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【資料】神秘主義の系譜【探索】

85名無しさん:2013/07/20(土) 23:08:02
花郎
かろう

朝鮮,新羅の青年貴族集会の指導者。上級貴族の15,16歳の子弟を花郎として奉戴し,そのもとに多くの青年が花郎徒として集まって集会を結成していた。花郎に奉戴された者は,半島統一の英雄金輝信(きんゆしん)を含め新羅滅亡までに200余人を数え,各花郎に属した花郎徒はそれぞれ数百人から1000人に及んだと伝えられている。彼らは平時は道義によってみずからを鍛え,歌楽や名山勝地での遊楽を通じて精神的,肉体的修養に励んだ。そして戦時には戦士団として戦いの先頭に立ち,活躍した。その起源について,《三国史記》《三国遺事》ともに真興王代(540‐576)の制定によるものと伝えているが,川前里書石(慶尚南道蔚州郡)の〈乙巳年銘文(525)〉に花郎と思われる人名がみられ,法興王代(514‐540)にはすでに存在していた可能性が強い。その原型は部族社会の青年集会に求められるが,6世紀初頭における新羅の国家的発展の過程で,花郎を中心とする青年戦士の集会に変化し,国家的公認を受けたものと思われる。自己犠牲の精神を養う花郎集会は,国家にとっては人材の養成,登用のための格好の組織であった。花郎は新羅固有の習俗に根ざすものであったが,同時に儒・仏・道三教と結びついて独自の発展をとげた。特に弥勒信仰の影響のもとに寺院,僧侶と密接な関係をもった。また神仙思想と結合して,やがてその習俗は〈風流〉〈風月道〉と称され,花郎も〈国仙〉〈仙郎〉と称されるようになった。             木村 誠

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