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避難用作品投下スレ3

253思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:01:34 ID:nHUW/EJY0
 戦いの火蓋というものは、往々にして何の前触れもなく切られるものである。

 神尾晴子はズキズキと痛む左肩と右手の悲鳴を眉間に皺を寄せながらもそれを無視し、H&K、VP70を両手で持ちながら足早に柏木耕一、柏木梓の元へと忍び寄っていた。
 既にその後姿は確認し、十分に射程圏内まで接近している。後はいつ討って出るか、だが相変わらず右手に力が入らない。肩が震えている。時々意識も霞む。痛い。耐えられないくらい痛い。

 できるならこのまま逃げたいと晴子は考えていた。どうしてわざわざこんな痛い思いを、ともすれば死ぬかもしれない行為をしなくてはならないのか。
 大体、いつだって自分は逃げてきたのではないのか。
 いつか来る別れの時を恐れて娘の――観鈴とも仲良くしてこなかった。相談に乗ってやることも、誕生日を祝ってやることさえしなかった。
 今回もまた逃げればいいのではないのか? 逃げて、観鈴を探して、これまでしてきたことを謝って、残りの時間を二人で過ごせばいい。そうすればいいじゃないか。

 だが――晴子の頭の中にはとびきりの、花が咲くように笑う観鈴の顔があった。

 あの笑顔を失ってはならない。
 あの笑顔を守らなくてはならない。
 あの子は幸せにならなくてはならない。

 これまで晴子の我が侭で不幸せにしかしてこれなかったことへの償い。それだけは晴子の譲れない一線であった。

 ああ、そうだ。何を血迷っていたのだ。
 これまでの連戦で忘れていた。これが、答えなのだ。
 痛い? それがどうした。
 意識が飛ぶ? なら無理矢理叩き起こしてやる。
 死ぬ? いや死ななければいいだけだ。
 晴子には安息の時など許されはしない。地獄から何度でも引き摺り出して過酷な罪を贖わせてやろう。臓物が千切れ飛べば拾い集めて中に戻してやる。目玉が潰れれば悪魔の囁きを分け与えてやる。
 さあ戦え。勝利はない。あるのは闘争だけだ。醜い喰い合いの果てに望むのはただ一つの笑顔と平凡な暮らしだ。
 そのために神尾晴子よ。貴様は死ね。

254思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:03 ID:nHUW/EJY0
「自分の名前にでも祈ろうかいな」
 元より晴子は何も信じてはいない。神の存在も、奇跡の存在も。信ずるのは己が血肉。己が名前。ならば自分の名前を神に見立てよう。このために自分の名字は存在してきたのだ。
「アーメン」
 娘の通う学校の、胸の十字架の形に指を切って、晴子は大きく息を吐き出した。まだ肌寒い朝方の森に水蒸気の粒が柔らかく溶けていく。

 背負っていたデイパックを手に持ち、それを円を描くように頭上で振り回した。
 回数を重ねる度、空気を切り裂く音が徐々にだが増していく。数度振り回したところで、晴子はカウントを開始した。
「いち、にぃーの、さんッ! うらあぁぁぁっ!!!」
 唸るような怒声と共に、晴子のデイパックが柏木耕一の背中へと向けて飛来した。

「!? 耕一、危ないっ!」

 真っ先に気付いたのは梓だった。素早く懐から警棒を取り出すと、バットでボールを打つように横薙ぎにデイパックにぶつける。
 女とは言えども鬼の一族の血を宿す人間の一撃である。あっさりとデイパックは白旗を上げて地面へと落ちていった。しかしそんなことはどうでもいい。これは陽動。何かしらの行動を取らせることが晴子の狙いであった。
 H&K、VP70を携えると晴子は一直線に二人へと突進していった。

「お前……!? いきなり何を!?」
「答えるとでも思ったか、アホンダラっ!」

 VP70のトリガーに指がかけられた瞬間、二人が同極の磁石を合わせたかのようにそれぞれ逆の方向へ飛び退く。次いでその間を銃声と共に9mmパラベラム弾が通過していく。またも襲う激痛に唇を歪ませる晴子だったが、すぐにそれを笑みの形に直した。なぜなら、それが晴子のまだ生きている証だから。

 一方の梓と耕一は、いきなりの襲撃に戸惑いながらも話し合いが出来る相手ではないとすぐに認識し、それぞれの武器を構えて晴子の前に立ち塞がる。
「無駄だと思うが……俺達は殺し合いには乗ってない! 無駄な争いはやめてくれ!」
「ほーか、ならさっさと死んでくれると嬉しいんやけど」
 照準を耕一の方へ向けた瞬間、梓が警棒を振りかざして飛び掛かる。
「無駄だよ耕一! 問答無用で襲ってくるやつに……説得の余地はないよっ!」
 梓の持つ特殊警棒は金属製であり、しかも鬼の力によって威力は増強されている。晴子は既にそれを知っていた。デイパックを投げたのはただ単に陽動のためではない。敵の力量を確かめるための言わばテスト。そして先程の銃に対する反射神経。いつか戦った天沢郁未と来栖川綾香に匹敵する実力であると晴子は感じていた。

255思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:26 ID:nHUW/EJY0
 故に受け止められるなどとは微塵も思っていない。木を盾にするようにして回り込む。二撃目が来たのはその瞬間だった。
 めきっ、という幹の一部分が潰れる音が聞こえ、破片が飛び散る。もはやそれは殴打ではない、一撃で相手を葬る必殺の攻撃だ。
 ちっ、と舌打ちする梓が耕一の元までバックステップして戻る。晴子はVP70を構えてはいたが、発砲することはなかった。
 当てられるかどうか分からないし、何より残弾数が少なすぎる。既に一発撃ち、残り六発で敵二人を仕留めねばならない。加えて、その実力は晴子を遥かに凌駕する。何か奇策を講じねば晴子に勝機はなかった。
 視線を移して周囲の地形を確認する。木々がところどころに点在し、落ち葉の積もった柔らかい地面に緩やかな傾斜。多少隠れるに適した場所はあるものの射撃戦に持ち込むには先述の通り弾薬が少なすぎる。晴子に有利に働きそうなオブジェクトもない。どうする、どうする、さぁどうする?

「耕一、あいつ動かないね……」
「ああ、それに怪我もしてるみたいだ。拳銃も支えるので手一杯って感じだな」
「どうする? 今の調子だと二人でかかれば簡単に倒せると思うけど」
「いや俺達は殺人が目的じゃない。銃だけ奪って無力化すれば……」

 甘いよ耕一、と梓は思った。こういう完全に乗ってしまった人間はどう無力化しても再度武器を調達し何度でも殺そうとしてくる。だが自分達も殺人鬼ではない。それは同意できることではある。何にせよ、まずは目の前の敵を打ち倒すのが先決だ。
「分かった。あたしから先に行くよ。隙を作るから耕一が何とかして」
「ああ、任せてくれ」
 耕一が頷くのを確認して、梓は警棒を再度強く握り締め猛然と晴子に向かっていった。

「ちょっと痛いけど、お灸を据えさせてもらうよ!」
「はんっ、小娘が偉そうにしよって! ジャリはジャリらしく大人の言う事を聞いとればええねん!」
「悪い大人の言う事を聞く必要は……ないんだよっ!」

 梓の役目はあくまで耕一が止めを刺す為の隙を作ることであり、無理して倒すことではない。反撃を受けない程度に距離を詰めて体力を消耗させればいいのだ。
 相手が避けられる程度のギリギリのラインから警棒を振り回し、ギリギリのラインで避けさせていく。
 晴子もなんとか反撃を試みようとVP70を用いて殴ろうとするが振り下ろす前に梓の次の攻撃が来るため反撃に踏み切れない。縦から横から振り回される警棒を掠るか掠らないかの程度で回避していくのが手一杯であった。
 それどころか激しく動いているせいで傷が疼き、飛び跳ねて着地するだけでもVP70を取り落としそうになるほどの激痛が晴子を襲う。これでは引き金を引くことさえままならない。事態は悪化していく一方だった。

256思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:53 ID:nHUW/EJY0
「やぁっ!」
 梓が大きく腰を落とし、晴子の脛へと向かって警棒を振る。傷の痛みに意識を向けていたせいで一瞬だが、晴子の反応が遅れた。
 回避する直前、警棒の先が腿を掠り、電流を流されたような痛みが晴子の身体を駆け巡った。「くぁ……」と思わず呻きよろよろとバランスを崩してしまう。

「耕一! 今だっ!」
「おうっ!」

 気付かぬ間に側面から迫ってきていた耕一が拳をぐっと握り締め晴子の顔を狙っていた。逞しい筋肉から繰り出されるその一撃を貰えば、いかな覚悟を決めた晴子と言えど気絶は免れないだろう。勝敗は決したかに思えた。

「!?」
 晴子に殴りかかろうとしていた耕一が、急に目の色を変えて梓の方へと向かう。
「梓っ!」
 え、と呆気に取られる梓を押し倒すようにして耕一が覆いかぶさる。その真上を――
「な……」
 ――飛んでいったボウガンの矢が木の幹に突き刺さっていた。

「新手かっ!」
(新手やと……?)

 耕一も梓も、晴子もしばし目の前の敵を忘れて乱入してきた第三者の居場所を掴もうとする。敵か、味方か。事と次第によってはそれはこれからの状況を大きく変えさせるものだったからだ。
 数秒の後、ガサッ、という不自然な音を梓の耳が掴む。弾かれるようにして振り向くと、そこにはボウガンを持って走り去ろうとする一人の少女――朝霧麻亜子――の姿があった。

257思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:23 ID:nHUW/EJY0
「耕一、あいつだ!」
 すぐに方向転換し、麻亜子の姿を追おうとする梓。
「待て梓、迂闊に……」
 静止に入ろうとした耕一の後ろから悪意のある気配が身体を貫く。とっさに転がるようにして、耕一は緊急回避に入った。ぱん、という軽い音と共に再び敵意を向けた晴子のVP70が火を噴いたのだった。
 幸いにしてそれが命中することはなかったが、既に梓は新たに現れた人間を追って森の奥へと消えていた。鬼の持つ力は脚力にも影響を及ぼす。全力の梓が視界から消えるのには数秒の時間さえあればよかったのだ。く、と歯噛みする耕一の前に、不敵に笑う晴子の姿があった。

「うちを差し置いて逃げようやなんてええ度胸しとるやないか。これで一対一や。ゆっくり楽しもうや、なあ?」
 それは妖艶な、油断した冒険者を海中へと引きずり込むローレライの魔女であった。脂汗をかき、肩を上下させる姿さえも耕一を幻惑させる魔法のように思える。
「……悪いが、すぐに終わらせてもらう。歌のアンコールは所望じゃないんだ!」
 今度はハンマーを持って、耕一は晴子を見据える。一撃。足に叩き込んで骨を砕いて御仕舞いだ。
 耕一の目の色が、赤き狩猟者のそれへと変わった。

     *     *     *

 襲撃をかけるかかけまいか迷っていた朝霧麻亜子の視界に神尾晴子が飛び込んできたのは、彼女にとって幸運だった。
 それがゲームに乗っていない人物ならば話し合いの最中に奇襲をかけられるし、乗っているなら乗っているで存分に利用し、双方戦って疲れたところに止めを刺しにいけばいい。麻亜子は漁夫の利をとれば良かった。
 しばらく様子を見たところ拳銃のようなものを持って攻撃の機を窺っているようにも見えたから八割方乗っていることには間違いなさそうだった。なら、いつでも止めを刺しにいけるようにもっと耕一と梓の近くに接近するべきだった。

 麻亜子は誰にも気取られぬよう、静かに移動を始めようとした、その時だった。
「動かないで下さい」
 後頭部に固いものが押し当てられる感触と、骨の髄まで凍るようなトーンの低い声。麻亜子の心臓が、一瞬だが跳ね上がった。
 麻亜子の後ろを取った女、篠塚弥生は麻亜子の手に握られているボウガンを一瞥すると、地面にうつ伏せになるよう指示する。

258思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:56 ID:nHUW/EJY0
「え〜、あちきも一応女の子なんだしさ、汚れるのは嫌なんだけどなー」
「なら言い方を変えましょう。血で汚れるのと、土で汚れるのと、どちらがいいですか」
「……はいはい、分かりましたよ。ジョーダンの通じないひとだなぁもう」
 やれやれという感じで大人しくうつ伏せになる麻亜子。相変わらず弥生は銃口を押し付けていて、まるで隙がない。やりにくいタイプだ、と麻亜子は思った。

「で? 狙いは何かな?」
「……」
 答えない弥生に対して麻亜子が「理由、説明してあげよっか」と不敵に笑いながら続ける。
「単純に殺したいだけなら後ろを取った瞬間パーンと一発ハイそれまでよ、だーよね? でもチミはそれをしない。ならあたしに利用価値を見出したワケだ。違うかな?」
「……聡いですね」
「まーね。ベルリン陥落させたのがジューコフだってことくらい知ってるまーりゃん様にかかればチョチョイのチョチョイなのさ」

 ふざけた口調だが、バカなわけではない。弥生は銃口を放すと茂みの向こう側を指して言う。

「話は単純です。あの向こう側にいる三人を何とかしてきて下さい」
「単純すぎるなぁ。交渉とはもっと礼儀と作法をもって行うものだぞっ」
「交渉ではありません。要求です」
「その要求、果たして通るかなぁ?」

 何を、と再び手持ちのP-90の銃口を向けようとしたとき、怒声と共に銃声が響き渡る。とうとう向こう側で戦いが始まったのだ。
 三人の男女の声が混ざり合い、蠢き合い、絡み合って死の匂いを帯び始める。麻亜子はそれを悠然と聞き流しながら弥生に告げる。
「まーたぶんアンタも優勝を狙ってるクチなんだろーけどさ、なら分かると思うんだけどここで勝手に戦って死んでってくれる……『乗って』る人が殺されるのはあたしにもチミにもまずいんじゃないかな? 様子を見てたんなら分かると思うけどあたし達と同種はあの大阪のおばさん。反対はあの二人組。ゲームの進行を考えるとどっちが生き残った方が効率がいいか分かるでしょ? でしょ?」

259思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:20 ID:nHUW/EJY0
 答えない弥生の様子を肯定と取ったか、麻亜子はふふん、と得意げに鼻を鳴らしながら続ける。
「あたし達がするべきことはさ、お互いに助け合うことだと思うんだなコレが。助け合いの輪、不戦の誓い桃園の誓い。ああ美しきかな友情よ。どう? ここは連携してさ、あの二人組、やっつけてみない?」
 弥生の表情は変わらぬままだったが、麻亜子は確かな手ごたえを感じていた。当初の予定と違って独り占めは出来なくなったがこのように状況に応じて敵味方を変えるような人間は手懐けておいた方がいいと考えていたし、遠目からでも分かる好戦的な神尾晴子も恩を売っておけば後で役立つとも考えていた。

「内容に拠ります。危険な行動は出来ません」

 来た。乗ってきた。
 麻亜子はほくそ笑みながらいやいや、と手を振る。
「どっちかったら危険なのはあちきの方だからさ。まあ聞きなよ奥さぁ〜ん」
 ヒソヒソと内緒話でもするように弥生に耳打ちする。弥生はその内容を聞いていたが、確かに危険はこちらの方が少ない。いざとなれば見捨てて逃げればいいし、麻亜子からしてみても裏切れる余地はない。上手く行けば全員が利益を得られる。
「……分かりました。あなたの作戦に力を貸しましょう。やって下さい」
 弥生は麻亜子から離れると、少し先にある茂みの向こうへと姿を消した。麻亜子はその姿を少し見つめながらふぅ、と安堵のため息を漏らす。

「やー、良かった良かったぁ。流石は口先の魔術師と言われるあたしだね。んっふっふ、将来外交官にでもなっちゃおーかなー」
「やぁっ!」
「おっと、決着がつきそうかな?」

 素早く姿勢を整えると、僅かに茂みから身を乗り出しながらボウガンを構え、今にも止めを刺そうとしている柏木耕一……ではなく、柏木梓の方へと照準を向ける。
 別に攻撃するのはどちらでも良かった。それに当たっても外れてもそれほど作戦に問題はない。どうせ撃つなら当てやすい止まっている標的に撃ちたかったからだ。
「まーりゃんバスター……シュートっ!」
 ボウガンから発射された矢が、一直線に飛んでいく。ラッキーなことに、それは柏木梓の頭部目掛けて飛んでいた。命中すれば脳を貫き即死させること間違いなかった。が……

260思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:49 ID:nHUW/EJY0
「梓っ!」
 神尾晴子に攻撃を仕掛けていた柏木耕一が間一髪、梓の体を押し倒して矢の命中を避けたのだ。標的を見失った矢は空しく明後日の方向へ飛んでいく。
「あーっ! 盛り下がることしてからにーっ! ええい、モードBに移行だぁ!」
 ぷんぷんと怒りながら、麻亜子はわざと敵に居場所を知らせるようにがさがさと音を立てながら逃げるように移動を始める。その後ろに、篠塚弥生の気配を感じながら。
「耕一っ、あいつだ!」

 案の定こちらに気付いた梓が茂みから飛び出した麻亜子を追って走り出す。その形相たるや、般若を思わせる鬼のものである。
「うわっこわっ! 鬼こわっ! てか足速いよあの娘さん!」
 こればかりは麻亜子にとっても計算外だった。麻亜子自身も足の速さには自信はあったが梓の脚力はそれを大きく上回っていた。だがおびき寄せることには成功し、麻亜子の狙い通り耕一は晴子と戦いを続けていてすぐに救援に向かうことはできない。分断には成功した。ここまでが、麻亜子の計画の第一段階。

「待てっそこのチビ娘! アンタ一体何様の……つもりだっ!」
「うは!?」

 まだある程度距離は離していたつもりだったのに、気がつけばすぐ後ろで、梓が警棒を頭上に振り上げていた。
「ちょ、タンマ!」
 振り向きざまにバタフライナイフを抜き、特殊警棒を受け止めようとするが巨大な圧力を有する一撃を抑えきることなど出来るわけがなく、無様にナイフを取り落として尻餅をつく麻亜子。
 地面に落ちたナイフを慎重に拾い上げて懐に仕舞うと、梓はそのまま警棒を向けて言葉を発する。

「悪いけど、あたしは耕一と違ってそんなに心が広くないんだ。おとなしく武器を全部捨てて投降しな。そうすれば悪いようにはしない」
「やーだもんね」
 一歩詰め寄る梓に、麻亜子は慌てながら手を振る。
「って言ったらどうするの、って言おうとしただけじゃんかー! 早まらない!」
「そん時は骨の二、三本折らせてもらうよ。で、答えはどうなんだい」
 おっかないねぇーどいつもこいつもスイスもオランダもー、とぶつぶつ言いながら手元のボウガンを梓に向かって投げ捨てる。
「ほいよ。あたしだって命は惜しいからね。ごめんなさいあれは一時の迷いだったのです許してくれろ」
 梓はボウガンに矢がセットされてないのを見ると「矢は?」と尋ねる。
「ああ、矢ね。ごめんごめん、今出すからさ――」

261思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:11 ID:nHUW/EJY0
 麻亜子が持っていたデイパックの中に手を突っ込む。その仕草に、梓は一種の予感めいたものを感じた。

「プレゼント受け取ってぇ〜、ちょーだいっ!」
 梓がバックステップからのサイドステップで離れたのと同時に、麻亜子の手に握られていたボウガンの矢が梓の脇腹すれすれを通過していった。当たったとしても致命傷にはならなかっただろうが、それは明らかに殺意のこもった行為であった。間髪入れず、梓は腰を低く落として麻亜子へと肉薄する。
「やっぱ警戒しといて良かったよ。嘘つきには相応の罰が必要だね、チビ助!」
「ぬぬ……でもまだまだ……」

 最大の切り札であるデザート・イーグル50AEを取り出す麻亜子だが、それよりも早く梓の左腕から繰り出される正拳が麻亜子の腹部の真正面を衝いた。
「ぐへ……っ!」
 攻撃の中心点から電撃のように蔓延する鈍い衝撃に呼吸が一瞬止まり、思わずデザート・イーグルを取り落としてしまう。目がチカチカして視線が定まらない。

「や、やば……一旦離脱……」
 足元をふらつかせながらも、しかし麻亜子は倒れることなく梓との戦闘を中断し、逃走を試みようとする。だがそんな行為を梓が許すはずもない。
「逃がすか! ……ぶっ!?」
 走り出そうとした梓の顔面に大きな布のようなものが覆いかぶさる。それは麻亜子がスクール水着の上に着ていた自身の制服だった。さらにおまけのように、デイパックが梓に投げつけられる。
「こ……のっ! 悪あがきを!」

 だが所詮は時間稼ぎにもならないほどの微かな抵抗に過ぎなかった。すぐにそれを取り払うと、梓は再び麻亜子の背中を追う。不意の抵抗で僅かに距離はあいたもののそれはたったの二、三メートルほどだ。梓ならば一秒も経たずに詰めることが出来る。
 その思惑通り、梓が走り出してから一秒と経たない間に麻亜子は警棒の射程内に入っていた。これでとどめと言わんばかりに梓は警棒を今一度振り上げる。

「残念だけど……ここまでだよっ!」
「その通りです」

262思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:40 ID:nHUW/EJY0
 梓の耳に届いた声は麻亜子の幼さを残す声ではなく、大人が持つひどく抑揚のない声だった。
 けたたましい音が聞こえたかと思うと、梓の真横から大量の銃弾が槍のように身体を貫いた。何が起こったのか分からず、目の前を飛び散る自分の血飛沫を呆然と見つめる梓。
「え、あ……?」
 振り下ろされるはずだった警棒は梓の手を離れて地面に。捉えるはずだった足は止まり、今にも崩れ落ちそうにがたがたと震えている。
 動かない――いや動けなかった。

「人というものは」

 また聞こえてくる抑揚のない無機質な声。コンビニとの店員との間で交わされるような味気ない声だ。かろうじて首を動かした梓の視線の先には、P-90を持って悠然と向かってくる篠塚弥生の姿があった。

「後一歩で獲物に手が届きそうになると周りのことなど見えなくなるものです。私の移動にも気付けなかった」

「あ……あん、た、は」
 構えようとした梓の体が、ぐらりと傾く。均衡を失った肉体は無様に崩れ落ちる。
「正直ね、チミらの反射神経は大したもんだよ。あちきのボウガンは避けるし、銃を構えられても余裕で射線を外してくる。勘も鋭いときたもんだ。集中されてーちゃーこっちに勝ち目はないっての。だから小細工したんだなコレが」
 次に梓の視界に現れたのは勝ち誇ったように笑う朝霧麻亜子。

「仕組んで、いたのか……最初から、全部」
「いいえ、全ては偶然です。私とこの人が出くわしたのも、手を組んだのも。今貴女の連れと戦っている人も同じです」
 また、弥生が顔を見せる。麻亜子とは対照的に見下したような表情。
「後一歩。こいつが油断だったのさね。目の前のあたしに心奪われたが最後、嫉妬に狂った元恋人が復讐の包丁を突き刺す。中々いい舞台だったでしょ、ん?」
「ち、ちくしょう……ごめん……耕一、千鶴姉、はつ」

263思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:06:27 ID:nHUW/EJY0
 梓の遺言がそれ以上紡がれることはなかった。弥生が懐にあったバタフライナイフで梓の喉をかっ裂いたのだ。破裂した水道管のように、梓の喉から血のシャワーが注ぐ。
「終幕です」
「ぱちぱちぱちっと。でもまだもう一つ舞台があるんだなー。人気俳優は忙しいよ」
 制服を着込みながら麻亜子はボウガンやデザート・イーグル、デイパックを回収していく。
「貴女のナイフです。返しておきましょう」
 弥生は梓の所持していた警棒を回収すると、バタフライナイフを折り畳んで麻亜子に投げ返す。それを空中で器用に受け取りながら感心したように麻亜子が呟く。

「おりょ、てっきりネコババするかと思ったのに。律儀だねぇ」
「重要な事です。仕事でも、人間関係でも」
 ふむぅ、と麻亜子は笑いながらバタフライナイフをポケットに仕舞い、デイパックを背負い直す。
「さてもう一舞台参りますかね。二人の役者さん、まだ生きてるといいけどねー」
「どちらにしろ決着はつけます。行きましょう」
 弥生が走り出すのに続いて、麻亜子もその後を追う。
 血の華に彩られた舞台の最終公演が、始まろうとしていた。

264名無しさん:2008/02/01(金) 15:07:00 ID:nHUW/EJY0
ここまでで一旦区切って下さい

265思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:07:52 ID:nHUW/EJY0
「おおおっ!!」
 耕一の繰り出すハンマーの一撃を、晴子は紙一重で避けながらVP70を鈍器にして殴り返す。
 だが晴子の攻撃もまた避けられそればかりかカウンターに鋭い右フックを叩き込まれ、ゴホゴホッと咳き込む。
 最初のころはそれも避けられたのに、次第に命中する回数が増えてきていた。いやそれだけじゃない、こちらの反撃もまるで見透かされているかのようにかわされる。今は辛うじて最大の一撃であるハンマーを回避しているだけで、その行動もだんだん体が追いつかなくなってきている。それも、殺さず戦闘不能にするためなのか足ばかりを狙ってきているにもかかわらず、だ。

「ぐ……」

 幾重にも拳が打ち込まれた体はボディブローのようにじわじわと晴子にダメージを与えていた。鉛のように体が重く、長い間オイルを注していない機械のように手足が動かない。さらに先程の一撃でいよいよ体が限界に達したのか自力で立っていられず、たまらず木に体を預けてようやく支えている状態だ。
 疲労困憊、満身創痍という言葉が今の晴子を表す全てだった。
「……もう終わりだ。諦めて罪を償ってくれ」
 ハンマーを両手に持った耕一が、ここまで力強い抵抗を見せた晴子を悲しげな目で見つめながら前に立っていた。息も荒く全身痛みに覆われている晴子とは違い、汗一つかかず息さえ切らしていない。

 絶対的な力の差だった。
 蟻が象に挑むような無謀な行為。しかもたった一人で、だ。勝てるわけがない。

「は」

 晴子は一笑に付した。だから何だと言うのだ。好機ではないか。完全に勝ったつもりの相手と、満身創痍ながらもまだ決定打を受けていない自分。
 それに何より、己には覚悟がある。大好きなひとを守りたいという想い。こんな殺しも出来ないような優男に、負けてなるものか。
 乾いた唇を舌で舐める。一瞬だけ水分を取り戻した口が啖呵を切った。

266思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:16 ID:nHUW/EJY0
「まだ終わりやない。まだ負けてへん。偉そうな大事ほざくんはウチを倒してからにしてもらおうか」
「なら……そうさせて――」
 そう言いかけた時、辺り一帯に激しい音が鳴り響いた。それはどんなのか確かめるまでもなく、銃声。

「あず……?」
 耕一が思わず後ろを向いた。それを、晴子は見逃さない。
「いて……まえっ!」
 晴子が決死の思いでVP70を持ち上げる。それに気付いた耕一は若干反応を遅らせながらも思い切り真横に飛び退く……が。
「く……あ……」
 VP70から銃弾が発射されることはなかった。力尽きたように晴子が前のめりになりながら倒れ、そのまま動かなくなった。

 恐らく、意識を失ったのだろう。見る限り晴子は包帯を巻いており、息も荒く顔色も悪かった。あれだけ強気であっても肉体が限界を超えていたのでは当然の成り行きでもある。そう耕一は考えた。
 ホッと息をつきかけた耕一だがそんなことをしている場合ではないとすぐに気付き、晴子から背を向けて銃声のした方向へと走り出した。
「梓! どうしたんだ! 返事をしてくれ!」
 力の限り腹から吐き出すように耕一は叫ぶ。しかし梓が走り去っていったであろう方向からは何も声は聞こえてこない。それがさらに、耕一の心から余裕を無くし、焦りを生み出していく。

 梓が、あの頼もしい従姉妹の梓が負けるわけがない。そんな事態があってたまるか。
「梓! あずさぁーーーーッ!」
 咆哮ともとれるような耕一の叫び。しかし依然として返事はないばかりかそこにあってはならない、かつて感じた匂いが漂っていた。
 それは血の、匂いだった。

 まさか。いやそんなはずはない。

 交錯する二つの思考。落ち着けと願う心と、跳ね上がらんばかりに脈打っている心臓。
 耕一の視界は、いつのまにか半分以下にまで縮まっていた。故に。

 ドスッ。

267思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:46 ID:nHUW/EJY0
 ビクン、と少しだけ耕一の体が跳ねたかと思うと、強烈な異物感と痛みが肺から急速にせり上がってきていた。
「あ……?」
 梓同様、最初耕一には何が起こったのか理解できなかった。自分の体に何かが起こった、その程度の認識しか感じられなかった。
 ゆっくりと、耕一は自分の胸元に目を下ろす。
「何だよ、これ……」
 耕一の胸からは、棒のようなものが生えていた。先端には尖った、まるで鏃のようなものがついており自身の血を浴びて凶暴な赤黒いカラーに染まっている。

 いや違う、これは矢……弓矢の矢じゃないか。そう認識出来たかと思うやいなや、耕一の視界は暗転し意識が、感覚が遠のいて体が崩れ落ちる。
 これもまた、梓と同様に。
 地面と抱擁を交わした耕一に、もはや草木の匂いが届くことはなかった。
「いやーやれやれ。実に分かりやすいお人でしたなー。映画みたいに何回も名前呼んじゃって。おねーさん恥ずかしいぞっ」
 倒れた耕一に声をかけたのは、朝霧麻亜子と篠塚弥生だった。

「あっけないものですね。周りが見えなくなるのも、同じ」
「ああ、才気溢れる逞しい若者がまた一人散ってしまうのは悲しいことだけれども残念無念、これって戦争なのよね。まああたし達がやっちゃったあずりゃんと一緒にいさせてあげるからおとなしく成仏してくれりゃんせ、なむなむ〜」

 ダレダ、コイツラハ――

「もう一人の方はどうなったのでしょうか」
「さぁ、死んじゃったかもしれないね。ま、あたしとしてはライバルが減ってくれるならいいんだけど」

 ヤッタ? アズサヲ? ナゼダ。
 アズサハ、コロサレテイイヨウナヤツジャナカッタ。カエデチャンモ。コンナ、コンナヤツラガイルカラ――

「それは同感ですね。ですが今はそれよりも武器の回収を急ぎましょう。それにあなたとの共同戦線もここでお終いです」
「ありゃ、これは意外なお言葉。あたしはそんなに使えない女なのかい?」

268思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:17 ID:nHUW/EJY0
 ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ――

「逆でしょう? あなたにとって、私は使えない女のはずですから」
「……さぁ、それはどうかな?」

           コロシテヤル

「……?」
 悪寒のようなものが弥生を包み込む。それは、倒れたはずの耕一の体から感じられた。
「ん、どしたの?」
 耕一の方をじっと見る弥生に麻亜子もまた何かを感じ取ったかのように耕一を見た。
「声が、聞こえたような気がしたのですが」
 そんなはずはない。確かに麻亜子の放ったボウガンの矢は耕一の胸を貫いていたのだから。生きているはずはない。
 しかし何だろう、この威圧感のような、拭い去れない恐怖のような予感は。それは麻亜子も同じようだった。

「気のせいだと思うけど……とどめ、刺しとこっか」
 完全に死を確認したわけではない。ひょっとしたら息くらいは残っているかもしれない。そう無理矢理に考えて、麻亜子は再びボウガンを向ける。

「グオオオォォォォォォッ!!!」

 その時、まるで獣のような、怪獣映画に出てくるような野太い絶叫が耕一だったものから聞こえた。
 それだけではない。死んだはずの耕一が。生きているはずがない耕一の体が、ムクリと起き上がり二本の足で立ち上がったのだ。
「う、うそっ……!?」
 麻亜子だけでなく、普段冷静なはずの弥生も目の前の事態を理解できず呆然と、立ち上がった生物を見ていた。

「グアアアァァアァァァアァッ!!!」

269思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:39 ID:nHUW/EJY0
 口を大きく開けて、天に向かって咆哮を上げる耕一。いやそれはもはや人間ですらなかった。
 元々筋肉質だった二の腕はさらに大きく盛り上がり、色も肌色から黒色の人ならざるものへと変貌している。
 爪は赤く長く伸び、さながら恐竜を思わせる凶暴なフォルムに変形し、獲物を刈り取ろうとするようにせわしく蠢いていた。
 つまるところ、それは人の領域を超えてしまった……怪物であった。

「ガァア……ッ」

 息を吐き出し終えた怪物が、ゆっくりと麻亜子と弥生に真っ赤な眼球を向ける。それは狩猟者たる『鬼』が狙いを定めた瞬間であった。
「なんかさぁ……ヤバいって感じだなあ。乙女の大ピンチ?」
「悠長にそんなことを言っている場合ではなさそうですよ。あなたとの共同戦線……もう少しだけ続きそうですね」
 二人が、すくみそうになる足を必死に押さえ込みながらじりじりと後退していく。

「グゥウゥ……ァッ!」

 怪物はグッ、と腰をかがめたかと思うとその場から思い切り跳躍し、大木のような腕を棍棒のようにして振り下ろしてきた。
「うわっと!」「……!」
 麻亜子が怪物から向かって左へ、弥生が右にステップしてその場から離れる。それから僅か一秒と経たない間に怪物の巨体がそこへ落下し、腕を叩きつける。ドスンという鈍い音と共に地面が陥没し、土煙が舞う。人間では考えられない威力の、肉体のハンマーであった。
「このっ……隠し芸なら温泉でやってよ……ね!」
 距離を取った麻亜子がボウガンを向け、怪物の頭部へと向けて発射する。いくら怪物じみた外見でも頭部に損傷を与えれば無事では済まないはず、そう考えた結果だった。

 だが怪物は切磋に頭部を守るように右手を出し、直撃を避ける。しかし当たらなかったとはいえ右手に突き刺さったはずなのに、怪物はものともしないかのように矢を引き抜き、地面へと投げ捨てた。代わりに、ライオンのような鋭く尖った犬歯を覗かせ、嗤った。嗤ったのだ。
 やばい。そう判断した麻亜子はこれ以上の反撃を諦め再び距離を取ることに専念する。
 逃げられるとは思っていなかった。あの怪物は復讐のためだけに復活した追跡者なのだ。一時的に身を隠せようとも、いつかは追いつき体を引き裂いて頭を潰し蹂躙する。ならこの場で倒してしまうほかに生き残る術はなかった。
 幸いなことに、怪物の動き自体は鈍く麻亜子とは比べ物にならない。ボウガンをデイパックに手早く仕舞うと最大の武器であるデザート・イーグル50AEを取り出して構えようとする。

「グガァッ!」

270思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:03 ID:nHUW/EJY0
 しかし怪物もさるもの、動きの鈍さを巨体から出るリーチで補い槍のような爪を真っ直ぐに繰り出す。あれに貫かれたら、命はない。
 仕方なく発砲は諦め木を盾にするように回り込む。
 ずん、と地響きのような音がして麻亜子の前の木が軋みを上げる。どうやら爪が突き刺さったようである。
 この隙に反撃を、と思った麻亜子だが怪物は爪を引き抜くどころか逆に爪を深々と抉るように押し込み左右に動かす。
 ミシ、ミシっと音を立てたかと思えば爪の刺さった部分から木が折れ、周辺の草木を巻き込みながら倒れていた。
「う……わぁ……」
 これには麻亜子も唖然とするしかない。普段どんなことがあってもマイペースな彼女から血の気が引き、さっきまで反撃しようという考えも忘れてそそくさと弥生のところまで後退する。

「何アレ、それなんてファンタジー? というか援護してくれってのー!」
「申し訳ありません、ちょっと手持ちの武器を確認していたもので」
「そんなの戦う前からやっとけってーの! わわっ、来たきたっ!」
 再び前進してくる怪物に、弥生がP-90を向ける。
「残弾は少ないですが……やむを得ません」
 小刻みにトリガーが引かれたP-90から、数発の弾丸が怪物目掛けて飛来する。麻亜子のボウガンの時と同じく今度は左腕で受け止めようとする怪物だが、P-90の貫通力はボウガンの比ではない。

「グガッ!?」

 分厚い筋肉の鎧に覆われたはずの腕を貫通したP-90の弾が怪物の肩や胸に突き刺さり、抉り、破壊しダメージを与えた。しかしそれは決定的な致命傷には程遠く、怪物は呻き声を上げながらも更に突進してきた。今度の標的は、弥生。
「く、中々硬い……」
 大振りに繰り出される爪撃をバックステップで回避しながら弥生は単発で発砲を続ける。だが銃身がブレて思い通りに狙いが定まらず、腕や脇腹などには命中するものの心臓や頭部には一発として当たらない。しかしそれでもダメージは蓄積され、徐々にではあるが怪物の動きは鈍くなっていた。
「これで、どうだっ! くらえーい!」
 怪物から十分な距離を取った麻亜子が、お返しとばかりにデザート・イーグルから轟音と共に強力無比な50AE弾を背中に向けて撃ち出す。しっかりと構えていただけあって弾は背中の中心へとクリーンヒットする。

「ガァ! ググ……」

 象さえ仕留めるほどの威力を誇る銃弾に貫かれてはさしもの怪物もひとたまりもない……はずだった。

271思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:27 ID:nHUW/EJY0
「ググ……オオオオオォォォォォ!!!」

 呻き声から絶叫にも近い怒声を発したかと思うと、怪物は手を高々と掲げ弥生へと叩き下ろす。
「随分とタフな……っ!?」
 鈍い攻撃のはずだった。躱したはずの腕が、いつの間にか横から迫っていていたのだ。叩き付けられる右腕を避けられず、弥生は直撃を受けてその場に昏倒する。続いて怪物が、麻亜子の方向を向いた。

「やば……っ!」
 距離は十分にあったはずだった。しかし怪物はクラウチングスタートのように腰を屈めたかと思うと猛烈な勢いで突進し、ものの数秒で麻亜子の体へと肩をぶつけていた。地面を跳ねるようにして、麻亜子の体が転がる。
「かぁっ、痛った〜……」
 ダメージ自体はそれほどでもなかったが衝撃が半端ではなく頭が朦朧とする。よろよろと立ち上がる麻亜子に怪物の膝がさらに叩き付けられた。
 突き抜けるような圧力と共に麻亜子の体が宙に浮き、そのまま吹き飛ばされた。そしてその先は、幸か不幸か、急な坂であった。痛みにのたうつ麻亜子がそのままごろごろと坂を転がり落ちていく。

「グルルルル……」

 怪物は麻亜子に止めを刺すのは不可能だと判断したのかゆっくりと方向を変えると体を引きずるようにして倒れている弥生の元へと歩み寄っていく。
 背中からは麻亜子のデザート・イーグルによる銃傷で大量に出血しており、他にも弥生に負わされた無数の手傷からも血が噴出している。
 それでも歩みは止まることはなかった。柏木梓を殺した奴を殺す。その思いのみを行動原理に怪物は足を進めていく。
「く……化け物のくせに……こんなところで」
 弥生もまた、意識を失わずただ生き残ることを思って体を起こそうとしていた。
 だが思うように体は動かず立ち上がることさえままならぬ状況だった。それでも石のような体を引きずって、弥生は攻撃を受けた際に手放したP-90を取りに行こうとする。

「グオォッ!」

272思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:52 ID:nHUW/EJY0
 しかしその行動は怪物によって中断される。匍匐前進で這い、あと少しで手の届くところまで来たけれども、弥生の体が怪物の足によって蹴り飛ばされ、近くの木に激しく叩き付けられる。
 骨が折れてしまうほどの衝撃を受けながらも弥生は意識を失うことはなかった。いやむしろ痛みこそが弥生を気絶させなかったと言うべきかもしれない。
 だが、肝心のP-90は遥か遠く――実際の距離よりも手の届かない遠くに行ってしまったのだ。
「く……」
 一応警棒はあるがそんなもので怪物の進撃を止められはしない。何か、もっと、刃物のような尖ったものがあれば。せめて一矢報いることが出来るのに。
 必死に首を動かして何かないかと見回す。すると、思いがけないものがそこに転がっていた。

 ボウガンの矢。恐らく朝霧麻亜子の放った、そしてあの怪物が引き抜いた矢だ。
 咄嗟にそれを掴むと、いつでも全力でかかれるように弥生は力をボウガンの矢を握った手に集中させる。
 怪物の足音が、重低音を響かせながら弥生に近づいてくる。足音が止まった時が、最大の攻撃チャンスだ。

 ズシン、ズシン、ズシン、ズシン。

 四歩目。そこで音が、途切れた。

「グガアァァアァァッ!」

 狂恋の叫びを上げながら、憎き仇に制裁を加えるべく怪物が爪を振り上げて弥生の首目掛けて叩き切ろうとした。
「こんなところで、私は死ぬわけにはいかない! 由綺さんのために! 由綺さんの夢のためにっ!!」
 爪が天高く差したと同時に、弥生が力を振り絞ってボウガンの矢を怪物の足へと突き刺した。

「ギャアアァァァゥッ!?」

 肉を破り地面にまで到達したボウガンの矢は、引き抜こうと足を上げようとした怪物の力にもビクともしなかった。それどころか暴れるたびにより深く食い込み、怪物の叫びが増していく。
 だが、しかし。
 弥生の反撃はそこまでだ。P-90が遠くにある以上、立ち上がってそこまで行けるか。そう問われると怪物が矢を引き抜く方が先だと言えた。それでも諦めず、弥生は必死に立ち上がろうとする。

「グゴォォォォォ!」

273思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:15 ID:nHUW/EJY0
 そんな弥生の努力をあざ笑うかのように、怪物が器用に手を使って矢を引き抜いた。ぎょろりと立ち上がった弥生の方を向き、凶暴に息を吐き出す。
「……!」
 走って逃げ切るだけの余力はない。ここまでか。そう弥生が思った瞬間だった。

「はっ、いつまでも帰ってきぃへんし、なんやヘンな唸り声するか思うたら……こういうことか、バケモンが。せっかく知恵振り絞ったいうのになぁ」

「グゥ!?」

 弥生も、そして怪物さえも驚いたように声のした方向を見る。そこには……
「気絶したフリまでしたっちゅーのに……ホンマムカつく奴やで。もうええわ、死ねやボケ」
 怒りの形相でVP70を構えた神尾晴子の姿が、日光を背にあった。
 迷わずに引かれたVP70から、9mmパラベラム弾が怪物を蹂躙せんと真っ直ぐに迫る。

 それは麻亜子の50AE弾や、弥生の5.7mm弾に比べれば遥かに弱い威力だった。しかし多数の怪我を負った怪物に、それを避けるだけの余力も、もう残っていなかった。
 それでも防御しようと腕を上げるが、上げきる前に晴子の放った弾丸は怪物の眉間を貫き、脳を破壊し致命傷を与えていた。
 プツンと命令の途絶えた肉体が棒立ちとなり、ぐらりと傾いてドスンと重苦しい音を立てながら地面へと倒れ臥す。今度こそ、完全に、柏木耕一だったものの肉体は死を迎えていた。

「はぁ、はぁ……っ、ホンマ、手こずらせてからに……なぁ、アンタもそう思うやろ?」
「……ええ、まったくです」

 怪物が倒れたと同時にドッと疲れたようにへたり込む晴子の言葉に、同じく決着がついてP-90を拾いに行く必要がなくなった弥生が頷く。
 二人とも殺し合いに乗っているにもかかわらず、今の二人には互いに殺し合いをする気などなかった。満身創痍でそれどころではなかったのだ。

「ふぅ……っ。あーなんかもう、どうでもええわ」
 座っていることさえ億劫になったのか晴子は身を投げ出して地面に寝転がる。そんな晴子に、弥生が疑問を持ちかける。

274思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:56 ID:nHUW/EJY0
「私を撃とうという気はなかったのですか」
「あのアホウは殺し合いをする気はなかったみたいやった。ならその敵のアンタはうちと同じ。それだけのことや」
「敵の敵は味方……ということですか」
「ま、そういうことやな」

 単純だが、筋は通っている。弥生は頷くとある提案を持ちかけた。

「これから先……手を組んでみる気はありませんか」
「なんや、藪から棒に」
「私も貴女ももうギリギリの……極限状態のはずです。これから先一人で殺していくにはいささか無謀と言わざるを得ません。なら少しでも戦力が欲しいのは当然の理かと」
「うちでええんか? うちはひねくれ者やで」
「ですが、貴女は大人です」
「……」
「私は先程まである少女と手を組んでいたのですが……あの少女は自分が何でも出来ると思い込んでいる若いだけの人間です。ああいう人間は、殺せると思えば状況を考えず殺しにいく。ですが少なくとも貴女は違う。今この場で私を殺そうとはしなかった」
「どうかな? ただの気まぐれかもしれへんで?」
「その時は私の見る目がなかっただけのことです。その程度の人間が生き残れる訳がありません。どうですか、私と組んでみる気は」
「あーはいはい分かった分かった。アンタの言う通りや。どうでもええから今は横になりたいねん」

 面倒くさそうに言うと、晴子はそれっきり黙りこんで何も答えようとはしなかった。それを肯定と受け取ったのか弥生も横になってしばしの休息をとるようであった。
「なーんか、平和やな……」
 気の抜けたような晴子の声は、静かにその場の空気に溶けていった。

     *     *     *

「いてててて……あーもう! この稀代の美少女アイドルの顔に傷をつけおってー! ただじゃすまさんぞぉー……って、二度とお近づきになりたくないけどねぇ」

275思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:14 ID:nHUW/EJY0
 坂から転げ落ちた麻亜子はまだぐらぐらする頭をさすりながら山の上へと向かって吠えていた。幸いなことに骨折などはしていなく、全身のあちこちが痛むだけである。しかし肩のあたりに若干違和感があり、ひょっとしたらひびが入っているかもしれない。
「ま、いっか」
 あの怪物の動向は気になるが耳を澄ませても叫び声などは聞こえてこない。力尽きた……と麻亜子は信じることにした。

 それよりもあの戦闘で武器弾薬を色々と消費してしまったのが痛い。それに若干二名殺し損ねた。まあ内一名は生存の確認をしてないが。
「しゃーないか。いてて」
 全て思い通りにいくとは思っていなかった。今はとにかく傷の治療などをすべきである。
「ぬーん」
 出来れば診療所の方へ行きたいが、人が居る可能性も否めない。今は出来るだけ戦闘は避けたかった。

「まっ、このまーりゃんに不可能はないっ! ただいまよりどっかの村に潜入任務を開始するっ! いざ、行進……あいたた」
 まだ頭をさすりながら、とりあえず傷の治療を目的に麻亜子は歩き出した。

276思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:43 ID:nHUW/EJY0
【場所:F-06上部】
【時間:二日目午後:12:00】

柏木耕一
【所持品:なし】
【状態:死亡】
柏木梓
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】
神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、疲労困憊。弥生と手を組んだ】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、疲労困憊。晴子と手を組んだ】

【場所:F-05】
【時間:二日目午後:12:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。全身に怪我、鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。スク水の上に制服を着ている。どこかで傷の治療を行う】

【その他:耕一の大きなハンマーと支給品は死体のそばに落ちています】
→B-10

277十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:34:18 ID:4gSArroY0

爆風と閃光、焦熱の嵐の中、少女は笑う。
膝を、頸を、脊椎を踏み砕かれて倒れ伏す幾多の少女を睥睨し、来栖川綾香は呵う。
迫り来る死と踊るように歩を進めてきた少女の笑みはしかし今、ただ一点へと向けられていた。

「―――久しぶり」

少女の眼前に、一つの影があった。
皮が裂け、滲んだ血の固まった両手にそれぞれぶら下げたのは、黒焦げになった砧夕霧の躯。
三つ編みを無造作に掴んだまま引きずってきたものか、遺骸に僅かに残された白い肌の腕といわず足といわず、
無数の擦過傷が走っている。
と、影が夕霧の躯を、まるで空き缶でも投げ捨てるように放り出した。
音を立てて地に落ちたその物言わぬ体にはちらりとも目を向けず、影は静かに綾香と向かい合っている。
佇む二人の至近に光弾が着弾し、草木を焼いた。
閃光に照らされた影の瞳が、綾香をじっと見つめていた。

「どうした? 先輩に挨拶もできなくなったか」

血と煤に塗れ、どろりとした眼で自分を見る影に向けて、綾香は楽しそうに口の端を歪める。
短く切られたその髪がさわ、と揺れた。
微かに反らした上体を掠めるように、光弾が駆け抜けていく。

「―――押忍」

それは小さな声だった。
綾香の背後で石くれが爆ぜ、木々が燃え上がるのに掻き消されそうな、声。
だがそれを聞いた綾香は口元に浮かべた笑みを深くする。
くつくつと、くつくつと。

「おいおい、いつもの無駄な元気はどうしたよ―――葵?」

名を呼ばれた影の表情が、僅かに歪む。
呼んだ綾香は、笑んだまま握った拳を胸元に引く。

「構えろよ。それがうちらの流儀、なんだからさ」

だが影、葵と呼ばれた少女は血に濡れた拳を握ることもせず、曇天を切り取ったような眼を綾香に向けると、
ぼそりと呟いた。

「……どうして」

薄暗い呟き。

「どうしてあの人は、飛ばなきゃならなかったんですか……?」
「……」

す、と綾香の表情が消える。
ちりちりと草の焦げる音だけが、二人の間にあった。

「……知らねえよ」

僅かな間を置いて、綾香の表情に再び笑みが浮かぶ。
しかしその顔に刻まれていたのは、先ほどまでの楽しげなそれではない。

「知らねえよ、そんなの。あいつに直接聞いてこいよ」

そこにあったのは、明確な嘲笑だった。


******

278十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:06 ID:4gSArroY0


一つの記事がある。
新聞の地方欄の、小さな囲み記事だ。

―――
×月×日未明、首都圏の某高層ビルから、少女が屋上の柵を乗り越えて飛び降りた。
少女は約40m下の道路に叩きつけられ死亡した。自殺を図ったとみられている。

警視庁によると、事件が起きたのは午前四時ごろ。
付近を巡回していた警官が倒れている少女を発見した。
近くの病院に収容されたが、間もなく死亡が確認された。
警察では少女が自殺を図ったものとみて身元の特定を急いでいる。
―――

その後、この事件に関連した記事が一般紙の紙面を飾ることはなかった。
だが奇妙なことに、一部週刊誌やタブロイド紙を中心にして、続報は後を絶たなかった。
様々な見出しが躍り、興味本位の活字が闊歩し、憶測と邪推が少女の死を侵した。

悪意に満ち溢れた報道が無数に生まれ続ける「真実」を面白おかしく書きたてる中で、
それでも幾つかの共通した文言だけは辛うじて事実と呼べるだけの信憑性を持っていた。

曰く。
死の前日、少女は一つの催しに参加していた。
会場収容人数にして数万人、様々な媒体による中継を介してその数十倍。
百万の瞳が映したのは、少女が己の総てを賭けて挑み―――そして敗れる、その姿だった。

エクストリーム、特別ルールスペシャルエキジビションマッチ。
3R8分45秒、KO。

勝者、来栖川綾香。
そして敗者の名を、坂下好恵という。


******

279十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:53 ID:4gSArroY0

「前十字靭帯断裂、右膝側副靭帯断裂、肘靭帯断裂、腓骨粉砕骨折、踵骨骨折、
 鎖骨、肋骨、上腕骨橈骨中手骨鼻骨眼窩底膵臓脾臓腰椎」

訥々と、葵が人体の損傷を口にする。

「お経かよ」
「もう立てなくなっていた人に、ここまでする必要があったんですか」

茶化すような言葉を無視し、葵が濁った眼で綾香を見据える。
悪意を隠そうともせず嗤いながら、綾香が答えた。

「両者合意による特別ルール。TKOなし、セコンドタオル投入なし。……違ったか?」

噛んで含めるような口調にも、葵の表情は動かない。

「確かに、そういうルールでした。主催もドクターも、遺恨を煽ったプレスも来栖川寄りの試合。
 けれど、だからこそ止めることはできたはずです。あそこまでやる必要は、なかった。
 結局、綾香さんだってリングを離れることになって―――」

ぼそぼそと告げる葵が、ふと言葉を切った。
足元に転がる砧夕霧の死骸をおもむろに蹴り上げる。
跳ね上がったその無惨な躯を片手で掴むや、半身だけ振り向く。
直後、閃光が葵の掲げた夕霧の、黒焦げの腹に直撃した。
光が収まるのとほぼ同時、人体構造の限界に達したか、夕霧の躯が閃光を浴びた部分を境にぼろりと焼け崩れ、
脂の焼ける匂いを辺りに漂わせた。
盾代わりに使った遺骸を一瞥もせず再び放り捨てた葵が、何事もなかったように言葉を続ける。

「……して……まで、……んですか」
「……、え?」

風が、強く吹いた。
聞き返した綾香を濁った瞳で見据え、葵が今度ははっきりと口にする。

「どうして、最後までやったんですか」

280十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:36:40 ID:4gSArroY0
どろどろと渦巻くものが形を成したような、問い。
その視線を受けながら、しかし対する綾香の顔に浮かんでいたのは、困惑とも戸惑いともつかぬ表情だった。
何かを言いあぐねるように、綾香が何度か口を開きかけ、閉じて、また何かを言い出そうとして黙る。
奇妙な沈黙が下り、しばらくしてようやく綾香が捻り出したのは、ひどく簡素な言葉だった。

「―――何を、言ってんだ?」

嘲笑も悪意もない、純粋な疑問符。
それはまるで、歩き方を聞かれたとでも、呼吸の仕方を尋ねられたとでもいうような。

「なんで、止めきゃなんないんだよ」

うろたえたような声音に、徐々に別の色が混ざっていく。

「悪い冗談はやめろよ、なあ」

切迫した、どこか縋るような口調。

「なあ、なあ、葵。あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの」

困惑と失望と、

「世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。
 ……入ってるんだよ、葵」

そして―――懇願の、入り混じった声。

「だからそんな、そんなわけのわかんないこと、言うなよ。
 な、……頼むよ、言わないでくれよ」

一歩を踏み出したその足の下で、砧夕霧の黒く炭化した腕が、ばきりと折れた。
崩れた骨片が風に乗って舞い上がる。
恐々と伸ばされた綾香の白く長い指が、小さく震えているように見えた。
尚も何かを言い募ろうと綾香が口を開こうとした瞬間、葵が言葉を接いだ。

「私には分かりません……もう、あなたの勝ちは、決まっていたというのに」

281十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:11 ID:4gSArroY0
風が、止まった。
梢のざわめきだけが消えるよりも前、ほんの刹那の沈黙を破ったのは、綾香だった。

「ああ、」

と。
その小さな呟きを境に、綾香の表情が変わっていた。

「ああ、そういうことか」

まず困惑が、懇願が、綾香の顔から消えた。
能面のような無表情。

「……お前、だめだよ」

それから、モノトーンの世界に色彩が零れるように、落胆という表情が綾香に加わる。

「全然だめ。話になんない」

小さく首を振って、嘆息。
一瞬だけ眼を伏せた後、正面に立つ葵を貫いていたのは、冷厳とすらいえる瞳。

「お前、それは外側の言葉だよ、葵」

声音は氷の如く。

「勝つとか負けるとか、そういうのは、そんなところには、ない」

逡巡なく、

「殴って、蹴って、投げて絞めて極めて殴られて蹴られて投げられて絞められて極められて。
 そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?
 テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
 ……違うだろ、葵。そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。」

小さな火種が、燎原に燃え広がるように。

「そんなこともわかんなくなっちまったんなら、そんな簡単なことも忘れちまったんなら、
 葵、あたしがお前に言ってやれることは一つだけだ。たった一つだけだ、松原葵」

来栖川綾香が拳を握り、告げる。

「―――弱くすら在れないまま、死ね」

282十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:45 ID:4gSArroY0


【時間:2日目 AM11:14】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→895 943 ルートD-5

283tactics:2008/02/10(日) 22:23:25 ID:ASdHemW20
「っ、はぁ、はぁ……っ! まったく、やってくれるわね」
 那須宗一と古河渚の追撃からどうにか抜けることができた天沢郁未であったが、失ったものは大きかった。

 まず第一に、味方の損失。
 信頼もクソもない関係だったが、味方には変わりない。戦闘能力も申し分なかった。それを失ってしまったのはかなり厳しい。

 そして第二に、古河渚が牙を剥いたこと。
 ただの足手まといは共に行動する人間のポテンシャルを大きく下げる。付け入る隙だってあった。
 それが今、死をも厭わず立ち向かうだけの闘志を剥き出しにしている。今度戦う時は真っ向勝負ではまず勝てないだろう。

「とにかく、今はあいつらから出来るだけ離れるようにしないと……」
 郁未が目指すのは限界まで血を流して戦うことではない。最終的に勝って生き残ることだ。綾香とは違う。今は逃げてでも戦力を整えるべきだ。
 できるなら、味方も欲しい。
「……難しいでしょうけどね」

 とかく知り合いもいなければ敵に回してしまった連中も多いのだ。一応少年という知り合いはいるがとてもじゃないが信用はできない。そもそも本名さえ知らないのに。
 はぁ、とため息をつきながら郁未は道をとぼとぼと歩く。どこかで休憩したいが道のど真ん中で寝転がるわけにはいかない。どこかに家でもあればいいのだが……

 そう考えながら顔を動かしてどこかに施設はないかと見回していると、木々に隠れるようにして石畳の道が置かれていた。ところどころ泥を被っていて磨り減った部分もあるそれは、遥かな年月を経ているかのように思える。
 少し中に入ってみれば、雨か何かで薄汚れた鳥居がそれでも森の中で赤の異彩を放ちながら訪問する者を待ち構えている。その奥には石の階段が天にまで届かんというように続いていた。

「神社か」

284tactics:2008/02/10(日) 22:23:50 ID:ASdHemW20
 色合いからして古臭いものだろうが一休みするには丁度いいかもしれない。郁未はそのまま進み、鳥居をくぐると木々に囲まれている神社への石段をひとつずつ上っていった。
 手すりがついていないうえ急な石段であったから郁未がそれを上りきるころには怪我をしている左腕と左足、腹部がズキズキと休ませてくれと我が侭を言ってきていた。半分行ってみようとしたことを後悔しつつ、郁未は本殿の全景を仁王立ちしながら見据える。
 菅原神社。なりは小さく、申し訳程度に置かれている小さな賽銭箱と取れてしまったのか鈴のついていない綱だけが寂しげに置かれていた。
 郁未は縁側に荷物を下ろして腰掛けると、まずは弾薬の再装填を行い、その傍らノートパソコンを起動させる。
 あれからどれだけ人が死んでいるのか。最悪郁未が殺した佳乃(と殺された綾香)だけという可能性もあったが、銃声などは頻繁に耳に届くのでそれだけはない、と思いたかった。
 慣れた手つきでタッチパッドを操作してロワちゃんねるを開く。

「やっぱりね」

 死者の情報に関するスレッドが更新されているのを見て、少し安堵する郁未。だがスレッドを覗くと、その内容は郁未の想像を遥かに超えるものであった。

「嘘でしょ、29人……!?」

 前回の放送の半分どころかそれを遥かに上回る人数。しかも、まだ昼を回った時刻でこの人数だというのだ。自然と心臓がありえないくらいのビートを叩き出し、喉がヒリつくような渇きを覚える。さらに信じがたいことに――その中には、あの『少年』も名を連ねていた。
 郁未の知る限り、あの『少年』の実力は半端ではない。不可視の力について相当な見識を持っており、力を使いこなしている。
 制限がかかっていようとも、単純な実力では郁未を遥かに上回っているはずだった。いやそれどころか全参加者中でもトップクラスの実力であるはず。
 それを超えるだけの怪物が存在するというのか?

(……落ち着け、落ち着くのよ郁未)

 思考の迷路に陥りかけている自分を無理矢理クールダウンさせ、ここから推測できる現在の状況を考える。パニックに陥って虚をつかれ殺されるわけにはいかない。何が何でも生き残らねばならないのだ。

285tactics:2008/02/10(日) 22:24:13 ID:ASdHemW20
 まず、このゲームに乗っている人間は少ないか?
 答えはNO、だ。不可視の力に制限がかかっている以上他の人間にかかっていないことはありえない。単独で殺戮を行うのは不可能に近いだろう。
 つまり、島のいたるところで小競り合いが生じ、結果死亡者が増えてこの人数になったのだろう。思っている以上にゲームに乗った人物は多い。

 次に、このまま単独で勝ち残ることは可能か?
 これもNO、だろう。ここまで生き残っている連中は大なり小なり修羅場を潜り抜けているはず。武装も殺害した人物から奪い取るなどして強化しているに違いない。もう小手先の戦法は通用しないだろう。

 最後に、どうやって味方を増やす?
 最後の知り合いである少年が死亡してしまった以上もう自分に知り合いはいない。つまりノーリスクで手を組めるような連中はいないのだ。
 それに、自分が乗った人物として情報が流布している可能性も高い。むしろ味方を作ろうとするのは危険が伴う。
 戦うにしろ味方を作るにしろ、結局は袋小路に突き当たってしまうのだ。頭をガリガリと掻きながら郁未は頭を捻っていい戦術はないかと思考を巡らせる。
 おびただしい死者の名前を見ながら数分思考錯誤した後、一つの案が浮かぶ。

「……なら逆に、逃げて隠れる、というのはどうかしら」

 別に何人殺さなければ首が飛ぶというわけでもない。最終的に最後の一人を殺せばゲームは終わる。どんなに参加者連中が手を組んでいようといつかは殺しあわねばならない。それで熾烈な争いに勝ったとしよう。だがその時は身も心もボロボロで満身創痍なのではないだろうか? どんなに強力な武器を持ち合わせていたとしても、それを扱えるだけの体力が残っていなければ?
 そこに止めを刺すなど、容易い。

 消極的ではあるが、中々有効な戦法ではあるかもしれない。郁未らしくもないが、生き残るためだ。

「なら、行動は急いだ方がいいわね」

 ノートパソコンの電源を切って仕舞うと、今度は地図を取り出して現在位置を確認する。

「確か平瀬村にいたはずだから……」

286tactics:2008/02/10(日) 22:24:34 ID:ASdHemW20
 指で道筋を辿りながら、やがてある一点に突き当たる。菅原神社。今郁未がいるのはここだ。
 ここから隠れるに適した場所は……
「ホテル跡、なんていいかも」
 指先を少し乾いた、しかし艶かしい色合いの唇にちょんと口付けし、その場所を指す。
 ホテルなら最低でも4階、5階まではあるだろうし、部屋の数も豊富だ。やや目立つ場所ではあるが身を隠すにはもってこいだ。あわよくばノートパソコンの充電を行いながら休憩もできるかもしれない。

「決めた。善は急げ、ね」
 地図を折り畳むと郁未はそれを手早く仕舞い、肩にデイパックを抱えて縁側から飛び降りる。裏手を回っていけば少々険しい道のりかもしれないが早くホテルまでたどり着ける。
 長い髪をひらめかせながら足早に郁未は神社の裏から森の奥へと消えていった。その先に待ち受けるものを未だ知らぬままに。

287tactics:2008/02/10(日) 22:25:01 ID:ASdHemW20
【時間:2日目14時00分頃】
【場所:E-2、菅原神社】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

→B-10

288もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:45:44 ID:zrjuhbqc0
「目が覚めたみたいだね」
「ん……けい、すけ?」

まだ朦朧としたままである意識、薄く目を開けた神尾晴子の視野に一人の男の背中が映る。
橘敬介はパンとコップが乗せられているお盆を持ち、今晴子が眠っていた寝室と思われる部屋に入ってきたところだった。
もそもそと上半身を起こしながら欠伸混じりに伸びをする晴子の傍、備え付けられた椅子に敬介はお盆を持ったまま腰を落ち着けた。

「気分はどうだい」
「別に、何ともあらへんよ……ふわぁ。寝すぎたみたいやな、肩凝ってしんどいわ」
「夜中に様子を見に来たけど、起きる気配はなかったみたいだし。
 晴子も気を張り詰めすぎていたんだよ、こんな状況なら仕方ないかもしれないけどね」

こんな、状況。
そこで晴子は、はたとなる。
自分が置かれている立場のこと、娘を探し回って島の中を駆けずり回っていたこと。
今晴子が横になっていたのは柔らかいベッドだ、かけられた毛布と布団に見覚えなどあるはずない。
そもそも、ここはどこなのか。晴子は全く分からなかった。

「……晴子?」

怪訝な表情で伏せられた晴子を覗き込んでくる敬介には、彼女に対する警戒心が見当たらない。
晴子からすれば、それも疑問に値した。

「何で」
「うん?」
「うち、あんたに銃を向けたんやで。何であんたは、そんな風にしてられるん?」

289もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:15 ID:zrjuhbqc0
きょとんと真顔になる敬介の顔面に毒気が抜けられたかは分からないが、今の晴子には二人が出会った頃の攻撃性はなかった。
一晩ぐっすり寝て、精神的にも落ち着いたことも原因かもしれない。
それでも現状の把握が間に合っていないのか、晴子は額に手をあてながら必死に頭の整理を行った。
そんな晴子を無言で見守る敬介は、何はともあれ荒れていた彼女の面影が拭われていることに内心安堵の溜息を漏らしていた。
ここでまた晴子が暴れだした時、きちんと彼女の気性を抑えることが出来る自信というものが、敬介にはなかった。
昨晩も結局敬介自身の手では何も成すことが出来ず、晴子にしても通りがかりの見知らぬ男性に止めてもらったようなものである。
敬介の中にあったはずの尊厳、自信など自己を表す強固なものは、今彼の中には存在しないに等しかった。
少しやつれた敬介の頬に怪訝そうな視線を送る晴子、それから逃げるよう敬介はお盆を彼女に手渡し寝室を後にしようとする。

「……何か口にした方がいいと思ってね。食べたら、下に来てくれるかな」
「恩を被る気はないで」
「大丈夫、それは君の支給品である食料だ。水もこの家に通っていた物を使っている。
 毒が入ってると思うなら食べなくてもいいけど、それ以上の気遣いの必要はないよ」

晴子の返事を待つことなく、敬介は部屋から出て行った。
残された晴子は暫くの間彼が出て行ったドアを眺め、そして。
徐に、パンと水に口をつけたのだった。





「あの、おはようございます!」

不必要とも思える明るい声、晴子がダイニングと思える部屋の扉を開けた途端それが響く。
椅子に座っている赤のセーラー服に身をつつんだ少女は、ノートパソコンと思われるものを弄っていた。
その隣には画面を覗きこむように、敬介も席についている。
少女、雛山理緒と晴子はまともな会話をしたことはなかった。
だからだろう、晴子も彼女が何なのかすぐには思い出せなかった。

290もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:33 ID:zrjuhbqc0
昨晩のことを思い出そうする晴子は、静かに目を閉じその光景を瞼の裏に描こうとする。
そして敬介との一悶着の原因にもなった少女と、目の前の彼女が同一人物であると認識したと同時に晴子は敬介に吼えてかかった。

「……うちの話、全然聞いてなかったんやな!」
「晴子?」
「あんた、いつまでその子囲ってるん?! きしょいわ、ええ加減にしい!」
「晴子、君はまだそんなことを言ってるのか」
「じゃかあしいわ!」

叫ぶ晴子にどうしたら良いのか分からないのだろう、理緒はオドオドと晴子と敬介に挟まれた形で視線を揺らしていた。
一つ大きな溜息を吐いた所で敬介は立ち上がり、理緒を背に隠すよういまだ部屋の入り口にて仁王立っている晴子と対峙する。

「何呑気にしてるんや、そんな余裕こいてる暇あるならさっさと観鈴のために何かしい!」
「……観鈴のために、何をするんだい?」
「当たり前のこと聞くんやないボケが、それくらい自分で考え!」

敬介の淡白な応答に、晴子が沸点に到達するのは容易かった。
視線で人を殺せるくらいの強さを持った晴子の瞳、しかし敬介がそれに怯むことはない。
ここで嗜めるように、上から目線で話してくるのが敬介の気質だった。
晴子はそれを真っ向から叩こうと、敬介が次に継ぐ言葉を待ち続ける。
しかし敬介はまた溜息をつき、そのテンションの低さを晴子にまざまざと見せ付けた。

「……あんた、人を馬鹿にしとるんか! 最悪やな、そんな男とまでは思ってなかったで!」

吐かれる暴言に対しても、敬介は大きなアクションを取ろうとしない。
あまりにも張り合いが無さ過ぎる敬介に対し晴子も疑わしく思えてきたのだろう、晴子は一端口を閉じ敬介の出方を窺った。
怪訝な晴子の表情、それに気づいた敬介はそっと右手を挙上げある場所を指差す。

「晴子、悪いけど今の時間を確認してもらっていいかな」

291もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:57 ID:zrjuhbqc0
何やねん、と晴子が不満を口に出そうとした時だった。
敬介の指差す場所には、少し埃が積もっているものの今もまだ稼働している壁掛けタイプの時計が飾ってある。
何気ないインテリアに、晴子も今その存在に気がついたのだろう。
時計には愛らしい装飾が施してあり、それこそ観鈴などの女の子が好きそうなキャラクターがあしらってあった。
しかし今、見るべき所はそのような外観ではない。あくまで、機能としての時計の役割が重要だった。

「……十時? 十時って、何や」
「今の時間だよ」
「は? だって、十時て……嘘やん、そんな……」

間抜けにも思える晴子の独り言に、敬介は的確な言葉を続ける。

「二回目の放送があったんだ、君が眠っているうちに終わったよ」
「んな、何……」
「話したいことがある。悪いけど、大人しくしていて欲しい」

混乱がとけないのだろう、上手く言葉が紡げずにいる晴子の二の腕を掴み、敬介はそっと椅子の方へと誘導した。
ふらふらと流されるままに敬介についていく晴子、理緒は不安気にその姿をそっと目で追う。
すとん、と理緒の正面に座った晴子の目は空ろだった。

「君には……伏せておいた方がいいかもしれないと、最初は考えていたんだ。
 だけど、そんなの傷つくことを後回しにするだけのようにも思えてね」

そんな状態の晴子に何て残酷なことを告げなければいけないのだろうと、理緒は一人涙ぐむ。
伏せた視線には自分の握りこぶししか映らない、耳を塞ぎたい気持ちもあったが理緒はそれをぐっと我慢した。
敬介だって、同じはずだからである。
むしろ告げる役は彼なのであるから、痛みは彼の方が増すに違いない。

「……敬介?」

292もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:29 ID:zrjuhbqc0
訝しげな晴子の声に続けられることになる敬介の宣告、瞬間喉が空気を掠める音を理緒の耳が捕らえた。

「観鈴が死んだよ」

それは、敬介の言葉が吐かれるとほぼ同時に鳴ったものだった。





初めまして、神尾観鈴といいます。
私は無事です、友達もたくさんできました。
今、藤林杏さんのパソコンを借りて書き込みをさせていただいてます。
えっと、上で書いてある橘敬介というのは私の父です。
お父さん、もしこれを見てくれているなら、もう人を傷つけて欲しくはないです。
また、父に会う人がいらっしゃるようでしたら、この書き込みのことを伝えてください。
お母さんの神尾晴子という人に会った人も、伝えてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。

書き込み時刻は午後十一時過ぎ、折りしも晴子が敬介等と言い争いをしていた頃のものだった。
画面に存在するウインドウは正方形で、そのタイトルには「ロワちゃんねる」という文字が添えられている。
理緒の前にあったノートパソコン、その画面を晴子の方に向けながら少女はこわばった表情で口を開く。

「ここにある、藤林杏さんという方のお名前も……呼ばれました」

何で呼ばれたか。この流れでは一つしかない、放送だ。
いまだ現実が認識できていない晴子に向かって、畳み掛けるように色々な情報が襲い掛かる。
晴子は呆けたままの頭を抑えながら、ノートパソコンの画面を見つめた。
読むという行為までは発展しないそれ、しかし「神尾観鈴」という愛する娘の呼称だけは晴子もすんなりと理解できたのだろう。
晴子は食い入るように、それに見入っていた。
時折瞳が乾いてしまうせいか瞬きをする、その仕草さえも機械的と言えるような動作で後は何のアクションも起こさなかった。

293もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:49 ID:zrjuhbqc0
「僕達には観鈴に何があったのかは分からない。分からないんだ」

零された敬介のそれに、晴子の瞳が揺れる。
敬介の声には、何の表情も含まれていなかった。

「あの子がもうここにはいない……それだけ、なんだよ」

晴子の視線が動く、そこには無表情の男が棒立ちしているだけだった。
無念だとか、悔しさだとか、そのような類の色すらも含まれているようには全く見えない敬介の姿が、晴子の感情を掻き毟る。

「……そんな訳、あるかい」

晴子には、それくらいしか口にできることがなかった。
信じられない、信じたくない事柄に対し晴子が唯一できる抵抗というものがそれだった。

「あの子が死んだなんて、嘘に決まっとるやん。なぁ、うちが放送聞いてへんから騙そうとしとるんやろ? なあ?」

早口で捲くし立てる晴子、敬介と理緒を交互に見やり晴子は必死に同意を求める。
俯き視線を逸らす理緒に対し、敬介はやはり表情を崩すことなく晴子のそれを見返していた。
……本来ならば、敬介も動揺し感情を外に喚き出したい衝動に駆られたかっただろう。
しかし敬介は疲れていた。疲れきっていた。
昨晩受けたショックに続く愛娘の死は、敬介の存在意義とも呼べる渇望を根こそぎ奪い取ったようなものである。
意固地な晴子の姿勢、敬介はそれが羨ましいくらいだった。
観鈴のためにそれくらい取り乱せる晴子のこと、見苦しいかもしれないが観鈴のことを思っての上での醜態に無表情だった敬介の目元が歪む。
一歩足を踏み出し晴子との距離を詰め寄ろうとする敬介、それだけで彼女はビクリと大きく肩を揺らした。
後退する晴子が目の前の敬介かそれともせまってくる現実か、そのどちらに身を震わせているのかは敬介自身にも分からない。
逃げ腰になる晴子の腕を掴むと今一度パソコンの前へと引っ張り戻す敬介は、今はそれが最優先だと判断した上で容赦なく彼女に現実を突きつけようとする。

294もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:48:26 ID:zrjuhbqc0
「晴子、この書き込みをよく見てくれ」
「嫌や!」
「見ろ、見るんだ晴子。観鈴は争いなんか望んじゃいない、せめてその気持ちを酌んであげなくちゃいけないんじゃないのか」

暴れる晴子の背面に周りその両肩を掴み、敬介はぐずる幼子をあやすように言葉を刷り込ませようとする。
だが聞く耳を持とうとしない晴子は裏拳を敬介の頬に叩き込み、すぐさまその拘束を掃った。

「晴子……」
「うちは認めん、絶対に認めん!」
「落ち着いてくれ、晴子」
「認めたらそれまでやろ?! 観鈴は死んでなんか……」

頬を張る音、空気を振るわせるそれが鳴り響き晴子の言葉は止められる。
自分がはたかれたという認識が遅れているのか、晴子は視線を彷徨わせながら強制的に動かされた視野をゆっくりと元に戻した。
晴子の目の前、今の晴子と同じように頬を腫らした敬介の眉間には、深い皺が寄っている。
晴子は、呆然とそれを見つめた。

「……それは観鈴のためじゃないだろ、君のためだ。
 君のエゴであの子の心を傷つけるんじゃない。僕はあの子の父親だ、あの子の心を守る義務が僕にはある」

相変わらずの弱々しい佇まいだったがその声だけは凛としていて、結果周囲にいた者の注目を浴びることになる。
せめてもの誓いだと宣言する敬介の言葉には、思いの深さが満ちていた。
不甲斐ない自分に恥じ気落ちする彼が生きる意味という言葉を捜した結果が、それだったのかもしれない。
自分には何も出来なかったということ、失った自信を取り戻すためにと気力で持ち直そうとする程彼は若くない。
目の前にある義務を最優先にした敬介は、同時に一児の父としての自分を優先させたことになる。

「……アホらし」

嘆息混じりに晴子が呟く。
晴子は噛み殺してきそうな勢いを持った瞳を潜め、そうして肩の力を抜いた。

295もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:49:11 ID:zrjuhbqc0
「うちのバッグはどこや」
「うん?」
「せやから、うちのバッグはどこや。あんた等が管理してるんとちゃうの?」
「あ、それでしたら隅にまとめて……」

成り行きを見守っていた理緒が口を挟む、そんな彼女を一瞥した後晴子は狭いダイニングを見渡した。
合わせて三個のデイバッグがまとめられる様を発見し、徐に近づいていく晴子を止める者はいない。
そこから一つバッグを担ぎ上げると、晴子は戸口の方へと向かった。

「僕達と一緒にいるつもりはないのか?」
「空気読まんかい、今は一人にさせて欲しいんや」
「……そうか」

それ以上二人の応答は続かず、部屋を出て行く晴子の背中を理緒と敬介は無言で見送った。





時間にすれば、それから数十分程経った頃だろうか。

「引き止めた方が、良かったんだろうね」
「橘さん……」
「でも僕は、晴子の足を止められる言葉を持ってはいないんだ」

先程晴子が座っていた席についた敬介が、向かい合う理緒に愚痴を漏らす。
理緒は何も言えなかった。
晴子と敬介、二人の間に理緒が入り込む余地がなかったというのもあるが、その隙間を埋めようとも理緒はしなかったからである。
敬介と理緒は、言わば似たもの同士であった。

296もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:50:00 ID:zrjuhbqc0
(藤田くん……)

二人が失ったものの存在感は、あまりにも大きかった。
俯く二人はそうやって、限りある時間を食い潰していく。
ダイニングの戸口には一枚の紙切れが落ちていたのだが、二人がそれに気づく気配はまだない。
それは晴子が中身を確認せず持っていったデイバッグから落ちたものだった。

『アヒル隊長型時限装置式プラスティック爆弾 取り扱い説明書』

紙切れは本ロワイアルが開始されてから、いまだ誰も目を通していないアヒル隊長の説明書だった。

(藤田くん……私、これからどうすればいいかな……)
(僕は一体、これからどうすればいいのか……天野美汐、彼女の意図は分からないけどあの変な書き込みで、うかうかと名乗ることもできなくなったし……)

故意にウインドウのサイズを正方形にしていたことは、晴子に美汐が行ったと思われる書き込みを見せないためだった。
敬介の弁明でそれが誤解であることは、理緒も既に承知していることだった。しかし晴子はどうか。
観鈴の死というだけで情緒に問題が出るであろう彼女に、出任せであるその事柄を伝える必要はないだろう。それが二人の出した結論だった。

またそれ以外にも、椎名繭に支給されたノートパソコンにより得られた情報が二人にはまだある。
しかしそれが次の行動に移らない時点で、そんな物は豚に真珠が与えられたようなものだ。
刻々と過ぎていく時間、積もるは意味のない溜息ばかり。
二人が無駄にした時間に後悔するのは、まだ少し先のことだった。




神尾晴子
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2】
【所持品:鋏、アヒル隊長(2時間後に爆発)、支給品一式(食料少々消費)】
【状態:放送を聞いていないのでご褒美システムは知らない】

雛山理緒
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:ノートパソコン】
【状態:自失気味(アヒル隊長の爆弾については知らない)】

橘敬介
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:無し】
【状況:自失気味(自分の支給品一式(花火セットはこの中)は美汐のところへ放置)、美汐を警戒】

支給品一式(食料少々消費)トンカチ・支給品一式×2(食料少々消費)は部屋の隅に放置

(関連・429)(B−4ルート)


他ロワに疎いので、某所は見ているだけで精一杯です……

297十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:46:47 ID:8oOggqkE0
 
ちりちりと、音がする。
頭の中に響く音。
微細で、鋭利で、不快な音。

ちりちり。
それはきっと、私の記憶の中にある音だ。
耳を澄ましていると、次第にちりちりという音が大きくなってくる。
脳の表面の柔らかい皮を針先で擦られるような痛痒に、眉を顰める。
ちりちり。
私という劇場の、記憶という暗いスクリーンに浮かび上がってくる映像。
ちりちりという音は、映写機の回る音か、それともスピーカーから漏れ出るノイズか。
がりがりと乱暴に頭を掻きながら目を凝らせば、ぼんやりとしていた映像のピントが徐々に合ってくる。

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
スクリーンいっぱいに映し出されていたのは、白と黒の細かい縞模様が乱雑に、ランダムに交じり合う奇妙な絵。
ああ、と思う。これは、砂嵐だ。
砂嵐。テレビを、電波を受信しないチャンネルに回したときに流れるノイズ。
してみると、ちりちりという音もこの映像から流れているBGMか。
と、スクリーンの中の砂嵐に変化が生じる。
まず現れたのは、砂嵐を囲むようなかたちの枠。
銀幕という枠の中に、更に一回り小さな枠ができた。
いや、これは……テレビか。
なるほど、徐々にカメラが引いているのだ。
最初に映っていたのはテレビ画面の砂嵐。そしてテレビの枠。
カメラはなおも引いていく。次第にテレビが小さくなる。
いまやスクリーンには不可解なノイズではなく、一つの意味のある像が結ばれていた。

それは、暗い部屋だった。
小さなテレビと、生活感に溢れた幾つかの小物。
消灯された部屋の中、砂嵐だけを映すテレビの光が、その手前に座る小さな影を照らしていた。
背中を丸め、膝を抱えた、小さな女の子。
少年のように短く切り揃えられた髪。膝小僧には絆創膏。
ぼんやりと砂嵐を見つめる、瞳。

ああ、ああ。
これは、私だ。
十年以上も前の、松原葵だ。
これは確かに私の記憶。
忘れ得ぬ、私が私自身の歩く道を定めた日の、遠い記憶だ。


***

298十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:13 ID:8oOggqkE0
 
それは子供の頃に見た、特撮番組だった。
遠い宇宙の彼方からやって来た正義の巨人が、悪の怪獣と戦うお話。
誰もが知っている、陳腐で普遍的な物語。
男の子と間違えられるような毎日を送っていた幼い頃の私も、毎週欠かさず見ていた。
その日も、正義の巨人は苦戦の末に勝利を収める、筈だった。
ブラウン管の中で、巨人が倒れていた。

私はじっと、動けずにいた。
もう違う番組の映っているテレビ画面を凝視しながら、私は膝を抱えたままでいた。
母親に叱られても、夕飯の時間になっても、そうしていた。
怒鳴り、宥め、すかし、やがて両親が匙を投げて眠りについても、私は灰色の砂嵐だけを
映すようになった画面を見つめていた。
巨人が負けたのが悲しかったのではない。
怪獣が勝ったのが悔しかったのではない。
私はただ、許せなかったのだ。
咎人に堕した巨人と、それを責めない世界のすべてが。

―――巨人は罪を犯している。
言葉にすれば明快な、それが幼い私の認識だった。
正義の巨人は、その正義の名の下に罪を犯している。
怪獣を倒すために街を破壊し、それを悪びれもせずにどこかへ帰っていく。
街は人の住む場所だ。そこには家があり、店があり、人の過ごす空間がある。
それはつまり街自体が記憶の結晶であり、そこに暮らす人間の生きてきた時間そのものということだ。
巨人はそれを、踏み躙る。大切な思い出を、かけがえのない居場所を、躊躇も容赦もなく破壊する。
怪獣を倒すという、そのために。

それでも人が巨人を石もて追わないのは、彼が正義だからだという、ただその一点に尽きるのだと、
私は考えていた。
そう、巨人は正義だった。いかに街を蹂躙しようと、それ以上の被害をもたらす怪獣を倒す巨人は、
紛れもない正義の味方だった。
正義の名の下に、巨人は庇護され許容され赦免される。
幼い私にもそれは理解できたし、容認もしていた。
確かにそれは正義だと、悪を倒す剣であり続ける以上、その罪は赦されるべきだと、
言葉にすればそんな風に、幼い私も考えていた。
その日、巨人が敗れるまでは。

299十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:56 ID:8oOggqkE0
凶悪な怪獣の猛攻の前に追い詰められ、ついには倒れ伏した巨人の姿を見たとき、私は思ったのだ。
ああ、これが巨人の最期か、と。
その時はまだ、巨人は生きていた。
力尽き、この星で過ごす仮の姿となって横たわる彼の元に仲間が駆け寄っていた。
しかしそれでも、巨人はもう終わりなのだという確信めいたものが、私の中にはあった。

悪を倒せぬ剣に、価値はない。
これまで巨人が赦されてきたのは、その存在価値が罪を上回るからに他ならない。
ならば、と私は半ば期待に胸を膨らませながら思ったものだ。
これから始まるのは、巨人の罪を指弾する弾劾であり、業を糾弾する徹底的な攻撃であり、
咎に報いを与える断罪であるはずだ。
それは胸のすくような因果応報の光景であり、私の認識に一本の筋を通す制裁となる筈だった。

―――物語世界は、それをしなかった。
情と理の双方によって巨人を裁くべき物語の住人たちは断罪も、弾劾も攻撃も制裁も行わず、
逆に一致団結して怪獣に立ち向かっていった。
最後には人間の英知によって怪獣が倒され、平和が戻り。
そして私は、目の前にある物語世界の平穏を、許せなかった。

怪獣が倒れても、街は元には戻らない。
同じような家が建ち、同じようなビルが建ち、同じような街並みが出来上がったとしても、
それは、違う。
決して同じ街などでは、あり得ない。
そこにあるのは、同じような形をした、違う街だ。
そこに住んでいた人間が、そこを訪れた人間が残した記憶や思いが、その街には存在しない。
だからそれは真新しい、墓標の群れだ。

喪われた街は弾劾を希求する。
霞みゆく記憶は報復を切望する。

磔刑に処されるべきは―――悪以下の存在と堕した巨人。
そうでなければ、ならなかった。
世界は、それを選ばなかった。

ならば、と幼い私は思う。
ならば街角の風景に宿っていた思い出は、何処へ行く。
錆びた看板の落とす影に刻まれた記憶は、何処へ行く。
光の巨人が、正義の旗の下に犯した罪は、何処へ行く。

悪を倒すために悪を為すことを許された存在が敗れたのならば。
それは、裁かれねば、ならなかったのだ。




 ―――故に、私は断罪する。悪に屈した正義を。




******

300十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:48:32 ID:8oOggqkE0
 
「私、負けたんですよ」

風を裂く音に、視認よりも早くガードを上げながら、葵が呟く。

「そう」

距離を測るためのジャブをアウトサイドへいなされながら、綾香が短く応える。

「あたしもKO食らったよ、さっき」

左半身から打ち出すはずだった右の拳を止め、同時に脇を締めながら綾香が跳ね上げるのは、右の腿。
ミドルの軌道を描く蹴り足に、左のガードを下げる葵。

「なら、どうして」

固めた前腕に受け止められるかと見えるや、その蹴り足が一段ホップする。
ガードを越え、変化する軌道は右ハイ。
葵の側頭部よりも上、目線の高さを頂点として弧を描く。

「どうして生きてるんですか」

膝先から変化する打ち下ろしの蹴りに、葵は半歩を踏み出しつつのダッキング。
ご、と硬い感触があるが、打点をずらされた蹴りに然程の威力はない。
綾香の右脚を抱えるような姿勢のまま、至近のボディへ一撃。

「どうして、生きてられるんですか」

体重を乗せての右肘が空を切る。
綾香の軸足が宙を舞っていた。
葵に預けた格好の右脚に重心を移しながらの、強引な回転。
右の肘打ちと回転軸を合わせられた葵がたたらを踏んだところへ、綾香の突き放すような前蹴り。

「ぶちのめすためさ」

距離を取った綾香が、爛々と目を輝かせながら言い放つ。
両のガードを上げながら踏み込んでくる、それはストライカーたる葵の間合い。

「ぶちのめすためだよ、葵」

葵の放つ、迎撃の左正拳はフェイク。
僅かなウィービングで回避されたそれを囮に狙う、真のカウンターは跳ね上げた右の膝。
回避の間に合わぬ打撃が綾香に突き刺さり、しかし。

「あいつはトドメを刺さなかった」

肉に食い込む感触が、軽すぎた。
ハッとして目線を上げたそこに、笑み。

「それは、あたしをナメてるってことだ!」

来る、と思ったときには遅かった。
葵の鼻面に、綾香の額が深々と食い込んでいた。

「あたしが自分を殺しに戻るなんて、思ってやしないってことだ」

痛みよりも先に、熱さが来る。
ぷ、と鼻の血管が破れるのを感じた。
鼻骨までは達しない打撃、しかし視神経の麻痺する一瞬は、あまりにも長い。
無意識に近いレベルで上げたガードの、その真下。

「なら、あたしはどうしたって戻らなきゃならない」

右の脇腹に叩き込まれる一撃。
肋骨の下から抉り込むような、教科書通りのレバーブロー。
息が、抜ける。

「そこで尻尾を巻いたらあたしの負けだ。その時にこそ、あたしは死ぬ」

崩れ落ちようとする膝を無理に支えたのがいけなかった。
空いた左胴に、今度は振り回すような脾臓打ち。
直接胃に響く衝撃に、葵の食道が上向きに蠕動する。

「人はそこで本当に死ぬんだよ、葵」

今度こそ崩れようとする葵を、髪を掴んで止めながら、綾香が空いた右の拳を振るう。
正確に鳩尾に叩き込まれた打撃に、葵の胃液が逆流した。

「だから戻る。戻ってあいつをぶちのめす」

けく、と小さな音と共に、苦い刺激が葵の舌を覆う。
それが口元から垂れ落ちようとする刹那、髪を掴んでいた手が離された。
重力のまま自由落下を始める葵の身体が、直後、まるで拳銃にでも撃たれたかのように跳ねていた。

「それが答えだ、葵。あたしの、来栖川綾香の答えだ」

松原葵の顔面を、来栖川綾香の正拳が、打ち抜いていた。


******

301十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:20 ID:8oOggqkE0

黒に染まった視界の中、灯る一点の朱がある。
それは街の灯り。焼け崩れる街を包む炎の朱。

ちりちりと、音がする。
瓦礫の中から、飛び交う火の粉から、逃げ惑う人々から、ちりちりと音がする。

視界を覆う黒は、巨大な影。
炎を吐き散らし、街を蹂躙する異形の怪物。
それは子供の頃、夢に見た怪獣だった。ちりちり。

「―――痛そうだなあ、葵」

紅い眼を輝かせた怪獣が、にやにやと笑いながら言う。
大きなお世話だと言い返そうとして、声が出ないことに気付く。
そう、私は一敗地に塗れ、倒れ伏しているのだ。声など出よう筈もなかった。
厭らしく笑う怪獣の視線が、私を見下ろしていた。
ちりちり。ちりちり。

断罪の時間なのだと思った。
醜い姿を晒す負け犬が、その価値に相応しい死を迎える瞬間がやってきたのだと。
悪に挑んで、何も為せずに死んでいく。
愚かな私。愚かな巨人。
にやにやと、怪獣の笑みが広がる。
ちりちり。ちりちり。ちりちり。

これでいい。
この瞬間を、待ち望んでいた。
世界はこの極刑をもって、正しいかたちを取り戻す。
首を刎ねろ。手足をもいで肥溜めに放り込め。臍に灯心を立てて火を灯せ。
断罪だ。弾劾だ。世界を救えぬ咎人の、これが末路だ。
ほうら、こんなにも無駄に、何一つ打倒することすらできず。
死んでいけ、私。

302十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:50 ID:8oOggqkE0
「……るなら、……てもいい……よ?」

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
怪獣が、怪獣の言葉が、ちりちりという雑音交じりで聞こえない。
私の耳には届かない。ちりちりと、耳障りなノイズに阻まれて届かない。
だと、いうのに。

「……プするなら、やめてや……だよ?」

鼓動が跳ね上がる。
それは、不思議な感覚だった。
届かないはずの言葉が、私を刺し貫いていた。
あらゆる恥辱を越え、あらゆる汚濁を凌駕して、私の中の、最後に残ったものに、唾を吐きかけていた。

ぎり、と噛み締められた奥歯が鳴る。
どくり、と心臓の送り出す血液が全身に火をつける。
関節という関節、筋肉という筋肉、腱という腱。
私という人間を構成するパーツが、がりがりと音を立ててアイドリングを始める。
そのがりがりという音に押されて、ちりちりという音が、消えていく。

がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。
ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。

松原葵と呼ばれる私が組み上がり、起動すると同時。
霧が晴れるように、怪獣の言葉が鮮明に聞えてくる。

「ギブアップするなら、やめてやってもいいんだよ、葵……?」
「―――ふざけるな」

声は、掠れもせず、喘鳴に淀むこともなく。
ただ一直線に、見下ろす怪獣を断ち割るように。

「……」

そうだ、ふざけるな。冗談じゃない。
痛くて、苦しくて、辛くて、だけどこれは断罪で、

「私はまだ、終わってない」

言葉は、思考よりも加速して。
私に根を張る妄念を、追迫し、駆逐し、放逐し。

「まだ、やれますよ、私は」

そうして、身体の奥底の、私の一番深いところから、本当の心を引きずり出していた。

なあんだ、と笑う。
たった、これだけのこと。
これだけのことだったのだ。

私は、私の心の中の、テレビの前で膝を抱える幼い少女の首根っこを掴むと、そのまま勢いよくブラウン管に叩きつける。
鈍い音がして、砂嵐が消えた。痙攣していた少女も消えた。
手を伸ばし、光の巨人の顔を鷲掴みにすると、力を込めて握り潰す。
ぽん、と炭酸飲料の蓋を開けるような気の抜けた音と共に、巨人もまた四散した。

砂嵐も、光の巨人も、焼け落ちる街も消えた、真っ暗な世界を、丸めて捨てる。
目を開ければ、そこには蒼穹と、吹きそよぐ風。
そうしてそれから、長かった黒髪を短く切り揃え、端正な顔を血と爆炎に汚した、怪獣が立っていた。
大地に身を預けたまま、視線だけを動かして、怪獣を見据える。

「目、覚めたんなら―――立てよ」

来栖川綾香が、松原葵の夢にみた怪獣が、呵う。
爛々と輝く瞳は、きっと私と同じ色。
今ならば、違いなくそれが判る。何となれば、

「ええ。それが私たちの流儀、ですから」

私の身体は、こんなにも―――戦いたがっている。

303十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:50:26 ID:8oOggqkE0

【時間:2日目 AM11:15】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→947 ルートD-5

304希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:32:57 ID:15bKxc7I0
「よし、いいぞ来い」
 芳野祐介が手で合図したのに合わせて、ファミレス制服姿の女の子が三人、木の陰から飛び出してくる。明らかにこの緊迫した状況には相応しくないと思う芳野ではあったが命が懸かっている状況でそんなことを言っている余裕はないし、そもそも着るように指示したのは芳野だ。
 ともかく、なりふり構ってられない。国崎往人も今頃は命を懸けて戦っているに違いない。こちらもやれるだけやらねば。

「もうすぐ学校ですね」
 ぴょこぴょこと髪飾りを揺らしながら神岸あかりが話しかける。女性陣の中では一番慎重で、常に周りの様子に注意しながら動いてくれる。
 恐らく、国崎往人と行動している間にいくらか戦いの場をくぐりぬけてきた結果なのだろう。そういう意味では往人に感謝できなくもない、芳野はそう思っていた。

「それで、芳野さんどうするの?」
「学校でまずひとを探して、それから何か脱出に使えそうなものを探す。そうですよね」

 芳野の代わりに答えるようにして添えられた長森瑞佳の言葉に、「ああ、そうだ」と同意する芳野。瑞佳は言葉の少ない芳野をフォローするように口添えしてくれる。割と口下手な(愛を語ることに関してはその限りではないけれども)芳野にとっては彼女もまた在り難い存在である。
 柚木詩子は……まあ、能天気だが暗くなりがちなこのメンバーの清涼剤にはなっているだろう。

「芳野さん?」
「……何でもない」

 ほんの少し、詩子を見ていただけなのに敏感にその気配を察知できる、ということも追加しておこうと芳野は思った。

「ここからは二手に別れよう。俺と神岸で学校の中を、長森と柚木で学校の外を探してくれ」
 さらに森を抜け、鎌石村小中学校の校舎が全景を見せたところで芳野は二人に指示する。四人でちまちま捜索していくよりも、別れて捜索した方が効率がいいと考えたからである。

「はいはいはーい、質問」
「何だ柚木」
「その人選の理由は?」

305希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:21 ID:15bKxc7I0
 気にするようなことか? とも思ったが理由もないではない。芳野は丁寧に返答する。

「まずお前が銃を持っているからだ。室内では発砲したときにどこかで兆弾する可能性があるからな。それに戦力のバランスを取ろうとすると俺はこういう人選にしたほうがいいと思った。異論は」
「……別に、特定の子と一緒にいたいとかそういうわけじゃないんだ」

 そんなことを言っている場合じゃないだろう、と言いたくなった芳野だが年頃の女が考えるのはそんなことなのかもしれない。
 どう言ったものかと思案していると、流石に不謹慎だと思ったのか窘めるようにして瑞佳が詩子の頭をこつんと叩く。

「柚木さん、今は非常時なんだからそんなことを考えてる暇はないと思うよ」
「ま、そうなんだけど……そういうのちょっとくらいあるんじゃないかなって思って」
「……芳野さん、私からも一ついいですか」

 ああ、長森がしっかり者で良かったと芳野がホッとしていると、今度はあかりが手を上げて質問する。

「人を探すほかにも役に立ちそうな物を探すんですよね。例えばどんなものを?」
「ドライバーとかの工具だな。後は車のバッテリーとか、エンジンオイルなんかも欲しいところだ。他には適当に武器になるものや、あるいは防具になりそうなものでもいい」
「要するに車関係の物を集めればいいのね? 任せて、こう見えても私機械いじりは少しだけどやったことがあるんだ」

 詩子がえへんとない胸を反らす。バッテリーの取り外し方などを説明しようと思っていた矢先のことだっただけに意外な言葉だった。

「そうか、なら外は任せたぞ。他に質問とかはないか」
 あかりも瑞佳も、もう訊きたいことは無いようであった。それを確認すると「行動開始だ」と静かに告げて四人は二組に別れる。
 芳野たちは裏口から校舎の中に。
 詩子たちはそのまま学校の周りを迂回するように移動を始めた。

     *     *     *

306希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:51 ID:15bKxc7I0
「ここなの」
 一ノ瀬ことみは一人、鎌石村小中学校内部にある『理科室』のプレートを指差して言った。
 保健室で酔い止めの薬を服用して少しは気分が楽になったことみは聖に理科室まで行って硝酸アンモニウムを取ってくることを申し出た(もちろん筆談で)。
 当然聖は「危険だ」と止めたのだが、保健室は医療品が多く置いてあるので殺し合いに乗っているいないに関わらず多くの人間がやってくる可能性が高く、特に殺し合いに乗った人間にそういったものを渡してはいけないので守りを固めて欲しいこと、そしてもし傷ついた『乗って』いない人のためにも医者として残っていて欲しいことを伝えると、渋々だが了承を得ることができた。

 そして今に至るというわけだ。
「比率から考えると、大体5〜6kgくらいの量が妥当なの。そして私の腕力から考えてもそのくらいの重さは楽勝なの」
 綿密な計算の元はじき出された答えに自分でうっとりしながら理科室に入ろうとした、その時だった。
 廊下の遥か向こう、曲がり角から人影が二つほど現れたのが分かった。
「!」
 危機を感じて隠れようとしたことみだが廊下に物陰はない。理科室に入っても扉の開閉音で逃げたと分かるだろう。学校の校舎が古いことを、ことみは呪った。殺されるのを覚悟で逃げ出そうとしたが、その前にことみの存在に気付いたらしい二人組が声をかけてきた。

「そこに誰かいるのか」
 びくっ、と体を震わせながらもことみは気丈に十徳ナイフを取り出しながら言葉を告げる。
「だ、誰!?」
 相手はことみの怯えた気配に気付いたのか、今度は女性と思われる人物が穏やかな声でことみに言う。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。私たち、殺し合いには乗っていません。人を探してるんです」
 少しずつ相手が歩み寄ってくる。暗い校舎の中で声だけしか分からなかったのが、徐々に顔も分かるようになってきた。

 先程ことみに話しかけた一人は短い髪にリボンで彩り、そして何故かファミレスの制服を着ている、神岸あかり。
 もう一人は背丈の高い、しかしあまり目つきの良くないむすっとした表情の男、芳野祐介。
 あかりはともかくとして、芳野に対してあまりいい印象を持たなかったことみは、警戒を解かずにナイフを向けながら威嚇する。
「……しょ、証拠はあるの?」

 疑いの念を解かないことみにあかりが困ったような目線を芳野に向ける。
「……俺のせいか?」
「芳野さん、『誰かいるのか』なんて思い切り怖い声で言ったじゃないですか」
 心外だ、とでも言わんばかりに芳野は肩をすくめると自分のデイパックとサバイバルナイフをことみの足元へと投げ捨てる。あかりもそれに倣って包丁とデイパックを投げ入れる。それでようやくことみも納得し、十徳ナイフをデイパックに仕舞うとこちらも殺し合いの意思はないというようにデイパックを芳野側に向かって投げた。

307希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:26 ID:15bKxc7I0
「ごめんなさい、いきなり出てきたから怖くって……」
 あたまを下げることみ。ホッとしたあかりはことみのデイパックを拾うとそれをことみまで持っていってやる。
「いいよ、いきなり現れた私たちも悪いんだし。ね、芳野さん」
「だから、そんな恨みを買われるようなことをした覚えはないんだが……俺は愛に生きる男なのに」
 複雑な表情でことみの近くにあった自分達の武器とデイパックを拾い上げる芳野。サバイバルナイフを腰のベルトに差すと、包丁と彼女の分のデイパックをあかりに返す。

「それより、どうしてこんなところに一人でいたの? ええと……」
「あ、はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「あ、神岸あかりです。好きなものは熊さんです。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「……芳野祐介。電気工だ」

 芳野さんノリが悪いですよ、という非難の目線があかりから向けられたような気がした芳野だが、さらりとスルーして話を進める。

「それでどうしてここに?」
「あ、それは……」

 ことみは喋りかけて、口をつぐむ。ここで話してしまえば秘密裏に進めている首輪解除の情報が主催に伝わり、全てが水泡に帰す。とりあえず「人探しをしているの」と言ってデイパックから地図と筆記用具を取り出し、裏側にことみと聖の進めている計画を簡単に書き綴る。
 最初何をしているのかと不思議に思っていた二人だったが、ことみが書いた計画のあらましを知ると、了解したように頷く。

「そうか……俺達に何か手伝えることはあるか」
「うん。私達は灯台の方へ探しに行くんだけど、そっちは学校から西を探して欲しいの」

 言外に、そちらの方面から材料を探してほしいのだと、芳野もあかりも理解する。
「あ、そうだ。ことみちゃん、この人たちを知らない?」
 一応体裁を取り繕うのと、情報を得る意味であかりは名簿にあかり、瑞佳らの探している人物を丸でかこったものを見せる。
 ことみは黙って首を振るとまた紙に何かを書いていく。黙っていると不審に思われると考えた芳野が、ことみの計画の信憑性を確かめる意味も兼ねて質問する。

308希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:51 ID:15bKxc7I0
「一ノ瀬、お前たちの探しているの、本当に見つかるのか? ロクに情報もないんだろう?」
「それはそうだけど、でも、やってみなくちゃ分からないの。一応だけど、アテはあるから」

 タイミングよく書き終えたことみが、書いた内容を見せる。
 まずはこの理科室で硝酸アンモニウムをできるだけ取ってきて欲しいこと、そしてそれを外にある体育倉庫に保管して厳重に戸締りしておくこと、それから軽油やロケット花火を手に入れてきて欲しいことを伝える。
 手に入れた材料を保管しておくのは爆弾の材料を誰かに悪用されたら大変だ、と考えた結果だった。

「取り合えず私と一緒に行動している聖先生にこのことは報告しておくから、先に行ってて欲しいの」
「分かった。一応信用しよう。俺達の探している奴らのことも、よろしく頼む。それと外に残してきてる奴らもいるからな。そっちの連れには会えないがまた目的を達成するときに会おうと言っておいてくれ」

 あいあいさー、と芳野の言葉に敬礼で答えることみ。と、人探しをしているという名目だったのに肝心の探し人の情報を訊いていないことに気付き、慌てて「待って」と呼び止める。
「どうした」
 さらさらと紙に「一応私にも探してる人はいるの。訊きそびれちゃったから」と書いて名簿の『岡崎朋也』『藤林杏』『藤林椋』『古河渚』『霧島佳乃』の名前を丸でかこっていく。

「どうして口頭で言わ……」
 口を開きかけたあかりの口を塞ぐと、芳野が首を振る。岡崎朋也は芳野の知り合いでもあったが居場所を知っているわけでもないし、会話の流れ上下手に喋るのはまずい。むーむーと苦しそうにするあかりをそのままに、芳野の反応を確認したことみが「ううん、やっぱりなんでもないの」と言って会話を終了する。
「それでは、なの」
 ぺこりとお辞儀をすると、ことみは今度こそその場から背中を向けて去っていった。

「むぐー!」
「ああ、悪かった」

309希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:13 ID:15bKxc7I0
 まだ口を押さえていた芳野に、あかりが怒ったようにくぐもった声を出したのでようやくその手を離す。
「っは、芳野さん、何するんですか!」
 ずいっと詰め寄るあかりに、「悪かったって」と冷静にいなしながら芳野は耳元で、小声にその理由を話す。

「会話の流れだ。人探しの件なら俺達に首輪云々の以前に話せば良かった。だがそれを言い出さないまま話を進めてしまったからな。『探して欲しい』と言った後に改めて誰々の居場所を知らないか、と言われたら不自然だろ?」
「……そうなんですか?」

 気にするほどのことでもないのに、と小声で呟くあかりに「用心は重ねておくに越したことはないんだ」と釘を刺してから小声で話を続ける。
「一ノ瀬の挙動で分かるだろう。あれはかなり綿密な計画だ。俺達が知らされたことはあらすじで、恐らくあいつは頭の中でかなり考えたシナリオを練っているはずだ。下手を打って台無しにさせるわけにもいかない」
 確かに、あれだけ流暢に説明できるということはそれなりにシナリオを考えてあるということなのだろう。逆を言えば一つのミスが大きく歯車を狂わせる。
 芳野の慎重な挙動も納得がいく。

「すみません、軽率で」
「いや、この程度ならまだいい方さ」

 芳野は「気にするな」と頭をぽんぽんと叩いて「さて」と話を変える。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ。終わったら長森や柚木達と合流してあいつらにも手伝ってもらおう。先は長いぞ」
 理科室に入っていく芳野の後を追うようにしてあかりも続く。芳野の足取りは、少し早まっているように思えた。それはあかりとて同じだ。
 なぜなら、今まで何も見えなかった脱出へのレールが、ようやくその姿を見せ始めたのだから。

     *     *     *

「これ、こう……ちょちょっと……ほら!」
「わっ、すごい。本当に取れた」
 学校裏にある駐車場の一角で、柚木詩子と長森瑞佳は放置してあった自動車のボンネットを開けて中身を弄繰り回していた。たった今バッテリーを外して地面に下ろしたところである。

310希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:38 ID:15bKxc7I0
「まー私にかかればこんなもんね。でも一体何に使うんだろ?」
 詩子にとってみればバッテリーは充電する以外あまり使用用途が分からないので頭を捻るばかりだ。もっともそれは瑞佳も同じことなのであるが。
「うーん……何かの機械を動かすとか?」
「そんなとこだろうけど……何を?」
「「う〜ん?」」

 二人して悩む。とにかく詳しいことは芳野に聞いてみなければ答えは得られなさそうだ。
「まあいいか。次はエンジンオイル……だけど、さすがにこれは私も無理……で長森さんも無理だよね」
「うん、全然……」
 そもそもここにある車にオイルが入っているのか、という質問はこの際考えないことにする。気持ちを切り替えて次の物資を探しに行こうと立ち上がる二人。

「お嬢さん方、何をなさっているのですか?」

 その背後から、やけに紳士的な声がかけられる。それがあまりにも場違いだった故に、かえって二人の心に不安のようなものが浮かぶ。
 振り返ると、そこにはやけに人懐っこそうな笑顔を浮かべた――岸田洋一の姿があった。
 内心危機感のようなものを感じつつ、詩子は平静を装いながら岸田に、彼女らしくもない態度で臨む。

「い、いえ、ちょっとした……集め物でして」
「ほう? 一体何を?」
「……これです」

 瑞佳が足元にあるバッテリーを指差す。岸田はそれを一瞥すると「そんなものを、何に?」と尋ねてきた。その細い目つきからは芳野以上に思考を読み取れない。だが答えないわけにもいかず、詩子はありのままに事情を話した。
「はあ……なるほど、ひょっとしたら、私同様首輪を外そうとしているのかもしれませんね」
 岸田の言葉に口を揃えて「え!?」と驚く二人。そうだ、そういえば、目の前のこの男は、あるはずの首輪をしていないではないか。

「あなた、どうやって……!」
「おっと、口を謹んで」

311希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:07 ID:15bKxc7I0
 興奮して岸田に詰め寄ろうとする詩子を引きとめ、口元に手を当てる岸田。
「どこかの誰かさんが盗み聞きしているかもしれませんから、そう簡単にタネを話すわけには」
 あ……と、二人が気付く。盗聴されているのだ。この首輪を通して。下手をすればその場でこれが爆発するかもしれない。思わず詩子も瑞佳も首輪に手を当てる。今のところ、異常はない。
 ホッとする二人をそれぞれ見回すと、岸田が言葉を続ける。

「まあ、おおよそは私の用いたのと必要なものが同じですからね……恐らく、残りは武器にでも使うつもりなのでしょう」
 岸田の言葉が本当だとするならば、芳野があまり深くは語らなかったのも納得はいく。なら、本当に首輪は外せるのか?

「あの、一つ訊きたいんですけど」
「何かな?」
 瑞佳が手を上げるのに、岸田は変わらず丁寧な調子で答える。瑞佳はそのまま続ける。
「首輪を外せたのなら……どうして、脱出しないんですか? 先に外に出れば助けを呼ぶなりできると思うんですが」

 それは詩子も疑問に思うところだ。あまり考えたくはないことだが、誰だって自分の命は惜しいはず。最大の脅威が排除されたのならいつまでも危険が存在するこの島に留まる必要はなに一つないのだ。
 岸田は眉間に皺を寄せ、「それがですね」と困ったような表情になって言った。

「色々と見て回ったのですが……ここは絶海の孤島。そして、船はこの島に一つとして残ってはいないのですよ」
「残ってないって……」

 明らかに人が住んでいる気配のあった島なのに、船がないのはおかしい。そう反論しようとする詩子だが、岸田は首を振る。
「恐らく、この殺し合いを管理している人間が全て壊したか、持ち去ったのでしょう。万が一、に備えて」
 詩子は絶句するが、確かにそれはあり得ない話ではない。殺し合いを継続させるためにそれくらいの措置をとっていてもおかしくはなかった。
「ですが、何も奴らだって泳いでここから帰るわけではないでしょう。殺し合いが終わったとき、必ずヘリか船か……連絡を取って呼ぼうとするでしょう。その通信機さえ奪ってしまえば」

 岸田の言葉は憶測の域を出ないが、説得力は十分にあった。管理者側も完全に外部と通信を遮断しているとは考えられない。本拠地には、必ずそういったものがあるはず。
「しかし、それを一人で行うにはあまりにも無謀なのです。だから危険を承知で歩き回って、探しているのです。この殺し合いを管理している奴らを共に倒せる人間を」
 拳を握り締めて、岸田は熱弁を振るう。その言動からは当初感じていた気味の悪さはもう残っていない。この殺し合いに抗おうとする志のある人物のように思える。信じても……良さそうなくらいに。

312希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:40 ID:15bKxc7I0
「柚木さん……」
 詩子を見る瑞佳の目は、半ば岸田を信頼しているようであった。いや詩子もそうであったのだが、どこか一つだけ、ほんの些細なことであるが、忘れてしまっているような気がした。それが喉に、小骨が食い込むように。
 いや、と詩子は思い直す。最初に感じた嫌な雰囲気をそのまま引き摺っているだけだ。これはまたとない脱出のチャンスだ。ここを逃してしまっては、もう次はない。
 うん、と詩子は瑞佳に同調するように頷いた。

「あの……聞かせてください。それを、外す方法」
「おお、では!?」

 喜びの表情を見せる岸田に、二人が再度頷く。岸田は嬉しそうにしながら二人を手招きする。

「では、お二人との共同戦線の証明代わりに……握手を」
 手をすっ、と差し出す岸田に吸い込まれるように近づく二人。

「あの、そういえば名前を……」
「ああ、私ですか?」

 瑞佳が名前を訊いたとき、岸田の目元が僅かに歪むのを、詩子は見逃さなかった。
 待て。そうだ、こんな感じの特徴を、誰かから――

「!」

 忘れかけていた情報が、詩子の脳にフィードバックする。この身体的特徴、以前に聞いたある男に一致するではないか!

「ダメ! 長森さん離れて!」
 とっさに詩子が瑞佳を突き飛ばしたのと、岸田の腕が詩子の首に回ったのは同時だった。
 突き飛ばされて思わず転んでしまった瑞佳が、わけが分からぬ表情で岸田と詩子の方を見上げる。そこには――

313希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:03 ID:15bKxc7I0
「いい勘をしてるが、気付くのが遅かったな! 俺の名前か? 七瀬彰、とでも名乗っておこうか? ククク……」

 首を締め上げられ、胸元にカッターナイフを突きつけられる詩子の姿と、七瀬彰と偽名を名乗る岸田洋一の姿があった。
 詩子は首を半分締め上げられたまま宙吊りにされ、苦しそうな表情になっていた。
「な、ながもり、さん……私の、ミス、だから、にげ、て」
 十分に酸素が行き通らず声が出せないながらも詩子は瑞佳に逃げるよう指示する。しかし瑞佳は状況が読み込めないまま、ただ呆然としていた。

「え? これって……どういうこと? 七瀬彰……さん? なんで、こんな」
「まだ分かってないみたいだな。俺の言ったことは、嘘だ。大嘘なんだよ。そして今俺は君の連れを人質に取っている。お分かりかな?」

 震える瑞佳に対して、岸田は鼻を鳴らしながら返答する。続いて締め上げている詩子の方へと視線を移すと、
「さて、この勇ましいお嬢さんだが……立場を分かってもらわなくては、なぁ!」
 ぐっ、と更に首を締め上げる。詩子は必死に腕を外そうとするが、力があまりに強くロックを外せない。さらに不幸なことに、武器はバッテリーの近くに置きっぱなしのまま。反撃などもっての外だった。
「や、やめてっ! 柚木さんを放して!」
 そんな言葉をこの男が聞くわけがない。逃げて、と言おうとする詩子だが意識が朦朧として発声すらできない。思いが、伝えられない。

 そして詩子と瑞佳の意思を嘲笑うように、岸田はイヤらしい表情を浮かべる。

「そうだな、放してやらんでもないが……脱げ」
「え……?」

 岸田の放った言葉の意味が分からず、オウム返しに言葉を返す瑞佳。

「武器を隠されでもしていたらたまらんからな。脱げ、下着一枚残さずにな。服は真後ろに投げろ」
「そ、そん、な」

314希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:30 ID:15bKxc7I0
 なんて、奴――!
 朦朧とした意識ながらも、詩子はこの男の残虐性を知る。こともあろうに、この男は瑞佳にストリップショーをさせようとしているのだ。
 ダメだ、そんなことをさせてはいけない!
 詩子は必死に抵抗を試みるも、それは形にならない。僅かに身をよじる程度が精一杯で、怯ませることなど出来もしなかった。

「おや、立場を分かってないですね、このお嬢さんは。そんな悪い子には……!」
 岸田はカッターを仕舞うと、入れ替わりに今度はベルトの後ろにでも差していたのだろう釘打ち機を取り出して詩子の腕に向かってそれを、引いた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 首を絞められているせいで声が出なかったが、想像を絶する痛みが詩子の体中を駆け巡り、釘が打ち込まれた上腕部から赤い染みが広がっていく。

 同時に、詩子の顔が苦悶の表情に塗り変わっていく。それを捉えた瑞佳が、意を決したように叫ぶ。
「わ、分かりました! 脱ぎます! 脱ぎますからっ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに瑞佳がファミレス服に手をかけ、それを取り去る。
「ククク……」
 岸田の表情が喜悦に変わる。この男はこんな悪魔の如き所業を、楽しんでいた。

 相変わらず釘打ち機は詩子に突きつけながら、瑞佳が一枚一枚服を脱いでいくのを眺めている。時折、舌なめずりしながら。
 恥を捨てて、人質に取られた知り合いのために、ついに瑞佳は上下の下着一枚ずつのみとなった。学生らしい清楚な、白色の下着が白日の下に、岸田と詩子の目に晒される。ひゅう、と岸田は口笛を鳴らしながらも僅かにも満足した様子はない。
「さぁ、ここからが本番だ。脱げ。お前の恥ずかしいアソコを俺の目に晒せ! さぁ!」
 ……しかし、流石に瑞佳にも抵抗があるのか、指はブラのホックにかかるがそれ以上の動きは見せない。腕を体の後ろに回したまま、瑞佳は固まってしまっていた。

 中々動かない瑞佳に対して、岸田は罵声を飛ばす。

「白馬の王子様が迎えにくるのを待っているのか? 哀れな自分を助けてくれる正義のヒーローが来るのを? はっ、王子様にもヒーローにも、ペニスはあるけどなァ! ハハハハハッ、逆に興奮して犯されるかもしれないぞ!? 見られたいのか!? そんな自分を見られたいのか!? 俺とこの女だけのうちに、さっさと脱いでしまうことを、俺はお勧めするがね!」

 岸田の言っていることは、援軍が来る前に別のマーダーがやってくるかもしれないということを示唆していた。そしてそれが岸田と同じような、卑劣な悪漢である可能性も。
「……」
 意を決したように、瑞佳が手を動かす。シュルッ、という衣擦れの音がして、瑞佳の絶妙な胸が晒される。桃色の乳首が風に撫でられほんの少し震えた。
「ハッ、ハハハ! やりやがった、本当にやりやがった! 素直でいい子じゃないか……ん、いい色艶だ……」

315希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:54 ID:15bKxc7I0
 けらけらと楽しそうに笑いながら岸田は視線を下に移す。もう何も思うこともなく、瑞佳がショーツを下にずらす。詩子は、直視することができず目を閉じてその光景を受け入れまいとした。だが詩子の耳元で、岸田が囁く。

「お前、もう用無しだな」

 え?
 脱ぎさえすれば、恥辱を受け入れさえすれば少なくとも瑞佳は開放されるのだと、そう思っていた詩子にはあまりにも不可解な言葉だった。
 考えてしまう。もしかしてこの男は、最初から皆殺しにするつもりだったのではないかと。脱衣ショーなど、目的のための手段に過ぎないのではないか、と。

 それが、詩子の死因となった。
 びくんっ!
 考えずに、一縷の望みを捨てずに最後まで抵抗すればあるいは詩子は死なずに済んだのかもしれない。だが、一瞬でも思考してしまった彼女にはこの結末しか残されていなかった。

 瑞佳が完全にショーツを下ろし、秘所を全て晒したのと同時に岸田が詩子の頭を釘打ち機で貫いたのだった。
 釘は完全に貫通することなく、詩子の脳に残留する形でその居場所を得る。入れ替わるようにして僅かながらに飛び出した脳みその欠片が、べちゃりと地面に落ちた。

 え……と。
 目の前の現実を現実として認識できなかった瑞佳に、岸田が飛び掛かり押し倒すのは容易かった。裸の格好のまま、岸田は瑞佳に対してマウントポジションの体勢を取る。
 にぃ、と。
 瑞佳の裸体を舐め回すように見ながら岸田は嗤った。

「いい演出だろ? 大切なお友達を助けるために恥を捨てて脱衣までしたのに、それが俺へのプレゼントになるのだからな?」
 岸田が、露になった瑞佳の乳房を激しく揉みしだき、辱める。それでようやく正気を取り戻した瑞佳が激しく抵抗する。
「いやあぁ! やめてっ!」
 岸田を撥ね退けようとするも巨石のように重く微動だにしない。

316希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:21 ID:15bKxc7I0
「ハハハハ! 動けないだろ? 人類が発明した、絶対有利の体勢だ! 人の力で撥ね退けることは不可能! それは格闘の歴史が証明している。しかも男と女の差だ! 無理無理無理無理、絶対に無理ッ!!!」

 ひとしきり揉みまわすと、仕上げとばかりに岸田は瑞佳のピンク色の突起を思い切り抓る。
「ひっ、いぎいぃぃぃぃっ……!」
 苦悶の表情のまま首を振り、痛みに喘ぐ瑞佳。

「痛いか? 苦しいか? だがお前にはどうすることもできない。例えば俺がこのまま鋸で肉を裂き骨を砕いたとしてもお前は絶望にのたうつだけ……そう、絶望的にな。本来ならもっともっともっともっともっともっと! ……狂わせるくらいに身体を弄んでやりたいところだが、生憎今は時間がなくてね……貫通式と、いかせてもらおうか?」

「!!!」

 瑞佳の顔が苦悶から恐怖へと変わる。岸田の言わんとしていることは、遠まわしながらも瑞佳にも分かる。
 陵辱だけに飽き足らず、この男は瑞佳の純潔まで奪おうとしているのだ! それも、ただのお遊びのような気分で!

「いやああああぁぁぁっ! 助けて! 浩平、助けて、こうへ」
「うるさいな」

 恐怖と絶望から出る悲痛な叫びすらも、岸田は許さなかった。乳房を弄んでいた右手を首に回すと、万力の如き力を以って声どころか呼吸すら出来ぬほどに瑞佳の首を締め上げる。
「あっ、あ、あ……」
「雌豚は大人しく喘いでいればいいものを……興醒めだよ。さて……」
 空いた左手で、岸田はズボンのチャックを下ろし、その言葉とは裏腹の猛り狂った男根を瑞佳の身体へと擦り付けながら、局部へとあてがっていく。

317希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:47 ID:15bKxc7I0
「や、あ、ぁ、ぁ、ぁ……」
 涙を流しながら懸命に岸田の男根を受け入れまいとするが、それはただの空しい抵抗に過ぎなかった。
 ふん、と鼻息を鳴らすと、踏み躙るように、支配するように、押し潰すように、岸田は一気に瑞佳の中へと挿入した。
「あ゛あ゛あ゛ぅ……!」

「どうだ!? 痛いか? 叫びたいだろう? でも無理なんだよなぁ!
 俺のチンポは! 今! お前の濡れてもいないアソコをずんずんと這い回っているぞ! ギュウギュウ締め付けてくるぞ!
 なんということだっ! 生と死の狭間で感じるセックスがこんなにも恐ろしく興奮するものだとはっ!
 見ろっ! お前と俺の結合部からは血が小川のように出ているぞっ! 愛液は寸分も混じっていない!
 純粋だっ! なんて純粋なんだっ!! お前の命の欠片を、俺のチンポがしゃぶっているんだぞっ!
 吸い取っているんだぞっ! 死ぬぞ!? お前はこのままでは死ぬんだぞ!? それでいいのかっ!?」

「……」
 腰を振り続ける岸田に対する瑞佳の瞳は、最早生気を残していなかった。涎を垂らし、僅かに残った死への階段を登り続けていくだけだった。
「なんだ、もう死んだのか……まぁいい。出すか」
 失望したように瑞佳を見下すと、最後にグッ、と腰を突き入れ本調子ではないながらも多量の精を吐き出した。
 ゴポ、ゴポッと赤と白濁色が混ざり合った液体が瑞佳の局部からとめどなく溢れ出す。

 岸田は悠々とズボンのチャックを上げて、萎え始めたソレを仕舞うと瑞佳と詩子の持ち物から武器を次々と回収していく。中には不要なものもあったので放っておいたものもあり、また自分の荷物からも不要なものが出てきたのでそれを捨てたりしていたが。
「銃も手に入ったしな……まあ復帰戦としては上出来だな」
 都合のいいことに、予備弾薬まである。そしてニューナンブM60には弾丸もフルロードされている。計15発。更にナイフまである。
 高槻に復讐戦を挑むには十分過ぎる収穫と言える。

 心の底から込み上げてくる笑いを抑えきれず、岸田は含み笑いを漏らす。
「くくく、くっくっく……ん?」
 ふと横を見ると、死んだはずの瑞佳の体が、僅かにだが身じろぎしていた。岸田に首を絞められ、体を貫かれながらも必死に生きようとしている。
 ほう、と岸田は感心したように声を漏らすとつかつかと瑞佳の元まで歩み寄っていく。
「そうだそうだ、俺としていたことが忘れていたよ。奴との一戦で分かりきっていたことなのにな」
 岸田は早速手に入れたばかりの瑞佳の投げナイフを逆手に持つと……

318希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:15 ID:15bKxc7I0
「とどめは、必ず刺さなければならないってことを、な!」

 瑞佳の頚動脈を、思い切り、かっ裂いた。首から赤いスプレーが噴出し、僅かに動いていた口元もとうとう完全に沈黙するに至った。
「これで終いだ。さて、行くとするか……くく、くくくくく……」
 また歪んだ口元から嫌悪感を催すような、邪悪な笑みを浮かべながら、岸田洋一は優雅に去っていった。

     *     *     *

 硝酸アンモニウムを詰めた袋を台車で運びながら、芳野とあかりはこれからについて話していた。

「丁度いい具合に台車があって良かったですね」
「ああ、流石に荷物とコレを運ぶのは少しばかり辛いからな。ま、やろうと思えば出来なくはなかったが」

 台車の上には数キロ程度の硝酸アンモニウムの入った袋が載せられている。理科室に置いてあったものをあらかた持ってきたのでこれ以上の採取は無理だろう。とはいえこれだけあれば量的には十分だと言える。
 ごとごと、と古びた木の床の上を台車が走る音を聞きながらあかりが尋ねる。

「それで、次はどうしましょうか?」
「集落にある方だな。どちらかと言えばそっちから探すのが手っ取り早い」

 あかりは考える。集落、というと民家などにあるもの……つまりロケット花火か。確かにそちらの方が見つけやすいといえば見つけやすいだろう。
 それにしても口に出さずに伝えるのは大変だ、とあかりは思う。暗号文を解読するのもこんな感じなのだろうか。
 思ったことをそのまま伝えられる機械でもあればいいのに。

「とにかく行動は迅速に、だ。疲れているところ悪いがしばらく休憩もなしにさせてもらうぞ」
「……私が疲れてる、って……どうして分かるんですか?」

 確かにあかりの体力は山越えや怪我のせいでそんなに余裕はないのだがそれを芳野に話したわけではない。すると芳野は彼にしては柔らかい笑みで答える。
「目だよ。まぶたが下がってきてるからな。それに少し猫背だ」
 言われて、確かに視線が下向きになっているのに気付く。まぶたに関しては流石に鏡を見てみなければ分からないが。慌ててあかりは姿勢を戻す。

319希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:35 ID:15bKxc7I0
「すみません、体力なくて」
「いや気にするな。実を言うと俺も少し疲れてる。普段の仕事でもここまで動きっ放しなのはないからな」

 言いながら芳野はとんとんと肩を叩く。何となくその行動をじじくさいと思ったあかりだが言うと怒られると思ったので黙っておくことにした。
 そのまま会話もなく二人は校舎から出て硝酸アンモニウムを保管しておくための体育倉庫はどこか、と辺りを見回す。昼近くになっているのかそれとも暗い校舎から出てきたからなのか辺りは明るく見晴らしは良い。しかし体育倉庫らしきものは見つからず、校舎の裏側にでもあるのだろうかと考えた二人は移動を開始する。
「……ん?」

 その途中で芳野の鼻に風に運ばれてやってきた、強烈な異臭が漂ってくる。それも、以前嗅いだことのあるあの匂いだ。
「芳野さん、何か変な匂いが……」
 同様にそれを感じ取ったあかりが芳野を不安そうにみるが、そのとき既に芳野は台車を置いて走り出していた。
「あ、よ、芳野さん!」
 台車を引いていこうか、と一瞬考えたあかりだが芳野の表情から鑑みるにそうしている場合ではないと思ったあかりはそのまま後に続く。

 匂いは、校舎の裏側から漂ってきていた。
 地面を蹴り、疾走する。息を半分切らせながら芳野と、遅れてやってきたあかりが駐車場で目にしたのは――

「おい、嘘……だろ?」
「え? あそこで倒れてるのって、そんな、まさか、でも、これって」

 全裸で倒れた長森瑞佳と、頭から脳漿の一部を垂れ流し、そしてこちらも死亡していた、柚木詩子の無残な姿だった。

320希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:57 ID:15bKxc7I0
【時間:2日目午後12時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。呆然。爆弾の材料を探す】

長森瑞佳
【装備品:なし(全裸)】
【持ち物:制服一式、某ファミレス仕様防弾チョッキ(ぱろぱろタイプ・帽子付き)、支給品一式(パン半分ほど消費・水残り2/3)】
【状態:死亡】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:全身に無数の軽い擦り傷、打撲、背中に長い引っ掻いたような傷。応急処置あり(背中が少々痛む)】
【目的:友人を探す。呆然。芳野と共に爆弾の材料を探す】

柚木詩子
【装備品:某ファミレス仕様防弾チョッキ(トロピカルタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

321希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:41:41 ID:15bKxc7I0
【時間:二日目午後12:00】
【場所:D-6・鎌石村小中学校内部】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。聖の元まで戻る】
【その他:時間軸としては浩平に会う前。芳野たちの探している人物の名前情報を得ました】


【時間:2日目12:30】
【場所:D-5】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(5/5)、予備弾薬10発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:切り傷は回復、マーダー(やる気満々)、役場に移動中】
【その他:鋸は瑞佳の遺体の傍に放置。時間軸は浩平たちが学校にやってくる以前】

→B-10
なんか、その、色々ヤバいことやらかしてます。嫌悪感を覚えた方にはすみません、とあらかじめ謝罪しておきます

322監視者:2008/02/23(土) 21:12:00 ID:YnERowGo0
 暗く閉ざされた部屋。しかし明かり代わりとすら言えるモニターの光が、その部屋にいる人物達の姿を克明に照らし出していた。
 カタカタ、と無言、無表情でキーボードを叩いているのは、女だった。

 女性がデスクワークに勤しむのは別に特別なことではない。
 しかし、キーボードに情報を打ち込むタイピングの早さが、尋常ではなかった。
 姫百合珊瑚がその場にいたとしても彼女と同等か、あるいは珊瑚でさえ速度では劣るほどのタイピング速度を、彼女は既に24時間を越えて保ち続けている。
 明らかに彼女は異常だった。いや異常なのは彼女だけではない。
 彼女の隣、そのまた隣にいる女も彼女と同じくらいのスピードで作業を続けている。顔色一つ変えずに。

 そして何より異常なのは――彼女らが、皆一様に同じ髪型、同じ顔、同じ瞳、同じ体型、極めつけに、修道服……つまり、『シスター』の姿だったということだ。

 この殺し合いを管理するアンダーグラウンドの場においては、それは何よりも違和感を覚えずにはいられないだろう。だが、誰もそれを気に留めることはない。
 何故なら……彼女達は『ロボット』だから。

「ほぅ……あの『少年』も死んだのですか……総帥といい、醍醐隊長といい、実にあっけない」
 彼女達の後ろで、現在の生存者一覧を眺めていた青年と思しき人物がさもありなん、という風に笑っていた。その胸元では銀色のロザリオが笑いに合わせて揺れている。それは彼の人物を示すかの如く、軽薄な輝きを宿していた。

「ふむ……おい、イレギュラーはどうしてる」
「はい、会話ログから確認する限り、現在D-5に移動し、鎌石村役場に向かっているものと思われます」

 女ロボットの返答を聞き、こちらはまだ生きているのですか、と感心するそぶりを見せる青年。
「人間という生き物はあまりに度し難い……不確定で、信頼するにも値しない生物ですよ」
 誰に言うでもなく一人ごちると、『笹森花梨』のモニターに目を移す。

「宝石はどうなっている」
「はい、発信機を確認する限り、現在ホテル跡に留まっているものと思われ、会話ログからも宝石は未だ彼女の手にあるものと思われます」
「そうか。……まあ、どうでもいいのですけどね。あれは総帥が欲しがっていただけですし、私は『幻想世界』にも興味はない。総帥は『根の国』と呼んでいましたがね」

323監視者:2008/02/23(土) 21:12:32 ID:YnERowGo0
 本当に興味のなさそうに吐き捨てると次に青年は残り人数を確認し、少々驚いたような表情を見せる。
「もう40人少々ですか……もうちょっと時間がかかると思っていましたが……まあいい。むしろ私の計画には好都合です。ね?」
 青年が女ロボットの肩に手を置くが、まるで触られていることを感じていないように女は反応しない。作業を続けるだけだ。

「やれやれ、面白みのない……それで、アレの最終調整はいつ終わる?」
「はい。予定では12時間後に全て完了し、実戦に投入できます」
「へえ、早いね。流石ロボット、というところかな。私の『鎧』は?」
「はい。予定では12時間後に完了し、実戦に投入できます」

 ひねりのない返答だ、と青年は顔をしかめたがすぐに、まあそんなものかと思い直しむしろ彼女らの仕事の速さを褒めるべきだと考えた。

「分かった。他に『高天原』に異常はないか」
「はい。異常ありません」
「注意を怠るな。侵入者の気配を感じたらすぐに迎撃に向かうんだ。……もっとも、そちらのほうが私にとっては好都合かな? それ以前に首輪を外せたら、ですけどね。ふふふふ、ふふふふふふっ、あははははははっ!」

 けらけらと狂ったようにひとしきり笑い、愉悦が収まるのを待ってから青年はとある部屋に通じるマイクを渡すように伝える。
 すぐに小型のマイクが渡され、モニターの一部が121人目の参加者である……久瀬のいる部屋の映像を映し出した。
 四畳もない小さな部屋の、更に小さいモニターの中で久瀬は精魂尽き果てたようにぐったりとしていた。

「ふふふ、さて、一つお遊戯と参りますか。こほん、あー、聞こえるかな、久瀬君?」
『!』

 ガバッ、と母親の怒声で叩き起こされる小学生のように飛び起きた久瀬の行動に青年はまた笑いそうになったが堪えながら話を進める。

「お疲れのようだね。まー流石にそんな小さな部屋じゃストレス溜まるかな?」
『お前……』
「怒らない怒らない。あ、そうだ。面白いニュースがあるんだけど聞きたくない?」
『……できれば、お断りしたいところなんだが』
「あ、そ。それは残念。君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ」
『何っ!?』

324監視者:2008/02/23(土) 21:12:54 ID:YnERowGo0
 久瀬の顔色が一瞬にして変わったのが丸分かりだったので、今度こそ青年は堪えきれずに笑い出した。事前に調べて久瀬が倉田佐祐理に関心があることは分かってはいた青年だが……ここまで過敏に反応するとは思わなかったからだ。

『何がおかしいんだ!』
「いやいや……これは失敬。大切な、ではなかったかな? くっくっく……まあそれはさておき。参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ。次の放送では忙しくなりそうだよ」
『な……にっ?』

 また久瀬の表情が変わる。今度は絶望、だ。まったく、見ず知らずの他人なのにどうしてここまで親身になれるのかと青年は思わずにはいられない。
 人間など、互いに利用し合うだけの存在だと思っている青年には、どうしても度し難いことだった。

「ま、とにかくそういうことだから今のうちに体力蓄えときなよ。ちゃお〜♪」
『お、おい待て……』

 久瀬が何かを言いかける前に、モニターは切り替わった。後にはまた参加者の命の残り香を移す光点が点在するだけとなる。
「さて、取り敢えずは次の放送まで待ちましょうか。それにしてもこんなに死者が出るとは思いませんでした……次からは6時間刻みにしましょうかね」
 青年は近くにあった椅子に腰掛けると、作業を続ける女ロボットの横顔を眺める。
「美しい顔です……まさに『高天原』……いや『神の国』の住人に相応しい

 現在この殺し合いを管理し、進行役を務めているこの青年――名前は、デイビッド・サリンジャー。
 彼の背後にあるモニターの向こうでは、惨劇が今もなお続いている。

325監視者:2008/02/23(土) 21:13:18 ID:YnERowGo0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:13:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。放送の間隔を変える予定】
久瀬
【状態:呆然】
→B-10

326意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:14 ID:/js7YssY0
「何よ、これ……」

荒れ果てた鎌石村小中学校を目の前に、観月マナは思わず目を見張ってしまった。
スタート地点であるが故、爆破されたからという理由もそこにはあるかもしれない。
しかしマナの視界の先、外からでも分かる激しい損傷はとある教室と思われる場所だった。
二階に設けられているその教室の窓ガラスは砕けており、今マナからすると目と鼻の先にある地面には、それら破片がキラキラと朝陽を反射しながら散らばっている。
内部がどうなっているのか。
まだ中に入っていないマナは分からないが、そのような状態の窓は例の教室だけであった。
一体何が起きたというのか。それを知りえる術を、マナは持っていない。
得体の知れない恐怖に、マナはさーっと血の気が引いていくのを感じた。

姉のような存在である森川由綺を失ったという現実、傷ついたマナはいつしか疲れ草木の生い茂る森の中熟睡していた。
マナが目を覚ました時は既に空も大分明るさを取り戻していて、経過した時間の大きさにマナは一人焦ってしまう。
そんな彼女が今しがた見つけたのが、この鎌石村小中学校という施設だった。
もしかしたら校舎の中にはマナの知人がいるかもしれない、そんな可能性はマナも捨てきれないだろう。
しかしあまりにもリスクが高く見えてしまい、マナはどうすることもできず正面玄関入り口にて二の足を踏むしかなかった。

「……ぇ?」

その時だった。
マナの耳が捕らえたものは砂を踏みしめるジャリジャリとしたものであり、その様な音は現在マナのいる砂地の校庭でないと作ることができない足音であった。
音の大きさからして決して遠くではないであろう距離を瞬時に察したマナは、すかさず自身の支給品であるワルサーを構えると周囲へ視線を素早くやる。
マナが一人の少年の人影を発見するのに、そう時間はかからなかった。

ぞっと。
少年の姿が視界に入った途端マナの背中を走ったのは、寒気以外の何物でもなかった。
体つきからすればマナとそう年も変わらないであろう少年、しかし一つの異様さがマナの胸に警報音を叩きつける。
少年の両手は、真っ赤に染まっていた。
深紅のその意味は時間の経過によるものだろう、彼の着用している上着の腹部にも同じような染みができてしまっている。
しかし彼の足取りはしっかりしていて、とてもじゃないが出血による怪我を負った人間の物だとマナは判断することができなかった。
それでは、一体あの赤の出所は何なのか。
指し示す事象が一つであると結論付けたと同時に、マナは構えていたワルサーの照準を真っ直ぐ少年に向ける。

327意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:50 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

震える声を隠すことなんて出来ない、しかしどうしてかマナの中にはこの場から逃げ出そうという気持ちがなかった。
突然の来訪者により冷静さが欠けてしまい、自分の中での行動の選択肢を用意することができなかったということもあるかもしれない。
だが一番の理由は、彼女に与えられた支給品である武器の存在だろう。
拳銃という当たり武器、それだけでマナの気が大きくなってしまったという部分は計り知れない。
当然の如くマナは目標である少年に対し定めた座標を動かすことなく、次に少年がどのような行動に出るかを見定めようとした。
誰だって、死ぬのは嫌だろうということ。
死にたくないのなら、凶器を所持するマナは回避すべき危険な存在にはなる。
マナ自身、そう判断していた。
拳銃という当たり武器、そのリーチこそがマナの全てだった。

だから、少年の歩みが止まらないというこの現状に対し、マナは困惑を隠すことができなかった。
マナは銃を構えているにも関わらず、少年は俯き加減のままゆっくりマナとの距離を詰めてくる。
もしかしたらこちらを見ていないのか、しかし声かけはしているからこちらの存在は伝わっているはずだ、荒れていくマナの心中は鼓動のスピードに換算されていく。
伝わる汗、からからに乾いてしまった口内の気持ち悪さ、マナは眩暈さえも覚えていた。

訳が分からないということ、その恐怖。
言葉が伝わらないということ、その戸惑い。
全てがマナにとっては、初めての感情だった。
この島に来て、初めてのそれだった。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

私は銃を持ってるのよ、そんなマナの言葉にも少年は何の反応も見せない。
ジャリジャリと砂を踏む音と微かな痛みを伴う乾いた自身の呼吸音、その二つがマナの聴覚を埋め尽くす。
クラクラする。自分がこの後どうすれば、いいのかマナはそこまで考えていなかった。

328意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:11 ID:/js7YssY0
銃を構えるということ。
それは、脅しの意味でしかなかったということ。
発砲するということ。
それは人を傷つけるという行為である。
もしくは、人を死に至らしめるという行為にまでもなる。
……そんなことを行うことができる覚悟まで、マナは決まっていなかった。

「ひっ」

気づいたら、少年とマナの距離は目と鼻の先になっていた。
砂を踏む音はもう辺りに響いていない、当然である。
少年は足を止めていた。
もう進めなくなっていたからである。
何故か。

「あなた……死にたいの……?」

マナの構える銃口は、少年の胸に当たっていた。
少年とマナの距離は目と鼻の先の距離になってしまっている、それは文字通りそのままの状態を表している。
すっと、その時やっと俯き気味だった少年が顔を上げた。
甘やかな作りは中性的で、異性を感じさせない儚ささえをも含まれているように感じるマナだが、反面何の表情も見て取れない少年のそれに対する戸惑いというのも、彼女の中には同時に浮上していた。

「え?」

少年の右腕が、ゆっくりと持ち上げられる。
マナはじっと、その動きを目で追っていた。
瞬間響いた乾いた音。
痛み。
振動。
続いて感じた半身の痛みにマナが悶える、彼女の体が砂地に叩きつけられたことが原因だった。
自身が頬を張られたという事実に呆然とするマナは、まさか初対面の人間からこのような無礼を振舞われることを予想だにもしていなかっただろう。

329意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:35 ID:/js7YssY0
「な、何すん……っ」

反射的に睨み上げ文句を吐き出すためにと口を開いくマナだが、言葉は最後まで続かなかった。
何かを弄る音、恐らく支給されたデイバッグの中身を漁っているであろう物音がマナの耳を通り抜ける。
それが止んだ次の瞬間マナが捉えたものは、首筋に伝わる絶対零度だった。
少年と目が合う、相変わらず彼の瞳には何の感情も含まれていない。
鈍い痛みが首に走りぬける、それがあてがわれた包丁が原因であることにマナはまだ気づいていなかった。
大きな戸惑いはマナの思考回路を停止させ、それは彼女の行動にも露に出てしまっている。

マナの瞳が揺れる。
困惑に満ちた彼女のそれが見開かれるのと、包丁が無残にもマナの肉を引き裂いていったのはほぼ同時だった。





カラン、と一丁の包丁が取り落とされる。
いや、それは投げ落とされたという表現の方が正しいかもしれない。
浅い呼吸を繰り返していたマナの胸の上下運動は、まだ止んではいなかった。
少年は屈みこみ絶命しかけたマナの様子を覗き込んだ後、無造作に再び血で濡れた自身の手をマナのスカートで拭い取った。
ふぅ、と漏れた息は少年の物であり、それは先ほどマナと対峙していた時には見せなかった、少年の人間らしい仕草であったろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。

『025 神尾観鈴』

330意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:54 ID:/js7YssY0
順々に読み上げられていく死亡者達、その中でとある少女の名が呼ばれたと同時に、少年は小さく一度瞳を瞬かせた。
そうして徐に支給されたデイバッグに手を入れると、少年は一本の布状のリボンを取り出した。
真っ白な柔らかい素材でできているそれは、所々に赤い染みができている。
手で握りこむとあっという間に皺ができてしまうそれを幾分か眺めた後、少年はそそくさと元の場所へとリボンを戻した。

ふぅ、ともう一度、少年が溜息をつく。
その頃には既にマナの動きも止まっていて、放送も終わりを告げる頃になっていた。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

マナの横に転がるワルサーを拾い上げ、既に少年がこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わる、少年は訝しげな表情を浮かべその声に耳を傾ける。
……しかし、少年の顔から冷淡な笑みが漏れるのに、そう時間はかからなかった。

「馬鹿馬鹿しい」

心底そう思うのか、口にした後少年はさっさと移動を開始した。
手にはマナの支給品であるワルサーが握られたままである、それを持つ少年の足取りに迷いの色は一切ない。
細い少年の身には重いであろうデイバッグは、一歩進むごとにガチャガチャといった異音を辺りに撒き散らした。
充実したその中身こそが、少年の行く道を表していると言っても過言ではないだろう。

「大体死にたいとか死にたくないとか、みんな頭おかしいよね」

少年が反芻しているのは、マナの口にした言葉だった。
ぶつぶつと独り言を吐きながら、少年は校門を出て森の中へと入っていく。

「死んだら終わり? そんな常識、ここにはないよ」

陽が木の隙間を縫って差し込んでくる、それは幻想的な御伽話を彷彿させるかもしれない。
しかし少年はそんなことにも意を解さず、黙々とただ先へと進んでいくだけだった。
草も花も無視し続け、足元に対し何の注意もやらない少年の目は、ただただ真っ直ぐ前を向いていた。
少年の意志の固さが、そこには込められている。
そう。

331意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:14 ID:/js7YssY0
「どうせ世界は、ループする」

少年こと柊勝平からすれば、それが全てだった。


      ※      ※      ※


抱き上げた神尾観鈴の体は想像以上の重さで、さすがの勝平も途中で弱音を吐きそうになる程だった。
決して力がある訳ではない体が恨めしい、結局彼が観鈴の埋葬を終えられたのも午前六時前ぎりぎりとなる。
花壇の傍に立てかけられてあったスコップを元に戻した後、勝平は観鈴の支給品であったバッグをそのまま彼女を埋めた地の上に置いた。
ここまでで勝平が流した汗は、もう大分引いていっている。
このまま放置すれば風邪を引く原因になるかもしれない、体の弱い勝平からするとその危険性はますます上がるだろう。
しかし勝平が、特に何かしようとすることはなかった。
自身を気遣う余裕がないだけかもしれない。
勝平の手には、白い布状のリボンが握られている。観鈴の身に着けていた装飾品だった。

「ループを止めて、か」

それは最期に観鈴が勝平に託した願いでもあった。
ゆっくりと瞳を閉じる勝平の瞼の裏には、彼の知らない世界が広がる。
彼女の命が消えた後起こったこの事象、最初は戸惑ったものの今の勝平はそれを受け入れていた。

それは優しい彼女が人を殺めようとする行為に繋がる場面であったり。
何度も銃に撃たれ大怪我をしてしまうものの、何とか生き延びる場面であったり。
虎だろうか。大きな化け物が彼女に向かって今まさにかぶりついてこようとする場面であったりと、様々だった。

瞳をあけると再び朝焼けが勝平の視界を彩った、それはまるで夢でも見ているかのような感覚に似ているかもしれない。
これが彼女、神尾観鈴の世界であると勝平が認識できるようになったのはつい先ほどのことだ。
原理などは分からない、しかしこれが現実だ。勝平も受け入れるしかない。
ループを止めて欲しいと、彼女は口にした。
そしてそのために、彼女は勝平に自分の持つ記憶を与えた。
彼女の願いであり意志でもあるそれ、歩きながら勝平はずっとそのことを考えていた。

332意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:33 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

校舎の方に勝平が戻ってきた時、そこにいた見知らぬ少女の存在に勝平はこっそり眉を潜める。
銃を手にする幼い体は小刻みに震えていた、気にせず勝平が近づいていくと少女の表情に戸惑いが走る。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

少女は怯まない勝平の様子に困惑しているようだった。
そんな少女に対し、表には出さないで勝平は内心一人毒づく。

(何だよ、中途半端なやつ)

銃をこちらに向けるだけでその先に進もうとしない少女の様子に、勝平は苛立ちを隠せなかった。
今、勝平の手は両手とも空いている状態である。
先ほど観鈴の埋葬を終えてから、勝平はそのままここまで来たのだから当然である。
肩に担いでいる勝平のデイバッグの中には、ナイフ類を始めとする様々な武器が入っていた。
残弾は少ないが、拾い直した電動釘打ち機も健在だった。

勝平の状況は、非常に恵まれていただろう。
身を守るための武器がこれだけあるということ、また勝平には度胸がある。
人を傷つける覚悟ができているということ。
人としての弱さや強さ、そのような問題のベクトルではない。
「できる」か「できないか」という二択の世界で、勝平は「できる」人間だった。

「できる」ということ、それで反射的に動いた体を勝平は止めようとは思わない。
止める理由もないからだ。
次の瞬間血に染まる包丁を持つ勝平の傍には、血飛沫を上げながら地に下りていく少女の体があった。
勝平の中、そんな行為に対し特別何か感情が浮かび上がることはなかった。
それこそ最初に人を殺した高揚感すら、勝平の心には存在しなかった。
ただ、虚無だった。
この行為に何の意味も持ち得ない勝平にとっては、本当にどうでも良いことであった。

333意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:53 ID:/js7YssY0
温かな液体は勝平の体にも降り注がれる、顔についたそれを拭いながら勝平は静かに目を閉じた。
観鈴を視点とした一つの世界、流れる情報に身を任せながら勝平は再び考える。

(……ループを、止める……)

最期に観鈴が勝平に託した願い、しかし流れる情報からそれを読み取ることは叶わない。
どうすればループが止まるのか、そもそも何故世界はループしているのか。
それを勝平が分からない限り、進まない話でもある。
それに。

(ループが止まったら、もう会えないってことじゃないか……)

手にしている包丁に込めていた力を逃がす勝平、それは少女の傍へとゆっくり転がっていった。
一つ零れた溜息が、勝平の心情を語っていた。

(会いたい)

恋焦がれるような、そんな熱い思いが勝平の胸に広がる。
しかしそれは勝平の恋人である、藤林椋への柔らかな恋情とはひどく距離のあるものだった。
だからきっと、それは恋ではないだろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。
勝平は耳だけそれに傾けて、自分の内に存在する感情をじっと考えた。

『025 神尾観鈴』

少女の名が呼ばれる。当たり前だ、観鈴は死んだのだから。
小さく一度瞳を瞬かせると、勝平は徐にデイバッグへと手を入れた。
彼が取り出したのは、観鈴が髪を結ぶのに使用していた布状のリボンだった。
彼女の持ち物は全て彼女と共にあるべきだろう、そう判断した勝平だがどうしても自分の欲望を抑えることが出来なかった。
彼女の見につけているものが、どうしても欲しかった。
その執着の意味こそが、勝平の求める答えである。

334意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:17 ID:/js7YssY0
(観鈴……)

心の中で彼女の名前を呟き白いリボンを握り締める勝平の表情は、苦悶に満ちている。
分からない。
勝平は、分からなかった。
痛む胸が求める解答は導かれていない、そのためにも。
勝平は、もう一度観鈴に会いたいと思った。

リボンを鞄に仕舞いこみ、勝平はもう一度溜息をつく。
これから自分がどうしたら良いのか、その答えはまだ出ていない。
渦巻く勝平の心理は複雑で、本人でさえも心労を抱えるほどになっている。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

もうここにいてもしょうがないということで、マナの横に転がるワルサーを拾い勝平が上げこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わったことに対し勝平は訝しげな表情を浮かべると、注意深くその声に耳を傾ける。
……放送は、勝平の想像の範疇を超えていた。
放送を行っている主が一体何を言っているのか、勝平にはすぐの理解ができなかったくらいである。

(優勝して、生き返らせる? 何を言ってるんだ、だってどうせこの世界は……)

そこで勝平は、はたとなる。
そうだ。結局は、そうなのだ。
ループを止めるにしても結局はやり方が分からない以上、答えはそれしかないのだ。

「馬鹿馬鹿しい」

この世界は、ループする。
ならばどうすればいいのか。答えは一つだ。

335意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:36 ID:/js7YssY0
(一刻もこんな腐ったこと終わらせてやるよ、そうすれば……)

そうれば世界はループし、また彼女のいる世界が始まる。
それでいいのだ。
極端ではあるが、それが勝平の出した答えだった。
そこに観鈴の意志や願いが、含まれて、いないとしても。





「へー。神尾って子死んだんだ、珍しい。あの子大概ここで撃たれても、生き残ってた気がしたけど」

その声を聞くものは、きっとその場にいる少年以外は存在しないだろう。
校門を出て行く勝平の背中を見つめる存在、彼は勝平とマナが対峙する場面からずっとそこにいた。
誰にも気づかれることなく、そこで二人の様子を見守っていた。
校舎の影から身を出した少年は、文字通り「少年」という名で名簿にも登録されている人物だった。
強化プラスチックの大盾を手に少年が見上げると、そこには無残な状態の窓ガラスが視界に入る。

「ふーん、それにしてもここの教室は大人気だね。
 世界の法則なんて僕は信じていないけど、やっぱり何かしらは関係してくるのかな」

そう言って少年は、そのまますたすたと校舎の中へと足を踏み入れた。
鎌石村小中学校はスタート地点にもなった場所である、校舎の半身は爆破されたことで左右での損傷の差は激しい。
少年はその様子に目もくれず、真っ直ぐ正面に存在する上の階へ続く階段へと向かっていった。

「あーあ、一晩ゆっくり休んじゃったからこれからは仕事頑張んないとね。
 あいつにも負けてられないし」

336意志の相続:2008/03/08(土) 03:25:06 ID:/js7YssY0
歩きながら首や肩を鳴らす少年の様子は、至って淡白である。
またその軽さから、傍から見ても彼の目的が何かはすぐに読み取ることができないかもしれない。

「さて、じゃあ待ち構えようかな」

ガラッと勢いよく扉を開ける少年、そこは深夜に争いの起きた職員室である。
乱れた机の隙間を器用に通り抜け窓際の席を陣取ると、少年は荷物を置き外からは様子が見えないよう少しだけカーテンを引いた。

「あ、そう言えば」

ふと、今気がついたという様子で少年が言葉を漏らす。

「そっか。あいつが殺し合いに乗る確立なら、本当に百パーセントなのか。
 ははっ、面白いね……これなら世界の法則ってやつも、ちょっとは信じられそうだよ」

楽しそうに笑いながら改めて椅子に座り込み、少年はデイバッグから自身への支給品であるレーションを取り出す。
それに噛り付く少年の笑みはあくまで邪気のないものだった、しかし。
瞳の鋭さだけなら勝平の非ではないその冷たさは、修羅場を潜り抜けてきた少年特有の物と言えよう。





柊勝平
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ワルサー P38・電動釘打ち機5/16・手榴弾二つ・首輪・洋中の包丁2セット・果物・カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:早期終了のために優勝を目指す、衣服に観鈴とマナの血液が付着している、他ルートで得た観鈴の所持する情報を持っている】

少年
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

観月マナ 死亡



マナの持ち物(支給品一式)はマナの遺体傍に放置
血濡れの和包丁はマナの遺体傍に放置

(関連・328・473・917)(B−4ルート)

337人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:19:26 ID:P3exjv9A0
「時にるーさん」
「何かな、なぎー」

 お米券を通じて刎頚の交わり+竹馬の友+金蘭の契くらいの関係になった遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラはやや人目につかぬ木の陰でノートパソコンを立ち上げながら何気なく会話を交わしていた。

「パソコン……と言いますか、情報処理系には詳しいですか」
「残念だが、る……じゃなく私はこの国の機械にはあまり詳しくない。使えないわけじゃないぞ。電子レンジだって使える」
「……それは残念です」

 そこはかとなく長いため息を吐き出しながら、美凪は立ち上がったパソコンのデスクトップからメモ帳を機動させ口頭では伝えられなかった情報を伝える。

 ・このCDを通じて『ロワちゃんねる』という主催側のプログラムからホストサーバーに侵入し、情報を弄くれること
 ・ただしプログラムに通じてないとこのCD付属のプログラムを使いこなすことは難しいらしい
 ・更に、首輪についての構造もある程度知らないと解除は難しい
 ・この首輪には盗聴器がついている←ここ重要。テストに出ます

 ぐっ、と親指を上げてここから筆談にすることを要請する美凪。あの時は仕方がなかったとは言えある程度口から主催に対抗する手段を言ってしまったのだ。ここからは、一言として詳しいことは口外してはならない。
 美凪の意思を悟ったルーシーもぐっ、と親指を上げて応えたのだが……
(この機械、どうやって文字を打ち込むんだ……?)
 美凪がやっているのを見てもさっぱり分からない。キーボードにある平仮名の文字とは全く違う字が打ち込まれているし……せめて故郷のものならまだ扱いようがあるのだが。

 ルーシーがしばらく当惑しているのを見て全てを悟った美凪はカタ、とキーボードのあるボタンを押すと『かな打ちにしておきました』と打ち込む。
 かな打ちとはなんぞ、と首を傾げるルーシーに美凪が手元を見るようにジェスチャーする。
 ルーシーが美凪の手元を覗き込むのを確認してから『あ、い、う、え、お』とかな打ちで文字を打ち込む。「おお」という形にルーシーの小さな口元が開いた。
 どうぞ、と美凪が場所を空けると、ルーシーが喜び勇んで人差し指で文字を打ち込む。

338人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:07 ID:P3exjv9A0
『かんしゃする』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。無言でお互いの友情が更に深まったのを確認する二人。傍から見ているとホームステイに来た外国人としっかり者のお姉さんのやりとりである。

『しかしむねんだがわたしではむりだ。すまない、ちからになれそうにない』
『構いません。一人より二人です』
『いいこというな。ところでどうやってかんじにするんだ』

 すると美凪が適当に文字を打ってスペースキーで変換する。更に変換候補や打ち直し、文字の確定なども教える。既にこの場は秘密の相談ではなくパソコン教室と化していた。

『感謝する』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。彼女らの友情は鉄よりも固く海よりも深くなっていた。

『時にるーさん』
『何かな、なぎー』
『るーさんのお知り合いでこういうのに詳しい人はいませんか』
『心当たりがないではない』

 ピタ、と美凪の指が一瞬止まる。まさか、本当に、いたと言うのだ。今回も、その技術者が。逸る心を抑えながら、美凪は話を続ける。

『お名前は?』
『姫百合瑠璃か珊瑚か、どちらだったか。よく覚えてないが、片方は確かにそういうのに詳しかった』

339人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:41 ID:P3exjv9A0
 姫百合瑠璃、珊瑚……と美凪は心中で反芻する。確か一回目でも二回目の放送でもそのような名前は呼ばれなかったはず。即ち、まだ二人は生きているということだ。これを北川と広瀬が聞けばどんなに喜んだことだろうか……
「どうした」
 美凪の表情に影が差したのを見て取ったルーシーが、言葉で尋ねる。
「いえ、少し昔のことを思い出しまして……」
「……」

 ルーシーが悪かったわけではない。こればかりは仕方のない事柄だった。だがそれでも大切な仲間を失うことの辛さを分かっているルーシーは静かに美凪の頭に手を置いた。
 その気遣いに美凪は感謝しながらも、こんなことでくよくよしている場合でもない、とすぐに思い直す。そう、目的はまだ達成されたどころかようやく糸口が見つかったというだけだ。色々と考えるのはその後だ。

「すみません、もうお気になさらず」
 美凪は再びパソコンの画面に目を向けると、『それよりも』と続ける。
『姫百合さんたちを探す方が先決です。居場所に心当たりはありますか』
『いや、流石にそこまでは』

 ルーシーは書き込みながら首を振る。それに珊瑚か瑠璃か、どちらがパソコンに詳しいか分からない以上探す労力は二倍になる。この島において特定人物が再会できる確率はかなり低いのだから。それはルーシー自身や美凪でもその事柄は証明している。

『せめて二人一緒にいればいいのですが』
『そこまで望むのは贅沢だ。とにかく、地道に探していくしかない』
 そうですね、と美凪は同意する。文句を言っている暇があるのなら行動で示すべきだ。後悔するのはあの時でもうたくさんだった。
『問題は、どこに潜んでいるかだ』

 ルーシーはデイパックから地図を取り出すと島の各地にある施設を次々に指差していく。
『私もあまりあの二人のことは知らない。が、積極的にうろうろするような奴らでもなかったと思う。恐らくどこかに隠れている可能性が高いはずだ。あるいは私達と同じように首輪の解除を目指してどこかの施設でパソコンを弄っている可能性もある』
 言われて、美凪も納得する。パソコンが得意だというなら言われるまでもなくその方向に動いている可能性は高い。

340人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:12 ID:P3exjv9A0
『その上で訊きたいが、民家なんかにそのパソコンとかいうのがある可能性は、高いのか』
『分かりません。でも推論で考えるなら、3割くらいの可能性ではないかと』

 普及率から考えると9割でもいいような気はするがこの島の自然の多さからして美凪が住んでいる土地とほぼ同じと考えればそんなに高くはないはずだ(とはいっても美凪は地元でパソコンを持っているような家を殆ど見かけたことがなかったのだが)。
『低いな。それで、これらの大きな施設にある可能性は』

 分校跡、小中学校、無学寺、役場、消防分署など目印になると思われる建物を指差していくルーシー。
『恐らく、学校にあるかどうかだと思います。分校跡は跡ですから、恐らくないかと』
 ただ隠れる場所としては絶好の場所かもしれません、と付け加えておく。ふむ、とルーシーは唇に手を添えて思案する。
『一応、分校跡から当たってみることにしようか。なぎーはどう思う』
『それでいいと思います。あちこち家を出たり入ったりするのも危険だと思いますから』
 跡、というからにはパソコンなどの設備はおろか電気すら通ってない確率は非常に高いだろう。だからこそ隠れるには適した場所であり、あるいは美凪同様にノートパソコンのようなものを手に入れているとするなら隠れながら作業だってできる。
 全ては推測だが、絶対に在り得ない話ではない。
 いや、この島において在り得ないことは『在り得ない』のだ。

 美凪はそう考え、ノートパソコンの電源を落とし、それをデイパックに仕舞う。
「そうだ、言い忘れていたことがあった」
 ルーシーがぽんと手を叩く。何だろうと美凪は頭を傾げるが、さも当たり前のようにルーシーは言った。

「飯だ。腹が減っては戦は出来ぬ。なぎー、お米券はどこで交換するんだ?」
「……残念ながら、ここではお米券は使えないです。お米屋さんがありませんから」

341人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:35 ID:P3exjv9A0
 そんな美凪の言葉を聞いた瞬間、ルーシーがこの世の終わりを迎えたかのような壮絶な表情になった。ぱさ、と既に取り出していたお米券が手から零れ落ちひらひらと宙を舞う。
「う、嘘だ……嘘だと言ってくれなぎー。そんな、ようやく食べ物とは思えないパンとも言えないパンの味から逃れられると思っていたのに……教えてくれ、なぎー、私はいつまでこんな食生活を続けなければならない!?」
 昨晩秋子のおにぎりと味噌汁を食べていたくせにその言い分は間違っているのであるが、そんな事実は美凪の与り知らぬことであるし、グルメなルーシーからすればあんなものは食べ物とすら言えないものであるだろうからそう言ってしまうのも仕方のないことではある。

 だからロクにいい物を食べてこなかったのだろうと勘違いした美凪はこう提案する。

「ハンバーグはお好きですか」
「勿論だ」

 即答。美凪が言い終えてから一秒も経ってない。
「ではお昼はハンバーグにしましょう……まずは材料調達に、れっつごー」
「る……おー、Let's Go! だ」

 当初の目的を取り敢えず後回しにして昼飯を確保するべく動き出す美凪とルーシー。
 この二人、果たしてやる気はあるのだろうか? マイペースな□□コンビの道中はふらふらと続く……

342人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:22:00 ID:P3exjv9A0
【時間:2日目12時30分】
【場所:F−03】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状況:強く生きることを決意。CDを扱える者を探す(まず分校跡に)。だがその前にハンバーグを作って食べよう! なんだかよくわからんけどルーシーと親友に(るーさんと呼ぶことになった)】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。美凪に協力(まず分校跡に行く)。でもその前にハンバーグ食べたい! 服の着替え完了。なんだかよくわからんけど美凪と親友に(なぎーと呼ぶことに)】
【備考:髪飾りは倉庫(F-2)の中に投げ捨てた】

→B-10

343十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:11 ID:5RrSK1jw0

―――ここには、色々なものが欠けている。
十重二十重に整然と並ぶ擂り鉢のような座席も、二十四フィート四方のキャンバスも、
外側と内側を区切る境界線であり逃亡を許さぬ防壁でもある三本の鋼線もない。
肌をを焼くほどに熱い照明の光もなく、怒号とも悲鳴ともつかぬ歓声も聞こえない。
勝利を、敗北を、力を、修練を、才能を、屈辱を、雪辱を、蹂躙を抵抗を応酬を望み、
そのすべてを焼き付けようと輝く幾万の瞳も、セコンドも、レフェリーも、ジャッジも、
誰も、誰もいない。
凡そここには自分たちの生きてきた世界の構成要素の何もかもが存在していなかったが、
たった一つ、たった一つだけ、拳を交える相手だけが、いた。
それで充分だと、思えた。


***


松原葵は立ち上がる。
立ち上がって、正面を見据える。
見据えて、自分はいったい何人めの松原葵なのだろう、と思う。
ヒトがまだ槍を取ることを知らず、爪と牙で戦っていた頃から数えて、いったい幾人目の松原葵であれたのだろうと、
そんなことを考える。
きっと幾千、幾万の来栖川綾香がいて、幾億もの松原葵がいて。
そうして同じくらいの数の坂下好恵が、いたのだろう。

私たちには、と葵は小指の側から静かに拳を握っていく。
私たちにはそうすることしか、できないのだ。これまでもずっと。これからもずっと。
既に原形を留めていないオープンフィンガーグローブのウレタンを口に咥え、毟り取って、吐き出す。

とん、と。
軽く一つ、ジャンプする。
腰、膝、踝、踵、爪先。問題なし。
マウスピースはない。
口中を舌先で探れば、幾つもの傷と折れた歯の欠片。
鉄の味の唾を吐き捨てて、鼻を拭う。
触れれば鈍痛、血は止まらない。鼻骨が砕けているようだった。
鼻からの呼吸を諦め、口から大きく息を吸い込む。
各部の筋肉が引き攣れるように痛んだが、刺すような感覚はない。
肋骨に異常なし。正確な内臓打ちが幸いしたのだろう。
視界は良好。歪みはなし。眩暈もなし。
左の拳を軽く引き、ジャブを一つ。遠近感にも問題はない。
左半身に構え、右の拳を心臓の上に重ねるように引く。

「―――押忍」

小さな目礼。
その一言が、合図だった。
それまで短髪を風にそよぐのをくすぐったそうに押さえていた綾香が、ゆっくりとその手を下ろしていく。
やや前屈の姿勢、両の腕を比較的高く掲げたサウスポーのボクシングスタイル。
ガードの向こうに見える綾香は口を硬く引き結び、しかしその眼差しが何よりも雄弁に心中を語っていた。
即ち―――快し、と。

344十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:43 ID:5RrSK1jw0
闘争という概念の中に身を置くことの悦びが、その瞳に溢れていた。
それは純粋な、原初の愉悦。

張り詰めた空気が、心地よく葵の肌をざわつかせる。
一瞬の躊躇、一手の誤りが敗北に直結する闘争の悦楽が、葵の全身にもまた、満ちていく。
細く長い呼吸の中で、末端神経の一筋に至るまでが研ぎ澄まされていく感覚。

身体に澱んでいた痛覚が、泡沫のように消えていく。
ひどくクリアな視界の中、葵の目に映る綾香は動かない。
じっと何かを待つように、ガードの向こうで牙を剥いている。

故に葵も動かない。
右足を引いた左半身のまま、ステップを踏まぬベタ足で機を窺っていた。
葵は思考する。
綾香が何を待っているのか。何を狙っているのか。
思考する。勝利のために。
思考する。ずっと追い続けてきた背中のことを。
思考する。不敗の女王の戦い方を。


***


来栖川綾香は典型的なストライカーだ。
エクストリームにおける戦績は全勝無敗、打撃によるKO・TKO率は7割を越える。
反面、パウンドを除くグラウンドからのKO勝利は殆ど例がない。
多彩な蹴り技と一撃必殺の左による打撃戦。
それがかつて幾万の観衆を魅了した、女王の戦術だった。
しかし綾香はフィジカルにおいて、特に外国人選手に対しては優位を保っていたわけではない。
むしろ多くの場合において体格面では劣勢に置かれているといえた。
161cm、49kgというのはそういう数字だった。
にもかかわらず彼女が体重別という概念のないエクストリームの頂点に君臨し続け、名実ともに
パウンド・フォー・パウンドの名をほしいままにしていたのには、葵の見るところ三つの要因があった。
一つにはその驚異的な動体視力。二つめに、それを活かしきるだけの反応速度。
そして最後に挙げられるのは、恐るべき適応力だと葵は考えている。
来栖川綾香を最強の格闘家たらしめているのは、その眼と頭脳。
それが葵の見る、常勝の女神を支える柱だった。

345十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:14:25 ID:5RrSK1jw0
後の先という言葉がある。
相手の打ち込みを先んじさせておきながらその筋を見て取り、裏をついて自らの一撃を決めるという、剣の道の教えだ。
攻撃態勢に入ってからその軌道を変えることは容易にできない。
故に、その打撃・斬撃の軌道を観測することができれば、完全な対応が可能となるという戦術理論だ。
無論、言うほど簡単なことではない。
相手に先手を取らせるということは、それ自体が状況的に不利であると言っていい。
一瞬の対応の遅れ、迷いが即ち致命傷となる。
極意を実践に移すには、考えうる限りの攻撃方法に対応できるまでの膨大な練習量と想像力、各流派はもとより
人体工学から生理学に至るまでの知識、そして何より相手の攻撃の出端、その刹那を見切るだけの動体視力が必須だ。
だからこそ極意は概念として伝えられ、目指すべき境地として教えられるに留まっている。
だが、来栖川綾香はそれを実践してみせたのだ。
その才能と努力の、両方によって。

綾香の戦いはだから、極めてクレバーだ。
勝利にいたる最適手を思考し、そのための練習を怠らず、実際に拳を交える一瞬のやり取りの中でそれを判断し、実行する。
そこに一切の迷いはなく、セオリーも奇手もその勝利すべく用意された手段に過ぎず。
だから来栖川綾香と戦った者、その戦いを見た者が、口を揃えて評するに曰く―――「最強」。
それが今、松原葵の眼前に立つ存在だった。

無策で挑めば、必ず敗れる。
打撃の威力において、反応速度において、出入りの瞬発力において、リーチにおいて、ウェイトにおいて、
経験において、知識において、才能において、松原葵は来栖川綾香に劣っている。
ただ殴り、蹴り合うならば、そこに勝利の余地はない。

だから、と松原葵は考える。
だからさっきは、どうにもならなかった。
勝てるはずのない戦い方だった。

そうして、と松原葵は思う。
そうして今はもう、さっきまでとは違う。
勝つために、私は立ち上がった。

追いつくために、その背中を目指してきたんじゃない。
いま目の前にいる人に勝つために、走り続けてきたんだ。
この人がリングから去った後も。
ずっと、ずっと走り続けてきた。
練習と、試合と、練習と試合と練習と試合を繰り返してきた。
いま、誰一人見守る者とてない、この戦いに勝つために。

だから、そう。
ゴングも何もないけれど。
ここが松原葵の目指し、辿り着いた―――最後のリングだ。

さあ、
女王を越えるための戦いを、始めよう。


***

346十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:15:39 ID:5RrSK1jw0

先に動いたのは葵だった。
ほんの半歩を踏み込めばそこはミドルレンジ。
ガードの高い綾香の視界の外側から狙うのは前屈姿勢の軸足、右腿へのローキックである。
鞭のようにしなる蹴り足が迫るのを、しかし綾香は右脚を上げることで正確にカットする。
ディフェンスされるのは織り込み済みとばかりに、葵が勢いを止めずに打って出る。
左のローを戻すか戻さぬかの間合いから右のストレートへと繋ぐ葵。
綾香のガードを弾くには至らないが、元よりガードを釘付けにするのが目的の一発である。
次の瞬間には更に一歩を踏み込み、クロスレンジへと移行している。

迎撃の右ジャブを葵は左ガードから内側へパリィ。
ガードの空いた顔面に向けて打つ右ストレートは、僅かに頭部を傾けた綾香に回避される。
姿勢を崩したかに見える綾香の、だが右膝が毒針の如く伸びてくるのを葵は見ていた。
完璧なタイミングのカウンターに、ステップでの回避は間に合わないと判断。
打ち抜いた右の拳を戻すよりも早く膝がヒットする。
ならば、と葵が選んだのは、回避ではなく更なる打撃。
右の拳を戻すのではなく、振り抜いた体勢から状態だけを強引に捻る。
間合いは至近。鋭角に曲げた肘が、旋回半径の小さな弧を描く。
ご、と小さな衝撃。
葵の肘と綾香の膝、その両方がヒットし、しかし互いに有効な打撃とはならない。
右側頭部を抉る軌道の肘が直撃するのを避けようと、綾香が重心を崩した結果である。
間合いは変わらずクロスレンジ。
だが回転の勢いで綾香に向き直りつつある葵に対し、綾香は姿勢を崩している。
千載一遇の好機に、葵の左足が大地を噛み、同時に右足が蛇の如く低空を這って綾香に迫る。
捻った上体はそのままに肘を振り抜き、しかし転瞬、その掌が綾香の顔面を覆うように広がると、
左の側頭部、耳の辺りを髪ごと掴む。
膝を止められ片足で立っている綾香の、その軸である左の足が、正確に払われた。
完璧に決まったのは、葵の変則小内刈り。
綾香の身体が円を描くように宙を舞う。
そのままいけば、柔道であれば背中を付いて文句なしの一本という軌道。
だが葵は投げた姿勢を自ら崩し、地面に叩き付けられようとする綾香を更に巻き込むように重心をかけていく。
左側頭部を掴んだ右手をそのままに、空いた左の手は掌底の形に固められ、綾香の鼻面へと添えられる。
刈った右の膝もまた引かれることなく綾香の下腹部、恥骨の上に密着していた。
受身を許さぬ、危険極まりない投げである。

「……ッ!」

347十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:09 ID:5RrSK1jw0
綾香の目が見開かれ、しかし完璧な空中姿勢からは文字通り手も足も出せず、その首筋から
剥き出しの岩肌へと吸い込まれていく。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
大地に叩き付けられた延髄、掌底の衝撃を殺せずに砕かれた鼻、そして真っ直ぐに膝で貫かれた腰椎。
人体の要衝である三点に対する同時打撃。
相手を再起不能に追い込むことを目的とした破壊的な攻撃に、綾香が悶絶する。
かは、と綾香が小さな呼気を漏らすのを聞くより早く、葵が動いていた。
右膝を腰の上から腹部へとずらし、左の足を伸ばして膝を床から浮かせた、ニーオンザベリーの体勢を取る。
ぴったりとしたボディスーツを着込んだ綾香の襟は取れない。
故に左手で綾香の髪を掴み、延髄への衝撃で一瞬だけ意識を飛ばした綾香が回復するより前に右拳を固め、
正拳ではなく拳の側部、第二中手骨を叩き付ける様に、破裂したように血を流す綾香の鼻と目の間を目掛けて、
躊躇なく振り下ろす。
一撃、鮮血が飛び散る。
ニ撃、粘液が糸を引く。
三撃、音が、消えた。

「……!?」

固い手応え。
ごつ、という重い音と共に拳と岩肌の間で跳ね回っていた綾香の頭部を打ち砕かんとする三撃目のパウンドは、
その着弾の寸前において、止まっていた。
綾香の両の腕が十字の形をとって、葵の拳を受け止めていた。
ガードの向こう、綾香の目が己をねめつけているのを、葵は見た。
眼球の毛細血管が破裂したか真っ赤に充血した、それでも爛々と輝く瞳の力強さに、葵の背筋が凍る。
まずい、と直感する。
葵がその半生を賭けて打ち込んできた闘争の経験が警告を鳴らしていた。
体制を立て直そうとした瞬間、伸びきった葵の右腕が、がっちりと綾香の両手に掴まれていた。
迂闊、と後悔にも似た思考が過ぎった刹那、葵の視界が唐突に黒く染まる。
重い感触が葵の顔面を薙ぐと同時、ぐらりと重心が揺らぐ。
掴まれた右腕を軸に、円を描いて巻き込まれるような感覚。
警告。警告。警告。危険。危険。危険。
葵の脳裏に数秒後の自身の姿が浮かぶ。
見事なスイープから腕十字。折られる右腕。敗北。


***

348十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:38 ID:5RrSK1jw0

一秒にも満たぬ刹那の中、勝機が泡沫のように消えていく。

 ―――やられた!

時間がいつもの何倍にも引き伸ばされたような感覚の中で、葵は歯噛みする。
来栖川綾香を倒すための戦術は完璧だった。完璧の、筈だった。

綾香の強さは、その眼と頭脳。
その裏づけとなるのは、膨大な練習量だった。
対戦相手のあらゆる戦法に対応するだけのシミュレーション能力と、実戦の中で無数に派生していく
その攻撃パターンに練習成果を当てはめる適応力。
それこそが綾香の強さの源泉であると、葵は確信していた。
対戦相手を研究し、シミュレーションを重ねた綾香に予想外という言葉は存在しない。
たとえ試合開始直後に僅かな誤差があったとしても、次のラウンドにはそれを修正してくるのが来栖川綾香だった。
想定の中で戦う綾香は無敵だ。
故に、松原葵が来栖川綾香に勝利するための戦術はただ一つ。
綾香の思い描く、松原葵という格闘家像―――その外側から、戦うことだった。

綾香の現役時代から現在に至るまで、葵のスタイルは一貫してストライカーである。
それは無論、葵が空手を出身母体としていることに起因していたが、しかしエクストリームのリングへと
上がるにあたって、寝技の練習を怠ったことは一度としてなかった。
柔術やサンボをベースとする選手と相対したとき、グラウンドに持ち込まれた段階で
敗北が確定するというのでは話にならない。
練習を重ねる内、葵のグラウンド技術は着実に向上していった。
その中でトレーナーからグラップルへの転向を勧められたことも何度かあった。
153cmという葵の身長はストライカーとしては不利といえたし、グラウンドの技術に関する飲み込みの速さは
自身でも自覚していたが、葵はそれをすべて断っていた。
空手に対する愛着もあった。
打撃で相手を仕留める快感も魅力だった。
しかし何よりも大きく葵の心中を占めていたのは、他の理由だった。
即ち、来栖川綾香という存在への挑戦を念頭に置いた、秘匿戦術。
ストライカーとしてだけでなく、グラップラーとしての戦い方を身につけたトータルファイターとしての
松原葵を見せれば、綾香は必ずそれに対応してくる。
それでは勝てないという確信が、葵にはあった。
故に、葵はリング上ではストライカーであり続けることを選んだ。
ただ一度、至高への挑戦において勝利を得る、そのために。

349十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:10 ID:5RrSK1jw0
練り込んだ戦術は、その功を奏した。
あのクロスレンジ、綾香の動きは投げの可能性をまったく想定していなかった。
一瞬の戸惑いを逃さず、完全に機を手にしたと言っていい。
そう、投げからのポジショニングまでは完璧だった。
否、完璧すぎたのだと、葵は自省する。
パウンドで勝てると、グラップリングに持ち込む必要がないと、そう思ってしまうほどに。
慢心の謗りは免れ得ない。
来栖川綾香を相手にしながら、これまでの自分が通用すると勘違いしていた。
つい今しがた、完膚なきまでに叩きのめされたことを忘れたとでもいうのだろうか。
ストライカーとしての松原葵は来栖川綾香に遠く及ばないと思い知らされたはずだ。
愚かな選択を悔やんでも、時は戻らない。
戻らないが、悔やまずにはいられなかった。
グラップラーとしての松原葵が通用するのはほんの一瞬だけだと、葵は理解していた。
投げが決まり、綾香の意識を飛ばした一瞬がすべてだったのだ。
その機会を逃してしまえば、綾香はグラウンドで勝負をかけられる松原葵に、適応する。
ならば猶予など存在するはずもなかったのだ。
ウェイトに欠ける自分がニーオンザベリーからのパウンドなど狙うべきではなかった。
横四方からの膝、否、間髪を入れない腕十字。
利き腕は取れずとも、右の腕を破壊せしめれば勝利は確定していたはずだ。
グラップリングを隠し球として好機を掴みながら、最後の詰めで打撃にこだわった、それが敗因。

 ―――敗因?

否、と葵は思う。
一瞬にも満たぬ時の中で、葵は浮かんだ思考の帰結を否定する。
消えていく好機を、失われた勝利を、葵はまだ、諦めるわけにはいかなかった。
勝ちと負けの間に飛び込めば何かが変わると思って、それでも何も変わらなかった。
殴られる痛みも、殴った相手から流れる血も、潰した鼻にもう一度拳を叩き込むときの濡れた感触も、
何一つとして、ブラウン管の向こう側に見ていたのと違わなかった。
リアルなんてその程度のもので、知ってしまえば、反吐が出るほどにつまらない。
けれど、たった一つ。
たった一つだけ、葵を揺り動かしたもの―――勝利。
幼い頃に見た光景の意味を知るための手段であり、その結果でしかなかったはずの、
明快にして残酷な、絶対の回答。
しかし、いつしかそれは密やかに、葵自身でも気づかぬほど密やかに手段という概念を越え、
結果という単語を凌駕し、唯一至上の目的になっていた。
諦められるはずが、なかった。
まして相手は、至高。
憧れ続けた不敗の女王。
ほんの一秒の迷い、ほんの一手の誤りが敗北に繋がるというのなら。
迷いなく、誤りなく、足掻き続けよう。

350十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:27 ID:5RrSK1jw0
右腕を極められ、視界はゼロ。
回転はまだ半ば。綾香の身体は密着状態。踏み込みは使えず。
左の拳は空いている。呼吸はできる。敵の位置は分かる。

ならば。
ならば、まだ―――続けられる。

時が動き出す。
重力を感じる方向が変わっていく。
伸びた右腕の腱が嫌な音を立てている。
綾香の身体は熱く、流れる汗は冷たい。
それが、感じられるすべて。

細く息を吸う。
身体が上を向く。
左の拳を、綾香の腹にそっと押し当てる。
細く、細く息を吸う。
肩が大地に触れる。
綾香の身体が、完全に横倒しになっていく。
細く、細く、細く息を吸う。
右肘の関節が、可動域を超えた圧力に悲鳴を上げる。
肩甲骨までが地面を擦った、刹那。

練り上げた呼吸が―――爆ぜた。


***

351十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:05 ID:5RrSK1jw0
かひ、かひ、と。
細く荒い呼吸を繰り返すのは、右の肘を押さえた葵であった。
鼻血が汗と混じって、ぼたぼたと地面に垂れている。

その眼前、咳き込むことすらもできず蹲る姿があった。
来栖川綾香である。
両手で右の下腹部あたりを押さえたまま、動かない。

寸勁。
ワンインチパンチとも呼ばれる、至近の打撃。
形意拳の崩拳とも似た、しかし非なる拳理によって生み出される破砕の拳。
それこそが松原葵が来栖川綾香に挑み、勝利するための、もう一つの秘手だった。

ゆらり、と紫色に腫れ上がった右の腕を離して、葵が立ち上がる。
呼吸は荒く、足取りは覚束ず、しかし眼光だけはぎらぎらと光らせて、葵が綾香に歩み寄る。
綾香はうつ伏せに蹲ったまま動かない。
おそらくは腸の一部が破裂しているのだろうと、葵は見て取る。
失神せずにいるのが不思議なくらいだった。
短く切り揃えられた綾香の髪を、無造作に掴み上げる。
微かな吐息を漏らし、しかし抵抗らしい抵抗を見せない綾香の、白い喉にそっと腕を回していく。
背中から抱き締めるように、いとおしむように、葵は己の身体を綾香に密着させる。
腕が、綾香の首を回ってクラッチされる。
最後に地面を蹴るように、重心を移動。ごろり、と転がる。
仰向けになった綾香の背中に、葵が張り付くような格好。
腹を押さえる綾香の腕の下から、葵の足が絡まっていく。
バックグラブポジションからの裸絞め。
ぎり、と葵の腕に力が込められた。
綾香の白い細面に血管が浮き上がり、見る間に赤く染まっていく。
びくり、びくりと痙攣する綾香はしかし、首に回った腕を振りほどく仕草をすら見せようとはしない。
抵抗しようにも、この体勢になってしまえば最早その手段とてありはしなかった。

「ねえ、綾香さん」

352十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:26 ID:5RrSK1jw0
静かに、語りかける。
ほんの数秒、綾香の意識が落ちるまでの数秒に、問う。

「綾香さんにとって、戦うって」

それが、葵の勝利宣言だった。

「戦うって……どういうこと、でしたか」

答えは返らない。
当然だった。全力で気道を締め上げている。
声など出るはずがなかった。
綾香の体温を全身で感じながら、葵は確信する。
不敗の女王の伝説に終止符が打たれる瞬間が、すぐそこまで来ていることを。
己が勝利が、ほんの数秒後に迫っていることを。

そして、葵は思い知る。
確信が、脆くも崩れ去っていくことを。
数秒後の栄光など、存在しないことを。

「……え、」

声を漏らしたのは、一瞬。
最初に感じたのは、違和感だった。
次に襲ってきたのは猛烈な寒気。
同時に、圧倒的な熱。
そして最後に、激痛と呼ぶも生温い、衝撃だった。

353十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:52 ID:5RrSK1jw0
「あ、……ッ、……」

悲鳴も出ない。
絶叫も上がらない。
震える横隔膜が、狂ったように鼓動を跳ね上げる心臓が、それを赦さない。
反射的に溢れた涙に霞む視界の向こうに、じわりと広がる赤があった。
すっかり泥に汚れた体操服に滲む、自らの鮮血だった。

それは、爪のように見えた。
貫手のように伸ばされた指から生えた、鋭く細い何か。
来栖川綾香の手から、松原葵の胴へと伸びる何か。
滲み、広がっていく血の真紅と同じ色をした十の刃が、葵の腹を両側から刺し貫いていた。


******

354十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:22 ID:5RrSK1jw0

頚動脈を押さえていた腕から、力が抜けていく。
反射的に酸素を取り込もうとして、貼りついていた気道に血痰が絡み、来栖川綾香は盛大に咽る。
ひとしきり咳き込んでいると、白と黒の斑模様に染まっていた視界が次第に色を取り戻していった。
起き上がろうと身を捩って、平衡感覚が狂っていることに気付く。
身体のバランスが取りづらい。原因は解っていた。
薬物の強力な麻酔効果をもってして尚、脈打つように激痛が響いてくる。
内臓破裂は間違いないだろうと自己診断して、口からゆっくりと息を吸い込む。
肋骨に響く感覚はないが、腹筋は痙攣が治まらず。
緊急の外科的措置を要する。併発症が腹膜炎で済めば御の字だ。

「やって、くれた……」

眼下、じわりと広がっていく血だまりに横たわる、小さな体を見た。
万力のようにこの首を締め上げていた腕から、疾風のような勢いで飛び込んできた脚から、
想像だにしなかった破壊力を発揮した拳から、ただ闘争だけを渇望していた澄んだ瞳から、
命の色が消えていく。
動脈が切断されたのだろう、一定のリズムで噴き出していた真っ赤な鮮血が、徐々にその勢いを弱めていた。

ほんの一瞬前、暗く染め上げられた世界を思い出す。
葵の体は小刻みに震えている。
手を翳した。黒く罅割れた、鬼の手。伸びた爪にこびりつくのは、乾きかけた葵の血。
小さな体は、一秒ごとに熱を失っていく。
爪を引き、打ち振るえば、そこにあるのは白く細い指。
握り締めれば堅く歪な、ひとつの拳。
傍ら、少し離れたところに転がるデイバックを見た。


***

355十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:53 ID:5RrSK1jw0

小さく息をついて、綾香は手中の物を眺める。
薄黄色の液体を満たした、細長い円筒形のプラスチック容器。
先に細い針がついている。注射器だった。

その向こう、今や赤という色味を失いつつある、小さな体を見る。
傷口からは既に血は流れていなかった。
止血されたわけではない。流れ出るだけの量が、もう体内に残っていないのだった。
意識とて、とうの昔に失われていようと思えた。

横倒しにした葵に、そっと触れる。
血液の流れきった身体は体温を失い、ひんやりと冷たかった。
見開かれた目はただ虚空を映し、微動だにしない。
黄土色の泥と赤黒い血で固まった短い髪を、静かにかき上げる。
白い首筋が、陽光の下に晒されて綾香の目を射抜いた。
ほんの一瞬だけ目を細めた、次の瞬間。
綾香は手の注射器を、無造作とも思える仕草で葵の首へと突き刺していた。
ピストンを押し込めば、薄黄色の液体が葵の体内へと流れ込んでいくのが見えた。
びくん、と葵の全身が大きく震えた。
薬液を残らず押し出すと、綾香は針を抜いて葵から離れる。

びく、びくりと、既に絶命寸前だったはずの身体が跳ねる。
幾度めかの痙攣の後、小鳥が鳴くような、甲高い音が響いた。
それが自発呼吸だと綾香が気付くのとほぼ同時。
がばり、と。唐突に、何の前触れもなく、葵が跳ね起きていた。

「あお―――」

葵、と反射的に声をかけようとして、綾香の言葉が途切れる。
立ち上がった葵と視線を交わした瞬間、綾香は正しく理解していた。
眼前に立つ少女は、意識を回復していない。
眩しい陽光の下、輝くような光を湛えていたその瞳は、まるでそこだけが深い穴の中にでも落ち窪んでいるかのように、
どこまでも昏く重く沈み込んでいた。

356十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:27 ID:5RrSK1jw0
「―――」

沈黙が落ちた。
立ち尽くす二人の少女の間を、砂埃を舞い上げるように風が吹き抜けていく。
堅く口を引き結んだまま、綾香はじっと葵を見つめていた。
ややあって、綾香が目を伏せる。
深い、深い溜息をついて、顔を上げた綾香が、口を開く。

「……なあ、葵」

吹く風に紛れて消えそうな、それは声だった。

「ギブアップするなら、やめてやっても、いいんだよ」

どこか寂しげな、儚げな、笑み。
来栖川綾香の浮かべる、それはひどく稀有な表情だった。
普段の彼女を知る者が見れば誰もが驚愕に言葉を失うような、そんな笑み。
しかしその表情は、ほんの数秒を経て、

「―――!」

凍りつくことになる。
綾香をしてその表情を凍結せしめたのは、眼前に立つ少女。
その、小さな反応であった。
松原葵の震える右足が、前方へと差し出されていた。
僅かな間をおいて、左手を前へ。
左の足は微かに引かれ、赤黒く血の溜まった右手は腰溜めに。
後屈に近い姿勢は空手とも、キックスタイルとも違う、独特の重心を持つ。

357十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:53 ID:5RrSK1jw0
「そっか」

静かに呟いた綾香の、凍りついたままの表情が、次第に融けていく。
降り積もった雪を割って、緑が大地に芽吹くように。
歓喜という表情が、綾香を満たしていく。

「そっか、そうだよな……葵」

少女の取った姿勢は、形意拳と呼ばれる武術形態の基本となる構えの一。
木行崩拳の型であった。
少女にとってそれがどのような意味を持つ技なのか、来栖川綾香は知らない。
少女がその構えに何を込めるのか、来栖川綾香は何一つとして、知りはしない。
だが、

「それでいい、それでいい、それでいい―――」

松原葵という少女が、それを消えゆく命の最後に選んだのであれば。
来栖川綾香は、その全力を以って。

「戦おう、松原葵―――!」

両の拳を握り構えるは右半身。
笑みが号令となり、咆哮は嚆矢となる。
幽鬼の如く立ち尽くす葵の引かれた左足が、ふ、と揺れた。
上半身を前傾させないまま、まるで大地の上を滑るように歩を進めるかに見えた、次の瞬間。
その全身が、爆発するように加速した。
遍く天下を打ち貫く、それは無双の弾丸。
朽ち、果てゆく命を燃やし尽くすが如き、疾風の一打。

358十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:24:39 ID:5RrSK1jw0
松原葵という武術家の、その生涯最後の拳が迫るのを瞳に映し、来栖川綾香は恍惚と笑む。
歓喜と法悦の狭間、得悟に至る僧の如く、笑む。
綾香の全身が、撓んだ。
滑るような動き。左の拳が、引き絞られた剛弓の如く音を立てる。

風が割れた。
悪鬼をすら踏み拉く裂帛を以って、葵の跟歩が大地を震わせる。
羅刹をすら割り砕く苛烈を備え、拳が打ち出されようとする、その寸前。

綾香の震脚が、足形を刻むほどに大地を踏み固めた葵の足を、真上から、粉砕した。
刹那と呼べる間をすら置かず。
雷鳴の天に轟くが如く、雷光の天に閃くが如く。
来栖川綾香の拳が、松原葵を、穿っていた。


***

359十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:25:22 ID:5RrSK1jw0

音が、遅れて聞えてくる。
それは、朽木がその重みに耐えかねて折れ砕けるような、奇妙に軽い音。
そして同時に、水を一杯に詰めた風船が弾けるような、重く濡れた音だった。

「―――わかんない」

左の拳を突き出したまま、綾香が静かに口を開いた。

「わかんないよ、葵」

それは、囁くような声。

「あたしら、笑えないからさ」

手を伸ばせば届くような、虚ろな瞳に語りかける声だった。

「頑張ったとか、精一杯やったとか、そういうので笑えないからさ」

瞳はもう、何も映してはいない。
風も、陽光も、眼前に立つ綾香すらも。

「だからあんま、うまくやってこらんなかったから」

それでも綾香は、静謐を埋めるように言葉を紡いでいく。
浮かぶのは、穏やかな笑み。

「あたしらみんな、そうだったろ。あたしも、お前も、……それから、あいつもさ」

閉じた瞼の裏に浮かんだのは、誰の影だったか。

「だからあたしにも、わかんない」

言い放つのは、問いへの回答。
戦うということの、意味。

「わかんないんだよ、葵。けどさ、けど……」

言いよどんだ後に出てきたのは、たったひとつの言葉。
自分を、自分たちを繋げる、シンプルな誓約。
誰かが言うだろう。ばかげている、と。
知ったことか。
誰かが責めるだろう。そんなことで、と。
それがどうした。
外側の人間には通じない、それはこの星に生まれたすべての来栖川綾香と、松原葵にだけ伝わる言葉。
すべての来栖川綾香とすべての松原葵が迷いなく頷く、純白の真実。

「―――楽しかったろ?」

硝子玉のような瞳の奥、来栖川綾香を映すその表情に、

「ばあか」

静かに、笑い返して。
綾香が、拳を引き抜いた。




【松原葵 死亡】

360十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:26:16 ID:5RrSK1jw0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:18】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→950 ルートD-5

361名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:09 ID:JAd3em1s0

絶望の孤島で巡り合った四人――坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳。
彼女達は全員が全員、此度の殺人遊戯を断固として否定してきた者達だった。
鎌石村役場の一室で出会った同志達は、深い絆を培ってゆける筈だった。
襲撃者がこの場に現れさえ、しなければ。

轟く爆音、煌く閃光。
戦場と化した鎌石村役場の一階にて、凶悪な火力を誇る短機関銃――イングラムM10が猛り狂う。
強力無比な重火器を駆りし者の名は、七瀬彰。
己が想い人を生き返らせる為、既に二名の人間を手に掛けた修羅である。
彰が繰り出した高速の銃撃は、半ば弛緩していた智代達の意識を強引に覚醒させた。

「……皆、こっちだ!」

思わぬ奇襲を受ける形となった坂上智代が、咄嗟の判断で傍にあった机やテレビを拾い上げて、ソファーの上に積み重ねた。
続いて仲間達と共に、即席のバリケードへと身を隠す。
だが耐久性に乏しい日常品を組み合わせた所で、短機関銃が相手ではそう長い間耐えられない。
降り注ぐ銃弾の嵐と共に、ソファーや机の表面が急激に削り取られてゆく。

「美佐枝さん、反撃だ! アサルトライフルで応射してくれ!」
「ゴメン、無理よ。さっきの攻撃を避けた時に、入れてある鞄ごと落としちゃったから……」
「く――――」

焦りを隠し切れぬ面持ちで、智代が強く唇を噛んだ。
このままでは不味い。
防壁が破られる前に、自分達にとって有利な場所――罠を張り巡らしてある二階まで逃げ延びる必要がある。
しかし、と智代は横方向に視線を動かした。

(……駄目だ、遠過ぎる)

唯一の脱出経路である廊下への入り口は、此処から十数メートル以上も離れた所にある。
卓越した身体能力を持つ自分ならばともかく、他の仲間達にとっては絶望的な距離。
強引に逃げようとすれば、ほぼ確実に仲間達の中から犠牲者が出る。
かと云ってこの場に留まり続ければ、いずれ防壁が決壊し皆殺しにされてしまう。
智代に残された選択肢は、最早唯一つのみ。

362名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:40 ID:JAd3em1s0

「……私が時間を稼ぐから、皆は先に逃げてくれ!」
「な!? 智代、ちょっと待ち――――」

茜が制止する暇も無い。
叫ぶや否な、智代は跳ねるような勢いで遮蔽物の陰から飛び出した。
弧を描く形で駆けながら、手にしたペンチを彰目掛けて投擲する。
しかし人力による射撃程度では、相手を打倒し得る一撃とは成らない。
ペンチは簡単に避けられてしまったが、そこで智代は鞄からヘルメットを取り出した。
先程と同じように、彰へと狙いを定めて投げ付ける。

「ほら、もう一発だ!」
「チ――――」

彰が横方向へと跳躍した事でヘルメットは空転したが、構いはしない。
この連続投擲は、あくまでも敵の攻撃を封じる為のもの。
遮蔽物の無い場所では、マシンガンの銃撃は正しく死のシャワーと化すだろう。
間断無く牽制攻撃を行って、敵にマシンガンを撃たせない事こそが、この場に於ける最優先事項だった。
そして既に、仲間が逃げ延びるだけの時間は稼ぎ終えている。

「……そろそろ潮時か」

智代は自らが逃走する時間を稼ぐべく、残された最後の武器――手斧を投擲して、投げ終わった瞬間にはもう廊下に向かって駆け出していた。
破壊の跡が深く刻み込まれた部屋の中を、一陣の風が吹き抜ける。
駆ける智代の速度は、常人では及びもつかない程のものだった。

(大丈夫……二階にさえ辿り着ければ、きっと何とかなる)

銀の長髪を靡かせながら、智代は全速力で疾駆する。
敵は強力無比な銃器で武装しているが、自分達とて無策でこの建物に篭っていた訳では無い。
二階には幾多もの罠を設置してある。
罠を張り巡らせた場所まで移動出来れば、十分対抗し得るように思えた。

しかし彰とて数度の戦いを潜り抜けた修羅。
単調な牽制攻撃のみで、何時までも抑え切れる程甘い敵ではない。

「このっ……!」
「――――!?」

高速で駆ける智代を撃ち抜くのは困難。
故に彰は智代を狙うのでは無く、寧ろ廊下の入り口方向にマシンガンを撃ち放った。
逃げ道を防がれる形となった智代が、後方への退避を余儀無くされる。
その隙に彰は床を蹴って、廊下の入り口に立ち塞がるような位置取りを確保した。
五メートル程の距離がある状態で、智代へとマシンガンの銃口を向ける。

「残念だったね。君は頑張ったけど、そう簡単に逃がしてあげる訳にはいかないんだ」
「く、そっ…………!」

絶体絶命の窮地へと追い込まれた智代が、心底忌々しげに舌打ちする。
――逃げ切れない。
それは、智代が抱いた絶対の確信。
もうバリケードの影へと逃げ込む時間は無いし、廊下へと続く道も塞がれしまっている。
今の智代に、イングラムM10の銃撃から逃れ得る術は無かった。

(これで――三人目!)

彰は目標にまた一歩近付くべく、手にしたマシンガンのトリガーを引き絞ろうとする。
銃の扱いに於いて素人に過ぎない彰だが、この距離、この状況。
外す訳が無い。
しかしそこで響き渡った一つの叫び声が、定められた結末を覆した。

363名無しさん:2008/03/12(水) 00:54:55 ID:JAd3em1s0
「智代、頭を下げて下さい!」
「…………ッ!?」

甲高い声。
智代は促されるまま上体を屈めて、彰も本能的に危険を察知し横方向へと飛び退いた。
次の瞬間、空気の弾ける音と共に、それまで彰や智代の居た空間が飛来物に切り裂かれてゆく。
前屈みの状態となっていた智代が視線を上げると、廊下の先に電動釘打ち機を構えた茜の姿があった。
一旦退避した茜だったが、智代を援護すべく舞い戻ってきたのだ。

「智代! こっちです、早く!」
「ああ、分かった!」

智代は上体を屈めた態勢のまま、廊下に向かって全速力で駆け出した。
その間にも茜が幾度と無く釘を撃ち放ち、彰の追撃を許さない。
廊下の奥で智代と茜は合流を果たし、そのまま傍にある階段を駆け上がっていった。

「っ……逃がして堪るか!」

遅れ馳せながら彰も地面を蹴って、智代達の後を追ってゆく。
複数の銃火器の重量に耐えつつも廊下を走り抜けて、勢い良く階段を駆け上がった。
二階に着いた途端見えたのは、一際大きな扉。
彰はマシンガンに新たな弾倉を装填した後、扉に向かって掃射を浴びせ掛けた。
扉は派手に木片を撒き散らしながら、穴だらけとなってゆく。

「ふ…………っ!」

彰はボロボロになった扉を押し破って、そのまま奥へと飛び込んだ。
開け放たれた視界の中に広がったのは、優に数十メートル四方はある大広間。
元は役場の職員達が使用してたのか、大量の作業用机が規則正しく並べられている。
そして彰の前方二十メートル程の所に、走り去ろうとする智代の後ろ姿。

(他の奴らは何処に――いや、それは後回しで良い。まずはアイツから仕留めるんだ!)

二兎を追う者は一兎も得ず、という諺もある。
欲を出し過ぎる余り、結果として一人も倒せなかったという事態は避けなければならない。
彰は机の間を縫うように疾走しながら、智代の背中をマシンガンで撃ち抜こうとして――

「…………ッ!?」

瞬間、大きくバランスを崩した。
慌てて態勢を立て直そうとしたが、既に両足は地面から離れてしまっている。
どん、という音。
イングラムM10を取り落としながら、彰は勢い良く床へと叩き付けられた。

「あ、がぁぁぁっ…………!?」

予期せぬ事態に見舞われた彰が、苦痛と驚愕に塗れた声を洩らす。
状況が理解出来ない。
自分は決して運動を得意としていないが、戦いの場で足を踏み外す程に不注意な訳でも無い。
なのに、何故――そんな疑問に答えたのは、近くの机の影から聞こえてきた声だった。

「まさか、こんな子供じみた罠が決まるなんてねえ……」
「灯台下暗し、ですよ。勝利を確信している時こそ、足元が疎かになるものです」

そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
里村茜と相良美佐枝である。
二人が眺め見る先、細長い縄が机と机の間に張られていた。
人間の膝の位置くらいに仕掛けられたソレこそが、彰を転倒させた罠だった。
立ち上がった彰がイングラムM10を拾うよりも早く、茜の釘撃ち機が向けられる。

364名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:00 ID:JAd3em1s0

「無駄です。自身の装備を過信して深追いしたのが、命取りになりましたね」
「ク――――」

これで、完全に形成逆転。
釘撃ち機の発射口は、正確に彰の胸部へと向けられている。
既に発射準備を終えている茜と、未だ得物を回収出来てすらいない彰、どちらが先手を取れるかなど考えるまでも無い。
それに愛佳や智代も、彰を取り囲むような位置取りへと移動していた。
茜は抑揚の無い冷めた声で、死刑宣告を襲撃者へと突き付ける。

「それでは終局にしましょうか。これまで何名の人達を殺してきたか知りませんが、その罪を自身の命で清算して下さい」

茜に迷いは無い。
殺人遊戯の開始当初、自分は優勝を目指して行動する腹積もりだったのだ。
智代の説得により方針を変えたとは云え、殺人者に掛ける情けなど持ち合わせてはいなかった。
しかしそこで愛佳が、茜を制止するように腕を横へと伸ばす。

「……小牧さん? 一体何のつもりですか?」
「あの、その……ゴメンなさい。でも、幾ら何でもいきなり殺す事は無いと思います」
「嫌です。殺人鬼となんて、話し合う必要も意味もありませんから」
「そんな、頭から決め付けたら駄目ですよ。話し合えば、分かり合えるかも知れないじゃないですか……!」

その提案に茜が難色を示したものの、愛佳は引き下がろうとしない。
自分達はあくまでも殺し合いを止めるのが目的であり、殺生は可能な限り避けたい所。
話し合って和解出来ればそれが一番だと、愛佳は考えていた。
先ずは当面の安全を確保すべく、地面に落ちているイングラムM10を回収しようとする。

「悪いけど、コレは預からせて貰いますね。そうしないと、落ち着いて話も――――」
「……小牧、危ない!」

だが突如横から聞こえて来た叫び声が、愛佳の話を途中で遮った。
愛佳が横に振り向くのとほぼ同時に、叫び声の主――智代がこちらへと駆け寄って来ていた。
智代は強く地面を蹴ると、スライディングの要領で愛佳の腰へと組み付いて、そのまま地面へと倒れ込んだ。
次の瞬間、けたたましい銃声がして、愛佳の傍にあった机が激しく木片を撒き散らす。


「――見付けたわよ。殺し合いに乗った悪魔達」


冷え切った声。
愛佳が声のした方へ目を向けると、大広間の入り口、開け放たれた扉に青髪の少女が屹立していた。
少女――七瀬留美は短機関銃H&K SMG‖を握り締めたまま、憎悪で赤く充血した瞳を愛佳達へと向けた。

「アンタ達みたいな……アンタ達みたいな人殺しがいるからっ! 藤井さんは死んでしまったのよ!!」

それは、留美と面識のある愛佳や美佐枝にとって、寝耳に水の発言だった。
嘗て自分達はこの島で留美と出会い、志を共にする者として情報の交換等も行った。
少なくとも敵対するような関係では無かったし、自分達が殺し合いを否定している事は留美とて知っている筈である。

「ちょ……ちょっと待って下さい、いきなり何を言い出すんですか? あたし達は殺し合いになんて乗っていません!」
「だったら、さっき聞こえて来た銃声は何? それにどうして、その男の人を集団で囲んでるのよ?
 前に私と会った時は善人の振りをしてたって訳ね……絶対に許さない!」

謂れの無い言い掛かりを否定すべく、愛佳が懸命に声を張り上げたが、その訴えは即座に一蹴される。
冬弥の死により復讐鬼と化した留美は、既に冷静な判断力を失ってしまっている。
怒りに曇った目で見れば、彰を取り囲む愛佳達の姿は、殺人遊戯を肯定しているとも判断出来るものだった。
最早、愛佳の言葉は届かない。
ならば、と元の世界で留美と同じ学校に通っていた茜が、一歩前へと躍り出た。

365名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:51 ID:JAd3em1s0

「七瀬さん、落ち着いて下さい。先に襲って来たのはその男の方です」
「五月蝿い、言い訳なんて聞きたくない! 私を騙そうたってそうは行かないんだから!!」
「――っ、話に、なりませんね……」

全く話を聞こうとしない留美の態度に、茜は元より、他の仲間達も一様に表情を歪める。
今の留美は、怒りが一目で見て取れる程に激昂している。
とても、会話の通じる状態とは思えない。
それでも未だ諦め切れない愛佳が、再度対話を試みようとする。

「七瀬さん、お願いですから話を聞いて下さい! 前はあんなに仲良く…………ッ!?」

愛佳の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
皆の注意が留美に引き付けられている隙を付いて、彰が床に落ちてあるイングラムM10を拾い上げたのだ。
愛佳達が机の影に駆け込むのと同時、彰の手元から激しい火花が放たれた。
彰は一箇所に狙いを絞ったりせずに、留美を含めた全員に向けて、弾切れまで掃射を浴びせ掛けてゆく。
銃撃は誰にも命中せずに終わったが、皆が回避に意識を裂いている間に、彰は少し離れた位置にある机へと退避していた。

「……そう。折角助けてあげたのに、アンタも殺し合いに乗ってたって訳ね。
 良いわ、なら最初にアンタから殺してやる!」

彰の行動に怒りを露とした少女の名は、七瀬留美。
留美からすれば、今彰が行った攻撃は完全に裏切り行為。
取り囲まれていた所を助けて上げたというのに、その返礼が鉛弾では余りにも理不尽である。
己が激情に従って、留美はH&K SMGⅡのトリガーを攣り切れんばかりに引き絞った。
無数の銃弾が、彰が隠れている机に向かって撃ち放たれる。

「くぅ――――」

短機関銃の集中砲撃を受けては、机程度の防備ではとても防ぎ切れない。
危険を察知した彰が、弾倉の装填作業を中断して、一も二も無く机の影から飛び出した。
殆ど地面を転がるような形で、何とか留美の銃撃から逃れる事に成功した。
程無くして、留美のH&K SMGⅡが弾切れを訴える。
彰と留美の銃は、共に弾丸が切れた状態となった。

「今…………!」

彰は何よりも優先して、イングラムM10に新たな銃弾を装填しようとする。
得物は互角――彰も留美も、短機関銃で武装している。
ならば先に銃弾を装填し終えた方が、圧倒的な優位性を確保出来る筈だった。
しかし次の瞬間留美が取った行動は、彰にとって予想外のもの。

「てやああああああああっ!!」
「な――――!?」

留美は装弾作業を行おうとせず、彰に向かって全速力で走り出した。
智代程では無いにしろ、嘗て剣道部で鍛え抜いた身体能力は、並の女子高生とは比べるべくも無い。
十数メートルはあった間合いを一息で詰め切って、駆ける勢いのままH&K SMGⅡを横薙ぎに一閃した。
彰も反射的に左腕で防御しようとしたが、高速で振るわれる鋼鉄の銃身は正しく凶器。

366名無しさん:2008/03/12(水) 00:57:44 ID:JAd3em1s0

「ガアァッ…………」

攻撃を受け止めた彰の左上腕部に、痺れる様な激痛が奔る。
意図せずして動きが鈍くなり、次の行動への移行が遅れてしまう。
だが、何時までも痛みに悶えている暇は無い。
眼前では留美がH&K SMGⅡを天高く振り上げており、もう幾ばくの猶予も無い。

「く、あ……このおぉぉぉ!」
「っ――――」

彰は強引に痛みを噛み殺すと、イングラムM10を右手で強く握り締めて、留美の振るう得物と交差させた。
二つの凶器が衝突して、激しい金属音を打ち鳴らしたが、多少左腕を痛めていようとも男と女では腕力差がある。
彰は力任せに留美の態勢を崩して、そのまま容赦の無い中段蹴りを放った。

「――甘い!」

留美も伊達に中学時代、剣道に打ち込んでいた訳では無い。
腹部に向けて迫る一撃を、留美は体勢を崩したままH&K SMGⅡの銃身で打ち払った。
しかし衝撃までは殺し切れずに、後方へと弾き飛ばされてしまいそうになる。
留美はその勢いに抗わず、寧ろ利用する形で一旦彰と距離を取った。

(良し、今の内に……!)

一方彰は、機を逃さずして近くにある机の影へと飛び込んだ。
運動神経で劣る自分にとって、単純な力勝負ならともかく、銃を鈍器代わりにしての近接戦闘は間違い無く不利。
闘争の形式を銃撃戦へと戻すべく、イングラムM10に新たなマガジンを詰め込んだ。
時を同じくして、留美も銃弾の装填作業を完了する。
二人は机と机の影を移動しながら、互いに向けて銃弾を放ち始めた。


眩い閃光が瞼を焼き、強烈な銃声が鼓膜を刺激する。
激しい破壊が撒き散らされる大広間の中、彰達から大きく離れた位置に、裏口から逃亡しようとする智代達の姿があった。
裏口の先は、智代と茜が幾多もの罠を張り巡らしたロッカールームである。
そこまで行けば、後は容易に逃げ切れる筈だった。

「美佐枝さん、茜、小牧――全員揃ったな。あの二人が潰し合ってる間に、私達は退散するとしよう」
「けど、良いのかな……。 七瀬さんがあんな事になってるのに、止めずに逃げるだなんて」
「……小牧の言いたい事も分かる。でも私達の装備であの戦いに飛び込めば、まず無事では済まないだろう。
 此処は退くしかないんだ」

367名無しさん:2008/03/12(水) 01:00:14 ID:JAd3em1s0

愛佳の指摘を受け、智代は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それでも決定は覆さない。
自分達の武装は、彰や留美に比べて余りにも貧弱である。
無理に戦いを止めようとすれば、仲間内から犠牲者を出してしまう可能性が極めて高いだろう。
仲間を救う為ならばともかく、襲撃者同士の潰し合いを止める為に、そこまでのリスクを犯す義理は無いように思えた。

「それじゃ、良いな?」
「……分かりました」

愛佳が渋々といった感じで頷くのを確認してから、智代は裏口の扉を押し開けようとする。
だが、その刹那。
智代達の後方で、ダンと床を踏み締める音がした。

「おいおい、何処に行くんだよ? パーティーはまだ始まったばかりじゃねえか」
「あ、貴方は――――」

愛佳が後ろへ振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
肉食獣のような鋭い眼光に、成人男性の平均を大きく上回る長身。
忘れる筈も無い。
今眼前に居る男は、間違い無く殺人鬼――岸田洋一その人だった。

「……愛佳ちゃん、この男を知っているのかい?」
「はい。名前は分かりませんけど、この人が芹香さんを殺した犯人です……」
「――――っ、コイツが……!」

その言葉を聞いた瞬間、美佐枝は眉をキッと斜め上方に吊り上げた。
美佐枝の脳裏に浮かび上がるのは、冷たくなった芹香の死体。
そして芹香を守れなかったと知った時の、どうしようも無い程の後悔だった。
後悔は怒りとなって、美佐枝の思考を埋め尽くす。
美佐枝は鞄の中から鋭い包丁を取り出して、戦闘態勢に移行しようとする。
そこで、横から投げ掛けられる茜の声。

「……相良さん、落ち着いて下さい。悔しいとは思いますが、今は退くべき時です」
「でも、コイツが来栖川さんを……!」
「聞き分けて下さい。今此処に留まれば、七瀬さん達も交えた泥沼の戦いになってしまいます」

茜の言葉は正しい。
大広間の反対側では、今も留美と彰が戦っているという事実を失念してはいけない。
二人の襲撃者の矛先が、何時こちらへと向いても可笑しくは無いのだ。
此処で岸田洋一を倒そうとすれば、恐らくは留美達とも戦う羽目になるだろう。
だからこそ激情を押さえ込んで退くべきだ、というのが茜の判断だった。
しかしそのような判断を、眼前の殺人鬼が良しとする筈も無い。

「はっ、連れねえな。もっと怒りに身を任せようぜ?」
「一人で勝手にどうぞ。貴方が何を言おうとも、私達は退かせて貰います」
「……チッ、ガキの癖に冷静ぶってんじゃねえよ」

落ち着いた茜の声を受けて、岸田は苛立たしげに舌打ちをした。
少しでも多くの人間を殺し、犯したい岸田にとって、茜達の撤退は極力避けたい事態。
逃げ去る茜達を一人で追撃するという手もあったが、敵は四人。
彰達を巻き込んだ乱戦状態ならばともかく、正面から戦えば勝ち目は薄いと云わざるを得ない。
故にあらゆる手を用いて、茜達をこの場に留まらせようとする。

「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
「私と同じ制服の人を……ですか?」

茜が問い掛けると、岸田は邪悪な笑みを口の端に浮かべた。

「ああ、殺したよ。二人共思う存分に犯してからな。名前は確か……長森さん、柚木さんと呼び合っていたな」
「え…………」

368名無しさん:2008/03/12(水) 01:01:47 ID:JAd3em1s0

岸田の言葉を聞いた瞬間、茜は即頭部を強打されかのような衝撃に見舞われた。
クラスメイトである長森瑞佳の事もあったが、それ以上に茜に衝撃を与えたのはもう一人の名前。

「詩子、を――――」

幼馴染で、それと同時に掛け替えの無い親友でもある詩子が殺された。
それも、女性の尊厳を奪われた後で。
実際に岸田が犯したのは瑞佳一人のみだが、その事実を茜が知り得る方法は無い。
茜の動揺を見て取った岸田が、心底愉しげに笑い声を張り上げた。

「ハハハッ、ハハハハハハハハハハ! どうやら大当たりだったみたいだな? 苦痛と恥辱に歪んだ女達の顔、お前にも見せてやりたかったぜ」
「貴方は……貴方という人は…………!」
「ほら、掛かって来いよ。俺の事が憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
「くっ…………」

怒りで肩を震わせる茜に向けて、嘲笑混じりの挑発が投げ掛けられる。
それでも茜は、決壊寸前の理性を危うい所で何とか保っていた。
今すぐにでも眼前の怨敵を殺してやりたいが、此処で激情に身を任せる訳にはいかない。
血が滲み出る程に拳を握り締めながらも、沸騰した感情を少しずつ冷ましてゆくよう試みる。
しかし茜が怒りを抑えられたとしても、他の者達もそうだとは限らない。

「――そう。そんなに殺して欲しいのなら、望み通りにしてあげる」
「美佐枝さんっ!?」

怒りの炎を瞳に宿し、包丁片手に岸田の方へと歩いてゆく女性が一人。
相良美佐枝である。
岸田が行ってきた数々の卑劣な行為、人を見下した言動に、美佐枝の我慢は最早限界を突破していた。
驚愕する智代にも構わずに、眼前の殺人鬼目掛けて疾走を開始する。

「来須川さんが受けた痛み、その身で味わいなさい!」
「ヒャハハハッ、良いぞ! その調子だよ!!!」

岸田は鞄から大きな鉈を取り出すと、美佐枝を大広間の奥に誘い込むべく後ろ足で後退してゆく。
頭に血が昇っている美佐枝は、派手な足音を立てながら追い縋ろうとする。
その行動は、過度に場の注意を引き付ける愚行である。
案の定、新たな敵の接近に気付いた彰が、美佐枝目掛けて銃弾を撃ち放った。
所詮素人の銃撃であり、しかも遮蔽物が極めて多い屋内。
銃弾が命中する事は無かったが、美佐枝の鋭い視線が彰へと向けられた。

「……邪魔をするつもり? だったら、アンタも殺すよ!!」
「やれるものなら、やってみるが良いさ。尤も――負けて上げるつもりは無いけどね」

加速する憎悪、伝染してゆく殺意。
美佐枝が叫んでいる間にも、彰や留美の短機関銃は幾度と無く火花を放っている。
岸田も得物をニューナンブM60に持ち替えて、安全圏から必殺の機会を淡々と見計らっている。
鎌石役場の大広間は、最早完全なる死地と化していた。

「……っ、美佐枝さんを見捨てる訳には行かない。皆、行こう!」

強力な武器を持つ襲撃者二人に、殺人鬼・岸田洋一。
その三人に比べて、美佐枝の戦力は圧倒的に劣っている。
このまま一人で戦い続ければ、確実に命を落としてしまうだろう。
故に智代は仲間達の決起を促して、美佐枝を援護すべ戦火の真っ只中へ飛び込んでいった。

一度戦いが始まってしまえば、最早行く所まで行くしか無い。
坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳、七瀬彰、七瀬留美、岸田洋一。
総勢七名による激闘の火蓋が、切って落とされた。

369名無しさん:2008/03/12(水) 01:03:17 ID:JAd3em1s0



「茜、小牧! まずはあの外道から何とかするぞ!」

智代が叫ぶ。
此度の戦いを引き起こした元凶は、執拗に挑発を繰り返した岸田である。
智代は岸田一人に狙いを絞って、仲間達と共に猛攻を仕掛けようとする。
だが智代達が岸田の元に辿り着くよりも早く、飛来して来た弾丸が前方の床を削り取った。

「……ふん。やっぱり、狙い通りの場所を撃つのは難しいわね……。でも、下手な鉄砲も数撃てば何とやらよ」

銃撃を外した留美だったが、すぐに智代達目掛けて次なる銃弾を撃ち放ってゆく。
留美にとってこの場で一番脅威なのは、徒党を組んでいる智代達に他ならない。
ならば智代達を優先的に狙っていくのは、至極当然の事だった。

「くそっ……先にお前から倒すしかないか!」

横から短機関銃で狙われている状態では、岸田を仕留めるなどまず不可能。
智代は腰を低く落とした態勢となって、留美に向けて疾走し始めた。
それと同時に、茜が釘撃ち機による援護射撃を行って、留美の銃撃を封じ込める。
やがて茜の武器が弾切れを訴えたが、既に智代は留美の近くまで詰め寄っている。
留美のH&K SMGⅡが構えられるよりも早く、空を裂く一陣の烈風。

「――せやああ!」
「あぐッ…………」

智代が放った中段蹴りは、正確にH&K SMGⅡの銃身を捉えて、遠方へと弾き飛ばしていた。
慌てて後退する留美の懐に智代が潜り込んで、次なる蹴撃を打ち込もうとする。
しかし留美はバックステップを踏んでから、手斧――下の階で回収しておいたもの――を鞄より取り出して、横薙ぎに一閃した。
済んでの所で屈み込んだ智代の頭上を、恐ろしく鋭い斬撃が切り裂いてゆく。
時を置かずして、返しの袈裟蹴りが智代目掛けて振り下ろされた。

「っ――――」

智代は咄嗟に首を逸らして逃れたものの、斧の先端が右頬を浅く掠める。
更に立ち上がる暇も与えんと云わんばかりに、留美の手斧が横一文字の軌道を描いた。
屈み込んだままの智代の脇腹に、鋭利な刃先が迫る。
それは常人なら回避不可能な一撃だったが、智代は強靭な脚力を存分に生かして、只の一跳びで優に一メートル近く跳躍した。
留美の手斧を足下で空転させながら、宙に浮いた状態のまま強烈な回し蹴りを繰り出す。

「シッ――――!!」
「く、う…………!」

智代の蹴撃は、防御した留美の上腕越しに強烈な衝撃を叩き込んだ。
留美はその場に踏み止まり切れず、一歩二歩と後ろ足で後退する。
そこに智代が追い縋ろうとしたが、留美は下がりながらも迎撃の一撃を振り下ろす。
縦方向に吹き荒れた凶風は、智代が踏み込みを中断した所為で空転に終わった。

「……アンタ、相当やるわね」
「お前もな。正直な話、接近戦で私と渡り合える女が居るとは思わなかった」

正しく刹那の攻防。
二人は一定の距離を保った状態で、警戒の眼差しを交差させる。
智代の身体能力は筆舌に尽くし難いものだし、自由自在に斧を振るう留美の手腕も侮れない。
殺人遊戯に対する方針や戦闘スタイルこそ異なれど、両者の実力は拮抗していた。

時と場所が違えば名勝負になっていたであろう組み合わせだが、こと戦場に於いては、何時までも眼前の敵だけを意識している訳にはいかない。
正面の獲物に拘り過ぎれば、第三者に横から漁夫の利を攫われてしまうのだ。
智代と留美が各々の方向へ退避するのとほぼ同時、それまで二人が居た場所を、猛り狂う銃弾の群れが貫いてゆく。

370名無しさん:2008/03/12(水) 01:04:04 ID:JAd3em1s0


「くそっ、今のを避けるなんて…………!」

予想以上に高い智代と留美の危険察知能力に、彰は苦虫を噛み潰す。
狙い澄ました今の連撃でさえ、戦果を挙げる事無く回避されてしまった。
これでは闇雲に銃弾を連射した所で、弾丸の無駄遣いに終わるだけだろう。
イングラムM10の銃弾も無限にある訳では無い。
彰は一旦机の影へと頭を引っ込めて、次の好機を待とうとする。
しかし好機を探っている人間は、この場に彰一人だけという訳では無い。
彰の背後には、密かに忍び寄る美佐枝の姿があった。
気配に気付いた彰が振り返るのと同時、美佐枝の包丁が斜め上方より振り落とされる。

「隙らだけよ――死になさい!!」
「っ…………、ガアアアアアッ!」

彰も身体を横に逸らそうとしたが、完全には躱し切れず、左腕の付け根付近を少なからず切り裂かれた。
切り裂かれた傷口から紅い鮮血が零れ落ちる。
続けざまに美佐枝が包丁を振り被ったが、彰もこのまま敗北を喫したりはしない。
優勝して澤倉美咲を生き返らせるという目的がある以上、未だ倒れられない。
無事な右腕を駆使して、イングラムM10の銃口を美佐枝の方へと向ける。

「こんな所で! 僕は負けられないんだっ!!」

右腕一本では銃身の固定が不十分だった所為で、そして咄嗟に美佐枝が飛び退いた所為で、弾丸が命中する事は無かった。
しかしそれでも、距離を離す時間だけは十分に確保出来た。
彰は近くの遮蔽物にまで逃げ込んで、鞄から新たな弾倉を取り出そうとする。
そうはさせぬと云わんばかりに、美佐枝が彰に向かって駆け出したが、そんな彼女の下に一発の銃弾が飛来した。

「……くあああっ!?」

左肩を打ち抜かれた美佐枝が、激しい激痛に苦悶の声を洩らす。
美佐枝の後方、約二十メートル程離れた所に、ニューナンブM60を構えた岸田が屹立していた。
岸田はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、格好の標的となった美佐枝に追撃を仕掛けようとする。
しかし咄嗟の判断で攻撃を中断すると、上体を大きく斜めへと傾けた。
案の定、岸田のすぐ傍を鋭い飛来物が切り裂いてゆく。

「くっくっく……お前もやる気になったみたいだな」

岸田は銃撃して来た犯人達の方に視線を向けると、口許を三日月の形に歪めた。
視線の先には、里村茜の姿。
茜は電動釘打ち機を水平に構えた状態のまま、絶対零度の眼差しを岸田に返した。

「ええ。こうなってしまった以上、もう怒りを我慢する必要はありませんから」

親友の命を奪った岸田は、茜にとって憎むべき怨敵。
それと同時に、可能ならばこの場で倒しておきたい強敵でもある。
戦いは最早止めようの無い段階にまで加速してしまった以上、岸田を最優先に狙うのは当然だった。
余計な会話など無用とばかりに、茜は電動釘打ち機のトリガーを何度も何度も引き絞る。

371名無しさん:2008/03/12(水) 01:05:27 ID:JAd3em1s0

(……高槻の野郎に復讐するまで、弾丸は使い過ぎない方が良いな)

飛来する五寸釘を確実に回避しながら、岸田は瞬時の判断で得物を鉈へと持ち替えた。
修羅場に於ける高い判断力こそが、この殺人鬼の快進撃を支えている大きな要因である。
リスクを犯してまで血気に逸る必要は無い。
岸田は冷静に遮蔽物の陰へと身を隠すと、茜の釘打ち機が弾切れを起こすまで守勢に徹し続けた。
電動釘打ち機がカチッカチッと音を打ち鳴らすと同時に、弾けるような勢いで物陰から飛び出す。
肉食獣の如き殺気を剥き出しにして、岸田が茜に向けて疾駆する。

「くぅ――――」

茜も急いで次の釘を装填しようとしたが、とても間に合わない。
眼前には、既に鉈を振り上げている岸田の姿。
刃渡り一メートル近くもある鉈の直撃を受ければ、即死は免れないだろう。
茜は考えるよりも早く、膝に全身の力を集中させた。
後の事を心配している余裕は無い。
とにかく全力で、力の限り真横へと跳躍する――!

「………………っ」

ブウン、という音。
加速する身体に置いて行かれた金の髪が、唸りを上げる鉈によって両断される。
正に紙一重のタイミングで、何とか茜は己が命を繋ぐ事に成功した。
跳躍に全てを注ぎ込んでいた所為で、着地に失敗して隙だらけの姿を晒してしまう。
地面に倒れ込んだ状態の茜に向けて、岸田が追撃の剣戟を叩き込もうとする。
だが岸田と違って、茜には仲間が居る。
向けられた殺気に気付いた岸田が飛び退いた直後、一条の銃弾が傍の机へと突き刺さった。

「里村さん、大丈夫ですか!?」
「……有難う御座います、助かりました」

救援者――小牧愛佳に礼を言いながら、茜は直ぐに立ち上がって、釘打ち機に新たな釘を装填していった。
その一方で愛佳は、狙撃銃であるドラグノフを装備している。
二つの凶器、二つの殺意が同時に岸田へと向けられた。

「二人掛けかッ…………!」

不利を察知して後退する岸田に向けて、次々と五寸釘が迫り来る。
このままでは良い的になってしまう。
岸田は近くの机に身を隠そうとしたが、そこで広間中に響き渡る一発の銃声。
音が鳴り止んだ時にはもう、机に深々とした穴が穿たれていた。

「本当はこんな事したくないけど……でも、皆を守る為なら!!」

備え付きのスコープを覗き込みながら、愛佳が自らの決意を言葉に変えた。
貫通力に優れるドラグノフの銃弾ならば、机の防御ごと岸田を倒し切る事が可能。
素人に過ぎない愛佳が用いている為に、そう簡単に直撃はしないだろうが、敵の警戒を促すには十分過ぎる。

「チィィィ――――――」

遮蔽物を利用出来なくなった岸田が、それでも卓越した身体能力を活かして耐え凌ぐ。
ある時は上体を逸らし、ある時は横に跳び、またある時は地面へと転がり込む。
しかし時間が経つに連れて、回避に余裕が無くなってゆき、済んでの所で命を繋ぐといった場面が増えてきた。
追い詰められた岸田が、焦燥に唇を噛み締める。

(糞ッ、このままじゃ不味い……! どうすれば――――)

372名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:17 ID:JAd3em1s0

そこで視界の端に、あるモノが映った。
同時に、頭に浮かぶ一つの案。
リスクは伴うが、成功すれば間違い無く敵を『絶望の底』へと叩き落せるであろう悪魔的奇手。
悩んでいる暇は無い。
直ぐ様岸田は、己が策を実行に移すべく動き出した。
まずは集中力を最大限に引き出して、茜が放つ攻撃を弾切れまで躱し続ける。
その作業は決して楽なものでは無かったが、十分な距離を確保していたお陰で、何とか避け切る事に成功した。

「次は…………」

岸田は何処までも冷静に計算を張り巡らせながら、目的の地点へと移動する。
到着するや否や、その場に仁王立ちして、愛佳の動向に全集中力を注ぎ込んだ。
戦場で足を止めるのは自殺行為に近いが、それでも早目の回避行動を取ったりはしない。
愛佳に狙いを外されては、『困る』のだ。
十分な時間的余裕を与える事で、正確に照準を定めて貰わなければならない。
そしてドラグノフの銃口が岸田の胸部へと向けられた瞬間、二人分の叫びが部屋中に木霊した。


「ここだ――――!!」
「当たって――!!」


愛佳のドラグノフが咆哮を上げる。
岸田は全身全霊の力で横へと飛び退いて、迫るライフル弾を薄皮一枚程度の被害で回避した。
次の瞬間、部屋の中央部付近で、唐突に真っ赤な霧が広がった。
美しい薔薇の花のような、そんな光景。
戦っている最中の者達も、一旦敵から間合いを取って、各自が霧の出所へと視線を集中させる。

373名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:52 ID:JAd3em1s0


「――――あ、」


愛佳の喉から、酷く掠れた声が漏れ出た。
目の前の光景に、あらゆる思考が停止してしまっている。


「あ、ああ――――」


頭の中を、ミキサーで乱暴に掻き回されているような感覚。
全身の表面には鳥肌が立ち、喉はカラカラに乾いている。


「ああ、あ、あああ…………ッ」

愛佳が銃口を向けている先。
古ぼけた机の影には――頭の上半分を消失した、相良美佐枝の姿があった。


「あああああアアァァァアアああああああああああああああああッッ!!!!!」


愛佳の絶叫を待っていたかのようなタイミングで、美佐枝の身体が地面へと崩れ落ちる。
何故このような事態になったか、考えるまでも無い。
愛佳の発射した銃弾が、岸田の後方に居た美佐枝を撃ち抜いたのだ。

「あたしは……あたしはぁぁぁ…………っ!!」

愛佳はドラグノフを取り落として、地面へと力無く膝を付いた。
美佐枝は何時も自分を気遣ってくれていたのに。
何時も自分を守ってくれていたのに。
その恩人を、自らの手で殺してしまった。

「フ――――ハハハハハハハハハハハハハハッッ! 良いぞ、もっと喚け! もっと叫べ!
 そうだよ、お前がその女を殺したんだよっ!!!」

更なる追い討ちを掛けるべく、岸田が愛佳へと哄笑を浴びせる。
お前が殺したのだ、と。
お前の所為で相良美佐枝は死んだのだ、と。
覆しようの無い残酷な事実を、少女の心へと突き付ける。

374名無しさん:2008/03/12(水) 01:07:54 ID:JAd3em1s0

「あたしはああああアアアァァああああああああああアアアア……ッ!」

愛佳は壊れ掛けたラジオのように叫び続けながら、自身の顔を乱暴に掻き毟った。
皮膚が裂け、赤い血が漏れ出たが、愛佳の狂行は止まらない。
喉から迸る絶叫は悲鳴なのか慟哭なのか、それすらももう分からない。

「うわあああああああああぁあああああああっ!!!!」

救いは無い。
頭部を砕かれた美佐枝は、もう二度と動かない。
疑う余地は無い。
ドラグノフのトリガーを引いた指は、間違い無く自分自身のモノ。
理性を完全に失った少女は、獣じみた本能で逃走だけを乞い求めて、大広間の外へと走り去っていった。



「美佐枝、さん…………」

静寂が戻った大広間の中で、智代は呆然とした声を洩らす。
岸田と愛佳の会話から、大体の状況は把握出来ている。
過程までは分からないが、愛佳は自らの手で美佐枝を殺してしまったのだ。
最悪の事態を防げなかったという絶望が、智代の心を押し潰そうとしていた。

「こ、んな…………事って…………」

深い失意の底に在るのは、茜も同じだった。
標的を岸田一人に絞っていた自分は、危険を察知出来る状況にあった筈なのに。
攻撃に意識を集中する余り、岸田の後方に美佐枝が居るという事実を見落としてしまった。


「くくく、くっくっく……ハーハッハッハッハッハッ!」

哄笑は高く、屋根を突き抜けて、天にまで届くかのように。
岸田は絶望する智代達を見下しながら、狂ったかのように笑い続ける。
智代も茜も未だ、岸田に立ち向かえる程精神を回復出来てはいない。
だから岸田の狂態を遮ったのは、意外な人物の一声だった。

「――この、下衆が…………!!」

放たれた声に岸田が視線を向けると、そこには留美の姿があった。
留美は怒りも露に、鋭い視線を岸田へと寄せている。
H&K SMGⅡを握り締めている手から零れる血が、彼女の怒りが並大抵のものではないと物語っていた。

「おいおい、お前が言うなよ。殺し合いをしてたのは、お前だって同じだろ?」
「私をアンタと一緒にしないで! 少なくとも私は、アンタみたいに人の不幸を楽しんだりはしてない!」

眼前の男がどれ程外道か、復讐鬼と化した留美でも理解する事が出来た。
何か譲れぬ目的があって殺人遊戯に乗っているのなら、許しはしないが未だ分かる。
だがこの男は、只自分が楽しむ為だけに、非道な行為を繰り返しているのだ。

375名無しさん:2008/03/12(水) 01:08:52 ID:JAd3em1s0

「そんなに殺し合いが好きなのなら! そんなに人の不幸を楽しみたいのなら! 地獄に堕ちて、其処で勝手にやって来なさい!!!」
「ハッ、お断りだね。俺はまだまだパーティーを盛り上げなくちゃいけないからな」

岸田洋一は何処までも愉しげに、留美は般若の形相を浮かべて。
二人の殺戮者が、各々の銃器を携えて対峙する。
感情を剥き出しにして行動する二人は、良くも悪くも人間らしい。
しかし全員が全員、彼らのように感情で行動している訳では無い。
この場には一人、己が目的を果たす為だけに、文字通り修羅と化した男が居る。
皆が各々の心情を露にする中、彰は一人淡々と行動を続けていた。

(……僕は彼女みたいに怒れないし、怒る資格も無い。僕は目的の為に全てを棄てたんだ。
 美咲さんを生き返らせる為には、絶対に勝ち残らないといけないから――)

感情任せに、これ以上戦いを続けるのは愚行。
お世辞にも体力があるとは云えない自分の場合、極力長期戦は避けるべきだろう。
故にこの場に於ける最善手は、最強の一撃を置き土産として撤退する事だった。
既に必要な位置取りは確保した。
得物の準備も済ませてある。
遅まきながら他の者達も彰の動向に気付いたが、最早手遅れ。
出入り口の前に陣取った彰は、M79グレネードランチャーを皆が密集している地点へと向ける。



「――全員、死んでくれ」



短い宣告と共に、猛り狂う炸裂弾が撃ち放たれた。
正しく突然の奇襲。
七瀬留美や岸田洋一といった面々は各々が即座に回避行動へと移ったが、茜は一瞬反応が遅れてしまった。

「あ――――」

立ち尽くす茜の喉から、呆然とした声が零れ落ちた。
視界の先には、高速で襲い掛かるグレネード弾の姿。
駄目だ、もう間に合わない。
茜は自身の死を確信して――――

「茜―――――――!!」
「智代ッ…………!?」

そこで、真横から勢い良く智代が飛び込んできた。
その直後、大広間の中央部で激しい爆発が巻き起こされる。
爆発の規模は建物を倒壊させる程では無かったが、それでも大きな破壊を齎した。
轟音と爆風が大気を震わせて、閃光が部屋中へと広がってゆく。
規則正しく配列されていた机が、次々と中空に吹き飛ばされる。
爆風が収まった後も、巻き上げられた漆黒の煙が、大広間の中を覆い尽くしていた。

376名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:22 ID:JAd3em1s0

「あっ――、く……そ……」

怒りと苦悶の混じり合った声。
飛散する木片を左手で振り払いながら、留美が黒煙の中から姿を表した。
整った顔立ちは埃に塗れ、制服は至る所が黒く汚れている。

「やって、くれたわね……」

爆心地から比較的離れた位置に居た為、深手を負う事は避けられたが、爆発時の閃光を直視してしまった。
お陰で視力は大幅に低下し、前方数メートルに何があるのか把握するのも楽では無い。
恐らく症状は一時的なものだろうが、これ以上戦闘を継続するのは不可能だ。
此処は一旦撤退するしか無いだろう。
勘を頼りに出入口へと向かう最中、留美は一度だけ後ろを振り向いた。
頭の中を過るのは一つの疑問。

(――私は本当に正しいの?)

小牧愛佳は殺し合いに乗っていなかった。
優勝を狙おうという腹積りなら、いずれは共闘者すらも殺す覚悟があった筈。
手違いから早目に殺してしまったとしても、あそこまで取り乱したりはしない筈なのだ。
間違いなく愛佳は殺し合いに乗っていないし、その仲間達も美佐枝が死んだ時の反応を見る限り、恐らく殺人遊戯否定派だろう。
だというのに自分は、一方的に彼女達を襲ってしまった。
これでは、冬弥を殺した殺人鬼と何も変わらないのではないか。
そこまで思い悩んだ後、留美は左右に首を振った。

(……考えるのは後ね。まずはこの場から離れないと)

此処は戦場だという事を忘れてはならない。
煙が晴れる前に脱出しなければ、いらぬ追撃を被ってしまうかも知れない。
そう判断した留美は、途中で見付けたH&K SMGⅡを回収した後、大広間の外へと歩き去っていった。
心の中に、大きな迷いを抱えたまま。

377名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:50 ID:JAd3em1s0



二人の七瀬が立ち去った後、やがて煙も薄れてゆき、大広間の全貌が明らかとなる。
規則正しく配列されていた机も、その殆どが爆発の煽りで吹き飛ばされ、乱雑な形で床に転がっている。
部屋の所々では、赤々と燃える残り火達。
荒らされ尽くした広間の中、その一角で茜が声を張り上げていた。

「智代! しっかりして下さい、智代!」

彰の奇襲に対して、茜は何の回避行動も取れなかったが、智代が庇ってくれたお陰で殆ど怪我せずに済んだ。
しかし、その代償は決して軽くない。
屈み込んだ態勢で叫ぶ茜の眼前には、横たわったまま動かこうとしない智代の姿。

「どうして……どうしてこんな事をしたんですか! 私を庇ったりしなければ、こうはならなかった筈なのに!」

叫びながら智代の肩をガクガクと揺さぶるが、一向に何の反応も返っていない。
完全に意識を失ってしまっている。
茜は尚も智代の肩を揺らそうとしたが、そこでようやく我に返って、大きく一度深呼吸をした。

(……違う。こんな時こそ落ち着かないと……!)

乱れる心を懸命に抑え込んで、智代の状態を良く注視する。
身体中に無数の掠り傷を負ってはいるものの、致命傷となるような傷は見受けられない。
ただこめかみの辺りから、一筋の血が流れ落ちている。
恐らくは側頭部を強打して、その所為で気絶してしまったのだろう。
まずは安全な場所まで運んで、意識の回復を待つべきだ。
そう判断した茜は、智代の身体を持ち上げようとして――


「ククク……未だ残ってる奴らが居たか」
「…………ッ!?」

愉しげに弾んだ声。
驚愕に振り返った茜は、瓦礫の下から這い出てくる悪魔――岸田洋一の姿を目撃した。
岸田は立ち上がると、自身の服にこびり付いた埃をパンパンと払い除けた。

「あの糞餓鬼、いきなりふざけた物をぶっ放しやがって……。危うく死ぬ所だったじゃねえか。
 でもま、獲物達が残ってただけマシか」

語る岸田の外観からは、目立った外傷は殆ど見受けられない。
精々、頬の辺りに軽い掠り傷がある程度だ。
彰がグレネードランチャーを放った瞬間、岸田は傍にある机の影へと逃げ込んだ。
その甲斐あって、被害を極限まで抑える事に成功したのだ。

「お前達、もうボロボロだな? 他の奴らはもう逃げたようだし、痛ぶってから殺すにはお誂え向きの状況だ」
「……この、悪魔…………!」

岸田は銃火器を用いるまでも無いと判断したのか、鞄から鉈を抜き出した。
応戦すべく茜も立ち上がったが、彼我の戦力差は果てしなく大きい。
恐るべき殺人鬼と、戦い慣れしていない只の女子高生。
どちらが有利かなど、考えるまでも無かった。

378名無しさん:2008/03/12(水) 01:10:49 ID:JAd3em1s0

「そら、掛って来いよ。何なら、そこで倒れてるお仲間から殺してやっても良いんだぜ?」

岸田の表情には、緊張や焦りといった類のものは一切見受けられない。
それも当然の事だろう。
岸田からしてみれば、この戦いはあくまでも余興だ。
初めから勝つと分かり切っている戦いに、恐れなど抱く筈も無い。

(此処は逃げ――いえ……駄目ですね)

茜は浮かび上がった考えを、一瞬の内に打ち消した。
自分とて、勝ち目が無い事くらいは理解している。
愛佳と二人掛かりでも倒せなかったのに、自分一人で勝てる筈が無い。
どうせ勝てないのら、気絶している智代を置いて、一人で逃げるのが最善手かも知れなかった。
だが――

「智代――今の私が在るのは、貴女のお陰です。貴女が居なければ、私は外道の道を歩んでいたでしょう」

殺人遊戯の開始当初、自分は殺し合いに乗るつもりだった。
どんな手段を使ってでも、優勝を勝ち取るつもりだった。
そんな愚か極まり無い自分を、智代が諫めてくれたのだ。
あの時の出来事が無ければ、自分は岸田と然程変わらぬ下衆になっていただろう。
智代が居るからこそ、今の自分が在る。

「貴女は何時だって無茶をして、私を救い続けてくれた。だから今度は、私が無茶をする番です。
 たとえ此処で死ぬ事になろうとも、私は絶対に退いたりしない……!」

そう云って、茜は電動釘打ち機を構えた。
茜の瞳に恐れや迷いといったモノは無く、ただ決意の色だけがある。
その姿、その言葉が気に触ったのか。

「助け合いの精神か……反吐が出るな。幾ら綺麗事を吐こうが、所詮この世は弱肉強食なんだよ。
 お前みたいな弱者は、誰も救えないまま野垂れ死にやがれ!!」

直後、岸田の足元が爆ぜた。
幾多もの人間を殺してきた殺人鬼が、肉食獣のような前傾姿勢で茜へと襲い掛かる。
放たれる釘を左右へのステップで避けながら、一気に間合いを詰め切った。
茜も釘打ち機の照準を定めようとしたが、そこに振るわれる鉈の一閃。

「遅いぞ、雌豚」
「っつう………!」

鉈の刀身は正確に釘打ち機を捉え、空中へと弾き飛ばしていた。
続いて岸田は手首を返して、肘打ちで茜の脇腹を強打した。
殺害では無く破壊を目的とした一撃は、容赦無く獲物に衝撃を叩き込む。

379名無しさん:2008/03/12(水) 01:11:31 ID:JAd3em1s0

「がふっ……、く……」

呼吸困難に陥った茜が、後ろ足で力無く後退してゆく。
それは岸田にとって、仕留めるのに十分過ぎる程の隙。
今攻め立てれば、ものの数秒で勝負を決める事が出来るだろう。
だが岸田は敢えて追撃を行おうとせずに、心底馬鹿にしたような視線を投げ掛ける。

「お前、馬鹿か? お前みたいな餓鬼如きが、この俺に勝てる訳無いじゃねえか」
「……そう、でしょうね。云われなくても、そんな事くらい分かっています」

肯定。
自分に勝機が無いという事実を、茜はいとも簡単に認めた。
釘打ち機は今の衝突で失ってしまったし、もう碌な武器が残っていない。
しかしその事実を前にして尚、茜の瞳に絶望は浮かび上がっていない。

「――だけど、私は信じています」
「信じている……だと?」

訝しげな表情となった岸田が、眼前の少女に問い掛ける。
数秒の間を置いた後、茜は自身の想いを言葉へと変えた。

「私は智代を信じています。智代なら絶対に起き上がって、貴方を倒してくれます。
 だから、私がするべき事はそれまでの時間稼ぎだけです」

諦めなど無い。
智代が意識を取り戻すまでの間、自分が岸田を食い留める。
それが茜の選んだ道であり、勝利に至る方程式だった。
揺るがない想い、揺るがない信頼が、茜を巨悪に立ち向かわせる。

「ハッ、下らないな。女の一人や二人増えた所で、何が出来るってんだ?
 お前達に残されているのは、俺に殺される未来だけなんだよ!」

岸田は茜の言葉を一笑に付すと、すぐさま攻撃へと移行した。
邪悪な笑みを湛えたまま前進して、勢い任せに鉈を振り下ろす。
得物を失った茜には、回避する以外に生き延びる術が無い。

380名無しさん:2008/03/12(水) 01:12:38 ID:JAd3em1s0

「っ――――」

茜は自身の全能力を注ぎ込んで、横方向へとステップを踏んだ。
敵の攻撃が大振りだった事もあって、紙一重の所で命を繋ぐ事に成功する。
だが岸田からすれば、今のはあくまで威嚇の一撃に過ぎない。
攻撃が外れた事など気にも留めず、茜の懐へと潜り込んだ。

「悶えろ!」
「あぐっ…………!」

岸田は上体を斜めへと折り畳んで、拳で茜の脇腹を強打した。
続けて足を大きく振り被り、渾身の回し蹴りを打ち放つ。
純粋な暴力の塊が、茜に向けて襲い掛かる。
茜も咄嗟に両腕で防御したが、その程度ではとても防ぎ切れない。
岸田の攻撃は、ガードの上からでも十分な衝撃を叩き付けた。

「ぅ、……あっ…………!」

度重なる攻撃を受けた茜が、後ろ足で力無く後退する。
そこに追い縋る長身の悪魔。
岸田は茜が苦し紛れに放った拳を避けると、天高く鉈を振り上げた。


「――さて。そろそろフィナーレと行こうか?」


振り下ろされる銀光。
岸田の振るう鉈は茜の右太股を深々と切り裂いて、真っ赤な鮮血を撒き散らした。
茜は苦悶の声を上げる事すら侭ならず、無言でその場へと倒れ込んだ。

「本当なら犯してから殺す所なんだが、生憎と少し前に楽しませて貰ったばかりなんでね。
 お前は直ぐに殺してやるよ」
「あ……っつ…………くああっ…………」

茜は懸命に立ち上がろうとするが、如何しても足に力が入らない。
動けない茜の元に、鉈を構えた殺人鬼が歩み寄る。
反撃の一手は無い。
逃げる事も不可能。
最早完全に、チェックメイトの状態だった。
迫る死が、覆しようの無い状況が、茜の心に絶望の火を灯す。

(智代、すみません。私は貴女を守れなかった――――)

武器を奪われ、機動力も封じられた茜は、心の中で謝罪しながら目を閉じた。
精一杯頑張ったつもりだが、結局自分は何も出来なかった。
無力感に苛まれながら、数秒後には訪れるであろう死の瞬間を静かに待ち続ける。


「…………?」

だが、何時まで経ってもその時は訪れない。
疑問に思った茜が、目を開こうとしたその瞬間。
茜の耳に、鈍い打撃音が飛び込んできた。

381名無しさん:2008/03/12(水) 01:13:35 ID:JAd3em1s0

「…………え?」

最初に茜が目にしたものは、数メートル程離れた位置まで後退した岸田の姿。
岸田は驚愕と怒りの入り混じった形相で、茜の真横辺りを睨み付けている。
茜が岸田の視線を追っていくと、そこには――


「――待たせたな」
「あ、あ…………」


眼前には待ち望んでいた光景。
この島でずっと行動を共にしてきた、何よりも大切な仲間の横顔。
茜の傍で、意識を取り戻した坂上智代が屹立していた。

「……もう何度も後悔した。私はこれまで死んでいった人達を救えなかった。美佐枝さんも救えなかった」

智代はそう云うと、視線を地面へと落とした。
語る声は後悔と苦渋に満ちている。
この島では余りにも多くの人が死んでしまい、智代の周りでも同志が倒れていった。
救えなかった苦しみ、守れなかった無念が、智代の心を苛んでいる。

「だけど、もう後悔なんてしたくないから――」

銀髪の少女は首を上げて、真っ直ぐに岸田を直視した。
後悔ばかりしているだけでは、何も変わらないから――
直ぐ傍に、何としてでも守り抜きたい人が居るから――

強く拳を握り締めて。
自身の苦悩を、そのまま燃え盛る闘志へと変えた。

「この男を倒して! 茜だけは絶対に守り切ってみせる!!」
「智代……ッ!」

瞬間、智代の身体が掻き消えた。
生物の限界にまで達したかと思えるような速度で、前方へと駆ける。
岸田を間合いに捉えた瞬間、智代の右足が閃光と化した。

382名無しさん:2008/03/12(水) 01:14:15 ID:JAd3em1s0

「ガ――――ッ!?」

岸田には、蹴撃の残像すら見えなかったかも知れない。
まともに左側頭部を強打されて、そのまま大きく態勢を崩してしまう。
その隙を狙って、智代の彗星じみた連撃が繰り出される。

「ハァァァァァァァアッ!!」
「ぐがあああああっ…………!」

一発、二発、三発、四発――
一息の間に放たれた蹴撃は、例外無く岸田の身体へと突き刺さっていた。
余りにも凄まじいその猛攻を受ければ、並の人間なら意識を手放してしまうだろう。
だが岸田とて歴戦の殺人鬼。
そう簡単に敗北を喫したりはしない。

「こ……のっ…………クソがあ!」

岸田は罵倒で痛みを噛み殺すと、右手の鉈を横一文字に奔らせた。
派手な風切り音を伴ったソレは、直撃すれば間違いなく致命傷となるであろう一撃。
だが、智代の表情に焦りの色は無い。

「……この程度か? 七瀬の斧の方が余程速かったぞ」
「な、に――――!?」

智代は優に一メートル以上跳躍して、迫る鉈を空転させる。
そのまま空中で腰を捻って、岸田の顔面に強烈な蹴撃を打ち込んだ。
直撃を受けた岸田は大きく後方へと弾き飛ばされて、背中から地面に叩き付けられた。


「智代……凄い…………」

地面に腰を落とした状態のまま、茜が驚嘆に言葉を洩らす。
智代が見せた動きは、岸田を大幅に上回っていた。
彼我の体格差などものともせずに、一方的に岸田を痛め付けてのけたのだ。
智代の実力は最早、女子高生などという枠に収まり切るものでは無い。

383名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:18 ID:JAd3em1s0


「早く立て。倒れている相手を追い打つのは、私の流儀に反するからな」

智代は敢えて追撃を仕掛けずに、岸田が起き上がるのを待っていた。
殺し合いの場であろうとも自分を曲げるつもりは無い。
あくまで自らの信念、自らの生き方を貫いたまま、目的を達成してみせる。
智代と茜の視線が注ぎ込まれる中、ようやく岸田がよろよろとした動作で立ち上がる。

「……調子に乗るな、雌豚がああああっ! もう後の事なんぞ知るか、コレでお前をぶっ殺してやる!」

岸田はそう叫ぶと、直ぐに鞄からニューナンブM60を取り出した。
高槻と戦う時まで銃弾を温存しておくつもりだったが、最早そんな事は考えていられない。
今この場で全力を出し切ってでも、この女達は八つ裂きにせねば気が済まない。

「さあ、パーティーは終わりだ! 死ね! 死んでこの岸田に逆らった事を後悔しろ!」

怒りも露に岸田が叫ぶ。
銃という凶悪な力を手に、智代達に死刑宣告を突き付ける。
だが智代は銀の長髪を靡かせながら、口の端に強気な微笑みを浮かべた。

「パーティーか。そうだな……仮にこれを、パーティーの中で行われる演劇とすれば――」

智代の腰が落ちる。
それに呼応するようにして、岸田の銃が水平に構えられる。

「――主役(わたし)が勝ち、敵役(おまえ)が負ける! それが演劇のフィナーレというものだ!!」

鳴り響く銃声、木霊する叫び。
それを契機として、最後の戦いが幕を開けた。

384名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:58 ID:JAd3em1s0


「ハッ――――――!」

智代は凄まじい速度で横に跳躍して、岸田の初弾から身を躱した。
間を置かずして前進しようとするが、そこで再び銃口と対面する事になる。
智代が咄嗟に前進を中断した瞬間、ニューナンブM60が死の咆哮を上げた。
容赦も躊躇も無い銃撃が、必殺の意思を以って放たれる。

「ク――――」

全力で身体を捻る。
智代の頭上付近を、黒い殺意の塊が通過していった。
何とか危険を凌いだと思ったのも束の間、更に二連続で放たれる銃弾。

「……………っ」

態勢を崩したままの智代は、地面へと転がり込む事で、迫る死からどうにか身を躱した。
しかし、それで限界。
今の状態では、これ以上の回避行動を続けるなど不可能だった。

「そら、そこだ!」
「グッ……ガアアアアアアア!」

智代が起き上がるよりも早く、岸田のニューナンブM60が五発目の銃弾を放つ。
放たれた銃弾は智代の左肩へと突き刺さり、そのまま肉を抉り貫通していった。
迸る鮮血に、智代の服が赤く染まってゆく。

「ハーハッハッハッハッハッハ! 馬鹿が、素手で銃に勝てる訳が無いだろうが!」

先程から一方的に攻め立てている岸田が、勝ち誇った笑い声を上げる。
確かに現在の所、勝負は圧倒的に岸田が押している。
岸田が銃を持って以来、智代は一度も近付けてすらいない。

――だが、岸田は失念してしまっている。
銃という武器が持つ、最大の弱点に。
智代は無言で起き上がると、そのまま一直線に岸田の方へと走り出した。

「馬鹿が、真っ直ぐに向かってくるとは――、…………ッ!?」

迎撃を行おうとした岸田の表情が驚愕に歪む。
智代に向けてニューナンブM60の引き金を絞ったものの、銃弾は発射されなかった。
弾切れ。
銃器である限り、絶対に逃れられない枷。
圧倒的優位に酔いしれる余り、岸田は残弾の計算すらも忘れてしまっていたのだ。

385名無しさん:2008/03/12(水) 01:17:03 ID:JAd3em1s0


「オオオオぉおおおおおお―――――――!!!!」

敵の弾切れを確認した瞬間、智代は文字通り疾風と化した。
これこそが、智代の待ち望んでいた機会。
度重なる連戦で負った疲労とダメージは決して軽くない。
この好機を逃してしまえば、自分にはもう後が無い。
故に今この時、この瞬間に自分の全てを注ぎ込む――――!!


「――これは美佐枝さんの分!」
「ガッ、グ…………!」

智代は一息の間に距離を詰めて、岸田の腹部を思い切り蹴り上げた。
強烈な衝撃に、岸田の手からニューナンブM60が零れ落ちる。

「これは小牧の分!」
「っ――――ぐ、ふっ…………!」

智代の上段蹴りが、岸田の顎へと正確に突き刺さった。
激しく脳を揺らされた岸田が、完全に無防備な状態を晒す。

「これは私と茜の分!」
「あ、が、ぐ――――」

蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。
叩き込まれた攻撃は実に十発以上。
皆の怒りを、皆の無念を籠めて、智代の足が何度も何度も振るわれた。
だが、未だ終わりでは無い。
銀髪を流星の尾のように引きながら、智代が更なる攻撃を仕掛けてゆく。


「そしてこれは――」


踏み込む左足が、力強く、大地を震わせた。
その勢いは前進力となって、完全に同軌したタイミングで右足が一閃される――!!


「お前に殺された人達の分だ――――――!!!」
「うごぁぁああアアアアアアアアア…………ッ!」


正に全身全霊、渾身の一撃。
交通事故にも等しい衝撃が、岸田の腹部へと叩き込まれる。
智代が放った蹴撃は、巨躯を誇る岸田洋一の身体すらも、優に十メートル以上弾き飛ばした。

386名無しさん:2008/03/12(水) 01:18:27 ID:JAd3em1s0



「ぐっ……糞、ど畜生が…………!」

岸田が何とか立ち上がって、鞄から電動釘打ち機を取り出したものの、その動きは目に見えて鈍くなっている。
とても、智代の攻撃を裁き切れるような状態では無い。

「これで、終わりだ…………!」

智代は勝負に終止符を打つべく、一気に踏み込もうとする。
次に智代が岸田を間合いに捉えれば、その瞬間に戦いは決着を迎えるだろう。
満身創痍となった岸田洋一は、碌に反撃すらも出来ず、意識を刈り取られる。



だが――その刹那。


もう少しで、智代の足が届く距離になるという時に。
追い詰められている筈の岸田が、あろう事か禍々しい笑みを浮かべ出した。


「……そうか。最初からこうすれば良かったんだな」
「――――え、」


智代の動きがピタリと停止する。
前方で、岸田の電動釘打ち機が水平に構えられていた。
智代に向けてでは無い。
岸田は咄嗟の判断で、智代では無く茜に釘打ち機を向けたのだ。
足を怪我している茜に、釘打ち機の発射口から逃れる術は無い。

「動けばどうなるか、分かってるよな?」

智代が下手な行動を起こせばどうなるか、考えるまでも無い。
殺人鬼・岸田洋一はそれこそ何の躊躇も無く茜を撃ち殺すだろう。
例えその後、自分自身が殺される事になろうともだ。
岸田は空いてる方の手で投げナイフを取り出すと、一歩も動けない智代に向けて構えた。

387名無しさん:2008/03/12(水) 01:20:05 ID:JAd3em1s0

「駄目です、智代! 私の事なんて良いから、戦って――」
「……じゃあな、雌豚」

茜の叫びも空しく。
冷たい宣告と共に、ナイフが容赦無く投げ放たれた。
鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
智代は呼吸器官から湧き上がる血液を吐き出して、自身の服を真っ赤に染め上げた。

「……す、ま、ない。あか………ね―――――」

膝から力が抜けて、上体が折れる。
智代は最後に一言だけ言い残すと、冗談のような鮮血を流しながら地面へと倒れ込んだ。
倒れ込んだ智代に向けて、更に岸田が一発、二発と五寸釘を打ち込んだ。
衝撃に智代の身体が揺れたが、それも長くは続かない。
十数秒後。
そこにはもう、二度と動かなくなった亡骸のみが残っていた。

「と、智代…………!!」

茜が右足を引き摺りながら、懸命に智代の死体まで歩み寄ろうとする。
だが目的地に到着するよりも早く、背中に強烈な衝撃が突き刺さった。
茜は盛大に吐血すると、力無く地面へと崩れ落ちた。


「ったく、手間掛けさせやがって。身体中が痛むし最悪だ」

茜の背中からナイフを引き抜きながら、不快げに岸田が呟いた。
岸田は茜の肩を掴むと、強引に身体を自分の方へと向けさせる。

「何はともあれ、これで理解出来ただろ? 仲間なんて下らないモノに拘ってる連中は、馬鹿みたいに野垂れ死ぬだけだってな」

岸田はそう言い放つと、茜の胸にナイフを突き立てた。
生命の維持に欠かせない心臓が破壊され、夥しい量の血が飛散した。
だが、茜は尚も身体を動かして、智代の下に這い寄ろうとする。

388名無しさん:2008/03/12(水) 01:21:05 ID:JAd3em1s0


(せめて……智代の…………傍で――――――)

霞みゆく視界、薄れゆく意識の中で、懸命に這い続ける。
萎えてしまった腕の筋肉を総動員して、少しずつ距離を縮めてゆく。
せめて。
せめて最期は、智代の傍で。
残された唯一の望みを果たすべく、茜は尚も動こうとして。

「――しつけえよ。いい加減死ね」

そこで岸田のナイフがもう一度だけ振るわれて、茜の首を貫いた。
周囲の床に血が飛び散って、赤い斑点模様を形作る。
神経を遮断された茜は、最早指一本すら動かせない。


誰一人として守れないまま、大切な仲間の下にも辿り着けないまま。
里村茜の意識は暗闇へと飲まれていった。
見開かれたままの大きな瞳からは、血で赤く染まった涙が零れ落ちていた。

389名無しさん:2008/03/12(水) 01:24:39 ID:JAd3em1s0
【時間:2日目15:00】
【場所:C-03 鎌石村役場】

相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか】
【所持品2:他支給品一式(2人分)】
【状態:死亡】

坂上智代
【持ち物:湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

里村茜
【持ち物:フォーク、釘の予備(23本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ、役場から逃亡】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い、役場から逃亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。役場から逃亡】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(0/5)、予備弾薬9発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:肋骨二本骨折、内臓にダメージ、身体中に打撲、疲労大、マーダー(やる気満々)。今後の方針は不明】


【その他:二階の大広間に電動釘打ち機(11/15)、ドラグノフ(1/10)が、一階に89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ペンチ数本、ヘルメットが放置】



→B-10


>まとめサイト様
タイトルは『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』で御願いします。
また凄く長い話になってしまったので、二分割掲載を希望します(後編は>>377から)

390名無しさん:2008/03/13(木) 19:35:18 ID:QjCmsZtU0
>まとめサイト様
申し訳御座いません
幾つか矛盾点がありましたので、以下のように訂正お願いします


>>363
>そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
           ↓
そう言いながら姿を現したのは、長い金髪の少女と、成熟した体型の女性。



>>367
>「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
>「私と同じ制服の人を……ですか?」
                       ↓
「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――お前と同じ年頃の女を二人、殺してやったぞ」
「私と同じ年頃の……ですか?」



>>387
>鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
       ↓
鋭い白刃は正確に智代の胸部へと突き刺さって、中にある内蔵すらも破壊する。

391『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』作者:2008/03/13(木) 19:35:51 ID:QjCmsZtU0
嗚呼……名前忘れました

392Intermission-1:2008/03/19(水) 03:40:59 ID:C1BCUMC.0
「…………」
「…………」
 何もしなくても時間は過ぎる。
 奥の部屋では珊瑚が独りでワームを作っている。
 あの部屋に到るまではたとえ何処からでも確実にこの部屋を通らなくてはならない。
 珊瑚と同じ部屋にいたままだんまりは宜しくない。その判断の元で一つ前の部屋に三人は集まっていた。
 やっていることはレーダーによる監視。
 誰かが首輪を外す手段を見つけていないなら確実にこれで捕捉出来るはず。
 起きている必要もない。寧ろ先を考えるなら寝ている方が良いだろう。独りで十分なはずなのに、そう思いながら珊瑚からレーダーを預かった瑠璃は目の前の男を見て溜息を吐く。
「寝たらどうや?」
「いや俺はまだ元気だから」
「後で足手まといになられても困るんやけど」
「じゃあ瑠璃が寝ればいい」
「ウチがさんちゃんから預かってるねん。そんなんできひんよ」
「…………」
「…………」
 これの繰り返し。
 みさきは既に布団の中。
 戦力になりうる二人がいざと言う時に戦えないのはどう考えても致命的なのだが、双方折れない。
 客観的に見れば今浩之は何もしていない。先程までは手分けして家中虱潰しに捜索し、食べ物以外にも役立つものもそれなりには見つけたのだが――そこまでだ。
 守勢に回る以上瑠璃がレーダーを抱えている限りやることもない。
 寝ていた方が百倍マシだろう。
 戦闘要員を差し置いてみさきが一番マシな行動をしているのも問題があるかもしれないが。

393Intermission-1:2008/03/19(水) 03:41:51 ID:C1BCUMC.0
 が、浩之にも浩之なりの理屈はあった。
「まぁ……俺よりは瑠璃の方がずっと疲れてるだろうからな。取り敢えず寝ておけよ」
「あかん」
 あの姉を連れ、守り、規格外に強力な武器を手に入れ、その割りにその武器は対峙した相手には使えず、漸く巡り合えた家族とは時を待たずに散り散り、挙句その命は……
 珊瑚は他に誰も出来ない事をやっている以上眠ってくれとは言えない。曲がりなりにも一応は安全と言える状況で道具も揃っている。又とない機会だ。これを逸する手はない。
 しかしその妹が休める状況があるのに休ませない手も又ない。
 集団で行動する時の速度は集団で一番遅いものに併せられる。
 流石にみさきと珊瑚より遅くなることはないだろうが、それでも疲れが溜まっているものから休ませるべきではあるだろう。
 と言う理屈もあるが、何より憔悴した目の前の娘が張り詰めた弦のように切れないようにしたいと言うのが一番の本音だった。
 それでも二人が起き続けるのが一番無駄なのだと言う事は二人とも分かっているのだが。
 その静寂がもう暫く続いた後、瑠璃が口火を切った。
「なぁ」
「ん?」
「さんちゃん頭ええやろ?」
「そうだな」
 掛け値ない本音だ。自分や自分の知り合い全てひっくるめても丸で敵わないだろう。正に規格外の天才だ。
「最高の天才だ」
「そうやねん。でも、ウチはアホなんや。さんちゃんと双子やってのが信じられへんくらい全然違う」
「瑠璃?」
「でもな、ウチ考えたんや。いっぱいいっぱい考えたんや。これからどうなるんか。どうするんか。イルファは……ウチのせいで……」
 涙を溜めて言葉を詰まらせる。が、それでも最後まで言い切った。
「ウチのせいで死んだ。ウチがさんちゃんが止めるの聞かずに勝手に行ったからや。その後さんちゃん連れて逃げたんは後悔しとらへん。ほんまはしとるかもしれへんけど……それでもしとらへん。ウチはさんちゃんが一番大事や。それはかわらへん。でも、ウチが行かんかったらイルファも死なんですんどったかもしれんのや」
「それは違うぜ」
 見過ごせないペテン。浩之は遮った。
「浩之?」
「それは違う。瑠璃。イルファって人が死んだのは瑠璃のせいじゃねー。そのイルファを殺した人のせいだ。そしてこの糞ゲームを開いた奴のせいだ。確かに瑠璃が行かなかったらイルファは死ななかったかもな。そこまでは事実だ。だが、断じて瑠璃のせいでイルファが死んだんじゃねーぞ。そこだけは履き違えるな」
 それでも納得は行かないのだろう。浩之の理論は一面では正しい。が、そうでない部分もある。
「いいな?」
「あかんよ」
「何?」
 哀しげに首を振る瑠璃は、なおも自分に断罪の杭を撃つ。
「あかん。それでもあかんねん。確かに直接殺したんはそいつやし、そうさせたんはゲーム開いた奴のせいかもしれへんけどな。そんな時に不用意に動いたウチが悪くないはずないねん。――――浩之。ここは戦場やで。戦場で散歩して撃ち殺されて。撃った奴が悪いゆってられへんやろ?」
「…………」
 それも又正しかった。でなくばこの世界に自衛なんて必要ない。
「だからイルファが死んだのはウチのせい。……でもある。それは間違いない」
 それでも訂正を入れてくれたのだ。陳情は無駄ではなかったのだろう。

394Intermission-1:2008/03/19(水) 03:42:24 ID:C1BCUMC.0
「でな。アホやけど考えてん。ウチがこの世で一番なんはさんちゃん。それだけはかわらへん。ずっとずっと。でも、この島は戦場や。ここもいつまで安全かはわからへん。レーダーあるから奇襲だけは……それでもないとは言えへんけど、そんなに気にせんでええ。でもウチらには武器があれしかないからな。家でも吹っ飛ばせるけど、先に撃たれておしまいや。やからこのままやと最初に戦闘する時にはどうしてもウチらが戦わなならん。さんちゃんもみさきも戦えへんからな。さんちゃんがウチより先に死ぬ事はない。ウチがさせへん。でも、ウチが死んだらここにはもう浩之しかおらんねん。浩之、そうなったらさんちゃん……守ってくれるか?」
「ったりめーだろ?」
 何を言い出すのかと思えば。考えるに値しない。
「ちゃう!」
 彼はそう思ったのだが。
「そうやない! 浩之はわかってへん! っ……ふ……浩之。さっき、ウチゆうたよな。『守る覚悟』って。その後も色々考えてん。でもな、最後まで考えると浩之が行った通り人殺しをする覚悟も必要になるんや。ウチがイルファ殺した人みたいなの殺すの躊躇してさんちゃんが殺されるのは絶対にだめなんや。イルファはそれが出来た。きっと出来た。そう言う相手を『殺してでも』さんちゃんとみさきを……守ってくれるんか?」
 瑠璃の問いは遥かに重かった。決まっていない覚悟を見せるな。その眼は言外にそう告げている。これが年下の少女が見せる眼だろうか。澄んで、燃えて、何処までも重い。
 浩之は暫し眼を閉じ、黙考した。
 瑠璃は解答を急かさない。
 手元のレーダーも、そこで寝ている少女も、今この瞬間はこの世界からは切り離されていた。
 何もしなくても時間は過ぎる。
 彼は漸く眼を開ける。
「……確かに、認識が甘かったな」
 穏やかに口を開き、彼は続けた。
「あいつは俺達を殺そうとした。川名は後少し、ほんの僅か俺が遅れるだけで死んでいた。間違いなく。あのデイバッグのように弾けていたんだよな」
 それは瑠璃に語っているのではないのかもしれない。
 ここまで来た幸運、悪運、不運。自分の認識の甘さ、覚悟の薄さ。
 それをただ確認しているだけなのかもしれない。
「そして俺は川名を連れて逃げ出した。そのこと自体は間違っているとは思わねー。現にこうして生きている。が、あの時はちゃんと武器もあったんだよな。反撃する為の武器が。それを捨てたから逃げられたんだけど、捨てなきゃ返り討ちには出来たかもしれないのか。――確かにここは戦場だわ。有無を言わさず殺しに来る奴がいる。そう言う奴らを殺せなかったせいで川名が死ぬのは……許せねえな」
 これは間違った認識なのかもしれない。しかしここは戦場だった。理想を抱いて周りの者を殺す選択肢を選ぶことは、彼には出来なかった。
「――瑠璃。守ってやる。川名も、珊瑚も、お前も。覚悟は決めたぜ。襲ってくる殺人鬼を殺さずに追い返す、なんて真似はしない。まぁ、逃げられる事はあるかもしれねーけどよ」
 最後は肩を竦めておどけてみせる。それでも瑠璃には十分過ぎた。貴明はここにはいない。イルファは自分のせいで亡くなった。自分が倒れた後他に頼る当てもなかった彼女にとって、浩之の誓いは何よりも有難いものだった。
「……あんがとな」
 呟かれる礼に、彼は無言を持って応えた。

395Intermission-1:2008/03/19(水) 03:43:20 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:00頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

396Intermission-2:2008/03/19(水) 03:43:52 ID:C1BCUMC.0
「せや」
「?」
 瑠璃の唐突な呟きで先刻までの重い空気は破られた。
「もう一つ大事な事があったんや。忘れるとこやった」
「忘れてなかったか?」
「やかまし。浩之、うちらの事信じとる?」
 又も今更。当然だろう。
「あたりめーだろ?」
「ウチもや。浩之たちのことは信じとる。やけど、この先ずっと4人のままとはかぎらへんやん。誰かが来るかもしれんやろ?」
「まぁ、そうだな」
 その可能性は往々にして在り得る。偶然がなければこうして姫百合姉妹と出会うこともなかった。
「でも、そいつが本当に信じられるかはわからへんやん。騙そうと思って近付いてきとるのかもしれん」
「まぁ、そうだ」
 その可能性も十二分に考えられる。そしてこちらが油断した時に致命的な一撃を放つそう言う奴の方が始末に追えない。
「やから、ウチは絶対に信用できる奴以外は仲間に入れたくないんや」
「でもそれだと、本当に困ってる奴が助け求めてきたらどうすんだ?」
「見捨てる。と言いたいとこやけど、さんちゃんもみさきも反対するやろ。ウチかて本当はそんなんしたない。やから今の内に話しときたいねん。浩之。絶対に信用できる人間は誰がおる?」
「そーだな……あかり、雅史、……志保もまぁこんな馬鹿げたのにゃ乗らんだろ。後は来栖川センパイ、マルチ、理緒ちゃん辺りは何があっても平和主義者だろうぜ」
「ウチはイルファと貴明とさんちゃんだけやねん。でな、ウチは貴明は疑えへん。やから貴明が来たら浩之が警戒して。その代わり今浩之が言った人間はウチが警戒する」
「!!」
 信頼してる人に対しては警戒が甘くなる。ましてこの状況。疑心暗鬼より拒絶するのでなければ、どうしても仲間は求めたくなる。そして、この状況で正常を保っている保障は誰にもないのだ。
「で、どちらでもない人間が来たら二人で警戒する。完全に信用できるまで。ウチにはこれくらいしか思いつかへんねん」
 この目の前の少女はそこまで考えた。姉の為だけに。その事実に内心驚愕する。
「……や、頭悪いなんてとんでもねえな」
「? 何が?」
「いや別に。こっちの話。それでいいんじゃねえかな。ずっと4人でやってくんじゃなきゃどっかで妥協点は必要なんだし。まぁそれもなるべく信用できる人間ってのが最低条件だけどな」
「当たり前や」
 そう言って笑いあう。緊張がほぐれていくのを何とはなしに感じる。
「瑠璃」
「なんや?」
「寝とけ」
「……任せるわ」
 レーダーを渡し、瑠璃は床についた。
 間をおかず、安らかな寝息が布団から聞こえてきた。
「……無理しすぎだっつの」
 まぁ俺も言えたことじゃねえか、と自嘲しつつレーダーを見つめる。
 守るべき重責が圧し掛かる。が、彼はそれを心地良く感じた。
「――かったりぃ」
 封印したはずの日常が口を吐く。
 しかしその口元は笑っていた。

397Intermission-2:2008/03/19(水) 03:44:16 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:20頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る。睡眠中】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

398そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:08 ID:C1BCUMC.0
 よく寝ている。
 本当に疲れていたのだろう。
 そして自惚れるなら、寝ている間のことを任せられる位には信用されたということだろう。
 その信頼には応えたい。
 あかり達を探したくもあるが、武器もないこの状況下。一手間違えれば最悪の場合即破滅。
 それに三人を巻き込むのは認められない。
 先ほどレーダーの電源が気になって珊瑚に見てもらいに行ったが、
「こんなん簡単やで」
 と言って本当に簡単に予備電池を作ってくれた。当面はその心配もないだろう。
 俺はまだ動ける。ただ、限界まで酷使はしない方が良いだろう。瑠璃が起きたら見張りを変わってもらうか。
 持ち物見ててなんとなく思い付き火炎瓶を作って見た。
 ビンに灯油を入れ、布で口を固定し、終了。これでいいのかは分からなかったが、多分使えないことはないだろう。空き瓶と灯油が続く限り作り続ける。
 作業の合間にぼーっとレーダーを見つめていると、端から……
「!?」
 新たな反応が。ついに来た。光点は……二つ? 三つ? 片方の点が時々ぶれて増えているように見える。速度は遅い。這う様な遅さだ。負傷か? それとも……
 もう少し寝かせてあげたかったが仕方ない。緊急時、独りで判断して失敗する愚行だけは避けなければ。
「瑠璃、川名」
「ん……」
「んー」
 ぐずる二人を何とか起こす。眼が覚めるや否や瑠璃が噛み付いてくる。
「敵!?」
「かもしれねえ。レーダーに反応がある」
 そう言ってレーダーを差し出す。受け取った瑠璃は慌てるでもなく、静かに言う。
「来たんやね……」
 暗く沈んでいく瞳が最悪のケースを浮かべているだろうことを容易に推察させる。
「さんちゃん呼んでくる」
 そう言って瑠璃は隣へ消えて行った。
「川名」
「何?」
「万一の時は」
「逃げないよ」
「何?」
「どうせこの島じゃ私独りでは生きてはいけないから。それならせめて浩之君と一緒に散るよ。私を助けてくれた貴方を見捨てることはしたくない。だから私を逃がす為に玉砕覚悟、なんてやめてね?」
「川名……」
「何?」
「聞いてたのか?」
「何のこと?」
 さっきの話。数時間前にした瑠璃との話。
「それと、さ。瑠璃ちゃんと珊瑚ちゃんは名前なんだから私もそれでいいよ」
 川名……みさきはくすくす笑ってとぼけやがる。全く……
「……かったりぃ」

399そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:38 ID:C1BCUMC.0
 程なく珊瑚と瑠璃が現れる。なんとなく見分けがつくようになった気がする。
「どうだった?」
 紙を付き付けられる。
「よう、わからん。なんとか外に繋がらんかなーおもて色々やったんやけど、ローカルで繋がらんし。ちょっと寝てしもた」
『あるていど。HDDはもってきたけどできればまたもどってきたい。パソコンまではもってけへん』
 ミミズののたくった様な文字で書かれている。が、意味する内容は大きい。
「駄目か……」
 とんでもねえ。まさに掛け値なしの天才だ。この短時間でもう眼に見える程度の成果が出たというのか。
「レーダーは?」
「見た。なんか遅いみたいやけど……光も三つあるみたい。二つ重なってるんやと思う」
「どうする?」
「取り敢えず、様子を見てみない? どうするにしても相手を見なくちゃ始まらないと思うな」
 まぁ、正論だ。
 それなら家の中よりも外の森の方が良いだろう。何しろ武器が武器だ。瑠璃との会話を思い出す。相手によっては殺す覚悟で挑む。その時は先制攻撃でないと話にならない。
「じゃ、一旦出ようぜ。終わったら又ここでごろ寝だ」

400そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:58 ID:C1BCUMC.0
「はっはっはっ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 全身が痛む。力が入らないとは言え、金属バットで滅多打ちだ。雄二に殴られた傷は決して浅くはない。七瀬と名乗るあいつにやられた傷もだ。場所がよくなかった。
 が、それだけ。身体は動く。絶対にタカ坊は私が守る。このみも守ってあげたかった。ごめんね。このみ。
 雄二はどうなっただろうか。あのこがあんなになるなんて正直考えもしなかった。あれで正気を取り戻してくれればいいんだけど。儚い望みなんだろうか。それでも血を分けた弟だ。どうしたら良いんだろう。どうすれば
「向坂」
「えっ……あ……何?」
 いつの間にか祐一が目の前に立ち塞がっていた。
 丸で気付かなかった。気付けなかった。いけない。こんな事では奇襲を受けた時瓦解してしまう。
「向坂。何を考えてるかは知らないけど、後にしようぜ。ぼろぼろの身体で考えてもいい事ないだろ」
 不覚。そんなにも外から見て丸分かりだったのか。
「ええ、そうね。ごめんなさい」
 気を付けなければ。祐一が観鈴を運んでいる以上、即対応出来る戦力は私しかいない。一瞬の油断が命取りになる状況でこれは度し難い行為だ。せめて、信頼できる仲間が出来るまでは止めておこう。
 だと、言うのに。
 いつの間にやら私は再び思考の螺旋に囚われて行き、
「そこの三人! 止まれ!」
「!!」
 最悪の形での奇襲を許す羽目となった。

401そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:21 ID:C1BCUMC.0
「動くな。頭も動かすな。右の女、武器を全て捨てて手を上げろ。こちらはそちらを纏めて吹き飛ばせるだけの武器を持っている。こちらの質問に正直に応えてくれ」
「…………」
 観鈴の持ち物から勝手に借り受けたワルサーP5を捨てて、手を上げる。
 今すぐ殺すつもりはないらしい。取り敢えずは従うべきだろうか。この事態を招いたのは私の責だ。最悪、私が犠牲になっても二人を逃がす。
「質問に正直に応えてくれたら……無闇な危害は加えないことを約束する。まず、左の男。お前が背負っている女はどうした?」
「……撃たれたんだよ」
 苦虫を噛み潰したような声で祐一が応える。目配せをしたいが、微妙にこちらから祐一の顔は見えない。
「足手纏いと分かっていてもか?」
「! っ……そうだよ」
「今は眠っているのか?」
「そうだよ」
 仕方ない。祐一が何らかの行動を起こした瞬間に声の元へ行くしかない。今度こそ、集中するんだ。
「そうか……じゃあ、次だ。右の女。何処に向かっている?」
 来た。しかし、何処まで明かすべきだろうか。後ろから銃を突き付けているであろう男がどういうつもりで質問しているのかが読めない。出来る事ならあの紙のことは知らせたくない。妥協点は……
「……平瀬村。氷川村で襲われて、今逃げているの。撒いたつもりだけどもしかしたら追って来ているかも知れないから、なるべく早く質問を終わらせて欲しいわね」
 こんなところか? 怪しまれはしなかっただろうか。
「それだけか?」
 心臓が弾んだ。が、表には出ていないはず。どうする?
「……一応ね。出来ればその子の縫合もしたいんだけど」
「……そうか。次の質問だ。……君達は、この殺し合いに乗っているのか?」
「!!」
「んなわけねーだろ!」
 祐一が吼えた。
「誰がこんな糞ゲームに乗るか! いいからとっとと行かせやがれ! こっちは急いでんだ!」
 観鈴を背に抱えたまま、顔も動かせず、それでも背後の人物にその声は響いた。
「女の方もか?」
「ええ。勿論」
 躊躇する理由はない。そして、この質問の流れ。もしかすると彼は。
「そうか。分かった。じゃあ、最後の質問だ」
 心なしか背後の声が和らいだ気がした。
「手は下ろしてくれていい。落とした銃も拾ってくれていい。こちらはもう君達に武器を向けてはいない」
 銃を拾う。彼は、こちら側の人間なのだろう。きっと。
「安静に出来る場所とそれなりの食事を提供しよう。一方的に武器を突き付けた非礼も詫びる。俺達の……」
彼は砕けた口調で続けた。
「仲間にならないか? Yesなら――こっちを向いてくれ」

402そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:45 ID:C1BCUMC.0
 遡る事尋問前の森の中。
「三人……だな」
「あのうち独りは知っとるよ。環や。貴明のお姉さんやで」
「本当のお姉さんちゃうけどな」
「一人は担がれてるが……怪我してんだろうな、多分。怪我人抱えて移動って無茶じゃねーか?」
「うん……下手すると傷も開くと思う」
「瑠璃ちゃん、助けてあげられへん?」
「……ちょっと待ってて。さんちゃん、みさき、耳塞いでてくれへん?」
「えー? 瑠璃ちゃん、ウチにナイショするん? つまらんなー」
「あう……さんちゃ〜ん……」
「珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん苛めちゃ駄目だよ」
「イジメてへんのにぃ〜」
 そういいながらも珊瑚は耳を塞ぐ。みさきも続いて塞ぐ。
「浩之、どないする?」
「んー、正直、乗ってるようにはどう見ても見えねーんだよなぁ。怪我人抱えて必死で移動して。自分自身もぼろぼろなのに、それを押して警戒して」
「ウチもそうやと思う。でもここで大丈夫やおもて駄目やったらさんちゃんが……」
「でも、いつかは渡んなきゃいけない橋なんだよな。……瑠璃、任せてくれるか? ちょっと芝居を打ってみる」
「芝居?」
「ああ。もし駄目だったらそん時は……二人連れて逃げてくれ。集合場所はその家だ」
「ちょっ……大丈夫なん?」
「四人とも信じられる人間だと思ったんだ。これ以上の条件もねーだろ。あの娘をなんで運んでるのか。怪我人でも見捨てられない仲間の為、ってんなら文句なしだろ。ただ、そん時は……仲間に引き入れてもいいか?」
「……そやね。ウチも出来るなら助けてあげたい」
「決まりだ。みさき、終わったぞ」
「さんちゃん、もうええよ」
 二人の手をとり、話し合いが終了したことを知らせる。
「さんちゃん、浩之が芝居してくれるんやて。それで大丈夫やおもたら助けてあげられる」
「ホンマ?」
「ああ」
「浩之君芝居出来るんだ。すごーい」
「いやメインはそこじゃなくてだな……いいや。行って来る」
「ウチらはどうする?」
「珊瑚はレーダー見ててくれ。瑠璃はロケット構えててくれ。みさきは……会話をじっくり聞いててくれ。俺からは見えない粗も見えるかもしれない。ただし、絶対に見つからないようにな。後レーダーに他に反応がでた時は即刻中断だ。すぐに出てきてくれ」
「はーい」
「んじゃ、行って来る」

403そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:58:07 ID:C1BCUMC.0
 時は戻り、尋問後。
「仲間……?」
「祐一」
「向坂?」
 ここは覚悟を決めるべきだろうか。相手のことは殆ど分からない。でも、最後のあの声は信じたい。信じられると思う。あの七瀬と名乗った奴の時のような嫌な感じはしない。だから。
「私に任せてもらえないかしら。最悪……二人だけでも逃がすようにするから」
「ばっ……」
「一つだけ質問させて。何でこんな回りくどいことしてるの? 」
「仲間を守る為だ」
 私達と同じ。私達が乗っていた時、被害を自分だけに留める為。私達と同じだ。
「祐一。振り向いて、いい?」
 否は返ってこなかった。

404そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:00:42 ID:C1BCUMC.0
「軍隊口調ってなむずかしーな」
「えー、上手だったよ。浩之君」
 森の中から三人が出てきた。
「姫百合さん!? 貴方もいたの……」
「ウチもおるよ〜」
「二人とも……」
「勘弁してくれよ。二度とやりたかねえ」
「ふふっ……」
「立ち話より落ち着いて話した方がええやろ。家にもどらへん?」
 自己紹介も終わり、情報交換。最優先は危険人物。
 巳間良祐、柏木千鶴、神尾晴子、篠塚弥生、朝霧麻亜子、岸田洋一。
 最も良祐と千鶴の名前は分からず身体的特徴に留まり、岸田は『七瀬と名乗った』が首輪をしていない事と日本人離れした大柄な身体、酷薄な眼で間違える事もないだろう。環は話している間に浩之と瑠璃の眼が暗く沈んでいくのをただ黙って見ていた。
 又、晴子が観鈴の母親であることも話した。晴子と名乗ったわけではないが、先ず間違いないだろう事も。
 豹変して姉を襲った向坂雄二、そして。
「マルチが!?」
 二人が同時に叫ぶ。
「え……ええ……」
「あのマルチが……っくそ! マジかよ!」
 浩之が両の掌を打ち合わせる。
「ウチも信じられへん……マルチがそんなになるなんて……」
「嘘じゃねえよ。そのせいで英二さんと離れ離れだしな」
「あ……信じてへんわけやないんで? ただ……」
「ただ、なんだよ」
「マルチはな、長瀬のおっちゃんが作り上げた友だちやねん。モデルベースやけど感情もちゃんとある。パターン反応言う奴もおるけど……それでもちゃんと生きとった。人を傷つけるなんてできひん子やったから……」
「俺の知ってるマルチは絶対そんな事はしねえんだよ。いっつも泣いて、笑って、頭撫でると嬉しそうにして……糞っ……」
「でも俺達は実際に襲われた! だからこそ今逃げてんだよ!」
「祐一」
「っ……すまん」
 豹変した弟と相対した環の言葉は重い。
「でも、本当よ。私達は元々どんなメイドロボだったかは知らない。でも、確かに雄二と一緒に襲ってきた。二人とも……壊れてたわ」
 その一言を紡ぐのに、どれだけの気力が要ったのだろう。肉体ではない。外見には一切分からない、精神が壊れている。それを認めることのなんと難しいことか。
「とにかく、私達のあった危険人物はそんなところ。……なんかこうしてみると相当沢山遭ってるわね」
 未だに未練を引き摺っているようだが、浩之と珊瑚の顔にも諦観の色が濃く見えた。
 こうやって心は削られていくんだろう。ここでは。
「弟がもしかしたら追って来るかもしれない。なるべくここを早く……」

405そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:01:11 ID:C1BCUMC.0
 唐突に珊瑚が環の唇を塞いだ。
「あかんよ。三人ともぼろぼろやん。ここで少しやすまな。倒れるで?」
 そう言って紙を付きつける。
『ひつだん。りゆうは?』
 筆談? 何故そんな事を。
 わけも分からず呆けていると珊瑚が書き足す。
『くびわ、たぶんとうちょうされとるで』
「!!」
 環と祐一は声にならぬ声で驚く。
「さんちゃんの言う通りや。怪我人連れて道で襲われるよりずっとええ」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
「そう言えば、武器の確認してなかったわね。貴方達、何持ってるの?」
『ワームって何? パソコンが必要なの? それで何するの?』
「ウチらは……」
『ワームってのはな、』
 とまで書いたところで浩之がペンを取り上げた。
『相手の首輪爆弾を無効にするためのプログラムだ。それを使えば最後反旗翻す時首輪で吹っ飛ばされないですむ』
 珊瑚が睨んでくる。とは言え傍から見れば拗ねているようにしか見えないが。それを見た瑠璃が浩之を蹴っ飛ばしてやりたいのを我慢つつ会話を続ける。
「ウチらはこれと、これと、これと、これ」
 そう言ってレーダー、誘導装置、この部屋で拾った包丁、フライパン、殺虫剤。そして外の森に行った時に壁に立てかけてあるのを見つけた鉈。
「あー後暇だったから作って見た」
 浩之が火炎瓶を取り出す。
「こんなことしとったんか……火は?」
「見つからなかった」
「駄目やん……」
「あー……なんていうか……武器は強力なんだけどね……」
 丸で汎用性がない。レーダーは非常に強力な武器ではあるが、近接戦闘の役には立たない。誘導装置は威力は桁外れだが、威力が発揮されるまでには時間が掛かり過ぎる。包丁、フライパン、殺虫剤、鉈は中距離じゃ殆ど役に立たない。火のない火炎瓶は言うに及ばず。
 銃撃が適した距離だと何も出来ない。
 ならばこれが丁度いい。
「私達は、これとこれ。」
 ワルサーP5とレミントン。これを合わせれば、どの距離でも対応出来る。
 レーダーのおかげで先手を取られることも(現在確認している中では岸田以外)ない。
 装備だけ見れば島のグループの中でも最上クラスではないだろうか。
「つーか、さっきのあれハッタリだったのかよ」
 祐一が憮然と返す。
「中々迫真じゃなかったか?」
「のやろ」
 浩之と祐一がじゃれあう。相性が良かったんだろうか。祐一が漸く気を許せる人とあえたのもあるんだろう。上手く噛み合っているように見える。

406そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:01:41 ID:C1BCUMC.0
「これがあれば奇襲を受ける事も早々あらへんし、急いで平瀬村行かんでもええんちゃう?」
 瑠璃が話を戻す。
「あっ……そういえば」
「どうかしたか?」
「ごめんなさい。あの時嘘ついたの。貴方達がどちら側か分からなかったから。これを見て」
 取り出された紙には『日出ずる処のなすてぃぼうい、書を日没する処の村に致す。そこで合流されたし』、『ポテトの親友一号』、『演劇部部長』とあった。
「もしかしたらこの紙を書いた人と仲間になれるんじゃないかって。多分これは平瀬村の事でしょ。暗号めいたモノを残す以上罠とは考えにくい。そう思ったの。この名前に心当たりは?」
 揃って首を振る。が、珊瑚だけは何かを考えるように俯く。
「姫百合さん?」
「あんな、このなすてぃぼういってもしかしたらエージェントのナスティボーイかもしれん」
「エージェント?」
「うん。名簿にも那須宗一ってあったし、多分そうやと思う。ただ……」
「いや待てそもそもエージェントって何?」
 珊瑚はきょとん、として黙り込む。そしてすぐに微笑みながら説明する。
「えーっとな、簡単に言うとお手伝いさんやねん。で、ナスティボーイってのがそれの世界一なんや」
「お手伝いさんの世界一位……」
 脱力。
「強いよー」
「珊瑚ちゃん、お手伝いさんの世界一位が強いの?」
「うん。お仕事頼んだら色々してくれるねん」
「強いお手伝いさん……」
 環の頭におたまとフライパンで戦うエプロン少女が浮かぶ。頭を振って消す。どう考えても不自然だ。齟齬がある気がする。
「姫百合さん。エージェントはどんなお仕事してくれるの?」
「何でもしてくれるよー。そやなぁ……留守番から戦争まで何でもって人もおったかな」
「ああ……」
 合点がいく。そういうものか。
「となると、味方になれば相当な戦力じゃないかしら」
「かもしれんけどな。ただ……」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
 言葉を詰まらせ、珊瑚は先ほどの紙を示す。瑠璃が会話を引き継ぐ。
「でも、そんな有名な人やったら、誰かがナスティボーイのまねっこしとるのかもしれへんやん。」
「まぁ俺達誰も知らなかったけどな」
「やかまし。取り敢えず環も祐一も休んだ方がええ。ウチが見とくから皆寝たらどうや」
「でも、本物だったら」
「そんなぼろぼろでどないすんねん。途中で倒れたらどうしようもないで」
「それはそうだけど……」

407そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:02:06 ID:C1BCUMC.0
 膠着状態に陥りかけた時、環が声を上げる。
「あ」
「なんや」
「あーーーーーーーーーーっ!」
「!?」
 呆気にとられる。
「ど、どないしたんや」
「忘れてた! 姫百合さんがいたのに……姫百合さん!」
「ウチ?」
「違う。お姉さんの方!」
「ウチ?」
「ちょっと待ってて!」
 環は今は布団で安らかに寝ている観鈴のポケットを探る。
「これ!」
「フラッシュメモリ?」
「そう!」
「向坂、落ち着け」
「う……」
「で、これは?」
「パスワードが掛かってるんだよ。中に何入ってるかはしらん」
「さんちゃん、見てくれへん?」
「ええよ」
「まぁ、これで決まりだな。暫くここに逗留だ」
「しょうがないわね……」
 環と祐一は諦めてへたり込む。疲れが溜まっていたのは否めない事実だった。
「そうや」
「瑠璃ちゃん?」
「あ、さんちゃんフラッシュメモリの方頼むわ」
「任せて〜」

408そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:02:31 ID:C1BCUMC.0
 珊瑚が奥の部屋に消える。それを確認して、瑠璃は環と祐一に向き直った。
 が、横にみさきがいるのを見て躊躇う。変わりに浩之が口火を切った。
「瑠璃。大丈夫だ、みさきは。向坂、祐一。二人に聞きたい。さっきお前達、弟の雄二とマルチに襲われたっていったよな」
「ええ」
「それでどうしたんだ?」
「雄二は私が、マルチは祐一と英二さんが相手したの。私が雄二を撃退して、英二さんが引き付けてくれている間に一緒に逃げてきたの」
「ふむ……なぁ、今なら雄二とマルチに負けることはないよな。飛び道具が石、武器がバットだけならさ。で、だ。二人には、雄二とマルチを殺せる覚悟はあるか?」
「浩之!?」
 祐一が立ち上がる。が、瑠璃が祐一を押し留める。
「ウチが言おうとしたのもそれやねん。ウチ、いっぱい考えたんや。ウチはさんちゃんを守る。その為にはどうすればいいか。いややけど、ここは戦場や。誰かを殺す人がいる限り、戦争はなくならへん。誰かを殺す人は誰かに殺されるまで誰かを殺す。誰かを殺す人を殺せるのに逃がして、誰かが死ぬかもしれへん。それはさんちゃんかもしれん。ウチはそれだけはいやや。やから、そういう人を殺す覚悟もした。守る覚悟をするなら、それもいるねん。ここでは、それも必要やねん。やから……やから……」
「瑠璃、もういい。そういう事だ。俺はみさきと珊瑚と瑠璃を守る。その為に無差別に殺す奴を殺す覚悟も決めた。だが、これがあかりや雅史になると俺だって殺せるかわかんねえ。正直、マルチだって……でもな、明らかに周りに害をなすんだったら誰かがやる必要がある。でもそれをやるのが辛い人がやる必要はねえ。守りたい人がそうなったら誰だって狂う。俺だって。だから、向坂。もし雄二とマルチが来たら、ここにいてくれ。俺達はお前の弟を殺す覚悟で臨む。俺達の邪魔だけはしないで欲しい」
「浩之……! お前……」
 祐一が激昂して掴みかかる。浩之は黙ってなすがままにさせる。祐一が腕を振り上げ、それを止めたのは。
「向坂……」
 環だった。
「そう……私が甘かったのよね。結局ここで雄二を追い返しても、別の所で誰かと殺し合いをするのよね……あの子が。それがタカ坊かもしれないし、もしかしたらこのみだったかもしれない。そして、最後には誰かに殺されるのよね。誰にも顧みられることなく、唯の殺人気として。浩之。不逞の弟の不始末は姉がつけるわ。手出しは無用よ。あの子の性根を……叩きなおす。絶対」
「向坂……いいんだな?」
「ええ。意味は分かっているつもり。武器は……これをかしてもらうわね」
 そう言って環は鉈を取り上げる。
「マルチは? 多分二人一緒にいるんだろ?」
「俺がやる。向坂にばっかりいい格好させられないしな」
「俺もいく。マルチは……俺が何とかすべきなんだと思うからな」
「…………」
 そしてだんまりを極めていた瑠璃を見る。
「瑠璃。留守番、頼めるか?」
 溜息をついて、諦めたように応えた。
「……ホンマはしたくないけどな。ええよ。さんちゃんたち守る人も必要やし。正直、正体まで分かってる相手ならレーダーで後ろからって言いたいけど……姉弟で戦うなんて、ウチには絶対無理やからな。そんなするくらいやったら……環は凄いで。その代わり、絶対生きて帰ってきてな」
「任せとけ」


 瑠璃以外が床に着いて暫く。レーダーに二つの光点が現れた。

409そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:03:15 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:30頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*3、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る。睡眠中】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:睡眠中】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈、救急箱、診療所のメモ】
【状態:頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)。睡眠中】

相沢祐一
【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)支給品一式】
【状態:観鈴を背負っている、疲労、南から平瀬村に向けて移動。睡眠中】

神尾観鈴
【持ち物:ワルサーP5(8/8)支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【所持品:金属バット・支給品一式】
【状態:マーダー、精神異常。疲労回復。姉貴はどこだ!?】

マルチ
【所持品:支給品一式】
【状態:マーダー、精神(機能)異常 服は普段着に着替えている(ボロボロ)。体中に微細な傷及び右腕、右足、下腹部に銃創(支障なし)。雄二様に従って行動】

410そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:06:58 ID:C1BCUMC.0
↑B-10

411誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:07:22 ID:C1BCUMC.0
 遡ること環達が逃げ出した後。
 雄二は環を追いかけるため数歩歩き、
「雄二様!?」
 倒れた。
 マルチは思う。
 問題。何故雄二様h倒れられたのか。解答。疲れていrしゃったのに私如きに教育しtくださる為にその手でな――ださったkらだ。問題。雄二様はこrからdうなさりたいのか。解答。雄二様は姉をouと仰られa。向坂たまkを追うヴぇきだrう。問題。何処に向坂環は――だろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がiた。こちらではない。又、雄二様は――にいらっしゃ。エラー。リトライ。問題。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。しかし、遺kんにも負けて。エラー。リトライ。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。東のあのninげんはおとりdろう。では西方mんだろうか。問題。屑であr私はどうすbきか。解答。雄二様が疲れ――っしゃるのd、私gおtれしよう。起kしては向坂tまき殺gいに悪えい響をおよbすおそれあr。このままやうんdいたdこう。
 マルチは思考を止め、雄二を担ぎ上げ、雄二が行こうとした道を歩き出した。
 彼女の思考には、雄二が起きた時に自分がどうなるかと言う内容は全くなかった。

412誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:07:50 ID:C1BCUMC.0
「雄二様……雄二様……」
「ん……」
 雄二は眼を覚ます。目の前にはマルチがいた。
「おはようございます。雄二様」
「!!」
 雄二は飛び起き、辺りを見渡す。
「おいマルチ! ここは何処だ! 姉貴は何処だ!?」
「ここはI-05とI-06の境目の道路です。雄二様のお姉さんの場所は分かりません」
「ああ!?」
「分かれ道まで来ましたので雄二様に決めて頂こうかと起こした次第です」
「んだとぉ!? この糞ロボット! 何ですぐにおこさねえ! あのままならあの糞姉貴をぶち殺してやれたのによぉ! 分かれ道だ!? ふざけんじゃねえ! このっ! 屑が! 屑が! 屑がぁっ!!」
 マルチは黙って殴られるに任せる。感情プログラムは既に大半が逝かれている。それを悲しむ感情もない。唯雄二のする事は全て正しい。故に殴る雄二が正しい。
「はぁっ……はぁっ……糞……もう反応もしねえのかよ……」
「申し訳ありませんでした。雄二様」
 壊れかけたプログラムに則り、自らの過ちを悔い、詫びる。
 又も激昂し掛けた雄二だが、自身の体調が先程に比べて格段に良い事に気付き、姉を追うことを優先させた。
「ふん……あの糞姉貴が考えそうなこった……どうせこそこそ逃げてんだろ」
 雄二は南西の道を選択した。
「行くぞ。糞ロボット」
「はい。雄二様」
 歪な主従関係の二人は、それと知らずに望む道を選び、進んでいった。

413誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:08:05 ID:C1BCUMC.0
 レーダーに映る二つの反応。
 瑠璃は一人で考える。本当なら、先制攻撃して安全に終わらせたい。
 しかし姉弟である事を考えるとどうしてもそれは出来なかった。
 無論、珊瑚に被害が及ぶようなら即座にでも撃ち殺す覚悟はある。しかし、出来るなら環のいいようにさせてあげたい。
 ジレンマに悩まされるが、この場は動けない。まずは皆を起こすだけ。
「きたで」
 皆の体を揺すって静かに起こす。
「ん……」
「瑠璃、レーダーを」
「ん」
 浩之はレーダーを受け取って確認する。
「……二人。状況を考えると可能性は高そうだな。最初は隠れよう。向坂、祐一。相手を確認してくれ。違うようなら最悪やりすごす」
「ええ」
「任せろ」
「あ、そうだ。ちょっと待っててくれ」
 浩之がそう言って台所に消える。程なく帰って来た。
「なにしとったん?」
「や、相手がマルチなら包丁よりこっちのがいいかなって刃物よりは鈍器かな?」
「そんな暇あんのかよ……」
「瑠璃」
「うん」
 瑠璃がレーダーを受け取って一歩引く。
「ウチがここを守る。銃一つ貰うで」
 レミントンを拾い上げ、ドアからの死角に待機する。
「帰ってくる時なんか合言葉決めるか?」
「そうだな……ドアを開ける前に『努力・謀略・勝利』ってのはどうだ?」
「なんでそんな後ろ暗いのを」
「じゃあ『愛・友情・勝利』は?」
「どっちでもええ。……ちゃんと帰ってくるんやで」
 浩之と祐一は揃って言った。
「任せろ」

414誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:08:27 ID:C1BCUMC.0
 森の中から来客者を確認する。
「間違いないか?」
「ええ」
「じゃ、行くか」
「絶対生きて帰るぜ」
「応」
 森の影から歩み出る。
「お?」
 雄二の動きが止まった。横のぼろぼろのメイドロボの動きも。
「おおーーーーーーっ! 逢いたかったぜ糞姉貴! あんときゃ雄二様の全力出せなくてすまなかったな! 今度こそ雄二様大・復・活で塵のようにぶち殺してやるよ! はははははははははははっ!」
「…………」
 環は応えない。俯いているので雄二からは表情も見えない。唯右腕にぶら下がっている鉈が眼に入るのみ。雄二はぴたりと哄笑を止め、環をねめつけた。
「姉貴。俺に弱いって言った事を後悔させてやるよ。俺はつええ。誰よりつええんだ。それを分からせてやる」
「そう……」
 環は弟の陳情を聞くと、顔を上げた。
「もう、無理なのね……」
 その瞳からは涙が流れていた。
「ひゃーーーーーーっはっはっは! 姉貴、ぶるってやがんのかぁ!? ああ気分がいい! よし姉貴! 今なら土下座して『申し訳ありませんでした雄二様。貴方様が最強です。私が間違っておりました。下賎な環をお許しください』って三回言えたら慈悲深い俺様が許してやんぜ!? 勿論そっちの屑二匹は殺すけどなぁ!」
「この……馬鹿雄二っ!!」
 裂帛の気合が響き渡る。雄二は気圧され、気圧された事を帳消しにすべく怒鳴り返す。
「んだよ! せっかく許してやろうと思ったのによ! もういい! 俺が直々にぶっ殺してやらぁ! マルチ!!」
「はい」
 応えてマルチが一歩出る。
「お前は屑二匹だ! 近付けさせんじゃねえぞ!」
「はい。雄二様」
「マルチ!」
「?」
「マルチ! 俺が分かるか!」
「……浩之さん?」
「なんでお前はそいつに従う! 応えろ!」
「雄二様が正しいからです。全てにおいて雄二様が正義だからです。雄二さがっ」
 マルチは言葉の途中で横に吹っ飛んだ。主に蹴っ飛ばされて。
「この糞ロボット! 誰が屑と話せと言った!? 俺は殺せと言ったんだぜ!? 言われた事すらできねえのかこのガラクタがっ!!」
「! 手前なんて事を!」
「あー? なんか言ったか? 屑。この奴隷人形がどうかしたのか? このっ! スクラップがっ! どうか! したのかよっ!!」
 何度も吹き飛んだマルチに蹴りを入れながら雄二は応える。
「申し訳aりませんでした。雄二様」
「マルチ!?」
「あの屑共を殲滅してまいrます」
「マルチ! 何でそこまでしてそいつに従うんだよ! マルチ!!」
「よし、とっとと行ってこい」
「てめえっ!」
「浩之」
 祐一が諫める。
「あいつは、向坂が何とかしてくれる。何とかする。俺達はマルチを何とかするんだろ。そう、決めたはずだ」
「っ……ああ。畜生。そうだな。そうだった。向坂!」
 環に向き直って、親指を上げる。
「負けんなよ!」
「当然」
 環は地を蹴立てて雄二に向かって行った。
「さて」
 改めて浩之はマルチに向き直る。
「マルチ」
 最早何も応えはない。
「お前も、もう戻れないんだな」
 最早何も応えはない。
「マルチ」
 右手におたまを。左手にフライパンを。それらを打ち鳴らし、彼は吼えた。
「行くぞおおおおおおおおおおおおおっ!」

415誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:09:09 ID:C1BCUMC.0
「そろそろ、始まったんかな……」
 家の中で、彼女は一人ごちる。
「勝つよ……浩之君も。向坂さんも。祐一君も。きっと、負けない」
 みさきは観鈴の手を握りながら、独り言にそう返した。
「……そやね。きっと……そう……」
 銃とレーダーを見ながら、瑠璃は祈るように呟いた。


「でやあああああああああああああっ!」
 浩之がおたまでマルチに殴りかかる。はっきり言ってあのマルチ相手じゃかすりもしないだろう。切り札は二つ。一つは言うまでもなくワルサーP5 。立ち回る必要のある相手に狙撃中は使えない。まして浩之がマルチと近接戦闘をする状況。遠距離でぶっ放すなどとんでもない。俺も近付く必要がある。もう一つ。使えるかどうかは分からないが、一応は持ってきた。役に立つといいんだが。
 浩之がマルチに向かって行ったと同時に、俺は横手に回りこんだ。その間にマルチは石を拾って浩之に投げつける。相当な速度で、硬球よりも硬い石。大きいのをまともに食らえば洒落にならない。当たり所が悪ければ多分死ぬ。大当たり。ジャックポットでございます。脳味噌目玉の払い出し。冗談じゃねえ。
 浩之は飛んでくるその石を。
 フライパンで受け止めた。
 ガーン、といい音がした。
「っつー……やっぱ、重いな。手が痺れるぜ」
 マルチはそれを確認すると、今度は浩之の足元に石を投げる。
 浩之はそれもすんでのところでかわす。
「マルチよぉ……この運動神経がエアホッケーの時にあったらきっと楽しかったのになぁ……」
 浩之が近付く。マルチが投げる。受け止める。その間に俺はマルチの斜め後ろに回り込む。浩之には悪いが、こいつはやばすぎる。出来るんなら早急に止めを刺したい。なるべく誰かが傷付く前に。俺は、こっからだ。
 近付こうとした瞬間に、マルチが反応してこっちに石を投げてくる。っておい。なんだその反応は。あぶねえ。
 何とかぎりぎりの所でかわし、再び距離をとる。
 しまった。こんなことならレミントン持ってくりゃ良かったか。いや、無駄だな。斜め後ろにあんだけの反応する奴だ。俺程度じゃ構えてる間に銃を石で撃ちぬかれる。何とかして近付かなければ……

416誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:09:28 ID:C1BCUMC.0
 糞姉貴をぶち殺す。そうすりゃ俺は最強だ。姉貴を殺せば俺が最強だ。姉貴も俺に平伏するし、姉貴も俺に服従する。姉貴は俺に惚れるし、姉貴は俺のものだ。だから姉貴をぶち殺す。俺は最強だ。俺が最強だ。だから俺が最強なんだ。だから姉貴を殺す。だから姉貴は俺のモノだ。
「ぶっ殺してやるよ! 糞姉貴!」
「上等! かかってきなさいこの愚弟!」
 鋼で鋼を打ち鳴らす、甲高い音がする。打ち下ろしたバットは、打ち上げられた鉈と拮抗して弾けた。
「ハッ! 今度はちゃんと殺る気かい! いいぜ姉貴! それでこそ姉貴だ! いつもみたいに俺に得意のクローかけてみるか!? ええっ!?」
 再度、全力で一撃。
 上下が入れ替わり、同じように弾きあう。
 楽しい。糞姉貴を殺せる。今の俺なら殺せる。今の俺は最強だ。このバットで頭蓋を砕いて、姉貴の脳味噌を啜ってやる。姉貴を殺してやる。姉貴を食ってやる。なぁ、姉貴。俺ら仲のいい姉弟だもんな? 殺してやるよ。食ってやるよ。ずっと一緒だぜ? 有難いだろ。糞姉貴。はははははははは。ははははっはははあはははははっはははっはははは。
「ははははははははははははははははははははははははっ!!」

417誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:10:39 ID:C1BCUMC.0
 マルチが投げてくる石を弾く。フライパンはでこぼこだが、全然撃ち抜かれる気はしない。だが……
「これ以上近付けねえ……」
 余りに近付きすぎると反応しきれず石を食らう。
 一発食らったら後は石の雨に撃ち抜かれて御陀仏だろう。怪我したままかわしきれるほど甘いもんじゃねえ。
 正直今でもかなり……っと、ぐっ!
「かすった……あっぶねえ」
 腿にかする。後1cm左にいたらまともに歩けなくなるとこだ。
「くっそ……お前は全然駄目なメイドロボじゃねえじゃねえか……」
 一歩引く。さっきより少しは余裕が出来た。しかし。
「近付かなきゃ……話になんねえよな……」
 と、マルチは急に斜め後ろに石を投げた。祐一か!
 チャンス!
 一気に近付く、と、近付こうとするとマルチがこっちに向かって石を投げてきた。
「たわっ!」
 適当に翳したフライパンに偶然当たってくれる。
「やべっ!」
 大きくバックステップで一気に下がる。その隙に投げられた石はフライパンで弾く。
「くっそ……近付けねえ……」

418誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:11 ID:C1BCUMC.0
 目まぐるしく入れ替わる攻防。馬鹿な弟の哄笑。響き渡る鋼の音。
 この馬鹿雄二は。まだ気付かないのか。もう気付けないのか。そこまで壊れてしまったのか。
「このっ……馬鹿雄二っ! いい加減気付きなさい!」
 この子の中でそんなにも狂気は育っていったのか。この島の最も酷い暗部を目の当たりにし続けたのか。大好きだったメイドロボを奴隷と言い、こうして私を殺そうとし、他人を塵と認識し。塵の中であの子は何の王になるつもりなのか。同じものを見れば私もこうなってしまうのだろうか。雄二やタカ坊、このみに躊躇なく殺しに掛かれるように。でも。私は誓った。あの子の性根を叩きなおすと。私は約束した。あの子の始末は私がつけると。あの子が見知らぬ誰かと殺しあって、見知らぬ誰かを殺し、見知らぬ誰かに殺される。私はそれだけはさせない。正気に返るまで何度だって打ち合ってやる。何度だって叫んでやる。
「あんたは何がしたいの!? あんたが強い!? 馬鹿なこと言わないの! あんたは弱い! 何度だって言ってやるわよ! あんたは弱い! 前の雄二の方が兆倍強かったわよ!」
「んだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
 押して、引いて、撃って、合わせる。
 でも。それが叶わないのなら……
 鋼の噛み合う音が響く。
 姉弟の歪んだなダンスはまだ終わりそうになかった。

419誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:29 ID:C1BCUMC.0
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。
 問題。このmま石を投げ続kれば――さんともう一人を殺せるか。解答。可能性は限定シミュrーションd計sんすると7.86%。エネrギー残ryyyう12%。不足。問題。そのtきの屑たる私の破損kkk率。解答。1.02%問題。問題。近接えん闘に持c込んだ時の勝りt。解答。限ていシミュレーsyンで計算srと72.21%問題。そn時の屑tるわたsssの破損確率。解答。51.39%問題。正しi雄二様の指示をまmる為には。解答。近sつ戦闘に持ちkむ。その際、前シmュレーションより……ロードエラー。リトライ。エンド。――さんを先に殺すべし。――さん? 雄二様のtきはヒトじyyyない。モノだ。モノに敬しょは不要。故に――さんは――さんではない。――さん? ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。不許可。――さんを先に殺す。問題。――さんを殺すために最適な動作は。解答。前シ――ションより……ロードエラー。リトライ。エンド。パtーン32の形しkで近付く。
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。

420誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:50 ID:C1BCUMC.0
「おっ? おおっ!?」
 いきなりこっちに沢山石が飛んできやがった。
 とっ……ほっ……駄目だこの距離じゃかわしきれねえ!
「つっ!」
 一つ貰った。足の甲だ畜生フライパン欲しいぜ。血が出てきたか? 骨は多分折れてねえ。とっさに距離をとったがまだ投げてきやがる。
 今だ。浩之。


 狙いを変えたのか? フライパンで防ぐ俺より先に祐一を潰す気か!
 近付くチャンス!
「っ――らぁっ!!」
 一気に走りよって、マルチに向けておたまを思いっきり振り落とす。
 その一撃をマルチは。
 左の腕で受け止めた。

421誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:07 ID:C1BCUMC.0
 回ひ失敗。s腕部23%はそn。制御かいふく。反撃かish。

422誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:24 ID:C1BCUMC.0
「くっ!」
 マルチに両腕を掴まれ、腹に蹴りを貰う。
「がはっ!」
 なんつー蹴りだおい。死ぬぞこれ。中身が出る。中身が。
「げっ!」
 もう一発。割れる割れる内臓割れる。あ、アンコがでるアンコが。やべ。おたま落とした。ええい。とっとと来いよ祐一。
「ごっ!」

423誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:41 ID:C1BCUMC.0
 浩之が捕まった。なるほどこの布石か。あのロボットやるじゃねえか。とか考えてる場合じゃねえよな。くそっ。足がいてえ。気にしてる場合か。急げ!
「ぐぅっ……!」
 浩之が血吐いてるのがこっからでも分かる。
「いい加減にしやがれ、暴走メイドロボ」
 届いた。
 ガンッ! ガンッ!
 左手と切り札その2を添えて、マルチの右肩にぶっ放す。よし! ついた!
「浩之! 離れろ!」
「無茶言うな! 糞っ……」
 右腕は逝ったが左手が離れてない。又一発浩之が蹴られる。ええい畜生。おたま! あった! 銃をしまって拾い上げる。
「いいから、逃げろっ!!」
 そして思いっきりマルチの左腕に振り下ろす!
 バキ、と鈍い音がする。しかし左腕は離れない。
「離せ、マルチいいいいいいいいいいいいいっ!」
 浩之が叫ぶ。
 足りないか。もう一度振り上げる。離れた!?
「離れろ! 浩之!」
「あ……」
「浩之!」
「お……応っ」
 浩之が驚いたように飛び退く。
 そして、マルチが動く前に、ノズルファイアで点火した火炎瓶を、投げつけるっ!

424誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:57 ID:C1BCUMC.0
 マルチが炎に包まれる。
 最後、あの時マルチはこっちを見た気がする。
 一瞬で握られていた手が離れた。
 マルチは俺の言う事を聞いてくれたんだろうか。
 それとも俺と祐一に殴られたせいであの瞬間に壊れたんだろうか。
 マルチが炎に包まれる。
 これで排熱は出来ないはずだ。周りの方が温度が高いんだから。
 すぐに焼け付いて動けなくなるだろう。
 これできっと俺達の勝ち。
「マルチ……」
 腹ん中がグルグル回る。
 マルチに蹴られた所がいてえ。
 畜生なんだこの遣る瀬無い気持ちは。
「浩之……」
 祐一が後ろに立つ。
「フライパンを。止めは俺がさす」
「……いや、そりゃあやっぱり俺の仕事だろ」
「浩之……」
 祐一を尻目に、燃えるマルチの所に歩み寄る。
「……じゃ、な。地獄で逢おうぜ。マルチ」
 フライパンを、思いっきり、叩きつけた。

425誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:19 ID:C1BCUMC.0
 もんdい。なぜわああああ離して――のか。かいtttう。ひだrrrうd通ddはんおうあr。ふめい。もんだい。なぜあの ――は」私をっをおをおyんだのkあ。解読エラー。リトライ。もんだい。なぜあの――は私をををよんだのkあ。kいとう。ふめい。mnだい。――はかあ。さ。j。解読エラー。リトライ。もnだい。――はdあrか。かいtu。ふmi。不許可。リトライ。もんだい。――はだrか。かいtう。ふmい。不許可。リトライ。問だい。――はだれか。かい答。ふめい。不許可。リトライ。問題。浩之さんは誰か。解答。――――――

426誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:37 ID:C1BCUMC.0
 一瞬で熱暴走を起こした機体は、一瞬で思考を止めた。


 最後に聴こえたマルチへの呼び声は、唯のバグだったのだろうか。


 砕けたチップにそれを確認する術はなかった。

427誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:52 ID:C1BCUMC.0
「!?」
 向こうで戦っていたマルチが燃え盛っているのが見えた。そして屑の一人にフライパンで頭をかち割られるのも。
「あの木偶人形!! 言われた事も出来やしねえのか!? 糞っ! ガラクタが!! 人間様の役にも立てないスクラップは工場から出て来んじゃねえ!!」
「雄二……」
「これで三対一か!? 上等だ! まとめてぶっ殺してやるよ! 俺は最強だ! 最強なんだ!!」
「ふざけんじゃねえっ!!」
 屑の一人が吼えやがった。フライパンで叩き割った方だ。
「手前みてえな屑の為に、どんだけマルチが頑張ったと思ってんだ!? っごほ……! 木偶人形? 人間様の奴隷? ふざけんな! どんだけ手前が偉いってんだ!! 生きてる……っぐ……生きてる奴に、人間もロボットもあるか!!」
「手前こそ何抜かしてやがんだ!? 屑が俺様に意見してんじゃねえよ!! その奴隷人形がどんだけ役に立ったってんだ!? ロボットが生きてる? 屑は頭ん中まで屑なんだな!! 手前が今砕いた頭ん中には何が詰まってたよ? 脳味噌か? 頭蓋骨か? ただの粗末なガラクタだろうがよ!!」
「てめっ……」
「二人とも!」
「向坂……」
「愚弟の始末は私がつける。手出しは無用。そう言ったはずよね?」
「ハッ! 上等だよ。糞姉貴! その度胸に免じて、殺した後犯してやるよ!!」
 姉貴の身体も悪くねえ。存分に楽しんでやるよ。

428誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:11 ID:C1BCUMC.0
 もう……無理なのね。私の声なんかまるで届かない所にまで行ったのね。
 雄二に従っていたメイドロボの死でも、この子を正気には戻せなかった。
 全てが雄二の狂気を後押しする。多分、私の死でも。
「馬鹿雄二」
「なんだ糞姉貴!?」
 もう、終わりにしましょう。貴方は他の人には殺させない。他の誰にも殺させない。
「一発。殴らせてあげるわ」
「向坂!?」
 自己満足は分かってる。それでも、私の手で蹴りを付ける。
「は? 姉貴、何言ってんだ? そんなに俺に犯されたいのか?」
「黙りなさい」
「っ……」
「その代わり、良く狙いなさい。貴方が一発で私を殺しきれなかったら、私が貴方を殺す。逃がしはしない。背を向ければその瞬間に貴方を切る。さあ。一発。殴りなさい」
 これはけじめ。私なりの、弟に対するけじめ。愚かなのは分かっている。これで皆に迷惑が掛かることも。それでも、これだけはどうしてもやっておきたかった。
「な……何言ってんだよ糞姉貴! ハッ! どうせ騙そうとしてんだろ!? 俺と真っ向勝負じゃかなわねえもんな! 俺が全力で打ち込んだのをかわしてカウンター食らわそうってんだろ!? その手に乗るかよ! さあ! 見破られたんだぜ!? 続きをやろうぜ!!」
 私は答えない。今言うべきことは全て言った。唯雄二の眼をじっと見詰める。この愚弟にはそれすらも歪んで見えるのだろうか。
「おい……糞姉貴……何言ってんだよ! そうじゃねえだろ! こっちだ! こっちで戦うんだ!! 違うだろ!? 姉貴はそうじゃねえだろ!?」
 私は答えない。雄二の瞳をじっと見詰める。
「俺は最強なんだよ! ちゃんと姉貴より強いんだよ!! そんな事しなくても姉貴より強いんだよ!! おい、手前ら! 手前らもなんか……」
 雄二は浩之たちの方を向き、言葉を詰まらせる。想像は付く。
「み……見るな! その目で俺を見るな!! そんな目で俺を見るな!! うわああああああああああああっ!!」
 私と同じ眼をして雄二を見ているのだろう。覚悟を見せろ、と。本当にあの二人には感謝しきれない。私の我侭でこれだけの被害を被っているのに。
「糞! 糞!! 畜生おおおおおおおおおおおおお!!」
 雄二は金属バットを振り上げ、振り下ろしてきた。それを見詰め……


 ――――――ゴッ

429誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:28 ID:C1BCUMC.0
「糞っ! 糞っ!! 畜生っ!!」
 違う! こんなんじゃねえ!! 俺は姉貴を実力で超えてこそ最強なんだ!! 糞っ! 糞っ! どいつもこいつも! 馬鹿にしやがって!! 糞! 糞! あの屑共のせいで姉貴との勝負が台無しだ! あの屑共を
「ゅうじ……」
「ひっ!?」
 なんだ!? なんなんだ!?

430誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:51 ID:C1BCUMC.0
 ……私は、死んでいない。左の耳が良く聞こえない。左の目もあまり見えない。でも、私は死んでいない。
「ゅうじ……」
 私は、死んでいない。目の前の弟を抱き締める。前に抱き締めた時より随分筋肉が付いている。タカ坊に比べて抱き心地はすこぶる悪い。
「ゅうじ……」
 さっきのあんたの一撃、効いたわよ。あんたも根性出せば中々の一発、出せるじゃない。ああ、目がかすむ。鉈が重い。でも、最後にやっておかなくちゃいけないことがある。それだけは、私の責任。
「ゅうじ……ごめんね……」
 最後の謝罪は弟に届いただろうか。
 丸太より重い右腕を上げて、抱き締めたまま、首筋を切り裂く。
「げぶっ……」
 それを見届けると、私の意識も拡散して行った。

431誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:15:10 ID:C1BCUMC.0
 ――俺は、負けたのか? あの糞姉貴に? 先に一発殴らせておいてもらいながら? 首筋から何かが抜け出して、身体が冷えていくのがわかる。あの姉貴、最後俺を殺す時に謝りやがった。泣きながらごめんとか言いやがったよ。あの姉貴が。傍若無人の、あの姉貴が。俺が姉貴を殺そうとしたのに、殺すつもりで殴って、事実死に掛けたのに。馬鹿じゃねーのか。あの姉貴は。自分を殺そうとした奴を抱き締めて、殺しながら、泣きながら謝って。なんで俺姉貴殺そうとしたんだっけ。あー、血が足りねー……ちくしょー……結局最後まで姉貴にはかなわねーんだな……あれ、マルチと新城と月島はどうなったんだっけ。ああ、そうか。新城は自殺して、月島は俺が間違って殺して、マルチは俺が壊したんだ。そん後に知らない奴を殺して、それから天野を犯して殺して。俺って最悪だな。なんでこんな事になったんだっけ? あー……もうどうでもいいや。それより最後に姉貴に謝りてーや。
「ぁねき……ごめんな……」
 声出たかな? あ、もう無理だ。手足の感覚がねえ。重いし。ん? 姉貴が乗ってんのか? 俺ちゃんと抱き締めてやれてるかなー……

432誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:15:24 ID:C1BCUMC.0
 二人の少年が抱き合うようにして折り重なる少年と少女に向かって駆ける。
 少年と少女を引き剥がし、少女の息を確かめ、早急に家の中に連れ込んだ。
 うち捨てられた少年は、奇妙に満足そうな顔を浮かべて死んでいた。

433誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:16:24 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:40頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、救急箱、診療所のメモ、缶詰など】
【状態:守る覚悟。民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*2、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:待機】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈】
【状態:左側頭部に重大な打撲、左耳の鼓膜破損、頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)】

相沢祐一
【持ち物:ワルサーP5(8/8)、支給品一式】
【状態:右足甲に打ち身】

神尾観鈴
【持ち物:支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【状態:死亡】

マルチ
【状態:死亡】

B-10

元々一つの話だったんですが、時系列飛んでるし糞長いんで分けてトウカ。

434pure snow:2008/03/21(金) 17:41:22 ID:8CMfG.sA0
 ねっとり、と。
 粘つくような視線が眼前の整備された道だけでなく、左右に広がる緑色の空間にも向けられる。
 何も動いていないことを確認すると、すぐに目を別の場所に移す。
 見つかるまでは常に定まることのない、獲物を追い続けることだけに終始した視線であった。

 変わらぬのは表情。
 変わらぬのは足取り。
 変わらぬのは思考。

 好きな人と、二人だけの幸せな世界を築くために、少女、水瀬名雪は全ての参加者を抹殺するために北上を続けていた。
 彼女は血に塗れている。
 それは決して比喩的な表現ではなかった。文字通り、名雪が着込んでいる防弾性の割烹着は腰から上の部分殆どが赤黒く、独特のムラを残しながら色づけされていた。
 無論それは名雪自身の血液ではない。これだけの血液が染み込んでいるなら通常では出血多量で失血死してもおかしくないほどのものであったからだ。
 この割烹着は広瀬真希の死と……つまり命と引き換えに手に入れた形見の品というべきものでもあった。それも防弾チョッキというにはお粗末な、9mm弾を数発防げるかどうか怪しいという性能だというのに。

 人の命を奪ったことに対して罪を感じる気持ちも、逆に殺戮を快楽と感じ得る狂気の情念も、あるいは自らを生存させるための自己正当化だとも考えることは名雪にはなかった。
 殺害というのは目的ではなく手段であり、それをどうこう思うだけの感情は既に無くなっている。歩くことが手段ではないように。
 成り行きとしては当然の事である。度重なる苦痛と恐怖、ストレス、ショック……そして友人の死などが積み重なり、名雪は崩壊した。
 自分が死ぬのが、大切な人を失うのが、裏切られるのが、怖かったから。
 だから、名雪は手からするりと逃げてしまう前に奪ってでも捕まえることを決意したのだった。

435pure snow:2008/03/21(金) 17:41:53 ID:8CMfG.sA0
 いつかの雪の日。
 ただ待っていたから、掴めなかった。
 ただ待っていたから、横取りされた。
 もう、待たない。
 手に入れる。手に入れる。しあわせ。しあわせ。
 もう、逃がさない。

 水瀬名雪の狂気は、止まらない。

     *     *     *

 名雪が歩を進めるのはゆっくりしていて遅い方であったため、そこについたのは昼を少し過ぎた時間になってからであった。
 菅原神社。
 つい先程までそこには天沢郁未が今後の方針についてうんうん頭を唸らせていたのだが、現在は彼女も去って無人の場所である。
 名雪がここに来たのも目立つ場所だから誰かがいるかもしれない、と判断してのことだったのだが、どうやら見当違いであったらしい。
 誰かがいたら射殺しようと、ポケットから取り出していたIMI・ジェリコ941を再び仕舞い直すと、今度はGPSレーダーを取り出してこの付近に誰かが潜んでいないかチェックを始める。

 このレーダーはコンパクトなサイズで重量も軽いのだが、捜索範囲がイマイチ狭い上に連続使用時間も短かったのでこのように隠れる場所が多いところ以外では使わない、と名雪は決めていた。
 光点は見受けられない。どうやら神社の内部にも何者かが潜んでいるわけでもなさそうだった。
 肩を落とすわけでもなく、ホッとするでもなく、名雪はレーダーを仕舞うと次の獲物がいそうな場所を見つけて移動するだけである。

 と、ふと地面に目を落とした名雪の目に、奇妙な跡が映った。
 石畳から少し離れた、柔らかい焦げ茶色の地面。そこに細長い楕円型の跡が、内部にミステリーサークルのような文様を残しながら転々と神社の裏側に続いていた。
 名雪はしゃがみこんで、その足跡に触れてみる。まだ柔らかい土の感触が、指に伝わる。
 いつごろ付けられたものかは定かではないが、この場には一種類しか見られないことを考えると単独、それも最近になってつけられたものだと、名雪は予測する。

436pure snow:2008/03/21(金) 17:42:23 ID:8CMfG.sA0
 そのまましゃがんだ体勢で地図を取り出し、広げて目安になりそうな建物を探してみる。
 ――ホテル跡。
 神社の裏側を通って、どこかに向かうとすればここしか在り得ない。
 とん、と。
 地図上の鎌石村を指で指す。考える。ここに向かうならわざわざ神社の裏側を抜けて山登りする必要はない。
 とん、と。
 同じように平瀬村を指す。考える。ここに向かうとしても同じ。真っ直ぐ行けばいいだけのこと。
 故に。ホテル跡しか考えられないということだ。

 地図を手早く折り畳むと、それをデイパックに入れ、元のように背負いなおしてからその足跡を――引いては、ホテル跡へと向けて、歩き出した。
 もちろん、道中で遭った人物も殺せるように、手はポケットの中に、視線は常に動かしながら。
 真っ黒な闇を含んだ瞳は、今は森の奥に向けられていた。


【場所:E−2】
【時間:2日目15:30頃】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾13/14)、予備弾倉×2、GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルへ向かう】
【その他:足跡は郁未のもの。GPSレーダーの範囲は持ち主から半径50m以内ほど】

→B-10

437十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:15:53 ID:IHprr5pU0
 
「―――決着がついたようだな」

銀髪の軍人がふと漏らしたような声に、久瀬はぼんやりとした視線を南側へと向ける。
そこには荒涼とした岩場を歩く、ひとつの小さな影があった。
来栖川綾香だった。
長く美しかった黒髪は短く切り揃えられていたが、その存在感を見紛うはずもない。
松原葵を制し、この頂へと歩む姿には、やはり一片の翳りもなかった。
遠く、その表情は見えなかったが、顔にはきっといつも通りの不敵な笑みが浮かんでいるのだろう。
強い女だ、と思う。いつだって人の二歩、三歩先を行き、振り返ろうともしない。
同じペースで歩んでいるつもりでいても、いつの間にか差が開いていく。
生き急ぐでもなく、焦るでもなく、ただ悠然と歩む彼女についていこうとした自分は、いつだって小走りに生きるしかなかった。
それは純粋に、存在としてのスケールの差なのだと、久瀬はそう理解していた。

その来栖川綾香が、迫ってくる。
距離にしてほんの数百メートル。
文字通り無人の野を往くが如く、綾香はその行く手を阻まれることなく歩んでくる。

「……陣を、組み直さないんですか」
「あの女の纏う雰囲気、最早夕霧では抑えきれまい。……俺が出る」

気負いも迷いもなく返す男に、久瀬もまた驚きを見せることなく静かに問いを重ねる。

「ここを、空けるんですか」
「指揮はお前が引き継ぐんだ」

間髪を入れぬ言葉。
予想通りの回答に、苦笑じみた表情を浮かべて久瀬が俯く。

「僕には無理ですよ」
「何故そう思う」
「理解できないからです」

短いやり取りの中、血と死臭に澱んだ空気が揺れる。
閃光と爆発。何かが焦げるような臭いを運ぶ風。
北と西では未だ激しい戦闘が続いているという、それは証左だった。
だが南側を向いてしまえば、それは単なる音でしかない。
人が死んでいく音。それだけのことでしか、なかった。

438十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:16:51 ID:IHprr5pU0
「どうして、撃たなかったんですか」

座り込んだ尻に、屍から流れ出す血と体液が染みてじんわりと冷たい。
その冷たさを感じながら、久瀬が問う。
南側に音がしない理由。
南側で、人が死なない理由。

「いくらだって、機会はあったはずです。二人まとめて殺してしまえる機会が、いくらだって。
 ……どうして夕霧たちを退かせたんですか。それが僕には理解できない。
 それが正しい指揮だというのなら僕には無理だと、そう言ったんですよ、坂神さん」

一気に言い放つ。
淡々とした、しかし拭いきれぬ苦味を感じさせる、その声音。
その指示を聞いた瞬間の、愕然とした思いが久瀬の脳裏に蘇る。
松原葵と交戦に入った来栖川綾香に対し、坂神蝉丸は夕霧による狙撃を停止した。
幾度も膠着状態に陥り、あるいは互いに倒れ伏して動きを止めた二人を仕留める機会のすべてを、蝉丸は座視していた。
北側と西側で続く戦闘の指揮を執りながら、しかし南側に対してだけは何の対策も採らなかった。
久瀬が問うているのは、その理由だった。

「……」

一瞬の沈黙。
流れる風が、血の臭いと砂埃を運んでくる。
歩み来る綾香に視線を向けながら黙していた蝉丸が、ほんの僅かだけ視線を動かして、口を開いた。

「人が、その尊厳を賭ける闘いに水を差せば、我らは義を失う……それだけだ」
「矛盾ですよ、それは」

陰鬱な、しかし斬りつけるような久瀬の言葉。

「一方では死人を物みたいに扱っておきながら、一方では大義を口にする……。
 矛盾してるじゃないですか、そんなの」

439十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:17:26 ID:IHprr5pU0
割り切れと、蝉丸は言う。
その通りだと、目的に至る最短の道を選べと、久瀬の理性は告げている。
しかしそれでは、それでは筋が通らないと、久瀬の中の少年は首を振っていた。
人の道を捨てろと命じた男が、同じ口で仁義を説くのか。
わかっている、分かっている、判っている。
今はそれを語るべき時ではない。一分一秒を稼ぐために命を磨り減らすべき時だ。
味方を詰ったところで何ひとつ益はない。
だが、口を閉ざすことはできなかった。
閉ざしてしまえば、何かが死ぬ。
それは心臓や、血管や、温かい血や、そういうものを持たない何かだ。
だがそれはきっと、ずっと長い間、久瀬の中に息づいてきた、大切な何かだ。
いま目を逸らせば、口を閉じれば、耳を塞げば、それは死ぬ。
だから、久瀬は言葉を止めない。

「じゃあ……、じゃあ夕霧たちは、何のために死んでいったんですか。
 綾香さんを食い止めるために死んでいった、沢山の夕霧たちはどうなるんですか。
 矜持がそんなに大切ですか。どれだけの命を費やせば、それに釣り合うんですか。
 あなたは矛盾に満ちている。あなたは勝利を目指していない。あなたは幻想に縋っている。
 あなたは何も願っていない。あなたは夕霧の幸せも、まして僕のことも、何とも思っちゃいない。
 あなたはただ、ありもしない何かに手を伸ばそうとしているだけだ。あなたは―――」

尚も言い募ろうとした久瀬が、ぎょっとしたように目を見開いて飛び退こうとする。
遅かった。宙を舞った大きく重い何かが、久瀬を押し潰すように覆い被さっていた。
小さな悲鳴を上げてそれを押し退けようとして、できなかった。
ぬるりとした手触りのおぞましさが、怖気の立つような冷たさが、それをさせなかった。
自らの上に乗ったものを正視できず、しかし目を逸らすこともできずに、久瀬は涌き上がる嘔吐感をただ必死に堪えていた。
背中から首筋にかけて露出した肌をケロイド状に焼け爛れさせた、それは砧夕霧の遺体だった。

440十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:17:57 ID:IHprr5pU0
「死人は重いか、久瀬」

傍らに土嚢の如く積み上げられた骸の山の内から無雑作に一体を放り投げたまま、蝉丸が口を開く。
透徹した視線は遥か南を見据え、久瀬の方へは向けられようとしない。

「どうした。それは重いか。それとも抱いて歩けるほどに軽いか」

久瀬は答えない。
答えられない。
口を開けば、反吐ばかりが溢れそうだった。
ねっとりと絡みつくような手触りが、久瀬に圧し掛かっていた。

「三万だ。お前の肩には、それが三万、乗っている。既に喪われ、今また散りゆく三万の骸を、お前は背負っている。
 抗うと決めた、その時からだ」

組んでいた腕を静かに下ろして、坂神蝉丸が歩き出す。
カツ、と軍靴の底が岩肌を打つ音が響いた。

「将はお前だ。命じるのはお前だ。
 立って抗えと、座して死ねと命じるのはお前だ、久瀬」

震える手で遺体の肩を掴めば、それは冷たく、ぬるりと重い。
まるで生者の熱を奪おうとでもいうようなその温度に全身の毛が逆立つような錯覚を覚えながら久瀬が振り向けば、
蝉丸の姿は既に数歩を経て遠かった。

441十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:18:31 ID:IHprr5pU0
 
「―――あなたはまるで、擦り切れた軍旗のようだ」

徐々に小さくなる蝉丸の後ろ姿を見ながら、久瀬が呟く。
それは先刻口にしようとしていた言葉、言いかけて止められた言葉の、その続きだった。
威風堂々と振舞う男。
何度も死線を潜り抜けてきた歴戦の勇士。
幾つもの勲章を胸に下げた肖像の中の英雄の如く少年の目に映る彼は、坂神蝉丸という男はしかし、脱走兵だ。

戦場にはためく紋章旗の空虚を、孤独を、滑稽さを、久瀬は思う。
絶えず舞う埃に塗れたその姿を。
何の前触れもなく日に数度降る雨に濡れたその姿を。
水溜りから跳ね飛ぶ泥に塗れたその姿を。
曲射砲の撒き散らす鉄片に小さな穴をいくつも空けられたその姿を、久瀬は、思う。

坂神蝉丸は擦り切れた軍旗だ。
ただ風を受けて己を示し続ける、薄汚れた、誇り高い布きれだ。
それは暗い密林で熱病を運ぶ蚊に怯える兵士の見上げるとき、あるいは砂漠で乾いた唇を摩りながら見上げるとき、
崩れかけた心に小さな火を灯し、清水を満たす紋様だった。
斃れた戦友の痩せこけた手を握るとき、それは遥か遠い故郷へと続く道標のように見えた。
そこにあるのは戦神の加護であり、散っていった者たちの魂だった。
その薄汚れたぼろぼろの布きれは、戦場にはためくとき、そういうものであれるのだった。
敗残の兵、軍務違反の脱走兵である坂神蝉丸という男は、つまりそういう男だった。

「あなたは戦う者たちの希望。あなたは抗う者たちの刃。そう在り続けられると、自身でも信じている。
 ……だけど同時に、恐れてもいるんだ」

そうして久瀬は、口にする。

「戦争が終わって、桐箱に仕舞われる日のことを」

442十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:19:00 ID:IHprr5pU0
坂神蝉丸の、それはこの世界で唯一の恐怖なのだと、久瀬は思う。
思って、天を見上げる。
日輪は蒼穹に高く、しかし天頂には未だ遠い。
瞼を閉じてなお、陽光は眩しく瞳を灼いた。
大きな深呼吸を一つ。
目を開ければ、収縮した瞳孔が映す世界には蒼という色のフィルターがかかっている。

南に視線を下ろせば、男の背中が見えた。
寂寞と荒涼の骨格を矜持と凛冽によって塗り固めたような、遠い背中だった。

背中の向こうには、一人の女が立っている。
笑みの形に歪んだ顔を、動脈血と静脈血で赤黒く染め上げた女。

「―――」

何事かを小さく呟いて、久瀬は対峙する二人から目を逸らす。
それは訣別であり、また激励であったかもしれない。
いずれにせよ、踵を返した少年が振り返ることは、遂になかった。
山頂の南側にあるのは、坂神蝉丸と来栖川綾香の物語だった。


***

443十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:19:33 ID:IHprr5pU0

向き直った少年が目にするのは、幾筋もの光芒。
爆音と焦熱の臭い、無軌道に蠢く無数の影。
それは血と苦痛と災禍と、消えゆく命に満ちた物語。
砧夕霧の物語が、そこにあった。

「僕の名前は、どこにも刻まれない」

少年が、一歩を踏み出す。

「だけど、決めた。抗うと決めた」

屍の山の只中に。

「それは意志だ。他の誰でもない、僕自身の意志だ」

散華する少女たちの王として、

「だから、もう一度だけ言おう。これが僕の、僕たちの答えだ」

高らかに、

「聞けよ、世界」

美しく。

「―――諸君、反撃だ」

開戦を、告げた。

444十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:20:06 ID:IHprr5pU0
 
【時間:2日目 AM11:20】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6911(到達・6911)】
 【状態:迎撃】

坂神蝉丸
 【状態:健康】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→943 955 ルートD-5

445誰が為に:2008/03/26(水) 16:11:51 ID:we92bBF.0
「……ふむ、それで、バラバラになって逃げてきた、と」
 鎌石村小中学校内にある保健室。古い校舎故か八畳の広さもないと思われる狭い空間に、四人の男女(内一人は意識がないが)が輪になりながら話し合いをしている。
 消毒用のアルコールの匂いに紛れてはいるが、それでも染み付いた赤の汚れは飛散し、そこは決して安息の地などではないことを示していた。
 頼りなげに彼らの天井で光る照明も、それに拍車をかけている。チカ、チカと、彼らの命が儚いものだとでもいうように。

「ええ、ひょっとしたら、今にでもあの女がここに足を運んでいるかもしれません。目立つ場所だから、ここは」
「確かにな……」

 藤林杏の治療を終えてようやく折原浩平の話を聞く事ができた聖は、腰掛けた回転椅子の上で足を組み替えながら何事かを考えているようだった。
 その隣ではパートナーである一ノ瀬ことみが心配そうに杏の様子を窺いながらも、まずはこの会話に集中することにしたのか自分のデイパックから一枚の紙を取り出すと、それを浩平に渡す。
「私達は、今は人探しをしているんだけど……」
 それが本当の目的ではないということは、あまり考えるのが得意ではない浩平にもすぐに分かった。
 浩平に渡されたのは、先にことみが芳野祐介や神岸あかりと出会った時に書き綴った脱出計画のあらまし。そのために必要な材料の確保。これが現在の行動指針ということらしかった。恐らく、友人を探すのはそのついでなのだろう、と浩平は思った。

「私は佳乃という妹。ことみ君は岡崎朋也、古河渚、藤林椋、そして今ここにいる藤林杏……を探しているんだが、君に心当たりはないか?」
「……いや」

 割と数多くの人間と行動してきたつもりではある浩平だが、その人間については知らない。それよりも気になるのは、本当にこんなもので爆弾が、それも建物一つを吹っ飛ばせるものが作れるのか、ということだったが、だからといって浩平に別案があるわけでもなかったので信じるべきだろう、と自分を納得させる。

「あ、そうだ。さっき会った人達と情報交換をしてきたんだけど……」
「何? 初耳だぞ、ことみ君」

 いつの間にメモなんか書いていたのか、と思っていた聖だったが誰かに会って脱出計画の話をしてきたというのなら一応納得は出来る。ただ、その情報交換をした人間とやらが本当に信用できるのか、という疑問はあった。万が一にでも、この計画は主催者側には知られてはならないのだから。

446誰が為に:2008/03/26(水) 16:12:17 ID:we92bBF.0
「うん、芳野祐介って人と、神岸あかりって人と……別行動をしてるみたいなんだけど、長森瑞佳って……」
「長森!? 待て、詳しく聞かせてくれっ! オレの知り合いなんだ!」

 瑞佳の名前を聞いた瞬間、身を乗り出すようにしてことみに詰め寄る浩平を、「落ち着け」と頭を軽く叩いて椅子に座らせる聖。何はともあれまずは冷静に話を聞け、と付け加えて。
 いきなり形相を変えた浩平の様子に怖気づきながらも、ことみは話を進める。

「えっと、それと、柚木詩子って人もその長森瑞佳って人と別行動してて、今はそれぞれ分かれながら使えそうなものを探しているらしいの」
「柚木もいたのか……なら、いいが……」
「折原君、一ついいかな」

 瑞佳が知り合いと一緒にいると分かって少し安堵していた浩平に、今度は聖が問いかける。
「その長森君、とやらはどんな人物なんだ? ああ、それと柚木君、という方も知っているようだからそちらについても教えてくれると助かる」
 直接会ったわけではない聖は若干ながら疑いの念を持ってはいる。浩平の様子からそこまで危険視するほどでもないと考えてはいるが、一応尋ねておくべきだ、と思ったからだった。

「長森はオレの幼馴染だ。ガキんときからの腐れ縁だからあいつの性格はおつりが来るくらい知ってるさ。世話焼きで、まあしっかり者だよ。お人よし、とも言うかな……とにかく、あいつは絶対信頼できる。間違いないっす。柚木の方は……うるさい。やかましい。アホ。これくらいっす」

 瑞佳の評価に対して詩子のほうはおざなりだな、と聖は思ったが子供の時からの腐れ縁、だというならその性格に関しては問題ないだろう。
 残りは芳野祐介と神岸あかり、という人物だが……名前からして、芳野という方は男だろうし、ことみの言動から見ても、心配はないはずだ。
 いささか慎重になりすぎだろうか、と聖は自分を分析しながら「すまない、話の腰を折ってしまったな。ことみ君、続けてくれ」と話を促す。

「うん、それで、お互いの目的を確認し合って、芳野さん達には西を、私達は東を当たることにしたの」
 ことみは浩平の手から紙を取ると、鉛筆で『硝酸アンモニウム』の部分に横線を引き、上に小さく『芳野組、達成』と書き足した。
 つまり、既に芳野達は行動を開始している、ということになる。残すは軽油とロケット花火だった。

「ふむ、つまり、私達は当初の行動を変える必要はない……むしろその芳野祐介とやらが肩代わりしてくれているから手間が省ける、そういうことだな?」
「大正解なの」

 ぱちぱちぱち、とことみが拍手する。だがそれを遮るように、浩平が「もういいか?」と言いながら席を立ち、保健室の外へと向かおうとする。

447誰が為に:2008/03/26(水) 16:12:45 ID:we92bBF.0
「悪いが、オレは長森を追いかける。芳野とか神岸って奴がどんなのか知らないが、長森もオレを探してここまで来たはずなんだ。会ってやらないと」
「待て、折原君」
「……何すか、聖さん」

 扉に手をかけられたとき、聖が呼び止める。

「会って、それからどうする? 一緒に行くのか? それともここに戻ってくるか、それだけ聞かせてくれ。場合によってはこちらも行動指針を変えなければならないからな」
「……? どうしてすか?」
 一人がいなくなったところで何か変わるものなのか。かなり真剣な様子の聖の声に、浩平は疑問を抱かずにはいられない。それよりも早く瑞佳を追いたい、そればかりが浩平の頭の中を過ぎっていた。

「そんなことも分からないか?」
 やれやれという調子で肩をすくめる聖の挙動に、少しイラッとした浩平が声のトーンを上げる。
「もったいぶってないで、早く言ってくれませんか」
「……本当に分からんか」
 呆れたようにため息を吐き出すと、聖は立ち上がり保健室の奥にあるカーテンを引く。
「あ……」

 浩平が、呆けたように声を出す。
 それは患者を寝かせるベッドと聖達のいる応接間というべき部分を分かつカーテンだった。
 ミントグリーンの、柔らかな絹のそれに守られるようにして、ベッドで眠っていたのは、藤林杏。
 肩から上の部分しかその姿は確認できないが、穴が開き、赤と土色で無残に汚れた制服がハンガーにかけられていることから、恐らくは下着のみなのだろう。
 つまり、それだけの大怪我を負っていた。その事実を雄弁に物語っている。
 さらに時折聞こえる苦しそうな寝息が、彼女の命がまだ危ういものであることを証明している。

「――分かったか」
 数メートル先にいるはずなのに、聖の声は耳元で話しかけられたように、浩平には思えた。
 見せるべきではなかったんだがな、と呟いてから聖はカーテンを閉め直す。
「あんな怪我人を連れて行動なんてできない。いや、医者としてそうさせるわけにはいかない。これは私の意地だ」

448誰が為に:2008/03/26(水) 16:13:14 ID:we92bBF.0
 連れて行けるわけがない。そうだ、連れて来たのはオレなのに。どのくらい酷い怪我だったのかはオレが一番良く知っていたはずなのに。
 どうして失念していたんだろう。

 思いながら、そう、浩平は肩を落とした。
「彼女をここに置いておくとなると、当然護衛……というのは大げさにしても、付き人が必要だ。何せ抵抗もできないのだからな。となると、折原君が戻ってこなかった場合、私かことみ君のどちらか一人で探索に向かうことになる。それはそれでまた危険だ。だから君に答えを求めた」
 確かに、爆弾を作る材料を抱えながらの移動は危険極まりない。加えて聖……はともかく、ことみは女性だ。腕力的にも材料を持って運べるか、と尋ねられると……無理だろう、と浩平は考える。
 それに、二人のやろうとしていることは万が一にでも失敗が許されないものだということは浩平にも分かっている。万全を期すためにも危険は極力避けたいところなのだろう。

 つまり、今後どう行動するかは、浩平に委ねられている、と言っても過言ではなかった。
「どうなんだ、折原君」
 再度、聖が尋ねる。ようやく平静さを取り戻した浩平の頭が、この場の全員にとって、最善だと思える選択肢を、瑞佳にとって最良の選択肢となるように、論理を導き出す。

「……やっぱり、長森には会いに行きます。それで、もし聖さん側に連れて来れるようだったら、そっちに戻ってその後はついて行きます。ダメだったら……長森について行きます。その時は、その旨は必ず伝えるつもりですけどね。だから、オレが長森に会って答えを出してくるまでここで待ってて下さい」
 妥協できるのはここまでだった。何はともあれ、ずっと浩平と共に在った瑞佳の存在は、やはり大きなものだった。
 えいえんのせかい。
 そこに消えていくだけの浩平を連れ戻してくれたのは、瑞佳だったのだから。

「……どうだ、ことみ君」
「10分で済ませな。それまでは大人しく待っててやるぜベイベ、なの」
「何の真似だよ、そりゃ」

 一昔前の映画俳優のような渋い口調で提案を受け入れたことみと、そして聖に、浩平は呆れ顔で笑いながらも我侭を許してくれたことを感謝する。
 ぺこり、と一つ大きく頭を下げて。
「それじゃ、行ってきます」
 平凡な日常で、学校に行くときの挨拶のように。

449誰が為に:2008/03/26(水) 16:13:39 ID:we92bBF.0
 折原浩平は永遠から日常へと回帰するためにドアを開け放った。

     *     *     *

「芳野、さん……」
 瑞佳と詩子の身体を調べていた芳野は、黙って首を振る。もう手遅れだ、と付け加えて。
「畜生……なんで、俺はあんなことを」

 仏頂面ないつもの芳野祐介は、もうそこにはいなかった。
 突如瑞佳と詩子の命を奪った殺人鬼への怒りと、間違った判断を下してしまった自分への情けなさとが入り混じって。
 何度も何度も、歯を食いしばりながら芳野は拳を地面に打ち付ける。血が滲むほどに、芳野の手は土埃で汚れていく。

「くそっ……くそっ!」
 一際大きく拳を振り上げようとしたところで、芳野の異変を感じ取ったあかりが慌ててその腕を掴む。
 拳先から僅かにあふれ出していた血が、あかりの目に留まる。
 それは詩子の脳からあふれ出していたそれとはまた違う、土と赤が入り混じった絵の具のような汚い色だった。

「神岸、放せ」
「だ、だめです」

 ドスを利かせた暗闇の中からの声に一瞬力を緩めてしまいそうになるが、それでもあかりなりの意地を出して芳野の腕をがっちりと止める。
 ぎゅっ、と。抱きかかえるようにして。
「お願いです、自分だけを傷つけるようなことだけはしないでください……誰が悪いわけでもないんです。でも、みんなに責任があるんです。私も、長森さんも、柚木さんも……芳野さんにも」
 なお振りほどこうとする芳野だったが、殴り続けていたせいで力が入らずあかりの拘束を受け続ける羽目になる。
 力でねじ伏せることの出来なくなった芳野は、口先を武器に反論する。

450誰が為に:2008/03/26(水) 16:14:11 ID:we92bBF.0
「全部俺の責任なんだ。効率ばかりを重視して、こいつらの安全を確保しなかった。時間がかかってもいい、命はあってこそのものなんだ。それを、俺は……俺はっ!」
「違います! これは私たちが、自分で決めたことなんです!」
「何を!」
「反対ならいくらでも出来ました! 別れることの危険性や、デメリット……それくらい私にだって分かります。木偶人形じゃないんだから! 口には出さなかったけど、みんな、それを納得して芳野さんの意見に賛成した! だから責任は私たち全員にあるの!」

 芳野の怒りにも負けぬような、あかりの決死の反論。
 それは推測に過ぎない。本当にそれらを分かっていたかどうかなんて、今となっては知りようもない。
 けれども、別れるときに異論はないかと尋ねた芳野に、誰も異論は挟まなかった。それは事実だ。確かに、納得していたのだ。その時は。
 どんな人物に二人が殺害されたのかは、芳野にもあかりにも分かるわけがない。
 だがあかりは、今までの話から詩子も瑞佳もそれなりの戦闘を掻い潜ってきていることは知っている。警戒心が全くなかったわけではない。
 つまり、そこから考え出せる推論は、こうだ。
 二人は、してやられたのだ。狡猾に、隙を窺い、卑劣にも恥辱を与えるような、残虐で凶悪な人間に。
 それは誰かが悪かったわけではない。だが責任がなかったわけでもないのだ。そこまで最悪な事態を考慮できなかった、その思考に。

「仕方がなかったなんて言えないけど……でも、自分を傷つけたってどうにもならないよ……後悔しても、もう、戻ってこないから……」

 不用意な行動のせいで、あかりは自分を信じてくれた一人の人間を殺害したにも等しい行為をしてしまった。
 いくら謝罪しても、いくら泣いて喚いても時間は戻らない。
 だから、せめて。

「無理矢理にでも、先に進むしかないよ……長森さんや、柚木さんが探していた人と、会えるまで」

 一際強く、あかりは芳野の腕を抱きしめる。許しを請うわけではなく、贖罪をして、償っていくために、逃げることはあかりには許されていなかった。
 それが、国崎往人の拙い人形劇を見たときに決めたことだったから。

「逃げちゃ、いけないんです」

 ふっ、と。
 芳野の腕から、急速に力が抜けていく。握り締められていた拳は、いつの間にか開かれていた。

451誰が為に:2008/03/26(水) 16:14:38 ID:we92bBF.0
「……確かにな」
 自嘲するような、芳野の呟き。
「いつもそうだ。何もかも背負い込んだ気になって、一人で勝手に潰れて、逃げようとする。昔っから変わらない」

 遠い、今ではなく遥かな昔に、青かった時となんら変わらない自分に、芳野は辟易する。
 伊吹公子が優しく迎え入れてくれたあの時に、もうそんな真似はしないと誓ったはずだったのに。
 また、こうして叱ってくれるまで忘れていた。
 男だから。年上だから。
 そんなつまらないプライドのために逃げ出そうとしていたのだ。
 嘆いて形ばかりの責任を取るよりは、もう過ちを犯さないために彼女らの死を無駄にしないことの方が余程マシだ。

「ああ、そうだ。今は、やれることをやるしかない」
 石のように重たかった芳野の頭は、今は羽のように軽い。
 だから、空を見上げることができた。
「いつか、歌を贈らせてもらう。その時まで、今はまだ俺を許してくれ」
 題名は、そうだな。『永遠へのラブ・ソング』。

 目標を立てることで、芳野は新たに生き残る意思を固める。またそうすることで、少しは彼女らの意思を継げると思ったから。
「すまない。手を、離してくれ。長森と、柚木を弔ってやらなくちゃいけない」
「……はい。私も手伝います」

 あかりの腕が静かに離れる。手の甲についていた血は、すっかり乾ききっていた。力も、十分に入る。
「一人ずつだ。まずは……長森からだ。裸のままにしておくのは、忍びないからな」
「ですね……」
 近くにあった瑞佳の制服を取り、丁寧に包み込むように、贈り物を包装するように瑞佳の身体に包んでやる。これ以上、誰にも汚させぬように。
 芳野が、お姫様抱っこの要領で持ち上げ、埋葬に適した場所に連れて行こうとした、その時だった。

452誰が為に:2008/03/26(水) 16:15:07 ID:we92bBF.0
「……おい、あんた、何だよ、それ」
 一人の少年の声。
 信じられないというように、当惑するように、そして、怒りを隠しきれぬ声色を以って。
「あんた……長森に、柚木に何をしやがった!」
 ――折原浩平が、仁王立ちとなって、芳野とあかりの背後で叫んでいた。

 握り締められた包丁はカタカタと震え、一直線に進む視線からは明らかな殺意が見て取れる。いや、殺意だけではない。
 そこには絶望が、悲しみが、困惑が。大切な宝物を奪われた少年の顔が、そこにあった。
「お前……推測を承知で言うが、折原浩平か」
 見ず知らずの芳野に言い当てられたことに少々驚いた浩平ではあったが、すぐに表情を怒りのそれへと戻して返答する。

「ああ、そうだ。あんたが抱えてる……長森瑞佳の……幼馴染だよ。あんたが殺した、長森のなっ!」
 は、と唾を吐き捨てて浩平は芳野への罵倒を続ける。
「そうやって騙したんだろ? 善人の振りして、情報を引き出して、用済みになったから殺したんだろ?」
「ちが……」
 それは間違っている、と主張しようとしたあかりを、芳野は片手で制して止める。言わせてやれ、と浩平には聞こえないように、小声で言いながら。
「大事そうに抱きかかえやがって、そんな悲しそうな目をしてたって……オレには分かるんだからな。あんたは人殺しだ、殺人鬼なんだろ。全部演技なんだろ。無駄だからな、オレを騙そうったってそうはいかないんだからな……なあ、何とか言えよ! 図星なんだろっ!?」

 芳野は黙ったまま。言い訳もせず、ただ黙って目を伏せたまま、浩平の罵倒を受け入れていた。
 それくらいなら、いくらでも聞いてやる。そうとでも言うように。

「なあ、オレはな……」
 怒りだけだった浩平の声が、次第に転調を始める。
「長森のこと、どうしようもないアホで、お節介で、世話焼きで、鬱陶しいとか思ってたときもあったけどさ、でもオレにはいなくちゃいけないやつだったんだよ……あんたみたいなクソ人殺しには分からないに決まってるだろうけどさ、長森は、オレの支えだったんだ。いつだってオレを助けてくれてさ、いつだってオレのバカに付き合ってくれてさ、そんないいやつ、この世にいると思うか?
 いないんだよ、長森はたった一人なんだよ、他にどんなバカ正直なお人よしがいたとしてもさ、長森はたった一人で、オレがありがとうって言えるのは長森しかいないんだよ。なのに」

453誰が為に:2008/03/26(水) 16:15:34 ID:we92bBF.0
 一本の線が、浩平の頬を伝う。
 震えの原因は、怒りから、悲しみに。喪失感で溢れたものへと、変わっていた。
「なのに、もう、いないんだよ。言ってること分かるか? いなくなったんだ。もう、オレは長森に何もできない。できたとして、全部自己満足なんだよ。もう、あいつから、何も聞けないんだ。あいつには、いっぱい、しなきゃいけないことがあったのに」

 浩平には分かっていたのだ。芳野が、演技などではとてもできない本気の涙を流しながら、瑞佳を抱いていたから。
 何も言わず、言い訳すらせず、浩平のしようとしていることを受け入れようとしている。
 そんな奴が、長森を殺すはずがない。長森も、そんな奴じゃなきゃ付いていかない。だって、一番よく知ってるんだから。
 そんなこと、とっくの昔に分かってたのに。
 やり場のない怒りを、目の前の男にぶつけることで何とか発散しようとしている。
 なんて小さい男なんだ、オレは。
 だから、浩平は、泣き喚きながらそうするしかなかった。

「責任取れよ」

 包丁を捨てる。
 カラン、と卑小な音を立ててそれが地面に落ちる。
 ゆっくりと、浩平は芳野に向けて歩き出す。

「責任取りやがれよ」

 分かっている。こんな行動こそ、まさに自己満足でしかない。
 なのに、止まらない。止められない。
 ガキだから。聞き分けのないクソガキだからだ。

「長森と柚木がどんだけ苦しんで、どんだけ助けを求めたか、あんたには分かるんだろ! なら、お前もそれを味わえよっ! この……」

 ――走り出す。
 拳にやり場のない怒りを乗せて。
 まずは一発、いや、最初で最後の一発を放つ。

454誰が為に:2008/03/26(水) 16:16:01 ID:we92bBF.0
「――ダメぇっ!」

 ――つもりだった、のに。
 どん、と。
 浩平……いや、何故か芳野もあかりによって突き飛ばされていた。女の子とはとても思えないくらいの、全力で。

「うおっ……!?」
「ぐ……!?」

 2メートル。
 それくらいは離れただろうか。
 二人は尻餅をつく。二人とも、突き飛ばしたあかりを見上げる形になる。
 分からない。何が『ダメ』なのか。
 芳野は真意を、浩平は文句を、それぞれ唱えようとしたとき。

 たたた、と。
 どこか遠くで、でもすごく近い、そんなところから浩平には聞き覚えのある音がして。
「――!!」
 悲鳴を、必死に食いしばるようにして、神岸あかりが何かに貫かれ、くるくると回転しながら、赤いスプレーを、さながらスプリンクラーのように散らしながら。
 どさっ、と。
「……か、かみ、ぎし……!」
 倒れた。

     *     *     *

 多分、それは時間にすれば、ほんの一瞬で、今までの人間の歴史から――それどころか、私が生きてきた短い人生から見てもゴマ粒のように一瞬だったように思う。
 逆に言えば、それだけあれば人は死ぬんだなあ、って思う。長森さんや柚木さんも、こんな一瞬で、痛みを通り越して死んでしまったのかな?
 でも、やっぱり死にたくはなかったんだろうなって思う。だって、今の私がそうなのに。
 なんで、あんなことしちゃったんだろう。銃口に気付いて、切磋に突き飛ばす、なんて。

455誰が為に:2008/03/26(水) 16:16:28 ID:we92bBF.0
 いや、きっとそれで正解だったのだと思う。
 私一人が生き残って勝てない戦いをするより、芳野さんと、折原浩平、っていう人が一緒に戦ってくれれば。
 それに、あの人は、ほんのチラッと見ただけだけど……美坂さんを、殺した柏木千鶴――その人だったように思う。
 ああ、今にして考えれば、折原浩平くんのように、一発殴りたかったな。私らしくないけど、簡単に人の命を奪うような人を、私は絶対に許せない。
 殺された人にも、家族とか、友達とか、好きな人がいたはずなのに。
 ……けど、やっぱり柏木千鶴さんにも、人を殺してまで守りたかった人がいるのかもしれない。他人を切り捨てられるくらいに愛する人がいたのかもしれない。
 そう考えると……誰も悪くはないのかな、と思うようになってきた。ああ、でも、やっぱり、浩之ちゃんに会えなくなっちゃったのは、とても、辛い。

 浩之ちゃんも、折原浩平くんみたいに私を探してくれてるのかな。長森さんのように……とまではいかないけど、私が死んだら凄く悲しむのかな。
 それを想像すると、胸が痛んだ。でも、私の行動は間違っていなかったと思う。
 だって、人を見殺しにするなんて、浩之ちゃんなら絶対にやらなかっただろうから。分かるから。ずっと一緒にいた、幼馴染だったから。

 ……国崎さん。もし、もう一度国崎さんに会えたら、その時はあの人形劇を見せてもらいたかったな。あれは、元気と、勇気のでる、最高のおまじないだから。
 ……長森さん、柚木さん。少ししか一緒にいられなかったけど、とても楽しかった。どこかで、会えるといいな。
 ……志保、雅史ちゃん、レミィ、葵ちゃん、来栖川先輩、姫川さん、マルチちゃん、みんな、ごめんね。
 ……浩之ちゃん――

 ――大好き。

     *     *     *

 柏木千鶴が鎌石村小中学校にやってきたのは、ウォプタルがだんご大家族(100匹分)を全て平らげた後だった。
 来た道を戻ってきたのは、先の戦闘で、これ以上進んでも人間との遭遇は在り得ないと結論付けたからだ。
 加えて、それなりの武器は入手している。自身の戦闘力を踏まえれば大抵の戦闘は潜り抜けられる。
 乱戦の中に飛び込んでも勝利できるだけの自信はあった。

456誰が為に:2008/03/26(水) 16:16:53 ID:we92bBF.0
 そして、さらに幸運なことに、学校にやってきてみれば、二人の男が口論のようなことをしているではないか。
 あと一人女……と思われる人間がいるが、止める術を持たないのかただ傍観しているばかり。
 何を言っているかは分からないが、この機に乗じて全員抹殺することは容易だと、千鶴は考えた。
 一方の……少年と思われるほうが、今にも掴みかかりそうな勢いで、青年の方の男に迫る。
 二人の格闘が始まる瞬間が、千鶴にとっては好機だった。
 ウージーサブマシンガンを構え、始まると同時にウォプタルを駆けさせ、ウージーを乱射し一網打尽にする。
 それで終わりのはずだった。
 だが、少年が掴みかかろうとしたまさにその瞬間、女の方がこちらに気付く。

「あの子は……」
 前に一度見た事がある。いやそればかりか殺害寸前にまで持っていったことがある少女。
 偶然の再会に、千鶴のトリガーにかかった指が、一瞬だが止まる。
 それが結果的に未来を大きく変えてしまうことになる。
 千鶴の指が止まっている時に、少女――神岸あかりは二人の男――芳野祐介と折原浩平を突き飛ばし、彼らを千鶴の射線から外してしまったのだ。
 当然、指の動きを止めていたのは一瞬だったので、狙いを変えることは出来なかった。
 たたた、とウージーが弾を吐き出し終えても……
「――く、しくじった!」
 倒したのは、あかり一人だけという結果。いや、そればかりか。

「貴様ぁ……ッ!」
 芳野祐介が、千鶴に向けてサバイバルナイフを振るう。あかりが倒れた瞬間、芳野はその矛先を襲撃者――千鶴に向け、目にも留まらぬ勢いで疾走し、攻撃を開始する。
 悲しみでもなく、動揺するだけでもなく。ただ、あかりを倒した目の前の女が許せなかったのだ。そして、またもや気付けなかった芳野自身にも。

「キャウウウウゥゥゥゥッ!」

457誰が為に:2008/03/26(水) 16:17:18 ID:we92bBF.0
 避けきることの出来なかったナイフは、真っ直ぐにウォプタルの首筋を切り裂く。
 暴れ、もがくウォプタルの背中に乗っていられぬと判断した千鶴は素早く飛び降り、体勢を整えようとする。
 そこに、芳野の第二撃が迫る。
 順手ではなく、逆手でナイフを握っての斬撃。突くのではなく、振るうという目的で使うにはこちらの方がより効果を発揮する。
 回転するように振るわれた芳野のナイフは……当たらない。
 キィン、という甲高い音と共に、千鶴は日本刀の刀身で芳野の刃を受け止めていた。

「くっ……」
「くそ……」

 二人の力が、刃を通じて真正面からぶつかり合う。
 ギリギリと、お互いの意地と怒りを乗せて。
 芳野は引けない。
 千鶴はマシンガンを持っていて、少しでも後退しようものならそれで穴だらけにされて終わるだろう。
 千鶴は距離を取りたい。
 むざむざ相手の有利な距離で戦う必要性は皆無。その上戦う相手は芳野だけではないからだ。
 しかし……

「ぐ……」
 なんだ、この女の力は?

 少しずつ押される事実に、芳野は戸惑いを隠せない。
 日本刀が、徐々に芳野の顔面に近づいてきているのだ。押し返そうとするも、それ以上の圧力で跳ね返されてしまう。どう見ても、細身の女だというのに。

「どうしたの? 苦しそうだけど」
「あんたに、心配される筋合いは……ない……!」

 千鶴に、少し余裕が生まれる。
 このまま押し切っても距離を取っても、芳野に勝利できる公算は十分にある。むしろこのままジリ貧になってくれたほうが都合がいい。
「く、そっ……」
 日本刀の先が、芳野の髪の毛に触れる。
 もう少し――

458誰が為に:2008/03/26(水) 16:17:44 ID:we92bBF.0
 千鶴が、更に力を込めようとする。その真横から、新たに迫る人影があった。
「!?」
 気付いて避けようとしたが、既に遅かった。芳野と鍔迫り合いしていたから、というのもあった。
 折原浩平が、包丁を抱えて、突進してきていた。
 勢いをつけられた包丁の刃が、千鶴に突き刺さる。

「っ……!!」
 悲鳴を出すことは流石にしなかったが、日本にかける力が緩んでしまう。それを芳野が見逃すはずはなかった。
 一歩下がると、思い切り体勢を低くし、アッパーのようにナイフを振り上げる。
 しかし千鶴もさるもの、バックステップを利用しあっという間に数メートルの距離を取る。

「やって、くれるわね」
 憎々しげに、千鶴は浩平を見据える。刺された左腕からはとめどなく血が流れ出し、既にウージーは強く握れなくなっている。
 どうせ弾切れだ。
 千鶴はそれを地面に打ち捨てると日本刀を横一文字に構え、二人に対峙する。
 ちらりと横目で見れば、ウォプタルは苦しそうに呻いていて、足としての役割は期待できそうにない。
 いいわ。これはハンデにしておいてあげる。真っ向勝負で屈服させてあげるから。
 目が、細められる。それは紛れもなく、本気を出した『鬼』の様相を呈していた。

「……さっきは助かった」
「勘違いすんな、これはオレのリベンジなんだ。あいつは……オレが絶対に倒す。ちょっとした因縁もあるからな」

 浩平は七海を屠り、杏に大怪我を負わせ、今またあかりを殺害した千鶴に対して絶対的な敵意を向けていた。
 そして、またもや助けられ、何もできなかった自分への不甲斐なさ、無力さにも。

 どうして、オレはいつもこうなんだ。
 誰かに助けられて、理不尽にも当たり散らすだけで、また誰かに助けられて……
 ふざけんな。
 ここで決別する。
 オレは、オレで借りを返せる人間になるんだ。クソガキなオレは、今日で卒業だ。

 ――えいえんのせかいなんて、ブッ壊してやる。

459誰が為に:2008/03/26(水) 16:18:14 ID:we92bBF.0
 少年が、覚悟を決める。
 しかしただ熱くなっているだけではない。冷静に、浩平は状況を分析していた。
 柏木千鶴とは以前戦ったことがあり、その身体能力の差は歴然としていた。真っ向からの勝負では、とても勝ち目はない。
 ならば、勝機はどこにあるのか。
 答えは……

「――せあっ!」
「来るぞ!」

 芳野の声に弾かれるようにして、浩平が真横に飛ぶ。それまでいた空間は既に千鶴の日本刀によって貫かれていた。
 これで安心してはならない。
 浩平は包丁を縦に構え、受けの体勢を取る。果たして予測は外れなかった。
 甲高い音と共に、包丁は千鶴の追撃を跳ね返す。

「――!」

 千鶴は少々面食らった顔をしていたが、サッと刀を返すと真後ろから迫っていた芳野の斬撃を打ち払う。
 またもや押し負けた芳野が僅かにふらつくのを見逃すわけもなく、千鶴が追撃とばかりに芳野の腹部に横蹴りを放ち、クリーンヒットさせる。
 横転しながらもすぐに体勢を立て直す芳野に、二の矢が迫る。
 首ごと斬り飛ばすかの如き勢いで垂直に振り下ろされる刀。芳野は膝立ちの体勢から横に小さく飛んでごろごろと転がりつつ、辛うじて躱す。次にようやく立ち上がったかと思えば、水平に放たれた刃が迫る。慌てて動作をひっくり返ししゃがみの体勢を取る。相反する命令を下されながらも、ぎりぎりのところで刀を空振りさせた。
 それでも僅かに切れた髪の毛が、ぱらぱらと宙に舞う。ゾッとする怖気を感じながらも、芳野は懐に飛び込んだ今がチャンスだと即座に判断し、千鶴の胸元へと向けてナイフを振るう。

 しかし千鶴の反応はそれ以上であり、半歩引いたかと思うと刀身でナイフを弾き、完璧に防御する。
 だが一度懐に飛び込んだのだ、引けば即、死に繋がる。
 素早くナイフを順手に持ち替えた芳野が、縦、横、袈裟と次々に斬撃を繰り出して千鶴に反撃する隙を与えない。

460誰が為に:2008/03/26(水) 16:18:38 ID:we92bBF.0
「くそ、どうして当たらない!」

 様々な方向から斬り付けているはずなのに、全て防御されことごとく弾かれる。
 剣道の達人とでもいうのか。いやそれにしては太刀筋はそう変わらない。とにかく、手練れであることは間違いない。
 だが、徐々に押してはいる。流石にこうも連続して攻撃を加えられては引きながら戦わざるを得まい。追い詰めさえすれば。
 そう考える芳野の視界に、浩平があるものを拾い上げているのが写る。

 マイクロウージー。千鶴が捨てていたサブマシンガンだ。
 だが捨てていたということは弾丸は入っていないのでは? 弾丸のない銃など役立たずも同然。何を考えているのか。
 その時、芳野の脳裏にある推論が思い浮かぶ。そしてそれは、浩平がへたり込んでいるウォプタルに向かったことで、確信へと変わる。
 間違いない、あいつはあの恐竜みたいなのにぶらさがっているデイパックからマシンガンのマガジンを奪うつもりだ!
 身軽にするためと、自身に負担をかけさせないためにそうしていたのだろうが、それは荷物を放り出しているも同じ。それが奴の命取りだ。

(……だが、問題は予備のマガジンがあの中に入っているかどうかだ。可能性として本当に弾切れになったから捨てていたかもしれない。運否天賦、になるが……)

 実際はそうではない。浩平はPSG1が奪われたことも知っていたためたとえマガジンがなくとも銃を確保できるのは確実だった。だが、破壊力からすればウージーのマガジンが入っていることの方が遥かに望ましい。
 結果は――

「……よし!」

 ウォプタルにぶら下がっていたデイパックの中から、ウージーの予備マガジンが浩平の手中に納まる。
 これをはめ込み、千鶴に向かって乱射すれば命中は確実だった。

 浩平がマガジンを取り替える動作に入ろうとした、その時。
「……遅いのよ」
 ふっ、と芳野の視界から千鶴が消える。何が起こったか、一瞬理解できなかった。だが数瞬の後。
「な……」

461誰が為に:2008/03/26(水) 16:19:05 ID:we92bBF.0
 一歩分の距離はあったはずだった。密着などしていてはナイフは振るえない。
 なのに。
 千鶴の顔は、キスできそうなほどの近距離にあったのだ。
 次いで、ずん、と何か重いものを叩き込まれる衝撃。肘を打ち込まれたのだと分かった時には顎を刀の柄で突き上げられ、仕上げとばかりに回し蹴りで薙ぎ倒された。

「がは……っ」
 無様に地面を転がりながら、なお千鶴の追撃に備えようとしたが、それは間違いだと知ることになる。

「そうやって、交換する動作の時が……一番無防備なの。わざわざ遊んでやったのはこのため……甘ちゃんなのよ」

 芳野が目にしたのは、浩平の腹部が千鶴によって貫かれていた光景だった。
 背中から突き出した刃が、浩平の鮮血を啜って怪しく輝いている。待ち焦がれた、とでも言うように。
「く、そっ、そういう事か……」

 芳野は理解する。
 最初から、こうなるように仕向けていた。二人いっぺんの刃物を相手取るよりは銃を持たせ、マガジンを交換する隙に仕留める。
 一対一なら苦労するまでもなく、あっという間に倒せる。押されていたのではない。そうさせていたのだ。
 見取りが甘かった。最初の鍔迫り合いのときに普通の女ではないことは分かっていたはずだった。ナイフを全て防御されていたときに、おかしいと気付くべきだった。
 敗北か。俺達の――
 芳野は悔しさに歯をかみ締めようとした。

「甘ちゃん……? へへ、あんたの方が甘いぜ、大甘だ……!」

462誰が為に:2008/03/26(水) 16:19:30 ID:we92bBF.0
 それを嘲笑うかのように。折原浩平が、笑っていた。
「何が――ぐっ!?」
 いつの間にか、千鶴は刀ごと腕を掴まれているのに気付く。握られた手は石のように硬く、また刀が刺さっているのも相俟って、ビクとも動かない。
「は、刺された、くらいで、死ぬとか……動けなくなるとか思われたら、困るんだよ……こっちは、腹、くくってんだからな!」
 浩平は叫ぶと、更に刀を食い込ませるように、より引きにくくさせるかのように、一歩千鶴へと向けて進む。
 加えて、はまり切っていなかったウージーのマガジンを膝で叩いて無理矢理押し込む。

「撃てるぜ、おねーさんよ」
 それはいつもと同じ、下らないことを思いついたときの浩平の笑みである。だがそれは、今の千鶴にとっては悪鬼の笑みに他ならない。
 心臓が早鐘を打ち、訳もなく足が震える。
(嘘……? 鬼の、わたしが、怖がっている……?)
 ゆらり、と死刑を宣告するように浩平の腕が持ち上げられる。千鶴は何とか逃れようと全力でもがき、怪我をしている左腕で浩平の顔を殴りつけるもまるで応える様子がない。

「あんたの殺戮劇は……もう、閉幕なんだよっ!」
「こんな……! 耕一さ……!」

 千鶴の叫びは、五月蝿過ぎるくらいの銃声に飲まれ、消えた。
 大きな血の穴を開けながら、最期の最期まで家族のために戦った、哀しき鬼の末裔が――あっけなく、崩れ落ちた。

     *     *     *

463誰が為に:2008/03/26(水) 16:19:56 ID:we92bBF.0
 くそ、カッコよく決めたつもりだったけどさ、やっぱ、生き残れなくっちゃヒーローじゃあないよな。
 上手く立てたつもりだったのにな。見破られてたなんて思いもしなかったぜ。
 気合と根性! でどうにかしたけどさ。はぁ、やっぱオレってそんなのは似合わないよなぁ。
 七瀬あたりが見てたら何そのヒーローごっこ、みたいな感じで笑われてたかもな。
 ……いや、泣くだろうな。絶対泣く。漢泣きするね、きっと。

 ……。
 ふぅ、アホッ、とかまたバカなこと言ってる、とかそういうツッコミがないのは寂しいな。なんだよ、結局オレは一人じゃダメなんじゃないか。
 笑っちゃうよな、全く……
 本当、アホだわ、オレは。

 ……。
 何だよ、何か、体軽くなったな。ハハア。オレはこれから天国に連れて行かれるんだな? いや、一人殺したから地獄か? いやいやいや、情状酌量の余地は残ってるはずだぜ? だから考え直してよ閻魔さんよ。
 なんて、お願いしてみたけど、まあやっぱり地獄だよな。それでもいいか。長森たちと会えないのはちょっと寂しいけどな。
 ひょっとしたら誰か知り合いがいたりして。深山先輩とか。
 いやいや、冗談ですって。だからオレの頭に入ってこないで! イヤーン!

 ……。
 冗談はともかくとして、まだ茜や、みさき先輩、澪に、七瀬、住井に……まあ、広瀬もか。そいつらは生きてるよな。
 絶対こいつらなら生き残ってくれるさ。みんなオレなんかより強くていい奴らだからな。後は頼むぜ。

 ……。
 お、何か体が重くなったぞ。ひょっとしたら地獄にご到着なのかもな。なんだよ、誰もいないじゃないか。最近の地獄は人手不足なのか?
 まあいいや、のんびりさせてもらおう。ふはは、オレこそが地獄の閻魔大王だー、なんて。

 ……長森。
 本当に済まないと思ってる。
 お前がいなきゃ、今のオレはなかった。お前がいてくれたから、オレはオレであり続けられたんだ。
 けど……結局、何も出来なかった。せめて、最後に、お前に、触れてやりたかったのに……

464誰が為に:2008/03/26(水) 16:20:28 ID:we92bBF.0
 ――できるよ。

 ……え?

 ――できるよ。ほら、わたしはここにいるから、浩平。

 ウソ……だろ。何で、長森が、ここに……いや、恥ずかしいわけじゃないぞ。ちょっと驚いただけなんだからな。
 あー、その、触れてやるってのはだな、つまり、その……

 ――ね、お願い、していいかな?

 お? お、おう、どーんと来い! 長森ごときの願い事なぞオレに叶えられないわけないっ!

 ――じゃあ……


 ぎゅって、して……


     *     *     *

「いくらなんでも、遅すぎるな」
 浩平が出て行ってから早一時間近く経っている。学校や、外を探し回っているにしても遅すぎる。
「ことみ君、確かに間違いはないんだな?」
「うん、多分……」

 芳野祐介達に硝酸アンモニウムの運搬を任せ、そのまま島を西回りに材料を探してもらうという約束。
 硝酸アンモニウムを探してもらうところから始めてもらったというのだから、探索して、運び出して、仕舞う。このプロセスを辿るだけでも結構に時間がかかるはずだ。
 浩平が出遅れた、ということはありえない。
 だとすれば、何らかのトラブルに巻き込まれたという可能性が高い。

465誰が為に:2008/03/26(水) 16:20:49 ID:we92bBF.0
「様子を、見に行ってみるか。少し離れることになるが……杏くんはまあ大丈夫だろう」
「うん……私も、心配なの」
「よし、行こう」

 聖とことみは立ち上がると、保健室に鍵をかけて校舎内から、まずは外に硝酸アンモニウムを仕舞ってあるはずの体育倉庫へと向かう。
 ――だが、そこまで行く必要は、なかった。
 彼女らが外に出た時。

「……これ、は」
「芳野、さん?」

 横たわっているのは、幾つもの死体。幾つもの血溜まりが、グラウンドを塗りつぶしている。
 その中央では、一人の男が悲しげに佇んでいた。

「……俺には、こいつらを背負い込むには小さすぎる」
 芳野祐介。
 その足元には、二人の男女が折り重なるように――いや、芳野が折り重ねていたのだ――横たわっている。
「手伝って、くれないか」
 恨むでもなく、ただ死者に応えるようにと願うような口調で、芳野は二人に向き直った。

466誰が為に:2008/03/26(水) 16:21:18 ID:we92bBF.0
【時間:2日目午後15時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)、腹部に鈍痛(数時間で直る)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。まずは死者たちを埋葬したい。爆弾の材料を探す。もう誰の死も無駄にしたくない】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

柏木千鶴
【持ち物1:日本刀・支給品一式、ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図】
【状態:死亡】
ウォプタル
【状態:首に怪我。衰弱中(数時間は動けない)】

467誰が為に:2008/03/26(水) 16:21:42 ID:we92bBF.0
霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。死体の山に呆然】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。杏ちゃんが心配。死体の山に呆然】

折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:死亡】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。回復までにはかなり時間がかかる)。うなされながら睡眠中】


【その他:付近には瑞佳の遺体(浩平の遺体と重なっている)と詩子の遺体があります】

→B-10

468電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:14:25 ID:lyGUT/is0
 瑠璃ちゃんに渡されたフラッシュメモリを持ってパソコンのとこに戻ってきた。
「ふぅ……」
 瑠璃ちゃん達との会話が頭に浮かんでくる。
「瑠璃ちゃん……めぇかわっとったなー……」
 きっと、瑠璃ちゃんがフラッシュメモリのこと言い出したんはウチを殺し合いからのけるため。さっきの瑠璃ちゃんのあの眼。ウチを見るときの瑠璃ちゃんの優しい眼。ウチを見てないときの暗いキレイな瞳。あの五月二日、貴明がウチと瑠璃ちゃん、いっちゃんを助けてくれた日。瑠璃ちゃんはウチがすきやってゆうてくれた。瑠璃ちゃんは、この島でもずっとウチを守ってくれた。こんな足手まといなウチを連れて、ずっと守ってくれた。きっと、これからも瑠璃ちゃんはウチを守ってくれる。守るために頑張ってくれる。ウチも、そうしたい。でも、ウチは瑠璃ちゃんよりずっとトロいし、力もない。瑠璃ちゃんとおんなじことしようとしても、きっと瑠璃ちゃんの足引っ張る。瑠璃ちゃんがそのせいで動けんくなるんだけはあかん。ウチは瑠璃ちゃんが人質にとられたら何もでけへん。たぶん、瑠璃ちゃんも……
 もしホンマにどうしようもなくなったら……
 殺しあいんときウチに出来るんはみさきの手を引いて逃げること。弾除け。後は瑠璃ちゃんのミサイル。それくらい。
 でも、殺し合い以外やったらウチにもできる。首輪。ハック。クラック。できることはなんでもやる。瑠璃ちゃんが生きて帰るためにできることは。瑠璃ちゃんと生きて帰るためにできることは。
 首輪の爆弾なんかこわない。ここがウチの戦場。ウチが瑠璃ちゃんを守る場所。ぜったい、負けへん。

469電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:14:42 ID:lyGUT/is0
 まずはフラッシュメモリの解析をする必要がある。
 HDDを取り付ける。
「あ……」
 取り落とした。
 割に盛大な音を立ててマザーボードにぶつかる。
 マザーボードは見た目壊れていないようだが。
「……」
 彼女は暫くHDDを見詰めて、ふと思いついたように異様な速度でHDDを分解し始めた。
「あれ……?」
 その手が止まる。
 眼はHDDの中にある見慣れない物質に止められている。
「……?」
 摘み上げる。
 暫し見詰める。
「……………………!」
 珊瑚は口に手を当てて漏れる声を抑え、深呼吸する。
「物理的な断線は……ない……みたいやね」
 そしてHDDを元通り組み立てる。直方体の物質も一緒に。
 改めてHDDを取り付けて、フラッシュメモリを差し込む。
『パスワードを入力してください』
「……こんだけ?」
 キーを撃つ音が僅か響く。
『パスワード認証しました』
「……あふれさせてしまいやん」
 彼女は溜息を吐き、フラッシュメモリを開いた。
「……!」
 と、同時に彼女は息を呑む。
 フラッシュメモリの中には『島内カメラの使い方』と言うタイトルのテキストと、その横にやたら大きいサイズのデータがあった。
「これ……使える……!」
 『島内カメラの使い方』を開き、猛烈な速度で文字を読む。
 今、珊瑚の頭は恐ろしい勢いで回り始めた。
 最初に引き当てたレーダー。
 同じく瑠璃が引き当てた携帯ミサイル。
 首輪に付いているであろう盗聴器。
 島の中に恐らく複数あるであろうパソコンとその中身。
 環たちの持ってきたフラッシュメモリ。
 その中身の示すもの。
 先ほどのHDDの中の直方体。
 それらがどうやって動いているのか。それらは何処から情報を得て正常に動いているのか。
 この島の支配者の心理。
 何故自分や那須宗一、そのナビであるエディ、リサ・ヴィクセン。そんな人間がいるにも拘らずパソコンを置いてあるのか。
 望外な幸運に晒されて、相当な情報が彼女の元には入ってきている。
 様々な点が一つの線になり、複数の線が一つの絵になる。
 珊瑚は一つの結論を出し、瑠璃の顔を思い出し、フラッシュメモリのデータを開き、インストールし始めた。
「これでどこに何があるか分かるな」
 主催者には思惑通りに進んでいると思わせる必要がある。
 珊瑚は先程まで作っていたワーム製作を放り投げ、フラッシュメモリの中身を調べ上げると共に新しいプログラムを作り始めた。

470電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:15:06 ID:lyGUT/is0
 タン、とエンターを強く撃つ音が部屋に響く。
 プログラムは完成した。後は実験。
「そや。ろわちゃんねるどうなっとるんやろ」
 彼女は既にパソコンに入っていた全てのファイルは調べ上げていた。この状況で生死を握る鍵となるパソコンなのだから当然と言えば当然だが。
 ろわちゃんねるに繋ぐ。作ったプログラムからプロンプト上に文字列が排出される。
 実験は成功だった。
「あ……」
 が、珊瑚の頭からはそんなものは完全に抜け落ちていた。
「貴明……」
 その名が死亡者報告スレッドに載っていたから。

471電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:15:21 ID:lyGUT/is0
「貴明……」
 どれくらい呆然としていたんだろうか。珊瑚は自分の呟きに引き摺られて現に戻ってきた。
「貴明……」
 が、その眼からは涙が止まらない。
「貴明〜……」
 椅子の上に膝を抱えて座り込み、溢れる涙を袖とスカートで拭い続ける。
「う〜……」
 五月二日が頭に浮かぶ。もう戻らない五月二日。もうイルファもいない。貴明もいなくなった。
「う……」
 しかし、珊瑚はそれ以上泣き続けることが出来なかった。
 まだ自分には妹がいる。この世で一番大切な妹が。そして、ここで泣き続けることは自分達の死を座して待つのと変わらない。
 上手く回らない頭でそこまで気付いてしまうと、それ以上泣き続けることは最早彼女には出来なかった。
「貴明……」
 だから、この眼から流れ続けるのは決して涙ではない。
「ぜったい、ウチら生きて帰るからな……」
 涙なんかではないのだ。

472電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:15:39 ID:lyGUT/is0
 弱気、恐怖、混乱。悲哀、後悔、怒り。人の感情は容易く他人に伝播する。
 だが、伝播するのは負の感情だけではない。
 強大な敵に立ち向かうだけの覚悟と勇気は、彼女の娘から彼女の妹を通じ、いつしか彼女自身にも伝播していた。

473電脳皇帝:2008/03/28(金) 01:15:50 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:00頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】

474命を繋ぐか細い糸:2008/03/28(金) 01:16:24 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:00頃】
【場所:I-5】
「努力・謀略・勝利!」
「愛・友情・勝利!」
 同時に叫んでドアを開く。
「おかえ環!?」
 瑠璃が俺達に抱えられた環を見て叫ぶ。
「どうしたん!? その頭……!」
「弟にバットで思いっきりぶん殴らせたんだよ……」
「なんで……」
「そんなことより手当てだ! 浩之、お前も横になれ!」
「お……」
「浩之もやられたん!?」
 瑠璃が眼を剥いてこっちを見る。
「まぁ、ちっと腹蹴られてな」
「血反吐吐くまで蹴られて何がちっとか。悪いけど先に向坂見るぜ」
「当然だ」
 腹より頭のが万倍やばい。
「もろに入ってたからな。……糞っ、血がとまんねえ!」
「ウチにかして!」
「瑠璃……?」
「祐一は浩之看とって!」
「あ……ああ……」
 瑠璃……?
「環? ウチが分かる? 環? 分かるんやったらまばたき二回して! 環? 頭おすで? ガマンしてな。環? 今から頭に包帯巻くで? 環? せや!」
 瑠璃は唐突にこっちを向いた。
「なぁ、環は頭殴られてから動ていた?」
「いや……最後に雄二を倒してすぐに倒れた」
「やったら、環動かした?」
「あ……ああ……ここまで運んでこなきゃなんなかったからな」
「でも、なるべく頭は動かさないようにして来たぜ」
「そか……」
「向坂は大丈夫なのか……?」
「わからへん……でも、かなりまずい……鼻から血が流れてきとる」
「やばいのか!?」
「わからへん! それより、浩之も腹蹴られたんやろ!? 動いたらあかん!」
「うっ……」
 瑠璃の気迫に負けてくずおれる。
 腹が痛むのもまた確かだ。俺が何しても向坂の助けにならないことも。
「祐一! さんちゃん呼んできて!」
「みさき?」
「浩之君」
 みさきが手を握ってきた。
「お腹を痛めた時は、ちゃんと寝てなきゃ駄目だよ。まして血を吐いたんなら、内臓か食道を傷つけてるかもしれないんだから」
「ああ……」
「畜生……! どうすりゃ……!」
「瑠璃ちゃん!」
「さんちゃん!」
 珊瑚が部屋の惨状を見て息を呑む。
 が、すぐに見た目に一番酷い環のところに行った。
「どうなっとるの?」
「頭バットで殴られたんやて……頭はあんま動かしてないらしい」
 珊瑚が環の口元に手をやる。
「息が……」
 珊瑚が環に躊躇うことなく口付けた。
「珊瑚!?」
 そのまま息を吹き込む。って人工呼吸かよ。馬鹿か俺は。
「ふー……ふー……はー……ふー……ふー……はー……」
「さんちゃん、大丈夫?」
「ふー……ふー……ぷわっ……瑠璃ちゃん、変わって」
「う、うん」
 そう言って珊瑚は俺の方に来る。
「さ、珊瑚?」
 どうしてもその唇に眼が行く。
「あんな、このままやと環死んでまうかもしれん。ウチらじゃ応急手当位しかでけへん」
「そんなに……酷いのか……?」
「わからへん……それも分からんねん」
「医者がいれば、何とかなるのか?」
 祐一が突然思い出したようにいった。
「それはわからへんけど……いないよりはいた方がええと思う」
「俺達は元々神尾を医者に見せる為に診療所に向かったんだ。もしかしたらいるんじゃないか、ってな。霧島聖って人が医者なんだって。神尾が言ってた。本当は寝かしときたかったが……怪我人が半分ならどうしたって医者はいるよな……」
 そう言って祐一は観鈴のいる布団へ行く。
「神尾、すまん。起きてくれ。神尾……」
「ん……」
 程なく、神尾は目を覚ます。
「あれ……ここ……」
「神尾、すまない。どうしても医者が必要になった。霧島聖、って人の詳しい説明してくれないか」
「あ……うん……」
「それやったら」
 珊瑚が観鈴の前に出る。
「誰……?」
「大丈夫だ。味方だよ」
「こっち来てくれん?」
姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】

475命を繋ぐか細い糸:2008/03/28(金) 01:17:25 ID:lyGUT/is0
 祐一に肩を借りながら観鈴はパソコンの前に座る。傍らには浩之とみさきもいた。
「あのフラッシュメモリな、この島のカメラを見れるプログラムはいっとった。画面切り替えてくから聖って人がでたら止めてな」
「うん……にはは、責任重大」
 先程作り上げたプログラムを使って、ネットに接続しているデータを主催者に送りながら珊瑚はカメラを立ちあげる。
「ほな、いくで」
 ディスプレイに大量のウィンドウが出る。
 その中でカメラの移動以外で動いているものを選び、順次拡大していく。
「どうだ、神尾?」
 観鈴は答えず、順に流れるカメラを見続ける。
「! これ! この人だよ!」
 流れるように切り替わっていたカメラが、一気に止まる。
「これ……D-6?」
「くっ……遠いな……」
 祐一が舌打ちをする。
「でも行かないわけにはいかねーだろ?」
「でも、環は動かされへんよ?」
「俺が行く」
「祐一?」
「誰かが行って連れてくるしかないだろ。だから俺が行く」
「わたしもいくよ」
「神尾?」
「馬鹿を言うな! お前だってまだ傷口塞がってないだろ!?」
「だいじょぶ。痛いけど、もう血は出てない。わたしがいないと、先生連れてこれないかもしれないよ」
「それは……いや、駄目だ! お前は怪我人なんだぞ!?」
「でももし先生連れてこれなかったら、みんな死んじゃうんだよね? 祐一くんが襲われて先生のところまで辿りつけなかったら……」
「う……」
「祐一。諦めろ。お前の負けだ」
「浩之……」
「そう言う事なら俺もついていく。観鈴よりは動けんだろ」
「黙れ怪我人二号。お前まで何言い出すんだよ。大体そんなことしたらここの守りは」
「瑠璃がいる。あいつなら大丈夫だ。きっとここを守りぬく。むしろ俺らの方がアブねーかもしんねーぞ?」
「じゃあ私も行こうかな」
「待て」
「私は浩之くんに付いていくって決めたから。皆が襲われて先生連れて帰れなかったら困るよね?」
「いや待てだからお前」
「それに私怪我してるわけじゃないから、荷物持ちくらい出来るよ。浩之くんも観鈴ちゃんもとても重い物を持つなんて出来そうにないけど?」
「う……」
「浩之。諦めろ。お前の負けだ」
「てめ」
「しょうがねえ。決まったんなら早めに行動しよう。向坂には時間がない」
「おう」
「まって」
 いざ、と言うところで珊瑚が止めに入った。
「これ。もってって」
 そう言って珊瑚は浩之にフラッシュメモリとメモを渡した。
「これ……?」
「パスワード消しといたで。それを使えばどのパソコンでもこのカメラみたいに出来る。この家のカメラだけはこわしといたけど、その他やったら全部見れる。やり方は同じ。パソコン消すときはデータちゃんと消しといてな」
 そしてメモを見る。
『いろいろやっといた。なるべくこのかみはウチらいがいのひとにはみせんといて。
もしホンマにだいじょぶそうやとおもうひとがいても、なるべくひろゆきがせつめいして。
ワームはだいたい8わりくらいできた。あと、しゅさいしゃだますてもふたつよういした。ここのネットワークのくみかたとくびわのはんべつしゅだん、たぶんしゅさいしゃのおくのて。さらにうらがないかこれからまたしらべる。こっちはなんとかする。やから、いしゃたのむわ。』
 恐ろしいほど主催者との騙しあいは進んでいるようだ。しかも珊瑚優勢で。
「浩之」
「あ……ああ……」
「みんなで、生きて、帰ってきてな」
「お……おう!」
 当たり前だ。誰一人として欠けさせるか。
 みさきと祐一と神尾を伴って部屋を出る。
「……ぅ、……ぁきみたいには……」
 だから、最後に珊瑚が呟いた言葉ははっきりとは聞き取れなかった。

476命を繋ぐか細い糸:2008/03/28(金) 01:17:52 ID:lyGUT/is0
「行くん?」
 環が布団に寝かされていた。瑠璃がやったんだろう。布団と毛布も掛けられている。呼吸は安定したんだろうか。瑠璃は俺達に背を向けたまま膝を抱えて座り込んでいた。
「ああ。ちゃんと連れて帰るから、安心しろ」
「……ウチは、さんちゃんが一番大事や。やから、ついてけん」
「分かってる」
「……危ないで」
「分かってる」
「浩之、怪我してるんやで?」
「そうだな」
「みんなでここにいた方が安全やけどな」
「でも、そうすると環が危ない」
 全部瑠璃も分かってる。そのはずだ。
「……浩之」
 瑠璃が身体全体でこっちを向く。
「あの覚悟、覚えてるな?」
「……たりめーだ……っと、そうだ。瑠璃。これ、餞別な。なんかあったら使ってくれ」
 瑠璃に火炎瓶を一本投げ渡す。
「っと……ええの?」
「ああ。どうせ数あったってしょうがねえ」
「分かった。もらっとく。……生きて帰ってくるんやで。みんな」
「おう」
「うん」
「にはは」
「ああ。いってくんぜ」
 大丈夫だ。腹は痛いがまだ動ける。戦える。絶対生きて帰ってやるぜ。なぁ、みさき?

477命を繋ぐか細い糸:2008/03/28(金) 01:18:07 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:20頃】
【場所:I-5】
【備考:家に待機】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】
【備考:主催者の仕掛けたHDDのトラップ(ネット環境に接続した時にその情報を全て主催者に送る)に気付く。選択して情報を送れるプログラムを作成。ワーム製作約8割】


姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、火炎瓶、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:守る覚悟。民家を守る】

向坂環
【所持品:なし】
【状態:左側頭部に重大な打撲、左耳の鼓膜破損、頭部から出血、及び全身に殴打による傷(以上手当て済み)、布団に移されている。昏睡】

【時間:二日目17:20頃】
【場所:I-5】
【当面の目的:聖を連れ帰る】

藤田浩之
【所持品:フラッシュメモリ(パスワード解除) 、珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

川名みさき
【所持品:包丁、ぼこぼこのフライパン、支給品一式、その他缶詰など】
【状態:健康】

相沢祐一
【持ち物:ワルサーP5(6/8)、包丁、支給品一式】
【状態:右足甲に打ち身(手当て済み)】

神尾観鈴
【持ち物:なし】
【状態:脇腹を撃たれ重症(手当て済み、表面上血は止まっているが重態)】

478幸せな固執:2008/04/08(火) 23:21:38 ID:yrmGipuE0
頭に走る鈍い痛み、氷上シュンが目を覚ました原因はそれだった。
ぼやけるシュンの視界に緑が入り込む。頬を撫でる風で動くそれが、シュンの現在位置を表していた。

(ここは……)

深夜、シュンは太田香奈子と共に鎌石村小中学校を目指し移動をしていたはずだった。
しかし今シュンの目の前に広がる世界に、深夜特有の暗さは存在しない。
爽やかな空気が演出しているのは、間違いなく早朝を表す時間帯である。
……いつの間にか、眠っていたというその事実。
寝起きのシュンは、まずそれに自覚という物を持てずにいた。

「氷上君、起きた?」

寝っ転がったままのシュンの頭に被さるような形で、その影は落ちる。
逆行で面影を確かめることはできないシュンだったが、さらりと揺れる髪の動き相手を悟ることは出来るだろう。
ゆっくり瞬きを繰り返し視界を正常に戻した後、シュンは彼女の名前を呼んだ。

「太田さん……」
「びっくりしたわ。氷上君、走ってる途中でいきなり倒れちゃったんだもの」

ああそうかと、シュンはここでやっと今自分の身に起きた事態を想像することができた。
体の弱いシュンにとって、昨日一日で蓄積された疲労というのも決して少なくはなかったのだろう。
肉体面もあるが、精神面でのダメージも強かったかもしれない。
シュンは突然気を失ってしまう程弱っていた自身の状態の変化に、全く気づかなかった。
それで一番迷惑がかかったのはシュン本人ではない。間違いなく、同行者である彼女だ。

「ごめん、僕……」
「気にしないで。体が弱いっていうのは聞いていたことだから」

479幸せな固執:2008/04/08(火) 23:22:00 ID:yrmGipuE0
シュンの苦笑い混じりの言葉を、香奈子はしっかりとした声で遮った。
物怖じしないその様子には、本来は気さくなのであろう香奈子の性格が窺える。
必要以上の遠慮を拒む今の香奈子には、島に来た際にあった虚ろな空気は存在しなかった。
シュンを手伝うという明確な指針があるのも原因なのかもしれない、学園でも生徒会副会長を務めていた香奈子だ。
やり遂げなければいけない仕事というものが分かっている以上、彼女の本来の真面目さがそこに発揮されるのも至って自然なことだった。

「体、そんなに悪いの?」
「はは、お世辞にもいいとは言えないね」

ゆっくり上半身をもたげようとするシュンに、香奈子の手がすかさず差し伸ばす。
そっと柔らかな香奈子の手を握り返し、シュンはそのまま彼女の力も少し借りながら立ち上がった。

「あの、氷上君」
「何だい?」

おぼつかなくなりそうな足取りを気にし、シュンがつま先で地面を確かめている時だった。
何か言いたげにしている香奈子の表情は少し曇っている、ちょっとした彼女の変化にシュンは小首を傾げ言葉の先を促した。

「あなたが目を覚ます少し前……ちょっと、この辺りを見てきたの」
「一人でかい? 危ないよ、それは」
「そこまで離れていた訳じゃないわ、大丈夫。迂闊なことをする気はないもの」

シュンが眉をしかめた所ですかさず香奈子もフォローをかけるが、それでシュンの持つ全ての不安が拭われることはない。

「ちょっと、気になることがあって。あなたを休ませるにも、ここが本当に安心できる場所か確かめたかったのよ」
「太田さん……」

しかしそう言われてしまうと、シュンは何の意見も出せなくなってしまう。
シュンは、自分を気遣ってくれている相手の物言いを無下に扱えるような人格ではなかった。

480幸せな固執:2008/04/08(火) 23:22:21 ID:yrmGipuE0
「それで氷上君。その、ちょっと……来てくれる?」

言葉を濁しながらシュンの返答を待つことなく、香奈子は先導を切る形で歩き出そうとする。
置いていかれないよう、そのすぐその後ろをシュンがつけた。香奈子が振り返る様子はない。
……何か、あったのだろうか。
言葉を発しない香奈子の背中を見つめながら、シュンは無言で足を動かした。

香奈子の足が止まるのに、そう多くの時間はかからなかった。
ちょっとした繁みを抜け現れたのは歩道と思われる空けた場所、目立つ地に伏せているのは服装から少女だろうか。
少女は、先ほどのシュンと同じように寝転んでいた。
目に見える外傷等痛々しい姿を持った少女だが、その口の隙間から漏れる呼吸音は確かな命の証であり、生命が途絶えていないことだけはシュンにもすぐに窺える。

「この子は?」
「分からないわ。目立つ足音が聞こえて、気になって様子を見に来てそれで……」
「太田さんが来た時には、もう倒れてたってことかい?」

すかさず入ったシュンのフォローに、香奈子はこくりと頷き同意を表した。
前のめり、うつ伏せの状態で気を失っているらしい少女。
背格好からシュンや香奈子とも、そう歳は離れていないだろう。
シュンの隣、立ち尽くすような形で少女を見下す香奈子の顔に浮かんでいるのは、無表情に近いものだった。
目に入ったそれに内心驚くものの、シュンは特に言及せず一人屈み込み少女の様子を確かめだす。
……うつ伏せになっていた少女の体を仰向けにし状態を確認しようとしたところで、シュンは彼女の異変に気づいた。
いや、それは本来臭いなどの部分から察しなければ行けない事柄だったかもしれない。

刻まれた服、そこから覗く白い肌には赤や青などの痣ができている。
黒のブレザーにこびり付いた白い染み、べたつくそれは撫で付けるように彼女の体のいたる所にも付着していた。
拭われた形跡は見当たらない内股にも、それと同じような液体や血液が走り去った跡がある。

痛々しい暴行の痕跡は、少女の幼い容姿や体つきをさらに助長させるような厳しさを持っていた。
無言。シュンは少女に対しどう接すればいいのか分からず、思わずその動きを止めた。

481幸せな固執:2008/04/08(火) 23:22:43 ID:yrmGipuE0
「私はこんな子知らないわ。助ける義務もないと思ってる」

はっきりとそう口にしたのは、シュンの隣でいまだ立ったままである香奈子だった。
シュンが見上げた香奈子の表情は、彼が目覚めた時と同じように逆行が遮っていて窺うことはできなくなっている。
先ほどは無表情だった、香奈子のそれ。
しかしシュンは、そこに別の表情を思い描いていた。
香奈子の声色から想像するシュンの見た表情、それは ――

「でも、放っておけなかったのよ。無理なのよ、こんな……こんな状態、見せられちゃ……」

表情の見えない香奈子の髪が、ふわりと揺れる。
それは香奈子がシュンと同じよう、少女の傍に屈みこんだからである。
一気に近くなった香奈子との距離、隣にいるシュンの視界に彼女の横顔が入り込む。
見えなかったそれが、シュンの目の前に現れた。
目元を歪め苛立ちを噛み潰すよう強く唇を噛んでいる香奈子は、今にも泣きそうになっていた。
痛々しいそれの反面、そのままゆっくりと少女の太ももを撫でる香奈子の手つきは非常に優しいものである。

今、香奈子は陵辱された少女の体を見てかつての自分を思い出していた。
好きだから、受け入れたということ。
愛しているから、痛みさえも喜びに変えていこうと努力していたこと。
しかしそれでも、どこか拭えない虚無感は常に香奈子を襲っていた。
香奈子は見ない振りをしていた。
し続けていた。
それで縛れるものなら容易いことだと、そう思っていた。
思い込んでいた。

「太田さん、君はこの子を助けたいんだよね」
「……」
「僕も同じ気持ちさ。きっと、その思いには違いはあるだろうけどね。
 僕は君じゃない、だから君の思いは分からない。考えることはできても、それは憶測に過ぎない」
「……」

482幸せな固執:2008/04/08(火) 23:23:05 ID:yrmGipuE0
シュンの言葉を噛み砕きながら、香奈子はゆっくりと瞳を閉じた。
理解していくごとにどんどん温まっていく胸の内、まるでシュンの言葉は魔法のようだという錯覚すら、香奈子は覚えそうになる。
こんな気持ち、香奈子は初めてであった。
月島拓也と関係を持っていた時間、あの熱さを香奈子自身忘れた訳ではない。
しかしそれとは別種のこの温度は、あくまで優しく、柔らかく、そして一切の棘も存在しない。
こんな甘い世界に対し、香奈子はあまりにも不慣れだった。
不思議としか言いようがない。比べることすら違いすぎ、できるはずもないだろう。

「今は、それだけでいいと思う。太田さんは太田さんのやりたいように、すればいいんだと思う」

瞳を開け改めて見るシュンの表情に、香奈子は一瞬言葉を失った。
ばつの悪さすら感じてしまう邪気の無さ、シュンのそれに香奈子は戸惑いが隠せない。

「この子を拾っても、足手まといになることは目に見えているわ」
「それなら僕等がフォローすればいいじゃないか」
「……この子のせいでもし氷上君に何かあったら、私はこの子を殺すかもしれない」
「はは。なら太田さん、せっかくだし僕を守ってくれないかい?」

予測していなかったシュンの回答に、思わず香奈子も目を丸くする。
そんな香奈子が微笑ましかったのか、シュンも小さく破顔した。

「そして僕は太田さんを守る。この子も守る。ほら、これならいいんじゃないかな」
「何よ、それ……」
「あはは。いざ実際に何か起きないと分からないってことだよ、太田さん。
 それなら今やりたいと思うことを優先させた方がいい。後悔しないためにもね」

最後、引き締まったシュンの瞳には口先で述べている甘さが含まれていなかった。
氷上シュンは不思議な少年だ。
優しさや甘さが目立つ、この島で長生きするためには持つことが許されない性格のくせに、時々意味深なことを口にしたり世界の儚さを嘆くような物言いをする。
どこかミステリアスな所も垣間見れるシュンの隣に香奈子は約一日いたことになるが、それでも彼の全容を彼女は掴んでいなかった。
もっと彼のことが知りたいと。純粋に、香奈子はそう思っていた。
一言で表せば好奇心と呼ばれる感情、その奥底に存在する欲望が恋情に繋がるかはまだ香奈子自身図りかねている所がある。
それでもシュンの言葉を使い、香奈子が「今やりたいと思うことを優先させる」とするならば。

483幸せな固執:2008/04/08(火) 23:23:41 ID:yrmGipuE0
「ごめんなさい氷上君、五分だけ頂戴。五分だけ、あなたの時間を貸して」

シュンの返答を待つことなく、香奈子は勢いのままシュンの胸倉を引き寄せそこに顔を押し付けた。
当初シュンが着用していたセーターは河野貴明の元に置いてきている、シャツごしに伝わるシュンの温度は香奈子が想像していたよりもずっとリアルに伝わってくるだろう。
筋肉の硬さも贅肉の柔らかさも感じないシュンの病的に骨ばった胸板、しかし今の香奈子にとってはどこよりも安心できる場がそこだった。
それと同時に感じるせつなさに酔う前に、香奈子は願いを口にする。

「五分だけ、思いっきり抱きしめて」

断ち切ったはずの月島拓也への思い。
それでもあっさりと過去を切り捨てられるほどの強さを、香奈子は持っていない。
そんな軽い執着でもない。
そんな香奈子の前に現れた光景は、過去の自分を彷彿させるものだった。
簡単に表そう。彼女の奥底にあるのは、ちょっとした不安にすぎない。
その不安が彼女の精神を軽い混乱に陥らせようとし、疲弊させた。
しかし今、それら全ては解消されることになる。

ゆっくりと回されたシュンの腕、その居心地の良さが香奈子のそれを消していった。
安心という言葉の意味を、ここにきて再び香奈子は痛感した。





ちょうど香奈子が落ち着いた頃だろうか。
第一回目の放送が行われ、二人は放送にて呼ばれた人数に唖然となる。
幸いシュンの会うことが目的となっている人物等はまだ生存しているらしいが、それも時間の問題だろう。

「この先に学校があるのは確かだと思う。当初の予定通り、まずはそこに行こう」
「ええ」

484幸せな固執:2008/04/08(火) 23:26:02 ID:yrmGipuE0
シュンの言葉に頷く香奈子の表情には、僅かな陰りがあった。
月島瑠璃子。
聞き覚えのあるその名前は、当初香奈子が自らの手で消すことも厭わないと考えていた人物のものである。
月島拓也を振り切った今、特別彼女に手を出そうという考えは香奈子の中にもなかった。
しかしいざ瑠璃子の死を知るとなると、香奈子も心中複雑になってりまうのは仕方のないことかもしれない。
気持ちを入れ替えるよう小さく首を振り、香奈子は一人気合を入れる。
今自分が固執すべき事柄を考えた上での行動、ちょっとした香奈子の変化がそこにはよく表れていた。






氷上シュン
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態:由依をつれ、香奈子と共に鎌石村小中学校へ向かう、祐一、秋子、貴明の探し人を探す】

太田香奈子
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:シュンと同行】

名倉由依
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、破けた由依の制服、他支給品一式】
【状態:気絶、ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)着用、全身切り傷と陵辱のあとがある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】

(関連:395・869)(B−4ルート)

485十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:40:04 ID:m9uMag2.0

死は穢れだ。骸は穢れの塊だ。
ならば僕の生きるこの場所は、既にして祝福から見放されている。

屍の折り重なる山の上、久瀬少年はそんなことを考えて、一瞬だけ目を閉じる。
吸い込んだ空気は生臭く、鉄の味がした。

瞼を開ければ、そこにあるのは骸と命の斑模様。
重く、冷たく、ぬるりとした一人が、一万、積み重なった山の上。
盤上に並ぶのは七千の駒。
着手するのは混乱した戦局の建て直し。

細く、長く息を吐く。
第一に考えるべきは指揮系統の再統一。
第二には防御陣の再構築。
そして第三に、死なせるべき五千の兵と、守り抜く二千の兵の選別だ。
残り四十分、二千四百秒。
一秒に二人、少女は死ぬ。
三人めの命だけを守るのが、将としての役割だった。
すべての命を、平等に活かす。
活かした上で、生と死に振り分ける。
それが久瀬の道。
抗いぬくと決意した、少年の歩む道だった。

拳を握る。震えはなかった。
跳ね上がる心臓の鼓動を、感覚から切り離す。
将としての久瀬が最初に殺したのは己の脈動であった。
軍配はない。
だから少年は、握った拳を打ち振るう。
その手の先に、覚悟を乗せて。

無作為に蠢いていた七千の砧夕霧が、動きを止める。
僅かな間を置いて動き出した少女達の挙動には、明らかな統制が見てとれた。
一つの意思の下、七千の少女達が寄せては返す波の如く、あるいは堅固な壁となる如く動き出す。
有機的に連動したその動きは、まるでそれ自体が山を包む巨大な一つの生き物であるようだった。

将の下、兵たちの反撃が始まった。


******

486十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:40:29 ID:m9uMag2.0

「……チッ」

舌打ちして吐いた唾は赤く、苦い。
返り血が唇を伝って口に入ったものか、それともどこかが切れているのか。
かき上げようとした髪は乾いた血がこびりついて指を通さない。
苛々とした気分を隠そうともせず、手にした薙刀を振り下ろす。
横たわった遺体の力の入っていない肉を両断する、鈍い感触が返った。
風を切るように振れば、不可視の力に包まれた刃は血脂を綺麗に弾く。
刃こぼれ一つない凶器に己の顔を映して、その返り血で赤黒く斑に染まった醜い肌に眉を顰め、
天沢郁未はその苛立ちをぶつける相手を探すように左右を見回す。
だが、刃の届く範囲に立つ影は一つだけだった。

「面倒なことになってきましたね」

突き立てた喉元から分厚い刃を引き抜きながら、影が口を開く。
鹿沼葉子だった。
動脈から噴き出す鮮血が顔に飛ぶのを避けようともしない。
長い金髪から茶色の革靴に至るまで、その全身が既に見る影もなく返り血に染め上げられていた。
新たなペイントがその身を汚していくのにも構わず、葉子は静かに山道を見上げる。

「ハナっから面倒だらけよ、私らの人生」
「中でもとびっきりです」
「そりゃひどいわ。……で?」

茶化すように問いかけた郁未だが、その瞳は一切の笑みを浮かべていない。
生まれ落ちた瞬間からそうであったような仏頂面のまま、葉子が答える。

「気付いているでしょう。……また、動きが変わった」
「戻った、の間違いじゃない?」
「かもしれません」

辺りを見渡す葉子の視界に、郁未の他には動く影が見当たらない。
殺し尽くした、という意味ではなかった。
確かに死体は無数に転がっていた。
中に詰まっていた血と臓物を存分に拡げて、世界と女たちを赤く染め上げていた。
転がる死体。
だが葉子の視線の先には、もう一種類の死体があった。
見開いた目を四方八方に向け、折れた手足を老木から伸びた枯れ枝のように突き出したそれは即ち、
山と積まれた、誰かの手によって積み上げられた、死体の壁だった。
そんな死体の壁が、十、二十、否。百を越える数で、山道のいたるところに存在していた。

487十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:41:06 ID:m9uMag2.0
「完ッ全にイカレてるわね」
「単なる狂気の沙汰であればよかったのですけれど」

壁の向こうに蠢く無数の気配を、葉子は感じている。
こびりついた血が乾き、固まった髪をばりばりと掻き毟る郁未も、それは理解していた。

「放棄したように見えた防禦拠点を、数分の間を空けてまた利用しだした。
 ……そこに何か意図があるのでしょうか」
「死体で作ったトーチカに篭るような連中が何考えてるかなんて、私にはわかんないけど」
「私にも分かりませんよ。有益な推測ができればと考えただけです」
「で、我らが頭脳労働専門家さんの回答は?」
「進めよ、されば与えられん」
「何よそれ」
「断片的な情報は往々にして安易な、自分に都合のいいストーリーを作り出すものです。
 推論の皮を被った妄想を根拠に動く愚挙を避けたまでのことですが」

さらりと告げられる相方の言葉に、郁未は深く嘆息する。

「……ま、いつも通りだけどね」
「さし当たっては一つづつ潰していくしかないでしょう」
「間に合うの?」
「間に合わせてください」
「他人事みたいに……」
「全員が当事者ですよ。蒸発したくなければ頑張ってください」
「はいはい……」

小さく首を振った郁未が、前方を見もせずに跳躍した。
葉子は既に飛び退っている。
それより一瞬だけ遅れて、二人の立っていた場所に熱線が着弾していた。
跳んだ先にある死体の壁を、郁未は思い切り蹴り崩す。
雪崩を起こした山の一番上にあった少女の骸を無造作に掴むと、

「せえ……のッ!」

勢いをつけて、投擲した。
手足を広げた格好のまま、少女の遺体が回転しながら飛んでいく。
その軌道の先にある、生きた少女の篭る死んだ少女でできた壁に、人としての尊厳を奪われた骸が激突した。

「ストラーイクッ!」

篭った少女が崩れた山の下敷きになって、光芒が途切れる。
その一瞬を逃すことなく相方が駆け出すのを目にして、郁未は牙を剥くように笑う。
笑いながら、転がる骸の一体を盾代わりに掲げ、自らもまた走り出していた。


******

488十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:41:27 ID:m9uMag2.0
 
朗、と巨獣が猛っていた。
その堂々とした体躯のあちこちから薄く煙が上がっている。
よく見れば白く煌めく剛毛の先が、小さく焦げているのだった。
新たに奔った光線がその身体を焼くのに巨獣は鬱陶しげに身を振って、光線の出所を睨む。

轟、と一つ啼いて、巨獣の体躯が跳ねた。
鋼の如き後ろ肢に力を込めて大地を蹴れば、それは既に巨獣の間合いだった。
がぱり、と開いたその口腔が音を立てて閉じる。鈍く濡れた音がした。
少女、砧夕霧の首を事も無げに噛み千切った巨獣が、次なる獲物を仕留めるべく丸太のような首を回す。
しかし、そこには既に動く影とてなかった。
無数に蠢いていたはずの夕霧はまるで波が引くように逃げ去り、既に巨獣の爪が届く場所にはいない。
代わりとばかりに四方から光線が迸り、巨獣を焼いた。
刃を通さぬその剛毛が、ほんの僅かづつではあるが黒く焦げ、ちりちりと縮れていく。
苛立たしげに唸り声を上げた巨獣が疾駆し、爪を振り上げる。
風を巻いて振り下ろされた爪の一撃に、夕霧たちの隠れていた死体の壁があっさりと突き崩される。
衝撃で四肢をばらばらにされながら四方に散る骸には目もくれず、巨獣が壁の裏に隠れていたはずの夕霧を叩き潰すべく、
その鼻面を瓦礫のように積み上げられた死体の山に突っ込む。
が、一瞬の後にその生臭い牙が探り当ててきたのはただの一人だった。
乱暴に引きずり出された際に肩を脱臼したか、腕を噛まれたままだらりと垂れ下がるようにしている砧夕霧を見て、巨獣が猛る。
ばつん、と音がして、夕霧の腕が胴体と泣き別れた。
噴水のように鮮血を噴き出す胴を踏みつけるようにして爪を下ろせば、そこにはかつて人であった肉塊だけが残っていた。

轟、と巨獣が再び吠えた。
思い通りにならぬ苛立ちが、その爛々と光る眼に隠しようもなく浮かんでいる。
ほんの数刻前から、一事が万事この調子であった。
巨獣の行く先に蠢く無数の影が、ある一点を境にして急速に厄介な存在へと変わっていた。
噛み裂き、叩き潰し、薙ぎ払えば済むだけの存在であったものが、今やひどく鬱陶しい。
駆け抜けようとすれば寄って集って足元を狙われ、食い千切ろうと駆け寄れば蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。
一体、二体を仕留めてもどこから涌くものか、まるでその数を減らしたように見えぬ。
猛るままに大地を掻き毟れば、先刻踏み殺した一体の躯が泥と混じって磨り潰され、ぬるぬると滑って余計に苛立ちが増す。
言語にならぬ怒りに突き動かされ、獣の咆哮が辺りを揺らす。
焦燥と憤怒の入り混じった咆哮に、応えるものがあった。

ひう、ひう、と。
それは、病に伏した者の喘鳴のようだった。
一息ごとに生きる力とでもいうような何かが抜けていくような、そんな音。
呼吸というにはあまりにか細く薄暗い、生命活動の残滓。

死臭に満ちた山の上でなお濃密な、どろりと濁った血の臭いに巨獣が振り向く。
そこに、妄執が立っていた。

 ―――返せ、わたしの、宝珠。

言葉にはならぬ。
どの道、言葉を発したところで巨獣には解せぬ。
だが、ぼこりと紫色に腫れ上がった皮膚で片目を覆われ、だらだらと血膿を垂らしながら
なお巨獣を貫き通すように向けられたその醜くも鋭い眼光は、どんな言語よりも明確に、
そう語っていた。

三度、獣が吠えた。
逃げ去らぬ獲物が現れたのを悦ぶような響きが、その咆哮に満ちていた。


******

489十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:42:02 ID:m9uMag2.0
 
いける、と思う。
知らず頬が笑みを浮かべようとするのを、久瀬少年は必死に抑える。
それほどに確かな手応えが、久瀬にはあった。

北麓、及び西山道における遅滞戦術は極めて有効に機能していた。
射線を集中し侵攻ラインを限定した上で、潰されるべく配置した兵と陣だけを潰させる。
大切なのは一気に浸透させないこと。
たとえ一対多であろうと近接戦に持ち込まないこと。
持ち込まれた兵を、犠牲として活用すること。

一瞬だけ胸の中に生じた棘を、久瀬は奥歯を噛み締めて無視する。
誘導に成功した敵侵攻ラインからは一気に山頂を目指せない。
ひとたび山道から外れれば、険しい山中は天然の要害だった。
無数の遮蔽物は敵の浸透を阻止し、こちらの遠距離砲撃を有利に機能させる。
反撃開始から三分、百八十秒。
予想を下回る犠牲者数で戦局は推移していた。
残り三十七分を耐え抜き、勝利を得るだけの計算が、久瀬にはあった。
初陣であり、学生に過ぎぬ自分の指揮で勝利を得る。
思い通りに兵を動かすことの喜びが、久瀬の心中を駆け巡っていた。

高揚を抑えながら、久瀬は傍らに控える砧夕霧群の中心体を見やる。
共有意識による情報伝達は作戦の要だった。
目視では掴みきれぬ情報も、彼女がいる限り久瀬の掌中に集約されるといってよかった。
得られた情報を地図上に反映させ、そこから陣を展開していく。
一手、一手。無数の教本や戦訓を頭に浮かべながら、的確に対応する。
久瀬にとって、それは正しく盤上の勝負に等しかった。
詰めば喪われるのが生命であると、本当の意味で理解していたかどうかは定かではない。
久瀬は将であり、学生であり、そしてまた少年だった。
決意によって立ち上がり、覚悟によって将となった、彼は少年であった。

夕霧群の中心体から齎された情報を咀嚼し、久瀬が新たな指示を出すべく腕を振り上げた。
大きな身ぶりとともに声を張り上げようと、口を開き―――刹那、闇が落ちた。
視覚が、触覚が、聴覚が、嗅覚が、ありとあらゆる感覚が、途絶した。
意識も、思考も、何もかもが消えた。
後には何も、残らなかった。


久瀬少年の人生は、そこで終わっている。

490十一時二十分(1)/Sense Off:2008/04/09(水) 14:42:57 ID:m9uMag2.0
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:死亡】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6708(到達・6708)】
 【状態:迎撃】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

【場所:F−5】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

→915 943 962 ルートD-5

491十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:32:27 ID:2LxlvcbQ0

「北麓の二人は鎖場で止める! 融合体を中心に当たれ、砲撃を集中して敵を分散させるな!
 西側、敵を直接狙うな、山道を崩せ! 相手は四つ足だ、崖下に誘い込んで動きを封じろ!」


******


風が、少年の張り上げる声を微かに運んでくる。
その声を背中で受けながら、銀髪を靡かせた男が静かに口を開いた。

「教科書通りだが、的確だ。あれはきっとよい将になる。
 ……貴様はどう思う、来栖川綾香」

男の正面に立った影、しなやかな身体をぴったりとしたボディスーツに包んだ女は、
口の端を上げて答える。端正な顔立ちの中、鼻筋は青黒い痣に覆われて痛々しい。

「今は気分がいい。呼び捨ては見逃してやるよ、白髪頭」

笑みの形に歪められたその瞳の色は、魔の跋扈する夜に浮かぶ月の如き真紅。
白を基調にしたボディスーツの両腕はその肘あたりで内側から裂けたように破れている。
肘から先、前腕から手首、指先に至るまでのシルエットは、常人のそれではない。
丸太のように肥大した腕を包むその皮膚は黒くごつごつと罅割れた、大型の爬虫類を思わせるそれに変質しており、
節くれ立った指先からは瞳の色と同じ真紅の爪が、刃の如き鋭さをもって長く伸びていた。
異形、と呼ぶに相応しいその姿を目にしても、対峙する銀髪の男、坂神蝉丸は眉筋一つ動かさない。
ただ一言、告げたのみである。

「手負いで俺に勝てるつもりか、来栖川」

言われた綾香が、笑みを深める。
獰猛とすら見える、歓喜と殺意に満ちた笑顔だった。
蝉丸の言葉は綾香の顔に刻まれた痣や傷に向けて放たれたものではない。
綾香の歩む姿、その体捌きや重心移動の中に深刻な異常を見て取ったものであった。
事実、綾香の身体は通常であれば歩くことすらままならないほどの打撃を受けている。
苦痛にのたうち、そのまま死に至っても決しておかしくはなかった。
それを鍛錬と、そして何より薬物の力によって無視し、綾香は歩を進めていた。

「言うなよ、可愛い後輩の餞別にくれてやった傷だ。もっとも―――すぐに気にならなくなる」

492十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:32:50 ID:2LxlvcbQ0
何かを見せ付けるように、綾香が片手を差し出してみせる。
どこから取り出したものか、長い爪の先に細長い筒状の物が挟まれていた。
注射器であった。中には薄い黄色の液体が満たされている。
一瞥して、蝉丸が鼻を鳴らす。

「それは……上級士官に支給される、自決用の薬物か」
「よく知っているじゃないか、下士官風情が」
「今にして思えば愚の骨頂だ。誇りを捨てぬための自刎を薬で汚そうというのだからな」
「自分が見捨てられたらイデオロギーの全否定か? 救えないな転向者」

嘲笑うような綾香の言葉にも、蝉丸が表情を動かすことはない。
そんな蝉丸に哀れむような視線を向けながら、綾香は手にした注射器を軽く振ってみせる。

「勘違いするなよ。こいつは確かに最後の一手だが……別に自決用ってわけじゃない。
 軍人は戦って死ね、一兵でも多く道連れにすれば軍神の列に加われる……。
 そんな、カビの生えた教本の一節をイカレた国粋主義者どもが寄って集って形にしたもんさ」

来栖川という、国家の中枢に食い込む家名を背負った女が微笑すら浮かべながら言う。
或いは、その微笑は己が欺瞞に向けられたものであったのかもしれない。

「で、だ」

軽口を叩くように、綾香が口を開く。

「こいつを、こうする」

それはまるで、女学生が菓子を口に運ぶような気軽さだった。
注射器の針が切り揃えられた短髪の下、来栖川綾香の白い首筋に突き立てられていた。
無造作に押し込まれるピストンに、薬液が体内に流れ込む。
ほんの一瞬、綾香の全身がびくりと震えた。

493十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:33:18 ID:2LxlvcbQ0
「……」

暴挙を目にしても微塵も揺らがぬ蝉丸の冷厳な眼差しが綾香を貫く。
その眼前、奇妙に甲高い音が響いていた。
俯く綾香の、呼吸音であるようだった。
熱病にうなされる末期の病人の漏らすような、或いは内圧に軋みを上げる蒸気機関のような、それは音だった。
やがてゆっくりと、甲高い音が収まっていく。
最後に一つ、長い息を漏らして、音がやんだ。

「―――ほぅら、もう、痛くない」

言って顔を上げた、その綾香の容貌に、さしもの蝉丸が小さく眉根を寄せた。
その整った、美しいといっていい細面の、左半分。
鼻筋を境にしたその全面に、異様な紋様が描かれていた。
張り巡らされた蜘蛛の巣のような、緻密な刺繍のような、赤一色の複雑な紋様が、
綾香の額から目元、頬から口元、顎までを覆っていた。
否、よく見れば内側から暗く光を放つようなその赤は、浮き出した血管であった。
麗しかった来栖川綾香のかんばせは今やその半分が、醜い血管の迷宮に覆われていた。
元が整っていただけに、それは醜悪を通り越した、異相であった。
赤の支配する貌の真ん中で、ぎょろり、と真紅の瞳が動く。

「さあ……始めようか、白髪頭」

牙を剥いて笑むそれは、人妖の境を踏み越えた、異形であった。


***

494十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:33:55 ID:2LxlvcbQ0
 
大地を這う蛇の如く身を低くした姿勢から綾香が疾走を開始する。
対する蝉丸は腰に佩いた一刀の鯉口を切り、刃を外に捻じり向けた居合の構え。
人外の速さで迫る綾香を迎え撃つ。
疾風とすら見紛わん勢いの綾香が間合いに踏み込んだ刹那、銀弧が閃いた。

「チィ……!」

舌打ちは神速の抜刀を見せた蝉丸である。視線は上。
横薙ぎの一閃が奔った刹那、綾香が跳躍していた。
瞠目すべきは見切りの疾さ、そして何よりその高さである。
人の背を越える高さを、足の力だけで跳び上がっている。
ましらか猩々か、いずれ妖の類としか思えぬ反応であった。
見上げた蝉丸の眼が反射的に細められる。
中空、跳び上がった綾香に背負われるようにして、日輪が輝いていた。
抜き放った一刀の切っ先を強引に捻じろうとするが、到底間に合わぬ。
咄嗟に抜刀の勢いのまま身を投げ出すようにして前転、頭上から迫る真紅の爪を辛うじて躱した。
膝立ちになるや、蝉丸は刀を水平にして頭上に掲げる。
直後、硬い音が響いた。刃と爪の交錯する音だった。
綾香の姿は蝉丸からは見えぬ。
背を向けたままの受けは踏んだ場数の賜物である。

「オォ……ッ!」

裂帛の気合と共に、刃で受けた五本の爪を、下から体重をかけて弾き飛ばす。
刹那、立てた膝を支点として半身を捻じる。
視界の端に映った影を薙ぐように斬撃を走らせた。
腰を落とした姿勢とはいえ、柄頭に左手を添えた重みのある一撃である。
それを、

「遅いな、白髪頭!」

綾香は余裕を持ったバックステップで避ける。
距離の開いた機を逃さず立ち上がった蝉丸の顔には、僅かに驚愕の色が浮かんでいた。
それを見て取り、綾香が嘲るような声を上げる。

495十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:34:29 ID:2LxlvcbQ0
「どうした強化兵、ノリが悪いな」
「……一つだけ問おう」

白刃を陽光に煌めかせながら、蝉丸が綾香を見据えて口を開く。
砂埃の混じった風を受けるその顔は既に巌の如き無表情に戻っている。

「聞いてやるよ白髪頭、言ったろ? 今は気分がいい」
「……國の礎となるべき者が、何故、人を捨てる」

重々しく放たれた問いに、軽口を叩いていた綾香の表情から笑みが消えた。
その半面に朱い蜘蛛の巣模様を浮き上がらせ、真紅の瞳を見開いた異相が、真っ直ぐに蝉丸を見返す。

「つまらないことを聞くな」

白昼、その身の周りにだけ夜が訪れたような、それは昏い声音だった。
ざわり、と切り揃えた髪が揺れる。
擦り合せた異形の爪が、しゃりしゃりと耳障りな音を立てた。

「お前に―――お前に勝つ為だろう、坂神蝉丸」

その名を呼ぶ。
砂塵に塗れた旅人の、冷たい水を渇望するような。
一人祈る乙女の、恋しい男の名を呼ぶような。
暗い死の淵に、永劫の怨嗟を込めて呟かれる呪のような。
それが来栖川綾香の、真実、唯一つの言葉だった。

「……そうか」

国家と天秤にかけられた男はただ一言、そう漏らすと、手にした一刀の刃を返す。
ぎらりと、白刃が煌めいた。

「ならば、是非も無い」

496十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:35:03 ID:2LxlvcbQ0
踏み込む。
瞬時に詰めた間合いから閃くのは、下段から伸びる切り上げ。
綾香の左胴を切り裂くかに見えたそれは僅かに届かない。
身を引いた綾香に躱されている。
が、そこまでは蝉丸とて予想の範疇だった。
体を止めず、奥足を踏み込んでの二の太刀は逆袈裟の切り下ろしである。
一太刀めは囮であった。
体勢の流れた綾香には、二の太刀を更に下がって躱すことができぬと踏んでの斬撃である。

「ナメるな……っ!」

硬質な音と共に、綾香がその爪をもって刃を受ける。
しかし蝉丸は刃を引かず、更に体重をかけていく。
鬼の手を持つ綾香は今や、腕力においては己よりも遥かに上であると蝉丸は判断していた。
だが同時に、命のやり取りは腕力のみにおいて決するわけではないということも蝉丸は理解している。
体勢の差、重心の差、そして体重の差を利用した鍔迫り合いに持ち込んだのも、そうした意識と
無数の経験との上に成り立つ戦術であった。
じりじりと近づく刃に、綾香がたまらずもう一方の手を添える。
両の爪を十字に交差させる、堅い受けである。
押しやられる一方だった刃が、ぴたりと止まった。
力と力の鬩ぎ合いの中、蝉丸が言葉を漏らす。

「大義を忘れ妄執に拘る……、貴様のような輩が國を惑わすのだ……!」

ぎりぎりと、音を立てそうな鍔迫り合いの最中である。
冷厳を以ってなるその声にも、常ならぬ激情が篭っていた。

「ガキを担いで……! 人形遊びが、お前の大義か……!」

受ける綾香の瞳は杯に鮮血を満たしたように紅い。
その瞳には紛れもない嘲りと、そして憤激が浮かんでいた。

497十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:35:53 ID:2LxlvcbQ0
「義を見失うのが國ならば、俺は俺の義を貫くまでだ……!」
「他人を、巻き込むなって話……だろう、がっ!」

言い放つと同時、綾香が全身の撥条を使って体を捻じる。
鬩ぎ合う力を横に流そうとする試みは成功した。
流れた白刃が綾香の左肩、その皮膚を浅く削いだが、それだけである。
体勢を崩され、無防備な脇を見せた蝉丸に向けて綾香の横蹴りが放たれる。
上体捻じった勢いを加算した重い横蹴りが、蝉丸の脇腹に食い込んだ。

「ぬぅ……っ!」

息を漏らした蝉丸だったが、しかしすぐさま流れた刃を返し、強引な切り上げに入る。
下から迫る刃に追撃を断念し、綾香が飛び退る。
再び距離が開いた。蝉丸の白刃は既に油断なく綾香へと向けられている。
刃を横に寝かせた平青眼、必殺の突きを狙う構えに再度の接近を試みようとした綾香の足が止まった。

「人形遊び、か……貴様から見ればそうなるのだろうな、来栖川」

告げた蝉丸の顔からは、一瞬だけ浮かんだ苦痛の色は消えている。
暗夜に浮かぶ月の如き静謐をもって、その瞳が真っ直ぐに綾香を見据えていた。

「あれらを、生み出したのではなく……作り出した、と貴様等は言う。
 驕慢でなく、傲然でなく、ただそれを当然と、疑念すらを抱かず貴様等は言うのだ」

凛と冷え切った声音が言葉を紡ぐ。

「何故、その聲を聞かず、その道を見定めず、無用の長物と放り棄てる。
 あれらを人でなく、傀儡と育んだは貴様等の罪業だろうに、何故それを肯んずる。
 生の意味を与えず、思考の時を与えず、命を求める声をすら与えず」

白刃は揺らがぬ。
声音は荒れぬ。
しかしそれは一片の違いなく、

「そこに―――如何な義の在るものか」

坂神蝉丸が見せた、激情の吐露であった。

498十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:36:30 ID:2LxlvcbQ0
風が、一際強く吹き抜けた。
砂塵を含んだそれが沈黙を運ぶ。
否、沈黙は小さな音によって破られていた。

「……っ、……」

耳を澄まさねば聞こえぬほどのそれは、しかしすぐにその音量を増していく。
初めはさざ波のように、そして瞬く間に瘧の如く爆ぜたそれは、笑い声であった。
面持ちを険しくした蝉丸の眼前、来栖川綾香が、呵々として笑っていた。
その顔の半分を覆う朱の紋様がまるで羽虫を絡め取った蜘蛛の巣の如く、醜く蠢いている。
可笑しくて堪らぬといった様子で笑う綾香が、その笑みを収めぬまま口を開いた。

「―――知るかよ、そんなこと」

蒼穹の下、弓形に歪んだ真紅の瞳が、ぬらぬらと凶々しい光を湛えて揺れていた。
そこには快の一文字も、愉も悦すらも存在しない。
ただ、嘲弄と軽侮だけが、浮かんでいた。

「私の仕事は算盤勘定だ。ついでに教えてやる。科学者連中の仕事は自分の妄想を形にすることで、
 技術屋の仕事は製品のコストを下げることだ。連中の生まれた意味なんて誰も考えちゃいない。
 知りたきゃ坊主にでも聞いてくるといい」

ぎり、と鳴ったのは蝉丸の奥歯を噛み締めた音か、それとも握り直した柄の軋みか。

「それが、貴様の道か」

言うが早いか、蝉丸の身体が駆けた。
踏み出した足の大地を噛む音が後から聞こえてくるほどの、猛烈な踏み込み。
広い間合いを、ただの二歩で詰めていた。
驚いたように見開かれる綾香の真紅の瞳、その中心を狙った突きが閃いた。
手応えは、ない。
文字通りの紙一重で、躱されていた。
未だ白く残る方の頬に一文字の傷を開け、鮮血の雫を飛ばしながら、綾香が身を撓める。

499十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:37:17 ID:2LxlvcbQ0
「じゃあ……訊いてやる、白髪頭ッ!」

突き込まれる刃に微塵の恐怖も見せず、綾香が叫んだ。
カウンターで突き込まれる爪を、蝉丸は辛うじて柄頭で弾く。
下に流した真紅の軌跡はしかし、五本。

「お前には……ッ、聞こえてるのか、……あいつらの、声がッ!」

残る片手の爪が、上から迫る。
それを、軸足で地面を強引に蹴り離すことで上体を反らし、回避する。
軍装の釦が一つ、弾けて飛んだ。

「あたしたちを! 助けてください、って!」

両の爪を躱されてなお、蝉丸の頭上から落ちる影がある。
鉞の如き威力を備えて落とされる踵であった。
返す刃は間に合わぬ。たたらを踏むように、更に一歩を退いた。

「どうか生きる意味を! 教えてくださいって!」

着地と同時、綾香が加速する。
薬物の効能で人体の常識を超えた出力を誇る筋力に加えて、胴廻し蹴りの前転による勢いを利用した加速である。
その速度は蝉丸の眼をもってしても容易には捉えきれぬ領域に達していた。
躱しきれぬ、とみた刹那。
蝉丸は手の一刀を逆落としに地面へと突き立てていた。
伝わるのは刃の先が僅かに岩を食む硬い感触。
もとより、綾香を狙ったものではない。

「ぬ……ッ!」

掛け声と共に、蝉丸の身体が跳んでいた。
突き立てた刀の柄頭を土台とした、高飛びである。
迅雷の如く迫ってきた綾香が真紅の爪を振るうのと、ほぼ同時であった。
宙を舞う蝉丸の影が、身を低くした綾香の背に、落ちた。
交錯した両者がその位置を入れ替え、そして離れる。
必中の一撃を避けられたと悟った綾香が砂塵を巻き上げながら身を翻せば、
蝉丸もまた束の間の空から大地へとその身を戻していた。

500十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:38:04 ID:2LxlvcbQ0
「泣いて頼まれたか。夢枕にでも、立たれたか。違う、違うな、強化兵」

一転、綾香が静かに語る。
その視線は対峙する蝉丸の纏う枯草色の軍装、その足元へと向けられていた。
編み上げ式の軍靴が踏みしめる地面に、じわりと拡がる染みがあった。
乾いた岩場を濡らす赤黒い染みは、紛れもない鮮血である。
蝉丸の軍装、右のふくらはぎの辺りが、ざっくりと裂けていた。

「お前には何も聞こえていないだろうよ。あいつらの声も、願いも、何も」

綾香が、爪を振るう。
何滴かの血が、球になって散った。

「お前は手前勝手な願望を、あいつらに押し付けているだけだ。連中が本当は何を願っているのか、
 生きたいか、死にたいか……それさえ、お前には分からない」

ゆっくりと、綾香が歩を踏み出す。
陽だまりの中、散策でも楽しむかのような足取りとは裏腹に、顔には酷薄な笑みを浮かべている。
冷笑に侮蔑をたっぷりと乗せて、ほんの僅かな憐憫を込めて、綾香が首を傾げ、言う。

「手前ぇの恨みつらみを語るのに、誰かの名前を使うなよ。なあ、出来損ないの強化兵」

蝉丸の表情が、初めて歪んだ。
挑発への怒りではない。まして、傷の痛みでもなかった。
ただ、歪んだのである。
正鵠を射られたとは思わぬ。
義憤とは安い侮辱に消える程度の炎ではないと、蝉丸は信じていた。
ただ許せぬと、肯んじ得ぬと貫き通すべきものはあると、蝉丸は確信している。
しかし、否、故に、蝉丸の表情はただ、歪んでいた。
綾香の放った嘲弄の矢が射抜いたのは、蝉丸の心に燃え盛る義ではなかった。
坂神蝉丸という男の、中心。
何もない、草木の一本すら生えぬ、ただ広がる荒地の、その真ん中に、突き立っていた。
そこを潤すものはない。そこに実るものはない。そこに生きるものはない。
舞い上がる砂塵も、吹き荒ぶ風すらもない。
ただ時の止まったような、荒涼とした大地。
そこに一本の矢が突き立ち、静謐が乱れた。
決して感情の範疇でなく、さりとて理性の領域でもなく、思考でも思想でも思索でもなく、
ただ感覚として、蝉丸は己が中心に広がる寂寞を見た。
故に表情を歪めたのである。

「そうか」

だからそれだけを、蝉丸は口にした。
肯定でも否定でもない、それはひどく簡素な相槌であった。

「分かんないなら、そう言えよ」

無造作に間合いを詰めながら、綾香もまた、それだけを応えて口を閉ざした。
その手の爪が、足取りにあわせてゆらゆらと揺れている。

501十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:38:44 ID:2LxlvcbQ0
間合いに入るまで五歩と、蝉丸は見て取った。
白刃を下段に構え、その一瞬を待ち受ける。
刀の間合いは、爪の間合いよりも遥かに広い。

残り、四歩。
仙命樹の治癒とて万能ではない。
深く抉られた肉を繋ぐまでには幾許かの時を必要とする。

残り、三歩。
右を軸足に使えぬ今、受けるも攻めるも難い。
ならば勝算は、間合いの差。

残り、二歩。
踏み込んだその足を、その爪を、その頸を。
斬の一念を込めて、断ち割る。

残り、一歩。
踏み出されたその足が―――消えた。

と見るや、綾香の姿は既に蝉丸から見て右に占位している。
爆発的な加速によるサイドステップ。
が、蝉丸の刃は微動だにせぬ。
横に流れた綾香の踏み込みは、未だ僅かに間合いの外。
陽動であると、見抜いていた。
右に動いた綾香が更に加速する。
脇を走りぬけ、後ろをとると見せた刹那。
右構えの下段が最も対処しづらい、右斜め後方から、綾香が、間合いに踏み込んでいた。
同時、蝉丸の白刃が閃いた。
構えによる誘いは無論、綾香とて気付いていると、蝉丸は理解している。
狙い通りの剣筋の、なおその上を行く疾さを備えていると確信しているからこその踏み込み。
慢心であり、虚栄であり、しかし高雅であった。
それは来栖川綾香の唯我たる矜持、魂に刻まれた自負。
ならばそれを斬り伏せよと、坂神蝉丸は己に命じる。
慢心を斬り、虚栄を断ち、来栖川綾香を滅せよ、と。
一刀を、振るう。

502十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:39:06 ID:2LxlvcbQ0
「―――!」

風が、裂けた。
真紅の刃が、まとめて切り裂かれ、折れ飛んだ。
蝉丸の振るった白刃が斬ったその数は、九。

ただの一本が、残った。
残った一本は、刃であった。

細く、鋭く、風が、流れた。
一直線に伸びたその軌跡は、狙い違わず蝉丸の喉笛へと迫り、そして―――失速した。

「……あ、」

漏れた声は、濡れていた。
ごぼりと、血の泡が溢れた。
口中いっぱいに鉄錆の味を感じながら、来栖川綾香が、ゆっくりと倒れた。

503十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:40:16 ID:2LxlvcbQ0
「……」

蝉丸の視線が、大地に横たわる綾香を見据える。
険しいその表情は勝者のものとも思えぬ。
そもそも、蝉丸の刃は綾香の爪だけを斬ったものである。
倒れた綾香の身体に斬撃による大きな刀傷はない。
だが鮮血は実際に噴き出している。
蝉丸は頬に飛んだ返り血を拭い、見下ろした綾香の、震える五体に眉を顰めた。
溢れる血は、綾香の内側から、流れ出していた。

「あ……あああ……っ!」

びくり、と投げ出された鬼の手が震える。
野太いそれがぶるぶると痙攣したと見えた、次の瞬間。
内側から爆ぜるように、黒く罅割れたその肌が裂けた。
大量の血液が飛び散り、辺りを染め上げる。

肌に張り付くようなボディスーツの内側から、嫌な音がした。
太腿から、上腕から、背筋から、ぶちぶちと断続的な音が響く。
主要な筋肉の断裂する、音だった。
スーツの隙間から覗く白い肌が、青黒く染まっていく。
内出血が拡がっているようだった。

「が……あ、あぁ……ッ!」

絶叫と共に気管に流れ込んだ血と唾液を垂れ流しながら、綾香がのたうち回る。
その端正な顔の半分を覆う赤い紋様、浮き出した血管で形作られた蜘蛛の巣が、
まるでそれ自体が別の命をもつ生き物であるかのように波打ち、蠢いていた。
その幾つかが弾け、真っ赤な液体が溢れ出す。
さながら綾香が血の涙を流しているように、それは見えた。

「……限界だな、来栖川」

504十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:40:49 ID:2LxlvcbQ0
内側から自壊していくような綾香を見下ろして、蝉丸が静かに息をつく。
その白刃は自らが作り出した血の海で泳ぐ綾香に、油断なく向けられていた。

「人を超えた力など……所詮、人の身で扱いきれるものではない」

しゃら、と澄んだ音を立てて、蝉丸が刃を返す。
陽光が反射し、流れ出る血と流れ出た血の両方で全身を染め上げた綾香を照らした。
未だ癒えぬ傷の痛みを無視して、蝉丸がゆっくりと歩を進める。
踏み出したその足が粘つくのは、血だまりを行くせいか、或いは軍靴の中に溜まった己が血のせいか。

「そこで時をかけて命を終えるか、それとも楽にしてほしいか」

返答など期待せぬ何気ない呟き。
既にその声が耳に届いているかも怪しい。
蝉丸が足を止めたのは、故に微かな驚きによるものである。

「……誰、に……」

声とも呼べぬような、掠れた響き。
だがそれは確かに来栖川綾香の紡ぐ、言葉であった。

「……誰に、口を……聞いてる、……三下……!」

それは一つの、奇跡であったやも知れぬ。
綾香の瞳、真っ赤に充血したその瞳は、蝉丸を確かに射抜いていた。
そればかりではない。
腕、足、胸、腹、首、いたるところに爆ぜたような傷が開き、肉どころか何箇所かは骨すら覗いている、
到底動けるはずもない身体で、綾香は微かに、しかし確実に、蝉丸の方へと這い寄ろうとしていた。
蛞蝓の這いずるような、遅々とした動き。
しかしそれを、蝉丸は瞠目をもって迎えていた。
沈黙が、何よりも雄弁に驚愕を語っていた。

「……あたし、は……、」

ぶるぶると震えながら、最早流れ出す血液すら残らぬような身体で這いずりながら、綾香が言葉を紡ぐ。
殺意もなく、邪気もなく、ただ澄みきった何かだけが残ったような、言葉。

「……あた、しは……、……ずっと、世界の……真ん中、に……。
 こんな、こと……で、終わ、ら……、ない……」

そよぐ風よりも微かな呟きが、段々と小さくなっていく。
伸ばした手が、蝉丸の軍靴に触れた。
掴み引き倒す力とてあろう筈のない、その赤黒く染まった手を、蝉丸はじっと見ていた。
深く、深くつかれた息は、果たしてどちらの漏らしたものであっただろうか。

「……」

蝉丸が、手にした白刃を天高く掲げる。
抗う術は、綾香に残されてはいなかった。
突き下ろせば、それが最期となる筈だった。

それが為されなかったのは、蝉丸の背後、凄まじい音が響いたからである。


******

505十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:41:27 ID:2LxlvcbQ0
 
知らず振り向いた蝉丸の、その表情が固まる。
見上げた視線の先に、異物があった。

僅か数十メートル先、神塚山山頂。
そこに、何かが突き立っていた。

天空から下ろされた一本の蜘蛛の糸のような。
或いは天へと伸びる果てしない塔のような。
限りなく細い何か、紅色と桃色と鈍色が考えなしに混ざり合ったような、醜悪な何か。
それが、神塚山の山頂、その中心へと突き立てられていたのである。

「……、」

そこにいた筈の、青年へと移り変わる途上のような顔をした、少年の名を、蝉丸が口にするより早く。
ひどく耳障りな雑音交じりの、しかし不気味によく通る声が、天空から響いていた。

「待っていましたよ―――この瞬間を」

それは遥か蒼穹の高み、突き立った細い糸のような何かの上から、降りてきた。
最初は芥子粒のような、しかし瞬く間にその大きさを増していくそれは、異様な姿をしていた。
人のような、しかし決して人にはあり得ないシルエット。
三対六本の腕、瘡蓋の下に張った薄皮のような桃色の、巨大な翼。
人と蟲と蝙蝠を、止め処ない悪意によって混ぜ合わせたようなフォルム。

かつて長瀬源五郎と呼ばれた人間の成れの果てが、そこにあった。

506十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:42:00 ID:2LxlvcbQ0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ融合体】

→916 962 967 ルートD-5

507十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:52:48 ID:CaxMWfFA0

それは、雨であった。
鋭い鋼鉄の穂先を大地へと向け、穿ち貫かんと落ち来るそれを、雨と呼ぶならば。

それは、槍であった。
天空より間断なく流れ落ち、地上へと等しく降るそれを、槍と呼ぶならば。

雨の如く降り注ぐ、桃色と鈍色の入り混じった無数の槍。
遥か高みより降る凶刃が終わらせたのは、たった一つの命である。

その、命であったものの名を、久瀬という。
最初の一筋が脳天を貫いた瞬間に、久瀬少年の命は終わっている。
何かを掴もうと伸ばされた指がびくりと震え、そして、それが最後だった。
直後、幾筋も幾筋も降り注いだ槍が貫き通したのは、少年の骸である。

人の形をしていた少年が、赤い液体と無数の欠片へと解体されたその場所へ、降り立つ者があった。
返り血と思しき赤黒い斑模様で纏った白衣を最早そうと呼べぬまでに汚し、背には肉色の翼。
肩の辺りから生えた四本の鋼鉄の腕をやはり血で染め上げ、はだけた胸からは断末魔の如き表情をした
女の顔が二つ、埋め込まれているのが見えた。
人、と呼ぶにはあまりにもヒトとかけ離れたその姿を目にして、声を漏らした者がいる。
急ぎ駆け戻った男、坂神蝉丸であった。

「長瀬……源五郎……!」

名を呼ばれ、悪夢を具現化したかの如き姿の男が、にたりと笑った。
歯茎を剥いた、怖気が立つほど醜悪な笑い。

「司令、と呼び給えよ、坂神君。いや……坂神脱走兵、というべきかね?
 副社長におかれても、ご機嫌麗しく」
「……何故、久瀬を殺した」

触れれば斬れるような声音。
口臭の漂ってきそうな笑みにも、血の海に倒れ伏す来栖川綾香を見下した視線にも委細構わず、
蝉丸はそれだけを口にする。

「……何故? 何故と問うのかね、君は?」

そんな蝉丸へと視線を戻すと、長瀬はくつくつと笑う。
肺病やみが咳き込むような、痰の絡んだ笑い方だった。

508十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:21 ID:CaxMWfFA0
「特段の理由などないよ。ただ私の道具を取りに来た、そこにたまたま彼がいただけさ」
「道具……だと」

言われて初めて、蝉丸が気付く。
長瀬の足元、のたうつ肉色の槍に隠れるようにして、小さな影があった。
広がる血の海の中で暴れることもなく、じっと蹲っている影を、長瀬の鋼鉄の腕が掴んで引きずり起こす。
久瀬少年の血に塗れながら表情一つ変えず、眼鏡の奥で焦点の合わぬ瞳を光らせる少女を見て、
蝉丸が呻くような声を漏らした。

「貴様、それは夕霧の……」
「演算中枢だよ、坂神君。私はこれを取りに来ただけだ。ずっと君の目が光っていたから、少しばかり難儀したがね」

見せ付けるように、片腕で夕霧を吊り上げる長瀬。
その身体から伸びた、ケーブルとも槍ともつかぬ金属製の管が、まるで触手のように夕霧の身体を這い回る。

「迂闊だったねえ、坂神君。君が目を離したりしなければ、私もこれに近づけなかった。
 ……久瀬大臣の愚かな御子息も、死なずに済んだかもしれないなあ」
「―――黙れ」

激昂も見せず、あくまでも静かに、蝉丸が口を開いた。
転瞬。

「―――!」

銀弧が閃いた。
音もなく駆けた蝉丸が、一気に間合いを詰めると手の一刀を振るったのである。
それを、

「おっと」

おどけるような仕草と共に、長瀬が飛び退って避ける。
強い風が、蝉丸の頬を叩いた。
長瀬は文字通り、肉色の翼を羽ばたかせて飛んでいたのであった。

509十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:46 ID:CaxMWfFA0
「貴様……!」
「おお、怖い怖い。君といい光岡君といい、強化兵の近接戦闘能力は驚愕に値するからね。
 正面からやりあう気などないよ」

刀の届かぬ高度でゆっくりと羽ばたきながら、長瀬が肩をすくめる。
鋼鉄の腕には砧夕霧を抱えている。
その血に濡れた身体の上には、やはり触手のような管が何本も這い回っていた。

「……うん、これではよくわからないな」

一人呟いて首肯する。
と、夕霧の身体を這っていた管の束が、唐突にその動きを変えた。
夕霧の纏った質素な服の上を這っていたものが、一斉に襟を、裾を、袖を目指して蠢く。
瞬く間に衣服の下へと潜り込んだ管の群れが、ぞろぞろと布地を持ち上げる。
宙吊りにされた少女が無数の蛇に肢体をまさぐられているような、それは淫靡な光景であった。

「どうだい、ミルファ、シルファ。私の可愛い娘たち。解析は終わりそうかい」

鳥肌の立つような猫撫で声で長瀬が語りかけたのは、その胸に浮かぶ人面瘡の如き二つの顔である。
よく見れば、ケーブルの束は断末魔を写し取ったようなその顔の、口腔の奥から伸びているのだった。
時折、びくりと夕霧が震える。
薄い布地の向こう、襟から潜った管が小さく盛り上がった双丘を舐る。
袖から腕、脇を通って背筋をまさぐる管もあった。
スカートの裾から入り込んだ管は下腹部から尻の辺りを取り巻いていた。
濡れた音がするのは、如何なる行為によるものか。

「下種が……!」

押し殺したような怒声と共に飛んだ針のようなものを、長瀬が翼の一振りで悠々と躱す。
虚しく弧を描いて落ちるのは、真紅の細刃。
先刻の交戦で斬り飛ばされた、来栖川綾香の鬼の爪であった。

「そう急かないでくれ給えよ、坂神君。焦らなくとも、もうすぐ……おや、終わったのかい、娘たち」

蝉丸への嘲るような声音とはうって変わった、気色の悪い甘い声。
見れば、びくりびくりと震えていた夕霧の肢体がだらりと弛緩している。
それを目にして満足げに頷く長瀬。

510十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:54:33 ID:CaxMWfFA0
「うん、それじゃあ……始めようか」

言葉と共に、びり、と音がした。
布の裂ける音。夕霧の纏っていた、質素な服が引き裂かれていく音である。
陽光の下、白い肌が惜しげもなく晒されていく。
瞬く間に、その肢体を覆っていた布地がすべて取り払われた。
乳房の先に覗く桃色も、下腹部を薄く覆う翳りもすべて、その上をのたくる管の群れと共に曝け出されていた。
長瀬の鋼鉄の腕によって両腕を拘束され、吊り下げられるような姿勢のまま裸体を隠すこともできず、
しかし夕霧はぼんやりとした瞳だけを眼鏡の奥に光らせたまま、表情を変えない。
そんな夕霧を後ろからかき抱くようにして身体を寄せると、長瀬がその感情のない顔に手を伸ばした。
肩から生えた鋼鉄の腕ではない。長瀬源五郎の、生身の手である。
ゆっくりと撫でるようにして、長瀬の手指が夕霧の頬を這う。
痩せこけた血色の悪い唇を、ごつごつと骨ばった長い指がなぞる。
白い首筋からこびり付いた血の乾き始めた耳の辺りまでを嘗め回すようにしていた長瀬が、その耳元に囁いた。

「私と一つになりなさい、失敗作」

同時。
ぞぶり、と嫌な音と共に、ケーブルの先端、槍の穂先のように尖ったそれが、夕霧の裸体に突き刺さっていた。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
首筋に、背に、脇腹に、太腿に、二の腕に、薄くあばらの浮いた肢体に、何本も刺さっていく管の群れ。
その度にびくりと震える夕霧の身体からは、しかし奇妙なことに血が流れ出さない。
それどころか、まるで刺さったケーブルを取り込むかのように、破れた皮膚が再生し、薄皮が張っていく。

「成る程、成る程、成る程。余計な感情を溜め込んだものだ。余分なノイズを取っておいたものだ。
 こんなものは―――消してしまえばいい」

目を細め、長瀬が独り言じみた呟きを漏らした途端、夕霧の身体が一際大きく跳ねた。
激しい痙攣が二度、三度と続き、そしてすぐに静かになった。

「さあ、これで綺麗になった」
「……ッ!」

歯噛みしながら見上げていた蝉丸が、思わず絶句する。
頷いた長瀬がひと撫でした夕霧の顔は、先刻までとはまるで異なっていた。
何の感情も浮かべていなかったその顔に、一つの明確な表情が刻まれていた。
即ち―――、絶望。

「貴様……!」

そこにあったのは、苦痛でも、悲嘆ですらなかった。
この世に存在する希望という希望を絶たれ、怨嗟に塗れ、生を呪う、それは亡者の表情。
それはまるで、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔をそっくり写し取ったような、顔であった。

511十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:00 ID:CaxMWfFA0
「何を……一体、何をしたッ……!」
「ん?」

地上で叫ぶ蝉丸の存在を、まるで今思い出したとでもいうように長瀬が見やる。
にやにやと見下ろすその視線には、何らの特別な感情は浮かんでいない。

「何、と言われても……道具をフォーマットしただけさ。雑念が煩かったからね」
「外道が……!」

曇った眼鏡を拭いただけ、とでもいうようなその口調に、蝉丸が手の一刀を握り直すとほぼ同時。

「ぬ……!?」

蝉丸が跳んでいた。
僅かに遅れて、立っていたその場所に突き立つものがある。
上空を飛ぶ長瀬の身体から伸びた、肉と鉄の入り混じった槍であった。
その足元に広がっていた、乾きかけた血の海がべしゃりと撥ねた。
ざっくりと裂けた右足から真新しい紅の珠が飛ぶのにも、蝉丸は眉筋一つ動かさない。
天空の高みから次々と迫り来る槍を的確に躱していく。
しかし、

(……?)

おかしい、と蝉丸は己の直感が告げるのを感じていた。
次々に降り注ぐ槍は確かに鋭く、速い。
しかしその位置、照準、タイミングがあまりにも粗雑に過ぎた。
長瀬が戦闘に関して素人であると言ってしまえばそれまでなのかも知れない。
しかし、それだけでは片付けられない何かを、蝉丸の研ぎ澄まされた勘は嗅ぎ取っていた。
降り注ぐ槍には何か別の狙いがある、と。
蝉丸がそこまでを思考したのを読み取ったかのように、天空からの攻撃が、止まった。
大地に張り巡らされた蜘蛛の巣のように無数の槍を突き立てておきながら、蝉丸には未だ傷一つつけていない。
それが唐突に止まっていたのである。
思わず見上げた蝉丸の耳朶を、

「さあ、食事の時間だ」

長瀬の声が打ったのと、時を同じくして。
ぞぶり、と音がした。
音は、一つではない。
それは蝉丸の周囲、四方八方のあらゆる方向から、無数に響いていた。

512十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:21 ID:CaxMWfFA0
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。

まるで挽き肉を捏ね回すような、或いは鍋に満たした湯の沸き立つような。
ひどく耳障りなその音は、蝉丸のすぐ側、或いは手の届かぬ遠く。
地面に突き立った無数の槍の、その中から、響いているようだった。

ごぼり、と泡立つような音がして、見れば突き立てられた槍の穂先が、濡れていた。
赤く濡れたそれの周りにはしかし、鮮血など存在しない。
否、砂を染めた血痕が、そこに血の流れていたことを示している。
そこかしこに積み上げられた夕霧たちの躯から流れ出たはずの、それは血だまりの痕だった。
それが、なくなっている。

「……飲んだ……のか……!」

険しい表情のまま見回せば、山頂のいたるところを染め上げていたはずの、乾きかけた血の海が、
まるで潮が引いたように小さくなっている。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がするたびに、血だまりは小さくなっていく。

「……ッ!」

衝動のままに一刀を振るえば、硬い感触と共に槍の一本に亀裂が入る。
ごぼり、と噴き出した粘性の高い血液が、蝉丸の手を汚した。

「長瀬……! 貴様、どこまで……!」
「おいおい、人の食器を傷つけないでくれよ」

天空を睨んだ蝉丸の視線にも、長瀬はただにやにやと笑いを返すのみ。

「君だってあまり人のことは言えた義理ではないと思うがね。
 土嚢代わりに使うのは死体の血を吸うより高尚な行いなのかい?」
「……!」
「こんなものは、単なる資材でしかない。君と同じさ。
 もっとも、私が本当に使うのは―――生きた方、だがね」

生きた方、という言葉の意味が、染み渡っていく。
と、何かに気がついたように、蝉丸が辺りを見回した。
ぞぶり、という音は、止まっていた。
咀嚼音が止まり、静寂が落ち、しかし―――静かすぎる。
北側と西側では戦闘が続いていたはずだった。
久瀬の死によって命令系統は混乱しているだろう。
僅かな間に戦線は崩壊したかもしれない。
しかし、閃光も、騒音も、何もかもが止んでいるのは、異常だった。
生きた方、という言葉がもう一度、蝉丸の脳裏に甦る。

513十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:42 ID:CaxMWfFA0
「まさか……!」

蝉丸が弾かれたように長瀬を見上げた、その刹那。
長瀬の身体が、爆ぜた。
否、爆ぜるような勢いで、膨れ上がったのである。
白衣が、スーツが、その布地の限界まで張り詰め、裂けた。
その下から無数に飛び出したのは、肉色の槍である。
それが生えていたのは、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔からではない。
腕といわず腹といわず、隙間を埋め尽くすようにして、その醜く蠢く管は
長瀬の肉体のいたるところから奇怪な腫瘍の如く飛び出していた。
その数は先刻に倍し、太さに至っては一本一本が人の腕ほどもある。
そんなものに埋め尽くされた長瀬は、まるで空に浮かぶ磯巾着か何かのようにすら見えた。
が、そう見えたのも一瞬。
無数の管が、凄まじい勢いで伸びていた。
目指すのは大地。

「……!」

瞬間、蝉丸は己の危惧が的中したことを知る。
長瀬の身体から伸びた無数の管はそのすべてが、山頂ではなく、そのすぐ周辺。
北側と西側の山道へと、向かっていたのである。
天頂を境とした空の半分を覆い尽くすように、肉色の管が巨大な天蓋を形作る。
測定を拒むが如き数の管が伸びるその先には、きっかり同数の影が、佇んでいた。
影、砧夕霧と呼ばれる少女達の群隊は抗う様子も見せず、迫り来る管をぼんやりと眺めている。
矢のように伸びた管の群れが、その速度の一切を殺すことなく、夕霧たちへと突き刺さった。
否、刺された少女たちからは、一滴の血も流れない。傷すらも、できてはいなかった。
故にそれらは、突き刺さったというべきではなかったかもしれない。
それらは単に、少女達へと貼り付き―――呑んでいたのである。

514十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:59 ID:CaxMWfFA0
ぞる、と先刻の血液を咀嚼する音にも倍して奇怪な音が響くたび、少女達が歪んでいく。
誇張でも比喩でもない。
管の貼り付いた部位を中心に、骨格を無視し人体構造を無視して、少女の身体のその全体が、
奇妙に捻じ曲がっていくのである。
同時に、音が響くのと歩調を合わせて、その肉体そのものが小さくなっていく。
ぞる。少女の腹が、べこりと落ち窪んだ。
ぞる。少女の胸が、片方の乳房を残して、捩じくれた。
ぞる。少女の腕が、肘まで肩に埋まった。
ぞる。少女の腰が、臓腑ごと競り上がった。
ぞる。少女の脚が、胸の下から、覗いていた。
ぞる。少女の首が、管へと吸い込まれていた。
ぞる。少女の、全部が消えた。

少女を呑み尽くした管は、まるでフィルムを逆回しにするように天空へと巻き取られていく。
巻き上げられた管の根元が、ぼこりと膨らんでいる。
それは紛れもない、少女の体積。
ぞる。ぞる。ぞる。
音と共に、少女が管に呑まれ、管が巻き上げられ、その根元が、ぼこりと膨らんでいく。
ぞる、ぞる、ぞる。
ぼこり、ぼこり、ぼこり。
それは、ヒトのカタチをしていたモノが、ヒトならざるモノの中に、吸い上げられていく音であった。
およそこの世のものとは思えぬ悪夢の光景の中心に、笑う顔がある。
長瀬源五郎であった。
肉腫の如く膨らみ続ける体の中心に、長瀬源五郎の顔が浮かんでいた。
すぐ下には三つの断末魔。
イルファ、シルファ、そして砧夕霧の中枢体が、悪夢の象徴のように並んでいる。
巨大な肉腫は重なり合い、互いを覆い隠すように拡がっていく。
七千にも及ぶ生体が、融け合って膨れ、崩れて肉腫となり、やがて何かを形作っていく。
それは、受精卵の細胞分裂を繰り返す様を、偏執的な悪意で塗り潰していくような。
そんな印象を見る者に与える光景だった。

515十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:20 ID:CaxMWfFA0
どこまでも長く感じられる、しかし実時間にしてほんの数十秒の内に、
それは、この世に姿を現していた。
身長、およそ三十メートル。体重にして二百七十トン。
神塚山、北西側の山肌から、山頂の台地へと手をかけるようにしてへばりついたそれは、
途方もなく巨大な少女―――砧夕霧であった。
天頂へと迫りつつある陽光を受けてぎらぎらと額を輝かせながら、

「―――」

るぅ、と啼いたそれは、長瀬源五郎と同じ顔で、嗤っていた。


.

516十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:56 ID:CaxMWfFA0

【時間:2日目 AM11:26】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6314体相当)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

→968 ルートD-5

517(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:27 ID:WLKNz3/g0
 海のほとりにある、ごく小さな一軒屋。
 明るく輝く太陽の光とは対照的に、カーテンで閉ざされた室内はほの暗く、物の輪郭を僅かながらに、色彩を僅かながらにしか映し出しているのみ。
 けれども、そこの動く一つの影――小牧郁乃――の瞳は今にも燃え出しそうなくらいに爛々と輝いて、殺戮と絶望が飛び交うこの島においてもなお、不屈の意思を秘めたものを持っていることを示していた。

「……ふぅ、大分……動けるようになった」
 額につく、僅かな汗を袖で拭いながら郁乃は一息つく。

 ここ数時間で郁乃が歩行した距離は僅かに数キロにも満たない。遅すぎるほどの速度。
 だがそれでも郁乃は、自分が確実に歩けるようになっていることを確信していた。
 走ることはまだ叶わないが、少なくとも人の手を煩わせずに移動することができる。もう少し時間があれば様々な行動を取れるようになるだろう。
 もう、足手まといにはなりたくない。

 負けず嫌いとも自責ともいえるその一念が、郁乃を衝き動かしている。元来そのような性分だとは理解してはいたが、ここまでしていることに自身でも感心するくらいだ。
 姉……いや、病院の中だけだった狭い世界だったのが、七海を始めとして様々な人間に触れ、いかに郁乃自身が小さいものだったのかを思い知った結果かもしれない。事実、今まで郁乃はそこまで劣った存在ではないと思っていた節があったのだから。

 情けない話だ。
 経験して、叱責されて、ようやくそれに気付けたのだから。それもそうだが、それ以前に。
(……あいつに言われて、ってのがどうしても気に入らない)
 高槻と名乗ったその男。

 美形とは言い難いし、性格は最悪。すぐ調子に乗るし、スケベだし、ロリコンだし、ホラ吹きだし、天パだし。
 その上私の唇を奪おうとした。なんか告白まがいのことまでしてきたし。
 なんというか、ムカツク。そんな奴に指摘されて気がつくなんて。
 でも……いつの間にか、あいつのことを考えていたり。どこかで頼りにしていたり……違う違う! あいつの顔があまりに印象的すぎるだけ!
 というかなんで私はドキドキしてるわけ!? ありえない! だから最悪なのよあいつは!

「あの、小牧さん?」
 高槻の事を考えるあまり(本人はそう思ってはいないだろうが)頭を抱えたり腕を振り回したりしていた郁乃に不安を感じたのか、ほしのゆめみが手に水の入ったペットボトルを持って差し出していた。

518(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:54 ID:WLKNz3/g0
「少し、休憩なされた方がよろしいかと思います。小牧さん、顔が赤いですし……体温の上昇が見受けられます」
「て、照れてなんかないわよ!」
「はい?」

 要領を得ないゆめみの表情に、そういう意味で言ったのではないとようやく悟った郁乃はげんなりして、「……ごめん、勘違い」と水を受け取り、ボトルのキャップを開く。
 久々に感じる水分の潤いが郁乃には心地よかった。色々考えていたのがアホらしく思えてくる。

「はぁ……ねぇ、ゆめみ」
「はい、なんでしょう」

 いつもと変わらぬ調子で応えるゆめみ。こういうとき変な勘繰りをしてこないことが、郁乃には都合がよかった。
「あいつ……高槻のことは、どう思ってるの?」
 別に深い意味などなかったが、何となく聞いてみたくなったのだ。高槻の事を考えていたから、他の人間は(ゆめみはロボットだけれども)どのような評価を下しているのか純粋に気になった。

「そうですね……行動力のある方だと思います」
 へえ、と郁乃は目を丸くする。郁乃の印象ではお調子者で間抜けな人間像だっただけに。
 気になったので、さらに追及する。

「どういうところが?」
「例えば……申し上げにくいことだとは理解していますが、宮内さんが殺害されたときに、真っ先に現場に直行して、確かな推理をなさっていましたし、わたしたちが襲撃されたときもわたしたちを守るために積極的に戦って下さいました。小牧さんを助けるために、海へ飛び込んだことも。模範となるべき人間像だとも考えます」

「……」
 過大評価でしょ、と郁乃は言いたくなった。
 確かにそういう場面もあったけど、模範と言えるかどうかと問われれば……絶対違う。
 というか、あいつは絶対自分のためだけに行動してるでしょ。うん、私には分かる。

519(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:19 ID:WLKNz3/g0
「そ、そうなんだ……うん、まぁ、そういう見方もあるわよね」
 藤林杏や折原浩平、立田七海に再会できたときにはそっちに意見を聞いてみよう、と郁乃は思うのであった。

「ふぅ……」
 何はともあれ、少しは休憩した方がいいだろうと考えた郁乃は椅子を引いてそこに腰掛ける。ごく自然な動作だったが、それは郁乃の努力の賜物、というべきものであった。
 無論、郁乃本人はまだそれに気がついていないのであるが。
 頬杖をつき、どのくらい時間が経っているのだろうとふと気になったので時計を探してみる。
 が、置いていないのかそれとも死角に隠れているのか、どこを見渡しても時計らしきものは見当たらない。散らかっているくせに、なんと物のない家なんだ、と郁乃は息をつく。

「どうされました?」
「ああ、うん、時間が気になって」
「それでしたら、現在は日本時間の16:30を回ったころになります」

 再び郁乃は周りを見回す。どこにも時計のようなものはない。どうして分かるの? と尋ねるとゆめみは明朗に、
「わたしには体内時計機能も内蔵されておりますので。壊れていなければ、いいのですが……ここが世界のどこに位置するのか分かりませんので、調整しようにも出来なくなっているんです。申し訳ありません……」
 ああ、なるほどと納得する。確かに元がメイドロボであるHMXシリーズのOSを使っているのならそれくらいはあってもおかしくはない。

 しかし、もう夕方のだったのかと郁乃は時の流れの速さに驚かずにはいられない。病院にいたころには一日はあまりにも長く感じられたのに。
 そしてこの間にも人はどんどん死に絶えている。一体何人が命を落としたのだろうか。姉は無事なのだろうか。離れ離れになったみんなはどこにいるのだろうか。様々な不安が郁乃の中に蓄積されていく。それで何が変わるでもないと分かっていながらも、考えずにはいられないのだ。

 いや。今こそ行動を起こすべきなのではないだろうか。ゆめみも高槻もどちらかと言えば積極的に動くのは反対意見だ。当てのないまま動いても人を見つけられないという意見は、確かに郁乃も理解はできる。

520(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:44 ID:WLKNz3/g0
 だがそれは大人の見方ではないのか。黙っていてどこそこに誰々がいる、という情報が入ってくるとでも言うのか。
 結局、自分の足で動かなければ情報は得られない。例え、それが徒労になるものだとしても。
 何より――今の自分には足があるじゃないか。

 しかしそれを提案したところでゆめみはともかく、高槻は首を縦には振らないだろう。
 高槻の目的はあくまでも脱出。悪く言ってしまえば自分が生き残れればそれでいいという自分本位の考え方だ。恐らく優先順位としては杏、浩平、七海を探すことよりも岸田洋一の残している可能性のある船を探すことの方が上のはずだ。
 分かっているのだ。高槻の言葉の裏に、郁乃を始めとして他の仲間たちをそれほど重要視していないというのが見え隠れしているということを。
 郁乃には、分かっていた。人の顔色を見ることは、得意だったから。
 しかし一方で、度々郁乃を守り、かばってくれた高槻の姿もまた真実である。それが、高槻の自己満足的な行動だったとしても、だ。
 だからこそ、郁乃は高槻に対する思いを決められずにいたのだ。彼の『善意』を信じるか『悪意』を信じるか。

 とかく、初めての経験が多すぎた。誰かに相談しようにも、ゆめみはそこまで人の心に通じてはいない(ゆえに郁乃は話しやすいと考えていたのであるが)。まだ、それを決められるほどには、郁乃は大人ではなかったのだ。
 そして、大人ではなかったがために――彼女は、迂闊な決断をしてしまったのだ。

「ゆめみ、ちょっとお願いがあるんだけど」

     *     *     *

521(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:11 ID:WLKNz3/g0
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」

 何故かその台詞が連呼される夢を見ていた俺様が目覚めたのは、日の傾きかけたころだった。
 ああ、よく寝た。思えばこの島にやってきてからというもの、ついぞ寝た覚えがなかったな。さっき寝てたって? バカ、あれは気絶って言うのさ。大体犬の王子様のキッスで起こされるなんて最悪だ。お前らもそう思うだろ?

 ……つーか、やけに静かじゃねえか。よくよく見れば郁乃もゆめみもいやしないじゃないか。なんだ? これはビックリドッキリ企画か?
 ハハア。どうせポテトあたりでも使って何か良からぬ企みでもしているんだな? バカめ、そうそう俺様が引っかかるか。
 俺様はすっと立ち上がると実に久々の、初めてポテトと出会ったときのように拳法の構えをとってポテトの奇襲に備える。

 ……と、そこまでしたところで、今は殺し合いの真っ最中だということに気付いた。よく考えてみりゃいかに毒舌女王様の郁乃とボケの大魔神ゆめみ様と言えどもそんなことをするわけがない。
 ならどうして誰もいないんだ? 一言も言わずにここから出て行った、とでもいうのか?
 郁乃も、ゆめみも、ポテトもか?

 見捨てられた。
 そんな言葉が俺様の頭を過ぎる。
 ……まさか。郁乃もゆめみも、そんなことをする奴らじゃない。そんなわけがないだろ、常識的に考えて……

 待て。
 どうして俺様は動揺してるんだ?
 いつものことじゃないか。どこでだって俺様は嫌われ、罵られ、怨嗟をぶつけられてきた。その自覚もあったし、人の道を外れた行為なんていくらでもしてきたじゃないか。
 いつものこと。せいせいして、また一人になれて気楽気ままになったと喜ぶ。それが俺様じゃあないのか?
 なんだよ、まるで、自分が自分でないみたいじゃないか。ムカツクな……もやもやとしやがる。

522(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:38 ID:WLKNz3/g0
「クソッ」
 悪態をつき、床に唾を吐く。それでも収まりがつかなかった。
 もういい。もうどうでもいい。適当にしてりゃいずれ分かる。またいつも通りにやればいいんだ。
 再び床に座り込み、二度寝に入ろうと俺様が目を閉じたときだった。

「ぴこぴこ、ぴこーーーーっ!!!」

 懐かしい、とさえ思ってしまうくらいに、実に久々に聞いたような、そんな声(というか鳴き声な)が耳に飛び込んできて、俺様は反射的に身を起こす。
 暗い家屋を照らす、一条の光。
 僅かに開けられた扉から、俺様を導くように……いや、叱咤するように、そいつは出てきた。
「ポテト……? てめえ、今まで何を」
 その時は、僅かに嬉しかったのだ。何故うれしかったのかなんて分かるわけがなかったから、またムカついたのだ。再会に感動する、なんて俺様のキャラでは考えられないからな。
 だからとりあえずいつものようにお仕置きでもしてやろう。そんな風に考え、俺様はポテトに駆け寄った。

 だが。何故か、どうしてか、ポテトの体は土に汚れ、弱弱しく俺様を見上げていたのだ。
「おい、なんだよ、それ」
 またもや訳がわからない。ポテトが何か悪戯でもして、郁乃あたりにでも投げ飛ばされたか?
 はは、ざまねえな。俺様ならこんなヘマはしないってのによ。

「ぴこ……っ!」

 何をやっているんだとでも言うように、ポテトは力を振り絞って吠えやがる。なんだよ、この必死さは。
 まさか……
「ぴこ!!!」

 いや、分かっていたはずなのだ。ただ、その可能性を認めたくはなかったのだ。
 在り得る可能性としての、郁乃とゆめみがいない理由。
 それは――

「クソッタレめ!」

523名無しさん:2008/04/27(日) 17:00:58 ID:xYL3nTsE0
.

524(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は認めたくなかったのだ。目の当たりにしたくなかったのだ。
 弾かれるように走る。外へ、砂浜へと向かって。
 否定するために、ポテトの必死な目線が悪戯なんだと証明するために。
 しかし――嘘つきな俺様は、とうの昔に神様に見捨てられていたらしい。
 そこに、そこにあったのは――

     *     *     *

 その場所には、民家が立ち並んでいた。
 多少の違いはあれど、基本的には似たような作りの日本建築の家。
 普段であれば掃除機の五月蝿いモーター音、子供達が騒ぐ声、あるいはギターをかき鳴らす音色があるかもしれない。
 だが、そこには一つとして音はなかった。ただ一つ、気だるそうに、徒労に引き摺られるようにした足音があった。

「クソッ、骨が何本か逝ってやがる」
 防弾アーマー越しながらもごわごわと感じる自身の異常に、岸田洋一はイライラしていた。
 たかが、女二人にここまでの手傷を負わされたのだから。
 戦利品は申し分ない。狙撃銃のドラグノフ、89式小銃、二本目の釘打ち機(ただし釘だけ抜き取ってしまったが)。攻撃力は二度目の高槻の敗北の時と比べると月とスッポンである。

 だが、それでもなお残留する鈍痛という事実が彼の心を満たしはしなかった。とかく、また誰かを殺害――それも坂上智代と里村茜などとは比べ物にならないくらいの凄惨な殺し方でなければ気がすまない。
 いや、それでさえも彼の心は満足しないだろう。最終的な目標は、あくまでも岸田をコケにするように見下してきた高槻という男への復讐。
 奴の取り巻きどもを目の前で無残に殺し尽くし、憎悪をむき出しにして殺し合いを挑んでくる高槻を下し、絶望的な敗北感を味わわせる。
 これこそが極上の美食であり、最上の贄。岸田は早くそれに舌鼓を打ちたくて仕方がなかった。
 お腹が空いたと食べ物をせがむ、無邪気な子供のように。

「しかし、止むを得なくなったとは言え高槻から遠のいてしまったかもな」
 七瀬彰、七瀬留美、小牧愛佳が駆けていった方向とは逆に、岸田は移動していた。いくら岸田が強靭で逞しく、戦闘経験が豊富とはいえ傷ついた体で全力の戦いを何度も続けられるかと問われれば、岸田本人でさえ首を横に振るだろう。
 ある程度の休息が必要だった。それでもまだ十分に戦える状態ではあったのであるが。

525(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:33 ID:WLKNz3/g0
 民家の森を抜けた岸田に、思わず目を細める光景が映る。
 海と砂浜。寄せては返す波の群れが彼を出迎えていた。場所こそ違えど、海は岸田の出発点でもある。
「そうだ、あのクソ忌々しい女もいずれブッ殺す必要があるな……」
 この島において初めて出会った人間にして、隙をつかれ苦汁を舐めさせられた女。笹森花梨の存在を、岸田は改めて思い返していた。
 高槻ほどではないが、花梨の存在も岸田には腹立たしかった。彼の辞書に敗北の文字は許されるはずがなく、汚点を残した花梨は全力で殺すべきだと認識を新たにする。

「まあいい。しばらくは海沿いに歩いてみるとするか。考えてみれば島の内陸部ばかり歩いていたからな」
 正式な参加者でない岸田に地図は支給されていない。道沿いに行動しては出会ってきた人間を襲うばかりだった。
 探索を楽しむのも一興と、砂浜へと向けて歩みだそうとした、その足がピタリと止まる。

 ある種の喜悦というものを、岸田は感じた。宝物を見つけた少年の瞳の如き輝きを、同じくその目に宿している。
 これまでの徒労が、憤怒が、花火のように弾け飛んで笑いという形で飛び出しそうにさえなった。

 誰かが言っていた。
 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 三度目は運命。

 まさしくそうである、と岸田はそれを言った人物を褒め称えたくなった。
「そうか、そういうことなのだなぁ?」
 まるで無邪気な声ながらも、その内に潜む残忍さと冷徹さが、声のトーンとボリュームを下げる。
 柄にもなく、岸田洋一はワクワクしていた。

 そう、これはパーティの開演。
 全てが岸田洋一という一人のためだけに作り上げられた会場。
 この状況を、彼ならば何と言い表すだろう?
 決まっている。一声に、狼煙は上げられた。
「サプライズ・パーティー……開幕だっ!」

     *     *     *

526(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:56 ID:WLKNz3/g0
「はい、何でしょう」

 お願いがある、という小牧郁乃の言葉に、ほしのゆめみはこれまでのように応える。わたしに可能な事柄でしたら、と付け加えるが。
「少し、外に出たいんだけど。ほら、こんな狭いところばかり歩き回ってても仕方ないじゃない? 少しは凹凸のあるところで訓練したいんだけど」

 郁乃の本音は、少し違う。単に訓練だけではない。拠点である民家の周りを歩き回って僅かでも仲間の探索を行いたかったのである。
 高槻の真意は、今でも推し量れない。馬鹿でお調子者だが大人であるがゆえの冷徹さを持ってもいる。
 いや、それも演技であるかもしれない。考えてみれば郁乃を助けてきた理由も、共に行動している理由も曖昧に誤魔化されたままだ。
 分からない。結局、分からない。
 信じるにも信じないにも、不確定要素が多すぎるのだ。

「それは……わたしは反対です。危険だと考えます」
「あいつが……そう言ったから?」
「それもあります、が状況から判断しましてバラバラに行動するのは好ましくありません。特に小牧さんは、まだ本調子ではないようですし」
「大丈夫よ。それに、一人で行くなんて言ってないでしょ。ゆめみにサポート役としてついててもらいたいんだけど……それでもダメ?」
「……高槻さんは、どうなされるのですか?」

 未だに高槻はすやすやと静かな寝息を立てて(郁乃には意外だったが)眠っている。寝ている人間を放置して出かけるのはそれも危険だと、ゆめみは判断したのだが郁乃はあまり心配していないような口調で答える。

「少しの間だけだから。それにこの家の周りをちょこっと歩くだけだから起きても探しに来るでしょ? ……そうだ、ポテト」
「ぴこ」

 高槻の隣でじっと待機していたポテトが、郁乃の呼びかけに応じてぴこぴこと寄ってくる。

「もしあいつが起きたら、私たちに知らせに来て。すぐに戻るから」
「ぴこ……ぴこ?」

527(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:20 ID:WLKNz3/g0
 頷きかけて、ゆめみの方を見上げる。意見を伺っているかのようだった。
 ゆめみはそれならば、とようやく納得したように頷き、
「分かりました。ではわたしがお供します。ポテトさん、高槻さんをよろしくお願いしますね」
 恭しく頭を下げるゆめみに、任せろとでも言うようにしっぽを動かすポテト。

 実に奇妙な光景である。普段の郁乃なら思わず突っ込みを入れる場面だろうが、このときの彼女はとにかく外に出られるのならという気持ちで一杯になっており、そちらに意識が傾いていたのでそれをすることはなかった。

「決まりね。なら早速行きましょ」
「あ、少しお待ちください」

 玄関の方へ移動しようとする郁乃の後ろでゆめみがデイパックを抱える。万が一を想定して、武器類を持っていくことにしたのである。
 その準備の時間すら、郁乃には長く思えて仕方がなかった。
「……先に出るわ。ま、遅いからすぐに追いつけるはずだけど」

 結局、郁乃は先に出ることにする。とにかく、早く外に出たかった。
 恐らく、この場に第三者がいれば、明らかに郁乃が焦っているということは手に取るように分かったことだろう。
 歩行訓練のときはまったく意識していなかった時間という言葉が、重く圧し掛かっていたのである。
 これまでの仲間だけでなく、姉の愛佳や、他の知り合いも……
 ひょっとしたら危機に立たされているのではないか。そう考え始めると、それを考えないようにするのは不可能だった。
 幾分かの慢心にも近い、油断のようなものも無意識の内にあった。
 数時間前までとは違う。今はそれなりに行動でき、多少は戦える。そんな思いが。
 訓練に集中していたときに考えなかったことが、今一気に噴き出してきた、その結果だった。
 加えて、高槻へのほんの些細な疑心と反発。
 少しずつ、少しずつ。
 要因は、積み重なっていた。

 それが――
「では、わたしも行ってきますね。ポテトさん、高槻さん」
 寝ている高槻からは返事はない。ポテトだけが「ぴこ!」と元気に返事しようとした、その瞬間だった。
 たん、と何かが弾けたような、そんな感じの形容しがたい音が響いてきた。
 ――最悪の、状況を導き出すことになった。

528(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:53 ID:WLKNz3/g0
「え……?」

 何の音か理解できなかったゆめみが呆然とそれを聞いていたのと対照的に、ポテトが玄関へと向けて走り出す。
 その白い姿で、ようやく我を取り戻したゆめみがそれに続くように駆け出す。
 いや、正確にはあの音が特別に危険な代物であると、コンピュータが推測したからだった。
 そう、その音は、銃声に、酷似していたのだ。
 ゆめみとポテトが乱暴とさえ言える勢いで外に出る。
 玄関の扉を開けた、すぐ前の砂浜で……

「小牧さんっ!」
「ぴこっ!」

 小牧郁乃は、うずくまるようにして、白い砂浜を赤く染めていた。
 そして、その真横に悠然と、されど傲慢に立つ男。
「……なんだ、奴はいないのか? まぁいい、前座にはぴったりだ。そうだろう、ロボットに糞犬」

 岸田洋一、その男が笑っていた。

「ぴこーーーーーーーっ!」

 その言葉を聞き終えるが早いか、ポテトは真っ直ぐに岸田へと猛進していた。
 小牧郁乃から離れろ。彼女を汚すな。ポテトの目はそう語っていた。
 地面を蹴り、砂を巻き上げるその脚力はポテトの小柄な姿からは想像もできないくらいに力強い。あんな小さな犬と侮っていた人間ならまずその速度に驚愕し、牙による一撃を腕か足か、どちらかに受けていただろう。

529(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:16 ID:WLKNz3/g0
 だが今の岸田にはそれはお遊戯程度でしかなかった。
 軽く身を捩って躱し、そればかりか飛び掛かって空中にいたポテトの頭を掴むと、そのまま近くの木の幹へと投げ、叩きつける。
 したたか打ち付けられたポテトが力なく落ち、痙攣を繰り返す。
「犬如きが、何をできると思った!? 図に乗るなッ!」
 恫喝するその声は、もはや無学寺での面影はない。殺人鬼の名称ですら相応しくない、まさに狂戦士の姿である。

 ふん、と侮蔑にも満ちた視線で一瞥すると、次はそれをゆめみへと向け――鉈を取り出した。
「小牧さんから……離れてください!」
 まるで予測していたかのように、ゆめみが忍者刀を振り下ろしてくるのを、岸田はあっさりと受け止めていた。

「ほぅ、以前よりはマシになっているじゃないか……だが、そんなもので俺が満たせるかッ!」

 力任せに押し戻すと、岸田はバランスを崩したゆめみに向かって思い切り前蹴りを見舞う。
 モロにそれが直撃したゆめみは砂浜を転がりながらも、すぐに起き上がる。そこに岸田が間髪入れず、鉈を振り下ろす。
 プログラムによって運動能力が向上していたゆめみは、それを間一髪ながらも避ける。もしも以前のままであれば頭部のコンピュータごと唐竹のように割られていただろう。代わりに散ったのは、長く、美しい浅黄色の髪の一部。

「せあっ!」

 再び、刀で岸田目掛けて切りつける。やや単調な攻撃ではあるが、早さだけ見るならそれは並大抵の男よりは十分に早い攻撃だ。
 しかし事もなげにそれを防御し、そればかりか受け止めつつ左フックを顔面目掛けて放つ。
 首を捻ってそれを回避したかに思えたゆめみだが、またもや体勢の崩れたところを今度は膝蹴りで吹き飛ばされる。
 人口皮膚を通してパーツの一部がギシッ、と悲鳴を上げたのがゆめみには分かった。

 背中から砂浜に打ち付けられ、砂が服の中に入り込むが、それをどうこう感じるようなゆめみではない。もとよりそのような機能は備わっていない。
 ただ、かつて郁乃を傷つけたばかりか沢渡真琴を殺害したこの男を放置しておくのはあまりにも危険だと、そう考えるが故に。
 ゆめみは、立ち上がり続ける。

「まだまだ……わたしは動けます!」
「ポンコツの癖に、粋がるなッ!」

530(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:44 ID:WLKNz3/g0
 三度、ゆめみの刀と岸田の鉈がぶつかる。
 力では勝てないと経験則で判断したゆめみは手数で攻める。
 あらゆる方向から薙ぎ、どこか一箇所でも傷をつけようと攻めを繰り返すも、躱され、受けられ、流される。
 それでも繰り返せば当たると、そう判断するゆめみは斬撃を続ける。それでもなお攻撃は当たるどころか、掠りさえしなかった。

「ふん、貴様、それで俺を殺すつもりなのか」
 その最中、岸田が口を開く。
「さっきから腕や足ばかり狙いやがって……俺を殺すつもりがないのか! 殺すなら、突いてみろ! 俺の胸を! 切り裂いてみろ! 俺の喉をッ!」
 胸を指し、顎を持ち上げて無防備にも喉を見せる岸田だが、ゆめみは手を変えようとはしない。あくまでも腕や足を狙うのみ。

 何故か?
 それは、彼女が……ゆめみがロボットだからだ。
 ロボット三原則。
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 今ゆめみがしている行動は、矛盾している。
 人間に危害を及ぼさないために、別の人間に危害を及ぼそうとしている。本来ならエラーを起こすくらいの重大な問題ですらある。
 だが、今回は特別であった。岸田洋一という男を放置しておけば、よりたくさんの人間に被害を与える。そう判断できたからだ。
 しかし、それでも、人間を殺害するというその行為だけは、ゆめみにはできなかったのだ。
 岸田洋一もまた、人間であるために。

「殺しません……殺さずに、小牧さんを助けてみせます!」
「殺さない!? 殺さないと言ったか! そんな中途半端なことで……俺が負けるわけがあるかッ! だから貴様はクズなんだよッ!」

 一瞬、岸田の姿が大きくなったように、『ロボットであるのに』ゆめみは錯覚した。
 錯覚という事象を判断できず、ゆめみの動きが数瞬、停止する。岸田がそれを逃すはずはなかった。
「今ここで貴様をぶっ壊すのはやめだッ!」
 岸田の放った鉈の一撃が、ゆめみの手から刀を奪う。続けてゆめみを蹴り倒すと、起き上がらせる間もなく岸田はゆめみを足蹴にし続ける。
「貴様も! 小牧郁乃も! 高槻の目の前で殺してやるッ! バラバラに砕いて、絶望に慄く姿を見ながら、楽しみながらな! 貴様のような、貴様のような! 口だけの甘ったれが! 戦いの場に出てくるんじゃないッ!!! 大人しく死んでいれば……いいんだよッ!!!」

531(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:04 ID:WLKNz3/g0
 一際強く、ゆめみの頭部を蹴り飛ばす。あまりの勢いで体ごとその体が吹き飛ぶ。
 そして、それ以降、ゆめみの体は動かなくなった。
「……こんなのにも耐えられないとはな。所詮、ゴミクズはゴミクズか」
 吐き捨てる岸田。その背中に、かかる言葉があった。

「ひどい……なんて、ひどいことを……!」
 足をドラグノフで狙撃され、そのまま倒れこんでいた、小牧郁乃の声だった。
 撃たれた足からはじくじくと血が流れ出し、赤で砂浜を染め上げている。
 岸田は不敵に笑いながら、憎々しげに見上げる郁乃の頭を、砂浜にめり込ませるかのように踏みつける。ぐっ、と短い呻きが漏れる。

「どの口がそんなことをほざく? 貴様さえここにいなければあの犬もあのガラクタもああならずには済んだのかもしれないじゃないか? ん、どう思う小娘」
「何よ、他人事みたいに……!」

 強気な口調ながらも、心の底では岸田の言葉を、郁乃は否定しきることができなかった。
 『また』。また、自分のせいで誰かが傷つき、倒れる。
 沢渡真琴が骸と化したあの光景が、郁乃の頭に描き出される。
 しかし、今回も、『また』、そうなのか?

「違う……! 私が、私がみんなを……助けるんだ!」
 周囲の音全てをかき消す怒声に気圧され、岸田のかけていた圧力が弱まる。郁乃はその機を逃さず岸田の踏み付けから逃れ、ごろごろと転がりながらあるものを掴み取る。
 岸田は身軽に戦うため、自分のデイパックを砂浜に放り出していた。また、その時にふと零れてしまったのか、拳銃(ニューナンブM60)が転がっていたのだ。

 郁乃が取ったのは、まさにそれだった。
「形勢逆転よ! あんたが走ってもこの距離なら外さない!」
 ニューナンブの銃口が、岸田の真正面に立つ。予想外の反抗に、岸田は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 装備は手持ちの鉈だけ。伏せているこの体勢ならばそうそう外すことはない。
 勝った、と郁乃は思った。

532(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:26 ID:WLKNz3/g0
「……威勢はいいようだが、撃てるのかな? 人を殺したことはないんだろう? だいたい、本当に撃てるならとっくに撃ってるはずだからな。どうした、そら、撃ってみろよ」
 岸田は必死に虚勢を張るが、明らかに動揺しているのが見て取れる。哀れみにも似た感情を、郁乃は抱いた。
「それじゃあ、お望みどおりにしてあげる……あんたの罪を、ここで償えっ!」

 躊躇うことなく、郁乃はトリガーを引いた。
 ぱん、という軽い音と共にそれが岸田の真正面に命中する。
「……ほ、本当に……撃ちやがった……」
 がくりと膝を落とす岸田。このまま体の上半身も倒れ、そのまま骸となるのだろう。
 これがあの殺人鬼の最後なのだろうか。あっけないものだ――

「なぁんてな」

 腹を抱え首を垂れていた岸田が顔を上げたのは、郁乃がそう思った瞬間だった。
「え……っ!?」
 気が緩みかけていた郁乃に、再びニューナンブを構えるだけの時間はなかった。
 いや、構えようとしたときには、岸田は既に郁乃に向けて全力の蹴りを放っていた。
 どん、という鈍い感触と共に、郁乃の体は宙に浮いていた。まるで、サッカーボールのように。

「か……はっ」
 ニューナンブを奪いに行ったときよりも数倍の勢いで転がる。その勢いに圧され、ニューナンブは郁乃の手から離れてしまっていた。
「く……な、なんで……?」
 止まったときには仰向けであった。目に映るのは一面の空だけ。ひどく綺麗だった。
 体中に痛みを感じながら、郁乃はそんな疑問を漏らす。

「なんだ、もう忘れたのか」
 影が差すように、空を遮って岸田の顔が現れる。その表情は喜悦に満ちていた。
「まったく、学習能力がないなお前は。忘れたか? 俺が着ているものを」
「あ……っ!」

533(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:48 ID:WLKNz3/g0
 そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 岸田は、防弾アーマーを着ていたということを。
 愕然とした郁乃の顔を見た岸田が、さらに嗤う。

「仲間を助けるんだとか言って、自分に酔いしれていたんじゃないのか? 笑わせるな、小娘」
 郁乃は息を詰まらせる。そんな、そんなはずはない。
 しかし失念していたのは確かだ。愚かなのには違いなかった。
 歯噛みする郁乃を見てひとしきり顔を歪めると、一転して表情が不機嫌なものへと変わる。

「……しかし、今のは痛かったぞ。ごわごわするんだ……ああ、肋骨の一本でもイカれたかもしれない。そこだけは、やってくれたな」
 身も凍りつくような、とはまさにこれだと郁乃は思った。
 視線の先から滲み出る悪意。それに射られただけで体がすくんで動けない。
 カチカチ、と音が鳴っている。それが理解できたのは、岸田が振り上げた鉈の刃に移る自分の姿を見たときだった。
 震えているのだ。そう思ったときには鉈が郁乃の足に振り下ろされていた。
 めきっ、と何かがひび割れるような感触があった。それに続いて、今まで感じたことのないような熱さと痛みが、足から這い上がりたちまち郁乃の全身へと広がった。

「ぅあああああっ!」
 悲鳴を上げ、砂浜でのたうつ郁乃。
 奇妙なダンスだった。何かを求めるように、手が空をさ迷う。苦痛を和らげるものがないか、探すかのように。
「くくく、はははははっ! どうだ、大切な足をザックリやられた感想は!? せっかく歩けるようになったのに、これでまた車椅子生活だなぁ? まったく、無駄な努力になってしまったなぁ!」

 郁乃の努力を、生き方を嘲笑うように岸田は嗤い続ける。
 郁乃は苦痛に喘ぎながらも、悔しくてたまらなかった。怒りを感じていた。
 自分のミスにも、岸田の冒涜するような行いにも。

「はっはっは……さて」
 まだまだこれからだ、とでも言わんばかりに岸田はまた鉈を振り上げ、今度は反対の方の足へと鉈を振り下ろす。
 また嫌な音がしたかと思うと、苦痛が倍になって襲い掛かってくる。いや、倍などという生易しいものではなかった。累乗と言っても差し支えない程の痛みが、郁乃を苦しめる。自分の悲鳴すら、今の郁乃には届いていなかった。

534(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:19 ID:WLKNz3/g0
「いい鳴き声じゃないか。そら、もっと鳴いてみろ。そら」
 傷口を直接、岸田は足でぐりぐりと擦りつける。100万ボルトの電流を流されたような痛みが追加され、郁乃は気を失いそうになる。
「あ……がっ……この……外道……!」

 ほぅ、と岸田は感嘆にも似た声を漏らす。絶対に屈しないという意思を集約したかのような目で、郁乃は抗い続けていた。
 ますます愉快そうに、岸田は嗤った。簡単に堕ちるようでは贄の役割は務まらない。無駄な抵抗を踏み躙る事こそ器を満たす液体。
「光栄だな。では、ご褒美だ」

 三度目の鉈。今度は手のひらの中心へと刃が落ちた。
 続けて四度目。さらに反対の手のひらにも振り下ろされる。
 既に、悲鳴はなかった。朦朧として霞む意識で、郁乃は耐え続けるしか抵抗する術はなかった。

「くく、これで物も満足に握れなくなったってワケだ。さしずめ達磨さんといったところかな……そうだ、どうせなら切り落としてやろうか? どうだ、ん?」
「……か……」

 勝手にしろ、という言葉すら痛みにかき消されて出てこない。意識を繋ぎとめるだけで精一杯なのだ。
「潮時か。まあ、お前はよく頑張ったよ。まだ見えているなら、俺があのポンコツを壊す様をじっくりと見てるんだな」
 岸田の興味は、既に倒れているゆめみに向けられている。蹴られたときの衝撃でシステムがダウンしているのか、ぴくりとも動かない。

 いけない。まだだ、まだ注意をこちらに向けさせないと――
 激痛を必死に堪えて、口を開く。
「……!」

 岸田の体の向きが、変わる。
 やった、また、注意を向けさせることができたのだ。大量の失血により薄れゆく意識の中で、郁乃はそう思っていた。
 しかし、違った。郁乃は結局、声を出せなかった。岸田が引き付けられたのは、郁乃の声にではない。

535(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:44 ID:WLKNz3/g0
「……来たか。待った、この時を待ちかねたぞ……!」

 そこに、一人に男が駆けて来たからに他ならない。

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

 そして、二人は同時に叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

     *     *     *

 ゆめみが転がっていた。
 郁乃が倒れていた。
 何故二人が外に出ようとしたのかなんて、俺様には分からない。だが、今の状況を作った原因が、奴のせいだということはすぐに分かったさ。

 三度目だ。奴とこの島で会うのは三度目。
 三度目の正直とはよく言ったもんだ。二度逃がした結果が、これか。
 くそっ、畜生!
 何で俺様はこんなに頭にきてるんだ?
 郁乃もゆめみも、赤の他人じゃねぇか。別にどうなろうと知ったこっちゃない。そう思ってたってのによ。ああもう、分からん。

 俺様が、俺様を分からない。
 だが、これだけは言える。
 奴だけは……岸田洋一、奴だけは絶対に許さん!

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

536(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は懐にあったコルト・ガバメントを抜きながら叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

 ちっ、ハモるとはますます気分が悪くなるぜ。
 俺様はまず一発、発砲する。奴の武器は鉈だ。なら距離を取って戦えばいい。
 だが岸田はそれを予測していたようで、身軽な動きでサイドステップしてこちらに迫る。

「飛び道具はつまらんぞ! せっかくの決闘に、そんなものを持ち込むなッ!」
「うるせぇッ! お前も今までさんざ使ってきたじゃねえか!」

 円を描くように振り回される斬撃の応酬を、俺様も飛び跳ねながら避ける。クソッ、あいつ、今までより動きが良くなってやがる!
 銃を構えようとしても照準を向ける前に鉈が迫ってくる。赤い鉈が。
 だが奴だっていつまでも振り回し続けられるはずがない。疲れて動きが鈍ってきたところに、一発叩き込んでやる! 今度はヘマはしねえ、ドタマをブチ抜く!

「どうした、避けてばかりいないで反撃してみたらどうだ!」
 言われずともそうしてやるさ。奴の攻撃もだんだん大振りになってきた。次を躱したときが……チャンスだ!
「っ、さっさと当たれ!」
 岸田が大きく鉈を振りかぶる動作をする。よし、今だ――!?

「フェイントだッ!」
 ニヤリ、と岸田は笑ったかと思うと、目にも留まらぬ勢いで鉈を振ってきやがった! 疲れていたように見せていたというのか!
 俺様はギリギリで反応し、体に当たることだけは防いだ、が、運悪くガバメントに鉈の刃が当たり俺様の手から弾け飛んで遠くへと放物線を描いていってしまった。
 ぐっ、と手を押さえる俺様に、岸田はトントンとてめえの頭を指しやがる。

「俺を、今までの俺だと思うな、高槻」

 何か言い返したくなるところだが、確かに奴は今までとは違う。何かが洗練され、研ぎ澄まされたような感じだ。……そういえば。野郎、俺様のことを名前で呼ぶようになってやがる。今までクズだのカスだの言ってたくせによ。は、ここにきてようやく人間に格上げですか。そりゃまあクソありがたい事ですね。

537(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:37 ID:WLKNz3/g0
「さぁ、お遊戯は終わりだ。そこの刀を取れ、高槻。極限の状況、互いが互いの殺意を向け合う決闘では、肉体と死の感触を得られる格闘戦こそ相応しい」

 岸田が、まるで用意されたかのようにあった、俺様のすぐ横にある忍者刀(だったかな)を鉈で指す。どうも奴はこだわりがあるようだ。
 冗談じゃない、奴のこだわりとやらに付き合う暇も、余裕もない。……しかし、アレ以外に、近くに武器がないのも、確かなことだ。
 だったら、奴の決闘ごっこに付き合いつつ、銃を拾い、こっちのペースに持っていくしかない。
 俺様が刀を握るのを見届けた岸田が、ようやく満足そうな笑みを浮かべる。クソッ、気に入らない。

「そうだ、それでこそ、あの贄どもの意味も出てくるというものだ」
「贄……?」

 オウム返しのように、その言葉の意味を尋ねると、岸田はさも愉快そうに説明を始める。

「あぁ。愉しかったぜ、必死で抵抗するあの小娘の四肢を切り刻んでやったのはな……見せてやりたかったぞ高槻。あいつは、せっかく歩けるようになったというのに、この俺の手で二度と立てないようにしてやったんだからな! いや、ひょっとしたらあのまま死んじまったかもな、はっはっは!」
「な……に?」

 あいつは、歩けるようになるまで、必死に頑張っていたというのか? 俺様が寝ている間の、何時間という間を。
 それを、こいつは、その何十分の一という時間で、全部台無しにしやがったってのか?
 小賢しい知恵が、俺様の頭から吹き飛んでいく。代わりに流れ込むのは憤怒。どうしようもない思いだった。

「ついでに手も切ってやったしな。これであの小娘は一人じゃ何にも出来なくなったってワケだ。悔しそうだったぜ、あの時の顔は」

 郁乃の、ほんのささやかなプライドすら……野郎は、踏み躙ったってのかよ?
 ……許せねえ。
 何が許せないか? 岸田もそうだが、それ以前に……

「まぁ、あえて文句を言うならあそこでみっともなく助けでも求めてくれれば――」
「――黙れ」

538(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:57 ID:WLKNz3/g0
 それ以前に。『俺』の、俺自身のあまりの小ささが、矮小さが、許せなかった。

「ん? 何か言ったか? 聞こえんぞ?」
「黙れェェェェェェェッ!!!」

 刀を持ち、俺は真正面から突撃していった。今までにない感情に、押し出されるようにして。
 岸田は一瞬驚いたような表情になって、俺の斬撃を受け止める。金属同士がぶつかり合う甲高い音と一緒に、互いの力と力が激突する。

「貴様……貴様だけはッ!」
「ぐっ……! だが、いい顔になったぞッ! それでこそ俺が殺すに相応しい男だ!」

 全くの同じタイミングで弾いて距離を取ると、今度は岸田が先手を撃って横薙ぎに鉈を振るう。
 俺はしゃがんでそれを躱すと、岸田の足に向かって斬りつける。
 だが岸田もそれを飛んで回避すると、落ちるときの、落下の勢いを加えた振り下ろしで攻撃してくる。
 鉈の重たい斬撃は、俺の刀では到底受け止められない。転がってそれを避け、立ち上がる。同時に、岸田も体勢を立て直していた。

「いい動きだ高槻! そうだ、これこそ決闘! これこそ殺し合いだッ!」
「ほざけッ!」

 俺が斬撃を繰り出せば、奴がそれを受け止める。
 奴が鉈を振りかぶれば、俺は避けてその隙を突こうとする。
 そんなことの繰り返しだった。ただ悪戯に時間を消費していくだけだが、どういうことか俺様も、岸田も体力が減ったような気がしない。
 まるでそこだけ時間が止まったように。

539(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:23 ID:WLKNz3/g0
 岸田の十数度目の一撃。今度は小さく飛び跳ねるように、僅かな放物線を描くように飛び掛かってきた。
 小さくバックステップしてギリギリ、射程の外に移動する。――が、更に追撃をかけるように奴はその長身を生かした蹴りを俺に放つ。
 切磋に腕でガードして直撃だけは免れたものの、ジンジンとした痛みが腕に残った。
 さっきから、幾度となく攻防を繰り返しているのにまるでパターンというものが見受けられない。
 どれもこれも予測もつかないような攻撃ばかりだ。本気を出した岸田洋一という男の、実力がこれだと言うのか。クソッ、悔しいが、強い。

「どうした高槻! それが貴様の殺意か!? そんな憎しみでは、憎悪では、俺は殺せんぞ! 否定してみろ! 俺の全てを!」
「憎悪だと――!?」
「そうだッ!」

 岸田が、まるで舞踏会のように、華麗に、あらゆる方向から鉈を振り回してくる。
 俺はそれを受けつつ、時に避けつつ、反撃の機会を待った。

「俺は貴様が憎いッ! 惨めにも貴様の前から敗走を繰り返し、背中を見せ、しっぽを巻く羽目になった! 俺のプライドを! 貴様はズタズタに切り裂いたんだッ! しかも、貴様のような、貴様のような、悪党の癖にヒーローを気取ってやがる気障な野郎にだッ!!!」

 斬撃の直後、俺が避けた後の僅かな隙を突くように。岸田は肩からタックルをかまし、俺の体勢を無理矢理崩した。
 よろめく俺に、岸田の放った拳が俺の顔を衝く。強烈すぎる圧力に、鼻が曲がりそうになった。

「だから、貴様は完膚なきまでに叩き潰す! 俺の全力を以って、正々堂々と、真正面からな! 何をしても、絶対に俺には敵わないんだということを思い知らせてやる! 俺の鬱憤はそうしないと晴らせないんだよ!」

 再び顔を潰そうと、奴の拳が迫る。だが二度目はねえ!
 空いた方の手で岸田の拳を受け止める。押し切る事が出来ず、ならばと振り上げた鉈は下ろす直前、俺の刀に阻まれる。

「高槻も同じはずだ! 仲間とやらを一度ならず二度までも襲われて、貴様もプライドに傷がついたはずだ。我慢する必要はない。本能のままに、いがみ合い、奪い合い、憎しみ合えばいいんだ。それが人の本性なのだからな。そして、それが美しくもある……だから見せてみろ! 貴様の憎悪という『芸術』を! 俺がそいつを粉々に打ち砕いてやるッ!」
「――違う。岸田よぉ、お前こそ、少しも分かってない」

 憎悪。それが全くのゼロかと問われると、そうではないとは言い切れない。だが、奴の言っていることは明らかに見当違いだ。
 俺が本当に憎んでいるのは、岸田じゃない。いや正確には、岸田以上に憎んでいるのは。

540(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:47 ID:WLKNz3/g0
「分かってない、だと」
「けっ、教えて欲しそうだが、教えるかよ。俺はお前が大嫌いなんだ」

 ここにきて、ようやく自分の心と向き合えたこと。
 つまり……沢渡や郁乃を犠牲にするまで、向き合おうともしなかった自分の情けない心が、憎いのだ。

「まだ……まだ、ヒーロー気取りか! だから貴様には苛々するんだ!」
「奇遇だな! 岸田の存在にはこっちが苛々するんだよ! そろそろ、決着と行こうぜ!」

 互いの拳と、得物を弾き、もう一度距離を取る。
 その間は……大体5メートルってところか。次の一閃。そいつで決める。
 俺は刀を両手で握り、ありったけの力を篭められるように神経を集中させる。
 岸田もこれが最後と、俺を待ち受けるようにドシンと構えてやがる。

 寄せては返す、波の音が聞こえる。そのお陰だからか、体はこんなにも煮え滾っているのに頭ん中はとても静かだ。
 今なら、なんだって出来そうな気がする。
 俺は、静かに笑った。

 ――勝つ。絶対にだ。

「行くぜッ! うらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
 駆ける。俺の人生の中で、最速の疾走。そこに、剣先にありったけの力を――!?
「馬鹿だな、やはり、貴様は」

 岸田が地面を、いや、砂浜を蹴り上げる。
 そこに舞うのは砂塵。大量の粒が俺の目に侵入してきやがった! 野郎! 目潰しとは!
 まともに喰らった俺は、その場で動きを止めてしまう。

「クソッ! 正々堂々じゃなかったのかよ!」
「ふん、『正々堂々と』策を用いたまでだ! もう何も見えまいッ!」
 見えずとも、分かった。岸田の野郎は、嬉々として鉈を振り上げているのだろう。

541(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:11 ID:WLKNz3/g0
「猿(モンキー)が人間に追いつけるかッ! 貴様は! この岸田洋一にとっての猿(モンキー)なんだよ、高槻ィッ!」
 畜生……! ここで、ここで俺は終わりなのか!?
「終わりだッ! 死……」

 そんなとき。ぱん、と何か軽い、ひどく乾いた音がした。
「あ……ガッ? こ、これ、は……ぐっ……!」
 僅かに、視界が開けてくる。そこには、足を押さえてうずくまる岸田と――

「……バーカ……」

 血まみれで、しかし必死に拳銃を構えて、呟いていた、郁乃の姿があった。

「こ、小娘ェッ!!! 貴様ァ、殺してや」
「死ぬのはそっちだ、岸田洋一」
「!? しまっ……」
 視界はあやふやなままだったが、関係ない。てめぇのその馬鹿でかい声で丸分かりだ。それが……命取りだッ!

「がは……ッ!!!」
 岸田の背中に、防弾アーマーの少し上を行くように、刀が突き立てられる。恐らくは、綺麗に、墓標のように。
 血反吐を撒き散らしながら、岸田は断末魔の声を上げる。

「クソ野郎……! 貴様、貴様だけは、俺が……」

 まるで縋るように、岸田は俺へと向き、手を伸ばす。しかしそれは俺に届くことなく、途中で落ちた。

「そのまま地獄に落ちやがれ、ゲス野郎」

 俺がそう吐き捨てると同時に。岸田洋一という悪党の生は、そこで途絶えた。

     *     *     *

542(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:30 ID:WLKNz3/g0
 ゆめみが、目を覚ました(正確には、プログラムの復帰だが)ときには、既に決着がついていた。
 忍者刀を突き立てられた岸田洋一と、それを見下ろす高槻。そして、その先に血まみれで倒れている、小牧郁乃。
 ああ、また間に合わなかったのだ、とゆめみは思った。

「ぴこ」
 その隣に、疲れたように鳴く、ポテトの姿があった。
 返答など得られないと知りながらも、ゆめみはポテトに話しかける。

「わたしは……また、お役に立てなかったのでしょうか」
「ぴこ……」

 分かっているのか、いないのか、しかし首を横に、ポテトは振った。
 痛みは全くなく、強いてあげるとすれば僅かにパーツが軋むくらいだったが、概ね行動に支障はない。
 なのに、ゆめみは起き上がることすらできなかった。

「申し訳ありません……申し訳、ありません」
 罪悪感のような意識が、ゆめみを苛んでいた。ポテトがいくら、その肩を叩いてもゆめみはそう呟くばかりだった。
「おい、郁乃……」
 その先で、高槻は郁乃に話しかけていた。まるでいつものように。

「……遅いのよ、いつも、いつも」
「……悪い」

 歯切れの悪い会話。原因はいくつもあった。それを吐き出すように、郁乃がか細い声で呟く。もう、彼女の中に残る命は殆どなかった。

「何よ、らしくないじゃない……怒ってよ、今回は、私が……悪かった、のに」
「……チャラにしてやるよ。さっき、助けてもらったしな」
「そりゃ、どうも……は、ざまみろって感じ、よね」

543(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:50 ID:WLKNz3/g0
 郁乃の手には拳銃を繋ぐように、赤い布が巻かれている。握れないのなら、無理矢理にでも握らせてやる、とでも言うように。
 それは、文字通り郁乃の命を削って生み出された、最後の一撃であることを示していた。

「ね、ゆめみは、無事なの?」
 話題に出されたゆめみの思考が、一瞬停止する。倒れたまま、どうすればいいのか分からなかったゆめみだが、ポテトが叱咤するように顔を舐める。
「はい、わたしは、大丈夫です」
 言葉以上に弱い足取りで、ゆめみは立ち上がった。高槻も少し驚いたように、「良かったな、ピンピンしてやがるぜ」と言った。

「そう……なら、良かった……私……何も守れなかったわけじゃなかったんだ……ゆめみ、どこ?」
「何言ってんだ、すぐ近くに」

 そう言い掛けて、高槻は郁乃の異変に気付く。既に、彼女の瞳は虚ろだった。
「はい、わたしは、ここに……」
 見ているほうが泣きそうなくらいの表情で、ゆめみは郁乃の手を掴む。その温度は、暖かさは、薄れてしまっている。
「ゆめ、み。自分を……責めないで……すごく、立派だったから……ここの、誰よりも」
 誰もが誰かを殺そうとしていた中、最後の最後まで不殺を貫いていたのはゆめみだけだった。例え、それがプログラムによるものだとしても、その意思は、何より気高いものには違いなかった。

544(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:09 ID:WLKNz3/g0
「……光栄です」
 それを否定するのは、郁乃の思いも否定することになる。そう判断したゆめみは、震える声で、応えた。
「……高槻。ごめんなさい、少しだけ、疑ってたの。最終的には、私たちを見捨てるんじゃないか、って。でも、やっぱり私が間違ってた。……ヒーローだった。誰がなんと言おうと、あんたは私のヒーローだった……は、気付くのが、遅いのよね、馬鹿みたい、私」

 高槻は応えない。黙って、郁乃の言葉に耳を傾けていた。あるいは、何か思うところがあるのかもしれないと、ゆめみは思った。
「だから、さ、さいご、まで、あんたは、あんたのしんじる、み、み……ち、を……すすん、で……」
 やっとの思いで、言葉を吐き出した郁乃の目は、そこで、閉じられた。

「小牧、さん……」
「……畜生」

 高槻が、空を見上げる。その空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうな空だった。
 どうして、晴れにしてくれないんだよ。
 そんな呟きが、空しく吸い込まれていった。

545(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:38 ID:WLKNz3/g0
【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】

覚醒した男・高槻
【所持品:忍者刀、日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:激しい疲労、左腕に鈍痛。主催者を直々にブッ潰す】
【備考:忍者刀以外の所持品は民家の中。ガバメントは海岸に落ちている】

小牧郁乃
【所持品:ニューナンブM60(3/5)、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:死亡】
【備考:ニューナンブ以外の所持品は民家の中】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブの予備弾薬4発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2】
【状態:死亡】


【その他:鎌石村役場二階の大広間に電動釘打ち機(0/15)、ペンチ数本、ヘルメットが放置】
→B-10

546(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:16:23 ID:WLKNz3/g0
うあ、時間ミスってる

【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】



【時間:2日目・17:30】
【場所:B-5西、海岸】

ということで…

547今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:35:24 ID:6dCcGcdg0
 全ての人に墓を掘る、
 俺達七人で墓を掘る、
 男も女も老人も子供も、
 全ての人に墓を掘る。

 佳乃の墓を掘っていたらふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。
 俺達二人で墓を掘る。
 道具もなくひたすらに。
 中々にこの世界も地獄じゃないか。
 近しい者を集めての殺し合い。
 騙し騙され殺されて。
 全ての人は墓の下。
 佳乃と同じく墓の下。
 佳乃が死んだ。殺された。
 その最後は当然眼に焼き付いている。
 が、頭の一部ではもう冷静に状況を判断している。
 目の前で泣きながら墓を掘っている少女のように純粋には泣けていない。
 素直に泣くには俺は死に触れ過ぎている。
 佳乃の最後の誓いを忘れたわけじゃない。当然守るつもりでいる。
 だけどやはり頭のどこかで醒めたまま考えている。
 守ること以上に主催者を皆殺しにすることを。
 恐ろしい魔法使いを倒す為に、少年もまた恐ろしい魔法使いになったのでした。
 全く因果な職業だ。
 糞主催者共よ。
 貴様等は一体何がしたい?
 俺やリサ、エディに醍醐、挙句篁まで連れ出して。
 命? ないな。んなら最初にやられてるだろうしな。
 金? 馬鹿げてる。篁一人無傷で拿捕できる実力ありゃいくらでも稼げる。
 酔狂? 在り得ねえ。それでこの面子集められる奴がいたらとうに世界は崩壊してる。
 トップエージェントの抹殺? 無関係な人間巻き込みすぎだがやる奴には関係ないだろうな。だけど結局命と同じ。最初に捉えられた時点で終わり。大体そんなことが出来る奴がいたらエージェント抹殺する必要すらない。それだけで世界最強だろ。
 しかしそれ以外に俺が狙われる必然も思いつかない。
 狙われたのが俺じゃなかった? 他の119人に目的があった。同じだ。回りくどすぎる。大体無関係な人間を捕まえる必要もない。俺やリサが目的じゃないんなら捕まえる必要なんてないはずだ。捕まってから一日。篁が消えて俺が消えてリサが消えたこの状況。アメリカも篁財閥もエージェントも。時間が経てば必ず動く。無用なリスクが多すぎる。
 糞。想像もつかねえ。
 エディがいてくれれば……な。
 エディ……何で死んじまったんだよ……
 如何しようもねえ馬鹿餓鬼一人ほっぽりだしてあの世で楽しくやってる場合かよ。
 無茶苦茶小僧が馬鹿みてえにつっこまねえように後ろで手綱握っててくれよ。
 糞……糞……畜生……
 ……――
「誰だ」
「へっ?」
 千客万来。
 運命の女神様は酷だねぇ。リサに乗り換えたのを根に持ってるのかね。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 沈黙。
 風のそよぐ音と古河の身動ぎだけが伝わってくる。
「宗一さん……勘違いじゃ……」
 それはない。確実にいる。
 幸いにして既にある程度墓穴は掘れている。最悪撃たれたら古河をここに押し込めば当たる事もそうないはずだ。
 むずがる古河を手で制し、気迫を眼光に乗せて睨み付ける。どう出る。
「出て来い」
「それは出来んな。うー」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。

548今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:04 ID:6dCcGcdg0
 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。うー」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

549今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:31 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。るー。るーの名前はルーシーマリアミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。るーの……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

550今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:55 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
「るー」
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「るーのたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「るーもそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「るーはハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「るぅ……」

551今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:37:30 ID:6dCcGcdg0
【時間:二日目15:00頃】
【場所:G-2】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 0/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。[死んだら弔われるべし]と言う渚の希望により綾香の死体も埋葬。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、包丁、SPAS12ショットガン0/8発、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。渚の希望により綾香の死体も嫌々埋葬。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

B-10

552今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:38:47 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

553今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:39:22 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


以上。訂正終わり。

554今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:25:50 ID:0rBBkFcg0
「それは出来んな。少年」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。


 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。少年」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

555今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:26:10 ID:0rBBkFcg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「お前の正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全ての人間の墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「お前達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探している友がいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「お前達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

556今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:27:03 ID:0rBBkFcg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、この星のそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。瑠璃の為にイルファを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


次こそは。

557少女世界:2008/05/01(木) 18:49:14 ID:997LS.yM0


ぜぇ、と響く音は喘鳴に等しく、鉄の臭いに満ちていた。
それが己の肺腑から立ち昇るものか、それとも周囲に転がる肉塊の撒き散らすものなのか、
既にその区別もなく、湯浅皐月は立っている。

ひ、と引き攣るような音は呼吸音と呼ぶにはあまりにか細い。
折れ砕けた頚椎の中で神経信号が散逸している。
びくびくと痙攣しようとする身体を精神力で統御しながら、柏木楓は立っている。

他に動くものとて残っていない閑静な住宅街、その一角を赤と褐色とに染め上げた少女二人、
ただ相手を斃すという、その意志だけが、死を超えて肉体を支えていた。
周りを取り囲んでいた砧夕霧の群れの姿は既にない。
大多数は東へと行軍し、残りは死に尽くした。

「―――ぁぁ……ッ!」

闘える、という事象が唯一の生の定義となった空間で、先に動いたのは楓である。
ふうわりと飛んだ、その軽やかとすら見える跳躍はしかし、傍らのブロック塀へと足をつくや一転。
引き絞られた剛弓から解き放たれた矢もかくやという突撃と化した。
鏃は真紅の爪。幾本もが折れ、或いは欠け、当初の美しさの見る影もなくなったそれは、
だが鋭さという一点においては今だ健在であった。

「―――ォォ……!」

正確に正中線を狙うその紅矢を、皐月は躱そうとしない。
既に余すところなき濃赤色となった血染めの特攻服をはためかせた仁王立ちのまま、
代わりとばかりに突き出されたのは左手である。掌には見るも無惨な貫通創。
同時に右の拳は腰溜めに引かれていた。堅く握られたそちらとて、乾いた血の中に垣間見えるのは
剥き出しとなった中手骨である。

「―――!」

558少女世界:2008/05/01(木) 18:49:39 ID:997LS.yM0
交錯に声はない。
幾つかの硬い音だけが残った。
アスファルトに転がったのは楓である。
すぐにゆらりと立ち上がるが、その青黒く腫れ上がった顔には新たな痣が増えていた。
吐き出す歯は、果たして何本めであったか。

「……いいかげ、ひぅ……ひぅ、死に、ませんか」
「あんた、こそ……がぁ……っ、何度、殺せ、ばぁ……っ、く、たばる、のさ」

短いやり取りすら、既に言葉にならない。
互いに咥内はずたずたに裂け、折れた歯の欠片が食い込み、舌は深く切れている。
楓の持つ治癒ですら傷の多さ、深さにまるで追いついていなかった。

「どぉ、して……くれんだぁ……、これ……ぇ。け、っこん……しきとかぁ、が、はぁっ……!」

咳き込んだ拍子に真っ赤な飛沫を散らしながら、皐月が左手を掲げてみせる。
その手首から先は、既に人の手と呼べる状態ではなかった。
骨の代わりに挽き肉を詰め込んだような掌はまるで巨大な螺子回しで捻られたように渦巻状に折れ曲がり、
その先にあったはずの五指は既に、それらしきものの残滓が覗くのみであった。
先刻の突撃を受けきった、それが代償である。

「だいじょう、ぶ……です、心配……はぁ、するのは……お葬式の、は、手配……だけ……」

返した楓とて、腫れ上がった顔の中、片目は白く濁ってあらぬ方を向いている。
折れた眼窩骨の突き刺さったものであった。
皮膚を裂き、肉を分けて骨を抜き去らねば、いかな鬼の力とて眼球を回復することは叶わない。
痛みはない。ただ脳を焼き鏝で掻き回されるが如き感覚の雑音が、楓を麻痺させていた。
延髄の損傷と合わせ、楓の脳機能に深刻な障害が生じていることは間違いなかった。
その場に倒れこみ、泣き叫びながら反吐の海でのた打ち回っても何ら不思議はない肉体を
今だ支えているのは、ただ矜持である。
鬼としてのそれではない。人鬼の境など、この闘いはとうに超越していた。

559少女世界:2008/05/01(木) 18:50:00 ID:997LS.yM0
楓を支えていたのは、眼前の相手のすべてよりも自身が優越しているべきだという、
少女としての矜持である。
それは肥大した自我の産物であり、愚かな片意地であり、視界の狭小なエゴイズムに他ならない。
だがそれは同時に、思春期に至った少女すべてが紛れもなく己のうちに飼っている、
この世で最も美しく猛々しい獣であった。
その獣の噛み合いこそが、少女という世界のすべてである。
柏木楓はその存在のすべてをもって、湯浅皐月を打ち倒す、そのためだけに立っていた。
そうしてそれはまた眼前の少女とて同じだと、楓は確信している。
少女の矜持は常に死を超越し、世界に君臨する。
矜持の故に少女は死なず、ならばその優越を粉砕し、蹂躙し、淘汰してようやく、楓は勝利できる。
血を流し、拳を砕き、その遥か先で心の折れ果てるまで、闘争は続くのだ。

だから、楓に散る赤は少女、湯浅皐月の流した血と、楓自身からの返り血の更に撥ねたものと、
その二つの交じり合ったものであるべきだった。
そうでなければ、ならなかった。
決して、決して、脳漿と、頭蓋の欠片と脳細胞と、血液と髄液と眼球と頬と舌と唇と、
そんなものの入り混じった何かであっては、ならなかった。

560少女世界:2008/05/01(木) 18:50:33 ID:997LS.yM0
半ば呆然と、その頬に飛んだ何かを拭おうとして、己の爪で小作りな顔に新たな一文字の傷をつけ、
流れ出すどろりとした血がその何かを洗い流してくれるような気がして、楓は、膝から崩れ落ちた。
ゆるゆると視線を上げた先に、湯浅皐月が、否、湯浅皐月であったものが、立ち尽くしていた。
それは既に、ひとのかたちをしていない。
両の肩が平らな線で結ばれ、その上は存在しない。そんな人間など、ありはしなかった。
湯浅皐月と呼ばれていたものは既に、此岸の存在ではなくなっていた。
それでもなお倒れず仁王立ちのままでいたのは、それが少女のあり方であったからだろうか。

「……、あ……」

震える手を伸ばし、物言わず立ち尽くすその姿に触れようとした、刹那。
湯浅皐月であったものが、薙ぎ払われた。
誇り高い骸がくの字に曲がり、抗う術もなく大地に叩きつけられ、汚れた地面を転がる様を、
楓はその眼で見ていた。

「どう……、して……」

掠れた声は、決して深手の故でなく。
浮かぶ涙は、決して苦痛の故でなく。

「どうして、」

軋んだ叫びは、

「……千鶴、姉さん……!」

決して愛慕の故でなく。

561少女世界:2008/05/01(木) 18:50:53 ID:997LS.yM0
 
 【時間:2日目 AM11:23】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:満身創痍・鬼全開】

湯浅皐月
 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、支給品一式】
 【状態:死亡】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→736 769 ルートD-5

562終焉幻想:2008/05/01(木) 18:51:42 ID:997LS.yM0
 

ぽたり、と垂れたのは血の雫だった。
拡がる血だまりに落ちて、小さな真紅の王冠を形作った。

のろのろと手を伸ばし、指を浸した。
冷たくて、粘ついていて、気持ち悪い。
血はいつだって、こんな風に気持ちの悪いものだった。

私の中を流れる血。
私から出ていく血。
おりものと一緒に染み付いたそれを見るとき、私は無性に体を掻き毟りたくなる。

呪われた血。
穢れた血。
鬼の血。
鮮血。
血。

私の体を流れるものは呪われていて、だから私は呪われていて。
この体を裂いてみても、傷はすぐに塞がってしまう。
呪いを閉じ込めるように、穢れを溜め込むように、私の体はできている。
それが疎ましくて、それが悔しくて、私は何度も私の体を傷つけた。
今ではもう、痕すら、残っていない。

563終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:01 ID:997LS.yM0
「どうしたの? 楓」

声が聞こえる。
優しげな声。優しげで、冷たい声。
懐かしくて、耳障りで、親しげで、何故だかひどく気持ちのざわつく、声。
だから私は返事をしない。
ただ粘つく指先を弄ぶように、ずっと俯いたままでいた。
喪われたものを、いとおしむように。

「……そう、ならそのままでいいわ。聞きなさい」

ああ、この人はいつだってそうだ。
家長として、鶴来屋の代表として、いつだってこういう風に物を言う。
正しくて、息が詰まりそうなくらい正しくて。
なのにいつも女の匂いをさせて、それが嫌いだった。
この人が男と交わる姿を想像して吐いたのは、もう何年も昔のことだったけれど、
その頃から何一つ、変わっていない。
化粧の臭いと、糊のきいたスーツ。
それが血化粧と、真っ赤に染まった服に変わっても、この人は変われないのだ。
この人の中の女は、もう凝り固まっている。

564終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:19 ID:997LS.yM0
「私と一緒に来なさい、楓。こんなところにいる必要は、もうないの」

何かを言っている。
聞こえない。聞かない。
聞きたくない声は、聞こえない。

「もうすぐ世界は終わってしまうの。だからこんな、下らない争いに意味なんてないのよ。
 だけど安心して。私は力をもらったの。世界の終わりから、あなたを守ってあげられる」

よく動く唇には口紅がさされている。
血みどろの世界でも、この人はそういう、女の準備を忘れないのだ。
ぼってりとしたそれは、もぞもぞと蠢く紅い芋虫みたいだった。
あの芋虫を噛み潰せばきっと、甘い匂いのする汁が出てくるのだろう。
たくさんの男がそれを嘗めとろうと、この人の唇に吸い付くのだ。
背筋の真中、心臓の裏辺りに冷たい針を差し込まれたような感覚に、私は想像を打ち切った。

「ね、私がずっと守ってあげるから。だから、一緒に行きましょう」

話が、終わったらしい。
目の前に差し出された手は白く、指は細くて、気味が悪いほどに艶かしかった。
整えられた爪は塗られていない。
鬼の手のことがなければ、きっとくらくらするような色で彩られるのだろう。
ひらひらと舞う南国の蝶のように。
紅い芋虫が脱皮して、きっとこの人の指になるのだ。
宝石で飾られた芋虫の成れの果て。
そんなものが目の前にあった。
だから私は、それを振り払う。
それが潰れて、怖気の立つような匂いを振りまいてしまわないように気をつけながら。

565終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:04 ID:997LS.yM0
「……っ! 楓……!?」

我慢の限界だった。
同じ部屋の中で、涙が出るくらいに立ち込めた化粧の臭いの中でご飯を食べてきた。
ごちそうさまをした後で、トイレに駆け込んで吐いていた。
同じ家の中で、媚びたような視線が男たちに向けられるのを見てきた。
叔父さんが、耕一さんが、何か汚い汁をかけられて、嫌な臭いのする色に染まっていくような気がして、
あの人たちの服を擦り切れるくらいに洗った。
もう嫌だった。

「楓、あなた……」

いつの間にか、爪が出ていた。
黒く罅割れた手は、私の中の暗くてどろどろした水が染み出しているようで、心地よかった。
この人を見ていると、そういうものが湧き出してくる。
これは嫌なものだ。これは私をざわつかせる。
だからそういうものが私から出て行くように見えるのは、気持ちのいいことだった。
振れば黒い水が飛び散るような錯覚。

「楓……!」

一歩を下がるそのうろたえたような声が、私を加速させる。
いつも偉そうなことばかり言う口が、こんなときだけ許しを請うような響きを帯びる。
それが、小気味いい。
それが、苛立たしい。
相反する二つは私の中で矛盾なく暴れ回る。
突き動かされるように爪を振った。

「……っ!」

たまらず飛び退ったその目が、私を睨んでいた。
薄く朱に染まった瞳。
私を殺したくてたまらないのを抑えているのだろう。
必死に自制しているのが、ひどく滑稽だった。
この人はずっとそうだった。
薄皮一枚の向こう側に怒りと憎悪を押し込めて、私達に笑顔を向けていた。
だから私もずっと、軽蔑と嫌悪を押し込めて笑顔を返していた。
家の中では、ずっと。
もう、無理して笑う必要なんてない。

566終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:32 ID:997LS.yM0
「……そう」

手を押さえながら呟いたその瞳は酷薄で、笑顔はやっぱり、消えていた。
私の向けた嫌な気持ちが感染したみたいな、嫌な顔だった。
家の中ではごくたまに、それもほんの一瞬しか見せなかった顔が、私をじっと見つめていた。

「なら、いいわ。無理にとは言わない。……少し落ち着くまで、時間も必要でしょう」

言って踵を返した背中を、私はもう見ていなかった。
どこか目に付かないところに行ってくれるというのだから、辟易したような声も気にならない。
嫌な臭いが遠ざかっていく。
大きく深呼吸すると、私の中の嫌な気持ちも小さくなっていった。

「だけど……これだけは聞いて、楓」

立ち止まったような気配に、嫌な気持ちが黒雲のように湧き上がってくるのを感じて、
私はしゃがみ込む。抱えた膝は温かい。
乾いた血がぱりぱりと落ちていくのを眺めていた。
もう、あの人の声は聞きたくなかった。

「私はずっと、待っているから。家族はもう……この世でただ一人、あなただけなのよ」

だから、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

567終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:51 ID:997LS.yM0
家族はもう、たったひとり。
たったひとり。
梓姉さんは死んだ。知っている。
初音も死んだ。知っている。
だけど、それはおかしい。
たったひとりに、なるはずがないのだ。
私の家族は、柏木の家には、あの息苦しい、化粧の臭いのする家には、もうひとり。
もうひとりの家族が、いるのだから。
たったひとりに、なるはずがない。
なるはずがない。
だから、それは、おかしいのだ。
柏木耕一は、柏木耕一という人は、私の家族なのだから。
たったひとりなんかに、なるはずがない。

「待っ……、」

待って、と言おうとして顔を上げたときには、もう誰もいなかった。
嫌な臭いも、嫌な声も、何もなかった。
鳥の声もしない、静かな紅い住宅街の真中で、私は今、独りだった。

568終焉幻想:2008/05/01(木) 18:54:07 ID:997LS.yM0
のろのろと、周りを見渡す。
何かを考えれば、何かの結論が出てしまいそうで、だから何も考えたくなかった。
立っているのが億劫で、ぺたりと座り込んだ。
ほんの、すぐ傍に転がるものがあった。
顔のない、躯だった。

手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。

手を伸ばして、届かずに、ようやく私は、座り込んだその場から一歩も動いていないことに気がついた。
立ち上がろうとした。
手を伸ばそうとした。
目の前が、光に埋め尽くされていた。
指先の、ほんの少し向こう側の全部が、白く染まっていた。

熱い、とは思わなかった。
光はほんの一瞬で、何かを思う前に消えてしまっていた。
手を伸ばしたその先の、何もかもを巻き込んで。

そこには、もう何もなかった。
ぐずぐずに融けたアスファルトと、黒く煤のついたブロック塀と、立ち昇る陽炎だけがあって、
他にはもう、何もなかった。

はらはらと、舞い落ちるものが見えた。
燃え落ちた布きれの、焼け焦げた切れ端だった。
金糸の刺繍がただ一文字、燃え残って眼に映った。

 ―――風、と。

伸ばした手はもう、届かない。

569終焉幻想:2008/05/01(木) 18:57:53 ID:997LS.yM0
 

 【時間:2日目 AM11:29】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:喪失】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→972 ルートD-5

570東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:12 ID:dNXD8tIY0
 日が傾きつつあった。
 しかし一日目は燃えるように真っ赤な夕日だったそれは、二日目の今は雲に覆われ、暗さを増して夜を早めているようであった。

 ああ、今晩くらいから雨が降るのかもしれない、と篠塚弥生は空を見上げながら思った。
「なんや、ぼーっと空を見上げたりたりして、なんかあるんか」
 話しかけるのも苦しそうに、けれども本来は誰かと会話したりするのが好きなのだろう、神尾晴子が横から口を出していた。

 今一時的にとはいえ同盟を結んでいるこの二人。
 あの決戦の後、寝転がりながらいくらか情報交換や自己紹介を通して、少しばかり体力は回復したもののまだまだ好調というわけでもなく、効率的に傷を癒せる場所を探そうという弥生の提案に晴子も従い、荷物をまとめた後、現在は山を下って無学寺方面へと歩みを進めている。
 弥生は、ゆっくりと首を振って返事する。

「いえ、特に理由は」
「……はぁ。頼むでホンマ。お互いにボロボロやから手を組もう言い出したのはアンタやで。ウチだけに仕事させんで欲しいんやけど」

 咎めるように晴子は口を尖らせる。仕事、というのは周囲の警戒のことだろう。別にそこまで気を逸らしていたわけではないのだが、確かにそうであったので、弥生は律儀に「申し訳ありません」と謝罪しておくことにする。

「……ま、ええけどな。万事そんな調子で堅っ苦しくされても疲れるだけや、そういうヘンなところで人間くさいの、ウチは嫌いやないけどな」
「まるで私が人間ではないように言いますね」
「第一印象がそんな感じやったからな。喋り方も考え方も理詰めの計算ずくだけか思てたけど、ちょっとしたところで綻びが見えて、今ではそうでもなくなってきた」

 かったるそうな口調ではあるが、晴子の観察力には目を見張るものがある、と弥生は感心していた。
 直情怪行のきらいは随所に散見されるものの、基本的には冷静で目的を見失ったりしない。裏を返せばそれだけ娘という、神尾観鈴のことが大切なのだろう。
 その部分では森川由綺のために戦い続ける弥生とも意見は一致している。
 もう少し早くに出会っていれば、もっと多くの参加者を殺害できたのかもしれない、と思った。それほどまでに相性はいいと弥生は考えていた。

571東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:42 ID:dNXD8tIY0
「貴女こそ、意外と計算高いところがありますわ。先程の戦いでも、機を見計らったような登場でした」
「まぁな。足りへん知恵絞って色々苦労してるねん。頭脳労働は嫌いなんやけどなぁ……なーんにも考えずに、暴れて殺しまくったろ思てたんやけど……上手くいかへんさかい、しょーがなくこうせざるを得なくなった、ちゅう感じやな」

 苦笑い、といった様子で晴子は笑う。要するに、難しく考えるのが性に合わないのだろう。
 しかし目的の為なら考えを改め、様々に考えながら行動する。臨機応変を本人も意識しないうちにやっている。
 これが母親というものなのだろうか、そう、弥生は思う。
 弥生の人生はそこまで深くはなく、森川由綺との出会いでようやく転機を迎えるかもしれない、そんな段階であった。
 いや、そんな段階だったからこそ、それを奪ったこの殺し合いが憎くあり、それ以上に由綺を渇望している弥生自身にも気付けた。
 それはある意味では、幸福とも言えたのかもしれない。

「けど、一番信じられへんのが、アンタがこのゲームの主催とやらが言う、『優勝者には願いを叶える。死者を蘇らせることでさえ可能だ』なんて言葉を信じてることやな。そんな絵空事、どうして信じるんや?
 言いたかないんやけど、アンタの大切な人……森川由綺っちゅうアイドルはもう死んでしもとるんやろ?
 死者は蘇らへん。当たり前のことやんか。そんな魔法みたいなことができると、アンタは本当に考えとるんか?」
「確証に近いものはあります」

 即答にも近い弥生の返答に、晴子は目を丸くする。加えて、弥生の言い方がひどく真面目だったから、尚更であった。
 晴子が呆気に取られているのにも構わず、弥生はその根拠を告げる。

「勿論、魔法だとか呪術だとかの類は私も信じてはいません。『生き返らせる』も、それは本来と別の意味だと考えています」
「どういうこっちゃ?」
「クローン、という技術は神尾晴子、貴女にも分かりますよね」
「ああ、あのテレビなんかでよくやっとる……って、アンタ、まさか」
「その通りです。恐らくは、クローンによる『複製』こそが『蘇生』の正体だと、私は考えます。そして、私の願いはそれで由綺さんを生き返らせることです」
「そりゃ、まあ、それやったら信じられへんこともない……確かに、技術的には可能だと、散々言われとるしな……」

 盲点をつく発想だったのか、晴子は唸りながらうんうんと頷いている。
 弥生は更に続ける。

572東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:13 ID:dNXD8tIY0
「加えて、これだけの殺し合いを開催できるくらいの資金力、人材、技術。どれをとっても世界でトップレベルであることは間違いありません。あの篁財閥の総帥たる人物でさえ、この殺し合いの参加者なのですから。……もっとも、既にこの世の人ではなくなっていますが」
「篁財閥……詳しいことはウチも知らんけど、確か世界でもトップの企業、やったか? そいつも参戦してるのなら、間違いないんやろうけど……」
「唯一分からないのはこの殺し合い自体の開催理由です。わざわざこんな面倒にする意図が掴めません。金持ちの酔狂だと言えばそれまでですが」

 弥生からしてみれば、ただ殺し合いをさせたいのなら、闘技場(コロシアム)のように逃げも隠れもできないような場所で各々好きにさせればいい。
 武器だってハズレのようなものを割り当てるより全員に銃器などを行き渡らせた方が効率がいいに決まっている。
 不可解なことばかりだ。
 それとも、恐怖に怯え、逃げ惑う人間の姿を見て楽しもうとでもいうのだろうか。いや、それなら島のあちこちに監視カメラを仕掛けている。
 しかし注意深く見渡してみても小型カメラがある様子さえ見受けられない。それとも、衛星カメラか? だとすると、このような森の中での戦闘はどのように中継する? 殺し合いを楽しむような狂人どもが見たくないと思うわけがない。
 いくつか推論を立ててみても、結局は決め手に欠ける。こればかりは弥生にも判断しようがなかった。

「は、金持ちなんてみんな頭おかしいもんやろ? 大方あの映画の再現でもしてみよう考えたに違いあらへん。まあそれはええわ。それよりもアンタ、それでええんか?」
「……それでいい、とは?」

 晴子の問いがよく分からず、聞き返してしまう弥生。晴子は、「うーん、まぁ、感性の違いなのかもしれへんけど」と前置きしてから言った。
「いくら姿かたちが一緒やからって、クローンはクローン。オリジナルやない。ここに来る以前のアンタと一緒やった『森川由綺』とはちゃうねん。それでもアンタはええんか」
「……」

 晴子の言わんとしていることは分かる。そう、どんなに精巧なクローンだとして、それはまがい物。決して本物ではないのだ。
 可能ならばあの由綺と、アイドルを目指して頑張っていたあの由綺と過ごしたい。
 だが、それが叶わぬ願いだというのは十分に理解している。現実を受け入れまいと子供のように足掻くには、大人である弥生には無理な話だった。

「構いません。たとえ本質的に偽者であっても、この世に一つしかなければそれが本物です。そう、私は考えます」
「……なるほど、な」
「神尾晴子。貴女こそ、もし……もしも次の放送で神尾観鈴の名が呼ばれたとき、きっとそう考えるはずです」
「観鈴は死なへん」

573東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:52 ID:dNXD8tIY0
 きっぱりとした拒絶の意思。僅かな敵意が晴子から滲み出ていた。弥生はなるべく興奮させないように、慎重に言葉を選びながら、
「可能性として提示しただけです。ただ、もしもその時になったら……貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから」
「……忠告だけ、受け取っとくわ。やけど、ウチは観鈴を絶対に生かして帰す。それだけはアンタもよう覚えとき」

 それきり、二人の間に会話が生まれることはなかった。
 ただ黙って、歩き続ける。
 ますます日は傾き、夜のとばりが姿を現そうと準備を始めたころに、その目的地は見えた。








【場所:F-09 無学寺前】
【時間:二日目午後:17:30】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、弥生と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、晴子と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

574名無しさん:2008/05/05(月) 17:10:19 ID:rjytJX2E0
今回、かなり長くなったので2分割させていただきます。まとめの人、度々ですみませんが、よろしくお願いします
では、投下いきます

575Trust:2008/05/05(月) 17:10:52 ID:rjytJX2E0
「……ここまで来れば」
 平瀬村で自らが起こした惨劇の後、逃げるように村から南下し十分に距離を取れたと判断した藤林椋は弾む呼吸を抑えるようにゆっくりと道なりに歩き出し、これからの方針について計画を立てることにした。

 基本は姉の藤林杏を守り、二人だけで生き残ること。まずは杏を探す事が大前提になるが中々見つからない。運が悪い、というとそれまでになるがとにかく探し出さねばならない。この島には恐ろしい殺人鬼どもがうようよしているのだから。
 そして、そんな奴らと杏を遭遇させないためにも片っ端から殺していく必要がある。とにかく信用などならない。仲間仲間などとほざいてはいるが実のところ皆利害関係でくっついているだけだ。役立たずになれば、窮地に立てば平気で見捨てる。殺す。裏切る。危うく椋自身も殺されそうになった。
 だから、もう信じない。裏切られる前に裏切る。殺される前に殺す。見捨てられる前に見捨てる。

 やらなきゃ、やられる。

 お守りを握り締めるようにぶつぶつと繰り返しながら思考を移す。
 真っ直ぐ南側に逃げているが、このまま進んでしまってよいものだろうか。
 道なりに進むと次は氷川村に辿り着く。以前椋と、殺害した長瀬祐介が滞在していた場所であり、椋の出発点とも言うべき地点である。
 それが問題だった。

 あの長瀬祐介には一応共に行動していた人間がいるようだったし(柏木初音と、こっちは知っているが宮沢有紀寧)、今頃は祐介が死んだと感づいているはず。あるいは椋が知らぬだけで既に現場を目撃されている可能性だってある。
 さらに上手く騙して殺害した倉田佐祐理と行動していた柳川裕也は今頃椋を探して奔走しているに違いない。常識的に考えて各地の村を探し回っているはず。あの神社と氷川村は比較的近い場所であるからして、今まさにここに柳川が潜んでいることは十分に考えられた。

 つまり、ここに逆戻りするのは非常に危険を伴う。さりとてここで平瀬村に戻ったところであの惨劇の生き残り達と鉢合わせし、一対多数の戦いを強いられることすら考えられる。つまり、椋は逃げ道を間違ったせいで進退窮まってしまったのだ。
 残された道はこの中間地点である平瀬村−氷川村にある民家、あるいは山中に隠れ耐え忍ぶかしか思いつかない。
 ただこの辺りに民家があるとしてそれはかえって目立つ施設となりかねないし、村を捜索し終えた連中が道すがらそういうところを尋ねてくるかもしれない。極力、隠れようとするならそういう場所にいてはいけないのだ。
 となれば、もう山中、すなわち地図で言うならH-4の地点に隠れるしかないのだが……

576Trust:2008/05/05(月) 17:11:15 ID:rjytJX2E0
「私に、登れるんでしょうか……」

 山の方は切り立った崖のようになっていて行こうとするならよじ登る、即ちロック・クライミングの要領で登らなきゃならないし、それだけならいいがデイパックのこともある。これを抱えて登れるか、と問われると残念ながらノーと言わざるを得ない。運動は苦手なのだ。
 崖の高さは精々5メートルほどなのだが……この時ばかりは杏の運動能力が心から羨ましくなった。
 結局のところ、あの山に入れる場所を探してこのまま歩くしか当面の解決策はなかった。しかもそれで道が見つからないものなら……
 慎重派の椋にとってはとかく安全策がないと不安で仕方ないのだ。

(お姉ちゃんなら、きっとこんな時でもどーんと構えているんだろうなあ……)

 何とか姉のことを考えることで不安を晴らそうとするが、やはり気分は曇り空のように晴れない。一人、というのもあった。
 そう思い始めるとどっ、と疲れが押し寄せてきて椋の体が重石を載せたようになる。それはある意味当然である。
 祐介殺害以降慣れない行動、運動の連続で肉体的には既に限界を超えている。それに眠ってもいないし、食事すらしていない。

「……ちょっと、疲れました」

 ここまで緊張感で抑え込まれてきたものが一度に噴き出してきたのだ。休憩したいとの誘惑に負けてしまうのも無理からぬことだった。ふらふらと目立ちにくいと思われる岩陰に隠れ、腰を下ろす。途端、何とも言えぬ脱力感が椋の足先から全身に駆け上がり、はぁ……とため息をつかせる。
 これが柔らかい布団であるならどんなに良かったことだろうと椋は思ったが文句よりも先に食欲の方が催促を告げる。誘われるようにして椋の手がデイパックに伸び、いくらかくすねていた携帯食を取り出し、元気のなくなった小さな口で咀嚼する。

「美味しい……何でこんなに美味しいんだろ」

 普段なら何とも思わない味であるのに、抑えられた僅かな甘味が絶妙に身体に浸透し、疲れた体を癒していくようだ。
 支給品である水もまるでアルプス山中から直に取ってきたもののように喉から沁み込んで体全体を潤していく。
 はぁ、と先程の脱力感から来るものとは違うため息が椋の口から漏れた。
 そのまま今度は、強い眠気が襲ってくる。こんなところで寝てしまえば襲われて死ぬかもしれないというのに――既にその欲求に、体は降参しかけていた。

(ちょっとだけ……ちょっとだけなら)

 誰にともなく言い訳するように、椋の瞼が、少しずつ閉じられていった。

     *     *     *

577Trust:2008/05/05(月) 17:11:39 ID:rjytJX2E0
「で、腹の調子はどうよ、相棒」
「まあまあだな。つかお前、なんか俺が腹を下してるみたいに言ってねぇか?」
「なに、違うのか?」
「おい」
「はっはっは、冗談だって。だから殺虫剤を向けない。俺は害虫じゃないぞ」
「……楽しそうだね」
「にはは、仲良しが一番」

 氷川村の南から迂回するようにして、相沢祐一、藤田浩之、神尾観鈴、川名みさきはD-6にある学校へと続く街道をゆっくりと歩いていた。傷が塞がっていない観鈴と、怪我をしている浩之に配慮してのことだ。
 浩之が怪我をしている都合上、祐一がずっと観鈴を背負って歩いている(もっとも、浩之がみさきと手を繋いでいることもあったが)。道は診療所に行くときと違って平板な道だったので祐一には割りと余裕もあったし、そもそも観鈴が軽いのでしばらくは問題ない。むしろ問題なのは浩之だ。

「で、本当大丈夫なのか。無理すんなよ? 血ぃ吐いたんだからな」
「ああ、まあ、見た目ほど怪我は酷くない。気分が少しばかり悪いだけだ……あの戦闘で」

 腕を曲げたり首を左右に動かしたりしながら、浩之は体の調子を確かめているようであった。表情などに変化はなく、概ね好調のようである。
 急ぎたいのはやまやまな祐一ではあるが強行軍はリスクが伴う。ただでさえボロボロだというのに、これ以上の危険は避けたい。
 それは皆も同じだろう。だからこそゆっくり進もうという意見に賛同してくれたのだと、祐一は思っていた。
 もうこれ以上、誰も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

(五体満足に近いのは、俺だけだからな……俺が神尾や川名を守らないと)
 頼れる『大人』である緒方英二のいない今、男として皆を守っていかなければならない――そんな責任感のようなものが、祐一の肩に深く、強迫観念のように圧し掛かっていた。今はデイパックにあるワルサーP5を、常に持っていないと不安に感じるくらい。

「ところでさ、神尾はどうなんだよ」
 そんな風に考える祐一の後ろで、浩之が声を掛ける。そうだ、忘れてはならないが、依然として神尾観鈴も重傷である。いや、それは既に十分理解していることであるが、怪我の度合いはどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。
 まあ、同じ怪我人の浩之に心配されるのはどうなんだろうな、とも思わないでもなかった祐一だが、そこには触れないようにすることにしておく。

578Trust:2008/05/05(月) 17:12:01 ID:rjytJX2E0
「にはは、イタイけど、たぶん大丈夫」
「「……」」
 顔を見合わせる二人。恐らくはまだ完治どころかズキズキと痛むのだろう。しかし耐えられないほどの苦痛でもなさそうだ、ということでまだ背負って歩いた方がいいだろう、と意見を(無言だけれども)一致させる。

「しかし、まぁ、俺もお前も、不運と言えば不運だな。一体何度襲われたよ?」
「確か……えーと、四回くらいは戦闘に巻き込まれてるかもな。よく覚えてない」

 考えてみれば、気の休まるときがなかった気がする。行く先々で戦闘に巻き込まれてきたのだ。それはもう、疫病神がついているのではと疑いたくなるくらいに。

「四回……お、多いね……」

 みさきが心配そうな視線……らしきものを二人に向ける。先の戦闘を除けば、みさきと浩之は以前のチームをバラバラにされた巳間良祐との戦いだけしか遭遇していない。だからこそ雄二とマルチのコンビに苦戦したと言えばしているのだが。

「全くだ。しかも、仲間を何度も殺されて……何度も逃げる羽目になって……俺の力のなさを痛感させられたよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「神尾のせいじゃないさ。原因は全てあいつなんだからな……」
「……」

 観鈴を撃った人物であるまーりゃんこと朝霧麻亜子に憎悪に近い感情を抱いているであろう祐一を前にして、観鈴は複雑な気持ちになる。
 環はまだ麻亜子は同じ時を過ごした仲間であり、説得できる余地も残っていると考えていた。なるべくだって人が死ぬのを避けたい観鈴も、説得できるならそれに賛同したい。
 しかし祐一があのように考えることも当然だろうと理解していたし、たとえ説得に成功してもわだかまりは残るだろう。
 それでも、時間さえかければある程度は緩和されるだろうし、何よりもここから脱出するためにはいがみあっている場合ではない。
 しかし、そんな先のことを考えたって仕方がないのは観鈴にも分かる。今はとにかく霧島聖を探し出すことが先決だ。

579Trust:2008/05/05(月) 17:12:25 ID:rjytJX2E0
「ところで、あの時は色々ドタバタしてて深く聞けなかったが、この三人について何か少しでも知っていることはないか?」
 観鈴がそんな風に考えていると、祐一がポケットから診療所にあった例の置き手紙を改めて三人に見せる。

「あぁ、確かナスティボーイってのが世界一のエージェントなんだっけ? 俺もよくは知らないけど……」
「うーん、後は確か『ポテトの親友一号』と『演劇部部長』……だったかな? 私の知り合いに演劇部の部長さんはいたけど……もう、雪ちゃんは」
「……みさき」

 既に鬼籍に入ってしまった深山雪見のことを思い出しているのか、みさきが肩を落とす。場が少しばかり重い空気になりかけたところで、ほぐそうとするように観鈴がわざと明るく言った。

「あ、あの、わたしにも見せて欲しいな。ほら、観鈴ちん、こっからじゃちょっと遠くてよく見えないから」
「あ、ああ。そうだな。ほら」

 それを察して、浩之が手紙を回す。改めて観鈴はしばらくそれを食い入るように、署名された三人の名前を見つめていたが、時折首を捻ったりするばかりで知っていると思われる人物はいなさそうであった。

「心当たりはないか?」
 少しでも会話を挟むべきだと思った浩之が尋ねると、「うーん」と靄の晴れない表情で言った。

「ポテト、って名前は往人さんが何回か口にしてたんだけど……わたしには分からないかな。往人さんなら知ってるかも」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「ああ、いいんだ。おまけみたいなものだしな。どうせ、先に行くのは学校だ。それに、もうそいつらだって移動してるかもしれないしな」

 素性が少しでも分かればより味方かどうかの判断がつく。安全性を高める上で限りなく重要な情報ではあるのだが、そこまで心配するほどでもないだろうと考えた結果である。

580Trust:2008/05/05(月) 17:12:52 ID:rjytJX2E0
「やっぱこんなところか……」
 若干の失望を残す祐一の声に、悪いな、力になれなくて、と浩之が告げる。みさきがそれに口添えするように、仕方ないよ、私こそ雰囲気悪くしてごめんね、と謝る。しかし浩之はいやいやと首を振って、
「そんなことはないって。あの反応は当然だ。俺がみさきでもそうするさ」
「……うん、ありがとう」

 言ったかと思うと、今度は何やらいい雰囲気になっている。ぴったりと手を繋いでくっついているその姿は、誰だって言わずとも分かる。

「バカップルだな……」
「うん、バカップルさん」
 うんうんと、二人は納得していた。

「あ、そうだ……えっと、祐一さん、ちょっといいかな」
「ん? どうした?」
 少し遠慮した物言いだったが、なるべく気さくに祐一は返事する。観鈴はその雰囲気に少し安心したように続ける。

「えっと、その……わたしのことは、観鈴、って呼んで欲しいな……にはは、ダメ、かな」
「……ああ、そんなことか。別に構わないぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに、『観鈴』」
「……ありがとう」

 嬉しそうにはにかむ観鈴。今まで癇癪持ちで、同世代の人間から名前で呼ばれることがあまりなかったから……本当に嬉しかったのだ。

「もういいのか? 何だったら俺のことは『祐一お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぞ」
「もういいよ。早くいこっ、祐一くん」
「……スルーっすか」

 見事なスルーの観鈴と、肩を落とす祐一。その後ろではいい雰囲気の浩之とみさき。
 今は幸せな四人。
 そのもう少し先からは、一人の人物が忍び寄ってきていた。

     *     *     *

581Trust:2008/05/05(月) 17:13:32 ID:rjytJX2E0
 藤林椋が目を覚ましたのは、既に夕方近い時刻になっているときだった。
「!?」

 その時になってから、ようやく椋は自分が浅くはない眠りに落ちていたことに気がついた。
 果たして眠っていたのは数十分か、数時間か?
 いや、いずれにしろこんなところに居ては危険が大きい。

(とにかく、はやくどこかに逃げないと)
 どこか? どこに? 果たして逃げるところはあるのだろうか。
 そんな疑問を持ちながらも、とりあえずこれまでのように、南へと移動していく。

 その道中で、ゆっくりと移動している四人組を発見する。遠目なのでよく分からないが、何やら怪我をしているようにも見受けられる。
 さて、どうする。
 まだ相手がこちらに気付いていないことを生かして奇襲か、それともこれまで通り内部から切り崩していくか。
 このままぼーっと突っ立っていても良いことは何もない。それこそ、今にでも後ろから迫っているかもしれないあの生き残りどもが拳銃を向けて――

(し、仕方ないです……!)
 下手に討って出てそれが柳川裕也のような戦闘力のある人物でも困るし、万が一仕留め損なって逃げられると後々厄介なことになる。何せ敵は大人数だ。
 やはり安全策に出た椋ではあったが、結果的にそれは椋も、そして遭遇する祐一、浩之、観鈴、みさきの四人にとっても取り敢えずは命を繋ぐことになった。

「あ、あの……」
 こそこそと様子を窺うようにして出てきた椋に、浩之と祐一が思わず身構えた。
「わ、わ……ご、ごめんなさい」

 萎縮するように身を縮こませる椋に対して、警戒心を高めていた二人、そして背中にいた観鈴も、戸惑いの雰囲気を感じ取ったみさきも顔を見合わせる。
 見れば目の前の少女はいかにも大人しそうでそればかりか怪我をしているようにも見受けられるではないか。どうしてこんなところに、一人で?
 四人にそんな疑問が浮かんでくるのは当然だった。目の前の椋は「あの、あの……」とおどおどするばかりで話そうとはしない。仕方なく、という風に浩之が質問を投げかける。

582Trust:2008/05/05(月) 17:13:52 ID:rjytJX2E0
「……あの、そんなに警戒しなくてもいいぜ。俺達は殺し合いに乗っているわけじゃない。それより、どうしてこんなところにいるんだ?」
 構えを解いてなるべく、といった風だが優しく話しかける浩之に、椋は未だびくびくしたように、しかし心中では「しめた」と思いながら事情を説明し始める。

「実は……私はさっきまで、ここから少し先にある村にいたんです。けど……」
「けど?」
「そこで……この殺し合いに乗ってる人たちに襲われて、無我夢中でここまで逃げてきたんです。この傷もその時に負って……」

 ぐっ、と血の滲んだ左腕の包帯を押さえる。もちろん言っていることの大半は嘘だ。本当のことなど言えるわけがないし、この連中が平瀬村に向かっているとしたならばこのまま向かわせるわけにはいかない。あそこの生き残りと鉢合わせしたら椋自身の立場が危うくなるからだ。
 嘘に嘘を重ねて……引き返させる必要があった。

「何とか逃げ切ることができて、包帯を巻いたまでは良かったんですけど……その時に人を見つけて……」
「それが俺達、ってわけか」
「はい……」

 四人が顔を見合わせる。この先の平瀬村に、乗った人物『たち』がいるという事実。椋の喋り口からして嘘とは考えにくかったし、あのような目立つ場所ではそのような人物がうようよしている可能性も高い。
 幸いにして、四人の目的地は平瀬村ではない。事前に情報を手に入れられたのは、幸運だった。
 祐一たちは半ば安心したように、椋に言った。

「……そうだったのか。それは助かった。そっちには気の毒だと思うが……」
「いえ……」

 一方の椋は、平瀬村に行っていないというばかりか、こちらの言葉を鵜呑みにしてくれたことはチャンスだ、と考えていた。
 上手くいけば平瀬村の連中を敵視させ、共倒れにすることだって可能かもしれない。
 それに、椋は殺し合いに巻き込まれた哀れな被害者であり、無力な人間ということを証明する材料になる。
 つまり、それはこの集団における油断を誘う結果となり、内側から切り崩すのを容易くしてくれるということだ。
 他の連中と争そわせ、疲れたところを椋で止めを刺す。そうすれば一気に四人、あるいはそれ以上も倒す事が出来る。
 彼らと行動した先で柳川が潜んでいる可能性もあるが、その時も椋ではなく彼らに戦わせれば被害は最小限で済む。危なくなれば逃げればいいのだ。

583Trust:2008/05/05(月) 17:14:17 ID:rjytJX2E0
「……そうだ、この三人について心当たりはないか? あだ名、みたいなんだが」

 祐一は観鈴を背負ったまま器用にポケットから例の手紙を取り出して椋に渡す。
 書かれていた内容は全然信じる気のない椋だったが、署名していた三人のうち、一人は見当がついた。
 演劇部部長――つまり古河渚。何度か演劇部には出入りしていたので彼女については知っている。とは言えど信用などできるわけがない。普段の渚と、ここにいる渚が同じなわけがないのだ。生き残るために平気で他人を裏切るに決まっている。

「……知ってます。この人は。ですが……」
 またもや口を濁す椋に不安を感じる四人。若干の間をおいて、椋が『演劇部部長』の文字を指でなぞりながら続ける。
「この人たちに、襲われたんです。古河渚、っていうんですけど……」
「な、なんだって……!?」

 信じられないとった驚き方に椋は内心ほくそ笑む。そうだろう。書かれた内容とは裏腹に、裏切って襲ってきたというのだから。
「この、渚って人とは知り合いだったんですけど、私が平瀬村についたときに話しかけてきて……あ、私は吉岡チエさんと観月マナさんって人と行動してたんですが、その時に近づいてきたと思ったらいきなり包丁で刺そうとして……その時の傷が、これです」

 左手の傷を見せられ、次々と明かされる椋の『真実』に不安の色を強めていく四人。
 ……だが、観月マナの名前を聞いた祐一が椋に質問する。

「ちょっと尋ねたいんだが……観月マナ、って奴は結構前に、ちょっと話をしたくらいなんだけど、会ってたことがある。で、そいつと……河野貴明って奴が一緒にいたんだが、それは知らないか?」
「……いえ、それは知らないです」

 マナと貴明は一緒に行動していたが、ここは嘘をついておく。どうせ分かりっこないとはいえ、保険はかけておく。チエとマナと行動していた、と言ったのは椋の目で死亡を確認できたのがその二人だからだった。死者は何も語らず。
 無論、連中の誰かが生きていて、椋の嘘をばらしてしまうことも考えられたが普通に考えればあのスープの一件で椋を除く七人が殺しあっていたとすれば一人しか生き残らないのが定石である。
 さらに戦闘で傷ついていたのだとすればそこを更に誰かに襲われ死亡することも考えうる。現に渚を含む三人が平瀬村に向かった、というのだから。
 故にチエとマナと行動していた、というこの嘘はバレにくい。

584Trust:2008/05/05(月) 17:14:46 ID:rjytJX2E0
「途中で離れ離れになったのかな……向坂に伝えてやりたかったが……あ、悪い。それでここまで逃げてきたのか? ……その、残りの吉岡と、観月は?」
「……」
 黙って首を振る椋。その仕草に、話を聞いていた浩之が毒を含んだ声で吐き散らす。

「ふざけんな……! じゃあ、あれは、あの手紙は俺達を騙して殺すためのものだったってのか!? 何だよ、それ……!」
「ひ、浩之君……おちついて」

 祐一の怒りを手から直に受け止めていたみさきが、宥めるように肩を叩く。
 それで椋が少し怯えているのを見てとった浩之が、「……すまん」とだけ言って、それでも怒りの気配は隠しもせずに俯いていた。

「いや、謝るべきは俺だ……手紙の内容をストレートに伝えていなかったからってあっさり信じ込んだんだからな……こいつがいなかったら、また……」
「祐一くんも……が、がお、わたしも同じなんだけど……あ、そうだ。自己紹介してなかったよね? わたし、神尾観鈴。仲良くしてほしいな、にはは……」

 沈んだ雰囲気を何とかすべく観鈴が必死に笑顔を振り絞って椋に笑いかける。ちょっと苦痛に歪んでいるのはご愛嬌だが。
 椋にはその笑顔を信じる気もなかったが、まずは溶け込むことに成功したので返事をしておくことにする。

「ふ、藤林椋です。こちらこそ、よろしく……」
「ん、藤林……?」

 椋の名字を聞いて、反応を示した祐一にまさか、と考えた椋が祐一に詰め寄る。

「ひょっとしてお姉ちゃんを知っているんですか? お姉ちゃんの名前は杏、っていうんですけど、探してて……」
「あ、ああ。そうだ、杏だ。大分前に俺達と行動しててな。妹を探す、って出てったきりなんだが……と、俺の名前は相沢祐一だ」
「お姉ちゃん、どの辺りに行ったか知りませんか?

 祐一の名前などどうでもよかった。とにかく、杏の行方が心配で仕方ない椋は続けざまに聞く。
「いや、目的地は告げずに出て行ったからどこにいるかは分からないんだが……悪いな」
「そうですか……」

585Trust:2008/05/05(月) 17:15:08 ID:rjytJX2E0
 役立たずめ、と心中で罵りながら椋は落胆する。せっかく杏を知っていても居場所を知らないのでは意味がないではないか。
「……俺もいいか? 俺は藤田浩之。まぁ、色々あってボロボロだが、よろしくな」
「あ、どうも……」

 無意識のうちに、椋は浩之から距離を取っていた。あの態度――あの怒りの表情は、殺人も躊躇わないような、そんな雰囲気に椋は感じたからだ。
 とはいえ、かつていきなり襲ってきた向坂雄二と違ってまだ彼女には椋を殺す気はなさそうだった。ならそれでいい。
 最終的に生き残ればそれで勝ちなのだから。

「最後だけど、私は川名みさき。よろしくね」
「……ええと、失礼なんですが、その、あなたは……」
 みさきの目を見た椋が、躊躇いながら尋ねようとする。しかしみさきが先手を打つように言った。
「うん、私は目が見えないよ。でも大丈夫、浩之君がいるから」
「はぁ……」

 目が見えないという椋の憶測は、間違ってはいなかった。なら、さしたる脅威にはならない。殺害する優先順位は下だろう。
 いや、むしろ生きててもらっていた方がいい。その方がいざこの四人を殺害するときに有利だからだ。
 逆にどうしてこんな人間が人が疑い、殺しあう中で生きていられるのかが気になったが……上手く取り入ったのだろうか? ひょっとすると思いも寄らぬ知識を持っているのかもしれない。あるいは……体でも売ったか。
 ともかく、今しばらくは殺す必要もないだろう。

「相沢さん、ともかくここに留まるのは危険だと思うんです。ひょっとしたら私を襲ったあの三人組がまた来るかもしれませんし……」
「そうだな……この手紙が信用できなくなった、ってか嘘だったって分かった以上もう平瀬村に行く義理はないぞ」
「うん……わたしもそう思う。でもまずは学校に行く事が先だよね?」
「学校……?」

 首をかしげる椋に、みさきが説明する。
「うん……実は、私達の仲間の一人が危険な状態で……学校にお医者さんがいるから、呼んでこよう、ってことになって」
「……どうして、そんなことが分かったんですか?」

 学校といえば、ここからは結構遠いはずだ。そんな遠くにいる人間の位置が、何故分かるというのか。それとも、また情報に踊らされているのか?
 疑念の声を上げようとする椋に、浩之が補足する。

586Trust:2008/05/05(月) 17:15:25 ID:rjytJX2E0
「いや、実は限定的だが参加者の位置を掴めるものを持ってるんだ。詳しいことは実物を見せりゃ分かるが……パソコンがないと使えなくてな。まあ、そいつで医者が学校にいることが分かったってわけだ」
「……そうだったんですか。それは、別にパソコンに詳しくなくても使えるんですか?」
「まあな。ちょっとした操作手順は必要だが」

 その言葉を聞いて、心中で椋はほくそ笑む。参加者の位置が分かるという代物。
 生き残りを図るには最適。姉の位置を知らないといったが、中には掴めないものもあるのだろう。それならそれでいい。見つかるまで探せばいいだけのこと。
 それよりも、是が非でもこれを手に入れなければ。
 ……いや、その前に、氷川村に向かわせよう。ルート的に神社方面から向かうのは柳川達に遭遇する危険がある。
 なるべくなら、安全策をとるべきだ。

「そうですか……あの、なら、いきなりで差し出がましいようなんですが……怪我人もいらっしゃるようですし、山から行かれるのは」
「ああ。それは分かってる。今から氷川村を通ってなるべく負担がかからないように行くつもりだ。……急がなきゃ、いけないんだけどな」
「うん……ごめんね、祐一くん」

 背中の観鈴が、しょんぼりという様子でうな垂れる。それは椋にとってはどうでもいいことだったが、誘導する必要がなくなった分、それはありがたいことではあった。
「なら……その、これからも、お、お願いしますね」
 ぺこりと頭を下げ、偽りの仲間入りを果たす椋。その悪意にも気付かず、四人はそれを快く出迎えた。

 それがまた、一つの運命を、変えることになる。

587Trust:2008/05/05(月) 17:15:57 ID:rjytJX2E0
ここまでが前半です。
次からが後半になります。

588Trust:2008/05/05(月) 17:16:27 ID:rjytJX2E0
「それで、どこに行くの? 柳川おじさん」
「……氷川村だ」
 おじさんじゃない、という言葉をぐっと堪えて、先を行く柳川裕也は言った。別に年齢云々ではない。いくら言っても無駄であったからだ。

「氷川村には、確かわたし達がいました。柳川さんの言う藤林椋、という人は見てないですが……」
 後ろから懸念するように言うのは、宮沢有紀寧。彼女にしてみれば殺し合いに乗った人物が徘徊しているかもしれない集落にいくのはなるべく避けたいところだ。

 既に柳川という屈強な盾は手に入れているのだ。方針としてはこの面子で終盤まで逃げ回り、最後に残ったグループと柳川に激突してもらい、全てが終わった後に有紀寧が止めを刺す……それが理想だ。
 しかしここで意見したところで明確な反対理由もない以上あまり強くは言えない。忠告程度が関の山だろうと、有紀寧は考えていた。
 それでも言わないよりはマシだろうと、一応言ってみたが、柳川はすぐさま反論する。

「お前達がそこを出たのは朝だろう? 今は昼を過ぎている。あの女は集団の中に紛れ込むのを得意としている。そして奴は集団を探すため平瀬村か、氷川村にいるに違いない。奴だけは絶対に放置しておくわけにはいかないんだ」
「それは……確かに……ですが……」
「……お前達は人が良すぎる。この島では、危険人物は排除しなければ後々面倒なことになるんだ。気は進まないかもしれないがな」
「……うん」

 有紀寧も初音も、柳川の正論には頷くしか(有紀寧は演技だったが)ない。現に柏木初音の家族である柏木楓は殺され、共に行動していた長瀬祐介も殺害されている。加えて、祐介はこの殺し合いは乗っていなかったにも関わらず、というのも柳川の言葉に重さを持たせている。
 まあ、初音はともかく、無闇に人を信じないという点では柳川は使えると、有紀寧は思っていたのだが。

「……もうそろそろだな。見ろ、家が見えるだろう?」
 山を下ってきていたからか、あまり進んでいる感覚のなかった二人だが、木々の向こうに見える民家を見て、もう戻ってきたのか、という風に驚きの目を見せていた。

「いいか、俺から離れるな。少しでも何か気配を感じたら言え。徹底的に、だ」
 凶暴な気配を見せ始めた柳川の様子に、二人は黙って頷く、というか頷くしかなかった。

「有紀寧お姉ちゃん、あれじゃあその藤林椋って人も逃げ出すんじゃないかな……何と言うか、その、オーラが」
「ええ、分かります……わたしだって逃げますね、あれは」

589Trust:2008/05/05(月) 17:16:47 ID:rjytJX2E0
 ひそひそと話す二人を咎めるように「何をやっている」と柳川がお叱りの言葉を飛ばす。それに素早く反応して「はいっ!」とついていく二人。
 まるでカルガモの親子だった。二人とも(特に有紀寧は)不本意であったが。
 そうして、氷川村の捜索は始まった。

     *     *     *

 数時間後。
 結局、全くと言っていいほど成果らしき成果は得られなかった。
 柳川はともかく、初音と有紀寧も与り知らぬうちに、起こった戦闘から難を逃れるために、ここにいた人物達はもう他方へと逃走していたからである。
 彼らが見つけたものはといえば、民家の一つに惨たらしい姿で放置されていた天野美汐の遺体と、争いがあったことを思わせる診療所の惨状くらいであった。
 しかも既に診療所からはあらかた消毒薬や包帯などの即席で使えそうな医療器具は持ち去られており、柳川達の捜索は文字通り無駄足ということになる。
 荒らされた診療所の中で、柳川は一つ息をついた。

「ちっ、遅かったのか、あるいは他の奴らがやりあっていたのか……ロクに物がない」
「でも、その、誰の……もないから、誰も死ななかったんじゃ、ないかな?」
「……だと、いいがな」

 癒しの地にはびこる、むせ返るような死臭に心を痛めた表情をしながら、初音は思いを馳せていた。
 一体何人の人間がここで助けを求め、そして戦いに巻き込まれていったのだろうか。もしかすると、その中には耕一や梓、千鶴の姿もあったかもしれない。
 そう考えると、今すぐにでも外に駆け出し、一刻も早く家族を見つけ出したい――そんな衝動に駆られるが、すぐ近くにいる有紀寧の姿がその考えを思い留まらせる。
 長瀬祐介が死んで、その悲しみを受け止めてくれた有紀寧を放っておいてまで勝手な行動を取ることは、心優しい初音には出来なかった。
 それに、今は親類と名乗る柳川もいる。なんだかんだ言いながらも初音を守ってくれている彼の好意を無視することもまた、初音には出来ない。
 きっと、どこかで無事であるはず――そんな根拠のない憶測を、今は信じるしかなかった。

(役に立ちそうなものは、見当たりませんね。まぁ、こんな民間の医療機関に期待するのも浅はか、ですね)
 一方の宮沢有紀寧は、薬だけでなく、毒薬や解毒剤のようなものがないかと、残されたビンなどを調べていた。
 けれども収穫はまるでなく、あったものはといえば風邪薬や胃腸薬、そんな類のものばかりである。
 ないよりはマシかとデイパックに詰め込んだものの、使う機会が想像できない。それとも、風邪を引いた人間に処方してやって、信頼度でも高めるか?
 考えて、すぐにその浅はかな案を打ち消した。風邪を引くような、そんな人間はとっくに殺されているに違いない。
 まあ、重荷にはならないと判断して、結局有紀寧はそのまま持っておくことにする。世の中何が役に立つか分からないものだ。

590Trust:2008/05/05(月) 17:17:13 ID:rjytJX2E0
「柳川さん。そちらのほうは何かありましたか?」
「いや、目ぼしい物はなにもない。……率直に聞きたい。例えば、ここで戦闘が起こったとする。それも結構大きな騒ぎだ。その場合、逃げるとしたらどうする?」

 聞いて、これは今後の指針を決める質問に違いないと、有紀寧は目を細める。さて、どう答えるべきか。
 有紀寧にしてみれば今は人が少ないこの村に留まることは、安全でもないが危険なわけでもない。寧ろ危険性だけで言えばここから移動を開始する方が明らかに危険だ。
 仮に動くとしても平瀬村方面に行くのは避けたいところだ。
 何故なら、平瀬村に通じるルートはいくつか存在し、分岐点も多い。即ち人の往来もまた多い、ということだからだ。
 現状のメンバーだけで十分だと考えている有紀寧にはこれ以上の接触は困る。動くにしても、人がいなさそうな方向へ上手く誘導できればいい。
 少し考えて、有紀寧は口を開く。

「……わたしなら、東の方角に逃げます。人が多いところで襲われたのなら、また人が多い村の方面に行こうとは思わないので……
 ですが、もし一人だったとしたら、一人で行動するのも危険ですし、不安になります。
 ですから、そんなに目立たないところで、でも少しくらいなら人がいそうなところ……例えば、灯台とか、神社とかに行きます。
 事実、わたしはそう考えて神社の方へと向けて北上していましたから」
 ふむ、と柳川は眼鏡の微妙なズレを直しながら、有紀寧の意見について考えているようであった。
「成程な」

 柳川が尋ねたのは、実質藤林椋がどこに逃げるだろうかということについて他ならない。見たところ大した力もなさそうな宮沢有紀寧とは、ある意味で同種だと考えたからだ。
 集団に襲われたら逃げ切れる確率は低くなる、が一人くらいなら振り切れる可能性は高い。共に行動するにしても大人数よりは少人数の方が裏切られる可能性は少なくなる……藤林椋も、そう考えるだろう。『微妙に人間がいそうな方向に逃げる』とはそういうことだ。
 結論を出した柳川は、こう告げた。

「灯台の方向へ向かおう。神社から下ってきて、誰とも会わなかった……なら、誰かいるとすればそこかもしれない。少々遠いが、そっちはまだ大丈夫なのか。もう夜近くなっているが」
「まあ、そこに行けるくらいには……」
「有紀寧お姉ちゃんが大丈夫なら、私も大丈夫だよ」

591Trust:2008/05/05(月) 17:17:36 ID:rjytJX2E0
 賛同を得る事が出来た柳川は、満足したように頷いて歩き出した。か弱そうに見えるが、案外タフであることが分かってきたのは、柳川にとっても嬉しいことであったからだ。まあ、やや平和主義者に見えるのはいかんともしがたいところではあるが――
 そう思いながら診療所から一歩、外に出たとき。

 遠目ながら、柳川はある集団が歩いてくるのを目にする。
 普段の柳川であれば、少々警戒しつつそちらに接触しようと考えたことだろう。
 だが、このときばかりは違った。柳川の記憶に新しい、あの倉田佐祐理を殺害した人物、まさにそれが集団の中心にいたからだ。

「あの女……! ぬけぬけと……!」
 柳川を理解してくれていた、数少ない人間――それを殺した人物を、柳川は許すつもりは、毛頭なかった。
 怒りを殺気に変えながら、柳川は、走り出す。
 その背中に、彼の突然の行動に動転した宮沢有紀寧と柏木初音の声がかかる。

「や、柳川さん!? どうしたんですか!?」
「あいつを……藤林椋を見つけたっ! お前らは診療所にいろ! すぐにカタをつける!」
「待って! お、おじさん!」

 追いかけようとした初音を、有紀寧が押しとどめる。

「有紀寧お姉ちゃん?」
「初音さんは、危ないですから隠れててください。わたしが柳川さんを追いかけます」
「で、でも」
「大丈夫です、すぐに戻ります。初音さんを、一人にはしませんから」

 にこっ、と微笑むと、有紀寧も柳川の背を追って走り出した。
 一人にはしない――その言葉を受けた初音が動くことは、できなかった。

     *     *     *

 その男が溢れんばかりの殺気をむき出しにしながらこちらへと走ってくるのに、祐一達もまた動転していた。
 何せ村に入った瞬間いきなりこちらに向かってきたのである。

592Trust:2008/05/05(月) 17:18:12 ID:rjytJX2E0
「お、おい、あいつは前に会ったことがあるんだが、何だよありゃ!? なんか銃構えてるぞ!」
「……なんか知らんが、とりあえず観鈴と川名、藤林は後ろに下がってろ! 俺と浩之で前に出るぞ!」
「お、おう!」

 手で下がらせるようにしながら、祐一がワルサーP5を、浩之が包丁を持って備える。

「あ、ああ、あの人!」
 後ろに下がった椋が、怯えたような声を上げる。「ど、どうしたの?」と観鈴が聞く。

「き、気をつけてください! あ、あの人、殺し合いに乗ってるんです! 前に一度襲われたことがあって――」

 椋が言いかけている途中で、柳川が叫んだ。

「そこをどけっ! 後ろにいる女は、殺し合いに乗っている! そいつのせいで――」

「倉田佐祐理が殺されたんだっ!」「倉田佐祐理さんが、殺されたんです!」

 まるで示し合わせたかのように、二人が、佐祐理の死を告げた。しかし相反する物言いに、観鈴は「え?」と混乱するばかり。
 みさきと浩之は困惑したように顔を見合わせる。

「ひ、浩之君、あの人は……」
「確か、前に会ったはずだが……全然様子が違う。楓とかいう女の子のために泣いてた、あの時とはな……嘘、だったのかよ?」
「そんな……あの涙が、嘘だったなんて、思えないよ」
「俺もそう思うが……けど、別れてから大分経つし……くそっ、判断できねえ」

 二人が思案している中、ただ一人、祐一だけは違った。
 真実を知っているわけではない。『倉田佐祐理の死』を知らされたことが、そして同時に『二人のうちどちらかが嘘をついている』ことが怒りを呼び、彼の頭を真っ白に消去していく。

593Trust:2008/05/05(月) 17:18:32 ID:rjytJX2E0
「お前……それは、どういう事だっ! 佐祐理さんが、殺されたっていうのかよ!」
 祐一の怒りは、柳川に向けられた。ワルサーP5の銃口が、真っ直ぐに、しかし若干震えながら、柳川の胴体を捉えている。

「……そうだ。残念ながらな。だがやったのは俺じゃない、やったのは、今まさに嘘をついているあの女だ!」
 柳川の指差した先。そこにいる椋が、「ひっ」と短い悲鳴を上げる。祐一の鋭い視線が、今度はそちらに向けられる。

「そ、そんな、わたし嘘なんかついてません! 殺したのはこの人です! 本当に殺されそうになったんです!」
「貴様、まだ口から出任せを……! どけ! 邪魔さえしなければ手出しはしない! こいつは嘘をついて内からお前らを殺そうとしている!」
「信じて下さい! みなさん、わたし殺してなんかないんです!」

 涙を浮かべ、必死に無実訴える椋の顔と、悪鬼ともとれる柳川の形相。

「悪いが……俺はあんたを信じない。いきなりやってきて、佐祐理さんを殺したって……ふざけるなよ、佐祐理さんはこんな殺し合いを望むような人じゃない。藤林だってそんなことをするような人間じゃない。どう見ても、罪を擦り付けようとしているのはアンタだっ!」
「待て祐一! 俺とあの人は前に会ったことがある。その時は殺し合いに乗ってるようには見えなかったんだ! 早まるな!」

 押し留めようとする浩之だが、祐一はそれがどうしたと反論する。

「前は前だろっ!? 心変わりするなんていくらでもある事じゃないか! 俺はそのせいで何度も裏切られて、こんな目に遭ってきたんだ! それとも浩之、お前は藤林が殺し合いに乗った奴に見えるのか!?」
「それは……そうだが……」
「俺だって殺し合いはしたくない。だからアンタ、今回は見逃してやる。さっさとどっかに行けよ。俺だけは、アンタが信用できないからな」

 再び、祐一は銃口を柳川に向ける。今まで朝霧麻亜子や向坂雄二など、幾度となく裏切りの様子を目の当たりにしていたことと、これ以上仲間を犠牲にしたくないと思いつめていた祐一は、気が昂ぶっていた。メンバーの中でまともに戦えるのが祐一だけだというのも、それに拍車をかけていた。だが……

「断る。藤林椋、貴様を放置しておいては災いの種になる。悪いことは言わない、後悔したくなければどいていろ。邪魔をするというのなら……貴様らも殺す」

594Trust:2008/05/05(月) 17:18:56 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと、柳川はそう告げる。その目は脅しなどではなく、本気だった。
 それがかえって、浩之とみさき(みさきは雰囲気で感じ取っていた)の疑心を刺激する。
 少なくとも、あの時の柳川ならこんな言葉は言わなかっただろうからだ。
 柳川から見れば数少ない理解者であった佐祐理を殺害し、卑怯な手口で殺害して回る椋をここで逃がすわけにはいかない。退けないのは当然の心理である。
 本人は気付いていないが、それほどまでに佐祐理は柳川の心の大部分を占めていたのだ。それを切実に訴えれば、あるいは祐一の心を動かせたかもしれない。
 しかし、不幸なことに、柳川はそのような会話が苦手であった。だからこそ、今まで佐祐理がフォローしていたのは大きかった。
 それを説明する術を、今は持たない。
 そしてそんなことを知らぬ浩之やみさきからとってみれば、祐一の言うとおり、心変わりしたとしても納得がいく。今までの放送で『願いを叶える』などという言葉も出ている。あるいはそれを信じてしまったのかもしれない……そんな考えさえ浮かぶほどに。
 急速に、天秤は椋の方向へと傾きつつあった。言葉の選び方、一つで。

「そうはいかない。こっちにだって守りたいものがあるんだよ……お前こそ、後悔したくなければどっか行けよ」
「……そうか、なら、もういい。忠告はしたぞ」

 柳川が身構えるのに合わせて、祐一も身構える。浩之とみさき、観鈴は未だどうするか迷っているようだった。
 それを知っている祐一は、意識を柳川に向けたまま浩之たちに告げる。

「浩之、お前は観鈴達を連れて逃げろ。どうせその様子じゃ戦ってもすぐに倒されそうだしな」
「祐一……おい、その言い方は」
「まだ迷ってんだろ? ……悪いが、どうしても俺はあいつを信じる気にはなれない。だから時間稼ぎだ。安全なところに逃がすまで、俺が時間を稼ぐ」

 迷っていることを言い当てられ、浩之は苦虫を噛み潰したような表情になる。祐一は少し笑みを漏らしながら、続けた。
「少しはカッコつけさせろよ」
 浩之は、もう何も言えなかった。躊躇いがちに頷き、残りのメンバーを誘導する。

「浩之君……」
「逃げるぞ。時間はかけたくない。走れるか、観鈴」
「う、うん。少しなら……でも……」

595Trust:2008/05/05(月) 17:19:17 ID:rjytJX2E0
 祐一の方を気にしている観鈴であったが、割り込める雰囲気でないというのは、観鈴自身が十分に理解していた。
 少し間を置いて、やがて、意を決したように「ううん、大丈夫。藤林さんは、観鈴ちんが守るから!」と意気込んで、その手を取る。
 椋はまだ柳川に怯えているようであったが、それでも、その手をしっかりと握り返す。

「逃がすと思うか」
 逃げ出そうとする雰囲気を察知した柳川が、動き出す前にコルト・ディテクティブスペシャルを構える。
 しかしそれより早く動いていたのは祐一だった。

「こっちの台詞だ!」
 当身を喰らわせ、そのままごろごろと柳川と共に転がる祐一。
 柳川の凶暴な気配が滲み出ていたこと、そして戦闘経験を積んでいたからこそ、出来たことである。
「……! 邪魔をするな!」

 しかし流石は鬼の一族の末裔とも言うべき柳川である。圧し掛かられていたにも関わらず、体のバネ一つで祐一を押し戻す。
 押し戻された祐一は転がりつつ、素早く体勢を立て直す。横目で、浩之達が無事に逃げて行くのを確認しながら。
 幸いにして、既に拳銃では届きそうもない距離まで、逃げ切っているようだった。
 自分の反射神経もまだまだ捨てたものじゃないな、と祐一は心中で笑う。
 この場に残されたのは、柳川と祐一の二人のみ。二人の手には、それぞれ一丁の拳銃。
 距離は約4メートル程。撃つも殴るも、微妙な距離である。まさに一瞬の判断が命取りになりそうであった。

「貴様……これが最後だ。ここを通せ。これだけ言っても分からないか」
「やなこった。力づくで通ってみろよ」
「ならば、押し通るまでだ!」

 踏み込んだのは柳川だった。格闘戦に持ち込もうというのだろう。その瞬発力、そして二の腕から繰り出される速さと重さを併せ持つ拳が祐一に迫る。
 祐一はワルサーP5を持ち上げることも、殴りかかることもしなかった。
 大きくバックステップしながら、器用に空中でデイパックを開き、もう一つの武器を取り出し、持つ。

「うらぁっ!」
「む!」

596Trust:2008/05/05(月) 17:19:45 ID:rjytJX2E0
 それは包丁だった。踏み込んだ直後の柳川に向けて斬り付けるが、軽々と躱した柳川は舌打ちをしながら自らも出刃包丁を取り出す。
 すぐに追撃を仕掛けてくるだろうと踏んでの行動だったが、果たしてそれは正しかった。続けざまに伸ばされる包丁を、柳川が弾いて止める。

「甘い」
「……っ!?」

 攻撃の方向を逸らされたかと思った瞬間、繰り出された蹴りが祐一の横腹を裂く。
 横倒しになると同時に、柳川がディテクティブスペシャルを構える。しかし祐一とて何もしないわけではなかった。
 撃たれるのを覚悟で、祐一も倒れたままワルサーP5を向ける。今更回避行動をとっても遅いという判断だった。
 もっとも、半ば仲間の為に死んでも戦うという思いがあったというのもあるのだが。
 だが、この時は運命の女神が悪戯でもしたのだろうか。ワルサーを向けられたことに少し動揺し、僅かながらに逸れた柳川の銃口が、そして遮二無二向けた祐一の銃口は――

「うお!?」
「ぐっ……!」

 それぞれのもう一つの得物、即ちお互いの包丁の刃を貫き、見事にそれぞれの刀身を粉砕していた。
 驚きながらも、祐一は銃弾に当たらなかったということを認識し、距離を取るように立ち上がる。
 それと同時、祐一の倒れていた場所に銃弾が突き刺さっていた。冷や汗を感じつつ、祐一も下がりながら発砲する。
 こちらも軽々と躱されたが、動きを止めるには十分であった。
 さらに一発発砲して、木々の間へと隠れる。

「クソッ、残り何発だ……?」

 一々マガジンを取り出して確認している暇はない。が、多く見積もって1、2発というところだろう。以前の戦闘でも何発か発砲していたのだから。
 柳川も無駄撃ちを避けているのか、これ以上の発砲をしようとしない。
 暫くの膠着。それは時間にすれば十秒と満たない間だった。
 残り少ない弾薬で導き出す勝利の策。それを考え出した祐一が、飛び出る。
 だが、それを待っていたかのように、柳川の銃口が祐一にロック・オンされる。

597Trust:2008/05/05(月) 17:20:14 ID:rjytJX2E0
「迂闊だ!」
「そうかよ!」

 ロック・オンされたと同時。絶妙のタイミングで、祐一は柳川の真正面に向かって、着ていた制服を、視界を遮るように投げ入れる。
 これが祐一の作戦だった。
 視界を遮られ、何も見えなくては照準を定めることなど出来はしない。頭は狙いを変えようと、体の動きを変えろと命令を下すはず。
 しかし人間の体はそう都合よく出来てはいない。続けざまに命令を与えられ、混乱した体は僅かな間であろうとも、動きを止めるだろう。
 そこを、俺の銃弾が仕留める――!
 ……そのはずだった。

 真横に飛んで、硬直した『はず』の柳川がいる場所。そこでは、
「だから、迂闊だと言った」
 まるで何事も無かったかのように、柳川の銃口が、祐一に向けられていたのだ。

 何故だ、と呆気に取られると同時に、どん、どん、どん、と、音と同時に、祐一の体が小刻みに揺れた。
 手から、するりとワルサーが抜け落ちる。
 ああ、駄目だ。手放しては駄目だ。
 あれが無ければ、俺は、皆を、守れない――
 完全にワルサーが祐一の手から離れ、それに連動するかのように、彼の意識は、途絶えた。

「……所詮、お前では『鬼』は殺せない。いや、殺すつもりもなかったかもしれんがな」
 目を見開いたまま赤い水溜りを広げていく祐一を見下しながら、柳川はそう言った。
 所詮は素人の考えだ。
 何度か運に助けられたからといって、それで勝てると思い込む。
 殺し合いで運を信用してはならないのに。
 結局は、場数を踏み、より実戦慣れしている俺が勝った。
 ――つまらないな。

 ふぅ、と一つ息をつき、戦利品のワルサーP5を拾い上げたとき、一つ、声が登場した。

598Trust:2008/05/05(月) 17:20:35 ID:rjytJX2E0
「やはり、貴方はそういう人だったんですね、柳川裕也さん」
「宮沢……か?」

 振り返った先で、気味の悪い、蔑んだような笑顔を浮かべながら立っていたのは、宮沢有紀寧だった。
 わずかに不快感と、その言葉の意味を尋ねて、柳川が喋る。

「どういう事だ」
「分かりませんか?」

 相変わらず嘲笑するような笑みの有紀寧に眉を顰めて柳川が返事を返す。
 すると有紀寧は、やれやれ、と物分りの悪い子供に言うように肩をすくめる。

「ですから、貴方はやはり殺人を楽しむような、そんな人間だったという事です」
「何だと」
「違いますか?」
 今までとは明らかに違う有紀寧の雰囲気に敵意を持ち始めながらも、柳川は殺人鬼と形容する有紀寧の言葉を否定しようとする。

 だが有紀寧は何を今更、と言わんばかりの表情で、
「わたしはずっとあの様子を眺めていましたが……あれは明らかに暴力に訴えていたじゃないですか。何故話し合いをしようと思わなかったんです?」
「話し合いも何もない。奴は殺し合いには乗っていないと嘘を吐き、卑怯にも倉田を殺した、そんな奴だ。生かす理由が無い」
「では、藤林椋、という人とやらが本当にその倉田さんを殺した証拠でもあるんですか? ここに来るまでにその話を聞いてましたが、貴方の話を聞いている限り、戻ってきたときには殺されていた、それだけでしょう? 本当に彼女が殺したかどうかなんて、分からないじゃないですか」
「だがそれなら俺がいくら探しても出てこなかったのは何故だ。奴が殺し合いに乗っていることの証拠だ」
「そうでしょうか? 襲いかかる真犯人から逃げるために、そうせざるを得なくなったのかもしれないかもしれません。確かな証拠がない以上、柳川さんの言っていることは憶測なんですよ」
「……何が言いたい」

 回りくどい言い方に痺れを切らした柳川は、トーンを上げながら真意を尋ねる。
 せっかちですね、と全く調子を変えぬまま、有紀寧は続ける。

599Trust:2008/05/05(月) 17:21:07 ID:rjytJX2E0
「つまり、貴方は倉田佐祐理さんの死を免罪符にして、殺し合いを楽しんでいる。別に犯人が誰かなんて関係ないんです。ただ殺し合いを正当化する理由を求めていただけなんですよ」
「ふざけるなっ! そんな事が」
「違うとでも? では何故そこの男の子を殺したんですか」
「何を……藤林椋を追いかけるのを、妨害したからに決まっている」

「だからといって、殺す必要性はありましたか?
 見たところ実力差ははっきりしているようでしたし、戦闘不能に持ち込むくらいは容易いはずでした。
 なのに貴方は無常にも殺した。それも銃弾を三発も撃って。そして極めつけは、『つまらないな』ですか。
 そもそも、本当に藤林椋さんを殺したいだけならさっさと戦闘を切り上げて追いかければよかったんです。
 なのに貴方は戦闘に拘った。本当に、ええ、本当に楽しそうな表情でしたよ、殺し合いを楽しむ貴方の顔は」

 殺し合いを楽しむ、そう言った有紀寧の顔には見下すような色が篭められている。
 有紀寧は決して糾弾しているわけではない。
 ただ、殺し合いに抗うと言った人間が殺し合いを楽しんでいる、その姿が浅ましいように見えたのだ。
 ――もっとも、目的は別にあったが。
 一方、まったくの正論に、柳川は言葉を返せない。確かに、方法論としてはそうするべきだった。だが、それでも、まだ否定しなければならない部分がある。

「……お前の言う事も一理ある。だが、俺は殺し合いを楽しんでなどいない! それは事実だ!」
「は、まだ言いますか? まったく、貴方の偽善者ぶりには呆れます」

 侮蔑したように言う有紀寧だが、「どうしてそんな倫理にこだわっているのですか?」と、まるでうってかわったように優しい口調に変わる。
「貴方は殺人に快楽を求める人間なんですよ。とどめを刺したときの貴方の顔を見ていれば分かります。
 ですが、それがどうしたんですか? 楽しめばいいじゃないですか。
 ここは殺戮が許される場所……いくら人を殺したって、裁かれることはないんです。
 本能のままに身を任せ、存分に殺しあえばいいんですよ。本当は、他人なんてどうでもいいんでしょう?
 まあ、家族くらいは別でしょうが……人を殺す理由が欲しいんですよね?」

600Trust:2008/05/05(月) 17:21:28 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと柳川に向かって歩きながら、全てを受け入れるかのような有紀寧の言葉に、今度は否定の言葉を返すことができなかった。
 そう、ここに来るまで、柳川は日々苛む殺人の衝動に耐え、それでも耐え切れずに何人もの人間を殺害している。
 しかしそれは鬼の本能のせいだ。ここに来て以来、殺人を自発的にしようとは、思わなくなっているではないか。
 これが本来の柳川だ。そんな、血を好むような、悪しき人間であるはずなどが、ない。

「――違う!」

 だから、理由などなくてもいい。柳川は、否定し続けることを選んだ。
 自分は、決して殺人鬼――いや、快楽殺人鬼などではないと。
「俺は、そんな人間ではない! 誰が、何と言おうと……! だから、俺は、貴様を否定する……!」

 ワルサーP5を、有紀寧へと向ける。ディテクティブスペシャルは既に弾切れだった。
 何発入っているかは分からないが、目の前に立ちはだかり、誘惑したこの悪魔を斃すには十分だろう。
 ご丁寧に近づいてきてくれたお陰で、この近距離だ。避けられるわけがない。
 けれども、有紀寧は焦るどころか、苦笑いを浮かべ、余裕綽々という風に首を振った。

「全く、偽善者というものは度し難いですね……でも、貴方にわたしは殺せませんよ?」
「は、貴様は死なないとでも言うのか」
「まあ、違いますけど。正確には、貴方の家族が死んでしまう、ですかね」
「……何?」
「見てください」

 そう言うなり、有紀寧がポケットから粉末のようなものを取り出す。
 それを軽薄に、さらさらと揺らしながら、有紀寧は言う。

「これは遅効性の毒……支給品な訳ですが、ということは当然、解毒剤もある訳ですよね? さて、毒は誰に使ったと思います?」
「……! 貴様、初音に――」
「ええ、まあ。貴方が走り出した直後くらいにですが。もって24時間というところでしょうか。勘のいい貴方なら、もうわたしの言いたいことは分かりますよね?」
「……」
「解毒剤はわたしにしか分からないところに隠しました。つまり、わたしの命は初音さんの命という事です。この場でわたしを殺しても構いませんが、大切な家族の初音さんを見殺しにはできないですよね? ああ、それとも『偽善者』なんですからやはりわたしを殺しますか? いえ、『殺人鬼』でしょうか?」
「……何人だ」
「ふふ、物分かりがいいですね。取り敢えず貴方はとても強そうですから、5人程お願いしますね。ああ、それと――」

601Trust:2008/05/05(月) 17:21:52 ID:rjytJX2E0
 カチッ、と音が鳴った。続いて、柳川の首輪が赤く点滅を始める。
 何事かと有紀寧を睨み付ける柳川に、ひらひらとリモコンを取り出しながら有紀寧は告げる。

「今、24時間後に首輪爆弾を作動させるリモコンのスイッチを押しました。当然解除方法はわたししか知りません。下手なこと、しようなんて思わないでくださいね?」
 ギリッ、と歯噛みし、己の不覚を恥じながら、柳川は一つ尋ねる。

「……ということは、当然これは――」
「ええ、初音さんにも作動させてあります。解毒剤だけ見つけても無駄だということですよ。分かりましたか?」
「貴様……」
「殺したいですか? そうでしょうとも、殺人鬼なんですから、貴方は。さ、早く行った方がいいですよ。時間は、待ってくれませんからね」

 己の絶対優位を確信した有紀寧が、暢気に空を見つめる。
 まったく、柳川裕也も甘い人間だ。
 本当は毒なんて嘘で、首輪爆弾も実際には初音には起動していないというのに。
 それこそ確証のないことを信じる柳川という人間は、やはり救えない、と有紀寧は思っていた。
 柳川は血がでそうなくらいに拳を握り締めながら、聞く。

「く……一つ、最後に一つ、聞きたい。貴様……殺し合いに、乗っているんだな?」
 すると有紀寧は、何を当たり前のことを、と言って、続ける。
「ええ、そうですが? これで乗っていなければそれこそジョークです」
「……だろうな。何故、乗った」

 答えるのも面倒臭そうな様子で、有紀寧は返答する。
「決まってますよ。……死にたくないからです」
 その一言で、柳川は言うか言わまいか決めかねていた言葉を、発する。
「なら、決まりだ。貴様は……必ず、殺す」
「……楽しみにしていますよ、柳川さん」
 背を向ける柳川に向ける有紀寧の視線は、また蔑むようなそれへと戻っていた。

602Trust:2008/05/05(月) 17:22:20 ID:rjytJX2E0
     *     *     *

「もう、ここまで来れば……!」
 祐一と柳川のいる場所から少し離れた、民家の影。大きく息をついている三人を見ながら、浩之はそう言った。
 背後には、柳川の気配はない。ということは、祐一の足止めは成功しているということだ。それは彼が未だに戦い続けているということでもあったが。
「……」

 それも理解している以上、このまま突っ立っているわけにはいかない。デイパックから武器になりそうなものを取り出し、元いた方向へ一歩を踏み出そうとした浩之の裾を、みさきの手が掴む。
「浩之君……」
 不安に震える、みさきの腕。あまりに切実な感情。だが、それでも、浩之は優しくみさきの手を解かねばならなかった。
「みさき。俺は、祐一の助けに行かなきゃいけない。あいつを助けてやれるのは、俺だけなんだ」
「……悔しいよ」
 違う。みさきの手は、不安で震えてなどいなかった。

「目が、見えてれば、良かったのに」
「……」
「みさきさん……」

 観鈴と椋が、複雑な表情を浮かべる。その心中は、察するにあまりあるものだった。
「我侭だよね。……ごめんなさい、浩之君」
「……みさきにだって、守れるものはあるさ。安心だ。みさきがいるだけで、俺は安心できる。だから、待っててくれよ、笑顔で戻ってこれるようにさ」
 肩を叩きながら、浩之は笑う。その雰囲気を感じ取ったのか、みさきも笑った。

「行って来る。観鈴、二人を頼むぜ」
「う、うんっ。観鈴ちん、ふぁいとっ」
「頑張ってね、浩之君」
「……おう!」

603Trust:2008/05/05(月) 17:22:38 ID:rjytJX2E0
 最後に、かけられたその声に、力を貰ったように、浩之は駆け出し、あっという間にその背中は小さくなっていった。
 二人が、その背をいつまでも見つめている間に、もぞもぞと動く人間が、一人だけいた。

「浩之君、大丈夫、だよね?」
「大丈夫だよ。うん、心配しなくても浩之くんは大丈夫。強いし、丈夫そう。にはは」
 観鈴の笑い声に釣られるようにして、みさきも笑う。

「みさきさん、やっぱり笑ってた方が可愛いよ。その方が、浩之くんも喜んでくれるよ」
「……? どうして、浩之君の名前が出てくるの?」
「えっ? だってみさきさん、浩之くんの彼女さんじゃないの?」
「え……そ、それって……ち、違うよ〜、私と浩之君は、別に……」

 顔を真っ赤にして、俯くみさきだが、遠慮を知らぬ観鈴は追い討ちをかける。
「違うの? でも、好きなんだよね、みさきさん」
「それは、えーと、その……」

 ごにょごにょとどもるみさき。観鈴は返事を待っているのか、何も尋ねてこない。
 しばらく悩んで、同性の観鈴になら、と意を決したみさきが、顔を上げる。
「……うん、その、好き……だけど」
 ……が、観鈴から返事はない。いつまで待っても、返事はない。
「あの、観鈴ちゃ――」

 ガツン、と、何かで強烈に頭を叩かれる。そんな感覚がして、平衡感覚を失ったみさきが倒れる。
 同時に、べちゃ、という何か生ぬるい液体に触れた感覚が伝わった。
 何だろう、この生ぬるい液体は。

「……やっぱり、これくらいじゃまだ死なないんですね」

604Trust:2008/05/05(月) 17:23:08 ID:rjytJX2E0
 そんな風に考えるみさきの頭上から、ひどく冷たい声が降りかかった。
「椋、ちゃん?」
「うん、やっぱりあなた達、邪魔です。死んでください」

 理解できなかった。この声は、確かに藤林椋のそれだ。
 殺し合いなどとても望んでいるとは思えない、椋の声そのものだ。なのに、何故、あんなことを言っているのか。
 混乱するみさきに、更に声がかかる。

「ですけど、せめて楽に殺してあげます。観鈴さんのようにすぐに楽になりますから、安心してください」
「――え? 観鈴ちゃんが、あなたに」

 それがみさきの言いえた、最後の『まともな』言葉だった。
 腕にチクリとしたものが走ったかと思った瞬間、猛烈な吐き気――いや、苦しみがみさきを襲う。
「あ、あ、あああ、か……!」

 声にならない声を上げながら、血溜まりの中をのたうち、みさきは苦しむ。
 命が吸い取られていく感覚の中で、彼女は彼女のもっとも大切な存在へと、手を伸ばす。
 浩之君、浩之君、浩之君! 助けて、苦しい、苦しい、苦しいよ……!
 ひろゆきくん、たすけ……

「――」

 思いすら、最後まで言い切れないままに――川名みさき。神尾観鈴は、裏切った藤林椋の前で、無残に死んだ。
「……ふぅ。一時は、どうなることかと思いましたけど」
 みさきが完全に死ぬのを確認した椋は、額についた汗を拭いながら己の幸運を噛みしめる。

 演技が功を奏したらしく、この連中は椋の言葉を信じてくれた。
 お陰で、柳川から逃げることができたし、また二人も殺せた。
 それに柳川は強敵だ。相沢祐一はともかく、藤田浩之も無事では済まないだろう。いやこのまま死んでくれるのが望ましい。
 ともかく、ここからは離れよう。
 デイパックから使えそうなものを奪取し、観鈴殺害に使った包丁を引き抜こうとする。

605Trust:2008/05/05(月) 17:23:25 ID:rjytJX2E0
「ん〜……!」

 が、体に深々と突き刺さり、心臓まで貫いている包丁を抜くことは出来なかった。伝説の勇者でもないと無理だろう。ああ一般人は切ないです。
「まあ、いいです。包丁くらい」
 それよりも一番の収穫は参加者の人数が分かるという道具。
 結局どれかははっきりしなかったが、このフラッシュメモリが怪しい。
 パソコンに繋げば、結果は分かる。
 楽しみで仕方なかった。早く、早く姉の居場所を知りたい。
 荷物を仕舞った椋は、ふんふんと鼻歌を鳴らしながら、その場を後にした。

     *     *     *

「……クソッ、一歩、遅かったってのかよ」

 立ち尽くす浩之の前には、相沢祐一だった男の遺体が転がっている。
 無念を押さえきれぬかのように、目が見開かれている。
 既に、この場には誰の姿もなかった。あの男は、今も椋を探して走り回っているのだろうか。
 戻らなければならないと思いつつ、それでも祐一をそのままにしておくことができずに、浩之は祐一の体を整えなおし、目を閉じてやった。
 敵を、とってやると心に誓って。

「祐一、やっぱ、俺は間違っていたのか……?」

 そう呟く浩之の耳に、ひどく不快な雑音が響いてきた。
 それは、放送――
 新たな絶望の火を灯す、悪夢の時間だった。

606Trust:2008/05/05(月) 17:23:48 ID:rjytJX2E0
【時間:二日目18:00】
【場所:I-6】
【当面の目的:聖を連れ帰る】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:呆然。守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

相沢祐一
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】


【時間:二日目18:00前】
【場所:I-6、南部】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(7/7)、100円ライター、包丁、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×1:即効性の猛毒、黄×3:効能不明)】
【状態:マーダー。上機嫌。左腕を怪我(治療済み)、姉を探しつつパーティに紛れ込み隙を見て攻撃する】

川名みさき
【所持品:包丁、ぼこぼこのフライパン、支給品一式、その他缶詰など】
【状態:死亡】

神尾観鈴
【持ち物:なし】
【状態:死亡】

607Trust:2008/05/05(月) 17:24:19 ID:rjytJX2E0

【時間:二日目18:00前】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:柳川おじさんに少しなついた。目標は姉、耕一を探すこと】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(3/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。他の参加者を五名殺害する】
【備考:初音が遅効性の毒にかかっていることと首輪爆弾のカウントに入っていることを信じている(実際は嘘)】
【備考2:柳川の首輪爆弾のカウントは残り24時間】

【その他:有紀寧のコルトパイソンは初音には存在を知らせてない。スイッチも同様】

→B-10

608アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:22 ID:MN3neXwE0
 
葉鍵ロワイアル3/ルートD-5
BLサイド・終章「アイニミチル」




******

609アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:38 ID:MN3neXwE0




 ―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。




******

610アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:10 ID:MN3neXwE0


「……ここも、久しぶりですね」

地の底まで続くかのような、長く薄暗い洞窟の中に、静かな声が反響する。
点在する灯火の揺らめきに照らされるその瞳は少女らしき容貌に似合わず、
朝霧に煙る湖面の如き妖しい静謐を湛えていた。
背後には、ぼんやりと淡い光を放つ巨大な何かが二つ、存在している。
まるで従者の如く少女の歩に合わせて動くそれは、色硝子によって作られた十字架のようであった。
十字架とは元来、聖の象徴ではない。冷厳たる磔の道具である。
内部から淡い真紅の光を放つその十字架にもまた、磔刑に処されたかのような影が、あった。
ぐったりと俯いたまま動かない姿は十字架と同じ、二つ。
淡い光に浮かんだシルエットは、どちらも女のようであった。

「―――貴女がいつ、ここに足を踏み入れたというのですか、パーフェクト・リバ」

かつ、と革靴の岩肌を食む音と共に声がした。
薄闇の向こうから現れた姿は、やはり少女。
たっぷりとした長い髪を二つに編みこんで肩から垂らしている。
しかし儚げな雰囲気を漂わせるその小さな体に、不釣合いといえるものがあった。
声と、瞳である。
触れれば斬れそうな鋭さと、底知れぬ冷たさを秘めた声。
瞳はといえば、夜の森の深奥に咆哮を上げる獣のそれと同じ色の光が浮かんでいる。
場にそぐわぬ分厚い本を手にしたその姿を認めて、赤光の十字架を連れた少女が足を止めた。

「先回り、ですか。ご苦労なことですね、里村さん」

皮肉めいた言葉と共に僅かに会釈するが、名を呼ばれた編み髪の少女、里村茜は
ただ厳しい視線を向けるのみで、挨拶を返そうともしない。
無表情に近い顔の中、瞳にだけ怒気を浮かべて口を開いた。

611アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:56 ID:MN3neXwE0
「贄を返してもらいましょうか、パーフェクト・リバ」
「私には天野美汐という名があるのですけれど」

十字架の少女、美汐が苦笑気味に呟く。
委細構わず、といった風情で茜が一歩を踏み出した。

「貴女は私たちに与することを拒んだ。……ならば、その贄を連れまわすことも、
 この場に足を踏み入れることも赦しません。贄を引渡し、早々に立ち去りなさい」
「それも、『黙示録』の定めた事象ですか?」
「……!」

微かな笑みを浮かべて漏らされた美汐の呟きに、茜の顔色が変わる。
瞳の奥に蠢く獣が、牙を剥いて唸るかのような視線。
美汐の視線は茜の手にした分厚い本に向けられていた。

「……貴女にその名を呼ぶ資格はありません、パーフェクト・リバ」
「それを棄てた女の言葉には腹が立ちますか、やはり」

薄笑いを浮かべた美汐の言葉が、空気を一段と刺々しいものにしていく。
いつの間にか、茜の持つ本が淡い光を帯びている。
それは美汐の連れた十字架の放つものと同じ系統の、赤い光であった。
明るく澄んだ十字架のそれと比べ、茜の本から漏れ出すそれは暗く澱み、酸化した血液を想起させる。
流れ出た血の色の光をその手に纏わせて、茜がさらに一歩を踏み出す。

「素直に引き渡さないというのであれば、あまり望ましくない手段を採らざるを得ません」

言いながら歩を詰めるその眼は、既に害意に満ちている。
本から漏れ出す光が次第に強くなっていく。

「……『黙示録』はあなたの勝利を告げているのですか」
「黙りなさい」
「言葉を変えましょう。……その『黙示録』とやらに、私の名は刻まれていますか」
「黙りなさい、と言っているのです」

612アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:13 ID:MN3neXwE0
刃の如き言葉と同時、茜の手から光が伸びた。
垂れ落ちる血のような光が、まるで粘性の体を持つ生物であるかのようにのたくりながら美汐へと迫ったのである。
光は瞬く間に美汐の腕に絡みつく。

「……赤の力で私が止められると、そう思っているのですか」

自由を奪われた腕を、しかし表情を変えずに煙るような瞳で見やりながら、美汐がつまらなそうに告げた。
対する茜は美汐の言葉に、不敵な笑みを返してみせる。

「ええ、一時しのぎにしかならないでしょうね」
「なら―――」
「一時しのぎにはなる、と言ったのですよ、私は」

言うが早いか、茜の手から新たな光が伸び、形を成していく。
新たな光は美汐の腕を捕らえた粘性のそれとは違い、硬質な印象を与える。
伸びていく光が、人の二の腕ほどの長さでその伸長を止める。
赤光で作られたそれはまるで刃―――短刀のようであった。
一瞬の内に、茜の手には赤光の短刀が握られていた。

「また、器用な真似を」

苦笑する美汐に、ぎらりと光る刃が向けられる。
表情一つ変えぬその顔に突き込まれるかと見えた刃は、だが美汐ではなく、狭い洞窟の天井を指し、止まる。

「貴女にも―――贄となっていただきましょう」

刃を天へと翳した茜が、それを振り下ろす。
何もない中空を斬った刃が、光の粒となって消える。
奇妙な行動の成果は、奇怪となって表れた。
赤光の刃が通った軌跡、その空間が、黒く染まっていたのである。
否、空間が黒に染まったのではない。空間に、黒が染み出していた。
美汐の十字架の放つ淡い光も、点在する灯火も、茜の手にした本から漏れる赤光も、黒を照らすことはない。
光という概念を否定するかのような、それは厳然たる黒であった。

613アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:39 ID:MN3neXwE0
一瞬の間を置いて、黒の中に色が現れた。
蠢く、桃色。
人の皮膚を裂き、真皮を剥ぎ取った向こうに見えるような、脈動する肉の色であった。
うぞうぞと蠢く肉色が、黒を侵食するように増えていく。
清廉な黒を腫瘍が侵していくような、そんな醜悪な光景。
肉色に隠されて、次第に黒が見えなくなっていく。

ぞる、と怖気の立つような音を引きずりながら実体を持った肉色の塊がその頭を覗かせたのは、
黒が覆い尽くされて間もなくのことだった。
茜の赤光が斬ったその空間から、肉色の不気味な塊がぞるぞると這い出してくる。
絶え間なく涎を啜るような音を立てながら次々と現れたそれは、巨大な蚯蚓か、蛞蝓を連想させる。
人の腕ほどもある太さの胴は長く、そのところどころに醜い凹凸を持つ、眼も口もない蚯蚓。
全身を得体の知れない粘液でぬらぬらと照り光らせ蠢くそれは、まさしく悪夢の産物であった。

「パーフェクト・リバ……極上の餌に、この子たちも喜んでいるようです」
「……」

肉色の蚯蚓が、ぞろりと舌なめずりをするように動いた。
見やる美汐の目に恐怖の色はない。
ただどこか光を照り返さぬようなところのある瞳が無表情に、蠢く蚯蚓の群れを眺めていた。

「贄……ですか。これまで一体、幾人を捧げてきたのでしょうね」
「知ってどうします? これから蟲に犯され、呑まれる方が」
「こんなものを喚び出して、贄を捧げていれば……次第に境界が歪んでいくというのに」
「……」
「このこと……あの方はご存知なのですか?」
「答えるつもりはありません」

淡々と交わされる言葉の端々に、棘が覗く。
棘にはたっぷりと毒が塗りつけてある。
人の肉ではなくその内側を傷つけ、やがては死にまでも至らしめる、それは悪意という猛毒であった。

「……そう、ですか」
「ええ。さようなら、パーフェクト・リバ」

言葉を合図に、茜の足元に蠢いていた蚯蚓が、その鎌首をもたげた。
半透明の粘液が、どろりと糸を引いて地面を汚す。
ぞるぞるとのたくる眼球もないそれらが一体どのような器官をもってか、一斉に美汐の方を向き―――

「……あなたは少し、ご自身でも痛い目を見られた方が宜しいでしょう」

―――その動きを、止めた。

614アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:05 ID:MN3neXwE0
「……っ!?」

茜が眼を見張る。
一瞬の間を置いて、蚯蚓の群れがその動きを取り戻していた。
茜が、一歩を退いた。
蚯蚓の群れは、そのどろどろと粘液を排泄する頭を、一斉に茜の方へと向けていたのである。

「……!」

さらに一歩を退いた茜の革靴の踵が、何かに触れる。
ぶよぶよとした感触。
思わず振り向いた、その眼前。
息のかかりそうな間近に、蚯蚓の肉色があった。
悲鳴にも似た吐息が漏れるよりも早く、茜の手首に濡れた感触が走る。
白く細い手に、醜い肉の蚯蚓が、まとわりついていた。
どろりとした粘液が茜の掌に垂れる。

「……っ!」
「―――怖ろしければ叫んでも構わないのですよ、哀れな贄のように」

必死に悲鳴を押し殺したような茜の吐息に、美汐が微かに笑う。
いつの間に解いたものか、その腕を拘束していたはずの赤い光は既に影も形もない。

「これ、は……どういう、ことですか……、パーフェクト・リバ……!」

睨むような視線にも、美汐は意に介した風もなくそっと肩をすくめてみせる。
その仕草にあわせたように、新たな蚯蚓が茜の身体へと迫っていく。
べたりとした粘着質の柔らかいものが、茜の肉付きの悪い脛に巻きついた。
圧迫されたふくらはぎがその形を歪める。
寄せられた肉がぷっくりと膨らむところに、嫌な臭いのする粘液が塗りたくられた。
嫌悪感に表情を強張らせる茜を面白そうに眺める美汐。

615アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:22 ID:MN3neXwE0
「少し、講釈をしましょうか……『先輩』として」
「……くぅっ……!」

茜のハイソックスの内側に、蚯蚓が入り込んだ。
踝を嘗め回されるような、鳥肌の立つ感触。
白い布地の内側から粘液が染みて、その色を変えていく。
既に声など聞こえていないようだった。
構わず言葉を紡ぐ美汐。

「―――GLは憧憬。凛と立つ百合に添う薄暮の茜」

謡うような節回し。
細い美汐の声が、このときばかりは凛々しく張り詰めたものとなっていた。

「あなたの手にしている書の、冒頭に記された言葉です。
 GLの概念を示したものと伝えているはずですね」
「……ぁ……っ!」

まとわりつく蚯蚓を払おうと振り回されていた、茜の空いた方の手が、数匹の蚯蚓によって捕らえられた。
白い二の腕についた柔らかな肉を食むように、蚯蚓が這い回る。
その通った跡に残る粘液が淡い赤光を反射して、てらてらと煌いた。

「ちなみに、BLの使徒が持つ書の冒頭には、こう記されています。
 BLは幻想。麗しき薔薇の咲き誇るを飾る蒼穹の風、と」

両の手を押さえられ、制するもののなくなった茜の身体に、蚯蚓が我先と這い上がっていく。
ベージュのベストの裾が捲り上げられた。

「どうしてそんなことを、とでも言いたげですね。
 何故BLの書に記されていることを知っているのか、と」

茜は美汐の方に視線を向ける余裕もない。
ベストの下に纏った白いシャツのボタンが、ぷつりと弾けて飛んだ。
臙脂色のスカートの上、ほんのりと薄く紅潮した肌が外気に晒される。

616アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:01 ID:MN3neXwE0
「驚くにはあたりません。何せGLにせよBLにせよ、二冊の書は私が……、
 いえ、『私たち』が、書き記してきたのですから」

一瞬だけ、茜の視線が美汐を射抜いた。
しかし臍の周りを舐るように這う蚯蚓の感触の前に、すぐに俯いてしまう。

「それにしても『黙示録』とは、随分と大仰な呼ばれ方をしていますね。
 我々の頃はそう……単に『覚書』と呼び習わしていたものですから、
 図鑑、というBL側の呼称の方が余程馴染みます。……話を戻しましょうか」

臍の胡麻を嘗め取るように、執拗に穴の奥まで頭を押し付けていた蚯蚓が、ようやくにして離れる。
息をつく間もなく、そのずるずると粘る感触が茜の胴を這い上がっていく。
荒い呼吸の度に浮かび上がる肋骨の隙間を一本、また一本と堪能するかのように、蚯蚓が群がる。
終わりなく続く怖気の立つ感触に、茜の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
そんな茜の様子には委細構う風もなく、美汐は淡々と言葉を続ける。

「各々の書に記されたBLとGLの概念。これは私たちが、恣意的に歪めたものです。
 より正確に伝えるならば……たとえばこんな風に言い表すべきでしょう」
「……っ!」

茜の身体が、弓なりに反った。
臍を嬲っていた蚯蚓どもが、今度は茜の白く細い脇と背筋を責めていた。
くすぐったさと薄気味の悪さ、粘液の冷たさと蚯蚓の肉の生温さ、それらが相まった、
ひどく異様な感覚であった。

「青は認める力。あり得べからざるを肯んずる心に湧く清水。
 赤は拒む力。認め得ぬ来し方、行く末の悉くを灼く想いの焔。
 相克の両儀も根は一つ。即ち―――意に沿わぬ『いま』の変革。
 青は『在る』を認め―――赤は『無き』を拒む、と」

ぷつり、ぷつりとシャツのボタンが飛んでいく。
胸元まで捲り上げられたベストの下、白く簡素な下着が見え隠れしていた。
その間にも、蚯蚓は背筋をそろそろと這い上がる。
脇を責めていた群れは、とうとう腋の下へと到達していた。

617アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:34 ID:MN3neXwE0
「―――それが、『私たち』が永い時の果てに見出した答えです。
 分かりますか? ……青も赤も、その根源には性など介在しないのです」

汗ばんだ腋に生えるものはない。
ただぷつぷつと毛穴だけが盛り上がっている。
そこに浮かぶ玉の汗を丁寧に掬い取るように、蚯蚓が触れては離れ、離れては触れる動きを繰り返す。
びくり、びくりと茜の身体が跳ねた。

「BLと呼ばれる青、GLと呼ばれる赤、各々が性の昂ぶりに呼応する力。
 ……そう、確かに力は性を奉ずる時、その威を増す。
 ですがそこに、明確な理由は見出せないのです。
 力の根源に性はなく、我々の使うこの力はただ、想いによって顕現する」

言った美汐の両手には、それぞれ違う色の光が宿っていた。
右には青い光。寄せては返す、南の島の波の色。
左には赤い光。夜闇を照らし、揺らめく炎の色だった。

「表裏を成す絶対具現の力―――無限を繰り返す私たちにすら、掴み得ぬ神秘」

両手を合わせると、光は一瞬だけ紫電を放ち、消えた。
後には何も残らない。

「私は、私たちには……この力で為すべき宿願があるのですよ。
 あなたもまた、そうであるように」

蚯蚓はいまや、茜の全身にまとわりついていた。
簡素な下着の上から、押しつぶすようにして茜の上体を締め上げるものがあった。
執拗に背筋を上下するものがあった。
膝から太腿にかけてを、何度も何度もねぶるものがあった。
編みこまれた豊かな髪を粘液で汚すものがあった。
白く細い指の一本一本に巻きつき、擦るものがあった。

「御機嫌よう、GLの使徒。私の可愛い後輩にして哀れな歴史の道化」

声を上げぬよう歯を食いしばって堪える茜に、最後にそう声をかけると、
美汐は暗い洞窟の奥へと歩き出す。
二つの赤い十字架もまた、滑るようにその後へと続いた。

「……っ!」

伸ばされた茜の手を、蚯蚓が引きずり戻す。
肉色の海の中に、濡れた音だけが響いた。


.

618アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:29:01 ID:MN3neXwE0


 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

里村茜
【持ち物:GL図鑑(B×4、C×無数)】
【状態:GLの使徒、危険】

霧島聖
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、元BLの使徒】

巳間晴香
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、GLの騎士】

→856 912 ルートD-5

619Like a dream:2008/05/10(土) 21:05:36 ID:2rboGYVg0
 ――どうすればいいのだろう。

 そんな考えだけが、川澄舞の思考にあった。

 ――どうして、こうなってしまったのだろう。

 そんな感情だけが、川澄舞の頭で渦巻く。

 悲劇は、防げたはずだった。
 武器を収め、きちんと話し合えば、犠牲者は最悪でも一人……吉岡チエだけに留めることができたはずだ。

「……私が、喋るのが苦手だったから……」

 もっと上手い言葉で説得できていれば。
 もっと穏やかな言葉で話し合っていれば。
 もしも、あの時、ああできれば。そんな後悔だけで、時間は経過していく。

「……佐祐理……私は、どうすればいいの」

 自分の最もよき理解者であった、倉田佐祐理に向けて、助言を求める。しかし返事はなく、空虚に言葉は吸い込まれていくばかりで。
 返ってくるのは、沈黙と言う名の罵倒。生き残ったほうが罪だ。そうとでもいうような。
 そう感じるのも、無理からぬことだった。たった一人の舞に、言葉を投げかけてくれる者はいない。
 加えて、元来舞は自己犠牲の精神が強い人間でもある。
 自殺すら、舞の脳裏には選択肢として存在していたくらいだ。
 それをどうにか押し留めているのは、未だ出会えぬ親友の佐祐理の存在があるからこそであった。
 その細すぎる一本の線だけを頼りに、舞はぶら下がっていた。

620Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:04 ID:2rboGYVg0
「……」

 少し、顔を上げれば、そこには涙の跡を残しながら、無念の表情で散っていった河野貴明の姿がある。
 その近くには、自らの死さえ理解できずに死んだ久寿川ささらが。
 隣では、憎しみに顔を歪めた長岡志保が。
 その少し先に、へらへらと奇妙な笑いを浮かべている、住井護が。
 そして、ここからでは見えないが、ぐちゃぐちゃになった頭で、恐怖の表情を浮かべたままの、観月マナの遺体があるのだろう。

 それは、いずれも生を渇望してやまなかった人間の姿である。
 濃密な死の匂いと一緒に、その思いが今も伝わってくる。
 どう応えればいいのだろう。彼らの思いは、どこで報われるのだろうか。
 知っているのは、舞ただ一人だった。

「知らせ、ないと」

 彼ら、或いは彼女らの友人に、知り合いに、知らせなくてはならない。
 そして、贖罪をせねばならない。
 罪人は、罰を受けるべきなのだ。
 うわ言のように、その言葉を発しながら、舞は貴明の遺体を外へと運ぶ。

 一人ずつ、埋葬する。
 それが生き残ってしまった者の勤めだと、舞はそう考えたのだ。
 鎖につながれた囚人のような、鈍すぎる足取りで、まずは貴明を外に出す。
 白い腕が、赤の化粧でみるみるうちに染まっていく。
 彼女が着ている赤を基調とした制服と合わせて、言わば紅の喪服。
 それは図らずも、彼女の沈痛な気持ちをよく表していた。

 貴明を地面に寝かせたところで、舞は道具が足りない事に気付く。
 地面を掘り返す道具がなかったのだ。
 ふらふらと立ち上がると、幽鬼のような面持ちでスコップ、或いはそれに準じる物を探す。
 物置。家の中。棚。押入れ――しかし、何故だろうか、地面を掘るのに適した道具は一つも見つからなかった。
 そこで、舞が選んだ方法とは――

621Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:33 ID:2rboGYVg0
     *     *     *

 どこか遠くで、小さな音が聞こえる。
 銃声だろうか、断続的に聞こえてきて、しかし大まかな場所すら特定できず、国崎往人は眉を顰めるしかなかった。
 平瀬村に入ったはいいものの、日も暮れかけている上に天候も芳しくない。その上早速死体を二つほど見つけたところだ。
 男と、女が一人。笹森花梨が言っていた北川潤と、広瀬真希という人物の特長には一致する。
 だとすると、その片割れの一人である遠野美凪の安否が気にかかるところではあるが……考えて、往人は美凪が殺し合いに乗っている可能性は、と思考を切り替える。

「……まさかな」

 あの超絶天然ボケ天文部部長が拳銃握り締めて殺し合いをしている姿など、どうしても往人には想像できなかった。
 そもそも、あの田舎町でみちると遊んでいた姿を見れば分かる。
 柔らかな物腰の奥にある、全てを包み込むような母性の瞳。
 あの優しさだけは付き合いの浅い往人でも分かる。あれだけは、何があっても揺ぎ無いものであると。

「……みちる」

 だからこそ、彼女の死が、恐らく美凪にとっては家族以上の存在である、みちるの死がどれだけ辛いものであるかは、往人でさえ察するに余りある。
 そう、だから自分が敵討ちを、引いては殺し合いに乗った人間の排除をしなくてはならないのだ。
 既に、往人は殺人鬼とはいえ人を一人殺してしまったのだ。
 大義名分があろうとも殺人には変わりない。いつか、大きなしっぺ返しを喰らうかもしれない。一人寂しく死んでいくのかもしれない。

 しかしそれでも、最悪でも自分の知り合いだけは。
 傲慢かもしれないが、観鈴も、美凪も、佳乃も、他の知り合いも。
 守れる限りは、俺が守ってみせる。

622Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:53 ID:2rboGYVg0
 新たに手に入れた、38口径ダブルアクション式拳銃(よく確認したところ、コルト・ガバメントのカスタムバージョンだということが分かった。別にガンマニアではない往人はどうこう思わなかったが)を決意を込めて握り締める。
 それまで持っていたフェイファー・ツェリスカはあまりに重過ぎることと、撃ってみて反動が半端ではなかったので少しでも扱いやすい拳銃を選ぶことにしたのだ。
 とはいえ、デイパックの中に入れていてなお存在感を放つその重厚感は、頼りになるのには違いなかった。

「そういえば……」

 ポケットの中から、伊吹風子にもらったスペツナズナイフの柄を取り出す。お守りにともらったものなのだが、役に立つとは思えない。
 かといって、ポイッとデイパックに仕舞えるほど往人は冷たい男でもない。往人は人情に熱い男なのだ。目つきは最悪だが。

「ふむ」

 どうにかして穴を開けて、紐を通して首からかけておけばいいだろう。おお、お守りらしいじゃないか。
 以前観鈴の家で見た戦争映画の、兵士がつけているドックタグを思い浮かべながら、往人は満足そうに頷いた。

「となれば、まずはどこかで穴を開けるものを探さないとな。キリがベストだ」

 幸いにして柄の部分は木製だ。まあ金属製の部分もあるだろうが、力技で開ければいい。往人は力の一号なのだ。目つきは最悪だが。
 これまたテレビで見ていた、『大脱走』のテーマを鼻歌で鳴らしながら(音程が滅茶苦茶だったが)往人はそれっぽいものがありそうな民家を探して平瀬村を進んでいく。

623Like a dream:2008/05/10(土) 21:07:19 ID:2rboGYVg0

 さく、さく。


 そうだ、探すといえば、人形も探さないとな。いつまでもパン人形のままでは人形遣いの名がすたる。
 一番いいのはずっと労苦を共にしてきたあの人形なんだがな、とぼやきながら往人は歩き続ける。


 さく、さく。


 待てよ、こんな殺し合いを開催した人物があの人形を捨ててやしないだろうか。恐らく持ち物は没収されているのだろうし。
 いや、別に汚いと言っているわけじゃないぞ。ただあれは相当な年代物だからな。なにしろ何代も前の代物らしいし。


 さく、さく。


 考えてみればあれもガキに蹴られたり犬に持ち逃げされたり、不憫だ……ずっと一緒にいると妙な愛着があるんだよな。
 相棒というか、古女房というか。うーむ、ますます捨てられてないか不安になってきたぞ。


 さく、さく。


 ……それにしても、さっきから聞こえるこの不規則な音はなんだ?
 気のせいだと思っていたが、僅かに何かを引き摺るような、擦るような音がする。


 さく、さく。

624Like a dream:2008/05/10(土) 21:07:48 ID:2rboGYVg0

 空を見上げる。雲が見え始めてきたコーラ色の空から、したたるように聞こえる小さな違和感。
 まとわりつかれるような、そんな不気味さを含んでいる。


 さく、さく。


 いや、それは呻きだった。
 生者、死者を問わず搾り出される、怨嗟の悲鳴だ。


 さく、さく。


 濃密な死臭。いつの間にかそれが自分の周りを取り囲んでいることに、往人は気付いた。
 そこにいるだけで、どんな意思をも奪いそうな。


 さく、さく。


 ふわりと舞い上がった匂いが、撫でるように往人の頬を通る。
 それが自分を暗闇に引きずり込む腕のような気がして、往人は逃げ出したくなった。


 さく、さく。


 だが、と思い直す。
 これが幻聴でないのならば、その先には、同じように死の気配に囁かれる、人がいるのではないだろうか。

625Like a dream:2008/05/10(土) 21:08:12 ID:2rboGYVg0

 さく、さく。


 もしも、それが観鈴であったなら――
 振り払わなければならない。この匂いが帯びるモノを。
 次の音が聞こえる前に、往人は返しそうになる踵にしっかりしろと鞭打って、前進させた。


 さく、さく。
 さく、さく。
 さく、さく。


 音の正体は、やはり、人であった。
 しかし、それは囚人、奴隷、亡者か、いずれその類に違いない。
 そう思わせるほどに、目の前の光景は異常だった。
 往人は言葉にできなかった。

 目の前に居座る人間が、穴を掘り返している。
 近くには死体。
 恐らく、墓でも作ろうとしているのだろうか。
 その程度の察しはつく。
 だが、目の前の人間は、少女は、何も持ってはいなかった。

626Like a dream:2008/05/10(土) 21:08:36 ID:2rboGYVg0
 病的なまでの動作で、手を用いて穴を掘り返している。
 さく、さく。と、爪を地面に突き刺し、ブルドーザーのように土を削り取ろうとして、けれども失敗。
 僅かに土を払うばかりで、一向に穴は大きくならない。
 いや、そもそも人の手で墓を作れるほどの穴を掘れるわけがないのだ。
 まるで、おままごとだった。そしてそれ以上に、作業は永遠であった。

 ここは、どこなのだ?
 そんなわけの分からない疑問が、立ち尽くす往人の頭に浮かぶ。次いで、すぐに状況を表すべき言葉が浮かぶ。
 殺し合いの場ではない。ましてや平和な世界でもない。
 そう、地獄なのだ。咎人が果て無き贖罪を繰り返す、牢獄だった。

 往人は眩暈で倒れそうになる。
 人の赴く場所ではなかった。引き返し、すぐにでも新鮮な生を帯びた空気を吸い込まねばならない。
 こんなところにいては、気がおかしくなってしまう。
 それに目の前の人間は一目見るだけで観鈴ではないと分かる。

 引き返せ、引き返せ。それは逃避ではないのだと、往人の本能が告げる。
 往人の呼吸が荒くなる。胸が苦しくなり、汗が吹き出す。
 これ以上毒気に当たってはならぬ。国崎往人、お前の目的はここに来ることではないはずだ。つまり。目の前の『モノ』は、


 見捨てろ――


 往人の内の声が、そう囁くと同時か、少し遅れて、背後の気配に気付いたのか、虚ろな様子で振り向いた。

 色こそ違えど、腰まで真っ直ぐに伸びている流麗な髪。
 土や血の朱が汚していてもなお、輝きを失わない白い肌。
 深遠を閉じ込めたような、自然を映す瞳。
 少女ではなく、それは、女の子だった。

 身体を絡め取られた往人を一瞥すると、女の子が、口を開く。

627Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:00 ID:2rboGYVg0
「――」

 声は小さすぎて、何を言っているのか往人には判別できなかった。
 だが声を聞いた時、いや女の子……川澄舞のその瞳を見た瞬間、往人はまとわりついていた己の内の全てを振り払って、彼女に駆け寄っていた。

『助けて――』

 実際は違うだろう。間違いなく違うと、そう言えるだけの自信が往人にはある。
 恐らくは、言った本人でさえどうでもいいことを呟いただけなのだろう。
 しかし、それでも、虚ろで悲しいその目は、往人を確実に動かしたのだ。
 また、助けたいというその意思は、往人が望んだものでもあったから。

「何をしてる!」

 一瞥しただけで、また作業に戻ろうとした舞の腕を往人が掴む。
 どこでこびりついたのだろう、爪は土の色以上に血まみれで赤いマニキュアと化していた。

「やめろっ! 何があったのか知らないが、お前、血だらけじゃないか!」
「……放して」

 しかし、舞が示したのは拒絶だった。
 舞にとっては、これは墓作りであり、贖い。それをしなければ、地獄に落ちる資格すらないと彼女は思っていたのだ。
 弱々しく振り払おうとする。しかし一層強く、往人は舞の腕を……いや、手を握った。まるで包み込むように。

「……放して」

 うわ言のように、繰り返す。そこに意思は感じられなかった。往人は黙って首を振る。

628Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:22 ID:2rboGYVg0
「墓を作るなら、手伝ってやる。だがお前がそんなんじゃ作業にもならない。墓なんて、いつまで経っても作れないぞ」
「……」

 まずは、この無意味な行為を止めさせなければならなかった。終わりの無いメビウスの輪を、断ち切らなければならなかった。
 手を握りながら、真摯に舞へと向き合う。例え目の前の舞の瞳が往人を映していなくとも、きっと見えるようになるはず、そう信じて。

「まずお前の手当てだ。指がボロボロだしな。他に怪我はないか」
「……」

 返事はない。だが手を引っ張っても抵抗する様子は見られない。とりあえず納得はしてもらえたようだ。
 見たところ血まみれだが特に怪我などは見当たらない。そこは大丈夫そうだった。
 まだそこまで頑なではない舞に、多少ホッとしつつ、往人は舞の手を引いてすぐ近くにあった民家の中へと入る。

 ……しかし、その家の中は、さらに死の匂いで満ちていた。
 死体。死体。死体。死体。死体――計五つ。
 外に置かれていた一人など、まだその一人に過ぎなかったというのか。
 舞の手が震えているのを、往人は感じた。

 これだけの人間の死を、一手に受け止めたであろう少女。その絶望は、果たしてどれほどのものであったのだろう。
 何度か死を間近に捉えたことのある往人でさえ、想像も及びつかない。
 そして、このような状況になるまでには、さらに深い惨劇があっただろう。
 恐らくは、誤解、憎悪、怨嗟、悲鳴、殺戮。負という負の言葉を全て織り交ぜた光景が広がっていたのだろう。

「……ここは、まずいな」

 ここで治療を施すのは、往人でも躊躇われる。幸いにして(現実的に考えれば当たり前であるが)、部屋は複数あるし、襖で境界もある。
 隣の部屋あたりで行うのが一番であろう。

「行こう」
「……」

 手を引く。反抗は、なかった。

629Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:40 ID:2rboGYVg0
 隣の部屋に座らせ、往人は包帯なり絆創膏なり、とにかく治療できる道具を探すことにした。
 一応それなりの心得は旅を続けるうちに身につけていたし、霧島聖の診療所でバイトをしているときに教えてもらった経緯がある。
 そうでなくとも、これくらいのことは誰だってできる。

「絆創膏はあったか……だが消毒液が見当たらん」

 一箱ほどそれを入手したものの肝心の消毒剤がない。
 とはいえ、それで死ぬということもないだろう。……恐らく、ではあるが。
 うん、感染症にかかったりはしない……ことを願おう。
 なんとなく不安になりつつ、手の傷口を洗い流すために近くにあったデイパックから水を拝借する。

「悪いな、借りてくぞ」

 往人が拝借したのは、かつて会話したことのある観月マナのものだった。
 脳を打ち抜かれたマナは、ぽかんと口を開けて己の死さえ気づいていないようだった。恐らく、誤射か何かで運悪く頭に命中してしまったのだろう。

「……あいつは、俺が助けてやる」

 脳漿のこびりついているマナの顔をゆっくりと拭ってやり、永遠の安息を願い、目を閉じてやった。
 閉じた後、マナの顔はひどく安心しているように見えた。

「悪い、待たせた――」
 往人がそう言って、舞のいる部屋へ入ろうとしたとき。
 家の中にまで響くような大音量で、例の放送が入った。

630Like a dream:2008/05/10(土) 21:10:14 ID:2rboGYVg0
【時間:2日目午後18時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:まずはこの先の平瀬村に向かう、観鈴ほか知り合いを探す、マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:絶望、祐一・佐祐理ほか知人・同志を探す。両手に多少怪我】

その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。

→B-10

631アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:08:45 ID:Iuv4GIu20
 
どこまでも続くかのような狭い洞窟は、その深奥で様相を一変させる。
そこは巨大な空間であった。
薄暗く、息の詰まりそうな狭苦しい通路を延々と歩いてきた者の目には、
実際よりも更に広く映っていたかもしれない。
しかしそれを差し引いてもなお、その空間の持つ容積は圧倒的であった。
辺りを煌々と照らす幾つもの灯火も、遥か高い天井までは届かない。
上方の視界は薄闇に溶けて、まるで永遠に明けぬ夜のようでもあった。

そんな空間はしかし、ひどく装飾に欠けている。
剥き出しの岩肌には彫刻の一つもなく、地面もまた床と呼べるほどに磨かれることもなく、
ただ自然のままに捨て置かれているといった風情である。
故に、その奥まった一角は、周囲の風景からひどく浮いていた。
そこにあるのは一脚の椅子である。
否、機能の面から言えばそれは椅子であったが、その本質を呼び表すにはより相応しい言葉があった。
玉座、である。

地の底までも続くような洞穴を抜けた先、巨大な空間の奥にあったのは、荘厳華麗な玉座であった。
精緻な黄金細工の施された枠組みに、真紅の天鵞絨が張られている。
豪奢な装いを揺らめく灯火に照り輝かせるその重厚な威圧感は、唯一つそれだけで
この寒々しい空間が宮殿と呼ばれる、王たる存在の君臨する場であることを誇示していた。
そして今、身に纏うものもなく絡み合う、二人の女性を模した流麗な黄金の肘掛けに
もたれるようにして、一つの影があった。
王と言い表されるべきその影が、静かに口を開く。

「……随分と、懐かしい顔ですね」

穏やかな声の先、薄暗がりの向こうから音もなく現れたのは少女、天野美汐である。
その背後には淡く赤光を放つ二つの十字架と、磔刑に処されるような格好の影が寄り添っていた。

「お久しぶりです、秋子さん。……今は赤の盟主、シスターリリー、でしたか」
「秋子で構いませんよ。その呼び名は些か気恥ずかしくもありますし」

玉座に座る影が、頬に手を当てて微笑んだ。
見る者の胸に穏やかな春の風を運ぶような、暖かい笑みであった。
水瀬秋子という女性の、それは歩んできた道の果てに得た、達観であったのかもしれない。


***

632アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:09:41 ID:Iuv4GIu20
 
それにしても、と頬に手を当てたまま秋子が呟く。

「こういう場合、私はどういう反応をすればいいのでしょう。
 一度は誘いを断った方が、私たちの大切なゲストを連れて儀式の場まで侵入している、なんて」

困ったような口調だが、その目は笑っている。
悪戯じみた気安さが浮かぶ言葉に、美汐もまた微笑んで軽口を返した。

「悪の女帝が正義のヒロインを迎え撃つのです。
 ここは大仰な演説から、最後は高笑いで戦闘に突入するシーンではないでしょうか」
「困りました、スピーチの内容を考えていません」
「手下の幹部に命令するのも手ですね」
「あなたが連れてきて下さったのが、その幹部ですよ」
「困りましたね」
「ええ、困りました。……あとは戦闘、でしたか」

そこまでを言い合って、互いに視線を交わすと、二人は破顔する。
静かな、しかし温かな笑い声。
まるでうららかな陽射しの下でティータイムを楽しんでいるかのような、和やかな空気が流れていた。
やめておきましょう、と笑みを収めぬままに言ったのは美汐である。

「秋子さんの力は私に通じない。私の力もまた、秋子さんには届かない。
 お互い、嫌というほど判っていることです」
「そうですね。……それを理解するまでに何度『繰り返した』か、今では思い出すこともできませんけど」

ふと漏らしたようなその言葉は、笑みの延長線上にはない。
岩肌に沁み入るような細い声は、確かな翳を帯びていた。

633アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:09 ID:Iuv4GIu20
「……もう、私たち……三人だけになってしまいましたか」

答えた美汐からも、笑顔が消えている。
どこか遠い空に思いを馳せるような、足場の不確かな表情。
強く揺さぶれば霞となって消えてしまいそうな、ひどく危うい、それは風情だった。

「ええ。最近は、最後の一人が残るまで続くこと自体がありませんし……」
「この戦いの生き残り……世界の終わりの見届け人、ですか」

ぼそりと呟く美汐。
頷いて、秋子が言葉を引き取る。

「……見届け人の得る、『繰り返し』を認識する力。前の世界を覚えていることのできる力。
 近頃では、こんな風にすら思ってしまうんですよ。
 それは褒賞などではなく、罰なのではないか……と」
「罰……ですか」
「ええ。私たちの悉くは、人類の最後の一人として生を全うせず、死を選んできた。
 それは世界の終わりの引き金を引く、大罪です。だから、その罪には罰が下される。
 ……そういう考え方は、おかしいでしょうか」

微かに乾いた笑いを漏らす秋子の問いに、美汐は答えない。
揺らめく灯火が、ただ静かに、二人の影を岩肌に映している。

「アロウンさん、ティリアさん、なつみさん……。
 残っていた方々も、終わりなく繰り返される日々の中でいつしか、
 生まれてくること自体を拒むようになってしまいましたから。
 名雪ももう……限界が近いように、思います。そうなれば、私も……」

自嘲に満ちた表情は、水瀬秋子という人物を知る者が見れば驚くに違いなかった。
そこには、いかなるときも余裕のある笑顔を絶やさない女性の面影は存在しなかった。
昏く、老いの色濃い顔だけがあった。
重い溜息に世界を澱ませる毒をすら含む、それは醜悪な、一匹の怪物であった。
深い泥沼の底に落ち込んでいくかのような翳を断ち切ったのは、美汐の言葉である。

「……そうなる前に、終わらせるのでしょう。
 こんな大掛かりな仕掛けまで用意したのは、その為のはずです」

顔を上げた秋子の目に映ったのは、いつも通り静かに佇む美汐の、決意だった。

「神を討つ―――その為の」


***

634アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:34 ID:Iuv4GIu20
 
さて、と重い沈黙を破った秋子の表情は、既にいつものそれに戻っている。

「年寄りが二人、茶飲み話でもないでしょう。……真意を伺っても?」
「女の歳は肌で数えるものです。私は永遠の思春期ですよ」

軽口を叩く美汐が、秋子の穏やかな視線にじっと見つめられ、苦笑を浮かべる。

「……旧い戦友の宿願が果たされるのを見届けにきたのですよ」
「茜さんの件は」
「若い人には苦労でもさせておこうかと」
「……」

秋子の無言に、美汐がその霧に煙るような瞳を細める。

「……少し、得体の知れないものを感じましたので。
 これまでの『繰り返し』に、あの人の存在がこれほど大きくなったことはありません。
 精々がところ、何人かを道連れに散るのが限界だったはずです。『繰り返し』の資格もない。
 それが今回急に、世界の根幹にまで関わろうとしている。……それが不気味です。
 大切な儀式の前ですし、不安定な要素はできる限り排除しておくべきでしょう」

言い切った美汐の口調に何を感じたものか、秋子は目を閉じて表情を消すと、ただ頷いた。
僅かな間を置いて再び開かれたその瞳には、強い光が宿っている。

「わかりました。それでは儀式を―――私たちの『繰り返し』の終わりを、見ていてください」
「贄は」
「その二人で充分でしょう。茜さんが神を肥え太らせてくれていたようですし」
「……この、」

と美汐が視線を向けたのは、背後に聳える赤光の十字架である。
その一方に架けられた波打つ髪も豊かな少女の、ぐったりと項垂れたまま動かない肢体を見やって、
美汐が意外そうな顔をする。

635アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:59 ID:Iuv4GIu20
「この方も、贄に?」
「そのつもりで連れてきていただいたのではないのですか」
「……いえ、それはそうですが……、貴女は情の深い方ですから」
「私が、」

美汐の言葉を遮るような秋子の声は、一転してひどく重い。
涙はなく、震えはなく、しかしその口調に滲むのは、鮮明な悲哀であった。
水瀬秋子らしからぬ感情の起伏の激しさは、それほどまでに因果からの解放に
期するところが大きいということの証明であっただろうか。

「私たちがこれまで、どれほどのものを切り捨ててきたと思っているのですか」
「……そう、でしたね」

返す美汐の声には力がない。
小さく首を振ると、深い溜息をついた。

「つまらないことを聞きました」
「いえ」

短く答えて立ち上がろうとした秋子を、美汐が手振りで抑える。
疑念を浮かべた秋子に、美汐は片眉だけを下げるような笑みを向けた。

「お詫びの印に、少しお手伝いをさせてください」
「……それは」

戸惑うような秋子の口調。
押し留めるように、美汐が言葉を継いだ。

「手段は違えど、目指すところは同じはずです。……せめて露払いくらいはさせてください。
 貴女にとって大切なのは、この後なのですから」

言った美汐の手からは既に、紅い光が湧き出している。

636アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:11:15 ID:Iuv4GIu20
「貴女は、そこで見ていてください」
「……」
「儀式の担い手は、動かずに悠然と構えていなくてはいけません」
「……」
「それが、今の貴女の役目です。……赤の盟主、シスターリリー」

最後には冗談めかして言った美汐に、秋子の表情が苦笑じみたものに変わる。

「……わかりました」

それが、承認であった。
確認するように、美汐が深く頷く。

「では、はじめましょう。―――我々の、儀式を」
「……はい」

秋子が頷きを返したのを合図とするように、美汐の手から伸びた赤光の鎖が、
磔刑に処された二人の女へと絡みついた。


.

637アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:12:02 ID:Iuv4GIu20
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー】

霧島聖
 【状態:気絶中、元BLの使徒】

巳間晴香
 【状態:気絶中、GLの騎士】

→661 976 ルートD-5

638(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:03 ID:kJC83fK60
 暑い。

 なんとなく、まーりゃんこと朝霧麻亜子はそう思っていた。
 山頂で怪物と戦った際にしたたか打ち付けた部分が熱を帯び、頭もまだぐらぐらする。

 咳は出てない。お医者さんにかかる必要なし。
 すんごく痛くもない。手術する必要もなし。
 人は……殺せてない。

 はぁ、と麻亜子はらしくもないため息をつく。巳間良祐を殺害して以降、全く戦果が上げられていない。
 愛を語る男女(芳野祐介と長森瑞佳)には逃げられる。柏木兄妹も、実質的に殺害した(可能性がある)のは篠塚弥生。
 そもそも、山中を練り歩いていたからかもしれないが、人に出会えてない。

「ぬーん」

 首を捻りながら、麻亜子は己の不調を考える。
 ――誰かに不運でも移されたかな?
 そう言えば、と巳間良祐は途中から返り討ちにされることが多くなった、と言っていたのを麻亜子は思い出す。

「ティンときた」

 間違いない。奴の不運を貰ってしまっているのだ。

「ふんっ! 亡霊のタタリごときにこのまーりゃんが屈すると思ったか! 退かぬ、媚びぬ、省みぬー! ……あいてて」

 気合を入れようとしても空回りになってしまう。日常でもありえるような鈍痛の連続が、麻亜子の気を削いでしまう。
 銃傷や、刺傷ではないのだ。本来とは別な意味での『リアル』な痛みが否が応にも麻亜子に日常を思い出させる。
 ただ馬鹿をやって、笑って、楽しかった日常。殺し合い、なんて考えるはずもなかった。
 ふと、麻亜子は疑問を持つ。

639(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:27 ID:kJC83fK60
 どうして、殺し合いに参加しちゃったんだろ?
 考えてみれば開始当初はあれだけの人数がいたのだから、ひょっとすると協力し合えば脱出への道が開けたかもしれない。
 加えて、自分の実力不足を実感する。
 今までは奇襲や急襲だったからこそ、あれだけ戦えた。しかし、正面きって戦ったとき……事は上手く運ばなかった。

 残っている参加者は有数の実力者ばかりのはず。それを相手に正々堂々と戦わざるを得なくなったとき、果たして自分一人で勝てるのか?
 いやそれならまだしも、河野貴明や久寿川ささらがそれを相手にして、生き残れる保障はあるのか?

「……やっぱ、馬鹿だね、あたしは」

 殺し合いなんて、ゲームの世界と同じで、簡単に終わるものだと思っていた。
 だが違った。これは単なる暴力の延長だ。
 戦争のように、ドタバタと死んでいつの間にか全滅していた。そんなものではない。
 例えば、激しく揉み合った末につい押し倒してしまい、運悪く頭を石にぶつけてそのまま死んでしまったような、そんなつまらない争いの連続なのだ。
 そこに運不運はない。ないとは言い切れないが、それでも最終的にモノを言うのは実力だ。
 自分はそれを分かっていなかった。

「そうだよ、あたしは馬鹿だ。だから……馬鹿だから、こんなのに乗り続けなきゃいけないんだ」

 これくらいのことを思いつけないからこそ、こうするしかなかった。
 脱出の手段なんて、思いつけるわけがない。
 仲間なんて、集められるわけがない。
 それに、ここで萎えていては今までに殺してきた人たちは一体何のために死んだのかわからなくなる。

「そうだ、あたしが絶対にさーりゃんと……たかりゃんを生かして帰すんだ。絶対……」

 頭に降りかかる疑念、雑念を必死に払うように麻亜子は頭を勢いよく振る。そのせいでぐらぐらしていた頭が更にぐらぐらしてきた。
 ごちんっ。
「い、痛い……が、がお」
 ぶんぶん頭を振っていたせいで足取りがふらふらとなり、近くにあった木にしたたか額の部分をぶつける。事あるごとに誰かの台詞を真似ているのにはこの際言及すまい。

640(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:49 ID:kJC83fK60
「……ん」

 ごしごしと瞼をこすって、眼前の風景を見据える。
 そこには目指していた平瀬村の風景がある。とにかく、誰か見つけて殺害しなければ。
 ……その前に、どこかで休息を取らねばならない、と考えてはいたが。

「湿布薬が欲しいよねー。うん、乙女の身体には本当はプロの手によるマッサージが一番なんだけどさ。まー贅沢は言えないっしょ」
 コキコキと首の骨を鳴らしつつ、一番手近にある民家にそそくさと近づいていく。

「はいよー、こんにちはー。嫁入り新聞の者ですけどー、三ヶ月でもいいんで取って頂けないですかねー?」
 ボウガンを片手に構えつつ、玄関の戸を叩く。もちろん暢気に誰か出てきたら射ち殺すつもりであった。
 返事はない。悪意のある気配も、暢気な平和ボケした気配も感じられない。

「むう。開け〜、ヘソのゴマラー油っ!」
 誰もいないと確信した麻亜子はヘンな呪文を唱えながら家屋へと侵入する。
 正直なところ、また戦闘になれば今のKO寸前な麻亜子では取り逃がす可能性が高いと自己分析していたので誰もいないのは寧ろありがたい、と思っていた。
 当然、それは口に出すわけがなかったのであるが。

「ん〜……」
 まるでアメリカの家のように遠慮なく土足で侵入する。
 殺し合いの最中に行儀よく靴を脱ぐ必要はない。それに、玄関に靴を置いていたら侵入してきた人物に誰かがいると気取られる。
 一応注意深く足跡などがないか確認してみるが、どこにも土の欠片などは見当たらない。よし、完璧に無人。

 無人、という自身の思考からなんとなく、昔やっていたCMを思い出しながら和室へと潜入する。
 まだある程度新しい部屋なのか、外の殺伐として泥臭い匂いに慣れてしまったからなのか、鼻腔に広がる藺草の香りが妙に心地よい。
 一眠りする分には持ってこいだろう。そう考えた麻亜子は一つ頷くと押入れを開け、中を見渡す。

「あったあった」

641(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:21:11 ID:kJC83fK60
 果たして予想通り、そこには綺麗に折り畳まれた布団一式が揃えられてあった。
 見たところ、張りは柔らかそうで、それに包まれる者に安息を与えようとする雰囲気がありありと出されている。

 いそいそと引っ張り出し、畳の床に広げて睡眠準備に取り掛かる。
 きちんと枕まで敷き、ゴマを擂る商人のように両手を揉みながら布団に入ろうとしたところで――麻亜子はまだ靴を履いていたことに気付く。
 ありゃ、と忘れていた自分に、照れたように頭を掻き、しばらく思案した末結局脱いで布団に入ることにした。
 足をゆっくりと差し入れる。靴下越しであるが、ふわふわとした心地よい感覚が伝わってくる。見た目通りだった。

「ではでは、おやすみ〜。さよなら三角また来て四角、っと」

 久々に感じる布団の感覚に、ふと麻亜子は何故だか不安を感じた。
 日常の欠片に触れた瞬間に、何か大切なものをなくしてしまったような、そんな感覚だった。
 いや、ただの違和感だ。布団の中に入る機会なんて、この島ではなかった。
 殺し合いという異常な環境下で普段そこにあったものに触れたから、そのような思いを茫漠と抱いただけに過ぎない。
 そんな風に考えながらも、やがて襲ってくる睡魔に屈した麻亜子は、ゆっくりと目を閉じていった。

     *     *     *

 走っている。
 延々と続く闇の中の闇を、ただひたすらに走り続けている。

 何かに追われていた。
 ひた、ひたと少しずつ大きくなっていくその音が、麻亜子の恐怖を煽る。

 それは漆黒から自分を追う、追跡者だった。
 麻亜子は後ろを振り向く。
 そこには深淵すら浅い底無しの黒が広がっていた。そこに自分を追う、追跡者は見当たらない。

 いや、人ではないのだ。例えるなら、無数の手が伸びてきて、いきなり四肢を掴みそのまま引きずり込むような、そんな存在だ。
 つまり、麻亜子は『恐怖』そのものに追われている。

642(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:21:33 ID:kJC83fK60
 何故自分は恐怖しているのか。
 そんな疑問を浮かべる間もなく、麻亜子は走らなければならなかった。
 とにかく、自分を掴もうとする何かが怖かったのだ。引きずり込まれると、もう二度と戻れないような、そんな気がして。

 先へ、先へ走る。
 するとその目の前に……いきなり現れた人影が、麻亜子の逃避を妨げる。

「……」

 息を呑む。それは、この島にきて麻亜子が最初に殺した人間。名前も知らぬ、一見すればどこにでもいそうな中年の男が、ただじっと麻亜子の瞳を覗いている。
 そこに意思や主張はない。ただ漫然と見ているだけだった。ただ、黙って。

「……っ!」

 しかし、背後に迫る恐怖感と、不気味に映る男の視線に耐えられずに麻亜子は別の方向へと逃げ出す。
 そのすぐ先にも、また別の人間がいた。

「……」

 こちらの人物は、麻亜子も知っている。
 巳間晴香。
 麻亜子が謀略で騙し、背後から襲い、殺害した人物だ。先ほどの男と同じように沈黙しながら、腕を組んでいる。

「なに、さ……」

 最後に見せた晴香の表情は、麻亜子も知っている。憎悪と怨嗟に満ちたあの表情を忘れるわけがない。
 なのに。
 あれほど憎しみに満ちた目をしていたのに。

643(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:01 ID:kJC83fK60
「なんで、そんな目なんだよっ……」

 その目は、何もなかった。
 先ほどと同じく。
 空虚に、見つめるだけ。
 鏡だった。
 姿を変え、己を映す鏡――そんな風にさえ思える。

「何か、言ってよっ!」

 痺れを切らし、麻亜子は叫んだ。
 反論しようがないのだ。言い訳すら、できない。
 しかし、晴香も微動だにしない。言葉はそのまま、麻亜子へと反射する。

「あたしは……」

 いつものように言えば良かった。「あたしは自分のために殺し合いに乗っているんじゃない」と。
 一番分かっていることではなかったのか。これ以外に方法はない。全員殺すことでしか、あの二人を生き残らせる方法はないと。
 二人?

「あた、しは……」

 いつの間にか、気付かぬ間に、麻亜子は色々な人物から見下ろされていた。
 殺してきた人物だけではない。
 宮内レミィ。巳間良祐。長森瑞佳。柏木耕一、柏木梓。相沢祐一。観月マナ……他、数え上げればキリのないほどの人間がそこにいた。
 しかし、皆に共通するのは――やはり一様に黙り、ただ見つめているということだけだった。
 四方八方から、麻亜子の姿を余すところなく映すようにそれぞれの瞳が覗いている。

644(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:24 ID:kJC83fK60
 何も言えない。
 矛盾、そう、決定的な矛盾に、彼女は気付いてしまったのだ。
 生き残れるのは二人ではない。殺し合いは最後の一人になるまで続く。
 残ったとして……最後に、あの三人で残ったとして。
 『誰が、誰を殺して、誰を生き残らせるのだろうか』?
 否、殺せるわけがない。『誰も殺せない』のだ。

 手にかけられるわけがない。かけがえのない友人を、その手で引き裂くことなど……あの学校で共に過ごしてきた時間を忘れて、手にかけることは……麻亜子でさえ、殺人を犯してきた麻亜子でさえ想像を絶する。
 たとえ殺す事ができたとして、その先に待っているのは孤独と絶望だ。
 友人を殺害して、死体を前にしながら優勝が決まる。その光景を想像しただけでも、麻亜子の心は壊れそうになる。
 自分でさえこうなのに、それよりも優しいささらと、貴明がそんなのに耐えられるはずがない。

 どの道、待ち受けているのは――破滅なのではないか?

「ぁ――」
 違う、そんなことはない。
 考えるな。朝霧麻亜子……いや、まーりゃんはやるべきことをやればいいだけなのだ。
 二人の為に、殺す、殺す、殺――
 ――殺して、それからどうなるというのだ?

 一度辿り着いてしまうと、もうその考えを打ち崩すことはできない。
 頑なに現実を拒もうとするほど、麻亜子は子供ではいられなかった。
 大人にならなければ、殺し合いに加担することはできなかった。
 故に……朝霧麻亜子は立ち止まる。
 殺し合いを進めることは、破滅だと気付いてしまったから。

「でも、そしたら、あたしは……」

645(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:48 ID:kJC83fK60
 一体何のために人を殺し続けてきたのか。
 人が人を殺すという、途方もない罪を背負ってまで知りえたものは破滅だけだというのか。
 麻亜子とて、殺し合いがしたくてこんなことをしているのではない。

 これしか考えられなかった。
 二人を想った、最善の選択がそれだと思った。ただ二人のことを考えて、考えて、たどり着いた結果だ。
 罪悪感を己の道化で隠し、慄く心を冗談で必死に誤魔化し、常に自分を殺しながら血を浴びてきた。

 最初に襲った……無防備な岡崎直幸でさえ、殺すのには時間がかかった。
 ナイフで一太刀、一太刀浴びせていくごとに失われていく人の命を見るのは……余りにも苦痛だった。
 麻亜子は破天荒だが、人としてやってはいけないことだけは分かっていたし、人と人の繋がりがいかに大切かということも分かっていた。
 襲い掛かる前に何度も繰り返した。

 ごめんなさい。ごめんなさい……

 時折ふざけた様に殺してきたのも、罪悪感に駆られ殺し合いを止めたくなる心を必死に抑えるため。
 一人殺したその瞬間から、麻亜子は冷酷な殺人鬼であり、赦されるわけにはいかなかった。そうでなければ、何人も殺しつくせるわけがないと思っていた。
 そうやって、いくつも罪を重ねた。
 ここで殺し合いを放棄したとして、二人が生き残れる保障はどこにもない。

「……でも、あたしは」

 続けなくちゃいけない。それが朝霧麻亜子の運命で、約束なのだ。
 今更元には戻れないし、戻れる資格もない。
 しかし、どうすればいいのだろう?
 どこを目指せば、二人は救われるのだろう?

 まるで分からないのだ。
 この、周りに広がる真っ暗闇のように。
 いつの間にか、麻亜子を取り囲む人間はいなくなっていた。

646(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:23:12 ID:kJC83fK60
「やらなくちゃ……いけないんだ、やらなくちゃ」

 殺人だけは、やめてはならない。
 そんな脅迫じみた思考だけを頼りに、麻亜子は俯けていた顔を上げようとする。

「……あ、……」

 そこには、二人の人間がいた。

「さーりゃん、たかりゃん……」

 闇に薄く、薄く溶けるように、二人は並んで麻亜子を見つめている。
 しかし、その気配は今までとは違った。
 悲しみだ。
 悲哀に満ちた眼が、麻亜子を射抜いている。

「ち、違うよ、そうじゃ、ないんだ……」

 まるでそれが、麻亜子を責めているように感じて……いつの間にか口を開いていた。
 視線は変わらない。今までと同じだった。


「あたしは……殺し合いなんか――!」


     *     *     *

 ひどい徒労感が、麻亜子の身体を駆け巡っていた。
 それだけではない。体中に汗がべっとりと張り付き、額には玉のような汗が滲んでいる。

647(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:23:36 ID:kJC83fK60
「……夢」

 声に出して、ようやくそれを実感する。
 けれども弱々しい声だった。
 年相応の女の子の声である。

 違う。あたしはこんな弱くなんかない。

 己にまとわりつくものを取り払うように、麻亜子は布団を乱暴に撥ね退ける。
 幸いにして、侵入者の気配はない。

「ん、もう夕方か」

 空が曇っているせいであまり分からなかったが、世界の色が橙を基調としたものに塗り変わっていることから、それくらいの考えはつく。
 あの夢は、なんだったのだろうか。
 思い出すのも憂鬱な、果てのない暗黒。
 そして責めるでも諭すでもない、掴めない人々。

「……分かんないよ」

 最後に、自分はなんと言おうとしたのだったか。
 夢は最後のあたりを覚えているものなのに、全く思い出せない。あるいは、思い出したくないのかもしれない。

「ボヤボヤしてる暇、ないよね」
 十分に休憩はとった。精神まで万全とは言いがたいが、一応頭に残っていたズキズキとした痛みはなくなっている。
「……今は、今しか考えられないよ」

 とにかく、ささらと貴明に迫る脅威を排除するのが課せられた役目だ。
 何故か言い訳のように言って、デイパックを背負おうとしたときだった。

648(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:24:15 ID:kJC83fK60
「あ……」

 麻亜子は気付く。それが久方振りの、例の時間だということに。
 耳障りな雑音が、周囲を満たす。


 もう、この時既に――彼女は、楽園から追放されていたのだ。





【場所:F-02、北部】
【時間:二日目午後:18:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと(迷いが生じつつある)。スク水の上に制服を着ている。精神的疲労】

→B-10

649雅史アフター:2008/05/27(火) 23:43:17 ID:T.XnXA1I0
(椋さん、大丈夫かな……)

行われた第二回目の放送、藤林椋はそこで最愛の肉親を失っていたことを知る。
ひっと小さな悲鳴を上げた後、手で顔を被い泣き伏せる彼女に佐藤雅史はかけられる言葉が思いつかなかった。
朝焼けが差し込む海辺に位置する小屋の中の温度は、少し低い。
そんな中で身を縮める椋を一人置いてきたことに、雅史は今になって胸を痛めた。

独りを望んだのは椋だ。
俯く彼女に何か言葉を投げかけようとした雅史を、椋は頑なな態度で拒む。
そこに雅史が付け入る隙は、なかった。
自然に伸びた雅史の手、しかし空を切るだけで椋には届くことがない。
雅史の優しさも、それが椋のもとへと届かなければ何の意味も無くなってしまう。
一人の時間を望む椋が、雅史を受け入れる気配はなかった。
椋を残し小屋を後にする雅史の耳が、背後から漏れた声を拾う。
その時助けを呼ぶかの如く椋が呼んだ人物の名前は、雅史のものではなかった。





第一回目の放送が行われた午後六時、そこで欠けた身近な人物がいないことに椋ははかなりほっとしていたようだった。
精神的な疲労も大きかっただろう。
放送後すぐの眠りについた椋の安らかな寝顔を横目で見ながら、雅史は一晩過ごした。
第一回目の放送。上げられた人数の量は、雅史の想像を遥かに越えていた。
また椋とは違い、雅史の場合はその時点で知人を亡くしている。
特別接点がある子ではなかったが、友人間で名前くらいは聞いたことがある少女のものだった。
……悲しいことである。
悔やんでも、悔やみきれないだろう。
しかし雅史は、椋の悲しむ様子を見なくて済んだという事実、そちらの方に安心を覚えていた。
不思議な気持ちである。雅史も、そんな自分に違和感を持っていた。

650雅史アフター:2008/05/27(火) 23:43:47 ID:T.XnXA1I0
(……まるで、前に椋さんに泣かれたことがあるみたいだよね)

漏れた雅史の苦笑いはどこか暖かみが含まれたものだった、しかし。
朝。行われた第二回目の放送が、そんな雅史の心に刃を突き刺す。

(浩之、君ならもっと上手いやり方でりょうさんを宥められたのかな……)

砂浜を蹴るように歩く雅史の脳裏に、懐かしい面影が甦る。
藤田浩之。雅史の幼なじみである、今は亡き少年である。
椋と同じく、雅史も第二回目の放送で大切な人間を亡くしていた。
それが彼だった。

普段はぐーたらしていても、肝心な時に動ける浩之は雅史にとってヒーローそのものだった。
しかしヒーローは、もういない。この世には存在しない。
告げられた放送は信じがたいものであるが、それが虚位である可能性の方が今は低いだろう。

(ロボットのセリオも……志保にレミィ、琴音ちゃんまで……信じ、られないよ……)

それに柚月詩子から会った際の言付けを頼まれていた、里村茜の名前もそこには含まれていた。
痛む心に目を細めると、雅史は足を止め海の方へと目を向ける。
思えば、それなりの距離を進んでいたようだ。
吹きさらしの砂浜、その真ん中に位置する雅史に眩しい朝日が照り着けてくる。
潮風で短い髪が揺らされながら、入り込む砂に目を細め雅史は辺りを見渡した。

広がる砂浜にぽつんと佇む海の家らしき小屋、どこか椋と一晩を過ごした物に酷似しているようにも思えるものが一軒。
それ以外は、特に何もないように思えた。
砂の存在感だけが異様にある地。
……そんな場所に落ちていた異物に雅史が気がついたのは、その時だった。

651雅史アフター:2008/05/27(火) 23:44:19 ID:T.XnXA1I0
「……っ!」

海風に混ざる生臭さ、雅史の鼻をツンとさせるそれが彼の目に映るものの意味を物語っているだろう。
白い砂を汚す赤黒いもの、何が砂達に色を与えていたのか。
砂の上に横たわるものが、見れば分かるだろうと雅史に現実を突きつける。
早足で近づき、雅史は前のめりに倒れこんでいる少女と思われるものの様子を覗き込んだ。
触れた温度に熱は全く無い。既に少女は、絶命している。

「ひどいな……」

彼女を死に追いやった傷口はうなじの辺りで、何度も抉られているためかかなりグロテスクなものになっていた。
傍らには何故か布が落ちている。
拾い上げ確認する雅史、それはどこにでもある普通のタートルネックだった。
……飛び散る血飛沫模様が、異様さを物語ってはいるが。
何故衣服が落ちているのか、その意味を雅史が分かるはずもない。
痛ましげな少女を隠すよう、雅史は元は骨白だったと思われるタートルネックを少女の首元にかけてやる。
静かに手を合わせ、雅史は気が滅入りそうになるのを何とか堪え再び歩を進めた。

しかし、そこに追い討ちをかけてくるモノがあった。
そこからまた少しだけ雅史は南に下って行ったのだが、それが間違いだったかもしれない。
雅史は、特に場所を決めて歩を進めている訳ではない。
今雅史が取っている行動は、ただ椋に時間を与えるための暇つぶし以外の何物でもない愚行である。
雅史は、散歩を続けたことを後悔した。
正直この展開を、雅史が予想できるはずもない。
仕方ない。それで済むことかもしれないが、雅史にとってはたまったものではないだろう。

652雅史アフター:2008/05/27(火) 23:44:56 ID:T.XnXA1I0
雅史は、また見つけてしまったのだ。
しかも今度は二つ。
倒れこむ二人は服装や体格から少女であると窺えるものは、少し前に雅史が発見した悲惨な姿になってしまった少女と変わりないものである。
一人は椋と同じ制服を身に着けていた。
もしかしたらこの子が椋の姉である少女なのだろうかと、雅史は慌てて近づきその容貌を確認する。
だが椋から聞いていたものとは大分かけ離れていたため、その可能性は低いとすぐの答えを出す。
少女の遺体は散々だった。
先ほど発見した少女と同じように前のめりに倒れているのだが、彼女の場合は背中に何度も鋭利なものを当てられた痕があった。
おかげでオフホワイトのブレザーは、いまや見る影もなくなってしまっている。
それは、もう一人の少女も同じだった。
血に塗れた少女達の惨状に、雅史は込み上げる嘔吐感を必死に堪えながらもう一人の少女を見やり、そして……愕然とする。
もう一人の少女は、雅史にとっても身近な制服を着用していた。
その上よく見ると、その少女自身も雅史にとっては身近な人間であることがすぐに分かった。

「琴音、ちゃん……」

浩之を介し知り合うことになる、一学年下の少し内気な少女の名前が雅史の口からポツリと漏れる。
海風に晒された彼女の特徴でもあるゆるやかなウエーブは、いまや見る影も無いほどぱさついたものになっている。
勿論、彼女も既に絶命している。
彼女の死自体は放送にて知らされていたが、このような形で見せ付けられるなんてと雅史は悔しそうに顔を歪めた。
鼻につく異臭がせつない。しかし、雅史が彼女にしてやれることは何もない。
埋葬に使える道具も所持していない雅史は、せめてもと少女達の瞳を閉じさせる。
先ほどの少女の時のように何か二人を隠すことができる布でもないか、雅史は周囲に目をやった。

(上着があればそれをかけてあげられたんだけど……昨晩眠っている椋さんにかけて、そのままにしちゃったんだよね……)

653雅史アフター:2008/05/27(火) 23:45:27 ID:T.XnXA1I0
むしろ先ほどのように、服が落ちているという方が珍しいのである。
勿論この場に、そのような気の効いたものが見当たるはずも無く。
それでも雅史は周囲に目をやり、必死に「何か」を探し始める。
ふとその時、雅史は椋と同じ制服を身に着けていた少女の近くに見覚えのあるデイバックが放置されているのに気づいた。
全員に支給されているそれ、中身を確認すると雅史にも配られた共通の物等に揉まれる形で拡声器が姿を現す。
メガホン上の拡声器は、学校の避難訓練などで教師が手に持つそれと変わりない姿をしている。
機能も恐らく同じだろう。
これが少女のランダム支給品だとしたら、運がないにも程がある。
雅史に与えられた金属バットと違い、これで身を守るというのは難しい。

(……でも、何か役には立つかもしれない。)

拡声器をデイバッグの中に戻し、雅史は自分の肩に二つ目となるそれをしょいこんだ。
そしてまた、静かに手を合わせる。

(何もして上げられなくて、ごめん。でも僕は、これからも生き残っていかなくちゃいけないんだ)

心の中で小さく懺悔し、雅史はこの場を跡にした。





雅史が椋のいる小屋に戻ってきたのは、かれこれ小一時間以上過ぎた頃だった。
ほんの数分のつもりが想像以上に遠出しまっていたらしい、椋はどうしているかと雅史は駆け足で戻ってきた。
何より、死と直面した今の雅史は生者の暖かさを求めていた。
精神的に椋が落ち着いているかは分からない。だが、雅史は彼女とのふれあいを求めていた。
そこに癒しを、雅史は見ていた。

654雅史アフター:2008/05/27(火) 23:45:59 ID:T.XnXA1I0
見覚えのある小屋が視界に入り、雅史の鼓動が走っていることとは別に跳ね上がる。
一つ一つの動作が愛らしい少女、優しい雰囲気を持つ同世代の女の子。
もうすぐ会える。話せる。
さっき見つけた子達とは取ることが出来ない、交流が取れる。
雅史の目元が、溢れる期待で緩みそうになった。
その、異変に気づくまでは。

「……え?」

今一歩という所で雅史が足を止めたのは、ここにあるはずの臭いが周辺に充満していたからだった。
鼻につくそれは、雅史も少しは嗅ぎ慣れてしまったとも言えるだろう生臭く気分が悪いものである。
つい先ほど嗅いだ、それ。
そう。ここに、この場所に、椋の待つこの場所にはあるはずのない、臭い。

雅史の鼓動が、椋に会えるという期待とは別に跳ね上がる。
嫌な予感が頭をかすめ、雅史はそこから動けなくなった。
そこで察した人の気配、小屋から一人のものと思われる足音が漏れる。
椋のものだろうか。
雅史の冷や汗は頬をつたい、ちょうどそれが顎に達した所で小屋から人が姿を現す。

それは、少女だった。
椋ではない。しかし、椋と同じ制服を身に着けている。
ということは、椋の知人という可能性もある。
だが少女に続く形で椋が出てくる気配はない。
また、少女の外見が雅史にさらなる嫌な予感というものを植え付けていた。

「まだ他にもいたのか。ちょうどいいな」

655雅史アフター:2008/05/27(火) 23:46:39 ID:T.XnXA1I0
佇む雅史に気づいた少女の口調は、さっぱりしていた。
そこに温度を感じることができず、雅史は絶句するしかない。
少女の表情も、雅史が怯んだ理由だろう。
細められた瞳に宿る意志は強く、彼女が何かしらの覚悟を決めていることが簡単に窺える。
いや、だがもっと分かりやすい要素が、少女には他にも存在していた。

先ほど述べた少女の外見だ。
少女が身につけている制服は椋と同じもののはずなのに、どこか違っている。
それはどこか……ずばり、色だ。
オフホワイトなはずの少女の上着には、赤の絵の具が勢いよく引っかけられたかのような跡があった。

反芻する記憶、つい先ほどの風景が雅史の脳裏に甦る。
背中をずたずたにされた名も知らぬ琴音の傍で絶命していた少女も、今目の前の彼女と同じ制服を身に着けていた。
そして同じように、制服を深紅に染めていた。
勿論それは絵の具なんていう生易しいものではない。
「傷」という分かりやすい形が、亡くなっていた少女には目に見えるものとしてつけられていた。

では、今雅史の目の前にいる少女はどうだろうか。
ピンピンしている。彼女が重傷を負っているようには、到底見えないだろう。
しかし彼女が被ったものは、決して絵の具なはずではない。
臭いの時点で雅史にも理解できるはずだ、いや。
理解しなければ、いけないことだ。

よく見ると目の前の彼女の手には、年頃の少女が持つにはごつい作りの斧が握られている。
それから滴っている液は、恐らく少女の衣服に付着しているものと同じだろう。
可能性は、二つ。
砂浜の上、絶命していた彼女は「被害者」だった。
傷をつけられた側の人間だ。彼女の制服を濡らしているのは自身の血液だろう。
目の前の少女の制服は、彼女の血液だとは思えない。
それならば誰の血か。
彼女は「被害者」に見えない。
それならば、彼女は何なのか。

656雅史アフター:2008/05/27(火) 23:47:21 ID:T.XnXA1I0
「……佐藤雅史、か」

そこに、決定打が雅史の心を打ちつける。
斧を脇に抱えた少女が、どこか左手を庇うようにしながら一冊のファイルを取り出したのだ。
ぱらぱらとめくり、雅史の顔とファイルを交互に見ながら少女は何かを確認する。
少女が口にしたのは、雅史の名前である。勿論雅史は、彼女に名乗った覚えなど無い。
少女が雅史の名を知ることができたのは……彼女の手にする、ファイルによる情報に他ならない。
そんなファイル、雅史が知る限りでは一つしかないはずだった。

―― 小屋の中にいるはずの、椋が持つ参加者の写真つきデータファイルだ。

何故、彼女がそんなものを持っているのか。
雅史の鼓動がさらに加速度を上げる。
増幅した嫌な予感が、雅史に警告を吐き続ける。
雅史の嗅覚がそこに信憑性をさらに上乗せし、必死に何かを伝えようとしていた。

真っ赤な少女。
漂う匂いの正体。
いまだに小屋から出てくる気配のない、椋。
その答えは。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

フラッシュバックするは三つの遺体、温度の消えた少女達の面影が全て椋に塗り替えられる。
雅史は意図することなく、目の前の少女から逃げるよう方向など考えることなく走り出した。
死にたくないというただ一心、雅史の胸中を満たす思いはそれに他ならない。
背後を振り返ることもなく、とにかく前だけを見て雅史は足を動かした。
……心の中で、ひたすら椋に謝りながら。

「ふん、逃がすものか」

657雅史アフター:2008/05/27(火) 23:47:59 ID:T.XnXA1I0
雅史の背中を睨みつけながら、赤く染まった少女も動き出す。
サッカー部の雅史も確かに足は速いが、少女も自分の身体能力にはかなりの自信があった。
何より少女の仲には、目的を遂行するために持つ意志の強さが存在している。

「全員、天沢郁未も含め……この手で消しきって、みせる!」

地を蹴りながらデータファイルを自身のデイバックにしまいながら、坂上智代は改めて斧を持ち直し雅史にとどめを刺すべく行動を開始した。
小屋の中に取り残された椋を置き、こうしてこの場所から人気が消えていく。
小屋の中、既に絶命している椋の手には雅史の学ランがしっかりと握られていたが……雅史がそれを知る術は、今や無きに等しかった。



【時間:2日目 午前8時過ぎ】
【場所:F-09】

佐藤雅史
【持ち物:金属バット、拡声器、支給品一式×2】
【状態:智代から逃げる、学ラン脱ぎ済み】

坂上智代
【持ち物:手斧、フォーク、参加者の写真つきデータファイル、支給品一式×2(茜の分)】
【状態:左手負傷。ゲームに乗る】

藤林椋 死亡

椋の支給品一式は小屋の中に放置

(関連・246・266・321・398)(B−4ルート)

658危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:30:19 ID:JAFbCA0g0
(あの子……どこに行ったのよ)
 役場を脱出した七瀬留美は、相楽美佐枝を誤射で殺害してしまった小牧愛佳を探して奔走していた。

 ――本当に、自分は正しいのか。

 戦いの場にいたという理由だけで七瀬は全てを敵と見なし、抹殺しようとした。
 実際、全員が全員手に武器を取って戦う姿は七瀬にとって殺し合いに乗っていることの証明に思えたし、それを裁くのは自分だと思っていたことはある。

 ……だが、実際は違ったのではないか?
 積極的に攻撃を仕掛けていたのは岸田洋一や七瀬彰であり、里村茜、坂上智代、相楽美佐枝、そして小牧愛佳はやむを得ず応戦していただけなのではないか?
 正当防衛は殺し合いに乗ったことを意味しているわけではない。それは七瀬にも理解できる。

 しかし愛佳はともかくとして、他の三人……いや美佐枝は既に死亡している以上今は二人、については未だ確証は持てない(しかしその二人ももはや生きてはいないのであるが)。どんな形であろうとも、戦い、殺し合いに対する憎悪は深く七瀬の中に根付いていたのだ。
 だから七瀬は確かめねばならなかった。

 殺し合いには乗っていないのか……と。
 それはある意味では七瀬留美という人物の正当化でもある。
 殺し合いに乗ってない人物を積極的に襲ったのではないという事実を証明することで、自分のそれまでの考えは決して間違っていないというものだ。
 事実、七瀬が交戦したのは彰だけであり愛佳や茜たちとは交戦してない。
 誤解は解く。しかし自分の考えは変えない。

 それは意地のようにも思えるが、つまるところ自己正当化に過ぎない。
 何故なら自分の考えを変えてしまえば、それはこれまでの自分が殺し合いに乗っていることになる。
 殺し合いを憎悪しているが、それに乗ったつもりはない、というのがあくまでも七瀬の考えである。

 ……その考えが既に、狂気という領域に足を踏み入れつつあることを、彼女は自覚できるはずもない。
 ともかく、現在の第一目標を愛佳の捜索に切り替えた七瀬はしらみつぶしに鎌石村を歩き回る。
 別に誰と出会ってもいい。殺し合いに乗っているなら殺し、乗っていないなら保護するだけのことだ。

659危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:30:44 ID:JAFbCA0g0
 そんなことを考えながら、七瀬は顔を上げて僅かに血の匂いが入り混じる空気を感じつつ静謐に満ちた鎌石村の風景を見回す。
 生きている、という気配はなかった。
 どこもかしこも、人の生活を感じさせる明かりや電化製品の動く音、そういったものは微塵もない。
 例えるなら映画に用意された舞台のセットというところだろうか。

 ご覧下さいませ、本日のショーは乙女の殺人遊戯です――

 胸糞が悪くなる。このような饗宴、いや『狂』宴を催した人物には罰を下さねばならないと七瀬は思った。
 死刑は確定だ。人が人を殺すようなものを計画しておいてそうしない理由がない。
 次はその方法。死刑といっても首吊りや電気椅子程度ではここに散っていった者達の無念は晴れるべくもない。
 特に冬弥の、彼があれほど惨く、目を覆いたくなるような殺され方をしたのに普通に死を迎えさせるなど言語道断だ。

 そうだ。どうせなら彼と同じ苦しみを味わってもらおう。
 腹を割き、臓物を引きちぎり、骨を砕き、踏み潰して上半身と下半身を綺麗にお別れさせてやる。
 生きながらじっくりと、じっくりと。
 どれほどの痛みを受け、どれほど生が尊いものか、時間をかけて刻んでやるのだ。

 くくっ、と七瀬は微笑を浮かべる。
 ごりごり、ぐちゃぐちゃ、ぐちゅ、と体を潰される悪魔の姿を思い想像しただけで可笑しくてたまらなくなったのだ。
 そう、それは僅かな笑い声だ。だがそれは隠れていた、怯えるウサギを追い立てるには十分だった。

「ひい……っ!」

 裏返った声が聞こえたか、と思うとその目の前を、自然の色を基調とするこの村では比較的色鮮やかな、赤い服装の少女が駆け抜けていく。
 まるで小動物のような素早い動きで七瀬から逃げ出すその少女は――彼女が探し求めていた小牧愛佳、その人に他ならなかった。
 いきなり民家の物陰から出てきたので切磋に反応する事が出来なかったが、数秒の後にそれが愛佳だと判断するに至り、慌てて七瀬はそれを追って走り出した。

「待って! ねえ、ちょっと、待ってよ!」
「こないでっ、こないでえぇぇー!」

660危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:06 ID:JAFbCA0g0
 静止をかける七瀬の声を、髪を振り乱しながら拒絶し、絶叫を上げながら愛佳は逃げ続ける。

 美佐枝をわざとではないとはいえ射殺してしまった愛佳は役場を離れた後、近くにあった民家の陰にずっと潜んでいた。
 ガタガタ、と震えながら彼女は小さく縮こまっていた。
 元来、よく言えば優しく。悪く言えば小心者である愛佳が人を殺したという罪悪感、そして人の死を見てしまったという恐怖に耐えられるわけもなく、怖い、それ以外のことは何も考えられなくなっていた。

 それと同時に、今度は自分が殺される番ではないのか、とも。
 人を殺した罪人は裁かれる。目には目を。歯には歯を。
 古来からあるその言葉が指し示すように、殺人を犯してしまった人間が許されることがあるはずがないのだ。
 人殺しはこの場に不要だ。

 美佐枝の死体を前に冷たく見下す智代や茜、そして友人の面々が各々裁きの道具を手にしている光景がずっと彼女の頭の中にあった。
 彼らは口々にこう糾弾する。

『人殺し』
『人殺し』
『人殺し』……

 違う違う、あたしはそんなつもりなんかじゃなかった、あれは美佐枝さんを助けたい一心でやっただけだった――そんな言い訳は通用しない。
 何がどうあれ、愛佳が人を殺したという事実は厳然としてそこにあった。
 いやもう、最早既に逃げ出した愛佳を殺人鬼として認識し、各地に伝聞されているかもしれない。

 現実は残酷。

 あいつが相楽美佐枝を殺したぞ。
 あいつは凶悪な殺人鬼だ。
 あいつを許すな。
 あいつを殺せ。
 殺せ――

661危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:28 ID:JAFbCA0g0
 殺される。そう考えると恐怖が一気に侵食を始めた。
 それは真っ黒な水が綺麗なカーペットをあっという間に染めていくかの如く。
 愛佳の頭の中には未だに頭の上半分がなくなった美佐枝の姿がこびりついていて、伸ばした手が愛佳の方へと向いている。
 返して。あたしの人生を返して。そう言っている。

 ぷしゅーぷしゅーと、呼吸代わりに血を噴出させ、勢いは怒り猛るように凄まじく。
 あんな姿になりたくない。あんなのは嫌だ。嫌だ、死にたくない死にたくない――
 罪悪感より、恐怖が上回り始めて己の生のみを懇願する寸前、声が聞こえた。


 クスッ。


「――!?」
 嗤った。誰かが、殺人犯の自分を見つけた。
 その瞬間、罪悪感はぷちんと切れた。

 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される――!

「……っ!」
 首筋に銃口を押し当てられたような感覚が、愛佳を逃避の道へと奔らせた。

 そしてそんな愛佳の心情が、自分勝手な思考になりつつある七瀬に理解できるはずもなく。
 臆病なウサギと傲慢な狩人の追いかけっこと相成り申した。

662危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:52 ID:JAFbCA0g0
「ああもうっ、埒があかないわね! 聞きたいことがあるの! 話聞いてよ! 襲ったりなんてしないから!」
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ! 来ないで来ないで来ないでぇーーーーーっ!」
「な、ちょ、早くなった! そんなにあたしが怖いかおんどりゃーーー!!!」
「いやああぁぁああぁぁ! 殺さないで殺さないで殺さないでーーー!」

 全く以って会話になってない会話である。
 そもそも七瀬は役場において愛佳とは敵対する立場であり、ここまで愛佳が錯乱していなくとも逃げるのは当然だ。
 よく言えばおっとり、悪く言えば鈍な愛佳も流石に全力を出さざるを得ない。
 小動物の全力を発揮して全速力で逃げる愛佳に、自称乙女も本気を出す。

「なめないでよ、七瀬なのよあたしは!」

 何が何でも話を聞いてもらい自分の正当性を主張しなければならない七瀬が、疲労の溜まった体を押して走る。
 ついでに、こんな調子で殺人鬼と誤解されたらたまらない。
 七瀬はあくまでも弱者の味方であり、この島からの脱出を目指す正しく乙女(本人談)なのだ。
 今現在の彼女の第一目的である弥生殺害が正しく乙女なのかどうかはこの際気にしないということにしておこう。

「っ、それにしても……目が疲れる……まだチカチカする」

 七瀬彰の放った最後っ屁による視力へのダメージはまだ影響を及ぼしていた。
 愛佳の姿は捉えているものの左右への視界がぼんやりとしていて注視できない。これ以上距離を空けられると見失う恐れが出てくる。
 そうは問屋が下ろさない。元々は運動をしていたので同じ年齢、同じ体格の人間での持久走なら七瀬に分がある。
 とりあえず、言葉ではどうあっても届かないと判断した七瀬は機を見計らってまずは捕まえることにした。それまでは適度に追い続ければいい。

 何事かを喚きながら逃げる愛佳。
 目的を達成するがために半ば冷酷に算段を立てる七瀬。
 逃げる愛佳は七瀬を殺人鬼と見なし。
 追う七瀬は殺人鬼ではないと主張するために。

663危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:32:20 ID:JAFbCA0g0
 狂気と、本能と、欲望をかき混ぜながら。

 二人は、坂道を駆け上がっていく。
 ――長い長い、ホテル跡への坂道を。

     *     *     *

「……」

 七瀬彰は、いかにも奇妙な二人(七瀬と愛佳の逃走劇。仲がよろしいことで)が横切っていくのをじっと見据えていた。
 ……さて、どうする。
 灯台もと暗し、の言葉があるようにあえて役場から近い物陰に身を潜め、動向を窺っていた矢先の出来事であるが……

 はっきり言って、体力が回復しきっていない。
 おまけに左腕の損傷がひどく、服を裂いて縛り、一応の処置は施してはいるものの付け焼刃に過ぎない。
 左腕は今の状況下では使い物にならないだろう。利き手ではなかったのが不幸中の幸いか。

(なんで、僕は痛い思いをしてまで、こんなことをしてるんだろうな)

 彰は自嘲する。
 痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌だ。
 確かに自分は平凡な学生に過ぎないが、それでも将来を望んでいないわけでもないし、もっともっと生きて面白い小説を読みたい。
 もう一度読みたかったなあ、長いお別れ。フィリップ・マーロウは格好いい。いや渋い。まさしくハードボイルドだった。
 僕も、あんな人になれたらこの殺し合いに抗っていたんだろうか。

 そう考えて、彰はまた笑った。
 そんなわけあるか。所詮は夢想。ただの子供が夢見る憧れに過ぎない。
 なるほどなるほど。つまり僕は、七瀬彰は小説一冊のために美咲さんを裏切るような人間だったのかもしれなかったわけか。

664危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:32:44 ID:JAFbCA0g0
 耽るな、七瀬彰。

 現実を見据えろ。今できることをやれ。
 問題は生き返らせる、という主催者の言葉だ。本当にそんなことが、可能なのか。

「いや、できなくてもやってもらうさ……させてみせる」

 殺し合いに追い込んだ手前、責任はきっちりととってもらう。
 こんな馬鹿げた真似ができるのだから、できるはずには違いない。
 もしできないなどと言い張ったときには……道連れに殺すまで。

「……よし」

 彰は気を取り戻して、先程の出来事と合わせてこれからの動向を考える。
 分析したとおり、体力的にも全力では戦えない。なれば正面から突撃するのは愚策。それは先程の戦闘が証明している。
 武器が強いからといって無策で挑むのは蛮勇だ。イングラムとM79を持っていることで慢心したのかもしれない。

 考えろ。狙うなら相手が万全のときではなく、疲弊した瞬間だ。混乱に乗じ、獲物を狙い打ちにする方法は?
 そうだ、あの二人はどの方向へ走っていった? 来たことがある道ではなかったか。あの緩やかな勾配。そうだ、あちらはホテル跡だ。
 ホテル跡には……見逃してやった、誰かがいなかったか? いた。二人いた。誰かは知るべくもないが、この自分にさえ怯え、逃げ惑っていたような人間だ。
 もし、未だに留まっているとするなら……あそこで一悶着起こしてもらえればこちらとしては与しやすくなる。

 計画はこうだ。
 あの走っていった二人を追い、ホテル跡に飛び込み、残っていたあの二人組とかち合わせしたところで乱入。そして一網打尽。
 単純な計画だが、それだけに効果は高いはず。シンプル・イズ・ベスト。
 一応、いつでも逃げられるようにそれなりに時間を空けてから行ったほうがいいだろう。もう少しここで休憩をとっておくのがベターか。

 ふう、と隠れている民家の塀に背をもたれ掛け、左腕から湧き上がってくる痛みを感じながら、彰は息を吐く。
 ついでにと下ろしていたデイパックから水とパンを取り出し、口に挟む。クソ不味いが、空腹だったのもまた事実。
 もしゃもしゃと味のないパンを噛みながら、彰は遠くで「クソッタレが!」と誰かが叫ぶ声を聞きつける。

665危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:09 ID:JAFbCA0g0
 聞き覚えがある。確か役場で意気揚々と殺し合いに乗っていた長身の男ではなかったか。
 様子を見る限り不利になって脱出してきたのだろう。あの叫び方からしてさほどダメージは受けていなさそうだが、ざまあみろと彰は罵倒する。
 それに殺人狂ではない彰からすればさして興味もなく、関わり合いにもなりたくない男だったので黙って見過ごすことにした。
 幸いにして彰がこれから向かう方向とは間逆に行っているようだ。無理はしなくて済む。
 ぱさぱさしたパンの欠片を水で流し込みながら、彰はすっかり馴染んできたイングラムを見据えていた。

     *     *     *

「というわけで、第一回ミステリ研定例部会をはじめまーす! はい拍手」

 ぱちぱちぱち、とどことなく白けた感じの拍手がホテル跡の寒々しい空間に広がる。
 昼間においてもなお薄暗いロビーと、かつての豪勢さを示していたのだろう明かりのついていないシャンデリアがそれに拍車をかけている。
 先程元気に宣言した笹森花梨を初めとして、急遽部員に任命された伊吹風子と十波由真が座っているソファも、所々中身が出ていて粗大ゴミに出されていてもおかしくない一品と化している。しかも座る前までは埃が積もって汚い有様であった。
 壁にかけられている安っぽい絵も額縁が傾き、プラスティックの部分には罅が入っており、見られたのであろう優美さは綺麗に損なわれてしまっている。

 要するに、みすぼらしい図である。あるいは子供の秘密会議か。けれどもそんな体裁などまるで気にするわけもない花梨は陽気に、テーブルの上に乗った青い宝石をびしぃっ! と指差して続ける。宝石はここに来る以前より、輝きを増しているようにも見えた。

「まあこれはね、私がここで拾ったものなんだけど、どうも、何かを開く『鍵』らしいんよ」
「……鍵、ですか」

 しげしげと宝石を手にとって見つめる風子。まるでその輝きに見覚えがあるように、彼女にしては珍しく集中して眺める。

「鍵、というと……どこかにはめるとか? 冒険映画みたいに」
「うーん、それも考えたんだけど、なんか、ちょっと違う気がするんよ」

 手に入れた当初こそ由真のように考えていた花梨だが、度々目にする『光』を存在を確認したときから、その考えは違うのではないかと思い始めていた。
 ただ、それを説明するのは少しばかり難しく、またその『光』はどうやって入手すればいいのか分からない。
 何より、『光』を集めたとしてどこで使うのかが分からない。そして、その効果の程も。
 分かるのは、同時に手に入れたメモから主催者連中が躍起になって奪おうとするほどの代物であるということだけだ。

666危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:34 ID:JAFbCA0g0
「なんというか、その、これは『光』があるんよ」
「光? 確かに綺麗だとは思うけど……」
「そうじゃなくって、うーん、どう説明したらいいのかな……」
「想い……だと思います」

 上手く言葉にできない花梨をフォローするように、風子が声を上げる。
 その響きはいつものように奇天烈で、気まぐれな風子のものとは思えないほどの真剣な声である。

「ふわふわ漂ってて、やさしい匂いがするんです。でも、痛みや悲しみのような、怖い匂いもあります。だから、匂いです。ひとの匂いなんです」
「そーそーそー! そんな感じ! いいよいいよキミ! 名誉部員に認定するっ!」
「結構です。そもそも部員になった覚えはありません」
「ぐぁ……」

 きっぱりと退部届けを突きつける風子に花梨が少なからぬダメージを受ける。ここらへんの切り返しの速さは流石風子、としみじみ思う由真だが、その前に納得できないことがある。

「想い、って言うけどさ、そんなものがあると思うの? そりゃ、話を聞いてたら何か重要なものだ、ってのはわかるけど……あたしには信じられない、そういうの」
「ちっちっち、世の中には科学では説明できない不思議がたくさんあるのだよ十波クン。ミステリ研名誉会長の私が言うんだから間違いないんよ」
「そう。この世界には本当に不思議なことがたくさんあるんです」
「おー! やっぱり話が分かるねキミ! ねね、私の助手になってみない?」
「結構です。一人でやっててください」
「ぐぎゃ……」

 思い切り凹んだ花梨を横目にしつつ、意外と毒舌なんだな、と由真は思った。
 全く意に介する風もなく、風子は冷静に言葉を紡ぐ。

667危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:56 ID:JAFbCA0g0
「風子自身を例に出すと……風子は、事故で何年間も眠り続けていたそうです。風子が一年生なのは、それが理由です」
「……」

 明かされる意外な事実に、由真は驚きを隠せない。いかにも年下そうなのに年上だった。その裏にはこんな事情があったというのか。

「お姉ちゃんの話を聞いた限りでは……風子は一生目覚めなかったのかもしれなかったそうです。そうでなくても、本当ならもっともっとたくさんの時間がかかっていた……って言っていました。だからお医者さんも、風子が目覚めたときにはすごく驚いたそうです。すごく回復が早かったのにも」
「それって……」
「風子の周りの人はみんなこう言いました。『奇跡だ』……と。風子にはそんなつもりはありませんでしたし、本当にそうなのか分かりませんが……でも、ちょっとした不思議や、ほんの少しだけありえないことはあるんだと思います」
「……そう、ね。うん、大げさに考えてたかも、あたし」
「だから、この宝石もきっと、ほんの少しだけ不思議なことを実現するのかもしれません。ヒトデが陸地に生息できるようになるとか」
「いや、そりゃほんの少しってレベルじゃないでしょ」
「失礼です! ヒトデが二足歩行で道路を闊歩してちゃいけませんか!」
「いや、そういう問題じゃないから」

「……というわけで! 宝石がただの宝石じゃないと分かったので今度は『光』を集める方法について模索したいと思いまーす!」

 ヒトデ論争に発展しかけたところで、復活した花梨が元気に次の議題を述べる。立ち直りだけは早いのは流石は花梨といったところか。
 タフだなあと由真は思いつつ、まだ興奮している風子を座らせ、まずは花梨に話を窺う。

「その、『光』……なんだけどどこで手に入れたの? 事例から検証していくのが一番手っ取り早いと思うけど」
「いや、それもね……なんというか、場合がバラバラなんよ。気がついたら増えてた、って場合もあるし」
「条件は一定じゃない、か……」
「十波さん、えらく真面目な言葉を使いますね。眼鏡が似合いそうです。いやなんとなくですが」

 失礼な。あたしはいつだって真面目よ、と言おうとした由真だが、普段の自分の態度を省みると、そう思われても仕方ない。
 そもそもその観点で文句を言えば風子が真面目なのにだって文句が出るはずだ。
 ふふん、と余裕な態度を見せつつ由真は風子に言った。

668危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:34:21 ID:JAFbCA0g0
「まああたしは元々真面目なのよ。じゃあ、歩き回ってるうちに集められてた、ってことか……意外と、歩き回るだけで集められたりして」
「万歩計みたいです」
「お、ナイスな発想。そういう風に言ってくれると会話が膨らむよ」
「風子、ミステリ研には入らないです」
「……ううぅぅぅぅ……」

 まだ勧誘するつもりだったらしい。鋭く見抜く風子も風子だが、諦めない花梨も花梨らしいというか……
 半分呆れ返りながら由真は話をまとめに入る。

「とにかく、ここでじっとしてても光は集められないってことよね。ちょっと持ち物は心許ないけど、外に出て行くしかないと思うわ。花梨は今まで北の方にいたんでしょ? あたし達もまだ西の方しかうろついていないし……一旦南から島を一周するように歩いてみるってのはどうかな?」
「私もここでじっとしてるつもりはなかったけど……ちょっと足がねー……車があったらなぁ」
「笹森さん、免許持ってるんですか?」
「ううん? でも別に無免許くらい大丈夫でしょ。警官、ここにいないし」
「いや、そういう問題? ……まあ、確かにそうなんだけど。つか、運転できるの?」
「ふっふっふ、科学の申し子である私に車を運転することなんて朝飯前なんよ。一度も運転したことないけど」
「はいっ。事故になりそうなので風子は遠慮させてもらいます」
「はいっ。同じく事故に遭いたくないのであたしも一抜けた」
「そんなに信用できんかー!」
「だって、ねえ?」
「笹森さんですし」

 示し合わせたように頷きあう二人によよよと泣き崩れる花梨。
 ああ悲しきかな。現実は無常也。
 そもそもこの近辺に車なんてないし、よしんば発見したとしてもキーがなければ使えないのであるが。
 そんな風にトリオ漫才をしていて、気が抜けていたのか。ロビーに入ってくる人間の存在に、三人は気付かなかった。

「……ちょっと、いいかしら?」
「っ!?」

669危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:34:44 ID:JAFbCA0g0
 振り向いた三人の視線の先。そこには両手に花と言わんばかりに両手に拳銃を持った天沢郁未が睨み付けていた。
 鋭い目線が、三人に動くなと無言ながら命じている。流石にこの状況でバカをしているわけにもいかず、三人は手を上げて戦意のないことを示す。
 三人の顔をそれぞれ眺め回し、郁未が尋ねる。

「ここに人がいるなんて意外だったけど……何をしていたの?」
「……特に何も。しいて言うならこれからどこに行くかってことを考えていただけです」

 なるべく疑われにくくするように、風子が言葉を選んで伝える。

「ふうん、作戦会議、か。ずっとここに?」
「いや。離れ離れになっていたけど合流して、その矢先。もっとも、あたしと伊吹さんはこの近辺しか動き回ってないけど」
「……あなたは?」
「私は北の方から……まあ、色々と出会いと別れは繰り返したけど」

 その言葉に、郁未は目を細める。何事かを考えているように見えるが、何を考えているかは伺い知れない。とにもかくにも優勢なのは郁未で、最悪このまま殺されかねない。だからこそあまり刺激しないように三人は言葉を選んでいた。

「じゃあ、あいつらの存在は知らないか……那須宗一と古河渚、この二人を知ってる?」
「渚さんですか? それなら風子のお友達なのですが」
「……友達、なんだ」

 含みがあるような郁未の物言いに、どういうことですか、と風子が尋ね返す。すると郁未は目を伏せながら、

「残念だけど……その子、殺し合いに乗っちゃってるのよ。さっき言った、那須宗一って男と一緒にね」
「……信じられません。風子、渚さんの人となりについては知っているつもりです。渚さんはそんなことをする人じゃないです」

「確かに、今までならそうだったかもしれないわね。でも彼女は、親御さんを殺されているのよ。
 そればかりかあの子は私の前でこう言った……
 『お父さんとお母さんを生き返らせるためなら、わたしは人殺しだってしてみせます』ってね……
 それで戦闘になって、しかも仲間も殺されてここまで逃げてきたってわけ。
 あなたたち、そのこと知らないみたいだったから、知らせておこうと思ったのよ」
「……」

670危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:13 ID:JAFbCA0g0
 今ひとつ納得のいっていない風子に対して、由真と花梨は俄かに同情の様子を見せている。
 風子と違い、渚の人となりを知らない二人にとってみれば郁未の心情は察するに余りあるし、むしろ危険人物の存在を知らせてくれた在り難い存在でもある。
 しかも放送で古河姓の人物は二人読み上げられているし、親を殺されようものなら復讐に走るのはある意味当然の言葉と言える。

「……っと、悪かったわね、銃なんて向けちゃって。でも、今の状況じゃちょっと簡単には信用できなくて」
「いや、その気持ちは分かるわ。こっちこそお礼を言わせて。ありがと」
「いいわよ、そんなの。で、どこに向かうつもりだったの?」
「んーと、南から島をぐるっと回ってみようかなと」

 花梨の言葉に「ならなおさら伝えといてよかった」と郁未は安心したように付け足す。

「気をつけて。そっちにはまだ那須宗一と古河渚が潜んでいるかもしれないから」

 未だに郁未の言葉を疑っている風子は警戒したままだったが、由真と花梨はうん、と頷く。

「……あなたは、一緒に来ないんですか」

 まるで他人事のように忠告した郁未に、指差しながら風子が問いかける。すると郁未は首を横に振って、
「いや、私は少しここを探索するわ。生憎、銃は持っているんだけどこれ、弾切れなのよ。だからさっきのは牽制だったの。冷や冷やしたけどね」

 くるくると銃を手で弄びながら、郁未はここに残ることを告げる。
 勿論銃が弾切れなのも、宗一と渚が殺し合いに乗っているということも嘘。

 作戦は煽動。
 見たところ殺し合いには乗っていないと判断した郁未だったが、かといって貴重な隠れ場所で騒ぎを起こしては元も子もない。
 再確認する。郁未の目的は生き残ることであり、無用な戦闘は控えたい。加えて、一対三では取り逃がす可能性が大きい。
 一見平和主義者の能無しに見えても窮鼠猫を噛むこともある。渚がいい例だ。それにこれから外に出て行くというのならそれを引き止める必要はない。
 偽情報を流したのは宗一と渚に合流されるのを恐れたため。
 嘘を嘘と見抜かせないコツは、嘘の中に真実を散りばめておくこと。
 実際、二人と戦闘したのは事実だし、仲間が殺された(まあ、信用できない仲間だったが)のも事実だ。例外は一人だけいたが、世の中多数決だ。
 強硬に主張はしていない。あくまでも懐疑的なだけだ。

671危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:30 ID:JAFbCA0g0
(ま、演技も疲れるものね。本当なら八つ裂きにでもしてやりたいけど、あの女じゃあるまいし)

 来栖川綾香のようなヘマはしない。郁未もまた、ままならぬ中着実に失敗から成長を重ねてきていた。
 とにかく、隠れながら動向を窺う。昼の時点で死者は29人。もっと死者が増えているなら自分が手を出す必要性は薄くなっていく。
 見極めは、放送以後だ。それまでは大人しくしておいてやろう。

「そうですか……なら、別に構わないです。風子も無理にとは言いません」
「……そうね。確かに、安易に大人数で行動するのもね。じゃあここに残るなら、後でここに来る人とかに伝言を頼みたいんだけど」
「まあ、別にそれくらいは……」
「それじゃあ、名前を――」

 由真が郁未の名前を尋ねようとする。
 その時に、事件は起こった。

「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ、やめてぇっ! 来ないでぇぇぇっ!」

 空気を引き裂く、女の悲鳴。

「っ!?」
「今の声、ひょっとして……愛佳!?」
「……」

 花梨と風子は何事かと驚き。

 由真は気が気ではなく。

 郁未は鬱陶しそうに。



 風が、殺戮の匂いを運んでくる――

672危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:55 ID:JAFbCA0g0
【時間:二日目午後17:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する、仲間を守る。郁未に懐疑的】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:仲間を守る。郁未の情報を信じている】

笹森花梨
【持ち物:特殊警棒、海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、青い宝石(光二個)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、ステアーAUG(7/30)、グロック19(2/15)、エディの支給品一式】
【状態:光を集める。仲間とともに宝石の謎を明かす。郁未の情報を信じている】
ぴろ
【状態:花梨の傍に】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

673危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:36:19 ID:JAFbCA0g0
【時間:二日目午後17:00】
【場所:E-4 ホテル外】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ+錯乱】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い。愛佳を追っている】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。留美と愛佳を離れた位置から追跡中】

→B-10

674Left alone:2008/06/02(月) 23:09:41 ID:iNSwEiiU0
 復讐、という言葉についてリサ=ヴィクセンは考えていた。
 これまでリサが生きてきたその理由を占める大部分であり、そのためにかなぐり捨ててきたものは数知れない。

 例えば、女の子らしい生活。
 例えば、友達。
 例えば、恋愛。

 本来誰もが普通に手に入れられるであろうものを、リサは自ら手放してきた。
 両親を謀略によって殺害した篁総帥、その人を殺すという一点についての目的のために。

 そのためならどんな厳しい訓練も乗り越えてきた。
 どんな知識だって吸収してきた。
 どんなに汚いことでも、人の道に外れると看做されても仕方のないことだって、やってきた。

 その結果が――これか。

 一回目の放送で、篁の名前が呼ばれた。
 世界最高の権力者とも言われるあの強大な篁が。
 これまでの人生を棒に振ってまで倒すと決意していたのに、あっさりと死んでいた。
 それこそ、道端の通り魔に刺されて死にました――それくらいの感覚で。

 軍人の習性からか、始めこそ情報として受け入れていたが……時間が進むにつれて空しさばかりがリサの心を満たしていく。
 分かっていたことではなかったか。
 復習を果たした人間の結末。目的を達成した後の結末などありふれている。
 ハッピーエンドなんてありえない。そんなことは百も承知していたはずだったのに。
 全部、無駄になってしまった。

 行き場を失ってしまった復讐心は、もはや誰に向けるべきかすら分からない。
 主催者か? 篁を殺した人物か? あるいは、その人物を殺した人物か?
 どれも違う。いや、もう既に全部、空っぽになってしまっているのだ。
 簡単に言えば……生きる目的がなくなった。

675Left alone:2008/06/02(月) 23:10:05 ID:iNSwEiiU0
 これからどうする。
 主催者を倒し、脱出……或いは、(ありえないことだが)殺し合いに乗り、優勝したとしても、その先で何をする。

 戻るべき日常なんて存在しない。

 帰るべき場所もない。

 何もない。

 今、リサが生きているその理由が……美坂栞、その人と一緒にいるから、ということだった。
 始めは、弱い人間を守るという使命感に駆られてのことだった。
 実際栞は内気で脆く見えたし、身体能力に関しても男どころか同世代の女の子にすら劣る。
 篁が死んだ後も栞には自分がついててやらねばならない、という優越感にも近いような感情があった。

 ……今は、どうだ?
 強くなっている。美坂栞は、確実に人間としての強さを兼ね備えている。
 友達を殺され、そればかりか家族を殺されているというのに。
 気丈に、めげず、迷いそうになりながらも、しっかりと自分の道を、苦しみながらも必死で模索している。
 リサのように、復讐に奔ることもなく。

 弱い。栞は弱い。まだまだ弱い。そのことをしっかりと認識し、なら出来ることは何かと考え、戦う道を選んだ。
 誰かの役に立ちたい。その一心で。
 自分勝手なリサと比べて、なんと強い意思なのだろう。

 だからこそ、それに縋っていたい。
 もっと強くなってほしい。
 あのときあったもう一つの可能性、未来を、見せてほしい。
 ああ、なんと自分勝手なのだろう。復讐心に猛っていたあの頃より自分勝手になってしまっている。

676Left alone:2008/06/02(月) 23:10:20 ID:iNSwEiiU0
 これからどうする。
 主催者を倒し、脱出……或いは、(ありえないことだが)殺し合いに乗り、優勝したとしても、その先で何をする。

 戻るべき日常なんて存在しない。

 帰るべき場所もない。

 何もない。

 今、リサが生きているその理由が……美坂栞、その人と一緒にいるから、ということだった。
 始めは、弱い人間を守るという使命感に駆られてのことだった。
 実際栞は内気で脆く見えたし、身体能力に関しても男どころか同世代の女の子にすら劣る。
 篁が死んだ後も栞には自分がついててやらねばならない、という優越感にも近いような感情があった。

 ……今は、どうだ?
 強くなっている。美坂栞は、確実に人間としての強さを兼ね備えている。
 友達を殺され、そればかりか家族を殺されているというのに。
 気丈に、めげず、迷いそうになりながらも、しっかりと自分の道を、苦しみながらも必死で模索している。
 リサのように、復讐に奔ることもなく。

 弱い。栞は弱い。まだまだ弱い。そのことをしっかりと認識し、なら出来ることは何かと考え、戦う道を選んだ。
 誰かの役に立ちたい。その一心で。
 自分勝手なリサと比べて、なんと強い意思なのだろう。

 だからこそ、それに縋っていたい。
 もっと強くなってほしい。
 あのときあったもう一つの可能性、未来を、見せてほしい。
 ああ、なんと自分勝手なのだろう。復讐心に猛っていたあの頃より自分勝手になってしまっている。

677Left alone:2008/06/02(月) 23:11:03 ID:iNSwEiiU0
 リサは卑小な人間だ。
 勝手な妄想を、欲望を、自己満足のために押し付けるような事をしている。
 理解している。理解していてもなお、栞にはそう在ってほしかった。

 そのためなら……守る。何が何でも、守る。
 今の空っぽの、リサ=ヴィクセンに出来ることはもう、それしかなかった。

     *     *     *

 銃を撃つ訓練。
 そんなことをひたすら繰り返しながら、私は私の弱さを次々と認識せざるを得なかった。
 分かってる。他の子に比べても、私の体が弱いなんてことは。
 でも知ったかぶりだった。そこまで差があるだなんて考えてもみなかった。

 私、バカですから。

 その言葉すらあまりにも分かっていないのだということを、思い知らされた。
 重たい。銃が、途方もなく重たい。
 映画や、漫画だと軽々と振り回しているのに、私には精々抱えて持ち上げることくらいしかできない。
 しかも、銃を撃つときには反動があるという。
 もちろんその存在くらいは知ってるけど、リサさん曰く、『最も一般的な9mmパラベラム弾を用いる小口径の拳銃でも女性が扱うにはそれなりの体力を必要とする』と言ってた。
 リサさんがM4って言ってたこのアサルトライフルっていうのがどれくらいか分からないけど……軍隊の人がよく使ってるっていうくらいだからそれなりに体力がないと扱えないのかも。

 だったら……私が、それを使うことはできるのかな……
 見よう見まねで訓練だけはしてるけど、実際に発砲はしてないからどうなるのか、分からない。
 可能性が、私に想像させる。

678Left alone:2008/06/02(月) 23:11:35 ID:iNSwEiiU0
 殺し合いに乗った人が襲ってきて、しかもその人は強くて、リサさんは苦戦する。
 助けられるのは私だけ。
 私は銃を構える。撃とうとする。
 でも失敗。失敗。失敗。
 そんなことをしているうちに――リサさんは、死んでしまった。

 頭をよぎる度に、こんなことを、こんな自分勝手なことにリサさんを付き合わせてしまっていいのだろうか。そう思う。
 私は、役立たずだ。

 リサさん一人ならもう次々と殺し合いに乗っている人たちを倒して、この島を脱出する算段を練っている段階なのかもしれない。
 なのに、私はずるずるとしがみついて……我がまま言って、また、時間を浪費しているんじゃないか。
 あんなこと、本当なら言わなければ良かったのかも。

 ……でも。
 それでも。
 役に立ちたい。
 リサさんの役に立ちたい。
 守ってもらうだけなんてもういやだ。
 こんなの自分勝手だって分かってる。……でも私は……
 いつまでも、胸を張ってリサさんの傍にいたいから。

 だから……
 今は、進むしか、ない。
 それが間違いではないと……信じて。

 お姉ちゃん。
 ずっと会えなかったお姉ちゃん。

 今は、多分私が頑張ってるかどうか、見てるよね?
 私は今、自分の足で歩こうとみっともなく頑張ってる。
 今度は違う。
 受け身だったあの冬の日々とは違う。

679Left alone:2008/06/02(月) 23:12:04 ID:iNSwEiiU0
 横に並びたい。
 立派に、自分の足で歩いてるリサさんの横に並びたい。

 それで、聞いてあげたい。
 私が苦しみや悲しみを打ち明けたように、リサさんにもそうしてもらいたい。
 傲慢かもしれないけど、リサさんはそれくらい大切な人だから。

 だから、その日が来るまで……
 私を、見てて。

     *     *     *

 一通り訓練が終了したときには、既に時刻は夕方近くなっていた。
 栞は未だにぶつぶつとそれまでに教え込まれたことを反芻していたが、リサが軽く頭を叩く。

「根を詰めすぎ。気持ちは分からなくもないけど、少しは気持ちに余裕を持ちなさい。精神的に余裕があるとないとじゃ命中精度も変わってくるんだから」
「あ、はい……そうですね」

 言われて、ようやくそれに気付いた栞はM4を下ろすと、ほっと一息つく。
 終わってみればもうくたくただが、それなりに構えは形になってきている。

 飲み込みの早さはリサも認めるくらいであった。
 それに特筆すべきは姿勢の維持精度。
 殆どブレがなく、伏せ撃ちの体勢のときはまるで石のように微動だにしない。

「じっとしているのは、得意なんです」

 とは栞本人の弁であるが、恐らくは天性の才覚だろうとリサは考えていた。
 恐らくは、もっと射撃経験を積めば狙撃手の片鱗を見せることは間違いない。惜しむらくはスナイパー・ライフルが手元にないことだ。
 職業柄、どのライフルが栞に合うかどうか考えてしまっている自分に、リサは苦笑する。

680Left alone:2008/06/02(月) 23:12:30 ID:iNSwEiiU0
「どうしたんですか?」
「……いいえ、つまらないことよ。気にしないで」
「……そうですか」

 そう言うと、栞はM4をリサに差し出す。

「これ、お返しします」
「ん? いや、差し支えなければ栞が持ってて構わないわよ。流石に手ぶらは危険だと思うから。それとも……重たい?」
「……いいえ? もう慣れましたよヴィクセンさん? あはははは」
「……フフフフフ」

「えへへへへへ……」
「ンフフフフフ……」

 何となく気持ちの悪い笑顔を交し合う二人。
 ちょっとした意地の張り合いである。
 栞はこれくらいはできて当然ですよと言いたげに。
 リサは無理しなくていいのよという目線で。

「まあ、冗談は置いといて……本当に大丈夫です。貸してくれるのなら、大切に使います。ありがとうございます」
「使わないのが本当はベストなんだけど……ね。まあ、どういたしまして。でも本当に無理はしないで。約束」
「そうですね、約束です」

 すっ、と栞が小指を差し出す。けれどもリサはというと、その意味が分からずしばし首を傾げる。

「あれ? 指きりげんまん、って知らないんですか」
「ごめんなさい、ちょっと、初耳」

681Left alone:2008/06/02(月) 23:12:59 ID:iNSwEiiU0
 困ったように目を泳がせるリサに、栞は「んー」としばし考える仕草を見せ、やがて「じゃあ、私のように小指を出してください」と伝える。
 これでいいの、と小指を出すリサに、すかさず栞が小指を絡ませる。
 しっかりと繋がる二つの小指。小さな体温が、お互いに浸透していく。

「ゆーびきりげーんまん、うそつーいたらはりせーんぼんのーます……ゆびきったっ」

 そして、指が離れる。
 リサは少し呆気にとられながらも、これが『約束の証』なのだと理解する。

「嘘をついたら、針を千本飲まされるのか……ふふ、そこらの拷問より恐ろしいわね」
「ええ、とっても怖いんですよ? でも私にとっては辛いものを口に詰め込まれる方が恐ろしいですけど」

「栞は辛いものが苦手なの?」
「はい」
「わさびは?」
「見るのも嫌です」
「からしは?」
「名前を聞くのも嫌です」
「タバスコは?」
「人類の敵です」
「……なるほどね」

 くっくっ、とかみ殺して笑うリサ。すると栞は頬を膨らませながら言う。

「ふーんだ、どうせ私は辛いものが苦手ですよー。というか、指切りは知らないのにわさびとかからしとかは知ってるんですね」
「ん、まぁ日本料理は嫌いじゃないからね。最近は海外でも人気が出てきているし」
「あ、確かに最近テレビでよくやってますもんね」
「……とまぁ、栞の弱点を確認したところで」
「じゃ、弱点……」

682Left alone:2008/06/02(月) 23:13:25 ID:iNSwEiiU0
「……出てきてもらいましょうか、そこで隠れてるの」
「え?」

 いきなり目つきを変え、扉の外へと向けて言葉を放つリサに、栞は困惑する。
 だが慌てながらもM4を栞も持ち、教えられた通りに膝立ちで構える。
 本人は気付いていないが、栞の行動は迅速で既に教えられたことが身につきつつあった。
 二人の緊張が俄かに高まろうとしていた、が――

「鋭いね。でもレディが簡単に牙を見せるのは、感心しないな」

 あっさりと白旗を上げて、気配の主は扉を開け、姿を見せた。
 手は頭の後ろで組み、デイパックは足の裏に隠れるようにして置かれている。
 限りなく戦意はゼロである、と声高に主張するような態度だ。
 あまりにも分かりやすい態度に、かえってリサは「騙す気はない」と判断した。
 栞にM4を下ろすよう言い、リサは一歩前に進み出て返答する。

「あら、ごめんなさい。でも世の中も物騒になってきたから、ね」
「なるほど。でも僕は雌の狼よりは、雌狐の方が好きなんだ」
「へえ……どうしてかしら?」
「同じかみ殺されるなら、美しく、優雅な方をと思ってね」
「……いいわ。手を下ろして。貴方は大丈夫そうね」

 いつの間に敵意を解いているリサに栞は状況が理解できない。
 目をぱちくりさせている間に、リサと話していた男は部屋の中に入ってくる。

「あ、あの、リサさん、いいんですか……?」
「大丈夫よ、敵じゃないわ」
「ど、どうして……ですか?」
「勘」

683Left alone:2008/06/02(月) 23:13:50 ID:iNSwEiiU0
 ええ、と納得いかなさそうに口を開ける栞に、男が人懐っこく笑みを浮かべる。

「どうもよろしく、お嬢さん。僕は緒方英二。少しわけあって、ここまで来させてもらったよ」
「は、はあ……美坂、栞です。よろしく……」
「あら、私には挨拶なし?」
「おっと、失礼。忘れていたわけじゃないさ。見たところ軍事関係者と見たが……」
「いい勘ね。まあその筋の人間だと考えて貰えれば。リサ……リサ=ヴィクセン。よろしく、緒方プロデューサー」
「プロデューサー?」

 何のことか分からず、きょとんとする栞に、英二は参ったな、とぽりぽりと頭を掻く。

「売れっ子アイドルを輩出している名プロデューサーよ。割と有名な話、気付かないとでも?」
「……そこまで有名とは思っていなかったんだけどね」
「そんな人が……」

 初めて知ったのかしきりに感心している栞をよそに、リサは壁にもたれ掛けながら英二に話しかける。

「で、どうしてここに?」
「おおよそ、君達と目的は一緒だと思う。情報を集めにね」

「……続けて」
「ここに来るまでにも色々いざこざがあったんだが……かいつまんで話すと、僕……いや、僕とその仲間は診療所にいた。仲間の治療のためにね。
 だが肝心なところで殺し合いに乗った連中に襲撃されて、やむを得ず僕たちはバラバラに散開せざるを得なくなった。
 僕は東、仲間は……恐らく西の方面に逃げて、幸いにも上手くいったわけだが、これからどうしようかと思案していたところでね。
 それで後々のために少しでも情報を仕入れておこうと、ここにやってきたというわけだ。
 パソコンでもあれば、何か分かるんじゃないかっていう楽観的な考えなんだが、ね」

 軽く笑う英二だが、本当にそのような軽い考えで来ているわけではない。
 忽然と消えたマルチの動向がしばらく気になって、一時は氷川村に戻ろうかと考えていた英二だったが、マルチには向坂雄二以外の別の仲間がいて、彼女を引き止めたのかもしれないし、あるいは向坂環との戦いに敗北し、ほうほうの体で逃げていく雄二に付き従って離脱したのかもしれない。

684Left alone:2008/06/02(月) 23:14:19 ID:iNSwEiiU0
 無論環が敗北したという可能性も、英二の誘導に気付いて祐一達の襲撃に向かったという可能性も無きにしも非ずだが、環はともかくとして祐一達が襲撃された可能性は低いだろう、と英二は考える。
 何故なら現在位置と地図を照らし合わせて考えてみた結果、道の作りから考えて少なくともH-8地点まで誘導に成功していたことは間違いないと判断。
 しかも戦いながらの誘導だから、英二が出てすぐに祐一達が逃げたのだとすれば相当に距離を空け、見つかりにくいところに隠れおおせているはず。
 無論推測に過ぎないが、確率としては絶対に高い。

 以上の点から考えて、氷川村に戻るよりもその後の展開を考えて、各地で情報を集め、首輪の解除、もしくは主催者の位置を割り出せないかと考え、そしてそれを行いそうな人物がどこにいるか、ということを推測してみる。
 首輪の解除、もしくは主催の位置を割り出そうと考えるなら、それなりの設備が整っていて、かつ通信設備があるのが望ましい。
 加えて、それが未だに殺し合いに乗っている人物から目をつけられにくい場所であることも望ましい。

 通信設備を必要とするのは首輪を解除するために必要な材料があり、もしも外でそれを入手した場合、連絡を取れればいくつか無駄足を踏まずに済む。
 またこのような首輪……電子機器の扱いにはパソコンが必須であろう。
 それらの条件を満たしているのが……灯台であると、英二は考えた。

 案外灯台は島の端にあって目立ちにくいし、いくつか通信設備などもある。
 それらが使えるかどうかは分からなかったが、とにかく行く価値はあると判断したのだ。
 そして、その先で……英二がリサ達と出くわした。

「ふうん……仲間の元に、戻ろうとかそういうことは考えなかったの?」
「さっきも言ったように、僕たちは東西バラバラに逃げた。もう距離的には大分離れているし、探しに戻るよりは今後のことを考えて、脱出に有益な情報を集めておけばいつか、再会したときに役立つだろう? そう思ってね」
「……大人の、考え方ね。もしその道中で、その仲間がまた別の人間に襲われて、死んでしまう――そういうことは考えなかった?」
「それは……確かに、その可能性もある。頭ごなしに否定するつもりはないさ。……でも、僕にはこうするのが最善だと思えた。ちっぽけな僕には、これが精一杯だった……言い訳、かもしれないが」

685Left alone:2008/06/02(月) 23:14:39 ID:iNSwEiiU0
 そう話す英二の目には、苦悩の表情が見て取れる。恐らくは、悩んだ末の結論だったのだろう。
 不確かな未来のために、不確かな選択を取る。しかしどうすれば最善の未来に導けるか、最善の結果に結びつけるか、英二なりに必死に考えたに違いない。
 それが、大人の考え方だったとしても。

「分かった。なら、これ以上は何も言わないわ。こっちは……まあ、貴方が考えてるような用件で来た訳じゃないんだけどね」
「そうなのか?」
「はい……ちょっと、私が体調を崩してしまって」

 ふむ、と英二は栞を一瞥する。
 普通の女の子よりも、栞は細く見えるし、M4を向けられていたときも笑ってしまうくらいに不釣合いな印象を受けた。

「まあ、無理はするなよ。診療所にいたくせに薬は一つも持ってないんだが……それはすまない。仲間の方に預けてきてしまってね」
「ということは、診療所にはもう目ぼしいものはないってこと?」
「ああ。それ以前にも誰かが使っていたようで、もう殆どないと言っていい。もしこれから村に行くつもりだったのなら……謝るよ」

 そう言って頭を下げる英二に「いや、いいのよ」と言って頭を上げるようにリサは言った。
 今のところ栞の体力については問題なさそうだし、何より無駄足を踏まずに済んだ。
 となると、氷川村に行く目的がなくなった以上、問題は今後の方針についてである。
 予定では夜の10時に平瀬村分校跡で柳川と合流する予定なのだが……今から出発したとして、大幅に遅れる可能性が高い。
 どうにかして、伝えられればいいのだが……

「……そうだ、英二、ここに来る途中、電話のようなものは?」
「ん? ああ、宿直室にそれらしいものがあったが、使えるかどうかは試してみないと……それが?」
「いや、こっちも別れた仲間がいるんだけど、分校跡で合流する予定があってね。ただ今から行っても間に合わない可能性が高いから連絡を取ってみようと……最悪、伝言だけでも残せればいいし」
「分かった、そういうことなら僕が案内しよう。美坂君は、ついてこれるか」
「へっちゃらです。もう、リサさんも緒方さんも……心配のしすぎです」

 不満げな栞に、悪かったよ、と笑いながら英二が頭を撫でる。

686Left alone:2008/06/02(月) 23:15:01 ID:iNSwEiiU0
「連絡自体は私がするわ。ひょっとしたら誰かに盗聴されてるかもしれないけど……言葉は選ぶから、安心して」
「よし、なら行こう。善は急げ、だ」

 英二が先陣を切るのに続いて、リサと栞も続く。
 さて、彼らの思いは届くのだろうか。

 運命は、また少し変わる。

687Left alone:2008/06/02(月) 23:15:53 ID:iNSwEiiU0
【時間:2日目午後17時30分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:平瀬村分校跡に電話をかけに行く。栞に対して仲間以上の感情を抱いている】
美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:やや健康。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】
緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集め、いずれ別れた仲間と合流する】

→B-10
と、>>676はミスです。申し訳ない

688アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:16:37 ID:6nsg70320
 
それはあまくてにがいゆめ。
終わってしまった、ゆめのかけら。


***


銀色の月が見える。
夜空を覆いつくすような、大輪の銀華。
精緻な細工物のように煌めくその月を見て、私は自分の見ているものが、過去の記憶だと気づく。
間違えることなどあろうはずもない。
それは、私の人生でいちばん綺麗な夜の記憶だった。

銀色の月を背に、影が立っている。
青い外套と、月光を掬い取ったような大きな銀の杖。
振るわれる杖から伸びる透き通った青い光が、私に迫っていた怪物を、消し去っていた。

音もなく、影が降り立つ。
微笑みと労わりの言葉と、差し出された優しい手。
そっと重ねたその手は、やわらかく、温かかった。

それは私、霧島聖と『青』の邂逅。
その、始まりの記憶。


***


幾つもの夜、私は街を巡った。
あの微笑みに、もう一度会いたかった。


***

689アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:02 ID:6nsg70320
 
再会は、やはり月華の晩だった。
街灯の切れた暗い公園。
無数に蠢くおぞましい怪物の群れと、目の醒めるような青色が、月の光に照らされていた。

閃く銀の杖。
数を減らしていく怪物たち。
その戦いを物陰で見ていた私に、しかし怪物の一匹が気づく。
立ち竦む私。
瞬く間に迫る、桃色の触手。

そして、私の手から立ち昇る、青い光。
再会の夜は、私の戦いが始まる夜でも、あった。


***


私の生活は一変した。
『青』と共に戦いに明け暮れる夜が続いた。
異形の者どもを滅し、街の平和を守る戦い。
命がけの、怖ろしい、堪らなく刺激的な、それは戦いだった。
『青』と背中を合わせて戦う限り、負ける気はしなかった。
私の中に満ちる力は戦いを経るごとに大きくなっていたし、経験は私自身を強くもしていた。
昼間の生活など、退屈で仕方がなかった。
早く夜にならないかと、教室ではそればかりを考えていた。


***

690アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:27 ID:6nsg70320
 
『青』と私。
月の輝く夜に、星の瞬く夜に、嵐の吹きすさぶ夜にだけ、出会う関係。
太陽の下では、結局最後まで、私は『青』を見ることがなかった。

時に窮地を救い。
時に強敵を倒し。
時に避けられぬ悲劇を超えて、私たちは共に戦った。

ふたり。
そう、それはふたりだけの戦いだった。
異形は尽きることなく、果てることなく現れるように思えた。
それでもいいと思えた。
ずっとふたりで戦えるのなら、それでもいいと。

たとえ、うららかな陽射しの下で紅茶を楽しむことができなくとも。
たとえ、手を繋いでショーウインドウを見て回ることができなくとも。
たとえ、何気ない一言に揺れ、枕を涙で濡らすことがなくとも。

私たちには、心躍る月下の邂逅があった。
閃く銀弧と、迸る青の光があった。
背中を合わせる温もりと、肌のひりつくような昂ぶりがあった。

たとえそれが、恋と呼べるものでなくとも。
私は、幸せだった。


***


そして。
幸福な時間は唐突に終わりを告げるのだと、私は知ることになる。

門を閉じる、という『青』の言葉は、私を奈落の底に突き落とした。
それは、この戦いの終わりを、意味していた。

―――門。
それが正確にはどういったものであるのか、私は知らない。
『青』は何かを知っていたのか、それも今となっては分からない。
分かっているのは、ただ一つ。
それが、異形の者が涌き出る、その大元だということだった。

戦いが終わる。
突きつけられたその現実は私を苛み、刃を鈍らせた。
密かに進行する病のように、それは私を蝕み続けていた。


***

691アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:54 ID:6nsg70320
 
終わりの晩。
無数の異形を退け、道を切り開き、私たちはようやくその場所へと、辿り着いていた。

門。
それは空に口を開けた、巨大な穴。
そこから零れ落ちるように、数え切れないほどの異形が涌き出していた。
そのすべてを押し返し、門を閉じることなど不可能であるように、思えた。

―――いや、そう思いたかったのだ。
勝利は、永遠に続くふたりの時間の終わりを意味しているように、私は感じていた。
それが少女めいた傲慢と視野狭窄の産物と理解するには、その頃の私は幼すぎた。

迷いは焦りを生み、焦りは躊躇と失態を連鎖させた。
それまでの一生分よりも多くの大過と仕損じと遺漏とをほんの数時間で繰り返した私が最後に得たのは、
届かない背中だった。

その背は、傷を負っていた。
私のミスが、敵を斬れない刃が、異形を仕留められない光が、『青』の背に負わせた、それは傷だった。
美しかった外套も、見る影もなかった。


***


ここから先のことを、私は何度も、何度も夢に見た。
悲鳴と共に目を覚ました晩も数え切れない。
それほどに、その光景は私を責め苛んでいた。

古ぼけた映写機によって映される擦り切れたフィルムの映像のように、私はもう何十、いや、
何百度目になるかも分からないその光景を、じっと見つめる。

そうだ。
私がいくら叫んでも、『青』は振り向かない。
振り向かず、ただ歩くのだ。
私の悲鳴は届かない。
私の問いは届かない。
私の恋は、届かない。

『青』はただその身に燃え立つような蒼い光を纏って、門の向こうへと消えていく。
門は燃え、『青』は燃え、何もかもが、燃え尽きて。

後には何も、残らない。


******

692アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:13 ID:6nsg70320
 
目を見開き、飛び起きようとして、痛みに顔を顰める。
身体が、動かなかった。
金縛り―――否、手首に感じるのは冷たく硬い感触。
どうやら拘束されているようだった。
何が起こった。一体どうなっている。私は私に問いかける。
『青』が、違う、それは夢だ。過去の悪夢だ。思考が混濁している。
ぼんやりとした視界が次第にクリアになっていくのを待つ一秒がもどかしい。
状況を整理し思考を展開し現状を把握しろ、と自分に言い聞かせる。

思い出せ。
頼りない記憶の糸を手繰る。
美佐枝の血。紅い雨。
その光景を思い浮かべた瞬間、嫌な汗が全身からじくじくと沁み出すのがわかる。
晴香。巳間晴香。仇敵。
べったりと張り付いた肌着が冷たい。
蒼の世界。命の燃える色。マナ。
断片的な映像だけが、ぐるぐると脳裏を渦巻いている。

「―――お目覚めですか」

乱れた思考の麻を断ち切るような、怜悧な声。
まだはっきりとしない目を向ければ、そこには赤い光に照らされた、影二つ。

「……あま、の……?」

ひりひりと痛む咽喉からは、掠れた声だけが出た。
ぼやけた視界の中、捉えた顔には見覚えがあった。
天野美汐。強いGLの力を持ちながら、GLに与しない女。
重く雲の垂れ込める曇天の如き瞳が、弓のように細められて私を射貫いている。
微笑の形に歪んだその唇から、薄い舌がちろりと伸びた。
天野の舌が嘗め上げたのは、淡い曲線を描く肉付きのよい身体。
それが、びくりと震えた。

693アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:31 ID:6nsg70320
「なに、を……」

そう、赤い光に照らされる影は二つ。
天野と、彼女に抱きすくめられるようにしてだらりと投げ出された、巳間晴香の裸身だった。
晴香の柔らかい双丘を揉みしだく天野の手は匂い立つほど扇情的で、くらくらと私の脳を揺らす。
桃色の先端が、爪で軽く掻かれるように舐られる。
甘い吐息を漏らして、晴香が裸体をくねらせた。

まとまりかけた思考が、クリアになりかけた視界が、むせ返るような女の臭いに薄ぼんやりとしていく。
いけない、と思った。
目を閉じ、硬く歯を食いしばる。
深く吸う息が身体の隅々にまで酸素を運ぶ様をイメージする。
吐く息は脳と血管にこびりついた老廃物をこそげ落とし、廃棄するイメージと共に。
そうして二度、三度と深呼吸を繰り返すうち、意識がはっきりとしてくるのを感じる。

目を、開いた。
眼前には赤い光に照らされた、絡み合う二人の女。
裸身の巳間晴香を、天野美汐が一方的に嬲っている。
状況だけを確認し、意識的に視界を他へと移す。

辺りを見回せば、そこは相当の広さを持つ薄暗い空間。
灯火が揺らめく壁面は岩肌のようだった。
巨大な地下洞、あるいはそれを模して作られた建造物か。
私自身はといえば、巨大な十字架を背にするように手首と足首、そして腰周りをぐるりと赤い鎖のようなもので
締め付けられている。
淡く発光しているところを見れば、どうやら十字架も鎖も天野のGL力によって作り出されたものらしい。
わざわざ磔のような格好を強いるその拘束はいかにも趣味的で、下卑たセンスに唾を吐きかけてやりたいくらいだった。
からからに乾いた口の中には吐き出す唾もなかったが、代わりに強く舌打ちをしてやった。
予想外に強く反響したその音に、私は内心で一つ頷く。
そうだ、いつもの調子が出てきたじゃないか。
後は思考を展開しろ。危機を打破するための策を練れ。
ようやっと自分が霧島聖であることを思い出したかのように、私の頭脳が回転を始める。

694アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:55 ID:6nsg70320
何故、巳間晴香が嬲られているのかは分からない。
どうして天野美汐がここにいるのかも分からない。
分析には情報が足りず、推論には手がかりが少なすぎた。
故にその方面の思考は打ち切る。
考えても仕方のないことを考えているほどの余裕はない。
ならば、と思考を巡らせたとき、最初に思い浮かんだのは童顔の少女。
観月マナの顔だった。

そうだ、と私の記憶中枢がなけなしの情報を絞り出し始める。
巳間晴香との決戦の最中、相討ちを狙った私の前にマナが現れたのだ。
BL図鑑の声を聞いたマナは私の蒼を抑え、そして―――そこで、私の記憶は途絶えている。
意識を失った、その後が分からない。
だがもしもマナが敗れていれば、私がこうして目を覚ますことはなかっただろう。
巳間晴香はそれを許す相手ではなかった。
ならばマナが勝利したのか。
しかしそれにしては、天野が目の前にいるのも、こうして拘束されていることも不可解だ。
そもそもここは何処で、何のために私はこうして連れられてきたのか。
何か、手がかりになるようなものはないか。
そう考え、もう一度辺りをぐるりと見回して、

「……、え……?」

時が、凍りついた。


***

695アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:19:17 ID:6nsg70320
 
そこにあるのは、夢の続き。
終わったはずの夢の、悪夢のような、終わりの先の物語。


***


声が、出ない。

そんな、と。
どうして、と。

言葉は身体いっぱいに溢れているのに、出てこない。
気持ちがついてこない。
取り戻したはずの霧島聖が、ばらばらに砕け散っていくような感覚。
拾い上げて、組みなおして、いくつかのパーツが足りなくて。

だから、きっと。
見えるはずのないものが見えるのは、そのせいだ。
違う。
順序が違う。
見えるはずのないものが見えて、だから私はおかしくなっている。
おかしくなる前の私が、霧島聖が見たのだから、見えるはずのないものは、確かにそこにいるのだ。
嫌だ。
そんなのは、嫌だ。
駄々をこねる子供のような声は、私の中でいちばん素直な心の声だ。

困惑が、混乱を助長する。
混乱が、混沌を加速する。

見えるはずのないもの。
そこにいるはずのないもの。
いては、ならないもの。

闇に慣れた私の目に映った、煌めき。
黄金と真紅に彩られた、巨大な装飾物。
そこに座る、人影。
静かに、穏やかに、座っている人。

存在するはずのない人、存在してはいけない人の存在が、私の内側を蝕んでいく。
磔にされていなければ、私はとうに膝から崩れ落ちていただろう。
代わりにふるふると首を振って、私は一言、たった一言だけを口にする。

「―――『青』……姉さま―――」

それはきっと、少女時代の私が零した、涙の残り香。
心の奥底に仕舞い込んだはずの、今もじくじくと血を流す傷の、名前だった。

696アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:19:53 ID:6nsg70320
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

霧島聖
 【状態:元BLの使徒】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー、『青』】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

巳間晴香
 【状態:GLの騎士】

→978 ルートD-5

697第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:09:49 ID:LhuPflQU0
 そう表現するのが正しい、白色と僅かな光の中に彼はいる。

 安っぽい蛍光灯が明滅を繰り返す中、少年――久瀬と呼ばれている人間――は疲れきったようにうつ伏せになっていた。
 いや、実際彼は疲弊している。
 何十人もの死を黙って見届けるのは、健常者である彼からすれば拷問にも等しい。

 何か手立てはないものか。
 苦悩し、頭や壁を掻き毟っても命が零れ落ちていく速度は変わらない。むしろ加速していっている。

『君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ』
『参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ』

 昼……つまり、前回の放送から6時間が経過した時点でこの人数。さらに6時間経過しているとあれば最早生き残っている参加者は40人どころか30人近くになっているのではないか?
 なんと、無力な。

 久瀬は僅かに顔を上げ、拳を今は真っ黒なモニタに叩きつける。
 このまま突き抜けて中に現れるウサギ(悪趣味な主催者のことだ、クソ)を殴り飛ばせたらいいのに。
 普段ならば暴力的だと一蹴しているのに、これほどまでに悪意を持ったことはない。

 ――もう、限界だ。
 いかに久瀬が殺人とは無縁の世界で、黙っていればしばらくは無事であろうとも、これ以上手をこまねいて見ているのは吐き気がするくらいに嫌だ。
 恐怖がないわけではない。

 いや逃げ出したいくらいだ。
 このまま黙って、この出来事をなかったことにできればどんなに幸いだろうか。
 一学生として、生徒会長の座に居座って踏ん反り返っていれば、どんなに楽だっただろう。

698第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:12 ID:LhuPflQU0
 しかし、久瀬という、英雄でも戦士でもない少年にも、一介の矜持というものがある。
 それは復讐心にも似ている。
 恋心……とまではいかなくても、既に鬼籍に入っている倉田佐祐理に好意を持っていたのは確かで、その死を嘲笑うかのように振舞っていた主催者の男だけは許せない。
 憎い。恐らくは、倉田佐祐理を殺害した人物よりも。

 実際に殺害の現場を目撃したわけではないし、殺害した人物の姿を見ていないからそう思っているのであろうが、胸の内に暗く、燃え盛る炎があるのも事実だった。
 だが、武器があるわけではない(持っていたらとっくに反乱してますか、そりゃそうだ)。出入り口はこれまでに食事やタオルなどを持ってきた、主催者の秘書らしき人物が出入りする、壁の色と同じ扉一つのみ。
 当然ながら鍵はかかっており、こちらからはどうすることもできない。久瀬には針金もなければ、ピッキング能力すらない。

 しかし、久瀬には他の参加者と決定的に違う点が一つだけある。
 首輪がない。そう、本来命を握る大切な手綱であるはずの首輪爆弾が、久瀬には付けられていない。
 舐められたものだ。
 個室に閉じ込めているから、いや主催の本拠地だからといってこれでは飼い犬を野放しにしているようなものである。

 いいだろう、ならばその喉元に一気に噛み付いてやる。
 何かの配慮か、単に都合がいいだけなのだろうか、持ってくるのは常に放送の直前だ。
 ……狙うとするなら、扉を開けた瞬間。
 体当たりをかまし、そのまま部屋の外に逃走すればよい。
 部屋を爆発させるとか何とか言っていたが、その部屋から脱出さえしてしまえばどうにでもなる。
 それまでの計二回あった放送でも何ら抵抗はしてこなかったのだから、敵も油断しているはず。
 ……後は、逃げ回りながら参加者の首輪を管理している場所まで潜入し、解除してしまえば人数の多いこちらのものだ。

 次々と浮かぶ自身の発想に、久瀬は上手くいくと確信を得ながらも、どうして今まで行動を起こさなかったのだろうと後悔する。
 いや、既に原因は分かっている。
 怖かったのだ、死ぬのが。
 死の苦痛に怯え、みっともなく燻っていた負け犬だった。
 それ以上の地獄が、外の島では展開されているというのに、久瀬は己の事情しか考えなかった。
 鞭を打ってくれたのは、倉田佐祐理だ。
 皮肉なことだが、彼女の死が、彼女が死んだからこそ、久瀬は立ち上がろうと思えたのだ。

699第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:34 ID:LhuPflQU0
 やはり敵わないな、と久瀬は思う。
 恐らく、彼女は最後の最後まで人格者であったのだろう。
 誰かに思いが伝わると信じて散っていったに違いない。
 ならば遅かれどもそれに応えよう。
 ありったけの怒りを、主催者にぶつけてやろう。
 許されるとは思わない。許してもらおうとも思わない。
 これは、久瀬のための、久瀬自身の戦いだ。

 部屋に立てかけられている時計を見る。
 ――5時50分。
 来る。そろそろ、来る。
 体の向きを扉へと向け、石のように硬く拳を握り締める。

 チャンスは一瞬。
 距離から考える。飛び出すタイミングは開けてから数瞬の後がベスト。
 肩から飛び込め。何も考えさせるな。後は走れ。

 唇が堅く結ばれる。

 心臓が早鐘を打つ。

 腰が浮きそうになる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け――
 繰り返し、繰り返しながら久瀬は時を待つ。

 そして……
 きぃ、と。
 扉が開いた。

700第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:55 ID:LhuPflQU0
(今だ……!)

 勇気の、矢は――

     *     *     *

『やれやれ、ですね。とんでもないことになりました……そうですよね?』
 はい、と女は頷く。

 女の視線の向こうには、モニタに移るウサギの姿。声はいつものような合成音声ではなく、編集をかけていない……デイビッド・サリンジャーの声。
『まぁ、こうなっては致し方ないですね。代わりにやっちゃいましょう。リストは覚えているな』
 はい、と女は頷く。

 サリンジャーの声はひどく落ち着いている。まるでそのことを予期していたかのように、自然な声だった。
 それどころかスピーカーの向こうからはコーヒーを啜る音さえ聞こえてくる。
『あぁ、そうだ。例の件、付け足しておけ。どのように伝えるかは任せる』
 承知しました、と女が頷く。

 そのまま女はモニタの近くにあるマイクを手に取ると、あまりにも似つかわしくないような、朗らかな声で告げる。

701第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:11:21 ID:LhuPflQU0
「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します。
1 相沢祐一
5 天野美汐
12 岡崎朋也
16 折原浩平
17 柏木梓
19 柏木耕一
20 柏木千鶴
25 神尾観鈴
26 神岸あかり
29 川名みさき
30 北川潤
31 霧島佳乃
34 久寿川ささら
36 倉田佐祐理
37 来栖川綾香
40 向坂雄二
41 上月澪
42 河野貴明
43 幸村俊夫
44 小牧郁乃
46 坂上智代
47 相楽美佐枝
49 佐藤雅史
50 里村茜
52 沢渡真琴
55 少年
58 春原陽平
59 住井護
64 橘敬介
65 立田七海
71 長岡志保
73 長瀬祐介
74 長森瑞佳
83 雛山理緒
87 広瀬真希
88 藤井冬弥
96 保科智子
98 マルチ
101 みちる
102 観月マナ
103 水瀬秋子
106 巳間良祐
113 湯浅皐月
114 柚木詩子
117 吉岡チエ
 以上、45名となりますが、他特別な事情を含めました特殊参加者の方も含めますと46名となります。

702第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:11:55 ID:LhuPflQU0
 それと、人数の減少に伴いましてルールを変更させて頂きます。
 まずは、放送の間隔をこれからは6時間ごとに行いたいと思います。
 これはより早く参加者の皆様が情報を把握できるように、そしてより円滑にゲームを進めたいとの意向によるものです。
 続きまして、最終生存者の増加につきましてお知らせ致します。
 現在は一人しか生き延びる事が出来ません。参加者の皆様方には大切な方、大切な家族の皆様がいらっしゃることでしょう。
 ですがご安心ください。そのご心情を踏まえまして、運営陣の方でルールが変更なされ、残り二人になった時点でゲームを終了することになりました。
 もちろん、優勝者の願いを叶えるという約束も違えることはありません。ゲームが終了した暁には、お二人とも、その願いを叶えて差し上げます。
 ですから安心して、今後もゲームを続けてなさって結構です。皆様の健闘を、我々も期待しております。
 ――では、神のご加護が皆様にあらんことを」

     *     *     *

 女の声による放送が終了するのを、サリンジャーは満足そうに聞いていた。
 声に聞き惚れていた、というのが正しいだろうか。
 やはり美しい、と一人ごちる。

 それはさておき、放送でのルール追加を決定したのはサリンジャーである。というよりは、実質運営を行っているのがサリンジャー一人しかいないからなのであるが、一応そこには狙いがある。
 放送の間隔を縮めるのは、放送でもあった通りより円滑に進めるため。
 そして最終的に生き残れる生存者の数を増やしたのは徒党を組んでいる連中を瓦解させるため。なるべくならバラバラに、小競り合いで少しずつ減っていってほしいというのも狙いとしてある。
 しかし何より、二人生き残れるという現実的なルール変更にすれば、より乗る人間が増えるかもしれない。
 そうなれば……愉快だ。

「ふふふふふ……まぁ、期待はしないでおきますか。それにしても――何を考えて、あんなことをしたのですかね、久瀬君は。用済みでしたし、いい機会ではあったのですがね」

703第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:12:09 ID:LhuPflQU0
 モニターの隅に映る、じわじわと広がりつつあるそれを、サリンジャーは汚らしいものを見るような目で見つめる。

 それは真っ赤な池。
 中心には、ひどく折れ曲がった肢体が横たわっている。
 頭部は砕かれ、脳漿がどろりと零れ落ち、眼球には割れた眼鏡の破片が突き刺さっている。
 明らかに、人の力によるものではなかった。
 久瀬は、床に頭から強烈に叩き付けられ頭部を割られたことにより、即死していた。
 床にある罅割れは、その証明でもある。

 ここで問題。
 果たして、女がこのような怪力を出せるものであろうか?
 否。
 では、彼女は何者なのか。

「どうでもいいですね。おい、配置に戻れ。任務を続行しろ」

 モニタの向こうにサリンジャーが呼びかけると、女は頷き、身を翻して軽やかに去っていく。
 そのとき、彼女の着ている修道服が、ふわりと揺れた。
 深くスリーブの入ったスカート部分から艶かしい足が覗く。男であれば、思わずそれに目を奪われていたことだろう。

 ――だが、そこには刻印があった。
 太腿の内側にある『acht neun』。そしてその下には『01』という数字が刻まれてあった。
 それはタトゥーなどではなく。
 彼女の『番号』であり。
 ドイツ製、最新鋭の自動人形(ロボット)――『アハトノイン』という名の死神の姿であった。

 久瀬は気付かなかった。
 彼女がロボットだということも、勇気の矢は、既に折られていたのだということも。
 血溜まりを残して、殺し合いは変わりなく、続く。

704第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:12:53 ID:LhuPflQU0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:18:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている】
久瀬
【状態:死亡】
アハトノイン(01)
【状態:高天原内部の警備に戻る】

【その他:放送が6時間間隔に変更。生き残れる人数を二人に変更】

→B-10
そして、wikiの死者リストを作ってくださった方に最大の感謝を

705永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:43:52 ID:e2cva8jo0
 どん、という鈍い音が聞こえた。
 手にしていたペットボトル(支給品の水)は足元に落ちたはずなのに、随分と遠くの音のように思えた。
 12時間ぶりの、三回目の放送。

 ――どこかで、呼ばれるはずがないと思っていた。
 佳乃、霧島佳乃と、
 あの観鈴が。
 神尾、観鈴が……その名前が呼ばれた。

 ……嘘だろ?

 そんな僅かな否定の言葉すら出ないくらいに、往人は呆然としていた。
 同時に襲い掛かってくのは、何とも言えない無力感。
 自分のこれまでの行動を、一蹴された。

 ――何のために、殺したんだ?

 たった一人、それも殺人鬼だとしても、往人は人を殺した。
 この島に巣食う殺人鬼どもを駆逐していけば、結果的に守りたい人たちは守れる……そう信じていた。

 なのに、無駄だった。
 死んでしまった。
 いなくなって、しまった。
 ……最初から、探していれば良かった。
 つまらないプライドや虚栄心に拘って、ただ探して、走り続けていれば良かった。
 ガキのように、がむしゃらに……
 後悔しても、遅すぎた。

 往人の脳裏に浮かんでくるのは、診療所での面白可笑しい日常。
 それもあった。しかし、それ以上に浮かんできたのは、
 神尾家での日々。

706永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:44:18 ID:e2cva8jo0
『こんにちはっ。でっかいおむすびですね』
『疲れは、とれましたか? 今日は、暇ですか?』

 あの田舎での、往人の最初の知り合い。
 いつ、どこでだって、彼女は往人の味方であってくれた。
 いつも上手くいかない人形劇。
 俺の代で法術の力は終わりだ。人形劇もそれっきりかもしれない。
 そんなことを言っていた往人に、観鈴は言った。

『往人さん、笑わせられるよ。子供たち』
『純粋に心から笑わせること、できるよ』

 本当に、いつだって、どんな時でも……
 どこの馬の骨とも知れない往人に、よくしてくれた。
 そうして、いつしか……観鈴も笑わせてあげたかった。
 自分の本当の人形劇で、楽しんでもらいたかった。
 口に出さないだけで、心の底ではずっとそう思っていたのに。

 どうして、もっと早く。
 もっと早く、それに気付けなかったんだろう。
 もう、できない。
 もう、笑わせることができない。

 ――届かない。
 ――届かないんだよ、ここからじゃ。

 ……どうする。
 これから、どうする。
 観鈴のいなくなったこの島で、どうする。
 何を目的に、生きていけばいい。

707永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:44:41 ID:e2cva8jo0
 放送時間の変更。
 生き残れる人数が増えたこと。
 全部、どうでもよかった。
 往人にとっては何もかもが意味を為さなかった。

 ……いや、取り敢えず、目の前の少女の治療だ。
 吐き捨てたい思いをなんとか押し留め、まずはそうしようと考えた。
 川澄舞の治療が終わればその場を去り、観鈴の遺体を探して埋める。
 まだ何人か知り合いはいるが、どうせ観鈴がいなくては意味もない。
 それどころか後でどうにでもなれと自暴自棄に殺し合いに乗ることさえ考えた。

「――佐祐理、祐一、今行く」

 が。
 往人の目の前の舞はそんな心情など知ったこっちゃないとでも言わんばかりに。
 刀を、自らの腹部へと向けて。

 突き刺せ――
「やめろ……っ!」
 ――なかった。

 往人の手は、ギリギリのところで舞の刀を打ち払い部屋の隅へと押し飛ばしていた。
 やってから、どうしてこんなことをしているのだろう、と往人はまるで他人事のように思った。

 どうして反射的に手を伸ばした?
 放っておけばよかったのではないか。往人とは何の関わり合いもなかった舞が死のうが、関係ないではないか。
 死なれると名目上の目的ですら果たせなくなるからか?
 それとも、人としての良心がそうさせたのか?
 何を、今更。
 こんなにも愚かで無力な自分が何かをしたところで、どうなると……

708永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:02 ID:e2cva8jo0
「……どうして、邪魔するの」

 往人のそんな思考を止めたのは、またもや舞だった。
 吹けば飛びそうなくらいの弱々しい声で。
 表情からはそれまでにないほどの絶望を溢れさせ。
 泣いていた。ぽろぽろと涙を流して、泣いていた。

「佐祐理も、祐一も」
「貴明も、護も、チエも、志保も、マナも、ささらも」
「みんな、いなくなった」
「……どうして」
「どうして、私だけ生きてるの?」

 舞が顔を上げる。
 悲しみに満ちた瞳が、往人を真っ直ぐに見つめる。
 それは路頭に迷った子供のようで。
 ひどく、往人に似ていた。

 往人は思う。
 もしも、翼のある、空にいる少女がいたとしたらきっとこんな表情なのだろう、と。

 ああ、そうか。
 だから、止めたのだ。
 いつか、どこかで。
 笑わせてみたい。確かにそう思ったはずだった。

709永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:32 ID:e2cva8jo0
 目の前にいる少女が旅で探し続けてきた翼の少女だとは思わない。
 だが、その悲しみの深さは同等か、それ以上なのだと思う。

 だから。
 仕事だ。

 自分のことなどどうでもいい。それは今も変わらない。
 しかし、せめてこの瞬間だけは。
 この少女のための国崎往人でありたいと、そう思った。
 終われば、どうにでもなればいい。

 故に全力。
 故に必ず。
 笑わせてみせる。人形劇で。

「……見て欲しいものがあるんだ」
「……」

 いつもの人形はない。あるのは、この島で作った仮初めの相棒。
 旅の道連れ。
 手を触れずとも動き出す、古ぼけた人形ではない。

 お粗末にも食べ物で作った、今の往人に相応しいパンの人形。
 既にカチカチになっている。錆付いてしまった機械のように。
 それでも構わない。それで、必ず目的を果たしてみせる。
 パン人形を置くと、往人は再び、この前口上を告げる。

「さあ、楽しい人形劇の始まりだ」

710永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:51 ID:e2cva8jo0
 手をかざし、パン人形に力を込める。
 法術。
 往人の力である、モノを動かす異能。
 日銭を稼ぐために使ってきたこの力を、今は舞一人のためだけに使う。

 人形が立ち上がる。
 カチカチになっているせいで上手く関節を曲げられないが、力技だ。
 半ば無理矢理感が漂うが、一生懸命に歩いているようにみせる。
 一歩。二歩。三歩。

 始めの方こそぎこちない動きだったが、そのうちに本来の動きを取り戻していく。
 ぴょこぴょこと、滑稽な動き方ではあるが、中々にユーモラスな動きで舞の目の前を動く。
 それは本来往人が使っている人形と、レベルだけなら遜色ない。

 ――しかし。

「……」
 表情に変化はない。
 見てはいるが、ただそれだけ。

 笑わない。
 いや、どうこう思ってすらいない。
 不思議とも、驚きとも。
 馬鹿にしていた町の子供達でさえ、そう思っていたのに。

 届かない。
 届いていないのだ。

 それでも一生懸命に往人は力を込め、動かす。
 たとえ力が尽きようとも、たとえこの場で襲われたとしても。
 動かし続ける。
 だが、しかし……

711永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:46:15 ID:e2cva8jo0
「……」
 どんなに頑張っても、どんなに精一杯面白そうだと思える動きをさせても。
 変わらない。
 何も、変わらない。

 ない頭を振り絞って、考えに考えて動かしても楽しんでいるという雰囲気はおろか、興味すら持たれていない。
 見ろ、と言われているから見ているだけ。
 それでは意味がないのに。

 知らず知らずのうちに、往人の体が震える。
 疲労のためではない。
 何も届いていないということが、悔しかった。

(……俺の力は、こんなものなのか?)

 あかりは笑わせる事ができたのに、出来ないはずはないのに。
 なけなしの力を振り絞ってでさえ。
 無力さを呪う。
 心が、折れかける。
 ガラガラと、崩れ落ちていく舞の心を掴む事が出来ない。

(……ダメなのか)

 燃え盛る炎は、次第に蝋燭に灯る小さな火に。
 萎んでいくのが分かる。
 人形も動かなくなっていく。
 諦めの感情が湧き出てきているのが理解出来てしまう。

712永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:46:48 ID:e2cva8jo0
 もう、いいじゃないか。
 所詮、無くなりかけた国崎往人の力はこんなものなのだ。
 二人で闇に落ちればいい。
 そうすればもう、苦しまずに済む。
 観鈴にだって会いにいけるかもしれない。
 既に往人が生きる意味は殆ど失われてしまっているのだから。

 往人は目を閉じる。
 永遠の眠りにつくように、深く、ゆっくりと。

 けれども。
 見えるのは、深淵の真っ黒な闇ではなかった。
 一面の空だ。
 雲が所々に点在し、ふわりとして涼しそうな青の色。

 懐かしい声がした。

『一緒にいく?』

 誰の言葉だっただろうか。
 思い出す。
 ……母の言葉だ。
 もう一度、声を耳に傾ける。
 往人の意識が、少しずつ昔を手繰り寄せていった。

     *     *     *

713永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:47:39 ID:e2cva8jo0
 鳴り止まない歓声。

 夏の匂い。

 人だかりの中で踊る様々な小道具。

 その中心にいたのが、母だった。
 実際に俺が母と行動していたのは僅か一年足らずに過ぎない。
 それまでは母は俺を寺に預け、行方知れずとなっていた。

 もう何年前だっただろうか。
 芸を終えた母は俺の前にやってくると、こう言った。

「この人形はね、ひとを笑わせる……楽しませる事ができる道具」

 人形を俺に差し出して、動かすように言った。
 唐突に現れ、母だという女性。
 何を言われてもまるで実感はなかったし、感動することもなかった。
 だから、当然人形も動かす事ができなかった。

「思えば通じる。思いは通じるから」
「けど、動かしたい思いだけじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すの」
「往人は、人を笑わせたいと思ってる?」

 最初は何を言っているのかさっぱり分からなかった。
 一ヶ月経っても何も変わることはなかった。
 人形を動かす必要性が、分からなかったからだ。

714永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:04 ID:e2cva8jo0
 けれども、母は一生懸命だった。
 一生懸命、俺に人形を動かさせようとしていた。
 何かを教えようとしていた。
 その思いはよく伝わってきた。
 だから、母に付き合って人形を動かそうとした。
 心のどこかで、いつかこれが人を笑わせる事が出来るようになるのだろうか。
 もし出来るなら、すごいことだし、そうしたい。そう思いながら。

 しかし、何も成果はなかった。
 そうしているうちに、母は出立するときが来てしまったらしい。
 荷物をまとめながら、母は俺に旅についてくるかどうか尋ねた。

 人を笑わせるのが、わたしの生きがいで、生業だから。

 その表情は誇らしげで、でも寂しそうだった。
 旅についていくことは強制ではなかった。
 今まで往人を放っておいたわたしにそんな権利はないから、そう言って。

 けれども、俺は母についていった。
 母についていくことで、一人きりだったあの頃から何かが変わるかもしれないと思っていたからだ。

 それからは、ひたすら母の背中を追う日々が続いた。
 町を転々としては道すがら小道具を広げ、大道芸を始める。

 大人も子供も目を輝かせていた。
 笑っている人もいた。
 喝采を浴びる母を、俺も誇らしげな目で見つめていた。

715永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:29 ID:e2cva8jo0
 初めての家族。
 自慢の家族。
 共に歩む昼。
 寄り添って眠る夜。

 暇があるときは、母が人形劇を教えてくれた。
 母は根気強く教えてくれた。

 俺もそんな母に応えたかった。
 笑わせたかった。
 初めて、人を笑わせたいと思うようになっていた。
 そうしてある夜、努力が実ったのか、はたまた『思いが通じた』のか人形が動き出した。手を触れることなく。

「うまくできたね」

 頭を撫でてもらったときの感触がひどく優しかったのを思い出す。
 初めての充足感だった。
 こんなにも胸が躍るのは、生まれて初めてだった。
 もっと笑う顔が見たい。
 それだけを願って人形を動かし続けた。

 だが……
 母はいなくなった。
 俺をひとり残して、忽然と消えてしまった。

 その直前まで、母が何を語っていたのかはおぼろげにしか思い出せない。
 ただ教えられた言葉の欠片は断片的に残っていた。

716永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:48 ID:e2cva8jo0
 空の向こうに、翼を持った少女がいる。
 彼女は終わらない悲しみの中で泣き続けている。

 なら、その子を笑わせてみたいと思った。母と同じように。
 母を探す旅は、いなくなってしまったことを受け入れたときに、それに変わった。
 今度はそれを目的に歩き始めた。

 いや……正確には違う。
 幸せにしたかったのだ。
 自分の力で、誰かに笑い続けてもらって、幸せになって欲しかったのだ。

 なのに。
 いつからか、俺は自分のことばかり考えるようになって……
 ただ日銭を稼ぐばかりで、人を笑わせようなんて考えなくもなって……

 俺はいつだって気付くのが遅すぎる。
 観鈴のことばかりだけじゃなく、目の前のこの少女も。

717永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:06 ID:e2cva8jo0
 ただ笑わせるんじゃない。
 真摯に向き合わなくちゃいけないんだ。
 もう失うわけにはいかない。

 彼女は翼の少女じゃないが……
 悲しみを抱えているのなら、俺が、笑わせる。
 俺は、そうやって……生きる!

「人形に心を篭めなさい」
「思いは、必ず通じるから」
「頑張って、往人」

 意識を戻す寸前、そんな母の声が聞こえたような気がした。

     *     *     *

718永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:29 ID:e2cva8jo0
 明らかな変化を、往人は感じていた。
 パン人形から、まるで生きているかのような脈動を感じる。
 暖かい。
 人形の手足の感覚が、まるで自分のもののようだ。
 今ならどんな動きだって出来そうだ。湧き水のように自信が生まれてくる。

(けどそれだけじゃダメなんだ)

 もう一度、言葉を反芻する。
 人形に心を篭める。
 思いの先の願いに触れて、人形は動き出す。

 往人の脳裏に一瞬、観鈴の笑顔が浮かぶ。
 見つけることも守ることもままならないうちに、観鈴はいなくなってしまった。
 ひょっとしたら最後まで往人のことを案じてくれていたのかもしれない。
 あるいは大切な仲間を見つけて、その人を庇って殺されたのかもしれない。
 推測しても結論は出ない。

 だが、観鈴の思いが今もそこに残っているのだとしたら。
 頼む、もう一度だけ、力を貸してくれ。

 一つ呟くと、往人は人形を動かす。
 イメージは観鈴。
 危なっかしく動き回り、よく失敗もするが、それでも一生懸命に頑張る。
 可愛らしい仕草をする。優しげな仕草もする。そして、何より……笑う。
 それを精一杯表現する。

719永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:48 ID:e2cva8jo0
 今の人形劇の動きと、観鈴の楽しげな雰囲気があれば、必ずいける。そう信じて。
 人形は、思いを乗せて動き続ける。

 『分からないんです、でも、何だかおかしくって……本当に面白かったんです』

 この島で初めて人形劇を見せた、神岸あかりの声を思い出す。
 今にして思えば、その先には続きがあったのかもしれないと考える。
 だから、それでもっとたくさんのひとを元気付けてあげてください。そんな言葉が。
 そのあかりも、放送で呼ばれてしまっている。
 切欠を与えてくれた彼女にもう会えないのかと思うと、往人も悲痛な気分になる。

 だが今はそれも、自分の力になっている……そんな気がする。
 痛みも悲しみも、味方に変えながら。

(よし……大技だ。決めるぞ)

 程よいタイミングと感じた往人が、一際強く力を込める。
 ふわり、と人形が浮き、飛ぶように舞った。
 まるで、大空にはばたく鳥のように。
 そして、空中を自由に泳ぎ回った人形がすとん、と着地を決める。

 ――しかし。
 地面に降り立った瞬間、よろよろと大袈裟によろけ……べちん、と顔から倒れる。
 優雅だと思わせ、締めは滑稽に。

 所謂ギャップを狙った芸だ。
 そう、国崎往人はあくまで芸人だった。

720永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:50:14 ID:e2cva8jo0
「…………ふふ」

 小さな声が、届いた。
 舞の身体が小刻みに揺れている。

「……どうして、私は笑ってるの?」

 まだ僅かにだが、笑いを漏らしながらそんな疑問が舞の口を突いて出る。
 自分がそんなことをしているのが信じられない、そんな感じだった。
 しかし、往人はなんだそんなことかとでも言わんばかりに朗らかに即答する。

「決まってるさ。俺の芸が面白いからだ」

 なんでやねん。
 合いの手を入れるようにパン人形が往人の体を叩く。
 その挙動がまたツボに入ったのか、今度こそ舞は思い切り表情を変えて笑い出した。
 ――ぽろぽろと、涙を流しながら。

「ダメ……笑っちゃ、ダメなのに……みんなの、責任を取らなきゃいけないのに」

 泣き笑いだった。
 そう、舞の中では何も結論は出ていない。人形劇は切欠に過ぎない。
 往人は力を解くと、舞の肩を掴んで自分の方へと向かせる。

「責任か。……それは何なんだ? 死ぬことか」
「……分からない……でも、私が生きていても」
「俺はそうは思わない。……いや、さっきまではお前と同じ考えだったかもしれない」
「……」
「見ただろ、さっきの人形劇。俺はあれを生業にして生きてきた」

721永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:50:35 ID:e2cva8jo0
 往人の傍らに佇む人形を見て、舞が頷く。
 元は人形ですらないのにその一挙手一投足は確かに舞を笑わせた。楽しませていた。

「……金を稼ぐためにな。生きていく上では仕方なかったとは言え、俺はそのためだけに人形劇をしていた。誰が何を思おうなんてどうでもよかった。金を貰って、飯にさえありつければよかった。ひとに楽しんでもらうということを、忘れていた」

 にわかには、舞は信じられなかった。今までの往人がそんな目的のためにあの人形劇をしていたなんて。

「思い出したんだ」

 舞から手を離し、往人が見上げる。そこには暗くなりつつある天井しかなかったが、そうではなくその先の、空を見上げているようであった。

「ある町で、知り合いになった人間がいた。神尾観鈴って奴でな……もう、さっきの放送で死んでしまったが」
「大切な、人だった……?」
「ああ。いつも笑っているようなアホな奴だった。……殺されていいような奴じゃなかった」

 舞は申し訳なさそうに頭を下げる。
 悲しみに沈んでいたのは往人もだった。そんなのは分かりきっていたことだったのに、悲しみの中にいるのは自分だけだと舞は思い込んでいた。
 その愚かさぶりには呆れるしかない。

「そいつのいた町にはしばらく滞在していたんだが、その少し前くらいからどうにも劇が振るわなくてな。
 そこでは特に振るわなかった。一時期は人形劇をやめてしまおうかとも思った。
 でもあるとき、そいつが……観鈴が言ってくれた。
 子供達を純粋に心から笑わせる事が出来るよ、ってな。
 そうやって、いつだって俺を支えてくれていたんだ。
 俺は無意識のところで、観鈴に応えたいと思っていた。
 そんなに応援してくれていた観鈴にも、俺の最高の芸で笑ってほしいとも思っていたんだ。
 でも、バカだったよ俺は。それに気付いたのが……ついさっき、あいつが死んだと聞かされたときだったんだからな。
 俺は、本当は、あいつのために人形劇を続けたかったんだ」

722永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:01 ID:e2cva8jo0
 少しだけ、自嘲するように往人は笑う。
 失ってから初めて気付くもの。それは舞にも分かる。
 舞も無くしかけていたから。
 どう言えば言いのだろうと迷っていたが、しかし往人はすぐに表情を戻し言葉を続ける。

「俺はバカだ。今更気付いたところでもうどうにもならない。観鈴も戻ってこない。
 でもだからといって俺は人形劇をやめる気はない。みっともなくても続けていく。お前のように笑ってくれる人を探すためにな。
 それはあいつが望んだことだと思うし、俺もそうしたい。
 誰かが笑ってくれれば、俺は幸せなんだと気付けたから……俺は今の自分を受け入れて、あいつが死んだことも受け入れて、生きていく。
 お前は……自分が死ぬことが、誰かを幸せにすると思うのか?」

 往人の真っ直ぐな目が舞の瞳を捉える。
 どんな真実でも見抜いてしまいそうな、濁りのない目。
 知らず知らずのうちに、舞は自分が思ったことを正直に話していた。

「……違う。それは違う。だけど……どうすればいいか、分からない」
「何をすればいいのか、か……悪いが、それについては俺はなんとも言えない。それはお前自身が決める事だからだ」
「……」
「だが、助言くらいはしてやれる。お前がその足で立って、歩いていくのなら」
「私は……」

 まだ分からない、という風に首を振る。
 けれども、その目は自殺しようとしたときのように暗くはなかった。
 僅かながらも瞳の奥には光があった。夜空にぽつんと輝く星のように。

「でも、一つお願いしたいことがある……聞いてほしい」
「何だ? ……ああ、そう言えば治療もしなきゃな。……で、頼みって?」
「……側に、いて」

723永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:28 ID:e2cva8jo0
 舞は往人の隣に移動し、寄りかかるようにしてもたれる。
 生きる気力を何とか取り戻したとはいえ、つい先程まで精神的に参っていたのだ。まだ、舞には時間が必要だった。

「そうだな。ついでに絆創膏と、自己紹介もしておくか。手を出してくれ」
「……ん」

 手を差し出す舞に、まずは傷口を水で洗い流す。特に痛そうな表情ではなかったので、やはりそれほど深くはなかったようだ。
 続いてそこを適当にあったタオルで拭き、残った汚れを落とす。しかる後に絆創膏を張りながら往人がまず自己紹介する。

「随分と紹介が遅れたが、俺は国崎……国崎往人だ。好きに呼んでくれて構わない」
「往人……うん、分かった。私は、舞……川澄舞。舞で構わない」
「舞か……いい名前だ。覚えやすくていい」
「……ありがとう」

 紹介を終えると同時に絆創膏も張り終わり、舞が手を開いたり閉じたりして調子を確かめる。概ね支障はなさそうだった。
 往人は治療が終わっても特に何もせず、そんな舞の姿を眺めていた。

「……佐祐理と祐一は」

 そうしてしばらくじっとしていると、どこからともなく舞が切り出した。

「私の親友だった。あまり人付き合いが上手くない私に仲良くしてくれた。……私には、勿体ないくらいに。
 だから絶対に守りたいと思った。でも……結局会えなかった。何も出来なかった。
 そればかりじゃない。一緒にいたはずのみんな……ここにいるみんなでさえ、私は守れなかった。
 何も出来ずに、ただ見ているだけで……怖いとさえ思った。口だけだった……だから、あの時は死んでしまおうと思った。
 私なんて生きている価値もない。約束も守れない。誰にも許されない。お前みたいな役立たずが何で生きているんだ……そんな風に考えて。
 でも……違うと思った。貴方の人形劇を見て」

 そう言うと、舞は往人が動かしていたパン人形を手に取り、優しく、そして敬意をもって見つめる。
 その先に、何か大切なものがあるかのように。

724永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:45 ID:e2cva8jo0
「最初はぎこちなかった。すごくみっともなく動いてるように見えて、それでも必死に動いて、繰り返して、最後に大きく跳んで成功したように見えたけど……結局失敗して、転んで、また立ち上がって……ずっと繰り返し。みっともないと思ったけど、でも私はそれ以下だった……みっともないことさえ出来なかった」
「……まさか、面白くなかったのか?」

 慌てたように聞く往人に、そうじゃない、と僅かに笑いながら舞は否定する。

「本当に往人の芸は面白かった。みっともなかったけど、頑張れば誰かを楽しませることができる。笑わせることができる。
 ……それを教えてくれた。それに、佐祐理や祐一がやろうとしていたことも思い出させてくれた。
 少しずつ努力すれば、きっと私だって認めてくれる。私も普通の女の子なんだって、そのために色々奔走してくれていたことを。
 あれと同じ。上手くはいかなかったけど、でも、少し大きくなれたような気がした。
 ……どうして、私は忘れていたんだろう。分かっていたのに」

 往人はああ、やはり同じだ、と思った。
 分かっていたはずなのに、本当に大切なことを忘れてしまった。
 気付いたときには、応えることもできず。
 出会って数時間も経っていないのに、まるで自らの半身のような親近感を往人は覚えていた。

「私は頑張れるのかな、往人……私のような、どうしようもないダメな子でも何か出来る……? まだ、どうすればいいのか分からないけど」
「……ああ。俺が保障する」

 そう言って往人はぽん、と舞の頭に手を乗せる。
 舞は特に嫌がることもなく、往人の行為に身を任せていた。

 どうしたら、いなくなってしまった人たちに応えられる生き方ができるか。そんなことを考えて。

 今はただ、お互いの暖かさを感じながら――

725永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:52:06 ID:e2cva8jo0
【時間:2日目午後19時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】

その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。
(家の中にある武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:4本)

→B-10

726アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:11:02 ID:Xipg5AMk0
 
「―――聖」

そう呼ぶ声は、記憶の中にあるものと寸分違わず。
じわ、と浮かぶ涙を霧島聖は堪えきれない。

「姉、さま……!」

言葉はそれしか出てこない。
今この時において医師としての、あるいは成熟した女性としての霧島聖は存在していなかった。
そこにいたのは、青の戦士として戦っていた、一人の少女である。
戸惑いと、懐かしさと、悲しさと、寂しさと、嬉しさと、辛さと、喜びと、色々なものがない交ぜになって、
その中にあったはずの疑念は混沌に磨り潰されて消えていた。

「姉さま、姉さま、姉さま……!」

何度もその名を呼ぶ。
それはまるで、空白の日々を埋めるように。
あるいはまるで、空白の日々など存在していないかのように。
霧島聖は、無垢な少女のように、恋焦がれる相手の名を、呼ぶ。

その目には、たった一人の姿しか映っていない。
すぐ眼前で濃厚な女の臭いを立ち昇らせる裸体も、それを嬲る女も、それらを照らす赤い光も、
ゆらゆらと揺れる灯火も、そのたびに貼り付いた影が形を変える岩壁も、聖の視界には映らない。
ただ豪奢な玉座に腰掛ける、かつて『青』と呼ばれていた人物だけを、潤んだ瞳で見ている。

「―――聖」
「姉さ、」

聖の言葉が途切れた。
座る人影が、口元の微笑を消していた。

「……『青』はあの夜、門の向こうで死んだのですよ、聖」
「え……?」

細められ、聖を真っ直ぐに射抜く瞳に、温度はない。
突き放すような冷たい視線に、聖が表情を凍らせる。

727アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:11:44 ID:Xipg5AMk0
「―――そこにいるのは、『青』ではありませんよ」

声は、聖の眼下から。
救いを求めるように目をやれば、そこには天野美汐の霧に煙るような瞳があった。
巳間晴香の唇を吸っていた美汐が、たっぷりと時間をかけて顔を離す。
糸を引いて垂れる唾液を薄い舌で舐め取って淫蕩に笑む美汐が、楽しげに言う。

「ご紹介が遅れて申し訳ありません。
 ……そちらにおわす方こそ、赤の力を持つ者の王―――『認めぬ者』たちの首魁」

晴香の白い肌の上を滑らせるようにして、美汐の指が玉座を指す。
紅潮する晴香の耳朶に差し込まれた美汐の舌が告げたのは、

「水瀬秋子―――またの名を、GL総帥・シスターリリー」

ただのそれだけである。
それきり口を閉ざし、美汐は晴香への愛撫へと没頭し始めていた。

「……」
「……」

声が、出ない。
ねちゃねちゃと、粘液質な音だけが広い洞穴に微かに響いていた。
双丘の頂にある桜色の突起を音を立てて吸い、秘裂に差し入れた指を
ゆるやかに動かす美汐の愛撫に、晴香が熱い吐息を漏らす。

728アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:12:18 ID:Xipg5AMk0
「聖、あなたが……」

口火を切ったのは、秋子である。
はっと顔を上げた聖に向けられる表情は僅かに翳を帯びているようにも見えた。

「あなたが青の力を以て戦う、名もなき戦士であった頃から……どれほどの時が流れたか、覚えていますか」
「……」
「そう、『青』が門の向こうに消えた夜の先にも、戦いはあった」

聖は言葉を返さない。
ただじっと、秋子を見つめている。

「それは、あの異形たちとは違う敵……異形を遣う赤の力を持つ者たち」
「……」
「戸惑うあなたの前に、とある組織が現れた。
 青の力を束ねるという触れ込みであなたに近づいたその者たちが称して―――BL」

何故そんなことを知っているのか、と聖は問わない。
秋子の―――否、聖の知る『青』の語り口は、ある種の確信を持っている人間のそれであった。
そこには論拠と、そして何らかの事実があるのだろうと、思う。聖の思考はそこで止まっている。
感情が状況の分析を拒み、判断の取捨選択を放棄させていた。
成人女性としての霧島聖はどこかへ消えてしまったかのようだった。
ただ情動に突き動かされるままに世界と対峙していた頃のように、溢れる感情に理性と思考が押し流されていく。
それを自覚することすら、今の聖にはできなかった。
独白じみた秋子の言葉は続く。

「彼らは赤の力の遣い手をGLと呼び、あなたの敵だと説いた。
 『青』を喪ったあなたは失意と混乱のままに彼らの言葉を受け入れ、その日から新たな名を得た。
 名もなき青の戦士、聖ではなく―――BLの使徒、聖と」

ほんの少しだけ、秋子が笑ったように、聖には見えた。
だがその笑みに『青』の温かさは存在しない。
どこまでも酷薄な、それは微笑だった。

729アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:13:03 ID:Xipg5AMk0
「BLの使徒となったあなたは、一冊の本を手にGLとの抗争に身を投じた。
 『青』との絆を胸に数々の難敵を退け、ついにはその、晴香さんとの決戦に勝利した」

その、と区切られた言葉の合間に向けられた視線の先には、汗に濡れた裸体がある。
柔らかい尻に伸ばされた美汐の細い指に菊門を撫でられ、びくりと身体を震わせる晴香は、
口元から垂れる唾液を拭うこともせずに快楽に身を任せている。

「総帥と呼ばれる人物の足取りは杳として掴めずにいたものの、BLは大幹部の敗北に動揺するGLの隙をついた総攻撃を開始。
 GLという組織は事実上、壊滅した」

淡々と語る秋子は、その眼前で繰り広げられる痴態にも眉筋一つ動かさない。

「……それから十数年。壊滅したはずのGL残党が動き出したとの情報を得て、BLは再びあなたを戦いの場へと
 送り出そうとした。しかし……」
「……」

意味ありげに言葉を止めた秋子の視線を受け止めきれず、聖は思わず目を逸らす。
一度は止まった涙が、再び溢れ出ていた。
まるで『青』を慕っていた少女時代に戻ったように涙を流し、しゃくり上げる。
そんな聖の様子に小さく息を漏らすと、秋子は言葉を続ける。

「聖、あなたは既に青の力を失っていた。GLとの決戦……いいえ、それよりもずっと以前から。
 『青』を喪った夜から、あなたの中の青の力は薄れ続けていた」
「……」

聖は顔を上げない。

「小さくなっていく力をBL図鑑と呼ばれる『本』の力で補って、あなたはGLに勝利した。
 けれど、時を経て完全に青の力を喪失したあなたは『本』の声を聞くことすらできなかった。
 残念です、聖。……青の本質を、結局あなたは見出せなかったのですね」

微かに首を振った秋子の表情を、聖は見ていない。
顔を伏せ、ぼろぼろと涙を零しながら、突き刺さるような言葉に必死に耐えていた。

730アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:13:56 ID:Xipg5AMk0
「……戦う術を失ったあなたには、GL残党を抑えることすら難しくなっていた。
 それでも『本』に記された危機はまだ先の話と考えていたあなた方は、急な状況の逼迫に焦りを覚えた。
 かつての戦いでは現れなかった、GLの使徒と名乗る者の存在が確認されたことも、それに拍車をかけたのでしょう。
 もう一人の使徒の出現は、『本』に記された危機の予兆だったのですから。
 ……そう、神の復活が間近に迫っていると、その事実は告げていた」

そこまでを言い切って、秋子は僅かに息をつく。

「……ですが、おかしいと思ったことはありませんか」

静謐なその瞳に、ゆっくりと色が宿っていく。
底知れぬ精神の深奥で渦を巻く、それは風の色。
いずれ来る嵐を予感させる、雨の匂いのする風の色だった。

「BLという組織には、いくつもの不可解な点があったはずです。
 青の力を束ねると称するにもかかわらず聖、あなた以外に青の力を使う者は存在しない。
 BL図鑑、青の力を秘めるという『本』とは一体何なのか。
 彼らの敵、GLはどうして異形を遣うのか。もしも異形が彼らの敵であるというのならば、
 ならば何故―――『青』の戦いに、彼らは現れようとしなかったのか」

ゆらゆらと灯火に照らされる秋子の姿が、奇妙な形の影を玉座に落とす。

「答えは簡単です。彼ら……BLと称する彼らは聖、あなたと『青』が戦っていた頃には、
 そもそも存在していなかったのですから」

淡々と告げられるそれは簡素で、事務的に響くその内には何らの感情も存在しない。
それは疑いようのない事実を語る言葉だけが持ち得る、乾いた重さだった。
ただデータを読み上げるような秋子の声にも、聖は口を挟めない。
鼻の奥がつんと痛む、その感覚に耐えるのが精一杯だった。
しゃくり上げる聖の精神は既に飽和している。
雄々しく、余裕に満ちた霧島聖の姿はそこにはない。
自身の許容量を超える事態、その認識を聖の理性は拒絶していた。
理解を拒み、情報を遮断し、退行を模倣することで自己の安定を図るそれは卑劣で、
同時にひどく素直な、霧島聖という人間の精神構造だった。

731アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:14:28 ID:Xipg5AMk0
「急ごしらえにしては頑張ってくれました。BLも……それから、GLも。
 戦いの中で生み出され、空に融けた沢山の青と赤の力。
 それらは『私たち』の計画の下地として申し分のないものでした」

俯き、時折声を漏らしながら涙を流すだけの聖を、既に秋子は見ていない。
湿った風の吹き抜ける空のような瞳は、赤光に照らされる眼下の痴態に向けられていた。

「……『在る』を認める青、『無き』を拒む赤。
 空に融けたそれは凝集し―――変革の火種となる」

独白は、濡れた音に紛れる。
天野美汐が、巳間晴香の両性具有の証をその口に含んだ音だった。
秘裂の上に屹立する、赤黒い異形の肉棒。
その槍の穂先を丹念に擦り上げるように、美汐の薄い舌が熱い肉を嬲る。
異様に長い竿には、白い指が絡み付いていた。
熟した果実に蛇が巻きつくように、肉棒をゆっくりと締め上げていく美汐の指。
空いた手は秘裂の入口を円を描くように愛撫している。

「世界は変わらねばならない―――神の軛から解き放たれなければ、終末は何度でも繰り返される。
 繰り返す歴史の末に見出した、それが『私たち』の結論」

いつからだろうか、赤い光が晴香の全身から立ち昇っていた。
ゆらゆらと、ゆらゆらと煙のように立ち昇るそれは舞い上がると、中空へと消えていく。
赤光に塗れたその裸身が、びくりと跳ねる。
美汐の小さな犬歯が、槍の穂先に広がる肉の平原を甘噛みしていた。
跳ねた拍子に秘裂へと潜り込んだ親指を、美汐はそっと動かしていく。
柔らかい粘膜の感触を楽しむように、時に細かく震わせ、時に擦り上げるようにしながら歩を進ませる。
その度に晴香が甘い声を上げ、小さく身体を跳ねさせる。

732アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:14:58 ID:Xipg5AMk0
「神はかつて交合より生まれた……ならば人の持つ業、肉欲への執着そのものが、神の力の根源」

もぞ、と内股をすり合わせる晴香の仕草に、美汐が笑む。
雁首を舌先で突付くようにしていた口を離すと、肉棒から下へ伝うように指を這わせた。
下腹部、濃い茂みの辺りを撫でるようにすると、晴香の表情が変わった。
快楽一色のそれから、ある種の苦痛と、それに耐える快楽の入り混じった倒錯の表情。
眉を顰めたその表情に笑みを深くすると、美汐はおもむろに晴香の唇を吸う。
舌を割り入れれば、その歯列は堅く食いしばられている。
唇の裏側と歯茎とを味わうように動かすと、晴香の瞳に切なさの色が濃くなっていく。
同時、秘裂に差し入れた指と、下腹部を撫でていた手の動きを強くする。
と、晴香の目が見開かれる。
舌を抜いた美汐が、晴香の耳元で何事かを囁いた。
驚いたように美汐を見ると、首を振る晴香。
焦るように内股をすり合わせるその表情が、苦痛の度合いを強めていく。
薄く笑った美汐が、晴香の耳朶を掃除するように、その紅い舌を閃かせる。

「相克の両儀の根源に性は介在せず、しかし性は両儀を加速する。
 ならば―――性を加速する両儀もまた、性を変質するが道理」

小さく首を振る晴香の目尻に、涙が溜まっていく。
熱い吐息を漏らした晴香が、肺に酸素を取り込もうと口を開いた瞬間。
美汐が晴香の下腹部、黒い茂みの上を掌で潰すように、押した。
秘裂に差し入れた美汐の指が強く締め上げられるような感触を覚えた、次の刹那。
水音が、響いた。
小さな水音はやがて勢いを増し、止まらない。
温かな液体が、美汐の腕を濡らす。
ほんのりと湯気を立ち昇らせるその液体は美汐の白い腕を汚しながら床へと伝い、泉を広げていく。
やがて水音が、やんだ。
排泄液に濡れた指を、美汐がそっと晴香の眼前に掲げる。
潤んだ瞳で首を振る晴香の唇に、美汐の指が触れる。
紅を注すように丹念に擦り込むと、その汚れた唇を、美汐は舐める。
口を堅く閉ざした晴香にも、鼻から漏れる吐息に混じる甘さは隠せない。
美汐の手が、動く。
秘裂の奥へと進む細い指は肉芽の裏を探り当てるように這い回り、温かい液体に濡れた手は
再び晴香の肉槍へと巻き付き、速いリズムで扱き上げる。
裏筋に当てられた指の爪が時折雁首を掻き、痛みにも近い快楽を与えていく。
唇、秘芯、肉槍。
三箇所の粘膜へ与えられる快楽が、晴香を融かしていく。
比喩ではない。
ゆらり、ゆらりと立ち昇る光が、晴香の嬌声と共に強くなっていた。
そして強い光が漏れるたび、晴香の裸身、汗に濡れたその裸身が、次第に輪郭を失っていたのである。

「究極の青と赤、両儀の合一は世界を変革する―――愛が、肉欲を喪失する地平」

秋子の眼前、晴香が大きく一度、跳ねた。
高らかに声を上げ、絶頂を迎えたその表情は、人の持つ業の集成であるかのように悦びを湛え。
透けるような裸身が目映いほどの赤光を立ち昇らせ―――、

「業の祓われた新世界に、神は神たる能わず」

そして、光と共に。

「神座なき世界は、終末の先へと進む―――」

巳間晴香も、消えた。

「……それこそが、真のレズビアンナイト計画」

唱和するような声は、天野美汐。
全身にまとわりつくような赤光を、腕の一振りで中空へと払う。

「その為の贄、その為の大仕掛け……BL、そしてGLの、それが存在の意味」

733アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:15:18 ID:Xipg5AMk0
笑む美汐が、一歩を踏み出す。
その先には、すべてを拒絶するようにただしゃくり上げる姿。
霧島聖の磔刑に処される、十字架があった。
聖がどこまで二人の言葉を聞いていたのか、それは定かではない。
あるいは認識していたのかもしれない。
しかし、そこに理解はなかった。
自身の半生の否定を許容することを、聖の精神は許さなかった。
故に、美汐の歩を進める先にあるのは、無力という言葉の意味だった。
霧島聖に抗う術はなかった。
抗うという選択をすら、聖は拒絶していた。

「貴女も……悦楽の果てに導いてさしあげましょう」

美汐の笑みを、俯く聖を、秋子はじっと見つめている。
底知れぬ色を湛えたその瞳が、微かに揺れる。
美汐が、歩を進める。

「―――天野さん」

言葉に、美汐が足を止める。
振り向くことはしない。
その冷たい背中は、情や躊躇の一切を断ち切れと、雄弁に語っている。
だが、続く秋子の言葉はその天野をして、振り返らせるに充分なものだった。

「どうやら……最後のお客様が、いらしたようです」

言って静かに目を閉じた、その表情に安堵が混じっているように見えたのは、
揺らめく灯火の加減であっただろうか。

「……」

天野美汐の振り返った、視線の先。
薄暗い洞穴の、その闇の向こうに光るものがあった。
目の覚めるような、それは青。
赤に満たされた世界を吹き抜ける青を纏った、それは少女。
少女を迎える玉座の主が、静かに終景の開幕を告げる。

「―――ようこそ、青の使徒」

観月マナは、そこにいた。

734アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:15:40 ID:Xipg5AMk0
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー、『青』】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

霧島聖
 【状態:元BLの使徒】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv4(A×1、B×4)、BL力暴走中?】

巳間晴香
 【状態:消滅】

→929 983 ルートD-5

735空 〜うつろ〜:2008/06/15(日) 03:12:11 ID:YkFQ.Zto0
姉が死んだ。
生まれてからずっと一緒の、掛け替えのない存在だった。
その全てを、柏木初音はこの一日で失った。

見上げれば、青い空。
初音の心とは裏腹に晴れ渡るそれは、まるで沈んだ彼女の心を嘲笑っているかのようである。
強い日差しに痛みを感じ、初音は少しだけ目を細めた。
しかし、そんなものは些細なものである。
ふと瞼を閉じれば甦る、大好きな笑顔が初音にはあった。

『初音』
『初音!』
『……初音』

初音に向かって手を振る姉達は、みな眩い笑みを浮かべていた。
初音の思い出は、姉達の暖かさで溢れている。
優しい時間がたくさんあった。
つらいこともあった。
面倒をみてくれていた叔父の死、はちきれんばかりの痛みに初音は一人の夜を泣き腫らして過ごすこともあった。

しかし今回の件は、それ以上のものだった。
本当に悲しい時は、もう何も考えられなくなってしまうということ。
初音は今、それを実感している。
そして告げられた甘い誘惑、初音の拳に力が篭められた。
今彼女の肩から下げられているデイバックは、初音に支給されたものではない。
中には一丁の拳銃が、長瀬祐介に支給されたはずのものが入っている。

736空 〜うつろ〜:2008/06/15(日) 03:12:53 ID:YkFQ.Zto0
―― ごめんなさい。大丈夫。大丈夫だよ……
―― 少し、外に出るね。外の空気が吸いたいんだ。大丈夫、すぐ戻ってくるから……

そう言って祐介と宮沢有紀寧を一晩休んだ民家に残し、初音は一人外に出てきていた。
心配そうな二人の瞳に、初音の小さな胸に鈍痛が走る。
初音はいい子でいなければいけなかった。
初音は、皆が求める可愛い妹でなければいけなかった。
しかし。

「千鶴お姉ちゃん、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃん……」

きっと姉達は初音がこれから取ろうとする行動に対し、悲しむことはあっても喜ぶというのは決してないだろう。
それでも初音は、前に進むつもりだ。
大切な存在を取り戻せるチャンスを与えられた今、初音は覚悟を決めるしかなかった。

「ごめんなさい……耕一、お兄ちゃん」

初音に残された最後の家族。
だが失った姉達を取り戻すには、彼をも最後は手にかけなければいけないだろう。
初音の傍らに存在した、頼りがいのある彼をも初音は消すしかない。
……いや、どうせ最後は「生き返らせれ」ばいいのだ。それならば問題ないだろう。
全ては、最愛の家族を取り戻すために。

「――ねえ、祐介お兄ちゃん。わたしは今度会う時、祐介お兄ちゃん達にどんな顔をすればいいのかな……?」

初音の呟き。
泣き出しそうな表情なのに、その声はどこか空ろな雰囲気を醸し出していた。
初音の決意が既に固まっているという、その証でもあるかのように。





柏木初音
【時間:2日目午前6時半】
【場所:I−6上部】
【持ち物:コルト・パイソン(6/6) 残弾数(19/25)・支給品一式・包帯・消毒液】
【状態:殺し合いに乗ることを決意、優勝し姉達を生き返らせる】

(関連・485b・520)(B−4ルート)

737全き人:2008/06/15(日) 21:08:02 ID:d8Tu4ljw0
 雨が降り始めていた。
 最初はぽつぽつとだったのが、今はざあざあとした激しいものに切り替わっている。

 空は灰色のキャンパス。
 時刻から考えればまだ日は見えていてもおかしくはないというのに、元気をなくしたかのようにその姿は皆目掴めない。
 そんな雨の降る空を、高槻はぼんやりと見つめていた。両腕に、小牧郁乃の遺体をお姫様抱っこの要領で抱えながら。

 郁乃の顔はひどく穏やかだった。まるで眠っているかのように満足げな表情。
 先程の戦闘でついていた泥や血糊も、今は雨が綺麗に洗い流してくれている。雨はそのために用意されていたかのように絶妙なタイミングで降っていた。

「高槻さん、そろそろ雨宿りなされては……お体が、冷えます」

 その後ろで同じく雨に濡れながら話しかけるのはほしのゆめみ。
 ゆめみはロボットであったから寒さなど感じることはなかったのだが、雨の中でじっと佇み続ける高槻を見かねてなのかおずおずと声を掛ける。

「……ヒーロー、か」

 白くなった息が吐き出される。その言葉には自嘲するようなものが含まれていた。

「そんなつもりじゃなかったんだがな……」

 踵を返すと、高槻は無言でつい先程までいた民家へと向けて歩き出す。
 ゆめみはその言葉の意味が分からず、後ろをついていきながら疑問を投げかける。

「そんな、高槻さんは……わたしが言うのもおこがましいかもしれませんが、小牧さんを始めとして色々な方を助けてこられました。お世辞でもなんでもなく、わたしはそう思っています。間違ってはいないと……そう考えます」
「そうじゃない。本当にそんなつもりじゃなかったんだよ」

 高槻は玄関の扉を開けると、濡れた格好のまま郁乃を寝室へと運んでいく。
 ゆめみは高槻の言葉に未だ戸惑ったままだったが、今やるべきことを必死に思考して、こう提案する。

738全き人:2008/06/15(日) 21:08:22 ID:d8Tu4ljw0
「あの、体を拭くタオルを探してきましょうか。今のままでは風邪を召されてしまいますし」
「そうだな。郁乃もこれ以上冷える前に暖かくして寝かせてやりたい。早くしろ」
「分かりました」

 ゆめみは一つ頷くと、高槻から離れてタオルを探しに行った。
 一方の高槻は寝室に入ると、郁乃をそこにゆっくりと横たえ、服などを綺麗に整えなおそうとしていた。
 桜の花びらのような淡い色合いの制服は血に染まり、所々裂け、無残な姿を晒している。出会ったときには新品同然だったというのに。
 一通り、不器用ながらも直し終えた高槻はゆめみが戻ってくるまで待つことにして、その横にあぐらをかいて座る。

「ぴこ」

 その膝の上にポテトが座る。雨に濡れてもこもこしていた身体はガリガリに……何故かならずに、いつものようにふわふわとした毛並みのままだった。
 どうあってもこの畜生の謎は解明できないだろうなと高槻は思った。NASAでも無理だろう。間違いない。

「お前がいなけりゃこんなことにもならなかっただろうによ」
「ぴこぴこ?」

 さあ何のことやら、と大袈裟な仕草でポテトは首を傾げる。
 高槻がここに来てからの行動はおおよそポテトに拠っていた。支給品が彼(?)でなければ恐らくは殺し合いに乗り、女を犯そうと企んでいたかもしれないし、増してや誰かと行動を共にすることなど考えもしなかった。
 それどころか、こうして生き方さえ変えようとしている。犬がその原因だということは多少なりとも高槻には癪であったが、逆にそれが相応しいのかもしれない、とも思った。

「お待たせしました」
「おう、意外と早かっ……」

 タオルを持ってきたのであろうゆめみの方に振り向いた高槻が唖然とする。それもそのはず、ゆめみの顔はこれでもかと積まれたタオルの山に隠れて見えなくなっていたからだ。一体どこからかき集めてきたのだろうと逆に感心するくらいだ。

「申し訳ありません、どれくらい持ってきたらよいものか分からなかったもので……あっ」

739全き人:2008/06/15(日) 21:08:52 ID:d8Tu4ljw0
 何かに躓いたのであろう、ゆめみの体がぐらりと傾く。それだけなら被害を受けるのはゆめみ一人だけだし、微笑ましい光景なのでよしとしよう。
 が、今ゆめみが抱えているのは大量のタオル。そしてその先には高槻が。

「ちょ」

 後はお約束。タオルの山に埋もれる高槻と、必死に頭を下げるゆめみ。そしてその横でやれやれだぜとぴこぴこ言っているポテトの姿があった。どうしてポテトだけ脱出に成功したのかはこの際問わないで頂きたい。

「申し訳ございませんっ、誠に申し訳ございませんっ」
「いや、もういい……だからさっさと片付けてくれ」

 ぺこぺことしがないサラリーマンのように平謝りするゆめみに、散乱したタオルを拾いつつ高槻はそう言った。既に慣れてきてしまっている自分が悲しくなるくらいに。

「それとポテト」
「ぴこ?」
「逃げたろ」
「ぴ、ぴこぴこっ」
「オーケイ、バスケ確定な」

 言うなり、高槻はポテトの首根っこを引っつかむ。

「左手はそえるだけ……」
「ぴ、ぴこぴこー!」
「シュート」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声を上げながらゴミ箱の中へとダイブするポテト。ぽすっ。ナイスシュート。

740全き人:2008/06/15(日) 21:09:20 ID:d8Tu4ljw0
「あ、あの……」
「気にするな。アフリカではよくあることだ」
「はぁ、そうなのですか」

 ポテトの悲惨(?)な扱いに疑問の一石を投じたゆめみではあったが高槻の一言ですぐに納得してしまった。もっとも、ポテト自体も既にもそもそと何事もなかったかのように這い出てきていたのであるが。

「……でだ、早いところ郁乃の身体を拭ってやろうぜ。くだらないことで時間を潰している場合じゃない」
「そうですね……では高槻さん、お願いします」
「俺がやるのか? いや、確かにもう文句も飛んでこないだろうが……」
「わたしがするのは、筋違いだと思いますから……人間の、血の通ったひとがするのが礼儀だと思うので……」

 高槻は言葉を失う。そんなことをゆめみが考えていたとは思いも寄らなかったからだ。それだけではない。死者の弔いは生者がするべきだという、あまりにも人間らしい思考をしているというのに、それを考えているのがロボットだということも、そんな考えなど及びもつかなかった高槻自身の浅ましさにも嫌気が差したからだ。


 お前の方が、全然人間らしいじゃないかよ。


 その言葉は辛うじて飲み込んだ。
 ゆめみとて本当はしたかったに違いない。しかし彼女は、あまりにもロボットとしての分をわきまえ過ぎていた。
 どこまでも愚直で、正直で、純朴で、やさしい。
 人間よりも、人間らしいというのに。
 ゆめみの下した判断は額面どおりのものではないはずだった。
 ロボットなりの葛藤もあったのだろう。
 それでもなおロボットとしての立場を貫くゆめみの意思を軽んじることは、今の高槻にはできなかった。
 それに、ここで引き下がってはまた逃げてしまうことになる。
 頷くと、改めて高槻は郁乃へと向き合う。

741全き人:2008/06/15(日) 21:09:48 ID:d8Tu4ljw0
「……さて、何を言うべきなのかね。ま、とりあえずこれだけは言っておくか。俺はお前が望んだようなヒーローでも、お前が想像していたようなヒーローでもない」

 水分をたっぷりと含んだ髪の毛をゆっくりとタオルで拭いながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
 まるで懺悔のように。

「本当にどうでもよかったんだ、何もかも。
 最初にお前を助けたときだってただの気まぐれだったし、あまつさえいつか雌奴隷にしてやる、なんて考えてたくらいだからな。
 お笑いだろ? お察しの通りアメリカン・コミックヒーローなんて出任せさ。
 その後だってただの偶然。ポテトに振り回されてたらたまたまお前が襲われてた現場に遭遇しただけだし、助けたのだって成り行きさ。
 いや、今までだって全部そう。成り行き任せで、俺の意思で何かをしてきたことなんて一つもなかった。
 でもそれでいいと思ってたよ。実際事は上手く運んでたしな。何も難しいことは考えずに済んだ。
 このまんま流れに身を任せてなんとなくこうしてりゃハッピーエンドになるんだって考えてたよ。
 は、結果がこのザマだ。放送でも七海や折原が死んじまってたしな。別れた久寿川もあのチビガキも、貴明って奴も」

 雨が降り始める前に放送があった。40人以上もの人間が12時間の間に命を落とした。それ自体は別段何の感慨も沸かなかったが、かつての仲間が次々と呼ばれていったことについては別だった。
 既に、この島で出会った高槻の仲間はゆめみと杏だけになってしまっていた。無学寺ではあんなにたくさんいたというのに。

「なあ、おい。そんなことを知った上で、しかも戦っているときでさえ必死なんかじゃなかったんだって知ったら、お前はどう言うよ?
 ……ああ、俺は面子のためだけに戦ってた。とりあえずは『ヒーロー』っていう役職を演じるためだけにやりあってきたんだ。
 別にお前らを守るためにやってたわけでもない。なんとなくだ。たまたま勝ててただけで、もし負けそうになったら逃げ出してたかもな。
 プライドなんてハナクソほどもありゃしなかった。俺だけが生き延びられればいいって、本気でそう思ってたんだからな。
 別に罪悪感もなかった。お前は知らないだろうが、ここに来る前にも俺はたくさん人を殺してきたし、女を犯しだってした。
 とてもヒーローのすることじゃないな。精々が三流悪役ってところだ。まあその自覚はあったし、別に何とも思わなかった。
 根性は昔っからひん曲がってたしな。……いや、それすらも演技だったかもしれないがな。
 そうしていたときだって立場上そうすることが出来て、そういう仕事だった。だからその役割を果たしていた、それだけだった。
 要は単純労働さ。命じられたことをやればいいだけ。考えて何かをすることなんて、俺の人生ではありゃしなかったんだ。
 そうしなくても勝手に時間は流れていってくれたしな。後は適当に欲に身を任せて貪っていればよかった。
 まあ最悪な人間だわな。自分で言ってて、ますます嫌気が差してきたぜ。
 あの岸田の方がよっぽど有意義な人生だったかもな。下衆野郎だったけどな。同族嫌悪って奴には違いないが」

742全き人:2008/06/15(日) 21:10:15 ID:d8Tu4ljw0
 口に出されるのは今まで意図的に隠してきた高槻という人間の姿。堰を切ったように避け続けてきたことを話し続ける。
 今更遅すぎるということは高槻にも分かっていた。それでも尚語りかける。
 最後に己の心情を吐露してくれた、そして信頼してくれた郁乃に応えるために。

「そんな奴だからよ、自分で何もかもを決めなきゃいけないこのクソッタレた島で何をすりゃいいのかなんて分かるわけもなかった。
 いつものような決まった仕事もない。おあつらえ向きの役割もない。それより何より、怖かった。
 自分のしたことが責任を伴うのが怖かった。誰のせいにも出来ない、責任転嫁ができないことが怖かった。
 誰かと出会って、信頼されて、それに応えることが出来ないのが怖かった。追及されるのが怖かったんだよ。
 そうして、居場所を無くすのがな。だからのらりくらりと適当に関係を作って、役割を作り上げようとした。
 無責任でいたかった。人を背負うのが嫌だったんじゃない、その重圧が嫌だったんだ。何かに対して『責』を負うことがな。
 だからバカなことを言って、『俺様』なんて虚像を作り上げて、ちょっとオチャメなナイスガイ、なんて役割を演じようとした。
 いや逃げようとした。人の想いを背負うことが怖くてたまらなかった。
 だから、ヒーローなんかじゃないんだよ。それ以下の、薄っぺらいチンピラ以下さ。
 お前らが、必死にそれを教えてくれようとしてたっていうのによ。……気付いたのが、今更さ」

 誤魔化して、嘘をついて、逃げ続けてきた人生。それが高槻という男の人生だ。
 考え直せば、そこから更生する機会は何度もあったというのに。
 全てを不意にした結果がこの有様だった。こんなちっぽけなことすら理解するために支払ったものはあまりにも大きすぎた。
 小牧郁乃という少女のウェイトは、いつの間にか高槻の中では大きなものを占めていたのだ。
 それは男女関係などというものではなく、敬愛の念に近く。
 いつだって必死に何かを考え、責任を真正面から受け止めてきた彼女の生き方が、本当に尊敬すべきものだと考えていた。
 それを、見ないようにしてきただけで。

「……今だって、そんなに考え方は変わっちゃいない。別にどこで誰が死のうが俺には関係ないし、涙を流せるほどお人よしになれない。
 だが、俺の目の前にいる奴らが、俺が逃げてしまったせいでこんな結果になるのは真っ平ご免だ。
 そんなのは他人任せの人生だ。人に責任を押し付けて、それでバタバタ死んでいくのを黙って見過ごせるほど、俺は根が腐っちゃいない。
 いや、もうそうしないと決めた。俺は俺に拠って立っていたい。お前ほど小気味良い生き方には出来ないがな。
 ヒーローになんてなれなくてもいい。今度こそ俺は自分の果たすべき責任を全うしたい。『生きる』って責任をな」

743全き人:2008/06/15(日) 21:10:41 ID:d8Tu4ljw0
 喋り終えたときには、作業は終わっていた。心なしか郁乃の顔には幾分かの温かさが戻ったかのように見える。
 高槻はもう一つタオルケットを取ると、それを丁寧に郁乃の身体へとかけてやる。永遠の安息を願うかのように。

「……それだけだ。何か言う事はあるか、ゆめみ」

 立ち上がった高槻が一歩下がり、ゆめみのためにスペースを空ける。
 ゆめみは一歩進み出ようとして、しかし何かを思いなおしたのか踏みとどまり言葉だけを告げる。

「わたしは……失敗ばかりです。どんなに動けるようになってもいつも誰の安全をお守りすることができません。
 ロボットとしては、欠陥品なのだと思います。本当はもっと早くにこわれるはずだったのかもしれません。
 ……でも、今はまだこわれていないのなら、それは、小牧さんの仰られた『成長』なのだと考えます。
 努力して、間違って、少しずつ。そう、認識します。
 皆様に誇れるロボットになれるとは思っていませんが、小牧さんに誇れるロボットでありたいと、そうするつもりです。
 ですから、もう少しだけ……わたしを赦してください」

 両手を組み、慈悲を請うかのようにゆめみは跪く。
 なんとなく、高槻も理解する。ゆめみは郁乃を尊敬し、敬愛している。
 不幸な時代だ。愚か者だけが取り残されている。いや違う。神様は善人を好む。だから近くに置こうとして、連れて行ってしまうのだ。
 どこかの本でそう読んだことがあるが、すぐにバカバカしいと高槻は思い直した。

 善人なんかいるわけがない。勝手に郁乃にそういう思いを抱いているだけだ。客観的に見れば郁乃の方こそ愚か者と見る人間だっているに違いない。
 だがそんなこともどうでもいい。郁乃は死に、自分達が生き残った。事実はそれだけだ。その事実を踏まえ、どうするべきなのか。
 それが新たに課せられた責務だった。

744全き人:2008/06/15(日) 21:11:08 ID:d8Tu4ljw0
「ゆめみはどうする」
「……?」
「いや、訳分からんって顔されても困るんだが。つまりだ、俺はこれから何が何でも生き残らなきゃいけない。
 とりあえずはこのクソ忌々しいゲームの主催者を潰す必要があるな。元々気に食わなかったがな。
 なら、そのためにはまずはコイツを、首輪をなんとかしなきゃいけない。とは言っても俺は科学者であって技術者じゃない。
 よってそっちに関しては役立たずだ。しかしこの島から脱出するには足も必要だよな。例えば船。もしくは飛行機などだ。
 で、だ。俺はそちらを探そうと思う。役割分担ってやつだ。まぁ見当はつかんから直感頼りになるんだが……
 俺はそうするつもりだが、お前はどうする。ここからは自由意志だ。無理に付き合う必要もない。
 ゆめみはゆめみの目指す生き方をすりゃいい。俺は俺の生き方を全うする」
「ぴこ」
「……ああ、忘れてねえよ。お前もいたな」

 ぴこ、と満足そうにポテトは頷いた。高槻にとってもポテトは初めて組んだパートナーであり、コンビネーションもしっかりしている。犬だが。

「いえ、わたしも高槻さんにお供させていただきます。小牧さんが信じていた高槻さんを、わたしも信じさせてもらいます」
「俺の正体、聞いてて分かったろ? 今までお前らを騙し続けていた奴だ、どうしてついてくる気になった」
「ですが、今は違いますよね? ご自分の間違いにも気付いておられました。なら、それだけで十分です」
「……好きにしろ。自分の身は自分で守れ。俺はヒーローでもなんでもないんだからな」
「ありがとうございます」
「ぴこぴこ」

 何かを耳打ちするように、ポテトがゆめみの足を叩く。
 あいつの口の悪さは気にするな、と言っているようであった。

「はい。分かっています。ポテトさんも、よろしくお願いしますね」
「ぴこぴこっ」

745全き人:2008/06/15(日) 21:11:22 ID:d8Tu4ljw0
 腰を下ろしつつポテトと握手するロボットと犬。異種族の美しき友情が生まれた瞬間である。人類の調和はそんなに遠くないのかもしれない。

「おい、荷物をまとめるぞ。さっさと手伝え。それとポテト、俺をツンデレだとかほざきやがったな? ちょっとこっちに来い」
「ぴ、ぴこ?」
「とぼけても無駄だ」

 再びポテトの首根っこを掴む。

「左手は、そえるだけ」
「ほっ」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声をあげながら、ポテトはゴミ箱の中に突っ込んでいった。

746全き人:2008/06/15(日) 21:11:50 ID:d8Tu4ljw0
【時間:2日目・19:30】
【場所:B-5西、海岸近くの民家】

天才バスケットマン高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:やや疲労、左腕に鈍痛。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ニューナンブM60(3/5)、ニューナンブの予備弾薬4発、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

→B-10

747彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:13 ID:Oe33YDa20
「有紀寧お姉ちゃん!」

 戻ってきた宮沢有紀寧を目にするやいなや、柏木初音は待ちかねていたように駆け出し有紀寧の胸に飛び込んだ。
 中々帰ってこない(とは言っても精々数十分の間なのだが)有紀寧に、初音は心細くて仕方なかった。
 何せ丸二日以上経過しているのに家族にはまるで会えないのだ。

 柳川裕也という親類には出会えたものの正直に言えば初音には縁の薄い関係であったし、彼の持つ人を寄せ付けない雰囲気にも少々戸惑いを感じていた。
 むしろ、まるで本当の姉のように振る舞ってくれる有紀寧の方に初音は信頼を寄せていた。彼女といた時間が長かったというのも理由の一つではあったのだが。

 とにかく、家族に会えない不安を有紀寧がいくらか緩和してくれていたのは事実であった。
 初音は抱きついたまま、飛び出していった柳川の行方を尋ねる。

「おじさんは……どうなったの?」
「すみません、見失ってしまったんです。足が速くて……」

 肩を落としながら謝る有紀寧に、初音は慌てたようにフォローしようとする。
「責めてなんかないよっ、だって」

 そこでハッとしたように口をつぐむ初音に、「だって?」と先を促す有紀寧。
 が、言えるわけがない。柏木家が鬼の血を引く一族だということは軽々しく口外してはならないことであるからだ。
 柳川が親類であるのなら、当然鬼の力はあるはずだ。それも白状するわけにもいかない。

 初音はしばらく「あー、うー……」と口を濁しながら言い訳を考え、適当にでっちあげることにした。
「え、えっと、おじさんは男の人だし、それにわたし達の家族ってみんな運動神経がいいんだよ。あ、別に有紀寧お姉ちゃんが運動オンチって言ってるんじゃないよ? あははは……」

 元々正直者である初音は嘘をつくのが下手だったが、有紀寧は「そうなんですか、道理で……」とあっさり納得してくれた。
 ホッとため息をつきながらも、それでも柳川とはぐれてしまったということはまた不安の一つになった。

748彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:34 ID:Oe33YDa20
「……それで、どうするの? 有紀寧お姉ちゃん」
「とりあえず、診療所で待ちましょう。一時間経っても戻ってこなかったらそのときはまたどうするか考えるべきです」

 うん、と初音は頷く。
 一応戻ってくると柳川は言ったのだから大人しく待っているのが筋というものだろう。
 やはり同じ意見を持っていてくれていると思うと、少し嬉しい。

「さ、外は危険ですから早く中に入りましょう――」
 そう言って診療所に行くことを促そうとしたときだった。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 悪夢は、突然舞い降りてきたのだ。

     *     *     *

 計画は上手くいった。
 柳川をリモコンと口車で操り、殺し合いに乗らせることに成功し、対策も万全には近い状態にした。
 『盾』を失ったのは仕方がない。元より攻撃的な性格であろうことは伺い知れる。善人の振りをして誘導するのは困難であっただろうから、この判断は概ね間違ってはいないと言える。

 ここで犯してはならないミスは初音と柳川に合流されることだ。嘘がバレてしまえば孤立無援となることは明らかだし、よしんば二人から逃げることに成功しても自分が殺し合いに乗った者だと情報が伝わってしまう。それだけは阻止せねばならなかった。
 故にあの時は余裕ぶっていたが実は焦り半分でもあり、初音が動かずに診療所にいてくれたのはこれまでに積み重ねたものの勝利と言える。

 こうして決定的に主導権を握れたのだから。
 さて、ここからどう行動したものか。まずは隠れつつ様子を窺って……と考えていた矢先。有紀寧自身でさえも忘れていた、放送が始まったのだ。

749彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:58 ID:Oe33YDa20
「う……そ……」

 虚空に向かってそんな声を漏らしたのは初音だった。
 ぱくぱくと金魚のように口を開きながら、しかし言葉とは裏腹に視線が定まることはなく、身体が震えていた。

「うそだよ、うそだよ、こんなの、うそ……」
 頭を抱え込んだかと思うと、初音はへたりと地面に座り込み、「うそ」という言葉を何度も吐き出し続ける。
 そう、放送では柏木梓、柏木耕一、柏木千鶴の三人の名前が呼ばれていた。つまり、例外である柳川を除けば初音の親類は全て死に絶えてしまったということである。

 これは有紀寧にとっても痛手であった。初音と行動を共にし、信頼を重ねていたのも要は残りの柏木家の人間を盾にして生き延びようとする算段があったからだ。つまり、最早初音と共にいる理由もなくなったということだ。
 殺してもいい。もう有紀寧にとっても初音は用済みであるはずだった。寧ろ生かしておくとリスクが高くなる一方である。

 何らかの方法で柳川の情報が伝わっても困るし、戦闘能力に関しても柳川ほどの期待は持てない。利点はと言えば精々柳川のときのように無力で無害な人物を印象付けられることくらいだが、この局面でそうする必要性は薄くなりつつある。
 第二回目の放送では生き残りは確か70人前後。今回の放送では40人以上が呼ばれているらしいから、実質30人ほどとなっている。
 そろそろ動くべき時期だ。リモコンを有効に使い、参加者を操り、自らも強力な武器を入手し、優勝へと向けて動くべきなのだ。
 いつまでも弱者を演じていては攻勢に出る機会を失ってしまう。
 だから初音は切り捨てるべきだった。

 だが……有紀寧の脳裏には自分を慕ってくれる初音の姿があった。
 嘘偽りの自分だったとはいえ、まるで家族のように接し、時には無力なりに守ろうとさえしてくれた。
 重なるのだ。かつての兄との、家族との幸せな日々が。
 半ば自分の過ちにより、永久に兄と会話する機会を失ってしまった。

 しかし今、目の前には初音という形で家族が姿を為している。
 偽りで、儚い幻だということくらい有紀寧には当然理解出来ている。今でも理性はかなぐり捨てろと声を上げ続けている。
 だがそれでも――損得だけで切り捨てることの出来ないものが、有紀寧にもあった。
 後悔しているからこそ、取り戻したかったものがあったのだ。

750彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:19 ID:Oe33YDa20
 故に――

「初音さん、二人で、優勝しましょう」
「……え?」

 急に言葉をかけられたからか、予想だにしない言葉が飛び出してきたからか、鳩が豆鉄砲を食らったように呆けた顔で、初音が有紀寧を見た。
 今までのような作り物でない笑顔を見せながら、有紀寧は続ける。

「ご家族は亡くなってしまわれましたが……手立てがないわけではありません。優勝すればいいんです。優勝して、褒美の『何でも願いを叶えてもらう』……これで生き返らせれば大丈夫です。わたしも協力します。二人で、全員殺して……取り戻しましょう、家族を」
「……ゆきね、おねえちゃん……でも……」
「先程の放送でも、生き残れるのは二人になりました。だから最終的に初音さんとわたしが残っていればいいんです。何も心配することはありません。それに、初音さんだって家族を殺した人間に何も感じてないわけではないでしょう?
 ……初音さんは優しい人ですから、言い出せなかったのは分かります。でも何よりも大切なものを奪った人を……妹同然の初音さんの家族を殺した人を、わたしも許せません。だから、二人で殺しましょう?」

 半分は嘘。半分は本当。
 初音となら生き残ってもいい、そんな感情を持ちながらも自分がまず生き残りたいという思いもあった。
 実際に、初音を殺し合いに乗せるために心にも思ってないことをベラベラと言ってのけているのだから。
 結局は利用しているのに過ぎないのかもしれない。しかし、それで自分達が生き残れるのなら、いくらでもそうする。いくらだって嘘をつく。
 それで、幸せになれるのなら。

「わたしが初音さんを守ります、何があっても」
「……お姉ちゃん」

 迷いを含んでいた初音の瞳から、それがだんだん抜けていっているのが、有紀寧には分かった。
 代わりに、その色が黒く、闇に染まってきているのにも。

「……いいの? それで、いいの? わたし、止まらないよ? 止まらないかもしれないよ?」
「じゃあ、もう一度聞きます。初音さん、あなたの家族を殺した人たちが……憎くないんですか」
「憎いよ」

751彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:37 ID:Oe33YDa20
 答えが返ってくるまで、一秒となかった。それも、有紀寧でさえも震え上がるようなおぞましく、唸るような低い声で。
 拳を握り締めながら、凶暴な歯を覗かせながら初音は感情を吐き出す。

「憎い。千鶴お姉ちゃんも、梓お姉ちゃんも、楓お姉ちゃんも、耕一お兄ちゃんだってみんなみんな大好き。
 なんで殺されなきゃいけないの? なんで私たちだけ悲しまなきゃいけないの?
 悪い人だけがのうのうと生きてるなんて、許せない。
 理由なんて知らない……どんな事情があったって、私にはとてもかけがえのないものなのに。
 人は殺しちゃいけないって分かってるけど、もう我慢できない。
 そんなことをされて笑っていられるほど、私は残酷じゃない。殺したい。
 でも、それに有紀寧お姉ちゃんを巻き込みたくない……」
「初音さん……いいんです。わたしは初音さんのお姉さんですから。本当のお姉さんじゃないですが、気持ちは分かります。足手まといになるつもりはありません。見てください、これを」

 有紀寧は懐から、姫川琴音を死に追いやった原因でもあり、今さっき柳川を修羅の道へと歩ませた原因たる、爆弾起動のリモコンを取り出して見せる。
「これはわたし達がつけている首輪の爆弾を起動させるリモコンです。一度起動したが最後、24時間後には爆発してあの世行きです。わたしは、これを使いました。さっきに、です。さて、誰だと思います?」

 隠していたものを見せ始めた有紀寧の表情に少々面食らいながらも、別段咎めることもなく、「わかんない」と先を促す。知りたがっているようにも思えた。
 ふふ、と有紀寧はここで、初めてあの悪魔の如き笑顔を向けた。まるで子供がやってはいけない悪戯をしているかのような。

「あなたのおじさん……柳川さんにですよ。偽善者ぶっている、あの人にね。初音さんの家族と出会っておきながら保護することもしてくれなかった、あの馬鹿な人にです」
「あ、あは、あは、あはははははは! 本当!? 有紀寧お姉ちゃん、あの人が私の親類だって分かっててやったんだ!?」
 けらけらと、予想もしなかった事実に初音は狂ったように笑う。……いや、すでに彼女はおかしくなっていた。まともな人間の反応ではなかった。

「ええ、だって、そうでしょう? 初音さんを放って飛び出していくような人に家族を名乗るような資格はないと思いましたから、制裁を下したんですよ」
「そうだね……考えてみれば、そうだよね。梓お姉ちゃんと会っていたっていうのに、放り出してここまで一人で来てたんだもんね。
 仲間が殺されたからだって言ってたけど、それって家族よりも見ず知らずの他人の方を優先したってことだよね?
 酷いよね、どうして気付かなかったんだろ……うん、あんな人を信じかけてた私がおかしかったんだ。
 それを有紀寧お姉ちゃん、私なんかよりも早く気付いてたんだ……すごいなあ」

752彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:53 ID:Oe33YDa20
 尊敬に満ちた眼差しで、初音は有紀寧に語りかける。
 通常ならば在り得ない思考である。しかし崩落しかけていた初音の精神には、彼女をおいて飛び出していったという些細な事実でさえ裏切ったという事に置き換えられるのは容易かった。
 初音の心は、既に真っ黒に塗り潰されている。世界への憎悪が、そのまま個々人への憎悪に結びついていた。
 有紀寧に信頼を寄せれば寄せるほど、彼女はそれ以外のものを信じられなくなっていた。何故なら、ここまでに有紀寧以外のもの全てが彼女から何もかもを奪ってきたのだから。
 長瀬祐介も、初音の家族も、全て。

「ですから、わたしも初音さんの力になります。わたし達は非力ですが、力を合わせれば優勝だって不可能ではありません。初音さんが、わたしに力を貸してくれるのなら」
「そんな、当たり前だよっ。だって、有紀寧お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん。有紀寧お姉ちゃんのためなら私は喜んで何でもするよ」
「初音さん……」
「お姉ちゃんがいてくれて良かった……こんなことを相談出来るの、有紀寧お姉ちゃんだけだもん。だから、大好き、有紀寧お姉ちゃん」

 それは耕一が『天使』と評した笑顔。
 だがその翼は黒く濁っている。憎悪によって染められてしまった彼女の羽は……『堕天使』と呼ぶに相応しいものになっていた。

「行こう? みんな殺して、私達で優勝しようよ。それで、願いを叶えてもらうんだ」
「……そうですね、やりましょう。わたし達なら出来ます」

 お互いにくくっ、という鬱屈した笑みを漏らしながら、彼女達は奇妙な繋がりを確かめ合うように並んで歩き出す。
 一方は思う心と利用しようとする心の狭間で、矛盾を抱えながら。
 一方は壊れた心の内で、歪んだ愛情と憎しみを携えて。

 何かがおかしくなった二人が、何もかもがおかしいこの島で。
 『家族』を演じようとしていた。
 空が、雨を伴って泣き出す。

753彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:10:12 ID:Oe33YDa20
【時間:二日目19:00】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす。初音と共に優勝を狙う】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:精神半分崩壊。有紀寧に対して異常な信頼。有紀寧と共に優勝を狙う】

【その他:19:00頃から雨が降り始めています】

→B-10

754Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:11:43 ID:hDv2p4Go0
「愛佳っ!」
 真っ先に飛び出したのは十波由真だった。
 小牧愛佳のものと思われる悲鳴を聞いた瞬間、弾かれたように飛び出していた。
 愛佳は由真の親友とも言える存在であったし、元々心根の部分が正義漢である由真が黙っていられるはずもなかったからだ。

 鉄砲玉のように駆けていく由真を、慌てて追う伊吹風子と笹森花梨の二人。
「ちょ、ちょっとー! 武器も持たずに、危ないんよー!」
 聞く耳持たぬかのように由真の速度は変わらない。危ないからと言って立ち止まっていては手遅れになるかもしれないではないか。
 それに由真には、岡崎朋也とみちるを見殺しにしてしまったという罪悪感もあった。

 あの時、勇気を持って行動さえしていれば。
 恐らくは無残な姿に成り果てているのであろう二人の姿を想像すると、自分の惨めさが悔しくてたまらなかった。
 だから今度こそ、と由真は誓う。
 過ちは犯させない――!

 心中での叫びと共に、由真は勢いよくホテルのドアを開け放つ。そうして状況を考える間もなく叫んだ。

「愛佳! こっち!」
「っ!? ゆ、ゆま……?」

 走っていた愛佳は、ホテルのすぐ横を通り過ぎようとしていた。恐らくは由真が飛び出さなければ気付くこともなかっただろう。
 また新たなる敵対者かと一瞬怯えた愛佳ではあったが、それが今や数少ない友人である十波由真だと確認するやいなや、そちらの方へと、まさしく脱兎のごとく、涙目になりながら走り出した。

「ゆま、ゆま! お願い、たすけてっ、あの人が、あの人が!」
 こくりと由真が頷いたときには、既に眼前の敵――七瀬留美へと格闘の構えをとりながら、距離を測っていた。
「ホテルの中に入ってて! そこなら安全だから!」

 遅れて到着してきた花梨と風子が、必死に走ってきた愛佳に指で示す。
 それを分かっていたかどうかは判断できなかったが、一目散に愛佳は二人の横を抜けてホテルの中へと入っていく。
 残されたのは、対峙する七瀬と由真、花梨、風子。七瀬は既に警戒するようにSMGⅡを構えていた。

755Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:02 ID:hDv2p4Go0
「……あなた、何のつもりなの? よくも私の親友を襲うような真似をしてくれたわね」
「違うわ、誤解よ! つか、それを解くために追っかけてたの。あたしはあの子は襲ってない。殺し合いをしない人を襲う理由なんてないでしょ?」
「誤解って、あなた何をしたのよ」
「と、十波さん。どうどうです。喧嘩腰はよくないです。ヒトデのようにクールに話し合いましょう。ということでそちらもその危なっかしいものを下ろしてくれると風子的に少しは安心できるのですが」

 牙をむき出しにして敵対心を向ける由真に、風子がぽんぽんと肩を叩きながら宥める。なぅ、とそれに乗じるように、今までずっと花梨にぴったりとくっついていたぴろが器用に由真の肩に乗り、落ち着けとでもいうように身体を寄せる。
 動物にまで諭されるのは流石に血が上りすぎかとようやく判断した由真が「分かった」と構えを解く。
 ならば七瀬もそうしないわけにはいかず、SMGⅡを下ろす。
 七瀬としては誤解を解きたいので、下手にその友人と思われる人間を刺激して泥沼になるのは避けたい。
 将を射んと欲すればまず馬から。愛佳がこれ以上逃げられる場所はないのだからまずは周りを味方につけるべきだ。そう考えてこれまでに起こったことの説明を始める。

「ちょっと前に、役場の方で争いがあってね……そこで殺し合いに乗った奴らと交戦してたの」
「それで、あなたが戦ってる姿を見た愛佳が殺人鬼と勘違いして逃げていた……と?」
「そこまで単純な話じゃないけど。大筋はそうかもしれないわね。……でも、多分そこが一番の理由じゃないかもしれない」
「どういうこと?」

 追及する由真に、言っていいものかどうか迷うように頭を悩ませる七瀬だが、特に自分が悪いわけでもなければこの場にはトラウマを刺激しそうな愛佳の姿もない。隠す理由はないだろうと考え、話を続ける。

「ある外道のせいでね……あの子、多分仲間だった人を間違えて撃ち殺しちゃったの。わざとじゃなかったと思うんだけど」
「仲間って……だ、誰を?」
「みさえさん……とか言ってたけど、聞き覚えはある?」

 確認する七瀬に、しかし三人とも首を振る。あれほどショックを受けていたのだから大事な仲間だったのだろうと推測し、できればその知り合いとも話を持ちたかったのだが、いないのでは仕方ない。次に重要なことはそれを画策した人物が誰かを伝えることだった。

756Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:27 ID:hDv2p4Go0
「その外道……名前は分からないけど、凶悪な奴で特徴的だったからよく姿は覚えてる。長身で、男にしては髪が長くて、後ろでお下げみたいに結ってたわ。後は……目つきが最悪」
「え? それって……ひょっとして……花梨?」
「……うん、多分間違いないんよ」
「知ってるの?」

 尋ねる七瀬に、二人が何とも言えないようなため息をつく。
 直接二人を分断した理由であり、特に花梨は散々追い回されたので苦い記憶になっている。

「名前は分からないんだけど、前に襲われて、その時まで由真とは一緒だったんだけど、そいつのせいでバラバラになっちゃって。雌豚ー、とかクソアマー、みたいなこと叫んでなかった?」
「……それに近しいことは。あなた達も災難だったわね……」
 はぁ、とため息をつく三人。こんなところで被害者に会うとは思っていなかったので、図らずも親近感を覚えてしまう。それに、そういう事実があったのなら少なくともこの二人は敵ではない、と七瀬は判断する。

「と、忘れてた。もう一人交戦してた奴がいるのよ。そいつも名前は分からないけど、そいつは割りと女顔で、マシンガンやらグレネードランチャーやら持った危ない男だった。あたしもそいつに一杯食わされてね……あいつも容赦ないわよ、気をつけて」
「マシンガン……」

 その単語に反応したのは、風子と由真だった。
 朋也とみちる、二人の命を奪った、あの「タイプライター」の音を忘れるわけがない。そして七瀬の上げた特徴にもおおよそ一致する。

「ひょっとしたら違うかもしれませんが、そちらには風子と十波さんが襲われた可能性があります。その人も、ぱらららって音のするマシンガンを持っていました」
「ウソ、そっちも? ……はぁ、なんというか、奇妙な縁と言えばいいのかしら……?」

 花梨や由真のみならず、風子までも共通した部分があることに七瀬は驚きを隠せない。
 袖振り合うも他生の縁、というものだろうか。なんとなくではあるが運命を感じずにはいられない。
 いっそのこと被害者の会でも結成したらいいかもしれない、などと思いながら七瀬は一方で坂上智代と里村茜などを襲ったことについては棚に上げながらうんうんと頷いていた。

757Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:50 ID:hDv2p4Go0
「ええと、話を戻すようで悪いけど、察するに愛佳は仲間を間違えて殺しちゃって、それでパニックになってここまで走ってきた……のかな?」
「うん、それで間違いないと思うわ。よほどパニックだったみたい。見かけられただけで逃げ出されちゃったんだから……でも、これでもう大丈夫ね。あなた達がいるから。改めて言うようだけど、あたしは殺し合いに乗っている奴以外と戦うつもりはないわ。それと……ヘンに疑ってごめんなさい。自己紹介するわ。あたしは七瀬、七瀬留美」
「いや、こっちこそ誤解してたようでごめん。愛佳と一緒に居てくれようとしてたんでしょ? 礼を言うのはこちらの方よ。……あ、私は十波由真って言うの。よろしく」
「円満に解決したようで何よりですっ。風子の仲裁術は世界一ですね。ということで伊吹風子と申します。名刺もありませんが、お見知りおきを」
「あんまり出る幕がなかったけど……よろしく。笹森花梨でーす。で、由真。さっき行っちゃったあの子、なんて言うんだったっけ?」
「ん? ああ、あの子は小牧愛佳っていう名前よ。普段はあんなのじゃないんだけど……少し落ち着いてもらうのを待った方が良さそうね」

 傍目から見ても、愛佳の精神状態は察するに余りある。時間をかけて徐々に落ち着きを取り戻してもらうほかないだろう。
 そしてそれは必然的に、彼女らのここからの出発を遅らせることを意味していた。
 それは風子も花梨も理解していて、同じく納得もしていたので「待つよ」という旨の言葉を伝えてホテルに戻ろうと告げる。

「ありがとう……助かるわ。で、七瀬さん、あなたはどうするの?」
「まぁ誤解は解けたと思うし、それにこっちは仲間が欲しかったところだから……よければ、あなた達に同行させてもらえないかしら?」

 それは構わない、と三人は喜んで頷く。境遇を同じくする人間であったから、妙な連帯感があったというのも快諾した一因だった。
 七瀬にしても、善人を守る正義の味方という体面を得る事ができるのは願ってもないことだったので三人の返答を素直に喜んだ。

「そうだ、ホテルの中にはもう一人いるんだけど……あれはどう説明したらいいのかな?」
「……すれ違っただけの人でいいと思います」

 天沢郁未のことを言う花梨に、風子は不機嫌に応じる。
 どうも風子からすれば郁未は胡散臭く、いまいち信用ならなかった。
 無論そこに主観が入っているということは風子にさえ分かってはいたのだが、なんとなく風子の中にある何かが警鐘を鳴らすのだ。

758Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:13:12 ID:hDv2p4Go0
「伊吹さん……その、気持ちは分かるけど……」
「分かってます。でも、渚さんに会えるまでは風子は信じません。渚さんはそんな人じゃないって、今だって風子思ってますから」
「……? 何の話?」
 話が見えないことに首を傾げる七瀬だが、
「それは後々本人から聞いてもらうわ。多分まだホテルの中にいるでしょうし」
 と由真が言ったのでとりあえずは納得してついていくことにする。言葉から察するに、ホテルの中にいるというもう一人は三人にとって敵でも味方でもないような人物なのだろう。

 七瀬としては殺し合いにさえ乗っていなければいい。三人が無傷であることから見るとその危険性はなさそうだが、信用はしないほうがいい。
 そう結論付けてホテルに入っていく三人に、七瀬も続いた。

     *     *     *

「はぁ、それで逃げてきたってこと」
「は、はい……もうなんというか無我夢中で」

 四人が外で会話を交わしているころ、そろそろ行こうかと思っていた郁未の前に現れたのは混乱しきっていた愛佳だった。
 別に外の騒ぎに興味も関心もなかったのでさっさと探索に移ろうかと思っていた矢先の出来事であり、面倒臭いことこの上なかったが放送までは迂闊な行動を取るまいと心に決めていたので話くらいはしてやるかと声をかけた。腕時計を見る限り、どうせ放送までは後一時間もないから時間を潰すには丁度いいだろう。

 ひぃひぃ言って逃げてきたのだから大した話は期待できないと考えていたが、愛佳の顔を見た瞬間その思いはすぐに吹き飛んだ。
 顔面には裂傷が走っており、身に纏っている服は塵や埃で汚れきっている。ざっと見回しただけでも彼女がただ単に怯え、逃げ惑っていただけではないのが分かる。

(へぇ、中々面白いことをしてきたのかな)
 渚のような人物は吐き気を催すほど気に入らない郁未であったが、愛佳に対しては多少の好感を持っていた。もっとも、話の内容次第ではすぐにそんな印象など変わってしまうかもしれないが。
 最初は郁未にも怯えきってロクに話もできない状態の愛佳であったが、郁未が辛抱強く話しかけていたからか次第に落ち着きを取り戻し、質問に答えてくれるようにはなってくれた。

759Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:13:40 ID:hDv2p4Go0
 やはりというか、郁未の予測は当たっていて、一度交戦状態になって熾烈な戦闘を生き抜いたことに関しては郁未はそれなりの評価を下していた。
 なんだかんだと理由をつけて戦うまいとする善人ぶった奴よりは、死の危険を避けるために応戦するような人物の方が好感は持てる。
 まぁ、何かにつけて誤射で撃ち殺してしまった仲間のことで自分を責めていたのには辟易したが、気持ちは分からなくもない。郁未でも葉子や晴香を間違って傷つけてしまったら気に病むだろう。戦闘からまだそれほど時間も経っていないのであれば尚更だ。

 とにかく、一通り聞いた話によると愛佳を含む四人が役場で殺し合いに乗ったのであろう人間たちと交戦。そのうちの一人が今さっき愛佳を追いかけていた人物であり、残りの二人も凶悪な殺人鬼であるという。
 先程までパニックに陥っていた人間の言う事なので話半分くらいに聞いておいたほうがいいだろうが、少なくとも郁未以外に三人もこの殺し合いに乗っていた人間がいると分かったのは収穫である。やはり殺し合いを肯定し、戦っている人間は大勢いる。

 ならば言うまでもなく、動かずにもう少し人数が減るのを待つのが上策だということは目に見えている。
 外にいる人間との交戦は避けたいところなので銃声も悲鳴も、何も聞こえてこない以上説得を行い、成功しているのだろうかと予測はできるが万が一のことを考え、逃げる算段だけは立てておくことにしよう。

「さて、私は少しここに用事があるからそろそろ行くつもりだけど……愛佳はどうするの? ここで待っとく?」
「え? あ、あたしは――」

 おろおろする愛佳がどう答えようかと迷っていると、騒がしい声と共に由真たちが戻ってきた。
 『先程まで愛佳を追っていた七瀬留美と一緒に』。

「――っ!?」

 何事も無かったかのように平然と一緒に歩いている四人に、愛佳の精神が再びパニックを起こす。
 大慌てで、愛佳は立ち上がると郁未の服裾を引っつかみ、彼女の影に隠れようとする。

「ちょ、ちょっと! どうしたってのよ!」
「だ、だって、あの人は、あの人は!」

 異常としか思えない反応だった。交戦していて敵対関係だったにしろ、この怯えようは大袈裟過ぎる。
 それは愛佳が七瀬を目撃したときの、あの獲物を見つけたかのような表情が半ば脚色されてそうなったのであるが、そんな愛佳の心情など郁未は知る由もない。ひたすら鬱陶しいだけである。
 とは言っても公衆の面前で無下に引き剥がすこともできずどうしたものかと考えていると、愛佳を落ち着かせるように由真が駆け寄ってくる。

760Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:08 ID:hDv2p4Go0
「愛佳、大丈夫だから! この人は愛佳を襲うつもりなんてなかったんだって。ただ話がしたかっただけなんだって!」
「ゆ、ゆま……で、でも、でも……」

 愛佳は目の前の親友の顔と、遠くで不安そうに見つめるツインテールの少女の顔を見比べる。
 怖い。怖い。まだ怖い。近くにいたくない。逃げたい。でも由真は大丈夫だと言ってくれている。
 信と不信の間で愛佳は揺れ動く。脳裏に焼きついた七瀬のあの凶暴な笑いがどうしても忘れられない。

「大丈夫、愛佳、私を信じて。もう平気だから」
 そんな愛佳の不安定な心を読み取ったかのように、柔らかい笑みで由真が応える。
 それは普段の彼女にあった、どこまでも信頼できる表情。親友が、大丈夫だと言ってくれている。
 にゃぁ、と、それまでずっと花梨の傍にいたぴろが慰めるように愛佳に擦り寄る。
 そのせいもあり、はっ、はっ、とまだ呼吸を荒くしながらも、愛佳の身体の震えは少しずつ収まってきていた。

「ほ、本当に、だいじょうぶ……?」
「当たり前じゃない。私はウソをつかないわよ。知ってるでしょ?」
「……うん、知ってる……」
「あの、もうそろそろ手を離してくれないかしら」

 機を見計らったのように、未だに裾を掴んでいる愛佳に郁未が言った。
 とりあえず目の前で友情劇を見せ付けられるのは鬱陶しいことこの上なかったので一刻も早く離れたかったのだ。

「あ、ご、ごめん……」
 ようやく気付いた愛佳はそろそろといった調子で手を離す。ようやく開放された郁未は一つ息をついて、髪をかき上げる。
 まったく、どうしてこうも人が集まってくるのか。
 幸いにして皆が皆好戦的な人間ではなかったからいいものの、下手すれば隠れるどころの問題ではなくなっていた。
 先見性がないのかなあと肩を落とすしかない。これなら神社に留まっていた方が遥かに一目につかなかったかもしれない。
 代わりにいくらか情報を入手できたのは在り難いことだったのだが。

 ……まあ、結果が良ければいいかと何とか思いなおし、郁未は七瀬の方へと向く。
 愛佳が異常に怯えを見せていた人間。油断はならない。観察はじっくりとしておくに越したことはない。

761Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:32 ID:hDv2p4Go0
「ふーん、あんたが愛佳を追っかけまわしてた奴か……ま、確かに逃げたくなるのも分かるわ」
「どういう意味よ、それ」
「オーラ。ヒグマも素手で倒しそう」
「フツーの女子高生にんなことが出来てたまるかっ!」

 大声を出す七瀬にヒッ、とまた愛佳が身体を震わせる。一方の郁未はまるで動じることもなく、七瀬に言葉を続ける。
「まあ冗談はともかくとして、あんた、愛佳の仲間とやりあってたんでしょ? そこんとこどうなの? どうしてあんなことをしたの?」
 郁未の口から開かされる新たな事実に、そんなことは聞いていなかった風子、花梨、由真が一斉に目を向ける。
 七瀬の表情が強張るのが、郁未には分かった。別に糾弾しているわけではなかった。ただ事実がどうなのか確かめ、脅威の度合いを測ろうとしているだけだ。どうやらあの三人にはそれを話しているわけではなかったようだが。

「それは……事実よ。でもあの時は既に戦闘状態で、誰が殺し合いに乗ってて誰が乗ってないのか分からなかった。あたしもその時は頭に血が上ってて……全員殺し合いに乗ってるんだと思い込んで、皆殺そうとした。でもしばらく後になって、間違いだって分かったから、小牧さんに話を聞こうと……」
「……なるほど、殺し合いに乗ってる奴は皆殺し、か。良かったわね、間違えて殺さずに済んで」
「……」

 七瀬の口ぶりから考えておおよそ真実だろう。下手な言い訳は表情に出る。七瀬からはそれが感じられなかった。
 そして、その人間性も大体は掴めた。
 殺し合いに乗っている……即ち、危険人物は即座に排除するという危険思想の持ち主だ。典型的な独善思考の人間だろう。
 まぁ偽善者よりは数百倍マシだ。敵にならないように行動してさえいればいい。

「ともかく、挨拶くらいはしておくわ。七瀬留美……覚えておいて」
「どうも。そう言えば、まだ私は名前も言ってなかったか。全員に言っとくか。天沢郁未。よろしく」

 いくみ。
 その言葉の響きに、何かの違和感を花梨は覚える。なんだったっけと思索しようとしたときだった。
 ジャリッ、と砂と泥が踏まれる音が、背後から聞こえた。

762Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:54 ID:hDv2p4Go0
「……」

 そこに殺意が、ドス黒いものが一瞬で満ちていくのが、全員に伝わった。それほどの禍々しいものが、背後の人物から溢れ出していた。
「逃げてっ!」
 七瀬が叫ぶと同時、いつの間にかホテルの中に侵入していた、空虚と狂気の闇に飲まれた少女――水瀬名雪――が持ち上げたジェリコ941を発砲していた。

 花火のように弾けた弾丸が空間を引き裂く。七瀬の声に応じて素早く動いていたお陰で、それが当たることはなかった。
 撃たれたという事実を真っ先に把握した七瀬が、SMGⅡを構え、名雪に向かって弾丸を撒き散らす。

「このっ! 何様のつもりよっ!」
 しかし反撃を予測していた名雪は素早く柱の影に隠れ、掃射を回避する。
 明らかに戦闘に慣れている、と七瀬は判断した。それは着ている割烹着が血まみれであることからも予測がつく。ならば、間違いない。
 彼女は100%、敵だ。

「皆は逃げてっ! ここはあたしが引き受ける! 殺人鬼は、あたしの敵よ!」
「七瀬さん!?」

 驚きの声を上げる由真に、七瀬はSMGⅡを柱にチラつかせながら応える。
「そっちは小牧さんのことがあるでしょ? お詫びってわけじゃないけど……こんな奴、あたし一人で十分! ケリをつけたらすぐに合流するから、行って! 多分他にも出入り口はあるはずだから!」
「……分かったわ! でもあまりに遅かったら戻ってくるからね! 約束!」
「オーケイ! 約束よ!」
 親指をグッと立てて、七瀬は再会を誓う。その背中に、花梨や風子からも声が飛ぶ。

「戻ってきたら手伝って欲しいこともあるから! 早くしてよね!」
「あまり無理はしないで下さい。すみません、先に行きますっ!」
 奥へと消えていくメンバーを横目で見送った後、七瀬は慎重にSMGⅡを構えながら語りかける。

763Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:15:15 ID:hDv2p4Go0
「さて、これであんたとあたしの二人っきりね……さっさと続きを始めましょ」

 一歩、七瀬が踏み出す。その瞬間、名雪もまた飛び出し空中を、跳ねるようにしてジェリコを数発発砲。
 油断なく身構えていた七瀬はダッキングして難なく回避。お返しとばかりにSMGⅡを向け、ありったけの弾を撃ち込む。
 だが名雪の運動能力もまた七瀬の予想を超えていた。小刻みにサイドステップを繰り返し銃弾の雨をすり抜ける。
 やがて弾を全て吐き出し終えたSMGⅡは空しい弾切れの音を鳴らす。

 それを名雪が見過ごすわけがない。
 素早く両手で狙いを定め、これでもかと言わんばかりに名雪は連射を開始する。
 直感で狙いは正確だと判断した七瀬は、とっさに持っていたデイパックの中から折りたたみ式の自転車を放り投げる。
 果たしてその直感は正しかった。七瀬の心臓を守るように立ち塞がった自転車に次々と弾丸が命中し、フレームに損傷をつけつつ、それでも弾き返しながら七瀬を守った。

 ガシャン、と自転車が床に落ちたときには、名雪のジェリコも弾切れを起こしていた。
 七瀬もSMGⅡのマガジンを交換する暇がなく、ならばと落ちた自転車を乗り越え、拳を握り名雪へと突進。勝負を格闘戦に持ち込む。

「はぁっ!」
 素早く繰り出される右フックを避けきることが出来ず、左肩に重さの乗った一撃を叩き込まれる。
 くっ、と名雪が痛みに顔をしかめる。

「初めて表情、変わったじゃない! 次行くわよ!」
 格闘ゲームのコンボさながらに次々と繰り出される拳の群れに、名雪は回避することでしか応じることが出来ない。
 陸上部の部長を務めている名雪のフットワークは評価すべきものがある。しかし格闘に関しては別だった。
 剣道部の経験から上半身を使うことに七瀬は慣れていたが、名雪の所属する陸上部ではどちらかというとそんなに上半身を用いることがない。
 故に応じ手を打とうとしてもその暇が与えられず、なおかつ効果的な攻撃を繰り出せる自信がなかった。
 防御や回避のみでは戦局は変えられない。反撃できない名雪は次第に壁際へと追い詰められていく。

「どりゃぁっ!」
 防御を続ける名雪へ、気合の入った前蹴りが名雪へと迫る。
 ガードはしたものの勢いまでは殺しきる事が出来ず、勢いに圧されて数歩、下がってしまう。そしてその場所は、壁だった。

764Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:15:48 ID:hDv2p4Go0
「もう逃げ場、ないわねっ! 観念しなさい!」
 とうとう追い詰められたのだ。これで終わりだ、とでも言うように七瀬は裂帛の気合と共に顔面へとストレートを放つ――
「!?」
 ――はずだった。一歩踏み込もうとした七瀬の視界の端に、ちらりと人影が見えたのだ。

 それは退避した四人の誰かではないことは明らかだった。正面玄関から入ってくるはずがないし、何より、マシンガンを持っている!
 切磋の判断で、七瀬は大きくバックステップしてその場から離れる。
 一瞬の後に、ぱらららららららら、とタイプライターを叩くような音が響き、空間を貫いた。

「……!」
 二人纏めて攻撃するつもりだったのだろう。発射された弾の群れは七瀬のいた場所と、そして逃げられなかった名雪を蹂躙した。
 頭部に命中することこそなかったものの、体の中心部に弾丸が何発も命中し、ぐらりと名雪が倒れる。
 明らかに決定打だった。あれでは生きていたとしてもそう長くは持つまい。

「くっ、あんた……!」
 新たなる闖入者へと、七瀬は敵意の篭もった視線を向ける。そこにはかつて、いやつい先程交戦していた、もう一人の七瀬の姿があった。
「くそっ、相変わらず反応だけは鋭いな……さっさと倒れていればいいのに」
 七瀬彰が、苦々しげな顔をしながらそこに佇んでいた。

 愛佳と七瀬を追ってはきたものの、追いついたときには既に相手方で和解が成立しており、とても襲撃をかけられるような雰囲気ではなかった。
 これでは当初の計画が台無しであり、かといって尻尾を巻いて引き下がるのも彰としては頂けない。
 どうしたものかと離れた場所で思案していたのだが、そこに一人の少女がふらりと現れた。
 それはホテル跡までやってきた水瀬名雪だった。最初のうちはこいつをターゲットにでもするか、と思った彰だったがどうも様子がおかしい。
 しきりに様子を窺っているし、それに何度か手に持っていた拳銃を威嚇するようにこちらに向けてきたのだ。
 ただの偶然だろうかと彰は思っていたが、それを何度も繰り返されたのでやがてそれが偶然ではないということを理解せざるを得なかった。
 どのようにして彰の居場所を掴んでいたのかは定かではないが、恐らくはレーダーの類としか思えない。

765Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:16:12 ID:hDv2p4Go0
 しかし狙い撃つには距離が遠すぎたのか、銃は向けられるだけで撃ってはこなかった。
 一応安全を期して後方へと引き下がった彰に、逃げたと判断したのか、名雪は再び手元にある何かを確認すると、ホテルの中へと入っていった。
 残された彰は、名雪の一連の行動から賭けを打つことにした。
 もしもあの少女が中でドンパチをやらかしてくれるのなら、今度こそそこに乱入して皆殺しにする。
 一斉に反撃される可能性もないではないが、無謀な突撃を仕掛けるより勝算は遥かに高い。雲泥の差だ。
 しかしもしも何事も起こらなければ、もう退却するしかない。これ以上合流されては本当にどうしようもないからだ。
 そうして、じっと彰は機会を待った。乱入できる最善のタイミングを待ったのだ。半ば祈るような気持ちで。
 そして――

「まあいい。一人は倒せたんだ。後はあんた一人だけ……一思いに葬ってやる!」
「ほざきなさいっ! あんたも地獄送りよ!」

 七瀬はSMGⅡのマガジンは既に交換済み。七瀬のSMGⅡと、彰のイングラムが交錯する、が。
 カチ。
「なッ、弾切れ!? こんなときに!」

 慌てて武器をM79に切り替えようとする彰だが、時既に遅し。七瀬の指はトリガーにかけられている。
 後は、引き金が引かれ、不運に見舞われた彰に銃弾を撃ち込むだけだった。
 ――しかし、不運だったのは彰だけではなかった。

「ぅぐっ!?」
 ぱん、ぱんという二つの音が聞こえたかと思うと、七瀬が左肩を押さえる。そこには血がべっとりと付着していた。
「う、撃たれた……? 誰に!?」
 痛む肩を必死に押さえながら、七瀬は急いで柱の影へと隠れる。
 一体誰が? また乱入者なのか? そんな疑問を持ちながら向けた視線の先には、驚きべき人物が立っていた。

「ウソ……!?」
「バカな、ちゃんと当てたはず……」

 驚いたのは七瀬だけではなかった。彰も目の前の事実を信じられないかのように目を見開いている。
 そう、二人の間に悠然と立ち塞がっていたのは……

766Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:16:41 ID:hDv2p4Go0
「……」

 水瀬名雪、その人だった。どろりとした、濁った視線を相変わらず携えながら。
「防弾チョッキか!? くそっ、これは計算外だぞ……!」
 今度はジェリコの銃口が彰へと向けられる。彰は素早く反応すると七瀬同様に柱の影に隠れ、辛うじて発砲から身を躱す。
「防弾チョッキですって……? 厄介なもの着てるわね……?」

 七瀬彰の存在。厄介な装備を持つ水瀬名雪。どうしたものかと思案していた七瀬の耳に、息つく暇もなく、次のハプニングが耳に飛び込んできた。
 それは由真たちが逃げたはずの、ホテルの奥から聞こえてきた。
「っ!? 何、今の……銃声!?」
 聞き違いでなければ、それは確かに銃声であった。パァン、という残響音がまだ少し残っている。まさか……向こうでも誰かが襲われているのか!

「ああもう! 次から次に! 何とかして早く決着をつけないと!」
 苛立ちながらSMGⅡを構え、三者三様の戦闘に早期の決着をつけるべく、痛みを押して立ち上がる七瀬。

「くっ、結局上手くはいかないか……だが、勝つのは僕だ……!」
 イングラムにマガジンを装填し、M79に火炎弾を装備する彰。彼は執念の元に。

「……」
 腹部に残る衝撃から自身のダメージを考え、どう動くべきか模索する名雪。

 地獄の三つ巴の戦いが、第二幕を飾ろうとしていた。

767Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:17:26 ID:hDv2p4Go0
言い忘れてました。ここまでが前半になります。
ここからが後編です。

768Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:01 ID:hDv2p4Go0
 予定外だ。
 これでは計画が台無しだ。
 天沢郁未は先頭に立って他にホテルから脱出できるところはないかと探し回っている由真や風子、花梨の姿を眺めながらそう思った。
 こっちが我慢に我慢しているというのに、勝手にドンパチを始めて、騒ぎ立てて……
 幸い、矢面に立ってくれた人物がいたから良かったものの、もうホテルは安全圏ではない。
 また一からやり直さねばならないのだろうか。

(……癪ね)
 イライラが自分の中で澱みを成しているのが分かる。どうせなら誰かに一泡吹かせてから逃げ出したいところだ。

(いっそ、こいつらを一気に……)
 考えかけて、まだ早計だと思い直す。
 流石にここまで生き延びてきただけはある。愛佳以外の誰もが冷静に眼前の事態に対処し、脱出路はないかと連絡を適度にとりあいながらまとまって行動している。

 一方愛佳はまだ恐怖が残っているのかいつの間にか懐いていたぴろを撫でながら郁未の近くでぼんやりとしている。
 今ここで武器を持って本性を見せたとして、すぐに殺害できるのは未だ不安定なままの愛佳だけだろう。
 まだこの状況では一つとして怪我は負いたくないし、何より脱出路が定まってない。
 とにかく何をするにも、まずは様子見だ。

「あーもう、こっちも行き止まりか……非常口の一つや二つないわけ? 不親切な設計ね……」
「だから潰れたんじゃないのかな、このホテル」
「なるほど、納得です」

 考えを巡らせている郁未の前では、三人が顔を合わせて意見を言い合っている。
 最初の方は七瀬が残った方角からいくらか銃声が聞こえてきていたが、今は静まって何も聞こえない。
 もう決着がついたのか、あるいは白兵戦にもつれ込んでいるのか。
 七瀬はまだ戻ってきていない。どうなっているのか、全く分からない。
 唯一分かることは、時間はあまり残されていないであろうということだ。
 急がなければならない。特に前の戦闘でトラウマが残っている愛佳は早く逃がさなければ。

「仕方ない、ここは一旦戻って別の道を探しましょ。愛佳、まだ大丈夫?」
「……うん」

 少しは気力が戻ってきているのか、愛佳は返事もはっきりしてきたし、自分でしっかり立って歩いてきている。
 ひょっとしたら、単に疲れていただけなのかもしれない。そんなに心配するほどでもなかったか、と由真は苦笑いする。

769Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:26 ID:hDv2p4Go0
「戻るなら、結構ロビーの近くまで戻ることになるんよ。だから危ないことになるかもしれないと思うから……由真と風子ちゃんに、これ貸しとくね」
 花梨はそう言うと、風子にグロック19を、由真にステアーAUGを渡す。
 初めて手に圧し掛かる、重たい銃の感触に息を呑みながらも、二人はそれをしっかりと受け取る。

「でも弾は殆ど入ってないと思うから、万が一使うとしても、気をつけて。あくまでも護身用と考えてほしいんよ。……それと、風子ちゃんには、これも」
 銃の中身について説明すると、続けて花梨は風子にポケットからあの青い宝石を取り出し、風子に手渡す。

「預けとくね。私より風子ちゃんが持ってた方がいいと思うから、これは」
「……どうしてですか? 見つけたのは笹森さんです。笹森さんが持つべきだと思うのですが」
「いや、何となくだけど。……んー、私より、これについては分かってると思ったんよ。あのときの話を聞いてね」
「あれは風子が思ったことを言っただけです。あてずっぽうです」
「まーそう言わずに。それに、風子ちゃんなら大事に扱ってくれそうだし」

 無理矢理手に宝石を握らせる花梨に、
「……仕方ないです。そこまで言うなら風子が責任をもってお預かりします」
 と受け取って制服のポケットの中に仕舞う風子。

「よろしい。素直な子は私好きだな〜。ということで」
「ミステリ研には入りません」
「……」

 花梨はうなだれるが、すぐに顔を上げると「ま、いつかね」と勝手に納得して来た道を歩き始めた。
 まだ諦めてなかったんだなあ、とそんな様子を見ていた由真はその根性に感心していた。ついでに、きっぱりと容赦なく断り続ける風子の姿勢にも。

(っと、んな悠長に構えてる場合じゃなかったか)
 今の状況を思い出し、そんなことをしている暇はないと己に言い聞かせ、花梨に続こうとしたときだった。
 廊下の向こうから、反響音と共に由真と風子にとっては忘れられるわけもない、あの『タイプライター』が聞こえた。

770Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:50 ID:hDv2p4Go0
「あの……音は!」
 体を駆け上がる戦慄と共に、由真の頭にも血が上る。
 仲間を奪い去った、あの悪夢。その根源たる人物が、再びこの場に現れたというのだ。
 銃という『力』を手に入れたこともあり、それにあの相手だけに対しては逃げたくない、という思いを抱えていた由真はギリッと歯を食い縛ると一直線に銃声の聞こえた方へと向かって走り出そうとした。

「あ……! と、十波さん! いけませんっ! 待ってください!」
「っ! 行かせてよ! あいつに岡崎さんとみちるちゃんがやられたのに! 黙って見過ごせっての!? それにあいつが来たってことは、七瀬さん、一対二じゃない! 援護に行かないと!」
「そ、それは、そうですが……」

 風子としてはまずは皆を無事に逃がすことを第一の目標としていたが、見捨ててはおけないという由真の意見にも同調はできる。
 しかし正面から突っ込むのはあまりにも危険だと考える風子は簡単に行かせるわけにもいかない。

「で、でも一人で行くのは危険です。もう少し考えて……」
「じゃあどうしろって――」

 口論になりかけた二人を遮ったのは、銃声だった。

 それは先程のような廊下の向こうから聞こえてきたものではなく。

「……え?」

 すぐ近く。
 天沢郁未の持っているM1076の銃口からは硝煙が。
 そして――その真正面にいた、笹森花梨の胸からはおびただしい量の血が、噴き出していた。

「あ――」
 ぐらりと、花梨の体が傾き、広がっていた血の海に沈む。直前、花梨は郁未にあった違和感の正体を思い出していた。

 ――そっか、天沢、郁未……国崎さんが、芳野っていう人から聞いてた、危険な人の名前……あは、国崎さん、私、やっぱりバカだ――

771Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:19:11 ID:hDv2p4Go0
「花梨っ! あ……あんた……っ!」
 突然の裏切りに、由真は怒りも露に郁未に向き直る。元々熱くなりやすい彼女は、さらに加熱していた。
 対照的に郁未は冷徹に、血に沈んだ花梨を見下ろしながらふん、と鼻を鳴らす。

「そろそろ潮時だと思ってね。いい加減逃げるのにも嘘をつくのも飽きたわ。やっぱり人間、正直に生きないと」
「――っ!」

 まるで当たり前のように言った郁未の言動に、ついに由真の堪忍袋の緒が切れた。
 勢いもそのままに、由真は郁未へと掴みかかろうとする。
 だが郁未は余裕たっぷりに由真の突進を回避すると、素早く羽交い絞めにして頭部へと銃口を突きつけた。

「うぐっ!」
「は、勢いだけでどうにかなるとでも思った? バカよね、まだそこのチビの方が評価できるわ。……さて、見りゃ分かると思うけど、こいつは人質にさせて貰ったわ。二人とも、大人しく武器を置いてもらいましょうか」

 銃口を突きつけながらも同時に首を絞めて抵抗する暇を与えない。
 郁未は完璧に由真の影に隠れるような位置に陣取っており、盾にもしている。風子はとっさにグロックを構えていたものの、撃てるわけがなかった。
 残された愛佳も急変した事態にまるで対応できずおろおろとするばかり。
 ぴろも毛を逆立てて唸っているが、猫など問題外だ。

「ど、ど、どうして、こんな……ゆ、由真を放して!」
「嫌よ。だって放したらそこのチビに撃たれるかもしれないじゃない。そういうわけだから、ね、早くこっちにその銃を投げなさい」
「……お断りです」

 えっ、と愛佳は風子の反抗的な発言に愕然とする。それは、見捨てるということなのに?
 郁未も予想していなかったのか、少々驚いた様子ではあったが、それでも有利なのは自分だとでも言わんばかりにぐりっ、と銃口を由真に押し付ける。

「死んでもいいってわけ? あんた、意外に冷たい人間なのね?」
「違います。どうせ捨てたところで風子たち全員を撃ち殺すつもりでしょう? そんなこと、させません」
「……いい度胸してるじゃない。なら撃ってみなさいよ。撃てないでしょ? プロならともかく、素人が私だけを狙えるとでも思ってるの?」
「伊吹……さん!」

772Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:13 ID:hDv2p4Go0
 由真が苦しそうな表情を向ける。
 風子は極限の緊張の中にいながらも、銃の構えは解かなかった。

「お、お願い! やめて! 由真に当たっちゃう!」
「……」

 愛佳の悲痛な叫びにも、風子は首を振る。
 風子とて当てられる自信はとてもじゃないが、ない。だがらと言って郁未に服従するつもりもない。
 本気で狙うわけじゃない。郁未は撃てるわけがないと高をくくっているが、威嚇射撃であろうとも発砲すれば驚き、由真を手放すだろう。
 そこを突いて、由真と愛佳を引き連れて逃げる。

 花梨を失ってしまったのは風子にもショックだった。
 お姉さんとして、皆を守る。そう誓ったのに。
 しかしこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。殺させるものか。
 気負いと共に、トリガーを引こうとしたときだった。

「ま……だ! 死んでいないん……よっ!」
「ふにゃぁっ!」
「なッ!?」

 突如、郁未の足元から花梨が起き上がり、掴みかかった。
 更にぴろが郁未の顔面へと向かって飛び掛かる。
 全くの不意打ちに対応できず、郁未は由真を放してしまったばかりか押し倒されてしまう。
 そう、花梨は死んでいたわけではなかった。
 確かに胸を撃たれ、半ば致命傷であったものの残された命の欠片を振り絞って動けるだけの気力はまだあったのだ。
 風子と同じように、これ以上死人を出してたまるか。そんな一念の元に機会を窺い、そして飛びついた。

773Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:32 ID:hDv2p4Go0
「三人とも! 逃げて!」

 郁未を押し倒しながら花梨が叫ぶ。
 由真は息を苦しそうにしながらも走れるだけの体力は残っていたようで、風子の方に走ってくる。
 良かった、これでいける……そんな一瞬の緩みが風子の中に生まれた。

 ――それが悲劇の引き金になった。

 一瞬の緩みがもたらした、手にかかる力の弛緩。それが下ろしかけていた、グロックのトリガーにかかった。

「……!」
 ドン、という衝撃が由真の胸を貫いた。
 何が起こったのか分からず、ゆっくりと由真は自分の体を見下ろす。

「あ、れ……」

 血が出ている。ドクドク、ドクドクと。花梨と同じように。
 そして、衝撃は前からかかってきた。それが意味する事実。その根源を、由真はのろのろと見つめる。

「あ、あ、あああ……っ!」
「……い、ぶ……」

 風子が、目の前の由真の姿に絶望の呻きをあげていた。そう、撃ってしまったのだ。
 風子が、由真を。思いも寄らぬ形で。

「――いやぁぁああぁぁあぁあぁああぁあーーーーーーっ!!!」

 響き渡る絶叫。愛佳が狂乱の叫び声を上げていた。
「こ、こまきさ、風子は、風子は……!」
 のそりとした視線を向ける風子に、愛佳は再び、怒りや憎悪よりも、恐怖を覚えていた。

774Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:57 ID:hDv2p4Go0
 ――殺した!
 ――敵じゃないと思っていたのに!
 ――みんな、みんなあたしを裏切って殺そうとする!
 ――天沢さんも、この子も!
 ――イヤ、イヤ! 殺されたくない、死にたくない、死にたくな……

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 恐慌する場にそんな声が響いてきた。それが、愛佳の精神にとっての決定打となった。何故なら。

「44 小牧郁乃――」

「……え、いく、の……?」
 それは愛佳にとっても最愛の、大切な家族。妹。
 妹が……死んだ? 殺された?
 あたしが みさえさんを 殺しちゃったから ?


『そうだよ。   殺人鬼   』


 侮蔑する声。殺そうとする人たち。いなくなった妹。
 広がる血の海。そこに投げ落とされるあたし。引きずり込む幾人もの人の手。
 むしりとられるあたしの皮。肉。骨。べちょべちょと笑いながら頬張ってる。
 あははは。あははは。あははは。あははは。
 ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。
 けらけら。けらけら。けらけら。けらけら。
 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!!!

775Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:21:25 ID:hDv2p4Go0
「ひっ、ひ、ひふっ、い、い、いいいいいい、いくのいくのいくのいまいくのぉぉォォォォォオォーーーーーーーー!!!!!」

 愛佳は狂った叫びを上げながら、デイパックから今まで危険だからと収めていた火炎放射器を取り出す。

「あはっあはははははあははははははははははははあはははははははははははははは!!!!!!」

 愉快そうに愛佳は笑う。
 正気どころか、判断する頭脳さえない。
 まさに死人。本能のままに人を襲う、哀れな怪物に成り果ててしまった人間の崩壊した姿がそこにあった。

「燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろモエロモエロオォォォォーーーーー!!!」
 愛佳は火炎放射器の矛先を、残っている連中へと向け、文字通り丸焼きにしようとする。
 しかし焼き尽くそうと向けた視界の中で、僅かに動き、静止をかける人間がいた。

「ま、なか……! なに、やってるのよ……!」
「っひぃ!?」

 それは人殺しの風子によって致命傷を与えられ、倒れたはずの由真の姿だった。
 未だにドクドクと湧き出てくる血を、申し訳ばかりに手で押さえながら、凶行に及ぼうとする親友を見咎めるように睨む。
「ひ、こ、こないでこないでこないでしぬしぬしぬしぬぅぅぅぅ!!」

 崩壊した愛佳にとって既に由真は死人。生き返るはずがなく、ただのモノであるはずだった。
 つまり、這いずってでも自分に手を伸ばそうとするこの女は……死神。
 恐怖に駆られた愛佳は、火炎放射器で攻撃こそしなかったものの、それを背負ったまま反対方向へと逃げようとする。
 するとそこに。

「ちっ、手こずらせてくれたわね……まさか猫にまで歯向かわれるとは計算外だったわよ」
「っ、こい、つ、もう……!」

776Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:21:44 ID:hDv2p4Go0
 顔面を散々に引っかかれ、服を花梨の血で塗らした郁未が反対側に立ち塞がる。
 足元には、今度こそ息絶えた花梨と、同じく惨殺されたぴろの死体を伴って。
 右手にはM1076。左手には血濡れの鉈を持ち。

「へぇ、撃たれてるじゃない……そこのチビも優勝狙いだったってワケか……いいわ、そういうの、嫌いじゃない」
「っ、ち、違います、ふ、風子は……」

 何が違うのか、と首を傾げる郁未の前。
 愛佳の前に立ち塞がるように、今度は戻ってきた女がいた。

「な……これは、どういうことなの!」
 疑問ではなく、騙されていたのだという絶望と怒りを携えて、七瀬留美が戻ってきていた。

 守るはずだった味方が、目を離してみれば皆が皆殺し合いをしているではないか。
 血濡れの鉈と銃を持った郁未。
 血の海に落ちた由真の近くで拳銃を持っている風子。
 火炎放射器を持って逃げようとしていた愛佳。
 動かない花梨とぴろ。
 状況から七瀬が叩き出した結論は一つだった。

「そう、結局みんな殺し合いに乗ってたってことか……バカにされたもんね、あたしも……もういい。もう誰も信じるもんか……皆殺しよ! 全員! ブチ殺して地獄に沈めてやる!」
 七瀬は手斧を取り出し、悪鬼羅刹を思わせる瞳で全員を見据える。

「……く、なんで、こんなことに……!」
 由真はまだ辛うじて動ける状況にあった。
 血は流れ続けているが幸いにして銃弾が肺を貫くことはなかった。半ば下方向きに風子が撃ったお陰だ。

 ま、誤射だけどね。……今更事実に文句を言っても仕方ないか。

777Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:22:05 ID:hDv2p4Go0
 由真はこっそりと手を伸ばし、ステアーAUGを手に取ると、風子を逃がす算段を立てる。
 もうこの状況と傷では助かるまい。その諦めがかえって由真に冷静さと覚悟を引き出していた。

(もう、せめて伊吹さんだけでも……! 私の、最後の意地……!)

 由真の中の命の蝋燭が、激しく炎を立てて燃え始めた。

     *     *     *

 それより少し前。時間は七瀬がホテルの奥の銃声を聞きつけたころに遡る。
 早急に銃声の事実を確かめねばならない七瀬にとっては、最早こんな戦闘などさっさと抜け出すべきだった。

 最大の問題は背中を見せた途端二人から一斉に射撃を浴びることだ。
 だが七瀬にはスタン・グレネードという目くらましにはもってこいの代物がある。
 後はいつこれを使うかということだけ。
 ポケットの中にそれを仕舞いなおした瞬間……七瀬彰が、真正面にM79を構えていた。

「燃え尽きてしまえっ!」

 彰が構えているのがイングラムではないと判断した瞬間、七瀬は大きく飛び跳ねてできるだけ距離を取るように離れる。
 ここでも七瀬の直感は正しかった。
 少し外れ、柱に命中した火炎弾が、盛大に炎を巻き上げ火の粉を降り注がせる。
 間違いなく、その場にいたら煽りを食っていただろう。

 SMGⅡを即座に構えようとした七瀬だったが、今度は彰が何かに気付いてごろごろと床を転がる。
 直後、二発ほど銃声が聞こえた。七瀬からは死角になっていて分からなかったのだが、名雪が彰を攻撃したのだ。

 名雪にとっての優先事項はとにかく武器の豊富な相手を狙うことだった。
 銃は二つ持ってはいるがどちらも拳銃であるし、残弾数も心許なくなってきている。
 彰の装備はサブマシンガンにグレネードランチャー。単純に攻撃力としてはかなりの高レベルである。
 無論隙さえできれば七瀬を狙うつもりでもあったが、優先して狙っているのは彰だった。
 彰も名雪の狙いに気付いていたようで、舌打ちをしながら回避に専念する。

778Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:22:45 ID:hDv2p4Go0
「ち、防弾チョッキさえなければ……」

 彰は迂闊にイングラムを撃てない。防弾チョッキで無効化されてはまさしく弾の無駄遣いだ。
 既にマガジンの残りは半分を切ってしまっている以上慎重に使わねばならなかった。
 彰は走り回りつつ、ロビーの奥……受付のカウンターの奥に隠れ、篭城戦の体制に入った。
 名雪は続けて銃弾を撃ち込もうとするがそれを阻む人間がいた。

「このぉっ! いくら防弾チョッキを着てたって!」

 狙いを切り替えた七瀬が名雪へと向けてSMGⅡを乱射する。
 その目標は頭部。そこに一発でも撃ち込んでしまえばどんな人間だろうが即死する。
 下手な鉄砲数撃ちゃ当たるを信条とする七瀬には残弾など関係なし。とにかく撃ち続ける。

「……」

 名雪も彰同様、走り回りながら七瀬の掃射を回避していく。
 格闘戦でこそ遅れをとった名雪だが、走り回ることに関しては七瀬の比ではない。
 蛇行して走りながら、名雪は懐から携帯電話を取り出す。

「何? 電話なんかで何をしようって……?」
 何かを入力したかと思うと、名雪はそれを七瀬へと向かって放物線上に投げる。
 投擲してぶつけるだろうかとも思ったが、山なりに投げるのはおかしい。
 三度、七瀬は己の直感に従って携帯から離れようとした。が、僅かに遅かった。

「っ!? 電話が、光っ――!?」

779Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:23:09 ID:hDv2p4Go0
 名雪が投げたのは時限爆弾機能入りの携帯電話。数字を入力することでその秒数後に爆発を引き起こすといった仕組みだった。
 セットしたのは一般的な手榴弾と同じ五秒後。
 閃光と爆風が七瀬を襲う。
 爆薬量が少なかったのと至近距離ではなかったお陰で致命傷を負うことこそなかったものの、爆風で吹き飛ばされ床に体をしたたか打ち付ける。
 そのまま床を転がりながら、七瀬は不覚と体勢を立て直そうとする。

 しかしその隙を見逃すわけがない。名雪は立ち上がろうとする瞬間を狙ってジェリコを構えるが、目論みはまたもや失敗に終わる。
 カウンターから飛び出してきた彰が、M79を構え、炸裂弾を発射していた。

「……!」
 彰の狙いは走りながら撃ったせいか、僅かに逸れていたものの、本来炸裂弾は爆風よりもそれにより撒き散らされる破片での攻撃が主なダメージソースである。
 小規模な爆発と共に飛び出した榴弾の破片が次々と名雪を襲う。
 避けきれないと悟った名雪は顔面へのダメージを防ぐべく両手で顔を隠し、防御体勢をとったが、流石にそれ以外への攻撃まではどうしようもない。
 ある破片は浅く、ある破片は深く。手足、身体を問わず切り裂かれ、少なからぬダメージを名雪が受ける。
 だがただやられている名雪ではなかった。相沢祐一のために全てを抹殺する、その目的を達成するために全てを捨て去った少女はそれくらいでは突き崩せない。膝をつくとばかり思われていた名雪は、しかし倒れることなく踏み止まり、あまつさえ彰に反撃の一発を見舞ったのだ!

「何っ!? がっ……!」
 半ば無茶苦茶に乱射したので急所に命中することはなかったが、数発が彰の肩や脇腹を抉る。
 大した被害ではないが、慌てて彰はサイドステップして回避行動に移る。
 彰が先程までいた場所には、更に数発の銃弾が撃ち込まれていた。
 冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、それでもダメージは向こうの方が大きい、ケリをつけるなら今とイングラムに装備を切り替え、思い切り乱射する。

「倍返しだっ!」
 撃ち返す彰だが、名雪も怪我を負ったとはいえ脚力は健在であった。イングラムの掃射を彰の周りを円を描くようにして走り、回避していく。
 彰もじっとして撃つだけでは撃ち返されると踏んで動きながらイングラムを撃ち続ける。
 そこに、ようやく起き上がった七瀬が苦々しい顔をしながら、スタン・グレネードを取り出していた。

「このっ……やってくれるじゃない……けど、コイツを投げられる状況にしてくれてありがとう!」

780Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:23:29 ID:hDv2p4Go0
 ピンを引き抜くと、七瀬は思い切りそれを二人の間へと向け、投げつける。
 ころろろ、と転がってきたスタン・グレネードに気付いた二人は慌てて爆風から逃れようと飛び退いたが、それは普通のグレネードではない。
 爆風と破片による攻撃ではなく、スタン・グレネードは閃光と爆音によって視覚と聴覚を奪い、敵を無力化するものである。
 当然そんなことを知るわけがない二人はまともにその影響を受ける。

「!!」
「ぅぁっ!?」

 凄まじい音響と閃光。
 目をつぶり、耳を塞いでいた七瀬でさえ頭がクラクラするほどであったのだがら、二人は何をいわんや。
 視界とバランスを失い、よろよろと動き回る。
 七瀬はしばらくして、頭に感覚が戻ってきたのを確認すると、自分のデイパックを回収して奥へと駆けていった。
 どれくらい時間が経っているのか分からない。あれからも断続的に向こうから銃声のような音が聞こえてきたような気もする。
 戦闘が起こっているのだろうか。既に被害者が出ているのかもしれない。

「お願い、無事でいてよ……!」
 そう願いながら、七瀬は全速で走る。
 願いは叶うことなく、また彼女を修羅の道に堕とすことになるとも知らずに――


「っ、クソ……!」
 悪態をつきながら、彰は柱に背中をもたれさせ未だ定まらぬ視界に四苦八苦していた。
 名雪の気配は既に消えうせている。スタン・グレネードを投げた七瀬から逃げるためなのか、彰を攻撃してくることもなかった。
 それは不幸中の幸いと言える。こちらも早く体勢を立て直さねば。
 何だか閃光が走った直前からくらいに何かぶつぶつ声が聞こえていたような気もするが、聞き逃した。まあどうでもいいが。

 ズルズルとそのまま床に座り込みつつ、彰はこれからの戦術を模索する。
 襲撃は失敗に終わった。予想外の事態により倒せたはずの相手も殺し損なった。
 やはりまず、とどめはきっちりと刺さなければならない。頭部を破壊するまで、相手は死なないものと仮定したほうがいい。
 それと回避行動は素早くだ。
 数回の戦闘を経てようやく効果的な弾の躱し方が身についてきた気がする。
 円を描くように回った方がより当りにくい。広い場所で戦うときはこの戦法をとるべきだろう。

781Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:06 ID:hDv2p4Go0
 最後に攻撃法。
 復活したらあの女(七瀬留美)を追うのが普通だろうが、ホテルというフィールドを利用しない手はない。
 まず階段などを使って上の階へ移動し、回り込んで不意打ちを仕掛ける。
 概ね方針としてはこうだ。悪くはないはず。問題は同じように考えたもう一人の女(水瀬名雪)と鉢合わせすることくらいだが……そこは慎重に行動することで何とか会わないようにするしかない。

「……よし、今度こそ」

 再び自分に喝を入れ直し、彰はゆっくりと立ち上がる。
 その目は、もはや戦士と呼べるに相応しい顔つきになっていた。

     *     *     *

 以上、これが七瀬がやってくるまでの事のあらましであった。

 とにもかくにも今の七瀬は怒り心頭どころかこの世の全てを悪と見なさんばかりに鼻息を荒げつつ、ぎろりと愛佳を睨む。
 怯えて逃げ惑っていたかと思えば、今度は放火魔か。要するに、あのときは自分に勝てないと思って逃げていただけだったのだ。
 弱者だけを狙い、強者には媚を売って延命を図る。最低の愚図だ。死ねばいいのに。いや、殺す。

「まず、あんたからよ……」
「ひ、ひひ、あ、あんたは怖くない怖くない怖くないぃぃぃぃんだからぁああぁあぁあ!」

 愛佳は火炎放射器を向けると、今度は躊躇いなく七瀬へと紅蓮の炎を撒き散らす。
 燃え盛る炎の腕が七瀬を包み込まんとするが、戦闘慣れしている七瀬にはそう簡単に通じはしない。
 熱風に顔をしかめつつ、七瀬は手斧を振り上げる。

「あっち! 乙女の肌に黒コゲにする気!? 小麦色ならちょっと歓迎するけど!」
「ひゃはっ!?」

782Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:30 ID:hDv2p4Go0
 とっさに放射器の向きを変えようとするがそれより斧の方が早かった。
 炎の暑さに僅かに狙いが逸れたか、手斧は愛佳の服を浅く切り裂いたのみで手傷を負わせるに至らなかった。

「いいいいいたいのいたいのとととんでけぇぇえぇぇええぇ!」

 トリガーを引き続けたまま放射器を振り回したので炎は鞭と化し、七瀬を薙ぎ払う。
 荒れ狂う炎の勢いに接近を拒まれ、さしもの七瀬も近づく事が出来ない。
 だが、炎で燃えるのは人間だけではない。飛び散った炎が壁材や床のカーペットに引火し、瞬く間に群れを為して火災の様相を呈し始めた。
 機能を失ってしまっているホテルには火災報知機もスプリンクラーもない。消火器さえあるかどうか怪しかった。

「あは、燃える燃える燃えるるるるる! もっともっともっともっとぉぉぉぉおおぉぉぉぉお!!!」

 オレンジ色の光景に愛佳は狂笑を浮かべながら傍にあった階段を駆け上ろうとする。
 七瀬は熱風にたじろぎながらも目ざとくその姿を見つけ、追おうとする。

「待ちなさい! この放火……」
 途端、再び紅蓮が降り注ぐ。愛佳が階段上から階下へ向けて火を放ったのだ。
 今の愛佳に残る思考はただ一つ。「しにたくないから、ぜんぶもやす」これだけだった。
 燃えてしまえば何も怖くはない。そんな子供じみた考えの下に。

「くあっち! あーもう! 乙女の髪の毛をアフロにする気かぁ!」

 地団駄を踏みつつ、七瀬は火の粉を追い払いながら、既に二階へと消えた愛佳を追って駆け上がった。


「……ちっ、やるだけやってトンズラとはね。熱くって仕方ないわ」
 パチパチと焦げ臭い匂いと揺らめく炎の舌の中、郁未は髪をかき上げながら、腹を押さえつつステアーAUGを持って立ちはだかる由真を前にしながら、悠然と呟いた。
「……殺し合いに乗っていた割には、やけに好戦的じゃないわ、ね……けほっ、それに、私達もすぐに襲ってこなかったし」

783Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:56 ID:hDv2p4Go0
 こほこほと咳き込みながら、由真は未だショックから抜け切れてない風子を横目にしつつ、郁未に問いかける。
 血の味が口に広がっている。どうやら煤と煙のせいだけではないようだ。時間は残り少ない。
 一歩、前に踏み出す。

「まぁね。無駄な争いは避ける方が賢いって気付いたのよ。倒せるなら弱者から。如何にリスクを少なく、リターンを大きく出来るかが、この殺し合いの鍵だってこと」
「っとに、性質の悪い……けほっ」
「……さっさと死んでればよかったのに。苦しいでしょ?」
「……どうも。でも、この島には山ほど貸しがあるの。借りは、返すのが礼儀でしょ……?」

 ほぅ、と郁未は感心したように由真を見やる。
 初めて同調できる意見を他者に見たからだ。立場、目的こそ違えどその精神は郁未が持っているものと同質のものだ。
 殺すには惜しい。いや、こんな状態で戦うのが惜しい。
 お互い万全で殺しあえればよかったのに、と郁未は思った。

「じゃ、最後に一つ言っとくか……あんた、自分を撃った奴を守ろうなんておかしいわよ? ひょっとしたら今まで仲間ごっこを演じてただけかもしれないってのに」
「……伊吹さんを馬鹿にしないで。あんないい子、誰が疑うってのよ……それに、分かりやすい敵が、目の前に、いる……」

 そこまで言ったとき、視界が一瞬揺らぐ。暑さと血が足りなくなってきているせいだ。まだ折れるわけにはいかない。
 少し腰を落とすと、由真はステアーAUGを構える。

「それに、意地ってものがあるでしょ、女の子にもッ!」

784Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:25:15 ID:hDv2p4Go0
 一声叫ぶと、由真は思いっきりステアーの引き金を引き絞る。
 しかし花梨が注意したように、ステアーには殆ど残弾がなかった。僅か一秒にも満たない間に、ステアーから弾が途切れる。
 郁未は飛んでそれを回避していた。弾が少ないということは郁未も知っている情報だった。入れ替わるようにして鉈を振り下ろす。
 もちろん由真はそのことを承知済みだった。腰を落としたのは理由がある。
 花梨が撃たれたとき、彼女はデイパックを落としていた。その中身も零れ出ている。
 そう、腰を落としたとき、由真は同時に花梨の『遺物』をすぐ拾えるようにしておいたのだ。由真が手に取ったのは――

「貰ったッ!」
「っ、甘いっ……!」

 特殊警棒が、郁未の鉈を弾く。金属製であるそれは硬度で言うなら互角の能力を有している。
 一歩、ダッキングして郁未は距離を取った。

「ちっ、やる……」
「けほっ、まだまだよっ!」

 咳き込みながら、由真は警棒を持って追撃。体力のあるうちにありったけ力を入れておかないとまずい。そう判断していた。

「伊吹さん! 聞いてる!?」
「……っ、はっ……」

 鉈と警棒がぶつかり合った瞬間、怯えたように、弾かれたように風子が反応する。由真からは確認できなかったが、その目は罪悪感に満ち満ちていた。
 だが構わず、由真は言葉を続ける。

「私は、別に気にして、ないから……伊吹さん、わざとやったんじゃないって、分かってるから!」
「無駄口が多いわよ!」

 郁未の切り返しの一撃。それが由真の肩を深く切り裂く。
 悲鳴を上げたくなったが、根性で堪える。というより、痛すぎて悲鳴があげられなかったのだ。

785Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:25:30 ID:hDv2p4Go0
「だから、行って! それでも申し訳ないって思ってんなら、体勢を立て直して、私のカタキを討ってよ! かはっ、岡崎さんと、みちるちゃんと、花梨のカタキ、討ってよ! お姉さんなんでしょ!!!」

「っ!!!」

 お姉さん、という言葉が風子の瞳に正気を取り戻させる。一歩、風子が下がる。
 後一押しと言わんばかりに、由真は渾身の叫びを放った。


「走れえぇえぇぇぇぇぇぇえぇえ!!!!!!!」


 意識したのかそれとも偶然か、その言葉は朋也が最後に由真と風子に向けて言ったものと全く同じだった。
 風子は、もう振り返らなかった。炎の中へと突進していく。流星のように。

「残念だけど、逃がしゃしないわよ!」
 さっさと倒そうと、郁未は喉を切り裂かんと鉈を横に薙ぐが、由真は素手で鉈を受け止めた。
 手から感覚が零れ落ち、命がまた流れていく。

「っ、なら頭を!」
 M1076で頭部を狙おうとするが、今度はもう片方に握っていた警棒を捨て、無理矢理銃口を押し下げる。
 だが引き金を止めることまでは出来ず次々と発射された弾丸が由真の内臓をぐちゃりと押し潰す。

「っぁ、……勝っ、た、わ……!」

 命が完全に尽きる寸前、由真は勝利の笑みを浮かべた。
 伊吹風子を逃がすという、命の代償を支払った勝負に。
 それが証拠に、目の前の郁未は悔しそうに顔を歪めていた。

 だから。
 最後に、由真が握った拳は天を高く衝いていた。

786Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:26:14 ID:hDv2p4Go0
【時間:二日目午後19:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(1/15)、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全力で逃げる。仲間の仇を必ず取る】

十波由真 
【持ち物:特殊警棒、ステアーAUG(0/30)、ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:死亡】

笹森花梨
【持ち物:海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、エディの支給品一式】
【状態:死亡】
ぴろ
【状態:死亡】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(2/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、顔面に細かい傷多数、中度の疲労、マーダー】
【目的:由真に敗北感。ホテル内の人間を全て抹殺。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、発狂。目の前の全てを燃やし尽くす】

787Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:26:41 ID:hDv2p4Go0
七瀬留美
【所持品1:手斧、H&K SMGⅡ(13/30)、予備マガジン(30発入り)×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、肩に銃傷、激しい憎悪。参加者全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(6/30)、イングラムの予備マガジン×3、M79グレネードランチャー、炸裂弾×8、火炎弾×9、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、肩や脇腹にかすり傷多数、疲労大、マーダー。ホテル内の全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾7/14)、予備弾倉×1、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルのどこかに逃亡。放送は戦闘の影響で聞き逃した】



【その他:折りたたみ式自転車はロビーに放置(多少傷アリ)。ホテルの一部で火災発生。現在も燃え広がっています】

→B-10

788アイニミチル (4):2008/06/26(木) 03:31:51 ID:I4YEtknU0
 
暗い洞穴を明るく照らすものがあった。
光。青い光である。

そこに海があった。
深い、深い滄海の湛える色があった。
そこに空があった。
果てなく高い、透き通るような天の色があった。

空と海とが交じり合い、絡まり合って、ひとつの光となっていた。
観月マナという少女の発しているのは、そういう光である。

その中心にいるはずの少女はしかし、空と海とに挟まれて薄ぼんやりと、
影のような輪郭だけを光の中に浮かべている。

あ―――、と。

音が、響いた。
それが少女、マナの発した声であるとその場にいた者たちが気づいたのは、
その音が急激にボルテージを上げ、岩窟全体をびりびりと震わせはじめてからである。

―――ぁぁぁぁああああああアアアアアアアアアアァァァァァぁぁぁぁぁ―――

鼓膜を裂くように高く、臓腑を抉るように低く、少女が哭いていた。
到底ヒトの声帯から生み出されるものとは思えない、それは常軌を逸した音量と音程の、絶叫である。
唐突に現れた光と音が、観月マナという少女が、岩窟という狭い世界を瞬く間に塗り替えていた。
囁き声も、すすり泣く声も、淫臭も、水音も、赤い色も、すべてが蹂躙され、その存在を押し流されていた。
そんな目を灼くような光と耳を劈くような音の波の中で、笑む者がある。

「唸れ、滾れ、美しき青の子―――」

天野美汐であった。
堪えきれぬといった風に笑みを浮かべ、誰にも聞こえ得ぬ声を漏らす。

「定命の身に収めきれぬ青を振り撒き―――神を喚ぶ餌となりなさい」

―――あ、と。
呪詛のように呟かれた美汐の言葉に引きずられるように、マナが吼えた。


***

789アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:32:26 ID:I4YEtknU0
 
刹那にも満たぬ青がある。
久遠すら足りぬ青がある。

青は光であり、波であり、色であり音であり、声だった。
そのひとつひとつに、世界があった。

幾多の世界がもたらす青の中で、観月マナであったものは漂っている。
生とは思考であり、行動であり、主体である。
その意味で観月マナと呼ばれる少女は、既に死んでいた。
圧倒的な情報の渦に磨耗し、打ちのめされ、一つの死を迎えたマナの精神を更に石臼で挽くように、
青い波がマナであったものへと執拗に打ち寄せる。

マナであったものを囲むいくつもの世界に遍在するものがあった。
声である。認めろ、と叫ぶ、それは無数の声だった。

―――認めろ。
―――我を認めろ。
―――我を肯じろ。
―――我を赦せ。
―――我の在るを赦せ。
―――我の在るを、肯じろ。

それは、怨嗟の声だった。
この世にあり得べからざるすべての存在の、声なき声。
在るを認められぬものたちの、存在を切望する声。
それがマナであったものの周囲に押し寄せ、ひしめき合っていた。

彼らは欲していた。
彼ら自身の意味を。
彼ら自身の存在を。
彼ら自身の認識を。

存在の承認を、彼らは欲していた。
あり得べからざるすべてのものが、マナであったものにそれを求め、叶わず、怨嗟の声を上げていた。
マナであったものは引き裂かれ、踏み躙られ、食い散らかされ、既に物言わぬ躯となって尚、侵され、
求められ、そして恨まれていた。
マナであったものを囲むすべてのものが、マナを欲していた。
自らの声を聞ける唯一の存在を、彼らは彼らのすべてを以って希求し、その結果として焼き尽くしていた。

観月マナと呼ばれた少女は、温かな肉体の中で、既にして朽ちている。


***

790アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:14 ID:I4YEtknU0
 
絶叫とも、咆哮ともつかぬ観月マナの声が岩窟の大広間を震わせている。
時にふっつりと止み、再び唐突に響きだす、それはどこか壊れたスピーカーから鳴る、
ノイズ混じりのラジオを思わせる。
岩窟の遥か高い天井までを照らすような青い光の柱を前に、水瀬秋子は焦燥を覚えていた。
知らず、内心の声が漏れる。

「次代の使徒……まさか、これほどとは……」
「―――ええ。儀典場たるこの空間に溢れ、融けていく青が多すぎる」

いつの間に近づいていたのか、天野美汐の姿に秋子が微かに眼を見開く。
薄笑いを浮かべたようなその表情が、どこか癇に障った。
見慣れた微笑ではない。
それは皮一枚の下に悪意を隠した、紛れもない冷笑であるかのように、秋子には見えた。

「……何か、可笑しなことでもありますか」
「いいえ、……いいえ、とんでもない」

刺々しい秋子の言葉にも、美汐の薄笑いは消えない。
くつくつと、今にも声を漏らして嗤い出しそうな顔のまま、言葉を継ぐ。

「両儀の合一は青と赤、双方の調和を以って成立する……このままでは、些か赤が弱いように思えますが、
 ただこの状況も想定の内だったかのかと思いまして」
「言われるまでもありません。……十年余りとて、私たちには瞬きするほどの時間。
 あの失敗も、昨日のことのように覚えています」
「失敗……ああ、あの日のことですか。……懐かしい、若気の至りとでも言いましょうか」

薄暮の湖を覆う霧の如き瞳が、弓形に細められる。

「貴女が……いえ、私たちが『門』を開いたあの日も、こんな風に青が溢れたのでしたね。
 実に懐かしい、神の欠片を始末しきるまで随分と手間がかかりましたが、今となっては
 それもいい思い出でしょう」
「……何が、思い出なものですか」
「おやおや、可哀想なこと」

言って口元に手を当てた、美汐の眼は泣き崩れる磔刑の女、霧島聖を横目で見ている。
粘つく視線を断ち切るように、秋子が口を開く。

791アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:29 ID:I4YEtknU0
「―――いずれにせよ、使徒を放っておくわけにはいきません。
 合一を前に再び『門』が開くことがあってはならない。今ならまだ抑えられます」
「私は嫌ですよ」
「……」

しれっと言ってのけた美汐を、秋子が睨む。
どこ吹く風と薄笑いを続ける美汐の相手をしていても仕方がないと思ったか、秋子が溜息をついて
小さく首を振った。

「あなたにそこまで頼もうとは、思っていません」
「……私は、嫌だと言ったのですよ、秋子さん」

妙に強く言い切られたその声音に不可解なものを感じて、玉座から腰を上げかけた秋子が
美汐を見やった、その瞬間。

「―――動くな」

時が、静止した。


***

792アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:54 ID:I4YEtknU0
 
「―――」

時が静止していた。
身体が、腕が、指の一本に至るまでが動かない。
声も出ない。時が、静止していた。

「おや……どうかされましたか、秋子さん」

否―――薄笑いと共に、美汐の声が聞こえる。
事ここに至って、秋子はようやく気づく。
静止していたのは、時ではない。
水瀬秋子、自身であった。

「―――」
「どうしたんです、秋子さん。……それではまるで、声も出せないみたいではありませんか」

天野美汐の浮かべる笑みは、既に薄笑いと呼べるものではない。
にたりにたりと秋子をねめつけるその表情には、明確な悪意が宿っていた。
この異常が、美汐の手によるものであることは明らかだった。
それを追求することも叶わぬ秋子の凍りついたような身体を、美汐の指がそっと這う。

「何をしたのですパーフェクト・リバ。……そんなところでしょう、仰りたいのは。
 いいえ、いいえ。それは筋違いというものです、シスター・リリー。
 貴女は大変な思い違いをしている」

青の光柱と化したマナの、悲鳴の如き咆哮は続いている。
びりびりと臓腑を抉るような大音声の中、美汐の声は不思議と秋子の耳に染み渡る。

「赤と青を操るもの、攻受自在のパーフェクト・リバ。
 ……そうですね、この戦いの、貴女の戦いの文脈ではそうなるのでしょう。
 ですが秋子さん、貴女は忘れている。あまりにも『繰り返し』がすぎて、大切なことを見落としている。
 この夢を見る島は、人に力を与えるのですよ。……尋常ならざる、異能の力を」

美汐の整えられた爪が、秋子の唇へと忍び寄ると、その柔らかい感触を楽しむかのように止まる。

793アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:34:27 ID:I4YEtknU0
「私は言ったはずです、秋子さん。……貴女はそこで見ていてください、と。
 動かずに、悠然と。それが、貴女の役割だと。そして貴女は、それを承認した」

かり、と。
美汐の爪が、秋子の唇を掻いた。
淡い口紅と控えめなグロスに彩られた唇に、朱の珠が浮かぶ。

「教えて差し上げましょう、秋子さん。『今回』の私に与えられた力、異能を」

浮かんだ珠を弄ぶように秋子の唇に広げていく、美汐の白く細い指。

「―――『遊戯の王』。ゲームと名のつくものに、支配の因果を持ち込む力。
 ルールの説明と承認がその合図……既にゲームは始まっていたのですよ、秋子さん。
 ……動かずに、悠然と、その玉座に座り続けることを、貴女は誓約した。
 それ以外のすべてが、貴女の敗北を意味している」

薄化粧を施された目元を、美汐の指がそっと拭う。

「何故、と問いたいでしょう。何故このようなことを、と。答えは簡単ですよ、秋子さん。
 勝手に神を祓われては、困るからです。ええ、それだけのことですよ」

隠しきれぬ小皺を愛でるように、美汐が嗤う。

「何故といって、神は……私が、滅するのですから。
 そうでなくては、真琴の仇が取れないじゃあ、ないですか」

真琴、という名。
美汐の口にしたその名の不可解さに、秋子が内心で眉を顰めた、次の瞬間。

「―――」
「さようなら、秋子さん」

794アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:34:42 ID:I4YEtknU0
秋子の全身が、激烈な拒否反応を示していた。
神経信号に走る圧倒的なノイズ。
体組織を侵食する膨大な異物。
痛覚が、触覚が、異物を排除せよと身体に命じる。
しかし身体は動かない。
痙攣一つ起こせない。
眼を見開くことも、悲鳴を上げることも、痛みに崩れ落ちることも許されない。
水瀬秋子を、その豪奢な玉座に縫い止めたもの。
文字通り、身動き一つ取れない秋子の腹部に、深々と突き立っていたもの。
それは、垂れ落ちる鮮血をその身に纏わせてなお赤い、煌く光の刀であった。

「もう、『次』でお会いすることもないでしょう」

美汐の手から伸びた赤の光刀が、貫いた秋子の腹をもう一度抉る。

「私が神を討ち滅ぼせば、時は巡りを止めるでしょうから。
 ……ごきげんよう、秋子さん。長い間、ご苦労様でした」

ぶつり、と何か太いものが千切れる手応えに、美汐が光刀を引き抜いた。
それを合図に束縛から解き放たれたものか、秋子の身体が巨大な玉座に凭れ掛かる様に、
ずるりと崩れ落ちた。


***

795アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:09 ID:I4YEtknU0
 
眼前の光景が、悪夢であればいい。
手も足も赤光の十字架に囚われて動かせずに、だから私はただ、息を呑んだ。
ずるりと崩れたその身体から赤黒い液体が溢れ、ぽたぽたと垂れ落ちて、
それで夢などではないと気づかされ、初めて悲鳴が漏れた。
姉さま、と叫んで。
叶わぬと知りながら伸ばした手は、眼前にあった。
疑問に思う余裕など、なかった。
手が動く。足が動く。それだけで、その事実だけで十分だった。
走る。突き出た石に、平らでない岩場に何度も躓きそうになりながら、走る。
ぬるりと滑る血に足を取られる。
音が遠い。胸が苦しい。見えるすべてが薄っぺらい。
あらゆる感覚が火傷しそうなほどに熱くて、同時に作り物じみていた。
姉さま、姉さま、姉さま。
針の飛んだレコードみたいな悲鳴だけが、他人事のように響く。
腕を伸ばして、届かず。
手を伸ばして、届かず。
指の先までを懸命に伸ばして、それから一歩を踏み出して、ようやく触れた、その白い手は。
ひんやりと、まるでもう、生きてはいないみたいに、冷たかった。

いやだ、と首を振る。
むしゃぶりつくようにその手を抱き寄せて、その腕を手繰り寄せて、その肩を、抱きしめた。
細く、軽く、それでやっぱり冷たいその肩を抱きしめて、すぐ近くにある耳に、叫ぶ。
ねえさま、ねえさま、ねえさま。
わたしはここにいます、ひじりはここにいます、ねえさま、ここにいます。

どれだけ叫んでも。
どれだけ、喉を痛めて叫んでも。
声なんて届かないみたいに、その眼は、どこか違うところを見ていて。
いつまでも、私を、見てはくれない。

796アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:29 ID:I4YEtknU0
けれど。
ずっとずっと叫んで、咳き込んで、涙が出るほど咳き込んでようやく、私は気づく。
紫色に染まった、血のついた唇が、微かに震えていた。
何かを、言おうとしていると思った。
必死に耳を寄せる。どんな言葉でもよかった。
その声を、その言葉を、覚えておこうと思った。
私に向けられる、本当にたいせつなことば。
それがどういうものであれ、私はそれだけを覚えておこう。そう思った。

 ―――つぎは、きっと、かみを。

意味が、分からなかった。
いくつもの疑問符が私の頭に浮かんでは、泡のように弾けて消えていく。
分からない。分からないからきっと、これは最後の言葉じゃない。
私に向けられる、たいせつなことばなんかじゃない。
だから、こんな言葉なんかじゃなく、私は、私の姉さまは、私に、言葉をくれるんだ。
本当に大切な言葉。
本当に大切な言葉、本当に大切な言葉、私に向けられる、ほんとうにたいせつなことばは。
いつまで待っても、やってこない。

その目は、何も映さない。
その口は、何も話さない。

その目はもう、私を映さない。
その口はもう、私に何も、話さない。

その目は最後まで、私を見なかった。
その口は最後まで、私に言葉をくれなかった。

本当に、最後の最後。
事切れるまで、私は、待っていたと、いうのに。
名を呼ばれることすら、なかった。

ごめんなさい、と。
ありがとう、と。
それだけで、それだけで救われたのに。

たった一言さえを、遺さずに。
私のたいせつなひとは、いってしまった。

そんなことが。
そんなことが、あっていいはずが、なかった。
あってはならないことが、目の前にあるのなら。

―――間違っているのは、目の前の光景のほうだ。


***

797アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:53 ID:I4YEtknU0
 
水瀬秋子の亡骸にすがりつく女の全身が、燃えるような朱色の光を放ち始める。
背後に青光、びりびりと震える青の柱、正面に燃え立つような朱の光。
その二つの輝きに挟まれて、ひとり呵う女がいる。

天野美汐。
目も眩まんばかりの光を睥睨するように見比べて、呵う。

「哭け、嘆け、哀れな人形たち!」

光柱の中の観月マナを、既に物言わぬ骸と化した水瀬秋子を、それに取り縋って泣く霧島聖を、嘲う。

「赤々と咲け、愚かな道化!」

聖の背に突き刺さるような言葉と視線。
何の反応も返さず、聖の全身からは目映い朱色が立ち昇っている。

「その命を燃やすとき青が蒼穹を映すように、赤もまた、己を灼いて紅蓮を生ずる、
 爆ぜろ、爆ぜろ、喪失を拒んで燃え上がれ―――!」

嘲う女が、くるくると回る。

「記し手の死を以って青の書は蓄えた力を解き放ち―――」

いまや爆発的な勢いで輝きを増しつつある青の光柱へと手を差し伸べ、踊る。

「青は神を喚ぶ門となり―――」

青の光が、融けていく。

「赤は彼岸と此岸とを繋ぐ懸け橋となる―――」

赤の光が、融けていく。

「両儀を糧に、今こそ神の降る刻―――」

くるくると舞い踊るような女の周りで、赤と青が融けていく。
果てなく広がるような岩窟を隙間なく埋め尽くすように、光が拡がっていく。
その中心で、ただひとり、呵い、踊る女がいる。

798アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:36:12 ID:I4YEtknU0
「使徒の青はあり得べからざるの在るを肯んじ―――」

あり得べからざるもの。
この世に在ってはならぬもの。
ないはずのものが、存在を肯定され、顕れようとする。
それは、光柱の中にいたはずの少女をばらばらに分解し、滅茶苦茶に繋ぎなおしたような、おぞましい何か。
怖気立つような何かが、その大きさを増していく。
大きさが増すにつれ、少女だった何かはその形を失くしていき、やがて、消えた。
代わりにそこにあったのは、四角く巨大な、黒の一色だった。
厚みもなく、色以外の何もなく、それは存在していた。
見上げるほどに大きなそれを慈しむように美汐が哄う。

「そして愚かな道化の赤は、あり得べからざるの無きを拒む―――」

あり得べからざるもの。
この世に在ってはならぬもの。
ないはずのものが、非在を拒絶され、顕れようとする。
亡骸に縋り、朱く燃えるような光を放っていた女が、ついには一柱の光となって、消えた。
光は空に融けず、音もなく存在する黒に吸い込まれていく。
染み渡るような朱に、巨大な黒が静かに震えだす。
それはまるで、長く埃を被っていた古い機械に、時を越えて電気が通ったかのように。
小さな振動は、やがて目にも明らかな震えとなって辺りを揺るがし始める。
それは奇妙な光景である。
音もなく厚みもないその黒い何かの震動が、確かな重みをもって辺りを揺らしていたのだった。

「ついに門が―――開く」

799アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:36:30 ID:I4YEtknU0
震え、軋み、今にもばらばらに砕け散りそうな、その巨大な黒い何かの前に、美汐が立っている。
その表情は歓喜に満ちていた。
それは哀れな草食動物の、湯気を立てる臓物を前にした肉食獣のような。
或いは愚かな落第生の、試験用紙を前に苦渋するのを見下ろす教師のような。
絶対の確信と、抑えきれぬ情動の漏れ出すような、それは歓喜の笑みだった。

その両の手には光と、本があった。
右手には青の本。
門と化して消えた少女の持っていた、青く輝く書物。
左手には赤の本。
赤の使徒を名乗る少女を悦楽の地獄に突き落として奪った、赤く煌く典籍。
両の手に光と書とを宿し、天野美汐は哄う。

「二つの書は幾多の時を巡り、終に貴女方を超える力を蓄えるに至った……!
 さあ……姿を見せなさい、神の名を持つ化け物ども―――!」

その眼前で、『門』が、開いた。

800アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:37:06 ID:I4YEtknU0
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【所持品:青の書・赤の書】
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

水瀬秋子
 【状態:死亡】

霧島聖
 【状態:消滅】

観月マナ
 【状態:消失】

→986 ルートD-5

801走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:10 ID:3HLWBWUQ0
 ボタンは激怒した。
 必ず、かの邪智暴虐の主催者を除かなければならぬと決意した。
 ボタンには殺し合いをする理由がわからぬ。ボタンは、藤林杏の飼い猪である。笛を吹き、人間と遊んで暮して来た。
 けれども邪悪に対しては、人(?)一倍に敏感であった。
 きょう正午ボタンは出発し、野を越え山越え、十里(くらい。本人の感覚で)はなれたこの鎌石村にやって来た。

「……やれやれ。杏の姉御もどこに行ったものやら。無事だといいのだがな」(※ボタンの声は翻訳されています)

 高くそびえ立ち、威嚇するように自分を見下ろしている民家群の中を移動しながら、ボタンはそう呟いた。
 ちなみにやたらとハードボイルド風味なのは仕様である。

「しかし、何の匂いも……いや、『ニンゲンの』匂いはあるか。……以外は何も匂わんな。犬どもや猫どもの匂いが微塵も感じられん。それだけじゃない、植物や建物も新しすぎる。言っちゃなんだが、温室栽培、って感じだ」

 違和感。それはどいつもこいつも「天然物」ではないということだ。
 それは即ち、全部が作り物ということを意味している。
 ボタンとて人間の世界に住まう以上、人工物には幾度となく触れてきたし、所謂養殖物と言われる食べ物が現在の主食だ。
 だからと言って、この世界は異常だ。全てが人工物であるなど在り得る訳がない。

 そう、島をまるごと一つ作り上げるなど。
 しかもかかる費用が莫大過ぎる。埋め立てるならともかく、どことも知れぬ海上に一から建設し、その上電気、水道などの管理施設まで用意するとすればそれは娯楽の範疇を超えている。
 加えて土地の問題もある。いきなり島一つ建てられるわけがない。時間は必ずかかるはずなのだ。だとすれば、その途中で必ず権利問題などが生じるはず。そこをどうやって切り抜ける?

 今のうちに解説しておくが、ボタンが博識なのはいつも杏の膝の上でテレビを見てたり床に置いてある新聞を眺めたり近所のおばちゃんの世間話を聞いたりしていたお陰である。人間バンザイ。

802走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:29 ID:3HLWBWUQ0
 それはさておき、こんな催しを開催するとすれば国家単位でやっているという可能性が一番大きい、がリスクが大きすぎる。
 人間界の情報は驚くほど早く、正確だ。マスコミならともかく、国家単位で行う諜報のレベルからすると、とてもではないがこんな催しを隠しきれるわけがない。並大抵の国家なら全世界から非難を浴びて大爆撃の喝采は確定だろう。
 ……そう、権力と圧力が必要なのだ。殺し合いを開催するのであれば、その非難すらも押し潰す圧倒的な権力が。
 アメリカ。権力の大きい国家としては世界でも随一だ。その線もある。だが如何にアメリカとて軽々しくそのような行いができるはずもない。それくらいの理性はある。
 だとすれば、可能性はもう一つ。もうそこしか見当たらない。

「……篁財閥。ここ最近、一気に有名になった、全世界に影響があるとすら言われる巨大企業……」

 テレビから得た情報でしかないが、それくらいはボタンも知っている。
 全世界に影響を及ぼす、などという言葉があるくらいなのだから開催すること自体は可能だろう。
 問題は巻き起こるであろう、全世界からの非難をどう回避しているかということだ。
 金だけで倫理や道徳は踏み潰せない。国家に手出しをさせないためには絶対的な恐怖と、脅威が必要だ。
 そう、今やっているこのバトル・ロワイアルのように。

「……まさか、な」

 ボタンの中に一つの可能性が浮かぶ。
 核兵器。それを篁財閥が所有しているという可能性だ。
 核の抑止力は有効性が薄れつつあるとは言え、現代においてもその効力はまだまだ十分に力を発揮している。篁財閥ならばそれを手に入れるのも容易いことだろう。いや手に入れるだけでなく、発射する手段すら確保できると言っても過言ではない。
 篁財閥はあらゆる事業に手を出していると耳にしたことがある。それこそ、食品販売から武器兵器の売買にまで。その上で太いパイプを持っているとするならば、おおよそ不可能ではない。
 ……放送で、篁、という人物が呼ばれていたのが気にかかるが……同姓の別人であろう。トップが現場に出てくることなど在り得ない。

 オーケイ。ならば篁財閥がこの殺し合いを開催したとしよう。
 その目的は何だ?
 こんな非人道的なことを無理矢理させるのに意味があるとは思えない。
 単に殺し合いをさせるだけならそれこそ闘技場のようなところに集めて一斉に戦わせればいい。その方が高尚な悪趣味を持っておられる方々もお喜びになるでしょう、ええ。

803走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:47 ID:3HLWBWUQ0
 それに自由度を持たせているということは、それだけ参加者に抗う手段を持たせているということに他ならない。
 ちょこっとしか見てないが、USBメモリなんてのはその典型だろう。他にも何かを解除できるスイッチなんてのもあった。
 時間もかけすぎている。こんなものは誰かに気付かれ、妨害をされる前に手っ取り早く終わらせたほうがいいに決まっている。無駄に時間をかけても遊戯としての面白みも薄れる(参加しているこっちは全然面白くもありませんが、クソ)だろう。それこそ首輪に時間制限を設けて短期決戦にした方が早い。
 それに参加させられている面子も、この間まで普通に学生していたような連中や、普通の人間ばかりだ。
 恐怖を煽り、疑心暗鬼から来る人間の醜さでも演出したいのだろうが、だとしたら尚更短期決戦に……という結論にしかならない。

 まるで素人だ。いや、単純に殺し合いという枠の中に放り込んだだけのようにすら見える。
 そこに合理性や目的は見えない。それなりの形にさえなればいい、という意思すら見え隠れする。
 いや、まさにそれだとしたら?

「人が減った後にでも……何かを仕掛ける気なのか」

 何度も繰り返すようだが、ボタンがここまで賢いのは日々の努力と彼の明快なる頭脳のお陰である。
 つまり、ボタンは天才なのだ! それはともかく。

 だとして、何を仕掛ける? わざわざ殺し合いをさせるという手間をかけてまで、それに誰が生き残るかも分からない状況で、特定の人物だけが生き残るのを期待するのはほぼ不可能だ。
 つまり、生き残る人間自体は誰でも良くて、その上で殺し合いに勝ち残り、肉体的にも精神的に変貌した人間を集める。

 怯え、逃げ惑うだけの人間。
 狂気に駆られ、殺戮の波に飲み込まれた人間。
 理想だけの非現実主義者的な人間。

 これらの人物はここまでに淘汰されている可能性が非常に高い。そして生き残るのは……
 鋼の如き心を持った、芯の強い、屈強な人間だ。
 それが殺し合いに乗っているいないに関わらず。

804走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:09 ID:3HLWBWUQ0
 ……そして考えられるのは、強くなった連中を「何か」と戦わせることだ。
 殺し合いという異常な環境を通して強くさせる。恐らく、ではあるがどんなに精神的に強固になったとして、その根底にあるのは「生き残りたい」という思いであろう。そこに服従といった主催者に従わせる意思は多かれ少なかれ失われていくはずだ。
 最初から主催者の手駒にする気など毛頭ない。その代わりに何かと戦ってもらう。もしくはその力を何かに試す。実験台として。
 弄ばれ、モルモットにされている……そうであるかもしれないと思うと、ボタンのはらわたが燃えるように煮えくり返っていた。

「ちっ、杏の姉御をそんな実験台にさせてたまるか」

 己の主人であり、絶対的な忠誠心を捧げている杏のことを思えば尚更であった。
 路頭に迷っていた自分を優しく抱き上げ、暖かさで接してくれて、今日まで大事にしてもらった恩義を忘れたことなどありはしない。
 ボタンは情の猪であった。ボタンは仁義の世界に生きる猪である。ぶふー、と獰猛な鼻息を吐き出しながら更に考えを進める。
 そう、仮にこの説が正しかったとして何の実験にするのか。

 鬼ヶ島の鬼退治か?
 世界に誇る最強軍隊の実戦練習?
 それとも未知の超兵器との対決?

 どれもありえそうだから困る。何せ相手は篁財閥なのだ。
 ……しかし、これだけははっきりしている。
 この殺し合いに優勝はない。参加者に待ち受けているのはお互いに殺しあっての死か。
 或いは今後待ち受ける主催者の実験台にされての死か。

 まともに戦っているなら、運命はこの二択しかない。
 無論伊達や酔狂で、上層部の人間たちの悪趣味でこんなことをした、という可能性もある。
 ボタンの考えはあくまでも推測でしかなく、真実など分かりようもない。
 ならば運命に逆らうしかない。真実を知るためには、反逆の道を選ぶしかない。

805走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:25 ID:3HLWBWUQ0
 そうだ、考えろ。この殺し合いは過程だとするなら。過程だからと高をくくっているのなら。
 抜け道はどこかにあるはず。どんなに包囲網を厳しくしようともそれを考え出すのは人間。ならばどこかに必ず穴がある。
 その穴の一つが、ボタンだ。

「……俺には首輪がない。ポテト……いや、マスター・オブ・裏庭にもな。獣だからと、舐めてかかったな」

 参加者には必ずある首輪。それは絶対的な拘束力であると同時になければもはや縛る要素はないと言っても過言ではない。
 そう、それが自分達にはない。つまり、本来の参加者が入れないところにもボタンやポテトは入れるはずなのだ。
 突くべきはそこ。だが、その入れる場所の、そこが分からない。そこだけは人間の力を借りる必要があった。

「杏の姉御が第一目標だが……他の人間とも接触を試みてみるか……賢そうな奴がいい」

 幸いにして、自分は人間に可愛がられやすい姿である。無闇に攻撃はされまい。

「……ま、ボチボチやってみますか……ん!?」

 ふと、風に乗って何やら焦げ臭い匂いが鼻につく。
 ふごふごと鼻を鳴らしながら、ボタンはその根源を探る。犬ほど利かぬとは言え、これでも獣の端くれだ。
 探りを入れつつ辿ってみれば、その大元は今差し掛かっている坂の上から来ていることに気付く。

「ドンパチか……ちっ、どうする、行くか……?」

 考えかけて、ふと主の杏ならばどうするだろうと想像してみる。

806走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:52 ID:3HLWBWUQ0
『行くに決まってるじゃない! もしあそこで誰かが助けを求めているなら……放っておけないでしょ!?』
「……ああ、そうだな、杏の姉御ならそうするか!」

 威勢のいい掛け声と共に、想像の杏が華麗に、真っ直ぐに、しなやかな足を振りかざしながらボタンの眼前を駆けて行く姿が見える。
 ならば、それに従わぬ理由はない。
 時既に遅し、かもしれないが。行かぬよりはマシ。
 言葉通りの猪突猛進で、ボタンは坂を駆け上がっていくのだった。

「……あいてっ!」

 ……時折、くねった道を曲がりきれずに木に激突したりしていたが。








【時間:二日目午前18:50】
【場所:D-3】

ボタン
【状態:杏を探して旅に出た。火災元(ホテル跡)へ直行。主催者に怒りの鉄拳をぶつける】
→B-10

807アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:54:21 ID:qK9RljSM0
 
ずるり、と。
『門』から出てきたそれを一言で表現するならば、醜悪だった。
それが姿を現した途端、まず辺り一面に漂ったのは猛烈な悪臭である。
饐えた牛乳と海産物を乱暴にかき混ぜて煮詰めたような、生理的な嫌悪感を催す臭いを撒き散らしながら
地響きを立てて降り立ったのは、見上げるほどに巨大な、ぶよぶよとした丸い塊だった。
脂ぎった体表面のそこかしこから、うぞうぞと蠢く肉の突起が飛び出している。
それが醜悪であったのは、その悪臭と形状のみではない。
そのおぞましい巨塊はまだもう一つ、見る者に吐き気を催させるような要素を備えていた。
目。鼻。耳。
人が、ヒトの顔として認識するために必要なパーツを、それは持っていた。
二対の目は互い違いの方向を睨み、二つある鼻は汚らしい色がついているかのような吐息を漏らし、
四つある耳の内側にびっしりと生えた肉の突起は秋の麦穂のようにざわざわと蠢いている。
ヒト二人分の顔の造作が不気味な肉饅頭の中に散乱している、悪夢の光景。
腐り果てた蜜蝋の塊に、人の目鼻らしき形を適当に埋め込んでその表面を火で炙ったような、
それは醜悪で粗悪で劣悪な、ヒトの顔のまがい物であった。

『私を―――』『私たちを喚んだのは―――お前、なの―――?』

ごうごうと、洞穴を吹き抜ける風のような低くおぼろげな声。
醜悪な巨塊の放った、その声は二つ。
もごもごと震えた巨塊に口らしきものは見当たらない。
ぶよぶよと震動する肉そのものから、声は発されているようだった。

「……そうですよ、化け物」

猛烈な悪臭も不気味な容貌も、圧倒的な体躯の差にも臆した様子なく、静かに言い放ったのは
巨塊の正面にたたずむ女、天野美汐である。
赤と青、二色の光が渦を巻くようにその両手から立ち昇っている。

『性なる神を前に―――』『化け物呼ばわりとは、いい度胸なの』

808アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:54:44 ID:qK9RljSM0
ごぼごぼと、粘液質の泡がいくつも弾けるような湿った声。
痰の絡んだようなその声が収まるや、巨塊に生えた無数の肉突起が蠕動を開始。
その内の数本が目にも止まらぬ速さで伸びると、美汐へと一直線に迫る。
佇む美汐を無惨にも貫くかに見えた触手群は、しかしその目標へと到達することすらなく、消えていた。
霧のかかったような瞳の女がしてみせたのは、ただその手を打ち振るうことである。
手の一振りで、その左手に宿った赤い光が壁のように立ちはだかっていた。
赤い光の壁に触れた途端、触手の群れは消え去っていたのである。

「非在の拒絶による具現、存在の拒絶による消滅……」

低く呟かれた美汐の言葉に憤るように、巨塊がぶるぶると震えた。
互い違いにあらぬ方を見ていた二対の瞳が、美汐を捉えて怒りの色を浮かべる。

『小賢しいの―――』『そんな力、所詮は私たちの餌でしかありません』

ぶるぶると震えていた巨塊が、唐突に消えた。
否、その姿は空中、青と赤の光に照らされてなお薄暗い岩窟の広間の高みに存在していた。
一瞬にして数メートルを跳ねたのである。
その巨躯に似合わぬ、恐るべき敏捷性であった。

『しゃぶり尽くしてあげますよ、その力』『―――おいしそうなの』

中空、放物線の頂点で静止した一瞬。
巨塊に、びきりと巨大な罅が入り、次の瞬間、割れ、爆ぜた。そのように、見えた。
が、巨塊はまだ、一つの塊である。
割れ爆ぜたように見えたのは、その球形の塊を縦の真一文字に裂くように開いた、巨大な割れ目の故であった。
その裂け目から、ぼどぼどと粘液質な液体が滲み出している。
内側に見えるのは、ざわざわと蠢く、まるでイソギンチャクを思わせるように密集した肉突起の群れ。
そしてその中心に位置するのはひときわ巨大な、桃色の肉塊。
表面を細かな疣に覆われながら、蛞蝓のようにぐねぐねと不気味に蠢くそれは、紛れもない、舌である。
してみると薄黄色に汚れた岩石の如きものは、歯列であろうか。
がばぁり、と。
縦一文字に割れ開いた、肉の裂け目は。
巨塊に散りばめられた人の顔の要素に足りなかった、最後の一つ。
だらだらと涎を垂らす、それは巨大な口腔であった。

『私たちの舌技、味わう間もなく潰れなさい』『―――いただきまぁす、なの』

その重量と位置エネルギーとを膨大な運動エネルギーに変えながら、巨塊が落下を開始する。
ごうごうと風を巻きながら、ぼろぼろと涎を散らしながら、落ち行く先はただ一点。
赤と青の光に包まれた、天野美汐である。
迫り来る巨塊、その大きく開かれた汚らしい口腔に、為す術もなく呑み込まれるかに思われた美汐の表情は、
しかし微塵も動かない。
そこには恐慌も、恐怖も、絶望も、寸毫とて存在していなかった。

809アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:56:15 ID:qK9RljSM0
「いい加減に……理解していただけませんか」

彼女が漏らしたのはただ、冷笑である。
応えるように、右の手に持った分厚い書物が青い光を強めていく。
刹那の間に直視できぬまで強くなった青の光が、弾ける。
瞬間、胃の腑を抉る重低音が幾つも重なって響くような、名状し難い音が岩窟を揺るがしていた。

『……ぐ、ぅ……!』『か、はぁ……!』

苦しげに呻いていたのは、中空から落下を始めていたはずの巨塊の方だった。
美汐の細い体を押しつぶさんと迫っていた巨塊が、止まっていた。
その球形の巨躯を中空に縫い止めていたのは、光の柱である。
水晶を思わせるような、硬質な輝き。
大地に立つ美汐を包み込むように聳えた青光の柱が、その先端で貫くように、巨塊を受け止めていた。
限界まで開かれた口腔一杯に野太い光柱を突き立てられた巨塊がぶるぶると震えるが、青光はこ揺るぎもしない。
がっちりと光柱を咥え込んだその隙間から白く泡立った唾液が落ちて、辺り一面に刺激臭を撒き散らした。

「どうしました? ……見せてくださいよ、ご自慢の舌技」

嘲笑に満ちた美汐の声に、巨塊の表面から突き出た肉突起がざわざわと蠢く。
その内の何本かが苦し紛れに美汐へと迫るが、青い光の壁に阻まれて届かない。

「ええ、貴女方は全能にして無敵ですよ、『神様』。……貴女方の世界においては、ね。
 貴女方は存在するだけで世界を狂わせる。青の加護を持たぬ者は正気を保つことすらままならず、
 ただ無作為に歩き回るだけで人々は色に狂い爛れて死んでいく。
 そのまま世界を滅亡させることだって容易いでしょう」

見開いた眼窩に泥を擦り込むような、ねっとりとした悪意を込めて、神という単語が紡がれる。
美汐の冷笑は自身の表情すらも凍りつかせてしまったかのように動かない。

810アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:58:32 ID:qK9RljSM0
「貴女方の世界、貴女方の宇宙、貴女方の時間。その狭い世界で、貴女方は確かに神と呼ばれるに相応しい。
 こちら側に出てきてなお、その力は人のそれを遥かに凌駕している。
 無限に近い力、ですが―――それは決して、無限そのものでは、ありません」

淡々と呟く美汐。
その身を包む青い光の中で、今度は左手から立ち昇る赤い光が次第に強くなっていく。

『ほの、ぉ……いんげん、ふれいがぁ……』『あに、お……らまいひら、ころお……らろおぉ……』

ぶるぶると震える巨塊が何事かを喚き散らそうとするが、口腔に光の柱を詰め込まれた状態では
それもままならぬのか、紡がれる言葉は明瞭なものにはならない。
代わりに大量の唾液が飛び散って辺りを汚した。

「無限に近い有限。ならば……それを凌ぐことは、可能なのです。
 一度の生で超えられぬ限界ならば、二度。二度で駄目ならば、三度繰り返せばいい。
 そうして繰り返せば、いつか私は、繰り返し続ける『私たち』は……貴女方を超える」

つんと鼻をつく、乳製品の発酵臭に近い臭いの漂う中、顔色一つ変えずに美汐は続ける。

「その為の『書』、その為の器。『私たち』の経てきた幾星霜が―――ここにある」

掲げた両の手に、二冊の書。
右の手には青い本。
あり得べからざるを肯んじる、青く輝く書。
左の手には赤い本。
あり得べからざるの無きを拒む、赤く煌く典籍。

「青は貴女方の撒き散らす害悪を相殺し―――そして赤は、貴女方の存在そのものを否定する。
 この二冊に込められた、時を越えて集められた力が……『神』を討つのです」

見据える先には、神を名乗る醜い巨塊。
涎を垂らし、野太い柱を銜え込んだ、それは醜悪なヒトのまがい物。

811アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:59:19 ID:qK9RljSM0
「……沢渡真琴を、覚えていますか?」

徐々に強くなる赤い光を左手に宿しながら、美汐が口を開く。
何気なく呟かれたその言葉は、無色。
透明、と呼べるものではない。あらゆる感情の色、正も負も入り混じった、数限りない感情が
無数に押し込められたが故、特定の色を判別できぬが故の、混沌の無色であった。

「貴女方に犯され、引き裂かれて、無惨に殺された……私の、大切な友人です」

ぎり、と鳴ったのは噛み締めた歯であっただろうか。
混沌の無色をその瞳に宿し、怒りや憤りや悲しみやそういうものですらない、同時にそういうすべてが
蓄積され醸造され蒸留されたような、ひどく歪な表情を貼り付けたまま続けられた美汐の言葉に、
光柱に突き刺されたままの巨塊がぷるぷると震える。
無作為に蹴散らされたかのようにバラバラに配置された二対四つの眼が、不可解な色を浮かべていた。
何を言われているのか理解できぬ、とでも言いたげなその様子に、美汐が口の端だけを上げて嘲う。

「……でしょうね。今の真琴がどう生きてどう死んだのか知りませんし、興味もありませんが……。
 きっと、貴女方とは関わりないのでしょう。ええ、私が言っているのは昔のことです。
 ずっと、ずっと……もうどれくらい昔だったのか、それすら思い出せないほど『以前』の、こと。
 ―――私の覚えている、最初の真琴」

眼を閉じて、大きく息を吸う。

「貴女方は繰り返しの元凶であるだけ……その存在が時を歪める、ただそれだけの異物。
 『以前』のことを覚えてなど……いないのでしょうね」

その左手に宿った赤い光が、分厚い本を中心にして渦を巻くように集まっていく。

「だからこそ―――許せない。
 だからこそ―――赦さない」

凝集した光が、一つの形を成していく。
細く、長く、先端は鋭く。
それは目映く煌く、赤光の槍。
槍の中心には赤の書が埋め込まれ、延びた穂先は真っ直ぐに巨塊の方へと向けられている。
長大な槍を手に、美汐が結審の言葉を紡ぐ。

「滅しなさい、永劫に」

振りかぶったその手から、赤光の槍が解き放たれた。
爽、と風を切り裂いて、滅神の槍が飛ぶ。
煌く赤光の軌跡を残しながら中空、青の光柱を咥え込んだ肉の巨塊へと一直線に。

812アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:00:05 ID:qK9RljSM0
『ぉ、ぉお―――』『―――ぁ、あぁ、……!』

身動きもとれず、ただ白く泡立つ唾液を撒き散らしながら、巨塊が震える。
こ揺るぎもしない青の光柱に捕らえられ、為す術もなく自らを滅する赤光の槍を見つめる巨塊。
長大な穂先が、そのぶよぶよとした肉を突き刺し、貫こうとした、正にその瞬間。
滅神の槍は、消えていた。

「……、……え?」

美汐が、言葉を失う。
槍は音もなく、前触れもなく、ただ、消えていた。
僅かな赤光を残して、まるで宙へと融け去るように。
その中心にあったはずの、赤の書ごと、消えてなくなっていた。
状況が、掴めない。何が起こったのか、分析できない。
悠久を繰り返す天野美汐をして、それは理解の範疇外にある出来事だった。
ただ呆然と、自らが解き放った槍の軌道を見つめる、その背後で。

 ―――ぱち、ぱち、ぱち。

小さな音が、響いた。
驚愕と混乱に頭脳は普段の半分も回転していない。
それでも反射的に振り向いた美汐の眼に映ったのは、小さな人影。
役者の労をねぎらう演出家のように微笑んで。
閉じゆく幕を惜しむかのように手を叩く。
それは、少女の影。

「どうし、て……」

呟く美汐の声は、老婆の如くしわがれている。
まるでその精神相応に老いたように力なく、見つめる眼前、佇む影の名を、紡ぐ。

「……里村、茜……」

肉色の海の中へと没した筈の、それは少女の名だった。


***

813アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:00:40 ID:qK9RljSM0
 
「―――お久しぶりです、パーフェクト・リバ」

歩む少女の衣服に乱れはない。
厭らしく照り光る粘液も、白い肌を這い回る蚯蚓の痕跡も、残ってはいなかった。

「どうしました? 不思議そうな顔をして」

言って微笑んだその顔に邪気はない。
ただ、底知れぬ悪意だけがあった。

「愚かな赤の使徒は神の贄に捧げられ、異界に引き込まれたはず、とでも?」

蜂蜜色の豊かな髪に顔を埋めるようにしながら、少女がくるくると喉の奥で笑う。
すると奇怪なことに、その足元に伸びる影、ゆらゆらと揺れる灯火に伸びた影が、唐突に形を変えた。
伸び上がり、縮み、丸まり、厚みのないはずの影が膨らんで、貼り付いていた地面から身を起こす。
一瞬の後、そこにいたのは笑い声を漏らす少女と瓜二つの、生まれたままの肢体だった。
赤く透き通るような輪郭を持つ、影から生まれた少女がほんの少しだけ、首を傾げる。
す、と掲げた手で己の乳房を揉みしだき、空いた指を薄い茂みに隠された秘裂へと潜り込ませて
淫蕩に笑んだ影の少女が、

「―――」

ぱちん、と。
まるで一杯に膨らんだ水風船が弾けるように、消えた。
僅かな赤光だけが、後に残って漂っていた。
それはまるで、滅神の槍と、赤の書のように。

「本当に、本当にお疲れ様でした」

幾度も深く頷いて、少女が口を開く。
美汐が奪い、そして宙へと融け去ったはずの赤い典籍を、その手に持ちながら。
時折、白く粘つく液体が少女の周りに落ちて嫌な臭いを立てる。
中空の光柱に縫い止められた、それは巨塊の漏らす唾液だった。

814アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:01:13 ID:qK9RljSM0
「仰る通り、貴女の仰る通りです、パーフェクト・リバ。
 青の力を持たない者は、神に近づくことすら叶わない」

青の光柱に身を包んだまま、呆然と自らを見つめる美汐を、少女は哀れむように見返す。
それはどこか、水瀬秋子と天野美汐によって交わされたやり取りの、逆回しのようでもあった。
同じ脚本で俳優だけを変えた、ダブルキャストの舞台のような。

「ですから、待っていたのです……この瞬間を。
 青の力が神の力を相殺し、貴女と神が共に無力な姿を晒すこの瞬間を、ずっと」

ならば、と美汐は思う。
脚本が同じならば、結末もまた、変わらない。

「もっとも私としては、神を封じるのはどなたでも構わなかったのですよ。
 貴女と共に繰り返しの寸劇を演じる水瀬の頭首でも、恋に破れた哀れな魔法使いでも、
 勿論壊れた青の器でも、どなたでも」

配役だけが、違う。

「赤は拒んでいるのです。在るということ、ここに存在していること、それ自体を」

結末は、変わらない。

「それが貴女たちには分からない。『今』を拒むだけのあなた方には所詮、真なる声など聞こえない。
 だから赤に見限られたのですよ。赤の切なる願いを聞き届けられない貴女たちには、赤の加護は届かない。
 私こそが赤の代行者。積層する時と世界を拒絶する、真なる赤の代行者」

ならばこの舞台で天野美汐に割り振られるのは、

「私は拒絶する。今を生きることを、明日を思うことを、昨日に縋ることを。
 思考を、思索を、思慕を、想像を、想念を、夢想を、希望を、絶望を、私は拒絶する。
 それこそが、唯にして一なる私の願い。私の求める―――永遠の世界」

―――死体役だった。


***

815アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:03:54 ID:qK9RljSM0
 
ずる、と崩れ落ちる天野美汐の躯から赤の刃を引き抜いた里村茜に降り注ぐ、声があった。
中空、光柱に縫い止められてぶるぶると震える巨塊の、声にならぬ声。
茜の手にした本からは、既に先刻の美汐が放ったそれにも倍する大きさの、斧とも槍ともつかぬ赤光の刃が形成されている。
巨塊の声は、恐怖に怯えるようでも、手酷い裏切りに憤るようでもあった。

『―――ろぉぉ、しれぇぇぇ……』『ぉぉおわえぇぇわぁぁ、わらしぃぃ、らちおぉぉ―――』

どうして、と。
どうして、お前は私たちを、と。
幾多の贄を捧げながら、何故このような暴挙に出るのか、と。

「どうして、といって……」

見上げた茜が、不思議そうに首を傾げる。
返す答えには差し挟む余地のない、純粋な事実の響きだけがあった。

「屠殺する家畜は、肥え太らせるものでしょう?」

それが、最後。
かつて、歪んだ時の幕の向こうで、一之瀬ことみと、あるいは藤林椋と呼ばれていたものの、それが最後に聴いた言葉だった。
一切の躊躇なく、何らの変哲もなく。
長大な赤光の刃が、巨塊を両断した。
神と称されたものの滅する瞬間は、ひどく飾り気なく。
それはただ、肉から成るものが肉へと帰ったという、それだけのことだった。
その事実に、何らの一文も付加することなく。
神は、死んだ。


***

816アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:09 ID:qK9RljSM0
 
二度、三度、四度。
刃が、既に滅された巨塊を切り刻む。

五度、六度、七度、八度、九度、十度。
寸断され、断裁されて、神であったものが無数の肉塊に過ぎない何かとなり、飛び散って岩窟を汚す。

十一度、十二度、十三度、十四度、十五度、十六度、十七度。
十八度十九度二十度二十一度二十二度二十三度二十四度二十五度二十六度二十七度二十八度二十九度。

巨塊を突き刺していた青の光柱が徐々に薄れ、やがて完全に消えた頃には、巨塊であったものは既に、
辺り一面に散らばった汚らしい肉片でしかなくなっていた。

いつしか、灯火が消えていた。
巨塊の欠片が覆って消えたものか、神を切り刻む刃の風圧に消されたものか、それは判然としない。
確かなのは、広い岩窟を照らすものは何もなくなったということだけだった。

灯が消え、命が消え、神が消え、青が消えた岩窟。
すべてが終わった祭儀場の中心で、唯一つ光るものがある。
赤光。
声もなく笑う少女の持つ、赤の典籍であった。

「流れ込む、この力―――私と真なる赤とに溢れる神の力」

否。
呟く少女は、それ自身が光を放っている。

「何もかもを拒んだ先にある、静かで穏やかな世界―――」

どくり、どくりと。
脈動するように、明滅する少女。

「何も生まれることのない世界―――」

少女の足は、大地を踏みしめてすらいない。
暗闇の中、浮かび漂う少女は、まるで世界から切り離されて在るように。

「私の導く、それこそが―――本当の、永遠の世界」

久遠の孤独に、初めて満ち足りたように。
少女が、笑う。



***

817アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:36 ID:qK9RljSM0
 
 
灯が消え、命が消え、神が消え、すべてが終わって。
だが、それでも、青はまだ絶えてはいない。



***

818アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:56 ID:qK9RljSM0
 
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B-2海岸より続く岩窟最奥】

里村茜
 【所持品:赤の書】
 【状態:赤の使徒・神精】

天野美汐
 【状態:死亡】

一ノ瀬ことみ・藤林椋 融合体
 【状態:消滅】

→474 976 991 ルートD-5

819朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:26:55 ID:oYsy7boE0
「上手くいきそうか」
「ぼちぼち」

パソコンルーム、黙々と作業する一ノ瀬ことみのタイプ音だけがこの場に絶え間なく響いていた。
それなりに広いこの部屋には、二人の人間が存在した。
パソコンをいじることみの邪魔をすることなく、少し離れた場所で佇んでいたのは霧島聖である。
コンピューターに関して詳しい知識を持ち得ない聖がここにいるのは、あくまで警護の意味だった。
一人パソコンに向かうことみを、第三者が狙ってくるかもしれないという可能性はゼロではない。
いざという時に無防備な状態になっているであろう彼女を守るべく、聖は椅子に腰掛けていることみと背中合わせのような形になり、入り口を凝視し見張り役のようなものをしていた。

「せんせ」
「何だ」
「無理しないで」

ぱちぱちということみの指先が奏でる作業とは、全く関係のない話題が彼女の口から放たれる。
聖は何も答えない。
恐らく、ことみは第二回目の放送のことを指しているのだろう。
行われた第二回目の放送にて、聖の探索している人物が読み上げられることになる。
霧島佳乃。聖の実妹である少女は、聖の知る由も無い場所で命を落とした。
顔には出していないものの、聖の受けたダメージは計り知れないものだろう。
身内を失うという痛みをことみも全くの想像ができない訳ではない。
それに、ことみも失った。
明るい笑顔が映える、長いストレートの髪が印象的だった友人。

「せんせ」
「……」
「もう誰も、死なせたくないの」
「私だって、そう思うさ」

820朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:27:30 ID:oYsy7boE0
そしてこれは、そのための行動だった。
会話が途切れ、再びパソコンルームにはことみのタイプ音だけが支配するようになる。
二人は涙を流さなかった。
そんな行為にひたる時間すら、惜しいと考えたのかもしれない。





「で、私達だけど」
「真希さん、ガンバ」
「いや、あんたも頑張るのよ」

ことみがパソコンを弄っている間その場で待機しているだけなのも何だということで、二人は学校の中を探索することにした。
広瀬真希と遠野美凪は、相変わらずの様子で外敵がいるかもしれないここ、鎌石小学校の中を歩き回る。

「真希さん、虫さんがいます」
「ぎゃ! ちょっと、そんな報告いらないんだけどっ!?」
「可愛いです」
「可愛くないっ!」

しかし、それにしても二人には危機感がなかった。
二人は今ことみ達が留まっているパソコンルームから離れ、一回の廊下を歩いている。
ここ、鎌石村小学校はスタート地点にもなった場所だ。
爆破されたこともあり建物にも自体にも歪みのあるここは、それプラス争いのあった後も外から確認できているため足場の注意も必要だろう。
今真希と美凪は、どうやら爆破が起こったらしい側の校舎を歩いていた。

「……っていうか、何であたし等わざわざ危ない橋渡ってんのよ」
「勇敢です、真希さん」
「あーもう、つまずきそうになる! イライラする!」
「真希さん、どうどう」

821朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:27:53 ID:oYsy7boE0
きーっ! となる真希に、美凪がおっとりと声をかける。
すっかりツーカーな二人のテンションは、傍から見れば微笑ましいものだろう。
……二人の様子は、まるで変わりがなかった。
第二回目の放送は彼女等がここ、鎌石村小学校に向かっている際に行われている。
真希は、そこでクラスメートである長森瑞佳、住井護、里村茜を失った。
残った彼女の知り合いは、折原浩平と七瀬留美だけである。
確執の残る相手だけが上手く残ったものだと、皮肉めいた感情が真希の腹の底を撫でた。

同じく美凪も、神尾観鈴という見知った名前が上がったことにより寂しさを感じただろう。
彼女とのつながりは、国崎往人との延長で作られたものである。
往人が、そして何よりもみちるの安否が、美凪も気になっているに違いない。

しかし二人は、そんな不安を口に出すことをしなかった。
今までの日常的なものを守ろうとしているその姿の意味を、彼女等は自覚していないかもしれない。
また真希と美凪は、これまで血をみる危険な争いというものを体験していない。
大切に守ろうとする日常を維持できるだけの余力が、二人にはまだあるということ。
精神的な余裕と呼べばいいだろうか。
どこにでもいる普通の少女達が潰れずに自然体でいられることは、この状況下では幸いな事実としか表しようがないかもしれない。

ふらふらとした足取りの美凪の手を取り、真希は足元の瓦礫に気をつけながら先導して進んでいく。
その様子は、どこか微笑ましい。
少し浮世離れした感のある美凪のスローペースと真希のはきはきした性格は、非常に良い相性を見せていた。

「……真希さん、すとっぷ」
「え?」

少しずつ前進いていた二人、先導していた真希の足を止めたのは後続の美凪だった。
振り返る真希に美凪はいつものぽやんとした表情のまま、少し先の廊下を指で差す。
つられるように視線を送る真希だが、美凪の意図にはすぐ気づけなかったのだろう。
目を細め様子を窺う真希、目に入る異常に気づくのはそれから三テンポ程ずれた後である。

822朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:28:14 ID:oYsy7boE0
「……」

真希の大きな瞳が、時間をかけ見開かれていく。
その間真希の網膜に焼きつけられた異常の正体は、瓦礫だらけの廊下に点々と伝わっている赤黒い水滴だった。
小走りで近づき改めてみれば、真希の嫌な予感は現実となって彼女に圧力をかけてくる。
廊下の先、ずっと続いていると思われるそれは……どう見ても、滴る血液が作ったものに他ならなかった。

「み、美凪!」

振り向く真希のすぐ傍、美凪は既に待機していた。
美凪が小さく頷くと同時、真希は美凪と二人しては血痕を追い駆けるようにて走り出す。
彼女等が初めて出会う、非日常。
これがそれだった。

暫くの後廊下の端に人影を発見し、真希はまっすぐにその人物へと近づこうとした。
壁に横たわり身動きを取らない彼、廊下の窓から差し込む月光で窺える面影は真希達と同じ世代という幼さである。
少年の場所的には腹部に値する箇所を覆うシャツは、赤黒く濡れ変色していた。
廊下にある血の軌跡の出所は、恐らくこれだろう。

視界は悪いとはいえ、真希の目に入る光景はあまりにもグロテスクだった。
少年の着用しているシャツが白地を帯びたものなのも原因だろう、漏れ出た血液の広がる様は一目で確認できる。
顔面蒼白になった真希は、その状態を理解した時点で金縛りにあったかのように足を止めてしまう。
背筋が伸びる。
真希の体に走るのは、未知のものに対する緊張だった。
その横をもう一人の少女がすり抜けていく、真希が身動きをとる気配はない。
真希は勢いで左右に揺れる少女の黒髪を、瞳で追いかけるだけだった。

「真希さん、先生を」

823朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:28:54 ID:oYsy7boE0
立ち尽くすだけだった真希の正面、少年に駆け寄った美凪の冷静な声が場に響く。
失血により顔色も不健康そうな少年と目線を同じにするようかがんだ美凪は、そのままの状態で真希に話しかけていた。

「生きています。気を失ってるだけでしょう、手当てが必要です」

てきぱきと少年の体を確認する美凪は、どこか手馴れている所がある。
真希はそれが不自然でならなかった。

「な、何で美凪……そんな、普通にしてられんのよ」
「?」
「だ、だってこんな、こんな血が出て……」

まるで自分だけ狼狽しているのがおかしいようだと、真希はそのように感じているようだった。
今まで同じような朗らかな時間を過ごしていたはずなのに、むしろしっかりしていたのは真希の方だったはずなのに。
戸惑う真希の心とは、美凪の行動はあまりにも裏腹なものである。

「真希さん」

名前を呼ばれ、真希は改めて美凪を凝視する。
相変わらずその表情の変化は乏しい、しかし漂う雰囲気から美凪が真剣である様を、真希もすぐに窺うことができた。
それは、まるで別人のものであった。
柔らかいぽやぽやとした彼女らしさが失われた訳ではない、しかしそれでも違うのだ。
今まで真希が同じ時間を過ごしてきた、遠野美凪という女の子が出す空気とは違うのだ。

「真希さん。生きている人を死なせてしまうのは、駄目です」
「な、何よ突然」
「……それだけです」

824朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:29:37 ID:oYsy7boE0
美凪の言葉は、人として当然の主張である。真希もそれが理解できないわけではない。
しかしそれでも、拭えない疑問が真希の中には残っている。
真希は問いただしたかった。
美凪に、自分の心に沸き上がる熱をぶつけたかった。
『おまえは、本当にみなぎなのか』
いつも真希の後ろをついてきて、北川と織り成すやり取りにもちょこちょこ少ない言葉を挟みこむ、ぽやぽやとした天然少女。遠野美凪。

それは、真希の心にあった驕りかもしれない。
美凪はこういう子と決め付けていた自分、それにより守ってあげなくちゃと先行していた思い込みが真希の中には少なからずあった。
だからこその混乱であり、棘が真希のプライドを刺激するのだ。

「真希さん、先生を。真希さんの方が、足、速いです。お願いします」

呆ける真希が何かしゃべろうと唇を開きかけようとするその前、美凪の唇は先に言葉を紡いでいた。
それはこの場ではどうでもいいことであると、まるで真希に言い聞かせるようでもある。
……それで真希は、何も言えなくなった。

「すぐ、呼んで来るから。ごめん、お願い」

少し硬さの残る声、真希はどこか居心地の悪さを感じながら聖がいるパソコンルームに向かい駆け出していく。
自然と込みあがる涙が恥ずかしかった、しかし真希は決してそれを溢してはいけないと歯を食いしばりながら足を動かす。
そうしてがむしゃらに走ればこのもやもやも薄れていくはずだと。真希は必死に思い込もうとするのだった。

一方、遠ざかっていく真希の気配を感じながら、美凪は改めて少年に目を向ける。
そして。
小さく、首をかしげた。
廊下の壁に寄りかかりぐったりとしている少年の麓には、何故か丁寧に畳まれた彼の物と思われるジャケットが置かれている。
どうみても、この状態の彼が施したとは思えないだろう。
反対側にも首を傾けてみる美凪だが、勿論それで何か案が浮かぶはずも無い。

825朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:31:01 ID:oYsy7boE0
「……ぁ」

ぴろーんと広げてみて、美凪はそれが見覚えのある制服だとすぐに気づいた。
上ったばかりの朝陽が差し込み視界に色を与えているこの状況の中、美凪はジャケットの色、デザインから数時間前に離れた一人の男の子を思い浮かべる。

「北川さんと、同じ学校の方?」

首を傾げたまま問いかける美凪の言葉に、答えは返ってこなかった。






一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:パソコン使用中】

霧島聖
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:ことみの警護】

広瀬真希
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校、一階】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:聖を呼びに行く】

遠野美凪
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:祐一の状態を確認している】

相沢祐一
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:気絶、腹部刺し傷あり】
【備考:勝平から繰り返された世界の話を聞いている、上着が横にたたまれている】

(関連・715・869)(B−4ルート)

826朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 23:00:21 ID:oYsy7boE0
すみません、>>822の表現におかしな箇所がありましたため、こちらのみ以下に挿げ替えていただければと思います。
お手数おかけしてしまい、申し訳ありません。





「……」

真希の大きな瞳が、時間をかけ見開かれていく。
その間真希の網膜に焼きつけられた異常の正体は、瓦礫だらけの廊下に点々と伝わっている赤黒い水滴だった。
小走りで近づき改めてみれば、真希の嫌な予感は現実となって彼女に圧力をかけてくる。
廊下の先、ずっと続いていると思われるそれは……どう見ても、滴る血液が作ったものに他ならなかった。

「み、美凪!」

振り向く真希のすぐ傍、美凪は既に待機していた。
美凪が小さく頷くと同時、真希は美凪と二人しては血痕を追い駆けるようにて走り出す。
彼女等が初めて出会う、非日常。
これがそれだった。

暫くの後廊下の端に人影を発見し、真希はまっすぐにその人物へと近づこうとした。
壁に背を向けた状態で横たわり身動きを取らない彼から窺える面影は、真希達と同じ世代という幼さである。
少年の場所的には腹部に値する箇所を覆うシャツは、赤黒く濡れ変色していた。
廊下にある血の軌跡の出所は、恐らくこれだろう。

電気がついていないため決して視界がいいとは言えないが、真希の目に入る光景はあまりにもグロテスクだった。
少年の着用しているシャツが白地を帯びたものなのも原因だろう、漏れ出た血液の広がる様は一目で確認できる。
顔面蒼白になった真希は、その状態を理解した時点で金縛りにあったかのように足を止めてしまう。
背筋が伸びる。
真希の体に走るのは、未知のものに対する緊張だった。
その横をもう一人の少女がすり抜けていく、真希が身動きをとる気配はない。
真希は勢いで左右に揺れる少女の黒髪を、瞳で追いかけるだけだった。

「真希さん、先生を」

827それぞれ:2008/07/14(月) 22:22:39 ID:34hZeGm60
 大きな穴が二つ。
 深さは3メートル程だろうか。やや縦長の楕円形が深く大口を開けて食事を欲しがるように土色の乱杭歯を覗かせている。
 そんな発想をする俺はやはり苛立っているのかもしれない、と那須宗一は思った。

「すみません、結局手伝ってもらって」
「気にするな。……こうできれば、一番いい」
「……そうですね」

 遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラは渚のツールセットから小型のスコップを借り受け、墓穴を掘る作業を手伝っていた。
 古河渚も手伝いたいという意思は見せていたが、怪我の度合いが激しいという理由から宗一が控えさせ、支給品の整理を任せることにした。
 牽制合戦だった先程とは違い、首輪以外のことに関してなら今はほぼ自由に情報のやりとりができる。
 穴を掘りつつ、四人は情報交換を行った。

 ルーシーは水瀬親子に急襲され、上月澪と春原陽平を失いながらも脱出に成功し、現在は知り合った美凪と共に行動を共にしていること。
 美凪はルーシーと会う前に同じく水瀬名雪に襲われ、北川潤と広瀬真希を殺害されたこと。
 そして渚と宗一が霧島佳乃を失い、同じく埋葬しようとしている来栖川綾香と戦闘沙汰になったことをそれぞれ伝え合う。
 そして確認できる限りの危険人物は以下の通り。

 ・先述の水瀬親子。
 ・(かなり前の話であるが)一緒にいた仲間を襲ったというお下げ髪の男。
 ・綾香の仲間だった天沢郁未。

 この時点で既に四人が敵に回る。加えて二回目の放送から大分時間が経過しているため更に多くの殺人鬼が潜んでいることが推測できる。
 状況は悪化の一途を辿っていると言えた。本当ならこんなことをしている時間すら惜しい。エージェントとしての宗一はそう告げていた。
 しかしそれは命を賭してまで宗一に依頼事を頼んだ佳乃を侮辱する行為であるし、それに……渚の様子がおかしい。

 明らかに元気がなかった。どことなく影が差した様子で、ルーシーや美凪と会話をする姿にも覇気がない。
 原因は大よそ掴めている。……春原陽平。確かそれは渚が探していた人物の一人だったはずだ。
 優しい渚のことだ。きっと口には出さず、しかし心の奥ではその死を悲しんでいるのだろう。
 宗一はいたたまれない気持ちになると同時に、それを打ち明けてくれない渚に対して、俺では役者不足なのかとやるせない思いも抱く。
 愚痴でも恨み言でもいい、溜め込んでいる思いを吐き出してはくれないのだろうか。

828それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:02 ID:34hZeGm60
 そんなに……今の俺は不甲斐ないのか。

 そうかもしれない。事実、ここに来てからというもの窘められたり諌められたりすることの方がよほど多い。

 ……情けない。
 ……役に立ちたい。
 ……あの時、確かに望んだような、ヒーローでありたい。
 ……夕菜姉さんを守りたいと思ったときのように。

 一度目を閉じて、宗一は深く息を吸う。
 なら、好き嫌いなんてしてられないよな。
 何事もまず行動で示してこそだ。

「もうこのくらいで十分だろ。そろそろ埋めてやろうか」
 一つ息を吐き出して、宗一は穴を掘っていたスコップを地面に突き刺し静かに横たわっている二つの遺体を見やる。
 その視線にはもう怒りや憎しみの感情は残ってはいない。
 ただ、生き残ることだけを思っていた。他人の屍の上に立っている、そのことを認識しながら。

「そうだな、後はそっちに任せる。渚、行ってやれ」
「……あ、はい」

 二人に先は任せるというようにルーシーが渚の背中を押し、宗一の下へと歩かせる。
 徐々に近づいてくる渚が、それに比例するように表情を強張らせているのが宗一には分かった。
 半ば自然に、呼吸をするかのようにその真意を探ろうとしてしまう自分に気付き、宗一は辟易する。
 きっと、緊張しているだけだ。
 そう思うことにする。
 畏れられているのではないか……浮かび上がった考えを打ち消すように。

829それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:28 ID:34hZeGm60
「佳乃、持てるか」
 綾香の遺体を持ち上げながら、渚にそう問う。
 渚は佳乃を持ち上げようとしたが、体の半分も持ち上げられない。

「……すみません」
「ま、仕方ないか。一人ずつ埋めていこう。逆に軽々と持ち上げられてもそれはそれで絶句してたけどな」

 宗一は冗談半分で言ったが、渚は困ったような表情をしたばかりで、笑うこともなかった。
 ほろ苦い唾の味が広がる。しかしため息だけは飲み込んだ。
 こういうことには、時間をかけていくしかないのだから。
 残念なことに、それくらいしか思いつく解決法がなかったのだ。
 男であることが、悔しい。

「大丈夫だって。この那須宗一君に任せろ」
 一声入れると、宗一はひょいっと綾香の遺体を抱えたまま穴の中に飛び降り、それを丁寧に横たえる。
 彼女が体につけていた防弾チョッキは回収させてもらった。まだ使い道があるからだ。
 それにしても、あれだけ格闘戦をこなしていたくせに体重自体は軽いものだった。女性の七不思議の一つかもしれない。
 皐月やリサもこれくらいなのだろうかと想像しかけて、ぶっ飛ばされそうなのでやめた。触らぬ神に崇りなし。聞こえていなくても崇りなし。

「よし、いいぞ」
 渚に手で合図しつつ、宗一は飛び上がって穴から脱出する。土を掻き入れるなら渚にだって出来るだろう。
 その間に自分は佳乃を墓穴に入れることにしよう。
 すっかり冷たくなった佳乃の体を持ち上げながら、宗一は次の行動に移っていた。

     *     *     *

 葬儀を進める二人(那須宗一と、古河渚)に、ルーシー・マリア・ミソラはそれを半分、複雑な思いで眺めていた。
 こうできれば、一番いい。
 それは自分に対して向けた言葉だったのかもしれない。

830それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:56 ID:34hZeGm60
 今も尚、ルーシーにとってもっとも大切な人だと言える春原陽平の遺体はあの民家に、憮然と転んでいるのだろう。
 上月澪も、深山雪見も。
 霧島佳乃、来栖川綾香の両名が埋葬されることに関しては別段妬みのような感情は持たない。
 たまたまあの二人にはそうしてもらえる機会があって、自分にはなかった。
 だがそれでも春原を自分の手で送ってやりたいという思いは確かにあった。

 渚が春原の死を聞いたときの表情を見れば尚更だ。
 春原が言っていた通りの、やさしい人間。
 少なくともこれまでの、あの頃のルーシーであればあんな顔は出来なかった。いや、今だってそうかもしれない。
 簡単には、変わらないな。どんなに強く思ったって。
 どこか冷静に他人を見てしまう自分が少し、悲しかった。
 けれども、悲しい、と思えることは成長なのかもしれないとも思う。
 ほんのちょっぴり、前進はしている。
 そう考えると、元気が出たような気がした。

「なぎー、つかないことを聞くが……あの短髪の方、同じ制服だな。知り合いだったか?」
「ええ、同じ学校でした。……とは言っても、知り合いというほどでもなかったのですが」

 情報交換をしている間も、美凪は一切必要なこと以外は喋っていない。
 しかし思うところがあったのか、ここ一連の作業の間でも口数は少なく(元々少なかったが)、思案に耽っているようだった。

「……るーさんだから、言えることですが、那須さんが見つけたという二人の遺体……あれは、北川さんと広瀬さんのでは、と思っていました」
「そういえば、そんなことを言っていたな」

 確かに、この近辺にいたというのだから見つけていてもおかしくはない、とルーシーは思ったが二人の男女というだけでそう決めるのは早計ではと考えた。
 しかし美凪はデイパックの中身を見せると、
「古河さんが纏めていた荷物を拝見させてもらったのですが……この散弾銃は、北川さんが使っていたものと同じでした」
「……なるほど」
「それで確信したんです。那須さんは、北川さんと広瀬さんを見つけていた、って。それは構いません。ですが……あのお二人が埋葬されているのに、北川さんと広瀬さんは荷物を回収されただけなのか、って……」
「……」
「嫌な気分になります……自分が、そんなことを考えていると思うと……酷い人間ですよね」

831それぞれ:2008/07/14(月) 22:24:23 ID:34hZeGm60
 美凪が塞ぎこんでいた理由は、ルーシーにも通じるものがあった。
 殺人鬼が埋葬されているのに、いい仲間だった人たちは手付かずのまま、放置されている。
 理屈では分かっていても止められない邪な気持ちで、自己嫌悪してしまう。
 ああ、どこか自分が納得できていないのも、そういうことなのかもしれない、とルーシーは思った。

「いや……分かる。私だって似たような気分だ。けど、もうどうしようもない。どうしようもなく、私達は……ここにいる全員は、無力だったんだ」
「……」
「でも、良かった。なぎーが話してくれて良かった。吐き出してくれたことが、嬉しい」
「るーさん……いえ、感謝されるようなことではないと思います。こういうことからは、何も生まれないと思いますから」
「だな……ああ、これだけにしよう。秘密だ、二人だけの」
「はい」

 二人はまた沈黙を取り戻し、埋葬を続ける二人の姿を眺め始めた。
 まだ少しだけ残るわだかまりと、切り替えつつある思いを携えながら。

     *     *     *

 結局、誰からも許されざる道へ進むことになってしまった。
 あの時の行動はきっと正しかった。そうしなければきっと、皆で死んでいた。
 だからこの選択については後悔はしていない。相応の責務と、罪悪を抱えることにはなってしまったが。

 しかし、古河渚は迷う。
 これから先、わたしは何に拠って行動していけばいいのだろうか、と。
 そう、許されざることをしている。
 殺しはしないという約束を破り、消え逝く命を見つめるだけで、そして今も。
 時間を使って、我侭を押し通している。

832それぞれ:2008/07/14(月) 22:24:50 ID:34hZeGm60
 綾香も埋葬するという言葉を伝えたときの宗一の複雑そうな顔が視界の隅にこびりついている。
 だからこれまでだ。これが、最後。
 大丈夫です。もう迷惑はかけません。後は那須さんに従います。
 言葉にすれば、それはあまりにも言い訳がましかった。だから作業は、宗一とは離れるように、黙々と進めていた。

 その途中で、友人の死を聞いた。
 春原陽平……知り合いの岡崎朋也と、一緒にいることの多かった人間。
 朋也は詳しく語ろうとしなかったものの、二人が気心が知れた関係だというのは渚にもすぐ理解できた。
 恐らくは、本人達は認め合わないだろうが、親友なのだろう。
 その春原が死んでしまった。
 朋也はもちろん次の放送でそれを聞いて悲しむだろうし、この報を伝えてくれたルーシー・マリア・ミソラという女の子も辛そうな表情をしていた。
 きっと春原はこんな地獄でもいつものように振る舞っては、皆に安らぎの一時を与えていたのだろう。

 それに引き換え、自分は……
 考えかけて、やめようと渚は思った。自己嫌悪したって春原の死がどうなるわけではない。いつも朋也が言っていた「悪い癖」だ。
 大丈夫。ちゃんとまだそれが分かっている。
 結論を出さなければならなかった。

 この先、何に拠って行動するべきか。
 宗一は皆を守りたいから。美凪とルーシーは死んでいった仲間に報いるため、生きるために脱出する。
 それぞれがそれぞれの信念を持っている。
 あの時戦った郁未でさえ生き残りたいからという理由を持って人殺しをしている(絶対に許しはしないが)。
 既に、渚は人殺しをしないという信念を破り捨てている。特別、これといった技能があるわけでもない。
 なら、渚に出来ることは体を張る、それしかなかった。

 わたしは、盾になる。
 皆を凶弾から防ぎ、迫る刃を受け止める盾だ。

 どんなに傷ついたって構わない。歩けなくなっても、腕が取れても、死んでもいい。
 殺させたくない。誰かがいなくなっていくのは、悲しい。
 命一つで皆を救えるなら、渚は躊躇わずに差し出すつもりだった。
 それがまた我侭であることにも、自分の死がまた誰かを悲しませることにも気付いていながら。

833それぞれ:2008/07/14(月) 22:25:14 ID:34hZeGm60
 誰にも言わない。

 誰にも言わない、一人だけの約束。

 だから、古河渚は孤独だった。

「ということで、分校跡に行こうと思うんだが、古河もいいか?」
「……えっ?」

 そんなもの思いに耽っていたせいか、途中から宗一の話を聞き逃していたことに、ようやく渚は気付いた。
 確かこれから主催者に対抗するための同士(表向きは宗一のエージェント仲間であるリサなる人物ということにしてある)、姫百合珊瑚という人物を探すというところまでは覚えていたのだが……
 ふぅ、と宗一他二人が困ったように顔を見合わせる。途端にまた迷惑をかけてしまい申し訳ないという気持ちが渚を駆け巡る。

「す、すみません、ぼーっとしてて……」
「まあいいか。もう一度言うぞ。大事なことなのでもう一度ってヤツだ。俺達が探す奴がどこにいるかってことで、俺なりに考えて候補を上げてみた」

 言いながら、宗一は分校跡、ホテル跡、この二箇所を取り出していた地図の、それぞれの名前の部分を指す。
「こういう廃墟っぽいところこそ隠れるには最適な場所だ。普通施設に近づく目的は二つ。
 一つは隠れるため。もう一つは施設内にある備品なんかを持っていくためだ。
 しかし廃墟では後者は望めない。だから普通はこういう機能していたところの民家に立ち寄る」

「だから私達も、そして那須も怪しいと睨んだ。拠点にするにはある意味では最適な場所だからな」
 ルーシーが後に続き、最後に美凪が締める。
「ホテル跡については既に私が通った場所でしたが、特に以前から誰かがいるような気配はありませんでした。
 ですから探すのであればこちらの分校跡にするのはどうか、という話になったのですが……古河さんのご意見は?」
「あ、いえ、わたしは……それでいいと思います」
「本当にいいのか? 意見があれば遠慮なく言え。頭の中に留めておくのは良くないぞ」
「……いえ、大丈夫です」

834それぞれ:2008/07/14(月) 22:25:30 ID:34hZeGm60
 考えていたことを見抜かれたような感覚に渚は陥る。
 日本人とはかけ離れた、どこか浮世離れしたようなルーシーの雰囲気がそう思わせるのか。
 しかし、別に分校跡に行くという提案について特に異論があるわけでもないし、むしろ賛成だ。
 だから渚はそう答えて、笑みを向ける。
 ルーシーはしばらく渚の顔を見つめてから「そうか」と納得して宗一に結論を促す。

「よし、ならそれで決まりだ。そうだな……俺とルーシーで前を歩くから、少し離れながらついてきてくれ。所謂斥候ってやつだ」
「せっこう……?」
「偵察のようなものです。ということで古河さんとは語らいの時間です。二人きり……ぽっ」
「え? え? なんで赤くなるんですか?」
「ふむ、パヤパ……」
「おっとルー公、それ以上は怖いお姉さまが飛んでくるから止めとけ。さ、行こうか」
「む、了解した」

 離れていく二人と、未だに頬を赤らめている美凪を交互に見ながら、渚は未だにチンプンカンプンだった。
 霧島さん、新しい人たちですが……わたし、守っていけるのでしょうか……
 僅かにではあったが行動を共にしていた仲間の姿を脳裏に思い浮かべながら、渚は己から自信がなくなっていきそうなのを必死で堪えていた。
 あんぱんっ、と小さな声で励ましながら。

「ほかほかのご飯」
「……へっ?」
「……好きな食べ物から自己紹介かと思いましたが、違いましたか」
「あ、いや、それは、その、あぅぅ……」

 前途は、多難だった。

835それぞれ:2008/07/14(月) 22:27:02 ID:34hZeGm60
【時間:二日目17:00頃】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:最優先目標は宗一を手伝う事。分校跡へ行く】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:分校跡へ行く。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:分校跡へ行く。るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:分校跡へ行く。なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

→B-10

836アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:06 ID:myea85cE0
 
沢山の光が浮かんでいる。
光はまるで、広い海を泳ぎまわる魚のように自由に漂い、触れ合って、また別れていく。

しばらくじっと、それを見ていた。
見ている内にやがて、自分もまたその光のうちの一つなのだと、気付く。
気付いたら急に、身体が軽くなった。
どこへでも行ける気がした。
どこへでも行ける気がして、どこかへ行こうとして、どこに行きたいかが、わからない。

考えようとして、思い出そうとして、理解する。
―――ああ、私には、記憶なんてものが、ないんだ。
記憶がないから、希望もない。
何ができるのかもわからないから、何をしたいかもわからない。

みんな、そうなんだ。
周りの光を見て、思う。
わからない。
どこへ行きたいかも、何をしたいかもわからない。
だからああして、ずっと漂っている。
触れ合って、別れて、漂って、ずっと、ずっとそうしている。
私もきっと、ずっとそうして、

 ―――  。

そうして、

 ――― ナ。

漂って。

 ―――マナ。

名前を呼ばれることなんか、なく。


***

837アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:36 ID:myea85cE0


青一色の世界の中で、死んだように眠る少女を囲む、三人の女がいた。
その全員が青く透き通るような体をした三人の女はじっと少女を見つめ、その名を静かに呼んでいる。
一人は泣きながら、一人は茫漠と、そして一人は微笑んで、少女の名を呼んでいる。


***

838アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:58 ID:myea85cE0


涙を流す女が、赤く泣き腫らした眼で、語る。

 ―――たとえばの話をしよう。


***



たとえば今、愛する人の隣にいたとして。
私を蝕むのは喜びでも幸福でもなく、恐怖だ。

今この手にある幸福が、明日は失われているかもしれないという恐怖。
それは私を常に脅かし、この足を竦ませる。
誰かが耳元で囁くのだ。
今日という幸福は明日という不幸の端緒に過ぎないと。
甘い菓子の後の苦い薬のように、それは喪失を際立たせるための淡い幻想だと。

だから私は愛する人の隣を歩きながら、その手を取れずにいるのだ。
ずっと、ずっとその手の温もりを夢想しながら、ほんの少しの距離を飛び越えることもできずに怯えている。
それは幸福を掴むことへの躊躇だ。
今日から続く明日への畏怖であり、今この瞬間への怯懦であり、幸福への根源的な違和感だ。
私は幸福を掴むことに怯え、幸福であることを実感できず、だけど幸福であることを願っている。

それは二律背反だ。
虹を掴めないと泣くような、子供じみた愚かしさだ。
だけど、それでも、私は願ったんだ。
虹を掴みたいと。
愛する人の隣を歩きながら、それを幸せと感じたいと。
私の出した答えは、何だと思う?

簡単なことだ。
記憶さ。
思い出だよ。

昨日という時間が、私を支えてくれることに気づいたんだ。
それは本当に単純で、簡単な答えだった。
思い出の中の私は何も失わない。
それは紛れもない幸福の中にいて色褪せない。
それはどこにも続かない。
昨日は今日へと続かない。
思い出は、記憶は、昔は、今日の私と断絶している。

私の振り返る記憶の中の私は、今日という日を知らない私。
思い出という結晶の中に封じられた私は、だから未来へ続かない。
それは、本当の幸福という意味だよ。

幸福の中に結晶する私に喪失は存在せず。
それは常に、輝く時間を謳歌している。

たとえば恐怖。
たとえば変化。
たとえば未来。

それらのすべては、昨日の私を侵せない。
その幸福は私を支えていてくれる。
今日という不幸を、明日という喪失を、思考の埒外へと押しやってくれる。
私は幸福の結晶に縋って立っている。

だから、私には今日という時間も、明日という時間もいらない。
いらないから、君にあげよう。
明日という喪失を、今日という伏線を、君にあげよう。

―――マナ、君は喪失を恐れるかい?



***

839アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:16:23 ID:myea85cE0


茫漠とした女が、霧に煙る夜明けの湖面のような茫漠とした瞳で、語る。

 ―――たとえばの話をしましょう。


***



たとえば昨日を悔やむとき。
たとえば明日を願うとき。

何も為せなかった昨日に泣くことも、届かない星に手を伸ばすような明日を嘆くこともなく、
私は今日という日を慈しむでしょう。

これは、一つの諦念の話です。

たとえばある日、大切にしていた美しい宝物が壊れてしまったとして。
夜が明ければ、新しいそれを買ってもらえるとして。
だからといって愛おしむことを、やめられましょうか。
割れてしまったその欠片を、宝石の小箱に入れて夜ごと抱きしめることを、誰が笑えましょうか。
綺麗な紙に包まれて届く、新しくて美しいそれは、柄は同じで傷もなく。
だからそれは、私の大切な宝物ではないのです。
だからそれが、誰かの不注意で壊れてしまっても。
私は欠片を集めない。
私はそれを悔やまない。
私がそれを惜しいと思うことなど、ありはしないのです。
拾い上げられない沢山の偽者の欠片が散らばった大広間の真ん中で、
小箱に詰めた大切な本物の欠片だけを抱きしめて、私は眠るのです。

それを笑う人がいて。
それを責める人がいて。
私は彼らを認めません。
私の眼は彼らを映さず、私の耳は彼らの声を通さない。
彼らという雑音はだから、私の世界に踏み入ることさえ叶わない。
私が大切な小箱を抱きしめるのに、そんなものは必要ないのです。

私は昨日を悔やみません。
壊れてしまった大切な宝物を、それでも私は抱きしめている。
私の胸の中に、その小箱に、変わらずあるのです。
それだけを見つめて、だから私は昨日を思わない。

私は明日を願いません。
明日は今日と変わらぬ日。
抱きしめた小箱をいとおしむ、それだけの日。
たとえば明日が来ないとしても。
私は大切な宝物を抱きしめて、眠るだけ。


―――だからマナ、観月マナ。
私の失った今日の続きを、貴女に分けて差し上げましょう。
これは一つの諦念の話です。
微睡む私は、夢を見る私は、今日以外の何も願わぬ私には明日は訪れず。
諦念と幸福の間でそれを甘受する私に、ならば今日という時間は永遠という意味を持ち。

だから、久遠に続く私の今日の欠片を―――貴女に。



***

840アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:16:44 ID:myea85cE0


微笑む女が、底知れぬ老いと疲れとを孕んで、それでも微笑んだまま、語る。

 ―――たとえばの話をします。


***


たとえば明日、世界が滅びるという日に。
それでも林檎の木を植えることを、私は赦しません。

私には力がある。
理不尽を覆すだけの力が。
私たちにはあるのです。
運命に抗うだけの力というものが。
私に力があり、私たちに力があり、ならば私は命じます。
己が刃を振りかざし、抗い、抗い、抗い続けよと。
明日という理不尽に抗えと、私は私以外のすべてに強いるでしょう。
夜に怯えるすべての我と我が子らに、私は命じます。
抗えと、打ち破れと、薙ぎ倒し叩き伏せよと、夜を越えよと私は命じます。

陽は沈み、夜は長く、それでも朝は来るのです。
ならば打ち続く剣戟の、その飛び散る火花で目映く夜を照らしなさい。
地を震わせる鬨の声で眠ろうとする者を揺り起こしなさい。
貴女の願う明日を切り開くその足音を、微睡む世界に響かせなさい。

いつか来る夜明けを、歓喜をもって迎えるために。
その朝を、続き続く明日を、ただ幸福が支配するように。
涙を打ち払う剣を取って夜に抗いなさい。
かつて幼子であったものの義務として、明日の幼子のための道を切り開きなさい。

昨日を踏み拉き、今日を振り払って明日へと至りなさい。
顔を上げ、声を限りに叫んで歩を進めるその先に、夜は明けるのです。
誰も届かなかった明日に手をかけ、抱き寄せてその唇を奪いなさい。
既に昨日は喪われ、今日という日は終わりを迎え、それでも明日は来ると、貴女が叫びなさい。
夜の向こうへ轟く声で、まだ見ぬ朝陽を引きずり出しなさい。

明けぬ夜の頑冥を突き崩す剣を、遥か稜線の向こうに輝く日輪へと届く刃を、
私は、私たちは、その腕に、その心に、その声に、その命に、持っているのです。

命持つ私は、ならば命持つ貴女に命じます。
越えなさい、何もかもを。

その道の果てに―――明日を築きなさい。



***

841アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:08 ID:myea85cE0


青一色の世界の中で、死んだように眠る少女を囲む、三人の女がいた。
その全員が青く透き通るような体をした三人の女はじっと少女を見据え、もう何も話さない。
一人は泣きながら、一人は茫漠と、そして一人は微笑んで、ただ少女を見つめている。


***

842アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:30 ID:myea85cE0



眼を開けることなく、その声を聞いていた。
勝手なことばかりを言うと、そう思った。

三者三様の吐露は三者三様の身勝手でしかなく。
それは狂人じみた独り語りだ。

色々なものを押し付けられた。
どうしようもなく、腹が立った。
沢山の知識と、沢山の想いと、沢山の時間とを持ちながら、身勝手な大人たちは
何もせずに退場していく。
まるでそれを継ぐことが私の義務であるかのように、身勝手なことばかりを言って。
そのことにひどく腹が立つ。

腹立ちのまま、暴れるように身を揺すると、光の海に変化が現れた。
きらきらと輝く海に、ごぼりと泡が立つ。
熱を持った海のうねりに、漂う光のいくつかが弾けた。
眼を閉じたまま輝く海を見る私は、弾けた光を吸い込むように、口を開ける。

雪の街があった。
夏の長閑さがあった。
桜舞う季節が、秋の匂いのし始める庭があった。

色々な景色があった。
幸せな時間があった。
沢山の言葉があった。
伝わる想いがあった。
少しだけ、哀しい恋があった。
そのすべてがいとおしかった。

そこに、愛があった。


***

843アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:46 ID:myea85cE0


観月マナの中から、身勝手への憤りは既に消えていた。
そんなものはもう、どうだってよかった。
それはただ、幸福を希求する無数の声の一つに過ぎなかった。

それらの声に突き動かされたわけではない。
ただ、マナは許せなかった。
このまま終わってしまうことが、このまま途切れてしまうことが、このまま続いてしまうことが、
とにかく何もかもが、世界がこのままであることが許せなかった。
何もかもを蔑ろにして、何もかもを中途半端なままにして、それで終わり途切れ続くことが、許せなかった。
それは小さな怒りと、沢山の光へのいとおしさと、それからわけの分からない、
心の奥のもやもやしたものがない交ぜになった、どこにでもある、誰にでもある感情だった。

それはごく普通の少女が、世界の弁護に立つ決意だった。
力でも知識でもなく、ただその決意によって何かを成し遂げる、それはそういうものだった。


眼を開ければ、そこは世界の終わる場所だった。

844アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:18:04 ID:myea85cE0
 
【時間:2日目午前11時半すぎ】
【場所:B-2海岸より続く岩窟最奥】

観月マナ
 【状態:復活】

霧島聖
天野美汐
水瀬秋子
 【状態:非在】

→991 993 ルートD-5

845(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:14:40 ID:4wBxa5pU0
 訪れた放送の内容は、篠塚弥生にとって意外なものとなった。
 最終生存人数の増加。
 口上は大切な人を守るため、大切な家族を守るため、などと謳われていたがどうにも今更のように思えてならなかった。

 タイミングが遅すぎる。
 現段階での生存者はこれまでの放送から確認する限り既に40人を切っている。
 それはつまり、全体の3分の2が死体となってこの島に転がっているということだ。
 ならば、家族や恋人関係にある人間の片割れが既に死亡していないことなど、ないに等しい状況なのだ。

 参加者名簿に、弥生は目を走らせる。
 やはり、大半のそういう関係にある者は死んでいる。名簿の名字から推測するだけでもそうなのに、恋人などの関係まで含めると更に数は増える。
 大体、放送を待ってこんなルール変更をする理由がないのだ。
 単にルールを変えるだけならいつでも……例えば、昼ごろや、極論を言えば主催者が思いついた段階で言っても構わないはず。

 二人まで生き残れるというのは実は相当に重要なことだ。
 神尾晴子がそうであるように「生き返り」など信じていない現実主義者は大勢いる。……弥生自身が殺害した、藤井冬弥もそうだった。
 クローンという推測は立てたもののそれですら眉唾ものだ。確率的には「生き返り」が本当に出来るかというのは無に等しい。
 ――それでも弥生は森川由綺のためにそれを信じるしか道はなかったが、今はそれは置いておくとしよう――
 とどのつまり、「好きな人と一緒に生き残れないから主催に反逆する」人間は少なからずいたと考えられる。
 そのための対応策が、生存者数の増加……二人生き残れるから、殺し合いに乗る。そのカードを、何故今更切ってきたのか。
 不可解に過ぎる、と弥生は考えた。それとも、それ以外に何か理由があるのかとも考える。

 考えられるのは……妥当に考えれば、集団の崩壊を狙うことだろうか。
 先程も考えたように、二人で生き残ることができないから反抗している人間はそれなりに多くいるだろう。
 そして殺し合いゲームも終盤に近づいた今、集団を形成している可能性もそれなりに高い。
 だがルールが変更され、生き残りも少なくなった今、果たして主催を倒すのと、ゲームに勝ち残ることと、どちらが勝算が高いか。
 天秤にかけられた結果、共謀して集団を内部から攻撃し、凄惨な争いが繰り広げられる……といったところだろう。
 それを眺めて楽しむ悪趣味さを考えれば、ありえないことではない。
 だがやはり、「遅すぎる」という事からは離れられない。
 それとも、ゲームを運営している連中に何かあったのか……?

846(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:03 ID:4wBxa5pU0
 そこまで行くと、最早推理ではなく、妄想の域に入ることに気付き弥生はそれ以降の考えを打ち止めにする。
 そんなことより今、問題にすべきなのは……
 『すまん、ちょっと外の空気吸ってくるわ』
 と青褪めた顔色を必死に隠すようにして、怪我しているにも関わらずふらふらと無学寺の外に出て行った、神尾晴子の姿だった。

 潰れてくれなければ、いいのですが……
 懸念しつつも、しかしどこかで晴子が自棄を起こし弥生に襲い掛かってきたときのことを考慮し、対応策を考えている冷ややかな自身の頭に苦笑する。
 どこかで人を物のように考え、どう利用すれば最善の結果を導き出せるかばかりを考えている。
 生来の性だ。変える気はないし、この場では存分に使える思考体系である。

 ……でも、それじゃ寂しいですよ。

 ふとそんな事を言う藤井冬弥の顔が弥生の頭に浮かんだ。
 いつだったか、黙々とマネージャーの仕事を続け、仕事ばかりしていて、由綺の先のことばかり気にして大丈夫なのかと尋ねてきたときがあった。
 弥生は当然のように大丈夫だと言い、それに由綺をアイドル界のトップに、スターダムにのし上げることこそが生き甲斐なのだと話した。
 それ以外は何も必要ないとも。
 その時にぽつりと冬弥が零したのが、今の言葉だった。

 何を思って、そう言ったのかは今でも分からない。問い質そうにも既に彼はこの世からは……弥生自身が手を下して、消えた。
 寂しい。何が、寂しいというのか。
 別にそのような批評を向けられたことに対して怒りや不満を抱くわけもなかったが、弥生にはそう言われる理由が分からなかった。
 目的を見つけて、それに生き甲斐も持っているというのに。

 詮無いことだと思い、その疑問に対する考えを中断させる。
 そもそも、どうしてこんな言葉を思い出すのだろう。
 今の自分にも、行動にも後悔はない。
 ……それとも、まだ気付いてないだけで……

「愚問、ですね」

847(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:25 ID:4wBxa5pU0
 嘲るように吐き、もう残り弾数が少なくなっているP−90の黒々とした銃身を眺める。
 確認したところ、残りは20発。フルオートで連射できるだけの余力はないに等しい。
 警棒で戦闘力を奪い、P−90で止めを刺すか。それとも銃の使用は神尾晴子に任せるか。
 どちらにしろ、もう迂闊には使えない。
 30人強。
 十分だ。あらゆるものを利用し尽くし、生き延び、願いを……由綺を生き返らせてもらう。
 そして、取り戻すのだ。あるべきだった未来を。

 ……でも、それじゃ寂しいですよ。

 何故かもう一度思い出したその言葉が、ちくりとして弥生の胸に突き刺さった。

     *     *     *

 ぐるぐると、頭の中で何かが回転していた。
 澱みを成した河であった。
 混乱と疑念、憎悪、懇願……神尾晴子の持ちうる限りの思念を一つ残らず投げ込み、それは黒々とした汚濁となっている。

 嘘だ、と呟き続ける彼女の半分。
 これが現実、と頑なに言い張る彼女の半分。
 いっそ狂ってしまえばどんなに楽なことか。
 喚き、叫び、心を放り出して肉体だけの存在になってしまえば、恐らくは苦しまずに死ねたことだろう。

 しかしそれだけはするな、お前は復讐を果たさなければならないと晴子の黒い部分の中でも、特に黒を覗かせている部分が囁く。
 まだ狂ってはならない。理性を以って、行動しなければならぬ理由がある。
 目頭に浮かぶ熱い涙の粒を振り払うかのように、晴子は無学寺の壁に拳を叩きつける。

「――ええ度胸しとるやないか」

848(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:45 ID:4wBxa5pU0
 悲しみは既に怒りに塗り変わり、後悔は牙をより鋭くしている。
 最愛の娘を、何よりもかけがえのない笑顔を奪った罰は万死ですら生温い。
 温い。温い温い温い温い温い温い温い温い温い!
 殺すだけでは足りない。死、以上の……死んだほうがマシだと言えるくらいの死を与えてやろう。
 復讐の覚悟は整った。今の自分は阿修羅さえも陵駕する存在であるとすら自覚できる。

 だが、しかし。
 晴子の胸の内では、その後のこの命、どう使うという疑問が湧き出していた。
 ……いや、既に頭は回答を導き出している。

「……クローン、か」

 優勝して、『生き返らせて』もらう。それで観鈴は戻ってくる。
 晴子が否定をした、ニセモノの神尾観鈴が。
 それを受け入れてしまっていいのか。
 例え今までの記憶を持ち、仕草まで完璧で、何一つ寸分の違いもなく完全なるコピーだとしても、それを認めてしまっていいのか。

 復讐を果たした後は自分も死んでしまえばいいという考えもあった。
 娘に殉じて、あの世で詫びる。
 きっと優しい観鈴のことだ、これまでの不孝を、笑って許してくれるはず。
 すぐに仲直りして、親子の時間を過ごす。
 もう何にも畏れることはない、永遠の安息が訪れるだろう。

「は……バカバカしい」

 けれども、晴子はその考えを吐き捨てるように却下する。
 甘い、甘すぎる。
 それは逃げであり、逃避だ。
 楽に縋り、安穏を求めようと低きに流れる堕落した人間の姿だ。
 大体、無神論を謳っている自分が天国だ死後の世界だのと言うのはあまりにご都合が過ぎるではないか?

849(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:03 ID:4wBxa5pU0
 ならば最後までその道に生きよう。
 偽者? そんなものは認めなければいいだけのこと。
 どんなに欺瞞に満ちていても、もう一度娘の姿が見られるなら……取り戻せるなら、その道に進もう。
 ダメとは言わせない。
 無理だと口を利くなら髪の毛を掴み、何度でも叩きつけて出来ると言えるまでやってやる。

 神尾晴子はエゴイストだ。
 身勝手で、自分のことしか考えていないとも言える考えだということは分かっていた。
 恐らくは世界で一番自己中心的な母親かもしれない。
 いや、そもそも母親ですらないか、と晴子は苦笑する。
 なら、これは一人のワガママ女がする、誰もが呆れるくらいの馬鹿げた行動だと思うことにしよう。
 そう考えると、胸の中に溜まっていた重苦しいものがスッ、となくなっていくような気がした。

 なんだ、いつものようにしていればいいじゃないか。
 難しく考える必要はない。
 己の気が向くままに、やりたいことをやり、欲しいものを手に入れる。
 十分だ。神尾晴子という女の生き方は、それでいい。
 後は、怒りと憎悪を忘れなければよかった。
 それさえ忘れなければ、晴子は晴子でいられる。まだ戦える神尾晴子でいられる。
 澱みは消えた。流れを堰き止める障害は、取り払われた。

「さぁて、行こか。……何もかも、潰したる」

 不敵に笑うと、未だ打ち付けていた拳を壁から離し、瞳を薄暗さの集まる森林から、無学寺の内部へと移す。
 貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから。
 無表情のままそう言い放った女は、中で晴子を待ち続けているのだろう。
 本来なら真っ先に排除してかかるべきなのだが、今は状況が違う。

850(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:18 ID:4wBxa5pU0
 生き残れる人数が、二人になった。
 本来ならその枠には観鈴が入るはずだったが、もうその観鈴は姿を消した。
 残るは弥生と共に優勝し、願いで観鈴を『生き返らせて』もらうしかない。観鈴と、生き残るためには。
 なら、精々共闘させてもらうことにしよう。弥生曰く「相性はいい」とのことだ。パートナーとしては問題ない。
 武装の貧弱さが気になるところだが……一応最低限戦えるものは揃っている。
 狙うべきは奇襲。正面から突っ込むのはただの愚かな自殺行為に他ならない。
 勝ち残るためには、もう一度たりともミスは許されない。

 選択肢は二つ。
 北上し、ここから先にある学校で狙い撃つ。
 南下し、氷川村に向かい、恐らくはまた起こるであろう戦闘に乱入し、漁夫の利を得る。
 逃げ回るという手もなくはなかったがそれは晴子の性に合わないところではあるし、貧弱な武装のまま終局を迎えねばならないことになる。
 そうなった場合いかに不利かということは弥生も分かっているだろう。
 討って出るしかないのだ。活路を見出すためには。

「……まぁ、相談やな」

 数時間休息をとって僅かなりにとも回復はしている。
 立ち回りができないというほど体が衰えているわけではない。
 足を引っ張ることも、引っ張られることもあるまい。
 その確信に支えられるかのように、寺の中へと踏み出した一歩は、しっかりとした足取りであった。

851(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:37 ID:4wBxa5pU0
【場所:F-09 無学寺】
【時間:二日目午後:18:50】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

852アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:00:59 ID:Hbw10mKg0
 
「―――全部をなくして、あなたは何がほしいの」

雨が降っていた。
さあさあと、絹の糸が天から幾筋も垂れ落ちるような細い雨を受けながら、少女は立っている。
夜空に浮かぶ満天の星のように雨粒を黒髪に纏わせて静かに問う少女の名は、観月マナ。
世界のどこにでもいるただの少女であり、世界のどこにでもいる、世界を変えるたった一人。
それは思い込みという小石と狭い視野という服とに身を包んで歩を踏み出し、いつしかそれを
決意という刃と覚悟という鎧とに塗り替えた、世界を変革するただの少女だった。

「勿論、何もかもがなくなった世界ですよ」

雨が降っている。
ぱたぱたと揺れる水面に蜂蜜色の豊かな髪を映し、微笑んで返した少女の名を里村茜。
世界のどこにでもいるただの少女であり、世界のどこにでもいる、世界を認めぬただ一人。
それは悔恨を喰らい慙愧を啜り、妄執と宿怨とを丹念に練り込んだ化粧を施し、
無色透明の意志で自らを縛り上げた、世界を殺すただの少女だった。

「全部をなくして、あなたは何をするの」

マナの手には剣がある。
青く透き通った剣だ。
滄海の青を一片の歪みもなく伸びた刀身に宿し、淡く発光している。
叩きつければ折れてしまいそうなほど細く真っ直ぐな諸刃を振るえば、軌跡には光が舞い散る。
春の朝を思わせる光は中空を漂うと、雨に融けるように消えていく。

「赤の遣い手が絶無を望むのは、それほどおかしなことですか」

茜の手には刃がある。
赤く煌く刃だ。
焔の中から産まれた宝玉を削り出して造ったような、真紅の刃。
装飾の施された柄から伸びる優美に反った刀身は、触れたすべてを切り裂くような鋭さに満ちている。
ゆらりと掲げられたそれだけで、雨粒が爆ぜた。

「あなたのことを訊いてるんだよ、茜さん」

す、と歩を進めたマナの眼前には、真紅の剣を向ける茜の姿がある。
刃の先を軽く打ち合わせるように、マナもまた滄海の刃を掲げる。
硝子の砕けて散るような、硬質な響き。
それが、始まりの鐘だった。

853アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:01:36 ID:Hbw10mKg0
「―――人が」

つ、と踏み出す茜の繰り出した刃を、マナが躱す。
雨粒が散ってきらきらと光を反射した。

「人がその生の最後に恐れるものは、いったい何だと思いますか」

二人が立つのは、舗装された道である。
薄暗い岩窟であったはずのそこは、様相を一変させていた。
色とりどりの石がモザイク様に並べられた遊歩道。
とめどなく降りしきる雨が幾つもの水溜りを作っている。

「生き終わること? 喪うこと? もう誰かと逢えなくなること?
 いいえ、いいえ、違います」

遊歩道の両脇には色彩豊かな看板とショーウインドウ。
飾られているのは可愛らしい服であり、安っぽく煌くアクセサリーであり、少し大人びた靴であった。
目を移せばパステルカラーで装飾された大きなメニューがある。
季節のフルーツがあり、何種類ものアイスクリームがあり、クリームのたっぷり入ったクレープがあった。
硝子とフリルとジュエリーと革とエナメルと甘い香りと鮮やかな色彩が、見渡す限り軒を連ねている。

「忘却です。忘れ去られることですよ」

言って振るった茜の刃が、その内の一軒を切り裂いた。
沢山のパッチを施した古着を軒先に並べていた店が、ぐにゃりと歪んで消える。
消えたそこには、何も残らない。
所狭しと吊るされていた服も、柱の一本も、空き地すら残ってはいなかった。
そこには古着屋の右にあったはずのアクセサリショップと左にあったはずのランジェリーショップが、
静かに軒を並べていた。まるでその間には、隙間など存在しなかったかのように。
最初から、何一つとしてありはしなかったかのように。

「その生を懸けて何かを遺そうとするのが、生きとし生けるものの本質です。
 命は次代へ、自らを継ぐ何かを遺そうと走り続ける」

854アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:02:08 ID:Hbw10mKg0
蜂蜜色の髪がふわりと舞い、その向こうから真紅の刃が伸びてくる。
滄海の剣で受け止めたその反った刀身を、マナは更に力を込め、弾き返す。
光と音が、花のように散った。

「けれど、人がそれを最後まで見届けることは叶わない。
 当然です。続き続くこの世の終わりまでを知ることなど、誰にもできはしない。
 だから怖い。だから不安になる。だから、その生の最後に恐怖するのです。
 自身が継がれぬことを。誰かに、何かに遺されることなく、忘れられることを」

光の散華の中、茜の言葉にマナは思い返す。
三人の女。身勝手の挙句にその生をマナへと押し付けた三人の女のこと。
怯懦と妄執と、理不尽に抗う理不尽とを強いた、女たちの生を。

「忘れられること。何かを遺せないこと。根源の恐怖。―――けれど」

女たちは生きた。
生きて、生き終わった。それだけのことだった。
三人が最期に何かを遺したつもりでいられたのか、それは分からない。
カラオケボックスが、携帯電話のデコレーションショップが、斬られて消えた。
後には何も残らない。

「けれどその恐怖を、根源の本能をすら越えて尚、何かを望む人が、いるのです」

弧を描く赤の刃を、滄海の剣が弾く。
光が散り、小さな流星となって瞬いた。

「忘れられることよりも、ここに在り続けることをこそ恐れ、拒絶する人。
 変化を、或いは変遷を、或いは変質を、或いは変貌を、明日が来ること、それ自体を拒んでしまう人。
 そういう人が、この世界には確かにいるのですよ」

流れた星が雨粒に融けて、雨が光を纏う。
光の雨に打たれた店が音もなく消えていく。

「だから私は待つのです」

極彩色の看板が消えた。
パステルカラーのロゴが消えた。
色とりどりの飴が、安売りの頭痛薬が、小さな鉢植えが、消えた。

「来ない明日を、終わらない今日の中で、誰にも邪魔されることなく」

小麦粉の焼ける匂いが、砂糖の焦げる匂いが、卵の甘い香りが、光に打たれて消えていく。
最後に残ったベルギーワッフルの店の、小さな手書きのメニューが、消える。

「永遠に、永遠に」

遊歩道が、崩れる。



******

855アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:02:36 ID:Hbw10mKg0
 
 
雨が降っている。
何も無くなったはずの世界は、しかし降りしきる雨だけをそのままに、再びその様相を変えていた。

少女二人を映す窓硝子についた水滴が時折、流れていく。
しんと静まり返った空気はまるで外界とは隔絶されているかのように重く、息苦しい。
雨は窓の外に降っていた。
外に見えるのは整地された広く平坦な土の地面。
石灰で書かれた大きな楕円が、それが陸上競技のグラウンドとして使われていることを主張している。
とん、と硬く軽い音が響いた。
マナの革靴がリノリウムの床を叩いた音である。

「……今度は学校?」

見渡す限りの教室の扉はどれも固く閉ざされ、静まり返っている。
長い廊下の真中で呟いたマナの声だけが、小さく木霊していた。

「他に必要ですか? 私に、私たちに?」

かつ、と響いた足音と同時。
一瞬でマナの眼前にまで間を詰めた赤光の刀身が、縦一文字に空を裂く。
躱して振り抜いた太刀筋には既に茜の姿なく、光の軌跡だけが残った。

「そうだね、買い物のできる街と、学校と、それから……私の部屋と。
 それが私の殆どで、私たちの殆どだ。だけど……だけど足りない」

ふわりと跳んだ茜を追って、マナが跳ねる。
横に薙がれた剣風に巻かれ、掲示板に貼られたプリントが一枚、はらりと落ちた。

「それが私の殆どで、だけど単なる殆どだ。
 うん、それじゃまだ、私には、ぜんぜん足りない」

856アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:03:14 ID:Hbw10mKg0
滄海の剣が宙を舞い、退がる茜を捉える。
手応えは硬質。
赤光の刃が噛み合わされる牙の如く、迫る刀身を受け止めていた。
中空、一瞬だけ至近で睨み合った少女二人が、鳳仙花の実の弾けるように距離を開け、着地する。

「―――何が足りませんか。
 傲慢を満たす学び舎と、不遜をくすぐる店先と、それから何が、貴女に足りませんか」

音もなく駆け、透き通る刃を重ねて、赤の少女が鋭く言い放つ。
重ねられた刃から幻想に舞う花弁のように光が散り、煌いて、消えていく。
光の花束の中心で、しかし青の少女は静かに首を振る。

「足りないよ。あなただって同じでしょう、茜さん」

鍔迫り合いの中、気色ばんだのは茜であった。
吐息のかかるほどの距離にある少女の表情が、変わっていた。
里村茜の眼前、観月マナは微かに、しかし確かに、笑んでいたのである。
それはひどく穏やかで、ひどく倣岸で、ひどく儚げな、春を待つ白い花の蕾のような、笑み。

「―――私には、好きな人がいるんだ」

少女のそれは、この世すべての価値を蹂躙する、笑みだった。
およそ少女を少女たらしめる、星月夜のようにありふれた、不可侵の幻想。
がつりと音を立てたのは、その笑みを前にした茜である。

「……」

がつり。

「同じ」

がつり、がつり。

「同じ、ですか。私と貴女と、それが同じですか」

がつり、がつり、がつり。
茜の手にした赤光の刀、精緻な華の文様に装飾されたその透き通る柄頭が、傍らの壁に叩きつけられる。

「不愉快です。これ以上の限度なく、これ以降の極まりなく、不愉快です」

がつり、と。
打たれるたびに、壁に罅が入り、その表面が錆を落とすように剥げ落ちていく。

「貴女に好きな人がいて。それが貴女に足りなくて。それが私と同じですか」

がつり。ぼろぼろ。
がつり。ばらばら。
がつり。がつり。がつり。

「違うでしょう、それは。私は貴女とは違う。貴女は私とは違う」

落ちた欠片が消えていく。
割れた壁が消えていく。
がつりがつりと音は止まらず、とうとう教室の一つが、消えた。

857アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:03:48 ID:Hbw10mKg0
「同じだよ」

す、と。
滄海の色をした直剣の細い刃が、雨粒を溜めた窓硝子に突き立てられる。

「甘いものや、綺麗なものや、そういうものじゃあ、足りないんだ。
 本当の素敵なものが足りなくて、だから手を伸ばしてるんだ。
 私は。私たちは、ずっと」

刃が、一気に引き下ろされる。
音も立てずに断ち割られた硝子が床に落ちて、砕けることもなく消えた。
硝子の落ちた窓の隣で、もう一枚の硝子が落ちた。
ドミノ倒しの仕掛けのように、長い廊下の硝子が次々に落ちて、消えていく。

「……だから!」

雨は降り続いている。
硝子もない窓の外に、変わらず降り続いている。
声を上げたのは、茜だった。

「それがどうしたっていうんです! それがどうして同じになるっていうんです!
 私は私で、貴女は貴女で、こうして世界の明日を賭けて、それで全部でしょう!?
 他の何も、何もかも、関係ないじゃないですか!」

吹き込んだ雨が、リノリウムの廊下を濡らす。
里村茜の革靴を、白い靴下を、臙脂色のスカートを、ベージュのベストを、蜂蜜色の髪の毛を、濡らす。

「戦って、闘って、相手の胸に剣を突き立てて、それで終わりでしょう!?
 終わらせましょうよ、この物語を!」

赤光の刃を叩き付けた先で、また一つ教室が消えた。
次第に短くなっていく雨の廊下で、

「これは戦いの話じゃない」

マナが、静かに首を振る。
吹き込む雨に濡れ髪が額に張り付くのをそのままに、見開かれた瞳が真っ直ぐに茜を射抜き、言う。

「―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。
 これは、そういう物語なんだ」

言葉と共に振り下ろした滄海の刃が、薄い壁を、残った窓枠を、石膏の柱を、緑色の掲示板を切り裂いて、
そうして最後に、廊下の端にあった鉄製の傘立てを、がらんどうの傘立てを、真っ二つに断ち割った。

学校が、歪んで消えた。



******

858アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:04:29 ID:Hbw10mKg0
 
 
雨が降っていた。

いつから降り続いているのかも知れぬ細い雨に、無造作に生えた雑草が濡れて頭を垂れている。
剥き出しの地面は泥濘となり、そこかしこに水溜りを作っていた。
水溜りに落ちる雨粒は幾つもの波紋となり、波紋は重なり合い、打ち消しあって無限の円環を形成している。

人の手から離れて久しいとわかる、荒れた空間。
どこにでもある民家に挟まれた、それは鉄条網に囲われた別世界。
そこに、

「……」

豊かな髪をしとどに濡らして、瞳には昏い焔だけを宿し。
傘も差さずに、立ち尽くす少女がいた。

書き割りの背景は既になく。
雨は少女に降りしきる。

透き通る刃の他には、何一つも持たず。
小さな雨の空き地に、里村茜は立っている。

「これがあなたの―――本当の世界」

眼前に立つ少女の、観月マナの声に、茜が静かに顔を上げる。
さあさあと、絹の糸が天から幾筋も垂れ落ちるような細い雨に打たれながら、茜はマナを見据えると、
無言のまま、唯一つその手にした赤光の刃を、灰色の空へと掲げた。

少女たちの見る夢の最後の、それが、始まりだった。

859アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:04:56 ID:Hbw10mKg0
 
 
【時間:???】
【場所:???】

観月マナ
 【所持品:青の刃】

里村茜
 【所持品:赤の刃】

→993 996 ルートD-5

860アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:49:50 ID:ruXzk7n60
 
「―――これがあなたの、本当の世界。沢山の嘘の底に隠した、本当の」

返答は翻る刃だった。
灰色の空の下、赤光が閃き、マナを襲う。

「何が分かりますか、貴女に―――!」

茜の怒りに任せた大上段からの一撃は僅かに身を引いたマナを掠め、濡れた地面を叩いた。
ばしゃりと盛大に跳ねた泥が少女の制服に黄土色の斑模様を作る。

「怖がって、傷ついて、それで逃げ込む先でしょう!」

頬に付いた泥が雨に濡れて流れ落ちるのにも構わず、マナが叫ぶ。
叩きつけるように落とした滄海の刃が茜の背を捉えるより一瞬早く、蜂蜜色の髪の少女は
その身を大地へと投げ出している。

「待つと決めた、私の永遠の証です!」

ベージュの制服がべっとりと水溜りの泥を吸い込んで染まり、汚らしい滴がばたばたと垂れた。
気にした風もなく叫び返す茜の刃が、降りしきる雨を裂いて奔る。

「なら、どうして隠すの! 誇ることもできない気持ちなの!?」

辛うじて受け止めた青の剣がびりびりと震える。
濡れたマナの革靴が、ず、と泥を噛んで下がった。

「土足で踏み込まれたくないからに、決まっているでしょう!」

両手で抱えた赤光の刃を押し込むように茜が体重をかける。
脱ぎ捨てた冷徹な仮面の下の、剥き出しの激情をそのまま力へと変えていくかの如く、
茜の瞳には真紅の焔が燃え盛っていた。
下から睨み上げるマナもまた、焔に呑まれぬ大海の青を宿して斬りつけるような言葉を吐く。

861アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:50:13 ID:ruXzk7n60
「なら嘘で隠す必要もない! 最初から誰も近づけなければいいじゃない!」
「そうしているでしょう!」
「じゃあGLは何だったの!? 仲間を作って!」

ぎり、と文字通りの鎬を削るような鬩ぎ合いは長くは続かない。
押されるマナの足が水溜りに取られて、滑った。

「利用しただけです! 分かりなさい!」

絶好の好機。
が、唐突に崩れた均衡に押し込んでいた茜は思わず体勢を崩してたたらを踏んでしまう。
赤く透き通る刃を振り下ろしたときにはマナの姿は既になく、追撃に薙いだ刀の軌跡も遠い。

「よく言うよ! 寂しくて、構ってほしくて、近づけば逃げるふりをして!
 声をかけられて嬉しかったんでしょうが!」

後転するように身を投げ出した勢いのまま跳ね起きるマナ。
泥に濡れたシャツの貼り付いた背中に冷たさを感じながら、駆け出す。
跳ねる泥水が膝下を汚し、一歩ごとにぐじゅり、ぐじゅりと靴が嫌な音を鳴らした。

「勝手なことを……!」

滄海の剣の間合いまで二歩。
茜が赤光の刃を腰だめに引く。
マナが一歩を駆ける。
茜の刃が動き出す。

「誰が、そんなものを望みましたか……!」

リーチはほぼ同一。
詰めるマナと、受ける茜と、刃が交錯する。
迫るマナの引きずるように構えられた下段から、滄海の剣がかち上げられる。
待ち受ける茜の刃はそれに先んじて動き始めている。
下段からの切り上げに開くマナの胴を狙った、烈風の突き。
相討ち、否、僅かに茜の突きが早い。
赤光の刃がマナの胴に突き込まれる、その寸前。
青剣の軌跡が、ぐらりとぶれた。
切り上げる姿勢を利用して、マナが上半身だけを強引に捻っていた。
渾身の両手突きに手応えはない。
茜の刃は、マナの着込んだ制服の脇を僅かに千切り飛ばすに留まっていた。

862アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:50:42 ID:ruXzk7n60
「待ってるっていうんならずっと引き篭もってればいい!」
「……ッ!」
「外に出て、誰かに会いたくて、それで何を待ってるっていうのさ!」

刃を突き出した姿勢、茜は剣を引くことができない。
上半身を捻ったマナが頭上に流れた両刃の剣を、今度は開いた茜の背に向けて叩き込む。
咄嗟に身を投げ出した茜の、二つに編まれた髪の先が流れ、剣風に巻き込まれた。
ぷつりと小さな音がして、髪留めが飛ぶ。

「ただ待ってるのが嫌なら、そう言いなよ!」
「……何も知らないくせに!」

飛んだ髪留めが水溜りに落ちて小さな波紋を立てるのと同時。
膝立ちになった茜の刃が、横薙ぎに宙を裂いていた。
迂闊に踏み込めず立ち止まったマナを、茜が憎悪に満ちた眼差しで睨み上げる。

「待ち続ける辛さも、何も知らないくせに……!」
「辛いんでしょう!?」
「―――ええ、辛いですよ!」

ばらり、と茜の髪がその容積を増した。
ゆっくりと立ち上がった茜の、編み髪の一つが解け、波打つ蜂蜜色の海が広がっていた。

「辛いですよ、待ち続けるだけの日々は。
 苦しいですよ、帰らない人のことを想い続けるのは。
 それがおかしいですか? 何か間違っていますか?」

ぶつりと音がした。
茜の手が、もう一方の編み髪を強引に解いた音だった。
乱雑に拡がる豊かな髪が、雨に濡れて茜の肌に張り付いていく。
それを空いた手でかき上げて、茜は叫ぶ。

「寂しいです、息が詰まりそうです、でも、だからどうだっていうんです?
 誰かに近づいたら私の想いは色褪せるんですか?」

匂い立つような艶を醸し出しながら、茜が手にした刃を真横に振るう。
降り続く雨粒が、断ち切られた。

「……そう感じたから、世界を空っぽにしようとしたんでしょう。
 あなたの近づける、誰かのいる世界を」

激情を吐露する、赤光の刃の少女を見据えて、滄海の剣の少女が静かにそれを口にする。
否む強さに縋る少女を断罪するように、肯んじる者が、告げる。

863アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:51:08 ID:ruXzk7n60
「……」
「待つことが辛くて、誰かに寄り掛かりたくて、だから世界を永遠に塗りこめて。
 それが、あなたの想いの果て」

告げられた言葉が、雨に吸い込まれて消える。
暫く、無言が続いた。
さあさあと降る雨が、泥の跳ねる音が、水溜りに波紋の浮き出る音が、小さな空き地を満たしていた。
やがて。

「そうですよ」

ぽつり、と。

「……待てなくて、何が悪いんですか」

呟かれるのは、少女の世界だった。

「私はいつだって有限で、けれど生きていれば私は私を埋めていく。
 色とりどりの形と、気持ちとで、私は少しづつ埋まっていく。
 私のぜんぶは、あの人を待つためにあるはずなのに」

俯いて雨を受ける、それは罪を贖う聖者のような、媚を売る物乞いのような、
醜く哀れで、そうしてどうしようもなく目を逸らしがたい、命のありようだった。

「私は生きて変わっていく。世界は私を変えていく。
 仕方ないとわかっていて、避けられないと諦めて。
 だけどそれは、いつか待つことをやめてしまう私を、認めることです」

いつしか少女の手から、透き通る刃が消えていた。
代わりにその白い手指から漏れ出していたのは、どろどろと泡立つ、赤黒く粘つく何かだった。

「だったら、なくしてしまうしかないじゃないですか、世界」

それは月経の血にも似て。
地面に落ちて、世界を汚す。

864アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:51:38 ID:ruXzk7n60
「永遠に逃げ込まなければ、永遠を待ち続けることなんて、できないんですから」

ぐずぐずと泡を吹く赤黒いものが、茜の手の中で新しい刃の形に練り固められていく。
届かぬ何かに伸ばされる老婆の手のような、幾つもの刃を持つ大鎌。
ごつごつと歪み、ぶつぶつと崩れ、ぐらぐらと捻じくれ曲がったそれは里村茜の吐く言葉そのままに、
ひどく醜く、ひどく切実に、血を吐きながら叫ぶように、存在していた。

「……そうやって」

駄々をこねて泣き止まぬ、幼子のような空を仰いでマナが言う。
その手にした剣もまた、茜のそれに対応するように形を変えていた。
少女の細腕には不釣合いな、グロテスクなほど巨大な広刃の直剣。

「そうやって、思い出を濁らせていくの?」

自らの背丈ほどもある深い青の刃を、まるで重さなどないように手首を回して掲げると、
マナがその巨大な刀身を地面に突き立てる。
蒼穹と滄海と、その最も澄み渡る一塊を削り出して剣の形に彫り上げられたような刃が泥濘を抉り、
飛び散った泥がマナと茜とを汚した。

「思い出せる? その人の声を。その人の顔を。その人と過ごした時間を。
 その人のこと、なんだっていいから、あなたはまだ覚えていられている?」

沈黙に色はない。
さらさらと降る雨が、濡れそぼる少女たちを洗い流していく。

「……そうして世界が腐っていくから、永遠の中に留めるしかないんでしょう」

暫しの間を置いて返った回答は、空白と同義。

「腐っていくのは、世界じゃない。……あなただよ、茜さん」
「同じですよ。だから私も世界も、永遠になる」

最早、言葉はなかった。
笑みも、涙も、意志も感情も使命も義務も目的すらもなく、少女たちは自らの刃を掲げる。
そこに生まれるものはなく。
そこに見出されるものはない。
ただ己が生を刃として、観月マナと里村茜は対峙している。

865アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:52:00 ID:ruXzk7n60
最初に雨を裂いて疾ったのは、血色の大鎌だった。
横薙ぎに迫るそれを、海の色の大剣を盾とするように防ぐマナ。
硬質な音と共に鎌が弾かれ、茜が一歩を下がる。
開いた間合いを潰すように、マナが大剣を盾にしたまま駆ける。
チャージの圧力に更に数歩の距離を飛び退った茜を追うように、大剣が今度は下段から競り上がっていく。
常識外の距離から届く巨大な大剣の刃はしかし、単純な一文字の軌跡。
大剣の豪風は恐れず踏み込んだ茜の蜂蜜色の髪を数条だけ舞い散らせるに留まる。
天空へと振り上げられた巨大な青の刃が断頭台の如く下ろされるよりも早く、茜は大鎌を振るう。
マナの空いた横腹を掻き切る軌道。
先刻に似た交錯、だが違うのは少女二人の戦いの意味。
青の少女は躱さず、赤の少女は退かない。
両手で大剣を振り上げたマナが選択したのは叩き下ろす一撃の加速。
体勢を崩すことなく真下へと振るわれる豪剣は互いの刃の間にあった刹那の差を埋める。
直後に響いた鈍い音は、刃の肉を食むそれではない。
茜の肩が、体当たりの形でマナの胸に食い込んだ音である。
頭上から風を巻いて迫る巨刃に、咄嗟に刃を引いた茜が見出した間合いは密着。
一瞬遅れて轟音が辺りを揺るがす。
けく、と息を吐いたマナの振り下ろす大剣が、必殺の勢いを失いながらも慣性に従って大地を抉っていた。
僅かに浮いた小さな身体を、血色の大鎌のごつごつと歪んだ柄が打ち据える。
大きな飾りボタンが一つ、弾けて飛んだ。
泥濘の地面に食い込んだ大剣を握るマナは飛んで転がることもなく、代わりに第二撃をその身に受ける。
野球のバットを振るような横殴りの打撃が、マナの腹部を直撃していた。
臓腑を潰すような一撃に、今度こそマナが吹き飛ぶ。
その手から離れた大剣が無数の光の粒になって消えた。
数歩分の距離を飛び、大地に叩きつけられたマナが泥濘の中を転がる。
咳き込みながら膝をついて跳ね起きたその全身は見る影もなく泥に塗れ、しかしその瞳の光は消えていない。
追撃に迫る血色の大鎌の、大気を縦に断ち割るような斬撃を見据えるマナの手に、再び青が宿る。
一瞬の後、その手には蒼穹の大剣が握られていた。
少女の細腕が、その背丈をすっぽりと隠すような幅広の大剣を片手で操る。
重く低く響く、鐘のような音の波。
下からの斬り上げが、赤の大鎌を受け止めていた。
がちりと噛み合った刃を、そのまま弾くように力を込める。
押し込む茜と押し返すマナ。
体重をかける茜の革靴が、マナのついた片膝が、滑りやすい地面の泥をぐねりと歪ませ、
しかし勝ったのは下、重心の低いマナの圧力だった。
跳ね上げられる大鎌。
かち上げられる大剣。
手応えはない。
勢いに逆らわず飛び退った茜を睨みながらマナが立ち上がる。

866アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:52:24 ID:ruXzk7n60
顔に張りつく泥を拭うその手の甲も泥に塗れていて、マナの表情を彩る黄土色の縞模様は雨に崩れて醜い。
口の中には砂の味。
無造作に吐き出した唾が顎に垂れたのを、もう一度拭う。
見据える先では、豊かな蜂蜜色の髪を雨にべっとりと濡らした少女が泥に塗れて醜い。
奇怪な血の色の大鎌を腰溜めにした瞳に色はなく。
きっとそれが、里村茜という少女だ。
ならば雨の中、泥に塗れ、己が意志も持たず。
どこかの誰かに託された想いと生とを剣として支えに立つ自分は、観月マナだ。

「―――ッ!」

少女二人に声はなく。
同時に上げたそれは正しく、咆哮だった。

誇れ、何にも拠らず立つことを。
誇れ、世界を殺す感傷を。

泥を跳ね上げ、雨を切り割って駆ける少女が、激突する。
ぶつかり合う刃が、何度も何度も音を立てる。
弾き、弾かれ、互いを断ち割らんと振るわれる刃が雨の中、少しづつ光に還っていく。
咆哮と、雨音と、刃の弾ける硬質な音とが小さな空き地を覆い、
蒼穹と滄海と、人の見る世界の拡がりの色が、
薄暮と灯火と、人の中に流れている命の色が、
少女たちを包み込んでいく。

互いの刃が、互いの刃を削り。
削り、削り、削り、折れ、砕け、散り、光に還り。
やがて細い刃だけを残して少女たちの手には何もなくなっても。
それでも少女は牙を止めない。

か細い刃を、後ろ盾のない想いを。
ただ、ぶつけ合う。

きらきらと輝く音と、さらさらと流れる光の中。
背負うものすらも忘れた、闘争の果て。

「―――」
「―――」

青の剣が、赤の少女を貫き通し。
赤の刃が、青の少女を貫き通し。

ゆっくりと、ゆっくりと。
倒れ伏す、少女二人の外側で。
雨の空き地が、割れ、砕けた。


 
******

867アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:16 ID:ruXzk7n60
 
 
そこは広い岩窟だった。
静謐の中、照らす灯火も既に消え、闇だけがその空間を満たしていた。

動くものは何もない。
闇の底に沈んだ岩窟には、微かな息遣いも、ほんの僅かな温もりも、存在してはいなかった。
風すらも吹かぬ、悠久を闇に沈んであり続けるかのような岩窟に揺らぎが生じたのは、
ならばそれが何時のことであったのか、判然としない。

判然とはしなかったが、しかしそこに現れたものがあった。
生まれたのは、光である。
真円に近い光の球が、いつの間にか闇の中に漂っていた。

奇妙な光球だった。
自ら輝きを放ちながら、しかし闇を照らさない。
ただ光として在り、しかし闇を侵さないそれが、唐突に、二つに割れた。
割れた二つの光球が、次第にその色を変えていく。

何も照らさぬ、透き通るような青と。
何も照らさぬ、透き通るような赤と。

互いの周りをくるくると回る青と赤の光球は、耳を澄ませば微かな音を立てて震えていた。
きらきらと光る薄い翅の揺れるような、ほんの僅かな音。
それはどこか、遠い国の言葉のようでもあった。

「―――」

「―――」

囁き合うような光球は、互いの周りを回りながらその速度を増していく。
二つの光球がやがて視認できないほどに加速し、回りまわる赤と青が、闇を照らさぬ二色の光が絡み、
融け合い、やがて赤と青という色の境目をなくした、その刹那。
音が、爆ぜた。

光球の立てていた微かな音とは明らかに異質な硬い音が、幾つも連鎖する。
それは、洞窟を構成する岩盤に、無数の罅が入っていく音だった。
崩落。岩窟が、崩壊していく。
轟音と共に土埃が立ち昇る。
巨大な岩盤が、大小無数の欠片になって崩れ落ちていく。

闇の中、闇を照らさぬ光は、崩落する岩盤に包まれてもう見えない。
砕けて落ちる岩窟の中、微かな息遣いも、ほんの僅かな温もりも、既にない。
声はもう聞こえない。





「―――」

「―――」





声はもう、聞こえない。




 
******

868アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:30 ID:ruXzk7n60
 


否。


 
******

869アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:43 ID:ruXzk7n60
 


「―――ねえ、世界って―――」


 
******

870アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:09 ID:ruXzk7n60
 

藤田浩之がその声を聞いたのは、七瀬彰と名も知らぬ触手の男を埋葬し、その墓に手を合わせた、
正にその時である。
どこからか響くようなその声に戸惑ったように顔を上げた浩之が、柳川祐也と顔を見合わせ、
ふと微笑んで、首を振る。
声は、短い問いだった。
ほんの小さな、ひどく身近な、単純で深遠な、小さな問い。
確かな答えは、見交わした視線の中にあった。

静かに口を開いた浩之の、その眼差しに迷いなく。

「んなこと、ねえよ―――たまにかったりいけど、な」

その声音に揺らぎなく、応える。
浩之の言葉をどう受け止めたのか。
声は、それきり聞こえなかった。

「なあ、今のって……」

目を見交わした柳川が、意を汲んだように頷く。
どこからともなく響く、怪しくも不思議な声。
それがどこかで聞いたことのある声であるように、浩之には思えたのだった。
首肯する柳川の、優しげな眼の光に浩之が確信する。
それは、傷ついた二人を癒し、護り、そして勝利へと導いた、青い光を纏う歌。
誰ひとりとして歌わぬ、だが誰の耳にも聴こえた、あの歌声に似ていた。


 
******

871アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:28 ID:ruXzk7n60
 

「え……?」

どくん、と震えたのは心臓ではない。
辺りを見回した春原陽平が、無意識の内に撫でていたのは下腹である。

「そんなのわかんない、けど……」

何かに背中を押されるように、声が出た。
木漏れ日の眩しい林道の中、さわさわとざわめく梢の音に混じって聞こえたのは、ほんの短い問い。
まるで空に融けるような声にも、春原は不思議と恐怖を感じなかった。
それはとても懐かしく、同時にひどく近いどこかから聞こえてくる声のように、春原には感じられていた。

「わかんないけど……少なくとも、退屈はしてない……かな?」

ざあ、と。
ひと際強い風に木々が揺れた、その時にはもう、声は消えていた。

「……ちょっと! ついてくるならさっさとしなさいよ、まったく!」

代わりに聞こえてきたのは怒声のような響き。
慌てて駆け出した春原陽平の、その片手で押さえた下腹に宿った小さな光は、誰の目に留まることもなかった。
青い、青い光が、風に舞い上がるように立ち昇り、梢の向こうへと消えていったのに、気付いた者はいない。


 
******

872アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:55 ID:ruXzk7n60
 

崩れ落ちる岩窟の中、凛と光るものがある。
闇を照らす光が、闇を照らさぬ赤と青の光を圧して、そこにあった。

「―――ねえ―――」

光が、声を放つ。

「―――ねえ、世界って、そんなに、つまらない?―――」

声は響く。
世界に響く。

問いに気付く者は僅か。
問いに答える者は僅か。

それでも、答えはあった。
その問いに応える者は確かに、存在していた。


***


そうして青が、闇を照らさぬ光の片方が、応える。

「―――私には、好きな人がいるんだ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。
 それが、答えだよ」

その応えはどこまでも驕慢で誇り高く、享楽に塗れ放埓に過ぎ、
同時にひどく、満たされていた。
少女と呼ばれる者たちの、それは輝く日々だった。


そうして赤が、闇を照らさぬ光の片方が、応える。

「―――いいえ、いいえ。確かにままならず、確かに愚かしく、確かに脆弱で、取るに足らず。
 それでも、素晴らしいものも、ほんの少しだけ、ありました」

その応えはどこまでも不遜で計算高く、意気地なく哀切に満ち、
同時にひどく、鮮やかだった。
少女と呼ばれる者たちの、それは小さな牙だった。


***


応えは返る。
世界に響く。

「―――そう―――」

光が、その眩さを増していく。
赤が呑まれ、青が融け、光が膨張する。

「―――なら、僕は―――」

轟音を圧し、崩落を圧して、
光が瞬き、そして。

「―――生まれたいと、思う―――」


 
******

873アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:12 ID:ruXzk7n60
 


岩窟に、光が満ちた。


 
******

874アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:22 ID:ruXzk7n60
 


さわ、と。
鼻先を撫でる潮風に、ゆっくりと開かれた観月マナの目に映ったのは、ひどく遠い、蒼穹の青だった。

岩窟はなく、それを満たす光もなく。
ただ、澄み渡る空だけがあった。

日輪が、輝いていた。

875アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:41 ID:ruXzk7n60

 
【時間:???】

【場所:B−2海岸】
観月マナ
 【状態:生存、エピローグへ】

【場所:???】
里村茜
 【状態:不明】


【時間:2日目午前11時半すぎ】

【場所:C−3 鎌石村】
藤田浩之
 【状態:生存、エピローグへ】
柳川祐也
 【状態:軽傷、エピローグへ】

【場所:G−5】
長岡志保
 【状態:異能】
春原陽平
 【状態:妊娠】


【時間:???】
【場所:???】
???
 【状態:決意】

→921 938 998 ルートD-5

876霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:11:17 ID:cXyYwh360
 ぽつぽつ、と鈍色の空からは雫が降り注いでいた。
 どんよりと立ち込めている暗雲はまだ姿を見せているはずの太陽を遮り、夜の帳を早めている。
 まだそんなに雨粒の数は多くない。
 今からすることの障害にはならないだろう、と前髪につく水滴を払いつつ、国崎往人は川澄舞の姿を待っていた。

 「少しやることがあるから、待って欲しい」と言ったきり、かれこれ10分が経過しようとしている。
 一体何をやっているのだか、と疑問に思いながら手持ち無沙汰に護身用の投げナイフを弄ぶ。
 まさか、未だに自殺を考えている……ということはないだろう。
 寄り添っている間に感じた安堵の雰囲気は、間違いなく本物だ。
 これからどうしていくかについては結局、明瞭な返答は得られないままだったが生きていくという意志は見える。
 過程が見えていないだけだ。なら、それはじっくりと探していけばいい。
 その間の手伝いくらいはしてやろう、そこまで考えて、今までの自分なら考えもしなかっただろうなと思い、往人は苦笑する。

 母さん、俺は今度こそ間違えずにいられると思う。
 ……この姿を、見せたかったな。

 記憶の片隅にしかなく、顔もぼんやりとしか思い出せない母親の輪郭を空に見ながら、往人は目を細める。
 まだ家族を思うほどには情が残っている。
 人らしさが残っていることに安心感を覚えながらそろそろ呼びに行こうか、と思ったとき、タイミングよく舞が玄関をくぐって出てくる。
 噂をすれば……ではないか。

 何をしていたんだと尋ねようとして、舞の手に小さな箱が納まっていることに気付く。
 荷物の整理をしていたときにはなかったものだ。往人はまずそちらに興味を移し、それが何かと尋ねる。

「マッチ」
「……今時、まだそんなものがあるんだな」

 簡素に答えて、舞は抱えていたデイパックを地面に置き、マッチ箱だけを手に持った。濡れないように手のひらで隠しながら。
 何に使おうとしているのかはすぐに察しがついた。
 雨粒の匂いに紛れて漂ってくる刺激臭。どこか硬い舞の表情。
 それを止める気はなかったが、確認する意味も込めて往人は問いかける。

877霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:11:42 ID:cXyYwh360
「いいのか」
「……構わない。これが、私なりの結論だから」

 その声は諦観ではなく、決意のようなものがあった。
 そうか、と答えて往人はそれ以上何も言わなかった。
 けじめだと言うのなら、手を差し伸べる必要はない。
 一歩身を引いて舞のするがままにさせることにした。

 同時、シュッと軽い音がして暗くなりつつある平瀬村に一つ、小さな灯りが燈る。
 煌々と瞬く光は儚く、今にも消えてなくなりそうに見えたが、しっかりとした炎を纏っていた。燻らない強さがあった。
 しばらく舞はそれを見つめ、やがて意を決したように火を民家の中に投げ込んだ。
 途端、轟と凄まじい炎の波が膨れ上がり数瞬の間に民家を駆け巡る。

 壁材が灼熱に溶かされ、化学繊維がパチパチと悲鳴を上げ、木材が崩れ往く。
 実際には民家の全身が炎に包まれるまでは何分かの時間を要しただろうが、往人にはひどく短い時間のように思えた。
 まるで炎はこの時を待っていたかのように踊り狂い、紅蓮のコーディネイトを施していく。
 熱気に押し上げられた大気は風となり、焼けて脆くなった部分を吹き飛ばす。
 既に燃え尽きて灰になった一部が雨だというのに宙を舞い、鈍色から漆黒へと変わりつつある空へ同化してゆく。
 火は勢い益々盛んに全てを焼き尽し、所々でガラスが割れはじめる音が響きだした。

 死者の悲鳴だとは思わなかった。現場にも立ち会ってない自分が思うのはあまりに勝手かもしれないが……
 だがそれでも生き延びろ、生き延びろと声を張り上げているように往人は感じたのだ。

 轟、と風が凪いだ。
 ギリギリと民家が音を立て、僅かにその姿を変え始める。墓になろうとしているのだ。
 なおも強くなる熱風は雨などものともしていないかのように二人を撫で付ける。
 行け、もう自分達は使命を果たしたのだと、背中を押すように。

878霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:03 ID:cXyYwh360
「……まだ、やる事があるな」

 もう少し待ってくれ、と心中で笑いながら往人は腕を捲くり、ナイフを逆手に持って刃をむき出しになった腕へと向ける。
 あれが舞の決別なのだとしたら、これが俺のやり方だ。
 ぐっ、と深く切り過ぎないように力を篭めて、往人はナイフを押し付ける。

「往人? 何を……」
「大丈夫だ、リストカットなんかじゃない」

 その様子を見た舞が慌てたように止めようとするが、言葉で制し、僅かに苦痛と流れ出る血を感じながら続ける。
 それでも不安なのか、心配そうに見つめる舞を横目に見つつ、往人は一文字ずつ言葉を刻んでいく。

 『Don't forget』

 ……これくらいの英語は知っている。多分スペルミスもないはず。……多分。
 ともかく、これが往人なりのけじめのつけ方だった。
 忘れない。事実を事実として受け止め、その上で進んでいくしかない。
 逃げない。逃げるわけにはいかない。そんな意味も篭めて。
 雨と混じった血が赤い河となって流れて行くのを眺めながら、往人は捲くっていた袖を元に戻した。

「……」
「どうした?」

 もの言いたげな視線を寄越す舞に、往人はなんの気はなしに尋ねてみる。
 反応して、舞は口を開きかけたが何か思うところがあったのか、少し逡巡して何でもない、という風に首を振った。
 表情に変化が少ないため何を考えていたかは読み取れなかったが、バカにしていたわけではないだろう。
 ということは、スペルミスはないな。文法ミスもなさそうだ。
 そんなくだらないことでホッと心中でため息をつき、本当に何も言わないのを確認して、行こうと促す。

879霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:25 ID:cXyYwh360
「あ、待って」
「今度は何だ?」
「気付いた。荷物の整理をしていない」
「……そう言えば、そうだ」

 家を出る前にやっておくべきだったことを、どうして今まで気付かなかったのか。
 色々あったから仕方がなかったとはいえ、肝心な所をボケすぎだろう俺、と往人は嘆息する。
 だが今更何を言ってもどうにもなりはしない。さっさと行動に移して要領よくやるべきだ。

「一旦全部出すか……確か、六人分はあったな」

 言いながら、持ってきたデイパックを次々と開けて中身を取り出していく。
 流石に、とでも言うべきか六人分もあれば武器の量も多く加えて高性能なものが揃っている。
 軽く武器庫状態だな、と思う一方、それだけの命の重みを抱えているのだとも実感する。

 ともかく、種類は豊富だった。
 銃だけでもショットガン(レミントンM870)、拳銃(SIG P232、ワルサーP38)が二丁、鉄扇、トンカチ、フライパン、カッターナイフ、投げナイフが四本。……と、謎のスイッチが一つ。
 レミントンに関しては予備弾薬は十分であるが、他の二丁の拳銃はほぼ残弾が皆無であることが判明した。
 往人の手持ちの38口径弾は転用できるかどうか分からないので、それなりに詳しい人間に出会えるまでこのままにしておこう、ということで結論を得た。
 謎のスイッチであるが、全く以って謎の代物であり、説明書を見ても何が何やらという調子で下手に使うのも躊躇われた。
 見る限りでは無線機のような形状であり、恐らく電波か何かを送信するのであろうアンテナが見受けられるが、やはり見渡しても何も分からない。
 かと言って壊すのも勿体無い気がしたので、これも保留。
 残りは白兵戦に用いる近接武器、と分配を考えようとしたときだった。

 燻る雨と煙の向こう、泥のように濁った気配が霧の中に出現した幽鬼の如く立ち込める。

「……」

 耳を凝らさなければ聞こえないくらいの掠れた声が湿った大気に伝わったと同時、往人は無用心だった、と舌打ちし……
 電撃的に舞の腕を引っ張り、身体を手繰り寄せる。
 その空間を、雨の冷たさよりも冷酷に、ボウガンの矢が潜り抜けていった。

880霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:42 ID:cXyYwh360
 考えてみれば、轟々と火を上げ続ける民家が目印にならないわけがなかったのだ。
 周囲が暗さを増しつつあるなら、尚更。
 迂闊だったと己の注意不足を恥じつつ、集中を取り戻した舞が地面に置いていた日本刀を手に取り、すっ、と構えるのを横目にしながら、往人もコルトガバメントカスタムを向ける。
 互いの距離は約10メートル前後。
 地面のコンディションは劣悪という程ではない。濡れた草などに足を取られないようにすれば、問題はない。
 その判断を三秒足らずで下し、眼前に迎える敵の姿を見る。

 小柄な少女だった。
 ただ、その格好はスクール水着に制服と、この島には似つかわしくないような異様さを放っている。
 だがそれより、何より異常だったのは……

「何で避けるんだよっ、なんでっ、なんで、なんで……っ!」

 ――雰囲気。
 何かに取り付かれたかのような、余裕のない瞳。
 執拗なまでに向けられる獰猛で、我侭な殺意。
 暗く水底に沈んだかのような、虚ろな叫びを上げて。
 朝霧麻亜子が、歯を噛み締めて、ボウガンを持ち上げた。

     *     *     *

 何かが、音を立てて崩れ落ちていくのがはっきりと自分でも感じ取れた。
 目の前が真っ白になる……その表現が、間違いだと分かった。
 虚無だ。白ではなく、そこは無に満ちていた。
 自分の存在すら感じられないくらいに、人事不省になるのではないかといっても差し支えない足取りで、朝霧麻亜子はよろよろと歩く。
 どん、と壁に身体が当たって、はじめてそこに自分の身体があったのだと認識するほどに、麻亜子は何も考えられなくなっていた。

881霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:02 ID:cXyYwh360
「嘘だ……こんなの、冗談だろ……?」

 否定する声は、思ったよりも白々しく感じられた。
 用意された台詞を喋っただけの、空虚で中身のない声。
 あるいは――放送で死んだと伝えられた、久寿川ささらと河野貴明の一件を受け入れようとしている、自分の頭に対して言ったものかもしれなかった。
 そして、そのことは麻亜子が完全なる『殺人鬼』へと変貌したことをも証明している。

「違う、違う違うちがう! あたしはっ、そんなことのために殺してなんかない!」

 誰も問いかける者もいないのに、麻亜子は必死に、髪を振り乱す勢いで反論する。
 だが、聞こえる声は止まらない。

 お前はもう、殺人を愉しむ餓鬼なんだ。人の悲鳴を好み、戦いと憎悪を快楽とする阿修羅なんだと、囁き続ける。
 受け入れろよ。お前の目的は友達を救うことじゃない、血を啜りたいだけなのだろう?

 ……狂ってる。何もかも。

 そんな押し問答を繰り返す自分が、残酷に奪っていくこの世界が、
 親友だった二人の死を、悲しみもしない、心が。
 一番信じられないことだった。
 どんなことがあっても大切にしようと、守り通そうとしてきたはずなのに、大好きだったのに、涙の一滴も流していない。
 人を殺し続けた結果が、これだと言うのか。

 『冗談だろ?』

 この一言に、全てが詰まっていた。
 あらゆる事が冗談としか思えない出来事。
 変わってしまった自分、変えられない現実、変えられぬ過去……
 紛れもない真実であり、空想のような事実。
 これで、ここから、どうしていけばいいのだろう。

882霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:27 ID:cXyYwh360
 夢の続きだった。
 境目のない虚無を歩き、殺しを肯定する自分と、否定する自分に喘ぎ、出せぬ結論に苦しむ。

「……いや、まだだ、まだ方法はある……」

 放送の内容は、辛うじて覚えている。
 いや、覚えていなければならないという意思が、優勝しなければならないという意思が働いていたからなのかもしれない。
 どちらでも良かった。問題は、残り人数のみ。
 二人まで生き残れることも、二人とも願いを叶えて貰えることも、生きて欲しいと願った二人がいなくなった瞬間から、意味を為さない。
 全く因果なものだ。これを仕組んだのが運命だというのなら、その運命をズタズタに引き裂いてやりたいところだった。

 乾いた笑いを上げながら、麻亜子は指折り、生存者数が30人強にまで減っていると認識する。
 残りはそれだけ。それだけ殺せばいい。
 骨が折れ、肉が千切れ、悪鬼羅刹に身をやつそうとも、一人残らず屍に変える。
 どうせそう望まれているのなら、そうしてやろうではないか。
 誰かが哂う。主催者が、恐らくはいるはずであろうこの殺し合いの協賛者も。
 結構。掌で弄ばれようが、それでもやり遂げねばならないことがある。
 邪魔する人間は全て皆殺し。
 許しを請い、慈悲を願い、額を地面に擦り付けて涙を流し生を懇願しようが、冷酷に切り捨てるのみ。
 今まですら甘すぎた。
 既に救いは無い。求められるはずも、手が差し伸べられるわけも無い。

 残された手段はただ一つ。
 地獄へ自ら堕ち、宝物を奪い、蜘蛛の糸を辿り戻ってくるしかない。
 即ち――優勝して、二人を生き返らせてもらうこと。
 これさえ叶えられれば、たとえその後自分が死んだとしても、想像を絶する苦痛に苛まれ、陵辱されたとしても構わない。

883霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:49 ID:cXyYwh360
 もうそれしか……それしか、麻亜子には考えられなかった。
 それ以外に、どうしていいか分からなかった。
 心すら、今は煩わしい。
 こんなにも苦しいのならば、悲しいのならば、感情などいらない。そう思うくらいに。
 それでもやらなければならない。麻亜子がやらなければ……一体誰がかつての日々を取り戻してくれるというのか。
 当たり前のようにあったあの日常は、最早麻亜子にしか取り戻せなかった。

 何も考えるな。機械になれ。もう、物思いに耽るのはここまでだ。
 決意しても尚、麻亜子の中にある何かが悲鳴を上げ、軋みを立てて痛みを訴えようとする。
 後悔しているのだろうか。こんなことになってしまったことを、今更、今更、今更……
 そう、今更だ。だから、こうやって方法を模索し、皆殺しにして願いを叶えて貰うという選択に行き着いた。

「……よし」

 それ以上黙っていれば、また何か考えてしまいそうな気がしてそれで締めくくることにした。
 今までだってそうだった。言葉は道化だ。
 何かを考えないようにするには、全てを遮り、喋り続けているのがいい。
 そうすれば、何も聞こえない。

「さぁて、行きましょうかね、無限の彼方へー! ……っとと、その前に持ち物の確認か。冒険する前の準備はRPGの常識だよねー」

 戦闘続きでデイパックの中身は久しく確認していない。
 それにしては戦利品が少ないのを懸念しつつ、麻亜子は鼻歌交じりに荷物を確認する。

「ふんふん、黒くて太くて硬いものと、先端が尖ってて硬いものと、勢い良く発射するやつか」

 誰かが盗み聞きしていれば間違いなくある種の誤解を招きそうな事を(本人は確信犯的に言っていたが)喋りながら、ボウガンの矢数はまだそれなりに残っていることに安堵する。
 元々大量に支給されていたのと、モッタイナイ精神の元拾えるものがあれば拾い集めていたので、矢の残りは36本。
 デザート・イーグルは強力無比ではあるものの残り弾数があまりにも少なすぎる。
 柏木耕一のような化け物相手でもない限り使わない方が無難だろう。
 となると、ボウガンで狙い撃ちしつつ近距離に入り込まれたらナイフで応戦するのが基本戦術となる。
 結局、新しい武器を手に入れるまではいつも通りか。

884霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:14:19 ID:cXyYwh360
 制服のポケットにナイフを入れ、ボウガンを手に持ち、麻亜子は新たなる戦いへと赴く。

「……大丈夫、あたしはまだ、大丈夫。忘れてないから、だから、待ってて、さーりゃん、たかりゃん」

 その二人の名前が心に圧し掛かるのを無視して、麻亜子は家の玄関を開けた。

「さよなら」

     *     *     *

 麻亜子が往人と舞を発見したのは、それからすぐのことだった。
 雨に濡れた大気の中に浮かぶ、薄紅色の景色と風に運ばれてやってくる、焼け焦げる匂い。
 何かを燃やしているな、と判断した麻亜子はすぐにそちらに向かうことにした。
 まだ炎が燃え盛っているなら、人がいるのではないか。そう思って。

 この予測自体は正しかった。
 気配を殺しながら、慎重に足を進めた先には二人の男女がいた。
 何をやっているのか、雨が降っているというのに荷物の確認をし合っていた。
 恐らく、家に火をつける前に確認するのを怠っていたのだろう。

 間抜けだ、と息を漏らし、一思いに殺してやろうとボウガンを持ち上げる。
 犠牲者、第四号と五号だ。
 連射こそできないボウガンだが、音もなく一撃必殺の矢を放てるのは最大の利点。
 相方がいきなり倒れ、動かなくなれば間違いなくもう一人も動揺する。後はそこに矢を撃ち込めばいい。
 狙いをつけようと目を凝らし、対象を捉えようとした麻亜子だが……それが一つの物体を目にする結果になった。

「あれ……は……?」

885霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:14:44 ID:cXyYwh360
 男が持ち上げた、見覚えのある扇子。見紛うはずがない。何故なら、あれは麻亜子が実際に使っていた、鉄扇なのだから。
 瞬間的に、麻亜子が記憶を手繰り寄せる。

 あれを持っていたのは誰だったか。
 学校でのいざこざがあったときに奪われたはず。
 誰に?
 たかりゃんの近くにいた、仲間っぽいツインテの女の子。
 そして、たかりゃんの近くにはさーりゃんもいた。
 逃げたあたし。
 追っていたたかりゃんとさーりゃん。
 燃え盛る家。
 その前で、あいつらの持ち物だった荷物を持って何か確認し合う二人組。

 事実が過去と繋ぎ合わさり、一つの推測を生み出す。
 まさか、たかりゃんとさーりゃんを殺したのは、あの、二人?
 状況証拠があまりにも揃いすぎていた。
 冷静だったはずの頭が、どんどん熱を帯びて思考を一元化させる。封じ込めていたはずの余計な思考が入り込む。

886霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:04 ID:cXyYwh360
 あいつらが、あいつらが……殺した……

 『だが、逃げたのはアンタだ』

 あれはっ……あの時は……仕方なく……

 『アンタさえ逃げなきゃ、二人は死ぬことはなかったんだ』

 逃げてなんかない! 殺したのはあいつらだ!

 『そうだとしてもその要因を作ったのも、アンタ』

 違う! 違う違う違う!

 『さーりゃんとたかりゃんを殺したのは、アンタなんだよ。まーりゃん』

 違うっ……そんなこと、あるもんかぁっ!

「……っ!!!」
 流れ込んでくる声を黙らせるかの如く遮二無二ボウガンを振り上げ、半ばいい加減に狙いをつける麻亜子。
 それがいけなかった。
 気付かないはずだった男――国崎往人――が気配に気付き、相方の女――川澄舞――の手を引っ張り、ボウガンの射線から退いた。
 空しく外れた矢は、麻亜子の空回りする思いを示しているかのようで。

「何で避けるんだよっ、なんでっ、なんで、なんで……っ!」
 思い通りにいかないのを、苛立ち、駄々をこねる子供のように叫び、矢を再装填する麻亜子。
「当たってよっ! アンタ達が、アンタ達がいるからっ!」

 何に対して怒っているのかも自身ですら分からぬまま、再度舞の方へと向けて矢を発射する。
 だが先程と違い十分に集中を保っている舞は射線を読み切り、僅かに横に動き、二発目の矢も回避する。
 そのまま刀を構え、突進してくる舞の、予想以上のスピードに麻亜子は反応が遅れた。
 三度目の装填は許されない。ボウガン本体を刀の鍔で押し飛ばされ、高々と放物線を描いて麻亜子に後ろに落下する。

887霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:21 ID:cXyYwh360
「……っ! どうして……! そうなんだよっ!」

 サバイバルナイフを抜くと、懐目掛けて斬りつけようとする麻亜子だが、冷静に一歩引きそれを刀で弾いた舞に阻まれる。
 めげずに幾度と無く振るうが、舞は元々夜の学校で剣を振るい、正体不明の魔物と対峙してきた、白兵戦における実力者でもあった。
 卑怯の女神とあだ名され、その神懸り的な知略と小柄を利用した運動能力を誇る麻亜子でも、その道の達人には及ばない。
 加えて、今の麻亜子からは冷静さも欠けていた。
 そもそも冷静であるなら今の時点で実力者に真っ向から勝負を挑むのは無策かつ無謀だと悟り、敵を出し抜く術を考えていたところだろう。
 それどころか当たらない攻撃にますます焦り、無闇矢鱈に攻撃を繰り返す始末であった。
 まるで、目の前の舞ではなく、その先の見えない何かを追い払っているかのように。

「あなた……?」
「五月蝿い! 黙れ! 喋るなっ! ここからいなくなれ!」

 様子がおかしいと気付いたのは、舞だけではなく、往人もだった。
 遮二無二攻撃を繰り返し、目の前を倒す事しか考えていないかのような行動。
 何かを否定するかのように大声を張り上げ、側面に回ってガバメントカスタムを構えている往人にも気付かない。
 明らかに精彩を欠きすぎている行動から、却って何か策ではないのかと疑わせるくらい、麻亜子の状態は異常だった。

「アンタ達のせいで、死んだんだろ!? さーりゃんとたかりゃんは!」
「さーりゃん……? あなた、まさか」

 その呼び名に聞き覚えのあった舞が少し動転し、僅かに動きが止まる。
 間隙をついて振るわれたナイフの刃が、舞の腕を浅く裂く。
 痺れるような痛みに顔を顰め、舞が大きく飛び退く。

「舞っ!」
「大丈夫、大したことない」

888霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:43 ID:cXyYwh360
 叫ぶ往人を手で制し、任せて欲しいと視線で訴える。
 その瞳の色に説得され、往人は追撃していく麻亜子の姿を見る。

 あいつ……いや、今は舞に任せよう。下手に手を出すと、取戻しがつかなくなってしまうかもしれない。
 ガバメントカスタムはいつの間にか下がり、代わって、仕舞っていた風子のスペツナズナイフの柄を握る。
 頼む。上手くいくように、お前も力を貸してくれ。

 往人はそう願いながら、二人の姿を見つめることに集中した。
 願いの先では――川澄舞が、両手に刀を持ち直しながら、朝霧麻亜子に話しかける。

「……まーりゃん先輩、というのは、あなた?」
「……やっぱり、殺したんだ。そうだよ、あたしがまーりゃん。でもそんなのどうでもいいよ、さっさと死んでって、言ってるだろ!」

 再び振るわれる刃を、今度は動揺せずに受け止める。
 相手が分かった以上、舞にもう迷いはなかった。
 今の舞の命を繋いでくれた、まーりゃんの後輩の少年。
 頼む。無念と共に紡ぎだされた言葉が今も舞には重く圧し掛かっている。
 けれども、それに潰されるわけにはいかない。

 後を任されたのだから。それに応える。それが私の、信頼の証だから。

 力で薙ぎ倒そうとする麻亜子の刃を真正面から受けながら、舞が言葉を返す。

「殺してなんかいない。それに、私は貴明から後を任された……あなたを止めてほしい、って」
「な……嘘を……分かったような事を言うなよっ! 白々しい……事をっ!」
「――だったら、どうしてそんなに怯えているの?」
「……っ!?」

 驚いたように、麻亜子の目が見開かれる。思ってもみなかった一言に虚を突かれ、動きが止まる。
 舞はそれを隙と見、ナイフも弾いて戦力を奪おうとする。
 だが硬直は一瞬。正気を取り戻して身を引いた麻亜子の前を振り上げられた刀身が駆け抜ける。

889霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:03 ID:cXyYwh360
「怯えて……? あたしに怖いものなんかあるもんか。仮にアンタが言ってた事が本当だとして、やることは変わらない。あたしが勝って取り戻すんだから、全部を」
「……何を、取り戻せるって言うの?」

 今度は、応えなかった。今度は無言。知らん振りを決め込むように言葉の追随を許さず、ナイフを振り込む。
 その居直りを、舞は許さない。今度は舞が踏み込み、当身するように麻亜子に突進する。
 同じ女性であるが、体格差は無視できない。力を抑えきれず、受け止めたはずの刀が徐々に押してくる。
 だが麻亜子は前蹴りで切り返し、若干バランスを崩した舞から即座に距離を取る。逃げるように。

「死んだ人は、戻ってこない。どんなに強く思っても、どんなに必死に切望したとしても……」
「知ってるよ……でも、でも! それでもあたしは信じるしかない! あたしが信じなきゃ、誰が取り戻してくれるって言うの!? 二人の居場所を!」

 戦いは、次第に白兵戦から舌戦へと変貌してゆく。
 無骨な刃物同士が火花を散らし、甲高い音を鳴らすのはなりを潜め、代わりに人間同士が織り成す感情の渦が場を支配していく。
 鍔迫り合いは大きく言葉がぶつかり合う瞬間。

 互いが互いを否定し合う。
 一方は頑なに自らの目標に拘泥し。
 一方は使命感と、信頼に応えるために。

「アンタは何も分かってないんだよ! 大切な人を失う哀しさが、あたしが想う気持ちが!
 さーりゃんとたかりゃんはこんなところで死ぬべき子たちじゃなかった!」
「貴女だけじゃない……! 私も、往人だって大切な人を亡くした! 何よりも大事にしたいひとを助けられなかった!
 どんなに苦しんで、苦しんで、辛くなっても絶対に守りたかったのに、出来なかった!」

 舞の中で、親友の姿が思い出される。
 どんなに辛いときでも、苦しいときでもそのひとがいたから頑張れた。立ち上がる事が出来た。
 ずっとずっと、守り通していきたかったのに。
 そうする事は叶わず、そればかりか仲間の死を呆然と見つめているだけで、生き恥を晒し。
 だが……

890霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:21 ID:cXyYwh360
「貴明も、ささらもきっと同じだった! 助けたい人がいるはずなのに、どうしようもなくて、
 それでも逃げずに最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいってしまった!
 何が正しいのか、これでいいのかってろくに考える暇もなくて、やれることをやって死ぬしかなかった!
 佐祐理も、観鈴だって……!」

 舞が口にした観鈴、という名に様子を見ていた往人にも何か熱いものが腹の底から湧き出てくる。
 会えなくても、きっと観鈴は健気に笑い、人を一つにまとめようとしていたのかもしれない。
 逢いたい人に会えなくて、それでもまずやれることをやろうとして、それで犠牲となって、或いは庇って、或いは奪われるがままに。
 それは今の往人達も同じだった。
 今のこの生き方が正しいのか。
 ろくに考える暇もなく、それでも生きようとしていた殺し合いの犠牲者のように、懸命に生きていくしかなかった。

「だから、私達がその意思を継がなければいけない……どんなに悲しくても、苦しくても」
「……じゃあ、諦めろって言うの!? 大切なひとを殺されて、踏み躙られて、悔しくないの!?
 どんな手を使ってでも取り戻したいって思わないの!? アンタにとって一番大切なものって、その程度の価値なのかっ!」
「違う」

 舞ではなかった。全く別の方向から聞こえてきた往人の声に、麻亜子は戦闘中であることも忘れてそちらに振り向く。
 その先では往人が、激情を滾らせながら、しっかりとした真摯な目を麻亜子に向けていた。

「俺達は鳥なんだ。血を吐きながら、繰り返し繰り返し苦しみや悲しみ、辛さ、苦しさを乗り越えて飛ぶ鳥だ……!
 その先に救いがなくても、求めていたものが得られなくても、俺達は飛び続けて、空を目指すしかないんだ……!」
「……確かに、悔しい。憎くないわけない。踏み躙られて、どうでもいいわけなんかない。きっと一生忘れられない。
 でも、そうやって生きていくしかない! あの日を取り戻す力なんて、どんなものに縋っても、ないから……!」
「そんなこと……!」

 ない、とは言えなかった。言葉に出して否定することが出来なかった。
 既に知っているから。日常を、つい昨日まであったあの日を完全に取り戻すことなんて不可能だということを。
 けれども、もう麻亜子にはどうしようもなかった。
 どうやって空を飛べばいいのか、分からなかった。

891霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:41 ID:cXyYwh360
「でも、他にどうしようもないんだ! どうしろって言うんだよ……! あたし、たかりゃんとさーりゃんに顔向けできないよ……!
 それだけじゃない、それまでに殺してきた人たちも……ここで止めちゃったら、無駄死にじゃんか……!
 何て言えばいいの? どうしたらいいの? あたしには、戻れる場所も、留まれる居場所も、進める所もない!
 なら、無理矢理にでも奪い返すしかないじゃないか! たかりゃんとさーりゃんに、死んでいった人たちに顔向けするにはそうするしかないんだ!
 だから、返してよ……あの二人の居場所を、返してよ!」

 考えることを、二人の言葉を考えることを拒絶し、一声叫ぶと麻亜子はナイフを真正面に突き立て、舞に突進する。
 防御は考えなかった。ただ倒せればいいと考えていた。
 自分でも正しいと思う答えを否定するには、暴力と恐怖で押し潰すしかなかった。

「――そんなの、間違ってる!」

 叫び返したのは舞だった。
 反論するための声ではなく、それは真に心から伝えるための声だった。
 裂帛と共に放たれた刃は、当に神速。
 麻亜子の目はそれを捉えられなかった。
 剣風が突き抜けたかと思えば、キンと小さな音を立ててナイフは宙に飛んでいた。
 麻亜子は敗北を悟る。
 これで完全に空手。
 デザート・イーグルはあるにはあるが、取り出す間に再び弾き飛ばされるのがオチだろう。
 それより、何より……自分は、泣いているのだから。

「……誰も彼もが救われる道なんてない。死んでしまった時点で、救われることも、赦してくれるはずなんてないんだからな……」
「それに、まーりゃんは手段と目的を履き違えてる。……自分が赦されたいがために、殺し続けようとしているだけ……
 私と一緒……自分が赦されたいだけのために、命を絶とうとした。そんなのじゃ、誰も覚えていてはくれないのに」

892霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:03 ID:cXyYwh360
 同じ雰囲気を、舞は感じ取っていた。
 取ろうとした方法は違えど、自己満足がために行動していたのは同じに違いなかった。
 舞は往人がいたからこそ、これ以上の過ちを犯さずに済んだ。
 だから……というには早計かもしれなかったが、麻亜子にもそうなって欲しくなかった。
 まだ、彼女は生きているのだから。

「……でも、もうあたしは一人……それに、もう今更だよ……あたしは、たくさん人を殺して、どうしようも……」
「仲間なら、いる」

 舞が往人を見る。言われるまでもなく、往人はそれに従うつもりだった。
 まだ、自分の足で立って、自身で過酷を受け入れて、それでも歩こうとするなら。
 未だ燻る、熱情の残滓を抱えながら、往人は「ああ」と答えた。

「……いいの? あたしがいたら、殺人鬼の仲間だって、疑われるかもしれないよ……?」

 はらはらと涙を零しながら、確かめるように、けれども自身の負債には巻き込みたくないというように、躊躇いがちに視線を寄越す。
 だが、往人も既に一人を殺害し、舞も穿った見方をすれば、仲間を見殺しにしたと責められても仕方のない状況だった。
 この場にいる誰もが、誰かに責められ、罵られ、突き放される可能性を孕んでいる。
 それでもなお、前に進まねばならない。
 そうする義務があるのだから。

「なに、そのときはそのときだ。俺達も似たようなものだしな。
 ……お前が、逃げずに、死んでいった奴らの命を背負って血を吐きながら飛び続けるというのなら」

893霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:21 ID:cXyYwh360
 言葉の一つ一つが、麻亜子の胸の中に深く染み込んで固まっていく。
 皆が孤独な罪を抱えている。
 だからこそ、人は人と触れ合い、その罪を力を合わせて、何とかしようとする。
 それでどうにもならなくても。
 暴力や恐怖で押し潰そうとする力の倫理は、どこかで破綻する。
 どこかで崩壊する。
 いつかはそれ以上のものに潰されてしまうから。
 故に、お互いがお互いを支え合わなくてはならないのだ。
 力の倫理に屈せず、生き抜くために。

「ほんとう……? あたし、また誰かの近くにいても……」
「うん、だから、安心して」

 雨の中、燃え盛っていた炎は消えようとしていた。
 その全てを、濡れたままのちっぽけな存在たちに託すようにして。
 戦闘のほとぼりが冷め、雨に濡れ冷たくなりつつある身体が、しかし一点だけ暖かく、温もりを放っているのを麻亜子は感じていた。

 ああ、本当は、こうしてもらいたかったのだ。
 誰かにお前のやっていることは間違っていると、頬を叩いてもらいたかったのだ。
 どうして――
 どうして、この思いをあの時、貴明とささらに会ったときに、抱かなかったのだろう。
 結局、逃げたツケが、自業自得が降りかかってきた。
 最初の最初から、もっと自分の声に耳を傾ければよかった。
 自分にやれることは何だったのかと、もう少しでも恥ずかしくない生き方を考えておけばよかった。
 本当の日常は、きっと自分の手の中にあったはずなのに。

 ……だから、生きなければならなかった。
 最後まで恥ずかしくない生き方を、やれることをやって死ぬしかなかった、二人の意思を継ぐために。

894霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:41 ID:cXyYwh360
「――」

 ふっ、と。
 足腰から急激に力が抜け、自分の身体が崩れ落ちていく感触があった。
 同時に、雨の音が遠のき、意識が暗転していくのにも。
 何か口にしようとして、結局叶わぬまま、麻亜子は深い意識の底に沈んでいくことになった。

     *     *     *

「……大丈夫だ、気を失っているだけだろう」
「良かった……」

 ホッと胸を撫で下ろした舞を横目に、往人はどこか安心しきったように目を閉じて穏やかな吐息を立てている麻亜子を見る。
 恐らく、緊張の糸が切れたのだろう。
 言動から窺う限り、相当な無茶をしでかしてきたのだろう。
 服の間から除く細かい擦り傷、切り傷。
 精神的な苦痛だってあっただろう。
 ともかく、このままにしておいては風邪を引く可能性がある。

 当初は相談の結果、舞の仲間であったはずであり、惨劇も目撃していたはずの、今は忽然と姿を消した藤林椋という女の捜索にあたるつもりだった。
 舞が言うには大人しい印象の人物だったそうだが、ただ単に逃げただけとは思えない。
 何か考えあって戻ってこないのか、それとも……
 ともかく、事件に関しては第三者でしかない往人が結論を出すわけにもいかず、事の真相を究明すべく探し出して尋問するつもりだった。

895霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:55 ID:cXyYwh360
 ……が、このような荷物を抱えていてはそうもいくまい。
 藤林椋の捜索はもう少し後回しにすることにして、今はこのまーりゃんをどこかで休ませてやることが優先事項だった。
 それに、まともな服を調達してやる必要がある。いくら何でもスクール水着というのはひどい。
 往人は男であったが、別にそれに欲情するほど変態ではないし、未練もない。
 というかそもそも同世代の女性に比べれば明らかに幼児体型である麻亜子にそのような感情を抱くことはありえなかったのだが。
 国崎往人はその意味で健全な男性であった。

「予定変更だ。まずはまた適当に民家を探すことにするか……こいつの新しい服も調達しないとな」

 気を失ったままの麻亜子を背負い、雨の中定まらぬ視界に目を細めながら方針変更を告げる。
 荷物の大半を任された舞であったが、なんという事はないというように平気な顔をして武器だらけのデイパックを背負っている。
 先程の戦闘でも麻亜子が半ば自棄になって攻めてきたとはいえ、それを互角以上に戦う舞の運動能力も相当なものである。
 整った顔と、そんな身体を有する舞の華奢な体つき。
 人は見かけによらないものだ、と往人は改めて思った。

「……?」

 じっと見ていた往人に首を傾げて「何?」と問いかけた舞だったが「なんでもない」というように向きを変えて往人は歩きだした。
 失言が多かった往人は余計なことは極力言わないようにすることにしていたのである。口は災いの元。

 雨は降りはじめたときと変わらず、小ぶりに、しかしひたすらに降り続いていた。
 夜が明けたとき、果たしてそこには青空が広がっているだろうか。
 空を見上げながら歩く往人は、そんなことを思った。

896霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:18:17 ID:cXyYwh360
【時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、投げナイフ2本、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。まーりゃんの介抱、然る後に椋の捜索。マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】

その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。スク水の上に制服を着ている。気を失っている】

→B-10

897十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:52:08 ID:a9/hciC20
その山は死に包まれている。
無数の骸を積み上げた腰丈ほどの小山がそこかしこに点在し、大地は流れた血を吸い込んで赤黒い。
斬り飛ばされ、吹き飛び、或いは食い千切られて散らばった腕や脚や腹や臓物や眼や耳や歯や舌は
照りつける強い陽射しに乾き始めていた。
大気さえもが血煙に染まり、鉄の臭いの風が蒼穹の青を覆い隠すように立ち込めている。
と、駆け抜ければべっとりと全身を赤褐色の斑模様が汚しそうな、山頂の濃密な死臭を切り裂くように、音がした。

ル、と響く甲高い音。
びりびりと周囲を薙ぐような大音量は、それを発するものの異様を示している。
生まれ落ちたことを悔やみ恨むような、或いは生まれ落ちたことを悦び叫ぶような、
透き通る生命の響きを上げるそれは、裸身の少女である。
だがそれを少女と認識する者は、死に覆われた神塚山の戦いの、数少ない生き残りの中には
誰一人としていなかった。
少女の姿をしたそれを異様たらしめていたのは、先ずもって、そしてただひたすらに、
その桁外れの巨大である。
ル、と哭くそれは、全長にして凡そ三十メートル。
この星の上に生きるあらゆる生物種の中でも最大級の少女は、その凄まじい重量ゆえか、
或いは傾斜する山道の不安定ゆえか、腹這いの格好で北西側の山肌から山頂の台地へと
手をかけるようへばりついていた。
そのぎょろぎょろと辺りを見回す硝子玉のような瞳の上、露わにされた額が畸形児のように肥大し、
不気味に照り光っている。

それはまた、哭きながら嗤っていた。
およそ少女の浮かべる類の笑みではない。
今にもげたげたと箍を外した声を上げそうな、半ばまで狂気じみた、何かにとり憑かれたような笑み。
長瀬源五郎と呼ばれていた男の顔に浮かんでいたそれと、巨大な少女の笑みは同じ形に歪んでいた。
それは少女の精神がその元来の肉体に宿るものではなく、長瀬源五郎という狂気によって支配されたものに
取って代わられていることを如実に顕していた。
折からの強い陽射しが山頂を炙り、少女の裸身を灼き、その奇妙に肥大した額をぼんやりと照り光らせている。
ル、と哭いたそれは二千秒の後には神塚山を、沖木島を焦土と化す、悪夢の具現した姿だった。

岩盤を容易く抉るように大地へと食い込んだ、人一人にも比肩するその指の一本が、千切れて飛んだ。



***

898十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:52:47 ID:a9/hciC20
 
「サクサクいこうよ、サクサクさぁ!」

軽快な声を上げたのは長い髪を乾いた血に汚した女、天沢郁未である。
その全身を染める褐色もまた、見紛いようもない血痕だった。
ぱらぱらと赤褐色の粉を落としながら振り抜いた薙刀を構えなおすその姿は、まるで古い血の塊から
殻を破って生まれ出る雛鳥のようにも見える。

「敵はデカブツ、たったの一体! まとまってくれたんなら面倒がなくていいじゃない!
 アレをぶち殺せれば私らの勝ち、タイムオーバーで私らの負け! 単純明快、最高ッ!」

死を振り撒きながら生を謳歌するように、郁未が高らかに叫ぶ。
その背後、郁未の切り落とした巨大な少女の指がばたばたと蠢くのに手の鉈を振り下ろして止めを刺したのは、
長く美しい金髪をヘアバンドで後ろに流した、やはり妙齢の女である。

「テンション上げすぎですよ郁未さん。
 それとその想定には時間内に私たちが死亡するという可能性が抜けています」

金髪の女、鹿沼葉子が静かに告げる。
重く響く声の理知的な印象はしかし、郁未同様にその全身を汚した返り血の痕が台無しにしていた。
元は白かったであろうロングスカートを見事な血染めにしたその姿は底知れぬ恐怖だけを見る者に感じさせる。

「やられる? 私らが? このデカブツに? ……本気で言ってる?」

肩越しに振り向いた郁未が巨大な少女を顎で指す。
鉈を引き抜いた葉子が郁未と目を見交わし、静かに首を振った。

「いいえ」

不敵に笑った、その顔に修羅が宿る。
その足元、切り裂かれた巨大な少女の指が、奇妙に歪む。
ぐにゃりと火に炙られる蝋細工のように融け崩れたそれは、一瞬の後に人の形へと変貌していた。
胸の辺りを真っ二つに裂かれ、どくどくと血を流して横たわるのは少女の裸身。
それは山頂に君臨する圧倒的な質量を誇る少女のミニチュアのようであった。
同じ顔、同じ裸身を晒して、しかしこちらは本当に少女と呼ばれるべき身長の、喪われゆく命。
巨大な質量を構成する六千体余の少女、砧夕霧。その一人であった。
死にゆく夕霧に目もくれず、葉子が手の鉈をそっと指で撫でる。
人の肉体を両断しておきながら血脂に塗れることもなく刃こぼれ一つ見られない、その刃を包むのは
不可視の力と呼ばれる、葉子の異能であった。
無限の凶器を愛撫しながら笑む葉子の瞳に殺人への葛藤は存在しない。

「全ッ然やる気じゃないの。ならこっちももっとアゲてくから……ッ!」

びくりびくりと痙攣する夕霧の身体を突き通した薙刀を包むのはやはり不可視の力。
牙を剥き、ばりばりと乾いた髪をかき上げるその様は夜叉と称するに相応しい。
生きるために、或いは特段の理由もなく人の命を奪ってきた女の、それは奥底に吼え猛る獣であった。

「……正午までに、削り殺しますよ」

ぼそりと残して駆け出した葉子が、銀色の軌跡を描く。
鉈を振るえば巨大な少女からぼろぼろと垢のように夕霧の手足がもげて、大地に散らばった。
追うように、郁未が走る。



***

899十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:53:18 ID:a9/hciC20
 
弾かれたように暴れだした、眼前の圧倒的な質量が巻き上げる土砂も、地震のように揺れ動く大地も、
咆哮と慟哭の入り混じったような轟音も、周囲を焼く熱波さえ無視するように、坂神蝉丸は目を閉じている。

 ―――何も望まず生まれた者に、意味を与えたい。

手前勝手な願望と、来栖川綾香は断じた。
愚考と切り捨てたのは光岡悟だった。
御堂は何も答えなかった。
そして久瀬少年は、それを矛盾と受け止めた。

そのすべてが、正しい。
坂神蝉丸の願いは歪んでいる。
何も望まぬ砧夕霧は、意味を与えられることすらも、望んではいない。
それを喜ぶことも、悲しむことも、そこに何らかの情動を見てとることすら、夕霧にはできない。
与えられる意味を、だから夕霧は唯の一つも、理解はしない。
義憤があり、同情があり、慷慨があり、そうしてそのすべてが、自己満足に帰結する。
それは誰一人として希求しない、決して幸福によってはもたらされることのない、未来だった。

だがそれでも、坂神蝉丸は立っている。
立っている限り進むのが、蝉丸という男の在り様であった。
常にぎしぎしと軋む大義に戦という油を注して動く己が身体の自己矛盾を蹂躙して立ち尽くす、
蝉丸の瞳が静かに開かれた。
静謐だけを湛えたその瞳に映るのは、意味を与えるべき、意味を望まぬ、
いまや恐るべき敵と化した少女たちの成れの果て。
片手に提げた愛刀が、熱線に照り光って赤々と燃えている。

深くついた、溜息一つ。
閃いた銀弧が、轟と風を巻いて迫っていた十尺を越える掌を、真っ二つに断ち割っていた。



***

900十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:53:39 ID:a9/hciC20
 
朗と吼えれば、溢れるのは悦の響き。
爪と牙とを赤黒く染め上げて、白の巨獣の咆哮が荒涼とした岩場に谺する。
人に倍する巨躯を震わせたのは全力の殺戮に値する相手を見出した歓喜か。
かつて人であった獣はその心までを獣へと変じさせたが如く牙を剥き、吼える。
川澄舞の名を以てその巨獣を呼ぶ者は、既にない。

対するは少女、深山雪見。
身に纏う黄金の壮麗な鎧を泥に汚し、手の指をそれぞれ奇妙な方向に捻じ曲げ、
しかし何よりも異様だったのはその瞳である。
片目は醜く腫れ上がり、既に視界のすべてを埋め尽くしているように見えた。
青紫色の瞼はところどころ破れ、どろどろとした血膿が流れ出している。
残った右目だけがぎらぎらと光っていたが、小刻みに揺れる白く濁りかけた瞳孔が
その機能が長くは保たないことを如実に示していた。
ひう、と漏らした吐息は細く病的で、彼岸から彷徨い出た亡者のように巨獣と向き合う少女が、
折れ砕けた五指を無理矢理に握り込んで笑んだ。
血反吐に塗れた犬歯は、さながら餓狼の牙の如く。

憎に彩られた悦へと浸る獣と少女には、互いしか見えてはいない。
気付かぬはずもない、手を伸ばせば届きそうな距離に現出した巨大な脚には、目もくれない。
ただ一つの宝珠を賭けた、それは決戦だった。



***

901十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:54:01 ID:a9/hciC20
 
ぱたりと倒れた人形は、もう起き上がることもない。

―――終わったのだ、というそれだけが、国崎往人の感慨であった。
彼が、彼の母が、彼の一族がずっと追い求めてきた、白い羽の少女。
邂逅は一瞬で、交わされる言葉もなく。
だが、何かが確かに終わったのだという、その実感だけがあった。

人形はひとりでに歩き出し、白い羽の少女がそれを見て、そうして飛んでいった。
倒れて動かない人形はならば、その役割を終えたのだろう。
国崎と、彼の一族の長い旅と共に。

これは果てのない旅だと、心のどこかで考えていた。
文字通り雲を掴むような、夢物語に突き動かされる旅。
いつか子を成し、その子に受け継がれる旅だと、そう思っていた。
それこそが夢想だと、気付かされた。

喜びはなく、悲しみもなく、ただ終わりだけがあった。
それを空虚と名付けることもできず、ひどく扱いかねて、国崎はぼんやりと座り込んでいる。
座り込んでぼんやりと空を眺め、眺めた蒼穹の向こうに白い羽を見た気がして、

「うわ国崎さん、生きてたっ」

能天気な声は場違いで、しかし、だから国崎は破顔して振り返る。
そこにあるのは見知った、行きずりの少年と少女の表情。
旅は終わり、未来には当てもなく、だがそれは昨日までと変わらない。
溜息を一つ。
古びた人形を拾い上げて、

「―――やかましいわっ!」

昨日までと同じように、怒鳴った。



***

902十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 01:00:43 ID:a9/hciC20
 
日輪の天頂に至るまで―――残り、千八百秒。


***

903十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 01:01:18 ID:a9/hciC20


【時間:2日目 AM11:30】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6278体相当)】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

坂神蝉丸
 【所持品:刀・銘鳳凰】
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】


【場所:G−6 鷹野神社】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】

→913 967 969 999 ルートD-5

904管理人★:2008/08/01(金) 02:08:58 ID:???0
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