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325
:
ヤッス
:2004/07/30(金) 23:46
「自分は間違っていただろうか?」
と振り返ることができるのは、自分が死ななかったから。
後悔ができるのは人間だけだというが、後悔というのは贅沢な行為なんだよな。
だって後悔できるってことは、「死ななかった」「まだ生きてる」ということだもん。
「もっといい方法があったかもしれない」といって、自分が選んだ選択肢を否定するのは間違い。
別の選択肢を選んでたら死んでたかもしれなかった。
「もっといい方法があったかもしれない」と悔やむのは勝手だが、
悔やむことができるのも自分の選択肢が当たり(=少なくとも自分が死ななかった)だったから。
これに照らし合わせると、「もっと他人を助けるべきだった」「自分だけが助かる方法を考えるべきでなかった」
というのは、実は非常に傲慢な考え方なんじゃないかと思うんだよ。
自分が助かった。自分たちの判断で自分は無事だった。
もっといい方法があったかも、なんて悔やんだり悩んだりできるのも、自分が選んだ方法で自分が死ななかったから。
イラク攻撃を日本が支持したことは、結果的に北朝鮮との交渉の中で同盟国アメリカが日本にプラスになる
行動を取る、というバーター条件を引き出している。だから、日本のあの時点での選択は正しかったと思う。
そして、人間は弱く愚かなものだ。愚かで弱くて当然で、そんな存在が世界を(自分以外を)救おうと考えることが間違ってる。
まず自分を助けることを考えるべきだ。
後悔という贅沢ができるのも、自分が生き残ったときだけだ。
おそらく相手も同じように考える。
強者も弱者も皆同じように考える。
そんなとき、自分を棚上げにして(その上で自分を見捨てずに)弱者を救おうと考えるのは傲慢だ。
弱者が自分で助かろうとするのと、自分が自分を救おうとすることは猛烈に衝突するだろう。
そのとき、「可哀想な弱者のために自分が死んでもいい」と考え、それを実行できるのは献身的な一部の宗教者だけで、
大多数の人間はそんなことはできない。
ならば、大多数の人間もまた献身的な宗教者になるべきか?それを目指すべきか?
否。そんなことはできない。生活があるからな(w
結局、人は世界を救えない。
自分を救う努力しかできない。
他人を救う真似事をすることで、自分は自分以外をも救うことができるのだ、という満足を得ることはできるだろう。
医療関係者なんかそうだろ?
でもそれって自己満足だよな。
宗教者の大部分もそうだけど。
もう1回だけ繰り返しとく。
人は自分しか救うことはできない。
後悔ができるのは、後悔した選択が正解だったことの証明。
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