(発行=09.12.18)
布教も出来ない無能坊主が勢揃い
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(1)
通夜で棺に足を乗せた悪侶、パチンコ狂も
日顕宗では十二月四日に開いた臨時宗会で宗規を改正し、十布教区を増やして
四十七布教区の体制にした。去る十一日には新体制での正副支院長会を開催。支院長は
従来、単なる連絡係であったが、ある一定の権限を持たせて各末寺を掌握させ、
折伏推進を図る意向のようである。
ところが、新たに任命になった十九人をみると、折伏などできない坊主ばかり。以下
に新任の支院長十九人の素顔を紹介する。
青森布教区 楠牟禮慈宝
本名は克巳。前川慈肇の弟子として昭三十六年に得度。今回の問題が起こった当初
から時局協議会の文書班に所属し、学会に対する誹謗・攻撃文書を作成していた。
学会員を侮蔑し、坊主仲間と酒を飲みながら、「奴らはチョロイもんだ。『地獄に
堕ちるぞ!』と、一発カマすと、カモがネギしょってやってくる」等と暴言を吐いて
いた。こんな坊主こそが堕地獄である。
供養集めのため邪教まがいの各種祈祷を行い、御講の席で「就職、受験、病気平癒、
交通安全、安産など何でも祈願します」と盛んに売り込み、集めた供養の金を手に、
坊主頭を帽子で隠し、パチンコ店に入り浸るパチンコ狂でもある。
…………………………
岩手布教区 山田容済
昭和三十一年に得度。平成十二年三月に金髪女性との密会事件が発覚し、任地の
スペインから追放された。
それは同年三月六日、売春婦のいるイタリア・ローマの高級ナイトクラブに入り、
その後、金髪女性と仲むつまじく腕を組み、密会していた現場を目撃されて証拠写真も
撮影された。
帰国して本山にいたが、シアトルで売春婦とトラブルを起こした日顕が自分と同類の
故か、住職に復帰させ、この度、支院長にまでなった。女性問題には甘い日顕宗らしい
奇妙な人事だ。
…………………………
静岡東布教区 関戸慈誠
昭和三十六年に得度。師僧は早瀬日慈(日如の父)。仏法を商売と勘違いしており、
板本尊は二百五十万円、戒名の日号・院号を一文字五十万円で売りつける売僧
(まいす)。浅間神社の氏子にも謗法を破折しないで、板本尊を売り渡していた。
当初は百五十万円だったが、次第に値を吊り上げて、なかには、三百万円で話を
もちかけられて困っていた檀家もあった。
因みに仏師(職人)に渡すのは僅か三十万円だということだ。また、戒名の「居士」
や「大姉」は五十万円。院号や日号もそれぞれ五十万円の値をつけて「院・日・居士
(大姉)」ともなれば百五十万円が相場という。
言葉遣いも荒く、通夜の時に棺の上に足を乗せるなど振る舞いが粗暴なことでも
知られている。
…………………………
静岡西布教区 早瀬義久
昭和三十一年に得度。日慈の弟・早瀬義舜の次男で、日如とは従兄弟の関係。
昭和五十四年十一月、愛知・豊川の泰福寺にいた当時、正信会の悪侶らと謀議を
凝らしている間にストーブの火の不始末で火事になり、本堂の板御本尊も焼失した。
地元の男子部がいち早く駆け付けて消火。だが、義久は男子部員の放火だと濡れ衣を
着せようとした極悪坊主。警察と消防署で調べた結果、坊主の火の不始末が原因と判明
した。
339
:
検証会議
:2009/12/19(土) 21:00:38
フェイク 第1078号
(発行=09.12.19)
拝金主義者や好色坊主ばかり
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(2)
「いなり寿司は謗法だ」と怒鳴った佐々木慈啓
前号に続いて新任の支院長の素顔を紹介する。
愛知東布教区 三畝忍道
昭和三十五年の得度。所化時代に愛媛の妙源寺に在勤していたが、当時から好色坊主
で御講でも好みの女性を物色しては声をかけ、住所と電話番号を聞きだす。
まさか坊主の遊びが目的だとは思いもしないから素直に教えると、その日のうちに
電話を掛け、一時間も二時間も下品で卑猥な話をしていた。信心がないばかりか、品格
や良識の欠片もない。その後、福井の宝珠寺に住職として赴任したが、余りにも派手な
女性関係のため、日達法主から厳しく叱責され、半年足らずで本山近くの蓮成寺に
移された。更に僧階を降格されて寺の墓番をしていた。「飲む・打つ・買う」の
堕落坊主を住職に復帰させたのは色魔の日顕である。
…………………………
愛知西布教区 佐々木慈啓
大酒飲みの拝金主義者。言動がころころ変わるため「カメレオン僧」とか
「怪人二十面僧」との異名をもつ。御書に疎く学会幹部に「六巻抄は、御書のどこに
あるの?」と質問。また、ある法要の席で故人の好物であった「いなり寿司」がお供え
してあったが、それを見た佐々木は凄い剣幕で「いなり寿司は稲荷の謗法だから直ぐに
下ろせ!」と指示した程の狂いよう。
更に、ある婦人が法要のため書類に戒名を書き込むと、佐々木は一年前に自分が
つけた戒名なのに「これは邪宗の戒名だね。書き直さんといかんね」と言ったことも
ある。塔婆に関するトラブルは多い。
…………………………
三重布教区 福家重道
昭和三十五年の得度。平成二年十一月十六日の本部幹部会での池田名誉会長の
スピーチについて、宗門はその反訳を捏造して難癖をつけてきたが、この悪業に
携わった悪侶の一人だ。
葬儀に遅刻し、居眠りをして勤行を間違え、祭壇に掲げてある故人の遺徳を顕彰する
「名誉称号」を顎でしゃくりながら外させたこともある。塔婆は多い程よいと強要、妻
や知人に塔婆書きの内職をさせていた。
…………………………
北近畿布教区 宗像高道
本名は雅行、昭和四十二年の得度。非情な冷血坊主で学会員を騙して脱会させて
おきながら「学会を脱会して寺に来るのはロクな奴はいない」と愚弄していた。
追善の功徳は死者に三分、生者に七分という珍妙な論理で塔婆供養を強要。葬儀の場
で「故人は成仏していない。四十九日まで七日ごとに寺に来て塔婆供養すれば成仏
する」と人の悲しみにつけ入った悪質な手口で供養を集める強欲坊主だ。
…………………………
京都布教区 高野法雄
昭和二十六年の得度。大酒飲みの遊び人。大阪では北新地の高級クラブの常連で、
ポケットに百万を超える札束を入れ、高級ブランデーをガブ飲みしていた。
御書部分論の邪義を唱え「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない」と言い、法主に信伏随従することを強調していた。
お盆や彼岸で受け付けた塔婆の半分程しか立てず、カラ塔婆で純粋な信徒を騙して
荒稼ぎ。昨年、椎名日澄の死後、平安寺に入ったが、地元の法華講員からも信頼されて
いない。
340
:
検証会議
:2009/12/21(月) 21:51:01
フェイク 第1079号
(発行=09.12.20)
日顕は特注食器、信徒は石畳で待機
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介③
柳坂幹道「住職が飼う犬・猫より信徒は下」
日顕宗の新任の支院長は、折伏も説法も不得手、御書に疎く、信仰心も常識も品格
ない悪僧が揃っている。
本号でも引き続き、その素顔を紹介する。
大阪北布教区 柳坂幹道
本名は幸秀、昭和三十七年の臨時得度。「人間には身分の違いがある。一番上が
法主、次に住職、住職の家族、その次が住職の飼っているイヌ・ネコ、一番下は信徒」
と、富山で明言したことがある。
こんなクソ坊主に供養する法華講員が哀れだ。
柳坂が富山・妙顕寺の住職として昭和五十五年九月、日顕を迎えた時、接待用の
食器は、おしぼり受けだけで十数種類もあり、九谷焼の湯飲み茶碗と輪島塗のお椀は
特別注文だった。
この時、信徒代表は庭の石畳の上に板を敷き、回りをビニールシートで囲んだ中で
待機させられていた。余りにも露骨な差別である。
その時の接待が日顕は余程、気に入ったのか、翌年、柳坂は本山に栄転した。
…………………………
大阪南布教区 近山信澄
これまで福徳寺、妙喜寺、法住寺と渡り歩いたが、行く先々で手を変え、品を変えて
信徒から供養を収奪する守銭奴坊主である。
信徒には「墓石に刻む題目の染筆料の三万円は本山に納める」と嘘つき、依頼のある
度に、何度もコピーをして使って染筆料を着服していた。
塔婆は風もないのにヒラッ、ヒラッと曲がるまで削っていた。
…………………………
北中国布教区 角石永道
昭和三十一年一月生まれ、本名は和久。同四十二年に得度。常在寺の信徒の出身で
二年前に大僧都になった。宗内の反応は「えっ、あいつが支院長か?」と一様に驚き
の声。今の宗門には、いかに人材がいないかを物語る人事である。
…………………………
岡山布教区 菅原信了
昭和三十年に得度。悪辣な日顕の飼い犬で、生意気な坊主である。京都にいた頃、
法華講の組織は分裂寸前の状態だった。その指導力のなさ、無能ぶりは宗内でも有名に
なっている。
「信者は御書なんか分からなくていい。お寺に御供養を持って来れば、それで
いいんだ」
「今、お寺に付いている者はカスばかりで、迷惑している」などの暴言を吐いたこと
もある。
…………………………
広島布教区 原山元征
青山諦量の徒弟で昭和二十九年に得度。日顕に似た色魔でロリコン坊主。寺の茶室で
女子高生にいたずらしたセクハラ坊主である。
茶室で若い女性と二人きりになった原山は「目を閉じてごらん」と囁き、素直に目を
閉じた女性の両肩を掴み、頬を擦り寄せてきた。
驚いた女性は原山の手を払いのけて逃げ出した。
ゴルフ、ボウリング、酒、金、女性と遊興三昧の生活に染まっている。
…………………………
山口布教区 今福永明
高野日海の徒弟。ある家の主人が、一時的な感情から御本尊を寺へ返納した。その
直後、娘さんが寺に駆け付けると、今福は「ああ、これかね」と言って、屑箱から
御本尊を取り出した。
葬儀等では御供養、お車代、お膳料と三点セットで出させるのが、悪辣な今福流の
集金術である。
341
:
検証会議
:2009/12/21(月) 21:51:30
フェイク 第1080号
(発行=09.12.21)
嫌われる「葬式仏教」の日顕宗
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介④
「供養は祭壇の値段以上が必要」と遺族を脅す
日顕宗の新任支院長を本紙第一〇七七・一〇七八・一〇七九号で紹介して以来、多く
の声が寄せられている。「こんなに酷い坊主がいるとは驚いた」等の怒りの声や
「もっと詳しく知りたい」との要望も多い。詳細は追って報じるが、本号は素顔紹介の
最終回。宗門は坊主の四〜五人に一人が正副支院長の奇妙な体制になった。
…………………………
福岡東布教区 近藤謙導
田中教導の弟子。マージャン狂で、その点を指摘されて「私も人間だから、
マージャンぐらいはやりますよ」と開き直ったことがあり「反省もしない、サルより
レベルが低い最悪坊主」と言われている。
また、お金に関する亡者ぶりは有名になっている。
例えば、寺での法事の折、未入信の親戚が喪主家への香典として仏前に
供(そな)えておいたお金を、近藤が勝手に持ち去ってしまったことがある。泥棒で
ある。
親戚の人が「日蓮正宗は仏様にお供えしたもんは、みんな坊主が取るのか」と
呆(あき)れていた。
…………………………
福岡西布教区 岩城永学
高野永済(日海)の徒弟。日顕に「御本尊下付の停止」を進言した張本人。
日顕の「かまし発言」で有名になった、あの全国教師指導会で「学会員に御本尊様を
下付しなくなってもいいということになりましたら本当に有り難いことだと
思います」と、日顕に言上した。
その直後から、岩城は学会員という理由だけで、御本尊下付を拒否した。御本尊を
自分に隷属させる道具に使った卑劣な坊主である。
…………………………
熊本布教区 黒沢糾道
本名は之博。神奈川県横須賀市・法照寺の信徒出身。かつて台湾の本興院主管
だった頃、黒沢らが現地の法華講の家を回って「葬儀には必ず僧侶を呼ぶように」
「塔婆をしっかり立てるように」と恫喝まがいの台詞を吐いて嫌われていた。
その真の狙いが金儲けにあったことは明白である。
台湾社会では、葬儀には道教の道士を呼ぶというのが一般的な習俗で仏教の僧侶を
葬儀に招くことは殆どない。まして塔婆を立てる慣習は全くない。
むしろ、仏教の僧侶に対する台湾の一般的認識は、肉食妻帯をしないことは当然、
仏道修行に励むというもので、修行もせずに遊蕩に明け暮れる日顕宗などが出る幕は
全くないのだ。
黒沢ら坊主は金儲けだけに執着して、世界広布など念頭にない。黒沢が熊本に来て
三年余、葬式仏教は地域の人に敬遠されている。
…………………………
大分布教区 斎藤善道
細井精道(日達)の徒弟。保身のためなら平然と裏切る畜生坊主である。供養の
集め方は凄まじく、お通夜の導師を頼むと、返事の前に「供養を包まない所に
行ったら、我が宗の謗法になる」「御供養しない通夜は法を下げる」と遺族を脅し、
「供養は祭壇の値段以上はするものだ。祭壇が五十万円なら供養はそれ以上だ」と催促
する強欲ぶりの収奪魔でもある。
しかも、葬儀では遅刻の常習犯で、以前、葬儀場に参列者を待たせたうえ、御本尊を
忘れて遅刻してきた。
こんな坊主の風上にも置けないクソ坊主が支院長では前途は真っ暗だ。
342
:
検証会議
:2009/12/22(火) 23:04:00
越 洋
平成21年12月23日
ニセ法主早瀬日如の登座以降、宗内に火災が相次いでいる。平成18年8月12日
午後3時半頃、「逆さ杉」は落雷と同時に発火、豪雨にもかかわらず猛烈な勢いで火は
燃え上がり、黒煙が奉安堂一帯を覆い尽くして、本山周辺は一時騒然となった。
今年に入ってからは、立て続けに発生している。8月28日午後、大石寺境内の
駐車場で車10台が、炎上。次いで、ワシントンDCの妙宣寺(村田雄瑞)では
現地時間10月11日正午(日本時間12日午前2時)頃、お会式の最中に出火。
100人近い消防士が消火にあたり、数十分後に鎮火したが、寺は使用できない程の
大被害を受けた。更に11月15日午後、閉鎖されていた総坊売店の店舗から黒煙が
噴出。軒を連ねる8軒の売店に延焼して約250平方メートルを焼き尽くした。
日顕が「雨坊主」と呼ばれたのに対し、日如が「火災坊主」と言われる所以である。
この日如の従兄弟・早瀬義舜の次男である早瀬義久(浜松・正説寺)は、この度、
静岡西布教区の宗務支院長になったが、昭和54年11月、前任地の愛知・豊川で
泰福寺を全焼させ、板本尊を焼失させた過去がある。義久が高知県の開教寺にいた
当時、正信会で活動し脱会者作りを行っていたが、泰福寺に赴任してからも、
脱会者作りに熱心だった。ところが、昭和54年11月、義久が悪侶らと泰福寺で
学会攻撃の謀議を凝らしていた際、ストーブの火の不始末で火事を起こした。寺は
全焼、本堂の板本尊も焼失した。義久らは酒も入っていたようで、気がついた時は
かなり火が回っていた。
地元の男子部員がいち早く駆け付け、必死に消火を手伝ったが、義久はオロオロする
ばかり。揚げ句の果てに、男子部員の放火だと、濡れ衣を着せようとした。消防署と
警察が徹底的に火事の原因を究明、義久らの火の不始末が原因だと判明した。自分の
不始末を棚に上げて男子部員の放火とは、ふざけた言い掛かりだ。この時、信徒から
預かっていた遺骨も焼けて、百五十体程は、誰の遺骨か不明になった。遺族の中には、
肉親の遺骨が見つからず、今も悲しみを忘れられない方が多い。義久は遺族に満足な
謝罪もせず、浜松に移り、このほど宗務支院長になったが、無責任極まる最低の坊主で
ある。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000808.jpg
343
:
検証会議
:2009/12/24(木) 23:35:11
フェイク 第1081号
(発行=09.12.23)
「慧妙」と法教院が日蓮正宗の病巣
花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊤
「日顕の学問弾圧の非道を永く後世に語り継ごう」
日蓮正宗の僧籍を離れた花野充道博士が代表となり、このほど同人誌
「法華仏教研究」を創刊した。発起人、執筆陣からは同博士の幅広い人脈が伺え、
創刊号には興味深い論文などが満載されている。特に注目されるのは花野博士の
「編集後記」に代えての「日蓮教団における学問の現状と課題」。
前半は発刊に至る経緯を述べ、後半は「『フェイク』と題する謀略文書」との見出し
を立て、本紙について言及。その中で日顕、及びその意向を受けて発行する「慧妙」を
一刀両断している。
少々長くなるが、花野博士に本紙一〇六七号を全文、紹介してもらったので、その
返礼として本紙では同博士の文を抜粋して紹介する。
まず「慧妙」に関して同博士は「その内容を恥ずかしく思っている日蓮正宗の僧俗も
多い」と記して「慧妙」の泣き所を鋭く突いている。その箇所を引用する。
「(『慧妙』が有罪判決を受けた時)他教団なら直ちに編集者が責任をとって辞職
するであろうが、名前だけの発行者はいても、その実態は闇の中であり、責任の所在も
不明であるから、結局、誰も、何の責任もとらなかった。『慧妙』に携わっている
十数人の僧俗が、熱海で飲み食いをしていたことが発覚し、宗務院から注意を受けた
ことがあるから、そのメンバーについて宗務院は把握しているようである。しかし
バックに日顕上人がひかえているから、一種の治外法権で、何をやっても、誰も見て
見ぬふりをせざるを得ないのが現状である。教学部も、宗内あらゆる出版物を細かく
チェックしているのに『慧妙』については全く何もしない。このような理不尽が
まかり通っていても、権威権力を恐れて、誰も何も言わないのが、今の日蓮正宗で
ある」
「勇気のある議員が宗会で質問したところ、某宗務役員から『廃刊も含めて検討
する』という言質をもらったそうである。しかし結局は、その後、何のお咎めもなく、
また読者への謝罪もなく、そのまま刊行が続いている」
この後、花野博士が以前、携わっていた「慧燈」と「道心」が廃刊に追い込まれた
無念さを述べて「購読料や支払いの清算等々、二度にわたる残務整理がどれほど大変
だったか、命令を下しただけの日顕上人にはわからないであろう」と、日顕に怒りを
ぶつけて「日顕上人による学問・思想弾圧の非道は、永く後世に語り継がれていくで
あろう」と結んでいる。
日顕に対する花野博士の恨み節は続く。「私の師匠であった日達上人は、一般大学に
行って学問をすることを許された。ところが次の日顕上人は、謗法の立正大学で学ぶ
ことは弊害が大きいとして禁止し、私塾(法教院)を作って、すべての学生をそこに
通わせるように指示された。社会から隔絶され、私塾で純粋培養された僧侶の中には、
私が一般(早稲田)大学で博士号を取得するや、『日顕上人の御指南に異議を唱える
花野は、擯斥処分にしてしまえ』と叫んだ者がいる、と聞いている。日蓮正宗の
独善性・閉鎖性、ここに極まれり、と言うべきであろう。このままいくと、数十年後
には、日蓮正宗の僧侶は全員が高校卒ということになってしまう」
(つづく)
344
:
検証会議
:2009/12/28(月) 04:20:48
フェイク 第1082号
(発行=09.12.25)
「井の中の蛙の親分が大威張り」
花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊦
宗門を衰微させた日顕は宗祖から叱責
花野充道博士が「法華仏教研究」の中で日顕を糾弾している箇所を前号に引き続いて
紹介しよう。
「日顕上人が、立正大学は謗法の大学だから行かせない、と言うのであれば、
早稲田大学や東洋大学であれば許されるのであろうか。『謗法の大学だから』という
のは口実であって、実は学歴コンプレックス、嫉妬による苛めである、と陰口されて
いるのに、気づいていないのは御本人と取り巻きの宗務役員だけである」
「自分の親と同じ慶応大学に行きたいとして、慶応大学を受験した学生が還俗
させられた、ということも聞いている。まことに時代錯誤というか、『大海を謗法で
あると批判して、井の中で蛙の親分が大威張り』といった光景である。裸の王様に
向かって正直に『裸』と叫べば、それだけで処罰されるのが、現在の日蓮正宗である」
「『学問をする奴は信心がない』などと言われて、信伏随従の盲信盲目者が優遇
されるから、段々と僧侶の質の低下が深刻な問題になってきている。そのくせ教義的
には、僧侶主導の『僧俗師弟義』を振りかざしているのであるから、それで布教が進む
ことは絶対にない、と私は確信している。遅かれ早かれ、私塾の限界が行き着くところ
まで行った時に、やはり普通の大学に行かせて、世間に通用する学問を学ぶべきで
ある、という意見を受け入れざるを得なくなる、と思っている」
「日蓮正宗はこのままいくと高卒だけの宗団になってしまうのだから、衰微すること
は必定である。そしてその責任は、すべて日顕上人に帰せられるであろう。日蓮正宗を
衰微せしめた法主として、日蓮聖人から厳しく叱責されることは疑いない。」
「信徒に向かって、折伏を『やれ』『やれ』と号令をかけているだけでは、布教は
進まないという現実を思い知らされた時、日顕上人の私塾路線は変更せざるを得なく
なる。世間に法を弘めるためには、世間の学問を修して、世間に通用する人材を育成
しなければならない」
「ただ滑稽なのは、世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、
日蓮正宗の本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる矛盾に気づいて
いないことである。そんなことで喜ぶくらいなら、全国の書店に並ぶほどの本を
書ける(世間に通用する)人材をどうして育成しようとしないのか。日顕上人の
権威権力を恐れて、誰も何も言わないが、一度、無記名で日蓮正宗の僧侶全員から
アンケートをとってみたらどうであろう。無責任な信伏随従の指示待ち僧侶が増えて
いることは事実である…」
「日達上人と日顕上人との間に、学問に対する全く異なった方針が示されている
ことも、相承疑惑の根拠の一つに数えられているが、日達上人の了解のもとに科学的・
実証的な学問をしてきた者にとって、法主が変わった途端に、正反対の指南をされたの
ではたまったものではない」
以上、花野博士の「編集後記に代えて」を抜粋して紹介した。内容は同博士の持論を
展開したものだが、日蓮正宗の僧俗にも同人誌の一読を勧めたい。
345
:
検証会議
:2009/12/29(火) 21:20:48
大石寺短信 第476号
平成21年12月25日(金)
日顕宗の動き
1.大支院長、支院長人事が発表
先ごろ、これまで38あった布教区が48に細分化されたことに伴い、大布教区の
大支院長、布教区の支院長の人事が発表された。
それによると、大支院長は、中部大布教区で有川岳道(静岡・妙盛寺)から
佐々木慈啓(愛知・玉泉寺)に、中国大布教区は原山元征(広島・興福寺)から
菅原信了(岡山・妙霑寺)に交替し、原山は副大支院長に降りた。
新たな支院長には、青森布教区が楠牟禮慈宝(青森・玄中寺)に、岩手が山田容済
(岩手・感恩寺)、静岡東が関戸慈誠(静岡・蓮興寺)、静岡西が早瀬義久
(静岡・正説寺)、愛知東が三畝忍道(愛知・正啓寺)、愛知西が佐々木慈啓、三重が
福家重道(三重・普見寺)、北近畿が宗像高道(滋賀・本地寺)、京都が高野法雄
(京都・平安寺)、大阪北が柳坂幹道(大阪・聖教寺)、大阪南が近山信澄
(大阪・法住寺)、鳥取・島根の北中国が角石永道(島根・法久院)、岡山が
菅原信了、広島が原山元征、山口が今福永明(山口・妙宝寺)、福岡東が近藤謙導
(福岡・普遍寺)、福岡西が岩城永学(福岡・立正寺)、熊本が黒沢糾道
(熊本・眞法寺)、大分が斎藤善道(大分・本土寺)となった。
今回、布教区を細分化した日如の狙いは、これまでただの「連絡係」に過ぎなかった
大支院長、支院長により大きな権限を与え、布教の拡大を図ろうというもの。しかし、
この人事の顔ぶれを見る限り、その目論見は早くも破綻したと言えよう。というのも、
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成したという寺の一覧が出ているが、
新たに任命になった支院長19人のうち、名前が確認できるのはたったの1人。力の無い
支院長にいくら権限を持たせたところで、成果は期待できまい。
2.年末年始の法華講の訪問に注意
本年も予想通りの惨敗に終わった日顕宗の折伏。しかし今後、荒唐無稽とはいえ、
「平成33年までに80万法華講の達成」「平成27年までに法華講員50%増」なる「目標」
が掲げられている手前、さらなる折伏のハッパがかけられ、なりふり構わぬ学会員への
勧誘が行われていくことが予想される。
「大白法」12月16日号も、日如の次のような言葉を載せて、あおっている。「来年、
新年度を迎えてから『やるぞ』という考えは、とかく寒苦鳥になってしまいますので、
戦いを先送りしないで、今日から直ちに誓願達成へ向けて行動を起こすことが、
目標達成のためには必要であります」
年末年始、独り暮らしの高齢者宅、回忌法要を控えた家などに、坊主・法華講員が
新年勤行会や法要の勧誘にやって来る可能性もあるので、警戒してまいりたい。
3.1月の予定
1日(金) 新年勤行会(本山、末寺。寺によっては2・3日の開催も)
10日(日) 御講(末寺)
346
:
検証会議
:2009/12/31(木) 22:35:58
越 洋
平成21年12月27日
日顕が姑息にも平成2年(1990年)12月27日、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免してから今年で19年を迎える。
「C作戦」は、日顕自らやったと白状しているが、その事実は「河辺メモ」でみんな
知っている。
総講頭罷免の翌年、正月早々の1月2日、福田毅道がSGIに「私信」と称して
FAXを送信。
「私はSGIに宣戦布告いたします」という狂乱気味の文面に「C作戦」に関する
記述があり、「C作戦」の存在を世間に知らしめる結果となった。
小川只道は、福田のFAXについて、"あれは福田君のスタンド・プレーだよ"、
"今なら問題ないが、宗内で誰も知らない段階で出すのはいけない"と、「C作戦」が
実在したことを前提に話をしていた。
福田は「C作戦」を漏洩(ろうえい)させ、そのうえ、アメリカSGIの離反工作
にも失敗したとして解任。翌年には滋賀・本地寺に左遷された福田は、
平成11年7月5日には住職を解任され、今では宗門から捨て扶持を貰って、北海道・
小樽の実家で細々と生きている。
平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても…
…」と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。
この事件以降、誰が信心の素晴らしさを実感しているのか?
今年に入って、大村と尾林は、日顕に散々利用された揚げ句、悲惨な死を遂げた。
結局、粥をすすっているのは、日顕に使い捨てにされた福田、それに地方の住職・寺族
である。
日顕一族らは贅沢三昧、こんな暴挙が放置されていてよいのか。絶対に許しては
ならない!
347
:
検証会議
:2010/01/05(火) 19:05:27
フェイク 第1083号
(発行=10.01.04)
原島昭は虚言症に加え妄想癖も
「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊤
邪推で書いたデタラメ記事で墓穴掘る
退転した原島昭が妙観講らの作る「慧妙」に的外れな駄文を連載している。
この昭とは、あの酒乱の窃盗犯・原島嵩(故人)の実兄である。一月一日付「慧妙」
では「続・学会系怪文書『フェイク』の欺瞞を嗤う」との見出しをつけ、本紙に対して
大仰に反論することによって、己の虚言症を覆い隠そうとヒステリックに書いている。
その内容は「ポルノ」や「ヌード写真」について珍論を述べているだけのスリカエ記事
である。
原島は昨年十一月一日付の「慧妙」で「ポルノ雑誌『ルビー』を池田青年が編集して
いた」と読者に勘違いさせることを狙って陰湿なデタラメを書いていた。
その間違いを本紙が指摘し、「ルビー」を編集していたのは坊主に成り下がった
矢島周平だったと教えてあげた。すると、昭は話をすり替えて「慧妙」一日付では
(池田青年達も)編集に協力していた等と言いだす始末。原島は虚言症に加えて妄想癖も
あるようだ。
昭が書く内容は、夢遊病者のような虚ろな目で背を丸めて歩く鬱(うつ)病患者の戯言
だと思って、これまでは手加減しながら間違い個所を修正してあげた。
だが、話を狡猾に逸らして本紙を非難し「歴史改竄(かいざん)」「欺瞞」「卑怯」
「偽証の詐術」等々と誹謗するなど極めて質の悪い言い掛かりをつけてきた。
そこで再度、昭の間違いを振り返ることにする。
昭が最初に書いていた間違いを端的に言うと「(戸田氏が創刊した『ルビー』は)
グラビア写真と本文がヌード写真で占められていた」「池田氏編集の二雑誌は廃刊に
なった」と記していた点だ。昭は「池田氏編集の二雑誌」が「冒険少年」と「ルビー」
を指すと思わせるような悪意の書き方で、しかも、挿絵を「ヌード写真」と偽る
ふざけた男だ。
昭の駄文を信じる愚か者がいると不憫なので、その間違いを本紙で指摘してあげた
が、昭は訂正しないばかりか、「慧妙」新年号で「(編集は)互いに協力し合っていた
ことは容易に察しがつきます」「(ルビーを)手に取って眺めたり読んだりしたこと
でしょう」と書いている。これも昭の邪推、妄想にすぎない。
原島家が「ルビー」を販売
三十年以上も前の一つのエピソードを紹介する。ある図書館で「冒険少年」
「少年日本」を手にして懐かしそうにページをめくっていた池田会長に、昔の詳しい
事情を知らない幹部が「ここに『ルビー』もあります」と差し出した。しかし、同会長
は「ルビー」の表紙を一瞥して「それは矢島が作っていたんだ」と一言。手に取る様子
もなかった。
また昭は「大白蓮華」に「冒険少年」「ルビー」の広告が載っていたのを批判材料
に、池田編集長が広告を載せたとか「戸田氏の商魂が透けて見えてきます」と述べて
いるが、その「ルビー」等を販売していたのは昭よ、お前の両親だ。
当時、水道橋駅のホームに並んでいる広告の片隅に「少年日本」の広告を見つけて
「胸が熱くなった」と言う池田編集長に広告を出すことは出来なかったのだ。
雑誌が売れないから「大白蓮華」にも広告を出すよう工夫したのは原島の両親で
あろう。
(つづく)
348
:
検証会議
:2010/01/06(水) 01:19:43
フェイク 第1084号
(発行=10.01.05)
反逆者の愚弟・嵩に輪をかけた愚兄
「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊦
憶測で書いた間違い記事を訂正し謝罪せよ!
虚言症と妄想癖の原島昭は「慧妙」新年号に、本紙が「『ルビー』に関しては、
いたくトーンダウンさせてしまった」と書いているが、笑止千万。本紙はダウンも
アップもさせてはいない。もともと変質者の矢島が編集していた「ルビー」に関心は
なく、事実をありのままに記して原島昭の間違いを修正したにすぎない。
昭は話を逸らさず、「『ルビー』の編集を池田青年と思わせる記述は撤回します。
またヌード写真というのは記憶違いで挿絵でした」と訂正せよ。
特に、昭の母・精子に戸田会長が謝罪して「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を
回復させたというのは真っ赤なウソでした」と潔く訂正し、読者に謝罪するのが筋で
ある。
更に、昭は本紙が「私の母や弟の悪口中傷を乱発し続けている」と泣き言を並べて
いるが、本紙が書いたのは悪口や中傷ではない。
昭の母・精子は役職解任と謹慎処分になったが、それは「派閥作り」を画策したから
だったという理由を明かしたまでだ。
そして昭の弟・嵩が死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の
部屋に忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意され、女性トイレに素足の
まま潜んでいた等々の窃盗や変態行為は真相の一端を教えてあげたに過ぎず、悪口中傷
ではない。
しかも、ここに記した嵩の醜聞は、ごく一部でセクハラや痴漢、万引き等々、
恥ずかしくて書けない悪辣な行為が他にも山ほどある。
昭が本紙の記事を捏造だ、偽証だと非難し続けるのであれば、本当に捏造なのか
どうか、数々の証言を揃えて、それらを全て公表することになるが、それでも良い
のか?昭は身勝手な憶測でデタラメな文を書いて広布の団体に傷をつけようと躍起に
なっているが、反逆者の実弟・嵩と瓜二つだ。
矢島は再起不能で得度
次に、昭は「ルビー」を編集していた矢島について、辞意を伝えた戸田理事長が後任
に指名したのは忠実な部下だったからだというが、これも昭の推測でしかない。
矢島は変節漢で抜け目がなく、老獪だった。理事長になったといっても戸田会長就任
までの暫定である。戸田理事長から矢島に正式に理事長職がバトンタッチされたのは
昭和二十五年十一月で、約半年後の同二十六年五月、戸田二代会長が就任した時、矢島
は指導監査部長に更迭され、その約四ヶ月後には、この役職も辞任した。
翌二十七年四月二十日の聖教新聞には「指導方針が真実の大聖人様の教からはずれた
ため、大きな錯誤を学会員の指導及び自己の生活に暴露したのである」という記事が
掲載された。
二十八年六月一日付の同新聞にも矢島に触れて「事業に失敗し、以後しばらく学会
より離れていたが、昨年一度再起せんとして果さず」と記されており、再起不能のため
同年八月に得度。学会寄進の正因寺に入ったが、第一次宗門事件の際、週刊誌で
歴代会長を誹謗し、正信会に走り、同五十七年六月に死去。この男が「ルビー」を編集
していた。昭が学会に籍を置いていた頃から批判的だったのと同様、矢島の信心も不純
だった。
349
:
代理人
:2010/01/13(水) 14:43:18
フェイク 第1085号
(発行=10.01.11)
どちらが日蓮正宗の公式見解か?
日顕の幽霊存在説を妙観講の「暁鐘」が否定
各末寺には連絡先も分からない幽霊講員が多数
日顕といえば御書より幽霊・霊魂の話の方が得意で、過去に夏期講習会、行学講習会、各種法要で、その存在を力説してきた。しかも、幽霊について語る時の日顕は身を乗り出し、旧友を懐かしむような表情になる。
ところが、妙観講発行の「暁鐘」平成二十二年一月号には、日顕の「幽霊・霊魂存在説」に異論を唱える内容を掲載しており、日顕と妙観講の仲に亀裂が入る可能性もある。日顕の影響力が弱まったとみた大草一男が増長してきた感もある。「暁鐘」の内容を紹介する前に、日顕の代表的な説法を振り返ることにする。
「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をしていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを聞いたことがある」(昭和六十三年の行学講習会)
「通力のある人は『ここに何かいるな、アッ、これは鬼だな』とか、あの『幽霊だ』『これは前に男に捨てられて、子供産んで、子供と一緒に死んだ人の霊がここにいるな』とかね、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九年七月三十一日の夏期講習会)
「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当たってんです」(平成十七年八月二十六日の教師講習会・閉講式)
「幽霊を見たことがある人を知っている」(平成十六年十二月二十三日、埼玉県の妙本寺記念法要)
このように日顕の幽霊話は枚挙に暇がないほどだか、「暁鐘」一月号の「質疑応答」欄で「幽霊や霊魂を見たという話を聞くことがありますが、これは、どういうことなのでしょうか」との質問を設定。その回答として日顕説を否定している。
「(仏法では)幽霊や霊魂の存在を認めているわけではありません」「幽霊や霊魂のような実体が本当に存在しているのなら、物質的な側面を持っていようと、いまいと、今日の科学で必ず観測できるはずなのです。だから、そのような存在はあり得ない、ということになります」
「暁鐘」は幽霊の存在を否定、日顕は「幽霊はいる」と言う。さて、どちらが日蓮正宗の見解なのか?
「暁鐘」と同じく妙観講が作っている「慧妙」について、平成六年五月に発行された同人誌「道心」で花野充道博士(当時は兵庫・浄福寺住職)が次のように痛烈に批判していた。
「その論に誰が責任を持つのか。執筆者の責任か、発行者の責任か、法主の監修のもとに書かれた論か、教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、あくまで個人の私見か」
この度の「暁鐘」の記事も教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、それとも大草一男の我見なのか?
「暁鐘」は幽霊を感じることはあるというような逃げ口上を一応、書いてはいるが、日顕は明確に幽霊と霊魂の存在を肯定している。
この幽霊の存在の有無は、日顕と「暁鐘」誌の今後の対論に任せるとして、各末寺には名前だけで連絡先も分からない幽霊講員が多数、いることだけは確かだ。
また最新版の「宗教年鑑」(平成二〇年版)によると、日蓮正宗の信者数は三十九万六千人と記載されているが、実際は十万人もいないから、約三十万人もの幽霊講員がいることになる。
350
:
検証会議
:2010/01/15(金) 16:06:29
石山だより
平成二十二年一月八日
立宗七百五十八年「広布前進の年」が明けた。昨年の無謀な登山、折伏、供養の
影響で法華講員は疲弊し、今年の大石寺での元旦勤行の参加者は大幅に減少し、
陰々滅々(いんいんめつめつ)の幕開けだった。内事部の二人のヒソヒソ話。
A房 顕チャンは去年の十二月から本山行事をサボっているが、かなり体が衰弱して
いるという噂は本当のようだな。
Y房 何でも顕チャンは肋骨を痛めているようだ。あの老齢で糖尿病だから骨も相当
脆(もろ)くなっているだろう。痛めているというよりも骨折しているのかも
しれないよ。
A房 あの年で骨折したら完治しないな。さまざまな噂が飛び交っているのを本人は
凄く気にしている様子だよ。去年の十二月末、どっかに出かけたようだが、よっぽど噂
を気にしていたんだな。「俺は元気だ!」と虚勢を張って見たかったのだろう。
Y房 本当に見栄っ張りだな。だから、丑寅には全然、顔を見せないくせに、唱題行
には無理して出て来て健在ぶりを示しているのだろう。全国の教師の初登山(六日)の
際、客殿で寛チャンの目通りの後、顕チャンが自分の弟子だけを残して、改めて目通り
をして、短い話をしていたが、顔や首筋の皺(しわ)が増えて、話し方も弱々しかった
し、歩く姿も足腰が弱っているのを誤魔化せなかったな。
A房 そうだな。だいたい唱題行には来ても座っているだけで、声を出しているのか
どうかも分からないし。
Y房 信者の供養を湯水のように使って、何十年間も遊び放題、贅沢と遊蕩の限りを
尽くしたんだから、もう思い残すこともないと思うが……。
A房 まだまだ、この世に未練があるんだろうか?
Y房 欲深いからまだ遊ぶつもりなのかな?
A房 いや、そんな体力はもうないよ。最大の関心事は "寛チャンが誰に譲るのか?"
ということだろう。それが心配で死んでも死にきれない、というところか。
(百年に一度の不況、日本では一年に三万人の自殺者、世界では八億五千万人が飢餓で
苦しみ、一年間に六千万人が亡くなっている。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ
日蓮一人の苦なるべし」との御金言を何処の誰が実践しているのか?少なくとも
顕チャンが世のため、人のために何をやったのか一向に思いつかない。
一閻浮提広令流布の御遺命を誰が実現してきたのか?宗内の坊さんは "慈悲"という
言葉を簡単に使うが、その心は皆無だ。内事部鼠)
351
:
代理人
:2010/01/17(日) 19:56:02
越 洋 (10.01.13)
自然破壊の常習・大石寺――またまた「桜の木」を大量伐採!
本山で行われた元朝勤行は、今年も昨年の参拝者を下回り、日顕宗にとっては、まさに本年が前進どころか「広布後退の年」となるような出発となった。
そんな本山に、また無用な建物を建てるために貴重な樹齢50年もの桜の伐採を始めた。昨年の「50万総登山」で供養をしぼりとり、味を占めた日顕と日如は、総一坊南側に新たに宿坊建設を予定。そのため、正月早々の6日、その整地のために桜を伐採。ちゃっかりと法華講員には分からないよう、皆の目につきやすい道路沿いと総門側の桜だけは残し、その奥の桜を伐採した。
日顕による桜の伐採は、平成5年に総坊前の約280本を手始めに、13・14年には常灯ケ峰の約200本、さらに17年には五重塔北側の桜を約230本も無惨にも切り倒し続けた。そして昨年の7万5千の総会のために、経蔵と宝物殿の間の20本、宝物殿そばで10本が切られ、さらに向原駐車場の側でも伐採が進められた。いったい何万本の樹木を伐採すれば気が済むのだろうか。環境問題には全く無頓着、宗教者のやることではない。
登山者も普段は少なく、宿泊者もいないにもかかわらず新宿坊の建設は、貪欲な日顕や日如にとって、桜も金のなる木にしか見えないのだ。「貪欲な者は坊主の中に一番多い」と詩人のダンテの言葉を証明するかのような今回の桜伐採である。
折しも今年一年で、UNEPでは「10億本の植樹キャンペ−ン」を行っている。
ワンガリ・マアタイさんが聞いたら「オー・ノー」と絶句するだろう。
352
:
代理人
:2010/01/17(日) 20:02:36
大石寺短信 第477号 (10.01.14)
1. 重苦しい雰囲気の新年勤行会
「広布前進の年」と銘打たれた本年の日顕宗では、全国末寺で開催された新年勤行会の参加者が
昨年より大幅に減少した。
昨年、「50万登山」「7万5千結集」の過酷なノルマに苦しめられてきた末寺住職、信者はすっかり疲れ切っているが、本年は、昨年夏に打ち出された「平成27年までに法華講5割増」「平成33年までに法華講80万人」という荒唐無稽な2大命題に向かって、折伏に駆り立てられることになっており、どの寺の勤行会も相変わらず、どんよりとした重苦しい雰囲気が漂っていた。
2. 容赦ない強制徴収でやせ細る末寺
これまで、何かにかこつけては末寺から金を吸い上げてきた本山だが、
本年も「立正安国論750年記念事業のための寄付」の名目で、
寺の全財産の5%を強制徴収する。
昨年末に発行された憂宗護法同盟の「同盟通信」はこれを取り上げ、
現在の全末寺の財産の総計を「約200億円」と推計した上で、
「末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円あり、
8年前の2001年には約510億円あった。
ということは、2001年から2007年までの6年間で150億減らし、
さらに、この2年間で160億も減らしたことになる」とし、
単純計算で「末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。
否、このままでは2年ともたないかもしれない」と分析している。
加えて本山は、昨年の無謀な「50万登山」に続き、
本年も末寺に過酷な登山ノルマを課しており、
「同盟通信」は「登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、
末寺にまで回ってこない。登山の督励が、ますます末寺を疲弊させている」
と指摘している。
さらに、「本山・末寺の関係は、昔から本山が『親』、末寺が『子』に譬えられてきた。
本来、親は子を思い、慈心をもって接するもの」とし、
「(『親』である本山は)『子』の悲鳴に無視を決め込み、それどころか、
『子』の生き血を吸ってますます肥えている始末。
もはや畜生以下」と厳しく糾弾している。
353
:
検証会議
:2010/01/19(火) 00:57:28
フェイク 第1086号
(発行=10.01.17)
「原島昭は陰湿なウソつき!」の声
「慧妙」一月十六日付・投稿欄の偽証を嗤う
肖像画を写真と偽り早瀬日慈を陥れた大草一男
妙観講のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた間違いについては、本紙が逐一、指摘(第一〇六一・一〇六八・一〇六九・
一〇七四・一〇七五・一〇七六・一〇八三・一〇八四号を参照)してきた。
これに反論不能の原島は妙観講と共謀して一月十六日付「慧妙」の「読者の
おたより」欄に匿名で「『フェイク』の負け!」と題する手前味噌の陳腐な記事を
掲載し、本紙の指摘から逃げようとしている。
本紙編集室には「原島家は母親の精子も昭・嵩兄弟も揃って妙法流布を阻む魔で
ある」「昭は愚弟の嵩に輪をかけたような陰湿なウソつきだ」等々、多くの声が
寄せられており、「慧妙」に虚偽を書き続ける原島昭の惨敗は明らかである。
「慧妙」は宗内でも毛嫌いされており、坊主はもとより一般の法華講員は殆ど読んで
いない。読んでいるのは妙観講員の一部にすぎない。ましてや「慧妙」に投稿する
ような法華講員などいる筈もない。
したがって、この投稿には、宗教道楽者の大草一男とその一派が関与していることは
間違いない。この投稿欄では「『フェイク』は自らの誤りを認めようとしません」と
書いているが、本紙の記述は何一つ誤っていない。だから、「慧妙」は「ここが違う」
と具体的には書けないで、負け犬の遠吠えのような投書を掲載して誤魔化している。
この投稿では「少年日本」と「ルビー」の編集トップが池田編集長であったことは
「当然です」と書いているが、何が当然か?「ルビー」の編集長は矢島周平と奥付に
明記されている。
原島はウソを繰り返すことで読者に間違った認識を与える汚い手を使い、その上、
他人に自分の文を褒めさせる。これも反逆者の弟の嵩と同じ手口である。
約四十年も昔のことだが、夏期講習会では当時、毎期とも各部部長らの幹部は、
池田会長を囲む講義担当者会で講義のポイント、強調点などを確認して御書講義に臨む
ことになっていた。
教学部長だった原島嵩が、一人の記者に「次の担当者会で、先生に『原島教学部長の
講義が一番上手いという評判です』と報告して欲しい」と真面目な顔で頼んだことが
あった。
その記者は、そんな報告はしなかったが、今回の投稿は自画自賛、妙観講中で作った
感が強い。本紙の記述と原島の駄文を公平に読み比べるならば、原島の「私が見た
創価学会」はウソの羅列だと直ぐに分かる。
次に「慧妙」では「だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載った
カラー写真を『絵だ』と見間違えて、騒いだことがあった」云々と書いているが、
これも妙観講らしいスリカエの大ウソである。
そもそも、下手な肖像画を意図的に写真だと偽って日達法主に告げ口して早瀬日慈
(日如の父親)を陥れたのは大草一男である(本紙第六九五号を参照)。
なお、原島は母・精子に戸田会長が詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。この件は本紙が任命年月日から見ても
辻褄が合わないと指摘したが、原島は、その後、沈黙している。潔く間違いを訂正し
謝罪せよ。
354
:
検証会議
:2010/01/19(火) 00:57:57
フェイク 第1087号
(発行=10.01.18)
日顕は雨男、日如は火事男!
新宿・大願寺でボヤ騒ぎ、消防車七台が出動
大石寺駐車場・売店、米国の妙宣寺と相次ぐ火災
今度は新宿区・大願寺でボヤ騒ぎ―― 一月十七日午後七時頃、大願寺(板東慈潮)
からモクモクと黒煙が立ち上り、辺り一面には焦げ臭いような物凄い異臭が漂った。
急報を受けて出動した消防車は七台、若松町にある大願寺前の狭い道路は通行止めに
なった(写真)。異変に気づいて家から飛び出してきた近隣の人々も皆、驚きの表情で
あった。
幸いなことに火災は直ぐに消し止められたものの、まったく近所迷惑なボヤ事件で
あった。ニセ法主元祖の日顕は、行く先々で集中豪雨などに見舞われたため
「テルテル坊主」ではなく「雨坊主」とか「雨男」と呼ばれたが、今のニセ法主の日如
は「火事男」と呼ぶに相応しい。
盗座した翌年の平成十八年八月十二日の午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、
奉安堂の東側に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて、周辺には
黒煙が立ち込めた。この落雷を「慧妙」は詭弁を弄して「功徳だ」と強弁していたが、
今の日蓮正宗には「火災という功徳」が多発している。
昨年の八月二十八日には大石寺の駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、
アメリカ・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が十月十一日(日本時間十二日)に
焼失した。
また、十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建ての
建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼したばかりである。
「王舎城事」には「両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に
留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は
現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき
先表なり、愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり」とある。
良観の極楽寺が火事で焼失し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所でも火災が
起こったことから、大聖人は「りょうかん」をもじって「両火房」と揶揄されたが、
日如は現代の「両火房」と言ってよい。
大願寺は昭和四十七年三月十六日、創価学会・池田会長(当時)の発願により
建立寄進されたが、昭和六十三年十二月に新築した時、早瀬は「全額、私が負担した。
学会には一切、世話になっていない」と放言。この「火事男」は忘恩の坊主なのである。
355
:
検証会議
:2010/01/20(水) 00:43:08
同盟通信 No.136
(2009.12.28)
=明年、本山は、記念事業にかこつけ、全末寺から総額10億円の「寄付」を集める。
この10億円という額は末寺財産の5%に相当すると財務部文書から推計される。すると、
現在の全末寺の財産の総計は約200億円。末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円
あり、8年前の2001年には約510億円あった。ということは、2001年から2007年までの
6年間で150億減らし、さらに、この2年間で160億も減らしたことになる。このままでは
末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。否、このままでは2年と
もたないかもしれない。末寺が2年余で崩壊の時を迎えようとしている。=
本山・末寺の関係は、昔から本山が「親」、末寺が「子」に譬えられてきた。本来、
親は子を思い、慈心をもって接するものである。それは人も動物も同じである。
しかし、宗門の「親」はどうか。「寄付」とはよく言ったものだ。これまで「不可侵」
とされてきた基本金までが取り崩し対象とされ、有無を言わせず取り立てるのだから、
それは「寄付」に名を借りた「強奪」以外の何ものでもない。「子」の悲鳴に無視を
決め込み、それどころか、「子」の生き血を吸ってますます肥えている始末。もはや
畜生以下である。
猊下は、11日に開かれた全国正副宗務支院長会議の席上、新入信者の育成について
触れ、「折伏した人は、できるだけ早く登山させろ」とゲキを飛ばしたという。猊下は
今後の取り組みとして、特に登山に力を入れている。明年の支部総登山への結集の
ハッパは周知の通りである。支院長会議では、明年の各種登山への割り当ても発表
され、「虫払法要、寛師会、御大会へは、各支部から講頭はじめ役員が必ず1名以上
参加せよ」と徹底された。
登山、登山、はたまた登山である。発表直後から”無謀の極み”と陰口をたたかれた
本年の「50万総登山」。先ごろ「50万の御命題が達成された」と発表されたが、その
内実はというと「50万人の登山」ではなく、「50万人”分”の登山」であり、各末寺の
活動家信徒が何回も何回も登山し、やっとのことで達成したものだ。その結果、本山は
御開扉料だけでも約10億円を徴収し、加えて膨大な供養も集めた。一方、割りを食った
のは末寺だ。
登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、末寺にまで回ってこない。登山の
督励が、ますます末寺を疲弊させているのである。
隠尊から当代の猊下に座替わりした時、”これで、宗門の未来に明るい光が差す
だろう”と思った僧侶は少なくなかった。しかし、あれから丸4年。阿部庶務部長による
傷害事件に始まった「正義顕揚の年」が、加害者である信彰師が新設の布教部の部長と
いう要職に就くという不可解な落着で幕を閉じ、問もなく「広布前進の年」が明けよう
としている。巷は、年の瀬の華やいだ雰囲気に包まれているが、本宗では大半の
末寺住職たちが、恐怖や不安、猜疑、絶望がない交ぜになった感慨を胸に、陰鬱な日々
を過ごしている。
(憂宗護法同盟員より)
356
:
検証会議
:2010/01/20(水) 21:33:45
越 洋
平成22年1月20日
「フェイク」の圧勝! 「慧妙」と原島昭は惨敗!
宗内みんなから嫌われている下品な御用新聞「慧妙」に昨年十月一日付から原島昭
(嵩の実兄)が「私の見た創価学会」を連載している。内容は原島の記憶違い、或いは
悪意から事実をネジ曲げたデタラメな記述である。これに対し、宗教情報紙
「フェイク」が逐一、原島の虚偽を指摘している。それは確かな証言と資料に
裏付けられており説得力がある。
「フェイク」紙の圧勝であり、誰が見ても明らかである。原島の劣勢を感じた
「慧妙」編集部は慌てて一月十六日付の投稿欄を使って、原島の「私の見た創価学会」
を自画自賛。投書に見せかけて勝利宣言のような我田引水の記事を掲載している。
そもそも、「慧妙」に投書をする者がいるのか疑わしい。
原島の間違いだらけの回想と「フェイク」紙の主な指摘を見比べてみる。
原島の悪意による間違いの第一は、少年雑誌の編集をしていた若き日の池田編集長
が、ヌード写真で占められた「ルビー」というポルノ雑誌も作っていたと書いていた点
である。
これに対して「フェイク」紙は、「『ルビー』は後年、坊主になった矢島周平が編集
していた」と奥付を提示し、ヌード写真というのもウソで、挿絵だったと指摘した。
すると原島は、池田編集長も「ルビー」の編集に関与していたのは「容易に察しが
つく」とか、出来上がった「ルビー」を手に取り眺めていた等々と妄想と邪推で勝手な
ことを言い出す始末。しかも、原島は「私が、ねじけた物の味方をするようになったの
は多分に二代会長・戸田城聖氏の影響でもある」(十一月一日付「慧妙」)とも書いて
いた。寝ぼけたことを言うんじゃない!
「フェイク」紙は、昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係
を見てきたからではないのかと述べ、嵩と母親の特異な関係を具体的なエピソードを
挙げながら指摘していたが、これは実に興味深いものであった。
また、原島は蒲田支部の基礎を築いたのは母親の精子だと自慢していたが、
「フェイク」紙が原島精子の悪行を暴露。派閥を作ろうとして戸田会長の逆鱗に触れ、
文京婦人部長を解任されたうえ、謹慎を命じられていたという衝撃的な事実を暴いたの
である。
原島は苦し紛れの言い訳として、戸田会長が母を呼び寄せ「『あなたを辛い目に
合わせて申し訳なかった』と詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。ところが、精子は戸田会長の存命中
には本部副婦人部長になっていなかったことを「フェイク」紙に指摘され、これも原島
の作り話であったことが明白になった。
最早、原島昭のウソ八百は粉砕された。この論争は「フェイク」紙の完勝である。
写真は人生に負けた弟・原島嵩。落ちぶれた惨めな姿を見よ!
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000819.jpg
357
:
検証会議
:2010/01/29(金) 09:59:12
大石寺短信 第478号
平成22年1月28日(木)
日顕宗の動き
1. 15人中4人の折伏推進委員が昨年の目標未達成
日如が折伏に躍起になっている。正月の講頭目通りの席でも「各講中が『次の日曜日
にどう戦うか』ということを決めているか、どうか」「次の月、あるいは一年を
とおして、基本的にどういう戦い方をしていくかということを具体的に決めて戦う
べき」と細かく指示していた。この背景には、昨年までの目標だった「信者倍増」が
大失敗に終わったことがある。これについて、「恥ずかしい」と漏らしているという
日如は、何かせずにはいられないという心境なのか、よりによって、各布教区で毎月
行われる「広布推進会」に、親譲りの”瞬間湯沸かし器”で暴力坊主の布教部長・
阿部信彰を単独で派遣することにした。
日如が目を背けたくなる現実を「大白法」(1月16日号)が紹介している。昨年の
折伏目標を達成した寺の一覧が載っているが、その数は全末寺の2割にも満たないのだ。
上層部からして全くダメ。重役・藤本、総監・八木ら役僧の寺は軒並み達成できて
おらず、各布教区の正副支院長も全94人中、名前が載っているのはたったの13人。全く
「恥ずかしい」有り様である。さらに驚くべきことに、今、折伏ができていない寺を
回っている15人の折伏推進委員のうち、4人(野村慈尊<千葉・清涼寺>、平山広篤
<東京・広妙寺>、岩切仁道<愛媛・法楽寺>、園田司道<兵庫・浄福寺>)が昨年の
目標を達成していないのだ。自分ができていないのに「折伏しろ」とは、どの口で
言えるのか。
今後、折伏低迷の責任を問われて住職をクビになる者も出てくるだろう。力尽きて
自ら隠居を申し出る者も現れるかもしれない。一方、日如をはじめとした執行部は、
"大聖人の御命"とまで言い切った信者倍増が大失敗に終わろうが、自分の寺が目標を
達成できなかろうが、責任を取らなくてよいのだから、気楽なものである。
ともあれ、折伏が苦手な日顕宗は、最近、またまた学会に的を絞ってきている。
「大白法」では「創価学会折伏の手引き」なる連載が始まった。今後、あの手この手で
勧誘を仕掛けてくるだろう。油断なく対応してまいりたい。
2. 2月の予定
3日(水) 節分会(本山、末寺)
7日(日) 広布唱題会(本山、末寺) 興師会(本山、末寺)
14日(日) 御講(末寺)
16日(火) 宗祖誕生会(本山、末寺)
358
:
検証会議
:2010/01/30(土) 23:13:06
フェイク 第1088号
(発行=10.01.27)
破折も折伏もできない早瀬日如
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり(1)
「祈祷は身延の方が良い」と言う講員にも苦笑
日顕宗・法華講の機関誌「大白法」が一月十六日付から「創価学会折伏の手引き」の
連載を始めた。これは早瀬日如の意向を受けた企画で、その魂胆が窺える。
早瀬も新年早々、昨年は残念ながら折伏が思うようにいかなかった、と泣き言を
述べたあと「漠然と『やれ、やれ』と言っても折伏は達成しない。幹部が指導教師と
よく打合せして、いわゆる折伏作戦会議とかの会議を開いて、次の土・日曜をどう戦う
かということを決めていくべきである。これが組織戦である」「宗務院に布教部を設置
して、過去の色々なデータから折伏推進委員の十五人を選んだ」と語り、これで本年を
勝利して平成二十七年(法華講員五十%増)、三十三年(法華講員八十万人)の目標を
達成できると確信している旨、言い放った。
これらの言動から、今年は日顕宗が「組織戦」として学会員を奪い取ろうと狙って
いることは間違いないが、布教部や推進委員を作ったから折伏の勢いが増すと思うのは
幻想に過ぎない。
そもそも布教部長に就任した阿部信彰、十五人の折伏推進委員のいずれも折伏は
できない。早瀬自身も折伏は未経験で、御書は苦手、破折もできないのだ。
かつて新宿区・大願寺にいた頃、早瀬が「学会は折伏、折伏と言っているが、あんな
の寺に連れて来て、御授戒を受けさせるだけだから簡単だろ」とも言っていたとは
当時、同寺に在勤していた渡辺雄範氏の証言である。実践のない早瀬は、寺に連れて
行くまでの紹介者の真剣な祈り、心遣い、苦労が想像できないのだ。
また、当時の大願寺法華講の班長のある婦人は、身延派日蓮宗の寺に塔婆供養に
通っていて「お祓いや祈祷は身延の方が良い」と、公然と発言していた。
渡辺氏は早速、早瀬に報告したが、そのことは先刻、承知していた様子で「しょうが
ないな」と苦笑するだけだった。つまり、早瀬は身延派に対する破折の一つもできない
のである。
新興宗教の一信者に敗北した無能な信彰
早瀬が布教部長に任命した阿部信彰は、新興宗教の信者一人に言い負かされて
「新興宗教にも功徳があります」と認め、御本尊の功徳については説明も出来なかった
ことは本紙第一〇七一号で述べた。
そこで今度は早瀬が選んだ十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるかを
紹介する。奴らに折伏の檄を飛ばす資格はない。
まず、折伏推進委員の十五人とは野村慈尊、西田秀得、石井信量、菅原信法、
平山広篤、村上節道、武安力道、桑原慧道、中村収道、新井契道、盛岡窮道、
岩切仁道、園田司道、石岡雄哲、竹内雄寧である。
これらの坊主共の役割は「院達」によると、折伏の状況が一定の基準に満たない支部
に対し、定期的に出張して折伏の助言や指導を行うことだという。
過去にも平成十四年には「広布推進会地域担当員」、同十八年には「広布推進員」と
いうのを作ったが、一向に成果は上がらなかった。
今回も徒労に帰すことは明らかである。
次号からは低劣な折伏推進委員を一人ずつ紹介していくことにする。
(つづく)
359
:
検証会議
:2010/02/01(月) 11:46:47
フェイク 第1089号
(発行=10.01.28)
檄を飛ばした野村慈尊は温泉遊興
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり②
西田秀得は他宗の僧にも嘲笑される外道坊主
ニセ法主・早瀬日如が自慢する十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるか
を順次、紹介する。
野村慈尊の清涼寺は昨年の折伏目標は未達成。平成十三年五月十五日、折伏のハッパ
をかける僧俗指導会に行ったが、昼間から阿部信彰、柳沢喜惣次と懐石料理に舌鼓を
打ち、М山荘で温泉遊興に耽っていた過去がある。この事実は本紙第三六四号で紹介
した通り。今後も各地を回っては遊興三昧を楽しむことだろう。
また野村は、鳩の大量殺戮を実行した坊主として有名になった。この話は内藤国夫
(故人)が昭和五十七年七月に「諸君」誌で暴露した。日顕が昭和五十六年にノドの
ポリープを手術した頃から「鳩の糞はノドに悪い」と言い出し、鳩の肉が大好物だと
いう生臭坊主の野村に日顕が「鳩殺し」を命じた。野村は御影堂や大講堂など各所に
カスミ網を設置して約五百羽の鳩を虐殺した(本紙第五八四号に詳述)。
西田秀得は口先だけの坊主である。臆病で折伏を実践したこともなく、他宗の僧から
も嘲笑されているという。こんな坊主が折伏推進委員とは、法華講員も呆れている。
西田は折伏がダメなだけでなく、勤行もいい加減で、例えば平成三年八月の葬儀の
際、西田の勤行が間違いだらけで、参列者に不快な思いを与えたことがあった。
終了後、西田は婦人部の人に「きょう、学会員は来ていなかったのか? 勤行が
合わなかった」と言い、参列者のせいにしていた。
その婦人が「私は、いつからお経が変わったのかと思いましたよ。眠っていたのですか?何度も間違っていましたよ」と切り返すと、西田は苦笑して誤魔化していた。
………………………
写真上は浴衣姿で温泉に
向かう野村慈尊。写真下
はМ山荘の露天風呂
………………………
また、西田は勤行を間違うだけではなく、題目を「ナンミョーホウレンゲドー」と
唱えることでも知られている外道坊主である。
ある人が「お題目が『ゲドー』と聞こえますが……」と指摘すると、西田は
「『ゲドー』には、ちゃんとした意味があるんだ」と開き直ったという。だから、
今でも「ゲドー」と言っているようだ。
こんな具合だから坊主になっている二男の良活に対しても満足に教導できない。
良活が大修寺に在勤していた頃、寺に若い茶髪の女性を連れ込んだり、一緒にバイク
を乗り回して朝帰りしたり、到底、出家とは言えない乱行の限りを繰り返していた。
今の宗門は、このような坊主の風上にも置けない悪僧共の巣窟になっているので
ある。
(つづく)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000821.jpg
360
:
検証会議
:2010/02/03(水) 00:17:59
フェイク 第1090号
(発行=10.01.31)
蓄財疑惑の石井信量、インチキ成果の宣行寺
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり③
「布教より金」の強欲な悪僧共
早瀬日如が任命した折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に引き続いて
紹介する。
石井信量は以前、大石寺の蓮成坊にいたが、数々の女性問題、巨額の不正蓄財疑惑
などが噴出して本山にいられなくなった坊主である。日顕の内弟子の一人で、管材を
担当しながら温泉豪遊、芸者遊びにも同行していた。義弟の妻の裸体を撮影するなど
畜生坊主としても宗内の評判となったが、大石寺から追放されたのは不正蓄財が原因と
言われている。
蓮成坊の庫裏には総額で数億円は下らないと見られる壷や茶器類など骨董品の数々が
並び、茶室のような部屋には時代物の家具とか屏風などが置かれていた。
また、熱海には約二億円もの温泉付き別荘を女房のナツ子と二人の名義で手に入れて
いた。これらは表面に現れた贅沢三昧の実態にすぎない。不正蓄財の疑惑は他にも
相当額があると言われている。
末寺からの特別供養など不透明な金の流れに関わり、銀行員も顔負けの鮮やかな
手さばきで札びらを切っていた石井だが、折伏は出来ない、というのが宗門関係者の話
である。
菅原信法も「布教より金」のゼニゲバ坊主である。信徒に「二千円の塔婆供養を
すれば、三万円になって返ってくる」という邪義を吹き込んでいたこともある。通夜
などの供養は「最低二万から三万円」と金額まで決めて押しつけ、七五三、初参り、
法事、結婚式の供養も、それぞれ最低額を示して供養を強要していた。
御講の席でも「ご供養に酒や米をもらっても仕方がない。お金が良い」と金銭の供養
をねだっていた。
塔婆も、法要の参列者全員に強要し、信心していない人の名前まで聞き出し、塔婆を
立てるよう催促。純朴な信者を騙して毎月、塔婆供養を続けさせ、合わせて千本近く
立てさせられた人もいたという。
まさに「塔婆商人」ともいうべき強欲坊主だ。
もともとは久保川法章の弟子だが、「日顕の七番目の弟子」と吹聴している。
村上節道の宣行寺(草加市)は「折伏のできる寺」と宗内で宣伝されてはいるが、
実態は酷い。一人が三体の本尊を所持していたり、素性の知れない外国人に下付して
本尊ごと行方不明になったり、下付の当日に返却されるケースもあるなど、帳尻合わせ
のためだけの実にいい加減なインチキ折伏が横行しているのだ。 その証拠に、御講の
参加人数は一向に増えていない。
村上は本行寺(東京・墨田区)の高野日海の娘婿で、宣行寺法華講は本行寺から信徒
を株分けしてもらって発足した。
同寺の自己申告によれば、平成九年には支部一千世帯を達成し、その後も、
毎年二百世帯の折伏を完遂してきたという。
ところが、講中の実態は名ばかりの講員づくり。例えば、講員の子どもの小・中学生
が寺に友達を連れて来ると、無理やり内得信仰扱いにして成果に入れるという事例も
あった。
月末近くになると講頭が「あと○世帯足りない」と訴えるが、月があけた途端に
「誓願達成」となる。
この不可解な折伏成果のタネ明かしを説明して回ると受けるだろう。
(つづく)
361
:
検証会議
:2010/02/06(土) 01:44:49
顕正会短信
2010.02.06
未成年者に実名で鑑別所行きを告白させる顕正会
一昨年12月16日、JR新潟駅前で、当時19歳の顕正会男子部員が、脱会しよう
とした20歳の専門学校生に対し、首を絞めるなどの暴力をふるい、昨年1月に傷害の
容疑で逮捕された事件を覚えているだろうか。これをきっかけに地元紙が身体障害者や
精神障害者への悪質な勧誘の実態を取り上げて報じるなど、あらためて顕正会の異常さ
が新潟県内に広く知れ渡ることとなったのだが、この事件に関しては、発生以来昨年末
まで、各種集会で浅井昭衛の口から「不当逮捕」などと語られたことはなかった。
しかし事件から一年になろうかという今月11日に行われた“顕正会成人式”で、
突然この事件について浅井が口を開いたのだ。
この“成人式”では、事件の“犯人”であった男子部員が登壇し、自ら事件について
語ったのだが、およそ顕正会以外に、未成年者を実名で登壇させ、自身の“逮捕歴”や
“処分”まで語らせるような団体は他にないだろう。
この男子部員は自身が逮捕されたことを「怨嫉の退転者を指導していたら相手が
暴れ出したのでなだめようとした」と言うのだが、その“なだめ”に関わる自身の
逮捕容疑が“絞首による傷害”であることについては何一つ言及していない。しかも
この逮捕劇を何の根拠も示さぬまま「謀略」と決め付けているのだ。
この男子部員は結果として鑑別所に送られ、通学していた専門学校も退学になって
しまったそうだが、「自業自得」という言葉を知らないのだろうか。彼に限らず
ほとんどの顕正会員に共通する、都合の悪い話をすべて「謀略」と決め付けてしまう
哀れな現実逃避・思考破壊の一例として紹介しておこう。
ところで浅井は、「名誉を“回復”させてあげたい」とかで、この男子部員が20歳
になったら法的措置を行うと大見得を切ったようだが、逮捕直後にすぐやればよかった
のではないか。弁護士を派遣してくれたとか激励の伝言をくれたなどとさも仰々しく
男子部員に話させているが、結局は弟子が鑑別所行きになってしまったことについて、
浅井は「私の努力不足だった。申し訳ない」などと詫びることも無く、ただ責任転嫁の
「謀略、謀略」と叫ぶのみ。
浅井よ、お前の言うがままに勧誘に狂奔し、“怨嫉者”の首を絞めるという暴力を
振るった若者の前途にミソがついてしまったのだ。責任をどう考えるのか。顕正会を
解散すれば二度とこんな哀れな若者を出すことはない。前途ある若者をこれ以上、
老い先短い自分の道連れにするな!
362
:
検証会議
:2010/02/07(日) 21:08:05
越 洋
平成22年2月6日
宗内で下品な新聞と嫌われている「慧妙」2月1日付に「うっかり尻尾を出した
『信濃町鼠』」「学会怪文書作成班が犯した大失態」と題する的外れな記事を掲載して
いるが、笑止千万!「慧妙」は、本紙と「石山だより」の2紙の出所が本山とは無関係
だと決めつけ、その根拠として、元朝勤行の参加者が増えているのに、両紙とも減った
と報じている共通点があると書いている。だが、この根拠は破綻している。そもそも、
元朝勤行の参加者が減少している事実を宗内諸師は皆、知っている。毎年、あの
浅間神社が十万人を超える初詣客で賑わっているのに、大石寺は3千人足らずで、今年
は約2千6百人に減った。これでも「慧妙」は増えたと強弁するのか?
愚かな「慧妙」は昨年と今年の元朝勤行の写真を並べて掲載し、対比させているが、
皮肉なことに、これを見ると参加者が増えていないのが一目瞭然である。増えているの
は法華講の参拝者ではなく、無任所坊主の数だけではないか。
「昔の元朝勤行は三門まで人が溢れていたのに、今は淋しい」と述懐する老師も
いる。あの頃の賑わいの光景は、もう二度と見られない。毎年、御供養していた
参拝者も、この不況の中、御供養を出さなくなった講員が多くなっている。
「慧妙」の実質的な発行人である妙観講の大草一男は、日顕時代は元朝勤行を
得意満面で取り仕切って、連合会幹部から「生意気な大草」と言われていたが、今は
反対に大草の出る幕が全然ない。だから、正確な参加人数さえ知らないのも無理ない
が、本紙の報道は「公称」ではなく、宗務院や内事部のナマ情報である。
大石寺は安普請の無用な建物を作るため、今年も桜を伐採した。桜も減り、登山者も
激減し、墓参に来る人も少なく、元朝勤行の参拝者も減少の一途を辿る。しかも、講員
は高齢者や病人が多い。5年後の平成27年には講員の50%増どころか、日興上人
御生誕770年の時には「講員数50%減」という惨憺たる敗北の姿を晒すことになる
に違いない!
363
:
検証会議
:2010/02/07(日) 21:08:33
フェイク 第1091号
(発行=10.02.06)
供養の多寡で差別する日顕宗
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり④
「生き戒名」販売で収奪するハイエナ坊主
日顕宗の折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に続いて紹介する。
平山広篤(東京・広妙寺)も昨年の折伏目標を達成できなかった坊主の一人。
折伏よりも謗法を好む。以前、法華講員を引き連れて佐渡へ行き、身延派の六カ寺を
巡拝し、塚原三昧堂跡地と称する根本寺では布施を渡して参詣したほどである。
また、日顕の本音を直接、聞いた張本人でもある。
日顕は平山に「ワシは、どうしても御本尊が信じられなかった」と告白したことが
ある(本紙第六四八号を参照)。そのため、日顕は法務以外の勤行・唱題を一切
しない。ニセ法主の座に居座っていた間、夜の勤行をしたのは、たった一度だけで
ある。
日顕は「神も仏も、地獄も浄土なども、あるわけがない」というのが本音なので
ある。
平山は折伏のハッパをかけるよりも、日顕の本音を吹聴して回った方が良さそうだ。
武安力道(吹田・本説寺)は日頃からパチンコに熱中するチンジャラ坊主。信徒を
金儲けの手段と勘違いしている。
大阪の中でも自然に恵まれた緑豊かな北摂地域に学会の二百カ寺建立の九番目の寺院
として本説寺が落慶したのは昭和六十年の春。赴任してきた武安は学会の代表に
「素晴らしい環境、立派な寺院ですね。池田名誉会長に宜しくお伝え下さい。精一杯、
法務に励みます」と挨拶。その舌の根も乾かぬ二日後、地元幹部に「前任地の山梨では
法事では豪華な料理が出たが、此処はどれ位の酒や魚が出るのかね?」と聞いてきた。
武安の浅ましい言い方に、地元幹部が「正宗の僧侶は質実剛健と聞いております。
出ても茶菓子程度です」と答えると、途端に不機嫌な顔になったという。
この坊主の金儲けの汚い手口の一つが「生き戒名」である。一人暮らしの人を狙って
「生き戒名があったら後々、安心です。今なら安いですよ」と戒名のセールス。
「院号」付きの「生き戒名料」が五万円、「永代供養料」の十万円をセットで勧めて、
供養をむしり取っていた。
また、経済的に苦しくて、思うように供養のできない家庭の葬儀があった時、武安
は、式の途中で唱題を中断して、そのまま退座してしまった。残った人は、ただ、黙々
と焼香するという異常な状態で、会場には坊主の暴挙に怒りの声が起ったこともある。
元事務員も「武安は、通夜は五万、葬式は二十万と御供養の額を指定するんです。
経済的に苦しい人に言うのが本当に辛く、これでいいのかと悩みました」と語って
いたが、供養の多寡(たか)で差別するのが武安ら日顕宗の坊主である。
桑原慧道は今、佐世保の法光寺にいるが、以前は香川の学会寄進の寺に居座り、信徒
をいじめ、浄財を収奪したハイエナ坊主である。
桑原は昭和六十二年十一月末、学会による二百カ寺建立寄進の六十五番目の正伝寺に
赴任。入仏式に来た日顕は桑原に「これでお前も億万長者になれるぞ」
御墨付きを貰った桑原は、折伏もできないくせに削り塔婆、冠婚葬祭、永代回向、
御講などを通して、信徒の供養を貪欲なまでに収奪する強欲坊主だ。
(つづく)
364
:
検証会議
:2010/02/10(水) 20:57:17
越 洋
平成22年2月9日
大聖人は伽藍(がらん)仏教について「堂塔(どうとう)・寺社(じしゃ)は
徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(御書1441ページ)と喝破(かっぱ)
されている。魔物の住処となった大石寺に住み着くのは日顕宗の坊主とカラスたちで
ある。
1月16日付の『大白法』で折伏達成寺院が掲載されていたが、目標を達成できて
いない寺院が大半である。そんな大石寺を賑わせ群がってくるのは、法華講員ではなく
カラスの群れだけである。普段から奉安堂の屋根には、真っ黒なカラスの大群が群がり
1日300羽を越え、ひどい時など、500羽〜600羽くらい飛び回っている。
そのためカラスの糞が、奉安堂の屋根にへばりついて、太陽に照らされ白く光り異様
な色の輝きを放っている。その糞を取り除きたいが、へばり付いて、どうにも取れず、
そこで、カラスを寄せ付けないために防護ネットを張ることにしたようである。
しかし、ある専門家に言わせると"カラスは世界に約9千種いる鳥類のなかで、最も脳が
発達しているため、追い払うのに様々な手段を講じてもすぐに見破るから、一ヶ月
かけて防護ネットの工事をしても、また無駄に供養を使うだけだ"と語ってくれた。
結局、昨年の「50万総登山」で登山した法華講員が見たものは大石寺の荘厳な姿では
なく、傲慢な坊主達の姿と奉安堂にたかっているカラスの異様な大群であった。特に
カラスの繁殖期は3月下旬〜7月上旬で、この時期には、カラスはヒナを守るため人を
威嚇したり攻撃することがある。都内のカラス対策プロジェクトでも"カラスの攻撃を
避けるためには、巣やヒナに近づかないことが一番"と言われているが、
「魔縁の栖(すみか)」大謗法の大石寺には近づかないのが一番である。
【カラスの勝手を許すなと防護ネットを張る本山。ネットを張ったって無駄なこった
と糞をたれるカラス】
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000825.jpg
365
:
検証会議
:2010/02/10(水) 20:57:50
越 洋
平成22年2月10日
"所詮、血脈相承も受けていないニセ法主が模写した本尊こそがニセ本尊なので
ある。"今盛んに日顕宗の輩が、学会授与の日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本尊」
だと誹謗中傷しているが、相承を受けたことを立証も出来ない日顕や日如らに大石寺
「中興の祖」と言われ、天賦の聡明である日寛上人の御本尊を批判する資格はない。
昨年、日顕宗は自分で起こした京都・住本寺の明け渡し訴訟でも敗訴した。
この裁判で、焦点となったのは、寺を明け渡さない正信会側の主張の「相承を受けて
いないニセ法主の指示に従う必要はない」という点であった。特に「相承の証拠を
出せ」等々と主張したのに対して、日顕宗側は相承があったことを示す証拠を何一つ
出せなかったことが大きな敗因となった。この判決は今後、宗門の裁判という裁判に
多大な影響を及ぼすことは間違いない。結局、こんなニセ法主だから相承箱もなく、
口先だけで跡を譲られた日如もニセ法主であり、この先、法主が何人交代しても、
全て「法師と云う名字をぬすめる盗人なり」のニセ法主なのである。
ここにニセ法主二世の日如が模写した本尊もどきを掲載する。これを見た老僧は
"サインペンで書かれたような字で全くありがたみが感じられない。どこの筆ペンを
使ったかも一目瞭然である"と語っていた。そのうえ、誤字がある。「奉書写之」
(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書いている。この「奉書写之」は大抵、
最後近くになって書くものだから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで
三画目が突き抜けてしまったようだ。これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを
書き字し奉る」となって全く意味不明である。かわいそうなのは、こんな重要な事実を
隠ぺいされたまま拝まされている法華講員である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000826.jpg
366
:
検証会議
:2010/02/11(木) 11:42:32
フェイク 第1092号
(発行=10.02.10)
講員を脱講に追い込む強欲僧
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑤
葬儀・法事で悔みの言葉も言わず供養の催促
日顕宗の愚劣な折伏推進委員の紹介を続ける。
茨城県・法正寺の中村収道は他宗派の信者を折伏できない。ただ一つの折伏体験は
願生寺という正信会の寺の檀徒一人を一年かけて連れ戻したことだけである。
「『御戒壇様に戻りましょう。大御本尊様にお目通りにお山に戻りましょう』という
一点だけです。これ以上は言いません。こうした話を繰り返し、繰り返し続けます」と
自慢している。
こんな話を吹聴するため、各地を回るのだろう。
新井契道は以前、日顕の取り巻きの一人で、本山・妙住坊にいて大石寺理事でも
あったが、平成十五年に千葉・真光寺に移った。金の亡者で狡猾な坊主。妙住坊にいた
当時、お盆に学会員宅へ行っての帰り際、玄関先で「書類に印鑑をください」と言って
何の説明もせず、自分で判を押して帰った。後で分かったことは、その書類が脱会届
だった。坊主の折伏とは、こんな騙しの手口なのである。
また、この壮年の夫人が亡くなった時、二十万円の布施を渡すと、新井は「何だ、
これは、御供養か?」と吐き捨てるように言い、悔みの言葉も言わず「三十五日はいつ
やるんだ?」と迫る。じっと耐えて三十五日と四十九日法要を行うと、法要が終わる否
や「お盆はいつやるのか?」とか塔婆供養の催促ばかり。真夜中に電話を掛けてきて
催促することもあった。
遂に、この人は堪忍袋の緒が切れて脱講した。
大石寺理事の頃、陰で「登山者の弁当は、もっと小さくしろ」と指示するなど、費用
を浮かすことに腐心していた。新井は勤行ではなく、カラオケで喉を鍛えていたこと
でも有名な遊興坊主。日顕宗の坊主にはパチンコ、カラオケ、宴会などの遊びしか頭に
ない。
盛岡窮道は平成十年六月、大分県の法柱寺から山口県の弘法寺へ異動になった。御講
での決まり文句は「毎月一回は塔婆供養をしないと成仏しません」
米の供養を受けると、それを別の講員に横流し。そして供養を強要する。こんな坊主
こそ地獄に堕ちる。
お金は欲しがるが、坊主も女房も御宝前の供物は粗末にする。野菜類などの供養は
腐らせてそのまま捨てることも多い。「六甲の水」と「栄養ドリンク」を愛飲して
いる。
盛岡が脱講した人の家を訪ねて「ちょっと題目三唱させてください」と言ったことも
あるが、「お断りします。大変な迷惑です」と断られると、何も言えない。折伏は
できないのだ。
岩切仁道は二枚舌の坊主。昭和五十九年に立安寺、平成五年に妙長院へ、平成十四年
には法楽寺へ移ったが、傲慢で信徒を苛めて金儲けに利用する。「袈裟を着たら猊下と
同格だ」等と言い放ち、日顕と同様、信徒に伏せ拝までさせていた。
寺の従業員だった人の証言によると、表面では岩切は「学会のお陰です」と言って
いたが、その従業員に対して、いつも「聖教新聞の配達をやめろ」「学会の役職を
やめろ」と執拗に迫っていた。
そんな二枚舌の典型が、日頃は「質素に暮らしている」とウソをつき、冷蔵庫を
空っぽにして見せつけていたことだ。陰ではウナギの重箱や寿司桶などが積まれて
いた。
(つづく)
367
:
検証会議
:2010/02/14(日) 01:56:11
顕正会短信
2010-02-14
インチキ親父とあほボンボン パート2
顕正会の1月度総幹部会がいろいろな意味で大きな波紋を呼び起こしている。この
1月総幹では大規模な人事が行われたのだが、手っ取り早く言えば「浅井一族による
顕正会支配の完了」の宣言だ。
まず、浅井昭衛を補佐する「理事長」職が新設され、二男の城衛が男子部長兼任で
初代「理事長」に就任した。顕正会には「理事室」というものがあり、理事は6人いる
が、城衛の他の顔ぶれというと、総合女子部長の大沼千恵美、総合婦人部長の湯浅悦子、壮年部長の横田孝明、壮年部副部長の小峰勝彦、そして現在は教学主任という閑職に
おかれる前総合女子部長の加藤礼子である。
ちなみに湯浅は浅井の母方の親戚らしく、小峰は浅井の娘婿、加藤に至っては不適切
な関係を噂されたほど浅井に近い人物だが、横田と大沼は浅井と血縁関係や婚姻関係が
ないはずだ。以前は浅井の長男である克衛が「主任理事」という役職で実質的な
ナンバー2だったのだが、平成18年5月の総幹部会を最後に壇上から姿を消し、その
消息は未だに不明のままである。
四者の最高幹部が理事を兼任するというところから、浅井に次ぐ「権力集団」である
ことは当然としても、なぜ壮年部長や副部長といった年長者を差し置いて城衛がその
トップたる「理事長」に就任したかといえば、もはや答えは一つしかあるまい。
浅井は妙信講時代に「理事長」に就任し、当時講頭だった父親の故・甚兵衛を
「顧問」に追いやって実権を掌握して以降、「拡大」ばかりを追い求めてきたが、幾度
も「誓願」と称する数集めの予言に失敗してはその目標を下方修正し、今日まで顕正会
をなんとか存続させてきた。
その過程で従順な盲信者を増やしては自身の“武勇伝”を徹底的に学ばせ、自身の
主張に異を唱える者は問答無用で切り捨ててきたのだが、近年はその路線も破綻し、
宗門に移籍する者が増加したため、とうとう昨年夏には「あと12年」という
「最終段階」を設定し、あたかもあと12年で大地震と中国の侵略で日本が滅ぶかの
ような終末的な幻想を会員に抱かせ、勧誘に狂奔させているのだが、浅井自身がその
「12年後」を迎えられるかどうかもわからないため、今のうちから城衛を後継者と
して周知させ、万が一浅井が期待するような状況にならなかった場合に会内から噴出
するであろう責任論を城衛に転嫁したいという思惑だ。
前回はいわば「クーデター」のようなものだったが今回は「責任回避」の疑いが
濃厚だ。城衛には「いまからオヤジの尻拭いの覚悟を決めておけ」と助言しておこう。
368
:
検証会議
:2010/02/15(月) 17:42:55
フェイク 第1093号
(発行=10.02.13)
折伏できず苦しむ能化・役僧の寺
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑥
樋田昌志のデマに踊らされた大草一男
早瀬日如が任命した十五人の愚かな折伏推進委員の紹介は今回が最終回である。
園田司道とは「大事な夢は丑寅の時間ですね。パッと目が覚めて急いでメモして
おいて、その問題に取り組む。そういうことが『行』なんです」と邪義を唱えた
柳沢喜惣次に同調した愚かな坊主である。
日蓮大聖人は、夢物語で邪義を唱えた天台座主の慈覚を例に挙げて「夢を本には
すべからず」と、厳しく戒められている。柳沢も浄福寺の園田司道も大聖人に違背する
謗法である。こんな園田の口車に乗せられて法華講に入っていた老婦人は、学会婦人部
である娘さんの信仰体験に共感して脱講を決意した。園田は反論も再折伏も
できなかった。
石岡雄哲の長野・妙相寺はデマ情報の元凶である。
それは「慧妙」が長野県在住の学会員の名誉を毀損する虚偽の記事を掲載したことに
関する裁判で、最高裁は昨年二月二十七日、日顕宗側の上告を棄却した。
これにより日蓮正宗(代表役員・日如)と「慧妙」発行に関与している妙観講の
指導教師・小川只道(理境坊、大石寺理事)、同講の講頭・大草一男(大講頭)、
同紙発行人・幡野直人らに対して総額百九十万円の損害賠償金支払いを命じた判決が
確定した。
事件の発端は「慧妙」(平成十六年六月十六日付)に掲載された「学会幹部らを
待ち受ける末路」と題するデタラメな記事。その中で「慧妙」は「仏罰現証の実例」と
して、長野県在住の壮年が逝去したことについて「多額の借金を抱えて事業に
行き詰まり」等と全く事実無根の捏造話を報じた。
この「慧妙」の記述は、全くの虚報だが、この捏造話の情報源は樋田昌志なる妙相寺
の檀徒。樋田は学会員の逝去についてデマビラを作成し、遺族らに訴えられた別の
裁判で、表記が事実に反することを認めて遺族らに謝罪し、解決金を支払うと共に
今後、学会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしないと確約
(平成十八年三月八日、長野地裁)。こんな樋田のデマに「慧妙」を作っているバカな
大草一男らが踊らされたのだった。
役僧の寺が軒並み低迷
樋田の暴走に対する監督責任を問われるはずの石岡が推進委員とは滑稽の極みだが、
妙観講の大草一男らは恥を掻かされた妙相寺に不快感を抱いているという。
竹内雄寧(富山・妙顕寺)は折伏も出来ないうえ、思いやりの欠片もない。登山会の
頭数を揃えるため足の悪い八十歳近い老婦人に対しても「足が悪くても登山に行け!」
と冷たい一言を浴びせた。その夫人が渋々、登山した日は豪雨。本山内の階段で足を
引きずりながら歩いても手を貸す者も、励ましや労いの声を掛ける者もいなかった。
登山から帰ると、足の具合が悪化。手術を受けて二カ月間の入院中、見舞った
法華講員は皆無だった。
折伏が一定基準に満たない寺は多く布教部長・阿部信彰の妙国寺、総監・八木日照の
法道院、重役・藤本日潤の常泉寺、能化・高野日海の本行寺など役僧の寺が軒並みで
ある。
老婦人を怒鳴りつけた竹内が役僧の寺も怒鳴りつけるのか。
(この項 終わり)
369
:
検証会議
:2010/02/15(月) 22:54:27
顕正会短信
2010-02-16
また大幹部失踪!こんどは夫妻で!
顕正会は平成15年に「儀礼室」なる部署を設け、担当の幹部が会員の葬儀や法要で
の導師を行うようになった。これは学会が早くから行ってきた「儀典部」をパクった
ものであり、塔婆や戒名不要などというコンセプトも瓜二つ、いや、全く一緒である。
よほど顕正会より先に宗門と決別した学会の様子が羨ましく思えていたに違いない。
平成11年の「本部指導会」で“相承断絶”を宣言してからも、葬儀や本部行事には
還俗坊主の村松某を顕正寺から呼んで形だけは日蓮正宗の真似をしていたのだが、
平成15年に顕正寺を「ロッカー納骨堂」に改築した折に全面的にシステムを見直し、
念願の「坊主不要」「戒名不要」「塔婆不要」に踏み切ったのである。
「儀礼室」発足時の面子は6人だった。幾度か入れ替えを経て、今年1月の総幹部会
では「室長」に浅井の娘婿の小峰勝彦が就任し、前室長の横田高明はヒラ委員に格下げ
となった。今回はさらに人数の削減が行われ、本部幹事でもあった松本修の名前が
消えた。
それだけなら盲信的な一般会員は何の違和感も持たないだろうが、今回はそれらで
さえ疑問の声を上げることが起きた。婦人部最高幹部である、同じ苗字の松本真智子・
第三婦人部長が、理由を明かされないまま交替し、壇上から両名が揃って姿を消したの
である。
この両名は夫婦とのことだ。修の方は壮年部で地区部長などを歴任し、平成18年
からは本部幹事に就任し、平成20年からは儀礼室員の任を受けていた。真智子は古く
からの婦人部幹部で、一時は浅井の娘の小峰昌子と同じ「婦人部副部長」職まで登った
が、その後の組織改編で昌子が「副総合婦人部長」「第二婦人部長」となったのに
対して、真智子は「第三婦人部長」「杉並支区部長」止まりと、身内贔屓としか思えぬ
人事の餌食となった。穿ってみれば、浅井一族の地位を脅かしたから粛清されたとも
いえよう。
浅井一族はたとえ預かる組織で結果が出なくても会の要職を兼務し独占している。
そこにもって、それを上回ったりする成果を出して人望を集めるような人物が出てくる
ことを、浅井はことのほか嫌う。古くは男子部で浅井の長男・克衛と並んで人望を
集め、教学にも長けたE男子部長が、ある日忽然と失脚した例がある。今回の夫婦
揃っての失脚に対しても、会内には大きな波紋が広がっている。長年、浅井と顕正会に
忠誠を捧げてきた、と誰もが認めるような夫妻に何があったのか。
一昨年来、理由の告知なく大幹部の失踪が相次ぐ顕正会。果たして粛清されたのか、
泥船からの脱出に成功したのか。
370
:
検証会議
:2010/02/15(月) 23:40:35
大石寺短信 第479号
平成22年2月12日(金)
日顕宗の動き
1.インチキ折伏裏付ける「大白法」記事
法華講機関紙「大白法」2月1日号は、折伏を煽ろうと、昨年の折伏目標を達成したと
いう寺を紹介しているが、その紙面は、意図とは裏腹に、日顕宗の折伏のお寒い実態を
浮き彫りにする代物となっている。
見開き2面も使っておきながら、紹介されているのはたったの6カ寺。石川・妙喜寺
(住職・松田泰玄)の記事では、「42世帯も折伏ができた」と言うものの、唱題会の
写真には子どもも含めて19人しか写っていない寂しい有り様。また、金銭不祥事で本山
を追われたと言われている、日顕の元金庫番・石井信量が住職を務める東京・妙証寺が
紹介されているが、毎年、折伏が進んでいるという割には、この寺、御講や元旦勤行の
参詣者が増えていないのだ。さらに、長崎の法成院(主管・藤村良明)も、新潟の
実行寺(住職・田中寿教)も、「目標を達成した」と書かれてあるだけで、「何世帯
できたか」については触れられていない。
実際のところ、日顕宗の末寺では、執行部の追及を恐れる住職と法華講幹部が結託
し、折伏目標を低く設定したり、架空の数を計上するなどのインチキが横行していると
いうが、今回の「大白法」の紙面は、こうした現実を裏付ける内容であると言えよう。
2.大石寺近くの末寺でボヤ騒ぎ
1月27日午後7時前、大石寺近くの静岡・芝川町の日顕宗寺院・蓮成寺でボヤ騒ぎが
起こった。寺の敷地で大きな火の手があがり、消防車4台と救急車1台が出動。建物への
延焼は免れたが、住職の家族によるたき火が出火原因と判明、消防が厳重注意を
行った。
日顕宗では昨年、8月に大石寺駐車場で登山者などの車10台が炎上し、10月には
アメリカ・妙宣寺で御会式の最中に火災が発生。11月には大石寺境内の売店8軒が
全焼。また本年に入り、1月17日には東京・大願寺でも消防車7台が出動するボヤ騒動が
起こった。
最近、日顕宗は、やたらと「現証論」を持ち出し、根拠のないデマをでっち上げて
騒いでいるが、本山・末寺で相次ぐ火災こそ”罰の現証”そのものではないか。
なお、ボヤを出した蓮成寺の住職・高松趣道(67)は、がんを患っており、このほど
隠居が決定。後任には、かつてアルゼンチンに駐在し、ノーベル平和賞受賞者の
マザー・テレサを”悪魔”呼ばわりして、現地の法人登録抹消の原因を作った
いわく付き坊主で、大坊在勤の伊藤道玲(43)が入る。
371
:
検証会議
:2010/02/17(水) 01:30:23
フェイク 第1094号
(発行=10.02.17)
「法華講に多い非常識な盲信バカ」
大阪・妙輪寺の地区長会での婦人講員の嘆き
教導できない坊主、講頭の話は支離滅裂
日顕宗の坊主共は遊蕩に耽って布教を怠り、信者に対しては盛んに折伏、講員増加の
ノルマを押し付けている。だが、法華講の内部には不平・不満が充満して、愚痴や悲鳴
が聞こえてくる。
こんな現場の苦悩も知らず、檄を飛ばすだけのニセ法主、うつ病の総監、無能な
布教部長、耄碌(もうろく)した柳沢らに法華講の末端の惨状を伝えたいとの思いの
大阪・妙輪寺の講員有志が、本紙編集室に同寺での地区長会(二月七日)の模様を
知らせてきた。この日の地区長会で注目されたのは、法華講員の非常識な行為を嘆く
婦人講員の声であった。
この婦人講員の声に対し、住職の坂田正法も講頭の園部も回答不能。しかも、園部の
発言からは講頭自身も信仰の喜びなど感じていないことが判明した。
以下は、その概要である。
◇ ◇
登山担当者が春季総登山、支部登山について説明した後の園部の話が面白い。
「私たちが折伏するとき『この信心したら、え〜よ。毎朝、お寺に行って住職の説法
を聞いて、大石寺に行く、こんな素晴らしいことありませんよ』って言いますよね。
でも果たして、皆、本当にそう思うてるか?」「我々が御本尊と約束して誓願、目標や
言うてるけど、心がそうなってなかったことを、つくづく感じました」と述べていた。
つまり、講頭自身も信心の素晴らしさなど感じていないうえ「誓願」「約束」と
口では言っても心は違うと告白していたのである。
そのあと「誰か、何か、質問は…」との呼びかけに、婦人の油井が発言した。
「えっと、折伏、折伏とおっしゃいますけれどもねぇ、昔は信者の座談会があった
が、この頃、全然ないんですけども……。私が感じたことは信心バカがようけおる
いうことですねん。信心は、そら一生懸命してるかどうか知りませんが、一般社会の
礼儀とか、常識とか、非常にない人が多い。信心も大事、題目も大事やけど、常識の
ない信心バカではね、折伏できないと思います。月に一度くらい座談会して
いただいたら良いと思いますが、以上です」
園部が「これは法華講のことなんで私の方から言わしていただきます」と言って
「ご住職に、例えば生活や挨拶、草履の揃え方、食事の仕方、色々と指導してもらう」
と言い出す始末。こんなことも坊主の指導を受けるとは初耳だが、以下は支離滅裂
なので省略する。
再び、油井が発言した。
「私が感じたのは、折伏に一緒に行っても、その人が非常識でね、折伏される人は、
その人の行為を見て呆れてるんです。非常識な行為の本人だけがケロッとしてます」
「人の家に折伏に行っといてね、結局、折伏どころか、生活の行儀、作法についての
常識が無さ過ぎます」
住職の坂田は「心を磨いてない者が傍若無人の振る舞いをしたならば御本尊に傷を
つける。いくら座談会やっても、だめだ、こりゃ」とサジを投げた。この坂田も
信心バカの一人である。
日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と教えられ、賢人と
して振る舞うよう指導されていている。
ニセ法主に率いられた宗門は僧俗共に大聖人の教えを忘れた盲信者である。
372
:
織田信長の子飼い?
:2010/02/21(日) 17:21:04
ツウか、若鷹って企業の為に命をかけるサラリーマンの事だろ?
何でニートが若鷹なんだ?
373
:
浪人軍団
:2010/02/21(日) 17:26:18
ニートの鷹ってw
374
:
銘銘
:2010/02/21(日) 17:28:10
悪知恵だけならカラスにしとけw
375
:
検証会議
:2010/02/24(水) 05:39:15
越 洋
平成22年2月23日
最近、日顕宗では「日蓮正宗の信仰」「創価学会員による『友人葬』は間違い
です!」「あなたが拝んでいるのはニセ本尊ではありませんか?」の3種類のA4版
3つ折りリーフレットを一部10円で末寺、法華講に売りつけている。
これを見た法華講員は、"写真や色使いもおどろおどろしくてセンスも何もあった
ものではない"とぼやいていた。しかも法華講員に一部10円で売りつけていることに
対しても憤りを覚えたという。
たかだか、10円の負担ぐらいと宗門は思ったのかもしれないが、無料で配布するの
が当然である。どこまでも庶民感覚からかけ離れている宗門のやり方に、この
リーフレットを見て日蓮正宗に入りたいと思う者など誰一人としていない。
16日、本山では大聖人の御誕生会と恒例の御塔開きが行われた。「日蓮正宗の
信仰」のリーフレットの最後の写真が「東海道随一の五重塔(参詣者で賑わう御塔
開き)」と称して"750年の伝統を受け継ぐ"目玉商品にさせたかったのだろうが、
その日は早朝から深い霧に包まれ、小雨の降る寒い悪天候だった。朝7時から仮御影堂
で日如の導師で献膳、読経、引き題目が行われ、引き続き五重塔において御塔開きの
法要が行われ、日如の説法があった。
御塔開きといえば、かつて日顕が"この日が国民の休日となることが真の広宣流布の
姿"と珍説法をしたことでも有名である。「仏法西還」なんて言うが、大聖人の仏法を
歪曲し、自分達は懶惰懈怠の遊興ばかり、それで供養だけはチャッカリ強要している。
またまた、平成23年度に法華講から30億集めるなんて、大聖人から厳然とお叱りを
受けることだろう。諸天に見放されたこの日の悪天候が全てを物語っている。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000830.jpg
376
:
検証会議
:2010/02/24(水) 22:41:01
フェイク 第1095号
(発行=10.02.24)
恥さらす邪宗門の「大日蓮出版」
世間に通用しない日蓮正宗のパンフ、小冊子
注目集める松岡幹夫氏の「法華経の社会哲学」
僧籍を離れた花野充道博士が同人誌「法華仏教研究」の創刊号で指摘したように、
宗門の出版物が神田の老舗古書店に置かれただけで大喜びするほど、世間の権威に
コンプレックスを持つ集団が日蓮正宗である。
同博士は「世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、日蓮正宗の
本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる」「そんなことで喜ぶくらい
なら、全国の書店に並ぶほどの本を書ける(世間に通用する)人材をどうして育成
しようとしないのか」と、宗門の泣き所を鋭く突いていた。
そんな日蓮正宗が平成十八年六月、本山の片隅のプレハブ小屋のような場所に
株式会社「大日蓮出版」を立ち上げた。そして、何を勘違いしたのか、公共の出版物と
するに値しないばかりか、古書店にも置いてくれそうもない素人丸出しの低劣な教義書
や粗末な写真集、パンフレットの類を全国の一般書店に流通させ、世間で物笑いの種に
なっているから滑稽だ。
例えば、ニセ法主2世・日如の空疎な話をまとめた『折伏要文』という本の売り込み
文句には「この御講義で、御法主上人は、折伏の重要性と功徳の大きさについて、
懇切丁寧に御指南されております」とある。
こんな意味不明の文句を一般人に伝えて、一体、何の意味があるのか。実数は
数万人程度の法華講員以外、手にすら取る者もいない。
そもそもパンフレットが一部十円、小冊子一冊百円など、明らかに信者向けの価格で
販売されている。
つまり、本来は公共的な一般書店の棚に、耳慣れない名前の零細教団が身内にだけ
通じる怪しげな出版物を置き、一般購買者に迷惑がられているのである。
さらに日蓮正宗は、かつて改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏から痛烈に邪義を破折
された時に、シドロモドロになって反論した稚拙な小冊子類まで一般に流通させると
いう、驚くべき恥を晒している。
松岡氏の整然たる主張に「邪論」「愚問」等々と吠えまくり、「汝」などと上から
目線で物を言う日蓮正宗の時代錯誤に、高名な哲学者の某教授は「これは話に
ならない。品の無さだけで、まともな宗教の本ではないと分かる」と切り捨てたと
いう。
一方の松岡氏は先日、新著『法華経の社会哲学』(論創社)を出版(写真)、
注目されている。各大学等での講演を収めて、「活の法門」と呼ばれる法華経の精髄
が「自由自在」「すべてを生かす力」にあると述べている。法華経の現代的意義を
論じ、創価学会の池田名誉会長の哲学もわかりやすく解説した良書である。
この本と大日蓮出版のカルト書を読み比べてみれば、どちらが仏教の真実を
語っているか、一目瞭然である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000831.jpg
377
:
検証会議
:2010/03/05(金) 05:36:54
大石寺短信 第480号
平成22年2月25日(木)
日顕宗の動き
1. 末寺住職が執行部批判の書簡
日顕宗の末寺住職とおぼしき匿名僧侶による執行部批判の手紙が、複数の末寺に送付
されたとして話題になっている。
その手紙は、折伏ができていない寺を回っている「折伏推進委員」や、日顕、日如に
よる「身内優遇の人事」を手厳しく糾弾。折伏推進委員については、”虚偽の折伏成果
を報告している委員が説教しても、だれも耳を傾けない”“折伏推進委員制度は住職の
監視体制が目的”と指摘。末寺に折伏成果を出させるには、“猊下(注・日如)や
執行部が模範を示すのが早道”と冷ややかに記している。また、“優遇人事”について
は、昨年、日如が息子の早瀬道寧や甥の佐藤信暢(大石寺主任理事・佐藤慈暢の息子)
を、困窮寺院の住職や在勤者をさせられている彼らの同期生を尻目に裕福な寺の住職に
据えたことを挙げ、批判している。
ここ数年、日顕、日如ら上層部への不満、不信が顕在化している。昨年は、福岡・
要言寺などで住職を務めた花野充道が日顕、日如を批判した揚げ句、還俗(坊主を
辞めること)を余儀なくされた。また、楠牟礼慈宝(青森・玄中寺)ら宗会議員9人が
執行部に「質問主意書」を突きつけたものの、あっけなく撤回させられている。
これまで、じっと耐えてきた坊主たちだが、度重なる供養の強制徴収、無謀な登山の
強要などによって末寺財政がやせ細り、一方で情け容赦ない住職すげ替え人事が
行われる中、我慢の限界を迎えたようだ。公然と決起すれば花野や9人の宗会議員の
ように潰される。ゆえに、今回の手紙のような形で、静かに宗内世論を喚起しようと
いうことか。匿名僧侶の手紙は、「今こそ心ある人々が声をあげなければ、暗黒の海を
漂流し続ける『日蓮正宗丸』は、早晩沈没の憂き目を避けることは出来ない」「この
書状を認めながら、わが胸中に沸々と憤怒のマグマが沸き上がって来ている」と
結ばれているというが、今のほとんどの末寺住職の考え、心情を代弁していると
言えよう。
これまで、法主の権威を笠に着て、やりたい放題を尽くしてきた日顕、日如の心中は
穏やかではないだろう。
2. 3月の予定
7日(日) 広布唱題会(本山・末寺)
14日(日) 御講(末寺)
21日(日) 春季彼岸会(本山・末寺)
※この時期、折伏ノルマに駆り立てられた坊主・法華講員があの手この手で勧誘して
くることが予想されるため、注意が必要。
378
:
検証会議
:2010/03/05(金) 05:37:18
石山だより
平成二十二年三月三日
一、本山の坊さんは気楽なもんだ。内事部は朝九時に出勤。夕方五時には、さっさと
自分の坊や宿舎へ帰っていく。仕事がない。登山者も少ない。
早く帰って何をやるかと言えば、育児と女房への家庭サービスだ。昔は「気楽な
稼業」と言われていたサラリーマンでも、今はこんなに甘くはない。末寺の坊さんが
食うや食わずの生活をしているのに、本山の坊さんだけは「我が世の春」だ。
親が大寺院の子弟は、親から小遣いを貰って余裕を見せ「さあ〜、今日も一家揃って
焼き肉でも食いに行くか」だって。
一、末寺の坊さんは、オンボロ車に乗って何かと大変だ。二十二年度は寺の預貯金の
五%を六月末までに収めなければならない。生活費にも事欠く毎日だ。登山、登山と
言われて、末寺を通り過ぎて本山だけが潤う。法華講は生活費の中から登山のたびに
三万、五万、十万と年がら年中使っている。更に、二十三年度の御供養は、法華講から
三十億円も集めようとしているのだ。こんなに供養!供養!と大騒ぎする宗団は他に
ない。「もうやってられない」と嘆きの声、声、声。
一、山は山で、悪僧の小川只道が「マジェスタ」を乗り回しているが、この小川が
住んでいる理境坊と石之坊(山根一順)の2ヵ坊の耐震工事を行うことになった。建物
も危ないが、それよりも本山自体が崩壊の危機に直面している。
正本堂・大客殿を耐震対策なんて嘘を言って破壊した大罰により、本山の土台
そのものが腐り果て崩落している。平成二十七年に五十%増、平成三十三年に
八十万達成なんて虚勢を張っているが、高齢の信者が「その時は、顕チャンも寛チャン
も我々も、この世にはいない」と苦笑していた。
(二代にわたる相承無きニセ法主が威張り、人々を惑わし、不幸にしてきたことか。
大坊鼠)
379
:
検証会議
:2010/03/05(金) 05:37:50
フェイク 第1096号
(発行=10.03.03)
思い上がったデマビラ男・樋田昌志
「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊤
解散勧告に動揺して脱会した愚か者
日顕宗の大日蓮出版が発行する「妙教」3月号では、妙相寺(長野市)の法華講支部が
得意気に取り組んでいるインターネットによる折伏推進の様子を掲載している。同寺
では昨年、折伏目標五十世帯に対し百一世帯を達成した旨、坊主の石岡雄哲や講中の
樋田(とよだ)昌志らが自慢している。
このインターネットによって折伏の相手を探し出す手口を始めたのは樋田という
退転者である。
そこで本号では樋田を取り上げることにする。
この樋田に関しては本紙第一〇九三号で簡潔に紹介した通り、デマビラを配布して
告訴され、罰金を支払う羽目になったデマビラ男で、顔はオウム真理教の麻原彰晃に
似た汚い無精ヒゲの風貌(写真)である。
樋田は昭和三十四年十月生まれの五十歳。長野県上諏訪町から中学時代に長野市へ
移転。長野高校を経て多摩美術大学へ進んだ。
もともとは画家志望であったが、画家としての才能がなかったのか、道を踏み外した
のか、法論と称する個人的なDVDを自身のホームページで企画制作・販売し、
学会攻撃用のビラも配布するようになった。
樋田が入会したのは昭和五十五年二月二十二日。だが、清らかな学会組織には
馴染めず、平成三年十一月、日顕宗からの解散勧告に動揺して脱会し、妙相寺の法華講
に入った。平成八年九月には副講頭になったが、その後、再任されなかった。
非常識な盲信者が揃っている法華講員の中には物好きな者がいて、樋田を信奉し、
行動を共にする愚か者が増えているようだ。総講頭の柳沢喜惣次や大草一男ら大講頭を
慕う者はいないが、樋田のような思い上がったデマビラ男を信奉するというから呆れて
しまう。
現代の四条金吾?
「妙教」誌では「入信はどのような人が多いのか」との司会の問いに、石岡が
「インターネットによる折伏によって、約半数近くが創価学会員」と述べ、樋田昌志
のホームページを見て、「全国に創価学会や顕正会を脱会し立ち上がった人たちが
いて、その人がさらに折伏を推進していくというような折伏」と語っている。
その広がりは、北は北海道から栃木の宇都宮、東京、神奈川、千葉、埼玉、
関東一円。更に愛知、大阪、福岡が主なのだそうだ。
そして、まず坊主の石岡が各地に赴き、法華講員の基本姿勢を指導し、その後は樋田
が二ヶ月に一度ほど、定期的な形で座談会を開き、法華講員の心得を教えていると
いう。
まるで総講頭か大講頭気取りの樋田だが、その慢心は己の仕事の行き詰まりについて
の言い訳にも現れている。「四条金吾が同僚の讒言によって、主君の江間氏から
領地替えをされた時のような法難だと私は実感している」だと。
かつて大草一男や死んだ竜年光が自分を「有徳王」と勘違いしていた時期もあった
が、樋田は自分を四条金吾に喩えるまでに思い上がっている。(つづく)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000833.jpg
380
:
検証会議
:2010/03/08(月) 06:16:38
フェイク 第1097号
(発行=10.03.04)
許し難い樋田昌志の悪徳商法
「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊦
奈良県で暗躍した樋田一派は粉砕され退散
増上慢の樋田昌志(長野市・妙相寺支部)の一派が二月二十八日、奈良県五條市の
日顕宗妙住寺に現れた。樋田は一切、姿を見せずに隠れていたようだか、樋田を信奉
している妙住寺、寧楽寺、妙輪寺、法住寺の法華講員に御書講義を通してハッパを
かけ、五條市、御所市、橿原市などの学会員宅を訪問させていた。
聞くところによると、樋田は日如や日顕から「法華講の中で一番、頑張っている」
旨、褒められたという。
だから樋田は慢心を起こして総講頭の柳沢、大講頭の大草らを尻目に出過ぎた行為を
しているのだ。
以前、この奈良の地には妙観講員が来て「合同折伏」と称して学会員宅を回って迷惑
をかけていた。これら妙観講は、地元の学会青年部メンバーによって一掃されたが、
代わって樋田一派が広布の邪魔をするために暗躍しているのである。
樋田らの手口は、複数の法華講員がチームを組み、初めは斥候となる法華講員が
公明党のポスターを目印にインターホンを鳴らし、応対する学会員がいると隠れている
樋田に繋ぐというやり方だ。
そして「学会員さんのお宅ですか?」と質問し、学会員宅を探し出しては学会が
日寛上人書写の御本尊に加筆したとか、修正したとか、嘘八百を書いたビラを配布し、
討論の撮影をする。
因みに、このビラは一枚十円で販売しているということだが、なんともセコイ商売で
ある。
この日、妙住寺の講員を中心に複数メンバーが徒党を組んで、公明党ポスターの
貼ってある家、それに地元の講員の案内で学会員宅へ押し掛けては悪態をつき、難癖を
つけて回っていた。
学会員宅では「御本尊を見せてくれ」「学会は戒壇がないからダメ」「宗門は旧い
から尊い」「開眼がない。脇書きを削っている」等々、既に破折され尽くしたこと
ばかり口走っていた。
しかし、何処に行っても樋田らの一派は追い返され、破折されて成果は上がらず、
無駄骨に終わっていた。
法螺を吹く樋田昌志
話題を「妙教」3月号に戻すと、樋田が今は脱会した人達の地域で折伏勉強会を
開き、その模様を全部、インターネットにアップすると、勉強会の模様を見て連絡が
入り、脱会者が続出するという形だ、と大法螺を吹いている。
樋田の狙いは、学会員を呼び出して動画を撮影し、商売に結び付けることにある。
インターネットを通して、感心を誘い、それに反応するとメールを交換した後で「証拠
のためにビデオ撮影をする」と撮影をムリに承諾させる。
そして、編集権や配布を樋田に任せると、その後は撮影した映像を自分にとって都合
の良いように勝手に編集しては、ネット投稿動画サイトにサンプルとしてアップして、
そのDVDを通信販売するという汚い手を使うのである。
場合によっては隠し撮りすることもあるから要注意だ。加えて、最近は学会の会館に
出向いて、応対した警備責任者とのやりとりを撮影する。
こんな身勝手な行為を石岡も「妙教」誌でインターネット折伏などと奨励する。
実に、ふざけた坊主である。
381
:
検証会議
:2010/03/12(金) 09:28:30
石山だより
平成二十二年三月十日
一、弥生3月、やっと春らしい三寒四温の時がやってきた。昔の人はよく言ったもの
で「暑さ寒さも彼岸まで」と。その通りになる。季節は春の到来である。日蓮大聖人も
「冬は必ず春となる」と仰せられた。しかしながら、大聖人に違背する異流義の
「日顕宗」となった大石の山に"春"は永遠に来ない。
一、全国の末寺には人が来ない。葬儀もない。法事も少ない。塔婆の申し込みも
ない。供養が集まらない故に収入がない。生活が困窮し、子供の養育費にも事欠く
有り様だ。
一、学会と分かれて今年で二十年になる。本山では頻繁に末寺や法華講から供養を
集め、その結果、本山には金がタンマリ蓄積されている。一方、末寺は平成三年以降、
四〜五年間は貯金を取り崩して、やりくりしてきたが、今や火の車だ。援助寺院も
二四〇ヵ寺を越えていると言われている。一ヵ寺二十五万の援助として、単純に計算
しても月平均六千万円。一年間で七億二千万円となる。それを十五年間として百八億円
にものぼる。これだけの援助金を毎年、出せるのは、山には○千億円もの金があるから
だと解説する老僧もいる。
一、御影堂の改修にしても、五年も六年もかかるものではない。業者の言いなりに
なって、工期を延ばされて、その都度、予算が膨らみ、いいように金をふんだくられて
いると噂されている。末寺の皆さん!本山は潤沢です。この数年で本山の各坊二十ヵ坊
を新築し、そこら中を整備してきた。末寺のことなんか眼中にない。本来、本山への
供養は不要のはずだ。それなのに欲張りの顕チャン、寛チャンは更に集めようとして
いる。古寺の住職云く「このままでは破産だ。破産する前に離脱を考えなければ」と。
愚かな法主によってみんなが苦しむ。こんな本山の理不尽は許されない。
(海外で大失敗した悪侶、関と毛利。詐欺師もビックリの守銭奴。ゴミみたいな小心者
が威張るでない。大坊無任所鼠)
382
:
検証会議
:2010/03/12(金) 09:29:01
大石寺短信 第481号
平成22年3月11日(木)
日顕宗の動き
1.明年は信者から30億を収奪
日顕宗では、「立正安国論750年」にかこつけて、またまた、明平成23年度に信者
から計30億もの供養を集めることになった。「立正安国論750年」の特別供養は
平成18年から3年連続で行われ、18年は約23億、19年は約28億、20年は約40億が徴収
され、終了したかに思われた。
しかしその後、平成21年度までとされていた「立正安国論750年」の記念事業の期間が
26年度まで大幅に延長され、目玉事業である御影堂修復の予算は約30億円から約40億円
に増額。“おまけ”のはずだった塔中坊の建て替えも10カ坊から18カ坊に増え、さらに
常来坊の建て替えや登山事務所の新築など、新たな事業が次々と加えられていった。
つまり、今回の新たな収奪計画は、これらの“やりたい放題”の尻ぬぐいに
ほかならないのだ。
全末寺からは本年、計10億が強制徴収されることになっている。ある住職は嘆く。
「末寺からは出すばかりで還元されることは全くない。潤っているのは本山だけだ」。
年に何回も登山させられる信者達も、高額の旅費を支払った上に供養まで
むしり取られ、青息吐息。そしてここにきて“アッと驚く”新たな収奪計画の発表で
ある。
いつも一泊2、30万のスイートルームに泊まり、一食数十万はする食事が当たり前の
日如や日顕に、困窮寺院の住職や信者の苦しみは分かるまい。
2.宗会議員の言論を封殺する宗規改正
このほど、日顕宗の宗規が一部改正された。特筆すべきは日顕宗の「議会」である
宗会に関する規程の改正で、「宗務院への質問主意書は複数の議員が連名で提出する
ことはできない」「議長は、質問主意書の内容が不適当であると認めたときは、
当該議員に修正を求め、又は却下することができる」ことになった。要するに改正の
目的は、宗会議員の自由な言論の封じ込めであり、その背景には、昨年、9人の宗会議員
が連名で執行部のやり方に異を唱える質問主意書を提出した一件がある。結局、
その質問主意書を強圧的に撤回させた執行部。自由な意見が飛び交うとよほど都合が
悪いようだ。
これなら、「議員がもの言えぬ宗会など必要ない」といった声があがるのも至極
当然。もっとも、相承を受けていないインチキ坊主が4半世紀以上も法主の座を占有
してきた教団のこと。“問答無用”こそがルールなのだろう。 相変わらずの物笑い
教団・日顕宗である。
383
:
検証会議
:2010/03/12(金) 19:39:10
フェイク 第1098号
(発行=10.03.10)
日顕宗こそが「異流義の一凶」
富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊤
榎木境道、批判する前に学会寄進の寺を出ろ!
日顕宗・富士学林大学科(法教院)では今年一月十八・二十一日の昼夜、計四回に
わたり「創価学会、異流義への歩みとその破折」と題する課外授業を行い、また一月
から二月にかけて「異流義破折特講」を九回も実施した。特に「異流義破折特講」は
四年生を対象に今年から新たに開始したもので、大学科で四年間も無駄な日々を
過ごした所化に対し、卒業を間近に控えた今、少しは平成二十七年、及び同三十三年の
ノルマ達成に向けての決意を固めさせたいとの魂胆からである。
この「異流義破折特講」は布教部長の阿部信彰ら五人の坊主が担当していた。
一方、課外授業で講義したのは榎木境道(鎌倉市・護国寺)で、日顕が講師に指名
した。この課外授業を担当した榎木は昭三十八年に得度。平成二年には学会による
二百カ寺建立寄進の百八番目となる宝清寺(倉敷市)の住職になった。
その後、同二十一年には尾林が死んだ後の妙光寺(品川区)に土居崎慈成が入り、
その土居崎の後任として、これも学会が建立寄進した鎌倉市の護国寺に入った。
学会が建立寄進した寺を渡り歩く榎木は、本来ならば学会に感謝こそすれ、批判など
できる立場ではないが、発願主の学会を「現代の一凶」と誹謗して「今後も徹底した
破折を行っていくことが重要である」等々と述べていた。不知恩の堕地獄坊主である。
「異流義破折特講」の第一回目は一月十四日午後零時四十分から阿部信彰が全体を
総括するような内容を講義。このなかで信彰は「創価学会問題をきっかけに顕正会や
正信会が次々と異流義化し、創価学会も正法誹謗の邪教となった」等々と身勝手な内容
を述べていた。
だが、こんな俄(にわか)仕込みの「特講」では何の役にも立たないことは言うまで
もない。
そもそも講義をした信彰をはじめとする講師自身が折伏も出来ないし、顕正会や
正信会にも歯が立たない堕落坊主ばかりである。ましてや学会の正義を破折できる筈が
ない。
今回の一連の講義は悉く我田引水の内容であり、日蓮正宗こそが相承無きニセ法主・
日顕によって異流義化して「日顕宗」に成り下がった邪教である。
日顕とその一派は、三宝を破壊して大聖人の仏法を否定し、破和合僧と広布破壊の
大罪を犯したのみならず、身延派迎合、禅寺墓問題、遊戯雑談、宗門私物化などで
日蓮大聖人、日興上人からの厳しい叱責を受け、堕地獄は絶対に間違いない。
これは日顕一人に限らず、ニセ法主二世・日如の後、誰が登座しようとも異流義の
「日顕宗」に変わりはない。次号では日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折
する。(つづく)
…………………………
上の写真は課外授業で講義する榎木境道。学会寄進の寺に居座りながら学会
を批判する不知恩の坊主である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000836.jpg
384
:
検証会議
:2010/03/13(土) 06:11:39
フェイク 第1099号
(発行=10.03.11)
日顕を「本仏」と崇めさせる邪教
富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊥
已を「生身の釈迦日蓮」と説くニセ法主
日顕宗の数多い邪義・邪説の中でも最たるものが宗祖の教えに違背する異流義の
「法主本仏論」である。日顕は自分が「法主本仏論」について発言したのみならず、
息子の阿部信彰をはじめとする坊主、それに法華講員にも日顕自身を「御本仏」と
崇めさせる異流義を喧伝させた。その代表的な例だけでも次の通りである。
一、「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(全国教師講習会での日顕自身の
発言。平成九年八月二十八日)
二、「猊下様が現代における大聖人様」(「大日蓮」平成三年六月号に掲載の
法華講員・内田和子の論文)
三、内田和子の論文を仕掛けたのが信彰で、東京・府中の学会員に「猊下が何を
言われても信者は『ハハー』と聞くのが信心で、猊下が何をされても、それは全て仏の
慈悲と拝さねばなりません」「猊下ではなく、大聖人の信徒というなら、もう日蓮正宗
の信徒ではありません」との驚くべき邪義を吹き込んでいた。
四、「大聖人や日興上人、また歴代法主も過去だから迹であり、当代の法主(日顕)
が本である」(平成三年八月の行学講習会での元海外部書記・福田毅道の発言)
五、「御本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において
一体不二の尊体にまします」(平成三年九月六日付の能化文書)
この他にも「法主本仏論」は枚挙に暇がない。
なかでも信彰の発言は、日蓮大聖人との決別まで打ち出し、異流義「日顕宗」の
旗揚げ宣言であった。
相承がないために「法主信仰」を強要するしか打つ手がなかった日顕は、大聖人の
仏法を貶めて異流義化していった。
その一つが遊蕩の言い訳に「末法無戒」をネジ曲げ、芸者遊びを一切衆生救済と強弁
した前代未聞の教義歪曲である。
それは平成四年、日顕が芸者衆に囲まれて鼻の下を伸ばしている写真(昭和六十一年
十一月二十二日、赤坂の超高級料亭で撮影)が露見。この芸者遊びが糾弾されると、
日顕は「大白法」(平成五年三月十六日付)で次のように釈明させた。
「祝宴の席に芸妓衆を呼び、舞踊等を鑑賞することは、社会的に認知された行為」
「そこには一切衆生を平等に救済する本宗の末法無戒の精神の裏付けがある」
大聖人が一切衆生救済の御精神から残された末法無戒の教えまでも日顕は遊興三昧の
言い訳に悪用した。大聖人を愚弄するにも程がある。
また、芸者写真が露見する以前の平成元年七月十七日、日顕は福島市・曹洞宗白山寺
の墓地に「阿部家先祖代々の墓」を建立した。
大聖人が「禅天魔」と破折された寺にコッソリ出向いて法要の導師を勤めたのだ。
これも日顕宗の異流義を象徴する問題である。
スウェーデン製の最高級墓石には「建立之 日顕」と刻まれ、日顕の花押も刻印
されている。この禅寺墓問題が平成三年九月に発覚した時、日顕は「村の共同墓地」
だと遁辞を並べたが、当の白山寺住職が「ここは共同墓地なんかではない」と証言。
市の墓地台帳にも「白山寺墓地」と明記されている。日顕の虚言は破綻したので
あった。
(つづく)
385
:
検証会議
:2010/03/16(火) 00:10:22
フェイク 第1100号
(発行=01.03.13)
日顕直伝の異流義を説く布教部長
富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊦
「唱題で息を吸う時、本尊の命がスーと入る」?
日顕とバカ息子・信彰による異流義を象徴する説法に「唱題して息を吸う時に御本尊
の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。これを言い出したのは悩乱した
日顕であった。
日顕は平成六年七月の教師指導会で、こんな邪説を披露した。曰く「この(息を)吸う
時に、やはりこの信の一念という気持ちにおいて、ていうことはどういうことかという
と、やはりあの、御本尊様と一体となっているんだという心を持って、その気持ち、
その信で御本尊様を拝している形が基本ですから」「ただ息を吸う時にですね、御本尊
を信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、
後の今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は
実は感じたんです。まー、そういう点から、やっぱり境智冥合になりやすいといいます
かね」
邪義の中の大邪義である。
日蓮大聖人は「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき
只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」と教えられている。
朝夕、唱題に励むことが自身の生命を磨くことになる。息を吸う、息を吐くのと唱題
の関係など大聖人の仏法とは無縁の妄説である。
平成十六年八月、妙国寺(東京・板橋区)の御講で、信彰が日顕直伝の邪義を
説いた。「これは師匠から教わった」と前置きして「御本尊様を拝した時にね、息を
吸うでしょ。吸う時にスー、吸う時にね……その吸う時は南無妙法蓮華経と念じながら
スーッと御本尊様の御命を頂く。全部、自分の命の中に入って頂くような気持ちでね」
信彰の戯言を耳にした法華講員は御講の最中、信彰の真似をして「スー、スー」と
始め、妙国寺本堂には異様な光景が現出した。
この信彰が今は布教部長になっているが、妙な異流義を吹聴して回り、広めるつもり
なのだろうか?
日顕や信彰の他にも異流義を率先して実行する坊主が掃いて捨てるほどいる。
小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に
向かって「厄払い」と称して読経・唱題した。
また、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・
礼拝。昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑(写真)の
開眼法要をした。
更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で
息絶えた一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と
計十二万円を要求した。
これらが日顕宗の実態である。大聖人の仏法において過去に五老僧の系統など様々な
異流義が生じたが、現代の異流義「日顕教」を根絶しなければならない。
386
:
検証会議
:2010/03/23(火) 02:01:07
越 洋
平成22年3月20日
あっと驚く『大白法』! 歴史の事実を隠して法華講員に嘘の歴史を植え付けている。
それは3月16月付の『大白法』で『総本山を歩く』と題して「大講堂」を紹介した
記事である。その記事に「昭和33(1958)年、総本山第65世日淳上人の代に
建立されました」とあるだけである。宗門内外を問わず大講堂は、創価学会第二代・
戸田会長が発願し建立寄進した事実は広く知られている。その真実を覆い隠して
創価学会の文字を消している。これは虚偽報道の犯罪的行為にほかならない。
日蓮正宗には700年来、講堂という建物は存在しなかった。それを戸田会長が
就任以来、構想をあたため、仏法興隆の時を選んで建立寄進の発願をしたのであった。
学会員の真心の浄財で、昭和31年12月18日の起工式以来、約1年3ヶ月の工事
を経て同33年3月に落成した。そして同年3月1日には「本門大講堂落慶法要」が
営まれ、これには戸田会長をはじめ約6000人の会員も参列した。3月31日までの
約1ヶ月間記念登山が行われ、学会から21万人もの登山者が参拝した。戸田会長の
念願であった75万世帯の達成も成就され、当時では画期的な規模の登山会で、興隆
する創価学会の姿を遺憾なく示したのである。
日淳上人は創価学会17回総会で「この機会において、まず申し上げたいのは、
創価学会の力によりまして、本山に大講堂が建設されました。今や完成をみるに
たちいたっております。この学会の力にたいしまして、深く御礼の心を申し上げる次第
でございます」と感謝の言葉を述べられていた。
大講堂の正面に向かって左側には「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし共々に
征かなむ」の歌碑がある。戸田第二代会長が詠み、日淳法主が染筆したものである。
今回の「大白法」の記事は第65世日淳法主の気持ちを踏みにじり、学会を冒涜する
ものであり、日顕・日如ら忘恩の日顕宗を象徴している出来事と言うべきだ。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000839.jpg
387
:
検証会議
:2010/03/24(水) 13:33:06
フェイク 第1101号
(発行=10.03.23)
「法主の開眼・認可」など不要!
埼玉県・常生寺の法華講も下劣なビラ配布
授与書き抹消、文字の改竄は全てデマ
日顕宗の盲信者共が、性懲りもなく日寛上人書写の御本尊を誹謗するデマビラを各地
で配布している。このうち樋田昌志(長野市・妙相寺支部)一派の怪しげな動きに
ついては本紙一〇九六・一〇九七号で報じたが、最近は埼玉県・浦和の常生寺
(平野選道)などの法華講員も樋田一派を真似した下劣なビラを作って配布して回って
いる。
この誹謗ビラでは日寛上人の御本尊について①法主の許可がない②授与書きを抹消
している③御文字を改ざんしている、と妄言を書いているが、これらは全て何度も破折
し尽くしている。
特に、本紙一〇五六・一〇五七・一〇五八・一〇五九・一〇六二・一〇六三・
一〇六四・一〇六五号では、御本尊の①相貌 ②授与書き ③開眼 ④許可、の四つの視点
から日顕宗僧俗の戯言に破折を加えた。
そこで本号では要点だけを述べて破折する。まず、法主の許可と開眼については全く
必要ないのである。
日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の時代になって、当代の形木本尊が下付される
ようになったが、それ以前の学会草創期、日寛上人が享保三年に書写された御形木本尊
が下付され、更に、その前は各末寺が異なる形木本尊を下付していた。
例えば、讃岐本門寺では塔中坊に安置されていた日興上人書写の御本尊を御形木に
して檀徒に下付。東京の妙光寺では日布(大石寺第五五世)、法道院は日応
(第五六世)、常在寺は日正(第五七世)というように末寺によって違った形木本尊を
下付。それらの御本尊を当時の法主が一つ一つ開眼し、或いは法主が交替する度に認可
をやり直していた事実はない。
日亨上人は「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・
曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや」と「有師化儀抄註解」に
記されている。世界広布の現在、日顕宗が言う「法主の開眼・認可が必要」というのは
間違いなのである。
「万機万縁」の御本尊
次に授与書き抹消については坊主の難癖である。授与書きは、御本尊の本体とは関係
がない。したがって、学会が授与している御形木御本尊は日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」のではなく、正確には「御本尊の本体だけを御形木御本尊に
した」のである。淨圓寺所蔵の御真筆の御本尊には一切、手は加えられていない事を
付言しておく。
因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。
即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼がなかったという点までも、現在の学会授与の
享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。
歴代法主の御本尊は一閻浮提総与の大御本尊を書写している以上、それが誰に授与
されたにせよ、「一機一縁の御本尊」ではなく「万機万縁の御本尊」である。
日寛上人の御形木御本尊に無量無辺の功徳があることは多くの学会員が体験し、証明
している通りである。
388
:
検証会議
:2010/03/28(日) 02:11:40
越 洋
平成22年3月25日
3月16月付の『大白法』で大講堂を紹介した記事に虚偽の犯罪的行為がある旨、
前号で指摘したところ、それに加えて、日顕をはじめとする宗門が聖域の大講堂を、
いかに汚してきたかも糾弾して欲しい、との要望が多く寄せられた。
正式名称を「法華本門大講堂」という、この堂々たる威容の建物は創価学会の
戸田第二代会長が発願、仏法研鑽の根本道場として建立寄進した。しかし、日顕らは
仏法研鑽ではなく、飲み食いの遊興の場として汚してきた。特に、平成16年8月6日、
日顕の「盗座二十五周年祝賀会」を大講堂で開催した。その時、弟子一同から二百万円
もの緞子(どんす)の法衣を贈られて上機嫌の日顕だった。席上、八木は日顕に
言われるまま「御法主上人猊下様の今の一番弟子は阿部信彰様で、私も尊敬して
います」と発言。暴力坊主の信彰に相承させる魂胆で猿芝居を演じたことは記憶に
新しい。
また、日顕は退座直前にも大講堂に坊主や寺族を集めて大宴会。ホテルの料理人に
特別な高級料理を作らせ、飲み放題、食い放題、歌あり、踊りありのドンチャン騒ぎ。
この時は日顕もカラオケのマイクを握って下手な歌を歌ったが、このように日顕宗は
大講堂をドンチャン騒ぎの宴会場にしてきたのだ。
平成18年5月には光久日康が、宗門の衰退を見かねて日顕と執行部を批判。
①宗門の疲弊を招いたのは学会破門が原因である②宗門トップは学会に謝罪し、
話し合うべきだ、と主張。常識をもちあわせている人間なら当然、思っていることだ。
だが、日顕らは同年8月29日に大講堂での教師指導会で、正論を述べた光久に全員の
前で謝罪させたのである。驕り高ぶり、仏道修行を怠る日顕らがやりそうなことだ。
そもそも大講堂とは、学僧が仏法を研鑽するための場であり、教学を講義する堂宇と
いう意味をもつ。かつての比叡山延暦寺の大講堂は、当時の学識の中心地であった。
「法華本門大講堂」建立が構想されるや、比叡山の大講堂は焼失した。その迹門の
大講堂に代わって本門大講堂が一閻浮提広宣流布という戸田会長の遠大な構想から
建立寄進された意義は深いものがあった。
現状を戸田会長が知れば「坊主の宴会のために寄進したのではない」と厳しく叱責
されることだろう。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000841.jpg
389
:
検証会議
:2010/03/28(日) 02:12:01
大石寺短信 第482号
平成22年3月25日(木)
日顕宗の動き
1.軽視されている日如の「指南」
日顕宗の宗務院から末寺住職宛てに「御法主上人猊下御指南の拝読と実践の件」と
題する文書が配信された。文書には「御法主上人猊下の御指南を繰り返し拝読して心に
刻み、今なすべき信行を確実に実践することが肝要」とあり、「講員とともに熟読して
御指南等の趣旨を徹底し、かつ実践するよう」命じている。要するに、「猊下の御指南
が読まれていないので、しっかり読むように」と言いたいわけだが、日如が法主に
なって4年、なぜ今さらこのような“お触れ”を出さなければならないのか。それは
日如の説法を軽視している坊主、法華講員が多いからである。
日如はこれまで、「御指南集」なる小冊子を5部出しているが、売れ行きはさっぱり。“日顕宗の実質的な機関紙”と裁判所も認定した「慧妙」でさえ、一度も日如の本の
広告を載せたことがない。妙観講の指導教師の小川只道関連の本や怪しい脱会者の本の
広告は、毎回載せているにもかかわらずである。
それもこれも日如の話がつまらないゆえ。日如のそれは、実践の裏付けのない観念論
だから、聞く者の心を打たないのだ。
説法の度に“謗法を責めろ”と勇ましい日如。ハッパをかける前に、まずは自ら他宗
の高僧たちと“法論対決”でもやってみてはどうか。法論でボロボロに打ちのめされた
としても、そのなりふり構わぬ姿に心を動かされた坊主や信者が、少しは話に耳を
傾けてくれるのではないか。
2.宗内人事
北海道・妙峰寺の住職に本山・大坊の内海雄幸(40)が入る。
同寺住職の布施谷雄治(82)は隠居となる。
また、神奈川・妙寿寺の副住職に、兵庫・堅持院事務所の住職で、妙寿寺住職・
佐藤正英(78)の娘婿の遠藤朝道(55)が就き、堅持院事務所には東京・法道院在勤の
藤原雄開(66)が入る。藤原は総監・八木の妻の弟。
3.4月の予定
4日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
6日(火) 虫払法要(本山〜7日)
11日(日) 御講(末寺)
28日(水) 立宗会(本山、末寺)
390
:
検証会議
:2010/03/28(日) 02:12:23
フェイク 第1102号
(発行=10.03.26)
大石寺から消えた「桜の名所」
日顕が日達法主お手植えの桜も切り倒す
目立つのは殺風景の無駄な駐車場だけ
各地から「花だより」が相次いでいるが、大石寺からは「桜の名所」が消えて
しまった。日顕の命令で数万本もの桜を伐採したためである。特に、塔の原から東山
(池田山)駐車場は桜が皆無に近い状態になった。総門前も以前は富士山と桜の
写真スポットで、大勢のプロ、アマのカメラマンが集まって撮影していたが、ここも
駐車場の入り口確保のために枝振りの良い桜を無惨にも切り倒したために、撮影には
不向きになった。
周辺の人達は「樹齢四十年の立派な桜を伐採した。環境問題が騒がれている折り、
何故、使用しない駐車場ばかり作るのか?」
「池田山は桜が全然なくなり、昔はピンク一色になっていたのが嘘のようだ」
「昔は、街の方から眺めると大石寺一帯が美しいピンクに染まって見えたものだ。
今では見る影もない。最近では学会の富士桜墓園が富士宮を代表する桜の名所に
なった」等と語っている。
今、大石寺には総坊駐車場、東の山駐車場(池田山跡地)など駐車場だらけだが、
登山者は少数で観光客からも見放され、衰亡に拍車がかかっている。
池田山の桜は、昭和四十七年の正本堂落慶に際し、池田会長(当時)が大御本尊を
十万本以上の桜で荘厳しようと供養して前年の昭和四十六年四月二十八日、立宗宣言の
佳日に潤井川の東側の丘陵で「植樹祭」を挙行した。苗木は関係者が全国各地に飛んで
最良のものを集め、日達法主と会長が桜、楠、藤、梅、ツツジの五本の苗木を植樹
した。
この時、日達法主は「池田先生が総本山一帯に十万余本の桜を植えて、大御本尊に
御供養申し上げた」と讃嘆。「私は此の山を『池田山』と命名致しました」「今後とも
此の『池田山』を大切に愛護して下さるようお願い致します」と述べていた。
この植樹祭の司会は阿部信雄(日顕)だったが、「C作戦」の後、日顕が平成四年
十一月に総坊前の桜百五十二本、翌五年一月に六十六本、総坊南側の六十本を
切り倒したのを手始めに、十三・十四年には常灯ケ峰の周辺、十六年には総一坊と
総二坊周辺、及び「池田山」の桜を大々的に伐採し、十七年には五重塔北側の桜も無惨
に伐採した。十九年には旧富士美術館北側でも大量の桜を伐採。二十一年には経蔵と
宝物殿の間や宝物殿の傍の桜も切り、向原駐車場の傍でも伐採した。
今年一月にも総門南側の桜を切り、根を掘り起こし、石垣を崩した。それらの伐採の
口実は「駐車場の拡張と増設のため」「テングス病のため」等とのことだが、
テングス病は手入れすれば避けられる。使われない駐車場の拡張・増設は無用の長物。
このテングス病よりも危険な建築物破壊病、供養浪費・遊蕩病の日顕の追放こそが急務
といえる。
………………
桜の苗木を植樹する日達法主。この桜の木も日顕が切り倒した。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000842.jpg
391
:
検証会議
:2010/03/31(水) 23:56:21
フェイク 第1103号
(発行=10.03.30)
日顕宗に「インチキ折伏」が横行
「古来から御授戒」は嘘、制定は昭和四十一年
法華講員に「再授戒」して成果に
日顕宗では「水増し成果」「インチキ折伏」が後を絶たない。特に、折伏成果を
「世帯」ではなく「人数」で数えると変更した日顕宗。過去にもホームレスの入信者を
何十人も作り、住所不定や行方不明の人の名前を勝手に成果に入れていた法道院
(東京・池袋)、子どもが連れてきた友達の小学生を「内得信仰」扱いにして成果に
数える宣行寺(埼玉・草加市)、複数の講員が紹介者になって何体もの本尊を渡した
法霑寺(北九州市)等々、目に余るインチキが指摘されていた。
なかでも今、ニセ法主になっている早瀬日如がいた頃の法道院では「再授戒」と
称して講員に二度目の御授戒を受けさせて成果にし、宗内に不信感を高めたが、最近は
本山・了性坊の原田輝道が「再授戒」を真似て、既に檀徒になっている者に対して
再度、集団で御授戒を受けさせ、折伏の成果にして誤魔化しているという噂が広がって
いる。
了性坊の檀徒の中には神社の氏子になっている者もいるが、これら氏子を教導も
しないで「再授戒」するとは日蓮大聖人、日興上人に対する冒涜以外の何ものでも
ない。
折伏成果の締め付けが激しくなっている日顕宗では、今後は益々、いい加減な
「水増し成果」「インチキ折伏」がエスカレートするだろう。
ところで、宗門は「古来、御本尊は法主によって御開眼……」「古来、御授戒を
行って御本尊を下付……」と「古来」を力説するが、これは大ウソ。「開眼」が
無かったことは本紙で再三、述べてきたので、本号では御授戒について触れる。
日亨上人が御授戒の儀式について「近古に至って、にわかにその式が新設せられた」
と記されている通り、宗門が「授戒文」を制定したのは昭和四十一年二月九日である
(下の資料を参照)。
実際、大聖人御在世においては出家の弟子に対してさえ最蓮房以外には授戒されたと
いう記録は残っておらず、ましてや在家の信徒が授戒を受けた記録はない。
本来、「授戒」は入会に際して一つのケジメとして始められたもので
「昭和十二年頃、学会の草創期に牧口初代会長が宗門に依頼して始められた」とは、
当時をよく知る学会の和泉覚氏(故人、元最高指導会議議長)の話である。
学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人もおらず、「授戒」の必要もなかった。
「授戒文」制定の理由は、「各寺約十指に余る夫々の様式」「その中には二、三意義
に於いて、過不足と思われるものも認められる」「宗門的見地より統一する必要がある
と思われる」というものだった。
即ち、昔は御授戒など行っていなかった宗門は、学会に入会する人に対して実施する
ようになったが、各寺はバラバラだった。そこで昭和四十一年に正式に制定した経緯が
あり、今の勧誡も授戒も深い意味はない。
…………………………
院第一〇一三号
昭和四十一年二月九日
日蓮正宗宗務院
全国住職主管並事務取扱者殿
一、授戒文制定に関する件
今般、宗門に於る授戒文を左の通り制定した
ので、今後統一して実施されたい。
右、通達する。
記
一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の邪
法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師
の正義を持ち奉るや 否や(持ち奉るべし)
一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の謗
法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を
持ち奉るや否や (持ち奉るべし)
一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の不
妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち
奉るや否や (持ち奉るべし)
以 上
392
:
検証会議
:2010/04/07(水) 00:53:42
越 洋
平成22年4月2日
桜花爛漫の昭和33年4月2日、戸田会長が75万世帯の誓願を成就され、58歳で
ご逝去なされて52星霜。その半月前の3月16日、大講堂のエレベーターで戸田会長
から「俺はもう死んでもいい。あとはお前だよ」と後継のバトンを託された池田先生。
この「3・16」は崇高なる師弟継承の儀式であった。その池田先生の死身弘法・
不惜身命の実践により、世界広宣流布は192ヶ国・地域にまで拡大された。
世界の大学から280の名誉学術称号を受けられ、トインビー博士をはじめ世界の
約7千人の著名人と対話された池田先生の仏法を基調とした平和・文化運動の軌跡は、
誰人も否定できない。宗開両祖も三世十方の仏菩薩も讃歎を惜しまないだろう。
戸田会長は昭和29年2月27日の本部幹部会で次のように指導された。
「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これにそむけば五逆罪になる。学会を
離れてしあわせのものはいない。功徳のあるわけが無い。――(五逆罪は)和合僧を
破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかも
しれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、
日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを
破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするもの
あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。ぜったいにできぬ」と。
日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、ことあるごとに反学会
の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを
宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張って
もらいたいとエ−ルを送っていた。
また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、
これに強硬に反対したのも日顕だった。
その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは
出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても
壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明で
ある。
片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。
「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の
御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。
393
:
検証会議
:2010/04/07(水) 00:54:04
フェイク 第1104号
(発行=10.04.05)
日顕父子の異流儀には釈明不能
大謗法を誤魔化す「慧妙」の捏造記事を破す
祈祷の責任を檀家に転嫁、教導せず供養貰う
日顕宗のクズ新聞「慧妙」は我見の間違い記事を掲載して、宗門関係者に嫌われて
いるが、四月一日付でも捏造記事を載せ、坊主の謗法に恥の上塗りをしている。
今回は「日顕宗は異流義だ」と指摘した本紙第一一〇〇号への反論のつもりらしく、
一面全面を使って「正宗を『異流義』呼ばわりする『フェイク』を破す」等々、大仰な
見出しを付け、坊主共の謗法行為について経緯を説明し、弁解している。
本紙が「日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折する」として挙げた日顕宗の
異流義と謗法の実例は七項目であった。
そのうち本紙一〇九九号では「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」
(教師講習会での日顕自身の発言。平成九年八月二十八日)をはじめ「猊下様が現代に
おける大聖人様」「大御本尊と不二の尊体」と法華講や能化に言わせた妄言に代表
される「日顕本仏論」について糾弾した。
ところが、「慧妙」は、この「日顕本仏論」の邪義に一切、触れることも出来ずに
逃げている。
「慧妙」の実質的な編集責任者で、このほど、大講頭に再任されて狂喜している
大草一男に重ねて問う。「ニセ法主の日顕や日如は、本当に御本仏なのか?」
本紙の指弾には反論も釈明も出来もしないくせに、「『フェイク』を破す」とは
笑止千万!
因みに、本紙第一一〇〇号で具体例として挙げた日顕宗の六項目の異流義とは
次の通り。
一、日顕のバカ息子・信彰の異流義を象徴する説法として「唱題して息を吸う時に
御本尊の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。
二、日顕は平成六年七月の教師指導会で「ただ息を吸う時にですね、御本尊を
信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、後の
今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は実は
感じたんです」と意味不明の妄説を述べた。
三、小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の
道祖神に向かって「厄払い」と称して読経・唱題し、供養を受け取った。
四、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・礼拝
した。
五、昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑の開眼法要を
した。
六、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で息絶えた
一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と計十二万円を
要求した。
「鹿の厄払い」は正当か?
この六項目のうち「慧妙」が言い逃れようとしているのは三、四、五の三項目のみ
で、それも「檀家に頼まれた」云々と卑怯にも檀家に責任を転嫁する釈明だ。
大石寺理事や住職の地位にいる坊主が十分な教導もせず、安易に祈祷に応じて供養を
貰い、与同罪を積んでいるのが日顕宗である。「慧妙」よ、今回は触れなかった
「日顕本仏論」や日顕・信彰父子の邪説、清水孝信の鹿の厄払いに関する弁解の屁理屈
はどうした?
394
:
検証会議
:2010/04/09(金) 21:14:24
フェイク 第1105号
(発行=10.04.08)
日顕や藤本の女房が邪宗巡り
宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊤
高野山に参詣し宿泊、平安神宮にも参拝
日顕宗の数多くの異流義と大謗法を本紙(第一〇九九・一一〇〇号など)で指摘した
のに対して「慧妙」四月一日付が、学会も、どこそこに寄付をした云々と戯言を書いて
いた。
他宗への寄付をいうなら、何よりもまず、日顕宗の坊主である岸本恭済(法勤寺)が
昭和六十一年十月、群馬県の「安中秋季大祭」の際に、熊野神社の奉納に供される
「山車」の製作のために寄付をしたことを問題にするべきである。
しかも、岸本らの寄付によって完成した「山車」は、神社の宮司のお祓いまで受けた
のである。
また、神社の氏子総代と法華講幹部とを兼務している者もいる。「慧妙」は、
こうした宗開両祖に違背する日顕宗僧俗の実態を調べて糾弾するのが先決であろう。
ニセ法主・日顕は十指に余る謗法を重ねたが、その大罪の極めつけは「人法一箇の
大御本尊根本」の宗旨を「ニセ法主根本」の「日顕宗」に改変し、開祖・日興上人の
遺誡に真っ向から背いて身延派日蓮宗にすり寄るという大謗法を犯すに至ったことで
ある。
そこで、日顕宗の数多い謗法の中でも特に、日顕をはじめとする坊主らの身延派など
他宗派との交流・親睦を指弾する。
富士学林の所化らが、身延山や比叡山に参詣するのは恒例行事になっているが、
この他にも住職共の謗法との深い交わりは枚挙に暇がない程である。
はじめに、これは周知の事実だが、日顕は平成元年七月十七日に福島市内の禅寺・
白山寺に先祖の墓を建立し、自ら出向いて法要を強行した。
この「禅寺墓問題」が露見したのは同三年九月のことで、純真な学会員は仰天した
が、宗門の坊主共に驚きはなかったという。
というのも、宗門の坊主に限らず、その女房連中も邪宗に対しては、今も昔も親近感
を抱いているとの理由からである。とりわけ宗門坊主や寺族の邪宗巡りは以前から
行われ、決して珍しいことではない。
例えば、昭和三十九年秋、日顕の女房・政子、重役の藤本日潤の女房・礼子らが、
吉田日勇(当時・渉外部長)らと共に真言宗の本山・高野山に参詣した。
しかも、吉田日勇らは同行の婦人達と一緒に謗法の寺内に一泊したのであった。
そして、吉田と政子・礼子らは一夜を共に過ごしての帰途、今度は京都の平安神宮に
立ち寄って参拝したのである。
これらの寺族の謗法について「慧妙」は弁解のため、どんな屁理屈を並べるか?
楽しみに待っている。
……………………………
平安神宮に参拝した日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・礼子ら寺族の一行
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000846.jpg
395
:
求道者
:2010/04/10(土) 08:36:53
日精を除歴したように、正宗に自浄能力があらんことを願う
396
:
検証会議
:2010/04/12(月) 23:38:57
越 洋
平成22年4月9日
凋落の一途を辿る宗門を反映した陰惨たる平成22年度の虫払い法要が6日、7日に
大石寺で行われた。4月というのに肌寒く、途中からは雨に降られ、昼には湿度が
78%という不快指数が最悪の一日だった。「なぜこんな日に虫払いをするのか?」
「かえって御真筆が傷んでしまうじゃないか!」と参加者が口々に語っていた。
境内を歩いていた講員は「山内の桜を見ようと一周したが、アッチもコッチも
使われない駐車場ばかりだ。こんなに駐車場を作ってどうするのか? 自然破壊も
著しい。以前は全山が桜で心から楽しめたのに」と嘆いていた。大石寺の桜を撮影に
来ていたカメラマンも「総門脇の桜が新坊建設のために伐採され、富士山と桜の写真を
撮る絶好の場所がなくなって、本当に残念だ」と嘆く。
信者ばかりか、市民からも見放されてしまった。年中行事の虫払いは信心の歓喜など
何もわかない。こんな形だけの儀式など即刻止め、今こそ本当の害虫駆除をやるべき
だ。それは毎日の清掃と虫が住めないような環境作りと言われている。その最悪の害虫
は日顕である。
宗旨を汚し、世界中に日蓮正宗の名を辱(はずかし)めた害虫を速やかに駆除すべき
だ。隠居の身でありながら月々数百万もの給料と供養を懐に入れ、ベンツに乗り、教師
を二人も従え、手伝いの女性二人も使っている。「粥(かゆ)を啜(すす)って…」と
泣いて騙して19年。お前は、ただの一度でも粥を啜ったことがあるのか!
援助寺院の住職の生活苦を見たら許せることではない。日顕が蓮葉庵へ来ると、今も
八木、信彰と三人で、何やらヒソヒソと打ち合わせをして蠢(うごめ)いている。
こうした日顕一派の害虫が巣くわないような環境作りが急務である。法華講員に供養
を請求する前に、日顕一派の多額の給料の大幅カットを断行し、徹底した経費節減の
環境を整えるべきである。そうでなければ不景気のご時世、経済苦の年金生活者が多い
法華講は今後、誰一人、供養を出さなくなるに違いない。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000847.jpg
397
:
検証会議
:2010/04/13(火) 02:09:56
フェイク 第1106号
(発行=10.04.12)
日興上人に背き身延派と親交深める
宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊦
日顕の「波木井礼讃」で異流儀に加速
ニセ法主の日顕が悩乱して「C作戦」を強行した平成二年十二月以降、大石寺は
身延派に急接近するようになった。大石寺と身延派は相互に登山・参詣し、偽り
親しんで交流を深めるようになったが、その親交は日顕が、大謗法の波木井実長を礼賛
したことに始まる。
六老僧の一人・民部日向が弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人から
学頭に任じられたが、翌年頃から軟風にかぶれた誤った法門を唱え始め、波木井も日向
の悪影響を受け、①釈迦仏像の造立②神社の参詣③念仏の石塔への供養④念仏道場の
建立、という四つの大謗法を犯した。そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山
されたのは周知の事実である。
日顕は、この波木井を絶賛したのだ。「大聖人様御在世当時の波木井実長の功績
たるや、大変なものです」(平成三年七月、全国教師指導会)、「大聖人様の三大秘法
の具現という大仏法の深い意義が波木井実長の外護によって行われたということは、
今日において二百カ寺、三百カ寺の寺院を造るよりもなお、根源的な意味において
大きな功績であります」(同年十一月、教師指導会)、「この波木井実長の、大聖人様
の仏法の一番根本の功徳を成就するという上の、いわゆる外護という面の功績に
おきましては、創価学会の近年における宗門の外護と比べ、その本義においては比較に
ならないほど大きい」(平成四年六月、東北第一布教区親教)等と称賛し続けた。
その日顕も以前は「大聖人は波木井実長の信心を、始めからあまり信用なさっては
おられませんでした」(昭和五十五年の愛知・泰福寺親修)と正論を述べ、特に、
平成二年十月の大石寺開創七百年慶讃大法要(初会)では「日向と実長が我見、我意に
執して日興上人の重々の教誡を蔑ろにする姿に対し、いかに心を砕いて訓すとも如何
ともすべからざるを悟られたのであります」と波木井の悪行を指摘。慶讃文でも
「身延山久遠寺を離れ富士の地に正法流布の根源たる精舎を建立し給ふ 其の所以は
一には民部日向の教唆による波木井諸種の謗法にあり」と日興上人の「身延離山」の
原因の第一に波木井の謗法をあげていた。
狂乱・日顕の波木井讃嘆は身延派を喜ばせた。日顕の再三の波木井礼讃に呼応して
身延山・志摩坊の佐藤順映が、平成四年三月に「大石寺を門下連合へ」という提言を
日蓮宗内に発して、大きな話題になった。
このエール交換の後、大石寺と身延山久遠寺(写真は久遠寺の三門)との交流が進展
した。身延僧の大石寺研修(平成六年十一月)、池上本門寺貫首の田中日淳(日蓮宗
管長)ら三十二人が登山して高野日海が歓迎(平成七年六月)、総講頭の柳沢らの
身延参拝(平成七年八月)をはじめ前川慈肇、水島公正、関快道、落合尊福、舟橋義秀
ら坊主共の身延派寺院への巡拝など交流が活発化したのだ。
「慧妙」は学会が異流義などと見当違いの記事を載せているが、日顕こそが巨悪の
元凶なのである。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000848.jpg
398
:
検証会議
:2010/04/19(月) 14:31:30
越 洋
平成22年4月16日
4月16日は『チャップリン・デー』として広く知られている。20世紀最大の映画作家・
喜劇俳優のチャールズ・チャップリンは1889(明治22)年のこの日、イギリスに
生まれた。貧しさをバネに喜劇俳優になり、社会に対する抗議を涙と笑いの映画に
こめて世界的な人気者になった。『モダン・タイムス』『ライムライト』
『チャップリンの独裁者』など多数の作品は今も尚、世界中から親しまれ、特に、
人間的な『笑い』によって、最も非人間的な『暴力』と戦った等々と高い評価を得て
いる。
宗門が総講頭罷免など権威権力を剥(む)き出しにしたのは平成2年暮であったが、
翌3年1月6日に開催された第37回本部幹部会では、池田名誉会長のスピーチを
通し、学会は "喜劇王"チャップリンのように、いかなる権威権力をも笑い飛ばし
ながら宗教改革の正義の道を邁進することを確認した。
一方、日蓮正宗大石寺の平成3年は軍歌『敵は幾万』の大合唱で明けた。6日、
本山・大講堂での「全国末寺住職・寺族初登山」の席上、本住坊(当時)の秋元意道が
音頭(おんど)をとり、全員が軍歌を大合唱。日顕は満足げに聞きいっていた。
この「軍歌事件」は日顕が最初から学会を善導するつもりなどカケラもなく、一千万
の信徒団体を不倶戴天の「敵」と看做(みな)していたことを象徴的に示している。
以来、宗門は98%の信徒を失い、弱小の邪教に成り下がった。残った僅か数万の
法華講は登山地獄、供養地獄、結集地獄に苦しみ、今では不平不満が充満している。
先月27日の大石寺での講頭会でも某講頭が立ち上がって「昨年で最後と言っていた
のに、また4回目の特別供養(30億)なんて、みんなには言えない」等々と発言。
会場から一斉に賛同の拍手が沸き起こったほどである。
チャップリンは晩年、第二次世界大戦が終幕を迎える頃、アメリカを追われた。
しかし、追放から20年の歳月を経た1972年、チャップリンはハリウッドに招かれ、
アカデミー賞を受賞、名誉も回復された。総講頭罷免より20年の本年、「C作戦」を
断行した日顕の決断が狂っていたことを今こそ総括し、満天下に示す時が来た。
399
:
検証会議
:2010/04/19(月) 14:31:55
越 洋
平成22年4月18日
間もなく立宗758年を迎える。"立宗宣言"といえば平成14年3月28日、日顕が
思いつきで「立宗二回説」を主張し、強引に「開宣大法要」を行ったが、10年も
たたないうちに法華講員からも忘れ去られ「そんな法要があったのか?"立宗宣言"は
4月28日でしょ。なんで3月にするの?」と疑問の声が起こっている。"もう御供養を
強要されるのは我慢できない!! "と法華講員は総スカンをしている。
そもそも「立宗二回説」という珍説など"立宗宣言"をなされた大聖人ご自身も、
第二祖日興上人、第三祖日目上人、日寛上人、日亨上人さえ立宗2回説などといわれて
いない。当然、日蓮宗各派からも無視され、顕正会からも嘲笑された。
なぜ日顕は、昭和54年に登座してから23年も経ってから「立宗二回説」を
ブチ挙げたのか。それは自身のシアトル裁判の大惨敗を覆い隠すために思いついたに
すぎない。そして自分が碩学の堀日亨上人よりも如何に大学者であるかを装うため
「あの人は学者だから」と蔑み、亨師編纂の「御書全集」に対抗して間違いだらけの
「平成新編御書」を刊行するなど、まさに日顕こそ増上慢の権化である。
かつて、創価学会第二代戸田会長は『創価学会の歴史と確信』の中で「御僧侶を
尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと
願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなければならぬ。願わくば御僧侶におかれては、
学会のこの確信をめでられ、悪侶をのぞいて教団を清め、われわれ学会人の闘争の指揮
をとって外敵を伏し、宗開両祖にむくいんことを。」とまで、仰せられていたので
ある。
日蓮正宗の坊主たちは、『悪侶日顕』をいましめず"折伏"もせずに芸者を囲っては
宴会騒ぎをしてきた。それが発覚すれば"芸者と遊ぶことだって折伏だ"と開き直り、
今日までのうのうと惰眠を貪り、我が身かわいさ故にダンマリを決め込み、面従腹背
の『総悪侶』になってしまった。そのことに気がついた法華講員は信心をやり直すと
脱講している。この姿を見ても、宗門全体が総罰を受けている何よりの証左である。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱え
つたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は
日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(諸法実相抄)と、
御金言の如く立宗宣言の魂というべき折伏の実践をしてきたのは、仏意仏勅の創価学会
しかないのである。日顕宗では、千年、万年待っても広宣流布はできるわけがない。
400
:
検証会議
:2010/04/20(火) 02:03:47
フェイク 第1107号
(発行=10.04.18)
身延離山の精神を踏みにじる宗門
特集「日顕宗と身延派との交流の足跡」
大石寺は身延僧を歓待して礼状も送る
日顕宗の妙観講が作っている「慧妙」や法華講の素人が編集する「大白法」では学会
に対して「異流義」云々と非難中傷を繰り返している。特に「慧妙」四月十六日付
では、相も変わらず日寛上人書写の御本尊を誹謗する一方、日顕宗坊主の邪宗への参詣
は「研修だから全く問題なし」と詭弁を弄し、日顕の女房・阿部政子、日潤の女房・
藤本礼子らが高野山に参詣して宿泊したのは「宿坊の視察」と遁辞を並べている。
「慧妙」よ、賽銭をあげ、本堂で合掌し、巡拝の後は盛大な宴会に興じるのが、本当
に「研修」なのか?
そこで「慧妙」の実質的な編集責任者の大草一男に改めて問う。「坊主の女房が
平安神宮に参拝したのは『研修』か? 或いは何を『視察』したのか?」
「慧妙」が下手な屁理屈で言い逃れようとしても、身延山、比叡山、高野山、
平安神宮への参拝が謗法行為であることに違いはない。「一見と称して謗法を致せる
悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや」との日興上人の戒めに日顕宗坊主が違背しているのは
明白ではないか。
また、今回も御本尊の「変造疑惑」云々と書いているが、何度も言うように一切、
加筆も修整もされていない。お前らが勝手に変造した写真を並べて、難癖をつけている
だけだ。
次に日顕のバカ息子・信彰の「唱題して息を吸う時に御本尊の命がスー、スーと
入ってくる」という邪義や日顕の「ただ息を吸う時にですね(中略)今度は吐くお題目が
それに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくる」との意味不明の妄説を「御自身の
体感」だと「慧妙」は弁解している。全く、お粗末の極み!この日顕や信彰の変な
「体感」こそ、邪教の教祖の「悟り」にも似た邪説ではないか。
更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信の鹿の厄払いについて「何が異流義か」と
開き直っている。ならば、この種の厄払いも日顕の口癖である「日蓮正宗の古来の伝統
なのか?」
更に、岸本恭済(法勤寺)が熊野神社の奉納に供される「山車」製作に寄付したのを
子供育成会への寄付だったとは、誤魔化しである。
「波木井礼讃」には沈黙
下手な屁理屈を羅列した「慧妙」も、本紙一一〇六号で指摘した日顕の「波木井実長
礼讃」には沈黙している。この件は「慧妙」の次号で是非を明確にせよ
!
日顕の「波木井礼讃」以降、日顕宗と身延派との親交が一段と盛んになった。
富士学林の所化が身延山などに参詣するのは恒例行事になっているし、末寺の坊主は
法華講員を連れて身延派の寺を巡拝。また、身延の坊主を大石寺に喜んで引き入れて
歓待。全く日興上人の「身延離山」の精神を踏みにじる悪逆行為だ。
そこで、本号では「日顕宗と身延派との交流」を特集して、これまでの親交の足跡を
総括する。
但し、紙数の関係上、恒例行事になっている富士学林の所化の邪宗巡り、及び
菅野慈雲や駒井専道らによる定例の「謗法ツアー」などは割愛し、主な邪宗巡りに限定
した。なお、菅野は日蓮大聖人が伊勢神宮に向かって跪(ひざまず)き、頭を垂れて
合掌している絵画「神宮奏上」等を「日蓮大聖人御一代絵図」として大宣寺
(東京都国分寺市)創立二十五周年を記念して、昭和五十六年十月に発刊した
謗法坊主、駒井は二人の所化を死に追いやった魔僧であることを付記しておく。
401
:
検証会議
:2010/04/20(火) 02:04:02
研修と称し謗法巡り
◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川慈肇)がバスをチャーターして身延派の
寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に住職の女房も参加した。一行は安房、
小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延日蓮宗の本山格の三カ寺を巡拝して
回った。
◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌倉の
大仏、鶴岡八幡宮などの謗法巡り。この日は法華講青年部の一泊登山と重なって
いたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」とは名ばかりで、
宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もしないでホテルに着くと宴会
に興じ、翌朝も勤行をしなかった。
◆平成六年十月八日、長野県・信盛寺の落合尊福は法華講員を引き連れて佐渡に渡って
謗法巡り。貸し切りの観光バスには「信盛寺佐渡順拝の旅」(編集部注=「順拝」は
「巡拝」の間違い)と書かれたプレートを付けていた。身延派の妙宣寺、根本寺など
の寺を巡り、講員は賽銭箱に金を投げ入れ、真剣に合掌していた。
◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を訪問。宗門の坊主が丁重に
迎えた様子が身延派の「布教師會報」第二十号に「日蓮正宗総本山・大石寺研修
参拝記」として掲載された。宗門側が「(身延の)皆様の暖かなお心に触れ(略)
暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております」との
「礼状」も送った。
◆平成七年三月十二日、関快道は千葉の誕生寺、清澄寺など日蓮宗の寺巡り。二十数名
の法華講青年部や女房の貞子らを率いて巡拝の旅。(平成五年の佐渡、翌六年の
東北方面に続く三度目の謗法ツアーだった)
◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗っていたのは
池上本門寺の貫首らで、高野日海(東京・本行寺)が案内役となって本山内を見学
させたあと「蓮葉庵」で手厚く接待した。
◆平成七年八月二十日、総講頭の柳沢は阿部信彰が住職をしていた大修寺の法華講員
約二十人を連れて身延山に参詣し、宴会に興じた。
◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や菓子折り
など御供養の品々まで持参して参詣した。
◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀が講員を引き連れて佐渡の
根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋義秀は帽子を深く被り、
サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱に講員が「チャリーン」と硬貨を入れて御供養
していた。
◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を見学した。
◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(秋元広学)の所化二人に引率された講員が鎌倉
の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、妙法寺など邪宗寺院や神社巡りを
楽しんでいた。
◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺(前川慈肇)の一行が「佐渡研修旅行様」の
バスに乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院巡り。
◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内で正本堂
などを見学。御影堂内では身延僧が御宝前に合掌・参拝していた。
◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。
◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂などを見学
し参拝した。
◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。
◆平成十六年四月十三日に 身延派坊主が大石寺を訪問、参詣した。
(以下、省略)
402
:
検証会議
:2010/04/20(火) 20:24:22
大石寺短信 第483号
平成22年4月15日(木)
日顕宗の動き
1. 予期せぬ「特別供養」に講頭会が紛糾
先月27日、大石寺で法華講の講頭会が開かれた。折伏、登山の話と続き、場内は
どんよりしたムードに包まれていたが、供養の話になると、講頭たちの不満が一気に
噴出した。
というのも、突如、「立正安国論750年」の記念事業にかこつけた「4回目」の
特別供養を明年、行うことが発表されたからだ。予定外である。
この特別供養、平成18年・19年・20年と3回行われて終了したはずだったが、当初の
計画になかった塔中坊の全面建て替え等の事業が次々と追加されていった結果、予算が
足りなくなったというわけだ。
講頭会の席上、立ち上がったある講頭は、演壇の法華講連合会委員長・柳沢に、
「一昨年の特別供養の折、『これが最終回』と徹底したのだから、今さら『第4回』と
いう呼称はやめてほしい」と要望した。一様にうなずき、拍手するほかの参加者たち。
柳沢は、顔を真っ赤にして「そんなこと言うのは『供養を出したくない』と思っている
からだ!」と、いつもの意味不明な返答で“逆襲"する始末。続いて別の講頭が「明年、
うちのお寺では改築のための供養を計画しており、特別供養と期間が重なってしまう。
どうすればいいか」と質問するや、柳沢はまたもや語気を荒げて「そんなこと聞くのは
間違いだ!」と一蹴。早々に話を切り上げようと、参加者に「第4回」の特別供養への
賛同を呼び掛けたのだった。しかし拍手はパラパラ。柳沢も「分かったような分かって
いないような拍手……」とため息をつくばかり。当然だろう。講頭たちにしてみれば、
わざわざ遠方から集められて何万円もの旅費を自腹で払い、供養までむしり取られた
揚げ句、理不尽な収奪計画を講員に徹底するよう言い含められるのだから、納得など
できるわけがない。
ハイエナさながら貪欲な日顕宗執行部と、それに追従するだけの法華講上層部。耐え
に耐えてきた講頭、信者の不満、怒りはいよいよ沸点に達しようとしている。
2. “無用の長物"法教院に今年も入学者
見栄っ張りの日顕が23年前、創価大学に対抗したい一心で作った法教院
(富士学林大学科)に今年も17人が入学した。宗内に300人近くも無任所教師が
あふれかえっているというのに、住職になるあてもない“穀潰し坊主”を次から次へと
生み出している法教院。この施設、卒業しても「大卒」の資格が得られるわけでは
ない。脱落者も多く、入学者の4人に1人が途中で辞めていく。こんな“無用の長物”
に、年間億単位の予算がついているというのだから、カネを吸い上げられる一方の
困窮寺院の坊主たちのやるせなさは、想像するに余りある。
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