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【資料】神秘主義の系譜【探索】
23
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 04:39:53
>>22
[クシャーナ朝の美術] 王朝の繁栄を背景にガンダーラ地方とマトゥラーとを2大中心地として仏教徒主導の美術が展開した。ガンダーラ地方では5世紀中期のキダーラ朝の滅亡までを範囲とする。その仏教美術が以後のインド,中央アジア,中国のそれに及ぼした影響力の強さは他に類を見ない。
ガンダーラではヘレニズム・ローマ文化の影響を受けて西方的な色彩の濃い仏教美術が行われ,3世紀までは灰青色の片岩または千枚岩による石彫が,4〜5世紀には塑造彫刻が主体であった。一方,この王朝の東方の拠点都市マトゥラーではインド古来の伝統に基づいた赤色砂岩による仏教およびジャイナ教彫刻が栄えた。
元来クシャーナ族はイラン系文化を保持しイランの宗教を信奉していたと思われるが,カニシカ王の外護とともに当時繁栄をみた都市の商業資本が仏教やジャイナ教の造寺造塔を推進したのであろう。この王朝の仏教美術で特筆すべきは,1世紀末にまずガンダーラで,やや遅れてマトゥラーで初めて仏像を製作したことである。なおこの王朝の神殿趾がマトゥラー郊外のマートやヒンドゥークシュ山脈の北のスルフ・コタルで発見され,前者からはカニシカ王などの王族を神格化した肖像が出土した。また諸王の発行した貨幣には表に王の肖像,裏に諸宗教の神々が見え,すぐれた金工技術を示している。
この王朝の美術は,インド,イラン,ローマの文化が融合し,多様な様相を内包している点に特色がある。アフガニスタンのベグラームのクシャーナ時代の都城趾からはヘレニズム・ローマ世界の青銅製品,ガラス器,セッコウ円板,インドの象牙細工,中国漢代の漆器などが出土し,各地との通商によるこの王朝の繁栄ぶりを伝えている。⇒ガンダーラ美術‖マトゥラー美術 肥塚 隆
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