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おしゃべりルーム
ヴィルパン
フランス語のコーナーみたいになりますが、フランスの呼称って、住んでいたらもちろん分かってきますが、アングロサクソンとは全然違います。イギリスの映画とか観てたら、学校で生徒を姓で呼んでるみたいですが、フランスではほぼ名のほうです。スターはアメリカでは名で呼ぶことが多いようですが、こちらでは少しでも公共の人はドヌーヴとかドロンとか姓で呼ぶことが多いです。だからこそ今のアイドルは、アメリカ風にファーストネームを呼ぶ傾向があります。後、インタヴューなどで、姓名をフルネームで呼べば、ムッシューという敬称は必要ないのです。たとえば、「メルシー、ドミニック・ド・ヴィルパン」と言えます。「ムッシュー・ル・プルミエ・ミニストル」とも言います。雑誌や新聞では敬称抜きのヴィルパンあるいはフル・ネームです。一番多いのは「ヴィルパン」だけ。ドはつけても間違いじゃないですが、有名になればなるほど消えます。ヴィルパンも外務大臣の頃はド・ヴィルパンと書かれていたことがありました。ムッシューの後ではどちらかと言えばド・ヴィルパンかな。ではどうしてド・ゴールはド・ゴールかといいますと、ドがなくなるには、1「有名」、2「ドに続く名がある程度長い」、3「ドに続く名が知られた地名でないか地名以外のルーツを持つ」の条件があり、ド・ゴールは1しか満たしていないからです。日本でも、たとえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか有名でしたが、ド・ボーヴォワールと呼ばれずに、フランス風にボーヴォワールでしたね。でもフルネームならドが復活します。画家のアンリ・ド・ツールーズ=ロートレックとなると、ツールーズは有名な土地ですが、フルネームでないと誰もド・ツールーズ=ロートレックと言ってくれません。日本同様、ロートレックで通用します。ただし、彼は厳密に言うと、ツールーズ伯爵家とロートレック伯爵家の姻戚で生れた分家で彼の代で途絶えました。本家筋のロートレック伯爵家はまだ存在しますが、姓からドをとっちゃってます。ええと、上に挙げた条件というのは、私の見た経験則であり、別にどこかで成文化されてるわけではないです。おもしろいですね。
共同体の話ですが、たとえばどこかの優勢な共同体に属しているから安泰というわけでなく、その中で老いたり病んだり落ちこぼれたりしたときに誰が救ってくれるかと言うことですね。アリストテレスは「愛があれば正義はもう必要ない」なんて言っていました。確かに、みなが自然に弱い人をかばってくれるなら、主義も法律もいらないかもしれません。今のユニヴァーサリズムは、起源的にはユマニスムということです。こういうと必ず、「西洋の人間中心主義が地球の環境を壊したから八百万神の多神教の方が地球に優しくベターだ」とか言う人が出てくるんですが、よく見てください。ユニヴァーサーリズムのヒューマニズムの名において、国籍や文化がどうこうを超えて、何の関係もないのに、ソマリアに水を運ぶ人とか、ルワンダに援助に行く人とか世界中の天災現場に駆けつけるグループが存在し、キューバの捕虜収容所で虐待されている人が世界に向けて連帯を求めたりしているんですよ。ユニヴァーサリズムが西洋キリスト教起源であろうとなかろうと、全体主義の国に生れたり貧困国に生れたりするのは、偶然の采配に過ぎず、失業、事故、老いや死など、誰にとっても明日はわが身、強い時に弱い者を思いやり、弱くなったら共同体の枠を超えて助けてもらえるという理想はすごく大事にしたいと私は思います。愛があればすべて解決するかもしれませんが、愛することはアリストテレスの時代からいかにも難しく、永遠の挑戦なのですよね。それと、人間の置かれる状況は一筋縄でいかず、正義のために愛を犠牲にしたり、愛のために正義を犠牲にしたりという局面を繰り返して、相対主義のニヒリズムや絶対主義の誘惑と戦いながら少しずつ連帯していくという希望を捨てたくないです。
ファンレター
竹下節子様 初めて書き込みさせていただきます。この夏読んだ“アメリカにNoといえる国”を読んで以来、貴殿の作品をむさぼるように読ましていただいております。独特の品のよいタッチでリズムに乗れ、琴線が理解できたという満足感と、心がちょっぴり豊かになった幸福感が残り、とうとう書き込みまでしてしまいました。
このサイトを見つけて、さらに、喜びが増えましたです。
解説書だけでなく、小説などはお書きにならないのですか? きっとすばらしい芸術作品になるような気がします。
ようこそ
Akiraさん、サロンにようこそ。ここんとこ立て続けにスパムが来てうんざりしてたので、普通のメールが来て嬉しいのに、しかもそれが「ファンレター」なんて感激です。こういうネット上のヴァーチャル空間って、匿名土足で踏み荒らすことも可能なわけで、それを思うと時々すごく暗くなるんですよ。
神秘主義をテーマにしたミステリーを含めて小説の構想はいくつかあるんですが、小説はたくさん書き手がいるので、私はまず他の人が書かないものを提供しようかと思って。今でも、メッセージ性のあるものを心がけているんですが、それはそれでアカデミックな側からは批判されたりするんですよ。もとより万人にうけるのは不可能ですが、嫌いな人は読まなければすむのだから迷惑にならない、好きな人は楽しみにしていてくださっているのでお役に立てている、だから差し引きプラスになると信じてがんばります。
こんな風におしゃべりできるのだからやっぱり、ネットテクノロジーには感謝ですね。本の感想でも軽い話題でも何でもお気軽にふってください。
続ファンレター
竹下節子 さま
お返事ありがとうございます。(感激!)
私のように、このサイトを読むのを楽しみにしている人が、一杯いますです。
竹下様の作品の一番の魅力は、日本に住む日本人への、より視野の広い、より深い観点からのメッセージですものね。
アカデミック側からの批判って、進歩性の証のようにも思えますし。
お言葉に甘えて、教えていただきたいのですが、私は今まで、夏の休暇でしかフランスを味わったことがないのですが、観光客にも、ユニバーサリズムやライシテを実感するいい方法などはありますでしょうか? 実は“アメリカにNoといえる国”を読んだのも、パリ行きの飛行機の中でして、観光中もあちこちにユニバーサリズムの香りを感じはしたのですが、来年は実感したく、よい方法があればよろしくお願いします。 もうひとつあって、こちらの質問もかなり重要なのですが、パリで一番おいしいレストランは、どこでしょうか? 竹下様の好みのお店を紹介してくださいませ。
パリのお勧め
パリというかフランスで一番ユニヴァーサリスムを感じるところって、やっぱり公立の小学校かも。でも普通の人は入れないですよね。まして夏休みだと・・私の今好きなスポットはケー・ブランリ美術館です。行かれましたか?最近ようやく行ったので、感想を近々アート評論にUPしてもらいます。このサイトの運営をしてくださっているPickyさんが5月にパリにいらっしゃった時には、私の行きつけの界隈、不思議のメダイのチャペルとラザリストとパリ外国宣教会のクリプトとか集まってる七区の一角をご案内しました。後、私の気に入りの下町の劇場も。ジャンヌダルクのミュージカルをやってたんです。お泊りはやはり私のアソシアシオン関係のアパルトマンで。http://kapizo.hp.infoseek.co.jp/index.htm
にアパルトマンの紹介があります。次はどうぞいらしてください。このサイトは一時更新が途絶えてたんですが、最近また更新してくださる方ができて、パリのご案内とかもあります。
レストランとかはなんとも言えません。ビッグ・コミック・スペリオールの料理コミックで、京都の人に京都で一番おいしい店をと聞いたら誰も教えてくれず、京都の人って意地悪と思っていたら、何がおいしいかは人それぞれなのであえて誘導しないという意味だったんだという話がありました。私は京都の人じゃないので、この夏行った柚子屋旅館の一心居がおいしかった、と言っちゃいますけど。
パリのBourseにあるヴェニス料理とか好きですけどもちろんフランスっぽくないし。母がきたら7区の音楽院の近くにあるキャビアで有名なペトロシアンのレストランです。料理もおいしいけど、ハーブティのテイスティングというのがあって、それ専門の方が、目の前でハーブをブレンドしてくれて、3種作って、3種のデザートといっしょにどう組み合わせて飲むか教えてくれるんです。それが好き。
後は、友人がオーナーの店によく行きます。フランスっぽい店では、このごろ時々行くのはマビヨン(8番地)にある La Petite Cour かな。火水木のお昼は知り合いが手伝ってるので。通りより下に中庭があっていい雰囲気です。各種美術館の付属のレストランやカフェも、それぞれの趣向があって好きです。セナのカフェ・メディシスとか、ジャクマール=アンドレの食堂も好き。でも、フランス人は、みな食いしん坊なので、他の国に比べたら、どこでも大きく当たり外れはないですよ。パンの水準がどこも一定以上クリアしてるのと同じで。クスクスとかもおいしいです。それに日本の方の方がパリの情報くわしいし。
どうしてもオンリーワンのレストランをご案内しなければならないVIPが日本から来たときは取って置きの裏技があるんですが、普通の人はアクセスできません。私は夏に日本に帰ってることが多いんですれ違いかもしれませんが、いつかAkiraさんとスケジュールが合えばご招待しますよ。後、時々個展や演奏会付のパーティをやるんで、その時パリにいる人は誰でも参加OKで無料です。今年は12月8日から10日にアソシアシオンで写真展、10日にパーティで、17日には自宅の近くの音楽院でクリスマスコンサート、その後自宅でパーティです。フランス料理の料理人の方にビュッフェをお願いする予定。
でも普段は全体的に貧しい食生活です。だからたまにおいしいものを食べると嬉しいです。料理は嫌いじゃないし手早くて得意だと思っていたのですが、何でも使わないと錆付いちゃうらしくこの頃は手料理でもてなすのがすごく億劫なんですよ。なんかくだらないおしゃべりになりました。どなたかグルメの方いらしたら、おいしいレストラン紹介してください、東京かパリね。行ってみてご報告します。よろしく。
続々 ファンレター
竹下節子 さま
お答え感謝します。
ケー・ブランリ美術館ですか、来年は行ってみます。キャビアとハーブティーも楽しみです。演奏会や個展、若手芸術家の卵の応援など、さまざまな活動をされていらっしゃるのですね。
この夏は不思議のメダイのチャペルにたまたま足を運びました。親切な修道女さんと非常にきれいなチャペルは強烈に記憶に残っております。
パリはいつも2−3泊でそのあとシャモニーで山にこもるのが夏休暇の過ごし方だったのですが、来年は変えてみようかな、竹下様の話を聞いていると、冬か、秋ごろにいって、観光客のためじゃないパリでずっと過ごしてみたくなりました。
ちょと勉強不足なので教えていただけますでしょうか? 作品か、ホームページか、どこで記述されていたのかも正確な文章も思い出せないのですが、“生まれた瞬間から、死ぬ瞬間までの人間としての尊厳を守るのが善で、それを危険にさらすのが悪”というような倫理規定に関して感銘深い文章がありました。
この倫理規定というのは、誰がどのような背景で構築されたものでしょうか?
なかなか、見つけ出せなくて、ちょっと捜し求めておりましたので、よろしくお願いします。
国際倫理規定
ええと、生まれた時から死ぬまでの自然のサイクルを安全にまっとうさせるのが善というやつですね。私もすごく納得してるんです。尊厳というのとは違うんですよ。自然にまっとうさせるんだから、恣意的な「尊厳死=安楽死」とかはむしろだめな感じですね。
これは、政策科学研究所というシンクタンクの発行している『21世紀フォーラム』で数年前に読んだものを紹介したものです。今詳しいことを調べようとして探したのですが、見つかりませんでした。すみません。多分、他の物書きの皆さんも資料の山の中で大事なものが見つからないことがあるのでは、と、言い訳になりませんが・・・でもとっても大事なので、今メールで編集者の方に問い合わせますね。Kさん、もしこれをお読みだったら、直接教えてください。何号だったか、確か国連関係の委員会だったと思いますが、正式名称も。
ファンレター
竹下節子 さま
ありがとうございます。
自然のサイクルというのを思い出しました。私の書いたものでは、ちょっと違うというより、ある意味、正反対ですね(聞いてよかった!)。
でも、意外でした。きっとユニバーサリズムの流れを作ったフランスの啓蒙思想家の作かと早合点しておりました。
政策科学研究所を少し調べてみました。経済、エネルギー、資源問題に注力しているシンクタンクのようで、21世紀の支えを精神的に育もうという姿勢ではない組織から、倫理の再構築のような概念が出てきたことが驚きです。さらに倫理の大枠を自然に任せちゃってるところがおもしろいです。
もっとおかしいのは、先週学生時代の友達と飲んだときに、竹下様の作品をあれこれ紹介して、酔った勢いで、ユニバーサリズムとこの倫理規定をくっつけて適当にストーリーにしてでっちあげのお話をしてしまったことです。ごめんなさい。ま、みんな覚えてないでしょうから、実害はないです。まあ、それだけこの倫理規定の境界条件の切り方が印象に残っていたのでしょう。
(ビッグコミックスペリオールも読まれるのですか!)
倫理の話
21世紀フォーラムのKさんから、「国際倫理規定」で記事を検索しても出てこないので、思い違いでは?と返事がありました。確かに、フランス語でも検索したのですが、そのままでは見つからなかったということは、別に正式に採択されたとかではなく、試案の紹介だったのだと思います。政策科学研究所が作ったのではなく、ゲストによる報告でした。あったのは確かで、今、バックナンバーをチェックしています。あまりにも気に入ったので、暗記したので。前世とか受精卵とか死後の世界とか人生の意味とかは、それぞれの宗教だの文化に任せて、誕生から死までというぎりぎりの目に見えるサイクルに規定したのがすっきりしてて気に入りました。病気とか障害や純然たる事故はあげつらわず、「安全に」というのが、大事です。殺人や生贄や安楽死はだめ、拷問も死刑も自殺も戦争もだめ。たとえ、生贄や拷問や報復や自殺が文化や伝統の一部であったとしても、それはやはり克服すべきものだと、考えたいのです。
これと同じように気に入って、あちこちで紹介したのが、WHOの「健康の定義」の変更案です。これもその会議に参加した知り合いの書いたものに感動したのですが、結局、日本の厚生省によるクレームとかもあり、定義の変更にはいたらず、局長の所信に入れられただけに終わりました。まあ、別に特定の誰かが考え付いたからというのではなく、その言い回しに私が個人的に賛同して採用したということですから。ユニヴァーサリズムの理念や文脈にぴったり収まるので、Akiraさんの「でっちあげ」は的外れじゃないですよ。
21世紀フォーラムでは、その他に人種別脳の報告とか、絵画のニューロ・サイエンスとかの記事がとても印象的だったのですが、今回、この倫理規定を探してるうちに、このふたつは見つかりました。まったく記憶どおりだったので、倫理規定の記事だけが思い違いということはないはずです。日本語で読む本は限られているので、内容はかなりよく記憶してるんです。
コミックは、日本にいる時は買って、主として電車の中で読みます。親父系のコミックが多いです。おかげで、自分では経験したことのないサラリーマンの悲哀とか、何十年も読んでて、すっかりなじみです。たまに女性向けで「家族愛感動もの」特集とかのコミックも読んで、本気で涙を流したりしてます。これは、泣けばストレス緩和ホルモンとか出て健康にいいし、と思って。そして、自分と境遇がかけ離れているストーリーでも、べたな感動ものでちゃんと泣けちゃうのは、人間の共通した情緒とか想像力とかって、ちゃんとあるんだなあと思って、その事実にまた感動します。
続 倫理の話
竹下節子 さま
ここまで誠意をもって答えていただきまして、感動しました(竹下様の貴重なお時間を無駄遣いさせていなければよいのですが)。
「安全に」がポイントなのは、見逃していました。
WHOの「健康の定義」の変更案を調べましたが、spiritualがポイントのようですね。Mentalを超えて、spiritualまで健康の範囲を広げて、未来にまで責任を持とうとする意思でしょうか。アラブ諸国発の、西洋の医療技術のみの発展に対する警告なんでしょうか。医療技術の発展で、延命は可能になっても今度は尊厳死が問題になってきてる先進国にはとっても重要ですよね。
もしこれが日本語になったら、精神的かつ、魂的福祉となるのでしょうか?
(電車の中でコミックを読んで、涙する竹下節子様、かわいいです)
ケブランリ美術館
竹下節子 さま
ケブランリー美術館がアート評論にUPされていましたので読ませていただきました。来年の目玉は(レストラン以外では)、下町の劇場とこの美術館に決めました。世界のアートのユニバーサリズムが感じられそうです。
この週末に初めて“テロリズムの彼方へ、我らを導くものは何か”を読みました。1ヶ月前に買ってはいたのですが、テロリストの心理背景描写に関する作品かと、なんとなく敬遠してしまい積読状態、HP記載のスタッフ様の挨拶文に刺激を受けて手にとってみたのですが、良かったです、特に後半が(何か非常に感動しちゃって! 最後まで読んでみて初めて、タイトルの“我ら”の意味がわかる仕掛けになってるんですね。)。これで謎がひとつ解けました。いままでは、竹下様の論考や展開の中で、竹下様のスタンドポイントが掴みきれない時がたまにあったのですが(理系の人間ですので洗練された表現に慣れていないので。)、今回一気に理解できたように思いまして、益々ファンになりました(作品の魅力はフランス在住の視点と洞察力とプラスアルファーだと思いはしてはいたのですが、そのプラスアルファーがこの作品で掴めたように思いました。エティーの日記も早速注文しました。)
竹下様にとって、御自身の作品の中で最も愛着のある、もしくは最も秀逸と自負されるのはどの作品でしょうか?(失礼な質問ですがご容赦を)
ファンです
はじめまして。著作は全部読んでいると思います。『バロックの聖女』『聖女伝』が文学的で好きです。聖女伝のコレットの描写はすごく思い入れが感じられます。ノストラダムスのような人物にも思い入れをされているのに驚きです。アカデミックなアプローチなのに自由な思い入れをしていくのが魅力です。小説も読みたいです。
自分の本
このところがPCのご機嫌が悪くてお返事遅れました。すみません。ご愛読ありがとうございます。どの本も、私にとってはそれぞれ書いたときの状況とかと切り離せないので、愛着の比較はできないいんですよ。編集者との関係も入ってきますし。編集者がいなくなったとか編集者からあまり愛されなかったような本はかえって不憫で可愛がりたくなります。ある本をきっかけに読者とお友達になれたような本も印象深いです。あと、気をつけたはずでもどの本にもミスプリントとか思い違い、勘違い、間違いなどあるので、それも申し訳なく気になってます。その正誤表とともに、このサイトの著作紹介のところで各著作について、自分のコメントをつけていく予定です。
最近の本では『レオナルド・ダ・ヴィンチ』が、万人への分かりやすさを無視して書いたのですが、けっこう好意的に読んでいただいて嬉しい驚きでした。『バロックの聖女』も、かなり好きなように書かせてもらったのに、コアなファンがいて嬉しいです。ある程度は使命感によって書いたもの(ノストラダムス、ローマ法王、カルトか宗教か、テロリズム、アメリカにNOといえる国etc)、趣味の本(からくり人形、バロック音楽 など)、後、聖女ものキリスト教ものなど、原動力は「思い入れ」というより「好奇心」かもしれません。ユニークな人や現象を見ると、もっと知りたくて知りたくて、理解したくてわくわくするんです。そういう状況から、「一人で面白がってるよりちゃんと分かち合うべきだ」と周囲の友人や業界の人から言われるようになって、一般向けの本を書くようになったのですが、とにかく誠実であることとメッセージを盛り込むことに努力しています。出版不況だったり、それでも膨大な本があふれていることを思うと結構空しくなることもありますが、気に入ってくださる方がある限り、書くことはたくさんあるので、気長に書いていくつもりです。Webの世界って、いわれのない中傷とかも多いのでとにかく目立たないことを願っているのですが、こういう場で読者の方の好意的なコメントを直接聞けるのもまたWebのおかげですから、感謝です。時々「敷居が高い」とか言われるのですが、ブログ記事のコメントのようにどうぞお気楽に本やサイトの記事についてコメントください。
好奇心!
竹下節子 さま
好奇心とメッセージが原動力!作品の裏表紙のお写真を見て、少し首をかしげたところに好奇心が、澄んだ眼元に洞察力が、口元に決意が感じられました。きっと神様が竹下様に謎解きを命じたのでしょう。この引き込まれる文章は作者自身の魅せられた魂の表れだったのですね。今週はジャンヌダルクをもう一度読み直しました。男装の麗人に敬意と、個人の聖性とその犠牲がメッセージになる時代が来ないことを。
世界史未履修問題
竹下様、
ちょっと前から日本の教育現場で混乱を招いている事柄があります。
高校の必修科目である世界史の未履修問題です。このことに関して校長先生の自殺までありました。
この未履修の問題の原因はもちろんひとつではありません。
大学受験のシステムの問題、「ゆとり教育」になったための弊害というかしわ寄せ(授業時間数が少なくなったため)、などがあると思うのですが、一体なぜこんなことになったのだろうと思います。
私は歴史は大切だと思いますので、世界史も日本史もちゃんと学習させる必要があると思っています。
しかし、大学入試の際には世界史よりも他の科目を選択したほうが有利に働くため、ルールを破ってでも受験に有利なほうに流れてしまうのでしょう。学校側の意向というか気持ちというか、そういうのも分からないではないですが、それにしても世界史を学習させないというのはあまりに受験を目指した感じがするし、生徒たちのためにもならないと思うのです。
竹下先生はこの問題、どういう風に思われますか?
ご無沙汰です
皆様、ちょっとご無沙汰してました。結局、PCが壊れて、新しいのを買ったのですがアレンジするのに手間がかかりました。それで前のメール・ボックスの内容が失われたり、アドレス帳が見つからなかったりしてますので、あちこちに不義理をしてるかもしれません。私と交信してるはずの人、返事を待ってる方など、申し訳ありませんが一度、またはもう一度(?)メールを下さいませ。この場を借りてお願いします。
教科書問題で、少し前に、高校の世界史で何を習ったかとか役に立っているかとかについてのアンケートにか答えました。私は公立の進学校出身ですが、歴史はちゃんとやりました。授業は先生によって、おもしろかったり退屈だったりしまして、退屈なときはさぼったりもしました。歴史は読み物としておもしろかったので、授業がどうこう言うより、教科書を読むこと自体が楽しかったので、現代史まで読みました。でも高校で資料の読み方を習ったのは新鮮でした。その意味では、日本史の方が翻訳資料でなく原文だったので楽しかったことを覚えています。私のころは、歴史の先生というと左翼日教組系のイメージで、何かというと「生産力の増大」云々でマルクス史観に誘ってるのがちょっとうっとおしいでした。日本史と世界史が近代以降に混ざっていく時のダイナミックな流れまではたどり着かないことが多く、日本史は日本史、世界史は世界史というすみわけがありましたが、今思うとすごく役に立ちました。ヨーロッパでは歴史というとヨーロッパ史がほとんどなので、たとえばフランス史と世界史は分かれていません。フランス中心に世界がどうか変わってくるか、といういわば自分史みたいな
教え方で、英仏100年戦争の始まりなど、フランスでは英国王がフランス王権を主張した1341年が始まり、イギリスではフランス王が栄億王のフランスの領土を取り上げた1337年が始まりと、教科書に書いてあり、日本の世界史の教科書には実際に最初に戦闘が起こった1339年が始まりとなっています。
結構中立的というか、価値観を押し付けられなくてよかったと思いました。自虐史観とか言われてますが、大東亜戦争における侵略云々の話も、戦後生まれなので、あまり自虐的に取ったことがありません。ドイツなどでは若い人でもいまだにナチスへの反省をトラウいう戦後政策だったせいか、また私の両親や家族に直接の犠牲者がいなかったせいか、思い入れはなかったです。戦争で日本がんばれみたいな気になったのは、『坂の上の雲』を読んでたときくらいかも。
フランス人がワーテルローの戦いの敗北のことをトラウマのように語るのを聞いたりしてると、あまり勝ち負けの悔しさを刷り込まれてこなかった自分が特殊なことは分かりましたが、それもなかなかいいスタンスだと思いました。
そんなわけで、今となっては40年近く前ではありますが、私は全教科ほぼ万遍なくやりました。今、東大の二次試験で文系なら数学がないとか聞くと本当にびっくりします。理系の高校生には漢文を見たことがない子も多いとも聞いて驚きました。日本はなんとなく生真面目に教育指導要項なんかをこなすというイメージを持ってたので、受験科目に合わせて、ごまかしているのがよくあったなんて信じられません。
嫌いな科目は高校を出た後一生やらなくてもすむので、食わず嫌いでないことを確認するためにも、10代では無理やりできるだけ多くの教科を経験しとくのがいいような気がします。私にはむしろそのメニューの多さのほうが「ゆとり」に見えるんですが・・・小学校以来全方位型でいろんなメニューを押し付けられてきたせいで、少なくとも、これとこれは絶対やりたくない、これは絶対苦手、とか、消去法には自信ができましたから。嫌いなものでも一応習ったことで好奇心も満足しましたし。その後の一生で絶対使わないような知識とかスキルを無駄に習得するのが、若いときの最大の贅沢で、その後の人生でのゆとりのストックのような気がするんです。
私は家庭科で習ったことなんて、人生でその期間だけだったので、スポットライトを浴びて、いまだに役立っています。なんか、全授業がカルチャースクールみたいだったなあと思うんですよ。こういうとすごく学校好き勉強好きの子だと思われるかもしれませんが、嫌いな教科は嫌だったし、得意な教科は苦にはならなかったけど、別に一人で本を読んでればいいと思っていたし、好きなのは美術の実習とか作文とか創作系だけでした。だからこそ、もし選択の余地があれば、学校なんて行ってなかったかも。年とったせいかもしれませんが、人生の早い時期に選択の余地なく目いっぱいのプログラムを押し付けられることの贅沢って悪くないとかおもうんですよ。総合教育となるとオーガナイズする教師の力量とか環境によってすごくリッチか中途半端なものかと格差が生まれるので、総合教育のいい案のない場合は昔ながらの実技とか受験に必要ない科目を教えるとかで代替できるといいと思いますけれど。フランスのバカロレアでは、歴史と地理はセットで必修、哲学必修(フランス語は高校2年で終わり、3年はフランス語を使って考えるという哲学が義務になるわけです。)、物理と化学はセット、外国語は二つ、文系は三つ、生物と地学がセットだったかな、数学はもちろんメインで・・・と書いてたら、あさっての発表会で弾くモーツアルトの音合わせにフルーティストがベルを鳴らしたので、今日はこの辺でやめます。返事になってませんが。他の方の体験なども聞きたいです。
世界史の時間
何か私が書き込みをしてから、今までの常連さんが遠慮されてるみたいで、申し訳ありません。
ちょっと甘えて、世界史の授業について。
高校時代は、世界史の授業というのは何故か、5時間目、6時間目に集中しており、部活動前の、睡眠タイムとして有効に活用させていただきました。目一杯元気なときも何故か、昼下がりのうたた寝を誘う不思議な時間帯域として記憶しております。眠る生徒は前に座らないようにせよという厳しいルールがあり、いつも席を替わってもらっておりました。それが校長の自殺にも発展するような重要なものだったとは! 世界史と地理で一次試験を選択しましたが、授業内容がどの程度役立ったのかよくわかりません。ただ社会人になって初めてヨーロッパを訪れたときに、世界史もっともっと勉強しとくんだったなって深く深く反省したもんです。歴史が現代の実生活に影響しているようで(というか、歴史とそのものの中でヨーロッパの人が生きてるように感じましたので、どうして、歴史の先生は、こういうことを教えてくれなかったんだろうとも思いました。)。もし私が高校生のときに、ヨーロッパに2週間でも過ごしていたら、歴史の授業は睡眠タイムとなることはなかったでしょう。スライドでも漫画でもいいので、現実の異国の描写とか、各国の歴史と現代の関係をイメージできるようなわかりやすく興味を誘う授業にならないかな〜。(授業でならったことで今でも覚えてるのは“1234金滅ぶ“の類ですので。。。)
世界史
お久しぶりです。
わたしは、私立のキリスト教系(プロテスタント)の学校で中学高校を過ごして、ひたすら外国文学に耽溺し、大学に進んでから選んだのは西洋史でした。大好きな文学そのものを専攻にして、解剖するような勉強はしたくなくて、その背景に触れたいと選んだのだった、ような(昔のことですから、後知恵のような理屈ですが)。で、学校を出てから数十年経った今でも歴史が好き、というか、何か考え始めると「なぜそうなったんだろう」と、結局歴史をたどり始め、それを楽しむ自分がいますね。「来し方行く末」、これを考えながら生きるのでなければ人間ではないわ、と思ってます。今の欲望だけにとらわれて生きるような暮らし方はしたくないですね。明日、わたしの卒業した学校の在校生、若い後輩たちとおしゃべりする予定があるので、今の人たちのことを聞いてみたいと思っています。
久しぶりにお邪魔すると、別のページにドビュッシーとショパンの話が。古い人もいいけれど、ショパン、シューマン、ドビュッシー、フォーレ、・・・聴いたり弾いたりするのは大好きなんです。いきなり話が飛びますが、ずいぶん前に見た映画で「戦場のピアニスト」というのがありました。音楽はショパンなんですが、遺作のノクターンやバラード、国民国家が戦争で占領されたり、失われたりする、「祖国」の観念ができてからの音楽だと思うのですが、訴えるものがあるのですよね。教育基本法に賛成なわけではないのですが、・・・と支離滅裂なコメントですみません。
世界史ふたたび、とクリスマス
また間があいてしまいました。新しいPCをUSBスティックが読めなくて、なんかまたインストールのし直しとかいうことになって、メールのストックがまた消えてしまいました。アドレス帳だけは16日にセーブしといたんですが、私と交信歴のある方で、12月初めから16日までに私にメールをくださっていない人は、一度メールを入れといてください。お願いします。
今の若い人にとっての世界史は私の時より数十年分現代史が長いわけで、国も増えたし、交流も増えたし、いろいろ加速してるので、たしかに、まともに勉強したら時間が足りないですよね。今の私だって、毎日ニュースチェックして新聞雑誌で確認しても情報が多すぎてどうしようもないのだから、やっぱり歴史の授業では資料の読み方とか情報の取捨選択の方法とか、そういうスキルを教えたほうがいいかもしれません。細かい年号なんか暗記しなくても、大きな流れや、何世紀の前半とか後半とか大体の所でよく、知りたいと思ったときにネットなどで検索できる程度のキーワードの連鎖を頭に入れればいいのでしょうね。
でも私は、個人的には、子供のころ記憶力がよかったので年号を覚えるのが苦にならず、そのおかげで、今も、数字4桁の多いパリの建物の入り口コード番号を覚えるとき、最初が1だったら、知ってる歴史の事件を基にして、マグナカルタ殻10年後だとか、フランス革命の翌年ね、とかいって連想で記憶するベースになって重宝しています。
後、新書の書き下ろしをする時、歴史上の出来事に関しては、高校の教科書に載っている程度のことはすべての読者が了解していると思ってもいい、逆に、高校の世界史の教科書に載っていない事項については、説明を加えてほしいと編集者に言われたことがあります、それで私は高校の教科書がなかったので、旺文社の『基礎からよくわかる世界史』という参考書を買ってフランスに持ってきました。
それからは、ちょっとしたことでも、この参考書を基準にして、表現とか表記とか、年号をチェックしたり、ものすごく参考にしてます。ぱらぱら読んでも面白いし、なかなかレアな情報もあり感心しています。うちはフランドルのルブルックという村に家を持ってたんですが、そこには初めてアジア(モンゴル)に行ったヨーロッパ人、フランチェスコ会のギヨーム・ド・ルブルックの記念館があり、モンゴルと姉妹都市になってるんです。フランスでもあまり知られてないんですが、その参考書にはその彼のことも載ってるんです。感激でした。
そしたら、今年5月に出した『レオナルド・ダ・ヴィンチ伝説の虚実』という本について、ある読者に、この本に出てくる固有名詞を解説抜きで理解できるのは西洋史の院生レベルでしょうと言われたんです。編集関係の人にも、同じようなことを言う人がいたそうです。私は驚きました。新書でなく単行本でも、一応、旺文社の世界史の参考書を念頭においているからです。
それで、今回の世界史未履修の問題を知って、ちょっとショックでした。私は一生懸命に高校の参考書を読んでたのに、多くの高校生はひょっとして教科書も読んでなかった? そして高校のレベルを学習するには西洋史を大学で専攻しなければならず、「院生レベル」でようやく、高校の世界史教科書の内容が頭に入っている、という状態になるわけでしょうか。「高校世界史のレベルを日本人の平均と思ってくれ」と言われて書かれている私の本を読むには「西洋史専攻の院生のレベル」が必要というとおかしな現象の謎の答えはそこにあったのでしょうか?
もっとも、このダ・ヴィンチ本は、編集者がかなり丁寧に注をつけてくださったこともあり、別に西洋史の院生ではない多くの方に面白かったと言ってもらえてほっとしたのですが、ということは、歴史の教養にはかなり格差があるということでしょうか。とにかく参考書でも買って歴史の基本線をインプットしとけば、後は面白い本とか読めば雪達磨式に肉付きができて、世界を相対化できてかつ普遍性も発見できて楽しいですよ。こないだ日本の中三の音楽の教科書を見せてもらって、その中身の濃さに感激しました。15歳がこれをちゃんとマスターしたら、一生楽しめるのに。
話題を変えまして、もうすぐクリスマスです。私も昨日の室内楽のクリスマス会で、ミシェル・コレットのクリスマス・シンフォニーを弾きましたピアノ、フルート、ヴァイオリンにヴィオラです)。この人はクリスマスものをたくさん作曲しています。うきうきさと華やかさと信仰心みたいなのがマッチして、クリスマス文化に育ってない日本人の私でも懐かしくなりそうな曲でした。他にトリオでモーツアルトのセレナーデ。一週間前に私の生徒の発表会でも弾いたのですが、その時は軽やかさが全然なく、おまけに私は繰り返しをしないことになっていた場所で繰り返してしまい(他の二人はそれに気づきさえしない)、なんだかモーツアルトに申し訳ない感じだったのですが、今回は割りとぴったりで、好評、ほっとしました。
その前の週には私のアソシエーションのエクスポジションで、コルヌミューズとハーモニカのミニコンサートをやりました。ハーモニカのグループがやったモーツアルトとバッハは意味がなかったと思いました。後半のジャズだけでよかったのでは?(彼らがみなフランス人でこの欄を読めないことがわかってるので書いてますが)
ハーモニカという楽器ではどうしても音の出だしのアタックが曖昧なので、モーツアルトやバッハに向いてないんですね。・・・と、思ってたところだったので、ヴァイオリンとヴィオラでも私たちはどこがアタックかわかんないようなたるいモーツアルトになってたので、楽器の問題じゃなく単にテクニックの問題だな、と思ってたんです。そしたらヴァイオリンのジャンがそれを録音していて聴いたらしく、彼はモーツアルトの鑑賞者としては年季の入ったおじいさんなので、これではひどいとさすがに思ったらしく、次の日の練習で、アタックを明確に打ち出してきました。それで、昨日(21日)は、少しモーツアルトに顔向けができたかなという感じです。コレットのほうは、あわてて仕上げたので、私はどこか2.3音を外してました。でもとても素敵な曲ですよ。クリスマスのBGには、ぴったりです。
それで、クリスマスに話を戻しますと、数日前だかのヴァチカンの日刊紙オセルヴァトーレ・ロマーノに、ヨーロッパのクリスマスが商業化して非キリスト教化しているのは嘆かわしいという記事がありました。カトリックの強いババリアは、クリスマス・バザーも盛んですが、今はミレニアム・バザーと名を変えたそうです。クリスマスというと昔はツリーはなくとも馬小屋セット(マリア、ヨセフ馬、驢馬に囲まれた赤ちゃんのキリスト、これに羊飼いや東方の3博士が加わることもある)が定番だったのに、イタリアの小学校からはこれが姿を消したそうです。公共の場の非宗教性(ライシテ)や政教分離を慮り、他宗教に遠慮しているうちに、キリスト教が検閲されて、ただの消費シーズンに成り下がったというのですね。
ところが、フランスだけは堂々とキリスト教色を出している、これぞ、宗教表現の自由を保証するライシテのお手本であると、すごいほめようです。社会党公認の大統領候補のセゴレーヌ・ロワイヤルは4人の子に洗礼を受けさせているし、中道の大統領候補フランソワ・バイルーは演説の中で福音書を引用している、クリスマス・マーケット(Marche de Noel)という名も生きていて、共産党が覇権を持つ市町村でも公営で屋台を出している、というのです。
そしてそれは事実です。アラブ人の多い地区の大型スーパーなんかでも、クリスマスの飾りつけのために堂々と実物大の「馬小屋セット」とか飾ってますし、誰もあんまり気にしてないみたいです。伝統文化は伝統文化、という感じですね。それに、フランス語でクリスマスを意味するノエルという言葉は、英語のクリスマスみたいに、いかにも「キリストのミサ」って、キリスト教っぽい名じゃないので、いらだつ人も少ないのかも。ノエル(Noel:oの上にウムラウト付)の語源はNatalisで、ナタリーという名前もありますね、ノエルという名ももちろんあります、女の子ならNoelleとか。意味は誕生の日、ということで、もちろんキリスト(救世主)誕生の日という意味なんですが、そのキリストの方が略されてるので、あまりキリスト教的な響きがしません。しかもNatalisの二つのAがフランス語ではOに変化しちゃったらしくて、ナタリスとノエルじゃぜんぜん似てません。今フランスでナタリスといったら、妊婦服や乳幼児服のブランドでね。キリストの誕生を示すNativite(ナチヴィテ)という言葉も存在するんですが、とにかく祝日としてのいわゆるクリスマスはノエルなんです。それで、ノエルって、お祭りの記号化してて、年に一回、離れている家族も一堂に会して、プレゼントを交換し合うということで、別に宗教的だからどうとかとうるさく言う人がいないのです。
私も、発表会のプログラムに、馬小屋のパロディのイラストを載せました。聖家族はみんな猫で、周りにいるのは子羊とネズミです。星と、猫の天使たちも。生徒にはわりと敬虔なユダヤ人もいるので、一瞬迷ったんですが、スーパーにでも馬小屋があるんだから大丈夫だとふみきりました。むしろカトリックの原理主義者がいたら、聖家族を猫にするとはけしからんと言われるかも。何教でも、狂信者や原理主義者は困ります。
そのプログラムのイラストを見た駄洒落好きの友人シャルルが、「これがほんとの、 Seigneur est descendu parmi nous だ」と言いました。「主は我々のうちに降り給うた」の「我々のうち」parmi nous を par minous と読み替えると、「猫によって」になるんですね。「主は猫によって降り給うた」!!
発表会の後のパーティ(自宅の非猫ゾーンで開催)が終わって、猫ゾーンに戻って、大あくびしてるスピヌーを見てると、駄洒落の含蓄の深さを感じてしまいました。ではまた。
あれこれ
また私です。最近、アラン・レネの新作『心』という映画を観ました。アラン・レネって、84歳とかで、今は世界の映画界の長老では?って年ですが、それでいて、このような斬新でフレッシュで、残酷で毒のある美しい映画を撮るのはすごいです。パリが舞台なんですが、絶対ありえないというくらい、何日間も雪が降り続けているのです。室内のシーンでも外の雪が見えたり、部屋の中に幻想で降ってきたりします。これは心象風景の雪なんでしょう。カトリックの敬虔な信者であるサビーヌ・アゼマは、さえない独身女性で不動産屋で働いているのですが(それでこの映画はまた、住居に対するアレゴリーというか、住まいも心象風景になったいる)、実は2重人格で、夜は寝たきり老人の介護ボランティアなどしながら、ボンデージ・ファッションに身を包んで、老人のベッドの横で服を脱ぎながら踊ったり(老人は発作を起こしたり、気がふれたと思われたりする)、自分のそういう姿をヴィデオに撮って、そのカセットにカトリック系のTV 番組も入れて、同僚に貸したりするんです。他に、豪華キャストが、孤独で欲求不満で生きにくい人間模様をいろいろ繰り広げるのですが、怖いけれど重さがなく、コミカルな部分もあり、こういうのをベルイマンに撮られたら『サラバンド』を観た後のように人生観変わってしまいそうですが、そこはフレンチ・エレガンスのおかげで、暗くならずにすみます。そういえばベルイマンはレネより4歳上だから、『サラバンド』を撮った時は、やはり80代?
次に、最近いただいた日本の本で、面白かったものを3冊紹介です。まず、中公新書の『現代アメリカのキーワード』と『性と暴力のアメリカ』。あわせて読むとおもしろいです。鈴木透さんの後者は、内容の整理の仕方といい、説明のうまさといい感心しました。私は最近奴隷制を研究してたんで、関心のツボにはまったこともありますが。アメリカが性と暴力の特異国だという検証は、わかってはいたもののちょっと背筋が寒くなります。こんな国が世界の派遣を持ってて、いったいどうやって付き合ったらいいんだという感じです。フランスにはアメリカの病理やパラドクスを書いた本はたくさんあるんで愛読(?)してるんですが、日本人のこういう本は新鮮でした。『キーワード』の方も、情報の羅列じゃなくて編者のスタンスがはっきりしていて、読み物としても面白いです。
3冊目がNHK出版の哲学のエッセンスというシリーズの中の『スピノザ』。うちの猫の名がスピノザであるように、私はスピノザが好きなんですが、この著者の上野修さんも、ファンになりました。わかりやすく書くことのお手本みたいで、橋本治さんの文を読んでるのかと錯覚するほどノリもよく、スピノザを解説する人はこうでなきゃ、とその人選に感謝。私が準備してる無神論についての本の読者は先にこの本を読んどいてほしいなあ、そしたら楽なのに、とか思っています。薄いし、とにかく読みやすいですよ。
後、フランス語ですが、近頃のお勧め本は、絵画鑑賞好きな精神科医が、名画を鑑賞しながら、幸せになる方法を伝授してくれる本があって、ゴッホ、クリムト、フェルメール、シャルダン、レンブラント、ドラクロワ、ゴーガン、モネ、ボナール、シャガールなどの25の絵を見ながら、幸せの25のレッスンが書かれています。幸せとは生きたサイクルで、生まれ、育ち、なくなり、暗い夜を経てまた回帰するというその各段階に対応する名画の解説があります。Christhophe ANDRE 『 De l'art du bonheur 』(L'Iconoclaste) ですが、検索する方は、題名だけで検索するとダライラマなんかの言葉を集めた『幸福の技術』という本が先に出てくるので、著者名も入れてください。この本ではArt が技術と美術の二つの意味をかけて使われてます。聖アウグスチヌスやアランやラマルティーヌらの言葉も散りばめられていて、なごむとともにインスパイアもされて、おしゃれで、押し付けがましくもなく、机上の一冊として見てるだけで気持ちいいですよ。こんな本、訳本が出ればいいんですけど。
世界史、続き
わたしの出た学校では、世界史は問題なくやっているようでした。で、後輩たちも本好きな子が多かったので、むしろ、世界史や地理、哲学などが好きとか、それから、わたしが子どものころ読んだ本の話をしまして、今でも彼女達が読んでいる、というので楽しかったな。まあ、もちろん、これなら読んでいるだろうとあたりをつけて、コナン・ドイル、ケストナー、赤毛のアン、などを話に出したのでしたが。ケストナーは、この学校での中学時代、「点子ちゃんとアントン」を文化祭で上演したのですが、とても劇化しやすかったのを覚えています。彼は、芝居や映画の脚本を書く人でもあったのですね。で、子どものころはただ面白かった「点子ちゃん」や「ロッテ」を大人になって読み直して大変感心しました。「点子ちゃん」は1931年の本なのですが、母子の二人暮らしの少年が、病気がちのお母さんにかわって家事をする、で、その料理の描写がうまいんですよ。「ロッテ」でも、料理の話が具体的で面白い。あの保守的なドイツでこの時代にこれだけ家事のできた作家、というだけで相当感心いたしました。そんな話を後輩たちに。ついでに、日本で家事万端に心得のあった作家、露伴のことなども。娘の文の作品は、文章にやや癖があって硬く感じますが、彼女の日本刺繍は、繊細でとても綺麗です、と、話はどんどんずれました。
アメリカの本は読んでみようと思いますが、「性と暴力の特異国」ということだと、アメリカとイギリスは、やはり「アングロサクソン」ということで一くくりにはできないのでは?法律とか制度(特に社会福祉とか、NPOとか)を見ると、イギリスはやはりヨーロッパだと思うのですが。
フリアーズの女王様の映画はまだしばらく日本には来ないようですね。その前の作品かしら、「Mrs Henderson presents」が来ています。やっとお休みになるので、見に行く予定です。
アングロサクソン
アメリカとイギリスはアングロサクソンで、もちろんくくれないですよ。うちには昔アメリカ人の女の子やイギリス人の女の子がホームステイしてましたが、ぜんぜんメンタリティが違ったし、イギリス人の子の方は、その前にアメリカにホームステイしてたんですが、アメリカの方がフランスよりもカルチャーショックが大きかったって言ってました。
ただ、アメリカが性と暴力の特異国になったのは、やはり、アングロサクソンのピューリタンのみなさんが新天地に行ったことでああなったんだと思うんですよ。その証拠に、というのも変ですが、同じ頃にカナダに行ったフランス人の開拓移民たちで、インディアンに遭遇して、混血しちゃった例があるんです。今でも、その子孫たちが残ってる地域がカナダにあるんですよ。最近北米でのフランス人の開拓史を調べてて見つけたんですけど。WASPの開拓民だと、あり得ない話だなあと思って。今日、日本に出発です。皆様よいお年を。
新年おめでとうございます
みなさま新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
年末年始は母と石垣島で過ごしました。24度で、厚かったです。3年前に沖縄本島でお正月を過ごした母が、セーターで外を歩けるわよと言ってましたが、沖縄本島よりも台湾に近い石垣では、半そでTシャツの人が標準でした。さすがに海には入りませんでしたが、インドア海水プールがあって、海水で体が軽く感じたので、浅かったのに、久しぶりで私にしてはたっぷり泳いで快適でした。離島だなと実感したのは、元日の新聞を読めなかったことです。夕方八重山毎日新聞と沖縄タイムスが届きましたが、本土の新聞は2日になってもついてませんでした。新聞をチェックするたびにサダム・フセイン死刑のニュースが第一面のままで気分が悪いでした。
それで、ローカル紙の元日号を読んでると、沖縄県は平均身長が日本一低く、平均体重は日本一重く、長寿国という形容も今は昔、生活習慣病のリスクの高いところだと書いてあり、記者二人のダイエット記録が始まるとのことでした。その記事を読んだ後、お土産グッズに「長寿の国沖縄のヘルシー食」と書いてあっても、ちょっと不信感が・・・
でも、お約束の水牛車に乗って西表島から由布島へ渡ったり、竹富島で仲間河を遡ってマングローブを見ながら大木を見学したり、石垣島で鍾乳洞を見たり、しっかり観光もやりました。本島と違って米軍上陸がなかった分、歴史の暗さがなく、屈託なく自然を楽しめたのでよかった。
神奈川の実家に戻ってようやくたまっていた新聞を読むと、正月気分になれました。朝日には新藤兼人と市川崑両監督の対談が。91歳と94歳の現役なのですね。さすが日本はすごい、と関心。でもお二人とも、「いい職人になりたい」というような趣旨で、老大家となられてもテクニックにこだわられる様子も日本的かもしれません。アラン・レネなんかは、年老いてなおポエジーの追及という面が多いようだったから。
パリからの飛行機では韓国映画の『漢江の怪物』とかいうモンスター映画を観まして、子役も含めてみな演技力があり、特撮も迫力、話もハリウッドものではありえない陰影があり、引き込まれました。
日本に来てから買って読んだ本は2冊、ブルーバックスの『皮膚感覚の不思議』というのと、『非対称の起源』で、どちらもトリビアといえば言えますがとても面白い本でした。後者は前に読んだ『左右の民俗学』という本と別の切り口で、美術作品の人物の利き手を調べたり、すごいこだわりの一篇です。後は母のところにある古い雑誌をぱらぱら。あらためて、高齢者マーケットの凄さを感じます。高齢者用健康雑誌のスターはいつも日野原重明さん、森光子さん、宇津井健さん、瀬戸内寂聴さん、辰巳芳子さん、田辺聖子さんとか、のメンバーで・・自分が病気になったら95歳のお医者様には別に診てもらいたくない気もしますけど・・皆さんそれぞれ凄い人ですけど、新藤兼人とか市川崑さんのようにチームをまとめて90代で映画をとる人はやはり大したものですね。
でも、81歳でこういうのを読んで励みにしている母のような人は、結局自分も元気があるからなのでしょう。そうじゃない人は、こういう元気印の人たちのパフォーマンスを見ているのが辛くなるときもあるかもしれません。後10年は元気でとか、何歳までは、とか、偏差値みたいに数字を目標にするような生き方じゃなくて、せいぜい、今年一年、いいものを社会に還元できるようしっかりやろうとは思っています。
これはネット・カフェで書いてます。個人メールへの返事は明日まとめて書きます。(急ぎの方は携帯へ電話してください。)
今年もよろしく
昨日、仕事帰りに、職場の近くにあるパン屋さん、「PAUL」に寄ってみるとありました、ガレット・デ・ロワ。で、やっぱり買ってしまいました。フランスに住むのはおろか、行ったこともないのですが、こういう季節もの、って好きで。もっとも、クリスマスやバレンタイン・デーのようにあまりに商業化しすぎたのは、興ざめですが、フランスから来たパン屋さんの店先に1月になると飾られるタルト、とか、冬になるといきつけの洋風飲み屋さんで出るグリューワイン(ヴァン・ショー、ですか)とか、楽しみなものです。
それこそ、四季に富んだ日本では、こういう季節の慣わしって多いのですが、それを楽しむゆとりなんか全然なくなっているのが残念。羽子板市には行けませんでした。仕事納めも仕事始めも、挨拶どころか、ぶっとおしで仕事、片付けもせず、冬休みに入り、出勤すると、もうお正月なんてどこへやらでいきなり残業、という最近です。
あらら、どんどん愚痴になってしまう前にここで止めて、今年もよろしく。
今年もよろしくお願いします
竹下様、1月4日のお話に、思わず、そうだ??、そうだ、と手をうちました。元気印の日野原さんや寂聴 さんは、そりゃ、えらいでしょう。でも病人にはやりきれないことだつて、おおいんです。自称95歳のうつくしい腕みせられて、これをうつくしい、と思うひとばかりだと当人はおもつているんですかね。老人である私だって気持ち悪く感じます。やはり、老いは老いです。
????体はいやおうなく老いるん です。「あと10年は元気でとか、何歳までは、とか、偏差値みたいに数字を目標にするような生き方じゃなくてせいぜい今年一年いいものを社会に還元できるよう、しつかりやろうとはおもつています」と先生はお書きくださつています。胸がスーツとしました。私は若い人々の幸せを祈る毎日にしたいです。一年がぶつそうで一月単位ですが、、毎日思い出す限りの若い人々の顔をおもいだして、幸せをいのつていたら、いつお迎えがきても、満足!なんて、生意気にもかんがえています。
????能力のある人もいいですけど、病人だからこそできることもあるんですよね。じつと体の不調に耐えて、祈る。これつて、いままでできなかついたことなんですよ。うつになるか、祈れるか。その差は大きいですよね。
????先日アランをよんでいて、メランコリーのところでこんな文章に出会いました。アランは気は病からと考えるひとだからこういえるんですけど。「悲しみとは病気??にすぎず、いろいろ理屈や理由をかんがえたりしないで、病気として、我慢しなければならぬ。・・・・・もう人を責めたりはしない。がまんする。そのうちに心がやすまる。こうして、まさに申し分のない仕方で悲しみにうちかつ。祈りというものがめざしたのはそれであつた。なかなかうまいことを発見したものだ。対象の測りしれない大きさを前にして、すべてを知りなにひとつ見落とさないこの知恵を前にして、理解をこえるこの威厳を前にして、うかがいしれないこの正義を前にして、敬虔な人は思想を形つくることを放棄した。熱心に祈りをおこなつて、まもなく大いに得るところがなかつたということはおそらくあるまい。憤怒に打ち勝つことこれだけでもたいしたことだ」
????古くてもなんだか、こころに響くものがありました。
????時々あそんで、楽しんで、仕事には余裕をもつてあたれて・・そして、祈る。今年の生き方はそれですね。まあ・・けつこうじゃありませんか!お若いかたは私が祈つていることをあてにしていいですよ。ある神父さまの「本当の喜び、福音にたちかえりなさい 」というメツセージは神父様にしていえる??言葉です。ピシリと心にひびいてきたのは、やはり老いの知恵というものが私にもできてきたからかもしれません。
成人の日
今日は成人の日だったんですね。すっかり失念していて、複数の方に、仕事日だとばかり思ってメールで今日お会いできないかと聞き、リアクションがないので、変だなあと思ってたんですよ。昨日の夜、はじめて気づきました。学校もお仕事も明日からって方が多いんですね。失礼しました。それで今日はスケジュールがあいてしまったので、楽器の練習をした後は図書館へ出かけました。外は新成人の着物姿で眼福ものでしたが、みな一様に振袖に白いファーのストールと、似ていて、20歳の娘とかいなくてよかったと思いました。自分はどうでも気にしないですが、子供に「みんなと同じようにしたい」と言われたら悩むと思います。「いつまでも元気」信仰の話じゃないですが、格差社会になりつつあるとは聞いても、豊かできらびやかな人たちを見てると、疲れて、図書館の自習室に行ったら受験生が外のお祭り騒ぎと無縁に黙々と勉強しているので落ち着きます。この子達も無事合格したら、1、2年後には振袖やスーツ姿で華やぐのでしょうか。20歳でまだ受験生だとつらいでしょう。21歳の浪人生の妹殺しの事件が記憶に新しくて、考えさせられました。
しかし、たとえば、私たちは、天才ピアニストの演奏を聞いて感動させてもらったり、天才アスリートの演技やスポーツ選手の活躍を見て楽しませてもらっても、別に、自分もああなりたいとか、いつかああなろうなんて思いませんし、自分はああできないからだめだと落ち込むこともないですよね。特殊な分野に特殊な才能を持つ人が努力したり運に恵まれたりして花開いてるのを楽しんで見てるだけです。
でも、95歳で階段を二段とびで上がり降りする医者とか、85歳で舞台ででんぐり返りできる女優だって、それは、特殊技能じゃないでしょうか。それなのに、そういう人の記事を読んで、彼はこういう生活をして、彼女はこういう訓練をしてるとか知って、自分もあやかりたいとか、普通の人が感じちゃうのはなぜでしょう。たとえば日野原さん自身も「生き方上手」なんて、単に誰でも工夫ひとつで真似できる上手下手のような印象を与えてるので
一見ハードルが低そうに見えますけど、お掃除の工夫じゃあるまいし、生き方上手ってマニュアルがあるような幻想を与えるのって・・・ 松井選手が「野球上手」とか荒川選手が「スケート上手」とか言っても、本当にその道を目指している人なら参考にするかもしれませんが、普通の人は、全然真似しようとかいう発想もないですよね。
もちろん今60歳でまだ若さに自身がある人などが、日野原さんたちを見て、そうか、後30年も現役でがんばれるぞとか思うのはポジティヴでけっこうですが、それで、途中で事故にあったり病気になれば挫折感が起こるかもしれないし、やはり、何歳までとか後何年とかいう数字の目標はどこか不自然だと思うんです。
たとえば、本来は、勉強して知識や方法を身につけるのが目的のはずが、いつの間にか点数や、順位や偏差値を上げることが目的化する、カンニングしようと、不正入学であろうと、ライヴァルのおちこぼれを願おうと、結果オーライになる世界と似た「本末転倒」に陥りやすいと思うのです。年取っても運良く元気にいれたからそれを還元しよう、働き続けようというのでなく、何歳まで元気にいること自体が目的化して、そのためには手段を選ばず、金も惜しまないような強迫観念になりがちで、そしてそれを煽り商売にする人たちもたくさんいて・・・・また、何歳まで、とかいうのは何点とるとか何円稼ぐとかと同様、線的な数字なので、比較や勝ち負け感があって、弱い人にはつらいですし。
そういえば、キリスト教には「キリストのまねび」という伝統があって、イエスの生き方に倣えっていうのがありますが、あれはそう考えると不思議ですね。だって、イエスって、「生き方上手」の対極にある人ですから。30過ぎて2年ほど公に活動しただけで、弟子に裏切られて、33歳で屈辱的で苦しい刑死、なんて、普通絶対、憧れたり真似したりできません。だからそれに倣えっていうのは、もちろん、年齢とか、世間的な幸福度とかの問題じゃなくて、そういうものを超えたもの、いや生死さえ越えたメッセージをキャッチするということなんでしょう。
Fusakoさま、PAULはパリでも簡単に見つけられるNordの店なんですよ。うちはNord出身なので、クラミックとかを買いに時々PAULに行って冷凍しときます。ガレットも冷凍が効くので、冬にフランスにいなかった家族が帰ったときに食べることも。私はここ数年、ポワラーヌのガレットを買って、その年が刻んである陶製の豆をコレクションしてます。ポワラーヌのガレットの王冠は金の月桂樹をかたどっているのも特徴です。
1月11日から市谷の山脇ギャラリーで、新田健二さんのルルドを中心としたグロッタ-洞窟の聖母という写真展が始まります。私は11日に行きます。興味のある方は新田さんのサイトを検索してください。新田さんは今風に言うとスピリチュアルですごくユニークな方です。私は13日帰仏です。今日まで、初詣もできませんでしたが、母が、自分がその年初めて詣でるときが初詣よ、と言ってたので、そうかあ、と思いました。
新年あけましておめでとうございます。
節子さま、皆さま。
すばらしい1年が皆様に訪れますように。
(節子さまが神秘主義のミステリー小説を書き上げてくれますように。)
ミイラと狂乱の場
なんかすごいタイトルですが、昨日上野の文化会館にベルガモ・ドニゼッティ劇場のオペラ『ルチア』を観るついでに、同じ上野の科学博物館でエジプトのミイラ展を観たので、その二つについて。感想を聞かせてほしいという友人がいるので、ここに書きます。
ミイラ展は、3Dシアターの映像がすばらしいというので期待して行きました。まず入れ替え制のシアターを経てから展示場にいけるという作りで、3Dメガネをもらってわくわく、アトラクション・パークの人気シミュレーションを待ってる感じです。保存状態のいいミイラの包帯をとらず、CTスキャンに入れるという画期的な話で、その体の中に3D映像で入っていくというのですが、結果的に、あまり感動しませんでした。昔初めて大英博物館に行ったとき、パリのルーブルよりもミイラの展示が多く、その即物的な敬虔さのなさ、に感じ入りました。ヨーロッパでエジプトコレクションを見るたび、帝国主義とか盗掘とか、無邪気なモラルのなさに見てる方まで後ろめたくなります。
日本では昔ツタンカーメンの黄金の棺の展示を見ました。ミイラの干からびたイメージとは無縁の輝きで、罪悪感はなかったです。3Dで、ミイラの体の中に侵入していく感じもあるんですが、普通の特撮映画みたいで、『ミクロの決死圏』(古い!)の感じです。
ツタンカーメンという名が、すばらしい響きを持ってたのに対して、このミイラさんの名は、「ネスペルエンネブウ」といって、コピーライターが提出したとしたらすぐ却下されそうな名です。コピーとしていいのは、展覧会の副題の「ザ・インサイド・ストーリー」ですね。
実際の棺の外側は、色鮮やかですばらしく、しかしさっき親しく中身に侵入した記憶に比べるとフラストレーションが起こります。展示品では、両側がハヤブサの頭と人間の手である細長い香炉が気に入りました。後、ミイラは内臓はいったん取り出されて塩を振りかけられて乾燥させられ、また布にくるまれて体に戻されるんですが、心臓だけはそのまま体内に残したままなんですね。脳はほとんどゴミみたいに鼻から掻き出されて捨てられます。脳と心臓の運命の違いはおおきい。しかも、死後の世界の生前の善悪審判で、心臓が、生前の悪行を暴いて不利な証言をしないように、スカラベ型の護符をおいておきます。心臓に裏切られるかもしれないとは! でも心臓を残さないといけないというのは、心臓は元々お目付け役で、体の中で、来世と結びついているスパイみたいな特殊器官なのでしょうか。悪いことをするとき、心臓がドキドキするのは、警告か、記録してるからなのだと思っていたのでしょうか。第一、生前悪いことをしても、死後、心臓に護符を置いて口を封じさえすればOKというご都合主義も可笑しいです。生きてるうちに罪障消滅のシステムがなかったんですね。カトリックなら、告解して赦してもらうとか、免罪符をもらうとか、死んだ後、残った人に煉獄から出してもらえるよう祈ってもらうとか、何らかの「罪のあがない」の仕組みがあります。そして、死後の善悪の審判というのは、まさにエジプトのような地中海文明の影響で、ヨーロッパ固有ではないのですが、本家のエジプトでは、罪をあがなわなくても、口をぬぐって隠していればOKだったなんて。
第2会場の、CTスキャンからミイラの健康状態の診断をしてるのはおもしろいでした。日本人の骨とかを展示して比較しながら、大英博物館と別の所見をしてるのが愉快です。たとえば、大英博物館が歯の磨耗と言ってるのを虫歯と診断したり。
そんなわけで、ミイラ展は期待はずれだったのですが、常設展を見て、牛の胃腸とライオンの胃腸の比較とか見て楽しめました。最近パリの自然史博物館のドラゴン展など何度か行ってるので、目新しいものは発見できませんでしたが、干支シリーズ2007があって、触れるイノシシの剥製があり毛の感触を確かめたり、ウリ坊も見たり、賢そうなハチ公の剥製を見たことが、日本的です。外には、30メーターの実物大シロナガスジクジラのジャンピングのオブジェがあり、それが一番感動的でした。
それから文化会館のオペラです。「ランメルモールのルチア」という言葉を聴いただけで、どきどきします。観るのは初めて、マリア・カラスの全曲のLPを持ってましたが、CDは持ってないので、もう長いこと聴いてません。そのカラスが死んだ頃に生まれたデジレ・カントーレ(パレルモ出身ですが、デジレはフランス語名ですからフランス人の血を引いてるかも)が29歳で絶頂期にあり、この種のプリマドンナ・オペラを聴くには最高という贅沢です。30年以上前、日本でカラスのコンサートに行きました。最後、舞台に近づいて握手してもらったら、汗と香水の臭いが強烈だったことを覚えています。でもすでに晩年で、ヴィルチュオジテを楽しめるというより、オーラを拝みに行った感じです。
狂乱の場はLPで何度も聴いたのでそらで覚えてますが、ルチアが死んだ後の最後の場は全然記憶になく、今回エドガルドのアリアに感心しました。スペイン人テノールのアントニア・ガンディアです。デジレ・カントーレは最初からすばらしく、狂乱の場の期待がますます膨らみます。コロラトウーラ・ソプラノですが、全ての音域が豊かでたっぷりしていて、テクニック的には私には難しいところがない、表現だけが問題とインタヴューに答えているように、安心して堪能できます。
幕間にグラスハーモニカのおじさんが注入器で32のグラスの水量をチューナーを使って調節してるのを見物しました。グラスの縁を触っただけで音がでるような手と指が洗い上げて真っ白なのが印象的です。
それで、いよいよ狂乱の場です。会場が興奮していくのが分かります。これって、要するに、スポーツ観戦なんですね。トリプルアクセルの成功が約束されてるフィギュアスケートを見るみたいです。すばらしい着地技を約束されてる鉄棒演技とか。超絶技巧を商品にして成り立ってる世界です。イタリアオペラのスターシステムの典型例です。フランスのバロックオペラやイタリアの前期バロックオペラはテーマパークの楽しみで、充実したコーラスとか、祝祭性とか、ふんだんに踊りがあって、イメージとしてはこちらも祭りに参加している気になります。でもプリマドンナオペラって、一人のヒロインと、彼女の鑑賞者=消費者たちという構図です。その意味では、一人の男役トップのために全視線が集められる宝塚とちょっと似てますが、宝塚は別に超絶技巧を求められているわけじゃなくファンの熱気が一緒になって作るスターの存在そのもののオーラなので、見所が集中しているわけではありません。
バロックオペラから、バレーが独立して、バレーの方も超絶技巧のスターシステムになっていきました。たとえば白鳥の湖で黒鳥の32回転ピルエットがいかに安定していて美しいかというのが求められたり、アラベスクで両脚が180度以上開いたり・・
そして、バレーを失ったオペラのほうも、テクニックのためのテクニックへ進化していくのですね。声が楽器と共に高性能を競っていきます。
そういうプリマドンナオペラとしてのルチアですが、デジレ・カントーレはすばらしいでした。はじめは、なんだか表情がヒラリー・クリントンみたいで、悲劇のヒロインっぽく見えなかったのですが、さすがに狂乱の場にくると、もう彼女のこれしかないというくらい、圧倒的な存在感でした。実際に見たことはないけれど、狂乱の場はマリア・カラスのドラマチックでパセティックな顔と結びついていて、寝衣を血に染めて短剣を手に持って現れるイメージだったのですが、緋色の布を白い階段に広げ引きずりながら降りてくるカントーレは痛々しくて、その劇的表現は説得力がありました。しかし、会場の全聴衆が固唾を呑んで待っているのは、人間技と思えない高音域のヴィルチュオジテの部分であり、芸術とスポーツが遊離してる、不思議な感覚です。カントーレは、その人が出てきてそこにいるだけでいいという、確立したスターではありません。見せ所のトリプルアクセルで転倒したら、彼女にもオペラ全部にも意味がなくなる、そんな危うさ、がちょっと倒錯的です。バロックオペラとあまりにも違う方向に進化してきたなあとあらためて感慨深いでした。
これからカントーレのプリマドンナ・オペラをちょくちょく観にいこうと、楽しみです。同時に、こういうオペラのイメージでラモーのバロックオペラを観る人がいるかもしれないと思うとあせります。ラモーのオペラは音楽的にはもっと難しいのですが、概してフランスオペラは、スターという「人につく」んじゃなくてバレー団やコーラスやからくりをかかえたオペラ座という「場所につく」形で発展してきたんですね。スポーツとしても、わいわい型のサーカス風かしら。ルチア頭より歌舞伎頭で観てほしいです。
帰仏しました
夕べフランスに帰りました。お天気もよく寒くなく乾いてなく、年末に出てきたときよりいい気候です。だれている猫たちに各種芸の再教育をし、荷物を片付け、明日の朝はもうトリオの練習と午後は生徒たち3人のレッスンがあります。日本でも練習してたので、ブランクはあまりないはず。3月9日にこういうバロックフェスティヴァルに出ます。http://www.lecercleamusique.com/
4月にはノルマンディで。
東京での最後の2日間は、11日に市ヶ谷で新田さんの『聖母マリア巡礼』写真展に行き( http://www.nittakenji.com/ )、ついでにパワーも注入して貰いました。私はあまり感じなかったんですが、その後で新年会したTVの友人が急に眠たくなったのはそのパワーのせいだとか言ってました。
次の日、代々木八幡にある白寿ホールに招待していただきました。残響がなくしかも音全体を安定して増幅してピアニシモもたっぷり聞かせるホールは、ギターにぴったりです。私の聴いたのは大岩千穂さんのソプラノリサイタルです。この前『ルチア』で堪能したとこですが、ああいう声量をスポーツみたいに楽しむときには、一度、耳が痛くなるくらいのヴォリュームで聞いてみたい、という、音楽とは関係ない欲望が生まれます。それで、白寿ホールの前のほうの席でスピントのきいたソプラノを聴いて、その願いがかないました。ドナウディ、ロッシーニ、ヴェルディ、すごい迫力でしたが、ほんとに耳が痛くなり、あと1時間聴き続けてたら、一時的難聴になってたかも。
このホール、リクライニングシートもあって、眠りますか?聴きますか?というキャッチフレーズがあるくらい、心地よく、音の捉え方と発射の仕方が有機的で、フランス・バロックやフレンチ・エレガンスにぴったりです。いつかここで弾いてみたいですが。そしたらその夜、TVの12ch で、森麻季さんというソプラノが、大岩さんと同じ椿姫の「ああそはかの人か」のアリアを歌われました。めったに聴かないのに、同じ日に2度とは、シンクロニシティ? 大岩さんもフレンドリィでトークもあって素敵でしたが、森麻季さんは優雅で知的で美しく、ファンになりました。
では明日から聖ヨセフの仕上げに向けてがんばります。
アベ・ピエール追悼
一昨日アベ・ピエールが亡くなられたというニュースを聞いて、なんだか妙な感じがしています。(他にどう表現してよいかわからないのですが・・)アフガニスタンのマスードの時とは違って”彼はやることはみんなやって亡くなった”と思うので、ショックとか惜しいとか言うのではなくて、なんか心のどこかに隙間が出来たような・・。その日から急激に気温もさがり、今夜は−3℃とか・・。遺体の安置しているシャペルには沢山の人が並んでいましたね。「あいにくの寒さで・・」という人も居ましたが、私は「このピリッとした寒さがアベ・ピエールにふさわしい」と思います。より一層彼のやってきたことをみんなに思い起こさせてくれるでしょう。
アベ・ピエールのこと
94歳のアベ・ピエール、98歳のシスター・エマニュエル、この二人はなんとなく不死身かなあと思ってたので、月曜の朝ラジオで、早朝に彼が死んだというニュースに私も驚きました。最も、彼は、元気いっぱいで階段を駆け下りる同年輩の日本のお医者さんと違って、最近は車椅子で、耳も遠く、言葉もはっきりせず、かなり痛々しく衰弱しきってましたから、ご苦労様と言うところです。折から、「ドンキホーテの子供たち」のサンマルタン運河テント作戦が実を結んで、いよいよ「屋根の下に住む権利」が基本的人権として認められ、路上生活者が市や国を訴えることができる法律が通過しそうなので、アベ・ピエールへのはなむけになったというところです。彼もほっとして旅立てたのかも。しかも彼の死んだ日から、フランスは急に冷え込んで、1954年冬のパリの凍死者が彼の戦いのはじまりだったことも想起されます。それにしても、いまや、住居対策は大統領選の候補者が右も左も優先的に掲げていて、彼が死んだとたん、右も左も我こそはアベ・ピエールの継承者みたいな顔をしていることは、滑稽ですが、フランスで一番人気のあった彼が、これだけ政治を動かしたということで、感慨深いです。月曜、活字のニュースを見たくて、午後にキオスクに出たばかりの夕刊紙『ル・モンド』を買いにいきました。これ、今出たやつね、と確認すると、化粧の濃い目の売り子のおねえさんは、第一面のアベ・ピエールの訃報に気づいて、「えっ! いつ?」と叫びました。「今朝五時半よ、肺炎で、もう一週間前に入院してたんですって」と私が言うと、「偉大な人だったね」と言い、「いつも弱い者のために戦う人が必要なのに、残念だ」と惜しがっていました。「でも、94歳か、十分がんばってくれたよね、使命感があれば人間は生きるんだね。生かされてたんだね」とも。新聞を手に帰る途中、今まで話したこともないキオスクの姉さんとさえ会話を成り立たせてしまうアベ・ピエールってすごい、やっぱりフランスのアイドルだったんだと改めて感心しました。「高齢なのにがんばってる」のが売り物ではありません。日本の高齢者有名人のように、「私もあれくらい年取ってもあれくらいがんばれるかもしれない」と高齢予備軍に希望(幻想?)を抱かせる人ではなく、アベ・ピエールやシスターエマニュエルって、普通の人はもう絶対真似できない、良心の代表者みたいな尊敬を勝ち得ていました。あの人たちをすばらしいと口にすることで、普通のエゴイストもかろうじて良心のかけらを守り、同時に、自分がふがいないとか、ヌルイとか、偽善者だとか怠け者だとかいう現実を認めることがまたわずかな良心の証しになるような、そんな存在だったかも。彼のことを、1954年以来、我々の日常の安逸に刺さったトゲだったと評した人もいます。
月曜の追悼番組で、1954年の運動の間は、睡眠時間2時間で、アンフェタミンを服用して生き延びてたとか、この世の悲惨と不公平に絶望して抗鬱剤を常用してたという証言を聞きました。そんな話を聞くと、戦うヒーロー像を汚すようで最初ちょっと複雑な気分でしたが、よれよれになってもがんばる生身の人間だったんですね。
IKU さんがメールで質問なさった、反ユダヤスキャンダルのことですが、あれは1996年のガロディ事件です。ロジェ・ガロディは元共産党員で、96年に『イスラエル政治の創生神話』といういわゆる歴史改竄本と言うか、ガス室はなかったという感じの本を出し、旧友のアベ・ピエールが推薦しちゃったんですね。ガロディはフランスでナンバーワン人気のアベ・ピエールを利用したかったんでしょう。アベ・ピエールは友情に目がくらんで信頼しちゃったんですね。でもレジスタンスの闘士(アベ・ピエールというのはその頃使った偽名が通称になったもの)でユダヤ人の子供を多く救った人ですから、非難されてからさすがにまずいと思って全面謝罪しました。これはしょうがないです。アベ・ピエールはなんといってもメディアを政治に利用した最初の人で、その意味ではまあサルコジの先駆者みたいな人ですし、すぐれたコピーライターでもあり、黒ベレーに黒マントという自分のシルエットをロゴにした戦略家でもあります。自分の人気や影響力も知り尽くして、それをすべて、弱者の救済に役立てた人です。マーケティングも知り尽くしている。修道院の中で祈ってる純粋無垢な聖人ではありませんでした。だから、いくら友情のためとはいえああいう軽率なまねをすべきではありませんでした。彼もそれを理解して、謝罪したのでしょう。彼はすでに一個人でなく、アベ・ピエールというブランドだったのですから。
女性司祭OKとか、神父の結婚OKとか、ホモのカップルOKとか言って、若い頃にアシスタントの女性と関係を持ったことまで最近の本で告白したり、カトリック教会にとってはちょっと問題ありで、パリ大司教も、「ほら、彼はもう年だから・・」とごまかしたりしてましたが、死んだとなると、明日はノートルダムで国葬だし、早くも聖人の列に加えられるにはどうするか、という話も出ています。マザー・テレサがスピード出世(?)で聖女への道を歩みすでに福者となっている例があるからでしょう。でも、アベ・ピエールは一度も誰にもいわゆる「布教」とか「宣教」とかはせず、教会的にはかなり異端児で、政治家(実際に下院議員もした)で社会活動家だったんですから、死後、カトリック教会がどこまで取り込めるかは問題ですね。彼は若い頃フランシスコ会系のカプチン会士(ブラザー・フィリップという名でした)で5年くらい隠遁の修道生活を送ったんですが、虚弱で共同体の生活に耐えられなくて、修道誓願をローマ法王に解除してもらって、司祭の生活に入り、グルエス神父となり、それから戦争とレジスタンスでアベ・ピエールが誕生したんですね。
ただ、今複雑なのは、彼がパリの路上生活者の悲惨を訴えた1954年よりも、現在は、路上生活者の数がはるかに多く、ますます悲惨な状況になってるんですね。戦後の色がまだ濃かった54年より今のほうが、社会はずっと豊かになってるはずなのに、その豊かになり方は、一方で貧困を生むような仕組みになっているわけです。豊かになればなるほど構造的貧困が生まれて、じゃあ、彼の戦いはいったい何だったんだ、ということになり、抗鬱剤を飲みたくなるのも分かります。しかも、です。アベ・ピエールのやってるソシアルはフランスという共和国の旗印(憲法の最初に、フランスは民主主義で、ソシアルだと明記されてます)なんで、彼がそれこそドンキホーテみたいにがんばることには、誰も面と向かっては、口をはさめなかったんですね。でも、フランスがあれだけ嫌ってるイギリスでは、サッチャーの保守改革の前と後では、路上生活者が十分の一になったというんですよ。それだけ比べても仕方がないですが、なんか、アベ・ピエールがかわいそう。マザー・テレサも、いくらがんばってもインドの政治的社会的改革にはつながらないと批判する人がいましたが、アベ・ピエールが人気がある限りフランスのソシアルがいつまでも社会の足を引っ張ってるとも言われそうで。もっとも、アべ・ピエールは弱者を助けるんじゃなくて仕事を与えるんだといっていました。誰でもそれなりにやることがある、尊厳とはそういうことだと。それで、日本にまで支部のあるエマウスの会が生まれたんですね。
聖書に出てくるエマウスは、そこへいく途上で弟子が復活のイエスに出会ったのに、気づかなかったという話です。それが、一緒に食事の席につきパンを分けた時、イエスだと分かった、人は食事を分かち合うときに始めて神に会うという話で、エマウスの共同体では誰もが分かち合い、役割を与えられます。『1954年冬』の映画でアベ・ピエール役を演じたランベール・ウィルソンは、ルポ番組で路上生活者に変装し、自分だとばれるんじゃないかと心配したが、誰も自分を見ようとしなかった、皆が視線をそらして、自分は存在しなかった、それが一番つらかったと、月曜の追悼番組で言ってました。アベ・ピエールは社会にとって存在しない人に、住居や毛布を与えもしましたが、何よりも、存在を取り戻させたかったのです。
アベ・ピエールのよびかけで、パリのメトロは夜、いくつかの駅を開放しました。今もサン・マルタン運河にテントが並び、家のある人が連帯のために寝泊りしたりします。アベ・ピエールの追悼で、弱者をアシストするのがフランスの尊厳でフランスの美だ、と言う記事も読みました。どこかの国の首都が路上生活者を追い出したり、国家の品格やら美しい国やらと声を上げているのと比べると、「路上生活者の尊厳を回復させることが国の尊厳なのだ」という国は、内臓の奥をすこしあっためてくれます。フランスの出生率が女性一人当たり「2」に回復したというのも、どこかそういう信頼があるからかもしれません。
アベ・ピエールの葬儀のある明日の朝は、パリはマイナス4度だとさっき天気予報が言ってました。アベ・ピエールという良心のトゲが、葬儀とともに埋葬されてしまわなければいいな、と思います。
sans abris
いわゆる「ホームレス」について少し調べたことがあるのですけれど、フランスにはSamusocialという、大きな支援団体があって、宿泊施設や診療所はもとより、ドクターヘリまで持っている、とかいうのをきいたことがあります。日本では、ホームレスは、2002年の立法時に多少問題になりましたが、その後大きくとりあげられることはないように思います。高度成長期に建設現場で日雇いで働いていた人が、その後仕事がなくなってホームレス化しましたが、高齢者は一応生活保護を受けられるので、今はそれでいったんしのいでいるという感じがします。けれども、高齢ホームレスではなく、若年ホームレス、ホームレス予備軍の問題はこれからだと思います。
日本には公的な住宅政策がなく、居住と居住を基礎とした世帯形成は個人の努力によっていますが、若年の低所得層を世帯の中に抱えている団塊の世代がリタイアしてゆくのが今年からなんですよね。
ホームレス
?? 前の話を書いた後、MLにこういう感じの投稿がありました。 一部転載します。
『 まず大阪北区の扇町公園でテント生活をする山内さんの原告敗訴の判決言い渡しから、野宿問題を考えはじめたのです。裁判のよしあしは私にはなんともいえないんですが、市側の勝訴といつても、宿無しのひとはどこにいつたらいいのか?なにも問題は解決しません。対策として自立支援センター5箇所(収容数計490人)があるそうですが、問題は入居期間が最長半年で、利用者は5割だというのです。大阪城公園内の仮設一時避難所(110人)にも約2割しか入居していないということです。
??????どうして、ホームレスは入居するところがあるのに、でてゆくのか?これがまず?です。
??????そんなとき、フランスの記事をよむ機会がありました。竹下先生がサイトにかいてくださつたことがでていました。フランス国家はすべてのホームレス(des personnes sans-domicile fixe)に住居をあたえることを保証する」というのです。すでに「ドンキホーテの子ども達」(Les enfants de Donquichotte)は200のテントをくみたて、パリのサン・マルタン運河にそつて、テントをならべました。これは航布でつくられた、ドラム缶のようなかたちになつています。屋根のある人にもキヤンペーンのために、そこに泊まるように勧めています。国は5年以内に90万個の住宅をたてなければならない、もし約束がはたせなければ、訴訟にかけることもできる。とかいてありました。竹下先生のサイトによると、その法律が通りそうですね。
??????このようなとき、アベ・ピエールがなくなりました。彼のつくつたエマウスはホームレスや貧しい人々に衣食住を提供、フランス国内だけでなく、世界28か国に拠点を広げました。
??????竹下先生。「ドンキホーテの子ども達」もまたエマウスの活動なのでしょうか?エマウスは『人間の尊厳を回復させる』ということを目的にしていますね。』
ということです。扇町公園の話、知らなかったので、NETで検索しましたら、就職のために住民票が必要だったのでという話なのですね。そして、就職してないと住居を確保するのは困難なのですから、悪循環を断ち切るためには行政がームレスを援助するしかありません。アベ・ピエールのエマウスは刑期を終えた元囚人の受け入れ先が始まりでした。刑期を終えて釈放された人は、仕事も住まいもないことが多く、その少なくともどちらかを援助されなければ社会的存在に戻れず、累犯者となるケースも多いようです。
日本では、累犯障害者などは特に、一度刑務所に入った時点で福祉とのつながりが切れて、刑務所だけが福祉の機能を果たしていたりするという話を読んだことがあります。
フランスでも、SDF(ホームレス)のための宿泊センターに行くことや入ることを拒否するSDFが少なからずいて、彼らの言い分は、そのセンターが、「汚い」、「プライバシーがない」ことなどです。
無料配布される公共浴場の回数券は受け取る人が多くて、シャワーを浴びて洗濯して、清潔にしながら、プライバシーの保てるテントに戻るというドキュメンタリーを見ました。多くの人は、少し前まで、普通の暮らしをしていたのが、失業と離婚が重なって家を失ったようなケースでした。
なんか、誰でも明日はわが身と思えてくるような人たちですよ。ベビーブーマーの人も多いです。
扇町のケースで、いくつかのブログに、公園に勝手に住み着いて自分のものだというのは虫がいいとか、福祉は必要最低限にとか、裁判起こす暇があったら仕事して普通に住めばいいのにとかいう意見が上がっていました。公園を所有物と言っているわけではないし、豊かで戦争もない今の日本で最低の生活では生活といえないこと、住むところがなければちゃんとした仕事ができないことなどへの想像力が欠けている人が多いと思いました。
ドンキホーテの子供たちはエマウスの活動ではありませんが、アベ・ピエールの影響が大きいことはもちろんで、彼からの支援を受けていました。でも彼が死んだ後、ひとコママンガで、ホームレスの人がため息をついて、「僕らはこれで孤児になった、アベ・ピエールはもういなくなったし、ドンキホーテは存在したこともないし・・」というのがありました。一つの運動に具体的な顔がある、シンボルがあるというのは人間的でいいと思います。喜劇役者のコリューシュが始めた冬場の炊き出しも、彼の事故死の後もずっと続いてますし。
若年の低所得層は日本では親のうちに抱えられていることが多いようですね。フランスでは、coーlocationという若者同士のアパルトマンのシェアが多いです。比較的大きなアパルトマンを4、5人で借りているケースもあります。親のところからはひとまず出たいというのが基本という気がします。30代でもシェアから抜けられない人も多いようです。まあ、腐ってもソシアルの国、低所得者への住居手当は割と充実してるようです。
でもホームレスの問題って、やはり基本的人権にかかわることなのでしょうね。考えるだけでもつらいです。自分のうちの庭を見ながら、うちの庭には電気もあり水もあり、トイレへのアクセスもあるから、少なくとも10人ぐらいはテント生活できるはずだとつい考えたりします。もっとも、家のほうにも20人ぐらいは泊めるキャパがあるかも、とか・・・ でも光熱費や維持費や税金などもすでにかさんでるので、やっていける自信はないし。早く春が来ないかなと、無意識に問題先送りしてる卑怯な日常です。
またホームレスなど
私はカトリック生活という雑誌に『カトリック・サプリ』というエッセイを連載しているんですが、去年の10月号に『もう一つのワールドカップ』というのを書いて、9月の末からケープタウンで行われたホームレスのサッカーワールドカップのことを紹介しました。パリで毎週土曜、ホームレスがコーチ付で練習していて、そのキャプテンはトーゴ人だという話。住居証明がないのだから絶対滞在許可証もないと思うし、ましてやパスポートなんかもないと思われますが、彼らがフランス代表として南アフリカに行きました。主となる資金を出しているのは、フランスのサッカー連盟で、各地のサッカークラブが連盟規約に違反したときの罰金とかをためてるという話でした。規約違反の罰金を使って、フランスの不法移民みたいな人たちを堂々とケープタウンに送り込んでまた帰らせるという法律侵犯をやっちゃうのが痛快です。法律よりも人間が大事という原則が優先なのがはっきりしている。「この地球に外国なんかない」と言って不法移民を守るフランスのカトリック教会の支援も大きいみたいです。サッカー連盟なんかは自由意志で加入するのだから規則厳守というのは分かりますが、貧しい国に生まれて、移民先で住まいを失うというのは自分の力ではどうにもならない部分が多く、それでもスポーツを通して連帯できるというのが彼らの尊厳の一部であり、法律に例外を設けてもそれを支えるキャパシティがこの国には一応あるのでしょう。
それで、最近、読者から、このワールドカップに日本は参加しましたか?という質問がありました。答えはノーです。第4回ホームレスのワールドカップ、48カ国参加で行われ、ロシアが優勝したようです。日本が参加してないのは、ホームレスの尊厳は最低減の福祉でOKと思っている人が多いですから、メディアがつかないと、つまりスポンサーがつかないと、こういう活動が日本では難しいのかもしれませんが、何よりも、ホームレスのチームを外国に遠征させるための特別のパスポートとか、お役所手続きの段階で不可能な気がします。フランスにいるトーゴ人でもOKなら、日本でもブラジル移民で不法滞在になりホームレスになってる人とかいれば結構強いチームができそうだと想像しちゃいますが、あり得ないのかな・・・
ちなみにこのワールドカップのホームページは
http://www.homelessworldcup.org/content/teams
です。
といっても、アベ・ピエールの死のニュース一色だった厳寒の一週間が過ぎて、今週は寒さも急に緩み、もう誰もアベ・ピエールのことを口にしません。われわれの日常の安逸に刺さったトゲを彼と一緒に埋葬してしまったのかもしれません。それでも私は、アベ・ピエールとホームレスのことがずっと頭から離れませんでした。むしろ、彼に死なれて、初めて胸にトゲが刺さったみたいです。そして、偶然、彼の葬儀の後の一週間、引きこもりがちの私には珍しく三回外出したのですが、複雑な気持ちでした。最初は、うちの町のバロック・フェスティヴァルのオープニングコンサート、次はパリのエドゥアール七世劇場でヴァレリーの『固定観念』、昨日はヴィレットの科学産業博物館の技術革新観測所コーナー新設披露のパーティでした。先の二つについてはアート評論やバロック音楽室にコメントを載せます。
昨日は、立派な展示場を見て、ヌーヴェルキュイジーヌ風の美味なビュッフェを味わい、興味深いコーナーもありました。たとえば、遠近両用レンズの技術革新の歴史のコーナーで、鏡を利用して、目の前にある赤い棒と、はるかに高い天井につけられた黄色い四角の板を同時に見えるようにしてあるのです。ボーっと見てたらどちらもみえるのですが、どちらかを凝視したら、片方が視界から消えていくのですね。人間の目は遠近どちらかに焦点を合わすと片方は消失するという仕組みになっていてそれを体験するわけですが、遠くの黄色を見てると見えてたはずの赤がだんだん消え、赤を見てると黄色がふっと消えるのには、怖くなりました。よく近視眼的な見方をするな、とか比喩でいいますけれど、本当に、近くの物を見ると遠くの物が存在しなくなんですね。逆もまたそうです。天下国家を論じてる人が家庭で家人をかえりみなかったり、日常に埋没してると、世界で何が起こってても無関心とか、そういうメカニズムは生存戦略の一つなのかもしれませんが、「当座は見えないからといっても存在していないわけではない」モノやコトがたくさんあるというのは肝に銘じておかねばならないと思いました。
それで、このパーティは招待された人150人くらいいたでしょうか。もちろんプレス関係者のコーナーもありましたが、なんというか、微妙な違和感があり、要するに、いわゆる白人しかいないんですね。黒人はもちろん、アジア人も私を除いて、全然見かけませんでした。中国人のジャーナリストとか、インドの研究者とか、もうちょっと国際的でもいいのに。招待してる側は文化通信大臣がトップで、「フランスの技術革新にもっと力をいれよう」的な演説もあったので、まあ、愛国的プロジェクトだったのかもしれませんが、普段、フランスとはもう白人のフランスじゃなくて、共和国の公民のフランスというイメージがあるので、やや意外でした。そしてそこに来てる人は、この博物館に来たければチケットを買えるだろうし、おいしい食事をしたければレストランに行けそうな人ばかりなのに、みんなタダで入って、繊細な料理を楽しんでいるんです。その空間では凍えるホームレスとか不法移民者や炊き出しとかの世界は、遠景の黄色の板と同じで見えていず、存在しないんですね。
ヴァレリーの対話劇の上演の劇場もそうでした。満席でしたが、私の見る限りでは、ただ一人の黒人も私以外のアジア人もいません。もちろん、ヴァレリーの芝居を観たいという人は、フランス語が分かりある程度の年配で、というのは分かりますが、博物館も劇場も、一歩外に出れば、アラブ人、黒人、ツーリストというパリの風景になじみの人々が歩いてる場所にあるんです。それなのにそこに突然ゲーテッド・コミュニティが出現したような別世界です。
パリ郊外にあるうちの町の劇場もそうです。通りにはここ15年で10倍くらい増えた黒人が普通にたくさん歩いてるのに、いったん劇場に入ると昔ながらのフランスの村のおじさんおばさん、みたいな人たちが和気あいあいとやってるんです。後のカクテルパーティも、シャンペンにプチフール、さすがフランスで、いつもなかなかお味がいいんです。みんなリラックスしてる、そう、リラックスしてるんですね。ホームレスの見えるところ、移民がたむろしてるところでは、「古きよきフランス人」はリラックスできない、この現実。それもショックです。このバロック・フェスティヴァルは、やはり、招待状を持って参加したのですが、なければ金を払ってチケットを買ったと思います。しかし、こういう招待状は、偶然、もともとチケットを買う能力のある人の所に来るんでしょうか。フランスはユニヴァーサリズムの公民主義の国なので、住民のエスニック別の統計が禁じられています。だからアファーマティヴ・アクションのような逆差別はありません。でもまったく機会均等なら、エスニックの現実を反映していてもおかしくないのに、現実は、「格差」が存在し、教養のある美食家がますます教養をつけておいしいものを提供されるんですね。
アベ・ピエールの葬儀の最前列にエマウスの代表者といっしょにずらりと並んでた政治家や著名人たちは、毎日夜になったらディナーやカクテルパ−ティへと出かけていくんでしょう。ソシアルのフランス、そしてブルジョワのフランス、二つが厳然として存在する。当たり前かもしれませんが、うちにいてパソコンの前にいるか楽器の練習してるか、ネコとごろごろしてるという毎日ではつい忘れてしまうのもまた現実です。
ええと、でもフランスのユニヴァーサリズムの名誉のために一言書いておくと、そこに黒人がいたとしても差別されないと思います。「そこに来た」と言うこと自体が人種を超えたラベルになるからです。これがコミュニタリズムの国なら、金持ちの黒人が金持ちの白人の住む地域に引っ越すと有形無形に差別されます。でもパリなら、金持ちの地域にアラブの金持ちや日本の金持ちが来ても「金持ち同士」で受け入れてもらえます。ちょっとエキゾチックならむしろ故なく尊敬されたりさえします。(そういう意味では私はどちらかと言えば得してきたのでフランスは住みやすいと思ってきました。もちろん金持ちのグループじゃない「普通のフランス人」グループでの話ですが・・)
今日はこれから、今週4回目の外出です。ポルト・ド・ヴェルサイユでやってるプレタポルテの見本市です。これはバイヤーだけの閉じられた場所ですが、少なくとも国際的なはずです。音楽とか演劇とか国の威信をかけた技術革新とかじゃなく、商売というのはプラグマティックなグローバル世界だし。日本のブランドももちろん出店してます(末娘がロンドンから来てマヌカンのバイトをやってるのでちょっと見せてもらおうと思って)。
週末はエマウスに娘たちがもう着ない服を持って行かなくては。アベ・ピエールの残した刺の先をなでながら、博物館の天井の黄色い板のことを思い出しています。
ホームレスのこと、
るかさんという方がブログで、ここ数回にわたる私のホームレスの
話を紹介してくれました。そのご縁でそのブログを読み、大阪の長居公園の
テント撤去の記事を読んでると、なんだか胸が詰まりました。
フランスの団体が日本大使館に抗議に行ったという話もそこで知りました。
市民団体というとなんだか「自分ちの権利」を守ってる人をイメージしてたんで
すが、国境なき市民団体って、いいですね。るかさんがフランスを「相対的理
想国」というのも笑えました。昨日の夜はネオリベのサルコジが2時間にわたっ
て、100人の有権者の質問に答える番組がありました。「働け、働け」って、労
働礼賛でした。サルコはイギリスや北欧モデルを手本にしろって言ってました。
フランスがいろんな矛盾をかかえながらも、るかさんみたいな人から「相対的
理想国」って呼ばれ続ければいいのにと願います。
ブログ
下記、るかさんのブログは「言ノ葉工房」で検索してみてください。
なぜかブログのアドレスが入らないので・・・。
こんにちは!
sekkoさんご紹介ありがとうございます。
古いエントリーはどんどん流れてしまうので、ページリンクをしてみたのですが、やはり、投稿できないようです。
「大阪市強制代執行とフランスのホームレス事情」で検索してみてください。
管理人様、sekko様、ファンに嬉しいサイトの運営ありがとうございます。
釜ヶ崎住民票削除
こんにちは。
先日長居公園のホームレスを強制排除したばかりの大阪市ですが、今度は住民票削除の暴挙を行うようです。
釜ヶ崎といえば、日本のピエール神父ともいえるであろう、本田神父が活動している地区です。
詳細を転載させてください。
******以下転載********
●[AML 11818] 【お願い】釜ヶ崎住民票削除反対署名
(メール転載歓迎)
人民新聞社の一ノ瀬と申します。
日頃の皆さんのご活動に、敬意を表します。
大阪市西成区にある日雇労働者の街=釜ヶ崎のいわゆる「架空住民登録問題」に関して、住民登録削除反対署名のお願いです(〆切:2月22日必着)。
昨年12月のマスコミの「釜ヶ崎解放会館に釜ヶ崎労働者3300人が住民登録」といった報道により、大阪市はそれまで20数年にわたって放置していた責任を取ることなく、釜ヶ崎労働者の住民票を一方的に削除しようとする暴挙に出ています。
住民基本台帳法に基づき、「居住実態のない住民票は削除する」と大阪市はいいます。しかし、日雇労働者の生活実態は、決してそんな法律で網羅できるほど単純ではありません。
仕事から帰ってきて泊まるドヤ(宿泊所)は毎日同じ、というケースはまれです。
飯場仕事で全国各地をまわり、半年・1年と釜ヶ崎を留守にすることもあります。
仕事がなければ野宿せざるを得ないこともあります。まさにこれまで日雇労働者は100円ライターのごとき「使い捨ての労働力」として利用されてきたのです。
そんな日雇労働者の実態に配慮することもなく、釜ヶ崎で対策がされるわけでもなく、自ら西成区役所やあいりん労働者福祉センターの窓口が「解放会館で住民登録できるから」と「指導」してきたのにも関わらず、一方的に住民票削除に踏み切ろうとするのは、憲法に保障される生存権・労働権・生活権・選挙権などの基本的権利を踏みにじるものであり、断じて認めるわけにはいきません。
たとえば、「在外選挙」という制度があります。海外に暮らす邦人でも、一定の手続きを踏めば国会議員選挙の投票ができる、というものです。これは、在外邦人選挙権制限違憲訴訟における2005年9月の最高裁大法廷の判決、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は、立法不作為は、国家賠償法の規定の適用上、違法の評価を受ける」等によるものです。
これは、先の「居住実態のない住民票は削除」と言い張る大阪市が行政上の不作為を問われるべきである、と読み替えることが出来ます。
「住民票削除(法的には「消除」というそうですが)」が作為的に簡単に行われてしまうのであれば、大問題になります。例えば02年に地方自治体が送った住基コード番号票ですが、各自治体で「宛先不明」で返ってきたものが多いのです(大阪市では、送った118万世帯のうち、16万8533通が戻ってきた、と明らかにしています)。これもいわば「居住実態がないもの」と判断していますが、この住民票も削除するのでしょうか。
あるいは、DV被害者が加害者から避難するために、現実に居住している場所を住民票に登録してくとも支障ないように配慮されています。
また、この間、新聞報道などで取り上げられている日雇いフリーターの存在があります。彼らの中には、ネットカフェなどに泊まり、そこから派遣労働に出かけるという生活を送る人が多いと言われます。そんな彼らの「住民票」もまた削除されるのでしょうか?
大阪市は今月いっぱいで住民票を削除すると躍起になっています。この問題は、直接には釜ヶ崎労働者の問題ではありますが、ネオリベ化・格差社会化を押し進めるいまの日本の政治のありようの一端だともいえると思います。
以下のURLに、大阪市長宛の「釜ヶ崎労動者の住民票削除反対署名」(PDF)をupしています。ぜひ、署名へのご協力をお願いする次第です。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
もしお時間がなければ、私のメールアドレス(high-time@jimmin.com)までお名前・ご住所をお知らせいただいても結構ですが、できましたら、印刷の上署名いただいたものをお送りいただければ幸いです(送り先は署名用紙にあります)。
お問い合わせは、私の携帯080−1433−7668まででも結構です。
〆切はとりあえず2月22日(木)必着ということでお願いできないでしょうか?勝手な話で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
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一ノ瀬 輝博@人民新聞社 2007/02/11(日)
[編集部]電話:06-6572-9440 FAX:06-6572-9441
http://www.jimmin.com
釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書釜ヶ崎住民登録消除中止を求める要望書
要望趣旨要望趣旨
「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」 「居住実態のない住民登録は住民基本台帳法に則って消除する」?この当たり前に聞こえる措置によって、?この当たり前に聞こえる措置によって、
大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、大阪市は日雇い労働者の市民権を奪い、野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。野宿者を社会福祉の枠外に放り出そうとしています。
昨年一二月、 昨年一二月、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、釜ヶ崎解放会館への住民登録報道を受けて、大阪市は大阪市は「住民基本台帳法に基づいて適正化「住民基本台帳法に基づいて適正化
を行う」を行う」として、として、住民票削除の基本方針を打ち出しました。住民票削除の基本方針を打ち出しました。その後対象は、その後対象は、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさふるさ
との家にも拡大されました。との家にも拡大されました。
住民登録は、住民登録は、当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。当たり前の社会生活を送る基礎を提供しています。「住所」「住所」があることで、があることで、国民健康保険の加国民健康保険の加
入、入、郵便局郵便局・・銀行の口座開設、銀行の口座開設、運転免許証の切り替えにはじまり、運転免許証の切り替えにはじまり、就労、就労、日雇い手帳の交付、日雇い手帳の交付、特掃特掃(高齢者(高齢者
特別清掃事業)特別清掃事業)登録も可能となるのです。登録も可能となるのです。つまり住民登録削除は、つまり住民登録削除は、行政や民間が提供している様々なサービ行政や民間が提供している様々なサービ
スの対象から排除することを意味しています。スの対象から排除することを意味しています。
日雇い労働者は、日雇い労働者は、泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。泊まるドヤが毎日同じというのはむしろ特殊です。飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か飯場仕事で長期にわたって釜ヶ崎か
ら離れるケースも少なくありません。ら離れるケースも少なくありません。その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?その間もカラ家賃をドヤに払い続けなければならないのでしょうか?
また、また、仕事がなくなれば野宿もあります。仕事がなくなれば野宿もあります。住民票削除は、住民票削除は、こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置こうした日雇い労働者の生活実態を無視した措置
に他なりません。に他なりません。
「住民登録適正化」「住民登録適正化」は、は、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者に限られた問題ではありません。野宿者に限られた問題ではありません。悪質な消費者金融からの借悪質な消費者金融からの借
金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。金やDVをはじめとした家庭の事情で実際の居所では住民登録できない人もいます。長期にわたる遠隔地へ長期にわたる遠隔地へ
の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、の派遣労働を繰り返している労働者の住民登録も、居住実態がないとして削除するのでしょうか?居住実態がないとして削除するのでしょうか?
私たちは、私たちは、大阪市による住民票消除の措置が、大阪市による住民票消除の措置が、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲野宿者の基本的人権を奪うという意味で憲
法に反する可能性がある措置であり、法に反する可能性がある措置であり、不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として不安定な生活を強いられている全ての人々の市民権を奪う措置として
大阪市に次の要望を行うものです。大阪市に次の要望を行うものです。
要望事項要望事項
一、一、大阪市は、大阪市は、釜ヶ崎解放会館、釜ヶ崎解放会館、NPO釜ヶ崎支援機構NPO釜ヶ崎支援機構・・ふるさとの家で住民登録しているふるさとの家で住民登録している
人々の住民票消除をやめよ人々の住民票消除をやめよ
二、二、日雇い労働者日雇い労働者・・野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替野宿者が諸々の社会サービスを受けるに必要な住民登録を行いうる代替
措置を早急に講じよ措置を早急に講じよ
三、三、安定した住所をもつことができない人々に対して、安定した住所をもつことができない人々に対して、住民登録を可能とする制度運用又は、住民登録を可能とする制度運用又は、
法整備を行え法整備を行え
200200 77 年年 22 月月
釜ヶ崎釜ヶ崎・・住民登録消除を考える市民の会 住民登録消除を考える市民の会
連絡先連絡先::大阪市港区港晴大阪市港区港晴 3-3-183-3-18 1F 一ノ瀬輝博 1F 一ノ瀬輝博
電話電話::06-6572-944006-6572-9440??080-1433-7668080-1433-7668
大阪市長 關淳一殿大阪市長 關淳一殿
*******転載終わり*******
ホームレスだけでなく、日雇い労働者も排除したいのでしょうか。
フランスでは考えられない暴挙だと思うのですが。
転載ミスのようですので
後半の要望書はこちらでお読みください。
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
住民票の問題
住民票の問題は、私の身近でもいろいろあって、日ごろ考えている問題のひとつです。情報をありがとうございました。できればコピペでなくリンクだけにしてください。あまり重そうな問題では引いてしまわれる方もあるし・・・ブログのほうは読ませてもらってます。すごく参考になります。過労死が自己責任という話や、日本とEUの覇権労働の違いなど、ちょっとショックです。
緊急に訴えたいという問題があれば私に直接メールください。役に立てそうならこのサイトで、自分の意見を書きます。よろしく。
釜ヶ崎住民票削除問題
sekko様
この掲示板はブログアドレスを貼れないので、転載してしまいました。すみません!
削除・編集機能がないので、管理人様お手数ですが私の投稿2つ削除してください。
釜ヶ崎住民票削除についての要望書
http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/luv_beer901/lst?&.dir=/2b43&.src=bc&.view=l
スコットランドの話
スコットランドのホームレス政策のレポートを読んだので、ちょっと紹介したくなりました。「またか、うるさい」と思われる方は読まずにスルーしてくださいね。フランスは、ホームレスが市町村に対して住居の権利を求めることができる法案を作るにあたって、今たぶん世界で唯一この法律を施行させているスコットランドの実態を調べました。ちなみにスコットランドの議会は1999年以降、教育、保健、農業、社会正義について、ブリティッシュ議会から独立しています。United Kingdom の国際政策に反することはできません。
それで、このホームレス法(Homeless Scotland Act_)が2003年にできるまでに、1985年から議論が重ねられてきました。今は、2012年までにすべてのホームレスに尊厳ある住居を提供するという計画になっていて、3分の2くらい達成できたといいます。まず1987年に、母子家族を優先して住居が提供され、しかし、前の住居を家賃不払いで追い出されたときに本当に収入がなかったかなどの審査がありました。2001年の新法で、この審査がなくなり、その代わりに住居提供1年後に生活状態のチェックを受けることになりました。2003年には、高齢者、慢性病者、知的障害者、精神障害者、刑務所や病院や軍隊から出てきた人で職業教育を受けられなかったひと、性産業やドラッグやアルコールの犠牲になりそうな18歳から20歳の青年らが対象者となり、住居申請をしている人の75%が該当するそうです。2012年にはこれらの条件も撤廃して、一人のホームレスもなくすることが目標だとか。
この対策のためにNGO と市町村の住居課と政治家が共同することになり、市町村はホームレス援助のボランティア・サーヴィスを組織せざるを得なくなりました。首都のエディンバラでは、45万人の人口に対して5000人のホームレスがいて、市のサーヴィスに申請すると、パーソナルなカウンセラーがつきます。観光地であるエディンバラ城のすぐ下にある元兵舎が、回想されて一時宿舎になり、そこでは、30人の入居者のために20人の人が働いていて、その費用は入居者一人当たり一日150ユーロ(2万円ちょっと)になるそうです。20平米の個室で、ペット可、大体4ヶ月で、新住居に移ります。それまでのホームレスの一時避難所は、暴力が支配していたり、犬を連れていけないので拒絶する人が多かったそうです。
知的障害があるために特殊施設を回ったあと、社会から排除されて4年間路上で暮らしたロスさん(52歳)の例がありましたが、今は2K のアパルトマンを与えられて、住宅手当150ユーロと、The Big Issue(ホームレス機関紙)を売ることで得られる収入を計算して予算を組んでくれるアシスタントがついています。彼の愛犬であるシェパードのロッキーの餌代もちゃんと予算に入ります。
それまでは、福祉の住居を提供する時は、文句があるならそれまで、という態度だった福祉課の人が、お客に接するかのように、福祉受給者の満足度を第一に考えるようになった、それは意識の革命だったといいます。
しかも、これだけ聞くと、そんな金、いったいどこから払うんだ、と思うかもしれませんが、実は、公共の場からホームレスをそのつど排除したり、抜本的解決なしにあちこちの福祉施設をたらいまわしにしていたときの方が、金がかかっていた、というのです。考えさせられます。
スコットランドとフランスでは規模も違いますし、移民の深刻さも違うでしょう。でも、このロスさんが、熱帯魚の水槽もある快適そうなリヴィングで愛犬とくつろいでいる写真を見ると、他人事ながら、こちらの精神衛生にいいなあとつくづく思いました。パリにもシェパードをつれて物乞いをしてる人をよく見かけますが、物乞いをするような人がシェパード飼うなよ、犬がかわいそう、と感じたこともありました。でもある若いカップルのホームレスが、動物愛護協会から犬を手に入れてから少しずつ社会に復帰する意欲が生まれてくるドキュメンタリーを見て以来、偏見はなくなりました。犬といい関係を築けた人は自分に自信をとり戻せます。
これからもホームレス対策先進国スコットランドのことを時々チェックして、希望を分けてもらいたいです。
日本での論議
今、国会では、「格差国会」とか「労働国会」ということで、けっこう、「ワーキングプア」の話が出ています。
ホームレスについては、今年は「ホームレス自立支援法」(10年の時限立法)の中間見直しの年なので、本来は国会で話題になっていいはずなのですが、労働基準法とかワーキングプアとか少子化とかの影に霞んでいるようです。でも、ワーキングプア、ってホームレスに直結するんですけれどね。
論議をみていて二点について、日本の政策が大きく間違っていると思います。
一つは、「ワーキングプア」というのは、日本では単にマスコミ用語であるに過ぎません。アメリカでは、これは、統計的に把握された貧困層を示す公的な用語なんですけれどね。イギリスにも貧困の統計があるようです。でも、日本では、国民の貧困の実態を公的に把握した統計がなくて、やれ格差があるだのないだの、議論のための議論しかしていないように見えます。日本の「ワーキングプア」とは、生活保護水準以下の収入しかない人たち、特に世帯(独立の生計単位)の人たちを指していますが、生活保護水準以下の収入で、でも、保護を受けていない人たちってたくさんいるんですよね。たぶん、一番大きいグループは、子どもをかかえて離婚して、でも、実家に帰れない、というシングルマザーではないかと思います。もしかして違うかもしれませんが、とにかく、政府が国民の貧困の実態を把握していないということ、それ自体がまず問題ですね。
次に、救済策として、「自立」と、つまり、仕事に就け、と、そればっかり言うのですが、安定した仕事に就くには、まず、安定した居住がなければ無理なのに、住宅政策って全然ないです。就労支援、ばっかり。東京都が、とにかくホームレスを公園から出したくて住宅提供をしましたが、期限つきの措置です。
事実を客観的に把握しない、基本の保障をしない、そして、ガンバレだけ言う、これって、政府だけでなくて、そもそも国民がやっぱりそういうところがあるんだと思うんですけどね。基本的な事実や対処について考えないで、ただ、ガンバレ、と言うだけ、という。
スコットランドの話、ありがとうございました。
古川さんの『日本の裏金』
古川利明さんのブログを先ほど見て、『日本の裏金』3部作を同時刊行されたことを知りました。おめでとうございます。ブログがずっと10月25日付けだったので、どうしたのか心配してましたら、10月16日付けに延々と続きがつながってたんですね。もうそろそろフランスに来る頃? また連絡してください。明日セゴレーヌが100人の質問に答えるTV中継があります。今の私はセゴレーヌに失望して、それでもセゴレーヌ大統領で、DSK首相ならOKかと思ってたんですが、つい最近DSKが在外フランス人に課税することで予算を増やすと言ったのにがっかりしてます。シラクについての本もさわりは読みましたよ。
猿居士の方は、彼を分析した面白い本が出ました。彼はフランスの保守の3つのタイプの複合形だというんです。つまり、イデオロギー的にはオルレアニスト、政治的には、ボナパルティスト、カルチャー的にはレジティミストって言うんです。この3種をうまく使い分けてるんで、企業トップにも宗教コミュニティにも一般人にも受けがいい。この分析ですごくクリアーになりました。しかも、これは雑誌で読みましたが、セゴレーヌもそうですが、猿居士にはフリーメイスンのアドヴァイザーがついてて、どの演説にもレピュブリック(共和国)という言葉を最低2回は使うようにとアドヴァイスされてて、自分は共和国理念を遵守するってアピールは忘れません。
私はいまや、フランソワ・バイルー寄りですが、ある意味で猿居士のような男は、内務大臣やってるよりは、大統領になった方が毒が薄まるかなとも思います。今回セゴレーヌが大統領になったとしても、猿居士はまだ50になったばかりですから、次回はもっと毒性を強めて登場するでしょう。
首相がボルローなら我慢できます。最近の調査では、猿居士がますます優位なので、あきらめムードです。泡沫候補の中には、ゴーリスムの本流を目指す若手の政治家もいますが、リアリティはないですね。ヴィルパンもまだ若いので、もう一回り大きくなって戻ってきてほしいですが。
Fusakoさんへ。日本に貧困の実態を把握する公的な統計がないというのに驚きました。それでなくとも、ニートを親が抱え込んだり、ネットカフェ・ホームレスがいたり、生活保護の「施され感」が受給を思いとどまらせたり、日本は実態がつかみにくそうです。そこに、自由競争的価値観が拡大してますから。
右足と左足は勝ち負けを争わないし、右足をいためると、自然に左足が全体重を支えようとします。利き手はもう一方の手を頼らずに黙々といろんなことをこなします。その利き手が怪我したら、利き手じゃないほうの手が、不器用だけど、できるだけ仕事をこなします。手どうし足どうしが「ふん、あいつは楽しやがって」とか「この役立たずが」とか憎悪や差別感を抱くようにはなりません。社会もそんなふうに大きな有機体みたいになればいいんですが・・・・
Massimoさんへ
日本にいらっしゃるのですね、いつまで? 私は1980年以来、春のはじめの日本を見てません。来年あたりトライしたいです。でももう4月のような陽気だとか聞いてます。いかがですか? パリにずっといる友人の何人かと、最終的に日本に戻って暮らす気があるかとか、日本で暮らせるかという話が時々出てきます。インタネットのおかげで、コミュニケーションの問題は限りなく国境を超えましたね。外国にいても日本人でいられるけど、日本にいたら日本人でしかいられない感じはしますけど。
Massimoさんはルネサンス・ポリフォニーがご専門ですか。ルネサンスポリフォニーって、私にとっては石造りの教会のような箱というか器と一体のイメージです。
日本にて
今月23日まで滞在します。東京での桜の開花予想が18日ということなので、来週から合流する米国人達に桜の花をみせられそうです。
さて、先日「レオナルド・ダ・ヴィンチ 伝説の虚実」を手にとりました。中身を見てビックリ、私が若いころ感銘を受けた「饗宴注解」の著者M・フィチーノとその弟子ミランドラが紹介されているわ、バロック美術論あり、フリーメイソンと神智主義あり、予想以上に興味深い本です。”「ダヴィンチ・コード」の安っぽい便乗商法”というイメージが払拭されました。まだ読み始めですが、新しいお気に入りになりそうです。ご本の中で、当時のフィレンツェの思想を「魂至上主義」と評価されてますが、この的を得た表現に辛辣さを感じるのは、私の若いころのノスタルジーのせいでしようね。
仏大統領選スタート
どうもご無沙汰しています。私の方はようやく「裏金」の本が出て、「やれやれ」といったところです。今回の仕事は本当に時間と手間がかかりました。「仏大統領選」に関する竹下さんのコラム、興味深く拝読させて頂きました。昨年秋から、フランスの政治というより、もっぱら「政局」(=権力闘争)マターで自分のブログには延々と書いてきたのですが、ここで少しアタマを冷やして見つめてみるのもいいような気がしています。現段階になって初めて言えることですが、私の「シラク3選支持」というのは、サルコジに対する最高級の牽制です。内相としての彼の「毒」を薄めるには、これ以外に選択肢がなかったと私は思います。まさに「毒をもって毒を制す」です。ある意味、サルコジも「損」な役回りをシラクに押し付けられた部分はありますよね。ひょっとして思うのですが、サルコジの強硬路線も、「深層心理」の部分では、シラクに対する「反発」、「あてつけ」の部分もあったような気がします。ただ、逆に言えば「シラクVSサルコジ」という、ある意味、保革共存よりは強烈な「コアビタシオン」によって、EU憲法草案否定後の「緊張感」が政権内部に生まれてきたとは思いますので、それはそれで悪くはなかったとは思いますが。しかし、サルコジの「新自由主義路線」なんか、かつてのシラクそのまんまですものね。でも、サルコジはあまりにもポピュリスティックで、「言ってること」と「やってること」との間に整合性がなさすぎる。策を弄しすぎる。それと、統治者として、マイノリティに対するいたわりや寛容さがなさすぎる。ですから、「3者」の中で選ぶとすれば、バイルですかね。サルコジ、セゴレーヌに比べたら、派手さはなく、アカ抜けてもいないが、実直にやるべきことはやりそうな気がする。前回は「シラクVSルペン」の決選投票でしたが、今回はFNをはじめとする極右系の票はサルコジに流れますからね。むしろ、バイルの方がセゴレーヌより「左」に行っているでしょう(ここでいう「左」とは経済政策というより、かつての左派が大事にしていた、人権だとか、マイノリティに配慮するといった「良質な価値観」という意味です)。セゴレーヌは要は「オンナ」というだけで、それを超える「資質」がなかなか私には見いだしにくです。その意味では、もし、私に投票権があったら、今回は2回ともバイルですが、ただ、「2回目」が「サルコジVSセゴレーヌ」になったら、本当に難しいですね。まさに「猿」として何をやらかすかわからないサルコジに入れるか、とりあえずは無難なセゴレーヌに入れるか、じつに難しいですね。
お久しぶり
裏金、反響はどうですか?
3冊同時とはすごいですね。
大統領選については、フランス語のコーナーにもちょっと書いてます。今朝のラジオでル・ペンが、あなたのうちに来た招待客が、おじいちゃんの安楽椅子に腰掛けるのは変だろう、サルコジは自分がハンガリー移民の子だと売り物にしてたんだから大統領になるのはおかしい、と言ってました。でもそれじゃ、フランス人の三分の一に上る移民の子孫を敵に回しますよ、とインタビュアーに言われて、「私の妻は半分ギリシャ人だけど、私はそれを売り物にしない、サルコは売り物にするからおかしいんだ」と答えててました。サルコはコミュノタリストなんで、司教にも政治的発言をしてもらうとか宗教コミュニティにも尻尾を振ってます。アングロサクソンのメディアは、シラクやビル・クリントンには慈愛の雰囲気がある、サルコにはそれがないし、セゴはお高くとまってるし、慈愛深そうなのはバイルーだけ、と書いてました。しかし慈愛深そうで人気のボルローはつい最近サルコ支持を公言しました。そういえば、サルコ夫人のセシリアは自分にフランスの血が一滴も入ってないのを誇りに思うって、言ったことがあるそうです。ミシェル・オンフレイはサルコのヒステリックな態度について証言してます。エマニュエル・トッドも面白いことを言ってます。在仏日本人のブログでサルコの怒りぶりのYoutubeやオンフレイのブログを紹介しているのがあります。http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/
見てみてください。
シラク「猿支持表明」のウラ
竹下さんのフランス語の方の記述も読みましたが、シラクの「3選不出馬表明」なんですが、そのときは「後継」については、明言してなかったんですが、その後、「サルコジ支持」を表明してんですよね。確か、そのころの日経の外電面でしたが、大統領を辞めると「不逮捕特権」がなくなるじゃないですか。で、「一市民」に戻ったシラクに対して、パリ市長時代の例の裏金ギワクについても捜査の手が伸びるのではないかとの観測が流れていたことを報じていて、シラクの「サルコジ支持表明」はその直後なんですよ(笑)。で、それとほぼ同じ頃に、(なぜか)日本の産経新聞(だけ)に、サルコジの腹心を「当選後の司法大臣含み」で、UMPから下院選に出馬させるとの記事が出てて、じつにわかりやすいですよね。サルコジもサルコジでヌイイ市長時代に購入した例の高級住宅の転売疑惑をカナール・アンシェネにスッパ抜かれていて、まあ、どっちもどっちでしょうが(笑)、それで私は少しシラクにがっかりしたところはあります。「その程度で、政敵にシッポを振るのかよ」という感じです。「現実政治」は、そんなキレイゴトだけでは動いていませんよ。まあ、竹下さんが足場を置くアカデミズムとは無縁の世界です。私のブログにも書きましたが、サルコジが外交でアメリカとは距離を置くような声明を出した日、また、ナント郊外でマリ人の食肉精肉工場労働者が不法滞在で一斉検挙されたのは、そのカナール・アンシェネがスッパ抜いた同じ2月28日ですし、また、パリ北駅でのキセル乗車移民拘束も、シラクとの「裏取引」で内相を辞任し、UMPの党首として選挙戦に専念できる体制の整った直後じゃないですか。そういう「足元」をよく見ておかないと、ですよ。そこに私が彼の政治手法として、「策を弄する」と批判しているところなんです。
昨日のカナル・アンシェネ
昨日のカナル・アンシェネには、サルコとシラクの裏取引(シラクの裏金問題で)のことがすっぱ抜かれてました。たった今、ラジオのEUROPE1で、サルコが出てて、ジャン=ピエール・カヴァッシュからインタビューされて、その審議を聞かれて、「C'est faut, grotesque, blessant, insultant!」と答えてました。確か、シラクの裏金疑惑のほとんどはすでに訴求できなくなっていて、この後、罪に問われるとしても、大したものは残ってないということでした。
訂正
さっきの審議は真偽の変換ミスです。
やはり
もう、私の見立ての通りですね(笑)。さすが、カナール・アンシェネ! どうせ、日本語なんでフランス人は見てないでしょうけど、私のブログの書き込みで、シラクに「26年前の貸しを利子つけて、返せ」と言っておきました。ヒラリーの自伝『リビング・ストーリー』に出てましたが、ベルナデッドは昔、コレーズ県の地方議員をやってて、自分で選挙を戦ってんですね。「へえー」っと思いました。98年、ヒラリーはベルナデットにコレーズ県に招かれて、いろんなところを連れて行かれてるんですね。
反サルコジとしての2・3位連合
それと、ここにきて、ようやく「対立軸」が鮮明になってきたような気がします。「2回目」に向けての「1位・4位連合」(サルコジ&ルペン)と「2位・3位連合」(バイル&セゴレーヌ)の。バイルにせよ、セゴレーヌにせよ、「2位」に出た方が、決選投票で「反サルコジ」で共闘し、それに左派・極左が加われば、十分に勝ち目はあると思います。日本と違って、フランスは人民戦線の過去もありますし。それと、アエラの最新号の「現代の肖像」でセゴレーヌを取り上げていて、「ミッテランの隠し子説」というのを書いていて、「なるほど」と思いました。私は、敢えてはっきりと言いますが、サルコジを大統領に選出するようでは、フランス国民は世界の笑い者になりますよ。2000年の米大統領選でブッシュ勝利(ゴア敗北)が、とてつもない結果をもたらしたように、まあ、ブッシュほどではないにしろ、「資質」に彼はいろいろと問題があると思います。例の移民・国家・アイディンティティ省も、また、妙なものを打ち上げましたね。要するに、今度はFNが閣内に入る可能性が大ですからね。そこに対する危機感がもっとあっていいと思います。私はフランスに足場を置いている竹下さんのような言論人(=知識人)こそが、もう少しビシッと発言すべきだと思いますが。
ここに来て
ここに来て、「サルコ−セゴ」と、バイルーの差が大きくなりました。先週の、「ぺドフィルもホモもセリアル・キラーも生まれつき」発言で、医学科学界がサルコを嫌悪し始めました。この週末も大統領選談義でしたが、日曜の政見放送では、サルコは例の移民とナショナル・アイデンティティのこと「しか」話さず、その他の政策など完全に消えた本音だしまくりで、彼の不平等主義はフランスのカルチャーとあまりにも離れてるので、いくらなんでも当選は無理じゃないかとの声もあるんですが、どうなるか・・・しかも、今回の選挙では初めて投票用の機械が導入されて、その会社は民間のものでサルコがえらんだというんですよ、その機械に反対する署名を今ネットでやってるんですが・・・ほんとにブッシュのやり口そのままになってきました。後、司法を馬鹿にした態度も目にあまり、ほんとにこいつが大統領になることがこの国であり得るのか・・・と信じられない気分ですが。
ル・ペンが選出されることはまずないので、敢えて言いますが、話してる内容はともかく、話し方はル・ペンの方がサルコよりはるかに上品なフランス語で教養があって年の功を感じさせます。サルコとシラクの裏取引の記事はここが面白いです。
http://www.prochoix.org/cgi/blog/index.php/2007/04/12/1400-sarkozy-chirac
共和国理念の根幹としての「寛容さ」
そのマグレブ系移民は今では2世、3世の世代ですか、シテに多くがいる彼らは、要は肌の白い「1等フランス人」がやらないような、「汚れ仕事のための使い捨ての駒」ですよね。まあ、資本主義社会において、それを言ってしまったら、労働者はすべて「使い捨ての駒」なんでしょうが(笑)、そんな「週35時間労働」の保障の枠外にあるであろう彼らを、都合のいいときは「利潤創出のための原資」に使い倒しておいて、用がなくなったらポイでは、あまりにも勝手過ぎるんじゃないですか。その吹き溜まりが、要はシテの団地なんですよね。そうした「切り捨てられた」ことへの、ひとりの人間としての痛みが、おととしのEU憲法草案に対する「ノン」の本質だったように思えます。「経済政策」として、移民問題を捉えるのなら、むしろ、少々、景気がよくても、外からの「入り」を絞るべきじゃないですかね。フランス本国に入ってしまって、労働者として、それなりに実績のある移民を「書類が整っていない」との咎で追い出すなんて、正気の沙汰ではないですよ。しかし、シラクはそうした「寛容さ」を擁護しなければならない最終責任者である「共和国大統領」として、後任の内務大臣には何も言わないんですか? シラクはサルコジを「後継指名」したのであれば、そうしたユニヴァーサリズムの理念をちゃんと遵守するよう、指示し、命令する義務があるんじゃないですか。そうしたことをちゃんとやらないのであれば、「裏取引」だと言われてもしょうがないじゃないですか。
あと4日
今から4日後には第1回投票の結果が分かってるわけで・・今日の夕方の統計ではサルコとセゴの対決なら53対47になってました。決めてない人が17%とか・・火曜の夜ミシェル・ロカールとバイルーが一緒に食事したそうで、ロカールは反サルコで共闘してもいいくらいの雰囲気ですがセゴはここに来て、左派の違いを出そうと努力してます。セゴハここで敗れたら政治生命が絶たれるのでは?という危ない橋を渡っています。バイルーも同じですが。
サルコが大統領ならフランス人は笑いもの・・・? 安部首相と石原都知事3選の国から言われたくないですが。 それより泣いてください。 私はセゴに充分チャンスがあると見ていますが。彼女になんとなく信頼が置けないのは今も変わりませんが。私はロカールは好きでした。
一昔前のマグレブの移民1世たちは自分たちも出稼ぎの予定だったんですね。ところが本国の事情などで定年後もフランスに残る人が多くなり、これはフランス側も彼ら自身も予期してなかったんですね。それにフランスのユニヴァーサリズムの教育で2世以降がすっかりフランス人になることも親たちは予想しなかった面があります。そうして完全にフランス人かした子弟がガラスの天井というか見えない差別の現実にぶち当たって失業する。そしてコミュノタリスムに目覚めて、それがユニヴァーサリズムに敵対する方向で先鋭化してくるというのが問題です。その他に今はむしろ西アフリカ移民が問題ですね。もっと問題なのは地球の南北格差と絶望の深さです。大体は子供を学校に入れている移民はすべて合法化するという方向ですが、子供に仕送りするために単身で非合法で来ている母親とそれを食い物にしている合法移民という例もあります。弱い者がもっと弱い者を搾取するという構図は「寛容」などでは解決しません。
そういえば都知事候補だった浅野さんが「生きる力の弱い人が安心して暮らせるような都市」とか何とかいったのを、「生きる力が弱い人」という表現がまるで差別のように取りざたされたことをいろんなブログで読みましたが、ちょっと驚きました。強弱は別に善悪ではない厳然とした事実なのに。社会的弱者や身体的、精神的弱者も存在するし、助けられずに生きるのって力が要りますからね。石原都知事の差別発言は結構スルーされて、日本人って、感受性のツボがフランス人と違うのかなあと思いました。
バイルとロカールが食事ですか
バイルとロカールがメシを一緒に食ったのですか。この時期、「政局的」には重要なポイントだと思います。おそらくサルコジは1回目は「1位通過」でしょうから、2回目は2位がセゴレーヌであれ、バイルであれ、「2・3位連合」を絶対に組むべきだと思います。とにかく、今は双方が「1回目」に向けて票を掘り起こすことだと思います。それが「2回目」につながりますからね。特に政治というのは「最善」ではなく、「より小さな悪」というか、「よりマシ」を求めるしかないと思います。もし、セゴレーヌ当選なら、首相をバイルに指名して、PSとUDFの連立でもいいと思います。それなら下院の過半数に達するでしょうし。バイルがだいぶ「左」に舵を切っていますから、元々のPSの支持層も納得するのではないでしょうか。また、バイルが2位で抜けても、今回は比較的、PSの支持を得やすいと思います。で、2回目では、FN(ルペン)がサルコジ支持を表明するでしょうから、それで逃げる保守層もあるでしょうし、その引き受け先がバイル(UDF)になるんじゃないですか。センキョは最後まで投票箱の蓋を開けてみるまでわかりませんよ。
第一回投票の結果
まだ半数くらいの開票ですが、今のとこ、サルが30%弱、セゴが25%強、バイルーが18%強、ル・ペンが11%強です。何より、パリ地方が復活祭休みの最終日で天気もよかったせいか、投票率が86%弱とかで、第5共和制になって最高の投票率なのが話題になり、みんな民主主義の勝利とか言ってます。フィリップ・ド・ヴィリエが2週間後の決戦投票ではサル煮入れないみたいなことを言ってました。ル・ペンは5月1日に表明するそうですが、サルを罵倒してましたから、なんか極右がセごとは言わないまでも白紙投票に向かうかも、という雰囲気です。バイルーの18%も、2002年の第一回選挙のシラク票と変わりませんから(全体の投票率から計算するとそれを上回る)、ここ25年続いた2大政党の対立に風穴を開けたとして評価されてます。さっき聞いたところでは、UDFの反響は、2回目の選挙で、とにかくアンチ・サルコなら何でも、という人、白票を呼びかける人、6月の下院選にかけるという人が多いようで、サルコには向かっていない感じです。サルコの方は、UDFに、戻ってきてくれたら政権にもタッチさせてあげるからというニュアンスでしゃべってました。後は、自分がフランスを守る、フランス人を守る、みんなを守る、フランスが私にしてくれたことをお返しすると連呼してました。大統領的な「守る父親」イメージとフランスの理念に救われた移民の子の成功譚とのミックスです。
選挙は代数でなく力学だから、30%がどうなるか分かりません。でも30%が支持したというより、70%はサルを嫌ったということでもあるので、ここでバイルーとロカールの食事とかが意味を持ってくれたらいいんですが。
すごい投票率ですね
第1回の投票結果、ネットでも速報値が公表され、おおよそ、サルコジ30%、セゴレーヌ25%、バイル18%、ルペン10%ですか。私のブログの方に例によって、(わざと)カゲキに書き込みましたが、だいたい予想していた通りです。結果については、私も竹下さんと同じ見方で、バイルの18%は大健闘と言っていいと思います。アングロサクソンのように、「白か黒」かでなく、「第3、第4の勢力」(UDFや共産党、緑の党など、FNも含めて)が存在することの重要性を感じます。「多様な価値観の実現」は、案外、こういうところが大事だと思います。ルペンはあんなもんでしょう。事前の世論調査の数字が妙に高すぎると思ってましたので。もし、私に投票権があれば、消極的支持ですが、「サルコジ阻止」のため、2回目はセゴレーヌですね。今回、見てて思いましたが、小選挙区の2回投票制は、確かに手間と時間はかかりますが、「死票救済」という、小選挙区制度の致命的な欠陥を補うのに、なかなかよくできていると思います。また、クールな有権者はこの2週間、各候補者の言動をチェックしてから投票できますし、今回の大統領選は新顔の三つ巴ということもあって、非常に盛り上がってよかったと思います。そうした有権者の熱意が、政治をいい方向へと変えていくことを期待しています。
サルコジのルペン化
それと、こうした冷静な投票分析は、私のブログに書き込むよりも、竹下さんのところに書く方がふさわしいと思いますので、敢えてこちらの方に書きますが、今度の得票率を見て、従来ならルペンに投票していた層のだいたい5%ぐらいが、今回はサルコジに流れていると思います(そうするとだいたい数字的な辻褄が合うのではないでしょうか)。私はルペンは個人的には好感を持っていますが、それと彼の理念と政治的方向性は別だと思います。これまでFNは「野党」だったから、有権者ものんびりしていられたと思いますが、今度は「政権与党」(=国家権力の中枢)になるかもしれないんですから、そこのところはきちんと捉えておく必要があると思います。私の周りでもそうですが、日々、残業に追われてて、自宅に戻って寝るだけの生活に追われている人達や、明日の糧を得ることに汲々としている人達は、なかなかそういうことに敏感にはなれないですよ。だからこそ、「知識人=言論人」が先頭を切って、声を挙げる役割を担っているのだと、私は思うのですが。日本の戦前もそうですし、フランスのヴィシー体制もそうだと思いますが、声を挙げるべきときに、挙げるべき人たちが、「沈黙」していたということが大きいのではないかという気がするのですが…
内戦状態
今朝のラジオでは、今や選挙戦は「内戦状態」だそうです。昨日、セゴレーヌがバイルーに携帯で電話したのにつながらなかったそうで、バイルーは明日意見を表明するはずです。DSKはセゴがバイルーに擦り寄るのを快く思っていません。かと思うと、ばりばりの社会党だったはずのエリック・ベッソンが昨日公式にサルコ支持に回りました。フランスの進歩、早起きのフランスのためにはサルコの政策の方が正しいと言うのです。サルコは、左派にも門戸を開放するというのは方を並べるということではない、と釘をさしています。元UDFのラファランやヴェイユを従えて、新しい右派連合とか言ってますが、左派も新しい左派、中道左派という方向なので、とにかくいたるところで、新しい組み合わせができつつあります。アンチ・サルコで極右がセゴに揺れたり、アンチ・セゴで極左がサルコに揺れてる部分まであり、しかも彼らの若さから言っても、今回当選したら、2期10年は居座る可能性があります。どちらにしても、2002年はアンチ・ル・ペンで、政策も何もありませんでしたが、今回は、セゴもサルコもこの2週間の大勝負なので面白いと言えば言えます。ただ二人とも微妙に嫌われキャラクターです。どちらも自分の陣営の中にはっきり敵を作ってますから。
昨日、春休みが終わって最初のピアノの生徒が来たのですが、8歳の女の子2人がどちらも、自分たちから前日の投票を話題にして、うちのママはセゴレーヌに投票したといってたのが、印象的でした。一人の両親は教員で、教育界は伝統的に左派です。でもパパの方は棄権したそうです。男の左派にセゴへの警戒心が多そうです。もう一人の女の子の両親はアナリストと銀行員のブルジョワ(というか所得4500ユーロを超えるとサルコ支持が多くなる)ですが、ママはユダヤ人なのでセゴに、カトリックのパパはサルコに投票したそうです。
しかしサルコの30%を超えた支持は、1914年以来の高率とか言うことで脅威を感じます。5月頭にTVで二人の討論があるので、それをちゃんと聞いて判断しようという空気があるのは、投票率から考えるとなかなかすごいことですね。バイルーの力で、右も左も中心よりになりつつあるのも新しい現象で興味深いです。そういえば、今発売中の『新潮45』5月号に、私はフランスの出生率増加についての記事を書いてるんですが、その記事の写真にセゴレーヌが出てました。4人の子の母ということで。なかなかきれいな写真でした。
エリツィンの死にからんで、次のフランス大統領はロシアにヨーロッパ加入の提案をすべきだという意見が聞こえて来ました。ロシアはトルコのように自分からEUのドアをたたくことは絶対にしないけれど、今の彼らの負債と屈辱感は、大戦前のドイツと同じですごく危険というのです。ロシアがEUに入るのは平和に貢献すると・・・とするとEUの境界線はどうなるのでしょう。日本との関係は?とかいろいろ考えちゃいました。
もう少し底流にあるものを見据えた方が
竹下さんの書き込みを読んで、書き込もうかどうか少し迷ったのですが、今回、投票率が上がって、巷で「どっちに投票するか」という話題で盛り上がっているというのはわかりますが、あの揉めに揉めた2000年の米大統領選も、どこか「のんびり」と捉えるメディアの向きもありましたけど、あのときの結果は、その後のアメリカはもちろん、全世界を巻き込む大きな変化となる「何か」がありましたよね。そこまで大げさではないかもしれませんが、今度はどちらかが大統領になるかは、非常に大きな意味がありますよ。竹下さん、長く「大陸」に住んでいて、いろんなことも知っているわけですから、そこから見据える「底流」をメッセージとして発してもらいたいと思います。石原慎太郎、安倍晋三の件ですが、安倍に関しては、もう、「自公」という政権の枠組みがそもそもありますので、そこから問題を解きほぐさないとです。その「問題点」については、私は体を張って発言しています。石原については、そのタカ派的発言や数を数えられないフランス人に対する蔑視など、問題は多々ありますけど、所詮、東京都という一自治体の知事に過ぎませんからね。今回の知事選に関して、浅野は確かに候補者としてはマトモな理念や政策を石原よりは思っていますが、いかんせん、本人に「絶対に当選して、これをやるんだ」という、迫力がありませんでした。それは致命的です。浅野を推した民主党の方も全然、やる気がありませんでした。石原もどうせ74歳だし、任期最後まで務め上げることができるかわかりませんからね。選挙は「お祭り」ですから、盛りあがって、はしゃぐのも大事でしょう。しかし、「玄人」であればこそ、もう少し「底流」にあるものを見据えて、そこから発言をしていった方がいいのではないか、という気がしています。
TSS
私がここで日本語で書くものが大統領選に影響するとは思えないんで、立場が曖昧に見えるかもしれませんが、私はTSS(TOUT SAUF SARKO)ですから。2003年、シラクがアメリカのイラク派兵に反対した時、フランスは極右から極左までシラクを支持しました。ところが2006年秋、サルコは単独でアメリカに行ってブッシュと会見し、2003年の arrogance francaise を s'excuser したんですよ。アフリカの南北問題から中東情勢まで、今フランスがアメリカ追随のネオリベに走れば、地球はがたがたになると思ってます。
今日セゴはジャック・ドロール御大を動員しました。新しいポスターは、
「 LA FRANCE、 PRESIDENTE、 SEGOLENE ROYAL 」の3行だけで、PSマークは限りなく小さく、UDFとnegocier すると明言しました。サルコはouvertだけどnegocierとは言ってません。
ちなみに私はシラクも全然信頼していませんでした。ジョスパンも信頼していなかったので、95年の第一回投票の時はUDFのバラデュールを支持、シラクとジョスパンの決選投票ではジョスパンを支持、結局、核実験再開を掲げていたシラクが当選したわけです。今度もそれと似ていて、最初にバイルー支持、今はセゴという展開なので、95年のデジャヴュのような気がして非常に居心地が悪いんです。今日の昼、ヴィルパンがサルコと食事をして、陽光のもとでくつろいで、ソリダリテ・パルフエット だ、みたいなことを言ってるのをTVで見て、裏切られたような気がしました。
ただ、今UMPは、大勝利という感じですでに奢ってる感じですが、あの30%というのは、もうすでにル・ペン票もけっこう吸収した後だし、70%はアンチ・サルコ票だったと思いたいのです。移民3世の若者たちや女性の浮動票がセゴにまわれば、勝ち目はあると思います。左派はTPS(TOUT POUR SEGO)が多いですが、PCなど壊滅状態だから、大して期待できません。フランスでは、ともかく表向きゴーリストでないとやってけないので、サルコも選挙前にドゴールの墓参りしたりいろいろスタンドプレーやってます。馬鹿じゃないんで。しかし2人とも、「絶対に勝ってやる」という迫力はあります。その点では、セゴはますます力強くなってきて、感心しています。ここ一発のところではオランドの存在も大きいでしょう。
DSKのTPS
ようやくDSKがTPS(TOUT POUR SEGO) で起動。Centristes を大臣に起用を約束。伝統的に右派よりだった中道を左派に取り込むというより、左派リニューアルという感じで、いい感じになってきてます。ヴィルパンにがっかりしたんで、もう一人のお気に入りのDSKの沈黙が心配でしたが一安心。しかしサルコのメディア操作はどうしてここまで効を奏しているのか、Canal Plus 以外は全滅に近く、TF!のニュースを見てるだけで気分が悪くなります。ニュース見る前にギニョールを見ることにしています。私にギニョールを見る習慣ができたのは、2003年のイラク戦争の前。ブッシュがニュースに出てくるだけで気分が悪く、それを緩和するためのギニョールでした。今もギニョールのサルコを見てると笑えて楽になります。DSKがその気なら、私もTSSからTPSにレベル・アップ。今日15時半にバイルーが意見表明をしますが、第一回投票の支持者に対して明確な指示は出さないとも言われています。
民主党
バイルーは予想通り投票の指示を出さず、自由裁量に任せるといいました。UDFの議員たちでサルコ支持を打ち出すものは結構出ています。バイルーは一応サルコには厳しくセゴに歩みより、夕方の国営放送に出て、TVでセゴと討論する用意があると言いました。DSKもバイルーとの共闘OKを打ち出しました。バイルーは、Parti democrate (民主党)を立ち上げると言いました。1978年のUDFから30年経つので、リニューアルと言っていましたが、サルコ寄りを振り落として中道左派で再出発、6月の下院選でPSと組んで連立過半数をねらうというところでしょう。ちなみに私の住む町は市長がUDFの女性。うちの向かいの小学校での投票所での結果は、投票率83%、セゴ28%、サルコ22%、バイルー13%でした。フランス人は、自分たちの国がすでにどれほどソシアルであるかに気づいてない気がします。ソシアルは見慣れた風景なので、それを死守することの大切さを実感せず、もっと、もっとと不満を言うばかりで、アメリカン・ドリームならぬレーヴ・フランセ(フレンチ・ドリーム)を掲げるサルコにつけこまれたりします。バイルーもセゴも、ある意味では伝統的ソシアル路線から離れて、ネオリベテイストなのですから、少なくとも今あるソシアルの伝統は死守しなければなりません。それについて別に書きます。
サルコジについてよくわからない点
私はフランスで根を張って生活しているわけではないので、「サルコジ」についてわからない点が一つあって、単刀直入に言って、彼はフランス革命のときの「人権宣言」に書かれている内容について、これまで政治家として、そして、一人の人間としてどれだけきちんと実行してきたのですか。つまり、「人間の根源的自由」をどれだけ血肉化しているのか、それがさっぱり見えてこないのですよ。で、彼が仮に大統領になった場合、そうした「人権宣言」の最終的な守護者として、行動してくれるという保障があるのですか。問題はそこなんですよ。ブッシュが政権を握って、どういうことをしたか。そこらのところをきちんと見据えておく必要があるんじゃないかと思います。そして、私が非常に危惧しているのは、竹下さんをはじめ、フランスに在住する「知識人=言論人」(日本人であれ、フランス人であれ)が、そのことをきちんと批判していない。選挙権のない私が、遠く離れた日本の地で、そのことをいちばん辛辣に批判してるのは、「?」という気がします。はっきり言って、私なんかは日本で「お客さん」がたくさん居すぎて、タマを狙われたときの「心当たり」がありすぎて(本当に冗談でなくて)、今回の「裏金の本」では、政権与党の加えて、検察、警察、そして、ヤクザもまとめて全部名指しで批判しているわけですから。現地にいる人間こそが、いちばん発言し、批判しなければならないんじゃないですか。私はサルコジに対して、妙におべっかを使っている、「知識人」と称する連中を見ていると、正直、嫌悪感を感じます。ブンヤは権力の座でのうのうとしている連中を脅し上げてこそ、ナンボの存在でしょうが。
みんな批判してますよ。
みんな辛らつに批判してますよ。「サルはスターリンだ」って。昨日はサルコが68年5月革命をすべての元凶のように行ったので、今日はまた批判が炸裂してます。ヌーヴェル・オブセルヴァトワール紙の声明文を2つほど訳します。
まず大学人、研究者、著名人のロワイヤル支持声明
????Un appel d'universitaires, chercheurs et personnalités en faveur de Royal
「全般的な懐疑と世界の市場の不確かさの今の時代において、我々は、我々の望むフランスは、ニコラ・サルコジのフランスではないということだけには絶対の確信を持っている。
我々が愛するフランスとは、公正・平等・進歩そして自由という価値観を備えた、啓蒙思想と人権思想に忠実なフランスである。我々は、保安問題優先と権威主義へ逸脱するフランスを嫌悪する。プレスに対する圧力と三権分立の侵害。ロビーの出現とファイナンス・パワー。社会ダーウィニズム、後天的獲得より先天性。すべてがすべてと競争し、最も強い者が最も弱い者に敵対する社会、そして各種「共同体」が互いに敵となる社会。
我々は、すべての男や女が、そして利害の反する者同士こそが、報復を心配することなく自由に考え発言できるフランスを愛する。
なぜなら我々は、不公正と人生におけるアクシデントから我々を守る唯一の要塞である、我々の社会モデルに愛着を持つからである。
なぜなら我々は平穏で連帯し豊かな多様性を持つフランス、そこではモーリスだろうがソフィーだろうがサラだろうがラシダだろうがアマドウだろうが、すべての子供たちが、自分は共和国の子供だと思えるようなフランスを望むからだ。
なぜなら、フランスは、ユニヴァーサルに思いをいたす時にのみ、本当のフランスであるからだ。誰になんと言われようとも、フランスの上げる声は、その公正と平等とライシテという価値観のおかげで、世界に届くのである。
なぜなら権力とは共有するべきであって、一点に集中すべきではないからだ。
だからこそ我々は、フランスを愛するすべての人に、セゴレーヌ・ロワイヤルに投票し、また投票することを勧めることにより、2007年5月6日をデモクラシーと共和国の理想の勝利の日となすことを、ここに呼びかける。」
署名者
????Les signataires
????Pierre Aïach, sociologue、 Patrick Allard, volcanologue、
????Delila Allam, économiste、?? Ladia Amégadjie, juriste
????Jean Andreau, historien、????Leonardo Antoniadis, photo-journaliste.
????Jean-Christophe Attias, historien、????Sophie Aubert,??Diplomate
????Rémi Auclair, musicien、????Florence Audier, économiste
????Serge Audier, philosophe、????Marie-Anne Bach, médecin, sociologue
????Jean-Marc Bardet, mathématicien、????Joana Barreto, histoire de l'art
????Marie-Annick Barthe, économiste 、????Arnaud Baubérot, historien
????Jean Baubérot, sociologue、????Pierre-Yves Baudot, politiste
????Franck Bauer, lettres comparées、????Henri Béhar, professeur de littérature
????Adda Bekkouche, juriste、????Irène Bellier , anthropologue
????Esther Benbassa, historienne、????Alexandre Benedetto, biologiste
????Françoise Benhamou, économiste、????Pierre Bergel, sociologue
????Martine Berger, Géographe、????Thomas Berriet, littérature
????Madeleine Blamèble, professeur d’allemand
????Damien de Blic, sociologue、??Marie-Claude Blanc-Chaléard, historienne
????Emmanuel Blondel, Philosophe、????Pierre Boilley, historien
????Luc Boltanski, sociologue、????Christophe Bosquillon, professeur d'Histoire-Géographie、????Sylvain Bourmaud, journaliste
????Jacques Bouveresse, philosophe、????Geneviève Brisac, écrivain
????Guy Bruit, professeur de lettres、????Louisette Bruit-Zaidmann, historienne
????Véronique Bonnet, Littérature.????Anne Budin-Auclair, psychologue
????Jean-François Calmette, droit public、????Caroline Cambrai, études anglophones
????François Campana, études théâtrales、????Mario Canonge, pianiste
????Marie Cartier, sociologue、????Remy Cazals, historien
????Aimé Césaire, écrivain、??Florence Chaltiel, Professeur de droit public
????Fabien Chareix, philosophe、????Natacha Chetcuti, sociologue
????Gabriel Cohn-Bendit, sociologue、????Bernard Comment, écrivain, éditeur
????Catherine Coquery-Vidrovitch, historienne、????Natacha Coquery, historienne
????Marcel Cori, linguiste、????Paula Cossart, politiste
????Myriam Cottias, historienne、????Anne Coudreuse, Université Paris 13
????Hughes de Courson- compositeur、????Jean-Patrice Courtois, écrivain,
????Michèle Dacher, ethnologue、????Jacky Dahomay, philosophe
????David Dahomay, professeur de mathématiques、????Joseph Danan, etudes théâtrales
????Ai-Thu Dang, économiste、????Guy Debailleul, économiste
????Edouard de Lepine, historien、????Thierry Desjardins, économiste
????Agnès Desarthe, écrivain、????Xavier Decelle, économiste
????Marie José Devillard, Anthropologue、????Maria-Pia Di Bella, anthropologue
????Claude Didry, sociologue、????Jean-Pierre Digard, anthropologue
????Christine Diger, réalisatrice、????François Dosse, historien
????Françoise Dreyfus, politiste、????Michel Dreyfus, historien
????Marcel Dorigny, historien、????Jesus Dorronsoro, politiste
????François Dubet, sociologue、????Florence Dupont, Littérature ancienne
????Marie Duru-Bellat, sociologue、????Pierre Dussauge, HEC
????Paul Egre, philosophe、????Elsa Faugère, anthropologue.
????Betty Felenbok, Biologiste、????Yankel Fijalkow, sociologue urbaniste
????Cynthia Fleury, philosophe、????Sylvie Fol, urbaniste
????Caroline Fourest, essayiste、????Laurent Frajerman, historien
????Robert Frank, historien、????Emmanuel Fureix, historien
????Bernard Gainot, historien、????Jean-Pierre Galavielle, économiste
????Olivier Gandrillon, biologiste、????Martine Garrigues-Cresswell, anthropologue
????Alain Geismar, sociologue、????Danièle Ghesquier-Pourcin, chercheur INSERM
????Jean Gillet, littérature comparée、????Florence Godeau, littérature comparée
????Olivier Goetz, art contemporain、????Jean-Christophe Gimel, chimiste
????Claudia Girola, anthropologue、????Jean-Claude Guillebaud, écrivain
????Mehdi Hachemi, libraire,、????Abdelillah Hamdouch, Economiste
????Stéphanie Hennette-Vauchez, Droit public、????Fred Hermantin, avocet
????Bernard Heyberger, Historien、????Pierre-Etienne Heymann, comédien
????Arnaud Houte, Historien、????Olivier Ihl, politiste
????Ahmet Insel, économiste、????Ivan Jablonka, historien
????Florence Jany-Catrice, économiste、????Chantal Jaquet, philosophe
????Geneviève Jolly, Arts du spectacle、????Jean Joulin, comédien
????Jeanine Joulin, administratrice de théâtre、????Philippe Kadecka, architecte, artiste
????Michel Kaplan, historien、????Mohammed Kenzi, écrivain
????Colette Kerber, libraire、????Françoise Kerleroux, linguiste
????Jean-François Kervegan, philosophe、????Adrien Klajnman, philosophe
????Patrice Kleff, lettres modernes、????Patrick Klugman, avocat
????Pierre Kopp, économiste、????Raymond Kraemer, Chimie
????Francis Kray, philosophie、????Smain Laacher, sociologue
????Jean-Claude Lallias, professeur de Lettres
????Stéphanie Laithier, historienne、????Pascale Lagarde, animatrice d'ateliers d'écriture littéraire
????Jacqueline Lagrée, philosophe、????Marie-France Lange, sociologue.
????Pierre Larrouturou, économiste、????Zaki Laïdi, politiste
????Anne Larue, littérature comparée、????Françoise Lavocat, littérature comparée
????Guillaume Leblanc, philosophe、????François Lecercle, littérature comparée
????François Lazaro, directeur de théâtre、????Renaud Le Goix, géographe
????Hervé Lemesle, professeur d'histoire-géographie
????Jean-Pierre Lethuillier, historien、????Emmanuel Le Vagueresse, littérature espagnole
????Claude Liauzu, historien、????Catherine Lévy, sociologue
????Thomas Loué, historien、
????Jean-François Louette, littérature française、????Charles Malamoud, anthropologue
????Maria Manca,??ethnologue、????Gilles Manceron, historien
????Thierry Marembert, avocat、????Etienne Mathieu, galeriste
????Pierre Mathiot, politiste、????Henri van Melle ? Producteur
????Marie-Christine Marinval, Archéologue、????Philippe Marinval, archéologue
????Frédéric Martel, sociologue、????Fabrice Melquiot, écrivain
????François Michon, économiste、????Françoise Michel-Jones, anthropologue,
????Vincent Millot, historien、????Philippe Minard, historien
????Jean Marie Monnier, économiste、????Jean-Claude Monod, philosophe
????Sylvie Morel, sociologue、????Joseph Morsel, historien
????Rémy Mosseri, physicien、????Claude Murcia, littérature comparée
????Emilia Ndiaye, littérature、????Syoum Negassi, économiste
????Carole Nenny, enseignante、????Véronique.Nenny, enseignante
????Florent Noël, Sciences de Gestion,、????Gérard Noiriel, historien
????Nicolas Offenstadt, historien、????Pascal Ory, historien
????Geneviéve Paicheler, sociologue、????Bruno Palier, politiste
????Yolaine Parisot, littérature、????Remy Pech, historien
????Thierry Pech, éditeur、????Jean-Luc Pelouard, physicien
????Henry Pena-Ruiz, philosophe、????Martyne Perrot, anthropologue
????Benoist Pierre, historien、????Claire Pignol, économiste
????Crystel Pinçonnat, littérature comparée
????Bertrand Porot, Maître de conférences en musicologie
????Anne Quesemand et Laurent Berman, directeurs de théâtre
????Jean-Pierre Raison, géographe、????Eloi Recoing, metteur en scène
????Philippe Rigaut, sociologue、????Régine Robin, historienne
????Thomas Piketty, économiste、????Christine Planté, littérature
????Romain Preston, web-designer、????Eloi Recoing, metteur en scène
????Frédéric Régent, historien、????Hadi Rizk, Professeur de philosophie
????Frédéric Rolin, droit public、????Matthieu Romagny, mathématicien
????Diane Roman, Droit public、????Guy Rosa, professeur de Littérature
????Frédéric Rousseau, historien、????Henry Rousso, historien
????Hélène Ruiz Fabri, droit comparé、????Philippe Rygiel, historien
????Jean-Pierre Sarrazac, etudes théâtrales、????Maurice Sartre, historien
????Patrick Savidan, philosophe、????Frédéric Sawicki, politiste
????Pierre Serna, historien、????Claude Servan-Schreiber, écrivaine
????Johanna Siméant, politiste、????Rémi Skoutelsky, historien
????Serge Slama, droit public、????Grégoire Solotareff, écrivain
????Jean-Fabien Spitz, philosophe、????Jacques Steidl, professeur agrégé de mathématiques、????Benjamin Stora, historien、????Alain Swietlik, Musicologue
????Michelle Talandier, journaliste、????Sophie Thouvenin, professeur de lettres modernes、????Béatrice Touchelay, historienne、????Olivier Tric, architecte
????Pierre Tournier, démographe、????Michel Tubiana, avocat
????Annie Urbanik-Rizk, professeur de Lettres、????Daniel Urrutiaguer, études théâtrales、????Boris Valentin, archéologue、????Stéphanie Vasseur, actrice
????Antoine Vauchez, politiste、????Fiammetta Venner, politiste
????Françoise Vergès, politiste、????Pierre Vesperini, éditeur
????Daniel Vignaud, Physicien、????Delphine Volange, artiste
????Marie-Christine Volovitch-Tavares, historienne、????Paul Voisin, physicien
????Loïc Wacquant, sociologue、????Juliette Warlop, journaliste
????Patrick Weil, historien、????Dominique Wolton, Communication politique
????Denis Woronoff, historien
さっきの続き
次に、経済・財界人の声明。
Un appel du monde de l'entreprise pour Royal
ル・モンドです。 これは、サルの批判ではなく、セゴがネオリベとして有効だという主張です。DSK路線に近いかも。ソシアルらしいソシアルはファビウスですけど。
私はたとえばセゴがすべてのフランスの家庭に三色旗ガあるべきで、共和国の祝日に門の前に出せとか言うのに到底共感できません。でもサルコの嘘八百や暴走ぶりに比べたら、全然質が違いますが。「生まれつき」を強調するサルコは、人は生まれつきの部分、男だったり、女だったり、肌の色が違ったり、で、共同体を作るというコミュノタリズムまっしぐらの意見で、教育や理念でユニヴァーサルな公民を作りうるというフランスユニヴァーサリズムと真っ向に対立してるんです。
企業人の声明のほうは、なんだか、平凡なネオリベ左派の話なんで、訳しません。でもこういうセゴの支持はこういう見方を取り込まなければ過半数を取れませんから必要でしょう。
Nous, salariés du secteur privé et du secteur public, entrepreneurs, professionnels de santé, enseignants, chercheurs, appelons tous les citoyens français à saisir l’occasion unique qui nous est donnée de choisir une voie nouvelle associant les aspirations et les talents de tous ceux qui souhaitent que la France change sans pourtant renoncer à ses traditions et à son génie propre.
Aujourd’hui, nous sommes enfin une majorité dans ce pays à souhaiter un changement et des réformes profondes permettant de tirer parti des nouvelles réalités du monde moderne au lieu de les subir.
Nous sommes enfin une majorité à penser que la France est capable, comme plusieurs de ses grands voisins européens, d’adapter son modèle économique et social et son économie pour devenir plus performante sans faire porter aux salariés les moins qualifiés le poids de cet ajustement.
Nous sommes enfin une majorité à vouloir que ces changements soient fondés sur l’accord, négociés avec les partenaires sociaux, soumis à la délibération publique, mis en œuvre par des échelons territoriaux réorganisés.
Nous sommes enfin une majorité pour mettre en œuvre une mondialisation socialement équitable et profitable pour tous et pour faire de l’Europe l’instrument d’un monde juste, pacifique et écologiquement durable.
Nous sommes enfin une majorité à vouloir que le pays noue avec ses entreprises un nouveau pacte, fondé sur la responsabilité sociale, l’innovation, la qualité de l’emploi.
Nous sommes enfin une majorité à vouloir un Etat impartial, solvable, maîtrisant la dette et l’équilibre des finances publiques, soucieux d’une dépense publique utile et efficace.
Aujourd’hui, nous avons enfin la possibilité de moderniser en profondeur la démocratie, d’inventer une social-démocratie à la française et d’avancer ainsi d’un cran vers une Europe capable d’affirmer son identité et ses valeurs fondatrices.
Aujourd’hui nous sommes une majorité à croire que la puissance publique doit être à la fois protectrice et active, forte et efficace.
Apporter nos suffrages à Ségolène Royal le 6 mai prochain, c’est faire le choix :
- d’une réforme profonde, sereine, délibérée et équilibrée de notre modèle économique et social ;
- de la priorité donnée à l’investissement dans l’éducation, l’innovation et la qualification ;
- d'un effort décisif et nouveau en direction des entrepreneurs et des PME
- d’une rénovation profonde de nos institutions politiques et de notre usage des fonds publics ;
- d’une approche qui concilie croissance et développement durable.
Apporter nos suffrages à Ségolène Royal le 6 mai prochain, c’est faire le choix de la modernité, du changement et de l’avenir.
Les premiers signataires
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セゴとサルコの対決の後
水曜日、セゴとサルコのTV討論があり、大統領選はついに後2日後に迫りました。『考えるタネ』にフランスのソシアルのことをUPしときました。水曜の討論は2000万人が視聴したそうで、カフェや学校の教室に集まって見る人もいて。ワールドカップの決勝戦の中継みたいだったそうです。中学校では、家族そろってこの番組を見た生徒が90%以上ということなので、教師が教室で特別に取り上げるところも多かったようです。リセはもちろん。でもセゴ派もサルコ派も、中学レベルでは、まさにサッカーティームの応援と同じで、生徒たちが衝突するような深刻さではないゲーム感覚だとか。
そう、それを私は考えます。日本もそうですが、ヨーロッパという特権的な島の中で守られている今のフランスにとって、左翼がどんなにサルコを悪魔扱いしたところで、イスラエルやパレスチナやイラクやイランやスーダンなど、その他、内戦や原理主義や戦争、テロ、ルサンチマンの支配する地球上の主義や多くの国での支配者交代のような重大なことは起こりえない。サルコがたとえ54%で大統領になっても、彼を批判する48%の言論や活動が弾圧されることはあり得ないし、今までの右派の大統領たちのように、いったん権力を手に入れたら、サルコもひょっとして意外に無害になっていくかもしれません。6月の下院選で左派と中道左派が連立でマジョリティを取らないとも限らないし。
そういうことを考えると、今フランスのインテリ左翼たちが早々と絶望して、サルコになったら、もうフランスの終わりだとか、この国から逃げると言うのは、もっと危機的状況にある世界中の国に対して失礼だと思うんです。むしろ、アメリカイズムの波にいったん呑まれても、どうやってそこから立ち上がり、フランスの理念を死守していくのか、という執念を見せるべきだと思います。私の親しい友人たちの中には、サルコが大統領になったらUMPに正式に加盟しようといっている人までいます。つまり、UMPに潜行して内部からミスリーディングして破壊しようという作戦です。
フランスはフランス革命からずっと波風なく信念を持ってユニヴァーサリズムの理念を押し通したわけではない、それどころか、恐怖政治、ボナパルティスム、王政復古からペタン、アルジェリア戦争、いろいろな誘惑、過ち、狂気、運命に翻弄されてきました。然し、ユニヴァーサリズムの最良の部分の火種は必ず残って、それなしにはフランスの「偉大さ」はあり得ないとの自覚が最終的にはいつも軌道修正に向かわせました。
確かに、だからこそ、サルコのような強者富者の友人、メリトクラシーを掲げる男がまさかここまで駆け上がるとはインテリ左翼にとって「想定外」だったわけです。これは、アメリカもちょっと似ているのですが本来貧しい人の味方のはずの民主党が「都会のエリート」になって民衆から遊離して、地方の人が金持ちと癒着している共和党を支持してしまうように、フランスでもインテリ左翼のエリート臭が人々を遠ざける傾向につながったわけです。その意味では、セゴのポピュリズムとバイルーの田舎くささのコンビネーションは、これからしぶとく力をつける可能性はあります。
さて、水曜のセゴ対サルコの対戦ですが、NETでも全部見ることができるので、興味のある方は見てください。この分析で、おもしろかったのは、『政治のジェスチュエル』の著者による、100%ジェスチュエルから見た感想です。つまり話の内容でなく、そとに見える部分だけ。
彼によると、3対0でセゴの勝ちなんだそうです。いろいろありますが、たとえば、セゴは終始一貫サルコの目を見て話した、見るというより見据えてましたが。それに大してサルコは目を伏せるか司会者の方を見て話した、首が肩に埋まっていた、というのです。
私はこれはいいなあと思いました。TVをみてた人の半分以上はすでにどちらを応援するか決めている。この討論で決めようとしていた人の半分は、中味を聞いてない、雰囲気で判断するはず、それならジェスチュエルの見地でセゴの完勝というならセゴ票が増えるかなと・・
ところが、そうでもないようです。いくら中味を聞いてないといっても、フランス人ですからフランス語は分かります。中味を聞いてない人たちは、ジェエスチュエルだけでなく、ちょっとしたセリフは聞いてるんです。つまり、サルコが、「マダーム」と言って、持ち時間の超過の3分くらい、喜んでマダム・ロワイヤルに差し上げますよ、とか言ったせりふはキャッチしている。友人が、昨日の通勤電車の中で、若者たちが、「サルコジて、紳士だね、礼儀正しいね、優しいね」と話してるのを聞いたそうです。
このサルコ・セゴ対決では、サルコは守りに徹して「すぐ切れる、高圧的」という評を打ち消して、すでにリードしている差を守って逃げ切ろうとした、セゴの方は挑戦者の勢いを見せ、サルコを挑発しようとし、自分の強さをアピールした、というのが大方の見方でした。でも、前述のジェスチュエルの専門家の見立てでは、サルコがああいう態度(目を見ない、首をすくめる)をとったのは、相手が女性だったから、というんですね。サルコは女性が怖いのだと。確かに司会も男女二人でしたがサルコは男の方しか見てませんでした。
こんなこと言うと変だけど、奥さんを見て察するサルコの女性の好みからして、ひょっとして意識化でサルコはセゴが好きかも・・・対決に現れたセゴはとってもきれいでオーラがあって、魅力的だったので、美しさを抜きにして語れません。サルコのようなタイプは、「オバサン風」の女性を前にしたら、コンテキストによって、高圧的になるか、慈愛深くふるまってみせるかの気がします。でもセゴレーヌ・タイプの、「すべてを持って」いて、自信に満ちて「自由な女」と自称して、美しくしかも強い女の前ではコンプレックスを刺激されるか憧れを掻き立てられるか(それは表裏一体ですが)して、動揺するのかもしれません。
今朝のラジオでサルコが語るのを聞きましたが、それはもう自信に満ちて、立て板に水で、人権だ、ユニヴァーサリズムだ、と謳い、そこだけ聞いたら感動もののパフォーマンスでした。
私は、結構セゴが好きになってきてるし、かっこいいとも思えるので、迷ってる人には、国際イメージからしてセゴの方が絶対いいからそのためにだけでも是非セゴに投票をと勧めています。後はDSKとバイルーが何とかするからって。
では、内容的に討論のセゴに説得されたかというと、実はそうでもないです(サルコは問題外ですが)。特にセゴがお得意の分野、障害児童の就学について怒りながらサルコを攻撃したところ。セゴは社会党政府でこの件の直接の担当だったので、いかにもセゴが正しいと思えます。原子力発電の割合などの数字でセゴもサルコも間違ったとか、エラーの指摘や解説が翌日たくさんなされましたが(セゴが17%といったのが実は75%というのは私でも知ってましたけど)、障害児童の問題はだれも触れていませんでした。しかし、現政府が壊す前に障害児童の全就学が実現していたかのように話すのは完全な欺瞞です。この分野は私のこだわるとこなので、セゴのスタンドプレーには好感が持てませんでした。
今無神論について書いてるのでMichel Onfray のブログを定期的に読んでいるのですが、彼に白紙投票を決意させるほどのセゴ批判を読むと気持ちが萎えます。見ないようにしなくては。ここで白紙投票したら、それはサルコ支持につながるのに。誠実のあまりニヒリスト、アナルシストになる人も増えてます。NOのマイケル・トッドの分析はおもしろかった。
今はやや悲観的です。やはり、ノートルダムとかジャンヌダルクとかマリアンヌとか、女性シンボルを立ててるカトリック上がりの国では、男性支配者がそのシンボルの周りに群がるという構造を崩すのは難しいのでしょうか。メルケルはプロテスタントの牧師の娘。サッチャーもヒラリーもアングロサクソンだし・・・セゴが大統領になると、女性政治家のジェンダー・イメージを変えたり広げたりするいいチャンスなんですが・・
まだまだ先は長いですね
だいぶ、最近では大っぴらにサルコジ批判も出ているんですね。いっとき、妙にどこもかしこも沈黙していたので、その意味ではカナール・アンシェネのスッパ抜きは効いていると思います。所詮、連中なんてのは「動物」ですから、ジャーナリズムがスキャンダルを撃っていくことで、うまく調教していくことができるということでしょう。サルコジとセゴレーヌとでは、まだ、セゴレーヌの方がマシという感じがします。しかし、セゴレーヌも当初に比べたら、だいぶ、本来の左に戻ったというか、フランス的なソシアルに落ち着いてはきたと思います。仮に今回、サルコジが勝ったとしても、フランスの有権者的には、やりようによっては、わざとPSに勝たせて、敢えて「コアビタシオン」に持っていくことで、大統領の権限を削ぐことも可能ですね。今回、中道のバイルが19%の票を取ったこととも合わせて、下院選の結果を見ないと、はっきりと方向性は見えてこないですね。竹下さんの言うように、サルコジの「毒」を抜くために、仮に彼が当選した場合、有権者がコアビタシオンを選択することもできますからね。
平等主義のはき違え
マイケル・トッドの分析の中でおもしろかったことは、どうして、不平等主義があらわなサルコジが、平等主義の徹底しているフランスで支持を得ているのかという理由です。敷衍して解説してみます。
本来、フランスの平等主義は、一人一人が違うのは、個人であるからであって、ある共同体(民族や性別や、文化や宗教や肌の色や階層など)に属するからではないということです。それでいて、その個々の違いに注目するのではなく、共通したものに注目しよう、それは、人間だというところで、それがヒューマニズムとなり、自由や権利という共通の理念における平等を実現しようということです。それがフランスのユニヴァーサリズムなので、個々のプライヴェートな多様性は他者の自由と安全を侵さない限り、ノータッチです。
ところが、その平等主義をカリカチュアするというかはきちがえるというか、倒錯させると、みんな、フランス公民として均一になれという全体主義的平等主義になるわけです。フランスに住むのなら、今すぐここで、フランス語を話し、モスクでなく教会に行き、豚肉ソーセージを食べて、ワインを飲んで、フランス人らしく暮らせというような。
フランスが学校のように共和国の聖域であるライシテ空間では、イスラムスカーフ禁止とかいうのは、実際は誰でもどこかの共同体の一員として生まれてくるのですが、それが利害を異にするコミュノタリズムに陥らないように、そこに生きる未成年の子供に、共同体とは別の共和国原理で動く空間があることを教えるためです。学校外や、成人を拘束するものではありません。公務員などはもちろん別ですが。
それを批判する共同体優先主義者は、フランスはマイノリティの伝統を尊重しない全体主義的な国だとか言うわけです。実際、フランスでは、移民の子はすっかりフランス人になる傾向があります。シテの若者が騒ぐのは、ある意味、すごくフランス的メンタリティで、権利意識と平等意識とが浸透しきっているからともいえるのです。文化は継承するものだけではなく、獲得するものでもあり、土地とも結びついているのですから、移民の子供が、生まれたところ育ったところの文化に染まるのも当然だし健全だと言えるでしょう。
しかし、また、人には知らないものを敬遠したり、恐れたり、異分子を排除したりという本能みたいなものもあります。フランスの北東部から南部にかけては、マグレブ移民が多く、その地域の人には、外人嫌いも多い。それに、マイノリティがいる場所では、いつも、社会の不都合や不満や緊張をマイノリティの責任にしてしまうことで利益を得る人がマジョリティの中に必ずいます。それでますます差別意識が助長されます。それでも、フランスのような平等主義の人権重視の伝統の国では、それをなかなか公に口にすることは難しい。それをル・ペンが代弁してくれたので、飛びついた人もいるのですが、本当は居心地が悪く、良心の呵責がある。ところが、サルコジの言い方はやや違います。移民がフランスを愛するフランス人にならないから悪い、「平等=同じ」にならないのが悪い、「フランス共同体」に同化しないから悪い、と言ったのです。外国人差別主義者がこれに賛同するのは、彼らに刷り込まれている「平等主義」に(実ははきちがえですが)合致するわけです。だから、ル・ペンに賛同する時のような後ろめたさがない。ちゃんとフランス人になって、おとなしくしていないクズは大掃除で一掃してしまえ、と、外国人排斥の欲望を満足させられるわけですね。
難しいです。
前の記事にミスが散見されました。大体分かると思いますが、意識化とあるのは意識下の間違い。「ルサンチマンの支配する地球上の主義や多くの国での」という場所で、「主義や」というのはノイズです。削除。すみません。
妙な世論調査機関
今しがた、共同電が最終の世論調査結果ということで、サルコジ55%、セゴレーヌ45%ということで報じていましたが、少し(というか、相当)変ですね。これは告示前からずうーっと思っていたんですが、一言でいうと、「サルコジ寄り」なんですよ。というのは、ルペンに対するものすごい高い数字の出方、シラクに対する支持率が出なかったりとか(わぜと調べなかったのか)、何て言うのか、サルコジに下駄を履かせた数字を「先出し」することで、有利な状況を無理に作ってるようにも勘繰りたくなるのです。世論調査も記者時代、さんざんやりましたが、サンプリング数、調査方法(対面か電話か)、質問設定の仕方で、全然、数字は変わってきますからね。日本でも各社の内閣支持率にもかなりバラつきが見られます。やはり、読売、産経は高い数字が出る傾向にあります。で、1回目の投票結果から積算する限りは、バイル票がセゴレーヌに流れれば、セゴレーヌが逆転しますからね。で、そのテレビ討論も、私はハイライトシーンしか見てないですが、むしろ、セゴレーヌがサルコジを追い込んでいるというふうに感じ取りました。かなりというか、相当、妙な感じがします。僅差の場合は、1万票でも大きいですから、まあ、シラクもそれくらいの個人票は持ってるでしょうから、26年前みたいに、ウラでこっそりとセゴレーヌに回してもらいましょう(笑)
北駅事件
サルコがメディアを牛耳って世論調査を操作していることはよく知られています。メディアのパトロンや、広告のスポンサーたちがサルコ側で友人ですから。フランス3のリール(伝統的に左翼が強い)支局(ここに親戚がいます)ガサルコを怒らせて担当のジャーナリストが解雇されたことも有名です。
この選挙戦では、セゴとサルコが世論調査で半々に並んだ時に北駅事件が起きました。無賃乗車の黒人がつかまり、その後、「暴動」に発展したというもので、この事件をきっかけに、選挙戦の争点が再び「セキュリティ」にシフトして、サルコ優勢となったのです。これはサルコが仕掛けたのではと言われています。
しかしこの事件は、サルコの強権的警察力導入に対する人々の反発の現われだったのです。それがメディア操作で、「暴動」の恐ろしさ、無賃乗車をするような触法者でおまけに黒人で、不法滞在者(後からそうでないことが判明)を支援して暴れる郊外(北駅はサンドニなどと直結していて、携帯で連絡しあった若者が暴動に加わったといわれている。それを防ぐために数時間北駅は交通を遮断されました)の若者たち、という構図を与えられました。
問題は、貧困、失業などの境遇にある人が仕事探しや面接に動く時の交通費が高い、それで無賃乗車、それをコントロールする、そこまではいいですが、そこで無賃乗車の人が移民風だったら、サルコジ以来、即警察が乗り出してくるということです。フランスでは教育や医療は「権利」なので、不法移民の子でも不法移民でも、就学できるし治療も受けられます。警察通報ということにはなりません。しかし電車に乗る権利は、曖昧です。(この北駅事件以来、求職者パスの発行が可能になったようです。)ともかく、無賃乗車を指摘された移民風の人のところに即警察が乗り込んで連行しようとしたりするシーンには多くの人が怒りを覚え、北駅事件はむしろ、警察力に対する市民の抗議といったものでした。多くの人が、「運賃をただにしろ」などと、声を合わせていたのです。駆けつけてきた若者たちも多くは連帯お祭ムードでした。ところがTV が写したのは、サルコジを差別的に罵るいかにも暴動風(?)の若者が主体です。こういうとき必ず現れて店を荒らしたりする少数の暴徒(?)(この時はスポーツシューズの店でした)の姿は繰り返して映されます。
ロンドンに住んでる私の娘はこの時たまたまフランスにいたのですが、ロンドンに戻る友人を送るため、北駅のユーロスターの乗り場にいました。その時、この事件が勃発して、夕方まで数時間北駅に閉じ込められました。ラジオでニュースを聞いていた私は「北駅で暴動=交通遮断」ということで少し心配しましたが、後から聞くと、現場にいた娘は、「よく分からなかったけれど、なんかお祭みたいで、連帯感があって、いい雰囲気だった」というのです。つまり「警察の横暴に対してフツウの人が連帯して怒っていた」という方があたっているわけです。しかし、警察力を使って挑発、メディアを使って「暴動」を演出、その後、不安をあおってル・ペン票を回収、というサルコの戦略は見事当たったわけです。なんか、今思うと、2005年のヨーロッパ憲法条約の国民投票世論調査、ずっと賛成派多数で、シラクも安心してたのに、ある時点から世論調査が反転し、メディアがいっせいに反論に傾き始めたあのわけの分からなさの背後にもサルコがいるような気がします。CPEはもちろんだし・・・
普通なら、サルコを含む現政権が5年も続いている今、フランス人が変化を望む確率のほうが高いはず。世論調査に惑わされない人も多いことを臨みます。
なるほど、やはり
うーむ、竹下さんの書き込みを見ていて、「なるほど、やはり」ですね。まあ、しかし、この選挙戦を通じて、サル君の「馬脚」が顕れてきましたから(笑)、仮にサル君が勝ったとしても、別に悲観することはないですね。いくらでも「毒を抜く」方法はありますので。でも、私はセゴレーヌが抜き返すと思いますけどね。ただ、仮に今回、「サルコジ勝利」という結果が出た場合、その「最大功労者」は間違いなく「バイル」でしょう。4月25日の会見の時点で彼が「セゴレーヌ支持」を明言していれば、流れは完全に引っくり返っていましたから。でも、いいじゃないですか、そのおかげで「超大接戦」となり、みんな盛りあがって楽しめたわけですから。あと、それと一つ、彼の政治路線も、例のCPE法案を労組や学生と組んで潰したことからもわかるように、ある種の信念みたいなものから出てきているのではないような気がします。むしろ、「シラクとの確執」にヒントがあるような気がします。噂で聞きましたが、サルコジはシラクの娘との結婚話があったといいますからね。ある意味、サルコジにしてみると、「内相」という、要は「どぶ浚い」をシラクに押し付けられて、ハンサムでENAを好成績で出たドビルパンばかり猫かわいがりするんで、それに対する「あてつけ」もあるような気がします。むしろ、サルコジはミッテランやシラクがそうだったように、二、三度、敗北して、そこから立ち上がった方が、人間として成熟し、いい政治家に成長するような気がします。というのは、彼に似ているシルベスタ・スターローンの最新作「ロッキー・ザ・ファイナル」があまりにいい映画だったので、たまたまの偶然の一致ですが、それとの感動とも合わせて、そう思いました。
「攘夷」を煽るサルコジ
そのエマニュエル・トッドの分析も踏まえつつ、私はむしろ、UMPという与党の党首が、敢えてジャーナリステックなわかりやすい物言いをすれば、ソフトに「攘夷」を唱えたことの意味は大きいと思います。まあ、ルペンなら「所詮はFNの言ってること」と鼻つまみ的に見ていたのが、与党の党首で、治安対策の最高責任者の内相もやっている人間が、そうした路線を公然と主張した意味は(彼のメディア支配と合わせて)、大きいと思います。そうしたサルコジの姿勢を批判する声が、遅まきながら、「やっと」出てきたこと自体は、評価すべきなのでしょうが、何でもっと早くに、せめて、ドビルパンのCPE法案が流産した時点から、竹下さんも含めて、そうした「知識人=言論人」と呼ばれる人たちが、もっと声を大きく言い続けなかったのか、それを思います。セゴレーヌもつい最近までは、サルコジと主張がほとんど変わらなかったじゃないですか。この春先、バイルが「左傾化」して、支持率を上げてきてからでしょう。特に、この1年ほど、私が竹下さんを見て思ってきたのは、「この人は言論人なのか、それとも小市民なのか」ということでした。そんなことを言ってしまったら、とりわけ日本などは、「言論人の仮面を被った小市民」の巣窟ですが、そういう「権力の走狗」ともいうべき存在が、いかにこの私たちの生きる社会の将来を誤った方向に導いてきたか、そのことに思いが至るのです。私は最後の一人になっても言うべきことはいい、筋は通すという覚悟を決めてこの仕事を常にやっています。しかし、その姿勢を教えてくれたのは「フランス」でした。それは、ルソーであり、サンドであり、ゾラであり、ドゴールであり、マルローであり、ジャン・ムーランでした。今日の大統領選がどういう結果になるか、楽しみですね。
ちょっと違うような・・・
執筆予定が遅れてるんで、いちいち反応するのはやめようかとも思ったんですが、前からちょっと言ってますが、サルコジ批判の声は今「やっと」出てきたんじゃなくて、ずっと出てるんですよ。日本に伝わらないとしたら、まさにサルコ支配下のメディア、またはアングロサクソンのフィルターを通してしか日本に情報が入ってないんじゃないですか? むしろ、サルコへの憎悪や嫌悪の声は下品なくらいで、その点については常々気の毒に思ってたくらいです。それと私はシラクにも(イラク問題は別として)前々から批判があるので、シラク好きらしい古川さんとはこの件で距離を置こうとしてたんです。ドゴールだって、ルソーだって、諸手を上げて尊敬とか全然してません。(むしろヴォルテールとかディドロ派です。)
小市民か言論人かは、どうでもいいです。「自分は何々である」という形のアイデンティティの立て方はしないんで。考えるタネの殉教者のとこに書いたことがありますが、私だけで、「踏み絵を踏め、踏まなきゃ磔だ」、なんて言われたら、迷わず踏みます。生き延びて、こっそりと信教の自由についての文を書くかもしれません。でも、もし私が殉教することを期待して先に磔されている人がいたり、私が踏み絵を踏むことで大ショックを受ける人たちが後に続いているという状況だとしたら、あきらめて殺されます。痛いのとか怖いのは避けたいけど、自分の言論責任とか、自分に寄せられる期待の前には、私も最後の一人になっても筋は通しますよ。いや、私を信頼する最後の一人が残る限りは、という事です。私が最後の一人で、敵とサシという状態なら、さっき言ったようにとりあえず、怖いのを回避して転向したふりをして時宜を待つでしょう。
フランス型の革命とか対決というのは個人的には苦手なんです。イギリスの左翼って、基本的に革命はしないで改革型ですね。そのためにロビーが発達したわけです。いわゆるフェビエン主義ですね。(そんなとこは衝突を避ける根回し型日本とアングロサクソンは似てるんでしょうか。)まあ、フランスでは移民の若者にも、権力との対決・衝突・革命型の行動規範がしみわたってて、「暴動」型になるのかも。
まあ、実際は、セゴとサルコ、どちらが勝っても、反対派が収容所に入れられるわけではないし、コアビタシオンのチャンスもあるんですから、そう激しく反応しなくてもいいかなとは思っています。それにこの段階ではもちろんセゴ側にもデマゴギーはいっぱいあって、そういう権力闘争そのものが私は嫌いなんです。まあ、この件に関しては今後、別の切り口で分析していこうと思っているので、長い目で見てください。ユニヴァーサリズムをはじめとする原則は変わらないんで。第一、もし二人の公約が守られると仮定したら、「小市民」的には今の私の状況ではもちろんサルコの方が助かります。相続税の撤廃、所得税の減額、うちの場合の年金計算の有利・・・セゴなら月収4000ユーロ以上の家庭の増税、海外駐在員への課税、など、困ることが多いんです。だから目先の損得を考えたらサルコですよ。(別に公約が守られると思ってないですが。)とにかく、個々の公約への個人的損得よりも、フランスのソシアル理念を優先してるわけです。とりあえず、明日の結果を見ましょう、そしてこの後、フランスのソシアルの理念がどこまで、そしてどのように、抵抗力や復元力を見せてくれるのかを見ていきましょう。
なるほど…
それは、一つに、現地との温度差もあるかもしれませんね。しかし、昨年の前半ぐらいは今よりもずっと、サルコジに対するタブーは強く存在していたと思います。「踏み絵」とは、なかなかうまい表現ですね(笑)。自分はそういう意識はまったくなかったのですが、「受け止める側」にとっては、そのように受け止められてしまうことも(たぶん、往々にして)あるのでしょうね。そこに、コミュニケーションの難しさと重要性を痛感します。ただ、竹下さんの大統領選に関わる「ソシアルとカトリック」の文章を読むと、やはり、竹下さんは精神の深いところで「カトリックの人」なんだなあという思いを強くしてます。民族とか、国籍とか、性別以前に、人間ひとりひとりに違いがあるとするなら、アタリマエのことですが、「同じ人間は一人としていない」ということなんですね。ルソーがモンモランシーのシャトーに篭もって、「エミール」や「社会契約論」を書いていたときのように、外界との交流を遮断して、ひとり執筆に入っていて、また、ある種、こういう形で「他者」とふと交わると、いかに自分という存在が、娑婆世界からいかに孤絶していたかを再認識します。人それぞれに立場というものがあり、自分のありよう(=生き方)が絶対だと思い込んでしまって、それを他者に強要してしまっている(より正確には、自分が無意識のうちに、つい、強要してしまっている)ことに、ハタと気づきます。どうも、申し訳ありませんでした。
カトリック
フランスのカトリック(司教会議)がフランスの政策についてどう見てるかというのを発表してますが、左派に取り入れられる要素と右派に取り入れられるのとはっきり二つあります。まず、ソシアルの点ではほとんど極左。トロツキストともいえるインタナショナル主義。ユニヴァーサリズムですから本来、国境とか外国人とか移民とかの区別も差別もありません。徹底して弱者の側につきます。まあ、普通の国の経営はそれでは成り立ちませんが、弱肉強食のグローバリズムの席巻するこの世界では、「弱者救済のグローバリズム」でごり押しする勢力があるのは歯止めとして貴重だと思うんで、原則としてはハートです。
右派に取り込まれる部分は、結婚や家庭の重要性、中絶禁止や安楽死禁止のところ。これは、彼らとしてはロジックですよね。胎児とか、死に行く人とかは弱者の最たるもので、カトはそれを守ろうとする。生きているということ自体が尊厳であり、それを可能な限りまっとうさせるという話です。結婚や家庭の尊重も、未成年の保護という見地からは納得できます。これに関する私の立場は、個人的には、反対です。特に胎児は、独立した命ではなく母親と一体化してるので、女性の選択が優先されると思っています。未成年の保護も、結婚や伝統的家庭にだけ閉じ込めるのではなく、広げればいいと思っているので。ただし、たとえば意に沿わない妊娠を簡単に中絶できる人は、恵まれた国の恵まれた立場の女性だとも言えるので、たとえば、中絶が不可能で生まざるを得なかった人、中絶しろという周りの圧力に屈さずひとりで責任を持って生むことを選んだ人、などなどの人にとっては、誰になんと言われようと、中絶はだめで生むのが正しいと言ってくれるカト教会の存在は助けになると思うのです。なんにつけて、「対抗勢力」がしっかりしてるのは、選択肢も増え、マイノリティにとって力にもなり得るのですから、カトの人が、教皇の祝福を受けて中絶するようになったら世も末です。大体、カトで中絶する人にとっては、少なくともフランスのような国では、教皇の反対など、はなから気にしてません。逆に辛い妊娠と出産をすることになったカト信者にとっては、自分とその子が祝福されていると感じることは支えになるでしょう。そんなわけで、フランスのカトについては、彼らが彼らの姿勢を貫くことは異論がないばかりか、結構なことだと思いますし、カトに対抗するフランスのライシテ・ソシアルを裏側から保証していると思っているわけです。
今日の投票、白紙投票しようかと迷ってる人たちに、どうせサルコが優勢なんだから、その差を縮めることが民主主義の機能にとって大事、サルコが大差で勝たないということが、彼の暴走の歯止めになるんだからと、セゴ支持を説得しました。2002年、相手がル・ペンだったから仕方ないとはいえ、シラクが討論も拒否して、82%で再選されたこと、あれは「不健康」でしたからね。
正午の投票率34・11%
ネットの速報ですが、6日正午時点の投票率(本土)は34・11%で、第1回の31・21%を上回り、「シラク対ルペン」となった前回の26・2%は全然、上回っていますね。これは第1回を上回りそうですね。下手をしたら85%に行きますか。しかし、これは蓋を開けて見るまではわからないと思います。死命を制すのは、やはりバイル票の行方ですね。本来であれば、今回は大半がセゴレーヌに流れるはずですが、サルコジがどれだけ食ったか。現地の空気がわからないんですが、いずれにしても僅差になるような気がします。間もなく結果が出てきますが。
明日から・・・
今、こっちの夜、11時前です。仕事しようと思ってたのに、ついずっとTVを見てました。選挙に敗北したセゴが最初のディスクールをえらくにこにこして、下院選に向けてはっぱをかけてました。サルコの最初のディスクールは、優等生もので、この国ではいったん大統領に選出されたら誰でもド・ゴールになりきる、という伝統が継承されてました。クシュネールもいい演説だったといってましたね。特に国際関係です。
投票率の高さも確かに一回目を上まったようです。ですからセゴのほうも、47%でも実質スコアはかなり高いので、まあ対抗勢力としては存在感を持ち続けるでしょう。バスチーユで反サルコ派が警察と衝突というニュースはいただけません。コンコルドでは野外大コンサートが開かれて、お祭りムードです。この投票率、このお祭り騒ぎ、フランス的だなあと思います。アングロサクソン国はもちろんサルコ歓迎ムードだし、シラクもこれでさぞやほっとしたことでしょう。私も明日から勤労を推奨するサルコに従って(?)、心を入れ替えて仕事しなくては・・・
ミシェル・アリヨ=マリーはここんとこセゴへのセクシスト的批判を受け持ってたんで、不愉快です。彼女が論功行賞で首相とかになりませんように。ボルローなら我慢できますが。
結果が出ましたね
53対47というスコアは、これはもう、サルコジがバイル票を切り崩したことに尽きますね。ざっとバイル票の半分はサルコジに流れた勘定になります。ただ、その「バイル票効果」の延長線上でいうと、セゴレーヌが本来のソシアルな「左」の路線を打ち出すのが遅過ぎましたね。最後のスタンスのままブレずに、最初から戦っていれば、全然、違う展開になっていたと思います。ただ、これで終わったというの早計で、下院選の結果次第では、別にUMPが過半数取れる保証はどこにもないのですから、あとまだ1カ月、政治的な空白が続きますね。で、結局、アリヨマリは、同姓ってことで、セゴレーヌ攻撃の急先鋒だったんですか。「いかにも」って感じでわかりやすいですね。
戦い済んで・・・
今朝のラジオでは、バイルー票は40%ずつセゴとサルコで残り20%が白票とか。きれいに分かれましたね。FNの半分はサルコへ。これまでFNの60%は右派に流れてたのが、変わり、81年にPS が PCを実質的に吸収したようにサルコはFNを無化したとある意味評価されてます。セゴがなんだか希望に満ちてやる気を見せていたのに、DSKはおかんむりで、オランドの責任も問われそうです。でもセゴはPS内の投票で、60%を得て候補者になったんです。少なくともファビウス型の左路線ではもう左派を動因できない、PS改革の合意ができないままでは下院選も難しいでしょう。
昨日の夜は、サルコの移動を50台のメディアのバイクが追いかけるという前代未聞の事態、TVの演出も、お祭の仕方もメディアティックで、スーパースターを意識したあおり方でした。芸能界のスーパースターたちも実際参加してたし・・ブッシュはご機嫌だそうです。ヨーロッパ勢もまあまあOK。日本の反応は伝わってませんでしたが。
反サルコジ暴動
反サルコジ暴動は思っている以上に深刻だと私は思います。こんなの「ありえない」ですよ。それはそうと、同じ深刻さでいうと、PS内部の路線対立はそんなに深刻なんですか。しかし、サルコジがあれだけ経済政策の面で「右」に舵を切っている以上、票を取るのであれば、ちゃんと「対立軸」を打ち出して、「ソシアル型」を堅持すべきでしょう。ただでさえ「格差是正・雇用確保」が問題になっているのですから。むしろ、政策の「微調整」のところで、ドビルパンがやろうとしていたCPEを「横取り」するぐらいのしたたかさが欲しいですけどね。今回はUMPを過半数割れに追い込めるまたとないチャンスなんですから、そんな路線対立に費やしているヒマはないですよ。PSはまさに攻め時じゃないですか。ミッテランのような策士はいないんですか。お人よしの「公家集団」だから、非ENAのサルコジにうまいように振り回されているんですよ。
アンチサルコ
「暴動」の件でオランドが声明出してましたね。落ち着け、意思表示は投票箱に、って感じで。でも、サルコが勝つと車が燃やされるからセゴに、って感じで煽ってたのは彼らですからね・・・85%の投票率での勝負だったんだから、ここはすぐにリスペクトを打ち出すべきで、サルコさえ優等生的発言してますからね。サルコは地中海クルーズだそうで、その船は、貸し出しだとしたら、一週間25万ユーロとかラジオで言ってました。(4000万円?) 今日は、5月8日の第2次大戦終戦記念日の祝日で、思えば1995年の5月8日は、やはり新大統領に選出されたばかりのシラクを最後の務めのミッテランがセレモニーに招いて、二人で一緒に出席したんです。右派と左派が仲良く・・今回は、サルコジはヴァカンスへ、フランスでは暴動、えらい違いです。PSの仲間割れは深刻ですよ、セゴが経済政策とかはっきりしなかったのは、PSの統一意見が出せなかったからで、オランドの責任もホンと、大きいです。でも今回、PCが壊滅状態だったように、従来型の左派はもう生き残れないんで、社会民主主義をきちっと押し出して、グローバリズムにも対抗できる内部改革をしないと。バイルーも、新党結成にUDFの半数は離反しそうで、前途多難です。サルコは早い時期に馬脚を現すと見る人もいます。もう少し観察しなくては。
なるほど!
私も「ひょっとしたら」と感じていたことが見えてきました。いやー、「なるほど!」ということで、あまりにも見事なくらいに話が繋がっていきます。私は見たんで、もう削除してもOKです(笑)。私がブンヤ(=ジャーナリスト)として、「獲物」として敏感に嗅覚が働いていたところとも繋がってますね。ものすごいタイミングだったのは、ちょうど同じ頃、エリザベス女王がアメリカをそれこそン十年ぶりに訪問してたじゃないですか。妙に胡散臭いと思ってましたんで。ただ、今度の大統領選については、もたらされた「負け」という「結果」は大きいですね。でも、1回目の投票直後でバイルが「セゴレーヌ支持」を完全に打ち出し、UDFの党議拘束をかけて組織を締めていたら「2、3位連合」で引っくり返せていましたよ。むしろ、私は同じスコアでセゴレーヌが勝っていたと思います。1回目のサルコジの得票率31%も確かに高かったですが、うち、5%は極右のFNの票を食ってるわけですから、元々の得票数ではセゴレーヌとどっこいどっこいだったんですよ。今となってはせんのないことですが、何で、あの場面でバイルが「自主投票」などという中途半端な指示を出したのか、そこがすべてですよ。私はバイルに期待し、強く支持していた分、あの瞬間における「日和見」の態度決定に、私は憤りすら覚えますね。ま、「勝てば官軍」でしょう。サルコジに関して一つだけ付け加えておきますと、私がすごくヘンだなあと思うのは、あの「目」なんですよ。「目は口ほどにモノを言う」と言いますからね。まあ、路線闘争もありますが、最後は「人」ですよ。泥をかぶって、危険に突っ込んでいく人物がトップに立って、党員、さらには大衆を引きつけていかないと、ですよ。だって、「ソシアル」の路線が今後も必要なのは、わかり切っているじゃないですか。むしろ、セゴレーヌにPS、そして他の左派勢力はよく頑張ったと思いますよ。しかし、相当、2回目で、UDFの組織票が切り崩されましたね。それも含めて、バイルは「お人よし」過ぎますよ。「政治」なんですから、「小異を残して大同につく」ことが、いかに大事かは、フランス人が過去の歴史でいちばんよく知ってるんじゃなかったんですかね(特に、ドゴールと共産党が手を組んだレジスタンスなど)。まあ、これで終わったわけじゃないですし、気持ちを入れ替えて、「次」に取り組まないとだと思いますね。
「ソシアル」の再構築
竹下さんが幾度となく、「ソシアル」についても書いていますが、あのサルコジが大統領になったがゆえに、もう少し自分なりに「ソシアル」というものついて考えています。竹下さんは「ソシアル」をカトリックというところからすくい取っていますが、私はルソーを引っ張り出しながら、いろいろといじくり回しています。そもそも、「資本主義」の本質が「格差」を生み出す以上、それを是正する装置は、絶対に必要だと思います。結局、政治の側面から見ると、「私有財産」を否定したソ連型のマルクス・レーニン主義が破綻した以上、いかに政治の力によって、その不平等な「私有財産の格差」を是正していくかであって、要はどうやってカネのあるところから、税金をふんだぐって、それを必要なところに回すかに尽きると思うんですよ。ただ、日本の場合、フランスと比べて悲観的な要素は、やはり、「少子化=出生率の低下」だと思います。人間のアタマ数が少ないと、それだけ生産量が減り、そこから税収の低下になりますから。そういうところも含めて、もう少しフランス型モデルを検討する必要はあると思っています。それはともかく、サルコジはそう遠からず馬脚を顕すような気がします。フランスのソシアルは、たぶん、思っている以上に草の根の部分で強固ですよ。シャッポが、あれだけ軽い「ニコラ・ナポレオン10世」に変わったところで、国民全体は引っくり返らないですよ。
ソシエタルなど
うーん、私も近頃、プラグマティックなソシアルの可能性について考えてます。フランスではソシエタル運動とか、ソシエタリズムというのがここ数年、聞こえてくるんですが、http://forum.societal.org/
(たとえばこういうの)
これの背景って、どういうもんでしょうね。エコ・ソシアルというかヒューマン・ソシアルというか、ユニヴァーサル・ソシアルを目指してるみたいなんですが、ちょっと調べ中です。何がうしろにあるのか? 市民運動の一種? 日本語のソシエタルを検索すると、ソシエタル・パラダイムとかソシエタル・マーケッティングしか出てませんでした。ご存知なら教えてください。
サルコが外務大臣にクシュネールを任命しました。PSとUDFから大臣を選んだのは、もちろん内政と直接関係ないポストだからできたわけで、しかも、これによって、下院選のPSとUDFの気をそぐという作戦なんですが、クシュネールって、国境なき医師団がノーベル平和賞とったりして、国民的人気なんでサルコらしい選択なんですが、2003年のイラク派兵を支持した数少ない知識人政治家の一人なんですよね。それを思うと、暗澹とします。個人的には、エマウスでアベ・ピエールの後継者だったマルタン・イルシュが、大統領直属の貧困対策アクティヴ連帯担当官(なんて訳すのか分かりませんが)を引き受けたことが、ショックです。でも彼は、もともと、最低収入手当てを支給されている人がたとえばパートで働き口を見つけたら、支給が打ち切られて、より生活難に陥るので失業したままでいる方を選ぶ、という今の悪循環を断つために、ミニマム・ソシアルという生活支援の手当てを補完し続けるという法案を準備してる人なのです。ここでサルコの招きを断ったら、これから政府批判をしても「では政府に加わればよかったのに」と言われるだろうから、敢えてOKしたと、今日のル・モンドで語っていました。この人はすごいエリートなんですが、頭でっかちの理論家の左派ではなく、実際にエマウスを率いていた現場の人ですから、働こうとしても働けないで公的手当てに頼ってしまう人たちの実態を知っているので、新しい道が開けるかもしれないとは思います。日本のように、自立支援という名目でひたすら援助を打ち切るのでなく、少しでも働けば必ず生活が上向くように援助しようというのですから、より健全で、プラグマティックなソシアルとも言えますね。
新潮45の7月号にサルコについて書くことにしたので、心理的にはちょっと距離を置けるようになりました。
サルコがまだ我慢できると思える時があります。それは、ポーランドの話を見たり聞いたりするときです。偏見で言うわけではありませんが、一卵性双生児が大統領と首相なんて、異常だと思いませんか? 悪夢です。変な話、サルコが双生児で、まったく同じ姿のサルコが首相だったとしたら・・・なんかフランスじじゃ、ありえない展開じゃないですか。しかもこの二人、そろって、ナショナリズムを打ち出して、加入して2年のEUをかき回してるんですよ。死刑廃止復活を唱えたり、ロシアとのパートナーシップに拒否権を行使したり、ベルリンの日刊紙が二人をジャガイモだと書いたら怒ってメルケルとの会見をキャンセルしたり、シラクにも背を向けて、フランスに大使すらおいてないんですよ、世界の20カ国くらいの大使の席が空席になってて、そのうち5カ国はEU圏の国。なんか内政にしか目が行ってなくて、外交なんか無視って感じです。EUが単なる国同士の利害の調整の場でなくてある理念のもとに「連帯」しようとしている場であるという認識が全然ないんです。
国として、ソ連やドイツにいろいろルサンチマンがあるのは分かりますが、あまりにも成熟してなさ過ぎ。そこに、こわもてのジャガイモの一卵性双生児ですよ。怖いです。日本で言えばあまりぴんとこないですけど、安部さんの双生児の弟が自民党の幹事長とかでいつもツーショットとか・・想像するだけで嫌でしょ。ポーランドのあの二人の写真を見るたびに、事実は小説より奇なりとか思ってしまうのは私だけでしょうか?
ともかく、あの二人のおかげで、サルコの写真がいたるところに見られる最近のフランスで、「ポーランドよりまし」「同じ顔の第二サルコが首相よりまし」とか慰められるこの頃です。
ルソーのことなど。
古川さんのブログを読んでひとこと。(コメント欄がないんで。しかもPC変えて以来メール・アドレス消えて直接書けないんでそのうちメールください)
大統領に選出されたら党首はやめるんですよ。それが習慣なのか、第五共和制憲法に明記されてるのかはチェックしてませんが、少なくとも慣例です。今回の特徴は、党首を辞めたのに、サルコの永久欠番みたいに、新しい党首は選ばずに、書記長をトップに残しただけで、UMPはコレジアル、つまり、合議制に変わったんです。と言っても、要するにサルコの御用党として使いやすいようにしてるわけです。大統領が変わるときに首相も事実上オートマチックに解任されるのも慣例です。シラクの不出馬宣言が遅かったんでヴィルパンは動けなかったんですが、彼は結局地盤のない一匹狼だったので、どうせアウトだったでしょう。サルコもテロワールという意味では地盤がなかったんですね。フランスは農業国だから、大統領にはそれなりにジェントルマン・ファーマー的なイメージが期待されてて、それにはバイルーなんかぴったりだったんですが、結局サルコの、メディアを使ったセレブとしてのブランドつくりが勝ったんですね。
後、ルソーは、個人的にはかなり嫌いです。天才だったことは認めますが、出自や経歴からくるルサンチマンがひどいし、私生児を5人も次々作って捨てたり、カルヴァン派の色濃いのにカトリックに改宗してまたカルヴァン派に戻ったり、宗教的にも、音楽的にも社交的にもコンプレックスが大きすぎて、エミールなんかぜんぜん素直に読めません。まあ、私には、ラモーのユニヴェルサリスムを否定して産業音楽路線を擁護したルソーの確信犯的なやり方が一番気に障るのですが。後、自然状態の人間の性善説は、啓蒙時代特有の理神論の流れであり、その意味で、「西洋近代」は「神の前の平等」から「金の前の平等」に移行した駄洒落じゃなく、パセティックな、しかし、それがその後の全世界の流れを作った強力で決定的なことであったことに、改めて茫然とします。今キリスト教無神論の系譜をまとめているんで、その光に照らせばかなり陰影が出てきます。そして、今のアメリカとか見てると、神と金をどう折り合いをつけたり、一方が一方をいかに取り込むとかいう問題は、まったくアクチュアリティだと思います。
昨日行きつけの大手書店にいったんですが、時事問題のコーナーに、サルコやセゴについての本が大量に山積みされてました。政策や政治の争点についてもいろいろ、時節柄多くの人が集まってました。しかしその中で目に付いたのは、中央にたてかけてあったペーパーバックです。これがなんと、プルタルコスの『良く統治するための政治家への提言集』なんですよ。なんか、すごくフランス的な渋い発想です。思わず、買っちゃいました。巻末には『教育のないリーダーに』というのもついてます。チラッと読みましたが、一世紀のギリシャ人、ぜんぜん古くない、すごいです。西洋近代はキリスト教の換骨奪胎というアスペクトがあるので、それを考えながら分析しなければなりませんが、キリスト教以前の政治論を読むとユダヤ=キリスト教文化とローマ=ギリシャ文化の重なり具合がよく分かってきます。
昔も今も変わらぬナショナリスティックなディスクール『私は自分の子供を愛している、でも祖国はもっと愛している』(だから祖国を守るためには子供を兵士として差し出せとかいう帰結になるわけです)というのを引用したプルタルコスは、それは本当は次のように言うのが自然であると書きます。『私は、誰それを憎んでいる、誰それに悪をもたらしたい。しかし、私は祖国をもっと愛している』というんです。
自分の(愛する)同胞を犠牲にしなければならないような事態が発生するならば敵とだって和解する、それに同意しないことは残酷さと恐ろしい暴挙である、ということです。
さらに、よき統治者は、国内の政治的対立には憎悪を持ち込まず、たった一人の公民も「敵」と見なさず、しかし公的利益を犠牲にしないためには、妥協なき議論を徹底的に尽くす。
政治家の言葉使いは芸能的であってはならない、というのもありますね。プルタルコスって、英雄列伝で有名ですが、デルフォイの神殿の司祭でもあったそうです。
日本なら何となく武士道とか持ち出されそうですが、たかが近世の戦士階級のモラルですから、むしろ四書五経を持ち出すのに近いでしょうか。でも政治家にそういう自戒とか覚悟とか促すような雰囲気ないみたいですね。せいぜい自分のおじいちゃんを手本にしたりするんだから・・・
前回のソシエタルについても情報あればどなたでもご一報ください。
猫のソシアル
ソシアルについて猫のコーナーにもUPしました。
雑感
竹下さんが、それほどまでにルソーが嫌いであるとは、初めて知りました(笑)。しかし、このテのキャラは好き嫌いが激しいと思います。確かに、ルソーはちょっと(というか、かなり)極端ですからね。ただ、つい最近、久しぶりにアメリカを訪れ、いろいろと考えるものがありました。孫子の「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」ではないですが、こういう商売は「食わず嫌い」は禁物ですよ。毒は毒として一度、体内に取り込めば、それで免疫になりますからね。ワクチンの予防注射と同じです。アメリカで思ったことは、街中にリムジンが多いことでした。アレが犬のダックスフントなら可愛いですが、クルマとなると、フォルムとしては全然、美しくない。フランス人の美的センスとは合致しないと思います。当選翌日に、そんなクルマにサルコジが乗って、パパラッチに追い掛け回させていたセンスこそ、おそらく、私ではなく、竹下さんがシニカルに切り込むテリトリーでしょう。『月刊現代』の7月号がサルコジのレポートを載せています。筆者は吉田徹とかいう北海道大学准教授で、東大総合文化研究科の博士過程の出のようで、年齢も75年生まれということですから、私より10歳も下です。私が常日頃、何となく感じていたことを、そこはガクシャらしくうまくリクツ付けて説明していました。竹下さんの今度の『新潮45』の「サルコジ論」、楽しみにしてます(笑)
ストックホルム症候群
サルコジの記事、もうそろそろゲラが送られてくる頃です。悪魔祓いのつもりでOKしたんですが、書いてるうちにちょっとストックホルム症候群になっちゃいましたよ。いくらなんでもシンパになったわけではないですが、いじりやすいキャラだなあ、と思い、実際、フランスの最良の部分から軽蔑されてるのってほとんど気の毒です。いかに彼がフランス的でないかについて書いたんですが、まともに書こうとしたら情報も入れて長くなるし・・・私としては、こんなにネットで何でも検索できる世の中ですから、検索して出てくるようなものはわざわざ書きたくないんですけど・・・私の書きたかったところを削らなくてもすむように祈ります。(私の書きたかったのは音楽演奏におけるフレンチエレガンスのたとえでした。この発想は多分オリジナルだと思います)
ルソー、別に食わず嫌いじゃないですよ。っていうか、日本人ってみんなルソーを尊敬してるじゃないですか。私もかってはその一人で、だんだんひどいやつだと判明しての反動です。音楽的にも、幼稚園で「むすんでひらいて」を習ったんで、ラモーに出会うよりルソーが15年も早かったんです。(涙)
アメリカのことなど
『現代』のサルコジの記事、送ってもらって読みました。サルコジののし上がり方とかが分かるのはいいですが、大分彼の伝記とか鵜呑みにしてますね。苦学生だったというのが粉飾であることは判明してますし、彼の名を冠した弁護士事務所が今も機能していて、兄の繊維会社の顧問を含め、弁護士事務所を通して築いた関係が今の基礎を作ったという部分が抜けてます。サルコのうまくやったところは、フランスではアメリカと違って弁護士がエリートキャリアでなかったというところですね。弁護士は大学ですから、敷居が低い。実際にも社会では弁護士より公証人の出番の方が多い、そんな中で、トランスナショナル企業を中心として、国際商業系弁護士の需要と重要性が増していったのに、社会的エリート性とのずれが大きくなったんですね。そのうち、伝統や名誉より金、グランゼコールより金、というプラグマティズムにエリートが気づいた時はもう遅かったんでしょう。今のサルコは、赤字対策は棚上げで、ポピュリズムの大盤振る舞いで、このままいくと財政破綻も近いでしょう。
今回はフランスじゃなくアメリカに行かれたんですね。今日はノルマンディ上陸記念日です。昨夜、マーシャルプランや、ヨーロッパ戦後復興ノドキュメンタリー番組をTVで見たんですが、戦後すぐ空、もちろんソ連の脅威があったからとはいえ、アメリカがいかに敗戦国の西ドイツに金と夢をばらまいた化というのに改めて驚かされます。食べるものと安全が保証されて始めて人は自由な選択ができる、ということで彼らは割り切ってたんですが、それはもちろん日本のことも連想させます。でも、その間もアメリカは国内では黒人差別をしてたんですから、やはり、日本への援助とドイツへの援助は心理的に違う気もします。イギリスやフランスにももちろんすごい金と物資をばら撒きました。その圧倒的な力で、ヨーロッパは少なくとも60年代終わりまではそのヨーロッパ的なメンタリティをどんどん失っていったんですね。ウィム・ワンダースがそれははじめ無意識の植民地化で、後は意識も植民地化された、なんていってました。ギリシャなんかに対しては、堂々と、援助するから干渉させろ、って言ってたんです。でもこのアメリカのなりふりかまわぬ一種の気前よさは、どこか、憎めないところもあります。
昨日の朝のラジオで、どうして400種もあるフランスのチーズの中でカマンベールだけがこんなに世界的に知られるのか、ロックフォールやブリではないのか?という話がありました。(カマンベールって、一日なんと200万個製造されているそうです。)そしたら、その始まりは、何年か忘れましたが1930年代だかに、あるアメリカ人がカマンベールのおかげで胃炎が治ったといって、ノルマンディーにやってきて、カマンベールの銅像(?)の建立(その後戦争で破壊されてまた立て直されたとか言ってました)を申し出たそうなんです。それやこれやでカマンベールが群を抜いて有名になったとか。
なんかこのメンタリティ、成金的腰の軽さなのかなのかわかりませんが、日本人とかフランス人なら考えられない痛快な無意味さです。マッカーサーの日本人の精神年齢12歳発言とかじゃないですが、無邪気なのは君らだろう、と言いたくなりますね。その気前のよさをいい方に使ってほしいです。
サルコジのヌイイ人脈
そうなんです。今、ユーロが非常に高いこともあって、安いドルの方のアメリカに行ってきたんですよ(笑)。それはともかく、「月刊現代」の文章はうまくまとめてあると思いますよ。ただ、「ネタ本」があるんでしょうね。私もパリに行ったら、少し「猿本」を買い漁って来ないとです。で、6月5日毎日朝刊が猿コジのメディア支配を書いていて、やっぱり、「ヌイイ人脈」なんですよね。このヌイイを嗅ぎ回ったら、ほんと、いろんな話がボロボロと出てくると思います。それとキーはやはり、セシリアでしょうね。どういう人間がサルコジに影響力を与えることになるのかは、大事だと思います。彼が大統領になって、やっと、少しは彼の「人となり」を判断できる材料が出てきましたが、それでも、まだ、「謎」が多いですね。私はサルコジを見て思うのは、「権謀術数」だけで、彼はいったい何を大統領としてやりたいのか、見えてこないんですよ。もし、本当に米英流の新自由主義路線を推進するんであれば、なぜ、CPEを労組と学生と組んで潰したのか。で、びっくりしたのは、「アングロサクソン寄り」と見られているにしては、英語がネックでグランゼコールを中退に追い込まれた点ですね。ここは私などはどうしても突っ込みたくなります。彼はフランスをどうしたいのか。それと、これまでの歴代大統領は「文化政策」に力を入れてきましたが、彼に果たしてそれがあるのか。5年後に、どういう結果を出るのか、見てみないですが、こういう大統領を選出させるに至った最大の要因は、「知的エスタブリッシュメント層の怯えと怠慢」であると、敢えて言っておきます。
今、どんな空気なのですか?
下院選の第1回投票が終わって、UMP圧勝の勢いということですが、ただ、得票率で見る限りでは、UMP39・54%に対し、PS24・73%と、獲得議席に大差が出ているのは、小選挙区制による影響が多いような気がしています。ただ、大統領選の第2回と同様、「選挙協力」をちゃんとやれば、もう少し野党も獲得議席は伸びますからね。新聞の外電面を読んでも、特派員のやる気がまったくなくなって、今の「フランスの空気」が記事から、全然、伝わってこないのですよ。今週号のアエラに「セゴレーヌ&オランドの仮面夫婦」ということで、ルモンドの記者が書いたセゴレーヌの暴露本が売れているとの記事が出ていました。PSは「左右の路線対立で、党内がまとまらない」と、表向きはそういうふうにリクツづけていますけど、そんなうわべだけの問題ではないような気がします。『運命の女』にはそうした内部のややこしい人間関係も書いているようですが、何度、踏み潰されても立ち上がるという覇気がないというのが、最大要因ではないですか。政治家のトップの条件は「不死身」のオーラを持っているということだと、私は思いますが。
うーん
またメディア操作でUMP圧勝ってもう最初から言ってますから、3週間前セゴレーヌに投票した若者が投げちゃって、棄権率47%でしたからね・・・しかも、PSの分裂はひどくなり、月曜、セゴレーヌが孤立しつつあるバイルーの共闘を求めて電話したそうなんですが、オランドが公の席で、そんな電話はするべきではなかったと批判。日曜夜のコメントもこれまでは第一書記だけがやる習慣だったのですが、オランドの後、セゴがコメントし、トップが二人というのはよくないとか、カップルに党を私物化されてるとか、批判が飛び交い、今朝のラジオでDSKは、分派しそうな勢いでしたね。それで、さっき、うちの向かいの小学校で、エリザベト・ギグーがミーティングしてたのでのぞいてきました。うちの市と他2つの市が彼女の選挙区なんです。現職なんで、その小学校での第1回投票では31%で彼女がトップ、次が29%でUMPの女性候補、UDFは11%でしたね。うちの市長はUDFで、候補は文化担当で奥さんがヴァイオリニストでよく知ってます。バイルーが電話で(録音ですが)応援をしてきましたが、うちのUDFは明らかに中道右派ですから・・なんか、節操がないですね。
今日のミーティングには緑の党の候補(女性でこの小学校の校長、彼女の娘は私のピアノの生徒だった)、共産党候補も来ていて、左派連合を歌ってました。
私はできるだけ目立たないように後ろに座ってたのに、後ろからやってきたギグー女史ににこやかに握手されました。彼女は、議会に100席以上あると、交代で2ヶ月審議をストップさせられるから有効だと強調し、その例として、去年のCPE法案の無効化を挙げました。でも、あれって、サルコジも内側から妨害してたんだし・・・
ギグーさん、こげ茶のインナーにベージュの上着、黒スカートに黒い靴、シックでしたが、疲れが見えてました。それを思うと、ずっと若いこともありますがセゴは疲れ知らずの雰囲気で、不死身のオーラはすでに出てますね。ギグーはUDFを攻撃してましたし、明らかに、セゴとも対立してる感じです。
とにかく議会に対立勢力がちゃんとあるのは大事なことですから、このままギグー女史が当選することを私は望んでいますが、いわゆる地元の諸問題から見ると、うちなんかはUDFで充分なんですけどね。とにかく、第2回投票にどれだけ若者票を取り戻せるカというのが鍵ですね。今、サルコの大盤振る舞いはすごいことになってます。そのつけはTVA(消費税みたいなやつです)の3ポイント引き上げになりそうですが・・・サミットで記者会見に酔っ払ってでてきたサルコの画像はフランスではカットされましたがスイスやベルギーで放映されたのでネット上を飛び交ってます。どうなることやら・・
勝負は一瞬のタイミング
「下」で書き込んでいる内容(セゴレーヌがバイルに共闘申し入れ)を、14日付の日経朝刊が記事にしてました。これは既に何度も述べていますが、大統領選の第1回投票の直後、バイルが19%を得票を獲得した直後に、「2位・3位連合」を組み、バイルが旧UDFの組織を締めて決選投票に臨んでいれば、セゴレーヌは間違いなく、サルコジに勝っていました(バイル新党の結党の意志表明は、大統領選の後で十分だった)。おそらく、「セゴレーヌ当選」であれば、PSと同じ内紛がUMPで起こっていたと思いますね。「勝てば官軍」ですよ。「鉄は熱いうちに打て」の諺通り、勝負は「タイミング」がすべてですよ。バイルの「自主投票」呼びかけでも、もう少しUDFはまとまると思っていましたが、甘かったですね。確かに、大統領に当選するのも大事ですが、それ以前に「政治家」として、そして、一人の人間として、どう行動するかだと思います。あの時点で、有権者の間(特に若者たち)からは「Tout sauf Sarcozy」の声が強かったわけでしょう。であれば、その期待に応えることこそが、政治家の務めじゃないですか。その期待に応えられなかったPS、そして、バイルの責任は重大ですよ。何度も言う通り、今度の大統領選はやるべきことさえきちんとやっていれば、ちゃんと勝てていた試合なんですから。であれば、今ごろ、「大統領・セゴレーヌ、首相・バイル」でPS300議席、バイル新党100議席で下院選圧勝ですよ。バイルが切り崩すべきは、何よりも、UMPに流れた旧UDFの連中だったわけですから。なぜ、バイルが「自主投票」を言ったか。サルコジが「下院選でUDFの候補者が立つ選挙区すべてに対立候補を立てる」と脅したからでしょう。それに屈したというのが、すべてですよ。しかし、まだ、投票日まで時間がありますから、やるべきことは、まず、きちんとやるべきでしょう。「今後」は、それを踏まえてからだと思います。いずれにしても、「今」を全力で生き切らない人に、「未来の展開」もありませんからね。
続き
それで、選挙戦術から言えば、サルコジ与党に勝つためには(というより、これ以上負けないためには)、選挙協力する以外ないですが、PSもバイルも、どうしてそれをやらないんですか。その意味では、セゴレーヌが取った行動は極めてまっとうだと思いますが、それがPSの内部で孤立しているっていうのは、いったいどういう状況なんですか?足の引っ張り合いばかりで、どうしようもないですね。これは、オランドが党首の器ではないってことですか?いずれにしても、オランドは下院選後に党首辞任は不可避ですから、この際、党首をセゴレーヌに交代して、一から出直したらどうですか。余計なことかもしれませんが、ここで、オランドとも離婚して、スッキリした方が、後々、尾を引かないと思いますけどね。
「5年後」はもう始まっている
もう少し続きですが、そのアエラの「セゴレーヌ本」の記事を読んで、セゴレーヌの躍進に嫉妬した夫のオランドが、それを阻止するため彼女とは犬猿の仲だったというジョスパンを引っ張り出すというくだりがありますが、同じ「女性候補」でも、ヒラリーの方はダンナのクリントンの方が既にオモテから引いてしまっているので、そこらの折り合いはつけやすいというところはあるんでしょうね。ただ、私に言わせれば、「5年後」はもう始まっています。ちょうど2000年の米大統領選で、本当は勝っていたアル・ゴアが、その後、深く「野」に下り、「地球環境問題の伝道師」として全世界を練り歩いて、これだけ世論を変え、最終的にはブッシュの政策を転換させることができたように、いずれにしても、今回はセゴレーヌもバイルも、とにかく名前を売って、知名度は勝ち取ったわけですから、本当の勝負はこれからだと思います。そのためには、サルコジ政権の監視役として、「悪い政治」にならないよう、ブレーキをかけていくということがすべてだと思います。この2人が痛烈にサルコジを批判することで、彼もその影響力を無視できないでしょうから。それとサルコジに関していえば、本来であれば、「今回はデキすぎ」と怖くなるくらいで、マトモな感覚でしょう。今度の選挙戦、そして、組閣を見ていても、その深く結びついた「人間関係」からサルコジを支えているとは思えない。ミッテランにしろ、シラクにしろ、その子飼いたちと親分との間にある濃密さがないんですよね。「何とか、ワシらの親分を男前にするため、一肌脱ごうか」っていうところが、感じられない。利害打算から1本釣りされた連中ばっかりで、今のフランス社会が抱えている「貧富の格差拡大」ということに、どこまで真剣に取り組もうとしているのか、全然、見えてこない。そうならないよう、きちんと監視するのが、ジャーナリズムであり、知識人の役割だと、私は思います。「猿回し」で「猿」をちゃんと調教するのは、主権者の責務ですからね。それらも含めて、これからの5年間は非常に大事だと思います。
もう一つだけ言わせて下さい
私ばかり書いてしまって本当に恐縮ですが、もう一つだけ言わせて下さい。今日の日経外電面に、そのEU憲法が発効した暁に創設される新大統領職ですか(正式名称はナントカ議長だったかもしれませんが)、それにサルコジがブレアを就けるつもりでいると報じていて、思わず「唖然」としました。イラク戦争を主導したのみならず、今回、事実上の不信任を突き付けられて中途退陣した人間を、それもよりによって「EUの顔」ともいえるポジションにつけようとするなんて、デタラメもいいところじゃないですか。日本にいる人間が何で、こんなにキレてどうすんのかって気がします。日々、大陸で生活している人達、もっと怒っていいと思います。サルコジは「有権者=主権者」をナメ切っているから、こんなことをしようとしてるんですよ。
どうぞ言ってください
今度のサルコ効果で一番よかったのは、潜在的インテリ左派のノンポリたちが、サルコ当選以来、ネット上でかなり活発なネットワークを築きつつあって、情報の交換や戦略の交換をしていることです。私のところにも毎日いろいろなものが入ってきて、ブログでもなかなか芯のある論議がされつつあります。すごく変わったなあと思います。私が関係するアーティストの世界と教育者の世界がけっこう動いているので、サルコのおかげで昔よりかえって連帯感が増しています。サルコはもう大分前から「ブレアとなかよし」を強調していて、批判されて去っていくブレアやブッシュとなかよしでどうするつもりだと言われているのですが、EUを通してブレアとの友好を使いまわそうと思ってるんですね。
今日の第二次投票、火曜にボルローがTVAのソシアル値上げを発表してからPSは急遽ソシアルTVA反対でスローガンをまとめました。どこまで有効化・・・ソシアルTVAとは、企業の負担する社会保障を値下げして、その分をTVAの値上げで補うというものです。それによって、雇用が促進され、資本が中国やインドに行くのを防ぐって言うんですけど、それによる物価上昇はない、と言うんです。企業は、社会保障が減る分商品の値段を下げるから、だそうで、冗談も休み休みにと言いたいです。このユーロ高の上、TVAが5ポイント上がって24.5% になれば、貧困層には致命的です。 しかし、実は、社会党も確かこの前までTVA値上げの可能性を言ってたはず・・・この争点は、ただ、飛びついたというだけで、アトランティスト・サルコがEUを完全にネオリベに明け渡そうとしている危機をもっと言い立てないとだめです。
ファビウスとDSKがPSと極左をまとめて新社会党、セゴとバイルーが中道左派を一つの勢力として固める、というトライアングルができるともっと流れがよくなると思うんですが・・・今日の夜の結果、彼らがなんていうか聞いてみましょう。
選挙三題
選挙の速報をずっとやってまして、400といわれたUMPが318どまりで左派が思ったより健闘したことが分かりました。1回目に棄権したPSシンパが、さすがに危機感を感じて投票したらしく、modemも一応3席で、バイルー一人、という自体を免れました。ニュースはアラン・ジュッペが落選して大臣を辞任したこと、セゴレーヌ・ロワイヤルがオランドとの別離を発表したことですね。これでセゴ新党がバイルート共闘して中道左派を形成という可能性も出てきました。ちょっと流れが面白くなってきたかも・・・です。
しかし、5月6日にもしセゴが勝っていたら、あの二人は果たして仲良くエリゼ宮入りしていたのか・・・疑問ですね。今二人が分かれるのはすっきりしていいことだと思いますね。
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