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おしゃべりルーム

1Sekko:2006/03/26(日) 01:15:42
ヴィルパン
フランス語のコーナーみたいになりますが、フランスの呼称って、住んでいたらもちろん分かってきますが、アングロサクソンとは全然違います。イギリスの映画とか観てたら、学校で生徒を姓で呼んでるみたいですが、フランスではほぼ名のほうです。スターはアメリカでは名で呼ぶことが多いようですが、こちらでは少しでも公共の人はドヌーヴとかドロンとか姓で呼ぶことが多いです。だからこそ今のアイドルは、アメリカ風にファーストネームを呼ぶ傾向があります。後、インタヴューなどで、姓名をフルネームで呼べば、ムッシューという敬称は必要ないのです。たとえば、「メルシー、ドミニック・ド・ヴィルパン」と言えます。「ムッシュー・ル・プルミエ・ミニストル」とも言います。雑誌や新聞では敬称抜きのヴィルパンあるいはフル・ネームです。一番多いのは「ヴィルパン」だけ。ドはつけても間違いじゃないですが、有名になればなるほど消えます。ヴィルパンも外務大臣の頃はド・ヴィルパンと書かれていたことがありました。ムッシューの後ではどちらかと言えばド・ヴィルパンかな。ではどうしてド・ゴールはド・ゴールかといいますと、ドがなくなるには、1「有名」、2「ドに続く名がある程度長い」、3「ドに続く名が知られた地名でないか地名以外のルーツを持つ」の条件があり、ド・ゴールは1しか満たしていないからです。日本でも、たとえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか有名でしたが、ド・ボーヴォワールと呼ばれずに、フランス風にボーヴォワールでしたね。でもフルネームならドが復活します。画家のアンリ・ド・ツールーズ=ロートレックとなると、ツールーズは有名な土地ですが、フルネームでないと誰もド・ツールーズ=ロートレックと言ってくれません。日本同様、ロートレックで通用します。ただし、彼は厳密に言うと、ツールーズ伯爵家とロートレック伯爵家の姻戚で生れた分家で彼の代で途絶えました。本家筋のロートレック伯爵家はまだ存在しますが、姓からドをとっちゃってます。ええと、上に挙げた条件というのは、私の見た経験則であり、別にどこかで成文化されてるわけではないです。おもしろいですね。
 共同体の話ですが、たとえばどこかの優勢な共同体に属しているから安泰というわけでなく、その中で老いたり病んだり落ちこぼれたりしたときに誰が救ってくれるかと言うことですね。アリストテレスは「愛があれば正義はもう必要ない」なんて言っていました。確かに、みなが自然に弱い人をかばってくれるなら、主義も法律もいらないかもしれません。今のユニヴァーサリズムは、起源的にはユマニスムということです。こういうと必ず、「西洋の人間中心主義が地球の環境を壊したから八百万神の多神教の方が地球に優しくベターだ」とか言う人が出てくるんですが、よく見てください。ユニヴァーサーリズムのヒューマニズムの名において、国籍や文化がどうこうを超えて、何の関係もないのに、ソマリアに水を運ぶ人とか、ルワンダに援助に行く人とか世界中の天災現場に駆けつけるグループが存在し、キューバの捕虜収容所で虐待されている人が世界に向けて連帯を求めたりしているんですよ。ユニヴァーサリズムが西洋キリスト教起源であろうとなかろうと、全体主義の国に生れたり貧困国に生れたりするのは、偶然の采配に過ぎず、失業、事故、老いや死など、誰にとっても明日はわが身、強い時に弱い者を思いやり、弱くなったら共同体の枠を超えて助けてもらえるという理想はすごく大事にしたいと私は思います。愛があればすべて解決するかもしれませんが、愛することはアリストテレスの時代からいかにも難しく、永遠の挑戦なのですよね。それと、人間の置かれる状況は一筋縄でいかず、正義のために愛を犠牲にしたり、愛のために正義を犠牲にしたりという局面を繰り返して、相対主義のニヒリズムや絶対主義の誘惑と戦いながら少しずつ連帯していくという希望を捨てたくないです。




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