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【資料】神秘主義の系譜【探索】
6
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 03:59:06
>>2
弥勒信仰
みろくしんこう
インドに成立し,東南アジア・東アジアの諸民族に受容された弥勒信仰は,未来仏である弥勒菩醍(マイトレーヤ Maitreya)に対する信仰で,仏教に内包されたメシアニズムである。弥勒菩醍は釈尊入滅の56億7000万年後に,弥勒浄土である兜率天(とそつてん)よりこの世に出現し,竜華樹の下で三会にわたって説法し,衆生救済を果たすと信じられている。インドにおける弥勒信仰の前身の一つは,ヒンドゥー教における救済者カルキの存在である。カルキは未来において人間の寿命が23歳となった末世に,この世に出現して人々を救済すると説かれていた。また弥勒は別称アジタとよばれるバラモンの弟子だとする説もある。本来アジタと弥勒(マイトレーヤ)は別々の存在であったのが,同一視されるようになったという。仏典〈弥勒三部経〉すなわち《弥勒下生経》《弥勒大成仏経》《弥勒上生経》が,教理の中心である。弥勒下生の地は,ゲートマティとよばれる都市とされ,その地はすばらしいユートピアとして描かれている。したがって,弥勒信仰はユートピアをめざす千年王国運動(至福千年運動)とかかわる性格をもつのである。事実,中国の弥勒信仰は,民衆の反乱運動と結びついて展開した。朝鮮半島においても同様な事例が認められ,とくに19世紀末の社会変動期に弥勒下生信仰が顕在化し,新宗教運動のかなめとなった。また,新羅の花郎も弥勒信仰の影響を受けていた。
[日本] 中国・朝鮮半島を経て6世紀に伝来した日本の弥勒信仰は,最初百済の弥勒信仰の影響が強かったが,しだいに定着して民俗信仰となった。弥勒信仰の一般的展開からみると,まず下生信仰が成立し,次に上生信仰に変化したと考えられているが,日本仏教史の上では,弥勒信仰を受容した貴族社会が,まず上生信仰を展開させた。下生信仰の未来性が,貴族たちの個人的信仰と相容れなかったためである。しかし真言宗の空海による弥勒信仰は,高野山を将来の弥勒浄土とみたて,そこに入定して,弥勒出世を待機する内容であり,弥勒下生の一つのタイプを示している。真言宗の民間信仰との接触により,弥勒信仰は各地に広まっていた。とくに15〜16世紀に,東日本の鹿島地方を中心に弥勒下生の信仰が強まった。この背景には,太平洋のかなたから〈弥勒の舟〉が鹿島地方に到来するという伝統的な信仰に支えられている。江戸時代の代表的な山岳信仰である富士講の教祖身禄(みろく)は,入定行者の系譜をひき,〈弥勒の世〉の現実化をめざしたもので,近代の大本教(おおもときよう)などの新宗教運動の嚆矢(こうし)となった。 宮田 登
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