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「α」についてはここで語ってください

136三毛猫ナナ:2003/08/17(日) 00:24
ぽーんさんが御指摘されている通り問題の大きな原因は分配
システムにあるのではないかと推測できます。

資本主義では問題があるのは明白ですが、共産主義では更に
問題があるのは過去の実例からみても明らかでしょう。

この辺の事を踏まえ今後どの様な社会システムを構築していく
かが大きな課題になるのではないかと私は考えています。
(私の言う第三の道とは社会学者ギテンズやマンハイムの言葉で
すが、これは乱暴に言えば社会民主主義ですが、問題も多く課
題も山積みなのです)

私としては余剰を厳しく搾取するのではなく、資本主義で
見られる様な個人の努力では如何ともできない不公正な状
況を改善する事の方が現実的だと思っております。
(これはあくまで感想です)

137武蔵:2003/08/17(日) 17:06
>>131

>一瞬、考えられるのは、共産主義ですね。貧しい民衆が革命によって政府を倒し、王侯貴族が独占していた富を再分配する。

全く違うんです。
大きい意味では再分配という範疇に入るかとは思いますが、
富める者から税金的に富を取り上げ、それを貧者に分配すると言うような再分配のことを言っていません。
>>118
をもう一度読んで下さい。
緊急的には、食物援助も必要と思いますが、
本気で取り組むべきは「教育援助」。
農業・牧畜その他、その国にとって一番ヒットした産業を
彼ら自身の手で開発する力をつけていくための支援に先進国が取り組むこと。
そのようにして底上げをすることは、先進国にとってもプラスになるんです。

138イカフライ:2003/08/19(火) 10:51
>>137

武蔵さんが、共産主義革命を標榜している、といってるわけではないです.誤解なきようお願いします。

>>136
>私としては余剰を厳しく搾取するのではなく、資本主義で
見られる様な個人の努力では如何ともできない不公正な状
況を改善する事の方が現実的だと思っております。

私が言うシステム、というのもこれです。
 ここでずっと命題になっているαの思想がありますね。2ちゃんねるでも用いた例えですが(何故か、これだけ頭の良いナナさんの説明でずっと解らなかったヤスツさんが、わしのたとえで解ってくれてたようです)
「毎日3食食べてるイカフライさんのおやつの肉まんと、今まさに飢えて死なんとしてるナナさんへの肉まん、どちらを優先させるべきか?」
この場合、イカフライさんならずとも、足元に飢え死にするナナさんを見下ろしての肉まんは、あまり美味しくないでしょう。
 また、それを眺めている人々の殆どは、そのイカフライさんの行為を是認はしないでしょう。
 これが、αの原点だと思ってるんですが、ぼ-んさん、これで良いですか?

 ところが、長い間食べていなかったイカフライさんがやっとこありついた肉まんだったら、今まさに飢えて死なんとしてるナナさんが目の前にいても、自分で食べてしまうと思います。
それどころか、同じような状況でやっとこ肉まんにありついたぼ-んさんの肉まんを奪って食べてしまうかもしれない。
 そこで、ぼ-んさんが餓死しても、ワシが生き残りたい、きりぎりの状況では、弱肉強食の生存本能だけが突出してしまう。
 やがて、毎日食べられる生活を手に入れたイカフライさんは、見殺しにしたぼ-んさんのことを、気に病むかもしれません。
 けれど、生きる為に仕方なかった、と、それは考えるしかないでしょうし、また、そういう状況でその行為を行った人間は、責めるべきではありません。

 そうなると、みんなが、毎日安心して食べられるシステム構築、ということが課題になってきますよね。
 
 これは、平和にも言えていると思うのです。

139ぼーん:2003/08/19(火) 12:22
>>136
> 私としては余剰を厳しく搾取するのではなく、資本主義で
> 見られる様な個人の努力では如何ともできない不公正な状
> 況を改善する事の方が現実的だと思っております。
> (これはあくまで感想です)

常識的で穏当な提案ですが、この手の議論を見てて思うのですが、「匙加減」以上のものを
あまり感じません。この手の案を言う人はみな「現実的だ」というのですが、他の案に比べて
現状との距離が近い、という以上の根拠を聞いたことはないです。

# 政治において、一定の事実が変更できないとか、ある流れが抗しがたいとかと信じるの
  は、普通、その事実を変更したくないとか、その流れに抵抗することに利益をもっていな
  いことの反映である。(E.H.カー)

資本主義的分配・市場的分配を出発点にし、「どこまで不平等を緩和できるか」という問いの立て方。
まず共産主義的・平等的分配を出発点にし、「生産のインセンティブをもたらすために、どこまで不平等を
容認するか」という問いの立て方。

どちらの問いの立て方でもいいはずです。
では、どちらの問いの立て方がいいのか。
どちらの問いの立て方が「現実的」か。それは議論すべき論点でしょう。

140武蔵:2003/08/19(火) 12:22
>>138

>武蔵さんが、共産主義革命を標榜している、といってるわけではないです.誤解なきようお願いします。

そりゃあどうも。

>そうなると、みんなが、毎日安心して食べられるシステム構築、ということが課題になってきますよね。

しかし既に日本の大部分の人間は毎日安心して食べられる状況にあるわけです。
決して肉マンを飢えている人に与えても自分が他の肉まんを食べられない状況ではありません。
そこで我々はどうしているのかどうしなければならないのかという問題です。

私は世界の底辺部分にいる人たちの底上げのために、先進国としてするべきことがある。
その第一は教育ではないかと提案したのですが・・・・
もう既にNGOなどを中心に行なわれてはいますが、民間は何しろ資金が乏しい。
自国政府を動かさねばならない。
メールや手紙を各議員に送ることも大事だし、マニフエストの中に織り込ませていく活動もしなければならない。
どう思いますか?

141武蔵:2003/08/19(火) 12:34
>>139

書き込みボタンを押しても、えらい時間がかかるなあと思ったら、ぶつかっていたんですね(^^ゞ

>資本主義的分配・市場的分配を出発点にし、「どこまで不平等を緩和できるか」という問いの立て方。
まず共産主義的・平等的分配を出発点にし、「生産のインセンティブをもたらすために、どこまで不平等を
容認するか」という問いの立て方。
どちらの問いの立て方でもいいはずです。

確かにそうなのですが、共産主義アレルギー蔓延する中で、後者を出発点にするのは
あまりにも抵抗がきつすぎる気がします。
私なら前者を取ります。

私は毛語録にも学ぶべきものが多くあると思っています。
紅衛兵のやって来たことは、毛沢東の理想に反することも多いです。
人間社会の生きる姿勢として、取り入れるべきものは取り入れるべきであると思います。

142武蔵:2003/08/19(火) 13:15
>>138

>そうなると、みんなが、毎日安心して食べられるシステム構築、ということが課題になってきますよね。
 
それは誰も(懐疑派の方も)異論はないんです、何度も繰り返されています。
具体的には何をなすべきで、何をなさっているかという話に移りましょう。

143ぼーん:2003/08/19(火) 14:21
>>141
私的所有権は、単なる既得権として主張されているわけではないのです。
その既得権は、正当に守られるべき権利であるとして主張されています。
そして、「正当に守られるべき権利である」という神話が、神話として意識されずに強力に浸透していること。
これが現行の私的所有権の枠組みの強さです。
だから、これを問題化し、そこに論争点を立てる必要があるのです。神話的強さを解体するために。

その際、抵抗の強さはメリットですらあります。
強い抵抗の中で論争が続けば、それこそが人をひきつけるメディアとなります。
論理的にいって、私的所有権思想の無根拠性は明らかです。
これは私的所有権思想の擁護者の間ですら一致した見解と言えるでしょう。
強い抵抗と論争は、私的所有権思想の神話性の解体のための必要条件です。

神話性が剥奪されても、現行の私的所有権制度の下で既得権を持つ人たちに対しては有効ではないでしょう。
彼らは、倫理的に、理性的に考えるよりも、馬鹿になってでも自分たちの既得権を守ることにやっきになりますから。
しかし、私的所有権制度から利益を得ているわけではない人すら、この神話を信じ込んでいる。
そのことが、私的所有権制度の基礎を確固たるものにしているという現状があるわけです。
だから、そうした論争は実際には私的所有権制度から利益を得ていない人たちを、
私的所有権制度に対する反対者として政治的に組織するための論理を提供することになるわけです。
これが最大の利益です。

共産主義革命が一応実現したのは、それがブルジョア階級を理性的に説得したからではありません。
共産主義思想が、ブルジョア的枠組みの中で損をしている人々を政治的勢力として組織化する論理を与えたからです。
最終的な政治的帰結は、組織化されたあとの両勢力の力関係によって決まっていくでしょう。
(共産主義革命が起こらなかった国においてすら、社会保障の拡充がなされていったのは、
潜在的な革命の可能性があったからこそ、とする史観がありますね。それも同じです。)

問題の根っこは分配問題にあり、分配問題の根っこは私的所有権思想を巡る問題に突き当たります。
だから、この論争点を運動からはずすべきではないと考えます。

144武蔵:2003/08/19(火) 14:36
>>143

>しかし、私的所有権制度から利益を得ているわけではない人すら、この神話を信じ込んでいる。
そのことが、私的所有権制度の基礎を確固たるものにしているという現状があるわけです。

これは痛感するんですがね。
貧乏人の代表ともいうべき「我々」が、なぜか「家賃生活」という既得権すら守りたがる(笑)
神話が実話として世界を闊歩しています。

ただ、共産主義革命の過程で余りにも多くの過ちを犯してしまった。
人民裁判(考え方自体は非常に民主的な方法と思うんだけど)・粛清・・・・・
アレルギーは私にもあります。

>(共産主義革命が起こらなかった国においてすら、社会保障の拡充がなされていったのは、
潜在的な革命の可能性があったからこそ、とする史観がありますね。それも同じです。)

だから資本主義の中に、共産主義が目指したものを「社会保障」「基本的人権の擁護」という形で
形成していきたいと思うのです。
まずは最底辺の底上げという形で・・・・・

145ぼーん:2003/08/19(火) 15:46
>>144
念のために言っておきますと、僕は共産主義者ではありません。
共産主義の間違いは、安直に言ってしまえば、その未来像の実現方法における失敗です。
マルクスの行った資本主義批判は極めてリアルできちんとした基盤にのった批判であり、
今なお力を持っていると言えるものです。
(カーですらマルクスを、ある段階までは「リアリスト」である、と認め、その議論に賛意を示してる。)

> だから資本主義の中に、共産主義が目指したものを「社会保障」「基本的人権の擁護」という形で
> 形成していきたいと思うのです。
> まずは最底辺の底上げという形で・・・・・

そのような政策を行うことに僕は同意します。
問題は、どのような論理の上に、その政策を正当化するか、です。

たとえば、同じようにある社会保障制度の1つを実現しようとするときに、
私的所有権(既にもっている人たちの既得権)を批判せずに、いったいどこからその社会保障制度の財源を捻出するというのでしょうか?
社会保障制度の財源は、それが所得移転であれ教育投資であれ、既得権の持ち主からそれを(一部であれ)取り上げることなしには不可能です。
そしてそれは、「私的所有権であるから取り上げてはならない」と保護されているのです。
それでも取り上げることに同意するのは、「温情」であり、「してもしなくてもよいこと、あえて言えば恵まれない人を助けるという美徳」とされる場合だけです。
結果、不十分なレベルでしか社会保障は行われないでしょう。今がそうであるように。

私的所有権を批判しない限り、どのような形であれ、武蔵さんの言うような政策を推し進めていくことの正当化はできません。
正当化できないならば、私的所有権という神話のために損をしている人を結集させることはできません。旗がないのです。
結集させることができなければ、「私的所有権は正当な権利である」と主張する人々に対して政治的に対抗することはできず、
武蔵さんの言う社会保障制度も政治的に阻まれるでしょう。

146ぼーん:2003/08/19(火) 15:56
共産主義アレルギーとは、私的所有権神話の裏返しに過ぎません。
避けて通れるものではないのです。

共産主義は、現実の社会が利害の対立である(資本家と労働者の利害の対立である)ことを喝破
しましたが、その解決方法として「単一階級の実現」を掲げました。これは、問題の解決というより、
問題の回避なわけです。

結果的に、共産主義社会における既得権層が、「我々は単一階級である」という神話によって、
実際には利害対立があるはずの人たちを抑えつけていたわけです。

原始的な資本主義社会における持てる者が、自由競争理論によって「資本家と労働者の利害の調和」
を説き、資本家と労働者の間の実際の利害を覆い隠そうとしました。
(自由競争理論の大前提が、私的所有権です。)
共産主義社会における持てる者が、「すべて労働者階級である」という単一の階級という神話によって、
実際上の利害対立を覆い隠そうとしました。これらは、まったく同じ構造を持っています。

同じように言うならば。
現代の資本主義社会は、自由競争理論+自発的善行によって、持てる者と持たざる者の間の利害を
覆い隠そうとしています。ある種のボランティア賛美論をはじめ、私的所有権論を批判せずに問題を解
決しようとする志向を持った様々なアイデアが出されるのも、無理のない話です。
(資本家が自らボランティアや寄付を実践しながら賞賛したり謙遜したりしますよね。あれも興味深い現象です。)

私的所有権神話の延命を図る人たちは、共産主義アレルギーすらも利用するでしょう。
私たちはそれに対抗できる論理的な言葉を紡いでいく必要があるのです。

# そして、それは可能です。私的所有権の理論の根拠のなさは、既に証明済み、と言っていいでしょう。
  様々な政策論を、その上に置いていくことが必要でしょう。

147ぼーん:2003/08/19(火) 16:09
>>138
あまり趣味ではないけれど、リアリスト的に言うならば。

現行の私的所有権システムにおいて利益を享受している人は、そんな政策をやりたくはないんですよ。
で、そういう社会の中で、いったい誰が、その「みんなが、毎日安心して食べられるシステム構築」をするんですか?
心優しい人たちが、でしょうか?

既得権の享受者は、絶対にそんなことをしたいとは思わないんです。
それは、持てる者から奪うことによってしか実現できないのですから。

# いや、たまにはマルクスみたいにブルジョア生まれのくせにプロレタリアートの立場で思考するもの好きがでてはきますけども。
  それが一大政治勢力になるなんてことはありえないわけです。

そして、既得権を支えている神話(私的所有権神話)を共有している人たちは、そんなことをすべきではない、と思うんです。
持てる者から奪うことは私的所有権の侵害であり悪だ、と言われているわけですから。そういう神話の中に生きてますから。
一部の人たちは、そこで犯罪に走るなど、そもそもの善悪の彼岸で自分の生活を立てていこうとするかもしれません。
犯罪に走ることのできない人たちは、それが自分たちに相応の待遇であると信じて、その枠組みの中で生きていくんです。

# 一部の犯罪者の言うことに、社会通念の矛盾を突く鋭い内容が含まれていたりするのも、決して偶然ではありません。

こうした中で、リアルな政治的相互作用の帰結として武蔵さんやイカさんの言うシステムを構築したいならば、
それを政治的に実現しようとする勢力が必要なんです。じゃ、いったい誰なんですか?良心的な市民でしょうか?
それは、運動の当初においては必要な存在ですが、それだけではダメなんです。
その勢力が存在するためには、そのような勢力が存在しえるための理屈が必要なのです。
資本主義勃興期の労働者に共産主義が必要とされたように。

共産主義という思想のその内容面での失敗から学ぶことは必要でしょう。
しかし、その「政治的な成功」からも学ぶべきです。

148武蔵:2003/08/19(火) 16:15
>>145

共産主義国の中にも「既得権」神話が跋扈しています。
典型的なのは「将軍様」の世襲でしょう。
そういう意味で、全ての「私的所有権」または「既得権」を吐き出せというのは
まさに革命でしょう。

>それでも取り上げることに同意するのは、「温情」であり、「してもしなくてもよいこと、あえて言えば恵まれない人を助けるという美徳」とされる場合だけです。
結果、不十分なレベルでしか社会保障は行われないでしょう。今がそうであるように。

確かにそうです。持てる者は権力を握っています。
選挙方法を握っているし、富の分配権すら握っています。
税制はますます金持ち優遇政策になってゆきます。

>私的所有権を批判しない限り、どのような形であれ、武蔵さんの言うような政策を推し進めていくことの正当化はできません。

私の言っているのも、ゆるやかな私的所有権批判ではあるのですが・・・・
つまり、我々は「私的所有権」から疎外されているものであるということの自覚です。
だからこそ、底辺を底上げすることによって我々もレベルアップする立場であるということに自覚です。
民衆が自分たちの立っている位置を自覚すれば、
税制を改革して、その分配たる社会保障制度や、
国際的には、一体その国に何が必要なのか―ミサイルか医療品か、それらへの姿勢が変わってくると思います。

もちろん「私的所有権ってなんや?」「それは守られるべきものか?」
「守ったらオイラは得なんか損なのか?」という議論も大事だと思います。
少しずつはやっているんですが・・・

149武蔵:2003/08/19(火) 16:23
>>145->>147

ちょっと早まって146と147を読まずにレスしたようです。
了解しました。
しかし、旗をどうして・・・どのように具体的に・・・
もう少し考えてみます。
可能な限り、具体的な運動指針のような形も示してください。

150ぼーん:2003/08/19(火) 17:00
共産主義アレルギーの主要な原因は、
「私的所有権の批判」を、「私的所有権の否定」として捉えて、「一切合財の公有化」と同一視する態度だと思います。

運動を進める上で、議論を進める上で、この論点で生じうる誤解に注意深く対処することが重要になってくるでしょう。

「現行の私的所有権の批判」というのは、様々な別様の私的所有権のあり方、可能性を許容します。
たとえば、「市場で決まる分配を出発点とする」現行の私的所有権に対して、
「「市場で決まる分配マイナス一定割合の税金」を出発点とする」オルタナティブな私的所有権を提示することができます。

その「マイナス一定割合の税金」の根拠は?と尋ねられるならば、
私たちは私的所有権よりも生存権を上位におくので、生存権を保障するための最低限の拠出を要求することができます。
私的所有権は、それを達成した後に認められる権利だ、と位置づけます。
と答えることになるでしょう。これは共産主義とは似て非なる方向です。

# いつだかネコさんが、「理屈の上では共産主義とは似て非なる方向ではあっても、現実の経済の物理的実行可能性
  の中では、共産主義と同じものになる危険性があるのではないか」という問題提起があったかと思います。
  誤解でなければ。
  その可能性はあるかとは思いますが、ならない可能性は結構大きいので、それで満足していいんじゃないの?
  というのが僕の答えでした。答えになってない、って言われましたけど(笑)
  でも、そもそも私たちの持っている者が足りないのであれば、そもそも平和は不可能である。というしかありません。
  それは僕の提案する方法が悪いのではなく、どんな方法であれ、物理的実行可能性が足りないなら不可能なんです。

# 平和が可能であるためには、物理的実行可能性は不可欠で、これがなければ問い自体成り立ちません。
  逆に言えば、この問いを問いと認める限りは、物理的実行可能性はみたされている、みたされうると仮定するしかないのです。
  物理的実行可能性は、少なくとも現状に関して、本当のところどうか証明することはできませんから。

  ちょっと余談が過ぎた。。

151武蔵:2003/08/19(火) 17:10
>>150

あんまり違ったこと言ってないように感じるのですが、
読み取り間違いか知らん?

>「「市場で決まる分配マイナス一定割合の税金」を出発点とする」オルタナティブな私的所有権を提示することができます。
その「マイナス一定割合の税金」の根拠は?と尋ねられるならば、私たちは私的所有権よりも生存権を上位におくので、生存権を保障するための最低限の拠出を要求することができます。

これは現行の消費税を間違いなく福祉税にした場合の話ですね。
こういう税すら、今は持てるものの「私的所有権」を守るために使われていますね。

152武蔵:2003/08/19(火) 18:27
>>150

もう一つ、
私的所有権の世襲制度を幾ばくか軽減していくこと。
これは世襲しない方がプラスになる人数が圧倒的に多数なのですから
啓蒙活動で何とかなるような気がするんですが・・・・・

153ぼーん:2003/08/19(火) 22:03
「 ここに、およそ政治の世界の複雑性、その魅力、その悲劇がみられる。政治は、けっして接することのあり得ない二つの異なる面
にそれぞれ属する二つの要素 −−− ユートピアとリアリティ −−− から成っている。明晰な政治思考を最も妨げるものとして、
理想と制度 −−− 前者はユートピアであり、後者はリアリティである −−− とを区別しないことがあげられる。」

「コミュニズムをデモクラシーに対置するコミュニストは、コミュニズムを平等性および同胞性という純粋な理想と考え、他方のデモク
ラシーをイギリス、フランス、アメリカなどに現存する制度 −−− およそ政治的制度に固有な特権階級・不平等性・圧迫などがみ
られるところの制度 −−− として考えるのを常としていた。民主主義者も同じ対比をしたのであって、天上界に建てられたデモク
ラシーの理念型と、階級の区別もあれば異端者狩りも強制収容所もあるソヴィエト・ロシアにおける現存の制度としての共産主義と
を比較していたのが実際であった。いずれの場合にも、理想と制度の間で行われた比較であって、見当ちがいであり意味をなさない
ことである。」

「理想は、それがひとたび制度に具体化されると、理想的なものではなくなって、自己本位の私利の表示となり、やがて新しい理想の
名において打倒されることにならざるをえないのである。この相容れない力と力との不断の相互連関が、政治を織り出してゆくのであ
る。あらゆる政治的事態は、ユートピアとリアリティ、道義と権力という両立しない要素をふくんでいるのである。」

(P.182〜P.183)

154ぼーん:2003/08/19(火) 22:05
>>153は誤爆でした。失礼。。。

155<故意に未入力>:2003/08/19(火) 23:00
反戦・平和アクション議論板は自壊しました Part22
http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1061093230/

「私的所有権の批判」について、ここをヲチしてる↑では非難轟々の模様です。
引き篭もっていたいんだ!と、仰るなら特にお勧めはしませんが。(笑)
骨クソとムサイクソで、細々と身内の話をするよりは、反対論者のいる場所に
出張するのも、一つの手段ではありますがねえ・・・・

おっと、骨クソは自分の見える・影響内「だけで」活動をしてれば、それで満足!
の自慰的(失礼)平和主張者でありました。

156武蔵:2003/08/20(水) 00:24
>>155

この部屋を読み取るだけでも結構忙しいのでね。
特に「『危機の二十年』を読む」スレを熟読している。
非難するのなら、ここへ出て来て非難すればいい。
傷を舐め合っている所なんぞ見たくもない。

157イカフライ:2003/08/20(水) 01:12
>>150

えっと、どこまで理解できているか解っていないんですが。

 私が言ったシステムの基本的な考え方は
・生存権は保障されるべきである。
・現在の分配の偏在を緩和すべきである。
ということになるんだよね。

>「現行の私的所有権の批判」というのは、様々な別様の私的所有権のあり方、可能性を許容します。
たとえば、「市場で決まる分配を出発点とする」現行の私的所有権に対して、
「「市場で決まる分配マイナス一定割合の税金」を出発点とする」オルタナティブな私的所有権を提示することができます。

>その「マイナス一定割合の税金」の根拠は?と尋ねられるならば、
私たちは私的所有権よりも生存権を上位におくので、生存権を保障するための最低限の拠出を要求することができます。
私的所有権は、それを達成した後に認められる権利だ、と位置づけます。
と答えることになるでしょう。これは共産主義とは似て非なる方向です。

 この「私的所有権の批判」というのが、よくわかっていないんだけれど。
 このマイナス一定割合の税金というのは今でも取られているよね、で、前に出たホ−ムレスの話でも、それをいったつもりではあったんだけれど。
 まあ、現実問題としてね、今の日本では、税金はマトモな使われ方はしてない。
 熊しか通らない道路、作ったりとか。
 ODAの問題も、同じ質だよね。日本企業が入札して、向こうの人は使いもしないでっかい建物つくって終わり、みたいな。
 ただ、これは使われ方の問題で、基本的な考え方としては、基本的生存権を保障した後、私的所有権を認める、というのは、日本国内ではそこそこ満たせている、と思うんだけれど。

158イカフライ:2003/08/20(水) 01:19
で、よく解らないなりに考えて、まあ、具体的に思い当たる像は、北欧の福祉国家くらいしか、思いつかないんだけれど。

 福祉国家と呼ばれる国は、大体、どこの国も、消費税は30パ−セント以上だし、所得税やらなんやらで収入の半分くらいもっていかれる。
 でも、国民は、それ払ってるんだ。
 というのは、結局それが自分に帰ってくるからなんではないか?
 年取っても、安心な老後が送れる、とか、親が寝たきりで痴呆になっても国が面倒見てくれる、とかね。

159イカフライ:2003/08/20(水) 01:31
>>156
>>157

で、話の途中だけれど、武蔵さんもあまりとんがらないで。
あえて未入力さん、非難轟々ならば、どういう点で何を言いたいのか、こちらで皆さん、お話なさってはいかがでしょうとお誘いしたら?
 
 私自身も、この私的所有権については、なんといってよいのか、よく解りません。
 というか、あまり頭が良くないんで、抽象的な専門用語が出てくると、「で?」ってなっちゃうのよ。
 ま、これが壱学生ちゃんに嫌われる原因かもしれないけれどさ、それを現実に置き換えてどうなのよ?って思うわけ。

 たださ、飢えて死んでいく人がいたり、満足な医療も受けられないで、それこそ正露丸一瓶あれば、治る病気で苦しんでる人がいたり、それってさあ、ひどいなあ、とか思うわけ。
 ワシは、日本人の中では、かなり低所得層なんだけれど、それでも、3食食べて、毎日発泡酒と缶チュ-杯くらいは飲めるわけだ。

 この分配システムだよね。
 国内では、上手くいってるとはいわないまでも、まあ、そこそこではないかな、と思うわけだ。
 それは、余剰がある。問題はあるにしても、福祉が行われている。というか、福祉だって、余剰が無いと出来ないよね。

 そうなると、ODAがまともに使われる、武蔵さんがいうように、その国の人の手で、その国に合った産業を興せる、とか、
あと、フェアトレ−ド、って今は草の根レベルだけれど、多国間、特に、持つ国と持たざる国の間の、貿易不均衡を無くす、とか、そういったことしか思いつかないんだよね。

160武蔵:2003/08/20(水) 10:17
>>143

>私的所有権は、単なる既得権として主張されているわけではないのです。
その既得権は、正当に守られるべき権利であるとして主張されています。
そして、「正当に守られるべき権利である」という神話が、神話として意識されずに強力に浸透していること。
これが現行の私的所有権の枠組みの強さです。
だから、これを問題化し、そこに論争点を立てる必要があるのです。神話的強さを解体するために。


私的所有権とその既得権は、人間社会の仕組みが生み出したことですね。
その維持再生産を常に行なっているのも、社会の仕組みです。
組換え可能な仕組みです。
革命のように、仕組みの全てをいったんご破算にするやり方もあれば、
改革のように部分的に少しずつ仕組みを変えて行くやり方もあるでしょう。
いずれにせよ社会の構成員が、この既得権は社会全体にとって有益かどうかの判断力がなければなりません。

>>150

>「現行の私的所有権の批判」というのは、様々な別様の私的所有権のあり方、可能性を許容します。

これはもちろん消費税だけをさすものではありませんね。
売買(大きく言えば貿易)には、既に社会(世界)の政治的仕組み・ルールが発動されています。
ダイアモンドが我々の指にはめられる経過もそんなルールの一つによっていますね。
石油産油国で石油が使えなくなったのも、人為的な出来事です。

まるで自然の法則のように当たり前の事としてしまっている搾取収奪による私的所有権の既得権の問題性を
まず我々自身が知っていくこと、それを知らしていくことがとっても大事だと思います。

さてと。。。。何から手をつけましょうかね?
私的所有がどのような手順で正当化されているかということを明らかにすることですかね?
金が金を生み出す、権力が権力を生み出す仕組み・・・・地主と小作の近代版
リストラが正当化されてきた現在、これが見えやすいでしょうかね?
それとも、既得権の世襲にメスを入れますかね?
最も分かりやすい事例をぼーんさん具体的に提示してみてくれませんか。

161武蔵:2003/08/20(水) 10:32
サラリーマン(またはその程度の所得者)が生涯働いて手に入れることができたマイホーム。
これを世襲にするか否か。
既得権を守る方向が得かどうか・・・・
自分が手に入れられるくらいのマイホームなら、自分の子供にも同じ程度の能力と努力とで手に入るでしょう。

ところで、既得権が守られないなら、それによって大量のマイホームが市場に出回ります。
そうなると当然価格は暴落します。
5分の1、10分の1になったマイホームを、自分の子供たちは易々と手に入れることが出来ます。
兄弟姉妹の全てがです。

バブルの時の大変さと今の容易さを考えてもそれは歴然と分かる筈です。
私と同様に貧乏な私の身内たちの全てが今年までにマイホームを獲得しました。
世襲制をなくしたら、価格はもっともっと下がり、ほとんど全ての安サラリーマン(またはその程度の所得者)
が、家賃生活から解放されます。
マイホームは資産価値ではなく居住価値が中心になります。

162ぼーん:2003/08/20(水) 11:44
>>155
私的所有権の根拠が究極的にはない、ってのは論理的には当たり前の事実だし、
(根拠付けは無限にさかのぼるしかないんだから)
私的所有権の擁護者ですらそれは分かってることなんだよ。

日本の代表的な私的所有権擁護者である森村進などは、
「これは直感的に否定できないし、多くの人が受け容れているから、議論の前提としていい」
というような立場を表明している。論理的な根拠がないことは認めてるんだよ。
(文言は違うが。正確になんと言っているか知りたければ『リバタリアニズム入門』でも読めばいい。)

権利概念ってのは、基本的には道具的なものだ。
どんな権利も、その究極根拠、原因となるものはない。
それは単なる人の世の約束事に過ぎない。(約束事ではあり、それが重要である。)

権利を問題にしたいなら、それを権利と認定したときにどんな社会が帰結するか、ってところで問題にするしかない。
どんな社会を帰結させたいかによって「何が権利か」を考えていくしか議論の方法がないんだよ。
でなければ、あるいは「権利は問題にしない」、
つまり、森村みたいに「今権利とされているものが権利だ」と、もっとも安直な保守主義に走るか。そのどちらかしかない。
(これはこれで「なぜ今権利とされているものが権利なんだ?」という問いには答えない。相変わらず根拠がない。)

これだけ見通しのいい議論が理解できないなら、2chの連中はよほどの馬鹿なんだろうな。
この問題について考えたいなら、主要な論争は
森村進『所有権の理論』、『リバタリアニズム入門』
立岩真也『私的所有論』、「自由の平等1〜6」(岩波『思想』に収録)
の両方をあわせながら読めば、欧米の論者の議論も含めて大枠は分かる。
それ以上のことが知りたかったら、それらの参照してる文献に進めばよい。
2chを読む時間があったら、その方が有益だ。経験的にそう推測するのは仕方がない。

2chの連中が文句があるなら、自分で勉強するか、ここにきて議論すればいいよ。

163ぼーん:2003/08/20(水) 11:59
>>157
> このマイナス一定割合の税金というのは今でも取られているよね、

でも、それは、「俺のものをとられている」という意識ですよね。
とられてますけど、それを元々は俺のものだ、と思ってるわけです。
意識の上では、私的所有権の枠組みの中で、どういうわけかとられているもの、でしかありません。

これが神話です。

> 基本的な考え方としては、基本的生存権を保障した後、私的所有権を認める、というのは、
> 日本国内ではそこそこ満たせている、と思うんだけれど。

1つは意識の上の問題として。
払った税金は、元々はあなたのお金ですか?と聞かれて、
「いいえ違います、たまたま私の手元にあっただけで、私のものではありません」って答える人って、皆無だと思いますよ。
私的所有権の神話(=市場を通じて手元に届いた分配が私の正当な取り分である)の中に生きてます。

あと、イカさんは、「そこそこ満たせていると思うんだけど」とか言いますけど、
それが「全然」なのか、「そこそこ」なのかは、あまり関係がないんじゃないですか?
「そこそこ」だったら、「全然」のときとくらべて、どう議論が変わるんですか?

164ぼーん:2003/08/20(水) 12:10
>>160
> 改革のように部分的に少しずつ仕組みを変えて行くやり方もあるでしょう。
> いずれにせよ社会の構成員が、この既得権は社会全体にとって有益かどうかの判断力がなければなりません。

そうですね。今は、神話の中に生きている、という自覚すらない状態ですからね。

>>161
その話は、さすがに乱暴か、と(苦笑
細かい話をしだすとキリがないけど。

単純には、税収を一定にすると仮定して、相続税を引き上げると、所得税等々は下がります。
その場合、家屋の価格は暴落はしません。
相続財産はあるが所得を稼ぐ能力のない人から、
相続財産はないが所得を稼ぐ能力のある人へ所得移転するのと同じです。
損をする人もいれば、得をする人もいます。

# みんながハッピーになる、というお話を紡ぐのは魅力的な仕事ですが、
  それこそがカーの批判するユートピアニズムに陥るのではよくありません。

165ぼーん:2003/08/20(水) 12:13
>>161
多くの庶民の場合、家屋は資産価値よりも使用価値の方が高いと考えると、
あまり高率の税金をかけると、使用価値が高いのに、手放さざるを得なくなってしまいます。
これは結構非効率だし、感情的にも受け容れがたいでしょう。
今の相続税では数千万の控除があると思いますが、その程度の控除はあった方が望ましい気はしますね。

おそらく、武蔵氏は反対しないと思うが。

問題は、相続税の最高税率ですね。これは結構引き上げてもそんなにむちゃくちゃにはならんと思いますが。

166武蔵:2003/08/20(水) 12:20
>>164

>単純には、税収を一定にすると仮定して

一定にすると仮定する必要が分かりません。
所得に不均衡がある限り、私的所有の前に所得税による天引きも当然必要だと思うのですが・・・
所得を稼ぐ能力のない人(例えば障害者など)の生活権は当然保証されるベキですから
親からの財産譲与がなくっても、最適な(バリアーフリーなど)住居が保証されるでしょう。

167武蔵:2003/08/20(水) 12:32
>多くの庶民の場合、家屋は資産価値よりも使用価値の方が高いと考えると、
あまり高率の税金をかけると、使用価値が高いのに、手放さざるを得なくなってしまいます。
これは結構非効率だし、感情的にも受け容れがたいでしょう。

資産価値より居住価値の方が高い家屋は取り上げる必要はありません。
子供が買い取ればいいのですから。(子供の所得も加味して、優遇措置は取られていいと思います)
兄弟がいれば当然今でもそういう措置が取られています。

もちろん私がいうのは、極論であって
今程度の控除を否定する気持ちまではありませんが・・・・・

>問題は、相続税の最高税率ですね。これは結構引き上げてもそんなにむちゃくちゃにはならんと思いますが。

最高税率の引き上げとは?
円のレートと同じで結構反対に取られやすいのですが・・・
何兆円の遺産でも、70パーセント以上は取らない、というのを90パーセントまでは取るというような意味ですよね?
(数字はあてずっぽうです)

168ぼーん:2003/08/20(水) 12:58
>>160後半
それは私的所有権だけの問題ではないです。
私的所有権の問題なのか、資本制的経済関係の問題なのか、ごっちゃになってます。
ちょっと整理します。

自由市場経済至上主義の基本的な考え方はこうです。
私的所有権を設定する。そこで自由な経済取引が行われる。
自由な市場競争の結果、社会全体としては豊かさを最大化することができる。

いっぱい曖昧な言葉がありますが、その点はご容赦。元々曖昧なものですから。
この基本的な考え方を仮に受け容れるとしたとき、そこにいくつかの論点があります。

(1)そもそもの私的所有権の設定の仕方によって、最終的に最大化された富の分配状況は変わります。
その最初の私的所有権の設定を正当化する根拠はない。分けなおしてもいい。

(2)私的所有権を設定しても、その後の市場競争が社会全体としての豊かさを最大化するとは限らない。
現実には市場競争のルールにのっとって行われるわけではなく、様々なルール破るが起こるので、
市場は期待された性能を発揮しない。

ダイヤモンドについては、両方の問題があります。
そのダイヤの原石は誰のものか。そのダイヤの原石が発掘されて流通することの利益をどう分けるか。
次に、そのように「実際に」分けるためには、市場を補完するどのような制度が必要か。
そうした問題がたてられるかとおもいます。

169ぼーん:2003/08/20(水) 13:02
>>166
> 一定にすると仮定する必要が分かりません。

税収を「増加させる」、あるいは「減らす」とするならば、
それは相続税か、所得税か、という手段の議論とは関係なく、
どれだけの税収が必要か、という問いを別にたてねばならないからです。

170ぼーん:2003/08/20(水) 13:10
>>166
理念型としては、私的所有権の根拠はなく、そのような家の相続についても
所有権として認めないとする所有権の設定の仕方は可能ですが、その場合、
その帰結について考察すべきです。

で、手放した家は、他人にとってはただの「古家」ですが、
手放す前の元々の持ち主にとっては「住み慣れた家」であることも多いのです。
元の持ち主にとっての価値は高いのであれば、それを無理やり引き剥がすよりも、
元の持ち主の手元においておいた方がいいでしょう。

で、これを考えるときに、>>167に書いてあるように、

> 子供が買い取ればいいのですから。

なんですけど、借り入れ制約ってのがありますから。無理な人もいます。

政府が貸し付ける、という方法はありますので、併用すれば最終的には「相続税100%、
控除なし」も不可能じゃないし考える価値はあると思いますが、今はとりあえずおいときま
せんか?どっから「手をつけるか」、って話をしてたわけですから。

171武蔵:2003/08/20(水) 13:12
>>169

もちろん総合的に考えねばなりません。

ぼーんさんは誤解ないと思いますが、一応言っておきます。
現行の制度のままなら、私は相続税の控除額を下げる方に反対しますよ。
一言で言えば金が金を生む富みの集中化を是正することにあるのですから。

ちょっと出かけますので・・・・後でゆっくり読みます。

172武蔵:2003/08/20(水) 13:16
>>170

私の主張はマイホームの資産性ではなく居住性を言っているので
分かってもらえると思っていたのですが・・・

ひとつひとつについての細かい是正は必要でしょう。
方向性と具体性・・・・
またゆっくり読んで考えます。でわ。

173武蔵:2003/08/20(水) 13:39
>>170

>で、手放した家は、他人にとってはただの「古家」ですが、
手放す前の元々の持ち主にとっては「住み慣れた家」であることも多いのです。
元の持ち主にとっての価値は高いのであれば、それを無理やり引き剥がすよりも、
元の持ち主の手元においておいた方がいいでしょう。

私は親の家だから無条件に自分のものだと言う考え方を否定しているのであって
個人の心情的な価値感覚を否定しているわけではありません。(共産主義者ではありません)
現行のままでも、その古家に対する思い入れを、兄弟姉妹の誰が尊重されるかという問題があります。
そういう個々の感情を無視して、長男だから住み続ける権利があると考えるのもおかしな話です。
細かい点についての細かい配慮は当然するべきだと思います。

大きい方針としては、財産権の世襲制を廃するカタチがいいと思っています。
住み慣れた古家を取り上げる事を目的にはしていません。

174ぼーん:2003/08/20(水) 13:50
>>172
> 私は親の家だから無条件に自分のものだと言う考え方を否定しているのであって

それは僕も否定しています。
が、その考え方を否定するとしても、相続税を100%にする根拠にはならないのです。

その家を親の家だとするならば、その親があげたい人にあげるのは自由です。
という考え方は否定できません。

「何が、その親のものなのか」が問題になっているわけです。
(あるいは、どこまでがその親のものなのか)

175イカフライ:2003/08/20(水) 17:49
>>163

すいません、私、よく解らなくなってきています。

> 私的所有権の神話(=市場を通じて手元に届いた分配が私の正当な取り分である)の中に生きてます。

 この取り分が、正当であるのか、どうか? という話ならば解るのです。
 資本の偏在によって、また、理不尽な中間搾取などによって、富が偏在し、一方で、飢えて死ぬ人がいて、一方で、ごちそうが捨てられている。
 そのシステムを是正することによって、世界中の人が、基本的生存権を保障されるようなシステムを作りましょう、と。

 それにはなにはいいアイデアがあるか、って話なんですが。
 いえ、たぶん、その話をしているのだと思うのですけれど、この「私的所有権の神話」といわれると、とたんに解らなくなります。
 ようするに、自分の手でかせいだお金は自分のもの、というのが神話、ってことですよね?

 それって、どういうことなのでしょうか?
 それぞれの稼ぎはみんなで分けるという共産主義ではないのですよね?(ぼ-んさんも武蔵さんもそれは否定されています)

 そうなると、どういうことになるのでしょう?
 ちっと具体像が思いつきません。

176だよもん星人:2003/08/20(水) 19:21
とりあえず、ぼーんさん。
あなたが自分に何を課そうとあなたの勝手です。

けど、他人を無理やり巻き込まないでね

177うろちい:2003/08/20(水) 19:59
>だよもん星人さん

現実はたった一つしかありません。
何かをするつもりが無い人のために、他の人が巻き込まれていることも忘れないでください。
結局「何をすべきか(しなくてもいいか)」を考えるしかありません。

178だよもん星人:2003/08/20(水) 22:12
無茶苦茶やって事が良くなるとは限らんのですが。
私有財産を否定していったいなんの足しになると?
むしろ事態は悪化するような気がするんですが。

> さらに、現代のような複雑な経済社会においては、「何が私の身体を用いて生み出したものか」は割りと
> はっきり分かるとしても、「そのうちどれくらいが私のものか」ということを決めることは非常に困難なのです。
> たとえば、1つの会社がある製品を生み出して商売しているときに、その営業担当、広報担当、開発担当、
> 生産ラインの労働者、一人一人は、いったいどれだけの取り分を権利として主張できるのか?
どれだけの取り分が主張できるのかは、雇用契約で明示されてますが。
いや、これは正確ではないですね。
労働者に対する労働の対価は会社(雇用主)から支払われるのであって
製品から支払われてるわけではないですから。

> これを考えると、私たちの所得の決まり方というのも、規範的な意味においては、「どんぶり勘定」でしかありません。
明確な契約があり、それに双方が合意してるわけですが。
これのどこがどんぶり勘定だと?

179ぼーん:2003/08/20(水) 23:19
>>178
> 無茶苦茶やって事が良くなるとは限らんのですが。
> 私有財産を否定していったいなんの足しになると?
> むしろ事態は悪化するような気がするんですが。

「私有財産制を否定」したりしてません。
現行の私有財産制度を否定して、別の権利との関係の中で制限を加えることを考えています。
「現行の私有財産制度の否定」であり、「私有財産制度の批判」です。

> どれだけの取り分が主張できるのかは、雇用契約で明示されてますが。
> いや、これは正確ではないですね。
> 労働者に対する労働の対価は会社(雇用主)から支払われるのであって
> 製品から支払われてるわけではないですから。

その会社が獲得する利益は市場が決めるものです。
規範的な理由とか、そういうものとはまったく関係なしに、事実として決まるものです。
それが全部会社のものである「べき」、という根拠はありません。

# 実はもっとたくさんもらうべきかもしれません。

労働者に対する労働の対価は、その会社の利益を資本家と労働者で分配しているだけです。
その両者の力関係で、市場における希少性によって、その分配率は決まるでしょう。
これも規範的な理由とかとはあまり関係なしに決まることが多いです。
事実として市場が決めているだけで、そこに規範的な根拠なんてないんです。

ここらへん、だよもん星人さんの言っていることは、まさに典型的なユートピアニズムです。
「市場が決めることと、公正さによってそう決まるべきこととは、一致する」って言ってんだから。

そんな根拠なんかないんです。

> > これを考えると、私たちの所得の決まり方というのも、規範的な意味においては、「どんぶり勘定」でしかありません。
> 明確な契約があり、それに双方が合意してるわけですが。
> これのどこがどんぶり勘定だと?

両者の力関係の均衡点が、その分配率になっているだけです。
そこに、「分配はこうあるべき」などという規範の入る余地などないんです(リアリズムの主張)。
だから、そうやって決まるものは、「規範的な意味においては「どんぶり勘定」」でしかありません。

180ぼーん:2003/08/20(水) 23:25
>>179補足

実際には、賃金の決まり方についても、まったく規範的要素が入らないわけじゃないけどね。
最低賃金を定めた法律もあるし、両者が合意したとしても、これより低い時給での契約は違法。
労働者は、仮に最低賃金以下の賃金で合意したとしても、最低賃金を要求することができる。

また、恣意的で規準が不明確ながら、まったく収入のない人、あってもごくごくわずかな人には
生活保護が支給される。これも規範的要素に基づいた(広義の)賃金の決まり方、と言える。

181ぼーん:2003/08/20(水) 23:47
>>175
たとえば原始的な話では、
「誰かが、無主の木から果実をもぎとった。そのとき、その果実は彼のものとなった」
というようなお話で、私的所有権の説明をしています。
「もぎとる」というのが労働ですね。

では、なぜ、「労働を加えた」ならば、それがその人のものになるんでしょうか?
そのことに根拠はないんです。
いうなれば、「そういうことにしとこうや」と言っているだけの話です。

賃金が私のものだ、というお話は、この「私が手を加えた物は私の物だ」
という原理に基づいて正当化されているものです。
じゃ、この原理自体はどのようにして正当化されるのでしょうか?という話です。

イカさんは、その根拠をなんだと思いますか?

182イカフライ:2003/08/20(水) 23:54
>>181
>イカさんは、その根拠をなんだと思いますか?

う-ん、この場合、もぎとった、という労働をしたわけですから、ただその果実をながめていた人より食べる権利が発生する、ということですかしらねえ?

183イカフライ:2003/08/21(木) 00:02
>>182

って、全然答えになってませんね。
 ええっと、この場合、果実をみんなで食べよう、としても、「もぎとる」という労働は、じゃあ、誰がやるんだ、ってことになって。
 で、やってもやらなくても、食べられるのなら、じゃあ、労働しない方が楽だから、と誰もやらないと。
 ほんではイツまでも食べられないから、じゃあ、「もぎとり」(労働)してくれた人に、多く上げるよ……って、これは今の社会か?

 ゴメン、解りません。回答キボンヌ。

184だよもん星人:2003/08/21(木) 14:14
お〜お、αと同じ運命をたどりつつあるな。

> 現行の私有財産制度を否定して、別の権利との関係の中で制限を加えることを考えています。
いきなり訳の分らん奴がやってきて「根拠なし」を連呼しながら人様のものを
分捕っていく・・・新手の強盗?
つーのは第一印象を元にした戯言ですが、
上のレス見るとなんと言ってよいやら・・・。
土地は安くなるでしょうな。・・・庶民の収入は途方も無く安くなりますが。
都内で暮らすのも夢じゃなくなりますね。・・・ダンボールハウスですが。

私有財産制度は経済にとって“足場”なんですよ。
あのような認識しかできない人間がそれを弄り回すなんて笑止千番。

> (1)そもそもの私的所有権の設定の仕方によって、最終的に最大化された富の分配状況は変わります。
> その最初の私的所有権の設定を正当化する根拠はない。分けなおしてもいい。
しかし実在はしますね。<所有権
実在してるものに根拠なんていります?
自分の物は自分の物として自分の自由にでき、他人の物は他人の物として他人が自由にする、
これに何か問題でも?

> その会社が獲得する利益は市場が決めるものです。
> 規範的な理由とか、そういうものとはまったく関係なしに、事実として決まるものです。
↑と↓の文に繋がりが見えませんが。特にこことか↓
> それが全部会社のものである「べき」、という根拠はありません。
目の前のラインを流れてる製品は会社のものですが。
他に何か根拠でも必要?

> 「市場が決めることと、公正さによってそう決まるべきこととは、一致する」って言ってんだから。
誰も公正さ云々なんぞ言ってませんが。
お互いが自分の利益を最大限にしようとする、両者の綱引きが存在するだけですが。

さっきから規範規範言うてますが、市場性以外の何で利益や分配率を決めると?
具体的に説明してくださいね。

> だから、そうやって決まるものは、「規範的な意味においては「どんぶり勘定」」でしかありません。
規範は金勘定の道具ではないですから、どんぶり勘定以前の問題ですな。
つまり、お門違い。

αもそうですけど、全然具体性というのが見えません。
実の所αには中身なんて無いんじゃないですか?

185ぼーん:2003/08/21(木) 18:39
>>184
> > 現行の私有財産制度を否定して、別の権利との関係の中で制限を加えることを考えています。

> 土地は安くなるでしょうな。・・・庶民の収入は途方も無く安くなりますが。
> 都内で暮らすのも夢じゃなくなりますね。・・・ダンボールハウスですが。

なんでそうなるのでしょうか?

> > (1)そもそもの私的所有権の設定の仕方によって、最終的に最大化された富の分配状況は変わります。
> > その最初の私的所有権の設定を正当化する根拠はない。分けなおしてもいい。
> しかし実在はしますね。<所有権
> 実在してるものに根拠なんていります?

水をさすようですが、事実として、税金は取られており、自由にはできてませんね。
僕が言っているのは、その税金は「私のものが勝手に取られている」ことを意味せず、
とられるべきものがとられている、と説明することが可能であるということです。

# ついでに言えば、可能であるだけでなく、その方が合理的でもあると言い得る、
  とまで言うことを将来に予定しています。

ですが、あなたの言葉を借りるなら、事実として行われている再分配は、「実在しているので根拠はいりま
せん」で納得するんですね。誰かがどこかで決めた「実在している税制」なら、どんな無茶な税制でも文句
言わずに払うことですね。

# 実在をその正当性の根拠にすえる馬鹿者は、およそどんな社会であれ文句を言わずに受け容れます、
  といっているに等しい。実在するアウシュビッツをユダヤ人は根拠なしに受け容れるべき、とまで
  言うのと同値であることに、気づいてないのかな。

> > 自分の物は自分の物として自分の自由にでき、他人の物は他人の物として他人が自由にする、
> > これに何か問題でも?

問題が読めていないことの証拠みたいなコメントですね。
自分の物を自分の物として自由にできたり、他人の物は他人の物として他人が自由にする。
これを否定していませんよ。

何が自分の物で、何が他人の物なのかを決めるルールが問題になっているんです。

たとえば、「ある人が生み出したものを100%その人の物にする」というルールがあるとする。
別に、「ある人が生み出した物の50%をその人の物にし、残りは頭割りにする」というルールがあるとする。
どちらの場合でも、自分の物を自分の物として自由にできたり、他人の物は他人の物として他人が自由にすることができます。

186ぼーん:2003/08/21(木) 18:40
> > その会社が獲得する利益は市場が決めるものです。
> > 規範的な理由とか、そういうものとはまったく関係なしに、事実として決まるものです。
> ↑と↓の文に繋がりが見えませんが。特にこことか↓
> > それが全部会社のものである「べき」、という根拠はありません。
> 目の前のラインを流れてる製品は会社のものですが。
> 他に何か根拠でも必要?

根拠はいりません。それはただの約束事です。
だから、別の根拠のない約束事をすれば、別のようにもできます。
どの約束事がいいのかは、それぞれの約束事がもたらす結果を考えて決めればいいでしょう。

>> 「市場が決めることと、公正さによってそう決まるべきこととは、一致する」って言ってんだから。
> 誰も公正さ云々なんぞ言ってませんが。
> お互いが自分の利益を最大限にしようとする、両者の綱引きが存在するだけですが。

そうなら、あなたのコメントは、僕への批判にはまったくなっていない。
「両者の綱引きが存在するだけであり、結果そうなるだけであり、「そうなるべき」という根拠はない」
というのが僕の述べていることなのですから。

> さっきから規範規範言うてますが、市場性以外の何で利益や分配率を決めると?
> 具体的に説明してくださいね。

どう決めたっていいですよ。
「頭割り」だって立派な決め方です。市場性半分、残りは頭割り、でもいいわけです。
どれがいいかは、とりあえずオープンな問いにしておきます。
具体的な選択肢は、およそ無限に存在します。

>> だから、そうやって決まるものは、「規範的な意味においては「どんぶり勘定」」でしかありません。
> 規範は金勘定の道具ではないですから、どんぶり勘定以前の問題ですな。
> つまり、お門違い。

僕の言うことがお門違いであるためには、「実在をその正当性の根拠にすえる」という、
現代ではおよそまともな論者は誰も相手にしない規範論に立つことが必要ですね。

というより、あなた、規範という言葉の意味が分かってない。

> αもそうですけど、全然具体性というのが見えません。
> 実の所αには中身なんて無いんじゃないですか?

中味がないのはあなたのコメントの方です。
要約すれば、「分配を規範で語るな」といっているだけですから(笑)

187ぼーん:2003/08/21(木) 18:50
>>182 >>183
おっしゃるとおり、>>182は全然答えになっていません。
ですが、元々所有権の根拠を「労働をした」という事実に求めたロックからして、
それと同じようなことしか言ってないです。つまり、根拠はない。

> ええっと、この場合、果実をみんなで食べよう、としても、「もぎとる」という労働は、じゃあ、誰がやるんだ、ってことになって。
> で、やってもやらなくても、食べられるのなら、じゃあ、労働しない方が楽だから、と誰もやらないと。
> ほんではイツまでも食べられないから、じゃあ、「もぎとり」(労働)してくれた人に、多く上げるよ……って、これは今の社会か?

「労働のインセンティブ」になるのは事実ですね。根拠はないから、結果のよさによって正当化する。

「作り出したものは100%その人のもの」
「作り出したものは50%はその人のもので、残りは頭割りにする」

どちらのルールでも、「働けば働いただけ自分の取り分は増える」わけですから、働くインセンティブにはなりますよね。
もちろん、後者の場合、インセンティブは相対的に弱いです。しかし、私たちが生きるのに必要だから働くのであって、
働くために生きているわけではないですから、相対的に弱いインセンティブの元でも生きて暮らせるだけの財が生産で
きるのであれば、これでもかまわないわけです。

労働のインセンティブの問題を考えると、私的所有権の枠組みの完全否定(つまり共産主義)は非現実的です。
しかし、労働のインセンティブ問題だけなら、私的所有権を100%認める必要もない。ある程度でいい。
となるわけです。

188だよもん星人:2003/08/21(木) 20:49
> > 土地は安くなるでしょうな。・・・庶民の収入は途方も無く安くなりますが。
> > 都内で暮らすのも夢じゃなくなりますね。・・・ダンボールハウスですが。
>
> なんでそうなるのでしょうか?
上のほうで日本経済を消滅させかねないことを言っておられますが。

> 水をさすようですが、事実として、税金は取られており、自由にはできてませんね。
> 僕が言っているのは、その税金は「私のものが勝手に取られている」ことを意味せず、
> とられるべきものがとられている、と説明することが可能であるということです。
もし私有財産云々の論議の正体がいわゆる税金とよばれる物だったら驚きますよ(w


けど、これだと色々説明が付いちゃうんだよなぁ・・・。

> ですが、あなたの言葉を借りるなら、事実として行われている再分配は、「実在しているので根拠はいりま
> せん」で納得するんですね。
言葉足らずだったようですね。
訊きたいのは正当性を否定した根拠ですよ。
相手に確たる根拠がない、ってだけでやられちゃたまりません。

> >> だから、そうやって決まるものは、「規範的な意味においては「どんぶり勘定」」でしかありません。
> > 規範は金勘定の道具ではないですから、どんぶり勘定以前の問題ですな。
> > つまり、お門違い。
>
> 僕の言うことがお門違いであるためには、「実在をその正当性の根拠にすえる」という、
> 現代ではおよそまともな論者は誰も相手にしない規範論に立つことが必要ですね。
規範は会計法方ではないです。なのにそれを根拠にどんぶり勘定と言っている事がおかしい。
ちなみに「規範云々」は既に終わっていて、「どんぶり勘定〜」のコメントには
掛かっていませんので、あしからず。

> というより、あなた、規範という言葉の意味が分かってない。
最大の問題はそこなんですよ。
αもそうですがあなたがどう言う意味合いで「規範」と言う言葉を使っているのか、
さっぱり分りません。
(ちなみに私の言ってる(ここで使った)「規範」は社会通念や道徳と言う意味です。)
この言葉の定義がはっきりしない以上、私は私の解釈で話を進めるほかありません。
或はどこかでそれを解説してて私もそれを読んでるかもしれませんが、
ぼーんさんの文章は遠まわしの上に紛らわしいので理解できません。

とりあえず「規範」と「α」について、遠まわしでもなく、紛らわしくもない文章で
解説してください。


けどこれを訊かれるのって何回目なんだろ。

189うろちい:2003/08/22(金) 09:12
>155 名前: <故意に未入力> 投稿日: 2003/08/19(火) 23:00
>反戦・平和アクション議論板は自壊しました Part22
>http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1061093230/

>「私的所有権の批判」について、ここをヲチしてる↑では非難轟々の模様です。
>引き篭もっていたいんだ!と、仰るなら特にお勧めはしませんが。(笑)
>骨クソとムサイクソで、細々と身内の話をするよりは、反対論者のいる場所に
>出張するのも、一つの手段ではありますがねえ・・・・

>おっと、骨クソは自分の見える・影響内「だけで」活動をしてれば、それで満足!
>の自慰的(失礼)平和主張者でありました。

わけわかんねー。
なんでわざわざ遠くで集団オナニー(ウォッチってそういうことじゃん)してる人たちのとこに踏み込むことを勧めるかなあ。
ウォッチがいかんとは言わないし、そこに踏み込むのも悪くないけど、そこに踏み込まないとウォッチされている方がオナニー呼ばわりするってのはどうなんだろうね。

190うろちい:2003/08/22(金) 09:17
誤)オナニー呼ばわりする
正)オナニー呼ばわりされる

191イカフライ:2003/08/22(金) 09:25
>>189

つ-か、物好きな私は、向こうに行きましたが、非難轟々というわりには、あまりお話に出ていなかったようで。
 「祭にはなりませんでした」とヤスツさんもおっしゃられてましたし。

192イカフライ:2003/08/22(金) 09:36
 つ-ことで本題に戻りますが
>>187

いまだにどこまで理解しているかどうか、疑問なんですが。

>「作り出したものは100%その人のもの」
>「作り出したものは50%はその人のもので、残りは頭割りにする」

 これは、つまり「私的所有権の割合」ってことではないのですか?
 これを読んで、前のレスでも触れた北欧の福祉国家のケ−スを考えたのですが。
 
 「50%はその人のもので、残りは頭割りにする」
 
 これって、つまりスウエ−デンとかデンマ−クとかのシステムとは違うのでしょうか?
 ちょっと各国の細かい税率は忘れたので、ざっとの話になりますが、消費税は30パ−セントを超えるし、所得税も高いし、なんやかんやで半分以上もってかれる。
 それでも国民みんなが文句も言わず払っているのは、相互扶助の意識が国民のコンセンサスとしてあるので、日本人のように「取られる」という感覚ではない。
 なんて、聞きますね。そういえばアバは世界中であれだけ大ヒットをとばして、一体幾ら税金とられるんだろう、と思うけれど、ビ−トルズみたくアメリカ移住とかしませんでしたね。

 こういったことを言われているのでしょうか?相互扶助の意識を加味せよ、と。
全然違うのかな?

193うろちい:2003/08/22(金) 09:46
>目の前のラインを流れてる製品は会社のものですが。
>他に何か根拠でも必要?

それを決めてるのが「ある規範」でしょう。
「目の前のラインを流れてる製品は会社のもの」と断言してしまえるのは、規範の信者だからでしかないでしょう。

>お互いが自分の利益を最大限にしようとする、両者の綱引きが存在するだけですが。

綱引きが足の引っ張り合いになるなら、そうじゃないやり方にも合意できるはずです。
合意に従った方が利益にかなうとき、合意は規範としての力を持ちます。
実際、現実の世界は綱引きも綱引きの抑制もどっちもあります。
そしてまだ新たに合意できる余地があるかもしれません。

ぼーんさんがしてるのも、武蔵さんがしてるのも、そういう提案でしょう。
しかし提案に反対する人もいるでしょう。
提案に従うのが不利益だと考える人もいるでしょうから。
そのときは、提案への賛成者と反対者は綱引きの両端にいるわけで、まさに仰るとおりの「自分(たち)の利益を最大限にしようとする、両者の綱引き」という構図になるわけです。
少なくともだよもん星人さんは文句は無いでしょう。
もっとも本当に賛成者にとって利益か、反対者にとって不利益か、は議論の余地があるでしょうけど。
利益は全て主観の中ですから難しい議論になると思います。
その難しさから目をそらすために「リアリズム」なんて信仰があるのでしょう。

194ぼーん:2003/08/22(金) 16:19
>>188
> > > 土地は安くなるでしょうな。・・・庶民の収入は途方も無く安くなりますが。
> > > 都内で暮らすのも夢じゃなくなりますね。・・・ダンボールハウスですが。
> > なんでそうなるのでしょうか?
> 上のほうで日本経済を消滅させかねないことを言っておられますが。

つまり、土地が安くなって収入が安くなって、っていう思考があって日本経済の消滅という結論を述べて
いるのではなく、とにかく「日本経済が消滅するんだ」って結論を(なぜか)持ち出してきて、そのイメ
ージを想像力豊かに描いた、と。こういうわけですね?

何か「大変よくできました」のハンコでも押してあげたくなるような回答です。

> もし私有財産云々の論議の正体がいわゆる税金とよばれる物だったら驚きますよ(w

税金以外の何だと思っているのでしょうか?
税金以外の手段もありえますけど、中心になるのは税金でしょう。

私的所有権の批判と、私有財産制度の否定と、あるいは交換経済の否定とか、
何かそういうものがごちゃまぜになっていて、いったい何を批判しているのか、
あなた自身にも分かってはいないんじゃないですか?

私的所有権の批判というのは、「私が働いて得たものは、すべて、私のもの」という神話の批判です。
これを批判したところで、別のルールで私的所有物を決定し、その上で交換経済を営むことは否定されてません。
もちろん、「私有財産制」という枠組みは否定どころか前提されています。意味わかってんですか?

> > ですが、あなたの言葉を借りるなら、事実として行われている再分配は、「実在しているので根拠はいりま
> > せん」で納得するんですね。
> 言葉足らずだったようですね。
> 訊きたいのは正当性を否定した根拠ですよ。
> 相手に確たる根拠がない、ってだけでやられちゃたまりません。

アホですか?確たる根拠がないなら、「正当性はない」んです。
「そうすべき」「そうしなくてもいい」
「そうしてもよい」「そうしてはならない」
だよもん星人さんは、これら4つの区別ができますか?

> 規範は会計法方ではないです。なのにそれを根拠にどんぶり勘定と言っている事がおかしい。

よほど頭の固い人ですか?

たとえば、裁判の判決において、「大抵どっちも悪いんだから、損害は折半。判決以上」といったら、
これは会計についての話ではないですが、「裁判官の採決はどんぶり勘定」と批判することは、
言葉の常識的な使い方として間違っていません。

> > というより、あなた、規範という言葉の意味が分かってない。
> 最大の問題はそこなんですよ。
> αもそうですがあなたがどう言う意味合いで「規範」と言う言葉を使っているのか、
> さっぱり分りません。
> (ちなみに私の言ってる(ここで使った)「規範」は社会通念や道徳と言う意味です。)
> この言葉の定義がはっきりしない以上、私は私の解釈で話を進めるほかありません。

質問すればいいんですよ。最初から。

つまり今までは、理解できないことに対して噛み付いていた、ってことですよね。
実に奇妙。

195だよもん星人:2003/08/22(金) 16:54
んで、αってなに?

196だよもん星人:2003/08/22(金) 17:58
もっと凄い事が論議されてるのかと思ってたんですが、
どうやら俺の勘違いだったようで

>つまり、土地が安くなって収入が安くなって、っていう思考があって日本経済の消滅という結論を述べている
ここまでは大雑把にあってますが、ここからは間違い
>のではなく、とにかく「日本経済が消滅するんだ」って結論を(なぜか)
>持ち出してきて、そのイメージを想像力豊かに描いた、と。こういうわけですね?


>税金以外の何だと思っているのでしょうか?
びっくり

>私的所有権の批判と、私有財産制度の否定と、あるいは交換経済の否定とか、
>何かそういうものがごちゃまぜになっていて、いったい何を批判しているのか、
>あなた自身にも分かってはいないんじゃないですか?
てっきり社会主義革命でも起こそうとしてるのかと思っちゃいましたよ(w

>もちろん、「私有財産制」という枠組みは否定どころか前提されています。
>意味わかってんですか?
つまり、より増税しやすい枠組みを作ろうとしてる、と。

>アホですか?確たる根拠がないなら、「正当性はない」んです。
・・・皆が“正しいとしている”事は正当性の根拠にならないんですか。

>つまり今までは、理解できないことに対して噛み付いていた、ってことですよね。
言葉の定義が違っていただけですよ。
ぼーんさんにとって不毛な遣り取りになってしまったのは謝ります(^^;;

197<故意に未入力>:2003/08/22(金) 20:54
>>194
>アホですか?確たる根拠がないなら、「正当性はない」んです。

なるほど。で、初歩的な質問で誠に申し訳ありませんが、「α」の「確たる根拠」
ってヤツを漏れのようなアフォな頭脳にも、2chでここをウォッチしてるアフォにも
(それこそ幼稚園児・小学校低学年でも)理解出来るように御教示頂けますか?

御教示頂いて、かつアフォな漏れの頭脳でも理解が可能であれば、漏れと同程度に
アフォと思われる連中(って、2chですな)に薫陶を垂れて来たいと思います。

198ぼーん:2003/08/23(土) 00:33
>>197
> なるほど。で、初歩的な質問で誠に申し訳ありませんが、「α」の「確たる根拠」

αそれ自体を正当化する根拠なんかないって。君も話の見えていないクチかね?

199ぼーん:2003/08/23(土) 00:40
>>196
> てっきり社会主義革命でも起こそうとしてるのかと思っちゃいましたよ(w

いまどき何を言ってるんだか。

> >もちろん、「私有財産制」という枠組みは否定どころか前提されています。
> >意味わかってんですか?
> つまり、より増税しやすい枠組みを作ろうとしてる、と。

今なされている支出を一切見直さないなら、増税になりますが、無駄が随分多いから、
ちゃんとやれば減税になるかもしれません。ともかく、そのあたりは分かりません。

> >アホですか?確たる根拠がないなら、「正当性はない」んです。
> ・・・皆が“正しいとしている”事は正当性の根拠にならないんですか。

ならないですね。

でも、全員が正しいとしていたら、そもそも根拠なんか問われなくて、正当性があろうと
なかろうと、あるように扱われますね。

> >つまり今までは、理解できないことに対して噛み付いていた、ってことですよね。
> 言葉の定義が違っていただけですよ。
> ぼーんさんにとって不毛な遣り取りになってしまったのは謝ります(^^;;

失礼。こちらも非礼はわびます。

で、αですけども、別に大した中味はありませんよ。
「他者を自分と同じように尊重せよ」という普遍的命令のことです。

200ぼーん:2003/08/23(土) 00:46
>>192
> これは、つまり「私的所有権の割合」ってことではないのですか?
> これを読んで、前のレスでも触れた北欧の福祉国家のケ−スを考えたのですが。

税金をどう取るのであれ、
「俺のもの」の一部を税金としてとられている、と考えているのか、
一部を税金としてとられた後のものが本当の「俺のもの」、と考えているのか、
その違いです。重要なのは。

北欧の人たちがどんなつもりで税金納めてるのか知らないので、なんともいえません。

>  こういったことを言われているのでしょうか?相互扶助の意識を加味せよ、と。

今の日本だって「相互扶助」ですよ。
「相互」でなかったら「扶助しない」というのが当たり前みたいですから。

相互である必要なんかない「扶助」を社会に組み込みたい、というのが意図ですね。

201武蔵:2003/08/23(土) 10:19
長らく出かけていて失礼しました。
どうも誤解を受けているようなので質問したいのですが

>>174
>> 私は親の家だから無条件に自分のものだと言う考え方を否定しているのであって
>それは僕も否定しています。
が、その考え方を否定するとしても、相続税を100%にする根拠にはならないのです。

と言われているのですが、相続税100パーセントにするというのは、どこから出てきたのでしょうか?
私へのレスにしては、おかしいのですが・・・・
私は私的所有権の世襲を既得権として認めることを見直してもいいのではないかという提案をしたのです。

具体的な方法の中の一つには、相続税というかたちもあるでしょうが、相続税のあり方については
まだ言及しておりません。

住居について言えば、財産価値の既得権は認めないが、居住権は認めるという方法もあります。
その居住権についても、現行法でも子供が複数いる場合は、居住権から排除されることもあります。
原則としては、親の家であっても買い取るという方法もあってもいいでしょうし、
所得が少ない場合は資産価値は無視して、居住権だけを持つというカタチも取れます。
(あまりな豪邸はまた別に考えましょう)
どっちみちこんなものは、その社会が得て勝手に生み出したルールなのですから
どんな風にでも変えられます。
具体例については、人情の機微に配慮したルールを後でいくらでも考え、練り直せばいいのです。
基本姿勢として、財産の世襲・権力の世襲を認めないことが、8割以上の人間にとって得になる方法だと思っています。

世襲されない財産(この場合は金銭換算です)についても、国内に半分、発展途上国に半分(割合なんぞは後で考えるにして)と言うような配分をすることもできます。

なににしろ具体例はあくまで一つの思案であって、固執するものではありません。
私が今回打ち出したのは「世襲」の廃止、または緩和の方向です。

202武蔵:2003/08/23(土) 10:34
「α」について
ということですから、所得と配分以外のことを語ることも許されるでしょうから
今回は、世襲の廃止について考えたいと思います。
現在、天皇以外の身分や職業に世襲制度はありません。
しかし実質的な世襲、法的ではない世襲が行われていることは確かなことです。
これにメスをいれて、緩和していくことは多くの一般人にとって利益のあることです。
代議士の地盤看板カバン・・・・これをどうしていくか。
医者の子は医者になりやすい。当然の部分もあるが、不当な部分もあります。
特権的職業や権力の、実質的な世襲を見直すことも、「α」については考えることになると思うのですが。

203だよもん星人:2003/08/23(土) 14:42
武蔵さん
>代議士の地盤看板カバン・・・・これをどうしていくか。
被選挙権は国民全てに与えられるものですから、親が何者であれ子が
一個の独立した個人である限り制度としてどうこうする事は不可能でしょう。
よもや法の下の平等を引っ込める訳にはいきませんし。
>医者の子は医者になりやすい。当然の部分もあるが、不当な部分もあります。
学費補助を手厚くする事はできますが、これは世襲とは関係ありませんね。
親が子に何を期待するのも子がそれに応えるか否かも、当の親子間の問題にすぎません。

社長の後釜が誰になろうと人事の決定権は会社が決めるべき事ですし、
歌舞伎の世界が世襲制であっても社会的には何の意味も無いです。
二世議員の事にしても、有権者が誰を選んだのかという話にすぎませんし、
患者にとってはヤブか名医かが重要であり、病気が治る事が利益です。
結局、法的でない世襲は、公権力が立ち入る事ができない領域、
又は介入しても殆ど無意味な事でしか行われていないのでは?

204武蔵:2003/08/23(土) 15:52
>>203

>一個の独立した個人である限り制度としてどうこうする事は不可能でしょう。

被選挙権の剥奪なんてことをしては当然人権侵害です。
しかし「地盤看板カバン」という財産贈与については、何らかの制限を加えることが可能ですし
それをして行かなければ、他の人の被選挙権が事実上制限されてしまっています。
この利害の対立のどこに線引きをするかは、匙加減一つなんですよ。

>学費補助を手厚くする事はできますが、これは世襲とは関係ありませんね。

いや、これも世襲と大いに関係ありますよ。
能力はあるが財産のない子が学ぶチャンスを持つということは。

医者ではないですが、
戦前、学校の先生になる「師範学校」は、学費・寮費が無料の上に
小額ながら小遣いまでもらっていました。
それがいいかどうかは議論の余地がありますが、教育の機会均等については考える必要があります。

205ぼーん:2003/08/23(土) 16:25
>>201 武蔵さん
確かにへんかもしれません。
へんになっている原因は、僕とだよもん星人さんとのやり取りで少し明らかになってきたかもしれません。
私的所有権、私有財産制度、交換・贈与の自由、自由市場経済、そういったものの何をどう否定しているのかが、
僕においても混乱があったように思います。

世襲制を否定するというとき、いくつか誤解する要素があるんです。
親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。
しかし、そうではないようです。
具体的にはどういう意味ということになるんでしょうか?

206ぼーん:2003/08/23(土) 16:30
所有権を処分権(破棄したりする権利)と使用権(使用する権利)に分離する、という考え方はありますね。
また、処分権と使用権の譲渡性(譲渡可能にするか、不可能にするか)でも、いろいろ帰結が変わってきます。

それぞれ検討すると面白そうです。

207大神:2003/08/23(土) 16:33
2世国会議員は少なくとも選挙の洗礼は受けている。

208武蔵:2003/08/23(土) 18:16
>>205

いや、こだわるようですが、相続税の話はひとこともしていないのに
一つの選択肢に過ぎない相続税と言う単語に置き換え、
「相続税を100%にする根拠にはならないのです。」
と、100パーセントという数字まで発生させて否定なさったのは、
どういうことなのかをお聞きしたかったのです。
*例え結果として同じことになったとしてもです。
 相続税100パーセントという単語でしか把握できなかったということでしょうか?

>親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。

親の私有財産が、ぼーんさんの言われるような意味では、根拠のある既得権であるのかどうか
もっと他の根拠によると、半分が私有財産として認められるベキかも知れない。
りんごをもぎ取った労働に与えられる権利は、半分が妥当かも知れない。
親の取得にすら疑義があるのに、
子には何の疑いもなくその財産権が譲られてしかるべきか?

子は親から精神面物質面で多くのものを譲り受けて育ちます。
家庭教師を何人もつけられる親と、幼いときから労働分担を引き受けさせざるを得ない親があります。
「子供に残せる財産は教育だけだ」という言葉もよく聞きました。
そういう無形の財産は、私はいま「世襲」という言葉から外しています。
外す根拠は別に無いのですが・・・・
カタチのある財産、土地家屋や地位、権力・・・ひいては地盤看板カバン・・・
こういうカタチある財産の譲渡の事を勝手に世襲と名づけました。
それは、原則として子供が自分の力で稼ぎ取ってもいいのではないかと言うことです。
二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)
具体方法は、人情実情に合わせてきめ細かなルールが必要で
親が死んだとたんに家を放り出されてホームレスになるなんてことは想定していません。

209武蔵:2003/08/23(土) 18:22
>>207

>2世国会議員は少なくとも選挙の洗礼は受けている。

そんなことを言えば、北朝鮮の金正日でさえ、
このあいだ100パーセントの信任投票を受けています(笑)

選挙に出て、当選するために地盤看板カバンを譲渡するということに
何らかの制限を加えなくては、二世以外の議員にとって非常に厳しいという現実です。
(ん?同じこともう言ったぞ!)

210武蔵:2003/08/23(土) 18:39
誤解なきように言っておきますが(ぼーんさんは誤解されていないと分かっています)
私は親から子に譲るものに100パーセントの税金をかけ、
全く遺留分を残すべきではないと言っている分けではありません。
上記の無形の譲渡分(教育環境など)はもちろん、最低の居住権などについても
考えたらいいと思っています。

私的所有権が、
もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。

211ぼーん:2003/08/23(土) 21:36
>>208
> いや、こだわるようですが、相続税の話はひとこともしていないのに
> 一つの選択肢に過ぎない相続税と言う単語に置き換え、
> 「相続税を100%にする根拠にはならないのです。」
> と、100パーセントという数字まで発生させて否定なさったのは、
> どういうことなのかをお聞きしたかったのです。

どういうことでもありません。
武蔵さんは一言も言っていませんが、その発言から僕が類推したことです。
で、その類推については僕の勇み足だ、ということでかまいませんので、
「じゃ、どういうつもりだったのか」ということを具体的に聞いているのです。

相続税を念頭に置いてなかったのならば、何か別のことをお考えになってたんですよね?
それをお聞かせください、ということです。

> *例え結果として同じことになったとしてもです。
> 相続税100パーセントという単語でしか把握できなかったということでしょうか?

できなかった、ということです。

親の財産を子に譲渡する、という可能性を、それをいかなる制度によるのであれ否定するのであれば、
相続税は100%というキーワードは出てくると思います。
相続税は100%にした上で、実物資産の使用権は留保するとか、
相続税は100%にした上で、他の何か留保をするとか、
控除枠を一定額(たとえば3000万円とか)設定した上で、残りについては相続税を100%にするとか、
いろいろやり方は考えられますが、「親から子への譲渡」を認めないなら、それは相続税100%しかありえないと思います。

# 限界税率の話をしてるのか、平均税率の話をしてるのか明確にしなかったのは、僕の責任かもしれませんが。

が、違うのであれば、どういうことを想定していたのか教えていただければ、
それで納得できるかもしれませんので、教えてもらえませんか?

212ぼーん:2003/08/23(土) 21:36
>>親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。

>親の私有財産が、ぼーんさんの言われるような意味では、根拠のある既得権であるのかどうか
>もっと他の根拠によると、半分が私有財産として認められるベキかも知れない。
>りんごをもぎ取った労働に与えられる権利は、半分が妥当かも知れない。
>親の取得にすら疑義があるのに、
>子には何の疑いもなくその財産権が譲られてしかるべきか?

相続を、特別なものとみなしてませんか?
相続は、ある個人の死亡を機にスタートする贈与の特別なケースに過ぎません。

どんなルールであれ、とにかく私的所有権の枠組みを決めてしまえば、いずれ、その人の元に
私有財産が発生します。その私有財産は、当然、好きに譲渡できるし、好きに処分できる。
そういうものです。だから、私有財産制を否定しない限り、かならず好きに処分できる私有財産というものは存在するし、
だとしたら、相続の問題は必ず発生します。

ただし、私有財産を認めない(共産主義)なら、その限りではありませんが。
しかし、武蔵さんは共産主義ではない、って言ってましたよね?
だったら、相続は否定できませんよ。

# やはり、私有財産制の否定と、現行の私的所有権の否定と、そういったものが混乱しているように思います。

> カタチのある財産、土地家屋や地位、権力・・・ひいては地盤看板カバン・・・
> こういうカタチある財産の譲渡の事を勝手に世襲と名づけました。
> それは、原則として子供が自分の力で稼ぎ取ってもいいのではないかと言うことです。

権力が、金や地位に関係しているものについては武蔵さんがおっしゃるように問題にできますが、
様々な人間関係にまつわる力(その人間関係を通じて意見を表明したり飲ませたりする力)は、
相続云々の話と一緒にするのは話が混乱するだけではないかと思います。
平行して話をしてかまいませんけど、区別して話した方がいいのでは?

> 二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
> 全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)

してもいいですが、そのようにすべきとする根拠も、やはりありません。
(現行の私的所有権の枠組みに根拠がないのと同じように)
重ねていいますが、相続は贈与の特別なケースに過ぎません。
だから、武蔵さんがおっしゃる話をまともに適用するならば、相続だけでなく、一切の贈与を制限しなければなりません。
が、それはかなり不合理な話になります。

> 具体方法は、人情実情に合わせてきめ細かなルールが必要で
> 親が死んだとたんに家を放り出されてホームレスになるなんてことは想定していません。

もちろんです。そんなこと言っていません。

213ぼーん:2003/08/23(土) 21:45
大神氏 & 武蔵氏
2世議員が当選するのは、先代の議員を中心に構築された様々な利害関係の絡み合いの構造を、
ほとんど変更しないで引き継ぐことができるからでしょう。

2世議員じゃない場合でも、地盤・看板・カバンを引き継ぐ人は、先代を支えていた利害関係のネット
ワークを裏切らない限りにおいて支えてもらえるだけです。

この問題については、世襲を制限したところであまり効果はないでしょう。
いずれにせよ、構造化された利害関係のネットワークの中から適材が選ばれて出てくるだけです。
この問題には、別のアプローチが必要です。

# で、その意味で、「選挙の洗礼を受けている」かどうかも、問題の本質ではありませんし、
  その選挙の洗礼を北朝鮮における選挙の洗礼と比較することもさすがに無茶ではないか、
  と思います。

214ぼーん:2003/08/23(土) 21:51
>>210
誤解があると思うのでしつこいと思いますが、論点を再度指摘しておきます。

贈与一般を否定しないならば、贈与の1つのケースとしての相続を否定できない、ということです。

私的所有権の制限は、その人が自分の労働から自分の物にできる物の範囲を制限し、
その結果、その範囲内でなされるはずの蓄財の規模が制限されます。
で、結果的に、相続される財産の規模も制限されるでしょう。

しかし、その相対的に制限された中で作られた財産を、その後で誰に譲渡したいか、という問題
については、私的所有権の制限は何も語っていません。
それを好きな人に譲渡する自由を否定できません。
だったら、それをわが子にしても問題はありません。

贈与の制限の話と、私的所有権の制限の話は、無関係ではありませんが、
少し丁寧に腑分けする必要があります。

215武蔵:2003/08/23(土) 21:55
>>211

>親の財産を子に譲渡する、という可能性を、それをいかなる制度によるのであれ否定するのであれば、
相続税は100%というキーワードは出てくると思います。

世襲という言葉で表した「全譲渡」は考え直すべきではないかということです。
相続税0でない、と言うキーワードも出てきます。
控除額を高い目に、あるいは低い目に決める、という選択肢もあります。
突然、相続税100パーセントという単語を自ら出して、否定なさったから驚いたのです。
否定のための否定に思われましたから。

216武蔵:2003/08/23(土) 22:10
>>212

>ただし、私有財産を認めない(共産主義)なら、その限りではありませんが。
しかし、武蔵さんは共産主義ではない、って言ってましたよね?
だったら、相続は否定できませんよ。

だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。
もっと言うならば、りんごをもいだという行為に対しては、半分にせよ7割または3割にせよ、
当然の権利を受けるものと思いますが、
土地における財産価値のみの偏重で「転がす」だけで手に入れた収入など(株の売買なども)は
労働収入に比べて、多くの税を科するべきであろうとか、個々については別の考えをもっています。

>> 二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
>> 全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)
>してもいいですが、そのようにすべきとする根拠も、やはりありません。

そのように言っているのですが・・・・・(何で突っかかってこられるんかな?)
いろいろの考え得ることのひとつに過ぎません。

217武蔵:2003/08/23(土) 22:18
>>213

>2世議員じゃない場合でも、地盤・看板・カバンを引き継ぐ人は、先代を支えていた利害関係のネット
ワークを裏切らない限りにおいて支えてもらえるだけです。

これはそうですね。後継者を子供にする場合が多いだけで、他の後継者も確かにいます。

># で、その意味で、「選挙の洗礼を受けている」かどうかも、問題の本質ではありませんし、
  その選挙の洗礼を北朝鮮における選挙の洗礼と比較することもさすがに無茶ではないか、
  と思います。

さすがに無茶なことを言ったんですが・・・・・
しかし、国民がマスメデイアの流すプロパガンダによって判断して
多いか少ないかの差こそあれ、洗脳のモトで投票している以上
全く並べることが出来ない無茶話とまでは思っていません。
(汚職議員が選挙で禊をしたというような笑えない話を聞くときには)

218ぼーん:2003/08/23(土) 22:21
>>215 >>216

> 世襲という言葉で表した「全譲渡」は考え直すべきではないかということです。
> 相続税0でない、と言うキーワードも出てきます。
> 控除額を高い目に、あるいは低い目に決める、という選択肢もあります。

ありますね。だから、
「100%と理解したのは僕の勇み足だ、ということでかまいませんので」
と何度か述べているのですが、まだ足りないんでしょうか?

219ぼーん:2003/08/23(土) 22:30
>>216
> だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
> りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。

もちろん、そうです。
で、「もいだりんごの何割か」をその人のものとしたとする。
その結果が蓄積されてその人の家になった場合、
その家を相続する(贈与される)のを否定することはできません。

武蔵さんは、「買い取らせればいい」という話をしましたよね。
買い取るということは、ここで贈与がなされない、ということです。
贈与されず、たとえば公共のものになったあとで、それを子が「買い取る」。
これは贈与ではありません。

これは贈与の否定です。
贈与の否定ということは、相続を否定していることになってしまっていると思います。

「買い取らせればいい」という話の位置づけについて、
僕の受け取り方と武蔵さんの意図の間でズレがあるのかもしれませんけど。

# でも、僕の誤解なら誤解でいい、と述べているのですから、
  それで納得してもらえません?

220武蔵:2003/08/23(土) 22:37
>219

># でも、僕の誤解なら誤解でいい、と述べているのですから、
  それで納得してもらえません?

そういう言われかたになるのでしたら、仕方がないです。
誤解されたままでおきましょう。

221ぼーん:2003/08/23(土) 22:42
>>217
> しかし、国民がマスメデイアの流すプロパガンダによって判断して
> 多いか少ないかの差こそあれ、洗脳のモトで投票している以上
> 全く並べることが出来ない無茶話とまでは思っていません。

マスメディアは、多くの場合、議員の過去の汚職についてはきちんと言及します。
反対候補からのネガティブ・キャンペーンもありますし、
選挙民がそうしたことを「判断しないで」投票しているとは考えられません。

汚職をした議員が簡単に再選する場合、
それは「洗脳」というよりは、汚職の事実よりも別の何かを優先した、
ととるべきで、そこに判断があると見ることは当然です。
別の何か、ってのは、多くの場合既得権でしょう。

特に自民党の議員はスキャンダルに強いですけどね。
それだけ、道義以外の支持基盤(利権にまつわる支持基盤)が強いってことでしょう。

これを、北朝鮮のようにほとんど完全な情報統制があり、また、暴力による支配も
相当強いところでの話と並べることができるかどうかは、今考えたい論点によるでしょう。

# 「道義的に許容できない代表が代表として選ばれる」という意味では並べることができるでしょう。

222ぼーん:2003/08/23(土) 22:44
>>220
あのですね。僕にどうしろといいたいので?

誤解なら、誤解だと認めますので、
誤解でない説明をいただけますか?ってことなんですが。

223武蔵:2003/08/23(土) 23:24
>>222

私に表現能力というか、学問的な適切な言葉をもたないから
理解していただけないのだとは思っていますが、
否定のために否定にかかられると、
ただでさえ困難な問題がよけいに整理がつかなくなるのです。

まず私有財産を否定しません。
しかし、私有されるべき残余分は、りんごをもぐような労働によってに場合と
株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか
そういうものとは区別されていいと思っています(今でも多少は区別されているでしょう)
労働による所得の手元への残余額による財産は、そう大したものではないと思います。
恐らく資産価値より居住価値のほうが大きいものであるでしょう。
この居住価値と資産価値も、正確に線引きされるというよりある程度の丼勘定だと思いますが、
それでもどこかで線を引かれるでしょう。
親の家だとしても、その資産価値の部分は、子供といえども原則として購入するというカタチにしたいと私は思います。
生まれ育った家という、他人にはない思い入れがあるなどで、優遇措置はつけてもいい
それが分割払いなどの方法(他にもあるかもしれません)などです。

まあ、学問的に上手く表現できないので、
厳密さが足りない点を整理表現してくださったり、補ったりしてくださるならともかく
隙間に杭を突っ込んで否定だけにかかられるとお手上げです。

224大神:2003/08/23(土) 23:54
>>武蔵君へ
 選挙もね、秘密投票が出来て公正な選挙なら2世議員も同じ土俵の上で
戦っているでしょう?
 だから二世議員も落選する事もあるでしょう?もし、二世で議員を
出す事が気に食わないなら有権者は反対票を投ずれば落選するよね?

 そして北朝鮮の選挙のように選挙の形式を装っているだけと違うでしょう?

それに、党の後ろ盾がある人と無所属の人では明らかに組織力やなんやかの違い
があるよね。だから、貴族院のような世襲じゃないんだから、2世というのも
対等な土俵の上で戦っているのだから、バックボーンが有利な点も不利な点も
あるけどそれは、党所属と無所属との違いと同じように別段許容され得る
範疇ではないかな?特に日本の場合は。

ということで書いたんだよ。それにマスコミはどちらかと言うと自民党嫌いで
2世議員にも非好意的ではないかな?

225大神:2003/08/24(日) 00:08
>>223の続き
>>213でぼーん君も触れているけど、二世議員が当選できるのが先代の背景の
引継ぎによるのなら、それは先代が当選する事の延長に過ぎないのではない
かな?

 そして日本においては再選を制限しているわけではないから、身内が出る
ことは別に替玉として出るわけではないよね。有権者が先代の延長を望む
形として2世が出てくるのなら、それは先代が最初に当選した時と同じように
公正な選挙という手段により当選するのと同じではないかな。

つまり、日本では

a)再選を禁止していない
b)立候補者の背景に制限を加えていない(全ての立候補者はまっさらな
 状態で立候補しないといけないとかね)

というのがないし、

c)選挙に公正が保たれている
という点から

2世が持つ背景と言うのは許容され得るのではないかな。選挙の洗礼を受けてい
るならね。もし、2世や後継者を禁止するなら党所属と無所属との格差も
当然の事ながら是正すべきになるし、そもそも選挙はくじ引きではないからね。

226ぼーん:2003/08/24(日) 01:53
>>223
> 否定のために否定にかかられると、

人の気持ちを推測して(勘ぐられて)も困ります。

武蔵さんが主張しているにせよ、していないにせよ、「相続税100%」はまったく荒唐無稽
で論ずるに値しないというわけでもないし、それについて考えてみることで、相続税100%
ではないにしても、別のよりよい方法が見つかるかもしれません。
ということで、武蔵さんの主張も、「相続税100%を含意しているのではないか」と読み間
違えたことについても、別に元々非難の意味はありません。「もう少しゆっくりやろうや」
という程度のつもりです。

で、今回のレスの後半でもう一度書いてますけども、やはり武蔵さんはどういうスタンスで
「世襲」を批判しているのかが、いま一つ明確でないです。親子の間では贈与はダメだ、
ということなのか、そこまで言うつもりはないのか、それが分からんのです。
ちょっと説明します。

> まず私有財産を否定しません。

私有財産は否定しない、と明言されているので、武蔵さんが私有財産を否定しない「つもり」
なのはハッキリ分かります。少なくとも。

ただし、別のところでは、「家は一旦公共のものにしてから(現行なら相続する立場にいる人
が)買えばいいので、相続する必要はない」という意味のことを書いてます。贈与の可能性が
まったくないんです。その書き方では。私有財産があるなら、贈与も相続も可能です。
(買取の必要なんかなく、です。)

どっちが主なんですか?というのが、僕の疑問です。
後でもこんな風に書いてますね。

> 恐らく資産価値より居住価値のほうが大きいものであるでしょう。
> この居住価値と資産価値も、正確に線引きされるというよりある程度の丼勘定だと思いますが、
> それでもどこかで線を引かれるでしょう。
> 親の家だとしても、その資産価値の部分は、子供といえども原則として購入するというカタチにしたいと私は思います。

私有財産権が認められ、その中に譲渡の権利があるなら、親が子供に家を「譲渡」することは日常茶飯でしょう。
その譲渡がたまたま親の死をきっかけに発動するなら、それは「相続」です。
もちろん、これを認めるなら、子が「購入する」という形にはなりません。
この場合に武蔵さんがおっしゃるように「原則として」子が「購入する」、という形にするなら、
これは譲渡の否定になりますけども。このような形の譲渡を否定する、ということですか?

> 労働による所得の手元への残余額による財産は、そう大したものではないと思います。

そうですけど、家1件くらいのものになることは、そう珍しくはないです。
家1件が「原則買取」になるなら、そのレベルの私有財産の相続は認めない、ってことでしょ?違うんですか?

> しかし、私有されるべき残余分は、りんごをもぐような労働によってに場合と
> 株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか
> そういうものとは区別されていいと思っています(今でも多少は区別されているでしょう)

区別されていいのか、悪いのかは、今のところ僕は分からんです。

227ぼーん:2003/08/24(日) 02:00
>>225
民主主義は、普遍的価値の実現「手段」に過ぎず、民主的手続きを経て実現されるものはなんでもオッケイ、
という話ではないんです。(ナチスを思い出してもらえれば簡単に分かることです。)

世襲議員、というよりも、ある特定の利害を代表し、その利害のためだけに活動する議員は、明らかに普遍
的価値を実現しようとはしてませんから、当然に批判されるべき、です。

# ただ、それを証明するのが困難だから、大変なんだけどね。

民主主義に価値があるのは、そういう批判が自由に行えるための前提条件であるから、なんです。
民主的手続きは、その決定内容が正当であるための十分条件ではありません(必要条件ですらない可能性もある)。

# って、自覚なき法実証主義者のあなたにそういう話をしても無駄かな。

228武蔵:2003/08/24(日) 05:42
>>226

>どっちが主なんですか?というのが、僕の疑問です。

どっちが主なのかといえば、私は相続に否定的です。――財産としては・・・・・
家一軒にはいろいろあります。普通のサラリーマンがローンをかけて住むために買った
マンション一軒というようなものは、居住価値だけのものですから(現行法でもそうですが)そのまま譲り受けてもいいでしょう。
子供が3人いたとしても、(最近程度に値下がりすれば)ほとんど喧嘩もなくほかの二人が別の家を買って出ていくし、
新しい家族構成にふさわしいサイズに次々買い換えていく場合すらあり、問題ないと思っています。
問題なのは、豪邸といえるもの、また、何軒も持っている場合(別荘的なものや、人に貸して家賃を取るためのもの)
親のものだから当然子供のものという考え方に否定的です。
「相続税を取られた」と自分のものを取られたような話し振りをよく聞きますが
相続税を取られるのが嫌だったら相続しなければいいと思います。

どこまでを居住価値とするかの線引きは難しいけれど(私は現行の控除額程度に異論はないです)
それを越す資産価値のほうは、累進課税でいいし・・・・
現行の所得税は、最高税率が70パーセントですか?(60パーセントに引き下げる案、もう通過しましたっけ?)
私は90パーセントでもいいと思うくらいです。
4億円以下なら50%で、いろんな控除を組み合わせると実効税率はかなり低いですね。

基本的に、安サラリーマンが一生かかってつくった家の相続と言うようなものには反対しません。
先祖代々の資産と言うようなものを認めない===こういう感覚で財産の世襲を認めないと表現しました。
「何々村にはいったら、他人の土地を踏まずに家に着く」――これが自慢になった世の中に戻りたくはないということです。

>区別されていいのか、悪いのかは、今のところ僕は分からんです。

絶対正義がどうなのかということなんか、当然私などにはわかりません。
しかし不労所得が区別されなければ(多少の区別がある現在でも)バブリーなものを招聘する勢力が力を持ちます。
株や土地はもてば必ず儲かる右肩上がりの経済を、私は好みません。

229武蔵:2003/08/24(日) 07:42
>子供が3人いたとしても、(最近程度に値下がりすれば)ほとんど喧嘩もなくほかの二人が別の家を買って出ていくし、
新しい家族構成にふさわしいサイズに次々買い換えていく場合すらあり、問題ないと思っています。

現在はむしろ、全員が親の家を出て行って、親が一人暮らしをしているというケースの方が多いのではないでしょうか?
「相続=親との同居」を天秤にかければ、別居の方を取る。
私なんぞのそのほうなんで・・・・
つまり、現行相続税非課税程度の家の相続というものを問題にはしていなかったのです。

資産の世襲といえそうなものへの批判です。

230武蔵:2003/08/24(日) 08:14
訂正

私なんぞのそのほうなんで――→私なんぞ、そのほうなんで

231大神:2003/08/24(日) 11:05
>>227
 これはね、法実証主義でも何でもないんだよ。

 日本においては 自由な批判が行える 公正な選挙が出来る であるので
その結果選ばれた者は民意を代表している存在となるでしょう?

 そして、民意を代表しているはずの存在がそうでないと有権者に判断されたら
知事や市長などの首長などはリコールされうるし、議員も次の選挙で
落選するでしょう?これを2世議員のところで述べた。

で、君の>>227に対する反論としては

>民主的手続きを経て実現されるものはなんでもオッケイ、という話ではない
>んです
 民主的手続きが存続している限り(この点がよく引き合いに出されるナチスと
違う点だな)はその選出と存続は有権者の責任であるし、
外のために選挙するのではなくて国内の様々な代表を選ぶのであるから、
民主的手続きを経ているのなら
            ノープロブレムでしょう?

             と言う前提に立っている

のが民主主義でしょう?

そして、君の論理だと党所属と無所属の間に格差が存在しているし、
政党という存在は利害や理念を共通とするものにとっては益する
存在(共通しない者にはその党の主張とその者には益しない存在である)
であるので、グループ間の受益格差を問題にするのなら

        全ての政党を解散しないといけないでしょう?

そして、各立候補者間には様々な差異があり、その各立候補者が掲げる
理念や主張も政党の時と同じように、理念を共有し、利益を国民の各グ
ループが等しく受けるものではないから、当然各立候補者の背景や
主張をも均一にしないといけなくなるから、そうなると選挙はただの

         ただのくじ引きと同じになるでしょう?

232ぼーん:2003/08/24(日) 23:26
>>231
>民主的手続きを経ているのなら
>            ノープロブレムでしょう?
>
>             と言う前提に立っている
>のが民主主義でしょう?

というほど単純な問題ではないのです。
民主主義というのは、その構成員に対する普遍的な正義を発見するための「道具」であり、
手段でしかなく、その決定内容が普遍的正義に適っているかどうかを討議するための「場」
という前提条件でなんですね。
それは正当性の十分条件ではないし、あるとしてもい必要条件です。

このことは、民主的手続きを経てナチス政権が選ばれたことを思い出せば、そう難しくもな
い話です。

>  日本においては 自由な批判が行える 公正な選挙が出来る であるので

すから、その自由な批判を行える権利を武蔵さんが行使している、というのが今回の状況
でしょう。

二世議員、というよりも、特定の集団の利益だけを代表し、その利益のために行動する議
員は、明らかに普遍的価値に奉仕していませんから、その点で批判することは可能だし、
実際にその批判はある程度あたってもいるわけです。
武蔵さんの批判は、元々はそのレベルでの批判です。

そこにもってきて、「その決定は民主的手続きを経たのだから」という理屈で擁護しようとい
うのは、場違いな見解だと言うべきでしょう。それは、「民主的な手続きを経ていない」から
批判されているのではなく、「その内容において問題がある」から、批判されているのです
から。

# まぁ、このあたりは武蔵さんが反論として北の首領様の話を持ち出したので、武蔵さん
  も同じ勘違いをしているようなんですけどね。

>  民主的手続きが存続している限り(この点がよく引き合いに出されるナチスと
> 違う点だな)はその選出と存続は有権者の責任であるし、
> 外のために選挙するのではなくて国内の様々な代表を選ぶのであるから、

違いますね。
仮にナチスが民主的手続きを存続させていたとしても、その場合にはその反ユダヤ的政策
は民主的手続きを経たから正当であった、とはいえないのならば(いえないはずですけども)、
それは民主的手続きが存続していたかどうかは関係ないのです。

民主的手続きを存続させなかったという問題は、問題ですが、それは、それ以前の民主的
手続きを経てなされた決定が正当ではない、という問題とは別の話です。

233三毛猫ナナ:2003/08/25(月) 01:00
)民主的手続きを経ているなら何も問題はない
)これを前提にするものが民主主義である

民主主義における選挙の様な多数決制は多数派と少数派
の意見の間に妥協点を模索するものであり、結果として
少数派の意見を排除する政策は民主的なものとは言えま
せん。

#(法的な)民主的手続きを取れば何も問題はないとする考
 え方はナチズムと同じ法実証主義です。

234うろちい:2003/08/25(月) 20:02
>>226 名前: ぼーん 投稿日: 2003/08/24(日) 01:53

>武蔵さんが主張しているにせよ、していないにせよ、「相続税100%」はまったく荒唐無稽
で論ずるに値しないというわけでもないし、それについて考えてみることで、相続税100%
ではないにしても、別のよりよい方法が見つかるかもしれません。

提案します。
「相続税率と贈与税率に差を設けない」

死亡に伴う贈与の相手を「デフォルトでは」誰にするか、ってのはそんなに重要じゃないと思います。

235イカフライ:2003/08/26(火) 09:11
 あの、話の腰、折るようで悪いのですが。今だ「私的所有権」つ-のが、良く解りません。
つまり、税金は自分のものを取られる、という意識ではなく、たまたま預り金として持っていた、というように意識を改革せよ、みたいなことなのでしょうか?

 だとすれば、これは、払う側よりも使う側に問題がある、少なくとも日本の現状ではそうではないですか?
 よくよく言われることですが、天下りの際の多額な退職金であるとか、熊しか通らない高速道路とか。
 ODAの問題も、熊の高速道路の延長っすよね。日本の企業が工事を請け負って、役にも立たないダムとか作って、みたいな。
それより、本当に現地の人の役にたつ事をするべきではないの?それこそ、井戸が何個掘れるのか?

 ただ、こういうことって、むしろ「もともとは私のお金」という意識があったほうが、却って厳しい批判の目が持てるような気はするのですが。

236ぼーん:2003/08/26(火) 10:05
>>234
おっしゃるとおりと思います。
原理的なレベルでは、贈与税率と相続税率に差を設ける根拠はないと思います。

>>235
使う側の問題は別に議論を立てられるし、別に立てる「べき」ものであると思います。

仮にイカさんのおっしゃるように、

> 「もともとは私のお金」という意識があったほうが、却って厳しい批判の目が持てる

としても、その場合、その人は、その「私のお金」が「私個人の利益につながるように」
使われることにのみ関心を持つでしょう。それでは意味がありませんし、しばしば有害
ですらあります。(有害なので、そのような関心を持つことの正当性は、とりあえずない
ことを言うために、私的所有権を批判し、別様のあり方を据えようとしているわけです。)
もし、その人が、「私のお金」が「公共の利益につながるように」使われることに関心
を持つなら、それは「みんなのお金」ということにしておいたって関心を持つはずです
から。

237ぼーん:2003/08/26(火) 10:28
>>234
同じく原理的なレベルだけで言えば、
所得に税がかかるなら(あるいは「支出」でもいいんですが)、
資産には課税しなくてもいいはずなんです。
資産は過去の所得、ですから。

話を分かりやすくするために、できるだけシンプルな原理的な話に合わせて考えると、
所得税をきちんと設計した上で、相続税&贈与税を考えることになりますが、その場合、
今までの制度の中で(今後採用する制度下でたまるものと比べれば)たまりすぎの私有財産(もしあれば)を吐き出させるという、
一回限りのものになるんじゃないか、と思います。

238イカフライ:2003/08/26(火) 19:26
>>236

 う-んと、つまり、「みんなのお金」が「公共の利益につながる」という意識改革をするためのものだ、ということでしょうか?
 「私的所有権批判」というのは。
 なんか、ピンときてないですね、私、まだ。

239大神:2003/08/26(火) 21:14
>>232

 最初の書き方が悪かったのか違った伝わり方をしたみたいで申し訳無いが、

私が最初に武蔵君に2世議員も選挙を経ているとしたのは、それは日本において
は二世議員は貴族院のような世襲によって議員資格が与えられるものではなく
て、再三書いたが

 党所属候補者が無所属候補者に優越する(あるいは劣る)背景を持っている
のと同じであり、それは他の様々な候補者が持っている様々な背景の一つとして
先代を議員とすることにすぎないと言うことに目を向けさせるために書いた。

また、2世議員の場合は先に君が
 先代の政策や方針を継承していることを条件として原則的に先代の支持基盤
や後援グループの支持を得られる

と書いているように、先代の再選の延長であるのでそれは公正な選挙を
経ているということでもある、他の候補者と同じ土俵の上で勝負をしている、
そして、何よりも後援グループや支持グループは2世ではなくてそもそも先代が
作り上げたという点についても述べている。

つまり、公正な選挙を経ていると言うことを書いたのは他の候補者と同じで
あるので、候補者の背景の格差を問題にするのなら、2世議員だけを抽出しても、
条件的には他の候補者、議員と同じなので意味が無い
と言うことで書いた。

だから、問題にするのなら2世議員だけを抽出しても仕方なく、そういった
背景の格差が出現する事そのものを問題にしないと意味が無い。
                    
                 が、

そのように背景を問題にするのなら、それは政党というもの解体しないと
いけないし、候補者個人が持つ背景もあるので同様に背景格差を無くすと、

          候補者はどれも皆同じ、変化の無い

正にくじ引きの状態の選挙になってしまうと言う点も指摘した。

それと、追加であるがそして国民全体が均一な存在と言うわけではないので
(日本ですら田舎と都市という判りやすい違いがあるが)、このように
様々なグループが出来るのは必然的もであるので、余り背景の格差を
問題にしても、そして、2世議員を問題にしても意味が無いと思うが。

で、もう気付いたと思うが、もともとの話においては民主的な手続きを経て
いれば即それが正当かという話ではない。そもそも正当というのもかなり
主観に左右されるものであるから。

240ぼーん:2003/08/27(水) 17:24
>>239
ある議員を批判するときには、
1) 公正な選挙を経ていない、という手続きレベルでの批判と、
2) その議員の振る舞いが特定グループの利益への奉仕になっている、という規範レベルでの批判と、
二通りあります。

おっしゃるとおり、1)のレベルでは、批判になりません。そして、そんなことを僕は言っていない。
2)のレベルでは、批判は可能だし、そしてかなり当たってもいる。

# それを「主観に左右される」などと粗雑なまとめ方をするのでは、そもそも2)のレベルの批判は不可能だ、と言うに等しい。
  政策も政見も何もない中味空っぽの2世議員に関しては、2)のレベルの批判はまったく当てはまるだろう。
  こういう批判まで「主観に左右される」と言って切り捨てるわけ?

> そのように背景を問題にするのなら、それは政党というもの解体しないと
> いけないし、候補者個人が持つ背景もあるので同様に背景格差を無くすと、
>
>           候補者はどれも皆同じ、変化の無い
>
> 正にくじ引きの状態の選挙になってしまうと言う点も指摘した。

背景の利害関係を問題にすることと、背景を問題にすることは違います。

その人の背後関係が基本的に政治信条や政策によるつながりであるならば、それを問題にする必要はないでしょう。
その人の背後関係が、政治家と支持者の間の原則なき相互利益供与に過ぎないならば、それは問題にできるでしょう。

そして、それは「主観に左右される」としても、まったく客観的でありえないわけではありません。

241大神:2003/08/27(水) 17:49
>>240

 そもそもね、これは武蔵君にあてで書いたんだが。武蔵君は2世議員全体を指し
ているのであるからそれに対しての書きこみをしたんだがね。

          2世議員だけを抽出しても仕方ないよとね

                判るかな?

それに武蔵君の場合は2世議員を世襲と捉えていたから、

         貴族院ではない、他の候補者と同じだよとね。

>(2)
 (2)に関しては、これについては今までのレスでは本格的には述べてい
ないよ。長くなるから。そして、もともとそれを言うのが目的ではないから。
繰り返すけど2世議員だけを抽出しても意味が無いというのが私が書いたことの
主旨だからね。

>背景の利害関係を問題にすることと、背景を問題にすることは違います。
 細かいケースについて話をするなら解るが、2世議員全体には無理があるん
じゃない?それは2世議員だけを抽出すると言った意味でも。2世が引き継ぐ
ものを作り上げたのはそれは1世議員だし、なにも二世議員だけが抱えるもの
ではないよね?君が言っていることは。○○族と言う言葉もあるように。

それとね、ぼーん君、利害関係で繋がったグループが存在したとして、
そのグループの支持を受けた議員が受ける票は選挙民の票だよね。だから、
2世議員も結局は
             選ばれたわけだよね?

と言うことを最初に書いたんだよ。

242ぼーん:2003/08/27(水) 23:08
>>241
(1)のレベルで問題なし、という話をしているのは分かるのですが、大神さんの書き方を見るに、
(2)のレベルをそもそも考えてないんじゃないか、と推測したのでああいうレスをつけてしまったわけなんです。
(これは僕の勇み足)

確認しますが、(2)のレベルでの問題性についてぼーんの議論に賛成するが、
今のところはそのレベルの議論をしているつもりはなかった、ってことでいいですか?

243cathoderay:2003/08/28(木) 00:20
なんでカネをおおく残して子供にやったらいかんのでしょうか?

>株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか

こういうのも意味がわかりません、なんで不労なんですか
お金を投資してお金を増やすことがなんで不労所得なんですか?
不労所得ってのはバクチでゲットした金のようなことではないのですか?

相続税はもっともっと安くすべきです。
故人が残した財産を、子孫が譲り受けるのは権利でしょう。
相続税は出来る限り安くすべきです。

244大神:2003/08/28(木) 01:15
>>242
 (2)は難しいね。程度問題もあるし。
だからそのことの話をするつもりは無いし、武蔵君あてに書いたことその
事を述べる必要はないからね。

だから(2)の君の意見に賛成も反対もなにもしていないんだ。

245うろちい:2003/08/28(木) 19:56
>>243 cathoderay さん
>なんでカネをおおく残して子供にやったらいかんのでしょうか?

弊害はハッキリしていますね。
私有財産を前提とした資本主義と血統に基づいた財産相続の結果は事実上の血統に基づく身分制度ですから。
そういう制度を全く放置したら、死ぬか生きるかギリギリの下層階級と、集約した富を持つ一部の上流階級とに分離するでしょう。
互いが富の増殖合戦とその相続を続けたら、結局足の引っ張り合いになって、多くの人の場合が自分の望む結果(子孫により多くの富)を手にできません。
ただしそれは資本主義と相続を「全く」野放しにした場合であって、実際の各国の制度はその最悪の状態は回避するようにいくらかは努力されています(じゃなきゃ革命起こるから)。
このスレッドで最近話し合われていることは、「その努力をどのくらいにしようか?今のままで良いのかな?」ってことだと思います。

>お金を投資してお金を増やすことがなんで不労所得なんですか?
>不労所得ってのはバクチでゲットした金のようなことではないのですか?

言葉の定義上、投資して稼いだ金を「不労所得」って言います。
そんだけのことです。

>相続税は出来る限り安くすべきです。

その「出来る限り」がどの辺か、っていう話し合いをしているのだと思いますよ。
根拠無しには「全くできない」という選択肢もとりあえずは除外できません。

246ぼーん:2003/08/29(金) 11:33
>>244
> (2)は難しいね。程度問題もあるし。
::
> だから(2)の君の意見に賛成も反対もなにもしていないんだ。

いえ、問題があることを否定しないなら、この場合賛成してもらっているのと同じです。
(別に、あなたの意図を拡大解釈しているのではなく、
元々僕が同意を確認していることの内容がそれだけ少ないという意味です。)

247大神:2003/08/29(金) 18:46
>>246
 なるほど。

248cathoderay:2003/08/29(金) 19:22
>>245 うろちいさん なるほどよくわかりました。


しかし、私は階級であるとか身分であるとかいうのが
現在でも残ることに反対していません。
それもアリだとおもっています。

全員が等しい身分である というのはあんまり魅力的には思えないのです・・・・

249大神:2003/08/29(金) 22:36
>>248
 身分、階級は文化や伝統とも関ってきますからね・・。

250イカフライ:2003/08/30(土) 23:29
cathoderayさんへ

 もともとは、世界における富の不均衡を軽減するにはどうすれば良いか?
という方向で始まったお話です。
 相続税の話も、その流れだとは思うのです。
 ただ、私は、今の日本の現況において、現行の相続税が高いのか、安いのか、まだ、判断は出来ません。

 また、身分制度についても、全ての階層をなくすべきかどうか?というのは、これからの話だとも思います。
 これも度合いの問題だとは、思います。

 バングラディッシュの話でもあったように、日本ではホ−ムレスになっても、満足にとは言えないにせよ、最低の医療を受けられる。
けれど、バングラの路上の子供達は重病になってもただ死んでいくだけではないでしょうか?

 そういった不均衡をなくしていくにはどうするか?だと思うのですが。

251cathoderay:2003/08/31(日) 03:18
>>250

なくしてしまうのはどうかな? って考えです私は 不均衡こそが
人間の進歩の根源ではないかと


あと、相続税の高さによって高額な美術品が流失してしまうことが多々あるので
私はどうかなとおもいます、貴重な美術品にかぎっては相続に特例を認めるべきではないかと。

アホたかい相続税がくるので、贋作だったことにして画商とナイナイしてしまう
贋作を用意する・・・・その段階で散逸してしまったり 裏へいってしまったり
故人があつめた有数のコレションがいつの間にか画商にだまされナイナイになったりしては
損失ではないかとおもうのですが・・・

まぁ美術品っていっても、高島屋や三越が売りにくるようなのにはロクなのがないのですが・・・・
おっと脱線・・

252武蔵:2003/08/31(日) 18:27
長らく留守をしておりました。
土地家屋の問題。
憲法第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

その、生存権の一部としての居住権が保証されなければなりません。
生存権の一部である居住権程度の住居は、親の代から住んでいたものであれ、自分が買ったものであれ、いかなる事情によっても取り上げられるべきではないと思っています。
その上に立って考えて、私は、所有者の死去によって所有権があらかた消滅するという制度がいいと思っています。
生前贈与にしろ相続にしろ、相当程度の税負担をした上で残りを取り分にする。
相当程度というのは、このスレに来ている人の中でも割れるところだと思いますが、
私は累進課税にして、最高は90パーセントくらいでもいいと考えています。

253武蔵:2003/08/31(日) 18:28
>>251

>あと、相続税の高さによって高額な美術品が流失してしまうことが多々あるので
私はどうかなとおもいます、貴重な美術品にかぎっては相続に特例を認めるべきではないかと。

高額な美術品が流出する理屈にはならないと思いますが・・・・
美術館が買い取りやすくなって、個人の所有物(秘蔵品)ではなくなり公共性が増すでしょう。

254cathoderay:2003/09/01(月) 00:25
失礼ですが・・・・それはタダ単に「持たざるものの僻み」でしかないのでは?

自分の腕一本で財産を築きあげた人が自分の死後に
わざわざ自分の能力で稼ぎ上げた財産を他人に、わけてやる必要など微塵も感じませんが。

どうして財産を持つものが持たないものに強制的に財産を分散してやる必要があるんです?
金持ちは多少の財産を残す  もたざるものはもたざるまま
それがあるからこそ、人間は働いてちょっとでもいい暮らしをしようとするのでは?

私はお金持ちはお金持ちのまんま置いておくほうが景気によいとおもいます。
どうせ貧乏人が多少の、おこぼれをもらったとしても、それこそ溜め込むだけなのではないかなぁ・・・

255イカフライ:2003/09/01(月) 00:35
>>251

>なくしてしまうのはどうかな? って考えです私は 不均衡こそが
人間の進歩の根源ではないかと

これは、私の言い方も不充分だったのですが、全て平等にせよ、なんていう気はありません。
 
 ただ、その不均衡の度合いです。
 あなた自身もバングラディッシュのストリ−トチルドレンをみて
「彼らはもっと人間らしい生活をすべきじゃないのか」
と思われたのでしょう。
 そういうことです。

256イカフライ:2003/09/01(月) 01:36
 相続税については、確かに難しいです。

 私はたいした家の出ではないし、自分の育ったところも、それほそ裕福な地域ではありませんでしたが、東京23区の結構便利はよい場所だったので、バブルの頃はかなりの地価になりました。
 昔、田中角栄が東京に3代住めば家なんて国の物になる、と言いましたが、実際、その頃におじいちゃんが死んで家を手放した人も多かったです。
 一応、東京に実家がある、ということは、私は持つ者なのかなあ、あまり実感ないですが。

 と、脱線しましたが。

 >金持ちは多少の財産を残す  もたざるものはもたざるまま
それがあるからこそ、人間は働いてちょっとでもいい暮らしをしようとするのでは?

基本的にはこれは間違っていません。
ただ、あまりにも差が大きすぎると、底辺に産まれた人間は彼我の差が大きすぎて這い上がれない。
まあ、これはうろちいさんが言われていますが。

福祉というのも、やりかたを一歩間違えると、勤勉で有能な人間がやるきのない怠け者を養う、という結果になりかねません。
そうなると、頑張って上を目指して努力すること自体、あほくさくなって、その社会自体が衰退します。
かといって、この不景気に例えば年金を下げたり雇用保険を廃止したりすれば、生活不安が募って、ますます景気が悪くなる。
この兼ね合いは難しいのですが。

257武蔵:2003/09/01(月) 12:38
無主の木というものは、共有財産とも考えられます。
その木から果実をもぎ取ったものに半分の権利があるとして、
その半分を自分で消費する場合は問題がないが、
余剰が出たときの分配(贈与)の権利はどの位あるかということですね。
1.100パーセント所有者にあるか、
2.または分配権も半分であって、残りは共有にするか
3.オノレの必要分以外は共有とするか。
私は 2 の立場ですが、個人所有が多くなれば累進的に多くを公共の場に出すべきだと考えます。

258ぼーん:2003/09/01(月) 17:38
>>257
自分の物をとって、その残りを分配&贈与にまわす、という言葉の使い方をしてるみたいですが、
そこが多分混乱の元です。

贈与することができるのは、自分の物だけです。
だから、まず、何かを生産したら、自分の物と、残り、に分けます。
贈与したいなら、自分の物の中から好きにすればいい。(自分の物=自己消費+贈与)
生産物−自分の物=残りについては、共有物にし、分配にまわします。
この分配において、生産した人の希望は関係がありません。

# 生産物は、「自分の物」と「共有物」に分けられます。
  「自分の物」は、「自己消費」と「贈与」に使われます。
  「共有物」は、あるルールにしたがって分配されます。

# 私的所有権の神話とは、「生産物」=「自分の物」という発想を前提することを当然と考えることです。
  (「共有物」=0 の場合ですね。)

# 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
  「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。

259武蔵:2003/09/01(月) 18:45
>>258

>自分の物をとって、その残りを分配&贈与にまわす、という言葉の使い方をしてるみたいですが、
そこが多分混乱の元です。

分配について、
生産についての分配と、その分配分の再分配を分けているんですが・・・

>贈与することができるのは、自分の物だけです。――1.
>自分の物=自己消費+贈与)――2.

この2の場合にも、無条件100パーセントの贈与は現在でも認められていないのですが
ぼーんさんは、
>>257 の 1.つまり「余剰が出たときの分配(贈与)の権利はどの位あるかということですね。
1.100パーセント所有者にある」
を取られるということですか?
自分の所得から贈与するときには、贈与税を設定しないという説なのですか?

260ぼーん:2003/09/01(月) 18:58
>>259
原理的なレベルではそうですね。
所得から所得税が引かれ、その残りを処分するときに、またぞろ贈与税がかけられる、というのは、原理的には二重課税だと思います。
そのレベルだけで思考するならば、「生産物をすべて取得することはできない」としても、自分の私的な取得物をどのように処分するかは、
その人の自由であるべきと思います。

# そうなると、贈与税ゼロ、相続税ゼロ、すら視野に入ってきます。
  最終的にそう主張する気はありませんけどね。↓に続きます。

原理的レベルの考察を元に制度設計を考える段階になると、話が少しずつ変わってきます。
所得税を引いたあと、完全に所得が均一になってしまうと、いつも話題になっているように、労働のインセンティブをそぎます。
ですから、「ある程度」は、「たくさん働けば、たくさん生み出せば、手元にもより多く残る」というルールが導入される必要があります。
その結果、どうしても不平等は生じます。

# この場合、今の世の中がそうであるように、より多く生み出した人がより多く手にする、わけです。
  しかし、「それが当然正当だから」ではなく、「そうしないと別のところで困るから」という風に、
  そういうルールを採用する根拠は変わっています。

で、その生じてしまう不平等の程度によっては、贈与税や相続税で調整する、という可能性は出てきます。

# 完全な再分配を制度化することは、労働のインセンティブとの両立が難しいから、そこを緩めて、
  贈与税や相続税で調整する、という発想なわけです。

僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。

261ぼーん:2003/09/01(月) 19:07
補足。

> 原理的レベルの考察を元に制度設計を考える段階になると、話が少しずつ変わってきます。
> 所得税を引いたあと、完全に所得が均一になってしまうと、いつも話題になっているように、労働のインセンティブをそぎます。

武蔵さんが「完全均一所得を主張している」という意味ではないです。もっと完全均一所得ではなくても、
生産の成果に応じて十分に取得物が増えていかないならば、やはり労働のインセンティブを大きくそぎます。
ことは、程度問題です。

262武蔵:2003/09/01(月) 19:16
>>260 >>261

>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。

この異なる点と言うのを具体的に書いてくださいませんか?
私は異ならないと思っているので・・・・誤解されているみたい。

>生産の成果に応じて十分に取得物が増えていかないならば、やはり労働のインセンティブを大きくそぎます。
ことは、程度問題です。

どうしても同じことを述べているように思います。
解説のほうよろしく。

263武蔵:2003/09/01(月) 19:30
続き。

否定しない理由の違いという点において、
ぼーんさんは「労働のインセンティブ」という方向にバランスを向けられたということでしょうか?
私は、「労働のインセンティブ」ということにおいても、
人生のスタートラインの大きすぎる差異は、労働のインセンティブをそぐものがあると思っています。
頑張ったってどうなるものでもない、という無力感は頑張る意欲をそぎますから。

264イカフライ:2003/09/03(水) 13:30
 あの……今更ながら話を引き戻してしまうようで、本当に悪いのですが。
 「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものであるが、そのうち何割かを公共物として提供している。
というどではなくて、本来公共物である果実を、労働した分だけ自分で貰う、ということなんでしょうか?

 う-ん、しかし、これって結果は同じじゃないか、と思うんですが、なんか、意味あるんですかね?

 あとは、この公共物(現実的には税金ですよね)の割合を何割にするかとか、それをどのように使うか、ということじゃないかと思うんだけれど。
違うのかな?

265武蔵:2003/09/03(水) 14:41
>>258

># 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
  「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。

☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済
の上に立って、贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)

こういう風な違いを考えておられるのでしょうか?

そういう意味で
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
と言われているとすれば
まだその違いが分かるほどには話し合いは進んでいないように思うんですが・・・・

266武蔵:2003/09/03(水) 14:55
>>265 の、2番目の☆に書き加え

☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済
の上に立って、「自分の物」については贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)のがぼーんさん。

267ぼーん:2003/09/05(金) 08:41
>>266
>>265

> ☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済

は違います。

共産主義経済は、

「生産物」=「共有物」

です。

268ぼーん:2003/09/05(金) 08:43
>>264
>  あの……今更ながら話を引き戻してしまうようで、本当に悪いのですが。
>  「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものであるが、そのうち何割かを公共物として提供している。
> というどではなくて、本来公共物である果実を、労働した分だけ自分で貰う、ということなんでしょうか?

違います。どういう所有権の割り当て方であれ、「それが正しいから、それ」と言えば、それは嘘(=神話)です。

>  「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものである

が神話です。

じゃ、どれだけが自分のものなんだ?というとき、それが全部であれ一部であれゼロであれ、どれを言うにせよその確固たる根拠はありません。

269武蔵:2003/09/05(金) 18:05
>>267

訂正します。
―――
># 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
  「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。

☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――中国的共産主義改革開放
の上に立って、贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)のがぼーんさん。

こういう風な違いを考えておられるのでしょうか?

そういう意味で
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
と言われているとすれば
まだその違いが分かるほどには話し合いは進んでいないように思うんですが・・・・

270武蔵:2003/09/05(金) 18:34
>>267

「極めて重要な違い」である「異なる」「否定しない理由」を
教えて下さいというのが、レスの主旨なのです。

271武蔵:2003/09/05(金) 18:51
>>267

私が
☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
であると解釈していなさるなら少し違うのですが。。。。
ともかく、ぼーんさんがどう解釈なさって

>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。

こう言っておられるのかということをずっとお聞きしているのです。

272三毛猫ナナ:2003/09/05(金) 19:04
>>268
ぼーんさん(ぽーんさんじゃないのねゴメンなさい)の
お話にチョットだけ付け加えをします。

『どれだけか自分のものなんだ?』

この問いの答えは…
『それは私達が決めていく事なんだ』
ですよね、ぼーんさん?

#私の立場で言えば『所有権割り当ての本質は社会的に
 構築されている』となります。
 『私的所有権の神話』という現実は事実ではありません
 からね。

273ぼーん:2003/09/05(金) 23:07
>>272
そのとおり。

とだけひとまず述べておきます。

274ぼーん:2003/09/05(金) 23:11
>>武蔵さん

違うのか、違わないのか、分かりませんが、僕が違うと感じるのは、
僕の出発点が>>272にあるのにたいして、武蔵さんの出発点がどこにあるのかがわからないからです。

どういう所有権構造を選ぼうとしてるのか、という意味では、多分違いはないです。
が、なぜ現行の所有権構造を変更できるのか、という理由づけの点ではどうなのかわからんのです。

275武蔵:2003/09/06(土) 07:22
>>274

>武蔵さんの出発点がどこにあるのかがわからないからです。

分からない場合は「違う」ということになるのでしょうか?
あっちこっちに、以下のようなことを書いています。

>>210
>私的所有権が、
もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。
>>210
>だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。

つまり、わたしは
「生産物」=「自分の物」+「共有物」
と言っているわけですから、ぼーんさんはそれ以外の主張をなさっているということになるのですか?

つまり
「『それは私達が決めていく事なんだ』」
のなかに、
☆「生産物」=「自分の物」
☆「生産物」=「共有物」
も含めて、私たちみんなで考えていくものなんだよといいたいのですか?
その場合何故わたしの
☆「生産物」=「自分の物」+「共有物」
を排除して、
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。

という風に、「極めて重要な違いがある」とまでおっしゃるのでしょうか?

276武蔵:2003/09/06(土) 19:29
私の出発点を書いておきます。
これは経済や税制だけにいえる出発点ではありません。
だから「経済や税制については、どんな具体的なほう方がいいのか」は模索中です。
詳しい方が、税制にはこういういくつかの具体策があり、それぞれにはこういうメリットとデメリットがある
と指摘していただければ考えやすいです。
ハナから、「極めて重要な違いがあります」というのでなく。
---
やる気には2種類あると思います。
上を目指すやる気と底から這い上がるやる気と。
その内、上を目指すやる気は比較的持ちやすいと思うのです。
その気にもなりやすいし、やればやるほど手ごたえもつかめます。
成績でいうと、ちょっと基礎が出来ていれば、やればやっただけの手ごたえがあります。
だけど、子供時代につまづいた子は、まず、やることの手がかりがつかめない。
ちょっと手伝って、基礎的な手ほどきをすると、分かったことの喜びは持つけれど
それが成績には繋がらないし、やる気が継続しないんです。
もちろん血のにじむ努力を継続することも、全くありえないことではありません。
英雄伝に出てくるような人の存在は確かにあります。
だけど、諦めてしまうケース(砂)の中から宝石を探すより少ないのではないでしょうか?

全体を向上させるには、先頭を引っ張ることと、底辺をかさ上げすることの両方があると思います。
先頭を引っ張ろうとする人は嫌ほどいますから、
私は底上げをすることに力を出そうと思って生きてきました。
それがどんな問題に対しても取ってきた私の生きる姿勢です。

男女の格差は、一次的には女性にとってしんどいことですが
男性にとっても、責任の重さというしんどさを押し付けられています。
最近の自殺者の傾向の中にも、責任の重さやプライドの重さに耐えられなくて
ということがあるようです。

トップを目指す種類のやる気をそぐ政策を取るべきだとは思いません。
トップが輝くことは、トップを目指すことが(実質的には)出来ない人にとっても夢です。
しかし、それは基本的にはその人一代で終わってもいいのではないかとすら思います。
現在は3代で食いつぶすと言われているようですが、本来スタートラインはずいぶん優遇されているのですから、2代目3代目が人並みに頑張れば増やすことが出来て当たり前でしょう。
それより、スタートラインから落ちこぼれる人間を減らしていく方が
社会の活性化に繋がると思うのです。
(世界的には教育を、というのもその点からです)

丸っきりの均等化なんてものは、お互い目指していませんね?

わたしとぼーんさんとは
程度の差なんでしょうか?
基本的な考えの違いなのでしょうか?

277ぼーん:2003/09/08(月) 10:18
>>275
たとえばこれですけどね。

> >>210
> >私的所有権が、
> >もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
> >親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。

(1) もぎ取ったりんごの全てに私的所有権を認めない。
(2) 私的所有権を認めたりんごのすべて(すべてのりんごではない)に譲渡する権利を認めない。

武蔵さんの中では、これらがごっちゃになってるみたいなんです。

で、(1)については同意するんだけれども、(2)については同意するかどうかは分からないです。
少なくとも僕の場合、(2)は(1)とは違う論点ですから、(1)とは違う理由で同意すると思います。
武蔵さんの方は、そもそも違う理由で、と考える以前に、(1)、(2)の論点がごっちゃになってる。
だから、「同じではありえない」と思います。少なくとも現時点で。

(1)と(2)が違う論点であることが分かったなら、その上で武蔵さんが(1)と(2)のどっちを主に
批判したいのかが分からないんです。しかし、今までの書き方の印象からすると、(2)の方にずっと
重きを置いているのかな、と思う。だとすると、僕は(1)の方に重きを置いているので、ちょっと違う。
((1)に重きを置いているなら、その点では同じ。)

> 「生産物」=「自分の物」+「共有物」
> と言っているわけですから、ぼーんさんはそれ以外の主張をなさっているということになるのですか?

そこは同じですよ。ただ、武蔵さんにおいてそこに至る道筋が同じなのか分からない。
その上で、

> 「生産物」=「自分の物」+「共有物」

だとして、そこから相続や贈与を制限すべき、という理屈は出てこないんですよ。
で、武蔵さんは相続や贈与を制限することをかなり強く主張なさってる。
結論としては、僕も同意すると思うけど、武蔵さんの場合はどういう根拠で反対するのかな、と思っています。

278反吐が出る:2003/09/08(月) 10:45
>>277

ありがとうございました。これでだいぶん分かってきました。
2項目をもう少し厳密に書き換えさせてください。

(1) もぎ取ったりんごの全てには、私的所有権を認めない。「生産物」=「自分の物」+「共有物」

(2) 私的所有権を認めたりんごのすべて(すべてのりんごではない)に、無条件では譲渡する権利を認めない。

私はおっしゃるように、(2)の方に重点をおいています。
理由は、100パーセントに近い譲渡(相続)が繰り返されると
富の偏在が固定化するからです。
戦前のように、他人の土地を踏まずに自宅に着くなんて富者が生まれるのは好ましくない。
アメリカのように富者の地域を設けて軍隊並みのセキュリティ―を施してもまだ不安コミュニテイーができるのは好ましくない。
人間の生まれながらにしての不平等が強化される。
これは貧乏人にとっての不満はもちろんのこと、富者にとってすら安全な社会とは言えない。

(1)も問題ですが、公共の福祉に潤沢な金がある限りは、能力と努力に応じた分配がある方が、
  やる気が起こるし、能力のないものにとっても夢だけはもてるからです。

279武蔵:2003/09/08(月) 10:46
ばれちゃったね。
名前って残るんだ!!

280イカフライ:2003/09/08(月) 14:17
>>272
>『どれだけか自分のものなんだ?』

>この問いの答えは…
>『それは私達が決めていく事なんだ』

その割合は、100パ−セントかも知れない、50パ−セントかもしれない、もしかしたら、ゼロかもしれない。
 けれど、その割合のどれもに根拠はない、ということですね。
(やっと解った(^^ゞ)

 みんなが、なるべく飢えないように、かといって、頑張って果実を取る人が、その努力が報われないことのないように、ちょうど良い割合を決めていきましょう。
 って話ではないでしょうか?
 少なくとも、私は、そういう話をするつもりでいるのですが。

 で、今度は、ナナさんの

>『所有権割り当ての本質は社会的に
 構築されている』となります。
> 『私的所有権の神話』という現実は事実ではありません
 からね。

 実は、これがよく解りません。
 つまり、社会情勢や環境によって、所有権の割り当てが決まっていく、ということでしょうか?

281<未入力>:2003/09/08(月) 15:29
>>279
な〜んだ!(激藁

282武蔵:2003/09/08(月) 15:36
はい。な〜んだ!(激藁  です。
もともと武蔵で書いてたんですけどね。最後に反吐が出ると書いたら
看板に上げたくなった(笑)
しかし、続けることもできず静観していたから・・・・忘れてた。
いつもハンドルいちいち書かなくても便利しているのに、気がつかなかった(^^ゞ

283武蔵:2003/09/08(月) 16:32
>>278
2項目についてもう少し細分化してみましょう。

(1)「生産物」=「自分の物」+「共有物」
と言う場合、もぎ取った果実の何パーセントを共有物にするか
について、私は非課税部分(控除)からはじまる累進課税を考えています。
(2)私的所有権が認められた財産を譲渡する場合にも、
非課税部分(控除)を残し、後は累進課税を考えています。

その上で、自ら得た所得の方が、他の人からの贈与より優先されると言う考え方です。

284281:2003/09/08(月) 16:56
>>282
いや〜、愛嬌があるよ。(笑
そういうところが、君のいいとこだよ。

285実は:2003/09/08(月) 17:11
実は野次豚も君でしょう?

286武蔵:2003/09/08(月) 17:28
>>285

「実は」さんが「野次豚」さんではないのですか!?!
ともあれ、レス違いの雑談はここまでね。

287武蔵:2003/09/08(月) 19:57
>>277

>だとすると、僕は(1)の方に重きを置いているので、ちょっと違う。

私は(2)の方に重きを置いているから、確かに違いますね。
ぼーんさんが、どういうわけで(1)に重きを置いてられるのか、説明していただけないでしょうか?

私が見たところ、贈与する側に重点を置いて、自分の私有財産なのだから、自分に贈与の権利もある(私もそれは認めているのですが、100パーセントの権利を認めないです)
と言われているようです。
わたしは、贈与を受ける側の権利に重点を置いて考えています。

産まれる子供は親を選べない。
所得の多い親に育てられた子は、教育をはじめ全ての面で恵まれたスタートを切ります。
それ自身が、とっても大きい財産贈与だと思うのです。(もちろんそれを否定する気はありません)
その子が普通に働けば、他の子より大きな収入を得ます。
その子の子は、他の子の2乗の恵まれたスタートを切ります。
そういう意味で、それ以上の形に見える(金や家屋)財産を残されなくっても
すでに大きい財産を受け取っていると思っています。
子孫に美田を残さず。残すのは教育だけ。そういう心意気があってもいいと思っています。
(相続税100パーセントを主張しているのとは違います)
ぼーんさんのお考えを聞かせてください。

288ぼーん:2003/09/09(火) 14:16
>>287
すべての人に教育を受ける機会が保障されることには基本的に賛成するけど、
すべての人が教育において等しい可能性を持っているわけではなく、
事実として能力の差はあり(あるいは、現在の教育が伸ばすことのできる能力は偏っており)、
教育は万人に等しい何かをもたらすようなシステムではないと僕なんかは考えます。

誰か教育を受けたい、というときに、それが本人には克服できないどうしようもない経済的事
由によって不可能となるならば、それはアカンとも思いますが、教育を提供すべきということ
と、教育以外の何かを提供してはいけない、ということはまったく別の話です。

僕は子供に教育を残してやろう、という親の心と、子供になにがしかの財産を残してやろうとい
う親の心との間に、僕は上下をつけません。

289武蔵:2003/09/09(火) 16:17
>>288

>すべての人に教育を受ける機会が保障されることには基本的に賛成するけど、
すべての人が教育において等しい可能性を持っているわけではなく、

そりゃあそうですよ。
同じスタートラインから、同時に同条件で走っても、1等もいればべったこもいる。
だから、能力と努力を評価するにやぶさかではありません。
それでも、同じスタートライン(とまですら行っていないですよ、現実のかけっこは)
を保証できる世の中、あるいは、それに近づく世の中でありたいと思います。

>僕は子供に教育を残してやろう、という親の心と、子供になにがしかの財産を残してやろうとい
う親の心との間に、僕は上下をつけません。

この二つの親心は、二者択一のものでしょうか?
教育を一切つけないで、財産だけを残してやろうとする親っているとお考えなのでしょうか?
私には、教育にかかる費用を惜しんで、遺産を残そうとする親って考えられません。
そして、教育を付けた上でなおかつ財産まで残してやれればそれに越したことはないでしょう。
しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。
贈与税、相続税を累進的に支払うということは、「我が子」だけではなく「社会の子」を育てる大事な資金ですから。
そして、社会の子のレベルが上がることは、我が子にとっても大事な社会が育つことですから。
我が子だけが豊で何不自由ない生活をしても、社会が貧困と無知と暴虐の巷では
我が子の生活は保障されません。

290武蔵:2003/09/09(火) 16:50
>>289

文の切り方が変でした。

しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。

しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか?
私は、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。

291武蔵:2003/09/09(火) 18:03
追加。

もし、親が教育不要論を持っていて、教育をつけない代わりに財産を残したいというなら、
その子の教育にかけるべき金額を贈与財産の課税額から控除するということもできますね。

292三毛猫ナナ:2003/09/09(火) 20:33
>>280 イカフライさん

混乱させてしまい申し訳ありません(ぺこり)
話の内容はイカフライさんが解釈されている
とおりです。

>>272の私の発言は同内容を言い方を代えて
二度述べているだけです。

293ハンドレッドソード:2003/09/17(水) 14:10
朝鮮族に対する真実を知っていますか? (Res:2) All First100 Last100 INDEX SubjectList ReLoad ▲2▼

1 名前: ハンドレッドソード 投稿日: 2003/09/17(水) 13:35

ここに来ている人達の多くが 
チョソン捏造に騙されすぎていないでしょうか?

正直彼等の多くが既に嘘を認めている 
在日朝鮮人の由来(嘘強制連行)も 
民団が既に真実に近いものを発表さえしている
それが現実である。

そして併合も暗殺を利用して 
ロシアに拒否されたものを無理やり受け入れさせたに過ぎない

このスレの2以降は自分はこんな嘘に騙されていた!
ってのを時々載っけてくれる人がいると助かる とりあえず以上。


2 名前: ハンドレッドソード 投稿日: 2003/09/17(水) 13:36

http://japanese.joins.com/transboard/jp_bbs/list.html?tname=history&page=1&startpage=1
ここで真実を体得する事を望む

294ヨッサリアン:2004/07/28(水) 08:07
ご自分で意識されているかどうか分かりませんが、ぼーん氏のα理論はなかなかSFしてますね。
本気でSFを現実化しようとしているらしいぼーん氏はマッドサイエンティストみたいでなかなかカッコいい。
まあぼーん氏は科学者ではないみたいなので「裏庭で作ったタイムマシン」みたいな成果を期待できないのは
ちょっぴり残念・そして大いに安心です。

α理論が現実化する世界を描いたSF作品に
「終わりなき平和」 ジョー・ホールドマン 創元SF文庫
というのがあります。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/peace.html
 「終わりなき平和」である。まさに、人類の永遠のテーマにまっこうから挑んだタイトルである。いったい作者はどんな
 回答を出すのかと期待と不安を半分ずつ感じながら読んだのだが……実のところ、読後感はかなり複雑である。
 この作品の結末をどうとらえればいいのか、私にはいまだに判断できないでいるのだ。
 まず誰もが考えるのは、すべての人々に物資が行き渡れば、平和が到来するんじゃないか、ということ。本書の世界
 ではナノ鍛造機という無尽蔵にモノを生み出す魔法が実現しているけれど、それでもまだ平和は訪れていない。それ
 ではいったいどうすればいいのか。作者の答えはかなり大胆だ。
 精神医学に、「自我境界」という概念がある。幼児期には自己と宇宙は一体だけど、成長するにつれてだんだんと自己
 と非自己の境界が生まれてくる。ところが、分裂病などではこの自我境界が弱体化してしまい、「自分の考えは自分の
 頭の中だけにおさまっていないで、まわり中に広がり、同時に、すべての人々の頭に浮かんでいる」という体験をする
 ことになる。
 本書で描かれるのは、まさにこの自我境界喪失が日常になった世界である。兵士たちは電子的に脳を結合し、基地に
 いながらにして戦場にいる戦闘ロボットを操る。部隊の中で思考は共有され、部隊は特別な絆で結ばれる。そしてこの
 技術がやがて世界を変革し、終わりなき平和を導くことになるのだが……。
 しかし、境界が消滅した世界に、人は果たして耐えられるのだろうか。そして耐えられるようになったとして、それはまだ
 人間といえるのだろうか。「終わりなき平和」が到来するには、人が人ならざるものにならねばならない。これが作者の
 回答なのだ。
 おそらくこの物語の結末はさまざまな議論を生むだろう。私個人の意見としては、人を殺すことができない新人類の誕生は、
 三原則に縛られたロボットを思い出させる。結末に訪れるのは、実は洗脳の楽園なのではないだろうか。そして、そこまで
 しないと訪れない「平和」なるものにいったい価値があるのだろうか。
 作者の真意がどこにあるかはこの際あまり重要ではない。本書は読み終えた後にさまざまなことを考えさせてくれる作品
 である。そして、本当に優れた小説とはそういうものだろう。

私もこの書評に同感です。
すべての人が本心から「全ての人に等しい価値があるものと見なす」ようになれば、
それは私の考える人間らしさを失った(あるいは、もっと良いものに造り替えた)別の生物でしょう。
私はそういう生き物にはなりたくありませんね。なんだか蜂やアリみたいですから。
命の価値が平等な蜂の社会よりも、自分勝手で色々な個性を持った人間が作る社会のほうがずっと面白い。
面白く生きるのためにはある程度のリスクも忍びます、人間らしくあるために。

295ヨッサリアン:2004/07/28(水) 08:09
「終わりなき平和」の世界の先にあるのは
「アルファ・ラルファ大通り」 コードウェイナー・スミス 早川文庫(「鼠と竜のゲーム」収録)
の世界かもしれません。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/ratdragn.html
 天候や病気はもちろんのこと、人々の寿命さえコントロールできるようになった世界において、《人間の再発見》の名のもとに、
 古代の文化と古代の言語と、古代の災厄までもわざわざ復活させた、新しい世界を築こうとしている様子が描かれている。
 完全な保護によって成立した完全な世界――ユートピアの、さらにその先を表現しようとしたのは、あるいは著者がはじめて
 ではないだろうか。

遥か遠未来の人々が「事故や病気の可能性」を新しく手に入れたことを喜び、はしゃぎまわるシーンには驚きますが、
危険なスポーツに熱中し、健康に悪い食べ物を好んで食べたがる現在のわれわれと、実は本質的に同じなのではないでしょうか。
絶対平和のユートピア、ってのはどうも退屈みたいですよ。
「都市と星」 アーサー・C・クラーク 早川文庫
も、超未来の閉ざされたユートピア都市からの脱出を描いた名作です。
そのほかにもSFには平和や戦争について可能性の極限を追求した作品がたくさんあります。
まじめな平和主義者の人たちも頭の体操のつもりで読んでみてください。
視野が空間と時間、さらには人間性の枠をも越えて大きく広がるものと思います。

296三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/28(水) 20:00
)理論が現実化する
理論は、あくまでモデルであり、ぼーん氏の理論は
ウェーバーの理念型である事を理解されていますか
? 
ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』(社
会学の基礎理論の一つです)に対する批判として『理
論と現実が違う』と指摘する方と同様の的外れな批判
と言えますね。

理論はあくまで理論であり原理主義的・教条主義的に
これを捉えるから、話の要旨を理解出来ないのです。
す。

297吉岡:2004/07/28(水) 20:43
ヨッサリアン氏

あなたの言う
「自分勝手で色々な個性を持った人間が作る社会のほうがずっと面白い。」と
いうことが、そのまま「α」だと思いますが・・・・
つまり
「己の個性を否定されないためには、他の個性を否定してはならない」
「己の個性が尊重され、同時の他の個性も尊重される」
ということで。
「己の自分勝手が、他の自分勝手を押し殺してはならない」とは言えましょうが・・・・

298イカフライ:2004/07/28(水) 21:42
>>294-295

ヨッサリアンさん、はじめまして。
 
コードウェイナー・スミス の「人類補完機構」クラークの「都市と星」懐かしいです。
結構,SF好きの人が多いですね,このサイト。
私もかつてはSFは良く読んだのですが,「終わりなき平和」 は未読です。今度,読んでみよう。

299ヤッス:2004/07/28(水) 22:20
どうせ「α理論」なんかとっくに破綻してんだから、いいじゃん。
ぐだぐだ言わなくても>猫

結局、「人類全員が同じ価値観と同じ夢を見るのはSFだ」ってことで、
それを改めて既存のSF書を例に感想を述べた人がいたってだけで。
なんでおまえはそうやって、理解されにくい呪文を唱えるのが好きなんだ。

300吉岡:2004/07/28(水) 22:29
ヤスツ氏

>「人類全員が同じ価値観と同じ夢を見るのはSFだ」

「α」というのは、違う価値観(を持つ相手)を尊重しよう、と言う理論であると読み取れたのだが・・・
つまり、他者の価値観を守ること(己の価値観を守る)が「α」だと思うのだが・・・
まるっきり正反対の読み取りをする方がいるのですね。

301スライムベス:2004/07/29(木) 00:59
私はα理論というのをはっきり解ってませんでしたが
(今も解ってない)、
確か
「自分の命と他人の命は同価値なので、
二者択一の状況で自分の命を優先するのは
αの理念に反する」
とか言ってたような。

議論には参加しませんでしたが
「α理論がそんなものだとしたら、
これはちょっとついていけんなー」
と思いながら
当時スレを読んでました。

302ヨッサリアン:2004/07/29(木) 01:08
> 三毛猫さん
あなたの言うことはまったく理解できないのでお返事はパスさせてください。

> 吉岡さん
「多様な価値観を認め合う」というのもひとつの価値観でしょう。
でも世の中には「俺様の価値観最高!他はクズ!!」という人もかなりの数いるわけで。
そういう人に無理やりだか説得に説得を重ねて(それって洗脳じゃないかという気もしますが)
「寛容」というひとつの価値観を押し付けるのは私の好みじゃありませんね。
私は「寛容真理教」が不寛容な一神教にならないよう願うばかりです。

> イカフライさん
こちらこそはじめまして。SF好きな人がいてうれしいです。
よく「銀英伝」(私は未読)を引き合いに出すヤスツさんあたりもSF者かな?と期待しているのですが。
ホールドマンの前作「終わりなき戦い」ハインライン「宇宙の戦士」もどうか機会があればお読みください。
それぞれ「終わりなき平和」の先駆的作品とアンチテーゼ(というか、こちらが元でホールドマンがアンチテーゼ)です。
オーソン・スコット・カード「エンダー」シリーズも『戦争と平和』ものとして完成度が高いです。

> ヤッスさん
破綻と言ってしまうと身も蓋もないw
私は現代において「ピンの頭の上で天使が何人踊れるか」みたいなことを真剣に!
考えている人がいることが面白くてなりません。
ぼーん氏はUFO学の重鎮、清家清(せいけ・きよし)氏とおなじくらい頭が良くて革新的な考えをお持ちだと感嘆するばかりです。

303ヨッサリアン:2004/07/29(木) 01:26
> スライムベスさん

すごい言葉ですよねー、「自分の命と他人の命は同価値」って。
口で言うだけなら簡単です、私だって何度でも言えますよ
「ヨッサリアンは自分の命と他人の命を同価値と信じている」
「ヨッサリアンは自分の命と他人の命を同価値と信じている」
「ヨッサリアンは自分の命と他人の命を同価値と信じている」
…えっ?くどいですか済みません。

で、そういうご立派な言葉を何度大声で、熱心に、涙を流しつつ叫んでも、
この掲示板の中の人も現実で私の身の回りにいる人も
「ああ、ヨッサリアンは本物の博愛主義者、平和主義者だなあ」などと思ってはくれません。
それどころか私の家族はきっと「何か変な宗教に騙されたに違いない」と心配するでしょうw
要するに、「自分の命と他人の命は同価値」と本当に信じているのなら
それにふさわしい行動をとらなければ意味がない。
あ、「自分は立派なことを言っている」「すばらしい思想を広めている」と思っていい気分になる、
という非常に個人的な癒し効果はあるでしょうし、それはその人限定で意味のあることかもしれませんね。
私ならそういう行いを「自己満足」と呼びますが。

304ヨッサリアン:2004/07/29(木) 01:52
さて、「自分の命と他人の命は同価値」という思想だか理念だかを
現実の行動として表し、皆さんに納得していただくためにはどうしたらいいでしょう?
私は無い頭を絞って考えました、そして思いついたのは
「誰かを救うために自分の命を投げ出す」ということ。
夏になると良くありますよね、「おぼれた子供を助けようとして水死」という事故が。
助ける相手は必ずしも自分の子供だけではなく、見ず知らずの子供である場合もあります。
そうやって人のために命をかけられる人間は立派だ。勇気がありすばらしい。
勇気も体力も高潔な倫理もないヨッサリアンでも、好きな女性が「あの娘を助けて!」
と言ったなら迷わず(嘘、絶対迷うだろう)水に飛び込んで自らの命をかけるでしょう。

「ああ、俺って立派だなあ。αを身につけているとボーン氏も認めてくれるだろう。
人格者として尊敬され女の子にもモテモテさ」
…などとにやけていたら、どっかから声が聞こえてきました。

「サダム・フセインと金正日が溺れている!助けられるのはお前しかいない!直ちに真冬のオホーツク海に飛び込め!!」

嫌です、絶対に嫌!!!
なんであんな悪党連中のためにかけがえのない俺の命を賭けなきゃならないんだよ。
やりたい奴はやればいいさ、止めやしない。
でも俺は悪党を救うために自分の命を散らすのは馬鹿げてると思うし、そんなことやるつもりはないね。
簡単に言えば  サダム・フセインの命の価値+金正日の命の価値 <<<< 俺の命の価値
ってことだ。天使だか悪魔だか知らないが、一般人の俺に馬鹿なこと命令するんじゃないよ。

あれ?これってα的に見てどうなの?やっぱりダメですかそうですか。
どうやら私には無理みたいですね、ボーン氏の考える積極的平和の実現される世界に生きることは。

305ヨッサリアン:2004/07/29(木) 01:56
>>304訂正。
ボーン氏 → ぼーん氏

ひとさまの名前を書き間違えるなんて、他人の尊厳を自分より重んじていないことの表れかも。
やはり私はαの体現者にはなれそうにありません。

306ヤッス:2004/07/29(木) 02:37
>>300
αってのは・・・
面倒だからコピペでいい?

-----

・「異なる立脚点の正義にも共通する要素があり、その共通項をαと名付ける。このαを軸足として共有できる人以外とは話はできない」
・αとは「全ての人にに等しい価値があるものと見なす」こと。αを認めることを「まともに対話するため」の最低限の資格条件とした
・αを受け入れない者とは対話は不要

1)αとは、正義の最低限の要請である。このルールは国境を越えて全ての人に等しく適用されなければならない。
2)αを認めた者は「正/不正」を問う資格があるが、認めない者にはそれがない。何故ならαは、何らかのルールが正義だと呼べるための必要最小限の条件だからであり、αを認めない者が「正/不正」を訴えるのは、論理的に矛盾するからである。
2)アメリカ人の大多数も含め、多くの人がαを受け入れている。だから、まずはその人達と話をする。認めない人や回答を保留する人は後回し。
3)αの認め方には誤っている場合もあるから、それを正してゆく。(正してゆく過程で、αを放棄すれば、これまた後回し。)
4)多数派がαを正しく認めたら、αを認めない人達は少数派になるから、彼等も損得からでもαを認めるようになる。(その時点で認めない人達と話す)

・αとは白紙委任状にサインを迫り、白紙委任状にサインをしたものだけを相手に契約の内容を後から知らせるもの

http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/dic/guide.cgi?action=view&amp;data=641
--------

307ヤッス:2004/07/29(木) 02:42
>>300-301
人類全員が同じ価値観と同じ夢を見るのはSFって話なんだけど、
元々「α」というのは、違う価値観であっても、その参加者の中にある
「共有できる価値観=α」があれば、同じ価値基準のテーブルの上に
のることはできるはずだ、という考えだったと思う。

でも、その「共有できるαってなに?」という部分をまったく詰めずに、
「なんでもいい。後から考える。αを共有できないものとは対話はできない」
(ぼーん)っていう話になっちゃったもんだから、
「そんなの契約内容を何も示さずに白紙委任状にサインしろ、できない
ヤツに対しては、α同盟はどんな酷いことをしても許される。同盟外だから」
という話になって、そんな話が通ると思ってんのかー!

・・・という結末になってぐだぐだになって消えた。確か。

308吉岡:2004/07/29(木) 07:54
スライムベス氏

>「自分の命と他人の命は同価値なので、
二者択一の状況で自分の命を優先するのは
αの理念に反する」
とか言ってたような。

このスレだけをざっと見ただけですが、
>44 などから見るに、
「優先してしまう」ことを認めた上で、
その状況が過ぎ去った後にも二者択一から一歩も出ず
「優先することに開き直っている」ことを問題ととらえているように思います。
「優先してしまった」ことでαの理念に反したことをとりあえず認める==認めることによって、
自分がαの理念に反した行動をとらざるを得なかった状況にメスを入れる必要がある・・・とまあそういうことではないかと・・・・
「戦争で中国人を殺した日本兵の場合」のたとえなどから、そう思います。

αの理念を持たなければ
二者択一の状況を延々と繰り返し、人類は滅亡する他ないでせう。

309吉岡:2004/07/29(木) 07:58
ヨッサリアン氏
>でも世の中には「俺様の価値観最高!他はクズ!!」という人もかなりの数いるわけで。
そういう人に無理やりだか説得に説得を重ねて(それって洗脳じゃないかという気もしますが)
「寛容」というひとつの価値観を押し付けるのは私の好みじゃありませんね。

私もそう思います。
誰かが「俺様の価値観最高!他はクズ!!」という価値観を持つのは勝手でしょう。
それを説得し続ける暇も根気もありません。
ただし「他はクズだから抹殺する」と言う行為に出た場合は、それも自由だとは思いませんが。

310うろちい:2004/07/29(木) 09:51
>>304 ヨッサリアンさん
>でも俺は悪党を救うために自分の命を散らすのは馬鹿げてると思うし、そんなことやるつもりはないね。
>簡単に言えば  サダム・フセインの命の価値+金正日の命の価値 <<<< 俺の命の価値
>ってことだ。天使だか悪魔だか知らないが、一般人の俺に馬鹿なこと命令するんじゃないよ。
>あれ?これってα的に見てどうなの?やっぱりダメですかそうですか。

でも俺は悪党を救うために自分の命を散らすのは馬鹿げてると思うし、そんなことやるつもりはないね。
簡単に言えば  サダム・フセインの命の価値+金正日の命の価値 <<<< 俺の命の価値
ってことだ。天使だか悪魔だか知らないが、一般人の俺に馬鹿なこと命令するんじゃないよ。

ヨッサリアンさんがサダム・フセイン並の悪党になった時に自分の命にサダム・フセイン並の命の価値しか見いださないのならαに従っていると言えます。

311うろちい:2004/07/29(木) 09:52
↑いかんコピペが一回多かった・・

312スライムベス:2004/07/29(木) 19:01
>ヨッサリアンさん、吉岡さん

>>44を読みますと、
「自分の命か他人の命か二者択一」
という状況で自分の命を優先することは
やはりαに違反するようですが、
また同時に
「必ずしもαを守らなくてもよい」
と言っているようでもあり、
どうもすっきりしないです。

三菱銀行立て篭もり事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/mitubisi.htm
の時は
銀行員が猟銃を突きつけられて
他の瀕死の銀行員の耳を切り落とさせられる
という出来事がありましたが、
少なくとも私にはこの銀行員を責めることは出来ません。
ということは私もα否定論者ということになるのかな?

αを認めたり実践したりするのは
相当良心のしきい値が高い人じゃないと
出来ないんじゃないか、という気がします。

313スライムベス:2004/07/29(木) 19:02
αの話の前段として、
「公平」スレで
概略以下のような事を書いた覚えがあります。

−−−−
「日本は北朝鮮のテポドンに狙われているんだから、
事の是非はおいといて
国益上アメリカのイラク攻撃を支持しないと仕方ない」
なんていう話をよく耳にするが、
イラク攻撃を支持しない事でいったいどれくらい
テポドンが落ちる可能性が増えるのかを考えた場合、
それはあまりにも日本人とイラク人の命の重さに
差をつけすぎているのではないか
−−−−

誰でも自分優先、自分の子供優先、自国優先という気持ちは
あると思いますが、
「自分(の国)さえよければ何でもいい」というのは行き過ぎです。
私もどちらかというと公平志向が強いんですが、
私の場合はあくまでも「程度問題」であり、
そこがα理論との違いなのかな?
と思ったりしています。

314吉岡:2004/07/29(木) 19:35
スライムベスさん
今絶体絶命、二者択一に状況下に置かれたとき
動物の自然の本能として、自分の命を救おうとする、
そのことを他人が責めると言う話ではないと思います。

客観的な価値観として、俺の命を人の命より価値があると考えその行動をとることが許されるか、
と言う問題だととらえています。
客観的な状況で、ルール作りをする時に、公平を基準にするのか、自分の立場しか考えずにつくるのか
ということではないでしょうか?
テポドンとイラクの話を、私も思います。

315ヨッサリアン:2004/07/30(金) 01:13
>>310
> うろちいさん

> ヨッサリアンさんがサダム・フセイン並の悪党になった時に自分の命にサダム・フセイン並の命の価値しか見いださないのならαに従っていると言えます。

ヨッサリアンがサダム・フセインなみの悪党になったときは、自分の命を他の誰の命よりも大事にするエゴイストになってます。
そのときには当然「サダムは死ね、俺は生きる」という選択をするでしょう。(自分の命>>>>サダムの命)
…なんだ、今と変わりないですね。それならすでに自分はちょっぴり(かなり?)悪党なのでしょう。
だからといって、ご立派な道徳家さんに「αに従ってないから悪党だ」と批判されても全く良心に痛痒を覚えませんね。

もう一度まとめると、「自分の命と全ての他人の命は同価値」とするα理論を実践する人とは、
「極悪非道の悪党2人以上の命を救うために、自らの決意のみで(業務ではなく)自分の命を投げ出せる」
人のことだと私は思います。
そういう人が絶対に居ないとは言いませんが、人類の大多数はそうではないでしょう。

自分の妻をレイプし、もてあそんで殺した悪党2人の命を救うために自分の命を投げ出せますか?
自分の命ならまだしも、自分の子供の命を「二人の命は一人の命より重いから」と犠牲に出来ますか?
それは心から「人間らしい」と思える行動ですか?
「平和な世界を作るために、全ての人はそのようにすべきであり、もちろん自分は実践する」と誓えますか?

私に言わせれば、α理論なるものは自然な人間性を捻じ曲げて「平和の奴隷」に仕立て上げようとする恐るべき考えです。
ある種不気味な美しさを感じますが、私はα理論が実現した世界に住みたいとはこれっぽっちも思いません。

316ヨッサリアン:2004/07/30(金) 01:47
>>313
> スライムベスさん

「日本がイラク戦争に反対することで戦争を防げた可能性」を考えてみてください。
私はほとんど0だと思ってます。
自己満足のためイラク戦争に反対のポーズをとり、結果として自国民に対するリスクを増大させるような
愚かな選択を小泉首相がしなくて良かったと私は心から喜んでおります。

> それはあまりにも日本人とイラク人の命の重さに
> 差をつけすぎているのではないか

イラクでの外交官殺害事件、カメラマン殺害事件ではイラク人も犠牲になってますが
ほとんど報道されず、総じて日本人は関心を持っていないようです。
報道量を見るかぎり、マスコミ人と疑問なく報道を受け入れている一般人の関心の持ち方としては
「日本人の命  5:1  イラク人の命」
くらいのようです(これでもまだ甘いかも)。

頭のいい人、道徳に厳しい人にとって「日本人の命の価値=(≒?)イラク人の命の価値」
なのが自明だったり譲れない正義なのかもしれませんが、
一般の日本人の実感としては「日本人の命の価値>>>イラク人の命の価値」なのでしょう。
私はそれを嘆いたり糾弾しようとは思いません、普通の日本人が「他国人の命の価値は常に+の値である」と考えれば充分です。

イラク人についてはいくらかでも関心を持ってもらえるだけマシですよ。
アフリカの内戦で死んでいく人たちはほとんど報道されず、優しい人に反戦デモもしてもらえません。
彼らが「日本人は俺たちの命の価値をゼロだと思っている」と主張しても私はそれに反論できないでしょう。

317ヤッス:2004/07/30(金) 02:35
おーい。
αの要約コピペは君ら読んだのか(w


α論のうちの「α」というものは、
・立場が違っても共有できる、最大公約数の正義
なわけだが。
だが、その「最大公約数の正義の正体」が語られないまま、
・最大公約数の正義であるαを共有できないものとは対話ができない。
・αを共有できないものは、αが保証する平和から除外し、α同盟が排除・攻撃してもαに対して矛盾にならない。
というものだったから、ずだずだのぐだぐだになったわけだが。

「絶体絶命の二者択一で、双方の命の価値が同じ」とかそういう命題とは全然違うものだったぞ。
議題を捏造すんな。>特に吉岡

318ヤッス:2004/07/30(金) 02:40
この「α論」の最大の問題はな。

「αが何か」を定義できないのに、αを共有しろ、と強制する点。
それと、
「正体のわからないαを共有する約束をした人間(国でもいい)以外は、
αの禁止する方法を用いても、α同盟(=αを共有する約束をしたグループ)
は、罰を受けない」
という考え方そのものだ。

つまりは、「異質な価値観の相違を認め合う世界=α論」じゃないんだ。
「異質な部分の中にある共通点(それが何かを定義せずに)を共有できないものを
排除するためには、正義=何かを禁止するαが、禁止していることそのものを、
同盟の外にいるものに行使してもよい、ということだ。

「核兵器の使用を禁止する=αだとして、それについて異を唱える、同意を得られない
ものに対して、【核兵器の使用を禁止する】ことに合意した集団が核兵器を使用しても
矛盾はなく許される」
という考えがα論なんだな。

自分で自分に課した禁止条項を、他人にはしていい、っていうのはおかしいだろ?
だからα論は、猛烈にぐだぐだになったんだよ。

319ヤッス:2004/07/30(金) 02:48
「自分と他人は違う」
というのは、彼我の相違を自覚する、要するに「自分という存在は、他人(他国でもいい)
とは別種のものだ」ということを知るための、まあ第一歩であるし終着点でもある。

我思う故に我あり。だし、
君がいるから僕がいる。だし、
自分に異を唱える他人が存在することで、初めて自分が自分であることを自覚できる。
ってことだーな。
テツガク的に言えばな(w

だから、そういう意味でも「価値観の統合」は不可能だしやっちゃいけない。
もっとも、価値観というものは、「風土の相違」によって生まれる。
およそ宗教が定義する「敵」や「戒め」、食習慣は、「風土」に左右される。
海沿いだ、山が近い、川で食糧を取る、砂漠のオアシス周辺で物々交換する、
胡椒と引き替えにコーヒーを得る、などなど。

そうするとだな。
地球上のあらゆる地勢・風土が統合・均質化されない限り、価値観の統合というのは
事実上不可能なわけだな。半島の奥にいるものは大陸側からの襲撃を恐れるし、
半島の対岸に住む者は半島からの襲撃を恐れる。そういうものだからな。

そうすると、彼我の相違、価値観の相違を埋めることは事実上不可能。
第三の「外界(=宇宙)」から脅威が生まれてこない限りは。
まあ、そうなると「宇宙人襲来」とか「宇宙水爆戦」とかの世界になるわけだが(w

そうした「価値観の統合が絶対不可能」な世界で、部分的に合意できる正義がある
はずだ、と考える、その考えそのものは別に否定せん。
あるとしたら、酸素と水と塩と飯と安全な睡眠だろうと思うし。
が、そうしたものを共有できても、なお共有できない「価値観」というのある。
その部分についてそれが何かをはっきりさせずに、「とにかく不可侵を約束しろ」
と、「盲目的不可侵という価値観」を強制するのがα論なんだよな。

それでは同意はできん。
ぐだぐだなのよ。ぐだぐだ。

320イカフライ:2004/07/30(金) 09:17
まあ、αの提唱者が、そもそもサイトを去ってしまわれたわけだが。

「自分と他人の価値は等しい」
これが、αの基本なのかな,と私は理解してるわけで。
あくまで私なりにだけど、「人の立場に立って物事を考える」とか「自分がされてイヤな事は人にしてはならない」とか、基本的な道徳だな。
この辺が,スタ−トになるのかな、と思っている。
でね、αに価値を置かないならば,他者が自己と同価値である事を認めないのならば,自分の子供が殺されても「理不尽と思ってはいけない」という(たしかみらいさんとのやりとりであったけれど)提唱者の論理は,論理としては完璧だったと思うんだよ。
理論としては完璧にあるにもかかわらずこれだけケンケンガクガクと疑問が出るのは、一方で
「人間は自己と他者を同価値には考えられない」という頑とした現実があるからなんだよな。

その溝をどうやって埋めるのか,それをぼ-んさんとは話したかったんだが、まあ、いない人は仕方が無い。

321イカフライ:2004/07/30(金) 10:04
福祉スレにも書いたことだけど、「自分」がバイクを手に入れるために、メシを抜いたりロクに寝ないで働く若者はいても、見ず知らずの障害者の車椅子を買うために,アフリカの子供の食料を買うために、食わず眠らず働きはしない。
それは、「自分が遊ぶバイク」のほうが「他人が生きるに必要な品」より上なんだよな。
これは「私の楽しみのおやつ」より「他人の生存ギリギリの食糧」が優先されるべきだ,と思う反面,自分の楽しみのオヤツを優先させる現実そのものなんじゃないだろうか?
これも人間のエゴ,だと思う。しかし、エゴというのは、悪い事のように語られる場合が多いが,全てが悪いわけではない。エゴや欲望によって人間は発展してきた事も否めないからだ。

αにあてはまるのかどうか解らないけれど,それこそなんの利害関係も無ければ縁もユカリも無い人間の為に,おのれの生涯を犠牲に出来る人っている。
マザ−・テレサのような人はそうだと思う。けれど、マザ−・テレサが聖人と尊敬を受けるのは,それが誰にでも出来る事ではないからなんだ。
宗教的バックボ−ンがそういう人々にはある場合は多い。しかし、では宗教を信じればαな領域に到達できるか,と言えば,なことは全く無くて。
実際,宗教信者がみんな自己犠牲に溢れ道徳心の高い人か、といえばんなことなく、殆どは無信仰者と変わらない程度の道徳観の持ち主だ,むしろ神や仏と言う自分にとっての絶対を手に入れる事によって、凡人よりもおのれのエゴに無自覚,無頓着になるケ−スも多々ある。

人間は自分に出来ることしか出来ないし、自分に出来ることを精一杯やるしかない、これは私が常々言ってることだけれど。
良く,ボランティアとかの話をすると,じゃあ、全財産を恵まれない人に寄付するとか,難民のいる国に行ってそこで一生を捧げた活動すれば、とか言う人がいる。
リアルでの掲示板でもね。これは、ずるい、と思うんだよ。
そういう人間の言い分としては,1,000円寄付したとか、障害者施設で一日雑用をやったとか、誰でも(まあ、ここの事情があるにせよ)やろうと思えばそうそう困難な事じゃない。
それをやらないいいわけで、やっている人間を貶めるような卑怯さがある。一方で,自分は弱者の事を考えない冷酷な人間だ,と思われるのはイヤ、という気持ちもあって,それが上のような言葉になるんだろうな,なんて思う。
しかしね、α理論なんぞ追及していくと,人間はその前に潰れてしまうんじゃないか?そんな気もするな。

322うろちい:2004/07/30(金) 12:26
>>301 スライムベスさん
>「自分の命と他人の命は同価値なので、
>二者択一の状況で自分の命を優先するのは
>αの理念に反する」
>とか言ってたような。

>議論には参加しませんでしたが
>「α理論がそんなものだとしたら、
>これはちょっとついていけんなー」
>と思いながら当時スレを読んでました。

「自分の命と他人の命は同価値なので、二者択一の状況で他人の命を優先するのもαの理念に反する」
αってこんなもんです。
単にαが実現できない状況があり得るってことだけです(「αを守らなくても良い」というのは仕方がないからです)。
ついてこれるでしょ。

323うろちい:2004/07/30(金) 12:27
>>315 ヨッサリアンさん
>ヨッサリアンがサダム・フセインなみの悪党になったときは、自分の命を他の誰の命よりも大事にするエゴイストになってます。
>そのときには当然「サダムは死ね、俺は生きる」という選択をするでしょう。(自分の命>>>>サダムの命)
>…なんだ、今と変わりないですね。それならすでに自分はちょっぴり(かなり?)悪党なのでしょう。

それならヨッサリアンさんはαを共有していません。
あなたがもし川で溺れていてもαを理由に「は」助けを求められません。
求めると「αを共有していない」に矛盾します。
まあ矛盾してても助かりたいから助けは求めるでしょうけど。

>もう一度まとめると、「自分の命と全ての他人の命は同価値」とするα理論を実践する人とは、
>「極悪非道の悪党2人以上の命を救うために、自らの決意のみで(業務ではなく)自分の命を投げ出せる」
>人のことだと私は思います。

違います。
「悪党」だからという理由が命を救わない根拠としてサダムらにも自分にもその他にも適用するなら、その人はαに対して矛盾していません。
一方、誰であってもとにかく助けるべきだ助かるべきだという考え「も」αに矛盾しません。

324イカフライ:2004/07/30(金) 15:43
>>316

>>313でスライムベスさんの言われた
>「日本は北朝鮮のテポドンに狙われているんだから、
>事の是非はおいといて
>国益上アメリカのイラク攻撃を支持しないと仕方ない」
>なんていう話をよく耳にするが、
>イラク攻撃を支持しない事でいったいどれくらい
>テポドンが落ちる可能性が増えるのかを考えた場合、
>それはあまりにも日本人とイラク人の命の重さに
>差をつけすぎているのではないか

 これは、私もずっと日本のイラク攻撃賛成の時に言い続けていた事です。

ヨッサリアンさんの言うように、日本がイラク攻撃に反対する事によってイラク攻撃が避けられる可能性は非常に低く,また、アメリカ様(この辺,らしいでしょ笑)のご機嫌を損ねる事によって自国民に対するリスクを増大させる(、ま、具体的に言えば北朝鮮から守ってもらえなくなっちゃう、ってことよね)。
だから、イラク攻撃賛成は日本のため,つまりは日本国民の為。これも又,正しいのかも知れません。
けれど、それでいいんだろうか?
自分の都合で他者を犠牲にするのなら,他者の都合で自分を犠牲になれても、文句は一言もいえませんね。粛々と死を受け入れるだけでしょう。
私は,そこまであきらめが良くないですね。

>アフリカの内戦で死んでいく人たちはほとんど報道されず、優しい人に反戦デモもしてもらえません。
>彼らが「日本人は俺たちの命の価値をゼロだと思っている」と主張しても私はそれに反論できないでしょう。

 確かにその通りです。
 どんなに偉大な人間であっても,人間一人の力で世界を救うことは出来ません。
 こうして昼間からネットに向えること自体,私も平和で豊かな国でネットの上でだけの理想論を言っている偽善者と言われても仕方ないでしょうね。

 人間は弱くて勝手なものです、いや、弱いから勝手なのかも知れませんね。
 それは、仕方ないことだと思うんです。その「仕方ない」の先を考えていきたいんですが、どうすれば良いのでしょうね?

 弱く愚かな人間が弱く愚かなまま、世界を救うことは不可能なのでしょうか?

325ヤッス:2004/07/30(金) 23:46
「自分は間違っていただろうか?」
と振り返ることができるのは、自分が死ななかったから。

後悔ができるのは人間だけだというが、後悔というのは贅沢な行為なんだよな。
だって後悔できるってことは、「死ななかった」「まだ生きてる」ということだもん。
「もっといい方法があったかもしれない」といって、自分が選んだ選択肢を否定するのは間違い。
別の選択肢を選んでたら死んでたかもしれなかった。

「もっといい方法があったかもしれない」と悔やむのは勝手だが、
悔やむことができるのも自分の選択肢が当たり(=少なくとも自分が死ななかった)だったから。

これに照らし合わせると、「もっと他人を助けるべきだった」「自分だけが助かる方法を考えるべきでなかった」
というのは、実は非常に傲慢な考え方なんじゃないかと思うんだよ。
自分が助かった。自分たちの判断で自分は無事だった。
もっといい方法があったかも、なんて悔やんだり悩んだりできるのも、自分が選んだ方法で自分が死ななかったから。

イラク攻撃を日本が支持したことは、結果的に北朝鮮との交渉の中で同盟国アメリカが日本にプラスになる
行動を取る、というバーター条件を引き出している。だから、日本のあの時点での選択は正しかったと思う。

そして、人間は弱く愚かなものだ。愚かで弱くて当然で、そんな存在が世界を(自分以外を)救おうと考えることが間違ってる。
まず自分を助けることを考えるべきだ。
後悔という贅沢ができるのも、自分が生き残ったときだけだ。

おそらく相手も同じように考える。
強者も弱者も皆同じように考える。
そんなとき、自分を棚上げにして(その上で自分を見捨てずに)弱者を救おうと考えるのは傲慢だ。
弱者が自分で助かろうとするのと、自分が自分を救おうとすることは猛烈に衝突するだろう。
そのとき、「可哀想な弱者のために自分が死んでもいい」と考え、それを実行できるのは献身的な一部の宗教者だけで、
大多数の人間はそんなことはできない。

ならば、大多数の人間もまた献身的な宗教者になるべきか?それを目指すべきか?
否。そんなことはできない。生活があるからな(w

結局、人は世界を救えない。
自分を救う努力しかできない。
他人を救う真似事をすることで、自分は自分以外をも救うことができるのだ、という満足を得ることはできるだろう。
医療関係者なんかそうだろ?
でもそれって自己満足だよな。
宗教者の大部分もそうだけど。

もう1回だけ繰り返しとく。
人は自分しか救うことはできない。
後悔ができるのは、後悔した選択が正解だったことの証明。

326ヤッス:2004/07/30(金) 23:54
高い木のてっぺんにいる。
友達と2人で木に登って降りられなくなった。
助けを待っている間に、友人の掴まっていた枝が折れた。
自分は必死になって友達の腕を掴んだ。
が、自分の掴んでいる枝もこのままでは折れるだろう。
救助がくるまで枝は持たない。

さて、友達の腕を振り払って自分が生き残るのが正しいか?
友達の代わりに自分が木から飛び下りれば友達は生き残れるかもしれない。
それとも、答えを出さずにぎりぎりまで頑張った挙げ句に、枝が折れて2人とも助からないのが正しいか?

自分も友達も命の価値も、生き残った後の将来の価値も等価値だとする。
だが、どちらかしか選べない、それを選ぶ権利を自分が持っている。
これに答えろ、ということなんだよなあ。αって。

で、ぼーんは「自分の命も相手の命も等価値だということを、自分と友達の双方が理解できているなら、
自分が助かるために手を離すことを、友達は許してくれる。許してくれないかもしれないが、それを
理解した上で(つまりは、責め苦を得る覚悟をした上で)手を離すのと、自分が助かりたいがために
手を離すのとでは違う」と言った。

が、それは生き残った側の理屈でしかないんだな。
手を離す自分が相手の命の価値を理解していようと、相手がそれに同意していようといまいと、
手を離すことで相手は自己の意志と関係なく命を失った、それを実行したのは手を離した自分自身だ、
という点には何の違いも起こらない。
それを「αを共有していれば許される、許されないが自覚していることが重要だ」ということで誤魔化してしまう
のは、結局は生き残ったものが楽になるための詭弁でしかない。

まあ、ぼーんのα論はそういう側面を持っているわけなんだな。

327ヤッス:2004/07/30(金) 23:58
では、αを共有していない相手と自分が同じ条件だったとする。
相手は自分を殺してでも生き残りたいと思ってるし、しかしその相手の命を処断できるのは自分だけ。
αを共有していないから、相手を殺してもよい?
自分は相手を助けたいと思っているが、相手は自分を助けたいと思っていないから、自分は相手を殺してもいい?
αを共有しない相手になら何をしてもいい?

ぼーんのα論は、これに対しては「イエス」なんだよな。n

じゃあ、そこまでいう「α」ってなんだよ、具体的には、という話は結局出てこなかったなあ。
「αを共有するための説得をする間に、αを共有できなかった相手の説得は後回しにする。
これを繰り返していくとαを共有しないものは少数派になるから、αを共有する多数派に与するしかなくなる」
とも言ってたけど、提唱者ぼーんの説得の仕方を見てて俺はこう思ったのよ。

「提唱者ぼーんには、αの共有を説得することは100万年かかってもできない。
α論は、相手を説得できないので共有はされず、100万年たっても多数派にならない。
故にα論は成立しない」

328ヨッサリアン:2004/07/31(土) 01:14
>>323
> うろちい氏

> それならヨッサリアンさんはαを共有していません。
> あなたがもし川で溺れていてもαを理由に「は」助けを求められません。
> 求めると「αを共有していない」に矛盾します。
> まあ矛盾してても助かりたいから助けは求めるでしょうけど。

その通りですw
私はαと関係なく助けを求めるし、周りの人もαに関係なくそのときの気分と事情で助けたり助けなかったりするでしょう。
もし助かったら、私はαに関係なく助けてくれた人に感謝し(場合によって)助けてくれなかった人を恨むでしょう。
人助けするのにαなんて必要ないんですよ、「そのほうが気持がいい」「名誉という利益が得られる」だけで充分。

> 違います。
> 「悪党」だからという理由が命を救わない根拠としてサダムらにも自分にもその他にも適用するなら、その人はαに対して矛盾していません。

そんな殊勝な悪党は本当の悪党ではないですね。少なくともサダムはそうじゃなかったようです。

> 一方、誰であってもとにかく助けるべきだ助かるべきだという考え「も」αに矛盾しません。

「助ける価値のある人間は助ける。価値のない人間は見捨ててもよい」
これはおそらく大多数の人間が意識して・あるいは無意識に拠って立つ他人の生死についての規範ですが、
α理論とは「助ける価値がある」を「αを共有する」に言い換えただけなのでしょうか。
どうも私にはそうとしか思えない。
ただの言い換え、(言い方を悪くすれば)言葉遊びだけで世界に永遠の積極的平和をもたらせるならそれは実にすばらしいことです。
残念ながらそれが実現するとはこれっぽっちも信じられませんけど。
裏庭でUFOを作ろうとするのは夢があって楽しいことですが、完成した期待がうまく飛ぶのは特撮やアニメの中だけのようです。

329ヨッサリアン:2004/07/31(土) 01:20
>>327
> ヤッス氏

何だか、α理論というのは神様のいない一神教みたいですねw
「不在の神を信じる」というのはなかなか難しそうですなあ。
私は八百万の神がいる国、人が神になる国である日本に生まれ育った人間なので
「唯一の神」という概念にも抵抗を覚えます。
まして不在の神にお賽銭をあげる気にはなれませんw

330ヤッス:2004/07/31(土) 02:02
>>329
その通り。

だから、祈るべき対象のない宗教=α論は信者を獲得できず、
不在の絶対神を讃えたぼーん司祭は、彼の思うところの「愚かな民」に見切りを付けて、
もっと従順でもっと「賢く」、もっと司祭の言うことを聞く「選ばれた民」を求めて
去っていったんだと思うワ。

後に残されたのは、神学者ばかりナリよ(w

331ヨッサリアン:2004/07/31(土) 02:03
・αとは「全ての人にに等しい価値があるものと見なす」こと。

これの関連でちょっと気になったのが、事故で死者が出たときなどにマスコミで使われる
「かけがえのない命が失われた」という言い方。

そういう言葉を聞くと私は「そうかなあ?」と疑問を感じてしまいます。

自分の命は一つだけ、だから「かけがえがない」ことは自明。
自分の家族、恋人、友人の命は自分にとっての世界を構成する大きな要素。
彼らの個性は他の人では代えられないので「かけがえがない」。

でも、よく知らない同僚は?なじみの食堂のおばちゃんは?
彼らが死んでも、彼らに代わって仕事やサービスを遂行してくれる人が来れば、
私にとっての世界は特に以前と変わりなく続いていくだろう。
だから彼らの命は自分にとっては「かけがえがある」(代替可能)。
もちろん彼らの家族、恋人、友人にとってかけがえのない存在だったのでしょうが、
彼らの感覚を自分が本当に共有することは出来ない。

さらに見ず知らずの人の命は、自分にとっては人口統計の上での数字に過ぎない。
彼らが死んでも、私の実感する世界からほとんど何も失われない。
「欠け」たことが実感できないんだから「代え」も不要。
ニュースを見て「ああ、お気の毒に」とは思っても、心の片隅にも
「かけがえのない命が失われた」などという実感は持てない。(思ってなくても言ったり書いたりすることは出来ますが)

事故を伝えるアナウンサーにも、それを見る視聴者の99.9999%にも無関係な人の死を
「かけがえのない命が失われた」と表現するのはなぜなのでしょう?
「自分の家族・恋人・友人の命はかけがえがない」ことを見ず知らずの他人の生死にまで(おそらくは無意識に)延長している訳で、
α的な理念に通じるものがあるように思えます。

私はそのような言い方を「なんだか嘘くせー」と少し嫌悪します。
ですが、多くの視聴者は聞き流して(あるいは受け入れて)いるみたいですね。
彼らが本当に無関係な他人の命を「かけがえのない」ものと実感しているのかどうか、私にはかなり疑問ですが。

332ヨッサリアン:2004/07/31(土) 02:10
>>330
過去の偉大な宗教者は往々にして迫害されたり多くの信者を集められなかったりしています。
現時点で成功を収めていないからといって、将来ぼーん氏が先覚者、聖人として称えられないとも限らない。
ま、その可能性はほとんど無いだろうとは思いますが。

それにしても、無神論とも違う「神のいない一神教」か。
宗教の発達についての俗説で

汎神教→多神教→一神教

と進化するという話がありますが、一神教の次がぼーん教だったらどうしようw
その時世界はローマ帝国の衰退と崩壊以上の混乱をきたすでしょうね。

333うろちい:2004/07/31(土) 16:16
>>331 ヨッサリアンさん
>「助ける価値のある人間は助ける。価値のない人間は見捨ててもよい」
>これはおそらく大多数の人間が意識して・あるいは無意識に拠って立つ他人の生死についての規範ですが、
>α理論とは「助ける価値がある」を「αを共有する」に言い換えただけなのでしょうか。

どうもそもそもαの理解が消化不良のように見受けられます。
「助ける価値のある人間」と「助ける価値のない人間」と区別すること自体はαには矛盾しません。
しかし「助ける価値」の判断に「自分だから」「他人だから」を入り込ませるのならαと矛盾します。

334イカフライ:2004/07/31(土) 20:16
>>333

つまり、こういうことでしょうか?
「人を助ける価値はない」と判断したならば,
「自分も助けられる価値は無い」と判断せよ。
ならば、αに矛盾しない,と。

 これは、私がイラク攻撃の時に、賛成派の方々に言った意見ですが
「じゃあ、イラク人の都合で日本人が殺されても仕方ない、つーの?」って。

 ヤスツさんからは、確か、総括すると「仕方ない」というお返事を頂いたと思うんですが。

 そうなると、「日本人が助かりたいからイラク人を(間接的に)殺す」ってのは、矛盾があるわな。
 理不尽な理由で殺されても良い,ってことなんだから。

 かようにαってのは、理論的には完璧,とは言えないまでもスジが通っている。

 が、しかし、だ。

 多くの日本人は「イラク人は死んでもいいけど,日本人は死んだからヤダ」なんだよね,現実は。
 なんで?っていうと、日本人に自分も含まれるから。

 人間は自分を一番大事にしてしまう、これが残酷な世のテーゼ、なんだわなあ。

335ヨッサリアン:2004/08/01(日) 01:37
>>333
>うろちい氏
> しかし「助ける価値」の判断に「自分だから」「他人だから」を入り込ませるのならαと矛盾します。

ダブルスタンダードの禁止ということですか。
それはけっこうなことで同意しますが、わざわざαとか難しいことを言う必要もなさそうな気がします。

>>334
>イカフライ氏

うーん、私にはヤスツ氏の考え方のほうがαより筋が通っていて潔いような気がしますが。
少なくとも道徳家ぶった臭みが感じられないのが好ましい。

ヨッサリアンの意見としては、人間の道徳性を高める(あるいは、道徳的制約を強める)ことで平和を作り上げようと言う考え方にはどうも疑問があります。
昔から何人もの天才が宗教や哲学でやってきて、あまり成果が上がっていませんから。
その手段が「洗脳」だとか「全人類のテレパシー接続(SFだw)」みたいに科学的に確実な方法なら
完全な平和が実現できるかもしれませんが、そういうやり方が技術的・経済的・政治的に可能とは思えません。

となると、不道徳で利己的で他人の生死に関心を持たない人間が、
下品で自分勝手で薄情な行動をとっても、いやそうすることでかえって世界が安定し皆が豊かになるような
政治的・経済的・社会的システムを何とかして作り上げることを考えたほうが、理念的・道徳的アプローチより現実的な気がします。

…私は政治にも経済にも社会の仕組みにもうといので、システム構築の具体的な提案どころかそれが可能かどうかも分かりませんがw
科学の発達、特にシミュレーションとコンピュータ技術の発展に期待したいものです。

336スライムベス:2004/08/01(日) 01:48
むむー
どうもα理論というのは
「絶対的な無私の心」というのを信者さん(?)に求めているように
読み取れるんですけどねえ・・
うろちいさんはそういう解釈をしているみたいですね。
でも吉岡さんは「そこまでは言ってない」という解釈みたいです。

>>322うろちいさん
>「自分の命と他人の命は同価値なので、二者択一の状況で他人の命を優先するのもαの理念に反する」
>αってこんなもんです。

しかしどちらかに少しバランスが傾いているケースで
「少し価値が小さい」側に自分の命が当てはまってしまった場合はどうなんでしょう。
α理論にしたがえばニッコリ笑って死んでいかないとダメなんじゃないですか?
もしそうだとすれば、やはり私には無理みたいです。

337うろちい:2004/08/01(日) 07:18
>>336 スライムベスさん
>「絶対的な無私の心」というのを信者さん(?)に求めているように
>読み取れるんですけどねえ・・

そんな心は要求をしていません(もちろん心があっても良いですが)。
建前でも何でもいいからαに同意を示し言葉に責任を持てば良いんです。

もし公正な基準に照らして自分の命が他人より小さいために死ななくてはならないケースに遭遇したとき
そのとき「自分だけはどんな理由があっても何でも死にたくない」と「思って」いても別にαに矛盾しません。

ちなみに「この死刑の基準は間違っている」と考えて脱走するのもαと矛盾しません。
則ち「少し価値が低いくらいで死んでたまるか」と考え脱走したとしても、他者が同じケースで脱走するのを受け入れればαとは矛盾しません。

「二者択一の状況で」片方が多く死ぬべき理由(または「生きるべき価値」)を持つ状況などそもそも通常無いでしょう。
例えば「背が低い」「資産が少ない」などのことは我々は普通死ぬべき理由として考えません。
もしこれを死ぬべき理由として考え他者に要求するなら、「二者択一の状況で」背の低い自分が死ぬことによって背の高い他者を助けなくてはαと矛盾します。
背が低いことぐらいで納得して死ぬことは僕にも無理です。
スライムベスさんはおそらくそういうことを想定しているのでしょう。

ヨッサリアンさんがうまいこと言っていますが「(自と他との間に)ダブルスタンダードを置かない」と言う以上の意味はαにはありません。
これはごく基本的な規範ですね。
「相手の身になって考える」は5歳くらいから人間に自然に身に付く能力です。
きっと人間が社会を形成して生き残るのに大昔から必須の能力であり規範なんでしょう。

338三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/01(日) 10:18
ぼーん理論は、概念を言説化して社会理論的に明示
したものです。

例えば『自由』ですが、これは元々は人の頭の中に
あるものに言葉を与えて、それがさも筋が通り正当
性があるかの様に振る舞った結果として定着したに
過ぎません。

ぼーん氏の狙いは概念に言葉を与え理論化する事に
より新しい規範が社会的に普及することなのです。
彼の理論を『現実は違う』と批判するのは的外れな
のです。

339壱学生:2004/08/01(日) 17:32
まぁ本人も居ないことだし、今さらα理論を批判しても仕方がないんだけど
(それに僕が主張すると、いらぬ半畳を入れてくる人もいることだし)
それでもあえて実際的な問題点を挙げておくと、

まず第一に論理学的な問題点として、
α理論は「αが存在する」という仮定の上でしか成り立たない理論な訳だ。
しかしながら少なくともぼーん氏の言説の中ではその「αの存在」はまったく証明されていない。
にもかかわらず、ぼーん氏はその証明できていない「αの存在」(の仮定)を盾にしてるんだな。
ここに論理学的な問題点がある。言ってみれば、「α」というのはこの段階では「理論」ではなく「ドグマ」でしかない訳だ。
「αが存在すると仮定した上で、規範的考察を進めるとこうですよ」という紹介なら兎も角として、
「αが存在すると仮定する。だから人はこうするべきだ/こうあるべきだ」と言うのは、論理的に筋が通ってないだろうね。

そして第二に政策的な問題として、
仮にこのα理論とやらを真面目に政策として適用すると、それは「ぼーん氏が独裁する世界」をかなりの確率で招くことになるって所かな。
第一の部分で見たように(そしてこれまでのα理論を批判的に考察してきた人が全て指摘しているように)、「α」の中身はぼーん氏本人にすら証明できてない訳だ。
でもぼーん氏は「αに違反している!」と他者を批判するわけだ。
じゃあその「αに違反している!」ってのは誰が判断しているかというと、それは「α教」の司祭たるぼーん氏本人でしかない訳だ。
つまりぼーん氏は「証明できていないα」を盾に他者を無制限に批判し放題な権利を持っていることになる。
しかも「αは証明できていない」訳だから、その批判に抗弁することは誰にもできない。
だってぼーん氏本人にすら「αの中身」は理解できてないんだから、他者はなおさら判断できんわな。

いやー、実に怖いねー。
だから仮に「実はαに違反していない考え方」でも、ぼーん氏が気に入らなければ「α違反!」って糾弾されるんだもんね。
実際、僕のこれまでの主張も僕基準では「αの範囲内」なのに、ぼーん氏には「α違反!」って散々言われたからねー。

これは政策的に見てもかなり問題で、
まず第一に、これは「ぼーん氏による精神的・倫理的独裁体制」でしかないって部分が、
そもそも「α」に違反しているっていう自己矛盾を招いてるし。
そして第二に、仮にぼーん氏がまったくの精錬潔白なプラトンが理想としたような哲人政治家だとしても、
ぼーん氏以外にはその「α違反!」って言う批判が、「本当にα違反」なのかそれとも「αを口実に他社を弾圧しているのか」判断がつかない
っていう致命的な問題も招いてるし。
だって僕もぼーん氏の僕に対する批判が「αの観点から見て正当」なのか「実はヒステリックに口撃しているだけ」なのか判断がつかないもん。
僕の中の理想主義者は「まさかそんなことはねー」とぼーん氏を信頼したがってても、
僕の中のリアリストは「人間ってもっともらしい口実で他者を攻撃するのが快感だからねー」とニヒリスティックに囁いてるんだけど(笑)

まぁ一番大きな声は、「いまさらいない人のことを話してもしょうがないんじゃないの」って言うんだけどね(w

340三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/01(日) 21:07
>>339
ぼーん理論は、概念に言葉を与えたものです。
ですから当然『アルファ』は論理に過ぎません
。これは『自由』や『人権』も同様の事であり、
存在の有無が問題ではなく、どの様な虚構に関
与することにより社会が回っていくかという事
実性が問題なのです。

政策面に関して壱学生氏は、教条的マルクス主
義者と同様の過ちを侵しています。それはぼー
ん氏の理論がウェーバーの理念型であることを
理解していない為です。

『ぼーん氏の理論は現実にそのまま適用できない』
という類の批判には『理論はモデルですから当たり
前でしょう?』とする回答で十分なのです。

341ヤッス:2004/08/02(月) 04:06
αが破綻していると確信できる理由は、前にも挙げたけど、
提唱者本人が、自説を多数派にできなかったという事実
の前には動きようがないと思うんだよねー。

以前、α論がどーのこーのという話になったときは、この
板のほとんどの住人が何らかの形でこの話題にコミット
してたと思う。もちろん、αの反対派もいたし賛成派もいた
だろう。

ところが、α論の提唱者自身であるぼーんは、反対者
を説得できなかった。
また、ぼーんに賛同した者は何人かいた気がするけど、
彼らもまた反対者を説得できなかった。

意志の共有なり、何らかのルールの共有っていうのは、
その意志やルールが正しいかどうかが問題なんじゃなく
て、意志やルールの共有を求める側が、如何に多数の
シンパを作れるかどうか、によると思う。
で、ぼーんはαが実効性を持つ多数派になるほどに、
シンパを増やせなかった。
ぼーんに同調したものは、ぼーんの説を第三者に理解
・同意させる、ということに未だに成功していない。

なぜかつーと、やっぱり「わかったつもり」になってるだ
けだからなんじゃないかなと思うわけ。

どちらにせよね、シンパが最初の提唱者のいないところ
で、新たなシンパを獲得することができない意見は、
ぜんぜん普遍性はないし、同調者は増えないし。

主唱者が去り、残された司祭と神学者が未だに信者の
拡大に成功してないところを見ると、やっぱりα論は
ダメだった、ってことだと思うね。

342うろちい:2004/08/02(月) 12:08
「多数を得ていない」って言い切ってしえるのかがわからない。

僕に言わせればαなんてものは小さい頃から定着している常識的な内容(常識が守れるかどうかは別として)で、これを表だって拒否する人たちは少数派のように思うのですよ。
例えばですが、公正な基準で刑が決まるのもαが共有されていることの現れではないですか。
「かけがえのない」が「命」の枕詞になっているのもそう。
強盗殺人が悪いことというのは多くの人が「知っている」ことです。
我々はそう言う文化の中に存しているのではないでしょうか。
まず、αってものが何であるか、その共有とはどういうことか、この掲示板では理解していない人たちが少なくないのでは?という疑いを僕は持っています。
また、αを無自覚に共有している人もいるかもしれない。
むしろαがないがしろにされる社会とはどういうものなのか、それは成り立つのか・・

いえね、「多数を占めている」というのもなかなか言い切れないですけど、僕と同じくらいの慎重さで「多数を占めていない」をいっている人がどれほどいるのやら。

ともあれ、共有する意思がある人が1人でもいる以上、ぼーんさんがいようがいまいが関係ないでしょ>壱学生さん
反対者同士でわめいているなら虚しいでしょうけど。

343ヤッス:2004/08/02(月) 16:37
>>342
拒否する人が少数派であるように「思う」
つまりそれもまた、うろちいの脳内感想に過ぎないなあ。

また、「この談話室では反対派のほうが多くても、世の中全てを見れば賛成派のほうが多い【はず】」とかな。
「この場にいない人間は自分に同意する【はずだ】」でしかない。
慎重に言うなら、この少人数の集団内であっても、「数えられる人数」が実際の答えだと思うんだが。

「数えたことはないけど【多分】間違いない【と思う】」

というのは、信憑性を担保することにはならんよ。


ついでに言うと、刑は別に公正な基準で決まってるとは思わんよ。
命はかけがえがないわけではないし。
強盗殺人が必ず悪いとも思わんなあ。

社会背景が違えば、それらは全部ひっくり返ることであって、別に人類が共通して共有しているものとは言えない。

土台、社会通念でしかないものを、その社会の外にいる人間にまで強要しようってのが傲慢だし、
だからこそαというのは社会通念を共有しない人間には通用しない不完全なものでしかない。
結局、提唱者の傲慢を、【文句を言わなかったもの全て】に押し付けるものであるわけだし、
アムウェイと同じで(w、早い段階で賛成を名乗り出たものは、原理がわからなくても賛成しておけば
提唱者と同じ「αを強要する権利」という優越を得られるわけだからな。
そら、他人を侵害してでも自分の言い分を通したい奴らがたかるのもわかるわな。

344うろちい:2004/08/02(月) 17:17
わからん人だねえ、ヤッスさん。
多数説にせよ少数説にせよどっちも大して根拠を持っていないことを僕は言ってるの。

そうは言っても「かけがえのない命」という言葉が普及していることはマシな証拠だけどね。

それとも「命はかけがえがないわけではない」の方が定説なの?
それとも談話室でのサンプリングの方が全体をよく現していると言いたいのかな?
それとも談話室内の少数とか多数だけを論じたかったのかな?
それではぼーんさんの何にも反論したことにはならないけど。

さて、ぼーん戦略ではαを共有しない者は「さしあたって放置」ということなんだけど、僕はどうしましょうかね。
そういえば、「ぼーんさんがαを強要する」とかなんとかというのはどこで出てきたのだっけ?何のことだっけ?

345イカフライ:2004/08/02(月) 18:57
 膨大な過去ログを読み返すだけの時間も気力も無いので,記憶を頼りにいうのだけれど。
確か,柏葉さんだっけ? 「つまりは世間体ですか」みたいなことを発言していたよね。

 戦争はどちらも「正義」を旗印にする。
 「かけがえのない命」という言葉は定着している。
「人の身になって考える」は、幼稚園児レベルで与えられる道徳である。

 そういう点ではαというのは、別にさほど目新しい思想でもなければ、それほどキビシイ要求でもない。

 つまりは建前なんでないの?

 何度も何度も繰り返し言ってるけれど,それをどうやって実行できるの?ってことなんじゃないか?

346イカフライ:2004/08/02(月) 19:07
>>343

>社会背景が違えば、それらは全部ひっくり返ることであって、別に人類が共通して共有しているものとは言えない。

>土台、社会通念でしかないものを、その社会の外にいる人間にまで強要しようってのが傲慢だし、
>だからこそαというのは社会通念を共有しない人間には通用しない不完全なものでしかない。

これはイエスでもノーでもあるんじゃないかなあ、と。

 己の欲望のみで他者を殺しても良い,という通念は,社会背景が異なっても,あまりないと思う。
(あるなら、教えて欲しいです)
 そういう点だけで言えば,αは結構多数派に受け入れられてるよな。

 が、これをもっと現象に合わせてみていくとどうじゃろうか?
 例えば自分の娘や妹が恋愛をしたからといって、彼女を殺すことは日本の社会では犯罪行為である。
 ところがイスラムの社会(全てのイスラム国家ではないだろうが)では、それは正しい行為として受容される。
 まあ、自分の娘にカレシが出来たからって娘を殺す父親が今の日本にいるとは思えないが,
 「恋愛をした娘(又は妹)を殺す」ということは、果たしてαに違反しているのか,していないのか?

 まあ、これは一例だが,こんな例はいくらでも考えられるよ。

 何故か?と言えば,正義派一つではないから。

347壱学生:2004/08/02(月) 23:01
やはりいらぬ半畳を入れてくる人がいるみたいだけど、
一言だけいっておくと
ウェーバーの「理念型」ってのは確か、「分析手法における典型的なモデル」っていうのじゃなかったっけ?

例えば「封建制」っていう概念についての典型的な形態を定義して、
そこから日本やイギリスやドイツのいわゆる「封建制」と呼ばれる社会制度とを比較して
どれだけその「理念型」から離れてるかで比較分析する、っていう感じで。

で、ぼーん氏の「α理論」ってのは、こういう観点からすると果たして「理念型」って言えるもんなのかね?
少なくとも「かくあるべき」という当為の規範として用いている限りにおいては、
到底「分析手法」としては用いてないんだけど。

348ヤッス:2004/08/02(月) 23:14
>>344
αを共有しないものは、さしあたって放置。

だけど、放置された側がそれに従う、とは限らないんだな。
放置されようが、αを共有しなかろうが、それでも相手は関わってくることをやめない。

そういう存在を、それじゃあどうするの? 無視するの?
無視するという方法もあるだろうけど、そうやって「話を聞かない奴は片っ端から無視」
ということを繰り返していって、その先にあるのは何かっていったら、結局は「αの内側と外側」
に人を分け、内側の人間に優越を保証するαは、人を隔てる「壁」にしかならないってことが、
うろちいにはなぜわからんかねえ。

その壁の外に出されたくなければ、さしあたって壁の中に入れ。
壁の中に入るのがいやなら放置。
というのがα論だけど、放置しても、自分が厭だといっても、
自分以外の人間が、猛烈な勢いで自分に絡んできたら、それじゃあどうするの?

という問いに、結局司祭ぼーんは答えられなかったし、残された神学者うろちいも
答え切れてないわな。

349ヤッス:2004/08/02(月) 23:20
>>346
「己の欲望のみで殺していい」という通念は、むしろそんなに特殊なものじゃないと思うんだがねー。

「汝殺してはならない」は、宗教が、同族の安全を保証するために、発するものであって、
宗教的な敵というのは当てはめられないことのほうが多いっていうのは、別に珍しくない。
イスラムはどうかな? ちょっと前までのキリスト教は?
世界は三大宗教だけじゃない。そして、宗教の救済の枠外にいる、人数的な多数派(地球人の
相当数を占める貧困層)はどうかな?
弱者=正しいから弱い、とは俺は思わん。

弱者だから何をしてもいいわけではないが、弱者だからこそ何でもやらないと食っていけない。
そういう世界が普通で、日本や欧米のような「都市生活」のほうが特殊なんじゃないかい?
そういう点で言うと、αを受け入れられるのは「満ち足りたもの」だけで、そんな満ち足りたものは、
地球上では少数派。

日本人は満ち足りた側に属しているから、自分以外もそうだと思ってるだけかもよ?

もっと言ったら、人間くらいだよな。
そんなこと言い出すのは。
大多数の動物は「自分以外の生」「自分の家族(部族)以外の生」には無関心だぞ。

αというのは、人間という特殊な存在の中の、比較的恵まれた富裕層が、
そうでないものに対する優越を維持するための、傲慢で一方的な取り決め、かもしれんぞ。

350ヤッス:2004/08/02(月) 23:24
ぼーんの理念てのは、結局は、

「外に敵を作る、または外に共通の敵がいる」ことを前提として、
部族内の結託を図るための制度……以上でも以下でもない。

αを共有しない、という敵がいるからこそ、αの共有を部族内に対して
強要できるわけでね。

汝殺すべからずは、「汝、(キリストの教えを守る者たちを)殺すべからず」だ。
神の敵は殺していい。
イスラムにも似たような概念があったな。
古典的な仏教にも似たようなのがある。阿修羅や仏典の眷属は全て武官だからな。

「敵と戦うために、αを共有して一致団結しましょう、守らない奴は敵と同じ」
というのがぼーんα論の正体だよな。

どっちにせよ、「αを共有できない相手を敵と見なす」という時点で、
異質な価値観との共存なんか、微塵もできてないんだよ。

351吉岡:2004/08/02(月) 23:46
本当にここまで理解できない人がいるということが、理解できない。
>「αを共有できない相手を敵と見なす」という時点で
どこからこういう言葉が導き出されるのか、全く理解できない。
イカフライさんの
>「人の身になって考える」は、幼稚園児レベルで与えられる道徳である。
>そういう点ではαというのは、別にさほど目新しい思想でもなければ、それほどキビシイ要求でもない。
> つまりは建前なんでないの?

最低限、建前くらいは共有できる。
それすら共有できない人は、さしあたり建設的な話になりようがないということですよね。
自分が腹いっぱい食って、げっぷを出しながら
飢え死にしそうな人が持っていつパンの耳を靴で蹴飛ばしても痛くもかゆくもない
そういう人が存在しても仕方ないけど、
今はそんな人にかかずらわっている暇はない。
建前だけでも共有する人たちの間で、その建前をいかに実現していくか話し合おう
そういう話だと思うよ。

352ヤッス:2004/08/03(火) 01:02
>>351
理解できないんじゃなくて、理解する努力を放棄しているんだよ、それは。

理解できない、と言い放つのは簡単。
それこそ、「αを共有できない奴は放置して後回し」って、司祭ぼーんも言ってたわけだから。
「わからないものに対しては思考停止で無視しましょう」ってことだもんな。


でな。
αというこの糞ヌケヌケしい理屈が、どうして意見の合致をみないのかについて、
αを支持する奴が説明できないということ、支持しない相手の言い分が理解できない、
というところに、この「α」の限界があるわけだな。

すごくわかりやすく言えば、結局「それじゃあ、共有できるαってなに?」というのが、
証明されたことが一度もないんだよ。
この場合の証明というのは、「誰が説明しても同じ結果になり、誰が誰に向かって説明
しても、同じ理解と納得を引き出せる」ってことな。
三毛猫ナナみたいに、「自分の言いたいことを言ったから、自分は説明責任を果たした」
っていうのは論外(w

それとなあ。
そもそもα云々が言い出された背景には、

「異質な価値観を持っている者同士でも、何らかの共通するαがあるはずで、その共
通するαを共有できるもの同士で、同盟を作りましょう」
「同盟に参加できない(αを共有しない)ものは、αが保証する禁止事項(や、優遇事項)
の恩恵を受けられない=α同盟の敵 と見なしましょう」

というもんがあった。
「じゃあ、そのαって何?」
という話になるわけだが、その「αが具体的になんなのか」を一言も説明も証明もしない
まま、「αを共有できると約束できないものには、説明の必要がない」とかなんとか、そういう
ぐだぐだした方向に進んでいったから、
「そんなん、白紙委任状にハンを押さないと、契約書の内容を読ませないよ、ってのと同じやん」
という反論が出た。

しかも、「α」というのが、本来は「共有できる価値観を仮にαとする」というものだったはずが、
αの概念に賛同したり反対したりする人々が、この糞忌々しいぼーん理論を引き合いに出す
ためのキーワードとして【α】と呼び習わしている。

現在、αと言われて、頭に浮かぶ概念は、反対者と賛成者の間どころか、賛成者の間ですら
共有できてないところが……まあ、ここ笑うとこ(w

353ヤッス:2004/08/03(火) 01:10
>>351

ともあれ、今>>351で吉岡が言ったことが、αを支持する人間が如何に傲慢で自己中心的かを
いみじくも証明していることになってるんで、引用しとく。


>最低限、建前くらいは共有できる。
>それすら共有できない人は、さしあたり建設的な話になりようがないということですよね。

世界には、いろんな文化やプライドを持った民族がいてなあ。
共有できない常識ってのは国の数だけ、村の数だけあるわけよ。
知ってっかぁ? 韓国では食べ物は床に吐き散らかすのが礼儀なんだぞ。
知ってっかぁ? 北朝鮮や中国では、客が食べきれないほど飯を出すのが礼儀なんだぞ。
客は、できるだけ汚くあちこちに少しずつ手を付けて食い散らかすのが最上の儀礼とかいう。
日本人には共有できないだろ?
隣の国ですらこれだ。建前くらいは、とか考えてんのは日本人同士だから通用する話に過ぎんよ。

>今はそんな人にかかずらわっている暇はない。
>建前だけでも共有する人たちの間で、その建前をいかに実現していくか話し合おう

な。この時点で、建前(α)という壁を作って、壁の中の同盟と、壁の外の非同盟に分け、
壁の外に対しては「そんな人にかかずらわってる暇はない」と切り捨てるだろ?
同盟に与しないもの=敵もしくは見下げた果てた存在なんだよな(w αを支持する、
αの壁の内側の人間にとっては。

またさらに、「話にならないから今は放置」というのも、自己中心的だ。
「君とは話にならないよ!」そう言って背中を向けた後に、相手が襲いかかってこないというのは、
相手が自分より下にあると侮っているか、相手が自分に刃向かうはずがないと侮っているか、
そうでなければよほどの自己中心主義か、甘ちゃんだ。

αを共有しない相手も、相手なりの正義や主義主張でやってくるわけだ。
自己自存のために。
そのときに、α同盟が「君らはもう関係ないよ」と非α背中を向けたところで、
非αが待ってくれるとは限らない。

じゃあ、どうすんの? というお話よ。

354ヤッス:2004/08/03(火) 01:13
まあ、あれだ。

いい加減その「絶対的に共有できる価値観」という、αの具体的な例を挙げるべきだと思うんだが。

「かけがえのない命」
「強盗殺人はいけない」
「汝殺すなかれ」

は、「例外」がいくらでも説明できる、または「例外のほうが割合が多い」という時点で、
普遍的に絶対的に共有できないということで。

また、そもそものα論は「いがみ合っている異質なもの同士が、話し合いのテーブルに就くためには
どうしたらいいか」という前提から出発してることも忘れんな。
「まるでお話にならない。無視しよう」
と言った時点で、そいつは話し合いのテーブルを蹴ったのと同じことになるわけだ。

さ、どうするね?

355うろちい:2004/08/03(火) 09:18
>>345 イカフライさん
>何度も何度も繰り返し言ってるけれど,それをどうやって実行できるの?ってことなんじゃないか?

そうそう。
「どうやったら実行できるか」これを考えなくては。
しかし、「それ」を目的としない人たちと「それ」を実行するための話し合いを持ってもお互い仕方がない。
だから、そのための話し合いでは放置なんですよね。
それでも激しく絡んでくる輩は・・それでもできるだけ無視やな、ぼーん戦略によると。
実に効率はよい。
「他人より自分の命の方を大事にする(他人より自分の命の方を大事だと思う、じゃなくて)」を公言してはばからない人を転向させるのはホネなことです。
α拒否派には「ま、ちょっと待っておけ、忙しいんだから」と。
別にいがみ合ってるわけじゃないからね、一方的に絡んで来るというのは。
ま、僕のような少数の奇特な労力くらいは割いてもいいかな、とも思うけど。

>>354 ヤッスさん
しかしだな、ヤッスさん。
まだ「絶対的に共有できる価値観という、αの具体的な例はなんだ?」なんて言ってるんですか。
「自分だから、他人だから」ではなく「共通の基準で賞罰を決める」っていうのはその例でしょう。
僕に言わせれば社会ってもんはαが基礎にあるから成り立ってんです(ただし、αはいろいろな形になる)。
なお、共有できるとは「現在それに完全に従ってる」というのとは違うんですよ。
共有するとは「わかっちゃいるけど、なかなかできない」の「わかっちゃいる」の方ですよ。
それと各文化に異なるテーブルマナーが存在してもαの共有は拒否されていません, understand??

僕はね、ヤッスさんは依然「α」や「その共有」がよく分かっていないと思う。
文句たれて拒絶する以前の段階と見た。

気長にやりましょうかね。
普通なら吉岡さんみたいにあきれたりぼーんさんみたいに見限ったりかもしれんけど。

ヤッスさん余談かもしれないが、「例外の方が多い」を証明して見せてくれませんか?
現在の人類内部では無理でしょう。
ライオンとシマウマの関係ならαはおよそ無いですけど。
(人類は勢い余ってか人間と鯨の間にもαを置こうとしているくらいです。)
確かに差別とか抑圧はαが守れなかった、ないし、拒絶された状態でしょう。
しかし今やたいていの人が差別・抑圧が「いけないこと」だと「分かっている」。

356ヤッス:2004/08/03(火) 09:33
>>355
差別がいけないことだとわかっている、「大抵の人間」ってどこいらへん?(w

もう、そこからして思い込みじゃないかと思うわけだが。
差別がいけないと思うのは、「差別をされたことで不利益を被った自覚がある」人間と、
「差別をしたことを指弾されることで社会的損失を被った自覚がある」人間だけだな。
差別されていることに気づかない、差別による不利益が生じていることに気づかない人間は、
自分が差別を受けているとは思いもしないぞ。
差別をしていることに気づかない、差別による社会的損失を自分が被っていることに
気づかない人間も、そんなことをしているとは思いもしないだろ。
「バカチョンカメラ」で朝鮮人が差別される、っていうわかりやすい事例があるが(w
疑わしい因果関係の論理を事細かに説明されない限り、日本語がわからない朝鮮人は
「バカなチョン公でも使えるカメラ」という差別を受けているのだとは思いもしないし、
「バカなチョン公にも使えるカメラ」というニュアンスだと思っていない日本人は、
差別をしている意識などまったくないだろ。
加害者と被害者の間にどちらも不利益が生じてないわけだから、そんな差別はなかったと言えよう。
そこに「差別」というのを作り出すのは、「バカチョンカメラのネガティブな論理を説明したお節介な奴」
だよな。

で、「差別だの抑圧だの」っていうのは、別にいけないこととわかっているというもんじゃない。
「差別はいけない、抑圧はよくない、おまえは今抑圧されてる、おまえは今差別した」と、
忙しく吹き込んで回る、基準を作っている奴が「差別という温度差、高度差を作り出している」
に過ぎん。差別はある。それが「よくないこと」だと決めた奴がいたかいないか。

どれほどの人間が「被差別・加差別に気づいていない」かを証明するのは、実際に気づいているという
ことを、自明の理であるかのように振りかざすのと、質的には大差ない。
そっちが証明できないのと同じ程度にこっちも証明できないということよ。

357ヤッス:2004/08/03(火) 09:43
>>355
>ヤッスさんは依然「α」や「その共有」がよく分かっていないと思う。
>文句たれて拒絶する以前の段階と見た。

α神学者の先制様であるうろちいがそう思うのは、
「ヤッスより自分のほうがαをよく理解しているから」
「ヤッスはまったく理解できていないから自分と話が成り立たないのだ」
という見下ろすスタンスから俺を見てっからだよな(w
うんうん、ご立派だ。

んじゃー、そこはひとつご立派な、先覚者であらせられるうろちい先生の
ご理解を、このバカで頭の悪いヤッスにひとつご指導くださいよ。

ここで、「理解できん奴に説明してやらなくちゃならない理由はない。
自力で理解できないなら議論にクチバシを突っ込むな」というのがぼーん司祭
や三毛猫ナナの言いぐさなわけだが、そういう態度を採るのもけっこうよ。
「αとはなんぞや」を説明して理解を促して陣営に加える、というのは、
まやかしなんだな、やっぱ、って結論に達するだけだし。

前〜に、αを巡る意見百出の中であったような見たような気がするんだが、
ログ漁るのめんどいからソースは省略で。

人間が、宗教・文化・信条を越えて「自分にも相手にも必要である」と共通している
と言い切れるものは、地球上には「酸素」と「水」と「塩」しかない。(これは概ねの動物も同じ)
共通しているものに余剰があれば、それを分かち合うことができる。
人類が今の体型になってからは、酸素の奪い合いは幸いにしてない。
(恐竜の時代にはあったらしいが。NHKスペシャル見てる?)
水は奪い合いの対象に何度となくなってる。
塩は専売にまでなってる(w

人類が他人と共有できるものは、余ってるものだけ。
余ってないものは共有できない。
さて、ないと困るという点では共通している酸素、水、塩は、余ってないときは殺し合ってでも
金むしりあってでも奪いあうものということになったわけだが。

他に何か「余っていれば譲り合うことができ、なおかつ必ず余るもの」はあるかね?
例外を付ければ大概のものは「余らない、譲り合えない」というものになっちまうんだがね。
そのとっかかりが見つかればいいねえ。

358ヤッス:2004/08/03(火) 09:48
あ。そうそう。

「例外のほうが多い」なんだけど、これは「例外条項が多い」ではなくて、
「常識として恩恵を受ける人数は、例外と言われている人数より少ない」てことで。

そうねえ。
「教育を受けるのは義務であり権利である」と考えることはできても、
「実際に教育を受けられる人数は、受けている人数より遙かに少ない」
(貧困国の貧困者と先進国の富裕層の人口比考えような)
みたいなもん?

権利がある、義務があるから、それらは必ず保証されてるとかそういう考えってのは、
権利があっても義務があっても保証されてない人間から見れば、ただの甘ちゃんじゃん。
そゆ意味では、「αという建前」を共有するところから始めようとかなんとかってのは、
せっぱ詰まってる人間から見たら全部空論じゃないんですか、と。

Understand??????

359イカフライ:2004/08/03(火) 19:45
>>335

>うーん、私にはヤスツ氏の考え方のほうがαより筋が通っていて潔いような気がしますが。
少なくとも道徳家ぶった臭みが感じられないのが好ましい。

 その通りに出来れば潔いです。

自分は自分だけの都合で他者(ここではイラクの民衆)の命を見捨てた,だから、自分が他者の都合で見殺しにされても,その死を粛々と受け入れる。また、この考えはαに沿っているのでは?と思います。
けれど、その場になったら、そこまで潔くなれるのでしょうか?例えばヤスツさんは、他者の都合で自分の妻や子供の命が見殺しにされ失われても,それを許容できるのでしょうか?
お解りだと思いますが,別にヤスツさん個人に対する批判ではありませんよ。
αがなぜ建前に過ぎないのか?

>>349
>[己の欲望のみで殺していい」という通念は、むしろそんなに特殊なものじゃないと思うんだがねー。

>弱者だから何をしてもいいわけではないが、弱者だからこそ何でもやらないと食っていけない。

強盗殺人をしなければ今日という日を生き延びられない人間がこの世界には多く存在する。
 しかし、彼等が属している共同体(多くは国家であったりするが)の殆どの取り決めでは強盗殺人は罪に値するのではないだろうか?
 これは、まあ、少なくとも法律で決まっているとか、そういう程度のことなんだ。

 逆に言えば,だからこそ,人間は建前を作る。
 キリスト教は「汝,殺す無かれ」という。
 「右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」などど、まるでSMめいてるよな。
 ところが、そ-んなご立派な自己犠牲と慈愛に溢れた宗教が十字軍や魔女狩りやらで異教徒を殺しまくったのは
「彼等異教徒は神の敵である」
という建前を作ったからだよな。
 神,というのは、人間が造った大いなる方便である、つーとは、私の宗教感なんだが。
 
 そこで自分が異教徒を殺したなら,自分の異教徒に殺されても良い、つーのは、αに沿っているのだよな。
 うーん、またまた解らなくなってきたよ。

 司祭の降臨,キボンヌしてしまうぜ。

360イカフライ:2004/08/03(火) 20:14
どうしてαが建前にしか過ぎないか?
 それは、本気でαを考え,実行しようとすると人間は潰れてしまうからではないだろうか?

 人は腹が減れば辛い。その辛さの度合いは個人差があって,例えば私は3食食べないと我慢できない人だが、ある人は一日一食で平気,という差異はあるにせよ、食えないのは辛いし,食わなくては人間、死ぬ。
 では、食べてない人の辛さを己の辛さと同等に考える。

 で、どうすれば良いのか?

 私のオヤツを無くして,おかずを一品減らして,飢えた人々に分け与える?
 それで一体,何人の上が救えるのか?
 では、私の食べるものを全て与えれば良いのか?
 仏教説話に出て来た聖者の如く,飢えたトラの前に己の身を投げ出して、そして、それでどうなるのか?
 救えるのはトラの一親子だけだ。

 だ・か・ら
 なにをしても無駄だ,とは言いたく無い。だから、なにもしない、というのはただのいいわけだ。

 けれど、人間の容量はとても小さいのだ。
 そして,世界はあまりにも残酷で無情だ。

361スライムベス:2004/08/04(水) 00:25
>>337うろちいさん

>ヨッサリアンさんがうまいこと言っていますが「(自と他との間に)ダブルスタンダードを置かない」と言う以上の意味はαにはありません。

これは非常に解りやすいαの定義ですね。
またその前にいくつかの例を書かれているので一層解りやすいです。

さて私が>>336
>しかしどちらかに少しバランスが傾いているケースで
>「少し価値が小さい」側に自分の命が当てはまってしまった場合はどうなんでしょう。
と質問したのは、

うろちいさんの>>322
>「自分の命と他人の命は同価値なので、二者択一の状況で他人の命を優先するのもαの理念に反する」
>αってこんなもんです。
を受けて、
「じゃあ相手が二人の場合はどうなんだ?」みたいなことを想定した
からです。

このαの定義によれば、この質問の例で自分の命を優先しても別にαに違反しない。
ただし他の人が同じことをしてもそれは非難できない。
非難したらダブスタになってαに違反する。
まあそういうことですよね。

ただし>>44を読むと
ぼーんさんのαはうろちいさんのαとは違いますね。
「うろちいさんのα」ならば
それほど道徳的な高みにあるわけではありませんから、
私にもついていけますし同意できます。

362スライムベス:2004/08/04(水) 00:26
どうもαに同意する人も不同意の人も
自分の中で「それぞれのα」を考えていて、
それが少しずつ食い違っているようです。
不同意の人はちょっと穿った見方をしていたり(笑)。
私は「要するにαって何なんだ」とずっと思っていました^^;
これはぼーんさん自身が自分で
「α」というものを明快に定義出来ていなかったためかもしれません。
あるいは自分の頭の中でははっきりしていてそれを上手く説明できなかっただけなのかもしれませんが。


それで壱学生さんの>>339ですが

>いやー、実に怖いねー。
>だから仮に「実はαに違反していない考え方」でも、ぼーん氏が気に入らなければ「α違反!」って糾弾されるんだもんね。

糾弾調になっていたかどうかはおいといて、
ぼーんさんがαを自分で明快に説明できないのなら
いろんな具体例について
「これはα違反」「これは違反ではない」と言及することで
自分の考えるαとは何かを理解していってもらうしかないでしょう。
彼はそういう努力をしていたんだと思います。

ついでに余談を言えば>>339も読んでて少し解り辛い部分がありました。
壱学生さんは「定義」の意味で「証明」という言葉を使っているんじゃないですかね。
私の脳内でそう置き換えてみれば解りやすくなったので。

363スライムベス:2004/08/04(水) 00:27
どうもαに同意する人も不同意の人も
自分の中で「それぞれのα」を考えていて、
それが少しずつ食い違っているようです。
不同意の人はちょっと穿った見方をしていたり(笑)。
私は「要するにαって何なんだ」とずっと思っていました^^;
これはぼーんさん自身が自分で
「α」というものを明快に定義出来ていなかったためかもしれません。
あるいは自分の頭の中でははっきりしていてそれを上手く説明できなかっただけなのかもしれませんが。


それで壱学生さんの>>339ですが

>いやー、実に怖いねー。
>だから仮に「実はαに違反していない考え方」でも、ぼーん氏が気に入らなければ「α違反!」って糾弾されるんだもんね。

糾弾調になっていたかどうかはおいといて、
ぼーんさんがαを自分で明快に説明できないのなら
いろんな具体例について
「これはα違反」「これは違反ではない」と言及することで
自分の考えるαとは何かを理解していってもらうしかないでしょう。
彼はそういう努力をしていたんだと思います。

ついでに余談を言えば>>339も読んでて少し解り辛い部分がありました。
壱学生さんは「定義」の意味で「証明」という言葉を使っているんじゃないですかね。
私の脳内でそう置き換えてみれば解りやすくなったので。

364ヤッス:2004/08/04(水) 01:03
さあ、そこだ。

結局、「αが何か」「α論が何か」「ぼーんは何が言いたいか」「自分が了解できるαは何か」
が、すべてごちゃまぜになっている、ということが問題の1。

それと、第三者がαを別の言葉で説明しようとすると、すでにαを理解したと言っている人と、
同じ内容にならない(言葉を換えると概念が変わってしまう。概念を説明する言葉は絶対的
すぎて言い換えを一切許さない)、故に、一言一句変えてしまうとαは別のものに変質してし
まうので、他人と共有ができない(できたつもりにしかなれない)というのが問題の2。

細かいまとめ、総括をすべきだと思うが、αを理解しているとしたものと、それに反対するもの
との間で概念の共有ができていないのだが、αを理解していると称する側は、「理解できてい
ない相手」に対して、【呆れ】たり【蔑んだ】り【見下し】たりしているな。
これは、αを理解できた(という、実はシンパの側でも共通化できていない)ことに対して優越感
を持っているから、理解できていない(と決めつけた)相手に対して、傲岸な態度を採っても許
される、という自覚から出ている態度なわけだ。

まったく異質の、もしくは接点の少ない人間同士の間で、暴力に依らない何らかの交渉を持つ
(共通のテーブルに座る)にはどうしたら? ということを考えるのがαとかなんとかを考える
話のきっかけになっていたはずだが、「俺が決めたαを共有できない奴はその椅子に座るな!」
という態度が、αを共有できた(と言い張る)側の内部にある限りは、本来の目的なんか果たせ
ないよ。永久に。
そこまで見下され、呆れられ、蔑まれても、交渉の場(例えばこのスレ)から反対者が去らない
のは、αが優れてるからではなくて、反対者の妥協と譲歩と無礼を許す努力が、αの優越者
の傲慢を上回っているからだ、と言われたら、うろちいはどうする気?(w

365うろちい:2004/08/04(水) 08:10
>そこまで見下され、呆れられ、蔑まれても、交渉の場(例えばこのスレ)から反対者が去らない
>のは、αが優れてるからではなくて、反対者の妥協と譲歩と無礼を許す努力が、αの優越者
>の傲慢を上回っているからだ、と言われたら、うろちいはどうする気?(w

おお、それはありがとう!!・・と言います。

αを拒絶する者にとってどんな利益があって食らいついているのか興味があります。
結局αに基づく利益が失われることを心配しているのではないかと思ってるんですが、僕は。

【呆れ】たり【蔑んだ】り【見下し】たりをα共有を宣言する側がしていたとしても、
それに対してαを拒絶するとする側が文句を言うならそれはやはりαが前提になっているのではないですか?

ま、αが何者かイマイチ、コンセンサスに至ってないのでとにかくそこからですね。

僕が思うαですが、例えばですが、他に特に条件が無い場合で
ヤッスのモノはうろちいのモノ、うろちいのモノはうろちいのモノ、およびその逆
がαが実現されていない状態。
ヤッスのモノはうろちいのモノ、うろちいのモノはヤッスのモノ
または
ヤッスのモノはヤッスのモノ、うろちいのモノはうろちいのモノ
がαが実現されている状態。

前にも言いましたが「自分と他人との間にダブルスタンダードを置かない」がαの一番一般的な説明じゃないですかね。
αが実現されない状態は誰かが拒絶します。
皆が共有できるとしたらαしかありません。

366スライムベス:2004/08/04(水) 13:58
二重掲載失礼しました><

367ヤッス:2004/08/04(水) 18:51
>>365
つまりそれはナニかい。

うろちいが考えるαというのは、

「独り占めを許さない」

かい?

368ヤッス:2004/08/04(水) 19:02
>>366
気にしないから大丈夫。

>>365
で、「独り占めを許さない」(反ジャイアニズム(笑))かい?

2004年現在に置いて、塩と水は独り占めをせざるを得ない事情を持っている者がいるので
αには入れられないが、空気は独り占めをしようと思っても(まだ)できないので、空気(酸素)
はαと言えるな(笑)

それから、ネットワークだな。
なぜ、価値観の違うもの同士が対立を解消しないまま対話ができるかと言えば、同一の
プロトコルの支配を受けなければ意思疎通が成立しない「ネットワーク」の中の住人だから。
その意味で、「インターネットというインフラそのものはαと言える」かもしれない。
が、インターネットというインフラによる拘束を受けるわけだから、ネットでできないことは
できない、ということになるわけだが……まあそれは置くとしても、「掲示板は管理者が利用者
の意志を無視して独占することができるのでαとは言えない」が、「ネットワーク全体(インター
ネット全体)」は、必ずしも特定個人の意志だけで独占することができないので、αと言える、
かもしれない。

あと、言語。
残念ながら世界レベルで共通化/統一されているとは言い難いが、英語、スペイン語あたり
は基調言語または商用語として共有されているので(使用者が多いと言っても広東語や
タミール語は共通化された言語とは言い難いので排除)、コミットするものの間で共通のもの
であり、同時にその使用者のうちの誰か個人が独占することが難しいものでもある。ので、
これもαに近いかもしれない。
我々(主に、談話室に巣くう(笑)意見対立のある者同士)で言えば、「日本語」がαである
わけだが、日本語そのものを共有できていても、日本語で表現する概念が共有できない
でいるのが現状だ。

ここまではOK?

369壱学生:2004/08/04(水) 19:38
>>362
いや、そこは「証明」であってますよ。
「定義可能かどうか?」と「存在しているかどうか?」は違った問題領域ですから。

例えば、
「魔法」を「精神力を源に超自然的な現象を意図的に引き起こす秘儀技術」と仮に定義できたとしても、
それだけでは「魔法」の「存在」は証明できてないですよね?

で、これが「α」の場合、それで十分かどうかはともかくとして、
「定義」として「異質な価値観を持っている者同士の間に存在する何らかの共通点」とできている訳です。
でもこう「定義」したところで、その「α」が「存在するか否か?」については今までのところ全く証明できていないわけです。
上の「魔法」の例と同じで。

まぁ実を言えば、これを証明するのは至難の技ですけどね。
デカルトが「我思う、故に我あり」と言ったのは、結局のところそれのみしか「確かな存在」を認識できなかったわけです。
つまりどこまで行っても「自分の内的世界」は「他人の内的世界」とも客観的な「物自体」にも触れられない、という訳です。
この「物自体」が把握できない、という近代哲学上の大問題は、結局の所現在でも解けていません。

で、ここでいう「α」っていうのは上で挙げた「自分の内的世界」と「他人の内的世界」の共通性を模索・あるいは仮定するものです。
しかしながら既に述べたように、これは現在でも解けていない哲学上の大問題な訳です。

もしかしたら「自分の内的世界」と「他人の内的世界」には共通点は無いかもしれない。
もしかしたらこの世界は実は胡蝶の夢なのかもしれない。
もしかしたら自分はどこかの実験器具の中に脳だけが浮かんでいる状態なのかもしれない。
まぁ疑えばキリがないけれど、そういう「疑い」を完全に否定しきることは人間にはできない訳です(少なくとも僕にはできません)。
で、「α」理論ってのは、突き詰めて考えればこういう「疑い」(自我、と言っても良いでしょう)を否定した上に成り立っているのです。
これを安易に認めるということは、ある意味「自我」を部分的に放棄しているとも言えるでしょうね。

370三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/04(水) 20:03
>>347
ぼーん氏は、過去から現在に至る歴史からアルファ
を理念型として抽出していますが?
彼が理論を真理の様に語ったのは敢えて行ったもの
でしょうね。
人権天賦説という嘘を敢えて真理の様に語った事と
原理的には同様なのです。

371壱学生:2004/08/04(水) 22:34
ダウト。
それは「理念」と「理念型」を混同している。
ぼーん氏はあくまで目標としての「理念」は語っていても、社会科学的分析手法としての
「理念型」としての「α理論」は語っていない。

参照
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T089C100.HTM

372うろちい:2004/08/05(木) 09:16
>>368
>でうろちいが考えるαというのは、
>「独り占めを許さない」?

だめだこりゃ。
くじけそうです。

・・もうちょっと工夫をせねば。

ヤッスさんも法則性という抽象的な形で理解する努力をしてもらわんと、
具体例をあげてもその都度文字通り(今回は文字通りですらないけど)にしかとらないのでは永遠に話にならない。

で、法則性はすでに「自と他との間にダブルスタンダードを置かない」と表現されてるわけですから、
それに沿って理解するように努力してもらえないもんですかね。

塩が専売されるのはαに矛盾しませんよ。
あなた(や誰か)が自分のために塩を独り占めして他人を塩不足にさせるならαに矛盾します。

ホンマにこまった・・

373三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/05(木) 20:26
>>371
理念型というのは、特定の概念を個人が関心を持つ
事柄から論理的に、作為的に、統合的に規定したも
のです。

ぼーん氏は、その様にして現実の一部を抜き出した
アルファという理念型を元に、現実と比較対象する
ことにより現実を認識し、更には、それを元にして
新しい論理を構築されているのです。

374ヤッス:2004/08/06(金) 00:49
>>372
おうおう、困ってくれ困ってくれ。
同じ言語圏の日本人同士ですら、概念を共有するのは難しいんだってことを身体で思い知ってくれ。
αがなぜ普及しないかの理由はまさにそこにある。
うろちいが、そうやって「だめだこりゃ」というような態度を採ることがもう、「わかってる人間はエライ。
わからないヤッスは頭が悪い(うろちいより劣っている)」という傲慢な態度の証明にもなっておる。

さあ、是非ともわからせてくれ。
異質な言語と異質な価値観、共有できないことのほうが遙かに多い人間に対して適用しようっていうα
なんだから、最初の一歩で躓いたくらいで「後回しにしよう」なんて逃げは打たないでくれ。

自分のために塩を独り占めにして、他人を塩不足にし、塩不足は困るから高値に釣り上げられた塩を買わされる。
だろ? 専売ってそういうことだぞ。

さあさあ、この頭の悪い俺にもっとわからせてくれ!

375スライムベス:2004/08/06(金) 22:32
ぼーんさんは
「αを人々の共通の価値観としましょう」
と訴えているわけですよね。
そして彼はαについて
>>34「α 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
と定義しています。

これに対し壱学生さんは>>339
ぼーんさんのα論に対し二つの点から批判しています。

「αの存在が証明されていないのにαを訴えるのは論理的に筋が通っていない」というのが第一点。
「本当にα違反かどうか本人以外には判断がつかない」というのが第二点です。

後者については私も同感です。
>>34で一見αが明快に定義されているようですが、実はそうでは無い。
なぜなら、
「じゃあこんなケースはαに違反するの?」
という問いに対し
この定義だけでは明確に判断できないような例がいろいろ考えられるからです

つまり、αの「定義」が明確で無いために
第二点のような問題が出てきています。
「αの存在が証明されていないから」ではありません。
αが本当に共通の価値観と成り得るかどうか証明出来なくとも
定義が明確でさえあれば
αに違反しているかどうかの区別はつきます。

壱学生さんは>>339

第一の部分で見たように(そしてこれまでのα理論を批判的に考察してきた人が全て指摘しているように)、「α」の中身はぼーん氏本人にすら証明できてない訳だ。
でもぼーん氏は「αに違反している!」と他者を批判するわけだ。
じゃあその「αに違反している!」ってのは誰が判断しているかというと、それは「α教」の司祭たるぼーん氏本人でしかない訳だ。
つまりぼーん氏は「証明できていないα」を盾に他者を無制限に批判し放題な権利を持っていることになる。
しかも「αは証明できていない」訳だから、その批判に抗弁することは誰にもできない。


と書かれていますが、
私が「「証明」とあるのは「定義」の間違いではないか」
という意味の事を書いたのは
このような理由に拠ります。

376スライムベス:2004/08/06(金) 22:33
ところで壱学生さんは>>369

>で、これが「α」の場合、それで十分かどうかはともかくとして、
>「定義」として「異質な価値観を持っている者同士の間に存在する何らかの共通点」とできている訳です。

と書かれていますが、
これはぼーんさん自身がどこかで定義したものでしょうか?
>>34のような事を書いておきながらこんな定義もしていたとしたら
ちょっと変ですけどね。(´・ω・`)

377ヤッス:2004/08/07(土) 05:07
>>376
それな、このスレに移る前に、どっかでぼーん自身の概念説明で見た記憶あるよ。
が、どのスレだったかは、もうさっぱり思い出せん(w
古い話だし、しかも提唱者本人が要領を得なかった上に、賛同者の説明が、提唱者とことごとく食い違っていたから。
賛同者同士は「自分たちは提唱者の概念を忠実に共有している!」と言ってたし、それは今残
っている神学者的賛同者も同じだと思うんだけど、それに賛同できない立場から見ると、提唱者と賛同者もしくは
賛同者同士の間ですら、概念が共有できていないようにしか見えない。
でも、概念が共有できていないようにしか見えない賛同者同士は、「賛同者同士での間の概念共有」には触れずに、
「提唱者の概念を自分は理解している」とだけ繰り返す。

そこがわからんのよ。
物理法則の場合、公理や定理の発見者が立ち会わなくたって、同じ方法論と公式を使えば同じ検証結果が出せる。
うろちいでなく俺が試したって、ジャガイモにヨウ素を垂らせば紫になる。

でも、そうした数値や物理法則ではない「概念」を定理として共有しよう? ということを言う場合に、賛同者を獲得する
場に常に提唱者が立ち会わなければならないのでは、広く普及させるのは望めない。
賛同者が提唱者にシンパシーを感じるのは個人の自由だけど、賛同してる人間が提唱者と同じ概念を獲得して、
しかもそれを提唱者を知らない第三者に説明・理解させることができなければ、新たな賛同者を獲得するのはムズイ。

宗教で言えば、キリスト教徒をいちいちイエス・キリストが口説いて回るわけにはいかんから、カトリック教会という
組織があり、概念を説く人としての神父がいる。プロテスタントなら牧師。
そして、概念の共有にブレが出ないように聖書があり、聖書からはみ出すことは「神の御名において聖職者という地上の
代行者が判断する」ようになってる。それでも概念を共有しきれないから、各宗派は分裂し、カトリックとプロテスタント
とメソジストとモルモン他多数が一つに再統合されることはない。(今のところ)

んでも、α論ていうのは、結果的にはそうした「譲れないから分裂した」という各宗派に対して、譲れない部分はいいから、
譲れる部分を出し合って概念を共有しましょうよ」という、一種の【超宗教】なんだよな。
だから提唱者を司祭、賛同者を神学者と見ることができる。うろちいなどを神学者呼ばわりするのは、別に揶揄から
ではなく、α論の普及の方法や発生時の状況や現在の状況を考えると、そう表現するのがもっとも理解しやすいから。
まさに、神のいない宗教なんとちゃうか、と。

ま、日本人は自分の考え・主義主張を「宗教呼ばわり」されると、「バカにされた、悪く言われた」と受け取りがちなんで、
それについてだけはフォローしとくと、「ある方法論を複数の人間の間で共有しようと試みる全ての行為」は、おしなべて
宗教かそれに準じると考えていいんじゃないかと。
そもそも宗教って「信仰」と違って、人を治するために発明されて発達したもんだからな。歴史的に見て。
宗教から神を切り離したのが「政治」なんだろうと思うけど、だから政治はうまくいかないんだろうな。きっと(w
何しろ、「判断が効かなくなったときに起動する、碁盤ひっくり返しマシーン=神」が存在しないからな(w

378三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/07(土) 21:17
>スライムベス氏
『アルファは普遍的真理』とは、超越的なもので
はなく、内に予め決まった形としてあるものでも
なく人々が対話を通して自ら価値や規範を生み出
し、それを実行して生きようとする『内からの超
越』を指しています。

これを超越的な存在、私達の内在とは別の所にある
ものと受け止めているのであれば、それは誤解です。

379三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/08/07(土) 21:54
>>369
自我は確かなものではありませんよ。
デカルトやカントの意識哲学は、世界や他者
から孤立した主観を基盤にしてますが、人間
の精神は、認識は他者との関係性の中により
初めて生まれます。これはフッサールの現象
学以降の哲学的常識で、自己は社会的関係性を
通して構築されるものなのです。

380イカフライ:2004/08/08(日) 22:52
ざっとだけれど、このスレ最初からぽつぽつ読み返し見たんだけれど。

 このαっていうのは、別にそれほど難しいもんじゃないんじゃなくて、まあ、殆どの人間がとりあえず「良し」といしているモノ,程度なんじゃないだろうか?
 殺してはいけない、盗んではいけない、ウソをつくな、弱い物をいたわれ,思いやりをもて、わがままいうな、etc,etc。
 それこそ、5歳の子供に教える躾レベルのものなんだよね。

 規範,道徳,倫理、まあ、そんな言葉で置き換えられるもの、「建前」と言ったのは,だからちょっと意地悪い解釈なんだけれどね。

 でさ、なんで、建前,といってしまうのか?というと、ひとつは、それらには例外と片付けるにはあまりに多すぎる例外事項があること。
 もうひとつは、その通りに行うと、現実に齟齬が出る事が多すぎることなんだよね。

 例えば「戦争はいけない」これは、5歳レベルの躾の一貫での充分に言えることだし,多分戦争は殆どの人がいけない、と、少なくとも嫌だ,と思っている。
 けれど、いざ戦争となると、どちらも己の正義を主張する,それこそ二つのαが存在するのだよね。

 過去ログのどこかで提唱者のぼ-んさんご自身が言われているけれど、ブッシュもフセインも「正義」を掲げている。
 私は,どちらにも正義は無い,と思っている。
 これは、でも、3つのαでもあるんだよね。

381ヤッス:2004/08/09(月) 09:16
αっていうのは「例外を設けられない、しかも必ず尊重しなければ自分の生命が脅かされる」もの
でなければならんわけだが、「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」「弱い者をいたわれ」「思いやれ」「わがまま言うな」
の全てが、前提を設けることで「ただし例外はある」と言えてしまうものばかりなんだよな。

一方で、その「例外」を認めるか認めないかという話もあるんだろうけど、ほとんどの「我々が生き残るための正義」
とやらは、「自分たちは例外だ」と言う。

その例外を認めない状態が作れない以上は、建前論がどんなに立派でも意味がない。
一方で、「例外を認めない」ということが徹底できなければαを定義しようがしまいが無意味なわけだけど、
例外を絶対に認めない視野狭窄的もしくは「潔癖性」的な人間関係や国家間の距離の取り方というのは、
硬直して危険だ。

「反日/抗日は正義である。例外を認めない」といったら危険だ。
「空爆、原爆投下は悪である。例外はない」といったらこれも危険だ。
(たとえば、現在のファルージャに対して空爆を完全に禁止すると、対応策は「武装勢力の放置」か「航空支援なし
の陸戦部隊の投入」という、どちらも被害の拡大する方法しか選べない)

戦争はいけない。でも、これも例外がある。
「戦争を戦い抜かなければおまえの子供がおまえもろとも死ぬぞ」と言われたら親は銃を手に取るだろう。
「敵を殺すくらいなら、我が子共々死を選ぶ」という親は多数派とは思えないが。

戦争はないほうがいい。というより、問題の解決を力尽く(=戦争)以外で解決できるならそれに越したことはない。
が、力尽くでなければどちらかが妥協しないような問題があるから、戦争という「実力勝負」が起こる。
そうなると、戦争はイクナイ(・A・)!!が完全否定はできない。


そういうわけで、「αはこの際なんでもいい」なんてのは「「単なる方法論」の正当性に拘泥しているだけで、
まるで実務的じゃない。「建前だけでも」なんて話も、ここではまるで意味がない。

建前上、国際連合に加盟している国同士では戦争はないはずだ。国連は相互安全保障条約だからな。
しかし、クウェートもイラクも国連加盟国だったはずだが。ユーゴとスラビアもそうだろ。
建前の正しさをもって実効効果もある、と信じるのは、「国連総長が身一つでイラクに行けば、
フセインとブッシュは握手をし、金正日は全ての核兵器を廃棄する」というのと同じ程度の、
平和お題目主義とかわらん。

戦争はできるならしないほうがいい、という点では合致しているはずだ。
でも、αという建前論に拘泥しすぎることは、結果として「そこまでいうなら戦争しか解決策はない」
と言う例外を常態化することに繋がるんでないかい?

382イカフライ:2004/08/09(月) 19:20
 例によってあまり上手くまとまらない意見をいうが。

 建前であろうが倫理や道徳を守らせるにはルールがいるんだよね。
 人を殺してはならない,という道徳があり,人を殺したら罰せられる(懲役何年とか,死刑とか)というルールがある。
 多くの割合の人が「人を殺してはならない」という道徳を支持しているからこそ、そのルールは支持される、という考え方はある。
 実際,殺人をする人間は少なくとも現代日本では少数だわな。
 で、ひとつは、ではルール(殺人犯を取り締まる警察や刑法による罰)の無い状態でその道徳はどの程度守られるか?
 警察も無く殺人はおとがめ無しの状態になったら、殺人者の数はそれでも増えないか?

 αを守らせるには、それを破った時の強制装置が必要になるんだよね,これが第1段階。

 次に人を殺してはならない,ただし……、という例外条項。
 日本の法律では正当防衛と緊急避難がこれにあたる、これは「己を守る為なら人は殺してもよい」
 となると、「人をころしてはいけない」はαじゃないのかな?
 それから「死刑」これについてはさまざまな論議はあるが、とりあえず今の日本では「死刑」という人を殺すことは認められているのだ。
 これも「社会秩序を守る為」という理由はつきそうだね。

 では「自分を守る為以外の理由では人を殺してはいけない」がαなのかな?
 でも、どこまでが守る為かな?裁判でも正当防衛か、過剰防衛か、ということがよく争われるよね。

 では「いかなることがあっても人を殺してはならない」がαなのか?
 以前ある宗教サイトで、仏教徒としての立場では、ということから、「人を殺してならない」ということを書いてた人がいて。
 それは、死刑の話しだったんだけれどさ。
 まあ、仏教には殺生戒というとがあるんだよな、で、個人の考えとしては、例えば麻原とか死刑っていうのは、もっともだと思うけれど,仏教徒としての立場では死刑はイクナイ(・A・)、とかいうことなんだわ。

 だからどうだ、ってことはよーわからんカキコだったし、また、それに対するレスがアンタの文章が長すぎるだけだったようだけど。

 神様のいない一神教、と書いてた人がいたけれど。
 「いかなることがあっても人を殺してはならない」これはある種宗教的戒律だよね。
 んじゃあ、その信者がいかなることがあっても人を殺さないか?
 聞いたわけじゃないけれど,ノーだと思う。
 それこそ、己の子供が殺されようとしてるときに仏教徒は殺生してはいけない、と子供が殺されるのを目の当たりにするより,それこそ武器を取るだろうし、また、殺されるのを黙ってみてたら、そいつはそれこそ人非人だな.

383スライムベス:2004/08/10(火) 03:43
>>377ヤッスさん
>それな、このスレに移る前に、どっかでぼーん自身の概念説明で見た記憶あるよ。

一つの言葉に対し意味合いの違う二つの定義があるというのは
おかしいんで、αについて話す時は

「α 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」

こちらのぼーんさんの最新の定義で統一した方がいいでしょうね。
それにスレを読むとだいたいこちらの意味で語っている人が多いようです。

384スライムベス:2004/08/10(火) 03:44
>>378三毛猫ナナさん

超越や内在という言葉の概念がもう一つよくわからないんですけど、

「対話を通して自ら価値や規範を生み出
し、それを実行して生きようとする」

という三毛猫ナナさんの理解については
特に異論はありません。

385ヤッス:2004/08/10(火) 05:46
>>383
では、とりあえずそれで。
ただ、「α」として理解してきた別の概念に対する疑念があるので、今後も混乱はあるかもしれない。
もし気づいたら混乱していると指摘して、何についてかを修正してくれたら嬉しい。

さて。
>>383 のαだが、疑問が。

1)自分の宗教を修正するより上位の価値を受け入れることは、改宗を迫られることと同義か?
 改宗を迫られることを受け入れられない場合は?
2)例えば、相手の宗教には最初から含まれている価値と、自分の宗教には含まれていない価値があり、
 双方の間で等しい価値を共有するために、相手は宗教を修正しないが、自分だけが宗教を修正する
 ということを「強いられた」場合、修正を強いられた側は「相手の宗教に有利なように改宗させられる」
 と受け取るのでは? これは、「等しい価値の共有」をタテに、相手の宗教に改宗させられること、という
 受け取り方をされかねないのでは? 
3)自分の信じる宗教を捨てる、またはさらに上位の宗教にシフトする、という考え方か?
4)また、改宗(自分の宗教が第三者の価値観によって修正させられる)場合、等しい価値と言われている
 ものを巡って、どちらが正しい、正しくない、という裁定は誰が行うのか? 相手が行い、改宗させられる
 側がそれに従うのか?

うろちいあたりには、またワカランチンと言われそうなんだが、価値観が共有できていない相手と対話をする
っていうのは、まさにこういうことなんだよな。人を殺して当たり前、人から盗んで当たり前の世界にいたら、
それが禁止されてる世界なんか微塵も理解できん。なぜいけない、なぜ許されるを、「改宗させたい」と思う
側が気長に頑張らないと。

386スライムベス:2004/08/15(日) 02:32
私もαについてはっきりとはわかってないんですが、
人類に何らかの共通の価値観があるべきという考え方自体には同意できます。

たとえば南アフリカのアパルトヘイト政策の場合、
国際社会が南アフリカに対し
「人種差別制度は悪」という価値観を受け入れさせようと
さまざまな圧力をかけて撤廃させることが出来ました。
このような行為は支持します。

387ヤッス:2004/08/15(日) 09:39
>>386
それは、

・正義のためなら圧力を掛けることは許される

ということかな? 目的のためなら手段は選ばない、ということ?

で、「人種差別制度は悪」という価値観について、俺個人は「機会の均等を奪う制度はイクナイ(・A・)!!」
と思うが、絶対悪だとは思ってない人に、それを植え付けるための手段としての「圧力」は正義の圧力
だから許されるってことかな?

今日は終戦記念日だから言っちゃうけど、大東亜戦争のきっかけのひとつまたは、ルーズベルトと日本
が戦うきっかけのひとつに、英米欧列強諸国によるアジア人差別というのがあって、日本が国際連盟
(連合じゃなく)を推進したのはアジア人である日本が列強に差別されないため、というものだった。
アジアで唯一日本だけが列強と対等に戦えた、ということが、列強の支配を受けていた植民地のアジア
アフリカ人を勇気づけ、「差別はよくないんだ」という意識が、行動に向かうきっかけになった。

欧米の差別、差別の強行と維持(欧米型の、植民地に教育を施さず搾取の対象に限定するというやり方
は差別でしかないのはわかるね?)をひっくり返すための圧力手段としての大東亜戦争は、今の>>386
の主張で言うと充分に支持されて然るべきなわけだが。

差別されたアジア人・日本が、差別主義者で植民地を奴隷のようにしか扱わなかった欧米列強と戦った
戦争は、本当に一方的に日本が正しくない戦争だったのかね?

今年はそんなことを考えてみないかね?


定番だけど、ここの上1/3〜1/4くらいからどぞ
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_02.html

http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.html
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-2.html

388イカフライ:2004/08/16(月) 17:14
 α。
 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。

 では、α教徒はこんな時どうするべきか?
 スーダンで内戦が起きた。沢山のの難民が発生し、その多くは女性と子供。彼らは枯れ枝を集めたほったて小屋に寝起きし,食べる物も着るものも無い。医薬品も医師もいなく,病になればただ死んでいくしかない。
(しかも、長期の栄養失調と逃亡生活で、肉体が衰弱しきっている)
 一方で衣食住が満たされた一人の日本の子供がいる。その子供が両親に、自分は夏休み,どこにも連れていってもらえない。友達はみんな生みやディズニーランドに行った。自分も何処かに連れていって欲しいと親に頼む。
 その両親は、父が中小企業勤め,この夏はボーナスも殆ど出なかった。母親はパート、余裕は無い。とはいえ,やりくりすれば1泊旅行くらいはなんとかできそうだ。
けれど、家族のレジャー費用を使ってしまったら,寄付するお金は残らない。

 こんな時,どうするか?
 
 αでいくならば、今死に瀕しているスーダンの人々の命と,衣食住が満たされた日本の一家の楽しみの為のお金,前者を優先させるのが正しい解釈なのだろう。

 けれど、もし、自分が親だったら,子供のディズニーランドを優先させてしまうだろう。

 「世界では小学校にすら通えない、それどころが家も食べ物もない子供が沢山いる,だからお前は恵まれているんだよ」
 と、ゲームも与えず,ディズニーランドにも連れていかず、塾や習い事もさせないで、そのお金を難民に寄付することが、果たして正ししいのかどうか,私には解らない。

 司祭はなんて答えてくれるのだろうか?

389スライムベス:2004/08/19(木) 03:30
>>387

>それは、
>・正義のためなら圧力を掛けることは許される
>ということかな?

場合によるだろうね。

>目的のためなら手段は選ばない、ということ?

もちろんそんな事は無い。

>で、「人種差別制度は悪」という価値観について、俺個人は「機会の均等を奪う制度はイクナイ(・A・)!!」
>と思うが、絶対悪だとは思ってない人に、それを植え付けるための手段としての「圧力」は正義の圧力
>だから許されるってことかな?

まあそういうことになるかなー。
逆に聞くけど、貴方は「許されない」という考えなのかな?
たとえば南アのアパルトヘイトをやめさせるために
国際社会が行ったような制裁措置は一切するべきでなかった、
と考えている?

>欧米の差別、差別の強行と維持(欧米型の、植民地に教育を施さず搾取の対象に限定するというやり方
>は差別でしかないのはわかるね?)をひっくり返すための圧力手段としての大東亜戦争は、今の>>386
>の主張で言うと充分に支持されて然るべきなわけだが。

まず私は太平洋戦争をそのように考えていないし、
仮にそうであったとしても>>386からそのような結論は導き出せない。

390うろちい:2004/08/19(木) 09:32
>>338
僕はいつもそういう問題で股割け状態です。
で、いくらかはαに矛盾せずに済む行動をとれるけど、まだまだαに背いている部分も多い。
我が家ではいろんな救済用の年間予算をとりあえず決めて自分たちの覚悟の大きさに応じてその枠を広げるようにしました。
そうすることによって自分たちがどのくらいαに沿っているか反しているか金額ベースで自覚することができると思いましたので。

α教徒でなければそういう問題は問題にすらなりません。

α教徒は一家の旅行よりスーダンへの救助を優先すべきだと思います(だから自分ちだけ旅行に行けない状態はおかしいんですけど)。
一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増えるという条件でなければですけど。
で、イカさんはときどき「一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増える」みたいな願望を覗かせますが、そういう都合の良いことが起こることもたまには期待できるかもしれません。
食べることで痩せるダイエット法と同じくらいに期待できます。

僕も5回のうち4回くらいは子どもとのディズニーランドを優先させてしまうかもしれない。
でもそれは「自分が持っているはずのαに反している」と自覚しています。
自覚するからこそ4回が3回になる可能性があります。
もちろんαを捨てる選択もありますけど。

しかし日本の貧乏人のささやかな楽しみを削る前にもう少し削った方がいいものがあるような気がしますけどね。
その辺のαへの整合性も考えるべきだと思います。

391ヤッス:2004/08/19(木) 09:56
>>390
その考え方っていうのは、どうしても「競争の結果勝ち得た正当な報酬を、競争に勝てなかった者のために諦めろ」
ちう強制を正当化してるみたいで受け入れがたいんだよなあ。
楽して儲けた金だったら人に恵むなり振る舞うなりする(ゆとりの余剰を喜捨)のはかまわんと思うけど、
ディズニーランドに行く金、行くための時間っていうのは、結局自分の労働の成果として手に入れた報酬なわけじゃん。
それを、なぜ、労働の成果に寄与しないスーダンの人に下賜しなければならんのだろう。
何の罪があるんだろう。

働いても働いてもそれに対する報酬について、関わりのない誰かに喜捨しなければならない義務を課される
みたいな考えっていうのは、生活アップアップの人間から言わせて貰えば、金持ちの道楽でしかないと思う。
金持ちが余り銭を貧乏人に投げるのは勝手だし、好きにすればいいし、それで来世が約束されるなり天国の門の
優先権が手に入るなりするならどんどんやればいいと思う(宗教ってそうだよね)。
でも、それって「そうでないものにまで強制・義務化し、そうしないことが悪であるかのように喧伝してまで広める」
ものなのか?と言う疑問は捨てきれない。

好きにやればいい。が、俺は知らんな。という人間を、好きにやる人間が非難や批判していいことなんかなあ。

392ヤッス:2004/08/19(木) 10:14
>>389
目的のために手段は選ばない【ということではない】、ということでOKだ。

んじゃ、質問に答えてみよう。
南アについては、一般的には「白人(オランダ人)の権益を守るために、黒人(現地人)を抑圧し機会を奪う」
という認識でええのかな?
ホントに個人的な話をするならば、その権利の回復のための努力は、国際社会の圧力によってではなく、
マンデラ氏他の現地の黒人自身の努力で勝ち取られるべきだろうと思うし、そのことについて国際社会が
手や口を出すのは、それが善意によるものであっても【内政干渉】を正当化しているという自覚は持つべき
だと思っとるよ。
これは、その他のどんな制裁処置についても言えることだけどね。
現在の国際社会では、国内の政策については基本的に国境を越えたら干渉できない、内政不干渉を原則
としてるはず。だから、失政や悪政でその地域内の国民ががばがば死んでも、そこに明確な統治者が
いる限りは、他国は干渉できない。これはまあ建前論なんだろうけど。
そうすると、南アがアパルトヘイト政策を南ア以外の国にも輸出しようとしたならともかく、南ア国内の政策
として行っていたとするなら、果たして国際社会が内政干渉/制裁処置を取ったのは本当に許されたのかな?
と疑問に思うことはかなりある。

まあ、実際には干渉したし制裁したわけで、南アの野党勢力による政権奪取に、外国が手を貸した結果、
政権が替わった南アが自ら国策を変えた、という名目になってるんだろうけどさ。

・内政干渉は絶対に許されない →これを第一義に尊重するなら「許されない」
・自分が内政干渉を受けることを甘受する →それでもいいっていうなら「許される」

俺は「国民主権」「主権域内(国境の内側)に対する内政不干渉」は絶対だと思ってるので、
それを優先すると「例え善意の所行であっても、国際社会の制裁は許されなかった」という結論になるね。

しかし、内政干渉の受け入れって無制限にしていいもんなのかな。
また、受け入れの基準ってなんだろう。そういう話を棚上げにして「特例を許す」って言っちゃっていいのかな、という疑問はある。
この場合、「内政(アパルトヘイト政策)より、国際社会の合意のほうが上位」っていう考えが正当化されてるから、制裁は正義
ってことになってるわけだよな。
「人種差別は悪=α」なわけか。でも、そうすると、南アは「人種差別は悪ではない」と考えていたわけで、
南ア政府はαに反しているか、αを準拠していなかった。
その相手に対して、「圧力をかけてαを守らせた」という強制行為をしたわけだな。
南アが自浄的そうしたならともかく、「外からそうさせた」ってのは本当に正しかったのかなあ。

393ヤッス:2004/08/19(木) 10:22
国際的差別問題というとだいたい南アのアパルトヘイトが引き合いに出されるんだけどさ、インド国内の
カースト制的差別についてはどう考える?

階級ごとに厳格な「差別」があり、特定の階級、地域出身者は、特定の仕事にしか就けない。職業選択の
自由がない。一生選択と売春だけで生活することしかできない階層もあるそうな。
そういう階級差別というものが、厳然として存在するインドに対して、国際社会は制裁措置を取って差別
から解放させるべきかな?

でも、それをやると、インドの10億以上の過剰な人口は大混乱に陥る。
職分をカーストで仕分けすることで、特定の業種が足りなくなったり剰ったりしないように調整されてるわけ
だから。それはまあ、ある種の「蓄積によって得た大量人口が棲み分けしていくための知恵」なんだろうけど
そういうものも「階級差別」というデメリットよりメリットが上回るものとして未だ破棄されてないわけだ。
(実質問題として)

国際社会は制裁措置をすべきかな?
俺はすべきじゃないと思ってるけど。

これっていうのは、「域内の統治(内政)に対する責任を、誰がどこまで負うべきなのか」って話を
絡んでくるんじゃないのかな、と。
例えばの話よ。インドで階級差別と就業の自由を、名目でなく実質的に解放させたとする。
それによって医者が増えすぎ弁護士が増えすぎ、一方で洗濯屋が激減、医者と弁護士は増えても
仕事が足りないから、その仕事では全然食えない。ああ、これなら与えられた職分の範囲内で
やってればよかったよ……てなそういう混乱が起きてきたとする。
まあ、差別開放政策が「失政だった」という結果になったら、という喩え話だな。
この場合に、差別開放政策を「取らせた」のが国外からの制裁圧力によるものだったとする。
国外からの制裁圧力=国際正義に乗っ取ったものの、人口比や就業者事情のまったく違う
先進国の事情や正義を制裁を持って押し付けられたインドの社会が大いに混乱した場合、
インド国民はその失政をツケを誰に文句を言えばいい?

本来、インド政府が自発的にそうした(外国の制裁と無関係に)なら、インド政府が責任を
取るべき問題だけど、制裁によってそうせざるを得ない、という強制を受けた結果、
強制した諸外国が自国で成功したのとは違う失敗にインドが見舞われた場合は?

こういうことが起こりうるからこそ、「自国の主権が及ばない外国の、域内自治については、
他国が内政干渉をすべきではない」という鉄則が生まれたんだろう。
インドの失政について責任を持つ上位の「政府」ができないうちにやっていいことじゃない
と思うんだよなあ。

この「内政干渉」に関する唯一の例外は、「その国の政策が、隣国または第三国に対して
直接の脅威になる場合」「安全保障を脅かす場合」だけだろ。
域外に影響を与えることになるわけだから。

だから北朝鮮の「拉致・核問題」は俎上に載るし、他国が干渉もするけれども、
金正日が取っている圧政については他国は問題にしない。
そゆことでないのかい。

394イカフライ:2004/08/19(木) 17:10
>>390

そうしますと、全ての人々がα教徒になったら,どうなるのでしょうか?

>一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増えるという条件でなければですけど。
で、イカさんはときどき「一家が旅行へ行った方がスーダンへの援助がかえって増える」みたいな願望を覗かせますが、そういう都合の良いことが起こることもたまには期待できるかもしれません。

 これは願望ではなくて、よく解らないのです。
 私は自慢ではなく言うのですが,あまり贅沢はしない人間だと思います。
 この年齢になって宝石もブランド品もひとつも持っていないし,まあ金が無いというのは一番の理由ですが,そもそもあまりそういったものには興味が無いし。
 東京住まいということもあって、車も免許もありません。
 趣味も読書と山歩きと編物というなかなかにイタく地味なモンですし,(最近ネットというもんが加わりましたがこれも地味って言えば地味(^^ゞ)根がヒッキー体質なもんですから、若い時にも六本木に入り浸る事も無かったし,スキーもテニスもしません。
 まあ、つまらない人だと思います。
 でね、質素に暮らして贅沢をせず恵まれない人達の為にそうして節約したお金を寄付する。
 そうなったらどうなんでしょうか?
 これへ福祉スレでもバイクの例で書きましたが。
 レジャーや服飾品、車やバイクといったいわば贅沢品(と一階に言ってしまうと,生活環境などによって差はありますが)を一切買わないで,それを福祉に寄付をする。
 そうなると、却って介在は衰退するのではないんですか?
 実際現在(といっても回復しつつあるとは言いますが)の不況も個人消費の落ちこみが原因だったし。

 >しかし日本の貧乏人のささやかな楽しみを削る前にもう少し削った方がいいものがあるような気がしますけどね。
 
 これは、熊しか通らない道路のような無駄な公共事業やお役人の天下りのようなことでしょうか?
 それとももっとほかの事?

395イカフライ:2004/08/19(木) 17:37
 あと、思う事。

 つつましやかな日本の貧乏人も、国によっては王侯貴族です。
 日本で餓死者がでたらニュースになります。けれど、日常的に国民が餓死する国なんて北朝鮮だけじゃなくいくらでもあります。
 蛇口をひねればキレイで安全な水が出る。スイッチを押せば電気が点く。こんな生活を当たり前だと思っていますが,それは世界じゃ少数です。

 けれど、じゃあ、日本人は贅沢だからよぶんな金はアフリカに回せ。
 それも違うんですよね。

 無駄とか贅沢というと、同じレベルではないという意見も特に教育関係者から出ると思いますが。
 例えば世界には小学校も通えない子供が沢山いる。じゃあ、自分の子供は義務教育だけで就職させて、高校や大学にかかる費用を寄付する。
 中卒で働いている子供の給料からも寄付させる。
 原理主義のα信者はそうなりませんかね?

 個人的にはね,こんな高い進学率は無意味だと思います。
 高等教育はもっと少数精鋭にしてレベルを上げたほうが良い。
 一入も行燈も読めない大卒(しかも文系)の卒業校が私学でもトップレベルってのはなんじゃらほい、と思います。

 けれどね、今,とりたててエリート教育をしようと思う親じゃなくても,いやむしろウチの子は取り立てて才能も無いし,平凡で良い,と思う親こそ,我が子を大学にまで進めたがるんじゃないでしょうか?

396ヤッス:2004/08/20(金) 00:46
日本国内では「借家住まいで収入は月手取り18万」って言ったら、どちらかといえば貧民に入るよな。
そんなに貧しくても、ラーメンの値段が貧民割引になるわけじゃないし、ガソリン代だって同じだけかかる。
でも、月手取り18万(約1600ドルくらい?)もあったら、途上国じゃ王侯貴族の生活ができるかもしれない。
でも、日本国内で暮らそうと思ったら底辺に近い生活にしかならない。
でも、日本で稼いで途上国で暮らし、剰ったゼニを途上国に貢ぐ……なんてことは、物価の高い日本で
仕事して暮らしてる限りはできない。

それもこれもだな……

「生活水準及び生活コスト」というのは、国境の境目で変わるものだし、「最低水準」なんていう価値観だって
国境で切り替わるものなんだよ。
それが「国ごとに独立し、主権を保ち、また政府が保護の対象とする」ということでもあり。

域外の住民について義務を要求せずに権利だけ保障してやろうというのは、間違ってないかい。
大きなお世話じゃないのかい。
権利を保障してやるなら、義務を負わせるべきじゃないかい。
スーダンの子供に援助するとき、何か義務を負わせているのかい。

日本の主権が日本の国土の外に及ばないのが当たり前であるように、日本政府や日本で暮らす個人が
責任や援助を「共同体」として行えるのは、日本という「同じ程度の生活コストがかかり、同じ法律に保護され、
同じ権利と同じ義務が課されている範囲内」に限られるべきなんでないかい。
権利の話は出てくるが、義務の話が一切出てこない、「域外」への援助は、政治的介入/内政干渉と同程度に、
傲慢なもんじゃないかと思うんだがなあ。

「月に2000円も稼ぐ」スーダンの人と、「月に18万しか稼げない」日本人とでは、どっちのほうがいい暮らしを
してると思ってんだ(w

397ヤッス:2004/08/20(金) 00:49
そゆことを考えると、だな。

「思惑も絡む政府援助(ODAとか)」みたいなもんはともかくとして、「日常の生活であっぷあっぷの日本人」
には、ホントに余剰なんかあんのか? というようにも思うなあ。

よく「田舎に道路作るのは無駄!」という意見が出るんだけど、道路のない田舎は不便なんだよな。
田舎は不便でいろ、ってことなのかなあ。
それってのは、都会人の傲慢てことにならんかい?

398うろちい:2004/08/20(金) 09:20
>>394 イカフライさん
>>396 ヤッスさん

今まできちんと書いてなかったかもしれませんが、自分が相手の立場でも同じ答えを導くならそれはαに反しないんですよ。
α自体が要求するものはそんなに窮屈なものではないです。
そしてα教徒は殆どの人を含むでしょう。
自分がスーダンで不遇な目に遭っていたとして、そのとき日本にどのくらいの援助を要求するのか。
それが日本人である自分が援助すべきだと考える質量と等しければαには反さないわけです。
(客観的な立場から言って)どのくらい援助すべきなのかはαとは別の問題としてあるんですよ。
僕は自明のこととして「先進国の貢献の仕方はまだまだ」と考えているのでそれとαとを掛け合わせれば、結果股割きになるんです。
例えばですが・・
「自分が日本でささやかな贅沢を満喫できれば代わりにスーダン人がのたれ死んでもかまわない」と考えているのに自分がスーダン人としてのたれ死ぬときには「贅沢をしながら自分を見捨てた日本人」を少しでも恨むのであればαに反します。
「自分が日本でささやかな贅沢を満喫できれば代わりにスーダン人がのたれ死んでもかまわない」と考えていても自分がスーダン人の立場で「日本人のささやかな贅沢のためならのたれ死んでもかまわない」と考えるならαに反しません。
イカさんの基準もヤッスさんの基準も自分がスーダン人であっても日本人に文句がなければαはクリアしています。
「ある基準を自分にも他者にも同じく適用する」というのがαであって「ある基準」が何が適当なのかはもう一つ別の論点です。
「基準は何が適切か」でなかなかコンセンサスに至らないことが多いですが、αが無ければそもそも「ある基準」すら必要ないわけです。
αを拒絶すると言うことは規範を他者と共有することを放棄すると言うことです。

399ヤッス:2004/08/20(金) 11:51
>>398
「スーダンに暮らす自分が、自分がスーダンで生き残るために、自分を援助する日本人が財産を放棄して
その結果死んでしまっても、スーダンで生き残るためならかまわない」
という場合はどうなんだろね。

もっと言えば、スーダンの人が日本についての知識を全く持っていなかったら、「贅沢なあいつらと、みじめな自分」
なんて概念を持たないで済んだのではないかね?
せいぜいが、「同じスーダン人なのに、大統領はいい暮らしをしてやがる」という程度で。
「自国の大統領よりも、日本の貧民のほうがいい暮らしをしてるらしいぜ!」という認識を持ってしまうからこそ、
「贅沢な日本人は、みじめなスーダン人にもっとものをよこせよ。不公平だよ、おまえら」という認識が生まれてしまうのでわ?

どっちにせよ、「国境を越えた完全な平等」は物理的に不可能。
完全な平等ではないにせよ、それを平等に少しでも近づけよう、という【善意】は理解できないでもないが、
それはそれぞれの「区切られた域内」での競争や努力の成果として勝ち取るものであるべきで、
「隣の芝生が青いから、ひっぺがしてウチの庭に貼り付けなきゃ不公平だ」
っていうのは、一生懸命芝生の手入れをして青い芝生を手に入れた隣人が、努力の足りない隣人に手を貸さないことを
妬むのと似たようなものというか……

日本人が腐敗できる程度に、または適度なポカをやらかしても国が転覆しない程度に豊かなのは、
それもやっぱり日本人自身の努力の成果だろう。そうやって築かれた土壌を継承して、今の日本があるわけだし。
だが、それを羨むだけの、自助自治努力が足らずに目的を果たせない人々に、「結果の平等」だけを与えるのが
正しいとは、全然思えないんだよなあ。

自分がスーダン人だったら。
日本人がスーダン人よりいい暮らしをしている、という事実を知る機会が、まずほとんどないだろうな。現実問題として。
あったとして、「いい暮らしをしている」という結果だけを知ったら「あいつらが羨ましい」って思うかもしれん。
そのあと「ライスボール1個が1ドルもする。ブレッドひとかたまりで1.5ドルもする。Sushiを二カンで3ドルだと」と知ったら、
なんて高い食い物を食ってるんだ、と思うかもしれん。それを贅沢と思うか、物価が高すぎると思うかはわからんが。
まあ、それを得るのに、一日に12時間以上働くのが普通だと言われたら、驚いて逃げるがな(w

そういう「羨ましい」という気持ちは、「結果(=得た報酬と物価)」の部分だけを見ればそう思うだろうけど、
「義務と努力(=労働時間と内容)」を知ったら羨ましいとは思わないと思うなあ。
その意味で、「結果の平等」だけを叫んで例に挙げるのは、どーもしっくりこない。

スーダン人でもアフガン人でも東ティモールでもいいんだけどさ、自衛隊の国連監視とか、NGOの現地活動とかで
日本人に対する評価のいちばん大きいのが、「日本人が先頭に立って働く。奴らは働き過ぎ」なんだとさ。
(先日のNHKドキュメントでもやっとったよ)そこで、「外国人の日本人が働いているのだから、我々も頑張らなければ」
という精神面での支援になってる部分が大きいとかなんとかそういう評価もあれば、「あれだけ働いていれば、
日本が繁栄するのも当然だ」という感想の人もいれば、「彼らが働きすぎるので怠けられない」という人もいる、とかなんとか。
まあ、ともかく。

結果の平等を与える与えない、という話は、そんなわけで「努力の平等」を無視する部分が大きくなるので、
αの喩え話にはあわねえつか、信者が不利になるんじゃないのかい?
と、心配してみた。

400ヤッス:2004/08/20(金) 11:56
脱線してすまんね。
自分がスーダン人だったら、「金も飯もいらねえから仕事くれ」と、まずスーダン人に言うだろうな。
仕事っていうのが、一過性の、スポンサーが去ったらなくなるようなもんじゃダメなわけで。
農業国として「自分たちが喰っていける」というのを目的に働くなら、輸出や輸入は考えないで
いいわけだから、外国のことなんかどうだっていい。

工業国として「外国にもの売って暮らす」なら、「作ったんだから買え!」じゃなくて「買ってもらえるものを作る」
方向にシフトしないとだめだし、そのためには外国のことも考えないとならない。
そのときに、「あいつらは他の国のものは買うのに、おれんところのものは買わないのは不公平だ!」
という意見も出てくるかもしれない。品質と値段が同じならもっともな話だが、品質や値段がその差を
作っているなら、値引きするなり品質を上げるなりの努力しなければとも思うかもしれん。

まあ、それは日本人の発想だと言われたらそれまでなんだがな。

ただ、そういう努力をすればモノは売れるし外貨は稼げるし、いい暮らしもできるだろう。
そういう努力をしないで、いい暮らしをしようっていうのは間違いだと思うんだがなあ。

どうしても「努力をしない奴を、努力をした奴が救わなければイケナイ。それが正義だ」という前提に
立ちすぎてるのが鼻につくんだよ。

401イカフライ:2004/08/20(金) 12:19
 少しいいかな?

 ヤッスさんはそういうつもりで言っているわけではないと言うことは解るんだけれど,スーダンの例で言えば。
 別にスーダンの難民キャンプの人々は怠けていたわけではなくて,アラブ系民兵組織が民族浄化とやらを言い出して黒人を虐殺し始めて,スーダン政府がそれを黙認(つーか、事実上応援?)していたから、命を守る為に国も村も捨てて、つまりは自分の生活基盤を置いて、命からがら国境沿いに逃げてきたんだよね。

 世界で難民と呼ばれる人々が発生する時には、こういう理由が多い。
 日本の敗戦の時の引き上げにしてもそうだよね。大陸で築いた財産、全部置いて命からがら逃げ出してきた、なんて話は昔,年寄りから聞いた。

 で、スーダンの例で言えば,国がこんな状態になったのは「スーダン政府」の責任である、
 しかしスーダン、に限らずアフリカの問題は植民地時代、白人が勝手にひいた国境線にある。
 となれば、いけないのは、フランスやイギリス,その他植民地政策を行った旧宗主国であり、また、独立後も争いばかりして,まともに国を築けなかった現地の民にある。
 それは、そうだと思うんだよ。

 たださ、いわゆる底辺、というのかな、パンピーの視点で言うとね,スーダンに生まれるも日本に生まれるも「たまたま」だからさ。
 
 >「金も飯もいらねえから仕事くれ」
 と言えるのはだから、仕事が出来る環境,仕事をすればそれに応じた報酬が入ってくる環境,その報酬によってモノが買えるだけの環境,があってはじめてなんだよね。

402うろちい:2004/08/20(金) 13:05
大丈夫?ヤッスさん?
「自分が相手の立場でも同じ答えを導くならそれはαに反しない(>>398)」
という肝心なところ理解してくれた?

ヤッスさんは「「ある基準を自分にも他者にも同じく適用する」というのがαであって「ある基準」が何が適当なのかはもう一つ別の論点です。(>>398)」
の「ある基準」についてばかり気をとられてるけどさ。

403ヤッス:2004/08/20(金) 15:12
>>402
その、「大丈夫?」とかいう言い方やめてくれねえか。

なんか、医者から気違い扱いされてるみたいで腹が立つ。
もしくは、健常者から障害者扱いされてるみたいで腹が立つ。

作戦か?

404ヤッス:2004/08/20(金) 15:13
自分は正しく、自分は理解をしていて、相手は正しくなく、相手は理解が足りない。
そういう前提に立つから、そういう偉そうな言い方が「自分にとって当然で、相手はそう言われても当然」
という鼻につく態度を生むのか?

405ヤッス:2004/08/20(金) 15:16
α云々がいつも空転したり、空論に終わるのは、その代入すべき部分を棚上げにすることなんだよ。
だから白紙委任状って言われんだと思うんだが。

「契約を履行するという白紙委任状に判を押しなさい。契約内容は別の論点であり、判を押した後に個別に考えます」

そう言われて白紙委任状の正しさを訴えられても、全然同意できない。
結局は「代入される契約内容は、ケースによって違う」んだったら、白紙委任状なんか無意味。

406ヤッス:2004/08/20(金) 15:25
>>401

原因に責任を求め続けるなら、

・スーダンの貧困は、「アラブの正義」によって起きた。だからアラブが悪い。
・だが、そうした民族・部族的モザイクは旧主国の線引きのせいだ。だから旧主国が悪い。
・旧主国が原因を解決すべきだが、当時の当事者はすべて死んでいる。だから、旧主国の現政権が対応すべきだ。
・しかし、現在のスーダンは独立国なのだから、旧主国の仲裁を受け入れるとスーダンは独立国とは言えない。
 だから自力解決ができないスーダン現政府が悪い。

てな風に、どこまでも責任追及はしていけるだろう。
政府を回しているのは「頂点」で、それ以外の人間が「底辺」なんだとしたら、底辺の不幸ってのはどこにあるか。
教育が不十分だから「底辺」が底辺から抜け出せないのか。目の前のことで精一杯で、戦略眼が育たないのか。
が、教育ってのは国のグランドデザインができ、「国」という意識が育たないと、施すこともできない。
外国人に貰った教育ってのは、結局与えた国にとって都合がいいだけだからな。

責任を追及して尻を拭ってくれる相手を探し続けようっていうのは、復興してからすべきことだと思うがなあ。
たまたま日本に生まれたが、俺は日本になんて生まれたくなかった、どこか別の星の別の時代の宇宙人になりたかった。
と言ってみてもしょうがねえわけで、「今いる、今ある場所で、今できることをするしかしょうがあんめえ」とも思う。
今ある、今いる場所でどうにもならないから、「誰かなんかくれ」というのも、ひとつの方法なんだろうけど、
「悪いけど、だったら死ね」と積極的に言うことも、「悪いね。ごめんね」で消極的に(死ね)ということも、
「これで今日だけ生き延びろ」と小銭を握らせることも、得られる結果に大差はなくて、与える側が悔いる量が
増減するだけだと思うんだがなあ。

イカフライには悪いと思うんだが、どうしてもこの問題に限っては、「援助をしたいならすればいい。しかし、
それは金持ちが道楽でやれ。貧乏人にまで同じ行為を要求すんな。金持ちの行為=援助に対して、
第三者に評価を求めんな。正当化すんな」と言いたい気持ちが強くてなあ。

αスレからは脱線で悪いけどな。

407ヤッス:2004/08/20(金) 15:28
「ある基準を自分にも他人にも等しく適用する」っていうのは簡単だけど、実際にはできねーんだよな。

相撲取りが一日に食べる量と、癌患者が一日に食べられる量。
どちらも違う。相手には互いに適用できない。

ここで、どちらにも適用できるものが、等しく同じであるためには、結局「ある基準」が何か?を明確に
できなければ比較なんてできない。

それこそ、「等しく適用できる場合もあるし、そうでない場合もある」としか言えない。
「等しく適用できる場合」が何かという具体的な話が進むなら、この話は意義がある。
具体的な話が出た試しがない(というより、具体的な話は例外で逃げられるものばかり)から、
胡散臭く感じるんだが。

408うろちい:2004/08/20(金) 16:28
ヤッスさん、何を言っているんですか?
ある基準の具体例ならヤッスさん自身が言っているのではないのですか。
ヤッスさんの方式に従って日本がスーダンへの援助をしたりしなかったりを決めるのならば
ヤッスさんはたとえ自分がスーダンで不遇に遭っている人だとしても日本人には文句を言わないのでしょう?
それともダブスタですか?
ダブスタではないのならヤッスさん自身がαを承認したうえでそう言っているのですよ。
「きな臭い」なんて人ごとみたいに言っているけど。
ついでに言えば

>そういう偉そうな言い方が「自分にとって当然で、相手はそう言われても当然」という鼻につく態度を生むのか?

というのも「そういう鼻につく言い方は俺もしないしお前もしてはいけない」と、暗黙にαに立脚しているではないですか。
それとも「俺はするがお前はするな」ですか?

「具体的なある基準」なんていくらでもあるわけです。
その内容はαとは関係のない因果で決まります。
ですからある基準の内容がヤッスさんのお気に召さない(お気に召す)場合があっても、それはαを拒絶する(承認する)理由にはなりません。

>結局「ある基準」が何か?を明確にできなければ比較なんてできない。

α自体を評価するための比較はαが無い場合とある場合とでするしかありません。
共有すべきものとして基準がある場合は常にαに立脚しています。
ある基準を具体化して、いったい何が比較できて何を評価したいのか不明です。

それでも敢えておつき合いして
>相撲取りが一日に食べる量と、癌患者が一日に食べられる量。
に関して「ある基準」を具体化してみましょう。
正確に言えば万人が食べるべき量に関しての規範です。
全ての人は・・・
「食べてはいけない」
「死なない最小限度しか食べてはいけない」
「体重に比例したカロリーを一定の栄養バランスで取る」
「健康を壊さない範囲で自由」
「好きなだけ食べて良い」
どれもαに立脚しています。

「俺は俺であるがため好きに食べるが、お前は俺ではないがために死なない程度にしか食べてはいけない」
これはαに立脚してません。

「自分だから」「他人だから」で差を付けるのは非α。
それ以外の(客観的な)理由で食べて良い量が違うのならαに矛盾しません。
同じ量を食べることをαは求めません(拒絶もしませんけど)。

409ヤッス:2004/08/20(金) 17:19
話が散逸していてわかりにくいんで、自分の言葉で言ってイイか?

・α=ダブスタ禁止?

それなら理解できるけど。

・自分の行動を束縛されないために他人の行動を束縛しない。

これもわかるけど。
で、

・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

こういう場合はαではどうなんの?

410ヤッス:2004/08/20(金) 17:24
たぶん、

・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

これについては、
「自分の行動を束縛しようとしている時点で、相手がαを守っていないのだから、同じ視点に立つには自分が相手を束縛してもいい」
になんの?

今、うろちいその他との間で共通しているものがあるとしたら、

「PCかそれに類する機器を使っている」と、
「日本語かそれに近似の言語を使っている」に基づいて
「【投稿はできるけど自発的に投稿結果を削除できない掲示板】を利用している」
「(強制されない)自発的な意志で【掲示板】に投稿している」
「(強制されない)自発的な意見だけを投稿している」

こんくらいじゃないかと思うわけだが、その場合はそれらはαになるわけ?
ダブスタでなく、しかも自発意志でそれをすることを選び、さらには相手の行動を妨げず、
自分の行動も「妨げる意志があっても実際には止められない」ことが保証されているって
意味で。管理人が削除権使ったら別だけど。

411ヤッス:2004/08/20(金) 17:27
>>410
・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。

これなんだけど、
自分Aの行動を束縛しようとする相手Bの主張が、自分Aの行動が相手Bの行動を束縛し、脅かすものだから、
という主張だった場合、αを共有してるとしたら自分Aの行動を自発的に戒めるのがαに反しない行動って
ことになんの?











ところで、すげー根本的な問題なんだけど、αを守る(=ダブルスタンダード禁止)っていうのは、本当に
相手と自分を平等に活かすことになんの?
なんか、それが証明されないうちにαを守ることが最上って話になってるっぽいんだけど。

412イカフライ:2004/08/20(金) 18:18
>>408

つまり……
「障害者は街に出たら邪魔だから一生施設で隔離しろ。ホームレスは社会の落ちこぼれだから勝手に餓死でも凍死でもしろ。イタクやスーダンなんてよその国の人間がどうなろうが知ったことじゃない」
といっている人間が、
「自分が障害者になったら一生施設から出られなくても良い,なんらかの事情でホームレスになったら行政や民間の一切の支援を受けずに野垂れ死んで良い,もし日本に戦争や内戦が起きて自分が難民になっても豊かで平和な先進国がなんらアクションを起こさぬままにゲリラに惨殺されても良い」
と同時に言うのなら,これはαに違反しないわけだ。
 で、まあだいたいの人間は自分がそうなった時,助けてくれ-、って思うんだよな。

 だが、この平和な日本でそうそう戦争や、ましてやアフリカ諸国のような内戦は起きる可能性は極めて低い。
 言うだけなら簡単だ。

 また人間っていうのは、自分に繊細,他人に無神経なもんでもある、多かれ少なかれ。

 だからこそ、多くのα違反が起こるのだろうが,そのα違反をどうするのだ、ってことがあるよね。

>>411
>αを守る(=ダブルスタンダード禁止)っていうのは、本当に
相手と自分を平等に活かすことになんの?

基本的にはなると思うよ。
 「俺は浮気してもいいけど、お前はするな」とか
 「私はブランド品や化粧品にいくらお金かけてもいいけれど,あなたは月1万円のお小遣いで我慢しなさい」
 なんていう夫婦は、結婚生活崩壊しそうだね。

 ただ、これにも例外があって、実際,亭主の浮気は「男の甲斐性」だからと黙認し,妻は家を守る義務があるから浮気なんてとんでもないという奥は存在する。
 ていうと、男の天国,とか思うかもしれないけれど、そういう家庭って言うのは金持ちに多いらしい。
 愛人2号や3号が子供出来ても認知して充分養育費を払って、それで奥は「名家の奥様」というステータスと贅沢な暮らしを手に入れる。
 もしかしたら、愛人に子供作る事も「血筋を残す」ってことで家を守る、奥が浮気男の子供でも妊娠したら他の血が入る→家が守れない、って利害の一致なのかもしれん。
 後者で言えば,妻が美しい事がなによりの喜び,という夫っているし、確かに。
 そういう亭主は、妻の美容代がなにより最優先なわけだから。

 まあ、夫婦とかの小さくて個人的な単位はそれですむし、どっちもα違反ではないわな。

 それが、相手が不特定多数になった場合,どうよ?ってことだよね、多分,言いたいのは?
(違ってたらゴメン)

413うろちい:2004/08/20(金) 18:27
>・自分の行動を束縛されないためには、自分の行動を束縛しようとする相手の行動を束縛しなければならない。
>こういう場合はαではどうなんの?

「相手を束縛して良い」も「いけない」もαに矛盾しません。
繰り返しますがαを守ることと行動の基準の内容とは独立です。
「自分が束縛されないために相手を束縛して良いが(束縛してはいけない)が、逆の立場なら答えが逆」
ならαに矛盾します。
繰り返しますが「αに反する」とは「自分だから」「他人だから」という理由で基準・・というか規範ですか・・が異なることを言います。

αを守ることが自他を平等に活かすことになるか?という問いですが、α自体が「自他平等」の定義みたいなものですからねえ。
証明と言われても正直言って困ります。
αに反した平等ってどんなもんです?

414うろちい:2004/08/20(金) 18:38
あ、そうそう。
>>410
へのレスも一応しておきますと、
「ダブスタじゃない」という条件だけでαに沿っています。
他の条件はαとは関係ありません。

自分が掲示板のオーナーの時は「俺は自由に投稿するが、他は俺の検閲を受けなくてはならない」と言いながら
まったく同じ条件の別の掲示板で自分がゲストの時には「オーナーは検閲をするな」と言ったらαに反します。

415スライムベス:2004/08/21(土) 14:29
>>392
>俺は「国民主権」「主権域内(国境の内側)に対する内政不干渉」は絶対だと思ってるので、
>それを優先すると「例え善意の所行であっても、国際社会の制裁は許されなかった」という結論になるね。

ここが一番考え方の違うところだね。
私は国家主権を絶対視すべきでないと思っている。

民族自決とか内政不干渉とかの原則は
帝国主義時代の植民地支配に対する反省から来ているというのが
最大の理由だろうと思うんだけど、
ところがその肝腎の国家が国民を抑圧しているとしたら
そのような原則を守る意味が無いんじゃないかな。
国家としての存在理由すら問われるだろう。

中国のように長い間外国からの搾取や抑圧に苦しんできた国は
どうしても内政干渉に過敏になる傾向があるけど、
ある国が人権上問題があるんじゃないかかというような政策を取っている場合には
国際社会はどんどん注文をつけるべきだ。
またこれからの国際社会は
だんだんそういう傾向になっていくと思うよ。

416スライムベス:2004/08/21(土) 14:30
>>393

カースト制度については

http://www.blhrri.org/kokusai/un/un_0020.htm

ここの解説が判りやすそうだ。

かつての南アフリカのように政府自身が
人種差別制度を維持しようと目論んでいるような場合は
国際社会がアメとムチを使ってその政策を変えるように
努力すべきだと思うんだけど、
インドの場合はそういうケースに当てはまらないね。
インド政府自体は無くそうという努力はしているようだ。
(日本の部落問題に近いのかな?)
ならば国際社会はそのようなインド政府の取り組みを
支援していくべきだろうね。

417うろちい:2004/08/23(月) 16:28
>>392
理論的には人種差別自体がαに反するわけではありませんよ。
人種差別がαに反するのは、差別側が自分への差別は許容しないからです。

418ヤッス:2004/08/25(水) 00:28
ついでだからこっちにも少し書いておこう。

αを巡る話。

「お前は俺の奴隷になれ。しかし俺はお前の奴隷にはならん」
(お前の奴隷になりたくない。それを達成するにはお前を俺の奴隷にするしかない)

という場合。
うろちいは、これの逆の状態を、「自分が奴隷にされる側だったら、奴隷にされることを受け入れなければαに反する」
とゆーわけだが、それってまったく違うんじゃねーかなと思う。

逆の立場だった場合に、
「何を言う。お前こそ俺の奴隷になれ。しかも俺はお前の奴隷もならん」
と、逆の立場でも同じように言い返すことができるのが、「αに対して誰もが同じ態度を採りうる」ということだろ?

そして、逆の立場でも正位置でも、相手がそのように思うこと、そのように言うことを妨げない(言うのはタダ)のが、
お互いに保証されたことなわけで。
ただし、宣言したことを実現できるかどうかは、それぞれの「能力、財力、その他の総合力+運」の差で決まる。

オリンピックは誰でも金メダルを欲しいと思う。
母国では、母国のマスコミに向かって「金メダルを取るのは俺だ」と宣言するだろう。
日本代表がそう宣言してる同じ頃に、中国やイラクの代表だって同じように言ってるだろう。
立場が変わっても、それを宣言することは自由だ。
問題は、実際に金メダルを取れるのは1競技、1種目で一人だけってこと。
そうすると、宣言する自由は誰にでも平等に、そして立場が変わっても【同じように言うことができる】が、
実際に金を取れるのは、能力と総合力と運(財力はこの際おいとこう(笑))があるものだけ、ってことになる。

というわけで、「逆の立場」というのは、「上と下」という逆じゃなくて、「互いに相手に命令し合っている段階」での逆
つーことでわ?
その後に起こる、「金メダルを取れなかった」「相手を奴隷にできなかった」なんて運命は誰だって受け入れたくない。
それを防止するには、相手に金を諦めてもらう、相手に自分を奴隷にすることを諦めてもらうんじゃなくて、
自分の実力で相手の希望を阻止するしかないわけなんだな。

逆の立場に置かれたときに、しおらしく言いなりにならなければダブスタだ、なんてのは、
敗北主義者の遠吠えにしか聞こえんよ。

419うろちい:2004/08/27(金) 00:32
>「自分が奴隷にされる側だったら、奴隷にされることを受け入れなければαに反する」

そうです。

>「何を言う。お前こそ俺の奴隷になれ。しかも俺はお前の奴隷もならん」

それを言ったら僕が定義するαには通常反します。
が、そういうルール(勝った方が奴隷になる)の勝負事をどちらも共有している条件下ではαに矛盾しません。
なぜなら勝負を受けた時点で奴隷になるかもしれないことを承認しているから。

>「αに対して誰もが同じ態度を採りうる」

こういうαの使い方はありません(そういやヤスツさんも「代入」とか変なことを言っていましたね)。
近い言い方をするならば「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」のがαです。
規範自体はαではありません。

420ヤッス:2004/08/27(金) 03:01
>>419
で、聞きたいんだけどさ。

相手がαに従うと言いながら、従わなかった場合は?
相手に罰を下すの?
制裁をするの?
で、自分が相手より強いか、相手より強力な同盟の側にいる場合は、αに反した相手に対して制裁もできるわな。
でも、相手の方が自分より強大だった場合に、どうやって制裁するの?
それとも相手の方が強大だったら制裁はしないの? αに反した相手は結局放置? 口だけ?

結局の処、αがどうのこうのっていうのは、「自分を律するための考え方」であって、
相手を律する考え方じゃないんだよなあ。

なんつーか、交渉事をスポーツか何かと勘違いしてないか。
スポーツの場合、ヒット打って3塁に走ったらアウトだし、土俵から落ちたら負けだっていう共通のルールがあらあな。
双方、そのルールに「服従」し、そのルールに照らし合わせた是非勝敗を決定する審判に、(通常は)服従もするわな。
要するに、α云々っていうのは、国同士の交渉事をスポーツのように「ルールで縛りたい」ってことなんだよな。
自分がアウトになる行為を相手がしたら、相手もアウトにならなければならない、みたいな。

でもその考え方って、相当甘くないか?
確かに、「核兵器イクナイ(・A・)!!」とか、「BC兵器イクナイ(・A・)!!」っていう約束事はある。
でも、こっそり作ることは可能だ。
こっそり作ってることを指摘したアメリカが、それを排除しようとしたら少数の同盟国以外から叩かれた。
こりゃまたますます、こっそり作りやすくなる(w

取り決めたルールに、相手が確実に従う保証がどこにもないのに、自分を律する厳格なルールを、
相手も同じように守る、と考えるのは、ヒジョーにお人好しに見えるんだが。

相手を確実に信頼でき、相手が確実に自分と同じくらいストイックであるという確証を、どうやって得ようつーのかな?
α信者は。

421ヤッス:2004/08/27(金) 03:08
「誰もが同じ態度を採るべきだ」
というのは、理想であり、希望なんだよな。

同じ態度を採らない相手に対して、「同じ態度を採るべきだ」と言うのは簡単だ。
鼻で笑われたら終わりだ。

鼻で笑う相手に自分と同じ態度を採らせるにはどうすべき?
「同じ態度を採るべきだ」と、口で言うだけじゃ通用せんわな。

確か、預言者ぼーんはこう言ってたな。
「まず、白紙委任状に判を押すように口説け。
仲間を口説いて増やして言って、反対者は後回し。
最終的には反対者が少数になるから、多数意見として押し切れ」
ま、意訳ってことで(w

で、実際に「誰もが同じ態度を採るべきだ=α(最初からそう言えよ)」が論じられはじめて
もう1年以上経つけど、結局のところ未だにαの信徒が増えてないのはなぜかな?
説得者/賛同者が怠慢だったから? 「誰もが同じ態度を採るべきだ」というのを、わざわざ
「α」だの「規範」だの「ダブスタ禁止」だの、ヘンな言い回しでわかりにくく説いた結果、
新しいシンパは全然獲得できなかったってこと?

いつになったらα信徒が多数派になるのかな?(w

また、「納得しない少数派が多数派の軍門に下る」っていうのも、少数派が「武力蜂起」や「テロなどの暴発」
をしないことが前提になってんだよな(w 自分が抑圧しようとする相手を、盲信しすぎてませんかい?
抑圧された少数者が、暴発した場合、どうやって「自分と同じ態度を採れ」っていってなだめんのかな?
それができるんだったら、呼びかけだけでテロリストを沈静化できるんだがなあ(w

422ヤッス:2004/08/27(金) 03:25
α=「誰もが同じ態度をとるべきだ」 っていうのは、これはより多くの人間が共有し、共感し、採択
されなければ、成立しない。自分だけ守っても相手が守らなかったら自分はやられ損ってことだな。
そのときはたぶん、「自分は守った。相手が守らなかった。だから相手に非がある。故に、自分が
相手を罰することは当然の権利である」っていう論法になるんじゃないのかい?(w

で、そういう意味でも、「誰もが同じ態度をとるべきだ」という考えは、できるだけ多くのシンパを
獲得しなければならない考え方である、のだろう。
でも、そういうシンパの獲得ができてないよね。現実問題として。
1年以上に渡って疑問を呈し続けてる人間も多くいるし、飽きちゃったのもいるだろう。
飽きた=納得した、じゃないぞ。呆れられた、が正しい(w

じゃあ、「誰もが同じ態度をとるべきだ」を多数意見にするにはどーしたらいい?

1)その場にいる人間を口説いて、自陣営に引き込む
2)その場にいない人間を口説いて自陣営に引き込み、この場に連れてきて多数派工作

でも、実際にはそのどちらもやってないよな。

3)その場にいない人間は誰でも理解できるはずだから、必要なとき以外は改めて説く必要はない。
 潜在的な支持者が多数派なのは間違いなく(脳内)、自説は世界のスタンダードであるのは疑いない(脳内)

と、たぶんこんなところ。
「きっとそうに違いないが、確かめてはいない。確かめるその瞬間までは、きっとそうに違いなく、確かめる
方法がないので確かめないが、そうであることは疑いない」
これは、一般的には「妄想」と言われるのだが……。

まあ、実証してもらわんことには。
談話室の中に世界の縮図があるとはいわんけど、談話室の中ですらも賛同を得られない意見が、
潜在的に支持されうるとはとても思えない。

支持されなくても「かくあるべき」という理想論、もしくは「宗教的教義」として持ってる分には勝手にしてくれ、で済むが。
他人の宗教の教典に書かれていることを、その宗教を信奉していない人間にまで適用しようというのは、
どー考えても「越権」だし、宗教戦争の火種にしかならん。

で、「誰もが同じ態度を採るべきだ」という意見を、それぞれが持っている宗教(または信仰)を覆した上位に置け、
と【強制】されたら、それを果たしてどれほどの人間が受け入れることができるかな?
実際のとこ、うろちいは自分の身の回りの人間に、どれほどそれを説いて回って、どの程度の同意を得たんだ?
数字を聞いても詮無いことなんだろうけど、脳内で「かくあるべき」と考えてるだけっていうんなら、「お大事に」
としか言えないんだが……説いて回って同意を得たんなら、そういう話をした人は、なぜここに来ないんだろう?
人には言えない活動なのかい?(w αの布教って。

423うろちい:2004/08/27(金) 11:54
αとは自分と他者がある規範を共有する上で最低限必要な要件でしかありません(十分条件じゃないよ)。
他者と互いに抑圧することなく共存するつもりなら最低限αは必要である。
するつもりが無いならαもいらない。

αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。
この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
言葉に責任さえ持てば良い。
これを表明しない輩は単に「危ない奴」でしかないんですけど。
αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする(所謂ただ乗り)輩でさえ、表明だけはせざるを得ません(表明したら言葉に責任を追及されますよ、もちろん)。

さて、αですが、これは最強の者でかつ他者を抑圧してまでも自己の利益を増大させようとするものにとって、全く邪魔なものです。
拒絶するでしょう。
そういう人に鼻で笑われても僕らはどうすることもできません。
一方、弱者の集団こそが最強のものである条件の場合、αを拒絶して利益を得る人はいません。
従って、αを鼻で笑う者は、最強の自覚があるか、拒絶することで損害を被る理屈が解らない人か、利益を拒絶する倒錯した人か、どれかです。
どれほどの人がαを拒絶するんでしょうね。
ぼーんさんは楽観している。
僕は理屈の解らない人が無視できないほどいるのではとぼーんさにょりは悲観的。
ヤッスさんは談話室のサンプルに重きを置いてかかなり悲観的。

「最強」か「頭が悪い」か。
αを拒絶する理由って僕が挙げた以外にあります?

424ヤッス:2004/08/27(金) 14:49
>>423
提案なんだけどさー。
α=「誰もが同じ態度を採るべきだ」なら、 α なんて、いくらでも他の意味に解釈できそうな、もしくは
いろいろ代入して自分に都合良くできるような一文字に置き換えるのは、やめね?

・他者と互いに抑圧せずに共存する
 >本人にその意志があっても、実際に他者を抑圧しなければ存在できないケースはどうする?
 その時点で、意志の有無に関わらず「

425ヤッス:2004/08/27(金) 15:00
すまん、途中で送っちゃった(´・ω・`)

>>423

提案なんだけどさー。
α=「誰もが同じ態度を採るべきだ」なら、 α なんて、いくらでも他の意味に解釈できそうな、もしくは
いろいろ代入して自分に都合良くできるような一文字に置き換えるのは、やめね?
「あるふぁ」って打ったら「誰もが同じ態度を採るべきだ」に変換されるように単語登録したほうがマシ(w

・他者と互いに抑圧せずに共存する
 >本人にその意志があっても、実際に他者を抑圧しなければ存在できないケースはどうする?
 その時点で、意志の有無に関わらず「誰もが同じ態度を採るべきだ」は守れてないんじゃないの?

・αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
 >本音と建て前が違っても、嘘を吐くな。建前を本音より優先させろ。でOK?
 でもさあ。建前論を完全に守れる人間っているのかね? 建前で本音を封印しろっていうのに本心から同意しない
 んだったら、内心に対して偽りがある同意なんか無意味では?

・「誰もが同じ態度を採るべきだ」を拒絶して利益を得る人間はいない
 「誰もが同じ態度を採るべきだ」っていうのを合意した場合は、弱い者ほど不利になるんじゃないのかい。
 同じ態度を採っても、同じ結果を得られるとは限らないからな。「俺はお前をヌッコロス!」と宣言して、断固とした態度
 を取ることは、誰にだってできるよ。でも、断固とした結果を得ることは、誰にでもできるわけじゃない。
 その場合、弱者ほど「理想は実現できない」。
 だから、「誰もが同じ態度を採るべきだ」を取れば取るほど弱者が困るんじゃないのかい?(w
 αが、「誰もが同じ態度を採るべきだ」じゃなくて、「誰もが同じ結果を得るべきだ」なら意味は違ってくるけど、
 そうだとするならαってのはずいぶん多彩な意味があるんだな(w 共産主義とどう違うんだ、それわ(w

・そういう人に鼻で笑われても僕らはどうすることもできません。
 現実には鼻で笑われているからどうすることもできていないわけだな。それはOK。

・どれほどの人がαを拒絶するか
 何度も言ってるけど、一年近くやってて未だにα教徒が増えないのはなぜだ? 一度も答えてないなあ。
 理解できなくて嫌気がさした人間はかなりいたけど、そうやって「わからない奴は頭が悪いんだヽ(`Д´)ノ」と
 選民主義を振りかざしていると、多数派になれないぞ(w
 なぜなら、世の中というのは頭の悪い奴の方が圧倒的に多く、目の前の利や自分の利に左右されるものが多く、
 弱者の多くは強者に阿る(おもねる)ことで、自分の僅かな利を確保しようとするものだからだ。

 弱者が正論を言うのは自由だ。
 だが、正論に基づいた結果を得ることは、弱くてはできない。
 歴史では「正義が勝つ」んじゃなくて「勝ったから正義」というのが当然のように繰り返されてきているわけだが、
 歴史の教科書はどこの会社のを使ってきたんだね?

426ヤッス:2004/08/27(金) 15:13
>>423
それと、「誰もが同じ態度を採るべきだ」を拒絶するというよりも、「誰もが同じ態度を採るべきだ」は実現できない
というのが俺の意見なんだよなー。わかってくれよー、ほんとに。

・「誰もが同じ態度を採るべきだ」を宣言することは可能であり、強者も弱者も同じ態度を採る自由はある。
・しかし、同じ態度を採ったとしても、同じ結果が得られるとは限らない。強者には可能でも、弱者は自己実現できないからである。
・「誰もが同じ態度を採るべきだ(理想)」であっても、同じ結果が得られない(現実)なら、「誰もが同じ態度を採るべきだ」には意味がない。
・「誰もが同じ結果を得るべきだ(理想)」とするのは共産主義である。
・理想の実現には、「強制力」が必要であるが、強制力の支えるのは何かが不明瞭である。

さて、ここで強制力について考えてみよう。
民主主義で成人が財産の有無に関わらず公民権を持つ社会では、強者でも弱者でも一票は一票だ。
ということは、当選するにはできるだけ多くの支持を集める必要があるから、弱者の一票を獲得するために
福祉政策が「選挙戦略」として重要視されてくる。「困っている人を助けましょう」というのは反対しにくいスローガンだからな(w
福祉政策によって弱者の得票が多く得られるようになってくると、弱者が多ければ多いほど「数の上での強者」「弱者という名の圧力団体」
になりうる。
これは内政だけでなく、外交の場でも同様で「困っている国への援助」は、国連という場での一票を獲得するための工作なわけだな。
そうすると、だ。
強制力を支えるのは、「多数の弱者の一票」に見えるが、実は「多数の弱者の一票を、金で買える強者の意志」なんだよなー。
民主主義は弱者に平等な一票を約束するが、強者が弱者に「生殺与奪の機会」をタテに強制している、というカラクリ(w

結局は、カネよ、カネ。強いもんの。

というわけで話は戻って。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」は別にかまわんけど、どうせ実現されないから無意味。
「誰もが同じ結果を得るべきだ」は弱者が圧倒的に多いうちは支持されるけど、状況が改善されて弱者が少数派になった社会
では既得権益を持つ人間が増えるほど支持は減る。というより、「テーマそのものが関心を持たれなくなる」ので、結局は
弱者の救済はできない。

あー、なんか話がクロスファイアしていかんねー。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」=αであるなら、「宣言(理想)を言うだけで効果がないのが容易に予想できる」から拒絶。
それに、理由はいくつもいらないんだよ。数があれば正しいってわけじゃないんだから。
「お前は強がりだ」「お前は頭が悪い」っていうその論法を聞いていたら、うろちいが「裸の王様の仕立屋」に見えてきたぞ(w

427うろちい:2004/08/28(土) 21:23
ちょっと時間がキツイのでレスに手が回りませんが
ちょっとこれだけ。
「誰もが同じ態度を採るべきだ」というのはいつかのヤッスさんの言い方に合わせて言ってみただけでので、
元通り「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」ということで定義をお願いします。
それと代入されるのはαじゃなくてスタンダードの方ね。

428ヤッス:2004/08/28(土) 22:10
>>427
「誰もが同じ態度を採るべきだ」と「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」は、同一なんだろ?
だったらどっちで言っても問題なかろう。

言い方変えると通じなくなるのは、普遍性があるとは言えんしなあ。

どっちが理解しやすいかと言えば、前者「誰もが同じ態度を採るべきだ」だったでな。

429うろちい:2004/08/29(日) 08:37
ごめん。
あれはあなたに合わせて強いて書いたもので正確じゃありません。
しかも「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」 >>419
から部品が外れてるし。
理解しやすかったかもしれないけど、僕の意図で理解できているかちょっと心配。
まあ、しかし、「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」と矛盾無く理解してるならとりあえずいいです。
矛盾を感じるならまずはそっちをスッキリさせましょう。

430イカフライ:2004/09/10(金) 18:16
>「共通の規範に対して「誰もが同じ態度を取るべきだ」と考える」
>「自と他の間にダブルスタンダードを置かない」

 まだまだはっきりと解ったようなわからないようなαですが。
 
 さんざ言われていることですが、共通の規範っていうのを作らない限り、αっていうのは、いつまでも曖昧模糊としてものになってしまうと思うだよね。

 「この道路では制限速度は40km」
 の道で,時速50出して車を走らせたときに、それが(実際の現実ではどうあれ)総理大臣や皇族であっても、フリ−タ−や風俗嬢や専業主婦であったも、
「スピ−ド違反」としてキッフ切られる。
 これってαだな、と思う。(よね、多分,違うのかな?)
 そこには「交通法規」という共通の規範があって、その規範が社会に許容されている、というよりは、その規範によって社会が構成されている、ていうのかな?
 法治国家って言うんだよね、これ。

 で、ここでぼ-んさんの唱えたのは、もっと違った,違うって言うとなんだけれど、もっと倫理的っていうか道義的っていうか、そういうものなんだよね。

 それは,心の問題,っていうことに、嫌がおうにも関ってこないのかな。

 これは誹謗中傷スレに書いた事だけれど,「心」って一人一人違うんだ。
 なんの変哲も無い平凡な,と表現される大多数の人々、似たような環境で育ち同じような生活を送っている人々であっても、その心基準って実が一人一人違うものなんではないだろうか?

 そこに、どうやって基準を設ければよいのだろうか?

431イカフライ:2004/09/10(金) 19:13
>423

>αを選択するかどうかは共存の意思を示すかどうかということです。
>この意思表示は内心に対して偽りでも構いません。
>言葉に責任さえ持てば良い。
>これを表明しない輩は単に「危ない奴」でしかないんですけど。
>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする(所謂ただ乗り)輩でさえ、表明だけはせざるを得ません(表明したら言葉に責任を追及されますよ、もちろん)。

議論が同じ所をル-プし続けているようで悪いが。
 前のほうのレスで,私がαは建前だ、と言ったよね。建前であっても良い,まずその建前を共有するところから始めよう、といわれたのは吉岡さんだっけ?

 で、423でうろちいさんが言っていることは、建前,というより,私が嫌いな欺瞞のように思える。

 内心では偽りであっても共存の意志を言葉でだけ示して,裏でこっそり違反する。
これって、世の中によくある汚い大人の裏表の典型ではないの?

 いや、子供の世界でもあるけれどさ,クラスでいじめってあるじゃない、多かれ少なかれ。
 で学級会でいじめのついて話し合ったら,大半の生徒は「いじめはいけない」って答えるだろうね。
 とろこがさ、実際いじめの現場を目撃しても,その殆どの子は、黙ってるんだよね。
 それが「自分の弱さ」なら、まあ、わからないでもない。
 でもさ、一番イヤったらしいのはな、そういうなにもしないで傍観している連中が、いじめっ子の番長がいない時を選んでイジメラレッコに同情的なそぶりを見せておきながら,いざいじめの現場になった時には、見ないフリしてトンズラすることね。
 私はそういうのが昔から嫌いで,まあこういういいかたもなんだが,いじめっ子番長のほうが、まだなんぼかすっきりする。
 その傍観者の手合いに限って、それを非難すると,
「でも、いじめられるほうにもなんらかの原因があるから」って言うんだよな。
 「アタシは番長が悪い、と批判することによって自分がいじめられるのがイヤ」
っていうヤツ,いないんだよ。
 でさ、これはさあ、>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする>いやらしさ、じゃないのかな?

 αがまだよく解ってない現時点でこういうことを言うのもなんだけれど,言葉で表明だけの建前なら、なんの意味の無いと思う。

432うろちい:2004/09/26(日) 18:45
>>430 イカフライさん
>さんざ言われていることですが、共通の規範っていうのを作らない限り、αっていうのは、
>いつまでも曖昧模糊としてものになってしまうと思うだよね。

具体的な規範というのは既に世の中にいくらでもありますね。
それらの多くはαが前提でできています。
一方で、中にはジャイアンの法律もあるでしょう。

>「この道路では制限速度は40km」
>の道で,時速50出して車を走らせたときに、それが(実際の現実ではどうあれ)総理大臣や
>皇族であっても、フリ−タ−や風俗嬢や専業主婦であったも、
>「スピ−ド違反」としてキッフ切られる。
> これってαだな、と思う。(よね、多分,違うのかな?)

そうですね。その件でいえば総理大臣や風俗嬢が相互に自分と同じことを他人に要求している
ということがαを引き受けているということになります。

>で、ここでぼ-んさんの唱えたのは、もっと違った,違うって言うとなんだけれど、
>もっと倫理的っていうか道義的っていうか、そういうものなんだよね。

少なくともぼーんさんが「正義」を言う場合には内心との剥離は問題では無かったように記憶しています。
しかしぼーんさんが「正義」と書いたのを他の人が読めば、内心と矛盾しない規範のことと捉えることもあ
るでしょうね。
しかしぼーんさんの言うαは、それを宣言することによってαに矛盾しない行動をとることがαを共有する自
他から要求されるのであって、内心がそれに反するかどうかは問題では無かったと思います。

また、僕が理解している「αを持つ」はその意味に限ります。

433うろちい:2004/09/27(月) 12:02
>>431 イカフライさん
>私はそういうのが昔から嫌いで,まあこういういいかたもなんだが,いじめっ子番長のほうが、まだなんぼかすっきりする。

死ぬほど同意します!!

>でさ、これはさあ、>αの行き渡った世界でこっそりαに矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする>いやらしさ、じゃないのかな?
>αがまだよく解ってない現時点でこういうことを言うのもなんだけれど,言葉で表明だけの建前なら、なんの意味の無いと思う。

言葉の表明だけではいけませんよ。
内心とは裏腹であっても、自ら課した義務には従ってもらわねば。
つまり、「内心」のうちの「意思」とは矛盾があってはいけないということです。
僕の言いたいのは
「いじめはいけないことだ」
とは思っていなくても
「いじめない(「いじめはいけないことだ」という表明と行動とが矛盾しない)」
という意思を持たなくてはならない、までが「αを持つ」と言う意味だ、ということです。

心の底から他人と自分とを同じ価値だと本気で感じなくても(感じていても良いですが)、そのように行動する意思があることを「αを持つ」と言います。
ぼーんさんの言う「αに従う」とはそういうことです。

「心の底から他人と自分とを全く同じ価値だと本気で感じる」べきかどうか、それは別儀ですが、実際問題として不可能ではないですか。
しかし、おそらく、この様に人は利己的であってもそれ故、結局自分の利己と同じ程度には利他的にならざるを得ないというのが面白いと思います。
これ、壱学生さんの好きな(?)ゲームの理論の話なんですけど。

ついでですが、
「ある規範の行き渡った世界でこっそりその規範に矛盾した行動をとることによって利益を得ようとする」
の明快な例を1つ思いついたので書いておきます。
それはドーピング違反です(さっきニュースでオリンピックハンマー投げのことが出ていたので)。
彼(ドーピング違反者)がドーピング違反で利益を得るためには「ドーピングはいけない」が行き渡っていないといけません。
それがいきわたっていなければ、彼は目指す利益に与れないばかりか、他者とのドーピング競争で不利益を被ります。
しかも、他の選手もドーピング競争という足の引っ張り合いで彼と同じ不利益を被ります。

434三毛猫 </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/09/27(月) 21:15
『規範が行き渡る』=『規範の共有』ではなくて
『規範が行き渡る』=『規範的予期の一般化』です。

規範的予期とは、予期が外れても抗事実的に予期が
貫徹されることです。
うろちい氏のドーピングの件で言えば選手の間で『
ドーピングはいけない』とする規範が共有されてい
るわけではなく『ドーピングはいけないだろう』と
いう予期が働いているだけであり、予期外れの場合
には抗事実的に予期が貫徹ーメダル剥奪等のペナル
ティが課せられるーされるのです。

アルファもこれと同様に規範として共有されなくて
も規範的予期が『いつどこでだれにでも適用される
』ことが一般化されれば社会秩序は維持されるので
す(これは、法システムの話です)

以前にも申し上げましたが『規範の共有』と『社会
秩序の維持』は別物であるのです。


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