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「α」についてはここで語ってください

381ヤッス:2004/08/09(月) 09:16
αっていうのは「例外を設けられない、しかも必ず尊重しなければ自分の生命が脅かされる」もの
でなければならんわけだが、「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」「弱い者をいたわれ」「思いやれ」「わがまま言うな」
の全てが、前提を設けることで「ただし例外はある」と言えてしまうものばかりなんだよな。

一方で、その「例外」を認めるか認めないかという話もあるんだろうけど、ほとんどの「我々が生き残るための正義」
とやらは、「自分たちは例外だ」と言う。

その例外を認めない状態が作れない以上は、建前論がどんなに立派でも意味がない。
一方で、「例外を認めない」ということが徹底できなければαを定義しようがしまいが無意味なわけだけど、
例外を絶対に認めない視野狭窄的もしくは「潔癖性」的な人間関係や国家間の距離の取り方というのは、
硬直して危険だ。

「反日/抗日は正義である。例外を認めない」といったら危険だ。
「空爆、原爆投下は悪である。例外はない」といったらこれも危険だ。
(たとえば、現在のファルージャに対して空爆を完全に禁止すると、対応策は「武装勢力の放置」か「航空支援なし
の陸戦部隊の投入」という、どちらも被害の拡大する方法しか選べない)

戦争はいけない。でも、これも例外がある。
「戦争を戦い抜かなければおまえの子供がおまえもろとも死ぬぞ」と言われたら親は銃を手に取るだろう。
「敵を殺すくらいなら、我が子共々死を選ぶ」という親は多数派とは思えないが。

戦争はないほうがいい。というより、問題の解決を力尽く(=戦争)以外で解決できるならそれに越したことはない。
が、力尽くでなければどちらかが妥協しないような問題があるから、戦争という「実力勝負」が起こる。
そうなると、戦争はイクナイ(・A・)!!が完全否定はできない。


そういうわけで、「αはこの際なんでもいい」なんてのは「「単なる方法論」の正当性に拘泥しているだけで、
まるで実務的じゃない。「建前だけでも」なんて話も、ここではまるで意味がない。

建前上、国際連合に加盟している国同士では戦争はないはずだ。国連は相互安全保障条約だからな。
しかし、クウェートもイラクも国連加盟国だったはずだが。ユーゴとスラビアもそうだろ。
建前の正しさをもって実効効果もある、と信じるのは、「国連総長が身一つでイラクに行けば、
フセインとブッシュは握手をし、金正日は全ての核兵器を廃棄する」というのと同じ程度の、
平和お題目主義とかわらん。

戦争はできるならしないほうがいい、という点では合致しているはずだ。
でも、αという建前論に拘泥しすぎることは、結果として「そこまでいうなら戦争しか解決策はない」
と言う例外を常態化することに繋がるんでないかい?


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