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【資料】神秘主義の系譜【探索】

39名無しさん:2013/07/20(土) 05:52:44
紅巾の乱
こうきんのらん

中国,異民族王朝元の支配を倒し,漢民族王朝明の成立のきっかけとなった宗教的農民反乱。1351‐66年。白蓮(びやくれん)・弥勒(みろく)教徒が勢力の中心で,紅布で頭を包み標識としたので〈紅巾の賊〉ともいう。河北省に本拠をおく白蓮教会の会首韓山童は弥勒仏下生(げしよう)の説をもって布教し,河南,安虐地方で反元の反乱を企てたが失敗した。あとを遺児の韓林児が継ぎ,長江(揚子江)流域では徐寿輝らが呼応し全国的反乱となった。このなかから朱元璋が出て反乱軍の群雄を倒し,天下を統一した。⇒明    谷口 規矩雄
 中国の紅巾軍は高麗にも侵入した。1358年元の上都開平の攻撃に向かった彼らは,反撃されて遼陽に逃れ,そこから59年,61年の2回高麗に侵入した。1回目は4万の兵力で,西京(平壌)を翌年まで占領。2回目は10万の大軍で,開城を翌年初めまで占領,さらに江原道原州にも侵入し,恭愍王(きようびんおう)は福州(慶尚南道安東)まで避難した。2回とも,安祐,李芳実,崔瑩(さいえい)等を中心とする高麗側の反撃で撃退されたが,南方海上からの倭寇と並んで,高麗王朝に大打撃を与えた。また,有力地方豪族が参戦,活躍し,とくに,やがて李朝の始祖となる李成桂はその後の台頭の端緒を開いたといえる。        北村 秀人

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