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【資料】神秘主義の系譜【探索】
36
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 05:39:25
出口王仁三郎と大本教弾圧 三浦小太郎
3月 23rd, 2012 by 月刊日本編集部.
http://gekkan-nippon.com/?p=3495
浅野和三郎の終末思想
出口王仁三郎が教主となって後、大正時代に大本教が爆発的な発展を遂げたことは前号にて記した。この時期、王仁三郎同様、いや、時にはそれ以上の影響力を有したのは浅野和三郎と彼の激しい終末思想である。
浅野和三郎は東京帝国大学にてラフカデイオ・ハーンに学び、デイッケンズの「クリスマスキャロル」や、英文学の神秘主義文学や恐怖・怪奇小説に多大な影響を受けた。日本では古典的な推理小説家としてしかほとんど知られていないコナン・ドイルが、降霊術や神秘主義にはまり込んでいたことでも分かるように(ホームズ・シリーズの中でも名作として知られる「バスカビル家の犬」はある種のゴシック怪奇小説の推理版とも読める)、19世紀末期から20世紀当初のヨーロッパ、とくにイギリスは古代のケルト文明再評価や、悪魔術の流行など神秘主義思想の宝庫でもあった。当時流行した心霊学研究は、ヨーロッパでも近代の行き詰まりの中、前近代思想や古代文明への熱狂的な興味が沸き起こっていたことを表している。
浅野和三郎はその出自からもわかるように、王仁三郎以上に近代的な知性の持ち主であった。東京帝国大学英文学科を卒業後は、海軍機関学校の英語教官になるなど、当時としては最高の英語力を身につけた国際派知識人と言ってもよい。しかし、一九一五年(大正4年)三男が原因不明の熱病になり、どんな医者に見せても治らなかったのに、ある女性の霊能者が治して見せたことをきっかけに、本格的に心霊学や神秘主義にのめりこんでゆき、大本教に入信した。
これは単なる奇跡伝や知識人の気まぐれではない。浅野は日本の霊性に目覚めたというよりは、当時の西欧の超近代主義としての神秘主義に直接影響を受け、さらにハーンから英語だけではなく、日本古来の文化伝統の重要性をも学んでいた。彼の思想は西欧の最先端の知的流行と、前近代日本文化のダイレクトな接合なのだ(これは実は日本90年代のポストモダンと称する思想家に無意識のうちに引き継がれている。たとえば中沢新一が登場した時、筆者は「洗練された浅野和三郎」と思えた)そして、浅野の讃歌は海軍軍人や知識人が大本教の存在を知り、そこに引き付けられてゆく大きなきっかけとなる。
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