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143ぼーん:2003/08/19(火) 14:21
>>141
私的所有権は、単なる既得権として主張されているわけではないのです。
その既得権は、正当に守られるべき権利であるとして主張されています。
そして、「正当に守られるべき権利である」という神話が、神話として意識されずに強力に浸透していること。
これが現行の私的所有権の枠組みの強さです。
だから、これを問題化し、そこに論争点を立てる必要があるのです。神話的強さを解体するために。

その際、抵抗の強さはメリットですらあります。
強い抵抗の中で論争が続けば、それこそが人をひきつけるメディアとなります。
論理的にいって、私的所有権思想の無根拠性は明らかです。
これは私的所有権思想の擁護者の間ですら一致した見解と言えるでしょう。
強い抵抗と論争は、私的所有権思想の神話性の解体のための必要条件です。

神話性が剥奪されても、現行の私的所有権制度の下で既得権を持つ人たちに対しては有効ではないでしょう。
彼らは、倫理的に、理性的に考えるよりも、馬鹿になってでも自分たちの既得権を守ることにやっきになりますから。
しかし、私的所有権制度から利益を得ているわけではない人すら、この神話を信じ込んでいる。
そのことが、私的所有権制度の基礎を確固たるものにしているという現状があるわけです。
だから、そうした論争は実際には私的所有権制度から利益を得ていない人たちを、
私的所有権制度に対する反対者として政治的に組織するための論理を提供することになるわけです。
これが最大の利益です。

共産主義革命が一応実現したのは、それがブルジョア階級を理性的に説得したからではありません。
共産主義思想が、ブルジョア的枠組みの中で損をしている人々を政治的勢力として組織化する論理を与えたからです。
最終的な政治的帰結は、組織化されたあとの両勢力の力関係によって決まっていくでしょう。
(共産主義革命が起こらなかった国においてすら、社会保障の拡充がなされていったのは、
潜在的な革命の可能性があったからこそ、とする史観がありますね。それも同じです。)

問題の根っこは分配問題にあり、分配問題の根っこは私的所有権思想を巡る問題に突き当たります。
だから、この論争点を運動からはずすべきではないと考えます。


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