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避難用作品投下スレ3

1 管理人★ :2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

2 静かに、ただ静かに :2007/10/28(日) 00:39:29 ID:xmQbL7dc0
あれから夜通し探し続けたにも拘わらず、柏木耕一と柏木梓が求めていた柏木千鶴の消息は一向に掴めないままであった。

加えて山中を歩き回ったこともあり、いかに鬼の血をその体内に宿す二人でも疲労感を覚えずにいられなかったのは言うまでもないことだった。

そして決定打になったのが、朝方の放送だ。幸いにして千鶴や初音ら家族の名前が呼ばれることはなかったものの、そのあまりの人数の多さに気が滅入ってしまい精根尽き果てたというのが現状だった。

「まったく、もうどうしてこんなに人が死んでるんだろ…あたしたちはここまで誰にも会ってないってのに」

複雑な表情になりながら、梓は路傍の木の幹に背を預けるようにして座り込む。何か思うところでもあったのか、天を仰ぐようにして息を吐く。
自分同様、梓にもここまでに出会った人間はいるはず。ひょっとしたらその人が放送で呼ばれたのかもしれない、と耕一は思った。

「休憩にしよう。こんな調子で千鶴さんに会っても止められやしないからな」
耕一もデイパックから水を取り出し、水分を補充していく。美味くない上に温かったが、それでもノドを潤してくれるのはありがたいことであった。まだ生きている、そのことも実感できる。
「…なあ、耕一」
ん、とペットボトルに口をつけながら返事をする耕一。
「柳川のやつ、まだ生きてるんだよな」
「そうだな…それがどうしたんだ?」

放送で名前が呼ばれなかった以上、柳川が生きているのは間違いないだろうし、あの実力ならそうであってしかるべきだ。
「なんであいつは楓を助けよう、って思ったんだろう」
以前に話したことだが、柳川は楓と共に行動し、そして守れなかったことを悔いていたらしい。あれだけ敵対していたというのに――どうして柳川はあんなことをしたのだろう?

「俺にも分からない。こっちが聞きたいくらいさ。けど、なんとなく予想はつく」
「どんな?」
「家族…だからじゃないか? 意識はしてなくても、心のどこかでそう考えてたのかも」
「まさか」
鼻で笑う梓だが、小馬鹿にしたようでもなかった。完全に否定はできないのだろう。
「血は繋がってるんだ。ありえないことじゃない。それに…俺たちの見てきたあいつは、本当のあいつじゃなかったのかもしれない」
「元々は優しかった、ってか? 信じられないね。信じられないけど…確かに、ありえない話じゃない、かも」

3 静かに、ただ静かに :2007/10/28(日) 00:40:02 ID:xmQbL7dc0
梓は実際に柳川と出会って、そのありのままの姿を見てきた。あまりにも梓の知っている『柳川』と違う『柳川』に最初はどうしても違和感を拭えなかったが、今はそうでもない気がする。
もし、もう一度出会えたら…その時は、分かり合うことが出来るのだろうか?
梓の心の内に生じたその疑問は、今はまだ疑問として留めておくことにした。
「何にせよ、俺はまだあいつと会っちゃすらいない。真偽は自分の目で確かめるさ」
空になったペットボトルを握りつぶすと、耕一はそれを空高くへと放り投げた。

     *     *     *

「壁に耳あり障子に目あり、誰が言ったか雲隠れまーりゃん…って自分で言ったんだけどさ。はてさて、こっからだとちっとばかし遠いんだよねぇ。どーしよっかな」
耕一たちが休んでいる地点から少し離れた茂みの中で、ボウガンを構えたまーりゃんこと朝霧麻亜子が、いつ攻撃を仕掛けるかと機を窺っていた。

山中を縦横に歩いていた耕一たちを発見するのは目ざとい麻亜子にとっては造作も無いことだったが、耕一の屈強な体つきを一目見て一筋縄ではいかないと悟った麻亜子は、密かに尾行して物陰から狙撃してやろうと考えたのだ。
――がしかし、自覚しているのかそうでないのか、意外と警戒心が高いようで物音には敏感に反応するわ立ち止まっているときでも常に辺りを見回しているわで容易に近づけない。

おまけにもう一人いる女(柏木梓のことだ)も尾行してきて分かったのだが女とは思えないくらい体力は高そうだった。
こいつらは化け物コンビだと麻亜子が認識するにそれほど時間はかからなかった。つまりそれは不意打ちや騙し討ちが通じにくいことを示していた。

麻亜子の得意とするのは前述の戦法であり正々堂々と真正面から向かっていくのは苦手というか、好みではなかった(卑怯の女神とあだ名されている所以だ)。だから迂闊に攻撃もできず、こうして手をこまねいているだけなのだが…

「時間がないんだよ、こっちにゃ」
今も自分を探しているであろう久寿川ささらや河野貴明のことを考えると、ちんたらしているわけにもいかない。早くなんとかしたいところではある。
いっそ無視して別の獲物を探そうかとも思ったがこいつらの行動指針がどんなものか分からない以上放置しておくのも危険だ。せめて誰かと接触してくれればいかようにでもできるのだが。

4 静かに、ただ静かに :2007/10/28(日) 00:40:28 ID:xmQbL7dc0
「あ、ペットボトル投げ捨てた。いけないんだぞぅ、ゴミのポイ捨ては。環境破壊なんだぞー」
そう言いながらも自身の背後にあるパンの袋が無造作に投げられていることについては、ここでは言及すまい。
「んー…アブナイ人が暴れたりミサイルが飛んできたりしないもんかねぇ」
まずありえないことを言いながら、麻亜子は二人の観察を続ける。
しかしその『ありえない』ことは、すぐ側にまで近づいていた。

     *     *     *

篠塚弥生は、七瀬留美が追ってきていないことを確認すると目立たぬよう木陰に身を隠しながら、乱れた呼吸を落ち着かせるべく大きく深呼吸をした。
由綺のマネージャーとして様々な激務をこなしてきた弥生だが流石に肉体労働は慣れてない。ましてやそれが殺人だというなら尚更だ。
腹部もまだ痛んでいる。

らしくない『感情』に任せて冬弥を撃ち殺したまではよかったが手にこびり付いている血の跡が違和感となってしょうがない。拭き取ったはずなのに濃密な死臭が弥生にまとわりついているような――そんな感覚さえ覚えていた。
「……」

だがこれしきのことで参っていてはこれから先、由綺の敵を取るどころか到底生き残ることなどできやしない。
強引に弱気の虫を追い払い、P-90を携えて次の獲物を狩りに行こうとした時、不自然に木々がかき鳴らされる音が聞こえた。
気づかれたのかと思い、慌てて姿勢を低くした弥生だったがどうやらそれは勘違いだったようだ。

「休憩に………こんな調子で………からな」
遠くから聞こえてくる男女の声。よくは聞き取れないが弥生を認識して近づいてきたものではないことは分かった。偶然か、あるいは天が与えてくれた好機か…
P-90の銃把を握り締め、弥生は狙撃できる位置までその二人が来るのを待った。
願わくば、その二人が由綺の敵であることを信じて。

     *     *     *

「つっ…あのガキンチョ、最後までウチのことオバハン呼ばわりしよって…次おうたら絶対半殺しにしてやるさかいな…って、半殺しじゃアカンやんか…」
機転によりうまく難を逃れ、そのまま偶然見つけた廃屋で一夜を過ごした晴子は傷を押しながらも娘の観鈴を生き残らせるためにまた参加者を探してうろついていた。

傷は洗って縛ってはいるものの消毒をしたわけではないので運が悪ければそのまま感染症にかかってしまう恐れがあった。
それだけではなく右手にも力が入らなくなっている(あのナタのせいだ、クソッ)。となれば銃は左手で撃つしかないのだが、その左半身も肩口を銃弾が貫いており銃を撃てば反動で激痛が走るのは間違いない。

「にっちもさっちもいかへんな…ホンマムカつく」
命があるだけマシなのだがどうしても文句が出てしまう。どうもこの島に来てからツイてないことが多すぎる。これも全部ヒキの悪い敬介のせいだ、ちくしょう――
文句を言われたからかは分からないが、晴子の声に応えたかのようにどこからともなくあの忌まわしい放送の声が聞こえてきた。

5 静かに、ただ静かに :2007/10/28(日) 00:41:00 ID:xmQbL7dc0
「…来たか」
怒りで眉間に皺が寄っていた晴子の顔がいっそう険しいものになる。今回は、どれほどの人間が死んでいるのだろうか。そしてその中に、神尾観鈴の名前は入ってはないだろうか。
極度の緊張と不安で胸が押しつぶされそうになる。ごくり、と生唾を飲み込んだところで一人目の名前が読み上げられていった。

「…116、柚原春夏――以上…です」
それに続いて、何やら優勝者には願いが叶えられるだの何だのという例のウサギからのおありがたい言葉があったが、観鈴が生きている時点で晴子にはどうでもいい事柄だったし、どちらかと言えば晴子は現実主義者であるので信じる気もなかった。

大方もっとこの殺し合いを加速させるために焚き付けたのだろうが、敵が増えるという可能性を孕んでいる以上むしろ余計なお世話だとすら思う。
「ホンマムカつく」
何もかも敬介のせいだ、と心の中でもう一度言い直して右手を開いたり閉じたりしてみる。
が、やはり力が入らない。

「こら生き残っても仕事辞めなアカンな…この就職難の時代にどーせーっちゅーねん」
自らは絶対に生き残れないということを知りつつも、晴子はそんな冗談を言わずにはいられなかった。
とにかく、どうにかしてより強力な武器を手に入れ参加者たちを駆逐していかねばならない。手持ちのVP70も残弾は残り少なそうだ。ジリ貧だけはどうしても避けたい。

どうしようかと晴子が思案していると、遠くの方から男女と思しき二人組の声が聞こえてきた。まだ距離が遠いのか内容までは聞き取れないが、声が聞こえるくらい近い距離にいるのは確実だ。
「ツイてるわ…! この辺りは隠れる場所も多いから、不意打ちも余裕や」
ニヤリと八重歯を覗かせて笑うと、晴子は茂みをかき分けるようにしてできるだけ悟られないようにその声の元へと近づいていった。

萎えかけていた闘志が再び燃え盛ってきたのが、晴子自身でも分かってくる。今度こそ、絶対に勝つ。


暢気に休憩している柏木家の二人に、まったくバラバラな方向から、しかし大切な人のために殺し合いに乗ることを決意した人間たちによる、誰もが予想しえない包囲網が完成しつつあった。

――いい加減、あたしのほうから仕掛けちゃおっかな? う〜む、しかし手ごわそうだしねぇ…仕留め損なうと面倒そうだよなぁ…あたしゃ面倒は嫌いなんだよね〜…究極の選択、さぁまーりゃんはどちらをえらぶのでしょーか!? つづく!…なんてね。

――相手は確実に私の方角へ近づいてます…確実に当てられる距離まで来ればいいのですが…でなければ、機先を制して奇襲をかけるしかないでしょう。全ては運次第、ですか。好みではありませんが…

――ここまで来たんや、何が何でもブチ殺して風向きを変えんとな。一気に後ろから近づいて仕留めたる! 短期決戦やな…しくじったら…終わりや。腹くくっていくで!

6 静かに、ただ静かに :2007/10/28(日) 00:41:31 ID:xmQbL7dc0
【場所:F-06上部】
【時間:二日目午前8:30】

柏木耕一
【所持品:大きなハンマー・支給品一式】
【状態:疲労、初音の保護、千鶴を止める】
柏木梓
【持ち物:特殊警棒、支給品一式】
【状態:疲労、初音の保護、千鶴を止める】
神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り7)、支給品一式】
【状態:右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み)、耕一と梓に接近(F-5方面から)】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(34/50)】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(痛むが行動に概ね支障なし)、耕一と梓を待ち伏せ(E-6とF-6の境界線あたり)】
朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(3/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。スク水の上に制服を着ている。耕一と梓を追跡中】

→B-10

7 青い宝石 :2007/11/03(土) 02:40:30 ID:PVyrIZlU0
「ここは……」

今、湯浅皐月の前には一つの大きな建築物があった。
自分の荷物の中から地図を取り出し確かめてみる皐月、場所からいってホテル跡で間違いはないだろう。
菅原神社から全力で逃げてきた皐月の辿り着いた場所が、ここだった。
閑散とした雰囲気に人の気配は感じられない、それでも用心するに越したことはないと足音を潜めながら皐月は中へと足を踏み入れる。
入ってすぐの場所はエントランスだ、これはホテルなら当たり前の造りである。
高い天井にシャンデリア、明かりがついていないため不気味な雰囲気を醸し出しているがそれだけである。

「本当に、誰もいないわよね」

血濡れの少女に一つの遺体、思い出しただけで吐き気を催すその光景は皐月にとってトラウマ以外の何物でもないのだろう。
他者に対し過敏になっている今の皐月に、セイカクハンテンダケの時の冷静な面影はない。
那須宗一や伏見ゆかりなどの親しい知人等が傍にいないという現実は、彼女の心細さを膨張させるだけである。

(ゆかり……そう言えば、何かゆかりのことで考えなくちゃいけないことがあったはずなんだけど……)

セイカクハンテンダケ使用時の記憶がすっぽり抜けている今の皐月は、行われた放送の情報が入っていない状態である。
しかし大切な友人に関わることだからだろうか、微かに覚える違和感が皐月の脳に何かを訴えている。
考えようにも答えの出ないその迷宮、一先ず皐月はそのことを置いておとくことにしホテルの探索を始めた。

「うわ、綺麗……」

エントラス脇、西洋風の少女の肖像画がそこには飾られていた。
少し埃の積もったそれ、暗闇の中こちらに微笑みを向けている絵に皐月はゆっくりと近づいていく。
斜めに差し込む月の光が絵の一点を指し示していた、皐月もそれでこの絵の存在に気づいたことになる。
石。宝石か何かだろうか、光を反射し自己主張するそれは絵の中の少女の身に着けているネックレスの先端に埋め込まれていた。

8 青い宝石 :2007/11/03(土) 02:40:56 ID:PVyrIZlU0
「凝った作り〜、高価なものなのかな」
『こんにちは』
「え?」

声、少女の声。
皐月の耳が捉えたものは、人の声に間違いなかった。
すぐに姿勢を正すと、皐月は周囲に人の気配がないか神経を研ぎ澄まさせる。
しかし静まり返ったエントランスには足音一つ響かない、どうしたものかと皐月が首を捻った時だった。

『ここ。お姉さんの目の前、ちゃんと見て』
「……へ?」

きょろきょろと首を動かした後、先ほどの少女の絵の前で皐月の目線は再び止まった。
まさかね、そんなまさか。超常現象を目の前に皐月の頬がぴくりと引きつく。

『こんにちは』
「え、うっそ本当?! 絵がしゃべってるの?!!」
『似たようなものだけど、そう思いたいならそれでいいよ』

舌っ足らずな少女の声は年端かのいかないものに違いない。
幽霊でも乗移ってるのか、突飛ではあるがそのような発想しか皐月はできなかった。

『お姉さんに聞きたいことがあるの』

絵の少女は問いかける、それは唐突としか表せないほど場の空気を読んでいないものだった。
胡散臭げにメンチを切る皐月を無視して、少女は静かに問いかける。

『お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』
「な……っ!」

9 青い宝石 :2007/11/03(土) 02:41:19 ID:PVyrIZlU0
訝しげな皐月の表情が、一瞬で消し飛んだ。
少女の問いに含まれるストレートな残虐性は皐月の度肝を抜き、彼女の中に再び警戒心を呼び起こす。

『ねえ、お姉さんにも大事な人がいるんでしょ?』
「そりゃ、いるけど……」
『どうするの?』
「な、何よ急に! あんた何が目的なの?」

少女は答えない。
あくまで問う側は自分であるかのような、そんな意固地な主張にも見えるだろう。
焦りを抑えるため、皐月は大きく息を吐いた。
だがそうやって改めると、自分が今後そのような場面にあった場合どう行動を取るかなど皐月は全く考えていないことに気づく。
前はどうだったのか、思い出そうにも襲ってくる鈍痛が皐月に消えた数時間の出来事を教える気はないらしい。
ではこれからどうするのか。それは、きちんと前もって決めていなければいけない事ではないのか。
今後宗一やゆかりが危険な目に合っていた場合、皐月自身はどう動くのか。

「あたしは……」
『うん』
「やっちゃう、かもしれない」

フラッシュバックするあの光景、拳銃を抱くように抱えた少女は笑いながら皐月を見ていた。
少女の足元にいた女性、血に濡れたそれはシルエットから言って皐月の知り合いでないことは確かだった。
だが、もしあの女性が……それこそ、例えばリサだったとしたら。

「あたしは、宗一やゆかりを守るためならきっと……手を、汚せると思う」
『ふーん』
「だ、だって、当たり前じゃない! ううん、あたしがやらなきゃいけないのよっ。
 特にゆかりはこんなことに巻き込まれて、きっと心細くなっちゃってるはずだもの。
 あたしが守ってあげなくちゃ、あたしがやらなきゃ、あたしが」
『落ち着いて、お姉さん』
「っ! ご、ごめん……」

10 青い宝石 :2007/11/03(土) 02:41:46 ID:PVyrIZlU0
ムキになってしまっていたことに気づき、さつきは思わず押し黙る。
それによりただでさえ暗いエントランスはさらにその不気味さを増していった。
しんと静まり返ったエントランス、それは音という概念がこの場から消えてしまったという錯覚さえをも皐月に植え付けようとする。

(バカみたい、何やってんだろあたし……もう少し、落ち着こ)

そう思い、また一つ深呼吸を皐月がしようとした時だった。

『じゃあ、いいや』
「え?」

冷ややかな少女の声からは感情というものが全く読み取れず、その淡々とした雰囲気に思わず皐月は顔を上げる。
だが、浮かび上がる疑問符の形が凝固するその前に。それは、鳴った。
ピピピピピ……と電子音が辺りに響き渡る、何事かと構える皐月だが音の出所はすぐ傍であった。
目で確認することは出来ない、それは彼女の視野に入る位置に取り付けられているものではないからである。
そう、彼女の首に嵌められた首輪。音の出所はそれだった。
チカチカと警告を表すかのごとく点滅する赤の光、それは暗闇の中電子音と共に首輪が尋常でない状態であることを皐月に訴えかける。
一瞬で青く染まっていく皐月の顔色、彼女の中でも嫌な予感が瞬時に沸き立つ。

『あたし、お姉さん嫌い。いらない』

宣告。幼い少女の台詞は、その声質からは想像も出来ないほどの冷淡なものだった。
何がいいのか、いけなのか。
皐月が考える暇などない。

『さよなら。人殺しは、嫌い』

嫌悪に満ちたそれ。
皐月が最期に耳にした音はそんな少女からの悪意が込められた台詞と、耳がつんざくような爆発音だった。

11 青い宝石 :2007/11/03(土) 02:42:22 ID:PVyrIZlU0
【時間:2日目午前0時30分】
【場所:E−04・ホテル跡】

湯浅皐月 死亡

皐月の荷物(セイカクハンテンダケ(2/3)・支給品一式)は遺体傍に放置

(関連・452・530)(B−4ルート)

瑞穂の名前の語表記の指摘ありがとうございました、また申し訳ありませんでした。
まとめサイト様も素早い修正に感謝いたします。
それと一番下の状態表がおかしいことになってましたので、お手数おかけしますが以下の物に修正させてください。
すみませんが、よろしくお願いします。

電動釘打ち機5/16は廊下に放置
観鈴の持ち物(フラッシュメモリ・支給品一式(食料少し消費))は観鈴の遺体傍に放置

12 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:34:28 ID:ZrWf.p0Y0

暴力は、それを振るうものにとっては快楽なのだろうと、思う。
だから、それを振るうものが何を掲げようと、そこに正義はない。

ぼたぼたと垂れる鼻血を他人事のように眺めながら、七瀬彰はそんなことを考えていた。
引き起こされる。
襟首を掴んだまま何事かを怒鳴っているのは藤田浩之だった。
正真正銘の化け物と組んでいる、自身も化け物のような力を持った、得体の知れない少年だ。

頭から水をかけられて、目が覚めた。
目を開けると同時、殴りつけられていた。
彰が何かを言う機会はなかった。
一発、二発と殴られる内、感覚が鈍くなっていく。
眩暈と頭痛がして、何もかもが億劫だった。
ただでさえ体調は最悪だったところに、冷水を浴びていた。
寒気が止まらない。熱を持った傷は痛みではなく熱さを伝えてくる。
節々が痛い。熱さと、寒さと、内部からの痛みが、殴られているという感覚を麻痺させていく。
垂れる鼻血に混じる白いものは欠けた歯なのだろうと、ぼんやりと思う。

弁解も、釈明も、何もする気になれなかった。
高槻は死んでいた。
その傍に倒れていた自分は生きている。
転がるアイスピックについた血は、すっかり乾いていた。
ミステリにもならない殺人現場。
何があったと、聞く方が愚かだろう。
いや、もしかしたら聞いているのかもしれない。
何があった、言えるものなら言ってみろ、と怒鳴っているのかもしれない。
けれど酷い耳鳴りのせいで、浩之が何を言っているのかはわからなかった。

13 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:35:03 ID:ZrWf.p0Y0
何もかもが面倒だった。
熱くて、だるくて、つらい。
このまま殺してくれるならそれでも構わないと、そう思った。
誰も彼も、自分勝手なことばかりを言って、自分勝手なことばかりをして、
そうして生きて、死んでいく。
力をひけらかして、力を振り回して、壊して、殺して、殺しあって死んでいく。

皆、死んでしまえ。
怒りではなく、憎しみでもなく、ただ静かに、七瀬彰はそれだけを思う。
恐れもなく、痛みもなく、ただそれだけを願いながら死ぬのだと、そう思っていた。
高槻の死体が見えた。
血に塗れ。目を見開き。無念と失意を彫り出したような顔で死んでいた。
醜かった。

吐き気がして、思わず目を閉じる。
こんな醜いものに守られていた程度の、それが自分の価値なのだと思った。
病気持ちの野良犬が、塒に掘った穴に埋める宝物。
そんなガラクタ程度の自分など、もっと早くに壊れてなくなってしまっていればよかった。
そうすれば、痛い思いも怖い思いもしなくてすんだのに。

目を開けた。
野良犬は死んでいた。
何かが頬を伝うのを、彰は感じていた。
どうしてか、涙が流れていた。
泣きながら、彰は笑う。
殴られた。

14 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:35:22 ID:ZrWf.p0Y0
殴られて、なお彰は笑っていた。
おかしくてたまらなかった。
何も知らないくせに、何も分かっていないくせに自分を殴る浩之がおかしかった。
自分を守ると言っていたくせに、その目の前で自らの喉を突いてみせた高槻がおかしかった。
嫌悪と軽蔑しか覚えなかった男の醜い死体を見て涙を流している自分がおかしかった。
だから、殴られても殴られても、思い切り笑っていた。
ズタズタに切れた唇と口内が腫れ上がって、奇妙に掠れた声しか出せなくなっても、彰は笑っていた。

暴力の中に正義はなく、しかし同時に暴力はそれを振りかざすものにとって正義の象徴で、
だからきっと、紛れもない快楽を伴うのだろう。
自分を殴り、手加減を知らず、今にも殺しそうになっている彼も、あんなに楽しそうに拳を振るっている。
同じ顔だ、と彰は笑う。
幼い頃からずっと見続けてきた顔だ。
自らを、自らの行いを微塵も疑わず動く人間の顔だ。
それは醜く、理不尽で、どこまでも澄んでいる。
振るわれる力はだから純粋に、彼にとっての正義を体現しているのだろう。
そんな手前勝手な正義に押し潰されて、自分は死んでいく。
それがひどく滑稽で、彰は自らの痛みを笑っていた。

唐突に、どこまでも続くかに思われた私刑の、鈍い音がやんだ。


***

15 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:35:43 ID:ZrWf.p0Y0

七瀬彰の生命と精神を削り取り続けていた殴打を止めたのは、藤田浩之の内省でも、彰の死でもなかった。
それを成したのは、一本の黒光りする腕だった。
罅割れた、鱗状の硬質な皮膚に包まれた丸太のような腕。
それが、浩之の拳を握り止めていた。

醜いな。
彰は腫れ上がってほとんど開かなくなった視界の中にかろうじて見えたそれを、醜いと感じていた。
高槻の醜さとは対極にある、しかし同等の醜さだ。
剛く、醜い。
藤田浩之がその化け物を何と呼んでいたか、思い出すことはできなかった。
思い出す必要もなかった。
人のかたちをした人でないものは、皆一様の醜悪さを内包している。
それは恐怖であり、畏怖であり、尊崇であり、そのいずれもが人の弱さの鏡写しだ。
だからそういうものをひと括りにして、化け物と呼び習わす。
折れた歯の欠片を吐き出す力もなく、切れた舌の上で転がしながら、彰は鉄臭い息を吐く。
溜息のつもりで漏らしたそれがひどく弱々しく感じられた。
他人の正義に殺されるのと、化け物に殺されるのでは、どちらが七瀬彰という人間の完結に相応しいのだろう。
そんなことを考える。
いや、このまま全身を包む倦怠に身を任せてしまえばそれで済むのかもしれない。
眠るように目を閉じれば、もう目を覚ますことはないだろう。
既に恐怖はなく、ただ朦朧とした意識の中、弱い吐息の感触だけが熱かった。

眼前、少年と化け物が何事か言い交わしている。
聞こえないし、聞く気もなかった。
自分を殺す算段に耳を傾ける意味はなかった。
ただ、早くしてほしかった。
痛みの戻る前、感情と感覚の戻る前、色々なものが麻痺している内に、終わらせてほしかった。

16 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:36:02 ID:ZrWf.p0Y0
しかし、―――終わらない。
いつしか少年の顔に、一つの色が浮かんでいた。
激昂。怒りに任せて彰を殴りつけていたときとは別の、もっと指向性のはっきりした感情。
少年は化け物に対して何事かを怒鳴っているようだった。
時折こちらに目線を向ける、その間中ずっと化け物に掴まれたままだった腕を、少年が振り払う。
その手に、ゆらりと光るものが見えた。
見る間に赤々とした自己主張を始める、それは炎だった。
照らし出された影が、洞穴の壁面に描かれた奇妙な紙芝居のように揺らめく。

大袈裟なことをする。
学校で少女たちをまとめて焼き殺した炎を目にした七瀬彰の、それが率直な感想だった。
そんなことをしなくても、その拳で少し強く殴れば、あるいは傍らの化け物の腕を一振りすれば、
自分は呆気なく死ぬ。
わざわざ焼き尽くすまでもない、と苦笑のかたちに表情を歪める。
同時に、ようやく待ち望んだ救済の時が来たのだと、彰は安堵に近い感覚を抱いていた。
終われるのだと、そう思った。

だが次の瞬間、彰は自らの願いがまたしても踏み躙られたことを知った。
ゆっくりと閉じられようとした彰の視界が、しかし腫れた瞼が落ちるよりも早く、闇に覆われていた。
巨大な影。
化け物の身体が、洞穴の入り口から射し込む光と、少年の手に宿る炎の明かりを遮っていた。
何かが焦げるような臭いと、重量物が岩壁に当たる硬い音、それから奇妙な浮遊感。
鋭敏さを失った五感が同時に刺激され、彰は戸惑う。
それらより一瞬遅れて、最後に彰を襲ったのは、暴力的なまでの光量だった。
視界が白く染まる。
反射的に硬く瞑ろうとした彰の瞼に鋭い痛みが走る。
滲んだ涙に血が混じり、ひどく沁みた。
太陽の下に出たのだと彰が思考を整理するまでに、しばらくの時間がかかった。

17 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:36:20 ID:ZrWf.p0Y0
太陽の下。
それはつまり、洞穴の外に出たということだった。
どうやって。
身体全体に感じる浮遊感と、定期的に伝わってくる小さな震動。
腰の辺りを支えるごつごつとした感触の正体に思い至って、彰はようやく事態を理解していた。
化け物が、自分をその胸に抱きかかえて走っているのだ。
つい最近、似たような体験をしたと記憶を辿ろうとして、苦笑する。
高槻に抱えられていたのは、ほんの数時間前のことだった。
それがひどく遠い昔のように感じられて、どうしてだか再び涙が滲みそうになって、
彰はそれ以上自らの思考を掘り下げるのをやめた。

代わりに、飛ぶように流れていく周囲の景色をぼんやりと眺めながら、化け物が
自分を連れて走っている理由を思う。
考えるまでもなかった。
高槻、軍服の男、芳野祐介。
そうしてこの化け物が四人目というわけだ、と彰はどこか他人事じみた感慨を抱く。
誰の手も届かない場所に連れ込んで犯す気か。
それとも手足をもいで血肉でも啜るのか。
化け物の嗜好など想像もつかなかったが、いずれまともではあるまい。
舌を噛んで死のうか、とも思う。
流れる景色を眺めるうちにそれが案外といい考えに思えてきて、試してみた。
ずたずたに切れた舌に折れて尖った歯が触れた瞬間に諦めた。
殴られるのとは別種の痛みに、とても耐えられなかった。
死を選ぶこともできないまま、ただ化け物の塒に運ばれていく。
そんな扱いすら今の自分には相応しいと、彰は自虐に身を浸す。
それが一種の逃避だということも、理解していた。

18 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:38:31 ID:ZrWf.p0Y0
「タカ、ユキ……」

だから、その低くしわがれた声が何を指しているのか、自らの思考に耽溺していた彰が気づくのには
僅かな間を要した。
おぞましい声音が紡いでいたのは、人の名。
だが歩調を緩めることもない化け物の周囲には誰もいない。
それは他でもない、彰に対する呼びかけだった。
真紅の眼が、抱えられたままの彰をじっと見下ろしていた。
禍々しい容貌に慄きながらも、しかし彰の中に何か小さな塊が生まれていた。
閃きとも、違和感とも呼べる何か。
触れれば砕けて消えてしまいそうな、脆く淡い道筋。
絡まった細い糸を手繰るように、彰は慎重に記憶を整理していく。
タカユキ。
その響きに、覚えがあった。
あれは初めてこの化け物に出遭ったときのこと。
そう、確かこの化け物は少年、藤田浩之のことをタカユキと呼んでいた。
直後、人間に化けてみせたときには浩之と呼んでいたにもかかわらず、だ。
加えて、先ほどの浩之と化け物の言い争い。
激昂する藤田浩之の表情。
そこに垣間見える可能性に、彰はそっと手を伸ばす。
どの道、当てが外れたところで今より状況が悪くなることはなかった。
苦しんで死ぬか、些か楽に死ねるかの差でしかない。
ならばせめてこの生を弄ぼうと、そう思った。

痙攣する指先をどうにか持ち上げて、こちらを見下ろす化け物の顎に這わせる。
びくりと、化け物が震えたような気がした。
顎の下を撫でるようにしながら、太く硬い腕に髪を擦りつける。
化け物の生臭い吐息が、一際荒くなったように感じられた。
その反応に確信を得て、彰は化け物の胸の中で小さく身を起こす。
澱んだ血溜まりのような眼球を覗き込んで、そっと囁いた。

「ねえ、……名前を、きかせてもらえる?」

真紅の瞳に映る七瀬彰は、宵闇のように笑んでいる。

19 或る愛の使途 :2007/11/05(月) 01:39:42 ID:ZrWf.p0Y0


【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−4 鎌石村】

七瀬彰
 【状態:全身打撲(重度)・右腕化膿・裂傷多数・高熱・衰弱】

柳川祐也
 【所持品:俺の大切なタカユキ】
 【状態:鬼・タカユキの騎士・軽傷(治癒中)】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

→897 ルートD-5

20 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:15:50 ID:GHJS5ojk0

「……い、……おーい、起きろー……」

妙な声に、意識が浮上する。

「って、全然目覚まさないじゃん、こいつ……」

暗闇の淵から、明るい方へ。
覚醒しようとする瞬間の、苦痛と快楽がない交ぜになったような感覚。

「う〜ん……ここはやっぱり、人工呼吸だよな……」

目を開けると、そこに妖怪がいた。


***


瞬きを二回。
長岡志保が悲鳴を上げる代わりに選んだのは、とりあえず右手で作ったピースサインを
妖怪の目に突き刺すことだった。

21 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:16:10 ID:GHJS5ojk0
「ていっ」
「ぎゃああっ!」

妖怪が悲鳴を上げてのた打ち回る。
まだぼんやりしている頭を軽く振りながら、身を起こす志保。
溜息をつきながら、目の辺りを押さえて芋虫のように転がる妖怪を見た。

「ったくなんなのよ、いきなり……つい目潰ししちゃったじゃない」
「……つ、つい、ですることですかねえっ!?」
「あ、妖怪がしゃべった」

ぼろ雑巾のような風体に、ところどころ焦げた金髪のアフロ。
よくよく観察すれば、否、少し冷静になってさえみれば、それは妖怪などではない。
れっきとした人間、それも少年のようだった。
悲鳴を上げるその哀れな姿には、どことなく見覚えがある気さえする。

「ええっと……」

首を捻るが、思い出せない。
意識も段々としっかりしてきたが、この島に来てからというもの短期間の内に色々なことが起こりすぎて、
記憶が整理しきれていなかった。
と、妖怪じみた少年が起き上がる。

「うぅ……ひどい目に遭った……」
「あーっ!」

その不気味に腫れ上がった締まりのない顔を一目見るなり、志保が大声を上げた。
金髪、アホ面、ぼろ雑巾。
断片的だった記憶が繋がり、志保の中で一つの形を成していく。
右手に拳銃、左手にぼろ雑巾を掲げて戦う男の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
そう、目の前の、人間というより妖怪に近い顔かたちをしたこれは、国崎と呼ばれていた男と共に逃げてきた、

「……ひらりマント!」
「人を指差して何言ってんですかねえ!?」

春原陽平、その人であった。


***

22 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:16:52 ID:GHJS5ojk0

「で、なんであんたがここにいるのよってか生きてたんだ良かったわねおめでとー。
 それで美佐枝さんたちはどうしたのよ早く言いなさいよまったく」
「あんたは少し落ち着くって言葉を知ったほうがいいと思いますけどねっ!?」

充血した目を何度もしばたたかせて、春原が声を上げる。
腫れ上がった顔が近づけられるのを嫌そうに避けながら、志保が答えた。

「っさいわねえ。いいから質問に答えなさいよ。いい?
 まず一つめ、あたしがどうしてここにいるのか。
 二つめ、どうしてあんたがここにいるのか。
 三つめ、美佐枝さんと聖さんはどこに行ったのか。
 四つめ、……戦いは、どうなったのか」

最後の一つを口にするとき、僅かに志保が口ごもる。
それに気づいた風もなく、アフロを揺らしながら春原が面倒くさそうに口を開いた。

「……まず一つめの答え、知らない。二つめ、歩いてきた。三つめ、知らない。四つめ、以下省りゃ」
「ていっ」
「ぎゃああっ!?」

眼球を抉らんばかりに突き込まれた目潰しに転げまわる春原を見下ろして、志保が怒声を上げる。

「真面目に答えなさいよっ!」
「マジメだよっ! ってかあんたムチャクチャしますねっ!?」
「もっとやられたい……?」
「ひぃぃ!? だから本当に知らないんだって!
 変な女の子が、あんたを頼むって言ったきりどっか行っちゃったんだよ!」
「変な、女の子……?」

春原の言葉に、志保が首をかしげる。

「それってこう、髪にソバージュかけた……?」
「全然違うね。なんか小学生みたいな二つお下げの子だったよ」

ますます首をかしげる志保。
その容姿は、あの場にいた三人のものではない。
美佐枝、聖、そして槍の少女の他に、誰かがいたというのか。

23 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:17:30 ID:GHJS5ojk0
「……それで、その子は?」
「知らないよ、そんなの。激戦の傷を癒そうと休んでいた僕に突然声をかけてきたと思ったら、
 気絶してるあんたを預けてどっかに消えちゃったんだから。迷惑な話だよ、まったく」
「美佐枝さんと、聖さんは?」
「誰、それ。……美佐枝さんって、相楽美佐枝さんのこと?」
「知ってるの!?」

色めき立つ志保。
しかし、春原の次の一言に悄然となってしまう。

「僕らの寮の寮母さんだよ。……ここに連れて来られてたことも、今知ったくらいだけどね」
「そう……そうなんだ……」
「……あんたと一緒にいたの?」

消沈した様子の志保を見かねてか、春原が話題を継ぐ。

「うん……けど、その……」

口ごもる志保。
記憶にある美佐枝の最後の姿は、とても言葉に出せるものではなかった。
美佐枝と聖の身を案じようにも、手がかりとなる少女はもう去った後だという。
戦いはどうなったのか。二人は無事なのか。少女とは何者なのか。
志保の中をいくつもの疑問が渦巻く。

「あ、でもそれなら」

能天気な声が、志保を思考の迷宮から引きずり出した。
何かを思い出したように春原がぽん、と手を打つ。

「なに、何か知ってるの!?」
「いや……僕はあんたを預けられただけだけど、その子が言ってたんだよ。
 自分は誰だかを助けに行かなきゃいけないから、頼む……って」
「助けに行くって、どこに!? 誰を!? どうやって!?」

血相を変えて詰め寄る志保。
その勢いに若干怯えながら、春原が首を横に振る。

「だ、だから詳しいことはわかんないって。僕の青がどうとかワケわかんないことも言ってたけど、
 怖かったからあんまり関わりたくなかったんだよ! なんかあの子、目とか青かったし!」
「使えないわねえ、もう!」
「何だとおっ!?」

吐き捨てるような言葉に春原が憤るが、志保はそれを視界に入れようともしない。
どこか思案げな、安堵と不安の入り混じったような表情で小さく溜息をつく。

24 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:21:34 ID:GHJS5ojk0
「けど……そう、なんだ。きっと、美佐枝さんたちを……助けて、くれるんだよね」
「……」

その雰囲気に呑まれたか、春原が怒りのやり場を失ってつまらなそうな顔になる。
そっぽを向くと、独り言じみた声音でぼそりと呟いた。

「……で、お前これからどうすんの」
「これから……?」

言われて初めて気がついたように、志保が意外そうな表情を浮かべた。
少し考えるように天を仰ぐと、すぐに俯いてしまう。

「あたしは……わかんない」
「はぁ!?」

小さな呟きに、春原が大袈裟に反応する。

「わかんないって何さ? お前、今の状況わかってる?」
「っさいわね! あんたには関係ないでしょ!
 大体さっきから、お前とかあんたとか失礼なのよっ!」
「じゃあなんて呼べばいいのさ!?」
「何とも呼んでくれなくて結構よ!」

大声を上げたのは、不安と困惑の裏返しだった。
聖がいないのなら、診療所から器具を持ち帰っても意味はない。
だからといって平瀬村の民家に戻ったとしてもできることはなかったし、何より死にゆく少女を
一人で看取ることには、得体の知れない恐怖を覚えていた。
美佐枝と聖の行方はわからず、捜そうにもこの島には今、眼鏡の少女たちや槍の少女を始めとした
恐ろしい殺人者たちが跋扈している。
一縷の可能性を信じて診療所へ行くべきなのかとも思う。
もしかしたらそこには誰か医者がいて、事情を話せばついてきてくれるかもしれない。

「あたしだって色々考えてんのよ! だけどわかんないことだってあるの!」

無論、妄想だった。
そんな都合のいいことがあるはずがなかった。
そもそも診療所が無事なのかどうかもわからない。
例えばそこに誰かがいたとして、殺人者の類でない保証もない。
今、長岡志保には一切の指針がなかった。

25 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:22:08 ID:GHJS5ojk0
「おい、助けてもらっといてその言い方はないんじゃないの!?」
「誰も頼んでないわよ!」
「頼まれたんだよっ!」

目の前の少年の態度が苛立たしかった。
八つ当たりだとわかっていても、声が荒くなるのを抑えきれなかった。

「大体あんた、何にもしてないじゃない! 寝てたあたしを見てただけでしょ!?」
「そりゃそうだけどさっ!」
「っていうかヘンなことしようとしてたんじゃないの!? 変態、サイテー!」
「はぁっ!?」

売り言葉に買い言葉だった。
これ以上、少年と顔を突き合わせているのに耐えられなかった。
踵を返し、足音も荒く歩き出す。

「お、おい、どこいくんだよっ!?」
「あんたに関係ないって言ってるでしょ! ついてこないでよ変態!」

振り向きもせずに言い返す。
歩調は緩めない。

「ま、待てって!」
「ついてこないでってば、妖怪メタボ小僧!」
「誰が妖怪でメタボなんですかねえっ!?」
「そんなお腹しといて何言ってんのよ変態、なら卵でもあっためてるっての!?」
「はぁ!?」

言われた春原は一瞬だけ己の下腹部を見てから、慌てて志保の背中を追いかけ始める。
確かに腹一杯に食べた直後のように膨らんでいるようには見えたが、それどころではなかった。
眼鏡の少女たちに追われた恐怖は春原の中に色濃く残っていた。

「ひとりにされちゃたまんないっての……!
 おーい、待てよ! 僕もついていってやるってば!」

前を行く背中はその声に立ち止まるどころか、ますます歩調を速めたように見えた。


***

26 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:22:49 ID:GHJS5ojk0

観月マナの世界は、青く染まっていた。
視界一杯を覆う青いスクリーンに映し出される無数の映像と、果てしなく多層化された音声。
目を閉じれば瞼の裏に、耳を塞げばその手の内側に、誇張なしに絶え間なく流し込まれる情報の海。

それは誰かの記憶であり、誰のものでもない記憶であり、遠い過去であり、つい昨日であり、
そしてまた、まだ見ぬ明日でもあった。
来し方と行く末のすべてが、巨大な波となってマナに流れ込んでいた。
それは人という器を満たし溢れて余りある力の奔流だった。
身一つで嵐の大海を漂うにも似た絶望的な物量に、マナは磨耗し続けていた。
止まれと願い、やめてと叫び、それでも波は押し寄せる。
激動たる青がマナを包み込んでいた。

膨大な量の青を生み出しているのは、マナの手にした分厚い図鑑である。
どくり、どくりと脈打つように溢れる青い光がマナを包み込んでいた。
巨大な水玉に包み込まれるように見えるマナが、ふらつきながらも一歩を踏み出す。
と、青い光の玉もまたマナに合わせて音もなく動くのだった。

青は、止まらない。
天野美汐と名乗った女の仕掛けた巨大なGL力を秘めた十字架の陣を打ち破るために
引き出した限界以上のBL力が、制御を失って暴走しているのだと理解したのは、
皮肉にも青の奔流が映し出す無限に近い情報量によってだった。
脳髄の内側に文字列を刻み込まれるような錯覚に苛まれながら、マナは歩く。
聖の連れていたであろう少女を、あの少年に預けられたのは僥倖だった。
昨晩、マナがBL力を以ってその命を救った少年。
名は知らないが、真っ直ぐで濁りのない青を持った少年だった。
彼ならばきっと善きBLの加護があるだろう、とマナは思う。

気力は既に限界を超えていた。
今すぐにでも地面に倒れ伏し、胃の中のものをぶち撒けたい。
頭蓋を斬り割って、流れ込む記憶を洗い流したい。
だがそれは許されなかった。
聖を連れ去った天野の気配は遠く霞んでいる。
その狙いはわからないが、一刻も早く追いつかなければならなかった。
耳の中で百台の街宣車が盛大にがなり立てているような苦痛に奥歯を噛み締めながら、マナが大きく息をつく。

27 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:23:08 ID:GHJS5ojk0
北へ、北へ。
一歩づつを踏みしめるようにして歩く。
それは亀の歩みのように遅いようにも感じられたし、飛ぶ鳥を遥かに置き去りにする速さのようでもあった。
時間の感覚が狂っている。
今がいつで、どれだけの時間が経ったのか、判然としない。
眼前に映し出される無限の歴史の中では、また新たな文明が生まれ、滅びていった。
青の記憶とマナの記憶の境目が、曖昧になっていく。
自身が揺らいでいるのを、マナは感じていた。
一瞬前まで、マナは観月マナだった。
しかし今、BLの使徒である前に自分が何であったのか、ともすれば思い出せなくなっている。
ゆっくりと崩れる自分の欠片を拾い上げて積み直しながら、マナは歩く。

遠くに、青を感じた。
それが天野の連れた聖の残滓であるのか、既にマナには区別がつかない。
ただ吸い寄せられるように、足がそちらを向いた。

28 Get back love in our hands. :2007/11/09(金) 03:24:33 ID:GHJS5ojk0

 【時間:2日目午前11時すぎ】
 【場所:G−4】

長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】

春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】


 【場所:E−3】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv3(A×1、B×4)、BL力暴走中】

→746 847 912 ルートD-5

29 青い宝石2 :2007/11/14(水) 17:15:14 ID:Lqc3S/e60
「皐月さん……」

暗い森の中、柚原このみは途方に暮れていた。
菅原神社から走り去っていった湯浅皐月を追おうと彼女が決めたのは、皐月があの場から消えてから数十分経過してからだった。
あの場でくよくよしているだけでは何も変わらない、そう思い行動に出たこのみだが、時間はあまりにも経ちすぎている。
見渡す風景に皐月の向かった先の手がかりなど存在せず、このみは一人森に取り残される形になった。

「あう……寒いよぉ」

小さな体が震えているのは夜の温度のせいだけではないだろう。
悲しみや心細さといった負の波は、常にこのみを襲い続けている。
一日の疲労も溜まっているだろう、だがこのみはそれを駆使してでも皐月を見つけなければという義務感に捕らわれていた。
吹く風がこのみのほどけた髪を揺らす。
皐月との取っ組み合いで、このみのトレードマークであった桜の髪留めは外れたままだった。
顔に張り付く髪を手で掻き分けながら、このみはまた一つ無作為に歩を進めようとする。

(皐月さん……)

冷たい眼差しに頑なな姿勢、この島で皐月と過ごしたこのみの時間は決して穏やかなものではなかった。
むしろ皐月とこのみでは、「友達」や「仲間」といった言葉が当てはまる関係とも呼べなかっただろう。
あくまで協力するだけの、上辺だけの付き合い。少なくとも皐月はそのような態度を取り、そして言葉でも制していた。
常に感じる上からの目線、皐月に対しこのみもそこまで好ましい感情は抱いていなかっただろう。

しかしこの島に来てからこのみの隣には、皐月しかいなかった。
そして皐月にも、このみしかいなかった。
勿論お互いの元々知人も、この島には存在する。
しかし実際共に行動を取っていたのは、このみと皐月という初対面同士ギスギスした感の拭えない二人だけだった。
今、このみの中に生まれた思いは一種の責任感とも呼べるようなものだった。
決して好きな相手な訳ではない、だが放っておく訳にもいかないという観念だけが彼女に今の行動を押し付けている。

30 青い宝石2 :2007/11/14(水) 17:15:42 ID:Lqc3S/e60
(皐月さん……)

既に方向感覚もなくなっているこのみの体に、デイバッグがずっしりとその重さを強調してくる。
今彼女の鞄には二種類の銃に大量の予備弾薬、そして人一人を葬った金属製のヌンチャクが押し込められていた。
それらの武器を神社の中に放置しておくことができなかったこのみ、彼女のデイバッグは今や凶悪な武器庫と化している。

ふらふらとした頼りない足取りがその建物を見つけたのは、時間にしてこのみが皐月の捜索を始めてから三時間程過ぎた頃だった。
古びてはいるがしっかりとした作りと外観の様子から、それがただの無作為に作られた物ではないことはこのみにもすぐに理解できた。
西洋風に彩られた雰囲気から、最初このみは美術館の類ではないのかと頭を捻った。
しかし確認したのが大分前ではあるものの、地図に美術館を表す書き込みはなかったはずだとこのみは一人頭を振る。
では何か。

「あ……」

小さく呟かれたこのみの声は、一瞬で暗闇に溶け込んでしまう。
このみの前、聳え立つそれは。
スタート地点の一つである、ホテル跡だった。





「お、お邪魔します……」

律儀に掛けられたこのみの挨拶に対し、返事は返ってこない。
自分が入れるスペースだけ開いたドアから、このみはそっとホテルの中へと足を踏み入れた。
窓から差し込む月の光が、部屋を漂う埃の姿を浮かび上がらせる。
ずっと居たら喉が枯れそうだな、と不意に思った呑気なそれにこのみは頭をぷるぷると振る。

「だ、誰かいませんか〜」

31 青い宝石2 :2007/11/14(水) 17:16:03 ID:Lqc3S/e60
広いエントランスにこのみの声がこだまする。
しかし、いくら待てどもやはり反応は返ってこない。

「タカく〜ん、お母さ〜ん……」

ぽてぽてと、小動物のように怯えながらこのみも移動を開始する。
きょろきょろと周囲を見渡し、知人の名を呼びながらこのみはエントランスをグルグル回った。

「よっち〜、ちゃる〜……」

本当にこの建物にいるのが自分だけなのか確かめたくて、必死だったのだろう。
それこそ人を殺す決意を決めた殺人鬼にでも遭遇してしまったら一貫の終わりである、しかしこのみは声かけを止めなかった。

「雄く〜ん、タマお姉ちゃ〜ん……っ!」

瞬間、ぞっと背中を駆け上がる戦慄がこのみを襲う。
ばっと背後を振り返り、このみは何が起きたかと確認すべく視線を四方八方へと勢いよく動かした。
粟立つ肌が気持ち悪く、自身をかき抱くようにこのみは身を縮める。
そして、固定される一つの視点。
このみが真っ直ぐに射ったその先には。
レストランが、あった。
エントランスと同じく照明はついていない、喫茶室も兼ねているのだろうケースに入ったショートケーキなどの見本が見る者の食欲を擽る。
しかし相変わらずの埃により、その魅力は半減だ。
このみもケーキは大好きだった、いつもの彼女なら「美味しそう〜」と嬉しそうに見本の前に近づいていっただろう。
しかし、彼女の口から漏れたものは歓喜に満ちた物ではなく。
むしろ、何も吐かれることはなく。
ただパクパクと動かされるそこには、このみの感じる得体の知れない恐怖が詰まっていた。

(皐月、さん……!!)

32 青い宝石2 :2007/11/14(水) 17:16:26 ID:Lqc3S/e60
ちりちりと焼けるような熱を感じ、このみは両手で自分の首に手をやった。
と同時に、自身の爪が当たりカチっと小さな音が鳴る。
それはすぐに、周囲の静けさに交じり合った。

(皐月さん、皐月さん、皐月さ)

零れそうになる涙を抑え、このみは走ってその場から逃げ出した。
一刻も早く離れたいという欲求だけが、このみを突き動かしていた。
だからだろう。足元を見ずに駆けていたこのみは、不意に躓き前のめりに転がった。

「あうっ!」

でんぐり返りの要領で投げ出された少女の体が、冷たいタイルに叩きつけられる。
痛みに声を漏らしながら、このみは何が起きたのかとまたきょろきょろと周囲を見やった。
月の光がいまいち届かない場所、そこに何か転がっている異変物があるのをこのみはすぐに発見する。
どうやら、それに足を引っ掛けてしまったらしい。
目を凝らし、その正体を見極めようとこのみはゆっくりと這うように異変別へと近づいていった。
ちょうどサッカーボールやバスケットボールのような球状の物だろうか、このみがそこまで知覚した時である。

「…………」

ぴたっと。このみの動きが、止まった。
ゆっくりと、彼女のつぶらな瞳が見開かれていく。
その時ちょうど良いタイミングで、月の光が移り異変物を瞬間照らした。
視界に収まったそれに対し、このみは小さな悲鳴を上げる。
このみが捉えたのは茶色のセミロングだった。
すこしボサボサなそれは、どこかこのみと共通するものがある。
理由はすぐ、このみの脳裏に浮かび上がった。

33 青い宝石2 :2007/11/14(水) 17:16:50 ID:Lqc3S/e60
――争ったからだ。取っ組み合う形で、喧嘩をしたからだ。

ふと、足元に目をやるこのみ。
このみの白いソックスは、既に原型を留めていないほど真っ赤に染め上げられている。
彼女の制服には、菅原寺にてこのみが撲殺した篠塚弥生の血液が大量に付着していた。
しかし足元までは。足元までは、そこまで汚れていなかったはずだった。
もう一度、このみは異変物へと視線を戻す。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいていき、それに触れようとすした。
震える小さな指を伸ばした、その時。
ゴロンと。寝返りをうった。
それは。
驚愕に満ちた表情で。
大きく口を開け、白目をむき出しにし。
このみを。迎えた。

「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

腹の底から抉り出された嬌声が、静かなホテルに響き渡る。
首に感じた熱も忘れ、このみは声が枯れるまで叫び続けた。
そして、不意に頭がぼうっとなり意識が薄れていくのを彼女自身も自覚する。
それに身を任せれば、きっと精神的にも一時の逃亡を図れただろう。
しかし、このみの意識を繋ぎとめようとするものがあった。

『こんにちは』

声、少女の声。
消えかけたこのみの意識をここに縫い止らせたものは、間違いなく人の声だった。




柚原このみ
【時間:2日目午前1時】
【場所:E−04・ホテル跡】
【所持品:38口径ダブルアクション式拳銃 残弾数(6/10)、ワルサー(P5)装弾数(4/8)予備弾薬80発・金属製ヌンチャク・支給品一式】
【状態:呆然・貴明達を探すのが目的】
【備考:制服に返り血を浴びている、ソックスにも血がついている】

(関連・412・919)(B−4ルート)

34 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:16:36 ID:SNrbgAOw0
 3人の心は、ずっと一つだった。

 始まりはあまりにも間抜けな形で、本当にここで殺し合いが行われているとは思えない程にその出会いは可笑しなものだった。
 遠野美凪と広瀬真希が、お米券の縁から共に料理を作り……その最中に闖入者とも言える北川潤が当たり前のように作った料理を食べようとして、広瀬にはたかれたのが最初の出来事。

 3人は赤の他人のはずだった。普通に一生を過ごしていれば、3人は出会わないはずだった。仮に出会ったとしても、それは道を歩いているときにたまたますれ違う通行人の一人くらいにしか認識されなかっただろう。
 この殺戮の場で出会ってしまったのはどちらかと言えば不幸なのには違いないだろうが、それでも『出会えて良かった』と3人が3人とも言うに違いない――最も、もうそれを確かめる術はないけれども――はずだ。
 それはどうしてかと言っても、明確に言える根拠はない。相性が良かっただけとも言えるし、あるいは力を持たぬ弱者の寄せ集まりに過ぎなかったのかもしれないが、とにかく、不思議なくらい3人は波長が合ったのだ。

 まるで旧来の親友のように3人は語り、行動し、助け合った。
 もうどのくらい前の話だろうか、――いや時間にすれば僅か数時間前の出来事なのであるが――そう、危うくホテル跡で保科智子と一触即発の事態になりかけたときだ。
 銃を向けられた北川に、広瀬は必死な表情で庇おうとした。北川もまた、彼女を庇うために前に躍り出た。まるで、母が子を守るかのように。
 結果として3人の誰一人として欠けることもなく、誤解も解けた訳であるが……あの時は、誰もが死を覚悟していた。そして、他の2人だけは何がなんでも守る、と全員が思っていたに違いなかった。
 危機的な状況が、3人の絆をより強固なものにしたのである。
 それは同時に、誰か一人でも欠ければ……あまりにも辛すぎる悲しみを生み出すことを、意味していた。

     *     *     *

 どうして、私だけ生き残ってしまったのでしょう……
 遠野美凪は、自分だけがのうのうと生き残ってしまったことに心が押し潰されそうな程の罪悪感を感じていた。
 北川潤に突き飛ばされ、命じられるがままに逃げてきたがどうしてそうしてしまったのだろうと彼女は思っていた。
 北川の言葉を無視してでも、あの場に残るべきだった。自らの命やCDの解析という目的など関係なく、自分は水瀬名雪という敵と戦わなければならなかったのに……
 北川の言葉も正しいのは分かっていた。自分の行動は、客観的に見れば恐らく間違ってはいないだろう。しかし、それでも……友を見捨てて逃げたという事実、見殺しにした事実には変わりなかった。

35 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:17:14 ID:SNrbgAOw0
「私が……私が弱いから……北川さんを、広瀬さんを……」
 昔から自分は弱いままだった。母の病に立ち向かおうともせず、ずっと事態を先延ばしにするままで……そのうちに、これでいいとまで思うようになって。
 みちるがいなければ、自分は自分の名前すら忘れてしまったかもしれない。
 誰かに助けてもらわなければ、自分は自分でさえいられないのに……どうして、そんな自分だけが?

「…………みちる」
 未だ会えぬ、自分の心の欠片とも呼べる存在の名前を口に出す。みちるなら、どんな助言を与えてくれるだろうか? どんな言葉を与えてくれるのだろうか?
「また、私は……」
 無意識に助けを求めていることに気付き、そんな自分に憎しみさえ覚える。できるものなら、この喉笛を噛み千切ってしまいたくなるほどの。
「っ!?」

 自分を見失っていたせいだろうか、足元の石に躓き遺品であるデイパックを抱えたまま派手に地面に激突してしまう。
 故郷によく似た柔らかな草の匂いが、美凪の鼻腔を刺激する。幸いなことに、アスファルトでなかったのでそれほど擦りむくこともなく、怪我と呼べるほどの怪我を得るには至らなかった……が、それは美凪の意思を萎えさせてしまうのには十分であった。
「……北川さん、広瀬さん」
 美凪は知っている。北川と広瀬、気付いてはいなかったけれどもお互いに好意を持っていたことを。
 それにいち早く気付いていた美凪はそっと二人を見守っていくつもりだった。しかし、もうそれは叶わない出来事で……
「私が……あの時、私が死んでいれば……お二人は、あるいは助かったのかもしれないのに」
 今この場に北川と広瀬、どちらかでもいれば美凪の頬を引っ叩いただろう。しかしそれでも美凪は己に呪詛の言葉を吐かずにはいられなかった。
 まるで、自らに贖罪を課すかのように。

(美凪……)

 もうこのまま、何もせずに倒れていようか、死体のように動かないようにしようかと考えていた美凪の耳に、いや直接心に語りかけてくるような囁きが響いた。
(ダメだよ、こんなところで寝てちゃ。風邪、引いちゃうよ)
 それはハープのような、青空を思わせる澄んだ声。美凪にはその声の主の正体がすぐに分かった。
「みち……る?」
 自分のかけがえのない親友、いや半身とすら呼べる存在。まさかこの場にみちるが来ているのではないかと考えた美凪は即座に身体を起こして周りの様子を窺う。しかしみちるの姿はどこにも無く、相変わらずの静寂が美凪の周辺を包んでいるだけであった。

36 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:17:43 ID:SNrbgAOw0
(ほら、こっちだよ)
「え……」
 にも関わらず、見えぬみちるの声がまたもや届く。それも、鬼ごっこをするときのような無邪気な調子で。
「みちる……? どこに……?」
 半ば困惑しながらもふらふらと立ち上がり、誘われるがままに千鳥足で声の元に歩み寄っていこうとする。
(こっちこっち〜)
 たんたん、と手を叩く音。この殺戮の島において、その音はあまりにも似つかわしくないものであるが不思議とその音色は心地よく聞こえる。

 最初は足取りもおぼつかなかったのに、美凪の足は少しずつ、少しずつしっかりとした歩き方になっていく。
「待って、みちる……!」
 走り出そうとしたところでふっ、と前方に見覚えのある、左右に長く振り分けられたツインテールの髪型が美凪の前に現れる。それは紛れもなく――みちるの後姿だった。しかしその姿は頼りなく、まるで波打ち際に立てられ今にも波で崩れてしまいそうな砂城のように……儚かった。
 美凪はそれにすぐに気付いたが、それよりも自分の半身に出会えたという驚きと喜びから気に留められなかった。ただ再会を喜び合いたかった。
 何か声をかけようと美凪は思った。複雑な言葉はいらない。お互いに名前を呼んで、抱きしめ合って、まずは無事を喜び合えばいいのだ。

 けれども美凪がそうする前に、みちるがくるりと振り向いて悲しげな、いや別れを惜しむかのような表情で言葉を紡ぐ。
(みちるは、ここまで)
「え……?」
 美凪が驚いたのは、その言葉にではない。どうして、そんな……今にも泣きそうな顔になっているのだろう。
(みちるが出来るのはここまでだから……あとは、美凪が頑張って)
「みちる……? それは、どういう……」
 美凪がその意味を尋ねようとしたとき、みちるの足元が透明になり始めているのが見て取れた。それが意味するもの。
 まさか――

(美凪ならきっとできるよ。だから諦めないで)
「そんな……今みちるまでいなくなったら、私は、私は……!」
(……泣かないで)
 自身の頬に水滴が伝っていることにさえ気付かない程、美凪は動揺していた。みちるに言われて初めて、美凪はそれに気付いたのだった。
 くす、とみちるが悪戯っぽく笑う。

37 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:18:17 ID:SNrbgAOw0
(大丈夫。大丈夫だよ。だって、美凪は――自分の足で、ここまで歩いてこれたんだから)
「だいじょうぶなんかじゃ……みちるが、みちるがいたから、私はここまで……今だって、そうなのに、私が、一人で……歩けるわけ……北川さんと広瀬さんを殺してしまったのに、そんなことができるわけ無いのに!」
(みちるは、美凪の手を取ったり、引っ張ったりしてないよ。立ち上がれたのも、歩いてこれたのも……全部美凪の意思なんだよ。だから……泣かないで。笑っていて。そして……自分を責めないで。美凪が悲しいと……みちるも悲しい)
 美凪の視界は涙で霞んでいてよく認識できなかったのだが、みちるの身体はすでに上半身を残すのみとなっていた。声もどこか、先程より小さく聞こえる。

(飛べない翼にだって、意味はあるんだから)
「……!」
 その言葉に、美凪はハッとする。
 自分が長くその意味を問い続けてきた言葉。みちるには絶対明かさないはずだった言葉。みちるは、それに、いつから気付いていたのだろう?
 いや、と美凪は思う。
 とっくに答えなど出していたに違いない。気付くのを待っていたのだ。私が、自分の意思で答えを出す、その日まで。
 そして、ようやく……長い時間を経て、答えが、出た。
「……そうですね」

 自分は所詮、地に這いつくばっていくだけの飛べない鳥だ。それは格好悪くて、醜い生物かもしれないが……
 一生懸命に生きていくことは出来るはずだ。無理して飛び立つ必要など、どこにもないのだ。
「生き残ります、必ず」
 頼もしい助言をしてくれた親友の姿を目に焼き付けようと、涙を拭ってそれを見据える。幸運なことに、親友はまだ姿かたちを残していた。
 みちるが、安心したように笑う。
(頑張ってね、美凪)
 以前とはまた違う、大いなる海のような母性を携えた美凪の姿を嬉しそうに眺めながら……光と共に、みちるは、消えた。

(用事は済んだか)
(うん、待たせてごめんね。行こう、岡崎朋也)
(たく、らしくないこと言いやがって、チビのくせに)
(チビ言うなーっ!)
(ぐはっ!?)

 そんな会話の断片が……最後に、聞こえたような気がした。

38 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:18:44 ID:SNrbgAOw0
「みちるは……もうお友達を持ってるのですね」
 微かに笑うと、美凪はずれかけていたデイパックを抱え直してまた新たな一歩を歩き出そうとした。
「……どなたか、いらっしゃるのですか」
 どうやら、まだ美凪の試練は終わっていないようだった。
 何者かがこちらを窺っている。
 今までの柔らかな表情から一変して、戦うのも辞さない険しい表情になっている。親友たちのため、そしてデイパックの中のCDのためにも……まだ死ぬわけにはいかないのだ。
 しかしこちらには武器の類がない。ばれないように牽制しつつ、逃げる方法を考えなければ――

「そちらに戦う気がなければ私も何もしません。私には、まだしなければいけないことが残っていますから」
 そう言いながら後ずさりを始めようとした時、様子を窺っていた主が「待て」といいながら姿を見せた。
「戦う気はない。少し様子がおかしかったように見えたからな」
 声の主――ルーシー・マリア・ミソラ――は、手に抱えていたウージーサブマシンガンを下ろすとゆっくりと美凪に近づいてきた。
 およそ日本人とは思えない真っ白い肌に、赤い瞳、色素の抜けた髪。僅かに汚れてはいたが、それはこの地獄においてもなお美しさを損なっていないように思える。

「……見ていらしたんですか」
「声が聞こえてきたんだ。誰かと話しているようだったが……来たときにはもういなかった。誰と話していた」
 それを説明するのは、いささか難しい――というより、信じてもらえないような気がしたので、適当に繕って言う。
「ここに住んでいらっしゃる自縛霊です」
 みちるが聞いたらさぞかし肩を落としただろう。ルーシーは胡散臭そうな表情をしていたが、深く訊いても無駄だと思ったのか、質問を変えた。

「じゃあ、この辺りで長髪の、制服の女を見なかったか」
「……私ですが」
 長髪。制服。確かに美凪のことには相違なかった。
「……済まない、情報が曖昧だった。名前を知っていればいいんだが……水瀬名雪という女だ」
「水瀬……?」

39 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:19:08 ID:SNrbgAOw0
 その言葉を聞いた瞬間、美凪の脳裏にあの光景が思い出される。忘れるわけが無い。忌まわしい、あの光景を。
「知っているのか!?」
 美凪の表情に変化があったことから知っていると思ったのだろう。形相を変えて迫るルーシーに、美凪は「落ち着いてください」と言って肩を叩いた。
「まずは深呼吸です……はい、スー……ハー……」
「スー……ハー……」
 言われた通り深呼吸をするルーシー。何故か手を天に掲げるという珍妙なポーズだったが。

「では、お話しします……その方とは、先程交戦しました」
「何だって!? 本当か!?」
 再び形相を変えて迫るルーシー。深呼吸は意味がなかったようだ。

「……落ち着いてください」
「あ、ああ……悪い」
「私のお友達が、二人……その方に」
「……やられたのか」
 こくり、と頷く美凪に「くそっ」と地団駄を踏むルーシー。浅からぬ因縁が、彼女のほうにもあるらしい。
「うーへいや、澪だけじゃなく、他の奴にも……ん?」
 そこで何か思うところがあったのか、ルーシーは再び質問する。

「水瀬名雪……一人だけだったのか?」
「はい。そうですが……」
 そう答えると、今度は首をかしげ始めた。それからしばらく何かぶつぶつ言っているようだったが、「まさかな」という言葉で締めくくると今度は美凪の瞳を見つめるようにして語り始めた。

「今までの会話から分かると思うが、水瀬名雪を追ってる。知っての通り、あいつは殺人鬼だ。放っておくわけにはいかない」
「……復讐なさるおつもりですか」
「否定はしない」
 言い訳がましいことはせず、素直な言葉で語る。ならば、美凪もそれに応えないわけにはいかなかった。

「これを見てください」
 デイパックから、例のCDを取り出す。「それは何だ、この時代の最新兵器か?」と尋ねるルーシーに、「近いものです。ビームは出ませんが」と言って、このCDの中身の説明を始める。

40 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:19:39 ID:SNrbgAOw0
「……それは、本当の話か」
「恐らく、間違いないかと。当時のメモらしきものもありますが……ご覧になりますか」
 言うと同時にメモを取り出すが、ルーシーは首を振る。
「そこまで証拠があるなら、嘘ではないんだろう。それでそんなものを見せてどうするつもりだ」
「私と一緒にCDを解析できる人を探してもらいます」

 穏やかな物腰ではあるが、そこには強い意志が見え隠れしている。ルーシーは口を真一文字に結ぶと、ゆっくりと言う。
「復讐はするな、と?」
「それよりは有意義なことだと思います」
「お前は水瀬名雪に恨みはないのか」
 そんなことは、言われるまでもない。あの二人を殺害した彼女を、いかな美凪とて許すわけがない。目の前にいれば、それこそ何をするか自分でも分からなかった。しかし――

「……私は、今できることをしようとしているだけです」
「……」
 感情を押し殺したつもりだったが全てを覆い隠すことはできなかったようで、美凪に潜む悲しみにルーシーも気付いたようだった。彼女はしばらく黙っていたが、やがて何かを納得したのか「そうだな」と今までよりかは明るい声で言った。
「確かにそうかもしれない。それに……あいつなら、きっとこうする」
「……?」
「協力させてくれ。る……いや、私はルーシー・マリア・ミソラだ。よろしく頼む」

 すっ、とルーシーが手を差し出す。どうやらスカウトには成功したようだった。
「私は美凪……遠野美凪です。それと……お近づきのしるしに」
 握手を交わすと同時に、例のものを差し出す。ある意味では、彼女の名刺とすら言えるアレだ。
「お米……券?」
「進呈」
 ルーシーはそれを受け取るとしばらくそれを見まわし、やがてわなわなと震え出した。

「お、お前って……」
「……?」
「すごい奴だったんだな……この星では考えられないことなのに」
「はぁ……いえ、そうでもないと思うのですが……」
「美凪と仲間になれたこと、心から誇りに思うぞ。いや、今日から私たちは親友だ! る……じゃなくて、この星では『バンザーイ』だったな。ばんざーい」
「よく分かりませんが……ばんざーい」

 こうして新たなコンビ、通称「□□」コンビが誕生したのだった。

41 tales of memory/fairy tale of the two :2007/11/15(木) 21:20:19 ID:SNrbgAOw0
【時間:2日目10時20分】
【場所:F−03】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状況:強く生きることを決意。CDを扱える者を探す。なんだかよくわからんけどルーシーと親友に】
ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。服の着替え完了。なんだかよくわからんけど美凪と親友に】
【備考:髪飾りは倉庫(F-2)の中に投げ捨てた】

→B-10

42 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:27:24 ID:H68NN9n.0

水面にゆらゆらと揺れる太陽の、冗談のようにか細い光が、薄ら青く辺りを染め上げている。
暗く重い、どろりとした水の中。
黒と白の神像は、遥か神代に水底へと没した遺跡を護る番人のように、向かい合っていた。
立ち昇る泡沫が、ごぼりと音を立てた。

43 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:27:47 ID:H68NN9n.0
◆―――神尾観鈴


黒い機体、アヴ・カミュの動きが変わった。
変わった、ということしか理解できなかった。
それほどに唐突で、言ってみればひどく乱暴な、それは変化だった。
目の前の黒い巨神像がつい今しがたまでのそれと同一のものであるかどうかすら、
わたしには断言できなかった。
ウルトリィさんの身体を借りてわかったことだが、この巨神像には迷いや戸惑いや、
そういう人間らしい感情のようなものが確かに存在している。
そしてウルトリィさんは黒い機体をカミュ、妹と呼んだ。
ならばそこには同様に、人に近い心というものがあるはずだった。
事実、先ほどまでの動きにはそれが色濃く浮き出していた。
搭乗者である春夏さんと何があったのかはわからないけれど、昨夜の鋭敏な動作とはまるで違った、
呼吸の合わないちぐはぐな挙動。
それはウルトリィさんに、ひいては融けあっているわたしにもすぐに見て取れるようなものだった。
しかし今、この暗い水中で対峙する黒い機体からは、感情の類の一切が感じられない。
揺れ動く情動、そして搭乗する人間すらも黒一色で塗り潰したかのような、圧倒的な違和感。
それは、アヴ・カミュと呼ばれるものではない、別の何かであるように、私には感じられていた。

『ムツミ……、どうして……』
「むつみぃ……? なんや、それはっ!」

ウルトリィさんの呟くような声に、母が耳聡く反応する。
眼前に迫る恐怖から目を逸らす、格好の機会と感じたのだろう。
荒い語調の中に怯えが混じっている。
いつもの母らしい素直な逃避行動に、わたしはどこか安堵してしまう。
同時に、聞き流すことを許さない要素を含んだウルトリィさんの言葉の意味を、わたしは考える。
ムツミ、とは明らかに目の前の黒い機体を指して出た言葉だった。
融けた心を通して、ひどい狼狽と焦燥が伝わってくる。
カミュではなく、ムツミと呼ぶことの意味。
それがウルトリィさんにとっても予想外であり、そしておそらくは事態の悪化を意味していること。
背景を図り知ることはできないが、導き出される現実的な回答を予想することはできた。
即ち。

44 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:28:06 ID:H68NN9n.0
『簡単に言えば……私たちの、敵です』
「な、何やて……!?」

ウルトリィさんの簡潔すぎる返答に、今度は母が狼狽する番だった。
混乱と困惑。
わたしにはわかる。次に母が選ぶのは、思考放棄だ。
だけどそれを赦すだけの猶予は、おそらくない。
だから、そっと助け舟を出す。

『が、がお……あれは、カミュさんじゃない……の?』

一瞬の間。
感情の矛先を逸らされた母が激発しようとする思考の空白と、ウルトリィさんがわたしの考えを
読み取って次の言葉を紡ぎだそうとする間隙が重なった沈黙。
それを破ったのは、ウルトリィさんだった。

『……はい。あれは……あれは、ムツミと呼ばれるもの。既に私の妹ではありません。あれは―――』
「何や、おのれ何を言うて……」

母の語尾が濁る。
混乱した現実認識が、他者の強い言葉によって押し潰されようとしているのだろう。
それは紛れもなく母の弱さであったが、今に限ってはその方が助かる。
元来考えること、というよりそこに伴う精神的重圧を嫌う母は、重々しく放たれる言葉に
呆気なく認識を委ね、押し流されていく。
明確に設定された目標は、容易に逃避の対象へと摩り替わる。
母を突き動かすのは、常に目の前に用意された逃げ道だった。

『―――斃すべき、世界の敵です』

言葉が、道を作った。

45 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:28:24 ID:H68NN9n.0
◆―――ウルトリィ


敵、と言い放った。
同時に、そこに痛みを覚えた自分を恥じる。
大神を追う果てない旅の中、幾度も繰り返してきたことだった。
幾度も乗り越えてきた事態だった。

『説明している余裕は……ないようです』

輪廻の中、妹の身体が滅される光景を幾度も見てきた。
一度たりとも、目を逸らしたことはなかった。
私の身体を貫いて笑う妹の顔を、幾度も見てきた。
一度たりとも、怨んだこととてなかった。
それが大神の定めた輪廻、巡る輪の定めだった。

『―――』

ムツミの覚醒はあまりに唐突だった。
他に接触がなかった以上、契約者はカミュの操者だった女性だろう。
柚原春夏と名乗った女性。
朝方に呼ばれた名の中に、その娘の名があったと、晴子が笑っていた。
娘を亡くした母に、世界のすべてを否定する文言を紡がせるのは、きっと容易かったのだろうと思う。
―――フミルィル。
一時の仮初めでしかなかった愛し子との別れですら、身を切られるより遥かに辛く感じたのだから。
微かに甦る、もう戻れない遠い故郷の記憶を振り払う。

次々に展開されていくヌグィ・ソムクルと、その中心に浮かぶ黒い翼。
そこには最早、カミュの意識も、柚原春夏の意思も感じられない。
すべきことは理解していた。
心のどこかが傷ついて血が流れ出すのには、これまでもずっと堪えてきた。
今度もまた、同じように堪えるだけだった。
眼前、敵を見据える。

46 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:28:49 ID:H68NN9n.0
『ムツミは闇の術法を使います。まずは陽の光の下に』
「そない言うたかて……!」
『わ……黒いの、たくさん』

暗さに紛れて、闇の光球が飛ぶ。
避けきれなかった幾つかが体表面を掠めた。発せられる警告は無視。
元来、この身体に苦痛の概念はない。
痛覚に相当する信号を遮断しさえすれば、それで済んだ。
オンカミヤリューの身体、人としてのそれからは、随分とかけ離れた仕組み。
そんな、一瞬だけ浮かんだ感慨を噛み潰す。
トゥスクルの面々がいれば、と思う。
侍大将の槍は雷光のように間合いを詰め、敵を貫く。
歩兵衆の長たる青年ならば闇を恐れず突き進み、双剣を閃かせるに違いない。
エヴェンクルガの刀が立ち塞がるすべてを切り裂き、幼い少女と森の王が蹂躙する。
そして喪われた國の皇女の大太刀があらゆる闇を薙ぎ払い、切り伏せるだろう。
すべては夢想だった。
助けはおらず、力は及ばず、しかし敗れることは許されなかった。

『が、がお……見えない……』
「ボケカスがぁ……! やってくれるやないか……!」

観鈴と晴子の声に焦りが見えた。
考えろ、と自分に命じる。
この身体を宿り木とする小さな契約者と、不器用にそれを抱きしめる母親。
この世界にいる、沢山の母と子のひとつ。
守らねばならない。最早、母とはなれぬこの身を以って。

『―――晴子、まずは上に出ることだけを考えなさい』
「言われんでもやっとるわ、せやけど……!」

頭上、浮上を阻むように闇が遷移する。
と同時、水圧をものともせず、距離を詰めるように迫るムツミの姿が見えた。
大きな力に任せた、強引な機動。
何度も刃を交えてきた相手の、癖の変わらぬ動きだった。

『ラヤナ・ソムクル―――!』

47 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:29:11 ID:H68NN9n.0
暗い水の中、両手に光が灯る。
ムツミの動きは変わらない。
この程度の、練り込みの足りない術法では撃ち貫けぬと見抜かれていた。
構わない。狙いはムツミではなく、頭上を漂うヌグィ・ソムクル。
両手の光を投擲する。光は投網のように拡がり、闇に絡みつく。
光の網に触れた闇の球が、いちどきに弾けて消えた。
つい先刻、ムツミがやってみせたのとは正逆の方法。
光の術法による、闇の相殺だった。

『今です……!』
「わぁっとるわ……! 行くで、観鈴!」

頭上に展開する闇が消えると同時、加速を開始する。
しかし、

「クソッタレが……!」
『追いつかれる……』

既に充分な速度を得ていたムツミの影が、見る間に迫ってくる。
このままでは水面に出るより先に追い縋られるのは明白だった。
だがそれは当然、想定していた事態だ。

『晴子、観鈴、操縦と制御に集中しなさい』

確かに彼我の速度差は大きい。
空であれば、逃げ切るのは難しいだろう。
しかしここは水中。分は、私にあった。

『ヤムイ・ゥンカミ―――』

力ある言葉と共に、術法が発動する。
ご、と音が響いた。聴覚の拾う音ではない。
身体を直接揺さぶるような、震動を伴った音。
周囲を満たす膨大な量の水が、直接震えているのだった。
ムツミが急制動をかけるが、遅い。
水中に、突然渦が生まれた。渦は瞬く間に増え、集まり、巨大な竜巻となる。
水面から湖底までを結ぶ竜巻を格子と見立てた水の檻が、ムツミを囲む。
稼げる時間は、おそらく数瞬。だがそれだけの時間があれば充分だった。

『駆けなさい、光の下へ……!』

瞬間、白が視覚を覆い尽くす。
盛大な水柱をあげながら、私の身体は再び日輪の下へと戻っていた。

48 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:30:07 ID:H68NN9n.0
◆―――神尾晴子


一瞬だけ白く染まったモニターが、再び周囲の景色を映し出す。
台風に直撃でもされたかのような高波が荒れ狂う湖面と、一面に広がる空。遠くに見える木々。
どうやら水中からの脱出には成功したようだった。

「あいつは……やったんか!?」

白く泡立つ水面を見下ろしても、黒い機影は確認できない。
ほっと胸を撫で下ろそうとすると、声がした。

『……いいえ』

ウルトリィとかいう、胡散臭い機械だ。
正義感ぶる、仕切りたがる、おまけに観鈴の命を握っていると三拍子揃った、反吐の出るような声だった。
とはいえ、黒い機械のことについて詳しく知っているのは確かなようだから、無視するわけにもいかない。
思わず悪態をつきたくなるのをぐっと堪えて言葉を待つ。

『あんなものでムツミは倒れません。足止めが精々でしょう』
「……なら、決まりや。今の内にトンズラするで」

何だか知らないが、あの黒い機械はおかしい。
ウルトリィの言葉によれば「カミュ」から「ムツミ」に変わったらしいが、そんなことはどうでもいい。
確かなのは、さっきまでとは比べ物にならないほどの強さを発揮しだしたということだ。
培ってきた勘が告げている。
あのムツミとかいうものには、勝てない。
勝てないなら、逃げるだけだ。
だが、続くウルトリィの言葉は、控えめに言って驚くべきものだった。

『それはできません。ここで迎え撃ちます』
「何やて!?」

思わず聞き返す。
今、この機械はなんと言った? ……迎撃する?
アホか、と言おうとして、アホやない、こいつバカやと思い直す。
あり得ない。片腕を叩き落し、トドメを刺す寸前まで弱らせたにもかかわらず、一瞬で形勢を逆転されたのだ。
地力が違いすぎるのは明らかだった。

49 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:30:30 ID:H68NN9n.0
「抜かしぃや、勝ち目なんぞあれへんやろが!」
『……アマテラス』
「はぁ!?」
『アマテラスが解き放たれる前に、決着をつけなければなりません』

次から次へとわけのわからないことを言う機械だ、と苛立つ。
聞き覚えのある単語だが、今の状況とはまったく繋がらない。
一刻も早く逃げ出すべきだというのに、何を言い出すのか。

「アマテラスいうたら、こないだ打ち上げ成功したっちゅう衛星やないか、それがどないしてん!?」
『お母さん、天照って神様の名前……』
「やかましわ! 知るかボケ!」
『が、がお……』

余計なことを言う観鈴を、怒鳴って黙らせる。
空気の読めない子だった。
この調子だから友達もできない。
たまにできても心の病気のせいでろくなことにならない。
そんなことを考えて、余計に苛立ちが増す。

『いいえ、私が恐れているのは、おそらく晴子の言っている方のことでしょう』
「だからさっきから何を言うてんねや、おのれは!」
『天より降り来たる光―――アマテラス』

ウルトリィはうちの言葉を一向気にした様子もなく、ますますわけのわからないことを口走りはじめた。
もう相手にする気も起こらず、コンソールを蹴り飛ばす。
煙草があれば今すぐ火をつけて紫煙を吸い込みたかった。水割りがあればなおいい。
だが今、狭いコックピットの中には煙草もウイスキーもありはしなかった。
苛立ち紛れとばかりに、適当に怒鳴り返す。

「はぁそらエラいこっちゃな、レーザーやらミサイルやら、何や槍やら鉄砲やら降ってくんのかいな!」
『あなたの言うレーザーやミサイルというものが、國を焼き払い大地を焦土と化す光のことであれば……、
 その通りです、晴子』
「……あ?」

50 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:30:52 ID:H68NN9n.0
思わず間抜けな返事を返してしまった。
國を焼き払い、大地を焦土と化す?

「……何や、それ」
『言葉の通りです。……ムツミは破滅をもたらすもの。目覚めた世を焼き尽くし、次なる時へと渡るもの。
 アマテラスはその最も恐るべき力、この世を灰燼へと帰さしむるディネボクシリの炎です』

心なしか、声音がひどく冷たく感じた。
乾いた唇をひと舐めする。

「お、大袈裟なこと言いなや……うちビビらそ思ったかて、そうはいかんで……」
『この島を、十や二十並べたとして―――』
「……」
『それを焼け野原に変えるまでに、一刻とかからないと言えば、わかっていただけますか?』

黙り込む。
黙り込むしか、なかった。
この機械の言うことが本当かどうかなど、わからなかった。
わからなかったが、言い返せなかった。
そもそも、人型の機械に乗り、魔法のような力を使って戦っているところからして、夢物語に近かった。
見たこともない機械が何となく操縦できてしまうなど、それこそアニメの世界のご都合主義だった。
まして観鈴が一度死に、機械に魂が乗り移っているなどと、おおよそ現実とはかけ離れていた。

『―――神尾晴子。あなたは世界を護りたいと思いますか?』

信じたわけではなかった。
世界の破滅だの何だのと、唐突すぎて実感も何もなかった。
目の前には選択肢があって、タイムリミットは迫っていた。
イエスともノーとも、答えるのが嫌だった。
だから、口を開いた。

「知るかっ、ボケぇっ!」

何の衒いもない、素直な感情だった。
考えることが嫌だった。
従うのも嫌だった。
酒を呷りたかった。
暗い部屋の中で膝を抱えていたかった。
そんなこと、できはしないとわかっていた。

「世界? 知らんわ!
 破滅? 知らんわ!
 うちはうちのことしか知らん! 後はよう知らん!」

けど、それでも、

「せやけどな、売られた喧嘩は買うたるわ! 黒いのぶっ飛ばしたらええんやろが!
 それで何もかんもええんやろが! やったるわ、ボケがっ!」

言い放ったその瞬間、モニタに写る景色が変わった。
波打つ湖面を割るように、地獄の淵から亡者が這いずり出るように。
黒い機影が、浮かび上がろうとしていた。

51 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:31:32 ID:H68NN9n.0
◆―――ムツミ


お父様は仰った。
あらゆる命に試練を与えよと。
高みへと登る強さを見極めよと。
久遠の時を経ようともその言葉は揺るがず、私の中に響いている。

だから私は審判の鐘を鳴らす。
目覚めたその世に生きる命が、強くあるものかどうかを見極めるために。
試練を乗り越え、自らに生き続ける価値があるのだと示せるのかを確かめるために。
それがいかなる命であれ、それがいかなる世であれ、私には関わりない。
強き命が時を越え、いつかお父様の下に辿り着くその日まで、私は審判者であり続ける。

アマテラス。
姿を変え、形を変えて、私と共に時と世を渡り続ける浄化の炎。
今生のアマテラスは遥か天空に聳え立つ城塞だった。
遥か昔、私の生まれた世のそれに近いと、記憶を辿って思う。

と、目の前を光が奔る。
もう一人のお父様の眷属、白い翼の女が放つ光だった。
目障りだ、と思う。
この女とその共連れは、幾つもの世で私の審判を阻んできた。
今ではお父様と共にあるもう一人のお父様を追い求めて時を渡っているらしかったが、だからといって
私の審判の邪魔をされる謂れはなかった。
幾度かの妨害を受けて、今では最優先で排除すべき対象とみなすようになっていた。

だが、と思う。
今生では、どうやら試練を阻まれる恐れはなさそうだった。
女の他には、もう一人のお父様の眷属の気配は感じられなかった。
共連れが多ければ厄介な相手だが、女一人ならどうということはなかった。
巡り合わせが悪かった、否、私にとっては良かったと言うべきか。

幾つもの闇を、辺りにばら撒く。
これを越えるなら、更に倍の数を差し向けよう。
それを越えれば、更に倍。
最後には空を埋め尽くすほどの闇を与えよう。
それを縫って私の元に辿り着けるか否か、楽しむのも悪くない。
試練の雷光が降り注ぐまでにはまだ僅かな間を要するが、それまでに排除を完了するのは、
ひどく容易に思えた。

幾度目かに、闇を増やした。
白い翼の女は傷つき、それでもなお向かってこようとする。
浄化の炎が目覚めるまで、あと僅かだった。

最期の手向けとばかり、力の限りの闇を引き出す。
絶望を形にするような、それは漆黒の長城。
闇に包み込まれて墜ちゆく白い翼の女を思い描き、私は、


 ――― ヨ ヲ ウケイレヨ、ツバサ ノ モノ ヨ ―――

52 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:31:57 ID:H68NN9n.0
◆―――カミュ


目は見えず、耳も聞こえず、声も出せず、それでも足掻く。どこまでも抗う。
この身が何度滅びても、この心がどれほど磨り減っても、私は、私たちは抗い続ける。
これまでずっとそうしてきたように。
これからもずっと、そうしていくように。
無限とも、一瞬ともつかぬ時を置いて。

 ―――余を受け入れよ、翼の者よ!

色もなく、音もなく、翼もない世界の中。
唐突に響いた、それは声。
世界に抗わんとする者の、ただ強く在ろうとする声のように、感じた。
だから私は声に問う。

『あなたは、だあれ?』

問いに、

『―――余か?』

応えが、返る。

『余は、神奈備命―――誇り高き翼の民の裔、八百比丘尼が娘、神奈備命だ!』

名は告げられ、

『神奈備命―――あなたは、力がほしい?』

新たな問いが紡がれ、

『要らぬ!』

答えは響き、

『余は……余は、翼がほしい! この空を越えて、どこまでも飛べる翼が!』

言葉は続き、

『なら―――貸してあげる。カミュの翼、この空を越える翼を』

契約は、紡がれた。

53 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:32:15 ID:H68NN9n.0
◆―――再び、神尾観鈴


その隻腕の黒い機体は、残された片手を差し伸べていた。
つい一瞬前まで存在していた、無数の闇の光球も、わたしたちを押し潰そうとしていた黒い壁も、
まるでそんなものは最初からありはしなかったかのように、どこかへ消え去っていた。

無言が場を支配する。
母も、ウルトリィさんも言葉を失っていた。
光と闇と、波の飛沫と切り裂かれる風の音が支配していた戦場を突き崩す、それは冗談のような仕草だった。
わたしはといえば、差し出されたその手をじっと見つめていた。
その意図が掴めなかったからではない。

『観鈴、我が呪いを継ぐ、最後の子……!』

そんな言葉を黒い機体が発するよりも早く、わたしは気づいていた。
目の前にいるのは、あの白い翼の少女、神奈だ。

『共に行こう、空へ……!』

蒼天を独り飛ぶ、悲しい夢の少女。
その手をじっと見つめる。
共に行こうと差し出された手。
心寄せる者を殺す呪い。
独り飛ぶ空。

共に行こうと、差し出された手。

飛ぼう、と思う。
呪いよりも迅く。独り飛ぶ夢よりも高く。
どこか、この悲しみの届かない空へ。

ふたつのつばさで。

54 心に翼がある、飛べるわけじゃないけど :2007/11/23(金) 15:33:02 ID:H68NN9n.0

【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:満身創痍】
神尾観鈴
【状態:異常なし】
神尾晴子
【状態:軽傷】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:カミュ回復】
神奈
【状態:アヴ・カミュと契約】
柚原春夏
【状態:意識不明】
ムツミ
【状態:遮断】

→913 ルートD-5

55 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:34:08 ID:GuzJDSOE0
「――さて、一応これで準備は完了だな」
 ぱたぱたと手についた埃を払いつつ、坂上智代は満足げに罠が張り巡らされた鎌石村役場2階の風景を見ながら笑った。

 朝早くから設置に取り組んだお陰で仕掛けた罠の数は10個を下らない。
 つっかえ棒を外すとロッカーが倒れる、床の紐に引っかかると紙の束が大量に落下してくる、紐を切ると画鋲が雨あられと飛ぶ……等々単純だがそれなりに効果のありそうなものばかりだ。
 これも発案者の里村茜のアイデア様々であるのだが……その種類の豊富さからどんな日常を過ごしてきたのだろう、とも思わずにもいられなかった。

「お疲れ様です」
 そんなことを考えていると、当の本人である茜が机の下からのそのそと這い出てくる。埃っぽい所を移動してきたためか同性の智代でさえ認めるくらいの可愛らしい顔は少々汚れているようだった。

「そっちも終わったか?」
「ええ。それにしても随分時間がかかってしまいました」

 作業着についた埃を同じく払いつつ室内の隅に申し訳程度に置かれている、いかにも安っぽい時計を見ながらため息をつく。既に時刻は一時を回っていた。あるいはこの時計自身がどこかずれていて、ひょっとしたらそれ以上の時間が経っているかもしれない。
「そう言うな。それだけの備えはしたんだ……というか、もうそろそろ指定された時間じゃないのか?」
 あのパソコンの『岡崎朋也』曰く14時が集合時間だ。もうそろそろ誰かしらが来ていてもおかしくはない。

「ですね。休憩がてら見に行きましょうか。喉も渇きましたし」
 言われてみれば確かに智代も喉は渇いている。それだけ作業に没頭していたということでもあるのだが。
「そうだな。ひょっとしたらお茶っ葉の一つや二つあるかもしれない」
「智代は日本茶派ですか」
「いや、別に紅茶も好きだが……味気のない水よりはそっちの方がいいと思っただけだ」
「そうですか……私はどちらかと言えば紅茶の方が好きです。どうも、あの渋みは」
「ああ、その気持ちは分からなくもない――」

 軽く雑談をしながら扉を開け、階段を下って行こうとしたとき、智代の鼻が以前とは違うものを察知した。
 ぴたりと歩みを止めた智代に茜が不思議そうな表情をする。

56 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:34:37 ID:GuzJDSOE0
「どうしました?」
「なんか……甘い匂いがしないか」
 言われた茜がくんくんと匂いを嗅いでみる。確かに、食欲をそそるような香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。
「言われてみれば……」
 しかもこれは、紛うことなき紅茶(噂をすればなんとやらですね)の匂いだ。よくもまあ察知できたものだ、と茜は感心する。
 ほぼ間違いなく自分たち以外の人間がここに来ている。ここに全自動紅茶製造機でもあれば話は別になるが……そんなものを見た覚えもない。

「……さて、どうする?」
 出てきた扉に背をもたれさせながら智代がこのまま下りていくかどうか逡巡する。
「こんなところで紅茶を淹れているような人間なら、どんな人柄か容易に想像は出来るんじゃないですか」
 茜が下りていくように提案するが、「そうは言うがな」と智代は反論する。
「私達同様の罠かもしれないぞ。匂いでおびき寄せて後は一網打尽……というわけだ」
 まさか。動物か何かじゃあるまいし……と言いかけて、今まさに自分たちが飲み物を求めていることを思い出した茜はそう言い出せなかった。

「ではどうするのですか」
「まあ妥当なところで警戒しながら紅茶を淹れている部屋まで向かう、でいいんじゃないか。特に、物陰に警戒しながらな」
 茜は頷く。ここが室内である以上死角からの襲撃があってもなんらおかしくは無い。乗っている人間にとっては指定された時間などどうでもいいのだから。
「万が一襲われたらすぐに2階に撤退、おびき寄せる……それでいいな?」
「ええ。でなければ時間をかけて設置した意味がないですから」
「……よし、私が先頭になろう。行くぞ」

 投擲用のペンチを握り締めて智代が階段への一歩目を踏み出す。どのくらい昔に建てられたものだろうか、年月が経って古くなったリノリウムの床が50キロにも満たない彼女らの体重に対しても悲鳴を上げる。その僅かな音でさえ、敵に気取られてしまうんじゃないだろうかと彼女らに危惧させるのには十分であった。
 普段なら数秒ほどで下りきってしまう階段を、たっぷりと時間をかけて1階に下り立つ。紅茶の匂いは、ますますその香りを強めていた。そんな癒しの匂いにさえ、二人の頬が緩むことはない。
 薄暗い物陰に最大限の気を配りながら一歩、また一歩と匂いの発信源へと近づいていく。その度に心臓の鼓動が少しずつ早くなっていくのが分かり、まるで発信機だ、と先を進む智代は思った。

57 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:35:06 ID:GuzJDSOE0
 階段から応接間へと続く狭い廊下を抜け切った先に、客人用と思われる革製のソファに二人ほどの人が腰掛けているのを遠目ながら智代は発見した。
 間髪いれず、智代は身を縮めるように茜に指示する。
「二人ほど人影を確認した。誰かは分からないが……」
「私にも見えました。銃らしきものもあります」
 智代も頷く。しかも長さから判断するにアサルトライフルの類なのではないだろうか。詳しいことは知らないが、それが拳銃などより余程威力があり、より殺人に適しているということを知ってはいる。迂闊に近づくのは危険だった。

「さて、どう出ます?」
「どうにもこうにも……話し合いができればいいんだが……誰かが分からないことには」
 その一方で、もしゲームに『乗った』人物ならば銃を構えることも獲物を探すこともなくああして座っているのはいささかおかしい、とも考えていた。
 もう少し周囲に気を配ってもいいものだと思うが。
「まだ距離はあります。危険は承知ですが声をかけてみましょうか」

 相手からもこちらの様子はそうそう窺えそうにありませんし、と付け加えて茜は言った。少し逡巡する智代だったが、いつまでも隠れているわけにもいかない。
 分かった、と返事をして智代は大きく深呼吸をした。
「そこに腰掛けている二人! ちょっといいか!?」

     *     *     *

 自分たちの背後からかけられた大声に、相楽美佐枝は驚愕し、また同時に「しまった」と思わずにはいられなかった。
 いつの間にか背後を取られていた。
 それは文字通り敵に隙だらけの背中を見せることであり、殺してくださいと言っているようなものだったからだ。

「誰っ!?」
 素早く立ち上がり、肩にかけていた89式小銃を声のした方角へと向ける。しかし声だけでは正確に相手の位置を押さえることができない。銃口は、大きく左右にブレていた。
「愛佳ちゃん! 後ろに!」
「え、あ、ははは、はひっ!」
 美佐枝同様予想もしていなかった方向から声をかけられ混乱していた小牧愛佳だったがわたわたとしながらも後ろへ、相手との距離を取るように下がる。

58 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:35:30 ID:GuzJDSOE0
「待て! まずは私達の話を聞いて欲しい!」
 一瞬、どこかで聞いたような声だ、と美佐枝は思ったがすぐに今の状況が油断するべきものではないと思い直し威圧するかのような声で返答する。

「その前に姿を見せてもらうわよ。こっちも正体不明の相手と会話できるほど余裕はないからね」
「ならそちらも銃を下ろす……とまではいかなくても上に向けて欲しい。銃を向けられたまま話し合いはできない」
 言われた美佐枝は確かにそうだ、とは思ったが完全に信用するわけにもいかない。迷った挙句自分が妥協できる範囲まで、銃を上方に向けた。
 ちらりと愛佳の方を向くと、彼女はどうしたらいいのか、と美佐枝の指示を仰ぐように目を泳がせている。
「……とりあえず、上に向けて。けどすぐに向けられるようにしておいて」
「は、はい」
 恐る恐る、という調子でドラグノフを上方に向ける。それを確認してから「今度はそちらの番よ」と声をかけた。こちらと違って相手は自分たちの位置を把握していたのか声をかけるとすぐに立ち上がってこちらに歩いてきた。……が、相手方のその珍妙な格好に、美佐枝も愛佳も目を疑った。

「なんだ、聞いたことのある声だと思ったら美佐枝さんだったのか。良かった、こんなところで会えると」
「「……ぷっ」」

 いや、笑いを堪え切れなかった。歩いてきたのは作業着にヘルメットをかぶり、ペンチを持った坂上智代(色々相談を持ちかけられていた)と、もう一方は知らないが同じく作業着にヘルメット、そして釘打ち機を持った少女。
 どう見ても作業員のオッサンです、本当にありがとうございました。

「あははははっ! あなた、坂上さん!? どーしたのその格好、あっははは!」
 あまりにも場違い、というか普段とギャップのありすぎる格好に美佐枝は吹き出さずにはいられなかった。元が中々可愛いだけにその威力は大きい。
 美佐枝の背後では、同じく愛佳が隠れるようにしながらもくすくす笑っている。そんな美佐枝と愛佳を見た二人は。
「「帰る」」
 すたすたと廊下の奥へと歩いていこうとする二人を、未だ笑いながらも美佐枝が引き止める。
「ああごめんごめん。悪かったからいじけないでって。話があるんでしょ?」
 全然悪びれてない声だったがこんなことをしていても仕方ないと思ったのか、渋々という調子で二人が引き返してきた。その表情が複雑なのは気のせいではないだろう。

「なんか、もう……色々な意味で不貞寝したい気分だが……まずはお互い無事で良かった」
「……そうね。無事で良かった」
 知り合いがどういう形であれ無事なのを見ると心の底からホッとする。それは美佐枝の本心である。

59 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:36:00 ID:GuzJDSOE0
「私達は知り合いだけど……互いの連れは紹介する必要があるわね。私は相楽美佐枝。坂上さんの通ってる学校の寮……っても男子寮だけどね。の寮母さんやってるの。よろしく」
 美佐枝が先陣を切るのに合わせて愛佳が出てきてぺこりと頭を下げる。
「小牧愛佳です。学校では委員長……じゃなくて副委員長をしてます。美佐枝さんには……色々と助けてもらってます」

「次は私だな。坂上智代だ。今はこんな格好をしているが学校ではごく普通の女の子で生徒会長だ。よろしくな」
 ごく普通の女の子、というところを大きく強調していたような気がしたが美佐枝も愛佳も何も言うことはなかった。流石にもう空気の読めないことはできないのであった。
「里村茜です。智代と同じく今はこんな格好ですが学校ではごく大人しい女の子です」
 二人とも今の格好は本意ではないのだろう。まあその辺の事情は問わないほうがいいのかも、と美佐枝は思うのであった。

「で、だ。本題に移りたいんだが……二人はあの書き込みを見てここまで来たのか」
 ええ、と美佐枝は頷く。とりあえずは岡崎のバカを叱ってやらねばならない。この話を知っているということは智代たちもあの書き込みをみたということだろう。
「相楽さんから見て、あれはどう思いましたか。あと、できれば愛佳も意見を聞かせて欲しいところです」
 茜の質問にそうね、と顎を持ち上げるようにしながら美佐枝は答える。

「アホ、としか言いようがないわね」
「あたしは、そこまでは思いませんでしたけど……あれじゃ、何を考えてるか分かんないような人まで呼んでしまうんじゃないかなあ、とは」
「ほぼ意見は同じか……」
 向こう側も同じような結論を出していたらしい。
「けど、岡崎ってあんな言葉遣いをするような人間じゃないんだけどね。使うにしてもあそこまで丁寧じゃなかった」
「美佐枝さんもそう思うか? 私もおかしいとは思っているんだが……本人でない確証が取れない以上、絶対嘘とも言い切れない。だから来てみたんだが」
「その岡崎朋也が、まだ来ていませんね」

60 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:36:25 ID:GuzJDSOE0
 茜は視線を外の方に向ける。現在時刻からして発案者はもうそろそろ来てもいい時間のはずなのだが……一向に岡崎朋也らしい人物は姿を見せない。
「トラブってるか、あるいは……」
「あたしたちをおびき寄せるための……嘘、でしょうか」
 その可能性が、現状では一番高い。知り合いをおびき寄せて罠に嵌めるというのはあってもおかしくない。
「だから私達はそこを考えて乗った奴らが来てもいいように備えをしておいた。アイデアを出したのは茜だけどな」
「備え?」
 美佐枝が首をかしげる。1階はくまなく回ってみたがそんなものは見当たらなかった。
「2階に罠を仕掛けてあります。いざとなったらそっちに逃げて罠に引っ掛けます」
「いつの間に、そんなことを……?」
「まあ、朝の8時くらいからやってたからな。気付かなかったか? いや、気付いてたらこっち側に来てたか」
 そう言えば、2階に通じる階段があったような気がする。歩いているときに少し物音が聞こえてきたような気はしていたが……
「よくやるわねぇ……」
「備えあれば憂いなし、です」

 無表情のまま胸を張る茜に美佐枝は苦笑する。しかしこの島においてはそれくらい慎重であったほうがいいのかもしれない。まだ自分は認識が甘いのだろうか、と美佐枝は思わずにはいられない。なんだかんだいって本格的な銃撃戦を経験したわけじゃない。命のやりとりをしたわけじゃないのだ。
 以前もそうだった。気の緩みを来栖川芹香に窘められたし、柏木千鶴に何もする間もなく気絶させられた。
 自分よりも年下が頑張っているのに、しっかりしなきゃいけない、と美佐枝は思い直す。

 そうよ、あたしが責任を持って愛佳ちゃんを――

 美佐枝が心中で決意を新たにしようとした時、視界の隅、透明なガラスの向こうに何やら黒い塊を持った人間が立っていた。
 遠めなのでその表情までは分からないが、細身であるにも関わらずその人物には素人ですら理解できるほどの禍々しいモノを放っている。
 黒い塊が何であるかという結論を出す前に、美佐枝は「伏せて!」と叫んでいた。
 ぱらららら、という古いタイプライターを素早く叩くような音がガラスを破砕すると共に響いた。

     *     *     *

 十波由真と伊吹風子に止めを刺し損ねた七瀬彰は、二人に止めを刺すべく後を追ってもはやそれが建物として用を為していない、ホテル跡に足を踏み入れていた。
「これは……広いな」
 概観からある程度想像はしていたがいざ中に入ると相当な広さを持っていることが分かる。
 加えて、幾重にもフロアは存在する。隠れる場所など星の数ほどあるだろう。

61 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:36:53 ID:GuzJDSOE0
 うんざりとしたように肩を竦めながら、彰はイングラムのマガジンを取り出し、新たに弾薬をセットする。
 だが悪いことばかりではなかった。先に殺害した岡崎朋也とみちるの所持品はかなり使えるもので、クラッカーはこけおどしや注意を引くために使えるし、そしてもう一方の戦利品である、M79グレネードランチャーは途轍もない『当たり』だ。
 どうやらデイパックの中身は一回も使用されていなかったらしく新品同様のM79の入ったケースが出てきた時には流石に目を疑った。イングラムの持ち主といい、どうして強力な武装を使おうとしないのだろうか、と彰は怒りを通り越して呆れるような気分にさえなったが、持ち主があの子供(みちる)だったのだとしたら使い方が分からなかった、あるいはそれが何かすら分からなかったのだとしたら一応納得はいく。

 とにかく、続けてこんな武装を手に入れられたのはかなりの幸運だ。M79は女子供にも扱えるように、という全く不必要な親切設計で、射程がやや短く、弾薬の威力も低く抑えてあるというカスタマイズが施されてはいたが、それでもそこらの銃よりは余程強力に違いなかった。
 弾薬は二種類あり爆発と共に破片を撒き散らす炸裂弾、そして爆発した周囲を燃やし尽くす火炎弾が用意されている。
 問題はそれぞれの弾数が10発ずつしかないことでありしかもM79は単発であることから連射が利かない。状況的に一対一でしか使えないだろう。せめて共同戦線をとってくれる人間がいればまだそれは改善できるのだが。
「仲間か……冬弥でもいればね」

 彰の親友。少々鈍感ではあるが頼りに出来る人間。今、彼はどうしているのだろう。
 既に恋人である森川由綺や友人である河島はるかを殺されている。自分と同じく復讐に、あるいは優勝目指して誰かを殺しまわっているかもしれない。ならば共に戦うことだって不可能ではないはずなのだが……会えないことには机上の理論でしかない。
 しばらくは、一人でやり続けるしかないだろう。

 視線を上へと戻し、彰は今倒すべき人間の姿を探し求めて歩く。薄暗く森の中に位置している故か殆ど日光の差していないホテルの中にはある種の不気味さが漂っており森から流れ込んでくる湿った空気が自然と彰の肌を震えさせる。
 幽霊でも出てくるんじゃないだろうか、と彰は自分が思ってもない事を考えているのに気付いて苦笑する。
「……ん」
 ふとロビーの奥、受付のさらに向こうに無数のパソコンが鎮座しているのが彰の目に留まる。
 恐らく以前、まだこのホテルが機能していたときに客室の管理に使っていたものだろう。朽ちてしまった今となっては使えるかどうか怪しいものだが……ダメ元でいじってみることにした。幸いにして、文学少年の彰にもそれの使い方くらいは分かる。

62 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:37:23 ID:GuzJDSOE0
 受付を乗り越えてパソコンが設置されている部屋へと侵入し、早速手近にあったパソコンの一台にある電源へと手を伸ばす。
 カチッ、という音と共にパソコンの筐体が低く唸りを上げ始めた。
「驚いたな、まさか本当に使えるなんて」
 半ば期待していなかっただけにこれは嬉しい。電気はどこから供給されているのだろうという疑問も浮かばないではなかったが使えるならば最大限に利用する。どのサバイバル小説でも当たり前のことだ。
 OSが立ち上がると、すぐさま彰はこのホテルを管理するために使うデータの閲覧を始める。ひょっとすると殺し損ねた二人のいる部屋が分かるかもしれない、と思ったからだ。
 しかしそうそう都合よくはいかないのが現実というもので、データの中身は空……つまり、真っ白に消去されていた。というより、電源が入っていなかったのだからそんなことが出来るわけがなかったのである。

 これ以上は探っても無駄だと結論付けた彰は、他に有用なデータはないかとハードディスクの中身を漁り始める。すると、『アプリケーション』と銘打たれたフォルダの一角に何やら怪しい実行ファイルがあった。度々テレビなどで話題になる、あの巨大掲示板にそっくりなアイコンだった。
 実行してみるべきか? と一瞬迷ったがこのパソコンは自分のものではないし、壊れようがウィルスに感染しようが知ったこっちゃない。
 ダブルクリックしてアプリケーションを実行。するとやはり、あの巨大掲示板を模したものと思われるスレッド集が出てくる。
 とりあえず先に読み進めていくと、このアプリケーションは主催者が用意したということがまず始めに分かった。曰く、情報交換やらに利用してくれとの有難いお言葉だったが彰からすれば腹立たしい以外の何者でもない。澤倉美咲を奪った憎むべきゲームの開催者からの施しなど――

「……落ち着け七瀬彰。使えるものは最大限に利用するんだ。そうさ、美咲さんを取り戻すためなんだ、感情に流されるな」

 身体の底から込み上げてくるドス黒い感情を何とか押し留めるようにして彰は続きを読み進めていく。そしてスレッドの一角に、気になる情報を見つけた。
 何でも脱出のために皆で集まろうという趣旨の書き込みだった。
「馬鹿なのか、この人は……?」
 言っていることはもっともらしいがわざわざ場所を示したのではもしこの書き込みを悪意ある(そう、まさに自分のような)者が見たらどう思うだろうか?
 答えは決まっている。集まった人間を皆殺しにしてやろうという考えだ。ゲームに乗った人間からすれば敵が集団になるのは好ましい事態ではない。

 彰は腕組みをして考える。
 ただの馬鹿なのか、馬鹿を装い逆手に取った罠のどちらなのかを。

 当然、この書き込みを見て死体に群がるハイエナのように集まったところを襲ってやろうという人間はいるはず。しかしそれを計算して書き込んだのだとすれば逆に罠を張り巡らせて集まってきた人間全員を殺すことを計画しているかもしれない。そうならば火中の栗を拾うようなものだ。
 だが皆殺しを企んでいるのだとすれば同じくゲームに乗った人間を殺害するのはあまり意味が無い。ペースが鈍くなるばかりか下手を打てばゲームに乗ったもの同士で食い合うことになりかねない。頭のいい人間ならそれくらいすぐに思いつくはずだ。だとすると……

63 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:38:08 ID:GuzJDSOE0
 彰は、パソコンの電源を切ってデイパックを抱え直し、指定された役場へと向かうことにした。
 あの二人のことは捨て置いてもいい。反撃もできなったのなら脅威にもなるまい、と結論付けたからだ。
「いいさ、書き込んだ奴の術中に嵌ってやるよ。小細工を仕組むなら……蹴散らすまでさ」
 今の彰にはイングラムとM79がある。この装備なら誰にだって負ける気はしない。人数を減らすことが重要だ。

     *     *     *

 それから山を下り、地図を見ながら辿り着いた役場、その中には既に四人の女が誰かを待っているようだった。
 書き込んだ奴の友人か、ただのお人好しか、それとも――
 いや、と彰は頭を振り思考を打ち消す。考えてもしょうがない。それよりも重要なのは……発見した。だから、
「殺す」
 彰がイングラムを構えたのと同時に、女の一人がこちらに気付く。気付かれたか、とは思ったが構うことはない。皆殺しだ。

 ぱらららら、という聞き慣れた音が響き渡ったのと女達が一斉に床に伏せたのはほぼ同時だった。
「ち……!」
 ガラスが派手に壊れ役場の壁に銃弾の傷を付けただけで、イングラムは一回たりとも命中していないようだった。舌打ちをしながら、彰はイングラムを構えたまま走り出す。こちらから宣戦布告したのだ、このまま逃がすわけにはいかない。

 ガラスの破片を踏み潰す音が、第二ラウンドの開始を告げていた。

     *     *     *

「……今の音は」
 藤井冬弥を殺されて以後、精神の全てを憎悪で塗り替えた七瀬留美は標的、篠塚弥生を探していつの間にか元いた鎌石村まで舞い戻ってきていた。
 その道中で耳にした、ぱらららら、というタイプライターを素早く叩くような音。種類は違えど、それは間違いなく冬弥の命を奪ったマシンガンの類であった。
「また、殺し合いが起こってるの?」
 冬弥の命を奪った殺し合い。冬弥の命を奪ったマシンガン。
「あんな連中が……あんな連中がいるから、藤井さんは……!」
 七瀬が弥生を殺すときに浮かべたのと同じ、悪鬼のように形相を変えて、七瀬はさらに進路を変えて銃声のした方向――即ち鎌石村役場――へと自転車を漕ぎ出した。
 目的はただ一つ。藤井冬弥を殺した『殺し合い』に乗った連中全員の、抹殺である。

 坂上智代。里村茜。相楽美佐枝。小牧愛佳。七瀬彰。七瀬留美。そして現在役場に向かっているイレギュラー、岸田洋一。
 宮沢有紀寧の放った悪意ある書き込みが、一人、また一人と、参加者達をアリジゴクのように巻き込んでゆく――

64 蜜に誘われる蜂たち :2007/12/03(月) 20:39:32 ID:GuzJDSOE0
【時間:2日目13:50】
【場所:C-03 鎌石村役場】
相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか、他支給品一式】
【所持品2:89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、他支給品一式(2人分)】
【状態:朋也を引き止める。千鶴が説得に応じなかった場合、殺害する。冬弥と出会えたら伝言を伝える。彰と交戦状態に】

小牧愛佳
【持ち物:ドラグノフ(7/10)、火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:朋也を引き止める。千鶴と出会えたら説得する。冬弥と出会えたら伝言を伝える。彰と交戦状態に】

坂上智代
【持ち物:手斧、ペンチ数本、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:作業着姿。罠の設置完了。彰と交戦状態に】

里村茜
【持ち物:フォーク、電動釘打ち機(15/15)、釘の予備(50本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:作業着姿。罠の設置完了。彰と交戦状態に】

七瀬留美
【所持品1:折りたたみ式自転車、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、H&K SMGⅡ(6/30)、予備マガジン(30発入り)×4、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、激しい憎悪。役場で戦っている人間全員を抹殺】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(22/30)、イングラムの予備マガジン×7、M79グレネードランチャー、炸裂弾×10、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。マーダー。智代たちと交戦状態】

【その他:M79の射程は最大40メートル程。役場の2階には複数罠が仕掛けてあります。岸田洋一が現在役場に接近中(D-5のあたり)。】
→B-10

65 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:20:39 ID:y9FfNGyY0

 ―――東京某所


光量を抑えられた広いフロアの中を、幾人かの男たちが忙しげに歩き回っている。
ある者は白衣を、またある者は仕立ての背広を纏い、そのいずれもが己が理知の徒であることを誇るように
眼差しも鋭く何事かを話し合い、また別れ、自らの席について用意された端末を操作していた。
そんな様子を、一段高いところに据えられた椅子から満足げに眺める男がいた。
男の名を、犬飼俊伐という。
内閣総理大臣―――即ち、国家の実権を統帥する男である。

傍らに影のように少年を侍らせながら、犬飼は目を細める。
すべては順調に推移していた。
プログラムは表向きの理由、固有種の殲滅に向けて動き、その概ねを討ち果たしていた。
報告によれば残りは六、七人といったところだったが、それも時間の問題だという。
これが遂げられれば、しばらくは面倒な左の連中の頭を抑えることができる。
与党は安泰、戦争は継続され、財界のお歴々は潤う。
政治的な面では満点といっていい経過だった。

そしてまた、と傍らの少年の気配を感じながら、犬飼は思う。
このプログラムの真の目的に向けても、事態は着々と進行していた。
歴史の救済―――破滅の輪廻から、世界を救う。
誰かに聞かれれば精神の平衡を疑われても不思議はないようなことを、犬飼は本気で考えている。
本気で考えざるを得ない理由が、犬飼にはあった。
傍らの少年にちらりと視線を走らせる。
表情はいつも通りの微笑。しかしそこから人間らしい感情を読み取ることはできない。
精巧に作られた仮面のような表情には犬飼の知る限りいくつかのバリエーションがあったが、
そのどれもが少年の本当の感情に根差したものではないと、犬飼は見ていた。
そもそも、名も知らぬこの少年が人に類する感情を持ち合わせているかどうかも定かではない。
少年と呼び習わしてはいるが、彼は見た目通りの年齢ではなかった。
もう何十年も昔、犬飼の前に初めて姿を現したときから変わらぬ容姿をしている。
固有種か、あるいはそうとすら呼べぬ何か。
少年とはそういう存在であった。

だが犬飼にとって、少年の存在は絶対である。
今の犬飼を作り上げたのは、何の誇張もなく少年の力に他ならなかった。
軍の技術科学研究所に勤める一介の科学者に過ぎなかった犬飼の前に現れた少年は、
ただ一言、告げたものである。

 ―――世界を、救ってみないかい?

66 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:21:36 ID:y9FfNGyY0
この世界は、破滅に向かっている。
何度も滅び、その度にやり直し、そしてまた同じ過ちを繰り返している。
それは歪んだ歴史が越えられない、絶対の壁。
だから、世界を救える人間を探しているのだという。

子供の戯言と一笑に付した犬飼がその認識を改めるまでに、そう時間はかからなかった。
少年の口から発せられるすべての言葉は、時を置かず予言となり、的中していった。
政治、経済から地震や天候まで、人の知るべくもない事象の尽くを言い当ててみせられれば、信じざるを得なかった。
その少年が、自分に世界を救えと、その力があるという。
犬飼はその言葉に畏れを抱き、しかし同時に抗い難い魅力を感じていた。
歴史の救済者となる。
子供の時分に読んだ冒険小説の筋立てが、目の前にあった。
それが男子の本懐だと囁く声と、途方もない夢物語だと呟く声が、犬飼の内に鬩ぎあっていた。
犬飼が決心したのは、それから数年の後。
覆製身研究に目処が立ってからのことである。

それからの時間は、瞬く間に過ぎていった。
政治の世界に身を投じた犬飼が成り上がるのは容易かった。
犬飼の傍らには、すべてを見通す少年がいたのである。
急騰する株、失脚する政治家、将来に権力を伸ばす者……それらを事前に知っていれば、あとは
舗装された道を歩くようなものだった。
強固な人脈と豊富な資金が、犬飼の手元に積み上がっていった。
それから数十年。犬飼は今や、国家の頂点にまで上り詰めていた。

歴史は救われる、と犬飼は思う。
少年の目は確かだった。
世界が超えられぬ破滅―――『約束の日』と少年が呼ぶ、その壁の向こうへと世界を導く力が自分にはある。
この力と、少年の言葉。
世界を救うには、それだけがあれば充分だと思えた。
満足げに犬飼が頷いた、そのとき。

突然の足音が、フロアに響いていた。
乱暴に踏み鳴らされる複数の足音は、軍靴のものだった。

67 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:22:09 ID:y9FfNGyY0
「……何事かね」

夢想を打ち破られた犬飼が、内心の不機嫌さを隠さずに問う。
返答はない。
皆、ただ無言で歩み寄ってくる。無礼に眉を顰める犬飼。
騒然となるフロアの面々を押しのけるようにして、軍靴の足音を響かせる男たちが犬飼の前に立つ。
闖入者たちは軍服と階級章からすると陸軍将校であるようだったが、その顔に見覚えはなかった。

「何事かと聞いている」

やはり返答はない。
犬飼の座る椅子を取り囲むように立った男たちは、無言のまま犬飼を見下ろしている。
ついに怒声を張り上げようとした犬飼を制したのは、正面に立つ将校の眼光と、冷厳な一言であった。

「奸賊、犬飼俊伐―――貴様に天誅を下す」

驚くよりも早く、周囲の軍人たちが拳銃を構えていた。
銃口が、寸分の揺らぎもなく犬飼を狙っていた。
ひ、と悲鳴じみた声がフロアから上がる。
幾つかの銃口はそちらにも向いているようだった。
状況の推移に目を白黒させる犬飼の間近で、混乱する場に拍車をかけるように、高い音が鳴り響いた。
一瞬遅れて、電話が鳴っているのだと気づく。
視線をやっても、電話番をするはずの係官はいない。
銃口に追いやられ、他の人間と共にフロアの中央に集められていた。
正面に立つ将校が、取れ、と顎で指し示した。
その倣岸な態度に渋面を作りながら、犬飼が受話器に手を伸ばす。
耳に当てた。

『―――ご健勝をお慶び申し上げます、閣下』

聞こえてきた男の声に、犬飼は思わず声を失っていた。
それは、この状況下で聞くはずのない声。犬飼が最も信頼する男の声だった。
ようやくにして、その名を搾り出す。

「く……、九品仏……」

声の主を、九品仏大志といった。


***

68 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:22:46 ID:y9FfNGyY0

何故だ、と問うのに返ってきたのは、奇妙に静かな声だった。
常に不遜にして陽気な九品仏大志をしか知らぬ犬飼の、聞いたことのない声。

『我輩が、士官学校の扉を叩いたきっかけを覚えているかね』

がり、と電話口の向こうで奇妙な音がした。
無線に乗る雑音のように、思った。

『そうだ、プログラムだよ、閣下』

がり。
爪を立てて机を引っかくような、奇妙な音。

『我輩は仲間と共に優勝したのだ、かつて』

がり。
子供が蝋石で道に絵を描くような音。

『ああ、仲間と共に。……たった一人を除いた、仲間と共にだ』

がり。
潮風に耐えかねて赤錆が剥がれ落ちるような。

『……千堂和樹。その名……覚えてなど、おるまいな』

がり。
弓の弦が千切れて飛ぶような。

『あの地獄を生き抜いた誰もが、怠惰と遊興の果てに砂糖漬けの豚と成り果てたとしても、我輩だけは忘れん。
 忘れたりなど、するものか』

がり。
砂利を踏みしめながら歩くような。

『同志和樹の死……。我輩がそれを肯じると、本気で思っていたのかね。
 一日たりとも、思い出さぬ日はなかったよ』

がり。
燃え尽きた炭が崩れるような。

『……ああ、この音が、気になるかね』

がり。
硬い何かを、割り砕くような。

『これが何だか、貴様にはわかるまい』

がり。
硬い、何かを、噛み砕くような。

『骨だ。同志和樹の遺骨だよ、犬飼』

がり、と。
噛み砕く、それは音だった。

『この恨みを』

がり。
噛み砕く。

『この怒りを』

がり。
噛み砕く。

『この憎悪を絶やさぬために、我輩は毎夜、同志和樹の骨を齧り、復讐を胸に刻んだ』

がり。
噛み砕く。

『そうしてこれが、最後の一欠片だ、犬飼』

がり。
噛み砕く。

『この日、この時をどれほど待ち望んだか』

濡れた音がした。
何かを嚥下するような、音。

『我が友の仇―――今こそ討たせてもらう』

そうして。
もはや、音はない。


***

69 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:23:18 ID:y9FfNGyY0

受話器が、床に落ちた。

喉がひりついていた。
唾を飲み込もうとして、渇いた口の中には唾液の一滴すら存在せず、冷たい銃口から目を逸らそうとして、
到底できるはずもなく、最後に犬飼が辿り着いたのは、結局のところ少年の存在だった。

そうだ、と犬飼は思う。
これまでも、危機はあった。
政界でのし上がるのに、敵の一人も存在しないということはあり得なかった。
目の前に銃を突きつけられる体験はなかったが、そうなる可能性は幾度も乗り越えてきた。
すべては少年の導きだった。
これまでずっとそうしてきたように、今度もまた少年は自分を窮地から救うだろう。
世界を破滅から救うその日のために、犬飼俊伐の健在を約束してくれるだろう。
そら、何をしている。
目の前の銃は今にも引き金が引かれそうじゃないか。
焦らすのはもう充分だ。冒険活劇の演出にしては度が過ぎている。
早くしないと、ほら、本当に、

す、と。
少年が動く気配がした。
小さな身体が、犬飼を庇うように前に出る。
犬飼を取り囲む軍人たちは、不思議なことに少年の存在そのものに気がついていないようだった。
目の前に立ちはだかった少年に視線の一つも動かすことなく、じっと拳銃を構えたままでいる。

そうだ。
それでいい。
そうしてそのまま、悪漢どもを蹴散らしてしまえ。
内閣総理大臣たる犬飼俊伐には無敵の刀があることを世に知らしめろ。
戦争を勝利にいざない、約束の日を越えて世界を正しい姿へと導く男の名を、

70 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:23:54 ID:y9FfNGyY0
犬飼の妄想じみた思考が、停止した。
少年は、犬飼に銃を突きつけている軍人たちには目もくれず、傍らにある机の前に屈み込んでいた。
暗い銃口が再び犬飼の視界に入る。

(……な、何をしている……!?)

思わず立ち上がって叫ぼうとした。そうして、気づく。
声が出せない。それどころか手も足も、指の一本に至るまでが、自由にならない。

「困ったもんだ、本当に困ったもんだ」

呟くような声がした。
何十年も、すぐ近くで聞いていた声。
少年の声だった。

「誰も彼もが好き勝手なことをする。誰も周りを見ちゃいない。誰も辺りを気にしちゃいない。
 最期に初めて気づくんだ。滅びて初めて悔やむんだ。本当に、本当に、救えない」

澱み、腐り果てた沼から泡が浮かび弾けるように。
少年が、溜息をついた。
諦念と呼ぶにはあまりに深く、憎悪と呼ぶにはあまりに冷たい、それは虚だった。
聞く者の耳朶にまとわりついてやがては脳髄を侵す蟲のようなおぞましさ。
総毛立つ犬飼には目もくれず、少年の指はコンソールへと走っていた。

『指紋認証……完了。
 声紋認証……完了。
 網膜認証……完了』

机に埋め込まれた平面モニタに浮かぶ文字列は簡素で、だがそれ故に犬飼は戦慄する。
馬鹿な、と叫びたかった。
三重の生体認証は他でもない、犬飼だけに反応するように設定されていたはずだった。
内閣総理大臣のみが操作できる、特殊端末。
それがいとも容易く他者の手によって起動しようとしていた。
音もなく、無数の文字列が流れていく。

71 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:24:23 ID:y9FfNGyY0
「……神奈がいなくなっては、これ以上の呪は集まらないからね。
 まあ、これだけの『可能性』が潰えれば充分だろう」

気がつけば、少年が顔を上げていた。
犬飼と視線を合わせたその表情はいつもと変わらぬ微笑。
だが今、犬飼は底知れぬ恐怖と不安を覚えていた。
目の前にいるのは、人ではない。
人ならざる、名状しがたい、何か。
その力によってありとあらゆる困難を打ち破り、地位と名誉、富と名声を与えたもの。
それが今この瞬間、こんなにも恐ろしい。
犬飼は直感していた。
この場で最も危険なのは、今まさに自分を撃ち抜こうとしている拳銃などではない。
そんなものは、目の前で微笑を浮かべている少年に比べれば、塵芥に等しい。

「もう終わらせよう、この世界」

だから少年は、こんなにも簡単に、世界の破滅を口にする。

「緊急危機管理マニュアル第六十三号。
 国家緊急事態宣言が発令されたときにのみ承認される、破滅のシグナル。
 たとえば、国会議事堂の占拠。たとえば、首都機能の崩壊。たとえば、軍部の蜂起」

歌うように、滅びを弄ぶ。

「敗北を是とせず、さりとて勝利すべくを失った一国の長の、最後の一矢―――。
 攻撃衛星・天照の強制起動システム」

踊るように、その指が崩壊を誘う。

「照準は……そうだな、せっかくだから今、世界で一番発展している都市にしようか。
 素敵な報復の連鎖が起きるだろうね。これまでもそうだった。
 時にはミサイル。時には一発の銃弾。
 世界を終わらせるきっかけは、ほんの些細な悪意だった」

朗々と謳い上げる、その声が止まった。
少年の微笑が、犬飼の方を向いていた。

72 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:24:54 ID:y9FfNGyY0
「勘違いしないでほしいんだけど」

その声音にどこか感傷じみた色が含まれているように思えたのは、錯覚であったか。
瞳の奥に揺らがぬ光をたたえたまま、少年が言葉を継ぐ。

「僕は別に世界を滅ぼすために君を利用したわけじゃない。それは信じてほしいな。
 ……僕たちは本当に、約束の日を越えようとしているんだよ」

訥々と告げるその言葉は、少年らしからぬ真摯な響きに満ちていた。
遥か遠い何かを夢想するような瞳に、犬飼が声にならぬ声を上げようとした瞬間、少年が表情を変える。
人を煙に巻くような、掴みどころのない微笑。
そこにいたのは、既にいつもの少年であった。

「ただ、一つだけ言い忘れてたことがあってね」

言う声もまた、どこか軽い調子を含んだものに戻っていた。
その声音と表情に犬飼が見て取ったのは、とてもシンプルな、断絶であった。
一瞬だけ垣間見えた率直な響きこそが、少年と呼ばれるものの真実だったのだろう。
それは今や遠く霞み、失われようとしている。
死にゆく愛玩動物に手向けられる感傷の時間は、既に終わったのだ。
それは少年が犬飼を見切ったという、明確な証左だった。
救世の英雄。その幻想が崩れていく。

「このプログラムは、約束の日を越えるためのものじゃない……逆なんだ。
 もう今回は、その日を越えられないとわかったから。
 だからこの戦いが必要になった。それだけのことさ」

少年の言葉が空虚に響く。
それは何か、ひどく重大な示唆を含んだ言葉のようでもあったが、犬飼にとっては
既に無意味な単語の羅列に過ぎなかった。
己の仕組んだ地獄絵図が、歪んだ歴史を正すためでなく、それを終わらせるためのものだと、
それだけを理解した。それで充分だった。
そこに悪意はなく、おそらくは邪気もなく、ただ純粋の意志をもって、世界は破滅に導かれる。
この破滅に至る、人類の積み上げてきた歴史は、ただ繰り返される過ちの一つに過ぎない。
子供が積み木を崩すように。
ただ完成に至らぬと、それだけを理由に、世界は終わる。

73 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:25:12 ID:y9FfNGyY0
ああ、と犬飼は己の身勝手を笑う。
歪むから、世界は終わる。
ならば歪みを矯正し啓蒙し、終わらぬ世界を作ろう。
そんな考えが、どれほど傲慢であったか。
歪む世界は滅びて当然と、神ならぬ身の誰が断じられるものか。
そんなことを、歪み、滅ぼされる側に立って、初めて思うのだ。
身勝手以外の、何者でもなかった。

道化の英雄は、ここで死ぬ。
世界の導き手がそう決めたのだ。
栄光に続くはずの道は、閉ざされた。
次の世界では、次の道化が踊るのだろう。
いつか来る、綻びのない世界のために。
無数の道化が、屍の山を築くのだろう。

せめて今は、やがてこの星に生きるすべての命の上に訪れるであろう破滅が、
幾許かの慈悲をもって与えられんことを祈ろうと、思った。

「無駄だよ」

それをすら見越したように、少年が笑う。
少年の指が、キーの上で止まっていた。

「世界は苦悶の果て、原初に戻る」

それが破滅の引き金であることを、犬飼だけが知っていた。
審判の槌は、世界の誰にも知られぬまま、振り下ろされようとしていた。
目の前の景色が、歪んでいく。

「さよなら、犬飼」

別れの言葉と共に。
細い指が、キーを叩いた。


***

74 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:25:58 ID:y9FfNGyY0

『玉體を補佐し奉る立場に在りながら……』

床に落ちた受話器から、ぼそぼそと声が響いていた。
正面に立つ将校がそれを拾い上げて耳に当てるのを、犬飼は既に見ていなかった。
九品仏大志の声が、自らを冥府へと送る念仏のように聞こえていた。
もはや帰れぬ家を、瞼の裏に映した。
夕餉の支度をする、小さな背中が見えた。
自らの半生を賭した、それは研究の成果だった。

『三軍の統帥を慾にし、徒に國を乱した罪、赦し難し』

撃鉄が上がり、

『―――さらばだ、犬飼』

銃声が、轟いた。


***

75 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:26:39 ID:y9FfNGyY0

その光量を抑えられた広いフロアの中では、幾つかの屍と、それを作り出した者たちが
互いに無言のまま、己の為すべきことを為していた。
即ち、死者はただ黙して横たわり、将校たちは粛々と任務を遂行していた。
小さなコンソールに流れる文字列と、それを覗き込む影には、誰も気付かない。


『・警告
 主砲の出力が規定値に達していません。
 キャンセルするか、現在の出力で射出する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的に出力調整を開始します』


『・警告
 索敵範囲内に識別信号の確認できない質量が存在します。
 シークエンスをキャンセルするか、手動で対象を指定する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的に排除シークエンスを開始します』


『・注意
 以下のデバイスが応答していません。
 :外部大容量電源ユニット
 
 デバイスの構成を最適化し、信号を再検索しますか?
 キャンセルするか、直接パスを入力する場合は15秒以内に所定のコマンドを入力してください。

 …

 システムは自動的にデバイスの構成を最適化します』




「……よくわからないな」

影が肩をすくめ、小さく呟いた。

「前まではこれで良かったはずなんだけど……まあでも、時間の問題か」

言って、周りを見渡す。
先ほどまでいた将校たちの姿はもう見えない。
代わりにフロアを歩き回っていたのは、転がった遺体を運び出し、飛び散った血糊を拭き取る兵士らしき男たちと、
嫌悪感も露わにそれを避けながら端末の前で作業を始める男たち。
ある者は各所と連絡を取り始め、またある者は端末から情報を引き出し、整理しようとしていた。
幾つもの声が飛び交い、一気に騒然とし始めたフロアの中で、影は誰にも気付かれないまま、ひとり立ち尽くしている。
忙しげに周囲を歩き回る人間たちを見るその表情には、何の感情も浮かんではいなかった。

ひとつ溜息をついて、天井を見上げる。
高い天井には、埋め込み式の明かりの他には何もない。
足元を見下ろす。
今はもう主のいない椅子が落とす暗い影の他には、何もありはしなかった。
影が使うには少し大きすぎるその椅子に、腰を下ろす。
小さな血痕のついた背もたれに身体を預けた。

「あとはただ、見届けよう―――」

疲れきったようなその声はもう、世界の誰にも、届くことはなかった。

76 見届けよう、悲しみに満ちた星の、終焉の日々を :2007/12/05(水) 04:27:10 ID:y9FfNGyY0


【時間:二日目午前11時すぎ】
【場所:東京某所】

主催者・犬飼俊伐
 【状態:死亡】

少年?
 【状態:不明】

九品仏大志
 【状態:異常なし】

→694 913 916 ルートD-5

77 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:18:03 ID:5jqXyo6E0
「少しはマシになったみたいね……」
 すぅすぅと静かな寝息を立てて眠っている美坂栞の顔を眺めながら、リサ=ヴィクセンはホッと胸を撫で下ろしていた。

 あの放送以後更に容態が悪化した栞を見て、このままでは最悪の事態になるかもしれないと考えたリサは急遽ルートを変えて琴ヶ崎灯台へと向かった。自分の勘と知識に従ってのことだ。

 果たして自分の思惑通り、灯台の一階には医務室があり、ある程度の解熱剤と鎮静剤などが用意されていた。本当にごく僅かしかなく、薬も市販のものだったから気休め程度にしかならないだろうが、それでもないよりはマシだろう。
 ひと段落付けたら、再び予備の薬を求めて診療所まで向かわないといけないだろうとリサは考えていた。

「……さて」
 この近辺を捜索するべきかどうか、少し思案する。こんな辺鄙な場所でもこの島の構造に関するヒントが得られるかもしれないからだ。あるいは何か、武器のようなものだってあるかもしれない。

 現在の所、手持ちのM4には弾薬がフルロードされている。しかし敵と出会うたびに使っていたのではいざというときにその速射性が頼りになるM4はあっという間に弾切れを起こしてしまうだろう。トンファーは弾数制限がないものの威力という意味では明らかに見劣りする。それに……
「……いや、ダメね、そんなの」
 自分の内に生じた考えを首を振って取り消す。あろうことか自分が栞に戦わせる算段をつけていたことに、嫌悪感を覚える。

 この娘は発砲経験も何もない、ただの(加えて、病弱な)女の子なのだ。今までの数限りない任務でパートナーとどうやって連携していくか、と常に考える癖があったのは認めるが……明らかに、何か自分は焦りを感じ始めていた。
 それもそうだ。プロの軍人でさえこの状況に混乱しないはずがないだろう。早々に醍醐が退場し、なおかつあの篁総帥まで死亡の放送がなされ、そして今度は前回よりも遥かに多い27人が死亡している。しかもその中にはあのエディまでもが含まれていたのだ。

 那須宗一の相方であり、兄貴分でもあり、そして後方支援、情報処理のエキスパート。その能力の高さは折紙つきのはずだった。
 それが、こんなところで。
 自分が落胆している以上に宗一は愕然としているはずだ。そして今は自分と同じ事を考えているに違いない。
 首輪を、どうやって解除すればいいのかと。

 それだけじゃない。敵方の本拠地の調査、バックアップなどエディにはやって貰いたいことが山ほどあった。いかに自分が軍人として優れていようとも、それはあくまでも戦闘に限った話。多少電子戦について心得はあるがエディのそれには遠く及ばない。この代役を務められる者があろうはずが――ない。
「いけない、また考えが横に逸れちゃってる……」
 近辺を探索するかどうか考えていたはずなのに……大局的な思考は大事だがそればかりに囚われていると先が見えなくなる。そうだ、まずは本当にどうしようもないのか自分の目で確かめる必要がある。悩むのは……それからだ。

78 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:18:36 ID:5jqXyo6E0
 弱気の虫を強引に追い払い、探索への一歩を踏み出そうと医務室の扉に手をかけたとき、背後の方でかすかにうめき声が聞こえた。
「リ……リサ、さん……?」
「栞? 起きたの?」

 すぐに身を翻して栞の元へと駆け寄る。白いベッドの上では目を半開きにした栞がけんもほろろという調子で視線を泳がせている。先ほどタオルでふき取ったはずの汗が、また額から出ていることにリサは気付きすぐに拭ってやる。
 ん、とさらに目を細めながら栞が尋ねた。
「ここは……診療所なんですか?」

 言葉はしっかりしているから、後遺症のようなものはなさそうだった。多少、疲れのようなものが見えるから何か暖かい食べ物でも用意してやれればいいのだが……そう考えながら、リサは静かに微笑んで答える。
「ちょっと違うわね。こっちの方が近かったから、灯台に来たの」
「灯台……」
「上手い具合に医務室があってね。解熱剤があって助かったわ」
「……」

 栞は薬の効き目を確認するかのように手のひらを額に当て、熱の度合いを確かめているようだった。
「確かに、大分楽になってるみたいです……ですけど」
 声のトーンを落とす栞に、リサが言い知れぬ不安を感じながらも「けど?」と続きを促す。

「夢では……なかったんですね」

「……」
 視線を下のほうへ向ける栞を、リサもまた直視できずに中空へ視線を逸らす。栞にとっては、これが夢であって欲しいとどんなに願っていたことだろうか。姉の――死が。
 親しいひとの……特に家族の死が、どんな苦痛よりも辛いものであるということはリサ自身が一番良く理解していた。ましてやそれが、こんな腐り果てた遊戯の代償なのだとしたら怒りや憎しみはどれほどだろうか。

79 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:19:00 ID:5jqXyo6E0
 本来ならここで何か慰めの言葉をかけてやるべきだった。しかしその言葉が、空っぽで中身のない表面のものだということを、リサは知っている。何故なら……自分がそうだったから。
 一方の栞も何も言おうとはしない。精神的にも疲れ果てているのかもしれなかった。あるいは……今生きているのが辛い、苦しいのかもしれない。
「……まだ、身体が良くなったわけじゃないわ。もう少し寝ていたほうがいいと思うわよ」
 だからそこに触れることはせず、出来る範囲での気遣いをしておくことにした。また、そうすることしか出来ない自分が腹立たしい、とも思っていた。

 リサはそのまま背を向けて、医務室の外へ出て行こうとする。所詮自分は他人だった。心の穴を埋めてあげられるほど器は大きくない。一人にしておいたほうが、かえって傷つかずに済むかもしれない……そう結論付けた結果だった。

「リサさん……?」
 声をかけてくる栞に、なるべく柔らかな声で応対する。
「外に出てくるわ。ここ近辺の探索はまだしてないから。けどすぐに戻ってくるわ、安心して」
「あ……そうだったんですか、済みません」
「どうしたの? 何か、お願い事でもあった?」

 リサが振り返り、栞にその声と同じくらいの柔和な表情を浮かべる。遠慮させないような、暖かな雰囲気で。
「えっと……我がまま、なんですけど聞くだけ聞いてもらえませんか」
 静かに頷く。聞くだけと言わず出来ることなら何でもリサはするつもりだった。それで、少しでも助けになれば。
「側に、居て欲しくて……一人だと、なんだか嫌なことまで考えてしまいそうで」
「ふぅん……それでいいの?」
「え? でもまだこの近くを調べて……わっ!?」
 栞が言い終わるのを待たずに、リサが栞のベッドの中に潜り込み有無を言わさず抱きかかえる。

「え、え?」
「暖かいわね、栞は……」
 幼子をあやす様に頭をゆっくりと撫でてやる。何度も何度も――慈しむように。
 最初のうちはそれに戸惑っていた栞だったが、すぐにリラックスして力を抜きそのまま流れに身を任せていた。
 時折、短い嗚咽を漏らしながら。

80 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:19:24 ID:5jqXyo6E0
 リサは願う。
 誰でもいい、栞の悲しみをこの涙と共に洗い流してやって欲しい。
 私の存在はちっぽけで、温もりを与えてやることくらいしかできないから……と。

     *     *     *

「……リサさん、一つお願いがあります」
 しばらくの間リサの身体に顔をうずめていた栞が、ゆっくりと口を開く。
 その口調は……今までとは違う、何かをかなぐり捨てたようなものになっていた。それにどことない不安を感じながらも「なに?」と話を聞く。

「拳銃の撃ち方を……教えてくれませんか」
「ダメよ」

 理由を問うこともせず真っ向から否定する。
「そんなこと言う人、嫌いです」
「素人がホイホイ撃てるものじゃないの。増してや、貴方は体力的にも……」
 本当は違う。栞に、戦わせたくなかった。人殺しをさせたくなかった。憎しみに囚われて欲しくなかった。この子には、私と同じ道を辿って欲しくない――そう、強く願っていたからだった。

「お願いします、教えてください」
「ダメと言っているでしょう」
「お願いします!」
 先程よりも強い、今までであれば絶対聞けなかった程の語気。だがそれくらいで屈するわけにはいかない。
「いい加減にしなさい。私でも怒るわよ」
「……怒られても諦めません」
「顔を張るわよ」
「張られても諦めません、絶対に」
 至近距離からリサの顔を見据える栞の瞳。どこまでも純粋で、真っ直ぐな――直視、出来ないくらいに。

81 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:19:49 ID:5jqXyo6E0
「……理由、聞かせてもらいましょうか」
 訊かないはずだったのに……半分折れかけていることに気付きながらもリサはそう言った。しかし、それが憎しみに根差しているものだとしたら……こちらも絶対に止める。嫌われてもいい。たとえ復讐を果たしたところでその先に残るのは虚無感だけなのだから。

「私……強くなりたいんです」
「それだけの理由で?」
「もし、私にリサさんくらいの力があれば……いえ勇気の一つでもあればお姉ちゃんを探しに行けたはずなんです。なのに私はリサさんに会うまで怯えてばかりで、会ってからもずっとリサさんの後ろに隠れていて……柳川さんが戦っていたときも何も出来なかった。それだけじゃない、今もこうして熱を出して……リサさんの行動を遅らせている。足枷にしかなってないんです」
「それは……」

 違う、と言いたかった。栞はリサの心の支えになっていた。かつてあった良心の欠片が、屈託のない笑顔が彼女にはあった。それを見ているだけで、リサの心は落ち着く。しかし……確かに、栞の言っていることもまた、事実だった。

「足手まといにだけはなりたくないんです。役立たずな私が……甘えているだけの私が……今はすごく嫌いです。殺してしまいたくなるくらいに」
 自分の心臓を握りつぶすように、栞は自らの胸を掴む。そこでリサは気付く。
 憎んでいるのは姉を殺した誰かじゃない、何も出来なかった無力な栞自身だということに。

(……まるで、昔の、私)
 いや違う、それは今も変わっていない。無力さに苛立つのは相変わらずだ。戦う以外能のない自分に。

「私一人で何もかもやりたいなんて身勝手なことは言いません、せめてリサさんの背中を守るくらいの……いや自分で自分を守れるくらいの……力が、欲しいんです」
 栞はそこで一呼吸置くと、改めて心を見据えるような真っ直ぐな眼差しでリサを見る。
「お願いします、銃の撃ち方……教えてください」

 負けた、とリサは思った。
「All right……教えるわよ、銃の撃ち方、って言っても拳銃がないからそこのM4になるけど」
 すると栞はホッとしたような、少しだけ嬉しそうな表情になって「ありがとうございますっ!」とリサに抱きついた。
「本当……仕方のない子ね」
 栞にではなく、自分に対してのようにリサは苦笑した。

82 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:20:16 ID:5jqXyo6E0
「でもこれだけは覚えておいて。私が教えるのは人の殺し方……命を奪う、人間として最低、いや最悪の行為を教えるんだってことを、ね」
「……分かってます」
 僅かながらの逡巡があったのが分かったが、リサは何も言う事はなかった。思いとどまるならそちらの方がいいし、リサもそう思っている。

「でも、何か出来るのに見殺しにしたり、現実逃避するよりは余程マシです。私は……そう思います」
 だが、やはり考えは変わらないようだった。しかし栞自身が自分の意思で決めたことだ。覚悟を曲がりなりにでも決めたのなら、後はするべきことをするだけだ。

「OK。なら、まずは構え方からよ。持ってみて」
 デイパックからM4を取り出し弾倉を抜いてから栞に渡す。可能なら実弾を発砲させたいがそこまで弾薬に余裕があるわけではない。誤射されても困るからだ。戦場においての一番の失態は仲間を撃ってしまうこと。戦力的にだけでなく撃った側の精神的ダメージも大きいからだ。

 何事もまずは形から。ゆっくりと、栞の両腕にM4を乗せる。
「普通ならこれを一日中、いや一週間だって持ち続けられることが兵士の条件なんだけど……栞は兵士じゃない。戦闘中……そうね、一時間持ち続けられるだけの体力があればいいんだけど……自信ある?」
「体調さえ万全なら、何とか……ずっと寝たきり、ってわけでもなかったですし」
「なら信じるけど。いい? 自己管理や判断も重要なのよ。自分の体調や判断一つで仲間が死んだり、最悪全滅することだってある。自分を客観的に見つめなさい。肉体を根性論や精神論で考えちゃ駄目。もう一度訊くわ。自信、ある?」
「……あります!」
 厳しさを見せ始めたリサの態度に少し戸惑っている様子だったが、今度は力強く頷いた。素直な栞のことだ、なら間違いはないはずだった。「いい返事ね」と頭を撫でてから続きに入る。

「銃を構えるときに重要なのはとにかく銃身がブレないように固定すること。発砲のときの反動も計算にいれて、それこそ梃子でも動かないくらいにガチガチに固める。ああでも力みすぎても駄目だけどね」
 リサは栞を抱え込むように後ろに回ると、M4のグリップとハンドガードを手に持たせる。

83 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:20:48 ID:5jqXyo6E0
「手は、ここ。でも手だけで固定するんじゃない、頬と右肘でストック(銃床)を固定する」
 ストック部分をきっちりと固定させ、バット(床尾)を右肩のくぼみに定着させる。
「ちょっときついです」
「まあ窮屈なのは仕方ないわね。でもこれをしっかり維持できるようになれば後は発砲に移るだけ。さ、後は自分で持ってみて」
 栞から離れて様子を見てみる。まだ慣れていない栞は窮屈そうにすり足で動いたり回ったりしている。傍から見てると滑稽極まりないが、そんなものだろう。

「うぅ、筋肉がちょっと引き攣ってきました……」
「一分も経ってないんだけど。でもそんなものよね……男ならともかく、女の子なんだし」
「すいません……でもリサさんだって女性なのに……」
 情けない声を上げつつ、限界にきたのか頬と肘からストックを離し持っているだけの状態に戻る。
「私は特別な訓練を受けてきたからね。体力が違うのよ。ふむ……これだと……うん、教えるのはアレでいいか」

 リサは一人納得すると栞からM4を取る。
「栞には膝撃ちを教えるわ。撃ち方は色々あるんだけど……これは汎用性もあるから。よく見ていて」
 リサがそう言いながら射撃体勢に移る。

「右膝をついて、左足のつま先は目標に向ける。ライフルは右膝に対し約80〜90度開き、左肘は左膝の前方に出す。そして腿と左足のふくらはぎは出来るだけ密着させる事。体重は出来るだけ左足に多く掛け、左足は地面に平らにおき、前方から見て垂直になるようにする」
「え、えっと……?」
 早口でまくし立てたためか情報を整理しきれていないらしい栞が困ったような笑みを浮かべる。
「……まあ、真似事が出来ればいいか。とにかくライフルから受ける反動を受け止められるようにするの。バランスを崩さないようにね。次は栞の番よ。見よう見まねでいいからやってみて」
「は、はい」
 自信なさそうな返事だったが、それでもやる気はあるようなので教えていけばいずれは真似事くらいはできるだろう。

(宗一……どう思うかしらね、今の私を見たら)
 何をやっているんだと怒るか、先生と生徒と見るか、あるいは姉妹か。
 いずれにしてもいい感情は持たれるまい。だがそれでも――栞が望むなら。

 リサ=ヴィクセンがその胸の内に秘めている感情が家族に向けるものだということに本人はまだ気付かないまま、教練は続く。
 果たしてそれがどこに繋がるのか、分からぬままに。

84 夢では……ないのね…… :2007/12/09(日) 21:21:18 ID:5jqXyo6E0
【時間:2日目午前10時30分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】
リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)】
【状態:焦り、栞に射撃の方法を教えている】
美坂栞
【所持品:無し】
【状態:小康状態。リサから射撃を教わっている(まだ素人同然)】

【その他:訓練を一通り終えたらまた診療所へ向かう予定】

→B-10

85 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:47:34 ID:te0M13b60
『こんにちは』

それが誰の言葉か、柚原このみにはすぐの理解ができなかった。
ぼやける意識の中、存在する記憶に一致する声というものを探すこと自体が億劫でこのみは静かに瞳を閉じようとする。

『こんにちは』

しかし少女の声をしたものは、そんなこのみを逃がさないようにと追跡してきた。
このままそれを無視することも、勿論このみにはできただろう。
つらい現実、見たくもない光景から一時的にでも逃げられるチャンスというのは早々にない。
目が覚めたらまた嫌なことがたくさんあるかもしれない、疲弊したこのみの心はそれら全てから目を背けようとしていた。
だが同時に臆病なこのみの心は、この声を無視したことにより降りかかるかもしれない厄災に対し過敏な反応を見せる。
気がついたら自然と開かれていたこのみの瞳、ここで眠りに落ちることで二度と目を開けられないかもしれないという可能性が彼女の意識を覚醒させた。

「……誰なの?」

地面に伏せたまま、このみが問う。

「このみに、何か用なの?」

震えるそれ。
気だるさの残る体をゆっくりと起こし、このみは視線を周囲に張らした。

『お姉さんに聞きたいことがあるの』
「このみに?」

声の出所を、このみはまだ見極めきれていない。
姿を見せない声の主に対し、このみの中で警戒心が膨らんでいく。
しかしそれを声の主に対し問う勇気が、このみにはなかった。
いつどこから襲ってくるかもしれない相手に対し、立ち上がることはできたもののこのみは震える膝を押さえることができないでいた。

86 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:48:06 ID:te0M13b60
『お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』

え、と小さく掠れたものが、このみの喉から絞られる。
唐突な問い。このみは声の主が何を持ってそれを口にしたか、予測を立てることが全く出来なかった。

『答えて。お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』

このみは何も言うことができなかった。
ただ、ぽかーんと。大きな瞳をまん丸に見開きながら、同じように口も開け呆けるしかなかった。

『……お姉さん?』

問いの内容を理解できるまで、このみの体内時計はストップしていたと言えよう。
しかしそれを噛み砕くことで浸透された言葉の意味は、このみを激しい苦しみに陥らせる。
人を傷つけてはいけない。人を、殺してはいけない。
それは、このみの生きる世界では当然のことである。
常識である。誰かが傷ついたら寂しい、悲しい。このみだって、そう思う。
だからこのみは口にした。
その、当たり前のことを。このみも同意するに値する、それを。

「……ダメ、だよ」
『?』
「誰かが傷ついたら、悲しいよ。このみも悲しいし、その人もつらい。それで、その人の友達だって、きっと悲しむ。
 みんな嫌な気持ちになるの分かってるのに、そんなこと。できないよ」

心からの言葉だった。このみにとっても、勿論。
しかし、どこかそれは空虚だった。このみも理解していた。
理解していたからこそ言葉を口にし終えた時、このみは頬に一粒の雫を垂らしたことでその気まずさを表した。
それは、このみなりの即席に誂えた壁だったのかもしれない。

87 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:48:38 ID:te0M13b60
『矛盾してる』

だがそれに対するものは、容赦がない返しとしか言えなかった。
声の主がは易々と、張られたこのみの防御壁を大破させる。
このみは答えなかった。
壁の意味を、声の主も分かっていたからかもしれない。
このみはそれを恥じた。それは、隠していた悪事がばれてしまった子供のような気分と呼べばいいのか。

『なら、何でお姉さんはそんな格好をしているの?』

このみよりもさらに幼い声が、このみに向かって詰問してくる。
このみは答えなかった、否。
答えられなかった。

『矛盾してる』

はあ、と一つ大きな溜息をつき、このみは小さな頭を俯かせる。
言い訳は、できなかった。
視線を下げたことにより、このみの視界には自身の姿がくっきりと入ることになる。
ホテルのエントランスは暗い、しかし差し込む月の光がこのみに現実を突きつけた。
ピンクと赤を基調としたセーラー服は、ずっとこのみも憧れていたこの春入学した学校のものだ。
まだ買ったばかりだった。大きな汚れや染みもない、綺麗なままのはずだった。
しかし土や埃の類に塗れたそれに、新品だった頃の面影はない。
何よりピンクと赤が基調となっているはずのセーラー服は、今やピンク地がほとんど見えず真っ赤に染め上げられていた。
その原因を、このみ自身忘れたわけではない。

『矛盾してる』

88 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:49:14 ID:te0M13b60
三度、念押しのように声の主が言い放つ。
そこに嫌悪感が含まれているように思え、大きく泣き喚きたくなる衝動をこのみは必死に抑えていた。
このみにだって色々あった。
こうしなければ彼女を救えなかったから。
だから、このみには躊躇も何もなかった。
思い立ったらすぐに行動に出ていた。
そして、無事彼女を救うことができた。できたから。

このみはここにくるまで自身の行った人を手にかけるという行為に対し、懺悔する気持ちなど一切持っていなかった。
今もそれは変わらない。

「……分かんないよ」

ぽそっと呟かれたそれは、誰に対したものなのか。
このみは顔を伏せたまま口を開き、ぽつぽつと言葉を口にする。

「分かんないよ、このみだって誰も傷つけたくない。そんなの嫌だよ。
 自分がされて嫌なことは他の人にもしちゃ駄目って、当たり前のことだよ」
『じゃあお姉さんは、誰も殺してないの?』
「……あなたは、どこまで知ってるの?」
『何も知らないよ。ただ、お姉さんの格好が怪しかったから。聞いてみたの』

このみはそれで、少女の声色を持った人物がこのみ自身を責めるような意図で発言をしていた訳ではないということに、やっと気づいた。
疑心の含まれたこのみの問いに返ってきたものが物語っている。
幼いそれは、ただ「矛盾している」と見えるものに対し純粋に疑問をぶつけているだけだった。
姿が見えないという依然とした問題はあるが、このみの中で鳴らされていた警報音が微々たるものになっていく。
そして今度は恐怖心よりも少女の声を持つそれに対する好奇心の方が、このみの中で上回った。

「……ねえ、どこにいるの? ちゃんと向き合ってお話しようよ」

89 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:49:59 ID:te0M13b60
気づいたら止まっていた膝の震え、このみはキョロキョロと辺りを見渡し声の出所を探そうとする。
どんなに視線を泳がせたとしてもエントランスの中では人影を見つけることは出来ない、このみが途方に暮れかけ時である。

「……ねえ! このみの声、聞こえてるのかな」
『聞こえてる。お姉さんの後ろに、あたしはいるよ』

我慢が出来ず大きな声を上げたこのみのそれに、解答はすぐに与えられた。
え、とこのみが振り向いた瞬間、月明かりしか存在していなかったエントランスに青白い光が立ち込める。
このみも即座にがっちりと目を瞑ったが、突然の可視光線が彼女の視力を奪うのは容易いことだった。
軽い痛みさえも覚え、このみはそれを遮るよう両手を前に突き出し静止する。
訳が分からず戸惑うこのみを他所に、声は直接彼女の脳に叩きつけるかのように、しかし変わらぬ純真さで言葉を紡いだ。

――分からないなら、分かるようになればいいと思う。
少女が語るそれは確かにこのみに向けられたものであろうが、それはただの独り言とも取れるような口調だった。

――人殺しは嫌い。でも、可能性を消すのも、嫌い。
それをこのみに判断する間は、与えられない。

――待つよ。答えを見つけて、お姉さん。
そして途端感じた猛烈な痛みに、このみは声にならない悲鳴を上げた。



          ※          ※          ※



次にこのみが気がついたのは、硬いエントランスの床に横になったことにより体がが冷え切ってしまったという事実を、彼女自身が理解した時だった。
いつ意識を失ったのかこのみの記憶には存在ない、ただ最後に感じた痛みだけが彼女にリアルを突きつける。

90 青い宝石3 :2007/12/11(火) 01:51:22 ID:te0M13b60
「……あ」

焼けるような熱は、このみの左手から発せられていた。
薄く目を開け確認するこのみの瞳に、月の光に反射した青い宝石がキラリと光る。
どのような原理かは、このみも分からなかっただろう。
しかし、それは確かに。
このみの手の甲に、埋め込まれていた。




柚原このみ
【時間:2日目午前3時30分】
【場所:E−04・ホテル跡】
【所持品:38口径ダブルアクション式拳銃 残弾数(6/10)、ワルサー(P5)装弾数(4/8)予備弾薬80発・金属製ヌンチャク・支給品一式】
【状態:貴明達を探すのが目的】
【備考:制服に返り血を浴びている、ソックスにも血がついている】
【備考2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている(少女の声の主はこのみが人を殺していることを知らない)】

(関連・922)(B−4ルート)

91 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:36:36 ID:VG.lI4Z60

藤田浩之は走っていた。
長いあぜ道を、水の枯れた田んぼを横切って、広い平屋の角を曲がって、
視界の開けた長閑な景色の中に目指す背中は見えなくて、それで足が止まった。

横腹が痛い。
酸素を取り込もうとして、餌を欲しがる金魚のように口を開く。
深く息を吸った途端、背中に激痛が走っていた。
立っていられずに膝を落とす。
舗装もされていない砂利道。
小石が尻や足に食い込む刺激が、少しだけ痛みをやわらげてくれた。
そのまま倒れこむ。
燦々と照る太陽に温められた、乾いた砂埃を吸い込んで、咽た。
空咳が収まると、そのままごろりと背を丸めて横たわった。
本当は大の字に寝転びたかった。
背中の傷が痛いのと、照りつける日差しが眩しくて、海老のように体を丸める。
ごつごつとした鎧が体の下敷きになって、不快だった。
それでも、そのまま動かずにいた。

 ―――かったりぃ……。

息が収まるまで、こうしていようと思った。
荒かった呼吸は、とうに元通りだった。
動悸が治まるまで、こうしていようと思った。
脈拍は既に平静を取り戻していた。
胸のざわめきが収まるまで、こうしていようと思った。
叫びたくなるような衝動は、いつまでも収まりそうになかった。

目を閉じれば、走り去っていく黒い背中が瞼の奥に浮かんできそうで。
手を伸ばせば、追い縋っても振り返りさえしなかったその背中を、思い出してしまいそうで。
だからどうすることもできず、ただ爆発しそうな衝動だけを抱えたまま、寝転がっていた。

横倒しになった世界。
閑静な農村。どこまでも広がる青い空。
うららかな日差しの下、動くものとてない景色。
まるで世界に自分ひとりだけが取り残されたような、音のない情景。
だというのに。

「―――立ち止まってしまうの?」

その声は、すぐ背後から聞こえてきた。
心臓が縮み上がるような感覚。
文字通り飛び起きようとして、背中の痛みに身を捩る。
気がつけば立て膝のまま、間近で声の主を見上げていた。
目に映ったのは、青という色。
そこにあったのは、光だった。

92 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:37:09 ID:VG.lI4Z60
……違う。
揺らめく炎のような青い光の中、人影が立っている。
目を凝らせば、それは一人の少女のようだった。
青白い光を纏った、少女。
鄙びた農村を背景にしたその姿は、有り体に言って異様で、わかり易く言えば得体が知れず、
それでも浩之の目に映る少女はひどく厳かで―――神々しかった。

「立ち止まってしまうの?」

言葉が繰り返される。
少女はしかし、それきりを口にして沈黙し、静寂が訪れた。
短く区切られたその要領を得ない問いかけに悪意は感じられず、だからといって善意もなく、
そこにはただ、純粋な疑問だけがあるように感じられた。
大勢の人間が死に、無数の怪奇が横行し、既に現実と幻想の境界すら定かでなくなったように思えるこの島で発せられる、
たったひとつの混じりけのない問い。
虫たちが息を潜め、風すらもがやみ、木々のざわめきも収まった。
浩之を取り巻くすべての世界が、固唾を呑んでその答えを待ち構えている。
そんな風に感じられた。

「……わかんねえ」

気がつけば、心の中にある迷いを、素直に口にしていた。
少女の問いは要領を得ない。
立ち止まるとは、走るのをやめることか。
追いかけるのを、やめることか。
それとも……考えるのを、やめることか。

飛躍していく思考に、浩之は内心で苦笑する。
少女はそんな哲学的なことを聞いているのではないだろう。
走っていた男が突然倒れこんで起き上がらずにいる、それを不思議がっているのだろう。
だから、答えは単純だ。
自分は現に立ち止まっている。
こうして、走ることを放棄している。
ならば、

「俺……どうして、あの人を追いかけてんだろうな」

口から出たのは、思考とはかけ離れた、自問だった。
心のどこかで呆れ果てたように首を振る自分がいるのを感じる。
自分を知らず、柳川を知らず、二人を知らない目の前の少女にとって、何の意味もない言葉。
そもそも問いかけの答えになっていない。
それでも、言葉は止まらなかった。

93 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:37:43 ID:VG.lI4Z60
「わけわかんねえ。追いかける義理、ねえし。あの人が、ついてきてたんだし。
 離れてくなら、それでいいんじゃねえかって、思うし。けど……けど、さ」

夜の森で見た瞳の色が蘇る。
月明かりすらない暗闇の中、深い、深い真紅の瞳は、確かに自分を映していた。
心臓に爪を突き立てて滲んだ血の色のような目に涙を浮かべて、漆黒の鬼は自分を見ていた。
その瞳の色が、忘れられない。

共に過ごしたのは、僅かな時間のはずだった。
それでも、二人で駆け抜けた山道の、夜明けの冷たさが忘れられない。
肩を並べて戦い、ついに包囲を切り抜けた瞬間の高揚を忘れられない。
焼け爛れた傷口から流れる膿の色が忘れられない。
何度言い直させても片言でタカユキと呼ぶ、たどたどしい声が忘れられない。
照れ隠しにしてみせる、インテリぶった口調が忘れられない。
鬼になる前に眼鏡を投げてよこす、格好つけた仕草が忘れられない。
ほんの先刻、かき抱いた体の重さを、忘れられない。

「俺、あの人のこと何も知らねえんだよ。名前はわかる、柳川祐也。
 刑事をやってた。鬼になる。けど……それだけだ。
 あとはわかんねえ。何で俺のことタカユキって呼ぶのか、タカユキって誰なのか、
 そいつがあの人の何なのか、……俺があの人の何なのか。
 何も……何も知らねえんだよ。けど、だから、わかんねえ」

知らないから、追いかけるのか。
知りたいから、追いかけるのか。
だが、知ってどうなる。
知らないのに、追いかけるのか。
知らないのに、追いかけるのが、許されるのか。

その資格があるのか。
それだけの何かが自分の中にあるのか。
或いは、それだけの何かが、柳川祐也の中に、あるのか。
それが、わからなかった。

怖かった。
柳川は、去っていったのだ。
七瀬彰を庇って、自分を振り払って、走り去っていった。
追いかけて、追いついて、その後どうすればいいのか、わからなかった。
確かめるのが、怖かった。
柳川祐也の中にあるタカユキという言葉の意味、七瀬彰の存在、そして何より―――藤田浩之の価値を。

94 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:38:11 ID:VG.lI4Z60
「何だろうな。俺、何やってんだろうな。どうしたいかもわかんねえのに。
 ……どうなってほしいかも、わかんねえのに」

たとえば、柳川がその言葉で真実を語ったとして。
たとえば、柳川が七瀬彰を選んだのだとしたら。
たとえば、柳川に伸ばした手を邪険に振り払われたら。
たとえば、柳川の瞳に映る自分がひどく惨めたらしかったら。
たとえば、柳川に抱かれた七瀬彰の目が勝ち誇ったように輝いていたら。
たとえば、柳川を追うこの行為が、この上なく滑稽だとしたら。
たとえば、たとえば、たとえば―――。

「あなたの中の青は、もう走り出そうとしている」

言葉が、すべてを断ち切っていた。
静かに、しかし重々しく紡がれたそれは、結局のところ、少女にとって意味などなかったのかもしれない。
だが波打ち、荒れ狂う浩之の心中に降り注いだそれは、正しく託宣だった。
それは分厚い雲間から射す、ひどくか細い光に過ぎなかった。
しかしそれは同時に、暗い海原に示された、唯一の光明だった。
その指し示す先にこそ何かがあると、再び舵を取り、帆を上げ、櫂を漕ぐ力を与える、そんな光だった。

顔を上げたその向こうで、少女が音もなく片手を上げた。
青白い炎の宿る指が、遠い道の先へと掲げられていた。
浩之の、走ろうとしていた方角だった。
思わず振り向いて目を凝らしたその先に、小さな明かりが灯っていた。

「……!?」

おかしい、と思う。
快晴の日中、遠景に明かりの見える道理がなかった。
しかし、それでもその青い光は、確かに遥か視界の先に立ち昇っていた。
青い、光。

95 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:38:33 ID:VG.lI4Z60
「……おい、あんた……!」

振り返る。
そこには。

「―――」

誰も、いなかった。
慌てて辺りを見回す。
気配はどこにもなかった。
まるで、少女自身が青白い炎に変わって消えたように。

「……」

しばらく、呆然と立ち尽くしていた。
風が吹き抜けて乾いた砂埃が舞い上がり、目を瞬かせる。
我に返って、首を打ち振るう。
長閑な寒村の風景だけが、浩之を取り囲んでいた。
再び振り返って、今はもう存在していたことすら定かではない少女の指差していた方を見る。
立ち昇っていたはずの青い光は、やはり見えなかった。
しかし、

 ―――行くか。

浩之は大きく息を吸い込むと、その方角へと一歩を踏み出す。
その足取りに迷いはなかった。
追い求める背中は目指す先にあると信じる、それは歩みだった。

96 幸いを信じ少年は荒野を目指す :2007/12/11(火) 04:40:14 ID:VG.lI4Z60



【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv4(A×1、B×4)、BL力暴走中?】

→920 921 ルートD-5

97 素敵な間違い :2007/12/18(火) 21:59:11 ID:Uwgruf260
「遅いね、祐介お兄ちゃん……」
 家屋に備え付けられた時計の針が動いていくのを見ながら柏木初音が不安そうに言った。

 出て行ってから既に2時間。放送で友人か何かの名前を呼ばれてショックを受けているのは分かるが確かに遅すぎる、と宮沢有紀寧も思っていた。
 恐らく、いやほぼ間違いなく何らかの争いに巻き込まれたかそれに準ずる状況に陥ったのは明白だった。
 有紀寧にしてみればさほど利用価値もない祐介が死んだところで別にどうでもいいのだが、まだ自分が『善人』である以上何らかのアクションは起こさねばならないだろう、とは思っていた。

(それに……)
 確かに祐介はどうしようもないお人よしだったが盾としての利用価値くらいはあった。それが今、いなくなったということは有紀寧にとっても防壁がなくなりつつある、ということである。一応祐介の荷物から武器一式は抜き取っておいたが(もちろん柏木さんには話してないですよ? 必要もありませんし)いざという時に盾がいないのでは話にならない。別の隠れ蓑を求めて行動する必要もあった。

「探しに……行きましょうか」

 だから有紀寧はそう提案した。ある程度の危険は伴うが現状では心許ない部分もある。それに初音にも自分が『善人』であることを分からせてやらねばならない。今はまだ『味方』を作っておくべきだった。
「えっ、でも……」
 祐介と初音はそこそこ深い仲だったが有紀寧はそうでもない。だから迷惑になるとでも思ったのだろう、遠慮するような表情を見せたが有紀寧はいつものように笑みを浮かべて諭す。

「遠慮なさらないで下さい。わたし達は……仲間なんですから」

 こういう時に使う仲間という言葉の効果が絶大だということを、有紀寧は知っていた。伊達に資料室で日々を過ごしてきていない。やはりそれが功を奏したのか、初音はまだ戸惑いながらも「じゃあ……一緒に探してくれる? 祐介お兄ちゃんを」と言った。笑いながら、有紀寧は当然のように頷いた。

     *     *     *

 有紀寧たちが今いる場所が島の最南端に位置するところなので、まずは北上していくことに決めた。まあ多分祐介は生きていないだろうがそれを口に出すわけにもいかないので生きているならどこに向かっているのか、という話し合いをした結果比較的近くの源五郎池にいるのではないか、という意見を有紀寧が出した。

98 素敵な間違い :2007/12/18(火) 21:59:44 ID:Uwgruf260
「どうしてそんなところに居ると思うの?」
「長瀬さん、かなりショックを受けていたようですし……水辺なら心を落ち着かせるには最適なのでは、と思いまして」
 そう言うと初音は納得した様子で「確かに祐介お兄ちゃん、暗い顔だったもんね……」と複雑そうに頷いていた。初音自身も同様の経験があるので気持ちが分かるのだろう。

 実際は新たな盾を見つけるまではどうしても戦闘に巻き込まれたくなかったので人気のない場所へ行きたかったというのが本音だったが。理想としては残る柏木の人間に合流してしばらく隠れ蓑にする、もしくは単独で行動している祐介のような人物を見つけ上手く口説いて引き入れる、どちらかになればいいのだがそう都合よくはいかないだろうと有紀寧は思っていた。
 まずは祐介の死体を見つけるか初音が諦めるかのどちらかになるまで隠密に行動だ。それが最善ではないが安全策ではある。
 無理をする必要はない。生き残れさえすればそれで万々歳なのだから。

「それにしても、森の中を歩くって意外ときついですね」
 森にさしかかり足場の悪い箇所が延々と続くようになってきた。気をとられると滑りそうになったりつまづいてしまいそうになる。
「そうなの? 私はそうでもないけど……」
 そう話す初音の表情はいつもと変わりなく悠々と歩いている。ひょっとすると見かけ以上に体力があるのかもしれない、と有紀寧は思った。
 それとも自分が現代っ子だからだろうか、などとも考えた。
 いけませんねぇ今の子供は。学力低下だけでなく体力も低下して……これだから肥満体系の子供が増えてるんですよー。
 そんな風にワイドショーで偉そうに喋ってるコメンテーターの声が聞こえてきそうだった。

「そう言えば有紀寧お姉ちゃんは探してる人とかいないの?」
 器用に小石の上に乗ってバランスを取りながら初音が話題を変える。有紀寧にとっては優勝することが目的なので別に探し出す必要もないのだが……しかし知り合いがいないと言い切ってしまうともしも岡崎朋也や春原陽平に出会ったときに言い訳ができない。些細なことでも不信感を抱かせてはならないのだ。

「そうですね……お知り合いの方を、二人ほど」
「どんな人?」
「面白い方たちですよ。漫才が立って歩いているような人たちです」

 言いながら、有紀寧はまだ在りし日常の欠片を思い出していた。資料室でコーヒーを振舞って、彼らがくだらない事に興じるのを傍で見て……楽しかった。それは偽りのない事実である。だがそれ以上に……自分を待っていてくれる、慕ってくれる人たちのために、兄のために……絶対に死ぬわけにはいかなかった。
「へぇー……私も会ってみたいなぁ」
 そう言う初音だが会えたら会えたで有紀寧も困る。流石に知り合いにまでリモコンを使ったり嵌めたりするのは忍びない。だから会うこともなくどこかで死んでいってくれるのがベストなのだけれども。

99 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:00:11 ID:Uwgruf260
 だから「会えば分かりますよ」とお茶を濁すように言ってその話を打ち切り、現在地についての話に戻すことにした。
「そう言えば川が見えてきましたね。多分目的地も近いと思います」
 視界の隅にはちょろちょろと静かなせせらぎを湛えている小川があった。恐らく源五郎池から続いているものなのだろう。これを辿っていけば自ずと目的地に着けるはずだった。

「ホントだ。綺麗な川だね……飲めるかなぁ?」
「生で飲むのはどうかと……」
 初音と共に見下ろした小川は綺麗過ぎるほどに澄んでいた。それこそ、水道からひねり出した水のように。それだけじゃない、普通ならなんとなく感じられるはずの自然の水の匂いが……その川にはなかった。なぜだろうと有紀寧は思ったがそんな感覚的なものを気にしたところでどうなるものでもないし、役に立つわけでもない。あまり深く考えずに先に進むべきだった。
「それよりも早く行きましょう。祐介さんを探すのが先です」

 そうだね、と返事した初音がそれでも川を見下ろしながら有紀寧の後ろについて歩く。自分と同様の疑問でも持っているのだろうかと有紀寧は思ったがこれも考えないようにした。
 それにしても同じ風景が延々と続いていて、まるで同じ場所をぐるぐる回っているみたいだ、と有紀寧は思った。目印になる川があるからいいもののそれがなければ迷ってしまいそうになるほどの。
 またそのせいではないだろうが普段歩いているときよりも余計に疲れる気がする。どこかで聞いたことがあるが、アマゾンなどのジャングルを川沿いに下っていても同じ風景が延々と続くせいで精神が狂ってしまいそうな感覚に陥る、という話だ。
 なるほど確かにこれでは参ってしまうのも無理はないだろう。

 ふぅ、とため息をつきながら有紀寧は、これ以降は無闇に森の中を歩くのはやめておいた方が良さそうだという考えに至ったところで川べりに何かが転がっているのに気付いた。
「あれは……」
「どうしたの、有紀寧お姉ちゃん」

 何かがあることを指で指し示すと、初音がそれを見つめる。初音はしばらくそれを見ていたかと思うとやがて目を見開き、息を呑んだ様子になっていた。
「柏木さん……?」
 不審に思った有紀寧が声をかけた瞬間、初音が叫びながら駆け出した。

100 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:00:38 ID:Uwgruf260
「お兄ちゃん……祐介お兄ちゃんっ!」
「ちょ、ちょっと……」
 一人で先行しては危険だと有紀寧が止めようとするも捕まえることが出来ず狂乱したようにその『何か』に走っていく初音。
「祐介お兄ちゃんっ、祐介お兄ちゃんっ、祐介お兄ちゃんっ!」

(長瀬さん……?)
 あんな遠目でよく分かったものだと感心するがそれよりもやはり、あの様子では祐介は殺されてしまっているだろう。予想通りと言えば予想通りだが……
 先に駆け出した初音に有紀寧が追いついたときには、物言わぬ骸となっている長瀬祐介の遺体に初音が縋るようにして揺さぶっているところだった。
「祐介お兄ちゃん、返事してよ……祐介お兄ちゃぁん……」
 痛々しい程の涙声で祐介の名を呼びかける初音。有紀寧はそれを黙って見つめていた。

 もちろんかける言葉がなかったからではない。祐介が死んだのが確定した以上行動の決定権は間違いなく自分にある。とは言っても柏木の人間を探すことにはなるだろうが、重要なのはそのルートだ。探していると思わせつつ自分にとって安全な道を確保しなければならない。
 激しい戦闘の起こっている場所にわざわざ足を運ぶ必要はないのだ。それに……そろそろどちらが上なのかをはっきりとさせておかねばならなかった。
 頃合いを見計らうようにして、有紀寧は優しく初音の肩を抱く。

「柏木さん……そんなに悲しまないで下さい」
「でもっ……でも……」
「今は思い切り泣いてもいいと思います……ですけどそのままじゃ柏木さんのことを想っていた長瀬さんもまた、悲しみます。生きなきゃならないんです。長瀬さんが生きていたことを、そこにいたことを証明するためにも」

 それはかつて兄が亡くなったときに有紀寧が自分自身にかけていた言葉だった。まあ一部誇張しているような部分もあるが概ね違ってはいない。
 そう――守らなければならないものがある。兄の残したもの全てを守っていく義務が、自分にはある。それが兄を理解しようとしなかったかつてへの自分の、贖罪なのだから。だから……死ねない。
「ですけど……今は、わたしの胸で」
 後ろから覆うように抱擁する。初音はしばらく震えていたが、やがて声を押し殺すような嗚咽を上げ始めた。身体を、全て有紀寧に預けるようにして。

101 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:01:08 ID:Uwgruf260
 これでいい……計画通りだ。
 完全に初音が信頼を預けるのを、有紀寧は邪な笑みで迎え入れていた。

     *     *     *

「もう大丈夫なんですか?」
「うん、もう平気だよ」
 そうは言いながらもぐすぐすと鼻を鳴らす初音だったが、一度感情を吐き出したせいか行動する分には支障ないように思える。
「そんなことより早くお姉ちゃんたちを探しに行こっ。まだ私には待っててくれるひとがいるんだもんね」

 ええ、まったくその通りですと有紀寧は頷く。早いところ彼らには出会わなければならない。
 家族ぐるみで巻き込まれているならこのゲームに乗っている可能性は低いだろうし、たとえ乗っていたとしてもここまで信頼関係を築き上げた自分に対して攻撃してくることはないはずだ。なぜならそれは初音への裏切りにも等しい行為だからだ。もっともその時はこちらにも考えがあるが――
「それじゃあ手をつないで行きましょう。わたしたちは何があっても一緒です」
 用済みになるまでですがね、と心の中で付け足して有紀寧が初音の手を取る。手を握ると、初音もしっかりと握り返してきた。

 精々、今は仲良しごっこに興じるとしよう。自分は高みから殺し合いを眺めていればいい。

「ああ、でもその前に……長瀬さんの遺品、持って行きましょうか。いい気はしないですが……」
「あ、うん、そうだね……」
 一旦手を離して近辺に散らばっていた支給品などを回収していく。どうやら使えそうなものだけ持っていかれたらしく武器の類は全くいい物がなかった。だが一方で襲っていった人間が捨てたと思われるノートパソコンは有紀寧にとって貴重な代物だった。

 これで先程書き込みをした『ロワちゃんねる』が使えるなら色々と裏側から掻き回してやるのも容易い。なおかつ生き残りの把握が出来るのも好都合だ。
(長瀬さん……最後には役に立ってくれましたね)
 ほんの少しだけ感謝の意を向けながら有紀寧はノートパソコンを自分のデイパックに仕舞った。
 結局、殆ど武器の無かった初音にフライパン他道具一式、ノートパソコンを有紀寧が持つという形で道具の整理は終わった。

「それじゃあ、改めて出発としましょうか」
「うん、頑張ろうね」
 もう一度手をつないだ二人は、まだ朝露の残る森の中をゆっくりと歩み始めた。

     *     *     *

「……さて、どこから奴を探すか」
 復讐の怒りに燃え、鬼の意思が宿る瞳を深紅に湛えた柳川裕也は神社から東西へと続く道への分岐点でどちらへ行くかと迷っていた。
 ここで一度間違えば相当な距離をおかれてしまう。勘に任せて進むのもいいが、無駄に時間を取りたくない。

102 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:01:49 ID:Uwgruf260
 あの女……藤林椋のとった行動からすると善人を装って紛れ込み、隙を突いて内部から殺していく戦法をとっているようだからまずはどこかの集団に入っていこうとするだろう。そして、そういう人間を探すにはうってつけの場所がある。
 平瀬村。もしくは南にある氷川村。仲間を探そうとここに集う人間は多いはずだ。現に――少し前までの柳川がそうだったからである。

「氷川村か……」

 確かここには診療所を目指していたリサ=ヴィクセンと美坂栞もいるはずだ。時間からするともう離れているかもしれないが……まだ栞の調子が悪くここに留まっている可能性はある。
 本来合流は夜の十時になる予定だったが、藤林椋という厄介な存在が現れた以上この情報を知らせておいても悪くはない。

「……よし」
 まずは氷川村へ向かうことにしよう。だが少しでも到着時間を縮めるためにわざわざ迂回していきたくはない。
 柳川は源五郎池を目標に、ここを真っ直ぐ突っ切っていくルートをとることに決めた。少々厳しい道のりではあるが鬼の血を宿す柳川にとっては造作もないことだ。
 コルト・ディテクティブスペシャルをベルトの間に挟みこみ、柳川が移動を開始しようとした、その時だった。

「……誰だ」
 前方から微妙に感じる、人の……いや、同族の気配。この匂いを、柳川は知っている。柏木梓と同じ、その匂いだ。
 それはまったくの勘でしかなかったが、確信的なものを抱いていた。まるで見透かしているように、柳川は前方の茂みに呼びかける。
「隠れても無駄だ。敵意がないのなら出て来い。そうしないなら……殺す」
 ざわっ……と空気が震えるのが分かった。柳川のかけた言葉自体は藤林椋にかけたものと同じだったが、向けるものが劇的に違う。たとえ柏木の一族であっても敵対するなら殺す心積もりでいた。

 柳川がコルト・ディテクティブスペシャルに手をかけようとした時、二人の女性がお互いを庇いあうようにして出てきた。
 一人はまだ幼さが残る、推定中学生くらいの女(柏木初音)。そしてもう一人は……あの藤林椋と同じ制服の女(宮沢有紀寧)だった。
 怒気がこみ上げてこようとするのを押さえつつ、柳川は威圧的に、ドスの利いた声で質問……いや、尋問した。
「正直に答えろ。でなければ撃つ」
 躊躇なくディテクティブスペシャルを抜いて構える。ごくり、と息を呑む音が聞こえてきそうなくらい二人はガチガチになっていた。

「まず一つ目だ。特にそこの制服の貴様に聞きたいんだが……藤林椋という女を見なかったか? ボブカットで、見た目は大人しそうな奴だ」
 ディテクティブスペシャルの銃口を向ける。有紀寧は一瞬考えるような表情をしたが、「……知りません」と返してきた。
「本当だろうな」

103 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:02:18 ID:Uwgruf260
 こめかみに標準を合わせるが、有紀寧は本当に怯えた様子で「ほ、本当です! 信じてください!」と涙声で訴えた。だがそれは以前椋の嘘を経験した柳川にとっては信じがたいものだった。撃鉄を上げてさらに脅そうとしたところ、横から初音が庇うように覆いかぶさり、「やめて! 有紀寧お姉ちゃんは嘘なんてつかないよっ!」と叫んだ。しかし柳川はなお冷徹な表情で、
「俺はそうやって以前も騙された。もう騙されるわけにはいかない。邪魔をするな」
「ダメっ! 撃つなら……私から先に撃って!」
「い、いけません柏木さん! 柏木さんには何も罪はありません! 殺すならわたしから先に……」
 ……追及しようとしたのだが、二人が代わる代わる互いを庇おうとしていることと、『柏木』という言葉から急激に疑念が薄れていった。

 あきれ果てた様子で柳川は一旦銃口を下ろした。
「もういい。その女に関しては信じる。それよりお前の方だ。柏木……とか呼ばれてたな」
「そう……だよ?」
「名前を教えろ。確かめたい事がある」
 初音はしばらく柳川と有紀寧の両方を見ていたが、有紀寧が「わたしは大丈夫ですから」と言うとこくっと頷いて、「初音……柏木初音」と答えた。

 やはりな、と柳川は思った。あの鬼の気配と柏木姓……それにその名前。柳川はディテクティブスペシャルを仕舞うと僅かに警戒を解いて言った。
「お前の姉が探していたぞ。柏木梓がな」
「梓お姉ちゃんを知ってるのっ!?」
 初音が驚いた様子で訊く。知ってるも何も柳川は彼らの叔父に当たるのだが……面識のない初音は知らなくても仕方のない事だった。
「実際に会った。まあそれだけじゃないんだがな……俺は、お前の叔父だ。柏木初音」
「叔父……さん?」

 今度は初音が信じられないというような様子で柳川を凝視する。まあ当然だろう。見ず知らずの男が叔父と名乗るのだから。
「別に今信じなくてもいい。だが柏木梓と会ったのは本当だ。もっとも半日以上前の事だが」
「そうなんだ……」
 散々疑っていた柳川と違い、あっさりと信じてしまった初音に柳川は苦笑する。叔父ということに関してはまだ半信半疑のようだったが。
「ともかく藤林椋のことを知らないならいい。邪魔したな」
 一通りの情報を得た柳川が去っていこうとすると、不意に後ろから声がかかった。

「待って、おじさんっ!」
「おじ……」
 普段なら待たないはずであろう柳川だったが流石にこの年でおじさん扱いされるのは気に食わなかった。努めて冷静に、柳川は初音の元まで戻る。
「あのな、俺は……」
「おじさん、私の親戚なんだよね? だったら一緒に行こうよ」
「は? 何を……いやそうじゃなくてだな」
 何故銃口を向けた人間に対して一緒に行こうなどと言えるのか。そして俺はおじさんじゃないと言おうとするが、初音は気にした様子もなく柳川の手を取る。華奢で、温かかった。

104 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:02:39 ID:Uwgruf260
「どうして? イヤなの?」
「別にそういうわけじゃないが……」
 なんとも言えない表情で辺りを窺うと、初音から一歩引いた位置に有紀寧が立っていた。
「そうだ、お前。お前はいいのか、自分に銃口を向けた相手と行動して」
 一般論を求めようとするが、有紀寧もまたきょとんとした様子で、
「柏木さんのご親族ならきっと大丈夫だと思いますけど……何か問題でもあるんですか? それに、わたしたち二人じゃ何かと心細いですし」
「ほら、有紀寧お姉ちゃんもそう言ってるよ?」
「……」

 柳川は頭を抱える。どうして自分にはこうも両極端な人間しか寄ってこないのか。あれだけ疑っていた自分がバカらしく思えてくる。
「……柳川だ。俺の名前は柳川裕也。今度からはそう呼べ」
「そっか、柳川おじさんだね。ごめんね、今まで名前が分からなかったから」
「いやだから問題はそこじゃ――もういい! 先に行くぞ」
「あ、待ってよ柳川おじさん!」
 おじさんと初音が呼ぶたびに若干の精神的ダメージを受けながら、柳川は立ち止まらなければ良かった、と後悔し始めていた。

 そのせいだろうか、柳川は気付くことはなかった。
 柳川の後ろを歩く、柏木初音の後ろで妖しげな笑みを浮かべている宮沢有紀寧の姿に――

105 素敵な間違い :2007/12/18(火) 22:03:06 ID:Uwgruf260
【時間:2日目午後12時00分頃】
【場所:G−5、道の分岐点】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(5/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:柳川おじさんに少しなついた。目標は姉、耕一を探すこと】

柳川祐也
【所持品①:出刃包丁(少し傷んでいる)】
【所持品②、コルト・ディテクティブスペシャル(5/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。その次に主催の打倒。……俺はおじさんじゃない!】

【その他:有紀寧のコルトパイソンは二人には存在を知らせてない。スイッチも同様】
→B-10

106 第二回定時放送(B−4) :2007/12/20(木) 02:30:15 ID:SebB/CEY0
時刻は午前5時50分……

久瀬は数々の惨状を見せられ、疲弊しきっていた。
多すぎた。あまりにも死人が多すぎた。
実の所彼は少し期待していた。
時間が経てば混乱していた者も落ち着いて、殺し合いが収まってくれるのではないかと。
だが実際には、殺し合いはますます激しさを増していくばかりだった。

ある者は一方的に殺され、またある者は裏切られて殺された。
特に酷かったのは、指を1本1本切り落とされて惨殺された女性だった。
その女性は最期の瞬間まで想像を絶する悲鳴を上げ続け、返り血に塗れた加害者の女性は笑いながら包丁を振るい続けた。
その一部始終を見ていた久瀬はとうとう嘔吐感を堪えきれなくなり、腹の中の物を全て吐き出していた。

自分が確認出来ただけでも10名以上の人間が命を落としていた。
恐らく―――その倍以上の数の人間が、既に物言わぬ躯と化しているのではないか。


そして第2回放送の時がきた。

画面が真っ黒に染まり、ゆっくりと赤く浮かび上がる番号、そして名前。
「そ、そんな……こんなに大勢の人が……」
予想以上の死者の数に震えが止まらない。いや、しかしこの震えの原因はそれだけではないだろう。
『倉田佐祐理』。彼女の名前だけ、一際強い存在感を放つように思えるのは気のせいだろうか。
・・・・・・呼吸が、乱れる。知らずうちに漏れた涙が表す感情の揺れに、久瀬自身どうしていいか分からなかった。


『それじゃ久瀬君、今回もよろしく頼むよ』
一回目の放送の時と同じくウサギが一瞬画面に現れ、その一言だけを告げまた消える。
久瀬は今にも倒れこみそうなくらい疲弊していたが、それでも彼に選択肢は一つしか用意されいない。

107 第二回定時放送(B−4) :2007/12/20(木) 02:30:45 ID:SebB/CEY0
「――みなさん……聞こえているでしょうか。
これから第2回放送を始めます。辛いでしょうがどうか落ち着いてよく聞いてください。
それでは、今までに死んだ人の名前を発表…します」


画面に目を戻す。これだけの人数の人間が死んだのだ。
きっとここに名前が載っている者の友人や家族も沢山いるだろう。
彼らの気持ちを考えると、やりきれないものがあった。
だがここで自分が抗っても死体が一つ増えるだけだ。
意を決して何とか言葉を捻り出す。

「――それでは発表します。

108 第二回定時放送(B−4) :2007/12/20(木) 02:31:16 ID:SebB/CEY0
003 朝霧麻亜子
009 イルファ
017 柏木梓
020 柏木千鶴
022 梶原夕菜
023 鹿沼葉子
025 神尾観鈴
029 川名みさき
036 倉田佐祐理
042 河野貴明
044 小牧郁乃
050 里村茜
051 澤倉美咲
054 篠塚弥生
056 新城沙織
059 住井護
060 セリオ
067 月島瑠璃子
071 長岡志保
072 長瀬源蔵
074 長森瑞佳
076 名倉友里
080 仁科りえ
084 姫川琴音
085 姫百合珊瑚
086 姫百合瑠璃
089 藤田浩之
090 藤林杏
093 古河秋生
094 古河早苗
099 美坂香里
105 巳間晴香
109 深山雪見
111 柳川祐也
112 山田ミチル
113 湯浅皐月
117 吉岡チエ
119 リサ=ヴィクセン

109 第二回定時放送(B−4) :2007/12/20(木) 02:31:35 ID:SebB/CEY0
 ――以上…です……」

自分の役目を終えた久瀬はがっくりと項垂れた。
強制されているとは言え、島にいる者達に悲しみを、絶望を、自分の手で与えてしまったのだ。
佐祐理の件でも充分消耗してしまったのもあり、体力だけでなく精神的にももう限界が近かった。

そこで突然画面が切り替わりウサギが画面に現れた。
『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

話ぶりからしてウサギは放送を通じて島全体に対して話しかけているようだった。
久瀬は他の参加者達と同様、ただ黙って話に聞き入る事しか出来ない。

『発表とは他でもない、ゲームの優勝者へのご褒美の事さ。相応の報酬が無いと君達もやる気が上がらないだろうからね。
見事優勝した暁には好きな願いを一つ、例えどんな願いであろうと叶えてあげよう』
(―――何!?)
信じ難い発言に、久瀬の目が見開かれる。
戸惑う久瀬に構う事なく、ウサギの話は淡々と続けられていく。

『だから心配せず、ゲームに励んでくれ。君らの大事な人が死んだって優勝して生き返らせればいいだけだからね』

話を聞き終えた久瀬は蒼白になっていた。
常識的に考えればどんな願いでも叶えるという事など出来る訳が無い。
優勝者の願いを叶えるよりも、裏切って殺す方が圧倒的に手軽である。そして主催者達は間違いなくそうするだろう。
だがゲームの極限状態の中で、放送による悲しみの中で、どれだけの人間が冷静に判断を下せるというのだろうか。
一体何人の参加者があの話を鵜呑みにしてゲームに乗ってしまうのだろうか。

―――信じるんじゃない、これは罠だ!餌をぶらさげて殺し合いを加速させるための罠だ!!

そう参加者達に伝えたかった。だが今の彼にはそれが許されていない。
久瀬は自分の無力を呪い床を力の限り殴り続けた。
程なくして彼は力尽き、意識を失った。

110 第二回定時放送(B−4) :2007/12/20(木) 02:33:04 ID:SebB/CEY0
久瀬
 【時間:2日目06:00】
 【場所:不明】
 【状態:極度の疲労による気絶】

【状態:正規参加者66人+非正規参加者6人】
【備考:首輪が外れた参加者は、例外なく放送にて名前を呼ばれる】

当時改変使用の許可をいただいていましたので、他ルート第二回放送を使いまわさせていただきました。

まとめサイト様へ
お手数ですが、B-4に「505話・正義にも悪にも凡人にもなれる男」を入れていただければと思います。
よろしくお願いします。



あと個人で描いていたハカロワ3の落書きがかなり溜まっていたので、いくつか上げてみました。
パスは「hakarowa3」です。
ttp://www.uploda.org/uporg1163006.zip.html
あくまで自分のポテンシャルを上げるための物だったので非常に汚いのですが、
よろしければどうぞ。

111 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:06:39 ID:bJ92dPqU0
「ところで、ことみ君」
 視聴覚室での会議を終えた霧島聖と一ノ瀬ことみは爆弾の材料を探すためにまずはこの校内から調べていくことにした。その視聴覚室を出てすぐの階段で、聖がことみに質問する。
「一階の職員室だが……どうする? 一応調べておくか?」

 聖達が学校に来た時点では職員室にも明かりがついており、即ち何者かが侵入していたという証拠である。有益なものが残っているとは思えないし、立ち寄る必要も無いが……一応訊いておくことにした。
 ことみはしばらくうーん、とメトロノームのように首を振った後、「行こう」と言った。
「職員室でも何か有用なものはあるかもしれないの。それに、職員室のパソコンにだったら首輪の情報があるかもしれないし」
「なるほどな」

 『解除』する気はさらさらないくせに、と聖は心中で笑う。そういえば学生の頃の職員室は、机の中に生徒からの没収品やら先生の私物やらでいっぱいだったな、などと思い出す。ひょっとしたらその中にまともなものがあるかもしれない。行く価値はありそうだ。
「ではまず職員室に向かおう。アレはその後だな?」
 アレ、とはもちろん硝酸アンモニウムのことだ。理科室は学校を見て回るうちに二階にあると分かっていたので、聖とことみはそのまま階段を下りて職員室まで向かった。

     *     *     *

「これは……ひどいな」
 職員室へ向かった聖とことみが目にしたのは、凄惨な殺戮の残り香だった。
 室内は滅茶苦茶に荒らされており、激しい戦闘があったことが窺える。プリントが散乱し、花瓶が割れ、机に激しい傷がつき――学級崩壊ならぬ、職員室崩壊と言えるような様相であった。

 それ以上に酷いのは部屋の中にあった二つの死体だ。
 一人は首を鋭利な刃物で掻き切られ、目は驚愕に見開かれている。自身の死を理解できないまま倒れてしまったのだろうが、今も呼吸を求めているかのように開かれた口が、ただただ痛ましい。
 もう一人のほうは胸部に釘のようなものを打ち込まれ、それが死因となって倒れたようだった。先程の少女と違い、心臓に直接釘が打ち込まれていることで即死になり、苦しまずに死ねたのはせめてもの救いかもしれないが……何も、こんな年端のいかない子供を殺すこともないだろうに、と聖は怒りを感じていた。

112 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:07:02 ID:bJ92dPqU0
「先生……」
 ことみのほうを見ると、彼女は今にも吐き出しそうに口元を押さえ時々おえっ、と呻いていた。聖は学生の頃に研修で死体の解剖を行ったことがあるからある程度の耐性はあったが、当然普通の女の子であることみにそんなものがあるわけがない。聖は職員室の隅にあった毛布を持ってきて、二人を優しく包み込むように被せた。
「済まんな、生憎墓を掘ってやれるだけの力がない。これで勘弁してくれ」
 聖が毛布の前で手を合わせるとことみも相変わらず涙目で気分の悪そうなまま一緒に手を合わせた。後で保健室に寄るべきだな、と聖は思った。

 一通り供養を済ませて後、職員室を探すかどうかことみに尋ねるが、相変わらず彼女は気分が悪そうなままで「これだけめちゃくちゃだとどうしよーもありまへん、さっさといきまひょ」と何がなにやらの口調で探索は諦めるように言ってきた。
「そうだな、その方がいい……ん?」
 物陰にあって分かり辛かったのだが、何か携帯電話のようなものが落ちているのに聖は気付いた。
「これは……」
 拾い上げてパチンと開いてみる。なんということはない、普通の携帯電話だ。機能を確認する限り通話も可能なようだが……
「……ふむ」

 試しに、自宅である霧島診療所に電話をしてみる。しかしプルルルル、という音すらすることなく無音が残るだけだった。
 続いて110番、119番、果ては177番まで試してみたが、全て結果は同じ。使えるのだか使えないのだか分かりゃしない。
「全部ダメだった?」
 聖は黙って頷いた後「どう思う?」と尋ねる。ことみはまだ気分の悪そうな顔のまま、視線を上に向けて何か考えるような表情をしたあと、「今から言う電話番号を押してみて」と言った。
 何か分かったのだろうかと思いながらも言われた通りに、ことみの言った電話番号を押してみる。すると――

『ピリリリリッ!!!』

「何だっ!?」
 いきなり職員室に鳴り響く警告音のようなもの。何かまずいことでもしてしまったのだろうかと狼狽する聖を尻目に、ことみがつかつかと歩いていき、警告音を発していたものを取る。
「『もーしもーしかめよーかめさんよー』」
「……」
 耳元から聞こえてくる能天気な声。もちろんことみが瞬間移動してきたとか、そんなわけはない。そう、この声は携帯電話から聞こえてきていた。

113 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:07:24 ID:bJ92dPqU0
「『思った通りなの、おーばー』」
「『どういう事だ、オーバー』」
「『さっき言った番号はこの電話に書かれてあった学校の電話番号。おーばー』」
「『……つまり、この携帯は島の中の施設にある電話にしか通じない、という事か? オーバー』」
「『Exactly(そうでございます)。先生、インターネットには繋げる? おーばー』」
「『一応な。ということは、これも……オーバー』」
「『ローカルなネットワークにしか繋げない。例えば、この学校のホームページとか。おーばー』」
「『……電話専用、と考えた方がいいな。オーバー』」
「『でも、連絡をとるだけならかなり使えそうなの。おーばー』」

 そろそろ飽きてきた聖が携帯の通話ボタンを切ってポケットに仕舞う。ことみは少々残念そうな顔をしたがすぐに受話器を置いて聖の元へ戻ってきた。
「だとすると、分かれて探索していてもある程度連絡は出来るな。ある意味では収穫だ」
「電話がある施設にいることが重要だけど。それに……」
 ことみが首輪をとんとん、と叩く。なるほど、盗聴も考えられるか。一旦分解して中身を調べられればいいんだが、と聖は考えるが生憎聖は医者、ことみがいくら頭がいいとは言えそこまでの知識があるとは思えない。結局TPOをわきまえて使わないとダメらしい。

 霧島聖様、今月の通話料ですが10万6500円となっておりまして……いやはや。

「さて、次はアレだが……ことみ君、気分は大丈夫か?」
「……ぼちぼちですわ」
 言われた途端、ぶり返してきたのか電話では饒舌だったことみが再び顔色を悪くしていく。やれやれ、保健室に直行だな。
「無理はするな。保健室に向かうぞ」
 あいあいさー、と力なく敬礼をすることみを連れて、聖は保健室へ向かうことになった。

     *     *     *

 火事場の馬鹿力、とはこの事を言うのだろうかと折原浩平は思った。
 身体がやけに軽く、足はまるでずっと回り続ける風車のように動き続けている。
 痛いはずなのに。息はもうとっくに切れているはずなのに。
 実際、もう脳だけは疲れただのもう限界だの情けないシグナルを出していた。それに走っていると言っても人から見ればフラフラのヨレヨレのまったく格好悪い姿なのだろう。そんな自分を想像してか、浩平はへへへ、と笑った。

114 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:07:48 ID:bJ92dPqU0
「おい藤林、まだ起きてるか!」
 さっきから黙っているばかりでぐったりとしている、背中の藤林杏へと向けて声をかける。
 しかし返事らしい返事はなく時折苦しそうに呻く声が聞こえてくるだけだった。意識があるのかどうかすら怪しいと言わざるを得ない。
「くそっ、参ったな……うおっ!?」

 余所見していた罰でも当たったのだろうか、前に出した右足が地面を捉える感触がなくなったかと思ったときには、浩平は急な傾斜を転がり落ちていた。
 ガツンガツンと小石らしきものが体中にぶつかり、塵や泥が服を汚す。だが男の意地か反射的にとった行動かは分からないが、しっかりと杏の身体を守るように抱きかかえていたお陰で杏自身に新しい怪我などはないようだった。
 ようやく石がぶつかる感触がなくなり、転がっていた身体の動きが止まる。そのまま浩平は夢の中のお花畑に直行して酒盛りしたい気分に駆られたが、そうしたら杏が本当のお花畑に連れて行かれてしまう。迫り来る死神から王女様を救い出せるのは、浩平しかいないのだ。
 とんでもないじゃじゃ馬だけどな、と心の中で言って浩平はまた立ち上がり杏を背負い直す。まだ地球の引力には負けないくらいの体力は残っていたらしい。
 加えて坂を転がったことが結果的に近道になったらしく、すぐ目の前には鎌石村小中学校の威圧的な校舎が構えていた。

 へへへ、とまた浩平は笑った。
 面白くなってきやがった。
 忘れずにデイパックも持ってからまた走り出す。
 こんな切羽詰った状況にも関わらず、浩平はいつも住井と悪だくみをしている時のような爽快感を得ていた。
 普段ものぐさ太郎で本気で運動することもなかった自分が、今こんなにも一生懸命に走っている。そうだ、小学校初めての運動会、その徒競走に参加するピカピカの一年生のように。

「絶対に死なせやしないからなっ、覚悟しとけよ杏さんよ!」
 校舎に入っていく寸前、ずり落ちそうになった杏を抱え直しながら、浩平は大きな声で言った。

「……さて」
 宣言してしまった以上絶対に保健室まで連れて行かねばならない義務を抱えてしまったわけだが。
「右か左か」
 昇降口を抜けたすぐ後には、左右へと長く広がる廊下が続いていた。昼間だというのになお薄暗く、木製の床とコンクリートの壁、そして傷のついたガラス窓はその不気味さを際立たせている。だが今はそんなものに怖気づいている暇はない。
「せっかくだから、オレはこの左の道を選ぶぜ」

115 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:08:10 ID:bJ92dPqU0
 特に理由もなく勘に任せて、浩平は無遠慮に校舎に土をばら撒きながら走る。プレートに注意しながら。『保健室』の文字を見逃さぬように。
 50%の宝くじ。果たして当たるかどうか……
 つつっ、と浩平の頬に何か生暖かいものが流れ落ちる。何かと思ったが、血だった。どうやら転げまわった際どこか怪我してしまったらしい。
 意識を逸らしかけたところでそうしてる場合じゃないことに気付き上を見上げたとき、『保健室』の文字が目に飛び込んできた。
「あったっ!」
 すぐさま扉に張り付き思い切りドアを開け放とうとして――先にドアが開いた。目の前に立っていたのは……
「なっ」

 何やら爪のようなものを手にはめた白衣の女性だった。
 先客――!? それも、ゲームに『乗っている』!?
 浩平が慌てて飛び退こうとしたとき、浩平の惨状を見た女性――霧島聖はすぐに爪を外して浩平へと寄ってきた。
「酷い怪我だな……どうした、治療でもお望みか」

 聖の言葉に少し戸惑った浩平ではあったが、躊躇している暇などないことは分かっていたのですぐに返事する。
「あ、ああ! すごい怪我人がいるんだ! 頼む、治療させてくれっ!」
「なるほど、そうか。少年は運が良かったな」
 聖はそう言うと背中にいた杏をひょいとお姫様抱っこの要領で拾い上げると、ニヤリと笑って言った。
「私は、医者だ。それもとびっきりのな」

     *     *     *

「あちこちに銃創を負ったまま森の中を走ってきた? まったく、感染症になっても知らんぞ」
 血だらけになった杏の顔を拭いながら、聖は呆れたような声を上げた。浩平もまた自分で汚れた部分を拭いながら聖に反論する。
「そうは言いますけどね。凶悪殺人犯から逃げるためには仕方なかったんだ」
「その、凶悪殺人犯と言うのは?」
「名前は分からない。丁度聖さんのような長髪の黒髪で、変な生き物に乗って刀とマシンガンを振り回してました」
「ふむ、心当たりはない、が……」

116 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:08:34 ID:bJ92dPqU0
 聖はそう言いながら包帯と鋏、消毒液を浩平に投げて寄越す。
「治療は自分でしろ。私はこっちの方を手当てしなければならないのでな。ああ、ついでに外でやってくれ」
 器用に空中で受け取りながら、浩平は疑問を口にする。
「一緒にいてちゃいけませんか?」
 しかし聖はゆっくりと首を横に振った上で窘めるように笑いながら言った。
「君はそんなにこの子の裸を見たいのか?」
 しばらくその言葉の意味が理解できなかった浩平だが、やがてその意味に気付くと「す、すいません」と慌てるようにして席を立った。

 浩平が出て行く直前、聖が言葉をかける。
「もう少ししたら私の連れが帰ってくるから説明を頼むぞ。それと……治療は長丁場になる」
 ドキリとしたように身を震わせた浩平だが、「……杏を頼みます」と一言残して保健室の外へと出て行った。

 扉を閉めた後、浩平は近くの壁に背を預けるように座り込んだ後、治療を開始する。割とこういうことに関しては慣れていたため比較的早めに終わった。
「やれやれ、今まで以上に包帯だらけだな」
 ほぼ全身にわたって巻かれている包帯を見ながら浩平は苦笑する。苦笑した途端、今まで感じなかった痛みがぶり返してきた。切り裂かれたような、鈍器で殴られたような、引き攣るような、沁みるような……痛みの種類が一緒くたになって押し寄せてきたような感じだ。

 もう動きたくない、と思いながら、浩平はそう言えば杏のことを名前で呼んでいたな、ということをふと思い出した。
「まっ、いいか」
 それよりも今は横になりたい。埃だらけであまり衛生環境上よろしくない床に寝転がりながら目を閉じようとしたとき、廊下の向こうから二本の肌色の電柱がやってくるのに気付いた。

「うおっ、妖怪肌電柱かっ!」
 妖怪ミイラ男が声を上げて飛び起きたところ、果たしてそれは妖怪ではなかった。
 霧島聖の連れであり日々絶望的につまらない駄洒落を開発することに暇が無い天才少女、一ノ瀬ことみが、なんか用かい? とでも言うように首を傾けたあと、「でんちゅう?」と言った。
「あ、いや、それは……」
 うーん、とことみは何か考えるような仕草をすると、急に思い出したようにぽんと手を打った。

117 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:08:56 ID:bJ92dPqU0
「殿ー殿ー! 殿中でござる、殿中でござるー」
「惜しいけど違う」
「新種のポケモン?」
「それはデンリュウ」
「……いじめっ子?」
「いやいやいや、その結論はおかしい」
「ところで、誰?」

 びっ、と寝たままの浩平を指差して本来一番最初に尋ねるべきことをようやく訊いてきた。浩平は寝転がったまま、答える。
「新種のポケモン」
「そうなんだ……はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「いやいや、そこは納得するなよ……」
 見事にボケをスルーされた件について若干の哀愁を覚えながらも浩平は身を起こし、頭を下げて自己紹介する。
「折原浩平です。趣味は乙女志望の女の子に悪戯することです。よろしく」
 手を差し出す浩平だが、ことみは困ったような表情になって、言った。

「ロリコン?」
「なんでそうなるんだっ!」
 嘗ての高槻と同じ扱いをされたことに怒りを露にしながら詰め寄った。ことみは半べそになりながら答える。
「えぇ、だって女の子に悪戯って……」
 それはエロゲのやりすぎですぜお嬢さん、と言いたくなるのを堪え、努めて冷静にことみの肩を持つ。
「悪戯と言ってもだな、枝毛を引っこ抜いてやったり寝ている間に額に『肉』と書いてやったりとかそういう類の悪戯だよ。お分かり? オレは紳士的な悪戯師なんだ」
 ことみはまたしばらく困ったような表情になって、言った。

「変態という名の紳士?」
 殴ってもいいですか師匠。
 ユーモア精神をクソほども理解できてない目の前の一ノ瀬さんちのことみちゃんを矯正してやろうかと思ったが、また全身が痛み始めてきたので、やめた。
「すいませんでした。オレは至って普通の男子高校生です」
「そうなんだ……」
 素直に納得してくれた。よかった、変態やロリコンにならずに済んだ、と何故か浩平は安堵していた。

118 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:09:17 ID:bJ92dPqU0
「こんなところで何してるの?」
 長い長い自己紹介が終わり、次にことみが話題にしたのは保健室という休憩所があるにも関わらず座り込んでいる浩平についてだった。
「……ちょっと、仲間を治療しててもらっててな。あんた、聖さんの連れだろ?」
「先生とお友達?」
 まあそんなところだ、と浩平は答え心配そうに保健室の中を見た。

「今は集中治療中でな。一般の方は入場禁止だそうだ」
「そんなに酷いの?」
「ああ、何しろ全身に銃弾を喰らったからな……そういや、あんた杏と同じ服だな。ひょっとして同じ学校か?」
 浩平が杏の名前を口に出した瞬間、ことみが驚愕したように目を見開く。
「杏……ちゃん?」
「ん? 知り合いだったのか……って、おいことみ!?」

 保健室の扉を開けようとすることみを、痛む体で必死に抑える浩平。
「話聞いてなかったのかよっ、入室禁止だって言ったはずだぞ!」
「だって、杏ちゃんが、杏ちゃんがっ!」
 狂乱した表情のことみに浩平は驚きながらも、懸命に力を振り絞って扉から引き剥がす。
「オレだってついててやりたいのは山々なんだよっ! でも聖さんの邪魔になっちまうかもしれないだろ!」

 引き剥がされたことみが、今度は浩平に向かってキッとした表情を向ける。先程のボケ倒しからは想像もできないような険しい表情だった。
「誰……? 杏ちゃんをこんなにしたのは……どんなわるもの!?」
 違う。それは既に『憎悪』に塗り変わっていた。それほどまでに大切な友達だったのだろうかと浩平は考えるが、まずはことみを落ち着かせるべきだった。
「落ち着けっ、まだ杏は死んだわけじゃない。聖さんが治療を終えるまで待てよ! お前も聖さんの連れなら分かるだろ、あの人が腕のいい医者だ、って」
「先生……」
「そうだ、説明なら後でゆっくりしてやる。だから今はそんなピリピリすんなよ……杏の無事を祈ろうぜ」
「……うん、分かったの。……ごめんなさい」

 浩平の説得を受けたことみが、ゆっくりと息を吐き出して徐々に元の雰囲気を取り戻していく。まるで子供みたいな感情の変化だった。
(わるもの、なんて言ってるあたり、あながち間違いじゃないのかもしれないな……骨が折れそうだ)
 文字通りの体の軋みを未だに感じながら、浩平は扉の横で座り込んでいたことみの横に座る。何とも言えない徒労感が、そこにあった。
 ほぅ、と一つため息をついて浩平は顔を俯けていることみに話しかけてみる。

119 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:09:43 ID:bJ92dPqU0
「杏とは、仲が良かったのか?」
「うん。大切な……とってもとっても大切な、お友達。渚ちゃんも、椋ちゃんも、朋也くんも」
 残りの三人の名前は浩平は知らなかったが、恐らく杏と同様の友人だろう。友人と言えば瑞佳や七瀬は無事なんだろうか、とも思ったが今は取り合えずその思いを打ち消して話を続ける。

「そうか……聖さんによれば長丁場、らしいけどさ、きっと大丈夫だって。それにあいつ、熊でも倒せそうなくらいファイティングスピリッツに溢れてるしな」
 浩平が辞書投げのモノマネをすると、ことみも少しだけ笑った。
「うん、杏ちゃんならきっと世界の頂点も狙えそうなの。ツッコミも上手だし。私はまだまだ修行中なの」
 なんでやねん、とツッコミの真似事をすることみ。修行してもことみはいつまで経ってもボケの王者じゃないのか、と浩平は思ったがそれには言及しないことにした。涙ぐましい努力は続けてこそである。
 ならばオレがツッコミの奥義を教えてやろう、と言おうとしたとき、ガラガラという音と共に満足そうな表情の聖が顔を出した。

「先生!」「聖さん!」
 即座に詰め寄ってくる二人を「はいはい落ち着きたまえ」と軽くあしらった後、聖は保健室の中を見せる。そこには苦しげな表情で眠っている杏の姿があった。
「見ての通り、取り合えず命は無事だ。ただもう少ししないと目を覚まさないだろうがな。それと……うなされてもいるが。今は君達が近くに居てやったほうがいいだろう。がその前に、折原君の話を聞かせてもらうぞ。拒否はしないだろうな」
 どこからか取り出したメスの刃がギラリと光るのを見て「滅相もない」とカクカク頷く浩平に「ならよし」と保健室に入っていく聖とそれに続くことみ。
 まあ何はともあれ、まずは杏の命が無事で良かった、と思う浩平であった。

「……待てよ?」
 何かを忘れているような気がする。何か一つ、足りないような気が……
 浩平はデイパックの中を漁ってみる。それでようやく、彼は重大な事実に気付いた。
「あーーーーーーーーーーーーっ!」

120 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:09:59 ID:bJ92dPqU0
     *     *     *

「ぷひ……」
 てこてこと所在なさげに動き回っているのはご存知杏のペットでありポテトのライバルであるボタン。悲しいことに、彼(?)は浩平が斜面を滑り落ちた際、誤ってデイパックからおむすびころりんのように出てきてしまい、見事にご主人たちと離れ離れになってしまったのである。
「ぷひ〜」
 しばらくは悲しげな表情をしていたボタンであるが、やがて何かを決意したような表情になるとててて、とどこかへと駆け出していった。
 目的はただ一つ。愛するご主人様を草の根分けてでも探し出すことである。

 ここに大長編スペクタクル連ドラ、『杏を訪ねて三千里』が誕生することになろうとは、一体誰が予想できたであろうか?


 続く!

121 学校探検隊/いま、助けを呼びます :2007/12/22(土) 21:10:24 ID:bJ92dPqU0
【時間:二日目午後13:00】
【場所:D-6】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。まずは学校で硝酸アンモニウムを見つける】
一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。杏ちゃんが心配。まずは学校で硝酸アンモニウムを見つける】
折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:打ち身、切り傷など多数(また悪化。ズキズキ痛む)。両手に怪我(治療済み)。杏の様子を見てから行動を決める。しまった!ボタンをわすれた!】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。回復までにはかなり時間がかかる)。うなされながら睡眠中】


【時間:二日目午前12:00】
【場所:C-6】

ボタン
【状態:杏を探して旅に出た】

【その他:ことみの気分の悪さは浩平が学校にたどり着いたときには解消されてます】
→B-10

122 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:52:21 ID:mGsbodYA0


「……っ、ぁ……」

狭い民家の一室に、熱っぽい吐息が響いた。
そこに混じる嬌声を、どこか他人の声のように七瀬彰は感じていた。
薄く白い胸を、蛇を思わせる爬虫類じみた舌が執拗に嬲っていく。
浮き出た肋骨と肋骨の間に滲む汗を舐め取って、舌の持ち主が顔を上げた。
眼鏡の奥の隻眼が、彰のそれを捉えて細められる。
柳川祐也だった。
片方の目を覆うように走った傷痕は醜く爛れ、端正な顔立ちを損ねている。
沸き起こる嫌悪感を抑えながら、彰がそっと微笑み返す。
幼子を安心させる慈母のような、それは優しげな笑みだった。

「……柳川さんの、好きなようにしていいから」

胸元の顔を抱きしめるようにして、そっと囁くように、彰が言う。
安堵するように頷く柳川の指が、一糸まとわぬ彰の背を這うようにまさぐる。
愛撫とも呼べぬその仕草を、彰は黙って受けていた。
もとより性体験など無いに等しい彰のことである。
本や映像による知識はあっても、何が愛撫で何がそうでないのか、区別がつかなかった。
柳川のするに任せ、静かにその舌と指による刺激を受け止めていた。
幸い保健室で襲ってきた男とは違い、柳川の愛撫は緩やかで、熱による吐息の中に
時折小さな声を混ぜるのにも、演技をする必要はなかった。

「……ん……っ」

柳川の舌が、彰の顎の下を舐める。
同時にその指が背筋を辿り、尻の少し上、背骨の下の窪んだ部分を捏ね回すようにして蠢いていた。
知らず、彰が小さく腰を浮かす。反射的に菊座が締まるような感覚。

「貴之……」
「柳川……さん……」

熱に浮かされたような柳川の囁きに、彰が応えを返す。
もう幾度となく繰り返された呼びかけ。
柳川が、この貴之と呼ばれる誰かの影に自分を重ねていることは、彰にも分かっていた。
それが柳川のみる夢の形なのだろうと、彰は思う。
それならそれでも、構わなかった。
愛がほしいのではない。ただ、夢を売る代価をさえ支払ってもらえれば、鬼の力が自分を護ってくれさえすれば、
それでよかった。だから、こうして抱かれている。

123 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:52:50 ID:mGsbodYA0
「……ふ……ぁ」

冷たい眼鏡のフレームが、彰の頬を撫でる。
首筋から上ってきた柳川の舌が、耳の裏を責めていた。
不快感と顔が熱くなる感覚とをない交ぜにしたような不思議な感触が、強引に引きずり出される。
思わずシーツを握りしめたその指が、柳川のそれに捉えられていた。
指と指が絡み合う。
彰の湿った掌を、柳川が親指の腹で撫で回す。
くすぐったさに身を捩る彰を離すまいと、空いた方の手で彰の腰をしっかりと抱く柳川。
汗にごわついた髪が耳の中を小さく擦る感触に眉を寄せながら、彰は全身に柳川の温もりを感じていた。
絡めた手を、柔らかく握られる。
少しだけ離れた柳川の顔が、再び近づいてくる。
目を細めて、彰は静かに口づけを受け入れていた。
ついばむように彰の唇をかすめる柳川のそれが、静かに開く。
生温かい吐息と、一瞬遅れてのばされた舌が、彰の口腔を侵していた。
彰もまたそっと舌を出して、柳川の粘膜を迎える。
濡れた感触が、彰の舌を捏ね回す。

「ん……ふ……」

本に書いてあったことなんて全部嘘だ、と彰は思う。
気持ち悪い、とだけ感じた。
ねちゃねちゃという音も、舌先でそっとつつくようにこちらの舌の表面が刺激される感触も、
導かれるように吸われ、甘噛みされる瞬間の微かな快感も、鼻を撫でる熱っぽい吐息も、
何もかもがただ、ひどく気持ちが悪かった。
キスをしたことすら、彰にはなかった。
保健室で乱暴な軍服の男に奪われたそれが、物心ついて以来初めての、経験だった。
それが今、こうして見知らぬ男に唇を嬲られながら、平気な顔でそのたくましい首筋に手を回している。
生きるためだ、と自分に言い聞かせながら。
こんなものが生ならばドブにでも棄ててしまえと憤る自分を抑えながら。

「はぁ……っ」

舌が、解放される。
少しだけ離れた柳川の顔が、間近にあった。
潰れていない方の瞳、霞がかかったようなその瞳の中に、彰自身が映っていた。
娼婦のように澱んだ、陰間のように淫らな、醜い顔だった。
それでいいと、思った。
正しく、生きるために己にできることのすべてをしている人間の、顔だと思った。

124 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:53:19 ID:mGsbodYA0
「柳川、さん……」

だから今度は、自分から柳川にキスをした。
拙く短い、静かな口づけ。
そっと、重ねた唇を離す。

「ね……」

そっと、手を伸ばした。
柳川の身体が、びくりと震える。
その臍の下、反り返る欲望の中心に、彰の細い指が添えられていた。

「貴、之……」

戸惑ったように擦れた声を漏らす柳川の口を三度、彰の唇が塞いだ。
同時、白魚のような指を柳川のそそり立つ肉棒に絡め、そっと握る。
びくり、と震えるその滾りを抑えるように、彰は掌全体を使って肉棒をゆっくりと撫でていく。

「ふ……はぁ……」

淫蕩な彰の笑みにあてられたように半開きにされた柳川の口から、堪えきれない声が
熱い吐息に混ざって聞こえてくる。
その間の抜けた顔に思わず浮かべた嫌悪の表情を見られないよう、彰は柳川の首筋から鎖骨へと唇を走らせる。
次第に荒く上下しだした逞しい胸板には、桃色の薄皮が張っている。
そっと乳首を甘噛みしてから、彰はその薄皮を舌先で刺激する。
触れるか触れないかの焦らすような愛撫でも、敏感な薄皮には充分なようだった。
掌の中で震える肉棒の、亀頭から尿道にかけてを掌を窪ませるようにして包み、撫でるように捏ね回す。
裏筋を這い下りた指はそのまま剛毛に包まれた玉袋を爪の先で掻くように刺激していた。
空いた手が蟻の門渡り―――玉袋の裏から肛門にかけての皮膚―――をゆっくりと摩る。
鍛えられた尻の肉が快感に締まろうとするのを割り裂くように、彰の指はその奥へと伸ばされる。
さほどの抵抗もなく、菊座へと到達する彰の指。

「く……っ、」

頭上で柳川が声を漏らすのを感じながら、彰は胸から腹へと肉厚の舌を下ろしていく。
割れた腹筋にも張る桃色の皮膚を刺激しすぎないように気をつけながら、臍の中を舐め上げる。
小さな窪みの中を綺麗に掃除するように丁寧に舌を這わせると、薄い塩味がした。
嫌悪感を堪えたつもりが、思わず両手に力を込めてしまう。

125 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:53:48 ID:mGsbodYA0
「うぁ……っ」

その刺激が、よかったらしい。
柳川の漏らした声には、明らかな性感の色があった。
菊座に指の腹を押しつけるような動きと、親指で雁首から亀頭にかけてを擦り上げるような刺激の連携。
肉棒の先端から透明な先走り汁が溢れてくるのを、彰は亀頭の全体に伸ばすようになすりつける。

「わかって、る……女の子の身体と、違うから……ちゃんと、しておかないと、ね……」

言った、その紅を差したような唇が、肉棒にそっと添えられる。
裏筋に口づけをするような仕草から、おずおずと伸ばされた舌先が、柳川の肉棒をちろちろと舐めた。
尻に伸ばされていた指は玉袋を覆うように揉みほぐし、もう一方の手は陰茎を支えるように添えられている。
芳野祐介のそれよりも全体に一回り大きいが、雁首から先の亀頭部分は槍の穂先のように細まっており、
バランスとしては雄々しさよりも奇妙にコミカルな印象を与える逸物。
そのどこか鋭角な亀頭を、彰の唇が含んだ。
舐めるというよりも、しゃぶる動き。
軽く歯を立てることもせず、舌先で強い刺激を与えることもなく、唇で丁寧に唾液をまぶしていく。
先走り汁の生臭い塩味を唾液に溶かすようにしながら、彰は亀頭から肉棒の全体へとその侵食範囲を広げていった。
猛烈な生産態勢に入っているように動く玉袋を優しく撫でさすりながら、空いた手で唾液が冷えないように
陰茎をしごき上げる彰の仕草に、柳川が大きく身震いする。

「まだ……出したら、だめだよ……」

肉棒から唇を離し、とろんとした笑みを浮かべて彰が言う。
口を半開きにしたまま頷く柳川。
その肉棒はいまや彰の唾液を余すところなくまぶされ、てらてらと濡れ光っていた。

「準備……できた、から……」

柳川を抱きしめるようにして、耳元で囁く。
ああ、と返事をする柳川の瞳はやはり、霞がかかったように曇っていた。
そっと、柳川の手が彰を抱き上げ、うつ伏せにするようにして下ろす。
抗うことなく膝を立て、腰を突き上げるようにして待つ彰。
伏せられたその口元は、苦痛に備えてきつく枕を噛み締めていた。

126 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:54:17 ID:mGsbodYA0
「……っ……!」

冷たく濡れた感触が、尻の割れ目をなぞるように、ゆっくりと押し当てられる。
喉はからからに渇いているのに何故だか次々と分泌される唾液が、噛んだ枕に染みていく。
焦らすように、躊躇うように、柳川の肉棒は彰の尻を撫で、摩りながら往復する。
腰を掴む柳川の手がじっとりと湿っているのが感じられる。
すぐに訪れるであろう激痛と汚辱の恐怖、焦燥と荒い呼吸、湿った感触と背筋を逆さまに流れ落ちる汗。
苛立たしさと、恐慌と、ほんの微かな、期待の色。
ぐるぐると渦巻いたそれらが溢れ出しそうで、彰が声を上げようとした、その瞬間。

「……っん、んんん―――っ……!」

一気に、貫かれていた。
声にならなかった。
くぐもった叫びだけが枕に押し付けた喉から零れていた。
脳裏が、白く染まっていた。
押し出すための蠕動器官を、逆向きに撫でられる圧倒的な不快感。
些細な痛覚を、発熱による倦怠を、すべて上塗りするだけのボリュームで発生した、大音響のノイズ。
無理矢理に押し広げられた直腸が短冊のように裂けるかのようなイメージ。
腹筋がその力のすべてを動員して捩じくれ、異物を押し出そうと緊張を開始する。
急に長距離を走ったように、横腹が引き攣れる。
息が、できない。
短く断続的に吐き出される吐息が、酸素を体外に放出する。
放出するが、吸えない。
しゃくりあげるような奇妙な音を立てて、喉が呼吸を拒んでいた。
枕に押し付けた真っ暗な視界が、瞬く間に白く染め直されていく。
全身のあらゆる器官が酸素を要求し、同時に好き勝手な不協和音を発生させていた。
死ぬ、と意識する間もなく、彰の意識が刈り取られようとしていた。
刹那。

「―――ぁ……っ、っ……」

腹の中の異物が、爆ぜた。
そのように、彰には感じられていた。
衝撃に気を失うことができたのは、ほんの一瞬だった。
体内でびくびくと震える肉棒の感触に、強引に意識を引き戻される。
胃の中のものをすべて戻したくなるような、堪えようのない汚濁感。
柳川の精が、彰の中に吐き出されていた。
枕に額を押し付け、皮膚が擦り切れんばかりに首を振る。
両手に握ったシーツが裂ける嫌な音が、彰の耳朶に忍び入ってくる。
酸素を求めてだらしなく伸ばされた舌が、べしゃりと濡れた枕を舐めた。
ぼろぼろと零れてくる涙が、止まらなかった。

127 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:54:42 ID:mGsbodYA0
「貴、之……」
「大丈夫、だから」

細かく震える彰の背に何を思ったか、そっと柳川の手が伸ばされようとするのを、
くぐもった声が押しとどめていた。

「大丈夫、だから……っ! 僕で、気持ちよく、なっていいから……! だから、続けて……!」

気を張ったつもりだった。
口から出たのは、世にも無様な、涙声だった。
振り返ることはできなかった。
いま顔を上げれば、もうこの男を受け入れることなどできないだろうと思った。
だから顔を伏せたまま、彰は苦痛に新たな涙が浮かぶのを拭うこともなく、括約筋に力を込めた。
瞬間、彰の中に挿入されたままの肉棒が、その容積を増した。
ず、と動く。

「ひ……く、ぁ……ぁぁ……!」

狭い秘道を割り裂きながら進む肉棒は、しかしそれでも先程よりスムーズにその侵略を進めていた。
粘膜と粘膜の間にぶち撒けられた精液が潤滑剤の役割を果たしているようだった。
柳川の肉棒が押し進められるほど、彰の眦からは涙が溢れてくる。
まるで身体のどこかにある綺麗な泉から押し出されてくるようだ、と彰はぼんやりとそんなことを思う。
苦痛は薄らいでいた。
正確を期すならば、苦痛を苦痛として処理する精神が薄れて消えていくように、彰には感じられていた。
心に空いた虚ろな穴が、肉体の感じる痛みや苦しみを飲み込んでいく。
枕に押し付けて堅く閉じた視界には何も見えず、ただ暗い中に羽虫の飛ぶような無数の光だけを感じながら、
彰は犯されていた。

「ふ、ぁ、……は……はぁっ……!」

吐息だけが、荒く、彰の耳朶を打っていた。
それが己のものなのか、それとも背後で腰を動かす男のものなのか、彰は判らなかった。
しばらくして気がつくと、柳川の動きが止まっていた。
尻に温もりを感じる。柳川の体温だった。
どうやら、その欲望の根元までを彰の中に埋めたようだった。
奇妙に静かな一瞬の後、温もりが離れていく。
同時に、脳の表面で炭酸が泡立つような衝撃が走る。
柳川の肉棒が引き抜かれていく感覚だった。
それを快感と呼ぶ可能性を、彰は全身で否定する。
否定しながら、喉の奥から叫びが漏れた。

128 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:55:13 ID:mGsbodYA0
「あ……あっ……ひぁ……っ!」

違う、と絶叫したかった。
これは違う、これは自分の声じゃない、これは悦楽の声じゃない。
猫が背伸びをするように背筋を反らし、腕を一杯に伸ばしてシーツを握り締めていても、
足の指が堅く握り締められるようになっていても。
感じてなんか、いない。
もう決して声を漏らさぬよう、奥歯で枕を噛む。
肉棒が引き抜かれていくのに合わせてぽろぽろと零れる涙は苦痛のせいだと、信じたかった。

「……んっ……!」

引いていた波が、また押し寄せてくる。
ゆっくりとしたピストン運動。
柳川の肉棒が突き立てられるたび、明らかな痛覚が強まっていくのを、彰はどこか安堵と共に迎えていた。
粘り気のある音が、荒い吐息に溶けるように時折響く。
血か、精液か、直腸の表面粘膜か、それらが入り混じったものかが彰の尻から漏れ出して、
前後運動に合わせて音を立てているのだった。

「は、ぁぁ……っ、んんっ……!」

聞こえない。
吐息に混じる淫声など、決して聞こえない。
早く、早く終わって。
暗闇の中、彰はそれだけを祈るように、ただその身を蹂躙されていた。

「貴之……、俺……俺、また……」

上擦ったような柳川の声。
腹の中の肉棒もびくり、びくりと不気味に震えている。
射精が近いのだと、直感した。

「ひ……ぁ、ぁ……っ! い、いい、よ……いいよ、きて……!」

それだけをようやく、口にする。
と、途端に柳川の腰使いが加速した。

「ふぁあっ……! や、ぁ……くぁ……!」

高い声が響く。
もはや彰も声を抑えてはいられなかった。
短く区切られた二つの荒い吐息と、濡れた音。
暗く、白い、視界。
全身を染め上げていく熱。
それだけが、彰を支配する感覚のすべてだった。
自らの怒張もまた膨れ上がっているのを、彰は感じていた。
体中を駆け巡る熱が、一点に集まっていく。
白く、速く、熱く、滾る。

「く、あぁ……たか、ゆき……ぃ……っ!」
「やなが、わ、さ、……やながわさん、やながわさん……っ!」

その瞬間。
彰が感じていたのは、自らの中に再び吐き出される、熱い欲望の波。
そして、背に垂れ落ちる、生温かい雫だった。

129 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:55:33 ID:mGsbodYA0
 ―――え?

ぽたり、と。
上気した顔のまま肩越しに振り向いた彰の背に、またもや雫が垂れた。
最初は、汗かと思った。
それが鮮血だと理解したのは、柳川の逞しい体がゆっくりと傾いで、ベッドから転げ落ち、
桃色に染まった肉棒がずるりと彰の中から抜けた、その後のことだった。

「や……柳川さ、」
「よぅ……、楽しそうじゃねえか」

呆然と呟く彰の声を遮ったのは、野太い声。
野卑な顔立ちに無精ひげ、鍛え上げられた肉体には何一つとして身に着けることなく、
隆々と反り返る逸物と盛り上がる傷痕だらけの筋肉を誇示するように立っている。

「―――俺も、一丁混ぜてくれや」

男の名を、御堂という。
彰の押し殺したような悲鳴が、狭い部屋の中に響いた。


***

130 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:56:05 ID:mGsbodYA0

男、御堂がにぃ、と笑う。
肉食獣が牙を剥くような、獰猛な笑み。

「会いたかったぜぇ……なぁ、おい」

舌なめずりをすらしそうな満面の笑みを浮かべながら、御堂が一歩を踏み出す。
そのたわめられた背の向こうから、光が射している。陽光だった。
民家の壁を突き破ってにじり寄るその姿は、正しく数刻前の再現だった。
表情を恐怖の一色に染めた彰が、ベッドの上で後ずさりしようとするが、それすらもできない。
腰が抜けていた。
全身から嫌な汗が噴き出してくるのを感じる。
喉も裂けよと絶叫したかった。舌も、声帯も、貼りついたように動かない。
ただ潰れた蛙のような、奇妙に擦れた声だけが漏れた。
御堂が、更に一歩を踏み出す。

「死んじまったなぁ……お前を護ってた連中は、みぃんな死んじまった」

ケケ、としゃくり上げるような笑い声。
御堂の足元で、踏み躙られた家財の欠片がじゃり、と音を立てた。

「言ったろ……? いつでもお前の傍にいる、ってよ……、ずぅっと、見てたんだぜえ……?」

視界が歪む。
彰の目に湧き出した涙が、ぽろぽろと零れる。

「待ってたんだ、この時を……。長かったぜえ……南方の塹壕の中だって、こんなに長く感じたこたぁねえって程によ……」

胃が、ぎりぎりと捻じられているかのように痛む。
汗が冷たい。冷たさが胃を刺激し、刺激されてまた汗が噴き出す。

「もう、邪魔は入らねえ……存分に、楽しもうじゃねえか……なぁ?」

倒れ伏している柳川の体は、ベッドの陰に隠れて見えない。
寒さと恐怖で、全身が震えている。
怖い、寒い、熱い、痛い。
そんな感覚だけが、彰の全身を駆け巡っていた。

131 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:56:26 ID:mGsbodYA0
「や……、や……め、て」

御堂が次の一歩を踏み出そうとするのと、ほぼ同時。
歯の根の合わぬまま、彰が声を絞り出していた。
力のこもらない言葉。
ただ目の前の現実を否定するためだけに発せられた、無為な逃避の発露。
彰を襲おうとしている悲惨な未来を押しとどめることなど、できるはずもない言葉だった。
しかし、

「え……?」

御堂の足は、ぴたりと止まっていた。
獰猛な笑みを浮かべていたその顔には、代わりに困ったような表情が貼りついていた。
ベッドまで、ほんの数歩の距離。
裸身の御堂が、戸惑ったような顔のまま、ゆっくりと手を伸ばす。

「こ、こないで……!」

手が、止まった。
ここに至って、彰の脳裏に一つの可能性が浮上していた。
即ち、

(―――この男も、僕の『力』の虜、なのか……?)

ならば。
彰の震えが、治まっていく。
胃の痛みが雲散霧消していく。
発熱の倦怠感と疲労を打ち消すような、高揚感が彰を包み込んでいく。
状況は一変していた。
この男が、自分の虜でしかないのなら。
そこに恐怖は、なかった。
すべきことは先程までと何一つ変わらない。
柳川が斃れたとして、代わりの拠り代が現れただけの話。
より強い剣、より堅固な盾となる者がいるのなら、それは彰にとって、歓迎すべき事態ですらあった。
ならば自分は、対価を払おう。
この身体、この笑み、この指先を、与えよう。
そこまでを考えて、彰がその白いかんばせに淫らな微笑を浮かべようとした、その刹那だった。

132 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:56:56 ID:mGsbodYA0
「……ああ、畜生」

御堂が、大きな溜息をついていた。
きっかけを外された彰が怪訝な表情を浮かべるその眼前で、御堂はぴしゃりと額を打って、盛大に首を振る。

「いけねぇなあ、畜生。お前の願い、お前の望み、お前の言葉……聞いてやりてぇ、叶えてやりてぇ。
 けど、けどよ……俺はお前を犯してえ。犯してえんだ、ただ乱暴に、滅茶苦茶によ」

予期しない言葉に、彰の表情が凍りつく。
それが視界に入ったかどうか、御堂は足を止めたまま独白を続ける。

「滅茶苦茶にしてやったら、お前は泣くだろうなぁ……いい顔で、泣き喚くんだろうなぁ……。
 ケケ……たまんねえ、たまんねぇな……その尻、今すぐ割ってやりたいぜぇ……。
 ……けど、な?」

一旦言葉を切った御堂が、天を仰いで嘆息する。

「お前はやめろと言う。止まれという。来るなと命じる。
 叶えてやりてえ。言うとおりにしてやりてえ。……ゲェーック、俺はどうしたらいいんだろうな?」

何かに取り憑かれたように喋り続ける御堂の様子に、彰は再び恐怖を覚える。
理解できない言葉。共有できない感情。
眼前の男の様子には、どこか既視感があった。

「ゲェェーック、身を引き裂かれるようだぜえ……!
 お前を犯してえ、お前の願いを聞いてやりてえ……!」

高槻。
その名が、彰の脳裏に浮かぶ。
洞窟の中、か細い光を背に独り言じみた言葉を吐いて死んでいった、男。
どこか違う。根源の何かが違う。それでも今、目の前にたつ男と高槻の姿は、重なって見えた。

「本当に、この身が引き裂かれるようだぜえ……ゲエェェェーック!
 だから、だからなぁ、俺は……俺は、ゲェェェーック! ゲェェェーック!!」

独白は今や絶叫へと変わっていた。
その狂気じみた様子もまた、高槻の最期を連想させる。
降り注ぐ血の雨が、眼前に見えた気がした。
錯覚だった。
しかし、と彰は思う。
この先に待つ結末はきっと、

「ゲェェェェェェエーック!」

一際大きな絶叫が響き、それきり、音がやんだ。
見上げる彰の視線の先。
血の雨は、降らなかった。

133 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:57:16 ID:mGsbodYA0
「―――だぁ、らぁ……」

もごもごと篭った人の声のような、あるいは獣の唸りのような、奇妙な音が、静寂を破る。
ベッドが、ぎしりと音を立てた。
彰が、仰向けに寝転ぶようにその身を預けた音だった。
その小動物を思わせるような瞳が、一杯に見開かれている。
それはまるで、目の前に立つ何かから、少しでも遠くへ逃げようとでもいうように。
それでも視線を離すことができず、ただ脱力にその身を支えることができなくなったとでもいうように。
ふるふると、彰が首を振る。
眼前のあり得べからざる何かを、必死に否定するかのように。

「―――だぁ、らぁ……、ぉえぇ、わぁぁ……」

再び、獣の唸り声のような音が、響いた。
それが獣の咆哮ではないと、彰には分かっていた。
だがそれが人の声であるなどと、決して認めるわけにはいかなかった。
何故なら。

「……ぃぃき、さぁ……れ、やぁっら……れぇ」

ああ、と彰の心の中にいる、彰自身の体験を映画として鑑賞しているような、冷静な彰が首肯する。
成る程、目の前のこれは、こう言っているのか。

 ―――だから俺は、引き裂いてやったぜえ。

成る程、成る程。
確かに、真っ二つに裂けている。
牙の如き乱杭歯の並ぶ口腔に手を差し入れて、力任せに左右に引いた、その行為の結果だ。
頭頂から臍の辺りまで、ぱっくりと巨大な第二の口が開いたように、割り裂けている。
だがこれは、どうしたことだろう。
人は自らを引き裂けるようにはできていない。
まして、裂けた身体の断面から覗くのは血管や神経や筋肉や骨といったおぞましい断面のはずであって、
みっしりと詰まった桃色の肉塊などでは、ないはずだった。
腹から零れるのは、生々しくも温かい五臓六腑のはずであって、ぬらぬらと粘液に照り輝く触手などでは、あり得ない。
どうやら、と冷静な彰は頷く。
事ここに至っては、僕の常識など何の役にも立たないらしい。
知識は常識に立脚し、冷静とは知識を下敷きにして成立する感情だ。
ならば常識の失われた今、僕の役目は終わった。
さあ店仕舞いだ。
皆様これまでのご愛顧ありがとうございました。
後は存分に、人生の残り時間を堪能してくださいませ。
さようなら、さようなら。

がらり、とシャッターが降りる。
彰の精神を照らしていた理性の光が、消えた。
後に残されたのは恐慌という名の暗闇、ただそれだけだった。


***

134 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:57:49 ID:mGsbodYA0

「あ……ぁ、ぅわ……うわぁぁぁぁぁっぁぁぁっっ!?」

ようやくのこと、彰の口から絶叫が迸っていた。
同時、弾かれたように飛び起きようとして、腰が抜けていて叶わず、それでもなお逃走という行為を完遂すべく、
うつ伏せになってもがく。
全身でシーツの波をかき分けようと足掻くその様は、まるで必死に這いずり回る地虫の如く。
そんなことに気を回す余裕とてあるはずもなく、彰はただ手足をばたつかせて、ひっしにベッドの上を逃げる。
シーツが手足に絡まるのを、涙目になって解こうとする。
哀れで、無様で、滑稽な姿。
それは生に対する執着ではなく、死への忌避ですらなく、ただ純粋な恐怖からの逃走だった。
ほんの数十センチの逃避行は、足首に絡みつく一本の触手によって、終焉を告げた。

「ひ、やぁ、やぁぁぁぁぁぁ!?」

悲鳴を楽しむように、御堂の割り裂けた体内から伸びる触手が、彰の足首を舐り回す。
新たに伸びた触手が足の裏を這う感触に、彰は総毛立つ。
滅茶苦茶に振り回した手が、何かに捉えられる。
それが視界に入る前に、硬く目を閉じた。
見ることは、認めてしまうことだった。
見えない世界の中、腕が、足が、何かに絡みつかれ、強い力で伸ばされていく。
大の字に引き伸ばされた己の裸身を想像して、彰の混乱に羞恥心という火種が加わる。

「あ……や、らぁ……やめ、てぇ……」

だらしなく半開きにされた口から震える舌を伸ばしながら、彰が息も絶え絶えに呟く。
その舌に、何かが触れた。

「んんっ!? ……ん、んぁぁぁぁ……っ!」

ねとりとした冷たい感触に、反射的に口を閉じようとするが、それも許されない。
舌先を絡め取った細い触手が、彰の口腔一杯に侵入を開始していた。
垂れ落ちる唾液と共に、舌が強引に引きずり出される。
首を振って振りほどこうとするが、次の瞬間には新たな触手が彰の頭部に巻きつき、
その動きを封じてしまう。
触手に瞼の上まで巻きつかれ、舌を舐られながら喘ぐ彰の身体が、唐突に支えを失った。

135 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:58:02 ID:mGsbodYA0
「……ん、ぐぅ……っ!?」

手足を絡め取った触手が、彰の身体を宙吊りにしていた。
うつ伏せのまま、手足を吊られる姿勢。
その不安定さと非現実的な状況に混乱が加速していこうとした刹那、更なる衝撃が彰を襲っていた。

「ぐむぅっ……んんっ、ぷはぁっ……ぃや、ら……らめ……やめ、てぇ……っ!」

ぺちゃり、と。
それは小さな刺激だった。
やわやわとした、ほんの微かな感触。
だが、それは彰にとって、あらゆる苦痛にも勝る恐怖を与える刺激となっていた。
その触手は、宙吊りにされた彰の臍の下。
力なく垂れ下がった、その逸物に絡み付いていた。

「やぁぁぁっ……!」

か細い悲鳴にも、触手の蠢きは止まらない。
被っていた包皮が、そっと剥かれる。
露わになった亀頭を幾重にも取り巻くように絡みつく触手。
その触手が、一斉に震えだした。

「ん……んぁぁぁ……っ!」

ほんの僅かな刺激。
だがその刺激を受けた陰茎は、無様に膨れ上がっていく。
海綿体に血液が集中していくのを、彰は涙を流しながら否定する。

「や……やだ、ぁ……! ちが、ちがう……! こんな……のぉ……ちがぅ……っ!」

だがその股間は既に隆々とした姿を中空に晒していた。
白く儚げな容姿に似合わぬ、見事な大きさを持った肉の棒。
立派にエラを張った雁首が、そっと撫でられる。

「ひぁぁぁ!?」

信じられないような、感覚だった。
それが紛れもない快感であると、彰は途切れぬ悲鳴の中、認める。
自慰行為に弄り回すその感覚を何倍にも増幅したような、頭が白く染まるような快楽。
それだけで達してしまいそうになる。

136 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:58:36 ID:mGsbodYA0
「う……、やぁ……」

彰の巨根を奪い合うように、何本もの触手が群がってくる。
裏筋を突付くものがいた。
陰茎全体をしごき上げるものがいた。
睾丸をほんの僅かな力で揺らすものがいた。
亀頭を引っ掻くものがいた。
尿道口を割り広げるものがいた。
彰の肉棒のありとあらゆる部位が、ねとねとと粘液を分泌させる触手に群がられていた。
それはまるで、大樹から漏れ出す蜜にびっしりとついた蟲のようにも、あるいは彰自身のペニスが
不気味な肉塊に変じてしまったようにも見えた。

「あ……は、はぁっ……や、らぁ……」

快楽がすべてを覆い尽くしていく。
恐慌も、畏怖も、あらゆる苦痛も、ただ性の悦楽という混沌に落ち、飲み込まれていく。
手足を吊られ、股間を弄られながら、彰は次第に高みへと上り詰めていく。

「や……く、んっ……はぁ……っ、んっ……!」

与えられる刺激が、強まっていく。
ぎゅうぎゅうと陰茎を絞り上げるようなもの、亀頭全体をざらついた表面で擦るもの、
揉みあげるように雁首を往復するもの―――。

「ん……あ、ぅぁ……、あ、あ、あああっ……!」

限界、という言葉が、彰の脳裏を掠めた。
触手に覆われた視界の中。
白い光が、弾けた。

「あああああああああっっ!!」

びゅく、びゅく、と。
彰の白濁した子種が、撒き散らされていく。
最後の一滴まで搾り出すように、鼓動と同調するように、肉棒が蠢き、精を散らす。
宙吊りにされた彰から放出された幾つもの滴が、ベッドを、フローリングを、汚していく。

「うぁ……あ、あぁ……」

やがて、射精が治まる。
力を失って萎む陰茎を、それでも更にしごくような触手に、尿道から白濁液の滴が搾り出された。
それを舐め取るような触手たちの動きを、彰は快楽の余韻にぼんやりとした頭の片隅で捉えていた。
壮絶な脱力感と、無気力感。
射精直後独特の感覚が、彰を包み込んでいた。

137 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:58:55 ID:mGsbodYA0
「ぁ……、はぁ……っ」

重たく、濡れたような息をつく彰の身体が、小さく揺れた。
視界も思考も、桃色の霞がかかったようにはっきりしない。
それでも、宙吊りにされていた体が移動させられていることくらいはわかった。
どこへ、とは考えなかった。
考える気力が、起こらなかった。
薄暗い部屋の中、何本もの触手が、両足に絡み付いてくるのを感じていた。
もはや恐怖はなかった。
ただ、与えられた快楽への期待のようなものだけが、彰の中にあった。
ぐちゅり、と粘度の高い音がして、己の両足が御堂の裂けた腹の中、みっしりと詰まった桃色の肉塊に
呑み込まれても、彰はぼんやりと悦楽の余韻に浸っていた。
膝が呑まれ、腿が埋まり、腰までが生温かい御堂の肉に包まれるに至って、彰はようやく声を上げた。
悲鳴では、なかった。

「あ……ふ、ぁぁ……」

それは疑いようのない、淫声だった。
腰までをも呑み込んだ肉塊が不気味に蠢くその度に、彰の口からは悦楽の声が漏れ出していた。
内部で何が行われているのか、知る由もない。
だが彰の眼は紛れもない快楽だけを映し、蕩けるような笑みを浮かべたその表情は
更なる淫悦を乞うように、だらしなく緩んでいた。
滑らかな肌を晒す腹が沈み、薄く骨の浮いた胸までもが没しようとした、そのとき。
彰の喘ぎが、止まった。

「……?」

曇りきった瞳が、何かを見る。
己の細腕を掴む、黒く太い何か。
逞しくもおぞましい、皹の入った漆黒の皮膚。

「タカ……ユキ……」

それは、鬼の手だった。
ごぼごぼと口元から血の泡を噴きながら、鬼と化した柳川が、彰の腕を掴んでいた。
真紅の瞳が、彰だけを映していた。

のろのろと、彰が首を傾げる。
痴呆の末、恍惚に至った老人のように、柔らかい表情を唾液で汚しながら、彰が静かに笑んだ。
小さく、口を開く。

「……邪魔、しないでよぉ……」

それは、混じりけのない、拒絶だった。


***

138 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:59:27 ID:mGsbodYA0

喉元までせり上がってきた血を、げぶ、と吐き出す。
それを拭おうともせず、漆黒の怪物はただその魁偉な手に掴んだ少年の白い腕を引いた。
少しでも力を込めれば折れ砕けてしまいそうな細いその腕を目にして、鬼は確信する。

 ―――昔、これと同じ光景を見た。

それが一体いつのことなのか、鬼には思い出せない。
だがそれが確かにあったことだけは間違いないと、鬼の心は告げていた。
タカユキが眼前で失われようとする、そんな悲しい光景。

ぐらりと、頭が揺れる。
まただ、と思う。
タカユキのことを思い出そうとすると、決まって靄がかかったようになる。
そこにはきっと何かの思い出があるはずで、しかし記憶の糸を手繰って出てくるのは
まるで曇硝子を通して見る景色のような、ぼんやりとした薄暗い何かだった。
もどかしさに、吼える。
咆哮がびりびりと狭い部屋を揺らした。

猛る鬼の中には、一つの迷いがあった。
タカユキ、と呼ばれるものに関する、根源的な問い。
即ち、

 ―――タカユキとは何だ。

自らの中に当然あるはずの明快な答えが、鬼には見えなかった。
目の前にいる少年がタカユキだと、迷うことなど何もないと告げる声が、鬼の中にある。
だが同時に、それは違うと、タカユキのことを忘れてしまったのかと、弱々しく呟く声が、あった。
目の前のいとしいものがタカユキだ。
それでいい、とも思う。思うのに、迷いが消えない。
自分がタカユキと呼びかけるそれが、本当にタカユキなのか、鬼にはそれが分からない。
欠落した何かが、とても大事な何かが、鬼に忍び寄り、囁くのだった。
鬼はだからずっと、自らがタカユキと呼ぶ少年を抱きながらですら、迷っていた。

だが、と。
もう一度吼えながら、鬼は思う。
それでも、と鬼はこれだけは絶対の確信を持って思う。

 ―――タカユキとは、たいせつなものだ。なくしてはいけないものだ。

薄ぼんやりとした記憶の中でその想いだけが、鬼の心の奥深く、確かに刻まれていた。
それだけは、その想いだけは過たぬと、鬼は吼える。
だから鬼は、考えることをやめた。
いつか見たはずの、思い出せぬ悲しい光景。
繰り返してはならない、過ち。
それが今、眼前にあった。
ならば迷う暇など存在するはずもなかった。
目の前にあるタカユキを取り戻す、それだけがたいせつなことなのだと、迷いを握り潰した。

想いを胸に、鬼はその丸太のような腕にほんの僅か、力を込める。
タカユキを壊さぬように、タカユキを奪われぬように、細心の注意を払った力加減で、その白く細い手を引く。
貫かれた腹に空いた穴から、生臭い息を吐く口元からだらだらと赤黒い血を流しながら、ただタカユキだけを見て、
そのかんばせを、その柳腰を、もう一度この胸の中にに取り戻すために。
だと、いうのに。

139 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 21:59:40 ID:mGsbodYA0
 ―――邪魔、しないで。

言葉が、鬼を縛った。
思わず手を離し、再び掴もうとして躊躇い―――そしてまた、手が中空をさまよう。
取り戻したいと思う。取り戻して抱き締めたいと、心から思う。
タカユキは、それを拒む。拒んで、去っていこうとする。
わからない。どうすればいいのか。
わからない。何をすればいいのか。
わからない。何がタカユキの幸福か。
わからない。何が自分のしあわせか。
わからない。わからない。わからない。

迷いが渦を巻き、もどかしさが糸を引き、鬱屈した感情が雁字搦めに鬼を絡め取っていた。
凝縮したそれらに火がつくまでに、時間は要らなかった。
やり場のない感情は瞬く間に暴力への衝動へと変じていた。
引いた拳を握り締め、思う様、床に叩き付けた。轟音が響く。
木製の床が中から爆発したように抉れ、破片を辺りにまき散らした。
返す刀で目の前に立つものを薙ぎ払おうとして、それがタカユキを呑み込もうとしている男であることに気付き、
寸前で拳を止める。
代わりに、足を踏み鳴らした。地震のような衝撃が、狭い部屋を揺らす。
洋棚に置かれていた小物が、ガラガラと音を立てて床に落ちた。
その音がひどく癇に障って、鬼は乱暴にそれらを手で払う。
払った拍子に鬼の黒く分厚い掌の当たった壁が、あっさりと突き破られた。
射し込んだ陽光に苛立ちが増す。
空いた穴に手を突っ込んで、障子紙を破るように壁を引き裂いた。
民家の壁、その一面が、朦々と埃を立てながら崩れ落ちた。
舞い上がる埃が疎ましく、散らばった小物や木々の破片が鬱陶しく、射す陽光が腹立たしく、
澄んだ青い空が厭わしく、思うに任せぬ事どもが煩わしく、鬼は吼えた。

吼えて、吼えて、吼え猛り、気がつけば民家は跡形もなく崩れ去っていた。


***

140 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 22:00:06 ID:mGsbodYA0

原形を留めぬ瓦礫の山と、柱だったものの名残と、硝子と鉄と木材とその他諸々。
その中に、漆黒の怪物と奇怪なオブジェの如き肉塊と化した男と少年だけが、変わらず立ち尽くしていた。
白く照りつける陽光の下、鬼の瞳が少年を映す。

少年は、嗤っていた。
哀れむように、嘲るように、佳人が物乞いを見るように。
鬼の咆哮が、今や遮るものとてない寒村の空に響き渡った。
それは悲嘆と哀切に満ちた号泣であり、憤怒と憎悪に彩られた怒号でもあった。

次の瞬間、漆黒の巨躯が足元の瓦礫を掴むと、天高く掲げていた。
人ひとりが両手を広げても抱えきれぬ巨大な石塊と、何本も突き出した鉄骨。
民家の土台に使われていた礎石のようだった。

鬼は、泣いていた。
真紅の瞳から零れる、同じ色の涙。
血の色の涙を流しながら、鬼が吼えた。
足を、踏み出す。
眼前に立つ紅顔の少年とそれを呑んだ肉塊へと、疾走を開始した。

一歩ごとに大地が震えた。
一歩ごとに血飛沫が飛び散った。
一歩ごとに咆哮が揺れた。

迫る死の具現に、少年は表情を変えなかった。
ただ淫蕩な笑みをその顔に貼り付けたまま、何事かを呟き続けていた。
その瞳に、光はなかった。

141 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 22:00:22 ID:mGsbodYA0
漆黒の鬼が、少年の言葉と己が衝動の間にどのような答えを見出したのか、それは知れぬ。
石塊が叩き潰し柘榴のように変じた少年の顔に鬼が泣くのか、呵うのか、それは知れぬ。
その答えは永久に失われ、杳として知れぬ。

遥か空の彼方より矢の如く飛来した一羽の鳥が、その答えを焼き尽くしていた。
夕焼けを閉じ込めたような色彩の鳥。
それが、火の粉を撒き散らしながら羽ばたくその身を鬼の掲げた石塊に叩きつけるや、
巨石が瞬く間に炎上したのである。
燃えるはずもない石が、赤熱するでもなく、融解するでもなく、燃え上がっていた。
石塊が鬼の手から落ち、轟音と共に地面を揺らした。
割れ砕けた石塊から無数の火の粉が舞い散り、世界を一瞬だけ朱く染め上げ、消えた。

あり得べからざる光景を現出させた、炎の鳥。
それが飛び来た彼方から、一つの声が響いていた。

「それが歌か」

呟くようなその声は、しかし確かな明瞭さをもって、鬼の耳に届いていた。
鬼の瞳が日輪と、その下に立つ影を映す。

「違うだろう、柳川さん。
 もう一度、聞かせてくれよ。―――あんたの歌を」

白銀に煌く鎧を身に纏った少年が、そこに立っていた。

142 sing a song,my precious :2007/12/24(月) 22:00:38 ID:mGsbodYA0


【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】

七瀬彰
 【状態:御堂と融合】

御堂
 【状態:彰と融合】

柳川祐也
 【所持品:なし】
 【状態:鬼・タカユキの騎士・重傷】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

→763 920 929 ルートD-5

143 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:07:00 ID:uX/Jp7D20
(ど?! どうしましょう、どうしましょうっ?!!)

声を出すわけにはいきません、慌てて口を塞ぎ一歩後ろに退行します。
今、私の目の前には貴明さんと別れた後にいきなり襲ってきたあの男の人がいるのです。
危険です。
あの時私達は、寸での所でこの方を巻くことが出来ました。
本当に、危ない状態だったんです。
この方がどういう考えで、命を狙うという行為を仕掛けてきたのかは分かりません。
分かりません、ですが。
相容れぬ、対称的な理念であることは確かだと思います。

(どうしましょう……)

この場から逃げることは、簡単でした。
現に傷口をさらけ出した今も、この方が目覚める気配はありません。
相変わらず、熟睡されています。
ですが、さすがにむき出しにしてしまった傷口を放っておくわけにもいきません……。
と、とりあえず何か考えるのは後にして、私は黙ってこの方の手当てを行いました。





第二回目の放送が行われたのは、手当ての方がちょうど終わった時でした。
まず、淡々と呼ばれるお名前のその量、亡くなられた方の多さに驚きました。
驚きました。そこには妹であるセリオさんやイルファさんを筆頭に、知ってる方の名前が幾人も入っていました。
昼間にお友達を探しにと私達と別れることになりました、貴明さんのお名前も。入っていました。

144 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:09:12 ID:uX/Jp7D20
(貴明さん……)

凄く悲しかったです。
あんなにいい人が、何故命を奪われなければいけないのでしょう。
いえ、それを言ったら貴明さん以外にも、そのような方はたくさんいらっしゃるはずです。
ロボットである私の回路に、憤りとも呼べる感情の高ぶりが走っていきます。
とても悲しかったです。悔しいです。
でも瑠璃子さんと雄二さんの件を思い出すだけで、私の弱い心はすぐに竦み上がります。
……悔しいです。
この悔しさを何と表せばいいのか、私が自身の唇を噛み締めていた時でした。

―― 藤田浩之。

聞き間違いなんて、ある訳ありません。
確かに浩之さんのお名前は、今、名前も存じませんこの男性によって読み上げられました。
この方が読み上げているのは、亡くなられた方のリストです。
つまり。
浩之さんは、亡くなられたんです。

浩之さんはとても優しくて頼りになる、私にとっては期待の象徴とも呼べる方でした。
浩之さんに会うことができれば、きっと何か事態も好転すると思っていました。
浩之さんさえいれば、私も何か役に立つことができると思っていました。

そして私は、聞いて欲しかったんです。
私の犯した罪を。他でもない、浩之さんに。
瑠璃子さんを助けられなかった罪を。
雄二さんを置き去りにしてしまった罪を。

145 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:09:32 ID:uX/Jp7D20
許して欲しかったなんて、そんなおこがましいことは言いません。
相手は浩之さんですから、勿論期待をしてしまうという面もあります。
期待はしてしまいます、ですが、とにかく打ち明けたかったというのが一番なんです。浩之さんに。
そして、私の進む道を照らして欲しかったんです。浩之さんに。

浩之さん、浩之さん。
浩之さんがいらっしゃれば、何か変わると思っていました。
ですが、浩之さんはもうここにはいらっしゃらないんですよね。
亡くなられました。浩之さんは、どこにもいらっしゃらないんです。
どんなに探しても、もう二度と浩之さんに会うことは叶わないんですよね。

……何故、浩之さんが亡くならなければいけないのでしょう。
それは浩之さんの命を狙うという行為を仕掛けてきた方が、この島に存在するからです。
ひどいです。愚かです。悲しいです。
ふと視線を上げますと、そこにはそれと同種と呼べる方が、今、私の目の前にいらっしゃいました。

……このような方がいらっしゃるから、あんなにも多くの犠牲者が出てしまうのです。
ひどいです。
許せません。
許せません?
……確かに、許せないことではあります。ですが。
ですが、それは私のようなロボットが、持つことのできる立場にある感情なんでしょうか。

雄二さんの言葉が甦ります。
……雄二さんの言葉を思い出すだけで、私の回路はフリーズしてしまいそうになります。
助けて欲しいです。
言葉が欲しいです、雄二さんのあの声を打ち消す言葉が。
助けてください。

146 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:10:08 ID:uX/Jp7D20
「浩之、さん……っ!」
「生憎、俺の名前は浩之じゃない」

思ってもみなかった返答に、いつの間にか伏せてしまっていた目線を再び急いで上げました。
お声の出所はすぐ傍です。ここには私のその方しかいらっしゃらないんですから、当然です。
怪我をされていた男の方は、私の気づかぬうちに目を覚まされていたようです。

「これは、お前がしたのか」

驚きが覚めぬ状態の私を無視し、男の方は問いかけてきます。
私は言葉を出すことができず、ただひたすら頷きました。

「……」

そんな私をちらっと見られた後、男の方は黙って視線を患部である右足に落とされました。
そのままじっと見つめてらっしゃいます。
……まだ見つめていらっしゃいます。長いです。

「あ、あの……安心してください、私はメイドロボです。
 もとは介護ロボットを想定されていましたので、ある程度の医療の知識も身に着けています……」

何やら不信に思われているようなので、恐る恐る言ってみました。
確かに間違った手当てはしていないつもりで……はわわ?!
よ、よく見るとしっかり結んだつもりの包帯が、既に緩んでます!

「す、すみません! すぐに直しま」
「触るな」

147 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:10:32 ID:uX/Jp7D20
伸ばした私の手は、ぱしんと小気味良い音を立て跳ね除けられました。
予想外の拒絶に固まる私をじろっと睨みつけた後、男の方は黙ってご自分でそれに手を伸ばされました。
……気まずいです。

「何故手当てなんかした」

包帯を結びながらの問いかけ、下げられた視線により男の方の表情は窺えません。
……私は、思ったままのことを口にしました。

「そ、それは怪我をされた方を放っておくことなんて、できないからです」
「俺は、お前を殺そうとした奴だぞ」
「……はえ? わ、私のことを覚えていらっしゃったんですか?!」
「その耳飾、一度見れば忘れられないからな」

包帯の緩みが直ったのか再び目線を上げた男の方が、冷たい眼差しを私の元へと送ってきます。

「馬鹿が。お前もお人よしの類か」

そこに含まれた軽蔑が、悲しかったです。
私は答えることが出来ず、ただしゅんと項垂れることしかできませんでした……。

「さっさとどこかに行け、でなければ殺す」

男の方は、容赦がなかったです。
……何故この方は、こんなにも簡単に他者の命を奪おうとするのでしょう。
疑問です。
とにかく、放って置く訳にはいけません。
それこそこの方を放って置いてしまって、新たな犠牲者が生まれてしまったら大変です。
ですが。
それで、私は何をすればいいのでしょうか。

148 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:11:17 ID:uX/Jp7D20


私には、何ができるのでしょうか。

『ロボットの癖に癪に障る仕草すんなよ! 人間様が怒ったらそう反応するようになってんだろ? ただの奴隷じゃねえかよ!!』

私には、何かをする権利はあるのでしょうか。

『お前は壊れてんだよ! ロボット三原則もクソもないんだよ!今更守るべきルールも倫理も道徳もお前如きスクラップに適用されるわけないだろうがっ。』

ああ。フリーズしそうです。
助けてください。言葉が欲しいんです。
雄二さんの声を打ち消す言葉が欲しいんです。
助けてください。

―― でも、浩之さんはもういらっしゃらないんです。

グルグルとループする思考は、さながら螺旋廻廊のようでした。
答えを見つけるために、ひたすら私は階段を上り続けていきます。
その先に何があるか、何もないはずはないと信じて歩き続けるんです。
……そうです。何もないはず、ないんです。
現に目の前にいらっしゃるじゃないですか。
人が。
ロボットである私を、導いてくださる、「人」が。

「……私の話を、聞いて貰えませんか?」

自然と漏れた私のそれ。
男の方の眉間に、皺が寄ります。

149 メイドロボとして2 :2007/12/28(金) 00:14:11 ID:uX/Jp7D20
「私の話を、聞いて貰えませんか。お願いです、あなただけが頼りなんです」

これから先、他の「人」に出会う機会も確かにあるかもしれません。
ですが、それまで待てないんです。
今私の目の前には、「人」がいます。
断定するのはおこがましいですけれど、決して良い方だとは思えません。
それでも。

―― それでも、どんなに悪い方であっても。この方は、「人」なんです。

私と、違って。
気づいたら、私の回路は自分のエゴを最優先とした結論を出していました。
浩之さん、すみません。
浩之さんの代わりなんて、いらっしゃるはずないのに。
それなのに、浩之さんの代わりを求めてしまってすみません。

すみません。



マルチ
【時間:2日目午前6時過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品:救急箱・死神のノート・支給品一式】
【状態:巳間と対峙】

巳間良祐
【時間:2日目午前6時過ぎ】
【場所:I−7・民家】
【所持品1:89式小銃 弾数数(22/22)と予備弾(30×2)・予備弾(30×2)・支給品一式x3(自身・草壁優季・ユンナ)】
【所持品2:スタングレネード(1/3)ベネリM3 残弾数(1/7)】
【状態:マルチと対峙・右足負傷(治療済み)】

(関連:679)(B−4ルート)

落書きまた上げました、取り損ねた方はどうぞ。
ttp://www.uploda.org/uporg1176045.zip.html
パスは前回と同じ「hakarowa3」です。中身も前回のと全く同じです。
また再うpとかも、ハカロワ3の掲示板でのやり取りなら自由にやってもらって構わないです。
こちらからのアクションが遅くなりすみませんでした。

150 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:15:43 ID:41dTiUJk0
向坂雄二は憤慨していた。

「あのコンポツが、だから嫌なんだゴミ屑が、人間様を何だと思ってるんだっ!」

目が覚めたら、横にいたはずのマルチがいなかったということ。
また、雄二自身に支給されたボロボロのノートの入ったデイバッグが見当たらなかったということ。
イコールとして出てくる解答は一つだけだ。

「あいつ、どこまでも人間様を舐め腐りやがって…っ!!」

許さなねぇ、と付け加えるように呟き雄二は強く唇を噛み締めた。
怒りに染まった人相に、普段の彼の軽やかな明るさの面影はない。
月島瑠璃子の遺体のある民家を飛び出した雄二は、そのままマルチを求め氷川村の中を全力疾走していた。
目的は勿論、裏切ったマルチに制裁を加えることである。

「スプラッタにしてやる、本当の意味でのゴミにしてやる許せねぇゆるして溜まるかたまらねぇよ」

自身の息が上がっているという事実にも気づかず、興奮に身を任せ雄二は手ぶらの状態でひたすら足を動かしていた。
走り続けている雄二の体力は既に悲鳴を上げているが、当の本人がそれに気づく様子は無い。
縺れた足が疲労の具合を表し、痛みと共に彼の身を地面へと叩きつけるまで雄二は走るのを止めなかった。
ぜい、ぜいという呼吸に地面の埃が混ざり合う。
顔からダイブしたことで、頬を砂が擦り雄二の肌を傷つけた。

憎い、憎い、憎い。
それら全てが怒りに直結する。
何に対する怒りか。その解答も、直結している。

「屑がぁ、あの野郎…っ」

151 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:15:53 ID:41dTiUJk0
向坂雄二は憤慨していた。

「あのコンポツが、だから嫌なんだゴミ屑が、人間様を何だと思ってるんだっ!」

目が覚めたら、横にいたはずのマルチがいなかったということ。
また、雄二自身に支給されたボロボロのノートの入ったデイバッグが見当たらなかったということ。
イコールとして出てくる解答は一つだけだ。

「あいつ、どこまでも人間様を舐め腐りやがって…っ!!」

許さなねぇ、と付け加えるように呟き雄二は強く唇を噛み締めた。
怒りに染まった人相に、普段の彼の軽やかな明るさの面影はない。
月島瑠璃子の遺体のある民家を飛び出した雄二は、そのままマルチを求め氷川村の中を全力疾走していた。
目的は勿論、裏切ったマルチに制裁を加えることである。

「スプラッタにしてやる、本当の意味でのゴミにしてやる許せねぇゆるして溜まるかたまらねぇよ」

自身の息が上がっているという事実にも気づかず、興奮に身を任せ雄二は手ぶらの状態でひたすら足を動かしていた。
走り続けている雄二の体力は既に悲鳴を上げているが、当の本人がそれに気づく様子は無い。
縺れた足が疲労の具合を表し、痛みと共に彼の身を地面へと叩きつけるまで雄二は走るのを止めなかった。
ぜい、ぜいという呼吸に地面の埃が混ざり合う。
顔からダイブしたことで、頬を砂が擦り雄二の肌を傷つけた。

憎い、憎い、憎い。
それら全てが怒りに直結する。
何に対する怒りか。その解答も、直結している。

「屑がぁ、あの野郎…っ」

152 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:16:27 ID:41dTiUJk0
全部あいつのせいだ。
全部あいつが悪い。
俺の邪魔ばかりするあいつが悪い。
血走った目で、体を起こす前に大きく拳で地面を殴る。
走る痛みが更なる興奮を産み、雄二は何度も何度も地面に拳を叩きつけた。

速度が上がっていた呼吸が落ち着くまで、ひたすら雄二はその動作を繰り返した。
何とか再び走れるくらいに回復した所で今度は周辺の民家を片っ端から調べることにしたらしい、雄二は大声を上げながらドアを乱暴に開け放っていった。
中には鍵がかけられている家屋もあったが、関係ない。
周辺に落ちていた石を窓に投げ込み、そこから雄二は怒声を浴びせた。
傍から見ると、気がふれてしまっているようにしか感じられないだろう。
正気を無くした雄二は、マルチのことに気を取られすぎて多くの他の参加者がこの島に存在していることを失念しているようだった。

そんな時である。
とある一軒の民家、ドアには施錠がしてあったので雄二は他と同じように石を投げ入れ雑言を放った。
相変わらず中からの反応はない、雄二もすぐ次の民家に移ろうとした。
しかし何故かここを逃してはいけないと、雄二の脳内神が叫ぶのだ。
差し詰め、男の直感と呼んでもいいかもしれない。
雄二は自身が傷つかないようにと慎重に、割った窓から内部へと進入を図った。
……特別、何の変哲もない家だった。
きょろきょろを中を見回しながら雄二は奥へと進んでいく。
しばらくすると居間に辿り着き、雄二はそこで誰かが食事を摂った後である証拠を発見した。
ロボットは食事を摂らない。ならば、これは人が摂ったものだ。
では、それは誰なのか。

ぞくっと、瞬間雄二の背中を震えが走る。
思えばマルチのことに固執し過ぎ、雄二は自分の身の回りのことに全く比重を置いていなかった。
その事実にやっと気づく。今、雄二は丸腰だった。
もしこの民家にいる人物が何か武器を所持していた場合、雄二の勝ち目はないに等しい。
ならば何をうるのが最善か、雄二は入ってきた窓の方へと戻るべく進行方向の逆を向く。

153 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:16:46 ID:41dTiUJk0
「これは戦略的撤退だ。俺の行動に間違いはない」
「待ってください、折角人が出迎えに来たのにそれはないですよね?」

民家を去ろうとした雄二の独り言、それに答えるものがあった。
予想だにできなかった返答に、雄二の体が一瞬強張る。
いつの間に声の主は現れたのか、雄二は把握していない。
足音は聞き取れたか? 答えはノーだ、雄二の聴覚はそれを拾えなかった。
しかし振り向く雄二の視界に入ったのは、彼にとって思いもよらない人物であった。

「……天野?」

昨晩出会った少女、天野美汐。
美汐はアルカイックスマイルを浮かべながら、親しそうに雄二に話しかける。

「おはようございます」

害のないそれ、一応見知った相手だということもあり雄二の心に余裕が生まれる。
相手は小さな少女である、命の心配というのもないだろうと雄二は鼻で括った。
そうなると、今度は邪念が雄二の思考回路を支配する。
美汐の体は、よく見ると線は細いものの年頃のふくよかさが感じられる程度の肉付きがあった。
短いスカートから覗く太ももに対し、雄二の息子は知らず内にエレクトする。

これは運命なのかもしれない、雄二は思う。
確かに自身は手ぶらであるが、見た所彼女もそれは同じなのではないかと雄二は判断した。
敵意のない眼差しで手を後ろで組む少女、小さな背が見上げるように雄二の姿を捉えている。
愛らしい、人形のような少女。
これは運命なのかもしれない。この家屋を発見した際に感じた男の直感の先にあるのがこれではないかと、雄二は考えた。
雄二の脳内神もそう言っている。男には、やらなければいけない時があるのだ。

「違う。男なら、ヤれるチャンスがあったら逃しちゃいけねーんだ!」

154 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:17:04 ID:41dTiUJk0
次の瞬間、雄二は美汐へと襲い掛かっていた。
彼女の体を力任せに壁へと押し付ける、痛みで歪む少女の表情が雄二のSっ気を刺激した。
今度は違う意味で興奮した雄二の荒い息が、美汐の顔へと吹き付けられる。
天野、ヤらせろ。そう、雄二が彼女の耳に吹き込もうとした時だった。

「動かないでください」

首元から伝わる冷たい温度が何なのか、雄二はすぐの理解ができなかった。
ただ相変わらずの笑みが浮かんでいるにも関わらず、雄二の目の前に位置する少女の瞳は冷え切っていた。
それに気を取られた雄二は、美汐に自身へ付け入れることのできる程度の隙を与えてしまうことになる。

「そのまま手を前に出してください。早く」

まくしたてる美汐の声、雄二は勢いに飲まれ彼女の言う通りに手を出した。
出してしまった。
カシャン、とこれまたひんやりとした感触が左手首を包み、雄二はその見慣れぬ拘束具に唖然とした。
手錠だった。美汐は器用に、片手で雄二の両手を手錠で繋げていた。

「な、何だこれ」
「抵抗されたら困りますから。……ああ、動かないでくださいね。薄く切れてるから分かると思いますけど、死にますよ」

そして雄二は、やっと今の事態を飲み込むことができた。
首にあてがわれているものが刃物だということ。
両手の自由が彼女の手により奪われてしまったということ。
天野美汐は、害のない愛らしい少女などではないということ。

まずい、と思った時にはもう遅い。
逃げ出そうと足を動かした所、すぐさま足元を払われ雄二は顔から居間の床へとダイブする。
外で転んだ時とは違う、冷たい温度が雄二の頬に押し付けられた。
美汐はと言うと、床に転がっている雄二に起き上がるチャンスを与えないとつけつけるように、すぐさま彼の体に馬乗りになりマウントポジションを確保した。

「馬鹿ですね、逃がす訳ないでしょう?」

155 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:17:21 ID:41dTiUJk0
冷たい宣言に思わず冷や汗が額を流れる、それでも崩れない美汐の笑みが不気味だった。
そう、昨夜会った印象ではもっと陰鬱とした、静かなイメージを雄二は彼女に対し持っていた。
それこそ現場が現場であったため、そこまで細かく彼女の詳細を雄二が得ている訳でもない。
だが、思い返せば第一印象という見方からすると、今の彼女は明らかに雄二の知るそれではなかった。
何かがおかしかった。しかしそれをどのような言葉にあてはめればいいのか、雄二は知らなかった。

「凄く、嫌な夢を見たんです」

雄二の内心を知ってか知らずか、美汐は一人語りだす。

「ゴミのような扱いを、辱めを受けたんです」

悔しそうに唇を噛む、少女の表情に修羅が混じる。
雄二は再び首に押しつけられた刃物の反射光に怯えながら、美汐の言葉を黙って聞いた。

「悔しかったです、怖かったです。……これが正夢になったらどうしようかと、悩みました」
「そ、それが俺と何の関係があるんだよっ!」

区切りがいい所で、とりあえずつっこんでみる雄二。
すると、美汐の表情に再びあの笑みが舞い戻った。

「これが、正夢にしないための最善の策なんです」

刃物を持っていない方の美汐の片手が、彼女の制服のポケットへと入っていく。
ガチャガチャと音を立てながら取り出されたものが、雄二の頬が押し付けられている床の近くに放られ散乱する。
これまた、その正体に雄二は唖然とするしかなかった。

「ヤられる前に、ヤればいんですよ。この島で行われている殺し合いと同じです」

156 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:18:18 ID:41dTiUJk0
乗っていた雄二の体から立ち上がり、美汐はしゃべりながら彼の腹部へと蹴りを入れる。
一発、二発、美汐は容赦なく硬いブーツで雄二を嬲った。
雄二の中で反抗する意思が芽生える前ということもあっただろう、それは彼と彼女の間にしっかりと上下関係を植え付けるための儀式のようにも思えた。

「ふふ……私、凄くつらかったんですよ。あんな屈辱、一生忘れられません」

辺りに酸味の強い汚臭が広がる。
雄二の吐いた黄色い胃液が付着することにも気を留めることなく、美汐は彼の体力を奪い続けた。
そして、もう抵抗できないだろうという所まで弱らせたところで先ほどばら撒いたもののうち一つを取り、美汐はそれで雄二の頬をはたく。

「この家の持ち主、相当好きものな人みたいだったんです。寝室で休んでいたんですけれど、こういうの、たくさん発見しました」

スイッチを入れると左右に揺れながらバイブレーションするおもちゃを手に、美汐は楽しそうに言う。
雄二はいまだ分かっていない。分かるはずもない。
彼女は、肝心なことを何も話していないのだから。
……しかし反撃する前に行われた暴力は、少女の力とはいえ決して軽いものではなかった。
それが、雄二の戦意を喪失させることには充分な事だったと言えよう。
そして現時点で、雄二が彼女に対抗する手段というものも。特になかった。

「拒まないでくださいね、腕と足を全部切り落としても良いんですよ? この私が正しい調教をしてあげるんですから有り難く受け取ってくださいね」

少女の笑みは、あくまでアルカイックだった。
正気じゃない。
天野美汐が正気じゃないという事実。
雄二がそれに気づいた所で、全ては手遅れに過ぎない。

「さあ、パーティの始まりですよ」

宣告は、雄二に対してあまりにも非道だった。

157 忘れられた女! 逆襲の美汐! :2007/12/30(日) 22:20:03 ID:41dTiUJk0
【時間:2日目 午前8時頃】
【場所:I−7・民家居間】

向坂雄二
【所持品:無し】
【状態:首に薄く切り傷、手錠で両手を繋がれている、マーダー、精神異常、マルチを見つけて破壊する】

天野美汐
【所持品:包丁、大人のおもちゃ各種】
【状態:みっしみしにしてやんよ】

【備考】
・美汐の支給品一式(様々なボードゲーム)は寝室に放置
・敬介の支給品の入ったデイバックはPCの置かれた部屋の片隅にある

(関連:433・675)(B−4ルート)

すみません、最初の1レスをダブって投下してしまいました。
お手数おかけしますが、まとめには>>150を抜かした形での掲載をお願いします…

158 名無しさん :2008/01/01(火) 21:30:04 ID:mYn2Gsvk0
椋「あ、あけましておめでとうございますっ」
美汐「……」
柳川「……」
椋「こ、今回挨拶を任されました、B-10代表の藤林椋です。よろしくお願いしますっ(ぺこり)」
美汐「B-4代表、天野です」
柳川「……ギギ……タカ、ユキ……」
椋「って、な、何で柳川さんは鬼状態なんですか?」
美汐「D-5だからじゃないでしょうか」
椋「な、成る程です。会話が成り立つならいいですけど……」
柳川「……」

159 名無しさん :2008/01/01(火) 21:30:32 ID:mYn2Gsvk0
椋「えっと、私達が集まりましたのは他でもありません」
美汐「おこたに蜜柑を満喫に来たのですね」
椋「違います! 違います!! せっかくの新年ですので、この一年を振り返りに来たのです!」
美汐「過去を振り返ってどうしろと。私達が見るのは、明るい未来だけで充分ですが」
椋「わ、な、何ですか、何で笑顔でそんなこと言ってるんですか」
柳川「カコ……タカユキ……(ほろり)」
美汐「泣かせましたね。ひどい人です」
椋「わ、私なんですか? 悪いのは私なんですか……?」
美汐「という訳で、明るい未来を見るために現在のロワ進行状況でも確認しましょう。
   藤林さん、例のホワイトボードをこちらに」
椋「は、はい……って、あの、パシリにしないでくださいっ」
美汐「さて。ここにはハカロワ3wikiのとあるページを複写してあります。よろしければ、皆さんもご一緒に確認してください」
椋「えっと、各ルートの死亡者リストですね! ……って、あの、天野さん、これ結構前のなんですけれど……」
美汐「気にしたら負けです。とにかく、現在の進行状況を見るならば死亡者の数を確認するのが一番なんです」
椋「でしたらまとめサイトさんがいつの間にか作ってくださった、各ルート生存者一覧表を見るのが早いのではないかと……」
美汐「……そういうのがあるなら、先に提示してくれませんか?」
椋「え、あの、すみません」
美汐「進行に関わるではないですか……ブツブツ……」
椋「な、何で私怒られてるんですか?! 理不尽です!!」
柳川「??」

160 名無しさん :2008/01/01(火) 21:30:53 ID:mYn2Gsvk0
美汐「さて、では皆さんもパッと見てくださったと思いますが」
椋「はい、では解説は僭越ながら私が……。現在、最も先行しているのがD-5になります」
  現時点で生存者は31名です。その他外部からたくさん人がいらっしゃいますけど……」
美汐「融合されている方も数人いらっしゃいますね」
椋「めちゃくちゃですね……」
柳川「キシャアー!」
椋「わ、あの、悪口を言った訳ではないんです! すみません、怒らないでくださいっ」
美汐「主催側の動きもかなりありますし、とても良い調子だと思います」
椋「作者さん、頑張ってくださいね」
美汐「自分が残っているから媚びでも売ってるんですか?」
椋「違います! 違います!! 純粋なる応援ですっ!」
柳川「……(じー)」
椋「柳川さんまでそんな目で見ないでくださいよぅ」
美汐「まあ、一番美味しい所は私がいただく予定ですが」
椋「え、天野さんまだ残ってらしたんですか?」
美汐「……それ、素ですよね? 傷つきました」
椋「あ、あの、その……すみません……」

161 名無しさん :2008/01/01(火) 21:31:13 ID:mYn2Gsvk0
椋「次はB-10ですね。生存者は残り49名です、外部からのほしのゆめみさんと岸田洋一さんを足すと51名になります」
美汐「主催に関する記述は、まだ特に出てきてはいませんね」
椋「そうですね。今後の見所は、私とお姉ちゃんの姉妹愛でしょうか」
美汐「どうでもいいですね」
椋「何でですか、どうでもよくないですよ!」
美汐「そんな私情知りませんし」
椋「美しいエピソードが来るかもしれないんですから、そんな一言で片付けないでくださいっ」
美汐「私、もうリタイアしてますし。興味ないです」
椋「それこそ私情じゃないですかああぁぁぁ!!」
柳川「オレ……コロス……オマエ……コロス……」
椋「や、柳川さん? わわ、そんな顔で睨まないでください。ルート違うんですから、D-5のあなたには恨まれる覚えないですからね!」
美汐「ひどい言い分ですね」
柳川「ガルルルル」
椋「えっと、そんな感じで見所満載です! B-10をよろしくお願いします、藤林椋に清き一票をっ!」

162 名無しさん :2008/01/01(火) 21:31:39 ID:mYn2Gsvk0
椋「ええと、最後がB-4ですね。生存者は残り66名です。外部からの方を足すと72名になります」
美汐「まだ半分切ってないですね」
柳川「オレ……ココ嫌イ……オレ、アツカイ理不尽ダッタ……」
美汐「否定できませんね」
椋「このルートでは、何と二回目の放送にてお姉ちゃんの名前が呼ばれてしまいました。
  自分の半身を失った悲しみを、私はどう乗り越えるのでしょう。
  そして、私は無事勝平さんと再会できるのでしょうか。
  いえ。もしかしたら、佐藤の雅史さんを交え三角関係に発展するかもしれません。見所満載です!」
美汐「主催に関する記述は特にないですが、何か青い宝石というファンタジーな物が出ています」
柳川「さゆりんモイナイ……ヒロユキモイナイ……不条理ナルートダ……」
椋「B-4をよろしくお願いします、藤林椋に清き一票をっ!」

163 名無しさん :2008/01/01(火) 21:32:08 ID:mYn2Gsvk0
椋「以上です。ふぅ、一仕事した後の蜜柑は美味しいですね」
美汐「納得いきません」
柳川「ガルルルル」
椋「そんな訳で、今年も葉鍵ロワイアル3をよろしくお願いします(ぺこり)」
美汐「そして、自分で〆ると」
柳川「ガルルルルルルルル」
椋「藤林椋を、よろしくお願いします!」
美汐「最後まで貫きましたね」
柳川「ガルルルルルルルル……ガウッ!」
椋「きゃあっ?! や、柳川さん、や、駄目です、きゃ……あんっ! そ、そこ、弱いんですやめ……はぁんっ!!」
美汐「以上、お送りしましたのはあなたをハートをみっしみしな初音美汐と」
柳川「貴之も浩之もこの世のメンズは俺の嫁、阿部祐也! そして」
椋「性戦はまだですかぁの、イケメンハンター椋でしたぁ……」



椋「って、違います! 違います!! 私、B-10代表ですから!! 」





藤林椋
 【所持品:無し】
 【状態:我に返った】

天野美汐
 【所持品:ボーカロイド2】
 【状態:みっしみしにしてやんよ】

柳川祐也
 【所持品:ヤマジュンのコミックス】
 【状態:両刀って便利】

164 ふたりのうた(前編) :2008/01/10(木) 02:52:37 ID:YANPESc.0
 
咆哮が、やんでいた。
静寂の中、焼け崩れた石塊から時折舞い上がる火の粉が、白い陽光の下、儚く消えていった。

「歌だ」

少年が、はっきりと口にする。
常は眠たげなその瞳に、強い光が宿っていた。
迷いのない、真っ直ぐな意志の光だった。
大切な何かを取り戻すために戦う者だけが宿すことのできる、それは眼光だった。

「ウ……タ」

少年の瞳に引きずられるように、漆黒の鬼が呟く。
魁偉な容貌に血涙を流すその様は、正しく悪鬼羅刹。
だが今、鬼の口から漏れた呟きからは、怒りも憎しみもその色を潜め、代わりにどこか戸惑ったような、
或いは切れかけた細い記憶の糸を手繰るような、不安定に揺れる響きだけがあった。

「ああ、歌だ。……あんたが俺に歌ってくれた、歌だよ」

少年の言葉が紡ぎ上げるのは、月に照らされた夜の森。
夜気が頬を撫でる中、梢のざわめきだけを伴奏に響いた歌声だった。

「下手くそで、声だけでかくて、音程なんかメチャクチャで、……けど」

黒く無骨な手から伝わった温もりが、少年の脳裏に蘇る。
その温もりを、言葉に乗せるように。

「あれが、あんたが俺にくれた……最初の気持ちだって、思ってる」

少年が、微笑む。
眉尻を下げた、どこか悲しげにも見える、しかしはっきりと確信に満ちた微笑。
その微笑に気圧されるように、鬼の巨躯が一歩を退く。

「グ……ウゥ……」
「俺は、さ」

空いた間合いを詰めるように、少年が一歩を踏み出す。
パチリ、と焼けた木の爆ぜる音がした。

「俺は、タカユキじゃない」

風に織り込まれるようなその言葉。
鬼が、凍りついたようにその動きを止めた。
少年は言葉を続ける。

「タカユキには……、なってやれないんだ」

静かに、告げる。
鬼が、びり、と震えた。
爛々と光る真紅の瞳に浮かぶ色は、痛哭と憤怒の朱。

「あんたの歌ってくれた歌を、だから俺は受け取れない」

朗、と咆哮が響いた。
文字通り血を吐くような、それは慟哭の咆哮だった。
鬼が、哭いていた。
天を仰ぎ、大地を踏みしだき、漆黒の鬼は口の端からごぼごぼと血の泡が噴き出すのも構わず、哭いていた。
ご、と何かが割り砕ける音がした。
鬼の足元の地面が、小さな半球を描くように落ち窪む音だった。
同時、鬼の姿が消えたように見えた。
夜を削りだしたが如き黒の鬼が、疾走を開始していた。
鬼哭の突進の先にあるのは、小さな影。
鬼の巨躯が迫るにも表情を変えず、少年は言葉を紡ぐ。

「だから」

鳴り止まぬ咆哮に掻き消されそうな、静かな声。
風を裂き、廃材を塵芥と変えながら駆ける慟哭の鬼が、その巨魁に満ちる膨大な力を込めた拳を、振り上げる。

「だから今度は―――」

ひと一人を肉塊へと変じせしめて余りある威をその内に秘めた剛拳が、行く手に立ち塞がる全てを叩き潰さんと、

「―――今度は『浩之の詩』、聞かせてくれないか」

振り下ろされた。


***

165 ふたりのうた(前編) :2008/01/10(木) 02:53:55 ID:YANPESc.0
 
しん、とした静寂が響く。
咆哮がやんでいた。
一瞬だけ遅れて、風が爆ぜる。
割り裂かれた大気が、弾けるような音と共に荒れ狂い、何かを宙に巻き上げた。
白く、小さなそれは、兜のようだった。
天高く巻き上げられたそれが、やがて地に落ちて軽い音を立てる。
その音を合図にしたように、動くものがあった。
それは、小さな手。
突き出された漆黒の拳を包み込むように添えられた、少年の手だった。

「どうだい……柳川さん」

少年は、その最後の瞬間まで、動かなかった。
ただ何かを信じるような微笑だけを浮かべて、その言葉を紡いでいた。
拳は―――少年の眼前で、止まっていた。

「……ヒ……、」

魁偉な貌を歪めるようにして、鬼が声を絞り出す。
握り締められていた拳が、ゆっくりと開かれていく。
巨岩を砕いて造ったような、ごつごつとした大きな手が、しかし震えながら、少年へと伸ばされる。

「ヒロ……ユキ……」

それは柔らかい何かに、こわごわと触れるような。

「ああ」

少年が、頬を撫でられながら静かに頷く。

「ヒロユキ……」

それは、忘れていた大切な名前を呟くような。

「ああ」

少年が、笑む。

「ヒロユキ」

囁くような。

「ああ」

少年が、囁きを返す。

「ヒロユキ……!」

抱きしめるような。

「ああ」

少年が、手を伸ばした。

「―――ヒロユキ!」

それは、想いを伝えるような。
柳川祐也の、それは新しい詩だった。

「……ああ、ああ」

鬼の胸に抱かれながら、
その涙を、流れる血をその身に受けながら、

「ありがとな……柳川さん」

少年が、その名をそっと呟いた。


******

166 ふたりのうた(前編) :2008/01/10(木) 02:54:28 ID:YANPESc.0
 
『それ』はもう、七瀬彰と呼ばれていた存在ではなかった。
御堂という男と混ざり合い、融け合い、その果てに彰の意識は殆ど残っていなかった。
互いの境界を越えて流れ込む記憶と意識が、二人を容易く破壊していた。
だから『それ』は既に、七瀬彰でも御堂でもない、新しい何かだった。

『それ』が、世界を認識する。
己が新生した世界。
生まれ出でたそこには、何もなかった。

一筋の光すら射さぬそこを、しかし『それ』は暗いと感じることはできなかった。
『それ』は、そもそも生まれた瞬間から光を知らない。
世界に明と暗が存在することを知らない。
目でものを見るということを知らない。
『それ』は、ただ彰と御堂の崩壊の果てに、そこに生まれ出でていた。
生きるということすら、知らなかった。

やがて『それ』は、己にできることがあることを知る。
己の一部を、意思によって動かすことができるようだった。
それが腕、あるいは触手と呼ばれるものであることを知らないまま、『それ』は己の一部をそろそろと拡げる。
世界が、拡がっていく。

世界には、形がある。
触るということを、『それ』は覚えた。
色々な形、色々な手触り、色々な硬さがあることを、『それ』は知っていった。
乾いた砂が水を吸うように、『それ』は世界を想像し、創造していく。

ある瞬間、未知の感覚が、『それ』を刺激した。
それが痛覚であり、熱いという感覚であることを理解できないまま、ただ不快というものを『それ』は知る。
不快、という感覚が『それ』に生まれた刹那、『それ』の中から引きずり出されるものがあった。

記憶、というものを『それ』は認識できない。
七瀬彰の記憶、御堂の記憶、それらが不快という感覚に呼び起こされたことを『それ』は理解できずにいた。
そこにあるのは音であり、光であり、感情だった。
『それ』の世界に音はなく、光はなく、だからその意味を、『それ』は理解できない。
浮かんでは泡のように消えていくそれらが、弾ける瞬間に不快だけを残していく。
認識できず、理解できず、ただ不快だけが滓のように溜まっていく。
音もなく光もなく、感情だけが降りしきる雪のように積もっていく。

何が不快なのか、『それ』には分析できない。
己の中に浮かび上がっては砕け散っていくそれらが何なのかすら、『それ』には理解できず、
しかしそれでも、ただ一つだけわかることがあった。

それらが、消えていくこと。
そのこと自体が、不快を生み出している。
『それ』に生まれた、それは確信だった。

嫌だ、と思った。
目の前にあったものが失われていく。
それは、嫌だ。
それが、嫌だ。
悲しいという感情。
悔しいという感情。
それらの萌芽が、『それ』の中にあった。
何も得られず、何も残らず、それが、嫌だった。

許せない、認めない、肯んじ得ない。
否定という一つの意思が、『それ』を支配していた。
だから、その感情を、世界に振り撒こうと、『それ』は、動き出した。

みどり児の、産声を上げるが如く。

167 ふたりのうた(前編) :2008/01/10(木) 02:56:28 ID:YANPESc.0
 
 
【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士・重傷(治癒中)】

柳川祐也
 【所持品:なし】
 【状態:鬼・重傷】

七瀬彰
 【状態:御堂と融合】

御堂
 【状態:彰と融合】

→933 ルートD-5

168 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:56:05 ID:Km9uiEBs0
 
先にそれに気付いたのは、藤田浩之だった。

「……ッ!? 危ねえ、柳川さん……!」

咄嗟に突き飛ばしたその手に滑る鮮血の感触と、あまりにもあっさりと突き飛ばされた巨躯の軽さに
顔をしかめて舌打ちしながら、浩之が飛来した影を打ち払う。
地面に叩き落されたそれは、薄桃色の塊。
切り身にされた肉がびくびくと震えるような、醜悪な何かだった。

「あいつか……!」

睨みつけるような視線の先、蠢く一つの影があった。
青空と泥濘と灰燼の狭間で、それは奇怪の一言を以って存在していた。
中空に投網を広げるが如く四方八方へと伸ばされた、ぶよぶよとした肉の触手。
数えることすら覚束ぬその無数の触手の中心にあるのは、もはや人とも呼べぬオブジェだった。
大地を踏みしめる二本の足は紛れもなく人間のもの。
しかしその腰から先は、中心線に沿って頭頂部までを真っ二つに割り裂かれたように左右に分かれ、
両の腕はだらりと地面に垂れ下がっている。
二つに分かれた顔のそれぞれでぎょろりぎょろりと辺りを見回す蛇の如き眼。
裂けた腰に視線を戻せば、そこにはまた新たなる異形があった。
分かたれた蛇眼の男の腰、そこに骨や内蔵の代わりとでもいうようにみっしりと詰められた桃色の肉の上からは、
細く白い、女性とも見紛う青年の上半身が生えていた。
一糸纏わぬその裸体にぬらぬらと照り光る粘液がまとわりついて、ひどく淫靡な空気を醸し出している。
だがその細面に浮かぶのは、先ほどまで浮かべていた色に狂った笑みではなかった。
今にも叫びだしそうに見開かれた瞳からは、とめどなく涙が流れていた。
紅を差したような唇も、白い肌を引き立てるように紅潮した頬も、まるで神に捧げられた贄の如き
悲嘆と恐怖に彩られ、歪んでいる。
かつて七瀬彰と呼ばれた青年の、あるいは浩之も与り知らぬ名もなき男の、それが末路だった。

「それが……お前の本性かよ」

否やを唱える声とてない。
彰だったものは、ただ深い嘆きだけをその表情に浮かべ、無数の触手をうねらせている。
じわじわと版図を広げるその触手が、倒壊した家屋の柱に触れた。
瞬間、それまではぐねぐねと鈍く蠢いていた触手が、信じられないほど機敏に動いた。
ぼごり、と鈍い音がした。
太い柱が、コンクリートの土台ごと地面から引き抜かれる音。
間を置かず、一抱えほどもあるその廃材の塊が放り捨てられる。
大の大人のニ、三人分以上はあろうかという重量が、紙くずのように放物線を描き、落ちる。
小さな地響きが辺りを揺るがした。

169 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:56:36 ID:Km9uiEBs0
「くそっ、気をつけろ柳川さん……!」

まるで、その言葉が引き金になったかのように。
触手の群れが一斉にその動きを止め、

「―――」

刹那の後、爆ぜるように拡がった。
さながらそれは、一発一発が拳ほどの大きさをもった、有線式の散弾。
四方へと拡がったそれらが鋭角な曲線を描いて狙うのは、立ち尽くす二つの影。

「鳳翼、天翔―――!」

声と共に、浩之の翼を模した手の動きから炎の鳥が現れ出でる。
羽ばたいたそれが、灼熱の矢となって前方を薙ぎ払った。
飛び来る肉の散弾、その八割が一瞬にして消し炭と化し、地に落ちる。
残りの二割を、或いは拳で叩き落し、或いは身を翻して躱しながら、浩之はもう一つの影へと視線を走らせる。
兜が落ちて剥き出しとなった頬に小さな切り傷を作りながら振り向いた少年の耳朶を、大音声が打った。

雄々、と弾けたそれは、漆黒の咆哮。
鬼と呼ばれ闘争に特化した種の、戦の始まりを告げる鬨の声であった。
弾丸の如き速度で迫る触手の群れを見据えた鬼が、ぐ、と巨躯を撓める。
次の瞬間、無数に飛来した触手のその悉くが細切れになって散るのを、少年は見た。
閃いたのは、真紅の爪。
拳を握るでなく、開かれた掌から伸びた刃の如き十の爪が、神速をもって触手を切り刻んでいた。

朗々と響く咆哮は、いまだ鳴り止まぬ。
頼もしくその声を聞いていた少年の表情が、しかし次の瞬間、歪んだ。
瞬く間に無数の触手を切り裂いた鬼の身体を、薄い靄が包んでいた。
赤黒く煙るそれが返り血などではないと、浩之にも思い至っていた。
地面に落ちた触手からは、一滴の血すら流れていない。
ならば、鬼の身体を包むように煙る赤の正体は、鬼自身の血潮だった。

170 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:57:05 ID:Km9uiEBs0
「柳川さん、あんた……!」

鬼の治癒能力は驚異的だった。
それは、浩之とてわかっている。
だがそれは決して万能ではなく、まして不死を意味するものではなかった。
ほんの数刻前を思い起こす。
無惨に焼け爛れた身体。潰れた片目。じくじくと溢れる膿。
それは、もはや数刻前、ではない。
まだ、ほんの数刻前の、柳川の姿だった。
鬼の傷は、まだ癒えてなどいなかった。

轟、と鬼が吼える。
それは変わらぬ咆哮の筈だった。
だが今、少年の耳を打つのは、敵を前にして高ぶる狩猟者の猛りではなく、崩れ落ちんとする己を必死に鼓舞する、
瀕死の獣のいななきであった。
思わず駆け寄ろうとした浩之が、咄嗟に飛びのく。
肉の槍が、一瞬前まで立っていた地面を貫いていた。
舌打ちする間もなく、次弾が陽光を遮らんばかりの数を擁して迫り来る。

「やってらんねえ……!」

羽ばたく炎の鳥が、触手を焼く。
だが消し炭となって落ちた数十本の占めていた場所を埋めるように、新たな触手が浩之を狙う弾幕に加わっていた。
飛び退り、大地を穿つ桃色の槍を躱す。
鳳凰の尾を模した装飾が風に靡き、硬い音を立てた。
なおも追いすがる数本の触手を手甲で叩き落しながら見れば、黒の巨躯は遠い。
戦いは続いているようだった。見上げんばかりの巨体を隙間なく囲むように展開した無数の触手が、
爪の一閃で見る間に千切れ、消し飛んでいく。
正に鬼神の如き奮戦であったが、身に纏う赤い霧はその濃さを増していた。
血に煙る鬼の戦は一幅の絵画を見るようで、一瞬だけ足を止めた己を、浩之は心中で殴りつける。
いかな鬼といえど、鮮血を撒き散らしながらあの動きを続ければ、いずれ限界が来るのは避けられない。
躊躇している時間はなかった。
選択肢は二つ。

(合流するか、本体を叩くか……!)

視線を走らせるのは一瞬。
己に倍する数の触手に囲まれた鬼の姿に、浩之は決断する。
疾走を開始。
行く手には黒の巨躯ではなく―――人を捨てたオブジェ。

171 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:57:44 ID:Km9uiEBs0
あの数の触手を相手に、柳川は動かずに奮戦を続けている。
それは、と浩之は走りながら考える。
既に囲みを突破するだけの体力が残されていないのだ。
自らに迫り来る白銀の鎧を見咎めたか、数本の触手が浩之を目掛けて飛ぶ。
やはり、と速度を緩めることなくそれらを消し炭と変えながら、浩之は確信する。
迎撃が薄い。
それは取りも直さず、触手の大部分を柳川が引き付けているのに他ならなかった。
突破力を喪失した柳川がそれでも退かないのは、つまりはそういうことだ。
吼え猛り、限界を超えた動きを見せてまで、囮として立っている。
それはメッセージだった。
少なくとも浩之は、そう受け取った。
出会ってほんの十数時間。
潜った死線は、これまでの生涯の全部を思い出して、まだ足りなかった。
それはつまり、この呼吸はこれまでの人生の全部より、確かだと。

(あんたもそう、思ってくれてんだよな……!)

走る。
あと五歩で、炎の射程に入る。
背後で鬼が、吼えていた。
あと四歩。
鬼の咆哮に、濡れた音が混じる。鮮血のイメージ。
あと三歩。
風が、小さく震えた。重い何かが、大地を揺らしていた。
あと二歩。
ひゅう、と。細く掠れた音がした。
あと一歩。
咆哮が、やんだ。
同時、炎の鳥の射程に、入る。

「―――ちぃぃっ、……くしょぉぉ、がぁぁ……っ!!」

何かを断ち切るような叫びと共に。
少年の手から、炎の鳥が飛び立つ。
業火は大気を切り裂き、一陣の疾風と化して奔り―――黒の巨体を貫かんとしていた肉の散弾を、焼き尽くしていた。

172 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:58:35 ID:Km9uiEBs0
「……間に、合ったか……!」

は、と息を吐く。
地面に片膝をついたまま、ぼたぼたと血を吐く隻眼の鬼と視線を交わした、刹那。
浩之の背中を凄まじい衝撃が走っていた。
肺の中の空気が、強制的に排出される。
一瞬の内に顔面が地面を擦り、それでも衝撃を殺しきれずに、首を支点にして転がる。

(そりゃ……こうなる、よな……)

無茶苦茶に上下左右が入れ替わる視界の中、浩之は内心で苦笑する。
あの瞬間、判断に一切の迷いはなく、そしてそこには間違いもまた、なかった。
炎の鳥を触手の中心、本体に向けて放っていれば、あるいは仕留めることもできたかもしれない。
しかしそれは、ほぼ確実に柳川の犠牲を伴う結果だった。
柳川の限界があとほんの数瞬でも先であれば、炎の鳥は躊躇なく七瀬彰であったものに向けて放たれていただろう。
だが、振り向かず疾走する中で、浩之には背後の様子が手に取るように分かっていた。
薄れゆく咆哮は即ち、柳川の体力の終焉を示していた。
ならば、眼前の敵に背を向けるという愚を冒してでもそれを救うのは、浩之にとって当然の帰結だった。

「が……ッ、ふ……」

地面と幾度かの衝突の末、ようやく回転が止まる。
立ち上がろうとして、激痛に視界が歪んだ。
受身も取れず転がるうちに傷めた骨や筋が悲鳴を上げていた。
それでも、触手によって強かに打ちつけられた背骨が持っていかれなかったのは僥倖というべきか、
身を包む白銀の鎧の強度に感謝するべきか。
しかし、

「くそ……動け……!」

受けた打撃は、思いのほか深刻だった。
焦燥の中、浩之は身を起こすこともできず、足掻く。
一撃で殺されることは避けられても、次の攻撃に対処できなければ同じことだった。
轢かれた蛙のように地べたに這い蹲ったまま見上げる少年の視界に、幾本もの触手が映った。
澄み渡る青空を背景に蠢くそれは、さながら世界を侵す悪意そのもののように、見えた。

173 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:59:19 ID:Km9uiEBs0
「ちく……しょう……!」

悪意が、空を覆っていく。
無限に涌いて出るような触手の群れが、身動きできぬ少年を嬲るように、その視界を埋めていく。
槍衾が網となり、壁となり、ついには陽光すらもが完全に遮られるかどうかの、刹那。

「え……?」

暗さに、声が漏れる。
触手の群れとは別の影が、少年の上に覆いかぶさっていた。
背に、ぼたりと何かが垂れた。
その生温かい感触と、か細く掠れるような息遣いを耳にして、少年はようやく己に影を落としているものの正体に気付く。

「バ……っ、何やってんだ、あんた……!」

思わず声を上げた。
柳川祐也。
罅割れた真っ黒な皮膚からだらだらと粘り気のある血を流しながら、漆黒の鬼が浩之を庇うように、
その巨躯を晒していた。

「どけ……! どいてくれ、柳川さん……!」

浩之が叫ぶ。
鬼の広く大きな胸板の向こうには、もはや一本一本を視認することすら叶わぬほどに密集した触手の群体が見えていた。
それらがあるいは散弾となり、あるいは銛、あるいは槍、あるいは鉾となって、その鋭い先端を覗かせている。
肉食の獣の群れが哀れな獲物を嬲り殺しにする機会を窺っているような、それは光景だった。
己は動くこともままならず、鬼は疲弊の限界を超えていた。
何故だ、と怒鳴りつけたかった。
逃げろ、と伝えたつもりでいた。
柳川がその身を囮としたように、今度は浩之が自身を盾とする筈だった。
それは伝わっていると、そう思いたかった。
互いの呼吸が確かなものだと、それだけは疑いたくなかった。

174 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 03:59:44 ID:Km9uiEBs0
「早く、逃げ……」

逃げろ、と言葉にしようとして。
瞬間、浩之は口を噤んでいた。
見えたのは柳川の隻眼、残った片方の瞳。
そこに浮かぶ、色だった。
言葉など要らなかった。
呼吸は伝わっているのだと、そう確信できた。
逃げてくれというメッセージと、庇うという意志。
炎の鳥を、どちらに向けて放つか。
柳川もまた、敵を討ち果たす方を選びはしなかったと。
それだけのことだった。

「バカ……、だな……」

手を伸ばす。
ほんの少しの距離。
ぬるりと、生温かい。
それが柳川の命の温度だった。
温もりを感じながら、目を閉じる。
この世界の最後まで、それを感じていたかった。

無数の触手が矛先を撓めていく、ぎちぎちという音が聞こえた。
恐怖はなかった。
ただ手に伝わる鼓動だけが、優しかった。
それが最後の、筈だった。

 ―――Brand New Heart
      今ここから始まる

歌が、聴こえた。


***

175 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:01:26 ID:Km9uiEBs0

それは、不思議な歌だった。
少年も鬼も、口を開いてはいなかった。
誰ひとりとして歌わぬ、だが誰の耳にも聴こえる、それは歌だった。

 ―――胸の中の鼓動が聞こえる

歌は、まるで寒村を覆う大気そのものに響いているかのようだった。
思わず瞼を開いた少年は、更に奇異な光景を目にすることになる。

「なん、だ……これ……、青い、光……?」

少年の手、柳川の胸と触れ合った部分から、光が漏れていた。
黒い肌を優しく照らすような揺らめく炎、鬼火のようなその光に、少年の記憶が蘇る。
先ほど出会った少女。
その身を包んでいた光と、それは同じ色をしていた。

 ―――Come To Heart
      可能性を信じて

歌と、光。
詞に共鳴するように、光が明滅する。
砂浜に打ち寄せる波のような、透き通る青い光を陶然と見ていた浩之は、やがて不思議な事に気付く。

「身体が……軽い」

全身を蝕んでいた激痛と麻痺が、どこかに溶けてしまったかのように消えていた。
見れば、ぼたぼたと流れていた柳川の血もいつの間にか止まっている。
青い光が鬼や鳳凰の治癒の力を強めたのか、それとも光そのものに傷を癒す力があるのか。
それは分からない。だが、少年はその疑問を切り捨てる。
動けるのなら、それでいい。
遅ればせながら、自分たちを狙っていた触手へと目をやる。
今にも少年と鬼を貫こうとしていた筈の肉槍の群れはしかし、不可解なことに、或いは少年たちにとっては
幸運なことに、その動きを止めていた。
どころか、大波の如く迫っていたその無数の群れが、じりじりと下がりつつすらある。
それはどこか、戸惑いや恐怖といった感情に支配された劣勢の兵のように、浩之の目には映った。

「あいつら……、もしかして……」

傷が急速に癒えつつあることに気付いたか、柳川が喉を鳴らす。
その巨躯にそっと手を当てると、青い光が強く瞬いた。
触手が、更に退く。
立ち上がる。やはり既に痛みはなかった。
柳川と触れ合う手から漏れる光が、白銀の聖衣を青白く照らしていた。
同じように立ち上がった柳川と目を見交わし、頷く。
鬼の、ごつごつとした黒い手に、浩之はそっと手を添える。
新たな歌の一節が、響く。

 ―――君におくる テレパシー

青い光が、一際大きく煌いた。
触手の壁が、光に押されるように崩れ始める。

176 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:02:21 ID:Km9uiEBs0
「わからねえ、理屈はわからねえが……この光であれを押し戻す!」

叫ぶ声に、力が漲っていた。
繋いだ手が温かい。

 ―――それなりの悩みも抱いて
      迷いも消えなくて

同時に足を踏み出す。
崩れた壁から、糸がほつれるように触手が顔を覗かせる。
走り出した。
迎え撃つように、触手が飛ぶ。

 ―――この惑星の上で何か求め探し続けて

右から迫る桃色の散弾を、青い炎の鳥が焼き尽くす。
左から狙う肉塊の槍衾を、青く輝く爪が切り裂いた。

 ―――耳を澄ませば教えてくれたね
      痛みも悲しみもすべてなくしてくれる

駆け出す。
周囲を囲む壁が一斉に崩れ、それを構成していた触手のすべてが刃と化す。
疾駆する二人を狙って、空を埋め尽くすほどの刃の雨が降り注いだ。
押し寄せる槍を、鉾を、銛を見上げて、少年と鬼は繋いだ手を天へと掲げる。

 ―――奇跡

溢れ出す青が、光の塔となって空と大地を繋いだ。
光は瞬く間にその半径を広げ、刃の群れを飲み込んでいく。
青の中で、触手が融け崩れ、蒸発する。
光が収まった後には、刃の大群はその痕跡すら残さず消え去っていた。

177 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:02:46 ID:Km9uiEBs0
 ―――Brand New Heart
      蒼い惑星に生まれて

疾走が再開される。
七瀬彰だったものは、既に目の前に迫っていた。
人型のオブジェから、新たな触手が涌き出す。
それを打ち払い、薙ぎ払いながら、二人はその災厄の中心に向かって歩を進める。

 ―――夢のような世界が広がる 

あと数歩。
爆発するかのような勢いで触手が拡がった。
怒涛の如く奔るその触手は、しかし迫る二人に触れる直前、青い光に包まれて燃える。
疾走は止まらない。

 ―――Far Away
      澄んだ空の向こうの

眼前、肉薄した敵を前に、少年が炎の宿る拳を握り込む。
そっと口を開いた。

「……柳川さん」

視線を交わすことはなかった。
だがその短い呼びかけに何かを察したように、鬼は微かに表情を変えた。
ほんの刹那の沈黙。
何かを言いかけ、口を閉ざし、そして最後に―――静かに、頷く。
真紅の爪を、青い光が包み込んだ。


 ―――君に届け テレパシー



******

178 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:03:16 ID:Km9uiEBs0



それは、一つの物語の終わり。
みどり児の最後に見た夢。



******

179 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:03:39 ID:Km9uiEBs0

懐かしい、声がした。

「……くん、彰君」

目を開ければ、冬の陽射しは冷たくて、眩しい。
何日か前に降った雪が道の片隅に寄せられたまま、溶けずに凍り付いていた。
吸い込んだ清冽な空気に、ぼんやりとしていた意識が覚醒していく。

長い夢を見ていた。
長い、嫌な夢だったように思う。
それは目を覚ませば忘れてしまう程度の、儚い悪夢。
今はもう思い出せない、遠い世界の出来事。

見上げれば、空は青く、遠く。
足元に目をやれば、どこまでも赤い煉瓦道が続く。
この道の先には、いつものキャンパス。
歩き出せば、いつもの笑い声。
終わることなんて考えもしない、いつまでも続くはずの時間に繋がる道。

―――だと、いうのに。

「どうしたの、彰君?」

ああ。
これは夢だ。
いつかどこかの悪夢の中にいる僕がみる、悲しい夢だ。
ただの一歩をすら踏み出す前に、僕はそれを喝破する。

懐かしい声。
懐かしい笑顔。
昨日も、一昨日も、その前にもずっと会っていたはずの、懐かしい、たいせつなひと。

陽だまりに咲く小さな白い花のような、あたたかいひと。
そのひとが、微笑んでいる。
それはずっと、たぶんずっと、こころの一番深いところで、誰にも触らせないようにしまい込んできた、
僕の、一番たいせつな笑顔だ。

だからこそ、わかる。
これが夢なのだと。

180 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:04:28 ID:Km9uiEBs0
「……?」

夢の中のたいせつなひとが、不思議そうな顔をする。
何でもない、というように首を振ってみせた僕は、きっと泣いていただろう。

ああ、そうだとも。
このひとはいつだって、こんな風にやさしく笑ってくれていた。
このひとは、いつだってこんな風にやさしく笑ってくれていたけれど。
……それは、僕にだけ向けられるものじゃあ、なかったんだ。
誰にでもやさしくて、それでもずっと特別な誰かのほうを見ていた、僕のたいせつなひと。

それに何より、と。
頬に流れる涙の痕の冷たさを感じながら、僕は苦笑する。
見上げる空は、透き通るような紺碧。ゆっくりと流れる雲は白。

「……大丈夫、彰君? どこか、具合でも悪いの?」

このひとはずっと、僕のことを七瀬君、と呼んでいたんだ。

手の甲で拭った涙はひどく冷たくて。
その刺すような感覚に、僕はこの夢が醒めてしまわないかと不安になる。
しばらく待っても目の前の心配そうな顔が霞んで消えたりはしないのを確認して、ほっと息をついた。

夢は夢だと、人は言うだろう。
醒めれば泡沫のように霧散する、砂上の楼閣だと。
追えど掴めぬ、掴めど失せる、虚ろな幻影だと。

だけど、それでも。
夢の中で、夢と知りつつ、僕は思う。
それでも、それでも、こんなにも穏やかで、こんなにも綺麗な夢なら。
差し出された手に、そっと手を重ねるくらいは、してみたいじゃないか。

「―――」

温かいな、と思う。
やわらかくて、あたたかくて、やさしい。
僕の夢の中の、たいせつなひと。

驚いたように、はにかんだように。
ほんのりと頬を染めたひとが、何かを言おうと口を開いたとき。

181 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:04:59 ID:Km9uiEBs0
「―――おい彰、何やってんだ! 置いてくぞ!」

遠くで、声がした。
はっとして、そちらを見やる。

「……」

見やって、一気に涙が引いた。
はるか道の彼方、大袈裟に両手を振っているのは、よく見知った友の姿ではなかった。
縮れた髪にいやらしい目つき、緩みきった口元。

「いつまで俺様を待たせる気だぁっ! おい彰、聞いてるのかっ!」

軽い頭痛に、こめかみを押さえる。
なんだよお前、なんでこんなところにいるんだよ。
彰、彰って馴れ馴れしいな、もう。



……

…………まあ、いいか。

小さく溜息をついて。
顔を上げる。
僕の顔と、遠くに見えるワカメみたいな縮れ頭を交互に見ている、たいせつなひとの手を、僕はほんの少しだけ強引に握って。

「誰を置いていくって? 勝手に行ったら承知しないぞ、―――!」

僕は、歩き出した。

182 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:05:49 ID:Km9uiEBs0

















 ―――知らず、周の夢に胡蝶なるか、胡蝶の夢に周なるかを。

















******

183 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:06:26 ID:Km9uiEBs0

少年の指がその青白い額に触れるのと、鬼の振るう真紅の爪が、繋がった二つの身体を両断するのは、ほぼ同時だった。
細く白い、女性とも見紛う青年の身体が、音もなく宙を舞った。
それは蒼穹を飛ぶ鳥のようにも、天へと還る御使いのようにも映る、淡い幻想の光景だった。

「鳳凰―――幻魔拳」

顔を伏せ、指を突き出したまま、少年が呟く。
七瀬彰と呼ばれた青年の身体が、やがて引力に抱かれ、弧を描いて落ちる。
小さく軽い体躯が大地を叩く寸前、静かにそれを受け止めるものがあった。

「……」

柳川祐也である。
その身体は既に鬼の姿ではなく、人間のそれへと変じていた。
幾多の傷跡を寒風に晒しながら、柳川は黙って立ち尽くしている。
少年、藤田浩之もまた、そんな柳川とその胸に抱かれた骸を見つめ、何も語ろうとしない。

「浩之……」

しばらくの時を置いて。
事切れた七瀬彰の骸をじっと見つめたまま、柳川が呟くように声を絞り出す。

「彰は……、幸せな夢の中で、逝けたんだろうか……」

その問いに、すぐに応えはなかった。
風と、火の粉の爆ぜる音が、立ち尽くす二人を包んでいた。

「さあな……」

やがて、ぽつりと。
少年が、小さく口を開いた。

「俺には、わかんねえ。わかんねえけど……けど、そいつ……」

そこまでを言って、その先の言葉を、浩之は飲み込んだ。
自分が口にしていい言葉ではないと、そう思った。
それはきっと、誰にも答える権利のない問いなのだと。
それでも、

「そいつは、さ……」

少年は、最後にもう一度だけ、柳川の腕に抱かれた白い躯を見る。
七瀬彰の、二度と動くことのない表情は。

「―――」

どこか微笑んでいるように、見えた。

184 ふたりのうた(後編) :2008/01/12(土) 04:07:10 ID:Km9uiEBs0
 
 
【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:C−3 鎌石村】


藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士】

柳川祐也
 【所持品:なし】
 【状態:軽傷】

七瀬彰
 【状態:死亡】

御堂
 【状態:死亡】

→937 ルートD-5

185 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:16:26 ID:/lyj3aFg0
 向坂環が上手い具合に足止めしてくれているからなのか、相沢祐一、緒方英二、そして重傷を負っている神尾観鈴の三人は特に襲撃を受けることもなく診療所へと飛び込むことが出来た。

 万が一敵が潜んでいてもいいようにと英二がベレッタを構えながら進んでいったがどうやら誰もいないらしく、診療所に響き渡るのは英二と観鈴をおんぶしている祐一の足音だけであった。

「誰もいないようだが……一悶着あったみたいだな」
 とある一室で、英二が床についた血痕と壁を穿つ銃弾の跡を見ながら呟く。やはりここでも、自らの生のみを求めて諍いが発生していたのだ。英二が血に触れたが、どうやら固まっているようで手に張り付く、ということはなかった。指を擦りつつ、英二が観鈴を近くにあったベッドに寝かせるよう指示する。

「少年は外の様子を見張っててくれ。僕は出来る限り治療してみる」
 祐一が何かを言う前にベレッタを投げ渡す。それを受け取りながらも、祐一は尋ねる。
「英二さん、縫合とか出来るのか?」
 いや、と英二は首を振るが、「けど少なくとも少年よりは手先は器用だと思うけどね」と言って近くにあった救急箱の中身を見る。祐一は多少ムッとしながらも、確かに大人の方がそういうことは得意かもしれない、と思ったので「分かったよ、行って来る」と英二に背を向けて廊下の方へと歩き出した。

「気をつけてな」
「分かってるよ、とーちゃん」
 僕はそんなに年をとってないぞ、という風な視線が向けられたような気がしたが構わず祐一は扉を閉めた。今は、敵をここに近づけさせないことだ。

 廊下に出た祐一は、近くにあった窓から外の様子を窺ってみる。緑も豊かに茂る森の向こうに、その色と同じ色の髪の……狂った機械がいた。
(あいつっ……)
 HMX-12。マルチと呼ばれるメイドロボの光なき濁った光学樹脂の瞳が、診療所をまじまじと見つめていた。まるで、出てくるのを待っているように。
 いや、実際出てくるのを待っているのだろう。診療所の出入り口は窓でも使わない限り入ってきた一箇所だけ。その窓も鍵はちゃんとかけられており、入ろうと思うなら突き破るしかない。もちろんそうしてきたならばすぐにでもこのレミントンM700で吹っ飛ばしてやるが、それは相手も分かっているのか迂闊に侵入してくることもないようだった。
「持久戦になりそうだな……」

 少なくとも観鈴の治療が終わるまではなんとしても持ちこたえねばならない。環の安否も気にはなるが、そこは彼女を信じるしかない。
 再び祐一は視線をマルチに戻す。彼女は診療所の周りをぐるぐると回るようにしてこちらの動きを確認しているようだ。他の部屋からも様子を見てみるが、相変わらず行動は同じ。

186 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:17:00 ID:/lyj3aFg0
 マルチの行動を観察している最中、祐一は彼女が手ぶらなことに気付いた。最初に持っていたフライパンがない。
「向坂が奪ったのか……?」
 隠していることも考えられるがわざわざそうする理由が分からない。恐らく環が奪ったという推理で間違いなかった。なら、今攻撃を仕掛けてもマルチを楽に倒せるのではないか?
 無論、祐一たちの目的は観鈴の治療であり戦闘をすることではない。しかし目の前の脅威を排除しておくに越したことはない。

 どうする。討って出るか。いくら相手がロボットだからと言って所詮はメイドロボ。身体能力はそんなに変わらないのではないか。増してやこちらはクリーンヒットさえすれば一撃で仕留められるレミントンM700がある。こちらが優位なのは明らかだ。
 それに万が一の話ではあるが環が敗北し、向坂雄二がマルチに合流するようなことがあればますます脱出は困難になるのではないか。敵が分散しているうちに各個撃破しておくのが最上の策ではないのか。

(どうする相沢祐一……決断するなら今だぞ)
 考えすぎて頭に血が上りかけている。当然だ、まさにこれは生か死かを分ける分岐点なのだから。自然と目が泳ぎ、レミントンの銃把を強く握り締める。
(落ち着け……)

 一度目を閉じて、深呼吸する。まずは冷静になるんだ。そう、クールだ、クールにならなければならない。もう一度落ち着いて考えろ。
 なぜマルチは手ぶらなのに武器を探そうともしない?
 向坂雄二の命令を絶対視しているのは分かる。何せ『雄二様』などと呼んでいたくらいだ。ならばこそ任務を確実に遂行するために武器が必要なのではないか? 棒切れでも何でもいい、取り合えず手ぶらなのは絶対にまずい、はずだ。

 祐一は考えた挙句、討って出るのは諦め窓から射撃を行ってみることにした。
 今確認するとこちらとマルチの距離はおよそ10メートルほど。十分に射程圏内にいる。
 レミントンからベレッタに持ち替え、射撃できそうなところまでマルチが来るのを待つ。

 すると一歩、二歩……マルチが祐一の視線上へと向かって歩き出す。
(いいぞ……そのままこっちまで歩いて来い)
 一度射線上へ来れば後は連射で当てることが出来るはずだ。いや、きっとそうしてみせる。
 ゆっくりとマルチが一分ほど歩き、診療所の中を窺うように窓へと向く。そしてその窓のすぐ傍には……祐一がいた。

(今だっ!)
 素早く反転すると、祐一は窓の外へとベレッタを構え――られなかった。
「なっ!?」
 祐一の姿を確認するや否や、まるで待っていたかのようにマルチがポケットから手のひらほどのサイズの小石を取り出し、まるでプロ野球選手か何かのようなスピードで小石を投擲してきたのだ!

187 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:17:23 ID:/lyj3aFg0
「嘘だろっ!?」
 反射的に身をかがめとっさに小石を避ける祐一。当たることこそなかったものの、窓を直撃した小石がガラスを割り、破片が祐一へと降り注ぐ。一方投げられた小石はというと、まるでレーザービームのように一直線に廊下を通過していき、壁に当たったところでようやくころころとその動きを止めた。
 冷や汗が流れ落ちるのを、祐一は感じていた。もし不用意に外に討って出ていたら……想像しただけでも吐き出しそうだ。
 『メイド』とは言えロボットはロボット。人間とは比較にならないほどのパワーを有していることを、祐一は改めて思い知った。同時に、絶対に奴を中に入れてはならないことにも。

 祐一はまたレミントンに持ち替えると、立ち上がりざま連続してレミントンを窓の外へと向けて発砲する。そこにマルチがいるかどうかなど確認する間もなかったが、この期に乗じて内部へと侵入を試みる可能性は十分にあったからだ。
 果たして祐一の予想通り、こちらへと接近しようとしていたマルチは即座にバックステップしながらレミントンの散弾を回避していく。そしてお土産と言わんばかりに、マルチもポケットから再び小石を取り出して連続して投擲する。祐一は即座に反転し、壁に張り付く。その直後、今まで祐一のいた空間を小石が駆け抜けていく。最初の投擲同様、放物線を描くこともなく。

「どうした! 少年!」
 閉めた扉の向こうから英二が大声を出して祐一の安否を気遣うのが聞こえた。本来なら喋る余裕などないのだが、無理矢理声を絞り出して状況を伝える。
「ちょっとトラブりました! 敵を追っ払ってます!」
 また反転して外にいるマルチにレミントンの照準を向けようとしたが、マルチは既にレミントンの射程外まで退避し、しかしそれからまた診療所を窺うようにぐるぐると周りを歩き始めた。

(くそ、やっぱ持久戦に持っていくつもりか……)
 マルチの小石の射程は一直線上にいるならほぼ届くだろうし、小石なんてそこら中どこにでも転がっている。つまり弾数に関しては向こうの方が上だ。
 祐一はマルチの射程に入らないように身を屈めながら英二のいる部屋まで転がり込んだ。

     *     *     *

 祐一が出て行ってからすぐ、英二は観鈴の治療を行うべくまずは服を脱がすことにした。
 無論英二にやましい思いは何もないし、観鈴を助けたいという一心での行動なのだが……一応、断りを入れておくことにしておいた。
「あー、その……済まない。失礼」
 念のために数秒ほど間を置いてみるが、ベッドに横たわる観鈴からは苦しげな吐息が聞こえるばかりで英二の声が聞こえているかどうかさえ怪しいものだった。額からは脂汗も流れている。悠長に返事を待っている場合ではなさそうだった。

188 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:17:47 ID:/lyj3aFg0
「……脱がすぞ」
 意を決して観鈴の制服に手をかける。布を通してでも分かる観鈴の体温に、なおさら緊張感が高まる英二だったがいい加減恥や外聞を捨てなければならない。この非常事態なのだ、きっと観鈴も笑って許して……くれるだろうか?
 いやいかん迷っている場合じゃない、と英二は首を振り恐る恐る制服をずらして……いかん、こんなのんびりやってる時間はないぞ、と再度英二は大きくぶんぶんと首を振り、今度こそ意を決して観鈴の制服を勢いのままに完全に脱がす。

 瞬間、観鈴の可愛らしい下着が否が応にも目に入ってくるが英二は心の中で般若心経を唱えて何とかピンク色の思いを打ち消す。それよりも傷の治療だ。
 ブラとショーツを何とか視界に入れないようにしながら朝霧麻亜子が撃ち抜いた脇腹の部分……出血している箇所を確認する。
 まだ出血は続いており当然だが自然に止まる気配はこれっぽっちもない。早急に止血を行わねば命に関わるだろう。
 まずは血を拭き取ろうと偶然あった(恐らく前にここを使っていた人物が用意していたものだろう)濡れタオルを取ろうと視線を変えた瞬間。
(ピンク……)
 ぶんぶんぶんと髪が乱れるほど頭を振りまくり、再び般若心経を唱えて頭からピンク色を排除する。英二の脳はもうこれ以上ないほど疲弊していた。

 何とか心を落ち着かせ、下着が目に入らぬように細心の注意を払いながら優しく、しかし手早く血を拭き取っていく。傷口にタオルが触れた瞬間、観鈴が「う……」と苦しげな声を上げたが、今は我慢してもらうしかない。血はまだ後から後から出てきて、次は消毒して縫合しないといけない、のだが。
(僕に出来るのは消毒まで……縫合は出来ない)
 麻亜子の放った銃弾は比較的口径の小さなもので弾も貫通しているからちゃんと消毒を行えば感染症にかかることはないと英二は考えるが……傷口を塞ぐ縫合が出来ない以上止血は難しい。血が止まるかどうかは自然治癒に任せるしかないのだ。
(だがやれるまではやるさ……!)

 消毒液を取り出しガーゼに付けてから傷口の周りを拭いていく。その度に観鈴が苦しげに身体をうねらせ、その痛みのほどを訴える。
「あと少しだ。我慢してくれ」
 聞こえているのかいないのか、観鈴がこくこくと頷いたように見えた。英二が笑って「いい子だ」と頭を撫でながら包帯を取り出し、丹念に腰部に包帯を巻き付けていく。十数回巻いたところで治療が終わろうかという時、外から窓ガラスが割れるような音が聞こえ、続けて銃声が診療所に木霊した。

「なんだっ!?」
 英二は思わず観鈴から目を外し、扉の外へと向かって怒号を出す。
「どうした! 少年!」
「ちょっとトラブりました! 敵を追っ払ってます!」
 まさか、もう襲撃されているのか? まだ治療が終わっていないのに! 英二は舌打ちをしながら少しでも包帯を多く巻いていこうと手を動かす。

189 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:18:09 ID:/lyj3aFg0
「英二さん!」
 慌てるようにして祐一が部屋の中に転がり込んでくる。銃声から数分と経っていないのに、祐一の肩は激しく上下しており僅かな時間の間、英二が包帯を十数度巻くまでの間に壮絶な戦いが繰り広げられていたことを意味していた。
 下着姿になっている観鈴について何か言われるだろうか、と英二は思ったが祐一はそれよりも扉の外……いや遭遇した敵の方へ意識を向けているからか特に言及してくることはなかった。祐一は英二の近くにあったデイパックの中からレミントンの12ケージショットシェル弾を取り出すと少々もたつきながらも弾を込めていく。

「誰が?」
「あのマルチとかいうロボットです」
 弾を込め終えると、祐一はベレッタを英二に投げ返す。いきなりのことだったので慌ててしまい上手くキャッチ出来ずに落としてしまったが観鈴の体にぶつけてしまうというヘマはしない。

 傷口にでも当てて起こしてしまうならまだしも傷を広げてしまっては目も当てられないからね。

「気をつけて下さい。あのロボット、凄いスピードで石を投げつけてきましたから」
「具体的には?」
「松坂渾身の一投」
「それは怖い」

 おどけたように英二は笑うが、しかしすぐに真剣な表情になって出していた荷物の整理を始める。
「ならここにとどまっておくより逃げた方が良さそう、だな」
 整理を終えると次に観鈴の体を持ち上げながら服を着せていく。本人に意識がないためスカートなどはかなり苦労し、英二が手間取っているのを見かねてか祐一も手伝う。もちろん英二と同様、観鈴の姿に頬を羞恥に染めながら。
 それを誤魔化すように「逃げるって、どうやって?」と尋ねる。

「僕が囮になる」
 ピタリ、と観鈴の服のボタンを閉めていた祐一の手の動きが止まる。怒ったような声になりながら祐一が反論した。
「さっきの話聞いてたのか!? あいつは」
「手強いんだろう? まあ熱くなるな少年」

190 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:18:29 ID:/lyj3aFg0
 どうどうと祐一の肩を叩きながら英二が続ける。
「一応治療は済んだが、観鈴君は依然として危険な状態だ。ここで二人いっぺんに逃げても同時に襲われる。対象が一つだからだ。ならリスクは減らした方がいい。僕が引き付けている間、少年が観鈴君を背負って逃げる。そして環君と合流する。後はよりいい治療ができる人物を探す」
 英二の言わんとしていることは分かる。観鈴を危険に晒してまで二人で逃げるよりはどちらかが囮になって観鈴を安全に逃がした方がいい。英二が言わなければ祐一がそう提案していたところだ。しかし納得できない部分が一つだけあった。

「囮なら俺がやります。体力のある俺が引き付ければ」
「違うな」
 何が違うのか、と詰め寄りたくなった祐一だが英二の目が「まあ聞け」と言っていたので飛び出しそうになる言葉を口を堅く結んで抑える。
「確かに体力のあるのは若い少年の方だろう。それは分かってるさ。だが考えてくれ。人一人背負って走るのと、自分の身一つで戦うのと、どちらが体力を要すると思う?」
「……! それは……」
「残念だが、僕が観鈴君を背負って走ると数百メートルも持たないと思う。情けないがそういう自信がある。それに万が一、囮になった方が殺されてみろ。僕と少年、どちらがマルチと距離を広げられると思う?」

 祐一は反論できない。英二の言う事はもっともだ。あのマルチを倒せれば問題ない、が先程の戦闘で実感した通りあれを相手に生き残るだけでも至難の業だ。祐一が行ったところで勝てるのかさえ分からない。足止めをするのは体力のある方だ、と勘違いをしていた自分が恥ずかしいと祐一は思った。
「煙草なんて吸うものじゃないな。少年も、成人してもそういうことはするんじゃないぞ」
 自嘲するように、英二は煙草を吸う仕草をする。あるいは呪っているのかもしれない。体力がない自分に対して。

「観鈴君は任せた。僕は僕の仕事をしてくる」
 英二は立ち上がると、ベレッタのマガジンをベルトに差し、恐らく治療中にかき集めたのであろう医療具などを祐一に投げ渡した。祐一は自分のデイパックにそれを詰め込みながら、まるで家族に語りかけるように言った。
「ああ、気をつけろよ」
「心配するな。何たって僕は敏腕プロデューサーなんだからね」
 軽く手を上げて応えると英二はまったく畏れることなく、扉の外へ――敵の待つ戦いの場へと赴いていった。

     *     *     *

191 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:18:50 ID:/lyj3aFg0
 ワタシはロボットだ。
 ワタシは機械だ。
 機械はニンゲンの為に在る。
 機械はニンゲンの役に立たなくてはならない。
 故にニンゲンの――雄二様の命令は、絶対だ。

 ワタシは壊れている。
 ワタシはヒトを殺した。
 壊れているから、殺した。
 しかし壊れたロボットに用は無い。
 だからワタシは壊れていない。
 ワタシは雄二様の役に立たなければならない。
 だから殺す。
 しかし壊れていないロボットはヒトを殺せない。
 故に殺したのはヒトじゃない。
 殺すのは、モノだ。

 雄二様の敵はワタシの敵だ。
 雄二様の敵はニンゲンじゃない。
 雄二様の為に、ワタシは全てを壊して差し上げます。
 だから雄二様、お願いです。

 ワタシをヤクタタズと、存在価値ノナイガラクタト、呼バナイデ――

 ヒテイサレルノハ、イヤダ――


 マルチの高感度イヤーレシーバーが激しい物音をキャッチしたのと、目の前に緒方英二が現れたのはほぼ同時だった。それは英二にとっても予想外だったらしい。扉を開けたすぐ目の前にHMX-12、マルチがいたのだから。
「……いや、かえって好都合だ」

192 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:19:12 ID:/lyj3aFg0
 反射的にマルチが飛び退いたのと、英二のベレッタが火を噴いたのは同時だった。マルチの左脇腹すぐ隣を9mmパラベラム弾が通過して森へと消えて行く。
 着地すると同時に、マルチが前屈みの姿勢になり小石を数点掴む。ふんばりによって巻き上げられた砂塵がマルチのニーソックスを汚すが、もはやそれを気に留めるだけの感情を持ち合わせてはいなかった。
 電子頭脳が導き出す命令に従って、マルチはアンダースロウの要領で小石を投擲する。
 一度に投げられた数点の小石は、さながら散弾のように扇状に広がりながら風を切り、英二に肉薄する。だが英二はヒットアンドアウェイの戦術をとっているのか小石が投げられた時には既に回避行動に移っていた。マルチから逃げるように背を向けて走り出していた英二に、小石はどれ一つとして当たらない。

「どうした、僕を仕留めてみろ! 役立たずのロボットめ!」
 役立たず、という言葉にチリッと電子頭脳の奥で何かが焼けるような感覚がした。
 光を失った無感情のカメラアイが、改めて英二に焦点を合わせる。カメラのピントを合わせるように、標的をロック・オンしていた。
 英二を追うようにして、マルチも走り始める。指の先までピンと伸ばし、実に規則正しい角度で手を振りながら。

 それは目標に追いつくための合理的な行動であった。プログラムを自ら改竄し、本来メイドロボならば出せないはずの出力で、導き出す計算に従って、最善の走法を選択する。もはやそれは以前のマルチとは全く異なる思考回路だ。
 つまり、それは。
「コロス……コロサナケレバ、ユウジサマニ、ステラレル……!」
 これまでマルチが培ってきたもの。思い出。感情。それら全てを捨ててしまった、人間の為の『道具』へと成り下がってしまうことに他ならないのに。
 それがロボットとして『正しい』ことだと、『正しい』姿だと認識してしまった哀れな『ガラクタ』であるということだった。

「くそ、来栖川の科学力も伊達じゃないということか……!」
 一方の追われる英二は、確実にマルチに距離を縮められていることに焦りながらも誘導に成功しまず第一の任務は達成したことに内心喜んでいた。
 向坂雄二との会話から考えてマルチは命令に対して絶対遵守の立場を取っていた。恐らく自分を殺害するまでは特に妨害でもない限り目標を変えることはあるまい。これで祐一たちは逃げやすくなったはずだ。

 後は、どう上手く撒くか。
 今の状態で森に逃げ込んでも逆に追いつかれかねない。ベレッタで上手く攻撃を重ねて相手を戦闘不能にした後逃げるのが得策だとは思うが……
「それにしても最新型のHMX-17型ならともかく12型はここまで高性能だった……!?」

193 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:19:32 ID:/lyj3aFg0
 英二が愚痴をこぼそうとした瞬間、背中にコンクリート片を叩きつけられたような衝撃が走り、無様に地面を転がる。勢いよく地面を転がったお陰で細かい擦り傷が顔に腕に刻まれてゆく。呻き声を漏らしながら、英二が顔を上げる。
 そこには、先程より一回りも大きい岩石の欠片のようなものが転がっていた。精々握りこぶしほどの大きさであったが、猛スピードでこれが当たったのだとしたらあの激痛は納得がいく。そんな芸当ができるのは、今この場では一人しかいない。

「ぐ……松坂渾身の一投か……」
 既に目の前――距離にして数メートル――まで間合いを詰めていたマルチが、小さく飛び上がって踵落としを放っていた。英二は痛みを堪えながら横にごろごろと転がり、間一髪頭部への直撃を回避する。地面を穿つ一撃は、土を巻き上げ英二の顔に降りかかる程であった。

 ゾクッとした怖気を感じながら、英二は寝転がった体勢のままベレッタを発砲する。
 恐怖は、死の可能性を広げる最大の要因である。恐怖を力で屈服させるべく、英二は目の前にいる機械の怪物へ引き金を引き続けた。
 あらゆるものは決して、征服されざる者ではない――そう信じて。

 至近距離から発射された弾丸が、次々にマルチに命中する。
 右腕。右足。下腹部。肩も掠った。それが人間であれば、怯むどころか地面に膝を付き行動不能にさせるくらいの損傷を与えていただろう。
 しかし、目の前のロボットは服に開けられた穴から人工血液をじわじわと出しながらもわずかに身をよじらせただけで全く受け付けていない様子であった。
 英二の思いをかき消すが如く、自らが征服されざる者だと主張するように、マルチは黙って拳を振り上げた。
 なおも英二はベレッタのトリガーを引こうとする。が、目の前の怪物を砕くはずの9mmパラベラム弾が飛び出すことは無かった。理由は単純。既に英二のベレッタはホールド・オープンしていたからだ。

 けれども英二もまた冷静だった。普通ならベレッタのマガジンを入れ替えようとするか、もしくは振り上げられた拳を回避すべく横に転がろうとするだろう。マガジンの交換はとても間に合うものではないし、攻撃を回避しても立て続けに追撃が来るのは免れない。
 英二の取った行動は……人間の立脚点となる部分、即ち脚部を思い切り蹴飛ばすことだった。

 人の土台となる部分に衝撃を加えられ、さしものマルチも体勢を崩す。振り上げられた拳は、すぐに姿勢を維持するために開かれる。
 マルチが両手を地面につくのと、英二が立ち上がったのはほぼ同時。
 更に攻撃を加える隙はあった。蹴り飛ばすもマガジンを交換して数発発砲する程度の時間もあっただろう。だが英二は逃げた。息つく暇も無く脱兎の如く逃げ出した。

194 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:19:51 ID:/lyj3aFg0
 命が惜しかったわけではない。自信がなかったわけでもない。英二の役割は出来るだけマルチを引き付けて祐一と観鈴の距離を離すこと。まだその仕事を全うしたわけではないと考えていた。英二を殺害しようとする追跡者を倒す算段を練るのは、まだもう少し後だと考えていた。
 走りながら英二は不慣れな手つきでベレッタのマガジンを交換する。二、三度手が滑りかけたがそれでもマガジンを落とすという愚は犯さなかった。
 自らに課した仕事は完璧に遂行する……それが英二のポリシーであったからだ。

「逃ガシマセン……」

 背後にマルチの気配を感じる。しかし英二は振り向かなかった。
 振り向けば、それだけ速度が落ちて迫るマルチとの距離を縮めることになる。そしてもう一つ、その行為は背後の脅威に恐怖を感じていることの体現に他ならない。とにかく可能な限り走ることが、英二の生存率、そして祐一らの生存率を高めるためのロジックだった。
 ジャリ、と砂が擦れる音が耳に届く。それはマルチのスタートした合図だ。遅れて鳴らされたる始まりの鐘。二人の間は10メートルほど。生死を分かつ徒競走。さぁいつまでこの競技を続けられるだろうか――

 英二が流れ始めた額の汗を拭って速度を高めようとした時だった。ふと英二の背中を追う様にして忍び寄っていた黒い気配がふっ、と消える。
「……?」
 あまりにも突然のことだったので勘違いだろうかとも思った。気配など、所詮は人が何となく感じているものに過ぎない。しかし英二の背を押していた圧迫感のようなものがなくなっていっているのもまた事実だった。
 それが恐怖に屈する行為だと考えながらも、英二は走らせていた足をゆっくりと緩め、やがて足を止める。大きく吐き出される自分の息だけがその場に残った。

 迫る足音も、未だに痛覚を残す原因となった石つぶてが飛来する風音も、感情の無い声も、何も聞こえてはこなかった。
 だからというわけではないが、かえってそれが英二に不信感を抱かせる。明らかにおかしい状況だった。
 透き通った風が英二の肌を撫でる。それは急速に英二の体温を下げ、「おかしい」とばかり考える自分の思考もやがて落ち着いてくるようになった。
 激しく運動したせいか、眼鏡が幾分かずれているようだった。丸眼鏡の枠から外れて見える、僅かなぼやけた視界が妙に鬱陶しい。無性に煙草を吸いたくなったが、手元に煙草のカートンはなかった。

195 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:20:13 ID:/lyj3aFg0
 代わりに眼鏡を整えて視界を調整した後、英二は大きく息を吸い込み意を決したように自分の背中へと向かって振り向く。
「どういう、事だ……?」
 そこには、もはや誰もいない、荒涼とした路傍の風景が転がっているだけだった。

     *     *     *

「英二さん、上手くやったかな……」
 窓の外に敵の気配があるかどうか確認するために、祐一は観鈴をおんぶしながら頭部の上半分だけを出してきょろきょろと目を左右に動かす。英二が出て行ってから発砲音が一発だけ聞こえたが、後は静かなもので時折風が診療所の窓をカタカタと揺らす音が聞こえてくるくらいだ。恐らく、誘導には成功したのであろう。

「俺達もそろそろ逃げなきゃな……」
 環の安否が気になるけれども、と考えた瞬間噂をすれば何とやらというタイミングで、頭からダラダラと血を流しながら歩いてくる向坂環の姿があった。
「おいおい、マジかよ……」
 呆れ半分、驚き半分といった感じで祐一は声を漏らす。姉弟喧嘩にしてはいささか派手過ぎるんじゃあないのと思ったが、逆に言えばそれだけ環の弟は手の施しようのない状態だったのだろう。あの狂気じみた台詞回しからも、それは分かる。
「けど、ってことは向坂、弟を手に……」

 家族殺し、という単語が頭に浮かんだ祐一だったがそれよりもあの様子では傷も深いはずだった。一旦背負っていた観鈴を下ろして、診療所の外へ向かう。
「向坂っ!」
 声を張り上げながら走ってきた祐一に、環が軽く手を上げて応える。だがそこに余裕はなかった。弟との戦闘で心身ともに疲弊し、声すら出せない女の子が一人、そこにいるだけだった。
「色々言いたいことはあるだろうが、まずは手当てするぞ。今はまだ、ここも安全だ」

196 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:20:35 ID:/lyj3aFg0
 よく見れば顔だけでなく足や腕からも微妙にだが出血している。どれだけ激しく争ったのだろうか。訊きたい気持ちに駆られるが、口に出すことはしなかった。話してもいいことなら、いずれ環の方から喋ってくれるだろう。
 祐一は環の肩に手を回し、支えるようにして診療所まで連れて行った。

     *     *     *

「……そう、そんなことがあったのね」
 祐一に手当てしてもらい、掃除に事の顛末を聞いた環は自分の隣にどっさりと詰まれたペーパータオルの山(血液つき。吸血鬼にお勧めの一品です)を嘆息しながら眺めていた。

「悪いが、すぐにここを出るぞ。ゆっくりしてるとあのロボットが戻ってくるかもしれない」
 床に寝かせていた観鈴をおんぶし直すと、祐一は環に立つように言った。
 未だ目を覚まさない観鈴ではあるが顔色は決して悪くない。じきに目を覚ますだろう。安静にしていれば、の話だが。
「分かってる。けどこのまま西に行くのはやめたほうがいいわ。ひょっとしたら雄二が待ち伏せしてるかもしれない」

 雄二、という言葉に祐一が少し反応して口を開きかけたが、何か思いとどまったのかすぐに口を閉じて目を逸らす。その様子を見た環は、普段から考えればあり得ないくらいの申し訳なさそうな口調で、
「……ごめん。でも、どうしても弟には……」
「あ、いや、そういうことじゃないって」
 ボリボリと観鈴を背負ったまま器用に頬を掻きながら、少し遠慮がちに祐一は言う。

「むしろ安心した。お前が家族を殺すような奴じゃないって分かったからな。ただ、あんまり向坂は話題にしたくないんじゃないか、って思ってさ」
「祐一……うん、ありがとう。でも気にしてないわ、聞きたいことがあるなら遠慮なく言って」
 浮かべた笑みは祐一の言葉が少しだけでも環の心を解していることを表していた。「なら」と祐一が続ける。

「東は英二さんが、西は向坂の弟がいる。なら北か南か、になるんだが、どっちから行く気だ」
「私は南から迂回して西に抜けるのがいいと思う」
 環はデイパックから地図を取り出すと島の最南端の海岸付近を指でなぞりながら道を指し示す。

197 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:20:53 ID:/lyj3aFg0
「北は森になってるし、道も険しいはず。そんなところに観鈴を連れ込むわけにもいかないでしょ? 南からだと民家もあるし、万が一襲われたとしてもそこに逃げ込むことだってできる。それに」
 環はテーブルの上にあった一枚の紙切れを取ると、それを祐一に見せる。

「なんだこりゃ? 『日出ずる処のなすてぃぼうい、書を日没する処の村に致す。そこで合流されたし』?」
 眉をひそめて紙を凝視する祐一に、環が明朗に告げる。
「まあついさっき見つけたわけなんだけど。これは簡単な暗号ね。多分これは小野妹子が隋の煬帝に宛てた文書をもじったもの。で、日没する処……つまり西の村で合流しようって書かれてるってこと」
「まあ、言ってることは分かるが……誰が書いたんだ?」
「さぁ、そこまでは……『なすてぃぼぅい』、『ポテトの親友一号』、『演劇部部長』、この三人のうちのどれかだとは思うけど? 心当たりは?」
 いや、と祐一は首を振る。環はどうなんだと聞こうとした祐一だが、知っているなら聞きはしないだろう。むしろそれよりこの文章の内容を信じて西の村……つまり平瀬村に向かってしまっていいのだろうか? 罠だという可能性はないだろうか? だからそれを環に尋ねてみることにした。

「この手紙……信じてもいいのか? 罠って可能性もあるんじゃないのか」
「だったらわざわざ暗号みたく書いたり名前の部分をあだ名にする必要はないと思うわ。おびき寄せたいなら適当に名簿から名前を選んだりもっと目的地をストレートに書いてくるはず。だから敵の可能性は少ない」
「なるほどな……上手くいけば手紙を書いたこいつらと仲間になれる可能性もあるか」
 仲間がいるかもしれないという希望は、いやがうえにも祐一の心を高揚させた。ここまで会う人間の大半が敵だった祐一にとっては無理からぬことだろう。

「そうと決まれば出るぞ。英二さんだって頑張ってるんだ、俺達もここが踏ん張りどきだ」
「……そうね。せっかく作ってくれた風穴を無下にするわけにはいかないものね。行くわよ、祐一」
 歩くような速さで、少しだけ早足で、祐一と環、そして背負われた観鈴は活路を見出すべく飛び出した。

     *     *     *

「マルチ」
 逃げ出した緒方英二を追おうとしたマルチの背に向かって突然聞こえてきた声に、ビクリとマルチが肩を震わせた。
「ゆ……雄二、様……?」

198 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:21:13 ID:/lyj3aFg0
 彼女にとっての畏怖すべき存在。絶対的な王。そして道徳すら支配する唯一の人。フリーズを起こしたように、マルチは動くことができなかった。
「お前よぉ、こんなところで何してんだよ」
 振り向けないマルチの横に、向坂雄二が立つ。眼球はマルチと同じく底無し沼のように黒く濁り、頬が絶えず引き攣るように動き、歯を苛立たしげに鳴らしている。それは怒りなどではなく、遊びに退屈した駄々っ子の様相を呈していた。

「答えろよ、ポンコツがっ!」
 雄二は怒鳴ると、思い通りにならない玩具を叩き壊すかのような勢いでマルチを蹴り飛ばし、無様に倒れこんだマルチを踏みつける。
「答えられるのか、できねぇのかどっちだよ! はっきりしろ、あ!?」
 顔面を何度も踏みつけられる。感覚としての『痛覚』は彼女になかった。しかしマルチは本物の痛みを感じているように「ひぎっ、ひぃ」と悲鳴を上げ、残虐な王の仕打ちにのたうっていた。やがて雄二が息を切らし始め、虐待が収まってきたころにマルチが弱々しい声で詳細を報告する。

「ゆ、雄二様のご命令に、従って……敵を」
「んなこたぁどうでもいいんだよっ!」
 頭を踏みつける感触がなくなったかと思うと今度は腹部を激しく蹴り飛ばす。蹴られる度にマルチの華奢な体がビク、ビクンと痙攣するように動く。

「姉貴だよ!」

 一発。

「姉貴はどこだっ!」

 さらに一発。

「俺を弱いとか抜かしやがったあのクソ姉貴の居場所を聞いてるんだよ! 敵!? 馬鹿かお前は!」

 次の蹴りは喉に。「ぐがっ」と声にならない声を漏らした後、マルチが咳き込みながら言葉を返す。
「で、ですが……雄二様のお姉さんは雄二様が」
 そこまで言ったところで、マルチの光学樹脂の瞳が額に青筋を立てる雄二の顔を捉える。そして同時に理解してしまった。今の言葉が彼の逆鱗に触れてしまったことに。

199 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:21:34 ID:/lyj3aFg0
「うるせぇっ! ロボットの癖に! 人間様の奴隷の癖にごちゃごちゃ抜かしてんじゃねぇよゴミクズがっ! 俺がいつ意見していいっつったよ!?
 それともお前もあれか、心の底で俺を弱いとか思って見下してんのか!? 姉貴も見つけられねぇ役立たずの癖にいいご身分だなぁおい?
 教えてやるよ、人には権利と義務ってやつがあんだよ! 権利ってやつは義務を果たさないと行使できねぇもんなんだよ!
 それをお前みたいなクズは何もできねぇ癖にのうのうと権利を主張しやがって、何様だ!? 王様か!? ロボット様様か!?
 ふざけんじゃねぇよ! 人間の役にも立てないようなお前は奴隷以下だ! ガラクタだっ、スクラップだジャンクだゴミだクズだ産業廃棄物なんだよ!
 いっちょまえに口なんかきいてんじゃねぇ! 奴隷なら奴隷らしくご奉仕しろよ、あ?
 メイドロボなんだろお前は!? 人間様に逆らえる権利なんかお前には一つたりともねぇんだよ!
 なんだってするって言ったよなぁ? あの言葉はウソか? なんだってするって言ったくせにもう俺に逆らってるじゃねぇか!
 ブッ壊れてるくせに偉そうにすんじゃねぇ! 分かってんのかこのビチグソが!!!」

 普通の人間なら思わず耳を覆ってしまうような罵声を浴びせながら、雄二は喋っている間もマルチのあらゆる部分を蹴り飛ばし、踏み躙り、押し潰す。
 瞬く間に服が破れ、人工皮膚が裂け、血が流れる。ボロクズのようになりながら、それでもマルチは仕打ちを受け続ける。致命傷にならない分、それは拷問と言っても差し支えない所業であった。

「ゆ、許して……どうかお許しください雄二様……わたしが、わたしが全て間違っていました、悪いのはわたし、全部わたしです……」
「当たり前だっ! 何分かりきったこと言ってんだよポンコツ! 理解すんのが遅ぇんだよクソ電子頭脳が!」
 雄二は左手でマルチの髪を引っ張り上げ、右手で拳を作り勢いよくマルチの頬を殴る。右も左も、何度も何度も。

「も、もうひはけあひまへん、もうひはけありみゃへん……」
 殴られ続けながら言うので、まったく言葉にならない。その様子を見た雄二がちっと舌打ちをして左手を離した。支えを失ったマルチの体が瞬く間に崩れ落ちる。

「クソが……せっかく見つけてやったってのに姉貴の場所も知らねぇとは……もういい、お前に期待した俺が馬鹿だったよ」
「ゆ、雄二様……見捨てないで……どうかわたしを見捨てないで下さい……今度こそ、今度こそ必ず雄二様のお役に……」
 掠れた声で暴虐な王にすがろうとするマルチ。例えどんなに理不尽な理由で痛めつけられたとしても、今のマルチには雄二こそが全て。雄二こそが絶対の存在だった。よろよろと立ち上がり、立ち去ろうとする雄二を追いかける。

200 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:21:59 ID:/lyj3aFg0
「ち……まだ歩けたのかよ」
 マルチが追ってくるのを見た雄二が、分かった分かったというように手を振りながら言う。
「次が最後だ。もう失敗は許さねぇからな。死ぬ気で役に立ってみせろよ、クズ」
「ゆ、雄二様……は、はい、必ず」

 後がないことを知りながらも、マルチは嬉々とした声色で雄二の後に続く。まだ見捨てられていないという希望が、もう一度マルチを奮い立たせたのだ。
「姉貴を追うぞ。愚図愚図するな! 行くぞ」
「も、申し訳ありません!」
 暴虐な王と哀れな忠臣は、まだ一本の糸で繋がっていた。


【時間:2日目午後14:00】
【場所:I-07】
向坂環
【所持品:支給品一式、救急箱、診療所のメモ】
【状態:頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)。南から平瀬村に向けて移動】
相沢祐一
【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)支給品一式】
【状態:観鈴を背負っている、疲労、南から平瀬村に向けて移動】
神尾観鈴
【持ち物:ワルサーP5(8/8)フラッシュメモリ、支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)、祐一に担がれている】

201 診療所にて、煩悩と戦闘と策/壊れた歯車の国、暴虐の王 :2008/01/14(月) 16:22:23 ID:/lyj3aFg0
【時間:2日目午後14:30】
【場所:H-07】
向坂雄二
【所持品:金属バット・支給品一式】
【状態:マーダー、精神異常。姉貴はどこだ!?】
マルチ
【所持品:支給品一式】
【状態:マーダー、精神(機能)異常 服は普段着に着替えている(ボロボロ)。体中に微細な傷及び右腕、右足、下腹部に銃創(支障なし)。雄二様に従って行動】


【時間:2日目午後14:10】
【場所:H-08】
緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:疲労大、マルチいないなどこ行った?】

→B-10

202 ふたりは岸田 :2008/01/16(水) 01:21:50 ID:kFSrd0oU0
差し込んでくる朝焼けが視界を照らし出していく、木々の隙間から覗くそれで彼女は現在の時刻を予測した。
体内時計の伝えるそれと然程変わらない時間、この体は彼女が想像するよりも余程便利にできている。
あれから、どれほどの時間が経過したのか。
それまで確認をしようとしなかった彼女には、分からないだろう。
無学寺を飛び出してから、彼女はひたすら移動し続けていた。
歩き続けているその足に疲労の色は見えない、そもそも機械の体に疲労という概念などないのだから当たり前のことではある。

ほしのゆめみの機嫌は最上級だった。
片手に戦利品である立田七海を抱えている彼女の道を、今邪魔するものはない。
空いているはずだった彼女のもう片手には、日本酒の一升瓶が握られていた。
道中見つけ、嬉々とした彼女が拾い上げたものである。
それは折原浩平がイルファを担ぐ際荷物になるからと手放したものであるが、そんな詳細などゆめみには関係ない。
自由にできる女がいる。
酒まで手に入った。
これ以上に何を望むか。ゆめみの機嫌は、最上きゅ……

「って機械の体じゃ酒は飲めねーし、女の体じゃ女は抱けねーしで最悪じゃねーか!!」

ゆめみの中の人が暴れる。
ゆめみの中の人こと岸田洋一にとって、今一番の問題がそれだった。
最高のシチュエーションが揃っているというのにそれを堪能できない状況は、彼にとってはストレスに他ならない。
それならば泣き叫ぶ女を切り刻み肉塊と化す様を眺める方が、彼にとってもオツであったろう。
しかしそんなことができる道具というのも、彼は特に所持していない。
上機嫌だったはずのゆめみのそれが、一気に降下していく。
……これからどうするかなどという、当たり前のことで悩まなければいけない現実にゆめみは苛立ちを隠せない。
それこそ決まった信念のある彼に、事を考えさせるという行為ほど無駄なものはないだろう。
男は殺せ、女は食え。それだけなのである。
ただ今は彼の体が彼女であるが故、食いたくとも食えないのだが。

203 ふたりは岸田 :2008/01/16(水) 01:22:16 ID:kFSrd0oU0
「そうだ、逆転の発想はどうだ?!」

つまり、女を殺して男を食えと。
……想像しただけで、ゆめみの回路はフリーズしそうになる。
明らかな拒否だった。

「むむ、そもそもこの体に性感帯はあるのか」

出展作品は全年齢対象である、難しい疑問だった。
彼の目的は対象を喘がせ快楽を与えるものではない、あくまで自身が楽しむことが重要となっている。
ではどうするか。
……それを考えようとした際、そもそも何故自身がこのような状態になってしまっているかをゆめみは反芻しようとした。
岸田洋一である自身が、何故少女の外見を模した機械人形の中に入ってしまっているのか。
その時だった。

「動くな」

声はゆめみの側面から響く、慌てて顔を向けると額にガチっと金属が押し付けられる音が鳴った。
ゆめみの瞳には映らないそれ、しかしゆめみの経験がその正体を予測させる。
これはまずい事態だと、ゆめみの回路はすぐに警報鳴らし彼女に伝えた。
だが、ゆめみの両手は塞がったままだ。いまだ目覚めぬ七海と日本酒の重量は馬鹿にならず、手放すにしてももうワンアクション必要だろう。

「けけっ……運がいいぜ。まさか、こんなにも早く女を見つけられるなんてなぁ」

ゆめみの視界に上手く映らないそれ、彼女の額に銃らしきものを押し付けている男が呟く。
身長の問題だろう、ゆめみは彼の顔を上手く確認することができないでいた。
どうにも聞き覚えのある声だなと、彼女が思った所でバランスが崩される。
男が素早くゆめみに足払いをかけたらしい、両手が塞がっているゆめみは受身をとることもできずそのまま背面から地面に倒れてしまう。
ゆめみの聴覚が、きゃっという小さい悲鳴を捉える。多分、気を失っていた七海の物だろう。
身が投げ出された際に、やっと起きたのかもしれない。
日本酒の一升瓶も、既にゆめみの手からは離れていた。
ガラスが砕ける音がないことから割れてはいないだろうと、今それを確認できないゆめみは予測する。

204 ふたりは岸田 :2008/01/16(水) 01:22:53 ID:kFSrd0oU0
ゆめみの両手は、今、違うもので捕らえられていた。
握り締めてくるごつい作りの成年男子の手は、どんなにゆめみがもがいても外れない強さを持っている。
荒い息が吐きかけられ、整理的な意味でゆめみの体は一度震えた。
両手には外れない拘束が、そして男の膝が割るようにゆめみの中心へと伸びていく。
何が何だか、慌てふためくゆめみの視界、逆行の中現れたのはゆめみにとっても最も見知ったものであるとい言える面影だった。

(俺ーーー?!!!)

嫌らしい笑みを浮かべゆめみに射抜くような視線を送る人物は、岸田洋一、その人だった。





【時間:2日目午前6時前】
【場所:E−6】

岸田洋一
【所持品:カッターナイフ、拳銃(種別未定)・包丁・辞書×3(英和、和英、国語)支給品一式(食料少し消費)】
【状態:ゆめみを押し倒している】

岸田ゆめみ
【所持品:支給品一式】
【状態:岸田に押し倒されている、性欲を持て余している(一応)】

立田七海
【持ち物:無し】
【状況:体が投げ出された、郁乃と共に愛佳及び宗一達の捜索】

近くに日本酒の一升瓶が転がっている

205 ふたりは岸田 :2008/01/16(水) 01:25:30 ID:kFSrd0oU0
すみません、関連が抜けていました。
(関連:816・917)(B−4ルート)

206 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:28:07 ID:2/q5zlEg0
岡崎朋也にとって、彼女の死ほど信じられないものはなかった。
あまりの現実感の無さに、朋也は戸惑う余裕もなかった。

ただ、もうあいつとしゃべることもないのかと。
ちょっとしたことで話し込んだりとか、教室遊びにきたりとか。
そういうものが、これから一生ないのかと思うと。
とてつもない空虚感が、自分の中で膨れていくのを。朋也は感じた。

もう、目の前で藤林杏が笑うことはない。
一緒に春原をいじることもない。
馬鹿話することもない。
何もない、何もできない。

杏は、死んだのだから。

ひょっこりといつもの余裕そうな顔でまた現れるんじゃないかと、そういう理想が朋也の脳裏を駆け抜ける。
何故か、やはりまだ彼女の死が朋也は信じられなかった。
その姿を見ていないからかもしれない。
彼女の死因は分からない、分かるはずもない、朋也が知りえるはずもない。杏は朋也の目の前で命を落とした訳ではないのだから。
では、実際生きていない杏の姿が視界に入ったら、自身はどうなるだろう。
それすらも、朋也は想像できなかった。

生気のない真っ白い顔が。冷たい体が。硬く動かなくしてしまった指先が。手の届く範囲に現れたら。

どうなるだろう。
でもきっと、その時になってやっと流れるかもしれないと。ふと、朋也は考えた。
集約された悲しみ達が、開放を求めて暴れだすかもしれない。
今はまだ突然のことで揺さぶられていない冷静な自分が、そうやって崩れていくのだろうと朋也はちょっとした結論を出す。
その行為に意味はないのかもしれない、しかし。
そんな風に考えるくらいしか、朋也にはできなかった。

207 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:28:32 ID:2/q5zlEg0
「岡崎朋也……」

みちるは無言で拳を握り締める朋也の姿を、心配そうに眺めていた。
第二回目の放送、それが与えた衝撃でみちるの周りの人間は誰もが顔を硬くしていた。
幸いみちるが思う誰よりも大切な人物の名は、上がっていない。
それでも知人に値する神尾観鈴の死は、幼いみちるの心に死と向き合わなければいけないというリアルさを押し付ける。





一夜をゆったりと休養に当てた彼ら、一番最後に目を覚ますことになるみちるを起こしたのは、途中で朋也と見張りを交代したことで少々の眠気が残る十波由真だった。
布団を剥ぎ取られしぶしぶ目を開けたみちるのそれに、大きな欠伸を隠そうとしない由真の横顔が映る。
部屋を出て行く由真の背中を見送った後、みちるは備え付けられた鏡で髪を整えるとダイニングへすぐに向かった。
テーブルには既に朋也も、そしてもう一人の仲間である伊吹風子も席についている。
二つずつ向かい合うように固定された椅子、朋也と風子は隣同士で座っていた。

(……岡崎朋也とずっと一緒にいたのは、みちるなのに)

ちょっとしたジェラシーが湧き上がるものの、みちるもそこまで我侭な振る舞いをしようとはしない。
余程気に入っているのだろう、風子は無邪気に朋也から譲り受けた三角帽子を弄っていた。
それはみちるから見ても、微笑ましい光景だった。それこそ最愛の彼女との思い出がふと過ぎり、みちるは感傷的になりかける。

「さ、座った座った。さっさとご飯食べましょ」
「……って、おい十波。これ、支給品のパンじゃないのか?」
「そうだけど」

食卓についているのである、朋也でなくとも何か作った物が出されると思うのは不思議ではないはずだ。
しかし彼らの目の前に並べられたのは、支給された味気ないパンとコップに入った水だけであった。

208 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:28:54 ID:2/q5zlEg0
「仕方ないじゃない。食料なかったのよ、この家」
「マジか」
「水道は生きていたから、そっちはジャンジャン飲んで貰って大丈夫よ」
「そうか、水か……」

テンションの下がった朋也を置き、残りの三人はいただきまーすの掛け声で一斉にパンにかぶりつく。
朋也も一拍子遅れて、包装を解きパンを取り出した。
味気ない、支給品であるパン。
一口齧った跡に広がるもふもふとした食感……だが、それで腹が膨れていくのも確かだった。
朋也は黙ってパンを食べた。

「あ、ちなみに岡崎さんの食料はそれで最後だから」
「何でだ?!」
「あたしが食べてるの、岡崎さんの分だから」

そういえばと、彼女に出会った際餌付けるが如く食料を譲った記憶が朋也にはあった。
また昨夜も四人は食事を摂っていたので、朋也の食料の減りが早かった理由はすぐに解明された。

「ちなみにごめんなさい、夜中にも小腹空いちゃって一個拝借しちゃったの」
「中々に油断できないな、お前……」

成る程。有限である物が失われていく様を実感し、朋也はまたセンチメンタルになる。

「にょわわ、それじゃあお昼はみちるのパンを分けてあげるね!」
「ありがとう、助かるわ」
「風子も協力します!」
「みんな……あたしのためにありがとう!!」

ちっちゃい子達に懐かれ、由真は感無量のようだった。

「これからも、お尻のお世話になるかもしれませんんからねっ」
「それはもういいかな?!」

209 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:29:33 ID:2/q5zlEg0
親指をビッと立てる風子のそれに、すぐ様つっこみを入れる由真。
平和だった。
その平和に、一瞬でもここが戦場である事実を朋也に忘れさせる。
だからこそ、ショックは大きかったのかもしれない。
民家に響き渡るノイズ、聞き覚えのある男の声が紡ぐ放送。
死者の発表、そして信じがたい謎の公約。

朋也の心に亀裂が走る。
朋也だけではない。
由真も。みちるも。
そして、風子も。
皆の心を捉えられるそれは、たかだか数分のものである。
しかしそれによって、食卓の空気は一変した。
言葉の消えたダイニング、食べかけのパンに再び手を伸ばす者はいない。

「岡崎朋也……」

蒼白となる朋也の顔を、正面に座っていたみちるは心配そうに見上げてくる。
言葉を返す余裕はないのだろう、朋也は無言でそれを流した。
藤林杏、彼女の死が朋也にもたらした影響は大きい。
また続け様に呼ばれた古河夫妻の名にも、朋也はショックを隠せなかった。
呆然となる朋也、それを見つめるみちるも、由真も。無言で固まってしまっている。
そんな中最初に動いた風子は、押し黙る三人を他所に一人食事を再開した。
パンを口の中に押し込み水でそれを流す様は、まるで学校に遅刻しそうになって急いで支度を終えようとしている朝の風景を連想させる。
食事が終わると風子はそのまま手にしていた三角帽子を頭に載せ直し、部屋の隅に集められていたデイバッグの方へと掛けて行った。
中身を確認してデイバッグをしょいなおした所で、風子は相変わらずの三人に向かってお辞儀をした。

「今までお世話になりました」

210 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:30:00 ID:2/q5zlEg0
ぼーっとした三本の視線が風子に集まる。
誰もが彼女の言葉の意味を、理解していなかっただろう。
彼女の次の言葉を、聞くまでは。

「風子、もう皆さんと一緒にはいられません。風子は優勝を狙います」
「……はあ?」

気の抜けた朋也の声。
風子はぎゅっと両手で握りこぶしを作り、それを胸の前で構えていた。
幼いその立ち振る舞いと口から出る真逆の残虐さは、それこそ彼女が自分の言っていることを理解していないようにしか他者には思えないだろう。

「風子、お姉ちゃんに会いたいです。そのためには何でもできます」
「馬鹿、できる訳ないだろ……死んだ人間が甦るものか、考え直せ」
「考え直しません!」

だが、風子の決意は本物だった。
意固地になっている彼女が、どうすれば「優勝」できるのかということまで考えているかは甚だ疑問ではある。
溜息を吐く朋也、しかしこれ以上話すことはないと風子はさっさと翻り彼らに背を向けた。

「おい風子! 風子!!」

朋也の声にも振り返らず風子は駆けていく。
しばらくしてから玄関のものと思われるドアが開閉する音がダイニングまで届き、風子がこの民家を出てしまったという事実だけがここに残った。

「たっく、世話かけんなよ……」

もう一つ溜息をつくと、朋也は面倒くさそうに椅子から立ち上がった。
とにかく風子を追いかけなくてはいけないという朋也、しかしそれを止める者がいた。

211 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:30:40 ID:2/q5zlEg0
「待って、岡崎さん」

朋也が振り返ると、そこにはまだ椅子に座ったままの由真がいた。
由真の表情は真剣だったが風子のことが気になるのだろう、朋也は由真を適当にあしらおうとする。

「何だ、話なら後に……」
「あの放送、望みなら何でもって言ったわよね」

ぴたっと。朋也の足が止まる。
改めて由真をしげしげと見る朋也の視線には、彼女発した言葉に対する疑念の意が込められていただろう。
怯んだように由真も一瞬肩を竦めるが、彼女はしゃべりを止めなかった。

「言ったわよね。優勝して、皆を生き返らせればいいって」
「お前、そんな馬鹿げたこと信じてんのか?」
「で、でもそう言ったじゃない! あの子じゃないけど、い、生き返らせることができるなら……そ、それなら、手っ取り早く優勝を目指した方が……」
「十波!」

朋也の怒号が響き渡る。
ひっ、という由真の小さい悲鳴が隣から上がり、隣に座っていたみちるも思わず身を震わせた。
……怯える二人の姿に朋也は、溜息をまた一つ吐く。

「その話は後にしろ。今は風子を探すのが一番だ」
「……」

訪れた無言は、朝の楽しい風景の微塵など微塵もない。
朋也は内心の苛立ちを隠そうと無言をつらぬき、由真とみちるが支度を終えるのを待った。
タイムロス。
二人を待っている間に風子を先に探しに行った方が良かったのではないかという考えも、朋也にはあった。
最初は朋也も、そうしようとしていた。
しかし由真の挙動に不信を感じ、朋也は三人でいることを選んだ。
それは間違った選択ではないだろう、風子と合流することができても他の二人と再会できなければ意味はない。
それならば、あのくだらないやり取りで足止めを食らうことができたということは、朋也にとってはプラスになるはずだった。

212 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:31:04 ID:2/q5zlEg0
(そう考えるしか、ねーだろ……)

民家を後にした三人の視界に、風子が辿ったと思われる道しるべは何もない。
これで焦るなと言われた方がおかしいだろうと、朋也は内心毒づいた。





一方由真の心の揺れは、他の誰にも伝わっていなかった。
河野貴明、長瀬源蔵 。放送で上げられたあまりにも身近な名前に、由真の平常心は一瞬で崩された。
引いていく血の気が軽い貧血を予感させる、しかし倒れる訳にはいかないと由真は一人踏ん張った。
またもう一人、親友でもある少女の名前を聞いた気が由真はしていた。
実際は彼女ではなくその妹に値する人物なのだが、貴明の名前が先に呼ばれたことでホワイトアウトしてしまった由真の思考回路では、それを正確に捉えることができなかった。
小牧という少女が死んだ、それは今由真の中ではイコール小牧愛佳を指してしまっている。

みんな死んだ。由真が大切に思っていた人物は、全員死んでしまっていた。
道中由真が共に時間を過ごすことになった笹森花梨の名はなかったが、それでもこの現実は由真にとってあまりにも大きい悲劇としか言いようがなかった。
そんな由真に、まるで天からの恵みとも思えるような囁きが訪れる。

『発表とは他でもない、ゲームの優勝者へのご褒美の事さ。相応の報酬が無いと君達もやる気が上がらないだろうからね。
 見事優勝した暁には好きな願いを一つ、例えどんな願いであろうと叶えてあげよう』

正常な判断ができなくなりかけている由真の心に、その言葉はすっぽりと落ちていった。
そして空虚だった彼女の隙間を埋めようと、存在感をアピールしてくる。

『だから心配せず、ゲームに励んでくれ。君らの大事な人が死んだって優勝して生き返らせればいいだけだからね』

可能性はゼロじゃない。
嘘か本当か判断することはできない、だが言葉の魔力に確かに由真は取り付かれかけていた。

213 Q.常識的に考えて、本当に死んだ人間が生き返ると思う? :2008/01/17(木) 22:31:51 ID:2/q5zlEg0
―― 由真の心の揺れは、他の誰にも伝わっていない。

朋也にも。
みちるにも。
勿論、風子にも。
皆、自分のことで精一杯だった。他者のことを気にかける、余力もなかったのだろう。
皆、子供だった。それは仕方のないことだ。

誰もが内面に悲しみを抑えようとした結果が、これだ。
深夜風子の心を癒した朋也の行動がまるで嘘だったと思えるくらい、四人の心はばらばらになっていた。




【時間:2日目 6時半過ぎ】
【場所:f-2】 

岡崎朋也
【持ち物:クラッカー複数、支給品一式(食料無し)】
【状況:風子を追いかける,当面の目的は渚や友人達の捜索】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)】
【状況:風子を追いかける、混乱気味】

みちる 
【持ち物:武器は不明、支給品一式(食料少し消費)】
【状況:風子を追いかける、当面の目的は美凪の捜索】

伊吹風子
【所持品:スペツナズナイフの柄、三角帽子、支給品一式(食料少し消費)】
【状態:公子を生き返らせるために、優勝を狙う】

(関連:365)(B−4ルート)

214 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:45:41 ID:Ba6WrXYs0
 俺様は堤防の上に座り込み、おむすびの包みを広げていた。
「やってらんね……」
 少しでも空腹になるとやる気がなくなる。しかもこの暑さだ。
 堤防の上は海から吹き込んでくる風が強く、涼しい場所だった。
 汗が乾いていくのが分かる。
 見晴らしも良かったから、昼飯を食べるには絶好の場所だった。
 俺様はおむすびを包みから取り出す。
 重いと思っていたら、ボーリングの玉のように馬鹿でかいおむすびだった。量的には申し分ない。
 もぐもぐ……
 海を前にあぐらをかいて、馬鹿でかいおむすびを頬張る。
 まるで観光客だった。
「うーん……」
 すぐ隣に立ち、一身に風を受ける犬がいた。
 ……犬?
「ぴこ」
 その犬は何を血迷ったか俺様のおむすびへ――
「ぴこ〜〜〜♪」
 ――ではなく、俺様の唇へ……って! オイ! 何だこの超展開は!
「ちょ、おま、待て、俺様は心の準備が……じゃなくてこんな展開知らねぇぞ! こっち来んなぁああぁぁぁあぁ!!!」

     *     *    *

215 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:46:04 ID:Ba6WrXYs0
 そこで俺様は目を覚ました。何だ夢か……まったく最悪の夢だったぜ。
 やれやれ、この高槻様ともあろうものが柄にもなく取り乱しちまったな。でもどうせなら夢オチだろうと絶世の美女(ボインボインの)とやらせてくれたっていいじゃねぇか。お前らだってそう思うだろ?

 ところで、俺様に近づいてくるこの白い毛むくじゃらみたいなのはなんだ? 何かゴマ粒みたいなのが二つと逆三角形のおむすびみたいなのと舌みたいなのがついてるんだが。しかもこっちに近づいてくるし。何か知らんが異常に興奮してるみたいだし。おちけつ、お前の目指すべき相手はここから遠く離れたスペインの闘牛場にある赤いマントのはずだ。だからこっち来んな。

「……ぴこ……」
 はてどこかで聞いたことのある鳴き声だな。はっはっは、幼児の玩具みたいな鳴き声だな。こいつなら投稿! 特ホウ王国に持っていけそうだ。あの番組は大好きだったなあ……ヤラセだと分かった時には萎えたけどな。
 おや、ゴマ粒が小さくなったぞ。まるで目を閉じているみたいだな。うん、耳に響いてくるこの息遣いといい、動物的なワイルドな涎の香りといい、本当の犬みたいな……犬……ぴこ……待て。まさかこいつは――

 その瞬間、俺様の脳裏には『ズギュウゥゥゥゥン!!!』という効果音と共に熱い接吻を交わすあの漫画の一コマが描き出された。同時に、何かを祝福するように二人組の天使様が盛大にラッパをぷっぷーと鳴らしている。待て待て待て! 勝手に未来を確定させんじゃねぇええぇえぇぇ!
「何すんじゃこのアホ犬がぁあぁあぁぁぁぁああwせdrftgyふじこlp;@!」
 絶叫しすぎて後半人間の言葉になっていなかったが、とにもかくにも俺様は唇を奪おうとした超駄犬、ポッテートを引っつかんで海へと向かって思い切り放り投げた。

「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜……」
 気の抜けるような声を残して海中へとフェードアウトするポテトを、肩で息をしながら見送る俺様。パシャーンと水しぶきをあげた光景が、妙に美しかった。
 そこでようやく、俺様はここが海岸だということに気付く。はて、どうして俺様はこんなところにいるんだっけ?

「相変わらず元気ね……」
 呆れたような、冷めたような声が俺様の耳に届く。振り返るとそこには片手でゆめみに背負われた郁乃の姿があった。ぐったりとしていてどうも元気がなさそうだ。
 ……そうだ、思い出した。俺様は崖から転落した郁乃を追ってゆめみと一緒に海へ飛び込んだんだっけな。でも意外と波が激しくて右往左往しているうちにだんだんと意識がブラックアウトしていって……

216 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:46:29 ID:Ba6WrXYs0
「郁乃。俺様はどんくらい寝てた?」
「さぁ? 私も気絶してたからなんとも言えないけど、いの一番に溺れてたのはアンタ」
 ビシッ、と人差し指が俺様に向く。ちげーよ! 泳げないんじゃないんだよ! 着衣水泳がどんだけ難しいかお前らだって分かってんだろ!?
 ……と言い訳しようと口を開こうとした瞬間、さらに郁乃がお得意の毒舌を振るう。

「カッコ悪い。最低」
 ぐはっ、と砂浜に崩れ落ちる俺様に、更にゆめみが言った。
「た、高槻さんお気になさることはありません! ポテトさんがしっかりフォローしてくれましたから」
 ゆめみさん、そいつは当てつけですか? つーかまた犬に助けられる俺様って……どうよ? ヒーローとして。
「そうそう、ポテトさんはすごいですよ。わたし以上に早く泳いでいましたし、人工呼吸も出来るんです。わたしは呼吸という行動をしないので高槻さんが溺れて息をしてなかったときはどうしようかと……」
「全くよ。私も気絶してたけど、流石にアンタほどじゃなかったわ。さっき投げ飛ばしてたけど、後でお礼言っときなさいよ? ほんっと手間のかかる奴なんだから……」

 なんだこの扱いは。俺様の株が急落、ポテトがうなぎ上りって感じじゃねーか。つーか人工呼吸する犬ってどうなのよ? ……待て。人口呼吸?
「おい人口呼吸って……まさか」
 俺様は半ば顔を青ざめさせながらようやく舞い戻ってきたポテトを見やる。ずぶ濡れになったポテトは暢気にぷるぷると体を振って水分を払っていた。
 冗談だよな? 俺様が犬に人工呼吸されて死の淵から復活したなんて。きっと郁乃あたりが「べ、別にこれはキスなんかじゃないんだからね!」と典型的ツンデレのように恥じらいながらやってくれたってオチなんだろ? HAHAHA、二人して随分ウィットに富んだジョークを言ってくれる。な、そうだよなポテト?
 俺様が懇願するように視線を投げかけても当の畜生は「ぴこ?」と首を傾げるばかり。そして現実は非常だった。

「はいっ、ポテトさんが必死に高槻さんの口に息を吹き込んでくれたんです。それも27回も」
「……」
 これ以上ない笑顔でポテトの活躍を嬉々として伝えるゆめみさん。
 したのか。27回……27……か……い……

「……ねぇ、大丈夫?」
 見るに見かねたような表情で郁乃が気遣ってくれる。あまりに酷い顔だったのだろう。俺様は必死に笑顔を繕いながら親指を立てて返事する。
「へ、へへ、大丈夫に決まってるだろうが……27回……」
「……」
 ご愁傷様、と小声で言うのが聞こえた。郁乃にとっても犬が人工呼吸をしている光景というものはさぞシュールだったに違いない。

217 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:46:55 ID:Ba6WrXYs0
「ぴこ、ぴーこっ」
 いつの間にか俺様の足元まで来ていたポテトが「気にするな」とでも言うようにぽんぽんと前足で脛を叩いていた。このまま奴を地平線の彼方まで蹴り飛ばしてやりたかったが今の俺様にはそんな気力もなかった。
「それでは、高槻さんも目を覚まされたようですしここから移動しましょう。幸い、みなさんのお荷物は無事だったようですし」
 ゆめみが方向転換し、何やら黒いものが山積みになっている地点に視線を向ける。あれが荷物だったのか。多分ゆめみが集めておいてくれたのだろう。
「車椅子は海中に沈んじゃったけどね」
 荷物を見ながら、自嘲するように郁乃が呟く。何かが足りないと思っていたが、郁乃がゆめみに負ぶわれていたのはそのためだったらしい。となると郁乃が自力で移動する手段もなくなったことになる。この島に車椅子みたいなものがあれば、また話は別だが。

「ふん、死ぬよりはマシだと思えよ。それよりも、俺様は疲れた。どっかで休憩するぞ」
「ちょっと、何よその言い方……いや、それはもう何も言わないけど、折原や七海……それに杏さんを探さなくていいの!?」
 俺様の言い草にカチンと来たのか、郁乃がゆめみの背中から身を乗り出すようにして怒鳴る。言いたいことは分かるが、分析ってものが出来ていない。それにあいつらとは元々成り行きでくっついていた連中だ。俺様が探す義理もない。だがそこまで言えば口論が発展するだけだろう。ファンを減らす愚は犯さないのがハードボイルドのハードボイルドたる所以なんだなこれが。

「アホか、真面目に考えてみろ。あそこにいた女……あの変な恐竜みたいなのに乗ってた女がいただろ? あの様子じゃ一戦はあったはずだ。結果はともかく、今もあの場所にいるとは、とてもじゃないが思えねぇ。いや精々バラバラになって逃げるのが関の山だっただろうよ。そんなあいつらをどうやって探す? ヒントもなしに。それにお前もそんなぐったりした様子で、体力が持つのか? それだけならまだいいが、お前は歩けない」
 ぐっ、と郁乃が息を呑むのが分かった。その点に関しては何も言えない事は本人も分かっているはずだ。それを利用するようだが……ここでビシッと言っておいてやるか。

「事実だけ言ってやる。今のお前は足手まとい以外の何者でもないんだよ。本来ならこの時点で見捨てられてもおかしくない。まぁ俺様はそんなことはしないが……とにかく、お前がいるせいで移動にも手間がかかってる状態だ。そんな状態でうろちょろしてみろ、いい的に」
「分かってるわよ!」
 郁乃の叫び声が俺様の声を掻き消す。悔しそうに歯噛みをしているのが見て取れる。郁乃のことだ、傷を抉られるようで聞ける言葉ではなかったのだろう。
 『セイギノミカタ』ならこんな状況でも快く郁乃の頼みを引き受けたかもしれない。だが俺様はそんな存在じゃないし、そんなものは反吐が出る。安請け合いはできなかった。

218 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:47:22 ID:Ba6WrXYs0
「分かってるわよ……私が、足手まといなんて……このゲームが始まった時から……」
「小牧さん……」
 ゆめみは心配そうに郁乃を見るが、それ以上の言葉は口に出さない。単にこんな状況でかける言葉がプログラムされていないだけなのか、それとも俺様の言葉が正しいと分かっているからなのか……どちらにせよ、ゆめみは口出しする気はないようだった。
「でも悔しいじゃない……私を助けてくれた人に何も出来ないなんて……私だって、私だって役に立ちたいのに……じっとしてることが一番役に立つだなんて、そんなバカな話ってないじゃない……」

「口だけなら何とでも言えるな」
「……!」
 追い討ちをかけるような俺様の言葉に対して、郁乃がキッとこちらを睨む。でも睨むだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「後悔してる暇があったら何とかしてみろ。だからバカなんだよお前は。俺様が言ったのは『俺様が疲れたから休みたい』これだけだ。休んでる時間お前らが何をしようと俺様にゃ関係ない。精々歩く練習をしようが銃を撃つ訓練みたいなことしようがな。後悔や反省ってのは、明日に生かすためにあるんだよ」

 くぅっ、良い事言ってるよ俺様! これがハードボイルドの真髄って奴だよな! などと悦に入っている俺様に、郁乃が小憎たらしい口調ながらも言った。
「あんたなんかに言われる筋合い無いわよ……犬に27回も人工呼吸されたことをまだ引き摺ってるくせに」
「ああそうだ、俺様は悪党だからな。くっくっく……反省なんてしないんだよ」
 自分で言うのもなんだが下卑た声で笑う俺様に郁乃が眉を潜めながら捨て台詞を吐いた。
「……見てなさいよ、あんたが昼寝から起きた時には歩けるようになってみせる」
「お? だったら俺様の意見に従うってことでいいんだな? ん?」
「ムカツクわねその言い方……そうよ、そうだって言ってるのよ!」
「こ、小牧さん少し落ち着いて……高槻さんもあまり煽らないで下さい」

 おろおろするゆめみだが、まぁこれくらいはいつものやりとりだ。後は精々郁乃の成長に期待するとしますかね。
「はいはい、分かった分かった。んじゃ取り合えずあそこに見える家で休憩するぞ。俺様はしばらく寝るから後は勝手にしろ。行くぞポテト」
 海岸のすぐ近くにあったバラ家を指して、ぴこ、とポテトを引き連れながら俺様は疲れきった体を休ませるべく歩き出した。おっと、荷物も忘れずにと。ついでだから二人の分も持っていってやるか。俺様は紳士だからな。

219 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:48:05 ID:Ba6WrXYs0
 俺様はまず山積みになっているデイパックまで歩いて行き荷物を回収する。その背中から、ゆめみと郁乃の話す声が聞こえてきた。
「小牧さん、本当によろしいのですか?」
「いいの。あいつの言ってることは正しい……ムカツクけど、ゆめみに背負われてるのが、今の私なんだから……」
「……分かりました。では、まずはあの家までお連れいたします」
「あいつ、あれで私を気遣ってくれてたのかな……」
「と申しますと?」
「あいつね、案外あれで鋭いところがあるから……私が歩けないことを気にしてるの、とっくの昔に気付いてて、だからあんなことを言ったんじゃないかって……ううん、やっぱ考えすぎよね。あいつロリコンだし、変態だし、天パだし」

 うるせえ。天パは関係ねぇだろ、というかロリコンじゃねぇと言いたかったが、あえて聞こえないふりをしながら俺様は先を歩いていった。
 別にそんなつもりで言ったわけでもねぇしな。まあ、多分……
「ぴこぴこっ」
 ポテトだけは、何故か知らんが楽しそうだった。

     *     *     *

 侵入した家屋には、運がいいのかどうかは分からないが、今のところは誰もいないようであった。明かりのついていない室内には、雑然と日用品などが転がっている。小牧郁乃とほしのゆめみの前を歩く高槻は、それを気にすることもなく蹴散らしながら自分が寝るためのスペースを確保しているようであった。
「あの、お布団は……?」
 普通寝ようと思うならベッドや布団などをまず探そうとするはずだ。ゆめみが尋ねるが、高槻は面倒くさそうに「床で寝る」とだけ言うと三人分のデイパックを無造作に放り投げ、どかっ、と壁にもたれかかるようにしながら目を閉じて睡眠に入り始めた。実に素早い行動力である。

「高槻さん、毛布くらい敷かれた方が」
 ゆめみが毛布を持ってこようかと提案しようとしたが、既に高槻はぐーぐーと小さないびきをかきながら夢の世界へと旅立っていた。目を閉じてから実に一分足らず。ギネスブックに載りそうなくらい早かった。

220 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:48:30 ID:Ba6WrXYs0
「放っとけばいいわよ。バカは風邪引かないって言うし」
 ゆめみに背負われている郁乃はそっけなく言うと、ゆめみに床に下ろすように頼んだ。
「ちょっと自分で立ってみる。時間が惜しいわ、早く歩けるようにならないと」
「ですが、小牧さんも疲れていらっしゃるのでは……」
「あんなこと言った手前、今更引き下がれないでしょ。あいつに比べればそこまで疲れてない。それに、ここに来る前もお姉ちゃんとある程度リハビリはやってた。死ぬ気でやれば……絶対歩けるようになるはずだから」
「……分かりました。ですが、わたしが危険だと判断したときはすぐにお止めいたします。それがわたしの役割ですから」
 大げさな言い方ね、と郁乃は思ったがこれがゆめみなりに譲歩した言い方なのだろう。「分かったわ」と頷くと、ゆめみがゆっくりと腰を下ろし郁乃の体を地面へと解き放つ。それからゆめみは郁乃から数歩ほど離れたところまで歩き、郁乃を見守るようにしてその場で止まる。

 まず郁乃が目指すべきゴールはそこだった。
 動かせないわけではないのだ。力が入らないだけで、曲げたりすること自体はやや努力を要するが、出来る。軽くストレッチして体を解し、筋肉を使う準備をした後、いよい直立に移る。

 とりあえず自力だけで直立してみようとするが、下半身に上手く力が入らず、上半身だけが小刻みに揺れる。感覚はあるのだが、命令が伝わっていない感じだ。やむを得ず、郁乃は近くにあったテーブルの足を掴んでそこを頼りに立ち上がろうとする。
「……っ、くっ……!」
 力のない足で直立するというのは考える以上に大変な努力を要する。ぐらぐらして不安定な竹馬に乗っている感覚。ついこの間までリハビリをしていたと言うのにまるで体が忘れてしまったようだ。しかしここで簡単に諦めるほど郁乃は軟弱ではない。

 歯を食いしばり、汗を流しながら徐々に体を持ち上げていく。一度立ちさえすれば次も成功する。体というのは一度経験したことをよく覚えているものだ。忘れてしまったなら、また思い出させてやればいい。ゆめみはと言うと特に何を言うでもなく、黙々と郁乃が奮闘する様子を眺めていた。
 それでよかった。下手に言葉をかけられるより黙って見てくれている方が、郁乃にとっては励みになった。
 お姉ちゃんも、こっちが心配したくなるくらいハラハラしたような目で見てたけど……でも、安易に手を貸すこともなかったし、私を信じてくれていた。「おめでとう」は本当に体の底から全快したときだけでいい。だから……ここで踏ん張るっ!

221 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:48:51 ID:Ba6WrXYs0
 郁乃はキッと目つきを変えて一気に立ち上がった。
 まだそれは一人立ちというにはあまりにも拙い、テーブルという支えがなければすぐにでも倒れてしまいそうなほど不安定なものだったがそれでも、郁乃は一人で立ち上がったのだ。
 よし……次に、バランスを保ちながら……
 恐る恐るといった調子で、テーブルの上に乗っけていた手を放し、自分の足だけを頼りに郁乃は立った。これもやや不安定ではあったが、倒れることはない。

 以前のリハビリでここまでは楽に出来るようになっていたからだ。それをようやく、身体が思い出したというだけだ。問題は、ここからだ。
「ゆめみ」
 一声かけるとゆめみがはい、返事をする。つい数十分前にも声を聞いたのに、それは実に久しぶりに聞いたように感じられた。
「今からゆめみのところまで歩いていくから、そこで待ってて」
「分かりました」
 頷くと、またさっきまでのように黙って、郁乃の行動を見つめる。郁乃は大きく深呼吸すると、右足を前に出すように命令を送る。
 しかし、脳裏に思い描いたように上手くはいかず、まるでロボットのようにぎこちなく、それでも一歩、前に踏み出した。聞こえる足音が、やけに鮮明に耳に届く。他の誰でもない、自分だけの足音が。
 バランスは崩れない。それはこれまでのリハビリでしてきたことは失われてはいないということを証明していた。

 平地歩行の段階まではいっていたという経験。だから次の一歩は、より自信を持って踏み出せた。
 半ば引きずるような、重々しい、映画のゾンビのような足取り。歩行と言うにはほど遠い代物ではあったが、それでも僅かずつ進んでいく。
 郁乃の視線の先には、母親のようにしっかりと見つめているゆめみの光学樹脂の瞳があった。そのカメラの向こう側にいる自分はどう移っているのだろう、と思いながら郁乃はまた一歩、足を進める。

「……今のペースですと、後八歩で辿り着けますよ」
「八歩か……」
 台詞だけ聞けば残りの距離を告げているだけに過ぎない。だがメートル換算ではなく、歩数で距離を表現していたことに郁乃はゆめみなりの優しさというものを感じていた。こういう気遣いが、本当にプログラムされたものなのかと思うくらいに。

「ゆめみ、訊いていい?」
「はい、小牧さんがよろしければ」

222 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:49:15 ID:Ba6WrXYs0
 一歩。前へ。

「ゆめみには……学習能力とか、経験を蓄えるっていうか、そういう機能はあるの?」
「それは……半分は備わっています」
「半分?」

 一歩。前へ。

「わたしは、わたし自身で状況によっての言葉の過ちを認識できません。例えば……不謹慎だと理解している上で申し上げますが『お亡くなりになった』を『死んだ』と表現したりだとか……元々プログラムされているもの以外は誰かに『間違っている』と指摘されない限りは正しく表現できないときがあります」
「行動とかも同じ?」

 一歩。前へ。

「はい。不適切な行動があったときにも指摘してもらった上で正しい行動を示していただかないと、また同じ失敗を繰り返します」
「でもゆめみって道徳とか倫理感とか、そういうのはきちんとしてるよね。運動にしても一通り出来るみたいだし」
「そのような人間として最低限必要な道徳や倫理感などはあらかじめプログラムされていますし、複雑な運動に関しましては先程のインストーラで取得できましたから。わたしが持っていたのはプラネタリウム解説員としての行動規範、及びお客様が危険、災害に晒されたときの基本的防護マニュアルくらいで……」

 一歩。前へ。

「まだまだ知識として足りない部分もたくさんあります。それだけではなく、小牧さんたち人間の方が持っていらっしゃる『感情』の理解……喜び、怒り、悲しみ。まだわたしはその一割も理解できていません」
「へぇ……なんか、意外。ロボットって何でもできて知ってるってイメージがあったけど……そうでもないんだ。私たちと同じで、不完全……」

223 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:49:37 ID:Ba6WrXYs0
 一歩。前へ。

「知識や機能性という面ではHMX-17型が遥かに優れています。わたしはプラネタリウムの解説員という職業に特化した仕様になっていますので……」
「でも、教えられて正しく学んでいけば知識とか、積み重ねていけるんでしょ?」
「はい」

 一歩。前へ。

「だったら、いつか追いつくことだって出来るかもしれないじゃない? 人間みたいに。努力して、間違って……少しずつ」
「HMXシリーズも知識の蓄積や学習機能は備わっていますし、論理的な思考能力もそちらの方が上ですからその可能性は低いと言わざるを得ませんが」
「でも可能性はゼロじゃない、そうでしょ?」

 一歩。前へ。

「計算上は、の話ですが」
「十分よ。私は天才より努力家の方が好感が持てるの。それにゆめみは努力家だと思ってるし」
「そうでしょうか?」
「そうよ……よし、ゴール」

 一歩。ゆめみの肩を両手で掴み、さらに一歩近づく。
「私が保証したげる。ゆめみはやれば出来る子。私もやれば出来る子」
 吐息がかかるほどに、二人の顔が近づく。お互いに不完全な、人間とロボットの邂逅。
 郁乃はゆめみから吐息を感じることは出来ない。ゆめみもまた郁乃の吐息を感じることは出来ない。
 けれども、不思議と何かが繋がっているような感触が郁乃にはあった。手を離すと、郁乃は自分が立ち上がった場所まで行って欲しいと伝える。
「続きよ。とにかく反復」
 分かりました、とゆめみは頷くと足早に指示された地点まで行く。細かい感覚で刻まれる足音が止まるのを確認してから、郁乃は振り返った。
 未来へと続く道を辿るために。

224 冷たい方程式 :2008/01/19(土) 02:50:03 ID:Ba6WrXYs0
【時間:2日目・13:30】
【場所:B-5西、民家】

居眠り王者高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:おやすみなさい。岸田と主催者を直々にブッ潰す】

小牧郁乃
【所持品:写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:歩行訓練中。今のところ平地歩行だけしかできない】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(忍者刀・手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:郁乃の訓練に付き合う。左腕が動かない。運動能力向上】

→B-10

225 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:21:32 ID:3VFa.BkE0


畢竟、人体を構成するのは血と肉である。


***


ねちゃり、と靴底に張り付くものがあった。
それが何であるのか、久瀬少年が確認することはなかった。
少年を支配していたのは、喉を焼き口腔を満たした、苦く辛い刺激である。
堪えきれず、吐いた。
咀嚼された朝食の欠片、崩れた野菜や原形を留めぬパンが胃液と共に神塚山山頂の大地を汚す。

思わず地面についた膝が、じわりと染みた。
その冷たく粘り気のある感触が己の吐瀉物でないと気付き、少年の胃が再度収縮する。
赤黒い染みを覆い隠すように、黄色い胃液がぶち撒けられた。
胃液の水溜りに、髪の毛が浮いていた。
長い、女の髪だった。
目を逸らす。
逸らした先に、割れた眼鏡の破片と、幾つもの硝子が突き刺さった眼球があった。
吹く風が胃酸の鼻を突くような刺激臭をかき消し、代わりの匂いを運んでくる。
鉄臭く、生臭いそれは、吸い込めば肺の内側を真っ赤に染めそうな濃さの、血の匂いだった。

死が遍在していた。
砧夕霧と呼ばれる少女たちの、物言わぬ躯。
狭い尾根一帯に広がるそれは、死体を敷き詰めた絨毯だった。
一万にも及ばんとする数の少女が、あるものは潰れたトマトのような大輪の花を咲かせ、
またあるものは肩口から三つの頭を生やしたような姿のまま虚ろな瞳を天へと向けて息絶え、
その悉くが無惨な屍を野に晒していた。

久瀬少年が立ち上がりかけて、その足を血に滑らせてよろけ、倒れた。
雨上がりに泥濘が飛沫くように、脳漿とリンパ液とどろりとした血と、小さな肉の欠片が跳ねた。
頬を拭った手に、かつて人の体内を流れていたものがこびりついているのを見て、少年が小さな悲鳴を上げた。
微笑むように融け崩れた少女の、片方しかない目と視線を交わした少年の食道が、三度蠕動する。
どろどろに消化された茶色の何かが、少女の残った目にかかり、ずるりと流れた。

今度は、悲鳴も上げられなかった。
ひくりと、口元が痙攣した。
息苦しさと嘔吐感に流れる涙が、頬を流れる内に跳ねた血と混ざって濁り、赤黒く染まって垂れ落ちた。
救いを求めるように視線を移せば、傍らに立っていたはずの男は遠く、連れた少女と何事かを話している。
少年は独り、ただそこだけは穢れなく在り続ける天を見上げる。

蒼穹の下、死の一色に塗り篭められた場所を、地獄という。


***

226 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:21:57 ID:3VFa.BkE0

「これが……戦争だって、いうんですか」

少年の声が響く。
対する男は、ねっとりと喉に絡みつくような濃密な血臭の中、眉筋一つ動かさずに答える。

「いいや」

眼前に広がる死の大地を見つめるその瞳に浮かぶのは、朝霧に咽ぶ湖の如き静謐。

「いいや、これは……闘争だ」
「闘、争……?」
「そうだ。久瀬、君は言った。我等は敗者であると。世界に打ち捨てられたものであると。
 ならばそれを肯ぜず抗う我等が目指すは、勝利ではない。奪還だ。
 我等の尊厳を、存在を取り戻すため。我等は此処にいると。確かに此処に在ると。
 高らかに謳い上げ、我等を顧みぬ者達の心胆へ楔を打ち込まんと、こうして立っている。
 故にこれは……戦争ではなく、闘争だ」

淡々と告げる男の、眼差しの奥に灯る陰火の昏さに、少年は視線を逸らす。
少年の中にとて、決意はあった。
男の言葉も、理解できるつもりでいた。
だがこのとき少年の脳裏をよぎったのは、底知れぬ不安であった。
男は自分と同じ方向を向いている。同じ方角へ歩いている。
しかしその見据えるものは、目に映る世界はまるで違う色をしているのではないかという、不安。
男の背負う薄暗い何か、男の奥底に根を張るおぞましい何かは、自らの知るそれとはまるで別の次元で存在しているのではないか。
余人には聞え得ぬ、深い闇の底から響く声に突き動かされて、坂神蝉丸という男は生きているのではないか。
そんな、言い知れぬ恐怖。

「そう……ですか」

それだけを返すのが、精一杯だった。
耐えきれず視線を逸らした少年の目に、奇妙な光景が映った。

「あれは……?」

227 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:22:22 ID:3VFa.BkE0
少年と共に歩んできた、八千余の少女。
山頂一帯に展開した無数の少女たちが、黙々と動き出していた。
屈み、何かを拾い上げ、受け渡し、置く。
一言も発することなく行われるそれはどこか儀式めいた印象を与える。
少年がそれを土木、あるいは治水作業のように思ったのは、次々に受け渡され、積み上げられていく何かが
まるで土嚢のように見えたからだった。

「何を―――」

言いかけた少年の言葉が、途切れる。
神塚山山頂は、建築現場でも堤防でもない。
土嚢の代わりに積み上げられる資材など、泥と石くれの他には、一つしかないことに気付いたのだった。

「何を、しているんですか」

問う声は震えていた。
少女たちの築く土嚢のような何かの山は、次第に大きくなっていく。
男はそれを静かに見つめている。

「彼女たちは何を、しているんですか……!」

張り詰めた声に、男が目線だけを動かして少年を見やる。
巌の如く引き結ばれた口元がゆっくりと開き、言葉を紡ぎだした。

「……見ての通りだ」
「何を……っ! 何をさせているんですか!」

少年の声が、激昂へと変わる。
血脂で汚れた眼鏡のレンズの向こうにあるのは、少年の想像の範疇を超えた光景だった。

「あんな……あんな風に、し、死体を……!」

228 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:22:48 ID:3VFa.BkE0
震える指でさし示した先で、少女たちが黙々と作業を続けていた。
山頂一帯に転がる、一万弱の遺骸。
同胞たるその遺体、あるいはその破片、断片を拾い上げ、手を、腕を、顔を、胸をべっとりと血で汚しながら、
無言のままそれを隣の少女へと受け渡していく。
火葬した骨を箸から箸へと渡すように、少女たちは淡々と同胞の無惨な躯を運んでいく。
無造作というでもなく、さりとて丁寧にでもなく、ただ無感情な幾つもの手を経た先に待つのは、
今や人の腰辺りまでを覆い隠せる高さにまで積み上げられた、屍の山だった。
山の近くに立つ少女の手に渡った躯が、新たな頂を作る。
大きな遺骸が積み上げられ、その隙間を埋めるように肉片が、骨片が、塗り篭められていく。
この世ならざる凄惨な光景と、少年は見た。

「あなたの……あなたの指示ですか、坂神さん……!」

先ほど、砧夕霧群体の核となる少女と何事かを言い交わしていた男の背中が浮かぶ。
睨みつけるような視線を受けても、男は表情を動かさない。

「最適の戦術を問われ、現状で最も効果が高いと思われる答えを出した。それだけだ」
「それ、だけ……!?」

少年が凍りついたように固まるのを気に留めた様子もなく、淡々と男の言葉は続く。

「我等の戦術は陣を組んでの遠距離砲撃戦。特火点とまでは言わんが、遮蔽物は必要だ。
 そして我等に資材はなく、時間は更に限られている。……割り切れ」

割り切れ、という男の言葉が少年を打つ。
揺らぎなく放たれるその厳然たる口調が、少年の反論を許さない。
男の言葉は的確だった。
防衛線の構築は、一刻も早く行われなければならなかった。
指示を出すべき状況で、自分は地獄絵図を前に反吐を吐いていた。
返す言葉の、あろう筈もなかった。
しかし。

229 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:23:13 ID:3VFa.BkE0
「それでも……っ、」

心のどこかで張り上げられる声が、少年には聞えていた。
それは少年の生きてきた時間、世界のありようとでもいうべきものたちの声だった。
声は叫んでいた。
目の前の光景は、その根源から間違っていると。
突きつけられた正しさを認めてはならないと、叫んでいた。

「それでも、これは……っ! あまりに人の道を、外れている……!」

張り裂けるような少年の言葉を、

「―――思い違いをするな」

男の冷厳な声が、叩き潰していた。
愕然と見上げる少年の瞳を覗き込むように、男は語る。

「あれらは、」

あれ、と男は少女たちを呼ぶ。
ひどく突き放した物言い。

「あれらは母より生まれ、育まれたものではない」

異形を埋め込まれた男の瞳に宿る一筋の激情を、少年が知り得たか否か。
ただ圧倒されたように立ち尽くす少年の臓腑を抉るような、それは声音だった。

「もとより人の道を知るように生かされてなど、いなかった」

言葉を切ると、男は静かに首を振る。
四方に築かれていく小さな防衛陣地と、そこに陣取る少女たちを見やった。

「我等は何処に立っている?」

吹く風が運ぶのは血の臭い。
青空のこちら側に広がるのは、赤と黒と、泥の色。

「此処は屍の山の上。苦界のどん底、最果てだ」

男の言葉が、結審の槌の音のように響いた。


******

230 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:23:41 ID:3VFa.BkE0

「北麓、山道に火線を集中! 消耗戦に引きずり込め!」

怒号にも似た男の声が、少年の耳朶を打つ。

「西の敵は一人だが動きが早い、前線は融合せず数で当たれ!
 弾幕の密度を維持して五合目まで押し戻せ!」

矢継ぎ早に飛ぶ指示を受け、八千の少女たちが確固たる意志の下に動く。
有機的に連動するそれはまるで一つの生き物のようだと、少年はどこか他人事のように考えていた。

「敵影は四、ただの四つだ! 何としても食い止めろ、山頂に足を踏み入れさせるな!」

北側から天沢郁未、鹿沼葉子。
西から迫る影は正体不明の獣。
そして南には、来栖川綾香。
これまでも無数の夕霧を葬ってきた面々だった。
足止めはできても、斃すには至らない。
それでよかった。勝利条件は山頂の死守と、二千の砧夕霧の生存。

「北東から南へ横断する影だと……? こちらに向かってこないのなら放っておけ!
 南側は左翼に警戒強化! 戦線を維持することに専念しろ!」

座学とて、役に立つ場面であろうとは思う。
坂神蝉丸の目は二つで、喉は一つだ。
手が回らぬこともあろう、見落としとてあるやも知れぬ。
だが今、少年はただ砧夕霧の作る十重二十重の垣根の中、薄ぼんやりと座っている。
駒たることに抗わんと立ち上がった筈が、駒として敵を討ち果たそうとしている。
それはどこか歪み、ねじくれ曲がった構図だと、少年は内心で苦笑する。
幾つもの光線が奔る。
少女たちは死んでいく。

231 十一時八分/苦界穢溜 :2008/01/26(土) 17:24:33 ID:3VFa.BkE0

 【時間:2日目 AM11:11】

【場所:F−5】
久瀬
 【状態:健康】
坂神蝉丸
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り7652(到達・7652)】
 【状態:迎撃】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、重傷(急速治癒中)】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰】

【場所:F−6】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
 【状態:ラーニング(エルクゥ、(;゚皿゚)、魔弾の射手)、短髪、ドーピング】

→906 915 ルートD-5

232 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:34:57 ID:8AMPA8vg0
「もぐもぐ……」
 少年との壮絶な決闘の後、国崎往人と笹森花梨は何故かまだ消防分署の中にいた。忘れ物があったわけではない。実に単純な人間の生理的本能が目を覚ましただけだ。

「くぅっ……」
 目頭を押さえるようにして、往人は感涙に咽ぶ。往人の目の前にあるどんぶりからはもうもうと香ばしい湯気が昇っている。
「国崎さん、たかがインスタントラーメンくらいでそこまで感動しなくても……」
「たかが、だと?」
 聞き捨てならんとでも言うように往人の細い目がさらに細められる。花梨はしまった、と思ったが時既に遅く、ビシィッ! と往人の持っている割り箸が花梨に向けられるや否や猛烈な勢いで説教を始めた。

「ラーメンは人類の生み出した世界最高の食料品だ。特にインスタントラーメンは日持ちし、品質も良く、何よりウマい! どんぶり一杯にお湯を注ぎ込んで卵を乗せ、熱々のご飯と一緒に食べた時の美味さと言ったらもう……!
 残った汁も辛すぎず、甘すぎず、思わず最後まで飲み干してしまいたくなるような、絶品! そう、まさに絶品! イッツパーフェクト! ラーメンセットを生み出した日本人を、俺は心から尊敬する! それをお前という奴は『たかが』だと!? カップヌードルは一つ税込みで150円、チキンラーメンに至っては86円で食べられ、尚且つお腹一杯で幸せ一杯になれるというのに『たかが』とな!?
 侮辱! これはラーメンに対する冒涜だ! いいか笹森、コレは俺の個人的な話になるが俺の支給品はラーメンセットだった……しかしお湯がなくて食べられなかった上にあのクソガキのせいで中身が大破してその美味を永遠に味わうことが出来なくなったんだぞ! クドクドクド……」

 唾を撒き散らしながら自身のラーメン話を続ける往人。あのクールな態度からは考えられないほどの熱弁だったが、何もそんなことで熱くならなくても……と花梨は思っているのだが、それを口に出すと更に話が長引く気がしたので黙って聞いておくことにした。
 そもそも往人の腹が減ったという理由で消防署内を探し回り、運良く棚の中からインスタントラーメンを見つけた時点で彼の喜びように気付いておくべきだったのだ。何せ「いやっほーぅ、ラーメン最高ー!」なんて声高に叫んでいたのにどうして自分はおかしいと思わなかったのか。「ああ、お腹が空いてたんだなあ」と思うだけだった自分が恨めしい。というか汚いから唾飛ばさんといてください。

 ずるずるとラーメンをすすりながら往人の説教を右から左へ受け流す花梨。この時彼女は初めて『先生に何回も説教されておいて良かった』と思うのであった。
「……とにかく、次にラーメンをバカにしたら天罰が下ると思え。ラーメンをバカにする奴はラーメンに泣く。分かったか」
「はーい」
 話の九割は聞き流していたが、取り合えず反省したふりはしておく。こういうことに関しては花梨の得意分野だった。
「腹に沁みるぜ……」
 往人はまた感動しながら、ラーメンをすすっていた。

233 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:35:22 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

 食事を終えた国崎往人一行は、まだ消防署に留まっていた。
「国崎さーん、いい加減行きましょーよ」
「まだだっ、まだ終わってない!」
 やれやれ、と思いながら棚の中を漁る往人の背中を見つめる。食事を終えるやいなや、往人はラーメンのストックがあるかもしれない、と片っ端から棚を開けてラーメンを探し続けていた。どうしてここまでラーメンに執着するのだろう、と思いながら花梨はソファに腰掛ける。

「笹森、お前も手伝え」
 棚の中身を全て床にぶちまけ、ようやく何もないことを確認した往人が次の棚に向かう途中で花梨に怒ったように言うが「無理無理」と諦めるように手を振る。
「だって最初にさんざん探し回ってようやく見つけたのがあの二つでしょ? もうあるわけないじゃん。第一、そこは私がもうとっくに探したし」
「ちっ、根性のない奴め……」
 往人はそう吐き捨てると次の棚の中を漁り始める。もうかれこれ一時間が経過しようとしていた。はぁ、とため息をつきながら花梨は「この人に宝石の謎は解けないな」と思いつつ膝の上に乗っているぴろを撫でた。

「ところで」
 気持ちよさそうにしっぽを揺らしているぴろを眺めていると、往人が棚を漁りつつ話を変える。
「人を探すとして、笹森だったらどういうところから探す」
「うーん、性格にもよるね。活発な人だったらそこら辺の目立つところから探すし、内気な人だったら島の端っことか、目立たない建物とか」
「なるほどな……」

 往人はラーメンを探しながらも、神尾観鈴や晴子、その他の知り合いのことも考えていた。特に神尾家には一宿一飯(本当はそれどころではないが)の恩義があるので出来れば見つけて合流したい。どこから探すか、が問題になるが……芳野祐介との会話では相沢祐一なる男と一緒にいたそうだが、それがどんな人物なのかは分からない。だが芳野を援護していたというから割かしお人よしな人物なのかもしれない。きっと往人と同じように友人、あるいは知り合いを探しているだろう。
 そしてこの島において参加者の大半を占めているのは女性だ。なら相沢祐一も知り合いは女性である確率は高い。これは憶測でしかないが、神岸あかりや長森瑞佳のように大人しめである人物の可能性も、また高い。なら、割と目立つ場所を探し回っているのではなかろうか?

234 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:35:45 ID:8AMPA8vg0
「もう一つ。もし銃声だとか爆発音が聞こえたら?」
「そりゃ逃げるでしょ、普通はね。よほど正義感のつよ〜い人なら別だと思うけど?」
 これも往人の考えと同じだった。誰だってまずは自分の身の安全を優先する。他人のために死地に飛び込むなど愚の骨頂だからだ。
(……俺じゃん)
 ついさっき自分がやっていたことに辟易するが、少しげんなりするがあれは少年を倒すためだった、と言い訳して次の思考を展開する。

 もし観鈴たちがここ鎌石村に来ているのならとっくにさっきのバカ騒ぎで逃げ出しているはずだ。それに気のせいだと思いたいが……どこかから銃声や爆発音が断続的に聞こえてきている気がする。それが真実かどうかは抜きにして、観鈴がここにいる確率は低いと言わざるを得ない。
「仕方ない、行くか……」
「やっと諦めた?」
 往人が結論を出したのと、棚の中に何もないことが分かったのはほぼ同時だった。他にも棚はあったがそろそろ油を売っているわけにはいかなくなってきた。
「まあ、な。まずは西に行って、それから南に下る。たしかホテルみたいなところがあったな」

「……違うよ、ホテル跡」
 訂正する花梨の声のトーンが低くなったのを、往人は聞き逃さなかった。何かあったのだろうか。そう言えば、花梨とはそういう話をしていない。
「そうだったな」
 自分の荷物を拾い上げて、往人は今度こそ本当に外に歩き出した。
 その辺の事情は、話しながらにでも聞くとしよう。
 デリカシーに欠けるかもしれなかったが、情報が圧倒的に不足しているのだから同情心に流されていてはいけない。

「そう言えば、まだ俺達は情報交換をしていなかったな。どうだ、互いにこれまでの経緯を話してかないか」
「それは、別にいいけど……」
 消防署の扉を開ける。するとたちまち外界の眩しい光が往人たちの体を照らし出す。既に時刻は昼を回り、一日の本番が始まろうとしていた。
 陽光に目を細めながら、「なら俺から話すぞ」と少年を倒すまでの経緯を話し始めた。

「……ここまでだ。何か心当たりとかは」
「朝霧麻亜子、って人なら噂だけは。たしかうちの学校で前生徒会長だったよ。それだけなんだけど」
 往人は会話しながらも、周囲におかしなことはないかと目を配らせていた。今のところ特におかしなことはない。村から外れの方を歩いているからかなのかどうかは分からないけれども。
「深い付き合いとかではなかったんだな? ならいい。次はお前の番だ」
「うん、国崎さんより長くなるけど――」

235 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:36:06 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

「十波さん、いいかげん脱力してないで早くどこかにいきましょう。密室で閉じこもっててもいいことないです。元気ないなら風子のヒトデダンス見せましょうか?」
「いや、それは別に結構」
 かれこれ床に数十分くらいへたり込んでいた十波さんに、風子が元気のでるヒトデダンスを見せてあげようとしたのですが拒否されてしまいました。残念です。

「そうね……いい加減行動を開始しないと……伊吹さん、地図見せて」
 十波さんは情けないことにデイパックを持っていなかったので風子のを見せてあげることにします。世は道連れ旅は情け。いい言葉です。
 床に小さな島の地図が広げられ、十波さんと肩を寄せ合いながら地図をにらめっこします。とにかく、まず何をするかを決めなくちゃいけません。

「今あたし達がいるのがこのホテル跡。まずはここから北に行くか南に行くか……どうする?」
 風子的には来た道を戻るのは好きではありません。が、さっきの男の人が襲ってきたことを考えると迂闊に判断はできません。風子はみんなのために泣かずにがんばるって決めたんです。民主的にいきましょう。

「風子としてはさっきの襲ってきた人とかち合わせするのは避けたいです。多分風子たちをやっつけるのは諦めたと思いますからこのまま北に行ったと仮定して、南に戻るのをオススメしますが、どうですかっ」
「……どうしてさっきのマシンガン男があたし達を殺すのを諦めたって思うの?」
 おっと、大事な部分を説明し損ねていました。風子うっかりです。

「強い武器があるに越したことはありませんよね。鬼に金棒、風子にヒトデのように」
「『風子にヒトデ』は知らんけど……まあ確かに」
「そして風子たちはまったく武器らしい武器を持っていません。この三角帽子の可愛さは地球破壊爆弾級ですが」
「帽子はどうでもいいけど……まあ確かに」
「時間を割いて弾の無駄遣いをしてまで、風子たちをやっつける価値がないと判断した。それだけのことです」
「……武器がないことにかえって助けられたわけ?」

236 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:36:31 ID:8AMPA8vg0
 風子が頷くと、十波さんは悔しそうに地図に拳を叩きつけました。きっと腹を立てているのでしょう。
「情けないわ……見逃してもらったようなものじゃない! あいつっ、これで勝ったと思うなよ……」
「以上が風子の意見なのですが、十波さんはどう思います?」
 メラメラと燃え上がっている十波さんを現実に引き戻すように、努めて冷静に言いましたが十波さんは鼻息荒くふんがーと吐き出すと、怒ったように言いました。

「あいつを追っかけて、ボッコボッコにしてやる! 岡崎さんとみちるちゃんの敵討ちよ!」
「それは風子も同意見です。けど、風子たちには何もありません……」
「それは……でも……」
 岡崎さんはヘンな人でしたし、いつも風子を子供扱いしていましたが、悪い人じゃなかったです。ぷち最悪だとは今でも思っていますが……嫌いではありませんでした。だからあの男の人を許せないのは風子だって同じです。あれこそ本当に最悪な人ですが、まずは生きることを考えなくてはいけません。

「まずは身を守るものを探しましょう。それに、十波さんの知り合いも探さないといけません」
 十波さんは納得いかなかったのかしばらく爪を噛んだりしていましたが、やがて「そうね」と頷いて風子の言葉に同意してくれました。
「……伊吹さんは? もう伊吹さんに知り合いはいないの?」
「居ることには居ますが……」
 少し困った顔をすると、十波さんもそれ以上何もいうことはありませんでした。別に特別な事情があるわけではありません。
 渚さん、春原さん、祐介さん……会いたい人はいますが、私情を挟むわけにはいきません。お姉さんですから。

「それじゃあ、何か使えるものを探してここから南へ下る……でいいのよね?」
「風子はそれで構いません」
「よしっ」
 十波さんは立ち上がるとまずは身近な所から、と考えたのか引き出しを開けたりベッドの下を覗き見たりして役に立ちそうなものを探し始めました。風子も地図をしまうとそれに倣って洗面所とかを調べます。

 さすがダメダメなホテルです。カーテンが破れ、バスタブには罅が入っていて、歯ブラシとかコップとかもありません。鏡は割れていません。珍しいことです。きっと鏡だけは大切にしていたのでしょう。そういえば風子、お風呂入ってないです。髪の毛も少しぼさぼさですし……これでは風子の美貌が台無しです。整えたいところですが櫛もありません。つくづくダメなホテルです。
 いつもの風子ならヒトデともいい勝負なのに……

237 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:36:54 ID:8AMPA8vg0
「伊吹さん? 何かあった?」
 はっ。つい風子、過去に酔いしれていました。いけません、しっかりしないと。
「いえ、特に何も……」
 十波さんのところへ戻ろうと振り返ろうとしたときです。偶然か必然かヒトデのお導きか、風子の肘が洗面台に当たってしまいました。

 ゴトッ……

 そんな音がしたかと思うと、鏡が壁から外れて前に倒れました。運のいいことに割れることはなかったので怪我をすることはありませんでしたが、全くぷち最悪です。鏡くらいしっかり立て付けておいて欲しいものです。元に戻そうと鏡を持って壁にはめようとしたときです。
「あっ……」
「伊吹さん?」
 すぐ後ろから十波さんの声がしました。風子は慌てて報告します。
「大発見ですっ、鏡の向こうに何かが!」
「何いって……あっ」

 十波さんも目を丸くします。鏡がはめられていたところは少し空洞があって、そこに何かが置かれていました。十波さんがそれを手にとって確認します。
「これは……ナイフね」
 鞘から引き抜かれたナイフは刃の銀色の輝きではなく、黒い刀身に赤く塗り染められた血のナイフでした。つまり、それは、『使用済み』だったということです。

「誰かがここにナイフを隠したのね……でも、何のために?」
「そんなこと、風子には分からないです」
「ん、まあそりゃそうだけど」
 いぶかしむようにナイフをじーっと見ていた十波さんですが、「まっいいか」と考えを打ち切ってナイフを風子に渡しました。
「これは伊吹さんが持ってて」
「いいんですか?」
「だって伊吹さんが見つけたんでしょ?」
 それもそうです。持っておくことにしましょう。ヒトデを彫るまで風子の武器です。
「十波さんはどうでしたか」
「あたしはさっぱり……」

238 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:37:15 ID:8AMPA8vg0
 落胆するように肩を落としましたが「けど一つは見つかったんだからいいよね」とすぐに気を取り直してくれました。前向きなのはいいことです。
「ここから離れるのも少し怖いけど……行きましょうか。じっとしてても仕方ないし」
「はい。まずは元いた平瀬村まで戻りましょう」
 意気揚々と……まではいきませんが気を引き締めてこの部屋から出ようとしたときでした。

『『ぐぅ〜〜〜』』

「……」
「……」

 沈黙。お互いに顔を見合わせます。風子たちは頷きあいました。
「まずは食べ物ね」
「まずはご飯です」

     *     *     *

「――以上なんよ」
 花梨の話を聞き終えた往人は、しばらくの間何も言わず考え事をしていた。

 岸田洋一というイレギュラー。
 ホテルに遠野美凪がいて、今は首輪を解除するために奔走していること。
 そのホテルで、花梨が例の宝石を見つけたこと。
 宝石に興味はないが、美凪の行方は気になる。北川潤、広瀬真希なる人物と行動を共にしているらしいのだが、もちろんそれがどんな人物か往人には分からない。観鈴といい、美凪といい、俺の知ってるような奴といてくれよと思ったのだが現に往人もここで出会ったばかりの花梨と行動を共にしているので文句は言えなかった。

「何か気になることがあった?」
 反応の無い往人を心配してか花梨がつんつんと脇腹をつつく。「やめろ」とそれを払いのけると「別に。だが敵の情報を得られたのは良かった」と返事をしてまた無言になった。別にこれ以上話す事もなかったからでもあるが。
「んーまあこっちも前生徒会長が敵になってるってことを知れたしね。お互い様なんよ」
 花梨はそう言うと、木々のそびえる神塚山を仰ぎ見る。いや、恐らくはその先のホテル跡を見ていた。

239 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:37:37 ID:8AMPA8vg0
 ここを離れてから花梨は数々の仲間を失ってきた。それに花梨は与り知らぬところであるが、北川潤と広瀬真希も既に死亡しており、かつてのホテル組の生き残りは最早美凪と花梨だけになっている。この殺し合いに抗おうとする人間の数は、着実に減っていた。
「ねぇ、国崎さん」
 しかし、花梨は絶望しない。
「何だ」
「もし探してる人が見つかったら、宝石の謎を解き明かすの手伝ってくれる? ほら、あの時はちゃんと返事もらってなかったから」
 往人は少し渋るような顔になったが「見つかったらな」と承諾する。このゲームから脱出するための策を持たない往人にとってみれば例えオカルトみたいな力であろうが脱出できる可能性があるのであればそれに乗った方がいいと分かっていたし、何よりオカルトには慣れている。
「やった、ありがとね」
 このように、また手を貸してくれるひとが現れるからだ。

「気にするな、利害の一致ってやつだ」
「だとしても普通はこんな胡散臭い話信じないんよ。人の思いを集める宝石が鍵になるなんて」
「……まぁ、そういう話も慣れてる」
「え、どゆこと?」
 花梨の目がにわかに輝きを増してきたのに、往人は気付けなかった。構わず話を続ける。
「俺は『法術』という一種の魔法みたいなことが出来る。とは言っても精々人形を動かすとかそのくらいしか……」
「見せてっ!」
 そこでようやく、往人は花梨が始めて動物園に行った子供のように目をキラキラと輝かせているのを見た。瞳には『ミステリ』と書かれている……気がする。
「あー、その、残念だが人形みたいなのがないととてもじゃないが」
「人形があればいいんだねっ!?」

 最後まで喋らせる間もなく花梨が詰め寄る。あまりの剣幕ににべもなく頷いてしまう往人。それを確認するやいなや、花梨は往人の手を掴んで猛然と走り出した。
「それじゃーホテルまでGOGO! あそこなら人形の一つや二つあるはずなんよっ! いざ行かん、無限の彼方へー!」
「おい、笹森話を聞け……」
 何度も声をかけるものの余程興奮しているのか聞いちゃいない。なんとなく往人は霧島佳乃にあちこち引きずり回されていた時のことを思い出していた。
 ああ、俺の人生は常に誰かに左右されっ放しなんだな……
 何かを悟った往人は、そのまま流れに身を任せることにした。

240 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:38:01 ID:8AMPA8vg0
     *     *     *

「ご馳走様」
「ごちそうさまでした」
 ホテルの中にあったすごく豪華なレストラン……跡にて、風子と十波さんは真っ白なテーブルクロスの敷かれた大きなテーブルで、豪華フレンチフルコース……ではなくカップラーメンを食べ終えました。無駄に装飾が豪華だっただけ空しい気分です。でも保存食があっただけ良かったです。

 賞味期限がどうしてか2009年になっていましたが、特に気にしないことにします。きっとすごく長持ちするカップラーメンだったのでしょう。味はまあまあでした。どうせならシーフード味がよかったですが。
 シーフードといえばクラゲを食べ物として有効利用する計画があるらしいのにどうしてヒトデはそんな話が持ち上がらないのでしょう。いえ、別にどうでもいい話ですが。いえよくもありませんが、今は考えないようにしましょう。

「それにしても水道と火が通ってて良かったわねー。もし使えなかったら宝の持ち腐れだったけど」
 しーしーとどこかにあった爪楊枝で歯と歯の間をお掃除しながら満足そうにしゃべる十波さん。じじくさいです。
「いくつかストックも手に入ったし、出だしは上々ってところかしらね」
 荷物がない十波さんにとって風子のごはんだけで食いつないでいくのには不安があったのでしょう。食糧問題は深刻です。
「そろそろ行きましょう。ぼやぼやしてるとまたあの男の人みたいなのがやってくるかもしれません」
 風子が椅子から立つと、それに合わせるように十波さんも頷いて席を立ちました。今度こそ、本当に出発です。

 荷物を持ってロビーに出たところで、外の方から何だか騒がしい声が聞こえてきました。風子の聞き間違いでなければ人の声でしょう。ってこれはいきなり未知との遭遇ですかっ!? まだ装備もろくに整えてないのに大ピンチです! 例えるならこんぼうとぬののふくでカンタダに挑むくらい激ヤバです!
 い、いけません。これくらいで慌ててお姉さんの風格が台無しです。まずは冷静に相手の出方を窺って……あれ? 十波さんは?
 風子が必死でこの場を乗り切るための作戦を考えている最中に、いつの間にか忽然と風子の隣から十波さんの姿が消えていました。おどろきです。びっくりサプライズです。って感心してる場合じゃありません! 逃げるのと十波さんの捜索とやらなきゃいけないことが二つもできてしまいましたっ! もうてんてこ舞いです。ヒトデの手も借りたい……ってよく見れば風子の前を十波さんが走っているじゃないですか!
 いつの間に! あなたはマギー司郎ですか!? いえいえそうじゃなくて十波さんをお止めしなければ!

241 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:38:24 ID:8AMPA8vg0
「その声! 花梨!?」
「えっ、そこにいるの……由真っ!?」

 なんと。これまたびっくりサプライズです。まさかご友人の方だとは。全速力で追っていた風子の先には驚きのあまり荷物を落とした十波さんと岡崎さんに負けないくらいのヘンな髪飾りをつけた女の人……とやたら目つきの怖い男の人がやれやれというように頭を掻いていました。あの男の人は風子的にヤバい雰囲気がします。警戒は解かないでおきましょう。

「良かった〜、まさかまた会えるなんて思ってなかったよ。無事だった?」
「うん、まあ、ね……そこそこに」

 ヘンな髪飾りの女の人は少し翳りのある表情になりましたが、すぐに笑顔を取り戻すと隣にいる男の人の紹介を始めました。
「こっちが国崎往人さん。色々あって助けてもらったんだけど……まあ今は私が勝手についていってる感じなんよ」
「国崎往人だ。暢気に話してる時間も惜しいから単刀直入に聞くが……ここに人はいなかったか? 人探しをしているんだが」
「そうね、今はいなさそう……かな。少し前まで男に追っかけられてたんだけど」
 男と聞いた瞬間、国崎さんから興味の表情が失せていきました。どうやら探してる人は女の人のようです。そこはかとなくストーカーの匂いがしますね。やっぱり要注意です。

「そうか……男だったか? そいつの名前や特徴は」
「名前は分からない……でもマシンガンを持ってていきなりあたし達を襲ってきたの。そのせいで岡崎さんやみちるちゃんは……」
「……みち、る?」
 国崎さんの表情が変わったのを、風子は見逃しませんでした。もしかして探していた人というのはみちるさんのことでしょうか。
「……殺されたのか」
 十波さんが苦々しく頷くと、国崎さんは何ともいえないようにため息をつくとくるりと進路を変えて外に出て行こうとしました。それを見た髪飾りの女の人が慌てて国崎さんの服の裾を掴んで止めようとします。

「ちょ、ちょっと国崎さん!」
「悪いが、人形劇は後回しだ。俺はまた殺さなくてはいけない相手が増えた」
「こ、殺すって……」
 思わず手を離す女の人に、国崎さんがぽん、と頭の上に手を置きます。その表情に、風子はなんとなく祐介さんに近いものがあるなあと思いました。どうしてでしょう?

242 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:38:47 ID:8AMPA8vg0
「笹森、仲間は見つかったんだろ? あの謎はお前らで解いてくれればいい。俺は学のない馬鹿だが、お前らの敵を倒してやることはできる」
「で、でも……」
「笹森には笹森の、俺には俺の役割がある。互いにやるべきことをやるだけだ。分かるよな」
 髪飾りの女の人は、それ以上何も言いませんでした。風子にも国崎さんの言いたいことはよく分かりました。なんとなく共感です。ですから、国崎さんの近くまで行って風子はプレゼントをしてあげました。
「伊吹風子と言います。後のことは風子に任せてくださいっ。それと、これをお守り代わりに、どうぞっ」
 本当はヒトデをプレゼントしてあげたかったのですが仕方ありません。今までヒトデを彫っていたナイフのカケラをあげます。

 国崎さんは差し出されたプレゼントをしばらく怪訝な目で見ていましたが、やがて「ああ、貰っておく」と快く貰ってくれました。
「それと、伊吹風子だったな。お前に伝言だ」
 伝言? 誰からでしょう。はっ、まさか天国のお姉ちゃんや岡崎さんからではないでしょうか。この人意外といいひとかもしれません。
「芳野祐介からだ。お前を探している、とな。芳野たちは恐らく北の方にいるはずだ。早いうちに行ってやれ」
 違いました。祐介さんからですか。でもやっぱりいいひとです。言われたときに頭を撫でられたのが気に入りませんが。風子、子供じゃないです。

 そんな風子の憤慨など気にする素振りもなく、国崎さんは風子のナイフのカケラをポケットに仕舞うと「じゃあな」と軽く手を上げてクールに去っていきました。そういえば祐介さんと声が似てますね。だから似てると思ったのでしょうか。

「はぁ……人形劇、楽しみだったのに……でも仕方ないか。やるべきことをやらないと」
 近くにいた髪飾りの女の人は一つため息をつきましたが十波さんと風子を手で招きよせるようにして、ポケットから何かを取り出しました。
「え、何、これ?」
 それを見た十波さんが驚きの表情になります。風子も少しびっくりでした。
 そこにあったのは、青い宝石です。

     *     *     *

 死んだ。みちるが。

243 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:39:05 ID:8AMPA8vg0
 その事実は往人に行動を起こさせるには十分な動機であった。
 往人自身も既に人を、殺人鬼とはいえ人を殺している。だから文句を言える立場でないのは分かっている。だが……
「だからと言って、ガキを……クソ生意気だったがまだ小さいガキを平気で殺すような奴を放っておくわけにはいかないからな。それに、あいつは」
 言いかけて、その先の言葉は飲み込んでおくことにした。旅芸人というのは往々にして侮蔑の目で見られることもある。汚いものを見るような目で見られることも一度や二度ではない。もうそれにも慣れてしまったが……だが、みちるはそんな自分にも友達のように接してくれた。もちろんこれは往人から見た主観的なものであり、実際はどうだったかは分からない。けれども往人は自分の見方が間違っていないと確信している。
 みちるだけじゃない、観鈴も、佳乃も、美凪も……往人をそんな目で見ることはなかった。だからこそ、倒さなくてはならないのだ。危害を加えようとする殺人鬼を。どんな理由があったとしてもだ。

 それで、自分が憎まれるような殺人鬼になったとしても。

「……ま、元々俺は一人だしな」
 別に殺されたところで誰もそんなに悲しみはしないだろう。したとしてもそれは一時の感傷だ。いやむしろ、ここには死があり過ぎるほど渦巻いている。特に気にされることもないかもしれない。その方が、往人としては楽なのであるが。
「……待てよ?」
 ホテルから随分下ったところで、往人は何か重要なことを聞き逃していたことに気付きかけていた。

「あ」
 しまった、とでも言うように口をぽかんと開いたまま呆然とする。あのマシンガン男がどっちから来てどこへ行ったのか聞いてない。もしかしたら間逆の方向に走っているのではないか?
「……」
 一瞬、戻ろうかという考えが往人の頭を過ぎる。しかしそれはあまりにも格好悪いことであったし、そんなことをしていてはタイムロスになる。

 散々考え、十数度ホテル方面と平瀬村方面に方向を変えた挙句、往人は自分の勘が間違っていないと信じて今まで進んでいた方向に進むことにした。
 なに、見つからないなら見つからないで他に何かやりようもあるさ。まずはこの先の平瀬村で情報を仕入れることにしよう……
 無理矢理自分を納得させながら、往人は足を進めていった。

244 クールと湯気と変人と/サイカイ :2008/01/26(土) 22:39:30 ID:8AMPA8vg0
【場所:F-4】
【時間:二日目午後15:00】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:まずはこの先の平瀬村に向かう、観鈴ほか知り合いを探す、マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手】


【時間:二日目午後15:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する、仲間を守る】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:仲間を守る】

笹森花梨
【持ち物:特殊警棒、海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、青い宝石(光二個)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、ステアーAUG(7/30)、グロック19(2/15)、エディの支給品一式】
【状態:光を集める。仲間とともに宝石の謎を明かす】
ぴろ
【状態:花梨の傍に】

→B-10

245 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:50:04 ID:P4xkCFsI0
―― まるで、一年くらい眠っていた気がする。

目を覚ました藤井冬弥が思ったことが、まずそれだった。
窓から差し込む日差しの眩しさ、カーテンから漏れるそれで冬弥は貪っていた惰眠を奪われる。
しぱしぱと微妙に痛む瞳、夢の類を冬弥は見ていない。
それぐらい、彼の眠りは深かったのだろう。

布団を跳ね除け、ゆっくりとした動作で冬弥は休んでいた宿直室を後にした。
そのまま給湯室へ向かう冬弥、そこには夜中に途中で見張りを交替することになった七瀬留美がいるはずだからだ。
年下の女の子にそのような仕事を負わせることを、当初冬弥は拒んだ。
しかし体力は有限であるが故、休息を取らないということは冬弥自身に大きな影響を与える可能性があることを留美は必死な形相で説いてくる。
最もである留美の言い分、それを否定してまで冬弥も無理をする気はなかった。

見張りの時間、冬弥はひたすら支給品である銃器の手入れを行った。
素人故の不慣れさ、知識の浅さがありそこまで細かいことはできないものの、周りを丁寧にふき取ることぐらいは冬弥にもできることだった。
黙々と作業を続ける冬弥は、自身の武器が終わったら次は留美の物へと手を伸ばす。
再開される手入れの時間、冬弥はひたすら行為に没頭していた。
それは、現実逃避の成れの果てだったのかもしれない。

緒方理奈が死んだ。
河島はるかが死んだ。
そして、森川由綺が死んだ。

信じられない、信じたくない事柄が並ぶ第一回目の放送に冬弥の思考回路は麻痺しかける。
嘘だ、と取り乱し叫びたかっただろう。
涙し、悲観にくれたかっただろう。
しかし冬弥はその悲しみを、あくまで表には出さなかった。

246 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:50:35 ID:P4xkCFsI0
「……ま、ゆ?」

目の前の少女、向き合う形で椅子についていた留美の呟きに冬弥がはっとなる。
自分より幾分か年下の少女は、呆け、唇を戦慄かせながら必死に何かに耐えていた。
震える肩の小ささ、それに合わせるよう小刻みに揺れるツインテールが彼女の感情を物語っている。
年下の少女は、必死に慟哭を押し殺していた。
だから、冬弥も表に出す訳には行かなかった。
……つらいのは、同じだ。そんな状況で自分の直情を優先させようとは、さすがに冬弥も思わなかったのだろう。

(俺もいい加減しっかりしなくちゃな)

改めて言葉を腹の底に押し込め、冬弥は一人決意を定めた。
握り締める拳の痛みは、友人、そして恋人を失った心のそれに比べれば軽いものだろう。
冬弥は耐えた、留美に気づかれないよう激情を押し込めた。
流したい思いでいっぱいだった涙を、冬弥は目を強く瞑ることで最後の一線だけはと守ろうとする。
……力及ばず目の端から一筋だけ零れてしまったそれに、どうか気づかないで欲しい。
冬弥の願いが留美に通じたか分からないが、彼女が言及することはなかった。

そしてやってきた、朝。
結局、夜間冬弥達には何のトラブルも起こらなかった。
誰かがこの建物にやってきた気配はない、それでも冬弥が警戒を怠ることはなかった。
ゆっくりと給湯室の扉を開け、そこで見慣れたツインテールを発見し冬弥はやっと一息つく。

「おはようございます、藤井さん」

給湯室の中へ入ってきた冬弥に、留美は元気よく挨拶をした。
冬弥もそれにおはようと返し、日常の温度を実感させてくる心地よさを味わった。
給湯室の時計を確認する、時刻は午前六時前と少し早いものである。
……さて、ではここからどうするかが彼等にとっては当面の課題であった。
留美も冬弥も、知人を探すという意味で行動を共にしている面が大きい。

247 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:50:56 ID:P4xkCFsI0
「七瀬さん、これからどうするかだけど……」

冬弥の声に留美が首を傾げる、しかしそれを邪魔視するノイズが突如彼らの聴覚を支配した。
第二回目の、放送である。
一夜を休息に宛てた彼らは、何も成し遂げぬままにそれを迎えることになった。





今、冬弥は朝露に濡れる地面をじっと眺めていた。
消防署の扉に持たれ込むよう背中を押し付け、思ったよりも寒い外気に冬弥は一人肩を震わせる。

澤倉美咲が死んだ。
篠塚弥生が死んだ。

ぐしゃっと寝癖のついたままの自身の髪を握り締め、冬弥は大きな深呼吸を繰り返す。
冬弥の知らない間に、これで五人もの知人が亡くなったことになる。
その間冬弥は何をしていたのか。

(安全な場所で、ゆっくり眠って……っ)

優遇されたとしか思えない自分の立ち位置に、冬弥の胃がキリキリと痛み出す。
込み上げてくる嘔吐感、自然と流れ落ちていく涙をもう冬弥は抑えることが出来なかった。
大の男がしゃくりあげる姿なんて留美に見せる訳にはいかないと、冬弥は彼女を置き一人消防署の外に出ている。

「ふ、藤井さん!」

248 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:51:22 ID:P4xkCFsI0
走る背中にかけられた留美の声、しかし冬弥はそれに振り返ることなどしなかった。
否、できなかった。
歪んだ自身の表情を彼女にだけは見られたくなかった、その思いが冬弥の走る速度をさらに上げる。
留美は第一回目の放送の時と同様、必死に何かに耐えているというのに比べて自分はどうなんだと。
冬弥はそれさえもがみじめで仕方なく、また泣いた。

しっかりしなくちゃいけないと、昨晩誓ったはずの冬弥のそれには既にヒビが入っている。
それには文字通り、友人が消えていくスピードというものの速さに愕然としたのもあっただろう。
また自分が何もできていないにもかかわらず、失うものだけがどんどん増えていくという現状が冬弥には辛くて仕方なかった。

(美咲さん、弥生さん……っ)

彼女等に何があったのか、分かるはずもない。
それは第一回目の放送で呼ばれた三人も同様である。

(なら俺は、何をすべきだったんだよ……っ)

給湯室に残してきた、留美の面影が甦る。
明るい少女だった。冬弥の知人である観月マナを彷彿させる髪型から、彼女を連想しなかったとは言い切れないだろう。
年下の女の子という時点で、冬弥からすれば留美は庇護の対象に値する少女となる。
頑張らねばと、思った。年下の女の子が頑張っているのだから、自身もやらねばという思いが冬弥の中には強かった。
一種の支えだったかもしれない。
留美と言う少女がいることで、冬弥は挫けなかった。

第一回目の放送で、放心しかけた冬弥はその際手にしていたペットボトルを地面に落としてしまった。
蓋が外れたままのそれが、轢かれたカーペットに染み込んでいく様を冬弥は無言で見つめていた。
空になっていくペットボトルが、重さを感じさせない緩やかさで弧を描いていく様が冬弥の心に空虚さを煽ってくる。
もしあの時目の前に留美という少女がいなかったら、冬弥は直情に流され武器を手にしていたかもしれなかった。
友人や恋人を失った悲しみを、それで埋めようとするかもしれなかった。
敵討ちを考え、人を殺すかもしれなかった。
冬弥が思いとどまることができたのは、少女の存在があったからだ。

249 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:51:49 ID:P4xkCFsI0
朝、給湯室にて冬弥を出迎えた留美の表情は晴れていた。
心配をかけないようにという、そのような意図があったかもしれない。
留美は昨夜と同じように給湯室に備え付けられている椅子に座っていた。
テーブルには、満杯になっているペットボトルが二本あった。
留美と冬弥、二人に支給されたペットボトルの中身は、再び留美の手によって満たされていた。

何気ないことだ。
ただ中身が減っていたから、先のことも考え補充したのだろうと考えるのが一般的だろう。
しかしそこには、言葉に表されていない彼女の優しさが詰まっているように冬弥は思えたのだ。
地面のカーペットはまだ乾ききっていないのか、変色した部分がいまだ深い色になっていた。
だが肝心の本体には、既に新しい物が詰められている。
それはまるで、気持ちを切り替え新たに踏み出すのがベストであることを物語っているようだった。

分かってはいる。分かってはいるのだ、冬弥も。
ただそこに気持ちが追いついていないだけで、理解ができていない訳ではないのだ。
そこが、冬弥の弱さだった。

冬弥の嗚咽は止まらない、朝の爽やかな大気に溶け込むことなく彼の周りには湿った空気が漂っていた。
いい加減留美も心配しているだろう、中に戻った方がいいのかもしれないが冬弥はそんな気になれなかった。
沈んだ気持ちが浮上する気配はない、泣きつかれたことで頭も朦朧とする冬弥が半ば自暴自棄になっていた時だった。

「とにかく、私は一端学校へ向かうわ! 悪いけど、あなた達みたいにのんびりなんてしていられないのよ」
「ま、待ってくださいっ」

せわしない会話が、乱暴に開けられたせいかかなりの大きさで響いたドアの開閉音と共に漏れ出した。
何事かと視線をやる冬弥の視界に、隣接して建てられている建築物から人が出て行く様が入り込む。
まさか隣人がいるなどと想像もしていなかった冬弥は、泣くのも忘れその光景をただただ見やるしかなかった。
長い髪を揺らす少女が肩を怒らせながらその場を後にする、その後ろには何やら小さな生物がついて行っているようだった。

「そんな、ボタンまで……」

250 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:52:23 ID:P4xkCFsI0
視線を建物の入り口へと逸らす、少女よりもずっと幼く見える女の子が少女の背中を見つめていた。
女の子は、冬弥が今まで見た他の参加者と比べても郡を抜いた幼さを持っている。
こんな小さな子までが巻き込まれているのかと、そんな考えができるくらい余裕が出てきた冬弥の耳に懐かしい声が入り込んだ。

「……仕方ないなんて言葉で括るのは嫌だけど、あの書き込みがある以上僕達がここを離れる訳には行かない。
 向坂君ともまた再会することができればいいのだが」

低めのテノールの心地よさ、一人ライバル心を燃やしていた頃には癪で仕方なかったそれに冬弥の胸が高鳴った。
女の子を支えるよう、現れた男がその小さな肩を抱く。
見覚えのある横顔、それが誰であるか理解とたと同時に冬弥は言葉を口に出していた。

「緒方、英二?」

冬弥の声に、えっ、と男が振り返る。つられる形で少女も同じような動作をとった。
冬弥からすれば思ってもみない再会に、男も同じよう驚きを表情で表している。
緒方英二。
冬弥がこの島で初めて出会うことになる知人が、彼だった。







藤井冬弥
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署前】
【持ち物:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、他基本セット一式(食料少し消費)】
【状況:呆然】

251 もうヘタレなんて言わせな……あれ? :2008/01/31(木) 23:52:46 ID:P4xkCFsI0
七瀬留美
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署】
【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村消防署内待機】

緒方英二
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みに対し警戒】

春原芽衣
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みを朋也と信じている】

向坂環
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05】
【所持品:コルトガバメント(残弾数:20)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村小中学校へ向かう】

ぼたん
【状態:環について行く】

(関連・232・477・588)(B−4ルート)

252 名無しさん :2008/02/01(金) 15:00:07 ID:nHUW/EJY0
>まとめさん
B-10の作品を投下しますがかなり長くなったので2つに分けて掲載をお願いします

253 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:01:34 ID:nHUW/EJY0
 戦いの火蓋というものは、往々にして何の前触れもなく切られるものである。

 神尾晴子はズキズキと痛む左肩と右手の悲鳴を眉間に皺を寄せながらもそれを無視し、H&K、VP70を両手で持ちながら足早に柏木耕一、柏木梓の元へと忍び寄っていた。
 既にその後姿は確認し、十分に射程圏内まで接近している。後はいつ討って出るか、だが相変わらず右手に力が入らない。肩が震えている。時々意識も霞む。痛い。耐えられないくらい痛い。

 できるならこのまま逃げたいと晴子は考えていた。どうしてわざわざこんな痛い思いを、ともすれば死ぬかもしれない行為をしなくてはならないのか。
 大体、いつだって自分は逃げてきたのではないのか。
 いつか来る別れの時を恐れて娘の――観鈴とも仲良くしてこなかった。相談に乗ってやることも、誕生日を祝ってやることさえしなかった。
 今回もまた逃げればいいのではないのか? 逃げて、観鈴を探して、これまでしてきたことを謝って、残りの時間を二人で過ごせばいい。そうすればいいじゃないか。

 だが――晴子の頭の中にはとびきりの、花が咲くように笑う観鈴の顔があった。

 あの笑顔を失ってはならない。
 あの笑顔を守らなくてはならない。
 あの子は幸せにならなくてはならない。

 これまで晴子の我が侭で不幸せにしかしてこれなかったことへの償い。それだけは晴子の譲れない一線であった。

 ああ、そうだ。何を血迷っていたのだ。
 これまでの連戦で忘れていた。これが、答えなのだ。
 痛い? それがどうした。
 意識が飛ぶ? なら無理矢理叩き起こしてやる。
 死ぬ? いや死ななければいいだけだ。
 晴子には安息の時など許されはしない。地獄から何度でも引き摺り出して過酷な罪を贖わせてやろう。臓物が千切れ飛べば拾い集めて中に戻してやる。目玉が潰れれば悪魔の囁きを分け与えてやる。
 さあ戦え。勝利はない。あるのは闘争だけだ。醜い喰い合いの果てに望むのはただ一つの笑顔と平凡な暮らしだ。
 そのために神尾晴子よ。貴様は死ね。

254 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:02:03 ID:nHUW/EJY0
「自分の名前にでも祈ろうかいな」
 元より晴子は何も信じてはいない。神の存在も、奇跡の存在も。信ずるのは己が血肉。己が名前。ならば自分の名前を神に見立てよう。このために自分の名字は存在してきたのだ。
「アーメン」
 娘の通う学校の、胸の十字架の形に指を切って、晴子は大きく息を吐き出した。まだ肌寒い朝方の森に水蒸気の粒が柔らかく溶けていく。

 背負っていたデイパックを手に持ち、それを円を描くように頭上で振り回した。
 回数を重ねる度、空気を切り裂く音が徐々にだが増していく。数度振り回したところで、晴子はカウントを開始した。
「いち、にぃーの、さんッ! うらあぁぁぁっ!!!」
 唸るような怒声と共に、晴子のデイパックが柏木耕一の背中へと向けて飛来した。

「!? 耕一、危ないっ!」

 真っ先に気付いたのは梓だった。素早く懐から警棒を取り出すと、バットでボールを打つように横薙ぎにデイパックにぶつける。
 女とは言えども鬼の一族の血を宿す人間の一撃である。あっさりとデイパックは白旗を上げて地面へと落ちていった。しかしそんなことはどうでもいい。これは陽動。何かしらの行動を取らせることが晴子の狙いであった。
 H&K、VP70を携えると晴子は一直線に二人へと突進していった。

「お前……!? いきなり何を!?」
「答えるとでも思ったか、アホンダラっ!」

 VP70のトリガーに指がかけられた瞬間、二人が同極の磁石を合わせたかのようにそれぞれ逆の方向へ飛び退く。次いでその間を銃声と共に9mmパラベラム弾が通過していく。またも襲う激痛に唇を歪ませる晴子だったが、すぐにそれを笑みの形に直した。なぜなら、それが晴子のまだ生きている証だから。

 一方の梓と耕一は、いきなりの襲撃に戸惑いながらも話し合いが出来る相手ではないとすぐに認識し、それぞれの武器を構えて晴子の前に立ち塞がる。
「無駄だと思うが……俺達は殺し合いには乗ってない! 無駄な争いはやめてくれ!」
「ほーか、ならさっさと死んでくれると嬉しいんやけど」
 照準を耕一の方へ向けた瞬間、梓が警棒を振りかざして飛び掛かる。
「無駄だよ耕一! 問答無用で襲ってくるやつに……説得の余地はないよっ!」
 梓の持つ特殊警棒は金属製であり、しかも鬼の力によって威力は増強されている。晴子は既にそれを知っていた。デイパックを投げたのはただ単に陽動のためではない。敵の力量を確かめるための言わばテスト。そして先程の銃に対する反射神経。いつか戦った天沢郁未と来栖川綾香に匹敵する実力であると晴子は感じていた。

255 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:02:26 ID:nHUW/EJY0
 故に受け止められるなどとは微塵も思っていない。木を盾にするようにして回り込む。二撃目が来たのはその瞬間だった。
 めきっ、という幹の一部分が潰れる音が聞こえ、破片が飛び散る。もはやそれは殴打ではない、一撃で相手を葬る必殺の攻撃だ。
 ちっ、と舌打ちする梓が耕一の元までバックステップして戻る。晴子はVP70を構えてはいたが、発砲することはなかった。
 当てられるかどうか分からないし、何より残弾数が少なすぎる。既に一発撃ち、残り六発で敵二人を仕留めねばならない。加えて、その実力は晴子を遥かに凌駕する。何か奇策を講じねば晴子に勝機はなかった。
 視線を移して周囲の地形を確認する。木々がところどころに点在し、落ち葉の積もった柔らかい地面に緩やかな傾斜。多少隠れるに適した場所はあるものの射撃戦に持ち込むには先述の通り弾薬が少なすぎる。晴子に有利に働きそうなオブジェクトもない。どうする、どうする、さぁどうする?

「耕一、あいつ動かないね……」
「ああ、それに怪我もしてるみたいだ。拳銃も支えるので手一杯って感じだな」
「どうする? 今の調子だと二人でかかれば簡単に倒せると思うけど」
「いや俺達は殺人が目的じゃない。銃だけ奪って無力化すれば……」

 甘いよ耕一、と梓は思った。こういう完全に乗ってしまった人間はどう無力化しても再度武器を調達し何度でも殺そうとしてくる。だが自分達も殺人鬼ではない。それは同意できることではある。何にせよ、まずは目の前の敵を打ち倒すのが先決だ。
「分かった。あたしから先に行くよ。隙を作るから耕一が何とかして」
「ああ、任せてくれ」
 耕一が頷くのを確認して、梓は警棒を再度強く握り締め猛然と晴子に向かっていった。

「ちょっと痛いけど、お灸を据えさせてもらうよ!」
「はんっ、小娘が偉そうにしよって! ジャリはジャリらしく大人の言う事を聞いとればええねん!」
「悪い大人の言う事を聞く必要は……ないんだよっ!」

 梓の役目はあくまで耕一が止めを刺す為の隙を作ることであり、無理して倒すことではない。反撃を受けない程度に距離を詰めて体力を消耗させればいいのだ。
 相手が避けられる程度のギリギリのラインから警棒を振り回し、ギリギリのラインで避けさせていく。
 晴子もなんとか反撃を試みようとVP70を用いて殴ろうとするが振り下ろす前に梓の次の攻撃が来るため反撃に踏み切れない。縦から横から振り回される警棒を掠るか掠らないかの程度で回避していくのが手一杯であった。
 それどころか激しく動いているせいで傷が疼き、飛び跳ねて着地するだけでもVP70を取り落としそうになるほどの激痛が晴子を襲う。これでは引き金を引くことさえままならない。事態は悪化していく一方だった。

256 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:02:53 ID:nHUW/EJY0
「やぁっ!」
 梓が大きく腰を落とし、晴子の脛へと向かって警棒を振る。傷の痛みに意識を向けていたせいで一瞬だが、晴子の反応が遅れた。
 回避する直前、警棒の先が腿を掠り、電流を流されたような痛みが晴子の身体を駆け巡った。「くぁ……」と思わず呻きよろよろとバランスを崩してしまう。

「耕一! 今だっ!」
「おうっ!」

 気付かぬ間に側面から迫ってきていた耕一が拳をぐっと握り締め晴子の顔を狙っていた。逞しい筋肉から繰り出されるその一撃を貰えば、いかな覚悟を決めた晴子と言えど気絶は免れないだろう。勝敗は決したかに思えた。

「!?」
 晴子に殴りかかろうとしていた耕一が、急に目の色を変えて梓の方へと向かう。
「梓っ!」
 え、と呆気に取られる梓を押し倒すようにして耕一が覆いかぶさる。その真上を――
「な……」
 ――飛んでいったボウガンの矢が木の幹に突き刺さっていた。

「新手かっ!」
(新手やと……?)

 耕一も梓も、晴子もしばし目の前の敵を忘れて乱入してきた第三者の居場所を掴もうとする。敵か、味方か。事と次第によってはそれはこれからの状況を大きく変えさせるものだったからだ。
 数秒の後、ガサッ、という不自然な音を梓の耳が掴む。弾かれるようにして振り向くと、そこにはボウガンを持って走り去ろうとする一人の少女――朝霧麻亜子――の姿があった。

257 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:03:23 ID:nHUW/EJY0
「耕一、あいつだ!」
 すぐに方向転換し、麻亜子の姿を追おうとする梓。
「待て梓、迂闊に……」
 静止に入ろうとした耕一の後ろから悪意のある気配が身体を貫く。とっさに転がるようにして、耕一は緊急回避に入った。ぱん、という軽い音と共に再び敵意を向けた晴子のVP70が火を噴いたのだった。
 幸いにしてそれが命中することはなかったが、既に梓は新たに現れた人間を追って森の奥へと消えていた。鬼の持つ力は脚力にも影響を及ぼす。全力の梓が視界から消えるのには数秒の時間さえあればよかったのだ。く、と歯噛みする耕一の前に、不敵に笑う晴子の姿があった。

「うちを差し置いて逃げようやなんてええ度胸しとるやないか。これで一対一や。ゆっくり楽しもうや、なあ?」
 それは妖艶な、油断した冒険者を海中へと引きずり込むローレライの魔女であった。脂汗をかき、肩を上下させる姿さえも耕一を幻惑させる魔法のように思える。
「……悪いが、すぐに終わらせてもらう。歌のアンコールは所望じゃないんだ!」
 今度はハンマーを持って、耕一は晴子を見据える。一撃。足に叩き込んで骨を砕いて御仕舞いだ。
 耕一の目の色が、赤き狩猟者のそれへと変わった。

     *     *     *

 襲撃をかけるかかけまいか迷っていた朝霧麻亜子の視界に神尾晴子が飛び込んできたのは、彼女にとって幸運だった。
 それがゲームに乗っていない人物ならば話し合いの最中に奇襲をかけられるし、乗っているなら乗っているで存分に利用し、双方戦って疲れたところに止めを刺しにいけばいい。麻亜子は漁夫の利をとれば良かった。
 しばらく様子を見たところ拳銃のようなものを持って攻撃の機を窺っているようにも見えたから八割方乗っていることには間違いなさそうだった。なら、いつでも止めを刺しにいけるようにもっと耕一と梓の近くに接近するべきだった。

 麻亜子は誰にも気取られぬよう、静かに移動を始めようとした、その時だった。
「動かないで下さい」
 後頭部に固いものが押し当てられる感触と、骨の髄まで凍るようなトーンの低い声。麻亜子の心臓が、一瞬だが跳ね上がった。
 麻亜子の後ろを取った女、篠塚弥生は麻亜子の手に握られているボウガンを一瞥すると、地面にうつ伏せになるよう指示する。

258 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:03:56 ID:nHUW/EJY0
「え〜、あちきも一応女の子なんだしさ、汚れるのは嫌なんだけどなー」
「なら言い方を変えましょう。血で汚れるのと、土で汚れるのと、どちらがいいですか」
「……はいはい、分かりましたよ。ジョーダンの通じないひとだなぁもう」
 やれやれという感じで大人しくうつ伏せになる麻亜子。相変わらず弥生は銃口を押し付けていて、まるで隙がない。やりにくいタイプだ、と麻亜子は思った。

「で? 狙いは何かな?」
「……」
 答えない弥生に対して麻亜子が「理由、説明してあげよっか」と不敵に笑いながら続ける。
「単純に殺したいだけなら後ろを取った瞬間パーンと一発ハイそれまでよ、だーよね? でもチミはそれをしない。ならあたしに利用価値を見出したワケだ。違うかな?」
「……聡いですね」
「まーね。ベルリン陥落させたのがジューコフだってことくらい知ってるまーりゃん様にかかればチョチョイのチョチョイなのさ」

 ふざけた口調だが、バカなわけではない。弥生は銃口を放すと茂みの向こう側を指して言う。

「話は単純です。あの向こう側にいる三人を何とかしてきて下さい」
「単純すぎるなぁ。交渉とはもっと礼儀と作法をもって行うものだぞっ」
「交渉ではありません。要求です」
「その要求、果たして通るかなぁ?」

 何を、と再び手持ちのP-90の銃口を向けようとしたとき、怒声と共に銃声が響き渡る。とうとう向こう側で戦いが始まったのだ。
 三人の男女の声が混ざり合い、蠢き合い、絡み合って死の匂いを帯び始める。麻亜子はそれを悠然と聞き流しながら弥生に告げる。
「まーたぶんアンタも優勝を狙ってるクチなんだろーけどさ、なら分かると思うんだけどここで勝手に戦って死んでってくれる……『乗って』る人が殺されるのはあたしにもチミにもまずいんじゃないかな? 様子を見てたんなら分かると思うけどあたし達と同種はあの大阪のおばさん。反対はあの二人組。ゲームの進行を考えるとどっちが生き残った方が効率がいいか分かるでしょ? でしょ?」

259 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:04:20 ID:nHUW/EJY0
 答えない弥生の様子を肯定と取ったか、麻亜子はふふん、と得意げに鼻を鳴らしながら続ける。
「あたし達がするべきことはさ、お互いに助け合うことだと思うんだなコレが。助け合いの輪、不戦の誓い桃園の誓い。ああ美しきかな友情よ。どう? ここは連携してさ、あの二人組、やっつけてみない?」
 弥生の表情は変わらぬままだったが、麻亜子は確かな手ごたえを感じていた。当初の予定と違って独り占めは出来なくなったがこのように状況に応じて敵味方を変えるような人間は手懐けておいた方がいいと考えていたし、遠目からでも分かる好戦的な神尾晴子も恩を売っておけば後で役立つとも考えていた。

「内容に拠ります。危険な行動は出来ません」

 来た。乗ってきた。
 麻亜子はほくそ笑みながらいやいや、と手を振る。
「どっちかったら危険なのはあちきの方だからさ。まあ聞きなよ奥さぁ〜ん」
 ヒソヒソと内緒話でもするように弥生に耳打ちする。弥生はその内容を聞いていたが、確かに危険はこちらの方が少ない。いざとなれば見捨てて逃げればいいし、麻亜子からしてみても裏切れる余地はない。上手く行けば全員が利益を得られる。
「……分かりました。あなたの作戦に力を貸しましょう。やって下さい」
 弥生は麻亜子から離れると、少し先にある茂みの向こうへと姿を消した。麻亜子はその姿を少し見つめながらふぅ、と安堵のため息を漏らす。

「やー、良かった良かったぁ。流石は口先の魔術師と言われるあたしだね。んっふっふ、将来外交官にでもなっちゃおーかなー」
「やぁっ!」
「おっと、決着がつきそうかな?」

 素早く姿勢を整えると、僅かに茂みから身を乗り出しながらボウガンを構え、今にも止めを刺そうとしている柏木耕一……ではなく、柏木梓の方へと照準を向ける。
 別に攻撃するのはどちらでも良かった。それに当たっても外れてもそれほど作戦に問題はない。どうせ撃つなら当てやすい止まっている標的に撃ちたかったからだ。
「まーりゃんバスター……シュートっ!」
 ボウガンから発射された矢が、一直線に飛んでいく。ラッキーなことに、それは柏木梓の頭部目掛けて飛んでいた。命中すれば脳を貫き即死させること間違いなかった。が……

260 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:04:49 ID:nHUW/EJY0
「梓っ!」
 神尾晴子に攻撃を仕掛けていた柏木耕一が間一髪、梓の体を押し倒して矢の命中を避けたのだ。標的を見失った矢は空しく明後日の方向へ飛んでいく。
「あーっ! 盛り下がることしてからにーっ! ええい、モードBに移行だぁ!」
 ぷんぷんと怒りながら、麻亜子はわざと敵に居場所を知らせるようにがさがさと音を立てながら逃げるように移動を始める。その後ろに、篠塚弥生の気配を感じながら。
「耕一っ、あいつだ!」

 案の定こちらに気付いた梓が茂みから飛び出した麻亜子を追って走り出す。その形相たるや、般若を思わせる鬼のものである。
「うわっこわっ! 鬼こわっ! てか足速いよあの娘さん!」
 こればかりは麻亜子にとっても計算外だった。麻亜子自身も足の速さには自信はあったが梓の脚力はそれを大きく上回っていた。だがおびき寄せることには成功し、麻亜子の狙い通り耕一は晴子と戦いを続けていてすぐに救援に向かうことはできない。分断には成功した。ここまでが、麻亜子の計画の第一段階。

「待てっそこのチビ娘! アンタ一体何様の……つもりだっ!」
「うは!?」

 まだある程度距離は離していたつもりだったのに、気がつけばすぐ後ろで、梓が警棒を頭上に振り上げていた。
「ちょ、タンマ!」
 振り向きざまにバタフライナイフを抜き、特殊警棒を受け止めようとするが巨大な圧力を有する一撃を抑えきることなど出来るわけがなく、無様にナイフを取り落として尻餅をつく麻亜子。
 地面に落ちたナイフを慎重に拾い上げて懐に仕舞うと、梓はそのまま警棒を向けて言葉を発する。

「悪いけど、あたしは耕一と違ってそんなに心が広くないんだ。おとなしく武器を全部捨てて投降しな。そうすれば悪いようにはしない」
「やーだもんね」
 一歩詰め寄る梓に、麻亜子は慌てながら手を振る。
「って言ったらどうするの、って言おうとしただけじゃんかー! 早まらない!」
「そん時は骨の二、三本折らせてもらうよ。で、答えはどうなんだい」
 おっかないねぇーどいつもこいつもスイスもオランダもー、とぶつぶつ言いながら手元のボウガンを梓に向かって投げ捨てる。
「ほいよ。あたしだって命は惜しいからね。ごめんなさいあれは一時の迷いだったのです許してくれろ」
 梓はボウガンに矢がセットされてないのを見ると「矢は?」と尋ねる。
「ああ、矢ね。ごめんごめん、今出すからさ――」

261 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:05:11 ID:nHUW/EJY0
 麻亜子が持っていたデイパックの中に手を突っ込む。その仕草に、梓は一種の予感めいたものを感じた。

「プレゼント受け取ってぇ〜、ちょーだいっ!」
 梓がバックステップからのサイドステップで離れたのと同時に、麻亜子の手に握られていたボウガンの矢が梓の脇腹すれすれを通過していった。当たったとしても致命傷にはならなかっただろうが、それは明らかに殺意のこもった行為であった。間髪入れず、梓は腰を低く落として麻亜子へと肉薄する。
「やっぱ警戒しといて良かったよ。嘘つきには相応の罰が必要だね、チビ助!」
「ぬぬ……でもまだまだ……」

 最大の切り札であるデザート・イーグル50AEを取り出す麻亜子だが、それよりも早く梓の左腕から繰り出される正拳が麻亜子の腹部の真正面を衝いた。
「ぐへ……っ!」
 攻撃の中心点から電撃のように蔓延する鈍い衝撃に呼吸が一瞬止まり、思わずデザート・イーグルを取り落としてしまう。目がチカチカして視線が定まらない。

「や、やば……一旦離脱……」
 足元をふらつかせながらも、しかし麻亜子は倒れることなく梓との戦闘を中断し、逃走を試みようとする。だがそんな行為を梓が許すはずもない。
「逃がすか! ……ぶっ!?」
 走り出そうとした梓の顔面に大きな布のようなものが覆いかぶさる。それは麻亜子がスクール水着の上に着ていた自身の制服だった。さらにおまけのように、デイパックが梓に投げつけられる。
「こ……のっ! 悪あがきを!」

 だが所詮は時間稼ぎにもならないほどの微かな抵抗に過ぎなかった。すぐにそれを取り払うと、梓は再び麻亜子の背中を追う。不意の抵抗で僅かに距離はあいたもののそれはたったの二、三メートルほどだ。梓ならば一秒も経たずに詰めることが出来る。
 その思惑通り、梓が走り出してから一秒と経たない間に麻亜子は警棒の射程内に入っていた。これでとどめと言わんばかりに梓は警棒を今一度振り上げる。

「残念だけど……ここまでだよっ!」
「その通りです」

262 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:05:40 ID:nHUW/EJY0
 梓の耳に届いた声は麻亜子の幼さを残す声ではなく、大人が持つひどく抑揚のない声だった。
 けたたましい音が聞こえたかと思うと、梓の真横から大量の銃弾が槍のように身体を貫いた。何が起こったのか分からず、目の前を飛び散る自分の血飛沫を呆然と見つめる梓。
「え、あ……?」
 振り下ろされるはずだった警棒は梓の手を離れて地面に。捉えるはずだった足は止まり、今にも崩れ落ちそうにがたがたと震えている。
 動かない――いや動けなかった。

「人というものは」

 また聞こえてくる抑揚のない無機質な声。コンビニとの店員との間で交わされるような味気ない声だ。かろうじて首を動かした梓の視線の先には、P-90を持って悠然と向かってくる篠塚弥生の姿があった。

「後一歩で獲物に手が届きそうになると周りのことなど見えなくなるものです。私の移動にも気付けなかった」

「あ……あん、た、は」
 構えようとした梓の体が、ぐらりと傾く。均衡を失った肉体は無様に崩れ落ちる。
「正直ね、チミらの反射神経は大したもんだよ。あちきのボウガンは避けるし、銃を構えられても余裕で射線を外してくる。勘も鋭いときたもんだ。集中されてーちゃーこっちに勝ち目はないっての。だから小細工したんだなコレが」
 次に梓の視界に現れたのは勝ち誇ったように笑う朝霧麻亜子。

「仕組んで、いたのか……最初から、全部」
「いいえ、全ては偶然です。私とこの人が出くわしたのも、手を組んだのも。今貴女の連れと戦っている人も同じです」
 また、弥生が顔を見せる。麻亜子とは対照的に見下したような表情。
「後一歩。こいつが油断だったのさね。目の前のあたしに心奪われたが最後、嫉妬に狂った元恋人が復讐の包丁を突き刺す。中々いい舞台だったでしょ、ん?」
「ち、ちくしょう……ごめん……耕一、千鶴姉、はつ」

263 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:06:27 ID:nHUW/EJY0
 梓の遺言がそれ以上紡がれることはなかった。弥生が懐にあったバタフライナイフで梓の喉をかっ裂いたのだ。破裂した水道管のように、梓の喉から血のシャワーが注ぐ。
「終幕です」
「ぱちぱちぱちっと。でもまだもう一つ舞台があるんだなー。人気俳優は忙しいよ」
 制服を着込みながら麻亜子はボウガンやデザート・イーグル、デイパックを回収していく。
「貴女のナイフです。返しておきましょう」
 弥生は梓の所持していた警棒を回収すると、バタフライナイフを折り畳んで麻亜子に投げ返す。それを空中で器用に受け取りながら感心したように麻亜子が呟く。

「おりょ、てっきりネコババするかと思ったのに。律儀だねぇ」
「重要な事です。仕事でも、人間関係でも」
 ふむぅ、と麻亜子は笑いながらバタフライナイフをポケットに仕舞い、デイパックを背負い直す。
「さてもう一舞台参りますかね。二人の役者さん、まだ生きてるといいけどねー」
「どちらにしろ決着はつけます。行きましょう」
 弥生が走り出すのに続いて、麻亜子もその後を追う。
 血の華に彩られた舞台の最終公演が、始まろうとしていた。

264 名無しさん :2008/02/01(金) 15:07:00 ID:nHUW/EJY0
ここまでで一旦区切って下さい

265 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:07:52 ID:nHUW/EJY0
「おおおっ!!」
 耕一の繰り出すハンマーの一撃を、晴子は紙一重で避けながらVP70を鈍器にして殴り返す。
 だが晴子の攻撃もまた避けられそればかりかカウンターに鋭い右フックを叩き込まれ、ゴホゴホッと咳き込む。
 最初のころはそれも避けられたのに、次第に命中する回数が増えてきていた。いやそれだけじゃない、こちらの反撃もまるで見透かされているかのようにかわされる。今は辛うじて最大の一撃であるハンマーを回避しているだけで、その行動もだんだん体が追いつかなくなってきている。それも、殺さず戦闘不能にするためなのか足ばかりを狙ってきているにもかかわらず、だ。

「ぐ……」

 幾重にも拳が打ち込まれた体はボディブローのようにじわじわと晴子にダメージを与えていた。鉛のように体が重く、長い間オイルを注していない機械のように手足が動かない。さらに先程の一撃でいよいよ体が限界に達したのか自力で立っていられず、たまらず木に体を預けてようやく支えている状態だ。
 疲労困憊、満身創痍という言葉が今の晴子を表す全てだった。
「……もう終わりだ。諦めて罪を償ってくれ」
 ハンマーを両手に持った耕一が、ここまで力強い抵抗を見せた晴子を悲しげな目で見つめながら前に立っていた。息も荒く全身痛みに覆われている晴子とは違い、汗一つかかず息さえ切らしていない。

 絶対的な力の差だった。
 蟻が象に挑むような無謀な行為。しかもたった一人で、だ。勝てるわけがない。

「は」

 晴子は一笑に付した。だから何だと言うのだ。好機ではないか。完全に勝ったつもりの相手と、満身創痍ながらもまだ決定打を受けていない自分。
 それに何より、己には覚悟がある。大好きなひとを守りたいという想い。こんな殺しも出来ないような優男に、負けてなるものか。
 乾いた唇を舌で舐める。一瞬だけ水分を取り戻した口が啖呵を切った。

266 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:08:16 ID:nHUW/EJY0
「まだ終わりやない。まだ負けてへん。偉そうな大事ほざくんはウチを倒してからにしてもらおうか」
「なら……そうさせて――」
 そう言いかけた時、辺り一帯に激しい音が鳴り響いた。それはどんなのか確かめるまでもなく、銃声。

「あず……?」
 耕一が思わず後ろを向いた。それを、晴子は見逃さない。
「いて……まえっ!」
 晴子が決死の思いでVP70を持ち上げる。それに気付いた耕一は若干反応を遅らせながらも思い切り真横に飛び退く……が。
「く……あ……」
 VP70から銃弾が発射されることはなかった。力尽きたように晴子が前のめりになりながら倒れ、そのまま動かなくなった。

 恐らく、意識を失ったのだろう。見る限り晴子は包帯を巻いており、息も荒く顔色も悪かった。あれだけ強気であっても肉体が限界を超えていたのでは当然の成り行きでもある。そう耕一は考えた。
 ホッと息をつきかけた耕一だがそんなことをしている場合ではないとすぐに気付き、晴子から背を向けて銃声のした方向へと走り出した。
「梓! どうしたんだ! 返事をしてくれ!」
 力の限り腹から吐き出すように耕一は叫ぶ。しかし梓が走り去っていったであろう方向からは何も声は聞こえてこない。それがさらに、耕一の心から余裕を無くし、焦りを生み出していく。

 梓が、あの頼もしい従姉妹の梓が負けるわけがない。そんな事態があってたまるか。
「梓! あずさぁーーーーッ!」
 咆哮ともとれるような耕一の叫び。しかし依然として返事はないばかりかそこにあってはならない、かつて感じた匂いが漂っていた。
 それは血の、匂いだった。

 まさか。いやそんなはずはない。

 交錯する二つの思考。落ち着けと願う心と、跳ね上がらんばかりに脈打っている心臓。
 耕一の視界は、いつのまにか半分以下にまで縮まっていた。故に。

 ドスッ。

267 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:08:46 ID:nHUW/EJY0
 ビクン、と少しだけ耕一の体が跳ねたかと思うと、強烈な異物感と痛みが肺から急速にせり上がってきていた。
「あ……?」
 梓同様、最初耕一には何が起こったのか理解できなかった。自分の体に何かが起こった、その程度の認識しか感じられなかった。
 ゆっくりと、耕一は自分の胸元に目を下ろす。
「何だよ、これ……」
 耕一の胸からは、棒のようなものが生えていた。先端には尖った、まるで鏃のようなものがついており自身の血を浴びて凶暴な赤黒いカラーに染まっている。

 いや違う、これは矢……弓矢の矢じゃないか。そう認識出来たかと思うやいなや、耕一の視界は暗転し意識が、感覚が遠のいて体が崩れ落ちる。
 これもまた、梓と同様に。
 地面と抱擁を交わした耕一に、もはや草木の匂いが届くことはなかった。
「いやーやれやれ。実に分かりやすいお人でしたなー。映画みたいに何回も名前呼んじゃって。おねーさん恥ずかしいぞっ」
 倒れた耕一に声をかけたのは、朝霧麻亜子と篠塚弥生だった。

「あっけないものですね。周りが見えなくなるのも、同じ」
「ああ、才気溢れる逞しい若者がまた一人散ってしまうのは悲しいことだけれども残念無念、これって戦争なのよね。まああたし達がやっちゃったあずりゃんと一緒にいさせてあげるからおとなしく成仏してくれりゃんせ、なむなむ〜」

 ダレダ、コイツラハ――

「もう一人の方はどうなったのでしょうか」
「さぁ、死んじゃったかもしれないね。ま、あたしとしてはライバルが減ってくれるならいいんだけど」

 ヤッタ? アズサヲ? ナゼダ。
 アズサハ、コロサレテイイヨウナヤツジャナカッタ。カエデチャンモ。コンナ、コンナヤツラガイルカラ――

「それは同感ですね。ですが今はそれよりも武器の回収を急ぎましょう。それにあなたとの共同戦線もここでお終いです」
「ありゃ、これは意外なお言葉。あたしはそんなに使えない女なのかい?」

268 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:09:17 ID:nHUW/EJY0
 ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ――

「逆でしょう? あなたにとって、私は使えない女のはずですから」
「……さぁ、それはどうかな?」

           コロシテヤル

「……?」
 悪寒のようなものが弥生を包み込む。それは、倒れたはずの耕一の体から感じられた。
「ん、どしたの?」
 耕一の方をじっと見る弥生に麻亜子もまた何かを感じ取ったかのように耕一を見た。
「声が、聞こえたような気がしたのですが」
 そんなはずはない。確かに麻亜子の放ったボウガンの矢は耕一の胸を貫いていたのだから。生きているはずはない。
 しかし何だろう、この威圧感のような、拭い去れない恐怖のような予感は。それは麻亜子も同じようだった。

「気のせいだと思うけど……とどめ、刺しとこっか」
 完全に死を確認したわけではない。ひょっとしたら息くらいは残っているかもしれない。そう無理矢理に考えて、麻亜子は再びボウガンを向ける。

「グオオオォォォォォォッ!!!」

 その時、まるで獣のような、怪獣映画に出てくるような野太い絶叫が耕一だったものから聞こえた。
 それだけではない。死んだはずの耕一が。生きているはずがない耕一の体が、ムクリと起き上がり二本の足で立ち上がったのだ。
「う、うそっ……!?」
 麻亜子だけでなく、普段冷静なはずの弥生も目の前の事態を理解できず呆然と、立ち上がった生物を見ていた。

「グアアアァァアァァァアァッ!!!」

269 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:09:39 ID:nHUW/EJY0
 口を大きく開けて、天に向かって咆哮を上げる耕一。いやそれはもはや人間ですらなかった。
 元々筋肉質だった二の腕はさらに大きく盛り上がり、色も肌色から黒色の人ならざるものへと変貌している。
 爪は赤く長く伸び、さながら恐竜を思わせる凶暴なフォルムに変形し、獲物を刈り取ろうとするようにせわしく蠢いていた。
 つまるところ、それは人の領域を超えてしまった……怪物であった。

「ガァア……ッ」

 息を吐き出し終えた怪物が、ゆっくりと麻亜子と弥生に真っ赤な眼球を向ける。それは狩猟者たる『鬼』が狙いを定めた瞬間であった。
「なんかさぁ……ヤバいって感じだなあ。乙女の大ピンチ?」
「悠長にそんなことを言っている場合ではなさそうですよ。あなたとの共同戦線……もう少しだけ続きそうですね」
 二人が、すくみそうになる足を必死に押さえ込みながらじりじりと後退していく。

「グゥウゥ……ァッ!」

 怪物はグッ、と腰をかがめたかと思うとその場から思い切り跳躍し、大木のような腕を棍棒のようにして振り下ろしてきた。
「うわっと!」「……!」
 麻亜子が怪物から向かって左へ、弥生が右にステップしてその場から離れる。それから僅か一秒と経たない間に怪物の巨体がそこへ落下し、腕を叩きつける。ドスンという鈍い音と共に地面が陥没し、土煙が舞う。人間では考えられない威力の、肉体のハンマーであった。
「このっ……隠し芸なら温泉でやってよ……ね!」
 距離を取った麻亜子がボウガンを向け、怪物の頭部へと向けて発射する。いくら怪物じみた外見でも頭部に損傷を与えれば無事では済まないはず、そう考えた結果だった。

 だが怪物は切磋に頭部を守るように右手を出し、直撃を避ける。しかし当たらなかったとはいえ右手に突き刺さったはずなのに、怪物はものともしないかのように矢を引き抜き、地面へと投げ捨てた。代わりに、ライオンのような鋭く尖った犬歯を覗かせ、嗤った。嗤ったのだ。
 やばい。そう判断した麻亜子はこれ以上の反撃を諦め再び距離を取ることに専念する。
 逃げられるとは思っていなかった。あの怪物は復讐のためだけに復活した追跡者なのだ。一時的に身を隠せようとも、いつかは追いつき体を引き裂いて頭を潰し蹂躙する。ならこの場で倒してしまうほかに生き残る術はなかった。
 幸いなことに、怪物の動き自体は鈍く麻亜子とは比べ物にならない。ボウガンをデイパックに手早く仕舞うと最大の武器であるデザート・イーグル50AEを取り出して構えようとする。

「グガァッ!」

270 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:10:03 ID:nHUW/EJY0
 しかし怪物もさるもの、動きの鈍さを巨体から出るリーチで補い槍のような爪を真っ直ぐに繰り出す。あれに貫かれたら、命はない。
 仕方なく発砲は諦め木を盾にするように回り込む。
 ずん、と地響きのような音がして麻亜子の前の木が軋みを上げる。どうやら爪が突き刺さったようである。
 この隙に反撃を、と思った麻亜子だが怪物は爪を引き抜くどころか逆に爪を深々と抉るように押し込み左右に動かす。
 ミシ、ミシっと音を立てたかと思えば爪の刺さった部分から木が折れ、周辺の草木を巻き込みながら倒れていた。
「う……わぁ……」
 これには麻亜子も唖然とするしかない。普段どんなことがあってもマイペースな彼女から血の気が引き、さっきまで反撃しようという考えも忘れてそそくさと弥生のところまで後退する。

「何アレ、それなんてファンタジー? というか援護してくれってのー!」
「申し訳ありません、ちょっと手持ちの武器を確認していたもので」
「そんなの戦う前からやっとけってーの! わわっ、来たきたっ!」
 再び前進してくる怪物に、弥生がP-90を向ける。
「残弾は少ないですが……やむを得ません」
 小刻みにトリガーが引かれたP-90から、数発の弾丸が怪物目掛けて飛来する。麻亜子のボウガンの時と同じく今度は左腕で受け止めようとする怪物だが、P-90の貫通力はボウガンの比ではない。

「グガッ!?」

 分厚い筋肉の鎧に覆われたはずの腕を貫通したP-90の弾が怪物の肩や胸に突き刺さり、抉り、破壊しダメージを与えた。しかしそれは決定的な致命傷には程遠く、怪物は呻き声を上げながらも更に突進してきた。今度の標的は、弥生。
「く、中々硬い……」
 大振りに繰り出される爪撃をバックステップで回避しながら弥生は単発で発砲を続ける。だが銃身がブレて思い通りに狙いが定まらず、腕や脇腹などには命中するものの心臓や頭部には一発として当たらない。しかしそれでもダメージは蓄積され、徐々にではあるが怪物の動きは鈍くなっていた。
「これで、どうだっ! くらえーい!」
 怪物から十分な距離を取った麻亜子が、お返しとばかりにデザート・イーグルから轟音と共に強力無比な50AE弾を背中に向けて撃ち出す。しっかりと構えていただけあって弾は背中の中心へとクリーンヒットする。

「ガァ! ググ……」

 象さえ仕留めるほどの威力を誇る銃弾に貫かれてはさしもの怪物もひとたまりもない……はずだった。

271 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:10:27 ID:nHUW/EJY0
「ググ……オオオオオォォォォォ!!!」

 呻き声から絶叫にも近い怒声を発したかと思うと、怪物は手を高々と掲げ弥生へと叩き下ろす。
「随分とタフな……っ!?」
 鈍い攻撃のはずだった。躱したはずの腕が、いつの間にか横から迫っていていたのだ。叩き付けられる右腕を避けられず、弥生は直撃を受けてその場に昏倒する。続いて怪物が、麻亜子の方向を向いた。

「やば……っ!」
 距離は十分にあったはずだった。しかし怪物はクラウチングスタートのように腰を屈めたかと思うと猛烈な勢いで突進し、ものの数秒で麻亜子の体へと肩をぶつけていた。地面を跳ねるようにして、麻亜子の体が転がる。
「かぁっ、痛った〜……」
 ダメージ自体はそれほどでもなかったが衝撃が半端ではなく頭が朦朧とする。よろよろと立ち上がる麻亜子に怪物の膝がさらに叩き付けられた。
 突き抜けるような圧力と共に麻亜子の体が宙に浮き、そのまま吹き飛ばされた。そしてその先は、幸か不幸か、急な坂であった。痛みにのたうつ麻亜子がそのままごろごろと坂を転がり落ちていく。

「グルルルル……」

 怪物は麻亜子に止めを刺すのは不可能だと判断したのかゆっくりと方向を変えると体を引きずるようにして倒れている弥生の元へと歩み寄っていく。
 背中からは麻亜子のデザート・イーグルによる銃傷で大量に出血しており、他にも弥生に負わされた無数の手傷からも血が噴出している。
 それでも歩みは止まることはなかった。柏木梓を殺した奴を殺す。その思いのみを行動原理に怪物は足を進めていく。
「く……化け物のくせに……こんなところで」
 弥生もまた、意識を失わずただ生き残ることを思って体を起こそうとしていた。
 だが思うように体は動かず立ち上がることさえままならぬ状況だった。それでも石のような体を引きずって、弥生は攻撃を受けた際に手放したP-90を取りに行こうとする。

「グオォッ!」

272 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:10:52 ID:nHUW/EJY0
 しかしその行動は怪物によって中断される。匍匐前進で這い、あと少しで手の届くところまで来たけれども、弥生の体が怪物の足によって蹴り飛ばされ、近くの木に激しく叩き付けられる。
 骨が折れてしまうほどの衝撃を受けながらも弥生は意識を失うことはなかった。いやむしろ痛みこそが弥生を気絶させなかったと言うべきかもしれない。
 だが、肝心のP-90は遥か遠く――実際の距離よりも手の届かない遠くに行ってしまったのだ。
「く……」
 一応警棒はあるがそんなもので怪物の進撃を止められはしない。何か、もっと、刃物のような尖ったものがあれば。せめて一矢報いることが出来るのに。
 必死に首を動かして何かないかと見回す。すると、思いがけないものがそこに転がっていた。

 ボウガンの矢。恐らく朝霧麻亜子の放った、そしてあの怪物が引き抜いた矢だ。
 咄嗟にそれを掴むと、いつでも全力でかかれるように弥生は力をボウガンの矢を握った手に集中させる。
 怪物の足音が、重低音を響かせながら弥生に近づいてくる。足音が止まった時が、最大の攻撃チャンスだ。

 ズシン、ズシン、ズシン、ズシン。

 四歩目。そこで音が、途切れた。

「グガアァァアァァッ!」

 狂恋の叫びを上げながら、憎き仇に制裁を加えるべく怪物が爪を振り上げて弥生の首目掛けて叩き切ろうとした。
「こんなところで、私は死ぬわけにはいかない! 由綺さんのために! 由綺さんの夢のためにっ!!」
 爪が天高く差したと同時に、弥生が力を振り絞ってボウガンの矢を怪物の足へと突き刺した。

「ギャアアァァァゥッ!?」

 肉を破り地面にまで到達したボウガンの矢は、引き抜こうと足を上げようとした怪物の力にもビクともしなかった。それどころか暴れるたびにより深く食い込み、怪物の叫びが増していく。
 だが、しかし。
 弥生の反撃はそこまでだ。P-90が遠くにある以上、立ち上がってそこまで行けるか。そう問われると怪物が矢を引き抜く方が先だと言えた。それでも諦めず、弥生は必死に立ち上がろうとする。

「グゴォォォォォ!」

273 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:11:15 ID:nHUW/EJY0
 そんな弥生の努力をあざ笑うかのように、怪物が器用に手を使って矢を引き抜いた。ぎょろりと立ち上がった弥生の方を向き、凶暴に息を吐き出す。
「……!」
 走って逃げ切るだけの余力はない。ここまでか。そう弥生が思った瞬間だった。

「はっ、いつまでも帰ってきぃへんし、なんやヘンな唸り声するか思うたら……こういうことか、バケモンが。せっかく知恵振り絞ったいうのになぁ」

「グゥ!?」

 弥生も、そして怪物さえも驚いたように声のした方向を見る。そこには……
「気絶したフリまでしたっちゅーのに……ホンマムカつく奴やで。もうええわ、死ねやボケ」
 怒りの形相でVP70を構えた神尾晴子の姿が、日光を背にあった。
 迷わずに引かれたVP70から、9mmパラベラム弾が怪物を蹂躙せんと真っ直ぐに迫る。

 それは麻亜子の50AE弾や、弥生の5.7mm弾に比べれば遥かに弱い威力だった。しかし多数の怪我を負った怪物に、それを避けるだけの余力も、もう残っていなかった。
 それでも防御しようと腕を上げるが、上げきる前に晴子の放った弾丸は怪物の眉間を貫き、脳を破壊し致命傷を与えていた。
 プツンと命令の途絶えた肉体が棒立ちとなり、ぐらりと傾いてドスンと重苦しい音を立てながら地面へと倒れ臥す。今度こそ、完全に、柏木耕一だったものの肉体は死を迎えていた。

「はぁ、はぁ……っ、ホンマ、手こずらせてからに……なぁ、アンタもそう思うやろ?」
「……ええ、まったくです」

 怪物が倒れたと同時にドッと疲れたようにへたり込む晴子の言葉に、同じく決着がついてP-90を拾いに行く必要がなくなった弥生が頷く。
 二人とも殺し合いに乗っているにもかかわらず、今の二人には互いに殺し合いをする気などなかった。満身創痍でそれどころではなかったのだ。

「ふぅ……っ。あーなんかもう、どうでもええわ」
 座っていることさえ億劫になったのか晴子は身を投げ出して地面に寝転がる。そんな晴子に、弥生が疑問を持ちかける。

274 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:11:56 ID:nHUW/EJY0
「私を撃とうという気はなかったのですか」
「あのアホウは殺し合いをする気はなかったみたいやった。ならその敵のアンタはうちと同じ。それだけのことや」
「敵の敵は味方……ということですか」
「ま、そういうことやな」

 単純だが、筋は通っている。弥生は頷くとある提案を持ちかけた。

「これから先……手を組んでみる気はありませんか」
「なんや、藪から棒に」
「私も貴女ももうギリギリの……極限状態のはずです。これから先一人で殺していくにはいささか無謀と言わざるを得ません。なら少しでも戦力が欲しいのは当然の理かと」
「うちでええんか? うちはひねくれ者やで」
「ですが、貴女は大人です」
「……」
「私は先程まである少女と手を組んでいたのですが……あの少女は自分が何でも出来ると思い込んでいる若いだけの人間です。ああいう人間は、殺せると思えば状況を考えず殺しにいく。ですが少なくとも貴女は違う。今この場で私を殺そうとはしなかった」
「どうかな? ただの気まぐれかもしれへんで?」
「その時は私の見る目がなかっただけのことです。その程度の人間が生き残れる訳がありません。どうですか、私と組んでみる気は」
「あーはいはい分かった分かった。アンタの言う通りや。どうでもええから今は横になりたいねん」

 面倒くさそうに言うと、晴子はそれっきり黙りこんで何も答えようとはしなかった。それを肯定と受け取ったのか弥生も横になってしばしの休息をとるようであった。
「なーんか、平和やな……」
 気の抜けたような晴子の声は、静かにその場の空気に溶けていった。

     *     *     *

「いてててて……あーもう! この稀代の美少女アイドルの顔に傷をつけおってー! ただじゃすまさんぞぉー……って、二度とお近づきになりたくないけどねぇ」

275 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:12:14 ID:nHUW/EJY0
 坂から転げ落ちた麻亜子はまだぐらぐらする頭をさすりながら山の上へと向かって吠えていた。幸いなことに骨折などはしていなく、全身のあちこちが痛むだけである。しかし肩のあたりに若干違和感があり、ひょっとしたらひびが入っているかもしれない。
「ま、いっか」
 あの怪物の動向は気になるが耳を澄ませても叫び声などは聞こえてこない。力尽きた……と麻亜子は信じることにした。

 それよりもあの戦闘で武器弾薬を色々と消費してしまったのが痛い。それに若干二名殺し損ねた。まあ内一名は生存の確認をしてないが。
「しゃーないか。いてて」
 全て思い通りにいくとは思っていなかった。今はとにかく傷の治療などをすべきである。
「ぬーん」
 出来れば診療所の方へ行きたいが、人が居る可能性も否めない。今は出来るだけ戦闘は避けたかった。

「まっ、このまーりゃんに不可能はないっ! ただいまよりどっかの村に潜入任務を開始するっ! いざ、行進……あいたた」
 まだ頭をさすりながら、とりあえず傷の治療を目的に麻亜子は歩き出した。

276 思惑/Unstoppable Monster :2008/02/01(金) 15:12:43 ID:nHUW/EJY0
【場所:F-06上部】
【時間:二日目午後:12:00】

柏木耕一
【所持品:なし】
【状態:死亡】
柏木梓
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】
神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、疲労困憊。弥生と手を組んだ】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、疲労困憊。晴子と手を組んだ】

【場所:F-05】
【時間:二日目午後:12:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。全身に怪我、鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。スク水の上に制服を着ている。どこかで傷の治療を行う】

【その他:耕一の大きなハンマーと支給品は死体のそばに落ちています】
→B-10

277 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:34:18 ID:4gSArroY0

爆風と閃光、焦熱の嵐の中、少女は笑う。
膝を、頸を、脊椎を踏み砕かれて倒れ伏す幾多の少女を睥睨し、来栖川綾香は呵う。
迫り来る死と踊るように歩を進めてきた少女の笑みはしかし今、ただ一点へと向けられていた。

「―――久しぶり」

少女の眼前に、一つの影があった。
皮が裂け、滲んだ血の固まった両手にそれぞれぶら下げたのは、黒焦げになった砧夕霧の躯。
三つ編みを無造作に掴んだまま引きずってきたものか、遺骸に僅かに残された白い肌の腕といわず足といわず、
無数の擦過傷が走っている。
と、影が夕霧の躯を、まるで空き缶でも投げ捨てるように放り出した。
音を立てて地に落ちたその物言わぬ体にはちらりとも目を向けず、影は静かに綾香と向かい合っている。
佇む二人の至近に光弾が着弾し、草木を焼いた。
閃光に照らされた影の瞳が、綾香をじっと見つめていた。

「どうした? 先輩に挨拶もできなくなったか」

血と煤に塗れ、どろりとした眼で自分を見る影に向けて、綾香は楽しそうに口の端を歪める。
短く切られたその髪がさわ、と揺れた。
微かに反らした上体を掠めるように、光弾が駆け抜けていく。

「―――押忍」

それは小さな声だった。
綾香の背後で石くれが爆ぜ、木々が燃え上がるのに掻き消されそうな、声。
だがそれを聞いた綾香は口元に浮かべた笑みを深くする。
くつくつと、くつくつと。

「おいおい、いつもの無駄な元気はどうしたよ―――葵?」

名を呼ばれた影の表情が、僅かに歪む。
呼んだ綾香は、笑んだまま握った拳を胸元に引く。

「構えろよ。それがうちらの流儀、なんだからさ」

だが影、葵と呼ばれた少女は血に濡れた拳を握ることもせず、曇天を切り取ったような眼を綾香に向けると、
ぼそりと呟いた。

「……どうして」

薄暗い呟き。

「どうしてあの人は、飛ばなきゃならなかったんですか……?」
「……」

す、と綾香の表情が消える。
ちりちりと草の焦げる音だけが、二人の間にあった。

「……知らねえよ」

僅かな間を置いて、綾香の表情に再び笑みが浮かぶ。
しかしその顔に刻まれていたのは、先ほどまでの楽しげなそれではない。

「知らねえよ、そんなの。あいつに直接聞いてこいよ」

そこにあったのは、明確な嘲笑だった。


******

278 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:35:06 ID:4gSArroY0


一つの記事がある。
新聞の地方欄の、小さな囲み記事だ。

―――
×月×日未明、首都圏の某高層ビルから、少女が屋上の柵を乗り越えて飛び降りた。
少女は約40m下の道路に叩きつけられ死亡した。自殺を図ったとみられている。

警視庁によると、事件が起きたのは午前四時ごろ。
付近を巡回していた警官が倒れている少女を発見した。
近くの病院に収容されたが、間もなく死亡が確認された。
警察では少女が自殺を図ったものとみて身元の特定を急いでいる。
―――

その後、この事件に関連した記事が一般紙の紙面を飾ることはなかった。
だが奇妙なことに、一部週刊誌やタブロイド紙を中心にして、続報は後を絶たなかった。
様々な見出しが躍り、興味本位の活字が闊歩し、憶測と邪推が少女の死を侵した。

悪意に満ち溢れた報道が無数に生まれ続ける「真実」を面白おかしく書きたてる中で、
それでも幾つかの共通した文言だけは辛うじて事実と呼べるだけの信憑性を持っていた。

曰く。
死の前日、少女は一つの催しに参加していた。
会場収容人数にして数万人、様々な媒体による中継を介してその数十倍。
百万の瞳が映したのは、少女が己の総てを賭けて挑み―――そして敗れる、その姿だった。

エクストリーム、特別ルールスペシャルエキジビションマッチ。
3R8分45秒、KO。

勝者、来栖川綾香。
そして敗者の名を、坂下好恵という。


******

279 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:35:53 ID:4gSArroY0

「前十字靭帯断裂、右膝側副靭帯断裂、肘靭帯断裂、腓骨粉砕骨折、踵骨骨折、
 鎖骨、肋骨、上腕骨橈骨中手骨鼻骨眼窩底膵臓脾臓腰椎」

訥々と、葵が人体の損傷を口にする。

「お経かよ」
「もう立てなくなっていた人に、ここまでする必要があったんですか」

茶化すような言葉を無視し、葵が濁った眼で綾香を見据える。
悪意を隠そうともせず嗤いながら、綾香が答えた。

「両者合意による特別ルール。TKOなし、セコンドタオル投入なし。……違ったか?」

噛んで含めるような口調にも、葵の表情は動かない。

「確かに、そういうルールでした。主催もドクターも、遺恨を煽ったプレスも来栖川寄りの試合。
 けれど、だからこそ止めることはできたはずです。あそこまでやる必要は、なかった。
 結局、綾香さんだってリングを離れることになって―――」

ぼそぼそと告げる葵が、ふと言葉を切った。
足元に転がる砧夕霧の死骸をおもむろに蹴り上げる。
跳ね上がったその無惨な躯を片手で掴むや、半身だけ振り向く。
直後、閃光が葵の掲げた夕霧の、黒焦げの腹に直撃した。
光が収まるのとほぼ同時、人体構造の限界に達したか、夕霧の躯が閃光を浴びた部分を境にぼろりと焼け崩れ、
脂の焼ける匂いを辺りに漂わせた。
盾代わりに使った遺骸を一瞥もせず再び放り捨てた葵が、何事もなかったように言葉を続ける。

「……して……まで、……んですか」
「……、え?」

風が、強く吹いた。
聞き返した綾香を濁った瞳で見据え、葵が今度ははっきりと口にする。

「どうして、最後までやったんですか」

280 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:36:40 ID:4gSArroY0
どろどろと渦巻くものが形を成したような、問い。
その視線を受けながら、しかし対する綾香の顔に浮かんでいたのは、困惑とも戸惑いともつかぬ表情だった。
何かを言いあぐねるように、綾香が何度か口を開きかけ、閉じて、また何かを言い出そうとして黙る。
奇妙な沈黙が下り、しばらくしてようやく綾香が捻り出したのは、ひどく簡素な言葉だった。

「―――何を、言ってんだ?」

嘲笑も悪意もない、純粋な疑問符。
それはまるで、歩き方を聞かれたとでも、呼吸の仕方を尋ねられたとでもいうような。

「なんで、止めきゃなんないんだよ」

うろたえたような声音に、徐々に別の色が混ざっていく。

「悪い冗談はやめろよ、なあ」

切迫した、どこか縋るような口調。

「なあ、なあ、葵。あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの」

困惑と失望と、

「世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。
 ……入ってるんだよ、葵」

そして―――懇願の、入り混じった声。

「だからそんな、そんなわけのわかんないこと、言うなよ。
 な、……頼むよ、言わないでくれよ」

一歩を踏み出したその足の下で、砧夕霧の黒く炭化した腕が、ばきりと折れた。
崩れた骨片が風に乗って舞い上がる。
恐々と伸ばされた綾香の白く長い指が、小さく震えているように見えた。
尚も何かを言い募ろうと綾香が口を開こうとした瞬間、葵が言葉を接いだ。

「私には分かりません……もう、あなたの勝ちは、決まっていたというのに」

281 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:37:11 ID:4gSArroY0
風が、止まった。
梢のざわめきだけが消えるよりも前、ほんの刹那の沈黙を破ったのは、綾香だった。

「ああ、」

と。
その小さな呟きを境に、綾香の表情が変わっていた。

「ああ、そういうことか」

まず困惑が、懇願が、綾香の顔から消えた。
能面のような無表情。

「……お前、だめだよ」

それから、モノトーンの世界に色彩が零れるように、落胆という表情が綾香に加わる。

「全然だめ。話になんない」

小さく首を振って、嘆息。
一瞬だけ眼を伏せた後、正面に立つ葵を貫いていたのは、冷厳とすらいえる瞳。

「お前、それは外側の言葉だよ、葵」

声音は氷の如く。

「勝つとか負けるとか、そういうのは、そんなところには、ない」

逡巡なく、

「殴って、蹴って、投げて絞めて極めて殴られて蹴られて投げられて絞められて極められて。
 そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?
 テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
 ……違うだろ、葵。そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。」

小さな火種が、燎原に燃え広がるように。

「そんなこともわかんなくなっちまったんなら、そんな簡単なことも忘れちまったんなら、
 葵、あたしがお前に言ってやれることは一つだけだ。たった一つだけだ、松原葵」

来栖川綾香が拳を握り、告げる。

「―――弱くすら在れないまま、死ね」

282 十一時十二分/Why R U Here? :2008/02/06(水) 03:37:45 ID:4gSArroY0


【時間:2日目 AM11:14】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→895 943 ルートD-5

283 tactics :2008/02/10(日) 22:23:25 ID:ASdHemW20
「っ、はぁ、はぁ……っ! まったく、やってくれるわね」
 那須宗一と古河渚の追撃からどうにか抜けることができた天沢郁未であったが、失ったものは大きかった。

 まず第一に、味方の損失。
 信頼もクソもない関係だったが、味方には変わりない。戦闘能力も申し分なかった。それを失ってしまったのはかなり厳しい。

 そして第二に、古河渚が牙を剥いたこと。
 ただの足手まといは共に行動する人間のポテンシャルを大きく下げる。付け入る隙だってあった。
 それが今、死をも厭わず立ち向かうだけの闘志を剥き出しにしている。今度戦う時は真っ向勝負ではまず勝てないだろう。

「とにかく、今はあいつらから出来るだけ離れるようにしないと……」
 郁未が目指すのは限界まで血を流して戦うことではない。最終的に勝って生き残ることだ。綾香とは違う。今は逃げてでも戦力を整えるべきだ。
 できるなら、味方も欲しい。
「……難しいでしょうけどね」

 とかく知り合いもいなければ敵に回してしまった連中も多いのだ。一応少年という知り合いはいるがとてもじゃないが信用はできない。そもそも本名さえ知らないのに。
 はぁ、とため息をつきながら郁未は道をとぼとぼと歩く。どこかで休憩したいが道のど真ん中で寝転がるわけにはいかない。どこかに家でもあればいいのだが……

 そう考えながら顔を動かしてどこかに施設はないかと見回していると、木々に隠れるようにして石畳の道が置かれていた。ところどころ泥を被っていて磨り減った部分もあるそれは、遥かな年月を経ているかのように思える。
 少し中に入ってみれば、雨か何かで薄汚れた鳥居がそれでも森の中で赤の異彩を放ちながら訪問する者を待ち構えている。その奥には石の階段が天にまで届かんというように続いていた。

「神社か」

284 tactics :2008/02/10(日) 22:23:50 ID:ASdHemW20
 色合いからして古臭いものだろうが一休みするには丁度いいかもしれない。郁未はそのまま進み、鳥居をくぐると木々に囲まれている神社への石段をひとつずつ上っていった。
 手すりがついていないうえ急な石段であったから郁未がそれを上りきるころには怪我をしている左腕と左足、腹部がズキズキと休ませてくれと我が侭を言ってきていた。半分行ってみようとしたことを後悔しつつ、郁未は本殿の全景を仁王立ちしながら見据える。
 菅原神社。なりは小さく、申し訳程度に置かれている小さな賽銭箱と取れてしまったのか鈴のついていない綱だけが寂しげに置かれていた。
 郁未は縁側に荷物を下ろして腰掛けると、まずは弾薬の再装填を行い、その傍らノートパソコンを起動させる。
 あれからどれだけ人が死んでいるのか。最悪郁未が殺した佳乃(と殺された綾香)だけという可能性もあったが、銃声などは頻繁に耳に届くのでそれだけはない、と思いたかった。
 慣れた手つきでタッチパッドを操作してロワちゃんねるを開く。

「やっぱりね」

 死者の情報に関するスレッドが更新されているのを見て、少し安堵する郁未。だがスレッドを覗くと、その内容は郁未の想像を遥かに超えるものであった。

「嘘でしょ、29人……!?」

 前回の放送の半分どころかそれを遥かに上回る人数。しかも、まだ昼を回った時刻でこの人数だというのだ。自然と心臓がありえないくらいのビートを叩き出し、喉がヒリつくような渇きを覚える。さらに信じがたいことに――その中には、あの『少年』も名を連ねていた。
 郁未の知る限り、あの『少年』の実力は半端ではない。不可視の力について相当な見識を持っており、力を使いこなしている。
 制限がかかっていようとも、単純な実力では郁未を遥かに上回っているはずだった。いやそれどころか全参加者中でもトップクラスの実力であるはず。
 それを超えるだけの怪物が存在するというのか?

(……落ち着け、落ち着くのよ郁未)

 思考の迷路に陥りかけている自分を無理矢理クールダウンさせ、ここから推測できる現在の状況を考える。パニックに陥って虚をつかれ殺されるわけにはいかない。何が何でも生き残らねばならないのだ。

285 tactics :2008/02/10(日) 22:24:13 ID:ASdHemW20
 まず、このゲームに乗っている人間は少ないか?
 答えはNO、だ。不可視の力に制限がかかっている以上他の人間にかかっていないことはありえない。単独で殺戮を行うのは不可能に近いだろう。
 つまり、島のいたるところで小競り合いが生じ、結果死亡者が増えてこの人数になったのだろう。思っている以上にゲームに乗った人物は多い。

 次に、このまま単独で勝ち残ることは可能か?
 これもNO、だろう。ここまで生き残っている連中は大なり小なり修羅場を潜り抜けているはず。武装も殺害した人物から奪い取るなどして強化しているに違いない。もう小手先の戦法は通用しないだろう。

 最後に、どうやって味方を増やす?
 最後の知り合いである少年が死亡してしまった以上もう自分に知り合いはいない。つまりノーリスクで手を組めるような連中はいないのだ。
 それに、自分が乗った人物として情報が流布している可能性も高い。むしろ味方を作ろうとするのは危険が伴う。
 戦うにしろ味方を作るにしろ、結局は袋小路に突き当たってしまうのだ。頭をガリガリと掻きながら郁未は頭を捻っていい戦術はないかと思考を巡らせる。
 おびただしい死者の名前を見ながら数分思考錯誤した後、一つの案が浮かぶ。

「……なら逆に、逃げて隠れる、というのはどうかしら」

 別に何人殺さなければ首が飛ぶというわけでもない。最終的に最後の一人を殺せばゲームは終わる。どんなに参加者連中が手を組んでいようといつかは殺しあわねばならない。それで熾烈な争いに勝ったとしよう。だがその時は身も心もボロボロで満身創痍なのではないだろうか? どんなに強力な武器を持ち合わせていたとしても、それを扱えるだけの体力が残っていなければ?
 そこに止めを刺すなど、容易い。

 消極的ではあるが、中々有効な戦法ではあるかもしれない。郁未らしくもないが、生き残るためだ。

「なら、行動は急いだ方がいいわね」

 ノートパソコンの電源を切って仕舞うと、今度は地図を取り出して現在位置を確認する。

「確か平瀬村にいたはずだから……」

286 tactics :2008/02/10(日) 22:24:34 ID:ASdHemW20
 指で道筋を辿りながら、やがてある一点に突き当たる。菅原神社。今郁未がいるのはここだ。
 ここから隠れるに適した場所は……
「ホテル跡、なんていいかも」
 指先を少し乾いた、しかし艶かしい色合いの唇にちょんと口付けし、その場所を指す。
 ホテルなら最低でも4階、5階まではあるだろうし、部屋の数も豊富だ。やや目立つ場所ではあるが身を隠すにはもってこいだ。あわよくばノートパソコンの充電を行いながら休憩もできるかもしれない。

「決めた。善は急げ、ね」
 地図を折り畳むと郁未はそれを手早く仕舞い、肩にデイパックを抱えて縁側から飛び降りる。裏手を回っていけば少々険しい道のりかもしれないが早くホテルまでたどり着ける。
 長い髪をひらめかせながら足早に郁未は神社の裏から森の奥へと消えていった。その先に待ち受けるものを未だ知らぬままに。

287 tactics :2008/02/10(日) 22:25:01 ID:ASdHemW20
【時間:2日目14時00分頃】
【場所:E-2、菅原神社】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

→B-10

288 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:45:44 ID:zrjuhbqc0
「目が覚めたみたいだね」
「ん……けい、すけ?」

まだ朦朧としたままである意識、薄く目を開けた神尾晴子の視野に一人の男の背中が映る。
橘敬介はパンとコップが乗せられているお盆を持ち、今晴子が眠っていた寝室と思われる部屋に入ってきたところだった。
もそもそと上半身を起こしながら欠伸混じりに伸びをする晴子の傍、備え付けられた椅子に敬介はお盆を持ったまま腰を落ち着けた。

「気分はどうだい」
「別に、何ともあらへんよ……ふわぁ。寝すぎたみたいやな、肩凝ってしんどいわ」
「夜中に様子を見に来たけど、起きる気配はなかったみたいだし。
 晴子も気を張り詰めすぎていたんだよ、こんな状況なら仕方ないかもしれないけどね」

こんな、状況。
そこで晴子は、はたとなる。
自分が置かれている立場のこと、娘を探し回って島の中を駆けずり回っていたこと。
今晴子が横になっていたのは柔らかいベッドだ、かけられた毛布と布団に見覚えなどあるはずない。
そもそも、ここはどこなのか。晴子は全く分からなかった。

「……晴子?」

怪訝な表情で伏せられた晴子を覗き込んでくる敬介には、彼女に対する警戒心が見当たらない。
晴子からすれば、それも疑問に値した。

「何で」
「うん?」
「うち、あんたに銃を向けたんやで。何であんたは、そんな風にしてられるん?」

289 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:46:15 ID:zrjuhbqc0
きょとんと真顔になる敬介の顔面に毒気が抜けられたかは分からないが、今の晴子には二人が出会った頃の攻撃性はなかった。
一晩ぐっすり寝て、精神的にも落ち着いたことも原因かもしれない。
それでも現状の把握が間に合っていないのか、晴子は額に手をあてながら必死に頭の整理を行った。
そんな晴子を無言で見守る敬介は、何はともあれ荒れていた彼女の面影が拭われていることに内心安堵の溜息を漏らしていた。
ここでまた晴子が暴れだした時、きちんと彼女の気性を抑えることが出来る自信というものが、敬介にはなかった。
昨晩も結局敬介自身の手では何も成すことが出来ず、晴子にしても通りがかりの見知らぬ男性に止めてもらったようなものである。
敬介の中にあったはずの尊厳、自信など自己を表す強固なものは、今彼の中には存在しないに等しかった。
少しやつれた敬介の頬に怪訝そうな視線を送る晴子、それから逃げるよう敬介はお盆を彼女に手渡し寝室を後にしようとする。

「……何か口にした方がいいと思ってね。食べたら、下に来てくれるかな」
「恩を被る気はないで」
「大丈夫、それは君の支給品である食料だ。水もこの家に通っていた物を使っている。
 毒が入ってると思うなら食べなくてもいいけど、それ以上の気遣いの必要はないよ」

晴子の返事を待つことなく、敬介は部屋から出て行った。
残された晴子は暫くの間彼が出て行ったドアを眺め、そして。
徐に、パンと水に口をつけたのだった。





「あの、おはようございます!」

不必要とも思える明るい声、晴子がダイニングと思える部屋の扉を開けた途端それが響く。
椅子に座っている赤のセーラー服に身をつつんだ少女は、ノートパソコンと思われるものを弄っていた。
その隣には画面を覗きこむように、敬介も席についている。
少女、雛山理緒と晴子はまともな会話をしたことはなかった。
だからだろう、晴子も彼女が何なのかすぐには思い出せなかった。

290 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:46:33 ID:zrjuhbqc0
昨晩のことを思い出そうする晴子は、静かに目を閉じその光景を瞼の裏に描こうとする。
そして敬介との一悶着の原因にもなった少女と、目の前の彼女が同一人物であると認識したと同時に晴子は敬介に吼えてかかった。

「……うちの話、全然聞いてなかったんやな!」
「晴子?」
「あんた、いつまでその子囲ってるん?! きしょいわ、ええ加減にしい!」
「晴子、君はまだそんなことを言ってるのか」
「じゃかあしいわ!」

叫ぶ晴子にどうしたら良いのか分からないのだろう、理緒はオドオドと晴子と敬介に挟まれた形で視線を揺らしていた。
一つ大きな溜息を吐いた所で敬介は立ち上がり、理緒を背に隠すよういまだ部屋の入り口にて仁王立っている晴子と対峙する。

「何呑気にしてるんや、そんな余裕こいてる暇あるならさっさと観鈴のために何かしい!」
「……観鈴のために、何をするんだい?」
「当たり前のこと聞くんやないボケが、それくらい自分で考え!」

敬介の淡白な応答に、晴子が沸点に到達するのは容易かった。
視線で人を殺せるくらいの強さを持った晴子の瞳、しかし敬介がそれに怯むことはない。
ここで嗜めるように、上から目線で話してくるのが敬介の気質だった。
晴子はそれを真っ向から叩こうと、敬介が次に継ぐ言葉を待ち続ける。
しかし敬介はまた溜息をつき、そのテンションの低さを晴子にまざまざと見せ付けた。

「……あんた、人を馬鹿にしとるんか! 最悪やな、そんな男とまでは思ってなかったで!」

吐かれる暴言に対しても、敬介は大きなアクションを取ろうとしない。
あまりにも張り合いが無さ過ぎる敬介に対し晴子も疑わしく思えてきたのだろう、晴子は一端口を閉じ敬介の出方を窺った。
怪訝な晴子の表情、それに気づいた敬介はそっと右手を挙上げある場所を指差す。

「晴子、悪いけど今の時間を確認してもらっていいかな」

291 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:46:57 ID:zrjuhbqc0
何やねん、と晴子が不満を口に出そうとした時だった。
敬介の指差す場所には、少し埃が積もっているものの今もまだ稼働している壁掛けタイプの時計が飾ってある。
何気ないインテリアに、晴子も今その存在に気がついたのだろう。
時計には愛らしい装飾が施してあり、それこそ観鈴などの女の子が好きそうなキャラクターがあしらってあった。
しかし今、見るべき所はそのような外観ではない。あくまで、機能としての時計の役割が重要だった。

「……十時? 十時って、何や」
「今の時間だよ」
「は? だって、十時て……嘘やん、そんな……」

間抜けにも思える晴子の独り言に、敬介は的確な言葉を続ける。

「二回目の放送があったんだ、君が眠っているうちに終わったよ」
「んな、何……」
「話したいことがある。悪いけど、大人しくしていて欲しい」

混乱がとけないのだろう、上手く言葉が紡げずにいる晴子の二の腕を掴み、敬介はそっと椅子の方へと誘導した。
ふらふらと流されるままに敬介についていく晴子、理緒は不安気にその姿をそっと目で追う。
すとん、と理緒の正面に座った晴子の目は空ろだった。

「君には……伏せておいた方がいいかもしれないと、最初は考えていたんだ。
 だけど、そんなの傷つくことを後回しにするだけのようにも思えてね」

そんな状態の晴子に何て残酷なことを告げなければいけないのだろうと、理緒は一人涙ぐむ。
伏せた視線には自分の握りこぶししか映らない、耳を塞ぎたい気持ちもあったが理緒はそれをぐっと我慢した。
敬介だって、同じはずだからである。
むしろ告げる役は彼なのであるから、痛みは彼の方が増すに違いない。

「……敬介?」

292 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:47:29 ID:zrjuhbqc0
訝しげな晴子の声に続けられることになる敬介の宣告、瞬間喉が空気を掠める音を理緒の耳が捕らえた。

「観鈴が死んだよ」

それは、敬介の言葉が吐かれるとほぼ同時に鳴ったものだった。





初めまして、神尾観鈴といいます。
私は無事です、友達もたくさんできました。
今、藤林杏さんのパソコンを借りて書き込みをさせていただいてます。
えっと、上で書いてある橘敬介というのは私の父です。
お父さん、もしこれを見てくれているなら、もう人を傷つけて欲しくはないです。
また、父に会う人がいらっしゃるようでしたら、この書き込みのことを伝えてください。
お母さんの神尾晴子という人に会った人も、伝えてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。

書き込み時刻は午後十一時過ぎ、折りしも晴子が敬介等と言い争いをしていた頃のものだった。
画面に存在するウインドウは正方形で、そのタイトルには「ロワちゃんねる」という文字が添えられている。
理緒の前にあったノートパソコン、その画面を晴子の方に向けながら少女はこわばった表情で口を開く。

「ここにある、藤林杏さんという方のお名前も……呼ばれました」

何で呼ばれたか。この流れでは一つしかない、放送だ。
いまだ現実が認識できていない晴子に向かって、畳み掛けるように色々な情報が襲い掛かる。
晴子は呆けたままの頭を抑えながら、ノートパソコンの画面を見つめた。
読むという行為までは発展しないそれ、しかし「神尾観鈴」という愛する娘の呼称だけは晴子もすんなりと理解できたのだろう。
晴子は食い入るように、それに見入っていた。
時折瞳が乾いてしまうせいか瞬きをする、その仕草さえも機械的と言えるような動作で後は何のアクションも起こさなかった。

293 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:47:49 ID:zrjuhbqc0
「僕達には観鈴に何があったのかは分からない。分からないんだ」

零された敬介のそれに、晴子の瞳が揺れる。
敬介の声には、何の表情も含まれていなかった。

「あの子がもうここにはいない……それだけ、なんだよ」

晴子の視線が動く、そこには無表情の男が棒立ちしているだけだった。
無念だとか、悔しさだとか、そのような類の色すらも含まれているようには全く見えない敬介の姿が、晴子の感情を掻き毟る。

「……そんな訳、あるかい」

晴子には、それくらいしか口にできることがなかった。
信じられない、信じたくない事柄に対し晴子が唯一できる抵抗というものがそれだった。

「あの子が死んだなんて、嘘に決まっとるやん。なぁ、うちが放送聞いてへんから騙そうとしとるんやろ? なあ?」

早口で捲くし立てる晴子、敬介と理緒を交互に見やり晴子は必死に同意を求める。
俯き視線を逸らす理緒に対し、敬介はやはり表情を崩すことなく晴子のそれを見返していた。
……本来ならば、敬介も動揺し感情を外に喚き出したい衝動に駆られたかっただろう。
しかし敬介は疲れていた。疲れきっていた。
昨晩受けたショックに続く愛娘の死は、敬介の存在意義とも呼べる渇望を根こそぎ奪い取ったようなものである。
意固地な晴子の姿勢、敬介はそれが羨ましいくらいだった。
観鈴のためにそれくらい取り乱せる晴子のこと、見苦しいかもしれないが観鈴のことを思っての上での醜態に無表情だった敬介の目元が歪む。
一歩足を踏み出し晴子との距離を詰め寄ろうとする敬介、それだけで彼女はビクリと大きく肩を揺らした。
後退する晴子が目の前の敬介かそれともせまってくる現実か、そのどちらに身を震わせているのかは敬介自身にも分からない。
逃げ腰になる晴子の腕を掴むと今一度パソコンの前へと引っ張り戻す敬介は、今はそれが最優先だと判断した上で容赦なく彼女に現実を突きつけようとする。

294 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:48:26 ID:zrjuhbqc0
「晴子、この書き込みをよく見てくれ」
「嫌や!」
「見ろ、見るんだ晴子。観鈴は争いなんか望んじゃいない、せめてその気持ちを酌んであげなくちゃいけないんじゃないのか」

暴れる晴子の背面に周りその両肩を掴み、敬介はぐずる幼子をあやすように言葉を刷り込ませようとする。
だが聞く耳を持とうとしない晴子は裏拳を敬介の頬に叩き込み、すぐさまその拘束を掃った。

「晴子……」
「うちは認めん、絶対に認めん!」
「落ち着いてくれ、晴子」
「認めたらそれまでやろ?! 観鈴は死んでなんか……」

頬を張る音、空気を振るわせるそれが鳴り響き晴子の言葉は止められる。
自分がはたかれたという認識が遅れているのか、晴子は視線を彷徨わせながら強制的に動かされた視野をゆっくりと元に戻した。
晴子の目の前、今の晴子と同じように頬を腫らした敬介の眉間には、深い皺が寄っている。
晴子は、呆然とそれを見つめた。

「……それは観鈴のためじゃないだろ、君のためだ。
 君のエゴであの子の心を傷つけるんじゃない。僕はあの子の父親だ、あの子の心を守る義務が僕にはある」

相変わらずの弱々しい佇まいだったがその声だけは凛としていて、結果周囲にいた者の注目を浴びることになる。
せめてもの誓いだと宣言する敬介の言葉には、思いの深さが満ちていた。
不甲斐ない自分に恥じ気落ちする彼が生きる意味という言葉を捜した結果が、それだったのかもしれない。
自分には何も出来なかったということ、失った自信を取り戻すためにと気力で持ち直そうとする程彼は若くない。
目の前にある義務を最優先にした敬介は、同時に一児の父としての自分を優先させたことになる。

「……アホらし」

嘆息混じりに晴子が呟く。
晴子は噛み殺してきそうな勢いを持った瞳を潜め、そうして肩の力を抜いた。

295 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:49:11 ID:zrjuhbqc0
「うちのバッグはどこや」
「うん?」
「せやから、うちのバッグはどこや。あんた等が管理してるんとちゃうの?」
「あ、それでしたら隅にまとめて……」

成り行きを見守っていた理緒が口を挟む、そんな彼女を一瞥した後晴子は狭いダイニングを見渡した。
合わせて三個のデイバッグがまとめられる様を発見し、徐に近づいていく晴子を止める者はいない。
そこから一つバッグを担ぎ上げると、晴子は戸口の方へと向かった。

「僕達と一緒にいるつもりはないのか?」
「空気読まんかい、今は一人にさせて欲しいんや」
「……そうか」

それ以上二人の応答は続かず、部屋を出て行く晴子の背中を理緒と敬介は無言で見送った。





時間にすれば、それから数十分程経った頃だろうか。

「引き止めた方が、良かったんだろうね」
「橘さん……」
「でも僕は、晴子の足を止められる言葉を持ってはいないんだ」

先程晴子が座っていた席についた敬介が、向かい合う理緒に愚痴を漏らす。
理緒は何も言えなかった。
晴子と敬介、二人の間に理緒が入り込む余地がなかったというのもあるが、その隙間を埋めようとも理緒はしなかったからである。
敬介と理緒は、言わば似たもの同士であった。

296 もう疫病神なんて言わせな……あれ? :2008/02/11(月) 22:50:00 ID:zrjuhbqc0
(藤田くん……)

二人が失ったものの存在感は、あまりにも大きかった。
俯く二人はそうやって、限りある時間を食い潰していく。
ダイニングの戸口には一枚の紙切れが落ちていたのだが、二人がそれに気づく気配はまだない。
それは晴子が中身を確認せず持っていったデイバッグから落ちたものだった。

『アヒル隊長型時限装置式プラスティック爆弾 取り扱い説明書』

紙切れは本ロワイアルが開始されてから、いまだ誰も目を通していないアヒル隊長の説明書だった。

(藤田くん……私、これからどうすればいいかな……)
(僕は一体、これからどうすればいいのか……天野美汐、彼女の意図は分からないけどあの変な書き込みで、うかうかと名乗ることもできなくなったし……)

故意にウインドウのサイズを正方形にしていたことは、晴子に美汐が行ったと思われる書き込みを見せないためだった。
敬介の弁明でそれが誤解であることは、理緒も既に承知していることだった。しかし晴子はどうか。
観鈴の死というだけで情緒に問題が出るであろう彼女に、出任せであるその事柄を伝える必要はないだろう。それが二人の出した結論だった。

またそれ以外にも、椎名繭に支給されたノートパソコンにより得られた情報が二人にはまだある。
しかしそれが次の行動に移らない時点で、そんな物は豚に真珠が与えられたようなものだ。
刻々と過ぎていく時間、積もるは意味のない溜息ばかり。
二人が無駄にした時間に後悔するのは、まだ少し先のことだった。




神尾晴子
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2】
【所持品:鋏、アヒル隊長(2時間後に爆発)、支給品一式(食料少々消費)】
【状態:放送を聞いていないのでご褒美システムは知らない】

雛山理緒
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:ノートパソコン】
【状態:自失気味(アヒル隊長の爆弾については知らない)】

橘敬介
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:無し】
【状況:自失気味(自分の支給品一式(花火セットはこの中)は美汐のところへ放置)、美汐を警戒】

支給品一式(食料少々消費)トンカチ・支給品一式×2(食料少々消費)は部屋の隅に放置

(関連・429)(B−4ルート)


他ロワに疎いので、某所は見ているだけで精一杯です……

297 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:46:47 ID:8oOggqkE0
 
ちりちりと、音がする。
頭の中に響く音。
微細で、鋭利で、不快な音。

ちりちり。
それはきっと、私の記憶の中にある音だ。
耳を澄ましていると、次第にちりちりという音が大きくなってくる。
脳の表面の柔らかい皮を針先で擦られるような痛痒に、眉を顰める。
ちりちり。
私という劇場の、記憶という暗いスクリーンに浮かび上がってくる映像。
ちりちりという音は、映写機の回る音か、それともスピーカーから漏れ出るノイズか。
がりがりと乱暴に頭を掻きながら目を凝らせば、ぼんやりとしていた映像のピントが徐々に合ってくる。

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
スクリーンいっぱいに映し出されていたのは、白と黒の細かい縞模様が乱雑に、ランダムに交じり合う奇妙な絵。
ああ、と思う。これは、砂嵐だ。
砂嵐。テレビを、電波を受信しないチャンネルに回したときに流れるノイズ。
してみると、ちりちりという音もこの映像から流れているBGMか。
と、スクリーンの中の砂嵐に変化が生じる。
まず現れたのは、砂嵐を囲むようなかたちの枠。
銀幕という枠の中に、更に一回り小さな枠ができた。
いや、これは……テレビか。
なるほど、徐々にカメラが引いているのだ。
最初に映っていたのはテレビ画面の砂嵐。そしてテレビの枠。
カメラはなおも引いていく。次第にテレビが小さくなる。
いまやスクリーンには不可解なノイズではなく、一つの意味のある像が結ばれていた。

それは、暗い部屋だった。
小さなテレビと、生活感に溢れた幾つかの小物。
消灯された部屋の中、砂嵐だけを映すテレビの光が、その手前に座る小さな影を照らしていた。
背中を丸め、膝を抱えた、小さな女の子。
少年のように短く切り揃えられた髪。膝小僧には絆創膏。
ぼんやりと砂嵐を見つめる、瞳。

ああ、ああ。
これは、私だ。
十年以上も前の、松原葵だ。
これは確かに私の記憶。
忘れ得ぬ、私が私自身の歩く道を定めた日の、遠い記憶だ。


***

298 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:47:13 ID:8oOggqkE0
 
それは子供の頃に見た、特撮番組だった。
遠い宇宙の彼方からやって来た正義の巨人が、悪の怪獣と戦うお話。
誰もが知っている、陳腐で普遍的な物語。
男の子と間違えられるような毎日を送っていた幼い頃の私も、毎週欠かさず見ていた。
その日も、正義の巨人は苦戦の末に勝利を収める、筈だった。
ブラウン管の中で、巨人が倒れていた。

私はじっと、動けずにいた。
もう違う番組の映っているテレビ画面を凝視しながら、私は膝を抱えたままでいた。
母親に叱られても、夕飯の時間になっても、そうしていた。
怒鳴り、宥め、すかし、やがて両親が匙を投げて眠りについても、私は灰色の砂嵐だけを
映すようになった画面を見つめていた。
巨人が負けたのが悲しかったのではない。
怪獣が勝ったのが悔しかったのではない。
私はただ、許せなかったのだ。
咎人に堕した巨人と、それを責めない世界のすべてが。

―――巨人は罪を犯している。
言葉にすれば明快な、それが幼い私の認識だった。
正義の巨人は、その正義の名の下に罪を犯している。
怪獣を倒すために街を破壊し、それを悪びれもせずにどこかへ帰っていく。
街は人の住む場所だ。そこには家があり、店があり、人の過ごす空間がある。
それはつまり街自体が記憶の結晶であり、そこに暮らす人間の生きてきた時間そのものということだ。
巨人はそれを、踏み躙る。大切な思い出を、かけがえのない居場所を、躊躇も容赦もなく破壊する。
怪獣を倒すという、そのために。

それでも人が巨人を石もて追わないのは、彼が正義だからだという、ただその一点に尽きるのだと、
私は考えていた。
そう、巨人は正義だった。いかに街を蹂躙しようと、それ以上の被害をもたらす怪獣を倒す巨人は、
紛れもない正義の味方だった。
正義の名の下に、巨人は庇護され許容され赦免される。
幼い私にもそれは理解できたし、容認もしていた。
確かにそれは正義だと、悪を倒す剣であり続ける以上、その罪は赦されるべきだと、
言葉にすればそんな風に、幼い私も考えていた。
その日、巨人が敗れるまでは。

299 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:47:56 ID:8oOggqkE0
凶悪な怪獣の猛攻の前に追い詰められ、ついには倒れ伏した巨人の姿を見たとき、私は思ったのだ。
ああ、これが巨人の最期か、と。
その時はまだ、巨人は生きていた。
力尽き、この星で過ごす仮の姿となって横たわる彼の元に仲間が駆け寄っていた。
しかしそれでも、巨人はもう終わりなのだという確信めいたものが、私の中にはあった。

悪を倒せぬ剣に、価値はない。
これまで巨人が赦されてきたのは、その存在価値が罪を上回るからに他ならない。
ならば、と私は半ば期待に胸を膨らませながら思ったものだ。
これから始まるのは、巨人の罪を指弾する弾劾であり、業を糾弾する徹底的な攻撃であり、
咎に報いを与える断罪であるはずだ。
それは胸のすくような因果応報の光景であり、私の認識に一本の筋を通す制裁となる筈だった。

―――物語世界は、それをしなかった。
情と理の双方によって巨人を裁くべき物語の住人たちは断罪も、弾劾も攻撃も制裁も行わず、
逆に一致団結して怪獣に立ち向かっていった。
最後には人間の英知によって怪獣が倒され、平和が戻り。
そして私は、目の前にある物語世界の平穏を、許せなかった。

怪獣が倒れても、街は元には戻らない。
同じような家が建ち、同じようなビルが建ち、同じような街並みが出来上がったとしても、
それは、違う。
決して同じ街などでは、あり得ない。
そこにあるのは、同じような形をした、違う街だ。
そこに住んでいた人間が、そこを訪れた人間が残した記憶や思いが、その街には存在しない。
だからそれは真新しい、墓標の群れだ。

喪われた街は弾劾を希求する。
霞みゆく記憶は報復を切望する。

磔刑に処されるべきは―――悪以下の存在と堕した巨人。
そうでなければ、ならなかった。
世界は、それを選ばなかった。

ならば、と幼い私は思う。
ならば街角の風景に宿っていた思い出は、何処へ行く。
錆びた看板の落とす影に刻まれた記憶は、何処へ行く。
光の巨人が、正義の旗の下に犯した罪は、何処へ行く。

悪を倒すために悪を為すことを許された存在が敗れたのならば。
それは、裁かれねば、ならなかったのだ。




 ―――故に、私は断罪する。悪に屈した正義を。




******

300 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:48:32 ID:8oOggqkE0
 
「私、負けたんですよ」

風を裂く音に、視認よりも早くガードを上げながら、葵が呟く。

「そう」

距離を測るためのジャブをアウトサイドへいなされながら、綾香が短く応える。

「あたしもKO食らったよ、さっき」

左半身から打ち出すはずだった右の拳を止め、同時に脇を締めながら綾香が跳ね上げるのは、右の腿。
ミドルの軌道を描く蹴り足に、左のガードを下げる葵。

「なら、どうして」

固めた前腕に受け止められるかと見えるや、その蹴り足が一段ホップする。
ガードを越え、変化する軌道は右ハイ。
葵の側頭部よりも上、目線の高さを頂点として弧を描く。

「どうして生きてるんですか」

膝先から変化する打ち下ろしの蹴りに、葵は半歩を踏み出しつつのダッキング。
ご、と硬い感触があるが、打点をずらされた蹴りに然程の威力はない。
綾香の右脚を抱えるような姿勢のまま、至近のボディへ一撃。

「どうして、生きてられるんですか」

体重を乗せての右肘が空を切る。
綾香の軸足が宙を舞っていた。
葵に預けた格好の右脚に重心を移しながらの、強引な回転。
右の肘打ちと回転軸を合わせられた葵がたたらを踏んだところへ、綾香の突き放すような前蹴り。

「ぶちのめすためさ」

距離を取った綾香が、爛々と目を輝かせながら言い放つ。
両のガードを上げながら踏み込んでくる、それはストライカーたる葵の間合い。

「ぶちのめすためだよ、葵」

葵の放つ、迎撃の左正拳はフェイク。
僅かなウィービングで回避されたそれを囮に狙う、真のカウンターは跳ね上げた右の膝。
回避の間に合わぬ打撃が綾香に突き刺さり、しかし。

「あいつはトドメを刺さなかった」

肉に食い込む感触が、軽すぎた。
ハッとして目線を上げたそこに、笑み。

「それは、あたしをナメてるってことだ!」

来る、と思ったときには遅かった。
葵の鼻面に、綾香の額が深々と食い込んでいた。

「あたしが自分を殺しに戻るなんて、思ってやしないってことだ」

痛みよりも先に、熱さが来る。
ぷ、と鼻の血管が破れるのを感じた。
鼻骨までは達しない打撃、しかし視神経の麻痺する一瞬は、あまりにも長い。
無意識に近いレベルで上げたガードの、その真下。

「なら、あたしはどうしたって戻らなきゃならない」

右の脇腹に叩き込まれる一撃。
肋骨の下から抉り込むような、教科書通りのレバーブロー。
息が、抜ける。

「そこで尻尾を巻いたらあたしの負けだ。その時にこそ、あたしは死ぬ」

崩れ落ちようとする膝を無理に支えたのがいけなかった。
空いた左胴に、今度は振り回すような脾臓打ち。
直接胃に響く衝撃に、葵の食道が上向きに蠕動する。

「人はそこで本当に死ぬんだよ、葵」

今度こそ崩れようとする葵を、髪を掴んで止めながら、綾香が空いた右の拳を振るう。
正確に鳩尾に叩き込まれた打撃に、葵の胃液が逆流した。

「だから戻る。戻ってあいつをぶちのめす」

けく、と小さな音と共に、苦い刺激が葵の舌を覆う。
それが口元から垂れ落ちようとする刹那、髪を掴んでいた手が離された。
重力のまま自由落下を始める葵の身体が、直後、まるで拳銃にでも撃たれたかのように跳ねていた。

「それが答えだ、葵。あたしの、来栖川綾香の答えだ」

松原葵の顔面を、来栖川綾香の正拳が、打ち抜いていた。


******

301 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:49:20 ID:8oOggqkE0

黒に染まった視界の中、灯る一点の朱がある。
それは街の灯り。焼け崩れる街を包む炎の朱。

ちりちりと、音がする。
瓦礫の中から、飛び交う火の粉から、逃げ惑う人々から、ちりちりと音がする。

視界を覆う黒は、巨大な影。
炎を吐き散らし、街を蹂躙する異形の怪物。
それは子供の頃、夢に見た怪獣だった。ちりちり。

「―――痛そうだなあ、葵」

紅い眼を輝かせた怪獣が、にやにやと笑いながら言う。
大きなお世話だと言い返そうとして、声が出ないことに気付く。
そう、私は一敗地に塗れ、倒れ伏しているのだ。声など出よう筈もなかった。
厭らしく笑う怪獣の視線が、私を見下ろしていた。
ちりちり。ちりちり。

断罪の時間なのだと思った。
醜い姿を晒す負け犬が、その価値に相応しい死を迎える瞬間がやってきたのだと。
悪に挑んで、何も為せずに死んでいく。
愚かな私。愚かな巨人。
にやにやと、怪獣の笑みが広がる。
ちりちり。ちりちり。ちりちり。

これでいい。
この瞬間を、待ち望んでいた。
世界はこの極刑をもって、正しいかたちを取り戻す。
首を刎ねろ。手足をもいで肥溜めに放り込め。臍に灯心を立てて火を灯せ。
断罪だ。弾劾だ。世界を救えぬ咎人の、これが末路だ。
ほうら、こんなにも無駄に、何一つ打倒することすらできず。
死んでいけ、私。

302 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:49:50 ID:8oOggqkE0
「……るなら、……てもいい……よ?」

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
怪獣が、怪獣の言葉が、ちりちりという雑音交じりで聞こえない。
私の耳には届かない。ちりちりと、耳障りなノイズに阻まれて届かない。
だと、いうのに。

「……プするなら、やめてや……だよ?」

鼓動が跳ね上がる。
それは、不思議な感覚だった。
届かないはずの言葉が、私を刺し貫いていた。
あらゆる恥辱を越え、あらゆる汚濁を凌駕して、私の中の、最後に残ったものに、唾を吐きかけていた。

ぎり、と噛み締められた奥歯が鳴る。
どくり、と心臓の送り出す血液が全身に火をつける。
関節という関節、筋肉という筋肉、腱という腱。
私という人間を構成するパーツが、がりがりと音を立ててアイドリングを始める。
そのがりがりという音に押されて、ちりちりという音が、消えていく。

がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。
ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。

松原葵と呼ばれる私が組み上がり、起動すると同時。
霧が晴れるように、怪獣の言葉が鮮明に聞えてくる。

「ギブアップするなら、やめてやってもいいんだよ、葵……?」
「―――ふざけるな」

声は、掠れもせず、喘鳴に淀むこともなく。
ただ一直線に、見下ろす怪獣を断ち割るように。

「……」

そうだ、ふざけるな。冗談じゃない。
痛くて、苦しくて、辛くて、だけどこれは断罪で、

「私はまだ、終わってない」

言葉は、思考よりも加速して。
私に根を張る妄念を、追迫し、駆逐し、放逐し。

「まだ、やれますよ、私は」

そうして、身体の奥底の、私の一番深いところから、本当の心を引きずり出していた。

なあんだ、と笑う。
たった、これだけのこと。
これだけのことだったのだ。

私は、私の心の中の、テレビの前で膝を抱える幼い少女の首根っこを掴むと、そのまま勢いよくブラウン管に叩きつける。
鈍い音がして、砂嵐が消えた。痙攣していた少女も消えた。
手を伸ばし、光の巨人の顔を鷲掴みにすると、力を込めて握り潰す。
ぽん、と炭酸飲料の蓋を開けるような気の抜けた音と共に、巨人もまた四散した。

砂嵐も、光の巨人も、焼け落ちる街も消えた、真っ暗な世界を、丸めて捨てる。
目を開ければ、そこには蒼穹と、吹きそよぐ風。
そうしてそれから、長かった黒髪を短く切り揃え、端正な顔を血と爆炎に汚した、怪獣が立っていた。
大地に身を預けたまま、視線だけを動かして、怪獣を見据える。

「目、覚めたんなら―――立てよ」

来栖川綾香が、松原葵の夢にみた怪獣が、呵う。
爛々と輝く瞳は、きっと私と同じ色。
今ならば、違いなくそれが判る。何となれば、

「ええ。それが私たちの流儀、ですから」

私の身体は、こんなにも―――戦いたがっている。

303 十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO :2008/02/21(木) 02:50:26 ID:8oOggqkE0

【時間:2日目 AM11:15】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→947 ルートD-5

304 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:32:57 ID:15bKxc7I0
「よし、いいぞ来い」
 芳野祐介が手で合図したのに合わせて、ファミレス制服姿の女の子が三人、木の陰から飛び出してくる。明らかにこの緊迫した状況には相応しくないと思う芳野ではあったが命が懸かっている状況でそんなことを言っている余裕はないし、そもそも着るように指示したのは芳野だ。
 ともかく、なりふり構ってられない。国崎往人も今頃は命を懸けて戦っているに違いない。こちらもやれるだけやらねば。

「もうすぐ学校ですね」
 ぴょこぴょこと髪飾りを揺らしながら神岸あかりが話しかける。女性陣の中では一番慎重で、常に周りの様子に注意しながら動いてくれる。
 恐らく、国崎往人と行動している間にいくらか戦いの場をくぐりぬけてきた結果なのだろう。そういう意味では往人に感謝できなくもない、芳野はそう思っていた。

「それで、芳野さんどうするの?」
「学校でまずひとを探して、それから何か脱出に使えそうなものを探す。そうですよね」

 芳野の代わりに答えるようにして添えられた長森瑞佳の言葉に、「ああ、そうだ」と同意する芳野。瑞佳は言葉の少ない芳野をフォローするように口添えしてくれる。割と口下手な(愛を語ることに関してはその限りではないけれども)芳野にとっては彼女もまた在り難い存在である。
 柚木詩子は……まあ、能天気だが暗くなりがちなこのメンバーの清涼剤にはなっているだろう。

「芳野さん?」
「……何でもない」

 ほんの少し、詩子を見ていただけなのに敏感にその気配を察知できる、ということも追加しておこうと芳野は思った。

「ここからは二手に別れよう。俺と神岸で学校の中を、長森と柚木で学校の外を探してくれ」
 さらに森を抜け、鎌石村小中学校の校舎が全景を見せたところで芳野は二人に指示する。四人でちまちま捜索していくよりも、別れて捜索した方が効率がいいと考えたからである。

「はいはいはーい、質問」
「何だ柚木」
「その人選の理由は?」

305 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:33:21 ID:15bKxc7I0
 気にするようなことか? とも思ったが理由もないではない。芳野は丁寧に返答する。

「まずお前が銃を持っているからだ。室内では発砲したときにどこかで兆弾する可能性があるからな。それに戦力のバランスを取ろうとすると俺はこういう人選にしたほうがいいと思った。異論は」
「……別に、特定の子と一緒にいたいとかそういうわけじゃないんだ」

 そんなことを言っている場合じゃないだろう、と言いたくなった芳野だが年頃の女が考えるのはそんなことなのかもしれない。
 どう言ったものかと思案していると、流石に不謹慎だと思ったのか窘めるようにして瑞佳が詩子の頭をこつんと叩く。

「柚木さん、今は非常時なんだからそんなことを考えてる暇はないと思うよ」
「ま、そうなんだけど……そういうのちょっとくらいあるんじゃないかなって思って」
「……芳野さん、私からも一ついいですか」

 ああ、長森がしっかり者で良かったと芳野がホッとしていると、今度はあかりが手を上げて質問する。

「人を探すほかにも役に立ちそうな物を探すんですよね。例えばどんなものを?」
「ドライバーとかの工具だな。後は車のバッテリーとか、エンジンオイルなんかも欲しいところだ。他には適当に武器になるものや、あるいは防具になりそうなものでもいい」
「要するに車関係の物を集めればいいのね? 任せて、こう見えても私機械いじりは少しだけどやったことがあるんだ」

 詩子がえへんとない胸を反らす。バッテリーの取り外し方などを説明しようと思っていた矢先のことだっただけに意外な言葉だった。

「そうか、なら外は任せたぞ。他に質問とかはないか」
 あかりも瑞佳も、もう訊きたいことは無いようであった。それを確認すると「行動開始だ」と静かに告げて四人は二組に別れる。
 芳野たちは裏口から校舎の中に。
 詩子たちはそのまま学校の周りを迂回するように移動を始めた。

     *     *     *

306 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:33:51 ID:15bKxc7I0
「ここなの」
 一ノ瀬ことみは一人、鎌石村小中学校内部にある『理科室』のプレートを指差して言った。
 保健室で酔い止めの薬を服用して少しは気分が楽になったことみは聖に理科室まで行って硝酸アンモニウムを取ってくることを申し出た(もちろん筆談で)。
 当然聖は「危険だ」と止めたのだが、保健室は医療品が多く置いてあるので殺し合いに乗っているいないに関わらず多くの人間がやってくる可能性が高く、特に殺し合いに乗った人間にそういったものを渡してはいけないので守りを固めて欲しいこと、そしてもし傷ついた『乗って』いない人のためにも医者として残っていて欲しいことを伝えると、渋々だが了承を得ることができた。

 そして今に至るというわけだ。
「比率から考えると、大体5〜6kgくらいの量が妥当なの。そして私の腕力から考えてもそのくらいの重さは楽勝なの」
 綿密な計算の元はじき出された答えに自分でうっとりしながら理科室に入ろうとした、その時だった。
 廊下の遥か向こう、曲がり角から人影が二つほど現れたのが分かった。
「!」
 危機を感じて隠れようとしたことみだが廊下に物陰はない。理科室に入っても扉の開閉音で逃げたと分かるだろう。学校の校舎が古いことを、ことみは呪った。殺されるのを覚悟で逃げ出そうとしたが、その前にことみの存在に気付いたらしい二人組が声をかけてきた。

「そこに誰かいるのか」
 びくっ、と体を震わせながらもことみは気丈に十徳ナイフを取り出しながら言葉を告げる。
「だ、誰!?」
 相手はことみの怯えた気配に気付いたのか、今度は女性と思われる人物が穏やかな声でことみに言う。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。私たち、殺し合いには乗っていません。人を探してるんです」
 少しずつ相手が歩み寄ってくる。暗い校舎の中で声だけしか分からなかったのが、徐々に顔も分かるようになってきた。

 先程ことみに話しかけた一人は短い髪にリボンで彩り、そして何故かファミレスの制服を着ている、神岸あかり。
 もう一人は背丈の高い、しかしあまり目つきの良くないむすっとした表情の男、芳野祐介。
 あかりはともかくとして、芳野に対してあまりいい印象を持たなかったことみは、警戒を解かずにナイフを向けながら威嚇する。
「……しょ、証拠はあるの?」

 疑いの念を解かないことみにあかりが困ったような目線を芳野に向ける。
「……俺のせいか?」
「芳野さん、『誰かいるのか』なんて思い切り怖い声で言ったじゃないですか」
 心外だ、とでも言わんばかりに芳野は肩をすくめると自分のデイパックとサバイバルナイフをことみの足元へと投げ捨てる。あかりもそれに倣って包丁とデイパックを投げ入れる。それでようやくことみも納得し、十徳ナイフをデイパックに仕舞うとこちらも殺し合いの意思はないというようにデイパックを芳野側に向かって投げた。

307 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:34:26 ID:15bKxc7I0
「ごめんなさい、いきなり出てきたから怖くって……」
 あたまを下げることみ。ホッとしたあかりはことみのデイパックを拾うとそれをことみまで持っていってやる。
「いいよ、いきなり現れた私たちも悪いんだし。ね、芳野さん」
「だから、そんな恨みを買われるようなことをした覚えはないんだが……俺は愛に生きる男なのに」
 複雑な表情でことみの近くにあった自分達の武器とデイパックを拾い上げる芳野。サバイバルナイフを腰のベルトに差すと、包丁と彼女の分のデイパックをあかりに返す。

「それより、どうしてこんなところに一人でいたの? ええと……」
「あ、はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「あ、神岸あかりです。好きなものは熊さんです。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「……芳野祐介。電気工だ」

 芳野さんノリが悪いですよ、という非難の目線があかりから向けられたような気がした芳野だが、さらりとスルーして話を進める。

「それでどうしてここに?」
「あ、それは……」

 ことみは喋りかけて、口をつぐむ。ここで話してしまえば秘密裏に進めている首輪解除の情報が主催に伝わり、全てが水泡に帰す。とりあえず「人探しをしているの」と言ってデイパックから地図と筆記用具を取り出し、裏側にことみと聖の進めている計画を簡単に書き綴る。
 最初何をしているのかと不思議に思っていた二人だったが、ことみが書いた計画のあらましを知ると、了解したように頷く。

「そうか……俺達に何か手伝えることはあるか」
「うん。私達は灯台の方へ探しに行くんだけど、そっちは学校から西を探して欲しいの」

 言外に、そちらの方面から材料を探してほしいのだと、芳野もあかりも理解する。
「あ、そうだ。ことみちゃん、この人たちを知らない?」
 一応体裁を取り繕うのと、情報を得る意味であかりは名簿にあかり、瑞佳らの探している人物を丸でかこったものを見せる。
 ことみは黙って首を振るとまた紙に何かを書いていく。黙っていると不審に思われると考えた芳野が、ことみの計画の信憑性を確かめる意味も兼ねて質問する。

308 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:34:51 ID:15bKxc7I0
「一ノ瀬、お前たちの探しているの、本当に見つかるのか? ロクに情報もないんだろう?」
「それはそうだけど、でも、やってみなくちゃ分からないの。一応だけど、アテはあるから」

 タイミングよく書き終えたことみが、書いた内容を見せる。
 まずはこの理科室で硝酸アンモニウムをできるだけ取ってきて欲しいこと、そしてそれを外にある体育倉庫に保管して厳重に戸締りしておくこと、それから軽油やロケット花火を手に入れてきて欲しいことを伝える。
 手に入れた材料を保管しておくのは爆弾の材料を誰かに悪用されたら大変だ、と考えた結果だった。

「取り合えず私と一緒に行動している聖先生にこのことは報告しておくから、先に行ってて欲しいの」
「分かった。一応信用しよう。俺達の探している奴らのことも、よろしく頼む。それと外に残してきてる奴らもいるからな。そっちの連れには会えないがまた目的を達成するときに会おうと言っておいてくれ」

 あいあいさー、と芳野の言葉に敬礼で答えることみ。と、人探しをしているという名目だったのに肝心の探し人の情報を訊いていないことに気付き、慌てて「待って」と呼び止める。
「どうした」
 さらさらと紙に「一応私にも探してる人はいるの。訊きそびれちゃったから」と書いて名簿の『岡崎朋也』『藤林杏』『藤林椋』『古河渚』『霧島佳乃』の名前を丸でかこっていく。

「どうして口頭で言わ……」
 口を開きかけたあかりの口を塞ぐと、芳野が首を振る。岡崎朋也は芳野の知り合いでもあったが居場所を知っているわけでもないし、会話の流れ上下手に喋るのはまずい。むーむーと苦しそうにするあかりをそのままに、芳野の反応を確認したことみが「ううん、やっぱりなんでもないの」と言って会話を終了する。
「それでは、なの」
 ぺこりとお辞儀をすると、ことみは今度こそその場から背中を向けて去っていった。

「むぐー!」
「ああ、悪かった」

309 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:35:13 ID:15bKxc7I0
 まだ口を押さえていた芳野に、あかりが怒ったようにくぐもった声を出したのでようやくその手を離す。
「っは、芳野さん、何するんですか!」
 ずいっと詰め寄るあかりに、「悪かったって」と冷静にいなしながら芳野は耳元で、小声にその理由を話す。

「会話の流れだ。人探しの件なら俺達に首輪云々の以前に話せば良かった。だがそれを言い出さないまま話を進めてしまったからな。『探して欲しい』と言った後に改めて誰々の居場所を知らないか、と言われたら不自然だろ?」
「……そうなんですか?」

 気にするほどのことでもないのに、と小声で呟くあかりに「用心は重ねておくに越したことはないんだ」と釘を刺してから小声で話を続ける。
「一ノ瀬の挙動で分かるだろう。あれはかなり綿密な計画だ。俺達が知らされたことはあらすじで、恐らくあいつは頭の中でかなり考えたシナリオを練っているはずだ。下手を打って台無しにさせるわけにもいかない」
 確かに、あれだけ流暢に説明できるということはそれなりにシナリオを考えてあるということなのだろう。逆を言えば一つのミスが大きく歯車を狂わせる。
 芳野の慎重な挙動も納得がいく。

「すみません、軽率で」
「いや、この程度ならまだいい方さ」

 芳野は「気にするな」と頭をぽんぽんと叩いて「さて」と話を変える。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ。終わったら長森や柚木達と合流してあいつらにも手伝ってもらおう。先は長いぞ」
 理科室に入っていく芳野の後を追うようにしてあかりも続く。芳野の足取りは、少し早まっているように思えた。それはあかりとて同じだ。
 なぜなら、今まで何も見えなかった脱出へのレールが、ようやくその姿を見せ始めたのだから。

     *     *     *

「これ、こう……ちょちょっと……ほら!」
「わっ、すごい。本当に取れた」
 学校裏にある駐車場の一角で、柚木詩子と長森瑞佳は放置してあった自動車のボンネットを開けて中身を弄繰り回していた。たった今バッテリーを外して地面に下ろしたところである。

310 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:35:38 ID:15bKxc7I0
「まー私にかかればこんなもんね。でも一体何に使うんだろ?」
 詩子にとってみればバッテリーは充電する以外あまり使用用途が分からないので頭を捻るばかりだ。もっともそれは瑞佳も同じことなのであるが。
「うーん……何かの機械を動かすとか?」
「そんなとこだろうけど……何を?」
「「う〜ん?」」

 二人して悩む。とにかく詳しいことは芳野に聞いてみなければ答えは得られなさそうだ。
「まあいいか。次はエンジンオイル……だけど、さすがにこれは私も無理……で長森さんも無理だよね」
「うん、全然……」
 そもそもここにある車にオイルが入っているのか、という質問はこの際考えないことにする。気持ちを切り替えて次の物資を探しに行こうと立ち上がる二人。

「お嬢さん方、何をなさっているのですか?」

 その背後から、やけに紳士的な声がかけられる。それがあまりにも場違いだった故に、かえって二人の心に不安のようなものが浮かぶ。
 振り返ると、そこにはやけに人懐っこそうな笑顔を浮かべた――岸田洋一の姿があった。
 内心危機感のようなものを感じつつ、詩子は平静を装いながら岸田に、彼女らしくもない態度で臨む。

「い、いえ、ちょっとした……集め物でして」
「ほう? 一体何を?」
「……これです」

 瑞佳が足元にあるバッテリーを指差す。岸田はそれを一瞥すると「そんなものを、何に?」と尋ねてきた。その細い目つきからは芳野以上に思考を読み取れない。だが答えないわけにもいかず、詩子はありのままに事情を話した。
「はあ……なるほど、ひょっとしたら、私同様首輪を外そうとしているのかもしれませんね」
 岸田の言葉に口を揃えて「え!?」と驚く二人。そうだ、そういえば、目の前のこの男は、あるはずの首輪をしていないではないか。

「あなた、どうやって……!」
「おっと、口を謹んで」

311 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:36:07 ID:15bKxc7I0
 興奮して岸田に詰め寄ろうとする詩子を引きとめ、口元に手を当てる岸田。
「どこかの誰かさんが盗み聞きしているかもしれませんから、そう簡単にタネを話すわけには」
 あ……と、二人が気付く。盗聴されているのだ。この首輪を通して。下手をすればその場でこれが爆発するかもしれない。思わず詩子も瑞佳も首輪に手を当てる。今のところ、異常はない。
 ホッとする二人をそれぞれ見回すと、岸田が言葉を続ける。

「まあ、おおよそは私の用いたのと必要なものが同じですからね……恐らく、残りは武器にでも使うつもりなのでしょう」
 岸田の言葉が本当だとするならば、芳野があまり深くは語らなかったのも納得はいく。なら、本当に首輪は外せるのか?

「あの、一つ訊きたいんですけど」
「何かな?」
 瑞佳が手を上げるのに、岸田は変わらず丁寧な調子で答える。瑞佳はそのまま続ける。
「首輪を外せたのなら……どうして、脱出しないんですか? 先に外に出れば助けを呼ぶなりできると思うんですが」

 それは詩子も疑問に思うところだ。あまり考えたくはないことだが、誰だって自分の命は惜しいはず。最大の脅威が排除されたのならいつまでも危険が存在するこの島に留まる必要はなに一つないのだ。
 岸田は眉間に皺を寄せ、「それがですね」と困ったような表情になって言った。

「色々と見て回ったのですが……ここは絶海の孤島。そして、船はこの島に一つとして残ってはいないのですよ」
「残ってないって……」

 明らかに人が住んでいる気配のあった島なのに、船がないのはおかしい。そう反論しようとする詩子だが、岸田は首を振る。
「恐らく、この殺し合いを管理している人間が全て壊したか、持ち去ったのでしょう。万が一、に備えて」
 詩子は絶句するが、確かにそれはあり得ない話ではない。殺し合いを継続させるためにそれくらいの措置をとっていてもおかしくはなかった。
「ですが、何も奴らだって泳いでここから帰るわけではないでしょう。殺し合いが終わったとき、必ずヘリか船か……連絡を取って呼ぼうとするでしょう。その通信機さえ奪ってしまえば」

 岸田の言葉は憶測の域を出ないが、説得力は十分にあった。管理者側も完全に外部と通信を遮断しているとは考えられない。本拠地には、必ずそういったものがあるはず。
「しかし、それを一人で行うにはあまりにも無謀なのです。だから危険を承知で歩き回って、探しているのです。この殺し合いを管理している奴らを共に倒せる人間を」
 拳を握り締めて、岸田は熱弁を振るう。その言動からは当初感じていた気味の悪さはもう残っていない。この殺し合いに抗おうとする志のある人物のように思える。信じても……良さそうなくらいに。

312 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:36:40 ID:15bKxc7I0
「柚木さん……」
 詩子を見る瑞佳の目は、半ば岸田を信頼しているようであった。いや詩子もそうであったのだが、どこか一つだけ、ほんの些細なことであるが、忘れてしまっているような気がした。それが喉に、小骨が食い込むように。
 いや、と詩子は思い直す。最初に感じた嫌な雰囲気をそのまま引き摺っているだけだ。これはまたとない脱出のチャンスだ。ここを逃してしまっては、もう次はない。
 うん、と詩子は瑞佳に同調するように頷いた。

「あの……聞かせてください。それを、外す方法」
「おお、では!?」

 喜びの表情を見せる岸田に、二人が再度頷く。岸田は嬉しそうにしながら二人を手招きする。

「では、お二人との共同戦線の証明代わりに……握手を」
 手をすっ、と差し出す岸田に吸い込まれるように近づく二人。

「あの、そういえば名前を……」
「ああ、私ですか?」

 瑞佳が名前を訊いたとき、岸田の目元が僅かに歪むのを、詩子は見逃さなかった。
 待て。そうだ、こんな感じの特徴を、誰かから――

「!」

 忘れかけていた情報が、詩子の脳にフィードバックする。この身体的特徴、以前に聞いたある男に一致するではないか!

「ダメ! 長森さん離れて!」
 とっさに詩子が瑞佳を突き飛ばしたのと、岸田の腕が詩子の首に回ったのは同時だった。
 突き飛ばされて思わず転んでしまった瑞佳が、わけが分からぬ表情で岸田と詩子の方を見上げる。そこには――

313 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:37:03 ID:15bKxc7I0
「いい勘をしてるが、気付くのが遅かったな! 俺の名前か? 七瀬彰、とでも名乗っておこうか? ククク……」

 首を締め上げられ、胸元にカッターナイフを突きつけられる詩子の姿と、七瀬彰と偽名を名乗る岸田洋一の姿があった。
 詩子は首を半分締め上げられたまま宙吊りにされ、苦しそうな表情になっていた。
「な、ながもり、さん……私の、ミス、だから、にげ、て」
 十分に酸素が行き通らず声が出せないながらも詩子は瑞佳に逃げるよう指示する。しかし瑞佳は状況が読み込めないまま、ただ呆然としていた。

「え? これって……どういうこと? 七瀬彰……さん? なんで、こんな」
「まだ分かってないみたいだな。俺の言ったことは、嘘だ。大嘘なんだよ。そして今俺は君の連れを人質に取っている。お分かりかな?」

 震える瑞佳に対して、岸田は鼻を鳴らしながら返答する。続いて締め上げている詩子の方へと視線を移すと、
「さて、この勇ましいお嬢さんだが……立場を分かってもらわなくては、なぁ!」
 ぐっ、と更に首を締め上げる。詩子は必死に腕を外そうとするが、力があまりに強くロックを外せない。さらに不幸なことに、武器はバッテリーの近くに置きっぱなしのまま。反撃などもっての外だった。
「や、やめてっ! 柚木さんを放して!」
 そんな言葉をこの男が聞くわけがない。逃げて、と言おうとする詩子だが意識が朦朧として発声すらできない。思いが、伝えられない。

 そして詩子と瑞佳の意思を嘲笑うように、岸田はイヤらしい表情を浮かべる。

「そうだな、放してやらんでもないが……脱げ」
「え……?」

 岸田の放った言葉の意味が分からず、オウム返しに言葉を返す瑞佳。

「武器を隠されでもしていたらたまらんからな。脱げ、下着一枚残さずにな。服は真後ろに投げろ」
「そ、そん、な」

314 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:37:30 ID:15bKxc7I0
 なんて、奴――!
 朦朧とした意識ながらも、詩子はこの男の残虐性を知る。こともあろうに、この男は瑞佳にストリップショーをさせようとしているのだ。
 ダメだ、そんなことをさせてはいけない!
 詩子は必死に抵抗を試みるも、それは形にならない。僅かに身をよじる程度が精一杯で、怯ませることなど出来もしなかった。

「おや、立場を分かってないですね、このお嬢さんは。そんな悪い子には……!」
 岸田はカッターを仕舞うと、入れ替わりに今度はベルトの後ろにでも差していたのだろう釘打ち機を取り出して詩子の腕に向かってそれを、引いた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 首を絞められているせいで声が出なかったが、想像を絶する痛みが詩子の体中を駆け巡り、釘が打ち込まれた上腕部から赤い染みが広がっていく。

 同時に、詩子の顔が苦悶の表情に塗り変わっていく。それを捉えた瑞佳が、意を決したように叫ぶ。
「わ、分かりました! 脱ぎます! 脱ぎますからっ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに瑞佳がファミレス服に手をかけ、それを取り去る。
「ククク……」
 岸田の表情が喜悦に変わる。この男はこんな悪魔の如き所業を、楽しんでいた。

 相変わらず釘打ち機は詩子に突きつけながら、瑞佳が一枚一枚服を脱いでいくのを眺めている。時折、舌なめずりしながら。
 恥を捨てて、人質に取られた知り合いのために、ついに瑞佳は上下の下着一枚ずつのみとなった。学生らしい清楚な、白色の下着が白日の下に、岸田と詩子の目に晒される。ひゅう、と岸田は口笛を鳴らしながらも僅かにも満足した様子はない。
「さぁ、ここからが本番だ。脱げ。お前の恥ずかしいアソコを俺の目に晒せ! さぁ!」
 ……しかし、流石に瑞佳にも抵抗があるのか、指はブラのホックにかかるがそれ以上の動きは見せない。腕を体の後ろに回したまま、瑞佳は固まってしまっていた。

 中々動かない瑞佳に対して、岸田は罵声を飛ばす。

「白馬の王子様が迎えにくるのを待っているのか? 哀れな自分を助けてくれる正義のヒーローが来るのを? はっ、王子様にもヒーローにも、ペニスはあるけどなァ! ハハハハハッ、逆に興奮して犯されるかもしれないぞ!? 見られたいのか!? そんな自分を見られたいのか!? 俺とこの女だけのうちに、さっさと脱いでしまうことを、俺はお勧めするがね!」

 岸田の言っていることは、援軍が来る前に別のマーダーがやってくるかもしれないということを示唆していた。そしてそれが岸田と同じような、卑劣な悪漢である可能性も。
「……」
 意を決したように、瑞佳が手を動かす。シュルッ、という衣擦れの音がして、瑞佳の絶妙な胸が晒される。桃色の乳首が風に撫でられほんの少し震えた。
「ハッ、ハハハ! やりやがった、本当にやりやがった! 素直でいい子じゃないか……ん、いい色艶だ……」

315 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:37:54 ID:15bKxc7I0
 けらけらと楽しそうに笑いながら岸田は視線を下に移す。もう何も思うこともなく、瑞佳がショーツを下にずらす。詩子は、直視することができず目を閉じてその光景を受け入れまいとした。だが詩子の耳元で、岸田が囁く。

「お前、もう用無しだな」

 え?
 脱ぎさえすれば、恥辱を受け入れさえすれば少なくとも瑞佳は開放されるのだと、そう思っていた詩子にはあまりにも不可解な言葉だった。
 考えてしまう。もしかしてこの男は、最初から皆殺しにするつもりだったのではないかと。脱衣ショーなど、目的のための手段に過ぎないのではないか、と。

 それが、詩子の死因となった。
 びくんっ!
 考えずに、一縷の望みを捨てずに最後まで抵抗すればあるいは詩子は死なずに済んだのかもしれない。だが、一瞬でも思考してしまった彼女にはこの結末しか残されていなかった。

 瑞佳が完全にショーツを下ろし、秘所を全て晒したのと同時に岸田が詩子の頭を釘打ち機で貫いたのだった。
 釘は完全に貫通することなく、詩子の脳に残留する形でその居場所を得る。入れ替わるようにして僅かながらに飛び出した脳みその欠片が、べちゃりと地面に落ちた。

 え……と。
 目の前の現実を現実として認識できなかった瑞佳に、岸田が飛び掛かり押し倒すのは容易かった。裸の格好のまま、岸田は瑞佳に対してマウントポジションの体勢を取る。
 にぃ、と。
 瑞佳の裸体を舐め回すように見ながら岸田は嗤った。

「いい演出だろ? 大切なお友達を助けるために恥を捨てて脱衣までしたのに、それが俺へのプレゼントになるのだからな?」
 岸田が、露になった瑞佳の乳房を激しく揉みしだき、辱める。それでようやく正気を取り戻した瑞佳が激しく抵抗する。
「いやあぁ! やめてっ!」
 岸田を撥ね退けようとするも巨石のように重く微動だにしない。

316 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:38:21 ID:15bKxc7I0
「ハハハハ! 動けないだろ? 人類が発明した、絶対有利の体勢だ! 人の力で撥ね退けることは不可能! それは格闘の歴史が証明している。しかも男と女の差だ! 無理無理無理無理、絶対に無理ッ!!!」

 ひとしきり揉みまわすと、仕上げとばかりに岸田は瑞佳のピンク色の突起を思い切り抓る。
「ひっ、いぎいぃぃぃぃっ……!」
 苦悶の表情のまま首を振り、痛みに喘ぐ瑞佳。

「痛いか? 苦しいか? だがお前にはどうすることもできない。例えば俺がこのまま鋸で肉を裂き骨を砕いたとしてもお前は絶望にのたうつだけ……そう、絶望的にな。本来ならもっともっともっともっともっともっと! ……狂わせるくらいに身体を弄んでやりたいところだが、生憎今は時間がなくてね……貫通式と、いかせてもらおうか?」

「!!!」

 瑞佳の顔が苦悶から恐怖へと変わる。岸田の言わんとしていることは、遠まわしながらも瑞佳にも分かる。
 陵辱だけに飽き足らず、この男は瑞佳の純潔まで奪おうとしているのだ! それも、ただのお遊びのような気分で!

「いやああああぁぁぁっ! 助けて! 浩平、助けて、こうへ」
「うるさいな」

 恐怖と絶望から出る悲痛な叫びすらも、岸田は許さなかった。乳房を弄んでいた右手を首に回すと、万力の如き力を以って声どころか呼吸すら出来ぬほどに瑞佳の首を締め上げる。
「あっ、あ、あ……」
「雌豚は大人しく喘いでいればいいものを……興醒めだよ。さて……」
 空いた左手で、岸田はズボンのチャックを下ろし、その言葉とは裏腹の猛り狂った男根を瑞佳の身体へと擦り付けながら、局部へとあてがっていく。

317 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:38:47 ID:15bKxc7I0
「や、あ、ぁ、ぁ、ぁ……」
 涙を流しながら懸命に岸田の男根を受け入れまいとするが、それはただの空しい抵抗に過ぎなかった。
 ふん、と鼻息を鳴らすと、踏み躙るように、支配するように、押し潰すように、岸田は一気に瑞佳の中へと挿入した。
「あ゛あ゛あ゛ぅ……!」

「どうだ!? 痛いか? 叫びたいだろう? でも無理なんだよなぁ!
 俺のチンポは! 今! お前の濡れてもいないアソコをずんずんと這い回っているぞ! ギュウギュウ締め付けてくるぞ!
 なんということだっ! 生と死の狭間で感じるセックスがこんなにも恐ろしく興奮するものだとはっ!
 見ろっ! お前と俺の結合部からは血が小川のように出ているぞっ! 愛液は寸分も混じっていない!
 純粋だっ! なんて純粋なんだっ!! お前の命の欠片を、俺のチンポがしゃぶっているんだぞっ!
 吸い取っているんだぞっ! 死ぬぞ!? お前はこのままでは死ぬんだぞ!? それでいいのかっ!?」

「……」
 腰を振り続ける岸田に対する瑞佳の瞳は、最早生気を残していなかった。涎を垂らし、僅かに残った死への階段を登り続けていくだけだった。
「なんだ、もう死んだのか……まぁいい。出すか」
 失望したように瑞佳を見下すと、最後にグッ、と腰を突き入れ本調子ではないながらも多量の精を吐き出した。
 ゴポ、ゴポッと赤と白濁色が混ざり合った液体が瑞佳の局部からとめどなく溢れ出す。

 岸田は悠々とズボンのチャックを上げて、萎え始めたソレを仕舞うと瑞佳と詩子の持ち物から武器を次々と回収していく。中には不要なものもあったので放っておいたものもあり、また自分の荷物からも不要なものが出てきたのでそれを捨てたりしていたが。
「銃も手に入ったしな……まあ復帰戦としては上出来だな」
 都合のいいことに、予備弾薬まである。そしてニューナンブM60には弾丸もフルロードされている。計15発。更にナイフまである。
 高槻に復讐戦を挑むには十分過ぎる収穫と言える。

 心の底から込み上げてくる笑いを抑えきれず、岸田は含み笑いを漏らす。
「くくく、くっくっく……ん?」
 ふと横を見ると、死んだはずの瑞佳の体が、僅かにだが身じろぎしていた。岸田に首を絞められ、体を貫かれながらも必死に生きようとしている。
 ほう、と岸田は感心したように声を漏らすとつかつかと瑞佳の元まで歩み寄っていく。
「そうだそうだ、俺としていたことが忘れていたよ。奴との一戦で分かりきっていたことなのにな」
 岸田は早速手に入れたばかりの瑞佳の投げナイフを逆手に持つと……

318 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:39:15 ID:15bKxc7I0
「とどめは、必ず刺さなければならないってことを、な!」

 瑞佳の頚動脈を、思い切り、かっ裂いた。首から赤いスプレーが噴出し、僅かに動いていた口元もとうとう完全に沈黙するに至った。
「これで終いだ。さて、行くとするか……くく、くくくくく……」
 また歪んだ口元から嫌悪感を催すような、邪悪な笑みを浮かべながら、岸田洋一は優雅に去っていった。

     *     *     *

 硝酸アンモニウムを詰めた袋を台車で運びながら、芳野とあかりはこれからについて話していた。

「丁度いい具合に台車があって良かったですね」
「ああ、流石に荷物とコレを運ぶのは少しばかり辛いからな。ま、やろうと思えば出来なくはなかったが」

 台車の上には数キロ程度の硝酸アンモニウムの入った袋が載せられている。理科室に置いてあったものをあらかた持ってきたのでこれ以上の採取は無理だろう。とはいえこれだけあれば量的には十分だと言える。
 ごとごと、と古びた木の床の上を台車が走る音を聞きながらあかりが尋ねる。

「それで、次はどうしましょうか?」
「集落にある方だな。どちらかと言えばそっちから探すのが手っ取り早い」

 あかりは考える。集落、というと民家などにあるもの……つまりロケット花火か。確かにそちらの方が見つけやすいといえば見つけやすいだろう。
 それにしても口に出さずに伝えるのは大変だ、とあかりは思う。暗号文を解読するのもこんな感じなのだろうか。
 思ったことをそのまま伝えられる機械でもあればいいのに。

「とにかく行動は迅速に、だ。疲れているところ悪いがしばらく休憩もなしにさせてもらうぞ」
「……私が疲れてる、って……どうして分かるんですか?」

 確かにあかりの体力は山越えや怪我のせいでそんなに余裕はないのだがそれを芳野に話したわけではない。すると芳野は彼にしては柔らかい笑みで答える。
「目だよ。まぶたが下がってきてるからな。それに少し猫背だ」
 言われて、確かに視線が下向きになっているのに気付く。まぶたに関しては流石に鏡を見てみなければ分からないが。慌ててあかりは姿勢を戻す。

319 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:39:35 ID:15bKxc7I0
「すみません、体力なくて」
「いや気にするな。実を言うと俺も少し疲れてる。普段の仕事でもここまで動きっ放しなのはないからな」

 言いながら芳野はとんとんと肩を叩く。何となくその行動をじじくさいと思ったあかりだが言うと怒られると思ったので黙っておくことにした。
 そのまま会話もなく二人は校舎から出て硝酸アンモニウムを保管しておくための体育倉庫はどこか、と辺りを見回す。昼近くになっているのかそれとも暗い校舎から出てきたからなのか辺りは明るく見晴らしは良い。しかし体育倉庫らしきものは見つからず、校舎の裏側にでもあるのだろうかと考えた二人は移動を開始する。
「……ん?」

 その途中で芳野の鼻に風に運ばれてやってきた、強烈な異臭が漂ってくる。それも、以前嗅いだことのあるあの匂いだ。
「芳野さん、何か変な匂いが……」
 同様にそれを感じ取ったあかりが芳野を不安そうにみるが、そのとき既に芳野は台車を置いて走り出していた。
「あ、よ、芳野さん!」
 台車を引いていこうか、と一瞬考えたあかりだが芳野の表情から鑑みるにそうしている場合ではないと思ったあかりはそのまま後に続く。

 匂いは、校舎の裏側から漂ってきていた。
 地面を蹴り、疾走する。息を半分切らせながら芳野と、遅れてやってきたあかりが駐車場で目にしたのは――

「おい、嘘……だろ?」
「え? あそこで倒れてるのって、そんな、まさか、でも、これって」

 全裸で倒れた長森瑞佳と、頭から脳漿の一部を垂れ流し、そしてこちらも死亡していた、柚木詩子の無残な姿だった。

320 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:39:57 ID:15bKxc7I0
【時間:2日目午後12時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。呆然。爆弾の材料を探す】

長森瑞佳
【装備品:なし(全裸)】
【持ち物:制服一式、某ファミレス仕様防弾チョッキ(ぱろぱろタイプ・帽子付き)、支給品一式(パン半分ほど消費・水残り2/3)】
【状態:死亡】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:全身に無数の軽い擦り傷、打撲、背中に長い引っ掻いたような傷。応急処置あり(背中が少々痛む)】
【目的:友人を探す。呆然。芳野と共に爆弾の材料を探す】

柚木詩子
【装備品:某ファミレス仕様防弾チョッキ(トロピカルタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

321 希望の十字架/絶望の十字架 :2008/02/22(金) 03:41:41 ID:15bKxc7I0
【時間:二日目午後12:00】
【場所:D-6・鎌石村小中学校内部】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。聖の元まで戻る】
【その他:時間軸としては浩平に会う前。芳野たちの探している人物の名前情報を得ました】


【時間:2日目12:30】
【場所:D-5】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(5/5)、予備弾薬10発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:切り傷は回復、マーダー(やる気満々)、役場に移動中】
【その他:鋸は瑞佳の遺体の傍に放置。時間軸は浩平たちが学校にやってくる以前】

→B-10
なんか、その、色々ヤバいことやらかしてます。嫌悪感を覚えた方にはすみません、とあらかじめ謝罪しておきます

322 監視者 :2008/02/23(土) 21:12:00 ID:YnERowGo0
 暗く閉ざされた部屋。しかし明かり代わりとすら言えるモニターの光が、その部屋にいる人物達の姿を克明に照らし出していた。
 カタカタ、と無言、無表情でキーボードを叩いているのは、女だった。

 女性がデスクワークに勤しむのは別に特別なことではない。
 しかし、キーボードに情報を打ち込むタイピングの早さが、尋常ではなかった。
 姫百合珊瑚がその場にいたとしても彼女と同等か、あるいは珊瑚でさえ速度では劣るほどのタイピング速度を、彼女は既に24時間を越えて保ち続けている。
 明らかに彼女は異常だった。いや異常なのは彼女だけではない。
 彼女の隣、そのまた隣にいる女も彼女と同じくらいのスピードで作業を続けている。顔色一つ変えずに。

 そして何より異常なのは――彼女らが、皆一様に同じ髪型、同じ顔、同じ瞳、同じ体型、極めつけに、修道服……つまり、『シスター』の姿だったということだ。

 この殺し合いを管理するアンダーグラウンドの場においては、それは何よりも違和感を覚えずにはいられないだろう。だが、誰もそれを気に留めることはない。
 何故なら……彼女達は『ロボット』だから。

「ほぅ……あの『少年』も死んだのですか……総帥といい、醍醐隊長といい、実にあっけない」
 彼女達の後ろで、現在の生存者一覧を眺めていた青年と思しき人物がさもありなん、という風に笑っていた。その胸元では銀色のロザリオが笑いに合わせて揺れている。それは彼の人物を示すかの如く、軽薄な輝きを宿していた。

「ふむ……おい、イレギュラーはどうしてる」
「はい、会話ログから確認する限り、現在D-5に移動し、鎌石村役場に向かっているものと思われます」

 女ロボットの返答を聞き、こちらはまだ生きているのですか、と感心するそぶりを見せる青年。
「人間という生き物はあまりに度し難い……不確定で、信頼するにも値しない生物ですよ」
 誰に言うでもなく一人ごちると、『笹森花梨』のモニターに目を移す。

「宝石はどうなっている」
「はい、発信機を確認する限り、現在ホテル跡に留まっているものと思われ、会話ログからも宝石は未だ彼女の手にあるものと思われます」
「そうか。……まあ、どうでもいいのですけどね。あれは総帥が欲しがっていただけですし、私は『幻想世界』にも興味はない。総帥は『根の国』と呼んでいましたがね」

323 監視者 :2008/02/23(土) 21:12:32 ID:YnERowGo0
 本当に興味のなさそうに吐き捨てると次に青年は残り人数を確認し、少々驚いたような表情を見せる。
「もう40人少々ですか……もうちょっと時間がかかると思っていましたが……まあいい。むしろ私の計画には好都合です。ね?」
 青年が女ロボットの肩に手を置くが、まるで触られていることを感じていないように女は反応しない。作業を続けるだけだ。

「やれやれ、面白みのない……それで、アレの最終調整はいつ終わる?」
「はい。予定では12時間後に全て完了し、実戦に投入できます」
「へえ、早いね。流石ロボット、というところかな。私の『鎧』は?」
「はい。予定では12時間後に完了し、実戦に投入できます」

 ひねりのない返答だ、と青年は顔をしかめたがすぐに、まあそんなものかと思い直しむしろ彼女らの仕事の速さを褒めるべきだと考えた。

「分かった。他に『高天原』に異常はないか」
「はい。異常ありません」
「注意を怠るな。侵入者の気配を感じたらすぐに迎撃に向かうんだ。……もっとも、そちらのほうが私にとっては好都合かな? それ以前に首輪を外せたら、ですけどね。ふふふふ、ふふふふふふっ、あははははははっ!」

 けらけらと狂ったようにひとしきり笑い、愉悦が収まるのを待ってから青年はとある部屋に通じるマイクを渡すように伝える。
 すぐに小型のマイクが渡され、モニターの一部が121人目の参加者である……久瀬のいる部屋の映像を映し出した。
 四畳もない小さな部屋の、更に小さいモニターの中で久瀬は精魂尽き果てたようにぐったりとしていた。

「ふふふ、さて、一つお遊戯と参りますか。こほん、あー、聞こえるかな、久瀬君?」
『!』

 ガバッ、と母親の怒声で叩き起こされる小学生のように飛び起きた久瀬の行動に青年はまた笑いそうになったが堪えながら話を進める。

「お疲れのようだね。まー流石にそんな小さな部屋じゃストレス溜まるかな?」
『お前……』
「怒らない怒らない。あ、そうだ。面白いニュースがあるんだけど聞きたくない?」
『……できれば、お断りしたいところなんだが』
「あ、そ。それは残念。君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ」
『何っ!?』

324 監視者 :2008/02/23(土) 21:12:54 ID:YnERowGo0
 久瀬の顔色が一瞬にして変わったのが丸分かりだったので、今度こそ青年は堪えきれずに笑い出した。事前に調べて久瀬が倉田佐祐理に関心があることは分かってはいた青年だが……ここまで過敏に反応するとは思わなかったからだ。

『何がおかしいんだ!』
「いやいや……これは失敬。大切な、ではなかったかな? くっくっく……まあそれはさておき。参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ。次の放送では忙しくなりそうだよ」
『な……にっ?』

 また久瀬の表情が変わる。今度は絶望、だ。まったく、見ず知らずの他人なのにどうしてここまで親身になれるのかと青年は思わずにはいられない。
 人間など、互いに利用し合うだけの存在だと思っている青年には、どうしても度し難いことだった。

「ま、とにかくそういうことだから今のうちに体力蓄えときなよ。ちゃお〜♪」
『お、おい待て……』

 久瀬が何かを言いかける前に、モニターは切り替わった。後にはまた参加者の命の残り香を移す光点が点在するだけとなる。
「さて、取り敢えずは次の放送まで待ちましょうか。それにしてもこんなに死者が出るとは思いませんでした……次からは6時間刻みにしましょうかね」
 青年は近くにあった椅子に腰掛けると、作業を続ける女ロボットの横顔を眺める。
「美しい顔です……まさに『高天原』……いや『神の国』の住人に相応しい

 現在この殺し合いを管理し、進行役を務めているこの青年――名前は、デイビッド・サリンジャー。
 彼の背後にあるモニターの向こうでは、惨劇が今もなお続いている。

325 監視者 :2008/02/23(土) 21:13:18 ID:YnERowGo0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:13:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。放送の間隔を変える予定】
久瀬
【状態:呆然】
→B-10

326 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:21:14 ID:/js7YssY0
「何よ、これ……」

荒れ果てた鎌石村小中学校を目の前に、観月マナは思わず目を見張ってしまった。
スタート地点であるが故、爆破されたからという理由もそこにはあるかもしれない。
しかしマナの視界の先、外からでも分かる激しい損傷はとある教室と思われる場所だった。
二階に設けられているその教室の窓ガラスは砕けており、今マナからすると目と鼻の先にある地面には、それら破片がキラキラと朝陽を反射しながら散らばっている。
内部がどうなっているのか。
まだ中に入っていないマナは分からないが、そのような状態の窓は例の教室だけであった。
一体何が起きたというのか。それを知りえる術を、マナは持っていない。
得体の知れない恐怖に、マナはさーっと血の気が引いていくのを感じた。

姉のような存在である森川由綺を失ったという現実、傷ついたマナはいつしか疲れ草木の生い茂る森の中熟睡していた。
マナが目を覚ました時は既に空も大分明るさを取り戻していて、経過した時間の大きさにマナは一人焦ってしまう。
そんな彼女が今しがた見つけたのが、この鎌石村小中学校という施設だった。
もしかしたら校舎の中にはマナの知人がいるかもしれない、そんな可能性はマナも捨てきれないだろう。
しかしあまりにもリスクが高く見えてしまい、マナはどうすることもできず正面玄関入り口にて二の足を踏むしかなかった。

「……ぇ?」

その時だった。
マナの耳が捕らえたものは砂を踏みしめるジャリジャリとしたものであり、その様な音は現在マナのいる砂地の校庭でないと作ることができない足音であった。
音の大きさからして決して遠くではないであろう距離を瞬時に察したマナは、すかさず自身の支給品であるワルサーを構えると周囲へ視線を素早くやる。
マナが一人の少年の人影を発見するのに、そう時間はかからなかった。

ぞっと。
少年の姿が視界に入った途端マナの背中を走ったのは、寒気以外の何物でもなかった。
体つきからすればマナとそう年も変わらないであろう少年、しかし一つの異様さがマナの胸に警報音を叩きつける。
少年の両手は、真っ赤に染まっていた。
深紅のその意味は時間の経過によるものだろう、彼の着用している上着の腹部にも同じような染みができてしまっている。
しかし彼の足取りはしっかりしていて、とてもじゃないが出血による怪我を負った人間の物だとマナは判断することができなかった。
それでは、一体あの赤の出所は何なのか。
指し示す事象が一つであると結論付けたと同時に、マナは構えていたワルサーの照準を真っ直ぐ少年に向ける。

327 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:21:50 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

震える声を隠すことなんて出来ない、しかしどうしてかマナの中にはこの場から逃げ出そうという気持ちがなかった。
突然の来訪者により冷静さが欠けてしまい、自分の中での行動の選択肢を用意することができなかったということもあるかもしれない。
だが一番の理由は、彼女に与えられた支給品である武器の存在だろう。
拳銃という当たり武器、それだけでマナの気が大きくなってしまったという部分は計り知れない。
当然の如くマナは目標である少年に対し定めた座標を動かすことなく、次に少年がどのような行動に出るかを見定めようとした。
誰だって、死ぬのは嫌だろうということ。
死にたくないのなら、凶器を所持するマナは回避すべき危険な存在にはなる。
マナ自身、そう判断していた。
拳銃という当たり武器、そのリーチこそがマナの全てだった。

だから、少年の歩みが止まらないというこの現状に対し、マナは困惑を隠すことができなかった。
マナは銃を構えているにも関わらず、少年は俯き加減のままゆっくりマナとの距離を詰めてくる。
もしかしたらこちらを見ていないのか、しかし声かけはしているからこちらの存在は伝わっているはずだ、荒れていくマナの心中は鼓動のスピードに換算されていく。
伝わる汗、からからに乾いてしまった口内の気持ち悪さ、マナは眩暈さえも覚えていた。

訳が分からないということ、その恐怖。
言葉が伝わらないということ、その戸惑い。
全てがマナにとっては、初めての感情だった。
この島に来て、初めてのそれだった。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

私は銃を持ってるのよ、そんなマナの言葉にも少年は何の反応も見せない。
ジャリジャリと砂を踏む音と微かな痛みを伴う乾いた自身の呼吸音、その二つがマナの聴覚を埋め尽くす。
クラクラする。自分がこの後どうすれば、いいのかマナはそこまで考えていなかった。

328 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:22:11 ID:/js7YssY0
銃を構えるということ。
それは、脅しの意味でしかなかったということ。
発砲するということ。
それは人を傷つけるという行為である。
もしくは、人を死に至らしめるという行為にまでもなる。
……そんなことを行うことができる覚悟まで、マナは決まっていなかった。

「ひっ」

気づいたら、少年とマナの距離は目と鼻の先になっていた。
砂を踏む音はもう辺りに響いていない、当然である。
少年は足を止めていた。
もう進めなくなっていたからである。
何故か。

「あなた……死にたいの……?」

マナの構える銃口は、少年の胸に当たっていた。
少年とマナの距離は目と鼻の先の距離になってしまっている、それは文字通りそのままの状態を表している。
すっと、その時やっと俯き気味だった少年が顔を上げた。
甘やかな作りは中性的で、異性を感じさせない儚ささえをも含まれているように感じるマナだが、反面何の表情も見て取れない少年のそれに対する戸惑いというのも、彼女の中には同時に浮上していた。

「え?」

少年の右腕が、ゆっくりと持ち上げられる。
マナはじっと、その動きを目で追っていた。
瞬間響いた乾いた音。
痛み。
振動。
続いて感じた半身の痛みにマナが悶える、彼女の体が砂地に叩きつけられたことが原因だった。
自身が頬を張られたという事実に呆然とするマナは、まさか初対面の人間からこのような無礼を振舞われることを予想だにもしていなかっただろう。

329 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:22:35 ID:/js7YssY0
「な、何すん……っ」

反射的に睨み上げ文句を吐き出すためにと口を開いくマナだが、言葉は最後まで続かなかった。
何かを弄る音、恐らく支給されたデイバッグの中身を漁っているであろう物音がマナの耳を通り抜ける。
それが止んだ次の瞬間マナが捉えたものは、首筋に伝わる絶対零度だった。
少年と目が合う、相変わらず彼の瞳には何の感情も含まれていない。
鈍い痛みが首に走りぬける、それがあてがわれた包丁が原因であることにマナはまだ気づいていなかった。
大きな戸惑いはマナの思考回路を停止させ、それは彼女の行動にも露に出てしまっている。

マナの瞳が揺れる。
困惑に満ちた彼女のそれが見開かれるのと、包丁が無残にもマナの肉を引き裂いていったのはほぼ同時だった。





カラン、と一丁の包丁が取り落とされる。
いや、それは投げ落とされたという表現の方が正しいかもしれない。
浅い呼吸を繰り返していたマナの胸の上下運動は、まだ止んではいなかった。
少年は屈みこみ絶命しかけたマナの様子を覗き込んだ後、無造作に再び血で濡れた自身の手をマナのスカートで拭い取った。
ふぅ、と漏れた息は少年の物であり、それは先ほどマナと対峙していた時には見せなかった、少年の人間らしい仕草であったろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。

『025 神尾観鈴』

330 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:22:54 ID:/js7YssY0
順々に読み上げられていく死亡者達、その中でとある少女の名が呼ばれたと同時に、少年は小さく一度瞳を瞬かせた。
そうして徐に支給されたデイバッグに手を入れると、少年は一本の布状のリボンを取り出した。
真っ白な柔らかい素材でできているそれは、所々に赤い染みができている。
手で握りこむとあっという間に皺ができてしまうそれを幾分か眺めた後、少年はそそくさと元の場所へとリボンを戻した。

ふぅ、ともう一度、少年が溜息をつく。
その頃には既にマナの動きも止まっていて、放送も終わりを告げる頃になっていた。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

マナの横に転がるワルサーを拾い上げ、既に少年がこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わる、少年は訝しげな表情を浮かべその声に耳を傾ける。
……しかし、少年の顔から冷淡な笑みが漏れるのに、そう時間はかからなかった。

「馬鹿馬鹿しい」

心底そう思うのか、口にした後少年はさっさと移動を開始した。
手にはマナの支給品であるワルサーが握られたままである、それを持つ少年の足取りに迷いの色は一切ない。
細い少年の身には重いであろうデイバッグは、一歩進むごとにガチャガチャといった異音を辺りに撒き散らした。
充実したその中身こそが、少年の行く道を表していると言っても過言ではないだろう。

「大体死にたいとか死にたくないとか、みんな頭おかしいよね」

少年が反芻しているのは、マナの口にした言葉だった。
ぶつぶつと独り言を吐きながら、少年は校門を出て森の中へと入っていく。

「死んだら終わり? そんな常識、ここにはないよ」

陽が木の隙間を縫って差し込んでくる、それは幻想的な御伽話を彷彿させるかもしれない。
しかし少年はそんなことにも意を解さず、黙々とただ先へと進んでいくだけだった。
草も花も無視し続け、足元に対し何の注意もやらない少年の目は、ただただ真っ直ぐ前を向いていた。
少年の意志の固さが、そこには込められている。
そう。

331 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:23:14 ID:/js7YssY0
「どうせ世界は、ループする」

少年こと柊勝平からすれば、それが全てだった。


      ※      ※      ※


抱き上げた神尾観鈴の体は想像以上の重さで、さすがの勝平も途中で弱音を吐きそうになる程だった。
決して力がある訳ではない体が恨めしい、結局彼が観鈴の埋葬を終えられたのも午前六時前ぎりぎりとなる。
花壇の傍に立てかけられてあったスコップを元に戻した後、勝平は観鈴の支給品であったバッグをそのまま彼女を埋めた地の上に置いた。
ここまでで勝平が流した汗は、もう大分引いていっている。
このまま放置すれば風邪を引く原因になるかもしれない、体の弱い勝平からするとその危険性はますます上がるだろう。
しかし勝平が、特に何かしようとすることはなかった。
自身を気遣う余裕がないだけかもしれない。
勝平の手には、白い布状のリボンが握られている。観鈴の身に着けていた装飾品だった。

「ループを止めて、か」

それは最期に観鈴が勝平に託した願いでもあった。
ゆっくりと瞳を閉じる勝平の瞼の裏には、彼の知らない世界が広がる。
彼女の命が消えた後起こったこの事象、最初は戸惑ったものの今の勝平はそれを受け入れていた。

それは優しい彼女が人を殺めようとする行為に繋がる場面であったり。
何度も銃に撃たれ大怪我をしてしまうものの、何とか生き延びる場面であったり。
虎だろうか。大きな化け物が彼女に向かって今まさにかぶりついてこようとする場面であったりと、様々だった。

瞳をあけると再び朝焼けが勝平の視界を彩った、それはまるで夢でも見ているかのような感覚に似ているかもしれない。
これが彼女、神尾観鈴の世界であると勝平が認識できるようになったのはつい先ほどのことだ。
原理などは分からない、しかしこれが現実だ。勝平も受け入れるしかない。
ループを止めて欲しいと、彼女は口にした。
そしてそのために、彼女は勝平に自分の持つ記憶を与えた。
彼女の願いであり意志でもあるそれ、歩きながら勝平はずっとそのことを考えていた。

332 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:23:33 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

校舎の方に勝平が戻ってきた時、そこにいた見知らぬ少女の存在に勝平はこっそり眉を潜める。
銃を手にする幼い体は小刻みに震えていた、気にせず勝平が近づいていくと少女の表情に戸惑いが走る。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

少女は怯まない勝平の様子に困惑しているようだった。
そんな少女に対し、表には出さないで勝平は内心一人毒づく。

(何だよ、中途半端なやつ)

銃をこちらに向けるだけでその先に進もうとしない少女の様子に、勝平は苛立ちを隠せなかった。
今、勝平の手は両手とも空いている状態である。
先ほど観鈴の埋葬を終えてから、勝平はそのままここまで来たのだから当然である。
肩に担いでいる勝平のデイバッグの中には、ナイフ類を始めとする様々な武器が入っていた。
残弾は少ないが、拾い直した電動釘打ち機も健在だった。

勝平の状況は、非常に恵まれていただろう。
身を守るための武器がこれだけあるということ、また勝平には度胸がある。
人を傷つける覚悟ができているということ。
人としての弱さや強さ、そのような問題のベクトルではない。
「できる」か「できないか」という二択の世界で、勝平は「できる」人間だった。

「できる」ということ、それで反射的に動いた体を勝平は止めようとは思わない。
止める理由もないからだ。
次の瞬間血に染まる包丁を持つ勝平の傍には、血飛沫を上げながら地に下りていく少女の体があった。
勝平の中、そんな行為に対し特別何か感情が浮かび上がることはなかった。
それこそ最初に人を殺した高揚感すら、勝平の心には存在しなかった。
ただ、虚無だった。
この行為に何の意味も持ち得ない勝平にとっては、本当にどうでも良いことであった。

333 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:23:53 ID:/js7YssY0
温かな液体は勝平の体にも降り注がれる、顔についたそれを拭いながら勝平は静かに目を閉じた。
観鈴を視点とした一つの世界、流れる情報に身を任せながら勝平は再び考える。

(……ループを、止める……)

最期に観鈴が勝平に託した願い、しかし流れる情報からそれを読み取ることは叶わない。
どうすればループが止まるのか、そもそも何故世界はループしているのか。
それを勝平が分からない限り、進まない話でもある。
それに。

(ループが止まったら、もう会えないってことじゃないか……)

手にしている包丁に込めていた力を逃がす勝平、それは少女の傍へとゆっくり転がっていった。
一つ零れた溜息が、勝平の心情を語っていた。

(会いたい)

恋焦がれるような、そんな熱い思いが勝平の胸に広がる。
しかしそれは勝平の恋人である、藤林椋への柔らかな恋情とはひどく距離のあるものだった。
だからきっと、それは恋ではないだろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。
勝平は耳だけそれに傾けて、自分の内に存在する感情をじっと考えた。

『025 神尾観鈴』

少女の名が呼ばれる。当たり前だ、観鈴は死んだのだから。
小さく一度瞳を瞬かせると、勝平は徐にデイバッグへと手を入れた。
彼が取り出したのは、観鈴が髪を結ぶのに使用していた布状のリボンだった。
彼女の持ち物は全て彼女と共にあるべきだろう、そう判断した勝平だがどうしても自分の欲望を抑えることが出来なかった。
彼女の見につけているものが、どうしても欲しかった。
その執着の意味こそが、勝平の求める答えである。

334 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:24:17 ID:/js7YssY0
(観鈴……)

心の中で彼女の名前を呟き白いリボンを握り締める勝平の表情は、苦悶に満ちている。
分からない。
勝平は、分からなかった。
痛む胸が求める解答は導かれていない、そのためにも。
勝平は、もう一度観鈴に会いたいと思った。

リボンを鞄に仕舞いこみ、勝平はもう一度溜息をつく。
これから自分がどうしたら良いのか、その答えはまだ出ていない。
渦巻く勝平の心理は複雑で、本人でさえも心労を抱えるほどになっている。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

もうここにいてもしょうがないということで、マナの横に転がるワルサーを拾い勝平が上げこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わったことに対し勝平は訝しげな表情を浮かべると、注意深くその声に耳を傾ける。
……放送は、勝平の想像の範疇を超えていた。
放送を行っている主が一体何を言っているのか、勝平にはすぐの理解ができなかったくらいである。

(優勝して、生き返らせる? 何を言ってるんだ、だってどうせこの世界は……)

そこで勝平は、はたとなる。
そうだ。結局は、そうなのだ。
ループを止めるにしても結局はやり方が分からない以上、答えはそれしかないのだ。

「馬鹿馬鹿しい」

この世界は、ループする。
ならばどうすればいいのか。答えは一つだ。

335 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:24:36 ID:/js7YssY0
(一刻もこんな腐ったこと終わらせてやるよ、そうすれば……)

そうれば世界はループし、また彼女のいる世界が始まる。
それでいいのだ。
極端ではあるが、それが勝平の出した答えだった。
そこに観鈴の意志や願いが、含まれて、いないとしても。





「へー。神尾って子死んだんだ、珍しい。あの子大概ここで撃たれても、生き残ってた気がしたけど」

その声を聞くものは、きっとその場にいる少年以外は存在しないだろう。
校門を出て行く勝平の背中を見つめる存在、彼は勝平とマナが対峙する場面からずっとそこにいた。
誰にも気づかれることなく、そこで二人の様子を見守っていた。
校舎の影から身を出した少年は、文字通り「少年」という名で名簿にも登録されている人物だった。
強化プラスチックの大盾を手に少年が見上げると、そこには無残な状態の窓ガラスが視界に入る。

「ふーん、それにしてもここの教室は大人気だね。
 世界の法則なんて僕は信じていないけど、やっぱり何かしらは関係してくるのかな」

そう言って少年は、そのまますたすたと校舎の中へと足を踏み入れた。
鎌石村小中学校はスタート地点にもなった場所である、校舎の半身は爆破されたことで左右での損傷の差は激しい。
少年はその様子に目もくれず、真っ直ぐ正面に存在する上の階へ続く階段へと向かっていった。

「あーあ、一晩ゆっくり休んじゃったからこれからは仕事頑張んないとね。
 あいつにも負けてられないし」

336 意志の相続 :2008/03/08(土) 03:25:06 ID:/js7YssY0
歩きながら首や肩を鳴らす少年の様子は、至って淡白である。
またその軽さから、傍から見ても彼の目的が何かはすぐに読み取ることができないかもしれない。

「さて、じゃあ待ち構えようかな」

ガラッと勢いよく扉を開ける少年、そこは深夜に争いの起きた職員室である。
乱れた机の隙間を器用に通り抜け窓際の席を陣取ると、少年は荷物を置き外からは様子が見えないよう少しだけカーテンを引いた。

「あ、そう言えば」

ふと、今気がついたという様子で少年が言葉を漏らす。

「そっか。あいつが殺し合いに乗る確立なら、本当に百パーセントなのか。
 ははっ、面白いね……これなら世界の法則ってやつも、ちょっとは信じられそうだよ」

楽しそうに笑いながら改めて椅子に座り込み、少年はデイバッグから自身への支給品であるレーションを取り出す。
それに噛り付く少年の笑みはあくまで邪気のないものだった、しかし。
瞳の鋭さだけなら勝平の非ではないその冷たさは、修羅場を潜り抜けてきた少年特有の物と言えよう。





柊勝平
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ワルサー P38・電動釘打ち機5/16・手榴弾二つ・首輪・洋中の包丁2セット・果物・カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:早期終了のために優勝を目指す、衣服に観鈴とマナの血液が付着している、他ルートで得た観鈴の所持する情報を持っている】

少年
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

観月マナ 死亡



マナの持ち物(支給品一式)はマナの遺体傍に放置
血濡れの和包丁はマナの遺体傍に放置

(関連・328・473・917)(B−4ルート)

337 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:19:26 ID:P3exjv9A0
「時にるーさん」
「何かな、なぎー」

 お米券を通じて刎頚の交わり+竹馬の友+金蘭の契くらいの関係になった遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラはやや人目につかぬ木の陰でノートパソコンを立ち上げながら何気なく会話を交わしていた。

「パソコン……と言いますか、情報処理系には詳しいですか」
「残念だが、る……じゃなく私はこの国の機械にはあまり詳しくない。使えないわけじゃないぞ。電子レンジだって使える」
「……それは残念です」

 そこはかとなく長いため息を吐き出しながら、美凪は立ち上がったパソコンのデスクトップからメモ帳を機動させ口頭では伝えられなかった情報を伝える。

 ・このCDを通じて『ロワちゃんねる』という主催側のプログラムからホストサーバーに侵入し、情報を弄くれること
 ・ただしプログラムに通じてないとこのCD付属のプログラムを使いこなすことは難しいらしい
 ・更に、首輪についての構造もある程度知らないと解除は難しい
 ・この首輪には盗聴器がついている←ここ重要。テストに出ます

 ぐっ、と親指を上げてここから筆談にすることを要請する美凪。あの時は仕方がなかったとは言えある程度口から主催に対抗する手段を言ってしまったのだ。ここからは、一言として詳しいことは口外してはならない。
 美凪の意思を悟ったルーシーもぐっ、と親指を上げて応えたのだが……
(この機械、どうやって文字を打ち込むんだ……?)
 美凪がやっているのを見てもさっぱり分からない。キーボードにある平仮名の文字とは全く違う字が打ち込まれているし……せめて故郷のものならまだ扱いようがあるのだが。

 ルーシーがしばらく当惑しているのを見て全てを悟った美凪はカタ、とキーボードのあるボタンを押すと『かな打ちにしておきました』と打ち込む。
 かな打ちとはなんぞ、と首を傾げるルーシーに美凪が手元を見るようにジェスチャーする。
 ルーシーが美凪の手元を覗き込むのを確認してから『あ、い、う、え、お』とかな打ちで文字を打ち込む。「おお」という形にルーシーの小さな口元が開いた。
 どうぞ、と美凪が場所を空けると、ルーシーが喜び勇んで人差し指で文字を打ち込む。

338 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:20:07 ID:P3exjv9A0
『かんしゃする』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。無言でお互いの友情が更に深まったのを確認する二人。傍から見ているとホームステイに来た外国人としっかり者のお姉さんのやりとりである。

『しかしむねんだがわたしではむりだ。すまない、ちからになれそうにない』
『構いません。一人より二人です』
『いいこというな。ところでどうやってかんじにするんだ』

 すると美凪が適当に文字を打ってスペースキーで変換する。更に変換候補や打ち直し、文字の確定なども教える。既にこの場は秘密の相談ではなくパソコン教室と化していた。

『感謝する』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。彼女らの友情は鉄よりも固く海よりも深くなっていた。

『時にるーさん』
『何かな、なぎー』
『るーさんのお知り合いでこういうのに詳しい人はいませんか』
『心当たりがないではない』

 ピタ、と美凪の指が一瞬止まる。まさか、本当に、いたと言うのだ。今回も、その技術者が。逸る心を抑えながら、美凪は話を続ける。

『お名前は?』
『姫百合瑠璃か珊瑚か、どちらだったか。よく覚えてないが、片方は確かにそういうのに詳しかった』

339 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:20:41 ID:P3exjv9A0
 姫百合瑠璃、珊瑚……と美凪は心中で反芻する。確か一回目でも二回目の放送でもそのような名前は呼ばれなかったはず。即ち、まだ二人は生きているということだ。これを北川と広瀬が聞けばどんなに喜んだことだろうか……
「どうした」
 美凪の表情に影が差したのを見て取ったルーシーが、言葉で尋ねる。
「いえ、少し昔のことを思い出しまして……」
「……」

 ルーシーが悪かったわけではない。こればかりは仕方のない事柄だった。だがそれでも大切な仲間を失うことの辛さを分かっているルーシーは静かに美凪の頭に手を置いた。
 その気遣いに美凪は感謝しながらも、こんなことでくよくよしている場合でもない、とすぐに思い直す。そう、目的はまだ達成されたどころかようやく糸口が見つかったというだけだ。色々と考えるのはその後だ。

「すみません、もうお気になさらず」
 美凪は再びパソコンの画面に目を向けると、『それよりも』と続ける。
『姫百合さんたちを探す方が先決です。居場所に心当たりはありますか』
『いや、流石にそこまでは』

 ルーシーは書き込みながら首を振る。それに珊瑚か瑠璃か、どちらがパソコンに詳しいか分からない以上探す労力は二倍になる。この島において特定人物が再会できる確率はかなり低いのだから。それはルーシー自身や美凪でもその事柄は証明している。

『せめて二人一緒にいればいいのですが』
『そこまで望むのは贅沢だ。とにかく、地道に探していくしかない』
 そうですね、と美凪は同意する。文句を言っている暇があるのなら行動で示すべきだ。後悔するのはあの時でもうたくさんだった。
『問題は、どこに潜んでいるかだ』

 ルーシーはデイパックから地図を取り出すと島の各地にある施設を次々に指差していく。
『私もあまりあの二人のことは知らない。が、積極的にうろうろするような奴らでもなかったと思う。恐らくどこかに隠れている可能性が高いはずだ。あるいは私達と同じように首輪の解除を目指してどこかの施設でパソコンを弄っている可能性もある』
 言われて、美凪も納得する。パソコンが得意だというなら言われるまでもなくその方向に動いている可能性は高い。

340 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:21:12 ID:P3exjv9A0
『その上で訊きたいが、民家なんかにそのパソコンとかいうのがある可能性は、高いのか』
『分かりません。でも推論で考えるなら、3割くらいの可能性ではないかと』

 普及率から考えると9割でもいいような気はするがこの島の自然の多さからして美凪が住んでいる土地とほぼ同じと考えればそんなに高くはないはずだ(とはいっても美凪は地元でパソコンを持っているような家を殆ど見かけたことがなかったのだが)。
『低いな。それで、これらの大きな施設にある可能性は』

 分校跡、小中学校、無学寺、役場、消防分署など目印になると思われる建物を指差していくルーシー。
『恐らく、学校にあるかどうかだと思います。分校跡は跡ですから、恐らくないかと』
 ただ隠れる場所としては絶好の場所かもしれません、と付け加えておく。ふむ、とルーシーは唇に手を添えて思案する。
『一応、分校跡から当たってみることにしようか。なぎーはどう思う』
『それでいいと思います。あちこち家を出たり入ったりするのも危険だと思いますから』
 跡、というからにはパソコンなどの設備はおろか電気すら通ってない確率は非常に高いだろう。だからこそ隠れるには適した場所であり、あるいは美凪同様にノートパソコンのようなものを手に入れているとするなら隠れながら作業だってできる。
 全ては推測だが、絶対に在り得ない話ではない。
 いや、この島において在り得ないことは『在り得ない』のだ。

 美凪はそう考え、ノートパソコンの電源を落とし、それをデイパックに仕舞う。
「そうだ、言い忘れていたことがあった」
 ルーシーがぽんと手を叩く。何だろうと美凪は頭を傾げるが、さも当たり前のようにルーシーは言った。

「飯だ。腹が減っては戦は出来ぬ。なぎー、お米券はどこで交換するんだ?」
「……残念ながら、ここではお米券は使えないです。お米屋さんがありませんから」

341 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:21:35 ID:P3exjv9A0
 そんな美凪の言葉を聞いた瞬間、ルーシーがこの世の終わりを迎えたかのような壮絶な表情になった。ぱさ、と既に取り出していたお米券が手から零れ落ちひらひらと宙を舞う。
「う、嘘だ……嘘だと言ってくれなぎー。そんな、ようやく食べ物とは思えないパンとも言えないパンの味から逃れられると思っていたのに……教えてくれ、なぎー、私はいつまでこんな食生活を続けなければならない!?」
 昨晩秋子のおにぎりと味噌汁を食べていたくせにその言い分は間違っているのであるが、そんな事実は美凪の与り知らぬことであるし、グルメなルーシーからすればあんなものは食べ物とすら言えないものであるだろうからそう言ってしまうのも仕方のないことではある。

 だからロクにいい物を食べてこなかったのだろうと勘違いした美凪はこう提案する。

「ハンバーグはお好きですか」
「勿論だ」

 即答。美凪が言い終えてから一秒も経ってない。
「ではお昼はハンバーグにしましょう……まずは材料調達に、れっつごー」
「る……おー、Let's Go! だ」

 当初の目的を取り敢えず後回しにして昼飯を確保するべく動き出す美凪とルーシー。
 この二人、果たしてやる気はあるのだろうか? マイペースな□□コンビの道中はふらふらと続く……

342 人生楽ありゃ苦もあるさ :2008/03/10(月) 21:22:00 ID:P3exjv9A0
【時間:2日目12時30分】
【場所:F−03】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状況:強く生きることを決意。CDを扱える者を探す(まず分校跡に)。だがその前にハンバーグを作って食べよう! なんだかよくわからんけどルーシーと親友に(るーさんと呼ぶことになった)】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。美凪に協力(まず分校跡に行く)。でもその前にハンバーグ食べたい! 服の着替え完了。なんだかよくわからんけど美凪と親友に(なぎーと呼ぶことに)】
【備考:髪飾りは倉庫(F-2)の中に投げ捨てた】

→B-10

343 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:13:11 ID:5RrSK1jw0

―――ここには、色々なものが欠けている。
十重二十重に整然と並ぶ擂り鉢のような座席も、二十四フィート四方のキャンバスも、
外側と内側を区切る境界線であり逃亡を許さぬ防壁でもある三本の鋼線もない。
肌をを焼くほどに熱い照明の光もなく、怒号とも悲鳴ともつかぬ歓声も聞こえない。
勝利を、敗北を、力を、修練を、才能を、屈辱を、雪辱を、蹂躙を抵抗を応酬を望み、
そのすべてを焼き付けようと輝く幾万の瞳も、セコンドも、レフェリーも、ジャッジも、
誰も、誰もいない。
凡そここには自分たちの生きてきた世界の構成要素の何もかもが存在していなかったが、
たった一つ、たった一つだけ、拳を交える相手だけが、いた。
それで充分だと、思えた。


***


松原葵は立ち上がる。
立ち上がって、正面を見据える。
見据えて、自分はいったい何人めの松原葵なのだろう、と思う。
ヒトがまだ槍を取ることを知らず、爪と牙で戦っていた頃から数えて、いったい幾人目の松原葵であれたのだろうと、
そんなことを考える。
きっと幾千、幾万の来栖川綾香がいて、幾億もの松原葵がいて。
そうして同じくらいの数の坂下好恵が、いたのだろう。

私たちには、と葵は小指の側から静かに拳を握っていく。
私たちにはそうすることしか、できないのだ。これまでもずっと。これからもずっと。
既に原形を留めていないオープンフィンガーグローブのウレタンを口に咥え、毟り取って、吐き出す。

とん、と。
軽く一つ、ジャンプする。
腰、膝、踝、踵、爪先。問題なし。
マウスピースはない。
口中を舌先で探れば、幾つもの傷と折れた歯の欠片。
鉄の味の唾を吐き捨てて、鼻を拭う。
触れれば鈍痛、血は止まらない。鼻骨が砕けているようだった。
鼻からの呼吸を諦め、口から大きく息を吸い込む。
各部の筋肉が引き攣れるように痛んだが、刺すような感覚はない。
肋骨に異常なし。正確な内臓打ちが幸いしたのだろう。
視界は良好。歪みはなし。眩暈もなし。
左の拳を軽く引き、ジャブを一つ。遠近感にも問題はない。
左半身に構え、右の拳を心臓の上に重ねるように引く。

「―――押忍」

小さな目礼。
その一言が、合図だった。
それまで短髪を風にそよぐのをくすぐったそうに押さえていた綾香が、ゆっくりとその手を下ろしていく。
やや前屈の姿勢、両の腕を比較的高く掲げたサウスポーのボクシングスタイル。
ガードの向こうに見える綾香は口を硬く引き結び、しかしその眼差しが何よりも雄弁に心中を語っていた。
即ち―――快し、と。

344 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:13:43 ID:5RrSK1jw0
闘争という概念の中に身を置くことの悦びが、その瞳に溢れていた。
それは純粋な、原初の愉悦。

張り詰めた空気が、心地よく葵の肌をざわつかせる。
一瞬の躊躇、一手の誤りが敗北に直結する闘争の悦楽が、葵の全身にもまた、満ちていく。
細く長い呼吸の中で、末端神経の一筋に至るまでが研ぎ澄まされていく感覚。

身体に澱んでいた痛覚が、泡沫のように消えていく。
ひどくクリアな視界の中、葵の目に映る綾香は動かない。
じっと何かを待つように、ガードの向こうで牙を剥いている。

故に葵も動かない。
右足を引いた左半身のまま、ステップを踏まぬベタ足で機を窺っていた。
葵は思考する。
綾香が何を待っているのか。何を狙っているのか。
思考する。勝利のために。
思考する。ずっと追い続けてきた背中のことを。
思考する。不敗の女王の戦い方を。


***


来栖川綾香は典型的なストライカーだ。
エクストリームにおける戦績は全勝無敗、打撃によるKO・TKO率は7割を越える。
反面、パウンドを除くグラウンドからのKO勝利は殆ど例がない。
多彩な蹴り技と一撃必殺の左による打撃戦。
それがかつて幾万の観衆を魅了した、女王の戦術だった。
しかし綾香はフィジカルにおいて、特に外国人選手に対しては優位を保っていたわけではない。
むしろ多くの場合において体格面では劣勢に置かれているといえた。
161cm、49kgというのはそういう数字だった。
にもかかわらず彼女が体重別という概念のないエクストリームの頂点に君臨し続け、名実ともに
パウンド・フォー・パウンドの名をほしいままにしていたのには、葵の見るところ三つの要因があった。
一つにはその驚異的な動体視力。二つめに、それを活かしきるだけの反応速度。
そして最後に挙げられるのは、恐るべき適応力だと葵は考えている。
来栖川綾香を最強の格闘家たらしめているのは、その眼と頭脳。
それが葵の見る、常勝の女神を支える柱だった。

345 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:14:25 ID:5RrSK1jw0
後の先という言葉がある。
相手の打ち込みを先んじさせておきながらその筋を見て取り、裏をついて自らの一撃を決めるという、剣の道の教えだ。
攻撃態勢に入ってからその軌道を変えることは容易にできない。
故に、その打撃・斬撃の軌道を観測することができれば、完全な対応が可能となるという戦術理論だ。
無論、言うほど簡単なことではない。
相手に先手を取らせるということは、それ自体が状況的に不利であると言っていい。
一瞬の対応の遅れ、迷いが即ち致命傷となる。
極意を実践に移すには、考えうる限りの攻撃方法に対応できるまでの膨大な練習量と想像力、各流派はもとより
人体工学から生理学に至るまでの知識、そして何より相手の攻撃の出端、その刹那を見切るだけの動体視力が必須だ。
だからこそ極意は概念として伝えられ、目指すべき境地として教えられるに留まっている。
だが、来栖川綾香はそれを実践してみせたのだ。
その才能と努力の、両方によって。

綾香の戦いはだから、極めてクレバーだ。
勝利にいたる最適手を思考し、そのための練習を怠らず、実際に拳を交える一瞬のやり取りの中でそれを判断し、実行する。
そこに一切の迷いはなく、セオリーも奇手もその勝利すべく用意された手段に過ぎず。
だから来栖川綾香と戦った者、その戦いを見た者が、口を揃えて評するに曰く―――「最強」。
それが今、松原葵の眼前に立つ存在だった。

無策で挑めば、必ず敗れる。
打撃の威力において、反応速度において、出入りの瞬発力において、リーチにおいて、ウェイトにおいて、
経験において、知識において、才能において、松原葵は来栖川綾香に劣っている。
ただ殴り、蹴り合うならば、そこに勝利の余地はない。

だから、と松原葵は考える。
だからさっきは、どうにもならなかった。
勝てるはずのない戦い方だった。

そうして、と松原葵は思う。
そうして今はもう、さっきまでとは違う。
勝つために、私は立ち上がった。

追いつくために、その背中を目指してきたんじゃない。
いま目の前にいる人に勝つために、走り続けてきたんだ。
この人がリングから去った後も。
ずっと、ずっと走り続けてきた。
練習と、試合と、練習と試合と練習と試合を繰り返してきた。
いま、誰一人見守る者とてない、この戦いに勝つために。

だから、そう。
ゴングも何もないけれど。
ここが松原葵の目指し、辿り着いた―――最後のリングだ。

さあ、
女王を越えるための戦いを、始めよう。


***

346 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:15:39 ID:5RrSK1jw0

先に動いたのは葵だった。
ほんの半歩を踏み込めばそこはミドルレンジ。
ガードの高い綾香の視界の外側から狙うのは前屈姿勢の軸足、右腿へのローキックである。
鞭のようにしなる蹴り足が迫るのを、しかし綾香は右脚を上げることで正確にカットする。
ディフェンスされるのは織り込み済みとばかりに、葵が勢いを止めずに打って出る。
左のローを戻すか戻さぬかの間合いから右のストレートへと繋ぐ葵。
綾香のガードを弾くには至らないが、元よりガードを釘付けにするのが目的の一発である。
次の瞬間には更に一歩を踏み込み、クロスレンジへと移行している。

迎撃の右ジャブを葵は左ガードから内側へパリィ。
ガードの空いた顔面に向けて打つ右ストレートは、僅かに頭部を傾けた綾香に回避される。
姿勢を崩したかに見える綾香の、だが右膝が毒針の如く伸びてくるのを葵は見ていた。
完璧なタイミングのカウンターに、ステップでの回避は間に合わないと判断。
打ち抜いた右の拳を戻すよりも早く膝がヒットする。
ならば、と葵が選んだのは、回避ではなく更なる打撃。
右の拳を戻すのではなく、振り抜いた体勢から状態だけを強引に捻る。
間合いは至近。鋭角に曲げた肘が、旋回半径の小さな弧を描く。
ご、と小さな衝撃。
葵の肘と綾香の膝、その両方がヒットし、しかし互いに有効な打撃とはならない。
右側頭部を抉る軌道の肘が直撃するのを避けようと、綾香が重心を崩した結果である。
間合いは変わらずクロスレンジ。
だが回転の勢いで綾香に向き直りつつある葵に対し、綾香は姿勢を崩している。
千載一遇の好機に、葵の左足が大地を噛み、同時に右足が蛇の如く低空を這って綾香に迫る。
捻った上体はそのままに肘を振り抜き、しかし転瞬、その掌が綾香の顔面を覆うように広がると、
左の側頭部、耳の辺りを髪ごと掴む。
膝を止められ片足で立っている綾香の、その軸である左の足が、正確に払われた。
完璧に決まったのは、葵の変則小内刈り。
綾香の身体が円を描くように宙を舞う。
そのままいけば、柔道であれば背中を付いて文句なしの一本という軌道。
だが葵は投げた姿勢を自ら崩し、地面に叩き付けられようとする綾香を更に巻き込むように重心をかけていく。
左側頭部を掴んだ右手をそのままに、空いた左の手は掌底の形に固められ、綾香の鼻面へと添えられる。
刈った右の膝もまた引かれることなく綾香の下腹部、恥骨の上に密着していた。
受身を許さぬ、危険極まりない投げである。

「……ッ!」

347 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:18:09 ID:5RrSK1jw0
綾香の目が見開かれ、しかし完璧な空中姿勢からは文字通り手も足も出せず、その首筋から
剥き出しの岩肌へと吸い込まれていく。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
大地に叩き付けられた延髄、掌底の衝撃を殺せずに砕かれた鼻、そして真っ直ぐに膝で貫かれた腰椎。
人体の要衝である三点に対する同時打撃。
相手を再起不能に追い込むことを目的とした破壊的な攻撃に、綾香が悶絶する。
かは、と綾香が小さな呼気を漏らすのを聞くより早く、葵が動いていた。
右膝を腰の上から腹部へとずらし、左の足を伸ばして膝を床から浮かせた、ニーオンザベリーの体勢を取る。
ぴったりとしたボディスーツを着込んだ綾香の襟は取れない。
故に左手で綾香の髪を掴み、延髄への衝撃で一瞬だけ意識を飛ばした綾香が回復するより前に右拳を固め、
正拳ではなく拳の側部、第二中手骨を叩き付ける様に、破裂したように血を流す綾香の鼻と目の間を目掛けて、
躊躇なく振り下ろす。
一撃、鮮血が飛び散る。
ニ撃、粘液が糸を引く。
三撃、音が、消えた。

「……!?」

固い手応え。
ごつ、という重い音と共に拳と岩肌の間で跳ね回っていた綾香の頭部を打ち砕かんとする三撃目のパウンドは、
その着弾の寸前において、止まっていた。
綾香の両の腕が十字の形をとって、葵の拳を受け止めていた。
ガードの向こう、綾香の目が己をねめつけているのを、葵は見た。
眼球の毛細血管が破裂したか真っ赤に充血した、それでも爛々と輝く瞳の力強さに、葵の背筋が凍る。
まずい、と直感する。
葵がその半生を賭けて打ち込んできた闘争の経験が警告を鳴らしていた。
体制を立て直そうとした瞬間、伸びきった葵の右腕が、がっちりと綾香の両手に掴まれていた。
迂闊、と後悔にも似た思考が過ぎった刹那、葵の視界が唐突に黒く染まる。
重い感触が葵の顔面を薙ぐと同時、ぐらりと重心が揺らぐ。
掴まれた右腕を軸に、円を描いて巻き込まれるような感覚。
警告。警告。警告。危険。危険。危険。
葵の脳裏に数秒後の自身の姿が浮かぶ。
見事なスイープから腕十字。折られる右腕。敗北。


***

348 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:18:38 ID:5RrSK1jw0

一秒にも満たぬ刹那の中、勝機が泡沫のように消えていく。

 ―――やられた!

時間がいつもの何倍にも引き伸ばされたような感覚の中で、葵は歯噛みする。
来栖川綾香を倒すための戦術は完璧だった。完璧の、筈だった。

綾香の強さは、その眼と頭脳。
その裏づけとなるのは、膨大な練習量だった。
対戦相手のあらゆる戦法に対応するだけのシミュレーション能力と、実戦の中で無数に派生していく
その攻撃パターンに練習成果を当てはめる適応力。
それこそが綾香の強さの源泉であると、葵は確信していた。
対戦相手を研究し、シミュレーションを重ねた綾香に予想外という言葉は存在しない。
たとえ試合開始直後に僅かな誤差があったとしても、次のラウンドにはそれを修正してくるのが来栖川綾香だった。
想定の中で戦う綾香は無敵だ。
故に、松原葵が来栖川綾香に勝利するための戦術はただ一つ。
綾香の思い描く、松原葵という格闘家像―――その外側から、戦うことだった。

綾香の現役時代から現在に至るまで、葵のスタイルは一貫してストライカーである。
それは無論、葵が空手を出身母体としていることに起因していたが、しかしエクストリームのリングへと
上がるにあたって、寝技の練習を怠ったことは一度としてなかった。
柔術やサンボをベースとする選手と相対したとき、グラウンドに持ち込まれた段階で
敗北が確定するというのでは話にならない。
練習を重ねる内、葵のグラウンド技術は着実に向上していった。
その中でトレーナーからグラップルへの転向を勧められたことも何度かあった。
153cmという葵の身長はストライカーとしては不利といえたし、グラウンドの技術に関する飲み込みの速さは
自身でも自覚していたが、葵はそれをすべて断っていた。
空手に対する愛着もあった。
打撃で相手を仕留める快感も魅力だった。
しかし何よりも大きく葵の心中を占めていたのは、他の理由だった。
即ち、来栖川綾香という存在への挑戦を念頭に置いた、秘匿戦術。
ストライカーとしてだけでなく、グラップラーとしての戦い方を身につけたトータルファイターとしての
松原葵を見せれば、綾香は必ずそれに対応してくる。
それでは勝てないという確信が、葵にはあった。
故に、葵はリング上ではストライカーであり続けることを選んだ。
ただ一度、至高への挑戦において勝利を得る、そのために。

349 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:19:10 ID:5RrSK1jw0
練り込んだ戦術は、その功を奏した。
あのクロスレンジ、綾香の動きは投げの可能性をまったく想定していなかった。
一瞬の戸惑いを逃さず、完全に機を手にしたと言っていい。
そう、投げからのポジショニングまでは完璧だった。
否、完璧すぎたのだと、葵は自省する。
パウンドで勝てると、グラップリングに持ち込む必要がないと、そう思ってしまうほどに。
慢心の謗りは免れ得ない。
来栖川綾香を相手にしながら、これまでの自分が通用すると勘違いしていた。
つい今しがた、完膚なきまでに叩きのめされたことを忘れたとでもいうのだろうか。
ストライカーとしての松原葵は来栖川綾香に遠く及ばないと思い知らされたはずだ。
愚かな選択を悔やんでも、時は戻らない。
戻らないが、悔やまずにはいられなかった。
グラップラーとしての松原葵が通用するのはほんの一瞬だけだと、葵は理解していた。
投げが決まり、綾香の意識を飛ばした一瞬がすべてだったのだ。
その機会を逃してしまえば、綾香はグラウンドで勝負をかけられる松原葵に、適応する。
ならば猶予など存在するはずもなかったのだ。
ウェイトに欠ける自分がニーオンザベリーからのパウンドなど狙うべきではなかった。
横四方からの膝、否、間髪を入れない腕十字。
利き腕は取れずとも、右の腕を破壊せしめれば勝利は確定していたはずだ。
グラップリングを隠し球として好機を掴みながら、最後の詰めで打撃にこだわった、それが敗因。

 ―――敗因?

否、と葵は思う。
一瞬にも満たぬ時の中で、葵は浮かんだ思考の帰結を否定する。
消えていく好機を、失われた勝利を、葵はまだ、諦めるわけにはいかなかった。
勝ちと負けの間に飛び込めば何かが変わると思って、それでも何も変わらなかった。
殴られる痛みも、殴った相手から流れる血も、潰した鼻にもう一度拳を叩き込むときの濡れた感触も、
何一つとして、ブラウン管の向こう側に見ていたのと違わなかった。
リアルなんてその程度のもので、知ってしまえば、反吐が出るほどにつまらない。
けれど、たった一つ。
たった一つだけ、葵を揺り動かしたもの―――勝利。
幼い頃に見た光景の意味を知るための手段であり、その結果でしかなかったはずの、
明快にして残酷な、絶対の回答。
しかし、いつしかそれは密やかに、葵自身でも気づかぬほど密やかに手段という概念を越え、
結果という単語を凌駕し、唯一至上の目的になっていた。
諦められるはずが、なかった。
まして相手は、至高。
憧れ続けた不敗の女王。
ほんの一秒の迷い、ほんの一手の誤りが敗北に繋がるというのなら。
迷いなく、誤りなく、足掻き続けよう。

350 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:19:27 ID:5RrSK1jw0
右腕を極められ、視界はゼロ。
回転はまだ半ば。綾香の身体は密着状態。踏み込みは使えず。
左の拳は空いている。呼吸はできる。敵の位置は分かる。

ならば。
ならば、まだ―――続けられる。

時が動き出す。
重力を感じる方向が変わっていく。
伸びた右腕の腱が嫌な音を立てている。
綾香の身体は熱く、流れる汗は冷たい。
それが、感じられるすべて。

細く息を吸う。
身体が上を向く。
左の拳を、綾香の腹にそっと押し当てる。
細く、細く息を吸う。
肩が大地に触れる。
綾香の身体が、完全に横倒しになっていく。
細く、細く、細く息を吸う。
右肘の関節が、可動域を超えた圧力に悲鳴を上げる。
肩甲骨までが地面を擦った、刹那。

練り上げた呼吸が―――爆ぜた。


***

351 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:21:05 ID:5RrSK1jw0
かひ、かひ、と。
細く荒い呼吸を繰り返すのは、右の肘を押さえた葵であった。
鼻血が汗と混じって、ぼたぼたと地面に垂れている。

その眼前、咳き込むことすらもできず蹲る姿があった。
来栖川綾香である。
両手で右の下腹部あたりを押さえたまま、動かない。

寸勁。
ワンインチパンチとも呼ばれる、至近の打撃。
形意拳の崩拳とも似た、しかし非なる拳理によって生み出される破砕の拳。
それこそが松原葵が来栖川綾香に挑み、勝利するための、もう一つの秘手だった。

ゆらり、と紫色に腫れ上がった右の腕を離して、葵が立ち上がる。
呼吸は荒く、足取りは覚束ず、しかし眼光だけはぎらぎらと光らせて、葵が綾香に歩み寄る。
綾香はうつ伏せに蹲ったまま動かない。
おそらくは腸の一部が破裂しているのだろうと、葵は見て取る。
失神せずにいるのが不思議なくらいだった。
短く切り揃えられた綾香の髪を、無造作に掴み上げる。
微かな吐息を漏らし、しかし抵抗らしい抵抗を見せない綾香の、白い喉にそっと腕を回していく。
背中から抱き締めるように、いとおしむように、葵は己の身体を綾香に密着させる。
腕が、綾香の首を回ってクラッチされる。
最後に地面を蹴るように、重心を移動。ごろり、と転がる。
仰向けになった綾香の背中に、葵が張り付くような格好。
腹を押さえる綾香の腕の下から、葵の足が絡まっていく。
バックグラブポジションからの裸絞め。
ぎり、と葵の腕に力が込められた。
綾香の白い細面に血管が浮き上がり、見る間に赤く染まっていく。
びくり、びくりと痙攣する綾香はしかし、首に回った腕を振りほどく仕草をすら見せようとはしない。
抵抗しようにも、この体勢になってしまえば最早その手段とてありはしなかった。

「ねえ、綾香さん」

352 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:21:26 ID:5RrSK1jw0
静かに、語りかける。
ほんの数秒、綾香の意識が落ちるまでの数秒に、問う。

「綾香さんにとって、戦うって」

それが、葵の勝利宣言だった。

「戦うって……どういうこと、でしたか」

答えは返らない。
当然だった。全力で気道を締め上げている。
声など出るはずがなかった。
綾香の体温を全身で感じながら、葵は確信する。
不敗の女王の伝説に終止符が打たれる瞬間が、すぐそこまで来ていることを。
己が勝利が、ほんの数秒後に迫っていることを。

そして、葵は思い知る。
確信が、脆くも崩れ去っていくことを。
数秒後の栄光など、存在しないことを。

「……え、」

声を漏らしたのは、一瞬。
最初に感じたのは、違和感だった。
次に襲ってきたのは猛烈な寒気。
同時に、圧倒的な熱。
そして最後に、激痛と呼ぶも生温い、衝撃だった。

353 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:21:52 ID:5RrSK1jw0
「あ、……ッ、……」

悲鳴も出ない。
絶叫も上がらない。
震える横隔膜が、狂ったように鼓動を跳ね上げる心臓が、それを赦さない。
反射的に溢れた涙に霞む視界の向こうに、じわりと広がる赤があった。
すっかり泥に汚れた体操服に滲む、自らの鮮血だった。

それは、爪のように見えた。
貫手のように伸ばされた指から生えた、鋭く細い何か。
来栖川綾香の手から、松原葵の胴へと伸びる何か。
滲み、広がっていく血の真紅と同じ色をした十の刃が、葵の腹を両側から刺し貫いていた。


******

354 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:22:22 ID:5RrSK1jw0

頚動脈を押さえていた腕から、力が抜けていく。
反射的に酸素を取り込もうとして、貼りついていた気道に血痰が絡み、来栖川綾香は盛大に咽る。
ひとしきり咳き込んでいると、白と黒の斑模様に染まっていた視界が次第に色を取り戻していった。
起き上がろうと身を捩って、平衡感覚が狂っていることに気付く。
身体のバランスが取りづらい。原因は解っていた。
薬物の強力な麻酔効果をもってして尚、脈打つように激痛が響いてくる。
内臓破裂は間違いないだろうと自己診断して、口からゆっくりと息を吸い込む。
肋骨に響く感覚はないが、腹筋は痙攣が治まらず。
緊急の外科的措置を要する。併発症が腹膜炎で済めば御の字だ。

「やって、くれた……」

眼下、じわりと広がっていく血だまりに横たわる、小さな体を見た。
万力のようにこの首を締め上げていた腕から、疾風のような勢いで飛び込んできた脚から、
想像だにしなかった破壊力を発揮した拳から、ただ闘争だけを渇望していた澄んだ瞳から、
命の色が消えていく。
動脈が切断されたのだろう、一定のリズムで噴き出していた真っ赤な鮮血が、徐々にその勢いを弱めていた。

ほんの一瞬前、暗く染め上げられた世界を思い出す。
葵の体は小刻みに震えている。
手を翳した。黒く罅割れた、鬼の手。伸びた爪にこびりつくのは、乾きかけた葵の血。
小さな体は、一秒ごとに熱を失っていく。
爪を引き、打ち振るえば、そこにあるのは白く細い指。
握り締めれば堅く歪な、ひとつの拳。
傍ら、少し離れたところに転がるデイバックを見た。


***

355 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:22:53 ID:5RrSK1jw0

小さく息をついて、綾香は手中の物を眺める。
薄黄色の液体を満たした、細長い円筒形のプラスチック容器。
先に細い針がついている。注射器だった。

その向こう、今や赤という色味を失いつつある、小さな体を見る。
傷口からは既に血は流れていなかった。
止血されたわけではない。流れ出るだけの量が、もう体内に残っていないのだった。
意識とて、とうの昔に失われていようと思えた。

横倒しにした葵に、そっと触れる。
血液の流れきった身体は体温を失い、ひんやりと冷たかった。
見開かれた目はただ虚空を映し、微動だにしない。
黄土色の泥と赤黒い血で固まった短い髪を、静かにかき上げる。
白い首筋が、陽光の下に晒されて綾香の目を射抜いた。
ほんの一瞬だけ目を細めた、次の瞬間。
綾香は手の注射器を、無造作とも思える仕草で葵の首へと突き刺していた。
ピストンを押し込めば、薄黄色の液体が葵の体内へと流れ込んでいくのが見えた。
びくん、と葵の全身が大きく震えた。
薬液を残らず押し出すと、綾香は針を抜いて葵から離れる。

びく、びくりと、既に絶命寸前だったはずの身体が跳ねる。
幾度めかの痙攣の後、小鳥が鳴くような、甲高い音が響いた。
それが自発呼吸だと綾香が気付くのとほぼ同時。
がばり、と。唐突に、何の前触れもなく、葵が跳ね起きていた。

「あお―――」

葵、と反射的に声をかけようとして、綾香の言葉が途切れる。
立ち上がった葵と視線を交わした瞬間、綾香は正しく理解していた。
眼前に立つ少女は、意識を回復していない。
眩しい陽光の下、輝くような光を湛えていたその瞳は、まるでそこだけが深い穴の中にでも落ち窪んでいるかのように、
どこまでも昏く重く沈み込んでいた。

356 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:23:27 ID:5RrSK1jw0
「―――」

沈黙が落ちた。
立ち尽くす二人の少女の間を、砂埃を舞い上げるように風が吹き抜けていく。
堅く口を引き結んだまま、綾香はじっと葵を見つめていた。
ややあって、綾香が目を伏せる。
深い、深い溜息をついて、顔を上げた綾香が、口を開く。

「……なあ、葵」

吹く風に紛れて消えそうな、それは声だった。

「ギブアップするなら、やめてやっても、いいんだよ」

どこか寂しげな、儚げな、笑み。
来栖川綾香の浮かべる、それはひどく稀有な表情だった。
普段の彼女を知る者が見れば誰もが驚愕に言葉を失うような、そんな笑み。
しかしその表情は、ほんの数秒を経て、

「―――!」

凍りつくことになる。
綾香をしてその表情を凍結せしめたのは、眼前に立つ少女。
その、小さな反応であった。
松原葵の震える右足が、前方へと差し出されていた。
僅かな間をおいて、左手を前へ。
左の足は微かに引かれ、赤黒く血の溜まった右手は腰溜めに。
後屈に近い姿勢は空手とも、キックスタイルとも違う、独特の重心を持つ。

357 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:23:53 ID:5RrSK1jw0
「そっか」

静かに呟いた綾香の、凍りついたままの表情が、次第に融けていく。
降り積もった雪を割って、緑が大地に芽吹くように。
歓喜という表情が、綾香を満たしていく。

「そっか、そうだよな……葵」

少女の取った姿勢は、形意拳と呼ばれる武術形態の基本となる構えの一。
木行崩拳の型であった。
少女にとってそれがどのような意味を持つ技なのか、来栖川綾香は知らない。
少女がその構えに何を込めるのか、来栖川綾香は何一つとして、知りはしない。
だが、

「それでいい、それでいい、それでいい―――」

松原葵という少女が、それを消えゆく命の最後に選んだのであれば。
来栖川綾香は、その全力を以って。

「戦おう、松原葵―――!」

両の拳を握り構えるは右半身。
笑みが号令となり、咆哮は嚆矢となる。
幽鬼の如く立ち尽くす葵の引かれた左足が、ふ、と揺れた。
上半身を前傾させないまま、まるで大地の上を滑るように歩を進めるかに見えた、次の瞬間。
その全身が、爆発するように加速した。
遍く天下を打ち貫く、それは無双の弾丸。
朽ち、果てゆく命を燃やし尽くすが如き、疾風の一打。

358 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:24:39 ID:5RrSK1jw0
松原葵という武術家の、その生涯最後の拳が迫るのを瞳に映し、来栖川綾香は恍惚と笑む。
歓喜と法悦の狭間、得悟に至る僧の如く、笑む。
綾香の全身が、撓んだ。
滑るような動き。左の拳が、引き絞られた剛弓の如く音を立てる。

風が割れた。
悪鬼をすら踏み拉く裂帛を以って、葵の跟歩が大地を震わせる。
羅刹をすら割り砕く苛烈を備え、拳が打ち出されようとする、その寸前。

綾香の震脚が、足形を刻むほどに大地を踏み固めた葵の足を、真上から、粉砕した。
刹那と呼べる間をすら置かず。
雷鳴の天に轟くが如く、雷光の天に閃くが如く。
来栖川綾香の拳が、松原葵を、穿っていた。


***

359 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:25:22 ID:5RrSK1jw0

音が、遅れて聞えてくる。
それは、朽木がその重みに耐えかねて折れ砕けるような、奇妙に軽い音。
そして同時に、水を一杯に詰めた風船が弾けるような、重く濡れた音だった。

「―――わかんない」

左の拳を突き出したまま、綾香が静かに口を開いた。

「わかんないよ、葵」

それは、囁くような声。

「あたしら、笑えないからさ」

手を伸ばせば届くような、虚ろな瞳に語りかける声だった。

「頑張ったとか、精一杯やったとか、そういうので笑えないからさ」

瞳はもう、何も映してはいない。
風も、陽光も、眼前に立つ綾香すらも。

「だからあんま、うまくやってこらんなかったから」

それでも綾香は、静謐を埋めるように言葉を紡いでいく。
浮かぶのは、穏やかな笑み。

「あたしらみんな、そうだったろ。あたしも、お前も、……それから、あいつもさ」

閉じた瞼の裏に浮かんだのは、誰の影だったか。

「だからあたしにも、わかんない」

言い放つのは、問いへの回答。
戦うということの、意味。

「わかんないんだよ、葵。けどさ、けど……」

言いよどんだ後に出てきたのは、たったひとつの言葉。
自分を、自分たちを繋げる、シンプルな誓約。
誰かが言うだろう。ばかげている、と。
知ったことか。
誰かが責めるだろう。そんなことで、と。
それがどうした。
外側の人間には通じない、それはこの星に生まれたすべての来栖川綾香と、松原葵にだけ伝わる言葉。
すべての来栖川綾香とすべての松原葵が迷いなく頷く、純白の真実。

「―――楽しかったろ?」

硝子玉のような瞳の奥、来栖川綾香を映すその表情に、

「ばあか」

静かに、笑い返して。
綾香が、拳を引き抜いた。




【松原葵 死亡】

360 十一時十五分/i've been here, BattleJunkies. :2008/03/11(火) 03:26:16 ID:5RrSK1jw0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:18】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→950 ルートD-5

361 名無しさん :2008/03/12(水) 00:53:09 ID:JAd3em1s0

絶望の孤島で巡り合った四人――坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳。
彼女達は全員が全員、此度の殺人遊戯を断固として否定してきた者達だった。
鎌石村役場の一室で出会った同志達は、深い絆を培ってゆける筈だった。
襲撃者がこの場に現れさえ、しなければ。

轟く爆音、煌く閃光。
戦場と化した鎌石村役場の一階にて、凶悪な火力を誇る短機関銃――イングラムM10が猛り狂う。
強力無比な重火器を駆りし者の名は、七瀬彰。
己が想い人を生き返らせる為、既に二名の人間を手に掛けた修羅である。
彰が繰り出した高速の銃撃は、半ば弛緩していた智代達の意識を強引に覚醒させた。

「……皆、こっちだ!」

思わぬ奇襲を受ける形となった坂上智代が、咄嗟の判断で傍にあった机やテレビを拾い上げて、ソファーの上に積み重ねた。
続いて仲間達と共に、即席のバリケードへと身を隠す。
だが耐久性に乏しい日常品を組み合わせた所で、短機関銃が相手ではそう長い間耐えられない。
降り注ぐ銃弾の嵐と共に、ソファーや机の表面が急激に削り取られてゆく。

「美佐枝さん、反撃だ! アサルトライフルで応射してくれ!」
「ゴメン、無理よ。さっきの攻撃を避けた時に、入れてある鞄ごと落としちゃったから……」
「く――――」

焦りを隠し切れぬ面持ちで、智代が強く唇を噛んだ。
このままでは不味い。
防壁が破られる前に、自分達にとって有利な場所――罠を張り巡らしてある二階まで逃げ延びる必要がある。
しかし、と智代は横方向に視線を動かした。

(……駄目だ、遠過ぎる)

唯一の脱出経路である廊下への入り口は、此処から十数メートル以上も離れた所にある。
卓越した身体能力を持つ自分ならばともかく、他の仲間達にとっては絶望的な距離。
強引に逃げようとすれば、ほぼ確実に仲間達の中から犠牲者が出る。
かと云ってこの場に留まり続ければ、いずれ防壁が決壊し皆殺しにされてしまう。
智代に残された選択肢は、最早唯一つのみ。

362 名無しさん :2008/03/12(水) 00:53:40 ID:JAd3em1s0

「……私が時間を稼ぐから、皆は先に逃げてくれ!」
「な!? 智代、ちょっと待ち――――」

茜が制止する暇も無い。
叫ぶや否な、智代は跳ねるような勢いで遮蔽物の陰から飛び出した。
弧を描く形で駆けながら、手にしたペンチを彰目掛けて投擲する。
しかし人力による射撃程度では、相手を打倒し得る一撃とは成らない。
ペンチは簡単に避けられてしまったが、そこで智代は鞄からヘルメットを取り出した。
先程と同じように、彰へと狙いを定めて投げ付ける。

「ほら、もう一発だ!」
「チ――――」

彰が横方向へと跳躍した事でヘルメットは空転したが、構いはしない。
この連続投擲は、あくまでも敵の攻撃を封じる為のもの。
遮蔽物の無い場所では、マシンガンの銃撃は正しく死のシャワーと化すだろう。
間断無く牽制攻撃を行って、敵にマシンガンを撃たせない事こそが、この場に於ける最優先事項だった。
そして既に、仲間が逃げ延びるだけの時間は稼ぎ終えている。

「……そろそろ潮時か」

智代は自らが逃走する時間を稼ぐべく、残された最後の武器――手斧を投擲して、投げ終わった瞬間にはもう廊下に向かって駆け出していた。
破壊の跡が深く刻み込まれた部屋の中を、一陣の風が吹き抜ける。
駆ける智代の速度は、常人では及びもつかない程のものだった。

(大丈夫……二階にさえ辿り着ければ、きっと何とかなる)

銀の長髪を靡かせながら、智代は全速力で疾駆する。
敵は強力無比な銃器で武装しているが、自分達とて無策でこの建物に篭っていた訳では無い。
二階には幾多もの罠を設置してある。
罠を張り巡らせた場所まで移動出来れば、十分対抗し得るように思えた。

しかし彰とて数度の戦いを潜り抜けた修羅。
単調な牽制攻撃のみで、何時までも抑え切れる程甘い敵ではない。

「このっ……!」
「――――!?」

高速で駆ける智代を撃ち抜くのは困難。
故に彰は智代を狙うのでは無く、寧ろ廊下の入り口方向にマシンガンを撃ち放った。
逃げ道を防がれる形となった智代が、後方への退避を余儀無くされる。
その隙に彰は床を蹴って、廊下の入り口に立ち塞がるような位置取りを確保した。
五メートル程の距離がある状態で、智代へとマシンガンの銃口を向ける。

「残念だったね。君は頑張ったけど、そう簡単に逃がしてあげる訳にはいかないんだ」
「く、そっ…………!」

絶体絶命の窮地へと追い込まれた智代が、心底忌々しげに舌打ちする。
――逃げ切れない。
それは、智代が抱いた絶対の確信。
もうバリケードの影へと逃げ込む時間は無いし、廊下へと続く道も塞がれしまっている。
今の智代に、イングラムM10の銃撃から逃れ得る術は無かった。

(これで――三人目!)

彰は目標にまた一歩近付くべく、手にしたマシンガンのトリガーを引き絞ろうとする。
銃の扱いに於いて素人に過ぎない彰だが、この距離、この状況。
外す訳が無い。
しかしそこで響き渡った一つの叫び声が、定められた結末を覆した。

363 名無しさん :2008/03/12(水) 00:54:55 ID:JAd3em1s0
「智代、頭を下げて下さい!」
「…………ッ!?」

甲高い声。
智代は促されるまま上体を屈めて、彰も本能的に危険を察知し横方向へと飛び退いた。
次の瞬間、空気の弾ける音と共に、それまで彰や智代の居た空間が飛来物に切り裂かれてゆく。
前屈みの状態となっていた智代が視線を上げると、廊下の先に電動釘打ち機を構えた茜の姿があった。
一旦退避した茜だったが、智代を援護すべく舞い戻ってきたのだ。

「智代! こっちです、早く!」
「ああ、分かった!」

智代は上体を屈めた態勢のまま、廊下に向かって全速力で駆け出した。
その間にも茜が幾度と無く釘を撃ち放ち、彰の追撃を許さない。
廊下の奥で智代と茜は合流を果たし、そのまま傍にある階段を駆け上がっていった。

「っ……逃がして堪るか!」

遅れ馳せながら彰も地面を蹴って、智代達の後を追ってゆく。
複数の銃火器の重量に耐えつつも廊下を走り抜けて、勢い良く階段を駆け上がった。
二階に着いた途端見えたのは、一際大きな扉。
彰はマシンガンに新たな弾倉を装填した後、扉に向かって掃射を浴びせ掛けた。
扉は派手に木片を撒き散らしながら、穴だらけとなってゆく。

「ふ…………っ!」

彰はボロボロになった扉を押し破って、そのまま奥へと飛び込んだ。
開け放たれた視界の中に広がったのは、優に数十メートル四方はある大広間。
元は役場の職員達が使用してたのか、大量の作業用机が規則正しく並べられている。
そして彰の前方二十メートル程の所に、走り去ろうとする智代の後ろ姿。

(他の奴らは何処に――いや、それは後回しで良い。まずはアイツから仕留めるんだ!)

二兎を追う者は一兎も得ず、という諺もある。
欲を出し過ぎる余り、結果として一人も倒せなかったという事態は避けなければならない。
彰は机の間を縫うように疾走しながら、智代の背中をマシンガンで撃ち抜こうとして――

「…………ッ!?」

瞬間、大きくバランスを崩した。
慌てて態勢を立て直そうとしたが、既に両足は地面から離れてしまっている。
どん、という音。
イングラムM10を取り落としながら、彰は勢い良く床へと叩き付けられた。

「あ、がぁぁぁっ…………!?」

予期せぬ事態に見舞われた彰が、苦痛と驚愕に塗れた声を洩らす。
状況が理解出来ない。
自分は決して運動を得意としていないが、戦いの場で足を踏み外す程に不注意な訳でも無い。
なのに、何故――そんな疑問に答えたのは、近くの机の影から聞こえてきた声だった。

「まさか、こんな子供じみた罠が決まるなんてねえ……」
「灯台下暗し、ですよ。勝利を確信している時こそ、足元が疎かになるものです」

そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
里村茜と相良美佐枝である。
二人が眺め見る先、細長い縄が机と机の間に張られていた。
人間の膝の位置くらいに仕掛けられたソレこそが、彰を転倒させた罠だった。
立ち上がった彰がイングラムM10を拾うよりも早く、茜の釘撃ち機が向けられる。

364 名無しさん :2008/03/12(水) 00:56:00 ID:JAd3em1s0

「無駄です。自身の装備を過信して深追いしたのが、命取りになりましたね」
「ク――――」

これで、完全に形成逆転。
釘撃ち機の発射口は、正確に彰の胸部へと向けられている。
既に発射準備を終えている茜と、未だ得物を回収出来てすらいない彰、どちらが先手を取れるかなど考えるまでも無い。
それに愛佳や智代も、彰を取り囲むような位置取りへと移動していた。
茜は抑揚の無い冷めた声で、死刑宣告を襲撃者へと突き付ける。

「それでは終局にしましょうか。これまで何名の人達を殺してきたか知りませんが、その罪を自身の命で清算して下さい」

茜に迷いは無い。
殺人遊戯の開始当初、自分は優勝を目指して行動する腹積もりだったのだ。
智代の説得により方針を変えたとは云え、殺人者に掛ける情けなど持ち合わせてはいなかった。
しかしそこで愛佳が、茜を制止するように腕を横へと伸ばす。

「……小牧さん? 一体何のつもりですか?」
「あの、その……ゴメンなさい。でも、幾ら何でもいきなり殺す事は無いと思います」
「嫌です。殺人鬼となんて、話し合う必要も意味もありませんから」
「そんな、頭から決め付けたら駄目ですよ。話し合えば、分かり合えるかも知れないじゃないですか……!」

その提案に茜が難色を示したものの、愛佳は引き下がろうとしない。
自分達はあくまでも殺し合いを止めるのが目的であり、殺生は可能な限り避けたい所。
話し合って和解出来ればそれが一番だと、愛佳は考えていた。
先ずは当面の安全を確保すべく、地面に落ちているイングラムM10を回収しようとする。

「悪いけど、コレは預からせて貰いますね。そうしないと、落ち着いて話も――――」
「……小牧、危ない!」

だが突如横から聞こえて来た叫び声が、愛佳の話を途中で遮った。
愛佳が横に振り向くのとほぼ同時に、叫び声の主――智代がこちらへと駆け寄って来ていた。
智代は強く地面を蹴ると、スライディングの要領で愛佳の腰へと組み付いて、そのまま地面へと倒れ込んだ。
次の瞬間、けたたましい銃声がして、愛佳の傍にあった机が激しく木片を撒き散らす。


「――見付けたわよ。殺し合いに乗った悪魔達」


冷え切った声。
愛佳が声のした方へ目を向けると、大広間の入り口、開け放たれた扉に青髪の少女が屹立していた。
少女――七瀬留美は短機関銃H&K SMG‖を握り締めたまま、憎悪で赤く充血した瞳を愛佳達へと向けた。

「アンタ達みたいな……アンタ達みたいな人殺しがいるからっ! 藤井さんは死んでしまったのよ!!」

それは、留美と面識のある愛佳や美佐枝にとって、寝耳に水の発言だった。
嘗て自分達はこの島で留美と出会い、志を共にする者として情報の交換等も行った。
少なくとも敵対するような関係では無かったし、自分達が殺し合いを否定している事は留美とて知っている筈である。

「ちょ……ちょっと待って下さい、いきなり何を言い出すんですか? あたし達は殺し合いになんて乗っていません!」
「だったら、さっき聞こえて来た銃声は何? それにどうして、その男の人を集団で囲んでるのよ?
 前に私と会った時は善人の振りをしてたって訳ね……絶対に許さない!」

謂れの無い言い掛かりを否定すべく、愛佳が懸命に声を張り上げたが、その訴えは即座に一蹴される。
冬弥の死により復讐鬼と化した留美は、既に冷静な判断力を失ってしまっている。
怒りに曇った目で見れば、彰を取り囲む愛佳達の姿は、殺人遊戯を肯定しているとも判断出来るものだった。
最早、愛佳の言葉は届かない。
ならば、と元の世界で留美と同じ学校に通っていた茜が、一歩前へと躍り出た。

365 名無しさん :2008/03/12(水) 00:56:51 ID:JAd3em1s0

「七瀬さん、落ち着いて下さい。先に襲って来たのはその男の方です」
「五月蝿い、言い訳なんて聞きたくない! 私を騙そうたってそうは行かないんだから!!」
「――っ、話に、なりませんね……」

全く話を聞こうとしない留美の態度に、茜は元より、他の仲間達も一様に表情を歪める。
今の留美は、怒りが一目で見て取れる程に激昂している。
とても、会話の通じる状態とは思えない。
それでも未だ諦め切れない愛佳が、再度対話を試みようとする。

「七瀬さん、お願いですから話を聞いて下さい! 前はあんなに仲良く…………ッ!?」

愛佳の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
皆の注意が留美に引き付けられている隙を付いて、彰が床に落ちてあるイングラムM10を拾い上げたのだ。
愛佳達が机の影に駆け込むのと同時、彰の手元から激しい火花が放たれた。
彰は一箇所に狙いを絞ったりせずに、留美を含めた全員に向けて、弾切れまで掃射を浴びせ掛けてゆく。
銃撃は誰にも命中せずに終わったが、皆が回避に意識を裂いている間に、彰は少し離れた位置にある机へと退避していた。

「……そう。折角助けてあげたのに、アンタも殺し合いに乗ってたって訳ね。
 良いわ、なら最初にアンタから殺してやる!」

彰の行動に怒りを露とした少女の名は、七瀬留美。
留美からすれば、今彰が行った攻撃は完全に裏切り行為。
取り囲まれていた所を助けて上げたというのに、その返礼が鉛弾では余りにも理不尽である。
己が激情に従って、留美はH&K SMGⅡのトリガーを攣り切れんばかりに引き絞った。
無数の銃弾が、彰が隠れている机に向かって撃ち放たれる。

「くぅ――――」

短機関銃の集中砲撃を受けては、机程度の防備ではとても防ぎ切れない。
危険を察知した彰が、弾倉の装填作業を中断して、一も二も無く机の影から飛び出した。
殆ど地面を転がるような形で、何とか留美の銃撃から逃れる事に成功した。
程無くして、留美のH&K SMGⅡが弾切れを訴える。
彰と留美の銃は、共に弾丸が切れた状態となった。

「今…………!」

彰は何よりも優先して、イングラムM10に新たな銃弾を装填しようとする。
得物は互角――彰も留美も、短機関銃で武装している。
ならば先に銃弾を装填し終えた方が、圧倒的な優位性を確保出来る筈だった。
しかし次の瞬間留美が取った行動は、彰にとって予想外のもの。

「てやああああああああっ!!」
「な――――!?」

留美は装弾作業を行おうとせず、彰に向かって全速力で走り出した。
智代程では無いにしろ、嘗て剣道部で鍛え抜いた身体能力は、並の女子高生とは比べるべくも無い。
十数メートルはあった間合いを一息で詰め切って、駆ける勢いのままH&K SMGⅡを横薙ぎに一閃した。
彰も反射的に左腕で防御しようとしたが、高速で振るわれる鋼鉄の銃身は正しく凶器。

366 名無しさん :2008/03/12(水) 00:57:44 ID:JAd3em1s0

「ガアァッ…………」

攻撃を受け止めた彰の左上腕部に、痺れる様な激痛が奔る。
意図せずして動きが鈍くなり、次の行動への移行が遅れてしまう。
だが、何時までも痛みに悶えている暇は無い。
眼前では留美がH&K SMGⅡを天高く振り上げており、もう幾ばくの猶予も無い。

「く、あ……このおぉぉぉ!」
「っ――――」

彰は強引に痛みを噛み殺すと、イングラムM10を右手で強く握り締めて、留美の振るう得物と交差させた。
二つの凶器が衝突して、激しい金属音を打ち鳴らしたが、多少左腕を痛めていようとも男と女では腕力差がある。
彰は力任せに留美の態勢を崩して、そのまま容赦の無い中段蹴りを放った。

「――甘い!」

留美も伊達に中学時代、剣道に打ち込んでいた訳では無い。
腹部に向けて迫る一撃を、留美は体勢を崩したままH&K SMGⅡの銃身で打ち払った。
しかし衝撃までは殺し切れずに、後方へと弾き飛ばされてしまいそうになる。
留美はその勢いに抗わず、寧ろ利用する形で一旦彰と距離を取った。

(良し、今の内に……!)

一方彰は、機を逃さずして近くにある机の影へと飛び込んだ。
運動神経で劣る自分にとって、単純な力勝負ならともかく、銃を鈍器代わりにしての近接戦闘は間違い無く不利。
闘争の形式を銃撃戦へと戻すべく、イングラムM10に新たなマガジンを詰め込んだ。
時を同じくして、留美も銃弾の装填作業を完了する。
二人は机と机の影を移動しながら、互いに向けて銃弾を放ち始めた。


眩い閃光が瞼を焼き、強烈な銃声が鼓膜を刺激する。
激しい破壊が撒き散らされる大広間の中、彰達から大きく離れた位置に、裏口から逃亡しようとする智代達の姿があった。
裏口の先は、智代と茜が幾多もの罠を張り巡らしたロッカールームである。
そこまで行けば、後は容易に逃げ切れる筈だった。

「美佐枝さん、茜、小牧――全員揃ったな。あの二人が潰し合ってる間に、私達は退散するとしよう」
「けど、良いのかな……。 七瀬さんがあんな事になってるのに、止めずに逃げるだなんて」
「……小牧の言いたい事も分かる。でも私達の装備であの戦いに飛び込めば、まず無事では済まないだろう。
 此処は退くしかないんだ」

367 名無しさん :2008/03/12(水) 01:00:14 ID:JAd3em1s0

愛佳の指摘を受け、智代は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それでも決定は覆さない。
自分達の武装は、彰や留美に比べて余りにも貧弱である。
無理に戦いを止めようとすれば、仲間内から犠牲者を出してしまう可能性が極めて高いだろう。
仲間を救う為ならばともかく、襲撃者同士の潰し合いを止める為に、そこまでのリスクを犯す義理は無いように思えた。

「それじゃ、良いな?」
「……分かりました」

愛佳が渋々といった感じで頷くのを確認してから、智代は裏口の扉を押し開けようとする。
だが、その刹那。
智代達の後方で、ダンと床を踏み締める音がした。

「おいおい、何処に行くんだよ? パーティーはまだ始まったばかりじゃねえか」
「あ、貴方は――――」

愛佳が後ろへ振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
肉食獣のような鋭い眼光に、成人男性の平均を大きく上回る長身。
忘れる筈も無い。
今眼前に居る男は、間違い無く殺人鬼――岸田洋一その人だった。

「……愛佳ちゃん、この男を知っているのかい?」
「はい。名前は分かりませんけど、この人が芹香さんを殺した犯人です……」
「――――っ、コイツが……!」

その言葉を聞いた瞬間、美佐枝は眉をキッと斜め上方に吊り上げた。
美佐枝の脳裏に浮かび上がるのは、冷たくなった芹香の死体。
そして芹香を守れなかったと知った時の、どうしようも無い程の後悔だった。
後悔は怒りとなって、美佐枝の思考を埋め尽くす。
美佐枝は鞄の中から鋭い包丁を取り出して、戦闘態勢に移行しようとする。
そこで、横から投げ掛けられる茜の声。

「……相良さん、落ち着いて下さい。悔しいとは思いますが、今は退くべき時です」
「でも、コイツが来栖川さんを……!」
「聞き分けて下さい。今此処に留まれば、七瀬さん達も交えた泥沼の戦いになってしまいます」

茜の言葉は正しい。
大広間の反対側では、今も留美と彰が戦っているという事実を失念してはいけない。
二人の襲撃者の矛先が、何時こちらへと向いても可笑しくは無いのだ。
此処で岸田洋一を倒そうとすれば、恐らくは留美達とも戦う羽目になるだろう。
だからこそ激情を押さえ込んで退くべきだ、というのが茜の判断だった。
しかしそのような判断を、眼前の殺人鬼が良しとする筈も無い。

「はっ、連れねえな。もっと怒りに身を任せようぜ?」
「一人で勝手にどうぞ。貴方が何を言おうとも、私達は退かせて貰います」
「……チッ、ガキの癖に冷静ぶってんじゃねえよ」

落ち着いた茜の声を受けて、岸田は苛立たしげに舌打ちをした。
少しでも多くの人間を殺し、犯したい岸田にとって、茜達の撤退は極力避けたい事態。
逃げ去る茜達を一人で追撃するという手もあったが、敵は四人。
彰達を巻き込んだ乱戦状態ならばともかく、正面から戦えば勝ち目は薄いと云わざるを得ない。
故にあらゆる手を用いて、茜達をこの場に留まらせようとする。

「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
「私と同じ制服の人を……ですか?」

茜が問い掛けると、岸田は邪悪な笑みを口の端に浮かべた。

「ああ、殺したよ。二人共思う存分に犯してからな。名前は確か……長森さん、柚木さんと呼び合っていたな」
「え…………」

368 名無しさん :2008/03/12(水) 01:01:47 ID:JAd3em1s0

岸田の言葉を聞いた瞬間、茜は即頭部を強打されかのような衝撃に見舞われた。
クラスメイトである長森瑞佳の事もあったが、それ以上に茜に衝撃を与えたのはもう一人の名前。

「詩子、を――――」

幼馴染で、それと同時に掛け替えの無い親友でもある詩子が殺された。
それも、女性の尊厳を奪われた後で。
実際に岸田が犯したのは瑞佳一人のみだが、その事実を茜が知り得る方法は無い。
茜の動揺を見て取った岸田が、心底愉しげに笑い声を張り上げた。

「ハハハッ、ハハハハハハハハハハ! どうやら大当たりだったみたいだな? 苦痛と恥辱に歪んだ女達の顔、お前にも見せてやりたかったぜ」
「貴方は……貴方という人は…………!」
「ほら、掛かって来いよ。俺の事が憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
「くっ…………」

怒りで肩を震わせる茜に向けて、嘲笑混じりの挑発が投げ掛けられる。
それでも茜は、決壊寸前の理性を危うい所で何とか保っていた。
今すぐにでも眼前の怨敵を殺してやりたいが、此処で激情に身を任せる訳にはいかない。
血が滲み出る程に拳を握り締めながらも、沸騰した感情を少しずつ冷ましてゆくよう試みる。
しかし茜が怒りを抑えられたとしても、他の者達もそうだとは限らない。

「――そう。そんなに殺して欲しいのなら、望み通りにしてあげる」
「美佐枝さんっ!?」

怒りの炎を瞳に宿し、包丁片手に岸田の方へと歩いてゆく女性が一人。
相良美佐枝である。
岸田が行ってきた数々の卑劣な行為、人を見下した言動に、美佐枝の我慢は最早限界を突破していた。
驚愕する智代にも構わずに、眼前の殺人鬼目掛けて疾走を開始する。

「来須川さんが受けた痛み、その身で味わいなさい!」
「ヒャハハハッ、良いぞ! その調子だよ!!!」

岸田は鞄から大きな鉈を取り出すと、美佐枝を大広間の奥に誘い込むべく後ろ足で後退してゆく。
頭に血が昇っている美佐枝は、派手な足音を立てながら追い縋ろうとする。
その行動は、過度に場の注意を引き付ける愚行である。
案の定、新たな敵の接近に気付いた彰が、美佐枝目掛けて銃弾を撃ち放った。
所詮素人の銃撃であり、しかも遮蔽物が極めて多い屋内。
銃弾が命中する事は無かったが、美佐枝の鋭い視線が彰へと向けられた。

「……邪魔をするつもり? だったら、アンタも殺すよ!!」
「やれるものなら、やってみるが良いさ。尤も――負けて上げるつもりは無いけどね」

加速する憎悪、伝染してゆく殺意。
美佐枝が叫んでいる間にも、彰や留美の短機関銃は幾度と無く火花を放っている。
岸田も得物をニューナンブM60に持ち替えて、安全圏から必殺の機会を淡々と見計らっている。
鎌石役場の大広間は、最早完全なる死地と化していた。

「……っ、美佐枝さんを見捨てる訳には行かない。皆、行こう!」

強力な武器を持つ襲撃者二人に、殺人鬼・岸田洋一。
その三人に比べて、美佐枝の戦力は圧倒的に劣っている。
このまま一人で戦い続ければ、確実に命を落としてしまうだろう。
故に智代は仲間達の決起を促して、美佐枝を援護すべ戦火の真っ只中へ飛び込んでいった。

一度戦いが始まってしまえば、最早行く所まで行くしか無い。
坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳、七瀬彰、七瀬留美、岸田洋一。
総勢七名による激闘の火蓋が、切って落とされた。

369 名無しさん :2008/03/12(水) 01:03:17 ID:JAd3em1s0



「茜、小牧! まずはあの外道から何とかするぞ!」

智代が叫ぶ。
此度の戦いを引き起こした元凶は、執拗に挑発を繰り返した岸田である。
智代は岸田一人に狙いを絞って、仲間達と共に猛攻を仕掛けようとする。
だが智代達が岸田の元に辿り着くよりも早く、飛来して来た弾丸が前方の床を削り取った。

「……ふん。やっぱり、狙い通りの場所を撃つのは難しいわね……。でも、下手な鉄砲も数撃てば何とやらよ」

銃撃を外した留美だったが、すぐに智代達目掛けて次なる銃弾を撃ち放ってゆく。
留美にとってこの場で一番脅威なのは、徒党を組んでいる智代達に他ならない。
ならば智代達を優先的に狙っていくのは、至極当然の事だった。

「くそっ……先にお前から倒すしかないか!」

横から短機関銃で狙われている状態では、岸田を仕留めるなどまず不可能。
智代は腰を低く落とした態勢となって、留美に向けて疾走し始めた。
それと同時に、茜が釘撃ち機による援護射撃を行って、留美の銃撃を封じ込める。
やがて茜の武器が弾切れを訴えたが、既に智代は留美の近くまで詰め寄っている。
留美のH&K SMGⅡが構えられるよりも早く、空を裂く一陣の烈風。

「――せやああ!」
「あぐッ…………」

智代が放った中段蹴りは、正確にH&K SMGⅡの銃身を捉えて、遠方へと弾き飛ばしていた。
慌てて後退する留美の懐に智代が潜り込んで、次なる蹴撃を打ち込もうとする。
しかし留美はバックステップを踏んでから、手斧――下の階で回収しておいたもの――を鞄より取り出して、横薙ぎに一閃した。
済んでの所で屈み込んだ智代の頭上を、恐ろしく鋭い斬撃が切り裂いてゆく。
時を置かずして、返しの袈裟蹴りが智代目掛けて振り下ろされた。

「っ――――」

智代は咄嗟に首を逸らして逃れたものの、斧の先端が右頬を浅く掠める。
更に立ち上がる暇も与えんと云わんばかりに、留美の手斧が横一文字の軌道を描いた。
屈み込んだままの智代の脇腹に、鋭利な刃先が迫る。
それは常人なら回避不可能な一撃だったが、智代は強靭な脚力を存分に生かして、只の一跳びで優に一メートル近く跳躍した。
留美の手斧を足下で空転させながら、宙に浮いた状態のまま強烈な回し蹴りを繰り出す。

「シッ――――!!」
「く、う…………!」

智代の蹴撃は、防御した留美の上腕越しに強烈な衝撃を叩き込んだ。
留美はその場に踏み止まり切れず、一歩二歩と後ろ足で後退する。
そこに智代が追い縋ろうとしたが、留美は下がりながらも迎撃の一撃を振り下ろす。
縦方向に吹き荒れた凶風は、智代が踏み込みを中断した所為で空転に終わった。

「……アンタ、相当やるわね」
「お前もな。正直な話、接近戦で私と渡り合える女が居るとは思わなかった」

正しく刹那の攻防。
二人は一定の距離を保った状態で、警戒の眼差しを交差させる。
智代の身体能力は筆舌に尽くし難いものだし、自由自在に斧を振るう留美の手腕も侮れない。
殺人遊戯に対する方針や戦闘スタイルこそ異なれど、両者の実力は拮抗していた。

時と場所が違えば名勝負になっていたであろう組み合わせだが、こと戦場に於いては、何時までも眼前の敵だけを意識している訳にはいかない。
正面の獲物に拘り過ぎれば、第三者に横から漁夫の利を攫われてしまうのだ。
智代と留美が各々の方向へ退避するのとほぼ同時、それまで二人が居た場所を、猛り狂う銃弾の群れが貫いてゆく。

370 名無しさん :2008/03/12(水) 01:04:04 ID:JAd3em1s0


「くそっ、今のを避けるなんて…………!」

予想以上に高い智代と留美の危険察知能力に、彰は苦虫を噛み潰す。
狙い澄ました今の連撃でさえ、戦果を挙げる事無く回避されてしまった。
これでは闇雲に銃弾を連射した所で、弾丸の無駄遣いに終わるだけだろう。
イングラムM10の銃弾も無限にある訳では無い。
彰は一旦机の影へと頭を引っ込めて、次の好機を待とうとする。
しかし好機を探っている人間は、この場に彰一人だけという訳では無い。
彰の背後には、密かに忍び寄る美佐枝の姿があった。
気配に気付いた彰が振り返るのと同時、美佐枝の包丁が斜め上方より振り落とされる。

「隙らだけよ――死になさい!!」
「っ…………、ガアアアアアッ!」

彰も身体を横に逸らそうとしたが、完全には躱し切れず、左腕の付け根付近を少なからず切り裂かれた。
切り裂かれた傷口から紅い鮮血が零れ落ちる。
続けざまに美佐枝が包丁を振り被ったが、彰もこのまま敗北を喫したりはしない。
優勝して澤倉美咲を生き返らせるという目的がある以上、未だ倒れられない。
無事な右腕を駆使して、イングラムM10の銃口を美佐枝の方へと向ける。

「こんな所で! 僕は負けられないんだっ!!」

右腕一本では銃身の固定が不十分だった所為で、そして咄嗟に美佐枝が飛び退いた所為で、弾丸が命中する事は無かった。
しかしそれでも、距離を離す時間だけは十分に確保出来た。
彰は近くの遮蔽物にまで逃げ込んで、鞄から新たな弾倉を取り出そうとする。
そうはさせぬと云わんばかりに、美佐枝が彰に向かって駆け出したが、そんな彼女の下に一発の銃弾が飛来した。

「……くあああっ!?」

左肩を打ち抜かれた美佐枝が、激しい激痛に苦悶の声を洩らす。
美佐枝の後方、約二十メートル程離れた所に、ニューナンブM60を構えた岸田が屹立していた。
岸田はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、格好の標的となった美佐枝に追撃を仕掛けようとする。
しかし咄嗟の判断で攻撃を中断すると、上体を大きく斜めへと傾けた。
案の定、岸田のすぐ傍を鋭い飛来物が切り裂いてゆく。

「くっくっく……お前もやる気になったみたいだな」

岸田は銃撃して来た犯人達の方に視線を向けると、口許を三日月の形に歪めた。
視線の先には、里村茜の姿。
茜は電動釘打ち機を水平に構えた状態のまま、絶対零度の眼差しを岸田に返した。

「ええ。こうなってしまった以上、もう怒りを我慢する必要はありませんから」

親友の命を奪った岸田は、茜にとって憎むべき怨敵。
それと同時に、可能ならばこの場で倒しておきたい強敵でもある。
戦いは最早止めようの無い段階にまで加速してしまった以上、岸田を最優先に狙うのは当然だった。
余計な会話など無用とばかりに、茜は電動釘打ち機のトリガーを何度も何度も引き絞る。

371 名無しさん :2008/03/12(水) 01:05:27 ID:JAd3em1s0

(……高槻の野郎に復讐するまで、弾丸は使い過ぎない方が良いな)

飛来する五寸釘を確実に回避しながら、岸田は瞬時の判断で得物を鉈へと持ち替えた。
修羅場に於ける高い判断力こそが、この殺人鬼の快進撃を支えている大きな要因である。
リスクを犯してまで血気に逸る必要は無い。
岸田は冷静に遮蔽物の陰へと身を隠すと、茜の釘打ち機が弾切れを起こすまで守勢に徹し続けた。
電動釘打ち機がカチッカチッと音を打ち鳴らすと同時に、弾けるような勢いで物陰から飛び出す。
肉食獣の如き殺気を剥き出しにして、岸田が茜に向けて疾駆する。

「くぅ――――」

茜も急いで次の釘を装填しようとしたが、とても間に合わない。
眼前には、既に鉈を振り上げている岸田の姿。
刃渡り一メートル近くもある鉈の直撃を受ければ、即死は免れないだろう。
茜は考えるよりも早く、膝に全身の力を集中させた。
後の事を心配している余裕は無い。
とにかく全力で、力の限り真横へと跳躍する――!

「………………っ」

ブウン、という音。
加速する身体に置いて行かれた金の髪が、唸りを上げる鉈によって両断される。
正に紙一重のタイミングで、何とか茜は己が命を繋ぐ事に成功した。
跳躍に全てを注ぎ込んでいた所為で、着地に失敗して隙だらけの姿を晒してしまう。
地面に倒れ込んだ状態の茜に向けて、岸田が追撃の剣戟を叩き込もうとする。
だが岸田と違って、茜には仲間が居る。
向けられた殺気に気付いた岸田が飛び退いた直後、一条の銃弾が傍の机へと突き刺さった。

「里村さん、大丈夫ですか!?」
「……有難う御座います、助かりました」

救援者――小牧愛佳に礼を言いながら、茜は直ぐに立ち上がって、釘打ち機に新たな釘を装填していった。
その一方で愛佳は、狙撃銃であるドラグノフを装備している。
二つの凶器、二つの殺意が同時に岸田へと向けられた。

「二人掛けかッ…………!」

不利を察知して後退する岸田に向けて、次々と五寸釘が迫り来る。
このままでは良い的になってしまう。
岸田は近くの机に身を隠そうとしたが、そこで広間中に響き渡る一発の銃声。
音が鳴り止んだ時にはもう、机に深々とした穴が穿たれていた。

「本当はこんな事したくないけど……でも、皆を守る為なら!!」

備え付きのスコープを覗き込みながら、愛佳が自らの決意を言葉に変えた。
貫通力に優れるドラグノフの銃弾ならば、机の防御ごと岸田を倒し切る事が可能。
素人に過ぎない愛佳が用いている為に、そう簡単に直撃はしないだろうが、敵の警戒を促すには十分過ぎる。

「チィィィ――――――」

遮蔽物を利用出来なくなった岸田が、それでも卓越した身体能力を活かして耐え凌ぐ。
ある時は上体を逸らし、ある時は横に跳び、またある時は地面へと転がり込む。
しかし時間が経つに連れて、回避に余裕が無くなってゆき、済んでの所で命を繋ぐといった場面が増えてきた。
追い詰められた岸田が、焦燥に唇を噛み締める。

(糞ッ、このままじゃ不味い……! どうすれば――――)

372 名無しさん :2008/03/12(水) 01:06:17 ID:JAd3em1s0

そこで視界の端に、あるモノが映った。
同時に、頭に浮かぶ一つの案。
リスクは伴うが、成功すれば間違い無く敵を『絶望の底』へと叩き落せるであろう悪魔的奇手。
悩んでいる暇は無い。
直ぐ様岸田は、己が策を実行に移すべく動き出した。
まずは集中力を最大限に引き出して、茜が放つ攻撃を弾切れまで躱し続ける。
その作業は決して楽なものでは無かったが、十分な距離を確保していたお陰で、何とか避け切る事に成功した。

「次は…………」

岸田は何処までも冷静に計算を張り巡らせながら、目的の地点へと移動する。
到着するや否や、その場に仁王立ちして、愛佳の動向に全集中力を注ぎ込んだ。
戦場で足を止めるのは自殺行為に近いが、それでも早目の回避行動を取ったりはしない。
愛佳に狙いを外されては、『困る』のだ。
十分な時間的余裕を与える事で、正確に照準を定めて貰わなければならない。
そしてドラグノフの銃口が岸田の胸部へと向けられた瞬間、二人分の叫びが部屋中に木霊した。


「ここだ――――!!」
「当たって――!!」


愛佳のドラグノフが咆哮を上げる。
岸田は全身全霊の力で横へと飛び退いて、迫るライフル弾を薄皮一枚程度の被害で回避した。
次の瞬間、部屋の中央部付近で、唐突に真っ赤な霧が広がった。
美しい薔薇の花のような、そんな光景。
戦っている最中の者達も、一旦敵から間合いを取って、各自が霧の出所へと視線を集中させる。

373 名無しさん :2008/03/12(水) 01:06:52 ID:JAd3em1s0


「――――あ、」


愛佳の喉から、酷く掠れた声が漏れ出た。
目の前の光景に、あらゆる思考が停止してしまっている。


「あ、ああ――――」


頭の中を、ミキサーで乱暴に掻き回されているような感覚。
全身の表面には鳥肌が立ち、喉はカラカラに乾いている。


「ああ、あ、あああ…………ッ」

愛佳が銃口を向けている先。
古ぼけた机の影には――頭の上半分を消失した、相良美佐枝の姿があった。


「あああああアアァァァアアああああああああああああああああッッ!!!!!」


愛佳の絶叫を待っていたかのようなタイミングで、美佐枝の身体が地面へと崩れ落ちる。
何故このような事態になったか、考えるまでも無い。
愛佳の発射した銃弾が、岸田の後方に居た美佐枝を撃ち抜いたのだ。

「あたしは……あたしはぁぁぁ…………っ!!」

愛佳はドラグノフを取り落として、地面へと力無く膝を付いた。
美佐枝は何時も自分を気遣ってくれていたのに。
何時も自分を守ってくれていたのに。
その恩人を、自らの手で殺してしまった。

「フ――――ハハハハハハハハハハハハハハッッ! 良いぞ、もっと喚け! もっと叫べ!
 そうだよ、お前がその女を殺したんだよっ!!!」

更なる追い討ちを掛けるべく、岸田が愛佳へと哄笑を浴びせる。
お前が殺したのだ、と。
お前の所為で相良美佐枝は死んだのだ、と。
覆しようの無い残酷な事実を、少女の心へと突き付ける。

374 名無しさん :2008/03/12(水) 01:07:54 ID:JAd3em1s0

「あたしはああああアアアァァああああああああああアアアア……ッ!」

愛佳は壊れ掛けたラジオのように叫び続けながら、自身の顔を乱暴に掻き毟った。
皮膚が裂け、赤い血が漏れ出たが、愛佳の狂行は止まらない。
喉から迸る絶叫は悲鳴なのか慟哭なのか、それすらももう分からない。

「うわあああああああああぁあああああああっ!!!!」

救いは無い。
頭部を砕かれた美佐枝は、もう二度と動かない。
疑う余地は無い。
ドラグノフのトリガーを引いた指は、間違い無く自分自身のモノ。
理性を完全に失った少女は、獣じみた本能で逃走だけを乞い求めて、大広間の外へと走り去っていった。



「美佐枝、さん…………」

静寂が戻った大広間の中で、智代は呆然とした声を洩らす。
岸田と愛佳の会話から、大体の状況は把握出来ている。
過程までは分からないが、愛佳は自らの手で美佐枝を殺してしまったのだ。
最悪の事態を防げなかったという絶望が、智代の心を押し潰そうとしていた。

「こ、んな…………事って…………」

深い失意の底に在るのは、茜も同じだった。
標的を岸田一人に絞っていた自分は、危険を察知出来る状況にあった筈なのに。
攻撃に意識を集中する余り、岸田の後方に美佐枝が居るという事実を見落としてしまった。


「くくく、くっくっく……ハーハッハッハッハッハッ!」

哄笑は高く、屋根を突き抜けて、天にまで届くかのように。
岸田は絶望する智代達を見下しながら、狂ったかのように笑い続ける。
智代も茜も未だ、岸田に立ち向かえる程精神を回復出来てはいない。
だから岸田の狂態を遮ったのは、意外な人物の一声だった。

「――この、下衆が…………!!」

放たれた声に岸田が視線を向けると、そこには留美の姿があった。
留美は怒りも露に、鋭い視線を岸田へと寄せている。
H&K SMGⅡを握り締めている手から零れる血が、彼女の怒りが並大抵のものではないと物語っていた。

「おいおい、お前が言うなよ。殺し合いをしてたのは、お前だって同じだろ?」
「私をアンタと一緒にしないで! 少なくとも私は、アンタみたいに人の不幸を楽しんだりはしてない!」

眼前の男がどれ程外道か、復讐鬼と化した留美でも理解する事が出来た。
何か譲れぬ目的があって殺人遊戯に乗っているのなら、許しはしないが未だ分かる。
だがこの男は、只自分が楽しむ為だけに、非道な行為を繰り返しているのだ。

375 名無しさん :2008/03/12(水) 01:08:52 ID:JAd3em1s0

「そんなに殺し合いが好きなのなら! そんなに人の不幸を楽しみたいのなら! 地獄に堕ちて、其処で勝手にやって来なさい!!!」
「ハッ、お断りだね。俺はまだまだパーティーを盛り上げなくちゃいけないからな」

岸田洋一は何処までも愉しげに、留美は般若の形相を浮かべて。
二人の殺戮者が、各々の銃器を携えて対峙する。
感情を剥き出しにして行動する二人は、良くも悪くも人間らしい。
しかし全員が全員、彼らのように感情で行動している訳では無い。
この場には一人、己が目的を果たす為だけに、文字通り修羅と化した男が居る。
皆が各々の心情を露にする中、彰は一人淡々と行動を続けていた。

(……僕は彼女みたいに怒れないし、怒る資格も無い。僕は目的の為に全てを棄てたんだ。
 美咲さんを生き返らせる為には、絶対に勝ち残らないといけないから――)

感情任せに、これ以上戦いを続けるのは愚行。
お世辞にも体力があるとは云えない自分の場合、極力長期戦は避けるべきだろう。
故にこの場に於ける最善手は、最強の一撃を置き土産として撤退する事だった。
既に必要な位置取りは確保した。
得物の準備も済ませてある。
遅まきながら他の者達も彰の動向に気付いたが、最早手遅れ。
出入り口の前に陣取った彰は、M79グレネードランチャーを皆が密集している地点へと向ける。



「――全員、死んでくれ」



短い宣告と共に、猛り狂う炸裂弾が撃ち放たれた。
正しく突然の奇襲。
七瀬留美や岸田洋一といった面々は各々が即座に回避行動へと移ったが、茜は一瞬反応が遅れてしまった。

「あ――――」

立ち尽くす茜の喉から、呆然とした声が零れ落ちた。
視界の先には、高速で襲い掛かるグレネード弾の姿。
駄目だ、もう間に合わない。
茜は自身の死を確信して――――

「茜―――――――!!」
「智代ッ…………!?」

そこで、真横から勢い良く智代が飛び込んできた。
その直後、大広間の中央部で激しい爆発が巻き起こされる。
爆発の規模は建物を倒壊させる程では無かったが、それでも大きな破壊を齎した。
轟音と爆風が大気を震わせて、閃光が部屋中へと広がってゆく。
規則正しく配列されていた机が、次々と中空に吹き飛ばされる。
爆風が収まった後も、巻き上げられた漆黒の煙が、大広間の中を覆い尽くしていた。

376 名無しさん :2008/03/12(水) 01:09:22 ID:JAd3em1s0

「あっ――、く……そ……」

怒りと苦悶の混じり合った声。
飛散する木片を左手で振り払いながら、留美が黒煙の中から姿を表した。
整った顔立ちは埃に塗れ、制服は至る所が黒く汚れている。

「やって、くれたわね……」

爆心地から比較的離れた位置に居た為、深手を負う事は避けられたが、爆発時の閃光を直視してしまった。
お陰で視力は大幅に低下し、前方数メートルに何があるのか把握するのも楽では無い。
恐らく症状は一時的なものだろうが、これ以上戦闘を継続するのは不可能だ。
此処は一旦撤退するしか無いだろう。
勘を頼りに出入口へと向かう最中、留美は一度だけ後ろを振り向いた。
頭の中を過るのは一つの疑問。

(――私は本当に正しいの?)

小牧愛佳は殺し合いに乗っていなかった。
優勝を狙おうという腹積りなら、いずれは共闘者すらも殺す覚悟があった筈。
手違いから早目に殺してしまったとしても、あそこまで取り乱したりはしない筈なのだ。
間違いなく愛佳は殺し合いに乗っていないし、その仲間達も美佐枝が死んだ時の反応を見る限り、恐らく殺人遊戯否定派だろう。
だというのに自分は、一方的に彼女達を襲ってしまった。
これでは、冬弥を殺した殺人鬼と何も変わらないのではないか。
そこまで思い悩んだ後、留美は左右に首を振った。

(……考えるのは後ね。まずはこの場から離れないと)

此処は戦場だという事を忘れてはならない。
煙が晴れる前に脱出しなければ、いらぬ追撃を被ってしまうかも知れない。
そう判断した留美は、途中で見付けたH&K SMGⅡを回収した後、大広間の外へと歩き去っていった。
心の中に、大きな迷いを抱えたまま。

377 名無しさん :2008/03/12(水) 01:09:50 ID:JAd3em1s0



二人の七瀬が立ち去った後、やがて煙も薄れてゆき、大広間の全貌が明らかとなる。
規則正しく配列されていた机も、その殆どが爆発の煽りで吹き飛ばされ、乱雑な形で床に転がっている。
部屋の所々では、赤々と燃える残り火達。
荒らされ尽くした広間の中、その一角で茜が声を張り上げていた。

「智代! しっかりして下さい、智代!」

彰の奇襲に対して、茜は何の回避行動も取れなかったが、智代が庇ってくれたお陰で殆ど怪我せずに済んだ。
しかし、その代償は決して軽くない。
屈み込んだ態勢で叫ぶ茜の眼前には、横たわったまま動かこうとしない智代の姿。

「どうして……どうしてこんな事をしたんですか! 私を庇ったりしなければ、こうはならなかった筈なのに!」

叫びながら智代の肩をガクガクと揺さぶるが、一向に何の反応も返っていない。
完全に意識を失ってしまっている。
茜は尚も智代の肩を揺らそうとしたが、そこでようやく我に返って、大きく一度深呼吸をした。

(……違う。こんな時こそ落ち着かないと……!)

乱れる心を懸命に抑え込んで、智代の状態を良く注視する。
身体中に無数の掠り傷を負ってはいるものの、致命傷となるような傷は見受けられない。
ただこめかみの辺りから、一筋の血が流れ落ちている。
恐らくは側頭部を強打して、その所為で気絶してしまったのだろう。
まずは安全な場所まで運んで、意識の回復を待つべきだ。
そう判断した茜は、智代の身体を持ち上げようとして――


「ククク……未だ残ってる奴らが居たか」
「…………ッ!?」

愉しげに弾んだ声。
驚愕に振り返った茜は、瓦礫の下から這い出てくる悪魔――岸田洋一の姿を目撃した。
岸田は立ち上がると、自身の服にこびり付いた埃をパンパンと払い除けた。

「あの糞餓鬼、いきなりふざけた物をぶっ放しやがって……。危うく死ぬ所だったじゃねえか。
 でもま、獲物達が残ってただけマシか」

語る岸田の外観からは、目立った外傷は殆ど見受けられない。
精々、頬の辺りに軽い掠り傷がある程度だ。
彰がグレネードランチャーを放った瞬間、岸田は傍にある机の影へと逃げ込んだ。
その甲斐あって、被害を極限まで抑える事に成功したのだ。

「お前達、もうボロボロだな? 他の奴らはもう逃げたようだし、痛ぶってから殺すにはお誂え向きの状況だ」
「……この、悪魔…………!」

岸田は銃火器を用いるまでも無いと判断したのか、鞄から鉈を抜き出した。
応戦すべく茜も立ち上がったが、彼我の戦力差は果てしなく大きい。
恐るべき殺人鬼と、戦い慣れしていない只の女子高生。
どちらが有利かなど、考えるまでも無かった。

378 名無しさん :2008/03/12(水) 01:10:49 ID:JAd3em1s0

「そら、掛って来いよ。何なら、そこで倒れてるお仲間から殺してやっても良いんだぜ?」

岸田の表情には、緊張や焦りといった類のものは一切見受けられない。
それも当然の事だろう。
岸田からしてみれば、この戦いはあくまでも余興だ。
初めから勝つと分かり切っている戦いに、恐れなど抱く筈も無い。

(此処は逃げ――いえ……駄目ですね)

茜は浮かび上がった考えを、一瞬の内に打ち消した。
自分とて、勝ち目が無い事くらいは理解している。
愛佳と二人掛かりでも倒せなかったのに、自分一人で勝てる筈が無い。
どうせ勝てないのら、気絶している智代を置いて、一人で逃げるのが最善手かも知れなかった。
だが――

「智代――今の私が在るのは、貴女のお陰です。貴女が居なければ、私は外道の道を歩んでいたでしょう」

殺人遊戯の開始当初、自分は殺し合いに乗るつもりだった。
どんな手段を使ってでも、優勝を勝ち取るつもりだった。
そんな愚か極まり無い自分を、智代が諫めてくれたのだ。
あの時の出来事が無ければ、自分は岸田と然程変わらぬ下衆になっていただろう。
智代が居るからこそ、今の自分が在る。

「貴女は何時だって無茶をして、私を救い続けてくれた。だから今度は、私が無茶をする番です。
 たとえ此処で死ぬ事になろうとも、私は絶対に退いたりしない……!」

そう云って、茜は電動釘打ち機を構えた。
茜の瞳に恐れや迷いといったモノは無く、ただ決意の色だけがある。
その姿、その言葉が気に触ったのか。

「助け合いの精神か……反吐が出るな。幾ら綺麗事を吐こうが、所詮この世は弱肉強食なんだよ。
 お前みたいな弱者は、誰も救えないまま野垂れ死にやがれ!!」

直後、岸田の足元が爆ぜた。
幾多もの人間を殺してきた殺人鬼が、肉食獣のような前傾姿勢で茜へと襲い掛かる。
放たれる釘を左右へのステップで避けながら、一気に間合いを詰め切った。
茜も釘打ち機の照準を定めようとしたが、そこに振るわれる鉈の一閃。

「遅いぞ、雌豚」
「っつう………!」

鉈の刀身は正確に釘打ち機を捉え、空中へと弾き飛ばしていた。
続いて岸田は手首を返して、肘打ちで茜の脇腹を強打した。
殺害では無く破壊を目的とした一撃は、容赦無く獲物に衝撃を叩き込む。

379 名無しさん :2008/03/12(水) 01:11:31 ID:JAd3em1s0

「がふっ……、く……」

呼吸困難に陥った茜が、後ろ足で力無く後退してゆく。
それは岸田にとって、仕留めるのに十分過ぎる程の隙。
今攻め立てれば、ものの数秒で勝負を決める事が出来るだろう。
だが岸田は敢えて追撃を行おうとせずに、心底馬鹿にしたような視線を投げ掛ける。

「お前、馬鹿か? お前みたいな餓鬼如きが、この俺に勝てる訳無いじゃねえか」
「……そう、でしょうね。云われなくても、そんな事くらい分かっています」

肯定。
自分に勝機が無いという事実を、茜はいとも簡単に認めた。
釘打ち機は今の衝突で失ってしまったし、もう碌な武器が残っていない。
しかしその事実を前にして尚、茜の瞳に絶望は浮かび上がっていない。

「――だけど、私は信じています」
「信じている……だと?」

訝しげな表情となった岸田が、眼前の少女に問い掛ける。
数秒の間を置いた後、茜は自身の想いを言葉へと変えた。

「私は智代を信じています。智代なら絶対に起き上がって、貴方を倒してくれます。
 だから、私がするべき事はそれまでの時間稼ぎだけです」

諦めなど無い。
智代が意識を取り戻すまでの間、自分が岸田を食い留める。
それが茜の選んだ道であり、勝利に至る方程式だった。
揺るがない想い、揺るがない信頼が、茜を巨悪に立ち向かわせる。

「ハッ、下らないな。女の一人や二人増えた所で、何が出来るってんだ?
 お前達に残されているのは、俺に殺される未来だけなんだよ!」

岸田は茜の言葉を一笑に付すと、すぐさま攻撃へと移行した。
邪悪な笑みを湛えたまま前進して、勢い任せに鉈を振り下ろす。
得物を失った茜には、回避する以外に生き延びる術が無い。

380 名無しさん :2008/03/12(水) 01:12:38 ID:JAd3em1s0

「っ――――」

茜は自身の全能力を注ぎ込んで、横方向へとステップを踏んだ。
敵の攻撃が大振りだった事もあって、紙一重の所で命を繋ぐ事に成功する。
だが岸田からすれば、今のはあくまで威嚇の一撃に過ぎない。
攻撃が外れた事など気にも留めず、茜の懐へと潜り込んだ。

「悶えろ!」
「あぐっ…………!」

岸田は上体を斜めへと折り畳んで、拳で茜の脇腹を強打した。
続けて足を大きく振り被り、渾身の回し蹴りを打ち放つ。
純粋な暴力の塊が、茜に向けて襲い掛かる。
茜も咄嗟に両腕で防御したが、その程度ではとても防ぎ切れない。
岸田の攻撃は、ガードの上からでも十分な衝撃を叩き付けた。

「ぅ、……あっ…………!」

度重なる攻撃を受けた茜が、後ろ足で力無く後退する。
そこに追い縋る長身の悪魔。
岸田は茜が苦し紛れに放った拳を避けると、天高く鉈を振り上げた。


「――さて。そろそろフィナーレと行こうか?」


振り下ろされる銀光。
岸田の振るう鉈は茜の右太股を深々と切り裂いて、真っ赤な鮮血を撒き散らした。
茜は苦悶の声を上げる事すら侭ならず、無言でその場へと倒れ込んだ。

「本当なら犯してから殺す所なんだが、生憎と少し前に楽しませて貰ったばかりなんでね。
 お前は直ぐに殺してやるよ」
「あ……っつ…………くああっ…………」

茜は懸命に立ち上がろうとするが、如何しても足に力が入らない。
動けない茜の元に、鉈を構えた殺人鬼が歩み寄る。
反撃の一手は無い。
逃げる事も不可能。
最早完全に、チェックメイトの状態だった。
迫る死が、覆しようの無い状況が、茜の心に絶望の火を灯す。

(智代、すみません。私は貴女を守れなかった――――)

武器を奪われ、機動力も封じられた茜は、心の中で謝罪しながら目を閉じた。
精一杯頑張ったつもりだが、結局自分は何も出来なかった。
無力感に苛まれながら、数秒後には訪れるであろう死の瞬間を静かに待ち続ける。


「…………?」

だが、何時まで経ってもその時は訪れない。
疑問に思った茜が、目を開こうとしたその瞬間。
茜の耳に、鈍い打撃音が飛び込んできた。

381 名無しさん :2008/03/12(水) 01:13:35 ID:JAd3em1s0

「…………え?」

最初に茜が目にしたものは、数メートル程離れた位置まで後退した岸田の姿。
岸田は驚愕と怒りの入り混じった形相で、茜の真横辺りを睨み付けている。
茜が岸田の視線を追っていくと、そこには――


「――待たせたな」
「あ、あ…………」


眼前には待ち望んでいた光景。
この島でずっと行動を共にしてきた、何よりも大切な仲間の横顔。
茜の傍で、意識を取り戻した坂上智代が屹立していた。

「……もう何度も後悔した。私はこれまで死んでいった人達を救えなかった。美佐枝さんも救えなかった」

智代はそう云うと、視線を地面へと落とした。
語る声は後悔と苦渋に満ちている。
この島では余りにも多くの人が死んでしまい、智代の周りでも同志が倒れていった。
救えなかった苦しみ、守れなかった無念が、智代の心を苛んでいる。

「だけど、もう後悔なんてしたくないから――」

銀髪の少女は首を上げて、真っ直ぐに岸田を直視した。
後悔ばかりしているだけでは、何も変わらないから――
直ぐ傍に、何としてでも守り抜きたい人が居るから――

強く拳を握り締めて。
自身の苦悩を、そのまま燃え盛る闘志へと変えた。

「この男を倒して! 茜だけは絶対に守り切ってみせる!!」
「智代……ッ!」

瞬間、智代の身体が掻き消えた。
生物の限界にまで達したかと思えるような速度で、前方へと駆ける。
岸田を間合いに捉えた瞬間、智代の右足が閃光と化した。

382 名無しさん :2008/03/12(水) 01:14:15 ID:JAd3em1s0

「ガ――――ッ!?」

岸田には、蹴撃の残像すら見えなかったかも知れない。
まともに左側頭部を強打されて、そのまま大きく態勢を崩してしまう。
その隙を狙って、智代の彗星じみた連撃が繰り出される。

「ハァァァァァァァアッ!!」
「ぐがあああああっ…………!」

一発、二発、三発、四発――
一息の間に放たれた蹴撃は、例外無く岸田の身体へと突き刺さっていた。
余りにも凄まじいその猛攻を受ければ、並の人間なら意識を手放してしまうだろう。
だが岸田とて歴戦の殺人鬼。
そう簡単に敗北を喫したりはしない。

「こ……のっ…………クソがあ!」

岸田は罵倒で痛みを噛み殺すと、右手の鉈を横一文字に奔らせた。
派手な風切り音を伴ったソレは、直撃すれば間違いなく致命傷となるであろう一撃。
だが、智代の表情に焦りの色は無い。

「……この程度か? 七瀬の斧の方が余程速かったぞ」
「な、に――――!?」

智代は優に一メートル以上跳躍して、迫る鉈を空転させる。
そのまま空中で腰を捻って、岸田の顔面に強烈な蹴撃を打ち込んだ。
直撃を受けた岸田は大きく後方へと弾き飛ばされて、背中から地面に叩き付けられた。


「智代……凄い…………」

地面に腰を落とした状態のまま、茜が驚嘆に言葉を洩らす。
智代が見せた動きは、岸田を大幅に上回っていた。
彼我の体格差などものともせずに、一方的に岸田を痛め付けてのけたのだ。
智代の実力は最早、女子高生などという枠に収まり切るものでは無い。

383 名無しさん :2008/03/12(水) 01:15:18 ID:JAd3em1s0


「早く立て。倒れている相手を追い打つのは、私の流儀に反するからな」

智代は敢えて追撃を仕掛けずに、岸田が起き上がるのを待っていた。
殺し合いの場であろうとも自分を曲げるつもりは無い。
あくまで自らの信念、自らの生き方を貫いたまま、目的を達成してみせる。
智代と茜の視線が注ぎ込まれる中、ようやく岸田がよろよろとした動作で立ち上がる。

「……調子に乗るな、雌豚がああああっ! もう後の事なんぞ知るか、コレでお前をぶっ殺してやる!」

岸田はそう叫ぶと、直ぐに鞄からニューナンブM60を取り出した。
高槻と戦う時まで銃弾を温存しておくつもりだったが、最早そんな事は考えていられない。
今この場で全力を出し切ってでも、この女達は八つ裂きにせねば気が済まない。

「さあ、パーティーは終わりだ! 死ね! 死んでこの岸田に逆らった事を後悔しろ!」

怒りも露に岸田が叫ぶ。
銃という凶悪な力を手に、智代達に死刑宣告を突き付ける。
だが智代は銀の長髪を靡かせながら、口の端に強気な微笑みを浮かべた。

「パーティーか。そうだな……仮にこれを、パーティーの中で行われる演劇とすれば――」

智代の腰が落ちる。
それに呼応するようにして、岸田の銃が水平に構えられる。

「――主役(わたし)が勝ち、敵役(おまえ)が負ける! それが演劇のフィナーレというものだ!!」

鳴り響く銃声、木霊する叫び。
それを契機として、最後の戦いが幕を開けた。

384 名無しさん :2008/03/12(水) 01:15:58 ID:JAd3em1s0


「ハッ――――――!」

智代は凄まじい速度で横に跳躍して、岸田の初弾から身を躱した。
間を置かずして前進しようとするが、そこで再び銃口と対面する事になる。
智代が咄嗟に前進を中断した瞬間、ニューナンブM60が死の咆哮を上げた。
容赦も躊躇も無い銃撃が、必殺の意思を以って放たれる。

「ク――――」

全力で身体を捻る。
智代の頭上付近を、黒い殺意の塊が通過していった。
何とか危険を凌いだと思ったのも束の間、更に二連続で放たれる銃弾。

「……………っ」

態勢を崩したままの智代は、地面へと転がり込む事で、迫る死からどうにか身を躱した。
しかし、それで限界。
今の状態では、これ以上の回避行動を続けるなど不可能だった。

「そら、そこだ!」
「グッ……ガアアアアアアア!」

智代が起き上がるよりも早く、岸田のニューナンブM60が五発目の銃弾を放つ。
放たれた銃弾は智代の左肩へと突き刺さり、そのまま肉を抉り貫通していった。
迸る鮮血に、智代の服が赤く染まってゆく。

「ハーハッハッハッハッハッハ! 馬鹿が、素手で銃に勝てる訳が無いだろうが!」

先程から一方的に攻め立てている岸田が、勝ち誇った笑い声を上げる。
確かに現在の所、勝負は圧倒的に岸田が押している。
岸田が銃を持って以来、智代は一度も近付けてすらいない。

――だが、岸田は失念してしまっている。
銃という武器が持つ、最大の弱点に。
智代は無言で起き上がると、そのまま一直線に岸田の方へと走り出した。

「馬鹿が、真っ直ぐに向かってくるとは――、…………ッ!?」

迎撃を行おうとした岸田の表情が驚愕に歪む。
智代に向けてニューナンブM60の引き金を絞ったものの、銃弾は発射されなかった。
弾切れ。
銃器である限り、絶対に逃れられない枷。
圧倒的優位に酔いしれる余り、岸田は残弾の計算すらも忘れてしまっていたのだ。

385 名無しさん :2008/03/12(水) 01:17:03 ID:JAd3em1s0


「オオオオぉおおおおおお―――――――!!!!」

敵の弾切れを確認した瞬間、智代は文字通り疾風と化した。
これこそが、智代の待ち望んでいた機会。
度重なる連戦で負った疲労とダメージは決して軽くない。
この好機を逃してしまえば、自分にはもう後が無い。
故に今この時、この瞬間に自分の全てを注ぎ込む――――!!


「――これは美佐枝さんの分!」
「ガッ、グ…………!」

智代は一息の間に距離を詰めて、岸田の腹部を思い切り蹴り上げた。
強烈な衝撃に、岸田の手からニューナンブM60が零れ落ちる。

「これは小牧の分!」
「っ――――ぐ、ふっ…………!」

智代の上段蹴りが、岸田の顎へと正確に突き刺さった。
激しく脳を揺らされた岸田が、完全に無防備な状態を晒す。

「これは私と茜の分!」
「あ、が、ぐ――――」

蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。
叩き込まれた攻撃は実に十発以上。
皆の怒りを、皆の無念を籠めて、智代の足が何度も何度も振るわれた。
だが、未だ終わりでは無い。
銀髪を流星の尾のように引きながら、智代が更なる攻撃を仕掛けてゆく。


「そしてこれは――」


踏み込む左足が、力強く、大地を震わせた。
その勢いは前進力となって、完全に同軌したタイミングで右足が一閃される――!!


「お前に殺された人達の分だ――――――!!!」
「うごぁぁああアアアアアアアアア…………ッ!」


正に全身全霊、渾身の一撃。
交通事故にも等しい衝撃が、岸田の腹部へと叩き込まれる。
智代が放った蹴撃は、巨躯を誇る岸田洋一の身体すらも、優に十メートル以上弾き飛ばした。

386 名無しさん :2008/03/12(水) 01:18:27 ID:JAd3em1s0



「ぐっ……糞、ど畜生が…………!」

岸田が何とか立ち上がって、鞄から電動釘打ち機を取り出したものの、その動きは目に見えて鈍くなっている。
とても、智代の攻撃を裁き切れるような状態では無い。

「これで、終わりだ…………!」

智代は勝負に終止符を打つべく、一気に踏み込もうとする。
次に智代が岸田を間合いに捉えれば、その瞬間に戦いは決着を迎えるだろう。
満身創痍となった岸田洋一は、碌に反撃すらも出来ず、意識を刈り取られる。



だが――その刹那。


もう少しで、智代の足が届く距離になるという時に。
追い詰められている筈の岸田が、あろう事か禍々しい笑みを浮かべ出した。


「……そうか。最初からこうすれば良かったんだな」
「――――え、」


智代の動きがピタリと停止する。
前方で、岸田の電動釘打ち機が水平に構えられていた。
智代に向けてでは無い。
岸田は咄嗟の判断で、智代では無く茜に釘打ち機を向けたのだ。
足を怪我している茜に、釘打ち機の発射口から逃れる術は無い。

「動けばどうなるか、分かってるよな?」

智代が下手な行動を起こせばどうなるか、考えるまでも無い。
殺人鬼・岸田洋一はそれこそ何の躊躇も無く茜を撃ち殺すだろう。
例えその後、自分自身が殺される事になろうともだ。
岸田は空いてる方の手で投げナイフを取り出すと、一歩も動けない智代に向けて構えた。

387 名無しさん :2008/03/12(水) 01:20:05 ID:JAd3em1s0

「駄目です、智代! 私の事なんて良いから、戦って――」
「……じゃあな、雌豚」

茜の叫びも空しく。
冷たい宣告と共に、ナイフが容赦無く投げ放たれた。
鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
智代は呼吸器官から湧き上がる血液を吐き出して、自身の服を真っ赤に染め上げた。

「……す、ま、ない。あか………ね―――――」

膝から力が抜けて、上体が折れる。
智代は最後に一言だけ言い残すと、冗談のような鮮血を流しながら地面へと倒れ込んだ。
倒れ込んだ智代に向けて、更に岸田が一発、二発と五寸釘を打ち込んだ。
衝撃に智代の身体が揺れたが、それも長くは続かない。
十数秒後。
そこにはもう、二度と動かなくなった亡骸のみが残っていた。

「と、智代…………!!」

茜が右足を引き摺りながら、懸命に智代の死体まで歩み寄ろうとする。
だが目的地に到着するよりも早く、背中に強烈な衝撃が突き刺さった。
茜は盛大に吐血すると、力無く地面へと崩れ落ちた。


「ったく、手間掛けさせやがって。身体中が痛むし最悪だ」

茜の背中からナイフを引き抜きながら、不快げに岸田が呟いた。
岸田は茜の肩を掴むと、強引に身体を自分の方へと向けさせる。

「何はともあれ、これで理解出来ただろ? 仲間なんて下らないモノに拘ってる連中は、馬鹿みたいに野垂れ死ぬだけだってな」

岸田はそう言い放つと、茜の胸にナイフを突き立てた。
生命の維持に欠かせない心臓が破壊され、夥しい量の血が飛散した。
だが、茜は尚も身体を動かして、智代の下に這い寄ろうとする。

388 名無しさん :2008/03/12(水) 01:21:05 ID:JAd3em1s0


(せめて……智代の…………傍で――――――)

霞みゆく視界、薄れゆく意識の中で、懸命に這い続ける。
萎えてしまった腕の筋肉を総動員して、少しずつ距離を縮めてゆく。
せめて。
せめて最期は、智代の傍で。
残された唯一の望みを果たすべく、茜は尚も動こうとして。

「――しつけえよ。いい加減死ね」

そこで岸田のナイフがもう一度だけ振るわれて、茜の首を貫いた。
周囲の床に血が飛び散って、赤い斑点模様を形作る。
神経を遮断された茜は、最早指一本すら動かせない。


誰一人として守れないまま、大切な仲間の下にも辿り着けないまま。
里村茜の意識は暗闇へと飲まれていった。
見開かれたままの大きな瞳からは、血で赤く染まった涙が零れ落ちていた。

389 名無しさん :2008/03/12(水) 01:24:39 ID:JAd3em1s0
【時間:2日目15:00】
【場所:C-03 鎌石村役場】

相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか】
【所持品2:他支給品一式(2人分)】
【状態:死亡】

坂上智代
【持ち物:湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

里村茜
【持ち物:フォーク、釘の予備(23本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ、役場から逃亡】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い、役場から逃亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。役場から逃亡】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(0/5)、予備弾薬9発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:肋骨二本骨折、内臓にダメージ、身体中に打撲、疲労大、マーダー(やる気満々)。今後の方針は不明】


【その他:二階の大広間に電動釘打ち機(11/15)、ドラグノフ(1/10)が、一階に89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ペンチ数本、ヘルメットが放置】



→B-10


>まとめサイト様
タイトルは『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』で御願いします。
また凄く長い話になってしまったので、二分割掲載を希望します(後編は>>377から)

390 名無しさん :2008/03/13(木) 19:35:18 ID:QjCmsZtU0
>まとめサイト様
申し訳御座いません
幾つか矛盾点がありましたので、以下のように訂正お願いします


>>363
>そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
           ↓
そう言いながら姿を現したのは、長い金髪の少女と、成熟した体型の女性。



>>367
>「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
>「私と同じ制服の人を……ですか?」
                       ↓
「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――お前と同じ年頃の女を二人、殺してやったぞ」
「私と同じ年頃の……ですか?」



>>387
>鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
       ↓
鋭い白刃は正確に智代の胸部へと突き刺さって、中にある内蔵すらも破壊する。

391 『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』作者 :2008/03/13(木) 19:35:51 ID:QjCmsZtU0
嗚呼……名前忘れました

392 Intermission-1 :2008/03/19(水) 03:40:59 ID:C1BCUMC.0
「…………」
「…………」
 何もしなくても時間は過ぎる。
 奥の部屋では珊瑚が独りでワームを作っている。
 あの部屋に到るまではたとえ何処からでも確実にこの部屋を通らなくてはならない。
 珊瑚と同じ部屋にいたままだんまりは宜しくない。その判断の元で一つ前の部屋に三人は集まっていた。
 やっていることはレーダーによる監視。
 誰かが首輪を外す手段を見つけていないなら確実にこれで捕捉出来るはず。
 起きている必要もない。寧ろ先を考えるなら寝ている方が良いだろう。独りで十分なはずなのに、そう思いながら珊瑚からレーダーを預かった瑠璃は目の前の男を見て溜息を吐く。
「寝たらどうや?」
「いや俺はまだ元気だから」
「後で足手まといになられても困るんやけど」
「じゃあ瑠璃が寝ればいい」
「ウチがさんちゃんから預かってるねん。そんなんできひんよ」
「…………」
「…………」
 これの繰り返し。
 みさきは既に布団の中。
 戦力になりうる二人がいざと言う時に戦えないのはどう考えても致命的なのだが、双方折れない。
 客観的に見れば今浩之は何もしていない。先程までは手分けして家中虱潰しに捜索し、食べ物以外にも役立つものもそれなりには見つけたのだが――そこまでだ。
 守勢に回る以上瑠璃がレーダーを抱えている限りやることもない。
 寝ていた方が百倍マシだろう。
 戦闘要員を差し置いてみさきが一番マシな行動をしているのも問題があるかもしれないが。

393 Intermission-1 :2008/03/19(水) 03:41:51 ID:C1BCUMC.0
 が、浩之にも浩之なりの理屈はあった。
「まぁ……俺よりは瑠璃の方がずっと疲れてるだろうからな。取り敢えず寝ておけよ」
「あかん」
 あの姉を連れ、守り、規格外に強力な武器を手に入れ、その割りにその武器は対峙した相手には使えず、漸く巡り合えた家族とは時を待たずに散り散り、挙句その命は……
 珊瑚は他に誰も出来ない事をやっている以上眠ってくれとは言えない。曲がりなりにも一応は安全と言える状況で道具も揃っている。又とない機会だ。これを逸する手はない。
 しかしその妹が休める状況があるのに休ませない手も又ない。
 集団で行動する時の速度は集団で一番遅いものに併せられる。
 流石にみさきと珊瑚より遅くなることはないだろうが、それでも疲れが溜まっているものから休ませるべきではあるだろう。
 と言う理屈もあるが、何より憔悴した目の前の娘が張り詰めた弦のように切れないようにしたいと言うのが一番の本音だった。
 それでも二人が起き続けるのが一番無駄なのだと言う事は二人とも分かっているのだが。
 その静寂がもう暫く続いた後、瑠璃が口火を切った。
「なぁ」
「ん?」
「さんちゃん頭ええやろ?」
「そうだな」
 掛け値ない本音だ。自分や自分の知り合い全てひっくるめても丸で敵わないだろう。正に規格外の天才だ。
「最高の天才だ」
「そうやねん。でも、ウチはアホなんや。さんちゃんと双子やってのが信じられへんくらい全然違う」
「瑠璃?」
「でもな、ウチ考えたんや。いっぱいいっぱい考えたんや。これからどうなるんか。どうするんか。イルファは……ウチのせいで……」
 涙を溜めて言葉を詰まらせる。が、それでも最後まで言い切った。
「ウチのせいで死んだ。ウチがさんちゃんが止めるの聞かずに勝手に行ったからや。その後さんちゃん連れて逃げたんは後悔しとらへん。ほんまはしとるかもしれへんけど……それでもしとらへん。ウチはさんちゃんが一番大事や。それはかわらへん。でも、ウチが行かんかったらイルファも死なんですんどったかもしれんのや」
「それは違うぜ」
 見過ごせないペテン。浩之は遮った。
「浩之?」
「それは違う。瑠璃。イルファって人が死んだのは瑠璃のせいじゃねー。そのイルファを殺した人のせいだ。そしてこの糞ゲームを開いた奴のせいだ。確かに瑠璃が行かなかったらイルファは死ななかったかもな。そこまでは事実だ。だが、断じて瑠璃のせいでイルファが死んだんじゃねーぞ。そこだけは履き違えるな」
 それでも納得は行かないのだろう。浩之の理論は一面では正しい。が、そうでない部分もある。
「いいな?」
「あかんよ」
「何?」
 哀しげに首を振る瑠璃は、なおも自分に断罪の杭を撃つ。
「あかん。それでもあかんねん。確かに直接殺したんはそいつやし、そうさせたんはゲーム開いた奴のせいかもしれへんけどな。そんな時に不用意に動いたウチが悪くないはずないねん。――――浩之。ここは戦場やで。戦場で散歩して撃ち殺されて。撃った奴が悪いゆってられへんやろ?」
「…………」
 それも又正しかった。でなくばこの世界に自衛なんて必要ない。
「だからイルファが死んだのはウチのせい。……でもある。それは間違いない」
 それでも訂正を入れてくれたのだ。陳情は無駄ではなかったのだろう。

394 Intermission-1 :2008/03/19(水) 03:42:24 ID:C1BCUMC.0
「でな。アホやけど考えてん。ウチがこの世で一番なんはさんちゃん。それだけはかわらへん。ずっとずっと。でも、この島は戦場や。ここもいつまで安全かはわからへん。レーダーあるから奇襲だけは……それでもないとは言えへんけど、そんなに気にせんでええ。でもウチらには武器があれしかないからな。家でも吹っ飛ばせるけど、先に撃たれておしまいや。やからこのままやと最初に戦闘する時にはどうしてもウチらが戦わなならん。さんちゃんもみさきも戦えへんからな。さんちゃんがウチより先に死ぬ事はない。ウチがさせへん。でも、ウチが死んだらここにはもう浩之しかおらんねん。浩之、そうなったらさんちゃん……守ってくれるか?」
「ったりめーだろ?」
 何を言い出すのかと思えば。考えるに値しない。
「ちゃう!」
 彼はそう思ったのだが。
「そうやない! 浩之はわかってへん! っ……ふ……浩之。さっき、ウチゆうたよな。『守る覚悟』って。その後も色々考えてん。でもな、最後まで考えると浩之が行った通り人殺しをする覚悟も必要になるんや。ウチがイルファ殺した人みたいなの殺すの躊躇してさんちゃんが殺されるのは絶対にだめなんや。イルファはそれが出来た。きっと出来た。そう言う相手を『殺してでも』さんちゃんとみさきを……守ってくれるんか?」
 瑠璃の問いは遥かに重かった。決まっていない覚悟を見せるな。その眼は言外にそう告げている。これが年下の少女が見せる眼だろうか。澄んで、燃えて、何処までも重い。
 浩之は暫し眼を閉じ、黙考した。
 瑠璃は解答を急かさない。
 手元のレーダーも、そこで寝ている少女も、今この瞬間はこの世界からは切り離されていた。
 何もしなくても時間は過ぎる。
 彼は漸く眼を開ける。
「……確かに、認識が甘かったな」
 穏やかに口を開き、彼は続けた。
「あいつは俺達を殺そうとした。川名は後少し、ほんの僅か俺が遅れるだけで死んでいた。間違いなく。あのデイバッグのように弾けていたんだよな」
 それは瑠璃に語っているのではないのかもしれない。
 ここまで来た幸運、悪運、不運。自分の認識の甘さ、覚悟の薄さ。
 それをただ確認しているだけなのかもしれない。
「そして俺は川名を連れて逃げ出した。そのこと自体は間違っているとは思わねー。現にこうして生きている。が、あの時はちゃんと武器もあったんだよな。反撃する為の武器が。それを捨てたから逃げられたんだけど、捨てなきゃ返り討ちには出来たかもしれないのか。――確かにここは戦場だわ。有無を言わさず殺しに来る奴がいる。そう言う奴らを殺せなかったせいで川名が死ぬのは……許せねえな」
 これは間違った認識なのかもしれない。しかしここは戦場だった。理想を抱いて周りの者を殺す選択肢を選ぶことは、彼には出来なかった。
「――瑠璃。守ってやる。川名も、珊瑚も、お前も。覚悟は決めたぜ。襲ってくる殺人鬼を殺さずに追い返す、なんて真似はしない。まぁ、逃げられる事はあるかもしれねーけどよ」
 最後は肩を竦めておどけてみせる。それでも瑠璃には十分過ぎた。貴明はここにはいない。イルファは自分のせいで亡くなった。自分が倒れた後他に頼る当てもなかった彼女にとって、浩之の誓いは何よりも有難いものだった。
「……あんがとな」
 呟かれる礼に、彼は無言を持って応えた。

395 Intermission-1 :2008/03/19(水) 03:43:20 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:00頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

396 Intermission-2 :2008/03/19(水) 03:43:52 ID:C1BCUMC.0
「せや」
「?」
 瑠璃の唐突な呟きで先刻までの重い空気は破られた。
「もう一つ大事な事があったんや。忘れるとこやった」
「忘れてなかったか?」
「やかまし。浩之、うちらの事信じとる?」
 又も今更。当然だろう。
「あたりめーだろ?」
「ウチもや。浩之たちのことは信じとる。やけど、この先ずっと4人のままとはかぎらへんやん。誰かが来るかもしれんやろ?」
「まぁ、そうだな」
 その可能性は往々にして在り得る。偶然がなければこうして姫百合姉妹と出会うこともなかった。
「でも、そいつが本当に信じられるかはわからへんやん。騙そうと思って近付いてきとるのかもしれん」
「まぁ、そうだ」
 その可能性も十二分に考えられる。そしてこちらが油断した時に致命的な一撃を放つそう言う奴の方が始末に追えない。
「やから、ウチは絶対に信用できる奴以外は仲間に入れたくないんや」
「でもそれだと、本当に困ってる奴が助け求めてきたらどうすんだ?」
「見捨てる。と言いたいとこやけど、さんちゃんもみさきも反対するやろ。ウチかて本当はそんなんしたない。やから今の内に話しときたいねん。浩之。絶対に信用できる人間は誰がおる?」
「そーだな……あかり、雅史、……志保もまぁこんな馬鹿げたのにゃ乗らんだろ。後は来栖川センパイ、マルチ、理緒ちゃん辺りは何があっても平和主義者だろうぜ」
「ウチはイルファと貴明とさんちゃんだけやねん。でな、ウチは貴明は疑えへん。やから貴明が来たら浩之が警戒して。その代わり今浩之が言った人間はウチが警戒する」
「!!」
 信頼してる人に対しては警戒が甘くなる。ましてこの状況。疑心暗鬼より拒絶するのでなければ、どうしても仲間は求めたくなる。そして、この状況で正常を保っている保障は誰にもないのだ。
「で、どちらでもない人間が来たら二人で警戒する。完全に信用できるまで。ウチにはこれくらいしか思いつかへんねん」
 この目の前の少女はそこまで考えた。姉の為だけに。その事実に内心驚愕する。
「……や、頭悪いなんてとんでもねえな」
「? 何が?」
「いや別に。こっちの話。それでいいんじゃねえかな。ずっと4人でやってくんじゃなきゃどっかで妥協点は必要なんだし。まぁそれもなるべく信用できる人間ってのが最低条件だけどな」
「当たり前や」
 そう言って笑いあう。緊張がほぐれていくのを何とはなしに感じる。
「瑠璃」
「なんや?」
「寝とけ」
「……任せるわ」
 レーダーを渡し、瑠璃は床についた。
 間をおかず、安らかな寝息が布団から聞こえてきた。
「……無理しすぎだっつの」
 まぁ俺も言えたことじゃねえか、と自嘲しつつレーダーを見つめる。
 守るべき重責が圧し掛かる。が、彼はそれを心地良く感じた。
「――かったりぃ」
 封印したはずの日常が口を吐く。
 しかしその口元は笑っていた。

397 Intermission-2 :2008/03/19(水) 03:44:16 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:20頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る。睡眠中】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

398 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:56:08 ID:C1BCUMC.0
 よく寝ている。
 本当に疲れていたのだろう。
 そして自惚れるなら、寝ている間のことを任せられる位には信用されたということだろう。
 その信頼には応えたい。
 あかり達を探したくもあるが、武器もないこの状況下。一手間違えれば最悪の場合即破滅。
 それに三人を巻き込むのは認められない。
 先ほどレーダーの電源が気になって珊瑚に見てもらいに行ったが、
「こんなん簡単やで」
 と言って本当に簡単に予備電池を作ってくれた。当面はその心配もないだろう。
 俺はまだ動ける。ただ、限界まで酷使はしない方が良いだろう。瑠璃が起きたら見張りを変わってもらうか。
 持ち物見ててなんとなく思い付き火炎瓶を作って見た。
 ビンに灯油を入れ、布で口を固定し、終了。これでいいのかは分からなかったが、多分使えないことはないだろう。空き瓶と灯油が続く限り作り続ける。
 作業の合間にぼーっとレーダーを見つめていると、端から……
「!?」
 新たな反応が。ついに来た。光点は……二つ? 三つ? 片方の点が時々ぶれて増えているように見える。速度は遅い。這う様な遅さだ。負傷か? それとも……
 もう少し寝かせてあげたかったが仕方ない。緊急時、独りで判断して失敗する愚行だけは避けなければ。
「瑠璃、川名」
「ん……」
「んー」
 ぐずる二人を何とか起こす。眼が覚めるや否や瑠璃が噛み付いてくる。
「敵!?」
「かもしれねえ。レーダーに反応がある」
 そう言ってレーダーを差し出す。受け取った瑠璃は慌てるでもなく、静かに言う。
「来たんやね……」
 暗く沈んでいく瞳が最悪のケースを浮かべているだろうことを容易に推察させる。
「さんちゃん呼んでくる」
 そう言って瑠璃は隣へ消えて行った。
「川名」
「何?」
「万一の時は」
「逃げないよ」
「何?」
「どうせこの島じゃ私独りでは生きてはいけないから。それならせめて浩之君と一緒に散るよ。私を助けてくれた貴方を見捨てることはしたくない。だから私を逃がす為に玉砕覚悟、なんてやめてね?」
「川名……」
「何?」
「聞いてたのか?」
「何のこと?」
 さっきの話。数時間前にした瑠璃との話。
「それと、さ。瑠璃ちゃんと珊瑚ちゃんは名前なんだから私もそれでいいよ」
 川名……みさきはくすくす笑ってとぼけやがる。全く……
「……かったりぃ」

399 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:56:38 ID:C1BCUMC.0
 程なく珊瑚と瑠璃が現れる。なんとなく見分けがつくようになった気がする。
「どうだった?」
 紙を付き付けられる。
「よう、わからん。なんとか外に繋がらんかなーおもて色々やったんやけど、ローカルで繋がらんし。ちょっと寝てしもた」
『あるていど。HDDはもってきたけどできればまたもどってきたい。パソコンまではもってけへん』
 ミミズののたくった様な文字で書かれている。が、意味する内容は大きい。
「駄目か……」
 とんでもねえ。まさに掛け値なしの天才だ。この短時間でもう眼に見える程度の成果が出たというのか。
「レーダーは?」
「見た。なんか遅いみたいやけど……光も三つあるみたい。二つ重なってるんやと思う」
「どうする?」
「取り敢えず、様子を見てみない? どうするにしても相手を見なくちゃ始まらないと思うな」
 まぁ、正論だ。
 それなら家の中よりも外の森の方が良いだろう。何しろ武器が武器だ。瑠璃との会話を思い出す。相手によっては殺す覚悟で挑む。その時は先制攻撃でないと話にならない。
「じゃ、一旦出ようぜ。終わったら又ここでごろ寝だ」

400 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:56:58 ID:C1BCUMC.0
「はっはっはっ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 全身が痛む。力が入らないとは言え、金属バットで滅多打ちだ。雄二に殴られた傷は決して浅くはない。七瀬と名乗るあいつにやられた傷もだ。場所がよくなかった。
 が、それだけ。身体は動く。絶対にタカ坊は私が守る。このみも守ってあげたかった。ごめんね。このみ。
 雄二はどうなっただろうか。あのこがあんなになるなんて正直考えもしなかった。あれで正気を取り戻してくれればいいんだけど。儚い望みなんだろうか。それでも血を分けた弟だ。どうしたら良いんだろう。どうすれば
「向坂」
「えっ……あ……何?」
 いつの間にか祐一が目の前に立ち塞がっていた。
 丸で気付かなかった。気付けなかった。いけない。こんな事では奇襲を受けた時瓦解してしまう。
「向坂。何を考えてるかは知らないけど、後にしようぜ。ぼろぼろの身体で考えてもいい事ないだろ」
 不覚。そんなにも外から見て丸分かりだったのか。
「ええ、そうね。ごめんなさい」
 気を付けなければ。祐一が観鈴を運んでいる以上、即対応出来る戦力は私しかいない。一瞬の油断が命取りになる状況でこれは度し難い行為だ。せめて、信頼できる仲間が出来るまでは止めておこう。
 だと、言うのに。
 いつの間にやら私は再び思考の螺旋に囚われて行き、
「そこの三人! 止まれ!」
「!!」
 最悪の形での奇襲を許す羽目となった。

401 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:57:21 ID:C1BCUMC.0
「動くな。頭も動かすな。右の女、武器を全て捨てて手を上げろ。こちらはそちらを纏めて吹き飛ばせるだけの武器を持っている。こちらの質問に正直に応えてくれ」
「…………」
 観鈴の持ち物から勝手に借り受けたワルサーP5を捨てて、手を上げる。
 今すぐ殺すつもりはないらしい。取り敢えずは従うべきだろうか。この事態を招いたのは私の責だ。最悪、私が犠牲になっても二人を逃がす。
「質問に正直に応えてくれたら……無闇な危害は加えないことを約束する。まず、左の男。お前が背負っている女はどうした?」
「……撃たれたんだよ」
 苦虫を噛み潰したような声で祐一が応える。目配せをしたいが、微妙にこちらから祐一の顔は見えない。
「足手纏いと分かっていてもか?」
「! っ……そうだよ」
「今は眠っているのか?」
「そうだよ」
 仕方ない。祐一が何らかの行動を起こした瞬間に声の元へ行くしかない。今度こそ、集中するんだ。
「そうか……じゃあ、次だ。右の女。何処に向かっている?」
 来た。しかし、何処まで明かすべきだろうか。後ろから銃を突き付けているであろう男がどういうつもりで質問しているのかが読めない。出来る事ならあの紙のことは知らせたくない。妥協点は……
「……平瀬村。氷川村で襲われて、今逃げているの。撒いたつもりだけどもしかしたら追って来ているかも知れないから、なるべく早く質問を終わらせて欲しいわね」
 こんなところか? 怪しまれはしなかっただろうか。
「それだけか?」
 心臓が弾んだ。が、表には出ていないはず。どうする?
「……一応ね。出来ればその子の縫合もしたいんだけど」
「……そうか。次の質問だ。……君達は、この殺し合いに乗っているのか?」
「!!」
「んなわけねーだろ!」
 祐一が吼えた。
「誰がこんな糞ゲームに乗るか! いいからとっとと行かせやがれ! こっちは急いでんだ!」
 観鈴を背に抱えたまま、顔も動かせず、それでも背後の人物にその声は響いた。
「女の方もか?」
「ええ。勿論」
 躊躇する理由はない。そして、この質問の流れ。もしかすると彼は。
「そうか。分かった。じゃあ、最後の質問だ」
 心なしか背後の声が和らいだ気がした。
「手は下ろしてくれていい。落とした銃も拾ってくれていい。こちらはもう君達に武器を向けてはいない」
 銃を拾う。彼は、こちら側の人間なのだろう。きっと。
「安静に出来る場所とそれなりの食事を提供しよう。一方的に武器を突き付けた非礼も詫びる。俺達の……」
彼は砕けた口調で続けた。
「仲間にならないか? Yesなら――こっちを向いてくれ」

402 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:57:45 ID:C1BCUMC.0
 遡る事尋問前の森の中。
「三人……だな」
「あのうち独りは知っとるよ。環や。貴明のお姉さんやで」
「本当のお姉さんちゃうけどな」
「一人は担がれてるが……怪我してんだろうな、多分。怪我人抱えて移動って無茶じゃねーか?」
「うん……下手すると傷も開くと思う」
「瑠璃ちゃん、助けてあげられへん?」
「……ちょっと待ってて。さんちゃん、みさき、耳塞いでてくれへん?」
「えー? 瑠璃ちゃん、ウチにナイショするん? つまらんなー」
「あう……さんちゃ〜ん……」
「珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん苛めちゃ駄目だよ」
「イジメてへんのにぃ〜」
 そういいながらも珊瑚は耳を塞ぐ。みさきも続いて塞ぐ。
「浩之、どないする?」
「んー、正直、乗ってるようにはどう見ても見えねーんだよなぁ。怪我人抱えて必死で移動して。自分自身もぼろぼろなのに、それを押して警戒して」
「ウチもそうやと思う。でもここで大丈夫やおもて駄目やったらさんちゃんが……」
「でも、いつかは渡んなきゃいけない橋なんだよな。……瑠璃、任せてくれるか? ちょっと芝居を打ってみる」
「芝居?」
「ああ。もし駄目だったらそん時は……二人連れて逃げてくれ。集合場所はその家だ」
「ちょっ……大丈夫なん?」
「四人とも信じられる人間だと思ったんだ。これ以上の条件もねーだろ。あの娘をなんで運んでるのか。怪我人でも見捨てられない仲間の為、ってんなら文句なしだろ。ただ、そん時は……仲間に引き入れてもいいか?」
「……そやね。ウチも出来るなら助けてあげたい」
「決まりだ。みさき、終わったぞ」
「さんちゃん、もうええよ」
 二人の手をとり、話し合いが終了したことを知らせる。
「さんちゃん、浩之が芝居してくれるんやて。それで大丈夫やおもたら助けてあげられる」
「ホンマ?」
「ああ」
「浩之君芝居出来るんだ。すごーい」
「いやメインはそこじゃなくてだな……いいや。行って来る」
「ウチらはどうする?」
「珊瑚はレーダー見ててくれ。瑠璃はロケット構えててくれ。みさきは……会話をじっくり聞いててくれ。俺からは見えない粗も見えるかもしれない。ただし、絶対に見つからないようにな。後レーダーに他に反応がでた時は即刻中断だ。すぐに出てきてくれ」
「はーい」
「んじゃ、行って来る」

403 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 03:58:07 ID:C1BCUMC.0
 時は戻り、尋問後。
「仲間……?」
「祐一」
「向坂?」
 ここは覚悟を決めるべきだろうか。相手のことは殆ど分からない。でも、最後のあの声は信じたい。信じられると思う。あの七瀬と名乗った奴の時のような嫌な感じはしない。だから。
「私に任せてもらえないかしら。最悪……二人だけでも逃がすようにするから」
「ばっ……」
「一つだけ質問させて。何でこんな回りくどいことしてるの? 」
「仲間を守る為だ」
 私達と同じ。私達が乗っていた時、被害を自分だけに留める為。私達と同じだ。
「祐一。振り向いて、いい?」
 否は返ってこなかった。

404 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:00:42 ID:C1BCUMC.0
「軍隊口調ってなむずかしーな」
「えー、上手だったよ。浩之君」
 森の中から三人が出てきた。
「姫百合さん!? 貴方もいたの……」
「ウチもおるよ〜」
「二人とも……」
「勘弁してくれよ。二度とやりたかねえ」
「ふふっ……」
「立ち話より落ち着いて話した方がええやろ。家にもどらへん?」
 自己紹介も終わり、情報交換。最優先は危険人物。
 巳間良祐、柏木千鶴、神尾晴子、篠塚弥生、朝霧麻亜子、岸田洋一。
 最も良祐と千鶴の名前は分からず身体的特徴に留まり、岸田は『七瀬と名乗った』が首輪をしていない事と日本人離れした大柄な身体、酷薄な眼で間違える事もないだろう。環は話している間に浩之と瑠璃の眼が暗く沈んでいくのをただ黙って見ていた。
 又、晴子が観鈴の母親であることも話した。晴子と名乗ったわけではないが、先ず間違いないだろう事も。
 豹変して姉を襲った向坂雄二、そして。
「マルチが!?」
 二人が同時に叫ぶ。
「え……ええ……」
「あのマルチが……っくそ! マジかよ!」
 浩之が両の掌を打ち合わせる。
「ウチも信じられへん……マルチがそんなになるなんて……」
「嘘じゃねえよ。そのせいで英二さんと離れ離れだしな」
「あ……信じてへんわけやないんで? ただ……」
「ただ、なんだよ」
「マルチはな、長瀬のおっちゃんが作り上げた友だちやねん。モデルベースやけど感情もちゃんとある。パターン反応言う奴もおるけど……それでもちゃんと生きとった。人を傷つけるなんてできひん子やったから……」
「俺の知ってるマルチは絶対そんな事はしねえんだよ。いっつも泣いて、笑って、頭撫でると嬉しそうにして……糞っ……」
「でも俺達は実際に襲われた! だからこそ今逃げてんだよ!」
「祐一」
「っ……すまん」
 豹変した弟と相対した環の言葉は重い。
「でも、本当よ。私達は元々どんなメイドロボだったかは知らない。でも、確かに雄二と一緒に襲ってきた。二人とも……壊れてたわ」
 その一言を紡ぐのに、どれだけの気力が要ったのだろう。肉体ではない。外見には一切分からない、精神が壊れている。それを認めることのなんと難しいことか。
「とにかく、私達のあった危険人物はそんなところ。……なんかこうしてみると相当沢山遭ってるわね」
 未だに未練を引き摺っているようだが、浩之と珊瑚の顔にも諦観の色が濃く見えた。
 こうやって心は削られていくんだろう。ここでは。
「弟がもしかしたら追って来るかもしれない。なるべくここを早く……」

405 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:01:11 ID:C1BCUMC.0
 唐突に珊瑚が環の唇を塞いだ。
「あかんよ。三人ともぼろぼろやん。ここで少しやすまな。倒れるで?」
 そう言って紙を付きつける。
『ひつだん。りゆうは?』
 筆談? 何故そんな事を。
 わけも分からず呆けていると珊瑚が書き足す。
『くびわ、たぶんとうちょうされとるで』
「!!」
 環と祐一は声にならぬ声で驚く。
「さんちゃんの言う通りや。怪我人連れて道で襲われるよりずっとええ」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
「そう言えば、武器の確認してなかったわね。貴方達、何持ってるの?」
『ワームって何? パソコンが必要なの? それで何するの?』
「ウチらは……」
『ワームってのはな、』
 とまで書いたところで浩之がペンを取り上げた。
『相手の首輪爆弾を無効にするためのプログラムだ。それを使えば最後反旗翻す時首輪で吹っ飛ばされないですむ』
 珊瑚が睨んでくる。とは言え傍から見れば拗ねているようにしか見えないが。それを見た瑠璃が浩之を蹴っ飛ばしてやりたいのを我慢つつ会話を続ける。
「ウチらはこれと、これと、これと、これ」
 そう言ってレーダー、誘導装置、この部屋で拾った包丁、フライパン、殺虫剤。そして外の森に行った時に壁に立てかけてあるのを見つけた鉈。
「あー後暇だったから作って見た」
 浩之が火炎瓶を取り出す。
「こんなことしとったんか……火は?」
「見つからなかった」
「駄目やん……」
「あー……なんていうか……武器は強力なんだけどね……」
 丸で汎用性がない。レーダーは非常に強力な武器ではあるが、近接戦闘の役には立たない。誘導装置は威力は桁外れだが、威力が発揮されるまでには時間が掛かり過ぎる。包丁、フライパン、殺虫剤、鉈は中距離じゃ殆ど役に立たない。火のない火炎瓶は言うに及ばず。
 銃撃が適した距離だと何も出来ない。
 ならばこれが丁度いい。
「私達は、これとこれ。」
 ワルサーP5とレミントン。これを合わせれば、どの距離でも対応出来る。
 レーダーのおかげで先手を取られることも(現在確認している中では岸田以外)ない。
 装備だけ見れば島のグループの中でも最上クラスではないだろうか。
「つーか、さっきのあれハッタリだったのかよ」
 祐一が憮然と返す。
「中々迫真じゃなかったか?」
「のやろ」
 浩之と祐一がじゃれあう。相性が良かったんだろうか。祐一が漸く気を許せる人とあえたのもあるんだろう。上手く噛み合っているように見える。

406 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:01:41 ID:C1BCUMC.0
「これがあれば奇襲を受ける事も早々あらへんし、急いで平瀬村行かんでもええんちゃう?」
 瑠璃が話を戻す。
「あっ……そういえば」
「どうかしたか?」
「ごめんなさい。あの時嘘ついたの。貴方達がどちら側か分からなかったから。これを見て」
 取り出された紙には『日出ずる処のなすてぃぼうい、書を日没する処の村に致す。そこで合流されたし』、『ポテトの親友一号』、『演劇部部長』とあった。
「もしかしたらこの紙を書いた人と仲間になれるんじゃないかって。多分これは平瀬村の事でしょ。暗号めいたモノを残す以上罠とは考えにくい。そう思ったの。この名前に心当たりは?」
 揃って首を振る。が、珊瑚だけは何かを考えるように俯く。
「姫百合さん?」
「あんな、このなすてぃぼういってもしかしたらエージェントのナスティボーイかもしれん」
「エージェント?」
「うん。名簿にも那須宗一ってあったし、多分そうやと思う。ただ……」
「いや待てそもそもエージェントって何?」
 珊瑚はきょとん、として黙り込む。そしてすぐに微笑みながら説明する。
「えーっとな、簡単に言うとお手伝いさんやねん。で、ナスティボーイってのがそれの世界一なんや」
「お手伝いさんの世界一位……」
 脱力。
「強いよー」
「珊瑚ちゃん、お手伝いさんの世界一位が強いの?」
「うん。お仕事頼んだら色々してくれるねん」
「強いお手伝いさん……」
 環の頭におたまとフライパンで戦うエプロン少女が浮かぶ。頭を振って消す。どう考えても不自然だ。齟齬がある気がする。
「姫百合さん。エージェントはどんなお仕事してくれるの?」
「何でもしてくれるよー。そやなぁ……留守番から戦争まで何でもって人もおったかな」
「ああ……」
 合点がいく。そういうものか。
「となると、味方になれば相当な戦力じゃないかしら」
「かもしれんけどな。ただ……」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
 言葉を詰まらせ、珊瑚は先ほどの紙を示す。瑠璃が会話を引き継ぐ。
「でも、そんな有名な人やったら、誰かがナスティボーイのまねっこしとるのかもしれへんやん。」
「まぁ俺達誰も知らなかったけどな」
「やかまし。取り敢えず環も祐一も休んだ方がええ。ウチが見とくから皆寝たらどうや」
「でも、本物だったら」
「そんなぼろぼろでどないすんねん。途中で倒れたらどうしようもないで」
「それはそうだけど……」

407 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:02:06 ID:C1BCUMC.0
 膠着状態に陥りかけた時、環が声を上げる。
「あ」
「なんや」
「あーーーーーーーーーーっ!」
「!?」
 呆気にとられる。
「ど、どないしたんや」
「忘れてた! 姫百合さんがいたのに……姫百合さん!」
「ウチ?」
「違う。お姉さんの方!」
「ウチ?」
「ちょっと待ってて!」
 環は今は布団で安らかに寝ている観鈴のポケットを探る。
「これ!」
「フラッシュメモリ?」
「そう!」
「向坂、落ち着け」
「う……」
「で、これは?」
「パスワードが掛かってるんだよ。中に何入ってるかはしらん」
「さんちゃん、見てくれへん?」
「ええよ」
「まぁ、これで決まりだな。暫くここに逗留だ」
「しょうがないわね……」
 環と祐一は諦めてへたり込む。疲れが溜まっていたのは否めない事実だった。
「そうや」
「瑠璃ちゃん?」
「あ、さんちゃんフラッシュメモリの方頼むわ」
「任せて〜」

408 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:02:31 ID:C1BCUMC.0
 珊瑚が奥の部屋に消える。それを確認して、瑠璃は環と祐一に向き直った。
 が、横にみさきがいるのを見て躊躇う。変わりに浩之が口火を切った。
「瑠璃。大丈夫だ、みさきは。向坂、祐一。二人に聞きたい。さっきお前達、弟の雄二とマルチに襲われたっていったよな」
「ええ」
「それでどうしたんだ?」
「雄二は私が、マルチは祐一と英二さんが相手したの。私が雄二を撃退して、英二さんが引き付けてくれている間に一緒に逃げてきたの」
「ふむ……なぁ、今なら雄二とマルチに負けることはないよな。飛び道具が石、武器がバットだけならさ。で、だ。二人には、雄二とマルチを殺せる覚悟はあるか?」
「浩之!?」
 祐一が立ち上がる。が、瑠璃が祐一を押し留める。
「ウチが言おうとしたのもそれやねん。ウチ、いっぱい考えたんや。ウチはさんちゃんを守る。その為にはどうすればいいか。いややけど、ここは戦場や。誰かを殺す人がいる限り、戦争はなくならへん。誰かを殺す人は誰かに殺されるまで誰かを殺す。誰かを殺す人を殺せるのに逃がして、誰かが死ぬかもしれへん。それはさんちゃんかもしれん。ウチはそれだけはいやや。やから、そういう人を殺す覚悟もした。守る覚悟をするなら、それもいるねん。ここでは、それも必要やねん。やから……やから……」
「瑠璃、もういい。そういう事だ。俺はみさきと珊瑚と瑠璃を守る。その為に無差別に殺す奴を殺す覚悟も決めた。だが、これがあかりや雅史になると俺だって殺せるかわかんねえ。正直、マルチだって……でもな、明らかに周りに害をなすんだったら誰かがやる必要がある。でもそれをやるのが辛い人がやる必要はねえ。守りたい人がそうなったら誰だって狂う。俺だって。だから、向坂。もし雄二とマルチが来たら、ここにいてくれ。俺達はお前の弟を殺す覚悟で臨む。俺達の邪魔だけはしないで欲しい」
「浩之……! お前……」
 祐一が激昂して掴みかかる。浩之は黙ってなすがままにさせる。祐一が腕を振り上げ、それを止めたのは。
「向坂……」
 環だった。
「そう……私が甘かったのよね。結局ここで雄二を追い返しても、別の所で誰かと殺し合いをするのよね……あの子が。それがタカ坊かもしれないし、もしかしたらこのみだったかもしれない。そして、最後には誰かに殺されるのよね。誰にも顧みられることなく、唯の殺人気として。浩之。不逞の弟の不始末は姉がつけるわ。手出しは無用よ。あの子の性根を……叩きなおす。絶対」
「向坂……いいんだな?」
「ええ。意味は分かっているつもり。武器は……これをかしてもらうわね」
 そう言って環は鉈を取り上げる。
「マルチは? 多分二人一緒にいるんだろ?」
「俺がやる。向坂にばっかりいい格好させられないしな」
「俺もいく。マルチは……俺が何とかすべきなんだと思うからな」
「…………」
 そしてだんまりを極めていた瑠璃を見る。
「瑠璃。留守番、頼めるか?」
 溜息をついて、諦めたように応えた。
「……ホンマはしたくないけどな。ええよ。さんちゃんたち守る人も必要やし。正直、正体まで分かってる相手ならレーダーで後ろからって言いたいけど……姉弟で戦うなんて、ウチには絶対無理やからな。そんなするくらいやったら……環は凄いで。その代わり、絶対生きて帰ってきてな」
「任せとけ」


 瑠璃以外が床に着いて暫く。レーダーに二つの光点が現れた。

409 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:03:15 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:30頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*3、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る。睡眠中】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:睡眠中】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈、救急箱、診療所のメモ】
【状態:頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)。睡眠中】

相沢祐一
【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)支給品一式】
【状態:観鈴を背負っている、疲労、南から平瀬村に向けて移動。睡眠中】

神尾観鈴
【持ち物:ワルサーP5(8/8)支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【所持品:金属バット・支給品一式】
【状態:マーダー、精神異常。疲労回復。姉貴はどこだ!?】

マルチ
【所持品:支給品一式】
【状態:マーダー、精神(機能)異常 服は普段着に着替えている(ボロボロ)。体中に微細な傷及び右腕、右足、下腹部に銃創(支障なし)。雄二様に従って行動】

410 そして舞台の幕は開け :2008/03/19(水) 04:06:58 ID:C1BCUMC.0
↑B-10

411 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:07:22 ID:C1BCUMC.0
 遡ること環達が逃げ出した後。
 雄二は環を追いかけるため数歩歩き、
「雄二様!?」
 倒れた。
 マルチは思う。
 問題。何故雄二様h倒れられたのか。解答。疲れていrしゃったのに私如きに教育しtくださる為にその手でな――ださったkらだ。問題。雄二様はこrからdうなさりたいのか。解答。雄二様は姉をouと仰られa。向坂たまkを追うヴぇきだrう。問題。何処に向坂環は――だろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がiた。こちらではない。又、雄二様は――にいらっしゃ。エラー。リトライ。問題。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。しかし、遺kんにも負けて。エラー。リトライ。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。東のあのninげんはおとりdろう。では西方mんだろうか。問題。屑であr私はどうすbきか。解答。雄二様が疲れ――っしゃるのd、私gおtれしよう。起kしては向坂tまき殺gいに悪えい響をおよbすおそれあr。このままやうんdいたdこう。
 マルチは思考を止め、雄二を担ぎ上げ、雄二が行こうとした道を歩き出した。
 彼女の思考には、雄二が起きた時に自分がどうなるかと言う内容は全くなかった。

412 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:07:50 ID:C1BCUMC.0
「雄二様……雄二様……」
「ん……」
 雄二は眼を覚ます。目の前にはマルチがいた。
「おはようございます。雄二様」
「!!」
 雄二は飛び起き、辺りを見渡す。
「おいマルチ! ここは何処だ! 姉貴は何処だ!?」
「ここはI-05とI-06の境目の道路です。雄二様のお姉さんの場所は分かりません」
「ああ!?」
「分かれ道まで来ましたので雄二様に決めて頂こうかと起こした次第です」
「んだとぉ!? この糞ロボット! 何ですぐにおこさねえ! あのままならあの糞姉貴をぶち殺してやれたのによぉ! 分かれ道だ!? ふざけんじゃねえ! このっ! 屑が! 屑が! 屑がぁっ!!」
 マルチは黙って殴られるに任せる。感情プログラムは既に大半が逝かれている。それを悲しむ感情もない。唯雄二のする事は全て正しい。故に殴る雄二が正しい。
「はぁっ……はぁっ……糞……もう反応もしねえのかよ……」
「申し訳ありませんでした。雄二様」
 壊れかけたプログラムに則り、自らの過ちを悔い、詫びる。
 又も激昂し掛けた雄二だが、自身の体調が先程に比べて格段に良い事に気付き、姉を追うことを優先させた。
「ふん……あの糞姉貴が考えそうなこった……どうせこそこそ逃げてんだろ」
 雄二は南西の道を選択した。
「行くぞ。糞ロボット」
「はい。雄二様」
 歪な主従関係の二人は、それと知らずに望む道を選び、進んでいった。

413 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:08:05 ID:C1BCUMC.0
 レーダーに映る二つの反応。
 瑠璃は一人で考える。本当なら、先制攻撃して安全に終わらせたい。
 しかし姉弟である事を考えるとどうしてもそれは出来なかった。
 無論、珊瑚に被害が及ぶようなら即座にでも撃ち殺す覚悟はある。しかし、出来るなら環のいいようにさせてあげたい。
 ジレンマに悩まされるが、この場は動けない。まずは皆を起こすだけ。
「きたで」
 皆の体を揺すって静かに起こす。
「ん……」
「瑠璃、レーダーを」
「ん」
 浩之はレーダーを受け取って確認する。
「……二人。状況を考えると可能性は高そうだな。最初は隠れよう。向坂、祐一。相手を確認してくれ。違うようなら最悪やりすごす」
「ええ」
「任せろ」
「あ、そうだ。ちょっと待っててくれ」
 浩之がそう言って台所に消える。程なく帰って来た。
「なにしとったん?」
「や、相手がマルチなら包丁よりこっちのがいいかなって刃物よりは鈍器かな?」
「そんな暇あんのかよ……」
「瑠璃」
「うん」
 瑠璃がレーダーを受け取って一歩引く。
「ウチがここを守る。銃一つ貰うで」
 レミントンを拾い上げ、ドアからの死角に待機する。
「帰ってくる時なんか合言葉決めるか?」
「そうだな……ドアを開ける前に『努力・謀略・勝利』ってのはどうだ?」
「なんでそんな後ろ暗いのを」
「じゃあ『愛・友情・勝利』は?」
「どっちでもええ。……ちゃんと帰ってくるんやで」
 浩之と祐一は揃って言った。
「任せろ」

414 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:08:27 ID:C1BCUMC.0
 森の中から来客者を確認する。
「間違いないか?」
「ええ」
「じゃ、行くか」
「絶対生きて帰るぜ」
「応」
 森の影から歩み出る。
「お?」
 雄二の動きが止まった。横のぼろぼろのメイドロボの動きも。
「おおーーーーーーっ! 逢いたかったぜ糞姉貴! あんときゃ雄二様の全力出せなくてすまなかったな! 今度こそ雄二様大・復・活で塵のようにぶち殺してやるよ! はははははははははははっ!」
「…………」
 環は応えない。俯いているので雄二からは表情も見えない。唯右腕にぶら下がっている鉈が眼に入るのみ。雄二はぴたりと哄笑を止め、環をねめつけた。
「姉貴。俺に弱いって言った事を後悔させてやるよ。俺はつええ。誰よりつええんだ。それを分からせてやる」
「そう……」
 環は弟の陳情を聞くと、顔を上げた。
「もう、無理なのね……」
 その瞳からは涙が流れていた。
「ひゃーーーーーーっはっはっは! 姉貴、ぶるってやがんのかぁ!? ああ気分がいい! よし姉貴! 今なら土下座して『申し訳ありませんでした雄二様。貴方様が最強です。私が間違っておりました。下賎な環をお許しください』って三回言えたら慈悲深い俺様が許してやんぜ!? 勿論そっちの屑二匹は殺すけどなぁ!」
「この……馬鹿雄二っ!!」
 裂帛の気合が響き渡る。雄二は気圧され、気圧された事を帳消しにすべく怒鳴り返す。
「んだよ! せっかく許してやろうと思ったのによ! もういい! 俺が直々にぶっ殺してやらぁ! マルチ!!」
「はい」
 応えてマルチが一歩出る。
「お前は屑二匹だ! 近付けさせんじゃねえぞ!」
「はい。雄二様」
「マルチ!」
「?」
「マルチ! 俺が分かるか!」
「……浩之さん?」
「なんでお前はそいつに従う! 応えろ!」
「雄二様が正しいからです。全てにおいて雄二様が正義だからです。雄二さがっ」
 マルチは言葉の途中で横に吹っ飛んだ。主に蹴っ飛ばされて。
「この糞ロボット! 誰が屑と話せと言った!? 俺は殺せと言ったんだぜ!? 言われた事すらできねえのかこのガラクタがっ!!」
「! 手前なんて事を!」
「あー? なんか言ったか? 屑。この奴隷人形がどうかしたのか? このっ! スクラップがっ! どうか! したのかよっ!!」
 何度も吹き飛んだマルチに蹴りを入れながら雄二は応える。
「申し訳aりませんでした。雄二様」
「マルチ!?」
「あの屑共を殲滅してまいrます」
「マルチ! 何でそこまでしてそいつに従うんだよ! マルチ!!」
「よし、とっとと行ってこい」
「てめえっ!」
「浩之」
 祐一が諫める。
「あいつは、向坂が何とかしてくれる。何とかする。俺達はマルチを何とかするんだろ。そう、決めたはずだ」
「っ……ああ。畜生。そうだな。そうだった。向坂!」
 環に向き直って、親指を上げる。
「負けんなよ!」
「当然」
 環は地を蹴立てて雄二に向かって行った。
「さて」
 改めて浩之はマルチに向き直る。
「マルチ」
 最早何も応えはない。
「お前も、もう戻れないんだな」
 最早何も応えはない。
「マルチ」
 右手におたまを。左手にフライパンを。それらを打ち鳴らし、彼は吼えた。
「行くぞおおおおおおおおおおおおおっ!」

415 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:09:09 ID:C1BCUMC.0
「そろそろ、始まったんかな……」
 家の中で、彼女は一人ごちる。
「勝つよ……浩之君も。向坂さんも。祐一君も。きっと、負けない」
 みさきは観鈴の手を握りながら、独り言にそう返した。
「……そやね。きっと……そう……」
 銃とレーダーを見ながら、瑠璃は祈るように呟いた。


「でやあああああああああああああっ!」
 浩之がおたまでマルチに殴りかかる。はっきり言ってあのマルチ相手じゃかすりもしないだろう。切り札は二つ。一つは言うまでもなくワルサーP5 。立ち回る必要のある相手に狙撃中は使えない。まして浩之がマルチと近接戦闘をする状況。遠距離でぶっ放すなどとんでもない。俺も近付く必要がある。もう一つ。使えるかどうかは分からないが、一応は持ってきた。役に立つといいんだが。
 浩之がマルチに向かって行ったと同時に、俺は横手に回りこんだ。その間にマルチは石を拾って浩之に投げつける。相当な速度で、硬球よりも硬い石。大きいのをまともに食らえば洒落にならない。当たり所が悪ければ多分死ぬ。大当たり。ジャックポットでございます。脳味噌目玉の払い出し。冗談じゃねえ。
 浩之は飛んでくるその石を。
 フライパンで受け止めた。
 ガーン、といい音がした。
「っつー……やっぱ、重いな。手が痺れるぜ」
 マルチはそれを確認すると、今度は浩之の足元に石を投げる。
 浩之はそれもすんでのところでかわす。
「マルチよぉ……この運動神経がエアホッケーの時にあったらきっと楽しかったのになぁ……」
 浩之が近付く。マルチが投げる。受け止める。その間に俺はマルチの斜め後ろに回り込む。浩之には悪いが、こいつはやばすぎる。出来るんなら早急に止めを刺したい。なるべく誰かが傷付く前に。俺は、こっからだ。
 近付こうとした瞬間に、マルチが反応してこっちに石を投げてくる。っておい。なんだその反応は。あぶねえ。
 何とかぎりぎりの所でかわし、再び距離をとる。
 しまった。こんなことならレミントン持ってくりゃ良かったか。いや、無駄だな。斜め後ろにあんだけの反応する奴だ。俺程度じゃ構えてる間に銃を石で撃ちぬかれる。何とかして近付かなければ……

416 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:09:28 ID:C1BCUMC.0
 糞姉貴をぶち殺す。そうすりゃ俺は最強だ。姉貴を殺せば俺が最強だ。姉貴も俺に平伏するし、姉貴も俺に服従する。姉貴は俺に惚れるし、姉貴は俺のものだ。だから姉貴をぶち殺す。俺は最強だ。俺が最強だ。だから俺が最強なんだ。だから姉貴を殺す。だから姉貴は俺のモノだ。
「ぶっ殺してやるよ! 糞姉貴!」
「上等! かかってきなさいこの愚弟!」
 鋼で鋼を打ち鳴らす、甲高い音がする。打ち下ろしたバットは、打ち上げられた鉈と拮抗して弾けた。
「ハッ! 今度はちゃんと殺る気かい! いいぜ姉貴! それでこそ姉貴だ! いつもみたいに俺に得意のクローかけてみるか!? ええっ!?」
 再度、全力で一撃。
 上下が入れ替わり、同じように弾きあう。
 楽しい。糞姉貴を殺せる。今の俺なら殺せる。今の俺は最強だ。このバットで頭蓋を砕いて、姉貴の脳味噌を啜ってやる。姉貴を殺してやる。姉貴を食ってやる。なぁ、姉貴。俺ら仲のいい姉弟だもんな? 殺してやるよ。食ってやるよ。ずっと一緒だぜ? 有難いだろ。糞姉貴。はははははははは。ははははっはははあはははははっはははっはははは。
「ははははははははははははははははははははははははっ!!」

417 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:10:39 ID:C1BCUMC.0
 マルチが投げてくる石を弾く。フライパンはでこぼこだが、全然撃ち抜かれる気はしない。だが……
「これ以上近付けねえ……」
 余りに近付きすぎると反応しきれず石を食らう。
 一発食らったら後は石の雨に撃ち抜かれて御陀仏だろう。怪我したままかわしきれるほど甘いもんじゃねえ。
 正直今でもかなり……っと、ぐっ!
「かすった……あっぶねえ」
 腿にかする。後1cm左にいたらまともに歩けなくなるとこだ。
「くっそ……お前は全然駄目なメイドロボじゃねえじゃねえか……」
 一歩引く。さっきより少しは余裕が出来た。しかし。
「近付かなきゃ……話になんねえよな……」
 と、マルチは急に斜め後ろに石を投げた。祐一か!
 チャンス!
 一気に近付く、と、近付こうとするとマルチがこっちに向かって石を投げてきた。
「たわっ!」
 適当に翳したフライパンに偶然当たってくれる。
「やべっ!」
 大きくバックステップで一気に下がる。その隙に投げられた石はフライパンで弾く。
「くっそ……近付けねえ……」

418 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:11:11 ID:C1BCUMC.0
 目まぐるしく入れ替わる攻防。馬鹿な弟の哄笑。響き渡る鋼の音。
 この馬鹿雄二は。まだ気付かないのか。もう気付けないのか。そこまで壊れてしまったのか。
「このっ……馬鹿雄二っ! いい加減気付きなさい!」
 この子の中でそんなにも狂気は育っていったのか。この島の最も酷い暗部を目の当たりにし続けたのか。大好きだったメイドロボを奴隷と言い、こうして私を殺そうとし、他人を塵と認識し。塵の中であの子は何の王になるつもりなのか。同じものを見れば私もこうなってしまうのだろうか。雄二やタカ坊、このみに躊躇なく殺しに掛かれるように。でも。私は誓った。あの子の性根を叩きなおすと。私は約束した。あの子の始末は私がつけると。あの子が見知らぬ誰かと殺しあって、見知らぬ誰かを殺し、見知らぬ誰かに殺される。私はそれだけはさせない。正気に返るまで何度だって打ち合ってやる。何度だって叫んでやる。
「あんたは何がしたいの!? あんたが強い!? 馬鹿なこと言わないの! あんたは弱い! 何度だって言ってやるわよ! あんたは弱い! 前の雄二の方が兆倍強かったわよ!」
「んだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
 押して、引いて、撃って、合わせる。
 でも。それが叶わないのなら……
 鋼の噛み合う音が響く。
 姉弟の歪んだなダンスはまだ終わりそうになかった。

419 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:11:29 ID:C1BCUMC.0
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。
 問題。このmま石を投げ続kれば――さんともう一人を殺せるか。解答。可能性は限定シミュrーションd計sんすると7.86%。エネrギー残ryyyう12%。不足。問題。そのtきの屑たる私の破損kkk率。解答。1.02%問題。問題。近接えん闘に持c込んだ時の勝りt。解答。限ていシミュレーsyンで計算srと72.21%問題。そn時の屑tるわたsssの破損確率。解答。51.39%問題。正しi雄二様の指示をまmる為には。解答。近sつ戦闘に持ちkむ。その際、前シmュレーションより……ロードエラー。リトライ。エンド。――さんを先に殺すべし。――さん? 雄二様のtきはヒトじyyyない。モノだ。モノに敬しょは不要。故に――さんは――さんではない。――さん? ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。不許可。――さんを先に殺す。問題。――さんを殺すために最適な動作は。解答。前シ――ションより……ロードエラー。リトライ。エンド。パtーン32の形しkで近付く。
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。

420 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:11:50 ID:C1BCUMC.0
「おっ? おおっ!?」
 いきなりこっちに沢山石が飛んできやがった。
 とっ……ほっ……駄目だこの距離じゃかわしきれねえ!
「つっ!」
 一つ貰った。足の甲だ畜生フライパン欲しいぜ。血が出てきたか? 骨は多分折れてねえ。とっさに距離をとったがまだ投げてきやがる。
 今だ。浩之。


 狙いを変えたのか? フライパンで防ぐ俺より先に祐一を潰す気か!
 近付くチャンス!
「っ――らぁっ!!」
 一気に走りよって、マルチに向けておたまを思いっきり振り落とす。
 その一撃をマルチは。
 左の腕で受け止めた。

421 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:12:07 ID:C1BCUMC.0
 回ひ失敗。s腕部23%はそn。制御かいふく。反撃かish。

422 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:12:24 ID:C1BCUMC.0
「くっ!」
 マルチに両腕を掴まれ、腹に蹴りを貰う。
「がはっ!」
 なんつー蹴りだおい。死ぬぞこれ。中身が出る。中身が。
「げっ!」
 もう一発。割れる割れる内臓割れる。あ、アンコがでるアンコが。やべ。おたま落とした。ええい。とっとと来いよ祐一。
「ごっ!」

423 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:12:41 ID:C1BCUMC.0
 浩之が捕まった。なるほどこの布石か。あのロボットやるじゃねえか。とか考えてる場合じゃねえよな。くそっ。足がいてえ。気にしてる場合か。急げ!
「ぐぅっ……!」
 浩之が血吐いてるのがこっからでも分かる。
「いい加減にしやがれ、暴走メイドロボ」
 届いた。
 ガンッ! ガンッ!
 左手と切り札その2を添えて、マルチの右肩にぶっ放す。よし! ついた!
「浩之! 離れろ!」
「無茶言うな! 糞っ……」
 右腕は逝ったが左手が離れてない。又一発浩之が蹴られる。ええい畜生。おたま! あった! 銃をしまって拾い上げる。
「いいから、逃げろっ!!」
 そして思いっきりマルチの左腕に振り下ろす!
 バキ、と鈍い音がする。しかし左腕は離れない。
「離せ、マルチいいいいいいいいいいいいいっ!」
 浩之が叫ぶ。
 足りないか。もう一度振り上げる。離れた!?
「離れろ! 浩之!」
「あ……」
「浩之!」
「お……応っ」
 浩之が驚いたように飛び退く。
 そして、マルチが動く前に、ノズルファイアで点火した火炎瓶を、投げつけるっ!

424 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:12:57 ID:C1BCUMC.0
 マルチが炎に包まれる。
 最後、あの時マルチはこっちを見た気がする。
 一瞬で握られていた手が離れた。
 マルチは俺の言う事を聞いてくれたんだろうか。
 それとも俺と祐一に殴られたせいであの瞬間に壊れたんだろうか。
 マルチが炎に包まれる。
 これで排熱は出来ないはずだ。周りの方が温度が高いんだから。
 すぐに焼け付いて動けなくなるだろう。
 これできっと俺達の勝ち。
「マルチ……」
 腹ん中がグルグル回る。
 マルチに蹴られた所がいてえ。
 畜生なんだこの遣る瀬無い気持ちは。
「浩之……」
 祐一が後ろに立つ。
「フライパンを。止めは俺がさす」
「……いや、そりゃあやっぱり俺の仕事だろ」
「浩之……」
 祐一を尻目に、燃えるマルチの所に歩み寄る。
「……じゃ、な。地獄で逢おうぜ。マルチ」
 フライパンを、思いっきり、叩きつけた。

425 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:13:19 ID:C1BCUMC.0
 もんdい。なぜわああああ離して――のか。かいtttう。ひだrrrうd通ddはんおうあr。ふめい。もんだい。なぜあの ――は」私をっをおをおyんだのkあ。解読エラー。リトライ。もんだい。なぜあの――は私をををよんだのkあ。kいとう。ふめい。mnだい。――はかあ。さ。j。解読エラー。リトライ。もnだい。――はdあrか。かいtu。ふmi。不許可。リトライ。もんだい。――はだrか。かいtう。ふmい。不許可。リトライ。問だい。――はだれか。かい答。ふめい。不許可。リトライ。問題。浩之さんは誰か。解答。――――――

426 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:13:37 ID:C1BCUMC.0
 一瞬で熱暴走を起こした機体は、一瞬で思考を止めた。


 最後に聴こえたマルチへの呼び声は、唯のバグだったのだろうか。


 砕けたチップにそれを確認する術はなかった。

427 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:13:52 ID:C1BCUMC.0
「!?」
 向こうで戦っていたマルチが燃え盛っているのが見えた。そして屑の一人にフライパンで頭をかち割られるのも。
「あの木偶人形!! 言われた事も出来やしねえのか!? 糞っ! ガラクタが!! 人間様の役にも立てないスクラップは工場から出て来んじゃねえ!!」
「雄二……」
「これで三対一か!? 上等だ! まとめてぶっ殺してやるよ! 俺は最強だ! 最強なんだ!!」
「ふざけんじゃねえっ!!」
 屑の一人が吼えやがった。フライパンで叩き割った方だ。
「手前みてえな屑の為に、どんだけマルチが頑張ったと思ってんだ!? っごほ……! 木偶人形? 人間様の奴隷? ふざけんな! どんだけ手前が偉いってんだ!! 生きてる……っぐ……生きてる奴に、人間もロボットもあるか!!」
「手前こそ何抜かしてやがんだ!? 屑が俺様に意見してんじゃねえよ!! その奴隷人形がどんだけ役に立ったってんだ!? ロボットが生きてる? 屑は頭ん中まで屑なんだな!! 手前が今砕いた頭ん中には何が詰まってたよ? 脳味噌か? 頭蓋骨か? ただの粗末なガラクタだろうがよ!!」
「てめっ……」
「二人とも!」
「向坂……」
「愚弟の始末は私がつける。手出しは無用。そう言ったはずよね?」
「ハッ! 上等だよ。糞姉貴! その度胸に免じて、殺した後犯してやるよ!!」
 姉貴の身体も悪くねえ。存分に楽しんでやるよ。

428 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:14:11 ID:C1BCUMC.0
 もう……無理なのね。私の声なんかまるで届かない所にまで行ったのね。
 雄二に従っていたメイドロボの死でも、この子を正気には戻せなかった。
 全てが雄二の狂気を後押しする。多分、私の死でも。
「馬鹿雄二」
「なんだ糞姉貴!?」
 もう、終わりにしましょう。貴方は他の人には殺させない。他の誰にも殺させない。
「一発。殴らせてあげるわ」
「向坂!?」
 自己満足は分かってる。それでも、私の手で蹴りを付ける。
「は? 姉貴、何言ってんだ? そんなに俺に犯されたいのか?」
「黙りなさい」
「っ……」
「その代わり、良く狙いなさい。貴方が一発で私を殺しきれなかったら、私が貴方を殺す。逃がしはしない。背を向ければその瞬間に貴方を切る。さあ。一発。殴りなさい」
 これはけじめ。私なりの、弟に対するけじめ。愚かなのは分かっている。これで皆に迷惑が掛かることも。それでも、これだけはどうしてもやっておきたかった。
「な……何言ってんだよ糞姉貴! ハッ! どうせ騙そうとしてんだろ!? 俺と真っ向勝負じゃかなわねえもんな! 俺が全力で打ち込んだのをかわしてカウンター食らわそうってんだろ!? その手に乗るかよ! さあ! 見破られたんだぜ!? 続きをやろうぜ!!」
 私は答えない。今言うべきことは全て言った。唯雄二の眼をじっと見詰める。この愚弟にはそれすらも歪んで見えるのだろうか。
「おい……糞姉貴……何言ってんだよ! そうじゃねえだろ! こっちだ! こっちで戦うんだ!! 違うだろ!? 姉貴はそうじゃねえだろ!?」
 私は答えない。雄二の瞳をじっと見詰める。
「俺は最強なんだよ! ちゃんと姉貴より強いんだよ!! そんな事しなくても姉貴より強いんだよ!! おい、手前ら! 手前らもなんか……」
 雄二は浩之たちの方を向き、言葉を詰まらせる。想像は付く。
「み……見るな! その目で俺を見るな!! そんな目で俺を見るな!! うわああああああああああああっ!!」
 私と同じ眼をして雄二を見ているのだろう。覚悟を見せろ、と。本当にあの二人には感謝しきれない。私の我侭でこれだけの被害を被っているのに。
「糞! 糞!! 畜生おおおおおおおおおおおおお!!」
 雄二は金属バットを振り上げ、振り下ろしてきた。それを見詰め……


 ――――――ゴッ

429 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:14:28 ID:C1BCUMC.0
「糞っ! 糞っ!! 畜生っ!!」
 違う! こんなんじゃねえ!! 俺は姉貴を実力で超えてこそ最強なんだ!! 糞っ! 糞っ! どいつもこいつも! 馬鹿にしやがって!! 糞! 糞! あの屑共のせいで姉貴との勝負が台無しだ! あの屑共を
「ゅうじ……」
「ひっ!?」
 なんだ!? なんなんだ!?

430 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:14:51 ID:C1BCUMC.0
 ……私は、死んでいない。左の耳が良く聞こえない。左の目もあまり見えない。でも、私は死んでいない。
「ゅうじ……」
 私は、死んでいない。目の前の弟を抱き締める。前に抱き締めた時より随分筋肉が付いている。タカ坊に比べて抱き心地はすこぶる悪い。
「ゅうじ……」
 さっきのあんたの一撃、効いたわよ。あんたも根性出せば中々の一発、出せるじゃない。ああ、目がかすむ。鉈が重い。でも、最後にやっておかなくちゃいけないことがある。それだけは、私の責任。
「ゅうじ……ごめんね……」
 最後の謝罪は弟に届いただろうか。
 丸太より重い右腕を上げて、抱き締めたまま、首筋を切り裂く。
「げぶっ……」
 それを見届けると、私の意識も拡散して行った。

431 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:15:10 ID:C1BCUMC.0
 ――俺は、負けたのか? あの糞姉貴に? 先に一発殴らせておいてもらいながら? 首筋から何かが抜け出して、身体が冷えていくのがわかる。あの姉貴、最後俺を殺す時に謝りやがった。泣きながらごめんとか言いやがったよ。あの姉貴が。傍若無人の、あの姉貴が。俺が姉貴を殺そうとしたのに、殺すつもりで殴って、事実死に掛けたのに。馬鹿じゃねーのか。あの姉貴は。自分を殺そうとした奴を抱き締めて、殺しながら、泣きながら謝って。なんで俺姉貴殺そうとしたんだっけ。あー、血が足りねー……ちくしょー……結局最後まで姉貴にはかなわねーんだな……あれ、マルチと新城と月島はどうなったんだっけ。ああ、そうか。新城は自殺して、月島は俺が間違って殺して、マルチは俺が壊したんだ。そん後に知らない奴を殺して、それから天野を犯して殺して。俺って最悪だな。なんでこんな事になったんだっけ? あー……もうどうでもいいや。それより最後に姉貴に謝りてーや。
「ぁねき……ごめんな……」
 声出たかな? あ、もう無理だ。手足の感覚がねえ。重いし。ん? 姉貴が乗ってんのか? 俺ちゃんと抱き締めてやれてるかなー……

432 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:15:24 ID:C1BCUMC.0
 二人の少年が抱き合うようにして折り重なる少年と少女に向かって駆ける。
 少年と少女を引き剥がし、少女の息を確かめ、早急に家の中に連れ込んだ。
 うち捨てられた少年は、奇妙に満足そうな顔を浮かべて死んでいた。

433 誰が為の鎮魂歌 :2008/03/19(水) 04:16:24 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:40頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、救急箱、診療所のメモ、缶詰など】
【状態:守る覚悟。民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*2、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:待機】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈】
【状態:左側頭部に重大な打撲、左耳の鼓膜破損、頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)】

相沢祐一
【持ち物:ワルサーP5(8/8)、支給品一式】
【状態:右足甲に打ち身】

神尾観鈴
【持ち物:支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【状態:死亡】

マルチ
【状態:死亡】

B-10

元々一つの話だったんですが、時系列飛んでるし糞長いんで分けてトウカ。

434 pure snow :2008/03/21(金) 17:41:22 ID:8CMfG.sA0
 ねっとり、と。
 粘つくような視線が眼前の整備された道だけでなく、左右に広がる緑色の空間にも向けられる。
 何も動いていないことを確認すると、すぐに目を別の場所に移す。
 見つかるまでは常に定まることのない、獲物を追い続けることだけに終始した視線であった。

 変わらぬのは表情。
 変わらぬのは足取り。
 変わらぬのは思考。

 好きな人と、二人だけの幸せな世界を築くために、少女、水瀬名雪は全ての参加者を抹殺するために北上を続けていた。
 彼女は血に塗れている。
 それは決して比喩的な表現ではなかった。文字通り、名雪が着込んでいる防弾性の割烹着は腰から上の部分殆どが赤黒く、独特のムラを残しながら色づけされていた。
 無論それは名雪自身の血液ではない。これだけの血液が染み込んでいるなら通常では出血多量で失血死してもおかしくないほどのものであったからだ。
 この割烹着は広瀬真希の死と……つまり命と引き換えに手に入れた形見の品というべきものでもあった。それも防弾チョッキというにはお粗末な、9mm弾を数発防げるかどうか怪しいという性能だというのに。

 人の命を奪ったことに対して罪を感じる気持ちも、逆に殺戮を快楽と感じ得る狂気の情念も、あるいは自らを生存させるための自己正当化だとも考えることは名雪にはなかった。
 殺害というのは目的ではなく手段であり、それをどうこう思うだけの感情は既に無くなっている。歩くことが手段ではないように。
 成り行きとしては当然の事である。度重なる苦痛と恐怖、ストレス、ショック……そして友人の死などが積み重なり、名雪は崩壊した。
 自分が死ぬのが、大切な人を失うのが、裏切られるのが、怖かったから。
 だから、名雪は手からするりと逃げてしまう前に奪ってでも捕まえることを決意したのだった。

435 pure snow :2008/03/21(金) 17:41:53 ID:8CMfG.sA0
 いつかの雪の日。
 ただ待っていたから、掴めなかった。
 ただ待っていたから、横取りされた。
 もう、待たない。
 手に入れる。手に入れる。しあわせ。しあわせ。
 もう、逃がさない。

 水瀬名雪の狂気は、止まらない。

     *     *     *

 名雪が歩を進めるのはゆっくりしていて遅い方であったため、そこについたのは昼を少し過ぎた時間になってからであった。
 菅原神社。
 つい先程までそこには天沢郁未が今後の方針についてうんうん頭を唸らせていたのだが、現在は彼女も去って無人の場所である。
 名雪がここに来たのも目立つ場所だから誰かがいるかもしれない、と判断してのことだったのだが、どうやら見当違いであったらしい。
 誰かがいたら射殺しようと、ポケットから取り出していたIMI・ジェリコ941を再び仕舞い直すと、今度はGPSレーダーを取り出してこの付近に誰かが潜んでいないかチェックを始める。

 このレーダーはコンパクトなサイズで重量も軽いのだが、捜索範囲がイマイチ狭い上に連続使用時間も短かったのでこのように隠れる場所が多いところ以外では使わない、と名雪は決めていた。
 光点は見受けられない。どうやら神社の内部にも何者かが潜んでいるわけでもなさそうだった。
 肩を落とすわけでもなく、ホッとするでもなく、名雪はレーダーを仕舞うと次の獲物がいそうな場所を見つけて移動するだけである。

 と、ふと地面に目を落とした名雪の目に、奇妙な跡が映った。
 石畳から少し離れた、柔らかい焦げ茶色の地面。そこに細長い楕円型の跡が、内部にミステリーサークルのような文様を残しながら転々と神社の裏側に続いていた。
 名雪はしゃがみこんで、その足跡に触れてみる。まだ柔らかい土の感触が、指に伝わる。
 いつごろ付けられたものかは定かではないが、この場には一種類しか見られないことを考えると単独、それも最近になってつけられたものだと、名雪は予測する。

436 pure snow :2008/03/21(金) 17:42:23 ID:8CMfG.sA0
 そのまましゃがんだ体勢で地図を取り出し、広げて目安になりそうな建物を探してみる。
 ――ホテル跡。
 神社の裏側を通って、どこかに向かうとすればここしか在り得ない。
 とん、と。
 地図上の鎌石村を指で指す。考える。ここに向かうならわざわざ神社の裏側を抜けて山登りする必要はない。
 とん、と。
 同じように平瀬村を指す。考える。ここに向かうとしても同じ。真っ直ぐ行けばいいだけのこと。
 故に。ホテル跡しか考えられないということだ。

 地図を手早く折り畳むと、それをデイパックに入れ、元のように背負いなおしてからその足跡を――引いては、ホテル跡へと向けて、歩き出した。
 もちろん、道中で遭った人物も殺せるように、手はポケットの中に、視線は常に動かしながら。
 真っ黒な闇を含んだ瞳は、今は森の奥に向けられていた。


【場所:E−2】
【時間:2日目15:30頃】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾13/14)、予備弾倉×2、GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルへ向かう】
【その他:足跡は郁未のもの。GPSレーダーの範囲は持ち主から半径50m以内ほど】

→B-10

437 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:15:53 ID:IHprr5pU0
 
「―――決着がついたようだな」

銀髪の軍人がふと漏らしたような声に、久瀬はぼんやりとした視線を南側へと向ける。
そこには荒涼とした岩場を歩く、ひとつの小さな影があった。
来栖川綾香だった。
長く美しかった黒髪は短く切り揃えられていたが、その存在感を見紛うはずもない。
松原葵を制し、この頂へと歩む姿には、やはり一片の翳りもなかった。
遠く、その表情は見えなかったが、顔にはきっといつも通りの不敵な笑みが浮かんでいるのだろう。
強い女だ、と思う。いつだって人の二歩、三歩先を行き、振り返ろうともしない。
同じペースで歩んでいるつもりでいても、いつの間にか差が開いていく。
生き急ぐでもなく、焦るでもなく、ただ悠然と歩む彼女についていこうとした自分は、いつだって小走りに生きるしかなかった。
それは純粋に、存在としてのスケールの差なのだと、久瀬はそう理解していた。

その来栖川綾香が、迫ってくる。
距離にしてほんの数百メートル。
文字通り無人の野を往くが如く、綾香はその行く手を阻まれることなく歩んでくる。

「……陣を、組み直さないんですか」
「あの女の纏う雰囲気、最早夕霧では抑えきれまい。……俺が出る」

気負いも迷いもなく返す男に、久瀬もまた驚きを見せることなく静かに問いを重ねる。

「ここを、空けるんですか」
「指揮はお前が引き継ぐんだ」

間髪を入れぬ言葉。
予想通りの回答に、苦笑じみた表情を浮かべて久瀬が俯く。

「僕には無理ですよ」
「何故そう思う」
「理解できないからです」

短いやり取りの中、血と死臭に澱んだ空気が揺れる。
閃光と爆発。何かが焦げるような臭いを運ぶ風。
北と西では未だ激しい戦闘が続いているという、それは証左だった。
だが南側を向いてしまえば、それは単なる音でしかない。
人が死んでいく音。それだけのことでしか、なかった。

438 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:16:51 ID:IHprr5pU0
「どうして、撃たなかったんですか」

座り込んだ尻に、屍から流れ出す血と体液が染みてじんわりと冷たい。
その冷たさを感じながら、久瀬が問う。
南側に音がしない理由。
南側で、人が死なない理由。

「いくらだって、機会はあったはずです。二人まとめて殺してしまえる機会が、いくらだって。
 ……どうして夕霧たちを退かせたんですか。それが僕には理解できない。
 それが正しい指揮だというのなら僕には無理だと、そう言ったんですよ、坂神さん」

一気に言い放つ。
淡々とした、しかし拭いきれぬ苦味を感じさせる、その声音。
その指示を聞いた瞬間の、愕然とした思いが久瀬の脳裏に蘇る。
松原葵と交戦に入った来栖川綾香に対し、坂神蝉丸は夕霧による狙撃を停止した。
幾度も膠着状態に陥り、あるいは互いに倒れ伏して動きを止めた二人を仕留める機会のすべてを、蝉丸は座視していた。
北側と西側で続く戦闘の指揮を執りながら、しかし南側に対してだけは何の対策も採らなかった。
久瀬が問うているのは、その理由だった。

「……」

一瞬の沈黙。
流れる風が、血の臭いと砂埃を運んでくる。
歩み来る綾香に視線を向けながら黙していた蝉丸が、ほんの僅かだけ視線を動かして、口を開いた。

「人が、その尊厳を賭ける闘いに水を差せば、我らは義を失う……それだけだ」
「矛盾ですよ、それは」

陰鬱な、しかし斬りつけるような久瀬の言葉。

「一方では死人を物みたいに扱っておきながら、一方では大義を口にする……。
 矛盾してるじゃないですか、そんなの」

439 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:17:26 ID:IHprr5pU0
割り切れと、蝉丸は言う。
その通りだと、目的に至る最短の道を選べと、久瀬の理性は告げている。
しかしそれでは、それでは筋が通らないと、久瀬の中の少年は首を振っていた。
人の道を捨てろと命じた男が、同じ口で仁義を説くのか。
わかっている、分かっている、判っている。
今はそれを語るべき時ではない。一分一秒を稼ぐために命を磨り減らすべき時だ。
味方を詰ったところで何ひとつ益はない。
だが、口を閉ざすことはできなかった。
閉ざしてしまえば、何かが死ぬ。
それは心臓や、血管や、温かい血や、そういうものを持たない何かだ。
だがそれはきっと、ずっと長い間、久瀬の中に息づいてきた、大切な何かだ。
いま目を逸らせば、口を閉じれば、耳を塞げば、それは死ぬ。
だから、久瀬は言葉を止めない。

「じゃあ……、じゃあ夕霧たちは、何のために死んでいったんですか。
 綾香さんを食い止めるために死んでいった、沢山の夕霧たちはどうなるんですか。
 矜持がそんなに大切ですか。どれだけの命を費やせば、それに釣り合うんですか。
 あなたは矛盾に満ちている。あなたは勝利を目指していない。あなたは幻想に縋っている。
 あなたは何も願っていない。あなたは夕霧の幸せも、まして僕のことも、何とも思っちゃいない。
 あなたはただ、ありもしない何かに手を伸ばそうとしているだけだ。あなたは―――」

尚も言い募ろうとした久瀬が、ぎょっとしたように目を見開いて飛び退こうとする。
遅かった。宙を舞った大きく重い何かが、久瀬を押し潰すように覆い被さっていた。
小さな悲鳴を上げてそれを押し退けようとして、できなかった。
ぬるりとした手触りのおぞましさが、怖気の立つような冷たさが、それをさせなかった。
自らの上に乗ったものを正視できず、しかし目を逸らすこともできずに、久瀬は涌き上がる嘔吐感をただ必死に堪えていた。
背中から首筋にかけて露出した肌をケロイド状に焼け爛れさせた、それは砧夕霧の遺体だった。

440 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:17:57 ID:IHprr5pU0
「死人は重いか、久瀬」

傍らに土嚢の如く積み上げられた骸の山の内から無雑作に一体を放り投げたまま、蝉丸が口を開く。
透徹した視線は遥か南を見据え、久瀬の方へは向けられようとしない。

「どうした。それは重いか。それとも抱いて歩けるほどに軽いか」

久瀬は答えない。
答えられない。
口を開けば、反吐ばかりが溢れそうだった。
ねっとりと絡みつくような手触りが、久瀬に圧し掛かっていた。

「三万だ。お前の肩には、それが三万、乗っている。既に喪われ、今また散りゆく三万の骸を、お前は背負っている。
 抗うと決めた、その時からだ」

組んでいた腕を静かに下ろして、坂神蝉丸が歩き出す。
カツ、と軍靴の底が岩肌を打つ音が響いた。

「将はお前だ。命じるのはお前だ。
 立って抗えと、座して死ねと命じるのはお前だ、久瀬」

震える手で遺体の肩を掴めば、それは冷たく、ぬるりと重い。
まるで生者の熱を奪おうとでもいうようなその温度に全身の毛が逆立つような錯覚を覚えながら久瀬が振り向けば、
蝉丸の姿は既に数歩を経て遠かった。

441 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:18:31 ID:IHprr5pU0
 
「―――あなたはまるで、擦り切れた軍旗のようだ」

徐々に小さくなる蝉丸の後ろ姿を見ながら、久瀬が呟く。
それは先刻口にしようとしていた言葉、言いかけて止められた言葉の、その続きだった。
威風堂々と振舞う男。
何度も死線を潜り抜けてきた歴戦の勇士。
幾つもの勲章を胸に下げた肖像の中の英雄の如く少年の目に映る彼は、坂神蝉丸という男はしかし、脱走兵だ。

戦場にはためく紋章旗の空虚を、孤独を、滑稽さを、久瀬は思う。
絶えず舞う埃に塗れたその姿を。
何の前触れもなく日に数度降る雨に濡れたその姿を。
水溜りから跳ね飛ぶ泥に塗れたその姿を。
曲射砲の撒き散らす鉄片に小さな穴をいくつも空けられたその姿を、久瀬は、思う。

坂神蝉丸は擦り切れた軍旗だ。
ただ風を受けて己を示し続ける、薄汚れた、誇り高い布きれだ。
それは暗い密林で熱病を運ぶ蚊に怯える兵士の見上げるとき、あるいは砂漠で乾いた唇を摩りながら見上げるとき、
崩れかけた心に小さな火を灯し、清水を満たす紋様だった。
斃れた戦友の痩せこけた手を握るとき、それは遥か遠い故郷へと続く道標のように見えた。
そこにあるのは戦神の加護であり、散っていった者たちの魂だった。
その薄汚れたぼろぼろの布きれは、戦場にはためくとき、そういうものであれるのだった。
敗残の兵、軍務違反の脱走兵である坂神蝉丸という男は、つまりそういう男だった。

「あなたは戦う者たちの希望。あなたは抗う者たちの刃。そう在り続けられると、自身でも信じている。
 ……だけど同時に、恐れてもいるんだ」

そうして久瀬は、口にする。

「戦争が終わって、桐箱に仕舞われる日のことを」

442 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:19:00 ID:IHprr5pU0
坂神蝉丸の、それはこの世界で唯一の恐怖なのだと、久瀬は思う。
思って、天を見上げる。
日輪は蒼穹に高く、しかし天頂には未だ遠い。
瞼を閉じてなお、陽光は眩しく瞳を灼いた。
大きな深呼吸を一つ。
目を開ければ、収縮した瞳孔が映す世界には蒼という色のフィルターがかかっている。

南に視線を下ろせば、男の背中が見えた。
寂寞と荒涼の骨格を矜持と凛冽によって塗り固めたような、遠い背中だった。

背中の向こうには、一人の女が立っている。
笑みの形に歪んだ顔を、動脈血と静脈血で赤黒く染め上げた女。

「―――」

何事かを小さく呟いて、久瀬は対峙する二人から目を逸らす。
それは訣別であり、また激励であったかもしれない。
いずれにせよ、踵を返した少年が振り返ることは、遂になかった。
山頂の南側にあるのは、坂神蝉丸と来栖川綾香の物語だった。


***

443 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:19:33 ID:IHprr5pU0

向き直った少年が目にするのは、幾筋もの光芒。
爆音と焦熱の臭い、無軌道に蠢く無数の影。
それは血と苦痛と災禍と、消えゆく命に満ちた物語。
砧夕霧の物語が、そこにあった。

「僕の名前は、どこにも刻まれない」

少年が、一歩を踏み出す。

「だけど、決めた。抗うと決めた」

屍の山の只中に。

「それは意志だ。他の誰でもない、僕自身の意志だ」

散華する少女たちの王として、

「だから、もう一度だけ言おう。これが僕の、僕たちの答えだ」

高らかに、

「聞けよ、世界」

美しく。

「―――諸君、反撃だ」

開戦を、告げた。

444 十一時十八分/Seifer Almasy :2008/03/26(水) 03:20:06 ID:IHprr5pU0
 
【時間:2日目 AM11:20】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6911(到達・6911)】
 【状態:迎撃】

坂神蝉丸
 【状態:健康】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→943 955 ルートD-5

445 誰が為に :2008/03/26(水) 16:11:51 ID:we92bBF.0
「……ふむ、それで、バラバラになって逃げてきた、と」
 鎌石村小中学校内にある保健室。古い校舎故か八畳の広さもないと思われる狭い空間に、四人の男女(内一人は意識がないが)が輪になりながら話し合いをしている。
 消毒用のアルコールの匂いに紛れてはいるが、それでも染み付いた赤の汚れは飛散し、そこは決して安息の地などではないことを示していた。
 頼りなげに彼らの天井で光る照明も、それに拍車をかけている。チカ、チカと、彼らの命が儚いものだとでもいうように。

「ええ、ひょっとしたら、今にでもあの女がここに足を運んでいるかもしれません。目立つ場所だから、ここは」
「確かにな……」

 藤林杏の治療を終えてようやく折原浩平の話を聞く事ができた聖は、腰掛けた回転椅子の上で足を組み替えながら何事かを考えているようだった。
 その隣ではパートナーである一ノ瀬ことみが心配そうに杏の様子を窺いながらも、まずはこの会話に集中することにしたのか自分のデイパックから一枚の紙を取り出すと、それを浩平に渡す。
「私達は、今は人探しをしているんだけど……」
 それが本当の目的ではないということは、あまり考えるのが得意ではない浩平にもすぐに分かった。
 浩平に渡されたのは、先にことみが芳野祐介や神岸あかりと出会った時に書き綴った脱出計画のあらまし。そのために必要な材料の確保。これが現在の行動指針ということらしかった。恐らく、友人を探すのはそのついでなのだろう、と浩平は思った。

「私は佳乃という妹。ことみ君は岡崎朋也、古河渚、藤林椋、そして今ここにいる藤林杏……を探しているんだが、君に心当たりはないか?」
「……いや」

 割と数多くの人間と行動してきたつもりではある浩平だが、その人間については知らない。それよりも気になるのは、本当にこんなもので爆弾が、それも建物一つを吹っ飛ばせるものが作れるのか、ということだったが、だからといって浩平に別案があるわけでもなかったので信じるべきだろう、と自分を納得させる。

「あ、そうだ。さっき会った人達と情報交換をしてきたんだけど……」
「何? 初耳だぞ、ことみ君」

 いつの間にメモなんか書いていたのか、と思っていた聖だったが誰かに会って脱出計画の話をしてきたというのなら一応納得は出来る。ただ、その情報交換をした人間とやらが本当に信用できるのか、という疑問はあった。万が一にでも、この計画は主催者側には知られてはならないのだから。

446 誰が為に :2008/03/26(水) 16:12:17 ID:we92bBF.0
「うん、芳野祐介って人と、神岸あかりって人と……別行動をしてるみたいなんだけど、長森瑞佳って……」
「長森!? 待て、詳しく聞かせてくれっ! オレの知り合いなんだ!」

 瑞佳の名前を聞いた瞬間、身を乗り出すようにしてことみに詰め寄る浩平を、「落ち着け」と頭を軽く叩いて椅子に座らせる聖。何はともあれまずは冷静に話を聞け、と付け加えて。
 いきなり形相を変えた浩平の様子に怖気づきながらも、ことみは話を進める。

「えっと、それと、柚木詩子って人もその長森瑞佳って人と別行動してて、今はそれぞれ分かれながら使えそうなものを探しているらしいの」
「柚木もいたのか……なら、いいが……」
「折原君、一ついいかな」

 瑞佳が知り合いと一緒にいると分かって少し安堵していた浩平に、今度は聖が問いかける。
「その長森君、とやらはどんな人物なんだ? ああ、それと柚木君、という方も知っているようだからそちらについても教えてくれると助かる」
 直接会ったわけではない聖は若干ながら疑いの念を持ってはいる。浩平の様子からそこまで危険視するほどでもないと考えてはいるが、一応尋ねておくべきだ、と思ったからだった。

「長森はオレの幼馴染だ。ガキんときからの腐れ縁だからあいつの性格はおつりが来るくらい知ってるさ。世話焼きで、まあしっかり者だよ。お人よし、とも言うかな……とにかく、あいつは絶対信頼できる。間違いないっす。柚木の方は……うるさい。やかましい。アホ。これくらいっす」

 瑞佳の評価に対して詩子のほうはおざなりだな、と聖は思ったが子供の時からの腐れ縁、だというならその性格に関しては問題ないだろう。
 残りは芳野祐介と神岸あかり、という人物だが……名前からして、芳野という方は男だろうし、ことみの言動から見ても、心配はないはずだ。
 いささか慎重になりすぎだろうか、と聖は自分を分析しながら「すまない、話の腰を折ってしまったな。ことみ君、続けてくれ」と話を促す。

「うん、それで、お互いの目的を確認し合って、芳野さん達には西を、私達は東を当たることにしたの」
 ことみは浩平の手から紙を取ると、鉛筆で『硝酸アンモニウム』の部分に横線を引き、上に小さく『芳野組、達成』と書き足した。
 つまり、既に芳野達は行動を開始している、ということになる。残すは軽油とロケット花火だった。

「ふむ、つまり、私達は当初の行動を変える必要はない……むしろその芳野祐介とやらが肩代わりしてくれているから手間が省ける、そういうことだな?」
「大正解なの」

 ぱちぱちぱち、とことみが拍手する。だがそれを遮るように、浩平が「もういいか?」と言いながら席を立ち、保健室の外へと向かおうとする。

447 誰が為に :2008/03/26(水) 16:12:45 ID:we92bBF.0
「悪いが、オレは長森を追いかける。芳野とか神岸って奴がどんなのか知らないが、長森もオレを探してここまで来たはずなんだ。会ってやらないと」
「待て、折原君」
「……何すか、聖さん」

 扉に手をかけられたとき、聖が呼び止める。

「会って、それからどうする? 一緒に行くのか? それともここに戻ってくるか、それだけ聞かせてくれ。場合によってはこちらも行動指針を変えなければならないからな」
「……? どうしてすか?」
 一人がいなくなったところで何か変わるものなのか。かなり真剣な様子の聖の声に、浩平は疑問を抱かずにはいられない。それよりも早く瑞佳を追いたい、そればかりが浩平の頭の中を過ぎっていた。

「そんなことも分からないか?」
 やれやれという調子で肩をすくめる聖の挙動に、少しイラッとした浩平が声のトーンを上げる。
「もったいぶってないで、早く言ってくれませんか」
「……本当に分からんか」
 呆れたようにため息を吐き出すと、聖は立ち上がり保健室の奥にあるカーテンを引く。
「あ……」

 浩平が、呆けたように声を出す。
 それは患者を寝かせるベッドと聖達のいる応接間というべき部分を分かつカーテンだった。
 ミントグリーンの、柔らかな絹のそれに守られるようにして、ベッドで眠っていたのは、藤林杏。
 肩から上の部分しかその姿は確認できないが、穴が開き、赤と土色で無残に汚れた制服がハンガーにかけられていることから、恐らくは下着のみなのだろう。
 つまり、それだけの大怪我を負っていた。その事実を雄弁に物語っている。
 さらに時折聞こえる苦しそうな寝息が、彼女の命がまだ危ういものであることを証明している。

「――分かったか」
 数メートル先にいるはずなのに、聖の声は耳元で話しかけられたように、浩平には思えた。
 見せるべきではなかったんだがな、と呟いてから聖はカーテンを閉め直す。
「あんな怪我人を連れて行動なんてできない。いや、医者としてそうさせるわけにはいかない。これは私の意地だ」

448 誰が為に :2008/03/26(水) 16:13:14 ID:we92bBF.0
 連れて行けるわけがない。そうだ、連れて来たのはオレなのに。どのくらい酷い怪我だったのかはオレが一番良く知っていたはずなのに。
 どうして失念していたんだろう。

 思いながら、そう、浩平は肩を落とした。
「彼女をここに置いておくとなると、当然護衛……というのは大げさにしても、付き人が必要だ。何せ抵抗もできないのだからな。となると、折原君が戻ってこなかった場合、私かことみ君のどちらか一人で探索に向かうことになる。それはそれでまた危険だ。だから君に答えを求めた」
 確かに、爆弾を作る材料を抱えながらの移動は危険極まりない。加えて聖……はともかく、ことみは女性だ。腕力的にも材料を持って運べるか、と尋ねられると……無理だろう、と浩平は考える。
 それに、二人のやろうとしていることは万が一にでも失敗が許されないものだということは浩平にも分かっている。万全を期すためにも危険は極力避けたいところなのだろう。

 つまり、今後どう行動するかは、浩平に委ねられている、と言っても過言ではなかった。
「どうなんだ、折原君」
 再度、聖が尋ねる。ようやく平静さを取り戻した浩平の頭が、この場の全員にとって、最善だと思える選択肢を、瑞佳にとって最良の選択肢となるように、論理を導き出す。

「……やっぱり、長森には会いに行きます。それで、もし聖さん側に連れて来れるようだったら、そっちに戻ってその後はついて行きます。ダメだったら……長森について行きます。その時は、その旨は必ず伝えるつもりですけどね。だから、オレが長森に会って答えを出してくるまでここで待ってて下さい」
 妥協できるのはここまでだった。何はともあれ、ずっと浩平と共に在った瑞佳の存在は、やはり大きなものだった。
 えいえんのせかい。
 そこに消えていくだけの浩平を連れ戻してくれたのは、瑞佳だったのだから。

「……どうだ、ことみ君」
「10分で済ませな。それまでは大人しく待っててやるぜベイベ、なの」
「何の真似だよ、そりゃ」

 一昔前の映画俳優のような渋い口調で提案を受け入れたことみと、そして聖に、浩平は呆れ顔で笑いながらも我侭を許してくれたことを感謝する。
 ぺこり、と一つ大きく頭を下げて。
「それじゃ、行ってきます」
 平凡な日常で、学校に行くときの挨拶のように。

449 誰が為に :2008/03/26(水) 16:13:39 ID:we92bBF.0
 折原浩平は永遠から日常へと回帰するためにドアを開け放った。

     *     *     *

「芳野、さん……」
 瑞佳と詩子の身体を調べていた芳野は、黙って首を振る。もう手遅れだ、と付け加えて。
「畜生……なんで、俺はあんなことを」

 仏頂面ないつもの芳野祐介は、もうそこにはいなかった。
 突如瑞佳と詩子の命を奪った殺人鬼への怒りと、間違った判断を下してしまった自分への情けなさとが入り混じって。
 何度も何度も、歯を食いしばりながら芳野は拳を地面に打ち付ける。血が滲むほどに、芳野の手は土埃で汚れていく。

「くそっ……くそっ!」
 一際大きく拳を振り上げようとしたところで、芳野の異変を感じ取ったあかりが慌ててその腕を掴む。
 拳先から僅かにあふれ出していた血が、あかりの目に留まる。
 それは詩子の脳からあふれ出していたそれとはまた違う、土と赤が入り混じった絵の具のような汚い色だった。

「神岸、放せ」
「だ、だめです」

 ドスを利かせた暗闇の中からの声に一瞬力を緩めてしまいそうになるが、それでもあかりなりの意地を出して芳野の腕をがっちりと止める。
 ぎゅっ、と。抱きかかえるようにして。
「お願いです、自分だけを傷つけるようなことだけはしないでください……誰が悪いわけでもないんです。でも、みんなに責任があるんです。私も、長森さんも、柚木さんも……芳野さんにも」
 なお振りほどこうとする芳野だったが、殴り続けていたせいで力が入らずあかりの拘束を受け続ける羽目になる。
 力でねじ伏せることの出来なくなった芳野は、口先を武器に反論する。

450 誰が為に :2008/03/26(水) 16:14:11 ID:we92bBF.0
「全部俺の責任なんだ。効率ばかりを重視して、こいつらの安全を確保しなかった。時間がかかってもいい、命はあってこそのものなんだ。それを、俺は……俺はっ!」
「違います! これは私たちが、自分で決めたことなんです!」
「何を!」
「反対ならいくらでも出来ました! 別れることの危険性や、デメリット……それくらい私にだって分かります。木偶人形じゃないんだから! 口には出さなかったけど、みんな、それを納得して芳野さんの意見に賛成した! だから責任は私たち全員にあるの!」

 芳野の怒りにも負けぬような、あかりの決死の反論。
 それは推測に過ぎない。本当にそれらを分かっていたかどうかなんて、今となっては知りようもない。
 けれども、別れるときに異論はないかと尋ねた芳野に、誰も異論は挟まなかった。それは事実だ。確かに、納得していたのだ。その時は。
 どんな人物に二人が殺害されたのかは、芳野にもあかりにも分かるわけがない。
 だがあかりは、今までの話から詩子も瑞佳もそれなりの戦闘を掻い潜ってきていることは知っている。警戒心が全くなかったわけではない。
 つまり、そこから考え出せる推論は、こうだ。
 二人は、してやられたのだ。狡猾に、隙を窺い、卑劣にも恥辱を与えるような、残虐で凶悪な人間に。
 それは誰かが悪かったわけではない。だが責任がなかったわけでもないのだ。そこまで最悪な事態を考慮できなかった、その思考に。

「仕方がなかったなんて言えないけど……でも、自分を傷つけたってどうにもならないよ……後悔しても、もう、戻ってこないから……」

 不用意な行動のせいで、あかりは自分を信じてくれた一人の人間を殺害したにも等しい行為をしてしまった。
 いくら謝罪しても、いくら泣いて喚いても時間は戻らない。
 だから、せめて。

「無理矢理にでも、先に進むしかないよ……長森さんや、柚木さんが探していた人と、会えるまで」

 一際強く、あかりは芳野の腕を抱きしめる。許しを請うわけではなく、贖罪をして、償っていくために、逃げることはあかりには許されていなかった。
 それが、国崎往人の拙い人形劇を見たときに決めたことだったから。

「逃げちゃ、いけないんです」

 ふっ、と。
 芳野の腕から、急速に力が抜けていく。握り締められていた拳は、いつの間にか開かれていた。

451 誰が為に :2008/03/26(水) 16:14:38 ID:we92bBF.0
「……確かにな」
 自嘲するような、芳野の呟き。
「いつもそうだ。何もかも背負い込んだ気になって、一人で勝手に潰れて、逃げようとする。昔っから変わらない」

 遠い、今ではなく遥かな昔に、青かった時となんら変わらない自分に、芳野は辟易する。
 伊吹公子が優しく迎え入れてくれたあの時に、もうそんな真似はしないと誓ったはずだったのに。
 また、こうして叱ってくれるまで忘れていた。
 男だから。年上だから。
 そんなつまらないプライドのために逃げ出そうとしていたのだ。
 嘆いて形ばかりの責任を取るよりは、もう過ちを犯さないために彼女らの死を無駄にしないことの方が余程マシだ。

「ああ、そうだ。今は、やれることをやるしかない」
 石のように重たかった芳野の頭は、今は羽のように軽い。
 だから、空を見上げることができた。
「いつか、歌を贈らせてもらう。その時まで、今はまだ俺を許してくれ」
 題名は、そうだな。『永遠へのラブ・ソング』。

 目標を立てることで、芳野は新たに生き残る意思を固める。またそうすることで、少しは彼女らの意思を継げると思ったから。
「すまない。手を、離してくれ。長森と、柚木を弔ってやらなくちゃいけない」
「……はい。私も手伝います」

 あかりの腕が静かに離れる。手の甲についていた血は、すっかり乾ききっていた。力も、十分に入る。
「一人ずつだ。まずは……長森からだ。裸のままにしておくのは、忍びないからな」
「ですね……」
 近くにあった瑞佳の制服を取り、丁寧に包み込むように、贈り物を包装するように瑞佳の身体に包んでやる。これ以上、誰にも汚させぬように。
 芳野が、お姫様抱っこの要領で持ち上げ、埋葬に適した場所に連れて行こうとした、その時だった。

452 誰が為に :2008/03/26(水) 16:15:07 ID:we92bBF.0
「……おい、あんた、何だよ、それ」
 一人の少年の声。
 信じられないというように、当惑するように、そして、怒りを隠しきれぬ声色を以って。
「あんた……長森に、柚木に何をしやがった!」
 ――折原浩平が、仁王立ちとなって、芳野とあかりの背後で叫んでいた。

 握り締められた包丁はカタカタと震え、一直線に進む視線からは明らかな殺意が見て取れる。いや、殺意だけではない。
 そこには絶望が、悲しみが、困惑が。大切な宝物を奪われた少年の顔が、そこにあった。
「お前……推測を承知で言うが、折原浩平か」
 見ず知らずの芳野に言い当てられたことに少々驚いた浩平ではあったが、すぐに表情を怒りのそれへと戻して返答する。

「ああ、そうだ。あんたが抱えてる……長森瑞佳の……幼馴染だよ。あんたが殺した、長森のなっ!」
 は、と唾を吐き捨てて浩平は芳野への罵倒を続ける。
「そうやって騙したんだろ? 善人の振りして、情報を引き出して、用済みになったから殺したんだろ?」
「ちが……」
 それは間違っている、と主張しようとしたあかりを、芳野は片手で制して止める。言わせてやれ、と浩平には聞こえないように、小声で言いながら。
「大事そうに抱きかかえやがって、そんな悲しそうな目をしてたって……オレには分かるんだからな。あんたは人殺しだ、殺人鬼なんだろ。全部演技なんだろ。無駄だからな、オレを騙そうったってそうはいかないんだからな……なあ、何とか言えよ! 図星なんだろっ!?」

 芳野は黙ったまま。言い訳もせず、ただ黙って目を伏せたまま、浩平の罵倒を受け入れていた。
 それくらいなら、いくらでも聞いてやる。そうとでも言うように。

「なあ、オレはな……」
 怒りだけだった浩平の声が、次第に転調を始める。
「長森のこと、どうしようもないアホで、お節介で、世話焼きで、鬱陶しいとか思ってたときもあったけどさ、でもオレにはいなくちゃいけないやつだったんだよ……あんたみたいなクソ人殺しには分からないに決まってるだろうけどさ、長森は、オレの支えだったんだ。いつだってオレを助けてくれてさ、いつだってオレのバカに付き合ってくれてさ、そんないいやつ、この世にいると思うか?
 いないんだよ、長森はたった一人なんだよ、他にどんなバカ正直なお人よしがいたとしてもさ、長森はたった一人で、オレがありがとうって言えるのは長森しかいないんだよ。なのに」

453 誰が為に :2008/03/26(水) 16:15:34 ID:we92bBF.0
 一本の線が、浩平の頬を伝う。
 震えの原因は、怒りから、悲しみに。喪失感で溢れたものへと、変わっていた。
「なのに、もう、いないんだよ。言ってること分かるか? いなくなったんだ。もう、オレは長森に何もできない。できたとして、全部自己満足なんだよ。もう、あいつから、何も聞けないんだ。あいつには、いっぱい、しなきゃいけないことがあったのに」

 浩平には分かっていたのだ。芳野が、演技などではとてもできない本気の涙を流しながら、瑞佳を抱いていたから。
 何も言わず、言い訳すらせず、浩平のしようとしていることを受け入れようとしている。
 そんな奴が、長森を殺すはずがない。長森も、そんな奴じゃなきゃ付いていかない。だって、一番よく知ってるんだから。
 そんなこと、とっくの昔に分かってたのに。
 やり場のない怒りを、目の前の男にぶつけることで何とか発散しようとしている。
 なんて小さい男なんだ、オレは。
 だから、浩平は、泣き喚きながらそうするしかなかった。

「責任取れよ」

 包丁を捨てる。
 カラン、と卑小な音を立ててそれが地面に落ちる。
 ゆっくりと、浩平は芳野に向けて歩き出す。

「責任取りやがれよ」

 分かっている。こんな行動こそ、まさに自己満足でしかない。
 なのに、止まらない。止められない。
 ガキだから。聞き分けのないクソガキだからだ。

「長森と柚木がどんだけ苦しんで、どんだけ助けを求めたか、あんたには分かるんだろ! なら、お前もそれを味わえよっ! この……」

 ――走り出す。
 拳にやり場のない怒りを乗せて。
 まずは一発、いや、最初で最後の一発を放つ。

454 誰が為に :2008/03/26(水) 16:16:01 ID:we92bBF.0
「――ダメぇっ!」

 ――つもりだった、のに。
 どん、と。
 浩平……いや、何故か芳野もあかりによって突き飛ばされていた。女の子とはとても思えないくらいの、全力で。

「うおっ……!?」
「ぐ……!?」

 2メートル。
 それくらいは離れただろうか。
 二人は尻餅をつく。二人とも、突き飛ばしたあかりを見上げる形になる。
 分からない。何が『ダメ』なのか。
 芳野は真意を、浩平は文句を、それぞれ唱えようとしたとき。

 たたた、と。
 どこか遠くで、でもすごく近い、そんなところから浩平には聞き覚えのある音がして。
「――!!」
 悲鳴を、必死に食いしばるようにして、神岸あかりが何かに貫かれ、くるくると回転しながら、赤いスプレーを、さながらスプリンクラーのように散らしながら。
 どさっ、と。
「……か、かみ、ぎし……!」
 倒れた。

     *     *     *

 多分、それは時間にすれば、ほんの一瞬で、今までの人間の歴史から――それどころか、私が生きてきた短い人生から見てもゴマ粒のように一瞬だったように思う。
 逆に言えば、それだけあれば人は死ぬんだなあ、って思う。長森さんや柚木さんも、こんな一瞬で、痛みを通り越して死んでしまったのかな?
 でも、やっぱり死にたくはなかったんだろうなって思う。だって、今の私がそうなのに。
 なんで、あんなことしちゃったんだろう。銃口に気付いて、切磋に突き飛ばす、なんて。

455 誰が為に :2008/03/26(水) 16:16:28 ID:we92bBF.0
 いや、きっとそれで正解だったのだと思う。
 私一人が生き残って勝てない戦いをするより、芳野さんと、折原浩平、っていう人が一緒に戦ってくれれば。
 それに、あの人は、ほんのチラッと見ただけだけど……美坂さんを、殺した柏木千鶴――その人だったように思う。
 ああ、今にして考えれば、折原浩平くんのように、一発殴りたかったな。私らしくないけど、簡単に人の命を奪うような人を、私は絶対に許せない。
 殺された人にも、家族とか、友達とか、好きな人がいたはずなのに。
 ……けど、やっぱり柏木千鶴さんにも、人を殺してまで守りたかった人がいるのかもしれない。他人を切り捨てられるくらいに愛する人がいたのかもしれない。
 そう考えると……誰も悪くはないのかな、と思うようになってきた。ああ、でも、やっぱり、浩之ちゃんに会えなくなっちゃったのは、とても、辛い。

 浩之ちゃんも、折原浩平くんみたいに私を探してくれてるのかな。長森さんのように……とまではいかないけど、私が死んだら凄く悲しむのかな。
 それを想像すると、胸が痛んだ。でも、私の行動は間違っていなかったと思う。
 だって、人を見殺しにするなんて、浩之ちゃんなら絶対にやらなかっただろうから。分かるから。ずっと一緒にいた、幼馴染だったから。

 ……国崎さん。もし、もう一度国崎さんに会えたら、その時はあの人形劇を見せてもらいたかったな。あれは、元気と、勇気のでる、最高のおまじないだから。
 ……長森さん、柚木さん。少ししか一緒にいられなかったけど、とても楽しかった。どこかで、会えるといいな。
 ……志保、雅史ちゃん、レミィ、葵ちゃん、来栖川先輩、姫川さん、マルチちゃん、みんな、ごめんね。
 ……浩之ちゃん――

 ――大好き。

     *     *     *

 柏木千鶴が鎌石村小中学校にやってきたのは、ウォプタルがだんご大家族(100匹分)を全て平らげた後だった。
 来た道を戻ってきたのは、先の戦闘で、これ以上進んでも人間との遭遇は在り得ないと結論付けたからだ。
 加えて、それなりの武器は入手している。自身の戦闘力を踏まえれば大抵の戦闘は潜り抜けられる。
 乱戦の中に飛び込んでも勝利できるだけの自信はあった。

456 誰が為に :2008/03/26(水) 16:16:53 ID:we92bBF.0
 そして、さらに幸運なことに、学校にやってきてみれば、二人の男が口論のようなことをしているではないか。
 あと一人女……と思われる人間がいるが、止める術を持たないのかただ傍観しているばかり。
 何を言っているかは分からないが、この機に乗じて全員抹殺することは容易だと、千鶴は考えた。
 一方の……少年と思われるほうが、今にも掴みかかりそうな勢いで、青年の方の男に迫る。
 二人の格闘が始まる瞬間が、千鶴にとっては好機だった。
 ウージーサブマシンガンを構え、始まると同時にウォプタルを駆けさせ、ウージーを乱射し一網打尽にする。
 それで終わりのはずだった。
 だが、少年が掴みかかろうとしたまさにその瞬間、女の方がこちらに気付く。

「あの子は……」
 前に一度見た事がある。いやそればかりか殺害寸前にまで持っていったことがある少女。
 偶然の再会に、千鶴のトリガーにかかった指が、一瞬だが止まる。
 それが結果的に未来を大きく変えてしまうことになる。
 千鶴の指が止まっている時に、少女――神岸あかりは二人の男――芳野祐介と折原浩平を突き飛ばし、彼らを千鶴の射線から外してしまったのだ。
 当然、指の動きを止めていたのは一瞬だったので、狙いを変えることは出来なかった。
 たたた、とウージーが弾を吐き出し終えても……
「――く、しくじった!」
 倒したのは、あかり一人だけという結果。いや、そればかりか。

「貴様ぁ……ッ!」
 芳野祐介が、千鶴に向けてサバイバルナイフを振るう。あかりが倒れた瞬間、芳野はその矛先を襲撃者――千鶴に向け、目にも留まらぬ勢いで疾走し、攻撃を開始する。
 悲しみでもなく、動揺するだけでもなく。ただ、あかりを倒した目の前の女が許せなかったのだ。そして、またもや気付けなかった芳野自身にも。

「キャウウウウゥゥゥゥッ!」

457 誰が為に :2008/03/26(水) 16:17:18 ID:we92bBF.0
 避けきることの出来なかったナイフは、真っ直ぐにウォプタルの首筋を切り裂く。
 暴れ、もがくウォプタルの背中に乗っていられぬと判断した千鶴は素早く飛び降り、体勢を整えようとする。
 そこに、芳野の第二撃が迫る。
 順手ではなく、逆手でナイフを握っての斬撃。突くのではなく、振るうという目的で使うにはこちらの方がより効果を発揮する。
 回転するように振るわれた芳野のナイフは……当たらない。
 キィン、という甲高い音と共に、千鶴は日本刀の刀身で芳野の刃を受け止めていた。

「くっ……」
「くそ……」

 二人の力が、刃を通じて真正面からぶつかり合う。
 ギリギリと、お互いの意地と怒りを乗せて。
 芳野は引けない。
 千鶴はマシンガンを持っていて、少しでも後退しようものならそれで穴だらけにされて終わるだろう。
 千鶴は距離を取りたい。
 むざむざ相手の有利な距離で戦う必要性は皆無。その上戦う相手は芳野だけではないからだ。
 しかし……

「ぐ……」
 なんだ、この女の力は?

 少しずつ押される事実に、芳野は戸惑いを隠せない。
 日本刀が、徐々に芳野の顔面に近づいてきているのだ。押し返そうとするも、それ以上の圧力で跳ね返されてしまう。どう見ても、細身の女だというのに。

「どうしたの? 苦しそうだけど」
「あんたに、心配される筋合いは……ない……!」

 千鶴に、少し余裕が生まれる。
 このまま押し切っても距離を取っても、芳野に勝利できる公算は十分にある。むしろこのままジリ貧になってくれたほうが都合がいい。
「く、そっ……」
 日本刀の先が、芳野の髪の毛に触れる。
 もう少し――

458 誰が為に :2008/03/26(水) 16:17:44 ID:we92bBF.0
 千鶴が、更に力を込めようとする。その真横から、新たに迫る人影があった。
「!?」
 気付いて避けようとしたが、既に遅かった。芳野と鍔迫り合いしていたから、というのもあった。
 折原浩平が、包丁を抱えて、突進してきていた。
 勢いをつけられた包丁の刃が、千鶴に突き刺さる。

「っ……!!」
 悲鳴を出すことは流石にしなかったが、日本にかける力が緩んでしまう。それを芳野が見逃すはずはなかった。
 一歩下がると、思い切り体勢を低くし、アッパーのようにナイフを振り上げる。
 しかし千鶴もさるもの、バックステップを利用しあっという間に数メートルの距離を取る。

「やって、くれるわね」
 憎々しげに、千鶴は浩平を見据える。刺された左腕からはとめどなく血が流れ出し、既にウージーは強く握れなくなっている。
 どうせ弾切れだ。
 千鶴はそれを地面に打ち捨てると日本刀を横一文字に構え、二人に対峙する。
 ちらりと横目で見れば、ウォプタルは苦しそうに呻いていて、足としての役割は期待できそうにない。
 いいわ。これはハンデにしておいてあげる。真っ向勝負で屈服させてあげるから。
 目が、細められる。それは紛れもなく、本気を出した『鬼』の様相を呈していた。

「……さっきは助かった」
「勘違いすんな、これはオレのリベンジなんだ。あいつは……オレが絶対に倒す。ちょっとした因縁もあるからな」

 浩平は七海を屠り、杏に大怪我を負わせ、今またあかりを殺害した千鶴に対して絶対的な敵意を向けていた。
 そして、またもや助けられ、何もできなかった自分への不甲斐なさ、無力さにも。

 どうして、オレはいつもこうなんだ。
 誰かに助けられて、理不尽にも当たり散らすだけで、また誰かに助けられて……
 ふざけんな。
 ここで決別する。
 オレは、オレで借りを返せる人間になるんだ。クソガキなオレは、今日で卒業だ。

 ――えいえんのせかいなんて、ブッ壊してやる。

459 誰が為に :2008/03/26(水) 16:18:14 ID:we92bBF.0
 少年が、覚悟を決める。
 しかしただ熱くなっているだけではない。冷静に、浩平は状況を分析していた。
 柏木千鶴とは以前戦ったことがあり、その身体能力の差は歴然としていた。真っ向からの勝負では、とても勝ち目はない。
 ならば、勝機はどこにあるのか。
 答えは……

「――せあっ!」
「来るぞ!」

 芳野の声に弾かれるようにして、浩平が真横に飛ぶ。それまでいた空間は既に千鶴の日本刀によって貫かれていた。
 これで安心してはならない。
 浩平は包丁を縦に構え、受けの体勢を取る。果たして予測は外れなかった。
 甲高い音と共に、包丁は千鶴の追撃を跳ね返す。

「――!」

 千鶴は少々面食らった顔をしていたが、サッと刀を返すと真後ろから迫っていた芳野の斬撃を打ち払う。
 またもや押し負けた芳野が僅かにふらつくのを見逃すわけもなく、千鶴が追撃とばかりに芳野の腹部に横蹴りを放ち、クリーンヒットさせる。
 横転しながらもすぐに体勢を立て直す芳野に、二の矢が迫る。
 首ごと斬り飛ばすかの如き勢いで垂直に振り下ろされる刀。芳野は膝立ちの体勢から横に小さく飛んでごろごろと転がりつつ、辛うじて躱す。次にようやく立ち上がったかと思えば、水平に放たれた刃が迫る。慌てて動作をひっくり返ししゃがみの体勢を取る。相反する命令を下されながらも、ぎりぎりのところで刀を空振りさせた。
 それでも僅かに切れた髪の毛が、ぱらぱらと宙に舞う。ゾッとする怖気を感じながらも、芳野は懐に飛び込んだ今がチャンスだと即座に判断し、千鶴の胸元へと向けてナイフを振るう。

 しかし千鶴の反応はそれ以上であり、半歩引いたかと思うと刀身でナイフを弾き、完璧に防御する。
 だが一度懐に飛び込んだのだ、引けば即、死に繋がる。
 素早くナイフを順手に持ち替えた芳野が、縦、横、袈裟と次々に斬撃を繰り出して千鶴に反撃する隙を与えない。

460 誰が為に :2008/03/26(水) 16:18:38 ID:we92bBF.0
「くそ、どうして当たらない!」

 様々な方向から斬り付けているはずなのに、全て防御されことごとく弾かれる。
 剣道の達人とでもいうのか。いやそれにしては太刀筋はそう変わらない。とにかく、手練れであることは間違いない。
 だが、徐々に押してはいる。流石にこうも連続して攻撃を加えられては引きながら戦わざるを得まい。追い詰めさえすれば。
 そう考える芳野の視界に、浩平があるものを拾い上げているのが写る。

 マイクロウージー。千鶴が捨てていたサブマシンガンだ。
 だが捨てていたということは弾丸は入っていないのでは? 弾丸のない銃など役立たずも同然。何を考えているのか。
 その時、芳野の脳裏にある推論が思い浮かぶ。そしてそれは、浩平がへたり込んでいるウォプタルに向かったことで、確信へと変わる。
 間違いない、あいつはあの恐竜みたいなのにぶらさがっているデイパックからマシンガンのマガジンを奪うつもりだ!
 身軽にするためと、自身に負担をかけさせないためにそうしていたのだろうが、それは荷物を放り出しているも同じ。それが奴の命取りだ。

(……だが、問題は予備のマガジンがあの中に入っているかどうかだ。可能性として本当に弾切れになったから捨てていたかもしれない。運否天賦、になるが……)

 実際はそうではない。浩平はPSG1が奪われたことも知っていたためたとえマガジンがなくとも銃を確保できるのは確実だった。だが、破壊力からすればウージーのマガジンが入っていることの方が遥かに望ましい。
 結果は――

「……よし!」

 ウォプタルにぶら下がっていたデイパックの中から、ウージーの予備マガジンが浩平の手中に納まる。
 これをはめ込み、千鶴に向かって乱射すれば命中は確実だった。

 浩平がマガジンを取り替える動作に入ろうとした、その時。
「……遅いのよ」
 ふっ、と芳野の視界から千鶴が消える。何が起こったか、一瞬理解できなかった。だが数瞬の後。
「な……」

461 誰が為に :2008/03/26(水) 16:19:05 ID:we92bBF.0
 一歩分の距離はあったはずだった。密着などしていてはナイフは振るえない。
 なのに。
 千鶴の顔は、キスできそうなほどの近距離にあったのだ。
 次いで、ずん、と何か重いものを叩き込まれる衝撃。肘を打ち込まれたのだと分かった時には顎を刀の柄で突き上げられ、仕上げとばかりに回し蹴りで薙ぎ倒された。

「がは……っ」
 無様に地面を転がりながら、なお千鶴の追撃に備えようとしたが、それは間違いだと知ることになる。

「そうやって、交換する動作の時が……一番無防備なの。わざわざ遊んでやったのはこのため……甘ちゃんなのよ」

 芳野が目にしたのは、浩平の腹部が千鶴によって貫かれていた光景だった。
 背中から突き出した刃が、浩平の鮮血を啜って怪しく輝いている。待ち焦がれた、とでも言うように。
「く、そっ、そういう事か……」

 芳野は理解する。
 最初から、こうなるように仕向けていた。二人いっぺんの刃物を相手取るよりは銃を持たせ、マガジンを交換する隙に仕留める。
 一対一なら苦労するまでもなく、あっという間に倒せる。押されていたのではない。そうさせていたのだ。
 見取りが甘かった。最初の鍔迫り合いのときに普通の女ではないことは分かっていたはずだった。ナイフを全て防御されていたときに、おかしいと気付くべきだった。
 敗北か。俺達の――
 芳野は悔しさに歯をかみ締めようとした。

「甘ちゃん……? へへ、あんたの方が甘いぜ、大甘だ……!」

462 誰が為に :2008/03/26(水) 16:19:30 ID:we92bBF.0
 それを嘲笑うかのように。折原浩平が、笑っていた。
「何が――ぐっ!?」
 いつの間にか、千鶴は刀ごと腕を掴まれているのに気付く。握られた手は石のように硬く、また刀が刺さっているのも相俟って、ビクとも動かない。
「は、刺された、くらいで、死ぬとか……動けなくなるとか思われたら、困るんだよ……こっちは、腹、くくってんだからな!」
 浩平は叫ぶと、更に刀を食い込ませるように、より引きにくくさせるかのように、一歩千鶴へと向けて進む。
 加えて、はまり切っていなかったウージーのマガジンを膝で叩いて無理矢理押し込む。

「撃てるぜ、おねーさんよ」
 それはいつもと同じ、下らないことを思いついたときの浩平の笑みである。だがそれは、今の千鶴にとっては悪鬼の笑みに他ならない。
 心臓が早鐘を打ち、訳もなく足が震える。
(嘘……? 鬼の、わたしが、怖がっている……?)
 ゆらり、と死刑を宣告するように浩平の腕が持ち上げられる。千鶴は何とか逃れようと全力でもがき、怪我をしている左腕で浩平の顔を殴りつけるもまるで応える様子がない。

「あんたの殺戮劇は……もう、閉幕なんだよっ!」
「こんな……! 耕一さ……!」

 千鶴の叫びは、五月蝿過ぎるくらいの銃声に飲まれ、消えた。
 大きな血の穴を開けながら、最期の最期まで家族のために戦った、哀しき鬼の末裔が――あっけなく、崩れ落ちた。

     *     *     *

463 誰が為に :2008/03/26(水) 16:19:56 ID:we92bBF.0
 くそ、カッコよく決めたつもりだったけどさ、やっぱ、生き残れなくっちゃヒーローじゃあないよな。
 上手く立てたつもりだったのにな。見破られてたなんて思いもしなかったぜ。
 気合と根性! でどうにかしたけどさ。はぁ、やっぱオレってそんなのは似合わないよなぁ。
 七瀬あたりが見てたら何そのヒーローごっこ、みたいな感じで笑われてたかもな。
 ……いや、泣くだろうな。絶対泣く。漢泣きするね、きっと。

 ……。
 ふぅ、アホッ、とかまたバカなこと言ってる、とかそういうツッコミがないのは寂しいな。なんだよ、結局オレは一人じゃダメなんじゃないか。
 笑っちゃうよな、全く……
 本当、アホだわ、オレは。

 ……。
 何だよ、何か、体軽くなったな。ハハア。オレはこれから天国に連れて行かれるんだな? いや、一人殺したから地獄か? いやいやいや、情状酌量の余地は残ってるはずだぜ? だから考え直してよ閻魔さんよ。
 なんて、お願いしてみたけど、まあやっぱり地獄だよな。それでもいいか。長森たちと会えないのはちょっと寂しいけどな。
 ひょっとしたら誰か知り合いがいたりして。深山先輩とか。
 いやいや、冗談ですって。だからオレの頭に入ってこないで! イヤーン!

 ……。
 冗談はともかくとして、まだ茜や、みさき先輩、澪に、七瀬、住井に……まあ、広瀬もか。そいつらは生きてるよな。
 絶対こいつらなら生き残ってくれるさ。みんなオレなんかより強くていい奴らだからな。後は頼むぜ。

 ……。
 お、何か体が重くなったぞ。ひょっとしたら地獄にご到着なのかもな。なんだよ、誰もいないじゃないか。最近の地獄は人手不足なのか?
 まあいいや、のんびりさせてもらおう。ふはは、オレこそが地獄の閻魔大王だー、なんて。

 ……長森。
 本当に済まないと思ってる。
 お前がいなきゃ、今のオレはなかった。お前がいてくれたから、オレはオレであり続けられたんだ。
 けど……結局、何も出来なかった。せめて、最後に、お前に、触れてやりたかったのに……

464 誰が為に :2008/03/26(水) 16:20:28 ID:we92bBF.0
 ――できるよ。

 ……え?

 ――できるよ。ほら、わたしはここにいるから、浩平。

 ウソ……だろ。何で、長森が、ここに……いや、恥ずかしいわけじゃないぞ。ちょっと驚いただけなんだからな。
 あー、その、触れてやるってのはだな、つまり、その……

 ――ね、お願い、していいかな?

 お? お、おう、どーんと来い! 長森ごときの願い事なぞオレに叶えられないわけないっ!

 ――じゃあ……


 ぎゅって、して……


     *     *     *

「いくらなんでも、遅すぎるな」
 浩平が出て行ってから早一時間近く経っている。学校や、外を探し回っているにしても遅すぎる。
「ことみ君、確かに間違いはないんだな?」
「うん、多分……」

 芳野祐介達に硝酸アンモニウムの運搬を任せ、そのまま島を西回りに材料を探してもらうという約束。
 硝酸アンモニウムを探してもらうところから始めてもらったというのだから、探索して、運び出して、仕舞う。このプロセスを辿るだけでも結構に時間がかかるはずだ。
 浩平が出遅れた、ということはありえない。
 だとすれば、何らかのトラブルに巻き込まれたという可能性が高い。

465 誰が為に :2008/03/26(水) 16:20:49 ID:we92bBF.0
「様子を、見に行ってみるか。少し離れることになるが……杏くんはまあ大丈夫だろう」
「うん……私も、心配なの」
「よし、行こう」

 聖とことみは立ち上がると、保健室に鍵をかけて校舎内から、まずは外に硝酸アンモニウムを仕舞ってあるはずの体育倉庫へと向かう。
 ――だが、そこまで行く必要は、なかった。
 彼女らが外に出た時。

「……これ、は」
「芳野、さん?」

 横たわっているのは、幾つもの死体。幾つもの血溜まりが、グラウンドを塗りつぶしている。
 その中央では、一人の男が悲しげに佇んでいた。

「……俺には、こいつらを背負い込むには小さすぎる」
 芳野祐介。
 その足元には、二人の男女が折り重なるように――いや、芳野が折り重ねていたのだ――横たわっている。
「手伝って、くれないか」
 恨むでもなく、ただ死者に応えるようにと願うような口調で、芳野は二人に向き直った。

466 誰が為に :2008/03/26(水) 16:21:18 ID:we92bBF.0
【時間:2日目午後15時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)、腹部に鈍痛(数時間で直る)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。まずは死者たちを埋葬したい。爆弾の材料を探す。もう誰の死も無駄にしたくない】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

柏木千鶴
【持ち物1:日本刀・支給品一式、ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図】
【状態:死亡】
ウォプタル
【状態:首に怪我。衰弱中(数時間は動けない)】

467 誰が為に :2008/03/26(水) 16:21:42 ID:we92bBF.0
霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。死体の山に呆然】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。杏ちゃんが心配。死体の山に呆然】

折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:死亡】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。回復までにはかなり時間がかかる)。うなされながら睡眠中】


【その他:付近には瑞佳の遺体(浩平の遺体と重なっている)と詩子の遺体があります】

→B-10

468 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:14:25 ID:lyGUT/is0
 瑠璃ちゃんに渡されたフラッシュメモリを持ってパソコンのとこに戻ってきた。
「ふぅ……」
 瑠璃ちゃん達との会話が頭に浮かんでくる。
「瑠璃ちゃん……めぇかわっとったなー……」
 きっと、瑠璃ちゃんがフラッシュメモリのこと言い出したんはウチを殺し合いからのけるため。さっきの瑠璃ちゃんのあの眼。ウチを見るときの瑠璃ちゃんの優しい眼。ウチを見てないときの暗いキレイな瞳。あの五月二日、貴明がウチと瑠璃ちゃん、いっちゃんを助けてくれた日。瑠璃ちゃんはウチがすきやってゆうてくれた。瑠璃ちゃんは、この島でもずっとウチを守ってくれた。こんな足手まといなウチを連れて、ずっと守ってくれた。きっと、これからも瑠璃ちゃんはウチを守ってくれる。守るために頑張ってくれる。ウチも、そうしたい。でも、ウチは瑠璃ちゃんよりずっとトロいし、力もない。瑠璃ちゃんとおんなじことしようとしても、きっと瑠璃ちゃんの足引っ張る。瑠璃ちゃんがそのせいで動けんくなるんだけはあかん。ウチは瑠璃ちゃんが人質にとられたら何もでけへん。たぶん、瑠璃ちゃんも……
 もしホンマにどうしようもなくなったら……
 殺しあいんときウチに出来るんはみさきの手を引いて逃げること。弾除け。後は瑠璃ちゃんのミサイル。それくらい。
 でも、殺し合い以外やったらウチにもできる。首輪。ハック。クラック。できることはなんでもやる。瑠璃ちゃんが生きて帰るためにできることは。瑠璃ちゃんと生きて帰るためにできることは。
 首輪の爆弾なんかこわない。ここがウチの戦場。ウチが瑠璃ちゃんを守る場所。ぜったい、負けへん。

469 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:14:42 ID:lyGUT/is0
 まずはフラッシュメモリの解析をする必要がある。
 HDDを取り付ける。
「あ……」
 取り落とした。
 割に盛大な音を立ててマザーボードにぶつかる。
 マザーボードは見た目壊れていないようだが。
「……」
 彼女は暫くHDDを見詰めて、ふと思いついたように異様な速度でHDDを分解し始めた。
「あれ……?」
 その手が止まる。
 眼はHDDの中にある見慣れない物質に止められている。
「……?」
 摘み上げる。
 暫し見詰める。
「……………………!」
 珊瑚は口に手を当てて漏れる声を抑え、深呼吸する。
「物理的な断線は……ない……みたいやね」
 そしてHDDを元通り組み立てる。直方体の物質も一緒に。
 改めてHDDを取り付けて、フラッシュメモリを差し込む。
『パスワードを入力してください』
「……こんだけ?」
 キーを撃つ音が僅か響く。
『パスワード認証しました』
「……あふれさせてしまいやん」
 彼女は溜息を吐き、フラッシュメモリを開いた。
「……!」
 と、同時に彼女は息を呑む。
 フラッシュメモリの中には『島内カメラの使い方』と言うタイトルのテキストと、その横にやたら大きいサイズのデータがあった。
「これ……使える……!」
 『島内カメラの使い方』を開き、猛烈な速度で文字を読む。
 今、珊瑚の頭は恐ろしい勢いで回り始めた。
 最初に引き当てたレーダー。
 同じく瑠璃が引き当てた携帯ミサイル。
 首輪に付いているであろう盗聴器。
 島の中に恐らく複数あるであろうパソコンとその中身。
 環たちの持ってきたフラッシュメモリ。
 その中身の示すもの。
 先ほどのHDDの中の直方体。
 それらがどうやって動いているのか。それらは何処から情報を得て正常に動いているのか。
 この島の支配者の心理。
 何故自分や那須宗一、そのナビであるエディ、リサ・ヴィクセン。そんな人間がいるにも拘らずパソコンを置いてあるのか。
 望外な幸運に晒されて、相当な情報が彼女の元には入ってきている。
 様々な点が一つの線になり、複数の線が一つの絵になる。
 珊瑚は一つの結論を出し、瑠璃の顔を思い出し、フラッシュメモリのデータを開き、インストールし始めた。
「これでどこに何があるか分かるな」
 主催者には思惑通りに進んでいると思わせる必要がある。
 珊瑚は先程まで作っていたワーム製作を放り投げ、フラッシュメモリの中身を調べ上げると共に新しいプログラムを作り始めた。

470 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:15:06 ID:lyGUT/is0
 タン、とエンターを強く撃つ音が部屋に響く。
 プログラムは完成した。後は実験。
「そや。ろわちゃんねるどうなっとるんやろ」
 彼女は既にパソコンに入っていた全てのファイルは調べ上げていた。この状況で生死を握る鍵となるパソコンなのだから当然と言えば当然だが。
 ろわちゃんねるに繋ぐ。作ったプログラムからプロンプト上に文字列が排出される。
 実験は成功だった。
「あ……」
 が、珊瑚の頭からはそんなものは完全に抜け落ちていた。
「貴明……」
 その名が死亡者報告スレッドに載っていたから。

471 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:15:21 ID:lyGUT/is0
「貴明……」
 どれくらい呆然としていたんだろうか。珊瑚は自分の呟きに引き摺られて現に戻ってきた。
「貴明……」
 が、その眼からは涙が止まらない。
「貴明〜……」
 椅子の上に膝を抱えて座り込み、溢れる涙を袖とスカートで拭い続ける。
「う〜……」
 五月二日が頭に浮かぶ。もう戻らない五月二日。もうイルファもいない。貴明もいなくなった。
「う……」
 しかし、珊瑚はそれ以上泣き続けることが出来なかった。
 まだ自分には妹がいる。この世で一番大切な妹が。そして、ここで泣き続けることは自分達の死を座して待つのと変わらない。
 上手く回らない頭でそこまで気付いてしまうと、それ以上泣き続けることは最早彼女には出来なかった。
「貴明……」
 だから、この眼から流れ続けるのは決して涙ではない。
「ぜったい、ウチら生きて帰るからな……」
 涙なんかではないのだ。

472 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:15:39 ID:lyGUT/is0
 弱気、恐怖、混乱。悲哀、後悔、怒り。人の感情は容易く他人に伝播する。
 だが、伝播するのは負の感情だけではない。
 強大な敵に立ち向かうだけの覚悟と勇気は、彼女の娘から彼女の妹を通じ、いつしか彼女自身にも伝播していた。

473 電脳皇帝 :2008/03/28(金) 01:15:50 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:00頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】

474 命を繋ぐか細い糸 :2008/03/28(金) 01:16:24 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:00頃】
【場所:I-5】
「努力・謀略・勝利!」
「愛・友情・勝利!」
 同時に叫んでドアを開く。
「おかえ環!?」
 瑠璃が俺達に抱えられた環を見て叫ぶ。
「どうしたん!? その頭……!」
「弟にバットで思いっきりぶん殴らせたんだよ……」
「なんで……」
「そんなことより手当てだ! 浩之、お前も横になれ!」
「お……」
「浩之もやられたん!?」
 瑠璃が眼を剥いてこっちを見る。
「まぁ、ちっと腹蹴られてな」
「血反吐吐くまで蹴られて何がちっとか。悪いけど先に向坂見るぜ」
「当然だ」
 腹より頭のが万倍やばい。
「もろに入ってたからな。……糞っ、血がとまんねえ!」
「ウチにかして!」
「瑠璃……?」
「祐一は浩之看とって!」
「あ……ああ……」
 瑠璃……?
「環? ウチが分かる? 環? 分かるんやったらまばたき二回して! 環? 頭おすで? ガマンしてな。環? 今から頭に包帯巻くで? 環? せや!」
 瑠璃は唐突にこっちを向いた。
「なぁ、環は頭殴られてから動ていた?」
「いや……最後に雄二を倒してすぐに倒れた」
「やったら、環動かした?」
「あ……ああ……ここまで運んでこなきゃなんなかったからな」
「でも、なるべく頭は動かさないようにして来たぜ」
「そか……」
「向坂は大丈夫なのか……?」
「わからへん……でも、かなりまずい……鼻から血が流れてきとる」
「やばいのか!?」
「わからへん! それより、浩之も腹蹴られたんやろ!? 動いたらあかん!」
「うっ……」
 瑠璃の気迫に負けてくずおれる。
 腹が痛むのもまた確かだ。俺が何しても向坂の助けにならないことも。
「祐一! さんちゃん呼んできて!」
「みさき?」
「浩之君」
 みさきが手を握ってきた。
「お腹を痛めた時は、ちゃんと寝てなきゃ駄目だよ。まして血を吐いたんなら、内臓か食道を傷つけてるかもしれないんだから」
「ああ……」
「畜生……! どうすりゃ……!」
「瑠璃ちゃん!」
「さんちゃん!」
 珊瑚が部屋の惨状を見て息を呑む。
 が、すぐに見た目に一番酷い環のところに行った。
「どうなっとるの?」
「頭バットで殴られたんやて……頭はあんま動かしてないらしい」
 珊瑚が環の口元に手をやる。
「息が……」
 珊瑚が環に躊躇うことなく口付けた。
「珊瑚!?」
 そのまま息を吹き込む。って人工呼吸かよ。馬鹿か俺は。
「ふー……ふー……はー……ふー……ふー……はー……」
「さんちゃん、大丈夫?」
「ふー……ふー……ぷわっ……瑠璃ちゃん、変わって」
「う、うん」
 そう言って珊瑚は俺の方に来る。
「さ、珊瑚?」
 どうしてもその唇に眼が行く。
「あんな、このままやと環死んでまうかもしれん。ウチらじゃ応急手当位しかでけへん」
「そんなに……酷いのか……?」
「わからへん……それも分からんねん」
「医者がいれば、何とかなるのか?」
 祐一が突然思い出したようにいった。
「それはわからへんけど……いないよりはいた方がええと思う」
「俺達は元々神尾を医者に見せる為に診療所に向かったんだ。もしかしたらいるんじゃないか、ってな。霧島聖って人が医者なんだって。神尾が言ってた。本当は寝かしときたかったが……怪我人が半分ならどうしたって医者はいるよな……」
 そう言って祐一は観鈴のいる布団へ行く。
「神尾、すまん。起きてくれ。神尾……」
「ん……」
 程なく、神尾は目を覚ます。
「あれ……ここ……」
「神尾、すまない。どうしても医者が必要になった。霧島聖、って人の詳しい説明してくれないか」
「あ……うん……」
「それやったら」
 珊瑚が観鈴の前に出る。
「誰……?」
「大丈夫だ。味方だよ」
「こっち来てくれん?」
姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】

475 命を繋ぐか細い糸 :2008/03/28(金) 01:17:25 ID:lyGUT/is0
 祐一に肩を借りながら観鈴はパソコンの前に座る。傍らには浩之とみさきもいた。
「あのフラッシュメモリな、この島のカメラを見れるプログラムはいっとった。画面切り替えてくから聖って人がでたら止めてな」
「うん……にはは、責任重大」
 先程作り上げたプログラムを使って、ネットに接続しているデータを主催者に送りながら珊瑚はカメラを立ちあげる。
「ほな、いくで」
 ディスプレイに大量のウィンドウが出る。
 その中でカメラの移動以外で動いているものを選び、順次拡大していく。
「どうだ、神尾?」
 観鈴は答えず、順に流れるカメラを見続ける。
「! これ! この人だよ!」
 流れるように切り替わっていたカメラが、一気に止まる。
「これ……D-6?」
「くっ……遠いな……」
 祐一が舌打ちをする。
「でも行かないわけにはいかねーだろ?」
「でも、環は動かされへんよ?」
「俺が行く」
「祐一?」
「誰かが行って連れてくるしかないだろ。だから俺が行く」
「わたしもいくよ」
「神尾?」
「馬鹿を言うな! お前だってまだ傷口塞がってないだろ!?」
「だいじょぶ。痛いけど、もう血は出てない。わたしがいないと、先生連れてこれないかもしれないよ」
「それは……いや、駄目だ! お前は怪我人なんだぞ!?」
「でももし先生連れてこれなかったら、みんな死んじゃうんだよね? 祐一くんが襲われて先生のところまで辿りつけなかったら……」
「う……」
「祐一。諦めろ。お前の負けだ」
「浩之……」
「そう言う事なら俺もついていく。観鈴よりは動けんだろ」
「黙れ怪我人二号。お前まで何言い出すんだよ。大体そんなことしたらここの守りは」
「瑠璃がいる。あいつなら大丈夫だ。きっとここを守りぬく。むしろ俺らの方がアブねーかもしんねーぞ?」
「じゃあ私も行こうかな」
「待て」
「私は浩之くんに付いていくって決めたから。皆が襲われて先生連れて帰れなかったら困るよね?」
「いや待てだからお前」
「それに私怪我してるわけじゃないから、荷物持ちくらい出来るよ。浩之くんも観鈴ちゃんもとても重い物を持つなんて出来そうにないけど?」
「う……」
「浩之。諦めろ。お前の負けだ」
「てめ」
「しょうがねえ。決まったんなら早めに行動しよう。向坂には時間がない」
「おう」
「まって」
 いざ、と言うところで珊瑚が止めに入った。
「これ。もってって」
 そう言って珊瑚は浩之にフラッシュメモリとメモを渡した。
「これ……?」
「パスワード消しといたで。それを使えばどのパソコンでもこのカメラみたいに出来る。この家のカメラだけはこわしといたけど、その他やったら全部見れる。やり方は同じ。パソコン消すときはデータちゃんと消しといてな」
 そしてメモを見る。
『いろいろやっといた。なるべくこのかみはウチらいがいのひとにはみせんといて。
もしホンマにだいじょぶそうやとおもうひとがいても、なるべくひろゆきがせつめいして。
ワームはだいたい8わりくらいできた。あと、しゅさいしゃだますてもふたつよういした。ここのネットワークのくみかたとくびわのはんべつしゅだん、たぶんしゅさいしゃのおくのて。さらにうらがないかこれからまたしらべる。こっちはなんとかする。やから、いしゃたのむわ。』
 恐ろしいほど主催者との騙しあいは進んでいるようだ。しかも珊瑚優勢で。
「浩之」
「あ……ああ……」
「みんなで、生きて、帰ってきてな」
「お……おう!」
 当たり前だ。誰一人として欠けさせるか。
 みさきと祐一と神尾を伴って部屋を出る。
「……ぅ、……ぁきみたいには……」
 だから、最後に珊瑚が呟いた言葉ははっきりとは聞き取れなかった。

476 命を繋ぐか細い糸 :2008/03/28(金) 01:17:52 ID:lyGUT/is0
「行くん?」
 環が布団に寝かされていた。瑠璃がやったんだろう。布団と毛布も掛けられている。呼吸は安定したんだろうか。瑠璃は俺達に背を向けたまま膝を抱えて座り込んでいた。
「ああ。ちゃんと連れて帰るから、安心しろ」
「……ウチは、さんちゃんが一番大事や。やから、ついてけん」
「分かってる」
「……危ないで」
「分かってる」
「浩之、怪我してるんやで?」
「そうだな」
「みんなでここにいた方が安全やけどな」
「でも、そうすると環が危ない」
 全部瑠璃も分かってる。そのはずだ。
「……浩之」
 瑠璃が身体全体でこっちを向く。
「あの覚悟、覚えてるな?」
「……たりめーだ……っと、そうだ。瑠璃。これ、餞別な。なんかあったら使ってくれ」
 瑠璃に火炎瓶を一本投げ渡す。
「っと……ええの?」
「ああ。どうせ数あったってしょうがねえ」
「分かった。もらっとく。……生きて帰ってくるんやで。みんな」
「おう」
「うん」
「にはは」
「ああ。いってくんぜ」
 大丈夫だ。腹は痛いがまだ動ける。戦える。絶対生きて帰ってやるぜ。なぁ、みさき?

477 命を繋ぐか細い糸 :2008/03/28(金) 01:18:07 ID:lyGUT/is0
【時間:二日目17:20頃】
【場所:I-5】
【備考:家に待機】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:対主催者情報戦争中】
【備考:主催者の仕掛けたHDDのトラップ(ネット環境に接続した時にその情報を全て主催者に送る)に気付く。選択して情報を送れるプログラムを作成。ワーム製作約8割】


姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、火炎瓶、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:守る覚悟。民家を守る】

向坂環
【所持品:なし】
【状態:左側頭部に重大な打撲、左耳の鼓膜破損、頭部から出血、及び全身に殴打による傷(以上手当て済み)、布団に移されている。昏睡】

【時間:二日目17:20頃】
【場所:I-5】
【当面の目的:聖を連れ帰る】

藤田浩之
【所持品:フラッシュメモリ(パスワード解除) 、珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

川名みさき
【所持品:包丁、ぼこぼこのフライパン、支給品一式、その他缶詰など】
【状態:健康】

相沢祐一
【持ち物:ワルサーP5(6/8)、包丁、支給品一式】
【状態:右足甲に打ち身(手当て済み)】

神尾観鈴
【持ち物:なし】
【状態:脇腹を撃たれ重症(手当て済み、表面上血は止まっているが重態)】

478 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:21:38 ID:yrmGipuE0
頭に走る鈍い痛み、氷上シュンが目を覚ました原因はそれだった。
ぼやけるシュンの視界に緑が入り込む。頬を撫でる風で動くそれが、シュンの現在位置を表していた。

(ここは……)

深夜、シュンは太田香奈子と共に鎌石村小中学校を目指し移動をしていたはずだった。
しかし今シュンの目の前に広がる世界に、深夜特有の暗さは存在しない。
爽やかな空気が演出しているのは、間違いなく早朝を表す時間帯である。
……いつの間にか、眠っていたというその事実。
寝起きのシュンは、まずそれに自覚という物を持てずにいた。

「氷上君、起きた?」

寝っ転がったままのシュンの頭に被さるような形で、その影は落ちる。
逆行で面影を確かめることはできないシュンだったが、さらりと揺れる髪の動き相手を悟ることは出来るだろう。
ゆっくり瞬きを繰り返し視界を正常に戻した後、シュンは彼女の名前を呼んだ。

「太田さん……」
「びっくりしたわ。氷上君、走ってる途中でいきなり倒れちゃったんだもの」

ああそうかと、シュンはここでやっと今自分の身に起きた事態を想像することができた。
体の弱いシュンにとって、昨日一日で蓄積された疲労というのも決して少なくはなかったのだろう。
肉体面もあるが、精神面でのダメージも強かったかもしれない。
シュンは突然気を失ってしまう程弱っていた自身の状態の変化に、全く気づかなかった。
それで一番迷惑がかかったのはシュン本人ではない。間違いなく、同行者である彼女だ。

「ごめん、僕……」
「気にしないで。体が弱いっていうのは聞いていたことだから」

479 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:22:00 ID:yrmGipuE0
シュンの苦笑い混じりの言葉を、香奈子はしっかりとした声で遮った。
物怖じしないその様子には、本来は気さくなのであろう香奈子の性格が窺える。
必要以上の遠慮を拒む今の香奈子には、島に来た際にあった虚ろな空気は存在しなかった。
シュンを手伝うという明確な指針があるのも原因なのかもしれない、学園でも生徒会副会長を務めていた香奈子だ。
やり遂げなければいけない仕事というものが分かっている以上、彼女の本来の真面目さがそこに発揮されるのも至って自然なことだった。

「体、そんなに悪いの?」
「はは、お世辞にもいいとは言えないね」

ゆっくり上半身をもたげようとするシュンに、香奈子の手がすかさず差し伸ばす。
そっと柔らかな香奈子の手を握り返し、シュンはそのまま彼女の力も少し借りながら立ち上がった。

「あの、氷上君」
「何だい?」

おぼつかなくなりそうな足取りを気にし、シュンがつま先で地面を確かめている時だった。
何か言いたげにしている香奈子の表情は少し曇っている、ちょっとした彼女の変化にシュンは小首を傾げ言葉の先を促した。

「あなたが目を覚ます少し前……ちょっと、この辺りを見てきたの」
「一人でかい? 危ないよ、それは」
「そこまで離れていた訳じゃないわ、大丈夫。迂闊なことをする気はないもの」

シュンが眉をしかめた所ですかさず香奈子もフォローをかけるが、それでシュンの持つ全ての不安が拭われることはない。

「ちょっと、気になることがあって。あなたを休ませるにも、ここが本当に安心できる場所か確かめたかったのよ」
「太田さん……」

しかしそう言われてしまうと、シュンは何の意見も出せなくなってしまう。
シュンは、自分を気遣ってくれている相手の物言いを無下に扱えるような人格ではなかった。

480 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:22:21 ID:yrmGipuE0
「それで氷上君。その、ちょっと……来てくれる?」

言葉を濁しながらシュンの返答を待つことなく、香奈子は先導を切る形で歩き出そうとする。
置いていかれないよう、そのすぐその後ろをシュンがつけた。香奈子が振り返る様子はない。
……何か、あったのだろうか。
言葉を発しない香奈子の背中を見つめながら、シュンは無言で足を動かした。

香奈子の足が止まるのに、そう多くの時間はかからなかった。
ちょっとした繁みを抜け現れたのは歩道と思われる空けた場所、目立つ地に伏せているのは服装から少女だろうか。
少女は、先ほどのシュンと同じように寝転んでいた。
目に見える外傷等痛々しい姿を持った少女だが、その口の隙間から漏れる呼吸音は確かな命の証であり、生命が途絶えていないことだけはシュンにもすぐに窺える。

「この子は?」
「分からないわ。目立つ足音が聞こえて、気になって様子を見に来てそれで……」
「太田さんが来た時には、もう倒れてたってことかい?」

すかさず入ったシュンのフォローに、香奈子はこくりと頷き同意を表した。
前のめり、うつ伏せの状態で気を失っているらしい少女。
背格好からシュンや香奈子とも、そう歳は離れていないだろう。
シュンの隣、立ち尽くすような形で少女を見下す香奈子の顔に浮かんでいるのは、無表情に近いものだった。
目に入ったそれに内心驚くものの、シュンは特に言及せず一人屈み込み少女の様子を確かめだす。
……うつ伏せになっていた少女の体を仰向けにし状態を確認しようとしたところで、シュンは彼女の異変に気づいた。
いや、それは本来臭いなどの部分から察しなければ行けない事柄だったかもしれない。

刻まれた服、そこから覗く白い肌には赤や青などの痣ができている。
黒のブレザーにこびり付いた白い染み、べたつくそれは撫で付けるように彼女の体のいたる所にも付着していた。
拭われた形跡は見当たらない内股にも、それと同じような液体や血液が走り去った跡がある。

痛々しい暴行の痕跡は、少女の幼い容姿や体つきをさらに助長させるような厳しさを持っていた。
無言。シュンは少女に対しどう接すればいいのか分からず、思わずその動きを止めた。

481 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:22:43 ID:yrmGipuE0
「私はこんな子知らないわ。助ける義務もないと思ってる」

はっきりとそう口にしたのは、シュンの隣でいまだ立ったままである香奈子だった。
シュンが見上げた香奈子の表情は、彼が目覚めた時と同じように逆行が遮っていて窺うことはできなくなっている。
先ほどは無表情だった、香奈子のそれ。
しかしシュンは、そこに別の表情を思い描いていた。
香奈子の声色から想像するシュンの見た表情、それは ――

「でも、放っておけなかったのよ。無理なのよ、こんな……こんな状態、見せられちゃ……」

表情の見えない香奈子の髪が、ふわりと揺れる。
それは香奈子がシュンと同じよう、少女の傍に屈みこんだからである。
一気に近くなった香奈子との距離、隣にいるシュンの視界に彼女の横顔が入り込む。
見えなかったそれが、シュンの目の前に現れた。
目元を歪め苛立ちを噛み潰すよう強く唇を噛んでいる香奈子は、今にも泣きそうになっていた。
痛々しいそれの反面、そのままゆっくりと少女の太ももを撫でる香奈子の手つきは非常に優しいものである。

今、香奈子は陵辱された少女の体を見てかつての自分を思い出していた。
好きだから、受け入れたということ。
愛しているから、痛みさえも喜びに変えていこうと努力していたこと。
しかしそれでも、どこか拭えない虚無感は常に香奈子を襲っていた。
香奈子は見ない振りをしていた。
し続けていた。
それで縛れるものなら容易いことだと、そう思っていた。
思い込んでいた。

「太田さん、君はこの子を助けたいんだよね」
「……」
「僕も同じ気持ちさ。きっと、その思いには違いはあるだろうけどね。
 僕は君じゃない、だから君の思いは分からない。考えることはできても、それは憶測に過ぎない」
「……」

482 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:23:05 ID:yrmGipuE0
シュンの言葉を噛み砕きながら、香奈子はゆっくりと瞳を閉じた。
理解していくごとにどんどん温まっていく胸の内、まるでシュンの言葉は魔法のようだという錯覚すら、香奈子は覚えそうになる。
こんな気持ち、香奈子は初めてであった。
月島拓也と関係を持っていた時間、あの熱さを香奈子自身忘れた訳ではない。
しかしそれとは別種のこの温度は、あくまで優しく、柔らかく、そして一切の棘も存在しない。
こんな甘い世界に対し、香奈子はあまりにも不慣れだった。
不思議としか言いようがない。比べることすら違いすぎ、できるはずもないだろう。

「今は、それだけでいいと思う。太田さんは太田さんのやりたいように、すればいいんだと思う」

瞳を開け改めて見るシュンの表情に、香奈子は一瞬言葉を失った。
ばつの悪さすら感じてしまう邪気の無さ、シュンのそれに香奈子は戸惑いが隠せない。

「この子を拾っても、足手まといになることは目に見えているわ」
「それなら僕等がフォローすればいいじゃないか」
「……この子のせいでもし氷上君に何かあったら、私はこの子を殺すかもしれない」
「はは。なら太田さん、せっかくだし僕を守ってくれないかい?」

予測していなかったシュンの回答に、思わず香奈子も目を丸くする。
そんな香奈子が微笑ましかったのか、シュンも小さく破顔した。

「そして僕は太田さんを守る。この子も守る。ほら、これならいいんじゃないかな」
「何よ、それ……」
「あはは。いざ実際に何か起きないと分からないってことだよ、太田さん。
 それなら今やりたいと思うことを優先させた方がいい。後悔しないためにもね」

最後、引き締まったシュンの瞳には口先で述べている甘さが含まれていなかった。
氷上シュンは不思議な少年だ。
優しさや甘さが目立つ、この島で長生きするためには持つことが許されない性格のくせに、時々意味深なことを口にしたり世界の儚さを嘆くような物言いをする。
どこかミステリアスな所も垣間見れるシュンの隣に香奈子は約一日いたことになるが、それでも彼の全容を彼女は掴んでいなかった。
もっと彼のことが知りたいと。純粋に、香奈子はそう思っていた。
一言で表せば好奇心と呼ばれる感情、その奥底に存在する欲望が恋情に繋がるかはまだ香奈子自身図りかねている所がある。
それでもシュンの言葉を使い、香奈子が「今やりたいと思うことを優先させる」とするならば。

483 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:23:41 ID:yrmGipuE0
「ごめんなさい氷上君、五分だけ頂戴。五分だけ、あなたの時間を貸して」

シュンの返答を待つことなく、香奈子は勢いのままシュンの胸倉を引き寄せそこに顔を押し付けた。
当初シュンが着用していたセーターは河野貴明の元に置いてきている、シャツごしに伝わるシュンの温度は香奈子が想像していたよりもずっとリアルに伝わってくるだろう。
筋肉の硬さも贅肉の柔らかさも感じないシュンの病的に骨ばった胸板、しかし今の香奈子にとってはどこよりも安心できる場がそこだった。
それと同時に感じるせつなさに酔う前に、香奈子は願いを口にする。

「五分だけ、思いっきり抱きしめて」

断ち切ったはずの月島拓也への思い。
それでもあっさりと過去を切り捨てられるほどの強さを、香奈子は持っていない。
そんな軽い執着でもない。
そんな香奈子の前に現れた光景は、過去の自分を彷彿させるものだった。
簡単に表そう。彼女の奥底にあるのは、ちょっとした不安にすぎない。
その不安が彼女の精神を軽い混乱に陥らせようとし、疲弊させた。
しかし今、それら全ては解消されることになる。

ゆっくりと回されたシュンの腕、その居心地の良さが香奈子のそれを消していった。
安心という言葉の意味を、ここにきて再び香奈子は痛感した。





ちょうど香奈子が落ち着いた頃だろうか。
第一回目の放送が行われ、二人は放送にて呼ばれた人数に唖然となる。
幸いシュンの会うことが目的となっている人物等はまだ生存しているらしいが、それも時間の問題だろう。

「この先に学校があるのは確かだと思う。当初の予定通り、まずはそこに行こう」
「ええ」

484 幸せな固執 :2008/04/08(火) 23:26:02 ID:yrmGipuE0
シュンの言葉に頷く香奈子の表情には、僅かな陰りがあった。
月島瑠璃子。
聞き覚えのあるその名前は、当初香奈子が自らの手で消すことも厭わないと考えていた人物のものである。
月島拓也を振り切った今、特別彼女に手を出そうという考えは香奈子の中にもなかった。
しかしいざ瑠璃子の死を知るとなると、香奈子も心中複雑になってりまうのは仕方のないことかもしれない。
気持ちを入れ替えるよう小さく首を振り、香奈子は一人気合を入れる。
今自分が固執すべき事柄を考えた上での行動、ちょっとした香奈子の変化がそこにはよく表れていた。






氷上シュン
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態:由依をつれ、香奈子と共に鎌石村小中学校へ向かう、祐一、秋子、貴明の探し人を探す】

太田香奈子
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:シュンと同行】

名倉由依
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、破けた由依の制服、他支給品一式】
【状態:気絶、ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)着用、全身切り傷と陵辱のあとがある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】

(関連:395・869)(B−4ルート)

485 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:40:04 ID:m9uMag2.0

死は穢れだ。骸は穢れの塊だ。
ならば僕の生きるこの場所は、既にして祝福から見放されている。

屍の折り重なる山の上、久瀬少年はそんなことを考えて、一瞬だけ目を閉じる。
吸い込んだ空気は生臭く、鉄の味がした。

瞼を開ければ、そこにあるのは骸と命の斑模様。
重く、冷たく、ぬるりとした一人が、一万、積み重なった山の上。
盤上に並ぶのは七千の駒。
着手するのは混乱した戦局の建て直し。

細く、長く息を吐く。
第一に考えるべきは指揮系統の再統一。
第二には防御陣の再構築。
そして第三に、死なせるべき五千の兵と、守り抜く二千の兵の選別だ。
残り四十分、二千四百秒。
一秒に二人、少女は死ぬ。
三人めの命だけを守るのが、将としての役割だった。
すべての命を、平等に活かす。
活かした上で、生と死に振り分ける。
それが久瀬の道。
抗いぬくと決意した、少年の歩む道だった。

拳を握る。震えはなかった。
跳ね上がる心臓の鼓動を、感覚から切り離す。
将としての久瀬が最初に殺したのは己の脈動であった。
軍配はない。
だから少年は、握った拳を打ち振るう。
その手の先に、覚悟を乗せて。

無作為に蠢いていた七千の砧夕霧が、動きを止める。
僅かな間を置いて動き出した少女達の挙動には、明らかな統制が見てとれた。
一つの意思の下、七千の少女達が寄せては返す波の如く、あるいは堅固な壁となる如く動き出す。
有機的に連動したその動きは、まるでそれ自体が山を包む巨大な一つの生き物であるようだった。

将の下、兵たちの反撃が始まった。


******

486 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:40:29 ID:m9uMag2.0

「……チッ」

舌打ちして吐いた唾は赤く、苦い。
返り血が唇を伝って口に入ったものか、それともどこかが切れているのか。
かき上げようとした髪は乾いた血がこびりついて指を通さない。
苛々とした気分を隠そうともせず、手にした薙刀を振り下ろす。
横たわった遺体の力の入っていない肉を両断する、鈍い感触が返った。
風を切るように振れば、不可視の力に包まれた刃は血脂を綺麗に弾く。
刃こぼれ一つない凶器に己の顔を映して、その返り血で赤黒く斑に染まった醜い肌に眉を顰め、
天沢郁未はその苛立ちをぶつける相手を探すように左右を見回す。
だが、刃の届く範囲に立つ影は一つだけだった。

「面倒なことになってきましたね」

突き立てた喉元から分厚い刃を引き抜きながら、影が口を開く。
鹿沼葉子だった。
動脈から噴き出す鮮血が顔に飛ぶのを避けようともしない。
長い金髪から茶色の革靴に至るまで、その全身が既に見る影もなく返り血に染め上げられていた。
新たなペイントがその身を汚していくのにも構わず、葉子は静かに山道を見上げる。

「ハナっから面倒だらけよ、私らの人生」
「中でもとびっきりです」
「そりゃひどいわ。……で?」

茶化すように問いかけた郁未だが、その瞳は一切の笑みを浮かべていない。
生まれ落ちた瞬間からそうであったような仏頂面のまま、葉子が答える。

「気付いているでしょう。……また、動きが変わった」
「戻った、の間違いじゃない?」
「かもしれません」

辺りを見渡す葉子の視界に、郁未の他には動く影が見当たらない。
殺し尽くした、という意味ではなかった。
確かに死体は無数に転がっていた。
中に詰まっていた血と臓物を存分に拡げて、世界と女たちを赤く染め上げていた。
転がる死体。
だが葉子の視線の先には、もう一種類の死体があった。
見開いた目を四方八方に向け、折れた手足を老木から伸びた枯れ枝のように突き出したそれは即ち、
山と積まれた、誰かの手によって積み上げられた、死体の壁だった。
そんな死体の壁が、十、二十、否。百を越える数で、山道のいたるところに存在していた。

487 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:41:06 ID:m9uMag2.0
「完ッ全にイカレてるわね」
「単なる狂気の沙汰であればよかったのですけれど」

壁の向こうに蠢く無数の気配を、葉子は感じている。
こびりついた血が乾き、固まった髪をばりばりと掻き毟る郁未も、それは理解していた。

「放棄したように見えた防禦拠点を、数分の間を空けてまた利用しだした。
 ……そこに何か意図があるのでしょうか」
「死体で作ったトーチカに篭るような連中が何考えてるかなんて、私にはわかんないけど」
「私にも分かりませんよ。有益な推測ができればと考えただけです」
「で、我らが頭脳労働専門家さんの回答は?」
「進めよ、されば与えられん」
「何よそれ」
「断片的な情報は往々にして安易な、自分に都合のいいストーリーを作り出すものです。
 推論の皮を被った妄想を根拠に動く愚挙を避けたまでのことですが」

さらりと告げられる相方の言葉に、郁未は深く嘆息する。

「……ま、いつも通りだけどね」
「さし当たっては一つづつ潰していくしかないでしょう」
「間に合うの?」
「間に合わせてください」
「他人事みたいに……」
「全員が当事者ですよ。蒸発したくなければ頑張ってください」
「はいはい……」

小さく首を振った郁未が、前方を見もせずに跳躍した。
葉子は既に飛び退っている。
それより一瞬だけ遅れて、二人の立っていた場所に熱線が着弾していた。
跳んだ先にある死体の壁を、郁未は思い切り蹴り崩す。
雪崩を起こした山の一番上にあった少女の骸を無造作に掴むと、

「せえ……のッ!」

勢いをつけて、投擲した。
手足を広げた格好のまま、少女の遺体が回転しながら飛んでいく。
その軌道の先にある、生きた少女の篭る死んだ少女でできた壁に、人としての尊厳を奪われた骸が激突した。

「ストラーイクッ!」

篭った少女が崩れた山の下敷きになって、光芒が途切れる。
その一瞬を逃すことなく相方が駆け出すのを目にして、郁未は牙を剥くように笑う。
笑いながら、転がる骸の一体を盾代わりに掲げ、自らもまた走り出していた。


******

488 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:41:27 ID:m9uMag2.0
 
朗、と巨獣が猛っていた。
その堂々とした体躯のあちこちから薄く煙が上がっている。
よく見れば白く煌めく剛毛の先が、小さく焦げているのだった。
新たに奔った光線がその身体を焼くのに巨獣は鬱陶しげに身を振って、光線の出所を睨む。

轟、と一つ啼いて、巨獣の体躯が跳ねた。
鋼の如き後ろ肢に力を込めて大地を蹴れば、それは既に巨獣の間合いだった。
がぱり、と開いたその口腔が音を立てて閉じる。鈍く濡れた音がした。
少女、砧夕霧の首を事も無げに噛み千切った巨獣が、次なる獲物を仕留めるべく丸太のような首を回す。
しかし、そこには既に動く影とてなかった。
無数に蠢いていたはずの夕霧はまるで波が引くように逃げ去り、既に巨獣の爪が届く場所にはいない。
代わりとばかりに四方から光線が迸り、巨獣を焼いた。
刃を通さぬその剛毛が、ほんの僅かづつではあるが黒く焦げ、ちりちりと縮れていく。
苛立たしげに唸り声を上げた巨獣が疾駆し、爪を振り上げる。
風を巻いて振り下ろされた爪の一撃に、夕霧たちの隠れていた死体の壁があっさりと突き崩される。
衝撃で四肢をばらばらにされながら四方に散る骸には目もくれず、巨獣が壁の裏に隠れていたはずの夕霧を叩き潰すべく、
その鼻面を瓦礫のように積み上げられた死体の山に突っ込む。
が、一瞬の後にその生臭い牙が探り当ててきたのはただの一人だった。
乱暴に引きずり出された際に肩を脱臼したか、腕を噛まれたままだらりと垂れ下がるようにしている砧夕霧を見て、巨獣が猛る。
ばつん、と音がして、夕霧の腕が胴体と泣き別れた。
噴水のように鮮血を噴き出す胴を踏みつけるようにして爪を下ろせば、そこにはかつて人であった肉塊だけが残っていた。

轟、と巨獣が再び吠えた。
思い通りにならぬ苛立ちが、その爛々と光る眼に隠しようもなく浮かんでいる。
ほんの数刻前から、一事が万事この調子であった。
巨獣の行く先に蠢く無数の影が、ある一点を境にして急速に厄介な存在へと変わっていた。
噛み裂き、叩き潰し、薙ぎ払えば済むだけの存在であったものが、今やひどく鬱陶しい。
駆け抜けようとすれば寄って集って足元を狙われ、食い千切ろうと駆け寄れば蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。
一体、二体を仕留めてもどこから涌くものか、まるでその数を減らしたように見えぬ。
猛るままに大地を掻き毟れば、先刻踏み殺した一体の躯が泥と混じって磨り潰され、ぬるぬると滑って余計に苛立ちが増す。
言語にならぬ怒りに突き動かされ、獣の咆哮が辺りを揺らす。
焦燥と憤怒の入り混じった咆哮に、応えるものがあった。

ひう、ひう、と。
それは、病に伏した者の喘鳴のようだった。
一息ごとに生きる力とでもいうような何かが抜けていくような、そんな音。
呼吸というにはあまりにか細く薄暗い、生命活動の残滓。

死臭に満ちた山の上でなお濃密な、どろりと濁った血の臭いに巨獣が振り向く。
そこに、妄執が立っていた。

 ―――返せ、わたしの、宝珠。

言葉にはならぬ。
どの道、言葉を発したところで巨獣には解せぬ。
だが、ぼこりと紫色に腫れ上がった皮膚で片目を覆われ、だらだらと血膿を垂らしながら
なお巨獣を貫き通すように向けられたその醜くも鋭い眼光は、どんな言語よりも明確に、
そう語っていた。

三度、獣が吠えた。
逃げ去らぬ獲物が現れたのを悦ぶような響きが、その咆哮に満ちていた。


******

489 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:42:02 ID:m9uMag2.0
 
いける、と思う。
知らず頬が笑みを浮かべようとするのを、久瀬少年は必死に抑える。
それほどに確かな手応えが、久瀬にはあった。

北麓、及び西山道における遅滞戦術は極めて有効に機能していた。
射線を集中し侵攻ラインを限定した上で、潰されるべく配置した兵と陣だけを潰させる。
大切なのは一気に浸透させないこと。
たとえ一対多であろうと近接戦に持ち込まないこと。
持ち込まれた兵を、犠牲として活用すること。

一瞬だけ胸の中に生じた棘を、久瀬は奥歯を噛み締めて無視する。
誘導に成功した敵侵攻ラインからは一気に山頂を目指せない。
ひとたび山道から外れれば、険しい山中は天然の要害だった。
無数の遮蔽物は敵の浸透を阻止し、こちらの遠距離砲撃を有利に機能させる。
反撃開始から三分、百八十秒。
予想を下回る犠牲者数で戦局は推移していた。
残り三十七分を耐え抜き、勝利を得るだけの計算が、久瀬にはあった。
初陣であり、学生に過ぎぬ自分の指揮で勝利を得る。
思い通りに兵を動かすことの喜びが、久瀬の心中を駆け巡っていた。

高揚を抑えながら、久瀬は傍らに控える砧夕霧群の中心体を見やる。
共有意識による情報伝達は作戦の要だった。
目視では掴みきれぬ情報も、彼女がいる限り久瀬の掌中に集約されるといってよかった。
得られた情報を地図上に反映させ、そこから陣を展開していく。
一手、一手。無数の教本や戦訓を頭に浮かべながら、的確に対応する。
久瀬にとって、それは正しく盤上の勝負に等しかった。
詰めば喪われるのが生命であると、本当の意味で理解していたかどうかは定かではない。
久瀬は将であり、学生であり、そしてまた少年だった。
決意によって立ち上がり、覚悟によって将となった、彼は少年であった。

夕霧群の中心体から齎された情報を咀嚼し、久瀬が新たな指示を出すべく腕を振り上げた。
大きな身ぶりとともに声を張り上げようと、口を開き―――刹那、闇が落ちた。
視覚が、触覚が、聴覚が、嗅覚が、ありとあらゆる感覚が、途絶した。
意識も、思考も、何もかもが消えた。
後には何も、残らなかった。


久瀬少年の人生は、そこで終わっている。

490 十一時二十分(1)/Sense Off :2008/04/09(水) 14:42:57 ID:m9uMag2.0
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:死亡】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6708(到達・6708)】
 【状態:迎撃】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

【場所:F−5】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

→915 943 962 ルートD-5

491 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:32:27 ID:2LxlvcbQ0

「北麓の二人は鎖場で止める! 融合体を中心に当たれ、砲撃を集中して敵を分散させるな!
 西側、敵を直接狙うな、山道を崩せ! 相手は四つ足だ、崖下に誘い込んで動きを封じろ!」


******


風が、少年の張り上げる声を微かに運んでくる。
その声を背中で受けながら、銀髪を靡かせた男が静かに口を開いた。

「教科書通りだが、的確だ。あれはきっとよい将になる。
 ……貴様はどう思う、来栖川綾香」

男の正面に立った影、しなやかな身体をぴったりとしたボディスーツに包んだ女は、
口の端を上げて答える。端正な顔立ちの中、鼻筋は青黒い痣に覆われて痛々しい。

「今は気分がいい。呼び捨ては見逃してやるよ、白髪頭」

笑みの形に歪められたその瞳の色は、魔の跋扈する夜に浮かぶ月の如き真紅。
白を基調にしたボディスーツの両腕はその肘あたりで内側から裂けたように破れている。
肘から先、前腕から手首、指先に至るまでのシルエットは、常人のそれではない。
丸太のように肥大した腕を包むその皮膚は黒くごつごつと罅割れた、大型の爬虫類を思わせるそれに変質しており、
節くれ立った指先からは瞳の色と同じ真紅の爪が、刃の如き鋭さをもって長く伸びていた。
異形、と呼ぶに相応しいその姿を目にしても、対峙する銀髪の男、坂神蝉丸は眉筋一つ動かさない。
ただ一言、告げたのみである。

「手負いで俺に勝てるつもりか、来栖川」

言われた綾香が、笑みを深める。
獰猛とすら見える、歓喜と殺意に満ちた笑顔だった。
蝉丸の言葉は綾香の顔に刻まれた痣や傷に向けて放たれたものではない。
綾香の歩む姿、その体捌きや重心移動の中に深刻な異常を見て取ったものであった。
事実、綾香の身体は通常であれば歩くことすらままならないほどの打撃を受けている。
苦痛にのたうち、そのまま死に至っても決しておかしくはなかった。
それを鍛錬と、そして何より薬物の力によって無視し、綾香は歩を進めていた。

「言うなよ、可愛い後輩の餞別にくれてやった傷だ。もっとも―――すぐに気にならなくなる」

492 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:32:50 ID:2LxlvcbQ0
何かを見せ付けるように、綾香が片手を差し出してみせる。
どこから取り出したものか、長い爪の先に細長い筒状の物が挟まれていた。
注射器であった。中には薄い黄色の液体が満たされている。
一瞥して、蝉丸が鼻を鳴らす。

「それは……上級士官に支給される、自決用の薬物か」
「よく知っているじゃないか、下士官風情が」
「今にして思えば愚の骨頂だ。誇りを捨てぬための自刎を薬で汚そうというのだからな」
「自分が見捨てられたらイデオロギーの全否定か? 救えないな転向者」

嘲笑うような綾香の言葉にも、蝉丸が表情を動かすことはない。
そんな蝉丸に哀れむような視線を向けながら、綾香は手にした注射器を軽く振ってみせる。

「勘違いするなよ。こいつは確かに最後の一手だが……別に自決用ってわけじゃない。
 軍人は戦って死ね、一兵でも多く道連れにすれば軍神の列に加われる……。
 そんな、カビの生えた教本の一節をイカレた国粋主義者どもが寄って集って形にしたもんさ」

来栖川という、国家の中枢に食い込む家名を背負った女が微笑すら浮かべながら言う。
或いは、その微笑は己が欺瞞に向けられたものであったのかもしれない。

「で、だ」

軽口を叩くように、綾香が口を開く。

「こいつを、こうする」

それはまるで、女学生が菓子を口に運ぶような気軽さだった。
注射器の針が切り揃えられた短髪の下、来栖川綾香の白い首筋に突き立てられていた。
無造作に押し込まれるピストンに、薬液が体内に流れ込む。
ほんの一瞬、綾香の全身がびくりと震えた。

493 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:33:18 ID:2LxlvcbQ0
「……」

暴挙を目にしても微塵も揺らがぬ蝉丸の冷厳な眼差しが綾香を貫く。
その眼前、奇妙に甲高い音が響いていた。
俯く綾香の、呼吸音であるようだった。
熱病にうなされる末期の病人の漏らすような、或いは内圧に軋みを上げる蒸気機関のような、それは音だった。
やがてゆっくりと、甲高い音が収まっていく。
最後に一つ、長い息を漏らして、音がやんだ。

「―――ほぅら、もう、痛くない」

言って顔を上げた、その綾香の容貌に、さしもの蝉丸が小さく眉根を寄せた。
その整った、美しいといっていい細面の、左半分。
鼻筋を境にしたその全面に、異様な紋様が描かれていた。
張り巡らされた蜘蛛の巣のような、緻密な刺繍のような、赤一色の複雑な紋様が、
綾香の額から目元、頬から口元、顎までを覆っていた。
否、よく見れば内側から暗く光を放つようなその赤は、浮き出した血管であった。
麗しかった来栖川綾香のかんばせは今やその半分が、醜い血管の迷宮に覆われていた。
元が整っていただけに、それは醜悪を通り越した、異相であった。
赤の支配する貌の真ん中で、ぎょろり、と真紅の瞳が動く。

「さあ……始めようか、白髪頭」

牙を剥いて笑むそれは、人妖の境を踏み越えた、異形であった。


***

494 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:33:55 ID:2LxlvcbQ0
 
大地を這う蛇の如く身を低くした姿勢から綾香が疾走を開始する。
対する蝉丸は腰に佩いた一刀の鯉口を切り、刃を外に捻じり向けた居合の構え。
人外の速さで迫る綾香を迎え撃つ。
疾風とすら見紛わん勢いの綾香が間合いに踏み込んだ刹那、銀弧が閃いた。

「チィ……!」

舌打ちは神速の抜刀を見せた蝉丸である。視線は上。
横薙ぎの一閃が奔った刹那、綾香が跳躍していた。
瞠目すべきは見切りの疾さ、そして何よりその高さである。
人の背を越える高さを、足の力だけで跳び上がっている。
ましらか猩々か、いずれ妖の類としか思えぬ反応であった。
見上げた蝉丸の眼が反射的に細められる。
中空、跳び上がった綾香に背負われるようにして、日輪が輝いていた。
抜き放った一刀の切っ先を強引に捻じろうとするが、到底間に合わぬ。
咄嗟に抜刀の勢いのまま身を投げ出すようにして前転、頭上から迫る真紅の爪を辛うじて躱した。
膝立ちになるや、蝉丸は刀を水平にして頭上に掲げる。
直後、硬い音が響いた。刃と爪の交錯する音だった。
綾香の姿は蝉丸からは見えぬ。
背を向けたままの受けは踏んだ場数の賜物である。

「オォ……ッ!」

裂帛の気合と共に、刃で受けた五本の爪を、下から体重をかけて弾き飛ばす。
刹那、立てた膝を支点として半身を捻じる。
視界の端に映った影を薙ぐように斬撃を走らせた。
腰を落とした姿勢とはいえ、柄頭に左手を添えた重みのある一撃である。
それを、

「遅いな、白髪頭!」

綾香は余裕を持ったバックステップで避ける。
距離の開いた機を逃さず立ち上がった蝉丸の顔には、僅かに驚愕の色が浮かんでいた。
それを見て取り、綾香が嘲るような声を上げる。

495 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:34:29 ID:2LxlvcbQ0
「どうした強化兵、ノリが悪いな」
「……一つだけ問おう」

白刃を陽光に煌めかせながら、蝉丸が綾香を見据えて口を開く。
砂埃の混じった風を受けるその顔は既に巌の如き無表情に戻っている。

「聞いてやるよ白髪頭、言ったろ? 今は気分がいい」
「……國の礎となるべき者が、何故、人を捨てる」

重々しく放たれた問いに、軽口を叩いていた綾香の表情から笑みが消えた。
その半面に朱い蜘蛛の巣模様を浮き上がらせ、真紅の瞳を見開いた異相が、真っ直ぐに蝉丸を見返す。

「つまらないことを聞くな」

白昼、その身の周りにだけ夜が訪れたような、それは昏い声音だった。
ざわり、と切り揃えた髪が揺れる。
擦り合せた異形の爪が、しゃりしゃりと耳障りな音を立てた。

「お前に―――お前に勝つ為だろう、坂神蝉丸」

その名を呼ぶ。
砂塵に塗れた旅人の、冷たい水を渇望するような。
一人祈る乙女の、恋しい男の名を呼ぶような。
暗い死の淵に、永劫の怨嗟を込めて呟かれる呪のような。
それが来栖川綾香の、真実、唯一つの言葉だった。

「……そうか」

国家と天秤にかけられた男はただ一言、そう漏らすと、手にした一刀の刃を返す。
ぎらりと、白刃が煌めいた。

「ならば、是非も無い」

496 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:35:03 ID:2LxlvcbQ0
踏み込む。
瞬時に詰めた間合いから閃くのは、下段から伸びる切り上げ。
綾香の左胴を切り裂くかに見えたそれは僅かに届かない。
身を引いた綾香に躱されている。
が、そこまでは蝉丸とて予想の範疇だった。
体を止めず、奥足を踏み込んでの二の太刀は逆袈裟の切り下ろしである。
一太刀めは囮であった。
体勢の流れた綾香には、二の太刀を更に下がって躱すことができぬと踏んでの斬撃である。

「ナメるな……っ!」

硬質な音と共に、綾香がその爪をもって刃を受ける。
しかし蝉丸は刃を引かず、更に体重をかけていく。
鬼の手を持つ綾香は今や、腕力においては己よりも遥かに上であると蝉丸は判断していた。
だが同時に、命のやり取りは腕力のみにおいて決するわけではないということも蝉丸は理解している。
体勢の差、重心の差、そして体重の差を利用した鍔迫り合いに持ち込んだのも、そうした意識と
無数の経験との上に成り立つ戦術であった。
じりじりと近づく刃に、綾香がたまらずもう一方の手を添える。
両の爪を十字に交差させる、堅い受けである。
押しやられる一方だった刃が、ぴたりと止まった。
力と力の鬩ぎ合いの中、蝉丸が言葉を漏らす。

「大義を忘れ妄執に拘る……、貴様のような輩が國を惑わすのだ……!」

ぎりぎりと、音を立てそうな鍔迫り合いの最中である。
冷厳を以ってなるその声にも、常ならぬ激情が篭っていた。

「ガキを担いで……! 人形遊びが、お前の大義か……!」

受ける綾香の瞳は杯に鮮血を満たしたように紅い。
その瞳には紛れもない嘲りと、そして憤激が浮かんでいた。

497 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:35:53 ID:2LxlvcbQ0
「義を見失うのが國ならば、俺は俺の義を貫くまでだ……!」
「他人を、巻き込むなって話……だろう、がっ!」

言い放つと同時、綾香が全身の撥条を使って体を捻じる。
鬩ぎ合う力を横に流そうとする試みは成功した。
流れた白刃が綾香の左肩、その皮膚を浅く削いだが、それだけである。
体勢を崩され、無防備な脇を見せた蝉丸に向けて綾香の横蹴りが放たれる。
上体捻じった勢いを加算した重い横蹴りが、蝉丸の脇腹に食い込んだ。

「ぬぅ……っ!」

息を漏らした蝉丸だったが、しかしすぐさま流れた刃を返し、強引な切り上げに入る。
下から迫る刃に追撃を断念し、綾香が飛び退る。
再び距離が開いた。蝉丸の白刃は既に油断なく綾香へと向けられている。
刃を横に寝かせた平青眼、必殺の突きを狙う構えに再度の接近を試みようとした綾香の足が止まった。

「人形遊び、か……貴様から見ればそうなるのだろうな、来栖川」

告げた蝉丸の顔からは、一瞬だけ浮かんだ苦痛の色は消えている。
暗夜に浮かぶ月の如き静謐をもって、その瞳が真っ直ぐに綾香を見据えていた。

「あれらを、生み出したのではなく……作り出した、と貴様等は言う。
 驕慢でなく、傲然でなく、ただそれを当然と、疑念すらを抱かず貴様等は言うのだ」

凛と冷え切った声音が言葉を紡ぐ。

「何故、その聲を聞かず、その道を見定めず、無用の長物と放り棄てる。
 あれらを人でなく、傀儡と育んだは貴様等の罪業だろうに、何故それを肯んずる。
 生の意味を与えず、思考の時を与えず、命を求める声をすら与えず」

白刃は揺らがぬ。
声音は荒れぬ。
しかしそれは一片の違いなく、

「そこに―――如何な義の在るものか」

坂神蝉丸が見せた、激情の吐露であった。

498 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:36:30 ID:2LxlvcbQ0
風が、一際強く吹き抜けた。
砂塵を含んだそれが沈黙を運ぶ。
否、沈黙は小さな音によって破られていた。

「……っ、……」

耳を澄まさねば聞こえぬほどのそれは、しかしすぐにその音量を増していく。
初めはさざ波のように、そして瞬く間に瘧の如く爆ぜたそれは、笑い声であった。
面持ちを険しくした蝉丸の眼前、来栖川綾香が、呵々として笑っていた。
その顔の半分を覆う朱の紋様がまるで羽虫を絡め取った蜘蛛の巣の如く、醜く蠢いている。
可笑しくて堪らぬといった様子で笑う綾香が、その笑みを収めぬまま口を開いた。

「―――知るかよ、そんなこと」

蒼穹の下、弓形に歪んだ真紅の瞳が、ぬらぬらと凶々しい光を湛えて揺れていた。
そこには快の一文字も、愉も悦すらも存在しない。
ただ、嘲弄と軽侮だけが、浮かんでいた。

「私の仕事は算盤勘定だ。ついでに教えてやる。科学者連中の仕事は自分の妄想を形にすることで、
 技術屋の仕事は製品のコストを下げることだ。連中の生まれた意味なんて誰も考えちゃいない。
 知りたきゃ坊主にでも聞いてくるといい」

ぎり、と鳴ったのは蝉丸の奥歯を噛み締めた音か、それとも握り直した柄の軋みか。

「それが、貴様の道か」

言うが早いか、蝉丸の身体が駆けた。
踏み出した足の大地を噛む音が後から聞こえてくるほどの、猛烈な踏み込み。
広い間合いを、ただの二歩で詰めていた。
驚いたように見開かれる綾香の真紅の瞳、その中心を狙った突きが閃いた。
手応えは、ない。
文字通りの紙一重で、躱されていた。
未だ白く残る方の頬に一文字の傷を開け、鮮血の雫を飛ばしながら、綾香が身を撓める。

499 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:37:17 ID:2LxlvcbQ0
「じゃあ……訊いてやる、白髪頭ッ!」

突き込まれる刃に微塵の恐怖も見せず、綾香が叫んだ。
カウンターで突き込まれる爪を、蝉丸は辛うじて柄頭で弾く。
下に流した真紅の軌跡はしかし、五本。

「お前には……ッ、聞こえてるのか、……あいつらの、声がッ!」

残る片手の爪が、上から迫る。
それを、軸足で地面を強引に蹴り離すことで上体を反らし、回避する。
軍装の釦が一つ、弾けて飛んだ。

「あたしたちを! 助けてください、って!」

両の爪を躱されてなお、蝉丸の頭上から落ちる影がある。
鉞の如き威力を備えて落とされる踵であった。
返す刃は間に合わぬ。たたらを踏むように、更に一歩を退いた。

「どうか生きる意味を! 教えてくださいって!」

着地と同時、綾香が加速する。
薬物の効能で人体の常識を超えた出力を誇る筋力に加えて、胴廻し蹴りの前転による勢いを利用した加速である。
その速度は蝉丸の眼をもってしても容易には捉えきれぬ領域に達していた。
躱しきれぬ、とみた刹那。
蝉丸は手の一刀を逆落としに地面へと突き立てていた。
伝わるのは刃の先が僅かに岩を食む硬い感触。
もとより、綾香を狙ったものではない。

「ぬ……ッ!」

掛け声と共に、蝉丸の身体が跳んでいた。
突き立てた刀の柄頭を土台とした、高飛びである。
迅雷の如く迫ってきた綾香が真紅の爪を振るうのと、ほぼ同時であった。
宙を舞う蝉丸の影が、身を低くした綾香の背に、落ちた。
交錯した両者がその位置を入れ替え、そして離れる。
必中の一撃を避けられたと悟った綾香が砂塵を巻き上げながら身を翻せば、
蝉丸もまた束の間の空から大地へとその身を戻していた。

500 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:38:04 ID:2LxlvcbQ0
「泣いて頼まれたか。夢枕にでも、立たれたか。違う、違うな、強化兵」

一転、綾香が静かに語る。
その視線は対峙する蝉丸の纏う枯草色の軍装、その足元へと向けられていた。
編み上げ式の軍靴が踏みしめる地面に、じわりと拡がる染みがあった。
乾いた岩場を濡らす赤黒い染みは、紛れもない鮮血である。
蝉丸の軍装、右のふくらはぎの辺りが、ざっくりと裂けていた。

「お前には何も聞こえていないだろうよ。あいつらの声も、願いも、何も」

綾香が、爪を振るう。
何滴かの血が、球になって散った。

「お前は手前勝手な願望を、あいつらに押し付けているだけだ。連中が本当は何を願っているのか、
 生きたいか、死にたいか……それさえ、お前には分からない」

ゆっくりと、綾香が歩を踏み出す。
陽だまりの中、散策でも楽しむかのような足取りとは裏腹に、顔には酷薄な笑みを浮かべている。
冷笑に侮蔑をたっぷりと乗せて、ほんの僅かな憐憫を込めて、綾香が首を傾げ、言う。

「手前ぇの恨みつらみを語るのに、誰かの名前を使うなよ。なあ、出来損ないの強化兵」

蝉丸の表情が、初めて歪んだ。
挑発への怒りではない。まして、傷の痛みでもなかった。
ただ、歪んだのである。
正鵠を射られたとは思わぬ。
義憤とは安い侮辱に消える程度の炎ではないと、蝉丸は信じていた。
ただ許せぬと、肯んじ得ぬと貫き通すべきものはあると、蝉丸は確信している。
しかし、否、故に、蝉丸の表情はただ、歪んでいた。
綾香の放った嘲弄の矢が射抜いたのは、蝉丸の心に燃え盛る義ではなかった。
坂神蝉丸という男の、中心。
何もない、草木の一本すら生えぬ、ただ広がる荒地の、その真ん中に、突き立っていた。
そこを潤すものはない。そこに実るものはない。そこに生きるものはない。
舞い上がる砂塵も、吹き荒ぶ風すらもない。
ただ時の止まったような、荒涼とした大地。
そこに一本の矢が突き立ち、静謐が乱れた。
決して感情の範疇でなく、さりとて理性の領域でもなく、思考でも思想でも思索でもなく、
ただ感覚として、蝉丸は己が中心に広がる寂寞を見た。
故に表情を歪めたのである。

「そうか」

だからそれだけを、蝉丸は口にした。
肯定でも否定でもない、それはひどく簡素な相槌であった。

「分かんないなら、そう言えよ」

無造作に間合いを詰めながら、綾香もまた、それだけを応えて口を閉ざした。
その手の爪が、足取りにあわせてゆらゆらと揺れている。

501 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:38:44 ID:2LxlvcbQ0
間合いに入るまで五歩と、蝉丸は見て取った。
白刃を下段に構え、その一瞬を待ち受ける。
刀の間合いは、爪の間合いよりも遥かに広い。

残り、四歩。
仙命樹の治癒とて万能ではない。
深く抉られた肉を繋ぐまでには幾許かの時を必要とする。

残り、三歩。
右を軸足に使えぬ今、受けるも攻めるも難い。
ならば勝算は、間合いの差。

残り、二歩。
踏み込んだその足を、その爪を、その頸を。
斬の一念を込めて、断ち割る。

残り、一歩。
踏み出されたその足が―――消えた。

と見るや、綾香の姿は既に蝉丸から見て右に占位している。
爆発的な加速によるサイドステップ。
が、蝉丸の刃は微動だにせぬ。
横に流れた綾香の踏み込みは、未だ僅かに間合いの外。
陽動であると、見抜いていた。
右に動いた綾香が更に加速する。
脇を走りぬけ、後ろをとると見せた刹那。
右構えの下段が最も対処しづらい、右斜め後方から、綾香が、間合いに踏み込んでいた。
同時、蝉丸の白刃が閃いた。
構えによる誘いは無論、綾香とて気付いていると、蝉丸は理解している。
狙い通りの剣筋の、なおその上を行く疾さを備えていると確信しているからこその踏み込み。
慢心であり、虚栄であり、しかし高雅であった。
それは来栖川綾香の唯我たる矜持、魂に刻まれた自負。
ならばそれを斬り伏せよと、坂神蝉丸は己に命じる。
慢心を斬り、虚栄を断ち、来栖川綾香を滅せよ、と。
一刀を、振るう。

502 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:39:06 ID:2LxlvcbQ0
「―――!」

風が、裂けた。
真紅の刃が、まとめて切り裂かれ、折れ飛んだ。
蝉丸の振るった白刃が斬ったその数は、九。

ただの一本が、残った。
残った一本は、刃であった。

細く、鋭く、風が、流れた。
一直線に伸びたその軌跡は、狙い違わず蝉丸の喉笛へと迫り、そして―――失速した。

「……あ、」

漏れた声は、濡れていた。
ごぼりと、血の泡が溢れた。
口中いっぱいに鉄錆の味を感じながら、来栖川綾香が、ゆっくりと倒れた。

503 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:40:16 ID:2LxlvcbQ0
「……」

蝉丸の視線が、大地に横たわる綾香を見据える。
険しいその表情は勝者のものとも思えぬ。
そもそも、蝉丸の刃は綾香の爪だけを斬ったものである。
倒れた綾香の身体に斬撃による大きな刀傷はない。
だが鮮血は実際に噴き出している。
蝉丸は頬に飛んだ返り血を拭い、見下ろした綾香の、震える五体に眉を顰めた。
溢れる血は、綾香の内側から、流れ出していた。

「あ……あああ……っ!」

びくり、と投げ出された鬼の手が震える。
野太いそれがぶるぶると痙攣したと見えた、次の瞬間。
内側から爆ぜるように、黒く罅割れたその肌が裂けた。
大量の血液が飛び散り、辺りを染め上げる。

肌に張り付くようなボディスーツの内側から、嫌な音がした。
太腿から、上腕から、背筋から、ぶちぶちと断続的な音が響く。
主要な筋肉の断裂する、音だった。
スーツの隙間から覗く白い肌が、青黒く染まっていく。
内出血が拡がっているようだった。

「が……あ、あぁ……ッ!」

絶叫と共に気管に流れ込んだ血と唾液を垂れ流しながら、綾香がのたうち回る。
その端正な顔の半分を覆う赤い紋様、浮き出した血管で形作られた蜘蛛の巣が、
まるでそれ自体が別の命をもつ生き物であるかのように波打ち、蠢いていた。
その幾つかが弾け、真っ赤な液体が溢れ出す。
さながら綾香が血の涙を流しているように、それは見えた。

「……限界だな、来栖川」

504 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:40:49 ID:2LxlvcbQ0
内側から自壊していくような綾香を見下ろして、蝉丸が静かに息をつく。
その白刃は自らが作り出した血の海で泳ぐ綾香に、油断なく向けられていた。

「人を超えた力など……所詮、人の身で扱いきれるものではない」

しゃら、と澄んだ音を立てて、蝉丸が刃を返す。
陽光が反射し、流れ出る血と流れ出た血の両方で全身を染め上げた綾香を照らした。
未だ癒えぬ傷の痛みを無視して、蝉丸がゆっくりと歩を進める。
踏み出したその足が粘つくのは、血だまりを行くせいか、或いは軍靴の中に溜まった己が血のせいか。

「そこで時をかけて命を終えるか、それとも楽にしてほしいか」

返答など期待せぬ何気ない呟き。
既にその声が耳に届いているかも怪しい。
蝉丸が足を止めたのは、故に微かな驚きによるものである。

「……誰、に……」

声とも呼べぬような、掠れた響き。
だがそれは確かに来栖川綾香の紡ぐ、言葉であった。

「……誰に、口を……聞いてる、……三下……!」

それは一つの、奇跡であったやも知れぬ。
綾香の瞳、真っ赤に充血したその瞳は、蝉丸を確かに射抜いていた。
そればかりではない。
腕、足、胸、腹、首、いたるところに爆ぜたような傷が開き、肉どころか何箇所かは骨すら覗いている、
到底動けるはずもない身体で、綾香は微かに、しかし確実に、蝉丸の方へと這い寄ろうとしていた。
蛞蝓の這いずるような、遅々とした動き。
しかしそれを、蝉丸は瞠目をもって迎えていた。
沈黙が、何よりも雄弁に驚愕を語っていた。

「……あたし、は……、」

ぶるぶると震えながら、最早流れ出す血液すら残らぬような身体で這いずりながら、綾香が言葉を紡ぐ。
殺意もなく、邪気もなく、ただ澄みきった何かだけが残ったような、言葉。

「……あた、しは……、……ずっと、世界の……真ん中、に……。
 こんな、こと……で、終わ、ら……、ない……」

そよぐ風よりも微かな呟きが、段々と小さくなっていく。
伸ばした手が、蝉丸の軍靴に触れた。
掴み引き倒す力とてあろう筈のない、その赤黒く染まった手を、蝉丸はじっと見ていた。
深く、深くつかれた息は、果たしてどちらの漏らしたものであっただろうか。

「……」

蝉丸が、手にした白刃を天高く掲げる。
抗う術は、綾香に残されてはいなかった。
突き下ろせば、それが最期となる筈だった。

それが為されなかったのは、蝉丸の背後、凄まじい音が響いたからである。


******

505 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:41:27 ID:2LxlvcbQ0
 
知らず振り向いた蝉丸の、その表情が固まる。
見上げた視線の先に、異物があった。

僅か数十メートル先、神塚山山頂。
そこに、何かが突き立っていた。

天空から下ろされた一本の蜘蛛の糸のような。
或いは天へと伸びる果てしない塔のような。
限りなく細い何か、紅色と桃色と鈍色が考えなしに混ざり合ったような、醜悪な何か。
それが、神塚山の山頂、その中心へと突き立てられていたのである。

「……、」

そこにいた筈の、青年へと移り変わる途上のような顔をした、少年の名を、蝉丸が口にするより早く。
ひどく耳障りな雑音交じりの、しかし不気味によく通る声が、天空から響いていた。

「待っていましたよ―――この瞬間を」

それは遥か蒼穹の高み、突き立った細い糸のような何かの上から、降りてきた。
最初は芥子粒のような、しかし瞬く間にその大きさを増していくそれは、異様な姿をしていた。
人のような、しかし決して人にはあり得ないシルエット。
三対六本の腕、瘡蓋の下に張った薄皮のような桃色の、巨大な翼。
人と蟲と蝙蝠を、止め処ない悪意によって混ぜ合わせたようなフォルム。

かつて長瀬源五郎と呼ばれた人間の成れの果てが、そこにあった。

506 十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に :2008/04/15(火) 21:42:00 ID:2LxlvcbQ0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ融合体】

→916 962 967 ルートD-5

507 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:52:48 ID:CaxMWfFA0

それは、雨であった。
鋭い鋼鉄の穂先を大地へと向け、穿ち貫かんと落ち来るそれを、雨と呼ぶならば。

それは、槍であった。
天空より間断なく流れ落ち、地上へと等しく降るそれを、槍と呼ぶならば。

雨の如く降り注ぐ、桃色と鈍色の入り混じった無数の槍。
遥か高みより降る凶刃が終わらせたのは、たった一つの命である。

その、命であったものの名を、久瀬という。
最初の一筋が脳天を貫いた瞬間に、久瀬少年の命は終わっている。
何かを掴もうと伸ばされた指がびくりと震え、そして、それが最後だった。
直後、幾筋も幾筋も降り注いだ槍が貫き通したのは、少年の骸である。

人の形をしていた少年が、赤い液体と無数の欠片へと解体されたその場所へ、降り立つ者があった。
返り血と思しき赤黒い斑模様で纏った白衣を最早そうと呼べぬまでに汚し、背には肉色の翼。
肩の辺りから生えた四本の鋼鉄の腕をやはり血で染め上げ、はだけた胸からは断末魔の如き表情をした
女の顔が二つ、埋め込まれているのが見えた。
人、と呼ぶにはあまりにもヒトとかけ離れたその姿を目にして、声を漏らした者がいる。
急ぎ駆け戻った男、坂神蝉丸であった。

「長瀬……源五郎……!」

名を呼ばれ、悪夢を具現化したかの如き姿の男が、にたりと笑った。
歯茎を剥いた、怖気が立つほど醜悪な笑い。

「司令、と呼び給えよ、坂神君。いや……坂神脱走兵、というべきかね?
 副社長におかれても、ご機嫌麗しく」
「……何故、久瀬を殺した」

触れれば斬れるような声音。
口臭の漂ってきそうな笑みにも、血の海に倒れ伏す来栖川綾香を見下した視線にも委細構わず、
蝉丸はそれだけを口にする。

「……何故? 何故と問うのかね、君は?」

そんな蝉丸へと視線を戻すと、長瀬はくつくつと笑う。
肺病やみが咳き込むような、痰の絡んだ笑い方だった。

508 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:53:21 ID:CaxMWfFA0
「特段の理由などないよ。ただ私の道具を取りに来た、そこにたまたま彼がいただけさ」
「道具……だと」

言われて初めて、蝉丸が気付く。
長瀬の足元、のたうつ肉色の槍に隠れるようにして、小さな影があった。
広がる血の海の中で暴れることもなく、じっと蹲っている影を、長瀬の鋼鉄の腕が掴んで引きずり起こす。
久瀬少年の血に塗れながら表情一つ変えず、眼鏡の奥で焦点の合わぬ瞳を光らせる少女を見て、
蝉丸が呻くような声を漏らした。

「貴様、それは夕霧の……」
「演算中枢だよ、坂神君。私はこれを取りに来ただけだ。ずっと君の目が光っていたから、少しばかり難儀したがね」

見せ付けるように、片腕で夕霧を吊り上げる長瀬。
その身体から伸びた、ケーブルとも槍ともつかぬ金属製の管が、まるで触手のように夕霧の身体を這い回る。

「迂闊だったねえ、坂神君。君が目を離したりしなければ、私もこれに近づけなかった。
 ……久瀬大臣の愚かな御子息も、死なずに済んだかもしれないなあ」
「―――黙れ」

激昂も見せず、あくまでも静かに、蝉丸が口を開いた。
転瞬。

「―――!」

銀弧が閃いた。
音もなく駆けた蝉丸が、一気に間合いを詰めると手の一刀を振るったのである。
それを、

「おっと」

おどけるような仕草と共に、長瀬が飛び退って避ける。
強い風が、蝉丸の頬を叩いた。
長瀬は文字通り、肉色の翼を羽ばたかせて飛んでいたのであった。

509 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:53:46 ID:CaxMWfFA0
「貴様……!」
「おお、怖い怖い。君といい光岡君といい、強化兵の近接戦闘能力は驚愕に値するからね。
 正面からやりあう気などないよ」

刀の届かぬ高度でゆっくりと羽ばたきながら、長瀬が肩をすくめる。
鋼鉄の腕には砧夕霧を抱えている。
その血に濡れた身体の上には、やはり触手のような管が何本も這い回っていた。

「……うん、これではよくわからないな」

一人呟いて首肯する。
と、夕霧の身体を這っていた管の束が、唐突にその動きを変えた。
夕霧の纏った質素な服の上を這っていたものが、一斉に襟を、裾を、袖を目指して蠢く。
瞬く間に衣服の下へと潜り込んだ管の群れが、ぞろぞろと布地を持ち上げる。
宙吊りにされた少女が無数の蛇に肢体をまさぐられているような、それは淫靡な光景であった。

「どうだい、ミルファ、シルファ。私の可愛い娘たち。解析は終わりそうかい」

鳥肌の立つような猫撫で声で長瀬が語りかけたのは、その胸に浮かぶ人面瘡の如き二つの顔である。
よく見れば、ケーブルの束は断末魔を写し取ったようなその顔の、口腔の奥から伸びているのだった。
時折、びくりと夕霧が震える。
薄い布地の向こう、襟から潜った管が小さく盛り上がった双丘を舐る。
袖から腕、脇を通って背筋をまさぐる管もあった。
スカートの裾から入り込んだ管は下腹部から尻の辺りを取り巻いていた。
濡れた音がするのは、如何なる行為によるものか。

「下種が……!」

押し殺したような怒声と共に飛んだ針のようなものを、長瀬が翼の一振りで悠々と躱す。
虚しく弧を描いて落ちるのは、真紅の細刃。
先刻の交戦で斬り飛ばされた、来栖川綾香の鬼の爪であった。

「そう急かないでくれ給えよ、坂神君。焦らなくとも、もうすぐ……おや、終わったのかい、娘たち」

蝉丸への嘲るような声音とはうって変わった、気色の悪い甘い声。
見れば、びくりびくりと震えていた夕霧の肢体がだらりと弛緩している。
それを目にして満足げに頷く長瀬。

510 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:54:33 ID:CaxMWfFA0
「うん、それじゃあ……始めようか」

言葉と共に、びり、と音がした。
布の裂ける音。夕霧の纏っていた、質素な服が引き裂かれていく音である。
陽光の下、白い肌が惜しげもなく晒されていく。
瞬く間に、その肢体を覆っていた布地がすべて取り払われた。
乳房の先に覗く桃色も、下腹部を薄く覆う翳りもすべて、その上をのたくる管の群れと共に曝け出されていた。
長瀬の鋼鉄の腕によって両腕を拘束され、吊り下げられるような姿勢のまま裸体を隠すこともできず、
しかし夕霧はぼんやりとした瞳だけを眼鏡の奥に光らせたまま、表情を変えない。
そんな夕霧を後ろからかき抱くようにして身体を寄せると、長瀬がその感情のない顔に手を伸ばした。
肩から生えた鋼鉄の腕ではない。長瀬源五郎の、生身の手である。
ゆっくりと撫でるようにして、長瀬の手指が夕霧の頬を這う。
痩せこけた血色の悪い唇を、ごつごつと骨ばった長い指がなぞる。
白い首筋からこびり付いた血の乾き始めた耳の辺りまでを嘗め回すようにしていた長瀬が、その耳元に囁いた。

「私と一つになりなさい、失敗作」

同時。
ぞぶり、と嫌な音と共に、ケーブルの先端、槍の穂先のように尖ったそれが、夕霧の裸体に突き刺さっていた。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
首筋に、背に、脇腹に、太腿に、二の腕に、薄くあばらの浮いた肢体に、何本も刺さっていく管の群れ。
その度にびくりと震える夕霧の身体からは、しかし奇妙なことに血が流れ出さない。
それどころか、まるで刺さったケーブルを取り込むかのように、破れた皮膚が再生し、薄皮が張っていく。

「成る程、成る程、成る程。余計な感情を溜め込んだものだ。余分なノイズを取っておいたものだ。
 こんなものは―――消してしまえばいい」

目を細め、長瀬が独り言じみた呟きを漏らした途端、夕霧の身体が一際大きく跳ねた。
激しい痙攣が二度、三度と続き、そしてすぐに静かになった。

「さあ、これで綺麗になった」
「……ッ!」

歯噛みしながら見上げていた蝉丸が、思わず絶句する。
頷いた長瀬がひと撫でした夕霧の顔は、先刻までとはまるで異なっていた。
何の感情も浮かべていなかったその顔に、一つの明確な表情が刻まれていた。
即ち―――、絶望。

「貴様……!」

そこにあったのは、苦痛でも、悲嘆ですらなかった。
この世に存在する希望という希望を絶たれ、怨嗟に塗れ、生を呪う、それは亡者の表情。
それはまるで、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔をそっくり写し取ったような、顔であった。

511 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:55:00 ID:CaxMWfFA0
「何を……一体、何をしたッ……!」
「ん?」

地上で叫ぶ蝉丸の存在を、まるで今思い出したとでもいうように長瀬が見やる。
にやにやと見下ろすその視線には、何らの特別な感情は浮かんでいない。

「何、と言われても……道具をフォーマットしただけさ。雑念が煩かったからね」
「外道が……!」

曇った眼鏡を拭いただけ、とでもいうようなその口調に、蝉丸が手の一刀を握り直すとほぼ同時。

「ぬ……!?」

蝉丸が跳んでいた。
僅かに遅れて、立っていたその場所に突き立つものがある。
上空を飛ぶ長瀬の身体から伸びた、肉と鉄の入り混じった槍であった。
その足元に広がっていた、乾きかけた血の海がべしゃりと撥ねた。
ざっくりと裂けた右足から真新しい紅の珠が飛ぶのにも、蝉丸は眉筋一つ動かさない。
天空の高みから次々と迫り来る槍を的確に躱していく。
しかし、

(……?)

おかしい、と蝉丸は己の直感が告げるのを感じていた。
次々に降り注ぐ槍は確かに鋭く、速い。
しかしその位置、照準、タイミングがあまりにも粗雑に過ぎた。
長瀬が戦闘に関して素人であると言ってしまえばそれまでなのかも知れない。
しかし、それだけでは片付けられない何かを、蝉丸の研ぎ澄まされた勘は嗅ぎ取っていた。
降り注ぐ槍には何か別の狙いがある、と。
蝉丸がそこまでを思考したのを読み取ったかのように、天空からの攻撃が、止まった。
大地に張り巡らされた蜘蛛の巣のように無数の槍を突き立てておきながら、蝉丸には未だ傷一つつけていない。
それが唐突に止まっていたのである。
思わず見上げた蝉丸の耳朶を、

「さあ、食事の時間だ」

長瀬の声が打ったのと、時を同じくして。
ぞぶり、と音がした。
音は、一つではない。
それは蝉丸の周囲、四方八方のあらゆる方向から、無数に響いていた。

512 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:55:21 ID:CaxMWfFA0
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。

まるで挽き肉を捏ね回すような、或いは鍋に満たした湯の沸き立つような。
ひどく耳障りなその音は、蝉丸のすぐ側、或いは手の届かぬ遠く。
地面に突き立った無数の槍の、その中から、響いているようだった。

ごぼり、と泡立つような音がして、見れば突き立てられた槍の穂先が、濡れていた。
赤く濡れたそれの周りにはしかし、鮮血など存在しない。
否、砂を染めた血痕が、そこに血の流れていたことを示している。
そこかしこに積み上げられた夕霧たちの躯から流れ出たはずの、それは血だまりの痕だった。
それが、なくなっている。

「……飲んだ……のか……!」

険しい表情のまま見回せば、山頂のいたるところを染め上げていたはずの、乾きかけた血の海が、
まるで潮が引いたように小さくなっている。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がするたびに、血だまりは小さくなっていく。

「……ッ!」

衝動のままに一刀を振るえば、硬い感触と共に槍の一本に亀裂が入る。
ごぼり、と噴き出した粘性の高い血液が、蝉丸の手を汚した。

「長瀬……! 貴様、どこまで……!」
「おいおい、人の食器を傷つけないでくれよ」

天空を睨んだ蝉丸の視線にも、長瀬はただにやにやと笑いを返すのみ。

「君だってあまり人のことは言えた義理ではないと思うがね。
 土嚢代わりに使うのは死体の血を吸うより高尚な行いなのかい?」
「……!」
「こんなものは、単なる資材でしかない。君と同じさ。
 もっとも、私が本当に使うのは―――生きた方、だがね」

生きた方、という言葉の意味が、染み渡っていく。
と、何かに気がついたように、蝉丸が辺りを見回した。
ぞぶり、という音は、止まっていた。
咀嚼音が止まり、静寂が落ち、しかし―――静かすぎる。
北側と西側では戦闘が続いていたはずだった。
久瀬の死によって命令系統は混乱しているだろう。
僅かな間に戦線は崩壊したかもしれない。
しかし、閃光も、騒音も、何もかもが止んでいるのは、異常だった。
生きた方、という言葉がもう一度、蝉丸の脳裏に甦る。

513 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:55:42 ID:CaxMWfFA0
「まさか……!」

蝉丸が弾かれたように長瀬を見上げた、その刹那。
長瀬の身体が、爆ぜた。
否、爆ぜるような勢いで、膨れ上がったのである。
白衣が、スーツが、その布地の限界まで張り詰め、裂けた。
その下から無数に飛び出したのは、肉色の槍である。
それが生えていたのは、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔からではない。
腕といわず腹といわず、隙間を埋め尽くすようにして、その醜く蠢く管は
長瀬の肉体のいたるところから奇怪な腫瘍の如く飛び出していた。
その数は先刻に倍し、太さに至っては一本一本が人の腕ほどもある。
そんなものに埋め尽くされた長瀬は、まるで空に浮かぶ磯巾着か何かのようにすら見えた。
が、そう見えたのも一瞬。
無数の管が、凄まじい勢いで伸びていた。
目指すのは大地。

「……!」

瞬間、蝉丸は己の危惧が的中したことを知る。
長瀬の身体から伸びた無数の管はそのすべてが、山頂ではなく、そのすぐ周辺。
北側と西側の山道へと、向かっていたのである。
天頂を境とした空の半分を覆い尽くすように、肉色の管が巨大な天蓋を形作る。
測定を拒むが如き数の管が伸びるその先には、きっかり同数の影が、佇んでいた。
影、砧夕霧と呼ばれる少女達の群隊は抗う様子も見せず、迫り来る管をぼんやりと眺めている。
矢のように伸びた管の群れが、その速度の一切を殺すことなく、夕霧たちへと突き刺さった。
否、刺された少女たちからは、一滴の血も流れない。傷すらも、できてはいなかった。
故にそれらは、突き刺さったというべきではなかったかもしれない。
それらは単に、少女達へと貼り付き―――呑んでいたのである。

514 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:55:59 ID:CaxMWfFA0
ぞる、と先刻の血液を咀嚼する音にも倍して奇怪な音が響くたび、少女達が歪んでいく。
誇張でも比喩でもない。
管の貼り付いた部位を中心に、骨格を無視し人体構造を無視して、少女の身体のその全体が、
奇妙に捻じ曲がっていくのである。
同時に、音が響くのと歩調を合わせて、その肉体そのものが小さくなっていく。
ぞる。少女の腹が、べこりと落ち窪んだ。
ぞる。少女の胸が、片方の乳房を残して、捩じくれた。
ぞる。少女の腕が、肘まで肩に埋まった。
ぞる。少女の腰が、臓腑ごと競り上がった。
ぞる。少女の脚が、胸の下から、覗いていた。
ぞる。少女の首が、管へと吸い込まれていた。
ぞる。少女の、全部が消えた。

少女を呑み尽くした管は、まるでフィルムを逆回しにするように天空へと巻き取られていく。
巻き上げられた管の根元が、ぼこりと膨らんでいる。
それは紛れもない、少女の体積。
ぞる。ぞる。ぞる。
音と共に、少女が管に呑まれ、管が巻き上げられ、その根元が、ぼこりと膨らんでいく。
ぞる、ぞる、ぞる。
ぼこり、ぼこり、ぼこり。
それは、ヒトのカタチをしていたモノが、ヒトならざるモノの中に、吸い上げられていく音であった。
およそこの世のものとは思えぬ悪夢の光景の中心に、笑う顔がある。
長瀬源五郎であった。
肉腫の如く膨らみ続ける体の中心に、長瀬源五郎の顔が浮かんでいた。
すぐ下には三つの断末魔。
イルファ、シルファ、そして砧夕霧の中枢体が、悪夢の象徴のように並んでいる。
巨大な肉腫は重なり合い、互いを覆い隠すように拡がっていく。
七千にも及ぶ生体が、融け合って膨れ、崩れて肉腫となり、やがて何かを形作っていく。
それは、受精卵の細胞分裂を繰り返す様を、偏執的な悪意で塗り潰していくような。
そんな印象を見る者に与える光景だった。

515 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:56:20 ID:CaxMWfFA0
どこまでも長く感じられる、しかし実時間にしてほんの数十秒の内に、
それは、この世に姿を現していた。
身長、およそ三十メートル。体重にして二百七十トン。
神塚山、北西側の山肌から、山頂の台地へと手をかけるようにしてへばりついたそれは、
途方もなく巨大な少女―――砧夕霧であった。
天頂へと迫りつつある陽光を受けてぎらぎらと額を輝かせながら、

「―――」

るぅ、と啼いたそれは、長瀬源五郎と同じ顔で、嗤っていた。


.

516 十一時二十三分/軛、解き放つ :2008/04/26(土) 02:56:56 ID:CaxMWfFA0

【時間:2日目 AM11:26】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6314体相当)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

→968 ルートD-5

517 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 16:58:27 ID:WLKNz3/g0
 海のほとりにある、ごく小さな一軒屋。
 明るく輝く太陽の光とは対照的に、カーテンで閉ざされた室内はほの暗く、物の輪郭を僅かながらに、色彩を僅かながらにしか映し出しているのみ。
 けれども、そこの動く一つの影――小牧郁乃――の瞳は今にも燃え出しそうなくらいに爛々と輝いて、殺戮と絶望が飛び交うこの島においてもなお、不屈の意思を秘めたものを持っていることを示していた。

「……ふぅ、大分……動けるようになった」
 額につく、僅かな汗を袖で拭いながら郁乃は一息つく。

 ここ数時間で郁乃が歩行した距離は僅かに数キロにも満たない。遅すぎるほどの速度。
 だがそれでも郁乃は、自分が確実に歩けるようになっていることを確信していた。
 走ることはまだ叶わないが、少なくとも人の手を煩わせずに移動することができる。もう少し時間があれば様々な行動を取れるようになるだろう。
 もう、足手まといにはなりたくない。

 負けず嫌いとも自責ともいえるその一念が、郁乃を衝き動かしている。元来そのような性分だとは理解してはいたが、ここまでしていることに自身でも感心するくらいだ。
 姉……いや、病院の中だけだった狭い世界だったのが、七海を始めとして様々な人間に触れ、いかに郁乃自身が小さいものだったのかを思い知った結果かもしれない。事実、今まで郁乃はそこまで劣った存在ではないと思っていた節があったのだから。

 情けない話だ。
 経験して、叱責されて、ようやくそれに気付けたのだから。それもそうだが、それ以前に。
(……あいつに言われて、ってのがどうしても気に入らない)
 高槻と名乗ったその男。

 美形とは言い難いし、性格は最悪。すぐ調子に乗るし、スケベだし、ロリコンだし、ホラ吹きだし、天パだし。
 その上私の唇を奪おうとした。なんか告白まがいのことまでしてきたし。
 なんというか、ムカツク。そんな奴に指摘されて気がつくなんて。
 でも……いつの間にか、あいつのことを考えていたり。どこかで頼りにしていたり……違う違う! あいつの顔があまりに印象的すぎるだけ!
 というかなんで私はドキドキしてるわけ!? ありえない! だから最悪なのよあいつは!

「あの、小牧さん?」
 高槻の事を考えるあまり(本人はそう思ってはいないだろうが)頭を抱えたり腕を振り回したりしていた郁乃に不安を感じたのか、ほしのゆめみが手に水の入ったペットボトルを持って差し出していた。

518 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 16:58:54 ID:WLKNz3/g0
「少し、休憩なされた方がよろしいかと思います。小牧さん、顔が赤いですし……体温の上昇が見受けられます」
「て、照れてなんかないわよ!」
「はい?」

 要領を得ないゆめみの表情に、そういう意味で言ったのではないとようやく悟った郁乃はげんなりして、「……ごめん、勘違い」と水を受け取り、ボトルのキャップを開く。
 久々に感じる水分の潤いが郁乃には心地よかった。色々考えていたのがアホらしく思えてくる。

「はぁ……ねぇ、ゆめみ」
「はい、なんでしょう」

 いつもと変わらぬ調子で応えるゆめみ。こういうとき変な勘繰りをしてこないことが、郁乃には都合がよかった。
「あいつ……高槻のことは、どう思ってるの?」
 別に深い意味などなかったが、何となく聞いてみたくなったのだ。高槻の事を考えていたから、他の人間は(ゆめみはロボットだけれども)どのような評価を下しているのか純粋に気になった。

「そうですね……行動力のある方だと思います」
 へえ、と郁乃は目を丸くする。郁乃の印象ではお調子者で間抜けな人間像だっただけに。
 気になったので、さらに追及する。

「どういうところが?」
「例えば……申し上げにくいことだとは理解していますが、宮内さんが殺害されたときに、真っ先に現場に直行して、確かな推理をなさっていましたし、わたしたちが襲撃されたときもわたしたちを守るために積極的に戦って下さいました。小牧さんを助けるために、海へ飛び込んだことも。模範となるべき人間像だとも考えます」

「……」
 過大評価でしょ、と郁乃は言いたくなった。
 確かにそういう場面もあったけど、模範と言えるかどうかと問われれば……絶対違う。
 というか、あいつは絶対自分のためだけに行動してるでしょ。うん、私には分かる。

519 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 16:59:19 ID:WLKNz3/g0
「そ、そうなんだ……うん、まぁ、そういう見方もあるわよね」
 藤林杏や折原浩平、立田七海に再会できたときにはそっちに意見を聞いてみよう、と郁乃は思うのであった。

「ふぅ……」
 何はともあれ、少しは休憩した方がいいだろうと考えた郁乃は椅子を引いてそこに腰掛ける。ごく自然な動作だったが、それは郁乃の努力の賜物、というべきものであった。
 無論、郁乃本人はまだそれに気がついていないのであるが。
 頬杖をつき、どのくらい時間が経っているのだろうとふと気になったので時計を探してみる。
 が、置いていないのかそれとも死角に隠れているのか、どこを見渡しても時計らしきものは見当たらない。散らかっているくせに、なんと物のない家なんだ、と郁乃は息をつく。

「どうされました?」
「ああ、うん、時間が気になって」
「それでしたら、現在は日本時間の16:30を回ったころになります」

 再び郁乃は周りを見回す。どこにも時計のようなものはない。どうして分かるの? と尋ねるとゆめみは明朗に、
「わたしには体内時計機能も内蔵されておりますので。壊れていなければ、いいのですが……ここが世界のどこに位置するのか分かりませんので、調整しようにも出来なくなっているんです。申し訳ありません……」
 ああ、なるほどと納得する。確かに元がメイドロボであるHMXシリーズのOSを使っているのならそれくらいはあってもおかしくはない。

 しかし、もう夕方のだったのかと郁乃は時の流れの速さに驚かずにはいられない。病院にいたころには一日はあまりにも長く感じられたのに。
 そしてこの間にも人はどんどん死に絶えている。一体何人が命を落としたのだろうか。姉は無事なのだろうか。離れ離れになったみんなはどこにいるのだろうか。様々な不安が郁乃の中に蓄積されていく。それで何が変わるでもないと分かっていながらも、考えずにはいられないのだ。

 いや。今こそ行動を起こすべきなのではないだろうか。ゆめみも高槻もどちらかと言えば積極的に動くのは反対意見だ。当てのないまま動いても人を見つけられないという意見は、確かに郁乃も理解はできる。

520 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 16:59:44 ID:WLKNz3/g0
 だがそれは大人の見方ではないのか。黙っていてどこそこに誰々がいる、という情報が入ってくるとでも言うのか。
 結局、自分の足で動かなければ情報は得られない。例え、それが徒労になるものだとしても。
 何より――今の自分には足があるじゃないか。

 しかしそれを提案したところでゆめみはともかく、高槻は首を縦には振らないだろう。
 高槻の目的はあくまでも脱出。悪く言ってしまえば自分が生き残れればそれでいいという自分本位の考え方だ。恐らく優先順位としては杏、浩平、七海を探すことよりも岸田洋一の残している可能性のある船を探すことの方が上のはずだ。
 分かっているのだ。高槻の言葉の裏に、郁乃を始めとして他の仲間たちをそれほど重要視していないというのが見え隠れしているということを。
 郁乃には、分かっていた。人の顔色を見ることは、得意だったから。
 しかし一方で、度々郁乃を守り、かばってくれた高槻の姿もまた真実である。それが、高槻の自己満足的な行動だったとしても、だ。
 だからこそ、郁乃は高槻に対する思いを決められずにいたのだ。彼の『善意』を信じるか『悪意』を信じるか。

 とかく、初めての経験が多すぎた。誰かに相談しようにも、ゆめみはそこまで人の心に通じてはいない(ゆえに郁乃は話しやすいと考えていたのであるが)。まだ、それを決められるほどには、郁乃は大人ではなかったのだ。
 そして、大人ではなかったがために――彼女は、迂闊な決断をしてしまったのだ。

「ゆめみ、ちょっとお願いがあるんだけど」

     *     *     *

521 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 17:00:11 ID:WLKNz3/g0
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」

 何故かその台詞が連呼される夢を見ていた俺様が目覚めたのは、日の傾きかけたころだった。
 ああ、よく寝た。思えばこの島にやってきてからというもの、ついぞ寝た覚えがなかったな。さっき寝てたって? バカ、あれは気絶って言うのさ。大体犬の王子様のキッスで起こされるなんて最悪だ。お前らもそう思うだろ?

 ……つーか、やけに静かじゃねえか。よくよく見れば郁乃もゆめみもいやしないじゃないか。なんだ? これはビックリドッキリ企画か?
 ハハア。どうせポテトあたりでも使って何か良からぬ企みでもしているんだな? バカめ、そうそう俺様が引っかかるか。
 俺様はすっと立ち上がると実に久々の、初めてポテトと出会ったときのように拳法の構えをとってポテトの奇襲に備える。

 ……と、そこまでしたところで、今は殺し合いの真っ最中だということに気付いた。よく考えてみりゃいかに毒舌女王様の郁乃とボケの大魔神ゆめみ様と言えどもそんなことをするわけがない。
 ならどうして誰もいないんだ? 一言も言わずにここから出て行った、とでもいうのか?
 郁乃も、ゆめみも、ポテトもか?

 見捨てられた。
 そんな言葉が俺様の頭を過ぎる。
 ……まさか。郁乃もゆめみも、そんなことをする奴らじゃない。そんなわけがないだろ、常識的に考えて……

 待て。
 どうして俺様は動揺してるんだ?
 いつものことじゃないか。どこでだって俺様は嫌われ、罵られ、怨嗟をぶつけられてきた。その自覚もあったし、人の道を外れた行為なんていくらでもしてきたじゃないか。
 いつものこと。せいせいして、また一人になれて気楽気ままになったと喜ぶ。それが俺様じゃあないのか?
 なんだよ、まるで、自分が自分でないみたいじゃないか。ムカツクな……もやもやとしやがる。

522 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 17:00:38 ID:WLKNz3/g0
「クソッ」
 悪態をつき、床に唾を吐く。それでも収まりがつかなかった。
 もういい。もうどうでもいい。適当にしてりゃいずれ分かる。またいつも通りにやればいいんだ。
 再び床に座り込み、二度寝に入ろうと俺様が目を閉じたときだった。

「ぴこぴこ、ぴこーーーーっ!!!」

 懐かしい、とさえ思ってしまうくらいに、実に久々に聞いたような、そんな声(というか鳴き声な)が耳に飛び込んできて、俺様は反射的に身を起こす。
 暗い家屋を照らす、一条の光。
 僅かに開けられた扉から、俺様を導くように……いや、叱咤するように、そいつは出てきた。
「ポテト……? てめえ、今まで何を」
 その時は、僅かに嬉しかったのだ。何故うれしかったのかなんて分かるわけがなかったから、またムカついたのだ。再会に感動する、なんて俺様のキャラでは考えられないからな。
 だからとりあえずいつものようにお仕置きでもしてやろう。そんな風に考え、俺様はポテトに駆け寄った。

 だが。何故か、どうしてか、ポテトの体は土に汚れ、弱弱しく俺様を見上げていたのだ。
「おい、なんだよ、それ」
 またもや訳がわからない。ポテトが何か悪戯でもして、郁乃あたりにでも投げ飛ばされたか?
 はは、ざまねえな。俺様ならこんなヘマはしないってのによ。

「ぴこ……っ!」

 何をやっているんだとでも言うように、ポテトは力を振り絞って吠えやがる。なんだよ、この必死さは。
 まさか……
「ぴこ!!!」

 いや、分かっていたはずなのだ。ただ、その可能性を認めたくはなかったのだ。
 在り得る可能性としての、郁乃とゆめみがいない理由。
 それは――

「クソッタレめ!」

523 名無しさん :2008/04/27(日) 17:00:58 ID:xYL3nTsE0
.

524 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 17:01:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は認めたくなかったのだ。目の当たりにしたくなかったのだ。
 弾かれるように走る。外へ、砂浜へと向かって。
 否定するために、ポテトの必死な目線が悪戯なんだと証明するために。
 しかし――嘘つきな俺様は、とうの昔に神様に見捨てられていたらしい。
 そこに、そこにあったのは――

     *     *     *

 その場所には、民家が立ち並んでいた。
 多少の違いはあれど、基本的には似たような作りの日本建築の家。
 普段であれば掃除機の五月蝿いモーター音、子供達が騒ぐ声、あるいはギターをかき鳴らす音色があるかもしれない。
 だが、そこには一つとして音はなかった。ただ一つ、気だるそうに、徒労に引き摺られるようにした足音があった。

「クソッ、骨が何本か逝ってやがる」
 防弾アーマー越しながらもごわごわと感じる自身の異常に、岸田洋一はイライラしていた。
 たかが、女二人にここまでの手傷を負わされたのだから。
 戦利品は申し分ない。狙撃銃のドラグノフ、89式小銃、二本目の釘打ち機(ただし釘だけ抜き取ってしまったが)。攻撃力は二度目の高槻の敗北の時と比べると月とスッポンである。

 だが、それでもなお残留する鈍痛という事実が彼の心を満たしはしなかった。とかく、また誰かを殺害――それも坂上智代と里村茜などとは比べ物にならないくらいの凄惨な殺し方でなければ気がすまない。
 いや、それでさえも彼の心は満足しないだろう。最終的な目標は、あくまでも岸田をコケにするように見下してきた高槻という男への復讐。
 奴の取り巻きどもを目の前で無残に殺し尽くし、憎悪をむき出しにして殺し合いを挑んでくる高槻を下し、絶望的な敗北感を味わわせる。
 これこそが極上の美食であり、最上の贄。岸田は早くそれに舌鼓を打ちたくて仕方がなかった。
 お腹が空いたと食べ物をせがむ、無邪気な子供のように。

「しかし、止むを得なくなったとは言え高槻から遠のいてしまったかもな」
 七瀬彰、七瀬留美、小牧愛佳が駆けていった方向とは逆に、岸田は移動していた。いくら岸田が強靭で逞しく、戦闘経験が豊富とはいえ傷ついた体で全力の戦いを何度も続けられるかと問われれば、岸田本人でさえ首を横に振るだろう。
 ある程度の休息が必要だった。それでもまだ十分に戦える状態ではあったのであるが。

525 (飲酒運転)/Fight it out! :2008/04/27(日) 17:01:33 ID:WLKNz3/g0
 民家の森を抜けた岸田に、思わず目を細める光景が映る。
 海と砂浜。寄せては返す波の群れが彼を出迎えていた。場所こそ違えど、海は岸田の出発点でもある。
「そうだ、あのクソ忌々しい女もいずれブッ殺す必要があるな……」
 この島において初めて出会った人間にして、隙をつかれ苦汁を舐めさせられた女。笹森花梨の存在を、岸田は改めて思い返していた。
 高槻ほどではないが、花梨の存在も岸田には腹立たしかった。彼の辞書に敗北の文字は許されるはずがなく、汚点を残した花梨は全力で殺すべきだと認識を新たにする。

「まあいい。しばらくは海沿いに歩いてみるとするか。考えてみれば島の内陸部ばかり歩いていたからな」
 正式な参加者でない岸田に地図は支給されていない。道沿いに行動しては出会ってきた人間を襲うばかりだった。
 探索を楽しむのも一興と、砂浜へと向けて歩みだそうとした、その足がピタリと止まる。

 ある種の喜悦というものを、岸田は感じた。宝物を見つけた少年の瞳の如き輝きを、同じくその目に宿している。
 これまでの徒労が、憤怒が、花火のように弾け飛んで笑いという形で飛び出しそうにさえなった。

 誰かが言っていた。
 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 三度目は運命。

 まさしくそうである、と岸田はそれを言った人物を褒め称えたくなった。
「そうか、そういうことなのだなぁ?」
 まるで無邪気な声ながらも、その内に潜む残忍さと冷徹さが、声のトーンとボリュームを下げる。
 柄にもなく、岸田洋一はワクワクしていた。

 そう、これはパーティの開演。
 全てが岸田洋一という一人のためだけに作り上げられた会場。
 この状況を、彼ならば何と言い表すだろう?
 決まっている。