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【資料】神秘主義の系譜【探索】
34
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 05:23:59
大本教の発展と出口なおの晩年 三浦小太郎
2月 20th, 2012 by 月刊日本編集部.
http://gekkan-nippon.com/?p=2996
みろく信仰の大本教への導入
日露戦争以後、出口王仁三郎は教団活動を活発化させていく。もちろん組織者としての彼の能力に疑いはないが、より重要だったのは、日露戦争以後の日本ナショナリズムを肯定し、出口なおの前近代的な宗教思想を日本神道や近代主義と結びつけたことである。そして、神道思想上出口王仁三郎が最も影響を受けた国学者が、大石凝真素美という人物だった。1832年に生まれ、幕末には尊王攘夷思想を説いて各国を回り、さらに明治3年には現状の神道を全面批判して投獄されたこともある。ラデイカルな国学者として明治維新を一貫して批判し、また独自の言霊論を展開した興味深い人物である。個人的には彼の主たる仕事とされる言霊論よりも、仏教、特に法華経を研究し、古事記との思想的関連性を追求した点が興味深く、そこには正直受け入れがたい極論(法華経は古事記の讃歌である、など)はあっても、後の国柱会、北一輝、さらには文学面での宮沢賢治などにも通じる、日本精神と仏教の高次の合一を模索するものだった。しかし、若き王仁三郎に与えた影響のうち最も大きなものは、大石凝のみろく信仰である。
大石凝はもともと仏教思想だった弥勒信仰を、これも古事記と融合させることによって、国学としての「みろく信仰」を打ち立てようとした。仏教思想における弥勒信仰とは、仏陀入滅後56億7千万年後の未来に姿を現わして、多くの人々を救済するとされる弥勒菩薩を信仰するものだが、中国でも、また日本でも、この思想はむしろ現体制を打倒し新しい世界を実現させようという秘密結社や民衆反乱、世直し一揆などと結びついている。明治政府に激しい批判意識を持っていた大石凝にとって、新たな「維新」思想として、国学と結合した日本独自の「みろく」信仰を求めたのは自然ななりゆきだったといえよう。
そして、なおの思想には、このみろく信仰の影響が当初はほとんど見られない。これは、なおが民衆共同体からも疎外されていたことの反映であり、民衆宗教としてのみろく信仰は彼女の救いにはならなかったのだ。出口なおが徹底した孤独者として生きたことをうかがわせる。
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