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319
:
ヤッス
:2004/07/30(金) 02:48
「自分と他人は違う」
というのは、彼我の相違を自覚する、要するに「自分という存在は、他人(他国でもいい)
とは別種のものだ」ということを知るための、まあ第一歩であるし終着点でもある。
我思う故に我あり。だし、
君がいるから僕がいる。だし、
自分に異を唱える他人が存在することで、初めて自分が自分であることを自覚できる。
ってことだーな。
テツガク的に言えばな(w
だから、そういう意味でも「価値観の統合」は不可能だしやっちゃいけない。
もっとも、価値観というものは、「風土の相違」によって生まれる。
およそ宗教が定義する「敵」や「戒め」、食習慣は、「風土」に左右される。
海沿いだ、山が近い、川で食糧を取る、砂漠のオアシス周辺で物々交換する、
胡椒と引き替えにコーヒーを得る、などなど。
そうするとだな。
地球上のあらゆる地勢・風土が統合・均質化されない限り、価値観の統合というのは
事実上不可能なわけだな。半島の奥にいるものは大陸側からの襲撃を恐れるし、
半島の対岸に住む者は半島からの襲撃を恐れる。そういうものだからな。
そうすると、彼我の相違、価値観の相違を埋めることは事実上不可能。
第三の「外界(=宇宙)」から脅威が生まれてこない限りは。
まあ、そうなると「宇宙人襲来」とか「宇宙水爆戦」とかの世界になるわけだが(w
そうした「価値観の統合が絶対不可能」な世界で、部分的に合意できる正義がある
はずだ、と考える、その考えそのものは別に否定せん。
あるとしたら、酸素と水と塩と飯と安全な睡眠だろうと思うし。
が、そうしたものを共有できても、なお共有できない「価値観」というのある。
その部分についてそれが何かをはっきりさせずに、「とにかく不可侵を約束しろ」
と、「盲目的不可侵という価値観」を強制するのがα論なんだよな。
それでは同意はできん。
ぐだぐだなのよ。ぐだぐだ。
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