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【資料】神秘主義の系譜【探索】
7
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 03:59:41
>>6
の続き
[中国] 中国においても弥勒がこの世に下生することにより理想的政治が実現するという民衆の信仰は強く,この信仰を組織して弥勒の名の下に宗教反乱がくり返された。自然災害,あるいは悪政によって困窮の生活に追い込まれた民衆の心をこの信仰の下に団結し,その力を利用して反乱が企てられたのであるが,そのたびに為政者は邪教として禁圧を加えている。
北魏時代(386‐534)の大乗教徒の乱はその先ぶれとされるが,弥勒の名を用いたのは,613年(大業9),隋の煬帝(ようだい)の時代の河北における宋子賢がはじめである。〈弥勒出世〉と自称した彼は幻術にたけ,夜になると光を使って楼上に仏の姿を現出させたり,あらかじめ紙上にかいた蛇や獣,人間の姿を鏡を使ったトリックで映し出し,罪業のあかしとして見せたりして民衆の帰依を得たが,挙兵の前に発覚し殺された。同じ年に陝西の扶風では,沙門の向海明が,帰心すれば吉夢(よいゆめ)を得られるとして人々を惑わし,乱を起こしてみずから皇帝と称し,年号も新たに立て数万が蜂起したが,鎮圧された。また,反乱ではないが,弥勒信仰あるいは讖緯説(しんいせつ)を利用して革命し政権をとったのが則天武后である。妖僧薛懐義(せつかいぎ)らに〈則天は弥勒仏の下生にして,閻浮提の主とならん〉の語句を含んだ《大雲経》を偽作させ,これにより周を建てた。時代が下り,玄宗の世には河北省の貝州で王懐古がやはり〈新仏〉の下生を妖言して乱を起こし,唐末には四川で,秘密教団としての弥勒会が生まれ,反乱を起こした。しかし,彼らの組織や布教活動を示す具体的な史料はほとんど残っていない。
五代の時代には,狂僧布袋和尚が弥勒の化身とされ,民間ではしきりにその図像が描かれ,今日に至るまで,布袋の姿が弥勒仏の像となっている。北宋では,仁宗の時代(1023‐63)に貝州で起きた王則の反乱がある。彼は弥勒会の教徒を動かし,みずから東平郡主と称し,国号を安陽,年号を得聖とし,殺害劫奪を繰り返したが,60余日にして鎮圧された。連座したものの中には官僚層の人物もおり,当時の弥勒教の浸透の深さがうかがえる。その後南宋には白蓮宗が生まれ,弥勒教と合体して白蓮教となり,元末の紅巾の乱,あるいは明・清時代の民衆反乱の中に生き続けた。⇒白蓮教の乱 西脇 常記
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