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【資料】神秘主義の系譜【探索】

74キーワード:弥勒:2013/07/20(土) 22:53:43
往生
おうじょう

この世で命をおえたのち,他の世界に往(い)って生(しよう)を受けること。とくに念仏の功徳(くどく)によって,臨終のとき阿弥陀仏の来迎にあずかり,阿弥陀仏の国土である西方の極楽浄土に往き生まれること。往生を願うことを願生,願往生といい,往生する人を往生人という。往生を願う浄土の種類によって極楽往生(阿弥陀仏の極楽浄土に往生すること),兜率天(とそつてん)往生(弥勒菩醍の兜率天に往生すること),補陀落(ふだらく)往生(観音菩醍の補陀落山(せん)に往生すること),浄瑠璃(じようるり)往生(薬師如来の浄瑠璃世界に往生すること),そのほか釈梼の霊山(りようぜん)および無勝荘厳(むしようそうごん)国に往生するもの,毘盧遮那(びるしやな)仏の蓮華蔵(れんげぞう)世界に往生するものなどに分けられる。また,浄土に往生するための方法として念仏往生(阿弥陀仏のみ名を称えることによって往生する),諸行(しよぎよう)往生(念仏以外の諸善行(ぜんぎよう)により往生する),助念(じよねん)往生(念仏の助けとして諸善行を修めて往生する),聞名(もんみよう)往生(仏の名を聞き信じて往生する)などがある。また特異な往生の方法として,自然な死期をまたずに焼身,入水,埋身といった自殺的行為により往生するものがあり,これらを異相往生という。日本で古くより広く信仰されたのは,浄土教に説く極楽往生である。奈良時代における極楽往生観は死者に対して縁者がその冥福を祈り,死者が極楽浄土に往生することを願うという,追善的な性格を有するものであった。平安時代中・末期に至って,律令体制の動揺から生じた社会秩序の混乱に,末法思想による末世の到来という精神的不安が重なって,人々は現世を穢土(えど)(穢れた国土)と観ずるようになり,来世に安らぎを求めるようになっていった。死者の追善ではなく,自身が極楽に往生できることを願ったのである。この願望から人々の間で,阿弥陀仏のはたらきとしての来迎引接(らいごういんじよう)(阿弥陀仏が臨終に来迎して,浄土へ引導接取すること)が強く想念された。来迎引接(摂)を絵画化したのが来迎図であり,儀礼化したのが迎講や来迎会である。立形の阿弥陀仏像が造られ,法然の教団では重視された。《観無量寿経》に極楽浄土に往生するものに9等の段階(九品(くぼん)。上品,中品,下品のそれぞれに上生,中生,下生の3等がある)が説かれ,どのような悪人でも称名によって下品下生者となれるとあるので,下層社会でも往生願生者を広く育てた。《日本往生極楽記》《続本朝往生伝》などの〈往生伝〉にはさまざまな往生人とその信仰生活が記されている。鎌倉時代に入ると,法然,親鸞などの新仏教の教祖たちにより他力本願,悪人正機,女人往生などの思想が打ち出され,浄土教帰依者は社会的身分,職業に関係なく急増した。これ以降,日本人の来世観に極楽往生の観念が定着していった。しかし往生が死を契機として説かれていたため,後世その意味が転用され,〈この世を去ること,死ぬこと〉〈困り果てること,閉口すること〉を,〈往生する〉というようになった。    伊藤 唯真

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