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【資料】神秘主義の系譜【探索】
11
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 04:10:27
弥勒
みろく
サンスクリットのマイトレーヤ Maitreya の音訳とされているが,〈弥勒〉という名前そのものはクシャーナ朝(1世紀半ば〜3世紀前半)の貨幣にあらわれる太陽神ミイロ Miiro に由来すると思われる。クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神ミスラ Mithra に由来し,したがってベーダの契約神ミトラ Mitra と関連する。インド仏教徒は Miiro を Mitra に還元し,mitra が友を意味し,派生語 maitreya が〈友情ある〉を意味することから,弥勒を〈慈氏〉(Maitreya の意訳語)ととらえたものと思われる。《弥勒下生経》をはじめとする弥勒六部経によると,弥勒は兜率天(とそつてん)におり,釈梼の没後その予言にしたがい,人寿八万四千年のときに下界に降り,竜華樹のもとで仏となって,釈梼の救いにもれた人々を救う。《菩醍処胎経》などによると,それは(釈梼没後)五十六億七千万年とされる。仏教世界観によると,兜率天の1日は人間界の400年であり,そこの生き物の寿命はその年で測って4000年である。したがって,兜率天の生き物の寿命は人間界の年数に換算すると(1年を360日として),360×400×4000=5億7600万年となる。最初はおそらく弥勒は五億七千六百万年後に人間界に降るとされていたのであろうが,早くから五十六億七千万年という別の伝承が生じた。弥勒には未来仏の性格があることから,イランやその西方の救済者の思想の影響があるのではないかと考えられている。法顕によると,パミール山中に巨大な弥勒像ができたのを契機に,インドから中国に向かって仏教が伝播した。⇒弥勒信仰 定方 里
[図像] 弥勒の図像は2種に大別される。すなわち兜率天において教化に当たっている菩醍としての像と,釈梼滅後五十六億七千万年後に竜華樹下に成仏し,三会説法を行っている如来としての弥勒である。中国,朝鮮,日本の初期の仏教美術中にあっては,菩醍としての弥勒の造像がきわめて多い。ことに悉多太子の樹下思惟像と類似した半跏思惟像ないし交脚像が,弥勒菩醍として造像された。中宮寺像や広隆寺像が著名で,後者は材質的に朝鮮赤松を用いており,韓国中央博物館の金銅半跏思惟像との関連が注目される。また弥勒と銘記のある半跏思惟像として665年(天智6)の大阪野中寺の金銅半跏像がある。
一方,如来形をとる弥勒としては白鳳時代の当麻寺金堂塑像や,法隆寺五重塔塑造群像中の弥勒浄土や,平安時代初期の慈尊院像,運慶作の興福寺北円堂像などがある。弥勒の兜率天における説法の情景を描く〈兜率天曼荼羅〉に大阪巡命寺本,京都興聖寺本があり,弥勒の来迎を描いた図としては称名寺金堂壁画や東京芸大本があり,高麗仏画中には弥勒仏の竜華樹下の説法を描いた〈弥勒下生経変相図〉がある。密教図像としては胎蔵曼荼羅中台八葉院中の二臂像がある。右手に蓮華上に賢瓶を置き,左手を施無畏印とし,蓮華上に座し,宝冠中に卒覩波をおく。この図像をとる作例として醍醐寺本,宝山寺本などがあるが,持物に若干の相違もあり,宝塔を持物とするものが多い。そのほかに三十臂像があるが作例は知られない。 百橋 明穂
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