ギリシア語の theos(神)と sophia(叡智)の合成語。すでに新約聖書の《コリント人への第1の手紙》(2:6〜7)にこの言葉がある。中世,近世を通して,神もしくは天使からの啓示を内的直観により認識する際の方法,およびその認識内容を表す言葉であったが,特に宗教改革時代にはじまるプロテスタントの精神運動の中で錬金術や哲学の用語として普及した。パラケルスス,ワイゲル,フラッド,ベーメ,エティンガーらの著述の中にその例が見られる。〈神智学〉はつねに特定の体系または世界観を表す言葉として用いられる点で〈神秘主義〉と用語上区別される。そして1875年,ブラバツキー夫人がオルコット Henry Steel Olcott(1832‐1907)とともにニューヨークで神智学協会Theosophical Society を設立してからは,特にこの派の立場を指す言葉になった。
ブラバツキーによれば,太古以来,宇宙と人間の起源をめぐる秘密が特定の秘儀参入者たちの間で伝承され,後にそこから東西の諸宗教が,それぞれの時代にふさわしい形式をとって生じるようになったが,現代はその秘伝の重要な部分を公開し,諸宗教間の対立を超えて,再び根源的な神的叡智のもとに復帰すべき時期に来ている,という。その神的叡智を学ぼうとする人のために設けられた上述の神智学協会では,(1)人種,宗教,身分の区別をもたぬ友愛精神の普及,(2)古来の世界宗教の比較研究と普遍的倫理の提示,(3)各人の内に潜む神的な力の研究と開発,という三大目標を掲げている。この近代神智学運動は世界的規模に発展し,リードビーター,ベザント,ベイリー Alice Bailey(1880‐1949),R. シュタイナー,ティングリー Katherine Tingley(1847‐1929)等の有力な後継者を生んだが,1930年代以降は衰退した。しかし現在は秘教への関心の高まりを背景に活力を盛り返し,アディアル派(インド,ヨーロッパ),ポイント・ロマ派(アメリカ),ベイリー派に分立しつつあり,日本では三浦関造設立の竜王会が協会を代表している。その影響は A. シュワイツァー,ソロビヨフ,ベルジャーエフ,モンドリアン,カンディンスキー,スクリャービン,W. B. イェーツらの思想家,芸術家に,また日本では仏教諸派,教派神道,個人的には鈴木大拙,今東光,三浦関造,浅野和三郎,川端康成らに及んでいる。
高橋 巌
李炎(814〜846) Li Yan
唐の十五代武宗(Wuzong)。至道昭粛孝皇帝。在位840〜846。穆宗(李恒)の五男。はじめ穎王に封ぜられた。兄の文宗(李昂)が崩ずると、宦官の仇士良・魚弘志らが太子の李成美を廃して、かれを擁立した。宰相の李徳裕を信任して、李党によって政権は牛耳られた。会昌三年(843)、劉?を派遣して回鶻の烏介可汗を破り、大和公主を迎え帰国させた。五年(845)、仏像の廃棄や僧尼の還俗を命じ、寺院の土地や奴婢を没収した(会昌の仏教弾圧)。方術神仙を尊び、道士趙帰真ら八十一人を禁中に召し、法?を受けた。金丹を服用し、中毒死したという。
その初発は現在まで知られているところでは1867年8月4日,東海道の御油宿に秋葉神社の火防の札が降下したのが最初であった。以後,東海道,畿内を中心に,三河,遠江,駿河,伊豆,相模,武蔵,尾張,美濃,信濃,伊勢,近江,大和,山城,丹後,但馬,因幡,摂津,河内,和泉,紀伊,播磨,備中,備後,美作,安芸,淡路,阿波,土佐,讃岐,伊予の30ヵ国での事例が報告されている。その終末は68年4月22日の丹後加佐郡野村寺村の事例である。この民衆運動の契機となったのはどの地域でも神符類の降下であったが,この降下はいうまでもなく人為的なものであった。その背後にあったのは討幕派の人々だともいわれるが,その確証は発見されていない。降下した神符類のうちでは伊勢の御師(おし)の配布した御札・御祓(おはらい)が多かったが,その他その地域で信仰されていた社寺の御札,仏画,仏像など雑多であった。神符類の降下により民衆が動員されたのは,1830年(天保1)の御祓の降下によりおこったお蔭参りの記憶,さらには空から神聖なものが降下してくるとする伝統的な意識のほかに,幕末の危機的な政治情勢による民衆への圧迫感,第2次長州征伐の中止に伴う米価をはじめとする物価の下落による生活の安定などの諸要素が,神符類の降下を神意として民衆に受けとめさせたためと考えられる。民衆の意識はその囃言葉のうちに〈今年は世直りええじゃないか〉(淡路),〈日本国の世直りはええじゃないか,豊年踊はお目出たい〉(阿波)などの世直りの文句,〈御かげでよいじゃないか,何んでもよいじゃないか,おまこに紙張れ,へげたら又はれ,よいじゃないか〉(淡路)という性の解放,〈長州がのぼた,物が安うなる,えじゃないか〉(西宮),〈長州さんの御登り,えじゃないか,長と醍と,えじゃないか〉(備後)の政治情勢を語るもの,〈諸神諸仏の御降りが,日本国中いちじるし,弥勒仏の御威光で,五穀成就ありがたい〉(阿波)と弥勒下生による浄土の実現を示すものなどさまざまであり,そこにこの民衆運動の複雑さが示されている。その評価については定説というべきものはないが,1866年に高まった百姓一揆・打毀(うちこわし)に示される民衆の幕藩体制への抵抗がこの運動により弱まったとするもの,幕藩体制の基盤である封建的共同体からの離脱をはかった世直し運動の変型として評価すべきであるとするもの,またそこに伝統的な宗教意識や行動が再生されている点に注目するものなどがある。なお,E. H. ノーマンの〈日本におけるマス・ヒステリア〉(1945)は先駆的な研究として記憶される。
西垣 晴次
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