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聖典引用 板
1969
:
goro
:2013/01/24(木) 20:06:11 ID:nCo1DokU
>>1964
の続き
この光景を、思いがけなくも、私が拝した次第であった。ああ、これこそ、ほんとうの日本の姿、と私は思った。何とか連絡をとって、いま、陛下は艦上から、あなたがたのお見送りのともしびに対して、ご挨拶をしておいでになりますよ、と知らせたい気持ちで胸一杯の私は、その方法がないのに、もだえ苦しんだ。。無線で打電しようかとも思ったが、いま、あの山の上で、かがり火をたいている人たちの耳に、到底、今夜のうちに届くとは思われない。
フト、そのとき、一案を思いついた私は、すぐさま艦長室へ走った。艦長に事情を話して、艦の探照灯を全部つけて貰うことを頼んだところ、艦長も感激して、すぐつけましょう、という。私はお願いしますの一語を残して、また、すぐ後甲板に引き返したところ、そのときは、もう六ケの探照灯の光芒が皎々と、左は大隅半島、右は薩摩半島の空や山や海岸一帯を、くまなく撫でまわしていた。
はるかに、ワッ、とあがる両岸の歓声を想像しながら、私はほんとに嬉しかった。
海上、聖夜の讃
月もなく星も稀な夜空の元、黙々と鹿児島湾を南下する軍艦榛名の薄暗き後甲板は、人なく声なく、ただ一人、陛下のおん挙手の尊影を仰ぐ。
御会釈を賜る者は、そも誰か。肉眼にこれを求めて之を得ず、わずかに望遠鏡のレンズのうちに、薩摩半島沿岸一帯、はるかに見ゆる奉送のともし火、盛んなるかな、山々には、かがり火、岸辺には、ちょうちんの群れ、延々として果てしなくつづく。
さらば陛下、いざさらば、
おんすこやかにおかえりませ。
ありがとう、
皆も元気でね。
げに闇をも貫くは、真心の通い路。海波遠くへだてて、君民無言の、わかれのかたらい。
ああ、誰か、邦家万古の伝統を想わざる。時はこれ、昭和六年十一月十九日。
1970
:
さくら
:2013/01/25(金) 07:48:05 ID:e8ieIrPA
合掌ありがとうございます。
本日、一月二十五日は、『自然流通の神示』が天降った日です。
拝
1971
:
さくら
:2013/01/25(金) 07:48:41 ID:e8ieIrPA
『自然流通の神示』 谷口雅春先生
『生長の家』は奇蹟を見せるところではない。
『生長の家』は奇蹟を無くするところである。
人間が健康になるのが何が奇蹟であるか。
人間は本來健康なのであるから、健康になるのは自然であつて奇蹟ではない。
『生長の家』はすべての者に眞理を悟らしめ、異常現象を無くし、當り前の人間に人類を歸らしめ、
當り前のままで其の儘で喜べる人間にならしめる處である。
あらゆる人間の不幸は、當り前で喜べない爲に起るものであることを知れ。
當り前で喜べるやうになつたとき、その人の一切の不幸は拭ひとられる。
病氣もなければ、貧乏もない、また搾取された富もなければ、搾取した富もない。
蹂躙られた弱者もなければ蹂躙つた強者もない。
唯、一切が渾然として一切の者が富んでゐる。
此れが實相である。
大いなる生命の流れが一切者に貫流し、とどまらず、堰くところなく、豊かに流れて、ものの供給もおのづから無限である。
一切のものが必要に應じて流れ入ること、一つの大河の流れより水を汲みとれば、隣の水來りて其の虚を埋めるのと同じさまである。
流通無限、貧に執せざるが故に貧とならず、
富に執せざるが故に他を搾取せず、
流通せざる固定の富なきが故に、みづから豊富なる供給の流れを受くれどもそれを占據せず、執着せず、來るに從つて拒まず、受けて更に價値を増して他を潤す。
自給自足などとは自他に捉われた狭い考へである。
自他は一つである。
『生長の家』は自給他足、他給自足、循環してとどまらず、大實在の無限流通の有様を見て、その有様の如く現實世界を生きるのが現實界の『生長の家』である。
貧に執する聖者も、富に執する富者も、『生長の家』人ではない。
當り前の人間を自覺し、當り前に生きるのが『生長の家』の人である。
『當り前の人間』が神の子である。
皆此の眞理を悟つた人が少い。
『當り前の人間』のほかに『神の子』があるやうに思つて異常なものを憧れるのは、
太陽に背を向けて光を求めて走るに等しい。
皆の者よ、人間の生命の實相を悟つて病が治るのは、病念と云ふ異常現象が止んで、人間が本來の自然に歸るからである。
異常現象はすべて病氣の一種である。
貧しさも異常現象であるから、人間の心が自然に還ればなほるのである。
異常現象のなかに神があると思ふな。
そこには好奇を喜ぶ不自然な心があるばかりである。
怒り、憎しみ、恐れ、嫉み、他を蹂躙つて打ち勝ちたい心ーーーすべて是等は異常な心であるから病氣の因である。
異常な心を去れば病氣も貧しさも治る。
當り前の人間になることが大切である。
當り前の人間のほかに神の子はない。
(昭和八年一月二十五日神示)
1972
:
SAKURA
:2013/01/25(金) 10:23:08 ID:vHmGGzRQ
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
おはようございます……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
>>1779
>>1780
>>1783
>>1792
>>1792
>>1793
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>>1801
>>1804
>>1812
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>>1821
>>1822
>>1836
>>1837
>>1842
>>1843
>>1852
>>1875
>>1876
>>1879
>>1888
>>1889
>>1913
>>1914
>>1923
>>1924
>>1934
>>1935
>>1956
>>1957
>>1966
>>投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
===【生命の実相…2巻 抜粋】============================
■【五感的存在の否定】 その②
>>われわれの眼にカーブが曲って見えたり、直線がまっすぐに見えたりするのも、われ
われの眼球がまん円い結果であって、眼球をまん円く」ないもの取りかえるとすると、カ
ーブの方がまっすぐに見えたり、直線の方が曲って見えたりするのであります。するとわ
れわれが曲線だ、といっているのも、その線そのものがまっすぐなのであるか、曲って
いるためであるかは五官では判別できない、ただそれはわれわれの眼の球との関係上、そ
う見えるにすぎないのであります。時間的長さも空間的形態も、このようにわれわれの知
覚機関との関係上、相対的にただそう感じられるだけで存在(もの)の実相(ほんとのすがた)
はわれわれの五官ではしることができないのであります。 (一部抜粋)
=============================================
■■ですので【現象での物事】は、それぞれの見た事だけを、認めない見方です〜〜〜ョネ!
人によって、その人の“心の捉え方”で、【人生が短くも!長くも!ある事となり、現象での五官
とは、五感で見る事になりますよ〜〜〜ネ!!
そうして考えますと、やはり【時間の使い方…】は“楽しい心”を伸ばすことは、
【心=実相世界に入る事】でしょうか??やはり無理して“環境”の合わない人とは、避けていき、
どうしても避けられな状況の場合は【心の眼で実相…】を見て【祈る…】だけでいいと思います。
何故なら、今の私は、彼らの「世界観が理解できないし、そして、それは私に取り、理解出来無い
世界ですから」と思います。■【 時 間 の 観 念 は 心 で 決 ま る 】のでしょう。
===【生命の実相…2巻抜粋】==============================
>>先生は、さらに五官を通じて存在(もの)を見る心は{迷わしの心}であって、存在(もの)
の実相(すがた)を観る心ではないことが分かるのであります。
≫≫五官の感覚で見たりしたところのものを存在(もの)の実相(ほんとのすがた)だと
思ってはならない。 (一部抜粋)
===========================================
■■この様に「雅春先生…」は、私どもに指導しておられますので
【心の眼で見る事は、やはり“神想観”でしょうかと??神に“心…”を振り向ける事!!】が、
これが、一番の“かなめ”かと改めて思う次第です。…が?
つづく
1973
:
goro
:2013/01/25(金) 13:23:04 ID:nCo1DokU
>>1969
天皇とその御責任
戦後、私が皇后宮大夫兼侍従次長として、再び両陛下のお側にお仕えするようになったのは、昭和二十年の十月のことであった。思えば、昭和五年侍従兼皇后宮事務官の職を離れてから十数年ぶりで、その間、私は、宮内大臣官房秘書課長、総務課長、内匠頭、帝室会計審査局長官と、いろいろな仕事に従事したが、久しぶりで侍従職に帰ってみると、往事とは事情が一変しているのに気がついた。長年の間、君側にあって、常時、輔弼の重責を担ってきた内大臣府が戦後、すでに廃止されて、その仕事は侍従職に移管されている。
連合軍の国内進駐、時が時だけに、皇室の将来を憂える論客、隠士、或はまた、一情報を入手するために万金一擲を辞せぬ有志があるかと思えば、また一方には、占領軍との特殊な関係を笠に得意満面の俄か官僚等々、大波小波寄せ来る中に、侍従職は立った次第であった。当時は、いつ何どき、何が起こるか、油断のならぬ時節であったので、私はベッドを侍従職の自室に持ち込んで夜を過ごすことが多くなり、したがって夜毎に、陛下のお室で、ゆっくり、いろいろなお話しを承る機会を持つようになった。
当時、天皇の戦争責任に関する占領軍当局の調査は、かなり手厳しいものがあったらしい。これに対する日本政府の釈明としては、日本は立憲君主国であるから、政治上の最高責任者と軍事上の最高責任者とが一致して開戦を上奏してきた場合には、天皇はこれを裁可せざるを得ない。この場合、もし天皇が独自の判断を以て、これを拒否したとするならば、それは専制君主的の行動であって、立憲君主としては、到底なし得ざるところである。ということであったように聞き及んでいるが、陛下から、ゆっくりいろいろと、お話しを承っているうちに、私が私なりに考えたことは、次のようなことであった。
前掲の日本政府の釈明もさることながら、陛下のお心のうちには、もし自分が開戦を絶対に許さなかったならば、軍部の隠忍自重も遂いにその限界に達するであろうし、もし一歩でも、その限界を踏み越えたとなれば、跡は感情の激発するところ、かえって凶暴なる戦が開始され、その結果、長く世界歴史の上に、日本人の汚名を残すようなことになるのではなかろうか、という、まことに悲痛な御心配と御覚悟があったのではなかろうか。
1974
:
a hope
:2013/01/26(土) 10:25:46 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆本を読むにもコツがあります(p125〜)
魚をとるには魚をとる方法があります。
小さな魚を、目のあらい網でとろうと思っても、とれるものではありません。
それと同じように本を読むには、本を読む方法があります。
読みかたが大切なのであります。
いたずらに本をたくさん読んだからといって、えらいわけではありません。
世の中にでて、立派な人になれるか、なれないかということも、その大部分は、
どのようにその人が本を読んで、自分を養ったかによって、きまるのであります。
網やザルで水をすくうようにしたからとて、何一つ自分のものになるわけではありません。
トンネルの中を走る汽車のように、盲(めくら)めっぽう早く本の中を走り抜けたからとて、
何一つ心の中に残らないようでは、なんにもならないでしょう。
汽車に乗っても落着いて、四方の景色をよくながめ、どこの駅は何県の何町にあり、
なんの産地であるか、昔、歴史では織田信長がどうしたところであるかとか、
よく考えながら景色を見ていますと、汽車の走り旅でも、修学旅行ほどの知識が得られますのに、
ただ呆然(ぼんやり)と外を見ながら、汽車で走っているだけでは、何も得ることは出来ないのです。
これと同じような調子で、心が「うわの空」になって本を読んでいるのでは、
それは人間の生命(いのち)と時間との無駄使いをやっているにすぎないのであります。
本を読んでも、その著者(ほんをかいたひと)は誰か、中味には何が書いてあったか、
何を教える為にその本は書かれていたか―――こんなことさえ気がつかないで本を読んだ気持ちになっている人も随分ありますが、
それは実におろかな本の読みかたです。
(つづく)
1975
:
goro
:2013/01/26(土) 17:44:29 ID:nCo1DokU
>>1973
の続き
かく思うとき、私は明治十年薩摩における西郷隆盛挙兵の心情がよく判るような気がした。忠誠なる彼が、陛下に敵対するような考えのないことは明瞭であり、且つ日本陸軍育ての親の一人として、鹿児島一地方の兵力が全日本陸軍の兵力に対し、到底対抗のできないことは百も承知で上でありながら、敢えて薩摩隼人の強請に応じて立ち上がったのは、我が愛する若殿原に見苦しい狂い死にはさせたくない。この際、自分が統制をとって、われもろとも立派に玉砕しよう、という自分の名誉も命も捨てた最後の処置であったのではなかろうか。
開戦当時、私はお側にお仕えしていなかったが、ほんとに偶然なことで、ちょうど日米戦端の開かれた昭和十六年十二月八日の朝、三十分ばかり、陛下にお目にかかることになった。当時、私は帝室会計審査局長官の職にあったが、長官の仕事は、宮内大臣の指揮監督外に立って、宮内省会計の全般に亙って、これを審査した上、独自の判断を以て、その適否を直接、陛下に上奏する責任を持っていた。この拝謁上奏の時期は毎年十二月が常例であったので、私は十一月の中旬、侍従職を経て、陛下に十二月何日の何時に拝謁上奏いたすべきや御都合をお伺いしたところ、十二月八日午前十時との御指定があった。
八日朝早く、私は我が家の庭の梅の木の下に立った、というのは、上奏のとき図表を御説明する指し棒として、我家の庭の梅の若枝一本を持参するのを毎年の例としていたからである。適当な枝を、と選んでいると、そのとき、ラジオが俄然威勢のいい軍艦マーチを放送しはじめ、続いて日米海軍衝突、真珠湾奇襲攻撃成功の重大ニュースが発表され、日頃静かな私たちの街も俄に騒然としてきた。さては、いよいよ日米衝突か、今日の上奏は当然お取止めになるだろうと思ったが、侍従職から何ら取りやめの電話がないので、私は予定時刻に侍従職に出頭した。
私の到着を聞いて、百武侍従武官長が出てこられ、只今、御前で重大な会議が開かれているから、暫く待たれるように、とのことであった。三十分ばかりたって拝謁したが、陛下は、いかにもお寝不足の御様子である。会計審査報告などは、何も今日に限ったことではない、いつでもよろしいのに、陛下は、一旦お決めになったことは、なかなかご変更にならない。
1976
:
goro
:2013/01/26(土) 17:48:00 ID:nCo1DokU
>>1975
の続き
私は、陛下のお疲れを思い、いつもなら一時間くらいかかる上奏を、三十分ばかりに短縮して御前を退出することにしたが、数年間お側におった関係から、、つい、いよいよ戦が始まりまして、と申し上げたところ、極めて沈痛な御様子で、真珠湾の緒戦には幸い成功したが・・・ねと仰せになっただけでなっただけでお言葉がない。極めて御心配の御様子だ。私は御心のうちを拝察して何ともいわれぬ気持ちになった。
今日からは敵味方、何万という若者たちが失われていくのか、ということが、勝敗を度外視して、お心にかかっていたのであろう。一歩、皇居の外に出ると、奇襲攻撃成功、万歳々々の歓声のうず。ああ、誰か皇居の奥深く、戦争の悲劇に、心から憂いのおん目を向けさせられて陛下のお心のうちを拝察したものがあったであろうか。
昭和二十年八月十五日、終戦の時にも、私は会計審査局にいたから、当時の陛下の御様子を語る資格はないが、当時お詠みになったお歌を後で拝見させていただいたので、四首ここに載せさせていただく。
爆撃に倒れ行く民の上をおもひ
いくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけり
ただたふれゆく民をおもいて
国がらをただ守らんといばら道
すすみゆくともいくさとめけり
外国と離れ小島にのこる民の
うへやすかれとただいのるなり
鳥にたとえては、甚だ恐縮であるが、猛鳥の襲撃に対し、雛まもる親鳥の決死の姿を、涙して想うだけである。
1977
:
SAKURA
:2013/01/26(土) 17:59:49 ID:ace8L14.
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1653
>>1654
>>1661
>>1674
>>1675
>>1744
>>1753
>>1765
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>>1792
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>>1889
>>1913
>>1914
>>1923
>>1924
>>1934
>>1935
>>1956
>>1957
>>1966
>>1972
>> 投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』
===【生命の実相…2巻 抜粋】============================
■【実相の世界における神人としてのわれの存在】 その②
>>善財童子が金剛蔵道場の普賢菩薩を見たときの心はどうであったかと申しますと
『華厳経』入法界品第三十四ノ十七によりますと、「正念して……虚空界に等しき心、
一切無着の心、一切刹を清めて障礙なき心、一切法の境涯において障礙なき心、一切十方
に充満する」等々の心を起こしたとあります。この正念して虚空界に等しき等々の心を
起こすことが神想観であります。
>>音声無辺であるというのは、われわれの実相は天地に満つるコトバであるからであります。
これが金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている
のはこれ実相の世界であって、神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命、無限の供給に満た
されている大調和の世界である。この大調和の実相の世界にいてわれ神の子として神より無限
の生かす力の供給を受けつつあるのである」と念じて精神統一にいるのは、自己が衆生の一人
であると同時に普賢菩薩と同じように身量無辺、音声無辺、色蔵無辺である自己の実相を悟ら
んがための行法でありまして、これこそ真正の観普賢菩薩行法なのであります。(一部抜粋)
============================================
■■私達は、「普賢菩薩様…」のように【日々の祈り】の自覚が、そして、日々のこの行事で
あります【神想観=瞑想】で〜〜〜【神との一体】になれる素晴らしさは、計り知れないモノ
でありまして、それは【心の青空…あの澄み切った世界観】がみえてきますのでしょうかと。
時折ですが?仕事の関係上【先祖供養…】だけですませる事がありましたが、最近は、
【神想観…】を中心に致しますと、やはり【発想の転換…】ができまして、良い事と云いますか?
物事が、スムーズになる事が、生じます。…が?そして、如何しても【現象で物事捉える】この
ような傾向がちですが、今の私は「活かされている〜〜〜実感」がフツフツ湧きあがり、この
素晴らしい【精神統一…神想観】に感謝です。もっと、深く【祈り…】に徹していき〜〜〜
私も【普賢菩薩の仲間入り】になれるようです〜〜〜ネ!!
■毎日「金剛蔵道場すなわち実相世界における「われ」の実相の世界に入る自分の座っている」
私は、“実に〜幸せかな〜〜♫〜〜”と、あらためて「雅春先生」に感謝です。そして、
現在の「総裁先生」に感謝です。では、今から、そうですとも!
【人間…神の子ですもの!!】と認識しながら“金剛蔵道場”の中へ入っていきましょう!!
つづく
1978
:
goro
:2013/01/27(日) 01:20:28 ID:nCo1DokU
>>1976
の続き
終戦後の御心境については、語るべき多くの事柄がある。前述のように、私が再び陛下のお側にお仕えするようになったのは、終戦の日から二ヶ月ばかり後であった。当時、国内の状況はいかがであったか。国民は衣食住すべて窮乏の極に達している。私は陛下の御心中を拝察して、まことに断腸の思いに耐えなかった。
敗戦による国内秩序の混乱、また戦時中の統制が解除されたのを機とし、言論の自由は特に目にあまるものがあった。特に天皇の御責任を追求する論説には、なかなか鋭いものがある。陛下は新聞をよくお読みになるから、これらの論説の横行は、よく御存知であるが、どういう訳か、天皇の戦争責任に関する論議にだけは、一言もおふれにならないで、避けよう避けようとなさる。何かのはずみで、話題が天皇の責任論に近ずく様子が見えると、すぐに話題を変えておしまいになる。
私の胸には、昭和の初めの頃の話であるが、陛下が、御自分の御責任について、深刻な反省をなされたことの記憶があるので、このたびの敗戦については、さぞかし、これに数倍する深刻さを以て、おん自らを責めておいでになるであろうことは、お察しするに余りある次第であるが、なぜ、御自分の御責任に関する話題を回避なさるのか、その理由を私の在職中には遂に知ることができなかった。
昭和の初めころのお話しというのは、個人の名誉に関することであるから、その人の姓名や事件の起こった時期を、此処で明らかにすることは避けるが、とにかく私が侍従として陛下のお側におった或る秋の夕暮の頃のことである。その時の内閣書記官が、慌ただしく侍従職に馳せつけてきて、一個の上奏箱を私に手渡していうには、この箱の内には、一刻を争う内閣総理大臣の至急の上奏書が入っているから、速やかに御裁可を仰ぐように特に配慮していただきたい、とのことであった。私は、その箱を受け取って、直ちに陛下のお室に参り、陛下のお机の上にある鍵箱から鍵を拝借して、これを開いた。これは通例のことで、上奏箱は、この鍵でなければ開くことができないのである。
箱の中から出てきたのは、ただ一通の上奏文書であった。何某起訴処分の件、右謹んで裁可を仰ぐ。年月日。内閣総理大臣何某印、という表題の上奏紙の裏に、数枚に亙る司法(現在の法務)大臣の起訴理由書が綴ってあった。当時の慣例として、正三位勲一等というような身分の人が犯罪の疑を持って起訴される場合には、陛下のお許しがなければ手を付けることができない内規があったので、大至急そのお許しを得るための上奏であったのである。
1979
:
goro
:2013/01/27(日) 12:22:38 ID:nCo1DokU
>>1978
の続き
この事件は既に新聞がやかましく報道していた汚職事件であるが、何分にも火中の人物が政治上の権力者であるので首相及び司法大臣が果たして起訴を断行する勇気ありや否やが世人の注目の的であった。私は、この上奏書を一見した瞬間、総理もいよいよ決心されたか、といささか痛快な気持ちで、これを陛下のお机の上にさしあげた。汚職といえば、陛下の最も忌み嫌われる問題であるから、すぐ裁可の印をお捺しになるだろうと思っていたところ、以外にも、陛下はその書類を一見遊ばすや否、非常にご当惑の御態度をお示しになった。困ったなーといったような御様子である。
これを拝見した瞬間、私の胸中には、はて、なぜだろうか。というような、かすかな疑問が湧いたが、陛下は上奏書に付属した司法大臣の起訴理由書をくり返し、くり返しごらんになり、なかなか裁可の印をお捺しになろうとなさらない。だんだん時がたつにつれ、おそばに立ってお待ちしている私も、いろいろ考え始めた。自分は陛下より十以上も年上の男でありながら、先刻来、いささかなりとも痛快味を覚えたことは、何んと浅ましく恥かしいことか。
陛下は、われわれと違って、いつ人とお会いになっても、対立感というものを少しもお持ちにならない。それだから、汚職そのものは徹底的にお嫌いだが、汚職をした人を憎いとは、お思いにならないらしい。ただ汚職の行われる世の中を、いとも悲しと観じておいでになるのではなかろうか。われわれは、人と会えば、すぐ持ち前の対立感に促われて、この人は自分より身長(せい)が高いか低いか、から始まって果ては、馬鹿か利口かに至るまで、あらゆる比較を腹の中でするものだが、ほんとのところ、神様の目から見れば、お互いに五十歩、百歩のちがいに過ぎないことには、とんと気がつかない。ああ、なんと恥ずかしいことか、と恥じ入る他はなかった。
稍暫らくして、とうとう、陛下は上奏文書に裁可の印をお捺しになった。これで起訴は決定したわけだ。何某氏は今夜にでも逮捕されることになったのである。私はその書類をいただいて、箱に入れ鍵をかけ、一刻も早く、私を待っている内閣書記官に渡そうと思い、一歩お室を踏みだそうとしたところ、私をお呼び止めになったから、何か別の御用かと思い、お側に近づいたところ、ただ一言、沈痛なお声で、「わたしが悪いのだよ」とおっしゃって、考えておいでになる。
このとき私は、ほんとうに、なんともいわれぬ、つらい思いに胸を炒めた。われわれの仲間の犯したあやまちが、かほどまでに、陛下のお胸を傷めるのか、あいすまぬことだ、と思っていたら、つとお椅子から立って椽側におでになったから、、私も無言のままお伴をして椽側に出た。この椽側は、このたびの戦災で焼失してしまったが、明治神宮の絵画館に掲げてある数多の油画のうちの一つ、教育勅語下賜の図という大きな額面に描かれているお二階−御学問所と呼ばれる−の椽側がそれである。
1980
:
goro
:2013/01/27(日) 12:27:32 ID:nCo1DokU
>>1979
非常によく晴れた秋の日暮れ、夕日がお庭の松に照りそっていたが、天を仰いで、おっしゃるには、わたしが悪いのだよ、どうすれば政治家の堕落が防げるであろうか、結局わたしの徳が足りないから、こんなことになるのだ。どうすればよいと思うか、とお尋ねになる。このお尋ねをうけても、つい先程、持ち前の対立感から、いささかなりとも痛快味を覚えた私ごとき者に、何とお答えができよう。あふれる涙を抑えて、ただ無言でお室を退出したことがあった。この時の記憶は、あまりにもあざやかで、今でも秋の非常によく晴れた夕暮れ、空を仰ぐと、ときどき、このことが思い出される。
こういう深刻な記憶を胸に焼き付けた、この私が、敗戦後、再び陛下のおん許に帰ってきたのだから、お胸のうちの、おつらさは、よく判るのだが、なぜ、話題が天皇責任論にふれるのをお避けになるのか、その理由の真相は、これを知る由もなかった。私がこれを知ったのは、ずーっと後のことである。私は二十一年に退職し、二十五年以来、荒廃した二重橋前の広場の復旧整備を志す皇居外苑保存教会の仕事に引き続き今も従事しているが、ちょうど昭和三十年の九月十四日の朝、何気なく読売新聞を開いてみたら、その第二面に大きな見出しで「天皇陛下を讃えるマ元帥」という重光外務大臣の手記が掲載されていた。
これを読んでいるうちに、私の胸のうちには感謝感激の情が潮のように高鳴ってきた。それは、終戦以来、私が心ひそかに、求めていた、あるものを、遂に発見したからである。それは何であったか、これは、日本にとって最も大事なことだが、日本に憲法があるとなしとに拘わらず、また、憲法が天皇の御地位に関して、いかような規定を設けようとも、天皇は、日本国民の運命に関しては、皇祖皇宗に対し更にまた上天に対し、絶対の責任を自覚せらるるおん方である。とする私の考え−少なくとも数年間、側近に奉仕した私としては、かく考えざるを得ない−が現に正確な史上の事実として、ここに明らかとなったからである。
終戦処理上、陛下が、いかようなお覚悟を以って、いかような事をなされたか、そして、これを何故に黙秘して、近侍の者にさえ、一言もお洩らしなされなかったか、このことの顛末が、詳細明らかになると共に、あの無遠慮な天皇責任論の横行時代に、敵将との約束を固く守って、一言の説明もなさらず、堪えぬいて来られた、そのおつらさ、その御苦労を拝察して、ただ、ただ、陛下、本当にありがとうございました、と心からお礼を申し上げるより他はなかった。
陛下が、日本占領軍の総大将マッカーサー元帥と初めてお会いになったのは、昭和二十年の九月二十七日のことで、場所は東京のアメリカ大使館内のマ元帥の室であった。この御会見は、会談の内容は一切厳秘に付する堅い約束の下に行われたものであるから、マ元帥は幕僚も遠ざけ、只一人。陛下も通訳一人のほか、何びともおつれにならず、真に一対一の御会見であった。
1981
:
SAKURA
:2013/01/28(月) 14:00:04 ID:DcZTURFY
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>>1966
>>1972
>>1977
投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
では最後に〜〜〜❤〜〜〜〜
===【生命の実相…2巻 抜粋】===========================
■【実相の世界における神人としてのわれの存在】 その③−1
>>この自己を掴むためにする修業が、毎日一定の時間を期してみなさんに実修して、
いただいている「神想観」の修行であります。
>>だから「生長の家」の「知恵の言葉」には「道を歩く時には今神が歩いていると思え」
とあるのであります。同じようにわれわれは机に*よっている時も「今神が机に*よっている」
と思うべきであります。こういうようにして常にわれは神人であるという自覚を失わないよう
にすると、われわれは常に朗らかな光線ゆたかな気分を維持することができ、自分の実相の
円満さが「影であるところの肉体」または「境遇」に映写されてきて、肉体は健康に境遇
は幸福になってくるのであります。
==========================================
■【神想観の重み…】を、深く理解しました。私も、今から【神想観の素晴らしさ】にて、
遥かかなたの「宇宙に〜〜宇宙に〜〜☆」に、入っていきそうです。
昨日は【別板…】で、こちらも“ビックリ・マークの出来事”で、「まじめな私?」には、
なじめない部分もあるのでしょうかと?その様な時には、流れがちがいますのでしょうか?
時々!その職業が「夜の世界観?」にみえるような感じもあり、この様に見えます時は、
“心…”は、暗くネガティブ感にて意気消沈…しぼんでしまいますモノ!
その様な時は〜〜〜❤
つづく
1982
:
SAKURA
:2013/01/28(月) 14:02:41 ID:DcZTURFY
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>>1977
>>1981
投稿の続きです…。
■【実相の世界における神人としてのわれの存在】 その③−2
>>1981
その③−1の投稿の続きです…。
■【一つ一つが自分にとって何が幸せかを“幸せ探し〜❤探し物は何ですか〜❤…
“コトバの力”で探求…!!
「コトバは神と共にあり…」でしょう?「私の行くところはいつも晴天!」と「雅春先生」が、
おっしゃっていました。そして「現総裁雅宣先生」も行くところは、いつも晴天でしょうかと。
“曇り空…”でも、雲の谷間から“ポッカリとお日さま”が、あらわれて頭上を照らして来ます
でしょうかと!これは、逆に申しますと【今神が机に*よっている。】
【どこでも一体の言葉=神があらわれる】のです〜〜〜ョネ!!今日の私は、久しぶりに、
“徹夜”が出来た事に若さを取り戻しつつでしょうかと?【感謝…】そうだ〜〜〜ヮ!この足で
歩く事も出来る“幸せ…”!!一人だけど…必ず!「神様…」そばにいつもいて下さいまして、
素晴らしい方との出会いを導いて来ると確信!!(微笑)この様に、気持ちを新たにしながら…
〜♫〜愛にあこがれながら、 愛をしらないままで、
人は生きてゆくのさ、 この知らない町を、
ひとりぼっちだと、 思う前に何かする事はあるのだろうか…?
〜♫〜愛をふりまきながら、 愛を日々かせながら〜♫〜
【愛…】は、配るモノなんです〜〜〜ョネ!!私でも【愛…】に、確かに、あこがれながらも…
私はと…見つけて行く内に、ダンダン〜ダンダン〜“幸福列車”に乗れるような気持ちになり
ました。そうなので〜〜〜すョネ!!
■【世の為!人の為!に世界中に走ります!!モ〜〜〜ゥ!「吸血気」・「ゾンビ」達とか?そして、
「黒幕デザイナー」には、モ〜〜〜ゥ!恐れない“強い心”に…!!聞こえないこの耳でも…
心の耳で聞く…いつも私の中にも「神様」が、愛の音色を“心の耳”で聞く事を…教えて下さり
日々!の生活に活かされていますことに、感謝が、ますますとできますかと〜♫〜エクササイズ!
❤〜【神様!!私の“心の影である肉体”…当に「コトバの力」で幸福になれるのです〜ョネ!
毎日が〜毎日が〜“楽しい修行”になりそうな気配なので〜〜〜す。楽しい〜〜〜なぁ!幸せ
一杯です〜〜〜ョネ!当に【祈り…】も、今のこの時を活かす事ですかしら〜〜〜ン!!
この素晴らしい“気づき”を…我が内なる「神…」に感謝でしょう。ありがとうございます…。
つづく
1983
:
NANCY
:2013/01/29(火) 02:58:11 ID:aF3cZJnQ
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>>1635
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>>1880
>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
の投稿の続きです
===【 谷口 雅春 先生 著 】===========================
■ 人間には、自分の運命を、自由に支配する力がある。
あなたにはあなたの運命の主人公であり、あなたの境遇の支配者なのであるから、
あなた自身の想念で、あなたがあなたの独特の運命を造るのを何人も妨げること
は出来ないのである。あなたが想念に描くものと類似のものが、あなたの運命
及び境遇として展開してくるのである。
谷口雅春著 『新版 栄える生活365章』
============================================
■■ 何も「信仰…」に触れていない時の私は…『運命…』この言葉は、生まれる前からの
宿命みたいな感覚での捉え方でしたかと。ところが「生長の家…御教え」に触れますと…
思いだしますが「信仰…」当初は、私自身は、まだ!まだ!同じような感覚を抱いておりました。
…が?次第に『心 の 法 則』と言う事を、知りますと【全てのものは“こころ”でつくる】
この事が、次第にわかりだしましたかと、思うのです。
その【心での想念・感情 …】とは、つまり
【心での想った事が?それが良きにしろ?悪しきにしろ?この“現実世界”にて現れてくる
わけですから、それならば“良い〜〜〜想念”を念じ、今現実世界に、現れてきた方が…
それはいいですモノ!!
このように、考えて参りますと【私自身の“こころ”にて、自由に〜〜はばたいて勝ち取る
ことが出来るのです〜〜〜ョネ」!】
ますますと【心 の 法 則】クリア―かと、痛感致しました。
再合掌
1984
:
a hope
:2013/01/29(火) 07:30:52 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆よく考えながら読み、善いことは実行しなさい(p127〜)
本を読むには、考えながら読むことが必要です。
豊臣秀吉が草履取りをしていたときに、どうして出世をしたかというようなことも、
唯(ただ)おもしいなと思うだけでなしに、なぜ出世をしたのであるか、
なぜ草履をふところの中で温めていたのか感心であるのか、考えながら読まねばなりません。
そして、ここは感心だというようなところへは、赤いすじでもひいて心の中に深くきざみつけるようにし、
一ぺん読んだ本でも、その赤い線を引いたところはなんべんもそこをひらいて、忘れないように思い出し、
それを噛みしめるようにして、よいことは自分もそのとおり実行するようにすることが大切であります。
(つづく)
1985
:
goro
:2013/01/29(火) 09:57:54 ID:nCo1DokU
>>1980
の続き
このような次第であるから、御会見の内容は一切、外部には不明のまま、年月が経過していったのである。当時、巷間には、いろいろな風説が流布されたけれども、誰も、事の真相を知っているものはいなかった。ところが、昭和三十年の夏、時の外務大臣重光葵氏が用務を帯びて、米国に赴くことになり、出発に先だち、お暇乞いのため、那須の御用邸に伺候して、へいかにおめにかかった。このとき、陛下は重光外相に、一つのご伝言を託された。それはニューヨークにいるマッカーサー元帥に対する、陛下のご挨拶の御言葉であった。
そこで重光外相は、九月二日の朝、ニューヨークで、加瀬国連大使を伴って、ワードルフ・アストリア・ホテルにマ元帥を訪問し、陛下の御伝言を伝えた次第であるが、この際、重光氏はマ元帥の口から、従来厳秘に付せられていた昭和二十年九月二十七日、陛下対マ元帥、第一回御会見の内容を初めて聴かされた次第であった。
元来、内容は一切、厳秘に付された御会見のことであるから、爾来、陛下は一切を黙して、一言たりともお洩らしになったことがない。然るに十年後とはいえ、マ元帥が重光氏に、あえて事の真相を物語ったことは、恐らく、元帥自身の世界情勢判断と、且つ陛下に対する深い思慕の情と非常な好意とが然かあらしめたのであろう。
これを聴き知った重光外相の驚きと喜びとは、想象に絶したものであったらしい、同氏は事の正確を期するため、この会見に同席し、マ元帥と重光外相との会話を詳細に速記していたスクリップ・ハワード通信社主ロイ・ハワード氏の速記録と自己の記録とを照合し、帰朝の後、これを邦訳して、九月十四日の読売の朝刊に寄稿した次第。これが、昭和二十年九月二十七日、陛下とマ元帥との第一回の御会見に関する日本人向けの報道の第一報となったわけである。
この第一回の御会見の際、命乞いに来たのだ、とばかり思って、服も改めず、お出迎えもせず、自分の居室で陛下を迎えた元帥が、お帰りの際には、いとも鄭重に玄関先までお見送り申し上げていることは、一体何を物語るのであろうか。数千年の世界歴史の上で、民族の興亡は、いくたびも、いくたびも、くりかえされたが、未だかつて、国民を庇って、身命を捨てる君主のあることを知らなかった元帥が、眼前に立たれる陛下のお姿を熟視して、何と感じたであろうか。自分は、あのとき、興奮のあまり、陛下に抱きついて、キスしようと思った、と重光外相に告白していることは、元帥がいかに、はげしく、感激したか、を物語るものといわなければなるまい。
1986
:
SAKURA
:2013/01/29(火) 11:50:14 ID:x8DbpmW2
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>>1977
>>1981
>>1982
投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 【 その① 】
===【女 の 浄 土】=================================
■些事も行う心の態度に魂の進歩がある
毎日の生活の小事を親切丁寧に誠心を盡す実践の中に、魂の進歩があるのである。
自分の前におかれたる小さな仕事を熱心に、「神から興へられた仕事」として行き届いて実行する
ことが人間を課せられた第一次の使命なのである。その第一次の使命を無事に卒業することによって
自分の生涯の究極目的として 「神から興へられた第二次の使命」に人間は近づいて行くことが出来る
のである。炊事、洗濯、掃除その他、一寸見ればただの雑事で無価値な仕事のやうに見えるかも知れな
いけれども、仕事そのものの重要性如何の問題ではなく、自分の心が、その仕事をどのやうに扱ふかの
心境如何のよって、自分の魂に異なる點數(てんすう)がつくのである。どんなつまらなく見える仕事
でも感謝して行ふがよい。 (一部抜粋) (谷口雅春著)
================================================
PS:本を開いて“ペ−ジ”を〜〜〜開きますと、そこには「ボ−ダ−ライン」が〜〜〜??
「亡き母」が引いた赤い線を見て、きっと毎日!毎日!の仕事をこなし、そして、「亡き母」
なりにしたい事が、あったのでしょうか??
当時の母は“普通の主婦”と違い「経理…」・「営業…」「母親…」…etc全てこなし、更に
仕事との両立性を考えますと“主婦業…”も大変だったと思います。…が?
私は、その様な「亡き母」の後ろ姿をいつも見ながら、結婚したらこの様に自由がなくなる
ものだと思いながら……も?例えいやな仕事でも、当たり前のようにこなして、顔にも
見せずに本当に「亡き母」は、素晴らしい人だったと、思います。
つづく
1987
:
SAKURA
:2013/01/29(火) 11:53:28 ID:x8DbpmW2
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>>1875
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>>1956
>>1957
>>1966
>>1972
>>1977
>>1981
>>1982
>>1986
>> 投稿の続きです…。
■■ 『生命の実相哲学シリ−ズ…SAKURA論』 【 その② 】
>>1986
その①の投稿の続きです…。
■“89歳…”までは、自分でお風呂に入っていましたから…今の私でしたら…やはりそのよう
な年になったら、どうなのかしら〜〜〜ンと、思います。…が?亡くなる前に
「亡き母の言葉」は〜〜〜〜?
【人間は働く事…】この言葉を私に残して、他界しました。「新しい世界へ…」
そして「老人ホ−ム」に入る前に、私の【将来の結婚式…】に着るるつもりでいた着物…これ
を、私に渡し「亡き母」は、寂しそうな表情の顔を初めて私に、正直に見せましたかと。今!
思い出しますと〜〜〜!!随分昔の事〜〜〜になりますでしょうか?その頃は、既に、私の
耳は「タタキ男の暴力」により【聴力喪失…】となっていたのです…。当時の私は、将来性も
考えまして、或る“お見合い”により…意を決して【結婚…】と考え、決断しましたのです。
【結婚…】の日取りが決まり、三日後に【結婚の予定…】でした。…が?今回、度々投稿します
結論は「タタキ男…」に壊されて!!その相手の家まで殴り込み……云々…その時、実に“感情”の激しい人間…何をしでかすのか?解らない…人間と初めて【男性の身勝手…】を垣間見ました。相手は【まじめな人で…これという取り得は〜〜〜><】それでも、その結婚相手は【結婚…
申し込み】をと…云いよってくれました。色々なる観点から〜><考えての“ことわり”を…!
他にも…話が……(後日、詳しくにての“投稿形式”をと…思っております。)
今!ふり返りますと【人 生 汚 点…人 間 の 嘘】を見つけきれなかった後悔が…
これに関連しますのが…「吸血鬼・ゾンビ…集団」です。その中の女性群…吉○・馬○・光○
(阿○)そして男性群…河○…因○…他にもでしょうかと(学歴詐欺…職歴詐欺は日常茶飯事…)
実に「口のうまい集団…洗脳集団」でしょうかと…いずれにしましても「黒幕デザイナ−含め」
【人 生 の 汚 点…回 想 記】を詳しく投稿するつもりです。【若い世代に…向けて!!】
この事は、ある面では【神から興へられた第二次の使命!!】に近づいて行くのカモ??
■「雅春先生の言葉」には【菩薩、心に闘争をみたせば、その世界に戦い絶えず…】…
この頃では、全てが【心 の 問 題…心 の 法 則】この事を、駆使すべきでしょうか〜〜?
再合掌
1988
:
NANCY
:2013/01/29(火) 21:13:31 ID:NvcmVTKk
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
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>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
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>>1877
>>1880
>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
>>1983
>> の投稿の続きです。
===【谷口 雅春 先生 著】=============================
■“ まず神の国を求めよ ”ということ
実相の世界を「神の国」とも「天国」ともいうのである。
そこには善きものは常に無限に充満しているのである。しかし「神の国」は霊の国であるから、
「物質の国」のみを見る力しかない五官(眼耳鼻舌身)の感覚によってはそれを観ることは
出来ないのである。それゆえにしばらく五官を瞑じ、五官の感を蕩尽して、心の眼をもって、
神の国の美しく荘厳なる有様を観ずるようにするがよいのである。これがイエスの教えられ
た「先ず神の国と神の義(霊的秩序)とを求めよ」である。すると、「その余りのものは汝ら
に加えらるべし」とあるように、その「余のもの」(現象界の功徳)はおのずから顕れて来る
ことになるのである。 (一部抜粋)
============================================
■上記は今回の機関誌2月号…冒頭に取り上げられています「雅春先生」の言葉です。以前
此処の投稿にて…「雅春先生の言葉」が〜〜〜ない?とかの記載がありましたかと?記憶の
中にありますが〜〜〜そうでもないです〜〜〜ョネ!
ここに「五官」…(眼耳鼻舌身)の感覚で見ます“世界観”は、どうしても個人個人の捉え方
の視点が異なりますので…先日からの【虚説…】これに関しては、此の肉体人間での五官
(眼耳鼻舌身)からの判断では???或る人は「善きかな?」或る人は「悪しきことかな?」
この様な捉え方になりますでしょうと思います。それは、自分自身の「人間智」での判断です
から、当然のことながらそこに【我欲…欲徳】が入ってきますでしょうかと。それでは、い
つまでたっても解決しませんでしょうかとも。こういう時は、「雅春先生」のおっしゃいます
【心の眼…神想観】にて…「本来あるべき姿…実相」を観る訓練を、日々行ないまして……
「神と一体…神の子の自覚…」をもつべきでしょう。
これでようやく「神の国…扉」をあけることの出来ます“入り口”にたちますのでしょうか?
今回!私も正直な話ですが「五官でみますと…以前出会ったことのない人物達…」これが…
「吸血鬼・ゾンビ達…」に値しますのです…。捉え方の尺度が…かみ合わないと申しましょうか
【類 の 法 則】とではない人達とは…この現象界に於きましては【断ち切る…】これしか?
ないのかと…色々な観点から【神の国・神の義】を含め…考えてしまいました。
■先ず神の国と神の義(霊的秩序)とを求めよ!その余りのものは汝らに加えらるべし!
再合掌
1989
:
goro
:2013/01/29(火) 23:17:16 ID:nCo1DokU
>>1985
の続き
この重光外相の寄稿文は、日本歴史、否、世界歴史の上で、極めて貴重な文献である。マ元帥すでになきいま、陛下は、あくまで沈黙を守られるであろうし、重光氏も、また、他界した今日、この文献の価値は至大である。かく思うがゆえに、私は読売新聞社の了解を得て、左に重光氏の寄稿の一部を掲げる。
重光「東京出発前、那須御用邸で、陛下に拝謁した際、陛下は、”もしマッカーサー元帥と会合の機もあらば、自分は米国人の友情を忘れた事はない。米国との友好関係は終始重んずるところである。特に元帥の友情を常に感謝して、その健康を祈っている、と伝えてもらいたい”とのことであった」
マック「自分は日本天皇の御伝言を他のなにものよりも喜ぶものである。私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである。それにもかかわらず、陛下のなされたことは未だかつて、十分に世に知らされておらぬ。十年前、平和再来以来、欧州のことが常に書き立てられて、陛下の平和貢献の仕事が十分了解されていないうらみがある。その時代の歴史が正当に書かれる場合には、天皇陛下こそ新日本の生みの親であるといって崇められることになると信じます。
私は戦前には、天皇陛下にお目にかかったことはありません。初めてお出会いしたのは、東京の米国大使館内であった。どんな態度で陛下が私に会われるかと好奇心を以ってお出会いしました。
しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなはち、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また、事件にも、全責任をとります。また私は、日本の名においてなされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。
自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。私は全責任を負います」これが陛下の御言葉でした。私はこれを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしよう、とした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申出る、という、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。
陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請したことはありませんでした。どうか日本にお帰りの上は、自分の温かいごあいさつと親しみの情を陛下にお伝え下さい。その際、自分の心からなる尊敬の念をも同時にささげて下さい」
重光「それは必ずお受合い申上げます。」
以下 略
1990
:
goro
:2013/01/30(水) 13:02:37 ID:nCo1DokU
>>1989
の続き
皇居勤労奉仕発端の物語
この物語は昭和二十年、終戦の年にさかのぼる。戦敗れて人みな茫然自失、言語や風俗の全くちがう占領軍将兵の威圧下にあって、国民全体として行動の積極性を頗る欠いておった当時の有様を読者各位は一応おふくみの上で、この物語を読んでいただきたい。当時、皇居周辺の状況は、どんなであったか。皇居の御門という御門には、いずこも、ここも、占領軍の歩哨が立っている。これは好奇心にかられた無遠慮の外国兵の入門を阻止するための、占領軍総司令部の好意ある意図もおりこまれた処置ではあったろうけれども、事情を知らぬ日本人の眼には、甚だ以て不愉快千万、「日本人近よるべからず」と無言のうちに威圧を加える態度のようにうつったことも無理からぬことであった。
二重橋前の十万坪の広場は、管理の統制を欠いだため、六十余ヶ所の照明灯は一つも残らず破壊され、道路といわず芝生といわず、到るところ踏み荒らされて、昔のような、すがすがしい清らかなおもかげは、どこにもない。あまつさえ占領軍観兵式用の大スタンドが、二重橋の真正面に二ヶ所設けられ、時折は兵士どもが分列式などをやっている。お濠と森林とに囲まれた皇居は、外観こそは一見、昔とかわらぬようであるけれども、一歩、皇居内に踏み入れば、木造の建築物は殆んど消失し、さしも端正雄大であった宮殿の跡も、礎石、玉石、煉瓦、至るところに散乱し、まことに、いたましい有様であった。
ところが、十二月に入って間もないときであったが、皇居の坂下門の門外に六十人ばかりの青年の一群が到着、どこかの駅から下車したまま、まっすぐに来たのであろう、手に手に荷物を携帯している。守門の皇宮警察官を通じて宮内省への申し入れは、--------私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのために上京してきました。東京には食料や燃料が乏しいということも聞いていますので、私たちに必要な数日間分は、ちゃんと用意して持ってきていますから、東京の人たちに迷惑をかけるようなことはいたしません、どうかお手伝いをさせて下さい。--------とのことであった。(昭和二十四年まで二重橋前の広場は宮内省の所管であった)
このことは、すぐ侍従次長の私の室へ大臣官房の筧総務課長から電話で知らせてきた。私は思った。今どき東京の人は、きょう自分たち一家が食べるお米があるか、ないかが、最大の感心事であるというのに、百里も遠くの、仙台のもっと北の地方から、何十人という若い人たちが、二重橋前の広場のお掃除に上京してくるとは、何とたのもしいことだろう。ぜひその人たちの顔を見たいという気持ちになったので、筧君と一緒に二人で坂下門外に出て一同に面会してみると、六十人の人たちは、みな二、三十歳の青年で、うち数名は年も若いモンペ姿の娘さんたちであったが、食料、燃料は勿論のこと、みな一挺ずつ草刈鎌を携えている。
1991
:
goro
:2013/01/30(水) 22:01:44 ID:nCo1DokU
>>1990
の続き
今しがた、外国兵の歩哨の前を通って、坂下門のところまで来たのであるけれども、別段怖れた様子もなく、それかといって別に昂然たるところもないが、語る言葉は一語また一語、進むにつれて真剣味を帯びてくる。
われわれの郷里の出身に、長谷川峻という人がいる。緒方国務大臣の秘書官をしていた人だから調べてもらえば判る。この人が先日郷里に帰ってきたとき、皇居の前の広場がたいへん荒廃してることを歎いて話してくれた。そこで、われわれは集って相談をした。それは、まことに相すまぬことだ。みんなで東京へ行って、草刈りや、お掃除のお手伝をして上げようではないか。草刈りは毎日野良でしているのだから、そんなことは何んでもない。だが待てよ、今どき天子様のために何か働いたら、マッカーサがわれわれを検挙するかも知れない。
それで万一検挙されるようなことがあったときの用意として、第二隊は郷里に待機させて、第一隊六十人だけ上京してきた。県庁の知事さんにも挨拶して上京すべきであったが、これも後で、何かの迷惑がかかっては悪いと思ってだまってこっそり郷里をはなれてきた。娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる。と上京の動機や万一の覚悟について、縷々説明するのであった。きいているうちに、私たちは粛然襟を正ださざるを得なかった。厚く一同の厚意を謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだに瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に、一同の喜びはたいへんなものであった。万一を覚悟した検挙どころか、全く予期もしない皇居内の作業をたのまれたものだから、一同の喜びはたいへんなもので、その活動ぷりたるや、連日、実にすさまじいものがあった。
宮殿の焼跡は上下二段の段地で、なかなか広く、上段が奥宮殿、下段が表宮殿の跡である。六十人の青年たちは、ここを作業場として三日問猛烈に働いてくれた。皇居の附近には泊るところもないので、宿舎は小金井附近であったと思うが、皇居から二〇キロもはなれているのに、当時、交通機関も充分に復旧しない混雑の中を、毎日そこから通ってきて、朝からタ刻まで、手弁当で働いてくれたのである。
1992
:
goro
:2013/01/31(木) 11:16:55 ID:nCo1DokU
>>1991
三日の後には、何万個という瓦や石の破片は宮殿跡の上段と下段地との境目にある石垣のところに、実に美事に積み上げられてしまった。東北の田舎から遥々上京してきた沢山の青年男女が、皇居内の清掃を手伝つてくれるということは、既に両陛下のお耳にも達していたが、連日の作業が、
いよいよ、今日から始まるという十二月八日の朝、陛下から私に、今日から仕事が始まるなら、その前に一同に会いたい、との御希望があった。
私も、心ひそかに、それを期待していたので、大喜びで、早速使を出して、現場にいる六十人の人たちに、お昼前に、天皇陛下が、作業現場においではなるから、そのつもりでいてもらいたい、ということを通知しておいた。陛下が作業現場におでましになるとき、お供をしたのは僅か数人であつたが、私は御座所から現場まで数百歩の道すがら、焼土の上に歩を進められる陛下のお心のうちを、あれこれと、お後にお供しながら考えた。
ザックザックと砂をふんで一歩また一歩、現場に近ずかれるお靴の音は、まさに日本歴史大転換の歯車のきしる音としか思えない。国民と共に語り、共に苦しみ、共に楽しまんとの御決意は、すでに御即位のときから明瞭に、われわれお側にお仕えしている者には、拝察できたことだったにも拘わらず、いろいろな事情のために、その実現はできなかったが、奇しくも国破れた今日、陛下は、その機会をつかまれたのだ。
宮殿の焼失などは、いま露ほども惜しいとは思っておいでにならないに相違ない。ただ、夜となく昼となく、常にお胸のうちを去らないものは、亜細亜大陸の各地、また太平洋の島々に、とり残こされた末復員の将兵その他の同胞の安否や、国民各家庭のさまざまな悲惨辛苦のことだ。いま数分後には、はるばる仙台の奥から手伝いにきてくれた青年たちにお会いになれる。こんなことが皇居内で行われることは未だ嘗て前例のないことだが、少しはお気が晴れることだろう、など。
陛下のお姿を遠くから拝した六十人の人たちは仕事をやめて、あちこちから集ってきて、陛下をお迎えし、ここに前例のない御対談が始まったのである。代表者(慶応義塾出身の鈴木徳一君、惜しくも昨年末仙台で病投)が御前に出て御挨拶を申し上げたのに対し、陛下は、遠いところから来てくれて、まことにありがとう。郷里の農作のぐあいは、どんなか、地下足袋は満足に手に入るか、肥料の配給はどうか、何が一番不自由か、など、御質間は次から次へと、なかなか尽きない。
1993
:
goro
:2013/01/31(木) 17:47:38 ID:nCo1DokU
>>1992
の続き
かれこれ十分間ほどお話しがあり、何とぞ国家再建のために、たゆまず精を出して努力して貰いたい。とのお言葉を最後に、一同とお別れになり、また、もとの路をお帰りになるべく、二、三十歩おあるきになったそのとき、突如、列中から湧きおこったのが、君が代の合唱であった。当時、占領軍の取締りがやかましく、殆んど禁句のように思われて誰も口にすることを遠慮していた、その君が代が誰に相談するでもなく、おのずからに皆の胸の中から、ほとばしり出たのであった。ところが意外にも、この君が代の歌ごえに、陛下はおん歩みを止めさせられ、じっと、これをきき入っておいでになる。
一同は、君が代の合唱裡に、陛下をお見送り申上げようと思ったのであろうが、このお姿を拝して、ご歩行をお止めしては相済まぬ、早く唱い終ってお帰りを願わねば、とあせればあせるほど、その歌声は、とだえがちとなり、はては嗚咽(おえつ)の声に代ってしまった。見ると、真黒な手拭を顔に押しあてた面伏(おもぶし)しの姿もある。万感胸に迫り、悲しくて悲しくて唱えないのだ。私も悲しかった、誰も彼も悲しかった。しかし、それは、ただの空しい悲しさではない。何かしら云い知れぬ大きな力のこもった悲しさであった。今から思えば、この大きな力のこもったこの悲しさこそ、日本復興の大原動力となったのではなかろうか。
辛うじて唱い終ったとき、陛下は再び歩を進められてお帰りになったが、私は暫らく後に居残ったところ、青年たちは私に、皇居の草を一把ずついただいて郷里への土産にしたい、という。何のためかと思って尋ねてみたら、その答は次の通りであった。私たちは農民です。草を刈つて、肥料のために堆肥を造ります。この一把の皇居の草を(といつて、堅く、かたく握りしめ、眼に涙していう)いただいて、持って帰って、堆肥の素とし、私たちの畑を皇居と直結したいのです。
この青年たちとの御対談に、陛下は何かよほどお感じになったことが、おありになったご様子で、お部屋にお帰りになるや、皇后さまに、午後、作業現場にゆかるるように、おすすめになり、そのときも、私は再びお供をして現場に参ったが、第二回からは、両陛下お揃いで、奉仕の人々にお会いになることになり、それが今日まで二十数年間つづいているのである。
1994
:
goro
:2013/01/31(木) 17:54:19 ID:nCo1DokU
>>1993
の続き
第一回目のとき、皇后さまが陛下に御同行なされなかったのには訳がある当時、国内の各港には、海外で働いていた同胞の引揚げ船が続々と到着しつつあったが、殊に南方から帰つてくる人々は、防寒服がなく、みな薄着のままで日本の冬に上陸せねばならず、老幼の困難は特に甚だしいものがあつた。皇后さまは、これを非常にご心配になり、何か暖かい衣をとお考えになるのだけれども、店は品切れだし、皇居の内も、宮殿は焼失、倉庫も大部分焼けて材料が乏しい。それでも捜せば、多少の綿や布類があるので、それをできるだけお集めになり、女官相手に、毛糸でスウエッター、また綿や布でチャンチャンコを、できる限り沢山おつくりになるのでお忙がしかったのである。
前例の全くない、皇居内での陛下と地方青年たちとの御対談を、宮内省詰めの新聞記者諸君が見のがす筈はない。ニュースは、すぐに全国に伝えられた。三日間の感激の奉仕をおえ、おのおの一把の皇居の草を抱きしめて郷里にかえる青年たちの汽車の旅は、上京のときとは全く反対で、
まことに朗ちかな希望に満ちたものであったに違いない。無断上京のお詫びを兼ね、知事さんに挨拶のため、仙台に途中下車、一同県庁を訪れたところ、折から開会中の県会は青年隊無事帰着の報に接し、にわかに議事を中止し、知事以下議員総出で一同を喜び迎え、大いにその意気と労とをねぎらったとのことである。
以上語りしるす事柄は、国民対皇室、皇室対国民の間に見られる、あらゆる事象のうちの、単なる一こまとして、風の如く来り、また風の如く空しく過ぎ去ったであろうか。疑いもなく、これは名もなき農村青年男女六十人の渺たる一団である。だが然し、名誉を思わず、利益を求めず、占領軍の弾圧あらばあれ、ただ一片の衷情やみがたく、やまとごころの一筋に立ち上った、この一群れの間にひらめく正気の光は、決して空しくは消え去らなかった。
正気は友を呼ぷ。この報、一たび全国に伝わるや、当時、断腸の思いに沈んでいた国民の心の琴線は、俄然、高鳴りを始めだしたのである。栗原郡からは、第二隊、第三隊、第四隊、第五隊と続々上京してくるし、次ぎには隣りの郡、また、その次ぎには隣りの県、終には北は北海遣、南は九州のはてに至るまで、全国からの奉仕の願い出は殺到するばかりで、今日すでにその奉仕の人員は、数十万に達するであろう。官辺より何らの指示勧奨もあるのではない。ただ国民至情の赴くところ、しかあらしめるのである。
1995
:
goro
:2013/02/01(金) 15:39:09 ID:nCo1DokU
SAPIO 2009年2月11-18日合併号掲載
【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】
JUGEM(ジュゲム)ブログ 「たまねぎ通信」より転載 (写真付き)
http://tokiy.jugem.jp/?eid=816
皇居勤労奉仕
読者のみなさんは、この言葉を耳にしたことがおありだろうか。
全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っている。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼んでいる。
*
清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担だ。それでも約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けている。一般にはほとんど知られていない事実だ。しかし十分、注目に値するだろう。では、この皇居勤労奉仕はいつ、どのような経緯で始まったのか。この点については、幸いなことに、いくつか関係者の証言が残っている。まず、昭和天皇の側近に仕えた木下道雄侍従次長(当時)の証言を紹介しよう。
時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した−−。
【皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち】
この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。
「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。
このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」−−。
木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)
当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。
出獄した日本共産党の面々は虚脱した国民の前で「天皇制の打倒」を叫び、GHQは昭和天皇側近だった内大臣の木戸幸一を戦犯容疑者として捕らえ、皇族の長老、梨本宮守正王まで拘引される始末だった。
そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。
この点については筧氏の証言がある。
1996
:
goro
:2013/02/01(金) 15:44:33 ID:nCo1DokU
>>1995
の続き
【宮内省 総務課長の勇断】
それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。
この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。
この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮(*ひがしくにのみや)内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。
この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。
「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)
かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。
この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。
1997
:
goro
:2013/02/01(金) 15:46:19 ID:nCo1DokU
>>1996
の続き
【拡大する勤労奉仕にGHQが疑念】
宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。
むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。
鈴木氏の証言を紹介する。
「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)
その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。
「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。
こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。
【これまで累計 約120万人が奉仕】
占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。
この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。
奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。
昭和天皇の御製
戦にやぶれしあとのいまもなほ 民のよりきてここに草とる
何だか泣けますね‥。
GHQの占領下、決死の覚悟で焼け跡となった皇居の清掃を申し出る青年団。それも、東京から遠い宮城県の村から。 そして、それに応える宮内省、侍従、陛下。
今回の震災でもそうですが、日本人は困った時ほど、人を助ける事に熱心な民族だと思いました。
で、今、66年前に皇居清掃を申し出た宮城県の皆さんが甚大な被害を受けているんですよね‥。
以上 転載終わり
1998
:
goro
:2013/02/01(金) 16:20:19 ID:nCo1DokU
以上で「皇室と国民」元侍従次長 木下道雄著の転載を終ります。
SAPIO 2009年2月11-18日合併号掲載
【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】
JUGEM(ジュゲム)ブログ 「たまねぎ通信」より転載 (写真付き)につきましては、
特に探したわけでもないのですが、どこからともなく出て来まして?
内容が良かったので転載させて頂きました。
「苟も民に利あらば、何ぞ聖の造に妨はむ」
いやしくも たみにくぼさあらば なんぞひじりのわざにたがはむ
神武天皇の御心そのままに私たち国民を慈しんで下さる
天皇陛下に感謝せずにいられません。
天皇陛下万歳
1999
:
NANCY
:2013/02/01(金) 19:41:40 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>1877
>>1880
>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
>>1983
>>1988
>> の投稿の続きです。
===【谷口 雅春 先生 著】=============================
■ 明るい希望をもって一日を出発しよう
あなたの人生は、あなたの心の状態の反映であるから、朝起きた時、まず「わたしは
神の子、神の愛に護られて善いことが来る。」 と念じて、
明るい愉しい希望と期待とをもって一日を出発するようにしましょう。
自分の心が、幸福の波動を起こせば、幸福が自然にやって来るのである。
『如意自在の生活365章』より
=============================================
■■今日から…新しい月…「2月」旧暦では〜〜〜【如月…きさらぎ】と呼びますかと。
此処でブレイクしますが〜〜♫〜〜「閲覧者の皆様」も御存じでいらっしゃいますでしょうが……
1)旧暦では二月でもまだまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから
つまり「きさらぎ…衣更着」
2)草木の芽が張り出す月から「草木張月(くさきはりづき)」
今月は、色々な意味で【出発…始まり】という感じでしょうかしら〜〜ン!
人は…ポジティブな感情…心の状態ですと、前に!前に!と前進する事ができますかと。
それは、確かに、私自身でもネガティブ感情である“恐怖・怠惰・自己満足…etc”とは、
グッバイ!グッバイ!…此処からが、スタ−トとなります。でも、時としては、
何と言いましょうか?外聞を気にしますと…この“心の?感情の?切り替え…”に、躊躇感も
ありますかと…。その時、私自身は【 勇気…持続性 】この自覚が必要になりますでしょう。
やはりそれには、日々の“心の持ち方…”が、大切になりますでしょう。
■朝起きた時、まず「わたしは神の子、神の愛に護られて善いことが来る。」 と念じて…!
そうなのです〜〜〜ョネ!
先ず!!【 真 の 神 の 子 …】この自覚を“潜在意識”に、インプットですモノ…
■■此処で、ブレイクしますが…
今日の“投稿”の中に…「おかしな人??」と云われている投稿…目に入りました。…が?
これって…私のこと〜〜〜!【現総雅宣裁先生…擁護派への中傷〜〜〜】そこで、私の感情が、
“ネガティブ…ヤカン頭??”になりますかと。(微笑)
しかしながら…ヨ〜〜〜ク!考えますと❤〜【与えよ!さらば〜〜〜与えられん!】という言葉…
つまり【やまびこの様に…自分に戻る(返る)!】という事になりますかと。そうです〜〜〜ョネ!
相手も…「おかしな人」という事です〜〜〜ネ!この様に、相手を“侮る様なネガティブ言葉”は…
此処でストップ!!今からは〜〜〜「 ポジティブな言葉 」がいいですモノ!これで…
私の【ネガティブな心】〜〜〜が〜〜〜【ポジティブな心】へと変わりますでショ!!
■この事が…【人 生 の 幸 福 へ の 切 符】になりますモノ!!
さて!私も…この“言葉” 朝の目覚めました時…【 20回 】唱えています…。…が?
皆様も如何でしょうか〜〜〜♫〜〜〜これも、日々の持続が必要かと。“トライ”(微笑)
■しっかり…【脳内革命…クリア−な世界】 サ〜〜〜ァ!【 人 生 の 幸 福 論 へ 】
再合掌
2000
:
トキ
:2013/02/01(金) 21:02:53 ID:QuzhyFVA
謹告
従来、スレッドの投稿数は、2000を限界にしておりました。
が、現在のペースで投稿が続くと、数年で板が満杯になります。
調べてみると、スレッドの投稿数を増加する事が可能な事が分かりました。
そこで、誠に勝手ですが、掲示板の投稿数を今後は6000に増やす事に
いたしました。
以上、勝手ですが、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2001
:
トキ
:2013/02/01(金) 21:03:47 ID:QuzhyFVA
引き続き、この掲示板をご利用下さい。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2002
:
a hope
:2013/02/03(日) 09:22:53 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆立派な人の伝記をお読みなさい
本にかいてあることは、ただお料理の材料みたいなものであります。
その材料をどのように組みあわせて美味しい料理にし、それを自分の心の滋養物にするかどうかは、
本を読む人自身にあるのであります。
材料のよいところは捨ててしまって、くずのところばかりを「面白い、面白い」といって読んで、
ためになるところを捨ててしまっては読まぬほうがましな位です。
面白いばかりを目的に書いた本よりも、昔から立派な人になったり、
世の中のために尽くした人々の伝記をお読みになることは、たいへんためになります。
文章はコトバの力で、書いてあることと同じように、読む人をならせる力をもっているのです。
つまらぬ本を読んでいますと、詰まらぬ人になりますし、
聖人の伝記を読んでいますと、聖人になりますし、英雄の伝記を読んでいますと英雄になるものです。
(つづく)
2003
:
SAKURA
:2013/02/03(日) 19:39:04 ID:Ux7iAm.A
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875
>>1876
>>1879
>>1888
>>1889
>>1913
>>1914
>>1923
>>1924
>>1934
>>1935
>>1956
>>1957
>>1966
>>1972
>>1977
>>1981
>>1982
>>1986
>>1987
投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【第六章 幸福を完うする秘密 ―その①― 】============
■アン未亡人の三つの悩み
『ウイクリ−・ユニティ』誌に「女性の幸福五十項目」とでも訳してもよい記事を掲げている。日本
の女性もだんだん欧米化しつつあるので、何らかの参考になるかと思うので、その要點を次に紹介す
ることにする。
日本の女性にとっても、此の頃、肥える事が悩みとなっている人が多数あるらしいのであるが、僕
など女は肥えてゐても痩せてゐても大した関心はないのであり、ある男は痩せた女性に心を魅かれる
が、ある男は肥えた肉感的な女性の肉体に魅力を感ずるかも知れない。しかし、結局は心の問題では
ないだろうか。肥えゐても、そんなにセクシュアルな雰囲気をもたない婦人もあるし、痩せてゐる
癖に非常に性的な魅力をもってゐる婦人もある。
それにしてもアン・アダムスといふアメリカ婦人には、極めて重大な問題――しかも中々解決でき
ない問題をもってゐた。それは、非常に彼女の体重が重すぎる、格言すれば肥えすぎてゐるといふこ
とであった。
もう一つの重大問題は、彼女の働き口がなかなか見つからないといふことであった。彼女の良人は
長患いひをして、結婚以来二十年間もかかって蓄めてゐた貯金を殆ど全部療養費に使い尽くしてし
まってから死んだのであつた。良人の生命保険も、もう殆どつかい尽くしてしまつたので、
生活を得るためには是非就職しなければならなかった。それで自分の出来ると思う仕事先へ
数か所、就職を申し込んだが、悉く無駄であつた。就職をことわられた理由は、もうその年齢
では女性の就職はおそすぎるというのであった。彼女の年齢は既に四十五歳であった。
もう一つの彼女の悩みは、孤独感であった。良人を死んで以来、きう知の友達も近よらな
くなったし、前のやうに友人から晩餐に招かれるようなこともなくなった。電話で話してく
れる人さへなくなってしまってゐたのであった。 (抜粋投稿…)
===========================================
PS:トキ様
当時の「アメリカ…」でも、今の日本との差がないです〜〜〜ネ??さて「アンさん」は、
その後どのように展開されていくかが、楽しみです〜〜〜ネ!御主人が亡くなりますと、
一般の主婦はやはり、精神的に大変なようですかと。他人事では、ありませんモノ!!
つづく
2004
:
SAKURA
:2013/02/03(日) 19:41:44 ID:Ux7iAm.A
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875
>>1876
>>1879
>>1888
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>>1982
>>1986
>>1987
>>2003
>> 投稿の続きです…。
【第六章 幸福を完うする秘密 ―その②― 】
>>2003
その①の投稿の続きです…。
■此処で、私の友人とかは、ある一定の年齢になって、急に働くようになりました。(これは、
家庭事情によりますが…)当時は、子供が中学になり、手がかからなくなり、将来を考えて、
「鍋の会社…?ビタクラフト(ドイツ)…」ですが、そこに“求人募集”がありまして、
たまたまそこに申し込んでみますと、面接にて“OK”でした。…が?職種は事務職でした。
御主人は、NTTの工事関係の職員で、その友人は年上でしたのですが、年齢差が見た目にて
感じる事は一度もありませんでした。…が?ただ!!当時の彼女は、いつも口癖のよう〜〜〜
“現場で事故が起きたら?〜〜〜たら?”…その後、一人で子供を育てなくてはとの状況の
時は〜〜〜と思うようになり、子供が中学入ってから「就職…」を決意しまして……彼女は
“念願”がかないまして「有名な…鍋のメ−カ−(ビタクラフト)」に、就職できたわけです
〜〜〜ョネ!!
私の記憶では、当時!その「鍋セット…10万?」でしたが、それが“卸…”で進めてくれて
ましたので、妹を紹介しまして、購入してくれました。…今!思い出しますと「主婦…」にな
りますと、「鍋…」一つでも、料理をしますと、それなりの“価値観”が分かり、また、家族の
問題とか?子供の問題とか?それなりのいろいろな“問題”もあり、今回「アンさんの問題…」
を参考に致しまして〜〜〜女性の場合は、社会からの受け入れ体制は、当時は、現在以上に、
【大きな壁…】がありましたです〜〜〜ョネ!
さて…私も、一つ悩み問題!!現状の“肥満なるボディ−”なので、どの様にこのストレス
を解消しますかが〜〜〜問題なのですモノ。ある人が「精神状態で痩せて行く」とのアドバ
イスを……>< 次回が楽しみで〜〜〜すネ〜❤〜???
■最後に「雅春先生」の言葉に〜〜〜❤!
【 新しい女性は「今」を完全に生きなければなりません。「今」と云うものを完全に生き切る
では、次は“ 心を不調和から調和に一転するには ”で〜〜〜す。 つづく
PPS
完全に生き切る女性こそ新しい女性なのです。エマ−ソンは、…
「あなたのハ−トに1年のうち最も善き日が『今日』であることを銘記せよ。『今日』と云うも
のはどんな華麗な衣装よりも更に更に絢爛と輝くあなたの衣装なのです」と言っています。
2005
:
さくら
:2013/02/04(月) 07:29:37 ID:y2p6rnoM
合掌ありがとうございます。
本日、2月4日は、雅春先生を通して、
生長の家に『自他一體』の天降った日です。
ありがとうございます。
拝
2006
:
さくら
:2013/02/04(月) 07:30:12 ID:y2p6rnoM
「自他一體の神示」 谷口雅春先生
『生命の實相』を讀んで自分だけが眞理を悟つてそれで善いと思ふものはまだ“生命の實相”を悟ったものではない。
眞理は自他一體のものであるから、ひとに傳へるとき、其處に『結び』の力が發現するのである。
『結び』は愛の力、慈悲の力、神の力、佛の力である。
これを日本古道ではムスビ(産靈)と言ひ、ムスビによつて醸生(神)の力、即ち生々化育の力が發現して来るのである。
だから『生命の實相』に書いてある通りのことを病人に愛の心で話してあげれば、ただ、話をするだけで病氣が治るのである。
話が下手なら『生命の實相』の中で『光明の眞理』のところを、本の由来を話してから讀んで聞かせてもよい。
神の道では『結び』の反對『切る』ことを最も厭ふのである。
怒つたり、審判いたりするのでは心で切るから善くない。
離縁、背信、忘恩、不忠、叛逆等がすべて善くないのは人と人との間を切るからである。
『神』は『道』であると云ふのも『道』と云ふものは離れてゐるものを結び合はす働きがあるから『道』即ち神である。
結び合わす働きがなくて、審判く働きばかりあるものはどんな善人でも神に遠い。
一人の男子が縁あって一人の女性と結ばれたならば再び離れるのは『道』ではない、それを圓く結んでやるのが道である。
神の道を知り『生命の實相』を知ると云ふこともその道びきになる人々の間には深い因縁があることであるから、橋掛けになつた人の恩を忘れてはならぬ。
自分はもう神と直取引が出来るから、橋掛けになつた人の恩は忘れても良いと思ふやうな人は、自分はもう神を知つたから神に背いても好いと云ふのと同じく不合理である。
『生長の家』を知らしてくれる人は其の人にとつて天の使ひであるから何日までも恩を忘れてはならぬ。
日本人は忠孝一貫恩を忘れぬ國民であるから強いのである。
今度の戰ひは國民の魂の質から言へば知恩と忘恩との戰ひ、『結び』働きと、バラバラに分離する働きとの戰ひである。
バラバラに分離する働きは結局自滅して『結ぶ働き』が世界を統一する。
醫學て大和の醫學は結合の醫學であるが外國の醫學は分析の醫學である。
『生命』は綜合の統體であるからバラバラの醫學では解らぬ。
(昭和七年二月四日神示)
2007
:
a hope
:2013/02/04(月) 09:20:01 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆善い本は同じ本でもたびたび読みなさい(p129〜)
数をたくさん読むよりも、すこしの立派な本をよく味わいながら読むことは、その人の精神を立派なものにします。
むやみに大食するよりも、適当な養分を適量にいただくほうが健康によいようなものであります。
よい書物は一遍や二編読んだだけで捨ててしまわないで、十回でも二十回でも、繰返し読むことです。
本の表紙は大切にして上包みでもして、一遍読み終わるごとに取りかえて、新しい気持ちを出すのがよろしい。
本の中味は、読んで感心したところに赤い線を一度引いておき、
その次にまた感心したところには青い線を引いておくなどもたいへんよろしい。
本にすじを引くのを遠慮することはいりません。
読んだときの感想などを本の余白(あいているところ)に書いて置くことはあとでたいへん参考になり、
大人になってからも、自分の少年少女時代にこんなところを、
こう考えながら読んだのだな―――と思い出すのも楽しいものです。
本の中に、こうして書きこみを作るのはよろしいが、読みかたにフリガナを鉛筆でつけておくなどはよくありません。
漢字をいつまでもおぼえないで、仮名ばかりをあてにして読むようになると、文字を憶える力がなくなります。
本は大切にしなければなりません。
本を大切にしない人は、本から教えられることもすくないのです。
早稲田の野球の監督水原義雄さんはバットを非常に大切にして一緒にだいて寝るくらいだったから、
イザという時には、きっと、そのバットがボールにカチリと当って勝つことが出来たということです。
(つづく)
2008
:
SAKURA
:2013/02/05(火) 15:22:12 ID:rqQQibm6
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こんにちは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2003
>>2004
>> 投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【第六章 幸福を完うする秘密 ―その①― 】============
■心を不調和から調和に一轉するには
彼女はこの現象のみじめさから心を一轉し実相の光明に振向かうとつとめるのだったけれども、
それは不可能であった。現象のみじめさを思ふまいと思へども思ひ出されて来るのであった。
彼女はその頃、人生相談の回答者として有名になってゐた或る教師を訪問した。そして泣きなが
ら自分の悩みをうちあけたのだった。
その教師は、彼女があるだけの感情を涙と共に放出して、心が静まり、涙がかわいてくるのを待っ
て、彼女を同情の眼をもってみつめながら深切な語調でたづねた。
「あなたは、御自分の住居はお持ちですか」
「はい」
「それは有りがたいことですね。それからあなたの健康はどうですか?」
「健康でゐられることを感謝してをります」
「それはありがたいことです」
と教師は微笑をたたへながらいった。――
「ねぇ、あんた、色々と問題をもっていらっしゃるやうですけれども、結局はそれらの問題は一つに
歸著(きちゃく)しますね。あまりあんたは問題をにぎり過ぎるのがいけないのですよ」
彼女はその言葉をきくと魂に希望の光が射して来るやうに感じた。そして、
「先生、先生の仰言る通りに、わたくしいたします。問題は一つに歸著すると仰言いましたが、それ
はどういふ意味なんでございませうか」
教師は印象的に手を前方へ突き出しながら説明した。
「あなたは、今ある幸福を心に思はないで絶え間なく問題ばかり掴んで考へつづけてゐるのです
よ。不調和を癒す道は、調和を考へるにあるのですよ。病気を癒す道は健康をかんがへるにあるの
ですよ。孤独の境涯から逃れる道は孤独を考えないで友達のことを考えるにあるのですよ。それら
の問題を一つにまとめますと、こうなるんです。すべて吾々の問題の解決は“今ある神からの恵福
(めぐみ)”を考へることなんです。あなたは自家へお帰りになったら、先づ、今あなたが受けてい
る恵み――これは感謝しなければならぬ幸福だといふもの五十種類思い出して、それを書いて御覧
なさい」 (谷口雅春著)
=============================================
PS; 「トキ様」へ
【個人相談…】は、若い時は、素直に相談していました。…が?「タタキ男…」に、出会って?
その後の私は【個人相談…】は、自分の問題は別にして“他人の問題”ばかり相談するような
傾向でしたでしょうか??やはり、私自身の心には複雑な心境が〜〜〜
今は神様には〜〜〜』と云った感じがありました。…が?最近では、率直に言いますと、
私は【神様に祈り…神想観で神様の御心になしたまえ〜と!導きたまえ〜と!…祈っている】
のです。ですので、【祈り…も実相顕現】です〜〜〜ョネ!!
つづく
2009
:
SAKURA
:2013/02/05(火) 15:25:43 ID:rqQQibm6
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2003
>>2004
>>2008
>> 投稿の続きです…。
【 第六章 幸福を完うする秘密 ―その②― 】
>>2008
その①の投稿の続きです…。
■
現在の【個人相談…】は、どうなんでしょうかと。私の場合は、過去の於きまして、結局!
相談しました話…?逆にその“内容…”を利用されました苦い経験が〜〜〜ありますから?
『人 生 の 問 題』は、内なる「神…」との〜〜〜対話になりますでしょうかと。
此処で【別板…】で「死にたいと言われた方」は、きっと、何か問題がありそうです。
まず!その人の心の嘆きを?まず!耳を傾ける事が大切ではと。先に、自分の“自慢話…”は、
「人生での難問題」の悩みがある人は〜〜〜耳を傾ける事は、ないのです〜〜〜ョネ!!
【先祖供養の話】なども、まずその人の立場で聞いてから、それから“次へ”と、タイミングを
考えまして“導く事”ではと思います。…が?すぐ!【先祖供養…】と云います事は?相手が、
無神論者の場合には、果たして何処までの理解が足出来ますでしょうかと考えますと“ビックリ”
しました。…が?(今回の“別板での相談投稿の方は、問題が解決に至ったそうで…^^)
■「萩窪…」に住んでいた頃、当時!第二教区に出入りしていました。…が?そこで、当時の
トップの人が「相手の良かったところ?いい印象のところ?をお互いに記載して“何点”その人
から貰えるかのゲ−ム」をしました。例えば…「ある人は全くもって無〜〜〜い!」・「何さんは
とても親切にしてくれた」・「何々さんは笑顔が良く、よく気がきく」…etc点数の多い人程〜その
人は【幸福な人生を歩むこと〜〜〜】になりますかと。私は当時“ひねくれ?”ていましたので、
讃嘆よりも「笑顔が足りない」と言われました“言葉…”が、始めての“採点…”で、やはり、
この時の“ショック”はいまでも〜〜〜><心の奥に残っていますでしょうか??その後、私は、
そこでの開催行事には参加しなくなりました。やはり、他人からの言葉にて【自信…喪失】かと。
当時は【自ら“神の子”という本性の自覚が・・・足りなかったのではと】当時!他人の言葉に
自らを翻弄されてしまったような感が致します。相手の【比較主義論…】は、差別みたいな感じ
が致しますが〜〜〜><
それよりも「リ−・ミルティアさん」が“アドバイス”してくださいました〜〜〜事柄が〜〜〜
【一日の良かった子ちゃん…が!それは、どれ位善い事があったかを書く“日記”】は“グ−”!!
つまり【自分自身を正しく見る!…本当の自分を…これは実相世界】に入る事を意味していくモノ
かと。心が前向きになるので〜す。そして、私も『神の恵み…が?どれだけあるのかしら〜〜〜ン』
今日から、久しぶりに記してみましょうと思います。「50項目!探してみましょうと???」
これは【 生長の家…自己讃嘆… 】と同じ事です〜〜〜ョネ!
❤〜その後の〜〜〜「アンさん」は、どうされていくのでしょうか?興味深く〜〜〜???
「トキ様…」も【個人相談…】は、去年までは“大事とか?”おっしゃっていました。…が?今年
は【聖典・教義よりも〜〜〜組織・運営のほうが大事とか?】信仰の姿勢が、変化していって
いるのですネ!!但し、それが、結果的には“良い事?”“悪しき事?”…如何かと。冷静に見まし
ても「信者…」を大事にしない“幹部職”が多いようです〜〜〜ネ!!そうしますと、
必ずや【神様の御心に叶うものかと?従いまして…それなりの事が起きるかもしれません。】
私は今年に入り「管理人…トキ様」の【中道論…】とお聞き致しておりますが〜〜〜
情緒不安定に、思えてなりません。…が? 再合掌
❤〜次回は「アンさんの感謝行」で〜〜す。
2010
:
NANCY
:2013/02/05(火) 20:32:11 ID:LyynxGoY
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
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>>1766
>>1778
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>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
>>1983
>>1988
>>1999
の投稿の続きです。
===【谷口 雅春 先生 著】=============================
■人の光明面のみを 観るのが“ 愛 ”である
人の光明面を観よ。人の光明面のみを観るのが“ 愛 ”である。人の暗黒面のみを
観るとき、観る人が地獄に堕ちるのである。誰にも皆、光明面と暗黒面とがあるので
ある。誰でも皆、美点と欠点とがあるのである。そして、観れば見た面が強くあらわれる
のである。
谷口雅春著 『愛はかくして完成す』より
=============================================
■相手から、美点…つまり“讃嘆”されますと、こちらも“うれし〜〜〜い!楽し〜〜〜い!と…
こころもウキウキしていきますので…これが繰り返し〜〜潜在意識に入りますと…『自信…』に
繋がりますでしょうかと。そうしますと…ますますとその自信に満ちた行動になりますでしょう。
「教育問題…」でも、よく世間でいいますところの『誉める!!讃嘆する!!』この旨を、踏まえ
ての指導は、やはり子供の個性を伸ばすうえで、大切な事と思います。
余談ですが、やはり子供の”こころ”は、素直ですから…この「讃嘆された言葉…」素直に
『脳内回路…』に入っていく事と思います。…が
再合掌
2011
:
a hope
:2013/02/06(水) 07:53:05 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆本に書いてある知識をつかう力を養うには(p130〜)
吾々は本を読んで、それをおぼえるばかりでは充分だということは出来ません。
おぼえるだけでは、ただ人間が辞書(じびき)になるに過ぎません。
どんな知識も、それを自分の自由につかいこなすことが出来ない間は、
つかい方のわからぬ道具をむやみに買いこんで箱にいれているのと同じであります。
どこへ、どういうようにつかえばよいかがわかったときに、その道具が役に立つように、
本を読んで得た知識も、それを応用し、つかう力が出来ないうちは、役にたたぬのであります。
本に書いてあることをつかう力をやしなうには、本をすこし読んでは考えながら、また読むことです。
(つづく)
2012
:
NANCY
:2013/02/06(水) 20:37:40 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>1877
>>1880
>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
>>1983
>>1988
>>1999
>>2010
の投稿の続きです。
===【谷口 清超 先生 著】==============================
■ 希望を失わずに進んで行けば、必ず道がひらかれる
私達は、決してみせかけの失敗や破綻に失望落胆してはならないのです。
たとい周囲の人が、みな「絶望だ」といったところで、絶望しない者にとっては、
絶望はない。
困難も、それにたち向い、克服する者にとっては、かえってすばらしい向上の機会に
他ならないのです。
『サラリ−マンの精神衛生』より
==============================================
■私達は、失敗・破綻により…【自信喪失…】になってしまいますモノ!あの時?あの場所で?…
色々悩みあぐねますと、益々と“ 闇の世界 ”へと…底知れぬ“ 暗黒の世界 ”への終着駅で
しょうか…?そうです〜〜〜ネ!【打ちひしがれた“心模様…”でしょうかと】
私は「生長の家…御教え」…つまり「真理…」にふれるまでは、底知れぬ“ 闇の世界 ”へと…
前向きに進むことが…中々出来ない状態が、過去の私でした。日常生活に於きまして、ほとんど
不安感を感じる方でしたかと。皆様の中にも??多少は思い当たる事ではないでしょうか??
私事ですが…特に此処、FUKに於きましては“ビックリな出来事”が…><
しかしながら「真理…」にふれる事により、今までの【自信喪失・自己不信…】を、克服する事
こそが、生きていく上で大きな利益になる。つまり「希望…目標」に向かうためのそれは
【魂の向上】に繋がり…揺るぎない「絶対意識」をもつ訓練の場を、頂いたモノと、思うように
なった次第なのです。
■“心のチャンネル”を切り替え、この【失敗・破綻…から来るところの不安】を、バネとして、
❤【不安をチャンスに切り替え…】まして、【今!この事が価値あるモノに繋がる】と…
この強い『不屈な精神…』これこそが…次なる機会ヘの【鍵…】かと……
そのように思える私自身……になり始めています。
❤〜今日は駄目だった……>< 明日こそ!明日こそ!手につかむ!!でしょう…… (ほほ笑み)
再合掌
2013
:
SAKURA
:2013/02/06(水) 23:18:01 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1875
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>>1879
>>1888
>>1889
>>1913
>>1914
>>1923
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>>1986
>>1987
>>2003
>>2004
>>2008
>>2009
>>
投稿の続きです…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【第六章 幸福を完うする秘密 ―その①― 】============
■“ 今持てる幸福の目録 ”
「五十種類の幸福ですって?そんなに……無論わたくし感謝しなければならぬ恵みが今でもニ、三
はあることを知っていますが、そのように沢山の幸福をもっているとは思いません」
教師は愉快そうに笑った。
「そんなに沢山、あんたが神様に感謝すべき幸福をあれこれを探し出さねばならないというと、吃驚
なさるかも知れませんね。しかし、少し時間をかけて、御自分が持っている。“今の幸福”を目標に
して書いて御覧なさい。五十種類位はすぐ出て来ますよ尾。五十種類の幸福リストが出来たら、私に
電話して下さい」
そこで彼女は自宅へ帰ると、ノートブックと鉛筆と出して、それに「吾が持てる幸福」という題
を書いた。そして題の下に、あの人生指導の教師と話していた時に思い出した幸福、
一、わたしは自分の家を持っている。
二、わたしは、健康である。
そして、テーブルにその鉛筆を置きかけた時に彼女はもう一つ自分の幸福を思い出して書いた。
三、 わたしは夜、熟睡することができる。
さて彼女は居間に入って部屋着に着がへかけたときに、自分の手首に腕時計があることに気がつい
た。これも“自分の今もてる幸福”である。その時計は午後二時を指していた。そんなにもう時間が
たっているとは考えてもみなかったのである。彼女は九時頃に朝食をたべた切りまだ何も食べていな
かった。いつもは、正午頃になると、昼飯が待ちきれない位に餓えを感じてたくさんの食事をとるの
に、(それが肥満の原因でもあった)どういうものか、その日は、まだその時間になっても空腹を感
じていないのは不思議だと思った。
部屋着に着がえてから、彼女は簡単な食事を、主として生野菜のサラダで済ました。それでも彼女
は充分満腹した感じだった。
食後、彼女は流し場で、お皿を洗いながら、窓ガラスを通して裏庭に眼をやった。
そこには花園があって春たけなのに緑の葉が伸びて花が咲いていた。あの、かって板はりつつ植え
つけた紫苑が所せまきまで込み合って繁茂していることよ。彼女は良人の死んだ時以来、忘れたよう
になっていた古い友達のジェーン・ウィンストン夫人のことを思い出した、“彼女はどんなに此の紫
苑を愛していたことだろう“ と思った。
彼女は「この紫苑の花をウィンストン夫人に自分みづから自動車で持って行ってあげよう。ジェー
ンはさぞ喜ぶだろう」と思った。それで電話をかけようと思った。その途端に彼女は、「わたしは電
話をめぐまれているし、自動車ももっている」ということにきがついたのだ。
彼女は急に居間に駆け込んで、
「わたしは電話を持っている、自動車をもっている、幸福にめぐまれている」
と、“今持てる幸福の目録”に書いた。
つづく
2014
:
a hope
:2013/02/07(木) 08:58:10 ID:TqpbsVIM
今朝は、「生活読本」の謹写はお休みして、昨日の光明掲示板の伝統さまの投稿を紹介させていただきます。
伝統さま、いつも素晴らしい真理のお言葉をありがとうございます。
合掌
2015
:
a hope
:2013/02/07(木) 08:59:56 ID:TqpbsVIM
日時:2013年02月06日 (水) 04時46分
名前:伝統
*醍醐千里・著「魂の約束」より
私たちは生まれるとき、神様から魂をいただきました。
みんなその魂を、自分の真ん中においています。
魂は磨けば磨くほど光ります。
漢字の練習を一生懸命しました。
魂は昨日より光ります。
電車でおじいさんに席をゆずりました。
魂は昨日より光ります。
弟におやつをあげました。
魂は昨日より光ります。
今日はごめんねが言えました。
魂は昨日より光ります。
あの人にありがとうが言えました。
魂は昨日より光ります。
努力をしたり、誰かや何かに優しくすることは
魂を磨きます。
けれど
努力をしたり、優しくすることだけではなく、
楽しいこと、うれしいことも、
魂を光らせることが分かりました。
友だちと楽しく大笑い。
魂は昨日より光ります。
誕生日のプレゼント。
魂は昨日より光ります。
楽しいことやうれしいことも魂を磨くと知って、
私はなんだかホッとしました。
(つづく)
2016
:
a hope
:2013/02/07(木) 09:02:05 ID:TqpbsVIM
(つづき)
ある日、そうじをさぼって友だちと遊びました。
友だちと楽しく大笑い。
けれどその日、自分の中の魂を見て驚きました。
あんなに楽しく笑ったあとだったのに、
魂は、光るどころかくもっているのです。
ある日、友だちからネックレスをもらいました。
お店から盗ってきたネックレスだと言います。
ほしかったものなので、
よく考えもせずにそれを受け取りました。
その夜、魂を見てみたら、その日もまた魂は、
昨日よりくもっていました。
ある日、一人が言いました。
ねぇ、あの子、はぶかない?
あっという間に、その子はひとりぼっちになりました。
私は、その子をひとりぼっちにさせる側にいました。
その輪の中で私には、急に仲間が増えました。
新しくできた仲間とともに、おもしろおかしく過ごしました。
そんな日々を送る中、
私は久し振りに、自分の中の魂を見てみました。
私の魂は真っ黒になっていました。
私は、自分の魂の色を見て、
とてもおそろしくなりました。
楽しいこと、うれしいことの中にも、
魂をくもらせること、
魂を濁らせることもあると分かりました。
楽しいこと、うれしいことには、
2種類あると分かったので、
これからは、
気をつけていかなければならないと思いました。
(つづく)
2017
:
a hope
:2013/02/07(木) 09:04:12 ID:TqpbsVIM
(つづき)
*
毎日魂を磨き、
毎日魂の様子を見ているうちに、
私は不思議なことに気がつきました。
磨いたつもりのない日でも、
魂の輝きが、増しているときがあるのです。
そういう日の一日を振り返ってみると、
その日は、きれいな花を見たり、美しい夕焼けを見たり、
そういう日だったことが分かってきました。
映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり。
そういうことでも魂を、磨くことができるのです。
楽しいことやうれしいこと、
目にした景色や、聞こえてくるメロディ、あたたかな言葉。
その日その日のなんでもないことも、
私の魂を磨き続けてくれたのです。
*
できるだけ魂を光らせようと、毎日を送っていましたが、
ある日、私は少しだけ疲れてしまいました。
夢の中で私は、神様に会いました。
夢の中で私は、神様に聞いてみました。
神様、私はいつまで魂を磨けばいいのですか。
私の魂は、いつ完璧に美しくなるのですか。
神様は言いました。
あなたは、あなたの最後のひと呼吸まで、
魂を磨き続けなさい。
みんなその約束をして、地上に生まれているのですよ。
でも、神様、磨き終わらないうちに、
最後のひと呼吸がきたら、
どうすればよいのですか。
心配しなくて大丈夫。
あなたの魂は、最後のひと呼吸のとき、
必ず、最高の光を放ちます。
神様、私にはその自信がないのです。
あなたは、毎日魂を磨いています。
だから大丈夫。
最後のひと呼吸のとき、
魂はそれまでで一番美しい姿を見せてくれます。
何も心配いりませんよ。
あなたの魂は毎日、昨日より輝きを増しているのです。
ときどき、自分の魂を、離れたところから見てごらんなさい。
あなたの魂があなたの体を越えて、
まわりに光を与えていることにも、
気づくことができるでしょう。
このごろでは、あなたの魂の輝きで、
道を明るくする人も増えてきました。
さぁ、戻って、魂を磨いてきなさい。
毎日を楽しくうれしく感謝の気持ちで送るのですよ。
そうするとあなたの魂は、キラキラと光を強くしていきます。
あなたがここに来るのは、まだまだずっとずっと先。
あなたの人生を、楽しんでいらっしゃい。
あなたがどんなに素晴らしい魂を持って、ここに帰ってくるか、
私はそれを楽しみにしています。
(つづく)
2018
:
a hope
:2013/02/07(木) 09:05:34 ID:TqpbsVIM
(つづき)
*
目が覚めた私は、
それまで気づかなかったことに気づきました。
昨日より今日。
今日より明日。
私の魂は輝きを増し続け、毎日新しく生まれ変わります。
そして必ず、その日の魂が1番光る魂。
少しの努力、優しい気持ち、
そして
うれしいこと、楽しいこと。
日々の中に散りばめられた美しいもの。
神様との約束を思い出したので、
私は、なんにも心配しないで、
毎日を送っていくことができそうです。
なんにも心配しなくても、
私の魂は、昨日より光ります。
光り続けます。
(完)
(著者のことば)
最後までお読みいただきありがとうございます。
* * *
2006年秋の発表以来、卒業式や朝会、道徳の時間、また学校通信、学級通信、
小学校の読み聞かせ、高校の教育講演会、病院等、さまざまの場で読んで頂いて
おります。
勤務校の廊下で書き上げたこの詩が、今こうしてたくさんの方々の心に深く
受けとめていただけるようになったことに、毎日感謝の気持ちが絶えません。
ありがとうございます。
HPやブログ、メールマガジンへの転載につきましてもお問い合わせが
続いておりますのでお伝えします。
一人でも多くの方、子どもたちに読んでいただけたらこんなに嬉しいことは
ありませんのでどうぞご自由に転載なさってください。
・・・
参考Webとして、以下の(「生長の家“本流宣言”掲示板」内)のスレッドがあります。
(1)人生は魂修行の場
→
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=89
(2)地球は魂修行の学校 (2925)
→
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=575
<感謝合掌 平成25年2月6日 頓首再拝>
2019
:
SAKURA
:2013/02/07(木) 11:35:44 ID:bvtHsLjY
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
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>>2003
>>2004
>>2013
>> 投稿の続きです…。
【第六章 幸福を完うする秘密 ―その②― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013
その①の投稿の続きです…。
彼女はジェーン・ウィンストン夫人に電話をかけると、夫人は非常に喜んで、「あなたが紫苑をも
つてこられたら、ディンナ―を御馳走いたしますから暫く話して下さる時間を予定して置いて下さい」
という返事であった。
その晩アン未亡人は、“今持てる幸福の目録”に、
「わたしは再びよき友達を得た」
と書いた。
こうして彼女の“今持てる幸福の目録” 書き込まれる事項は段々と殖えて往つた。それにつれ
て気がついたことは、神から与えられた色々の恵みは必ずしも肉眼で見えるものばかりでないとい
うことが悟れて来たのであった。最も大いなる神から興えられた惠蘄は、愛とか、誠實とか、知性
とか、叡智とか、深切とか、同情とか、勇気とか、信頼など……といふものであることがわかって
来たのであった。アン未亡人は、“今持てる幸福の目録”がふえて来るのを見るに従って、毎日の
生活が楽しくなって来、焦躁の感じがなくなり、心が落ち着いて来て、悲しい気持が段々晴れやか
になって来るのであった。
つづく
PS:トキ様 へ
■【アンさんの個人指導の講師の導き方…】が、私には、ぐんぐんと“このお話”にひかれていく
ように……「そうだヮ!そうなのョネ!」と……本当に、納得するものであり、【個人相談…】は、
ある面、他人を導く時、本当に“楽しいもの?”だと思いました。【自分自身も魂の成長へ…】…
私の「亡き母」の時代の、誌友会は皆さんは、よく勉強されていたのでしょうか〜〜〜?
「亡き母」の時代に、「2代目総裁…清超先生」が、はじめて講習会に登場された時が〜〜〜その
記念となります【 書籍……実相・現象 】でした。そして「雅春先生」の自筆サインが入っており
その本には“ボーダーライン”がぎっしりです。やはり、当時の「白鳩会…」は熱心だったかと、
あらためて当時の事が伺えます。「亡き母」は、忙しい時間を凌いで、いろんな方が相談に来ました。
その人と、一緒になって考える。更に!出来ない事は、それなりに、調べてアドバイスをする事と?
そうして考えていきますと、当時の「誌友会…会員」は多いハズです。
■ある時の事です。長崎総本山の「練成会」に参加して、母と一緒に「見知らぬ人」が〜〜〜><
おまけをつれて来ました。(私の表現)この人は、奈良の出身の人で、どうも学校の“英語教師”だ
とか?それから、その人は、私の家に“3日間位…”でしたか?いまして、最後には“お金”を借り
て帰りました。当時の私は「亡き母」に対し『相談は、本にて解決ができるのではないかしら〜ン』
と云いますと「亡き母」は平然として『どちらにしても“生活”が困っているのだから、まず!
“お金”を貸したのョ…』と答えました。私は、それに対し『お金は戻ってこないわ〜〜〜ョ!』と
云いました。
何故なら“英語教師”で、御主人は“黒人の方…米軍の方らしい”とか……?更に、
“子供がハーフ”になりますし、系統が“黒人に近い外見”にて生まれまして、社会生活が><
ある日、黒人の御主人が『問題…』を起こし、米軍のキャンプに残る事が出来ない状態になったそう
です。この女性の方の選択肢は❤〜【アメリカに行く?もしくは…離婚して子供を育てるか?】と
いう感じの選択肢でした。たまたま【長崎総本山の“練成会…”】に出会いました「亡き母」に
相談した事から、此の人の【新たなる人生の再出発…】が、始まったと云っても過言ではない
のでしょうか??
■今日の私は「亡き母」の【個人指導…】の選択肢は〜〜〜神の御心に叶っていましたのでしょう。
その後……
再合掌
つづく
2020
:
SAKURA
:2013/02/07(木) 19:23:45 ID:dGeUHjWM
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>>2009
>>2013
>>2019
投稿の続きです・…。
【第六章 幸福を完うする秘密 ―その③― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013
>>2019
その①②の投稿の続きです…。
■何故!「長崎総本山…」まで行って、当時の「本部講師」に相談しなかったのでしょうか〜〜?
やはり口から出ました言葉は【「本部講師」自身が、信者に対して『さげすむ見方…』が多いとか。】
「亡き母」は言っていました。…が?この人は、当時の“米軍の黒人の収入”が悪く、生活はすべて
自分の“英語教師としての収入”で賄っていましたから、尚の事【アメリカ行き?】は躊躇した
ようです。当然の事ですが〜〜〜「お金も片道切符」ですから、まず「亡き母」は、近所の友人を
つれてきて【個人相談…】となりましたのです。勿論!その中には“お兄ちゃん”の父親も…
当時は確かに【ベトナム戦争…が時代背景】にありましたでしょうかと。
そして、このお兄ちゃんの父親が「塾を開設しても良い能力があるから〜〜」…大丈夫!!
❤〜【日本で黒人の子供を育てる〜〜〜のは?大変な事…?】と、みな異口同音言っていました。
【何 故 な ら イ ジ メ が 必 ず 起 き る で し ょ う 〜 〜ネ!】かと。
現在でも、この「 イ ジ メ 問 題 …」は、色々な形での社会問題になっております〜〜〜ョネ!!
しかしも【海外のアメリカでは“人種差別”があり、更に、兵役の義務にて、どこへ行かされるの
かと思うと〜〜〜><何処になるのか不安ですし、更に、当時の戦線で“ベトナム…”に行くよう
になれば〜〜〜><御主人は、まず!生きて帰って来ない事に><】どちらにしても、この人の
【人生…論】はと、みんなで話しあって、そうこうしています内に、いつの間「亡き母」が、つれ
て来たその女性は、急に“奈良…”に帰ってしまいました。
それから〜〜〜月日がたちまして〜〜〜(その間…相談した人の間には手紙でのやり取りが〜〜)
■忘れもしません!!その女性は【30前後…】でしたでしょうか?そうなのです!!あの時の
“女性…”が【【急にもう一度!何がこの先起きましょうとも、自分の子供は此処“日本で育てる!”
しかも、“イジメがあれば、強い信念にて対処する!”この様に≪子供を育ててみせる!!≫と云って…】】皆さんに“お金を借り”ての“再出発…”となったのが当時の【個人相談…】の結果だったのです。
それから、月日が立ちまして、私が【問題…】を起こした前後の時に、その“女性…”から、
≪大きな封筒に〜〜〜“お金”〜〜〜≫が入っており、しかも!貸した“お金…?倍”となって……
【 書 留 郵 便 】が〜〜〜何冊か〜〜〜(おぼろげな記憶にてですが??)
戻ってきました。その時の「亡き母」の顔の“満足な笑み”が思い出されます次第です。
この方は、その後!持ち前の教師という資格にて【数学・英語の塾…】を開設して…当時「亡き母」
が“貸したお金を資金源”にしての【再出発…】をしたそうです。(かなりの○○○万という金額)
当初!その女性に連絡しますと…❤【【黒人の御主人は【ベトナム戦争…】に派遣されて、多分!
戻ってこないでしょう〜〜〜との返事が来て、更に、亡くなりますと“一人で育てていく事”が、
これからの残された課題で“生命は永遠…”と云って、御夫婦の写真を一緒に添えられて……】
「亡き母」へ手紙が舞い込んで来ました。…が?あれから〜〜〜どうなったんでしょうかと、
この頃は「亡き母」を偲びますと、ツイ!ツイ!【 両親の愛行… 】を身近に見ておりましたので、
感慨深いモノがあります。…が?
■この様に、現在の【 生長の家…雅春先生の真理 】を本当に地道に“行”じた年代が〜〜〜
「亡き両親」の年代でしょうかと…今は【誇り…】に思えます。そして…
つづく
2021
:
a hope
:2013/02/08(金) 08:20:57 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆元気になる本を読みなさい
悲しいことの書いてある本や小説を読んではなりません。
悲しいことの書いてある本を読みまと、心の中に悲しいことを思いますから、
心が悲しくなり、悲しいことがあつまってきて、身体も弱くなります。
勇敢なことの書いてある本、勇気の出る本、元気になる本、
男らしい冒険のことの書いてある本、人に深切をする喜びの書いてある本などを読むと、
読んだ通りに、勇気のある、元気な、健康な、深切な人になります。
(つづく)
2022
:
「訊け」管理人
:2013/02/08(金) 17:48:08 ID:???
『成功の秘訣』(F.L.ホルムス著 谷口清超訳)149頁より謹写――
神よ!吾らに人を与え給え。今こそ
真実の心、強き頭、すぐれたる手を。
金銭で得られぬ仕事への愛をもつ人を。
誇り高き人を、誠なる人を。
下らぬ策略や情実に超然たる
強き人物をこそ与え給え。
たじろがず邪まなるデマを粉砕する人を。
何故なら、下劣な詐欺漢が、ひからびた信条や、
卑しき行為や、下らぬやり方で、
些細なことを論じ合うため、ああ、自由が泣き、
虚偽が地を覆い、正義を持つ人が泣いているから。
――F.L.ホルムス
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65716146.html
2023
:
SAKURA
:2013/02/08(金) 18:53:30 ID:bdP2hNg2
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>>2008
>>2009
>>2013
>>2019
>>2020
>>投稿の続きです・…。
【第六章 幸福を完うする秘密 ―その④― 】
■“ 今持てる幸福の目録
>>2013
>>2019
>>2020
その①②③の投稿の続きです…。
■そして…この時の「亡き母」と一緒にその女性の将来を考えて下さいましたお兄ちゃんの
“父親(東大卒)”は、地方講師でもありませんでしたが…><この「地方講師」…肩書きの無い
人ほど…多いのでしょうかと「亡き母」の言葉…です。それで、近所の人達も同じ考え……
私も納得する面が〜〜〜【生長の家…絶対の愛】この基本の理念にての【個人相談…】が、
私の近所の誌友さんの考えでしたかと。
■■さて、月日がたち…ある時の事!調布から“玉川の高島屋”に買い物の帰りの事です。偶然!
バスの中で〜〜〜当時は知りませんでしたが……?「母親は有名人?」ですかと。そうしますと、
“黒人の方との間に子供を出産され育て上げた方…”が〜〜〜いましたですョネ!!ご存知で
しょうか?確か?今では≪コマーシャル≫に出演でしたかしら〜〜〜ン!実は、乗車しまして、
後方席の方へと進みますと、何と!その方が、私の座席の後ろに座って、横に“子供さん…”が?
その“目の大きい!綺麗な瞳!…”その子供の“顔…表情”と云いますか?印象としては、
「肌が黒いのですが、素直な顔…」を、していた事が思いだされます。
ふと!「今回の奈良の女性の方」を思い出しまして、私の“脳裏”に、きっと大変だったのでは?
と、その“有名人の伝記”を読んで「亡き母」のした事は❤〜【やはり“ 愛 ”なのですネ!】
今回「アンさんの個人指導のお話」から〜〜〜?思い出してしまいました。余談ですが…私も、
逆の立場にて「お金をお借りした事」はあります。…が?私も、当時は、苦しい状況で“お金”
を借りて、それが、すぐさま返せなく、相手…に対して、嫌な感情を抱かせてしまいました事を…
思いだしました。
■でも、今の私も「亡き母」のした事は
❤〜【世間では“お人よし…”と云われて、その瞬間はバカ!バカ!にされたカモ】〜〜でも!!
【 相手を信じての“行…”しかない!! 】と「亡き母」の言葉に【個人相談…】は〜〜〜
難しいと思いました。かなりの“智慧…体験”がいりますかと。どうしても、人は自分自身の
体験しました?或いは似た環境の対象の方しか【個人相談…】は難しい点がありますでしょう…。
■■当時!この「女性…」は、「長崎の総本山」の「本部講師」に相談しますと、
【黒人の子供を出産した事を、まるで“売 春”みたいな表現での“言葉”を頂いたそうです】…
まして【更に!!さげすむ見方…視線が?】かなり“落ち込む”精神状態になったそうです。…が?
■【だれも相手にされず、「亡き母」が一人だけ“声…”をかけて、それから個人的な話に…】その
様になったそうです。母が私に教えてくれました事は“英語教師…”と聞いて、親近感?でしょうか?
「亡き母」はその人と一緒に「英語で話…が出来る事」にある面“心を開いた”のかしら〜〜〜ン
と…私が≪中学1年…≫までは「亡き母」が教えてくれました。…が?仕事で忙しくなり、
英語は、姉は≪高校2年…≫まで習っていた様です。…が??
■■【個 人 相 談】…これは其の人の「人生を左右する“羅針盤”・・・」となりますから、
如何に重要なのかと思う次第です。場合によりましては「潜在意識に…」そうです〜〜〜ョネ!
【自信喪失…】に繋がるモノと考えますと・・・・【個人相談】での
「言葉…=言霊」これは、導く側としては、もう一度!考えるべきモノかと、個人的に思います。
再合掌
2024
:
NANCY
:2013/02/08(金) 19:59:52 ID:bdP2hNg2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
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>>1955
>>1983
>>1988
>>1999
>>2010
>>2012
の投稿の続きです。
===【谷口 清超 先生 著】==============================
■「 困 難 」と見えるものは 成功への足がかりである
「困難」と見えるものは、成功への足がかりなのだ。人間は、如何なる困難にもへこ
たれず、それを逆に活用し、そこから又と得難い教訓を学びとって、
初めて立派な人間となることが出来る。困難にうちひしがれることなく、
決然として立ち上がろう。そして、生き生きと積極的に生き抜いて行こう。
谷口清超新書文集4 『真実を求めて』
==============================================
■「 困 難 」此の文字?言葉?を、見ますと…><
どうしても、目の前に【大きな〜大きな〜壁!壁!】が立ちふさがると云います感じでしょうか?
「出来ない!」「治らない!」「無理…!」…この様なネガティブ感情ばかりでしょうか><
そこには、すでに【自 己 限 定】が、潜在意識に入り込んでいますでしょうかと。
そうです〜〜〜ネ!【限定する!】この事は、前に一歩も進みません。そこで【停滞…路線?】
或いは【妥協…路線?】になりますでしょうか?
■今思いますと…この【困 難】こそが、それを“バネ”として…次なる“ステップ”に行くことの
出来ます大切な〜大切な〜【通行手形?…】でしょうかと。若い頃は、???をして見ましょう!
その様に思っても…当時の私は【資金が?能力が?…etc】とのア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!にて、
随分と大切な時間を“無駄…”に過ごした感じがします。今でいいますと【後悔!!】かと。
要約〜〜〜その眼の前の「現実=現象」に心をとらわれることなく…「誠意在意識」の〜〜〜
奥を観て…それをこの現実にもって来ることが可能!出来る!と云います【絶対意識…】を、
少しづつ私のマインド・コントロ−ルとして、只今【修行中…】で〜〜〜〜す。
❤ 積極的に!!邁進!!〜〜♫〜〜ワン!ツウ!スリ!〜〜♫〜〜
再合掌
2025
:
さくら
:2013/02/09(土) 06:57:48 ID:sh8EJSx.
合掌、ありがとうございます。
本日、二月九日は、
『上求菩薩・下化衆生の神示』が、天降った日です。
拝
2026
:
さくら
:2013/02/09(土) 06:58:25 ID:sh8EJSx.
『上求菩薩・下化衆生の神示』 谷口雅春先生
實生活は捨ててはならず、捨てねばならぬ、そこが難しいのである。
實生活を捨てるのも自分だけ浄まるために捨てるのと、他を救ふために捨てるのと二種類ある。
實生活をあまり忙しがるな。
皆の者が『道』をきき病ひを癒して貰ひたうても遠慮して頼みに來にくい。
そのうちに救われる機縁を失うて取返しがつかぬやうになる人もあるのが可哀さうだ。
同じ家族でも心の持方、悟りの程度で、ひとりひとりの運命は別々である。
わが第一の神殿は皆の誠によつて形の世界へ顕はれたから第二の神殿に取りかかつて貰わねばならぬ。
第一の神殿は聖典『生命の實相』であつて智慧のの神殿である。
第二の神殿は愛の神殿であつて、神が愛であり、愛は癒す力であることを知らす『見眞道場』である。
智慧と愛とふたつの神殿が『生長の家』に揃へば全世界の地上天國建設の心柱が出来るのである。
この心柱は心の柱で智慧と愛との十字である、卍である。
(昭和七年二月九日神示)
2027
:
a hope
:2013/02/10(日) 06:45:42 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆良書を読んで運命を好くしましょう
凡ての人間は自分自身の運命の製造者であります。
自分が出世するのも、富豪(かねもち)になるものも、
運がよくてなるのではなく、運と云うものは皆自分がつくるものなのです。
人間は自分の運命の建築技師であるばかりでなく、
一つ一つ自分の運命をきずきあげる煉瓦(れんが)を自分で積むものなのです。
諸君は時間を大切にしなければなりません。
貴方は時間を如何に使っていらっしゃいますか。
二十四時間のうち、学校で六時間ほど勉強したら、あとの十八時間は何につかっていらっしゃいますか。
八時間眠るにしてもまだ十時間もあるでしょう。
お食事や休憩の時間に三時間位とっても、まだ七時間もあるでしょう。
その中の五時間を自分の定めた勉強の時間にして御覧なさい。
毎日五時間、これと定めた目的のことを勉強するならば本を読むにしても、
音楽を勉強するにしても、そのほか何を勉強するにしても、二、三年のうちには余程上達して、
五年もしたら、その方面の名人にもなれるものなのです。
何もせずにぽかんとしていたり、役にもたたぬ、勉強にもならぬ、
つまらない仕事に時間をつぶしていては世の中の落伍者(おちぶれもの)となるほか仕方ありませぬ。
(つづく)
2028
:
NANCY
:2013/02/10(日) 22:03:44 ID:dGeUHjWM
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>>2012
>>2024
の投稿の続きです。
===【谷口 雅春 先生 著】==============================
■経験は魂の栄養素である、感謝して受け、味わうべし
経験は、魂の食物みたいなものである。どんなに貧しい経験であろうとも、
どんなに苦しい経験であろうとも、それは、他の経験では得られない種類の
“ 魂の栄養素 ”を、含んでいるのである。
だから、それを感謝して受け、その経験が自分に何を悟らせようとしているかを
よく噛みしめて味わうべきである。
『如意自在の生活365章』より
==============================================
■■【経験…】これは、ある時は自信をつける時もありますが〜〜〜この【経験…】が、失敗と
いう結果の時が“問題…”なのです。その時の“心の持ち方”この事が、この先の「人生の方向」
を、決めてしまいますかと。
どうしても失敗の経験は、自分をなじんだり、悲観したりして…“ネガティブ思考…”に陥りやす
くなりますでしょう。自分を客観的に見る事が、若い頃はどうしても出来なかったと、今振り返り
ますと…かなりの“遠まわり…”をしてしまったかと思います…。自分自身を低くみてしまった
感が致します。【本当の自分探し〜♫〜】を……しなければと!
この「生長の家…御教え」を【SAKURA】 さんから紹介して頂きまして…その“失敗…”の意義が、
解りましたのです…。此の“失敗…”を、“失敗…”だとそこで掴んだ“心…”で停滞するよりも?
(ふさぎ込んでしまう事よりも?)><【不屈の精神】にて…これは一つの“デ−タ−”ができた…
【目標…クリア】するための、次なるステップに進みます時の情報デ−タ−と、潜在意識に入れ込み
ますと、新しい方法?つまり前向きの考え方が、浮かんできました。
つづく
2029
:
NANCY
:2013/02/10(日) 22:05:06 ID:dGeUHjWM
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>>2012
>>2024
>>2028
の投稿の続きです。
【谷口 雅春 先生 著 『如意自在の生活365章』より 】================
>>2028
投稿の続きです…。
■私も…ふり返りますと…【転職組…】です。【SAKURA】さんと仕事を組み出しました時…
そうです〜〜〜ネ!分担作業として【SAKURA】さんは「デザイン・パタ−ン」を担当…!
『縫製部門』は二人仲良くでしたかと。当然ながら“営業”と云いますか「販売=接客」は“私…”
なのですが〜〜〜><当に!青天のへきれき〜〜〜><お客様との“会話…”に、先ずは、躊躇し
てしまい、そうこうしていますと、タイミングが合わずに“お客様…”が〜〜〜
しかも…私でなければ“彼女は販売は出来ないヮ!”と云います“力…”んだモノがありましたかと。
ですから、そういう時は、どうしても思考がそちらに行ってしまい…自分達なりの【営業ノルマ…】
が、思うようにいかない状況でした。…が?それに、当初は資金も無く【絶体絶命…】の後戻りの
きかない状況でした。しかも『販売は〜〜〜大嫌い〜〜〜イ!』という正直な話?“バカにした
モノ“が〜〜〜この様な”固定観念“が〜〜〜><私の潜在意識にはありましたかと…。いざと
なりますと難し〜〜〜イ!これが感想です…。【自分に返って〜〜〜やまびこ!】
❤〜ある時【そのままの姿の二人…】で〜ハンディ−があっても接客出来る!【二人で一人前…】
との考えで【SAKURA】さんも接客を一緒に…「ア〜〜ウン〜〜」の呼吸にて初めますと…但し??
“組み初めました頃”は、随分メチャクチャなる販売を致しましたが…その後…「営業数字…ノルマ
達成」となって行きました。(微笑)そして、私の気持ちの上でも「お客様がワザワザ来て下さって、
私共の商品を購入して下さる」何時しか『感謝…』の気持ちが芽生えました…。そうしますと…
「販売の会話がルン〜〜ルン〜〜♫」楽しくなりました…。そして、一番嬉しく思いましたのが…
或る≪財界のトップ≫の方が「あなた達と会話するのは楽し〜〜イヮ!」ワザワザ…大阪在住でし
たが、東京に上京するに至り、私どもの住まいまで足を運んで下さいました事が、印象的でした。
■この様に一度は“心の持ち方を失敗”しましたが、これを経験として“心のスウィチ”を、変え
る事により、結果的には“良い方向”へと進んだ訳です…。しかもこの事が【自信へと…】
■■どんな失敗に経験でも、これを「不屈の精神」でクリア−する事で「自信」を見出す事ができ、
最終的には、これを何度も何度もマスタ−する事=前向きに進む事により【人生の成功】ヘの道を
進む足がかりかと、この頃は思う次第です。
再合掌
2030
:
a hope
:2013/02/11(月) 08:23:32 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十一章 心の花園に美しい花を咲かせましょう
◆世間は偉い人を見のがさぬ
自分でこの世界に道をひらいて行く人の前には、どんな邪魔者も、自然に姿を消してしまうのです。
あなたの生まれがどんなに貧しくとも、また職業がどんな仕事でも、
そんなことは人間の値打には何の関係もないことなのです。
それは途中の出来事であって、豊臣秀吉の血筋だと云っても、
それは中村弥助と云う百姓の血統に過ぎないのです。
蜂須賀小六(はちすかころく)と云う盗賊の弟子をしていたこともあるのです。
祖先に遡(さかのぼ)ったら、出世していた祖先もあり、落ちぶれていた祖先もあります。
しかし、もっともっと祖先の祖先のその又祖先に遡って行きますならば、皆さんはすべて神様の子孫なのです。
皆神の子であって生まれが悪いなどと云う人は一人もないのです。
神様の子はどれほど出世しても出世しすぎると云うこともあり得ないのです。
どんなに力を出してもこれで力の種切れだと云うこともないのです。
出せば出すほど力が出るのです。
勉強すれば勉強するほど力がつくのが人間なのです。
つまらない遊びにつぶす時間を、十分間でも二十分間でも節約して、
その時間によい書物を読んで立派な人間をつくることです。
本と云うものは、兎も角、立派な人が一生涯かかったような研究を、
しばらくの間に知ることのできるようにまとめたものですから大したものです。
(第十一章 終わり)
2031
:
SAKURA
:2013/02/11(月) 20:16:23 ID:ybpOApPc
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
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>>投稿の続きです・…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】================
■“ 愈々體重が減じて来た “
それから一カ月たって気がついたのは、彼女の體重が数ポンド減量したことであった。彼女が今ま
で痩せたいと思ひながらも、たくさん食べなければならなかったのは、官能を楽します感覚的刺激に
よって失意や自己憐憫の感情を胡麻化すためだったのである。アルコ−ルや甘味品は心の悩みを胡麻
化すための痲醉劑の代用となることが多いのである。しかもこのやうな食物が脂肪に變じて體重増加
の原因になるのである。心の惱みがそれだけ無くなると、このやうな含水炭素系の食物を多食しなく
なり、自然に體重を殖やさない健康食で満足できるやうになるのである。
『ウイクリ−・ユニティ−』誌にはこのアン未亡人が職業を得たかどうかは書かれてゐなかったが、
屹度、今頃は適業を興へられて幸福にくらしてゐるのだろうと私は思ふのである。
かうして、良人が亡くなって以来、誰も訪ねてくれるものなく、晩餐を伴にする相手もなく、電
話をかけてくれる友さへない寂しさを喞つてゐた彼女も、庭にある紫苑の花を友人に持っていってあ
げようといふ愛念を起こしたときに、既にその寂しさは癒される事になってゐたのである。ディンナ−
に招かれ、直ぐ歸らないで話していってくれといってくれる友達ができてゐたのである。
つづく
PS:トキ様
彼女は、小さな【感謝…】から一つ一つ感謝行が出来て行くうちに、いつの間にか、“愛”が芽生
えて、更に“心のゆとり”もできて、小さな発見に至ったのでしょうか??
【本部練成道場…飛田給の玄関】にあります❤〜「神は愛なり」の言葉が思いだします。小さな
積み重ねで、やがて何時か〜何処かで〜【勝利の女神…】が微笑んで来ること……今回「アンさん」
の“50項目の感謝行”を……私も参加しています!!
一つ思いますには、此処【2チャンネル…】で、私は前以上に、精神状態が強くなった事に“感謝行
…リスト“の中に、上げれるようになりました。「トキ様」の思考もある面ためになっている事が
ありまして、これも“感謝行…リスト”へ???
■当初は「50項目…」見つけるのに大変〜〜〜で!当時の私が、如何に“感謝のバロメ−タ”が
悪すぎました事に…【反省】で〜〜〜す。その後は〜〜(微笑)ブツブツ?と云いますか?不満が
無くなりましたでしょうか?但し「黒幕デザイナ−・吸血鬼・ゾンビ…」は問題外なのです〜が?
さて「トキ様」も“感謝行…”は、今は〜〜〜【監査役…】になっているのではと??今とても
大事な時期ですし、体調も壊しやすい季節ですので、いろんな思考が“グルグルと回転”…まる
で「回転木馬…」のような感じですかしら〜〜〜ン!私もいろんな方を見て“パンク寸前”ですが、
❤〜【神は愛なり…】と思えば、まだまだ思考回路の中で??ユトリを!!まずは【心の一本道…
真実路】に到達しますには、やはり“感謝行…”こそが「幸福の近道…切符」でしょうか???
「トキ様」は、どう?お考えでしょうか〜〜〜?
再合掌
2032
:
a hope
:2013/02/12(火) 06:43:48 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう(p134〜)
◆美しく生きましょう
人間に一番大切なことは、自分自身を美しく生きることです。
決して自分の生活を汚くしてはいけません。
世の中にはお金をもうけることばかりに自分の生命(いのち)を使って、
自分の生き方がどんなに汚くなってもかまわないような人がありますが、
こんな人はお金の尊いということをしっても自分自身の生命の尊さとうことをしらないのです。
美しく生きるということは、自分の心がいらいらせず、くよくよせず、人を突き倒すような悪いことを考えず、
自分ばかり得がゆけば人がどうなってよいというような考え方をおこさず、
人のためを思って、やさしく深切に愛の心をもって人のためにつくしてあげることです。
自分のことばかり考えて欲張っている人を「あの人は汚い人だ」というでしょう。
おおよそそういう言葉から考えて見れば、きれいな生き方と汚い生き方とは自(おのず)からわかるのであります。
(つづく)
2033
:
SAKURA
:2013/02/12(火) 13:26:07 ID:1rgrwDUA
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>>2031
>>投稿の続きです・…。
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』 †
===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】================
−† 與へよ、さらば與へられん †− その①
友達だけではなく、生活費なども、今自分のもてるものを隣人に與へて、隣人を幸福にしてあげる
ために奉仕してゐるならば、自然にあたへられることになるのである。『生活の智慧365章』の中に
は或る未亡人が、寂しく孤独感に悩みながら生活してゐたが、光明思想に触れて、“自分の今もてる
能力“を他に與へて、他を幸福にすることによって、反転して、その幸福が自分に還って来るもので
あることを知った話が載ってゐる。
彼女は、「自分が今、人を幸福になし得る“何”を一体もつてゐるのだろうか」と考へた。彼女はピ
アノが相当弾けたが、ピアノ教授を堂々と看板を出してできるほどではなかった。しかし誰かに與
へ得る能力として自分の持つてゐるものは、このピアノの才能だけであつた。
そこで彼女は、「子供の娯楽会などでピアノの演奏を無料奉仕します」といふ小さな三行広告を出す
ことにしたのであつた。すると時々諸方のそのやうな集りから来てくれといふ依頼が来るやうにな
つた。彼女の孤独感も寂寥感もそれによつて終わりを告げた。
「自分は此の世に生まれて誰かのためになつてゐるのだ。誰かに必要とされてゐるのだ」といふ自覚
が出来たときに、その人は愛の息吹を感じ、生き甲斐を感じ、友人を身近に感じ、孤独感が消えてな
くなるのである。
或る日、彼女は、学童たちの娯楽会にピアノ演奏の奉仕にでかけて往つた。そこで彼女はその娯楽
会に自分の幼い子供を伴れて来てゐる丁度よい年頃の父親と知り合ひになつたのだつた。知った瞬間
から二人は互いに魅力を感じた。やがてふたりは恋愛するやうになり、つひに目出たく結婚すること
になつた。
つづく
2034
:
SAKURA
:2013/02/12(火) 13:28:19 ID:1rgrwDUA
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>>2033
投稿の続きです・…。
【 第六章 幸福を完うする秘密 】
−† 與へよ、さらば與へられん †− その②
>>2033
その①の投稿の続きです…。
■かうして彼女の孤独生活は完全に終りを告げ、経済的にも富める家の夫人としてゆたかなる生活を
送ることができるやうになつたのである。私たちは、今もてるどんな小さなものからでも、
“自分のもの”で起ちあがらなければならないのである。
アン未亡人が五十項目も、自分の持つてゐる幸福があるものかと最初は疑つてゐたのであるが、さて
自分の持てる幸福を計へあげてみると、次から次に出て来るのである。そして私は「こんなに豊かに
持つてゐる」といふ感情が心の底から湧いて来るやうになると、この世界は心の現はす所の世界(唯
心所現)であるから、本当に現実世界も裕かになつて来るのである。
==============================================
PS:トキ様
【相手の幸福を願う…??】これは捉え方?であり、中身の問題でもあるのでは?と、今回思いま
した。「亡き母」は、確かに、当時、国際結婚(黒人の方との子供)のその女性に“お金…”を貸し
ました。それは、当時の時代の背景もあるかもしれません。近所の方と相談して(お兄ちゃんの父親)
…いろいろな角度で考えたすえかと。その女性の才能は【知識・能力…そして意志力】でしたのでは。振り返りますと、今“出来る事”は、当時の「亡き母」に取りましては、出来る範囲の“お金…”
詳しくは…(近所の方も出し合った部分もありましたのでしょうか?)という事です。…が?後に、
【“お金…”もそうですが〜〜〜たくさんの“お返し…”を頂いた時】……「亡き母」は、この
沢山もらっといったのは、ある面では、その女性の“気持ち…感謝の念”がひしひしと伝わりまし
たのでしょうかと。これ程素晴らしい!最高のモノという感で…「いっぱい〜〜頂いた」と…!
相手の女性の“お返し…”も〜〜〜【 愛 】だったのです〜〜〜ョネ!!
今、私も“出来る事”はと自問自答しています。……勿論の事、此処で閲覧されています皆様方も、
“いろんな悩み・迷い”が在りますでしょう。…“苦い経験”…此処で、私なりに経験した事を、
さらに“具体論…”で投稿させて頂く事が、大事ではと思いました次第です。
ある人は「引用…」を利用しての“悪口答弁?投稿”…その様に、その人が見えるのは〜〜〜><
その人の“心…”そのものがその様に見える?思う?つまり【鏡の表裏一体論】でしょうかと。??
相手に“映るモノ”は〜〜〜自分自身の“心そのモノ…”と思えますから、私は【分派の皆様の活動
体制…】を見て思いましたのは、『真理…』はさておき『生長の家…』の私達の宗教の“中傷ばかり”
ではないのでは?納得して、御自分達の“志…”にての新しい『分派…???会』を作られ、参加し
活動していますのに『現象論』ばかりの内容、更に、観覧者の皆様に不快なる言葉で…嫌な“感情”
のみを、ある面では与える事に値するモノと思います。…が?
これは【与えば さらば 与えられん…の法則】に基ずきますと、結果は『現象』では?与えたモノ
は『現象…』のみですから〜〜❤【天国の門…】は、程遠いものではと、つくづく思えるのです。
此処【2チャネル…】で、いろいろな“思考…”が入り、今の 私は、本当の意味で……
【生長の家…成長する魂…】は、当然のことながら「現総裁雅宣先生」を中心帰一としての
【真理…】を学び【魂の向上…】と思います。昨日は、ブログにて「原宿本部…」にての“お話”
の内容を知ることが出来ました事は、その場に参加できなかった“信者”への愛念では〜〜〜!
❤【今!活かすことから、全てが始まるのですから〜〜〜】私も自分の持てる範囲での行動はと?
“心…豊かに”〜〜〜そうです〜〜ョネ!!【与える事!活かす事!】此処から出発では!!
再合掌
2035
:
goro
:2013/02/13(水) 22:47:24 ID:nCo1DokU
雅宣総裁の建国記念日(紀元節)式典の御挨拶「建国神話の普遍性と特殊性」の内容と、生長の家の本来の古事記解釈とは根本的な違いがあります。雅宣総裁には、生長の家の最高指導者として、せめて、天皇国家としての建国の理想を語って欲しかったと思います。
以下の文章は、野木先生の「古事記の序文概説」の一部を抜粋したものです。
雅春尊師の「唯神実相哲学」と、野木先生の古事記解釈が渾然一体となって、「天皇国日本の実相」を余すところなく説いて下さっていますので、古事記の学びの道標として参考にして下さい。
古事記には、外来思想のように、英雄偉人や聖者という固有名詞の評価や理想はない。神々の事績を鏡として、民衆や下位の者に(サタンの利でなく)真実の利があるかどうかという「聖の道」のみが存在する。この違いが見えなければ古事記の思想は理解できない。従って、序文は、次のように古事記の思想を結論している。
泰平の世は歩むようで…事ある時は疾走するように…時代の動きは、異なった時代が、あざなう縄のように去り…現れてくる。「文雅な政治」と、「質朴な政治」は、違っているように思われやすく、時の天皇によって、異なった政治をしているように見えるが、歴代天皇は、歴史を貫く「古事記の初心に従った未来」を見通しており、常に「神々の事績に神習うこと」を一貫した指針として知ろしめす。
従って、教化道徳は廃れ切って、自国の歴史を否定する者が出て来ると…
その中でこそ、人心の汚濁は濾過されて…時節至れば…真実は自ずから萌え騰り、古事記の心を種とする天皇と、神の子吾を自覚する人々が出てきて、常に、新しい時代に応じて…さらに未来を見通した古事記の心が蘇る。従って、新しい学問や風潮が現れて…「古事記の心は絶えるか」と思えても、神ながらなる道は人知れず補われ…必ず新生して顕れるのである。
これは政治に限らない。天地一切のものは、宇宙的レベルから地上の自然や個人に至るまで、それぞれの道(性質)にしたがって、春夏秋冬のような時節を経過している。しかも、現象の世界は、原子的な極微の次元の波動がテレビの画像のように、間断もなく映し出している「映像の世界」(人間関係は想念の現れ)であり、「古(いにしえ)を稽(かんが)え」の言葉通り、天地創造の初めから現在まで造化参神の道に継続して進んでいる。
しかしながら、「風猷(風教道徳)すでに頽(すた)れたるに」という場合。実際は、時代の流行的乱れや組織社会での乱れもあるけれども、根本的な課題として、創世記で言えば、「地を這う蛇(サタン)の知恵に眩(くら)まされた心と認識」であり、古事記の「黄泉国・須佐之男命が事依さしに従わなかった時・天之石屋戸開き」の問題である。須佐之男命は、地上に追放されて、大蛇(おろち)を退治て得た草薙剣を、天照大御神に献上した。この時、天地初発の初心に継続して「和歌(敷島の道)の祖(おや)」となった。
これは、肉体(サタン)人間の心から「神の子人間」を自覚して「風猷(ふうゆう)頽(すた)れたるに縄(ただ)された」のである。即ち「廃(すた)れない限り」例えば、食べ物は、体内で完全に腐敗しなければ下痢になる。果物は熟して腐らなければ種が熟成しない。
「自分で黄泉の心に気づくまでは、神でも為す術(すべ)はない」ということである。
聖哲が真実を説いても、開拓者が事業を起こしても、受け継ぐ組織の地位を得た者は、たちまちサタンに変身して権力者となり世相は廃れる。しかし、マルチメディアの時代になって権力や贈収賄など、役得根性(サタンの心)も糺されて裁かれる時代になって、権力者は存在しにくくなった。…さらに、人間の無責任なサタン的生き方は、自然環境や生態に悪影響を与えている。…二十一世紀以後は、権利と自由謳歌のサタン思想で「自滅する」か「仕え祭る・真釣合う」という、人類初発の思想が常識になるかどうかである。
2037
:
a hope
:2013/02/14(木) 07:37:11 ID:TqpbsVIM
「児童教育に関する神示」
多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、何故あなたはこの反対をしては可けないのか。
こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。
感謝 合掌
2038
:
a hope
:2013/02/14(木) 08:07:35 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう
◆暗い顔をしてはいけません
きれいな心の人はまるで太陽の光や青空を運んでくるような人です。
その人の行く所に何となくあたたかみがさしてくるものなのです。
取越苦労や心配は光の射すようなそんな明るい気持ちの人の近くへ来ると、
自然に和やかになって消えてしまうのです。
吾々は人に深切であっても、にこにこ笑う喜びの心をなくして、深切をするのでは、
一方では人に深切にしながら、自分の暗い顔つきで、人を気持ち悪くしているのですからその深切が何にもなりません。
吾々は明るく生活しなければなりません。
明るい生活の中にはすべての善いものが集まってくるのです。
昔から「笑う門には福来る」という諺がありますが、にこにこ笑っていると、自然に善いことが集まってくるのです。
人をたのしく愉快にしてあげることは美しい行いであり善いことであります。
その楽しく愉快にしてあげるには、色々の贈物をさしあげるのも、一つの方法でありますけれども、
物をさしあげなくとも吾々がにこにこ楽しい顔つきをして、たのしい心を他の人に移してやればそれが最も深切な、
人に幸福を与える方法であります。
(つづく)
2039
:
SAKURA
:2013/02/14(木) 22:57:23 ID:KoNTudh6
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ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では“続き
投稿”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶があります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること
さて、その「與へよ、さらば與へられん」の無限供給の黄金律は、親に“深切”を與へる、即ち親
孝行をすることや、先祖に“真理の言葉”を與へる、即ち先祖にむかつて聖経を読誦することも含ま
れてゐるのである。含まれるどころか、非常に重要な報恩行なのである。吾々は現在この現象界に
生を享けてうまれて来たのは、神の生命が、祖先を通し、父母を通して、地上に自己顕現したのであ
って、今日私たちが、かうして生きてゐられるのは祖先及び父母のお陰なのである。それに対して報
恩の行ひをしないならば、私たちは、“天の倉”から借り越しになってゐる。借り越しになってゐる
ものは、この世には、“バランスの法則”があって返さなければならない。かえさなければ法則によっ
ていつかは強制執行せられることになってゐるのである――この強制執行を受けた状態が、儲けよう
と努力しても儲からないで素寒貧になった状態なのである。こんな人が祖先に感謝し、租先の霊に
對して聖経を上げ、父母に感謝するようになり、更に、夫婦が睦まじく調和した状態になるならば、
神の「無限供給」の霊波と波長が会うようになり、経済的にも裕になって来るのである。その實
例の一つを挙げれば、昭和四十一年五月二十日、小倉市の市民会館で生長の家の講習会があった
時に、北九州市若松区紺屋町の小山壽子さんがこんな体験をお話になったのである。参考につぎに
その一部分を紹介する――
つづく
PS:「 トキ様 」へ
■「昭和41年…」ですか〜〜?私は何才だったのかしら〜〜〜ン!この頃を回想しますと〜〜〜
『小倉市民会館で講演…』をなされていたのです〜〜〜ョネ!!【納得感!!】が?
当時は、福岡県内でも“北九州の方々”が、熱心に!さらに道場も!と……当に!
日の目を見る勢いで…切り開いていく“勢い”でした。…が?当時の「亡き父・亡き母の時代背景」が、
見えて参ります……でしょうかと?『ジャンジャンジャンジャンジャン〜〜〜♫』ですもの!
再合掌
2040
:
SAKURA
:2013/02/15(金) 13:56:34 ID:cjjCC9AE
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“続き投稿”していきます。そして「雅宣先生の哲学」も理解できるようになった私です!!感謝…
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】================
>>2039
の投稿の続きです…。
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること その①――>その②
……私は四十一歳か二歳になる頃まで、この生長の家っていう此の素晴らしい真理を知りませんで
した。それでもう自分の我で、非常にもうっ張りで、お転婆で……もう何にも、神佛がいらっしゃ
やることも分かりませんでしたし、また両親に感謝するなんていう、そういうことも分かりませんで、
まぁ子供の時から余りに苦労しりませんで、まぁ順調に過させて頂きまして、お嫁に参りましても、
主人が非常に温和しくってまぁ大変立派な主人だったんですけれども、私が其の主人の素晴らしいこ
とを観ることもしりませんで――
主人は勤め先から帰って来ても一つも私に口を利いてくれないんです。だもんですから、私共は見
合い結婚だったもんですから、“あー”これは主人は私を好かんのだなぁー“とこう思っちゃったん
です。それで、
「好かんのですか」
と聞いても返事もしないんですよね。
「好きなんですか」
と聞いても、返事もしない。“これはどうしても誰か好きな人があったんじゃないかな?”と思い
まして、妄想を逞しく致しましてね、主人の若い時の写真をこうして出して見るんです。
そうすると、学生時代に女の方と写真うつってるのがあるんです。“ア−これだ、これだ、こんな人が
あったもんだから私を好いてくれなかったんだ、もう親が「仕様がない貰え」ちゅうもんだから貰った
んだな“と思ったもんですから、それを心の中に持ってをりまして、ずぅーっと十五、六年間、主人を
唯恨んで、“情けないね”私をちっとも愛してくれないが“なんて思いながら、もう悲しく悲しく過し
て来たんです。
夫婦が不調和だったらラジオのスイッチが切れたようなもので、神からの恵みの放送がうけられな
いと生長の家で教えられています通りです。
その時分は私は生長の家の真理を知らないもんですからね。やっぱり段々悪くなっちゃうんです。私は
主人を尊敬しませんし、“もうこんな人、もう温和しいばっかりで何もならんわ“と思ってですね、”私
が何かやらなきゃ詰まらんわ“と思ってるもんですから、素晴らしい天文のある主人だったのが、私の
想念が具体化して意気地がなくなっちゃいまして、もう本当に失業状態になったのが今から十二年位前
でございました。長いこと話していましたら時間がございませんので掻い摘んで申しますと、兎に角何
にも無くなっちゃったんです。
つづく
2041
:
SAKURA
:2013/02/17(日) 16:19:01 ID:d36N9scE
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ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に“人
生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜!では
“続き投稿”していきます。そして「雅宣先生の哲学」も理解できるようになった私です!!感謝…
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】==================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること その③
>>2039
>>2040
>> の投稿の続きです…。
両親はもうとっくに死んじゃいましたから居ませんし、五人の子供と主人と私とまあ親子七人だけにな
っちゃったんです。家財道具も、お嫁に来るときもって来たものも何も無くなってしまいました。
最初は、私の物から質屋に持ってってましたけど、もう終いには主人の物持って行く、最後には子供の
物持って行くという状態で、……私が、勤めるなんて、仕事をするなんて、いうその術も知らないし、
考えたこともない……それは昔のことで、もう女学校を出ましたらただ家におって、それからまぁお嫁
さんの口があってパッと今の主人のところへ、(話者が手をひろげた途端にマイク倒れる。聴衆大笑い)
もうこんなふうにお転婆だったもんですから(爆笑)主人も迚も困っておりましたらしかったんです。
それで、もう愈々何にも無くなっちゃいまして、ゆかた一枚になって、もう私は割烹前掛一枚になり、
本当に何でもかんでもある物は皆な持って行って、唯、道具屋さんに持って行ってお金を貰って、それ
を子供に食べさせているという状態だったんです。
それで主人にも、「もうこんなことでは仕様がない。貴方土方でも何でもいいからなさいませ」
っていうんですけど、
「俺はならん」ちゅうんですよね。
「土方なんかなったら一生土方しなきゃならんから、まぁこれで一生終りゃしないから」
なんで呑気なことを言って、自分も骨皮筋右衛門になって、こんなに痩せちゃってんですよね。
それで子供達は――丁度、当時、現在十五の子が三つでございました。その子が一番下で――もう本当
に食べる物が無くなってですね、終戦後はお金が有ったって食べる物が無かったんですけど、その頃は
もうお金さえあれば何でも買えた時分なんです、昭和二十九年でございましたからね。それがもう何
にもがないんですよね、お金がないから。勤め人がお金がなくなっちゃったら本当にないんですよね、
もうそれで私はね、“もう何でもいい”女中でもいいしね、もう何でもいいからやりましょう“と思い
ましてね、本当、女中もやりました――それは一週間でしたけれども――そしてまぁ凡ゆる苦労を
しました。
そうしているうちに、わたしくしに生長の家に触れましたら、「まぁ理屈を言はんで、
兎に角素直にね、この生長の家の真理を聴きなさい」と仰言ったんですよ。
そのときは、もう私は放っといたら――病気じゃなかったんですけど――もう本当に餓死寸前ですよね。
だもんですからね、もう私もいくら強情張りでも素直に聴きました。そして、
つづく
2042
:
SAKURA
:2013/02/17(日) 16:21:33 ID:d36N9scE
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
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===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】 ================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること その④
>>2039
>>2040
>>2041
>> の投稿の続きです…。
「もう理屈なしに、兎に角“ありがとうございます”と言ひなさい。その中に有難くなって来るよ」と
仰言つたもんですから“まあお金の要る事やないし、ほんなら有難うございます言はう”と思ひまして、
それで「ありがとうございます、ありがとうございます」やつてましたらね、
いま此の會場に来ていらつしゃるかも知れませんが、若松の生長の家の方がですね。
つづく
PS:「トキ様」へ
この時代に於きまして、北九州は、確か?私が小学校時代“生活保護の方”がクラスに1人から2人は
必ずいましたが、ただ私のクラスでは“イジメ対象”にすることもなく和気あいあいの感がありました。
逆に、隣のクラスでは“生活保護の子供”からの“裕福な子供”に対して【いじめ…】つまり“妬み・
嫉み…“の感情でしょうか?頻繁にありまして、よく担任先生は、その子供たちに「どんなに貧乏でも
必ず努力をすれば、幸せになれると…!」口酸っぱく云っていました。…が?或る日の事です…。
この先生の教え子!卒業生が先生を訪ねて来たのです。その方は、環境から高校も行けずに中卒でした。
それで、担任の先生が“自衛隊…”を紹介し「精神修行には一番いい処…」と云って、3年間そこに
入隊、その後!高校までか?大学までか?…進学するようにと、勧めたそうです。その子は素直に従い
3年後、自衛隊退官しまして、その間の貯金の一部を両親の生活費として渡し、残りは全て貯金をして、
高校進学へ…3年遅れての入学となりました。…が?更に、知識が入り、いろんなバイトを周囲の人の
愛念にての紹介で…更に「奨学金…」を得て、国立の大学に進学するまでになったそうです。この様に
先生は「生活保護でも、学問の自由…受ける権利がある!若さの特権は“時間…”の取り戻すチャンス
なのだ!!」と、その時ノホ〜〜〜ン!とした私どもに対し「高校に行けない時は、自分の処にまで、
相談に来なさい!」と云いていた事を、思い出します。現代でいいますと【金八先生…】でしょうか?
余談ですが〜〜〜「その先生のお名前が……楠本先生」なのです。つい!「宇治…」を思い出し〜♫
■当時の【学校教育…の先生】の方針が【限定することなく…無限力を引き出す!】事でしょうか?
また、当時“生活保護”を受けていた別の男性は、私が、ある時、母に頼まれて野菜屋に行きますと…
尚!その頃の私は、既に“タタキ男の原因で聴力喪失”の状態でしたが……><「野菜屋の御主人」と
なっており、久しぶりの出会いに懐かしさと…私の身の上で起きました“聴力喪失”の状況を知り、
その「野菜屋…経営」の男性が“ビックリ”して、心配してくれた事を、思い出します。…が?和やかな
会話をしておりますと、奥の方から“奥様”が来て、お互いに挨拶を交わし、タイムマシーンにて〜♫〜
「過去の学生時代…」にタイムスリップ!!楽しい〜〜〜昔話を〜〜〜!!
そのように、当時の時代背景が、見えて来ます。私も、また「新たなる挑戦…」が湧いてくるようです!
今回、女性柔道家の「故人…福田敬子」さんは、亡くなる直前まで、全て自分でされたそうですとの事!
「若松の方の“体験談”…」を拝読しながら、私が幼少時代の“ひとコマ”が見えて参りまして、
本当に「亡き両親」に対して…経済的な心配もなくスクスク?育ててくれました事に対しても……
いろんな面で【感謝…】が足りなかったと思います。今では「亡き両親を誇り…」の思う次第です。
❤〜ではまた次を………
つづく
2043
:
うのはな
:2013/02/18(月) 19:14:34 ID:XnNLNTjU
永遠(とわ)に国護り給わん 谷口雅春先生
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=70
2044
:
SAKURA
:2013/02/18(月) 22:11:47 ID:rqQQibm6
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===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】 ================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること その⑤
>>2039
>>2040
>>2041
>>2042
の投稿の続きです…。
非常にもう皆さんが心配して下さいまして、全然知りもしない私を― 親戚の者でもないのに
―生長の家の方は本当に暖かくて、三十年のお正月なんか何もないんですよ、 そしたら生長の家の
誌友の皆さんがお餅をかう皆な集めて、家へ持って来て下さつたりね、……それはもう何て生長の家
の皆さんは暖かい素晴しい方なんでせうと思ひました。それから皆さんの教へて下さる通り一生懸命
やつたんです。
御先祖の供養なんてもんも知りませんでした。ほいで「御先祖様の供養をして、『甘露の法雨』を
御先祖様に誦げなさい」つて、それで「お宅がで日蓮宗なら日蓮宗でいいから(私は祖先から身延山の
日蓮宗なんですけど)、その日蓮宗をやめること要らないんだから、まあ『甘露の法雨』を御先祖様に
誦げなさいそしたらよくなりますよ」と仰言つた。
ところが私、日蓮宗なんですけど、“南無妙法蓮華経”を誦げたこともなかつたんですよね。お祖父
ちゃんでもお祖母ちゃんでもいらつしゃればやつたかも知れませんけど、結婚と同時に亡くなつちゃ
つたもんですから。それで私、もう一生懸命『甘露の法雨』を誦げました。
その頃私はね、家賃も出せないもんですから …… 実はね、山の中腹の、もう本当に、夏になると
百足は出てくるねえ、また蛇も出て来る、そらゃすごい処に居ましたんですよ。 電気はない、水道は
ない、無論ガスはない、山から薪を取つて来て炊いて、そしてチョロチョロ流れて来る水で御飯を拵
へたり、洗濯したりしたんです。 ところが雨が降ったら、ジャーッと真茶色の水が出ましてね、もう
飲めないんですよね。もう家賃出せませんから、そんな処に居たんです。さうしたところが、この位
の小さな細い蝋燭……大きい蝋燭を買ふと高いもんですから、小さいのん沢山あつた方が安いと思ひ
ましてね、そしてこの蝋燭を手に持つちや此の『甘露の法雨』をね、もう毎日夜誦げたんですわ。
私、女中は一週間で止めましたあと、保険に出て働きましてね、そして、帰って来ちや聖教を
誦げたんです。ホラーもう一生懸命『甘露の法雨』を誦げましたねェ。 そしてもう神想観をする、
『甘露の法雨』を誦げる、ジャンジャンジャンジャンやつた。 そしてね、「自分の念つたことが顕て
来るんだから、それを実行しなさい」と先生が仰言る。それで私は、“それじゃ私、お家を与えて頂き
ましょう“と思いましてね、”先ず電気と水道のあるところ、そしてガスも(贅沢言ったら悪いけど)
ガスもあって、そしてまぁ、せめて……七人ですから三間あったらいいから、六畳、四畳半、三畳の
家を“とお願いして、そして一生懸命やっていました。そしたら、五月の二日から、”家を与え
られた“と念ずる行をやり始めまして、四か月でその家が、ぴ−ったり与えられました。
つづく
2045
:
SAKURA
:2013/02/18(月) 22:14:54 ID:rqQQibm6
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===========【 第六章 幸福を完うする秘密 】 ================
■ 祖先の霊に “聖 教 読 誦”により真理を與へること その⑥
>>2039
>>2040
>>2041
>>2042
>>2044
>> の投稿の続きです…。
この『甘露の法雨』の功徳は素晴らしいもんですから、自分が直に体験しておりますので、もう三人
集まれば三人の処、四人集まれば四人の処、お花の時はお花の処、ほかの何の会合でもこの生長の家の
『甘露の法雨』の功徳のお話をするんです。そうしましたらね、皆さん御不幸で泣いていらっしゃる
方もどんどん――素直になすった方は――好くなるんです、これで。もう素晴らしいんですよ、生長の
家なんか全然知らない方でもね。
「御先祖様に『甘露の法雨』を誦げてごらんなさいませ」
というとね、よくなっちゃうんです。……(下略)
つづく
PS:トキ様・皆様へ
今まで「管理人…トキ様」に随分と助けられました点がありましたでしょうかと?全くもって?〜〜〜
拝読されていないようですかと。【分派…中心】なのでしょう〜〜〜ネ!【 管理人=中立の立場 】
これは?こちらサイドの考え方でしたのでしょう〜〜〜かと?今にして思う次第です。さて!さて!
【別板…での管理人の返事は七重?八重?にてサカン…】なのですかと。遂に【有限の世界…どっぷり】
の…管理人様なのでしょうか?【一般の閲覧者の皆様と…真理の追究…無限の世界観へと〜〜♫〜〜】
多少は落ち込みました。…が?「ノケモノ意識」は寂しいです〜〜〜ョネ!!でもやはり、今の私の
【使命…】として此処に“投稿…”頑張りますとの“決意表明”でしょうか。
「小山さん」は、素直に【聖経読誦】をなされて、その後トントンと良くなっていってる光景が目に
浮かびます。此処九州に戻りましてからの、私は“現象的に見る事”が多く【有限世界観…】でした。
そして今!【無限的に思考していくべきなのではとの事】なのに〜〜〜。当に【無限の中に有限を認め
たような感じでしたから、いつまでも〜いつまでも〜“外…”を追っていたのでしょうかと。??
それでも「東京の在中」の頃は、一生懸命【聖経読誦】を唱えたモノです。
昨日ある「ニュース」で見て、人の心の移り変わりの変化が〜〜鮮やかに見えて来まして、考え込んで
しまいました。そんな時、私は今ここで【有限的認めている〜〜〜と!それは無限に到達できない事を
感じ】…十年振りに、まずいろんな事を!心の掃除をしていかないといけないと思うようになりました。
■何時までも〜〜ある一定の事物に、執着しますと、前に進めない!今回「小山さん」の【祈り…】の
実践から教えられて、益々私は❤〜【 神想観・聖経読誦 】を実践していきます。益々と実践していく
事で、その先に何か“答え…”が出てくるのではないかとの期待感も含めて…
私は今回「雅宣先生のお経…」を読まさせて頂いて、前以上に【魂が澄みきって〜♫】いくようです。
当時!萩窪に在中の頃、年を越せない経験があり、その頃の「支部長さん」が、年末の忙しい時期に
【お正月のおせち料理…】を持って来て下さいまして、当時の私は、タダタダ「感謝…」した事です。
思い出しながら〜〜♫〜〜あの頃の【感謝…】色々な“人間関係…”を思い出しまして、今後の人生を
歩んでいく上で、それを無駄にしない「行動」・「実践」していく事でしょうかと。!!
今は、この気持を、一人でも多くの人に「真理…伝道」させて頂きましてと…私の様に遠回りしない
ようにと……「此の素晴らしい御教えの世界観」をお伝えしていきたいと…思う次第です。…が?
では〜〜〜また〜〜〜次は「雅春先生の御説明」がありますので?? ❤〜
再合掌
2046
:
SAKURA
:2013/02/19(火) 22:30:20 ID:dGeUHjWM
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>>2045
の投稿の続きです…。
■ 小山壽子さんのこの体験はまだ続いていて聖経『甘露の法雨』を読誦することによって、禿いに
フサフサと黒い髪の毛が生えた人のことをお話になったのであるが、それは今日の話の主流とは異る
ので割愛することにした。この体験談でわかることは、妻というものは良人の運命を左右する力があ
るということである。良人を“甲菱性なし”のように思っている間は、立派な良人もその能力を充分
発揮することができないで、一家は貧窮のドン底に沈んでいたのであるが、生長の家の教えにふれ
て、良人を”神の子“として尊敬し夫婦が調和するようになると運命が好転して来たのである。夫婦
が調和せずして、天輿の恵蘄を受けようと思うのは、スイッチを入れないで陰陽の電気を通じない
で、テレビの放送番組を受像しようとするのと同じことである。
更に聖経『甘露の法雨』を祖先霊の供養のためにいふことは、祖先から受けた恩恵に対する報恩行事
であるのである。受けた恩恵を返さないことは、”天の倉”に於ける借金であるから、その借金を聖
経読誦によって、”真理の言葉”を供養して返す事になるのである。何故なら、既にこの世を去って
”霊魂”になっている祖先にとっては、金銭は”用なし”であり、物質的食物もお喋りにはならない
のであるから、金銭や食物のような物質的なもので報恩することはできないのである。
しかし霊魂は”真理”を知る程度に随って向上し、一層霊界に於て自由を得るのである。聖経という
ものは仏教のお経でも生長の家の『甘露の法雨』でも”真理”が説かれているのであるから、祖先霊
に対して聖経を読誦するとき、霊魂はそれを受けとって歓喜し向上するに従って神通力を増し、それ
も子孫が自分を憶ひ出して聖経を読誦してくれたお陰であると感謝して、今度は、祖先がその神通力
によって、子孫を護ってくれることになるのである。
このやうな色々の事情が交錯して聖経読誦が運命好轉の原因となるのである。小山壽子さんが僅か
四ケ月間祖先に”聖経読誦”を供養して、望み通りの家が得られたのは、祖先霊の加護と導きとが
あったに相違ないのである。吾々は祖先霊の加護と導きとを通さないで、大いなる事は成就し得ない
ものである。
終わり・・・次回につづく ❤〜
PS:「トキ様」・「観覧者の皆様」 へ
『先祖供養の孝徳??』は、実に計り知れないものでしょうかと。??
私も就眠の前には、必ずと『先祖供養…』をしてから、横になります。これを、毎日〜毎日〜と続ける事により、
前に!前に!更に〜〜〜前向きに進む!それは、さらに【 魂の向上 】にも、繋がるようですかと。
そして、私も過去の体験にて、それなりにやはり【孝徳…】を頂いてると実感した次第です。…が?
やはり「四カ月間…」は、確かにかかりましたのです。(微笑)
ここでの閲覧者の皆様も「目標…」がありますと、その「目的…」に向かって真剣に『先祖供養』されたら
それなりの【霊界…からの功徳】を頂けますかと。その様に思う次第です。…が?
再合掌
2047
:
うのはな
:2013/02/20(水) 18:03:19 ID:Zr.RJU5A
聖使命 昭和53年12月15日 第1127号
龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斉殿 落慶鎮座奉祝大祭特集 より
鎮座降神詞
掛けまくも綾に畏き住吉大神(すみのえのおほかみ)龍宮実相世界の天津御座より、
此の瑞(みず)の御殿(みあらか)龍宮住吉本宮の、御神座に奉安し奉る。
ここに、“護国の神剣”に、大神の尊き神霊(みたま)を天降し給ひて鎮座(しづまりま)して
この神剣を世界平和の核として、この神剣より世界全部に輝くところの平和の霊光を発し給ひて、
まことに地上に天国を創造(つくり)給へと請(こ)ひ祈(の)み奉(まつ)らくと白(まお)す。
警蹕(けいひつ)
住吉大神、高天原より天降りまして、この御神体に鎮まります。
アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー
警蹕(けいひつ)
住吉大神、宇宙すべてを浄め給ひて、天照大御神の出でます道を浄め給へり。
アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー
警蹕(けいひつ)
今ぞ護国の神剣に天降(あも)りましたる住吉大神の神霊(みたま)より
平和の霊光世界全部に広がりまして、洵に地上に天国は創造せられる。
明日より、総てのことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。
有難うございます。有難うございます。
アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー
(御気合)イユーウーウーッ
警蹕(けいひつ)
2048
:
SAKURA
:2013/02/21(木) 23:09:56 ID:dGeUHjWM
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>>2046
投稿の続きです…。
【第七章 あなたが繁栄を得るために 】
■ 先ず “ 種を蒔く” といふこと
繁栄のための第一歩は“與へる”といふことであるのである。植物にこれを譬えれば、“種”を蒔
くということに當るのである。“種を”を蒔くことをしないで収穫を得ようと考えるのに似ているの
が、“與へる”ことなくして繁栄を得ようとすることである。地中に“種”を蒔くことが、経済界で
言ふならば投資をするといふことに當るのである。「與へよ、さらば與へられん」の法則は宇宙に儼
存してゐるのであって、その法則に背くならば繁栄は到底得られないのである。
若しあなたが或る事業を経営してゐて繁栄してゐないならば、先づ振り返りて、
「自分は眞に與へてゐるか」と自問自答するがよいのである。
「じぶんは與へてゐる。それなのに繁栄してゐない」と考へるものは、次に「自分は何に對して與へ
てあるか」と自問自答してみるがよいのである。 (一部抜粋文…)
=============================================
つづく
PS:「トキ様 ・観覧者の皆様」 へ
❤「與へよ、さらば與へられん」の法則は…“種を蒔く”…【 心の法則 】でしょうか。
“ことば…”で、相手の悪口を毎日〜毎日〜言っていますのも?逆に申しますと“ことば…の力”
にて、相手にネガティブな事を与える事ですから〜〜〜?当に“ことばの種まき…”も同じ事で
しょうかと。
毎日!「良いことを抜粋投稿する事」も〜〜〜よい“想念を与える事…種まき”ですから〜〜〜!
「與へよ、さらば與へられん!!」は、すべてに通じます【 心の法則 】になります〜〜〜ョネ!!
【意識も…よい波動から】と言いますから〜〜〜今の私もここで【聖典板 投稿】をさせて頂いて
いますことは【 与える法則 】になるのではと?思います。 ❤〜では次回に????
再合掌
2049
:
SAKURA
:2013/02/23(土) 12:55:41 ID:g1svTII2
「復興G様」 へ 「トキ様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1966
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>>1981
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投稿の続きです…。
■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……
===【抜粋文】=====================================
>>真宗の人は阿弥陀仏だけを信じて、南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われる
というかと思いますと、日蓮上人などは、『無量義経』においてお釈迦様は今まで四十余年間にわた
って説教したことは方便にいったことで真実をいったのではない、今こそ本当の真理を説くといっ
て『妙法蓮華経』をお説きになったのであるから、この『妙法蓮華経』に説かれてあることだけが
本当で、それまでの説法は嘘である、むろん念仏をとなえて救われるなどということは真っ赤な嘘
であって念仏をとなえれば無間地獄(むけんじごく)におちるといって日蓮上人は親鸞聖人の教えを
非常にわるくいっています。 (一部抜粋)
=============================================
■南無阿弥陀仏と六字の名号だけをとなえておれば救われるというかと思いますと<…云々…
と〜〜〜思いますに「念仏…」だけでは、救われないのです〜〜〜ョネ!
これも【霊の世界…】では、以前に於きまして“投稿記載”していますが?やはり
【 意識=心 】ではと、思う次第なのです。…が〜〜〜??
先程「管理人…トキ様」が法要で?お坊様が、“威張るとの事”だそうで、これも【上下関係…】
なのですョネ!!個人的ですが、私の菩提寺のお寺は、確かに“腰の低い方”なんだと思ってい
ましたら、どうも他の処では、やはり「大住職様の顔」を伺かがっているような方がいらっしゃい
まして、これには“ビックリ”…やはり「人間関係 = コミュニケ−ション」の知識から来る
のではと思います。…が?今回、私も話す内容が、いつも宗教に付いて質問しますから、
「大住職様」も、前以上に勉強されているようにお見受けいたしますが、いつも、大それた
質問内容ばかりを「大住職様」に持ち込みます。…が?この頃では、「大住職様」サイドでは前以
上に、私が質問しても“返答…”が早くなって参りまして、こちらも次の質問に勉強でしょうか?
この様に「南無阿弥陀仏と六字の名号」だけを唱えると…救われる事は、やはり“無い!”との事
で、やはり“行じる事…”でしょうかと。
ですから、やはり日本史上でも【宗教同士の争い…】は、実に醜いものではないでしょうか??
それに、西洋の「十字軍…のような戦い(国家間)にも、発展しかねないとしますと…複雑です。
そう云えば日本でも「平安時代…」に「鳥羽上皇?」でしたか?「延暦寺の僧侶での乱」でした
か?この時代の出来事も、これと付随するのかも?やはり「日本…」でもあった事なのです~ョネ!
さて「お寺のお坊さんも威張る人?」ほど、果たして“気位の高さ(中身の勉強)は〜〜〜?”
【 ゼロ 】に等しく思える部分もありましょうかと。
そして【信仰の正しさが劣っている?いない?】は別問題でありまして…如何に現代人が
“無神論者”が多い存在にても…「神の存在」を知ることが大切なのでしょうかと…考えさせら
れます文章かと…思いました次第です。
つづく
2050
:
SAKURA
:2013/02/23(土) 20:15:06 ID:dGeUHjWM
「トキ様」 へ [観覧者の皆様] へ
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投稿の続きです
【第七章 あなたが繁栄を得るために 】
■ 何に對して與へてゐるか
「あなたは何に對して與へてゐるか」この第二問も第一問に比べて劣らぬほどに大切なものである。
折角、“種”を蒔いても、石地に播種したものは、発芽しないし、一時は発芽してもすぐ枯れてしま
ふのである。痩地に播種したものは発芽し生長するにしても花をつけず果も結ばぬのである。「與へ
る」と一様にいっても、お妾に金を與へるのもあれば、競輪・競馬やパチンコに與へて、財産をすり
減らしてしまふものもあるのである。「何に與へるか」といふことによって、“種”が発芽せず、生
長せず、開花せず、果を結ばないなどの相違があることに注意しなければならない。
つづく
PS:「トキ様」 ・「 閲覧者の皆様」 へ
【法則…に叶わない者】は、実を結ばない!!!ごっもとも〜〜〜と、思います。先程から
【怪談……四ツ谷怪談のお話】から〜〜〜或る女性の方の当時の話です。…が?
其の女性は妊娠されまして、その期間中に、ご主人に対して「何処か遊びにいけばいい〜〜〜わ」と…
自分の身代わりの女性にと……“お金…”を渡したそうです。そうしますと、その御主人は、出来た女性と
いって喜ばれたとか〜〜〜??これって!これって!【与える法則…】なる行為になるのでしょうか??
この事を【出来た女性の〜〜〜“鏡”】とかは?ここFUK市には、多く聞かされますのです。…が?
後に、私は、その話を、聞いて“ビックリ…”です。何も知らずに“遊ばれた女性の方”はと??
〜〜〜如何なるのですかと!! 従いまして、今でも「この夫婦…」は、果たして【落ち着いた生活…】が、
出来ていますのでしょうか〜〜〜他人を“こけおろしてまでの世界観”で、現在でも生活しているようです。
まるで〜〜まるで〜〜【四谷怪談…地獄絵図の世界観】ですかしら〜〜〜ン!
PPS: 上記は 【お岩さん…の話】から、思い出しました…。余談ですが…❤〜『お岩さんの話…』は〜〜〜
■■【「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2 】にて、唯今!“公開中!!!”
再合掌
2051
:
SAKURA
:2013/02/24(日) 13:03:39 ID:TeNkDr3.
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■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……
===【抜 粋 投 稿】=================================
>>たとえばわれわれがバラの色を観てこれを美しいと感じる。この美しいというのは、たいてい
の人はバラの花だけの美しいのをわれわれが感ずるのだと思っていますが、実は自分の心に美しさ
があるから、バラの花の美を感じうるのであってバラの花そのものだけが美しいのではありません。
バラの花そのものだけが美しいのでありましたら、猫がバラの花を見ても美しいと感じなければ
ならない、鼠がバラの花を見ても美しいと感じなければならない。ところが猫が花を植えて楽しん
でいるのをわたしたちは見たことがありませんし、鼠がバラの花を見て、その美に感心しているの
も見たことはありません。
これによってみても、美しさは観る人の心が対象たるバラの花に映って、その反射が自分の心に
返ってきて、そこで始めて美しいと感じることがわかるのであります。<< (一部抜粋)
=============================================
■■バラの例えは、分かりやすい見かたでしょうかと、思います。…が?
同様に“視角…視点…”はそれは【その人の“心の中”の開発??】ということでしょうか?…
“オ−バ−”な話ですが【類 の 法 則 の 仲 間】でいきますと、同様な“心…”は、
“テレパシ−”の如く、“心…”に響くモノなんです〜〜〜ョネ!!その様に“類似性”もしくは
“異なる見方”とは、最終的なる原因は「環境から来る!」のではと思います。…が??
もうすぐ、此処九州はいち早く“春…”が訪れますが…此の地上に咲ききます各種の花は、神様の
世界の“多様性”を表していますでしょうか〜〜〜?
つづく
再合掌
2052
:
SAKURA
:2013/02/25(月) 13:05:43 ID:y8fsR43M
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■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ からなのですが……此処で「亡き清超先生…の言葉」からの抜粋文
===【抜 粋 投 稿】=================================
ためしに奥深い山に分け入るならば、私達はそこにも人知れずひっそりと、美しい花が咲き誇って
いるのを発見するでしょう。その花は幸いにして今人に知られたかも知れませんが、不幸にして
人間に一度も知られる事なく、むなしく咲いては枯れる草花がどれだけ多くあったかわからないの
です。しかしこれらの草花は、人に知られるからといって美しく咲くのでもなく、人に知られない
からといってイイカゲンに咲くのでもなく、その場所に与えられた条件での最善を尽くし、せい一
杯に咲き誇っていたのであります。それはどの草花においても例外なくそうなのであります。
このような“平素の努力”があるからこそ、たまたま人に見つけられると、「ああ美しい」と感嘆さ
れ……云々……もし彼らが「人に見られる時だけ美しく咲こう」と、平素山奥で咲いている時には
怠けてウスギタナク咲いているのであれば、それは怪物であります。そんなものはもはや「美」で
はなく「醜」であり、吾々はそのような花を、とても珍重する気にはなれないのです。(一部抜粋)
=============================================
例えば…ある人は「バラの花が好き」それは、人に知られている“花…バラ”であり、ある人は
「人知れず…野に咲く花…が好き」…十人十色…ですモノ〜♫〜 今回の「WEB誌友会」にて?
お邪魔虫【SAKURA…】ですが〜〜〜【現総裁先生…擁護派…】ここでは【類の法則…】程遠い
かと〜〜〜これも「バラの花」と似ていますのでしょうかと〜〜〜?
■同じ花を見ましても「綺麗いネ〜〜」と捉えるその“心…”は、そのような似た環境かと。
つまり【環境はこころの影…】だと理解が出来まして、前以上に【類 の 法 則】にのっかり
ますには、やはり〜〜〜【自分の心を向上 = 魂の向上】更に、“奥の〜奥の〜深層部の心”を
引き出すという事かと。
【本当の自分との出会い】==>【実相の姿】に戻ることでしょうか??ミセカケの“心…”では
なく、本当の“心…”私の“心…”に宿った本来の姿が【心の現れ=実相の私=神の子の私】と、
改めて感じいりました次第です。
それは一人一人の【実相…本当の自分の姿】は異なりますから「恨みの心?憎む心?」は当然なが
ら捨て去り…このような心を捨てさえすれば「幸福…切符論」を頂けましょうかと。
かといって…そんなことぐらい〜〜〜わけないこと〜〜〜?でしょうか (微笑)
つづく
PS: 今日は〜〜〜私の“独り言…”舞台〜〜の投稿に〜〜 。
今日は…「閲覧者の皆様」に取りまして、ますますとハッピ−な一日であります事を「お祈り…」…
もちろん!明日も〜〜明後日も〜〜♫
2053
:
うのはな
:2013/02/25(月) 14:08:01 ID:pW0hF87w
あまり相手を心で見つめると反対効果がでる
ある商売人がこう言われたですよ。個人の専門店と百貨店とがあるでしょう。
百貨店の方がよく売れる。なぜかというと百貨店は自由に品物を手にもってみたり、あるいは
出させたりして買わないで、シューと向うへ行っても、店員がそう怨めしそうな顔はしない。
ところが、専門店へ行って、あれ出さして、これ出さして、気に入らないで帰るというと、怨めしそうな顔をして、
「買ってくれるはずだ」と思って出したのに買いやがらないと思って、怨んでいるようでそれで気持ちが悪いというですね。
店を出るときに気がひける。そこでこういう個人の専門店に入るよりも、百貨店に入る方が気が楽だというわけで百貨店に入る方が
気が楽だというわけで百貨店の品物はよく売れるんだという話をされたことがありますね。
ま、そういうように、もう始終お客さんが来たら、じっとその側に立って、いちいち品物を見るのをみつめたりしていると、心で縛られているようで、
窮屈でね、もうその店に買いに入るのが嫌になってしまう。
ところが、いくら見たって、知らん顔して、店員が知らん顔で自由にさしてくれると、そうすると非常にのんびりした気持で、その百貨店へ入ることができるんだというわけです。
それで、夫と妻との間も、やっぱりそういうところがあるんです。
あんまり窮屈に、あんまり愛しすぎて、愛するといっても掴む方の執着の愛でして、掴みすぎて、そして窮屈にするとそれから逃げ出したいというような状態が出てくるわけであります。
そして、まことに“愛”というものは、相手を心で掴むことから始まってそれを卒業して、そして放つことによって卒業するということになるわけであります。
愛は、相手との自分との自他一体の自覚である。だから愛は最初は惜しみなく奪おうとする。
最後には、惜しみなく愛は与うというわけであって、自由に放してしまった時に、しかも、その実相の完全な相を信じて放す時にこの完全な姿が現われてくるということになるのであります。
清聴を感謝いたします。
(昭和三十九年八月九日、第五回生命の教育研修会に於ける講話)
2054
:
SAKURA
:2013/02/26(火) 15:12:49 ID:ZcyE/ry6
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投稿の続きです
■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ からなのですが……此処で「亡き清超先生…の言葉」からの抜粋
>>2052
の投稿の続きです…。
此処で、私がまだTYOに上京するまでは、此処FUKの人々との違和感は、全くありませんので、
素直に受け入れた感もあります。…が?一つだけ相違点なのは「個性…」での見方でしたかと。
彼らは、“美しい〜♫”といった感じ、例えばですが?【男女の関係の場合…】に於きましては、
此処FUKの方は、必ず「私の事を、どう思ってるの〜〜〜」この様な事を必ず相手に訊きますネ?
つまり「感情論…好き?愛している?」このような事からの会話=コミュニケ−ション術でしょうか?
しかしながら、TYOでは“思考…”が先に優先しますから、“理性…”での物事を捉えた方が多く、
“たわいのない会話内容”でも、第三者からの視点での会話であり、また受け入れる事も多いの
です。…が?
此処に居たりましてFUKの方は【精神面より?肉体(外形)?を先行かと】この重視が強く、正直
な話ですが“ビックリ感”を抱いてが??当時、若い頃の私は、周りの友人の会話の内容を聴いて
いました内容とかが、此処の【土地柄の影響…】だと、帰郷しまして判断することに成りました。
…が?20年ぶりに“帰郷…”して、私の周囲の環境が変わり、その手の“冗談会話”がダメになっ
ていた事に気づきましたのです〜〜〜ョネ!やはり、この様に【土地柄の環境…】もあり……
「雅春先生の言葉」に❤【 環境は心の影 】だと、当に身をもっての痛感を感じた次第です。
■同じバラを見て「綺麗いネ〜〜」と捉えるその“心…”は、そのような【環境のこころの影…】
だと理解が出来まして、前以上に【類 の 法 則】にのっかりますには、やはり〜〜〜
【自分の心を向上 = 魂の向上】更に、“奥の〜奥の〜深層部の心”を引き出すという事かと。
【本当の自分との出会い】==>【実相の姿】に戻ることでしょうか??
ミセカケの“心…”ではなく、本当の“心…”
私の“心…”に宿った本来の姿が…【心の現れ=実相の私=神の子の私】と、改めて感じいりました。
「谷口雅春先生」は、更にこのように、おっしゃっています。…が??
再合掌
2055
:
SAKURA
:2013/02/26(火) 15:16:00 ID:ZcyE/ry6
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>>2051
>>2052
>>2054
投稿の続きです
■【 生命の実相から2巻 】
■ここで【WEB誌友会】にて「復興G様」からの“お返事”を頂きました投稿内容の文章中…
>>207
のこの中からの一部抜粋投稿せて頂きましたモノです。下記のURL…にて詳しく閲覧できます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/207
===【抜 粋 投 稿 文】================================
>それらがすべて無であることが真理でなければ、「どうして全能なる神が、釈迦、キリストのよ
うに修行の出来ている人々と、修行の出来ないものとをつくったのか。どうして不完全なもの、す
なわち修行をしなければ救われないものをつくったか」という疑問を解くことが出来ない。神は完
全であるということは、修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるもの
だけがあるということであります。< (一部抜粋)
==============================================
「修行の成績は無であって、本来このままで救われ切っている完全なるモノ…云々…」此処の解釈
は、如何なモノでしょうか〜〜〜と一人で考えておりますと
私の捉え方としましては【自我…我】を棄て去る…つまり【無我…】にして初めて、
「全脳なる親さまなる神が、わたくしのすべてのことを見守り下さいますモノと…そして私は
神様にすべてをまかせることとなり、当然ながら心も平和になるモノかと。それは必ずや……
成就するのである」という事なのでしょうかと〜〜〜♫
しかしながら…今の私は「我…無我」という心の修行が、まだまだ〜〜〜><でしょうかと。
それに「修行…」という“言葉からのイメ−ジ”は、どうしても個人的な解釈になりますが……
よく言いますところの修験道的(山伏)なるイメ−ジが個人的にはもたげてしまいますでしょうか?
…山に立てこもり…云々…このような感が致しますかと。
それよりも「雅春先生…神想観=瞑想」によりまして…『神様…とは〜〜〜?』
活ける愛の神・生命の神・智慧の神・美の神…云々…このように「甘露の法雨」の中にも…
そして「神との一体」を深めてまいりまして…これは「神の子なる自覚意識」に入ることとなり…
【実相世界…】への“鍵”を頂いていますモノと、個人的な捉え方に到りましたのですが…。
今回「雅春先生…」の色々なる視点での“解釈…”を改めて知ることが出来ました事に…
感謝いたします。それと共に「テキスト…教材」として取り上げて頂きました「復興G様」へ
感謝申し上げます…。
引き続き…「生命の実相から2巻から(WEB誌友会テキスト…)」からの閲覧にての感想を順次
投稿させて頂きます。
再合掌
2056
:
SAKURA
:2013/02/27(水) 13:36:31 ID:StkVUJY6
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>>2054
>>2055
>> 投稿の続きです
■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……
===【投稿文】======================================
>そこでわれわれはバラの花の美を感ずる。しかし同じバラの花の美を感ずるにしましても、
それを感ずるわれわれの心のうちに宿っているところの「美」がどの程度まで開発されている
かによって、美の感じかたにも、深さがいろいろあるのであります。< (一部抜粋)
==============================================
■そのように“心の深さ=魂の高さ”によるものと思うのです。…が?では“魂の高さ”を、
より高く〜高く〜高度にするには〜〜〜もちろんです〜〜ョネ!【真理の勉強…】
つまり、一つは【WEB誌友会…】での意見・捉え方の相違点はありましょうとも…お互いに
意見交換にての“真理を掴む”ということでしょうか〜〜〜
そういえば【別板…】で見ますと『肉体年齢??』と投稿された方がいました。…が?
「雅春先生」も【肉体もすべて、心で!決まる。つまり“精神統一に繋がる”事で……】なのでは
と、思います。「亡き母」を思い出しますと“91歳…”で他界しましたが、思い出しますと、
“89歳”までは、顔の変化もなく、その後「老人ホ−ム」に入ってからでしょうか……??
次第に“老化現象”が第三者的に見ましても、少し出始めた感が致します。…が?
それでも私たちが「老人ホ−ム」を訪ねますと、次第にお互いの会話から「亡き母」の表情が“89歳”
以前のもとの顔を、のぞかせるようになりました。…が?
つづく
2058
:
a hope
:2013/02/28(木) 07:32:19 ID:TqpbsVIM
みなさま おはようございます。
今朝より、聖典「生活読本」の謹写を再開させていただきます。
感謝 合掌。
2059
:
a hope
:2013/02/28(木) 07:33:53 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう
◆幸福とは心が楽しいことです
家の中に一人でも不機嫌な人がありますと、その家の人達の心全体が乱れてくるのです。
そして家族は始終病気をしたり、面白くないことばかり起こってくるのです。
そんな家に住んでいる人は、お金を百万円つんであっても幸福だということはできません。
幸福な生活とは心が楽しい生活です。
家族互いにうれしそうな顔をしてにこにこせずにはいられない生活が幸福な生活です。
(つづく)
2060
:
SAKURA
:2013/02/28(木) 11:35:31 ID:GAUySuWA
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>>2050
>>2051
>>2052
>>2054
>>2056
>> 投稿の続きです
■【 生命の実相から2巻 】
†† 第五章 神への道しるべ(1) からなのですが……
>>2056
投稿の続きです…。
■やはり「心…が顔に現れる」という事を、その当時、自覚しました。…が?このように
「肉体は、仮モノ」です〜〜〜ョネ!「現象=現実…」で、その人の姿・形としての年齢を見ますと、老化なのでしょうか?年齢制限で見てるのでしょうか?その人自身が「老化現象…」が、かなり肉体
的に顕れているので、相手に対して「にくじ事…」を言われているのではと〜〜〜?感じた次第です。
■ 別板の中の【掲示板・運営/方針 板】==========================
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/874
↓ ↓ ↓ ↓
>>861
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/861
志恩様の投稿
874 :神の子様:2013/02/16(土) 12:40:49
還暦もすぎた70歳(女性)の書き込みだって。
キモチワル 。。。
↓ ↓ ↓ ↓
875 名前:神の子様 投稿日: 2013/02/16(土) 13:18:18
>>862
それは肉体の年でしょうが (一部抜粋)
=============================================
■■≪・・・???≫このよな“会話投稿”を閲覧しまして「精神年齢の幼稚さ」で“ビックリ”
です。この様に【外ばかり求める〜〜〜肉体ばかり求める方達は〜〜〜しかも本人達の年齢も?】
思いますに「投稿の会話…」では“70歳…”と聞いただけで「もう老化と断定!」して……
「気持ち悪いとか?」此の言葉は、ここに登場する事が気持ちが悪い〜〜〜?とも受け止められ、
此の人の“偏見なる見方”は、余りにも幼稚な見方で、全てが『現象的=現実的』にみて、本当に
『心貧しきモノ』という感が致した次第です。…が?このように“投稿された人物こそ”が、
今!時代の流れのピ−クでしょうか【整形のしすぎ…】であるのでしょうかと。本人自身が尚の事
“老化現象”が激しいのでしょう〜〜〜ネ!!
同じ老化でも……“綺麗〜ネと見える方”…更に同じ“70代…でも老けているネと見られる方”…
ここが「ポイント…」ではないでしょうか??「亡き母」は“89歳”までは肉体的には(顔)の
年齢が見受けられませんでした。肉体的に“老けて見られる方”は【現象論】ばかり見つめすぎて、
綺麗に見せる心の“美の開発”されていないのですかと。
先ず【実 相 を 見 る】には、それは何度も言います様に“種をまく”やがて“芽が出て来ます”
この様に『バラの花が綺麗ね〜〜〜』と云われるように〜〜〜
“心に種をまく”・・・それは【祈り…祈り…】で潜在意識の奥底の心を、引き出す事ではないでし
ょうか???最近は、確かに、現象的に「身近な…整形にての変身術」があります。…が?
『パット花…』になる事は『散るのも早い整形…かと』それよりも
『心を見つめて知識・智慧を磨く…さらに“神地一体!”…これは“祈り…”』にてと思いました。
つづく
2061
:
NANCY
:2013/02/28(木) 11:45:29 ID:GAUySuWA
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。
>>1635
>>1639
>>1643
>>1766
>>1778
>>1829
>>1877
>>1880
>>1890
>>1918
>>1931
>>1942
>>1955
>>1983
>>1988
>>1999
>>2010
>>2012
>>2024
>>2028
>>2029
の投稿の続きです。
===【谷口 雅春 先生 著】=============================
■ あなたが生きるべき時は、まさに「今」である
今の他に生きる時は一つもないのであります。「これは善いことだけれども明日にしよ
う」などと考えているような人は、とても成功のおぼつかないひとであります。
「今」思い立った時に、素直にこれは神が与え給うたことであるとして、ただちに実行
に移り移りうる人は心の柔軟性を保っているひとであります。
『生命の実相』頭注版30巻より
============================================
■そうなのです〜〜〜ョネ!
時々私の心に囁きかける声〜〜〜!明日があるさ!明日があるさ!〜〜〜〜明日が!><
この様な気持ちになる時は、私の“心の弱さ…意志の弱さ?”でしょうか?
やはり「時間…」という概念に、甘えがある時は、意外と不思議なモノで、結果的には??
あまり“いい答え…”が得られなかったりしますでしょうかとも、思います。
本日の“言葉…”改めまして【時間管理…今!今!を活かす事】に邁進して行く事に〜〜〜
再合掌
2062
:
a hope
:2013/03/01(金) 07:55:42 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう
◆真面目くさって脹れ面をしてはいかぬ
まじめなことは必要でありますけれども、
まじめくさってしまうと生き生きしさが失われてしまいます。
吾々は常にどこかに笑いのある愉快な所を残しておかなければ、
仕事ばかりで忙しいのでは美しい生活だとはいえません。
うれしくて笑っている時の顔と、面白くない時にふくれている時の顔と、
この両方を鏡にうつしてごらんなさい。
どちらが美しいかがおわかりになるでしょう。
美しい顔をしたたのしい生活が美しい生活なのです。
吾々はたのしい愉快な顔を人様に見せるのを義務だと考えなければなりません。
自分の顔だから、どんな顔つきをしていても勝手じゃないかとなどと
考える人があるかもしれませんけれども、それは大変なまちがいであります。
自分の顔は自分の顔であってもその顔の形が人に不快を与えるようになっては
世の中に害を流してしることになるのです。
だから吾々は義務として人に対しては、
たのしい愉快な顔つきをするようにしなければなりません。
(つづく)
2063
:
a hope
:2013/03/02(土) 09:07:15 ID:TqpbsVIM
新版 生活読本 谷口雅春先生著(日本教文社)
第十二章 心と顔に太陽を輝かしましょう
◆人に愉快な元気な顔をするのは善いことです
人に愉快な顔をしてみせるのが大変善いことであるばかりでなく、
自分自身が愉快であることが、又自分自身にとって大変善いことをしているのです。
第一、どんなにつまらないことがあっても、無理にでも顔つきをにこにこしていますと、
実際に自分の心がたのしくなってくるのです。
人間はたのしいと笑いますが、無理に笑っていると仕舞にはたのしくなるものです。
だから面白くない時程一そう笑うようにすることが必要なのです。
「これは私の顔だから、勝手にふくれる権利がある」などというのではいけません。
「これは私の顔だから、人が何をいおうが、外の世界に何がおころうが、
私は私の顔をたのしく笑わす権利がある」というように明るくくらさなければなりません。
(つづく)
2064
:
アクエリアン
:2013/03/02(土) 09:42:23 ID:58IsEi0I
■生長の家誌昭和五十一年六月号谷口雅春先生 法語
善き”未来運命”を創造するために
一日の法語
困難を克服し得た勝利感
人は何故、野球を楽しみ、スキーを楽しみ、 ヒマラヤやアルプスの峻峰(しゅんぽう)に登 ることを壮快に感じ、時としては顚落(てんら く)して死することがある危険を前途に見なが ら、随分の費用をかけて、みずから進んでその 困難に直面して行こうとするのであろうか。 それは”困難”は自己に内在する”未見の我 ” ”神の子なる未見の無限力”を、顕在の世 界にあらわしたいという潜在的願いがあるから なのである。 そしてその困難を征服したときに、わたし達 は勝利の快感を味わう。生き甲斐を感じるので ある。何の困難もない平々凡々の生活が毎日続 く時には、人間は倦怠感を生じて、人生そのも のにウンザリしてしまうであろう。
二日の法語
勝利感と生き甲斐の源泉は何か
困難を克服し得た勝利感はどうして起こるの であろうか。実は”困難”というものは、”外 ”にあるのではなくて、自分の”内”にある” 心が描いた仮存在”なのだからである。 人間の実相は”神の子”であり、”無限力” であるから、”困難”などある筈がないのであ る。その本来の”無限力”を覆い隠して”包み ”(罪)によって、”困難”を感ずるのである 。一つでも、その”困難”を征服し得たという ことは”包み”を破って、内在実相の”無限力 ”が一歩一歩一層多く顕現し得たことであるか ら、自己の「実相隠蔽」を克服したことに勝利 感を感ずるのである。そして自己の「実相」が 一歩でも現象の世界に一層多く顕現し得たこと に生き甲斐を感ずるのである。
三日の法語
「我れ世に勝てり」
イエスは自分が磔(はりつけ)の刑に遭うべ き前途を予見したときにゲッセマネで祈るとき 、先ず「願わくはこの苦き盃(さかずき)をわ れより取り去り給え」と祈っているのである。 この願いは”肉体の願い”である。誰でも十字 架上に釘つけられて槍で刺されることを願う肉 体はあり得ない。誰の肉体でも、肉体は苦しみ を避け楽を得ようと欲するのである。しかし、 やがてイエスは「されど我が意(こころ)を成 さんとするには非ず、みこころの如くならしめ 給え」と、”別の言葉”を以って祈っているの である。「”苦き盃”(困難)を取り去り給え 」という前半の祈りは”肉体の願い”であり、 ”世俗的願い”である。しかし、「されど我が 意(こころ)を成さんとするには非ずみこころ の如くならしめ給え」という後半の祈りは、肉 体的自我を放棄し、その”世俗的願い”に打ち 勝ち、人類の罪の身代わりとなる崇高なる魂の 願いに身を捧げる決意ができたとき、彼は”世 俗的願い”に打ち勝ったのである。そこに真の 生き甲斐を感じ、彼は「我れ世に勝てり」と宣 言したのである。
四日の法語
世俗的な自己評価に雷同するな
人間は五官の感覚をもって自分の肉体を見、 自己を一定量の物質だという知覚を得て、常に 自己限定しつつ生活しつつあるのである。その 自己限定のままで生きている限りは、それは世 俗になじんで生きているのであり、「われ世に 勝てり」と宣言することはできないのである。 「われ世に勝てり」とは、外界の物質世界を征 服することではないのである。自己の内にある 「世俗的な自己評価」に打ち勝つことなのであ る。 自己を”神の子”と自覚することは、今これ が「自分の肉体的力」の極限だという自己限定 を打ち破って、常に自己に出来るだけ以上の事 を成すという理想目標をおいて、毎日一歩でも より多く前進し、進歩することなのである。
五日の法語
困難は実相内在の美を磨き出す研 磨機である
困難は、自己に内在する力を、平常普段の生 活以上に発揮させてくれる”呼び水”になるも のである。目標が、日常生活程度では、誰でも 出来る平凡な普通一般の生活になっていて、別 に現在以上の力を引き出してくれる機会をつく ってくれないのである。 それだから、神は一見”困難”と見える問題 又は事象を、時々すべての人に課して、それを 解決するために、その人が”日常以上の力”を 発揮する機会を与えて下さるのである。それだ から”困難”の来る毎に、その”困難”と、そ して、その困難を与え給うた神とに感謝せよ。 困難という研磨機を通して、わたし達の魂に 内在する貴き光が、一層多く燦然と輝き出すこ とになるのである。
2065
:
アクエリアン
:2013/03/02(土) 17:49:22 ID:0VgMO/wg
■生長の家誌昭和五十一年六月号
谷口雅春先生 法語
善き”未来運命”を創造するために
六日の法語
運命は課せられた労役ではない
運命というものを他から課せられた労役だと 思ってはならない。”運命”を物質でつくった 革輪(ベルト)が回転させている「物質の歯車 」であるなどとは考えてはならない。”運命の 原点”は”自分の心”にあるのである。”心” が運命の原点である。 ”運命の原点”である”自分の心”が明るく 輝けば、明るい運命が自分に向ってやって来る のである。 何よりも大切なのは”自分の心”を明るくす ることである。部屋が暗いと思っていたが、実 は自分が自分所有の電燈をともさなかったから だと気がつく人は幸いである。 誰でも自己の内に無限燭光(しょっこう)の ”霊の灯(ともしび)”が決意を以てスイッチ を入れれば輝くような霊の実相の霊源をもって いるのである。
七日の法語
”心”を光明面に向くよう切り換 えよ
自分の”心”が暗黒の方向へ向いているか、 光明の方向へ向いているか、自分の心を顧みな さい。そして暗黒の方向へ向いておれば光明の 方向へ心を切り換えなさい。 ”心”という電車が、あなたの”心”の向く ところへ回転して行ってあなたを運ぶのです。 それを”運命”と人はいうのである。『愛と光 との生活』(新選谷口雅春法話集第八巻)の7 7貢には次のように書かれている。暗黒な気分 になった時には必ずこの本をひらいて、その一 節をお読みなさい。必ず心が明るくなり、運命 が明るい方向に回転してまいります。 「諸君よ、必ず諸君の心の中に”光明”のみを 描け、必ず諸君の心の中に成功のみを描け。心 に描くことは、心の世界に種子を蒔いたことに なるのです。そうして、心に”光明”の種子を 蒔いて置いてから、その手入れをし、施肥(こ やし)を一所懸命にやるように、形の世界でで も、出来るだけ勉強し、出来るだけ働き、前進 前進、ただ前進、ただ伸びることのみを知って 、一寸の暇もなく間断なく進むのです・・・・ ・・」
八日の法語
”心”を「幸福行」の電車に乗り 換えよ
さて、『愛と光との生活』の本には「皆さん が幸福な成功をしようと思ったら、手足を無暗 に動かすまでに、心の向きを”幸福行”にして 置かなければなりません」と書かれている。手 足は自分で行き先の方向をきめず、”心”がそ の方向を定(き)めるのであるからである。 しかし ”心”は如何にすれば、その習慣的 方向を定(き)めることができるであろうか。 暗い心を明るくしようと思っても、従来の習慣 や惰力ではどうしても心が暗くなる人があるの である。そこで ”心”を支配するものは何か ? という重要な問題に逢着するのである。
九日の法語
”心”が先か ”コトバ”が先か
”心”を支配するものは ”コトバ”なので ある。聖書の『ヨハネ伝』には「はじめにコト バあり、コトバは神とともに在り、コトバは神 なりき。万のものこれによりて成り、成りたる もの一つとして之(これ)によりて成らざるも のなし」と示されているのである。 また『甘露の法雨』には「『心』動き出でて コトバとなれば一切の現象展開して万物成る」 とも書かれているのである。 「コトバ」は万物生成の根元であり、万物の 本質を成しているもの、万物生成の第一原因は コトバであるというのが『ヨハネ伝』の記述で あるが、『甘露の法雨』の方は、
「神が一切のものを造りたまふや(中略) ただ『心』をもつて造りたまふ。
『心』はすべての造り主、
『心』は宇宙に満つる実質、
『心』こそ『全能』の神にして偏在したまふ。
この全能なる神、 完全なる神の 『心』動き出でてコトバとなれば 一切の現象展開して万物成る」
と示されているのである。そこで ”心”が 先であるか、コトバが先であるかの問題が生ず るのである。
2066
:
NANCY
:2013/03/02(土) 20:33:28 ID:VaTGaQRA
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===【谷口 雅春 先生 著】==============================
■ 人生は鏡である。 こちらが微笑すれば 人生も微笑する
一日数回、必ず鏡を見て微笑せよ。人に対しても、人の話しているのをきくとき、
微笑を顔に浮かべながら好感をもって相手の話をきくようにするのである。
すると相手と調和して事をはこぶことが出きるのである。
人生は一種の鏡であって、こちらが微笑すれば人生も微笑する。
『新版 真理』第2巻「基礎編」
=============================================
■「笑顔…微笑」これは一番の『幸福生活をうる上での…切符』でしょうかと、思います。…が?
確かに、「雅春先生」は「心の法則」の中で〜〜〜最初におっしゃいます『生き方…』には〜〜〜
そうなのです〜〜〜ョネ!(生長の家…創刊号にも…)
❤【 ※『生長の家』では朗らかに笑って生きる。※ 】
しかしながら、理解していますつもり?つもり?でも、時としましては〜〜?実は、私の経験です。
若い頃は、人との対面での営業は〜〜〜とても“苦手…”なのです。【SAKURAさん】と、始めて
小売店への営業を始めました時、先ず!それでなくとも私自身〜〜〜最初の“コトバ”〜〜〜><
どの様に致しましょう〜〜〜。頭の脳細胞「右脳・左脳…」はめまぐるしく“行ったり?来たり?”
でしたか?しかも、その小売店近くに気まして…ガラス越しから見えます「オ−ナ−の顔?」を
見ますと気持ちの上で“弱気…”に“ムリ?”でしょうか?瞬時、脳裏に浮かびましたモノです。
その時、いつもの“パワ−”を【SAKURAさん】から、いただきましたモノです…。“コトバ”!
「出来る!出来る!〜〜〜〜〜〜〜出来る!」という事を!潜在意識の中にシッカリとインプット!
此処までは、何となく“弱気の私…NANCY”でも〜〜〜さて!営業に必要な”スマイル…“は、
私には次なる【難問題…】です。私の顔の表情は、おそらく“憂鬱そのもの…”でしたかと。
しかし…笑い話ですが、逆に「お店のオ−ナ−」さんから〜〜〜“スマイル”を教えて頂きました。
今では、ふり返りますとオカシイ話なのですが??“ドア…”を開けますと…さすがで〜〜〜す!
明るい声!微笑!〜〜〜私どもに向けてくださいまして、逆に、今までの緊張感が、なくなり、
ホット!何時しか、私自身も“微笑…スマイル”になって、その「小売店」との無事に営業を、
終わらせました…この様な“懐かしい思い出〜♫”が、ありましたモノです。
やはり「笑い・・・微笑」は、そこに漂う特有の雰囲気が在りましても、「微笑=笑い…」という
不思議なパワ−にて、全体の空気をイキイキさせて来る“不思議な魔力……”が、あるのですかと。
此の事が【人生…最大の幸福への切符】ですかしら〜〜〜ン!
再合掌
2067
:
NANCY
:2013/03/02(土) 20:37:21 ID:VaTGaQRA
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❤【 ※『生長の家』では朗らかに笑って生きる。※ 】
此の事に関しまして…もう少し「雅春先生の御文章」の中から抜粋投稿させて頂きます。…が?
===【抜粋投稿】=====================================
吾らは快活に小鳥のやうに陽気にならなければならない。陽気に充ちた家は必ず生長する。
その家は生長の家となる。此の世界は何も吾々が悲しんでやらなければ、悲しみに不足して困
ると云うやうなことではないか。黒住教祖は醫者に見捨てられた自己の大患を陽気で癒やした。
陽気になれ、嬉しいことを語れ。 噪やげ。 哄笑せよ。 微笑せよ。 併し苦笑や冷笑はお
ことはりだ。
カリフォルニアに一人の婦人があつた。とマ−デンは書いてゐる――悲惨な運命に打ちく
だかれてそれ以来憂鬱性にかかつた。夜は眠れない、食べものは味がなくて食べれば胸につか
へる……等々の症状を呈した。そこで彼女は此の憂鬱を拂ひのけんがために一大決心をして実
行にとりかかつた。彼女は一日少なくとも三回、どんなことがあつても必ず心から声を出して笑
ふといふことに極めたのである。それで人と話してゐるときなど、一寸したきっかけがあつても
必ず心から笑ふやうにし、自分の部屋にゐるときには鏡を見て笑ふやうにしたところが、間もな
く健康が見ちがえるやうに良くなり、性格もいっぺんして明るくなつた。かうして主婦が快活に
なると共にその家庭は明るい愉快な幸福な家庭になつていつた。家庭の明るいと暗いとは主婦の
笑ひの分量によるところが多いのである。…云々…
(一部抜粋)
=============================================
■【笑い〜〜〜微笑】とは〜〜〜〜!当に!
【 世 界 共 通 … 幸 福 生 活 へ の ス テ イ タ ス か と! 】思います。
♫〜 嬉しい〜〜〜〜〜なぁ!!!楽しい〜〜〜〜〜なぁ!!!幸せだ〜〜〜〜〜なぁ!!!
この様に思う次第です。…が? 再合掌
2068
:
SAKURA
:2013/03/02(土) 22:29:32 ID:VaTGaQRA
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こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>2056
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投稿の続きです
ここは、まるで【四 無 量 心 の 心 の 世 界 観】
日常生活面を、それなりに考えていきますと、私なりの「雅春先生の哲学」が見えまして、更に
“人生観”が〜〜実に!感慨深いものになりますので、私なりに「生命哲学…勉強会」を〜♫〜では
“続き投稿…”していきます。「雅春先生の例え…」として、投稿されていらっしゃいました記憶が
あります。
■■ 『女 の 浄 土シリ−ズ…SAKURA論』
===========【第七章 あなたの繁栄を得るために 】===============
何に對して與へてゐるか ―― その① ――
「あなたは何に對して與へてゐるか」この第二回も第一問に比べて劣らぬほどに大切なものである。
折角、“種”を蒔いても、石地に播種したものは、発芽しないし、一時は発芽してもすぐ枯れてしま
ふなのである。痩地に播種したものは発芽し生長するにしても花をつけずミ果も結ばぬのである。
「與へる」と一様にいっても、お妾に金を與へるのもあれば、競輪、競馬やパチンコに與へて、財産
をすり減らしてしまふものもあるのである。「何に與へるか」といふことによって、“種”が発芽せず、生長せず、開花せず、果を結ばないなどの相違があることに注意しなければならない。
谷口雅春著
==============================================
■何に對して与えるかは、それは“生きたモノ”でしょうか??“生きたモノ”とは、他人を活か
す事では?ないのでしょうか???此処!九州の男性の方は、思うのですが〜〜〜><
“お金に余裕”が出来ますと、必ず!若い女性との関連が多いのでしょうか?「今昔物語…」かと。
それはある時、何かに対しての【業因……“ツケ”がでてくるのカモ!!何故なら?そうですョネ!
【正しい法則…】では無いですモノ!!ここで“コメント投稿”の時間が???と思うことが、時と
してあります。…が?「下ネタの話題…」に注視した“コメント投稿”は、やはり〜〜〜
生きた!活かした!“種まき”では?ないのではと、思う次第です。…が?
“言葉の実感”が生じ、また!現代社会人への“心…”へ、生きた内容?活かす内容?は、やはり、
その人へ伝えたいとの愛念によります“個人の個性ある文章体にもあるのでは?”と、この頃は
思い直しましたかと。
最近は、時間ができますとやはり【真理…】そして、私の実体験した内容を書く事も“種まき”に
と、ある面では思えます。…が?「亡き母」の時代の【誌友会…】がありました頃のことです。
私の町内の【割烹店…】があり、かなり大きな【割烹店…】でした。ここの“女将さん”は、ある
面〜〜〜申し訳ありませんが?何処かの「重役の二号さん」で、本妻は近くに住んでいたそうです。
その方にも、やはり子供が出来まして?妊娠されました当時、近所の方は“出産しないといけない”
と〜〜〜皆で近所の方々は言います。この“女将さん”は、一人で子供を産んで育てていく事を決
められたと……私の【誌友会…】の当時の方達が言っていました。それからは一銭も「相手の男性
の方…」から“お金…”を頂かずに、本当に、真剣に【祈り…】に徹しながら、女性一人で当時は
小さな〜小さな〜お店でしたが、一生懸命働かれまして、いつの間にか、その姿に心を打たれ、
陰口をついていました人達もですが?勿論の事ながら!近所の人達が、応援するようになり、
町内の人も何かの行事(宴会…)を、そこで利用し食事をするようになりましたでしょうか?
【小さな〜輪!!それが、いつしか大きな〜輪!!】になりまして、いつの間にか大きな
【割烹店…】になりました。
つづく
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