話題を変えまして、もうすぐクリスマスです。私も昨日の室内楽のクリスマス会で、ミシェル・コレットのクリスマス・シンフォニーを弾きましたピアノ、フルート、ヴァイオリンにヴィオラです)。この人はクリスマスものをたくさん作曲しています。うきうきさと華やかさと信仰心みたいなのがマッチして、クリスマス文化に育ってない日本人の私でも懐かしくなりそうな曲でした。他にトリオでモーツアルトのセレナーデ。一週間前に私の生徒の発表会でも弾いたのですが、その時は軽やかさが全然なく、おまけに私は繰り返しをしないことになっていた場所で繰り返してしまい(他の二人はそれに気づきさえしない)、なんだかモーツアルトに申し訳ない感じだったのですが、今回は割りとぴったりで、好評、ほっとしました。
その前の週には私のアソシエーションのエクスポジションで、コルヌミューズとハーモニカのミニコンサートをやりました。ハーモニカのグループがやったモーツアルトとバッハは意味がなかったと思いました。後半のジャズだけでよかったのでは?(彼らがみなフランス人でこの欄を読めないことがわかってるので書いてますが)
ハーモニカという楽器ではどうしても音の出だしのアタックが曖昧なので、モーツアルトやバッハに向いてないんですね。・・・と、思ってたところだったので、ヴァイオリンとヴィオラでも私たちはどこがアタックかわかんないようなたるいモーツアルトになってたので、楽器の問題じゃなく単にテクニックの問題だな、と思ってたんです。そしたらヴァイオリンのジャンがそれを録音していて聴いたらしく、彼はモーツアルトの鑑賞者としては年季の入ったおじいさんなので、これではひどいとさすがに思ったらしく、次の日の練習で、アタックを明確に打ち出してきました。それで、昨日(21日)は、少しモーツアルトに顔向けができたかなという感じです。コレットのほうは、あわてて仕上げたので、私はどこか2.3音を外してました。でもとても素敵な曲ですよ。クリスマスのBGには、ぴったりです。
それで、クリスマスに話を戻しますと、数日前だかのヴァチカンの日刊紙オセルヴァトーレ・ロマーノに、ヨーロッパのクリスマスが商業化して非キリスト教化しているのは嘆かわしいという記事がありました。カトリックの強いババリアは、クリスマス・バザーも盛んですが、今はミレニアム・バザーと名を変えたそうです。クリスマスというと昔はツリーはなくとも馬小屋セット(マリア、ヨセフ馬、驢馬に囲まれた赤ちゃんのキリスト、これに羊飼いや東方の3博士が加わることもある)が定番だったのに、イタリアの小学校からはこれが姿を消したそうです。公共の場の非宗教性(ライシテ)や政教分離を慮り、他宗教に遠慮しているうちに、キリスト教が検閲されて、ただの消費シーズンに成り下がったというのですね。
ところが、フランスだけは堂々とキリスト教色を出している、これぞ、宗教表現の自由を保証するライシテのお手本であると、すごいほめようです。社会党公認の大統領候補のセゴレーヌ・ロワイヤルは4人の子に洗礼を受けさせているし、中道の大統領候補フランソワ・バイルーは演説の中で福音書を引用している、クリスマス・マーケット(Marche de Noel)という名も生きていて、共産党が覇権を持つ市町村でも公営で屋台を出している、というのです。
そしてそれは事実です。アラブ人の多い地区の大型スーパーなんかでも、クリスマスの飾りつけのために堂々と実物大の「馬小屋セット」とか飾ってますし、誰もあんまり気にしてないみたいです。伝統文化は伝統文化、という感じですね。それに、フランス語でクリスマスを意味するノエルという言葉は、英語のクリスマスみたいに、いかにも「キリストのミサ」って、キリスト教っぽい名じゃないので、いらだつ人も少ないのかも。ノエル(Noel:oの上にウムラウト付)の語源はNatalisで、ナタリーという名前もありますね、ノエルという名ももちろんあります、女の子ならNoelleとか。意味は誕生の日、ということで、もちろんキリスト(救世主)誕生の日という意味なんですが、そのキリストの方が略されてるので、あまりキリスト教的な響きがしません。しかもNatalisの二つのAがフランス語ではOに変化しちゃったらしくて、ナタリスとノエルじゃぜんぜん似てません。今フランスでナタリスといったら、妊婦服や乳幼児服のブランドでね。キリストの誕生を示すNativite(ナチヴィテ)という言葉も存在するんですが、とにかく祝日としてのいわゆるクリスマスはノエルなんです。それで、ノエルって、お祭りの記号化してて、年に一回、離れている家族も一堂に会して、プレゼントを交換し合うということで、別に宗教的だからどうとかとうるさく言う人がいないのです。
私も、発表会のプログラムに、馬小屋のパロディのイラストを載せました。聖家族はみんな猫で、周りにいるのは子羊とネズミです。星と、猫の天使たちも。生徒にはわりと敬虔なユダヤ人もいるので、一瞬迷ったんですが、スーパーにでも馬小屋があるんだから大丈夫だとふみきりました。むしろカトリックの原理主義者がいたら、聖家族を猫にするとはけしからんと言われるかも。何教でも、狂信者や原理主義者は困ります。
そのプログラムのイラストを見た駄洒落好きの友人シャルルが、「これがほんとの、 Seigneur est descendu parmi nous だ」と言いました。「主は我々のうちに降り給うた」の「我々のうち」parmi nous を par minous と読み替えると、「猫によって」になるんですね。「主は猫によって降り給うた」!!
発表会の後のパーティ(自宅の非猫ゾーンで開催)が終わって、猫ゾーンに戻って、大あくびしてるスピヌーを見てると、駄洒落の含蓄の深さを感じてしまいました。ではまた。