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現代人が納得できる日蓮教学

635犀角独歩:2006/04/24(月) 22:27:13

文殊さん、つかぬことをお尋ねしますが、末木さんを評価される理由は何でしょうか。

636文殊:2006/04/25(火) 00:16:39
充道さんが絶賛していることもあります。末木さんは充道さんを持ち
上げて論文に引用充道さんを「全国区」に押し上げたこともあります。
禅研究が末木さんのベースでしょうか。最近は。天台本覚思想から禅
にシフトしているかもしれません。末木さんは「第三文明」たびたび
登場でもわかるように東哲とも通用があり、かつ充道さんとも盟友と
いうまあ何といいますか忙しい方です。近年、文章がひどく荒れてき
た感じがします。『解体する言葉の世界』(岩波書店)なんか駄作
です。友人の佐藤弘夫氏は「思想」の書評で「魔物が取りついた」と
酷評しています。末木さんは近代日本の哲学者の仏教理解についても
強引といいますか勝手きままな文章を書き散らしていますね。天台
本覚思想に専念してほしいと思うのですが。ジャクリーヌ・ストーン
女史の翻訳とか。このままでは仏教界の柄谷行人さんになりかねない
ですよ。

637文殊:2006/04/25(火) 01:05:26
でも末木さんもいいこという時があります。波が激しいといいますか、
そのときどきで振幅が激しいというべきか。石山でいえば達師に資質
が似ているかもしれません。私が末木さんの夥しい文章を読んでみて
心を捉えた一節がありました。「私は、自ら体験しえない「死」を
哲学の中に組み込むのではなく、実際にわれわれがもたざるを得ない
「死者」との関わりを原点とすることにより、現世の世俗社会に閉ざ
された哲学を突破する道が開かれるのではないかと考える。「死」を
哲学に組み込もうとするかぎり、ハイデガーの「死への先駆的決意」
というところが限界であり、「死」そのものに直接関わることができ
ない。しかし、われわれは実際に死者と関わりながら生きている。と
いうよりも、われわれは死者との関わりなしに生きることはできない」
「身近なものの死を経験した人ならば、恐らく誰でも、死者がただ無
に帰してしまったとは考えられないであろう。不在の死者に語りかけ、
また死者の声を聞く。それは身近な死者だけではない。戦争の死者、
虐殺の死者たちもまた、常にわれわれに語りかけ、われわれを責める。
それは、「無限」対「有限」という抽象的な関係ではなく、きわめて
具体的な関係である。そして、その関わりの中から仏陀を見出し、
また倫理の可能性を見出していくことができるのではないかと考える」
(「仏教の非神話化とそのゆくえ─今村仁司『清沢満之と哲学』を
めぐって─」「思想」2004年11月号127頁)かくして私は末木さんに
傾倒しています。片っ端から読んでいます。

638犀角独歩:2006/04/25(火) 10:51:31

文殊さん

末木さんは、『天皇信仰と仏教』をテーマで、本年1月に話を聞きました。
まあ、コメントは避けます。

それにしても、“「死者」との関わり”といったテーマは、末木さんを典型とするものではないと思います。本来の日本という意識分析においてラフカディオ・ハーン、チェスタトンを挙げて、渡部昇一師が『日本史から見た日本人・古代編』(祥伝社)というベストセラーで、以下のように記しています。

「日本人の「死」に関する特殊な観念……日本の死者は死んでもなくならない。……死ぬというのは「退去」なのであり消散ではない…日本人が死んだ祖先のことをいつも気にしているのは、明治に日本に来た外人の目にはひどく異様に見えたものらしい。それでラフカディオ・ハーンなども、日本の特徴を、「死者の支配(レグヌム・モルトオルム)」と言っているくらいである…G・K・チェスタトンは、これ(死者のことを考えるのが正統主義のセンスである)を時間的民主主義の拡大と名付けている。普通の場合、民主主義の拡大というのは、選挙権の水平的確題に対して用いられてきたわけだが、彼は死者の意見を考慮すること、つまり伝統として残されたものに、しかるべき敬意を払うことが民主主義を拡大することになると考えたわけである」(P81〜86)

等と記していました。日本人の「ご先祖様」といった観念は、何も末木さんの文章に依るまでもないことであると思います。

こう言っては何ですが、末木さん、花野さんといった日蓮の実像から考えるとずいぶんと距離のあるところから、日蓮を拝んでいらっしゃるのだという印象を受けます。

639犀角独歩:2006/04/25(火) 11:21:39

文殊さん

引き続き、もう一つ、質問させてください。
本覚の魅力というのは、何ですか。そこまで執着される理由は、いったい、どこにあるのでしょうか。

640文殊:2006/04/25(火) 20:35:57
私の場合は、末木・花野両氏の諸著述・諸論文を通じていわゆる本覚
思想に関心を懐いたというのが実情なのです。天台学に精通している
顕正居士さん、現代における富士上代文書の第一人者れんさんのように
白文・第一次史料に直接アプローチするのではなく、おふたりの論文
を手がかりに「立正観抄」「三世諸仏総勘文教相廃立」を読んでみた、
ということなのです。私にとって本覚思想は日蓮の信行論という文脈
でなく末木・花野両氏による「現代思想」なのです。たとえば、柄谷
行人氏がウィトゲンシュタインを「現代的」に語ったとはいえ、それ
はウィトゲンシュタインの実像を精確に把握したものではないでしょう。
むしろ、岩波文庫から「論考」の新訳を上梓した野矢茂樹氏の方が遥か
に実像に近いといえます。末木・花野氏の「現代思想としての本覚思想」
はあくまでも近代日蓮解釈のひとつであって、日蓮遺文そのものの真実を
素描するものでなく、ひとつの「美しい物語」の語り手として大衆的な
人気・大衆受容に成功しているのではないかと思われます。犀角独歩さん
ご指摘の通り日蓮には「本覚思想」の概念はありません。1970年代
後半論壇デヴューした末木・花野両氏が全共闘・新左翼運動の蹉跌の余燼
覚めやらない時代思潮にあって、フランス・ポストモダニズムの思想的
影響を受けつつ、あくまでも「現代思想」として論陣を展開していった。
私は同時代人として思想的な影響を受けているということなのです。
第二次世界大戦の「戦争の死者」は未だに全員の遺骨が収集されてはい
ない。クメール・ルージュによる「虐殺の死者」もです。末木氏の死生
観には陰影が深いと感じます。

641犀角独歩:2006/04/25(火) 21:57:50

文殊さん、640に記されるところ、なるほど、そのような意味かと拝読しました。
わたしなりの意見を述べれば、本覚解釈など、もはや「現代思想」ではなく、20世紀の遺物に等しいという感覚があります。そんな時代解釈は、精査された日蓮実像に迫る在り方に比べれば、既に近代の話という認識です。

ところで文殊さんは末木さんご本人にお会いになったことがありますか。
文章はともかくとして、「死生観には陰影が深い」という表現は、実際に本人の話を聞いた印象からすると隔たりがありますね。

日蓮を読むのであれば、日蓮その人の確実な資料を手がかりにして疑偽書を読む以外に、何故、花野さん・末木さんを選ばれるのか、わたしには理解できません。また、そこで選ばれるのが、立正観抄、三世諸仏総勘文教相廃立という選択も理解しがたい部分です。

当掲示板で、本覚論などを、真剣に信じているような方が参加されているのでしょうか。まあ、どのような方が記されることにも、特に制約はありませんでしょうが、むしろ、本覚を卒業したところからの議論のほうが話題の中心ですから、文殊さんのお求めの意図は、やや斟酌いたしかねるところがあります。

642文殊:2006/04/25(火) 22:42:42
当掲示板は、本覚を卒業したところからの議論を前提とされている
こと領解しました。他スレッドでの法華仏教思想・富士初期教団考
のレベルの高さに、拙稿の至らなさを痛感する次第でございます。
本覚についてはこれ以上当掲示板では投稿はしません。改めて勉強
し直します。私にとって末木さん・花野さんの本覚思想はいわば、
言葉は悪いですが「脳内麻薬」なのです。一度読むとまた読みたく
なる・・・ご叱正覚悟の上ですが、正直に記します。末木さんに
お会いしたことも講演をきいたこともございません。末木さん
の死生観は私なりの主観的な思い込み読み込みがありました。
広島・長崎の被爆の記憶も風化に、イラク戦争の劣化ウラン弾
も忘却の彼方になりつつある時代認識を末木さんの文章に投影
させました。

643犀角独歩:2006/04/25(火) 23:18:42

文殊さん

> 広島・長崎の被爆の記憶も風…イラク戦争の劣化ウラン弾も忘却

この二つは、ハンディーキャップ問題と併せ、日蓮以上に、わたしの主要テーマです。
しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

644犀角独歩:2006/04/26(水) 10:02:08

文殊さん、昨晩は疲れていたので、簡単に済ませましたが、改めて記します。

> 本覚…これ以上当掲示板では投稿はしません

いえ、わたしは、ご投稿を妨げる意図はありません。ただここは、挙証義務を厳しく言うことによって意義ある議論を積み重ねることができた場でしす。ですから、その筋をしっかりとお守りになれば、有意義な議論となると思います。

ただ、わたしが思うのは、学会を含む石山圏の人々が本覚を語る前提として、偽物4点セットに対する社会的・道義的な責任を果たしたうえで語らない限り、傾聴に値しないという側面があります。そもそもこの点は50年も前から指摘されていることです。

本覚という視点については、わたしはある面、ここ富士門流においては、‘言い訳の轍(わだち)’になっていないかという臭味を感じるわけです。また、日蓮を理解するうえで、この轍は、一つの結論に、つまり、特定の結論に転がり落ちていく危険をはらんだものであり、また、転がり落ちたその場所は日蓮の実像からほど遠いものになるという悲惨な結末も有しています。

本覚云々という視点は、わたしの思惟のなかでは、もはや、古層に属し、この轍を辿っても、日蓮の実像に至れないことは経験則で知っています。故に人には勧められないと言うことです。しかし、それはわたしの浅薄な知識に支えられたものですから、確実な資料から再考を迫られるのであれば、それは快く考えてみたいと思います。しかし、これらの提示する人々は轍から一歩も出ることなく、結局のところ、殊石山においては、つまらぬ偽物4点セットをよそに議論の遊技に陥っています。

> 「脳内麻薬」

これは適宜な表現であると思います。実際のところ、日蓮本仏論にせよ、「本門戒壇の大御本尊」にせよ、そういった快楽原則に基づいて、人々を誣いているわけです。
しかし、文殊さんはすでに、これらお道具が偽物であることを内心として結論に至った。その時、次の、自分の、信仰と理性に与える脳内麻薬が必要となったのではないでしょうか。少なくともわたしにも、そんな経験はありました。

文殊さんは近代思潮に強い関心を懐かれているようで、この点は死生観、つまり、本来、仏教でその答を見出そうとされてきた四苦八苦の答を仏教と関連して見出されようとされる一環ではないのかと、勝手ながら観察しています。では、このような試みは確かに近代日本では繰り返し行われてきましたが、取り分け、その中でも、この技法で自分の信念体系を肯定化しようとした先駆けは、牧口常三郎氏にその典型を見、富士門下のその後の流れを創ってしまった観があります。この最初の試みは、彼の価値論と石山教学の無理な合体でした。「木に竹を接いだような」と的確に分析されてから、既に50年が経過しています。しかし、その後もこの技法は留まることを知りませんでした。結局、第三文明社や、聖教新聞社、果ては東洋哲学研究所に至るまで、この技法で、自己正当化の論理を構築した半世紀であったとも見えます。この点は石山の日蓮本仏論、彫刻の肯定論でも活用された中世の歴史もありました。この点は、当掲示板で語り尽くしてきました。

故に、やや牧口氏にのみ触れれば、金子弁浄師は、この価値論を、Theodor Lipps、Wilhelm Windelband、Heinrich Rickert、Emile Durkheim から受けたものであると分析したわけでした。そして、彼の価値論は幸福への希求であり、それが戸田氏に受け継がれるや、先の捏造であった彫刻をして「幸福製造機」と俗化を果たし、ついにその教線を不動のものにしたという経緯があったわけです。

647犀角独歩:2006/04/26(水) 13:07:56

【644の訂正】

誤)できた場でしす。
正)できた場です。

―644からつづく―

そもそも、日蓮の教えと現代思潮をつなぐものなど、何一つありません。しかし、これら“アクセサリー”の飾りは、それを華美に見せかける効果は絶大であったのでしょう。それが先に挙げた創価学会にかかる出版の過多と経営を支えるものとなっていったのでしょう。これに警告を発したのが聖教新聞初代編集長であった石田次男氏でした。この警告は一定の意義を持ちはしましたが、しかし、彼の教学理解は、戸田氏を師匠と仰いだためにそこが蓋となってそれ以上、高みに上がることができなかった憾みがあります。石田氏の著述は今から見れば、お粗末なものですが、それでも、当時はそれなりの意義はあったと思えます。

結局のところ、石田氏の警告は、生かされることなく、今日に至っています。
文殊さんは、先に幾名かを挙げていましたが、現代思潮から日蓮を解読することほど、日蓮の実像から離れることはないと、ここ掲示板で警告を鳴らしてきたつもりです。しかし、時折、先の牧口氏以来の轍に知らず嵌った人々が、現代思潮を引っさげて、ここに漂着します。

執行海秀師は、当時の創価学会・戸田氏を見事に分析し、この現場における哲学の扱い方を「創価学会という名称の如きも、これに由来する…この価値論によって、学会に於ける教学上の学説なり、信仰なりを哲学的に根拠づけようと試みている…石山派数学の思想と、創価学会特有の価値論の思想との間に、何等の関係も見出すことは出来ないのであって、全く木に竹を繕いだような感がある」と慨嘆をもらしたうえで、また、金子弁浄師は、「哲学と宗教との区別を取除き、宗学(神学)という重要な分野が存在していることを無視しようとするなど、独断的な哲学観、宗教観を平気で記すことを許している…戸田氏が先生である牧口氏のように哲学についての勉強をしていない」と、哲学から仏教を見る過ちを正すと共に、さらに哲学の両輪の一輪である神学、敢えて仏教に当て嵌めれば宗学を無視した点を弾呵しているわけです。わたしは、この分析は実に秀でていると考えます。また、この創価学会の悪貨に実は逆に影響を受けたのが石山でした。

つまるところ、現富士門下の実情は、信行学という鼎立すべきものを解体し、それぞれ別の論を構えることによって生き残りを図るという醜い形相を呈しています。つまり、信とは彼の偽者4点セットであり、行は宗教法人の主要行事への参加で、学は現代思潮にそれを求めるという分離です。しかし、このような姿勢が正直な態度であるはずはなく、日蓮の精神に沿うものであるはずもありません。

脳内麻薬から脱却には苦痛は伴いますが、真実への道程とは、斯くあってしかるべきであると、わたしは敢えて苦悶を選択してきたものでした。四苦八苦を超えることは、快楽でこれから遁れることではなく、正面から向き合う以外に平安の方途はないというのが、元来の仏法の教えであるとも思うからです。

率直に申し上げて、文殊さんは、以上の轍に嵌っているように、お見受けするわけです。
また、影響を受けている人々も、その轍の前に敷かれた古い轍に嵌ったまま、次の轍をさらに深めた人々ばかりのように映じるわけです。

せっかくのご縁ですから、上記のわたしの愚案を少しでも斟酌していただければと存ずるしだいです。

> 広島・長崎の被爆の記憶も風化に、イラク戦争の劣化ウラン弾

この点については、他スレッドに、やや記していますので、ご高覧をいただければとも存じます。

648文殊:2006/04/27(木) 01:12:12
西洋近代の教育を受けている現代人にとって、純粋宗学の確立のために、
西洋からの影響を完全に排除することは難しいと私は考えています。13
世紀の日蓮と現代思潮とは何の相関性もなく、強いて西洋哲学という余事
をまじえると、それだけ日蓮の実像との乖離が目に見えて分かるというデ
ィレンマに陥るということになります。ご指摘の通り哲学と宗教から独立
した宗学(神学)の分野の存在には蒙昧が啓かれる思いでございます。現に
ローマ・カトリックでは西洋哲学とは完全に一線を画する組織神学が確立
しているのであって、日蓮教団に宗学があって然るべきであり、安易に哲
学との融会は禁欲を課すべきものでしょう。今後、純粋宗学の確立に向けて
努力を傾注すべきことについては異存はありませんが、然し、純粋宗学確立
のためにはやはり西洋近代の方法論をも参照する方途は避けられないのでは
ないでしょうか。近代の衝撃は仏教の近代化・合理化との帰結に至ったとの
歴史認識・共通認識とすれば、近代以前の仏教解釈に戻れるかどうかについて
懐疑があります。

649文殊:2006/04/27(木) 01:40:38
更に一重立ち入りますと、日蓮遺文から確実なる真蹟遺文を厳密に択び、
涅槃経の殺人菩薩思想を排除し、純正な法華経思想を21世紀初葉の現代
人にフィットさせるかについても西洋近代の思惟とりわけ倫理思想の参照
が求められるのであり、西洋近代の教育を受けている私たちにとっては、
こうした思考の手順を踏むことは不可避ではないでしょうか。石田次男氏
による六師義批判は当初は強い思潮となるかのように見えましたが、いつの
間にかに減じていった。石田塾はどうなっているのでしょうか。花野充道氏
にも法論をしかけたはずですが、「道心」で石田塾の論議は龍樹の空思想に
基づくものであり、龍樹─天台─最澄の仏教思想の系譜を無視しているとの
反論が行われていました。日朗門流における純粋宗学に対し、非公認の霊断
師の存在は半数を超える勢いと仄聞していますが、このままでは密教化の危惧
もあります。霊断教学は1960年代に学会に対抗すべく成立したというの
ですが。

650文殊:2006/04/27(木) 02:14:22
別に論点をそらす意図はございません。牧口常三郎氏の価値論は近代学匠・
堀米日淳氏に思想的な影響を与えています。堀込氏は堀上人の古文書研究
には最晩年の三年間を除いて、批判的であり、堅樹日寛「六巻抄」を繰り
返し熟読すれば奥義にいたるという考えでした。福重照平氏「日蓮本仏論」
の先行研究もあるでしょう。しかし、近代の大石寺は宗学の組織化について
は充分ではなかったことは事実です。左へ右へと揺れ動き戦争協力まで積極
的にしてしまった。未だ今日にいたるまで公式に謝罪することなく沈黙を守
っているのが現状です。牧口思想については松岡幹夫氏による近代日蓮主義
の文脈からの研究がありますが、松岡氏とは別に私からは、地理学の思想基
盤、教育改革思想、完器講の系譜に連なる三谷素啓氏との決別の背景、長野
赤化教員の入会、大石寺との確執と全容の解明には多岐にわたります。石山
教学と近代思潮を融会した、全然異質なものを融会した・・・逆にそれをし
なければ大衆受容がなされたのであろうかと。

651乾闥婆:2006/04/27(木) 02:29:34
犀角独歩さん。文殊さん。
横から失礼します。

>> 広島・長崎の被爆の記憶も風…イラク戦争の劣化ウラン弾も忘却

>この二つは、ハンディーキャップ問題と併せ、日蓮以上に、わたしの主要テーマです。
しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

末木文美士氏の近著『仏教vs.倫理』にて、アウシュヴィッツ以降の倫理はいかに可能かを追求しているアヴィシャイ・マルガリットの著書『記憶の倫理』を紹介しつつ、その主張であるところの、宗教に替わるべきものとしての「記憶」の重要性の強調に対し、疑義を表明しています。それが以下に引用するような記憶の風化ということのようです。

「それを安易に批判することは慎むべきであるが、はたして生者の記憶の継承だけで、本当に死者たちを受け継いでいけるのだろうか、という疑問は率直に提示されうる。生者の力をそれほど信頼してよいのだろうか。あるいはまた、死者はまったくの過去の中に葬り去られてよいのであろうか。生者の記憶にしても、それを生者だけで継承していけるのであろうか。苦しみ死んだ死者が力を与えてくれなければ、生者だけでなしうることは本当にわずかしかないのではないか。
 広島の平和公園の中心には原爆死没者慰霊碑があり、そこには「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」という有名な文句が刻まれている。死者に向かって、過ちをくり返すまいという生者の宣言は、きわめて重いものがあり、その前に立つものを粛然とさせる。しかし今日、はたして死者は安らかに眠っていてもらってよいのであろうか。過ちが次々とくり返され、しかも次第にひどくなってきていることは、あまりにも明らかである。死者に眠っていてもらい、生者だけで過ちをくり返さないようにすることが可能と考えたのは、いささか楽観的すぎたのではないか。
 弱い生者は、放っておけば、どんなに愚かなことでも、残酷なことでも、またまた性懲りもなくくり返し、そればかりかエスカレートしてゆく。それを押し止めてくれるのは、苦しみ死んだ死者たち以外にはない。ヒロシマの風化が伝えられて久しい。生者の記憶だけに依存する限り、どんどん風化していくのはどうしようもない。死者たちの声に耳を傾け、死者たちとともに歩むことができなければ、生者の荒廃はとどまるところを知らない。」(P201-202)

その文脈の中で劣化ウラン弾への言及もあり、文殊さんの言われるところの末木氏の死生観への読み込みとは、このような部分についての思いであるのではないでしょうか。

652文殊:2006/04/27(木) 06:39:05
乾闥婆さん、ありがとうございます。私はまだ末木氏の『仏教vs.倫理』
は読んでいないのです。深く感謝します。東京新聞2006年4月11日
夕刊六面には「これまでの日本の仏教は戦争に深く関与してききた一方
で、ヒロシマの被爆者をはじめ戦争で亡くなった人たちと向かい合う
努力が足りなかったのではないか」「これからの仏教を考えるには、
もう一度過去の戦争について深く考える必要がある」との駒沢大学にて
のシンポジウム「仏教は世界平和にどう貢献できるか」のパネル発言が
紹介されています。中国・韓国との歴史認識問題を考察するにあたって
も仏教者のアクテュアルな発言が求められています。

653犀角独歩:2006/04/27(木) 06:43:52

文殊さん

わたしは分離は不可能ではないと思いますよ。
ただ、そうして、抽出した日蓮の実像と信仰が、どれだけ、現代に役に立つかどうかという問題は別にあります。つまり、日蓮とは別に、補填するために現代思潮は有効でしょう。しかし、混合はNGです。わたしは、現代思潮を不要とし、日蓮のみを採ろうと言っているのではありません。日蓮の実像と現代思潮は関係ないと言っているだけです。それを無理に融合すれば、実像から乖離すると言っているのみです。

> 日蓮遺文から確実なる真蹟遺文を厳密に択び、涅槃経の殺人菩薩思想を排除し、純正な法華経思想を21世紀初葉の現代人にフィットさせる

これはまさにわたしの管見をよく整理いただいたところですが、しかし、この条件として必要なのは、必ずしも現代思潮であるとはわたしは考えていません。ここで必要なのは世界に共通する人権感覚です。そして、むしろ、他の思考の影響を受けない澄んだ純粋性の保持が必要であると考えます。

宗学の必要性については異論はありませんが、ただし、これは石山独自で作り上げる例えば富士宗学要集を基礎にするようなものでは全くナンセンスです。この確立の基礎こそ、まさに、真蹟遺文でしょう。つまり、全日蓮門下共通の基盤の確立です。

牧口氏の価値論は、今では創価学会の中でも風化してしまい忘れ去られたもので、単に「この信心をすれば功徳がある。幸福になる」という活動と唱題に置換され霧散してしまった感があります。創価学会とか、石山という範疇では昔話に出されることはあっても、今となっては、それこそ、価値のないものとなった以上、議論を重ねる対象ともならないでしょう。ただし、獄死という悲劇に関しては、冷然院感得日常居士の冥福を祈るものです。

霊断教学が創価学会に対抗したというのは、ピンときません。
高佐氏の発想は、神本仏迹から、要は方向を変えて、戦後、日本社会でどうやって生き残りを図ろうとしたのかという視点でしか、わたしは見ません。そこで言われる教学など、およそ議論の対象にするのは時間がもったいないと思います。


乾闥婆さん

アウシュヴィッツ以降について、わたしはもっとも貢献したのは、社会心理学の研究であったと考えます。その点は既に何度か述べてきました。故に今はその点は置きます。

末木さんが劣化ウラン弾や、ヒロシマについて言及するのは、それはそれでけっこうなことでしょう。ただ、わたしは、ピンと来ないのは、たとえば、それは創価学会や、石山が「平和」を語るのと同様な点です。簡単に言えば、では、末木さんはヒロシマ、イラクに共通する核兵器問題で何をしているのか、ということです。

イラクに自衛隊を派遣している与党・公明党とイコールと見られる創価学会の、出版物に登場する末木さんに、言辞と行動に矛盾がないのかということです。
誰が言ったか忘れましたが、「平和を言うだけなら、ヒットラーでも言った」

実際に苦しんでいる人たちにとって、現代思潮で、それを説明してもらっても、何の足しにもならないし、また、その悲惨の状況をメディアを通じてしか掌握しない人々にとって、それを現代思潮でこねくり回して説明したところで、役に立たない、わたしはこの手の言葉の遊戯につきあう時間は惜しいと考えています。

> 文殊さんの言われるところの末木氏の死生観への読み込

その点は十分に承知しているつもりですが、冒頭に記したとおりです。
わたしは末木さんをここで俎上に上げたところで、日蓮の実像を探ること、もっと具体的に言えば、当スレのテーマである「現代人が納得できる日蓮教学」とは結びつかないので、やめにしようと言っているのです。

654乾闥婆:2006/04/27(木) 14:17:58
犀角独歩さんの言われているところは理解しております。まったくそのとおりであると考えます。

末木氏は『仏教vs.倫理』の中で、では記憶の風化に対して何が有効なのか、それは日本仏教の受け持ってきた葬儀を通しての死者との向かいあいだといい、葬式仏教を鍛えなおすべきだといいます。著者の熱い思いは伝わってきますが、ピンと来ません。記憶に対して制度としての葬式仏教を掲げたのでしょうが、そのような発言を通して何がどう変わってゆくのか、日本人の死者に対するあり方が意識のレベルでどうなるというのか、まったく分かりません。発言が空回りしているようにも思います。そのような制度も結局は風化の道をたどってきているのではないのか。葬儀という制度が記憶の倫理よりも強靭であるという根拠は見えません。

>しかし、ここに花野さん・末木さんの脈絡は、全くといってよいほど感じられませんが、これはわたしの誤認識でしょうか。

確かに末木氏は脈絡から外れているところで発言してしまっているのだと思います。葬式仏教を鍛えなおすることと「末木さんはヒロシマ、イラクに共通する核兵器問題で何をしているのか」ということとは直接結びつくことではありません。まさに制度の内部から核兵器問題にも言及してみた、というに過ぎないのでしょうし、それは末木氏の死生観を表明する際の一項目に過ぎないのではないでしょうか。そういったスタンスに対する苛立ちは理解できます。

>わたしは末木さんをここで俎上に上げたところで、日蓮の実像を探ること、もっと具体的に言えば、当スレのテーマである「現代人が納得できる日蓮教学」とは結びつかないので、やめにしようと言っているのです。

現代人であるところの末木氏は『日蓮入門』などの一般向けの入門書も出されているのですから、その著者の主張が現代人にいかに納得されえるのか納得されえないのかが議論されることは、私のような素人にはとても参考になります。高いレベルで議論されている方々には申し訳なく思いますが、犀角独歩さんと文殊さんの議論をROMさせていただいて、とても勉強になります。もちろん文殊さんは高い学識を持っておられるのですから、なおさらです。

655文殊:2006/04/27(木) 14:29:51
犀角独歩さん
世界に共通する人権感覚が前提であることに私は心から同意します。
基本的人権・自由の全面的な尊重・多元的民主主義・法の支配は共通
認識であり、人権諸条約に抵触する殺人思想・宗教はカルトであり、
いかなる理由があろうとも21世紀の世界にあっては不許容性を有し、
抵抗権等の違法性阻却事由は成立しません。
現代思潮から日蓮を解読することは、日蓮の実像と信仰から明らかに
乖離することになる虞があるので今後自戒していきます。
「富士宗学要集」は石山中心史観そのものであり、編纂の堀師自身、北山
文書でも石山に都合の悪い文書は載せなかったので、全日蓮門下共通の普
遍性は21世紀において普遍性は有しません。各山貫首が一同に集まり、
会議を開き今後日蓮門下として真蹟遺文を宗学の基礎とし、教義体系の
再構築を図ることを前向きに話し会うべきでしょう。各山のアーカイヴ
史料を全面的に公開し、資金を拠出して図書館の建設がまずは第一歩です。

656文殊:2006/04/27(木) 18:59:23
全日蓮門下共通の普遍性は有しませんに訂正します。
乾闥婆さん、知識人の役割と実践者の役割は重なり合うこともある
反面、違う部分も表出されるのではないでしょうか。末木氏は文献
読解中心の知識人であって、サルトルのようなアンガージュマンは
しないわけです。別にイラクに行って劣化ウラン弾被害の実態を告発
したわけでもない。それならば高遠菜穂子氏のイラク体験の重みに勝る
ものはないでしょう。それでも、宗教史の語り手がいなくていいのかと
いうとそうでもない。宗教そのものが知らない人々に啓蒙的な書籍を廉価
な新書で綴るとの役割も大事なのです。末木氏の思想が間違っているか正
しいかは別として、宗教史の、日本仏教史の素描を提示があって、それを
いわば議論のたたき台としての役割があります。

657乾闥婆:2006/04/27(木) 23:25:06
文殊さん。

言われるところは分かるのですが、知識人がある程度その非実践性を批判されることは致し方ない部分であると思います。サルトルが社会への自己投企を言うとき、是非はともかく、それは知識人としての良心が言わしめ、行動に駆り立てているのではないでしょうか。そのような行動を伴わなければ、何の意味もないとはもちろん言いません。しかしそのような批判にさらされることは一面しかたがないように思います。末木氏の『日本仏教史』が新潮文庫版で出ておりますが、そのような営為は大事なことと思います。『仏教vs.倫理』を一読して、思いのたけ述べているな、という感想とともに、これはある程度批判にさらされるのではないか、との危惧も抱きました。その意味で文殊さんの言われる議論のたたき台としての機能は十分に果たしていると思います。また新書にまとまる前の掲載紙が『寺門興隆』であってみれば、その呼びかけはある種の切実さを伴ったものではあるのかもしれません。

658犀角独歩:2006/04/28(金) 07:23:40

文殊さん、乾闥婆さん

所謂「叩き台として」の末木本という議論の運び、面白い展開であると拝読しました。わたしはこの点については、乾闥婆さんのご意見に賛同します。

廉価な新書・文庫の仏教書の流通が一般大衆の認知に有効か否かという問題があります。わたしは、この手の本が仏教書であるという考えにそもそも反対です。また、仏教を解説する場合、これを現代思潮の観点から分析するという手法に、そもそも反対なわけです。極端な話、キリスト者によって解説された仏教は、もはや、仏教を正確に偏見なく、客観的な立場で素描できたものであるかどうか、わたしは、そうは言えないであろうと考えるからです。

体内・体外という観点は体外のみがまず章安述で見られ、妙楽で闡明になりますが、およそ仏教を述するのであれば、体内からものでなければ、仏教書とは言えないのではないかという思いがわたしにはあります。結局のところ、外側から見て、さらにそれを現代思潮から論じたところで、日蓮の素描になどなるはずもありません。そもそも、日蓮は現代思潮以前の人です。ですから、日蓮の素描は、その時代の、そして、日蓮の確実な資料を基盤としてなされてしかるべきです。
勿論、そこでしっかりと素描された日蓮を、では、現代という時代に置く際に、現代思潮から、どう映じるのかという視点は一面、あるでしょう。しかし、体外から日蓮理解が、では当を得たものになるかどうか。わたしが、文殊さんが提示される如く、論評その他によってもたらされる違和感はここにあります。つまり、論評すべき、日蓮が正確に認識されていないという根源的な欠陥です。

この点は、本覚解きで日蓮を素描した上で成り立つ所論にも同様の違和感があるという意味でもあります。

「文献読解中心の知識人」という点ですが、では、その範囲に留まった所論であってしかるべきではないのか、飢えて死に、放射能被害で塗炭の苦しみを味わう人には意味を有しません。実際に苦しみにあえぐ人を文献読解の知識から解読する人・それを読むだけの人、いったい、どのような意味を持つというのか、わたしはむしろ憤りすら感じます。

659犀角独歩:2006/04/28(金) 07:25:14

【658の補足】

「極端な話」とは「極端な話で例を引けば」ほどの意味です。

660文殊:2006/04/29(土) 16:23:24
犀角独歩さん、お言葉ですが、「文献読解中心の知識人」の存在は
不可欠です。たとえ少数であっても、漢文・サンスクリット・パーリ・
チベット・西夏語の読解できる語学力のある知識人による啓蒙的な
仏教書(岩波に代表される)はそれ自体貴重です。オウム真理教に
入った理系エリートは仏教も宗教について何も概説的な知識すら知
らず地下鉄にサリンを撒いたのです。末木さんにご不満はおおいに
あるでしょうがまづは啓蒙的な宗教知識(21世紀版「八宗網要」)
がとりわけ若い世代に必要です。顕正会問題も啓蒙的な宗教知識の
不在から起因しています。「体内」といっても既に西洋近代を完全
に排除して妙楽の昔にかえることも不可能です。然し小川隆氏が中国
禅宗史の厳密な中国語読解研究アプローチを通じての「同時代の現代
性」の探究は可能です。

661犀角独歩:2006/04/29(土) 17:15:27

文殊さん

論点がずれています。わたしは、「日蓮の実像の素描」にはという条件で記しているのですよ。

662犀角独歩:2006/04/29(土) 17:27:03

文殊さん、それともう一点。

また、あなたの論法では、オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」によって起きたような論調ですが、これは全くの見当はずれな分析です。
これは全くの見当違いです。

涅槃教のなかに折伏という名の殺人が肯定されていますし、日蓮はそこから、念仏信仰の首を刎ねろと殺人を促しています。あなたの論法からいけば、日蓮は啓蒙的知識がなかったために、この馬鹿げた発言をしたことになります。問題はそのような点にあるわけではありません。人権、人命を宗教よりも軽いものと見なした受容姿勢にこそ、問題があったのです。

また、顕正会についてオウム真理教と同列に扱っていますが、しかし、あなたが信じ行じている石山信仰と、世はこの一派を括っています。あなたの信仰と顕正会と一体、何が違うというのでしょうか。

むしろ、そのような過ち、具体的に云えば、偽物4点セットの信仰はやめないかと常識と分析からあなたに勧めています。

663犀角独歩:2006/04/29(土) 17:43:16

さらにもう一点足せば、わたしは、文殊さんは656に

啓蒙的な書籍を廉価な新書
末木氏…宗教史…日本仏教史の素描…議論のたたき台

ということに応じて、左記の通り記しました。
ところが660になるとその廉価な新書が「漢文・サンスクリット・パーリ・チベット・西夏語の読解できる語学力のある知識人による啓蒙的な仏教書」とまるで違うことになってしまっています。

わたしは言語・翻訳について、漢訳仏典を基礎にする日本仏教を根元的に見直されるべきであるという考えを通じて指示してきました。それ故、松山師の法華経講義へ自らも参加し、また他の方の参加も促してきました。その観点からも、「廉価な新書」の仏教書の必要性をいった点に異議を述べたのです。

このような論理のすり替えはやめていただくように勧告いたしておきます。

664犀角独歩:2006/04/29(土) 17:45:23

【663の最初の4行を訂正】

正)さらにもう一点足せば、わたしは、文殊さんの656の

啓蒙的な書籍を廉価な新書
末木氏…宗教史…日本仏教史の素描…議論のたたき台

ということに応じて、先の通り記しました。

665犀角独歩:2006/04/29(土) 22:02:24

わたし、書き違えておりますね。
修正します。

誤)オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」によって起きたような論調

正)オウム真理教の地下鉄サリン事件が、「啓蒙的な宗教知識」があれば、起きなかったような論調

666文殊:2006/04/29(土) 22:52:34
オウム真理教に入って幹部に上り詰めた理系エリートは、これは第二次大戦
後の宗教色を完全に排除した教育(日教組主導)を受けて、啓蒙的な宗教知
識すら知らないまま、チベット仏教の流れを汲むオウム真理教に遭遇して、
地下鉄サリン事件で殺人教義を実行・着手した経緯を申しました。さらに、
一般在家信者は中沢新一『チベットのモーツァルト』を読んで、日本にも
チベット仏教の体験ゾーンがあるとの認識で、オウム真理教に親近感を覚え
飛びついていったのでした。もしチベット仏教が後期印度密教の流れであり、
教判論からいえば方等部に摂属されるとの基礎的な教学知識があれば、違う
選択もありえたと思うものであります。日本の仏教・宗教研究者、現代思潮
の哲学者をはじめ、親鸞、道元に比し日蓮を真正面から論じたものが少ない
中、末木氏が比較的論じているので、内容はともかく、書いていること自体
評価しているということです。もちろん、彼の思想基盤は禅の現代思潮的解
釈(論敵・小川隆氏から厳しく難詰されています)であり、正確な日蓮解釈
ではありません。あくまでも参考程度です。ただ新書での仏教解説・宗教史
素描は高校生向き・大学一年の教養にはいいのではないかというのが私の趣
旨です。私の信仰観ですが、大石寺蔵真蹟遺文『新田殿御書』に日蓮の重要
な示唆があると思います。

667文殊:2006/04/29(土) 23:23:47
13世紀と国民国家成立以後の近現代とでは明らかな断絶があります。
13世紀日本では刀丈携行が許されていた。武器所持が合法的の時代
と銃刀法で携行が非合法である現代日本とでは位相が異なります。
アメリカ合衆国の拳銃所持は人間精神の堕落です。中世と近現代との
異目は生命倫理にあると考えます。ゆえに『立正安国論』の「涅槃経」
引用「殺人菩薩肯定思想」は21世紀日本・世界にあっては依用する
ことはできません。『観心本尊抄』の「賢王」思想はイラク戦争のネオ・
コンサヴァ思想をややもすると想起されあらぬ誤解を受けかねません。
遺文解釈に際しては、自身の倫理観が高いか低いかによって読み方が
全く様相を異にします。顕正会には倫理が不在のゆえに危険性が孕んで
います。

668文殊:2006/04/29(土) 23:44:11
『立正安国論』に見る念仏批判は「念仏者追放宣旨事」を京都のみならず
鎌倉でも幕府は実行せよとの趣旨ですが、現代では依用することはできま
せん。解釈には当然、何を捨てて何を遺して後世に伝える義務があります
ので、この時に幾多の宗教戦争の惨禍をくぐりぬけてきた西洋近代の哲学
思想に学ぶべきものは少なくありません。現代思潮との混同には禁欲を課
しつつも、取捨選択の基準に西洋近代の哲学は参照しうるでしょう。逆に
その努力を怠っている顕正会には殺人思想の内在化が懸念される。

669文殊:2006/04/30(日) 00:00:25
革命家・犀角独歩さんによって、石山聖地信仰も日興神話も破壊され
ました。「富士清流神話の瓦解」です。さてこれからこの歴史的建造
物の瓦礫が一面に広がっている荒地に、六本木ヒルズのような超高層
建造物を建てるのが犀角独歩さん、表参道ヒルズのような前時代の記
憶を一部遺すのが私との方法論が異なります。羅什訳漢文仏典の根本
的な見直しを図り釈尊の真意と日蓮の実像を探究される犀角独歩さん
とサンスクリット・パーリ・チベット・西夏諸仏典の最新の研究の成果
をふまえつつも漢訳仏典にも一定の評価を与えるのが私の立場です。
末木氏から話が広がりすぎました。

670パンナコッタ:2006/04/30(日) 01:15:26
横レスですが、
「新田殿御書」は御遺文対照記で確認されましたが、今は石山曾存ですよ。(平成新編参照)

671文殊:2006/04/30(日) 06:10:47
パンナコッタさん、ご教示ありがとうございました。以前拙稿で『一代
聖教大意』の「秘蔵の大事」で蓮祖が叡山遊学時代に学んだ所謂講学上
本覚思想を窺わせるものとしましたが、宝智房証真の義でした。訂正さ
せていただきます。

672犀角独歩:2006/04/30(日) 07:46:00

文殊さん

あなたは、わたしの書いている意味がわからないのでしょうか。
繰り返しますが、オウム真理教の一部、地下鉄サリン事件に関与した教祖・麻原と幹部たちは、啓蒙的宗教認識の不足から大量殺人を犯したのではありません。

むしろ、修行者たちは菜食を好み、蚊・ゴキブリすら殺さない集団生活を好むというまったく逆の様相もみせています。そのような不殺生を貫くはずであった彼らが、なぜ大量殺人を犯していったのか。実はこのテーマは先般、東大先端科学技術研究センター特認研究員である島田裕巳師が企画した『オウム真理教事件から考える日本社会とテロリズム』の根幹をなすテーマでもあったわけです。いうまでもなく、島田師は、オウム問題では中澤師と並び評される一人でした。そのかつての研究者が、啓蒙的宗教認識が犯罪抑制につながらないことを、当然のことながら、認識し、テロリズムを引き起こす各種要因を考えるために開催したシンポジウムでした。むしろ、正しい認識とアプローチであるとわたしは評価しました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50461900.html

あなたはどうやら、啓蒙的な宗教認識があれば、彼らが大量殺人をしないですんだと思っているようですが、問題はそんなところにありません。

また、13世紀、すなわち、日蓮の時代と現代が断絶があることは、むしろ、わたしが記してきたことでした。しかしだからといって、現代思潮で日蓮を考えれば、実像に迫れるというものではありません。むしろ逆であるといっているわけです。

あと、あなたは、「殺人」という側面から顕正会の非を説きますが、この団体は高校生を中心に強引な勧誘をするという点が社会問題化しています。つまり「子供だまし」です。

一方、あなたが信徒である団体は、『宗教年鑑』の記述に従えば、最高数1800万信徒を数え、一つ正本堂供養を採っても800万人、375億円の集金を受けた団体です。この信徒献金の根拠は、彼の模造品である彫刻でした。これを日蓮の本懐の究竟の本尊であると1000万人もの人を誑かし、莫大な金品のみならず、善良な人心を破壊したのです。戦後最大の宗教経済被害という犯罪実行の団体であるとわたしが言う所以です。

あなたは、では、なぜ、このような宗教犯罪に荷担しつづけているのでしょうか。あなたが末木さんも含めて通じ、摂取しているであろう現代思潮は、この宗教犯罪の停止になんら効力がないのは何故でしょうか。

オウム真理教の実行犯に、仮に現代思潮の正確な認識があったところで、彼らがテロリズムの必要性を感じれば、必ず実行したことでしょう。それは、あなたが啓蒙的宗教認識を夢想しつつも、結局のところ、戦後最大の宗教犯罪集団から出られない理由と、実は同様の心理メカニズムによっているのでしょう。

はっきりと言いますが、あなたが所属している団体は子供だましの顕正会より、社会的悪影響を実際の被害度においては比べものにならないものです。目くそ鼻くそを笑うという言葉もあります。顕正会の社会問題をいっているより、あなたの所属している集団のほうが規模といい、やり口といい、はるかに問題ではないでしょうか。なぜ、あなたはその点に気付けないのでしょうか。

そして、あなた自身がいうように、あの見せ物小屋に鎮座させている模造品を、あなた自身その真偽を言うことも出来ない。そんなことで、何として、啓蒙的宗教認識など、人にと問えるものでしょうか。

もう一点、あなたが漢訳仏典に一定の評価を‘与えざるを得ない’のは、上述する集団の固執から生じた個人的なご都合であるとしか、わたしには思えません。なぜならば、あなたがいうような啓蒙的宗教認識が確実な形で具体化すれば、漢訳仏典、梵本とはかけ離れた発展を遂げた‘別のものである’ことは、むしろ、明瞭になっていくからです。

自己弁明のために啓蒙的宗教認識を振りかざすのか、或いは、そこに本当に救いを求めているのか、そのどちらか、もしくは両方であるかは明瞭ではありませんが、あなたのいうところに説得性がなく、不誠実と感じるのは以上の理由からです。

以上のような集団に属するあなたが啓蒙的宗教認識を云々するなど、まことに片腹痛い思いがあるということです。

なお、『新田殿御書』に重大な日蓮の示唆があるというのであれば、具体的にその理由をここに記し、問うことが議論の在り方です。

673文殊:2006/04/30(日) 08:23:49
どうしていつも板本尊論議なのでしょか。極論に走りすぎです。
犀角独歩さんは過去に複雑な思いがあるでしょうが、あまり
感情的な議論はいかかがなものでしょうか。私は誠実に対応
していますよ。板本尊が偽者だからといって日蓮宗の本尊観
がいいかというとそうでもないわけです。だから今試行錯誤
の時期、過渡期なのです。結論は急ぐべきではない。島田氏
はオウム事件の時は責任の一端はあります。宗教学者として
です。中沢氏は自身の著作物に製造物責任があります。何も
知らない読者がいきなり『チベットのモーツァルト』を読ん
でカルト団体に走った要因はさまざまあるけれども、一つは
戦後教育の弊害の一つである宗教知識の不在によるものと記
しただけで、何もそこから板本尊批判にいくのは論理の飛躍
がありすぎです。

674犀角独歩:2006/04/30(日) 09:08:42

文殊さん

なぜ、石山の彫刻を論じることが極論なのでしょうか。
当然のことでしょう。

科学を論じる際、天動説を指示する学者の話を大衆が聞かないように、日蓮を語る際に、彫刻が本物であるという人間の話を聞く人間はいないでしょう。むしろ、そんなことを騙って憚らないその心理構造の問題を指摘しなければならないということです。
感情論でもなく、わたしの過去の「複雑な思い」などと収斂されることではありません。

彫刻の模造事実を秘匿して、啓蒙的宗教認識があれば、事実が解明されるなどということは夢想に過ぎないという指摘に過ぎません。
これは、わたしにおける誠実な対応です。

極論というのは、たとえば、あなたが仰るように啓蒙的宗教認識があれば、地下鉄サリン事件が起きなかったなどという類にこそ言えます。
むしろ、この問題を避けるあなたの在り方のほうが感情的であると映じます。

島田師、中澤師に、仮にオウム真理教地下鉄サリン事件の責任があるというのであれば、彫刻を本物であるということには道義的責任はないのでしょうか。

わたし自身、中沢師の著述は、もちろん、読みましたし、当時、特にチベット研究者との親好もありませんでした、それでも、その著述からオウム真理教に入ることはありませんでした。また、オウム真理教の信者数と、石山・創価学会・顕正会の信徒会員数など、比ぶべくもないものです。

また、殺人という問題をいえば、大東亜共栄圏、八紘一宇、天皇本仏論といった日蓮主義が、では、荷担した戦争殺人の責任は、オウム真理教より軽いのでしょうか。小笠原慈聞師にせよ、当時の石山僧俗にせよ、この問題に荷担していませんでしたか。

他のことは客観的に論じながら、あなたはご自身の信仰については主観的自己弁明に終始しているようお見受けします。

日蓮門下、殊に富士門流、取り分け、創価学会を含む石山圏内で、第一に論じるのは彫刻問題、次に日蓮本仏論その他の日寛教学、このハードルを越えずして、日蓮門下一般とのまともな会話も成り立たないのは、理の当然です。この点を避けて通るあなたの在り方にわたしは不思議を覚えます。

そもそも、わたしが何ゆえ、日蓮宗との通用があるのか、それは、この問題を決して避けて通らないからです。

また、あなたが学僧という人々、花野氏、興風檀所各位への評価は、学術的方向で一定の評価を得ながら、彫刻比定を出来ない点について、冷笑を買っている場面には常に出くわしています。本人に告げられることがなくても、その点が壁になり、それ以上に進まないならば、その障害を取り除くことを提案するのは、むしろ、あなたがいう啓蒙的宗教認識の、石山問題の最大の課題である所以からです。さらにいえば、それら人々を惜しむ故の提言以外の何ものでもありません。

675犀角独歩:2006/04/30(日) 09:19:21

もう一点書き足せば、あなたがいう啓蒙的宗教認識には、何故、石山彫刻本尊の真偽問題は入らないのでしょうか。

わたしにおける啓蒙的宗教認識の第一歩は、この彫刻が模造品であることを、世に告知することです。それを避けて通り、現代思潮から云々するあなたの在り方を、わたしは不誠実であるといったのです。

問います。石山彫刻の真偽を論じることが、なぜ、啓蒙的宗教認識に入らないのでしょうか。

676今川元真:2006/04/30(日) 10:22:33
横レス失礼します。◆◆ 【聖徳太子、天台圓宗、天台密教、日蓮仏法、法華六弟子、江戸国風文化脱亜入欧、天照奉戴、高度経済成長、借金大国】◆◆正道の志は睡蓮or不可思議な因果倶時の蓮華◆◆ビシュヌor日蓮仏法◆◆シヴァor最後真理教◆◆豪族時代、皇族時代、武士時代、軍事時代、経済時代◆◆諸行無常or一念三千

677今川元真:2006/04/30(日) 10:29:36
すいません。点が一つぬけてました。《江戸国風文化、脱亜入欧》

678文殊:2006/04/30(日) 16:35:43
啓蒙的宗教知識はあくまでも概説的な仏教知識です。本尊論は基礎教学を
習熟した段階ではじめて奥義として感得するものでしょう。帰命の義から
見れば、自分の有限の生を本尊に「一心欲見仏不自惜命」の行業を捧げる
ものでしょう。日蓮宗関係者が花野氏等日興門流学僧を冷笑しているとい
いいますが、雑乱勧請の日蓮宗寺院の本尊奉安様式をまづは石山批判の
前に省みるべきではないでしょうか。犀角独歩さんが石山圏本尊観を痛烈
に批判されていますが、石山圏から所属団体の変更手続を通じての離脱は
少数にとどまるでしょう。過去にも有名な安永弁哲氏、松本勝弥氏、横浜
に大本尊、保田妙本寺離脱、河辺メモと偽作論がありましたが、離脱まで
はいたらなかった。問題は「出エジプト」を果たしても、荒地を彷徨なけれ
ばいけないからです。犀角独歩さんの伝統的富士門流批判は慈雲に通じる
ものがあり敬意を表します。

679kabata:2006/04/30(日) 18:20:46
一見で恐縮ですが、文殊さん。
なんで諸尊の別勧請がいけないんでしょうか。
雑乱勧請というのは一方的な悪口でしょう。
曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っているだけです。
それがいけないというのであれば、仏像を祀った日蓮聖人もいけないというのでしょうか。
また、清澄のご修行の時代は虚空蔵菩薩様のお像も拝んでいますよ。
独歩さんが板マンダラを批判するのは、偽物であり、伝説も嘘だからでしょう。
それに対して、別勧請は、一つの奉安の在り方です。
偽者を祀っている宗派にとやかく言われる筋合いはありません。

680顕正居士:2006/04/30(日) 19:09:47
そうですね。別勧請は問題ないですね。そういう考え方は遂に宗祖の曼荼羅を否定し、
一遍首題とか一尊四士でないといけないまで進みます。さらに宗教の芸術性を破壊し、
救済感が存在しない、カルト信仰の土壌になるでしょう。

681一字三礼:2006/04/30(日) 19:14:23

横レス失礼します。

kabataさん

> 曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っているだけです。

本当ですか。
私は、身延山久遠寺でたくさんの別勧請とやらを見てまいりましたが、曼荼羅本尊に記されているとは思いませんでした。
たんに、日蓮宗の信仰が民間信仰と混ざって俗信化しただけのことではないでしょうか。

1 北斗妙見菩薩
2 大黒天
3 最上稲荷
4 常護菩薩

これらの諸尊は日蓮御筆曼荼羅のどこに勧請されているのでしょうか。
「御本尊集」(立正安国会編)の番号で示してください。

682問答迷人:2006/04/30(日) 19:18:42

文殊さん

僕は、かつて、本門戒壇板本尊の信仰者でした。河辺メモを読んでから、これは変だな、と思うようになりました。河辺メモが捏造されたものではなく、河辺師の直筆であることが判ってからは、さらに変だと思うようになりました。決定的だったのは、宗門の言い訳、ことに河辺師に言わせた言い訳、これが決定的でした。日顕師が話したことがそのままメモされている、という確信に到りました。そして、日顕師が宗門において、真蹟曼荼羅の鑑定を得意にしている方であられることを知るに及んで、本門戒壇板本尊が真っ赤な偽物であることを確信するに到りました。

河辺メモにある日禅授与曼荼羅を是非見てみたいものだと思っておりましたら、友人が見せてくれた北山本門寺のパンフレットに小さいながら写真が掲載されていました。これをコピーして、スキャナで取り込んで、ネットにアップしましたところ、犀角独歩さんが、詳細な分析を加えて、本門戒壇板曼荼羅の写真と比較検討して、河辺メモの記載内容が正しいことを証明してくださいました。時の日蓮正宗管長の偽物発言が正しいことが、図形の上から裏付けられたわけですから、これ程の雄弁な偽作論は未だかってなく、その破壊力の凄まじさは、日蓮正宗の活力を根底から奪ったと思っています。

後世に、その時の宗門の都合で偽作された板曼荼羅を、あたかも日蓮聖人が建立したものと偽り、信徒を集めたこと、これはまれに見る悪質極まりない宗教に名を借りた詐欺行為だと僕は考えています。国法は、これを裁くことは無いかもしれないが、裁かれなければ何をしても許されるわけでは有りません。日蓮正宗関係者は、片鱗の道心が有るなら、直ちに真実を信徒に告げ、謝罪し、長きに亘って宗教界、並びに日本国民を欺いてきた罪を懺悔すべきだと思います。又、日蓮正宗に所属する僧俗は、この事実を厳粛に受け止め、法衣を脱ぎ、信徒を辞めるべきだと思います。それが、偽りの流布に知らずとはいえ、少しでも協力してしまった償いの第一歩で有ると思います。それが道念と言うものでしょう。

先ずは、誤れるものを捨てること、そして、誤れるものを流布した罪を懺悔すること、ごめんなさい、ということから再出発が有ると思います。日蓮聖人の教えを探求するのも良いですが、懺悔の無い探求は、何の価値も生まないことは、どなたもお分かりのことだと思います。かのホリエモンの釈放の第一声が、「ご迷惑をお掛けしてごめんなさい」だったように、そこから始めなければ、何らの価値も意味もないと僕は思います。

僕は今は、一切の日蓮正宗の活動から手を引きました。参詣も全て止めました。心配して連絡をくれた人には、板曼荼羅が偽者であることを必ず伝えるようにしています。今では、僕は、お寺では行方不明扱いになったそうです。だから、もう籍も有りません。連絡も来ません。

信徒であることを先ず止めること、ここからしか何も始まらない事を、蛇足ながら、お伝えしておきたいと思います。

683問答迷人:2006/04/30(日) 20:48:27

文殊さん

追伸です

>問題は「出エジプト」を果たしても、荒地を彷徨なければいけないからです。

戒壇板本尊を否定した当初、僕も荒野を彷徨する思いがありました。しかし、今は、そんな思いは微塵もありません。

日蓮聖人の教えは、三つ秘法に尽くされています。戒壇義は明らかでないものの、本尊義、題目義については、日蓮聖人が既に明らかにしておられると拝しています。

本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。」とある通りに、曼荼羅を拝して中尊の南無妙法蓮華経の五字を信じて南無妙法蓮華経と唱える所に、仏の教えの全てが譲り与えられる、という信仰に徹することだと存じます。その曼荼羅が大石寺の板曼荼羅でなければならないとか、その写しでなければならないとか、五老僧門流に伝えられた曼荼羅には功徳が無いとか、そのような日蓮聖人の与り知らぬ教義をかなぐり捨てて、純粋に日蓮聖人の教えに立ち戻ることが先ずは必要なことであろうと思っています。ちなみに、僕は、今も、顕師書写に依る、所謂特別御形木本尊を安置して、日々勤行唱題に励んでおります。この事が日蓮聖人の教えに外れるとは考えられないからです。

684文殊:2006/05/01(月) 00:16:10
問答迷人さん、私は日興門流の流れを汲む者として、十界互具曼荼羅
本尊は広宣流布の時までは必要であると考えます。宗祖が仏像を日日
礼拝してきたことは存知しています。但し、池上での臨終直前には、
一体仏をお下げして大曼荼羅を掲げました。これが日蓮宗宗定本尊の
臨滅度時本尊ですね。日蓮宗の信徒に御形木を授与のみに局限すれば、
問題はないわけです。現実対機の観点から一般信徒には毘沙門天、鬼
子母神、馬頭観音を拝ませている。入り口は間口が広くても何時にな
れば曼荼羅本尊に専念できるのか、日蓮宗寺院の奉安様式を見ても疑
問があります。富士門流は基本的には一体三宝・別体三宝を護持して
います。あえて別勧請する理由は民間信仰を法華一乗の体内に開会し
たことでしょうか。河辺メモの時の日蓮正宗管長は昭和38、9年頃
から松本佐一郎氏の影響で本尊研究・鑑定を始めたので長年の研究で
偽造と鑑定しましたことは熟知しています。

685文殊:2006/05/01(月) 00:22:53
顕正居士さん、別勧請は問題はないとの仰せですが、もう少し
根拠と理由を詳説してください。優秀な方と拝察されますが、
論理的過程が省略されているので、なぜカルトの土壌になる
のか、丁寧に説明していただけないでしょうか。

686文殊:2006/05/01(月) 00:42:03
宗祖が一体仏を拝んでいた事跡があったからといって、この末法
五濁の荒凡夫に宗祖の行は真似はできません。既に正像の禅定三昧
に専心することは機根が衰えています。宗祖は法華経の文字は仏と
の感得する激しい修行の結果、自在無碍に自然万物を本尊と可視で
きる仏知見を有しておられるわけです。宗祖の行とわれわれの行は
異なると思います。かくして散心・雑念が強い本未有善の荒凡夫に
は曼荼羅本尊に対して、方便・壽量二品読壽唱題が至当ではない
でしょうか。

687乾闥婆:2006/05/01(月) 00:48:41
犀角独歩さん。

>廉価な新書・文庫の仏教書の流通が一般大衆の認知に有効か否かという問題があります。わたしは、この手の本が仏教書であるという考えにそもそも反対です。

よく分からないのですが、末木氏の『日本仏教史』は仏教書とはいえないということでしょうか。近世までの日本仏教通史としてはコンパクトにまとまったよい本だと思っていたのですが・・・私が創価学会の思考から大きく解き放たれたのは角川文庫版の『仏教の思想1』で増谷文雄氏の文章に触れたことがきっかけでした。廉価な新書・文庫によって仏教の入門書が流通することは、よいことだと思うのですが・・・末木氏の『日本仏教史』などを創価学会員も読んでみればいいのにと思いますし(そうやって自宗派の正当性に固執する視点を少しでも相対化できればいいと思いますし)、そのような廉価版の仏教書(であると私は思っているのですが・・・)が仏教を専門的に学んでいるわけではない人の手に取りやすく流通していることの意味は小さくないと思うのですが、いかがでしょうか。

688顕正居士:2006/05/01(月) 00:55:43
>>685
>>680 の理由に尽きます。あとは別勧請にどういう理由で問題があると思うのか、
その方の意見を聞かないと批評ができないです。文殊さんのご意見でなく、
智学居士のでも、日生師のでもよいですが。どういう考えからかを聞かないと。

689孤独な迷子:2006/05/01(月) 00:59:40
問答迷人 さん

ご無沙汰しております。

>今では、僕は、お寺では行方不明扱いになったそうです。だから、もう籍も有りません。連絡も来ません。

籍が無くなったというのは、某かの連絡があったのですか。

690顕正居士:2006/05/01(月) 04:08:16
>>681
一字三礼さんの御質問にはkabataさんが先ず答えるべきでありますが。

「曼荼羅本尊に記されているものを、それぞれ尊像として祀っている」わけではないという趣意ですね。
自筆の曼荼羅に勧請された諸尊は、日蓮聖人の信仰が篤かった仏、菩薩、神々といえますが、
それらを善仏、善菩薩、善神祇とし、勧請しなかった諸尊を悪仏、悪菩薩、悪神祇とする思想があった
わけではありません。一切の仏、菩薩、神々が法華の会座におられたという思想なのは明白です。
別勧請の対象を日蓮聖人が勧請された諸尊に限定する理由はありません。

さらに一字三礼さんが挙げられた諸尊は「俗信」ではありません。日蓮宗の興起以前から、法華信仰
と習合していました。しかし天台神道ではそれほど重視せられなかったので、日蓮神道では本門を表
とする教義から、これら諸尊への信仰がさらに興隆したのであろうと考えます。

691犀角独歩:2006/05/01(月) 05:13:32

文殊さん

わたしはあなたに「石山彫刻の真偽を論じることが、なぜ、啓蒙的宗教認識に入らないのか」と675で問うています。これを無視して議論を進めるやり方は、当掲示板の投稿の姿勢としては、甚だ不可であるいうほかありません。

また、あなたの考えは、日蓮滅後に興った漫荼羅を本尊とする、「漫荼羅正意」論を恰も日蓮の本義であると決めつけた形で進んでいますが、それは富士門下の改変であって、日蓮とは関係がないことは、ここでは論じられてきました。日蓮が、漫荼羅を本尊とした証拠はありません。

さらに日蓮が臨終に当たり、枕辺に漫荼羅を懸けたというのは、単に伝説なのであって、事実である証拠は何一つありません。


kabataさん

はじめまして。わたしの考えを端的にまとめていただきまして有り難うございます。
仰るとおりで、模造偽物の彫刻を拝むものが、別勘定云々で他山を批判するなど、「盗人猛々しい」ことであると嗤うほかありません。また、それがここ50年間の日蓮宗の言い分でしょう。

別勧請と雑乱勧請について。一字三礼さんが仰るように、漫荼羅に勧請されない諸尊もまた、祀られるのわけです。けれど、たしかに仰るような形も当然あります。それはともかくとして、漫荼羅に勧請されたものを別に祀って何故悪いのかというのは、尤もなご意見であるとわたしは思います。

日尊、日順などは、漫荼羅図は戒壇に奉安される仏像配置の設計図の如きを言うことは、既に顕正居士さんも挙げられた点で、いわば、別勧請造像奉安は、その類型と見なせることで、これを比定する根拠は「広宣流布以前」というほか、ないとも考えられます。

また、勧請されていないものを祀るのはどうかという点では、定まった考えをわたしは有していませんが、しかしながら、一方で他の問題もあることを指摘できます。つまり、日蓮の現存漫荼羅に勧請されていない諸尊を、漫荼羅に書くことは、では、日蓮に違反しないのかという点です。石山も他派を真似てはじめたという導師漫荼羅を称されるものには閻魔法皇等が勧請され、これは日寛も書いています。また、日寛が地域の土俗信仰の諸尊を漫荼羅に記した事実を石山は秘匿しようとしているといいます。さらに、「奉書写之」と記して漫荼羅を書きながら、実際には彫刻の座配と違っていることは、細井日達氏が精道の名乗りの時代記述から明らかになっています。その後、石山では書写と言いながら記述内容の相違を「内証を写す」などと苦しい弁明をし、その追及はここでも何度か行ったところでした。

日蓮は弘安期でも釈迦仏像の造立を賞賛する消息を残すわけですから、漫荼羅が釈迦像に代わる本尊であるはずはなく、昨日の議論の流れは全く日蓮の意図に反したものであるといわざるを得ません。その意味において、686に文殊さんが記したことは全く不可です。そもそも日蓮真跡遺文といわず、御書全般でも「荒凡夫」などという考えは見られません。


乾闥婆さん

仏教の解説書は仏教書ではないという意味での記述です。
法華経入門という本がある場合、この本は解説書であって法華経ではありません。
この手の解説書のなかで、殊に富士門下などで必携の書を挙げるとすれば、わたしならば執行海秀師の『日蓮宗教学史』を薦めます。

692問答迷人:2006/05/01(月) 05:41:41

文殊さん

>河辺メモの時の日蓮正宗管長は・・・長年の研究で偽造と鑑定しましたことは熟知しています。

なるほど。この点では、認識は一致しているわけですね。後は、偽造本尊を未だに日蓮聖人の御建立であるとして信徒を集めている日蓮正宗を是とするか非とするかですね。


>孤独な迷子さん

今年の春先、新しく任命された法華講の役員さんがみえて、色々とお話していて判った事です。勿論、それ以来、連絡は一切有りません。

693乾闥婆:2006/05/01(月) 09:45:00
犀角独歩さん。

仏教書と仏教解説書とを別けているだけで、廉価な仏教解説書を貶めているわけではないということですね。了解いたしました。執行海秀氏の『日蓮宗教学史』、ネット古書店にて見つけましたので購入してみます。ご紹介ありがとうございました。

694一字三礼:2006/05/01(月) 10:31:31

>>690

顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。
別勧請は法華の「開会」の考え方から導きだされるとのお考え、了解しました。

私は、先に申し上げましたように、身延山久遠寺の各坊を観てまわりましたが、そこに祀られている諸尊の統一感のなさ、悪く言えば雑濫ぶりに、少なからず驚かされました。

例えば北斗妙見は元来、千葉氏の守り神であったものが日蓮宗に逆輸入されたものであり、常護菩薩は、日蓮聖人が思親閣に登られるたびに警護についた土地神。

犀角独歩さんも仰るように、「曼荼羅に勧請されていないものを祀る」と言うことに関しては、私もまだ考えをまとめられずにいます。
「開会」の視点からは、当然、別勧請が「可」とされるのはわかりますが、では日蓮の勧める信仰の姿がそれであったか、ということでは、少し首を傾げたくなります。

695犀角独歩:2006/05/01(月) 10:33:14

問答名人さんにおかせられては、川辺メモ、また、日禅授与漫荼羅の掲示から、その疑義を論じられた一連の経緯をご説明いただきまして、まことに有り難うございます。当掲示板、また、問答さんのご賢察を探る意図を以て致した図形鑑別でした。故にこのご洞察は、わたしの発表出版以前のことでした。実際のところ、問答さんが日禅授与漫荼羅を撮った小さな写真を載せられた段階では、まだ、わたしは半信半疑だったのです。しかし、今から2年前、彫刻とこの漫荼羅を重ね合わせたとき、すべての謎は氷解したわけです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

既にこのことは日蓮宗教学研究大会でも発表し、さらに同現代宗教研究所で講演も致し、所報第39号にも掲載されましたので、日蓮宗では周知の事実となりました。

石山がそれを無視しようと、また、ここでの議論のようにスポイルしようとしても、もはや時代は変わったわけです。時恰も小樽問答より半世紀目に当たっていたわけです。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/


乾闥婆さん

仰るとおりです。
たとえば新書・文庫ではありませんが、故高木豊先生の『日蓮』(太田出版)をわたしは薦めていました。
また、あとから修正を余儀なくされましたが、岩波文庫版『法華経』も推薦した一書でした。

696犀角独歩:2006/05/01(月) 10:54:29

一字三礼さん

この見はお会いしたときにもお話したいと思いますが、漫荼羅勧請以外の諸尊を祀ることが雑乱に当たるや・否やは実に悩ましい問題であると思います。先にも記しましたが、わたしからすれば、それがもし「謗法」であるというのであれば、日蓮御筆大漫荼羅に勧請されていない諸尊を漫荼羅に図示することでも「謗法」ではないかという視点は成り立つことになるからです。この批判には当然、石山歴代住職の書写?本尊も含まれることになります。

また、石山の漫荼羅は彫刻を書写したと言いながら、その勧請は違っています。第一、あの彫刻では「二千二百二十余年」となっているところを歴代本尊では古来より「二千二百三十余年」となっているところから、違っているわけです。さらに帝釈の相違を細井氏は記述していたわけです。

以上のように彫刻にないことを書き、書写と謀ること、また、他の諸尊を勧請をすることが日蓮の意志に背くか否かは仏像造立とは別の問題を孕んでいます。

また、視点をまったく変えれば、日蓮の漫荼羅は法華十界勧請だと言いながら、そこには不動・愛染あり、天照八幡あり、大日如来の勧請まで見られるわけですから、法華一経から見れば、既に雑乱勧請ではないのかと言えなくもありません。しかし、この点を肯定的に見れば、顕正居士さんが仰る如く、寧ろ、開会し、摂取していくことのほうが隋方毘尼に適うと見ることもできます。いわば、その典型が導師漫荼羅ということになりましょうか。

わたしの知人である僧侶は「別段、キリストもマホメットもみんな載せてかまわないんじゃないのか」と言って、わたしは驚かしました。まあ、そのような考えもありということになります。

漫荼羅図示が造立を前提とするものであれば、勧請諸尊を別立てで祀ることを批判する方途は富士門下において、後世定着した漫荼羅正意論ということになりましょうが、これは、日蓮に遡源できない以上、的はずれな批判としか言いようがありません。

さらに言えば、日蓮の御影像を漫荼羅と共に奉安し、一体三宝であると、日興像を併せて別体三宝などというのは、では、漫荼羅に書かれる日蓮の切り出し、さらに漫荼羅にない日興の追加であって、見方を変えれば雑乱勧請の一種と言う批判は可能ではないかとも言えようかと存じます。

いずれにしても、石山の改変本尊論を以て捌くことなどできる問題ではなく、先に記したとおり、模造品を本物と謀る不正直の頭には神は住ませられないという石山謗法の見地からの神去り法門すら立義可能ではないかと思う昨今です。

697文殊:2006/05/01(月) 22:17:27
問答迷人さん、熊田葦城著『日蓮上人』の白黒写真と私が正本堂時代に
間近で内拝しました本門戒壇本尊とでは明らかに彫刻の金箔が新しく
鮮やかになっています。他スレッドで戦中戦後の混乱期の戒壇本尊の
顛末が証言されていましたが、まさに赤沢朝陽さんの職人芸です。
河邊メモの教学部長は、大雑把な達師と違い(花野氏が何かと助けた
そうです)行状はとかく非難の対象となっていますが、天台三大部の
研究は精緻なことに特色があります。松本佐一郎氏の思想的影響から
本尊研究・鑑定に着手し、本尊鑑定においては一番弟子の八木さんと
ともに目利きです。師弟コンビが河邊メモ記述当時にいたる10数年の
星霜をかけて研究してきたのですから事実です。あのふたりは素人で
はありませんから、蓋然性は極めて高いと思われます。ただ自白すると
宗教法人日蓮正宗の存在意義が難詰されるので、意地でも認めないで
しょう。

698犀角独歩:2006/05/01(月) 23:38:18

管理人さん

文殊さんの、わたしの質問を無視し、単に問答名人さんをシェルターにして、投稿を進める態度は、不誠実であり、当掲示板の規約にも違反すると考えます。
斯かる投稿を看過される理由は何でしょうか。
勧告、改善を希望します。

700管理者:2006/05/02(火) 05:29:36

犀角独歩さん

>斯かる投稿を看過される理由は何でしょうか。

既に592レスにおいて、文殊さんには、当掲示板のルールに反することを御注意申し上げています。当然、順序として、次は、投稿をお断りすることになります。


文殊さん

既に592レスにおいて御注意申し上げました通り、話し合いを重んじる当掲示板のルールに、貴殿の投稿は馴染みません。御注意申し上げても改善されないようですので、今後の投稿をお断わりする事としたいと存じます。

701犀角独歩:2006/05/02(火) 10:07:15

管理者さん、ご返信、有り難うございました。

文殊さん、わたしが投げかけた程度の質問を、無視することでしか成り立たない、あなたの言う「啓蒙」とは一体、何でしょうか。また、「誠実」とは何でしょうか。あなたが応えず、避けて通る、わたしの質問こそ、あなた自身に内心において啓蒙されるべき問題ではないでしょうか。

702文殊:2006/05/02(火) 20:43:34
管理者さん、昨日の拙稿は時間がなかったので問答迷人さんにのみ宛てた
ものです。決して独歩さんと話し合いを峻拒するものではありません。
投稿するにあたって頭を捻って書いています。すぐにはご返信できない
ことがあります。特に独歩さんの厳しい投稿には当方といたしましても
周到な準備を要しますので、何卒ご理解をお願いします。
犀角独歩さん、板本尊存在解体の論理を学術雑誌・ご講演で開陳され
ることは啓蒙にあたります。意見の相違があるといって、独歩さんの
運動を妨げる意図はございません。正本堂はユートピアの「熱狂と絶望」
を表象しています。共同幻想であったともいえる。このユートピア思想
は今日においては危険性を孕むものであると認識しています。

704管理者:2006/05/02(火) 21:07:23

それでは、犀角独歩さんの問いかけにお答えになってください。或いは、現段階では答えが用意出来ないと言われるのなら、そのように表明されれば良いと思います。問いかけを放置して、他の方との議論を進めることは、礼儀に反することでありましょう。結果として話し合いを重んじない、或いは蔑ろにしている、という非難を招くことになりますので、宜しくお願いいたします。

今後、同様の、問いかけを蔑ろにしていると思われるレスが有りますと、その時は、強制的に退去していただ来ますので宜しくお願いいたします。

705犀角独歩:2006/05/03(水) 10:13:37

686に関して、691に反論しましたが、やや不徹底であったので、重ねて記します。

石山の教学では、本已有善・本未有善をいい、末法の衆生は本已有善の荒凡夫であると言いますが、日蓮の真蹟遺文からは、このような教学的態度は見られません。

日蓮の本門の強調は二乗作仏、久遠実成にその根拠を見ます。
二乗作仏についてはいまは措きます。
この久遠実成とは言うまでもなく、釈尊の五百塵点成道「我(釈尊)実成仏」を言うわけですが、わたしは、日蓮の思惟はここに留まっていない点を指摘したい。つまり、第一番成道の釈尊は、ここに法説し直ちに初発心の弟子との血縁を為すわけです。これが六万恒河沙数の菩薩です。つまり、久遠実成には久遠下種というセットがあるわけで、本未有善どころか、この久種の覚知こそ、日蓮教学の精髄をなすものです。日蓮はその久種の自覚に基づいて久遠本仏の法を弘めるというのです。この久遠に立ち還るとき、元来、未有善と見えた衆生は、過去遠々劫に既に本仏釈尊との結縁がある、そのことを久遠実成の本仏の施化から再び喚起せよというところに日蓮の下種の観念は有しています。日蓮が言う下種とは久種そのものです。

さて、本尊抄の

一往見之時以久種為下種 大通・前四味・迹門為熟 至本門令登等妙。再往見之不似迹門。本門序正流通倶以末法之始為詮。在世本門末法之初一同純円也。但彼脱此種也。
(一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也)

という文に就き、久種は脱益、末法は別の下種であるかの如く、誤読によって、石山教学は成り立っています。

しかしながら、ここでいう久種は正像のみをいうのではなく、この久種が正像においては等妙に登った衆生には熟脱の益となった。しかし、この久種が久種のままである衆生にとっては、熟脱となっていないので末法においても下種である。正像は2000年内の限定数の衆生脱益を果たしたが、漏れる衆生は久遠実成を寿量品から知り、その仏との久種を、いま末法に覚知し、下種をもって詮とするという日蓮の教学的態度がここに知られます。

忘持経事に

久遠下種之人忘良薬送五百塵点顛倒三途嶮地。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等学者等忘失仏陀本意 経歴未来無数劫沈淪阿鼻火抗。自此第一好忘者。所謂今世天台宗学者等与持経者等誹謗日蓮 扶助念仏者等是也。
(久遠下種之人は良薬を忘れ、五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。此れより第一の好く忘るる者あり。所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する、是れ也)

ここに明確に「久遠下種之人…今世」と論談されるわけです。しかしながら、このことは日蓮を去ることを2000余年、霊鷲山の虚空宝塔における五字付嘱とは、舞台を異にしています。こちらは在世の物語です。石山圏には、どうも虚空会久遠永遠常住と見る錯誤を儘見受けますが、久遠下種、五字付嘱は、前者は五百塵点、後者は今般印度二千年前のことという別を日蓮はしっかりと御立てています。

なお、日蓮が漫荼羅を本尊としたということは真蹟遺文から諮れないことは既に述べました。もう一点。方便寿量の読経については、これは読経についてなのであって、法華経巻全篇の学習を禁じたものでないことは当然のことです。もし、禁じたのであれば、そもそも『注法華経』は現存するわけもないわけです。
石山が金科玉条に扱う『就註法華経御義口伝』は、法華全篇の文々句々の日蓮説法を日興が記したという伝説ですが、法華一経を読まずして何として、この講義を肯定することができるのでしょうか。

706文殊:2006/05/03(水) 22:59:36
身延教学と石山教学とでは、釈迦本仏論と宗祖本仏論の
教義的な対立が存していて径庭があります。犀角独歩さん
の反論は前者の教義学に依ります。「忘持経事」引用には
独歩さんの執念が感じられました。私も気付かなかったこ
とであり大変勉強になりました。いかに石山教学が寛師の
圧倒的な影響力にあったことか逆に気付きました。

707文殊:2006/05/03(水) 23:19:13
但し、真蹟遺文で曼荼羅正意が証明されていないから
といって、曼荼羅本尊を軽くみることにはあたらない
でしょう。宗定本尊を伝説と一蹴することは自殺行為
です。日蓮宗はもっと御真筆の大曼荼羅(鑑定済の)
が多数格護されているのですから、称揚すべきでしょ
う。別勧請では南無妙法蓮華経日蓮在御判がなく、円
満ではないでしょう。方便・寿量二品読誦は現代人に
とって簡素な修行法だと思われます。日蓮宗は日興上
人の良いところは取り入れるべきです。色衣から薄墨
五条に。北山系では日興上人回帰の動きあります。
法華経一巻の学習は当然大事です。禁じることは誰にも
できません。私も学習しています。

708犀角独歩:2006/05/04(木) 09:54:39

文殊さん

ふざけた決めつけ、レッテル張りはやめてください。
まことに、あなたの所属する集団らしいやり方です。
わたしは、まるで身延教義学などによっていません。
そもそも、日蓮宗のなかでも真跡主義への反感は、当然あります。
真跡主義は日蓮宗の教義ではありません。

日蓮宗でもないわたしは、宗定本尊の伝説を一蹴することに何ら、痛痒はありません。
なにより、伝説が事実かどうか評定しているだけであり、それ以上でもなければそれ以下でもありません。
また、日蓮真筆御筆大漫荼羅を軽視する意志などあるはずはなく、これまた、真跡遺文から日蓮がこれを本尊として授与していた形跡が見られないと記しているのみです。
ただし、それが本尊であるというのであれば、言う側は、その証拠を示す義務があるといっているのです。つまり、あなたの反論は、人に身延というレッテルを貼ったうえで、伝説を守らないと自殺行為になると的外れな脅しをかけ、またしても、解答を回避しています。

さらに、上記の主語を代えて言えば「本門戒壇の大御本尊ほかの伝説を否定することは、自分の信仰にとって自殺行為である」という底意が感じられるものでした。

方便寿量が現代人にとって簡素な修行法であるかどうかなどと嘯いておりますが、わたしが記してきたことは、現代、石山で勤行といわれるものが日蓮の意図したものかということです。ここでも論点を代えて、質問をかわしています。

あなたが、法華一経の学習を行っているであろうことは、予想はもちろんつきます。
しかしながら、その学習が単に自分の信仰伝説にしがみつくだけの役にしか立っていない点を気の毒に思います。それにしても、そのような学習を重ねた目から、わたしをみると身延教義学であるという、それが事実でないことを了解してうえでの悪意のレッテル貼りと考えざるを得ません。

わたしがまったく身延の教義学によっていないことは、当掲示板の投稿を一瞥すれば一目瞭然でしょう。このような決めつけ、レッテル張りは、わたしの事実と著しく違背するもので、名誉を傷つけます。ここに強く警告をし、発言の撤回を求めます。

709文殊:2006/05/04(木) 10:52:45
犀角独歩さん、レッテル張りの意図は毛頭ございません。拙稿で
述べた趣旨は「本尊抄」から導出される本仏論には身延と石山の
二大潮流があり、犀角独歩さんの久遠本仏施化論は前者の思想的
系譜に近いものがあると思われたからでした。身延教義学にも
法類は異なるでしょうが、主流は釈迦本仏論です。レッテル張り
でなく大きく思想的系譜、その人の思想的基盤を分類すると、
釈迦本仏論か宗祖本仏論かで分水嶺があると考えます。名誉を
傷つけたわけではございませんので誤解しないでください。
私が犀角独歩さんの「本尊抄」解釈「忘持経事」援用に見る
現在の犀角独歩さんの思想的基盤は宗祖本仏論から釈迦本仏論
に移行していると思われました。名誉を傷つけたのであれば、
前言は撤回致します。石山根本批判もよいのですが、良い所
は次代に遺すことも重要ではないかと私は考えています。
二品読誦・唱題行は多忙な現代人にとって簡素で他門も参考
になるのではとの提案です。宗祖は門下に曼荼羅本尊を授与
し師弟の絆を契約し、二品読誦を勧めています。現に曼荼羅
本尊は現存している。もっと大事にしてはどうかとのこれも
提案です。強要とか名誉を傷つけたとの悪意は一切ございま
せん。質問をかわしているのではなく、私も宗祖の意図が
何であるのかを学んでいる途上です。

710犀角独歩:2006/05/04(木) 11:25:58

文殊さん

あなたの弁明は取りあえずお受けいたします。

そのうえで申し上げますが、あなたは大きな虚偽を構えています。
釈迦本仏論は、なにも身延の教学などではなく、日興その人の教学であり、日道の教学でもあります。日興は明確に「本師釈迦如来」とし、日道もまた、御伝草案に「日蓮聖人の云く…本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり」と言っています。

釈迦本仏が身延教学、嘘を言ってはいけません。
日興門流上代の教学は日蓮聖人の云く釈迦本仏論を受けたものです。

711犀角独歩:2006/05/04(木) 11:34:52

日興は釈迦本仏論であることは、あまりにも著名なことでしょう。
原殿書が日興真筆かという立場にあなたはおられない。この書の中に

「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」

とあることは、動かない証拠です。
この日興の名を騙り、日蓮本仏を言うなど、言語道断、師敵対の極みであると言っているのです。中世以降の変造・捏造教学を以て、日興の名を汚すことはやめるべきです。

712文殊:2006/05/04(木) 14:33:33
犀角独歩さん、仰せのとおりです。富士門における日蓮本仏論の濫觴
は下条妙蓮寺日眼「五人所破抄見聞」にみる「不軽と日蓮とは本仏也」
です。南条家直系の妙蓮寺が大石寺から独立した本山格寺院としての
台頭の時期に出されました。

713犀角独歩:2006/05/04(木) 15:05:05

重ねて文殊さん

> 石山…良い所

とは、具体的にどのようなことでしょうか。

> 宗祖は門下に曼荼羅本尊を授与し師弟の絆を契約し
> 二品読誦を勧めています

『創価学会批判』のなかに「この流の面白い点は何等相互関係のない遺文をさもありそうに関係づけることの多い事である」(P11)と、その悪き特性を指摘しています。悪意であるのか・ないのか、あなたもまた、その悪弊を引きずっています。

日蓮が漫荼羅を授与し師弟の絆を認めたのは事実ですし、二品読誦を修行としたのも事実です。しかし、この二つが一つにつながるのかというのが、当掲示板の一連の議論です。

つまり、日蓮は漫荼羅に二品読経をした挙証を求めてきたわけです。それにも拘わらず、真蹟遺文から何ら相互関係が確認できない二つの事実をさもありそうに関連づけてしまう点は看過できません。

日蓮が漫荼羅を本尊として、方便寿量の二品読経を勧めたというのであれば、その証拠を挙げる義務があるということです。

また、日蓮が勧めた二品読経とは、真蹟にはそれは見られませんが、写本遺文まで目を広げれば、

「常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習読せ給候へ」(月水御書)
「方便品の長行書進候。先に進じ候し自我偈に相副て読たまふべし」(曽谷入道殿御返事)

あなたは「宗祖は…二品読誦を勧めています」と言いますが、上記二写本が真筆であったとして、ここで勧められている有様は前者は方便品長行・寿量品長行、後者は方便品長行・寿量品自我偈であり、現石山が行うような方便品十如・寿量品長行、もしくは自我偈という唱え方とは異なっています。それにも拘わらず、恰も日蓮の勧めた読誦が、現行の石山二品読誦の如く記すことは、難じざるを得ません。

なお、釈迦本仏(身延)、日蓮本仏(石山)という点については、先に記したとおりですが、敷衍して述べれば、日蓮の教説である釈迦本仏と、中世の改竄である日蓮本仏の二つの教学的態度があるのであって、これは身延対石山の対比ではありません。日蓮教学と改竄教学の対比です。

当掲示板は、日蓮の素意の描写を文献証拠から探るのであって、改竄教学をして日蓮・日興の教学であるといった虚偽は断じて看過しません。また、日蓮の建立でもない彫刻を日蓮に関連づけたり、各種捏造の偽霊宝類を看過することもできません。そのような悪事を放逐して、善い所を云々するなど、話にならない所論であるといっているのです。

714犀角独歩:2006/05/04(木) 15:40:28

投稿が前後しました。
712に上がる『五人所破抄見聞』の著者は妙蓮寺日眼では無いとする指摘は、既に50年前からなされています。

わたしも文殊さんと同様妙蓮寺・日眼とする説を墨守していたのですが、その後、先に挙げた『創価学会批判』(昭和30年)には、その点を再考していたことを、数カ年前まで気付かずおりました。

この点につき、『六巻抄について』69で、顕正居士さんは2002年3月、すなわち、今から4年前にご指摘下さっているのです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117694/69

また、現時点さんが『日有上人の石山教学の展開』26でも、その4カ月後に指摘されていました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1027502003/26

さらに同じ頃、問答名人さんは『素朴な疑問』149に、この点をご私的さなさっています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/149

また、わたしは『身延相承書と池上相承書について』17でも以上の経緯から指摘もしました。2003年8月のことです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/17

一番近い所では、れんさんが重厚なご指摘を下さった記憶があるのですが、どこであったのか探し出せないでいます。

いずれにしても、『五人所破抄見聞』に妙蓮寺日眼説は半世紀も前間から疑義が取り沙汰されているのにも拘わらず、いまも言われ、当掲示板でも既に4年前から指摘されながら、また、再燃しています。これはある面致し方がないことですが、せっかく5年も議論が積み重ねられてきたのに、双六ではあるまいし、ことあるごとに振り出しに戻るのは、やや疲労感を伴います。

投稿をされる以上は、過去のロムの多少、労力を払っていただければ思うわけです。ちなみに上記、検索は、5分と掛からない作業でした。

以下、皆さんの参考に『日蓮宗事典』に載る宮崎英修師の同書への見解をコピペしておきます。


『五人所破抄見聞』(ごにんしょはしょうけんもん)
「本書は『五人所破抄』の註釈書で妙蓮寺三世日眼(−一三八四)の著作と伝えられている。これは本書題号下に「釈 日眼述」とあり、写本奥書に「伝写本云、康暦二庚申年六月四日書畢 本化末弟日眼判」とあるのでこの日眼を妙蓮寺日眼と推定したものであろう。しかしこれには不審がある。まずこの年号の康暦二庚申年という記年法は鎌倉時代より室町時代にかけては見られないもので、直ちに時代的通格の批判対象となる。このように年号・年数・干支・年月日という書き方は戦国時代に入ってまれに見られ、徳川時代に入って定着する記年形式で、室町以前ならば「康暦二年庚申六月四日」と書いてなければならない。従って奥書の年号は戦国時代から徳川初期にかけ書写された「伝写本」に付加された年記であろう。また本書の中ごろの「日興奏公家訴武家」の条に「総じて公家伝奏と云て当御代は勧修寺殿・広橋殿など伝奏衆を云ふ也」とあるが勧修寺家が武家伝奏に初めて任ぜられたのは文明二年(一四七〇)、広橋家は応仁元年(一四六七)で両家が共に並んで伝奏を務めたのは文明二年から同一一年までの九年間、日眼の寂後八七年も後世のことである。本書には勧修寺・広橋両伝奏があたかも世間周知の役柄のようにしるされているが、このような状態になるのは永正六年(一五〇九)以降に両伝奏が引続いて務めるようになってからのことで、日眼滅後一二〇余年後のことである。いまかりに最も早い文明年間の成立と見れば西山本門寺八世日眼(−一四八六)がふさわしいと考えられる。本書に二箇相承の存在を示す記事、両巻血脈によって成立する種本脱迹、宗祖本仏論が見えるが、このころ富士門流に論ぜられているものであるから時代的にも首肯できる。《宮崎英修「妙蓮寺日眼著・五人所破抄見聞の価値」(『棲神』四一号)》」

715犀角独歩:2006/05/04(木) 15:42:36

【714の訂正】

誤)ご私的さなさっています
正)ご指摘なさっています

716れん:2006/05/04(木) 17:35:40
横レス大変失礼します。
五人所破抄見聞は、犀角独歩さんが、ご指摘なさっておられるように、すでに約50年前から、下条妙蓮寺日眼師作には疑義が提出されています。私の投稿は、私自身書き散らしておきながら、はてどこだったっけ?と惚けてしまっておりますが、現時点での最新の研究では、富士系では、興風談所の池田令道師が興風第12号に“『五人所破抄見聞』の考察”を発表されており、師は左京日教師の諸著作を五人所破抄見聞が略述引用している部分があることから、五人所破抄見聞は左京日教師の諸著作の影響をうけた人間による作と結論されています。
この五人所破抄見聞の本当の作者は分かりませんが、見聞の内容から左京日教師の著作の影響を受けた人物であることは分かりますから、左京日教師と同時代人として、宮崎師の推定“西山日眼作”説は当たらずとも決して遠からずでしょう。
ですから、日蓮宗に限らず、富士系でも、最新の研究でも五人所破抄見聞を妙蓮寺日眼作とする説は今日では否定されており、富士における日蓮本仏観を示す初期文献として五人所破抄見聞を挙げるのは、極めて不適当だと考えられますね。

717犀角独歩:2006/05/04(木) 19:06:33

れんさん

いま、もう一度、過去ログを検索してみましたが、れんさんの過去ログは発見できませんでした。けれど、ご投稿いただけましたので、参考になりました。

また、改めて、れんさん、また独学徒さんなど、池田令道師のご引用が多岐に亘っていることも確認できました。秀でた研究者の一人と云うことなのでしょう。示書の影本を是非とも発表していただきたいものです。

『五人所破抄見聞』は、日蓮本仏論の濫觴のように扱われ、それが祖滅99年という早い時期であると思われていたところ、結局、日教以後の時代であることから、やはり、この影響を以て、のちの日寛にまで影響を与えたと見るのが至当と云うことになるわけですね。つまり、日教は15世紀の人ですから、1380年とされた同書の成立からさらに100年ばかりあとのことになるわけで、日蓮本仏論の濫觴は祖滅200年以降ということになるわけですね。

日教という人の考え方から見れば、日蓮本仏論は、日蓮を本物と仰ぐことにその主眼があったというより、執行師が指摘されるとおり、本住本仏論にこそ、その主眼があったと見なすほうが、わたしは適切な認識であると考えます。

また、現代の石山の法主絶対主義、○○先生絶対主義もまた、その延長にあるのだとも考えます。

日蓮本仏の口上は、それ主張する集団の、絶対指導者の肯定論として墨守される故に、その団体が不健康であればあるほど、その執着から離れられないという相関性を有している点に今日的な問題がはらんでいると考えます。また、唯一絶対本尊とこれが関連されるや、その事態はさらに深刻化していった点も指摘できるわけです。

やや余計なところまで記しました。再度のご投稿、まことに有り難うございました。

718犀角独歩:2006/05/04(木) 19:10:49

【717の訂正】

誤)日蓮を本物と仰ぐこと
正)日蓮を本仏と仰ぐこと

719独学徒:2006/05/04(木) 20:07:10

大変失礼致しますが、私も横レスさせていただきます。

創価学会版「富士宗学要集」第4巻所収の『五人所破抄見聞』によりますと、同著の終わりに「嘉暦三戊辰年七月草案 日順。」とあります。
この伝日順の識語は、現在伝わる形の「五人所破抄―日代本」にあるものですので、『五人所破抄見聞』が現在伝わる形の「五人所破抄―日代本」をもとに書かれたことが分かります。

興風談所の池田令道師は、「鳥鷺鳥鷺雑記」(うろうろぞうき)において、この伝日順による識語について、次のように考察されています。

****************************************

 今回はいろいろ問題のある北山本門寺所蔵の日代筆「五人所破抄」(以下、日代本と略す)の奥書について考察してみたい。
 まず図版①は日代本の終わり部分である。右上の「廿五」は丁数を示し、末行の「嘉暦三戊辰年七月草案日順」は日代筆ではなく異筆である。次に図版②は日代の弟子日任の識語、それには「日代聖人御筆大事書也」等の記述がみえる。
現在まで問題とされてきたのは「嘉暦三戊辰年」云云の筆蹟についてである。論者の一方では、この奥書を三位日順の自筆とする。つまり日代本に日順自身が加筆したとの見解である。他方では、はるか後世に添加されたもので筆者は不明とする。その理由として、「嘉暦三」と「年」との間に干支を書き入れる表記法が戦国期より始まることを指摘している。
 結論を先にいえば、私も後者の見解を支持する。日順筆を否定する根拠は、従前からの年号の表記法に関する矛盾も重要な論点だが、もう一つ決定的な理由として、日代本を書写した日辰本の存在がある。日辰本は、
 「日代御自筆の本を以って、非字・長囲に至るまで御本のごとく之を写す」
との念記があるように、実に日代本を厳密かつ正確に書写している。本文のみならず、図版②の日任の識語を行取りも正しく、さらには日任の花押まで臨写するほど念が入っている。それなのに日辰本には、本文と日任識語の間に位置する「嘉暦三戊辰年」の奥書が記されていないのである。これは要するに、日辰が書写した当時、日代本にこの奥書は存在しなかったのである。それを証するのは「読誦論議」における日辰自身の言葉である。
 「日代直筆の本の表紙に草案と題し、篇内には草案の二字も無し。また富士立義抄の五字も無し、五人所破抄の五字も無し。年号月日も無し、日興御判も無し」
かくのごとく日代本には『富士立義抄』や『五人所破抄』のタイトルも無ければ「嘉暦三戊辰年」の奥書も記されていなかった。日辰が日代本を実見して、書末に「年号月日」がないことを確認したのは動かしがたい事実といえよう。
 これにより日代本の「嘉暦三戊辰年七月草案日順」の一行は、日辰が書写した永禄年間以降、誰人かによって日代本に書き入れられたものと考えざるを得ない。一行の墨質や滲み方が本文と違っているのはそのためである。年号の表記法が戦国期以降の特徴を有するのは、むしろ当然と言わなければならない。
 ところで同『読誦論議』に、日辰は日任の識語について、
 「日辰、此の奥書の聖仁の二字を拝見するに、知んぬ、日任は深智に非ずと云ふ事を」
と述べている。
これは日任が「日代聖人」とすべきを「日代聖仁」と書いたことへの非難であるが、図版②の当該部分を見ると日辰の指摘とは違って「日代聖人」となっている。
 しかしこれがまた問題なのである。よくよくその部分を注視すれば「人」の字は不自然に滲んでいて、その下には何らかの文字が確認できる。つまり「人」の字は「仁」の字を消した上に書かれたのである。こうしてみると「嘉暦三戊辰年」の加筆も、「仁」→「人」の改竄も日辰の非難に対応している。どうも日辰の言説に対し、後の人がやらずもがなの愚挙を犯したようである。

****************************************

この池田令道師の考察が正しければ、「五人所破抄見聞」もまた、「嘉暦三戊辰年」云云とあることから、日辰の活躍した永禄年間以降に作成されたものと考えられます。

ということは、少なくとも「五人所破抄見聞」以前に、保田妙本寺中興の日我によって日蓮本仏論は登場していたことになります。
御伝土代が日時本の可能性が大となりますと、もう少しさかのぼっても、大石寺日有・日教、もしくは保田妙本寺日要といったところでしょうか。やはり従来ここで議論されてきたとおり、また犀角独歩さんご指摘のとおり、このあたりが所謂「日蓮本仏論」の出所ではないでしょうか。

720文殊:2006/05/05(金) 00:33:54
犀角独歩さん、れんさん、独学徒さん、ご教示ありがとうございます。
書誌学的考察の学恩誠に感謝に堪えません。当方と致しましては過去
ログも調べずに投稿してしまい申し訳ございません。西山本門寺では
日蓮本仏論を信奉していたことが分かりました。現在の単立法人西山
本門寺では教義変更はないのでしょうか。確か客殿は万年救護大本尊
の板本尊が御安置されていますね。つまり万年救護本尊に日蓮本仏論
の教義体系が西山八世日眼在世から現当にいたるまで一貫して継続さ
れていたとの認識でいいのでしょうか。ちなみに北山本門寺では、生
御影に釈迦本仏論、私が知っている北山末では大石寺式の本尊のみの
奉安様式です。薄墨袈裟着用です。唱題用の太鼓がありました。打ち方
は諸山によって微妙に違うのでしょうが・・・私がここで皆様方にお尋
ねしたいのですが、下条妙蓮寺は南条家の持仏堂から山伏系の日華によ
って開山(大石寺の植民地となった現在でも日華堂は現存していますが)
され富士五山の本山格の歴史が長いのですが、いつから石山とも重須と
も異なる完全に独立した本山として歩みはじめたのかを是非とも知りた
いのです。犀角独歩さん、石山の良い所とは何かについてのご質問次に
投稿します。

721文殊:2006/05/05(金) 01:01:45
犀角独歩さん、21世紀の次世代に石山教学・化儀の良い所を遺す
べきかについてですが、本尊奉安様式の簡素性が第一に挙げられる
と思います。十界互具曼荼羅におしきみ(枯れるという無常性を内
在している色花より良いと思います。真言密教の香りもして複雑な
心境ですが)は他門もこれは参照しうると思います。但し画一化の
虞はありますが。一体三宝式を在家信徒では不精になりがちなので
曼荼羅本尊のみで良いと考えますがいかがでしょう。教学は問題あ
りすぎです。考えが纏まらずすみません。二品読誦ですが、方便品
長行は確か石山では昭和25、6年頃でやめて久しいですね。略式
化が進むばかりです。「世雄不可量 諸天及世人・・・」世雄掲は
時間がかかるとの理由でしょうか。石山が略式に変更した理由が判
然としません。

722犀角独歩:2006/05/05(金) 08:12:26

独学徒さん

有り難うございます。
大崎における判断は、概ね日蓮本仏論は京から富士にやってきた日教によるということですが、これを妙本寺・日我とする点は、目を惹きました。
具体的に、日我のどのような文献から、これが言えるのか、ご教示いただければ有り難く存じます。


文殊さん

遺したいという石山化儀は周囲には評判の悪いところばかりですが、しかし、石山で永年信仰してきた人にとっては、拘りたい部分でしょうね。

石山の場合、本尊は石山住職が書写したものに限るというわけですが、この点は何ら意味をなしませんね。奉安様式に仏像が欠けているのに、御影像は可というのはどうしたものでしょうか。「日興云く」を信じれば、不似はいかんというわけですから、顔立ちをどうするかは大きな問題と残ります。

樒については、この信念体系を脱けてみると、実は案外、奇異に映じるものです。とはいうものの、石山に限らず、これを華とするところはありますね。

天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』展で展示されていた密壇の四隅には樒が置かれていました。樒という字は、そもそも木偏に密。木偏に佛と書いてもしきみですね。仏教の、取り分け、密教色の強いところとなります。最近の樒は、地面に、枝を切り差しして育てたものを販売しているので、あまり見られませんが、以前は、よく実が付いたものがあったものでした。樒の実の形は緑色ながら、蓮華に似ています。こんなところも珍重された理由だろうかと思ったことがあります。

わたしは個人的には仏花は、色花でも何でも善いほうなので、樒一色の有様を見ると、何か寒々しい印象を受けます。

石山式は、あまり賛成できかねますが、特に他に押しつけるものでなければ、自由であろうと思います。

方便読誦というと、日蓮宗一般でも世雄偈までで、石山も以前はそうであったのでしょう。しかし、先に引用した写本遺文からすると「方便品長行」とあるので、全品を日蓮は読んでいたのかという疑問が湧きます。この点は、当時の比叡山化儀から探れば、ある程度、わかることかも知れませんが、いまのところ、行っていません。

石山の読経は十如自我偈で単調で、荘厳さに欠けます。これを簡略化で現代的と思うのは、お経が短くなって、ほっとしている信者会員ばかりではないでしょうか。

わたしは開経偈は名調子なので好きですし、四弘誓願を音声誓願することも善いことであると思います。それにしても石山の、諸尊勧請を鈴を打つだけで済ますという日有以来の化儀は不可思議です。天拝については身延・日朝の文献に見えるとのことですから、その後、廃れたものなのかと訝しく思っています。

羅什の意訳には、神経を過敏にしますが、読経には音律がよく、やはり、善くできた漢訳であるとも思います。

当スレッドのテーマは『現代人が納得できる日蓮教学』ということですが、一般の方々が読経唱題に触れるのは葬儀の時でしょう。簡略化されたお経は、故人を軽んじている印象しかありません。在家の導師はお粗末で、モーニングを着れば、ただ滑稽なだけでしょう。僧侶が執行するほうが、やはり、印象はよいと思います。それも十如・自我偈ばかりではなく、それなりの法式に則ったほうが参列者は、故人を重んじているという印象を強くします。

いずれにしても、読経の簡略化というのは、修行の怠慢化、後退以上の印象を与えることはないでしょうね。

723犀角独歩:2006/05/05(金) 08:26:45

先に『月水御書』を挙げて、二品読暗誦の起源を探ったわけですが、これはしかし、読経は二品以外はしてはならないという文証ではないわけです。

「常には此方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候。」

常には二品、他二十六品は、時間のあるときにいたしなさいというわけです。
切文解釈は、文意を枉げたものとなります。

724独学徒:2006/05/05(金) 15:59:38
犀角独歩さん、大変申し訳ございませんが、日我の本仏論、少しお時間をいただきますよう、お願いいたします。
ちょっと家族で遠出しており、もどりましてから、調べなおさせていただきます。

725文殊:2006/05/05(金) 21:12:02
犀角独歩さん、石山伝統の何を21世紀に遺すべきか、何を捨てて何を
伝えるべきなのかとの問いを立てることは、思惟してみれば困難極まる
問いです。正本堂というユートピアが瓦礫に、宗旨の根幹が蜃気楼とな
った今、石山に何があるのか何が失われたのか何が変貌を遂げているの
かを見極めつつ、険道を進まなければならないという通塞に立たされて
います。「宝処在近」とは何かを自らに問いかけつつです。ご指摘の天
拝ですが、上代には修法として執り行われていて日有以後はなぜか廃れ
てしまった・・・大石寺真蹟遺文「諌暁八幡抄」に見る正直の人に神が
宿る法門と恐らくは重要な関連性を有しているのでしょう。開経偈は石
山化儀にはありませんね。四弘誓願を音声誓願は賛同します。単調にな
りつつあるのはご指摘の通りです。ゆえに、西山・保田妙本寺は離脱し
たのでしょう。諸尊勧請を鈴を打つだけで果たして祖意に適うのかとい
う問いは重要な示唆に富ます。富士門流清流神話の終焉後、「如説修行」
とは何かを考えていきます。

726文殊:2006/05/05(金) 21:42:14
『月水御書』の会通、二品限定の文意ではないです。日有は「未断惑」
「愚迷」とかの理由で仏像禁止・二品限定に狭く解しましたが、日蓮
はおおらかに大きく法華経全体を思量されていたと思われます。富士
門諸山ではほとんど「普賢菩薩勧発品」は教学論議がなされていませ
んが、「普賢。若有受持。読誦。・・・是法華経者。当知是人。則見
釈迦牟尼仏」の法華経読誦の意が則見釈迦牟尼仏であり、「如従仏口。
聞此経典」というのであれば、再考の余地があるように思われます。

727顕正居士:2006/05/06(土) 03:42:22
『本因妙口決』、『五人所破抄見聞』はそれぞれ三位日順、妙蓮寺日眼の著述とすることに疑問があります。
そうしますと、宗祖本仏論があらわれた最初の文献は三位日順の『(大師講)表白』です。

「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍つて日本と名く、富士山をば或は
大日山とも号し・又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山に日蓮聖人大本門寺建立すべき
故に先き立つて大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて一閻浮提に流布す可き故に・蓮華山
と名づくるか」 http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu2_2.htm

『表白』を確実に三位日順の作とは断定できませんが、上記の思想は『諫暁八幡抄』に基づき、岩本実相寺
の伝統信仰を習合させたものと見られる。後世に発達した可能性がある教義は特に含有していません。
ここの「本仏」とは冒頭の「浄妙法身・摩訶びるさな」、すなわち大日如来である、宗祖ではないという異論が
あるかも知れません。むろん大日如来でありますが、「大日山」に並べ「蓮華山」というから、大日・金剛薩埵
の一体の上から、大日・日蓮一体をいうものと考えます。

728犀角独歩:2006/05/06(土) 08:06:02

独学徒さん

お休み、お楽しみのところ、失礼いたしました。
いつでもけっこうです。

文殊さん

> 石山伝統…何を捨てて何を伝えるべき…思惟してみれば困難極まる

伝統と言われているものでも、案外、近代のことに属するというのが、通じた認識ですね。
わたしが、当スレで一貫して記してきたことは、結局、現代に通用し、未来に継承すべき殊は、‘事実’‘真実’なのだと考えます。

> 富士門流清流神話の終焉後、「如説修行」とは何か

これも上述の答えと同様であると考えます。

> 日蓮はおおらかに大きく法華経全体を思量

それは、そうであると思います。

> 法華経読誦の意が則見釈迦牟尼仏

このような考え方は、石山以外の門下一般の考え方ではないでしょうか。
先に挙げた開経偈の一節「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は即ち是れ応身なり。無量の功徳皆この経に集まれり」


顕正居士さん

『表白』は「浄妙法身・摩訶毘盧遮那・因極果満盧遮那界会」とはじまり、実に真言密教色が強いと感じます。山岳信仰経由の影響ということでしょうか。
顕密一体の色合いが濃いものの、日蓮の大本門寺構想を富士に具現することを大師講に宣べるところはわかるのですが、ここから、日蓮本仏の濫觴を見抜く炯眼は、どうも、わたしは追いつけないところがあります。

729独学徒:2006/05/06(土) 10:00:30

犀角独歩さん、御返事大変遅くなりすみませんでした。
「五人所破抄見聞」が収録されている、富士宗学要集の第4巻に日我「申状見聞(私)」が収録されています。
その「申状見聞(私)」P83に、

『自我偈ト者過去ノ自我偈也過去ノ自我偈ト者文ノ底ノ主師親・人法一個ノ本尊ノ事也、釈尊ト者自受用報身名字本仏ノ事也是レ即高祖ノ御事也』

と御座います。
このような思想は、現在の石山教学で使われるところの、日蓮本仏論とよく似ていると思われますが、いかがでしょうか。
ただし日蓮本仏思想の起源的なものは、やはり日有・日教までは、少なくともさかのぼれるのではないでしょうか。


文殊さん、はじめまして独学徒と申します。
今後ともよろしくお願いいたします。

>確か客殿は万年救護大本尊の板本尊が御安置されていますね。

これは誤解を招く恐れがあると思われますので、僭越ながら補足させていただきますと、まず西山の「客殿」とは、現在の本堂のことだと思いますがよろしいでしょうか?
もしそうであれば、該当の板曼荼羅は「大本尊」ではなく、西山でいうところの万年救護本尊、つまり建治2年2月5日の、御本尊集32-2曼荼羅の彫刻です。
西山では保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」のことは、「本地顕発本尊」と称し歴代の貫首が相伝の証として付嘱される「手継ぎ本尊」と解釈しているようです。
また正統な「戒壇の本尊」とも解釈しているようです。
したがって、西山ではこの保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」は、正統な日興上人の後継者である、日代上人が相伝すべきもので、西山に所有権があると主張しています。
現在の西山には、保田妙本寺蔵「万年救護大本尊」の彫刻したものがあり、一般公開はされず貫首のみが給仕しているとのことです。(以上は西山本門寺相模原布教所・故小島靖正著『正統血脈え(ママ)の手引き』参照)

730犀角独歩:2006/05/06(土) 11:57:20

独学徒さん

なるほど。その点を根拠とされたわけですね。
日我の『申状見聞』は、天文14(1545)年とされますね。
顕応日教が、日蓮本仏論の著とされるのは、『類聚翰集私』の「末法の本尊は日蓮聖人にて御座す」によるところであろうと思います。同書は、長享2(1488)年の作とされますから、半世紀ばかり先行すると判断されるのではないでしょうか。
もっとも日有も『化儀抄』に「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」というわけでした。こちらは文明15(1483)年となるわけですね。

西山の万年救護本尊のご説明、たいへんに明快であろうかと存じます。
この「万年救護」という点については、以前にもやや愚考したことがありました。元来「万年救護」とは、弟子に対する用語用法でしたが、それがいつからからか、本尊を指すようになりました。そして、保田の第16大本尊も万年救護と言われ、北山の日禅授与漫荼羅も、ここでは万年救護本尊と呼ばれていますね。

つまり、それぞれの寺院で、恰も「我こそは」という感じで、いつから本尊の優勢の誇る呼称である「万年救護」をもって尊称するようになった経緯があるわけですね。そのうちに、西山の本尊も入ると言うことですね。

また、万年救護と並び言われる尊称が「戒壇本尊」ということで、北山では、かつて日禅授与漫荼羅を万年救護・戒壇本尊(大石寺誑惑顕本書)と称していたことが知られます。

石山では、いまは講堂に第16本尊の模刻(万年救護)があり、日精の時代には御影道に戒壇本尊があったわけです。要は、時代のなかで、万年救護本尊と戒壇本尊が、富士門下のステータスになった、それ故、それを捏造していったという歴史劇があったのであろうと、わたしは考えています。

731犀角独歩:2006/05/06(土) 12:10:34

いつもながら、打ち間違えました。

【730の訂正】

誤)それがいつかららか
正)それがいつからか

誤)いつから本尊の優勢の誇る
正)いつからか本尊の優勢の誇る

732犀角独歩:2006/05/06(土) 12:12:08

もう一箇所

誤)御影道
正)御影堂

733独学徒:2006/05/06(土) 15:23:46

犀角独歩さん、こんにちは。

まさに仰せの通りですね。日有・日教あっての日我の日蓮本仏論だと思います。
特に日我は日有の「人法一箇(個)」という成句を、諸抄の中で多用していますので、保田教学は日有・日教の教学に大いに影響を受けたものと思われます。
もう一つ日我の諸抄に散見されるのは、こちらも既にご指摘にあるとおりの慶林坊日隆の教学で、「蟇蛇異見抄」などは「日隆仰云」(二番目以降の問いは「仰云」と略している)という問いかけによる問答形式ですので、日隆の本迹勝劣義をベースに展開されています。
また日教・日要からの影響としては「本因妙抄」や「百六箇抄」等の引用があげられると思います。
本仏を以って本尊とすることが宗祖日蓮の御意ならば、仏像を廃し曼荼羅を本尊にすえるためには、「日蓮本仏」「人法一箇」は曼荼羅本尊義を理論付ける上で、まことに都合の良いものであったと考えられます。
また歳月を経るごとに、仏師という職人が作成する「仏像」よりも、宗祖直筆曼荼羅の方を重宝するのは、通俗的には自然なことだと思います。
しかし当の宗祖の遺文では、曼荼羅を持って本尊とすることは理論構築は難しい、そんなときに「口決相伝書」という、宗祖の直筆を必要としない秘伝の言い伝えがあれば、まさに渡りに船であったろうと思います。

734文殊:2006/05/06(土) 18:56:43
犀角独歩さん、存外伝統と呼ばれるものは近代成立ということ
ですね。幕末の久遠院日騰、明治の大石日応は富士四山との確
執と独立騒動の過程で、大石寺の「伝統」を強調する必要に迫
られていったのでしょう。大正期の福重照平『日蓮本仏論』、
昭和前期の堀日亨『富士宗学要集』に見る「伝統の再発見」は
大石寺正統を証明しようとしたのでしょう。21世紀になった
今では色褪せてしまいました。犀角独歩さん、『忘持経事』の
ご説示ありがとうございました。まさに内心の迷蒙が啓かれた
思いです。新しい大きな発見です。

独学徒さん、西山本門寺の御本尊の件ご説示ありがとうござい
ます。私はかなり以前に本に書いてあった記述を誤認識してい
ました。仰せの通りです。それにしても、貫首が未公開で給仕
しているとは徹底した秘伝主義の山風ですね。本来の所有権を
郷門保田と争っているということは、保田の万年救護本尊を戒
壇の本尊と究極の帰依の対象にしているということになります。
昭和57年の日蓮正宗離脱から今日に至るまで日蓮本仏論は堅
持している、薄墨袈裟はそのままなのでしょうか。ご観念文は
変更されているのでしょうか。戦後本門宗解体後の西山本門寺
の歴史についてご教示お願いします。

顕正居士さん、岩本実相寺は関東天台の系譜でしょうか。富士
山信仰の習合と独自色が当時からあったのでしょうか。三位日
順に日蓮本仏論の思想があると証明されれば日有から一気に遡
りますね。どうなのでしょう。

735顕正居士:2006/05/06(土) 22:05:50
岩本実相寺は安房清澄寺と同じ横川流です。富士修験の祖、末代上人は初代智印法印の資であると
『実相寺衆徒愁状』にあります。
宗祖本仏論は >>727 に述べたように、『諫暁八幡抄』の思想に日源(智海法印)、日興などが実相寺
の信仰を習合したのが、起源だろうとおもいます。しかし大日如来の住所が富士山である、本仏の本土
が日本国であるというのは飛躍がある。大日如来の住所は色究竟天金剛法界宮のはずである。だから
これは大日天照一体の上でいうのである。次に富士山の祭神は浅間大神でないかという疑問が生じる。
この間の事情はいくらか複雑である。

千時千一夜・275番・富士山の地主神 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain?base=276&range=30
本地垂迹資料便覧・富士山本宮浅間大社 http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/FUJI.html

浅間大神、すなわち木花之開耶姫は天照大神の幸魂(さきみたま)で、赫夜姫、弁財天女と同一視される。
弘安3年の上野殿母尼御前御返事(真蹟存在)に
「此の経を持つ人をば、いかでか天照太神八幡大菩薩富士千眼大菩薩すてさせ給ふべきとたのもしき事也」
とある。八幡抄の述作も同年であり、日源、日興の思想的影響は日蓮自身にも及んだのではなかろうか。
また『表白』の「原始宗祖本仏論」は、日郷門徒に継承され、発達したようにおもわれます。参考 >>527 。

736文殊:2006/05/07(日) 08:47:56
顕正居士さん、重要なご教示ありがとうございました。
日源は叡山時代の日蓮の同学。日興は弘安期には近く
の熱原地方の弘通に。浅間神社の神主も日蓮教団に入
っていた。曼荼羅本尊も授与されています。日源日興
の思想的影響が日蓮自身に及んでいるとの洞察は、大
発見ですね。『表白』に見る原始宗祖本仏論が三位
日順筆が証明されれば、1318年に宗祖本仏論の
濫觴を遡ることができます。台密と富士修験道と日蓮
遺文との関わりは今後究明がいっそう必要であると思
いました。『産湯相承事』は日興筆ですか。

737犀角独歩:2006/05/07(日) 12:28:29

『表白』が果たして、日順の作であるかどうかという点は、まだ一考を要しようかと存じます。

理由は1318年、すなわち文保2年の前年に日順は重須学頭になったばかりであり、表白を記したという年は日興が問答講を始めた年に当たります。

つまり、1318年に日順が宗祖本仏論を濫觴としていたとすれば、健在の日興とは隔壁のある論をここに立て始めていたことになります。任じた日興に宗祖本仏観がなかったのにも拘わらず、日順はそれを表することがあり得るかという疑問があります。

また、表白は大師講のものであると思えますが、しかし、健在な日興を差し置いて、また、学頭というのは学問所の長に過ぎないわけですから、坊主(ぼうぬし)を差し置いて、北山所住の日順を表白を為すことにも疑問の余地があります。

また、仮にこの書を、日順真筆としても、これをただちに日蓮本仏論とつなげるのには、即断とも思えます。それは日興との兼ね合いからもそのように考えるということです。ただし、その他の顕正居士さんのご賢察は、その限りではありません。

日順の富士の伝記と係る著述といわれるところは、実に不審なところが多く、直ちに信頼できません。延元元(1336)年、「両眼を失明したが、その後も精力的に著述に励み」(日蓮宗事典)などとされますが、実質上、そのようなことは不可能でしょう。

また、日順は、正平9(1354)年の寂とされますが、『富士年表』では、それを認めず、その翌年に観開両抄を講じ、さらに同見聞を述し、同10年に『念真摧破抄』を遺したことになっています。これら、日順史跡の判断は到底、信頼できるものとは言えません。日順の若年が間違っているのか、著述の特定が間違っているのか、まだ、落着にはほど遠いところがあると存じます。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/nitijun_nenpyo.htm

738犀角独歩:2006/05/07(日) 12:34:37

【737の訂正】

誤)日順の若年
正)日順の寂年

739独学徒:2006/05/07(日) 16:27:47

文殊さん、こんにちは。
西山の袈裟は薄墨です。御観念文はほとんど大石寺と変わらないと思います。
但し、西山の僧侶の中には、現在の勤行様式に疑問をなげかけている方もおられますので、この先どうなるかは分かりません。
西山本門寺の戦後史は、私はほとんど知りません。この辺は犀角独歩さんが良くご存知だと記憶しています。掲示板ではあまり触れられていませんが、オフ会などでお会いする機会があれば、お聞きしてみたらいかがでしょうか。


犀角独歩さん、私も日順には疑問だらけです。
これほど後の富士門下に重宝される講釈を残したのなら、新六などに加わってもいいはずで、日興在世と日興滅直後における日順の処遇は、現在伝わる日順伝とはどうも一致しないように思われます。
あくまでも推測の域をでませんが、西山と北山の正嫡争いの中で、担ぎ上げられただけではないかなどと思いたくなります。

740れん:2006/05/07(日) 16:55:48
横レス失礼いたします。                        
表白の「本仏」の語ですが、それを日蓮本仏に繋げて考えるのには、私も
懐疑的です。執行海秀師の「興門教学の研究」には「霊山の釈尊をシャク
仏と見ているが、本朝の本仏が直ちに日蓮本仏を表明するものか否かは明
らかではない。久遠の本仏を本尊として戒壇を建立せんとする意が窺われ
る」と記しており、執行師の戒壇云々はともかく、表白の「本仏」の語については
石山蔵の真蹟遺文「宝軽法重事」に「法花経の寿量品の釈迦仏の形像」と
記されているように、また、執行師の言われる如く、寿量品の釈迦仏すなわち久遠実成の本仏釈尊を指し
示している可能性が高い様に思います。個人的な見解としては、日蓮本仏観は、石
山日有が御影本尊を明確に主張してから発達した教義だと愚考しております。

741犀角独歩:2006/05/07(日) 19:16:23

独学徒さん、れんさん

顕正居士さんの表白に関するご投稿は、あくまで、日順作であれば、ということで、わたしはやや過敏に記しすぎているかもしれません。

むしろ、富士・浅間、神道、女神といった側面の、富士方の影響に関するご賢察を拝したいと考えております。

742顕正居士:2006/05/07(日) 22:16:09
>>736
『産湯相承事』が日興の述作なら、真書が伝承されているでしょう。日興等の口伝として後世、日郷門徒が
記したものでありましょう。『本因妙口決』に「産湯の口决」とあるが、『本因妙抄』が日順の時代に成立した
ことは考えにくい、『三大章疏七面七重口決』自体が成立していたかどうかも疑問です。『産湯相承事』は
十分に完成した「日蓮神話」であり、こうした完成した神話がまとまるのにはかなり時間がかかるものです。
しかし『産湯相承事』には富士派宗学の主要な要素が揃っています。それら諸要素は興師の時代に遡るの
があるでしょう。日蓮迄、遡るのもあり得るでしょう。日蓮以後、日蓮宗諸派の僧侶はほぼ例外なく日号を
名乗ります。したがって日文字に関する口伝などは当然、何かあったと考えられます。

743独学徒:2006/05/07(日) 22:54:44

>742

顕正居士さん、「産湯相承事」について、興風談所は御書システムの解題によりますと、出雲の日尊門流による創作と考えているようです。
日教本では欠落している出雲の日御碕の記述が、興風談所の判断の材料となっているようですが、顕正居士さんが「産湯相承事」を日郷門徒による創作とされるのは、どのようなところからでしょうか。
御教示を戴けますと幸です。

744文殊:2006/05/07(日) 22:57:58
独学徒さん、富士五山は離反と反目の歴史でありましたが、現在に
至るまで薄墨を守っているということは何か不思議な感じがします。
御観念文が大石寺とほとんど変わっていないことにも驚きました。
宗祖本仏論といい、未だに石山教学の影響が強いのでしょうか。
しかし、勤行様式を見直す動きは今後は独自色を強めていく方向性
なのでしょうか。戦後の富士門史は圧倒的に石山圏が主導でした。
北山の片山日幹貫首が1960年代に日蓮宗宗務総長に就任した
ことでしょうか石山圏以外の富士門事跡が。石山圏だけでは寂しい
ものがあります。是非とも富士四山の戦後史と現在を知りたいと
考えています。

顕正居士さん、『産湯相承事』のご教示感謝に堪えません。後世
日郷門徒が日興の口伝に化託して作られたということ、完成した
神話がまとまるまで時間がかかるということ、しかし、富士宗学
の主要な要素が揃っていることなど、勉強になりました。あとも
うひとつ質問ですが、『五人所破抄』(1328)は現在論議されてい
る三位日順の著述とみなしていいのでしょうか。ぜひともご教示
をお願いします。

「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名本地垂迹の利益
広大なり」郷門教学が石山日時、日有に思想的影響を及ぼして
宗祖本仏論の理論的完成に至ったと解していいのでしょうか。

745犀角独歩:2006/05/08(月) 00:38:56

文殊さんの疑問は時系列がまるで二次元的ですね。
五人所破抄は日代草案というのが、取り敢えず、大崎の定説になっているわけで、それと本尊相伝、近代の西山の在り方など、時系列として、何ら同列に論じるところがありません。まるで、質問の発し方が支離滅裂と映じます。

なお、西山に関しては、七百遠忌の頃は石山に帰伏せざるを理由があり、かつ、いまでは、西山の血脈を受けたなどと僭称するおかしな人物がいたり、それがまた、大崎学派の重鎮との交友があったり、まったくどうでもいいような下世話な攪乱で、日蓮門下の判断をくたしていることは溜息が出る思いがあります。

この手の、事情を阿棚は知ってか・知らないかで、この掲示板を攪乱することが目的なのでしょうか。自粛願いたいものです。

だいたい、産湯相承が日興の直筆であるわけなどあろうはずもありません。
真面目に投稿しているとも思えません。

746犀角独歩:2006/05/08(月) 00:40:20

【745の訂正】

誤)阿棚は
正)あなたは

747犀角独歩:2006/05/08(月) 00:51:04

なお、日隆の影響を取り沙汰される日有が日蓮本仏の理論的完成者であるはずもありません。

748顕正居士:2006/05/08(月) 01:51:46
>>743
口伝書は通常は創作ではなく、切紙を収集し編纂したものです。日教の引用に日御崎説がないことからも、
もとが幾つかの切紙であることが想像されます。尊門の口伝は台宗の最新教義を日蓮的にアレンジするの
が特徴です。対して宗祖日蓮に対する神学的思索が郷門の特色に思えます。日御崎説の部分についても、
だから出雲の日尊門流の口伝というのは、今すこし説明が要められるでしょう。
>>744
日順の学問は一つレベルが高く、文章は語彙が豊富です。『五人所破抄』や『表白』は日順の文章にみえる。
ただし五一相対の史実を確認することがほとんどできないのは、たいへん不思議です。

「聲聞中佛能王生、諸佛復從菩薩生、大悲心與無二慧、菩提心是佛子因」
(聲聞ノ中ニ佛ハ能王トシテ生ジ、諸佛ハ復タ菩薩從リ生ズ、大悲心ト無二慧ト、菩提心ト是レ佛子ノ因ナリ)
と月称(Candrakīrti)造『入中論』(現代漢訳)にいうように、大乗教は菩薩教ですから、
「一切衆生ニ最初下種ヲナサルル時ハ本因妙ナリ、菩薩形ナリ。コノ菩薩ハ脱仏ノ弟子ニアラズ、受報トハ
本因妙ノ本仏ノ異名ナリ」(大夫日我・蟇蛇異見抄) *受報-自受用報身
という思想は規格に反しません。しかし信仰対象の尊格は等覚の菩薩であった。信仰対象を名字初心菩薩
とするのは日本仏教の中でも日蓮宗富士派一部の特色です。『諫暁八幡抄』には八幡勝釈迦の思想がある。
富士派独特の本因妙思想は裏側に神本仏迹思想があって成立したものと考えます。
郷門の思想と尊門の思想を折衷統合したのは堅樹日寛です。日時、日有は時代が違います。

749犀角独歩:2006/05/08(月) 07:39:44


一応、議論の参考として、以下、資料として挙げます。

【五人所破抄】日代筆の正本が北山本門寺に所蔵されている。本書は白蓮阿闍梨日興の作に仮托されているが、西山本門寺の事実上の開山である蔵人阿闍梨日代の作である。『日蓮宗宗学全書』第二巻八六頁の本抄末尾には「嘉暦三戊辰年七月草案 日順」とあるが、八七頁に〔編者云〕として註されているように、この一行は墨色筆記ともに日代の直筆ではなく、後人が加筆したこと明らかである。あるいは日順が草案を製作したものかとも推察され、なお富士門流内においても『家中抄』では『五人所破抄』を草案とし、『門徒存知事』を完本といい、最近の所説では逆に『門徒存知事』を『五人所破抄』の草案とする説(『大白蓮華』)などがあって、その成立については幾多の疑念が見られる。(日蓮宗事典)

「日有のかかる思想は、両巻血脈書の思想とは異なるものであって、寧ろ尼崎本
興寺の八品日隆の思想に負うものである。思うに日有は、八品日隆と親交があったので、恐らく日隆教学の影響を受けて石山数学を樹立せんとしたものであろう。
 かように考察し来れば、大石寺に於ては、江戸中葉、堅樹日寛上人に依って、両巻血脈書を根幹とする教学が大成せられるまでは、石山特有の教学は樹立せられていなかったといわざるを得ない。そして寧ろ室町時代に於ける両巻血脈書を根幹とする教学は、尊門の住本寺系日教によって確立せられているのである。
 日教は日有と同時代の人で初め京都住本寺に負笈し、百五十箇条を著わして不造不読、宗祖本仏論を主張した。住本寺に容れられずして退出し、文明十三・四年の頃、大石寺の日有に帰したが、これまた容れられずして、遂に重須に転じたと伝えられている。ところでこの日教の教学こそ、後の日寛教学の基本を為しているものであるとも見られるのである。
 日教の著、百五十箇条、穆作抄、五段荒量、六人立義確立抄私記等は、明らかに両巻血脈書、産湯相承二箇相承を根幹として作成したものであることは、その内容によっても知られるのである。(『創価学会批判』創価学会の学説の基礎的批判 P111)

750犀角独歩:2006/05/08(月) 08:10:05

当スレは「現代人が納得できる日蓮教学」というテーマで、議論をしてきました。ここで、真蹟主義、また、厳正な文献重視が行われるのは、そのような資料に基づかない議論は、文字通り、現代人が納得できる日蓮教学ではないからです。

わたしは嘆息を禁じ得ないのは、当テーマは、けっして、現代人が納得できる日蓮本仏論ではないということです。

日蓮本仏論は、現時点における学説的な結論としては、日教の影響を以て、祖滅200年頃に濫觴を見るとというの一般的です。
祖滅とは弘安5(1282)年です。もし、仮に『表白』が日順によるものであるとし、その作が文保2(1318)年であるとすれば、36年後のことです。これは半世紀前の『五人所破抄見聞』を妙蓮寺日眼とする従来の説から求められた祖滅99年説より、さらに60年以上も遡ることになります。この主張をなす説は、わたしは不勉強にして、顕正居士さんのご投稿以外では知りません。

万が一、これが正鵠を射たものであったとしても、それでも、日蓮本仏論は、日蓮が寂したのちの説であることに何ら変わりはありません。つまり、日蓮その人の主張ではないということです。また、これは『開目抄』の一伝播である「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」を根拠とする日蓮本仏論とは、文殊さんの好む語彙を用いて言えば、まさに径庭があります。

なお、日寛の説を執行師は日教の影響としますが、顕正居士さんが「郷門の思想と尊門の思想を折衷統合した」とされることに、わたしは賛意を覚えます。やや、付言すれば、では、言うところの郷門を日我を膾炙とすれば、それは先に独学徒さんが仰ったように、今度は、日教、日有の影響と思われる如くもあります。

日寛(1665-726)に至る、富士門各山には、当然、通用があり、どこがどこに影響を与えたというより、「この点については、ここから興り、しかし、こちらの点は就いては、多のここから興った」という複数発生であると共に、さらに相互に影響を及ぼしあっているうえ、禅門、隆門、また仙波檀林等、他門からの影響も相俟っているので、この点を一筋縄で述べてしまう単純化は、事実から乖離するものであると思えます。

751文殊:2006/05/09(火) 12:02:29
犀角独歩さん、西山のことは独学徒さんに宛てたものです。私は、一切
護教論は挟んでいませんのでご海容を賜りたく存じます。
顕正居士さん、郷門教学の特色が神学的思索とは哲学的に刺激に満ちて
いますね。房山日我が「秘伝には産湯相承等是也」(富要四ー八六)と
郷門が重視しています。

752独学徒:2006/05/09(火) 20:00:32

文殊さん、犀角独歩さん、私の投稿に不適切な箇所があったようです。
申し訳御座いませんでした。

文殊さん、私は虫干で西山に訪れたことがあるくらいで、あとは一部の著作からの情報しか持ち合わせておらず、西山が一時日蓮正宗に所属していたことも、ここの掲示板の投稿を拝見し知ったことです。
そのような事情から、文殊さんのご質問におこたえできる知識を持ち合わせておらず、特に西山の戦後史的なことは犀角独歩さんのうほうがご存知であったと記憶しており、しかし、掲示板上ではあまり多くは語られませんので、オフ会等でお会いする機会があれば、たずねてみてはどうかと思った次第です。
ご期待に沿えず、また混乱をまねくような投稿となり、大変申し訳ありませんでした。

753文殊:2006/05/09(火) 23:01:35
独学徒さん、お気になされないでください。私の不勉強によるもの
です。富士五山は離合集散の歴史といってよいでしょう。感情的な
対立も根深いものがあるでしょう。この掲示板では純正日蓮遺文を
思想的基盤にしていますから、富士本因妙の法門の探究は馴染まな
いかもしれません。富士五山の歴史や本覚思想の影響を受けている
尊門教学、郷門教学、石山教学の研究は独学徒さんの掲示板の方が
適切かと存じます。その節は宜しくお願い致します。

754独学徒:2006/05/09(火) 23:44:49

文殊さん、今晩は。
私の掲示板は、自分で言うのもなんですが、ほとんど連絡用となりつつあります。
ほとんど人の出入りが御座いませんので、お越しいただく際には、この点をご了承下さいませ。


顕正居士さん、御教示ありがとう御座います。
郷門の神学思想は、薩摩阿闍梨日叡の影響が大きいと思っていましたが、郷師にもそのような思想があったのでしょうか?
郷師は学法の師は目師で、目師は宗祖から直に学法伝授を受けたというのが、大石寺に蔵するという日郷直筆の系譜であったと存じます。
日郷直筆系譜によれば、目師にとって興尊は受法の師であって、学法の師ではないことになります。
尊門の出雲弘通では、やはり本覚法印日大ですが、日伊門ならぬ日大門より本因・百六箇が出たとするのが、興風談所の見解であると思います。
御書システムの本因妙抄の解題では、静岡県光長寺に蔵する「秘蔵抄」(本因・百六箇・産湯・本尊相伝の合本)に、日叶の識語とともに日叶が出雲安養寺にて、先師日耀から相伝を受けた事が記されているとなっています。
産湯記に関しては、同解題にて日教→日向郷門という伝承を推考しています。
私には、この興風談所の考え以外に、参考となる情報が無いので、産湯=尊門という発想に走りました。
上代郷門の神学思想の影響を知るには、どのような文献が御座いますでしょうか。
この点も、ご教示を戴けますと幸です。

755顕正居士:2006/05/10(水) 03:59:57
>>754
日郷には著述がなく、文献は日叡からとおもいます。日目にも著述がありませんが、三箇の秘法は蓮・目・興と
次第した伝説がある(穆作抄)。尊門、道門、郷門とも日目から分流し、それぞれ独自の興門教学を形成した。
また日目は千眼大菩薩を信仰する伊豆走湯山の修験出身である。日朗耳引法門の伝説は無視はできません。

御書システムの説は『桐』のお試し版で見たことがありますが、詳しく覚えておりません。ちょっと判らないのは、
なぜ出雲の尊門流で編纂されたのに、天照大神最初垂迹日御崎説がそれにないのでしょうか?

三河日要は左京日教とほぼ同時代の人で、宗祖本仏、久遠元初自受用身、御影本尊などを唱えていますから、
日要の著述とおもいます。

>>753
文殊さん。ここは『富士門流信徒の掲示板』ですから、日興門流の教義や歴史について語る場所であります。
しかし、でありますからこそ、以下を区別することが必要とおもいます。
1 日蓮の教義と後継者の教義 2 門流諸山の異義 3 大石寺単立以前と以後 4 伝統教義と新興教団
福重照平『日蓮本仏論』、松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』にも述べられているように、大石寺単立以後は
釈尊宗祖一体論が日蓮勝釈迦論に変質しています。創価学会以後は釈尊無益論に単純化し、今は創価学会
の教義が日蓮正宗に輸入されています。富士派の教義に疎い僧侶は新興教団の人と同じに理解してしまう。
また宗祖本仏論は富士派特有ではなく、玉沢流にもある。富士派の特色は第一に富士霊山思想であります。

756犀角独歩:2006/05/10(水) 05:19:51

独学徒さん

特にご投稿が、混乱を来したということはありません。
仰るとおりで、西山に就き、何処に就き、投稿で書けることとと書けないことがあります。


文殊さん

> 石山教学の研究は独学徒さんの掲示板の方が適切

別にそのようなことはありません。
石山教学の研究については、当掲示板でも十分に為されていますし、また、当掲示板の適切なテーマでもあります。このような決めつけは、議論自体を狭めますので、やめるべきでしょう。


顕正居士さん

755の整理は簡潔にして適宜であると拝しました。ただ一点、

> 富士派の特色は第一に富士霊山思想

に付加し、深刻なのは咒物、所謂「本門戒壇の大御本尊」信仰であり、この点を特色に数えるべきであると思います。

757文殊:2006/05/10(水) 06:22:50
犀角独歩さん、別段決め付けているわけではありません。
また、当掲示板では石山圏の出自ではなく、護教論をまじえず、
一個人として論議講会に参加しているので誤解無きようお願い
致します。行学日朝、慶林日隆、堅樹日寛の三大宗学者は当時
の関東天台の諸文献を批判的な視点からも日蓮宗学に摂属して
いる古典宗学と、犀角独歩さん、一字三礼さんがご研究されて
いる法華経梵文と純正日蓮遺文原典研究と理論的視角が別異で
あると思いましたので、前者の論議を独学徒さんの掲示板に移
そうと考えた次第でございます。

758顕正居士:2006/05/10(水) 06:42:43
>>756
「戒壇本尊」の信仰は大石寺だけです。本因妙は八品派と共通です。しかし重須、要山は本因下種の法体を
本果の妙法とするのが違う。結局、興門共通の特色は富士霊山思想になります。

大石寺の特色は日寛以後、「戒壇本尊」。それと仏立宗と同じ「現証利益」。妙法五字は現世利益の呪文で
あるとする。しかし呪文であるならば、門派など問わない。だからそれぞれ、「要法本尊」、「戒壇本尊」のみに
利益がある、宗祖の曼荼羅は雑乱勧請あるいは未究竟であるという。創価学会で100%、そうなりますが、
大石寺単立以後は、どんどんそういう方向に進んでいったように思います。

759犀角独歩:2006/05/10(水) 08:15:01

文殊さん

別段、何も誤解などしておりませんし、あなたを石山並びに信徒の代表であるとも思っていません。単に彫刻の真偽を言えない個人であると判断しているばかりです。

松山師に係る梵本学習は『法華経について』スレで行っていることであり、ここは『現代人が納得できる日蓮教学』がテーマです。テーマごとに分かっていることを当スレッドでとやかく言うことは筋違いでしょう。


顕正居士さん

755のご投稿で「富士派」と記されています。
富士派とは『富士年表』によれば

1900 明治33 9.18 大石寺分離独立認可、日蓮宗富士派と公称(院77)

とあるとおり、大石寺を指す名称ですから、彫刻信仰を付加されると記したのです。しかしながら、先のご記述が、八本山等、富士門下を指す意味でお使いになったのであれば、仰るとおりでしょう。

760文殊:2006/05/10(水) 21:59:03
犀角独歩さん、言葉遣いに気をつけた方がいいです。
節度を持って議論していきましょう。他スレッドに介入するつもりは
ございません。ただ、研究のアプローチが文献主義だからです。
自らの名誉を声高にふりかざす貴殿の態度はいかがなものでしょうか。

顕正居士さん、ご助言感謝に堪えません。彫刻師日法伝説の玉沢妙法華
寺が宗祖本仏論とは迂闊にもはじめて知りました。勉強し直します。

761犀角独歩:2006/05/10(水) 22:35:28

文殊さん

何を言っているのさっぱりわかりません。

> 言葉遣いに気をつけた方がいい…他スレッドに介入するつもりはございません…自らの名誉を声高にふりかざす貴殿の態度はいかがなものでしょうか。

他のスレッドに介入する気はないといいながら、「名誉」云々は、他のスレッドに係ることになっていませんか。

そもそも、あなたは、過去のこちらの質問に答えず、管理者さんの警告を無視して、また、議論をつづけています。そのあなたこそ、態度を改めるべきでしょう。

名誉云々というのは、つぶやきスレッドにおけるわたしの発言についでしょうか。
ならば、あなたにお尋ねしますが、「大謗法者」「魑魅魍魎」「学会くずれ」という暴言が名誉毀損に当たることを警告し、そのうえで、自らの名誉を護ることの何がいけないのでしょうか。あなたは、斯かる顕正会、浅井さんの暴挙を擁護するというわけですか。

762犀角独歩:2006/05/10(水) 22:54:57

管理者さん

761における文授さんの「言葉遣いに気を付けろ」という高飛車な態度をわたしは是としません。このような態度こそ、また、名誉を傷つけるものです。名誉とは人権の異名といってもよいでしょう。斯かる文殊さんの態度は、人を見下した実に無礼な態度といえるでしょう。

わたしは、自らの人権、また、名誉を自分の権利として、これを自ら護ります。
人権を擁護すること、これは信教の自由と共に現代人が納得する日蓮教学の要件であるともわたしは信じます。

これを妨げる行為をここに人権侵害であると判断し、文殊さんを批判いたします。

また、文殊さんは、過去に2度、質問に答えるよう、答えないような議論の仕方であれば、入場禁止をするという警告を受けていながら、4月30日の「『新田殿御書』に重大な日蓮の示唆があるというのであれば、具体的にその理由をここに記し、問うことが議論の在り方です」という、わたしの警告を無視して本日に至ります。すなわち、質問に対して答えるという管理者さんの警告を3度までも無視しています。

以上の2点に就き、管理者さんのご意見を拝聴いたしたいとお願い申し上げます。

763独学徒:2006/05/10(水) 22:57:49

>756
犀角独歩さん、恐れ入ります。

>755
顕正居士さん、興風談所は日教が大石寺に帰属後に表した著作では、日御崎に関する記述が省かれていることから尊門から大石寺門徒となったことで、日御崎に関する記述が大石寺門徒の思想にそぐわないとして削ったのではないかとしています。
該当文献名が出てきませんが、確か興風談所は、日要の日蓮本仏思想には隆門と(伝)日順、そして日有の思想的影響があると分析しているようです。日要の著作には、本因・百六箇の引用があることから、この郷門への本因・百六箇の移入は日教→郷門と考えているようです。

764管理者:2006/05/11(木) 06:00:54

犀角独歩さん

文殊さん

既に、当スレッド700レスにおいて、文殊さんはには、当掲示板から退去されるように申し上げています。704レスにおいて、猶予措置として、暫く、その後の進展を見守ると、管理者は述べました。犀角独歩さんのご指摘の通り、今回、人権侵害発言、並びに、新田殿御書に関して応答しない、という二つの瑕疵によって、文殊さんの書き込みを容認することを、看過できない水準に達したと考えます。

文殊さんの書き込みを今後禁止したします。

765犀角独歩:2006/05/11(木) 10:48:15

管理者さん

ご措置、有り難うございます。

書き込み禁止という点に就き、何故、このような措置に至ることになったのか、その過程を再考され、已後の糧とされることを願います。

繰り返しになりますが、『現代人が納得できる日蓮教学』、21世紀の日蓮、また、未来に伝えなければならない日蓮は、「事実の日蓮像」であるという信念をわたしは有します。過去の経緯、自己信念体系とその集団の執着から虚偽を未来に継承することは絶対にあってはならない、そのための、当スレッドの議論であるという点を、再度、踏まえて、管理者さんの許、さらに建設的な議論ができることを念願します。

766臨時:2006/05/11(木) 14:41:19
>未来に伝えなければならない日蓮は、「事実の日蓮像」であるという信念
をわたしは有します。

との事ですが、「事実の日蓮像」とは如何なる者でしょうか?このサイトでは
真筆主義をつらぬかれているようですが、多くの真筆が焼失したとされている
中で、その焼失した御書の中に重要な文々区々があったであろうことが想像さ
れます。

中でも禄内御書と言われるものの中には限りなく真筆と認められている御書も
少なくありません。それらの御書を真筆無きゆえに外してしまっては、真実の
日蓮像には迫りえないのではないでしょうか?

767管理者:2006/05/11(木) 14:52:24

臨時さん

お尋ねいたしますが、あなたは、当掲示板において、書き込み禁止となった方ではないでしょうか。内容から見て、そのように感じましたので、お聞きいたします。そうであるのか、そうでないのか、お答え戴けますでしょうか。よろしくお願いいたします。

768臨時:2006/05/11(木) 15:43:57
管理人さん

>当掲示板において、書き込み禁止となった方ではないでしょうか

との事ですが、書き込み禁止にはなっていません。

ついでに766の間違いを訂正しておきます。

訂正。。。文々区々_____文々句々

769管理者:2006/05/11(木) 16:19:13

臨時さん

了解いたしました。

ご参加を歓迎いたします。今後とも宜しくお願い申し上げます。

770顕正居士:2006/05/11(木) 17:03:21
>>763
御教示、有難うございます。日要が日順、日隆、日有の影響下にあるのは当然として、ここでも日教が出て来る
のですか。日要、日我の全集を興風談所で刊行してくれるとよいですね。
>>766
真蹟の有無ではなく、問題は真書か否かですね。直弟などの写本が幾つかあって、内容が一致している場合は
加筆もないと考えられるから、全体を真書と扱えるでしょう。むろん、そういう由緒がなくても、写本遺文の多くは
真書でしょうし、逆に真蹟(とされる)遺文の一二は偽書かも知れません。

771犀角独歩:2006/05/11(木) 21:36:09

臨時さん

> 「事実の日蓮像」とは如何なる者でしょうか?

それを探っているということです。

> 焼失した御書の中に重要な文々区々があったであろうことが想像されます。

そうですね。想像することはできます。
一方、真蹟遺文は想像ではなく、事実です。

> 禄内御書と言われるものの中には限りなく真筆と認められている御書

認められているというのは、現時点では、暫定的措置であって、事実であるということではないでしょう。
また、禄内は日蓮滅後100年ごろ、まとめられたものです。

お尋ねしますが、あなたは今から100年前の文書、それも、それが複製でも、その内容を信頼しますか。わたしは、疑ってかかります。しかし、それが信頼するに足りるかどうかは、真書に比して、はるかに実証困難ではないでしょうか。日蓮の遺文に置いても同様であるというだけです。

> 真筆無きゆえに外してしまっては、真実の日蓮像には迫りえない

逆も真でしょう。真筆ではない御書を混ぜてしまっては、真実の日蓮像に迫れません。この選択の際、確実な資料を優先して、それを基礎とすることはなんら批判されることではありません。しかし、その逆は、証拠性を有しないわけですから、採用にはそれなりの補助的な資料が必要となるということです。

772犀角独歩:2006/05/11(木) 22:59:57

771を、もう少し補足しておきます。

真跡として認められている遺文を日蓮のものとして、採用することは、取り敢えず、可であるとというのが、真跡主義ということであろうと思います。しかし、これら真跡も、数葉に切り分けられているものを集成して、真跡とする場合もあるわけですから、今後、現段階のスケールが変更されることはあり得るでしょう。

曽存に関しては、真跡遺文に準じながら、しかし、多くの問題を孕んでいます。

なお、真跡が存在しない遺文を採用しないということではありません。
これを採用するのであれば、確実に日蓮の真筆である証拠を添付する義務が生じるという条件付きであるということです。

わたしは、この能力がありませんから、現段階で真跡遺文として確認されているものを採用して、議論をしているということです。

先の写本に関しては、その判断はまちまちです。ですから、未決着の書を真筆であると主張する場合、その主張者に、その根拠を求めて、納得がいけば、その写本に基づく投稿の議論に乗りますが、納得できない場合は、議論以前の問題ですから、徹底して、真偽考証という、議論に入る前段階で、その確認作業を行います。

この確認作業を無視し、写本を直ちに真筆の如く扱う投稿に関しては、断固、遺憾の意を表し、その真筆なる証拠を求めると共に、その証拠を提示せず、投稿を強行しようとする者とは、断固、戦い、その主張を斥けます。

以上の態度に基づいて、わたしは投稿してきましたし、今後もそのようにいたす所存です。なお、このわたしの態度は、当掲示板における在り方にも基づくという認識に拠ります。

もし、この認識が間違っているのであれば、管理者さんにはよろしく訓戒を垂れていただきたく、お願い申し上げておきます。

773独学徒:2006/05/12(金) 23:25:13

>770
顕正居士さん、日要・日我の著作は一部分なら興風叢書として発刊されていますが、全集といったものがあってもいいですね。
しかし本来ならば、そのようなものは保田妙本寺から出るのが普通だと感じます。大石寺も日寛の六巻抄や文段を出しているので、全集とまでいかなくとも主要なものを何らかの形で世に出すのは、保田妙本寺のことをもっと知ってもらうためにもあってしかるべきと思います。
今後ともご教示の程、お願い申し上げます。

774顕正居士:2006/06/14(水) 22:34:59
インド以来、大乗経は報身仏の説法とする。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/538
報身仏とは何か。

自の富裕は世間より超脱して不思議なり
善修百の果を 諸の智慧を有するものゝ
歓喜の発起の為め 会衆の中に於て
種々広大に教へて 常に妙法の広大なる音声を
全世界に流布し給ふ
仏は円満報身にして 法の王国に住したまふ
総て彼に稽首す。
「伝竜樹仏三身讃」(寺本婉雅訳・『梵漢独対校西蔵文和訳・龍樹造中論無畏疏』)

報身仏とは三阿僧祇劫の菩薩修行の因願による報酬の身(善修百の果を…)であって、
三界の頂、阿迦尼咤天に住する(法の王国に住したまふ)。
三世諸仏、成道して得る身は皆等しくこの毘盧遮那報身である。
三世乃殊 毘盧遮那一本不異 如百千枝葉同趣一根(玄義7下)
(三世乃ち殊なれども 毘慮遮那一本異ならず 百千枝葉同じく一根に趣くが如し)

775犀角独歩:2006/06/15(木) 22:18:37

移動に際して、整理します。

わたしは、日蓮が法華経を釈尊50年の説法のうち、最後8年の説であると信じていた点で間違えたと言ったのです。(1537)

これは歴史上の事実に基づく指摘です。

これを、西暦前後に創作された法華経という物語、また、その他の大乗経典の解釈で展開される三身説で云々するのは、そもそも土台が違います。
この事実認識から言えば、経典は釈迦が説いたものではない、もちろんのこと、応身が説いたとか報身の説でもありません。経典を創作した人が紡いだ物語です。その点を日蓮が気付けなかったことを、わたしは言っているのです。わたしは応身の説法だなんだということを言ったわけではありません。それを恰もわたしが応身説に立ったような決めつけで、突然、投稿されたわけでした。しかし、これは、上述するとおり、まったく、土台が違った論点であるということです。

翻って、これを日蓮その人の教学と考えるとき、では、日蓮は、それを応身の説法と見たか、報身の説法と見たか、もしくは本地本仏の説法と見たかということはまるで別の問題です。台学の筋目から見るとき、これはもちろん、顕正居士さんが仰るとおりで、報身説としたのだろうというところが至当であろうと、わたしは思います。一切経は久遠本地釈迦仏の説法と見たのではないのでしょう。この点で、顕正居士さんと西大寺さんの言うところは違っています。

なお、わたしが「哲学」という点についていったのは、西大寺さんが日蓮を基準にしない日蓮の教学は日蓮の教学とは言えないといいながら、「久遠の教主釈尊と応身の釈尊の関係が分らないのならば、法華経の説く哲学等を理解するずもない」という点について、そもそも、日蓮も、台学も、法華経も、哲学とはまったく関係のないところで説かれたものであるから、それを「哲学」という言葉で捌いて、何が日蓮を基準にしていると言えるのかという問いかけから、始まったことです。

なにか、一字三礼さん、問答さん、わたしが哲学に拘ったような投稿を見ますが、事実はまったくの逆で、哲学に拘ったのは西大寺さんのほうでしょう。

顕正居士さんが仰るように現代の仏教学では「仏教哲学」なる造語が闊歩しているのは事実です。しかし、日蓮が何を基準にしたのかという点から言えば、日蓮は、哲学…この言葉は主にギリシャ哲学を指す…を基準にしたのではなく、仏法を基準にし、取り分け、智邈、湛然の釈、そして、何より、法華経を基準にしたのでしょう。

では、法華経はギリシャ哲学を基準にしたのかといえば、西方の影響を全面的に否定すべきではないが、やはり。多くは仏教徒の系譜から、この物語は紡がれた以上、これを哲学の影響とすることは、事実に反すると言っているわけです。

では、仏教哲学としての法華経の哲学を基準にしたのかといえば、わたしはこれは違うと思います。日蓮は法華経の魂を基準にしたのであった、その学を基本にしたわけではなく、強いて、この筋で言えば、信行学にわたって基準にしたのではないかということです。
また、哲学の、適宜な訳である愛知(知に対する愛)という側面からすれば、知への変更は、寧ろ、般若経のほうが闡明なのであって、以信得入という態度の法華経は哲●という言い方で敢えていえば、哲学であるというより、哲信の経というべきであり、この点は、バクティの影響をわたしは寧ろ見ます。

以上の意味において、とおりすがりさん、団栗さんのいうところは、まるでこの流れを無視していると言わざるを得ません。

まして、管理者さんが不公平なジャッジをしているごとき、団栗さんの発言はまったく事実と相違しています。

776一字三礼:2006/06/15(木) 23:10:31
「哲学」関しましては、犀角独歩さん、彰往考来さんがご指摘のように、時系列が合いませんし、仏教にギリシャ哲学の影響があると主張するのであれば、伝承を含めて、それを明確に示されればよいと思います。

知的な真理追及の作業全般を「哲学」と称した場合であっても、仏陀とは一切智者であり、‘法’及びその他全ての事柄に熟知した存在であり、仏典とは、その仏陀が対告衆に応じて、その悟ったところの教法・行法を説いたものです。
一切智者である仏陀には、教法・行法についてこの上、哲学的な思考や論法で求めなければならないものはありません。

つまり基本的には、仏典というものは、‘一切を知る者’からの開示です。だから、美や智を求める哲学的な構成をもっていない、それ以前にその説かれるところは理論的でさえないものが多いのです。

犀角独歩さんがご指摘のように、般若経系は、幾分思弁的な傾向はみえます。しかし、「二乗作仏」と「久遠実成」は法華経の中心教説ですが、哲学的思考によって理論的に証明など出来ません。
十地経の菩薩地についても同様に、耳障りの良い菩薩の徳目を‘十’という数にこだわって羅列しただけであり、哲学的な思考など微塵もみられませんし、また哲学的に理解出来るものではありません。

仏教が哲学を背景として成立している、などという考えは、仏教全体を把握することを困難にするだけではないでしょうか。

犀角独歩さん

実は、バクティ語が法華経で使用されているか否かにつきましては、松山先生が次回の講義までにお調べくださるそうです。

777顕正居士:2006/06/15(木) 23:37:47
大乗経の由来

NG-WORDがあると出て投稿できないので、下記をご覧ください。

http://www.geocities.jp/xianzhengjp/mahayanasutra.txt

778パンナコッタ:2006/06/15(木) 23:40:09
あらし行為は基本的に放置でしょう。管理人さんの警告も出ている事ですし。

現代人が過去の思考を”哲学”と呼んでも差し支えないでしょうが、鎌倉時代の蓮祖が
明治の造語を用い”これが哲学である”と言う事はあり得ないし、仏典に書かれているわけでもない。
現代人が蓮祖の思考を”日蓮哲学”と呼んでも差し障りはないでしょう。しかし、蓮祖自身は
哲学という語彙を持ち合わせていないのですから、鎌倉期に尺度を合わせ日蓮の思考を考察する
此処の掲示板のスタンスには、あまり適さない抽象的な語彙である故、常連各氏が明確な定義を
求めているだけの事でしょう。

また思考を論じるという人為的な意味合いも含まれる為に、”久遠の釈尊・無始の古仏”
といった語彙に単純に哲学的と冠すれば、初めから人による創作物という前提も成り立ってしまいます。

これは、明確な定義を示すべきでしょうね。

779顕正居士:2006/06/16(金) 01:02:32
Philosophyにあたる言葉はインドではdarśanaといいます。「見 けん」と漢訳します。
日蓮宗も一個の「見」であることは間違いがありません。しかしPhilosophyの基準
からは、天台宗まではPhilosophyであっても、日蓮宗の本面迹裏の教義は宗教で
あって、哲学ではないという意見があり得るでしょう。Philosophyとdarśanaは別の
文明圏の言葉ですから、ぴったりとは重なりません。
しかし、井上円了は日蓮宗の教義も哲学であるとして、『日宗哲学序論』を著し、
日輝は哲学造語以前の人ですが、日蓮宗に天台宗と異なる実相の説があるとした。
たしかにこの辺はおおいに検討すべき事柄であるとおもいます。

780顕正居士:2006/06/16(金) 01:24:21
わたしは「印度哲学科」の出身ですが、「印度哲学」の「哲学」はdarśanaなのか、philosophyなのか。
インド思想や仏教思想のdarśanaとphilosophyが重なる部分を重視して研究しているのかといえば、
そうではありません。「印度哲学・宗教学科」あるいは「印度思想学科」のほうがわかりやすいでしょう。
ですから印度学、仏教学の世界でいう「哲学」はdarśanaです。故中村元氏は「思想」という表現を
好まれました。つまりdarśanaはphilosophyの全体とreligionの一部に重なります。しかし「思想」とも
違うのです。「社会思想」などはdarśanaでなくてdharmaです。結局、「印度哲学」は適切な表現です。
インド思想の中でdarśanaに重点をおいて研究しているからです。

781顕正居士:2006/06/16(金) 02:27:37
>>776
一字三礼さんのご意見について。

大乗仏教がいう仏陀とはビルシャナ仏のことで、一切智者であり、経験と推論なくして一切を知ります。
大乗経とはその一切智者の啓示であります。しかし大乗仏教では「聖教量」を知識根拠としません。
大乗経の内容を真実とするのは各人の経験と推論によるとします。なぜなら「聖教量」を知識根拠と
すれば、一切智者の啓示と称する経典は多数ありますから、いずれを択んでよいかわかりません。
大乗経は架空の釈尊を説主とした創作経典ですから、インド、チベットでは龍樹、世親などの確実な
著述を正典とし、大乗経の言句は正典に合致するゆえに用いるに過ぎません。
中国では仏教の地位を確保し、かつ中国人の需要に合った仏教を展開するために、「経」に権威を
与えました。中国では何事も旧いことを重視し、経−釈-書の順序でなければいけません。共産革命
で全部、一新してしまうしかなかったが、その後はまたカール・マルクスの「経」、レーニンの「釈」、
毛沢東の「書」にこじつけた言論しか通用しません。そういう約束の社会ならば、あいまいな「経」を
重視するとかえって自由言論ができるのです。吉蔵や玄奘はインド流に論・釈を正典にしましたが、
中国ではこの流儀はダメでした。天台宗は正典を表は法華、涅槃の経。裏は竜樹などの四論とし、
上手にバランスを取ったのです。また大乗経を作った人達はおそらく部派仏教の学僧ですから、
物語の裏側にしっかりと哲学があります。そこが面白いのです。

782犀角独歩:2006/06/16(金) 04:46:24

生命のドラマ法華経とは、祥伝社から発刊された創価学会元教学部長・原島嵩氏の本の題名です。

創価学会で育ったわたしは法華経も、日蓮も生命を説いた人であると信じて疑いませんでした。この事情は、たぶん、現在でも創価学会員であれば、同様ではないでしょうか。戸田城聖氏の『生命論』がその基本にありました。
しかし、この“生命”というマジックワードで解釈された日蓮も、法華経も、その原意からどんどん離れていってしまうわけです。元来、主体であった法華経も、日蓮も、生命というこのマジックワードの説明語となってしまう魔力を有しているからです。

同様のことは哲学という言葉にも言えます。法華経の哲学、日蓮の哲学などといった場合、哲学という言葉が主役を奪ってしまう魔力を有しています。

781に顕正居士さんは「物語の裏側にしっかりと哲学があります」と記された。このような説明は現代的には別段間違いではないでしょう。しかし、ここで止揚された哲学は、それが主義、信条、考え方、定見…といったその他の言葉を置いても、実は違和感が生じません。

たとえば、天台智邈大師は摩訶止観で仏教哲学を説いた、いや、生命哲学を説いたという文章は、学会を含む石山圏では通用します。しかし、わたしは、これは嘘だと考えます。天台智邈は生命を説いたのではなく、心を説いた、もっと言えば己心の行じる法門を説いたというのであって、生命はイコール心ではないし、止観は、その心身の、禅観なのであって、哲学を説いたものでもないからです。生命、哲学という成句を使わない萌芽より正確に智邈釈を説明できます。この事情は日蓮も同様です。

法華経にしても、智邈、湛然の釈にしても、日蓮の御書にしても、生命で記せば、それは生命論になってしまうし、哲学といえば、その瞬間から哲学の説明になってしまいます。この二語は実に曖昧で、一切合切を説明したかのように見せる魔力があります。

わたしは宗教集団と会員に係る問題を主な仕事としていますが、この現場で過去10年間頻繁に使用されてきた言葉は マインド・コントロール もしくは、カルト という言葉でした。我々が通常、この言葉を使う場合、その定義について、前者はスティーヴン・ハッサン師、もしくは西田公昭師などの定義に基づき、カルトという言葉の用法は主に浅見定雄師の定義に基づきます。より正確な言い方をすれば、破壊的カルト・マインド・コントロールという成句を略して、カルト、マインド・コントロールというのが、この世界での決めごとになっています。しかし、このカルト、もしくはマインド・コントロールという言葉が一たび、世間一般、マスコミ・メディアで使用されてしまってからは、本来の意味からどんどんと乖離した別の意味を孕み、ついには俗語化の憂き目に遭った経緯をわたし達は目の当たりにしました。

783犀角独歩:2006/06/16(金) 04:46:51

―782からつづく―

哲学という言葉も同様の経緯を孕んでいないでしょうか。
インド哲学と言われるような成句の元で使用される哲学は779で説明されるような意味背景を有していると、顕正居士さんのようなその科の出身の方は考えるのでしょうが、一般人はそう考えません。インド哲学の哲学も、人生哲学の哲学も、さらには法華経の哲学?も、特に厳格な定義を有さず、元来の意味や定義から乖離した俗語化した哲学という曖昧模糊とした用法で使用されているからです。

日蓮は法華経の哲学を基準にした、なんだかわかったような気になりますが、わたしはこれは嘘だと考えます。だいたい、何を言っているのかまるでわかりません。これでは基準は哲学となってしまいます。当の日蓮が聞いたら吃驚することでしょう。

また、同じことを繰り返さざるを得ませんが、日蓮は、法華経を、釈尊が自分を去ること2200〜2300年前に説いたとして、その教学と本尊を確定していったわけです。ここに日蓮の信念があったのでしょう。(これは日蓮の哲学ではありません)しかし、この日蓮の信念は、残念ながら近代の科学実証性の前に潰えた、さて、どうするのかという点を、わたしは考えようといっていることです。

当スレッドは「現代人が納得できる日蓮教学」ですが、では、その主語である現代人に、法華経は報身仏の説であるとか、一切の経典は久遠本仏が説いたものだといって、納得するものでしょうか。むしろ、かつて、そのように信じられていたけれど、実のところは西暦前後に創作された物語であったという議論のほうがはるかに説得力を有しています。もちろん、それは、教学的な側面から考えれば、それを日蓮がどのように考えていたかということから三身説を採ることは何ら間違いではありません。このような見直しも、その日蓮の素描においては十分に義を有します。しかし、三身説という永らく使用されてきた説明に、哲学であるとか、生命であるとかという語をもってすれば、たちまちに事情は覆ってしまわないでしょうか。

以上のような実況がありますから、わたしは…、いや、わたしばかりではなく、彰往考来さん、一字三礼さん、パンナコッタさん、たぶん、問答名人さんは、生命とか、俗語化した哲学といった語彙を以て、法華経、日蓮、広くは仏法を語るうえで、使用しないほうがよいという考えで共通しているのだと思います。
イン哲の出であるという顕正居士さんには、不本意なことであるかも知れませんが、ここでの共通認識は以上のようであると思います。

784犀角独歩:2006/06/16(金) 10:08:41

一字三礼さん

般若経と哲学の関係へのご賢察、参考になりました。
法華経講義でも話題になりましたが、般若経周辺では、何ゆえ、あそこまで智慧に拘ったのか、この背景に東西文化交流はなかったのだろうかという類推が先の記述となりました。

『ミリンダ王の問』、また、ガンダーラ仏像の造形から見ても、大乗経典へのギリシャの影響は看過できないものがあろうかと思います。たとえばソクラテスは、釈迦と同時代の人ですね。しかし、西のソクラテス、東の釈迦の相互の影響は感じられません。前者はアポロンから語り、釈迦はブラフーマから語っています。しかし、滅後100年を経た頃から、仏像がギリシャの影響を以て造られるようになり、文字で経典を書き残すようにもなっていきました。前者には石工技術、後者は聖典信仰の隆起という点で、東西を代表する思想・文化と共通点が見出していけます。

このような時代背景で、もっとも最初に創られた経典が『八千頌般若』だった。では、Pnnya パンニャ(Prajynya(プラジュニャー))は智慧に力点が置かれたものであるわけです。知識への信仰という側面を感じるわけです。

このような態度は、ギリシャの Philosophy という態度と何らかの交流の結果ではないのかという視点をわたしは有しています。しかし、顕正居士さんのご説明を読めば、むしろ darśana(見)の延長と見るほうが至当なのだろうか、となれば、Philosophy>Pnnya は違っているのかとも思えました。

『法華経』は『八千頌般若』の次の創作経典であるという時系列で、さらにその定型化には2〜300年の時間を要しているようですが、そこに見られる態度は“信”の強調にあり、前者の般若の強調とは趣を異にしています。また、その底意には、輸入され習合し仏教の尊格となっていった数多の仏菩薩を整理し、釈迦一仏に統一しようとしたコンセプトを有しているわけです。そして、そこでは文字化された聖典信仰と仏塔信仰の融合があり、造像尊崇とも関連していくという東西交流の結果を垣間見ることもできます。

松山先生の調査、結果が楽しみです。bhakti は誠信、献信、信道などの漢訳と共“信愛”とも約されますね。信愛と愛知(Philosophy)、この比較こそ、わたしの興味の対象の一部です。

法華経における信は、adhimukti が正面ですが、その裏面に bhakti があるかどうか、次回の講義が待ち遠しい気持ちになりました。

785顕正居士:2006/06/17(土) 07:40:52
創価学会の爪跡は大きいですね。「日蓮大聖人の哲学」。
わたしも10年来、大石寺・創価学会関連のサイトや掲示板を見て来たので、そういう感覚はわかります。
「哲学」という語が「創価学会」を想起させるのですね。
創価学会は一見はカルトの中では穏便な部類ですが、2世、3世のトラウマは深い。そうおもいます。

786顕正居士:2006/06/17(土) 08:14:18
Bhakti 信愛 という語は法華経にはありませんが
自在者 イーシヴァラ への信愛が自我偈には高揚しています。
当時のBhakti思想の流行と無関係ではないでしょう。

法華経は般若空観を裏に置き、方便としての菩薩道の煥発を表にした経典です。
結構は阿含の経典をまねており、基本的には「法」への信仰を説いています、

松山俊太郎氏がおっしゃるように、日蓮は法華経に秘められたダルシャナを
13世紀日本に展開した思想家という方面があります。
日蓮はやはり「法」への信仰を説き、仏名でなく、実相の名である妙法蓮華経を
唱えよといった。しかし同時に寿量品・自我偈への信仰が極めて厚く、
ビルシャナ仏が釈尊として応現することを重視した。こうして日蓮宗学の顕本論は
法身、報身、応身の三説が並存するに至ったのです。

787犀角独歩:2006/06/17(土) 08:16:37

顕正居士さん

ご理解いただけまして、痛み入ります。

そのグループの特殊用語は、日常一般の言葉を借りていることも多く、そのような新年体系とはまったく関係のない場所にそのことを忘れて暮らしているとき、突然、この言葉に出会うと、フラッシュバックを起こさせます。

顕正居士さんのお考え、また、哲学という言葉には何の罪もないのですが、『仏教哲学大辞典』、通称、仏哲が仏教用語を知る最高の教科書であった者にとって、ここからの脱却に、どこか「哲学」という言葉に敏感になっているところがあるのかもしれません。

引き続き、ご教示、ご批正を賜れれば、有り難く存じます。

788一字三礼:2006/06/17(土) 15:43:19

顕正居士さん

> つまりdarśanaはphilosophyの全体とreligionの一部に重なります。しかし「思想」とも違うのです。

darśanaについてご教示くださり、ありがとうございます。このあたりの概念がよくわかりませんでした。 

> インド、チベットでは龍樹、世親などの確実な著述を正典とし、大乗経の言句は正典に合致するゆえに用いるに過ぎません。

確か、以前にもお書きになっておられたと記憶しておりますが、私にとってはかなり刺激的なご見解です。
大乗の「経」と「論」の関係は、部派の三蔵の基準とはまったく異なるということでしょうか。
現代の我々にとっては、龍樹も世親もすでに釈尊に負けず劣らず伝説の人物達ですが、インド人やチベット人にとっては、毘盧遮那仏よりはリアルだったのですね。

「中論」、「分別論」、「摂論」などを、聖典と位置づけて、それらの論釈に載る経文は採用する、という感覚はわかりません。「十住毘婆沙論」、「中論」、「法華論」などを読みますと、かなり自由な論釈立てはしていますが、それでも龍樹や世親は、「論」より「経」を重視する立場と感じます。

また先に挙げていただいた竜宮の大乗鉄塔の寓話からも、大乗の初期は「経」が最重要視されていたのではないでしょうか。時代とともに価値観が変化したのでしょうか。

789一字三礼:2006/06/17(土) 15:44:07

犀角独歩さん

> 西のソクラテス、東の釈迦の相互の影響は感じられません。

ソクラテスの環境は、アテナイの市民で、奴隷も使うことが可能な階層にあり、政治に参加することは義務・徳目とも考えられていた。そして最後は「悪法も法なり」という有名な言葉が示すように、ポリス・共同体の価値観に順ずることを美徳と考えたのでしたね。
一方、釈尊は、出家というアウトサイダー宣言により、インド限定の形態である「比丘」という立場をとり、そのスタンスを崩さずに、王・市民・国家と関わりながら生涯を送られた。
2人の偉人の教説の相違は、このような環境・立場の違いからあらわれるのかもしれませんね。

> 『法華経』は『八千頌般若』の次の創作経典であるという時系列で

部分的なものかもしれませんが、『法華経』の方が『八千頌般若経』よりも古い箇所があるようです。私ももっと真剣に調べてなければいけないことなのですが、なにぶんグウタラでして。

> 仏像がギリシャの影響を以て造られるようになり

これにつきましては、仏塔から仏像への形態が変わったのではないか、との説があるようです。確かに、紀元後一世紀ころの仏塔が彫られている彫刻群の中に、仏塔から仏の頭部と手が生えている写真を見ました。

790犀角独歩:2006/06/17(土) 21:05:33

一字三礼さん

なるほど。ギリシャ、インドの相違、実によく整理されていると思いました。
また、法華経には般若より古い部分がありますか。
わたしは単純化して考えすぎていました。
参考になりました。有り難うございました。

791犀角独歩:2006/06/17(土) 22:49:15

そうそう、一字三礼さん

> 仏塔から仏像への形態が変わった

これは仏塔というより、それまでは、釈尊は、足跡とか、あるいは転法輪で表されていたのではないでしょうか。

塔は、これとはまた、違うコンセプトであると思います。

792一字三礼:2006/06/18(日) 00:36:58

犀角独歩さん

> これは仏塔というより、それまでは、釈尊は、足跡とか、あるいは転法輪で表されていたのではないでしょうか。

原始部派仏教美術(BC3世紀からAD1世紀の終わり頃)と言われるものですね。アショーカ王の石柱とか、マラーヴァティの塔、ビタルコーラ石窟、サンチーの大塔などの限られた範囲ものですよね。
仰るように仏陀の表現が、菩提樹や仏足跡の千幅輪相から仏像を直接作るようになったのでしょう。
ただ、私が見たのは、幾つもの仏塔が彫られた彫刻群の中に、仏塔から手や仏頭が出ているものでした。

たしか、NHKで特集を組んで放送したと記憶しておりますから、ロムしている方で放送をご覧になった方がおられるかもしれません。

ガンダーラの仏像は明らかにギリシアの神像からの影響が認められますが、ガンダーラと同時期に仏像が作られ始めたマトゥラーでは、ギリシア・ガンダーラの影響を受けないインド的な表現の仏像が作られております。
特徴としては、螺髪があるものははっきりと巻貝のように渦を巻いたものであり(ガンダーラの表現は流れるような髪)、螺髪の無いものはまったくありません。また、肉づきが豊かで、筋肉隆々な弥勒菩薩像や観音菩薩像などは、このマトゥラーで作られたようです。

793顕正居士:2006/06/18(日) 07:02:43
>>788
インド大乗仏教は竜樹を開祖とする中観派と無着、世親を開祖とする瑜伽行派の二つです。
両派は後に合併し瑜伽行中観派になります。但しこれは学派であって教団ではありません。
教団(戒律)としての大乗仏教はインドには存在しませんでした。瑜伽行派では唯識の説は
竜樹の密意であるとするから、大乗学派は中国、日本でいう「八宗の祖」、竜樹を開祖とする
といえます。またこの大乗学派の興起以前に初期大乗経典の原型がすでに存在しました。
竜樹が大乗経についてどう評価していたかは難解です。主著である「中之頌」および同頌の
自註とチベットで伝える「無畏疏」では仏説とはアーガマを指し、仏陀とは彼をさかのぼること
500年の哲学者をいいます。大品般若経の膨大な注釈「大智度論」は梵本、チベット訳ともに
存在しません。チベット伝では「三身梵讃」は仏滅800年の後竜樹(竜叫)の作品だろうとする。
ただし「大智度論」が中国成立かというと、羅什訳は史実で、中央アジアにローカルな中観派
が存在し、この派の教学では法華経と大智度論を重視していたのではないかと想像します。

794犀角独歩:2006/06/18(日) 08:16:02

一字三礼さん、失礼しました。

手足の生えた仏塔のほうでしたね。

マトゥラ、また、サルナート、そして、ガンダーラの3箇所が主な仏像発生の知でしたね。それぞれ、違う特徴を有しています。わたしはサルナート仏が個人的には好きです。その中でギリシャ的特徴を有するのは、仰るとおり、ガンダーラ仏ですね。ただしかし、これら3箇所でほぼ同時期に仏像が始まっている点は、なんらかの理由があると思います。

この点では、わたしもNHK特集を紹介しようと思います。『ブッダ大いなる旅路』で、この点が語られていました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194744.html

マトゥラの仏像は、インドの土着信仰の尊像と仏像が当初、よく似通っていますね。(この点は追って、また、投稿しようかと思います)

795一字三礼:2006/06/18(日) 10:34:26

顕正居士さん

> 主著である「中之頌」および同頌の自註とチベットで伝える「無畏疏」では仏説とはアーガマを指し、仏陀とは彼をさかのぼること500年の哲学者をいいます。

仰るとおり「中論」には、大乗仏典は引用されていません。しかし、内容的には大乗に沿って理論展開されているように読めます。

「『中論』は論争の書である。インドにおいてナーガールジュナの当時にすでに成立していた諸思想体系を現前においてこれを攻撃し批判している。『中論』を読むと、韻文の大部分は攻撃的な口調で書かれていることに気がつく。」(講談社『ナーガールジュナ』中村元)

主とした対論相手は上座部の、説一切有部、犢子部、正量部などであり、仏教外の所謂外道については付け足し程度で、確定は出来ませんがヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派(正理論派)、サーンキヤ学派、ジャイナ教、時論師などが挙げられるようです。

「中論」に大乗仏典が引用されていない理由としては、「中論」が対論書であると言う理由のよるのではないでしょうか。

上座部や仏教外学派との対論であれば、主張の土台、または理論の典拠として大乗仏典を引用することは意味を為しません。
そのため、『中論』では、内容的には大乗を主張していても、大乗仏典、大乗の仏陀への言及がないとは考えられませんでしょうか。

『大智度論』、『十住毘婆沙論』等は、同じ龍樹の著作とは考えられませんが、『Suhrid lekha』は、『中論』の著者とさほどの違和感を感じませんが、こちらでは、大乗仏典や大乗の仏の名前が出てきます。

796顕正居士:2006/06/19(月) 06:47:48
>>795
一字三礼さん。

竜樹哲学の先行思想として般若経典があったことは否定できません。しかし中之頌の帰敬偈で
彼が認めているのは、あくまで彼を遡る500年の哲学者です。むしろ竜樹の権威によって般若経
が大乗学派に受容された可能性があります。
竜樹の学説に「顕正」の方面があったかといえば、嘉祥大師の説のようになかったのではないか
とおもいます。つまり竜樹に報身仏への信仰はなく、般若経典が彼の発想の元であったにしても、
彼は自身の論理を述べたので、先駆者として釈尊を認めたに過ぎないのではないかと思います。

797犀角独歩:2006/06/20(火) 07:28:56

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』1606から移動しました。

乾闥婆さん

実はわたしは疑問とされる点について、合理的と言っては手前味噌ですが、ともかく、冷静に判断することを勤めています。

日蓮といわず、日本然仏教界は、未曾有の難問に遭遇しました。経典の後世創作という事実です。それから100年ほど経つことになるのでしょうが、各集団の在り方は学問と信仰の分離、それをしなければ、この科学を言うものの人格攻撃(謗法者扱い)、もしくは、己の信念体系から放擲することで是としてきました。はて、四弘誓願は、何処に行ったのだろうかという疑念が生じます。

わたしはつくづく感じたのです。石山圏で彫刻本尊の真偽を言うと魑魅魍魎扱いをされる、それでも、わたしへの賛同者は日蓮宗にもあった。ところが、日蓮摂受の人というと、今度は日蓮宗のなかからも反感を抱く人々が出たわけです。この時点で、わたしは「なんだ一緒じゃないか」と思いました。要するに、自分が信じていることの真偽を論じられることに反感を抱くという点で一緒のわけです。

自分の信念 …信仰といってもよいのですが… 新たな認識に基づいて、変更していくこと、これは当然のことであるのに、信仰者はこれができない。その原因は、信仰が何らかの実体験と関連しているからでしょう。そしてまた、その実体験は、その実体験をする背景となった教義、もしくは本尊と関連しています。つまり、教義・本尊の誤認を論じられることは、自身の信仰、実体験を揺るがされることであり、その実体験=信仰に支えられた自分自身を否定するという自我存立の危機感を彷彿する構造がここにあるのだろうというのが、わたしなりの分析です。しかし、ここでいう実体験は過去の出来事です。つまりは、それは過去を振り返った信仰ではないのかとわたしは考えます。前を見て進んで見ることです。過去の実体験にしがみつかず、常に前に進むことこそ、精進であるという思いがあります。

また、日蓮は鎌倉時代の人であり、そこにはその時代という制約がありました。つまり、科学としての限界です。ここで言う科学とは自然科学ばかりではなく、人文科学の限界という意味のほうが、寧ろ、強いと思います。

日蓮は結局のところ、鎌倉時代に60年ばかりしか生きていなかった、そこでできた探求には肉体の限界がありました。肉体の限界は思惟の限界をも意味します。日蓮が弘安5年で終えざるを得なかった思惟と精進は、しかし、遺された教義と人生の軌跡を追うことで継承できます。日蓮が60歳当時の考えをもったまま、20歳の青年となったら、次に何を考え出すのか、いまの時代を観たら、何を考え出すのか、わたしはその点を考えることに意義を見出します。では、その答があるか、と言えば、それは現時点ではないでしょう。それはいまここで生み出されようとしていることであるとわたしは思います。その現場で、鎌倉時代限定の日蓮を墨守することは、今風の批判の言葉を用いれば、原理主義への転落ということになるでしょう。そして、それは過去にしがみついた在り方でもないでしょうか。

わたしは、いま自分が至れている結論、もちろん、まだ過程経過の段階ですが、これを以て、20歳の自分に戻れたら、思惟の時間は存分にもてたと、いつも残念に思います。現年齢からすれば、残された時間は少なすぎるという思いです。しかし、わたしにできなくても、ここで記されてきたことから出発できる若者はいます。彼等は、わたしが死んだ後にさらに思惟を深めていけるでしょう。そして、その若者を老年となる頃、さらにその思惟を我がものとして、出発できる若者が、未来にいます。こうして、人類は発展してきたのでしょう。

日蓮の信じることは、日蓮の限界までを自分の限界にしてしまうのでは進歩はありません。わたし達は日蓮から出発しなければ進歩がないのです。
わたしが「日蓮の間違い」という毒々しい言葉を吐いた意味は、ここにあります。

798犀角独歩:2006/06/20(火) 19:50:07

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』1617から移動

一字三礼さん

乾闥婆さんへの質問は取り敢えず、そちらにするということで。


> 偽経の存在は鎌倉時代でも知られていたそうですから。

そうですね。ということは、逆を返せば、偽経とされるもの以外は、真経とされたのではないでしょうか。

> 仰りたいことは大乗は仏説ではない、ということなのですか。

いえ、違います。経典は、後世の創作であるということですが。

なお、日蓮聖人は経典に説かれていることをすべて真実として認識されていたのではないでしょうか。でなければ、繰り返し「仏は大妄語の人」となると呻吟される必要はないからでしょう。

> 一切経を衆生の己心のことを考えておられた

この証拠はありますか。
まさか、日蓮が「真実」ということは皆己心の問題であるというわけでしょうか。また、お題目の修行も、単に己心のことであり、実証を問うことはナンセンスですか。

仮に、この掲示板ではなく、一般の人から、法華経は真実ですか。お釈迦様が説かれたものですか。鎌倉時代は末法ですか、と聞かれたら、一字三礼さんは、なんと答えるのですか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

799一字三礼:2006/06/20(火) 22:03:45
犀角独歩さん
引用しながら投稿したので、スレッドを間違えてしまいました、失礼しました。

> 経典は、後世の創作であるということですが。

私は、経典とは仏弟子によって詩偈の形で幾世代も口誦されてきた仏説が、ある時代に経典として編纂されたと考えています。

独歩さんもご存知のように、松山師は、法華経の偈文と長行の梵文について、「長行は解りやすい梵文であるが、詩偈は古いプラークリットでとても読みづらい。詩偈部分が出来てから長行部分が出来るまではかなり時間が経過していると思う。」とのご見解を示されています。松山師の法華経講義に参加するようになってから、ますます思いを強くしました。

> なお、日蓮聖人は経典に説かれていることをすべて真実として認識されていたのではないでしょうか。でなければ、繰り返し「仏は大妄語の人」となると呻吟される必要はないからでしょう。

実は一番難しいのは、日蓮聖人の言う「真実」とはどういった意味なのか、ではないでしょうか。

確かに、独歩さんが仰るように日蓮聖人は、法華経は‘一言一句全て如来のご金言’と言います。
しかし、また同時に、観心本尊抄にしめされるように、法華経に登場し、歴史的存在であるはずの舎利弗などの四大声聞を「我等が己心の声聞界なり」と言い、寿量釈尊も「寿量品に云く『然るに我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり』等云云。我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。」 と‘我等が己心’で把握されている。
この法華経観は、‘法華経典は古代インドで釈尊が説いた’書物との認識ではないでしょう。やはり己心(内面)で把握していたのではないでしょうか。

「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く。其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり。」(観心本尊抄)

法華経と言えど一品二半以外の部分は、‘小乗教・邪教・未得道教・覆相教’と切り捨てられたりもします。
日蓮聖人が‘法華経は全て真実’と仰っても、実は部分によってかなりの温度差があるようです。

> 一般の人から、法華経は真実ですか。お釈迦様が説かれたものですか。鎌倉時代は末法ですか、と聞かれたら、一字三礼さんは、なんと答えるのですか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

Q 法華経は真実ですか。
A 古代の書物ですから、古代インドの神話や伝承、世界観の中に、仏教の非常に重要な法門が説かれています。

Q お釈迦様が説かれたものですか。
A 仏教の大事な法門が、仏弟子達によって詩の形で口伝され、それが紀元前後に経典に編纂されてものです。

Q 鎌倉時代は末法ですか。
A 末法と言ってしまえば、法華経が編纂された当時もすでに末法と考えられていたのでしょう。末法とは、いつの時代でも仏教徒は使命感と危機感とを持って仏法を広めていかなければならない、という警鐘でしょう。

はたしてご参考になりますでしょうか。まるで当たり障りのない坊さんの説法みたいな少し肩透かししたような答えにしました。
私の信仰観は多少複雑ですので、ちょっと書き込むのは難しいのですよ。

800乾闥婆:2006/06/21(水) 00:30:23
犀角独歩さん。一字三礼さん。

レスポンスありがとうございます。
仕事が忙しく明日も朝が早いので、後日改めてレスをさせていただきます。

ただ一点だけ。
>‘明らかな間違い’とまで仰るのでしたら正確な仏滅年を教えてください。100年も幅のある仮説はいりませんから、正確な年代をお願いします。

正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。私が使っているのは『岩波仏教辞典』の初版です。そこには「釈迦」の項目で「前463-383頃、一説に前566-486頃」とその生没年は記されています。いずれの年代にしても明らかに仏滅後二千二百三十余年ではないので、‘明らかな間違い’と書きました。もしも一字三礼さんの知られる範囲で仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の説があるようでしたらご紹介ください。‘明らかな間違い’は撤回させていただきます。

以前、このスレッド上で私もまた「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」等を引きつつ、蓮祖の信仰を己心の問題へ回収することは可能ではないかと主張したことがありましたが、蓮祖は法華経に書かれてあることを事実であると考えられていたとの犀角独歩さんの主張に、驚愕したことがありました。その辺りの遣り取りをもう一度読み返しつつレスさせていただきたいと思います。

801顕正居士:2006/06/21(水) 01:33:22
「仏滅年代」を検索すれば詳しい記事がいろいろありますが、要点は簡単です。

1 北伝(漢訳伝)  前4世紀
2 南伝(パーリ伝) 前5世紀

100年違うのはアショカ王出世を北伝は仏滅100年、南伝は200年とするからです。
漢訳伝はパーリ伝より古い、南伝は同名の王を混同したと説明できる。日本の学者はこの説を取る。
漢訳に疎かった欧米の学者は今までは南伝を取る人が多かった。

あと、中国、日本にはトンデモ説がありました。唐代の偽書・周書異記の瑞祥譚から600年、仏滅を
繰上げました。釈迦出世を老子より以前にする必要からです。しかし仏滅何年に何が起ったという
のは仏典のままです。インドの歴史と中国の歴史を600年ずらしたのです。つまり日本書紀や旧約書
と同じ作為です。単なる間違いではありません。アショカ王の年代はギリシャの記録によって正確に
今はわかります。

802犀角独歩:2006/06/21(水) 06:17:16

一字三礼さん、有り難うございます。

> 経典とは仏弟子によって詩偈の形で幾世代も口誦されてきた仏説が、ある時代に経典として編纂された

まあ、初期経典などは、このような説明は成り立つと思いますが、しかし、法華経に説かれるSFのような壮大な物語は、もはや、その説明では不足ですよね。眉間白毫、三十二相八十種好、多宝塔、地涌菩薩等々、こんなことまで、釈迦が語ったとは到底考えられません。教えにしても、釈迦の言説としては、せいぜい八正道・四聖諦どまりで、十二因縁ですら怪しいのではないでしょうか。

また、かつて雖念さんも指摘されていましたが、仏教集団(に限らず、古代の祭政とは抑もそんなものであると思いますが)ドラッグは不離の関係で、幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったことや、創作者が“見聞”したことが多分に入り込んでいるのではないでしょうか。

以上のような次第が想定されますから、口誦伝承が原型とはとても言えないと思いますが、どうでしょうか。

> 松山師…

師がいう、詩偈先行はもちろん、納得するところですが、しかし、それらが原文が、釈迦の直説であるとは言っていないと思いますよ。

> 実は一番難しいのは、日蓮聖人の言う「真実」…意味

ええ、もちろん、これは一つの難問です。
ただ、わたしがここのところ、言ってきたのは、日蓮が基礎にした当時の通年は、現代では通用しない、基礎資料の間違いに基づく教義が、正しいとは言えないということですから、これはまた別の問題です。

> 己心

では、日蓮はどこまで、己心とするのでしょうか。
本尊抄の記載は、智邈止観の三千不可思議境、湛然の一念三千を追体験ですね。「説己心中所行法門」です。ここでいう法門とは、もちろん、十法界のことでしょう。ここで想定されているのは止観禅の観法ですから、当然、己心に違いありません。しかし、たとえば、その題名『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という如来、末法、本尊のうち、己心に係るのはしかし、本尊だけではないでしょうか。如来も己心、その説・滅も己心ということではありません。

日蓮は釈迦を実在の人物としてとらえ、自分を去ること二千年前に入滅していることを事実として掌握していたでしょう。この部分が己心法門であるということではありません。その前提で、わたしが申し上げているのは、日蓮の如来観、自分を去ること二千年、法華経は釈迦の直説と言った基礎的な考えが違っていたということです。

>> Q 法華経は真実ですか。
> A 古代の書物ですから、古代インドの神話や伝承、世界観の中に、仏教の非常に重要な法門が説かれています。

これは、質問と答が一致していません。その重要な法門は釈迦が説いたものですか、それは真実ですかという質問です。

>>Q お釈迦様が説かれたものですか。
> A 仏教の大事な法門が、仏弟子達によって詩の形で口伝され、それが紀元前後に経典に編纂されてものです。

この点については、上述しましたが、では、宝塔涌現、地涌付嘱も釈迦が説いたものですか。

>>Q 鎌倉時代は末法ですか。
> A 末法と言ってしまえば、法華経が編纂された当時もすでに末法と考えられていたのでしょう。末法とは、いつの時代でも仏教徒は使命感と危機感とを持って仏法を広めていかなければならない、という警鐘でしょう。

末法思想というのは、たしかにそんなものでしょう。
しかし、日蓮の教学は、これでは説明できないでしょう。2000〜2500年の限定用法にこそ、その意味があるからです。それはつまり、先に挙げた『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題名が示すとおりです。仏滅年代が違えば、日蓮の教学は瓦解します。日蓮の自覚も根本から覆ることになりませんか。

わたしが以上の点に拘るのは、自分の信仰の見直しということです。人に質問されて矛盾したことは答えられないというわたしなりの善意と責任感からです。

803今川元真:2006/06/21(水) 12:28:11
【点・線・面の点】 ●ゴウタマシッダルタor存在したかもしれない久遠実成仏、500年後の5(五時判の5倍)or久遠実成の覚り(観心)から500年の5倍●経典所説諸々→信学行→真実の妙法蓮華経、真の一念三千、真の仏(如来)≒経題主題の真実証明●滅後法華経誹謗の者を指すなり(リアル)、経典諸説(フィクション系)→法華一乗宣揚(経典核心の真実)→皆成仏道●シャクソンから譲り受ける因行果徳の範囲(始成正覚or久遠実成or一念三千が造り出す経典世界)●鎌倉時代の修行方法と21世紀時代の修行方法は違う?

804一字三礼:2006/06/21(水) 12:30:01

犀角独歩さん

> 口誦伝承が原型とはとても言えないと思いますが、どうでしょうか。

いいえ違います。
経典、特に法華経などは、古くから伝承されてきた法門が詩偈(重偈)であり、それを補足・説明するのが長行です。ですから構成自体にも口誦伝承の形がはっきりと残っております。

> 仏教集団(に限らず、古代の祭政とは抑もそんなものであると思いますが)ドラッグは不離の関係で、幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったことや、創作者が“見聞”したことが多分に入り込んでいるのではないでしょうか。

「幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったこと」の‘指導者’とは誰を指すのでしょうか。
仏教徒にとっては、‘仏教とドラッグが関係ある’とする発言は、これだけ聞くと非常にショッキングなものです。
このようなご主張をされる時は、まず仏教とドラッグの関係を示す明確な証拠なり資料を提示なさるべきでしょう。

>> 法華経は真実ですか。

独歩さん、これはあなたが設定した設問ではありませんか。私が言ったものではないですよね。
私は法華経を真実であるか、真実でないかの二者択一ではみておりません。
だいたい、仏教というものは2500年前から続く大きな文化潮流であり、日本においても宗教・文学・芸術・生活とあらゆるところに大きく影響を及ぼしております。その中でも特に法華経の影響が最も大きいでしょう。
文化や思想潮流としてすでに12世紀以上もの永きにわたって定着し、多大な影響を及ぼしている法華経です、それを‘真実か真実でないか’この視点で判断することには、失礼ながら私は意味がない、というより‘もったいない’と思うのです。

法華経は、約2000年前、インドないしは中央アジアで三期または四期にわたって編纂されたのでしょう。その古代インドの書物は素晴らしい構成力で、他の大乗経典を寄付けない壮大な世界観を持ちます。また、初期大乗経の特徴でもある、節度を持った禁欲的で素朴な教説も魅力的です。

須弥山を中心とする九山八海の世界に、天龍八部衆が侍り、霊鷲山の虚空で数え切れないほどの仏や菩薩達が奥深い法門を語り、信じられない神通力を使うのです。
この法華経から、文学を志す者は文学的表現を学び、芸術を志すものは作品に取り入れ、僧達は不軽菩薩に忍耐の範を見たのでしょう。

このようにして、たぶん昔から日本人がしてきたように、有用なところは取り入れ、そうでないと思われるところは採用しなければよいでしょう。

松山先生の法華経講義で、更なる法華経の奥深さに気付かされるようになったのは、私だけではないはずです。
その法華経を‘真実か、真実でないか’で斬ってしまうことは意味があるのですか。

805一字三礼:2006/06/21(水) 12:54:46
乾闥婆さん

> 正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。

あなたはご自分の発言の矛盾しているのがお分かりになりませんか。
北伝の仏滅説を‘明らかな間違い’としながら‘正確な仏滅年代などいまだ判明していないと思う’という。
これでは、あなたが‘明らかな間違い’と指摘する根拠がないということになるでしょう。

ただ、この件につきましては、意味がありませんのでこれでお終いにしましょう。小さいことこだわって、私が意地の悪い書き方をしました。

顕正居士さん

仏滅年代についてのレスありがとうございます。
トンデモ説はとても面白かったです。

806犀角独歩:2006/06/21(水) 13:29:05

一字三礼さん

> …構成自体にも口誦伝承の形

わたしは具体的な質問をしています。
では、経典に登場する仏菩薩など、法華経で云えば、多宝塔、地涌菩薩は釈尊の伝承であるという考えだと云うことでしょうか。

> 「幻視・幻聴・幻覚状態で指導者が語ったこと」の‘指導者’

経典として語った人ほどの意味です。

> ‘仏教とドラッグが関係ある’…明確な証拠なり資料を提示なさるべきでしょう。

この点は既に雖念さんが詳しく記しています。
『悟りを科学する』は、その点を論じ合ったスレッドでした。
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/#15

ドラッグ [drug]
薬品。薬種。薬剤。(三省堂提供「大辞林 第二版」)

別段、わたしが初めて論じるようなことではなく、たとえば日蓮も行った修法・虚空蔵求聞持法では、水銀を使用していることは既に指摘されていることで、ここで得る太陽体験は水銀中毒との因果関係は論じられてきています。このような事情は、何も日本ばかりのことではなく、洋の東西を問わず、いずこでも行われてきたことではないですか。また、現代でもアジアでは、仏教僧がドラッグを使用することは珍しいことではないとのことでした。

>> 法華経は真実ですか。

切り文されては意味が違ってしまいます。
わたしは「重要な法門は釈迦が説いたものですか、それは真実ですか」と訊いたわけです。歴史のなかにおける解釈添加を云ったのではなく、多宝塔の物語や、地涌菩薩の物語は釈迦の直説かという質問です。

> 多大な影響を及ぼしている法華経です、それを‘真実か真実でないか’この視点で判断することには、失礼ながら私は意味がない、というより‘もったいない’と思うのです。

それとこれとは問題が別でしょう。
影響を及ぼしそれがよい結果であったかどうかと、日蓮が基礎にした資料が偽であったかと、どうして一緒に論じるのでしょうか。
ここで問題にしているのは、影響・作用についてではなく、あくまで、資料(経典)の真偽ですよ。それを、明確にすることは、もちろん、意味があります。

> 法華経を‘真実か、真実でないか’で斬ってしまうことは意味があるのですか。

ああなるほど。わたしが斬ってしまっているように映じるというわけですか。

そうではなくて、わたしは「法華経は釈尊が説いた直説真実ですか」と問われた場合、「違います」としか答えようがないと言っているわけです。
しかし、そうではあるけれど、その精神、仏教の歴史の中で培われてきたものは捨てがたい、と答えるという道筋を言っているわけです。

影響があるから偽者であるとはいえないなどという論法は、しかし、成り立ちません。わたしはそんな論法は一種の詭弁であると思いますよ。

よい影響力があるからその真偽を問うのは意味がないというのであれば、「本門戒壇の大御本尊様から功徳をいただいたという人がいるのだから、その真偽を問うことは意味がない」という論法と同列ですが、如何でしょうか。

なお、仏滅年代に関する乾闥婆さんの質問は、一字三礼さんのほうが矛盾していませんか。わたしは、日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんかと記しました。しかし、あなたはそれに対して、答えていません。日蓮教学を採用するというのであれば、鎌倉時代が末法であったこと、その説が釈迦の直説であることを、証明しなければならないのは、その主張者のほうです。日蓮の時代が仏滅2200年であると説明する義務は日蓮信徒が負っている責務です。

807今川元真:2006/06/21(水) 16:30:10
誤字脱字失礼しました。 500年後の5(五時判の5)倍、 (リアル系)

808一字三礼:2006/06/21(水) 17:51:40
犀角独歩さん

> わたしは具体的な質問をしています。

私はすで具体的にお答えしました。
この上の設問は、特定の答えに誘導されているかのようです。
私は独歩さんと同じ視点で意見を述べているのではありません。

法華経で聞きたいことがあれば、松山先生の法華経講義の時に、直接、先生に質問されてみてはいかがですか。

> 日蓮も行った修法・虚空蔵求聞持法では、水銀を使用していることは既に指摘されていることで、ここで得る太陽体験は水銀中毒との因果関係は論じられてきています。

虚空蔵菩薩求聞持法の修法は一つではありません。
日蓮聖人が行った修法が特定されているのですか。その修法の中で、日蓮聖人が水銀を使用されたということでしょうか。

>> 法華経は真実ですか。

法華経を観る視点が違うのです。私の意見は最初に述べております。ご確認ください。

> 影響を及ぼしそれがよい結果であったかどうかと、日蓮が基礎にした資料が偽であったかと、どうして一緒に論じるのでしょうか。

日蓮聖人が基礎とした資料とは法華経を指すのでしょうが、現代において法華経のような仏典を「真か偽か」で問うことに意味がないと申し上げているのです。
法華経が「真か偽か」にどうしてもこだわるのであれば、この件も松山先生にご質問されてはいかがですか。

> わたしはそんな論法は一種の詭弁であると思いますよ。

私は自分の意見を言っているのですよ。
「法華経は釈尊が説いた直説真実か否か」に意味はないと主張しているのです。
詭弁を弄する者と言われるのは心外です。

> よい影響力があるからその真偽を問うのは意味がないというのであれば

勝手に作らないでください。私は「よい影響があるからその真偽を問うのは意味がない」などとは一言も言ってはおりませんよ。

法華経というものは、約1200年も前から宗教書としてだけではなく、文化・芸術・文学その他に於いて深く根付いているものであるから、現代でも有用と思われるところは使い、それ以外は使わなければよいのではないでしょうか、と言っているのです。

> わたしは、日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんかと記しました。しかし、あなたはそれに対して、答えていません。

答えられなくて当然でしょう。仏滅年代はいまだ特定されておりません。
だから「日蓮が採用した仏滅年代は間違っていませんか」と問われれば、現行資料からは、「正しいとも間違っているとも言えない」となります。
ところが「明らかな間違い」と乾闥婆さんが仰るので、それは根拠のないことではないでしょうか、と言ってのです。

809一字三礼:2006/06/21(水) 18:11:49
> 802

> 日蓮は釈迦を実在の人物としてとらえ、自分を去ること二千年前に入滅していることを事実として掌握していたでしょう。この部分が己心法門であるということではありません。その前提で、わたしが申し上げているのは、日蓮の如来観、自分を去ること二千年、法華経は釈迦の直説と言った基礎的な考えが違っていたということです。

日蓮聖人の法華経は本門立ちです。その本門の中心の寿量釈尊は「常在霊鷲山」を宣言されます。
もしも聖人が法華経を単純に、全て文字通りに信じていたのであれば、釈尊は二千年前に入滅された、とは考えないで、今もインドにいらっしゃると考えたでしょう。
もしそうなら「一心欲見仏 不自惜身命」の文の通り、日蓮聖人はインドに向かわれたことでしょう。
ところがご遺文では、実在のインドの霊鷲山という土地には、まったく興味をしめされない。

そして日蓮聖人は霊鷲山を、田村先生のお言葉を借りれば「成る浄土・ある浄土・逝く浄土」として把握されていた。
これは、法華経を二千年前に実際に説かれたものとして観ていたのではなく、宗教書として内面から捉えていたからでしょう。

810顕正居士:2006/06/22(木) 01:22:29
中世日本人に歴史という概念はあったか?

を考えると、古代日本人にすでにあったでしょう。記紀では神代と人代を区別しています。
つまり神話と歴史の区別です。文字がなかった時代と文字を輸入した時代ともいえます。
ただし二つの時代の移行期には神話とも歴史ともつかない期間が存在します。
室町時代が日本で仏学が最もパワーがあった時期で、江戸時代に入ると儒学、洋学に
その地位を譲ります。知識人は仏教を「愚夫愚婦」の迷信とみなすようになりました。
その理由として仏者の歴史概念の欠如があったでしょう。日蓮の遺文を見ましても、
彼はまったく神話の中に生きている、対して近世的意識にすでに到達していた北条氏は
このフィクションの中に生きるデマゴーグの処置に困惑したでしょう。
しかし遺文を見れば、扇動家の性質に溢れているとはいえ、知的な人物でないわけではない。
それは江戸時代の仏者といえども同じです。要するに、問題は仏教にあります。
仏教は「唯心論」ですから、結局、Aと非Aの区別がありません。無論理なのです。
つまり、「愚夫愚婦」の迷信需要に応じて、仏者の利益になることを説くに過ぎない。
室町時代になぜ、日本で仏学が最もパワーがあったかといえば、この時期は本覚思想の
クライマックスで、唯心論の克服が行なわれたからです。

811乾闥婆:2006/06/22(木) 01:45:46
一字三礼さん。

>これでは、あなたが‘明らかな間違い’と指摘する根拠がないということになるでしょう。

私は‘明らかな間違い’と指摘する根拠を示しました。『岩波仏教辞典』「釈迦」の項目における生没年「前463-383頃、一説に前566-486頃」。

>いえ、そんな感じだったのではないでしょうか、もしくは一番理屈が通っていると考えたのかもしれませんね。

驚きました。蓮祖の遺文中に「いくつかの教相判釈があり、それらはどれも相応に正しい」と受け取れる記述があるのですか。

>「四十余年未顕真実」とは「無量義経」に出てくる経文のです。経典に説かれる事柄を日蓮聖人が現実と捉えていたと考えるのはナンセンスであり、意味がありません。

なぜ経に出てくる「四十余年未顕真実」という言葉を蓮祖が現実ととらえていたと考えることがナンセンスなのでしょうか。現に蓮祖聖人はこの言葉を使われて法華経の優位性を主張されています。

>これは、法華経の釈尊の仏土を顕す経文で、現実的にはありえようもない娑婆浄土ですね。これを現実にインドに存在すると考えられたでしょうか。

それら法華経の記述を、現実的にはありえないと考えるのは、現代人の視点ではそうなのだと思います。中世日本において、経典表現の位置づけが、広く虚構と受け止められていたのでしょうか。なによりも蓮祖が虚構と認められていたとはっきり分かる遺文はあるのでしょうか。

>本当に日蓮聖人が法華経が全て事実であり、現実に起こったことと把握したのであれば、日蓮聖人はインドの霊鷲山に向かわれたのではないですか。「常在霊鷲山」は法華経の中心、寿量品のご金言ですから。

そうでしょうか。「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山」であれば「南無妙法蓮華経」と唱える蓮祖はすでに「常在霊鷲山」の教主釈尊を体感しているのではないでしょうか。この点は以前の犀角独歩さんの発言に強い感銘を受けました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/125

>日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられたのではないでしょうか。これは顕正居士さんが仰るように、仏典は報身如来の説と考えられたからでしょう。

己心をめぐっての議論は一字三礼さん犀角独歩さんとの議論を待ちたいと思います。私はむしろ「日蓮聖人は法華経のみならず、一切経を衆生の己心のことを考えておられた」と受け止めたい人間です。しかし現在はこのスレッドでの遣り取りを通してそのように受け止めなくなってしまっています。そのことにも私は苦しんでいるのです。

812乾闥婆:2006/06/22(木) 01:46:27
犀角独歩さん。

>教義・本尊の誤認を論じられることは、自身の信仰、実体験を揺るがされることであり、その実体験=信仰に支えられた自分自身を否定するという自我存立の危機感を彷彿する構造がここにあるのだろうというのが、わたしなりの分析です。

そのとおりだと思います。ですから私は現実と信仰を切り離し、虚構を虚構として自立させて信仰を全うしようと考えていたのでした。しかし私は虚構の住人にはなりきれませんでしたし、それでよかったのだと思います。それによる苦しみは受け止め続けなければならなくなりましたが。

不思議であるのは犀角独歩さんが、「それが漫荼羅を本尊と思い、日蓮が確定した唱題という行をやるという方法論は、採ってもいいと思います。大いにやってみるべきです。わたしは唱題も読経も好きですし、やれば、やってよかったといつも思います。」といわれたことにありました。また犀角独歩さんはこのようにも言われます。「日蓮は基礎データは間違えた。しかし、真実の究明しよう、善意で行動しよう、民衆と国土を救いたいという気持ちは間違っていない、わたしは、その日蓮を信仰していると言っているのです。つまり、教えが間違っていても、その精神性と事実究明という姿勢は信仰に価すると言っているのです。」言われていることはわかるのですが、いつも腑に落ちないのは、精神性や姿勢というものは、見習うべき一つの範例ではあっても、信仰の対象にはならないのではないかということです。信仰には形態や方法論が必要なのではないかと考えるのです。しかし精神や姿勢にはそのようなものはありません。ですので、形態として、方法論として、曼荼羅に向かっての唱題を私は選んでいるのですが、それは間違われた「基礎データ」の上に成り立っているわけです。このような状況をどうしたらよいのでしょう。犀角独歩さんにおける信仰の形態の意味合いといったものはどのようになるのでしょうか。

813乾闥婆:2006/06/22(木) 01:55:28
顕正居士さん。

いつも意義ある情報提供をいただき、ありがとうございます。少し投稿が錯綜してしまいましたが、非常に興味深い視点に気づかされました。そうしますと中世日本の僧侶に経典の虚構性をはっきりと認識し現実の歴史と判別する視点はありえたのでしょうか。

814顕正居士:2006/06/22(木) 05:27:42
>>813
虚構性なんか、いつの時代の人でも大乗経を一見すればわかります。
虚構だけれども、どれにも説主として仏教の開祖である釈尊が出て来る。
だから、何か釈尊と関係があるフィクションとして整理したのが教判です。
その上で寓意を拾って来るのが「観心」です。
インドの現実の歴史のことは、今だって、たいしてわかりません。
ただし日本天台の本覚思想家は虚構性をよりはっきりと認識した。
対して日蓮は神話の中に生きていた。だから大衆が付いたのですが、
天文法乱に至った。しかし比叡山も破却され、山僧は日蓮宗に亡命した。
ここに観心主義の教学が興って、神話を比喩と解釈するようになった。
そうして生まれたのが「御義口伝」などです。

815今川元真:2006/06/22(木) 06:24:58
横レス失礼します。 宗教は理想像・理想論に近づく為のイメージトレーニングと現実社会との折り合いがある訳で、僧でも夢幻の虚構で何十年も信徒を騙し通す事はできないから、 末法の始めと断言し経典の泥沼から蓮の花を咲かせるように本門様式を創出させて、より理想が現実に形造り易いように表現した漫陀羅が日蓮聖人の確信の一つだったのでは無いでしょうか。日蓮聖人は主師親の徳をある程度備えているので漫陀羅を拝まなくても良いのですけれど、文字の読み書きも儘ならない人々は説法を聞き漫陀羅を拝んで礼拝を修行するしかなかった。嘘から出た真が実を伴うかは個人の信学行次第。蓮華の育て方次第。

816ななしさん:2006/06/22(木) 07:18:02
今川さん
なるほど。感じ入りました。それは蓮師の誓願だったのかも知れませんね。開目抄の一節が身に迫ってくるようです。
蓮師は、精神作用の不思議さを分かっていたように思います。心が大事であるといわれ、心の影響力を重視されていたと思います。勇気、慈悲、忍耐といった善の徳性をどう現実の上にあらわし、良き人生を歩ませ、よき社会を現出させるかを考えておられたのではないでしょうか。

817犀角独歩:2006/06/22(木) 07:55:31

一字三礼さん

松山師からは、梵本の講義を受けていますが、師は、まったくの無信仰で、既に、法華経は西暦前後に創られた最高傑作の“物語”であるといっていますよ。
また、師の見解も、見解のなかの一つです。なぜ、ここで松山師を引き合いに出すのか意味がわかりません。

また、何度も繰り返しますが、わたしがここで問題にしたのは、西暦前後に創作された法華経が釈迦の直説ではないこと、日蓮は自分が釈迦滅後2000〜2500年に生きたとしたこと、しかし、その基礎の分析を間違えたと、近代の科学成果から記したわけです。これは一字三礼さんの信仰とはまったく関係がありません。また、あなたの日蓮・法華経理解とも関係がありません。科学的な話です。

誘導などといっていますが、そもそも「日蓮は間違えた」というわたしの投稿に端を発したことです。わたしは当初から一貫して近代科学における成果に基づいて記しています。これは信仰とは関係のないことです。また、その信仰に基づく各人の感情、理解も関係ありません。

>「法華経は釈尊が説いた直説真実か否か」に意味はないと主張

とすることは、わたしの上記のカテゴライズが科学であるのに対して、信仰から異見を述べられていることを明らかに物語っています。ナンセンスです。

当スレは『現代人が納得できる日蓮教学』です。科学的成果を、自身の信仰から改変して理解するような姿勢には、わたしは現代人は納得しないと考えます。

818犀角独歩:2006/06/22(木) 08:16:05

乾闥婆さん

> いつも腑に落ちないのは、精神性や姿勢というものは、見習うべき一つの範例ではあっても、信仰の対象にはならないのではないかということです。信仰には形態や方法論が必要なのではないか

たぶんこの点は、信仰という言葉の概念規定の差異があるのではないでしょうか。

わたしが日蓮の善意と姿勢、行動を信仰するという場合、それは「信じ仰ぐ」ほどの意味にしか過ぎません。

ここ数年の議論で既に論じられたことですが、そもそも原初教団では「信」はそれほど、重大な意味を持っていなかったでしょう。仏教集団が「信」を強調せざるを得なくなったのは、バカバットギータの影響で、バクティ型の帰依が定着した以降のことでしょう。わたしは、これは外来思想であると考えますし、そもその、こんな絶対者信仰は仏教に悖ると考えます。ですから、善いことは信じ仰ぐという意味以上で、自分の信仰は扱いません。これは取捨一の観念ではありませんから、釈迦の善いところを信仰する、日蓮の善いところを信仰する、場合によっては法然の善いところを信仰する、聖書の善いところを信仰するという複数摂取の意味で使っています。bhakti からの卒業、adhimukti の志向ほどの意味でもあります。

よく引用するのですが、わたしは、下記の高橋師の一節に強く感銘を懐き、師との親交をかつて深めた一人です。ですから、シンボルの病からの脱却という‘功徳’は仏教の秀でた一面であると考えています。しかし、そこで経典、御書、本尊を絶対視するとき、それでは仏教とは成らないだろうという思いもあります。

「教祖の釈迦は、現代のカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切していない。
とはいえ仏教が輪廻思想から自由でないのは、当時のバラモン(婆羅門)や沙門(シュラマナ)たちが共有していた文化的な枠組みのなかで釈迦が生きていたからだが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できることで、したがって釈迦は秘技伝授の超能力者でも霊能者でも、ましてや「最終解脱者」でもなく、もちろん「神」のような絶対者でもなかった。しかしカリスマを求める周囲の心情はいつの時代も変りがない。死後の釈迦は次第に神格化され、俗化される。たとえば釈迦の骨がフェティッシュな崇拝の対象となったり、、釈迦の言説とされる教典それ自体が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は再び回帰したのである。そこにあるのは象徴(シンボル)の病である」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店 1997年2月5日 第1刷 P215)

一方、乾闥婆さんが仰る「信仰」とはどのようなものでしょうか。

以下のいちりんさんの指摘もまた、信仰、本尊を考えるうえで、参考になると思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/12-13

819一字三礼:2006/06/22(木) 08:29:51
乾闥婆さん

> 私は‘明らかな間違い’と指摘する根拠を示しました。『岩波仏教辞典』「釈迦」の項目における生没年「前463-383頃、一説に前566-486頃」。

釈尊の生没年代に関する‘仮説’は私も存じておりますよ。ですが、実際の釈尊はたぶん一度生まれて、一度亡くなったのでしょう。
あなたは、約100年の誤差のある説を2つも並べているのですよ。
あなたの挙げた根拠と称するものはあくまで‘仮説’ではないのですか。なぜ、生没年代を2つも記した‘仮説’を根拠に、他の‘仮説’を「明らかな間違い」と言えるのですか。
「明らかな間違い」と言い切るのであれば、正確な釈尊の生没年代をあなたが示すのが議論のルールでしょう。
ところがあなたは
> 800
> 正確な仏滅年などいまだ判明していないと思うのですが。
と発言されたのです。
ご自身で、「いまだ仏滅年など判明していない」と言いながら、他の仮説を「明らかな間違い」と言っているのですよ。
わかりますか。あなたは、自己矛盾に陥ってますよ。

> 中世日本において、経典表現の位置づけが、広く虚構と受け止められていたのでしょうか。

814の顕正居士さんのご意見がもっともだと思います。法華経及びその他の経典の虚構性は一読すれば誰にでもわかることではないですか。
いかに中世人とはいえ、実際に天龍八部衆がインドに存在したり、霊鷲山上に数兆億の仏菩薩が集まったとは考えないでしょう。

820犀角独歩:2006/06/22(木) 09:08:20

検索すると、真蹟遺文では「真実」は167の使用例が見られます。
わたしは、この日蓮の用法は虚構に基づいているとは考えません。

> いかに中世人とはいえ、実際に天龍八部衆がインドに存在したり、霊鷲山上に数兆億の仏菩薩が集まったとは考えないでしょう

そんなことはないでしょう。考えていたはずです。
そんなことを言い出したら、そもそも仏菩薩、諸天善神、輪廻転生、十界、もっと言えば、一切の経典、教義、本尊も虚構だと考えていたというのでしょうか。

また、仮に日蓮が虚構に基づいているとすれば、そもそもその信仰とは何でしょうか。虚構に基づく教義を、虚構と知りながら、絶対であるというとすれば、これほど、人を食った話はありません。もはや、信仰というより、悪しき観念の遊技というほかありません。

近代以前の人類は、そもそも神話と科学の区別が着かなかったのであって、それを現代の常識で考えられるはずはありません。現代から見て、不都合なところは虚構だとわかったうえでのことだというような論法は不徹底です。書かれているこの物語は神話で虚構であるというのであれば、では、日蓮が言う真実とは何でしょうか。第一、では、日蓮が法華経に書かれたこと、四教義、五綱教判が虚構に基づいていると、どこに書いているのでしょうか。その証拠を求めます。

また、仮に虚構だとわかって組み立てた教義であれば、間違いであるより、もっとお話にならないことでしょう。

だいたい、そんな虚構に基づく漫荼羅本尊への絶対帰依を、ここでは論じてるわけですか。漫荼羅を本尊と仰ぎ、必至の唱題をして実体験を得た皆さんは、虚構だとわかったうえでのことですか。とすれば、その実体験こそ、虚構ではないでしょうか。

経典は虚構であるとは、論理の自殺でしょう。
何のために中古天台本覚思想の点検から、日蓮本仏論の非を責め、彫刻本尊の真偽を論じるこの掲示板で議論に参加しているのでしょうか。

一字三礼さん、あなたに乾闥婆さんを矛盾と詰問する資格はないですよ。

821犀角独歩:2006/06/22(木) 09:18:02

【820の訂正】

誤)四教義、五綱教判が虚構に基づいている
正)四教義、自身の教義が虚構に基づいている

822一字三礼:2006/06/22(木) 09:27:20

犀角独歩さん

一字三礼です。

日蓮が基礎にした資料が偽であったか、法華経が「釈尊の直説」であるか否か、に意味がないというのは、その論法では不可知論に陥るとかねがね思っていたからです。

釈尊の直説を探せば、独歩さんもご存知のように、「経集(スッタニパータ)」の後半の二章に含まれる、ほんの数偈しかないと言われます。

「聖典(スッタニパータ)のうち右の古い部分(終わり二章の偈)にはわりあい神話的要素や釈尊の超人化・神格化は少ないけれども、しかし絶無ではない。なおかなり存する。文献にもとづくかぎり、神話的ならざる釈尊というものはえられない。」(「釈尊の生涯」中村元)

「文献にもとづくかぎり、神話的ならざる釈尊というものはえられない。」ということは、「釈尊の直説」というもの、もしくは直説の経典は存在しないに等しいということでしょう。
あるいは、「経集」の後半二章の偈の‘激流を渡れ’は「釈尊の直説」かもせれませんが、それだけでは仏説の態をなしません。

五部ニカーヤや四阿含の釈尊でさえ、三十二相・八十種好を備えております。釈尊の直説ではありません。だから‘偽’ですか。
四諦・八正道・十二因縁すべて「釈尊の直説」ではありません。
部派仏典を根拠とした論書は、基礎文献が‘偽’であるのですべて誤りとなりますか。部派の経・律・論・全て‘偽’を根拠としておりますから同じですか。

法華経を含む大乗仏典も、龍樹・世親等の大乗の論書であっても、「釈尊の直説」を根拠としていないので‘偽’となりますか。
中国・日本の仏者や論師の説もすべて‘偽’にもとづくものです。

およそすべての顕・密・部派仏教の経・律・論はすべて「釈尊の直説」によらないので‘偽’。

しかしここまできて、「釈尊の直説」が正しいという命題の根拠となる経も‘偽’であることに気付くわけです。


ただ、独歩さんが仰りたいのはそんなことではないでしょう。

独歩さんが‘日蓮の間違い’という言葉を敢えて使われたのは、「五時説は説法の次第であり正しい」とする盲説に対する警鐘だったのだと想像します。

日蓮教学の誤りを指摘するのであれば、他からのアプローチがよいと思うからです。
それから私は十界互具・一念三千等は誤りである、とする立場ですので、日蓮教学を擁護するものではありません。

823犀角独歩:2006/06/22(木) 09:52:50

一字三礼さん

822に記されていること、一切の経典は、結局のところ、それが釈迦の説教であるといえば、偽でしょう。もちろん、そう思います。

大乗経典は報身の説法ということでしたが、日蓮は少なくてもそうは考えていなかったでしょう。『法華題目鈔』は断片の現存ですが、これが日蓮の真蹟であれば、日蓮の見解であり、仮に疑偽であったとしても、門下一般の認識であったわけです。

「釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給たりしかども、四十二年が間は名を秘してかたりいださゞりしかども。仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいださせ給たりき。」

「仏世に出させ給て五十余年の間八万聖教を説をかせ給き。仏は人寿百歳の時壬申の歳二月十五日の夜半に御入滅あり。其後四月八日より七月十五日に至まで一夏九旬の間、一千人の阿羅漢結集堂にあつまりて、一切経をかきをかせ給き」

これが近代前の認識です。

わたしが言いたいのは、事実の究明に、自分の信仰を持ち込みな、その一点です。さらにいえば、真実から目を逸らすなということです。

> 日蓮教学の誤りを指摘するのであれば、他からのアプローチがよい

一字三礼さんのような知識を持っている人にはそうかもしれません。
しかしながら、釈迦五十年の説法中、八年の法華説法は釈迦の真実、五時八教を、いまだに石山、学会、顕正会共に、教学として勉強しており、挙げ句に日蓮本仏をいい、彫刻の絶対性を主張しています。
そして、ここで起こったことを、わたしは日本戦五歳代の宗教詐欺、宗教被害であると認識しています。

それにも関わらず、この世界では、いまだに、この間違いを放置して、平然としているわけです。

わたしが、乾闥婆さんの苦悶を尤もだと記したのは、それまで、絶対の信仰であると信じていた屋台が、その土台から間違っているという現実にぶち当たったとき、当然、起こる葛藤だからです。それを教学解釈で正面から見ようとしないというのは不誠実であると思うからです。

わたしはかつてキリスト者と話したとき、「この世が一週間でできたはずはない」と『聖書』を一節を持っていうと「愚かな。あれは一般で使われる一週間ではなく七期に分けたという寓話ですよ」と言ってのけたものでした。解釈とは便利なものだと思ったものでした。説得力はゼロでした。しかし、この信者は平然としていました。それと同じことを、ここで繰り返す徒労は犯したくありません。

法華経は創作であった、天台の解釈も違っていた、日蓮も間違った、しかし、いま、漫荼羅に向かって唱題をしている、ほかにそれ以上の修行も方法もわからない、さて、どうしようかと考えるときに100年前までしか通用しない‘解釈’に執着しては前に進めないということです。

824犀角独歩:2006/06/22(木) 10:03:14

【823の訂正】

誤)日本戦五歳代
正)日本戦後最大

825今川元真:2006/06/22(木) 10:12:07
ななしさん、ありがとうございます。 ●直説と書いても鵜呑丸呑な訳では無いので誤差温度差が出るでしょう。そっくり其儘を信仰するなら「何故天竺国を目指さないのか。何故台密のように成らないのか。」に成らないか。●随方毘尼の物語みたいな書き方と考えたから、末法の様相を呈した鎌倉時代の日本で修行方法を考える事が出来たのでは無いでしょうか。●漫陀羅はシャカムニブツが多宝如来の宝塔に納めた久遠実成の覚りor多宝如来がシャカムニブツの教えを聞いて光り輝く。

826犀角独歩:2006/06/22(木) 10:29:47

今川さん

真に迫る『開目抄』に「仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間一代の聖教を説給へり。一字一句皆真言なり。一文一偈妄語にあらず」と記しています。ここに温度差はありません。

なぜ天竺を目指さないのか、日蓮はその点を『』に

「此身延の沢と申処は甲斐国飯井野御牧三箇郷の内、波木井の郷の戌亥の隅にあたりて候。北には身延嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には天子の嶽日とたけをな(同)じ。西には又峨々として大山つづきて、しらね(白根)の嶽にわたれり。暇のなく音天に響き、蝉のさゑづり地にみてり。天竺の霊山此処に来れり、唐土の天台山親りこゝに見る。
我が身は釈迦仏にあらず、天台大師にてはなけれども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり、天台山にも異ならず。」

と記しています。これが疑偽書ともなれば、

「我等が弟子檀那とならん人は、一歩を行かずして、天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し」(最蓮房御返事)

ともなるわけですから、天竺は目指さないわけです。

827今川元真:2006/06/22(木) 11:49:16
犀角独歩さん、ありがとうございます。私は周りから有りもしない説法を言うのは可笑しいと一笑に付されてます。私は経典という例話物語であるが故に温度差は、現実に印度天竺等に行かなければ生じるものだと思います。修行者であるからです。温度差から誤差・誤解等唯受一人で一言一句学んでも時間的にと言っては何ですが、ズレが生じると見ます。差が生じるからかは判りませんが信学行を自らの意を持ってやらないと成仏得道できないと言う事をいうのでは無いでしょうか。鎌倉時代の僧・日蓮は、直説と随方毘尼物語の間で悩み格闘した事があるから修行方法の漫陀羅や唱題を勧めた経緯があると考えたいです。成仏・真実は道を開き顕して進まないと現れない物事でしょう。

828犀角独歩:2006/06/22(木) 11:54:38

今川さん、日本の天竺の霊山・身延へは行ってみました。
わたしはそのうち、天竺に行ってみようと思っています。

829今川元真:2006/06/22(木) 16:01:30
旅行、良いですね。 テレビで見た印象では「古代」と「近代」が交わる所。映画が盛んな国と特集番組放送されてました。

830犀角独歩:2006/06/22(木) 18:53:56

いや、旅行というより、帰還といった気分です。

831乾闥婆:2006/06/22(木) 19:44:35
>>814
顕正居士さん。

>虚構性なんか、いつの時代の人でも大乗経を一見すればわかります。
>ただし日本天台の本覚思想家は虚構性をよりはっきりと認識した。
対して日蓮は神話の中に生きていた。だから大衆が付いた

ということはいつの時代の人が見ても分かる虚構性を、蓮祖は分かっていなかったし、蓮祖と同意した多くの同時代の弟子檀那もその虚構性は認識していなかったということになりますでしょうか。神話の中に生きるとは、その神話を神話として認識していない、すなわちその神話を事実として受け止めて生きた、ということになると思います。蓮祖の仏典認識はそのような形であったということでよろしいでしょうか。

832乾闥婆:2006/06/22(木) 19:45:04
>>819
一字三礼さん。

>ご自身で、「いまだ仏滅年など判明していない」と言いながら、他の仮説を「明らかな間違い」と言っているのですよ。
わかりますか。あなたは、自己矛盾に陥ってますよ。

私は辞典に載る二つの仮説しか知りませんので「もしも一字三礼さんの知られる範囲で仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の説があるようでしたらご紹介ください。‘明らかな間違い’は撤回させていただきます」と書きました。しかしいまだ「他の仮説」をご紹介いただけない。また「あなたは、約100年の誤差のある説を2つも並べているのですよ」といわれますが、その100年の誤差を差し引いても蓮祖の生きられた時代は仏滅後二千二百三十余年ではないわけです。ですから現在学術的に見て流通しえている二つの釈尊生没年にかんがみ、仏滅後二千二百三十余年は‘明らかな間違い’と記したのです。こんなところまで解説しなければ一字三礼さんは私の発言趣旨を理解できないのでしょうか。ほとんど揚げ足取りの言いがかりに見えます。「前463-383頃、一説に前566-486頃」は仮説に過ぎないので仏滅後二千二百三十余年の可能性が否定されたわけではない、といわれる前に、まず仏滅後二千二百三十余年を想定しうる近代仏教学に基づいた仮説を提示していただければ済むことです。仮説はあくまで仮説なのだから仏滅後二千二百三十余年の可能性がまったくのゼロであるわけではない、‘明らかな間違い’などという表現は仮説を前提として発言するに際して自己矛盾だと言いわれるのでしたら、まあ、それはそうなのでしょう。現在学術的に見て流通しえている二つの釈尊生没年にかんがみ蓮祖の生きられた時代を仏滅後二千二百三十余年とすることは間違いである、と言い換えさせていただきます。もちろん仏滅後二千二百三十余年と測定できる伝承ではない生没年の学説を提示していただければ、私は自身の発言を撤回させていただきます。

ロム中心の浅学な私が、こちらの掲示板に書き込みをしようとする以上、真摯に語り合いたいという思いと覚悟を持って書き込みをします。「‘明らかな間違い’とまで仰るのでしたら正確な仏滅年を教えてください。100年も幅のある仮説はいりませんから、正確な年代をお願いします」「答えられなくて当然でしょう。仏滅年代はいまだ特定されておりません」「小さいことこだわって、私が意地の悪い書き方をしました」。一連の一字三礼さんの私に対する姿勢には、御自覚されているように、なにか、底意地の悪い、悪意のようなものを感じます。率直に、仮説である以上‘明らかな間違い’とまで言ってしまうのは言い過ぎではないか、とおっしゃってくれればいいのです。また私の知らない仮説を率直に提示してくれればいいのです。こういう遣り取りは疲れますし、不毛ですが、不愉快にさせられた挙句に一方的に終了させようとされるその態度もさらに不愉快で、ここまで引っ張らせていただきました。

>814の顕正居士さんのご意見がもっともだと思います。法華経及びその他の経典の虚構性は一読すれば誰にでもわかることではないですか。

顕正居士さんによれば蓮祖は神話の中に生きていたことになります。神話の<中>に生きるとは、神話の外部に立たないと言うことです。「法華経及びその他の経典の虚構性」を認識せずにその内部で生きる、とは「法華経及びその他の経典の虚構性」自体を生きる場の現実として受け止めていると言うことではないでしょうか。

>>811で私が発したいくつかの問いに対するお答えもお待ちしております。他の方々の対話を通じてそれらの私の疑問点も解消されてゆくかもしれませんね。己心をめぐっての犀角独歩さんとの議論も期待しております。私はあなたと言い合いがしたいのではなくて、対話を通して私の抱えている疑問や苦悩を解決したいだけなのです。

833乾闥婆:2006/06/22(木) 19:45:40
>>818
犀角独歩さん。

>釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できる

私が信仰の形態と方法論と言うことにこだわってしまうのは、信仰とは取り組みであると思うからです。取り組み方がはっきりとしていなければ、誰にもできるものではなくなってしまいます。「人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できる」「正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたる」と言った部分になると思います。取り組み方が明確で、誰にでもできる。曼荼羅に向かい題目を唱える。非常にシンプルです。しかし現状はその形態そのものが私を縛り悩ませる結果となっています。同時に形態なくして信仰はないとも思っているのです。たとえば八正道と言うものをはじめて知ったときに私は驚きました。具体的にどのように行として取り組むのかがよく分からなかったからです。八正道の実践、とは極めてシンプルな形態を提示しているのだと思いますが、シンプルすぎて難しいのです。もっと明確な形態を求めてしまいます。信、ということを私もそれほど強く自身に言い聞かせることはありません。戒・定・慧こそが信仰の中心であると思っております。ただやはり自分が行うであろう行法は「正しい」ものでなければなりません。それは前提となると思うのです。蓮祖にいくつかの事実誤認があったとして、それでは唱題行という方法は、間違っているのか、私は分からなくなります。そんなことはないように思うのです。しかし強く「信」じて取り組むのとは比較にならないくらい気持ちが乗っていきません。声も出なくなります。では他の行法をすればいいのではないかとも思うのですが、これも心の縛りが解けないのか、そういう気持ちにはなかなかなれません。結局何事かを行ずるには、その行に対する「信」は必要なのではないかと考えています。

いちりんさんの話はとても刺激的でした。形態に対する緩やかさ、と言うのでしょうか。逆に形態が心を縛る恐ろしさと言うのでしょうか。「有相の本尊」と「無相の本尊」と言う考え方にははっとさせられました。もちろん「有相の本尊」の向こうに「無相の本尊」を見るべきなのでしょうが、有相への執着はなかなか消えません。形態や方法がしっかりとなければ、信仰と言ったところで、何をすればいいのかが分からなく、心が彷徨ってしまうからです。

834犀角独歩:2006/06/22(木) 20:43:54

乾闥婆さん

今夕もふけてまいりました。
追ってレスをさせていただく所存です。
ただしかし、ひと言。
おしるしのところ、尤もだと存じます。

835今川元真:2006/06/22(木) 21:02:38
犀角独歩さん、乾闥婆さん、其う言う事は良き師良き友が居ないと言えませんね。 【21世紀】日蓮真蹟が全て現存する訳では無いので断言できる確かな言い方はできませんが、いろいろな議論を通して鎌倉時代の僧・日蓮は、摂受の人では無いかと洗い出されたのでは無いでしょうか。【視野】経典世界・実際は精霊信仰や神教に関わる人々が仏説を聞く。学問世界・法華経(随方毘尼)物語の理想と末法の様相を呈した鎌倉時代の現実。修行世界・供物を手紙に記して御礼を述べる、代筆助言して激励する、法華一乗を宣揚して自分の場所を浄土に変える行者を育てる。 ●天台密教(生きとし生けるものを成仏へ導く天台の真言化)→法華経行者(信学行しなければ成仏得道できない)→法華本門本尊漫陀羅(久遠元初を引き合いに出される)●私が「日蓮聖人が神話伝説の世界に入り浸ってない」と言う見方考え方です。

836とおりすがり:2006/06/22(木) 21:40:35
結局、哲学も否定し宗教も否定するのが、犀角さんの現代仏教なのでしょうか?
現代仏教を語られる前に、現代仏教の定義をお願いします。

837顕正居士:2006/06/22(木) 23:52:53
>>831
乾闥婆さん。中国の教判は数百年間に作られた経典を釈尊一代の教説という約束で分類しました。
したがって仏教思想の発展というものを完全に捨象した。だから歴史という概念がありません。
対して日蓮には思想発展に近い考えがあります。宗教五綱の「序」です。
「前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人々は迦葉・阿難等なり。後の五百年は
馬鳴・龍樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ」(随自意御書)
日本天台には「四重興廃」という思想がありました。爾前→迹門→本門→観心で、これは玄義にある
のですが、本覚思想家は釈尊一代のことでなくて、仏教史に当てはめたようです。つまり、
爾前=中国天台以前→迹門=中国天台→本門=日本天台前期→観心=日本天台後期(本覚思想)。
思想発展に近い考えが生じた理由として日本の末法意識は王朝文化の衰退が投影され深刻でした。
だから末法今日の我々は正法、像法の時代とは異なる集約的な教と行が必要だという発想が生じた。
ここに人師の論釈については思想の発展に近い概念が生じましたが、経は釈尊一代の説という約束
はまだ放棄されなかった。経も数百年の間に「加上」されたのだと見破った富永謙斎が天才、偉人と
されるのは、中国人、日本人の誰もそれを思いつかなかったからです。
日蓮教学はかつては日本天台から輸入した本覚思想によって解釈されていました。つまり五百塵点
を実事とはしなかった。日蓮の他宗批判は立教の方便であり、身延入山後には顕正面を発揮したの
であると。しかし浅井要麒師の批判的文献学の提唱以後、観心思想に傾いた遺文への疑義が強まり、
御義口伝などが室町期の思想であることも確定した。ですから今日ではオリジナルな日蓮思想は
いわゆる原理主義の色合いが濃いものと認識される傾向にあるといってよいでしょう。

838顕正居士:2006/06/23(金) 00:23:06
いうなら日蓮には神話的歴史観があった。これは本覚思想家にはないものでした。
本覚思想家は仏教神話を解体した。仏教を突破し、本覚思想は全日本文化に浸透した。
対して日蓮は神話を生き、集約的な教と行という宗教需要に応えた。大衆にはまだ
仏教が必要な時代でした。しかし原理主義の狂信は京都史上最大の戦争を起こした。
ここに日蓮宗の積極的な役割も終焉し、原理主義の狂信を防止するために、観心主義の
教学が興った。実は天文法乱以前には教学として見るべきものはないに近い。

しかし日蓮が五百塵点を実事と解釈していたかといえば、主著「観心本尊抄」を見る限り、
そうはおもえない。浅井文献学は日蓮宗僧侶に今も浸透中だが、大崎宗学の外側では
むしろ反対に原理主義者・日蓮像の見直しの方向が強くなっているようにおもう。

839顕正居士:2006/06/23(金) 00:46:39
>>832
仏滅年代については>>801に述べたように北伝、南伝の両説しかありません。
アショカ王を仏滅100年とするか200年とするかだけです。北伝が正しいでしょう。
両方知っている人と片方しか知らない人のどちらが正しいか、ほぼ明らかです。

中国、日本で信じられたのは600年、中国史とインド史をずらした作為に騙された
だけで、一貫してアショカ王を仏滅100年として来た。第三の仏滅説はありません。

840乾闥婆:2006/06/23(金) 01:08:46
>>837-838
顕正居士さん。

思想発展と言う視点からの日蓮宗学史の簡潔なご紹介ありがとうございます。いま執行海秀氏の『日蓮宗教学史』をつっかえつっかえ読んでおりますが、正直、よく分からないと言うのが現状です。

>しかし日蓮が五百塵点を実事と解釈していたかといえば、主著「観心本尊抄」を見る限り、
そうはおもえない。

これはやはり「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也。」辺りの記述のことを言われているのでしょうか。「本門を以て之を疑わば、教主釈尊は五百塵点已前の仏なり。因位も又是の如し。其れより已来、十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したもう。」といった使用法は事実ととらえていられたようにも読めるのですが、同じ「観心本尊抄」の中における記述であるので、困惑します。

>>839
ありがとうございます。すっきりしました。

841犀角独歩:2006/06/23(金) 03:35:03

833 乾闥婆さん

> 信仰とは取り組みであると思うから

たぶん、乾闥婆さんとわたしで、考え方に相違があるとしたら、先に記したとおり、信仰ということでしょう。
わたしは釈迦が提示したものを信仰だとは受け止めていません。では、どう受け止めるかと言えば、乾闥婆さんの言葉を使えば、まさに‘取り組み’方です。では、目標はといえば、苦の滅却でしょう。

> …誰にもできるものではなくなってしまいます

この点はわたしにわかりません。修行は、だれにでもできるものなのですか。

> 誰にでもできる。曼荼羅に向かい題目を唱える。

本当に誰にでもできるのでしょうか。では、目が不自由な方はどうでしょうか。漫荼羅を見られますか。口の不自由な方に唱題ができるでしょうか。わたしの姉は十度心身障害者です。そもそも、何かを信じるとか、思惟したりすることができません。この点は八正道でも、参禅でも、みな同様ではないですか。「誰にでもできる」というキャッチフレーズに欺されていませんか。

また、繰り返しになりますが、そもそも真蹟遺文で見る限り、日蓮が漫荼羅に向かって読経・唱題をした形跡は見当たりません。

> 形態なくして信仰はない

この考えが悩みを生じさせているのではないでしょうか。
取り組み、もしくは形態というのは、たぶん、修行様式を指すのでしょうが、それがイコール信仰であるという思いこみがあるようにお見受けします。

> 戒・定・慧こそが信仰の中心

いわゆる、三学倶伝ですか。
わたしが不思議に思うのは、なぜ、信仰となってしまうのかという点です。
たしかに日蓮の場合、信の強調がありますし、法華経でも以信得入を言いますが、これと八正道はつながりません。そもそもここで信は八つの道に入っていません。乾闥婆さんの文章を読んでいますと、信仰という強迫観念が無限連鎖となってループ化している、そこに苦があるようにお見受けします。つまり、信仰からの脱却したところで、仏教を見つめ直すところに、その解決があるとも思えます。わたし自身が採った‘取り組み’方です。

> その行に対する「信」は必要なのではないかと考えています。

このような考えを、人生のどの時点で、誰彼によって植え付けられ、それを受容した自分が、どのように醸造したかを、手繰り辿ってみては如何でしょうか。
乾闥婆さんがどこのご出身であるか存じ上げませんし、これは決して批判的に記すことでもないのですが、わたしからみると信の罠にはまってしまっているように思えます。

> 形態が心を縛る恐ろしさ

ええ、ここです、わたしが言いたいところは。

> 本尊

本尊の強調は、日蓮の際だった特徴ですから、本尊に拘るお気持ちはわかりますが、わたしが自分なりに調べて一番、愕然としたのは、この本尊でした。既に何度も記しましたが智邈、湛然の、いわゆる法華六大部には、この語は一度も使用されていません。いったい、いつから本尊が法華圏で使用されるに至ったか、は気分として落着していませんが、ともかく、わたしが常に使用する80余の天台聖典で、この語の使用は一度たりともありません。しかし、『依憑集』になると「三相謂 字印本尊」と「盧遮那経疏第七下云」として、見られます。日蓮は、この系譜を引くのだろうとは思いますが、ともかく、初期天台の段階ですら、見られない本尊という概念が、仏教義の本来の在り方であると、到底思えないわけです。

信仰と本尊は、日蓮のテーマでしょうが、しかし、わたしはこの執着を棄てました。

842犀角独歩:2006/06/23(金) 03:47:24

836 とおりすがりさん

当掲示板では、自己紹介もなし、挨拶もないような無礼な問いかけ、捨て投稿にいちいちレスをする謂われはありません。しかし、答えておきましょう。

> 哲学も否定し宗教も否定するのが、犀角さんの現代仏教なのでしょうか?

違いますが。わたしは哲学を否定したことも、宗教を否定したこともありません。また、自分の考えを現代仏教と称したことはありません。

> 現代仏教を語られる前に、現代仏教の定義をお願いします。

そもそも現代仏教とはなんでしょうか。それはわたしの言でもなく、語ったことでもなく、語ろうとしていることでもありません。それを定義することはできません。

843犀角独歩:2006/06/23(金) 04:55:45

> 「観心本尊抄」を見る限り、そうはおもえない

この顕正居士さんのお考えはわからないでもないのですが、しかし、そうなると、以下の日蓮の言はどうなるのでしょうか。

此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王 行摂受時成僧弘持正法

日蓮は実際に四菩薩の出現を想定しています。また、前文ではこの四菩薩が久遠五百塵点成道初発心であるとも言います。
これは単に日蓮の己心の出来事であるとすれば、‘虚構’の、己心の、それも事実としてとらえていない経典記載の四菩薩が実際に出現して、賢王となっては折伏を現じ、僧となっては摂受を行じると言っていることになります。いわば、虚構想念上の菩薩が、現実に出現すると言っていることになります。

虚構・架空・己心の経典の物語:実際に現れる四菩薩、もし、このように日蓮が考えていたとすれば、空想と現実が区別がつかない精神錯乱状態にあったというほかありません。しかし、開観両抄の記述は、実に思弁的で、理路整然としています。精神に異常を来しているとは思えません。となれば、日蓮が経典を真実としてとらえていたと考えるほかないと、わたしには思うわけです。

844今川元真:2006/06/23(金) 05:37:39
おはようございます。 ●諸天善神や四大菩薩はケースバイケースの守護者に例えられているのでは無いでしょうか。末法無戒の世ですから。現実世界と理想世界を繋いで荘厳して説いた方が摂受らしく無いですか。不軽菩薩が説く漫陀羅、上行菩薩が説く戒壇堂と考えられるなら簡潔で良いのにと思います。

845犀角独歩:2006/06/23(金) 11:06:55

乾闥婆さんに、紹介しようと思っていたいちりんさんのご投稿が、ようやくと見つかりました。

『法華経について』32〜34
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/32-34



無疑に信じて、どんと力を発揮するという技法だったのでしょう、わたしたちがやってきたことは。けれど、「パンドラの箱」を開けてしまったわけです。しかし、その底に希望は残っているのだろうと思います。


840に「所願の三身」というのは所顕の打ち間違えですか。それとも、このような記述御書があるのでしょうか。

寿量品云 然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫等[云云]。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。

わたしは、この文を通じて、日蓮は寿量釈尊を無始無終・三身円満即一古仏ととらえていたのだと考えます。他のロムの方のために、資料を提示しておきます。

日蓮の三身観は『一代五時鶏図』に

   ┌華厳のルサナ、真言の大日等は皆此の仏の眷属たり
 ┌久遠実成実修実証の仏
天台宗の御本尊
 └釈迦如来

     ┌応身───有始有終
始成の三身┼報身───有始無終
     │ ├真言大日等
     └法身───無始無終

     ┌応身┐
久成の三身┤報身├──無始無終
     └法身┘

 華厳宗真言宗の無始無終の三身を立つるは、天台の名目を盗み取
りて自らの依経に入れしなり。

(上記、図が乱れるときは
 http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html
分類:A 真蹟現存(完存orほぼ完存、しかし、平成新脩に未蔵)

経典原文「我実成仏已来」は明らかに五百塵点成道という始まりがあり、有始無終(始成報身)と映じます。一方、実際の釈尊は印度応誕八十入滅ですから誕生の始・入滅に終わる(始成応身)、ところが日蓮は「無始古仏」と解釈します。これを三身相具(四条金吾釈迦仏供養事)、もしくは三身円満古仏(開目抄)ととらえていたことがわかります。その釈証は「文句九云天台 仏於三世等有三身。於諸教中秘之不伝。」でしょう。では、この三身を即一身ととらえていたか。この点は、たしか問答さんと議論したところでしたか。『注法華経』に「輔云。疏一身即三身者。即一身即三身。法華之前未曾説。故名秘<故名為秘>。三身即一身。」と抜き書きしているわけですから、そう考えていたのでしょう。

この三身の関係について『四條金吾釈迦仏供養事』に「月の体は法身、月の光は報身、月の影は応身にたとう。一の月に三のことわりあり、一仏に三身の徳まします」

門下一般では『開経偈』に「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は則ち是れ応身なり」とします。

(参:文句「祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密。又昔所不説名爲祕。唯佛自知名爲密。神通之力者。三身之用也。神是天然不動之理。即法性身也。通是無壅不思議慧。即報身也。力是幹用自在。即應身也。佛於三世等有三身。於諸教中祕之不傳」、涅槃経疏「諸佛三身亦不出三界者。以法身即應化也。大經云。今我此身即是法身。法華云。常在靈鷲山及餘諸住處。普賢觀云。釋迦牟尼名毘盧遮那遍一切處。華嚴云。亦名釋迦亦名舍那等。既知三身即一身。亦須知界外即界内也」)

846乾闥婆:2006/06/24(土) 02:19:54
>>841
犀角独歩さん。

>本当に誰にでもできるのでしょうか。

易行、といった意味合いではあったのですが、確かに易行であったところですべての人ができるわけではありませんでした。

私の母は脳腫瘍の手術の結果、右半身不随と重度の意識障害を負い、三年間寝たきりのまま、七年前にこの世を去りました。私はその頃、自身の信じている宗教に、強い無力感を覚えていました。家族全員、まじめに信仰しているのになぜは母このような病に苦しまなければならないのか、という無力感ではありませんでした。そうではなくて、方法論としてのむなしさでした。私を含めた家族は母のために祈ることができます。母も重度の意識障害を負っているとはいえ、私たちが耳元で勤行・唱題を行えば、自身の心に曼荼羅を見、声に出していなくとも、題目を唱えているだろうと、信じてはいました。しかしそんなことは分からないことです。勤行も、唱題も、脳を傷めてしまっては、取り組めない。取り組めない信仰とはなんなのだろう、と心のどこかで絶望しておりました。自分自身が病に対して、信仰を通して闘うことができない。母は闘っているに違いない、と思っても、心を脅かす虚無感からは逃れることは出来ませんでした。

>たしかに日蓮の場合、信の強調がありますし、法華経でも以信得入を言いますが、これと八正道はつながりません。そもそもここで信は八つの道に入っていません。

そうですね。「四信五品抄」に「問ふ 末法に入て初心の行者は必ず円の三学を具するや不や。答て曰く 此の義大事たり。故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。所謂、五品之初め二三品には、仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法の因、信は慧の因、名字即の位也」とありました。以信代慧は蓮祖の強調するところです。仏教とは三学の実践といっても、時代が下るにしたがって、八正道から遠く離れて、三学そのものを止揚してしまうということになるでしょうか。

>乾闥婆さんの文章を読んでいますと、信仰という強迫観念が無限連鎖となってループ化している、そこに苦があるようにお見受けします。つまり、信仰からの脱却したところで、仏教を見つめ直すところに、その解決があるとも思えます。わたし自身が採った‘取り組み’方です。

確かにループしていると思います。唱題を行おうとする、信じる心が弱くて苦しい、強く信じようとする、しかしそれを阻害する諸事実がある、唱題がうまく行えない、それでも行おうとする、苦しい、強く信じようとする・・・そのようなことをくり返してばかりいるのです。私がそこから脱却するには、今の信仰形態を捨てる以外ないように思うのですが、それもできないのです。「信」なくして、唱題行がきちんとできるものなのでしょうか。

>乾闥婆さんがどこのご出身であるか存じ上げません

これは私の信仰上の出自のことでしょうか。それでしたら以前も申し上げたとおり創価学会です。もちろん「信」が強く協調された幼少期を経て現在に至っています。

>信仰と本尊は、日蓮のテーマでしょうが、しかし、わたしはこの執着を棄てました。

そこが私にはよく分からないのです。私もそのような執着は捨てたいのですが、捨てられません。ですからこの掲示板もずっとロムしておりますし、創価学会とも関わり続けています。しかし犀角独歩さんは本当に捨て去られているように見えます。しかも、蓮祖に取り組み続けていられます。それは非常に苦しいことではないでしょうか。私は蓮祖の事実誤認を目の当たりにして以降、しばらくは「開目抄」冒頭の五重の相対を説く文章を読むだけでも、心が苦しくなりました。そのように詰めていかれる蓮祖の叙述が、むなしくて、息苦しくて、どうにもならない時期が続きました。

>>845
>840に「所願の三身」というのは所顕の打ち間違えですか。それとも、このような記述御書があるのでしょうか。

日蓮宗現代宗教研究所のデータベースからコピー&ペーストさせてもらったのですが間違っていますね。それともこのデータベースを作成した人の資料にこうあるのでしょうか?

>けれど、「パンドラの箱」を開けてしまったわけです。しかし、その底に希望は残っているのだろうと思います。

その希望を私はまだつかめないでいます。

847犀角独歩:2006/06/24(土) 04:09:48

乾闥婆さん

ご母堂様のこと、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
わたしは、本年、4月に母を亡くしました。
最期、意識もなくなったとき、「めー」「なー」「けー」と意味不明の言葉を発していたのです。しかし、よく聞き並べると、それは確かに「南無妙法蓮華経」でした。障害、唱題の人であった母の、最期の言葉は題目でした。わたしはその母を尊いと思いました。唱題も尊いと思いました。

葬儀は日蓮宗で、恩人・楠山泰道師、貫名英舜師に執行していただきました。
このお経はすばらしかったのです。わたしは学会の家に生まれ、石山に移ってからは寺院に役員もいたしました。葬儀にも多く参列してきました。そんな半世紀の経験のなかでこれほどの読経は初めて聞きました。参列してくれた親戚のなかには、浄土真宗、また、真言宗の総代を経験した他宗の篤信者もいました。しかし、やがて唱題になると、一同、声を合わせて和していたのです。「すばらしい葬儀だった」とお念仏の人である叔母は言いました。

人間はやがて死にます。生きるに苦しみ、負いに苦しみ、病に苦しみ、死に苦しみます。そのなかで、たしかに信は燈明のような存在なのかも知れません。

しかし、わたしの恩人の一人である西田公昭師は「何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ」と言いました。そして、また、先に紹介した高橋師の言説も肉声としてわたしは訊いているのです。

わたしが、ここに書き連ねてきたことは、日蓮の教義と本尊を信じる人々にとっては、不信、謗法、一闡提のように映じるでしょうか。しかし、信じると言うことでいえば、日蓮も、法華経も、そして、科学も、わたしは信じています。ただ、その信じる様態が、集団の都合で刷り込まれた形から脱却しているに過ぎません。科学的な根拠から言えば、日蓮は間違っている部分はたくさんあります。しかし、日蓮の生涯、難を忍び、人と国土を慈愛した一念に嘘はないでしょう。唱題という行は、たしかに効力を有します。法華経は西暦前後に創作された当時の物語でしょう。しかし、そこに紡がれた物語、そして、羅什の名訳、智邈、妙楽の釈もまた、間違いは多くあるとはいえ、秀でたものであるに違いありません。

この界隈にいると、よく使われる言葉に「絶対」があります。「絶対に正しい」などという会話はよくなされています。「日蓮大聖人様は御本仏様であるから絶対に正しい」「御本尊様は絶対だ「先生は絶対だ」」、そんな信者会員の確信の言葉を、わたしは数限りなく聞いてきました。

けれど、わたしが気付いたことは、この絶対は勝劣選別から生じたものですが、結局のところ、絶対とは意図せず、限界を設定することだということです。そして、この限界を、この界隈の言葉で言うと「信」ということです。間違っているものも信じることはできます。また、違っているものでも効力を発揮します。いちりんさんが記したお話のようなものです。

848犀角独歩:2006/06/24(土) 04:10:21

―847からつづく―

「強盛な信心」は、集団内の美徳ですが、この信は思考の限界、蓋の厚さを増すばかりの重しでしょう。この重みに信者は酔いますが、実のところ、考えることを放棄しているのに過ぎません。しかし、実のところは、その限界で立ち止まってしいるだけなのです。そこで足踏みをすれば、そこの地のみは、踏みしめるごとに堅固になっていきます。安心(あんじん)はこうして生じます。しかし、そこから、一歩、踏み出すと、泥濘(ぬかるみ)に容易く足を取られて、やがておぼれてしまいます。つまり、地固めしたほんの狭い範囲から出ることに恐れを懐くことになります。この狭隘の敷地が信です。結局のところ、信心と言われるものは、一所に留まって、足踏みをし、そこで固くなった足場に安住しているという、限界を正当化する肯定論でしかなくなっています。ですから、信が執着となっているのです。

不信を謗法悪徳とする集団のご都合に操作されている自分を観察してみることです。そして、そのうえで、日蓮を見直せば、間違ったところも多くあるけれど、汲めど尽きない示唆を多く与えてくれるでしょう。それはまた、法華経とて、同様です。しかし、それは絶対視すれば、そこで限界が生じます。かつての信は、その信として、自由闊達に思考すれば、よいわけです。

日蓮、法華経というブランドを身に付けることは、自分が立派に、大きくなったという錯覚をさせる効果があります。わたしは、この信の構造を解体したわけでした。いわば、自分を飾る「強情な信心」という権威構造を放棄したと言うことです。「あの人は、心の底から日蓮大聖人を信仰している立派な人だ」という信者一般に見られる善悪の判断肢、すなわち、「信」という権威構造から、外に出たと言うことです。

乾闥婆さんは、方法論として、唱題に拘り、思考として信に拘っておられる。ならば、唱題以外の方法も考えればよく、信じられないものは信じられないとして、そのうえに進めばよいだけのことでしょう。本尊・唱題と信に‘絶対’の価値を置く限界が、実は問題なのではないでしょうか。

乾闥婆さんのいまの葛藤は、狭隘な方法論と、信で封じられた限界を、超える産みの苦しみなのだと思います。しかし、そこで、本尊と教義、唱題、そして、信に囚われれば、無限の思考の輪廻に嵌り、その堂々巡りから抜けられないことになるでしょう。飼われる小禽は、駕籠の中で戯れる周り車のように、走るほどに疾く巡りますが、しかし、前には一歩たりとも進めません。信によって補償される安全は、もはや、効力を失ったという事実を受け入れて、前に進むことです。
外界を見えています。怯み、狭い駕籠の中に引き返し、周り車の満足に戻ることはできません。もはや、心の扉は開いているからです。

> 所願の三身…日蓮宗現代宗教研究所のデータベース

これは同研究所の問い合わせてみます。

849ななしさん:2006/06/24(土) 10:10:53
犀角独歩さんのお母様のように、信によって人生を尊き姿で全うすることが可能です。それは、犀角独歩さんのように、従来の信仰から離れてしまった人をも感銘させるものです。私も、病などで若くしてなくなられた人のご家族が入信される姿などを見てきました。若くしてなくなるというのは不本意に見えるように思いますが、そのご家族がその信仰に入られるとは不思議なことです。解はなくとも信があれば、信念のもとに人生を全うし、人をも感じさせることができるのかもしれませんね。
私は、信に代わり得るもう一つのものは使命感だと思います。教義的にいえば、「大願」に立つということでしょうか。これは、「人生を全う可能な信」に人々を導く人生を選択するということです。
もちろん、犀角独歩さんはこの生き方を否定なさるでしょうし、犀角独歩さんのような人生を選択することも否定はしません。ただ、人から信を奪い、代わりに人生を価値ならしめる何物を与えうるかを考えなければならないのではないでしょうか。大切なのは、現実の人生を全うすることであり、知識をつけることではないのです。犀角独歩さんも、お母様には自らが知った知識を語ることはなさらなかったのではないでしょうか。肉親の愛情が、信を破すことを思いとどまらせたわけです。

850今川元真:2006/06/24(土) 10:31:25
ある掲示板の受け売りで申し訳無いです。  ●宗祖の時代は「過去仏思想が生きていた」時代なので「諸仏をシャクソン一仏に統一する」ためには、法華経の教相に従ってシャクソンの成道を五百塵点劫まで遡って説く必要があったそうで「シャクソン=法華経(仏は生き続ける存在・仏の寿命は無量)」が鎌倉時代の僧・日蓮の立場だそうです。 ●漫陀羅は修行の道具で成仏得道への方便でしょうか。私は「理念+例話=理想」と考えたいです。道は一つでもルートはいろいろ一人ひとり違いますが、漫陀羅が私の信学行の柱です。

851犀角独歩:2006/06/24(土) 14:07:17

849 ななしさん さん

あなたは、どうもわたしの書いていることを根本的に誤解していますね。
わたしは人から信を奪おうなどと言っていませんよ。
間違いを信じることに警告を鳴らしているのに過ぎません。

わたしを批判したいのであれば、ちゃんとわたしが記したことをちゃんと理解したうえでしてください。

そもそも、あなたが言う信とは、何に対する信を言っているのでしょうか。

852ななしさん:2006/06/24(土) 15:50:50
犀角独歩さん
結果として奪うことになることをあなたは認識されているはずです。なぜなら、お母さまには「警告」を鳴らされてはいないのですから。

私がいう信とは、「一生成仏」に対する信です。もっと現実的にいうならば、この一生を満足をもって終えられる可能性への信です。この信に代わり得るのは、利他だと思うのです。

では、こちらからも伺いますが、あなたのいうところの「間違い」とは、主に「歴史的」「科学的」な矛盾のことであって、「思想的」「精神的」には価値を認めておられると拝察しました。実際、現代人が必要としているのは、人生を生き抜くための「思想的」「精神的」価値であり、そこに現代における宗教の意義があるものと考えます。本質的にその価値は、釈尊直説かどうかで変わるものとは思われません。現代における経典の価値、ここでは特に法華経のエッセンスは、「歴史的」「科学的」な矛盾を越えて、現代に示唆を与えることが可能だと思います。その際、あなたは「歴史的」「科学的」な矛盾は全て取り払うべきだとお考えですか。

853犀角独歩:2006/06/24(土) 18:50:55

ななしさん さん

> 結果として奪うことになることをあなたは認識されているはずです。なぜなら、お母さまには「警告」を鳴らされてはいないのですから。

あなたは、ずいぶんと人間を一辺倒にご覧になっているのですね。
こちらの掲示板にいらっしゃる方と、85歳の老齢で、障害者でもあった母とは、その接し方は違います。

> 「一生成仏」に対する信です。もっと現実的にいうならば、この一生を満足をもって終えられる可能性への信です。この信に代わり得るのは、利他だと思うのです。

一生成仏への信とは何でしょうか。
一生を満足をもって終えられる信が一生成仏であるという一方的な決めつけは、その外にいるものにとって、他の一切の可能性を‘奪う’信としか映じません。
一生を満足をもって終えられる信は一生成仏以外にないというレトリックは他の一切の可能性を否定しているものでしょう。
また、あなたが言う利他は何でしょうか。では、あなたはわたしに対して、どのような利他ができるのですか。

> 「歴史的」「科学的」な矛盾を越えて、現代に示唆を与えることが可能

では、それがどのように可能であるか、ここで説明すれば、よろしいのではないでしょうか。自分が信じる一方的な信念体系を押しつけるばかりが、現代人に示唆を与えるわけもないでしょう。
どんなことが示唆ですか。具体的に記してください。

> 「歴史的」「科学的」な矛盾は全て取り払うべきだとお考えですか。

わたしは、そのようには記していません。「間違っていた」と書いているのです。あなたの質問はこうして、誤認に基づく、的外れな質問になっています。

あなたは、誤解のうえから誤解に基づく質問を重ねているいるわけですが、そもそも、ここで当初からわたしが問題にしたのは、日蓮が鎌倉時代に知り得たところは、限界があった。現代の科学では否定される部分があるということです。
まず、この点は、あなたは認めるのですか・認めないのですか。

854今川元真:2006/06/24(土) 19:18:43
横割失礼します。 【納得できるかは結果次第?】●四宗兼学←→四箇格言、空海、法然が日蓮以前に教主、他経典を捨て去る故言上。●法華経行者は随方毘尼で時代にあった方法論を見つけなければ成らないのか。三障四魔(降三世大威徳)三国四師(法華経継承)三証四悉檀(時代毎応用)●空海、最澄は、弥勒を目指したそうです。高野山(十二天)盧遮那仏・大日如来・弥勒菩薩、比叡山(十二神将)華厳・真言・法華、金剛頂経・大日経・蘇悉地経[三大密法]如来神通力・陀羅尼真言・蓮華蔵世界[三大秘法]題目(基本)本尊(基礎)戒壇(応用)●仏(経典)が成道できるように随方毘尼として顕現→56億7千万年・尽未来際

855真実探求者102:2006/06/24(土) 23:24:27
、、、852のななしさん(名前がエエカゲンカ、? ましな名を期待したいが某S会絡み臭いナ、、)、、「信」、、と言う甘い言葉で、私は「疑う気持ち」を奪われました、。 「、、今、、信に耐えうる、、???」、が存在でしょうか、、??
なら)

856乾闥婆:2006/06/25(日) 00:27:50
>>847-848
犀角独歩さん。

お母様、本年、四月にご逝去とのこと、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
お母様の最期の題目、葬儀での読経、そういった中に信仰の素直な感動を見ます。
常に私の傍らで題目を上げ続けた我が母は、家族に囲まれながら昏睡状態から静かに息を引いていきました。手術後、意識障害を起こして以降、その口から唱題を聞くことができなかったことは、やはり残念であり、母も悔しかっただろうと、当時を思い返しました。

>結局のところ、絶対とは意図せず、限界を設定することだということです。そして、この限界を、この界隈の言葉で言うと「信」ということです。
>信心と言われるものは、一所に留まって、足踏みをし、そこで固くなった足場に安住しているという、限界を正当化する肯定論でしかなくなっています。ですから、信が執着となっているのです。
>自分を飾る「強情な信心」という権威構造を放棄したと言うことです。「あの人は、心の底から日蓮大聖人を信仰している立派な人だ」という信者一般に見られる善悪の判断肢、すなわち、「信」という権威構造から、外に出たと言うことです。

形態とは枠組みでありますから、それは確かに限定を加えることであると思います。また限定を加えなければ形態は成り立たないのでしょう。そしてそれを強く支えるものは「信」であるのだと思います。「信」が崩れれば形態は脆弱になります。形態に固執すればするほど、「信」は必要とされます。そのジレンマがいまの私を苦しめているのだということが浮き彫りになってきました。

いちりんさんのお話にもあったことを、私は一時期考えていました。大事なことは心的作用であるのだから、心的作用として有効ならば、それはそれでいいのではないか。例えば人は文学作品に感動し、啓発されます。しかしそれはフィクションであるし、人々はそれがフィクションであることを知っています。つまり虚構です。しかしその虚構に人は感動し啓発されるのです。法華経は物語であるし、蓮祖の教学も命がけの物語であると、そう思って取り組んでいこう、そんなふうに考えていた時期もありました。

しかしそういうスタンスで望む「信仰」はやはり私の知る信仰には似ないのでした。「事実」であると信じ込んでいたことが、そうでなくなってしまうと、心がさめてしまうのでしょう。しかしそのように心落ち着けたところから、また読経と唱題があるのであれば、それはそれでよしとするべきなのだと思います。熱狂、は過ぎ去りました。そのような過去に私の知る信仰は、もはや私を訪れることはないでしょう。そのような信仰こそ真の信仰であると、私は植え付けられてきたのかもしれません。しかしそのような信仰観からの脱出こそ、成長というべきなのかもしれません。

いろいろと発言させていただき、多くの方からご意見もいただきました。まだまだ成長途上の私ではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。

857犀角独歩:2006/06/25(日) 02:05:22

856に乾闥婆さんが、現段階で記された結論にわたしは敬意を表します。

ハッサン師は記しました。

「自分がしていることは宇宙的意義をもっているのだという、あの興奮した感情が懐かしかった。ひたむきさが生みだす、あの力強い感覚が懐かしかった」

「自分が学んだことや、知りあって好きになった人々をすべて受け入れ、それを統合して、新しい自意識を作る必要があった。古い自意識を統合して新しい目標をつくることで、元メンバーたちはとても強くなる。彼らは勝ち残り組なのだ。彼らは苦難と虐待に耐え、情報と自己反省で敵を克服することができたのである」

ご健闘をお祈り申し上げます。

858犀角独歩:2006/06/25(日) 08:54:22

マインド・コントロールの環境の中では、グループが信じることを単なる理論だと見なす余地はない。教義こそ現実そのものなのだ。グループによっては、物質世界全体が幻想であり、したがって思考も願望も行動もすべて(カルトが定めたものを除き)実際は存在しないのだと教えさえする。


カルトのいちばん効果的な教義とは、エリック・ホファーの言葉を使うなら『証明も評価もできな い』教義である。それは非常に複雑なため、解くのに何年もの努力が必要だということになってい る(もちろんそのころには、人々は教義を学ぶことよりも資金集めとか勧誘のようなもっと実際的な仕事へ向かってしまっている)。

教義は受け入れるべきものであって理解すべきものではない(という)。それゆえ、教義は、漠然 としていて包括的で、しかもじゅうぶんに調和がとれて一貫しているように見えなければいけない。その威力は、これこそ万物を包摂する唯一の真理なのだと断言するところからくる。
マインド・コントロールの正否は、その人の中に新しい人格を作りあげることにかかっているので、カルトの教義は、きまって、あなたは自分自身を信じてはならないと要求する。教義が、思想と感情と行動のすべてを決める『マスター・プログラム』となる。それは完全で絶対的な真理そのものなので、教義のどんな欠陥も、信者自身が不完全だからそう見えるのだとされる。信者は、たとい本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる。

以上、『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)から。

「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし…智者に我義やぶられずば用じとなり。其外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ」(開目抄)

さて、如何にして法華経を捨てざらんか。日蓮の義は近代の前に破られたのか。もし、破られていないというのであれば、批判者、不信者を排除して、自分の信仰を守ろうとするのではなく、何が破られていない日蓮の義であるかを、ここに明確に提示する必要があります。しかしながら、わたしの疑義の提示は、他者へのものではなく、わたしが己心に見ていた法華経・日蓮義一切の総点検のための自問自答であり、その果てに一体何が残るのかという試論でもあります。ここに一切の妥協はありません。

859今川元真:2006/06/25(日) 09:47:20
犀角独歩さんの総点検は「大雑把な類型では無い」と言う事ですね? 科学的分析理解がヒトの心や社会の歴史全てを漏らさず断言できる事は無いと考えられます。 宗教を学問するのに大事な点は理想と現実の相対的関係が立証できるかにあると考えます。 歴史の結果論で判別するのは危険だと言う事です。

860犀角独歩:2006/06/25(日) 13:23:43

今川さん

> 科学的分析理解がヒトの心や社会の歴史全てを漏らさず断言できる事は無い

もちろん、そうでしょう。同じように宗教がすべて漏らさず断言もできないということです。両方を付き合わせた再点検が必要です。

>宗教を学問するのに大事な点は理想と現実の相対的関係が立証できるかにあると考えます

このご意見には当然賛同します。

> 歴史の結果論で判別するのは危険

誤解があるようですが、いつわたしが歴史の結果論で判別しましたか。

861犀角独歩:2006/06/25(日) 13:35:28

当掲示板は、挙証義務を厳しく求めるところに美風があります。
ですから、法華経にはこんな善いところがある、日蓮の教義はここが正しいと言った点を具体的に挙げればよいわけです。

わたしは科学的な当たり前すぎる事実を提示しているのに過ぎません。
その事実を言うと、価値がないとか、無意味であるとかと何ら根拠もなく、否定するばかりで、その事実を認めようとしないばかりか、いいところもあると言いながら、「では、具体的には」と問うと、沈黙し、また、何ら根拠も示さない的外れな批判を繰り返します。

このような態度こそ、一般人がカルト・マインド・コントロールとしてもっと忌避し、不快感を覚える態度であることは、今さら論じるまでもありません。

議論をする気があるのであれば、具体的なよい点を立証してみせればよいだけのことです。どうぞ、存分に開陳して見せてください。

862今川元真:2006/06/25(日) 18:10:04
いえ、犀角独歩さんも含めた書き込みですが、得手して好事魔多しと言うか感情が籠もると暴走するかもしれないと言う判断力以前の事を書いてしまいました。お気を悪くされたならすみませんでした。それから、私は真蹟の審議を論ずる手間暇をかけられないので、ごく簡単な質問しかできません。別スレッドを立て、21世紀時代に日蓮大聖人御書全集を使ってどれだけ素人眼から解読できるか歴史時代の差がどれだけでるのかやってみたいと思ったのですが、ここの掲示板では無理でしょうか。簡単な質問や確認なら「21世紀の仏教を考える」で出来ます。挙証主義での質疑応答とは分ける事が取り敢えずの面目になると思います。

863犀角独歩:2006/06/25(日) 18:36:02

今川元真さん

> お気を悪くされたなら

いえいえ、気など悪くなどしませんが、こうしてみると、実際に日蓮、法華の善いところを力説できる人というのはいないのか?という疑問を懐いた次第です。

> 21世紀時代に日蓮大聖人御書全集…素人眼から解読できる

まず、全集ではなく、その遺文の信頼度を基準に、ということになるでしょうね。また、何を伝えるのか点が重大なんだろうと思います。
死んだら、お肉が柔らかくて、軽くて白いのが成仏なんていうのを現代語にするだけだったら、「???(大笑)」でしょうから。

> 挙証主義での質疑応答とは分ける

ええ、それは素朴な疑問などが適当でしょうね。つぶやきもあります。

864今川元真:2006/06/25(日) 23:27:50
●書き込むにしてもまとめて何が論旨なのか書かないとだらだらになってしまいますか。 ●力説と言っても真蹟の範囲の把握さえ儘ならないのでは無理があるでしょう。創価学会等の場合、頑丈な組織システムと言う檻に閉じ込められたような感じで自由な論議にはならないからで、広い檻か狭い檻かの違いと一人ひとりのフットワークの違いがより保守的にするのでは無いでしょうか。聖教新聞や人間革命が永遠の指導者になるのでは無くてケーススタディの指導者とゼロベースの指導者を育てないと創価学会でも名誉会長死後割れるかもしれません。割れた後、大白蓮華が永遠の指導者であり創価学会の柱と纏めようとしても遅いかもしれません。

865犀角独歩:2006/06/26(月) 19:51:00

今川さんのご投稿は短文で、趣旨を斟酌しかねるところもあるのですが、わかるところもあります。

当掲示板は、挙証義務が美風であるとわたしは記しました。
では、日蓮は、この証について、何を挙げたかというと、道理、証文、そして、現象です。

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)

ここでいう関係は、実は現象の優位を論じているわけです。
合理的(道理)に、文証(経・釈・真蹟)でその祖型を探ってきたわけですが、実のところ、その実用性(現証)がなければ、単なる理論構造だけということになります。

わたしは体験に基づくところを、批判しているわけではありません。
ただ、その体験に、各人が係るという教義・本尊が確実な日蓮、もしくは経典の理解とはなっていない齟齬を論じているのに過ぎません。ですから、‘現証’について、語ってみてはどうかと促したわけです。

その前提で、しかし、自己の信じるものを否定する者へ、非論理的排除、また、論証除外という態度もまた、信仰をした結果の、いわば悪現証ととらえられてしかりという視点もあります。しかし、反面の体験的な功利性はあるはずではないでしょうか。もし、この点が持ち得ないというのであれば、日蓮は21世紀に、各人の思いこみが、教団護持を支えるという閉じた共同体の中でのお話で終わるでしょう。

わたしは創価学会の教義など、まるでおはなしにならないと思います。しかし、ここで半世紀、体験されてきたところ、それはまた、700年来の日蓮門下の出来事といっていもよいのですが、この体験の全体を、否定しようという気は毛頭ありません。ただし、科学的視点から論証できるところはし、それでも何かが残るか否かを徹底論証してみてはどうかという考えに基づく厳正な視点は捨てません。何故、捨てないか、世間一般が捨てていないからです。「なんだかおかしい」「うさんくさい」「ばかばかしい」などと思われる当然想定される批判を敢えて一切合切、課してみて、それでも残るものがあれば、そのような体験=現証は、確実に人々の情意を打つものであるとも考えます。

866犀角独歩:2006/06/26(月) 22:20:46

【865の訂正】

誤)現象
正)現証

867今川元真:2006/06/27(火) 00:12:47
●極端ですが、創価学会もいずれは興門流日顕派の様に成りかねないと言う事でしょうか。天使教に押されて。 ●暴走の迷妄を解き説得力を持たせる為にも一か八か遣らざるを得ない時代に来てしまったと言う事を考えますが、切り刻んでもアナログとデジタルほど違う時代では現証を持つ者と持たざる者もしくは許容範囲の違いで分離分派するかもしれないでしょう。       ●成仏するまで戦い続ける事ができるか? 「脳には進化の歴史が詰まっているはずだから」まだ進化する力は眠っているのでしょうか。 ●広宣流布の機軸としたいのは『妙法蓮華・価値創造・宿命転換』【理の一念三千・事の一念三千・真の一念三千】 ●私が歴史時代を鑑みて汲み上げようとして過不足を考える物差しは此れくらいでしょうか。 ●犀角独歩さんが急進派で今川元真が穏健派だと言いたいのでは無いのですが、守旧派のような方々から見れば御書遺文を切り刻むようにしか見れないかもしれません。 ●話題が変わりますが、「西から東」は月氏、 「東から西」は日本の事をほのめかすと見て良いのでしょうか。

869犀角独歩:2006/06/27(火) 07:30:10
今川さんのご意見は参考になります。自分の記していることがどのように誤解されていくか、その虚像が見られるからです。ただし、お書きになっていることで、ご投稿の趣旨がが理解できないところも多々あります。

> 広宣流布

この語については、以下のように記しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015334405/56-60
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1041207951/223

> 妙法蓮華・価値創造・宿命転換

妙法蓮華経は羅什の意訳、価値創造という点については『創価学会批判』でかなり手厳しく哲学的反証がなされており、そこではさらにそれを受け継いだ戸田氏の哲学の勉強不足が指摘されていました。また、この学説と日蓮教説、さらには法華経とは本来まったく関係のないものでしたが、実践生活という点で牧口氏は石山の教学・本尊信仰を充てたわけでした。宿命転換は近代の造語で、そもそもこの語は「宿命」語解釈の誤謬があります。この点は、どなたかとかなり議論をした記憶がありますが、いまは見つかりません。ただ、簡単に以下に記していました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1398

> 【理の一念三千・事の一念三千・真の一念三千】

真の一念三千という用法は知りません。いずれにしても、三千不可思議境は一心のことであるとして、止観参禅の観三千法界が湛然によって成句され、日蓮に至っては付嘱の正体である妙法蓮華経に裏まれた珠であるとなり、さらに創価教学では生命の説明になっていった経緯を概観して、原意に迫るべき用語の一つであると思います。

> 犀角独歩…急進派

そのように映じますか。すでにわたしが述べるような時代は100年前に到来しています。それに気づけず、信仰という二文字で、世間一般の批判を逃れていては致し方がないというのは急進的な態度でしょうか。寧ろ、遅すぎることであると思うのですが。


> 守旧派のような方々から見れば御書遺文を切り刻むように…

これは、むしろ、わたしのほうの印象ですね。
真偽を論ぜず、糞味噌の扱い、さらに切り文した遺文をつなぎ合わせて、日蓮の考えとはまったく違う解釈をしていると、殊に学会を含む石山教学に感じています。

近日の一連の遣り取りを見てもわかるとおり、わたしが単に、法華経は西暦前後の創作物語である、釈迦の入滅年代は鎌倉時代に信じられていたことと違っていた、という2点に就き、日蓮は事実誤認をした、つまり、「間違った」と記したのに対して、その点を認めようとせず、経典、教義、本尊は正しいということを違う論点から述べて、これを遮そうとしたわけです。わたしはこの一連の対応を自由な議論に対する侵害という印象すら懐きました。要は、現代、科学的に証明された点について、いろいろな解釈を構えて、それを肯定しようとしても、世間一般はそれでは納得しない点を、信仰で押し切ろうという暴挙と映じるわけです。その信仰への執着の原因は何であるのか、徹底的に内観してみてはどうかと勧めているわけです。

> 「西から東」は月氏、 「東から西」は日本の事をほのめかすと見て良いのでしょうか。

この意味は新釈いたしかねます。どのようなご質問なのでしょうか。

870犀角独歩:2006/06/27(火) 11:07:59

【869の訂正】

誤)新釈いたしかねます
正)斟酌いたしかねます

871今川元真:2006/06/27(火) 12:51:44
●誰もが簡単に昔の環境の原意に戻れるなら苦労と言うかストレスの無い社会になっているでしょう。●犀角独歩さんの様に知識・情報を持って学問に時間を費やす事ができる訳では無いので御容赦願います。 ●シャカと日蓮に通暁する心があるとすれば「泥から花を咲かせる蓮華」と考えなければ、信学行をして仏国土みたいな平和な社会をつくっても長続きしないような気がします。シャカの執着から離れる思惟思索に形を持って捉えるのは逆戻りと言われるかもしれませんが、より良い環境に変えるには点・線・面の点に於いてある意味(理想像の法を信じる、理想論で変わる自分を信じる)必要な事に思います。 ●十字御書を読み返していい線いってたなと思うのですが、嘘から出た真になりませんね。

872犀角独歩:2006/06/27(火) 14:52:36

今川さん、ここは議論の場であり、挙証義務が課せられていますから、それに遵守しているわけです。
時間がなければ、時間がないなりに個人でやる分にはけっこうなことではありませんか。
しかし、ここでは投稿規則があるということです。

信仰というのは、あ面、妄想と紙一重のところがあります。
嘘から出た真から、真に基づく信であるか、それを論証しようと言うことです。

873今川元真:2006/06/27(火) 23:56:56
●徹底的に解明する事は其れぞれの論理を考える為には良いのですが、時代毎の必要な要素を考えないと何も残らなくなるのでは無いかと思います。●犀角独歩さんの指摘通り(?)自分の信学行の質量を計り直す事が出来れば良いと考えます。

874犀角独歩:2006/06/28(水) 04:53:16

今川さん

873に記されるところは同意です。それがつまり、当スレ『現代人が納得できる日蓮教学』ということの趣旨だと思います。

875今川元真:2006/06/28(水) 12:20:45
犀角独歩さん、ありがとうございます。

877今川元真:2006/06/29(木) 17:51:40
宰格瑚葡さん、はじめまして。私は、池田チルドレン?が創価学会の指導者になっても組織システムの隅々までチェックするのは難儀なので、信心学問修行をより解り易く快適に内外に提示する為にも、末法無戒の世に法華経行者日蓮がどれだけの事を考え、富士門流貫首日寛がどれだけの事を纏め、創価教育学会会長牧口常三郎がどれだけの事を提示したのか、知る必要があると思います。

878犀角独歩:2006/06/29(木) 20:02:48

今川さん、前から気になっていましたが、末法無戒と本門戒壇というのは整合性がありますか。日蓮は末法無戒を哀しみ、本門戒壇を言ったのではないでしょうか。

「正法千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法万年、持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだ(乱)れたる」南条兵衛七郎殿御書

「二乗・凡夫・悪人・女人乃至末代の老骨の懈怠・無戒の人々は往生成仏不定なり。法華経は爾らず。二乗・悪人・女人等猶仏に成る」薬王品得意抄

「第二の悪世中比丘と指さるゝは、法然等の無戒邪見の者なり。涅槃経に云はく「我等悉く邪見の人と名づく」等云云」開目抄下

「日蓮は無戒の比丘なり」御衣並単衣御書

「剰へ我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる。例せば狗犬が師子を吠へ、猿猴が帝釈をあなづるが如し」「法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還って円頓の行者を破戒・無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給ひ」「能因法師と申せし無戒の者」下山御消息

「貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり」盂蘭盆御書

「正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が、人王・人民等の身に入りて脳乱せん」諌暁八幡抄

「日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり」法衣書

880今川元真:2006/06/30(金) 20:26:02
教学的因果関係は日蓮聖人が手紙に認められているだけしか見受けられないので解りませんが、縦軸・時間と横軸・空間、歴史と現象を考え合わせる学問が仏法ならば、心の襞や琴線に触れる感情的示唆が現れ言葉文字に表れても不思議では無いと思います。法華一乗の派生事項だと考えますが、真言化した比叡山に対して真実の一念三千・妙法蓮華の浄土を現出させたいと本門の題目・本尊・戒壇を形にしたのが漫荼羅(紙や板では無くて)なのでは無いかと断じたいです。

881犀角独歩:2006/06/30(金) 21:06:42

今川さん

880に記されることは、賛同する面もあります。

わたしがここで投げかけている疑問は、一般の人であれば、誰しも懐くだろうことを忌憚無く、率直に述べているのに過ぎません。そのような投げかけにどのように反応されるのかという点が、「心の襞や琴線に触れる感情的示唆」なのか、もしくは排他、罪悪視なのか、矛盾に満ちた反論なのか等、そのレスポンスによって、その健全度を測るのもまた、一般の観察であろうと思います。

その意味において、単発的、かつ、捨て投稿で、あらしが目的なのかと見えていた今川さんの、レスは、実に誠実で、健全であり、たしかに心の琴線に触れるものがありました。

882励合人:2006/07/01(土) 06:48:41
日蓮さんの生き方自体が素晴らしいと思います。人を愛する深さというか人間の可能性というか信念による一人の人間の持っている強さを教えてもらいました。立派な方々を見習うひとが出てくるから立派な行いができることは素晴らしいことです。見習う側も善の部分のみを見習っていければより素晴らしいです。それには善悪のはっきりした区別がつくことが一番大切です。世界平和や人間社会が進化するには宗教が無くなり道徳以上の新しい何かを手本にする世の中になるしかないと考えています。宗教以外の新しい何かが出現するには今より飛躍的に心の解明と科学の発展が必要ですが。現段階では信念につながるものとして現代社会を生きる責任、未来社会への義務、過去社会への感謝が明確に子供に教育されれば何か少しは変わっていく気がします。以上、大ざっぱで伝わらないと思いながらも根拠の無い個人的感覚による私見を記入してしまいました。

883犀角独歩:2006/07/02(日) 07:46:08

> 882

概ね、賛同します。

情報量は、ネットと豊富な資料が直ちに入る現代と、鎌倉時代では比ぶべくもありません。しかし、その情報を扱うのは常に人間なのであって、日蓮の熱意と精神力、そして、実際の行動といったものに、では、現代の我らが優位にあるかと言えば、決してそんなことはないでしょう。

「生き方がすばらしい」というご感想は、そんなところにあるのだろうと拝察します。データ的処理能力ではなく、“心”としての処理能力と言うことであろうと思います。

やや、論点が変わりますが、ハッサン師は、以下のような指標を示しています。

「破壊的カルトの疑いがあるグループを調べ鑑定するとき、私はまず、神学やイデオロギーの分野ではなく、心理学の分野で作業する。破壊的カルトについて考える私の基準は、マインド・コントロールと暗示と集団心理−−この三つの影響作用と言うことである。私はそのグループが“何を信じるかではなく”、“何をするかを見る”。(略)破壊的カルトはメンバーは“彼ら自身の”信念体系へと回心させようとする。だが私のやりかたは、その人が多様な視点を調べ、物事を自分自身で処理するように励ますものである」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P178)

884今川元真:2006/07/04(火) 05:48:28
30年かかって辿り着いた道程。法華一乗の中味を経典の内容を考え合わせるのは此れから。犀角独歩さん諸氏には一言一句訓育教授賜りますようお願いします。

885犀角独歩:2006/07/04(火) 20:31:34

今川さん

ご丁寧に有り難うございます。わたしもまた、今川さんから多くを学ばせていただきます。

886今川元真:2006/07/05(水) 06:22:50
いいえ、こちらこそ。法華一乗の原点に戻る初心者ですから宜しくお願いします。

887犀角独歩:2006/07/05(水) 11:06:20

つぶやきから移動しました。


こちらの掲示板で、日蓮本‘仏’、次に‘法’本尊=彫刻、そして、今回は僧について。

仏陀にあらざるを仏陀と信じさせ、法にあらざるを法と信じさせる、その僧は、僧にあらざるというのが、わたしの脈絡です。

カラフルなどと言った覚えはなく、薄墨素絹の質素な衣に剃髪であれ、そのような詐り仏法を勧めるものを、姿ばかりは僧に似せても、日蓮の言う僧にあらずということです。


独学徒さん

わたしは、多くの尊敬できる僧侶を知っています。また、その人たちの、心暖まる慈悲に包まれて今があります。

わたしが石山からもって出た一つの教え。
「僧の僧たる自覚を与えるは檀那なり」、四弘誓願に生きる僧侶には、精一杯の礼をもって、接するのは誠心誠意からですが、それはまた、その方々の自覚を生じさせる功徳もあると考えます。一方、誤り謀り衆生を迷惑する者には厳しく弾劾もいたし、ここでもまた、僧の自覚を促します。

これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。この点を、独学徒さんはご理解いただけると存じます。

888独学徒:2006/07/05(水) 23:25:21

犀角独歩さん、

>これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。

まだ数回ではありますが、犀角独歩さんと直接会ったことのある私には、重々承知のことです。

私が尊敬できる僧侶と出会えないのは、富士門系の僧侶に限定して接しているからかもしれません。

富士門でも何人かは、親切な方だと思う方もいますし、大変勉強になる御主張をされると思う方もいます。

しかし、本当に信頼し心をゆるせる方とはめぐり合えていません。
その意味では、犀角独歩さんが羨ましくさえ思えます。

しかしそれでも、人との出会いは、まだまだこれからだと思います。
全ては私の経験不足だと思います。

890犀角独歩:2006/07/06(木) 00:32:41

独学徒さん

有り難うございます。
独学徒さんが、富士系の坊さんに限ってお会いになってきたというお話は、むしろ、新鮮に感じました。

わたしは、ここ10年、その手の人には会わないできましたから、善い方々との会いがあったのであろうと思います。そのような方々に、お引き合わせの労をわたしは厭いません。お気軽にお声をおかけください。

891独学徒:2006/07/06(木) 21:30:51

犀角独歩さん、有難うございます。

実は定年退職したら入道しようかと思っていたこともあります。
娘達には頭を丸めることを大反対されましたが、今でも心中にその希望が残っております。

この先、良き僧侶との出会いを求めた時には、犀角独歩さんに相談させていただきます。
その節には、どうぞ宜しくお願いいたします。

892 B:2006/07/07(金) 10:32:16

> カラフルなどと言った覚えはなく、薄墨素絹の質素な衣に剃髪であれ、そのような詐り仏法を
勧めるものを、姿ばかりは僧に似せても、日蓮の言う僧にあらずということです。
> これはしかし、「お気に入り」だなんだということとは、まったく、次元を異にします。仏と法と僧伽を護持しようという信念に基づくところです。


ご自分の主張は丁寧になさるが、非礼、批判の含みのあるものは飛ばし読みをされるのか、これで「カラフル」についての2度目の説明になります。

独歩さんの表現、「坊さんコスプレ」を借りて、「カラフル坊さんコスプレ」は私「B」が言ったのです。

宗祖も着されなかった色衣を着て、似ても似つかぬ姿で宗祖の法を説くお上人様を「カラフル坊さんコスプレ」と真似たのです。独歩さんが尊敬なされているらしいので独歩さんの「お気に入り」と書いたのです。

湾曲?

独歩さんの投稿から引用
草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。もし寺院が、それなりに矜持(きんじ)を持つとすれば、仏の智、仏の愛を、どれだけ積極的に民衆のなかに弘通し、彼らの悩みを救ったかという一点にしぼられるはずである。過去はもちろん、現在も未来も、立派にそのつとめを果たし得る自信、そしてその実績――。寺院の誇りはこの一事に尽きる。伝統や寺歴を、問題外にするのではないが、そういうものはあくまで第二義のはずと思うのだ。

これは身延の寺にぴったりあてはまるのでは、

新尼御前御返事に
日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我が身のとがをばしらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。此の由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給ふべく候。


身延を見学に行った知人の言うには、門前でヒラヒラと風に吹かれてご本尊が売られていたとのこと。
佐渡ではちょっと記憶があいまいだが佐渡始顕のご本尊がステンレスの板に彫られて庭に展示してあった。
「大日蓮展」では平念珠が売店で売られていた、展示物の中には聖人ご所持の数珠(真偽は?)が展示してあったが平念珠ではなかった。
親戚の法事で日蓮宗の寺へ行ったがあちこちに色んな物が祀ってあった。

お上人方は、これらを承知しておられるのだろう。独歩さんの「仏と法と僧伽を護持しようという信念に」に悖りませんか。

答曰守涅槃経云若善比丘見壊法者置不呵責駈遣挙処当知是人仏法中怨。若能駈遣呵責挙処是我弟子真声聞也

人を見て呵責、不呵責の差別があっては是人仏法中怨にして真の声聞には程遠いのでは。


> 「僧の僧たる自覚を与えるは檀那なり」、四弘誓願に生きる僧侶には、精一杯の礼をもって、接するのは誠心誠意からですが、それはまた、その方々の自覚を生じさせる功徳もあると考えます

これは全くもってそのとおりだと思います。

放談中の笑い話であるが、あの僧侶はいいが、この僧侶は嫌いだという信徒について、信徒は僧を選べるが僧は信徒を選べないんですよと、僧侶はあんな信徒はいやだなと思ってもそうはいかないのですよと冗談半分で吐露され、大笑いしたことがあった。

信徒でもなく何が目的かわからぬ得体の知れぬ者にも誠意を尽くさねばならぬ僧侶も大変だなと思う。
不快を示せばあれが僧侶か、修行が足らんと指弾される。そのとおりではあろう。
悪口も善智識ととらえられ精進の糧とされるのだろうけれど。

完璧無欠の僧などどこにもおられないのでは。 精進に努められる姿が尊い事だと思う。

893犀角独歩:2006/07/07(金) 12:11:48

Bさん

わたしは、お気に入りだなんだという言葉は不快です。
別段、気に入るとか、気に入らないで言っていないと何度も、繰り返しています。これは重複投稿、無意味な繰り返しになります。
管理者さん、投稿規約に違反すると思いますが、如何でしょうか。

さて、Bさん、わたしの先の投稿は、富士門流信徒の掲示板で、下種三宝を問うたものです。その脈絡は一切、無視するのでは、議論とは言えません。

また、わたしは、身延を気に入っているわけでもなく、身延派の僧侶を気に入っているわけでもありません。また、その化儀を100%納得しているわけでもありません。ただし、‘民衆救済’という視点から、そのような尽力している方々に最大の礼をなすと言っているのです。斯様にあなたの論点はずれています。

また、身延の本尊について、云々していますが、Bさんはどうやら、石山の僧俗らしいですが、では、そこでは頒布されている‘本尊’とは、他宗を非難できるような代物なのでしょうか。その本尊の印刷を請け負う印刷会社、あなたが嫌う日蓮宗の仕事を請け負っているのであり、身延の印刷物が印刷されている同じ会社で印刷されたものを本尊として、信徒に3000円以上で販売しているのではないでしょうか。まして、「奉書写之」といい、それが彫刻を写したものと言いながら、内容が違っているという呆れた代物です。そのような本尊を尊重する者が、身延の本尊を云々するなど、話になりません。

また、わたしが引用した涅槃経の文は「僧」について、論じたものであって、その文をもって、わたしが自護相違した如き論調もまた、まったくの的はずれです。

「精進に努められる姿が尊い」、わたしもそのように記していますが。

いくら、あなたが、身延の悪口を羅列したところで、石山の実態は、何も変わりません。身内の贔屓倒れに他者の悪口を言う姿を、あまり褒められたものではないでしょう。

いずれにしても、ここは、議論の場です。揚げ足を取って、嫌みを書き連ねるような態度は、わたしは、そもそも投稿の姿勢に問題あり、改めないのであれば、退去を希望するほかありません。

894管理者:2006/07/07(金) 13:00:10

Bさん

当掲示板の参加者を揶揄するのが目的であるかに見えるような投稿は、当掲示板のルールに抵触します。今後同様の書き込みを続けれた場合は、ルールに基づいて、削除、並びにご参加をお断わりする事になります。よろしくお願いいたします。

895 B:2006/07/07(金) 20:18:57

公平なりやと、いささか反駁したいと思うところもありますが、ルール違反とのこと、
すみませんでした。 ROMに戻ります。

896波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2006/07/24(月) 09:58:44
日秀師の起こした三鳥派とはどのようなものであるか、なかなか
わからなかった。

江戸時代突然発生した異流義であり、弾圧され痕跡が完全に消されて
いるため、なかなか実態が掴めないでいた。

以前日蓮大聖人の神道観は、現在日蓮宗が入れている吉田神道ではなく、
渡会神道を基礎にしている、という主張をしたことがある。

石山の場合は、他の法華集団の神道観とは別に、突然変異した、という
私の予感はなんとなくあたっていた。

三鳥派は吐菩加美神道・烏行神道の影響を強く受けていたのだ。

897通りすがり:2006/07/24(月) 15:34:25
ハキリうるさい。
誰も興味は無い(-_-)

898通りすがり:2006/07/28(金) 19:57:04
あ、ハキリ坊見っけ!!
お萬の方の本遠寺の葵講の講頭さん

899通り越し:2006/07/28(金) 23:40:44
本遠寺に葵講など存在しませーん。

しかもハキリは檀家でもなんでもありませーん。

900通りかかり:2006/07/29(土) 01:08:06
葵講は禿の脳内妄想によるバーチャル講ですよっと。

901通りすがり:2006/07/29(土) 08:04:11
896の件は菅田さんが精通しているでしょう。

902とんび:2006/09/09(土) 05:22:50
おはようございます。

教・機・時・国・教法流布の前後(正宗の解釈で)とありますが、教主釈尊の出世
の本懐は、人の振る舞にて候ぞ..とかあったと思いますが、いわゆるサッカー
の試合をしているようなもので、常に瞬間・瞬間にするべきこと、信ずべきことは
変化するものだと思います。
 ボールの位置を確認し、自らのチームの選手の位置を確認し、相手チームの位置
をいつも確認して行動を起こす。

 90分で、終わりと思っていては、たとえ5点リードしていてても、残りのロスタイム
で、何もしなければ、10点・20点とられて、逆転負けしてしまいます。

 だから、臨終の最後の一念まで信心が大切になってくると思います。

 もちろん、相手チーム、自分のチームというのは、他人と自分・敵・味方
ではなく、あくまで、己心のなかでのことだと思います。

 忙しいので、誤字や言葉の表現の仕方が適切でなかった部分もあるかと思い
ますが、ご了承下さい。

903とんび:2006/09/09(土) 05:28:49
追伸です。

日蓮聖人の遺文にあるように「月々日々に強りたまえ、少しもたゆむ心あれば魔たよりを
うべし」ですから、ウィルスバスターやノートンアンチウィルス、マカフィーのパソコンソフト
ように、常に信心の精進をしていかないと、魔にやられてしまうと思います。

904無学無明:2006/09/10(日) 18:31:41
 とんび様。
 たとえをサッカーにしていますが。
 生きとし生きたいものが、それなりに人生を必死です。
 貴殿の提言されたサッカーはあくまで遊戯の一例であって、心肺・走力の優劣で勝負が決まるようです。
 しかし、生身の我々は生老病死の一点〜一点の最中にも、強い娑婆世界の影響下にいます。
 もし、言えるなら、「、、薬害エイズ被害者、薬害肝炎被害者たちへの配慮こそが懸念」でしょうか。
 現実に「成仏はお引き受けします、100%を保障します」、というて信者を勧誘したならば、?
 薬害訴訟では莫大な被害者への損害保障が次々と判決されています。
 宗教は別物だと、庶民を甘く見て、なめ切っていますと、そのツケは、、?

905天蓋真鏡:2007/01/04(木) 20:13:41
鎌倉時代の僧・日蓮の纏め、21世紀に生きる人々の活用できる質量。【きっかけ≒ヒント≒鍵≒一念三千因果倶時唱題】

906とんび:2007/10/20(土) 20:45:22
私の、現在における日蓮聖人の響く言葉。(時によりかわりますが)

上野殿御返事(弘安3年12月27日)日興筆、古写本あり。

「仏にやすやすとなる事の候ぞ、をしえへまいらせ候はん。人のものををしふると申すは、車のおもけれども
油をてぬりてまわり、船に水をうかべてゆきやすきやうにをしえ候なり。仏になる事は別のやう候はず。旱魃にかわけるものに、
水をあたへ、寒水ににごごへたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき者を人にあたへ
、命のたゆるに人のせにあふがごとし。
 
 金色王と申せし王は(中略)。月氏国にす達長者と申せし者は、七度貧になり、七度長者となりて候ひしが。
(中略)これをもてよろずを心へさせ給え。

 この言葉は、いまの社会にも、通用すると考えています。

907天蓋真鏡:2008/05/22(木) 19:29:56
南無妙法蓮華経=本尊=戒壇=題目?、本尊=漫荼羅?、戒壇=戒壇堂?、題目=一切衆生の題目?

908偶ロム偶ログ:2008/05/23(金) 03:30:02
>天蓋真鏡 さん

日蓮遺文による挙証なしで、感覚での感想です。
本尊=木画の仏像(漫荼羅も含む)として表現されるところの己身の教主釈尊
戒壇=南無する吾体がいる処
題目=浄化のためと祈祷・祈念・祈願のための呪(しゅ)
まあ、日蓮教学とも石山宗学とも直截の脈絡はないですが、このように考えて30年は経っています。
これはあくまでも個人に則してのことです。

ただ戒壇については厳密には国主灌頂のための堂ということになるのでは?

まあほとんど醉言です、悪しからず。

909犀角独歩:2008/05/24(土) 09:35:45

ここ富士門流信徒の掲示板で、10年近く書いてきましたが、大石寺、創価学会、顕正会の批正から、この集団と教義と決別する人々を多く出すことができました。また、日蓮本仏、戒壇本尊からの脱却の用にもたちました。

ところが、そうした人々が保田、北山、西山といった寺院に移動することによって、信仰を保つ様を見ると暗澹たる気分となります。

また、正信会も含めて言えることですが、日興門下の「お宝鑑定団」をやったところで、何ら信仰が実になることは有り得ません。

また、こうした移動組のなかには、創価学会や大石寺を口汚く罵る様も見えますが、他者からみれば、所詮「目くそ鼻くそを笑う」の類に過ぎません。

事実究明とは自己にもっとも厳しく、そして、他に対しても公平な批正でなければ何の意味もありません。

古文書や本尊のお宝行脚と、坊さんと遊戯雑談をするより、もっと、するべきことがあったと、自己反省も含めて思う昨今です。

910マターリ:2008/05/25(日) 07:25:29
>犀角独歩さん、古文書や本尊のお宝行脚と、坊さんと遊戯雑談をする
より、もっと、するべきことがあったということですが、具体的には、
「するべきこと」とは、どういうことでしょうか?

911犀角独歩:2008/05/25(日) 10:55:52

マターリさん

「するべきこと」は、たくさんあります。それは人それぞれ違っています。公私に亘り、種々あるでしょう。わたしのやるべきことは、プライバシーに属しますから、ここでは述べませんし、また、各位についても、ここでそれを公開する必要はないことは当然です。しかし、それでも、いえることは、「するべきこと」とは、富士門流であるとか、日興門下であるとか、そうした狭隘な閉鎖空間に留まることではないということです。

「お宝鑑定団」とは、我が恩人、中村行明師がわたしのブログを御覧になって、率直に述べてくださった感想でした。世間一般にはそう映るのだろうと思った次第です。


所謂「本門戒壇の大御本尊」と称する彫刻が後世の捏造物であることなど、もはや論じることもなく当たり前のことです。石山や、顕正会は、これに必死に足掻くかも知れませんが、この歴史は、もう終わりました。大石寺は、今後、信徒会員が増えることはなく、顕正会は浅井照衛さんの死をもって、石山と同じ運命を辿るでしょう。数十年を待たず、この二つの集団は、世間一般から忘れ去られるでしょう。

わたしの彫刻鑑別は単純で、真偽を問うて、贋作であることを証することでした。わたしの目的はここまでです。ところが、どうしたことか、このあとに違う想念を有した人々が残存しました。それは、日蓮漫荼羅の本物探しでした。日本史のなかで何度かブームのように起きた所謂「万年救護本尊」を正統本尊と見なしてみたり、取り立て、日興の書写本尊を有り難がるといった傾向です。こうしたブームは、戦前にもあったものでした。

日興の再認識は、戦前から事起こり、戦後は創価学会の勃興により、学界では高木豊師の研究から、異なった両陣営によって支えられてきました。しかし、この日興ブームはやがて終焉を迎えます。

なおさらのこと、北山・西山・保田といった日興門下など、もはや、既に社会からは忘れ去られた存在であり、そこで有する寺宝などに価値を感じるのは、わずかな人達ばかりです。日興の正統性に執着すること自体、ナンセンスだからです。

わたしの自分史を述べれば、「日蓮正宗創価学会」の家に生まれ、絶対と信じた集団と指導者は、本尊から離れました。わたしは本尊を希求し、石山に移りましたが、そもそも、それが後世の捏造物でした。では、日興が正統かといえば、それは日興門流の幻想に過ぎませんでした。では、日蓮は、といえば、鎌倉時代という科学開闢以前の神話に生きた人であったわけです。では、法華経は、といえば、これまた、西暦前後に創作された物語でした。
つまり、これらのものにいくら執心したところで、「嘘から出た誠」とはなりません。かつて、池田・学会批判で、石山圏が好んでいった「嘘は100遍繰り返しても本当にならない」のです。この言葉は、石山のみならず、日本の全仏教にかかる天に吐いた唾です。

こちらのスレッドは「現代人が納得できる日蓮教学」ですが、率直に申し上げて、もはや、そんなものは残っていません。もし、何かあるとすれば、それは「日蓮の魂」かもしれません。人を思い、国を思った熱意といったところでしょうか。もちろん、日蓮が考案した漫荼羅に熱心に唱題を重ねることに、何らかの効験はあるでしょうし、そうした体験を有する人々も多くいるでしょう。

伝統仏教→日蓮宗→富士門流→(日蓮正宗)創価学会・顕正会 といった信徒移行が戦後、日本の宗教動向でした。そして、その「創価学会・顕正会が間違っていた」から、「日蓮正宗」に、さらに富士門流に遡源すれば、事は解決するかどうかという公開の論理的実験場が、ここ富士門流信徒の掲示板でしたでしょうか。率直に言って、そんなところで、歩みを留めていても、個人的な慰撫と趣味の範囲に過ぎません。では日蓮宗は、では伝統仏教はと遡源しても、事態は同様です。

「するべきこと」の第一歩は、こうした幻想され・設定された「地図」と思考の足かせを、まず外し、個人の自由と責任に基づいて、前に進むことです。

912犀角独歩:2008/05/25(日) 11:01:26

「そんなところで、歩みを留めていても」という「そんなところ」とは、ここ富士門流信徒の掲示板をさすのではなく、「伝統仏教→日蓮宗→富士門流」といった信念体系と集団を指して書きました。
文章が曖昧で誤読される可能性があると危惧しましたので、補足します。

913天蓋真鏡:2008/05/25(日) 13:29:25
犀角独歩さん、マターリさん、ゴウタマシッダルタ生誕〜21世紀の富士門流掲示板の出来た頃までの年表を作って置かないと解り辛いかもしれません。

914天蓋真鏡:2008/05/25(日) 13:56:38
偶ロム偶ログさん、30年と言うのは凄いです。 自分は日蓮聖人が信仰生活をして布教活動していく内に漫荼羅唱題に洗練特化していったと思います。日蓮自身は釈尊像を所持して内証の妙法漫荼羅を心に描き唱題する。其れで一乗要決の南無妙法蓮華経が本尊戒壇題目なのではと掲示板を読み直して想いました。 戒壇本尊は日目諫暁に出て来る三秘法を具現化する為作り出されたオブジェなのではないかな当初はと想像します。

915マターリ:2008/05/25(日) 15:31:21
>犀角独歩さん、詳しく教えていただき、ありがとうございます。

>「するべきこと」の第一歩は、こうした幻想され・設定された「地図」
と思考の足かせを、まず外し、個人の自由と責任に基づいて、前に進むこ
とです。

私も同様に考えています。今まで教団で教わった既成概念を外して、自由
に考えていきたいと思います。

>天蓋真鏡さん、年表を作るのは大変そうですね。

916天蓋真鏡:2008/05/25(日) 16:38:26
マターリさん、返レスありがとうございます。 意見集約は大変でしょうが一度見で粗筋でも把握しないと同じテーブルに付けないでしょう。 2008年現在に纏めた年表ならば、2008年度版で良いのでは無いでしょうか。

917犀角独歩:2008/05/25(日) 20:58:46

年表ですか、うーん、なかなか、そこまで手が回りませんね。

918顕正居士:2008/05/26(月) 05:23:12
2ちゃんねるの創価板を見ていたら「紙に呪文を唱えて欲を満たす教え」というような
表現があった。言い得て妙である。1 紙(板) 2 呪文 3 欲を満たす どの要素も
最初から話にならない、それが3つ掛け合わさる、以外の要素はない というわけです。
単純に常識だけ働けば、このように本質を的確に見破れるものだなあと思った次第です。

919犀角独歩:2008/05/26(月) 19:27:44

918に顕正居士さんがご紹介くださったのと同じような筋で、S・ハッサンは『マインド・コントロールの恐怖』のなかで「アメリカ日蓮正宗」(=SGI)をカルトとして上げていました。本が手許にないので抜き書きはできませんが、記憶に随って書けば、「漢字の書いてある掛け軸に題目を唱えると、願いが何でも叶うといって勧誘する」といった記述であったと思います。

創価学会は、この紙=掛け軸を、仏であるとか、生命であるとか、さらに石山にいたっては、これを「生身の日蓮大聖人」とか、法本尊だとまでいいます。

人間の信じる力は射る矢が石に立つといった逸話になるほどですから、鰯の頭であろうと、信じて拝めば、本人が納得がいく結果が出たと納得する「個人的リアリティ」を得ることはあるでしょうが、しかし、これは、その本人の潜在能力と自己認識と満足の為せる業で、紙が仏や、生命であるといったわけでもなく、まさに「紙に呪文を唱えて欲を満たす教え」、もっといえば、「紙に呪文を唱えて欲を満たすと思わせる教え」というのが、常識的な判断なのだろうと思います。そして、こうしたことをいってのける教義集団を、…わたしではなく…ハッサンは「カルト」といったのでしょう。

自分が信じやっていることが、他からはカルトと映じているかどうかを、客観的な視点で見直すことが大切だということでしょう。

920しゅんかん:2008/05/26(月) 23:37:18
私は宗教(通一般的に捉える処の)を信仰いたしておりません。

一組織、一団体、一グループに身を置いた者を、其れに組していない者が
眺めた時、異なものと映るのは当然ではないでしょうか、人間ですから。

カルトと定義するには一地域、一国、地球規模であれ少数派なのでしょう。

何を崇拝しようが第三者には所詮理解に苦しむ事だろうと思いますが。

時間、空間的に人の捉え方は変化しますから、人間に是が真実だ、是が現実だ
等と述べる能力を有しているとはとても思えない、全ては幻想でしょう。

921しゅんかん:2008/05/26(月) 23:40:36
少々、酔いかげんです。

一組織、一団体、一グループは重複語ですね、申し訳ありません。

922犀角独歩:2008/05/30(金) 05:28:22

> 919

自己レスです。原著を確認したところ、記憶と少し違っていました。

「NSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。」(P169)

つづく記述のなかで「人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だった」という悩める善意の人、また、「結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。」という経験談は、恐怖操作、もしくは植え込まれる自罰性を示すもので、「日蓮正宗創価学会」、もちろん、顕正会、正信会、妙観講・法華講も、この例に漏れないことがわかります。

923犀角独歩:2008/05/30(金) 05:41:50

参考のために、該当部分の全文を抜粋します。


ゲアリー・ポーターと「アメリカ日蓮正宗」

 いまはフィラデルフィアで指圧療法士をしているゲアリー・ポーターは、ナンシーと出会い、恋をした。彼女はNSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。2年以上も信心を続けたあと、彼女はだれか医師と出会って結婚できるように、1日何時間も「南無妙法蓮華経」唱えはじめた。
「駐車の場所だろうと新しい仕事だろうと学校の成績だろうと、何のためにでも彼らはこれを唱えるのでした」。ゲアリーはFOCUS支援集会で元カルトメンバーたちにそう語った。
 ゲアリーはメソジスト派のキリスト教で育ったが、ナンシーと出会ったころ、彼は落ち込んでいた。
 「私は指圧療法専門学校の4年間で燃え尽きていました。いちばんの親友が自動車事故で死にました。兄弟たちが私に、家へ帰って病気の母の面倒をみるようプレッシャーをかけていました。人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だったのです」
 「このグループは不気味だなと思いましたが……」とゲアリーは言った。「私はお経を唱えることに同意しました。信じられないような昂揚感が得られました。私は御本尊を買い、プンシーと結婚して、そのグループに5年間いました」。
 NSAは、勧誘のため、また会員の信仰を強めるために、ティナ・タープーやパトリック・ダフィーといった有名人をよく使っていた。もうひとつのセールス・ポイントは、「世界平和のために活動しています」だった。NSAは、彼らの読経だけが世界を破滅から救うのだと会員に信じ込ませていた。しかし会員は、NSAが後援するデモ行進(大部分の主流派平和団体からは敬遠された)のほかは、平和促進のためほとんど何もしていない。NSAの行進は、たしかにメンバーの時間とエネルギーを支配する役にはたった。「私たちは、週に3、4回、グループの集会に行かなければなりませんでした。読経に毎日何時間も費やすのは言うまでもありません」。メンバー同士の関係は、疑う人間は黙らされ、迎合が報いられるのだということを確かめるように操作されていた。
 ついにゲアリーはNSAのリーダーと何回か衝突を起こし、追放すると脅かされた。心の底深くでは、それが自分の願っていることだった。プレッシャーと操作に、ゲアリーは疲れきっていた。また、時間と勢力を全部NSAに注ぎ込んでしまうため、指圧の仕事も損害を受けていた。
 ふたりは結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。
 ゲアリー・ポーターとナンシー・ポーターの物語は、ある種のカルトの物語ほど劇的ではない。彼らのカルト生活は外目には比較的正常だったし、死んでいくメンバーのために徹夜を命じられたりもしなかった。幸運にも、ふたりはいっしょにカルトをやめることができた。マインド・コントロールと破壊的カルトに関する資料を調べはじめるとすぐ、本質的にはNSAも、終日一緒に暮らすことを要求するグループと同じマインド・コントロールの手法を使っているのだということが、ふたりにはわかった。だが、ふたりの人生を修復するのには数年かかった。」

924マターリ:2008/06/01(日) 20:09:03
男子部の先輩で、不治の病に苦しむ人がいました。幹部から「100万ベン
の題目をあげれば必ず治る。」、と言われて必死で題目をあげていまし
た。また、病気の身体に、むち打って活動していました。

何ヶ月か経って、100万べんを達成したのですが、一向に治る気配がない
ので、もう一度、先輩は幹部に相談しました。すると幹部は、「もう100
万ベンあげなさい。治るまで、題目をあげなさい。」と先輩に言ったそう
です。

幹部の話をしながら、先輩は私と並んで歩いていました。そして「いった
いあと何万べんあげれば治ると言うんだ。」と下を向いて、涙を浮かべて
言いました。愚痴を言わない先輩が、たった一回だけ言った、はらわたか
ら絞り出すような悲しみの言葉でした。

その後、先輩は、学会の会合にも出なくなり、一年も経たずに亡くなりま
した。

世の無常を感じた思い出です。

925しゅんかん:2008/06/01(日) 22:46:30
マターリさん

全くその様に思います。

世は無常でしょうが、無常でなければ又、困るんでしょうね。

926彰往考来:2008/06/04(水) 06:31:55

>911 お宝鑑定団

私は日蓮聖人の御本尊や御影などを研究しているわけですが、なんで個人でこんなことやっているのでしょうね。そのために日蓮関係だけで600冊を越える蔵書をもち、100冊を越えるファイルに整理、分類して収められた莫大な量のコピー資料を所有しています。その収集と整理、調査にかけた時間とお金は相当なものです。ま、しかし資料が手元にあるおかげで自分の守備範囲のテーマであれば夜中でも調べることができます。息子には図書館みたいだねといわれてしまいました。しかし増えすぎました。特にここ数年は入手する資料の量がうなぎのぼりで置く場所にも事欠く始末です。確か『捨てる技術』という本で学者以外は本など持っていてもしかたがないという主旨のことが書かれていましたが学徒としては捨てるわけにはいきませんので学者と同じということでしょう。多分大学教授並みの蔵書量であると思いますが家人からみればゴミの山にすぎません。

あくまで私の場合ですが野村進氏の『調べる技術・書く技術』(2008年、講談社)でいう「突き動かしている原動力」(73頁)は、「騙されるものか!」という反骨心です。学会二世として育ち気が付いた頃には大石寺の板漫荼羅を真筆として教えられて拝んでいました。しかし大石寺だけではなく他宗も含めどうもヘンだ、と思い始めたのが高校生のころで、御本尊ってなんだ?なぜ日蓮の真筆本尊は一種類ではなく色々な相貌があるんだ?と変人扱いされながら調べてきたわけです。そこにあったのは秘密主義の壁と無理解でした。当時の男子部幹部は「こんなの調べて何になるんだ!」と怒鳴ったものでした。もっとも学生部時代のある幹部は「学会出版物を1冊読んだら外の本を5冊読め。でないとバランスをくずす」と指導していましたのであながち可笑しな幹部ばかりではありません。この考えはよいのでそう心がけて本に接しています。
鳴海風氏の『円周率を計算した男』(新人物往来社、1998年)に「無理に隠そうとするのは、底が浅いことを露呈しているようなもの」(160頁)、「学問の進歩は秘密主義の下ではありえない」(170頁)とあるのが当時の私の気持ちに近いでしょう。もちろん今でも同じです。騙されないためには勉強し研究するしかありません。

私もテレビ東京の「開運なんでも鑑定団」は好きでよくみますが、日蓮聖人の御本尊や古文書などを研究するのはお宝鑑定団ではないでしょう。鑑定してどうなるのでしょうか?他人の財布の中身を勘定してもしかたがありません。古文書などの研究そのものは真実が知りたいという一念のことではないでしょうか。決して興味本位でできることではなく、自分の人生を、命をかけてやっているものなのです。生半可なものではありません。お宝鑑定団だと仰る方は興味本位の趣味と命をかけた研究を同じだといっているようなものだと思います。反論する必要すら感じません。そのような他人の気持ちを理解できない人には言わせておけばよいと思っています。

927彰往考来:2008/06/04(水) 06:32:33

926の続きです。

興風談所の諸君はどうなのでしょうか。他人のことをとやかく言える立場ではありませんが、『興風 第19号』では菅野憲道氏が「戦国末期の富士門徒」で北山本門寺蔵の鉄砲曼荼羅の伝説を検証してその内容が史実ではないという結論を導いていますし、坂井法曄氏も「日像上人伝承考」で日像師の伝記を再考すべきと主張しています。内容は確かによく研究されていて反論しようとは思いませんが、所詮他山の伝承・伝説の類でありそんなものにケチをつけてどうするんだ、そんなことより自山(元・自山?)の板漫荼羅の真偽論を論及すべきだろうに、という気持ちはあります。自分達に甘く他人に厳しい態度は世間では相手にされません。生活のためならいざしらず現状は興風談所と日蓮正宗は関係ないのですから大石寺蔵板漫荼羅の真偽論を考証できる立場だと思うのですが、ひょっとして興風談所は将来日蓮正宗に戻るつもりなのでしょうか?

ただ何となく興風談所の諸君の行動が解かるような気がします。彼らを「突き動かしている原動力」は、やはり「騙されるものか!」ということなのかもしれません。あっているかどうか興風談所の諸君に聞いてみないとわかりませんが彼らも自分の人生をかけてやっているわけで生半可なものではないはずです。

月山照基氏の『速水御舟の真贋考』(1998年、河出書房新社)に「《真(まこと)の研究》とは、他を究(きわ)めつつ、自己を研(けん)するの謂(いい)である」(1頁)とありました。私も日蓮研究をする上で歌川国芳などの浮世絵や狩野派や横山大観など近世・近代の絵画に触れる機会があり大変勉強になりました。精神的にも豊になれたわけでそれが何よりよかったと思っています。今は横山大観を調べているのですが、大観の「日蓮上人」という絵はもの凄いです。残念ながら関東大震災で焼失しましたがモノクロ写真が残っています。東京国立博物館蔵本とは別の絵です。これを初めてみた時、日蓮聖人を信仰するものとして心底から身体が震えました。これが魂の入った本物の絵なのでしょう。いずれご紹介したいと思います。

彰往考来

928犀角独歩:2008/06/05(木) 19:05:27

> お宝鑑定団だと仰る方は興味本位の趣味と命をかけた研究を同じだといっているようなもの

わたしは違う見解を懐いています。
わたしの先の投稿が言葉足らずでしたから補います。

試みに、該当番組を三つに分解して考えます。一つは番組制作者、二つは「興味本位の趣味」の骨董好き、三つはプロの鑑定者。行妙師は、わたしを趣味の骨董好きといったわけではありません。

「これこそ、本物であると信じて価値を見いだしている」素人が、彫刻本尊信仰圏の人々である。しかし、こんなものが偽物であることは、ちょっと、日蓮本尊に目利きであれば、誰しもわかること、そんなプロの目から見れば一目瞭然のことに、素人相手にいつまでも時間を割いているのはもったいないという意味でしょう。興味本位であるという批判では決してありません。

彰往考来さんは、「自分の人生を、命をかけてやっているものなのです。生半可なものではありません」と記しています。それはたしかにそうでしょう。しかし、命をかけているのは彰往考来さんだけではないでしょう。天台五時教判がでたらめであり、かつ、『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした。

彰往考来さんは、命がけでなにを証明しようとしているのでしょうか。また、そこで講じる鑑別の技法は「お宝探偵団」に出る鑑定者となにか違いますか。また、こうした鑑定士を批判しますか。行明師がいうのは、それが本物であるかどうか・事実であるかどうかもちゃんと調べもせずに人に勧めてきた僧侶と信者を「お宝探偵団」に出る素人骨董趣味の人々に充ててのことです。その意味で行明師と彰往考来さんの言い分は、同じようなことであるとわたしには映じます。

ただ、そこからさらに一般的な見識に立つとき、先に引用した「和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」ような信仰は、しかし、お宝探偵団に出る偽物を高価であると信じ込み、もしくは信じ込まされて、骨董好きとなんら大差なく映じるということでしょう。

いまの日本は創価学会のひどい影響下にあります。わたしの親は創価学会のために億に届く散財をしました。いまや、ガソリンはついに170円を超えたましたが、まだ、高騰するでしょう。暫定税率を新たに設定されたことは生活の逼迫に拍車をかけました。こうした決定権を行使したのは、自民党と公明党であり、ひいてはそこに投票した創価学会員も、その責務を負っています。こうした国政を動かす程の会員を創価学会が集めたその基には「日蓮正宗」と「本門戒壇の大御本尊」がありました。ですから、わたしは、こうした悲劇が繰り返されないために、彫刻の真偽をしっかりと論じておく必要があると考え、いままで発表してきました。彰往考来さんが資料収集に充てたお金と時間に勝るとも劣らないものを失ってまでなしたことです。

しかし、海外の被災地を、危険も顧みず、巡礼して歩く行明師からすれば、富士門下の“被害者”は、世界の懊悩する人々からすれば、それでもごく少数であると映じるのでしょう。だから、こんな狭隘な場所でいつまでも素人相手にやっているより、「もっと、ほかにやることがある」という視点から、上述の発言が出たということでした。

この際ですから、一つ、彰往考来さんに質問させていただきます。
彰往考来さんは、その生半可ではない命がけの研究で、では、いったい、何を証しようとしているのですか。それを証して、どうされようと考えてのことですか。

この質問を、富士門下のお宝行脚と、研究に当たっているすべての人に問いたい気持ちがあります。『開目抄』に「智者に我義やぶられずば用じとなり 其外の大難 風の前の塵なるべし」というも、近代科学は、日蓮と日蓮が基礎にした天台学、さらに信を立てた『法華経』を、その真偽を明らかにしてしまいました。日蓮の教学はすでに破綻しました。まさに智者に日蓮義は破られました。それが現代です。その前提で、日蓮の漫荼羅や、さらに日興正嫡から彼の本尊を、こうした信念体系下から一歩も出ず、研究することに何の意味があるのでしょうか。

わたしは本尊研究は、信仰視点ではあり得ず、批判的合理精神、科学に基づく解体と、信者の心理分析を主眼とするほかないと思えます。

まずは、行明師への誤解を解きいただき、気が向いたら、上述のご質問にお応えいただければ、参考にさせていただく所存です。

930犀角独歩:2008/06/05(木) 23:15:25

一字三礼さん

ここのテーマは「現代人が納得できる日蓮教学」です。その線に沿った議論です。
ちょっと、テーマから外れているように思いますが。

931偶ロム偶ログ:2008/06/06(金) 15:27:17
私は、一字三礼さんの意見は、それほどテーマからそれているとは感じません。

>極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張

では、たしかに誰もが納得できるような日蓮教学などできるはづもありません。
しかし、日蓮正宗系信仰圈にある各団体では、
疑問→不審・不信→謗法・退転→邪義→堕地獄
というプロセスを徹底して刷り込むわけです。

それに対して、こちらで真剣に議論をされている方たちは、
「確かな資料を基に、学的な姿勢を崩さずに、論証を試み」
ておられます、
その検証の過程においても、また様々な問題点が新たに見えてもくるわけです。

たしかに、現代の学問的諸成果を勘案しその立場に拠るとしたら、宗学・教学にとどまらず、日蓮信仰・法華信仰・仏教、ひいては宗教そのものも「虚構幻想」であるという捉え方があっても不思議ではありません。
たとえば、歴史上実在した釈尊(またはイエスでも誰でもいいですが)が残した言葉・教えだけが仏教(キリスト教でもなんでもいいです)である、という意見もあります。
これに対して、確実と断定できる言説はない、という意見もあります。
他に、伝承を含めて正統派の主張は認める、正統派の主張の一部は認める、正統派を一切認めない、など様々な意見や立場もあるわけです。

私は「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていくということで良いのではないかと考えます。
もちろんそうした議論の中から、「現代人が納得できる日蓮教学など皆無である」という意見が出てくる場合もあるでしょうが、逆の見解がでてくることもありえるわけです。

蛇足になりますが、「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為です。
こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつくようなことを目的としているわけではありませんから、「お宝鑑定団」とは全く異なりますね。

932犀角独歩:2008/06/07(土) 09:11:11

> 「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていく

うーん、どうでしょうか。
こちらのテーマの議論は、経典は仏陀が説いたもの、法華経はその最勝で無謬、天台教説は無謬、日蓮の御立法門は無謬といった前提で、「仏意仏勅を受けた唯一絶対に正しい」とされてきた‘日蓮教学’はしかし、経典は仏陀の説いたものではない、法華経は後世の創作、よって、天台教学も、日蓮教学も、その最勝の前提の崩壊したうえに立つものだから、無謬とはいえない、それでも、なにか日蓮教学で現代に通用するものがあるかどうかという議論です。
ですから、「日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察」しようとするものではないと思います。

> 「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為…こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつく…わけではありません…全く異なります

たしかに、こちらの議論は経済に結びついていません。しかし、「本門戒壇の大御本尊」という彫刻は、戦後、50年で、創価学会を日本最大の宗教団体に一説に拠れば、5兆円資産を形成させました。そして、公明党を与党にして、日本の政財界を凌駕しています。また、石山ではこの彫刻の開帳料をとっているわけで、この集団の中心的な収入源になっています。この彫刻、「経済がらみ」でないですか。
ただ、わたしを含めて、その彫刻の真偽を問うものは、経済がらみではありませんが、元より、こんなものが本物であるわけがないと考えている人からすれば、学会を含む石山圏の真偽論は、あたかも「お宝鑑定団」のように映じるというわけです。わたしは、そうした外部の視点や、意見に真摯に耳を傾けるといった話です。単に言下に否定するより、何故、外からはそう見えるのかといった議論に発展するほうが意義があると考えます。もはや「お宝鑑定団」と映じてしまった人に「いや、違う」といってもあまり効果がありません。主張の方法を変えるほうが発展的な議論と理解を深めると考えるからです。

ただし、そもそも本尊の真偽を問うことは不敬、謗法だという信仰者から「お宝鑑定団」だと非難される謂われはありません。

もう一点、わたしが一字三礼さんに意見をしたのには二つ理由があります。

一つ。「人が何に価値を見出し、何を探究するかは、他人がとやかくいうことではありません。」といった投稿は議論を打ち切ってしまうからです。

一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者と、確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない人達とでは、まったく違います」という発言は、そもそも主語がありません。いったい、誰のことを言っているのかを記さなければ、議論にも反論にならないでしょう。他で投稿した宗麟と名乗る人もそうですが、具体的に相手を特定せず、非難だけを記すような投稿の仕方は、わたしのルール違反だと考えます。

殊に一字三礼さんの投稿の直前は‘彰往考来さんとわたし’、彰往考来さんはまた、‘行明師とわたし’の関連で述べたことを記したわけですね。読む人によっては、「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」犀角独歩、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」彰往考来さん、もしくは「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」中村行明師、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」犀角独歩 …後者の比較と思う人は希でしょう… という意味で記した投稿と思う方もいるでしょうね。

名指しで「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張」と非難すれば、こちらの投稿規定に違反しますが、主語がなければ抵触しません。この手の投稿の仕方にはわたしは異議があります。

934犀角独歩:2008/06/07(土) 14:48:29

○一字三礼さん

> 自分とは違う視点・考え方を否定するようなことはするべきではありません

ならば、あなたと違うわたしの視点・考え方も否定しないでください。
また、わたしは自分の考え方と違う方を否定しているのではなく、違いがあるから、その点について、ご意見を彰往考来さんに問いかけたのに過ぎません。これは否定ではありませんよ。議論の願い出です。


○管理人さん

一つ。933にわたしの投稿が投稿規約に違反するとのことですが、ジャッジをお願いいたします。

一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」はわたしを指すのだそうですが、こうした投稿は、こちらの規約に違反しないのでしょうか。

以上、2点、よろしくお願いいたします。

936犀角独歩:2008/06/07(土) 16:20:41

管理人さん

該当の記述が特定団体の攻撃に当たりますか?
そうすると、こちらで議論されてきたほとんどは、これに該当することになりませんか。「創価学会の功罪を考える」「顕正会の実態を検証する」といったスレッドほか随所で、わたしが今回なしたような投稿はいくらでも散見できます。攻撃と事実記述はどこで分かれますか。わたしはプロパガンダの意思はなく、単に事実を記述したという認識です。

殊に一字三礼さんが、わたしをして反復投稿であるといった「法華経が創作」という表現について、ご本人自らが『法華経について』で、以下のように記しています。

「独歩さんが思想信条から‘創作’という表現をお使いになるのであれば、それは私の関知するところではありません。」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/172

以上のような記述をしながら、反復投稿であると詰ることは前言と矛盾を来しています。。

また、「法華経が創作」という表現は、該当スレッドが立った2002年から、わたしのみならず、複数の投稿者が繰り返し記してきたことです。また、当時から、一字三礼さん本人、この議論に参加していますよ。スレッドの過去の投稿をご確認ください。

以上の前提から、再度確認します。

> 「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」

「③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。」
とあります。

「偏狭な知識」「独断と偏見」「…者」といった表現は、投稿規約に抵触すると思われる投稿をすれば、こうした個人攻撃は許されるのですか。

では、わたしが一字三礼さんに「あなたこそ、法華経を創作でないと極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と言い返しても、よいことになりますか。もちろん、わたしはそのようなことを言うつもりはありませんが。

「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止」

には当たらないわけでしょうか。
一字三礼さんとわたしの間には一連の議論などありません。一方的な侮蔑を受けたという認識です。一連の議論とは彰往考来さん・偶ロム偶ログさんとわたしの間のことです。この議論を打ち切らなければいけませんか。ならば、その理由も併記願いたく希望します。

再度、回答をお願いいたします。

937管理者:2008/06/07(土) 17:36:52

犀角独歩さん

諍いを生まない為のルールが、却って争いを助長している様相は、当掲示板の主旨に最も馴染まない事では有りませんか。

これ以上の議論は不毛の対立を生むだけだと管理者は考えます。当然、ご納得戴けないかも知れませんが、しばらく休止するしかないと思いますが・・・

938渡邊:2008/06/07(土) 18:03:10
はじめまして

私はこちらを2年前くらいから見させていただいている真言宗の古ぼけたお寺の檀家総代です。


犀角独歩さん。はじめまして。

水を差すようなご質問で大変恐縮なのですが、一字三礼さんのご質問にもありましたが


>「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした。」ということですが、そのような視点で大乗経典を研究している人を私は知りませんし、しかも‘命がけ’で研究した人がいるというのは初耳です。

質問します。
まず、この‘命がけ’で研究した学者の名前とその研究成果をお示しください。


と、言う問いに大変驚いているのですが、すべて過去の創作だったとどのような資料を読めばわかるのでしょうか。


何かカルチャーショックを受けてしまいました。

もし面倒であれば「この辺を読め」と教えていただければ幸いです

どうかよろしくお願いいたします

そして、管理人様が困っているように見受けられます

いちロム者からも収束されますよう余計なお世話でしょうがお気遣いは必要に思います。

939マターリ:2008/06/07(土) 18:35:57
>一字三礼さん、「法華経は後世の創作」ということに関してですが、
一字三礼さんも、「二次創作」とお認めになっていますよね。

私は、法華経全篇を読んでみましたが、やはり最古の仏経典スッタニ
パータと比較して、差が激し過ぎると思いました。また、法華経寿量
品の「久遠実成の仏」という観点は、法華経だけのものということです。
キリスト教の「永遠の神」という概念が、法華経に取り入れられ「久遠
実成の仏」となったという意見もあります。
また、観世音菩薩は、「マリア信仰」に影響されているということもあり
ます。

法華経は、インド北西部のガンダーラで誕生したとされていますが、
このガンダーラは、今現在の地理でいうと、アフガニスタン・パキスタ
ンのあたりです。東西文明の十字路のようなガンダーラにおいて、西方
の宗教、つまりユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教などの強い影響
を受けたと思われます。

大乗仏経典の中でも、特異な経典である法華経は、やはり「創作」という
面が非常に強いと思われます。
法華経の「創作」に関しての議論は、法華経スレッドで、継続していただ
きたいと思います。

>犀角独歩さんの今回の主張は、一方的な特定組織攻撃・・・

私は、大石系教団の組織で悩む多くの人々に対して、犀角独歩さんが、
悩みの根源であるタブーを打ち破り、悩みから救うという強い意思で
発言されているのだと思います。

ただ攻撃しているだけではなく、そのバックに「宗教で苦しむ人々を何
とか救済しよう、」という、慈悲の力を感じます。

940天蓋真鏡:2008/06/07(土) 19:52:33
誰が遣るかでは無くて 何を遣るか

941顕正居士:2008/06/07(土) 20:09:45
お宝鑑定について:寺宝信仰は各宗寺院に見られますが、大石寺の場合は教義の中心にまでなっており
きわめて異様です。大石寺信仰圏には礼拝物自体にマナ(呪力)があるかのような理解が見受けられる。
それであれはニセモノだがこれはホンモノである。実は本因妙大本尊であるとか。一見は宗史の議論に
見えても、ホンモノがあるから妙本寺が素晴らしい類いの傾向を独歩さんは指摘しておられるのではと
おもいます。
ところで日蓮諸派の寺宝などいたってローカルなものであり、その鑑定などいかほどの意義があるのか
ですが、個人の趣味に属する事柄は特にそのような社会的意義を求めている訳ではない。かつ思想史を
論ずる上では史料の発見と批判がまず必要であり、これらは古物、古文書のマニアの方でないと持続が
困難です。日蓮学には比較的重要な遺文の真偽問題、口伝書の成立過程など新史料の発見が期待される
分野があります。
独歩さんの批判について:この掲示板では大石寺の戒壇本尊については十分議論されていますし、寺宝
を教義の中心に置くような宗派は皆無であるから、根拠がなく特定教団を批判したものとは思いません。
ただし、だからけしからないという批判は少なくとも効果があまり期待できない。なぜこのこのような
異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益だろうと考えます。

942顕正居士:2008/06/07(土) 20:48:57
「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか。
富永謙斎は「加上」という語を使った。つまり仏陀の直説から阿含の経が加上されて出来、また
それらに加上して大乗の経が出来たと。「思想の発展」というような意味でもあります。
独歩さんのおっしゃりたいニュアンスは「フィクション」であろうかとおもいます。ただしその
意味では阿含の経もほとんどフィクションですが。宇宙大のスケールではないだけで。

五時八教について:肝心の四教、八教を知らず五時の中のそれも通の五時のみを知って天台教判
が無意義であるかのように誤解する傾向があります。通の五時の重視は智旭が批判したように
高麗諦観の説と考えられています。今日各種漢訳大蔵経は依然天台教判によって分類しています。
また一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で
漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が
伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから。

943顕正居士:2008/06/07(土) 20:58:22
上は × 通の五時 ○ 別の五時 です。

通の五時とは特に五部の教に説時はないという意味。
別の五時とは鈍根の声聞の一類に対してのみ順序がある意味。

944犀角独歩:2008/06/07(土) 23:14:55

○937 管理者さん

まるで応えておられませんね。
争いということですが、わたしがいつ争いましたか。

「彰往考来さんは、その生半可ではない命がけの研究で、では、いったい、何を証しようとしているのですか。それを証して、どうされようと考えてのことですか」という問いのどこが争いでしょうか。「気が向いたら、上述のご質問にお応えいただければ、参考にさせていただく所存」と記しました。これが争いですか。また、これに彰往考来さん自身は応じなかったわけですから議論の休止も何も、もとよりありません。

そこに議論をしていたわけでもない一字三礼さんが割りいって「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と断定的な侮辱をすることは一方的なことです。

休止というのであれば、929、933の削除を求めます。
また、一字三礼さんには、撤回と謝罪を求めます。


○938 渡邊さん

はじめまして。ご質問は、管理人さんから「休止」を求められている該当部分ですので、お応えしないこととします。
ただし、この部分のわたしの発言はややフライングがあり、休止を説かれて暁には弁明、乃至、修正を行う所存です。

> 過去の創作だったとどのような資料

まずは『法華経について』をお読みになってみては如何でしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/


○939 マターリさん

有り難うございます。法華経に関するご所感、賛同します。


○941、2 顕正居士さん

補完有り難うございます。
五時に関するご教示、殊に御礼申し上げます。

「創作」ということについては、上にも挙げた『法華経について』で2002年以来、複数の投稿者によって記述されてきたことでした。いわば、その先行議論をわたしは踏襲しました。2002年以来150程の投稿で30回近くも使用されてきました。顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/154

ただし、「「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか」というご見解は参考になりました。

「異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益」というご指摘は、まことにもって仰るとおりであると考えます。

945顕正居士:2008/06/08(日) 00:02:30
>顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。

わたしもこの議論があるまで特に意識しておりませんでした。大乗経は釈尊を隔たること数百年、
内容は多くドラマ形式の文芸作品なので「創作」といってもよいかと思っておりました。
ただしこの語は個人でなくてもあるグループがなんらか明確な意図をもって一気に作ったという
印象を与える可能性があることに気がつきました。たとえば「法華教団」の原型のようなものが
先に存在し菩薩派と声聞派の融和を図ろうとして作ったとか。多くの大乗経は長い時間をかけて
増広された、製作者は部派教団に所属する比丘であった、インド仏教の末期にならないと大乗の
学習を中心とする寺院はなかった、分別説三は部派の中の三乗であろうなどから別の表現がよい
と考えるに至りました。

946管理者:2008/06/08(日) 06:05:08

犀角独歩さん

>まるで応えておられませんね。
>争いということですが、わたしがいつ争いましたか。
>休止というのであれば、929、933の削除を求めます。

受け賜わりました。再開の暁に対処いたします。
休止の、今の段階では、管理者は応答、処置は実施しない事とします。

ご参加の皆様

誠に勝手ながら、当スレッドは本日6月8日午前6時より当分の間、管理者の都合により、閉鎖いたします。

管理者に対するご意見や抗議等は、「管理者からのお願い」スレッドにて引き続き請け賜わります。

947管理者:2008/07/18(金) 20:16:16

ご参加の皆様

当スレッドの閉鎖を解除いたしました。これ以後の手順に付きましては、「管理者からのお願い」スレッドをご一読下さいますようお願い申し上げます。

948犀角独歩:2008/07/18(金) 20:51:27

管理者さん

ご采配、有り難うございます。

再開にあたり、いくつか方向性を述べておきたいと思います。

富士門流信徒、就中、大石寺圏において「現代人が納得できる日蓮教学」というのは、わたしは二重の意味を有していると考えます。

まず一重には、「現代人が納得できる大石寺が言う日蓮教学」ということであり、これは殊に日寛が彫刻本尊を一大秘法とすることによって成り立っている教学です。つまり、ここでは、この彫刻の真偽は避けて通れない問題です。つまり、教学を論じる前提の本尊が偽物であれば、その後の教学批正など、まったく不必要です。偽物を肯定するための虚構など、不用だからです。

この場合、では、その彫刻を写したという本尊、また、印刷物を拝むことを、現代人の常識は受け入れるのかという問題が生じます。この問いはしかし、大石寺本尊を拝むすべての人々への問いかけです。「信仰は各人の自由」ですから、鰯の頭でも拝むのは自由です。しかし、本当にそれで、彫刻本尊が偽物であることを知り、さらにこの書写物を拝んできてしまった“私自身”は納得できるのか。これに対する確たる答えを議論をしようというのが、わたしの問いかけの一つです。

二重の意味としては、文字どおり、「現代人が納得できる日蓮教学」ということです。たとえば、「『法華経』が釈尊が説いたものではないと言えるのか」と一般人に問うたところで、返ってくる答えは決まっています。「では、釈尊が説いた証拠を示してください」でしょう。こうした問いに対して、「『法華経』を釈尊が説いてない証拠を示せ」と噛み付き返したところで、「そんな信仰、御免被る」と言われるのが関の山です。
日蓮の教学は広宣流布を標榜したものですから、布教に特命があります。その布教は、「信じないことは悪いことだ」といった独善に基づくのではなく、精緻な思惟と教学の組み立てによってなされたものでした。しかしながら、その土台は「法華経は釈尊最期八箇年の最勝の説」ということでした。この点が瓦解すれば、その上に建つ建物=教学・本尊も瓦解せざるを得ません。

現行の学問的成果は、日蓮教学を土台から揺さぶるものであることは否めません。
この点について、わたしは心ある日蓮門下の人々と積極的な議論を積み重ねてきました。『法華経』が釈尊の真説であるか否かという点には慎重な姿勢は崩さないものの、真実であるから御利益(功徳)があるということではなく、正しい法を捧持していれば、何を為すべきかという世間と衆生に面を向けた前向きな議論と実践が為されています。
かつて顕正居士さんもお書きになっていたことがありましたが、「もし、いま、日蓮が生きていたら」といった仮説に基づく教義の再構築も真剣に語られています。

「現代人が納得できる日蓮教学」というもので、残るとすれば、それは現代人が納得できる捧持者の“人間性”と“社会性”を土台にしたものではないのか、そして、その人間性と社会性を生み出す力が日蓮の精神、ひいては『法華経』の精神から汲み取れるのかどうかといった議論を、ここでなせないものかという底意をもって臨んでいました。

残念ながら、上述二重の意義において、現段階ではまったく成果を得ていません。
以上の点を踏まえて、再開いただいたこちらで、明日以降、議論をさせていただきたいと希望します。

949犀角独歩:2008/07/19(土) 09:32:07

渡邊さん

再開しましたので、まず、938のご質問の件から。

928に「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした」と、わたしが記した文章は言葉足らずであり、たしかに誤解を招きかねないものでした。

わたしが記したかったことは、後世の創作であるという説を立てたことが命がけであったということではありません。それまで、釈尊50年の説法と信じられてきたものが、実は、数百年、時には千年単位の時間を経て形成されたものであったことを証明するための物的証拠を集めた人々は、命がけであったろうということでした。

たとえば、南条文雄は19世紀に渡英したわけですが、当時の海外旅行は、数々の困難と危険を伴ったことでしょうし、また、その前提となる発掘その他に従事した人々が超えた困難もまた命がけといってよいことであったろうほどの意味でした。

ただし、誤解を招きやすいうえ、特に挙証義務を果たしたものではないので、ここにこの文章を取り下げることといたします。

ご指摘、有り難うございました。

950犀角独歩:2008/07/19(土) 10:01:26

以前の議論については、941・942に顕正居士さんが整理してくださりましたので、御礼を申し上げると共に、茲に繰り返さないことといたします。

ただし、再開しましたので、以下の点に就き、もう少し具体的にご教示いただければ有り難く存じます。

942に「一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから」

ここでいう「先哲」とは、具体的に誰を指してのことでしょうか。

例えば灌頂述玄七では

T33n1716_p0765c20(01)║如恒河沙阿[門@(人/(人*人))]婆偈。今佛靈山八年説法。

といい、法華経を釈尊が最期8年に説いたものであるといっています。
この点は日蓮はさらに顕著で『一代五時鶏図』に

「華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年…涅槃経[一日一夜]」(定2337)

などといいます。これは、富士門下の言や考えではなく、日蓮その人の真筆に遺るところです。

こうした説は、天台の学僧であった日蓮は、当然のこととして叡山等での修学を踏襲したものでしょう。ここに記されることは釈尊の説法を50年とし、その説時を分類したものです。元より、「富士門系教学の徒の五時判の誤認」などではありません。日蓮その人の言です。

こうした日蓮の有様もまた、「一切経金口は当時のやむを得ない約束…信じていたわけではない」のでしょうか。また、こうした50年説法の分類は、ただ富士門下のみで信じられていたことでしょうか。そんなはずはありません。日蓮門下全体で信じられてきたことでしょうし、叡山を頂点とする教学で信じられてきたことではないでしょうか。

こうした分類は「歴史の」ではなく、釈尊説法50年という「一代の」ことであり、実際に釈尊がこのように説いていないことは明白なので、わたしは「でたらめ」と記しました。

しかし、実際は「先哲」は知っていたが、やむなく、そう書いたのであれば、それは「誰が」であるかをご教示いただきたいのです。

また、「どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知って」いたということですが、では、『法華経』はどの部派が伝持し、いつ世に現れたかも明確になっているということでしょうか。ならば、この点も具体的な部派名と、その時期をご教示いただけませんでしょうか。

951犀角独歩:2008/07/19(土) 16:25:07

問答名人さん

以下、mixi に書いたわたしの日記です。こちらのテーマと関係があるので、転載しました。厚かましいのですが、ご感想を頂戴できませんでしょうか。

*** 以下、mixiのわたしの日記から ***

臍から声と煙が…?

わたしが学生であった頃…ある時、大学の「第三文明研究会」、要は創価学会の部室にいると、青白い顔をした学生が、一人でやって来た。その対応を何故わたしがしたのかは覚えていないが、彼は部屋をノックして、入ってくると、「僕の親方様は…」と話し出した。
「…親方様は、寝たきり老人なのです。植物人間状態で意識もありません」
現行、「植物人間」という言葉は不適切な気はするが30年前の記憶。いまはそのまま記す。
「寝たきりで意識もないのですが、『この世はもうすぐ終わりになる』と仰ります」
「はあ? だって、意識がないんでしょう?」
「ええ、ありません」
「じゃあ、話せないじゃないですか」
わたしは[テレパシーだ]なんだと言い出すのか思った。ところが、せっぱ詰まった顔で、彼は、こう言い出した。
「親方様は、臍で話すんです」
「ヘソ?」
「ええ、臍から声を出して、お告げをされます」
「へえ、そう」と詰まらぬだじゃれの一つも言おうと思ったが、あまりに真剣なので、冗談も言えない。まして、学内でもっとも派手に「折伏」という名の勧誘を行っている創価学会の部室である。「飛んで火に入る夏の虫」という言葉があるが、少し知っている人間であれば、避けて通る場所だ。そこに宗教の話をしに乗り込んできたのだ。呆気にとられた。彼は勝手に話し続けた。
「みんなが信じないと『この世が終わってしまう』と親方様が仰るんですよ」
「だって、ヘソでしょうが」
「臍です。そうですよ、すごいでしょう。臍で話せるんですよ。ね!」
顔は鬼気迫ってきた。
「こうして、親方様のことをみんなに伝えないと世が滅びてしまうんです。信じてくださいよ」
[おいおい、ここはこっちが折伏する場所なんだぞ]という言葉が喉まで出かかったが、もはや、バカバカしくなってきた。どうでもよくなっていたが、訊いてみた。
「世の中が滅びるわけ?」
「そうですよ! 滅んじゃうんです」
泣きそうな顔だった。
「あのぉ、具体的にどんなふうに滅びるわけかな」
第三次世界大戦、核兵器最終戦争が起こるという危機感は、誰しも懐いていた。そんなことを言い出すと思った。ところが…
「親方様の臍から真っ黒な煙が出るんです」
「け、けむり?」
「煙です。煙。臍から煙が出て、その煙が世界を覆ってしまうんです」
「はい?」
「それでですね、その煙が晴れたとき、信じていた人だけが救われるんです。たいへんなことでしょう。ねえ、だから、一緒に信じましょうよ。ね」
望まぬ訪問者は蹴り出すとか、塩をまくとかいうが、もはや、脱力感で、怒りも、笑いも出なかった。慇懃に挨拶をし、お引き取り願ったものだった。「臍から煙が出て、世の中が滅んじゃうんですよ」と、部屋を出るとき、また、彼は繰り返した。
この宗教が何であったのか、いまだにわからない。当時、「創価学会は最高の宗教で、科学と矛盾しない唯一の宗教」と信じ込んでいた自分にとって、「何とも可哀想な非科学的な奴」と同情の念を抱いたものだった。

しかし、創価学会も、「日蓮正宗」も、やめて15年以上も過ぎた今の自分からすると、このいわば「おヘソ教」と自分の信仰が、どれほど、違ったものかと問われれば、「さした差はない」と応えざるを得ない。
『富士門流信徒の掲示板』でも引用したが、『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は
「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。
これがさらに大石寺になると、所謂「本門戒壇の大御本尊」は「生身の日蓮大聖人」であるといい、トーンダウンした創価学会を含めて、昔から、他の宗教を「邪宗」と詰り、「邪宗撲滅」を叫んできた。
木に題目や諸尊の名を刻んだ彫刻を「偽物である」というと「罰が当たる」とか、「地獄に堕ちる」にはじまり、ついには「先生に逆らうと、罰が当たる」という。この信仰圏で信じられることが、先の「おへそ教」と、では、どれほど、違うのだろうか。こう記すと「揶揄・嘲笑」と受け取られるのだろうか。わたしは、自分の過去を振り返って、揶揄でも、嘲笑でもなく、自分が信じていたものが、世間一般からすれば、どう見えるのかを本気で考えてみたいだけなのだ。

952問答迷人:2008/07/19(土) 17:46:24

犀角独歩さん

感想と言う事なので、ぼやっとしたお話になりますが書いて見ます。

>『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。

このハッサン氏の表現は、実に正確に日蓮曼陀羅信仰の本質を捉えていると思います。

板本尊や池田本仏はまだ底が浅く判りやすいですが、この日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深いと思います。ちなみに、僕はこの日蓮曼陀羅信仰を今日も続けています。

信仰というものはみんな、鰯の頭にしろ、臍の煙にしろ、荒唐無稽な要素が色濃く覆っていますね。人間が何か神秘的な物を信じなくては居られないから、このような荒唐無稽な信仰が生まれてくるのだろうと思っています。信仰はいつの時代もなくならないのではないかと。

問題は、この日蓮曼陀羅信仰を現代人が納得できるか、という事ですが、現代人の端くれである僕という人間が、この信仰を受容しているのは事実ですから、何らかの形で現代人を納得させる可能性を持っているのは動かせないのではないかと思っています。

ちなみに、僕が日蓮曼陀羅信仰を受容しているのは、日蓮という歴史上の人物の体験に対する憧れの要素が有ることは否定できません。

953天蓋真鏡:2008/07/19(土) 18:07:14
犀角独歩さん、問答迷人さん、其れは信じて仰ぐ信仰ですか? 自分の人生に活かす学びて問う学問では無いでしょうか? 人其れぞれ漫荼羅に対する接し方の質量は違うのでは無いかと断じます

954問答迷人:2008/07/19(土) 18:22:40

天蓋真鏡さん

僕が日蓮曼陀羅信仰と呼ぶのは、ハッサン氏の表現の如くです。僕はそのように今日も曼陀羅を拝し「嗚呼有り難い」と深く信じて南無妙法蓮華経とお題目を唱えています。「自分の人生に活かす学びて問う学問」という物ではなく、文字通りの信仰です。

955犀角独歩:2008/07/19(土) 18:54:13

問答名人さん

ご返信有り難うございます。

ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続しているというお考えであると拝して宜しいでしょうか。

わたし自身、中学1年から、石山の勤行をはじめ、いまも、気が向けば、日蓮宗寺院の朝勤に参詣したりします。最近の気分としては、発声と禅定による健康法のような気分ですが、しかし、唱えのなかでは、今は亡き父母を思います。
数年前、京都本願寺の朝のお勤めに出る機会があったのですが、日蓮門下とはまた違った魅力がありました。いまは、他宗の話は、取り敢えず、置くとして、もう少しお聞かせ願えますか。

> 日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深い

わたしはかなり否定的な意見も多く書いてきました。しかし、実際のところ、いくら否定しても否定しきれない人間の情念といったものは比定できません。
“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、少しばかりご教示いただけませんでしょうか。


天蓋真鏡さん

> 自分の人生に活かす学びて問う学問

問答さんとまた違ったお考えですね。わたしは、信仰とも学問とも思わず、仏道は実践道といった考えです。

956問答迷人:2008/07/19(土) 19:52:03

犀角独歩さん

>ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続している

その通りです。

>“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、

何よりも僕が曼陀羅信仰に拘るのは、日蓮聖人が信仰の対象として残した物が、釈尊の木像と紙幅曼陀羅だからです。そして、それらの内、門下の在家には曼陀羅しか残されていません。

曼陀羅とは、日蓮聖人に取って何だったのか、「有供養者福過十号」という賛文が複数の曼陀羅に認められている事から、信仰の対象として信徒に授与されたという意味合いは有ると思います。

日蓮聖人に取って、自ら筆を執って認め、信徒に授与した曼陀羅とは、一体、何だったのか。

僕には、日蓮聖人が自身の信仰体験を伝えるための道具立てでは無かったかと思えてなりません。

この事から、僕は、曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい、という思いに駆られます。

日蓮曼陀羅は日蓮聖人の信仰体験世界が現されたものに違いない、思うからです。

お答えになっていますかどうか、不安ですが、取りあえず書いて見ました。

957天蓋真鏡:2008/07/19(土) 19:57:41
問答迷人さん、返レスありがとうございます。 では更にお聞きしたいのですが、信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか? 自分は唱題と云うか本尊と云うか、 法の字を見て唱えなさい→雑念が消えるまで唱えなさい→一念三千因果倶時などを経て、最終的には「泥中でもキレイに花を咲かす」に思想哲学と言うか道徳信条と言うか此の考えに仏教は尽きるのでは無いかと想いを巡らしています。

958天蓋真鏡:2008/07/19(土) 20:10:10
犀角独歩さん、返レスありがとうございます。 自分の云う学びて問う学問は実践と不可分で、 問うには実際に行ってしか考えを纏め学びを進める事ができないでしょう。修行の質量にもよります。

959顕正居士:2008/07/19(土) 21:00:17
>>950
曾谷入道殿許御書(文永12年、真蹟中山法華経寺)には以下のように述べます。

「正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗之薬を以て
衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と、相続解脱経等の三蔵とを弘通し、
後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する、是れ也。後の五百年には馬鳴菩薩・龍樹菩薩・提婆菩薩・
無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には
一々に彼の義を破失し、了りて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。
所謂、華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等也」

大乗は仏滅500年以後に現れたのであり、馬鳴・龍樹などが開祖であるというわけです。
上は漢訳仏教の共通の理解といえます。先哲とは漢訳経典を研究し、仏教史の大略を把握するに
至った中国仏教の多数の先駆者です。経・律・論の三蔵は各部派がそれぞれ別のものを伝持し、
漢訳には数部派のものが混在します。経・律・論を完備するから三蔵といい、その経を阿含(アーガマ、
伝承聖典)といいます。大乗には経・論しかありませんから、つまり教団としてはインドに存在せず、
またその経なるものは仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。
では大乗の徒は大乗経の由来をどう弁明したかというと、これは報身仏の説であり、仏弟子(声聞)
には感見できなかったが、法身の大士(架空の菩薩)はアカニダ天などで説法を聴き、竜宮などに
隠しておいた。それを龍樹などが発見したというのがインド以来のおおよその説です。仏滅1000年
以後の密教経典はさらにこれは法身仏の説法とし、やはり隠しておいたのを錬金術で不死となった
龍樹が南天鉄塔から見出したとする。要するに大乗や密教の経典は史実の仏教教団とは無関係
とわかっていたのです。

960顕正居士:2008/07/19(土) 22:03:14
インドには紙もパピルスもなく貝葉などに記録したのですが、気候のせいで数百年経つと
読めなくなってしまいます。数世紀昔はすべて神代、いわゆる歴史のないインドなのです。
したがって数世紀以前の事柄はすべて荒唐無稽な神話の中に覆われれてしまうのです。
対して早くに紙が発明された中国は歴史の世界です。それで仏家はあいまいな仏教の
歴史や釈尊の一生についても中国風の記述をしなければならなっかた。かつ釈迦は老子
がインドに行って仏教を説いたのだという道家の説に対抗する必要があった。周書異記と
いう偽書によって釈尊の年代を数百年繰り上げたのはそのせいです。大乗の経は応身仏、
つまり歴史上の釈尊の説ではありませんが、釈尊なる語に報身仏の意義を含有するとし、
単に釈尊と記して仏伝を記す。そして報身仏の説法に応身仏の50年を配当し、儒家が仏家
・道家の荒唐無稽の説を批判するのに対抗し、あたかも大乗経を歴史上の釈尊が説いたか
のように誤解させようとしたのが諦観四教儀でありましょうか(参照 法華経について 180)。
日蓮はしかもその諦観四教儀の別の五時正意だけを取り出して主張し、四教八教の考察
は皆無に近い。諦観原理主義者とでもいいましょうか。ここで儒家の原理主義(正名思想、
名分主義)+仏教の荒唐無稽な神話という合成が日本で出来上がってしまったのですね。

961問答迷人:2008/07/20(日) 06:36:52

天蓋真鏡さん

>信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか?

日蓮聖人が観心本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、」と述べられていますが、その文字通りに考えています。

要は、人生で味わい、得る事の出来るあらゆる幸が、曼陀羅を信じて南無妙法蓮華経と唱える事で得られる、と。これが「無上宝聚不求自得」「功徳聚」たる所以であると。

962犀角独歩:2008/07/20(日) 07:18:44

問答名人さん

私事恐縮ですが、故母は、長いときは1日4時間も唱題をしていた人でした。
わたし自身、中学1年から朝晩の勤行1日1時間の唱題は欠かしませんでした。正本堂建立は高校時代で、学生時代は、創価学会は「広布第2章」の時期、換言すれば昭和52年度路線のまっただ中でした。当時の創価学会教学は、所謂会長本仏論で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」といったことがまことしやかに囁かれた空気の中で青春時代を過ごしました。

生まれながらの「日蓮正宗創価学会」で、入信から数えれば50年を超え、勤行をはじめてからでも40年を超えています。新参の人々とは格段の時間経過です。人生の大半は、この信仰圏で生きてきましたから、ここで語られることがすべてであり、すべての中心、真実であると思っていたわけです。親戚一の貧乏家、姉は障害者で、ひどい差別と迫害の中を生きていました。その中で、頼りになったのは「日蓮正宗創価学会」だけで、自分を支え、勇気と希望、「生命力」を与えてくれたのは勤行唱題と、組織・活動でした。所謂「信仰体験」の体験発表を言われれば、一晩掛けても語り尽くせないほどあります。

しかし、それでも、わたしは、このスレッドで問うてきたのです。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が日禅授与本尊が原本としたものであることにいち早く気が付かれたのは問答さんでした。生まれながらの「日蓮正宗創価学会」であったわたしにとって、この本尊が本物であるとか・偽物であるとかを論じることが事態が謗法であると骨の髄まで思わされてきていました。本尊の写真撮影の厳禁、まして、図形として扱うなどもってほかという操作にまんまとはまっていたわけです。たぶん、こうしたタブーを超える勇気を与えてくれたのは、2000年来の問答さんとの議論であったと思います。そして、わたしはおそるおそる「戒壇本尊」と日禅授与を図形処理し重ねてみました。この中央首題がほぼ重なったときの衝撃は親の死に匹敵するものでした。いや、それ以上であったかも知れません。

ご承知のとおり、わたしの社会活動は既に15年を経過しようとしています。脱会後、わたしが知り合ってきた多くの知識人、そして、脱会とその後を支援してきた人々は、それまで「日蓮正宗創価学会」で占めていた知人の質と根本的に異なっています。40才は、わたしの人生の転機でした。この第二の人生で知り合ってきた多くの人々に接するときに、殊日蓮、殊仏法というときに、いったい、何が語れるのか、いや、何を勧められるのかということが、大きなテーマとなりました。メディアの取材を受けたとき、わたしが脱会後の感想として語ったのは「人間は宗教無しでも生きていける」ということが生まれながらメンバーであったわたしにとって驚きの発見であったということでした。しかし、医学を含む、科学は人間をプラスマイナスゼロの状態にするものの、湯川秀樹博士の名言を待つまでもなく、科学は善でも悪でもありません。これを使う人間によって善にも悪にもなるわけです。つまり、人間の善への進歩は科学に拠ってではなく、宗教、または哲学といった人間の善意を考え発展させる叡智によって培われるものである。つまり、人間はたしかに宗教無しで生きていけるけれど、より自己を高め、そして、進歩させるために宗教はたしかに大きな役割を担っていることに、また、わたしは戻っていったわけです。もちろん、ここでいう宗教は、小田晋師が指摘された宗教団体信仰ではありません。渡部照宏師が日本人の善意を育ててきたのは仏教であったと書きましたが、それはまったくの事実でしょう。アジアで非暴力と慈悲の実践をする人生を与えてきたのも仏教であったでしょう。となれば、仏教は人々の善意を育て、そして、精進させる力を有しているわけです。さすれば、仏教者は自信を持って仏教を人に勧め、人をして精進せしめ、善をもって社会を変えていくことも勧めればよいことになります。たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。

963犀角独歩:2008/07/20(日) 07:19:17

―962からつづく―

しかし、わたしがこうしたアンチテーゼを論ってきたのには理由があります。
たとえば日本の戦前では、日本を聖天主誕生の聖地と見なし、アジアのみならず、世界の中心聖地として、国立戒壇を建立するために世界最終戦争を辞さないといった錯綜が「日蓮」「仏教」をその当人は善意と思いながら、しかし、他者(アジア・世界)からすれば、悪意と映じる道具となったからでした。また、戦後の創価学会は軍隊の役職名を模して組織を構成し、「邪宗撲滅」「折伏大闘争」「東洋広布」「国立戒壇」建立をいい戦後数十年で日本最大の宗教団体となり、いまや政権与党の支援団体となっています。ここで日々、活動、勤行唱題に明け暮れる人々は「日蓮」「仏教」を当人は善意と思いながら半ば強引勧める人々でした。しかし、他者にとって、これほど、悪意に映じるものはなかったわけです。

わたしは脱会後、自己点検・自己観察をする方途として、他者の視線に立ってみる、それも徹底的に立ってみることに努めました。それは主客両視点に立って、次を考えるために不可欠な作業でした。また、新たに知り合っていった人々会話を交わすために、抗したことは不可欠でもありました。

そして、徹底して「他者」に立って、かつての「自己」、すなわち、仏教、取り分け、法華経の、それも日蓮の、特に、富士門下の人々と対峙してみたわけです。

わたしがやはりと思ったのは、本来、善を目指し、慈悲を標榜する信仰であるのに、ひとたび、自分の信仰に反対することを突きつけられると、悪口雑言、人格攻撃に転ずる人々の存在でした。上述した個人が善意が、なぜ、他者にとって悪意と映じるのか、他者になってみたとき、はっきりと身を以て体験できたわけです。この典型はご承知のとおり、顕正会と浅井さんであり、そして「日蓮正宗」でした。また、こちらの掲示板に投稿され、議論から悪口雑言・人格攻撃を露わにした人々でした。そうでなければ、信仰の意図と違えば、その場を去るかどちらかでした。こうした有様は、他者にとって、その人とその教えが悪であるという印象以外は与えません。たぶん、そんなことは少し考えれば、信仰者とてわかることなのです。しかし、感情の爆発を、なぜ、抑えられないのか。他者は、悪い要素を教え事態が有しているからだと思い、教えとそれを信じる人々から遠ざかります。

こうした過敏反応が、日蓮、法華、殊にここ富士門下の“実態”です。しかし、問答さんは、今に至る8年間、いつも変わらず、徹底して、この他者に接してこられた。わたしが深い尊敬の念を抱くのは、そのためです。また、そう接してくださるが故に、このスレッドでの議論は成り立っています。

以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

964犀角独歩:2008/07/20(日) 07:20:45

顕正居士さん

詳細なご教示、有り難うございます。

ご引用の筋は、日蓮の教説で言えば、教機時国序の‘序’、教法流布の先後、いわば歴史観ですね。わたしが先に挙げたのは書名が示すとおり一代記でした。日蓮は、この点を分けて立てていますが、こうして上げていただき、気づくことは、一代記は序(教法流布先後:歴史観)に置換されていること、そうなると近代仏教学と、ある程度の親和性を有していることがわかりました。

ここのところの議論では、『法華経』は部派の、それも比丘が記したものであるというのが近代の法華経学の説明であるということでした。しかしながら、

> 仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。

と記されてお出でです。となると、いったい、どこで、誰が、という点は、やはり、未だ解明されていないと判断してよろしいのでしょうか。

965問答迷人:2008/07/20(日) 08:21:37

犀角独歩さん

>たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。

なるほど。そのような心理が働いて、激しく独歩さんに噛み付いた人々を多数出入り禁止にしてきたのは、他ならぬ管理者でした。これは、独歩さんを擁護しようとしたから、と思われがちですが、本当は、富士門信仰を俎上に乗せ、議論する場所を確保しなくてはならない、という使命感がそうさせたのだろうと思います。

顕正居士さんのお説によれば、富士門信仰を議論できる場所は、どうやらもう、ここしかないようなので、なおさら議論の場所を確保し続ける事の重要性を感じます。

そして、当掲示板の立ち上げを勧め、「書き込みルールを決めなくてはならない」と教えて下さった、チョンガーさんにこの場を借りて、再度感謝の意を表したいと存じます。

966問答迷人:2008/07/20(日) 08:22:55

>以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

967顕正居士:2008/07/20(日) 21:16:16
>>964
犀角独歩さん。

大乗の律というものがないのですから、大乗の教団はインドに存在しなかったと
考えられます。しかし大乗経は仏教の学僧によってしか作り得ない内容ですから、
教団の比丘たちが報身仏にことよせて作成したのでしょう。
だいたいインドには作者不詳の膨大な文献がいろいろあります。第五のヴェーダと
称されるプラーナ文献とか。日蓮は龍樹以前にアシュヴァゴーシャ (馬鳴)が大乗の
事実上の開祖であると考えたようですが、この大サンスクリット詩人は仏教教団
(一説によると説一切有部)の比丘でした。龍樹も世親も有部の比丘でありました。
経量中観派と呼ばれるバーヴァヴィヴェー カ(清弁)や大論理学者ディグナーガ(陳那)
などはおそらく経量部(サウトラーンティカ)に所属する比丘であったのでしょう。

968犀角独歩:2008/07/21(月) 10:41:49

☆問答名人さん

有り難うございます。では、続けさせていただきます。

> 曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい

先というのはなかなか見えないことはわかっていますが、それでも、敢えてお尋ねします。この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか。


☆顕正居士さん

重ねてのご教示有り難うございます。
厚かましいのですが、もう一つ、お願いいたします。
保坂俊司著『仏教とヨーガ』のなかに以下のような件があります。

「『リグ・ベーダ』の成立は古く、現在のかたちに編纂されたのは、紀元前1000〜800年ごろとされ、以来、暗誦によって今日までほとんどかわらず伝えられている」(P64)

まったく変化しないべーだの伝承に対して、目まぐるしく仏教経典は、変化していったのは何故なのでしょうか。

969顕正居士:2008/07/21(月) 18:00:03
神話・伝承・正史の類は原型から正典として完成するまで相当な時間がかかるものです。
この間に中間テキストが幾つも介在することがあります。完成してしまえばその後は改変
されません。歴史時代でも新約聖書の成立は紀元後150-225年です(四福音書の著者は
いずれも標題の使徒ではありません)。現代でも『明治天皇紀』は明治100年に刊行開始
されています。歴史の体験は記憶が安定するまで時間がかかります。仏教の聖典も釈尊
の記憶の部分は特に長い時間がかかってはいないと思いますが。仏教の場合、正典には
後世の学僧の論を含みます。パーリ三蔵の確定は後代ですし、大正大蔵経に至っては
大正時代ではありますが。リグ・ベーダはもうその頃に正典として確定してしまったのです。

970犀角独歩:2008/07/21(月) 20:24:59

顕正居士さん

重ね重ねのご教示有り難うございました。
大変に参考になりました。

971問答迷人:2008/07/22(火) 07:50:11

犀角独歩さん

>この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか

日蓮聖人の卓越している点はいくつも有ると思いますが、僕はやはり、その気宇の広大さに圧倒されます。北条氏を「わずかの小島の主」などと平然として言ってのける様は、常人とも思えません。追体験することによって、そのような雄大な世界観を自分の物に出来るのではないか、そんな事を期待していますね。

972犀角独歩:2008/07/22(火) 09:56:38

問答名人さん

「現代人が納得できる」という前提から考えるとき、仰るようなメンタル部分は、やはり、表に立つことになるだろうと思います。日蓮の視線が日本を閻浮のなかの小島に過ぎないとする視点は壮大です。(余談ながら、こうした点からすれば「日本国の諸人にしふし父母」という限定、国立戒壇は齟齬を来します)

創価学会が受容すれば、東洋広布、世界広布(顕正会もこれを模倣して、創価学会の『東洋広布の歌』を歌ったりしています)、戦前の日蓮主義者であれば、聖天主を立てた世界支配と国立戒壇による立正安国の実現といった形で大戦の肯定原理ともなりました。元となる日蓮は、法華誹謗の悪王の国となった日本は、隣国の賢王に治罰されて然るべきであるとしました。

創価学会は昭和末期には1650万人会員を豪語していました。実数はわかりませんが、現勢力は集票力で800万、要活動誌購買会員から類推して250万ほどといわれるます。顕正会や、法華講の人数は少なく問題となりませんが、それら総数が日本の民意のどれほどを占めるか、さらに日蓮門下全般と見なしたとき、どれほどのものであるのか、わたしはそうした確たる統計は知りません。しかしながら、現代の日本人にとって、「日蓮」は、とりわけ、その教えは、どこまで通用するのかを概算することは、あながち意味のないことではありません。つまり、現代の日本人がどれほど納得しているかの指標となるからです。この統計調査は学者に期待します。いまは置きます。

問答さんは「和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」信仰の実践者であるとのことですが、わたしは、こうした信仰圏は卒業しました。(もちろん問答さんを否定しているわけではありません)

卒業した立場からすると、こうした信仰形態は、実に奇妙に映じます。渡辺照宏師が、具体名を挙げないまでも、こうした信仰様式を「薬そのものには目もくれず、効能書きを書いた紙を一所懸命に拝んでいるようなもの」といったようなことを書いていました。

不信者の感想とは別に信仰はあるとするのは簡単なのですが、こちらのテーマである「納得」という点は、やってみてはじめて納得があるというほか、説得があってはじめて納得があるという点に布教の意義が見いだせます。

取り分け、日蓮の教えは、大乗を標榜し、広宣流布を目指したものですから「弘教」というテーマと納得は切り離せません。

前置きは長くなりますが、まったく仏教を知らない人で、先に挙げたハッサン師の説明のような感覚でとらえている人に、では、どういった説明であれば、納得させることができると思われますか。

取り敢えず、ハードルを設けて、よくいわれる「やってみなければわからない」はNGとし、ロールプレイングのごとく、回答モデルを示してみていただけませんか。

973問答迷人:2008/07/22(火) 13:03:06

犀角独歩さん

「和紙の巻物の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」という日蓮曼陀羅信仰を、他者に勧める勇気は、今の所、持ち合わせていません。先ずは自分がやって見ている段階です。そしてもし,日蓮聖人が指し示した世界を追体験できた時には、何かしら他者に向かって語ることはあるのではないかとは思います。

そして、その時には、日蓮聖人がもし現代に生きていたら、この日蓮曼陀羅信仰をどのように評価するだろうか、という事を、きっと常に念頭に浮かべて語るのだろうと思います。

回答になっていませんが、この点については、この程度でご容赦賜りたく存じます。

974マターリ:2008/07/22(火) 19:12:02
「祈って叶わざるなし」と教えられて、何十年と題目をあげてきました
が、祈りの叶わない事の方が多いですね。冥益という目に見えない功
徳もあるようなので、一概には言えません。しかし、人生の分かれ道
のようなところで、そのたび祈りが叶わず、平均的な人より、劣った
環境にいるのが残念です。

最近は題目をあげる気力が、だんだん無くなってきました。

「あのとき、祈りが叶っていたら」と思うことが多いです。

975犀角独歩:2008/07/23(水) 19:07:52

問答名人さん

有り難うございます。
曼陀羅信仰については、では、いったんこれまでとします。
少し話題を変えてまいりたいと思います。

富士門下、とりわけ、大石寺圏の‘人口’は、近代の創価学会員の増加と相俟って、在家信徒会員の数が凌駕しています。この点は、別段、否定されることではありませんが、しかし、こうした構成比率は、数の多いほうが少数派(僧侶)を軽視することを意味しないのが仏教でした。
しかしながら、大石寺僧侶の腐敗(この表現は投稿規約に違反するのであれば、ご指摘ください)は、在家信徒会員をして、この職業従事者をして幻滅し、僧侶抜きで仏教を考える所謂在家主義が、むしろ主流となっていきました。
しかし、日蓮の真蹟、もしくは写本を追うとき、日蓮の教えは徹底して僧侶中心なのであって、その点をスポイルして考えれば、僧侶である日蓮も、また、この界隈で崇敬の高い日興も、日目も要らなくなります。

「聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申ならば、いかでか祈のかなはざるべき」(祈祷鈔)

「僧の恩をいはゞ仏宝法宝は必僧によて住す。譬ば薪なければ火無く、大地無れば草木生ずべからず。仏法有といへども僧有て習伝へずんば、正法像法二千年過て末法へも伝はるべからず」(四恩鈔)

実際のところ、曼陀羅信仰における法具、曼陀羅は、それが印刷であれ、手書きであれ、寺院僧侶から受け取ったものであり、勤行の様式もまた僧侶の伝えを踏襲したものです。寺院僧侶から離れて勤行唱題修行をすることは、いわば、猿を離れて肝を求めるようなものと映じる側面もあります。

しかし、この界隈で僧侶を離れることでしか、信仰を守れないというジレンマがあることも事実です。

こうした点に就き、問答さんのお考えをお訊きしたいのです。

976問答迷人:2008/07/23(水) 20:11:23

犀角独歩さん

>仏宝法宝は必僧によて住す。

これは仏教伝来の歴史上の事実ですね。日蓮門下に有っても、六老の選定が歴史上の事実であり、しかも僕の、日蓮聖人との出会いが、日興門下の大石寺の信徒となることによって始まった事実は否定できるものではありません。

僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物と化していると僕は考えています。日蓮大聖人に直結、等と言う教えは、日蓮聖人の真跡遺文には少なくとも見出す事は出来ないと思います。

ただ、僕は、日蓮正宗の末寺に名簿は残っているものの、行方不明者と同じ扱いを受けており、連絡を自ら断った事は一度も有りませんが、一切連絡は来なくなっています。勿論、参詣する意思もありませんので、その方が気楽なのは事実です。まぁ幽霊信徒、と言ったところです。

暫くは、色々な雑音が聞こえてこないこの状態が自分に取って一番好ましいのではないかと思っています。今後については今は白紙です。岐阜市には身延派の末寺も有りますので、そちらに所属換えしてそちらに参詣するかもしれませんし、今まで通りの、幽霊信徒を続けるかもしれません。

まぁ、日蓮正宗が余程変わらない限り、日蓮正宗信徒として信仰する事は二度とないのではなかろうかと思っています。創価学会員さんからも、戻ってこないか、との誘いが有りますが、「残念ながら戻る勇気は持ち合わせていません」と言って丁重にお断りしています。

こんな所でお答えに少しはなっているでしょうか。拙い回答で申し訳有りません。

977犀角独歩:2008/07/24(木) 08:24:44

974 マターリさん

日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。

それがいつの間にか、在家も祈りはじめる。やがて、僧侶の職分を在家がはじめる。こうして醸造されていったのが、日蓮門下の在家主義につながっていったのだと思います。

石山の全部の坊さんが、ということではないと思いますが、わたしがまだ法華講だった頃、とある坊さん(と書けば誰のことかはすぐわかるかもしれませんが、、取り敢えず、名は伏せます)に「唱題の時には、どう祈ったらいいのでしょうか」と尋ねたことがあります。すると「祈る? 唱題をしながら、どうやって、祈るんだ?」と、とても、不思議そうな顔をされました。ですから、「題目を唱えているときに色々考えるのですが、ちゃんと祈らなければいけないと思うんですが」と再度訊いたわけです。すると「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。創価学会でいう唱題とはずいぶんと違うものだと驚いたものでした。

978犀角独歩:2008/07/24(木) 08:46:25

問答名人さん

> 僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物

そうなんですね。わたしもそう思います。だから、僧侶が必要かと問われるとき、少なくとも日蓮はそう考えていたというのが答えであることもわかります。

しかし、もはやちゃんとした僧侶なんかいいないじゃないか、だから自分たち(在家)でやっていく、というのが、創価学会であり、顕正会であるということになりますか。

先のマターリさんへのレスも関連しますが、「御祈祷」は本来、坊さんに委ねてきたことですし、日蓮もそう考えていたでしょう。坊さんは祈り・武士は戦い・国家安寧・万民快楽といった順番です。

こちらのスレッドテーマの「現代人」を、わたしは勝手に日蓮信仰者以外と想定していました。しかし、問答さんから、ご自身もまた「現代人」であると言われ、「なるほど」と思ったのです。そうなると、さらに創価学会も、顕正会も、現代人に違いないわけですね。

マターリさんのご投稿は、なかなか核心を突いていると思います。
極端な言い方ですが、本尊がどうか、教義がどうかといった、しち面倒くさい話、また、御祈祷は坊さんにといったしきたりよりなにより、ともかく、「祈って叶うこと」が何より大事というのが、民間信仰の至極であると思えます。

現代人が納得するという点を、どちらかというと、教理・本尊面で論じてきたように思えますが、在家集団が大好きな「実証」、一般的に言う「効験あらたか」が、では、現代のニーズに合っているかどうかは、どうもよくわかりません。

できれば、「現代人」を、信仰を持っていない一般大衆として、それら人々を納得させる日蓮の教えを考えたいと思っています。

ここ2日間、やや忙しくしていますので、また、改めて、ご賢察を賜りたいと存じます。有り難うございました。

979富士川一郎:2008/07/24(木) 11:54:36
>>「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。

どなたの言なのかは分かりました(笑)。
そこで素朴な質問ですが、創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導していたのでしょうか。
創価学会の指導に興味があります。現役、元創価学会員の方でお教えいただけたら幸いです。

ちなみに顕正会ではそもそも唱題に重きを置いていないのが現状です。
「唱題に時間をかけるなら位なら折伏(勧誘)せよ。唱題は朝晩の勤行の5分ずつだけで良い」と言う教えでしたし・・・。
さすが拡張主義ですが・・・。

980問答迷人:2008/07/24(木) 12:48:40

仏壇の前の経机に祈る項目を書き出した紙を置いたり張ったりして、一項目について祈りながら100遍ずつお題目を唱えて行く。

こう言う事を教えられた記憶が有ります。選挙になれば、公明党候補の名前を書いた紙を置いたり張ったりして、必勝祈願のお題目を唱えたものでした。

要は、祈りは具体的でなければならない、と言われ、誰かの病気平癒を祈ったり、担当している組織の誰々が会合に出てくるように、と祈ったり、友達の誰々を折伏(入信)出来ますように、と祈ったり・・・

数限りない祈りを書き出して、具体的に祈るように教えられました。その通りにやっていると、一日一時間の唱題なんかは、ちょろい物で、あっという間に過ぎてしまったのを覚えています。

981マターリ:2008/07/24(木) 20:29:59
>犀角独歩さん、

>日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。

そうですね。「法華初心成仏抄」を見ますと、日蓮自身がいかに祈祷しても
在家の本人が不信なら、濡れた火口に火打石で火をつけるようなものだ、
と書いてあります。ですから、祈祷するのは日蓮自身であり、在家は祈祷
というより、法華経に対する信仰心そのものを強くして欲しい、と日蓮は
考えていたと思います。

「祈祷抄」に「・・・日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わ
ぬ事はあるべからず」とあります。在家の私たちも、法華経の行者に含
まれると教えられてきました。しかし厳密に言えば、行者=僧なので、
祈祷抄では、法華経の行者=日蓮だとわかってきました。
つまり、この一節は、日蓮の祈祷にかける、並々ならぬ自信に満ちた
言葉なのだと思います。在家の祈りも叶う、ということではないと考
えます。

これら全て、このごろ勉強したことばかりです。

>富士川一郎さん、

創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導して
いたのでしょうか。

祈りのない題目は意味が無い、と教えられました。一遍一遍に祈りを込め
て、唱題していきます。口では題目を唱えながら、頭脳では願い事を考え
ています。

問答迷人さんと大体同じですが、他に教えられた事を書きます。

1.夢や願望を全て、表に書き出す。
2.書き出した願望に優先順位をつける。
3.いつまでに願望を達成したいのか、期限を明確にする。
4.夢や願望を、座談会など会合で話す。(発表して恥ずかしくない事を)
5.毎日、題目表をつける。
6.重大な願い事を叶えるには、一日1万ベンを唱えていき、何ヶ月かで
 総数100万ベンをあげきる。

その一方で、願い事ばかりするのは「乞食信心」で、「感謝の題目をあげな
さい」とも言われています。

982犀角独歩:2008/07/25(金) 22:39:06

富士川さん

たぶん、推量当たりです(笑)
いまさら、石山方のことをわたしが、このスレッドに書くのも変ですが、要は「余念なく」というのが、在り方だというわけですね。それで

「余念は謂く唱題成仏の外念慮あるべからず、故に当家の行者は若は誦経、若は唱題一向余事余念無して南無妙法蓮華経と唱る処に妙法の即身成仏を立たる者」

などというわけですから、文字どおり、妙法蓮華経への南無の一念は即身成仏以外の念慮があってはならないというのが教えなのでしょう。こうした点を某氏は言ったわけでしょうね。

ところが日寛『六巻鈔』を見ると、実は、そうなっていないわけです。

「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
 南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
 此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々」

下種三宝を念じて、唱題して一生涯を過ごせといいます。創価学会、顕正会はお気の毒ですが、南無が直接かからないまでも「嫡々付法歴代の諸師」も念じる対象に入っています。「除歴対象の歴代は別」という口上は成り立つかどうか、成り立ったとしても、「先生」を念じろ、祈り殺せ、種々の祈念を具体的に念じろなどとなどいうのは、まさに創価学会の考案したところであって、日蓮とも、日寛とも関係のないわけですね。

「現代人が納得する」というテーマに沿えば、即身成仏より、「願いは何でも叶う」といった欲望充足型のほうが受けるということでしょうか。こうした戦後復興の民衆のニーズに巧みに合わせて改変されたのが、創価学会の「題目を上げる」というやつだったということになりますか。
さらに昨今では憎き相手は憎悪し呪うようで、もはや、黒魔術、呪術の域に達し、ここまでくると、現代人のニーズから離れた感があります。

983犀角独歩:2008/07/25(金) 22:49:21

> 979

顕正会の5分唱題というのは面白いですね。
これが事実ならば、要するに浅井さんは唱題が苦手なんでしょうね(笑)

「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」

とは、日寛の言です。こうした点を匿して、5分でいいとすれば、浅井さんは、日寛に背いていることになりますね。

984いちりん:2008/07/26(土) 08:55:13
ちょっと脇に外れて申し訳ないですけど、

天台智ギが、毎日一万遍、南無妙法蓮華経と唱えていた、と日蓮さんは言うわけでしょうが、
、日蓮さんなり、なにかその根拠となるものはあったのでしょうか。

985犀角独歩:2008/07/26(土) 09:11:20

いちりんさん

日蓮ではなく、日寛です。富要ばかりの話で恐縮ですが、日寛以前では、日教がこれを記しています。

穆作抄「天台は唱へ奉る一切経の惣要毎日一万遍、玄師の伝に云はく一切経の惣要とは謂ゆる妙法蓮華経と文」
類聚翰集私「陳隋の天台智者は読誦し奉る一切経の惣要毎日一万遍と、玄師の伝に云く一切経の惣要とは妙法蓮華経是れなり云云」

六巻抄依義判文抄第三「天台大師行法の日記に云わく、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍と、玄師の伝に云わく、一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なりと云云」
観心本尊抄文段上「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」
法華題目抄文段「天台大師、毎日行法の日記に云く『読誦し奉る一切経の総要、毎日一万遍』と云云。玄師伝に云く『一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なり』云云」

986いちりん:2008/07/26(土) 09:57:17
独歩さん

なるほど。日寛さんが言っていたのですね。

しかし、天台智ギは、妙法蓮華経は一切経の惣要ということは、玄義あたりで述べているのでしょうが、
それを「唱えていた」のかどうかという根拠は、どうも「天台大師行法の日記」あたりと。

そんなものがあったんですね。
でも、ほんとうに、それって智ギが著したものかどうか、はっきりしているのでしょうか。

たとえば、「摩迦止観」や「玄義」「文句」あたりで、智ギが、「わたしゃ、毎日、お題目を唱えているよ」とか、「みなも唱えるといいよ」などということは述べてないですよね、たぶん。

987犀角独歩:2008/07/26(土) 10:13:40

いちりんさん

そうですね、おっしゃるとおりだと思います。
ただしかし、日寛教学の無謬を信じる人々は、日寛の一文一句も背けないのに、背いているのはどうしてなんだという議論の流れでした。

988マターリ:2008/07/26(土) 10:44:54
初歩的な質問で申し訳ないのですが、中国でも、南無妙法蓮華経の題目
を唱えていたのでしょうか?

題目は、法華経が日本に伝わって、しばらくしてから唱えられるように
なった、と聞いていました。ですから、題目は日本独自の物だとばかり
思っていたのですが。

989犀角独歩:2008/07/26(土) 11:14:04

マターリさん

中国で唱えられていたという根拠は『当体義鈔』の以下の文などに拠るのではないでしょうか。

「南岳大師法華懺法云南無妙法蓮華経文 天台大師云南無平等大慧一乗妙法蓮華経文 又云稽首妙法蓮華経云云 又帰命妙法蓮華経云云。伝教大師最後臨終十生願記云南無妙法蓮華経云云」(

天台初期文献で検索すると以下のとおりです。

法華三昧「一心奉請南無妙法蓮華經中一切諸佛」「南無釋迦牟尼佛 南無多寶佛 南無釋迦牟尼分身佛 南無妙法蓮華經…」
禮法華儀「南無佛 南無法 南無僧 南無釋迦牟尼佛 南無妙法蓮華經 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 旋竟三歸依如常」

しかし、これは日蓮が言う唱題とは違うでしょうね。七文字「南無妙法蓮華経」の成句は遡れるといったところでしょうか。

さて、日本ですが、その真偽は置き、『修禪寺決』に以下の文があります。

「臨終之時 唱南無妙法蓮華經 由妙法三力之功成菩提」
「和尚深祕行法傳云 圖繪十界形像 十處安之 毎向一像 各一百反可行禮拜 口可唱南無妙法蓮華經心可念」

まさに先に挙げた日教、日寛の引用の如く、余念なき即身成仏の唱題の文証がここにあります。

わたしは不勉強で『修禪寺決』が日蓮が見聞していたかどうか失念しました。パンナコッタさんをはじめ、皆さんの批正をお願いします。

990マターリ:2008/07/26(土) 12:01:52
>犀角独歩さん、詳しく教えていただき、ありがとうございます。

天台の文中に「南無妙法蓮華經」が、明確に入っていて驚きました。
日蓮のいう唱題とは違うようですが、題目の起源のようなものは、
中国が発祥だと、初めて理解できました。

991パンナコッタ:2008/07/26(土) 12:25:35
お呼ばれしたので、おじゃまします。
偽撰といわれる本理大綱集は確実に読んでいたでしょうけど、
修善寺決は偽書の臨終一身三観に引用があるくらいで薄い線ではないでしょうか。
後代のネタ本としては、動かないでしょうけど。 
「故智者大師。毎日行法日記云。奉讀誦一切經惣要毎日一萬反。玄
師傳云。一切經惣要者。謂妙法蓮華經五字也」
 http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/ 05/069.txt
 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/tyu_syu.htm

992犀角独歩:2008/07/26(土) 14:38:47

パンナコッタさん

ご批正、有り難うございます。
いちばん、肝心なことを書き忘れました。ご引用のとおりですね。
伝全で、この文を見ると「僞撰書」としっかりと書いてあるのですね。

993パンナコッタ:2008/07/26(土) 15:39:09
あ、リンクが変になっていましたね。大変失礼しました。
 修禪寺決
 http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/05/069.txt

十八円満抄にも引用されていますが、これも仮託された偽書ですね。
百六箇抄の牛頭決引用も含め、恰も根拠になるような書き方をしていますが
はじめからボロが出ている と、いった所でしょうか。

994犀角独歩:2008/07/28(月) 14:18:12

問答名人さん

もう少し愚問を続けさせていただきます。

わたしはひとり暮らしをはじめたのは中学3年で一間のアパートに仏壇を置き、所謂「分世帯」で御本尊を貸し下げてもらい安置しました。15歳の時ですから、この本尊を20年間拝み続けました。実家は最初、日寛の小幅のもので、正本堂の時に日達さんの特別御形木に取り替えました。例の創価学会が水増し制作したという騒ぎになったものです。

2年前に母が亡くなるとき、特にほかの本尊があったわけではないので、付き添い時間が過ぎて家に戻るとこの本尊に、母のことを祈念していました。

しかし、過去5年、問答さんをはじめ、皆さんと、彫刻の真偽について論じてきたわけです。母の最期の切羽詰まっていたときでしたが、「奉書写之」の四文字は気になりました。

彫刻は日禅授与本尊を臨模作為した捏造品、それを写した本尊は、捏造の写し。さらに言えば、石山は御筆真筆とされる3舗は『御本尊集』に載りますが、この日禅授与本尊はついに未発表にしたままです。発表すれば、原本が特定される恐れからこれを秘匿するといえば、それまでですが、こうして影本すら公開しないものは、たいがい、偽物です。他にもいくつか所存はありますが、わたしは日禅授与本尊は偽筆であると考えます。この立証は議論とは別なので置くこととします。日禅授与本尊が偽筆であれば、あの彫刻は偽筆を原本にした偽物。つまり、二重に偽物であることになります。偽物を原本にした偽物を、さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊、それも写真にとって大量生産した印刷物です。(印刷がいけないというのは伝日興の説を支持してのことです)

つまり、我が家に安置されていた本尊を冷静に記述すると以上のようになります。はたして、このようなものを「本尊」と恃めるのかというのが、今回のわたしの質問です。

過去数十年、拝んできたものにケチをつけるようで、恐縮ですが、問答さんは、この点を、どのようにお考えになり、また、もし、現代人に納得させるとしたら、どのようにご説明になるのか、これは、まさに信仰の根幹に関わる問題として、お尋ねしたいのです。お応えいただけますでしょうか。

995問答迷人:2008/07/28(月) 19:15:26

犀角独歩さん

>日禅授与本尊は偽筆・・・あの彫刻は偽筆を原本にした偽物・・・二重に偽物・・・さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊・・・大量生産した印刷物・・・このようなものを「本尊」

僕は現在も日顕師制作による印刷曼陀羅を拝しています。元法華講講頭であった僕の親友は、「良くもお前、そんな物を拝んでいるな」と言います。彼の言いたい事は、概ね、犀角独歩さんの説に準じています。

僕も、過去、思い悩みましたが、もう思い悩む事は卒業しました。

果たして、日蓮聖人が、僕が顕師曼陀羅を拝んでいるのを見て、どういうだろうか、と考えました。結論は是認されるだろうという事です。

なぜなら、体裁は日蓮曼陀羅を踏襲して書かれており、しかも、日興師の末流の僧侶の手によるものだからです。

非常に乱暴な議論のようですが、元々、日蓮聖人は曼陀羅書写の法規を示していない事は、六老それぞれに曼陀羅書写を行っていることから逆算すれば明らかだと思います。

印刷がダメだというのも、日蓮聖人の文献が残っていない以上、絶対的な規範とは思えません。

曼陀羅の重要性は、「南無妙法蓮華経」の七文字をしたためて、それを拝む事に尽きていると思います。であれば、顕師曼陀羅も、身延山久遠寺の仏具店で買う事の出来る曼陀羅も、基本的には大差ないと思うわけです。

このような理由から、現在のところ、敢えて曼陀羅を変えるべき理由も見つからないので、そのままにしているわけです。

皆様のご叱正賜りたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

996犀角独歩:2008/07/28(月) 19:32:44

問答名人さん

わたしが投げかける疑問は、単に批判をしようとか、攻撃しようとかを目的としたものではありません。この点は、8年間一貫しています。ただ、信仰の根幹に冠する質問になると、途端に反撃に出て人身攻撃になってしまうのが、残念ながら、創価学会を含む大石寺圏の有様です。そのために、常連同士でさえ、率直な質疑応答が成り立たないできました。こうした愚は、発展的な議論の妨げにしかなりません。もちろん、問答さんがそのようなことをなさる型ではないことは十分に承知のうえです。しかし、横やりも多々ありましたので、念のため、おことわりしました。

わたし自身は、漫荼羅は允可証の用途であり、あとは護本尊で、正式な本尊は仏像であるというのが日蓮の教説本尊観という立場です。この点では、問答さんとは違うと思いますが、そのどちらが正しいという議論をしたいわけではありません。

以上のような考えですから、仮本尊としての漫荼羅が印刷であろうが何であろうが、あと信仰者の心根次第でさした問題ではないとは思います。

ただし、創価学会を含む大石寺圏では、「自分たちの本尊以外は駄目だ」と言い切ってきた歴史があります。こう言ってしまえば、では、「そんな偽物を写した、書いた内容も違うもの、何がすごいのだ」という反論となりましょう。これは、まず、創価学会、顕正会、なにより大石寺に向けた批判として置いておくことといたします。

広く日蓮信仰者を含む現代人からすれば、漫荼羅は身延の売店のみならず、町中の仏壇屋でも、仏壇のおまけのような感じで売っているもので、それを一般に「御本尊」として認可されています。その経緯からすれば、それが日県産の者で荒れ何で、同じようなものですから、拝む人が本尊であると思えば本尊でしょう。

今回のお応えからすると、要は書かれた内容が日蓮の漫荼羅を同じであれば、それはそれで是とするという意味と承りました。

では、この前提で、再度、お伺いしますが、そうなると、漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、いつであったか、顕正居士さんがご紹介いただいたダウンロード本尊、つまり、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒はお感じにならないということでしょうか。これが一つ。

あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。

繰り返しますが、批判攻撃を目的にしているわけではなく、当スレッドテーマに沿って「現代人が納得する」線を探る手だてとしての質問であることをご留意のうえ、お気軽にお応えください。

997犀角独歩:2008/07/28(月) 19:36:21

【396の訂正】

誤)問答さんがそのようなことをなさる型
正)問答さんがそのようなことをなさる方

誤)それが日県産の者で荒れ何で
正)それが日顕さんのものであれ何であっても

998問答迷人:2008/07/28(月) 20:31:17

犀角独歩さん

>漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒は感じない

曼陀羅が本尊なのかどうか、日蓮聖人は余り明確にはされていませんので、この議論は、取りあえず、差し控えさせていただきます。その前提で、それらを曼陀羅として拝する事には、現在の幽霊法華講員の身としては、痛痒は何等感じません。将来において、日蓮宗信徒となった場合には、その所属寺院に従うのが筋だとは思っています。

>あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。

これは、既に宮沢賢治がその様な試みをしていたようですね。末寺に所属したくない事情があれば、それも又、可であると思います。要は、日蓮聖人の教えに連なる意思があれば、これも又、日蓮聖人は是認なさるであろうと思います。

勿論、何でも有りではないと思います。「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除し、却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様は、日蓮聖人に連なっているとは言いがたいので、日蓮聖人が果たして是認されるだろうか、という疑問は残ります。

999犀角独歩:2008/07/29(火) 08:00:58

問答名人さん

> …日蓮宗信徒となった場合…所属寺院に従う

議論とは直接、関係ありませんが、「日蓮宗信徒になる」という点について富士門流はかなり特殊であると感じます。
一種の囲い込みみたいなことをして、僧俗でも、恰も師弟子のような関係で、石山では特に「指導教師」などといって、その人以外からは指導を受けても駄目みたいな極端なことを言いますね。こうした関係は、所謂「日蓮宗」一般ではほとんど有り得ませんよね。もっとも加持祈祷をしてくれる坊さんを生き神様のように崇拝してその人自体の信者、つまり個人崇拝になるというケースは見受けます。

これらの点は、また、別に議論をしたいと思いますが、信者、信徒というのは、そもそも、何の信者なのかという点は、意外に曖昧だと感じます。
いずれにしても宗派の信徒ではなく、宗派が信奉する神仏の信者であり、その宗派に集う徒ということなのでしょうね。

日蓮宗の坊さんの話を聞くと、御経周りに行くと、仏壇に鶴丸があるところもあり、場合によっては石山の本尊があったなどという話も聞きました。仏壇を買ってきたときについてきた曼陀羅を掛けてあったりで、住職が裏書きをして開眼をするのが正式と言った程度です。

つまり、「所属寺院に従う」などという堅苦しいところは何もないのが、日蓮宗一般という印象を持っています。たぶん、現在の問答さんの寺院観、信徒観は、かなり富士門下的なのだろうと思いました。(批判ではありませんよ。日蓮宗一般信者と比較した感想です)もっとも、今後、所属される寺院が富士門下であれば、仰るようなことにはなるだろうとは思えます。石山研究で名高いある人の寺院は、富士門下で言う「身延派」ですが、万年救護の複製を奉懸しています。宗定とされる所謂「臨滅度時」の複製は、わたしの近辺では池上本門寺近くの日蓮宗新聞社書店で販売しており、これはなかなか立派なものです。坊さん経由ならば買えるということでした。

先だって久方にお会いした静岡・海長寺の菅野師は、檀家さん全員に手書きの曼陀羅を与えたと話されていました。身延の売店で曼陀羅を売ったり、印刷物には原則反対の立場を採っておられる方です。保田あたりは、万年救護の複製を「ちゃんとした信者には出す」なんていっていると聞きました。ちゃんとした信心をしているのであれば、手書きの本尊を与えるのが在り方だと思うわけで、わたしは首を傾げざるを得ません。だいたい、複製ならば、自分でも作れます。それを坊さん寺院が作ったものでなければ駄目だというのは、どんな根拠なのか、不思議に思います。もちろんこれは保田に限らず、石山でも、学会でも同様です。

こちらの常連のある方は、ネットからダウンロード、プリントアウトして、それを石山からも請け負っている表具屋さんに出して、軸にしてもらって本尊にしていました。

以上、揚げ足取りと誤解しないでください。門下全般をみると、曼陀羅そのものは古美術的な扱い、しかし、信者であれば、仏壇に懸ければ本尊、坊さんにすれば開眼をすれば本尊たりえるといった程度の感覚で、厳格さを感じないというだけの話です。

やや整理になりますが、石山や、時には富士門下では、寺院から信者として出されたものを本尊とする、顕正会もそうですね。創価学会では、旧来、石山の信徒団体であったときに受け取った本尊も本尊と認めたうえで、自分たちで複製頒布する日寛の印刷を本尊とし、日蓮宗などのものは、たとえば、それが日蓮真筆の複製でも本尊とはしない、この点は、石山、顕正会も同様ということになります。学会を含む石山圏、富士門下の有様はかなり特殊ということになりますか。

この本尊については、各人の信仰という側面から具ですから、「現代人が納得する」という議論には馴染まないのでしょう。
たぶん、議論の余地があれば、その本尊についての説明部分で学問が指示する現代の常識と食い違う点について、では、どうすれば納得が得られるのかという点に焦点があるように思えます。
たとえば「仏滅後二千二百三十余年」といった記載は、現在、考えられる仏滅年代と500年のズレがありますが、こうした点で、少し仏教学の知識を持ち合わせた人であれば、「遅れている」「間違っている」などと感じるかも知れません。そう感じた人に「各人の信仰は勝手なんだから、そんな議論はただちに打ち切るべきだ」などといえば、排他的と思われるだけで、納得を得ることはないことになりますね。
追って、教学と学問の齟齬については、議論の俎上に乗せたいと考えていますが、いま、これまでとします。

1000犀角独歩:2008/07/29(火) 08:01:36

―999からつづく―

>> 自分で書いたもの…本尊…是
>宮沢賢治…日蓮聖人の教えに連なる意思…日蓮聖人は是認

なるほど。
このあとにも、「日蓮聖人の是認」ということをお書きになっていますね。
つまり、問答さんは、この点が本尊裁定の基準になっているとお見受けします。
これも、議論と言うより、以下2問につき、お考えをお聞かせ願うかぎりでお訊きします。

(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか

> 「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除

わたしの感覚からすれば、坊さんの話は宗派の都合が多く、どうも信用できない面が多々あります。ですから、直接、資料に当たると、坊さんから聞いてイメージした日蓮とその教説とは天地雲泥の相違があります。そうなると、もはや、坊さんを通じて信仰するより、日蓮に直接向かい合うほうが、より純粋な信仰と感じます。世間一般でも、日蓮の遺文などを読んで日蓮の贔屓になる人々が、いきおい、寺院や遺跡を探訪しようとなっても、誰か坊さんについて学ぶことが正しいとはなりません。「それでは、信仰にならない」といえば、それまでですが、嘘と都合ばかりで固まった日蓮解釈より、直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。

富士門下において、この手の根拠は『佐渡国法華講衆等御返事』に求められるのでしょうが、ここでいわれるのは、「勝手に日蓮の直弟子を名乗ることの規制」と思えます。
「大聖人直結」は石山の学会批判の一つでした。学会がいう直結はしかし、学会、池田氏を通じての直結ですから、実は直結ではないのですね。

日蓮宗寺院などに行くと、日蓮御影像があり、まあ、顔が似ているかどうかはわかりませんが直接、日蓮に向き合っているような気分になります。こうした舞台装置は、ある面、寺院そのものが日蓮と直接向かい合う場を用意してくれているようなものと感じます。
日蓮宗に「日蓮聖人直結」を言下に否定する面はないように思えます。

長い前置きになりましたが、これまた、揚げ足取りではなく、率直な疑問として、ご意見をお聞かせ願いたいのですが、「日蓮聖人に直結」は、なぜ、いけないのでしょうか。また、日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。

> 組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様…日蓮聖人に連なっているとは言いがたい…日蓮聖人が果たして是認されるだろうか…疑問は残ります。

こうした「今日蓮」といった有様は、日教などの文献に見られる当住中心主義で鮮明になったものですね。いつの時代の文献かわかりませんが、本尊相伝「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」を在家の「会長先生」に当てはめた、換骨奪胎といえば、そうなのでしょうが、坊さんなら善いが、在家なら駄目というのは坊さんの都合に過ぎない気もします。日蓮の是認ということになると、さて、どうでしょうか。

思いつくままに書いたところ、自分の管見の披瀝のようになってしまいました。お詫びします。文が冗長でわかりづらいかもしれませんが、以上、お応えいただければ有り難く存じます。

1001問答迷人:2008/07/29(火) 09:53:05

犀角独歩さん

(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか

当時、印刷技術は未発達であり、経典書写に倣って、曼陀羅書写を考えておられたと思います。

曼陀羅と言っても、日蓮聖人本人がしたためた本物でなければ、価値がない、と考えられた節は伺えませんから、現代の複製技術、印刷技術を知られたら、是認されるであろうと考えます。

又、弟子が書写した曼陀羅を印刷授与することについても、是認されるであろうと考えます。なぜなら、曼陀羅の記載内容に価値があるのであって、それ以外では無いと思うからです。

勿論、曼陀羅を授与を以って允可の意義を含める、というのは判らないでは有りませんが、曼陀羅を受持することにこそ、本当の允可の意義は存するものと思います。

>直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。

むしろ、そうあるべきだと思います。僧侶は信徒が日蓮聖人と直接向かい合う手助けをするのが本来の任務であると思うからです。

ただ、六老の選定は、僧侶を中心にして、日蓮の教えを信仰し、ひろめて行くべきだ、とのお考えが伺えると思いますので、強ちに僧侶を否定するのは日蓮聖人の本意ではないと思います。

>日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。

六老の選定が間接的に該当すると思います。御遷化記録がその文証という事になるかと思います。

1002問答迷人:2008/07/29(火) 09:57:00

舌足らずなので付け加えます。

御遷化記録は所謂、「大聖人直結」という僧侶を排除する論理を否定した文証という意味です。

1003犀角独歩:2008/07/29(火) 10:29:12

問答名人さん

重ね重ねのご回答有り難うございます。
同じ宗派に属し、そして、その嘘を暴いてきたという点で、問答さんとは共通するところが多いと思いますが、そのなかでも取り分け、相違していると思われる点を選びながら質問をさせていただいております。

漫荼羅の複製に関しては、日蓮は是認しないだろうと、わたしは考えています。
日蓮が所持していた法華経は版本であり、また、日興から程近い時代に「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由」という記述から、鎌倉時代には版木技術は既にあったと思われます。そうしたなかで、あえて日蓮がこの複製を採用しなかった歴史認識が、わたしにあるからです。

また、允可という点で申し上げれば、授与書がもっとも重要な点になるわけで、この点を複製は省かれますので、允可とは言い難いように思えます。
もっとも、日蓮には允可の意味をもって書き渡していたように思えますが、六老以下、そうした意識が継承されたようにも思えません。

以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。

> 僧侶を否定する

やや、わたしの投稿が悪文であるため、誤解を生じたかも知れませんが、わたしは僧侶を否定するというのではなく、僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択を述べました。

この件は以上とします。


> 曼陀羅を受持…本当の允可の意義は存する

允可であるというわたしの見解に同意してくださったと理解してよろしいでしょうか。違っていれば訂正いただければと存じます。

曼陀羅受持が允可であったとして、ご質問いたします。

(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。
(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。

前後しますが、以下の点についてもお伺いいたします。

> 曼陀羅の記載内容に価値がある

ここで仰る記載内容とは具体的に何を指すのでしょうか。中央首題ですか、十界諸尊を含めてですか、日蓮在御判、授与書、讃文、釈文(若悩乱者など)はどうでしょうか。

一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。

以上、お願い申し上げます。

1004犀角独歩:2008/07/29(火) 10:31:30

ひどい打ち間違えがありました。訂正し、お詫びいたします。


誤)以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。


正)以上は、わたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。

1005問答迷人:2008/07/29(火) 11:43:18

犀角独歩さん

(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。

日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入だと思います。であるならば、日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当すると思います。

(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。

残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高いのではないかと思います。日蓮聖人と信徒との間に僧、或いは教団が入って教えを捻じ曲げた場合は、形としては允可とは言えても、内実は失われている可能性が有りますから。


> 曼陀羅の記載内容・・・具体的に何を指すのでしょうか。

中央首題を指します。

>一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。

価値の相違は無いと考えています。中央主題に全てが含まれていると考えています。それらは、無くて良し、有って良し、だろうと思います。

1006犀角独歩:2008/07/29(火) 16:18:26

問答名人さん

> 日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入

そうですか。師が弟子に託したのではないでしょうか。わたしの管見はともかくとして、、いまはそのようなお考えと承ります。

> 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当する

允可とは上位が下位に「許すこと」だと思いますが、こちらも、こうしたお考えと承っておきます。

では、その前提でお尋ねします。
「自主」性はよいというお考えですね。ならば、どうして、直弟子を「自主」的に語ることは駄目なのでしょうか。日蓮が「自主購入」であれば、自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、この点は如何でしょうか。

>> 允可された僧…組織が嘘偽りをもって信者を誑かす…允可
> 残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高い
> 内実は失われている可能性が有りますから。

わたしもこのお考えに賛同します。
となると、具体的に当て嵌めた場合、日顕さんは、どうでしょうか。こうした僧に当て嵌まりませんか。当て嵌まったとする場合、その本尊はどうなるでしょうか。

> 価値の相違は無い

この点は、わたしの管見とは異なりますが、お考えを承って、いまはこれまでといたします。

上記、やや突っ込んだ質問になり、恐縮ですが、お考えをお聞かせください。

1007問答迷人:2008/07/29(火) 18:56:36

犀角独歩さん

>自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、

ところが、実際のところ、日蓮聖人は妙法蓮華経を釈尊から受けるのは、直弟子として、直接受けていますね。しかし、その一方で、六老を選定したのも事実です。確かに論理の一貫を欠くようです。この点については、深く考えていませんでした。

>日顕さんは、どうでしょうか

当然、捻じ曲げているとしか言えませんね。ですから、日顕さんの允可は有名無実でしようね。

日顕さんを師として信仰すれば、それは、日蓮聖人に従うことにはならないと思います。

日顕さん制作の曼陀羅は、そういう意味において、不備だと思いますが、その点を無視して、日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできると考えています。

1008問答迷人:2008/07/29(火) 18:58:44

訂正です

× 日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、

○ 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って拝すれば、

1009犀角独歩:2008/07/29(火) 19:20:14

問答名人さん

いま議論になっている点は、一般の「現代人」の皆さんにとっては、さして重要な話ではないですが、所謂「本門戒壇の大御本尊」は後世の捏造とわかった、日顕さんはそれを知っていたと理解した、しかし、その人が書写した印刷本尊を拝んできたという歴史を背負っている信仰者である「現代人」にとっては、けっこう看過できない問題です。ですから、もう少しお付き合いください。

998に問答さんは、「『日蓮聖人に直結』などと言って、僧侶を排除」するのは、駄目であると書かれました。この趣旨は、その後に続く「却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様」に係るわけですが、ともかく、創価学会がいうような「大聖人直結」といった信仰は駄目であるというお考えと承りました。

これに対して、わたしは1003に「僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択」と記しました。
この点ですが、問答さんが1008に「日顕さん制作の曼陀羅…不備、…日蓮聖人から譲り受ける、信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできる」と仰る意と、あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。

ただ、問答さんの場合、この日顕さんの本尊に替わる、本尊の供給元が現段階では確保されていないとお察しできるのです。これは例えばの話ですが、そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。

1010問答迷人:2008/07/29(火) 19:46:48

犀角独歩さん

>そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。

勿論です。身延派の寺院が地元にも有りますので、そこに所属するのが一番よいのではなかろうか、と考えています。実行はそんなに遠くないと思っています。その場合、当然のことながら、日顕師制作曼陀羅はお役御免となります。

>あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。

はい。差はほとんど無いと思います。

1011犀角独歩:2008/07/29(火) 21:16:50

問答名人さん

取り敢えず、今件は、これまでとします。
お付き合い有り難うございました。
引き続き、一般現代人?に係る点もお付き合いいただければと存じます。

もし、日蓮宗で御曼陀羅をいただくことがあれば、ぜひとも手書きのものをご所望ください。なかなか味わいのあるものですよ。

わたしは宮沢賢治を見習うでもいなく、自分で思うところを書いてみたいと思ってみたり。坊さん方は、一生涯の間に護本尊を造るのだそうです。これは木彫りの仏像であるそうですが、わたしの場合、これが手書きの漫荼羅でも良いと考えてみたりしています。まあ、実行するかどうかわかりませんが、こうなすと、魑魅魍魎から、何に昇進させてくれるのでしょうか(笑)

1012犀角独歩:2008/07/31(木) 09:50:14

問答名人さん

引き続き、よろしくお願いいたします。

さて、議論をはじめようとすると妨害に遭って、なかなか、始められなかった内容に進みたいと思います。

まず、はじめに『法華経』について。

最近の仏教学等の解説書に拠れば、『法華経』は、およそ紀元前100年ごろから後150年頃まで制作されたということでした。つまり、こうした考えが現在の常識となっていることを意味します。

富士門下に限らず、『法華経』が釈尊最期8年の最高の教えであり、仏陀の金言であることは近年まで不動の仏教常識であったわけです。ところが、経典の文字化は釈尊滅から、およそ100年以後のことであり、さらにそこから数百年を経て制作編纂されたとなると、それまでの教学は覆ることになります。日蓮自身、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えであるとします。

「しかし、『法華経』には釈尊の金言も含まれているはずだ」といった希望的な観測は、いまはさておくことにします。

問答さんは、こうした学的成果を常識とする「現代人」に、どのように「日蓮教学」を納得させることができるとお考えですか。

1013問答迷人:2008/07/31(木) 10:53:59

犀角独歩さん

>それまでの教学は覆ることになります。

そうですね。説明不能に陥りますね。だからこそ、明治以降も、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えとする教義を踏襲してきたのだと思います。

日蓮聖人が、今日の学問の成果を知ったなら、どのようにされたか、非常に興味の湧くところです。

一体、どこに釈尊の真意が説かれているのか、と追求して行った結果、法華経に辿り着いたのだ、と日蓮聖人は繰り返し説いています。その同じ姿勢で、今日の学問成果を踏まえて、釈尊の真意を追求した時に、果たして、同じように法華経に辿り着くのか、或いは、別の結論に至るのか。

もし、同じく、法華経に釈尊の真意が説かれている、という結論に達したとしても、説き方は、学問成果を踏まえて、しかも、日蓮聖人の独自の見解を披瀝する形で、現在の日蓮宗の教義とは組み立てが全く異なった物となっていると思います。

僕の感触としては、日蓮聖人の悟りがまず有って、それを説くための手段として、当時の仏教の常識を利用されたのではなかろうか、と考えています。

例の、虚空蔵菩薩から明星の如き大宝珠を授かった、という日蓮聖人の体験談が全ての始まりであり、日蓮聖人の教えの骨髄ではなかろうかと考えています。

後ほど、続きを書きます。

1014問答迷人:2008/07/31(木) 12:16:37

続きです。

このように僕が考えるのは、開目抄下に、妙楽の弘決を次のように引用しているからです。

『弘の七に云はく「文字法師とは、内に観解無くして唯法相を構ふ。事相の禅師とは、境智を閑はず鼻膈に心を止む。乃至根本有漏定等なり。』

これは、要は、文字の法師も暗禅の法師も共に不可。そして、教義も大事、悟りも大事、という意味であり、この主旨から考えると、日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟りの両方からの総合判断で有ったろうと僕は考えるからです。

1015問答迷人:2008/07/31(木) 12:31:24

ご質問の回答からは、かなりずれているかも知れませんが、『日蓮聖人には独自の悟りが有り、それを法華経等の諸経典を利用して具体化したのが、日蓮聖人の教えである。』と言う意味合いで捉えれば、日本における独自の仏教展開として受け入れることが出来るのではないかと思います。

それが、「釈尊の真意を伝えるもの」として、納得に繋がるのか、或いは、「釈尊の教えとは似て非なるもの」との判断され、結果的に排除されるのか、これが、これからの課題なのだと思っています。

1016犀角独歩:2008/07/31(木) 13:06:15

問答名人さん

先にわたしは「おヘソ教」のmixi日記を転載させていただいたのですが、しかし、考えてみれば、たとえば、『聖書』の天地創造なんかも似たようなものだと思えます。天地から人間までが1週間ででき、さらにイブはアダムの肋骨から創られたとか、また、中世ヨーロッパの教会が天動説を指示、魔女狩りを行ったといった歴史…一部、反キリスト教からの批判があるかどうか精査していません…は、おヘソ教と大差はないと思えます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/951

そんな非科学的な『聖書』の一面が、批判の俎上に載ることもないわけです。
俎上に載らない第一の理由は、仮に『聖書』のこうした非科学的な側面を批判したところで、悪口雑言をしたり、人格批判に転じるような攻撃をしないという「大人の対応」を心得ているからかもしれません。

そういった意味で創価学会を含む大石寺圏は、現役・脱会を問わず、いまだに中世ヨーロッパの魔女狩りレベルといったところなのでしょうか。しかし、近代社会が、およそ非科学的としかいいようのない天地創造説を前提にするキリスト教を依然と指示し続ける前例は仏教が生き残る可能性を示しているのかも知れません。ただ、愚かな反論をすれば、さらに反論に遭い、自滅を余儀なくされるでしょうが。

> 日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟り

また、前置きが長くなってしまいましたが、この問答さんのご見解は、仏陀中心ではなく、日蓮中心の考えと判断してよろしいでしょうか。また、であれば、仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。

仏教といっても、どこまで仏教というかは議論の分かれるところですから、こうしたお考えは言下に比定されるものではないと思えます。

重ねてお尋ねしますが、ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。

1017問答迷人:2008/07/31(木) 13:58:53

犀角独歩さん

>仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。

日蓮聖人も、何しろ、歴史上の釈尊ではなく、久遠釈尊から、付属を受けたというのですから、これは日蓮教としか言い様が有りませんね。

その教えの根幹は妙法蓮華経という五文字に釈尊の因行・果徳が悉く具わると言うのですから、これは法華経にも他の経典にも何処にも書かれていない、日蓮聖人独自の見解であると思います。

如何なる悟りを根拠に、その様に断言されるのか、大変興味の湧く所です。何しろ、文字至上主義は余りにも極端ですから。

>ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。

恐らくは、その悟りの世界を具体的に図示したのが、日蓮聖人の妙法曼陀羅なのだと思います。

1018犀角独歩:2008/07/31(木) 15:26:26

問答名人さん

こうした日蓮の解釈は、法華経が釈尊の金言、最期8箇年の真説であるという前提で、700年間指示されてきました。
しかし、この前提が崩れたとすると、当スレッドのテーマである「現代人が納得する」ことがあるでしょうか。

1019問答迷人:2008/07/31(木) 15:54:53

犀角独歩さん

妙法蓮華経の五字の出どころは、言うまでも無く、羅什訳の法華経の経題ですね。日蓮聖人は、この経題を構成している五文字が全てだというわけです。別の言い方をすれば、この五文字が仏の教えの全てを尽くしていると。

戸田さんが「日蓮大聖人がその教えの究極を弟子・檀那に語るとすると『南無妙法蓮華経。お仕舞い。』」という意味のことを語っていたのを思い出しますが、そういう結論になると思います。

これを果たして、現代人が納得するのかと言えば、納得はほとんど絶望的だと思いますね。

恐らく、仏教考古学の研究が進めば進むほど、日蓮聖人のこの教えは、釈尊の教えからは懸け離れたもの、と看做されるのではないでしょうか。

それにもかかわらず、又、前に書いたことの蒸し返しになりますが、日蓮聖人が見た世界を追体験したい、という僕の強い心の欲求は、一体これは何なのでしょう。やはり、僕にとって、日蓮聖人という人は、それ程魅力的な存在なのだとしか言い様が有りませんね。

1020犀角独歩:2008/07/31(木) 17:04:02

問答名人さん

たびたびのご回答、有り難うございます。

わたしは先に、法華経は後世の創作、天台のでたらめ、日蓮の間違いといったいわば、現代、形成されつつある仏教へ向けられる「常識」からの批判を、殊に極端に沸騰させ、表現してみました。

こうした批判を排他すれば、逆に排他されておしまいになるでしょう。

ところが、法華経が後世の創作であったとしても、天台がでたらめであったとしても、日蓮も間違っていたとしても、それでも、依然として残る、人々を惹き付けて止まない何かがある。問答さんの元をお借りすれば「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、わたしは日蓮は、それまで着飾ってきた五色の錦(法華経、天台、就中、仏法の無謬性)が襤褸(ぼろ)に替わってしまっても、日蓮は必ず21世紀に残っていくのだろうと思います。

そうした意味で、わたしの不躾な質問に対して、けして怒らず、逃げず、批判と正面から向かい合ったうえで、それでも、日蓮に魅力があると言い切った問答さんの言葉に「待っていました」という気分になりました。

御礼申し上げます。

1021問答迷人:2008/07/31(木) 17:42:22

犀角独歩さん

>「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、

そうなんですね、是非とも、日蓮聖人の実像に迫りたいものだと思います。

>「待っていました」という気分になりました。

独歩さんの、巧みな誘導の結果ですね(笑)。

1022犀角独歩:2008/07/31(木) 17:47:31

問答名人さん

> 巧みな誘導の結果

いや、このお言葉はそのままお返しします。
わたしが、敢えてHNを替える無礼まで犯して、問答名人さんとお呼びする所以です。有り難うございます。

1024蓮華:2008/08/02(土) 12:57:24
はじめまして
私はさほど知識があるわけではありませんが、ブッダが悟りの境地に達したのは、インドの菩提樹が初めてでなく久遠(遥かかなた気の遠くなる遠いの昔)に悟った。その様な事が、記載されているのが寿量品との事。
寿量品に速成就佛身、つまり即身成仏できると解いてます。
ブッダの教えが何人かに漢訳され、どの訳が一番優れているか、それを感じる個々により違います。
日蓮聖人と釈尊の説いた、妙法蓮華経は同一です。
不自惜身命と寿量品に記載されている如く、日蓮聖人のご生涯は不惜身命を貫き通し、布教されたと思います。
「法華経方便品・寿量品講義」に触れてみてはいかがでしょうか。

1025マターリ:2008/08/02(土) 13:11:04
>蓮華さん、初めまして。日蓮聖人と書かれていますので、日蓮宗の方
かな、とも思いますが、決まりですので、いちおう自己紹介スレッドへ
の書き込みをしていただければ、と思います。

1026パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:53:46
竜口法難の日ですね。(暦の違いはありますけど)
以前、12日or13日かとか、光物の議論があったのですが、久しぶりに遺文を通して整理してみたいと思います。
種種御振舞御書の内容が一般通説のようになっていますけど、腑に落ちない点が多々あることですし
多少スレタイと趣を異にしますが、改めて確認出来ることがあるかもしれませんので、そこはご了承をねがいます。
まずは文永八年九月十二日付近の記述を、真蹟遺文でみてみます。  ()内はおおよその時間。

土木殿御返事 文永8年 9/15 依智
 ・此の十二日酉の時(18:00)御勘気。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑の時(2:00)にかまくらをいでて、佐土の国へながされ候が
  法華経の御ゆへに過去に頸をうしなひたらば、かかる少身のみ(身)にて候べきか
五人土籠御書 文永8年 10/3
 ・今月七日さどの国へまかるなり【実際は十日】
寺泊御書 文永8年 10/22
 ・今月〈十月なり〉十日相州愛京郡依智の郷を起ちて、武蔵の国久目河の宿に付き、
  十二日を経て、越後の国寺泊の津に付きぬ
富木殿御返事 文永9年 4/10
 ・日蓮臨終一分も疑ひ無し。刎頭の時は殊に喜悦有るべく候
諸宗違目事 文永9年 5/5
 ・去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか
撰時抄 建治元年
 ・二には、去にし文永八年九月十二日申の時(16:00)に平左衛門尉に向かひて云く、日蓮は日本国の棟梁なり。
 ・第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、
聖人御難事 弘安二年
 ・同じき文永八年〈辛未〉九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む

1027パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:54:40
続いて真蹟未断簡・曾存。

法蓮抄 建治元年
 ・去ぬる文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云く、予は日本国の棟梁なり
一谷入道百姓女房御返事 建治2年 5/8
 ・又文永八年〈太歳辛未〉九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが、忽ちに頸を刎ねらるべきにてありけるが、
  子細ありけるかの故にしばらくのびて、
報恩抄 建治2年 7/21
 ・去ぬる文永八年九月の十二日には頚を切らんとす
 ・去ぬる文永八年九月十二日に平左衛門並びに数百人に向かいて云く、日蓮は日本国のはしらなり
 ・去ぬる文永八年〈辛未〉九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、其の夜はのびて依智というところへつきぬ。
 ・又十三日の夜はゆりたりととどめきしが、又いかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに
下山御消息 建治3年 6月
 ・去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。
開目抄 文永九年 2月
 ・日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、

続いて写本分。
四条金吾殿御返事 文永9年 5/5
 ・去ぬる九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頸をはねらるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は延びて此の国に来たりていま(今)まで候に
頼基陳状 建治3年 7月
 ・三位も文永八年九月十二日の勘気の時は供奉の一人にて有りしかば
三沢抄 建治4年 2/23
 ・而るに去ぬる文永八年九月十二日の夜、たつの口にて頚をはねられんとせし時よりのち、ふびんなり

次に未決文・及び確定偽書。
佐渡御勘気抄 文永9年 3/20
 ・九月十二日に御勘気を蒙りて今年十月十日佐渡の国へまかり候なり
佐渡御書 文永9年 3/20
 ・去年九月十二日御勘気を蒙りし時
顕立正意抄 文永11年 12/15
 ・去ぬる文永八年九月十二日御勘気を蒙りし時吐く所の強言 
妙法比丘尼御返事 弘安元年 9/6
 ・又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる
 ・第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頚を切るべしとて鎌倉竜口と申す処に、九月十二日の丑の時に頸の座に引きすへられて候ひき。
 ・いかがして候ひけん、月の如くにをはせし物江の島より飛び出でて使ひの頭へかかり候ひしかば、使ひおそれてきらず。とかうせし程に子細どもあまたありて其の夜の頸はのがれぬ
四条金吾殿御返事 弘安元年
 ・去ぬる文永八年九月十二日の子丑の時、日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、さがみのえちに御ともありしが
中興入道御消息 弘安2 11/30
 ・去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて、北国佐渡の島にうつされて候ひしなり
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
波木井殿御書 弘安5年 10/7
 ・同じき十月に訴状を書きて重ねて法光寺殿の見参に入れ奉りしに、
 ・文永八年〈辛未〉九月十二日には頚の座に登り、相模の竜口へ遣はさる
 ・既に頚切られんとせしが、その夜は延び候ひて相模の依智へわたされ、本間の六郎左衛門が預かりおきぬ。明十三日の夜ふけ方に不思議現ず。大星下りて庭の梅の枝に懸かりき
法華本門宗要抄 弘安5年
 ・日本国人王八十九代恒仁の御宇、法光寺殿の御代、文永八年〈辛未〉九月十二日、相州竜口に於て既に頭を刎ねられんとす
 ・法光寺殿の御所中に大星下り給ひて、石坪光を放ち之れを睨み、巍(いかめ)しき地震を以て四方を鳴動して之れを告ぐ
 ・合掌して之れを観念せしむる時、江の島より大いなる光物日蓮が頸の座の上に出現し、鷹隼の飛ぶが如くして後山の大木に移るかと之れを見れば、忽ちに雲霧を出だして即ち昏闇となり
 ・天明くる十三日の夜、方々に不思議の大彗星出現し、或は庭上の梅の枝に下りて夙夜に光を放ち、見る人目を驚かし聞く人之れを恐る

1028パンナコッタ:2008/09/12(金) 20:55:13
そして種種御振舞の記述部分。
 ・去ぬる文永八年〈太歳辛未〉九月十二日御勘気をかほる
 ・さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかり(預)にて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに
  江のしま(島)のかたより月のごとくひかりたる物、まり(鞠)のやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。
 ・十二日の夜のあけぐれ(昧爽)、人の面もみえざりしが、物のひかり月よ(夜)のやうにて、人々の面もみなみゆ
 ・午の時計りにえち(依智)と申すところへゆきつきたりしかば、本間の六郎左衛門がいへに入りぬ
 ・其の日の戌の時計りにかまくら(鎌倉)より上の御使ひとて、たてぶみ(立文)をもって来ぬ。頸切れというかさねたる御使ひかともののふどもはをもひてありし程に
  其の夜は十三日、兵士ども数十人坊の辺り並びに大庭になみゐて候ひき。九月十三日の夜なれば月大いにはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて月に向かひ奉りて、
  自我偈少々よみ奉り 〜 いかに月天いかに月天とせめしかば、其のしるしにや、天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば
 ・夜明くれば十四日、卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云く、昨日の夜の戌の時計りにかうどの(守殿)に大なるさわぎあり

長くなって大変恐縮ですが、蓮祖の記述で時系列的にみてみれば
 12日夕方捕縛→大仏宣時邸で預かり→明けた13日深夜佐渡へ出発→途中、竜口で頚を切ると脅迫される→そして依智へ連行される
この辺が、記述から読みとれるほぼ実像に近い姿でしょう。 

すると種種の「十二日の夜のあけぐれ」は、やはり変ですね。13日のあけぐれでなければならない。
また過去に、種種と佐渡御勘気抄の分離していた所でもあり、混入も十分あり得るかと思います。
此処が原因かどうかは解りませんが、この場合の12日が(通しの)譬喩表現だったとしても一日ずれて後世の人々が
解釈・認識、偽書の作成が行われたようですね。
仮に光物があったとしたら、それは日付が変わった13日の深夜から夜明け前でしょう。日が完全に登ってからでは依智まで30〜40kmありますので
午の時(12:00)ぐらいに到着するのは護送されていることを考えれば、ちと無理でしょうね。
又、この日の日没後に星降りがあったことになります。つまり同日の出来事となります。
しかしながら学会等では、光物が発迹顕本とムリに位置づけして本仏論を唱えている割には星降りをスルーするのはどうなんでしょうかねぇ。

頚を切る という脅迫の事実は、佐渡に行く間も行った後も続けられていましたし、
伝説は伝説、後代の変な意味合いを無理強いする姿勢は改めた方がよいでしょうね。

1029犀角独歩:2008/09/13(土) 09:44:31

パンナコッタさん

興味深く拝読しました。

> この場合の12日が(通しの)譬喩表現だったとしても一日ずれて後世の人々が解釈・認識、偽書の作成が行われた

なるほどと思いました。


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