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【資料】神秘主義の系譜【探索】

47名無しさん:2013/07/20(土) 19:20:04
>>46
[外国の干渉と敗北] 第2次アヘン戦争と北京条約(1860)によって,清朝をその対華政策の支柱として再編することに成功したイギリス以下の列強は,初期の中立政策を放棄し,1860年以降,天京以東の江蘇・浙江省に新たな活路を求めて進出してきた太平軍に,上海,寧波などで武力攻撃を加え始めた。天王は天下万国の真の主としてヨーロッパ諸国民を臣民視する中華思想の一方,これを同じ唯一神を信ずる洋兄弟とみなし,アヘンを除く通商やキリスト教布教には友好的だった。だが彼らは列強の武力干渉と,これに対する必死の抵抗を通じて,その侵略性を認識し,中華思想から脱却して近代ナショナリズムの思想を萌芽させ始めた。また,この対外抵抗は,イギリス,フランスの幕末日本への軍事的圧力をゆるめ,その対日政策にも影響を与えた。列強の軍事援助を受けた淮軍とイギリスの将校ゴードンを司令官とする義勇軍(常勝軍)の連合軍によって,太平軍はその最後の地盤,江浙地方をも失い,1864年6月,洪秀全は病死し,その20日後に天京が陥落して,太平天国は滅亡した。

[歴史的意義] 敗北したとはいえ,この運動は近代以前の世界史上のいかなる民衆反乱もつくり得なかった高度に統一された組織と,多数の女性を含む独自の軍隊をつくって,十数年にわたって内部の封建勢力,ならびに新来の外国資本主義勢力に対して戦いつづけた。それによってこの運動は近代の中国革命の源流となった。民国革命の父孫文は第二の洪秀全と自称し,後者が免れなかった皇帝主義を批判しつつ,その清朝打倒と独立という課題を自覚的に継承しようとした。また太平天国時代の地主や官僚に対する農民の闘いは多くの歌謡や伝説によって民衆の中に語り継がれ,1920年以降のより自覚的な農民革命論を生み出す土壌を準備した。         小島 晋治

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