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【資料】神秘主義の系譜【探索】
31
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 05:09:57
?教
けんきょう
ペルシアのゾロアスター教に対する中国での呼名。拝火教ともいう。ササン朝で国教となっていたこの教えは,中国へは,北魏(386‐534)の中ごろには伝来し,北周,北斉にはしだいに広まって,宮中にも信奉者を見いだしていた。隋・唐時代になると,ペルシア人やイラン系の西域人がしきりに往来したが,彼らの大多数は松教信者であったとみられ,彼らを取り締まるため,隋代には醍保ないし醍甫,唐代では醍宝(さつぽう)という官をおいた。ちなみに北周の宇文護の小字は醍保であった。唐代では,教徒たちの拝火の殿堂である松祠ないし松寺は,敦煌,涼州,伊州はいうまでもなく,国都の長安に数ヵ所,また洛陽などに存在し,いわゆる三夷寺の一つであった。顔真縁の子の小字を穆護と称し,これは牧護と同じで,?教の僧侶の意味である。唐の武宗は,845年(会昌5)の会昌の廃仏(三武一宗の法難)の際,外来宗教をも弾圧し,松教の僧侶2000余人を還俗させたため,勢力を失ってしまったが,その余流が宋・元まで存在したことが確認されている。⇒ゾロアスター教 礪波 護
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