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326
:
ヤッス
:2004/07/30(金) 23:54
高い木のてっぺんにいる。
友達と2人で木に登って降りられなくなった。
助けを待っている間に、友人の掴まっていた枝が折れた。
自分は必死になって友達の腕を掴んだ。
が、自分の掴んでいる枝もこのままでは折れるだろう。
救助がくるまで枝は持たない。
さて、友達の腕を振り払って自分が生き残るのが正しいか?
友達の代わりに自分が木から飛び下りれば友達は生き残れるかもしれない。
それとも、答えを出さずにぎりぎりまで頑張った挙げ句に、枝が折れて2人とも助からないのが正しいか?
自分も友達も命の価値も、生き残った後の将来の価値も等価値だとする。
だが、どちらかしか選べない、それを選ぶ権利を自分が持っている。
これに答えろ、ということなんだよなあ。αって。
で、ぼーんは「自分の命も相手の命も等価値だということを、自分と友達の双方が理解できているなら、
自分が助かるために手を離すことを、友達は許してくれる。許してくれないかもしれないが、それを
理解した上で(つまりは、責め苦を得る覚悟をした上で)手を離すのと、自分が助かりたいがために
手を離すのとでは違う」と言った。
が、それは生き残った側の理屈でしかないんだな。
手を離す自分が相手の命の価値を理解していようと、相手がそれに同意していようといまいと、
手を離すことで相手は自己の意志と関係なく命を失った、それを実行したのは手を離した自分自身だ、
という点には何の違いも起こらない。
それを「αを共有していれば許される、許されないが自覚していることが重要だ」ということで誤魔化してしまう
のは、結局は生き残ったものが楽になるための詭弁でしかない。
まあ、ぼーんのα論はそういう側面を持っているわけなんだな。
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