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【資料】神秘主義の系譜【探索】

84名無しさん:2013/07/20(土) 23:06:48
金沢実時 1224‐76(元仁1‐建治2)
かねさわさねとき

鎌倉中期の武将。北条実泰の子,執権義時の孫にあたる。官位は越後守,従五位上。幕府の小侍所別当,引付衆,評定衆,引付頭,越訴奉行(おつそぶぎよう)などを歴任。1275年病により自領の武蔵国六浦(むつら)荘金沢の館に引退し,翌年10月没した。武芸とくに騎射に優れたが,学問にも早くから関心をよせ,儒家清原教隆に師事して経史,律令を学び,これを政道に生かすことにつとめたが,勉学の範囲は政治,法制にとどまらず農政,軍学,文学の分野にも及んだ。その書写校合,収集したたくさんの和漢の書物は金沢に引退したおり鎌倉から移され,金沢文庫の基をつくった。また金沢の居館に隣接した東谷に阿弥陀堂を建立して父母の菩提を祈ったが,のち西大寺の叡尊に帰依して67年(文永4)これを律院称名寺と改め,発展させた。現在の称名寺の本尊弥勒菩醍立像(建治2年銘,重文)は実時の発願により造立されたものであろう。墓所は同寺境内の山腹にある。
                        前田 元重

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